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論文 66 ユランチアの惑星王子息子の資格4

論文 66

ユランチアの惑星王子息子の資格4

ラノナンデクの息子の平均的世界への到来というものは、意志が、つまり永遠の生存への道を選ぶ能力が、原始人の心で発達したことを意味する。しかし、惑星王子が、ユランチアに到着したのは人間の意志が出現してからおよそ50万年後であった。

およそ50万年前、カリガスティア、すなわち惑星王子が、6有色、つまりサンギク人種と時を同じくしてユランチアに到着した。王子の到着時点、地球には50万の原始人がおり、ヨーロッパ、アジア、アフリカに散在していた。メソポタミアに設立された王子の本部は、世界の個体群のほぼ中心にあった。

1. カリガスティア王子

カリガスティアは、ラノナンデクの息子の二次系列の9,344番であった。局部宇宙の行政一般を、後代には、特にサタニアの局部恒星系の管理の経験があった。

カリガスティアは、サタニアでのルーキフェレーンスの統治に先立ち、生命搬送者の相談相手のジェルーセムの協議会に所属していた。ルーキフェレーンスは、カリガスティアを直属部下の位置に登用し、カリガスティアは、名誉と信用の連続的課題5つを無難にこなした。

惑星王子としてのカリガスティアは、非常に早くから任務を得ようとしたが、再三再四、星座委員会の承認を求める王子の要請が上がってきても星座の父の賛成を得られないのであった。カリガスティアは、惑星支配者として特に10番目の世界か、生命変更世界に送られることを願って止まないようであった。その嘆願は、最終的にユランチアに割り当てられるまで何度か却下されていた。

カリガスティアは、ある種の落ち着きの無さに加え、小事において既定の秩序と意見を異にする傾向もかかわらず、出自でありすみかである宇宙の福利への忠誠と献身の人も羨む経歴を携えジェルーセムから世界統制の責任ある任務へと出発した。

私は、頭の切れるカリガスティアが、恒星の首都を出発したときジェルーセムにいた。50万年前の多事多端なその日のカリガスティアほどには、より豊かな予備体験で、あるいはより良い見通しで、かつて世界統制の経歴に乗り出した惑星王子は、誰もいなかった。1つの事が確かである。私は、その出来事を局部宇宙の放送で流すにあたり、決してこの高潔なラノナンデクが、惑星保護の神聖な依託をそれほどまでにすぐに裏切り、宇宙の息子の資格の気高い体制の立派な名前をひどく汚すであろうなどという考えを一瞬たりとも、いささかなりとも抱いてはいなかった。実際に私は、ユランチアは、そのように経験豊富で、輝かしく、世界の政務で舵を取る独創的知性を持つことになっていたことから、全サタニアで最も幸いな5個か6個の惑星の中にあると考えていた。その時私は、カリガスティアが、狡猾にも自惚れに陥るとは了知していなかった。その時私は、人格の奢りの微妙さを完全に理解していなかった。

2. 王子の部下

ユランチアの惑星王子は、単独では任務に送られず、補佐と行政助手の通常部隊を伴った。

この一団の頭は、ダリガスティア、惑星王子の次席補佐であった。ダリガスティアは、二次ラノナンデクの息子でもあり、その系列の319,407番であった。カリガスティアの仲間としての配置時点では補佐としての地位を占めた。

惑星の部下は、人類の関心を向上し、福利を促進するために任命された数多くの天使の協力者と多数の他の天の存在者から構成されていた。しかし全ての中で最も興味ある集団は、あなたの立場からは、王子の部下の、時としてカリガスティアの100名と呼ばれた有体構成員であった。

再度肉体の姿になった王子の100名の部下は、ユランチア冒険着手に志願したジェルーセムの上昇市民78万5,000名以上からカリガスティアによって選ばれた。選出された各100名は、異なる惑星から来ており、ユランチアからは1名もいなかった。

ジェルーセムのこれらの志願者は、熾天使の輸送により直接に系列首都からユランチアへと連れて来られ、それらは、到着の際、惑星特別奉仕のための二面性の人格の型が与えられるようになるまで文字通り生身の体と、しかも系列の生命回路にも合わせた天使のままでいた。

この100名のジェルーセム市民到着以前、監督に当たっていたユランチア在住の2名の生命搬送者は、自分達の計画を完了していたので、アンドンとフォンタの群体から選ばれた生存者100人の原形質を王子の部下である有体成員のための具体的な体内への移植許可をジェルーセムとエデンチアに陳情した。その要求はジェルーセムで承認され、エデンチアで許可された。

従って、特異な人種のうちの最良種族の生存者を代表して、アンドンとフォンタの子孫であるそれぞれ50人の男女が、生命搬送者により選ばれた。人種前進へのこれらのアンドン族の貢献者は、一人か二人の例外はあるものの、互いに見知らぬ者同士であった。それらは、思考調整者の指示と天使の指導との調整に広範囲に離れた場所から王子の惑星本部の入口に集められた。ここで、人間100人の被験者は、非常に熟練したアヴァロンからの志願委員の手に渡され、志願委員は、これらのアンドンの子孫の生命原形質の一部の物質抽出を指示した。この生ける物質は、王子の部下である100名のジェルーセム構成員のために作出された実際の肉体に移された。その間、系列の首都に到着したばかりのこれらの市民は、天使の輸送中、睡眠状態にされていた。

これらの取り扱いは、カリガスティアの100名に特別な肉体の字義通りの創造と共に、数多くの伝説の由来を与え、そのうちの多くは、その後アダムとハヴァーの惑星の導入に関する後の言い伝えと混乱されるようになった。

熾天使によるジェルーセム100名の志願者輸送の到着時から領域の三重の存在体が目覚めるまでの全体の人物化執行業務には、まるまる10日間掛かった。

3. ダラマティア—王子の都市

惑星王子の本部は、その頃のペルシャ湾域に、後のメソポタミアに対応する地区に位置していた。

当時のメソポタミアの気候と景観は、あらゆる点で王子の部下とその補佐の取り組みに都合がよく、優勢的であった状態とはときおり非常に異なっていた。原始のユランチアが、文化と文明での最初の一定の進歩を確実に引き起こすように考案された自然環境の一部としてそのような有利な気候を持つことが必要であった。当時の1つの大きな任務は、狩人から牧夫へと、やがて平和を愛好し、家に住む農夫へと進化するであろうという望みをもって人を変えることであった。

ユランチアの惑星王子の本部は、若くて発達的球体におけるそのような拠点の典型であった。王子の入植地の中核は、12メートルの高さの壁に囲まれた、非常に単純な、しかし美しい都市であった。この世界の文化の中心は、ダリガスティアを称えダラマティアと名づけられた。

市には細分化地域の中心にある有体部下からなる10の委員会の本部用大邸宅と合わせて10区域が、設置されていた。市の真ん中には目に見えない父の寺があった。王子と仲間の行政本部は、寺のごく周辺近くにまとめられた12個の会議所に設置された。

ダラマティアの建造物は、2階建ての協議会本部、それと小さくとも3階建てのすべての者の父の中央の寺を除き、すべてが1階建てであった。

市の建築材料は、初期の時代の最優良事例—レンガ—を代表していた。ごく少量の石、または木が使用された。周囲の民族間での住宅と村の建築様式は、ダラマティアの実例によって大いに改良された。

王子の本部近くには、人間の全有色人種と全階層が住んでいた。王子の学校の最初の学生達が募集されたのは、これらの近隣の部族からであった。ダラマティアの最初の学校は、粗末であったが、その原始の時代の男女のためにできるすべてを提供した。

王子の有体の部下は、絶えず周囲の部族から優れた個人を集め、これらの学生を訓練し奮い立たせた後、教師や指導者としてそれぞれの民族の元に送り返した。

4. 初期の100名

王子の部下の到着は、感慨深い印象を与えた。情報が広まるにはおおよそ1,000年を要したが、ユランチアの新たな一時逗留者の100名の教えと行為によりメソポタミア本部近くの部族等は、大いに影響を受けた。王子の部下のこれらの構成員が、超人としてユランチアで再度人格化された時、その後の神話の多くが、これらの初期の時代の誤り伝えられた伝説から生まれた。

そのような外惑星の教師の望ましい影響への重大な障害は、死すべき者が教師達を神と見なす傾向にあるということであるが、カリガスティア100名—50名の男と50名の女—は、地球出現の手法は別として、超自然の方法にも超人的操作にも頼らなかった。

有体の部下は、それでもなお超人的であった。部下達は、並はずれた三重の存在としてユランチアでの任務にとりかかった。

1. 彼らは有体で、1人類の実際の生命原形質、ユランチアのアンドン系の生命原形質を体内に持っていたので、相対的には人間であった。

王子の部下のこれらの100名は、男女同数に、またかつての人間の状態に応じて分けられた。この集団の各自が、何らかの新種の肉体的存在の共同の親になることができたのだが、一定条件のもとでのみ親としての手段に訴えるように慎重に指示されていた。特別な惑星の事業から引退前に後継者を作ることは、惑星王子の有体の部下にとっての習わしである。これは、通常、惑星のアダムとハヴァーの到着時か、または、その直後である。

したがって、これらの特別の存在体には、性交により生み出される物質的生物が何型であるかに関し、あまり、あるいは全く見当がつかなかった。だから、彼等は断じて知らなかった。世界のための仕事の実行においてそのような一歩を踏み出す前に、全体制は、反逆により覆され、後に親の役目を果たす者達は、系列の生命の流れからは隔離されてしまった。

肉体化したカリガスティアの部下は、皮膚の色と言語の面でアンドン民族に従った。彼らは、次のような違いを除き領域の死すべき者がするように食物を摂取した。この集団の再形成された体は、完全に非肉食で満たされた。これは、果実と木の実に富む温暖地域に住居を決定するという考慮すべき事項の1つであった。非肉食の生活習慣は、カリガスティア100名の時代に遡る。それゆえ、この文化的風習は、かつて肉食のみであった進化的人種に起源をもつ周辺の多くの部族の食習慣に影響を与えるまでに至る所に広まった。

2. 100名は、高度で特別の目に属する特異な男女としてユランチアで再編成された有形ではあったが超人的存在体であった。

この集団は、ジェルーセムで暫定的市民権を享受する一方で、各自の思考調整者とはまだ融合されていなかった。この集団は、下降してくる息子の身分系列と連係しての惑星事業に志願し受け入れられたときに調整者とは分離された。しかし、これらのジェルーセム系は、超人的存在—上昇的成長の魂を有したもの—であった。その魂は、肉体での人間生活の間、胎児の状態である。モロンチア生命に生まれ(復活し)、次のモロンチア世界を経て成長経験をする。カリガスティア100名の魂は、こうして7大邸宅世界の進歩的経験によりジェルーセムの公民の地位へと進んでいった。

部下は、指示に従い有性生殖に従事はしなかったが、個人の構造をきめ細く観察すると同時に、あらゆる想像可能な知力(心)とモロンチア(魂)の連携の相を慎重に探求した。ダン系集団の2番と7番が偶然モロンチアの自我(推定では、無性で非物質的)の付随的現象を発見したのは、壁完成のずっと前のダラマティア滞在の33年目であった。この冒険の結果は、第一中間被創造者の1番目であると判明した。この新存在体は、惑星の部下と天の仲間には完全に可視であったが、様々な人間部族の男女には見えなかった。全有体部下は、惑星王子の権限を拠りどころとし、先駆者のダン系1組の指示に従い、相似する存在体の生産を引き受け、すべてが成功した。王子の部下は、こうして遂には、第一中間者5万名の初代の軍団を生み出したのであった。

中間型の被創造者は、世界本部の業務続行に当たり功績を挙げた。それらは人間には不可視であったが、原始のダラマティア一時逗留者には、これらの見えない半霊について教えられており、長い間、半霊は、進化的必滅者にとり精神界のすべてを意味した。

3. カリガスティア100名は、個人としては不滅であるか、もしくは死ななかった。恒星系の生命の流れのための解毒性の補足物が、彼等の物質の型を循環していた。そして、反逆経験により生命回路との接触が絶たれることがなかったならば、その後の神の息子の到着まで、あるいは中断されていたハヴォーナと楽園への旅の再開のためにそのうち解放されるまで無期限に生き続けたことであったろうに。

サタニア生命回路のこれらの解毒性の補足物は、カリガスティアの到着時点、ノーランティアデクのいと高きものが、ユランチアに送ったエデンチアの低木の命の木の実から得られた。この木は、ダラマティア時代、見えざる父の寺の中央の中庭に生えており、それは、王子の有体の、さもなければ必滅の部下が無期限に生き続けることを可能にする命の木の実であった。

この類希な食物は、進化的人種には何の価値もない一方で、カリガスティア100名にとり、また関連する変化したアンドン族の100人にも、継続的生命を与えるにはかなり満足のいくものであった。

生命搬送者は、100人のアンドン族が王子の部下に人間の生殖細胞質を与えたときに、恒星系回路の補足を人間の体に導入したということが説明されるべきである。このように100人のアンドン族は、物理的な死に果敢に抵抗して、いく世紀も部下と共に生き続けることが可能となった。

結局、アンドン族の100人は、新しい優者の型への自らの貢献に気づき、一方アンドン部族のこれらの同じ100人の子供は、王子の有体の部下の個人的な付き添いとして本部に置かれた。

5. 100名の組織

100人は、構成員が10人ずつの10の自治協議会へと編成された。これらの10協議会のうち2つかそれ以上の合同会議の開催時、そのような連絡集会ではダリガスティアが議長を務めた。これらの10部門は次のように構成された。

1. 食糧と物資の福祉協議会。この部門はアングが議長を務めた。この有能な部隊は、人類の食糧、水、衣類、物質的進歩を助長した。井戸掘り、泉の管理、潅漑を教えた。それらは、標高の高い地帯や北の地からの者達に衣服用の皮の取り扱いの改良された方法を教え、後には芸術と科学の教師が、機織りを紹介した。

食料保存方法での大きな前進があった。食糧は料理、乾燥、燻しにより保存された。その結果、それは、最も初期の財産となった。人間は、周期的に世界を破壊した飢饉の危険に備えることを教えられた。

2. 動物の家畜化と利用のための委員会。この協議会は、人間の荷物や自身の輸送のため、食糧供給のため、また後には土地耕作に役立つ最適の動物を選択し、飼育する任務を専門とした。この有能な部隊は、ボンが導いた。

今は絶滅した有用な動物の幾つかの型が、家畜として今日に続いてきた幾つかの動物と共に飼い馴らされた。人は、長い間犬と共に暮らしてきたし、また青色人種は、すでに象の飼いならしに成功していた。雌牛は、慎重な飼育により相当に改良されたので貴重な食料源となった。バターとチーズは、人間の食生活のありふれた物となった。人は、荷物運びに雄牛の利用を教えられたが、馬は、後の時代まで家畜化されなかった。この部隊の成員は、まず牽引を容易にするための車輪の使用を人間に教えた。

通信や、援助を求める目的で長旅に伴われた伝書鳩が最初に使われたのは、これらの時代であった。ボンの一団は、乗客用の鳥として大きなファンドルの訓練に成功していたが、それらは3万年以上前に絶滅した。

3. 食肉動物の退治に関する顧問。古代人にとり特定動物を飼いならそうとするだけでは十分ではなく、敵対動物界の残りよる破壊から自身を防御する方法もまた学ばなければならなかった。ダンが、この集団の団長を務めた。

古代都市の壁の目的は、敵対的人間による急襲のみならず、獰猛な獣類からの防御であった。無壁での、また森林での生活者達は、樹上の居住、石の小屋、夜の焚き火の維持に依存していた。したがって、これらの教師が、人間の住居改善について多くの時間を生徒に教えることに専念したということは、誠に自然であった。改良された手法を用い、罠を使用し、動物征服においてすばらしい進歩が見られた。

4. 知識の普及と維持のための教授陣。この集団は、初期の時代の純粋に教育的企画をまとめたり、指示した。ファドが、議長を務めた。ファドの教育方式は、改善された労働方法の指導をともなう仕事の監督にあった。ファドは、初めてのアルファベットを考案し、書記法を導入した。このアルファベットは、25文字であった。初期の民族は、筆記具として樹皮、粘土の平板、石板、獣皮を叩いて作った羊皮紙の種類、それに蜂の巣から作られた木のような粗雑な材料を利用した。カリガスティア離反直後に壊されたダラマティアの文庫は、200万以上の別個の記録を蔵し、「ファドの家」として知られていた。

青色人種は、アルファベットを書くことを特に好み、その方面で最もすばらしい進歩をなした。赤色人種は、絵を描くことを好み、黄色人種は、いつの間にか言葉と考えの表現のために、現在使用しているものに酷似した記号の使用へと辿り着いた。しかし、アルファベットとさらに多くのものが、その後反逆に付随する混乱の間に世界から失われた。カリガスティアの背信は、最低でも計り知れないほどの年月の間、世界共通語への世界の望みを粉々にした。

5. 産業と交易委員会。この協議会は、部族内での産業を伸ばし、様々な平和集団の間での交易を促進することに従事した。その指導者は、ノドであった。原始の製造のあらゆる形式が、この部隊によって促進された。それらは、原始人の空想を魅惑する多くの新しい生活必需品を提供し、生活標準の引き上げに直接貢献した。それらは、科学と技術協議会が生産した改良された塩での交易を大きく広げた。

最初の商業貸し出しが実践されたのは、ダラマティアの教習所で教育されたこれらの英明な部隊であった。中央の掛け売り取引所から、実際の物々物交換に代わる象徴になる物を手に入れた。世界は、何百年、何千年もの間これらの商法を改善しなかった。

6. 啓示宗教団体。この機関は、機能が沈滞気味であった。ユランチア文明は、文字通り必要性の金床と恐怖の金槌の間から形作られた。しかしこの部隊は、離脱という大変動に付帯した後の混乱で自らの仕事が中断される前に、生物の恐怖(幽霊崇拝)の代わりに創造者への恐怖に置き換える試みにおけるかなりの進歩をみた。この協議会の議長は、ハプであった。

王子のどの部下も進化を複雑にするような顕示の提示をしようとはしなかった。進化の勢いは、損耗の頂点の後にはじめて顕示を呈した。しかしハプは、礼拝形式の確立のために市民の願望に道を譲った。ハプの部隊は、崇拝の7つの聖歌をダラマティア族に供与し、日々の称賛句をも与え、最終的には「父の祈り」を教えた。それは次の通りであった。

「すべてのものの父よ、その息子を尊敬します、私達を好意をもって見てください。あなたは別として、全ての恐怖からお救いください。我々が、神性の教師に喜びをもたらし、また、いつまでも我々に真実を口にさせてください。暴力と怒りからお救いください。年長者への、また隣人の所有するものへの敬意をお与えください。我々の心を喜ばせるためにこの季節に青々とした牧草地と実り多産の群れをお与えください。約束の精神高揚者の到来を早めるために祈り、また向こうの世界で他のものがするようにこの世であなたの意志を行ないます。」

王子の部下は、人種改良に向けては自然の手段や通常の方法に限られてはいるものの、生物進化の到達の際には、進歩的発達の目標としてアダームからの新しい人種の贈り物の約束を示した。

7. 健康と生命の保護者。この協議会は、公衆衛生の導入と原始の衛生促進に関係しており、ルツが率いた。

その構成員は、後の時代の混乱中に失われたものを、20世紀まで決して再発見されることのなかったものを多く教えた。彼らは、加熱調理、すなわち沸かすことと焼くことが、病気を避ける方法であることを人類に教えた。またそのような調理が、幼児死亡率を大いに減少させ、早目の離乳を容易にした。

ルツの健康保護者の初期の教えの多くは、曲げられたり、また大いに変化はしたものの、モーシェの時代まで地球部族の間に持続した。

多くの病気の真の原因は、肉眼で見るには小さ過ぎたり、また皆が、迷信深い心配から炎を保持したので、無知な民族の中で衛生を促進する行く手には大きな障害があった。廃物を燃やすように説得するのに何千年をも要した。そうしているうちにも、かれらは、腐りかけた廃棄物を埋めるように促された。この時代の衛生上の大きな進歩は、健康を与え病気を破壊する日光の特性に関する知識に基づいていた。

水浴びは王子到着以前、もっぱら宗教儀式であった。健康習慣として身体を洗うように原始人を説得することは、じつに困難であった。ルツは、最終的にはすべての父の崇拝において1週間に1度、禊の一部として水での洗浄儀式を昼の祈祷に盛り込むことを宗教教師に促した。

健康の保護者は、個人の友情の印として、また集団の忠誠の象徴としての唾液のやりとり、あるいは血を飲む代わりに握手の導入もしようとした。しかし、これらの原始民族は、上の指導者の教えの有無を言わせぬ圧力下にないとき、健康を壊したり病気を繁殖させるかつての無知と迷信の習慣への逆戻りに手間取ってはいなかった。

8. 芸術と科学の惑星協議会。この部隊は、原始人の産業技術を改善し、美の概念を高めるために多くのことをした。指導者は、メクであった。

技術と科学は、世界中で衰微期にあったが、物理学と化学の基礎がダラマティアにより教えられた。焼き物は高度であり、装飾的芸術は、すべて改良されており、人間の美の理想は、大いに高められた。しかし音楽は、紫色人種の到着まであまり進歩しなかった。

これらの原始人は、教師の繰り返しの要請にもかかわらず、蒸気動力の実験を承諾しなかった。原始人は、閉じ込められた蒸気の爆発力への大きな恐怖にけっして打ち勝つことはなかった。かれらにとって1片の赤熱の金属は、恐怖をあたえる物体ではあったが、かれらは、最終的には金属と火を扱う仕事に同意した。

メクは、アンドン人種の文化を進めたり、青色人種の芸術を改良するために多くをした。青色人種のアンドンの血統との混合は、芸術的に才能豊かな型を産出し、それらの多くが、優れた彫刻家になった。彼らは石、あるいは大理石での作業はしなかったが、焼いて固められた粘土作品が、ダラマティアの庭を飾った。

すばらしい進歩が、家庭内の技術に見られたが、その大部分が長く暗い反逆の時代で失われ、現代までついぞ再発見されていない。

9. 高度な部族関係の統括者。これは人間社会を国家の水準にまで引き上げる仕事を委ねられた部隊であった。首長は、ツツであった。

これらの指導者は、部族間の結婚をもたらすことに非常に貢献した。かれらは、知り合う最大の機会と、熟考のうえでの求愛と結婚を促進した。極めて軍事的な出陣の踊りが精錬され、価値ある社会的目的に役立った。多くの競合の遊びが導入されたが、これらの古代人たちは、真剣な人々であった。ユーモアは、初期の部族にあまり彩を添えなかった。ほんのわずかの習慣しか、その後の惑星反乱による崩壊から存続しなかった。

ツツと仲間は、平和的な集団交際を促進し、戦争を規制し宥め、部族間の関係を調整し、部族政府を改善するために働いた。より高度の文化が、ダラマティア付近で発展し、これらの改善された社会的なつながりは、より離れた部族に影響を与えるのに非常に有効であった。しかし、王子の本部で普及していく文明様式は、ちょうど20世紀の南アフリカのケープタウンの社会が、北の小型のブッシュマンの粗野な文化とはまるで異なるように、他の場所で発達する野蛮な社会とはまったく異なっていた。

10. 部族協調と民族協力の最高裁判所。この最高協議会は、ヴァンに導かれ、人間社会の諸事、人事の管理を委託された残る9つの特別委員会すべての控訴裁判所であった。この協議会は、他の部隊に明確に割り当てられない地球の全ての問題に関して任されている広く機能するものであった。この選ばれた部隊は、ユランチアの最高裁の機能の引き受けが認められる以前に、エデンチアの星座の父にすでに承認されていた。

6. 王子の治世

世界文化の度合いは、その人間の社会的遺産によって測定され、文化の発展速度は、全体的にその住民が新しく進歩的な考えを理解する能力によって測定される。

伝統への隷属は、過去と現在を感傷的につなぐことで安定性と協力を産みはするが、同じように自発性を窒息させ、人格の創造力を奴隷にする。全世界は、伝統に縛られた社会習慣の行き詰まりに状態にあり、そんなときカリガスティアの100名が到着し、その時代の社会集団内での個々の自発性の新しい福音宣言を始めた。しかしこの漸進的支配は、すぐさま中断されたので、人種は、習慣への隷属から完全に解放されることはなかった。風潮は、いまだにユランチアを過度に支配している。

カリガスティアの100名—サタニア大邸宅界の卒業生—は、ジェルーセムの芸術と文化を熟知はしていたが、そのような知識は、原始の人間が居住する粗野な惑星においてはほぼ無価値である。これらの賢明な存在体は、その時代の原始民族の突然の変化、あるいは全体的に向上させることを引き受けるほど愚かではなかった。彼らは、人類の遅い進化をよく理解し、また賢明にも地球上での人の生活様式を修正するいかなる過激な試みも控えた。

各10の惑星委員会は、委託された重要な事業を進めるためにゆっくりと自然に着手した。彼らの計画は、周囲の部族の最もすぐれた心の持ち主を社会向上のための特使として人々の元へ送り返すことにあった。

外部への特使は、その民族の具体的な要求がなければ決してその人々のもとには送られなかった。あてがわれた部族かまたは人種の向上と前進のために働く者達は、通常その部族か人種の出身者であった。100名は、優れた人種の習慣や慣習を別の部族に強要しようとはしなかった。彼らは、いつも各人種の長い年月に試された慣習の向上と進歩のために根気よく働いていた。ユランチアの単純な人々は、新たでより良い習慣との交換ではなく、より高い文化と優れた心との接触による向上のために彼らの社会風習をダラマティアに携えて来た。その過程は、ゆっくりであったが非常に効を奏した。

ダラマティアの教師達は、純粋に生物進化の自然淘汰に意識的な社会淘汰を加えようとした。人間社会を錯乱させはしなかったが、その正常で自然な発展を著しく加速した。その動機は、進化による前進であり、顕示による革命ではなかった。人類は、もてる小さな宗教と道徳の習得に長い間過ごしてしてきており、超人達は、過度の指導や啓発をもって進歩の遅い人種の向上に着手するときにいつも結果として生じる混乱と驚愕により人類からこれらのわずかな進歩を奪い取らないほどの分別はもっていた。

キリスト教の宣教師達が、息子と娘は、両親の全生涯を通じてその支配と指示の下に居続けるべきであると考えるアフリカの中心部に入るとき、これらの子供は、21歳に到達してしまえば親の抑制のすべてから解放されるべきであるという教えによりこの習慣を、1世代で、押し退けようとするならば、すべての権威の混乱と崩壊を引き起こすだけである。

7. ダラマティアでの生活

王子の本部は、この上なく美しく、その時代の原始人を畏れさせるほどの設計であったが、まったく質素なものであった。畜産導入から最終的には農業開発を奨励することが、これらの移入された教師の動機であったことから建物は特に大きくはなかった。都市の壁内の土地の条件は、およそ2万の人口扶養のための牧畜と園芸に備えるには十分であった。

10棟の協議会大邸宅は、崇拝のため中央の寺の内装と統轄している超人から成る集団に属するじつに美しい芸術作品であった。住宅用の建物は、整然さと清潔さの模範であったが、後に発達した物と比較してすべてが実に質素で全体に原始的であった。この文化の中心拠点においては、本来ユランチアに属しない方法は何用いられなかった。

王子の有体の部下は、世界の社交の中心地と教育本部に滞在している学生の観察者を奮い立たせ、関心を引くように設計された家として維持された質素で模範的な住まいを統轄した。

家族生活の明確な秩序と比較的定まった場所での1住居1家族の生活は、このダラマティアの時代に遡り、また主には100名とその教え子の実例と教えの結果である。社会単位としての家庭は、ダラマティアの超人的な男女が、人間に孫とその孫の子供を愛した、かれらのための計画を立てるように導くまで決して成功しなかった。未開人は、子供を愛してはいるが、文明人は、その孫をも愛する。

王子の部下は父母と共に暮らした。事実、それらには子供はいいなかったが、ダラマティアの50の家庭の型は、アンドン人種とサンギク人種の優れた家族から集められ保護された子供が、500人に満たないということは決してなかった。これらの子供の多くが孤児であった。子供達は、これらの超人の両親の躾と教育に恵まれた。次に、それらは、王子の学校(13歳から15歳まで在学)在学の3年後に、結婚の資格ができ、また王子の特使とそれぞれの人種の困窮している部族へ各自の任務の準備ができていた。

ファドは、生徒が行動によって学び、日々の有用な作業により進んで行く実業学校として運営されるダラマティアの教育計画を実践にうつした。この教育計画は、人格形成に関する思考と感情を無視はしなかったが、手工訓練を第一とした。個別的、また集合的教授方式であった。男性、女性、それに共に行動する二名の男女が、生徒に教えた。この集団教育の半分は、男女別学で、残る半分は共学であった。学生は、個人的には技術が教えられ、集団、学級単位で交流した。生徒は、同世代との協同作業はもとより、若い集団、年長集団、大人と親しくつきあう訓練をうけた。また、家族集団、遊びの小集団、学校の授業のような繋がりにも慣れ親しんだ。

のちに出自の人種と働くためにメソポタミアで訓練中の学生には、西インド高地からのアンドン人種がおり、赤色人種と青色人種の代表も共にいた。さらに後には、小数の黄色人種が受け入れられた。

ハプは、道徳律を初期の人種に示した。この掟は、「父の道」として知られ、次の7つの戒めから成った。

1. すべてのものの父以外いかなる神も恐れたり、仕えたるすべきではない。

2. 父の息子、つまり世界の支配者に背いたり、超人的仲間を軽視すべきではない。

3. 人民の裁判官に呼び出された場合、嘘をつくべきではない。

4. 男、女、または子供を殺すべきではない。

5. 隣人の物品、または牛を盗むべきではない。

6. 友人の妻に触れるべきではない。

7. 両親、もしくは部族の年長者を軽視すべきではない。

これが、およそ30万年にわたるダラマティアの法であった。この法が記された石の多くが、今やメソポタミアとペルシア沿岸沖の海に横たわっている。挨拶と食事時の感謝の祈りにそれを用いて、週の毎曜日にこれらの戒めの1つを心に留め置くことが習慣となった。

この時代の時間計測は、陰暦であり、この時期は、28日間で計算されていた。昼と夜を除いては、古代人が知る唯一の時間日数計算は、それであった。1週7曜は、ダラマティアの教師達により導入され、7は28の1/4であるという事実から生まれた。超宇宙におけるこの数字7の意味は、共通の時間計算に精神的促し導入の機会を確かに教師達に提供した。しかし、1週間の天然的由来は何もない。

都市周辺地域は、160キロメートルの区域内にすっかり定着した。王子の学校の何百人もの卒業生が、直接都市を囲んで畜産に従事し、別な方法では、王子の部下と人間の多くの助力者からの指示を実行した。少数の者は、農業と園芸に従事していた。

人類は、想定上の罪の刑罰として農業労役を託されたわけではなかった。「顔に汗して、畑の実りを得る」ということは、人が反逆者カリガスティアの統率下のルーキフェレーンスの反逆の愚行に参加したために申し渡された罰の判決ではなかった。土壌耕作は、進化的世界の前進文明の確立に固有であり、この指令は、30万年間、つまりユランチア到着時から、カリガスティアが反逆者ルーキフェレーンスと運命を共にした悲惨な時代まで、の惑星王子と部下の全教育の中心であった。土を扱う仕事は呪いではない。むしろすべての人間の活動の中でこのように最も人間らしさを味わうことが許される者すべてへの最高の天恵である。

ダラマティアは、反逆勃発時およそ6,000人の居住人口であった。この数字は、通常の学生を含むが、常時1,000人を越す訪問者と観察者はその数に入らない。あなたは、それでもその遠い時代の驚異的進歩についてほとんど、あるいは少しの考えにもおよぶことはできない。実際には、当時人間の獲得した素晴らしいもののすべてが、カリガスティアの欺瞞と扇動の破局に続いた恐ろしい混乱と絶望的な精神の暗黒によって破壊された。

8. カリガスティアの不運

我々は、カリガスティアの長い経歴を振り返るにあたり、疑問を呈したかもしれない行為にただ1つの傑出的特徴を見い出す。カリガスティアは、極端な個人主義者であった。抗議するほとんどすべての当事者に共鳴する傾向があり、言外の批判を穏やかに表現する人々に同情的であった。我々は、権力下にあっては落ち着きがなく、つまりすべての指揮形態にいささか憤慨するというこの初期の彼の傾向の現れを見破る。彼は、上役の助言でわずかに憤慨し、より上の権威下にあっては幾分反抗的であったのだが、それでもなお試練到来の際は、いつでも宇宙の支配者達に忠誠であり、星座の父の命令に従順であった。ユランチアの恥ずべき裏切りの時まで、かつて彼にはいかなる本格的な欠点も見られなかった。

ルーキフェレーンスとカリガスティアの両者は、批判的傾向、自惚れの微妙な発達、関連した自尊感情に伴う過大視に関し忍耐強く教えられ、愛をもって警告されていたことが言及されるべきである。しかし、援助しようとしたこれらの試みのすべては、根拠なき非難として、また個人の自由の不当な干渉であると曲解された。カリガスティアとルーキフェレーンスの両者は、二人の歪められた考えと誤った計画を、友好的な助言者達が、非常に不埒な動機にのっとって支配を始め、行動していると判断した。両者は、変化していく自身の利己主義により利他的な助言者達を批判した。

惑星の文明は、カリガスティア王子の到着からおよそ30万年間かなり自然なさまで進歩した。ユランチアは、生命変更の球体であること以外は、そして、それ故に進化的変動の夥しい不規則性と変事が起こり易いその惑星経歴において、ルーキフェレーンス反逆と同時発生のカリガスティア裏切りの時まで非常に良好に進歩した。その後の全歴史は、この破滅的失態により、また惑星任務を果たせなかったアダームとハヴァーの後の失敗により明確に変更されてしまった。

ユランチアの王子は、ルーキフェレーンスの反逆時点で暗闇に入り、その結果、惑星の長い混乱を引き起こした。その後、彼の最高権威は、星座支配者達と他の宇宙当局の協調的活動機能により剥奪された。ユランチアの王子は、アダームの惑星滞在時へと孤立しているユランチアの必然的変化を共に経て、また新しい紫色人種—アダームとハヴァーの子孫—の生命の注入により必滅の人種を向上させる計画の失敗に何かをもたらした。

人間社会の諸事を妨害する堕落した王子の権力は、アブラハムの時代のマルキゼデクのマキヴェンタの肉体化により途方もなく縮小された。この反逆の王子は、肉体におけるマイケルの生存中、最終的にはユランチアでのすべての権威を奪い取られた。

ユランチアの人的悪魔の教義は、反逆の、かつ不正のカリガスティアの惑星の存在に何らかの基礎はあったにもかかわらず、自由で自然な正常な人間の心の選択に反して、その心に影響を及ぼし得る「悪魔」といったような教えは、完全に虚構であった。カリガスティアもダリガスティアも、ユランチアのマイケルの贈与の以前にさえ、人間の意志に反して何も必滅者にまたは通常の個人に圧迫や、強要はできなかった。人の自由意志は、道徳問題における最高のものであり、内在する思考調整者は、人間自身の意志選択に反して一つの考え、あるいはただ一つの行為を強制することを拒否する。

かつての臣下に害を及ぼすすべての力を剥奪された領域この反逆者は、いまユヴァーサの高齢者達によるルーキフェレーンスの反逆に参加したすべての者に対する最後の判決を待ち受けている。

[ネバドンのメルキゼデクによる提示]