論文 70 人間の政府の進化

   
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論文 70

人間の政府の進化

人間は、暮らしを立てる問題を部分的に解決するや否や、人間関係を統制する課題に突き当たった。産業発達は、法、秩序、および社会的調整を要した。私財は政府を必要とした。

抗争は、世界進化において自然である。平和は、ある種の社会の統制的体制によってのみ保証される。社会的規制は、社会的組織と切り離すことはできない。結合は、何らかの権限の制御を含意する。政府は、部族、一族、家族、および個人の反目の調整を余儀なくさせる。

政府は、無意識の発達である。それは、試行錯誤で進化する。それには、生存価値がある。それゆえ伝承的となる。無秩序は、悲惨さを増大した。それ故、政治が、すなわち匹敵する法と秩序が、徐々に台頭したし、もしくは台頭しつつある。存在のためのな紛争への強要は、文字通り文明進歩の道づたいに人類を駆り立てた。

1. 戦争の起源

戦争は、進化する人間の自然な状態であり遺産である。平和は、文明促進を測定する社会的基準である。人は、前進する人種の部分的社会化の前には、きわめて個人主義で、非常に疑り深く、信じられないほどに短気であった。暴力は、自然の法則であり、敵愾心は、子供の無意識な自然反応であり、一方戦争とは、これらの同じ活動が、集団的に続行されれるものに過ぎない。そして文明組織が、何処であろうと何時であろうと前進する社会の複雑な状態からの重圧を感じ始めると、人間の相互作用からくる苛立ちに対し、これらの初期の方法である暴力による調整のための即座の、かつ破滅的な逆戻りが、つねに存在する。

戦争は、誤解と苛立ちへの動物的反応である。平和は、そのような問題や困難のすべての文明的解決策に伴う。サンギク部族、後の劣化したアダーム系とノヅ系は皆、ともに好戦的であった。アンドン系では黄金律が早くから教えられ、また今日でさえ、そのエスキモーの子孫は、その律に従って生活している。習慣は、それらの中に強く存在しており、彼等には暴力的反目はない。

アンドンは、各自が、木を罵り棒で叩くつことで争いを解決することを自分の子供達に教えた。最初に棒の折れた者が、勝者であった。後日のアンドン人は、論争の当時者が、互いをからかったり嘲ったりするその間に、聴衆が、その拍手で勝者を決める公開の催し物を開き争いに決着をつけたものであった。

しかし、戦争のような現象は、社会が、実際に十分に、平和な年月を経験し、軍事的実践を容認する程度にまで発展するまではあり得なかった。他ならぬ戦争の概念は、何らかの組織を意味する。

個人の苛立ちは、社会集団の台頭と共に集団内に沈められるようになり、これが、種族間の平和を犠牲にした種族内の平穏を促進した。平和は、このようにいつもまず最初に外集団、つまりよそ者を嫌う集団内、または部族内で享受された。古代人は、よそ者の血を流すことを美徳と見なした。

にもかかわらず、初めはこれさえうまくいかなかった。初期の首長達が誤解を解こうとするとき、部族の石合戦を少なくとも年に1度は、許可する必要があると分かった。一族は、2班に分かれ、1日がかりの戦をするのであった。そしてこれは、楽しみ以外の何ものでもなかった。全員が実に戦いを楽しんだ。

人は動物から進化した人間であり、すべての動物は好戦的であるが故に戦闘は続く。初期の戦争原因には、次のようなものがあった。

1. 飢餓、それが食料襲撃に導いた。土地不足が常に戦争を引き起こし、初期の平和部族は、これらの争いの間に事実上撲滅された。

2. 女性不足—家事の手伝い不足を取り除くための試み。女性掠奪は、常に戦争を引き起こしてきた。

3. 虚栄—部族の武勇を示す願望。優勢な集団は、劣勢民族にその生活様式を押しつけるために戦うのであった。

4. 奴隷—労働階層補充の必要性

5. 周辺部族が、仲間の部族民に死をもたらしたと思われる確信とき、報復は、一族のとり戦争の動機であった。悲しみは、頭部が家に持ち帰られるまで続いた。報復戦争は、比較的現代に至るまでうけが良かった。

6. 娯楽—戦争は、初期において青年に娯楽と見なされていた。戦争を起こすに足る名目が生じなければ、隣接部族は、休日のつもりで略奪に着手するために、すなわち偽の戦いを楽しむために、やや友好的な戦いに出掛けるのが習わしであった。

7. 宗教—宗派へ改宗させる願望。原始宗教すべてが、戦争を是認した。つい最近、宗教は、戦争に難色を示し始めた。あいにく初期の司祭職は、通常は武力と同盟を結んだ。長い間の最大の和平工作の1つは、政教分離の試みであった。

昔の部族は、常に神の言いつけで、首長、または祈祷師の命令により戦争をした。ヘブライ人は、そのような「戦いの神」を信じた。ミディアン系の襲撃物語は、古代の部族戦争における非人道的残虐行為の典型的な詳説である。この襲撃は、すべての男性の虐殺と、すべての男子児童とすべての非処女の女性のその後の殺害を伴う20万年前の部族の首長の慣習に栄誉を授けたのであろう。そして、このすべてが、「イスラエルの主なる神という名」において実行された。

これは、社会進化—民族問題の自然な解決—の物語である。地球での自身の運命を解決する人間。そのような残虐行為は、責任を神にかぶせる人の傾向にもかかわらず、神による扇動はない。

軍事上の寛容さは、人類にはなかなか生まれてこなかった。一人の女性、デボラが、ヘブライ人を統治したときでさえ、同じ大規模の残酷さが続いた。軍司令官は、「陣営の者はみな剣の刃に倒れ、残された者は1人もいなかった。」という結果を異教徒にもたらした。

毒の兵器が、民族歴史上のごく早期に使用された。あらゆる種類の切除が、慣行された。シャウールは、ダーヴィドが娘ミカールのために支払うべき結婚持参金としてペリシテ人100人の包皮を臆せず要求した。

初期の戦争は、部族間での全体としての争いであったが、後代後においては、異なる部族の2人の個人に揉め事があると、両方の部族が戦う代わりに、2人の論争者が決闘をした。また2つの軍隊が、ダーヴィドとゴリアテの事例のように双方から選ばれた代表者間での闘いの結果にすべてを賭けるのが習慣となった。

戦争の最初の改良点は、捕虜にすることであった。次に女性は、戦争行為から免除され、間もなく非戦闘員の認識が生まれた。やがて軍事階級と常備軍が、戦闘の増加と複雑さとに足並をそろえるために発達した。そのような戦士は、初め女性との交際を禁止され、また女性は、常に兵士に食べ物を供給し、看護をし、兵士を戦闘に追い立てたりしてきたものの、とうの昔に戦うのはやめていた。

宣戦布告の習慣は、大いなる進歩を意味する。そのような戦うという意志宣言は、公正感到着の前兆となったし、しかも「文明的な」交戦規則のゆるやかな発展が、これに続いた。ごく早期に、信仰の場所近くでは戦わない、さらに後には、特定の祝日には戦わないという習慣が生まれ、次には、庇護権の一般的認識が生じ、政治亡命者は、保護を受けた。

こうして戦争は、原始人の狩猟から「文明」諸国の若干の秩序正しい体系へと徐々に進化したのであった。しかし、社会への反目的態度から親善のそれへの移行は、ゆっくりでしかない。

2. 戦争の社会的価値

過去におけるすさまじい戦争というものは、1万年では自然には起こらないであろう社会変化をもたらしたり、新しい考えの採択といったものを容易にしたのであった。これらのある種の戦争利点のために支払われる惨憺たる代価は、社会が一時的に未開状態に戻されるということであった。文明上の理由は、放棄されなければならなかった。戦争は強力な、非常に高価で最も危険な薬である。それは、しばしばある種の社会不安に効くが、時として患者を殺し、社会を破壊する。

不断の国防の必要性が、多くの新たで高度な社会適応を生み出す。今日社会は、当初は完全に軍事的であった多くの有用な革新の恩恵を受けており、軍事教練の初期形態のその1つであったダンスは、戦争に恩恵を受けてさえいる。

戦争が過去の文明に社会的価値を持っていた理由は、それが、

1. 規律を課し、協力を強要した。

2. 不屈の精神と勇気を重んじた。

3. 愛国心を育て結束させた。

4. 力がなく適さない民族を滅ぼした。

5. 原始人の平等の幻想を解消し、社会を選択的に階層化した。

戦争には、 ある種の進化と淘汰的価値があったが、奴隷制度と同様に、それはいつか、ゆるやかに進む文明として放棄されなければならない。昔の戦争は、旅と文化交流を促進した。現代の輸送機関と通信の方法は、これらの目的に一層役立っている。昔の戦争は国を強化したが、現代の戦いは、教化された文化を崩壊する。古代の戦争は、劣性民族の大量殺害をもたらした。現代の紛争の最終結果は、最良の人間の群体の選択的破壊である。初期の戦争は、組織と効率性を助長したが、現在、これらは近代産業の照準となった。戦争は、過去の時代に文明を押し進める社会的発酵体であった。いまこの結果は、野心と発明がよりよく成し遂げる。古代の戦争は、戦さの神の概念を後押したが、現代人は、神は愛であると教えられてきた。戦争は、過去において多くの貴重な目的を果たし、文明形成において不可欠の足場であったが、いまは急速に、文明上の破綻—いかなる方法にてもその祈りに付帯する惨たる損失に釣り合う社会的利益配当の生産不能—をきたしている。

かつて医師は、多くの病気の治療として流血を信じていたが、その後これらの大半の疾患に対するより良い療法を発見してきた。そこで国際戦争の流血もまた、国の害悪除去ためのより良い方法の発見に必ずとって代わらなければならない。

ユランチアの国々は、既に国家主義の軍国主義と産業主義との巨大な戦いを始めてしまい、様々な意味でこの葛藤は、牧夫である狩人と農夫との間での長年の戦いに類似している。しかし、産業主義が軍国主義を打ち負かすそうとするならば、それにつき纏う危険を避けなければならない。ユランチアに芽生え始めた産業の危険の原因は次の通りである。

1. 物質主義への強い動向、精神の盲目性

2. 富と権力の崇拝、価値の歪み

3. 贅沢の悪習、文化の未熟さ

4. 増加する怠惰の危険性、奉仕への無感覚

5. 望ましからぬ人種的軟弱性の増大、生物学上の劣化

6. 標準化された産業奴隷制度の脅威、個性の停滞。労働は高尚にし、苦役は感覚を失わせる。

軍国主義は独裁的で残酷—野蛮—である。それは、征服者間での社会的組織を促進はするが、敗戦者を崩壊させる。産業主義は、さらに文明化され、独創力を増進し個人主義を奨励するように維持されるべきである。社会は、あらゆる可能な方法を尽くして独創性を育成すべきである。

戦争を賛美する誤りを犯してはいけない。むしろそれが、社会のためにしてきたことを見分けたうえで、人が、文明の前進を続けるためにその代用品が提供しなければならないものをより正確に心に描けるようにしなさい。人は、そのような適切な代用品が用意されなければ、戦争が長く続くことを確信するのである。

人は、平和が物質繁栄に最善であると完全に、かつ繰り返し確信するまでは、また社会が、人類の自己保存反応がもつ絶えず蓄積する感情と活力の解放のために考案された集合的原動力を定期的に緩めさせるその固有の傾向を満たすために賢明に平和的代用品を備えるまでは、決して平和を正常な生活状態として受け入れないであろう。

だが過ぎ去っても、戦争は、傲慢な個人主義者の人種が、高度に集中する権威—最高責任者—に服従を強いられる経験的訓練場として支持されるべきである。古風な戦争は、統率力のために本質的に偉大な者達を選んだが、現代の戦争はもはやこれをしない。指導者を見い出すために社会は今、平和の獲得、すなわち産業、科学、および社会的な達成に取り掛からなければならない。

3. 初期の人間の繋がり

群れは、最たる原始的社会においてすべてである。子供でさえもその共有財産である。進化する家族が、子育てにおいて群れに取って代わった一方で、新興の一族と部族は、群れを社会単位とみなした。

性欲と母性愛が、家族を確立する。しかし真の政府は、秀逸な家族集団が形成するようになるまで出現しない。指導者の地位は、遊牧集団の家族形成以前には非公式に選ばれた個人に与えられた。この原始段階を超えての進歩は、アフリカのブッシュマンには決してなかった。彼らには、群れの中に頭という者がいない。

家族は、血縁者の集合体である一族の中で結びついた。これらは次に、部族、地域共同体へと発展していった。戦争と外部の圧力が、親族関係の一族に部族組織を押しつけたが、この早期の原始集団をある程度の内部の平和状態に結合させていたのは、商業と交易であった。

ユランチアの平和は、幻想的平和計画に関する感傷的詭弁の全てによるよりも、国際的な貿易組織によりさらに促進されるであろう。貿易関係は、より良い輸送のみならず、言語の発展により、また改良された通信方法により容易にされてきた。

共通語の欠如が、常に平和集団の発展の妨げとなっていたが、貨幣が、現代貿易の世界共通語となってきた。現代社会は、主に産業市場により結合している。利得追求の動機は、役立つという願望により増大させられるとき強力な教化をする者である。

初期における各部族は、増加する恐怖と疑念の同心円に囲まれていた。従って、かつては見知らぬ者を殺す慣習が、後には、奴隷にすることになった。友情という昔の考えは、一族への受け入れを意味した。そして、一族の成員は、死を生き残る—最も初期の永遠なる命の概念の1つ—と信じられていた。

縁組の儀式は、互いの血を飲むことで成立した。いくつかの集団では、血を飲む代りに唾液が交換され、これが古代の社交上の口づけの習慣の始まりである。すべての結合の儀式は、結婚であれ縁組であれ、常に祝宴によって終結された。

後の時代には赤葡萄酒で薄められた血が、用いられ、やがて縁組儀式の固めには葡萄酒だけが飲まれ、それは、杯に触れることで示され、飲物を飲み込んで行われた。ヘブライ人は、この縁組儀式の改変形態を採用した。そのアラブ人の先祖は、部族出身者の生殖器に候補者の手が置かれている間に誓いを立てる方法を用いた。ヘブライ人は、受け入れたよそ者を親切に、そして兄弟のように採り扱った。「共に住む見知らぬ者を自分達の間に生まれた者とし、また自分を愛するように愛すべきである。」

「客への親好」は、一時的な歓待関係であった。1枚の皿が、訪問客の出立の際に半分に割られ、片方の破片は後に到着するかもしれない第三者への相応しい紹介役となるように去りゆく友人に与えられたのであった。客は、その旅と冒険について語ることで自分の費用を払うことが慣習であった。語り部は、昔甚だ人気があったので、徐々に慣習として狩猟と収穫のいずれの季節にも語り部の職務を禁じた。

最初の平和条約は「血の同盟」であった。戦争中の2部族の平和使節が接触し、敬意を表し、次に血が出るまで皮膚を刺すのであった。その上で互いの血を舐め平和を宣言するのであった。

最も初期の平和使節は、かつての敵の性的満足のためにかつての敵の選んだ少女を連れて来る男性代表団から成った。非常に名誉ある部族は、献上する少女を伴い答礼訪問をしたものであった。そのうえで、平和がしかと確立されるのであった。やがて首長達の家族間での結婚が認められた。

4. 一族と部族

初めての平和集団は、家族、次に一族、部族、やがて民族になり、ついにはそれが、現代の領土的国家になった。ユランチアの諸国が、未だに巨額を軍備に費やしているという事実にもかかわらず、現代の平和集団が、長い間血の結びつきを超え国々を容認するために拡大させてきたという事実が最高の励みになっている。

一族は部族内の血族集団であり、その存在は次のような一定の共通利益によった。

1. 共通の先祖へ起源を遡ること

2. 共通の宗教上の崇敬物への忠誠

3. 同じ方言を話すこと

4. 共通の居住地域を共有すること

5. 同じ敵を恐れること

6. 共通の軍事経験を持つこと

初期の政府は一族の大雑把な同盟であり、一族の頭は常に部族の首長に従属した。土着のオーストラリア人は、部族形態の政府をもつことはなかった。

通常、一族の平和な首長は母系により統治した。部族戦争の首長は、父系を確立した。部族の首長と初期の王の法廷は、一族の頭達から成った。その頭達は、1年に何度かは王の面前に招待されるのが通例であった。これは、王が彼等を見、彼等のより良い協力の保証を可能にした。一族は、地方自治における価値ある目的に役立ったが、大きくかつ強い国の発展を大いに遅らせた。

5.政府の始まり

あらゆる人間の制度には始めがあり、民政は、結婚、産業、宗教と同程度に漸進的発展の産物である。初期の一族と原始部族から20世紀の2/3を特徴づける社会と文民統制の型へと去来する人間の政府の継続的体系が徐々に展開した。

政府の基盤は、小刻みな家族単位の現れとともに一族の組織、つまり血族の集まりに確立された。最初の実際の政府機関は、年長者の協議会であった。この統制集団は、何らかの敏腕振りを示した老人で構成された。知恵と経験は、早くに野蛮な人間にさえ評価され、年長者の支配が長期に続いた。この寡頭政治時代の治世は、徐々に家長的な考えに変わっていった。

初期の年長者の協議会には、行政、立法、司法のすべての政府の機能の可能性が備わっていた。協議会が、最新の慣習を解釈するとき、それは法廷であった。社会慣習の新様式を確立するとき、それは議会であった。そのような法令と立法が励行されたという点で、それは行政者であった。協議会の議長は、部族の後の首長の前触れの1つであった。

幾つかの部族には女性の協議会があり、時々多くの部族に女性の支配者がいた。赤色人種のある部族は、「7人協議会」の満場一致の規則に従うことでオナマナーロントンの教えを維持した。

人類にとり、平和と戦争のいずれも討論会による実行はなし得ないということを学ぶことは、困難であった。原始の「会話」はめったに役に立たなかった。人類は、一族の首脳の一団に命じられた軍隊は、強い1個人に導かれる軍隊に対して見込みのないことを早くに学んだ。戦争は、常に国王の擁立者であった。

最初のうち戦争の首長は、軍務のためだけに選ばれ、平和時にはより社会性義務があり、何らかの権威の放棄したのであった。しかし首長は、戦争から戦争へと統治し続ける傾向にあり、徐々に平和時にもくい込むようになった。首長は、しばしば戦争と戦争の間が長過ぎることのないように取り計らった。初期の戦争支配者達は、平和を好まなかった。

首長の中には、後の時代の軍役以外の理由から非凡な風貌、あるいは傑出した個人的能力の理由から選ばれた。赤色人種には、2組の首長—酋長つまり平和首長と世襲の戦争首長—がいた。平和の支配者は、裁判官と教師であった。

初期のいくつかの共同体は、しばしば首長を務める祈祷師が統治した。1人の男性が祭司、医師、および最高行政官を務めたのであった。初期の王族の紋章は、実にしばしば司祭の衣服の表象、または記章であった。

政府の行政府は、これらの段階を経て徐々に生まれたのであった。一族と部族の協議会は、諮問の権能と後に登場する立法と司法の部門へと続いた。アフリカにおいては今日、これらすべての原始政府の形態が、様々な部族の中に実際に存在する。

6. 君主政府

効果的な国家統治は、完全な行政権を持つ首長の到来とともにようやくやってきた。人は、効を奏する政府は、考えを提供することではなく、人格に力を授与することによってのみ得られということに気づいた。

支配者の地位は、家族のもつ権力、あるいは富の考えから生まれた。父系の弱い王が本物の王になると、時として「民の父」と呼ばれた。後世には、王は英雄から出現すると考えられた。さらに後の支配の地位は、神に由来する王の信仰により世襲性となった。

世襲制王位は、以前には非常な大混乱をもたらしていた王の死と後継者選びの間の無政府状態を回避した。家族には、血のつながる長がおり、一族には、生まれながらの選ばれた指導者がいた。部族や後の国家には生まれながらの指導者が存在せず、これが、首長と王の世襲制に至る更なる理由であった。王族と貴族の考え方もまた、一族の「名前所有権」の慣習に基づいた。

王位継承は、王の血統が、カリガスティア王子の肉体をもつ部下の時代にまで遡ると考えられていたので、やがては超自然と見なされるに至った。したがって、王は、盲目的崇拝対象の人格となり、過度に恐れられた。宮廷慣用に向けての特別話法形態が導入された。ごく近代でさえ、王の接触が病いを治すと信じられており、ユランチアの幾つかの民族は、未だに自分達の支配者は神の起源を持つと見なしている。

初期の盲目的崇拝対象の王は、しばしば隔離されていた。王というものは、祝祭日を除いては目にするには神聖過ぎると考えられた。通常は、王の役を演じる代理人が選ばれ、これが首相の起こりである。最初の内閣の委員の一人は、食物管理者であった。間もなく他の役員があとに続いた。支配者は、すぐに商業と宗教の任を負う代表を任命した。そして内閣の発展が、行政当局の非人格化に向かう直接的第一歩であった。初期の王のこれらの補佐が、容認された貴族となり、また王の妻は、時の経過につれより尊敬される女性としての女王の位を得た。

あくどい支配者は、毒の発見により巨大な力を得た。初期の宮廷呪術は極悪非道であった。王の敵は即刻死んだ。しかし最も専制である暴君さえいくつかの制限を受けることがあった。少なくとも絶えず付きまとう暗殺の不安に縛られた。祈祷師、まじない師、そして祭司は、王にとり常に強力な制動力であった。次に、地主、すなわち貴族は、抑制する影響を揮った。そして時折、一族と部族が簡単に奮い立ち、専制君主と暴君を打倒するのであった。専制支配者は、死刑宣告を受けると自殺の選択肢が与えられそれは、特定情況下の古代社会の風潮の起源となった

7. 原始の同好会と秘密結社

親族関係が、最初の社会的集団を決定した。付き合いが、親族関係にある一族を拡大した。結婚が、集団拡大での次の段階であり、その結果として起こる複雑な部族が、最初の実際の政治団体であった。社会発展における次なる進歩は、宗教宗派と政治的同好会の発展であった。これらは、まず秘密結社として現れ、本来は完全に宗教に関するものであった。それらは、その後、統制的となった。初めは、男性の同好会であった。後には女性団体が現れた。やがて、社会政治的なもの、宗教神秘主義的なものの2種類に分割されるようになった。

これらの社会結社の秘密には次のような多くの理由があった。

1. 何らかの禁忌違反がもとで支配者の不快を被る恐怖

2. 少数派の宗教儀式の実践のため

3. 大切な「精神」、もしくは商いの秘密を守る目的のため

4. 何らかの特別な厄除けか、呪術の楽しみのため

これらの結社の秘密こそが、全会員に部族内の他者を支配する神秘の力を与えた。秘密主義は、虚栄の心をも引きつける。創始者達は、その時代の社会の一流人であった。創設後、少年達は男達と狩りをした。それまでは、女達と共に野菜を採集していたのだが。思春期の試練にしくじり、このように女や子供と共に男の住まいの外に留まることを強いられるということは、女々しいと考えられ、最高の屈辱、部族の不名誉であった。そのうえ、非入会者には結婚は認められなかった。

原始の人間は、非常に早くから思春期の若者に性の抑制を教えた。教育、および鍛練は、男性の秘密結社に任され、思春期から結婚までの間、両親から少年を連れ去るのが習慣となった。またこれらの同好会の主な機能の1つは、思春期の青年を管理したうえで私生児を未然に防ぐことであった。

これらの男性同好会が、他の部族の女性の利用のためにその部族に金を支払ったとき、商業的売春が始まった。しかし、初期の集団には目立った性的放縦さはなかった。

通常、思春期通過儀礼は5年の期間にわたった。これらの儀式の一部は、多くの苦行と苦痛の切断であった。包皮切除が、秘密友愛会の一つへの入会儀式としてまず実行された。部族印が、思春期通過の一部として身体に刻まれた。入れ墨は、会員資格の烙印そういうものとして始まった。そのような拷問は、多くの窮乏と合わせて、これらの若者を強健にするために、人生の現実とその必然的苦難を強く認識させるために考案された。この目的は、後に現れる体育競技と肉体競技によって一層達成される。

そんなことよりも、秘密結社は、思春期の道徳心向上を目的とした。思春期の儀式の主な目的の1つは、他の男性の妻をそっとして置かなければならないということを少年に認識させることであった。

青年は、通常数年にわたる厳しい教練と訓練に続いて、また結婚の直前に短期間の余暇と自由のために解き放たれ、その後結婚のため、そして部族の禁制に対し生涯の従属のために帰還した。この古代の習慣は、「放蕩の限りを尽くす」という愚かな概念として現代まで続いてきた。

後の多くの部族は、女性の秘密同好会の構成を是認した。その目的は、思春期の少女が、妻であること、母であることへの準備のためであった。少女は、入会すると結婚資格が得られ、「花嫁のショー」への、すなわち当時の世に出る会への出席が許された。結婚に反対に誓約した女性集団が、早くに結成された。

やがて未婚男性集団と無所属の女性集団が、それぞれの組織を形成した時、秘密をもたな同好会が成立した。これらの結社が、事実上最初の学校であった。そして男女の同好会が、しばしばお互いを悩ます一方で、幾つかの高度な部族は、ダラマティアの教師との接触後、男女のための寄宿学校を設けて男女共学を試みた。

秘密結社は、主にそれぞれの儀式の神秘的特長が、排他的社会的階級の設立に一役買った。当初これらの会の構成員は、哀悼の儀式—先祖崇拝—から物見高い者達を脅かして追い払うために覆面をしていた。その後、この儀式は、幽霊が現れたと一般に言われる降霊術の会へと発展していった。「新生」の古代社会は、合図を用い、その上特別な秘密の隠語を使った。また、特定の食物と飲み物を摂取しないことを誓った。夜の警察として活動し、とにかく社会的活動において広範囲に機能した。

すべての秘密結社は、誓いを強制し、信頼を強制し、秘密の保持を教えた。これらの命令は暴徒を畏れさせ、規制した。また、自警結社としても機能し、その結果、死刑を実行した。部族交戦中は、彼らが最初の密偵であり、平和時には、最初の秘密警察であった。何よりも良いことには、彼らは、平気で悪事を働く王を不安な状態で座に着かせた。それらを相殺するために、王は自身の秘密警察を育成した。

これらの結社が、最初の政党を生み出した。最初の政党政治は、「弱さ」対「強さ」であった。古代における政権交代は、内戦後にのみ続く、つまり弱者が強くなったという充分な裏付け後にはじめて起きた。

これらの結社は、負債取り立てのために商人に、また税金徴収のために支配者に雇われた。十分の一税である最も初期の形態の1つであり、狩りか戦利品の1/10の課税は、長い間の葛藤であった。税は、元来、王の家の維持のために徴収されたのだが、寺の礼拝式の支援のための供え物として隠蔽して徴収する方が容易いことが分かった。

これらの秘密結社は、程なく最初の慈善団体になり、後には初期の宗教結社—教会の前身—に発展していった。最終的にこれらのうちの幾つかは、種族間の結社、つまり国家間の最初の友愛会となった。

8. 社会階級

人間の心身の不同は、社会階級の誕生を保証する。唯一社会階層のない世界は、最も原始的であり、最も高度である。黎明の文明は、まだ社会的地位の分化を始めてはいないが、一方光と生命に定着した世界は、進化の全中間的段階の特徴である人類のこれらの分化を大幅に削除してきた。

社会が未開状態から蛮行へと移動すると、その人間の構成要素は、次の一般的な理由から階級別に分類されるようになる傾向があった。

1. 自然的—接触、親類関係、結婚。最初の社会的区別は、性、年齢、および血筋—首長との親族関係に基づいた。

2. 個人的—能力、忍耐力、技能、および不屈の精神の認識。まもなく言語の熟達、知識、および一般的知性が後に続いた。

3. 機会—戦争と移住が、人間集団の分離をもたらした。奴隷制度が、自由と拘束の最初のおおざっぱな区分を社会にもたらす一方で、征服による勝者と敗者の関係が、階級の発展に強く影響を与えた。

4. 経済的—貧富。富と奴隷の所有は、社会の1階級の誕生基盤であった。

5. 地理的—階級は、都市、あるいは地方での定住の結果生じた。都市と田舎が、互いに異なる視点と反応で個々に牧夫-農家と交易者-企業家の分化の要因であった。

6. 社会的—階級は、異集団の社会的価値に人気のある評価にそって徐々に形成されてきた。この種の最も早い区分の中では、聖職者-教師、支配者-戦士、資本家-交易者、一般労働者、奴隷の間での区分があった。賃金労働者は、時には資本家階級に加わることを選ぶことができたが、奴隷は、決して資本家にはなれなかった。

7. 職業的—人々は、職業が増えるにつれ階級制度と同業組合を樹立する傾向にあった。労働者は3集団に分かれた。祈祷師、次は熟練労働者、それに熟練を要しない労働者を含む職業階級。

8. 宗教的—初期の宗派同好会は、一族と部族の中での自らの階級を生み出し、そして聖職者の敬虔さと神秘主義が、別々の社会集団として彼らを永続させてきた。

9. 人種的—ある国、または領土単位の中での2つ、あるいはそれ以上の人種の存在が、通常皮膚の色による階級制度を生む。インドの本来の排他的社会制度は、初期のエジプトにあったような皮膚の色に基づくものであった。

10. 年齢—若さと成熟。部族の中で少年は、父親が生きている限り父親の管理下にあり、一方少女は、結婚するまで母親の手元に置かれていた。

柔軟性があり変わり易い社会階級は、進化する文明に不可欠であるが、社会の安定の強化は、階級が排他的社会制度になるとき、社会層が石化するときに個人の自発性の減弱により得られる。社会階級制度は、人が、産業に居場所を見つける問題を解決はするが、それはまた急に個人の開発を抑え、実際には社会的協力を妨げる。

社会における階級は、一度自然に形成されると、人が、次に掲げるような漸進的文明に属する生物、知力、そして精神の源の知的操作を介して徐々に進化の消滅にいたるまで持続するであろう。

1. 部族集団の生物学的改造—劣る人間種族の選択的除去。これは、人間の多くの不同を根絶する傾向にある。

2. そのような生物学上の改良から増加した知能の教育的訓練

3. 人間の親族関係と兄弟愛の感情への宗教的高まり

社会の多くの改善は、文化的進歩のこれらの加速要因である知的で、賢明で、我慢強い巧みな操作により早速に効果をもたらすであろうが、これらの措置は、何千年も遠い未来においてのみ真の実を結ぶことができる。宗教は、混沌から文明を引き上げる強力な梃ではあるものの、健全で正常な世襲に基礎を置く健全で正常な心の支点を別にしては無力である。

9. 人権

自然は、ただ生命とそれが生きる世界というものの他には何の権利も人に与えない。もし非武装の人間が、原始の森林の中で空腹な虎に直面したならばいかなることが起こりうるかということを考えて推論できるように、自然は、生きる権利さえ与えない。社会から人への主な贈り物は、安全性である。

社会は、その権利を徐々に確立し、現在ではそれらは、つぎの通りである。

1. 食糧供給の保証

2. 軍事防衛—備えによる安全保障

3. 国内の保安—個人的暴力と社会的混乱の防止

4. 性の抑制—結婚、家族制度

5. 財産—所有する権利

6. 個人競争と集団競争の助長

7. 若者の教育と訓練のための対策

8. 通商貿易の促進—産業新興

9. 労働条件と報酬の改善

10. これらの他の社会的活動のすべてが、精神的に動機づけられることによって高められるように、永久的な宗教実践の自由の保証。

権利というものが、起源が分からないほどに古いとき、それはしばしば自然権と呼ばれる。しかし、人権は実のところ自然ではない。それは完全に社会的である。それは、競争の規則—変化し続ける人間の競争の現象を支配している関係についての公認の調整—以外の何ものでもなく相対的であり変化しつづけてている。

一時代に正しいと見なされるかもしれないことが、他の時代ではそうではないかもしれない。数多くの欠陥物や退化物の存続は、20世紀文明を妨ぐための何らかの自然権があるのではなく、単にその時代の社会、つまり社会慣習が命じているのである。

人権は、中世のヨーロッパにおいては、ほとんど認識されなかった。当時すべての者は、他の誰かに属し、権利は、国家あるいは教会によって与えられる単なる特権か恩恵にすぎなかった。この誤りに対する反乱は、すべての者は平等に生まれるという信念に導いたが故に負けず劣らず誤った。

弱者と劣者は、常に等しい権利のために戦ってきた。弱者と劣者は、国家が、自分達の必需品の供給を強者と優者に強制し、その他の点では、自身の無関心と怠惰の自然な結果である欠陥を償うことをあまりにも頻繁に常に主張してきた。

しかしながら、この平等観念は、文明の子である。それは自然の中には見つけられない。文化そのものでさえも、人間生来の不同を非常に不平等なその能力によって決定的に示している。自然であると考えられている平等の突然かつ進化的でない実現は、文明人をすばやく原始時代の粗雑な慣例へと後戻りさせるであろう。社会は、等しい権利をすべての者に提供はできないが、それぞれの異なる権利を公平に運用すると約束はできる。社会のすべき事は、自然の子供が、人間の幸福の3構成要素すべてを、つまり公正で平和な機会を享受し、自己維持の追求をし、参加する一方で、ある程度の自己満足を得る機会をあたえることである。

10. 司法の発展

自然の正義は、人為的理論である。それは現実のものではない。正義は、現実には純粋に理論的であり、完全に作り事である。自然は、1種類の正義—結果と原因との必然的一致だけを提供する。

人間が思い描いている正義は、人が権利を得ることであり、それ故、漸進的発展の内容を意味してきた。正義の概念は、おそらく霊を授けられた心においては先天的であろうが、それは、充分発達して空間世界の生活へ突然に現れることはない。

原始人は、すべての現象を人のせいにした。死についていえば、未開人は何が人を殺したかではなく、誰が殺したかを問うた。偶発的殺人は、したがって認められなかったし、犯罪に対する罰に関し犯罪者の動機は、完全に無視された。判断は、受けた負傷に応じて下された。

世論は、最も初期の原始社会において直接的に作用した。法の役人は必要ではなかった。原始生活においては個人の何の情報機密もなかった。一人の人間の行為に対する責任は、隣人にあり、それ故その個人の問題に首を突っ込む権利もあった。社会は、集団の構成員が、各個人の行動に興味を持ち、一定の規制力を持つべきであるという理論で統制された。

非常に早くから、幽霊が、祈祷師と聖職者を通して正義を行なうと信じられた。これが、この位階の者たちを最初の犯罪看破者や法の役人に選んだ。犯罪を見つける初期の方法は、毒、火、痛みの試練を実施することであった。これらの残酷な試練は、粗雑な裁定方法以外の何物でもなかった。必ずしも公正に論争に決着をつけたというわけではない。例えば、毒が投与され嘔吐すれば、被告は潔白であった。

これらの試練の1つ、夫婦間の有罪吟味の記録が、旧約聖書にはある。もし男性が、妻は不誠実であると疑い、司祭の元に連れて行き疑いを主張したならば、聖職者は、聖なる水と寺の床の塵から成る混合物を調合した。脅しの呪いを含む相応の儀式の後、被告の妻はむかつくような一服を飲まされた。有罪ならば、「呪いを引き起こす水は、体内に入り苦くなり、腹は膨らみ、太腿は腐り、そして女は人々の間で責められるであろう。」いかなる女性であろうとも、万が一不潔な一服を痛飲でき、肉体の病の兆候を示さなかったならば、嫉妬深い夫の告発は、取り下げられた。

ほとんど全ての進化する部族は、犯罪看破のこれらの残虐な方法をある時期に実践された。果たし合いは、厳しい試練による近代裁判の遺物である。

ヘブライ人と他の半文明部族が、3,000年前に司法制度のそのような原始の方法を慣行したということには驚かされはしないが、そのような野蛮な異風を聖典の紙面にその後維持しようという考えにこの上なく驚かされる。反省的思考が、いかなる神の存在体も、夫婦間の不貞の看破とその判定に関し人間にそのような不公平な指示を与えはしなかったということをはっきりさせるべきである。

社会は、早くから報復への仕返しの態度を取り入れた。目には目を、命には命を。進化する部族はみな、流血復讐のこの権利を認めた。復讐は原始生活の目的になったが、宗教は以来、これらの初期の部族の習慣を大いに変えてきた。啓示宗教の教師達は、常に「『復讐は我がものである』と主は言われる。」と宣明してきた。初期の復讐のための殺しは、不文律を口実とする現代の殺人とは全く異なっていた。

自殺は、一般的報復方法であった。ある者は、生存中に仇を討つことができなかったならば、幽霊として戻り敵に復讐を加えることができるという信仰を抱きながら死んでいった。この信仰は非常に一般的であったことから、通常、敵の戸口の階段での自殺の脅迫は、相手を承服させるには十分であった。原始人は、命をそれほど大切にしなかった。些細なことのための自殺が多く見られたが、ダラマティアの教えは、この習慣を大いに減少させたし、同時により近代においては、余暇、安らぎ、宗教、および哲学が、生活をより心地良く、より望ましくするために結合されてきた。絶食示威は、しかしながら、この昔の報復方法の現代版である。

進んだ部族の最も早期の法の策定の1つは、血で血を洗う争いを部族問題として取り入れることと関係があった。しかし奇妙な話だが、男性は、その時でさえ、全額支払ったという条件で罰せられることなく妻を殺すことができた。しかしながら、現代のエスキモー人は、未だに犯罪に対する罪を、殺人でさえ、不当な扱いを受けた家族による判決と執行に任せている。

もう一つの前進は、禁制違反のための罰金の賦課、刑罰対策であった。これらの罰金は、最初の公共収入を構成した。また、「殺人報酬」への支払いの習慣は、流血の復讐の代替として台頭した。通常、そのような金銭による賠償は、女性か家畜で支払われた。実際の罰金、つまり通貨での償いが、犯罪のための罰として課せられるまでには長らくかかった。また、処罰への考えは本質的には補償であったので、人間の生命を含むすべてが、最終的には、損害賠償として支払い得る代価を持つようになった。ヘブライ人は、まず殺人謝礼金を支払う習慣を撤廃した。モーシェは、「死にあたいする罪を犯す殺人者の命に対して仇を取るな。」「殺人者は、必ず処刑されるのである。」と教えた。

このようにまずは家族、それから一族、後には部族が、処罰を与えた。真の司法の執行は、報復を個人や血縁集団から取りあげ、社会集団、国家の手に預けることから始まった。

生きたまま焼く刑罰は、かつて一般的な習わしであった。それは、ハンムラピとモーシェを含む多くの古代支配者によって認められた。後者は、多くの犯罪、特に深刻な性に関するものは火刑に処されるべきであると指図するほどであった。もし「司祭の娘」、または、他の指導的立場の娘が公共の売春に走ったならば、「その女を焼く」のがヘブライの習慣であった。

反逆罪—「裏切り」、あるいは部族の仲間を裏切ること—は、最初の極刑であった。家畜の窃盗は、全般的に即決の死によって罰せられ、最近でさえ馬の窃盗は、同様に罰せられてきている。しかし時の経過とともに、刑罰の厳しさは、過去のその確実性と迅速性ほどには犯罪への有益な抑止力でないことが判明した。

集団の憤りは、社会が罪を罰することができないとき、私的制裁法として、通常それ自体が主張をする。保護区対策が、この突然の集団の怒りから逃がれる方法であった。私的制裁と決闘は、国家への私的補償措置の引き渡しに対する個人の不本意を表している。

11. 法と法廷

いつ夜が昼に変わるかを夜明け時に的確に指し示すことが、難しいのと同様に、慣習と法の間に厳格な区別をすることは困難である。慣習は、作られつつある法と警察の規則である。未定義の慣習は、長らく確立されていると、明確な法、具体的な規則、および明確な社会的なしきたりにと具体化する傾向にある。

法は、初めはつねに否定的で禁制的である。それは、前進的文明においてはますます積極的になり指令的になる。初期社会は、すべての他のものに「殺してはならない」という命令を課すことにより個人に生活する権利を与え、禁制的に運用した。個人への権利あるいは自由のすべての付与は、すべての他者の自由刑にかかわっており、これが、禁制により、すなわち原始の法により功を奏する。原始社会は、その組織そのものが完全に否定的であり、また初期の司法行政は、禁制の励行にあったがゆえに、禁制の全体構想は、本来否定的である。しかし、そもそもこれらの法は、異教徒との扱いにおいて異なる倫理規定を持つヘブライ人に例証されるように、仲間の部族民に限って適用された。

宣誓は、より正直に証言をする目的でダラマティアの時代に始まった。そのような誓いは、自らに呪いをかけることから成っていた。以前は、いかなる個人も出身集団に不利な証言をしないのであった。

犯罪は、部族慣習への攻撃であり、罪は、幽霊の強要から利を得た禁忌への違反であり、犯罪と罪の分離失敗による長い間の混乱があった。

自己利益は殺害の禁制を確立し、社会は伝統的な慣習としてそれを神聖化し、一方宗教は、道徳律として習慣を尊いものとし、こうして3つの全てが、人間の生活をより安全で神聖にすることにおいて作用し合った。宗教の拘束が初期になかったならば、社会は纏まることはできなかったであろう。迷信は、長い進化の時代の道徳的で社会的な警察力であった。古代人は皆、昔の法、すなわち禁忌は神によって先祖に与えられたのだと断言した。

法は、人間の長い経験の成文化された記録、民意の具体化であり合法化であった。慣習は、後の支配者の心が成文法を定式化するに至る蓄積された経験の素材であった。古代の裁判官には、何の法もなかった。裁判官は、判決を言い渡すとき、あっさりと「それがしきたりである。」と言った。

法廷決定における先例の参考は、変化する社会状況への成文法を適合させる裁判官の努力を示している。これは、伝統継続の印象深さと相まって変化する社会情勢への進歩的な適合性に備える。

所有物争いは、次のように様々に処理された。

1. 係争物を破壊により。

2. 力により—当事者が、勝負がつくまで戦った。

3. 仲裁により—第三者が決定した。

4. 年長者への上告により—後には法廷へ。

最初の法廷は、殴り合いの対決を取り締まった。裁判官は、単に仲裁者か審判者であった。双方は、同意した規則に従って戦うことを保証した。それぞれの関係者は、法廷闘争に際し費用支払と裁判で負けた際の罰金の支払いのために裁判官に金を預けた。「力は、やはり正義であった。」その後言葉での闘いが、肉体の殴り合いに取って代わった。

原始の正義に対する全体的考えは、争いを処理して治安紊乱と個人の暴力を防ぐところまでには公正ではなかった。しかし、原始人は、現在不正と見なされるようなことにあまり憤慨しなかった。力を持つ者が、利己的にそれを使用することは当然とされた。にもかかわらず、いかなる文明の状態も、その法廷の徹底性と公平性により、またその裁判官の高潔さにより非常に正確に決まるかもしれない。

12. 民間権威の配分

政府の発展における大きな苦闘は、権力の集中に関係していた。宇宙の管理者たちは、よく統一された行政、立法、司法部門の間での適切な力の均衡が保たれるとき、民間政府の代表的な型が、棲息界の進化する民族を最もよく統制するということを経験から学んできた。

原始の権威は、強さに、つまり体力に基づき、一方理想的な政府は、指導者が能力に基づく代議制である。しかし、未開時代には、代議政治が有効に機能するには専ら戦争が起こり過ぎた。独裁者は、権威の分割と命令の一元性との長い藻掻きにおいて勝った。早期の、しかも拡散した原始協議会の年長者の力は、絶対君主という形で徐々に集結された。年長者集団は、本物の王達の出現後、準立法顧問機関に固執した。その後、同格の立法府が出現し、最終的には、立法府から分離した裁定の最高裁判所が設置された。

王は、慣習、すなわち本来の法、あるいは不文律の執行者であった。王はその後、立法の制定、世論の具体化を実施した。世論の表現としての大衆議会の出現は遅れたが、大きな社会的進歩があった。

初期の王は、慣習—伝統、あるいは世論—に大いに制限を受けた。ユランチアのいくつかの国家は、近代においては政府の文書基盤にこれらの慣習を盛り込んだ。

自由の権利が、ユランチアの死すべき者達には与えられている。自らの統治機構を創出すべきである。死すべき者達は、憲章か、あるいは市民の権力と行政手続きの憲法を採用すべきである。これをし終えてから最高行政官として最も有能でふさわしい仲間を選出すべきである。立法部門の代表に関しては、そのような神聖な責任を実現するために知的でかつ道徳的に適任である者だけを選出すべきである。高等裁判所や最高裁判所の裁判官としては、生まれながらの能力に恵まれた者、また十分な経験をもつ賢明な者だけが選ばれるべきである。

人が、自分の自由を維持したければ、自由の憲章を決めた後に、次の事項を防ぐために賢明で、知的で、しかも恐れを知らない解釈を備えなければならない。

1. 行政、または立法による保証がない権力の奪取

2. 無知で迷信深い扇動者達の策謀

3. 科学的進歩の遅れ

4. 凡人支配の膠着状態

5. 悪質な少数派による支配

6. 野心満々かつ賢い独り善がりの独裁者による管理

7. 恐慌による悲惨な混乱

8. 無節操な者による搾取

9. 国による市民への奴隷状態の課税

10. 社会的、経済的公正の不履行

11. 政教の結合

12. 個人の自由の喪失

これらは、進化的世界における代議政治の原動力により統治者として行動する合憲的裁判所の目的であり狙いである。

ユランチアで政府を完成させる人類の葛藤は、行政系統の完成し、変化し続ける現在の必要性に適合させ、政府内での権力の分配を改善し、次に実に賢明である行政指導者を選ぶことに関係がある。神聖かつ理想的な政府の形態があり、そのようなものは明らかにはできないが、各惑星の男女が、時間と空間宇宙の中でゆっくりと、しかも苦心して発見しなければならない。

[ネバドンのメルキゼデクによる提示]

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