論文 163 マガダンでの70人の聖職授任式

   
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論文 163

マガダンでの70人の聖職授任式

イエスと12人のエルサレムからマガダンへの帰着の数日後、アブネーと約50人の弟子が、ベツレヘムから到着した。この時、マガダンの宿営地に福音伝道者団体、女性団体、パレスチナ全域からの約150人の真の、また試煉を経験した弟子も集合していた。数日間、宿営地訪問と再調整に専念した後、イエスと12人は、信者のこの特別な集団のために集中研修講座を始め、それからあるじは、よく訓練を受け経験豊かなこの弟子の集合体の中から70人の教師を選び、王国の福音公布のために送り出した。この定期の教育は、11月4日、金曜日に始まり、安息日の11月19日まで続いた。

イエスは、毎朝、この仲間に講演をした。ペトロスは、公衆への説教方法を教え、ナサナエルは、教えるための技術を教え、トーマスは、質問への応答方法を説明し、マタイオスは、自分達の団体資金の調整を指導した。他の使徒も、各自の特有の経験と生まれながらの才能に従うこの研修に参加した。

1. 70人の聖職授任式

70人は、マガダン宿営所において11月19日、安息日の午後、イエスによる聖職の任命をうけ、アブネーは、これらの福音伝道者と教師の長とされた。この70人の部隊は、アブネーと10人のヨハネの元使徒、初期の51人の伝道師、王国の仕事において自らを際だたせた他の8人の弟子で構成されていた。

ダーヴィドとその使者団の大多数の到着で増大した400人を超える信者の一行が、この安息日の午後2 時頃、にわか雨の中をぬって、70人の聖職授任式に列席するためにガリラヤ湖岸に集合した。

イエスは、福音の使者として引き離すために70人の頭に手を置く前に、演説した。「収穫物は実に豊富であるが、労働者は僅かである。従って、収穫の主が、さらに他の労働者を主の収穫にもたらすように祈りることをあなた方すべてに勧める。私は、王国の使者としてあなたを引き離すところである。私は、狼の中の子羊としてあなたをユダヤ人と非ユダヤ人に向けて送り出すところである。2人ずつ進むに当たり、私は、この最初の任務で進むのはほんの短い期間なので、財布も余分な衣類も携帯しないよう指示する。道中では誰にも挨拶をせず、自分の仕事だけに気を配りなさい。家に逗留するときはいつでも、その家庭に平和があるように、とまず言いなさい。平安を好む者達がそこに住んでいるならば、あなたは、そこにとどまるであろう。そうでなければ、あなたは出発するであろう。そして、その家を選んだら、差し出されるものは何でも飲食し、その町での滞在中、そこに留まりなさい。働き手が報酬を受けるのは当然であるから、あなたはこれをする。より良い宿が提供されるかもしれないという理由で家から家へと移ってはいけない。覚えていなさい、地球の平和と人の間の善意を宣言して進みながら、自己欺瞞の仇敵と競わなければならないということを。それ故、あなたも蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい。

そして、どこにあなたが行っても、『天の王国は近い。』と説教し、心、または体のいずれかを病んでいるかもしれない全ての者に力を貸しなさい。あなたは自由に王国の良いものを受け取った。自由に与えなさい。どこかの町の人々があなたを受け入れるならば、かれらは、父の王国への大きな歓迎を見るであろう。しかし、もしどこかの町の人々がこの福音の受け入れを拒否するならば、君がその不信心な地域を離れる際に、君の教えを拒否する者達に、『あなた方が真実を拒絶するにもかかわらず、神の王国があなた方の間近に来たことに変わりはない。』と君の知らせを宣言しなさい。あなたの話を聞く者は、私の話を聞いている。また、私の話を聞く者は、私を送られたあの方の言うことを聞いている。あなたの福音の言葉を拒絶する者は、私を拒絶する。そして、私を拒絶する者は、私を送られたあの方を拒絶するのである。」と言った。

イエスは、70人にこう話し終えると、アブネーから始まり輪になって跪いている各自の頭の上に自分の手を置いていった。

翌朝早々、アブネーは、70人の使者をガリラヤ、サマリア、ユダヤの全都市に遣わせた。そして、この35組は、およそ6週間の説教と教えに赴き、12月30日、金曜日、ペライアのペラ近くの新たな宿営に戻っていった。

2. 富裕な青年とその他

70人の聖職授任と起用への資格を求めた50人以上の弟子は、これらの候補者を選ぶためにイエスに任命された委員会により拒絶された。この委員会は、アンドレアス、アブネーと福音伝道団の代表者から成った。この3人からなる委員会が満場一致でないすべての場合、イエスの元に候補者を連れて来た。あるじは、福音使者として聖職授任を切望する者は、誰一人としてついぞ拒絶はしなかったが、10人以上の者が、イエスとの会談後、福音の使者になることをもう望まなかった。

1人の熱心な弟子がイエスのところにやって来て、「あるじさま、私はあなたの新しい使徒の一人になりたいのですが、父は非常に年老いており、死も間近です。父の埋葬に戻ることは許されますか。」と訊いた。この男性に、イエスは言った。「息子よ、キツネには穴が、天の鳥には巣があるが、人の子にはその頭を横たえる場所はない。あなたは忠実な弟子であり、家に戻り愛する者達に仕える間もそうあり続けることができる。だが、私の福音の使者達はそうではない。福音の使者達は、私に続くため、王国を公布するために全てを見捨ててしまった。もし、聖職授任される師になりたいのであれば、あなたは朗報の発表に進み、死者の埋葬は他の者に任せなければならない。」すると、この男性は大いに失望して立ち去った。

別の弟子が来て、「聖職授任の使者になりたいのですが、家族を慰めに少しの間我が家に帰ってきたいのですが。」と言った。そこでイエスは、「聖職授任されたいのであれば、進んで全てを見捨てなければならない。福音の使者は、愛情を分割はできない。誰であろうと、鋤に手を掛けてしまって折り返すのであれば、王国の使者になるには相応しくない。」と答えた。

そして、アンドレアスは、敬虔な信者であり、聖職授任を望むある金持ちの青年をイエスの元に連れて来た。この青年マタドームスは、エルサレムのシネヅリオン派の会員であった。かれは、イエスが教えるのを聞き、後にはペトロスと他の使徒達によって王国の福音を教えられた。イエスは、聖職授任の必要条件についてマタドームスと話し、また、この問題についてより深く考慮するまで決断を延期することを要請した。翌朝早くイエスが散歩に出掛けようとしていると、この青年が、近づいてきて話しかけた。「あるじさま、私は永遠の命の保証についてあなたから知りたいのです。青春期からからすべての戒律を守ってきた私は、永遠の命を獲得するためにしなければならないことを知りたいのです。」この質問に答えてイエスは言った。「あなたが、すべての戒律—姦淫するな、殺すな、盗むな、偽りの証言をするな、騙し取るな、両親を敬え、—を守ればよく振る舞っているが、救済は、信仰への報いであり、単に働きへの報いではない。あなたは、王国のこの福音を信じるているのか。」すると、マタドームスは答えた。「はい、あるじさま、私はあなたとあなたの使徒が教えてくれた全てを信じています。」そこでイエスは、「ならば、あなたは本当に私の弟子であり王国の子である。」と言った。

そこで、青年が言った。「しかし、あるじさま、私は、あなたの弟子であることに満足してはいません。私は、あなたの新しい使者の一人になりたいのです。」イエスは、これを聞くと、大きな愛で青年を見下ろして言った。「もし喜んで代償を払うならば、あなたに欠ける1つのものを補うならば、使者の一人にしよう。」マタドームスは、答えた。「あるじさま、あなたに続くことができるならば、何でもするつもりです。」イエスは、跪いている青年の額に接吻をして言った。「私の使者になりたいのであるならば、持ち物全てを売りに行きなさい。そして、その収益を貧者かあなたの同胞に与えてしまってから私の後について来なさい。そうすれば、天の王国で宝を得るであろう。」

これを聞くとマタドームスの顔色が沈んだ。かれは、立ち上がり、悲しい気持で立ち去った、多くの資産を所有していたからである。この裕福な若いパリサイ人は、富は神の引立ての印であると信じるように育てられきた。イエスには、この青年は自己への愛とその富から自由ではないということが分かっていた。あるじは、必ずしも富に限らず、富への執着から彼を救い出したかった。イエスの弟子達は、各自の全財産を手放した訳ではなかったが、使徒と70人はそうであった。マタドームスは、70人の新使者の一人になることを望んでいた。だからこそ、イエスは、現世での全資産を手放すことを要求したのであった。

ほとんど全ての人間には、寵愛の悪としてしかとしがみつく物、そして、それを天の王国への入り口で入国の代価の一部として要求される何か1つの物がある。もしマタドームスがその富を手放してしまったならば、それはおそらく70人の会計係として管理のために彼の手に戻されていたことであったろうに。その後、エルサレムの教会設立後、その時には70人の中での会員資格を楽しむには遅過ぎたはしたものの、マタドームスは、あるじの命令に従った。そして、かれは、エルサレムの教会、主の肉親の弟のジェームスが長であった教会の会計係となった。

このように、人は、自身の決定に到達しなければならない。それは、いつもそうであったし、永遠にそうである。必滅者が、行使するかもしれない選択の自由における特定の範囲がある。精霊的な世界の力は、人を強制しない。精霊的な世界の力は、自身が選ぶ方法を進むことを許す。

イエスは、その富をもつマタドームスが、すでに福音のために全てを見捨ててしまった聖職授任者の仲間になることができないと予見した。同時に、富がなくとも、マタドームスは、すべての仲間の中での最高の指導者になるのが分かった。しかし、イエス自身の同胞と同様に、かれは、王国で決して偉大になることはなかった、というのも、イエスが求めたまさしくそのことを、そして、かれは、数年後に実際に行ったことをそのとき進んでしていたならば、自分の経験となり得たあるじとの親密で個人的な関係を、自分から奪ったのであったから。

富は、天の王国への入国には直接に関係はないが、財産への執着は、関係がある。王国への精霊的な忠誠心は、物質的な富への隷属性と相容れない。人は、精霊的な理想に対する崇高な忠誠心と物質の執着心を共有することはできない。

イエスは、財産所有が間違っているとは決して教えなかった。かれは、12人と70人だけに彼らの現世の全所有物を共通の目的に捧げるように要求した。その時でさえ、使徒マタイオスの例のように、かれらは、それぞれの資産の有利な清算を配慮した。イエスは、ローマの裕福な男性に教えたように、何度も裕福な弟子達に忠告した。あるじは、過剰な収益の賢明な投資を将来の、しかも避けられない逆境に対する保険の合法的な形態と見なした。使徒の資金が溢れんばかりのとき、ユダは、収入の減少に苦しむかもしれない後のために用いられるように貯蓄して基金を置いた。これをユダは、アンドレアスと相談の上した。イエスは、喜捨金の支払いを除いては使徒の財政とは決して個人的に何の関係もなかった。ただし、イエスが何回となく批難した経済上の1つの虐待があり、それは、強く、鋭く、より知的な仲間が、脆弱で、無学で、運に恵まれない人々の不当な搾取であった。イエスは、男性、女性、子供へのそのような非人間的な扱いは、天の王国の兄弟愛の理想とは相入れないと断言した。

3. 財産に関する議論

イエスがマタドームスと話し終わる頃には、ペトロスと数人の使徒は、イエスの周りに集まってきており、金持ちの青年が去ろうとしているとき、イエスは、使徒に振り向いて言った。「富を有する人々にとり、完全に神の王国に入るということが如何に難しいかが分かる。精霊的崇拝は、物質的な執着心とは相入れない。人は、2人のあるじに仕えることはできない。『異教徒が永遠の命を受けるよりも、ラクダが針の目を潜り抜ける方が容易い。』という諺がある。このラクダが針の目を潜り抜けるのが容易いように、これらの自己満足の裕福な者が、天の王国に入るのも簡単であると、私は加えて宣言する。」

ペトロスと使徒は、これらの言葉を聞くと 非常に驚き、「では、主よ、誰が救われることができるのですか。富を持つ者はすべて、王国の外に留められるのですか。」とペトロスが言った。そこで、イエスが答えた。「そうではない、ペトロス。だが、富に頼る者の全ては、まず永遠の進歩に通じる精霊的な生活にはほとんど入れない。しかし、それでも、人に不可能である多くは、天の父の力の及ぶ範囲にある。むしろ、我々は、神とならば全ての事が可能であるということを認識すべきである。」

彼らが単独で出発するとき、イエスは、マタドームスを非常に愛していたので彼がともに残らなかったということを大いに悲しんだ。湖沿いに歩き、水辺に座ったとき12人の代わりに(この時までには全員がいた)、ペトロスが言った。「私達は、金持ちの青年へのあなたの言葉に悩んでおります。あなたの後に続きたい人々にその全財産を諦めるように求めるべきしょうか。」すると、イエスは言った。「いや、ペトロス。使徒になりたい者だけに、あなた方がしているように、それと1家族のように私と同居することを望む者だけに。しかし、父は、子供達の愛情が純粋であり分裂的でないことを必要とする。あなたと王国の真の愛の間に割り込む何事も何人も、引き渡されなければならない。人の財産が魂の境界域内に侵入しなければ、それは、王国に入ることを望む人の精霊的な人生において重要ではない。」

そこで、ペトロスは、「しかし、あるじさま、私達は、あなたに続くためにすべてを放棄しました。それで、私達は、何を得るのでしょうか。」と言った。そこで、イエスは、12人全員に話した。「誠に、誠に、言いきかせておこう。私のためや天の王国のために財産、家、妻、同胞、両親、または子供を置き去りにする者は誰でも、この世界にあって恐らくいくつかの迫害と共に、その幾倍かを受けない者はなく、やがて行く世界で永遠の命を受けない者はないのである。しかし、先の者が後になり、後の者がしばしば先になることが多いのである。父は、被創造者の必要性に従い、また、宇宙の福祉ために慈悲深く情愛深い思いやりの公正な法の遵奉において彼等に対処する。

「天の王国は、沢山の雇い人を抱え、朝早くブドウ園の労働者を雇いに出かける世帯主に似ている。1日当たり1デナリオスの支払いを約束し、その労働者達をブドウ園に送った。その後世帯主は、9時頃に出かけ、他の者が市場で立っているのを見て言った。『君達も私のブドウ園に行って働きなさい。働きに応じて支払うつもりである。』そこで、かれらは、早速出かけて行った。世帯主は、また12時と3時頃に出かけて同様にした。午後5時頃また市場に行くと、何もせずに立っている者達を見たので、かれは、『何もせずに何故一日中立っているのか。』と尋ねた。するとその人々は、『誰も雇ってくれなかったからです』。と答えた。すると、世帯主が言った。『君達も私のブドウ園に行って働きなさい。働きに応じて支払うつもりである。』

夕方になるとブドウ園のこの所有者は、執事に言った。『労働者達を呼びなさい。最後に雇われた者から始め、最初に来た者が最後になる順番で賃金を支払いなさい。』5時頃に雇われた人々が来て、それぞれに1デナリオスを受け取り、他の労働者達も同じであった。その日の始めに雇われた者達は、後から雇われた者達がどの程度支払われたかを見て、同意した以上の受け取りを期待した。しかし、他の者同様に、誰もが1デナリオスだけを受領した。そして、各々が自分の賃金を受け取ると、彼等は、世帯主に不平をもらした。『最後に雇われた者達は、ほんの1時間しか働かなかったのに、灼熱の中での1日の仕事を担った私達と同じ支払いを受けました。』

世帯主はその時、答えた。『友よ、私は、あなた方に対し不正をしてはいない。あなた方各人は、1日あたり1デナリオスの約束をしませんでしたか。自分の取り分をもらって行きなさい、私は、最後に来た人々にもあなた方と同様に払いたいのである。自分の物を自分がしたいようにするのは当たり前ではありませんか。それとも、私が善くあり、情けをみせるので、あなた方は私の気前のよさを妬んでいるのですか。』」

4. 70人への決別

70人が最初の任務に赴いた日は、マガダンの宿営にまつわる感動的な時であった。その朝早く、70人への最後の話の中でイエスは、次の点を強調した。

1. 王国の福音は、全世界に、非ユダヤ人にならびにユダヤ人に公布されなければならない。

2. 病人に奉仕する傍らで、奇跡の期待を持つ教えは控えよ。

3. 現世の権力と物質的な栄華の外面的な王国ではなく、神の息子の精霊的な兄弟愛を公布せよ。

4. 福音を説くことへの心からの献身が損なわれるかもしれない過度の社交的な訪問や他の些細な事での時間の損失を避けよ。

5.本部に選ばれる最初の家が相応しい家であると分かるならば、その都市での滞在中はそこに留まるように。

6. エルサレムのユダヤ人の宗教指導者との公然の決別の時がもう来たことをすべての忠実な信者に明らかにせよ。

7. 人の義務の全ては、心と魂を尽くして神を愛し、あなた自身のように隣人を愛せよ、というこの1つの戒めに要約されているということを教えよ。(これは、彼等が、パリサイ派によって述べられた生活の613の原則に代わる人の全義務として教えることになるもの。)

イエスがこのように使徒と弟子の全員の前で70人話し終えると、シーモン・ペトロスは、70人を連れ去り、彼らに聖職授任の説教をした、そしてその説教は、王国の使者として手を置いて彼らを引き離した際に、あるじから与えられた訓示を詳細にしたものであった。ペトロスは、70人が体験する際に次の長所を大事にするように勧めた。

1. 献身的帰依。つねに福音の収穫に向けより多くの労働者が送り出されることを祈ること。人がそのように祈るとき、「ここに、私はいます。私をお送りください。」と祈っているのであるということを説明した。かれは、日々の崇拝を無視しないように諭した。

2. 真の勇気。かれは、彼等が、敵意に直面し、そして、迫害を受けるのは確かであると警告した。ペトロスは、彼等の任務は、臆病者のための仕事には向かないと伝え、また、恐れている者は、着手する前に身を引くように忠告した。しかし、誰も引き下がらなかった。

3. 信仰と信頼。かれらは、この短い任務で必要なものが全く用意されないまま出て行かなければならない。かれらは、食物、避難所、および他のすべての必要なものについては父を信じなければならない。

4. 情熱と自発性。 かれらは、情熱と知的な熱意に動かされなければならない。かれらは、厳しくあるじの用向きに気を配らなければならない。東洋の挨拶は、長くて入念な儀式であった。そこで、かれらは、「道端では人に挨拶しない」ようにと命じられてきており、それは、むだな時間をなくして仕事に取り組む一般的な方法であった。それは、友好的な挨拶の問題とは無関係であった。

5. 親切と礼儀。あるじは、社会的な儀式における時間の不必要な浪費を避けるように命じたが、彼等が接触するであろう全ての人々に対する礼儀を命じた。かれらは、自分たちが家で持てなしをうけるかもしれない者に対してあらゆる親切を示すことになっていた。より快適であるか、または有力である者の家で楽しむために慎ましい家を去ることを避けるように厳しく注意された。

6. 病人への奉仕。70人は、心身を病む者を求め、疾患の緩和、または治癒をもたらすためにできる全てをすることをペトロスに課された。

このように任され、指示されると、かれらは、2人ずつに組み、ガリラヤ、サマリア、ユダヤでの任務に赴いた。

ユダヤ人は、時おり異教の国が70ヶ国あることを思って、70という数に独得の考えをもち、また、これらの70人の使者は、すべての民族に福音をもたらすことになってはいたが、我々が認識する限りにおいては、この一団が丁度70人であったのは単なる偶然であった。イエスは、少なくとも他の6人ほどを確かに受け入れたことであろうが、それらの者には、富と家族を見捨てるという代償を払う気がなかったのである。

5. ペラへの宿営移動

イエスと12人は、あるじがヨルダン川で洗礼されたペラ近くのペライアにおいて、そのとき、最後の本部を設ける準備をした。11月の最後の10日間は、マガダンでの協議会に費やされ、12月6日、火曜日には、およそ300人の仲間の全員は、ペラ近くの川の側でその夜の宿泊のために夜明けに持ち物を携え出発を始めた。泉の側のこれは、洗礼者ヨハネが何年も前に陣取っていた同じ場所であった。

マガダン宿営の解体後、ダーヴィド・ゼベダイオスは、ベスサイダに戻り、すぐに、使者活動の縮小に取り掛かった。王国は、新局面を迎えていた。巡礼者は、日々,全パレスチナ、そしてローマ帝国の遠域からさえもやって来た。信者は、時にはメソポタミアとチグリス川の東の土地から訪れた。従って、12月18日、日曜日、ダーヴィドは、以前湖岸のベスサイダの宿営を指揮った際の宿営装具を、父の家に格納していた宿営装具を、使者団の助けを借り荷物用の動物に載せた。ベスサイダに当分の間の別れをし、湖岸とヨルダン川沿いに使徒の宿営の北のおよそ800メートル程の地点へと下り続け、そして、1週間足らずで約1,500人相当の巡礼者のもてなしの用意ができていた。使徒の宿営所にはおよそ500人を収容することができた。そのとき、パレスチナでは梅雨時に当たり、これらの宿泊施設においては、イエスに会いに、また教えを聞きにペライアにくる大部分はまじめで絶えず増加する求法者達の世話をすることが求められていた。

マガダンでフィリッポスとマタイオスと相談はしたものの、ダーヴィドは、この全てを率先的にした。この宿営所を指揮するに当たり、かれは、かつての使者団の大半を助手として採用した。そのとき、通常の使者の任務には20人足らずを利用した。12月下旬近く、そして70人の帰還前、およそ800人の訪問者が、あるじの周りに集められ、彼等は、ダーヴィドの宿営所に宿を見つけた。

6. 70人の帰還

12月30日金曜日、イエスは、ペトロス、ジェームス、ヨハネと近くの丘へ行き留守にしていたが、70人の二人ずつの使者は、多数の信者を連れてペラ本部に到着していた。5時頃イエスが宿営所に戻ると、70人全員が、教育の場所に集められた。王国の福音のためのこれらの熱心な者達がそれぞれの経験談をしているうちに、夕食は1時間以上も遅れた。ダーヴィドの使者達は、前の数週間にわたりこの消息の多くを使徒に知らせていたが、熱望しているユダヤ人や非ユダヤ人に自分達の知らせがどう受け入れられたかをこれらの新たに聖職授任された福音の教師達が直接に伝えるのを聞くことは、誠に心が奮い立つのであった。遂にイエスは、自分の個人の臨場なしで、人々が、朗報を広めに出掛けるのを目にすることができた。あるじは、そのとき、王国の進歩を由々しく妨げることなくこの世を去ることができると分かった。

70人は、自分達にいかに「悪魔でさえ服従した」かという説明に関連しては、神経障害の犠牲者の例で取り組んだ素晴らしい療法に言及した。それでも、これらの活動者に救済された本当の霊的憑拠に関する幾つかの事例があった。そこで、これらについてイエスは言及した。「私が天から魔王が稲妻のように落ちるのを見るのに照らし合わせるとき、これらの反抗的な下位の霊が、君達に服従することは奇妙ではない。しかし、これをそれ程までに喜んではいけない、というのは、私が父の元に戻るとすぐに、我々は、もうこれ以上これらの失われた少数の精霊が、不幸な死すべき者の心に入ることができないように、我々は、まさに人々のその心に我々の精霊を送ると断言する。あなたに人を目覚めさせる力があるということは嬉しいが、この経験をもとに得意になるのではなく、あなたの名が天の名簿に書かれているということ、そして、その結果、あなたは、精霊的勝利の終わりのない経歴に向かおうとしていることに歓喜しなさい。」

そして、共に晩の食事をする直前、追随者が時折目撃した感情的な恍惚状態のこれらの稀な瞬間を、イエスが経験したのは、この時であった。かれは言った。「感謝致します、天地の主である父、この素晴らしい福音が、賢者や独善者から隠されるとともに、王国のこれらの子供へのこれらの精霊的な栄光を明らかにされたことを。はい、父上、こうすることは、御心に適ったに違いなく、私は、私があなたの元に、また果たすべき仕事に戻った後に、朗報が、全世界に広まるということを知り喜んでいます。私は、私の手に全権が委ねられようとしていること、あなただけが、本当に私が誰であるかを知るということ、私だけが本当にあなたを知るということに気づき、強く心を動かされています。また、私があなたを明らかした者達だけが、あなたを知っています。そして、私は、肉体をもつ我が同胞へのこの顕示を終えたとき、高所にいるあなたが創造された者達にその顕示を続けていきます。」

イエスは、父にこのように話し終えると、使徒と奉仕者達に話すために横を向いた。「これらの事を見る目と聞く耳は、幸いである。過ぎ去った時代の多くの予言者と偉人は、あなた方がいま目にしていることを見ることを望んでいたが、それは許されなかった。そして、そのうちにやって来る光の多くの世代は、これらの事を聞くとき、それらを聞いたり見たりしたあなた方を羨むであろう。」

ついで、かれは、全ての弟子に向かって言った。「あなた方は、多くの町や村がいかに王国に関する朗報を受け入れたかを、また、私の活動者と教師が、いかにユダヤ人と非ユダヤ人の両方に受け入れられたかを聞いた。そして、本当に幸せであるのは、王国の福音を信じることを選んだこれらの共同体である。しかし、これらの使者をよく受け入れなかったホラズィン、ベスサイダ-ユーリアス、カペルナムの町の光を拒絶している住民は、不幸である。これらの場所で行われた力強い働きが、ツロとシドーンで行われていたならば、いわゆる異教徒の都市の人々は、ずっと以前に悲しみに沈んで悔悟していたことであろう、と私は断言する。裁きの日には、ツロとシドーンにとり実に耐え易いものであろう。」

翌日は安息日であり、イエスは、70人とともに出掛けて行き彼らに言った。「君達が、ガリラヤ、サマリア、ユダヤ中に散在しているそれほど多くの人の王国の福音の受け入れの朗報を携えて戻ったとき、私は、君と共に本当に喜んだ。だが、なぜ君達は、そんなに驚くほどに意気揚々としたのか。伝達が力を明らかにすると予想はしなかったのか。その効果に驚いて戻るほどには、この福音をあまり信用せずに旅立ったのか。今、私は、歓喜の君達の悦びの意気を抑えたくない一方で、驕り、精霊的な驕りの微妙さについて警告したい。不法者ルーキフェレーンスの失脚を理解することができるならば、あなた方は、すべての精霊的な驕りのすべての形態を粛として避けるであろう。

「君達は、彼が神の息子であることを人に教えるこの素晴らしい仕事についた。私は君達に道を示してきた。君の義務を果たしに先へ進みなさい、そして首尾よくすることに飽きることのないようにしなさい。あなたに、またあなたの道を世々代々にわたり進むもの全てに言っておく。私は、いつも近くに立っている、そして重荷を背負い苦しんでいる者は、皆私の元に来なさい、休ませてあげよう、私は、真実で誠実であるのだから私のくびきを負い、私に学びなさい。そうすれば、あなたの魂に休みが与えられるであろう、というのが、私の招待の言葉であり、また、それは永遠である。

かれらは、イエスの約束を試してみると、あるじの言葉が、真実であると分かった。また、数え切れない程の人々が、その日以来ずっとこれらの同じ約束を試し続け、また、その確かさを立証し続けた。

7. 最終任務のための準備

ペラ宿営での次の数日は忙しい時であった。ペライア任務のための準備が完了されつつあった。イエスとその仲間は、3カ月の全ペライアの巡行の最後の任務に着手するところであった。あるじが、地球でのその最終的な作業のためにエルサレムに入るまでは終わらないこの期間、イエスと12人の使徒の本部は、ここペライア宿営所に維持された。

イエスが人々に教えるために広範囲に行く必要はもはやなかった。そのとき、毎週、全地域から、パレスチナからだけでなく全ローマ世界および近東からイエスの元にやって来る人々の数が、増えていた。あるじは、70人とペライアの巡歴に参加したが、ペライア宿営所で群衆への教えと12人への指示に自分の時間の多くを過ごした。この3カ月を通して、使徒の少なくとも10人が、イエスと共に残っていた。

女性団体もまた、ペライアのより大きい町で2人ずつ70人と働くために出かける準備をした。この当初の12人の女性部隊は、家庭訪問の仕事と病人や苦しむ者に奉仕する技術に関してつい先ごろ50人の女性のより大きい部隊を訓練をした。シーモン・ペトロスの妻であるペルペツアは、この新しい女性部隊の一員となり、アブネーの下で拡大した女性の仕事の統率を任された。五旬節の後、彼女は、有名な夫の宣教の旅の全てに同伴した。そして、ペトロスがローマで磔刑にされた日、彼女は、競技場の野獣に餌として与えられた。また、この新女性部隊には、成員としてフィリッポスとマタイオスの妻達、それにジェームスとヨハネの母もいた。

王国の仕事は、そのとき、イエスの直接指揮の下に、その最終局面に入る準備をした。そして、この現局面は、過去のガリラヤでの人気のある時代にあるじの後に続いた奇跡に関心があり、驚くべきことを求める群衆とは対照的に、精霊的な奥深さのあるものであった。しかし、物質志向の、そして天の王国が、神の普遍的父性の永遠の事実に基づく人の精霊的な兄弟愛であるという真実を把握しない多数の追随者が、いまだにいた。

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