論文 16 主たる7精霊

   
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論文 16

主たる7精霊

楽園の主たる7精霊は無限の精霊の第一人格である。無限の精霊は、自己複製のこの七重の創造的行為において神格の3人格の実際の存在に数理的固有である結合の可能性を使い切った。より多くの主たる精霊を産することが可能であったならば、創出されていたことであろうが、3名の神格には、ちょうど7つの、そしてたった7つの結合しやすい可能性が ある。そして、これが、宇宙がなぜ7つの壮大な部分で操作されるのか、なぜ第七がその組織と行政においておおむね基本的であるかを説明しているのである。

主たる7精霊は、その結果、次の類似する7つに起源があり、そこからそれぞれの個々の特性を得る:

1. 宇宙なる父

2. 永遠なる息子

3. 無限の精霊

4. 父と息子

5. 父と精霊

6. 息子と精霊

7. 父、息子、精霊

我々は、主たる精霊の創造における父と息子の機能に関してあまり知らない。明らかに、それらは無限の精霊の個人的行為により存在にいたったのではあるが、我々は父と息子の両者がそれらの起源に参加したということを明確に教示されてきた。

楽園のこれらの7精霊は、精霊の特徴と資性において一つであるが、他のすべての側面における独自性は極めて異なっており、超宇宙における各機能の成果は、個々の違いが紛れもなく認識できるというそのようなものである。壮大な宇宙の全7区分の後計画は—外空間の7相関区分で さえも—崇高的かつ究極的指揮のこれらの主たる7精霊の別の精霊的多様性により条件づけられてきた。

主たる精霊には多くの機能があるが、現在のところ、その特定分野は、7超宇宙の中央の指揮である。各主たる精霊は、巨大な力-焦点の本部を維 持し、本部は、直接指揮の超宇宙の反対側に、また、専門化しているその力の制御と部分エネルギー分配の楽園の中心にいつも位置を維持しつつ楽園の周辺を回っている。超宇宙のうちのいずれか1つの放射状の境界線も、監督している主たる精霊の楽園本部に実際に集まるのである。

1. 三位一体の神格との関係

連合創造者、無限の精霊は、三位一体の分割されない神格の人格化の完成に必要である。この三重神格の人格化は、本質的に個々の、そして結合しやすい表現の可能性において七重である。したがって、知的で潜在的に精霊的な存在体が生息する宇宙創成のその後の計画は、父、息子、および精霊を適正に表現する主たる7精霊の人格化を不可避にした。我々は神の三重の人格化を絶対必然性として話すようになり、加えて主たる7精霊の到来を準絶対的必然性 と見なすようになった。

主たる7精霊は、三重の神格をほとんどあらわにしていないが、それらは、七重の神格の永遠の描写、つまり3人格が絶えず存在する神格の活発で結合しやすい機能であ る。これらの7精霊により、これらの7精霊の中に、またこれらの7精霊を介して、宇宙なる父、永遠なる息子、あるいは無限の精霊、またはどの2者関係もそういうものとして機能することができる。父、息子、精霊がともに行動するとき、それらは三位一体としてではなく、主たる精霊第七号を通して機能できるし、機能する。主たる精霊は、三位一体ではなく、集合体ではなく、一つの、そして幾つ かの、ありとあらゆる可能な神格機能を、個々に、集合的に表す。主たる精霊第七号は、楽園三位一体に関しては個人的に非機能的であり、また、これこ そが、崇高なるもののために個人的に機能することができる理由である。

主たる7精霊が、個人的権力と超宇宙権威の個々の政権の座を空け、楽園神格の三位一体の前で連合活動者の周りに集合するとき、発展する宇宙への、またその中の分割されない神格—三位一体—の機能的な力、英知、および権威をすぐさま集合的に代表しているのである。神格の第一の七重の表現のそのような楽園統合は、崇高性と終局性の中の永遠の神格三者の属性と態度のすべてを実際に抱擁しており、文字通り取り囲んでいる。たちどころに、主たる7精霊は、主たる宇宙での崇高者-究極者の機能領域を事実上すべての実用的な趣旨および目的を包含する。

これらの7精霊は、我々が理解できる限りでは、神格の3名の永遠の人格の神性活動に関係している。我々は、絶対者の永遠の3局面の機能的臨場との何の直接的関連の徴候も発見しない。主たる精霊は、結合するとき、動作の有限領域として大まかに考えられるかもしれない点において楽園の神格の代理をする。それは、究極であるもの、しかし、絶対でないものを多く包含するかもしれない。

無限の精霊との関係

永遠で最初の息子が、絶えず増加する神格の息子の人格を通して明らかにされるのと同様に、無限で神性の精霊も、主たる7精霊とその関連する精霊集団の経路で明らかにされる。中心圏の真ん中では無限の精霊には近づきやすいが、楽園に達するもの全員が、無限の精霊の人格と分化された臨場をすぐに識別できるというわけではない。しかし、中央宇宙に達するもの全員は、到着したばかりの宇宙の巡礼者がくる超宇宙を統治する主たる7精霊の1名とすぐに親しく交わることができるし、また交わったりする。

楽園なる父は、楽園なる父と息子が無限の精霊を通してのみ連合的に行動する一方で、宇宙の中の宇宙へはただ息子を介してのみ話す。無限の精霊は、楽園とハヴォーナの外においては、主たる7精霊の音声によってのみ話す。

無限の精霊は、楽園-ハヴォーナ体系内に人格臨場の影響を及ぼす。他の場所では、無限の精霊の個人的精霊臨場は、主たる7精霊の1者により、また1者を通して行使される。したがって、いかなる世界における、あるいは個人の中の第三根源と中枢の超宇宙の精霊の臨場は、その創造区分の監督上の主たる精霊の特異な本質により条件づけられるのである。逆に、精霊根源力と知性の結合線は、主たる7精霊を経て神格の第三人格へと内部に進む。

主たる7精霊は、第3根源と中枢の崇高-究極の属性を与えられている。各々が個別にこの授与を分かち合うとはいえ、主たる7精霊は、共同的に行動するときにのみ全能、全知、遍在の属性を明らかにする。したがって、主たる7精霊のうちの何れといえどもあまねく機能することはできない。個人として、至高性と終局性のこれらの力の行使において個人としては各自が直接指揮の超宇宙に制限されている。

連合活動者の神性と人格に関してあなたに伝えてきたすべてが、神の贈与に従い、それぞれ異なる、しかも個々に特異な資質において壮大な宇宙の7区分に無限の精霊を非常に効果的に分配している主たる7精霊に同様に完全にあてはまる。したがって、無限の精霊の名前のいずれかを、あるいはすべてを7者の共同集団に当てはめるのは適切であろう。集合的に、それらは、準絶対の全段階において連合創造者と一つなのである。

3. 主たる精霊の独自性と多様性

主たる7精霊は、筆舌に尽くし難い存在であるが、はっきりと、明らかに確かに精霊的である。それぞれに名前があるが、我々は、それらを番号で紹介することとする。無限の精霊の第一の人格化として、それらは同種であるが、三位一体の神格の7つの可能な関係の第一の表現としては、資質の点においては本質的に異なり、資質のこの多様性が超宇宙における行為の差異を決定する。これらの主たる7精霊は次のように説明できるかもしれない。

主たる精霊第一号。この精霊は、特別な方法で楽園なる父の直接表現である。主たる精霊第一号は、宇宙なる父の力、愛、英知の独特かつ効率的顕現である。主たる精霊第一号は、神秘訓戒者、ディヴィニントンの人格化された調整者の専門大学を統括するその存在体の、長官の親しい仲間であり、崇高な助言者である。主たる7精霊のすべての関係において、いつも宇宙なる父を代表して話すのは、主たる精霊第一号である。

この精霊は、よりいっそう特に性格の点においては宇宙なる父に似ているとはいえ、無限の精霊の第一の人格化の神性を示し第一超宇宙を統括している。この精霊は、いつも最初の超宇宙本部の7反射精霊とつねに個人的なつながりをもつ。

主たる精霊第二号。この精霊は、永遠なる息子の、全創造の長子の無類の資質と魅力ある性格を適切に表している。神の息子らが個人として居住宇宙に、あるいは楽しげな秘密会議にたまたまいるかもしれないときは常に、神の息子らの系列と常に親密に交流している。主たる精霊第二号は、主たる7精霊の全審議会において永遠なる息子を代弁し、また永遠なる息子を代表して話す。

この精霊は、超宇宙第二号の未来の目標に導き、永遠なる息子がするであろうようにこの広大な領域を支配する。超宇宙第二号の首都に位置する7反射精霊とつねにつながりをもつ。

主たる精霊第三号。この精霊人格は、無限の精霊に特に類似しており、無限の精霊の高い人格の多くの活動と仕事を指揮する。主たる精霊第三号は、審議会を統括し、第3根源と中枢に起源を取るすべての人格と密接に関わりをもつ。主たる7精霊が会議にあるとき、つねに無限の精霊を代表して話すのは、主たる精霊第三号である。

この精霊は、超宇宙第三号を担当しており、無限の精霊がするであろうようにこの領域の問題を処理する。この精霊は、第三超宇宙の本部の反射精霊とつねにつながりをもつ。

主たる精霊第四号。父と息子の結合資質を分かち合うこの主たる精霊は、主たる7精霊の協議会における父-息子の方針と手順に関しての決定的影響者である。この精霊は、無限の精霊に達し、その結果、息子と父を見る候補になった上昇存在体の主席指揮官であり助言者である。この精霊は、父と息子に起源を取るその巨大集団の人格を育てる。主たる7精霊のつながりにおいて父と息子の代表が必要となるとき、いつも話すのは、主たる精霊第四号である。

この精霊は、宇宙なる父と永遠なる息子の属性の独特の関係に従って壮大な宇宙の第4番区分を伸ばしている。この精霊は、第4超宇宙の本部の反射精霊とつねに個人的なつながりをもつ。

主たる精霊第五号。宇宙なる父と無限の精霊の性格を極めてすばらしく混合するこの神性人格は、力の指揮官、力の中枢、および物理制御者として知られる存在体のその巨大集団の助言者である。また、この精霊は、父と連合活動者に起源を取るすべての人格を育成している。父-精霊の態度に問題があるときに主たる7精霊の協議会において話すのは、つねに主たる精霊第五号である。

この精霊は、宇宙なる父と無限の精霊の結合活動を示すようにそのような方法において第5超宇宙の福利を導く。この精霊は、第5超宇宙の本部の反射精霊といつもつながりをもつ。

主たる精霊第六号。この神性存在体は、永遠なる息子と無限の精霊の結合性格を演じているようである。共同で息子と精霊に創出された創造物が、中央宇宙に集まるときはいつでも、その助言者であるのはこの主たる精霊である。また、主たる7精霊の協議会において永遠なる息子と無限の精霊について共同して話すことが必要になるときはいつでも、対応するのは主たる精霊第六号なのである。

この精霊は、永遠なる息子と無限の精霊がするであろうように第6超宇宙の諸事を指揮する。この精霊は、いつも第6超宇宙の本部の反射精霊とのつながりにある。

主たる精霊第七号。第7超宇宙を主宰する精霊は、宇宙なる父、永遠なる息子、そして無限の精霊の比類なく等しい描写である。第七精霊、三位一体起源の全存在体を養育する助言者もまた、父、息子、精霊の結びつけられた奉仕活動を介して栄光の宮中に達したそれらの下級の存在体であるハヴォーナの上昇巡礼者の助言者であり指揮者である。

主たる7精霊は、楽園三位一体を組織的に代表しているのではない。しかし、連合活動者が描くその神格統合が楽園の三位一体であり、その機能がそういうものとして崇高なる神の個人的かつ精霊的な本質の源である同比率の3名の無限の人格の肖像画が、主たる7精霊の個人的かつ精霊的な本質であることは周知の事実である。したがって、第七主たる精霊は、進展している崇高者の精霊人格との個人的かつ組織的な関係を明らかにする。したがって、天の主たる精霊協議会において、父、息子、あるいは精霊の人格的な結合された態度への投票、あるいは崇高なる精霊の精霊的態度の描写が必要になるとき、機能するのは主たる精霊第七号である。その結果、主たる精霊第七号は、主たる7精霊の楽園協議会の議長になる。

7精霊のうちのいずれも楽園の三位一体を組織上代表してはいないが、それらが七重の神格に結合させるとき神性的意味における—人格的意味ではなく—この統合は、三位一体機能に関連しうる機能的段階に等しい。この意味において「七重の精霊」は、楽園の三位一体と機能上関連している。これはまた、主たる精霊第七号が、時として三位一体の態度の確認のために話す、あるいは、むしろ、三重の-神格-統合の態度に関して七重の-精霊-統合の態度の広報官として行動するという意味においてもである。

その結果、主たる第七精霊の多彩な機能は、父、息子、精霊の人格的特質の結合描写から崇高なる神の人格的態度の表現を経て、楽園の三位一体の神格態度の公開にまで及ぶ。主宰するこの精霊は、ある点において同様に究極者の態度と崇高者-究極者の態度について表現している。

複合能力において、崇高性の分割されない神格の理解への達成を試みる時間の世界からの上昇候補の進歩を個人的に後援するのは、主たる精霊第七号である。そのような理解は、崇高性の三位一体の実存的主権の把握を伴い、その把握は崇高なるものの増加している経験に基づく主権の概念に調整されるほどに崇高性の統一についての創造物の把握を構成する。これらの3要素の創造物の実現は、三位一体現実についてのハヴォーナの理解を等しくし、ついには、三位一体に入り込むための、神格の3人格を発見するための能力を時間の巡礼者に授ける。

完全に崇高なる神を見つけるハヴォーナ巡礼者の力の無さは、そのような独特の方法による三位一体の本質が崇高者の精霊人格の天啓である第七の主たる精霊によって補われる。崇高者の人格の接触不可能性の現宇宙時代に、主たる精霊第七号は、個人的な関係の問題に関し上昇の創造物の神の立場で機能する。すべての上昇者は、いつ栄光の中心圏に達するかを認識し、いくらか理解することが確かである唯一の高位の精霊体である。

この主たる精霊は、ユヴァーサとの、つまり我々自身の創造の区分である第7超宇宙の本部の反射精霊とつねにつながりをもつ。オーヴォントンの行政は、父、息子、精霊の同等の神性融合からの驚異的対称を明らかにする。

4. 主たる精霊の属性と機能

主たる7精霊は、進化宇宙への無限の精霊の完全な表現である。主たる7精霊は、エネルギー、心、および精霊の関係において第3根源と中枢を表す。連合活動者の宇宙行政管理の調整長として機能しているとはいえ、主たる7精霊には楽園神格の創造的行為においてそれらの起源があるということを忘れてはいけない。これらの7精霊が、三位一体の神格、「宇宙全体に送り出された神の7精霊」の人格化された物理的な力と、宇宙心と、精霊的臨場であるということは文字通り本当である。

主たる精霊は、絶対を除外すれば、宇宙の現実の全段階において機能するという点において特異である。それゆえ、主たる精霊は超宇宙活動の全段階における行政事務の全局面の効率的で完全な監督である。主たる精霊の仕事は、高度に専門化され、なおかつすべてを抱擁し、例外的に物質的であり、同時に非常にすばらしく精霊的であるがゆえに、主たる精霊に関しての理解は、人間の心には難しい。宇宙心のこれらの万能の創造者は、宇宙の力の監督者の先祖であり、彼ら自身が、広大かつ広範囲におよぶ精霊-創造物の創造の最高指揮官である。

主たる7精霊は、壮大な宇宙の物理的エネルギーの組織、制御、および調整に不可欠の実体である宇宙の力の監督者とその仲間の創造者である。そして同じ主たる精霊は、地方宇宙を形成し組織化する仕事においてまさに物質的に創造者たる息子を補佐する。

我々は、主たる精霊の宇宙-エネルギーの作業と無条件絶対者の根源力の機能の間のいかなる個人的なつながりも辿ることができない。主たる精霊の司法下におけるエネルギー顕現のすべては、楽園周辺から指示されている。主たる精霊は、いかなる直接方法においても楽園の下表面と同一視される根源力の現象に関連づけられているようには見えない。

様々なモロンチアの力の監督者の機能的な活動に出会うとき、紛れもなく、我々は、主たる精霊の明らかにはされていないある活動の幾つかと直面している。物理的制御者と精霊奉仕活動者双方のこれらの先祖を別として、誰が、宇宙現実のこれまで実在しない局面を作り出すほどに物質エネルギーと精霊エネルギーを結合し、関連づけることを考案することができたであろうか。—モロンチア物質とモロンチア心。

精霊界の現実の多くは、ユランチアには完全に未知の宇宙現実の位相であるモロンチア系列のものである。人格存在の目標は、精霊的であるが、必滅の起源の物質的領域と前進する精霊的状況の超宇宙球体間の架け橋をしてモロンチア創造につねに介入する。主たる精霊が、人の楽園の上昇計画に大きく貢献をするのがこの領域においてである。

主たる7精霊には、壮大な宇宙の至るところで機能する人格代表者がいる。だが、これらの従属存在体の大多数は、楽園完全性の行く手に人間の前進の上昇計画に直接関係がないので、それらに関してわずかしか、または何も明らかにはされていない。あなたの楽園上昇の問題に決して直接には関係しないので主たる7精霊の多くの、非常に多くの活動が、人間の理解からは隠されたままである。

我々は確たる証拠を提供することはできないが、オーヴォントンの主たる精霊は、次の活動範囲において紛れもない影響を与えるという公算が高い。

1. 地方宇宙の生命運搬者の生命-開始の手順。

2. 地方宇宙の創造の精霊により世界に与えられた心-精霊の補佐の人生起動。

3. 組織化物体の線形-重力の反応体により示されるエネルギー顕現における変動。

4. 無条件絶対者の握りから完全に解放され、その結果、線重力の直接的影響と宇宙の力の監督者とその仲間の操作に反応するようになるときの発生エネルギーの動き。

5. ユランチアでは聖霊として知られている地方宇宙の創造の精霊の奉仕活動の贈与。

6. ユランチアでは慰安者、または真実の精霊と呼ばれる贈与の息子の聖霊のその後の贈与。

7. 地方宇宙と超宇宙の反射の仕組み。この並はずれた現象に結びつく多くの特徴は、連合活動者と崇高なるものと関連する主たる精霊の活動を仮定せずには、ほとんど正当に説明できないし、または、合理的には理解できない。

主たる7精霊の多様な作業についての我々の適切な理解への失敗にもかかわらず、我々は、それらがすべき何もない宇宙活動の広大な範囲に2領域があると確信している。思考調整者の贈与と奉仕活動、そして、無条件絶対者の計り知れない機能。

5. 創造物との関係

壮大な宇宙の各部分、つまりそれぞれの宇宙と世界は、あらゆる主たる7精霊の統一した助言から、そして英知からの利益を受けているものの、ただ1名の主たる精霊の個人的な接触と色合いを受ける。そして、各主たる精霊の人格的特徴は、自身の超宇宙全体に広がり他に類をみせない超宇宙を決定づける。

主たる7精霊のこの個人的な影響により、楽園とハヴォーナ以外の知的存在体の全系列に属する全創造物は、これらの楽園の7精霊のうちの誰かの先祖の性質からの個体性を示す個性ある烙印を付されなければならない。7超宇宙に関しては、それぞれの土着の創造物、人間もしくは天使は、出生識別のこの印をいつまでも有するであろう。

主たる7精霊は、進化の空間世界において直接的には個々の創造物の物質的な心に入り込まない。ユランチアの必滅者は、オーヴォントンの主たる精霊からの心-精霊の影響からくる個人的臨場を経験しない。もしこの主たる精霊が、生息界の初期の進化の時代に個々の人間の心とのなんらかの接触を成し遂げるとするならば、それは、地方宇宙の創造の精霊の奉仕活動を、つまり各地方創造の将来の目標を統括する神の創造者たる息子の配偶者、および仲間の奉仕活動を通じて起こらなければならない。しかし、他ならぬこの創造の母なる精霊は、本質と性格においてオーヴォントンの主たる精霊によく似ている。

主たる精霊の物理的烙印は、人の物質的起源の一部である。モロンチア経歴全体は、この同じ主たる精霊の継続的影響下で送られる。そのような上昇する人間のその後の精霊的経歴が、決してこの同じ監督精霊の個性ある烙印を完全に根絶するというわけではないということは、奇妙とは言い難い。主たる精霊の押印は、人間上昇のあらゆる前ハヴォーナ舞台のほかならぬその存在の根幹をなすのである。

各超宇宙に特有であり、また支配している主たる精霊の本質を直接表わす特色ある進化的人間の人生経験において示される人格の傾向は、決して完全に削除されているわけではない。そのような上昇者が、ハヴォーナの10億の教育球体における長い訓練や統一的規律の従属対象の後でさえも。その後の強烈な楽園文化さえも、超宇宙起源の目印を根絶するには十分ではない。上昇する人間は、全永遠にわたり、出身超宇宙を統括する精霊を暗示する特色を表すであろう。終局者部隊においてさえ、進化的創造との完全な三位一体関係に到着したり、あるいはそれを描くことが必要とされるとき、各超宇宙からの1名ずつの7終局者の一団が常時構成されるのである。

6. 宇宙心

主たる精霊は、宇宙心の七重の源、すなわち壮大な宇宙の知力の可能性である。この宇宙心は、第3根源と中枢の心の準絶対的なものの顕現であり、ある意味においては、発展している崇高なるものの心に機能上関係している。

我々は、ユランチアのような世界においては、主たる7精霊の人類の諸事に関しての直接的影響に巡り合わない。あなたは、ネバドンの創造の精霊の直接的影響下に生きている。にもかかわらず、これらの同じ主たる精霊は、時間と空間の進化世界に居住する個人の人生における機能のために地方宇宙において専門化されてきた知的で精霊的な可能性の実際の源であるので、すべての創造物の心の基本的な反応を支配している。

宇宙心の事実が、様々の型の人間の、また超人的な心の関連を説明する。同類の精霊が互いに引きつけられるだけではなく、同類の心もまた非常に兄弟的であり、互いに協力へと傾いている。人間の心に驚異的な類似性と不可解な協定が同じ経路内で生じているのが時々観測される。

「現実反応」と呼べるかもしれない特質が、宇宙心のすべての人格関係に存在する。意志の創造物を科学、哲学、宗教の黙示の演繹的仮定の無力な犠牲者になることから救うのは、意志の全創造物へのこの宇宙の授与である。宇宙心のこの現実に対する感度は、ちょうどエネルギー-物質が重力に反応するように現実のある局面に反応する。したがって、超物質現実が宇宙の心に応じると言うのはなおさら正しいであろう。

宇宙心は、絶えず宇宙現実の3段階において反応する(反応を認識する)。これらの反応は、明確な理由づけと深い思考の心に自明である。これらの現実の段階は次の通りである。

1. 原因—肉体感覚の現実領域、論理の画一性の科学的分野、事実の、および非事実の区別、宇宙反応に基づく内省的結論。これは宇宙識別の数学的な形である。

2. 義務—哲学分野での道徳の現実領域、理由の領域、相対的善悪の認識。これは宇宙識別の司法的な形である。

3. 崇拝—宗教経験に属する現実の精霊的領域、神性連帯の人格的認識、精霊価値の認識、永遠の生存の保証、神のしもべの身分から神の息子の喜びと自由への昇進。これは宇宙心の最も高い洞察、宇宙識別の敬虔で信心深い形である。

これらの科学的、道徳的、かつ精霊的洞察、すなわち、これらの宇宙反応は宇宙心に先天的であり全創造物に授けられる。生きる経験は決して宇宙のこれらの3洞察の開発を妨げない。宇宙の3洞察は、反射的思考の自意識を構成する。しかし、ユランチアのほんのわずかな人々しか、勇敢で自立的な宇宙思考のこれらの特質の育成を喜ばないと記録するのは悲しいことである。

宇宙心の3洞察は、地方宇宙の心の贈与において人が合理的で自意識の強い人格として科学、哲学、宗教の分野において機能することを可能にする推測的仮定を構成する。言い換えれば、無限者のこれらの3顕現の現実への認識は、自己顕示の宇宙手段によってである。物質-エネルギーは、感覚の数学論理により認識される。心-理由は、その道徳上の義務を直観的に知っている。精霊-信仰(崇拝)は、精霊的経験の現実からの宗教である。反射的思考におけるこれらの基本的3要素は、人格開発において統一され、調整されるかもしれないか、もしくは、各機能において不均衡になり、実際には関係なくなるかもしれない。しかし、基本的3要素が統一されるようになると、事実に基づく科学、道徳哲学、および真の宗教経験の相関関係になる強い性格を生み出す。そして、物、意味、価値における、またそれらとの人の経験に客観的妥当性、現実を与えるのは、これらの宇宙3洞察なのである。

人間の心のこれらの生得的資質を伸ばし際立たせることが、教育の目的であり、それらを表現することが文明の目的、それらを実現することが人生経験の目的、それらを高めることが宗教の、またそれらを統一することが人格の目的である。

7. 倫理、徳、人格

知性だけで徳性を説明することはできない。道徳(徳)は、人間の人格に生来のものである。道徳的直観、つまり義務の認識は、人間の心の授与の要素であり、人間性に属する他の種類の奪うことのできないものに関連している。科学的好奇心と精霊的洞察。人の精神構造は、いとこにあたる動物のそれをはるかに凌いではいるものの、人間を動物の世界から特に際立たせているのは道徳的性質と宗教的性質である。

動物の選択的反応は、行動の運動段階に限定されている。より高等の動物の想定的洞察は、運動段階にあり、通常は試行錯誤の経験後にのみ起こる。人はすべての探査、あるいは実験に先立つ科学的、道徳的、精霊的な洞察を働かせることができる。

ただ人格だけが、それをする前にそれが何をしているかを知ることができる。人格だけに、経験に先立つ洞察力がある。人格は、跳ぶ前に見ることができ、それゆえ跳ぶことからはもとより見ることからも学ぶことができる。通常、非人格の動物は、単に跳ぶことによってのみ学ぶ。

動物は、経験の結果として目標に至る異なる方法を吟味したり、蓄積した経験にもとづく接近を選択できるようになる。しかし、人格は、目標自体を調べたり、その価値性、つまりその価値に判定を下すことなどもできる。唯一知性のみが、無差別の目標を達成する最良手段について識別できるが、道徳的行為者は、手段の中のみならず目的の中からも識別できるようにする洞察力を持ち合わせている。そして、道徳的行為者は、それでもなお徳を選ぶことにおいて知力に優れている。道徳的行為者は、自分が何をしており、なぜそれをしているのか、どこに行っているのか、またいかにそこに到着するのかを知る。

人は、自身の努力目標を正しく識別できないとき、動物の存在段階で機能している自分自身に気づく。人は、人格的存在体として自身の宇宙心の授与の不可欠の部分であるその物質的知性、道徳的識別、精霊的洞察の優れた利点を利用し損ねたのである。

徳は正義である—宇宙との整合。徳を唱えるということは、それを定義することではないが、それを実践するということは、それを知ることである。徳とは、単なる知識あるいは知恵ではなく、むしろ宇宙達成の上昇段階への到達における進歩的経験の現実である。必滅の人間のその日その日の生活において徳は、悪よりはむしろ善を一貫して選ぶことで実現され、またそのような選ぶ能力は、道徳的本質の所有の証である。

人間の善悪間の選択は、道徳性の鋭さによる影響ばかりではなく、無知、未熟、および迷いといったような影響も受ける。歪曲または欺瞞の結果から劣る代替物が選ばれるときには悪が行なわれるかもしれないが故に、均衡の感覚もまた、徳の発揮に関係している。相対評価方法あるいは比較計測方法は、道徳的領域の美徳の実践に入る。

人の徳性は、計測方法、つまり意味を精査する能力に表現される区別なしくしては無力であろう。同様に、道徳的選択は、精霊的価値の意識をもたらすその宇宙洞察なくしては無意味であろう。人は、知性の見地からは人格を授かっているので道徳的行為者の段階に昇る。

徳性は、決して法律によってあるいは力によって推進させることはできない。それは、個人の、そして自由意志の問題であり、道徳的にはそれほど反応しないものの、多少なりとも父の意志を為すことを望む道徳的に優れた者たちとの接触の影響により広められなくてはならない。

道徳行為は、これらの目標に達する道徳的手段の選択におけると同様に優れた目標の選択の際の識別に導かれる最も高い知性に特徴づけられる人間のそれらの実施である。そのような行為は徳が高い。そして、崇高の美徳とは、天の父の意志を心から実行に移すことを選ぶことである。

8. ユランチア人格

宇宙なる父は、存在体の幾多の系列が宇宙の現実の異なる段階で機能するとき、それらに人格を贈与する。ユランチアの人間には、神の上昇する息子の段階で機能している有限-必滅の型の人格が授けられている。

我々にはとても人格の定義を引き受けることはできないのであるが、物質的、精神的、精霊的なエネルギーの集合体を構成するために進む存知の要因の理解を語ることを試みることができる。宇宙なる父は、これらの相互関係のあるエネルギーに構成される仕組みの中で、その上で、そして、それとともに機能するために人格を贈与した。

人格は、人格の存在が思考調整者から独立した、また思考調整者に先立つ贈与であり、本来の性質の特異な授与である。にもかかわらず、調整者の臨場は、人格の質的顕現を増大させる。思考調整者は、父から現れるとき性質上は同じであるが、人格はさまざまで、独自で、唯一である。そして人格の顕現は、人格顕現のための生物媒体を構成する物質の、心の、そして精霊の性質の関連エネルギーの特徴と性質によりさらに条件づけられ限定される。

人格は相似しているかもしれないが、決して同じではない。任意の連続するもの、型、系列、または形態の人格は、互いに類似し得るし、類似しているが、決して同じではない。人格は、我々が知り、我々がいつか将来に、型、心、あるいは精霊状態の変化の特徴や程度にかかわらずそのような存在体を確認することができるその特徴である。人格とは、たとえ表現手段や人格顕現の変更のために変わってしまったとしても、我々が以前に知る人物としてその人を認識したり、明確に特定することを可能にするいかなる個人のその部分である。

創造物人格は、人間の反射行動の自己-明白の、また独特の2現象により区別される。自意識と関連する相対的自由意志。

自意識は、人格現実の知的認識で成る。それは他の人格の現実を認識する能力を含んでいる。それは、宇宙現実における、また宇宙現実との人格化された経験、宇宙の人格関係における独自性状態の到達に相当する経験のための能力をを示す。自意識は、心の奉仕の現実、また創造的であり決断的である自由選択からの相対的独立の実現の認識を内包する。

人間の人格の自意識を特徴づける相対的自由意志は次にかかわる:

1.道徳上の決断、最高なる知恵

2.精霊的選択、真実の識別

3.寡欲な愛、兄弟愛の奉仕

4.意図的協力、集団への帰属

5.宇宙の洞察、宇宙の意味の把握

6.人格の献身、父の意志を為すことへの心からの精進

7.崇拝、神性愛の真摯な追求、および神の価値-贈与者の心からの愛。

ユランチアの人間人格の型は、ネバドン型の有機体の惑星変更からなる物理的機構で機能すると見られるかもしれない。有機体のネバドン型の惑星変更は、生命活性化の電気化学の系列に属しており、親の生殖型に関する宇宙心のオーヴォントン系に属するネバドンの系列を授かっている。心を授与されたそのような人的機構への人格の神の贈り物の贈与は、宇宙公民からの威厳を与え、そのような必滅の創造物が、直ちに宇宙の3つの基本的な心の現実の本質的認識に反応するようになることを可能にする。

1. 物理的因果関係の均一性の数学的、または、論理的な認識

2. 道徳的行為の義務に関する熟慮に基づく認識

3. 人類への愛の奉仕に関連する神格への親交的崇拝に対する信仰による理解

そのような人格授与の完全な機能は、神との親族関係の初期の実現である。そのような自我、父なる神の前人格の断片による内住は、実は神の精霊的な息子なのである。そのような創造物は、神性臨場の贈り物の受け入れの能力を明らかにするだけでなく、すべての人格の楽園なる父の人格-重力回路への反動的反応をも示している。

9. 人間の意識の現実

授けられた宇宙心、内住の思考調整者、人格的創造物には、エネルギー現実、心の現実、および精霊現実の生まれながらの認識-実感がある。意志をもつ創造物は、このように事実、法、および神の愛が識別できるように用意されている。人間の意識にかかわるこれらの3件の譲渡しえないものは別として、すべての人間の経験というものは、直感的な正当性の認識が、宇宙認識にかかわるこれらの3件の宇宙現実反応の統一に結合するということを除いては、実に主観的なのである。

神を識別する人間は、生残する魂の発展における、すなわち不滅の魂を二重にして内住する神性の精霊と連携する物理的な仮の住まいにおける人の崇高な仕事の発展におけるこれら3個の宇宙的特質の統一価値を感じることができる。魂は、その最古の始まりから実在する。それには、宇宙生存の特質がある。

もし人間が、自然死からの生存に失敗するならば、人間の経験の真の精霊的価値は、思考調整者の継続する経験の一部として生き残る。そのような非生存者の人格的価値は、実現化する崇高なるものの人格の中の一要素として持続する。人格のそのような持続的特質には、人間の生身の生活の間に蓄積される経験的価値ではなく独自性が奪われている。独自性の生存は、モロンチアの身分とますますの神性を増す価値とをもつ不滅の魂の生存に依存している。人格の独自性は、魂の生存のなかに、また魂の生存により生き残る。

人間の自意識は、意識する自己以外の自己の現実認識を含意し、さらにそのような認識は、相互的であるということを含意する。自己が、他の自己を知るのと同様に知られているということ。これは、人の社会生活において純粋に人間の態度で示される。しかし、あなたは、自分の中に住まう神の臨場の現実について確信できるようには、絶対に仲間の存在体の現実について確信できるようにはならない。神-意識ができないのとは異なり、社会的良心は譲渡できる。それは文化の発達であり、知識、符合、および人の本質的授与—科学、道徳、および宗教—からの貢献に依存している。そして、これらの宇宙の贈り物は、社会化されると、文明を構成する。

文明は、宇宙的ではないので不安定である。文明は、人類の個人というものに先天的ではない。文明は、人の構成的要素—科学、道徳、宗教—の結合的貢献により育まれなければならない。文明は、去来するが、科学、道徳、宗教はつねに崩壊を乗り切る。

イエスは、人間に神を明らかにしただけではなく、自分と他の人間に新顕示をした。あなたは、イエスの人生に最善の状態の人間を見る。その人生においてイエスは多くが神からなっていたので、人はこうして非常に美しく実現化し、そのうえ神の認識(認知)は、奪うことができず、すべての人間に本質的である。

無欲さは、親の本能は別として完全に自然であるというわけではない。他人は、自然に愛されたり親しく待遇されない。それは、寡欲で愛他的な社会的秩序を生むための理由、道徳、および宗教の、神-意識の衝動からの啓発を必要とする。また、自己の人格認識、自意識もまた生まれながらの他者認識のこの他ならぬ事実に、つまり、人間から神格に及ぶ他の人格の現実を認識し、理解するこの生来の能力に、直接に依存している。

寡欲な社会的意識は、根本的には宗教意識である。すなわち、もしそれが客観的であるならば。さもなければ、それは純粋に主観的な哲学的抽象化であり、それゆえに愛に欠けている。ただ神を知る個人のみが、自分自身を愛するように他者を愛すことができる。

自意識は、本質的には、共同意識である。神と人、父と息子、創造者と被創造物。人間の自意識における宇宙現実に対する4認識は、潜在的であり、本来的である。

1. 知識の追求、科学の理論

2. 倫理観の追求、義務の観念

3. 精霊的価値の追求、宗教経験

4. 人格の追求、人格としての神の現実を認める能力と仲間の人格との友愛関係の同時認識

あなたは、創造者たる父として神を既に意識しているのであるから、被創造物の兄弟として人を意識するようになる。父性とは、兄弟愛認識へと我々が自身を説き伏せる関連性である。そして、父自身が、そのような存在体すべてに人格を贈与し普遍的な人格回路把握の中でそれらを回路化したがゆえに、父権は、すべての道徳的な創造物にとっての宇宙の現実になるか、またはなる可能性がある。我々は、まず神がおり、次に神が我々の中におり、最後に我々が神の中にいるので神を崇拝するのである。

宇宙心は、自意識をもってそれ自身の源、無限の精霊の無限の心に気づき、同時に広範囲の宇宙の物理的現実、永遠なる息子の精霊的現実、および宇宙なる父の人格現実を意識すべきであるというのは奇妙なことであろうか。

[ユヴァーサからの宇宙の検閲官による後援]

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