論文 158 変貌の山
論文 158
変貌の山
あるじが、ユランチアの精霊上の運命に決着をつけ、ルーキフェレーンスの反逆を実質的に終結させるために一人山に昇っている間、一度若者ティグラスの待っていたまさにその場所近くのヘルモン山の麓にイエスと仲間がヘルモン山の麓に到着したのは、西暦29年、8月12日、金曜日の午後、日没近くであった。かれらは、直ちに起ころうとしている出来事に対する精霊的な準備のために2日間ここに滞在した。
イエスは、山で何が起ころうとしているか予め大抵のことは知っていたし、全使徒がこの経験を共有できるということを非常に求めていた。かれが、使徒と山麓に留まったのは、自身のこの顕示に彼らを馴染みをもたせることであった。しかし、かれらは、地球に間もなく現れようとしている天の存在体の訪問に対して最大限の経験に自分を完全に晒すことを正当とするほどの精霊的な水準に達することができなかった。仲間の全員を同伴できなかったので、かれは、そのような特別な徹夜に同伴する習慣にあった3人だけを連れていくと決めた。従って、ペトロス、ジェームス、ヨハネだけが、この独得な経験の一部なりともをあるじと共有した。
1. 変貌
8月15日、月曜日の朝早く、イエスと3人の使徒は、ヘルモン山へ登り始めた。これは、ペトロスが路傍の桑の木の下での注目すべき真昼の告白の6日後のことであった。
この経験が自身の創造した宇宙に関連があったので、肉体での贈与の進捗と関係がある重大事項の処理のために、イエスは、一人になり山上への召還を受けていた。この途方もない出来事が、イエスと使徒が非ユダヤ人地域にいる間に起こるように調節されたこと、そして実際に非ユダヤ人の山上で生じたということは、意味深いことである。
正午少し前、山へのほぼ半分の目的地に着き、昼食を取る間、イエスは、洗礼直後のヨルダンの東にある丘での経験について、またこの人里離れた隠遁所へのこの前の訪問の際のヘルモン山での経験についてももう少し3人の使徒に伝えた。
少年の頃、イエスは、家の近くの丘に登り、エスドラエロン平野での過去の幾つかの帝国軍隊の戦いの幾つかを空想したことであった。今度は、ユランチアの贈与劇の最終場面を演じるためにヨルダン平野へ降りたつ準備のための恩恵を受けにヘルモン山に登った。あるじは、この日ヘルモン山での闘いを放棄して自分の宇宙領域の支配に戻ることができたのだが、楽園の永遠なる息子の命令に迎え入れられる神性の息子性の系列の必要条件を満たすことを選ぶだけでなく、楽園の父の現在の意志を最終的に、しかも完全に満たすことを選んだのであった。8月のこの日、3人の使徒は、イエスが、完全な宇宙権威の付与を辞退するのを見た。使徒は、天の使者達が、人の息子と神の息子として地球での人生を終えるために彼を後に残し、出発するのを驚きで見ていた。
使徒達の信仰は、5,000人の給食時が頂点であり、それからは、急速にほとんどゼロまで下降した。あるじ自身の神性告白の結果、そのとき、12人ののろい信仰は、次の数週間、その最高位にまで上がったが、進行的下降をもたらすだけであった。彼等の3度目の信仰復活は、あるじの復活の後まで起こらなかった。
イエスが3人の使徒に別れたのは、この美しい午後の3時頃であった。「父とその使者と親しく交わる時のために、私は一人離れて行く。私の帰りを待ち受ける間、君達にはここに留まり、人の息子の一層の贈与任務に関連する君達の全経験において父の意志が為せるように祈ることを言いつける。」こう言った後、イエスは、ガブリエルと父メルキゼデクとの長い協議のために退き、6 時頃まで戻らなかった。自分の長の不在を懸念する使徒を目にしたとき、イエスが言った。「なぜ恐れていたのか。君は、私が父の用向きに就かねばならないことをよく知っている。私が共にいないとき、どんな理由で疑うのか。人の息子は、君達の中の1人として全人生に臨むことを選んだと、私は、いま断言する。元気を出せ。私の仕事が終わるまで、お前達を置き去りにするつもりはない。」
粗末な夕食を共にしているとき、ペトロスは、「同胞と離れてどのくらいこの山に留まるのですか。」とあるじに尋ねた。イエスは「君達が、人の息子の栄光を見て、私が宣言してきたことは何でも本当であることを知るまで。」と答えた。そして、かれらは、赤々と燃える残り火の周りに座り、その朝かなり早く旅を始めたこともあり、闇が使徒の目を重くするまでルーキフェレーンスの反逆ついて話した。。
3人が30分程熟睡していると、パチパチという近くでの音に突然起こされ、周りをよく調べ非常に驚き狼狽したことは、天界の光の衣裳を纏った2名の光輝くものと親密にしているイエスを目にしたことであった。イエスの顔と姿は、天界の光の明るさで輝いた。この3名は、耳慣れない言語で話していたが、話された特定の言葉から、ペトロスは、誤ってイエスといるもの達はモーシェとエーリージャであると推測した。実際には、かれらは、ガブリエルと父メルキゼデクであった。物理的制御者は、使徒がイエスの要求のためにこの場面を目撃するように手配をしていた。
3使徒は、ひどく怯え、正気を取り戻すのに時間が掛かるほどであったが、目もくらむばかりの光景が目前から消えてなくなり、一人立つイエス見て、最初に我にかえったペトロスが言った。「イエスさま、あるじさま、ここにいて良かったです。私達は、この栄光を見て喜んでおります。恥ずべき浮き世に戻る気がいたしません。よければ、私達をここに留め置いてください。そうすれば、幕屋を3つ、あなたに1つ、モーシェに1つ、エーリージャに1つ造るつもりです。」ペトロスは、ちょうどこの時混乱し他には何も思いつかずにこう言ったのであった。
ペトロスがまだ話している間、銀色の雲が近づいて4人を覆った。使徒は、そのとき大いに怯え、礼拝のために俯いていると、声、イエスの洗礼の折に発した同じ声を聞いた。「これは私の愛しい息子である。彼に注目しなさい。」雲が消え失せると、イエスは、再び3人とともにあり、彼らに手を差し下ろし、触れて言った。「立ち上がりなさい。恐れるでない。これより素晴らしいものを見るであろう。」しかし、使徒は、本当に恐れていた。真夜中少し前に下山の準備をしながら静かで物思いに沈む三人組であった。
2. 下山
下山のおよそ半分の距離の間、一語の言葉も話されなかった。イエスは、そこで話を始めた。「人の息子が甦るまでこの山で見たり聞いたりしたことを誰にも、同胞にさえ話さないことを確実にしなさい。」3人の使徒は、「人の息子が甦る」までというあるじの言葉に衝撃を受け、うろたえた。3人は救出者、神の息子としてのイエスへの信仰をつい最近再確認し、栄光で変貌しているところを目の辺りにしたばかりであるのに、そのときまた、イエスは、「死から甦る」と話し始めるのであった。
ペトロスは、あるじが死ぬという考え—心に抱くにはあまりにも不愉快な考えであった—に震え上がりそして、ジェームスかヨハネがこの声明に関し何らかの質問をするかもしれないと恐れ、気を紛らわす会話を始めるのが最善だと考え、他の何を話してよいかが分からず、最初に心に浮かんだ考えを口にした。「あるじさま、救世主の出現前にエーリージャがまず先に来なければならないと筆記者達がいうのは何故ですか。」イエスは、ペトロスが自分の死と復活への言及を避けようとしているのを承知して答えた。「エーリージャは、多くの苦しみを受け最後には拒絶されるはずの人の息子のための道の準備をしに確かに最初に来る。だが、エーリージャは、すでに来たが、人々は、それを受け入れずに自分等の望むがままの仕打ちをしたと言っておく。」そうすると、3人の使徒は、イエスが、洗礼者ヨハネがエーリージャだと述べていると受けとった。もし彼らが、自分を救世主と見なすのであれば、次には、ヨハネが予言者エーリージャであるはずだと主張するということを、イエスは知っていた。
イエスは、そのときは救世主として受け入れられているということ、奇跡を施す救出者という誤った概念をいかなる程度であろうと満たすという考えを培おうとは思わない理由から、自分の復活後の栄光の先取り的な目撃に関して沈黙を命じた。ペトロス、ジェームス、ヨハネは、心でこの全てをじっくり考えたが、あるじの復活後まで誰にもそれについて話さなかった。
下山を続けながら、イエスは言った。「君は、人の息子として私を受け入れようとしていない。それ故、私は君の辿りついた決断に応じて受け入れられることを応諾したのである。だが、間違えるでない。私の父の意志は広く行き渡らなければならない。自分自身の意志の傾きに従うことを選ぶならば、君は、多くの期待外れに苦しみ、多くの試煉の経験を覚悟をしなければならない。だが、私が与えてきた教練は、自身が選ぶこれらの悲しみを通してさえ、君には意気高らかに持ち堪えさせるに十分のはずである。」
他の使徒よりもいかなる意味においても起こったことを目撃する準備ができていたので、または、精霊的にそのような稀な特権を楽しむことが適任であったので、イエスは、変貌の山にペトロス、ジェームス、ヨハネを連れて行ったのではなかった。とんでもない。かれは、12 人の誰も精霊的にはこの経験に資格がないことをよく知っていた。故に、孤独な親交を楽しむために単独になりたいとき、かれは、同伴するために選ばれた3人の使徒だけを連れて行った。
3. 変貌の意味
ペトロス、ジェームス、ヨハネが変貌の山で目撃したそれは、ヘルモン山でのあの盛り沢山な日の天の展示の束の間の一瞥であった。変貌は次の出来事であった。
1. 楽園の永遠なる母-息子によるユランチアにおけるマイケルの肉体での贈与完了の受諾。永遠なる息子の要求に関する限り、イエスは、履行の保証をそのとき受けた。そして、ガブリエルは、その保証をイエスにもたらした。
2. 人間の肉体に似せたユランチア贈与の完了に関する無限なる聖霊からの満足感の供述。無限なる聖霊の宇宙代表、すなわちサルヴィントンのマイケルの近い仲間であり、また臨場し続ける同輩は、父メルキゼデクを通してこの時に話した。
イエスは、永遠なる息子と無限なる聖霊の使者達に提示された地球任務の成功に関するこの証言を歓迎したが、父が、ユランチア贈与が終了したことを差し示さなかったことに気づいた。父の見えない臨場だけは、イエスの専属調整者を通して証言した。「これは私のいとしい息子である。息子に注目しなさい。」とだけ言った。そして、また、3人の使徒にも聞こえるように、これは言葉で話された。
イエスは、この天からの訪問後、父の意志を知ろうとし、そして人間の贈与のその自然の終わりまで追求すると決めた。これがイエスにとっての変貌の重要性であった。それは、3人の使徒にとり、神の息子と人の息子として地球の経歴の最終的な局面にあるじの入り口を記す出来事であった。
ガブリエルと父メルキゼデクの正式訪問後、イエスは、これらの聖職に携わる自分の息子との非公式の会話をし、宇宙の情勢に関して語り合った。
4. 癲癇の少年
イエスと仲間が使徒の野営に到達したのは、この火曜日の朝、食時の直前であった。かれらが近づくと、使徒のまわりに集まった相当の群衆がいるのが分かり、やがて50人ほどのこの集団の口論や論争の大声が聞こえ始めた。この群衆は、9人の使徒と、ほぼ同数のエルサレムの筆記者とマガダンからの旅でイエスとその仲間を追ってきた信じる弟子達を有していた。
群衆は幾多の議論に従事したが、主要な論争は、前日イエスを求めて到着したティベリアスからのある市民に関するものであった。この男性、サフェドのジェームスには、酷い癲癇に苦しむ14歳ほどの一人子の息子がいた。この若者は、この神経性疾患に加えその時地球にいて抑制されていなかった放浪しており悪戯で反逆的な中間者の1人に憑かれており、若者は、癲癇持ちで、かつ悪霊にも憑りつかれていた。
およそ2週間、この憂える父、ヘロデ・アンティパスの下位の役人は、フィリッポス領の西の境界を彷徨して、この病める息子を癒すことを懇願できるかもしれないとイエスを探していた。かれは、イエスが3人の使徒と山にいたこの日の正午頃まで使徒の一行に追いつかなかった。
イエスを探していた40人ほどの他の人々とともに来たこの男性に突然出くわしたとき、9人の使徒は、非常に驚きかなり狼狽えた。この一行の到着時点で、9人の使徒は、少なくともその大半が、従来の誘惑—来たる王国でだれが最も偉大であるかと議論—に屈した。9人は、個々の使徒に割り当てられそうな職務についてせわしなく議論していた。かれらは、救世主の物質的任務に関わるかねてからの望みの考えから完全に、自分たちを簡単に、自由にすることができなかった。そして、彼が本当に救出者であるという使徒達の告白をイエス自身が受け入れたそのとき—少なくとも自身の神性の事実を認めた—あるじとのこの分離期間、心で最優先している望みと野心について話すことは、彼等にとって当然のことであった。そして、使徒達は、イエスを探して来たサフェドのジェームスとその仲間の探求者達に遭遇したとき、これらの議論に従事していた。
アンドレアスは、この父と息子を迎えるために歩み寄って「だれを探していますか。」と言った。ジェームスは、「きみ、私は、あなたのあるじを捜し求めております。苦しむ息子の治療を求めております。イエスに子供にとりついているこの悪魔を追い出してもらいたいのです。」と言った。そして、父は、息子が、これらの悪性の発作の結果、何回となくもう少しで命を失うほどに患っているのだと使徒達へ詳しい話を始めた。
使徒達が聴いていると、シーモン・ゼローテースとユダ・イスカリオテが父の前に進みでて言った。「我々は、息子さんを治せます。あるじの戻りを待つ必要はありません。我々は、王国の大使であり、もはや、これらの事を秘密にしません。イエスは救出者であり、王国の鍵は我々に届けられているのです。」この時までに、アンドレアスとトーマスは、片側で協議中であった。ナサナエルと他の者は、驚いて傍観していた。彼らは全員、シーモンとユダの、厚かましくないとしても、突然の大胆さにがく然としたのであった。その時、父親が、「これらの仕事があなたに任されていたのでしたら、この束縛から私の子供を救い出すそれらの言葉を話してくださいますように念じます。」と言った。するとシーモンが前進して子供の頭に自分の手を置き、真っ直にその目を覗き込んで命じた。「出て来い、不浄の霊よ、イエスの名において、我に従え。」しかし、若者にはより激しい発作しか起こらず、筆記者達は、嘲笑して使徒を馬鹿にする一方で 、失望した信者達は、これらの友好的でない批判者の嘲りに苦しんだ。
アンドレアスは、この無分別な努力とその惨憺たる失敗に心からくやしがった。かれは、会合と祈りのために使徒達を傍らに集めた。思索のこの期間の後に、かれらは、敗北の痛みを鋭く感じ、自分達の上にある屈辱を味わい、アンドレアスは、悪霊追放を試みたが、2 度目の失敗にしか過ぎなかった。アンドレアスは、率直に敗北を認め、自分達と夜を共にするか、それかイエスが戻るまで留まるよう父親に頼み、「恐らくこの類は、あるじの直接の命令以外には出ていかないであろう。」と言った。
そして、イエスが熱狂的で有頂天のペトロス、ジェームス、ヨハネと下山する間、9 人の同胞も混迷と意気消沈の屈辱感に同様に不眠状態であった。使徒達は、打ち萎れ、仕置きを受けた一団であった。しかし、サフェドのジェームスは、諦めようとはしなかった。イエスがいつ戻るのか使徒には見当もつかなかったが、サフェドのジェームスは、あるじが戻るまで留まると決めた。
5. イエス少年を癒す
イエスが近づくと、9人の使徒は、この上もなイエスを歓迎して安心し、また、ペトロス、ジェームス、ヨハネの表情に機嫌の良さと常と異なる熱意を見受け大いに勇気づけられた。彼らは全員、イエスと3人の同胞を迎えるため前方に急いだ。かれらが挨拶を交わしていると、群衆が迫ってきており、イエスは、「我々が近づいてきたとき、何を言い争っていたのか。」と尋ねた。しかし、当惑し、恥ずかしめられた使徒が、あるじの質問に答えることができるよりも先に、苦しめられている若者の案じる父親が、進み出てイエスの足元に跪いて言った。「あるじさま、私には、息子が、悪霊にとりつかれた一人子がいます。かれは、恐怖に大声で叫び、口に泡をふき、発作の際には死人のように倒れるだけでなく、しばしばこのとりついた悪霊は、彼を痙攣で引き裂き、また時には水や、炎の中にさえ投げやるのです。酷い歯軋りや、多くの打ち傷に我が子は衰弱しております。この子の人生は死よりも悪いのです。この子の母と私は、悲しい心と失意にあります。あなたを捜して、昨日の昼頃お弟子さん達に追いつきました。そして、あなたを待つ間、あなたの使徒様が、この悪魔を追い出そうとしましたが、果たせませんでした。あるじさま、今すぐ、私たちのためにそれをしてくださいますか。息子を癒してもらえますか。」
イエスがこの話を聞くと、手近の使徒に探るような目を向けるとともに、跪いている父に触れ、立つように言った。それから自分の前に立っている者すべてに、「なんと不信仰で曲がった世代であろうか。私は、いつまでお前たちを我慢しなけらばならないのだろうか。いつまで一緒にいるのだろうか。信仰の業は不信仰の命令からは生まれない、ということを知るのにどれほどかかるのか。」とイエスは言った。それから、イエスは、うろたえている父親の方を指して、「こちらに息子を連れて来なさい。」と言った。そこで、ジェームスがイエスの前に若者を連れて来ると、かれは、「いつ頃からこのように苦しめられているのか。」と尋ねた。父親は、「とても小さい時からです。」と答えた。二人が話していると、この若者は、歯軋りをし、口から泡を出しながら激しく襲われ、二人の真ん中に倒れた。かれは、激しい痙攣の後、死人のように彼等の前に横たわった。さて、父親は、再びイエスの足元に跪き、あるじに嘆願して「あなたが息子を治せるのでしたら、我々に同情してこの苦悩から救い出してくださるよう懇願いたします。」と言った。イエスはこれらの言葉を聞くと、父親の気が気でない顔を見下ろして、「父の愛の力を疑うでない。誠意とそなたの信仰の範囲だけを問いなさい。本当に信じる者には、すべてが可能である。」と言った。するとサフェドのジェ ームスは、長く覚えられることとなる信仰と疑念の混じり合うそれらの言葉、「ご主人さま、信じます。不信仰な私をお助けください。」と言った。
これらの言葉を聞くとイエスは、前進し若者の手を取って言った。「私は、父の意志に従い、生ける信仰のためにこれをするのである。息子よ、立て。服従しない霊よ、出て来い、そして戻ってくるでない。」そして、かれは、若者の手を父の手に置いて言った。「帰りなさい。父はあなたの魂の願いを聞き入れられた。」そこにいたもの全てが、イエスの敵さえも、目撃したことに驚いた。
つい最近、変貌の場面と経験において精霊的な絶頂を享受した3 人の使徒にとり、仲間の使徒のこの敗北と挫折の場面にこのように早く戻るということは実に幻滅であった。しかし、それは、王国のこの12人の大使にとって、ずっとそうであった。かれらは、人生経験において高揚と屈辱の間を耐えず行き来するのであった。
これは、二重の苦悩、身体の病いと精神疾患の、本当の治癒であった。そして、若者は、その時から永久に回復した。ジェームスが回復した息子と共に出発すると、「さあ、ケーサレーア-フィリッピーに行くぞ。すぐに、用意しなさい。と」イエスが言った。そして、一行は、静かに南に向けて旅をして、その後に群衆が続いた。
6. ケルサスの庭にて
かれらは、ケルサスのもとに一泊し、その晩食事をとり休息した後、12 人は、庭でイエスの周囲に集まり、そしてトーマスが言った。「あるじさま、私達は、山で何が生じたか存じないままで、そして、あなたと共にいた同胞が、非常に励まされている一方で、私達は、今は山で起こったそれらのことを明らかにすることができないのを見て、我々の敗北に関し話してくださるとともに、これらの事柄に関し教えていただきたいと切に願います。」
すると、イエスがトーマスに答えた。「同胞が山で聞いた全ては、しかるべき時機に明らかにされるであろう。しかし、とても浅はかに試みたことにおける敗北の原因は、いま示すつもりである。あるじと仲間、あなたの同胞が、父の意志についてより大きな知識をもとめ、また、その神性の意志を効果的に為すための知恵のより豊かな付与を乞いに、昨日向こうの山に昇っている間、精霊的な洞察の心を得て、父の意志のより完全な顕示のために我々と祈るように努力せよとの指示で、ここを見守るために居残った者達は、君の指揮での信仰の行使に失敗し、そのうえに、誘惑に屈し、天の王国での自身のための好みの場所—君が思索に耽けることに固執する物質的、現世の王国—を捜し求める従来の悪い傾向に陥った。そして、私の王国がこの世のものでないという反復宣言にもかかわらず、君は、これらの誤った概念に執着している。
「君の信仰が人の息子の正体を把握するや否や、世俗的昇進に対する利己的願望が後ろに忍び寄り、君がそれを心に描くことを執着するようには存在しない、これからも存在することのない王国、天の王国で、誰が最も偉大であるべきかを、君達は、議論し始めるのである。私は、精霊的な兄弟愛の父の王国で最も偉大な者は、小さく見えなければならず、このように、同胞の奉仕者とならなければならないと言ってはこなかったか。精霊的な偉大さは、自己高揚のための物質的な力の行使の楽しみにあるのではなく、理解ある神のような愛にある。君が試みたことにおいて、君があまりにも完全に失敗したことにおいて、その目的は、純粋ではなかった。その動機は、神性ではなかった。その理想は、精霊的ではなかった。その野心は、利他的ではなかった。その手順は、愛に基づかず、その達成の目標は、天の父の意志ではなかった。
そのような事が父の意志に従っているとき以外、君は、確立した自然現象の過程を時間短縮することができないということ、また、精霊的な力なくして精霊的な働きもできないということが分かるのにどれだけ時を要するのか。そして、可能性があるとくでさえ、その3番目の重要な人的要因なしに、つまり、生ける信仰の保持の個人の経験なしに、君は、これらのいずれもすることはできない。王国の精霊的な現実とっての魅力として、君にはいつも物質的表示がなければならないのか。君は、稀れな業の可視の展示なくして、私の任務の精霊的な意味を把握することができないのか。すべての物質的な顕現の様子に関係なく、君が、王国のより高く、より精霊的な現実に忠実であることを何時当てにできるのか。」
イエスは、12人にこのように話し、付け加えて言った。「さあ、休みなさい。明日は、マガダンに戻り、デカーポリスの町や村での我々の任務について相談するので。そして、この日の経験の終わりに臨んで、山で君の同胞に話したことを各人へはっきり伝えておこう、そしてこれらの言葉を深く心に留めておくように。人の息子は、今、最後の贈与段階に入る。我々は、それらの労働を始めるところであり、私の破滅を求める者の手に私が届けられるとき、それらの労働は、やがては君の信仰と献身の大きく、最終的な試煉につながるであろう。そして、私が言うことを覚えていなさい。人の息子は殺される、だが、再び甦る。」
かれらは、悲哀に満ちて床に就いた。かれらは、当惑した。かれらは、これらの言葉を理解することができなかった。そして、言われたことに関して何か尋ねることを恐れたが、イエスの復活後にその全てを思い出した。
7. ペトロスの抗議
この水曜日の朝早々に、イエスと12 人は、ケーサレーア-フィリッピーからベスサイダ-ユーリアス近くのマガダン公園に向けて出発した。使徒は、その夜ほとんど眠らなかったので、早く起きて出掛ける用意ができた。鈍感なアルペイオスの双子でさえ、イエスの死に関するこの話に衝撃を受けた。南に旅をし、メロムの滝を超えてすぐにダマスカス街道に来て、イエスは、筆記者や他の者が、追ってやがてくるであろうと知り、彼等を避けることを望み、ガリラヤヤをつき抜けるダマスカス街道経由でカペルナムに進むようにと指示した。かれは、これらの者は、自分と使徒が、ヘロデ・アンティパスの領土の通り抜けを恐れると判断した上で、東ヨルダン街道を進むであろうことを知っていたので、こうしたのであった。かれは、この日使徒とだけいられるように自分の批判者と後をつけてきた群衆を避けようとした。
一行は、昼食時をかなり過ぎて気分回復のために日陰に立ち寄るまでガリラヤを旅し続けた。そして、かれらが食事をともにした後、アンドレアスがイエス言った。「あるじさま、同胞は、あなたの奥深い言葉を理解していません。我々は、あなたが神の息子であると完全に信じるようになりましたのに、今度は、私達を残す、死ぬというこれらの奇妙な言葉を聞いています。私達は、あなたの教えを理解していません。あなたは寓話で話しているのですか。真っ直に平凡な形で話すようお願いします。」
アンドレアスに答えて、イエスは言った。「同胞よ、私が神の息子であることを君が認めたので、私は、地球での人の息子の贈与の終わりについての真実を明かし始めることを強いられたのである。君は、私が救世主であるという信念に執着すると主張し、また救世主がエルサレムで王座につかなければならないという考えを断念しないであろう。それゆえに、人の息子は、やがてエルサレムに行き、多くのことに苦しみ、筆記者、年長者、主な聖職者に拒絶され、そして、これらのすべての後に殺され、死から甦なければならないということをあくまでも主張し続けるのである。そして、私は寓話など話していない。それらが我々を突然襲うとき、君はこれらの出来事に覚悟ができるという事実を話している。かれがまだ話しているのに、シーモン・ペトロスは、イエスに猛烈に向かっていき、あるじの肩に手をかけて言った。「あるじさま、あなたに挑むつもりは毛頭ありませんが、私は、これらのことが、あなたに決して起こらないと断言します。」
ペトロスは、イエスが好きであったのでこう言った。しかし、あるじの人間性は、善意の愛情のこれらの言葉に、楽園なる父の意志に従って地球贈与の終わりまで従事する自分の方針を変えるという誘惑の微妙な提案を認識した。そして、優しく、かつ忠誠な友でさえ、自分を思い切らせようと仄めかすという危険性を見破ったので、ペトロスと他の使徒の方に向いて言った。「私の後ろにさがれ。おまえは、敵、誘惑者の精神のにおいがする。おまえがこの様に話すとき、私の側にではなく、むしろ我々の敵側にいる。このように、おまえは、私に対する愛情を私が父の意志を為す際の躓く石にしているのである。人の道ではなく、むしろ神の意志に気を配りなさい。」
彼らが、イエスの辛辣な非難の最初の衝撃から回復した後、そして旅を再開する前、あるじはさらに話した。「もし誰かが私の後に続きたいのであれば、自分自身にかまうことなく、日々自分の責任に応え、私について来なさい。利己的に自分の命を救う者は誰でも、それを失うが、私と福音のために命を失う者は誰でも、それを救うのである。全世界を得て、自身の魂を失う者に何の利益があるというのか。人は、永遠の命と引き換えに何を与えるであろうか。すべての天の軍団の面前で、栄光のうちに父の前に出向くとき、私が君を承認することを恥ずかしくないのと同様に、この罪深くて偽善の時代に私と私の言葉を恥じるでない。それでも、現在私の前に立つ君達の多くは、この神の王国が力とともにくるのを見るまでは死を経験しないであろう。」
このように、イエスは、自分の後に続きたいのであれば辿らねばならない苦痛で相剋の道を12人に明らかにしたのであった。地上の王国での自分たちの名誉ある位置を夢みることに固執するガリラヤの漁師達にとり、これらの言葉は、何という衝撃であったことか。しかし、彼らの忠誠な心は、この勇ましい訴えに掻き立てられ、そのうちの誰とてもイエスを見捨てる気にはならなかった。イエスは、彼等だけを争いに送り出してはいなかった。イエスは、彼らをを導いていた。イエスは、彼らに勇敢に続くことだけを求めていた。
次第に12人は、イエスが自分の死の可能性についての何かを言っているという考えを理解し始めていた。イエスの死に関して言ったことを、皆はただばく然と理解はしたが、死から蘇るという彼の声明は、全く心に残らなかった。時が経過するにつれ、ペトロス、ジェームス、ヨハネは、山での変貌の経験を思い出し、これらのうちのある事柄に対してはより完全な理解に到達した。
あるじとのすべての関係において、12人は、ペトロスと他の者にこの時与えられたような燃えたつばかりの目を見たり、速やかな叱責の言葉を聞くのは、ほんの数回であった。イエスは、人間の短所に常に我慢強かったが、自分の残りの地上経歴に関わる父の意志の完全な実行計画に差し迫る脅威に直面しては、そうではなかった。使徒は、文字通り唖然とした。かれらは、仰天し、ぞっとした。自分達の悲しみを述べるための言葉が見当たらなかった。あるじが耐えなければならないことを、そして自分達も共にこれらの経験に直面しなければならないことが次第に分かり始めたが、かれらは、これらの来たるべき出来事の現実には、イエスの後半の時代に差し迫っている悲劇のこの早期の示唆のずっと後まで気づかなかった。
イエスと12人は、黙してマガダン公園の野営を目指して出発し、カペルナム経由行った。アンドレアスはあるじと話したが、午後が経過するにつれ、かれらは、イエスとは話さなかったが、自分たちだけでよく話した。
8. ペトロスの家にて
黄昏れ時カペルナムに入り、夕食のために人通りのない往来から直接シーモン・ペトロスの家に行った。ダーヴィド・ゼベダイオスは、湖の向こうに連れていく用意をしたが、彼らがシーモンの家に長居していると、イエスは、ペトロスと他の使徒を見上げて尋ねた。「今日の午後一緒に歩いたとき、君達は非常に熱心に何を話していたのか。」かれらは、来たる王国で自分等がどんな位置につくか、誰が最も偉大であるか等についてヘルモン山で始めた議論を続けていたので、使徒の多くが黙っていた。イエスは、当日、彼らの考えを占めていたものを知っていたので、ペトロスの幼子の1人に手招きして、自分達の間に置いて言った。「まことに、まことに言いきかせておこう。向きを変えてもっとこの子供のようにならなければ、君達の天の王国での進歩はほとんどないであろう。誰でも謙虚にし、この幼子のようになるものは、天の王国で最も偉大な者となる。そのような幼子を受け入れる者も、私を受け入れるのである。また、私を受け入れる者は、私を遣わしたあの方をも受け入れるのである。最初に王国に入りたいならば、肉体の君の同胞にこれらの素晴らしい真実で仕えることを求めなさい。しかし、これらの幼子の一人を躓かせる者は誰でも、臼石がその首のまわりに掛けられ海中に投げられようとも、それがその者にとっては良いであろう。手ですること、または目で見ることが王国の進展に障害を与えるのであれば、これらの大事にしている偶像を犠牲にせよ、これらの偶像にしがみついたり、王国から締め出されるよりも、人生の愛着あるものの多くを無くして王国に入るほうがよいのであるから。しかし、何よりも、君がこれらの幼子の一人として蔑まないということを確実にしなさい、幼子等の天使は、いつも天の軍勢の顔を見ているのであるから。」
イエスが、話し終えると、皆は舟に乗りマガダンに向けて出帆した。