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論文 173 エルサレムの月曜日

論文 173

エルサレムの月曜日

この月曜日の朝早く、事前の打ち合せにより、イエスと使徒達は、ベサニアのシーモンの自宅に集合し、短い会議の後、エルサレムに向けて出発した。寺院に向かう旅の間、12人は妙に静かであった。かれらは、前日の経験から立ち直っていなかった。かれらは、期待し、恐れ、そして、この過ぎ越し祭りの週を通して公の教えに従事しないという指示と結びついた戦術に対するあるじの急転からくるある種の疎外感に強く影響を受けていた。

この一行がオリーヴ山を下るとき、イエスは先導し、使徒は、深く考えに耽け、黙って真近かに続いて行った。ユダ・イスカリオテを除くすべての者の心の中には、最優先のただ1つの考えがあり、そしてそれは、あるじは、今日、何をするのだろうか、ということであった。ユダを夢中にさせていた1つの考えは、次の通りであった。どうしよう。イエスと仲間と共に進み続けるのか、あるいは引き下がるのか。そして、止めるのであるならば、いかに関係を切るのか。

これらの男が寺院に到着したのは、この美しい朝の9時頃であった。皆は、早速、イエスが度々教えた大きい中庭の方に行き、待ち受けていた信者達に挨拶をした後、イエスは、教壇の1つに上がり群衆に話し始めた。使徒は、近くに撤退して成り行きを待った。

1. 寺院の浄め

膨大な商業取り引きが、寺院での崇拝における礼拝と儀式に関連して発展してきていた。様々な生贄に適した動物を提供する商売があった。崇拝者が、自身の手で供え物を提供することは許されてはいたが、この動物には、レビ族の法の意味において、また寺院の公式検査官の解釈するいかなる「傷」もあってはならないということが、依然として事実であった。多くの崇拝者は、おそらくは文句なしの動物を寺院の試験官に拒絶される屈辱を経験した。従って、生贄の動物を寺院で購入することが、より一般的となり、また、購入できる幾つかの場所が近くのオリーヴ山上にあったのだが、直接寺院の檻からこれらの動物を買うことが流行になった。徐々に、生贄用の動物すべてが、寺院の中庭で売られるこの習慣が発展した。その結果、巨大な利益が上がる広範囲の商売が生み出された。これらの利得の一部は、寺院の資金のために保留されたが、かなりの部分は、間接的に支配的な立場にある高聖職者等の家族の手に入った。

寺院のこの動物販売は繁昌した、というのは、価格はいくらか高いかもしれないが、崇拝者がそのような動物を購入すると、それ以上の料金を支払わなくてよかったし、その上、意図された生贄が本当の、または厳密な意味で傷を持つという理由では拒絶されないのを確信できるからであった。いつの頃か、法外に不当な高値の制度が、特に国家の大きな祝宴の間、一般人に対して実施された。一時は、貪欲な司祭達が、数ペニーで販売されるはずの1対の鳩を貧しい人々に1週間の労働に値する額を要求するところまでいった。「ハナンージャの息子達」は、すでに寺院の境内における市を、寺院自体の崩壊の3年前に暴徒による最終的な打倒の時まで固持したまさしくそれらの商品市場を確立し始めていた。

しかし、寺院の中庭が汚された習わしは、生贄の動物と種々の商品取り引きばかりではなかった。このとき、こともあろうに寺院の境内で行なわれた金融業と商取り引きの広範囲な制度が促進された。そして、これはすべて、次の方法で起こった。ハスモネアノス王朝時代、ユダヤ人は、自身の銀貨を鋳造しており、寺院の賦課金として1/2シェケルが要求されるようになり、また、すべての他の寺院の料金が、このユダヤ硬貨で支払われる習慣となった。この規則は、パレスチナとローマ帝国の他の行政区一円で流通している様々の通貨をこの正統的なユダヤ人造幣のシェケルに交換するということが、両替商に認可されるという必要性を生じた。女性、奴隷、未成年者を除く全てに課される寺院の人頭税は、1/2シェケルで、およそ10セント硬貨の大きさで、厚さは2倍であった。イエスの時代までには、聖職者は、寺院税の納付からも免除されていた。したがって、過ぎ越しの前の月の15日から25日まで、彼らのエルサレム到着後、ユダヤ人が寺院の適切な納付金が支払える目的のために、公認の両替商等は、パレスチナの主要な都市でそれぞれに仮小屋を立てた。この10日の期間の後、これらの両替商は、エルサレムに移動し、寺院の中庭に交換用の台の設置にとりかかった。およそ10セント相当の硬貨の交換には3セントから4セントほどの手数料の請求が許され、より高額の硬貨の交換に際しては、2倍の額の徴収が許された。同様に、これらの寺院の金融業者は、生贄用の動物の購買、そして、誓約の支払いと供え物の提供を目的とする全ての金の交換から利益を得たのであった。

寺院のこれらの両替商は、訪問の巡礼者がエルサレムに定期的に持ち込む20種類以上の金銭交換における利益のための通常の金融業務を行うだけでなく、金融業務に属する他の全種類の取り引きにも従事していた。寺院の資金とその支配者達の双方が、これらの商業活動から相当の利益を得た。一般人が貧困に苦しみ、これらの不当な課税を払い続ける一方、寺院の資金の所有が、1,000万ドルを越えることは珍しくなかった。

両替商、商人、家畜販売人等のこの騒々しい集合体の真っ只中にあって、イエスは、この月曜日の朝、天の王国の福音を教えようとした。寺院のこの冒涜に憤慨するのは、イエス一人ではなかった。一般人、特に他の地域からのユダヤ人の訪問者達も、自分達の国家的な崇拝の家に対するこの荒稼ぎの神聖冒涜に心から憤慨した。このとき、シネヅリオン派自体は、商業と物々交換のこの全ての騒めきと混乱に取り囲まれた会議所でその定期的な会合を開いた。

イエスが、講演を始めようとしていたとき、彼の注意を捕らえる2つの事が、偶然起きた。近くの両替商の交換台では、乱暴で激しい議論が、アレキサンドリアからの一人のユダヤ人の不当な価格の申し立てに関して起こっており、時を同じくして、動物の檻の1区画から別の区画に追いやられていた100頭ほどの雄の子牛の群れの喚き声で空気がつんざかれた。イエスが躊躇い、静かに、しかし考え深く商業と混乱のこの光景を見つめていると、近くに単純なガリラヤ人が、イエスがジロンで一度話しをしたことのある男性が、高慢で自称すぐれたユダヤ人達に嘲られ、小突き回されていたのを見た。そして、このすべては、イエスの魂で、奇妙な周期的な憤慨の感情の高まりを生じた。

真近かに立ち、間もなく起ころうとしていることへの参加を控えている使徒が驚いたことには、イエスは、教壇から下り、庭を突っ切り、家畜を追っている若者のところに行き、むちを取り上げ、寺院から素早く動物を追い立てた。しかし、それが全てではなかった。イエスは、寺院の中庭に集まった数千人の不思議そうな凝視の中を最も遠くの家畜の檻に大股で厳然と歩いていき、あらゆる露店の出入り口を開け、封じ込められた動物を追い払い出した。この頃には、集まった巡礼者は、衝撃を受け、騒々しい叫び声をあげて市場の方へ進み、両替商の台をひっくり返し始めた。5分もしないうちに、すべての商売は寺院から一掃された。近くのローマの歩哨達がその場に現れるまでには、すべては静かで、群衆は整然となっていた。講演者の台に戻ったイエスは、群衆に話した。「あなた方は、聖書に書かれていることをこの日に目撃した。『私の家は、万国の祈りの家と呼ばれるべきであるのに、あなた方はそれを強盗の巣窟にした』。」

しかし、次の言葉を発する前に、大群衆から称賛のホサナという叫びが突然に起こり、まもなく若者の集団が、不敬で、不当収益にかかわる商人達が神聖な寺院から追放されたことへの感謝の賛美歌を歌うためにその群衆の中から出てきた。この時までには、聖職者の幾人かは、この場に到着しており、その中の一人が「あなたはレーヴィイ族の子孫が言っていることを聞かないのか。」とイエスに言った。すると、あるじは、「『幼い子供の口から賛美が完成された』とあるのを読んだことがないのか。」と答えた。そして、残りのその日はイエスが教える間ずっと、人々により配置された見張りが、あらゆるアーチ道に警備に立ち、かれらは、空の容器といえども誰にも寺院の中庭を通って運ぶことを許そうとはしなかった。

司祭長達と筆記者達は、これらの出来事について聞くと唖然とした。あるじを恐れれば恐れるほど、かれらは、ますますあるじを滅ぼすと決心をした。しかし、かれらは、途方にくれた。かれらは、神聖を汚す不当利得者を打倒するイエスを是認してあからさまに物を言う群衆を大いに恐れたので、イエスを死に至らせる方法を知らなかった。そして、この日ずっと、寺院の中庭の静かで平穏な1日、人々は、イエスの教えを聞き、文字通りその言葉にしがみついた。

イエスのこの不意の行為は、使徒の理解を超えていた。かれらは、あるじの突然の、予想外の行動に非常に驚いたので、出来事の間中、演説者用の台の近くに雑然と集まったままでいた。かれらは、寺院のこの浄化を進めるために少しの労も決してとらなかった。もし、この壮観な出来事が、その前日、都の入口を通過する騒然とした行列の終了の、この間中ずっと群衆の騒々しい歓迎を受けて、イエスの凱旋の寺院到着時点で起こっていたならば、そのための準備ができていたことであろうが、実際は、そのように起こってしまったので、使徒は、全く参加する用意ができていなかった。

寺院のこの浄化は、宗教実践の商業化へのあるじの態度、ならびに貧者と無学な者を犠牲にした不当の、悪徳商法のあらゆる形式への嫌悪を明らかにしている。この出来事は、政治的、財政的、あるいは宗教団体の力の後ろにいる地歩を固めることができるかもしれない不正の少数者の不当かつ強慾な実践に対するある特定の人間集団の大多数を保護するための力の行使の拒否をイエスが満足して見ていなかったことをも示証明している。抜け目がなく、邪悪で腹黒い者が、自らの理想主義の理由のために、自己保護、あるいは称賛に値する人生課題の推進に気が向かないない者達を搾取したり、圧迫する目的のために組織化することを許してはいけない。

2. あるじの権威への挑戦

日曜日のエルサレムへの凱旋入都は、イエスの逮捕を控えさせるほどにユダヤ人の支配者達を威圧した。当日、寺院のこの壮観な浄化は、あるじの憂慮を同じく効果的に延期した。日毎に、ユダヤ人の支配者等は、イエスを滅ぼそうとますます決意を固めるようになっていたが、それでも襲撃時の遅延をもたらした2つの恐怖に心を取り乱していた。司祭長と筆記者等は、群衆が激しい怒りをぶつけてくるかもしれないことを恐れ、公然とイエスを逮捕する気がなかった。かれらは、ローマの歩哨達が、民衆の暴動を鎮めるために呼び出される可能性も恐れた。

シネヅリオン派の正午の会議では、あるじの友人は一人も、この会合に出席していなかったので、イエスは即刻滅ぼされなければならないとの満場一致の意見であった。しかし、いつ、いかように拘引されるべきかに関しては、同意に至ることができなかった。かれらは、ようやくイエスをその教えに陥れるか、さもなければ、その教示を聞く人々の目前でイエスの評判を落とすために人々の間に出かける5集団を指名することに同意した。そのため、2時頃、イエスがちょうど「息子の資格の自由」について語り始めたとき、イスラエルのこれらの長老の一団が、イエスの近くに進んできて、慣習的な態度で話の邪魔をして「いかなる権威によってこれらのことをするのか。だれがこの権威をあなたに与えたか。」とこう質問をした。

寺院の支配者とユダヤ人のシネヅリオン派の役員は、イエスに特有であった並はずれた方法で大胆に教えたり、実践する者には誰であろうとも、特に寺院の全商業を取り除く先頃の行為に関して、この質問をすることは全く妥当なことであった。これらの商人と両替商は皆、最高支配者達からの直接の認可によって営んでおり、利益の歩合は、直接寺院の財務に入ることになっていた。権限は、全ユダヤ人の中心的な言葉であったということを忘れてはいけない。予言者達は、権限を持たずに、ユダヤ教師の学校で順当に教授を受け、その後シネヅリオン派に定期的に命じられることなく、非常に大胆に教えていたので、常にもめ事を起こしていた。野心的な公の教えにおけるこの権限の欠如は、無知な傲りか、公然たる反逆のいずれかを示すと見られた。このとき、シネヅリオン派だけは、長老、または教師を任命することができ、そしてそのような儀式は、予めそのように任命された少なくとも3人の面前で行なわれなければならなかった。そのような聖職受任は、教師に「ラビ」の肩書きを与え、そのうえ「判決のために提示されるかもしれないそのような事例を締めつけたり、緩めたりすること」を裁判官として務める資格を与えた。

この午後、寺院の支配者は、その教えだけでなく、その行為にも疑問を呈するためにイエスのところに来た。イエスは、誰あろうこの男性たちが、教えのための彼の権限は、悪魔的であり、すべての強力な働きは、悪魔の王子の力によって為されたのだ、と長い間公然と教えていたことをよく知っていた。従って、あるじは、質問への彼の答えを逆に彼らに質問をすることによって始めたのであった。イエスは、「私も一つ質問がしたい、もし私に答えるならば、私もどんな権限でこれらの働きをするかを同様に言うつもりである。ヨハネの洗礼、それはどこからきたのか。ヨハネは、天から、または人から彼の承認を得たのか。」と言った。

これを聞くと、質問者は、挙げ得るすべての答えを相談するために一方に引き下がった。かれらは、群衆の前でイエスを当惑させようと考えていたが、そのとき寺院の中庭に集まった者全ての前で、今度は、非常に混乱している自分達に気づいた。それから、イエスのところに戻り、「ヨハネの洗礼に関しては、我々は答えることができない。我々は知らない。」と言った時の質問者達の敗北は、ますます明らかであった。かれらは、次のように推論したので、あるじにそのように答えたのであった。もし我々が、天国からであると言えば、何故ヨハネを信じないのかと言うであろうし、おそらく、自分はヨハネから権限を受けたと付け足すであろう。また、我々が、人からであると言えば、群衆は、大方の者が、ヨハネは予言者であると考えてているのであるから、我々に逆らうかもしれない。そこで質問者達は、イスラエルの宗教教師と指導者達は、ヨハネの任務に関する意見を述べることができない、(したくない)と告白しにイエスと人々の前に来ざるを得なかった。そして、彼らが話し終えると、イエスは、彼等を見下ろして、「私も、どんな権限でこれらのことをするかを告げるつもりはない。」と、言った。

イエスは、決して自分の権限がヨハネからのものであると訴えるつもりはなかった。ヨハネは、シネヅリオン派に一度も任命されたことはなかった。イエスの権限は、自分と父の永遠の至上権によるものであった。

敵の扱いにおいてこの方法を用いる際、イエスは、質問から身を交わすつもりはなかった。一見それは、巧みな回避のようかもしれないが、そうではなかった。イエスは、敵といえども決して不当に利用しようとは思わなかった。この外見上の回避において、かれは、自分の任務の背後にある権限に関して、パリサイ派の質問への答えを実に全ての聞き手に与えたのであった。かれらは、彼が悪魔の王子の権限で働くと主張した。イエスは、自分のすべての教えと働きが、天なる父の力と権限であると繰り返し主張した。ユダヤ人の指導者は、この受け入れを拒否した。かれらは、シネヅリオン派に一度も認可されたことがなかったので無免許の教師であることを自認するようにイエスを追い詰めようとしていた。実際に答えたように、ヨハネからの権限を主張せずに、イエスは、彼らに答えるに際して、彼を罠に嵌めようとする敵の努力は、効果的に敵自身に向けられ、居合わせた人々の目にはパリサイ派の大変な不名誉であったという含みで人々を非常に満足させた。

そして、敵にイエスを非常に恐れさせたのは、敵の扱いにおけるあるじの天性の才能であった。彼らは、その日それ以上の質問を試みなかった。さらなる話し合いのために、かれらは退いた。しかし、人々は、ユダヤ人の支配者のこれらの質問における不正直さと不誠実さの見分けに時間をかけなかった。一般人でさえ、あるじの道徳的な威厳とその敵の腹黒い偽善を見分け損ねることはなかった。しかし、寺院の浄化をすることは、イエス滅亡計画の仕上げに当たり、サッヅカイオス派をパリサイ派側につかせることとなった。そして、サッヅカイオス派は、そのときシネヅリオン派の大多数を代表していた。

3. 2人の息子の寓話

難癖をつけるパリサイ派がイエスの前に黙って立っていると、かれは、見下ろして彼らに言った。「あなたがヨハネの任務を疑っており、人の息子の教えと働きに対して敵意をもって勢揃いしているので、私が寓話を話す間、耳を貸しなさい。立派で敬われていたある地主には、2人の息子がおり、かれは、大きい地所の管理に息子達の助けを望んでいたので、1人の息子に言った。『息子よ、今日はブドウ園に働きに行ってくれ。』すると、この考えのない息子は、父に『いやです。』と答えたが、後で悔やんで出掛けていった。上の息子を見つけると、同様に、『息子よ、ブドウ園に働きに行ってくれ。』と言った。すると、この偽善的で不誠実な息子は、『はい、お父さん、参ります。』と答えた。だが、父が去ってしまうと、出掛けはしなかった。これらの息子のうちどちらが本当に父の意志をしたのか訊かせてもらいたい。

人々は一斉に「最初の息子」と言った。そこでイエスは、「そうである。また、悔悟への呼び掛けを拒否しているように見えるが、取税人や娼婦達は、父の仕事をすることを拒否しながら天の父に仕えている振りをしているあなた方よりも、彼らの方が、生き方の誤りを分かるであろうし、先に神の王国に入るであろうと宣言する。ヨハネを信じたのはあなた方パリサイ派や筆記者ではなく、むしろ取税人や罪人であった。あなた方は私の教えをも信じないが、一般大衆は喜んで私の言葉を聞く。」

イエスは、個人的にパリサイ派とサッヅカイオス派を蔑ろにはしなかった。それは、彼が信用を落としめようと努力した彼等の教育と実践の体系であった。かれは、人間に対して敵意はなかったが、精霊の新しく、生きた新宗教とより古い宗教の儀式、伝統、権威との間に不可避の衝突が、ここに起こりつつあった。

この間12人の使徒は、あるじの近くに立っていたが、これらのやり取りにいかなる方法でも参加しなかった。肉体におけるイエスの終わりつつある任務のこの数日間の出来事に、12人の各々は、独特の方法で反応しており、同様にこの過ぎ越し祭りの週の間、すべての公の教えや説教を控えるというあるじの命令に従順なままでいた。

4. 不在の地主の寓話

質問でイエスに絡もうとしたパリサイ派の長と筆記者達は、2人の息子の話を聞く羽目になってしまうとさらに相談するために引き下がった。そこで、あるじは、傾聴している群衆に注意をむけて、もう一つの寓話を語った。

「家の主人であった善良な人がおり、ブドウ園を設けた。その周囲に生垣をめぐらせ、ブドウ圧搾のために穴を掘り、見張りのための物見櫓を設けた。それから、他国への長旅の間、このブドウ園を小作人達に貸した。そして、実をつける季節が近づいたとき、賃貸料の受け取りのために使用人達を小作人の元に遣わせた。しかし、談合をした小作人達は、主人への収穫代金の支払いを拒否し、代わりに使用人達に襲いかかり、一人を打ち据え、別の者には石を投げ、その他の者を手ぶらで追い返した。あるじは、このすべてを聞くとこれらの性悪の小作人への対応するために他の、もっと信頼できる使用人達を行かせたが、これらの者もまた傷つけられ、辱めを受けた。主人は、次に、気に入りの使用人、執事を送ったが、小作人達は彼を殺した。かれは、それでもまだ、忍耐と寛容をもって他の多くの使用人を遣わせたが、小作人達は、誰も受け入れようとしなかった。彼らは、何人かを袋だたきにし、他の何人かを殺し、そうして主人がそのように扱われたとき、『小作人達は、使用人達には酷い扱いをするかもしれないが、愛しい我が息子にはさだめし敬意を示すであろう。』と言い、これらの恩知らずな小作人達に対処するために息子を送ると決めた。だが、これらの悔い改めない性悪の小作人達は、この息子を見ると考えた。『あれは跡取りである。さあ、殺そう。そうすれば、遺産は我々のものになるであろう。』そこで息子を掴まえ、ブドウ園から放り出した後で殺した。息子をいかように斥け殺したかを聞いたならば、ブドウ園の主人は、それらの恩知らずで性悪の小作人達に何をするであろうか。」

この寓話とイエスの質問を聞くと、人々は答えた。「それらの情けない者達を掃滅し、季節の収穫を収める他の正直な農夫達にブドウ園を貸すであろう。」と答えた。そして、話を聞いた者の一部は、この寓話がユダヤ国家とその予言者達の扱いに言及していると気づき、イエスと王国の福音への差し迫っている拒絶を悲しんで言った。「神は、我々が、これらのことをし続けることを禁じている。」

イエスは、群衆の間を進んでくるサッヅカイオス派とパリサイ派の一団を目にし、彼等が接近するまでしばらく休止して、「あなた方は、父がどのように予言者を拒絶したか、また心で人の息子を拒絶する用意ができているかをよく知っている。」と言った。そして、イエスは、次に近くに立っている司祭と長老達を探る目つきで見て言った。「あなた方は、建築師が拒絶した石、そして、それを発見した時、人々が礎石にした石の記述を聖書で一度も読まなかったのか。そこで、もう一度警告する。あなた方が、この福音を拒絶し続けるならば、やがて神の王国は取り上げられ、そして、朗報を受け取り、精霊の実を結ぶ気持ちがある民族に与えられるであろう。そして、この石に関する神秘がある。誰であろうとその上に落ちる者は、それがために粉々に砕かれはするが、救われる。しかし、この石は、誰の上に落ちようとも、塵と砕かれ、その灰は、四方八方に撒き散らされるであろう。」

パリサイ派は、これらの言葉を聞くと、イエスが自分たちと他のユダヤ人指導者に言及していることを理解した。その場でイエスを捕らえることを大いに望んだが、群衆を恐れた。しかしながら、あるじの言葉に非常に立腹したので、かれらは、退いて、いかに彼の死を成就できるかを更に相談をするほどであった。その夜、サッヅカイオス派とパリサイ派の双方は、翌日イエスを罠にかける計画において手を握り合った。

5. 婚礼の宴の寓話

筆記者と支配者達の撤退後、イエスは、再び群衆に向かって演説し、婚礼の宴の寓話を話した。

「天の王国は、息子のために婚礼の宴を設け、『王宮での婚礼の夕食会の準備は全て整っている』と、前もって祝宴に招待された人々を呼びに使者達を差し遣わせたある王に例えられるかもしれない。さて、一度出席すると約束した人々の多くが、この時来ることを拒否した。王は、招待への拒絶を知ると、『招いた者全てに告げなさい。さあ、食事の用意ができました。牛も肥えた家畜もほふって、息子の結婚の祝賀の準備はすべて整っている。』と言って他の使用人と使者達を送った。だが、浅薄な者達は、王のこの呼び出しを軽んじ、一人は畑に、一人は窯場に、他の者達は商売に出掛けた。それでも、その他のもの達は、このように王の呼び出しを侮辱するだけには満足せず、暴動を起こし、王の使者達を襲い、不届きにも虐待し、そのうちの一部を殺しさえした。そして、王は、選ばれた客、そしてその中の事前の招待に出席すると応じていた客でさえ、最後には呼び出しを拒絶し、暴動を起こし、使者達を強襲し殺したと知ると、非常に怒った。それからこの侮辱された王は、軍隊と同盟国の軍隊の出動を命じ、これらの反抗的な殺人者達を滅ぼし、その都市を焼き尽くすように命じた。

「王は、招待を拒んだ人々を罰してしまうと、婚宴の日を更にもう一日定めて使者達に言った。『結婚式に最初に招かれた者達は、相応しくなかった。そこで、今度は、幾つかの道路や街道に別れ、都の境界を超えてさえ行き、見つけられる限りの人、見知らぬ人さえ来るように、そしてこの婚宴に出席するように命じなさい。』そこで使用人は、街道や辺鄙な場所に出かけ、善人も悪人も、富者も貧者も見つけられる限りの人々を集めたので、結婚式場は、漸く喜んで出席する客で満たされた。王は、全ての準備が整うと、客の見えるところに出てきたが、非常に驚いたことに、一人の男性が婚礼用の衣類を身に纏っていないのであった。王は、全招待客のために婚礼用衣類を十分に準備していたのでこの男性に向かい、『友よ、この祝典に婚礼の衣服を着用せず来賓室にいるというのはどうしたことか。』と言った。すると、この準備ができていていない男性は、言葉もでなかった。その時、王は使用人に言った。『私のもてなしを拒み、また、私の呼び出しを拒絶した他のすべての者達と運命を共にするために、この考えの足りない客を家から追い出しなさい。私の招待に喜んで応じる者、全員に行き渡るように用意した客用の衣類を着て私に敬意を表する者以外は、誰もここにはいさせない。』」

この寓話を話した後に、思いやりのある信者が、群衆を擦りぬけてイエスに向かってやって来たとき、イエスは群衆を解散させようとしていた。「しかし、あるじさま、私達は、これらのことを如何ようにして知るのでしょうか。王様の招待にどのように準備ができるのでしょうか。あなたが神の息子であることを知るために私達に与えられる1つの印が与えられるであろう。」、と言った。そして、自身の身体を指差し、「この寺院を破壊しなさい。そうすれば、3日のうちに、私はそれを起こすであろう。」と続けた。しかし、かれらは、彼を理解せず、解散しながら、「この寺院が建てられるのにおよそ50年に掛かったというのに、それを破壊し、3日間のうちに建てるとあの方は言われる。」と言い合った。自身の使徒さえ、この発言の意味を解しなかったが、その後、イエスの復活後に彼が言ったことを思い出した。

この午後4時頃、イエスは、使徒に合図を送り、寺院を出て夕食と睡眠のためにベサニアに行くことを望むと示した。オリーヴ山への途中、イエスは、かれらが、翌日、過ぎ越し祭りの残り週の間住まうことができる野営所を都寄りに設けるべきであると、アンドレアス、フィリッポス、トーマスに指示した。次の朝、この指示に従い、ゲスセマニの公共野営公園の見晴らしのきく山腹峡谷の間に、ベサニアのシーモンの所有する土地一画に、自分達の天幕を張った。

またもや、この月曜日の夜オリーヴ山の西の傾斜を登ったのは、ユダヤ人の静かな一集団であった。この12人の男性達は、今までになかったように、何か悲惨なことが起ころうとしていると感じ始めていた。早朝の劇的な寺院の浄化は、あるじが自己を主張し、その強力な力を示すのを見るという12人の望みを喚起する一方で、ユダヤ人当局によるイエスの教えに対する確かな拒絶を示すという点において、午後の出来事全体は、逆転劇として作用したに過ぎなかった。使徒は、持続的な緊張感に陥り、ひどい不安状態にあった。かれらは、過ぎたばかりのその日の出来事と迫り来る運命の激突との間にせめて短い数日が介在してくれればと気づいた。彼らは全員、何か物凄いことが起ころうとしていると感じたが、何を待ち受ければよいかを知らなかった。かれらは、休息のために様々なところに行きはしたが、ほとんど眠らなかった。あるじの人生における出来事が迅速にその最終的頂点に向かっているという認識が、遂にアルフェウスの双子にさえ起きた。