論文 150 3 度目の説教遊歴
論文 150
3 度目の説教遊歴
西暦29年1月16日、日曜日の夕方、アブネーは、ヨハネの使徒と共にベスサイダに到着し、翌日アンドレアスとイエスの使徒との共同会議に入った。アブネーと仲間は、ヘブロンに本部を設け、これらの会議のために定期的にベスサイダに行くのが習慣であった。
この共同会議で考慮される多くの案件の中には、治癒の祈りの際の特定の油を病人に注ぐ習慣であった。またもやイエスは、議論への参加、あるいは彼等の結論に関する意見表明を断った。ヨハネの使徒は、その活動の中で病苦の者にいつも塗布油を使用しており、これを両団体の一律の実践として定めようとしたが、イエスの使徒は、そのような規則で縛られることを拒んだ。
1月18日火曜日、24人のガリラヤへの3度目の説教遊歴への派遣に先だち、考査済みの伝道者およそ75人が、ベスサイダのゼベダイオス家で合流した。この3度番目の任務は、7週間続いた。
伝道者は、5人ずつの組み分けで送り出され、イエスと12 人はたいてい一緒に旅行しながらも、使徒は、2 人ずつが必要に応じ信者の洗礼に出掛けた。ほぼ3週間、アブネーと仲間も、この集団と共に働き、福音伝道者に助言したり、信者に洗礼を施した。彼らは、マグダラ、ティベリアス、ナザレス、それにガリラヤの中部と南部の主要都市や集落、また以前に訪ねたことのあるすべての場所と他の多くの土地を訪ねた。北部の地域を除き、これが、ガリラヤへの最後の知らせであった。
1. 女性の福音伝道者隊
地球の生涯に関係するイエスの全ての大胆な行為の中で最も驚くべきことが、1月16日の夕方、「明日、我々は、王国の奉仕活動のために10人の女性を別に任命するつもりである。」という彼の突然の発表であった。2 週間区切りの最初に、使徒と伝道者が休暇でベスサイダから離れようとしている時、イエスは、ダーヴィドに家に彼の両親を呼び出し、またベスサイダに数人の使者に急いで前の野営や天幕の診療の運営で活躍した10人の敬虔な女性を呼びにいかせることを頼んだ。これらの女性は皆、若い伝道者に託された指示を聞いてきたものの、イエスが、病人に王国の福音を教えたり、奉仕することを敢えて女性に命じるとは、女性自身もその教師達にも決して思いつかなかった。イエスに選ばれ、任命されたこの10人の女性は、次の通りであった。ナザレスの会堂の元教会堂役員の娘シューシャン、ヘロデ・アンティパスの執事であるフーザスの妻ジョーアンナ、ティベリアスとセーフォリスの裕福なユダヤ人の娘エリサベツ、アンドレアスとピーターの姉マールサ、あるじの肉身の弟ユダの義理の妹レイチェル、シリア人の医師エルマンの娘ナサンタ、使徒トーマスのいとこミルカ、マタイオス・レーヴィーの長女ルース、ローマ百人隊長の娘ケールタ、ダマスカスの未亡人アガマン。その後、イエスは、この一団に2人の他の女性、メアリ・マグダーリンとアリマセアのヨセフの娘レベッカを加えた。
イエスは、彼女らに女性自身の組織を作る認可を与え、ユダに設備と荷駄用の動物用意のための基金を提供するように指示した。10 人は、その長にシューシャンを、会計係にジョーアンナを選出した。その後ずっと自身の資金を供給し、二度とユダには援助を求めなかった。
女性が、会堂の主要階の床の間に許されさえしない(女性用回廊に限定)その当時、新しい王国の福音の権限を与えられた教師として見られるということは、肝を潰すほど驚くに値することであった。福音教育と活動のために女性を別個に配置するにあたり、イエスがこれらの10人の女性に与えた責任は、全時代を通して全女性を自由にするという解放宣言であった。もはや、男性は、女性を精霊的に劣勢であると見てはいけなかった。これは、12人の使徒にさえ明らかな衝撃であった。天の王国には、金持ちも貧乏人も、自由も束縛も、男性も女性もなく、すべてが等しく神の息子と娘である。」と、あるじが言うのを幾度となく聞いてきたにもかかわらず、宗教教師としてこれらの10人の女性を任命し、一緒に旅することさえ許すと正式に提案したとき、彼等は、文字通り唖然とした。この行為に国中が騒ぎ立ち、イエスの敵はこの動きに乗じたが、至る所で、朗報を信じる女性信者は、選ばれた姉妹の後ろにしっかりと立ち、宗教活動における女性の位置のこの遅れた承認への確たる賛意を口にした。この女性解放は、つまり当然の認識を彼女等に与えるということは、あるじの出発直後、使徒によって実行された。とはいえ、その後の世代では昔の習慣へと後退したのだが。キリスト教会の初期を通して、女性の教師と宗教活動者は、婦人執事と呼ばれ、一般的な認知をえていた。だがポールは、理論的にはこれをすべて容認していたという事実にもかかわらず、彼自身の態度にはそれを決して本格的には組み入れず、個人的にも実際に実行が難しいとわかった。
2. マグダラでの一時停止
使徒一行のベスサイダからの旅の際、女性達は後部に続いた。彼女等は、会議時間中はいつも一団となって話者の前方と右側に位置した。王国の福音の信者になる女性達はますます増え、彼女等が、イエスまたは使徒達のうちの一人と個人的な話をしたいと望むとき、おおくの困難の原因となり、困惑につきないものがあった。このとき、このすべてが変わった。女性信者の誰かが、あるじに会いたいと思ったり、使徒と協議したいと望むとき、彼女等は、シューシャンのところに行き、12人の女性伝道者の一人を伴い、直ちにあるじか使徒の一人のところに行くのであった。
女性が最初に自身の有用性を発揮し、自らが選ぶ賢明さを立証したのはマグダラでのことであった。アンドレアスは、女性との、特に疑わしい性格の者達との対人的な仕事に関して、かなり厳しい規則を仲間に押しつけていた。一行がマグダラに入ると、10 人の女性は、いかがわしい場所に入ることも、直接そこの全被収容者に喜ばしい知らせを説くことも自由であった。また、病人を訪問する時、これらの女性は、苦しんでいる姉妹達にその活動で親密に近づくことができた。この場所でのこの10人(その後12人の女性として知られる)の女性の活動の結果、マリア・マグダーリンが王国へと説得された。この女性は、不運の連続とそのような判断の誤りを犯す女性に対する標準的社会がとる態度の結果として、マグダラの邪悪な盛り場の1つにいた。彼女のような者にさえ王国の数ある扉が、開かれていることをマリアに明らかにしたのは、マーサとレイチェルであった。マリアは、朗報を信じ、翌日、ピーターにより洗礼を受けた。
マリア・マグダーリンは、12人の女性伝道団の中で最も有能な福音教師となった。彼女は、イオータパタでの自身の転向の約4 週間後、レベッカとともにそのような活動に選ばれた。マリアとレベッカは、この集団の他のものと共に虐げられた姉妹の啓蒙と向上のために忠実に、効果的に働き、イエスの地球での人生の残りを通して進み続けた。そして、イエスの人生劇中の最後の、しかも、悲劇的な挿話が起きているとき、一人を除く全使徒が逃げたにもかかわらず、これらの女性は、皆居合わせ、一人として彼を否定したり裏切ったりはしなかった。
3. ティベリアスでの安息日
安息日の使徒一行の礼拝は、イエスの指示でアンドレアスにより女性の手に委ねられていた。もちろん、これは、彼らが新しい会堂でできないことを意味した。女性達は、この行事の任にジョアナを選び、会合は、ヘロデがペライアのユーリアスの官邸に住み不在であったので、その新宮殿の宴会部屋で行われた。ジョアナは、イスラエルの宗教生活における女性の働きに関して聖書から読み、ミリアム、デボラ、エスター、および他の者達に言及した。
その夕方遅く、イエスは、男女連合の一行に「魔法と迷信」について忘れ難い話をした。その頃、明るい、おそらくは新しい星出現は、地上に偉人が生まれたことを示す象徴と考えられていた。そのような星が近年観測されていたので、アンドレアスは、これらの思い込みが根拠のあるものかどうかをイエスに尋ねた。あるじは、アンドレアスの質問に対する長い答えの中で、人間の迷信について主題全体に関して徹底的な議論を始めた。イエスのこのときの論述は次の現代の言い回しにまとめられるかもしれない。
1. 天上の星の軌道は、地球の人間生活の出来事と少しの係わりもない。天文学は、適切な科学の追求であるが、占星術は、王国の福音には属さない迷信的誤りの積み重ねである。
2. 最近殺された動物の内臓検査では、天候、将来の出来事、または、人事の成り行きなど何も明らかにすることはできない。
3. 死者の霊は、生存中の家族、またはかつての友人との情報交換のためには戻らない。
4. 魔除けや遺品は、病気を治したり、災害を避けたり、あるいは悪霊に影響を及ぼすには無力である。精霊の世界に影響を及ぼすすべてのそのような物質的手段に対する信奉は、はなはだしい迷信にすぎない。
5. 賽を投げるのは、多くの小さな困難に決着をつける便利な方法であるかもしれないが、神の意志を明らかにするように考案された方法ではない。そのような結果は、まったく物質的偶然の問題である。精霊的世界との交じわりの唯一の方法は、注がれた息子の精霊と無限なる精霊の遍在する影響と共に人類の精霊の贈与、つまり内在する父の精霊に迎え入れられることである。
6. 占法、呪術、幻術は、魔法の妄想がそうであるのと同様に、無知な心の迷信である。数に対する魔法の信奉、好運の前兆、不運の前触れは、純然たる根拠のない迷信である。
7. 夢の解釈は、主に無知で空想的な推測がなす迷信深く根拠のない方式である。王国の福音は、原始宗教の占い師である祭司と共通するものは何もない。
8. 善か悪の霊は、粘土、木、または金属の物質的象徴の中に住むことはできない。偶像は、作られているその物質以外の何ものでもない。
9. 催眠術師、魔術師、呪術師の慣習は、エジプト人、アッシリア人、バビロニア人、および古代カナーン人の迷信によるものであった。善霊の保護や想像上の悪霊を祓い除けるための護符や全ての呪文の類は、無益である。
10. イエスは、呪縛、苦難、幻惑、祟り、前兆、マンドレーク、結ばれた紐、および他のすべての無知でとりこにする迷信の形態における皆の信奉を暴露し、批難した。
4. 使徒2 名ずつの派遣
翌晩12人の使徒、ヨハネの使徒、それに新たに任命された女性集団を集めて、イエスが言った。「君達には、収穫は豊富であるが、労働者はわずかであることがわかっている。よって、労働者を主の畑地にもっと送り出すように収穫の主に祈ろう。若い教師達を慰め、教えるために、私が残る間、まだ好都合で平和であるうちに、従来から使徒を2人ずつ王国の福音を説いて、全ガリラヤを素早く通過できるように送り出したい。」そして、彼らに行供養に求めたので、かれは、使徒を2名ずつ任命した。それらは次の通りであった。アンドレアスとペトロス、ジェームスとヨハネ・ゼベダイオス、フィリッポスとナサナエル、トーマスとマタイオス、ジェームスとユーダス・アルフェウス、シーモン・ゼローテースとユダ・イスカリオーテス。
イエスは、12人のためのナザレの会合の日取りを決めて、別れに際して言った。「この任務では如何なる非ユダヤ人の都市にも行ってはいけない、サマリアにも入ってはいけないが、その代わりにイスラエルの家の迷える羊のところ行きなさい。王国の福音を説き、人が神の息子であるという救済の真実を宣言しなさい。弟子は、そのあるじの上ではなく、使用人がその主より優れてもいないということを心しなさい。弟子はあるじと同等であること、使用人は主と同じ様になることで十分である。もし一部の者が、家のあるじをあえてベエルゼブブの仲間と呼ぶとしたならば、かれらは、その世帯の者達をどれほど大きく見るであろうか。だが、君達は、これらの不信心な敵を恐れるべきではない。私は、明らかにされようとしない何もないと断言する。知られるべきでない隠されたものは何もない。私が、個人的に教えてきたこと、それを知恵をもって公然と説きなさい。私が奥の部屋で明らかにしてきたこと、それを君達は屋根から来たるべき季節に公布することになっている。また、友人と弟子達よ、君達に言う。身体を殺すことはできるが、魂を滅ぼすことのできない者達を恐れてはいけない。むしろ身体を支え、魂を救うことのできるあの方を信じなさい。
「2羽の雀は1 ペニーで売られるではないか。しかも、私は、そのいずれも神の視界では忘れられないと言い切る。あなたの頭髪さえすべて数えられているということを知らないのか。だから、恐れるでない。あなた方は、かなり多くの雀よりもっと価値がある。私の教えを恥じるでない。平和と善意を公布しに行きなさい。ただし、欺かれてはならない—平和は、常にあなたの説教に伴うわけではない。私は地球に平和をもたらすために来たが、人が私の贈り物を拒絶するとき、分裂と混乱は起こる。家族の全てが、王国の福音を受け入れるとき、平和は、本当にその家に留まる。しかし、その家族の幾人かが王国に入り、他のものが福音を拒絶するとき、そのような分裂は、悲痛と悲嘆だけをもたらす。人の敵が自身の家庭のものにならないように、家族全員を救うために、ひたむきに働きなさい。だが、あなたが各家族の全員のために最善を尽くしても、この福音よりも父か母を愛する者は、王国にふさわしくないと私は、言い切る。」
12 人は、これらの言葉を聞き終えると、出発の準備をした。そして、皆は、あるじが手配したようにナザレでイエスと他の弟子に会うための集合の時まで、再び一緒にはならなかった。
5. 救われるために何をすべきか
シュネムでのある晩、ヨハネの使徒達がヘブロンに戻った後、そしてイエスの使徒が2 人ずつ送り出された後、あるじが、ヤコブの指示のもとに働く12人の若い伝道者の一行と12人の女性に教えているときに、レイチェルは、イエスにこの質問をした。「あるじさま、女性が、救われるためには何をするのか、尋ねられたときどう答えましょうか。」イエスは、この質問を聞いて答えた。
「救われるために何をすべきかと男女が尋ねるとき、この王国の福音を信じなさい、神の許しを受け入れなさい、と答えなさい。信仰により、内在する神の精霊に気づきなさい、その受け入れが、あなたを神の息子にする。聖書で、次のようにあるのをまだ読んだことはないのか。『ただ主にだけ、正義と力がる。』また、父が言うところでは、『私の正義は近い』とある。『我が救いはすでに出ており、私の腕は民を抱える。』『私の魂は、神の愛に喜ぶ。神が、私に救いの衣を着せ、正義の外套をまとわせて下さったから。』『主を我々の正義と呼ぶべきだ』とその名に言い及んだ父についてもまた読んではいないのか。『一人よがりの汚らわしいぼろの着物を持ち去り、我が息子に神の正義と永遠の救いの衣をまとわせなさい。』『正義は信仰によって続くであろう。』というのは永遠に本当である。父の王国への出入りは、完全に自由であるが、進歩—神の恵みにおける成長—は、そこでの存続に不可欠である。
「救済は父の贈り物であり、その息子達によって明らかにされる。あなたの側での信仰による受理が、あなたを神性の性質の参加者、神の息子または娘にする。あなたは、信仰に罪がないとして許される。信仰によりあなたは救われる。そして、この同じ信仰により、あなたは進歩的で神性の完全性の道において永遠に前進させられる。アブラーハームは、信仰により罪がないとして許され、メルキゼデクの教えにより救済に気づかされた。全ての時代を通して、この同じ信仰が人の息子を救ってきたが、今、息子が、救済をより本格的に、また受け入れ可能にするために父の元からやって来たのである。」
イエスが、話すのをやめたとき、これらの情け深い言葉を聞いた人々には大きな悦びがあり、皆は、新たな力と更新された活力と熱意をもって次の日から王国の福音を宣言しながら前進し続けた。そして、女性達は、地球での王国設立のためのこれらの計画に自分達が含まれていることを知りますます歓喜した。
最後的な声明を要約する際に、イエスは言った。「救済を買うことはできない。正義を獲得することはできない。救済は神の贈り物であり、正義は、王国の息子性の精霊生まれの人生の自然の果実である。あなたは、正しい生活を送るという理由で、救われるということではない。むしろ、あなたが既に救われ、神の贈り物としての息子性に気づき、地球の人生の最高の喜びとしての王国での活動に気づいたので正しい生活を送るということである。この福音、神の善の顕示を信じるとき、人は、すべての既知の罪の自発的悔悟に導かれるであろう。息子性の実現は、罪を犯す願望とは相容れない。王国の信者は、義に飢え、神の完璧さに渇いている。」
6. 夜間の授業
イエスは、夜の議論で多くの課題について話した。この遊歴の残りの期間—皆がナザレで合流する前に—「神の愛」「夢と展望」「悪意」「謙遜と従順さ」「勇気と忠誠」「音楽と崇拝」「奉仕と服従」「自負と傲慢」「悔悟に関係する許し」「平和と完全性」「悪口と嫉み」「悪、罪、誘惑」「疑念と不信仰」「叡知と崇拝」についてイエスは論じた。従来の使徒が遠くにいっており、男女双方のこの若い集団は、より自由にあるじとのこれらの議論に入った。
12人の伝道者の1 集団と2、3日を過ごした後、イエスは、ダーヴィドの使者達によるすべてのこれらの労働者の所在と動きに関して知らされ、もう一つの集団に加わるために進むのであった。これが女性達の初の遊歴であり、彼女等はイエスと多くの時を共にした。各集団は、使者の働きで、遊歴の進捗を完全に知らされており、他の集団からの情報入手は、常に点在し離れ離れの労働者達にとっての励みの源であった。
彼等の分散の前に、12人の使徒が、伝道者や女性部隊と共に、3月4日、金曜日に、あるじに会うためにナザレに集合するということが決められていた。従って、ほぼこの頃、ガリラヤの中部や南部の全域からこれらの使徒と伝道者の様々な集団が、ナザレへ向かい始めた。午後の中頃までには、早く到着した者が用意したこの都市の北部の高地に位置する野営に、最後の到達者であるアンドレアスとピーターが、到着した。そして、イエスが公の活動の始まり以来ナザレを訪れたのは、これが初めてであった。
7. ナザレでの滞在
この金曜日の午後、イエスは、全く見られもせず、完全に気づかれもせずナザレを歩き回った。かれは、幼年時代の家と大工の仕事場のそばを通り、若者時代あれほどまでに楽しんだ丘で30分を過ごした。ヨルダン川のヨハネによる洗礼の日以来、人の息子は、魂の中をかき混ぜるそのような人間の感情の奔出を感じたことはなかった。下山の間、かれは、ナザレでの成長の少年時代に幾度も幾度も耳にしたように、日没を知らせる馴染みのあるトランペットの轟音を聞いた。野営に戻る前、かつて通学した会堂のそばを歩き、幼年期の多くの思い出に心を満足させた。その日早く、イエスは、安息日の朝の礼拝での説教のために、トーマスに会堂の支配者との打ち合わせに行かせていた。
ナザレの人々は、敬虔と正しい生活における評判が、決して良くはなかった。年の経過と共にこの村は、近くのセーフォリスの低い道徳的基準によってますます悪影響を受けるようになった。その少年時代と若者時代を通して、ナザレではイエスに関する意見の分裂があった。かれが、カペルナムに移ると、彼に対する多くの憤りがあった。ナザレの住民は、元大工の行ないについて多く聞いてはいたが、初期のいずれの説教遊歴にも自分の出身の村を一度も含んだことがないと怒っていた。かれらは、イエスの名声について確かに耳にしていたが、彼が若者時代の都市ですばらしい働きの一つとしてなかったので、市民の大部分は、怒っていた。ナザレの人々は、何カ月もの間イエスについて相当に議論していたが、その意見は、概して彼にとって好ましくはなかった。
このように、あるじは、歓迎されず、明らかな敵対的で、酷評の空気の只中にいる自分に気づいた。しかし、これが、全てではなかった。敵は、彼がナザレでこの安息の日を過ごすことになっていることを知り、会堂で話すであろううと想定し、彼を執拗に悩ませ、あらゆる可能な方法で問題を引き起こすために多数の荒々しく粗野な者等を雇っていた。
少年時代の会堂役員の溺愛的な師を含み、イエスのかつての友人の大方は、 死ぬか、またはナザレを去っていたし、より若い世代は、強い嫉妬で彼の名声に憤慨する傾向にあった。かれらは、父親の家族へのイエスの早くからの献身を記憶してはいなかったし、ナザレ在住の弟や結婚している妹達への訪問の怠慢を痛烈に批評した。イエスに対するその家族の態度もまた、市民のこの険悪な感じを増加させる傾向にあった。ユダヤ人の間の正統派は、イエスがこの安息日の朝に会堂へ行くのに速く歩き過ぎるという理由であえて批評さえした。
8. 安息日の礼拝
この安息日は、美しい日であった。全てのナザレ人(友と敵)は、町の会堂でこの元市民の講話を聞くこととなった。使徒の随員の多くは、会堂の外に残らなければならなかった。彼の声を聞きにきた者すべてのための場所がなかった。イエスは、青年時代この崇拝の場所でしばしば話した。そして、この朝、会堂の支配者が、彼に聖書の教えを読むための神聖な書の巻物を手渡したとき、これはイエスがこの会堂に寄贈したまさにその写本であるということを居合わせた誰も思い出すようには見えなかった。
この日の礼拝は、ちょうどイエスが少年として出席した時のように執り行われた。かれは、会堂の支配者と講壇を昇り、礼拝は、2つの祈りの朗唱で始められた。「誉め称えよ、世界の王である主を。光をつくり、闇をつくり、平和を生みだし全てを造る主を。慈悲をもって、地上とそこに住まう者に光を与える方、善をもって、一日一日と毎日、創造の業を新たになさる方。誉め称えよ、神なる主を、御業の栄光のため、賛美のために作られた光明を与える明かりのために。セラ。誉め称えよ、光を作られた神なる主を。」
一瞬の休止の後、かれらは、再び祈った。「すばらしい愛をもって、我々の神である主は、我々を愛し、溢れんばかりの多大の哀れみをもって、父であり我々の王は、彼を信じた我々の祖先のために我々を哀れんできた。あなたは、人生の掟を彼らに教えた。我々に慈悲をお示しください。法に向けて我々の目を開いてください。あなたの戒律に心を従わせてください。御名を愛し恐れるように我々の心を一つにしてください、末代までも、我々が恥をみないように。あなたは救済を用意する神であり、全ての国と言語の中から我々を選ばれ、我々が、愛情を込めてあなたの統一を称賛することができるように実際、偉大な御名—セラ—の近くに我々を連れて来られました。誉め称えよ、愛でイスラエルの民を選んだ主を。」
会衆は、それから、ユダヤ人の信仰の教義、シェマを朗唱した。この儀式は、法からの多数の章句の繰り返しから成り、崇拝者が天の王国のくびき、また、昼夜適用される戒律の任を負うことを示した。
それから、3番目の祈りに続いた。「あなたは、ヤハウェ、我々の神であり、我々の祖先の神であるというのは本当です。我々の王であり祖先の王、我々の救済者であり、祖先の救済者、我々の創造者であり救済者の岩、我々の助力者であり救出者であります。御名は永遠から来ており、あなたの他に神はいません。救出された者達が海辺で歌う新たな歌は御名を称えた。皆は共に王を称賛し認めて言う。ヤハウェは治め、世界に終わりはないと。誉め称えよ、イスラエルを救う主を。」
会堂の支配者は、次に、神聖な書物を入れた箱舟、または櫃の前の自分の場所に行き、19の祈りの賛辞、または祝福の朗唱を始めた。しかし、このとき、貴賓が講話のためにより多くの時間を持つことができるように礼拝を短くするのが望ましかった。そのため、祝福の1番と最終だけが朗唱された。1番目は次の通りであった。「我々の神である主、我々の祖先の神、アブラーハームの神、イサク神、ヤコブの神を称賛せよ。偉大で、強大で、凄まじい神、慈悲と親切を示る方、万物を創造する方、先祖への情けある約束を思い出し、その子々孫々に自身の御名ゆえに愛をもって救世主を連れて来る方。王よ、介添人よ、救世主よ、盾よ。誉め称えよ、ヤハウェよ、アブラーハームの盾よ。」
そこで最後の祝福が続いた。「おお、イスラエル人に大いなる平和をお与えください、あなたは、全ての和平の王であり主であられますので。そして、いつでも、そして毎時間、イスラエルに平和を与えるのは、あなたの目に良い。讃えよ、平和で民イスラエルを満たす方、ヤハウェを。」会衆は、支配者が祝福を朗唱するときに彼を見なかった。祝福に続き、かれは、この機に適った形式ばらない祈りを捧げ、これが終わると、会衆一同がアーメンを唱えた。
次に、会堂役員は箱舟に行き巻き物を取り出し、聖書の教えを読むことができるようにそれをイエスに渡した。少なくとも法の3節を読むように7人を指名するのが慣例であったが、この訪問客は、自身の選択による教えを読むことができるようにこの実行は、この時は見送られた。イエスは巻き物を取り、立ち上がって申命記から読み始めた。「この日私が与えるこの戒律は、あなたから隠されてもいないし、また、遠くかけ離れたものでもない。これは天にあるのではないから、誰が、私達のために天に上り、それを取って来て、私達に聞かせて行なわせようとしているのか、と言わなくてもよい。また、これは海の彼方にあるのではないから、誰が、私達のために海のかなたに渡り、戒律を取って来て、私達に聞かせて行なわせようとしているのか、と言わなくてよい。まことに、命の言葉は、あなたが知ることができ、それに従うことができるように、あなたのごく身近にあり、あなたの面前にさえ、また心の中にさえある。」
法の書から読むのをやめたとき、かれは、イェシァジァの方に向いて読み始めた。「主の御霊が私の上にある。主が、貧者に良い知らせを説くようと私に油を注がれたので。主は、捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために、虐げられている人を自由にするために、主の恵みの年を知らせるために私を遣わされた。」
イエスは、本を閉じ、会堂の支配者にそれを返した後に、座って人々に語り始めた。「今日、これらの言葉は、満たされた。」と始めた。それからおよそ15分間「神の息子と娘」について話した。人々の多くは、この講話に満足し、その仁恵と叡知に驚嘆した。
正式な礼拝の終了後、会堂では興味あるかもしれない人々が質問できるように演説者が残ることが、慣例であった。従って、この安息日の朝、イエスは、質問のために押し寄せた群衆の方へ下りていった。この集団の中には悪戯を企む心の多くの不穏な個人がおり、この人だかりの周辺には、イエスに対して問題を引き起こすために雇われた劣悪な者達が、歩き回っていた。外に留まっていた弟子と伝道者の多くは、今や会堂の中に位置しており、難儀が企てられていることにすぐ気づいた。皆はあるじを連れ去ろうとしたが、彼は一緒に行こうとしなかった。
9. ナザレの拒絶
イエスは、会堂で敵の大勢の群集と小数の仲間に取り囲まれているのを知り、彼らの失礼な質問と邪悪な冷やかしに応えて滑稽交じりに言った。「はい、私は、ヨセフの息子である。大工であり、あなたが、『医者は、己が身を治す』という諺を私に、思い出させても、カペルナムで私がしたと聞いたことをナザレで私にさせようと挑んでも、私は驚きはしない。しかし、『予言者は、自分の郷里やその人々を除いてはどこでも敬われるものだ。』と聖書でさえはっきり記しているのを君達が目撃するよう呼び掛ける。」
しかし、彼らは、イエスを押しのけ、批難し指して言った。「あなたは、自分がナザレの人々よりも良いと思っている。あなたは我々から立ち去ったが、あなたの弟は普通の労働者であり、妹達もまだ我々の中で暮らしている。我々は、あなたの母、マリアを知っている。彼らは今日どこにいるのですか。あなたの大した働きについて聞くが、戻ってくると驚きをに値することをしないということに気づいた。」イエスは、彼等に答えた。「私は、私が育った街に住む人々を愛している。そして、あなた方が皆、天の王国に入るのを見て私は歓喜するであろうが、神の業をすることは、私が決定することではない。恩恵の変化は、受益者である者達の生きている信仰に応じてもたらされる。」
彼自身の使徒の一人であるシーモン・ゼローテースが、若い伝道者のうちの一人ナホーの助けで群衆の中のイエスの友人の一団を集めて、あるじの敵がそこから行くのを通知しておき、好戦的態度を取るという戦術的な失敗がなかったならば、イエスは、穏やかに群衆を扱い、乱暴な敵さえ有効に武装を解いていたことであろう。イエスは、柔らかい答えは、怒りをそらすということを長い間使徒に教えてきたが、追随者は、喜んであるじと呼んだ最愛の師が、そのような非礼と軽蔑で待遇されることを見ることには慣れていなかった。それは、彼等には非常に耐え難く、かれらは、気づくと、激しく猛烈な憤懣を表現しており、そのすべては、単にこの不信心で粗野な集会での群集心理をそそりがちであった。そして、金銭目当てに働く者の指導の下に、これらの悪党は、イエスを掴み、会堂から急いで近くの険しい丘の崖っぷちに追い立て、そこで縁から下へと死に押しやろうとした。しかし、彼らが崖の縁の上で彼を押そうとしていたちょうどそのとき、イエスは、突然に捕獲者の方に向きをかえ、彼らを直視し、静かに腕を組んだ。イエスは、何も言わなかったが、彼が前方に歩き始めると、暴徒が間を開け、危害を加えず通り過ぎさせることに、彼の友人達はこの上もなく驚いた。
イエスは、野営に行き、弟子達も後に続き、そこでこのすべてが詳しく語られ。その晩、彼らは、イエスが指示した通りに、翌日早くカペルナムに戻るための用意をした。この3度目の公の説教遊歴の荒れ狂う結末は、イエスの追随者全員に冷静な効果をもたらした。彼らは、あるじのいくつかの教えの意味を理解し始めていた。王国は、多くの悲しみと苦々しい失望を通してだけ来るでという事実に気づいていた。
かれらは、この日曜日の朝ナザレを発ち、異なる経路で旅をし、最終的には3月10日、木曜日の正午までには、全員がベスサイダに集合した。彼らは、意気揚揚の十字軍の熱心で全てを征服している一隊としてではなく、真実の福音の幻滅している伝道者の冷静かつ真剣な一行として集まった。