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論文 74 アダームとハヴァー

論文 74

アダームとハヴァー

アダームとハヴァーは、西暦1934年から遡る3万7,848年前にユランチアに到着した。二人が到着したのは、園が花盛りの季節の半ばであった。正午しかも発表もなく、生物の改善に努めるもののユランチアへの輸送を任されたジェルーセム要員に同伴された二名の熾天使輸送係が、宇宙なる父の寺院近くの回転惑星の表面にゆっくりと着いた。アダームとハヴァーの再度の肉体化のすべての仕事が、新たに建設されたこの神殿の境内の中で進められた。世界の新統治者としての披露のために二元的な人間の姿に再現されるまで二人の到着から10日が経過した。二人は同時に意識を取り戻した。物質の息子等と娘等はいつも共に役目を果たすのである。二人の本質的重要性は、何時でも何処でも決して切り離されることなく仕えることがである。二人は対で働くように予定されており、めったに単独では機能しない。

1. ジェルーセムでのアダームとハヴァー

ユランチアに到着の惑星のアダームとハヴァーは、双方共に1万4,311番であるジェルーセムの物質の息子の年長部隊に属する隊員であった。二人は、物理的には3番目の組に属し、およそ2メートル半の身長であった。

アダームは、ユランチア行きに選ばれた時、ジェルーセムの試験と実験の物理実験室で仲間と共に働いていた。彼らは、1万5,000年以上も生形体に適用される実験エネルギー部門の管理者であった。このずっと以前には、ジェルーセムの新規到着者のための公民学校の教師であった。そしてこのすべてが、ユランチアにおける彼等のその後の行為の叙述に関し覚えておかれるべきである。

ユランチアにおけるアダームの冒険任務のための志願者要請が発表されると、物質の息子と娘の年長部隊全体が志願した。メルキゼデクの試験官は、ラナフォーゲとエーデンチアのいと高きものの承認と共に、ユランチアの生物上の改善に努めるものとして機能するために最終的にアダームとハヴァーを選出した。

アダームとハヴァーは、ルーキフェレーンスの反逆期間、ミカエルに忠実であり続けた。にもかかわらず、二人は、尋問と指令のために体系君主とその内閣全体に召喚された。ユランチア問題の詳細は、すっかり提示され、二人は、そのような紛争で疲弊した世界の支配者の責務を引き受けるに当たり、果たされるべき計画について徹底的に指示を受けた。二人は、ともにエーデンチアのいと高きものとサルヴィントンのミカエルへの忠誠の宣誓をした。そして二人は、その行政機関が、配属先の世界の支配から手を引くのが適当であると思われるまで、メルキゼデク受信者のユランチア部隊に従属すると見なすよう順当に助言を受けた。

ジェルーセムのこの1組の男女は、サタニアの首都と他の場所に100名の子—50名の息子と50名の娘—進行途中の落とし穴を逃がれ、両親のユランチアに向けての出発時点において、宇宙の信頼に対し忠実な執事として全員が就役していたすばらしい被創造者達を後に残した。そして、これらの娘と息子の全員が、物質の息子の美しい寺での贈与承認の最後の儀式に伴う送別授与式に参列していた。これらの子供等は、属する系列の非物質化本部にむけて両親に同伴し、両親が、熾天使の輸送のための準備に先立つ人格の意識中断状態のうちに眠りに入るとき、一番最後に両親への別れとその道中の安全を述べた。子供等は、まもなく両親が目に見えるサタニア系の惑星606号の代表者、実際には唯一の支配者となることを喜びながら家族の待合せ場所でしばらくともに時を過ごした。

アダームとハヴァーは、こうして、市民が、拍手喝采し成功を願う中でジェルーセムを後にしたのであった。二人は、ユランチアで遭遇するあらゆる義務と危険に対し適切に装備し、充分に指導を受け新たな責務へと旅立っていった。

2. アダームとハヴァーの到着

アダームとハヴァーはジェルーセムで眠りにつき、二人を歓迎するために集まった、大観衆のいるユランチアの父の寺院で目覚めたとき、以前よく耳にしていた二人、ヴァンとその忠実な仲間アマドンに直接向かい合っていた。新庭園の家で最初に二人を歓迎したのは、カリガスティア脱退のこの2人の英雄であった。

エーデンの言葉は、アマドンの話すアンドン方言であった。ヴァンとアマドンは、24文字の新アルファベットの作成によりこの言語を著しく改良し、またエーデン文化が世界中に広まるにつれ、それが、ユランチアの言葉になるのを見たいと願っていた。アダームとハヴァーは、ジェルーセム出発前にこの人間の方言を完全に習得していたので、アンドンのこの息子は、自分の世界の地位の高い支配者が同じ言葉で演説するのを聞いた。

その当日、走者が、遠近から集められた伝書鳩の集合場所へと「鳥を放て。約束された息子が来られたと知らせを運ばせよ。」大急ぎで叫んでいると、エーデン中に大きな興奮と喜びがあった。毎年のように何百もの信者の集落は、まさしくそのような特別の機会のためにこれらの自家飼育の鳩の供給を忠実に続けてきた。

アダームの到着の知らせが広まると、近隣の何千人もの部族民がヴァンとアマドンの教えを受け入れる一方で、巡礼者は、何カ月も何カ月も、アダームとハヴァーを歓迎するため、また見えない父に敬意を表するためにエーデンへと繰り出してきた。

目覚めの直後、アダームとハヴァーは、寺の北部にある大きい堤での正式の歓迎会へ案内された。この自然の丘は、拡大され、世界の新支配者の就任のために用意されていた。ここで正午に、ユランチア歓迎委員会は、サタニア系のこの息子と娘を歓迎した。アマドンはこの委員会の議長であった。委員会は、サンギクの6人種の各代表を含む12人の構成員;中間者の臨時の主任、ノヅ系の忠誠な娘であり広報担当であるアナン、園の設計者かつ建築者の息子であり、また故人となった父の計画実行者であるノア、そして在住の2名の生命搬送者から成った。

次の活動は、年輩のメルキゼデク、ユランチアの財産管理の協議会長が、アダームとハヴァーに対して惑星後見義務を実施することであった。物質の息子と娘は、ノーランティアデクのいと高きものとネバドンのミカエルとに忠誠の誓いを立て、ヴァンは、アダームとハヴァーが、ユランチアの支配者であると宣言した。その結果、ヴァンは、メルキゼデク受信者の働きの効力により15万年以上維持してきた名義上の権威を放棄した。

この時、つまり世界支配者への正式の就任時に、王らしい礼服が、アダームとハヴァーに授けられた。ダラマティアの全ての芸術が世界から失われていた訳ではなかった。エーデンの時代、機織りはまだ営まれていた。

その時大天使の宣言が聞こえ、加えてガブリエルの放送の声が、ユランチアの2度目の裁決点呼と、サタニア606号の恩寵と慈悲の2度目の配剤の対象である眠れる生存者たちの復活を命じた。王子の統治は終わり、アダームの時代、つまり3度目の惑星時代は、簡易で雄大な場面の中で開始する。ユランチアの新支配者達は、惑星で権力を持つ前任者の協力不足で引き起こされた世界的混乱にもかかわらず、見たところ好ましい状態の下で治世に着手する。

3. 惑星について学ぶアダームとハヴァー

そして今、アダームとハヴァーは、正式の就任後、自分達の惑星の孤立に痛々しいほどに気づくようになった。馴染みのある放送は全く静寂で、惑星外の通信回路は、すべて休止していた。アダームとハヴァーのジェルーセムの仲間は、自分たちが初期の経験をしている間に、定着した惑星王子と経験豊富な部下が、自分たちのための受けいれの準備ができており、協力ができるそのような円滑に動いている世界に行った経験があった。しかし、ユランチアでは、反逆がすべてを変えてしまった。惑星王子は、ここでは非常に目立ち、また悪を働く力の大部分を刈り取られたにもかかわらず、それでもなおアダームとハヴァーの任務を難しくし、またある程度危険に晒すことができたのであった。その夜、満月の輝く下で翌日の計画を明確にしながら庭園の中を歩いたのは、ジェルーセムの真剣で、しかも幻滅を感じている息子と娘であった。

アダームとハヴァーの初日は、孤立したユランチア、カリガスティアの裏切りで混乱した惑星でかくして終わった。二人は、かなり夜遅くまで、地球での初めての夜、歩いて、そして話した。—それは、誠に孤独であった。

アダームの地球での2日目は、惑星の受信者と顧問機関との会議に費やされた。アダームとハヴァーは、メルキゼデク、それにその仲間からカリガスティア反逆の細部と世界進歩のその大変動の結果に関しさらに学んだ。それは、つまり世界情勢にかかわるこの長い不始末の詳説は、概して期待外れの話であった。二人は、社会進化の過程を加速するカリガスティアの企みの完全な崩壊に関するすべての事実を知った。かれらは、惑星の前進を果たすために神の発展計画を独自に試みる愚かさを完全に認識する結果となった。このようにして、悲しくはあるが、得るところの多い日—ユランチアでの2日目が、終わった。

3日目は、庭園の実況検分にあてられた。アダームとハヴァーは、乗客用の大きい鳥—ファンドル—から世界一美しい場所の上空で運ばれている間、茫漠たる庭園を見下ろした。この検分の日は、エーデンの美と壮大さをもつこの庭園を世に送り出すために尽力したすべての者を称えるとても大きな宴会で終わった。そして再び、息子とその連れ合いは、庭園の中を歩き、3日目の夜遅くまで、自分達の問題の計り知れなさについて語った。

4日目、アダームとハヴァーは、園に集合した者に演説をした。二人は、就任の丘から世界回復のための計画について話し、また罪と反逆の結果堕落したユランチアの社会文化を低い水準から救うための方法をあらまし説明した。これは、すばらしい日であり、また世界情勢の新しい管理責任を負うために選ばれていた男女からなる委員会のための祝宴で閉じられた。注目しなさい。男性のみならず女性もこの集団にはおり、そのようなことは、ダラマティアの時代以来、地球に起こった初めてであったということを。ハヴァーが、つまり女性が、男性と世界情勢に関し名誉と責任を分かち合うところを見ることは驚くべき革新であった。地球での4日目は、このようにして終わった。

5日目は、一時的な政府組織、メルキゼデク受信者のユランチア出発時まで機能することになる行政部の組織に専念した。

6日目は、人と動物の非常に数多くの型の検分に当てられた。アダームとハヴァーは、エーデンの東部の壁に沿って惑星の動物の生態を見たり一日中案内をうけ、そのようなさまざまな生物が生息する混乱状態の世界に秩序をもたらすためにしなければならないことにより良い理解にいたった。

この小旅行に同行した者達は、アダームが見せられた何千匹もの動物の性質と機能をいかに完全に理解したかを目撃し大いに驚かされた。アダームは、動物を一瞥した瞬間に、その種類と行動形態を指摘するのであった。アダームは、一目で即座に、すべての動物の起源、特徴、機能を叙述して名前を与えることができた。この検分巡りでアダームを案内した者達は、世界の新支配者が全サタニアの最も熟練した解剖学者の一人であるということを知らなかった。そのうえハヴァーも、負けず劣らず熟練していた。アダームは、人間の目で見るには小さ過ぎる多数の生き物について説明をし仲間を驚かせた。

地球滞在の6日目が終わると、アダームとハヴァーは、「エーデンの東」の二人の新居で初めて休息した。ユランチア冒険の最初の6日間は非常に忙しく、二人は、すべての活動からの自由なまる1日を大喜びで楽しみにしていた。

しかし情況は、別な状態に決定づけた。アダームがユランチアの動物生活について非常に理知的に、徹底的に論じて過ぎ去ったばかりのその日の経験は、その見事な就任演説とその魅力ある態度と合わせて、庭園居住者の心を勝ちとり、知力を圧倒したので、かれらは、新たに到着したジェルーセムの息子と娘を支配者として心から受け入れる気になったばかりではなく、大多数の者は、神として二人に平伏し崇拝せんばかりであった。

4. 最初の大変動

その夜、すなわち6日目の夜、アダームとハヴァーが微睡んでいると、奇妙なことがエーデンの中央部にある父の寺の付近で起こっていた。そこで、興奮状態の熱心な何百人もの男女が、まろやかな月の光の下で何時間も指導者達の熱情的な請願を聴いた。指導者達は、好意はもっていたが、新支配者の友愛的、民主的な気取りのない態度をどうしても理解できなかった。そして夜明のかなり前、世界情勢に関わる新たで、臨時の管理者達は、アダームとその相方は、全体的に穏やかで、控え目であり過ぎるという実質的には一致した結論に達した。皆は、神が肉体の姿で地球に降りて来られたと、つまりアダームとハヴァーはほんとうは神であると、でなくとも敬虔な崇拝に値するほどの地位に近接していると決め込んだ。

地球でのアダームとハヴァーの最初の6日間は、世界の善人達でさえも不用意のその心には全く手に余るものであった。皆の頭は渦巻いていた。皆は、敬意をもって崇拝し、また謙虚の服従でひれ伏すことができるように高貴なその一組の男女を正午に父の寺まで招来するという提案に心を奪われていた。園の居住者達は、この全てに実に真剣であった。

ヴァンは異議を申し立てた。アマドンは、アダームとハヴァーと共に夜通し残る名誉の護衛の任にあり不在であった。ヴァンの抗議は一蹴された。ヴァンは、同じ様に穏やかであり過ぎ、控え目であり過ぎると、ヴァン自身は神からそれほどかけ離れてはいない、でなければ何故それほど長い間地球に住んでいたのか、また、アダームの到来のようなすばらしい出来事を引き起こしたのかと言われた。そして、興奮気味のエーデン人が、崇拝のためにヴァンを差し押さえ山に連れていこうとしたとき、ヴァンは群衆の波を泳ぎ出て中間者達と話し合いができ、大急ぎでその指導者をアダームのところへ向かわせた。

アダームとハヴァーがこれらの善意の、しかし見当違いの人間の驚異的な申し出の知らせを聞いたのは、地球での7日目の夜明け近くであった。それから、乗客用の鳥が二人を寺に連れ行くために迅速に飛んでいるときでさえ、そのようなことができた中間者たちは、アダームとハヴァーを父の寺に輸送した。アダームが、神の息子の身分に関する序列に関し長々説明をし、また父だけが、それに父が指名する者だけが崇拝されてもよいのだと、地球のこれらの心に明らかにしたのは、この7日目の朝早くであった。アダームは、いかなる名誉も受け入れ、すべての敬意を受けいれるだろうが、礼拝は決して受けないということを明らかにした。

それは重要な日であった。アダームとハヴァーは、ちょうど正午前、使者である熾天使が、世界の支配者たちの就任に関わるジェルーセムの承認を携えて到着する時刻、群衆から離れ父の寺を指差して言った。「父の目に見えない臨場である物質的象徴の場所にいま行き、我々皆を創られ、我々を生き続けさせるあの方に頭を下げて崇拝しなさい。そして、神以外の何者をも迷って二度崇拝しないというこの行ないを誠実な誓約としなさい。」皆は、アダームの指示通りにした。人々が寺の周りでひれ伏す一方で、物質の息子と娘は、二人だけで山上に立ち頭を垂れていた。

これが、安息日の伝統の由来であった。エーデンにおいてはいつも、7日目が寺での真昼の集会に当てられた。長い間、この日を自己修養にささげるのが習慣であった。午前は肉体の改善に当てられ、真昼は霊的崇拝、午後は心の育成に向けられ、一方、夕方は社交上の悦びに費やされた。これは、決してエーデンの法ではなかったが、それは、地球を支配するアダームの管理の間ずっと習慣としてあった。

5. アダームの管理

メルキゼデク受信者たちは、アダームの到着後のおよそ7年間、任務に着いたままでいたが、遂にアダームに世界情勢の管理を譲りジェルーセムに戻るときがやって来た。

受信者たちの送別は1日掛かりで、晩には個々のメルキゼデクが、アダームとハヴァーに別れの助言と応援を伝えた。アダームは、顧問達に共に地球に残るよう何度か要請してきたが、陳情はいつも拒否された。物質の息子が、世界の問題処理に対して完全な責任を負わなければならない時が来た。そこで真夜中に、サタニアの熾天使の輸送は、ジェルーセムに向け14人の生命体と惑星を出発、つまり12人のメルキゼデクの出発とヴァンとアマドンの返還の同時に進行した。

ユランチアでは当分の間すべてが完全に順調であり、やがてはアダームが、エーデン文明の小刻みな進展の助長をするために何らかの開発計画が、可能であるらしく見えた。アダームは、メルキゼデクの意見に従って、外の世界との貿易関係を築く考えをもって製造技術を促進し始めた。エーデンが混乱に陥ったときには100を越す原始の製造工場が生産過程にあり、周辺部族との大規模な貿易関係が確立されていた。

アダームとハヴァーは、長い間、漸進的文明の発達にむけ専門的な貢献に備えて世界の改善方法を教えられてきた。しかし今二人は、未開人、野蛮人、半文明人の世界での法や秩序の設立というような緊急課題に直面していた。園に結集した地球の人口の最上部は別として、ここかしこで、わずかの集団しか、アダーム文化の受け入れ準備は、できていなかった。

アダームは、世界政府樹立のために英雄的、かつ決然たる努力をしたが、事あるごとに頑固な抵抗があった。アダームは、すでにエーデン全体で集団経営体制に着手し、これらの全集団をエーデン連盟の連邦制にした。しかし、問題が、重大な問題が、アダームが園外に赴きこれらの考えを遠隔地の部族に適用しようとした際、結果として起こった。アダームの仲間が、園外で働き始めたその瞬間、カリガスティアとダリガスティアの直接の、しかも巧みに計画された妨害にあった。堕落した王子は、世界の支配者としては既に退位させられていたが、惑星からは除去されてはいなかった。まだ地球におり、人間社会再建のためのアダームの全計画に、少なくともある程度、抵抗することができた。アダームは、カリガスティアについて警告しようとしたが、大敵は、人間の目には見えず、その仕事は非常に困難であった。

エーデン系の中にさえ、カリガスティアの人格の放逸な自由の教えに傾くという混乱した心をもつ者がいた。そして、アダームに多くの苦労をもたらした。常に、秩序正しい前進と実質的な開発のための慎重な計画を覆していた。アダームは、自分の迅速な社会化に関する予定を取り下げざるを得なかった。彼は、ヴァンの組織方法に頼ってエーデンの者を100人単位の一団に分割し、それぞれに団長をつけ、それに10人単位の集団を担当する副官を配する方法を最後の拠り所とした。

アダームとハヴァーは、君主政治の代わりに代議政治を制定するようになるが、どんな政府も全地球上ではその名に相応しくないことがわかった。アダームは、当面のところは、代議政治設立への全ての努力をやめ、エーデン政権が崩壊する前に、強い個人がアダームの名で統治している園外に100か所ほどの貿易と社会的な中心地の確立に成功した。これらの中心地の大部分は、ヴァンとアマドンによりあらかじめ組織化されていた。

1部族から他の部族への大使の派遣は、アダームの時代から始まった。これは、政治の発展における大きい前進であった。

6. アダームとハヴァーの家庭生活

アダーム家の敷地は1,300ヘクタールをわずかに越える広さを有した。直接にこの敷地をの周りでは、30万人以上の純系子孫のための対策が、講じられていた。しかし、計画された建築物の最初の1個だけが建設されたに過ぎなかった。アダームの家族の規模が、これらの初期の設備よりも大きくなる前に、エーデンの全計画が中断され、園を立ち退いた。

アダームソンは、ユランチアの紫色人種の長子で、その後には妹と、アダームとハヴァーの2番目の息子のハヴァーソンが生まれた。ハヴァーは、メルキゼデクが去る以前に5人の子—3人の息子と2人の娘—の母であった。次の2人は双子であった。彼女は、不履行前に、63人の子供、32人の娘と31人の息子を生んだ。アダームとハヴァーが園を離れるとき、その家族は、純系子孫4世代から成る1,647人を数えた。二人には、地球の人間の血筋との親から生まれた2人の子供以外に園を出た後42人の子供がいた。これは、アダームの血統のノヅ系と進化する人種に関しては含まれていない。

アダームの子供は、1歳で母乳をやめる際、動物からの乳を取らなかった。ハヴァーは、多種多様の木の実の液汁と多くの果汁とを利用できたし、またこれらの食物の化学的属性やエネルギーについてよく知っていたので、子供の育成のために歯が生えるまで適当にそれらを混合した。

エーデンのすぐ隣のアダーム地区の外では料理が一般的にされていたが、アダームの家庭では料理はしなかった。熟して食べ頃の食物—果実、木の実、穀類—を採集した。1日に1度、真昼直後に食べた。また、アダームとハヴァーは、生命の木の援助と併せて、一定の空間放散物から直に「光とエネルギー」を吸収した。

アダームとハヴァーの体は光輝を発したが、仲間の習慣に合わせていつも衣服を身につけた。二人は、日中はあまり着なかったが、夕暮れには夜間用の巻き布を身につけた。敬虔で神聖であると思われている人々の頭を取り巻く伝統的な光輪の起源は、アダームとハヴァーの時代にまでさかのぼる。彼らの体からの光の発散は、主に衣服で覆い隠されたので、頭からの放射の輝きだけが認識できた。アダームソンの子孫は、このように常に精神的開発において並はずれていると信じられる自分達個人についての考えを絵にした。

アダームとハヴァーは、およそ80キロメートルの距離にわたって、お互いに、また子供との意思疏通ができた。この思考のやりとりは、脳構造のすぐそばに位置する精巧な気体室からもたらされた。この仕組みによって、思考の振幅を送受することができた。しかし、この力は悪からくる不和と分裂へ心を引き渡したときに即座に停止された。

アダームの子供は、16歳になるまで独自の学校に通い、年少者は年長者に教えられた。年下の者達は30分毎に、年上の者達は1時間毎に活動を変えた。アダームとハヴァーの子供達の純然に楽しげで陽気な活動で遊んでいる姿は、ユランチアでは確かに新しい光景であった。現代人の遊びとユーモアは、主にアダーム系から得ている。アダーム系は皆、鋭いユーモア感覚ばかりでなく音楽への大いなる理解もあった。

婚約の平均的年齢は18歳であり、そこで若者たちは、婚姻責任の承諾に備え、2年の教育課程に入った。20歳で結婚の資格があった。そして結婚後に、それぞれの生涯の仕事、あるいは、そのための特別な準備を始めた。

兄弟と姉妹との結婚を認めるという、おそらくは神の系統を汲むいくつかの後の国々の王室の習慣は、アダームの子孫の伝統—配偶すること、(互いに必要であることから)—を端緒としている。園の一世代と二世代の結婚式は、ずっとアダームとハヴァーがとりおこなった。

7. 園の生活

アダームの子供達は、西側の学校での4年間の修学を除いては、「エーデンの東」で生活し働いた。ジェルーセムの学校の方式に従い16歳まで知的に訓練された。16歳から20歳までは、下の学年の教師としての役目も果たしながら、園のもう一方の端にあるユランチアの学校で教育を受けた。

園の西側の学制の全体的目標は社会化であった。午前中の休み時間は、実用的な園芸と農業に、午後の休み時間は、競技的遊戯に当てられた。夜は社交と個人的親交性の育成に使われた。宗教的、性教育は、家庭の領域、すなわち両親の義務と見なされた。

これらの学校での教育は、次のような教授に関係した。

1. 肉体の健康と維持

2. 黄金律、社交の基準

3. 集団の権利と共同体の義務に対する個人の権利の関係

4. 地球上の多様な人種の歴史と文化

5. 進化し向上する世界貿易の方法

6. 相反する義務と感情の調整

7. 肉体的な戦いに代わる遊び、ユーモア、競争の教化

学校、事実上は園のあらゆる活動は、常に訪問者に公開されていた。非武装の観察者が、自由にエーデンに短期訪問することが許された。ユランチア人は、園に滞在するためには「養子」にならなければならなかった。ユランチア人は、アダーム贈与の計画と目的に関する教授を受け、この任務を順守する意志を示した上で、アダームの社会的な規則と宇宙なる父の精神主権への忠誠をの宣言した。

園の法は、ダラマティアの古い規範に基づいており、7項目の見出しで公表された。

1. 健康と衛生の法

2. 園の社会的規制

3. 貿易と商業の規約

4. 公平な試合と競技の法則

5. 家庭生活の法律

6. 黄金律の民法

7. 最高の道徳規則を表す7戒律

エーデンの道徳律は、ダラマティアの7戒律とはそれほど違ってはいなかった。しかしアダーム系は、これらの戒律に多くの追加理由を教えた。例えば、殺人に対する勧告に関しては、人間生活を破壊しない追加理由として思考調整者の宿りが提示された。「誰であろうと人の血を流す者は、人によって血を流されるであろう、神は人を神のかたちに造られたのであるから。」

エーデンの一般大衆の礼拝時間は正午であった。日没は家族崇拝の時間であった。アダームは、効果的な祈りは完全に個人的なものでなければならないということを、「魂の願望」でなければならないということを教え、型にはまった祈りの採用を阻むために最善をつくした。しかしエーデン人は、ダラマティア時代から伝えられてきた祈りと形式を用い続けた。アダームはまた、宗教儀式での血の生贄を陸の産物の果実の供え物に置き換える努力をしたが、園の分裂以前進歩はほとんどなかった。

アダームは、性の平等を民族に教える努力をした。ハヴァーが夫の傍らで働く様子は、園の居住者全員に感慨深い印象を与えた。アダームは、女性は、男性と同等に、新しい存在体を形成するために結合するそれらの生命要因に貢献するということを確実に皆に教えた。それ故、人類は、すべての生殖が「父の腰」に宿ると決め込んだ。彼らは母は単に胎児を育み、新生児に授乳するために用意されたものと見なした。

アダームは、同時代人が理解できるすべてを、だが相対的にそれほど多くはない全てを教えた。にもかかわらず、地球部族のより知力ある者は、紫色人種の優れた子供との結婚が許されるその時をしきりに待つのであった。ユランチアは、もし人種を向上するこの偉大な計画を断行していたならばどんなにか違った世界になっていたことであろう。そのままであってさえ、途方もない利益が、進化的民族が偶然に手にしたこの持ち込まれた人種の少量の血液から生じたのであった。

アダームは、このようにして自分が滞在した世界の福祉と向上のために働いたのであった。しかし、より良い方法でこれらの混合した、雑種の民族を導くことは、難しい仕事であった。

8. 創造に関する伝説

6日間にわたるユランチア創造の物語は、アダームとハヴァーが、園の初期の調査でちょうど6日間を過ごしたという言い伝えに基づく。この状況は、元々ダラマティア人によって導入されたその週の間に神聖に近い承認を与えた。アダームが、園の視察で6日間を過ごし、組織化のために予備的計画を策定することは前もって決められてはいなかった。それは、日毎に解決された。この機会に述べられる事実には、崇拝のために7日目を選ぶということは、完全に付帯的であった。

6日間にわたる世界創造の伝説は、結果論であり、実際には、3万年以上も後のことであった。この物語の1つの特徴、太陽と月の突然の出現は、長い間太陽と月の両方を覆い隠していた微小な物体からなる宇宙の濃い雲からの世界の突然の出現の伝統に根差したものかもしれない。

アダームの肋骨からハヴァーを創造する話は、アダーム達の到着と、45万年以上も前に惑星王子の有体の部下の到着に関する生命物質の置換に繋がる天界の手術との混乱した要約である。

世界民族の大半は、アダームとハヴァーが、ユランチア到着に当たり自分達のために肉体の型を作り出したという伝統に影響されてきた。人が粘土から作り出されたという信仰は、東半球においてはほとんど一般的であった。この伝統は、フィリピン諸島からアフリカまで世界中に辿ることができる。多くの集団が、漸進的創造—進化における初期信仰の場に特別な創造に関わる何らかの形式により粘土からの人の起源のこの物語を受け入れた。

人間は、ダラマティアとエーデンの影響から離れ、ゆるやかな人類上昇への思考体系の傾向がみられた。進化の事実は、現代の発見ではない。古代人は、人間進歩の遅いが進歩する特質を理解した。初期のギリシア人は、メソポタミアへの近さにもかかわらず、これについての明確な考えを持っていた。地球の様々な人種は、発展に関する概念で、悲しいことに、混乱するようになったが、にもかかわらず、原始部族の多くは、自分達が様々な動物の子孫であることを信じていたし、教えもした。原始民族は、「トーテム的な象徴」のためにそうだと考えられている自分達の祖先の動物を選択する習慣を作った。ある北米インディアン部族は、自分達はビーヴァーとコヨーテに源があると信じた。アフリカの複数の部族は、自分達の起源はハイエナであると、マレー部族は、キツネザルから、ニューギニアの集団はオウムからであると教えている。

バビロニア人は、アダーム系の文明の名残りとの直の接触ゆえに、人間創造の話を拡大し、尾ひれをつけた。自分達は、直接神から降りてきたと教えた。バビロニア人は、実に粘土からの創造の教義さえも相容れない人種の貴族的起源に固執した。

創造にかかわる旧約聖書の報告は、モーシェの時代からずっと後に始まる。モーシェは、そのような歪められた話をヘブライ人に決して教えなかった。だが、イスラエルの主なる神と自らが呼んだ創造者、宇宙なる父を崇拝する自分の訴えを増大させることをこのように望み、イスラエル人に単純かつ凝縮された創造の物語を与えた。

モーシェは、初期の教えにおいてアダームの時代に戻ることをあまり賢明には試みなかったし、ヘブライ人の最高の教師であったので、アダームの物語は、創造の物語に深く関連づけられるようになった。前アダーム文明を認識する初期の伝統というものは、アダーム時代以前の人間社会の諸事にかんする参照の根絶を意図した後の編集者達が、カインが妻をめとった「ノヅの土地」へのカインの移住の証拠となる引用の除去をし忘れたという事実により明確に示されている。

ヘブライ人は、パレスチナ到達後の長い間、一般的な用法としての文字をもっていなかった。かれらは、高度のクレテ文明からの政治難民であった近隣のペリシテ人からアルファベットの使用を学んだ。ヘブライ人は、紀元前およそ900年まであまり書いたことがなく、またそのような後の時代まで文字をもたなかったので、いくつかの異なる創造物語があったが、バビロニア人の監禁後は、メソポタミア変更版をより受け入れる傾向にあった。

モーシェに関するユダヤ人の伝統が具体化されるようになり、ユダヤ人は、モーシェが、アダームへと戻るアブラーハームの家系をたどる努力をしたことから、アダームが全人類の最初の人であると決め込んだ。ヤハウェは、創造者であり、アダームが最初の男性であると思われたので、アダームを作る直前に、世界を作ったに違いない。それから、アダームの6日間の伝統が物語へと織り込まれ、モーシェの地球滞在後の約1,000年のその結果、6日間創造の伝統は、それ以降モーシェに当てはめられた。

ユダヤ人祭司達は、エルサレムに戻ったときには、自分達の物語のなかの事の始まりをすでに書き終えていた。やがて、祭司達は、この詳述は、最近発見されたモーシェが書いた創造の物語であると公言した。しかし紀元前500年頃の当時のヘブライ人は、これらの文章が神の顕示であるとは考えなかった。後の民衆が神話と見なしたようにヘブライ人もそう見た。

モーシェの教えであると考えられたこの偽の文献は、エジプトのギリシア人王プトレマイオスの注意を引くこととなり、かれは、アレキサンドリアの自分の新しい書斎のために70人の学者からなる委員会にギリシア語に翻訳させた。こうしてこの報告は、ヘブライ宗教とキリスト教の「神聖な経典」のその後の収集の一部になった文書の中にその場所を見つけた。そのような概念は、これらの神学体系による認証を経て長い間、多くの西洋民族の哲学に深く影響を及ぼした。

キリスト教の教師は、命令による人類創造の信仰を永続させ、そしてこのすべてが、過去のユートピア的至福の最盛期の仮説構成と、非ユートピアの社会状態について説明する人や超人間の堕落の理論構成へと直接導いた。人生と宇宙における人の居場所に関するこれらの見通しは、かつての惑星の特定の管理者達の誤りのために人類に怒りを発散させた執念深い神を含意すると同時に、進行よりもむしろ後退への信念に基づく叙述であったがゆえに、せいぜいよく見ても落胆させるものであった。

「最盛期」は神話であるが、エーデンは事実であり、園の文明は実際に転覆された。アダームとハヴァーは、117年間園で生き続け、ハヴァーのいらだちとアダームの判断の誤りにより定められた道から大胆にも逸脱しようとした時、直ちに自分たちには災難を、ユランチア全体の開発上の進行には破滅的妨害を招いた。

[ソロニア、熾天使の「園の声」による報告]