論文 128 イエスの成人早期 43

   
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論文 128

イエスの成人早期 43

ナザレのイエスは、成人期の初期に入り、地球での通常かつ平均的な人間の生活を送ってきたし、送り続けた。イエスは、ちょうど他の子供が来るように、この世界に生まれた。かれは、自分の両親の選択には無関係であった。かれは、7番目の最後の贈与、人間の肉体に似せての顕現実行のための惑星としてこの特定の世界を選びはしたが、しかし他の点においては、自然な方法でこの世界に入り、ちょうど、この世界の、あるいは同様の世界の死すべき運命にある者達がするようにこの領域の子供として育ち、またその環境の変化に取り組んだ。

ユランチアにおけるマイケルの贈与の二重目的をいつも心に留めて置きなさい。

1. 肉体での完全な人間生活を送る経験の習得、すなわちネバドンでの主権の完了。

2. 時間と空間世界の命ある居住者への宇宙なる父の顕示、およびこれらの同じ者が、宇宙なる父をより良く理解するためのより効果的な先導。

他のすべての被創造物の恩恵と宇宙の利点は、付帯的であり、人間贈与のこれらの主要な目的に較べれば二次的なものであった。

1. 第21年目(紀元15年)

成人期に至るとともに、イエスは、最も低い知的生物の型の人生の知識を習得する経験を完了する課題にひたむきに、最大限の自意識で開始し、そうすることにより最後に、そして完全に、自己創造の宇宙の無条件の統治の権利を獲得するのである。かれは、完全に自己の二元的な本質を認識しているこの驚くべき課題に取り組んだ。しかし、かれは、事実上、この二つの本質を一人—ナザレのイエス—に一体化をすでに効果的にしていたのであった。

ヨシュア・ベン・ヨセフは、自分が男であり、死すべき運命の人間であり、女から生まれたものであるということを熟知していた。これは、最初の肩書「人の子」の選択に示されている。かれは、実に血肉をもつ参加者であり、そして、今でさえ最高の権威で宇宙の運命を取り仕切るとき、自力で得た多数の称号の中にまだ人の子を携えている。宇宙なる父の創造的な言葉—創造者の息子—が、「ユランチア領域の人として肉体を与えられたうえで住んだ。」ということは文字通り本当である。かれは、労働し、疲労し、休息し、眠った。腹を空かせそのような渇望を食物で満たした。喉の渇きを覚えその渇きを水で癒した。人間の全ての気持ちと感情を経験した。かれは、「君と同様すべての事柄で試され」、そして苦しんで死んだ。

かれは、ちょうど領域の他の死すべき者がするように、知識を得て、経験を重ね、これらを知恵に結合した。洗礼後まで、かれは、超自然力も用いなかった。ヨセフとマリヤの息子として、かれは、人間の資質の一端にいかなる助けも使用しなかった。

自分の前人間存在の属性に関しては、∔かれは、すべて後にした。公の仕事の開始前、かれは、人と出来事に関する知識に関して、完全に自らを制限していた。かれは、人間の間の本物の人間であった。

それは、とこしえに見事に真実である。「我々には、虚弱さに心を動かされる高位の支配者がいる。我々には、我々同様すべての点において試され、誘惑された、しかしいまだ罪の無い主権者がいる。」そして、自らが、試され試み、受難したので、その人は、混乱し、困窮している者を理解し、力を貸すことができる。

ナザレの大工は、その時自分の目前にある仕事を完全に理解したが、その自然な流れの水路において人間生活を送ることを選んだ。そして、これらの問題のいくつかでは、記録さえされているように、かれは、誠に自己が創りだした限りある命をもつ者にとっての模範である。「神の本質をもち、神と対等であることを奇妙でないと思ったイエス・キリストの中にもあるこの心を受け入れよ。しかし、かれは、自ら被創造物のかたちをとり、自らをとるに足りないものとし、人間の姿で生まれてきた。そして、このように人間の姿で、自分を低くし、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで、かれは、従順であった。」

かれは、ちょうどすべての他の人間家族が送ることができるように、死を免れない人生を送り、「生身での日々においては、すべての悪から救うことのできる方に頻繁に、強い感情と涙とをもって、祈りと願いを捧げ、そして彼の祈りは、信じたがゆえに聞き入れられた。」それゆえに、かれが、それらの者の上で慈悲深く理解ある主権を有する支配者になれるようにあらゆる点で兄弟姉妹のように作られているのは当然であった。

かれは、自己の人間性を決して疑いわなかった。それは、自明であり、自分の意識の中につねに存在していた。しかし、自分の神性には、疑問と推測の余地がつねにあり、少なくともこれは、自身の洗礼行事のその時まで事実であった。人間の見地から、神格の自己実現は、ゆっくりと、自然な進化的目覚めであった。神性のこの目覚めと自己実現は、エルサレムにおいてまだ13歳にもならないとき、人間生活での最初の超自然の出来事と共に始まった。そして、神性の自己実現に関するこの経験は、肉体をもつ身でありながら2番目の超自然の経験時点、ヨルダン川でのヨハネによる洗礼に伴う公の聖職と教育の経歴の始まりを記した出来事の際に完了した。

天からのこれらの2つの訪問の間には、1つは13年目、もう一つは洗礼、この肉体を与えられた創造者の息子の人生において超自然的、または超人的なことは何も起こらなかった。にもかかわらずベツレヘムの赤子、ナザレの少年、若者、男性は、実際は肉体を与えられた一宇宙の創造者であった。しかし、かれは、決して一度もこの力を用いなかったし、自分の守護天使は別として、ヨハネによる洗礼の日まで自己の人生の生き方において、天界の人格の指導を利用しなかった。このように証言する我々は、何を話しているかが分かっている。

しかも、かれは、生身の人生の間ずっと実に神性であった。かれは、実際に天国の父の創造者の息子であった。かれは、一度公的な経歴に入ると、統治権獲得のための純粋に人間としての経験の技術的な完成の後に、自分が神の息子であることを公的に認めることを躊躇わなかった。かれは、「私はアルパであり、オメガである。初めであり終わりである、1番目であり最後である。」と宣言することを躊躇わなかった。後年かれは、全世界の全ての名にまさる名を持つ栄光の主、宇宙の支配者、全創造の主なる神、イスラエルの聖なる者、すべての主、我々の主で我々の神、宇宙の全能、この創造の宇宙の心、知恵と知識の全宝物を隠しもっているもの、万物を満たすものの豊かさ、永遠なる神の永遠なる言葉、万物の前にあり万物がその中に存在するもの、天地の創造者、宇宙を支えるもの、全地球の裁判官、永遠の命を与えるもの、真の羊飼い、世界の救世者、救済の船長、と呼ばれたとき何の抗議もしなかった。

かれは、自分の純粋な人間生活の発現から後年の人類における、人類の為の、そしてこの世界と他の全ての世界にとっての神性の公職に関する自意識の後に適用されたこれらの称号のいずれにも決して反対はしなかった。イエスは、適用された1つの称号だけには反対した。一度イマヌエルと呼ばれたとき、「私ではない、それは兄である。」と単に答えた。

常に、地球でのより重大な人生に入って後にさえ、イエスは、天の父の意志に誠に服従的であった。

自身の洗礼後、かれは、誠実な信者と謝意にあふれた追随者が自分を崇拝することを許すことなど考えもしなかった。かれは、家族のための生活必需品を賄うために貧困と闘い、こつこつ手で働く間さえ、神の息子であるという意識は拡大していった。かれは、自分が、天空と人間生活を全うしているまさしくこの地球の制作者でであることを知っていた。そして、大きな、傍観している宇宙を通した天の存在体の集団は、ナザレのこの男性が、最愛の主権者であり創造者‐父であることを同様に知っていた。この数年間ずっと、深い緊張感が、ネバドンの宇宙に広がった。すべての天の目は、絶え間なくユランチアに—パレスチナに—焦点が合わせられた。

この年イエスは、過ぎ越しの祭りを祝うためにヨセフとエルサレムに行った。かれは、奉納のためにジェームスを寺院に連れて行ったので、ヨセフを連れて行くのは自分の義務であると考えた。イエスは、家族の扱いに決して些さかの依怙贔屓もしなかった。かれは、ヨセフと通常のヨルダン渓谷経由でエルサレムには行ったが、アマツースを貫く東ヨルダン経路でナザレに戻った。イエスは、ヨルダン川を下りながらヨセフにユダヤ人の歴史を語り、帰路においては伝説的に川の東の領域に住んでいたルーベン、ガド、ギレアデの評判の部族達の経験について話した。

ヨセフは、イエスの生涯の使命に関する多くの誘導尋問をしたが、これらの問いの大部分に、イエスは、「私の時間はまだ来ていない。」と答えるだけであった。しかしながら、ヨセフが以降の歳月の感動的な出来事の間に覚えていた多くの内容は、これらの親密な議論で仄めかされていた。イエスは、いつもエルサレムでこれらの祭礼祝賀に出席の際するように、ベタニヤでヨセフと3人の友とこの過ぎ越し祭りを過ごした。

2. 22年目(紀元16年)

これは、イエスの弟妹が青春の問題と再調整に特有である試練と苦難に直面していた数年間の1つであった。イエスには、そのとき7歳から18歳におよぶ弟妹がおり、かれは、彼らの知的、そして感情的な生活の新たな目覚めに順応するための力添えに忙しくしていた。かれは、弟妹の生活で明らかになったとき、青春期の問題とこのように取り組まなければならなかった。

この年、サイモンは、学校を卒業し、イエスの少年時代の遊び仲間であり、またいつでも擁護者であった石工のヤコブと仕事を始めた。何回かの家族会議の結果、少年全員が大工に従事することは、賢明でないという決論に達した。商売の多角化することにより、自分達が全体の建造物を建てるための契約を取る準備ができるかもしれないと考えた。また、3人が専任大工として働き続けてきたので、彼らは、それほど忙しくなかった。

イエスは、この年、家の仕上げと指物細工を続けたが、隊商修理場で大部分の時間を過ごした。ジェームスは、イエスと交替で修理場の店番を始めていた。この年の後半、ナザレ近辺での大工仕事が低調であったとき、イエスは、鍛冶屋と一緒に働くためセフォリスに行っている間、修理工場をジェームスに、家の仕事場をヨセフに任せた。かれは、6カ月間金属に取り組み、金床に関するかなりの技能を取得した。

イエスは、セフォリスで新しい仕事を始める前に、定期的な家族会議を開き、その時18歳を過ぎたばかりのジェームスを粛として家族の代理の長としてつかせた。かれは、心からの支持と全面的協力をこの弟に約束し、家族の各自からはジェームスへの正式な服従の約束を取り立てた。イエスが弟へ週ごとの支払いをする一方、この日からジェームスは、家族に対する完全な財政的な責任を担った。イエスは、その後決してジェームスの手から手綱を取り戻すことはなかった。セフォリスで働いている間、かれは、必要なら毎晩徒歩で家に戻れたが、天気や他の理由を口実に意図的に遠のいていた。しかし、真の動機は、家族責務に関係してジェームスとヨセフを訓練することにあった。家族を乳離れさせる緩やかな行動を開始した。イエスは、新計画の進み具合いを観測するため、助言を与えもし有用な提案を示すため、安息日ごとに、また時々必要に応じて平日にナザレに戻った。

セフォリスでの6カ月の大部分の暮らしは、さらに非ユダヤ人の生活の見方に詳しくなる新たな機会をイエスに提供した。かれは、非ユダヤ人と働き、非ユダヤ人と暮らし、あらゆる可能な方法において非ユダヤ人の生活習慣やその心を細心で労をいとわず学んだ。

ヘロデ・アンティパスの故郷である都市の道徳的な水準は、隊商の都市ナザレのそれさえもはるかに劣っていたので、イエスは、セフォリスでの6カ月の滞在の後ナザレに戻る言い訳を見つけることは嫌ではなかった。イエスが働いていた集団は、セフォリスとティベリアスの新都市の両方の公共仕事に従事することになっており、イエスは、ヘロデ・アンティパスの管理下のいかなる種類の雇用であろうと関係があることには気が向かなかった。その上、イエスの意見では、ナザレに戻るさらに他の賢明な理由があった。かれは、修理場に戻っても、家族の問題に関する指揮を2度ととらなかった。かれは、店でジェームスと協同で働き、家庭の監督に関してもできるだけ彼に続けさせた。ジェームスの家族の支出と予算管理は、そのままであった。

イエスが、家族活動の活発な参加からついには引き下がるための準備をしたのは、まさしくそのような賢明で思慮深い計画によってであった。ジェームスが、家族の代理として2年間の経験をしたとき、ヨセフは、家庭の財政役に据えられ、家の一般的な管理を委ねられ—まる2年後に、ジェームスは、結婚することになっていた。

3. 23年目(紀元17年)

この年、財政的な圧迫は、4人が仕事に携わっていたことからわずかに和らいだ。ミリアムは、ミルクとバターの販売でかなりの収入を得た。マーサは、有能な織り手になった。修理工場の購入価格の1/3余りが支払われた。そのような状況であったので、イエスは、サイモンを過ぎ越しの祭りにエルサレムに連れていくために仕事を3週間休んだ。これは、父の死以来、日々の労苦から離れて楽しんだ最も長い期間であった。

かれらは、デカポリス経由でペラ、ゲラサ、フィラデルフィア、ヘスボン、エリコを通ってエルサレムへと旅した。戻りは、海岸沿いに感動的なロド、ヨッパ、カエサレア、そこからカーメル山まわりでプトレマイオス、そしてナザレであった。イエスは、この旅でエルサレム地区の北部のパレスチナ全体についてかなり知った。

イエスとサイモンは、エルサレムの自分の本部に留まるように主張するまでにナザレの二人にかなりの好感をもったダマスカスからの商人との面識をフィラデルフィアで得た。サイモンが寺院に出席をする一方、イエスは、世界事情に通じたこの教養ある旅慣れた男性と話して多くの時間を費やした。この商人は、4千頭の隊商用のラクダを所有していた。かれは、ローマ世界全域に関心を抱き、そのときはローマへの途中であった。かれは、イエスにダマスカスに来て自分の東洋輸入業務に参入することを提案したが、イエスは、家族からそれほど遠ざかって行くことは差し障りがあると説明した。とはいうものの、帰途では、これらの遠方の都市と、それよりさらに遠く離れた極西、極東の国々、すなわち隊商隊の旅客や案内人が話すのを度々聞いた国々について多くを考えた。

サイモンは、エルサレム訪問を大いに楽しんだ。かれは、戒律の新しい息子のための過ぎ越しの祭りの奉納で、イスラエルの共和国に順当に受け入れられた。サイモンが過ぎ越しの祭式に出席する間、イエスは、参詣者の群衆に混じったり、数多くの非ユダヤ人の改宗者との多くの興味深い個人的な会話をした。

恐らくすべてのこの接触で最も注目に値するものは、ステパノというギリシア人的な若者とであった。この青年は、エルサレムを初めて訪れ、過ぎ越しの祭りの週の木曜日の午後に偶然にイエスに出会った。両者がアシュマナン宮殿を見ながら逍遥する間、イエスは、何気ない会話を始め、互いに関心を持つようになり、ついには、生き方、真の神、神の崇拝に関する4時間の議論につながった。ステパノは、イエスの言うことにすばらしく感動したのであった。かれは、イエスの言葉を決して忘れなかった。

そして、これが後にイエスの教えの信奉者となり、そしてこの初期の福音を説く際のその大胆さがもとで、怒るユダヤ人の投石で死ぬという結果におわった同じステパノであった。新しい福音の自身の視点の宣言におけるステパノの驚異的な大胆さの一部は、イエスとのこの早期の会談が、直接的原因であった。だが、ステパノは、およそ15年ほど前に話をしたガリラヤの人物が、後に世界の救済者であると彼が宣言した人と全く同じ人であることを、また、自分がその人のためにそれほど早く死に、その結果、新たに進化しているキリスト信仰の最初の殉教者になることになっていたとは決して推側さえしなかった。ステパノが、ユダヤの寺院とその伝統的習慣に対する攻撃への代価として自己の命を委ねたとき、タルソスの市民のサウルという者がそばにいた。そして、サウルは、このギリシア人が、いかに自己の信仰のために死ぬことができたかを目撃すると、ステパノがそのために死んだ主義を終には信奉するように自分を導く感情が、心を刺激した。後にかれは、唯一の創設者、キリスト教の、でないとしても、攻撃的で不屈のパウロ、哲学者、となった。

過ぎ越し祭りの週後の日曜日、サイモンとイエスは、ナザレへの帰途についた。サイモンは、イエスがこの旅で教えたことを決して忘れなかった。かれは、いつもイエスを慕っていたが、今は、父であり兄であるイエスを知り始めた自分に気づいた。かれらは、国を旅し、道の旁らで食事を作ったりしながら、多くの隠し立てのない話をした。木曜日の正午家に到着し、サイモンは、自分の経験に関する話で家族をその夜遅くまで釘づけにした。

エルサレムで、イエスが「見知らぬ、特に遠国からの人々と雑談するのに」大部分の時間を費やしたというサイモンの報告に、マリヤは非常に動揺した。家族は、イエスの人々への格段の関心を、つまり人々と雑談し、その生活方法を学び、また何を考えているのかを見つけるというイエスの衝動を、決して理解することができなかった。

ナザレの家族は、ますます自分達の即座の、また人間くさい問題に取り紛れるようになった。イエスの未来の使命についてそれほど言及されることはなく、イエスも、滅多に自分の将来の経歴について口にすることはなかった。母は、まれにイエスが約束の子であることを思い浮かべた。彼女は、イエスが地球上で神のどんな任務も実現させることになっているという考えを徐々に諦めていた。それでも時々、子の生まれる前のガブリエル訪問を立ち止まって思い出すと、その信念が蘇るのであった。

4. ダマスカスでの出来事

エルサレムへの途中、イエスは、最初にフィラデルフィアで出会った商人の客人としてダマスカスでこの年の最後の4カ月を過ごした。この商人の代理人は、ナザレを通過する際にイエスを捜したうえでダマスカスへと送っていった。このユダヤ混血の商人は、ダマスカスで宗教哲学の学校設置のために桁外れの金額を奉仕すると申し出た。かれは、アレキサンドリアを負かすほどの学問の中心地の創設を計画した。そして、イエスがこの新計画の先導者になる準備のために、世界の教育の中心地への長い見学旅行を即刻始めるべきであると提案した。これは、純然たる人間の経歴において、イエスがこれまでに直面した最大の誘惑の1つであった。

まもなくこの商人は、この新たに計画された学校の支持に同意した12人の商人と銀行家の一団をイエスの前に連れて来た。イエスは、提案された学校に対する深い関心を表し、その組織の計画の手助けをしたが、自分の述べてはいないが、他の優先する責務が、そのような覇気満々の企ての指揮の受け入れを妨げるという懸念を表明した。この自称後援者は、執拗であり、彼、妻、息子達、娘達が、差し出した名誉を受け入れるようにイエスを説き伏せようとする一方、かれは、かれの家での若干の翻訳にイエスにとり有利になるように雇った。しかし、イエスは同意しなかった。かれは、地球での使命は学習団体に支えられるないことをよく承知していた。かれは、どんなに善意であろうとも、「人間の評議会」に指示されることを少したりとも義務づけてはならないことを知っていた。

指導力を示した後にさえ、エルサレムの宗教指導者に拒絶されたかれは、ダマスカスの実業家かつ銀行家に主たる師と認められ、迎え入れられ、しかもこのすべてが、ナザレの人目につかない無名の大工であったときに。

かれは、この申し出について家族には決して話さず、この年末にはまるでダマスカスの友人達の口上手な申し入れに一度も誘惑されたことがなかったかのように、ナザレでの日々の務めに従事していた。またダマスカスのこれらのいずれの男性も、すべてのユダヤ人に動揺を与えたカペルナムの後の市民を自分達の結合された富が手にしたかもしれない名誉をあえて拒否したナザレの元大工とを結びつけなかった。

イエスは、世界の目で、決して一個人の行いとして関連づけられるようなことのないように、自分の人生の様々な挿話を分離することを最も賢く、しかも意図的に案出した。その後の数年間、かれは、アレキサンドリアに対抗する学校をダマスカスに設立する好機を斥けた奇妙なガリラヤ人についてのこの同じ話が語られるのを何度となく聞いた。

かれが、地上での経験におけるある種の特徴を隔離しようとしたとき、イエスの心にあった1つの目的は、その後の世代が、彼が生きて教えた真実に従う代わりに、その師を崇拝する原因になるような多才で華々しい経歴の構築を防ぐことであった。イエスは、自分の教えに注意を引くようなそんな人間の功績の記録を確立したくなかった。とても早くからイエスは、自らが世界に公布するつもりであった王国の福音の競争相手になるかもしれない自分に関する宗教を、追随者達が打ち立てようという気になると気がついた。従って、かれは、自分の波瀾万丈の一生の間、教えを公布する代わりにその師を高めるような人間のこの自然の傾向の助けになるかもしれないすべてを一貫して抑圧しようとしていた。

また、この同じ動機が、この世界での彼の多様な人生の多岐にわたる時期に、異なる称号で知られることをなぜ許容したかをも説明している。一方、家族や他の者達の正直な信念に反して彼をを信じさせるように彼らを導く少しの不都合な威圧も欲しなかった。かれは、常に人間の心の不当な、または不公平な弱みに乗じることを拒否した。彼らの心が、自分の教えで明らかにされる精霊的な現実に共鳴しない限り、人々に自分を信じて欲しくはなかった。

ナザレの家庭は、この年の暮れまでにはかなり順調に進んでいた。子供は成長していたし、マリヤはイエスの留守に慣れてきた。かれは、即座の個人的な費用のために家族扶養のために自己の収益をジェームスに与え続け、ほんの一部だけを手元に残した。

数年が経過すると、この男性が地球の神の息子だと認識することは、より難しくなった。かれは、全く領域の一個人のように、丁度他の人間と同じようにみえた。また天国の父により、贈与がまさしくこのように展開すべきであると定められた。

5. 24年目(紀元18年)

これは、家族責任から比較的に自由であったイエスの最初の年であった。ジェームスは、イエスの助言と財政援助で家庭の管理を非常に首尾よくやっていた。

この年の後半、パレスチナ海岸のどこかでイエスとアレクサンドリアのユダヤ人の集団の間での会合の手配のために、アレキサンドリアからの一青年が、この年の過ぎ越しの祭りの次の週に、ナザレにやってきた。この会議は、6月中旬に予定され、イエスは、主要な礼拝堂のカザンの補佐の地位をまず誘因として提案し、イエスが宗教教師として自分達の都市で確立するように強く求めたアレキサンドリアの5人の著名なユダヤ人に会うためにカエサリアへ出向いた。

この委員会の代表者らは、アレキサンドリアが、全世界のためのユダヤ文化の本拠地になる運命にあると、すなわちユダヤの情勢のヘレニズム動向は、事実上バビロニアの学派をはるかに引き離したとイエスに説明した。かれらは、エルサレムにおける、そして全パレスチナでの反逆の不吉な鳴動をイエスに思い出させ、パレスチナのユダヤ人のいかなる暴動も国家自尽に等しいと、ローマの鉄の手は3カ月で反逆を粉砕するであろうと、エルサレムは破壊され、寺院は取り壊され一つの石も残されないだろうと、確信をもって彼に言った。

イエスは、皆が言うべきことのすべてを聞き、彼らの信頼に感謝し、アレキサンドリア行きを断るに当たり、大まかに、「私の時間はまだ来ていない。」と言った。かれらは、与えようとした名誉に対するイエスの明白な無関心に困惑した。イエスにいとまごいをする前に、アレクサンドリアの友人の尊敬の印として、また、打ち合わせのためにカエサレアに来る時間と費用の補償として財布を差し出した。しかし、「ヨセフの家は、施し物を一度も受けたことがないし、私には強い腕力があり、弟達が働ける限り、我々は他人のパンを食べることはできない。」と言いつつ同様に金をも拒否した。

エジプトからの友人達は、家に向けて出帆した。そして、その後数年間、パレスチナにおいてあれほどの騒動を引き起こしていたカペルナムの船大工の噂を聞いたとき、それが成人したベツレヘムの赤子で、アレキサンドリアでの偉大な師になる招待をあっさり断った奇妙な振る舞いのガリラヤ人と同じだと推察したのは、わずかの者だけであった。

イエスはナザレに戻った。残るこの年、全生涯の中で最も問題のない6カ月であった。かれは日常の解決すべき問題や乗り越える困難からのこの一時的な中断を味わった。かれは、天国の父と多く交わり、自分の人間の心の支配において相当の進歩を遂げた。

しかし、時間と空間の世界における人間社会の諸事は、長くは順調に進まない。ジェームスは、12月にナザレの若い女性エスタと非常な恋仲であると説明し、段取りがつけばいつか結婚したいとイエスに打ち明けた。ジェームスは、ヨセフがもうすぐ18歳になり、家族の代理の長として務める機会をもつことは、ヨセフのために良い経験であるという事実に注意を向けた。イエスは、ジェームスが、家の指揮実行に当たるヨセフに適切な訓練がその間に与えられるのであればという条件で、2年後の結婚に同意した。

そしてこのとき、事が動き始めた—結婚の気配があった。結婚へのイエスの同意を得るためのジェームスの成功は、ミリアムを勇気づけて、彼女の心積もりを父親代わりの兄に働き掛けさせた。若い石工、ヤコブ、かつてのイエスの自薦覇者、今はジェームスとヨセフの仕事仲間は、長い間ミリアムとの結婚許可を得ようとしてきた。イエスは、ミリアムが彼女の計画を提示したとき、ヤコブが正式な申し入れをしに来るべきだと指示し、マルタが、長女としての義務を引き受けるに充分だと感じ取り次第、すぐに結婚のための祝福をするという約束をした。

在宅中かれは、1週間に3回、夜間の授業を教え続け、安息日にはしばしば礼拝堂で聖書を読み、母と雑談し、子供達に教え、大抵は、イスラエル共和国の立派で尊敬されるナザレの市民として一般的に振舞った。

6. 25年目(紀元19年)

この年ナザレ一家は皆、健康な状態で始め、マルタがルツのためにしなければならない特定の仕事を除いては、すべての子供の通常の学校教育の修了をみた。

イエスは、アダムの時代から地上に現れた成人の最も強健で洗煉された男らしさの雛形のうちの一人であった。身体の発達は、見事であった。心は活発で、鋭敏で、洞察力があった—同時代の人の平均的心理と比べて、それは、巨大な規模での発達であり—かつ、その精神は誠に人間的に神性であった。

家族の財政は、ヨセフの地所の消失からは最高の状態にあった。隊商修理場に対する最終的な支払いは、すでにおわり、誰からの借金もなく、数年ぶりに初めて若干の資金があった。こういう事情であり、他の弟を各々の最初の過ぎ越し祭りの式にエルサレムに連れて行ったことでもあり、イエスは、ユダ(礼拝堂学校を卒業したばかり)の最初の寺院訪問に同行すると決めた。

イエスが、弟をサマリア経由で連れて行く際の揉め事を案じたことから、ヨルダン渓谷に沿う同じ道をエルサレムへ行き、また戻った。ユダは、すでにナザレで強い愛国感情と結合した短気な性癖のために何度か些細な悶着に陥ったことがあった。

かれらは、そのうちにエルサレムに到着し、ユダの魂の深層を掻き混ぜ、ぞくぞくさせたまさにその光景の寺院への最初の訪問の途中、たまたまベタニヤのラザロに出会った。イエスがラザロと話し、過ぎ越し祭りの共同祝賀の準備の相談をしているとき、ユダは、皆にとって深刻な問題を起こしていた。通りがかりのユダヤの少女に不適当な発言をしたローマの護衛兵が、すぐ近くに立っていた。ユダは、火のような憤りで紅潮し、兵士に聞こえる範囲内で、直接そのような無礼に対する自分の憤懣の表明に時間をかけなかった。さて、ローマの軍人は、何にでもユダヤ人からの軽蔑の類には非常に敏感であった。従って、護衛兵は、即座にユダを拘禁した。これは、若い愛国者には手に負えず、イエスが警告の一瞥で注意を促すことができる前に、ユダは、鬱積した反ローマ感情を能弁に罵詈をあびせた。そのすべてが、悪い状況を悪くするだけであった。ユダは、側によるイエスとともに、すぐに軍の刑務所に連行された。

イエスは、ユダの即座の公聴会か、さもなくばその晩の過ぎ越し祭りの祝賀に間に合う釈放のいずれかを得ようと努めたが、この試みに失敗した。翌日がエルサレムでの「聖なる集会」であったので、ローマ人でさえ、敢えてユダヤ人に対する告訴を聞くつもりはなかった。従って、ユダは、逮捕後の2日目の朝まで監禁されたままであり、イエスは、ともに刑務所に留まった。かれらは、戒律の息子をイスラエルの完全な市民に迎え入れる儀式のとき寺院にはいなかった。ユダは、数年間、次回の過ぎ越し祭りとゼロテ党、自分が属し、彼が非常に活動的であった愛国的な組織の宣伝業務に関してエルサレムに入るまでこの正式な儀式に参加しなかった。

刑務所での2日目の翌朝、イエスは、ユダのために軍の治安判事の所に出向いた。イエスは、弟の若さを謝罪し、弟を逮捕へと導いた出来事の挑発的な性質に関しさらなる説明、しかも思慮深い申し立てで、この事件に対処したので、行政長官は、若いユダヤ人の乱暴な激発には何らかの可能な口実があったかもしれないという意見を述べるほどであった。そのような軽率な罪を犯さないようユダに警告した後、二人を罷免する際にイエスに言った。「その若者を監視するほうがよい。かれは、お前達にとって多くの問題を起こす傾向にある。」そして、ローマの裁判官の言ったことは真実であった。ユダは、イエスにとりかなりの問題を起こし、そして、いつもこれと同じ類の問題—考えのない、賢明でない、愛国的な爆発による行政当局との衝突—であった。

イエスとユダは、その夜を過ごすためにベタニヤまで歩き、なぜ過ぎ越し祭りの夕食の約束を果たせなかったかを説明し、翌日ナザレに向けて出発した。イエスは、エルサレムでの弟の逮捕に関して家族には話さなかったが、帰宅のおよそ3週間後にこの出来事についてユダと長い話をした。イエスとのこの話の後、ユダ自身が、家族に話した。かれは、父親代わりの兄が、このつらい経験の全体を通して示した忍耐と寛容を決して忘れなかった。

これは、イエスにとり家族の一員を伴って参加した最後の過ぎ越し祭りであった。ますます人の子は、自身の血縁との近い交わりから切り離されるようになっていた。

深い思索の季節であるこの年は、しばしばルツとその遊び仲間に妨害された。イエスは、エルサレムへの様々な旅行の経験に関する話に決して聞き飽きることのないこれらの子供のあどけない楽しみや幼年期の喜びを共有するために、世界と宇宙のための自分の将来の仕事についての熟考を延期する準備がいつでもできているのであった。子供たちも、動物と自然に関するイエスの話を大いに楽しんだ。

子供達は、いつも修理場で歓迎された。イエスは、工房の側に砂、煉瓦、および石を用意し、子供の一団は、楽しむためにそこに群れた。遊びに飽きると、その中の大胆な子らは、工房を覗き見し、経営者が忙しくないと、「ヨシュアおじさん、出て来て長い話をしてよ。」と大胆に入って行って言うのであった。それから、彼らは、子供らが、地面で彼の前に半円になり、イエスが店の隅のお気に入りの岩の上に座るまで手をぐいと引いて連れ出していくのであった。幼子達は、ヨシュアおじさんをどれほどまでに楽しんだことであったか。かれらは、笑うこと、それも心から笑うことを学んでいた。最も幼い一人か二人の子供が、膝に登ってきて座るのがお決まりであり、話をするときの表情に富んだ彼の顔を驚いて見上げるのであった。子供達は、イエスを慕い、イエスは子供達を可愛がった。

友人達にとり、イエスの知的な活動の範囲を理解すること、また政治、哲学、宗教の深遠な議論から5歳から10歳の間のこれらの幼児の気楽で喜ばしい遊びの態度にいかしてそのように唐突にしかも完全に揺らめくことができるのかを理解することは、難しかった。イエスは、弟妹の成長につれ、彼が多くの余暇を得るにつれ、かつまた、孫が生まれる前に、これらの幼い者達へ大きな注意を払った。しかしかれは、大いに孫を楽しむほどにはこの世に長く生きなかった。

7. 26年目(紀元20年)

この年が明けるとともに、ナザレのイエスは、自分が広範囲にわたる潜在的な力を備えていることを強く意識するようになった。しかし、この力は、少なくとも時の来るまでは、人の子としての人格による使用はされないと、彼は完全に心得ていた。

このとき、かれは、天の父と自分の関係に関して多くを考えたが、ほとんど口にはしなかった。そして、このような考えの結論は、かつて丘の上での祈りで、「自分が何者であるのか、そしていかなる力を行使するのか、しないかにかかわらず、常に楽園の父の意志に従順であったし、これからもそうである。」と表現された。しかし、この男性が、仕事の往き帰りにナザレ周辺を歩くとき、「知恵と知識のすべての宝物が彼の中に隠されている」ということ—広大な宇宙に関係があることから—は、文字通り本当であった。

家族に関しては、この年いっぱい、ユダを除いては順調であった。長年、ジェームスは、仕事に落ち着く様子もなく、家の費用に対する分担責任を果たすこともない最年少の弟で苦労をした。家に同居する間、ユダは、家族維持のための自分の割り当て分を稼ぐことに関し誠実ではなかった。

イエスは、平和の人であり、ときどきユダの好戦的な離れ技と数多くの愛国的な爆発に手を焼いた。ジェームスとヨセフは、彼の追い出しを支持していたが、イエスは同意しなかった。彼らの忍耐が激しく試されるとき、イエスは、助言するだけであった。「我慢しなさい。弟がまずより良い道を知り、次にそこで君達に従がえるように抑制するよう助言に関しては賢明であり、人生に関しては雄弁でありなさい。」イエスの賢明で情愛深い助言は、家族の亀裂を防いだ。家族は、一纏まりのままでいた。しかしユダは、結婚後まで決して冷静な感覚に目覚めなかった。

マリヤは、イエスの将来の使命についてあまり話さなかった。この主題に及ぶといつでも、イエスは、「私の時間はまだ来ていない。」と、返答するだけであった。イエスは、自分の人格の目前の臨場の依存を家族に止めさせる難しい任務をほぼ完了した。イエスは、人間のための本当の公務へのより活発な先触れを始めるために、このナザレの家を矛盾なく離れることのできるその日のために素早く準備をしていた。

第7の贈与における主要な任務が、被創造者の経験習得、ネバドンの主権の達成であったという事実を決して見失ってはならない。そして、まさにこの経験の蓄積において、イエスは、ユランチアに、そして全地域宇宙に楽園の父の最高の顕示をした。これらの目的に付随して、この惑星の複雑な問題は、明けの明星の反逆に関連があったことから、彼もその問題解決をも引き受けた。

この年、イエスは、通常の余暇以上に楽しみ、修理場の経営におけるジェームスと家庭内の管理におけるヨセフの養成に多くの時間を捧げた。マリヤは、イエスが自分達から離れていく用意をしていると感じた。自分達を残してどこに行くのか。何をするために。イエスが救世主であるという考えをあきらめようとしている彼女であった。彼を理解できなかった。彼女は、長男を全く理解できなかった。

イエスは、この年、家族の銘々と多くの時間を過ごした。かれは、彼らを丘の上や田舎を通り抜ける長い頻繁な散策に連れ出すのであった。収穫前に、かれは、ユダをナザレの南の農夫のおじの元へ連れていったが、ユダは、収穫後ずっと留まってはいなかった。かれは、逃げ出し、後にサイモンが、漁師といる彼を湖で見つけた。サイモンが家に連れ戻ったとき、イエスは、この逃走少年といろいろと話し合い、ユダが、漁師になりたがっていたので、共にマグダラに出掛け親類の漁師に預けた。そこでユダは、非常によく働き、しかも結婚するまでずっと働き、結婚後も漁師にとどまった。

遂に弟全員が、生涯の仕事を選び、それぞれに落ち着くその日が来た。舞台は、イエスの出発のために設定されていた。

11月に、二組の結婚式があった。ジェームスとエスタ、そしてミリアムとヤコブが、結婚した。実に嬉しい出来事であった。マリヤでさえ、イエスが遠ざかる準備をしていると理解した時々を除いては、もう一度幸福であった。彼女は、大きな不安に苦しんだ。少年の時のように、イエスが座り、自由にすべてを話しさえしてくれればと思うのだが、かれは、一貫して打ち解けなかった。かれは、将来についていたく寡黙であった。

ジェームスとその花嫁エスタは、父からの贈り物であるこぢんまりとした町の西側の小さい家に越した。ジェームスは、母の家の援助を続けたが、その分担は、結婚のために半分に減らされ、またイエスは、家族の長として正式にヨセフを任命した。ユダは、毎月、割り当て分の金額を非常に忠実に送ってきていた。ジェームスとミリアムの結婚式は、ユダに非常に有益な影響をもたらした。そして彼が、二組の結婚式のその翌日漁場に向けて発つとき、「私の全義務を果たすし、必要であればそれ以上に、」と自分に頼ることができるということをヨセフに確約した。そして、その約束を守った。

すでに父であるヤコブは先祖と共に埋葬されており、ミリアムは、マリヤの隣のヤコブの家で生活した。マルタは、家でミリアムの代わりをし、新家庭の状況は、その年の暮れるまでには順調であった。

この二組の結婚式の翌日、イエスは、ジェームスと重要な話をした。かれは、家を出る準備をしていると密かにジェームスに伝えた。かれは、ジェームスに修理場の全権利を提示し、正式に、ヨセフの家の長から厳かに退位し、そして弟のジェームスを「父の家の長と保護者」として最も感動的に定めた。イエスは、修理場を与える返礼に、ジェームスが、今後家族に対する全財政的な責任を負い、こうして、これらの事柄におけるこれ以後の全ての義務からイエスを自由にすると明文化された秘密の同意書を作成し、二人は署名した。契約の署名後、イエスから何の貢献なく、予算が、家計の支出実費と合致するように調整された後、イエスが、ジェームスに言った。「だが、息子よ、私の時間が来るまで毎月いくらか送り続けるつもりであるが、それは必要に応じて、お前が用いるべきものである。私の金は、家庭の必需品、または娯楽に用いなさい。病気、あるいは家族の誰に降り掛かってくるかもしれない予期されない非常事態に適用しなさい。」

このようにして、イエスは、父の用向きで公の中に入って行く前の成人期の第2の、しかも家から離れた段階を始めようと準備をした。

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