メインコンテンツに移動

論文 149 2 度目の説教遊歴

論文 149

2 度目の説教遊歴

2度目のガリラヤにおける公開の説教巡歴は、西暦28年10月3日、日曜日に始まり、およそ3カ月続き、12月30日に終わった。この努力に関与したのは、新たに募集された117人の伝道者集団と多数の他の関心をもつ者に助けられたイエスとその12人の使徒であった。かれらは、この旅で、ガダラ、プトレマイス、ジャフィア、ダバリッタ、メギッド、ジズリール、スキトイポリス、タリヘア、ヒップス、ガマラ、ベスサイダ-ユーリアスと他の多くの都市や村を訪れた。

この日曜日の朝の出発の前、アンドレアスとペトロスは、最終的な指令を新伝道者に与えるようにイエスに要請したが、あるじは、他のものが満足にできるそれらのことをすることは、自分の領域ではないと言って辞退した。十分な熟考の後、ジェームス・ ゼベダイオスがその任を司るべきであると決められた。ジェームスの締めくくりの言葉の後、イエスは、伝道者に言った。「要請に従って仕事をするために前進しなさい。後に、有能で忠実であることを示したとき、王国の福音を説くために君達を任命するつもりである。」

この遊歴においては、ジェームスとヨハネだけが、イエスとともに旅をした。ペトロスと他の使徒は、それぞれが、12 人ほどの伝道者を伴い、説教と教えの仕事に携わりながら近密な関係を保った。信者達が王国に入る準備ができるのと同じ程の速さで、使徒達は、洗礼を行うのであった。イエスと2 人の仲間は、伝道者の仕事を観測し、王国設立のための努力をする彼らを奨励するために、しばしば1日に2都市を訪問し、この3カ月間に広範囲に旅をした。この2度目の説教遊歴全体は、主に、この新しく訓練された117人の伝道集団に実践経験を提供する努力であった。

この期間を通して、そしてその後、イエスと12 人の最後のエルサレムへの出発の時まで、ダーヴィド・ゼベダイオスは、王国の仕事のためにベスサイダの父の家に常設本部を維持した。これはイエスの地球での仕事のための情報本部であり、ダーヴィドがパレスチナや隣接する領域の様々な地域での労働者間で取り続ける使者の活動ための中継拠点であった。かれは、率先してこの全てをしたが、アンドレアスの承認は得た。ダーヴィドは、急速に拡大伸張していく王国の仕事でのこの情報部門で、40人から50人の使者を抱えた。このように忙しくすると共に、自分の従来の漁業に時間の一部を費やして、自分の暮らしを支えた。

1. イエスの広範な名声

ベスサイダでの野営が解散される時までには、イエスの名声は、特に治療者としての名声は、全パレスチナ、全シリア、それに周囲の国々へと広まった。病人は、彼らが、ベスサイダを後にしてから数週間後も到着し続け、あるじが見つからなくてどこにいるかをダーヴィドから教えられると、後を探し求めて行くのであった。この旅でイエスは、いわゆる奇跡の何も意識しては実行しなかった。にもかかわらず、何十人もの苦む者達は、療治を求めに追いたてる激しい信仰からの復興力の結果として健康と幸福の回復を得た。

この活動の頃に現れ始めた—そして、イエスのこれ以降の人生でずっと続いた—のが、独特の、そして説明し得ない一連の治癒現象であった。この3カ月間の旅行中、ユダヤ、イヅマイア、ガリーラ、シリア、タイヤ、シドーンおよび、ヨルダン川の向こうからの100人以上の男女、子供が、イエスによるこの無意識の回復の受益者であり、皆は、自分達の家に帰り、イエスの名声拡大に加わった。イエスは、自然発生的なこれらの治癒の1つを観測する度に、受益者に「誰にも言うな」と直接託したにもかかわらず、彼らは人に告げてしまうのであった。

自然発生的、あるいは無意識の治癒に一体何が起こったのか、我々には決して明らかにされなかった。あるじは、これらの治療がどのように作用するのかを使徒に決して説明しなかった。数回、単に「力が私から出て行ったのが分かる。」と言ったのを除いては。かれは、ある時、病んでいる子供に触れられると、「生命が私から出て行ったのが分かる。」と述べた。

自然発生的な回復に関するこれらの出来事の本質に関して、あるじからの直接の言葉がないとき、いかに達成されたのかを説明することを我々が引き受けることは差し出がましいことであるが、そのような全治療現象に関する我々の意見を記録することは、差し支えないであろう。イエスの地上での任務の間に起きた多くのこれらの見かけ上の治癒の奇跡は、以下次の3種類の強力で、影響力の強い、相互影響の混在の結果であると我々は思う。

1.執拗に回復を追求する人間の心の中の強い、優勢の、生きている信仰の存在にくわえて、そのような治癒が、純粋に物理的な回復よりもむしろその精霊的な恩恵のために望まれたという事実。

2.ほぼ無制限で永遠の創造的な治癒力と特権を実際に自身の中に持つ肉体化され、慈悲に支配された創造者たる神の息子の大きな哀れみと恩情の存在、くわえてそのような人間の信仰。

3. 被創造者の信仰と創造者の人生と共に、この神-人が父の意志の擬人化された表現であるということは、留意されるべきである。もし、父が別に望まなければ、人間の必要性とそれに応じる神性の力の接触において2つが1つになり、人間には無意識のうちに治癒が起こったのだが、イエスにはその神性によりすぐに認識された。そこで、これらの多くの治癒に関する説明は、長らく我々が知る偉大なる法に、すなわち創造者たる息子の望むことが、永遠の父の意志である、ということに見い出されなければならない。

次に、人間の深い信仰の特定の型は、イエスの直接の臨場において、その時人の息子に非常に関係していた特定の創造的な力と宇宙の人格の治癒の顕現に、文字通り、本当に人を感動させずにいられなかったというのが、我々の意見である。従って、それは、イエスが、たびたび目の前で、人間が力強い個人の信仰により自分自身を癒させたという記録の事実になる。

多くの他の者は、まったく利己的な目的のために治療を求めた。付添いを連れたタイヤからの金持ちの未亡人は、自分の数多くの疾患を癒してもらおうとやって来た。彼女は、イエスをガリラヤ中追い回し、まるで最高入札者によって神の力が購入されるものであるかのように、ますます多くの金を提供し続けた。しかしながら、彼女は、決して王国の福音には関心をもつようにはならなかった。彼女が求めたものは、ただ身体の病の治癒であった。

2. 民衆の態度

イエスは、人の心を理解した。かれは、何が人の心にあるかが分かっており、もし彼の教えが人々に提示されたままで残されていたならば、彼の地球の人生に提供されている奮い立たせる解釈を唯一の解釈として残していたならば、すべての国とすべての宗教は、王国の福音を速やかに迎え入れたことであったのだが。特定の国々、民族、宗教が、彼の教えをより容認できるように、彼の教えを言い換えるイエスの初期の追随者善意の努力は、あまり容認できるものではない結果をもたらしただけであった。

使徒パウロスは、自分の時代の好ましい特定集団にイエスの教えをもたらす努力において指導と訓戒の多くの手紙を書いた。イエスの福音の他の教師も同様にしたが、イエスの教えの現れとして発表する者によって、これらの手紙の幾つかが後にまとめられるとは、彼らの誰も理解してなかった。そして、いわゆるキリスト教が、他のどの宗教よりもあるじの福音を多くのものを含んではいるのだが、同時に、イエスが教えなかった多くも含んでいる。ペルシアの秘教とギリシアの哲学の多くから初期のキリスト教への多くの教えの編入とは別に、2つの重大な誤りがあった。

1. 福音の教育を直接にユダヤ人の神学に関連づける努力。償いのキリスト教の教義に例証されるような—イエスが父の厳しい正義を満たし、神の怒りを静める犠牲の息子であったという教え。これらの教えは、信じないユダヤ人が、王国の福音をより許容できるようにする賞賛に値する努力から始まった。必ず、ユダヤ人の勝ち取りに関する限り、これらの努力は、失敗はしたものの、以降のすべての世代において多くの正直な人間を混乱させたり、遠ざけることはしなかった。

2. あるじの初期の追随者の2 番目の大きな失態、そして、その後のすべての世代が恒久化させたことは、あまりにも完全にイエスという人に関してのキリスト教育をまとめることであった。キリスト教の神学におけるこのイエスの人物偏重は、彼の教えを不明瞭にしてしまい、このすべてが、ユダヤ人、イスラム教徒、ヒンズー教徒、および他の東洋の宗教家等にとりイエスの教えの受け入れをますます難しくした。我々は、彼の名前がついているかもしれない宗教で、イエスの人としての位置を過小評価したくはないのだが、彼の奮い立たせる人生に影を落としたり、神の父性と人の兄弟愛という彼の救済の言葉に取って代わるそのような考慮を許さない。

イエスの宗教の教師は、宗教間の違いに大いに重点をおくことを控えつつ、共通して保持する真実の認識(その真実の多くは直接、または間接的なイエスの言葉から来る)によって他の宗教に接近すべきである。

その特別な時期に、イエスの名声は、主に医師としての信望に支えられながらも、それがずっと続いたということにはならない。時の経過につれて、かれは、ますます精霊的な助けのために求められた。しかし、一般人に最も直接に即座に訴えたのは、肉体的な治療であった。イエスは、道徳的な奴隷状態と精神的な悩みをもつ犠牲者によりますます必要とされ、いつも決まって救出の道を彼らに教えた。父親達は、息子達の扱いに関する忠告を求め、母親達は、娘達の指導における助けを求めた。かれは、暗闇に座する者達がやって来ると、彼らに人生の光を明らかにした。彼の耳は、人類の悲しみにいつも開かれており、かれは、助けを求める者をつねに助けた。

人間の姿に似せて来た創造者自身がこの世にいるとき、幾つかの驚異的な事が起こることは、不可避であった。しかし、あなたは、これらのいわゆる奇跡の出来事を通じて決してイエスに近づくべきではない。イエスを通して奇跡に接近することを学びなさい、しかし、奇跡を通してイエスに近づく誤りを犯してはならない。そして、この訓戒は、ナザレのイエスが、地球で物質超越を果たした唯一の宗教創設者であったにもかかわらず、正当化される。

地球のマイケルの任務で最も驚異的かつ革命的特徴は、女性に対する態度であった。男性が、公的な場所で自分の妻にさえ挨拶をしない時代や世代において、イエスは、敢えてガリラヤの3度目の旅に福音の教師として女性達を伴った。そして、彼には、「法の言葉は、女に伝えられるよりも焼かれるほうがましである。」と断言する律法学者の教えに直面するに当たり、完全な勇気があった。

1 世代のうちに、イエスは、女性を不敬な忘却と長年の奴隷のような骨折り仕事から向上させた。イエスの名前を敢えて取る宗教の1つの恥ずべきことは、その後の女性への態度においてこの尊い例に続く道徳的な勇気を欠いたことである。

イエスと交じわるにつれ、人々には、彼が当時の迷信に全く囚われていないということが分かった。かれは、宗教的な偏見がなかった。かれは、決して偏狭的ではなかった。かれは、心に社会的反目に類似する何も持っていなかった。祖先の宗教の美点に応ずると共に、迷信と束縛の人為的な伝統の無視を躊躇わなかった。自然の大災害、時の異変、他の悲惨な出来事は、神罰や神の摂理の不可解な行いではないということを敢えて教えた。かれは、無意味な儀式への奴隷的な執着を非難し、物質的な崇拝の誤りを暴いた。かれは、大胆に人の精霊的な自由を宣言し、肉体をもつ人間が本当に、確かに、実際に生きる神の息子であるということを敢えて教えた。

大胆に真の宗教の印として清い手の代わりに清い心を用いたとき、イエスは、先祖のすべての教えにまさった。かれは、伝統と真実を入れ替え、虚栄と偽善のすべての見せ掛けを払いのけた。それでも、神のこの恐れ知らずの男性は、破壊的な批判を表明せず、その時代の宗教的、社会的、経済的、政治的な慣習への完全な無視を明らかにしなかった。かれは、好戦的な革命家ではなかった。かれは、進歩的な進化論者であった。かれは、同時に本来そうあるべき優れたものを仲間に提供する時にだけ同時に破壊に従事した。

イエスは、それを強いることなく、追随者の服従を得た。個別の呼び出しを受けた3 人の男性だけは、弟子の身分の招待に応じることを拒否した。かれは、特有の聴衆動員力を奮ったが、独裁的ではなかった。彼は信用を博し、誰も与えられる命令に決して憤慨しなかった。弟子に対する絶対的権限を得たが、誰も決して反対しなかった。かれは、追随者達が彼をあるじと呼ぶことを受け入れた。

あるじは、根深い宗教偏見を抱く者、または彼の教えに政治的危険性を認めると思う者を除くすべての人から賞賛をうけた。人は、彼が教える独創性と信頼すべき権威に驚いた。彼らは、無教養の、煩わしい尋問者達への扱う際のあるじの忍耐に驚嘆した。かれは、自分の仕事の影響を受けるすべての者の心に望みと自信を注入した。彼に会ったことのない者だけは、あるじを恐れ、また、彼を真実の覇者と看做す者、その真実により覆される運命にある悪と誤りをいかなる犠牲を払おうとも心に保持すると決意した者だけが、彼を嫌った。

友人と敵の両者に、強く、一風変わった魅力的な影響を及ぼした。人の群れは、ただ彼の情けある言葉を聞き、その簡素な生活を見るために彼に数週間ついて行くのであった。献身的な男女は、ほとんど超人的な愛情でイエスを愛していた。かれらは、彼を知れば知るほど、より彼を愛していた。そして、このすべてが、今なお真実である。今日でさえ、そして全ての未来に、人は、この神-人を知れば知るほど、ますます彼を愛し、彼に続くであろう。

3.宗教指導者達の敵意

イエスとその教えに対する一般人の好ましい受け入れにもかかわらず、エルサレムの宗教指導者は、ますます不安になり、敵対的になった。パリサイ派は、系統的で独断的な教義を明確に述べた。イエスは、時に応じて教えた教師であった。かれは、系統だてた教師ではなかった。イエスは、たとえ話により人生から教えるほどにはあまり法からは多く教えなかった。(そして、趣意の例示のために寓話を用いるとき、その目的のために話の中でただ1つの特徴を利用するように工夫した。イエスの教えに関する多くの誤った考えは、彼の寓話から寓話を作ろうとすることによりもたらされたのかもしれない。)

エルサレムの宗教指導者は、若いアブラハムの最近の転向、それにペトロスの洗礼を受け、そのとき伝道者等とガリラヤでのこの2 度目の説教遊歴に出掛けた3人の諜報員の脱党の結果、ほとんど半狂乱になっていた。ユダヤの指導者は、恐怖と偏見でますます目がくらみ、心の方も、王国の福音の興味をそそる真実への継続的な拒絶によって堅くされた。人が心の中に住む精霊への訴えを止めるとき、自らの態度を修正することはほぼできない。

イエスが、ベスサイダの野営で伝道者達に初めて会ったとき、演説を終える際に言った。「心身で—感情的に—人は、個別に反応するということを心すべきである。人についての唯一画一なものは、内在する精霊である。神霊は、資質と経験の範囲においていくらか異なるかもしれないが、すべての精霊的な訴えに一様に反応する。「この精霊を通して、またこの精霊に訴えることによってだけ、いつか人類は、統一と兄弟愛を勝ち得る。」しかし、ユダヤ人の指導者の多くは、福音の精神的な訴えに、彼らの心の扉を閉じた。この日から、彼らは、あるじの破壊のための計画や陰謀をやめなかった。彼らは、イエスが宗教犯罪者、つまりユダヤの神聖な法の中心的な教えの違反者として逮捕され、宣告を受け、処刑されなければならないと確信していた。

4. 説教の旅の進展

イエスは、この説教遊歴において公の仕事をほとんどしなかったが、ジェームスとヨハネと共にたまたま滞在したほとんどの村や町で数多くの夜間の授業において信者達を指導した。これらの夜の会の1つで、若い伝道者の一人が、怒りに関する質問をイエスにして、あるじは他の事柄も含めて返答した。

「怒りは、一般的に、精霊的な特質が、統合された理性と肉体の性質の制御を得ることに失敗する度合を表す物質的徴候である。怒りは、寛大な兄弟愛の不足、加えて、自尊と自制の不足を示す。怒りは、健康を減少させ、心の質を下げ、人の魂の精霊の師を不利な立場におく。聖書で、『怒りは愚かな男を殺す。』また、その男が『己の怒りに苦しむ。』『容易に怒らない者は、優れた理解者である、』が、『気短かな者は愚かさを高める』とあるのを読んだことはないのか。あなた方は皆、『穏やかな受け答えは、怒りを逸らす。』また、いかに『酷い言葉が怒りを煽る。』かを知っている。『思慮分別は、怒りを据え置く。』一方、『自己を支配できない者は、壁のない無防備の都市に似る。』『怒りは残酷で、苛立は言語道断である。』『立腹する者は、争いを煽り、怒り狂う者は、違犯を増やす。』『精神を苛立てはならない。苛立は、愚かな者の胸に留まるのであるから。』イエスは、話しをやめる前にさらに言った。「精霊の導きが、神の息子の身分に矛盾する動物的な怒りの爆発に捌け口を見い出す傾向からあなたを救い出す際に、あまり苦労がないように心を愛で占めなさい。」

この同じ時、あるじは、良く釣り合いのとれた性格を備えている好ましさについて一団に話した。かれは、ほとんどの人間が何らかの職業の熟達に専念することが必要であると認めたが、生活活動における狭量や制限される方への専門化のし過ぎに向かう全ての傾向を遺憾に思った。かれは、どんな美徳といえども、極端に推し進めれば、悪癖になりうるという事実に注意を促した。イエスはつねに節度を説き、また一貫性—人生問題に応じた調整—を教えた。過剰な共感と哀れみは、深刻な情緒不安定に陥れるかもしれないと指摘した。熱意は、狂信に追いやるかもしれないということを。かれは、想像が空想へと、また非実用的な仕事へ道を踏み外したかつての仲間の一人について検討した。同時に、過剰の保守的な凡庸性における無味乾燥の危険に対して警告した。

そして、イエスは、勇気と信仰の危険性について、彼らが、いかに軽率な人間達を時おり無謀さとでしゃばりに導くかについて論述した。かれはまた、度が過ぎると、いかに慎重さと思慮深さが臆病と失敗につながるかを示した。かれは、奇抜さに進む全ての傾向を回避するとともに、独創性に向けて努力することを聴者に熱心に説いた。かれは、感傷的でない同情、独善的態度のない信心を嘆願した。かれは、恐れと迷信のない崇敬を教えた。

彼自身の人生は、その教えを雄弁に例示している事実ほどには、釣り合いのとれた性格についてのイエスの教えは、仲間をそれほど感動させてはいなかった。イエスは、圧迫と攻撃の真っただ中に住んでいたが、決して動揺しなかった。敵は、絶えず罠を仕掛けたが、決して罠にはめることができなかった。賢明で学識ある者は、躓かせようと努めたが、彼は躓かなかった。彼らは、討論に巻き込もうとしたが、彼の答えは、いつも啓蒙的で威厳があり、決定的であった。講話が種々雑多の質問で遮られるとき、彼の答えは、いつも意味深く最終的なものであった。虚偽の、不当で邪悪なあらゆる類の攻撃方法の行使を躊躇わない敵の絶え間ない圧力に対し、かれは、決して卑劣な戦術に訴えなかった。

多くの男女が、生計のための職業として何らかの確かな仕事に勤勉に専念しなければならないのは本当であるとともに、それでも、人間が地球で実際に人生を送って広範囲の文化的な憧れを培わなければならないということは、全くもって望ましい。真に教養のある者は、仲間の人生と行ないに不案内のままでいることに満足しない。

5. 満足に関する教訓

イエスが、サイモン・ゼローテースの指揮の下に働いている伝道者の一団を訪問しているとき、夜の会議中にサイモンが、あるじに尋ねた。「なぜ一部の人は他よりもはるかに幸福で満足しているのですか。満足とは宗教的な経験の問題ですか。」他にもある中から、特にサイモンの質問に答えて、イエスは言った。

「サイモン、一部の人は他よりも自然に幸せである。その多くは、非常に多くは、人の中に生きる父の精霊に導かれ指示される人の意欲に依存している。聖書で賢者の言葉を読んだことはないのか。『人の精霊は主のともしび、腹の底まで探りだす。』また、そのような精霊主導の死すべき者は言う。『測り綱は私の好む所に落ちた。まことに、素晴らしい私への譲りの地だ。』『一人の正しい者の持てる僅かなものは、多くの悪者の豊さにまさる。』なぜなら『善人は自分の中に満足している。』『心に喜びがあれば、顔色を良くし毎日が宴会である。』『僅かなものをもっていて主を恐れるのは、多くの財宝をもっていてそれに伴う苦労があるのにまさる。野菜を食べて愛しあうのは、肥えた牛を食べて憎みあうのにまさる。』『不正をして多くの富をもつより、正しくあって少しの富をもつ方が良い。』『陽気な心は薬のような働きがある。』『過多の精神の悲しみと苦痛を担うよりも、一握りの平静がある方がよい。』

「人の悲しみの多くは、野心からくる失望と傷ついた自負から生まれる。人は、地上での人生を最大限に生かす義務を負うが、このように心から努力し、自分の境涯を受け入れ、手にするものを多いに生かすように独創性を働かすべきである。人の問題のあまりにも多くが、自身の本来の心にある恐怖の土壌に起源がある。『誰も追いかけないとき、悪者は自由である。』『悪者は、荒れ狂う海のようなものだ。静まることができず、泥と土を吐きだすからだ。』『悪者には平安がない、と神は仰せられる。』

「だから、偽りの平安と一時の喜びを求めるのではなく、むしろ精霊に平静、満足、喜びをもたらす神性の息子性の保全を求めなさい。」

イエスは、この世界を「涙の谷」とは、少しも考えなかった。むしろ、それを楽園上昇ための永遠かつ不滅の精霊の誕生球体、「魂形成の谷」と見なした。

6. 「主への恐れ」

夜の会議中、フィリップがイエスに次のように言ったのは、ガマラでであった。「あるじさま、あなたなら、私達に恐れずに天の父に向けさせるでしょうに、『主を恐れよ』と聖書が教えているのは何故ですか。我々は、これらの教えを一致させるにはどうしていくのでしょうか。」そこで、イエスが、フィリップに応えて言った。

「子供等よ、そのような質問をしても私は驚かない。初めに人が崇敬を学ぶことができたのは、恐怖を通してだけであった。しかし、息子の情愛深い認識と父の深く完全な愛のやり取りによる永遠なるものへの崇拝に引きつけられるように、私は、父の愛を顕示しにきたのである。私は、嫉妬し激怒する王のような神へのうんざりする奉仕へ駆り立てる盲目的な恐れへの束縛から君達を救いたいのである。優しく公平で慈悲深い父である神へのその高尚で崇高な自由の崇拝を喜び、それに導かれるように、神と人間の間の父と息子の関係を君達に教えたい。

『主への恐れ』は、恐怖に始まり、苦悶と畏怖を経て、畏敬と崇敬へと相次ぐ時代において異なる意味をもっていた。そして、現在、私は、崇敬から、認識、実感と評価を経て愛へと君を上へと導きたい。神の業だけを認識するとき、人は、至高なるものに対する恐れへと導かれる。だが、人が、生きる神の人格と特質を理解し経験し始めるとき、かれは、ますます、そのような善で、完全で、普遍的な永遠の父を愛するように導かれる。そして、地球上での人の息子の使命を構成するこれこそが、神への人のこの関係の変化なのである。

「その手から良い贈り物を受け取るかもしれないように、知性ある子等は、父を恐れない。しかし、息子と娘への父の愛情の命じるところによって与えられる豊富な良いことをすでに受けたので、これらの大いに愛された子供は、そのような物惜しみをしない恩恵への敏感な認識と感謝で父を愛するように導かれる。神の善は、悔悟へ導く。神の恩恵は奉仕へ導く。神の慈悲は救済へ導く。また神の愛は、賢明で自由な心の崇拝に導く。

「あなたの先祖は、神が強大で神秘的であるがゆえに恐れた。君は、彼のすばらしい愛、豊富な慈悲、栄光の真実ゆえに神を崇拝するであろう。神の力は、人の心に恐怖を引き起こすが、その人格の気高さと正しさは、崇敬、愛、および自発的な崇拝を生じさせる。忠実で優しい息子は、強血からで気高い父さえ恐れたり畏怖しない。私は、恐怖の代わりに愛、悲しみの代わりに喜び、畏怖の代わりに自信、隷属的束縛と無意味な儀式の代わりに愛の礼拝と感謝の崇拝へ向けるためにこの世界に来たのである。しかし、『主への恐れは、知恵の始まりである。』ということは、闇に座る者達にとってまだ本当である。しかし、光がより完全に来たき、神の息子達は、神が何をするかということを恐れるよりも、神が何であるかということで無限なるものを称賛するために導かれる。

「子供が幼く軽率であるとき、かれらは、両親を尊敬するように必ず諭されなければならない。しかし、彼らが、大きくなり親の援助と保護の恩恵をいくらか感謝するようになると、理解ある敬意と増大する愛情を通して、両親が何をしたかということよりも、何であるかということのために、実際に両親を愛する経験段階へと導かれる。父は自然に子を愛しているが、子は、父が何ができるかという恐怖から、畏敬、畏怖、依存、および崇敬を通しての愛の評価と情愛深い姿勢へと父に対する愛を育まなければならない。

「『それが人の全てであるがゆえに、神を恐れ、その命令に従う』べきであるということを君達は教えられてきた。しかし、私は、新しくより高い戒律を与えにきた。私は、『それが神の解放された息子の最高の特権であるので、神を愛し、その意志を為す』ことを教えたい。祖先は、『神—強大なる王』を恐れることを教えた。 私は、『神—全く慈悲深い父』を愛することを教える。

「天の王国には、私は、それを宣言するためにきたのだが、高く強大ないかなる王もいない。この王国は、神の家族である。遍く認識され制限されることなく崇拝される中心であり、知的な存在体のこの広範囲の兄弟愛の先頭は、私の父でありあなた方の父である。私は彼の息子であり、あなたも彼の息子である。したがって、あなたと私は、天国のような状況での同胞であるというのは永遠に本当であり、我々が地球での肉体をもつ人生で同胞となったからには、それは、より一層永遠に真実である。そこで、神を王として恐れたり、または、あるじとして仕えることを止めなさい。創造者として崇敬することを学びなさい。彼を、あなたの精霊の青年時代の父として敬いなさい。慈悲深い擁護者として愛しなさい。そして、最後に、あなたのより成熟した精霊的な実現と感謝する愛情深く全てに賢明な父として彼を崇拝しなさい。

「天の父に対する誤った概念から謙虚さに対する誤った考えが育まれ、偽善の多くが生ずる。人は、本来埃の虫であるかもしれないが、父の精霊が内に住むようにになると、その人は神性になる運命にある。父が贈与する精霊は、確実に神の源と宇宙段階の起源に戻るであろう。そして、この内在する精霊の生まれ変わる子供になった人間の魂は、まさしく永遠の父の面前へと神の精霊と確かに昇るのである。

「謙虚さは、本当に、天の父からすべてのこれらの贈り物を受け取る必滅の人間に適しており、そこで、天の王国の永遠の上昇のそのようなすべての信仰の候補者に関連した神の尊厳がある。これみよがしの偽りの謙虚さの無意味でくだらない行使は、救済の源への評価と精霊生まれの魂の目標の認識とは相容れない。神の前の謙虚さは、心の深さにあってこそ適切である。人の前の謙虚さは、称讃に値する。しかし、自意識と注目を切望する謙虚さの偽善は、王国の開眼している息子には子供じみて、相応しくない。

「神前で素直であり、人前での自制はとてもよいのだが、その素直さは、独善的正義の自意識の感覚からくる自己欺瞞の誇示ではなく、精霊の源からくるものにしなさい。『へりくだって神と歩め』と言ったとき、予言者は、慎重に話した、というのは、天の父が無限なるものであり、永遠なるものであると同時に、『悔恨する心と謙遜な姿勢をもつ者とともに』住んでもいるのであるから。父は自負心を軽侮し、偽善を嫌い、不正を憎悪する。そして、それは、天の王国の精霊の現実への人間の入国に不可欠である心構えと精霊の反応の例証として、私は、幼子にたびたび言及してきたのは、天なる父の情愛深い支持と誠実な指導において真心と完全な信頼の価値を強調するためであった。

「予言者エレミヤが『口では神に近いが、心では遠い。』と言ったとき、多くの死すべき運命にある者をよく描写した。また、『祭司たちは代金をとって教え、予言者たちは金のために占いをする。同時に、彼らは、敬虔を公言し、主が彼等とともにいると宣言する。』君達は、『心に悪さを胸に抱く旁らで、隣人へ平安を語る』それらの者、『心が表裏反覆である旁らで、唇でおだてあげる』それらの者に対して充分に警告されなかったのか。信じている人の凡ゆる悲しみの中でも、誰も信頼されている友人の家で傷つけられることほど酷いことはない。」

7. ベスサイダへの帰着

アンドレアスは、サイモン・ペトロスとの協議とイエスの承認により、遊歴中の様々な集団に説教を終えて12月30日、木曜日のいつかベスサイダに戻るように使者を急派するようにベスサイダでダーヴィドに命令した。その雨の日の夕食時間までには、使徒集団と教育伝道者は皆、ゼベダイオスの家に到着した。

一団は、ベスサイダと近くのカペルナムの家々に収容され、安息日の間ともに居た。その後全体は、家族の元に帰ったり、友を訪問したり、または釣りをするために 2 週間の休みが許された。一緒にいたベスサイダでの2、3日は、実に、爽快で感激的であった。老年の教師達さえ、それぞれの経験を話す若い伝道者に啓発された。

ガリラヤのこの2 度目の旅に参加した117 人の伝道者のうちわずか75 人程が、実際の体験の試練を乗り切り、2 週間の休息の終わりに活動を割り当てられるために控えていた。イエスは、アンドレアス、ペトロス、ジェームス、ヨハネと、ゼベダイオスの家に残り、王国の福祉と拡大に関する協議に多くの時間を過ごした。