論文 135 洗礼者ヨハネ33

   
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論文 135

洗礼者ヨハネ33

ガブリエルが前年の6 月エリサベツにした約束に基づき、洗礼者ヨハネは、紀元前7 年3 月25 日に生まれた。エリサベツは、ガブリエル訪問の秘密を5 カ月間保った。彼女が、夫のザハリーアスに告げると、かれは、大いに当惑し、ヨハネ出生のおよそ6 週間前に奇妙な夢をみて、ようやく彼女の話を完全に信じた。ガブリエルのエリサベツ訪問とザハリーアスの夢を除いては、洗礼者ヨハネの出生に繋がる奇妙なこと、または超自然なことは何もなかった。

8 日目、ユダヤ人の習慣に順じヨハネは割礼された。エルサレムのおよそ4 マイル西のユダの町として知られた小さい村で、かれは、日を重ね年を重ね、普通の子として成長した。

ヨハネの幼年期前半での最も重大な出来事は、両親と共に、イエスとナザレ一家を訪問したことであった。この訪問は、彼が6 歳を少し過ぎた紀元前1 年の6 月であった。

両親は、ナザレからの帰宅後、若者に系統だった教育を始めた。ユダヤ教会の学校はこの小さい村にはなかった。しかしながら、聖職者であるザハリーアスは、かなり良い教育を受け、またエリサベツは平均的なユダヤ女性よりもはるかに良い教育を受けていた。「アーロンの娘達」の子孫である彼女もまた、聖職者の家の出の者であった。ヨハネは、一人子であったので、二人は心と精神面の鍛練にかなりの時間をかけた。ザハリーアスは、多くの時間を息子の教育に専念できるように、エルサレムの寺院ではほんの短い礼拝の期間を受け持った。

ザハリーアスとエリサベツは、羊を育てた小さい農場を持っていた。この土地では生計をほとんど立てなかったが、ザハリーアスは、聖職者に献納された寺院の資金からの定期の手当てを受領した。

1.ヨハネナジル人となる

ヨハネには14歳で卒業する学校はなかったが、正式のナジル人の誓いを立てるように、両親が適切な年としてこの年を選んでいた。そのため、ザハリーアスとエリサベツは、息子を死海近くのエンゲディに連れて行った。これは、ナジル人友愛会の南の本部であり、そこで、若者は、人生のためのこの集団に正式に、厳かに入会させられた。これらの儀式と全ての酒類を慎むこと、髪を伸ばすこと、死者に触れるのを控えるという誓いを立てた後に、家族は、エルサレムへと進み、そこで、エルサレムの寺院の前で、ヨハネは、ナジル人になる者に要求される捧げ物をし終えた。

ヨハネは、有名な先人であるサムソンと予言者サミュエルに宣誓されたものと同じ生涯の誓いを立てた。終身ナジル人は、神聖化され、そして聖なる人格と見られた。ユダヤ人は、ナジル人というものをほとんど尊敬および崇拝を持って、高僧相応で重んじ、これは、高僧を除く、生涯の献身をするナジル人のみが、最も神聖な寺院に入ることを許された唯一の人々であったということから奇妙なことではなかった。

ヨハネは、父の羊の世話をするためにエルサレムから戻り、高潔な性格の強者に成長した。

16 歳のとき、ヨハネは、エーリージャに関する読書の結果、カーメル山の予言者に大いに感動し、その服装を採用すると決めた。その日から、ヨハネは、いつも革の腰ひもで毛の深い衣服を着た。かれは、16 歳で1.8 メートル以上もあり、ほとんど成長していた。ゆったり流れる髪と特異な服装で絵に描いたような若者であった。そして、両親は、この一人息子、約束の子、ナジル人に素晴らしいものを期待した。

2. ザハリーアスの死

ザハリーアスは、数カ月の病気の後に、丁度ヨハネの18歳が過ぎた、西暦12 年7 月に死んだ。ナジル人の誓いが死者との接触を、たとえ自分の家族であろうとも、禁じていたので、これはヨハネにとり格別に妨げな困惑の時であった。死者による汚染に関し誓いの制限に順じる努力はしたものの、完全にナジル人の修道会の要求に従順であるということを疑問に思った。従って、父の埋葬後、かれは、エルサレムに行き、そこで女性用の中庭にあるナジル人用の一遇で、清めに必要とされる生贄を捧げた。

この年9月に、マリアとイエスを訪ねるためにナザレに旅行をした。ヨハネは、生涯の仕事に踏み切るとほぼ決心するところであったが、家に帰り、母の世話をし、「父の時間の来ること」を待ち受けるというイエスの言葉にだけではなく、手本にも諭された。この楽しい訪問の終わりにイエスとマリアに別れを告げた後、ヨハネは、ヨルダン川での洗礼まで再びイエスに会うことはなかった。

ヨハネとエリサベツは、家に戻り将来の計画を立て始めた。ヨハネが寺院の資金からの聖職者用の手当ての受領を拒否したので、まる2 年経と経たないうちにほぼ家をなすところであった。それで二人は、羊の群れとともに南に行くことにした。これにより、ヨハネの20 歳の夏、ヘブロンへの引越しがあった。ヨハネは、いわゆる「ユダヤの荒野」のエンゲディの死海へと大きく流れ込む支流の小川に沿って羊の世話をした。エンゲディ植民地は、終身ナジル人や期限付きの奉献のナジル人だけでなく、それぞれの群れと共にこの領域に集まり、ナジル人友愛会と親しく交わる他の多数の禁欲的な牧夫も含んでいた。彼らは、羊牧や裕福なユダヤ人からの会への贈り物で生活をした。

時の経過につれて、ヨハネは、次第にヘブロンに戻らなくなり、より頻繁にエンゲディを訪れた。ナジル人の大多数とは似ても似つかない程で、友愛会との親交は、彼には非常に難しいとはっきりと分かった。しかし、かれは、エンゲディの植民地の指導者で長でもあるアブネーが非常に気に入っていた。

3. 羊飼いの生活

ヨハネは、この小さい川の狭間に沿って、積み重ねた石の少なくとも12ヶ所の避難所と夜のための柵囲いを造り、そこで羊とヤギの群れを監視し保護することができた。羊飼いとしてのヨハネの生活は、彼に思考のためのかなりの時間を与えた。母に会うためや羊の売却のためヘブロンに行ったりするとき、また安息日の礼拝のためエンゲディにいったりするとき、群れの世話をするある意味で養子にしたようなベス-ズールの孤児、エズダとよく話した。ヨハネと若者は、羊肉、ヤギの乳、自然の蜂蜜、その地方の食用のイナゴを食し、非常に質素に暮らした。これは、二人の通常の食事は、時おりヘブロンとエンゲディからの食料で補足された。

エリサベツは、パレスチナ人と世界情勢を逐次ヨハネに知らせた。そして、旧体制が終わる時がどんど近づいているという、新時代の、つまり「天の王国」接近の伝令者に自分がなろうとしている彼の信念は、だんだんと深まっていった。この無骨な羊飼いは、予言者ダニエルの文章を特に好んだ。かれは、ザハリーアスが世界の偉大な王国史を表わしていると教えたバビロンに始まりペルシア、ギリシア、遂にはローマに至る壮大な画像に関するダニエルの記述を1,000 回読んだ。ヨハネは、ローマがすでに数ケ国語を話す人種と民族で構成されているということから、強く結合され、堅く統合された帝国には決してなり得ないということを察知した。かれは、ローマは、その時でさえシリア、エジプト、パレスチナ、および他の行政区として分割されていると信じた。ヨハネは、さらに読み進んだ。「これらの王の時代に、天の神は決して破壊されることのない王国を築く。そして、この王国は、他の人々に与えられないが、これらの全ての王国を粉々に破壊し、食い潰すであろう。そして、それは、とこしえに立っているであろう。」「全ての民族、国家、言語が彼に仕えるように、統治権、栄光、王国が彼に与えられる。彼の統治権は滅ぶことのない永遠の統治権であり、彼の王国は決して破壊されないであろう。」「そして、王国と統治権と全天界の下の王国の偉大さが、いと高き者の聖者の人々に与えられるであろう。その王国は、永遠の王国であり、全自治領が彼に仕え従うであろう。」

ヨハネは、イエスに関し両親から聞いたことや、経典で読んだこれらの章句によってもたらされる混乱を決して完全に乗り越えることができなかった。ダニエルのなかに、「夜、幻影を見た。そして、見よ。天の雲と共に、人の息子らしき者が来た。そして統治権と、栄光と、王国がその者に授けられた。」を読んだ。しかし、予言者のこれらの言葉は、両親に教えられたことと相入れなかった。18 歳の訪問の際のイエスとの会話とも、教典の文のいずれにも一致しなかった。この混乱にもかかわらず、彼が困惑している間中、母は、遠い従兄、ナザレのイエスが、本当の救世主であるということ、デヴィッドの王座に着くことになっているということ、ヨハネが、イエスの事前の伝令者と主要な援助者になるということを、受け合うのであった。

ヨハネは、ローマの不道徳と邪悪、そして帝国の放蕩と道徳的な不毛について聞いた全てから、ヘローデス・アンティパスとユダヤの知事の悪行について自分の知っていることから、時代の終わりが迫っていると信じようとした。無骨で気高いこの自然児にとは、人間の時代の終わりと新しい神の時代の夜明け—天の王国—のために世界は準備ができたように思われた。ヨハネの心の中で、自分は従来の予言者の最後の者で、新しい予言者の最初の者になるという気持ちが広がっていった。そして、全ての人の前に出て行き、次のように宣言するしたいという高まる衝動にすっかり心が震えた。「悔悟せよ、神と正しい関係にあれ。終わり備えよ。地球の新たで永遠の秩序、天の王国の現出のために自身の準備をせよ。」

4. エリサベツの死

西暦22年8月17日、ヨハネが28 歳のとき、母は突然亡くなった。死者との接触に関するナジル人の制約、たとえ自分の家族でさえ、について知るエリサベツの友人が、ヨハネを呼びにやる前に、 エリサベツの埋葬をすべて手配した。母の死の報せを受け取ると、ヨハネは、エズダに群れをエンゲディに追いやるように指示し、ヘブロンに出発した。

母の葬儀からエンゲディに戻り、自分の群れを友愛会に進呈し、そして、しばらくの間、断食して祈る傍ら、外の世界から自分を引き離した。ヨハネは、神性への接近の古い方法だけを知っていた。エーリージャ、サムエル、ダニエルというような記録だけを知っていた。エーリージャは、予言者の彼の理想であった。エーリージャは、予言者と見なされたイスラエルの最初の教師であった。そしてヨハネは、自分が本当に天の使者のこの長くて傑出した列の最後となることを本当に信じた。

2年半、ヨハネは、エンゲディに住み、「時代の終わりは差し迫っている。」「天の王国が出現しようとしている。」と大半の友愛会を説得した。彼の全ての早期の教えは、非ユダヤ人の支配からユダヤ国家を救う約束された救世主という当時のユダヤ人の考えと概念に基づくものであった。

この期間、ヨハネは、ナジル人エンゲディの家で見つけた神聖な著作物をしきりに読んだ。その時点までの最後の予言者であるイザヤとマラキエに特に感銘を受けた。かれは、イザヤの最後の5 章を繰り返し読み、これらの予言を信じた。マラキエでは次の部分を読み取るのであった。「見よ、私は、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、予言者エーリージャを遣わす。父の心を子に向けさせ、子の心を父に向けさせる。それは、私が呪いで地球を打ち壊しに来ないためである。」そして、ヨハネに来たる王国の説教と、同胞のユダヤ人に激しい怒りから逃れるように勧めるために出て行くことを思い留まらせたのは、エーリージャが戻るというマラキエのこの約束だけであった。ヨハネは、来たるべき王国の通知の宣言の用意ができていたが、エーリージャ到来のこの予想が2 年以上も彼を押しとどめた。かれは、自身がエーリージャでないことを知っていた。マラキエは、何を意味したのか。予言は文字通りであるのか、または比喩的であったのか。どのように彼は、真実を知ることができたのか。ヨハネは、最終的に、最初の予言者がエーリージャと呼ばれたので、結局最後の名前も同じ名前が知られるべきであると、敢えて考えた。それでも疑いに疑って、かれは、自身をエーリージャと名乗らなかった。

ヨハネに同時代人の罪と悪への直接的でぶっきらぼうな攻撃方法を採らせたのはエーリージャの影響であった。彼は、エーリージャに似せて装おうとし、エーリージャのように話す努力をした。あらゆる外観の面において、かれは、昔の予言者に似ていた。かれは、まったくもって勇敢で絵に描いたように見事な自然の子、まったくそのように恐れ知らずで大胆な正義の伝道者であった。ヨハネは、文盲ではなかった。ユダヤ人の神聖な著作をよく知ってはいたものの、まったく教化されていなかった。かれは、明確な思想家、力強い話者、熱烈な弾劾者であった。かれは、全く年相応の模範者ではなかったが、雄弁な叱責者であった。

ついに、かれは、新時代、神の王国の宣言方法を考えついた。彼は、救世主の伝令者になることに落ち着いた。かれは、すべての疑いを一蹴し、西暦25年3 月のある日、公の伝道者として短いが輝かしい経歴を始めるためにエンゲディを出発した。

5. 神の王国

ヨハネの前触れを理解するためには、彼が活動の舞台に現れた当時のユダヤ民族の状況報告におよばなければならない。全イスラエルが、およそ100 年間も途方に暮れてきた。非ユダヤ人の君主への連続的服従の解釈に戸惑っていた。モーシェは、正義がつねに繁栄と力で報いられると教えなかったか。神に選ばれた民ではなかったのか。 ダーヴィドの王座はなぜ寒々しく空虚であったのか。モーシェの教義と予言者の指針に照らし合わせてみるとき、ユダヤ人は、長く続いた国家の荒廃の説明の難しさに気づいた。

イエスとヨハネの時代のおよそ100 年前、宗教教師、黙示信仰者の新しい学校が、パレスチナに現れた。これらの新しい教師は、国家が犯した罪のために人々が報いを受けているとユダヤ人の受難と屈辱の説明をする信仰の方法を発展させた。かれらは、過去のバビロニアと他の監禁状態を説明するためにあてがわれた周知の理由へと後退した。しかし、黙示録の信仰者たちは、イスラエルは勇気づけられるべきである、苦悩の日々はほとんど終わりに近い、神に選ばれた人々の試練はほぼ終わろうとしている、神の異教の外国人に対する忍耐はほとんど尽き果てている、と教えた。ローマ支配の終わりは時代の終わり、ある意味では世の終わりと同義であった。これらの新しい教師は、ダニエルの予言の方に大きく傾いており、創造がその最期の段階に移ろうとしていると一貫して教えた。この世の王国は、神の王国になろうとしていた。当時のユダヤ人の心にとって、これは、次の言い回し—天の王国—を意味し、それはヨハネとイエスの両者の教えに終始一貫している。パレスチナのユダヤ人にとり、「天の王国」という言い回しは、神、救世主が、ちょうど天国で統治したように—「天国でのように、あなたの意志が地球で為される。」—力の完全さで地上の国々を統治する絶対に公正な状態という1 つの意味しかなかった。

ヨハネの時代全ユダヤ人が、「王国はいつ来るだろうか。」と心待ちに尋ねていた。非ユダヤ人の国々の支配の終わりが近づいているという一般的な感覚があった。その世代の生涯の間には、全てのユダヤ人に、長い年月の願望達成が起こるという活気的な望み強い期待が満遍なくあった。

ユダヤ人は、来たる王国の性質の推定において大いに異なりはしたものの、間近に、ほんの戸口まで差し掛かっているという信念においては同じであった。旧約聖書を読む者の多くが、その敵から開放され生まれ変わるユダヤの国のために、そしてダヴィド王の後継者にとってかわるパレスチナの新しい王を、全世界の正当で公正な支配者としてすぐに承認される救世主を、文字通り心待ちに探した。小さくはあったが、敬虔なユダヤ人の別の集団は、神のこの王国に関しおびただしく異なる視点を持った。彼らは、来たる王国が現世のものでないこと、世界は確かにその終わりに近づいていると、そして、「新しい天国と新しい地球」は、神の王国の設立の到来を告げることであったと教えた。この王国は、永遠の自治領であり、罪は終わろうとしていると、新しい王国の国民は、この無限の至福の享受のなかで不滅になろうとしていると教えた。

皆は、粛清する、あるいは浄化する若干の徹底的な規律が、地球上における新しい王国の設立に当然先行することについて同意していた。直解主義者は、すべての無神論者を滅ぼす世界規模の戦争が起き、そして信仰に忠実な者が、普遍で永遠の勝利に瞬時に進行すると教えた。精神主義者は、王国が、邪悪な者を罰と最終的な破壊のふさわしい裁きに追いやる神の偉大な裁決により到来を告げられるであろうと、そして同時に、選民の中の敬虔な聖者を、神の名前で解放された国の支配をする人の息子のいる名誉と権威の高い席に上げると、教えた。そして、この後者の集団は、多くの敬虔な非ユダヤ人が新しい王国の仲間に認められるかもしれないとさえ考えた。

ユダヤ人の何人かは、神が、ことによると直接的、また神らしい介入によってこの新しい王国を樹立するかもしれないという意見を抱いたが、圧倒的多数は、彼が代表するある中継ぎ、救世主を間に入れると考えた。そして、それは、ヨハネとイエスの世代のユダヤ人の心にあり得た救世主という言葉の唯一可能な意味であった。救世主は、単に神の意志を教えたり、あるいは正義の生き方の必要性を宣言する者について言及し得るものではなかった。救世主は、予言者以上のものを意味した。そのような全ての聖なる人々には、ユダヤ人は予言者の称号を与えた。救世主は、新しい王国、神の王国の樹立をもたらすことであった。これを成し得なかった者は、伝統的なユダヤ人の感覚において救世主ではあり得なかった。

この救世主はだれであるのだろう。又もや、ユダヤ教師達の意見は異なった。古参者は、ダヴィドの息子の教義に執着した。新参者は、新しい王国は、天の王国であるので、新支配者は、神の人格、天で長く神の栄誉の座にいた者であるかもしれない、と教えた。奇妙に聞こえるかもしれないが、このように、新しい王国の支配者を想像した者は、人間の救世主としてではなく、単なる人間としてではなく、このように長く待たれている、新しくなる地球の支配権を持つ「人の息子」—神の息子—天の親王として彼を見た。ヨハネが、「悔悟せよ、天の王国が間近いので。」と広布に向かったとき、ユダヤ世界の宗教的な背景はそのようなものであった。

それ故、来たるべき王国のヨハネの情熱的な説教を聞いた人々の少なくとも6 人の心の中で異なる意味を持ったという事が明らかになる。しかし、かれらが、いかなる重要性をヨハネが使った言葉に置こうとも、ユダヤ王国を期待する者のこれらの様々な集団は、この正義と悔悟を説く誠実で、熱心で、粗っぽい伝道者の広布に興味をそそられ、そしてその伝道者は、非常に厳かに「迫る神の怒りから逃がれる」ことを聞き手に熱心に説いた。

6. ヨハネ説教を始む

西暦25年3 月初め、ヨハネは、死海の西海岸周辺、そしてジャシュアとイスラエルの子孫等が最初に約束の地に入ったとき通った古代の浅瀬ジェリーホの反対側のヨルダン川に旅行した。そして、川の反対側に渡り、浅瀬への入り口近くに自分の場所を決め、川を往来する人々に説教を始めた。全ヨルダン川の横断点でこれが最も往来の激しい地点であった。

彼が伝道者以上の者であったということは、ヨハネの声を聞いた全ての者にとって明らかであった。ユダヤの荒野から来たこの見知らぬ男の言うことを聞いた人々の大多数は、自分達は予言者の声を聞いたと信じながら遠ざかった。これらの疲れて期待に満ちたユダヤ人の魂が、そのような現象にかき乱されたのは当然であった。全ユダヤ歴史を通して、アブラハムの敬虔な子供等はそれほどまでに「イスラエルの安らぎ」にあこがれ続けたり、また熱烈に「王国の回復」を予期しなかった。全ユダヤ歴史を通して、ヨルダン川のこの南の横断地点の土手の上に非常に神秘的に現れたまさしくその時の「天の王国は間近い」というヨハネの言葉ほど、深く一般的な魅力を与えたものは決してなかった。

彼はアモスのように牧夫であった。古風なエリヤのようないでたちで、「エリヤの精神と力」で訓告を大喝し、激しく警告を浴びせた。旅行者が、彼が説教している情報をヨルダン川沿いに広く伝えたので、この奇妙な伝道者が、全パレスチナを勢いのよい騒ぎに至らせたのは驚くに足りない。

このナザレの伝道者の仕事に関し、もう一つの新たな特徴があった。彼は「罪を赦すために」ヨルダン川で信者一人一人の洗礼を施した。洗礼はユダヤ人の間の新しい儀式ではなかったが、ヨハネがその時したようなものは一度も見たことがなかった。非ユダヤ人の改宗者を寺院の外庭の仲間へと洗礼することは、このように長く実行したが、ユダヤ人自身が悔悟の洗礼を受けることは一度も要求されたことはなかった。ヨハネが説教と洗礼を開始とヘローデス・アンティパスの扇動による彼の逮捕と投獄との間にはほんの15 カ月しかなかったが、かれは、この短期間に10 万人をはるかに越える悔悟者に洗礼を施した。

ヨハネは、ヨルダン川の北での開始前、ベタニアの浅瀬で4 カ月間説教をした。多少の好奇心のある者、だが多くの真剣で真面目な者からなる何万人もの聴衆が、ユダヤ、ペライア、サマリアの全地域から聞きにやって来た。幾人かは、ガリラヤからさえも来た。

この年の5 月、彼はベタニヤの浅瀬にまだ長居していたが、聖職者とレビ族は、ヨハネが救世主であると主張しているのかどうか、また誰の権威のもとに説教しているのか問い質すための代表団を出した。ヨハネはこれらの質問者に答えた。「予言者が言ったように、『荒野で呼ばわる者の声』を聞いたと、また『主の道を用意し、神のためにその道を真っ直にせよ。全ての谷は埋められ、全ての山と丘とは低くされ、盛り上がった地は平地に、でこぼこ道は平らとなる。こうして、あらゆる人が、神の救いを見る。』と聞いたと主人の元にいって伝えよ。」

ヨハネは、勇ましいが駆け引きを知らない伝道者であった。ある日、かれがヨルダン川の西の堤で説教をし洗礼していると、パリサイ人の集団と数人のサドカイ人が洗礼のためヨハネの前に進み出た。かれは、川の中へ導いて行く前に、かれらの一団に向かって言った。「誰が、お前達に炎の前の毒蛇のように近づく復讐から逃げるように警告したのか。お前達を洗礼するつもりであるが、罪の赦しを受けるつもりなら、真剣な悔悟にふさわしい成果をもたらすように警告する。アブラハムがお前達の父であるなどと言わないでくれ。神は、お前達の前にあるこの12個の石をアブラハムにふさわしい子供を育て上げることができると断言する。そして、この瞬間、まさにその木々の根に斧が横たえられている。良い実をつけない木は全部切り倒され、炎に投げ込まれる運命にある。」(彼が参照した12個の石は、彼らが最初に約束の地に入った時、「12 の部族」の交差の記念のためにまさしくにこの地点にジャシュアによって並べられた評判の記念の石であった。)

ヨハネは、弟子達のために授業を行ない、その過程で彼等の新たな人生の細部にわたる教授をし、多くの質問に答える努力をした。教師達には法の精神ならびに法律の文言を教えることを助言した。かれは、金持ちには貧乏人に食べ物を与えることを教え、税徴収人には、「割り当てられた以上に強要してはならない。」と言った。兵士に「暴力を揮わず、不当に何も強要してはならない—自分の賃金に満足せよ。」と言った。皆に助言をするとともに、「時代の終わりに備えよ—天の王国は間近である。」と説いた。

7. ヨハネ北に旅す

ヨハネは、来たるべき王国とその王についてまだ混乱した考えのままでいた。長く説教すれば説教するほど、ますます混乱するようになったが、来たるべき王国の性質に関わるこの知的な不確実性は、王国の即時の出現の確実性に関わる彼の信念を少しも減じなかった。ヨハネは、心では混乱したかもしれないが、精神においては決してそうではなかった。かれは、来たるべき王国に疑いはないが、イエスが、その王国の統治者であることになっているかどうかに関しては全く確信がなかった。ヨハネが、ダヴィドの王座の回復の考えにしがみつく限り、ダヴィドの市に生まれたイエスが、長く待たれている救出者となるという両親の教えは一貫しているようであったが、彼が精霊的な王国の教義と地球の現世の終わりの教義に傾けば傾くほど、イエスがそのような出来事で一役果たすということには大いに疑いがあった。時おり全てに疑問を持ったが、長い間ではなかった。かれは、従兄と隈なく話せることをこの上なく願ったが、それは交した約束に反することであった。

ヨハネは、北へ旅をしながらイエスのことをよく考えた。ヨルダン川に沿って旅しながら12 ヶ所以上で立ち止まった。「あなたが救世主ですか。」と尋ねた弟子の直接の質問に答えて、「私の後に続く別の方」と最初に言及したのはアダムという所であった。そして、続けて言った。「私より偉大な方が私の後に来られるだろう。その方のサンダルの紐を屈んで解く価値も私にはない。私は水で洗礼するが、その方は聖霊で洗礼されるであろう。そして、脱穀の床を完全に洗うために、シャベルがその方の手にある。自分の穀倉に小麦を集められるが、もみ殻は判決の炎で焼き尽くされるであろう。」

弟子の質問に応じて、ヨハネは、自分の教えを広げ続け、日々、自分の初期の謎めいた意見に比べ、「悔悟し、洗礼されよ。」と、有用かつ元気づけとなるものをさらに付け加えた。ガリラヤとデカポリスからの群衆が、この時までに到着していた。何十人もの熱心な信者が、自分達が崇拝する教師と毎日長居した。

8. イエスとヨハネの談合

西暦25 年の12 月までには、ヨハネがヨルダンへの旅でペライア付近に辿り着いたとき、その名声は、パレスチナ中に広がっており、彼の仕事は、ガリラヤ湖周辺の全ての町での会話の主要な話題になった。イエスはヨハネの教えを褒めており、これが、悔悟と洗礼のヨハネの儀式にカペルナムからの多くの者が加わる結果となった。ヨハネがペライアの近くに説教の場所を取った直後の12 月、ジェームスとゼベダイの漁師の息子達が、そこへ行き洗礼を申し出た。彼らは、1 週間に1 度ヨハネに会いに行き、伝道者の最新の、直接の報告をイエスの元へもたらした。

イエスの弟のジェームスとジュードは、洗礼のためにヨハネの元に行くことを話し合っていたことであり、ジュードが安息日の礼拝にカペルナムにやって来た今、二人は、礼拝堂でのイエスの講義を聞いた後、自分達の計画をイエスに相談することにした。これは、西暦26年1月12日、土曜日の夜のことであった。イエスは、翌日までの議論の延期を要求し、その際二人に答えると言った。彼はその夜ほとんど眠らず、天の父との近い交わりをした。かれは、弟達と正午の食事をとり、ヨハネによる洗礼に関し彼らに忠告する手配をしてあった。その日曜日の朝、イエスはいつものように船小屋で働いていた。ジェームスとジュードは、弁当をもって到着し、まだ正午の休憩時間ではなく、イエスがそのような事柄に非常に規則正しいことを知っていた二人は、材木小屋で待っていた。

昼の休憩直前、イエスは、道具を置き、仕事用の前垂れを脱ぎ、部屋に一緒にいた3 人の労働者に単に「私の時間が来た。」と告げた。かれは、弟のジェームスとジュードのところへ出掛け、「私の時間が来た—ヨハネのところへ行こう。」と繰り返した。そして、彼らはすぐペライアに出発し、旅をしながら昼食をとった。これは、1 月13 日、土曜日であった。彼らは、夜ヨルダン渓谷に滞在し、翌日正午頃にヨハネの洗礼の場所に到着した。

ヨハネは、ちょうどその日の志願者の洗礼をし始めたところであった。ヨハネの来たるべき王国の説教を聞き信奉者となった熱心な男女のこの列にイエスと2 人の弟が並んだとき、何十人もの悔悟者が、自分達の順番を待ち並んで立っていた。ヨハネは、ゼベダイの息子達にイエスのことを以前から尋ねてきた。自分の説教に関するイエスの意見を聞いており、また日を追うごとにその場所にイエスが来るのを期待してはいたものの、洗礼志願者の列に迎え入れるとは思っていなかった。

そのような多くの転向者の素早い洗礼の詳細で夢中になっており、ヨハネは、人の息子が目の前に立つまでイエスを見上げなかった。ヨハネが、イエスに気づき生身の従兄弟に挨拶し、「それにしても、私に挨拶するのに何故水の中に入ってくるのですか。」と尋ねる間、儀式は暫く中断された。そこで、イエスは、「君の洗礼を甘受するために。」と答えた。ヨハネが応答した。「しかし、私の方が、あなたに洗礼されるべきであります。あなたがなぜ私の方に来られるのですか。」そこでイエスがヨハネに囁いた。「今は、我慢してくれ。私とここに立っている弟達のために君と二人でこの例を設けることになるし、人々が、私の時間が来たのを知るかもしれない。」

断固たる、権威ある響きがイエスの声にはあった。西暦26 年1 月14 日、月曜日の正午にヨルダン川でナザレのイエスの洗礼の準備をしたとき、ヨハネは、感きわまってぶるぶる震えていた。このようにして、ヨハネは、イエスとその弟ジェームスとジュードを洗礼したことであった。ヨハネは、この3 人を洗礼すると、翌日正午に洗礼を再開すると発表し、その日は他の者達を帰させた。人々が去り行くとき、まだ水の中に立っている4 人の男は、奇妙な音を聞いた。やがて、イエスのすぐ頭上に命名しようのないものが少しの間現れた。彼らは、「これが誠に喜ばしい我が愛しい息子である。」と言う声を聞いた。イエスの顔付きが大きく変化し、黙って水から出て来ると、かれは、彼等に別れを告げ、丘に向かい東の方へ行った。誰も、40日間イエスを再び見なかった。

ヨハネは、母の口から幾度となく聞いた、イエスも自分もまだ生まれる前のガブリエルの母の訪問の話をイエスに伝えるためその後を適当な間隔で追っていった。「今、確実にあなたが救出者であることが分かりました。」と言い、イエスが先に進むままにした。

9. 40日間の説教

ヨハネが弟子達のところに戻ると、(今や、彼のところに泊まる25人、あるいは30人程が絶えずいた)、弟子達は、イエスの洗礼に関してたった今起きたことについて話し合い、熱心な会議の最中であった。ヨハネが弟子達にイエス生誕前のガブリエルのマリア訪問の話をしたとき、またこのことを告げた後にさえイエスが一言も言わなかったことを明らかにしたとき、彼らは一入驚いた。その晩雨はなく、この 30 人以上のこの一団は、星明りの夜に入るまで長く話し込んだ。かれらは、イエスがどこに行ったのか、そして、いつ再び会えるのかと疑問に思った。

この日の経験の後、来たるべき王国と期待される救世主に関するヨハネの説教には、新しいある種の調子を帯びてきた。それは、緊張の時間、イエスの帰りを待つ、緊張の40日間であった。しかし、ヨハネは、かなりの強力に説教し続け、一方弟子達は、この頃にヨルダン川でヨハネのまわりに集まった溢れんばかりの人だかりに説教し始めた。

この40日の待機の間、多くの噂が田舎周辺、またティベリアスやエルサレムにさえ流布した。ヨハネの野営場に数千もの人数が、新たな呼び物、評判の救世主を見に来るのだが、イエスは見えなかった。ヨハネの弟子達が、見なれない神の子が丘に行ったと主張したとき、多くの者は、話全体を疑った。

イエスがそれらの元を去ったおよそ3週間後、ペライアに、エルサレムからの聖職者とパリサイ人の新たな代表団が到着した。彼らは、ヨハネがエリーヤであるか、それともモーシェが約束した予言者であるのか直接ヨハネに尋ねた。「私ではない。」とヨハネが言うと、かれらは、敢えて「救世主であるか。」と聞き、「私ではない。」と、ヨハネが答えた。そこでエルサレムからの者たちが言った。「エリヤでも予言者でも救世主でもないならば、なぜ人々に洗礼を施し、こうした騒ぎを引き起こすのか。」ヨハネが返答した。「私がだれであるかを言うのは私の声を聞き、私の洗礼を受けた人々でなければならないが、私が水で洗礼をするのに反して、聖霊で洗礼するために戻ってこられる方が我々の中にいるということをはっきり言おう。

この40日間、ヨハネとその弟子達にとっては困難な期間であった。イエスへのヨハネの関係は何であるのか。多くの質問が議論となった。政治と利己的優先が台頭し始めた。激しい議論は、救世主のいろいろな考えと概念を中心に大きくなっていった。かれは、軍幹部やダヴィド王になるのだろうか。ジャシュアがカナーン人にしたように、かれは、ローマ軍を強打するのだろうか。または、精霊的な王国をうちたてに来るのだろうか。天の王国の樹立のこの任務に何が組込まれたいることになっているのか心の中では全体が明確であったというわけではないが、むしろヨハネは、イエスが天の王国の樹立のために来たのだという小数派に言えば同意見であった。

これらの日々は、ヨハネの経験の中で非常に骨の折れるものであり、ヨハネはイエスの帰りを祈った。弟子の数人が、イエス探索のいくつかの偵察隊を組織したが、ヨハネは禁じた。「我々の時は、天の神の掌中にある。かれは、選ばれた息子を指示するであろう。」

朝食の最中、ヨハネの仲間が、北の方を見上げ自分達の方に来るイエスを見たのは、2月23日の安息日の早朝であった。イエスが接近してくると、ヨハネは大きい岩に立ち上がり、朗々たる声を張り上げて言った。「神の息子よ。世界の救済者よ。これが、『私の後に来られる方は、私よりすぐれた方である。わたしよりも先におられたからである。』と私が言ってきたお方である。このためにこそ、わたしは、天の王国が近いと広布し、悔悟を説き、水で洗礼するために荒野から出て来た。そして、今、聖霊で洗礼を施す方が来られる。また、私はこの方の上に神の霊が降臨するのを見たし、神の声が、『これが私がとても満足している愛しい息子である。』と宣言するのを聞いた」

イエスは、弟のジェームスとジュードがカペルナムに帰ったので、ヨハネと食べるために座る間、皆には食事の続きに戻るように言った。

次の日朝早く、かれは、ヨハネと弟子達に暇乞いをし、ガリラヤに戻った。かれは、再びいつ会うかについては一言も言わなかった。自身の説教と任務に関するジョンの問い合わせに、「私の父が過去にそうしてきたように、そなたを現在、未来、と導くであろう。」と、イエスは言っただけである。そして、この2 人の偉人はその朝ヨルダンの堤で別れた。互いに生身の姿で再び会うことはなかった。

10. ヨハネ南に旅す

イエスがガリラヤへと北に行ったので、ヨハネは、彼の足跡を辿り南方に導かれる思いがした。従って、3 月3 日日曜日の朝、ヨハネと弟子の残りは、南への旅を始めた。ヨハネの近い追随者のおよそ四分の一が、イエスを求めてガリラヤへ出立していた。ヨハネには混乱の悲しみがあった。かれは、イエスを洗礼する前に説教したようには、決して二度と説教をしなかった。来たるべき王国の責任が、もはや自分の肩の上にはないと何となく感じた。自分の仕事はほとんど終わったと感じた。かれは、侘しく、孤独であった。しかし、彼は洗礼し、説教し、南へと旅を続けた。

アダムの村近くで、ヨハネは数週間とどまり、別の男の妻を不法に連れて行ったアンティパス・ヘローデスに対する忘れ難い攻撃をしたのはここであった。この年(西暦26 年)の6 月までに、ヨハネは、来たるべき王国について一年以上も前に説教を開始したヨルダン川のベタニヤの浅瀬に戻っていた。ヨハネは、イエスの洗礼に続く数週間のうちに、新たな激しさをもって腐敗した政治と宗教支配者達を公然と批難するとともに、その説教は、一般大衆への慈悲の宣言へと徐々に変化していった。

ヘローデス・アンティパスは、ヨハネが説教していたその領域において、ヨハネと弟子が反逆をしかけないかと心配になった。ヘロデは、自分の内政へのヨハネの公的批判にも憤慨した。このすべてを鑑みて、ヘロデは、ヨハネを投獄することに決めた。従って、6 月12 日の朝早く、群衆が説教を聞き、洗礼を目撃しに到着する前に、ヘロデの手下達がヨハネを拘禁した。何週かが過ぎ、ヨハネが釈放されなかったので、弟子達は、全パレスチナに離散し、その多くが、イエスの追随者に合流するためにガリラヤに入った。

11. 獄中のヨハネ

ヨハネは、獄中の孤独でやや苦い経験をした。僅かの追随者しか、彼に会うことを許されなかった。イエスに会いたいと切望したが、人の子の信者となった自分の追随者達を通して彼の働き振りを聞くことに満足しなければならなかった。かれは、しばしばイエスと自分の神の任務を疑う誘惑にかられた。イエスが救世主であるならば、なぜこの耐え難い監禁から救い出す何もしなかったのか。神が創造された野外に慣れたこの無骨な男は、1 年半もその上もその卑しむべき牢獄で苦しんだ。そして、この経験は、イエスへの信頼、および忠誠に対する大きな試練であった。実に、この全体の経験は、神へのヨハネの信頼に対する大きな試練でさえあった。かれは、幾度となく自身の使命と経験の真正さえ疑う誘惑にかられた。

入獄から数カ月後、彼の弟子の一団がやって来て、イエスの公の活動に関する報告をした後で言うことには、「わかりますか、先生。あなたとヨルダン川の上流にいた人が成功しており、彼の元に来る者全てを受け入れています。かれは、収税人や罪人とさえ馳走を楽しんでいます。あなたは勇敢に彼を援護されましたが、彼はあなたの救出のために何事もしてはいません。」しかしながら、ヨハネは友等に答えた。「天の父から彼に与えられていない限り、この方は何もすることができない。」お前達は、『私は救世主ではない。しかし、来られる前にその方のために道を準備するために送られて来た者である。』ということを私が言ったのをよく覚えている。そしてそれを私はした。花嫁がいる者は花婿である。しかし、近くに立ち、彼の声を聞く花婿の友人は、花婿の声に大いに喜ぶ。したがって、これで、私の喜びは実現する。彼は大きくなり、私は小さくならなければならない。私はこの地球にいて、自分の趣意を宣言した。ナザレのイエスは、天から地上に降りて来られ、我々全ての上におられる。人の息子は神より下降して来られ、そうして神の言葉をお前達に宣言されるであろう。なぜなら、天の父は、自身の息子に限定して精霊を与えられはしない。父はその息子を愛しておられ、そのうち、この息子の手に全てを載せられるであろう。息子を信じる者は、永遠の命を持つ。そして、私が話すこれらの事は本当であり、不変である。」

これらの弟子は、ヨハネの表明に非常に驚き、黙って出発する程であった。ヨハネもまた予言を口にしたと認め、非常に動揺した。彼は、決して二度とイエスの使命と神性をいささかも疑わなかった。しかし、イエスからなんの知らせもないということ、会いに来ないということ、牢獄から自分を救い出すためのなんの力も用いないということが、ヨハネにとっては極度の失望であった。ところが、イエスはこれに関してすべてを知っていた。イエスが、自分の神性に関する認識を持つそのとき、そしてヨハネがこの世を離れる際のヨハネのために備えられた大きな事を完全に知り、またヨハネのこの世での仕事が終わったということを知っていたことから、イエスは、ヨハネを非常に愛していたものの、立派な伝道者かつ予言者の生涯の自然な仕上がりに干渉しないように自己を抑制した。

獄中でのこの長い不安は、人間にとって耐え難かった。自分の死のわずか数日前、ヨハネは、再び信頼する使いの者達をイエスの元へ送った。「私の仕事は終わったのですか。私はなぜ獄中で苦しい生活を送っているのですか。本当に、あなたは救世主であられますか。あるいは別の方を私達は探すべきですか。」と尋ねた。そしてこれらの2 人の弟子が、この言伝をイエスに伝えると、人の息子が答えた。「忘れてはいない。我々二人にとって全ての正義を満たすことが適しているのであるから、私共々これに耐えよ。とヨハネのところに戻って伝えよ。お前達が見聞きした事—良い知らせが貧しい者達に説教されているということ—を戻ってヨハネに伝えよ、そして、最後に「私を疑ったり、私に躓いたりしなければ、来る時代に夥しく祝福されるであろう、と愛すべき我が地上での使命の伝令者に伝えよ。」これが、ヨハネがイエスから受け取った最後の言葉であった。この言葉は、彼を大いに慰め、彼の信頼を非常に安定させ、この忘れ難い出来事のすぐ後に早くも迫っていた肉体の悲惨な彼の人生の終わりのための準備をさせた。

12. 洗礼者ヨハネの死

ヨハネは、捕らえられた時ペライアの南で働いていたので、すぐマカイロスの砦の牢に連れて行かれ、処刑時までそこに投獄された。ヘロデは、ガリラヤのみならずペライアも統治し、当時ペライアのユーリアスとマカイロスの両地に住居を維持した。ガリラヤでは、公邸がセフォーリスから新しい首都ティベリアスに移されていた。

ヘロデは、反逆を扇動しないかとヨハネの釈放を恐れた。何千ものペライア人が、ヨハネは聖なる人物、予言者であると信じたので、首都での群衆が暴動を起さないかとヨハネの死刑を恐れた。依って、他に打つ手を知らず、ヘロデは、ナザレの伝道者を獄中に留めた。ヨハネは、何度か、ヘロデの前に出たが、釈放されたとしても、ヘロデの領地を去ることにも、全ての公の活動を差し控えることにも決して同意しようとはしなかった。そして、着実に増大していたナザレのイエスに関するこの新しい動揺は、ヨハネを自由にする時ではないことをヘロダに諭した。その上、ヨハネは、ヘロディアス、つまりヘロデの不法な妻の激しく辛辣な憎悪の犠牲者でもあった。

ヘロデは、何度となく天の王国に関しヨハネと話した。そして、時々その言葉に真剣に感銘を受けながらも牢獄からの釈放を恐れていた。

ティベリアスではまだ多くの建築が進んでいたことから、ヘロデは、ペライアの邸でかなりの時を過ごし、その上、マカイロスの砦を特に好んだ。ティベリアスの全ての公共建築物と公邸が完全に仕上がるまでにはまだ数年もあった。

自分の誕生日の祝賀で、ヘロデは、ガリラヤとペライア政府の主要な役人達と評議会の他の部下のためにマカイロス宮殿で盛大な祝宴を開いた。ヘロディアスは、ヘロデへの直訴ではヨハネに死をもたらせることができなかったので、今や、悪賢い計画により自らがヨハネを死に至らせる任につく決心をした。

宵の祭礼と座興の中で、ヘロディアスは、宴会客の前での踊りのために彼女の娘を紹介した。ヘロデは、少女の踊りに大層満足し、自分の前に呼んで言った。「そなたは、魅力的である。非常に嬉しいぞ。わしのこの誕生日にそなたの望んでいることを何でも申してみよ。王国の半分であろうと与えるぞ。」ヘロデは、多量のワインに酔ってこのすべてをした。若い娘は、脇に引っ込みヘロデに何を求めるべきか母に尋ねた。ヘロディアスは、「ヘロデに行って、洗礼者ヨハネの首を頼みなさい。」と言った。そこで、若い娘は、宴会の席に戻り、「大皿の上に洗礼者ヨハネの首をすぐに戴きとう存じます。」と、ヘロデに言った。

ヘロデは恐れと悲しみで一杯になったが、誓いのためと、共に食卓についた全ての人々の手前、要求を否定しようとしなかった。そして、ヘローデス・アンティパスは、兵士を差し向け、ヨハネの首を持って来るように命じた。それで、ヨハネは、その夜刑務所で首をはねられ、兵士は、大皿の上の予言者の首を持って来て、宴会場の背後で若い娘に提示した。少女は、その大皿を母に与えた。ヨハネの弟子達がこれを聞くと、刑務所にヨハネの身体を取りに行き、墓に横たえた後、イエスの元に行って伝えた。

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