論文 93 メルキゼデクのマキヴェンタ

   
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論文 93

メルキゼデクのマキヴェンタ

メルキゼデク体制は、局部宇宙世界で驚くべき活動分野に従事していることから非常時の息子として広く知られている。あらゆる並はずれた問題が起こるとき、あるいは何か異常なことが企てられるとき、たびたび任務に応じるのはメルキゼデクである。メルキゼデクの息子が、非常時や宇宙の拡散的段階において機能する能力、人格顕現の物理的段階においてさえも機能する能力は、メルキゼデクの息子の体制に固有である。生命搬送者だけが、幾らかの度合いで人格機能のこの変成範囲を共有する。

宇宙の息子関係のメルキゼデク体系は、ユランチアにおいて極めて活動的である。12名軍団は、生命搬送者と共同して仕えた。後の12名軍団は、カリガスティアの分離直後に、あなたの世界のための受託者になり、アダームとハヴァーの時代まで権力に居つづけた。これらの12名のメルキゼデクは、アダームとハヴァーの不履行の際ユランチアに戻り、その後ナザレのイエスが、人の息子として名義上のユランチアの惑星の王子になるその日まで惑星の受託者として続いた。

1. マキヴェンタの肉体化

顕示された真実は、アダームのユランチアにおける任務の失敗に続く何千年もの間消滅の危機に脅かされた。人類は、知的に進歩をしたものの、精神的に徐々に不利な立場に陥っていた。紀元前3,000年頃、神の概念は、人の心の中でひどく霞むようになった。

12名のメルキゼデクの受託者は、それらの惑星でのミカエルのまじかに迫る贈与については認識していたが、いつ起こるかについては知らなかった。それゆえに、かれらは、厳粛な協議会を召集し、ユランチアにおいて真実の光を維持するために何らかの対策を講じるようエデンチアのいと高きものに要請した。この嘆願は、「サタニア606号における事務管理は、完全にメルキゼデクの管理者に託されている」という指令で退けられた。受託者等はそこで、父メルキゼデクに援助を求めたが、ただ「喪失と不確実性から惑星の称号を救うであろう」もの、すなわち、「贈与の息子の到着まで、」自身の選択手段で真実を守り続けるべきであるという言葉だけを受け取った。

すっかり機略を失ってしまったので、惑星受託者の12名中の一名であるメルキゼデクのマキヴェンタは、ネバドンの全歴史でかつて6回だけ為されたことを、つまり領域の一時的な人間として地球で人格化すること、世界奉仕の緊急時の息子として自分自身を与えようと申し出た。サルヴィントン当局は、この冒険のための許可を与えたので、後にパレスチナのシャレイムの都市になるところでメルキゼデクのマキヴェンタの実際の肉体化が、なされた。このメルキゼデクの息子の具体化の全執行は、生命搬送者、物質制御長、およびユランチア居住の他の天の人格との協力で惑星の受託者により成し遂げられた。

2. シャレイムの賢人

マキヴェンタがユランチアの人類に授与されたのはイエス生誕の1,973年前のことであった。その到来は、華々しいものではなかった。その具体化は、人間に目撃されなかった。その多事多端な日に、シュメール出身のカルデア人牧夫であるアムドンの天幕に入ったマキヴェンタを最初に見たのは、人間であった。マキヴェンタの任務の宣言は、この羊飼いへの「私はメルキゼデク、エル・エリョンの聖職者、いと高きもの、唯一のものであり唯一の神である。」と簡単な声明に具体的に表現されていた。

牧夫は、驚きから覚め、この見知らぬ者に盛んに多くの質問をした後に、メルキゼデクを夕食に招待し、そしてこれは、長い宇宙経験において、マキヴェンタが、物質でできた食物を伴食した、すなわち有形の生き物としての94年の生活のなかで自身を支える滋養を摂取した最初であった。

その夜、二人が星の下で徹底的に話し合っていると、メルキゼデクは、腕を一振りし、アムドンの方に向き直り、「エル・エリョン、いと高きものは、天空の星の、それに我々が住むまさしくこの地球の神々しい創造者であり、天国の最高の神でもある。」と言って、神の現実についての真実顕示の任務を開始した。

数年内にメルキゼデクは、シャレイムの後の共同体の核を形成する生徒、弟子、信者の一団を自分の周りに集めた。まもなく、エル・エリョンの聖職者、いと高きもの、それにシャレイムの賢人としてパレスチナ中で知られた。いくつかの周囲の部族の中では、しばしばシャレイムのシークとして、または王として言及された。シャレイムとは、メルキゼデク失踪後にイェブースの都市となり、続いてジェルーセムと呼ばれる場所であった。

容姿の面でメルキゼデクは、身長1.83メートルほどの堂々たる風采をして、当時のノヅ系とシュメール人の混合民族に似ていた。かれは、カルデア語の他に6言語を話した。かれは、楽園の三位一体のサタニアの象徴である3同心円の紋章を胸につけている以外は、カナン人の聖職者とほぼ同様の装いをしていた。追随者達は、かれの任務の間、3同心円のこの記章を非常に神聖と見なされるようになり、敢えてそれを使用せず、しかも数世代の経過とともにすぐに忘れられた。

マキヴェンタは、領域の人間の風習が消えた後も生きたが、決して結婚せず、地球に子孫を残すこともできなかった。人間の男性に類似しているのだが、どの人類の生命原形質も包含しなかったこと以外は、彼の身体は、現実には、カリガスティア王子の部下の具体化された100人の用いられたる特別に組み立てられた体に類似するものであった。また、ユランチアには利用可能な生命の木もなかった。マキヴェンタが地球にもう少し長く留まっていたならば、その物理的構造は、徐々に低下化していたことであろう。実のところ、マキヴェンタは、その有形の肉体が崩壊し始めるずっと前に94年間でその贈与の任務を終えた。

この肉体を与えられたメルキゼデクは、時間の監視者と肉体の良き指導者としての超人の人格に内在する思考調整者を受け入れた。こうして人間の肉体に似せて地球に現れたとき、ユランチアの問題へ、後の神の息子ミカエルの人間の心でそれほどまで勇敢に父のこの精霊が機能することを可能にした肉体化の息子に宿る方法へのその経験と実地指導を獲得した。そして、これは、ユランチアで2つの心で機能した唯一の思考調整者であるが、2つの心は神らしくもあり人間らしくもあった。

マキヴェンタは、人間の姿での期間、惑星の管理者軍団の仲間11名との十分な接触はあったが、天の人格の体系とは連絡はとれなかった。マキヴェンタは、メルキゼデク受託者は別として、人間との接触がなく、同様に超人の有識者との接触もなかった。

3. メルキゼデクの教え

10年の時の流れと共に、メルキゼデクは、第2エーデンの初期のセース系聖職者が、開発した昔の体系を模範としてシャレイムに学校を創設した。後の転向者であるアブラーハームが導入した10分の1税制の考えさえも、古代セース系の長く続く伝統方法に由来した。

メルキゼデクは、1神、普遍の神の概念を教えたが、エル・エリョン—いと高きもの—と彼自身が、命名したノーランティアデクの星座の父とこの教えの関連づけを人々に許した。メルキゼデクは、ルーキフェーレンスの状態とイェルーセムの情勢に関してはほぼ沈黙でいた。ラナフォーゲ、系統主権者は、ミカエルの贈与終了後までユランチアにはほとんど無関係であった。シャレイムの学生の大多数にとり、エデンチアは天国であり、いと高きものは神であった。

大半の人々は、メルキゼデクが、贈与の記章として採用した3同心円の象徴を人間、天使、神の3つの王国を表すと解釈した。そして彼らは、その信念を持ち続けることを許された。メルキゼデクの追随者のごく少数しか、この3円が、神性の保守と指示に関る楽園三位一体の無限、永遠、普遍の象徴であることを決して知らなかった。アブラーハームでさえも、この表象を3名のいと高きものが1名として機能するように指令されて以来、エデンチアの3名のいと高きものを表していると、むしろ考えた。メルキゼデクは、自分の記章に象徴された三位一体の概念の程度まで教え、通常、それをノーランティアデクの星座の3名のヴォロンダデク支配者に関連づけた。

メルキゼデクは、一般の追随者にエデンチアのいと高きもの—ユランチアの神々—の支配者の地位についての事実を越えての教えを提示をしようとはしなかった。しかしメルキゼデクは、何人かには局部宇宙の管理と組織を含む高度な真実を教えると同時に、才気あふれる弟子ケニーテ族のノーダンと熱心な学生の一団には超宇宙の真実とハヴォーナの真実さえも教えた。

メルキゼデクが30年以上ともに暮らしたカートロー家族は、これらのより高度の真実の多くを理解し、長い間、傑出した子孫モーシェの時代にまでも家族内で永続させ、その結果、メルキゼデクの時代の強い伝統を持つモーシェは、母方の他の関係筋を介してはもとより父方にもこれを伝えた。

メルキゼデクは、追随者には、受けて、理解する能力があると全てを教えた。多くの現代宗教の天地、人間、神、天使に関する考えさえも、メルキゼデクのこれらの教えからかけ離れてはいない。だが、この偉大な師は、すべてを一神、宇宙神、天の創造者、神性の父の教理に従属させた。この教えは、崇拝への人の注意を喚起し、この同じ宇宙なる父の息子としてのミカエルの後の出現のための道を準備する目的のために強調された。

メルキゼデクは、自分が来たようにいつか未来に神の別の息子が現身となって来ると、しかし女性から生まれるということを教えた。そしてそれが、後の多数の教師が、「メルキゼデク体制の後いつまでも」イエスが聖職者、または牧師であると考えた理由である。

その結果、メルキゼデクは、一神の楽園の息子そのものの贈与のための道を準備させ、世界の風潮である一神論の舞台を整えた。かれは、すべての父としてとても生き生きと描き、また、個人の信仰の簡単な条件に基づいて人を受け入れる神としてアブラーハームに提示した。またミカエルは、地球に出現したとき、メルキゼデクが楽園の父に関して教えていたことをすべて確認した。

4. シャレイムの宗教

シャレイム崇拝の儀式は、非常に簡単であった。メルキゼデク教会の粘土板の名簿に署名するか、印をつけたすべての者は、次のような思考体系の暗記に専心し、その体系を受け入れた。

1. 私は、エル・エリョン、いと高きもの、唯一の宇宙の父であり万物の創造者を信じる。

2. 私は、生贄や焼いた供物ではなく、私の信仰に恩恵を授けるメルキゼデクのいと高きものとの盟約を受け入れる。

3. 私は、メルキゼデクの7つの戒律に従い、すべての人にいと高きものとのこの盟約に関する朗報を告げることを約束する。

そして、それが、シャレイム居留地の教義の全容であった。だが、信仰についてのそのような短く簡単な宣言でさえも、当時の人にはあまりに高度であった。彼らは、単に無償で—信仰により—神の好意を得るという考えを理解することができなかった。彼らは、神に債務をおって生まれたとあまりに深く信じた。彼らは、あまりに長く、あまりに真剣に犠牲になり、聖職者へ贈り物をしたので、救済つまり神の恩恵は、メルキゼデクの盟約を信じるすべての者への無償の贈り物であるという良い知らせが理解できなかった。これに反しアブラーハームは、実に熱意をもたずに信じたが、それさえも「正しさと認められた」。

メルキゼデクが広めた7つの戒律は、古代のダラマティア憲法に沿う模範とされ、第一と第二のエーデンで教えられた7つの戒律に大変類似していた。シャレイム宗教のこの戒律は、次の通りであった。

1. 天地の創造者のいと高きもの以外の神に仕えてはいけない。

2.永遠の救済の唯一の必要条件は、信仰であるということを疑ってはいけない。

3. 偽の目撃者になってはいけない。

4. 殺してはいけない。

5. 盗んではいけない。

6. 不義を犯してはいけない。

7. 両親と年長者を蔑んではいけない。

居留地内でのいかなる犠牲も認められてはいないが、メルキゼデクは、昔からの習慣を突然根絶することがいかに困難であるかを熟知しており、昔の血肉の生贄に因んで、パンとワインの聖礼典の代用品を人々に適宜に、賢明に提供した。「メルキゼデク、シャレイムの王は、パンとワインを出した」と記録にある。しかしこの用心深い刷新さえ完全に成功していたというわけではない。様々な部族はみな、生贄と焼いた供物を提供する場所であるシャレイムの町外れにある予備の中心的場所を維持した。アブラーハームさえケドルラオメルに対する勝利後、この野蛮な習慣の助けをかりた。かれは、従来の犠牲を捧げるまではあまり簡単には気持ちが安ぐことはなかった。メルキゼデクは、追随者の宗教習慣から、アブラーハームの宗教習慣からさえ生贄へのこの性癖の完全な根絶に成功することは決してなかった。

メルキゼデクは、イエスのように贈与の任務遂行に厳しく励んだ。かれは、慣習の改革、世界の習慣の変更、高度な衛生習慣、または科学的事実すら普及をしようとはしなかった。メルキゼデクは2つの課題の達成のために来た。神の真実を地球に生き続けさせ、その宇宙なる父の楽園の息子の人間としてのその後の贈与のための道を準備するために。

メルキゼデクは、シャレイムにおいて基本の啓示的な真実を94年間教え、またこの時期アブラーハームは、シャレイム学校に3回にわたって通った。アブラーハームは、メルキゼデクの最も才気あふれる生徒と主だった支持者の中の一人になり、最終的にはシャレイムの教えの転向者になった。

5. アブラーハームの選択

「神の選民」について話すことは誤りであるかもしれないが、選ばれた個人としてのアブラーハームに言及することは、誤りではない。メルキゼデクは、複数の神への一般的信仰と区別される一神の真実を生かし続ける責任をアブラーハームに課した。

マキヴェンタの活動場所としてのパレスチナの選択は、幾分かは指導者の可能性を有するある人間家族との接触を確立する願望に基づいていた。メルキゼデクの肉体化の時点でアブラーハームの家族のようにシャレイムの教義を受ける準備が整った多くの家族が、地球にはいた。等しく、赤色人種、黄色人種、それに西や北のアンド系子孫の間に授けられた家族がいた。しかし、こ場合も、地中海の東岸部ほどにはミカエルのその後の地球出現に適する場所は、これらのどこにもなかった。メルキゼデクのパレスチナにおける任務とヘブライ民族の間へのミカエルのとその後の出現が、地形により、つまりパレスチナが世界の当時の既存の貿易、旅行、および文明に関し中心に位置したという事実によって少なからず決定した。

メルキゼデク受託者は、ここしばらくの間アブラーハームの先祖を観察し続けてきており、知性、自発性、聡明さ、誠意によって特徴づけられる特定の世代の子孫に自信をもって期待した。アブラーハームの父であるテラの子供は、すべての面でこれらの期待を満たした。それは、エジプト、中国、インドよりはむしろシャレイムにおいて、もしくは北の部族の間において、マキヴェンタの出現に関係したテラの多才なこれらの子供との接触のこの可能性であった。

テラとその家族全体は、カルデアで伝道されていたシャレイム宗教への不熱心な改宗者であった。彼らは、ウルでシャレイムの教義を公布したフェニキア人教師であるオヴィディウスの説教を通してメルキゼデクについて学んだ。家族は、直接シャレイムに行くつもりでウルを去ったが、メルキゼデクを見ていないアブラーハームの兄弟ナホーは、乗り気ではなく、皆にハランに留まるように説得した。またかれらが、携えてきた家族の守護神のすべてを進んで破棄するまでにはパレスチナ到着後から長い時間があった。家族にとりシャレイムの神のためにメソポタミアの多くの神をあきらめるには時間が掛かった。

アブラーハームの父テラの死の数週間後、メルキゼデクは、アブラーハームとナホーの二人にぬむけて学生の一人であるヒッタイト人のヤーラムを遣わせた。招待状は、「シャレイムに招待します。永遠なる創造者の真実についてに我々の教えを聞き、あなた方兄弟2人の賢明な子孫で全世界は祝福されるでしょう。」ところでナホーは、完全にはメルキゼデクの福音を受け入れていなかった。ナホーは、後に残り、自分の名をもつ強い都市国家を築きあげた。しかし、アブラーハームの甥ロートは、おじと一緒にシャレイムに行くと決めた。

シャレイムに到着すると、アブラーハームとロートは、北の侵略者の多くの不意打ちから身を守ることができる都近くの起伏のある要塞を選んだ。このとき、ヘティテ人、アッシリア人、ペリシテ人、および他の集団は、絶えずパレスチナの中央と南部の部族を襲っていた。アブラーハームとロートは、丘の砦からシャレイムへの頻繁な巡礼の旅をした。

シャレイムに落ち着いて間もなくアブラーハームとロートは、当時パレスチナに干魃があり、まとまった食料を手に入れるためにナイル渓谷に旅をした。エジプトでの短い滞在の間、アブラーハームは、エジプトの王位に就いている遠縁に当たる者に出会い、そして、この王のために非常に成功を収めた2軍隊遠征の指揮官として役目を果たした。アブラーハームは、ナイル滞在の後半妻のサラと宮廷に住み、エジプトを去るにあたっては軍事行動の戦利品の分け前が与えられた。

アブラーハームにとり、エジプト王室からの名誉をはねつけ、マキヴェンタの後援するより精神的な仕事に戻るには大きな決断を必要とした。しかしメルキゼデクは、エジプトにおいてさえ敬われ、ファラオに全容が提示されると、かれは、シャレイムの大儀への誓いの実行に戻ることをアブラーハームに強く促した。

アブラーハームには王者の野心があり、エジプトからの帰途、全ケナーアンの地を征服し、その国民をシャレイムの支配下に入れる計画をロートに示した。ロートは、商取り引きの方に心を傾けた。したがって、後日の意見の不一致の後、かれは、商業と畜産に従事するためにソドムに行った。ロートは、軍人と牧夫のいずれのの生活も好きではなかった。

家族とシャレイムに戻るとアブラーハームは、軍事計画を完成し始めた。かれは、やがてシャレイム領土の民間支配者として認められ、その統率下に近隣の7部族をまとめた。まことに、周辺部族をより早くシャレイムの真実の知識に至らせるために旅立ち、かれらを剣で近隣種族を集めるための熱意をもつアブラーハームを拘束するということは、メルキゼデクにとり実に大きな困難を伴った。

メルキゼデクは、すべての周辺部族との平和な関係を維持した。かれは、軍国主義的ではなく、また往復の際にもいずれの軍隊にも決して攻撃されることはなかった。アブラーハームは、後に実践するようなシャレイムのための防衛方針を定式化するべきであることを完全に望んでいたが、かれは、生徒の征服のための野心的な計画に同意しようとはしなかった。それで、友好的関係の断絶が生じた。アブラーハームは、軍事本部設立のためにヘブロンに移動した。

アブラーハームには、著名なメルキゼデクとの密接な関係ゆえに周辺の下級の王よりかなりの利点があった。王らは皆、メルキゼデクを敬い、アブラーハームを過度に恐れた。アブラーハームはこの恐怖を知っており、隣人を攻撃する好機を待ち受けるだけであった。そしてこの口実は、これらの支配者の幾人かが、ソドムに住む甥のロートの財産を大胆にも襲おうとしたとき成立した。これを聞いた連合部族の長であるアブラーハームは、敵を襲った。自身の318人の護衛は、このとき戦闘に従事した4,000人以上の軍隊を統率した。

メルキゼデクは、アブラーハームの戦争宣言を知ると思いとどまらせるために出発したが、勝利して戻りくる元弟子に遭遇したに過ぎなかった。アブラーハームは、シャレイムの神が敵に対する勝利をもたらしたと主張し、また戦利品の10分の1をシャレイムの宝物蔵に与えると強く主張した。残りの90パーセントは自分の首都ヘブロンへと持ち去った。

シッディムのこの戦いの後、アブラーハームは、11部族の第2の連合の指導者になり、メルキゼデクに10分の1税を納めるだけでなく、周辺の他のすべてのものが同様にすることを確実にした。セドムの王とのアブラーハームの外交取り引きは、アブラーハームが広く恐れられていたことと合わせてセドムの王や他のものが、ヘブロン軍事同盟者に合流する結果をもたらした。アブラーハームは、パレスチナに強力な国家を設立する道に向かっていた。

6. メルキゼデクのアブラーハームとの盟約

アブラーハームは 全ケナーアンの征服を心に描いていた。メルキゼデクが、その企てを認可しないであろうという事実により決断が弱められたに過ぎなかった。しかし、アブラーハームは、企てに乗り出す意を決しようとしたとき、この提案された王国の支配者として後任の息子が一人もいないということに悩み始めた。アブラーハームは、メルキゼデクとの別の会議を手配した。そしてシャレイムの聖職者、神の目に見える息子が、天の王国の精神的概念を優先し、物質的征服と一時的支配の計画を捨てるようにアブラーハームを説得したのは、この会見であった。

メルキゼデクは、エモール族連合と戦うことの無益の苦労についてアブラーハームに説明したが、進歩の遅い一族達は、自らの愚かな習慣により確実に死に追いつめられており、数世代のうちには大いに増加するアブラーハームの子孫が、たやすく打ち勝つことができるまでに、それ等は非常に弱くなるであろうということを等しく明確にした。

メルキゼデクは、アブラーハームとシャレイムにおいて正式契約をした。アブラーハームに言った。「さあ、空に目をむけ、できるのならば星を数えてみなさい。あなたの子孫はあのようにとても数多いのである。」そこでアブラーハームは、メルキゼデクを信じた。「そして、これを彼の義として認められた。」メルキゼデクは、続けてアブラーハームの子孫のエジプト滞在後のケナーアン将来の占領について話した。

メルキゼデクのアブラーハームとのこの盟約は、神がユランチア人の神性と人類の間でのすべてをすることに同意する重大な協定を表している。人は、神の約束を信じ、神の指示に従うことに同意するだけである。それまでは、働き—生贄と供え物—だけが、救済を保証できると信じられてきた。。今、メルキゼデクが、信仰によってもたらされる救済、つまり神の恩恵という福音を再びユランチアにもたらした。しかし、神への簡単な信仰のこの福音は高度であり過ぎた。後に、セムの部族民は、昔の生贄と罪と流血の償いに戻る方を望んだ。

この盟約樹立後、メルキゼデクの約束に従いアブラーハームの息子イシャークが生まれるのにはさほど時間が掛からなかった。イシャークの出生後、アブラーハームは、メルキゼデクとの盟約に関しそれを書面にさせるためにシャレイムに向かい、非常に厳粛な態度でこれに臨んだ。自分の名前をアブラームからアブラーハームに変えたのが、この公の、そして正式の盟約受諾のときであった。

メルキゼデクが義務化したことは一度もなかったが、シャレイム信者の大半は、割礼を慣行した。アブラーハームは、割礼に対し常に強く反対してきたので、この機会にシャレイム盟約批准の象徴としてこの儀式を正式に荘厳にすることにより受け入れることに決めた。

マムレーの平原で天の存在体が、アブラーハームに姿を現したのは、アブラーハームが、メルキゼデクのより大きい計画のために個人の望みを実際に、公に放棄をした後であった。セドムとゴモラの自然な滅亡に関連する後に捏造された物語とのその関連性にもかかわらず、これが事実の様子であった。そして、その頃の出来事に関するこれらの伝説は、ごく最近でさえも道徳と倫理の発達がいかに遅れていたかを示している。

厳粛な盟約成就におけるアブラーハームとメルキゼデクの間の和解は完全であった。アブラーハームは、再度シャレイム集落の民事と軍事の指揮を引き受け、その絶頂時には10万人の常時の10分の1税支払い者が、メルキゼデクの組合名簿に記載されていたアブラーハームは、シャレイムの寺院を大いに改修し、新しい学校全体に天幕を提供した。10分の1税制度の拡大だけではなく、学校業務を運営の多くの改善方法も設定し、その上に、宗教的宣伝活動の面のより良い取り扱いに大いに貢献した。また、牧畜の改善とシャレイムの酪農事業の再編成に大きな効果をもたらした。アブラーハームは、その時代の人としては抜け目のない有能な実業家、裕福な人であった。過度に敬虔ではなかったが、とことん誠実であり、またメルキゼデクのマキヴェンタを信じていた。

7. メルキゼデク宣教師

メルキゼデクは、数年間自分の生徒に教え、特にエジプト、メソポタミアへ、小アジアの周辺の全部族に入り込むシャレイム宣教師の訓練を続けた。そして数十年の時が流れるにつれ、これらの教師は、マキヴェンタの神への信念と信仰を携え、シャレイムからより遠くへと旅をした。

ヴァン湖岸に群がるアダムソンの子孫は、シャレイム教団のヘティテ人教師にとり意欲的な聞き手であった。教師達は、かつてのアンド系のこの中心地から、遠く離れたヨーロッパとアジアの両地域に派遣された。シャレイムの宣教師達は、全ヨーロッパに、イギリス諸島にさえ進出した。1集団は、フェロー諸島の住民経由でアイスランドのアンドン系へ行ったが、別集団は、中国を横断し、東方の島の日本人に達した。東半球の部族を啓発するためにシャレイム、メソポタミア、ヴァン湖から危険を冒した男女の人生と経験は、人類の年譜の英雄の章を提示している。

しかし職務は、とても重大で、しかも部族は、非常に逆行的であったことから、結果は、曖昧かつ不明確であった。シャレイムの福音は、1世代から次世代へとあちらこちらに足場を見つけたが、全部族あるいは全人種からの一神の考えへの継続的な忠誠は、パレスチナを除き、決して獲得できなかった。イエス到来よりずっと以前に、初期のシャレイム宣教師の教えは、昔の、より一般的な迷信と思考体系に一様に潜航するようになった。メルキゼデクの本来の福音は、偉大な母、太陽、および他の古代の集団礼拝の思考体系にほぼ完全に吸収されていた。

今日、印刷技術の便宜を味わう者は、これらの初期の時代に真実を永続させることがいかに困難であるかをあまり理解していない。1世代から次世代までに新しい教義を見失うことは、いかに容易であったことか。新教義は、常に宗教教育と不思議な習慣の古い躯幹部に吸収される傾向があった。新顕示は、いつも古い進化的思考体系から悪影響を受ける。

8. メルキゼデクの出発

マキヴェンタがユランチアでその非常時の贈与を終わらせることを決めたのは、セドムとゴモラの滅亡直後であった。生身の姿での滞在を終えるというメルキゼデクの決定は、数多くの条件の影響をうけたが、その主要なものは、周辺部族、さらには直接の仲間がメルキゼデクを神人と見なす、すなわち超自然の存在、実際にそうであったのだが、と見る傾向が強まっていた。しかし、彼らは極度に、しかも非常に迷信深い恐怖でメルキゼデクを崇敬し始めていた。これらの理由に加えて、メルキゼデクは、自分を信奉する者の心に地球での自身の活動舞台に唯一無二の神の真実が強く確立されることを保証する十分な時間を、アブラーハームが死ぬ前に、残したかった。と言うわけで、ある夜マキヴェンタは、人間の仲間に就寝の挨拶をした後、シャレイムの自分の天幕に退いた。そして皆が朝呼びに行くと、仲間がすでに連れ去っていたので彼はそこにはいなかった。

9. メルキゼデクの出発後

メルキゼデクが突然に姿を消したときは、アブラーハームにとっての重大な試練であった。メルキゼデクは、到着の際のように自分がそのうちに去らなければならないことを信奉者に十分に警告していたのであったが、皆は素晴らしい指導者の損失に諦めがつかなかった。当時の伝統は、モーシェがヘブライ人の奴隷をエジプトから率いた際にうちたてたにもかかわらず、シャレイムで確立された偉大な組織は、危うく姿を消すところであった。

メルキゼデクの損失は、アブラーハームの心に決して完全に克服されない悲しみを生んだ。アブラーハームは、物質的王国をうち建てる野心をあきらめたとき、ヘブロンを捨てた。そして、今、アブラーハームは、精神的王国の建設で仲間の損失に合うとシャレイムを出発し、自分の興味に基づいて暮らすためにゲラルへと南に行った。

アブラーハームは、メルキゼデクの失踪直後、恐がりやすく臆病になった。アブラーハームは、ゲラル到着の際自分の正体を差し控えたので、アビメレクは、アブラーハームの妻を連れていった。(アブラーハームは、サラとの結婚直後、ある夜、才気あふれる我が妻を獲得するために自分を殺害する陰謀を立ち聞きした。この不安が、その他の点においては勇敢かつ大胆な指導者にとっての恐怖となった。誰かがサラを得るために秘かに自分を殺すであろうということを終生ずっと恐れていた。そしてこれが、3回にわたって別の機会にこの勇士が、本当の臆病振りを呈した理由を説明している。)

にもかかわらず、アブラーハームは、長い間メルキゼデクの後継者としての任務を思いとどまろうとはしなかった。やがてペリシテ人とアビメレクの人々を改宗させ、彼等と条約を結び、それがまた、彼等の迷信の多くにより、特に長男の生贄の習慣によってアブラーハームは汚されるようになった。こうしてアブラーハームは、パレスチナで再び最高実力者になった。すべての集団に敬われ、すべての王に称賛された。かれは、周囲の全部族の精神的指導者であり、その影響は彼の死後しばらく続いた。人生の終わりの数年間、アブラーハームはもう一度、初期の活動の現場であり、またメルキゼデクと共同で働いた場所ヘブロンへ戻った。アブラーハームの最後の行為は、自身の民の女性を息子イシャークの妻として確保するために、メソポタミアの境界の兄弟ナホーの都市に信用のできる使用人を送ることであった。長い間、いとこと結婚するのがアブラーハームの民の慣習であった。アブラーハームは、シャレイムの消滅した学校でメルキゼデクから学んだ神への信仰に確信を持って死んでいった。

次の世代にとってメルキゼデクの話を理解することは難しかった。500年のうちには多くの者が、物語全体を神話と見なした。イシャークは、父の教えをかなりよく保持し、シャレイムの居留地からの福音を助長したが、ヤコブにはこれらの伝統の意味は理解しにくかった。ヨセフは、メルキゼデクの強い信者で、主にはこのために兄弟達には夢想家と見なされた。エジプトにおけるヨセフの栄誉は、主に曾祖父アブラーハームの記憶によるものであった。ヨセフにはエジプト軍の軍の指揮にとの申し出があったが、メルキゼデクの伝統とアブラーハームとイシャークの後の教えの強い信者であったことから、天の王国の前進のためにさらに働くことができると信じ、民間管理者としての役目を果たすことを選んだ。

メルキゼデクの教えは、完全かつ十分なものであったが、後のヘブライの聖職者にとり当時の記録は、不可能で空想的であったらしいとはいえ、多くの者が、これらのやりとりの幾つかについては、少なくともバビロンでの旧約聖書の記録の総括編集の時代までは理解していた。

アブラーハームと神との対話として旧約聖書の記録が記述することは、実際にはアブラーハームとメルキゼデクとの会談であった。後の筆記者は、メルキゼデクを神の同意語とみなした。アブラーハームとサラの「主の天使」との数多くの接触に関する記録は、二人のメルキゼデクとの頻繁な会話について言及している。

事実からの多くの転換も包含し、バビロン捕囚の間のヘブライ人聖職者によるこれらの記録の編集時点の故意の、あるいは故意ではない変更を含んではいるものの、イシャーク、ヤコブ、ヨセフのヘブライの物語は、アブラーハームに関するそれらの物語よりもはるかに信頼できる。ケツーラは、アブラーハームの妻ではなく、ハーガールと同じく単に妾であった。アブラーハームの所有地のすべては、イシャーク、妻の身分のサラの息子のものになった。アブラーハームは、記録が示しているほどの年ではなく、妻ははるかに若かった。これらの年齢は、その後に申し立てられるイシャークの奇跡的出生に備えて故意に変更された。

ユダヤ人の国家的自尊心は、バビロン捕囚により途方もなく押圧された。国家の劣勢への反発において、全く正反対の国家的、人種的自己中心へ移り変わり、すべての人種の上に神の選民として自分たちを高める目的で自らの伝統を歪め、正道からそれた。そのような訳で、彼らは、他のすべての人々の上に、メルキゼデク自身の上にさえも、アブラーハームと国家の他の指導者を高める目的のために自分達のすべての記録を慎重に編集した。ヘブライ人の筆記者は、それ故に、アブラーハームに大変な名誉をもたらしたと考えるシッディム戦の後のアブラーハームとメルキゼデクの出会いの物語だけを保存し、見つけ得るこれらの重要な時代に関するあらゆる記録を処分した。

またその結果、メルキゼデクを見失うことで、約束された贈与の息子の精神的任務に関しこの緊急時の息子の教えをも見失った。マキヴェンタの予言通り生身の姿でミカエルが地上に現れたとき、かれを見分けたり受け入れることができる、あるいは進んでする子孫は、ほとんどないまでに完全にこの任務の本質を見失った。

しかし、ヘブライ書の著者の一人は、メルキゼデクの任務を理解した。「このメルキゼデクも、いと高きものの聖職者もまた平和の王であった。父はなく、母はなく、系図はなく、生涯の初めも命の終わりもなく、しかし神の息子のようであって、絶えず、聖職者でいる。」と記述されているので。この著者は、イエスは、「メルキゼデクの命令への永遠の聖職者」であったと確言し、ミカエルの後の贈与の予示の例としてメルキゼデクを明示した。この比較は概して好都合ではなかったが、キリストが、世界贈与の時点で「12名のメルキゼデク受託者の命令」のユランチアの暫定的称号を受け取ったのは、文字通り本当であった。

10. メルキゼデクのマキヴェンタの現状

マキヴェンタの肉体化の数年間、ユランチアのメルキゼデク受託者は、11名で機能した。マキヴェンタが、非常時の息子としての任務を終えたと考えたとき、この事実を11名の仲間に信号を送ると、彼らはすぐに、彼が肉体から解放され安全に元のメルキゼデクの状態に戻る手段を整えた。また、シャレイムからの失踪後の3日目、マキヴェンタは、ユランチア配置の11名の仲間の間に現れ、サタニア606号の惑星受託者の1名として中断されている自分の生涯の仕事を再開した。

マキヴェンタは、それを始めたのと同じくらい突然に、出し抜けに生身の人間の生物としての贈与をを終えた。その出現にも出発にも何の異例の発表、あるいは実演も伴わなかった。マキヴェンタのユランチアへの出現は、復活点呼にも惑星の配剤の結末にも記されなかった。マキヴェンタの贈与は、非常時のものであった。しかしマキヴェンタは、父メルキゼデクが正式に発表するまで、それと非常時の贈与が、ネバドンの主要な経営者であるサルヴィントンのガブリエルの承認を受けたと知らされるまで人間の肉体での滞在を終えなかった。

メルキゼデクのマキヴェンタは、肉体時代の自分の教えを信じた人間の子孫の事情に大きな関心を持ち続けた。しかしながら、ケニーテ人と結婚するアブラーハームからイシャークの子孫は、シャレイムの教えの明確な概念を長い間抱き続けた唯一の血統であった。

この同じメルキゼデクは、続く19世紀に渡って多くの予言者と占い師と共働し続け、このように、例として地球へのミカエルの出現の予定の時までシャレイムの真実を生かし続ける努力をした。

マキヴェンタは、ユランチアのミカエルの勝利の時代まで惑星の受託者として続いた。次に、かれは、24名の管理者の1名としてジェルーセムにおけるユランチア奉仕に配属され、ユランチアの惑星王子の代理の称号を携えて、つい最近創造者の息子のジェルーセムの個人的大使の地位に登用された。ユランチアが棲息惑星のままである限り、メルキゼデクのマキヴェンタは、息子の身分に関する命令義務に完全に返されるというわけではないが、時間の観点から言えば、いつまでも惑星聖職者であるキリスト・ミカエルの代理をするというのが我々の信じるところである。

彼の贈与は、ユランチアの非常時のものであり、マキヴェンタの将来がいかなるものかは、記録には現れていない。ネバドンのメルキゼデク軍団は、その集団の1つの永久的損失を被ってしまうということになるかもしれない。エデンチアのいと高きものが言い渡し、その後ユヴァーサの高齢者達が承認した最近の判決は、この贈与のメルキゼデクが、堕落した惑星王子カリガスティアに代わる運命にあることを強く示している。我々の憶説が、この点で正しいならば、ユランチアに再び本人自らが現れ、何らかの変更された方法で廃位の惑星王子の役割を再開するか、さもなくば、メルキゼデクのマキヴェンタは、現在、実際にユランチアの惑星王子の肩書きを保持するキリスト・ミカエルを代理する惑星王子の代理として機能するために地球に登場することが全く可能である。我々にはマキヴェンタの運命が何であるかに関し、て決して明確ではないが、それにもかかわらず、つい最近起こった出来事は、前述の憶説がおそらく真実からは遠くないことを強く示している。

我々は、ユランチアにおけるかれの勝利によりミカエルが、いかにカリガスティアとアダーム両者の後継者になったかをよく理解している。いかにして平和の惑星王子と第二のアダームになったかを。我々は今、このメルキゼデクへのユランチアの惑星王子の代理の肩書きの贈呈を眺めている。彼はまた、ユランチアの代理の物質の息子に選ばれるのであろうか。または、予期しない空前の出来事が、すなわちアダームとハヴァーの惑星への、またはユランチアの第二のアダームの代理権力を行使する肩書きをもつミカエルの代表としての彼らの特定の子孫へのそのうちの帰還の可能性があるのか。

権威ある息子と三位一体の教師たる息子の両方の将来の出現の確実性に関連したこれらのすべての思惑は、創造者の息子のいつの日かの帰還の明白な約束に関して、ユランチアを将来が不安定な惑星にし、ネバドンの全宇宙の中で最も興味深く、好奇心をそそる球体の1つにしている。後のいつの世にか、ユランチアが光と生命の時代に近づくとき、ルーキフェーレンスの反逆とカリガスティア脱退問題が、最終的に裁かれた後に、われわれが、行政長官の息子か、または三位一体の教師たる息子はもちろん、同時にマキヴェンタ、アダーム、ハヴァー、キリスト・ミカエルのユランチア臨場を目撃することは、全く可能なのである。

ユランチア管理者であるジェルーセム軍団、つまり24名の相談役のマキヴェンタの在籍は、ユランチアの死すべき者に宇宙計画の前進と上昇に、楽園の終成者軍団にさえずっとついていく運命にあるという信念の保証に十分な証拠であるというのが、長い間の我々の系列に関しての意見である。我々は、アダームとハヴァーが、ユランチアが光と生命に定着してしまうとき、楽園の冒険において地球の仲間に同伴する運命にあるということを知っている。

この同じメルキゼデクのマキヴェンタ、シャレイムのかつての賢人は、1,000年もたたない間気づかれずに100年間ユランチアに存在し、惑星の居住総督として務めた。そして、惑星の業務を指示する現体制が続くとすれば、彼は1,000年あまりのうちに、同じ地位で戻ることになるであろう。

これは、不規則で風変わりなあなた方の世界の今後の経験において重要な役割を果たすように運命づけられているかもしれないユランチアの歴史と人格に関連づけられるようになるメルキゼデクのマキヴェンタについての、これまでのすべての存在体の中の最も類まれなものについての話である。

[ネバドンのメルキゼデクによる提示]

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