論文 177 水曜日、休息日

   
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論文 177

水曜日、休息日

民衆に教える仕事が急を要しないとき、水曜日ごとに労働を休むことが、イエスと使徒の習慣であった。この特定の水曜日、皆はいつもよりいくらか遅い朝食をとり、しかも宿営所には不吉な沈黙が広がっていた。この朝食の前半、言葉はほとんど話されなかった。ついに、イエスが「今日は、皆に休息を望む。我々がエルサレムに来てからのことを思い返す時間をとり、併せてすぐ先にあることに、私が率直に伝えてきたことに、思いを巡らせなさい。真実が君の人生で待っているということ、また、君は恵みで日々成長しているということを確認しなさい。」と言い渡した。

朝食後、あるじは、自分がその日休息するつもりでいるということをアンドレアスに知らせ、また使徒は、いかなる状況下においてもエルサレムの門内に決して行くべきではないということを除いては、自由に時間を過ごすことが許されることを提案した。

イエスが独りで丘に行く準備をしたとき、ダーヴィド・ゼベダイオスが近寄って話しかけた。「あなたはよくご存知です、あるじさま、パリサイ派と支配者達が、あなたを滅ぼしにかかっているということを。なのにあなたは、独りで丘に行く準備をされています。それは、愚かな行為です。ですから、どんな害も起こらないことを見届けるために備えのできた3人を差し向けるつもりです。」イエスは、充分に武装し、たくましい3人のガリラヤ人をざっと見回して、ダーヴィドに言った。「よかれと思ってしているが、人の息子が護衛する何者をも必要としていないということを理解してないのが、君の過ちである。父の意志と一致して私の命を捨てる準備ができるその時間まで、誰といえども私には手を掛けない。これらの者は、私に同伴してはいけない。私は、父と語り合うために単独で行くことを望んでいる。」

この言葉を聞き、ダーヴィドと武装した護衛達は、撤退した。しかし、イエスが独りで出発しかかると、ヨハネ・マルコスは、食物と水の入った小さな篭を携えてきて、もしイエスが、一日中いないつもりならば、気づいたときには空腹であるかもしれないと仄めかした。あるじは、ヨハネに微笑みかけて、篭に手を延ばした。

1. 神との単独の1日

イエスがヨハネの手から昼食の篭を取ろうとしたとき、この若者は、思い切って言った。「でも、あるじさま、あなたは、祈りに向かう間、篭を下に置き、それを置いたまま行かれてしまうかもしれません。私が昼食を運んでお供をすれば、あなたはより自由に礼拝できるでしょうし、しかも私は、間違いなく黙っています。祈りのために一人になられる間、私は、質問もせず篭の側にいます。」

ヨハネは、近くの数人の聞き手を驚かせた向こう見ずのこの言葉の間、失礼を顧みず篭をしかと掴んでいた。ヨハネとイエスの両方が篭を持って立そこにっていた。やがて、あるじは、手を放し若者を見下ろしながら言った。「心から私と行きたがっているので拒まないよ。共に行って良い外出にしよう。心に浮かぶどんな質問をしても良いし、互いに慰め元気づけよう。弁当を運んで出発していいよ。疲れたときは手伝う。ついてきなさい。」

イエスは、その夕方、日没後まで宿営所に戻らなかった。あるじは、真実を渇望するこの若者と雑談し、楽園の父と語りながら、地球でのこの最後の静かな日を過ごした。この出来事は、「青年が神と丘で過ごした日」として高い所では知られるようになった。永遠に、この出来事は、被創造者への創造者の親交意欲を示す良い例となる。心の願望が誠に至高であるならば、若者でさえも宇宙の神の注意を集め、情愛深い親交を受けることができるのであり、実際、丘で、しかも丸一日、神との単独の忘れ難い歓喜の経験をすることができる。そして、ユダヤの丘でのこの水曜日のヨハネ・マルコス特異な経験は、そのようなものであった。

イエスは、率直にこの世界や次の世界のことについてヨハネとよく話した。ヨハネは、使徒の一人であるにはその年齢に達していないことを非常に残念に思うとともに、フォイニキアへの旅を除いて、イェリーホ近くのヨルダンの浅瀬での最初の説教以来、皆と後に続くことを許されてきたことに多大な感謝をイエスに表した。イエスは、差し迫る出来事に落胆しないようにとヨハネに警告し、そして必ず王国の強力な使者になって生きていくようになるのだと若者に保証した。

ヨハネ・マルコスは、イエスとの丘でのこの日の記憶にわくわくしたが、彼らが、ちょうどゲッセマネ宿営所へ戻ろうとしている時に言われたあるじの最後の訓戒を決して忘れることはなかった。「さて、ヨハネ、良い外出であった。真の休息日であったが、君に言ったことを誰にも言わないよう心しなさい。」そんな訳で、ヨハネ・マルコスは、丘でイエスと過ごしたこの日に起きたことは何も決して明らかにしなかった。

イエスの地球人生の残りの数時間、ヨハネ・マルコスは、長い間あるじを視界の外におくようなことは決してしなかった。若者は、つねに近くに隠れ、イエスが眠るときだけ眠った。

2. 早期の家庭生活

この日のヨハネ・マルコスとの外出の間、イエスは、二人の早期の幼年時代と後期の少年時代の経験を比較して多くの時間を過ごした。ヨハネの両親は、イエスの両親よりもこの世での財産をより所有していたにもかかわらず、二人の少年時代には大変似通った多くの経験があった。イエスは、ヨハネが両親や家族の他の者を理解する助けとなる多くのことを言った。若者が、どうして自分が「王国の強力な使者」になるということがあるじには分かるのかを尋ねると、イエスは言った。

「これらの特質が、家庭での君のそのような早期の躾に基づいているとき、私は、君の現在の信仰と愛に依存できるので、君が王国の福音に忠誠であると証しを立てると分かるのである。君は、両親が互いへの愛情をもつ家庭の出であるので、自惚れを強くし、有害であるほどに過剰には愛されなかった。敵対し合う両親が、君の信頼と忠誠を勝ちとろうと愛に無縁の扱いの結果として、君の人格は、歪みも受けることもなかった。君は、称賛に値する自信を保証する愛、また正常な安心感を促進するその親の愛を味わってきた。両親が愛と同時に賢明さも備えていたという点で、君は幸いであった。君を近所の遊び友達と共に会堂の学校に行かせ、富で買うことのできるほとんどの多くの甘やかしや贅沢品を差し控えるように導かせたものは、両親のもつ知恵というものであった。そして、独自の経験をさせることによって、君が、この世界でどのように生きるかを学ぶことをも奨励した。君は、我々が説教をし、ヨハネが洗礼を施した。ヨルダン川に若い友人アーモーセとやって来た。二人共、我々と一緒に来ることを望んだ。君がエルサレムに帰ったとき、両親は同意した。アーモーセの両親は拒絶した。彼の両親は、君が体験した、ちょうどこの日を楽しんでいるような祝福された経験をアーモーセに対して禁じるほどに、大変に息子を愛していた。アーモーセは、家出によって我々に合流できたであろうが、そうすることで愛を傷つけ、忠節を犠牲にしたことであろう。そのような過程が賢明であったとしても、経験、独立、自由の代償を払うには、散々たる代価となったことであろう。君の両親のような賢明な両親は、子供が君の年令に成長したとき、かれらは、独立心を開発するため、そして、爽快な気分にさせる自由を楽しむために愛を傷つけたり、忠節心を捨てる必要がないようにうまく取り計らっている。

ヨハネ、愛は、すべてに賢明な存在者達によって与えられるとき、宇宙の最高の現実であるが、人間の両親の経験で示されるように、それは、危険でしばしば多少利己的な傾向がある。結婚し、育てるべき君自身の子供を持つとき、君の愛が、知恵に悟され、知性に導かれることに留意しなさい。

「君の若い友人アーモーセは、君と同じくらいこの王国の福音を信じているが、私は、彼を完全に頼りにすることはできない。私には、アーモーセが何年か後に何をするのか定かではない。彼の早期の家庭生活は、完全に頼りになる人間を作り出すようなものではなかった。アーモーセは、尋常の、愛あるかつ賢明な家庭の躾を楽しむことができなかった使徒の一人にあまりにも似ている。君は、通常で規律のある家庭での最初の8年を過ごしたので、君の来世での全体は、幸福で信頼できるであろう。愛が行き届き、知恵に支配された家で成長したので、君は、強くてしっかりした性格を備えている。そのような幼年期の躾は、歩み始めた道をやり抜くことを私に確信させる一種の忠誠を生みだす。」

イエスとヨハネは、家庭生活のこの議論を1時間あまり続けた。あるじは、家族は、幼い子供が最初に知る得る人間、あるいは神性の関係すべてを彼に示すことから、子供が、いかにあらゆる知的、社会的、道徳的、さらには精霊的な早期の概念のために両親、そして関りのある家庭生活に完全に依存しているかについてヨハネに説明し続けた。子供は、母の世話から宇宙の最初の印象を得なければならない。かれは、天なる父に関する最初の考えを完全に地球の父に依存している。子供のその後の人生は、初期の精神的、感情的生活に合わせて家庭でのこれらの社会的かつ精霊的関係によって条件づけられ、幸せであるか不幸であるか、簡単であるか困難であるかが決まる。人間の全ての来世は、生きている最初の数年間に起こることによって非常に影響を受ける。

イエスの教えに関する福音は、父子の関係のように築かれる福音は、現代の文化的な民族の家庭生活が一層の愛と知恵を受け入れるような時まで、全世界規模の受理を勝ちとることができないというのが、我々の心からの所信である。20世紀の両親は、家庭の改善や家庭生活を高めるすばらしい知識と進展した真実をもっているにもかかわらず、またイエスの福音の承認は、家庭生活の即座の改良をもたらすとはいえ、ガリラヤのイエスの家庭やユダヤのヨハネ・マルコスの家庭のように、少年や少女が、養育されるそのように良い場所は、近代的家庭にはほんの僅かであるという事実が依然としてある。賢明な家庭生活の愛と本物の宗教への忠実な献身は、深遠の相互的な影響を及ぼす。そのような家庭生活は、宗教を強化し、本物の宗教は、常に家庭を讃える。

昔のこれらのユダヤ人家庭における多くの成長を妨げる好ましくない影響と束縛する他の特徴が、実際にはよりよく規制された近代的な家庭の多くから排除されたというのは、事実である。本当に、より自然発生的な自由と一層の個人的な自由があるが、この自由は、愛に抑制されず、忠誠に動機づけされず、賢明さからくる明敏な躾にも指示されない。我々が、子供に「天国にいる神」に祈ることを教える限り、地球の全ての父は、大変な責任を負い、家庭に住み、纏めていくのであるから、父という言葉は、成長している子供の心と心情に相応しく深く留められるようになる

3. 宿営所での日

使徒は、オリーヴ山を歩きまわり、共に合宿している弟子との雑談にこの日の大部分を費やしたが、午後早々になると、大変イエスの帰りを望むようになった。時間が過ぎるにつれ、かれらは、ますますイエスの身の安全を案じるようになり、表現しえないほどに彼の不在を淋しく感じた。あるじが下働きの少年だけを連れ、一人で丘に行くことが許されるべきであったかどうかについて1日中かなりの討論があった。誰も、公然とは考えを表現せず、ユダ・イスカリオテを除いては、彼らの一人として、ヨハネ・マルコスの立場を願わない者はなかった。

ナサナエルが6人ほどの使徒と同人数の弟子「至上の希求」の演説をしたのは、昼下がりの頃のことであり、その結末は、「我々の大半の悪いところは、単に不熱心であるということである。我々は、あるじが我々を愛しているようには、あるじを愛してはいない。ヨハネ・マルコスと同じくらいに、我々が皆一緒に行きたかったのであれば、かれは、確かに我々を連れていってくれたことであろう。若者があるじに接近し、篭を差し出す傍らで、我々は傍観していたが、あるじがそれを掴んだとき、若者は、放そうとはしなかった。だから、あるじは、我々をここに残し、篭と少年と全てを携えて丘へと行かれた。」

4時頃、イエスの母とベスサイダのダーヴィドの母からの知らせを携えた飛脚達が、ダーヴィド・ゼベダイオスの元に来た。ダーヴィドは、祭司長や支配者達がイエスを殺すつもりであると数日前に確信した。ダーヴィドは、彼らがあるじを滅ぼすという決心であることを知り、またイエスが自身を救うために神性の力を奮いもせず、追随者に防御のための力の行使を許しはしないとほとんど確信していた。かれは、これらの結論に至り、母にエルサレムにすぐ来るように、そしてイエスの母マリアとその家族全員を連れて来るように促す使者を急派した。

ダーヴィドの母は、息子の要請通りにし、そしてそのとき、飛脚達は、ダーヴィドの母とイエスの家族全体がエルサレムへの途中にあり、翌日遅くか、翌々日の早朝に到着するはずであるという知らせを携えて戻ってきた。ダーヴィドは、自らの率先でこうしたので、この件は自分だけに留め置くことが賢明であると考えた。イエスの家族がエルサレムに行く途中であるとは、従って誰にも告げなかった。

正午直後、アリマセアのヨセフの家でイエスに会った20人を超えるギリシア人が、宿営所に到達し、ペトロスとヨハネは、彼等との会議に数時間を過ごした。これらのギリシア人は、少なくともその一部は、アレキサンドリアでロダンの教えを受けており、王国に関する知識はかなり高度なものであった。

その夜夕方、合宿所に帰着後、イエスは、ギリシア人達を訪ねた。そして、そのような過程が、使徒と多くの主な弟子を大いに動揺することがなかったならば、かれは、ちょうど70人にしたようにこの20人のギリシア人を叙階したことであったろう。

このすべてが宿営所で起こっている一方、エルサレムでは、祭司長と長老達は、イエスが群衆への演説に戻ってこないのに驚いていた。本当に、その前日、イエスは、寺院を出る際に「私は、家を荒れ果てたままあなたのに残す。」と言った。しかし、彼がなぜ、群衆の好意的な態度において確立した大きな利点を進んで諦めようとするのかが、彼らには理解できなかった。かれらは、イエスが人々の間に騒ぎを巻き起こすと恐れたが、群衆へのあるじの最後の言葉は、「モーシェの席に座る者」達の当局にあらゆる理に適った態度で従わせるための勧告であった。しかし、それは、彼等が、同時に過ぎ越しの準備とイエスを滅ぼす計画の仕上げをする都での忙しい日であった。

イエスが毎晩ベサニアに出かける代わりに、そこに滞在するつもりでいることを知る者すべてが、その体制を用心深く秘密にしていたので、宿営所に来る人は、少なかった。

4. ユダと祭司長達

イエスとヨハネ・マルコスが宿営所を去った直後、ユダ・イスカリオテは、同胞から姿を消し、午後遅くまで戻らなかった。エルサレムに入ることを控えるというあるじの明確な要請にもかかわらず、この混乱した不満な使徒は、高僧カイアファスの家でのイエスの敵との約束を果たしに急いで出掛けた。これは、シネヅリオン派の非公式の会議であり、その朝、10時直後に設定されていた。この会議は、イエスに申し立てるべき罪の本質を議論し、また、彼らがすでに言い渡した死刑宣告に必要な市民の承認を確保する目的のためにローマ当局の前にイエスを連れて来る際に使われるべき手順を決めるために開かれた。

その前日ユダは、イエスは、善意の夢想家であり理想主義者ではあるが、イスラエルの期待される救出者ではないという結論に達したということを親類の数人と、父の家族のサッヅカイオス派の友人達に明らかにした。ユダは、見苦しいことのないように全体の運動から引き下がる何らかの方法を何としてでも見つけたいと述べた。友人達は、ユダの離脱がすばらしい出来事としてユダヤ人支配者達に歓迎され、何の褒美も過ぎるということはないとお世辞で保証した。かれらは、ユダが、シネヅリオン派から直ちに栄誉を受けると、そして善意からの、だが、「無学なガリラヤ人との不幸な付き合い」という汚名をとうとう消す状況にあると思わせた。

ユダは、あるじの強大な業が、悪魔の王子の力によって為されたと完全に信じることができた訳ではなかったのだが、イエスは、自己拡大において彼のもてる力を発揮しないであろうと、そのとき完全に確信していた。イエスがユダヤの支配者に滅ぼされると遂に確信し、かれは、敗北の動きに結びつけられるという屈辱的な考えに耐えることができなかった。かれは、見た目の失敗についての考えを拒否した。かれは、ユダは、あるじの逞しい性格と堂々として慈悲深い心の熱意を完全に理解はしていたものの、親類の1人からの部分的な示唆に、イエスは、悪意のない狂信者ではあろうが、おそらく健全な心ではなく、いつも奇妙で誤解された人に見えたのだという考えにさえ、嬉々たるものを感じていた。

そして、ユダは、イエスが、より名誉ある位置にこれまで決して割り当ててくれなかったということに、この時、今までにはなかったほどに、妙に憤慨していいる自分に気づいた。かれは、使徒の会計係である名誉をずっと評価してきたが、そのとき、自分が正しく評価されていなかったと、自分の能力が認められていなかったと感じ始めた。かれは、ペトロス、ジェームス、ヨハネが、イエスとの近い関係にいる栄誉を浴してきたということで突然の憤りに襲われており、高僧の家に行く途中のこのとき、かれは、イエスに対する背信行為のどんな考えよりも、ペトロス、ジェームス、ヨハネに仕返しすることに夢中であった。しかし、ちょうどその時、何ものにもまして新しく優位を占める考えが、ユダの意識の最も重要な位置を占有し始めた。かれは、自力で名誉を得ることにし、同時にこれで自分の人生に最大の失望をもたらした人々に仕返しすることができれば、一層良かった。かれは、混乱、誇り、自暴自棄、そして決断の凄まじい陰謀に襲われた。これで、ユダが、イエスへの裏切りの手配をするためにカイアファスの家に向かっていたのは、金のためではないということが明白であるに違いない。

カイアファスの家に近づくにつれ、ユダは、イエスと使徒仲間を見捨てるという最終的な決定に達した。このように、かれは、天の王国の目的を放棄すると決心し、最初にイエスと王国の新たな福音と自分とを同一視したとき、いつかは自分のものであると考えていたできる限りのあの名誉と栄光を手に入れると固く決心した。使徒全員が、かつてはユダとこの野心を共有したが、時の経過と共に、皆は、少なくともユダ以上に真実を称賛し、イエスを愛するようになった。

裏切り者は、従兄弟によってカイアファスとユダヤ人の支配者達に紹介され、従兄弟は、ユダが、イエスの巧妙な教えに惑わされるがままにいたという自分の誤りに気づいたので、このガリラヤ人との付き合いを公的に、また正式に放棄し、同時に、ユダヤの同胞の信頼と親交復旧を請いたいという段階に至ったと説明した。ユダの代弁者は、イエスが拘引されるならば、イスラエルの平和にとって最善であろうと、ユダが気づいたということ、またそのような誤った活動参加へのユダの悲嘆の証しとして、またモーシェの教えに今戻ろうとしている誠意の裏付けとして、イエスを穏やかに拘留でき、また、そうすることにより群衆を扇情する危険を避け、あるいは、過ぎ越しの後まで逮捕を延期する必要性を避けるための使令を受けている護衛長と手筈を整えられる者として自分をシネヅリオン派に提供しにやって来たのであると、ユダに代わって説明し続けた。

従兄弟は、話し終えるとユダを紹介し、ユダは、高僧の近くに進み出て言った。「私は、従兄弟が約束したこと全てをするつもりですが、あなたは、この働きに対して何をくれる気がありますか。」ユダは、冷酷で虚栄心の強いカイアファスの顔を襲った軽蔑や嫌悪の表情さえ見分ける風もなかった。彼の心は、あまりにも自己の栄誉と自己高揚の満足への欲情に動かされていた。

そこで、カイアファスは、「ユダ、護衛長の元に行き、今夜か明日の晩、お前のあるじを連れて来る打ち合わせをその役人として、そしてお前が、彼を我々の手まで連れてきたとき、お前はこの働きの報酬を受け取るであろう。」と言う間、かれは、裏切り者を見下ろしていた。ユダは、これを聞くと司祭長と支配者達の前から去り、イエスが逮捕される方法について寺院の護衛長との相談に出掛けていった。ユダは、イエスがそのとき宿営所を留守にしていることを知っており、その晩いつ戻るか見当もつかないので、二人は、翌晩(木曜日に)、エルサレムの人々や訪問巡礼者の皆が夜退いてから、イエスを逮捕することに同意した。

ユダは、何日もの間持つことのなかった雄渾と栄誉という考えに酔い、宿営所の仲間の元に戻っていった。かれは、イエスがいつか新王国の偉人になることを望んで徴募したのであった。かれは、予期していたそのような新しい王国は、来ないのだということに遂に気づいた。しかし、かれは、その時生き残ると信じ、そして支持したイエスと全てとを滅ぼすと確信した古い秩序における名誉と報酬の即座の実現と、期待される新しい王国での栄誉獲得の失敗からくる失望との交換において非常に賢明であったと喜んだ。意識的な目的のその最後の動機において、イエスへのユダの裏切りは、唯一の考えが、あるじと元仲間への自己の行為の結果がたとえ何であろうとも、自身の安全と賛美という利己的な脱走者の臆病な行為であった。

しかし、それはずっとそういう具合であった。ユダは、次第に心に蓄積していくこの用心深い、執念深い、利己的かつ復讐の意識、また報復と背信のこれらの悪意に満ちた邪な欲望の感情をもてあそんでいる意識に長い間、引き込まれてきた。イエスは、他の使徒を愛して信じたように、ユダを愛し信じたが、ユダは、返礼に忠誠を伴う信頼を育たり、心からの愛の経験をすることができなかった。それが、いったん完全に利己主義にこだわり、陰鬱で長く抑圧された復習に動機づけされるとき、いかに危険な野心になり得ることか。世俗の薄暗く消えゆく誘惑に視線を懲らし、神性の価値と精霊的な現実への永遠の世界への永続的な到達のより高く、より真実の業績に盲状態にされるそれらの愚かな人々の人生に対する失望は、何と圧砕するものであることよ。ユダは、心で世俗の名誉を切望し、心の底からこの欲求を愛するようになった。他の使徒は、心でこの同じ世俗の名誉を同様に切望はしたが、彼らは、心からイエスを愛し、イエスの教えた真実を愛することを学ぶために最善をつくしていた。

このとき、それに気づいてはいなかったが、ユダは、洗礼者ヨハネがヘロデに首をはねられて以来、ずっと潜在意識下のイエスの評論家であった。ユダは、心の奥深くで、イエスが、ヨハネを救わなかったという事実にいつも憤慨していた。あなたは、ユダが、イエスの追随者となる以前にヨハネの弟子であったということを忘れるべきではない。そして、ユダが、魂に憎しみの衣で横たえた人間の憤りと苦い失望のすべてのこれらの蓄積は、仲間の支援の影響から自分を一度あえて切り離すとき、同時にイエスの敵の賢いそれとない皮肉と微妙な嘲笑に自身をさらすとき、ユダには、潜在的な心にいまよく整理され、自身を飲み込むために跳び上がる用意がそのときできていた。ユダが自分の望みを高まるにまかせる度に、イエスは、それを粉々にする何かをしたり言ったりして、つねにユダの心には苦い憤りの傷跡が残った。そして、これらの傷跡が増えるにつれ、やがてその心は、しばしば傷つき、善意の、だが臆病で自己中心の人格にこの不快な経験を与えた者へのすべての本当の愛情を失った。ユダにはそれが分かっていなかったが、彼は臆病であった。従って、力あるいは栄光が、明らかに容易な範疇にあるとき、イエスが、それらを手にすることを度々拒否する動機は、イエスが臆病であるせいにすることが、ユダの日頃からの傾向であった。そして、かつては本物であっても、結局は失望、嫉妬、長く継続した憤りのために、愛がいかに実際の憎しみに変わり得るかということをすべての人間は、充分に分かっている。

遂に、司祭長と長老達は、2,3時間容易に息をすることができた。かれらは、公然とイエスを逮捕する必要はなく、過去に幾度もしたように、イエスが自分達の管区から逃れられないようにユダを裏切りの味方として確保した。

5.最後の社交の時間

水曜日だったので、この夜は、社交の時間に当てられた。あるじは、塞ぎ込んでいる使徒を励ます努力をしたが、それは、ほとんど不可能であった。彼ら全員は、当惑させる、破壊的な出来事が切迫していると理解し始めた。かれらは、あるじが彼らの長年の波瀾万丈の、また情愛深い関係について詳しく語ったときでさえ愉快にはなれなかった。イエスは、使徒の全家族に関し注意の行き届いた質問をし、それからダーヴィド・ゼベダイオスに目を向け、最近誰かが、イエスの母や最年少の妹や自分の他の家人から便りを受けたかどうかを尋ねた。ダーヴィドは、自分の足元を見た。答えることを恐れていた。

これは、追随者を群衆の支援に注意を促すイエスの警告の時であった。かれは、繰り返し自分達を熱狂的に追い回し、次には、まったくむげに背を向け、以前に信じ、生活していた道に戻った大群衆についてのガリラヤでの自分達の経験について話した。それから、かれは、言った。「だから、寺院で我々の話を聞き、我々の教えを信じているように見える大群衆に欺かれてはいけない。これらの群衆は、真実を耳にし、心で表面的にそれを信じるが、その群衆の中の僅かの者しか、真実の言葉を生ける根と共に心に根づかせることはできない。心だけで福音を知る者や、心でそれを経験していない者には、本格的な問題の発生に際して、支援を頼ることはできない。ユダヤの支配者達が、人の息子を滅ぼす合意に達するとき、そして、こぞって襲撃するとき、激怒し、目のくらんだこれらの支配者達が、福音の真理の教師達を死に至らせる間、君達は、群衆が狼狽して逃れるか、さもなければ傍観しているのを見届けるであろう。そして、次に、逆境と迫害が君を急襲するとき、まだ真実を愛していると君が思う他の者が離散し、また数人は、福音を捨て、君を見捨てるであろう。我々に非常に近かった一部のものは、すでに見捨てると決心している。君は、今、我々に迫るその時に備えて、今日休んだ。だから、翌日、すぐ先にある数日間のために強くなれるように祈りなさい。」

宿営所の空気は、不可解な緊迫感に満たされていた。無言の使者達は、出入りしてダーヴィド・ゼベダイオスとだけ意志伝達をした。夜が過ぎる前に、ある者達は、ラーザロスがベサニアから大急ぎで逃れたことを知った。ヨハネ・マルコスは、宿営所に戻った後、1日中あるじのお供で過ごしたにもかかわらず、不気味に黙っていた。話すように説得する凡ゆる努力も、イエスが、ヨハネ・マルコスに話さないように言ったことを明確にするだけであった。

あるじの機嫌の良さと常にない愛想の良ささえ、皆を怯えさせた。彼らは全員が、不意のすさまじさと不可避の恐怖に落ちると気づく恐ろしい孤立が、確かに迫り来るのを感じた。皆は、何かの接近を漠然と感じ、しかも、その試練に直面する準備ができているとは、誰も感じなかった。あるじは一日中離留守であった。かれらは、あるじがいなくてこの上なく寂しかった。

この水曜日の夜は、あるじの死の実際の時間までの皆の精神状態の干潮時であった。翌日は、悲惨な金曜日に更に1日近づいたが、それでも、あるじは、彼らと居た。そして、かれらは、その不安な時間をより見苦しくないように過ごした。

休眠のため解散させるに当たり、これが、地球での選ばれた家族と共に眠る最後の夜であると知って、イエスがこう言ったのは、真夜中直前であった。「眠りにつきなさい、私の同胞よ。朝起きるまで君達が平穏であるように。もう1日、父の意志を為し、我々が神の息子であると知っている喜びを経験するために。」

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