序文

   
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論文 0

序文

それがあなたの世界の名前であるユランチアの人間の心には 神、神性、および神格のような用語の意味に関連して多大の混乱がある。人間は、これらの数多くの名称により明示される神性人格の関係性においてより混乱し、また確信がない。かくも多くの思考上の混乱に関わるこの概念上の貧困さゆえに、私は、オーヴォントンの真理の啓示者部隊がユランチアの英語への翻訳を認可されたそれらの論文で使用されるかもしれないように、特定の言語記号に置かれるべき意味の説明においてこの導入声明文を定式化するよう指示を受けた。

宇宙についての意識を拡大し、崇高な認識を強化する我々の努力において拡大された概念と高度の真理を提示することは、領域の限定的言語の使用において制約される我々とり非常に難しい。しかし、我々への命令は、英語の言語記号の使用により我々の意味を伝えるためのあらゆる努力をするようにと我々に諭している。我々は、そのような新概念が部分的に伝えたり、あるいは、多少の意味の歪曲を伝ようとも、英語での何らの専門用語も見いだせない場合に限り、新用語を紹介するように指示されている。

これらの論文を精読するかもしれないすべての人間にとっての容易な理解と混乱防止を願って、我々は、神格、宇宙現実の物質、意味、価値に関わるある特定の関連概念への言及の際に採用されるはずの数多くの英単語に結びつけられるべき意味の概略をこの冒頭論述で示すことが賢明であると考える。

しかし、用語の定義と限界を有するこの序文の作成にあたっては、その後の提示の際のこれらの用語の使用法を予測する必要がある。したがって、この序文は、それ自体で完結された論述ではない。それは、この目的のためにユランチアに送られたオーヴォントンの一委員会により作成されてきた神格と宇宙の中の宇宙にかかわる付属的論文を読むであろう人々を補佐するために考案された単なる最終指針にすぎない。

あなたの世界、すなわちユランチアは、ネバドンの地方宇宙を包括する数多くの類似する生息惑星の1つである.類似の創造と同様にこの宇宙は、その首都ユヴァーサから我々の委員会がくるオーヴォントンの超宇宙を構成しているのである。オーヴォントンは、神性の完全性を有する決して始まることのない、決して終わることのない創造物を旋回する時間と空間の進化の7超宇宙の1つである―ハヴォーナの中央宇宙。この永遠かつ中央の宇宙の中心には、楽園の静止した小島、つまり無限の地理上の中心と永遠の神の居住域がある。

我々は、中央の、神性の宇宙と結びついて進化する7超宇宙を通常壮大な宇宙と呼ぶ。これらは、現在はまとまった居住の創造物である。それらはすべてが、主たる宇宙の一部であり、また、無生息だが流動している外空間の宇宙を取り巻いている。

宇宙の中の宇宙は、宇宙の現実、心の意味、および精霊価値のさまざまの段階における神格活動の現象を提示する。だが、これらの奉仕のすべて—個人的であるか、またはそうでない—は、神らしく調整される。

神格は神として人格化可能であり、前人格と超人格は、多くの点で人には完全に分かりやすいわけではない。神格は、現実のすべての超物質段階の統一の質—実際の、または潜在の—により特徴づけられる。そして、この統一の質は、創造物には神性を神格として理解されるのが最善である。

神格は、人格、前人格、超人格段階で機能する。総合的神格は、次の7段階において機能を果たす。

1. 静的―自己充足的で自立自存の神格。

2. 潜在的―自己動機づけで、自己目的をもつ神格。

3. 結合的―自己的人格化と神々しく兄弟のような神格。

4. 創造的―自己分配的で神々しく啓示された神格。

5. 進化的―自己発展的、かつ創造物に結びつける神格。

6. 崇高的―自己経験的、かつ被創造物-創造者統一の神格。時として神格の崇高者に指定される壮大な宇宙の時空の統括管理者として創造物に結びつける最初の段階において機能する神格。

7. 究極的―自己映出で時空超越の神格。神格は、全能、全知、遍在である。主たる宇宙の有能な総括管理者と準絶対支持者として神性の統一表現の第2段階において機能する神格。この準絶対の主たる宇宙における機能は、壮大な宇宙への神格の聖職活動と比較し、宇宙の総括管理と高度の生計に等しく、時として神格の究極性と呼ばれる。

現実の有限段階は、被創造物の生命と時空の制限により特徴づけられる。有限の現実には、結末がないかもしれないが、始まりは常にある。―それらは創造される。崇高性の神格段階は、有限生存との関連における機能として発想されるかもしれない。

現実の準絶対段階は、始まり、あるいは終わりのない事物と生物とにより、そして、時間と空間の超越により特徴づけられる。準絶対者は創造されない。それらは結果として生じる。―それらは単純に存在する。究極性の神格段階は、準絶対の現実と関連する機能を内包している。主たる宇宙のいかなる部分であろうとも、時間と空間を超えようとも、そのような準絶対の現象は、神格の究極性の一行為なのである。

絶対段階には、始まりがなく、終わりがなく、時間がなく、また空間がない。楽園には、時間と空間は存在しない。楽園の時空状態は絶対である。この段階は、実存的には楽園神格による三位一体到達であるが、神格の統一的表現のこの第3段階は、経験的に完全に統一されるというわけではない。神格の絶対段階が、いつでも、どこでも、いかように機能しようとも、楽園-絶対の価値と意味は、明白なのである。

神格は, 永遠なる息子のように、実存的であるかもしれない。崇高なるもののように、経験的であるかもしれない。七重の神のように、結合的であるかもしれない。楽園三位一体のように、不分割であるかもしれない。

神格は、神性であるものすべての源である。神格は、特徴的には不変的に神性であるのだが、神性であるものすべてが、神格と連携し合い、神格との何らかの統一局面― 精霊的、心的、人格的、 ―に達しようとする傾向はあるものの、必ずしも神格であるというわけではない。

神性とは、独特で、統一的、調整的神格の特質である。

神性とは、創造物には真、美、善として理解できる。人格においては、愛、慈悲、聖職活動として関連づけられる。非個人的段階においては、正義、力、主権として明らかにされる。

神性は、楽園の完全性の実存的、かつ、創造者の段階でそうでように、完全― 完璧で ―であるかもしれない。それは、時空の進化の経験的、かつ、創造物段階でそうであるように不完全であるかもしれない。あるいは、ハヴォーナのある段階の実存的-経験的な関係においてそうであるように、完全でも不完全でもなく、相対的であるかもしれない。

関連性のすべての局面と型における完全性について想像を試みるとき、我々は想像し得る7つの型に遭遇する。

1. すべての局面における絶対的完全性。

2. いくつかの局面における絶対的完全性と他のすべての局面における相対的完全性。

3. 様々な関係における絶対的、相対的で、そして不完全な局面。

4. いくつかの点における絶対的完全性、すべての他の点における不完全性。

5. いかなる特質においても絶対的完全性ではなく、すべての顕現において相対的完全性。

6. いかなる局面においても絶対的完全性ではなく、いくつかの局面においては相対的、他の局面においては不完全。

7. いかなる属性においても絶対完全性ではなく、すべてにおいて不完全性。

進化する必滅の創造物は、神の有限的概念を象徴したいという抵抗しがたい衝動を経験する。人の道徳上の義務と精霊的理想主義の意識は、象徴化が困難である価値の段階 ― 経験的現実 ― を表す。

宇宙的意識は、第一原因、つまり一つの、かつ、唯一の因由されない現実の認識を含意する。神、すなわち宇宙なる父は、準無限の価値と相対的な神性表現の神格-人格の3段階において機能する。

1. 前人格的―たとえば思考調整者などの父の断片の聖職活動におけるように。

2. 人格的―たとえば創造され、繁殖された存在体の進化的経験におけるように。

3. 超人格的―たとえばある準絶対と関連する存在体が徐々に存在に至るように。

神とは、神格のすべての人格化を示す言語記号である。用語は、神格機能のそれぞれの人格段階における異なる定義を必要とし、またさまざまの同位の、そして次位の神格の人格を示すために用いられるかもしれないとき、これらの各段階内でさらにいっそう定義しなおされなければならない。例えば:楽園の創造者たる息子―地方宇宙の父。

神という用語は、我々がそれを使うとき、次のように理解されるかもしれない。

名称により―父なる神として。

前後関係により―ある1神格段階、または関係についての議論に用いられるときのように。神という語の正確な解釈に関し不確かであるときには、それを宇宙なる父の人格に言及することが賢明であろう。

神という語は、つねに人格を意味する。神格は、神性人格に言及しているかもしれないし、していないかもしれない。

神という語は、これらの論文においては次の意味で用いられる。

1. 父なる神―創造者、制御者、支持者。宇宙なる父、つまり神格の最初の人格。

2. 息子なる神―調整の創造者、精霊の制御者、および精霊の行政者。永遠なる息子、神格の第二人格。

3. 精霊なる神―結合の活動者、宇宙の統合者、および心の授与者。無限の聖霊、つまり神格の第三人格。

4. 崇高なる神―時間と空間に関係する実現化の、または、進化の神。創造物-創造者の自己性の時空における経験的達成を実現する人格的神格。崇高なるものは、時間と空間の進化する創造物の発展し経験的な神として個人的に神の統一の達成を経験している。

5. 七重の神―時間と空間のいずこにおいても実際に機能する神格の人格。中央宇宙の境界内と以遠において機能し、時間と空間において神格顕示を統合する創造物の第一段階の崇高なるものとして、力-人格化をする人格の楽園神格と創造的仲間。この段階、すなわち壮大な宇宙は、進化的創造物の時空の上昇との相互関係における楽園人格の時空における下降の球体である。

6. 究極なる神―やがては超時間と超空間の神となるもの。統一的神格顕現の経験的第2段階。究極なる神は、統合された準絶対-超人格の、時-空-超越の、そして、神格現実創造の最終段階において調整される最終的-経験的価値の実現を含意する。

7. 絶対なる神―現在は神格絶対として実存する超えられた超人格価値と神性についての意味の経験化の神。これは、神格の表現と拡大を統一する第3段階である。この超創造段階においては、神格は、人格化可能の可能性の消耗を経験し、神性の成就に遭遇し、人格化の連続的、進歩的段階への自己顕示のための能力の枯渇を被る。神格は、いま、無特質絶対に遭遇し、接触し、それとの同一性を経験する。

総合的無限の現実は、7局面において、また、同位の7絶対者として実存的である。

1. 第一根源と中枢

2. 第二根源と中枢

3. 第三根源と中枢

4. 楽園の小島

5. 神格絶対者

6. 宇宙なる絶対者

7. 無特質絶対

神は、第一根源と中枢として、総合の現実に関連しての根本である―無条件に。第一根源と中枢は、永遠であるとともに無限であり、したがって、意志によってのみ制限されるか、または条件づけられる。

神—宇宙なる父—は、第一根源と中枢の人格であり、そういうものとしてすべての同位の、そして下位の根源と中枢に無限の制御の人格的な関係を維持する。そのような制御は、そのような同位と下位の根源と中枢と人格の機能の完全性のために実際には決して機能しないかもしれないものの、人格的であり、可能性において無限である。

第一根源と中枢は、したがって、すべての領域で第一である。神格化のあるいは非神格化の、人格のあるいは非人格の、実際のあるいは潜在の、有限のあるいは無限の領域。いかなる事物も生物も、いかなるの相関性も究極性も、第一の第一根源と中枢への直接的、または、間接的な関係と依存を除いては存在しない。

第一根源と中枢は、次のように宇宙に関連している。

1. 物質的宇宙の重力は、楽園の下の重力中心部に集中する。それが、まさに人格の地理的位置が楽園の下、または、楽園の物質的平面の原始力-エネルギーの中心部との絶対関係において永遠に不動にされる理由である。しかし、神格の絶対人格は、楽園の上、または、楽園の精霊的平面に存在している。

2. 心の原始力は、無限の精霊に収束する。熟練の7精霊における特異で分岐する宇宙心。威儀仙おける時-空の経験としての崇高者の実現化する心。

3. 宇宙の精霊的原始力は、永遠なる息子に収束する。

4. 神格活動のための無制限の能力は、神格絶対者に存在する。

5. 無限応答のための無制限の能力は、無特質絶対にある。

6. 2絶対者―資格がある、そして、無条件の―は、 宇宙なる絶対者に、また彼により調整され、統一される。

7. 進化する道徳的存在体、あるいは、いかなる他の存在体の潜在的人格も、宇宙なる父の人格に集中する。

現実は、有限存在体によって理解されるように、部分的で、相対的で、陰りがある。進化する有限の創造物により完全な理解が可能である神格の最大の現実は、崇高なるものの中に抱かれている。それにしても、時空の進化する創造物のこの崇高の神格にとって先祖である先行する、永遠の現実、すなわち超有限の現実がある。我々は、宇宙の現実の起源と本質を描こうとする際に、有限の心の段階に達するために止むを得ず時空の論法手段を用いる。したがって永遠の中の同時の出来事の多くは、連続的取り扱いとして提示されなければならない。

時空の創造物が現実の起源と現実の分化を見るように、永遠かつ無限の私はあるは、無条件の無限の足枷から本来の、永遠の自由意志の行使を通じて神格としての自由を実現し、また、この分離は、無条件の無限から最初の絶対的神性緊張状態を引き起こした。無限の分化のこの緊張は、宇宙なる絶対者により解決され、それは、総合神格の動的無限と無特質絶対の静的無限を統一し、調整するために機能する。

理論上の私はあるは、この最初の取り扱いにおいて最初の息子の永遠なる父になり、同時に楽園の小島の永遠なる根源になることにより、人格の実現を果たした。父からの息子の分化との共存、そして、楽園の臨場において、無限の精霊の人格とハヴォーナの中央宇宙が現れた。永遠なる息子と無限の精霊である共存人格の神性の登場とともに、父は、さもなければ総合神格の可能性の全体にわたる避けられない拡散から人格として立ち去った。ますます経験的である神格が、崇高性、究極性、絶対性の神性段階で実現化される一方で、その後ずっと父がすべての神格能力を満たすのは、単に2神格同等者との三位一体の関係においてのみである。

私はあるという概念は、我々が時間の拘束、空間の足枷、限定的人の心への、付け加えるならば、永遠生存 ― 始まりのない、終わりのない現実と関わり合い ― に対する創造物の理解の不可能性への哲学上の一譲歩である。無因の唯一者のみを除いては、万物には始めがなくてはならない。—原因の根本原因。それゆえに、我々は私はあるとしてこの哲学的な価値段階を概念化するのであり、同時に、永遠なる息子と無限の精霊は、私はあると同じように永遠であるということをすべての創造物に知らせているのである。言い換えれば、私はあるが、息子の父でなかったり、息子とともに精霊の父ではないという時は決してなかった。

無限者は、完全さを意味するために用いられる。--終局性--第一根源と中枢の第一性によって暗示される完全さ。理論上の私はあるは、「意志の無限」の創造物-哲学的外延であるが、無限は、宇宙なる父の絶対の、束縛のない自由意志の真の無限の永遠性-内包を表す実際の価値段階である。この概念は、時々父-無限を示す。

父-無限を発見しようと努力するにあたり、高度および低度の存在体の全系列の混乱の多くには、その理解に限りがある。宇宙なる父の絶対第一は、准無限段階においては明らかではない。この為、永遠なる息子と無限の精霊のみが、真に無限としての父を知るということは、あり得る。そのような概念は、他のすべての人格にとっては信仰の実行を表す。

現実は,さまざまの宇宙段階において異って実現する。現実は、宇宙なる父の無限の意志から生じ、それに由来し、宇宙実現の多くの異なる段階の基本的3局面において実現可能である。

1. 非神格化の現実は、非人格のエネルギー領域から宇宙存在の非人格化の価値の現実の領域までの、無特質絶対の臨場にさえ及ぶ。

2. 神格化の現実は、最下級の有限から最上級の無限へと、さらには神格絶対の臨場へさえと、人格の全領域にわたり広がりつつ、このようにして、人格化可能の、また、それ以上の全ての領域を包囲しつつ、無限の神格の可能性のすべてを抱擁しているのである。

3. 相互に関係する現実。宇宙の現実は、おそらくは神格化であるか、または非神格化であるが、准神格化の存在体にとっては、可能性と実現化する識別の難しい相互に関係する現実の広大な領域が存在する。この同位の現実の多くが宇宙なる絶対の領域に抱擁されている。

これは、最初の現実の第一概念である。父は現実を開始し、維持する。現実の第一分化は、神格化と非神格化である。 ― 神格絶対と無特質絶対。第一の関係はそれらの間の緊張である。父により開始されたこの神性緊張は、宇宙なる絶対により完全に解決され、宇宙なる絶対として永遠化される。

現実は、時間と空間の観点からは、次のごとくに分割可能である。

1. 実際的、潜在的。成長のための明かされていない能力を運ぶそれらの人々と比べて豊かな表現を有する現実。永遠なる息子は、精霊の絶対的現実である。人間は、きわめて多大に精霊の実現化されていない可能性である。

2. 絶対的、準絶対的。絶対現実は永遠生存である。準絶対現実は2段階で映し出される。準絶対―時間と永遠の両方に関しての相対的現実。有限―空間に映し出され、時間に顕在化される現実。

3. 実存的、経験的。楽園神格は実存的であるが、出現する崇高者と究極者は経験的である。

4. 個人的、非個人的。神格の拡大、人格表現、および宇宙発展は、楽園の永遠の小島に由来し、集中するそれらのものから永遠なる息子に実際に潜在的に軸となる心-精霊-人格的な意味と価値を永遠に分離した父の自由意志の行為により永遠に条件づけられる。

楽園とは、宇宙現実のすべての局面の人格的かつ非人格的の中心絶対者を含む用語である。適切に限定された楽園は、ありとあらゆる現実、神格、神性、人格、およびエネルギーの― 精霊的、心的、または物質的の―型を暗示できるかもしれない。すべてが、価値、意味、事実上の存在に関し起源、機能、および目標の場所として楽園を分かちあう。

楽園の小島―修飾語を伴わずには楽園―は、第一根源と中枢の物質的な重力制御の絶対領域である。楽園は、宇宙の中の宇宙の唯一静止したものであり、動かない。楽園の小島は、宇宙に定位置があるが、空間には何の位置もない。この永遠の小島は、物理的宇宙の実際の起源である―過去、現在、未来の。光の核の小島は、神格派生物であるが、それは決して神ではない。物質的創造は、神格の一部でもない。それらは結果である。

楽園は創造者ではない。それは多くの宇宙活動の独自の制御者であり、反応者であるよりははるかに制御者である。物質的宇宙全体にわたり、楽園は、根源力、エネルギー、そして力と関係のあるすべての存在体の反応と行為に影響を及ぼすが、楽園自身は独自で、唯一であり、宇宙で孤立している。楽園は、何も代表はせず、また、何も楽園を代表はしない。それは、根源力でも臨場でもない。それは単に楽園である。

人格は人格化現実の一段階であり、人間と中間者の崇拝と知恵のより高い心の起動段階からモロンチア段階と精霊段階を経て、人格状態の最終到達に及ぶ。それは、人間の、また人間同様の創造物の人格の進化的上昇であるが、他の数多くの宇宙人格の系列がある。

現実は宇宙拡大の支配をうけ、人格は無限の多様化をまぬかれず、双方は、神格のほとんど制限のない調整と永遠の安定化が可能である。非人格現実の変成範囲は、確実に制限されているとは言え、我々は人格現実の進歩的発展への制限について完全には知らない。

すべての人格系列、あるいは価値は、達成された経験的段階において関連づけられ、共同創造的でさえある。神と人間さえ、キリスト マイケル―人の息子と神の息子の現在の状態に実に絶妙に示されているように統一された人格に共存することができる。

人格のすべての准無限の系列と局面は、結合しやすい成就物であり、潜在的には共同創造的である。前人格、人格的、および超人格体はすべて、調整的到達、進歩的達成、共同創造のための能力の相互的可能性により結びつけられる。しかし、非人格は決して直接的に人格には変形しない。人格は決して自然発生的でない。それは楽園なる父の贈り物である。人格はエネルギーに付加され、また、それは生活エネルギー体制だけに関連づけられる。自己性は、無生のエネルギーの模範と関連づけることができる。

宇宙なる父は、人格の現実、人格の贈与、人格の目標の鍵である。永遠なる息子は、絶対人格、すなわち、精霊的エネルギー、モロンチア精霊、完成された精霊の鍵である。結合の活動者は、精霊-心の人格、すなわち、知性、理由、宇宙の心の源である。しかし、宇宙本体の本質である楽園の小島は、物質の根源と中枢、宇宙の物質的現実の絶対の主たる型であり、非人格であり超精霊である。

宇宙の現実のこれらの特質は、ユランチアの人間の経験の次のような段階において明白である。

1. 肉体。人の物質的、あるいは、物理的有機体。動物の本質と起源をもつ活性の電気化学的仕組み。

2. 心。人間の有機体に対する考え、知覚、および感情の仕組み。意識的、無意識的の全体経験。崇拝と知恵を経て精霊段階へと上向きに広がる情緒的生活に関連づけられる知性。

3. 精霊。人の心に宿る神性の精霊--思考調整者。この不滅の精霊は、前人格である。--生存する人間の人格の一部になるように定められてはいるが、人格ではない。

4. 魂。人の魂は経験上の習得である。人間が、「天の父の意志を為す」ことを選ぶとき、内住する精霊は人間の経験における新しい現実の父になる。人間の、そして物質の心は、出現しているこの同じ現実の母である。この新現実の実体は、物質的ではないし、また精霊的でもない。―それはモロンチア的である。これは、人間の死を生き残り、楽園上昇を始めるように定められる出現しつつある不滅の魂である。

人格。人間の人格は、肉体でも、心でも、精霊でもない。それは魂でもない。人格は、その他では、変わり続ける創造物の経験において不変の1つの現実である。そして、それは人格の他のすべての関連要素を統一する。人格とは、宇宙なる父が、物質、心、精霊の生きており関連するエネルギーに作るところの、またモロンチア魂の生存により生き残るところの特異な贈与である。

モロンチアとは、物質と精霊の間に介在する広大な段階を明示する用語である。それは、人格的、あるいは非人格的現実を、つまり、生のエネルギー、あるいは無生のエネルギーを示すかもしれない。モロンチアの縦糸は精霊的である。その横糸は物理的である。

父の人格回路に呼応するありとあらゆる事柄を、我々は人格とよぶ。息子の回路に呼応するありとあらゆる事柄を、我々は精霊とよぶ。結合の活動者の心の回路に応じるありとあらゆるものを、我々は心と呼ぶ、無限の精霊の属性としての心--そのすべての局面における心。楽園の下に中心を置く物質的重力に呼応するありとあらゆるものを、我々は物質と呼ぶ。―すべてのその変成状態にあるエネルギー物質。

エネルギーを、我々は、精霊、心的、物質のそれぞれの領域に適用されるすべてを含む用語として用いる。また、原始の力はこのようにして広く使用される。力は、壮大な宇宙における物質、あるいは線重力反応物質の電子段階の名称に通常は制限されている。力は、主権を示すためにも用いられる。我々は、あなた方に一般に受け入れられている原始の力、エネルギー、および力の定義に従うことはできない。我々が複数の意味をこれらの用語に割当てなければならないというそのような言語不足がある。

物理的エネルギーとは、現象上の動き、活動、可能性のすべての局面と型を表す用語である。

物理的エネルギーの顕現についての議論において、我々は、一般的に、宇宙原始力、創発的エネルギー、および宇宙力という用語を使用する。これらはしばしば次のように用いられる。

1. 宇宙原始力は、無特質絶対に由来するが、まだ楽園重力に反応しないすべてのエネルギーを含む。

2. 創発的エネルギーは、楽園重力には反応するが、地方の、または、線の重力には無反応であるそれらのエネルギーを含む。これはエネルギー物質の前電子の段階である。

3. 宇宙力は、いまだに楽園重力に反応しつつ、直接に線重力に反応するすべてのエネルギーの型を含んでいる。これは、エネルギー物質とその後に起こるすべての進化の電子段階である。

心は、様々なエネルギー系統に加えて、生きた聖職活動の臨場活動を内包する現象である。そして、これはすべての知力段階において本当である。人格において、心は精霊と物質の間に常にある。したがって、宇宙は3種類の光によって照らされているのである。物質的な光、知的な洞察、および精霊の光輝。

光とは―精霊の明度―言語記号、修辞的表現であり、精霊のさまざまの系列の存在体の人格顕現の特性を内包する。この発光の放出は、知的な洞察にも物理的な光の顕現にも全く関係していない。

模範は、それぞれの物質的、精霊的、心的エネルギー、または、これらのいかなる組み合わせとしても映し出すことができる。それは、人格、自己性、実体、または無生の物質を瀰漫させることができる。しかし、模範は模範であり、模範のままである。複製だけが増加する。

模範は、エネルギーを形成するかもしれないが、それを制御はしない。重力は、エネルギー物質の唯一の制御である。空間も模範も重力に呼応しないが、空間と模範との間には何の関係もない。空間は、模範でも潜在的模範でもない。模範は、既にすべての重力債務を返済した現実の形成である。いかなる模範の現実も、そのエネルギー、その心、精霊、または物質要素から成る。

全体の様相に比して、模範はエネルギーと人格の個々の様相を明らかにする。人格、または、自己性の型は、エネルギー(物理的、精霊的、あるいは心的、)の結果の模範であるが、その中に固有ではない。模範の出現をもたらすエネルギーの質、または人格の質は、おそらく神―神格―に、楽園の根源力贈与に、人格と力の共存に帰するといえる。

模範は、それから複製される主要構想である。永遠の楽園は絶対不変の模範である。永遠なる息子は模範の人格である。宇宙なる父は、双方の直系の先祖-起源である。しかし、楽園は模範を与えないし、息子は人格を与えることができない。

主たる宇宙の神格の構造は、永遠の結びつきに関しては二重である。父なる神、息子なる神、それに精霊なる神は永遠である ― 実存的存在体である。一方、崇高なる神、究極なる神、それに絶対なる神は、主たる宇宙の進化的拡大の時空の領域と時空を超越した領域における後ハヴォーナ新世紀の神格の人格を実現化している。神格の実現化するこれらの人格は、それらが、永遠の楽園の神格の結合的かつ創造的な可能性の経験的実現手段により増大している宇宙において力-人格化するにつれ、またそうするとき、永遠の存在体である。

神格は、したがって、臨場に関しては二元的である。

1. 実存的―過去、現在、未来の永遠の存在の存在体。

2. 経験的―後ハヴォーナの現在に顕在化するが、全将来の永遠の中で終わりなく続く存在体。

父、息子、および精霊は、実存的である―現実的には(すべての可能性は推定上経験的であるが)、実存的である。崇高者と究極者は完全に経験的である。神格絶対者は、実現化においては経験的であるが、可能性においては実存的である。神格の本質は永遠であるが、神格の最初の3名の人格だけは無条件に永遠である。他のすべての神格の人格には起源があるが、それらには永遠の目標がある。

息子と精霊の中の自身の実存的な神格表現を達成し、父は、今、崇高なる神、終局なる神、絶対なる神としてのこれまで非人格的で非-啓示の神格段階における経験的表現を達成している。しかし、これらの経験的神格は、現在、完全に存在するというわけではない。それらは実現化の過程にある。

ハヴォーナの崇高なる神は、三位一体の楽園の神格からの精霊の人格的反映である。この結合的神格関係は、現在、七重の神の中で外に向け創造的に広がっており、壮大な宇宙の中の全能の崇高者に属する経験的な力に統合されている。3人格として実存的である楽園の神格は、こうして、崇高性の二局面において経験的に発展しており、一方、これらの二元的局面は唯一の主、崇高なるものとして力人格の統一である。

宇宙なる父は、三重の神格人格化である三位一体化の手段により無限の拘束と永遠の足枷からの自由意志の解放を達成する。崇高なるものは、今でも、壮大な宇宙の時空の断片における神格の七重の顕現を准永遠の人格統一として進化している。

崇高なるもののは、威儀仙の父であることを除いては、直接的創造者ではないが、すべての創造物-創造者の宇宙活動の総合調整者である。進化する宇宙において、今実現化している崇高なるものは、時空間の神性を、つまり時空の崇高なる創造者との経験的な関係における三位一体の楽園の神格を相関づけ、統合させる神格なのである。この進化の神は、最終的に実現化されるとき、有限者と無限者の永遠の融合を成すであろう―経験的な力と精霊人格の永遠の、壊すことのできない統一。

時空の有限現実のすべては、進化する崇高なるものの指導的強い衝動の下に、楽園現実の様々な局面と関連し、次に乗り出して行く超創造物成就の準絶対段階に達する試みの目的にむけて最後まで絶えず上向きの動員と有限の現実の全局面と全価値を統一完成(力-人格統合) とに従事する。

有限状態を埋め合わせるために、そして、概念の生きもの限界を補填をするために、宇宙なる父は、進化する創造物の神格への7重の接近を確立した。

1. 楽園の創造者たる息子

2. 日の老いたるもの

3. 熟練の7精霊

4. 崇高なるもの

5. 精霊なる神

6. 息子なる神

7. 父なる神

時、空間における、また7超宇宙への神格のこの七重の人格化は、人間に精霊である神の臨場達成を可能にさせる。この七重の神は、いつかは崇高なるものの中に力-人格化していく時空の有限の創造物にとっては、楽園-上昇経歴の進化的創造物の機能的神格である。神への理解のそのような経験的な発見経歴は、地方宇宙の創造者たる息子の神性の認識に始まり、楽園の宇宙なる父の神性人格の発見と認識の到達へと日の老いたるものの全超宇宙を、そして、熟練の7精霊の1つの人格を経て上昇して行く。

壮大なる宇宙は、崇高性の三位一体の、七重の神の、および崇高なるものの神格の3重領域である。崇高なる神は、自分の人格と精霊属性を引き出すところの楽園の三位一体の中に可能である。しかし、崇高なる神は現在、時間と空間の超宇宙へと全能者としての彼の力を引き出す創造者たる息子、日の老いたるもの、および熟練の精霊を実現化している。進化する創造物の直接ごく近くの神からのこの力の顕現は、実際に時空において創造物と同時に進化する。非人格活動の価値段階で進化している全能の崇高者と崇高なる神の精霊人格は、一つの現実である ― 崇高なるもの。

7重の神の神格関係における創造者たる息子は、必滅者が不滅になり、有限者が無限者の抱擁に到達する仕組みを提供する。崇高なるものは、これらの多種多様の取り扱いのすべての力-人格の動員、すなわち神性的統合、のための方法を提供し、こうして、有限が、他の可能な今後の実現化をへて、準絶対に達し、そして、究極者への到達の試みを可能にする。創造者たる息子と関係する神性の聖職活動者は、この崇高の動員の参加者であるが、日の老いたるものと熟練の7精霊は、おそらく壮大な宇宙における恒久的管理者として永久に固定される。

七重の神の機能は、7超宇宙の組織に始まり、おそらく外宇宙の創造の未来の発展に関連して広がるであろう。第一、第二、第三、第四の空間段階の進歩的発展のこれらの未来の宇宙の組織は、神格への超越的また準絶対的接近の就任を確かに目撃するであろう。

崇高なるものが、神性の事前の寄贈である壮大な宇宙の包み込むエネルギーと人格の可能性から次第に発展するように、究極なる神も同様に、主たる宇宙の超越の時空の領域にいる神性の可能性から存在するようになる。終局なる神格の実現化は、最初の経験的三位一体の準絶対統一を指し示し、創造的な自己-実現の第2段階における神格の統一的拡大を意味する。これは、超時空の価値のやがては究極に至る段階において楽園の準絶対現実の経験的神格の宇宙実現化の人格-力の同等物を構成する。そのような経験的発展の完成は、崇高なるものの完成した実現を通じて、また、七重の神の聖職活動により準絶対段階に達した時空の全創造物のために究極の奉仕-目標を提供するように設計されている。

究極なる神は、準絶対の神性段階上と、超時間と超空間の宇宙球体上において機能する人格の神格に言及する。究極者は、神格の超崇高の究極化である。崇高者は、有限の存在体に理解される三位一体統一体である。崇高者は、準絶対存在体に理解される楽園三位一体の統一体である。

宇宙なる父は、進化する神格の仕組みを通して、宇宙のそれぞれの意味段階において、有限者、准絶対者の現実の神性価値の、また絶対者の現実のそれさえの、人格の焦点化と力の動員のすばらしく、驚くべき行為に実際に従事している。

永遠の未来において楽園の最初の3人格の、それに過去-永遠の神格は、 ―宇宙なる父、永遠なる息子、無限の精霊―は、仲間の進化的神格―崇高なる神、究極なる神、絶対なる神―の経験的実現により人格-補足されることになっている。

いま経験的宇宙で進化している崇高なる神と究極なる神は、実存的ではない ― 過去の永遠なものではない、唯一の将来の永遠なもの、時空に条件づけられ、先験的に条件づけられる永遠なもの。彼らは崇高の、究極の、またことによると崇高に-究極の贈与の神格であるが、宇宙の歴史的起源を経験したもの達である。彼らには決して終わりというものはないが、人格の始まりはある。彼らは、実に永遠の、無限の、神の可能性の実現であるが、彼ら自体は、無条件に永遠でもなければ無限でもない。

時空の有限の心に完全には説明できない神格絶対者の永遠の現実の多くの特徴があるが、絶対なる神の実現は、第2の経験的三位一体、すなわち絶対の三位一体の統一の結果であろう。これは、絶対神性の経験的実現、すなわち絶対段階における絶対意味の統一を構成するであろう。しかし、有特質絶対者が無限者の同位者であるとはどんな時にも知らされてはいないのであるから、我々はすべての絶対価値の取り込みに関し確信はない。超究極の目標は、絶対的意味と無限の精霊性に関与しており、これらの非達成の現実の二つがなければ、我々は絶対価値を確立することはできない。

絶対なる神は、すべての超準絶対存在体の実現-到達目標であるが、絶対なる神の力と人格の可能性は我々の概念を超えており、我々は経験的実現からそれほどまでに遠くへ取り除かれるそれらの現実についての議論をためらう。

行動の神において機能し、宇宙なる父と永遠なる息子に関する結合的思考が、神性と中央宇宙の創造を構成すると、父は、次にハヴォーナ臨場と無限の可能性を区別し、息子の言葉と連合の幹部の行為に関しての自らの思考を表現した。そして、これらの明かされていない無限の可能性は、無特質絶対者に隠され、また神格絶対者に神々しくおおい隠されて空間にとどまり、一方、これらの2者は、宇宙なる絶対者の働きにおいて、つまり、楽園の父の明かされていない無限-統一において1つとなる。

すべての現実の質の向上が経験的成長により、また、宇宙絶対者による経験者と実存者との相関関係を通してもたらされるとき、宇宙の根源力の潜在力と精霊根源力の潜在力の双方が、進歩的な顕示-実現の過程にある。第一根源と中枢は、宇宙なる絶対の均衡的臨場によって、経験に起因する力の拡大を実現し、進化する創造物との一体感を味わい、崇高性、究極性、および絶対性の段階における経験的神格の拡大を達成する。

神格絶対者と無特質絶対者を完全に見分けることは可能ではないが、結合されていると思われる、されているはずの機能、または連携されているはずの臨場は、宇宙なる絶対の働きを明示する。

1. 絶対なる神は、いかなる宇宙状況においても准絶対的方法では応できない、あるいは少なくともしない。与えられたいかなる状況へのこの絶対者のあらゆる反応も、存在の現状況においてのみならず、すべての将来の永遠の無限の可能性の観点からもまた、事物生物の創造全体の繁栄への考慮から作られているようでもあるらしい。

絶対なる神は、あらゆる宇宙状況において准絶対的方法で反応できない、あるいは少なくともしない。与えられたいかなる状況へのこの絶対者のあらゆる反応も、存在の現状況ばかりではなく、すべての将来の永遠の無限の可能性の観点からもまた、事物生物の創造全体の繁栄への考慮から作られているようにも見える。

絶対なる神は、宇宙なる父の自由意志の選択により全体の、無限の現実から隔離されたところのその可能性であり、また、その中で、すべての神性活動―実存的かつ経験的―が行われる。これが、無特質絶対者と対比しての有特質絶対者である。しかし、宇宙なる絶対は、すべての絶対的可能性の総合的包含において両者に超付加的である。

2. 無特質絶対者は、非人格化、超神性、かつ非神格化である。したがって、無特質絶対は、人格、神性、およびすべての創造者特権を欠いている。事実も真実も、経験も顕示も、哲学も准絶対も、宇宙的資質なしにはこの絶対者の本質と特質を理解することはできない。

無特質絶対は、壮大な宇宙に瀰漫し、また7超宇宙を超えて空間領域の唖然とさせる広がりの根源力活動へと、また前物質進化へと、等しい空間臨場を伴って広がる肯定的現実であるということを明確にすべきである。無特質絶対は、無条件と無資格の普遍性、支配、および首位に関する形而上学の詭弁の前提で叙述される哲学的概念の単なる否定主義ではない。無特質絶対は、無限的に宇宙の肯定的総括管理である。この総括管理は、空間-根源力において無制限であるが、生命、心、精霊、人格の臨場によって決定的に条件づけられ、また、楽園三位一体の意志反応と目標ある命令によってさらに条件づけられる。

我々は、無特質絶対が、形而上学の汎神論的な概念に、あるいは科学のかつてのエーテル仮説のいずれかに匹敵する非分化とすべてに瀰漫している影響ではないと確信している。無特質絶対は、力において無制限であり、また、神性に条件づけられてはいるが、我々は、宇宙の精霊現実とのこの絶対者の関係を完全に察知するというわけではない。

3. 宇宙なる絶対は、神格化と非神格化―人格化可能、そして、非人格化可能―へと区別化する宇宙現実における宇宙なる父の絶対的自由意志行為の価値において必然であったと、我々は論理的に導き出す。宇宙絶対者は、このように分化する宇宙現実の自由意志の行為によって創造された緊張解決の神格現象の暗示であり、実存的可能性のこれらの総和の結合しやすい調整者として機能する。

宇宙なる絶対者の緊張臨場は、無条件の無限の固定からの自由意志をもつ神性の力強い活動の分離における神格現実と非神格化現実の間の格差の調整を意味する。

常に覚えておきなさい。潜在的無限性は、絶対であり、永遠からは不可分である。時間上の実際の無限は、部分的ある以外のなにものでもあり得ず、それゆえに、非絶対的でなければならない。実際の人格の無限も、無条件の神格の場合を除いては、絶対であるはずがない。宇宙なる絶対を永遠化し、それにより空間において物質的宇宙を持つことを広大無辺に可能にし、時間においては有限人格を持つことを精霊的に可能にするということは、無特質絶対と神格絶対者における無限の可能の差異なのである。

有限者が、無限者と共存することができるのは、宇宙なる絶対の結合的臨場が、時間と永遠、有限と無限、現実的可能性と現実的現実性、楽園と空間、人間と神の間の緊張を実に完全に均等化するからである。宇宙なる絶対は、結合的に、准無限の神格顕現の宇宙の時空における、および超時空に存在する進化の前進的現実の領域の同一化を組成する。

宇宙なる絶対は、時間と永遠の段階において機能上は実現可能な静的、動的神格の可能性であり、こうして、無限-絶対価値として、また、経験的-実存的接近で実現可能である。神格のこの不可解な局面は、静的、潜在的、結合的であるかもしれないが、現在、主たる宇宙において機能する知的人格に関しては経験的には創造的でないか、または進化的ではない。

名の絶対者―有特質者と無特質者―は、心の創造物により目撃されるように、機能上明らかに分岐するが、宇宙なる絶対の中に、また彼により、完全に、また神らしく統一される。つまるところ、最終的な理解においては、3者すべてが1絶対者である。それらは、准無限段階においては機能上分化されるが、無限においては、一つなのである。

我々は、絶対という用語を決してあることの否定、あるいは、何でも否認として用いてはいない。我々は、宇宙なる絶対を自主決定力として、一種の汎神論的かつ非人格的神格とは見なしていない。絶対者は、宇宙人格に属するすべてにおいて、厳密に三位一体に制限され神格に支配されている。

最初の、そして、永遠の楽園の三位一体は、実存的であり、必然であった。決して始まりのないこの三位一体は、父の束縛のない意志による人格と非人格の分化の事実に固有であり、彼の人格意志が心によりこれらの二元的現実を調整したとき、現実化された。後ハヴォーナ三位一体は、経験的である。後ハヴォーナ三位一体は、2つの准絶対的なものと主たる宇宙の中における創造と進化の段階の力-人格顕現に固有なのである。

楽園の三位一体--宇宙なる父、永遠なる息子、無限の精霊の永遠の神格統一--は、現実には実存的であるが、すべての可能性は経験的である。依って、この三位一体は、無限を迎え入れる唯一の神格現実を構成し、これに伴い崇高なる神、究極なる神、絶対なる神の実現化の宇宙現象が起こる。

第と第2の経験的な三位一体、つまり後ハヴォーナ三位一体は、派生の神を、すなわち経験的楽園の三位一体により創造された、または究極化された現実の経験的実現により進化された神を抱えているのであるから無限であるはずがない。神性の無限は、拡大されないとしても、創造物と創造者の経験の有限性と准絶対性により常に豊かにされてきている。

三位一体は、調整された神格顕現の関係と事実にかかわる真理である。三位一体の機能は、神格現実を取り囲み、神格現実はいつも人格化における実現と顕示を求める。崇高なる神、究極なる神、また、絶対なる神さえ、それ故、神性の必然性である。これらの3名の経験的な神は、実存的な三位一体、つまり楽園の三位一体においては潜在的であったが、力の人格としての彼らの宇宙出現は、一部は力と人格の宇宙におけるそれら自身の経験的機能であり、また、一部は後ハヴォーナ創造者と三位一体の経験的業績に依る。

後ハヴォーナの三位一体、崇高者と絶対者の経験的三位一体は、今は、完全に明らかではない。それらは宇宙実現の過程にある。神のこれらの連携は次のように説明できるかもしれない。

1. 現在発展している究極の三位一体は、結局は、創造者でも創造物でもないそれらの独自の宇宙の立案者である崇高なるもの、崇高なる創造者の人格、および主たる宇宙の準絶対の建築士から成るであろう。究極なる神は、ほとんど制限のない主たる宇宙の広がりゆく領域でのこの経験的な崇高の三位一体の統一の神格結果として、ついには、また必然的に力をつけ、そして、人格化する。

2. いま実現化の過程にある絶対の三位一体 ―経験的第2の三位一体 ― は、崇高なる神、究極なる神、それに宇宙の目標の未顕示の完了者から成り立つであろう。この三位一体は、ともに人格と超人格の段階において、また非人格の境界にさえ働きかけるし、その統一は、絶対なる神格を経験するであろう。

究極の三位一体は、完成においては経験的に統一しているが、我々は、絶対の三位一体のそのような完全統一の可能性を真に疑う。永遠の楽園の三位一体という我々の概念は、しかしながら、神格三位一体化は、さもなければ達成不可能であるものを達成するかもしれないかということを遍在的に思い出させるものである。それなればこそ我々は、そのうちの崇高-究極の登場と絶対なる神の可能な三位一体-実現化を仮定するのである。

宇宙の哲学者は、三位一体の三位一体、すなわち、実存的-経験的三位一体の無限を仮定するものの、宇宙の哲学者はその人格化を心に描くことはできない。ことによるとそれは、私はあるの概念的段階における宇宙なる父の人格に相当するであろう。しかし、このすべての如何にかかわらず、宇宙なる父は実際に無限であるが故に、最初の楽園三位一体は潜在的に無限である。

宇宙なる父の特徴とその楽園の仲間の本質描写、同時に、完全な中央宇宙と包囲する7超宇宙のについての記述の試みに関わる一連の提示をまとめるにあたり、我々は、真実を明らかにし、不可欠の知識を調整するという我々の全努力において、提示される対象に関し、人間の最も高い既存の概念の方をとることを指示すべきだと超宇宙支配者の命令に指導されることになっている。我々は、提示の概念が、人間の心に何の適切な前例表現のないときに限り純粋な顕示を用いるかもしれない。

神性真理の惑星の連続的顕示は、惑星知識に関する新たで高められた調整の一部として精霊的価値の最も高い既存概念を常に抱きかかえている。そこで、我々は、これらの論文の基盤として精霊的価値と宇宙的意味に関して人間がもつ最高かつ最先進の惑星知識を表す1,000以上の概念を選定した。神を知る過去と現在の人間から集められた人間のもつこれらの概念が、指示通りにそれを明らかにするには真実描写が不十分である場合、我々は、われわれの目的を果たすために躊躇なく人間のもつ概念を楽園の神格と超居住宇宙の現実と神性に関する我々自身の優れた知識を駆使して補足をするのである。

我々は、自身の課題の困難さを完全に認識している。我々は、人間の心の有限概念に関する言語記号への神性と永遠の概念の言語を完全に翻訳する不可能さを認める。しかし、我々は、神の断片が人間の心の中に住み、真実の精霊が人間の魂と共に滞在するということを知っている。さらに我々は、これらの精霊根源力が物質の人間に精霊的価値の現実を理解させ、宇宙的意味の哲学を理解させ得ることに協力するということを知っている。しかし、より確かに、我々は、神性臨場のこれらの精霊が、個人的宗教経験の絶えず進歩する現実―神-意識―の充実に寄与する全真実の精霊的充当において人を補助できることを知っている。

[ユランチアにおいて楽園神格と宇宙の中の宇宙に関する真実を描くために配属された超宇宙人格部隊の隊長であるオーヴォントンの神性顧問による著述]

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