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論文 153 カペルナムでの危機 25,6

論文 153

カペルナムでの危機 25,6

金曜日の夜、ベシサイダ到着の日と安息日の朝、使徒は、イエスが真剣に何らかの重大な問題に専念しているのに気づいた。かれらは、あるじが、ある重要事項について尋常ではない思索に耽けっているのを認識した。かれは、朝食をとらず、正午にもほとん食べなかった。安息日まる一日と前の晩、12 人とその仲間は、家の周りや、庭の中、そして海岸沿いに幾つかの小集団で集められた。彼ら全員には不安からの緊張と憂慮からの懸念があった。エルサレムを出て以来、イエスは、彼等にあまり口をきいていなかった。

かれらは、あるじがそれほどまでに没頭し、無口であるのを何カ月も見掛けなかった。シーモン・ペトロスさえ、意気消沈とまではいかなくても、元気がなかった。アンドレアスは、打ち萎れた仲間達のために何をすべきか分からずに途方に暮れた。ナサナエルは、自分達は「嵐の前の静けさ」の真っ只中にいるのだと言った。トーマスは、「並外れている何かが起ころうとしている」という意見を述べた。フィリッポスは、「あるじの考えていることが分かるまで、群衆への給食や投宿の計画を忘れてくれ」とダーヴィド・ゼベダイオスに助言した。マタイオスは、資金補給のために努力していた。ジェームスとヨハネは、会堂での来たるべき説教について論議し、その可能な論題の特徴と範囲に関して推測した。シーモン・ ゼローテースは、「天の父は、その息子の擁護と援護のための何らかの予期されない方法で干渉しようとしているかもしれない」という信念、実際には望みを表明した。一方、ユダ・イスカリオーテスは、おそらくイエスは、「5,000 人にユダヤ人の王であると宣言する度胸と勇気がなかった。」という後悔に塞ぎ込んでいるのだという大胆な考えに耽けってた。

この美しい安息日の午後、イエスがカペルナムの会堂における画期的な説教をするために赴いたのは、そのような気が滅入り陰鬱な追随者の集団の中からであった。側近の追随者からの快い挨拶、若しくは、成功を願う唯一の言葉は、疑わないアルフェウスの双子の一人からであり、かれは、イエスが会堂へと家を出たとき、陽気に挨拶をして、「父があなたの力となり、今まで以上の大群衆が迎えられますように、我々は祈ります。」と言った。

1. 舞台設定

すぐれた会衆は、この素晴らしい安息日の午後3 時にカペルナムの新会堂でイエスを迎えた。ヤイロスが、司会を勤めて、イエスの読む聖書を手渡した。その前日、53人のパリサイ派とサッヅカイオス派が、エルサレムから到着しており、また30人以上の近隣の会堂の指導者や支配者も出席していた。これらのユダヤの宗教指導者は、エルサレムのシネヅリオンからの命令の下で直接に行動しており、かれらは、保守的な先鋒を構成し、イエスと弟子に対して公然たる戦争開始のために来ていた。会堂の名誉の席に、これらユダヤ人の指導者の側に着席していたのは、ヘローデス・アンティパスの公式の監視者達であり、かれらは、兄弟フィリッポスの領地において、イエスがユダヤ人の王だと宣言するための民衆による企てがあったという不穏な報告に関して真実を確かめるように指示されていた。

イエスは、増加する敵の公言、公然たる直々の戦争布告に直面したと理解し、大胆に攻勢をとることに決めた。かれは、5,000人に給食することで、物質的な救世主についての彼らの考えに挑戦した。そのときかれは、ユダヤ人の救出者の概念を攻撃することを公然と再び選択した。この危機、5,000人の給食に始まり、この安息日の午後の説教で終わったこの危機は、大衆の評判と賞賛の流れを外向きに転回するものであった。これからは、王国の仕事は、人類の真に宗教的な兄弟愛のために長続きする精霊的な転向者を勝ち得るより重要な任務にますます関わりがあった。この説教は、議論、論争、決定の時期から公然の戦いと最終的承認、あるいは最終的拒絶への移行における難局を記している。

あるじは、追随者の多くが、ゆっくり、しかし確実に自分を最終的に拒絶する心の準備をしているのをよく知っていた。かれは、弟子の多くが、疑いに打ち勝ち、王国の福音に対する成熟した信仰を勇敢に断言することができる心の訓練と魂の鍛錬を通してゆっくりではあるが、確実に進んでいることを同様に知っていた。イエスは、人が、どのように善と悪の繰り返しの状況の間で反復選択の遅い過程により、危機直面の際の決断と勇敢な選択の突如の行為の実行のために覚悟するかを完全に理解していた。イエスは、選ばれた使者達に度重なる失望の演習を課し、精霊的試煉の出会いに際しての善悪間の選択のための度々の試験的機会を提供した。かれは、かれらが最後の試煉に遭遇するとき、彼らが事前の、並びに習慣的な心の態度と精霊の反応に従って、必要不可欠な重大決定をすることを追随者に依存できるということを知っていた。

イエスの地球の人生のこの危機は、5,000人の給食に始まり、会堂でのこの説教で終わった。使徒の人生の危機は、会堂でのこの説教から始まり、丸一年続き、あるじの裁判と磔刑まで終わらなかった。

イエスが話し始める前のその午後、かれらが、会堂で座っていると、ただ一つのすばらしい謎、ただ一つの最高の質問が皆の心に浮かんだ。イエスの味方と敵の双方が、ただ一つの考えに耽けった。それは、「何故、彼自身は、大衆の熱意のうねりにそれほどまで故意に、しかも効果的に背を向けたのか。」そして、この説教の直前直後に、不満な支持者達の疑いと失望が無意識の反抗となり、遂には、事実上の憎しみに変わったのであった。ユダ・イスカリオテが、初めて見捨てるという意識の考えを抱いたのは、会堂でのこの説教の後であった。だが当分の間、かれは、すべてのそのような傾向を上手に扱った。

誰もが当惑状態にあった。イエスは、彼らが唖然として混乱するままにしておいた。かれは、最近、全経歴を特徴づける最も高度の超自然力の示威に従事していた。5,000人の給食は、ユダヤ人の待ち望まれる救世主の概念に最も訴えた彼の地球人生における一つの出来事であった。しかし、王にされることを即座に、明確に拒否したことによって、この並はずれた利点は、すぐに、しかも説明無しに相殺された。

金曜日の夕方、そして再び安息日の朝、エルサレムの指導者達は、イエスの会堂での話しを妨げるために長くひたむきにヤイロスと努力をしたが、それは無益であった。この嘆願に対するヤイロスの唯一の回答は、「私はこの要求を承諾したことであるし、自分の言葉に背くつもりはない。」であった。

2. 画期的な説教

イエスは、申命記に見つけられる法を朗読することでこの説教に入った。「だが、もし神の声に耳を傾けなければ、違背の呪いが、必ずこの民に襲い来る。主は、あなた方が敵に打ちひしがれるようにする。あなた方は、地球のすべての王国に移されるであろう。そして、主は、あなた方とあなた方が祭り上げた王を見知らぬ国の手に任せるであろう。あなた方は、万国の間の恐怖となり、物笑いの種となり、笑い草となるであろう。息子や娘達は、捕われの状態になるであろう。あなた方のうちの在留外国人は、あなた方の上にますます高く上っていき、あなた方は、ますます低く下がっていく。これらの事は、永遠にあなた方やその子孫の上にある、なぜなら、あなた方は、神の声に耳を傾けないので。それゆえ、あなた方に向かってやって来る敵に仕えるようになるのである。あなたは、飢餓と渇きに耐え、この外国人の鉄のくびきを着けるのである。主は、あなたに対して遠くの、地の果てから国を、言葉が分からない国を、激しい表情の国を、ほとんどあなた方を重んじない国にあなた方を襲わせる。そして、彼らは、あなた方が頼みとしていた高く固められた壁が崩壊するまで、すべての町であなた方を包囲するであろう。そこで、全領土が彼らの手に落ちるのである。また、敵が押さえつける厳しさ故に、この包囲の期間、あなた方は、自身の肉体の果実、つまり、あなた方の息子と娘の肉を食べざるをえないようなことが起こるであろう。」

そして、イエスがこの朗読を終えると、預言者に転じ、イレミアスから読んだ。「『私が送ったしもべの予言者達の言葉に耳を傾けないならば、この家をシーロフのようにし、この町を地の万国の呪いとする。』そして、聖職者と教師達は、主の家でイレミアスがこれらの事を言うのを聞いた。そして、イレミアスが、主が全民衆に伝えよと命じたすべてを話し終えた時、祭司と教師等が、イレミアスを捕らえて言った。『あなたは必ず死ぬであろう。』そこで、全民衆は、主の家でイレミアスの周りに群がった。そして、これらを聞くと、ユダの王子等が、イレミアスを裁いた。その時、祭司と教師達は、王子や全民にこう言った。『この男は死に値する。我々の町に対し、あなた方が自らの耳で聞いた通りの予言をしたからだ。』そこで、イレミアスは、すべての王子とすべての人々に言った。『主は、あなたが聞いたすべての言葉をこの宮とこの町に対して予言させに私を遣わされた。よって、あなたに向かって宣言された災いから逃がれられるようにあなたの行ないと業を改め、あなたの神、主の声に従いなさい。この通り、見なさい。私は、あなたの手の中にある。あなた方が良いと思うよう、正しいと思うように私としなさい。ただ、もし私を殺すならば、自分達とこの人々とに無実の血の報いを及ぼすということをはっきり知っておきなさい。本当に主が、これらのすべての言葉をあなた方の耳にいれるために私を遣わされたのであるから。』

「当日の司祭と教師達は、イレミアスを殺そうとしたが、裁判官達は、イレミアスの警告の言葉のために同意しようとしなかった、とはいえ、彼等は、イレミアスを土牢の泥濘に腋が沈むまで紐で沈めた。差し迫る政治上の失墜について同胞に警告せよとの主の命令に従ったとき、この民族が予言者イレミアスにしたことがこれである。今日、私は、あなたに方に尋ねたい。この民族の主要な聖職者と宗教指導者は、精霊の運命の日について敢えて警告する男をどうするのであろうか。そして、あなた方は、敢えて主の言葉を公布し、天の王国への入口に通ずる光の道を歩むあなた方の拒否を指摘することを恐れない教師を殺そうとするのであろうか。

「あなたが、、地球での私の任務に関する証拠として探すものは何であるのか。我々は、貧者賎民に朗報を説く間、あなたの勢力と権限の立場を妨害することなくやってきた。我々は、あなたが崇敬するものに対し敵対的な攻撃をせず、むしろ人の恐怖に支配された魂の新しい自由を宣言してきた。私は、父を明らかにし、地球に神の息子の精霊的兄弟愛、天の王国を樹立するためにこの世にやって来た。そして、我が王国は、この世のものではないと、幾度となく念を押してきたにもかかわらず、父は、それでも、あなた方にさらなる証明の精霊的な変化と蘇生に加えて多くの物質的な驚くべき顕示をしてきた。

あなたが、 私の手に探している新しい兆しは何なのか。私は、あなた方が決定をすることができる十分な証拠を既にもっていると宣言する。誠に、誠に、私が、この日私の前に座る多くの者に言っておく。あなたは、どの道を行くのか選ぶ必要性に直面していると。また、私は、ヨシュアがあなた方の祖先に言ったように、「あなたが仕えるお方をこの日選びなさい。」と言う。今日、あなた方の多くが、別れ道に立っている。

あなた方が、対岸での群衆への給食の後に私を見つけることができなかったとき、あなた方の一部が、私の追跡のためにティベリアス漁船団(それは、1週間前、嵐の間近くに避難しにきていた)を雇ったのは何のためか。真実と正義のためにではなく、仲間にいかに仕え、力を貸すかをよく知るためでもなかった。いや、それは、むしろ働かずしてもっとパンを得るためであった。それは、命の言葉で魂を満たすことではなく、ただ容易いパンで腹を満たすことができるためであった。長い間、あなた方は、救世主が来るとき、すべての選ばれた人々に人生が愉快で容易になるそれらの驚くべきことを為すということを教えられてきた。このように教えられてきたあなた方が、それ故、パンと魚を切望しても不思議ではない。しかし、私は、それが人の息子の任務ではないと断言する。私は、精霊的な自由を宣言し、不朽の真実を教え、生きた信仰を促進しにきたのである。」

「我が同胞よ、滅失する肉に憧れるのではなく、むしろ永遠の命にさえも栄養を与える精霊的な食物を捜し求めよ。そして、これこそが、それを手に取り食する者すべてに息子が与える命のパンである、なぜならば、父が限りなくこの命を息子に与えたのであるから。そして、あなたが、『神の業を実践するために何を為すべきか。』と訊くとき、私は、『これが神の業である。遣わされた彼を信じること。』であるとはっきりと言う。」

イエスは、その時、この新しい会堂の横木を飾り付けてあった葡萄の房で装飾されたマナの模様の壷を指差して言った。「あなた方は、荒野で祖先がマナ—天のパン—を食べたと思ったが、これは地球のパンであったと告げよう。モーシェは、天からのパンをあなたの祖先に与えはしなかったが、私の父は、今、命の本当のパンをあなた与える準備ができている。天国のパンというものは、神からもたらされ、この世の人に永遠の命を与えるものである。あなたが、私にこの生きるパンをくれと言うとき、私は答えよう。私がこの命のパンである。私の元に来る者は、腹がへらず、私を信じる者は決して喉が渇かない。あなたは、私に会い、私とともに暮らし、私の仕事をじっくり見てきた、それでも、私が父から来たと未だに信じていない。しかし、信じる者達よ—恐れるでない。父に導かれるすべての者は、私の元に来るであろうし、私の元に来る者は、全く追放されない。

「また、今、きっぱりと宣言させてもらおう。私は、私自身の意志ではなく、私を寄越されたあの方の意志でこの地球に下りてきたのだと。そして、これは、私を送られたあの方の最終的な意志、私に与えられたすべてのもののうち、1 人も失ってはならないという最終的な意志である。そして、これが父の意志である。息子を見る、また信じる者は皆、永遠の命を得るであろう。つい昨日、私は、肉体のためにパンをあなたに食べさせた。今日、私は、飢えた魂のために命のパンをあなたに勧める。あの時非常に喜んでこの世のパンを食べたように、今、精霊のパンを取りますか。」

イエスが一瞬止まり、会衆を見回すと、エルサレムからの教師の一人(サンヘドリン派の成員)が、立ち上がって尋ねた。「あなたが天から下りるパンであり、モーシェが荒野で我々の祖先に与えたマナはそうではなかったとあなたは言われるのですか。」そこで、イエスは、「あなたは正しく理解している。」とパリサイ人に答えた。すると、パリサイ人が言った。「でも、あなたは、ナザレのイエスであり、ヨセフの息子であり、大工ではないのですか。あなたの父と母は、あなたの弟妹と同様に、我々の多くが、知ってはいませんか。では、あなたが、ここ、神の家に現れ、天から下りたと宣言するというのはどういうことですか。」

この時までには、会堂にはかなりの呟きがあり、騒ぎの恐れがあったので、イエスは、立ち上がって言った。「辛抱しよう。正直な試験は、決してを真実を妨害しない。私は、あなたが言う通りであるが、それ以上である。父と私は一つである。息子は父が教えることだけをして、息子は、父から息子に与えられる全ての者を受け入れるであろう。あなたは、こう預言者に書かれているところ個所を読んだことがある。『あなた方は皆、神に教えられるであろう。』また、『父の教えを聞く者は、その息子をも聞くであろう』と。内在する父の精霊の教えに屈する者全てが、遂には、私の元に来るであろう。誰とても父を見たというわけではないが、父の精霊は実に人の中に生きる。そして、天から下りてきた息子は、確かに父に会った。そして、本当にこの息子を信じる者は、すでに永遠の命を有している。

「私はこの命のパンである。あなたの祖先は荒野でマナを食べて死んでいる。だが、神からくるこのパンは、人がそれを食べれば、精霊的に決して死ぬことはない。繰り返す。私はこの命のパンである。そして、神と人のこの結合した本質に目覚めるすべての者は、永遠に生きるのである。私がすべてに与えるこの命のパンを受ける者は、私自身の生ける、また結合した本質である。息子の中の父と、父と一体の息子—それが、世界への生命を与える顕示であり、万民への私からの救済の贈り物である。」

イエスが話し終えると、会堂の支配者は会衆を解散させようとしたが、かれらは、去ろうとはしなかった。他の者が呟き、また、議論する間、 彼等はさらに多くの質問をするためにイエスの周りに群がった。そして、この状況は3 時間以上続いた。聴衆がとうとう離散するまでには、7 時をはるかに過ぎていた。

3. 会談後

この会談後、イエスへの質問は数多くあった。幾つかは、当惑した弟子が尋ねたが、大方は、イエスを困らせ罠にかけようと粗捜しをする懐疑者達によるものであった。

燭台に立つ訪問中のパリサイ派の一人が、大声でこの質問をした。「あなたは、命のパンだと言われる。あなたは、私達があなたの肉を食べ、また、あなたの血を飲むために、どのように我々に与えることができるのですか。それを実行することができないならば、あなたの教えにはどんな効果があるのですか。」そこで、イエスはこの質問に答えて言った。「私は、私の肉が命のパンであるとも、私の血がその水であるとも教えはしなかった。しかし、私の肉体の命は、天のパンの贈与であると言った。肉体に与えられた神の言葉の事実と人の息子が神の意志に服従する現象は、神性の食物に等しい経験の現実を構成する。あなたは、私の肉を食べることも、私の血を飲むこともできないが、ちょうど私が精霊で父と1つであるように、あなたは精霊で私と1つになることができる。あなたは、神の永遠の言葉によって給養されることができる。そして、それこそが誠に命のパンであり、人間の体に似せた者に贈与されてきたものである。そして、あなたの魂には、神の精霊により水が与えられることができる。そして、それこそが本当に命の水である。父は、すべての人に宿り、導くことをいかに望んでいるかを示すために私を世界に送った。そして、私は、この肉体の生活で、全ての人が私と同じように絶えず内在する天なる父を知り、その意志を為すように奮い立たせるために過ごしてきた。」

次に、イエスと使徒を見張ってきたエルサレムの間諜の一人が、「我々は、あなたもあなたの使徒もパンを食べる前に適切に手を洗わないのに気づきました。あなた方は、穢た洗わない手で食べるそのような習慣は、昔の人々の掟に違反することをよく知っているはずです。あなた方は、杯も食器も適切に洗わない。あなたが、祖先の伝統と昔の人々の法に対してそのような無礼を働くのはなぜですか。」イエスはこれを聞き、答えた。「あなた方が、伝統の法によって神の戒律に背くのはなぜであるのか。戒律は、『父母を敬え』とあり、必要とあらば、物質を分かち合うことを指示している。ところが、あなた方は、不誠実な子供が、両親が助けられたかもしれない金が、『神へ捧げられた』と言うことを可能にする伝統の法を制定する。子供等が、自身の安らぎのためにそのようなすべての金を後に使用するにもかかわらず、昔の人々の掟は、そのような狡猾な子等をこのようにその責任から解き離つ。このように自身の伝統で戒律を無効にするのは何故であるのか。イエシァジァが、あなた方偽善者についてこのように適切に予言している。『この民は口さきでは私を敬うが、その心は私から遠く離れている。かれらは、人間の戒めを教えとして教示して無意味に私を拝んでいる。』

「あなたは、あなたが、いかに人間の伝統に固執しながら戒律を捨てているかを知ることができる。要するに、あなたは、自身の伝統を維持しながら、神の言葉を進んで拒絶している。そして、他の多くの方法で、法と予言者を超えて、自身の教えを敢えて主張している。」

それから、イエスは、全出席者へ向けて自分の所見を述べた。「だが、全員、注意して耳を傾けなさい。口から入るものが、精霊的に人を汚すのではいない。むしろ口から、あるいは心から出るものが、精霊的に人を汚すのである。」しかし、使徒でさえ、完全にその言葉の意味を理解したというわけではなかった。というのも、シーモン・ペトロスも、「聞き手の何人かが不必要に怒らないように、これらの言葉の意味を我々に説明してください。」と尋ねたので。そこで、イエスがペトロスに言った。「君もまた理解できないのか。天なる父が植えなかった植物は、みな抜き取られるであろうということを知らないのか。いまは、真実を知りたい人々へ君の注意を向けなさい。君は、真実を愛するように人を強いることはできない。これらの多くの教師は、盲目の案内人である。盲人が盲人を導けば、双方が穴に落ちるということを、君は知っている。しかし、人を道徳的に汚し、精霊的に悪影響を及ぼすそれらの事柄に関する真実を私が話す間、耳を傾けなさい。口から体に入ったり、または目や耳をから心に接近するものが、人を汚すのではないと、私は断言する。人は、おそらく心からくる、またそのような不浄な人々の言葉と行為に表現されるその悪によって汚されるだけである。悪い考えや、殺人、窃盗、姦通のの危険な企て、それに嫉妬、自負心、怒り、報復、悪態、嘘の証言は、心からくるということを知らないのか。まさにそのようなものが人を汚すのであって、儀式で汚い手でパンを食べるということではない。」

エルサレムにあるシネヅリオンのパリサイ派の委員達は、そのとき、イエスが、冒涜の罪、あるいはユダヤ人の神聖な法を嘲る罪で逮捕されなければならないとほぼ確信していた。そんな訳で、かれらは、昔の人々の法、または、いわゆる国の不成文律の幾つかの討論にイエスを巻き込む、できれば攻撃する努力をした。水がいかに不足していようとも、伝統的に俘にされたこれらのユダヤ人は、毎度の食前に所定の儀式的な手洗いを決して怠らない。「長老の戒律に背くより死ぬ方がましである」というのが彼等の信念であった。イエスが、「救済とは、清い手より、むしろ清い心の問題である」と言ったと報告されていたので、間諜等は、この質問をしたのであった。しかし、そのような信念が、一度自分の宗教の一部となると、抛擲し難い。この日から何年後でさえも、使徒ペトロスは、清潔、不清潔なものに関するこれらの伝統の多くへの恐怖の束縛にまだ捕らわれており、驚異的で鮮明な夢を経験することによって最終的に救われたのであった。これらのユダヤ人は、洗わない手で食べることは、売春婦を買うのと同様に看做し、双方共に、等く破門の罰に相当するということが思い起こされるとき、この全てがより理解できる。

その結果、あるじは、不成文律—昔の人々の伝統、その全てが、聖書の教えよりもユダヤ人をより神聖で、より拘束する、この法に代表されるラビの規則や規約の全体系の愚かさについて議論し、暴くことにしたのであった。そして、イエスは、これらの宗教指導者との公然の断裂を防止する以上の何もできない時が来たのを知っていたので、余り控えることなくはっきりと意見を述べた。

4. 会堂における最後の言葉

この会談後の議論の真っ最中、エルサレムからからのパリサイ派の一人が、手に負えない反抗的な霊に取りつかれて逆上している若者をイエスの元に連れて来た。かれは、この狂った若者をイエスのところへ案内して、「あなたはこのような苦悩のために何ができますか。悪魔を追放できますか。」と言った。あるじは、若者を見たとき、同情して心が動かされ、若者に来るように合図し、その手を取って言った。「君は、私が誰であるかが分かっている。出て来なさい。そして、君の忠義な仲間の一人に君が戻ってこないのを見届けることを託す。」そうすると、若者はすぐに平常で、正気になった。これは、イエスが、人間から「悪霊」を本当に追い払った最初の例である。以前の全ての事例は、思い込みの悪魔の憑依に過ぎなかった。

しかし、これは、あるじが、これらの僅かな天の反逆者が、特定の不安定な型の人間のそのような弱みに乗じることを永遠に不可能にし、時々起きたそのような時でさえ、当時、そして、あるじの精霊が全ての人に注がれたまさしく五旬節のその日まで、悪魔の憑依の本物の例であった。人々が驚くと、パリサイ派の一人は、イエスがこれらの事ができるのは悪魔と同盟しているということ、イエスと悪魔が互いに知っているということを、イエスがこの悪魔を追放する際に使った言葉で認めたことになるということだと、立ち上がって告発した。そして、かれは、エルサレムの宗教教師と指導者達は、イエスが悪魔の王子であるベエルゼブブの力でいわゆる奇跡を施すことを決めたのだと続けて述べた。パリサイ人は、「この男と関係してはいけない。魔王と協力している。」と言った。

すると、イエスが言った。「どうして魔王が魔王を追放することができるのか。内部で分かれ争う王国は成立できず、もし家が内輪で分かれ争うならば、それは、まもなく荒廃をもたらす。町というものが、一体となっていなければ包囲に耐えることはできるのか。もし、魔王が魔王を追い出すならば、それは、内輪で分かれ争うことになる。それからどのように、その王国は立ち行けようか。しかし、君は、まずその頑強な者を力ずくで負かし縛っておかない限り、誰も頑強な者の家に入り、品物を強奪できないということを知るべきである。そして、私がベエルゼブブの力で悪魔を追い出すならば、あなた方の息子等は、誰によって悪魔を追い出すのであろうか。それにより、彼らがあなたの裁判官になるであろう。しかし、神の精霊によってもし私が、悪魔を追放するならば、本当に、神の王国はあなたに方の上に来たのである。あなたが偏見に目をくらまされていなければ、恐怖と自負心に迷わされていなければ、あなたは、悪魔よりも偉大な者が、あなたの真ん中に立っているのに容易に認めるであろう。あなたは、私と共にいない者は、私に反対する者であり、私と集まらない者は、方々に散る者であると宣言することを私に強要している。目を見開き、計画的な悪意をもって、故意に神の働きを悪魔の行為のせいだと思うあなた方に厳粛な警告をさせてもらおう。誠に、誠に、言っておく。あなたの全ての罪は、あなたの全ての冒涜さえも、許されるであろう、だが、熟考と邪な意図で神を冒涜する者は誰であろうと、決して許しを得ることはないと。そのような執念深い邪悪な労働者は、決して許しを求めもしないし受けもしない。かれらは、神の許しを永遠に拒絶する罪で有罪である。

「あなたの多くは、今日、別れ道にやって来た。あなたは、父の意志と自らが選んだ暗黒の道の間の回避不能の選択をする出発点に来た。そして、あなたは、いま選んで、やがてはそうなるのである。あなたは、木を良くし、その果実を良くしなければならない、さもなければ、木は腐りその実も腐るであろう。父の永遠の王国では、木はその実で分かると、私は断言する。しかしながら、君達の中の毒蛇のような者が、すでに悪を選んでいるのでは、いかにして、良い実をつけることができるのか。とどのつまり、あなたの口は、心の悪の豊かさから話すのである。」

その時、パリサイ派の別の者が立ち上がって言った。「先生、あなたの権威と教える権利の確立とみなして、同意する予め定められた印を我々に下さい。そのような取り決めに同意してもらえますか。」これを聞いたイエスが言った。「この不信仰で兆しを求める時代は、印を探すが、あなたがすでに持っているもの、それと人の息子があなたを後にするときに見るであろうそれ以外は、前兆は、与えられはしない。」

話し終えると、使徒は、イエスを囲んで会堂から連れ出した。黙ってかれらは、ベスサイダへと帰った。かれらは、突然のあるじの教えの変化に驚嘆し、やや恐怖に襲われていた。そのような好戦的な態度をとるあるじを見ることに、かれらは全く不慣れであった。

5. 土曜日の夜

イエスは、繰り返し使徒の望みを粉微塵に打ち砕いてきた。かれは、繰り返し彼等の最も気に入りの期待を押し潰してきたが、いかなる失望の時、あるいは悲しみの季節も、そのとき襲っていたそれに、匹敵するものは決してなかった。そして、このときかれらの安全に対する本当の恐怖は、憂鬱と混ざっていた。使徒は全員、民衆の放棄の突然さと完全さに非常に驚いた。かれらは、エルサレムからやってきたパリサイ派が示した予想外の大胆さと断定的な決意にも、いくらか怯え、まごついていた。しかし、彼らは、イエスの戦術の急転に最もうろたえた。普通の情況下では、かれらは、このより好戦的な態度の様子を歓迎したことであろうが、あまりに予期しなかった多くのこととしかも、このように起きたことが、皆を驚かせた。

さて、これらの心配の全ての上に、イエスは、家に着いたとき食べることを拒否した。何時間も、かれは、階上の1 室に孤立した。伝道者の指導者ヨアブが、戻ってきて、仲間のおよそ1/3 が運動を見捨てたと報告したのは真夜中頃であった。忠誠な弟子達は、夜通し行き来し、カペルナムでのあるじへの嫌悪感は、一般的であったと報告した。エルサレムからの指導者達は、この不満感をつのらせること、また、あらゆる可能な方法でイエスとその教えから遠ざける動きの促進にぐずぐずしてはいなかった。この試煉の時、12人の女性は、ペトロスの家での会議にいた。彼女等は、非常に動揺したが、一人として離れなかった。

イエスが上の部屋から下りてきて12 人とその仲間、合わせておよそ30 人の間に立ったのは、真夜中を少し過ぎてであった。イエスが言った。「この王国のふるいにかけることが、君達を苦しめていると分かるが、それは、避けられない。それにしても、全ての訓練を受けてきた後に、なぜ躓くべきなのか、何らかの適当な理由があったのか。王国が、これらのいい加減な群衆や熱のない弟子達を除去しているのを見るとき、恐怖と狼狽に満ちているのは何故なのか。新しい日が、天の王国の精霊的な教えの新たな栄光で輝き放つために明けようとしているのに、なぜ嘆き悲しむか。この試煉に耐えるのが難しいと分かるならば、人の息子が父の元に戻らなければならないとき、何をするのか。そこからこの世に来た場所に私が昇る時に、いつ、また、いかように準備するつもりなのか。

「愛しい者達よ、命を与えるのは精霊であることを思い出さねばならない。肉とそれに伴う全ては、ほとんど益をもたらさない。私が話してきた言葉は、精霊であり命である。元気を出しなさい。私は君達を見捨ててはいない。多くの者が、最近の率直な話しぶりに機嫌を損ねているであろう。すでに君達は、弟子の多くが背を向けたと聞いた。彼らはもう私と共に歩まない。最初から、私には、これらの本気でない信者が落伍することが分かっていた。私は、君たち12人を選び、王国の大使として確保しなかったか。そして、今、このような時に、君達も見捨てたいのか。君達の1 人が重大な危険にさらされているので、各人が自身の信仰に目をむけなさい。」イエスが話し終えると、シーモン・ペトロスが言った。「はい、ご主人さま、私達は悲しくて当惑していますが、あなたを決して見捨てるつもりはございません。あなたは、永遠の命の言葉を教えてくれました。私達は、あなたを信じ、この間ずっとあなについて参りました。我々は、背を向けるつもりはありません。あなたが神によって送られてきたのが分かっていますので。」ペトロスが話しを止めると、皆は、忠誠の誓いに賛成して一斉に頷いた。

そこで、イエスが、「休みなさい。忙しい時が待ち構えている。多忙な日々は、すぐ先にある。」と言った。