論文 164 奉献の祭にて

   
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論文 164

奉献の祭にて

ペラ宿営所が設立される間、イエスは、奉献の祭に出席するためナサナエルとトーマスを連れ秘かにエルサレムへ行った。彼らがベサニアの浅瀬でヨルダン川を渡るまで、2人の使徒は、あるじがエルサレムに進んでいるのに気づかなかった。彼が、奉献の祭に出席するのが真意と分かると、かれらは、切々と抗議し、またあらゆる類の議論を駆使し、思い切らせようと努めた。しかし、彼らの努力は、効果がなかった。イエスは、エルサレムを訪問すると決心していた。彼らのあらん限りの嘆願に、そして自分をシネヅリオン派の手近に晒すという愚かさと危険性を強調する全警告に対し、かれは、単に「私の時間が来る前にもう一度イスラエルのこれらの教師に機会を与えたい。」と答えるのであった。

3人は、エルサレムに向かい、そして2人の使徒は、恐怖の気持ちを表明し、そのような明らかに僭越な企てに関する自分達の疑問を声に出し続けた。3人は、およ4時半過ぎにイェリーホに達し、夜はそこで泊まる準備をした。

1. 良きサマリア人の話

その晩、かなりの来客が、質問のためにイエスと2人の使徒の周りに集まり、使徒は、その質問の多くに答え、あるじは、他の質問を論じた。その夜の進行の中で、ある律法学者は、評判を落とすような論争にイエスを巻き込もうとして、「先生、永遠の命を受けるには一体何をすべきかを尋ねたいのです。」と言った。イエスは、「何が律法だと預言者には書かれていますか。あなたは、聖書をどのように読みますか。」と答えた。律法学者は、イエスとパリサイ派双方の教えと知った上で答えた。「心をこめて、魂をこめて、力をつくして主なる神を愛せよ。また、自分を愛するように隣人を愛せよ。とあります。」すると、イエスが言った。「あなたは正しく答えた。あなたが本当にすれば、これが、永遠に続く命へと導くであろう。」

しかし、律法学者は、この質問にまったく誠実ではなく、自分を正当化したいのと、また、イエスを当惑させたいのとで別の質問で挑んだ。かれは、あるじに少し近づいて、「しかし、先生、一体誰が私の隣人であるか教えてください。」と、言った。律法学者は、人の隣人を「その民族の子孫」と定義したユダヤの法に違反する論述をさせ、イエスを罠にかける目的でこの質問をした。ユダヤ人は、他の全ての人々を「非ユダヤ人の犬」と見ていた。この律法学者は、イエスの教えに幾らかの馴染みがあり、従って、あるじが異なる考えであることを心得ていた。このように、かれは、神聖な法に対する攻撃として解釈できる何かを言う方向へイエスを導きたいと願っていた。

しかし、イエスは、律法学者の動機を明察し、罠に陥る代わりに聞き手に物語を、あらゆるイェリーホの聴衆が十分に真価を認めるであろう物語を始めた。イエスは言った。「ある人がエルサレムからイェリーホへ下っていく途中、非道な強盗が、この人を襲い、略奪し、裸にして殴打し、半殺しにしたまま逃げ去った。間髪を入れず、偶々その道を下ってきた一人の祭司が、負傷した男性に出くわし、気の毒な有り様を見たが、道路の向こう側を通り過ぎた。また同様に、一人のレービイ人が、通り掛かりこの男性を見たが、道路の向こう側を通り過ぎて行った。さて、丁度この頃、あるサマリア人が、イェリーホまで旅をしていて、この負傷した男性に出くわした。かれは、略奪され、打ちのめされた様を見て気の毒に思い、男性に近寄って行き、傷に油とワインを注ぎ包帯をし、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行き介抱をした。翌日、かれは、幾らかの金を取り出し、それを宿の主人に与え、『私の友人の世話をよくしてあげてください。もし、もっと費用が掛かるなら、帰りに返済します。』と言った。さて、あなた方に尋ねたい。この3人のうち誰が強盗に襲われた人の隣人であったと思いますか。」そこで、自身の罠に掛かったと悟った律法学者は、「その男性に慈悲を示した者」と答えた。そこで、イエスは、「あなたも同様にしにいってください。」と言った。

律法学者は、サマリア人、というその不愉快な言葉を差し控えることができるように「慈悲を示した者」と答えた。「誰が私の隣人であるか。」という質問への答えを、律法学者が答えることをイエスが望んでいた質問への答えを、イエスがもしそう述べたならば、直接イエス自身を異端の告発に巻き込んだであろう同じ答えを、律法学者は、与えざるをえなかった。イエスは、不正直な律法学者を困惑させたばかりでなく、全追随者にとっては美しい訓戒であり、同時に全ユダヤ人にとってはサマリア人に対する彼等の考えてもみないほどの叱責の話を聞き手に語った。そして、この話は、後にイエスの福音を信じたすべての者の間での兄弟愛の促進を続けた。

2. エルサレムにて

イエスは、帝国の全域からの巡礼者に福音を宣言できるように会堂の祭に出席した。イエスは、そのとき、ただ1つの目的のために、シネヅリオン派とユダヤの指導者達に光を見させる今一度の機会を与えるために奉献の祭に行った。エルサレムでのこの数日間の主な出来事は、金曜日の夜ニコーデモスの家で起きた。ここにはイエスの教えを信じるおよそ25人のユダヤ人指導者が、集められた。この集団の中には、その時、あるいは最近までシネヅリオン派に属していた14人ほどの男性がいた。この会合にはエベル、マタドームス、それにアリマセア出身のヨセフが出席していた。

この場合、イエスの聞き手は、皆学識ある者で、これらの学識者も2人の使徒共に、あるじがこの著名な集団に示した所見の幅と深さに驚いた。イエスは、アレキサンドリア、ローマ、および地中海の島々で教えていた時代から、そのような学識を披露したり、人事に関わるそのような理解を俗人にも宗教人にも示していなかった。

この小談合が解散されると、全員は、あるじの人格に当惑し、優しい態度に魅せられ、その人に愛情を抱いて立ち去った。彼らは、シネヅリオン派の残りの者達を獲得したいというイエスの願望に関して彼に忠告しようとした。あるじは、注意深く、しかも黙って皆のすべての提案に耳を傾けた。彼にはそのいずれの計画もうまくいかないことが分かっていた。かれは、大部分のユダヤ人の指導者が、王国の福音を決して受け入れないということを推測していた。それでも、彼ら全員に選択するこのもう一つの機会を与えたのであった。だがその夜、かれは、宿泊のためにナサナエルとトーマスとオリーヴ山へ出掛けるときにはシネヅリオン派の注目をもう一度自分の仕事に引きつける努力をする方法をまだ決めてはいなかった。

その夜、ナサナエルとトーマスは、ほとんど眠らなかった。かれらは、ニコーデモスの家で聞いたことにあまりにも驚いていた。かれらは、イエスが、シネヅリオン派の以前の、また現在の構成員とともに70人の前に行くという申し出に対するイエスの最後の言葉に思いを巡らせた。あるじは言った。「いや、同胞よ、それは、まったく無駄であろう。君は、自身の頭に叩きつけられる怒りを増すであろうが、彼等が私に抱く憎悪を少しも和らげはしないであろう。父が指示するかもしれない方法で、私が彼らに王国をもう一度注目させる間、銘々で出掛けなさい、精霊が君を導くに任せて父の用向きに。」

3. 盲目の乞食を癒す

翌朝3人は、ベサニアのマールサの家に朝食に行き、それから、すぐエルサレムに入った。この安息日の朝、イエスと2人の使徒が寺院の近くに差し掛かると、皆によく知られた生まれながらにして盲目の一人の乞食が、彼のいつもの場所に座っているのに遭遇した。乞食たちは、安息日に施しを求めたり、受け取りはしなかったが、通常の場所に座ることは許された。イエスは止まって、この乞食を見た。かれは、生まれつき盲目のこの男性を見つめると、どのようにシネヅリオン派や他のユダヤ人の指導者および宗教教師の注意を地球での自分の任務にもう一度払わせるかという考えが浮かんだ。

あるじが深い考えに没頭し、そこで盲目の男性の前に立っていると、ナサナエルは、この男性の盲目に関するありうる原因を考えていて尋ねた。「あるじさま、誰が罪を犯したためですか。この男ですか、それとも両親ですか。この男が生まれつき盲人であるのは。」

律法学者は、生まれついて盲目であるそのようなすべての例が、罪によって引き起こされると教えた。子供が、罪をもって受胎されて生まれてくるばかりではなく、その父が犯した罪によって何らかの具体的な罰として盲の子供が生まれることがあると教えた。かれらは、この世界に生まれる前に子供自身が罪を犯すかもしれないとさえ教えた。また、そのような障害は、妊娠中にその母が何らかの罪、あるいは他の道楽に起因する場合があるとも教えた。

この全域にわたり、転生に関するなかなか去らない信仰があった。年老いたユダヤ教師達は、プラトン、フィロン、およびエッセーノス派の多くと共に、人は、前世で植えつけたものを1度の回生で刈り取れるという理論を許容していた。このように、1度の人生で、人は、前世で犯した罪を償うと信じられた。あるじは、彼等の魂が以前に存在しなかったと人間に信じさせることが難しいと知った。

それにしても矛盾しているようではあるが、そのような盲目は、罪の結果であると思われる一方で、ユダヤ人は、これらの盲目の乞食に施し物を与えることは、高度に賞賛に値すると考えた。通行人へ絶えず「心優しい方よ、盲を補助されご利益を得られよ。」と唱えるのが、これらの盲人の習わしであった。

イエスは、ナサナエルとトーマスとこの件について議論を始めたが、それは、単に自分の任務にユダヤの指導者の注意をもう一度顕著に向けさせるその日の方法としてこの盲目の男性を利用すると早くも決めたばかりでなく、かれは、自然であるか、または精霊的なすべての現象の真の原因を捜すことをつねに使徒に奨励したからでもあった。かれは、ありふれた物理的な出来事に精霊的な原因を当てる世間並みの傾向を避けるように使徒にしばしば警告した。

イエスは、その日の仕事の計画でこの物乞いを利用すると決めたが、名をヨシアという盲目の男性のために何かをする前に、ナサナエルの質問に答え始めた。あるじは言った。「両親でもなく、この男性が罪を犯したのでもなく、神の御業というものが彼に現れるためである。この盲目は、自然な事の成り行きでこの男性の身に生じたが、我々は、私を遣わされた方の業を今、昼の間に施さねばならない、これからしようとする事ができなくなる夜という時がたがうことなくやって来るので。世界にいるとき、私は世界の光であるが、間もなく私は、君達と共にはいなくなる。」

話し終えるとイエスは、「人の子の告訴を追い求めている筆記者とパリサイ派が、充分な機会が得られるようこの安息日にこの盲人に視力を呼び起こそう。」と、ナサナエルとトーマスに言った。ついで、かれは、前屈みになり、地面に吐いた唾を粘土と混ぜて、このすべてが、盲目の男性に聞こえるように言い、ヨシアのところに行き見えない目の上に粘土を置いて言った。「行きなさい、息子よ。シロアーの池でこの粘土を洗い流しなさい、そうすれば、すぐに、視力を得るであろう。」そして、ヨシアがシロアーの池でその通りに洗うと見えるようになり、友人と自分の家族のところに戻っていった。

今までずっと乞食であり、ヨシアは、他の何も知らなかった。それゆえ、視力の回復行為の最初の興奮が去ると、いつもの自分の施しを乞う場所に戻っていった。友も、隣人も以前の彼を知る者は皆、ヨシアが見えることに気づくと、「これは、盲の乞食ヨシアではないのか。」と言った。ある者はそうだと言うし、他の者は、「いや、そのようではあるが、この男は見える。」と言った。しかし、皆がこの当人に尋ねると、「私です。」と答えた。

彼らが、どうして見えるようになったのかを訊き始めると、「イエスと呼ばれる男性がこちらにやって来て、その友人達と私のことを話していると、唾で粘土を作り私の目に塗りシロアーの池に行って洗うように指示されました。私は、この男性に言われた通りにしました。すると、すぐに、視力を得ました。しかも、それは、ほんの数時間前のことです。私は、見るという意味の多くをまだ知らないのです。」と答えた。すると、ヨシアの周りに集まり始めた人々が、彼を癒したその不思議な人物をどこで見つけられるのかと尋ねると、ヨシアは、知らないとしか答えられなかった。

これは、すべてのあるじの奇跡で最も奇妙なことである。この男性は治療を乞いはしなかった。ヨシアは、自分にシロアーで洗うように指示し、視力を約束したイエスが、天幕の祭りの間、エルサレムで説教していたガリラヤの予言者であることを知らなかった。この男性は、自分が視力を受け取るということをほとんど信じなかったが、当時の人々は、偉大な人か聖人の唾の効力に大いなる信仰を持っていた。そして、ナサナエルとトーマスとのイエスの会話から、ヨシアは、自分の恩人となろうとしている人は、偉人か学識ある教師、または聖なる予言者であると結論を下していた。それ故に、イエスの指示通りにしたのであった。

イエスは、3つの理由で粘土と唾を利用し、また、象徴的シロアーの池で洗うように命じた。

1. これは、個人の信仰への奇跡による返答ではなかった。これは、自身の目的のために実行をイエスが選んだ、しかも、そこから、この男性が、持続する恩恵を引き出せるように取り計らった驚きに値いする業であった。

2. 盲人が治癒を求めず、彼の持つ信仰が微かであることから、物質的なこれらの行為は、彼を励ます目的のために示された。盲人は、唾の効力の迷信を本当に信じ、シロアーの池が幾らか敬虔な場所であることは知っていた。しかし、塗布の粘土を洗い流すことが必要でなかったならば、なかなかそこには行かなかったであろう。盲人の行動を引き起こすためのやり取りにはまさにぴったりの儀式であった。

3. しかし、イエスには、この特異な駆け引きに関してこれらの物質的な手段に訴える第3の理由があった。これは、全く自分自身の選択に従って為された奇跡であり、そしてそれによって、当時の、またすべての以降の時代の追随者が、病人の回復における物質的な手段を軽蔑したり、無視することを控えるように教えることを望んでいた。かれは、奇跡を人間の病気を治療する唯一の方法と考えることを止めなければならない、と皆に教えたかった。

イエスは、この全行為をシネヅリオン派、全ユダヤ教師と宗教指導者への公然の挑戦を主要目的として、この安息日の朝エルサレムの寺院近くで、奇跡の運用によりこの男性に視力を与えた。これは、イエスのパリサイ派との公の絶縁を宣言する方法であった。かれは、為すこと全てにおいていつも積極的であった。そして、この安息日の午後早く、この男性のところに2人の使徒を連れ来て、奇跡をパリサイ派に気づかせ、故意にそれらの議論を引き起こし、シネヅリオン派の前にこれらの問題をもたらすことが、イエスの目的であった。

4. シネヅリオン派の前のヨシア

午後の半ばまでに、ヨシアの治癒は、寺院の周りでの議論を高めたので、シネヅリオン派の指導者達が、その通常の寺院の会所で会議を開くと決めるほどであった。そして、かれらは、安息日にシネヅリオン派の会合を禁じた定款に違反してこれをした。イエスは、最後の試煉が来るときは、安息日への違反が主な罪状の1つであることを知っており、慈悲あるこの行為に対してイエスを裁くユダヤの高等裁判所のまさにその会議が、自らが課した法に直接違反し、安息日にこれらの問題を熟慮するように、盲目の男性を安息日に癒した罪で裁定のためにシネヅリオン派の元に引かれて行くことを望んでいた。

しかし、かれらは、イエスを召喚しなかった。そうすることを恐れていた。代わりに、かれらは、直ちにヨシアを呼びにやった。幾つかの予備質問の後、約50人が出席するシネヅリオン派の代弁者は、ヨシアに何が起こったのかを話すように命じた。その朝の治癒以来、トーマス、ナサナエル、および他の者から、パリサイ派が安息日に治療を施すことに立腹するということ、また係わりのある全ての者に問題を起こしそうであるということを教えられていたが、ヨシアは、イエスが救出者だと呼ばれているとはまだ気づいていなかった。そこで、パリサイ派が質問すると、「この人がやって来て、私の目に粘土を着け、シロアーに洗いに行くように言われ、そして、今、私は見えるのです。」と言った。

年上のパリサイ派の一人は、長い発言の後、「この男性は、安息日を祝わないと分かるので、神から来たはずがない。安息日に、まず粘土を作り、次に洗うためにこの乞食をシロアーに送ったり、法に違反している。そのような者が神から送られた教師であるはずがない。」と言った。

そのとき、秘かにイエスを信じる若者の一人が言った。「この男が神から遣わされていないのならば、どうしてこれらのことができるのだろうか。我々には、普通の罪人が、そのような奇跡を果たせないことうが分かっている。我々は皆、この乞食が盲目に生まれたと知っている。今かれは、見える。あなたは、それでもこの予言者が、悪魔の王子の力でこれらのすべての驚きの業をすると言われますか。」すると、イエスを敢えて起訴し、糾弾するパリサイ派の各成員にむかって、一人が、もつれさせ恥ずかしめる質問をするために立ち上がろうとするので、彼らの間に深刻な分裂が生じた。議長は、主意から逸れるのを見てとり、議論を静めるために直にこの男性へのさらなる質問の用意をした。ヨシアに向かって、「お前はこの男、このイエスについて何か述べることがあるか。お前の目を見えるようにした者は、誰であるとお前は言うのか。」と訊いた。すると、ヨシアは、「予言者だと思います。」と答えた。

指導者達は、大いに困惑し、為すべきことを知らず、ヨシアが本当に生まれつき盲目であったかどうかを知るために両親を呼びにやると決めた。かれらは、その乞食が癒されたと信じることを嫌った。

イエスがユダヤ教の全会堂への出入りを拒まれているばかりか、その教えを信じる者全ても同様に会堂から追放され、イスラエルの集会から破門されているということは、エルサレム周辺でよく知られていた。そして、これは、生活の必需品を買う権利を除くユダヤ人としてのすべての権利と特権の否定を意味した。

したがって、ヨシアの両親、貧しく恐怖に悩む二人は、威厳のあるシネヅリオン派の指導者達の前に現れたとき、率直に話すことを恐れていた。法廷の代弁者が、「これは、そなた等の息子であるか。我々が、この男が盲で生まれたと理解して間違いはないのだな。これが本当ならば、なぜ今は見えるのであるか。」と尋ねた。そこで、ヨシアの父は、ヨシアの母の賛同を受けて答えた。「これは私共の息子であり、盲で生まれたとは存じておりますが、どのようにして見えるようになったか、また、誰が見えるようにしたかは存じません。これにお尋ねください。これ自身に述べさせてください。」

それでもう一度、かれらは、ヨシアを呼び出した。かれらは、正式の審問を開く計画においてあまり反りが合ってはいなかった。そして、何人かは、安息日にこれをすることについて奇妙であると感じ始めていた。従って、ヨシアを再召喚したとき、かれらは、異なる攻撃方法により彼を罠にはめようと試みた。法廷の役員は、元盲目の男性に向かって言った。「お前は、なぜこれに対して神に栄光を与えないのか。起こったことについて全真実を何故我々に話さないのか。我々は皆、この男が罪人であることを知っている。お前は、なぜ真実を見極めることを拒否するのか。お前もこの男も両方が、安息日への違反を犯したと、お前には分かっている。目が、この日に見えるようにされたとまだ主張するならば、神をお前の治療者として認め、罪を償おうとしないのか。」

しかし、ヨシアは、口がきけないのでもなく、滑稽さを欠いてもいなかったので、法廷の役員に答えた。「私は、この男性が罪人であるかどうかは知りませんが、私が確かに知っていることがあります—私は盲でありましたが、今は見えるということです。」かれらは、ヨシアを罠にかけることができなかったので、さらに質問しようとして、「一体どのようにお前の目を見えるようにしたのか。お前に実際には何をしたのか。かれは、何と言ったのか。自分を信じるようにお前に頼んだのか。」と言った。

ヨシアは些さか苛立って返答した。「私は、全て起こったままをお伝えしました。そこで、私の証言を信じないならば、なぜまた聞こうとされるのですか。もしかすると、あなた方もそ人の弟子になられたいのですか。」ヨシアがこのように話し終えると、シネヅリオン派の者は、混乱し、ほとんど暴力的に、指導者達がヨシアに殺到し、声高に「お前はこの男の弟子であるかのように話すことができるが、我々は、モーシェの弟子であり、神の法の教師である。」と立腹して言い、ほとんど暴力的に解散した。「我々は、神がモーシェを通して話されたということを知っているが、この男イエスに関しては、どこから来たのかを知らない。」

その時、ヨシアは、三脚椅子の上に立ち、聞くことができた全員に叫んで言った。「耳を傾けてください、全イスラエルの教師であると主張するあなた方は、あなたは、この男性がどこから来たかを知らないと認め、そして聞いた証言から、彼が私の目を開いたと確かに知っているので、私は、ここに不思議なことがあると言明します。私達は全員、神は、不信心な者にはそのような業を示されないということ、神が真の崇拝者—崇敬されるにふさわしく、公正な者—の要請に対してのみそのようなことを為されるということを知っています。あなたは、世界が始まって以来、盲に生まれついた者の目が見えるようになったということを聞いたことがないのを知っている。そこで、皆さん、私をご覧ください、そして、この日エルサレムで為されたことに気づいてください。もしこの男性が神から来ていないならば、私は、彼がこうすることができなかったと言います。」すると、シネヅリオン派の者が、怒りと混乱で立ち去りながらヨシアに叫んだ。「お前は、まったく罪ある者に生まれながら、我々に教えようとしているのか。お前は、おそらく本当に盲には生まれなかったのであろう。また、目が安息日に開いたとしても、これは、悪魔の王子の力で行われたのである。」そして、かれらは、ヨシアを追放するためにすぐにユダヤ教の会堂に行った。

ヨシアは、イエスと自分の治癒の本質についての乏しい考えでこの裁判に参加した。審問が、そのような不公平で不当な線に沿って進行するにつれ、非常に賢明に勇敢に伝えた大胆な証言の大部分は、全イスラエルのこの最高裁判所においてヨシアの心の中で発達していったのであった。

5. ソロモンの回廊での教え

寺院の1室でのシネヅリオン派のこの安息日に違反しての会議の進行中イエスは、ずっと近くを歩き回り、ソロモン回廊で人々に教え、そして、神の王国での神の息子としての地位の自由と喜びに関する朗報を彼らに伝えることができるようにシネヅリオン派の前に召喚されることを望んでいた。しかし、かれらは、イエスを呼びにやることを恐れていた。かれらは、エルサレムへのイエスの突然の、しかも公の出現につねに当惑していた。彼らがそれほどまでに一心に求めてきたまさにその機会をイエスが、その時与えたが、かれらは、シネヅリオン派の前に、イエスを目撃者としてさえ連れて来ることを、ましてや逮捕することはそれ以上に恐れた。

この時エルサレムは真冬であり、人々は、ソロモンの回廊に完全とはいえない避難所を求めた。そして、イエスが長居していたので、群衆は、多くの質問をし、かれは、2時間以上教えた。数人のユダヤ人教師は、公の前で罠に掛けようと質問した。「いつまで我々に気を揉ませるのですか。あなたが救世主であるならば、はっきりと言ってくれませんか。」イエスは言った。「私は、しばしば自分と父に関してあなた方に話してきたが、あなたは私を信じようとしない。父の名によって為す私の業が、私を証していると理解できないのですか。それにしても、あなた方の多くは、私の会衆に属しないので信じないのである。真実の教師は、真実に飢え、正義に渇望する者のみを引きつける。私の羊は私の声を聞きつけ、また、私には彼等が分かり、彼等は私に続く。そこで、私は、私の教えに続く者全てに永遠の命を与える。かれらは、決して死なず、私の手から彼等をひったくる者は誰もいない。これらの子を私に与えてくださった私の父は、全てにまさるので、誰も父の手から彼らを毟り取ることはできない。父と私は1つである。」一部の不信心なユダヤ人は、イエスに投げる石を拾うために建設中の寺院へと急いだが、信者等が制止した。

イエスは、教えを続けた。「父からの多くの情愛深い業を私は示してきた。そこで尋ねたいのだが、それらの良い業の中のどれのために私を石で打ち殺そうとするのか。」すると、パリサイ派の一人が、答えた。「良い業のためにではなく、冒涜のために、人であるお前が、大胆不敵にも自分を神と対等にする限り、我々は石を投げるのである。」すると、イエスは答えた。「私が、神によって送られたと宣言したとき、あなた等は、私を信じるのを拒否したが故に、人の息子を冒涜の罪で告発するという。もし私が神の業を行なわないならば、私を信じるでない、だが、もし私が神の業をするならば、あなたが私を信じなくとも、私は、あなたはその業を信じると考える。しかし、私が宣言することをあなたが確信できるように、父は私の中におられ、私は父の中にあり、そして、父が私の中に住まわれているように、この福音を信じる全ての者の中に父が住むということを、私は、重ねて断言しておく。」人々がこれらの言葉を聞くと、多くの者は、投げるための石を手にいれるために飛び出したが、イエスは、寺院の境内を通って出て行った。そして、かれは、シネヅリオン派の会議に付き添っていたナサナエルとトーマスに会い、ヨシアが会議室から出て来るまで寺院の近くで待った。

イエスと2人の使徒は、ヨシアが会堂から追放されたと聞くまで、ヨシアを探しに家へは行かなかった。彼らがヨシアの家に行きトーマスが庭でヨシアを大声で呼ぶと、イエスが訊いた。「ヨシア、神の息子を信じるか。」すると、ヨシアは答えた。「私が信じるかもしれないという方が誰であるかを私に教えてください。」イエスは言った。「あなたはその者を見て、その声をも聞いた。そして、今あなたに話しているのが、その者である。」そこで、「主よ、私は信じます」と、ヨシアが言い、ひれ伏し、拝んだ。

ヨシアは、彼が会堂から追放されたと知ると、最初は大いに塞ぎ込んだが、イエスが、すぐに自分達と一緒にペラの宿営に行く準備をしなければならないと指示すると、非常に勇気づけられた。エルサレムのこの質朴な男性は、本当に会堂から追放された、だが、その時代と世代の精霊的な気高さに連がるようにヨシアを先導する宇宙の創造者を注視せよ。

そして、そのとき、イエスは、エルサレムを去り、この世を去る準備の頃まで二度と戻ってこなかった。あるじは、2人の使徒とヨシアとペラに帰っていった。そして、ヨシアは、王国の福音の生涯を通じての伝道者になり、あるじの奇跡の活動の実り多い享受者の一人であることを証明した。

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