論文 144 ギルボーアとデカーポリスにて
論文 144
ギルボーアとデカーポリスにて
9月と10月は、ギルボーア山の傾斜地の奥まった野営に隠遁して過ごされた。イエスは、使徒と9月をここで過ごし、王国の真実を彼らに教え、指導した。
イエスと使徒が、この時期サマレイアとデカーポリスの境界に隠遁していたのには、幾つかの理由があった。エルサレムの宗教的な支配者達は非常に敵対的だあった。ヘローデス・アンティパスは、ヨハネとイエスが、何らかの方法で関連していると疑念を抱き続けると同時に、ヨハネを放免するのも処刑するのも恐れながら、まだ獄中に拘留していた。これらの状況のもと、イェフーダかガリラヤのどちらかで積極的な仕事に対して計画を立てることは賢明ではなかった。第3の理由があった。信者の数が増加するにつれ、ヨハネの弟子の指導者達とイエスの使徒達の間にゆっくりと増大する緊張感が悪化していた。
イエスには、教育と説教の下準備の時期は、ほぼ終わり近くであるということ、次の行動は、地上での人生の完全で最終的な努力の始まりにかかわってくるということが分かっており、かれは、洗礼者ヨハネにとって困難である、または恥ずかしいようないかなる方法でもこの仕事の着手を望まなかった。従って、イエスは、使徒に温習をさせながら隠遁して、若干の時を過ごし、連合のための努力においてその後ヨハネが処刑されるか、釈放されるまでデカーポリスの町で静かに仕事をすると決めた。
1. ギルボーア野営地
時の経過と共に、12 人は、一層イエスに傾注し、ますます王国の仕事に専念するようになった。その献身は、大いに個人的な忠誠心によるものであった。彼らは、イエスの多面的な教えを把握しなかった。かれらは、イエスの性質や地球での贈与の意味を完全に理解したというわけではなかった。
イエスは、3つの理由により隠遁することを使徒に明らかにした。
1. 王国の福音への彼等の理解と信念を確認するため。
2. イェフーダとガリラヤ両所における彼等の仕事への反対が鎮まるのを待つため。
3. 洗礼者ヨハネの運命を待ち受けるため。
ギルボーアに滞在中、イエスは、自分の早期の人生とヘルモン山での経験に関して12 人によく話した。また、洗礼直後の40日間に丘で起こったことを幾分明らかにした。かれはまた、父のもとに戻るまでこれらの経験に関して何人にも話すべきではないと、彼らに直接に命じた。
イエスがまず奉仕をするようにとの要請をして以来、9月のこれらの週に、皆は休息し、訪問し、自分達の経験について詳しく語り、また、あるじが今までに教えてくれたことを整合させるひたむきな努力をした。多少なりとも彼らは全員、これが長期にわたる休養の最後の機会であると感じた。彼らには、イェフーダかガリラヤのどちらかでの来たるべき王国の最終的な布告の始まりを記すと分かっていたが、王国が来たとしてもそれが一体何であるのか、それに関する考えはほとんどなく、また定着した考えなども全くなかった。ヨハネとアンドレアスは、王国はすでに来たと思った。ペトロスとジェームスは、まだ来ていないと思った。ナサナエルとトーマスは、当惑していると率直に認めた。マタイオス、フィリッポス、シーモン・ゼローテースは、確信がなく困惑していた。双子は、論争についてこのうえなく幸福で知らずにいた。ユダ・イスカリオーテスは、黙して曖昧であった。
イエスは、この時期の大半、山の野営場近くに一人きりでいた。時折、かれは、ペトロス、ジェームス、ヨハネを伴ったが、度々祈るか、または親交のために一人で立ち去った。洗礼とペライアの丘での40日間後、父との交わりのこの期間を祈りと呼ぶことは、決して妥当ではなく、また崇拝していると呼ぶことも矛盾しているのだが、父との個人の親交としてこの期間に触れることは全く正しい。
9 月全体を通しての議論の本題は、祈りと崇拝であった。彼らが数日間崇拝について議論した後、イエスは、「あるじさま、祈る方法を我々に教えてください。」というトーマスの要請に答えて、ようやく祈りに関する忘れ難い講義をした。
ヨハネは、祈りを、来たるべき王国における救済のための祈りを、弟子に教えた。イエスは、彼の追随者がヨハネの祈りの形式を用いることを決して禁じはしなかったが、使徒は、あるじが、一定の、正式な祈りをする習慣を完全に是認していないとかなり早くに察知していた。にもかかわらず、信者は、絶えず祈り方を教えてくれるように頼み込んだ。12人は、イエスがどんな祈りの形を承認するかを切望した。そして、イエスが、トーマスの要請に答えて示唆に富んだ祈りの形式を教えることにこの時同意したのは、主に一般人のための何らかの簡単な祈りの必要性のためであった。イエスは、ギルボーア山滞在中の3週目のある午後、この授業をした。
2. 祈りに関する講話
「ヨハネは、簡単な祈りの形式を確かに教えた。『父よ、罪を洗い流してください。あなたの栄光をお示しくださり、精霊に私達の心を永遠に浄めさせてください。アーメン。』かれは、あなたが、民衆に何か教えることがあるようにとこの祈りを教えた。かれは、祈りにおける魂の表現としてそのような一纏まりの、そして正式の祈りを用いるべきだとは意図しなかった。
「祈りは、精霊に向かう完全に個人的で自然発生的な魂の態度の表現である。祈りは、息子性の精霊的交わりと仲間であることの表現でなければならない。精霊により書き綴られるとき、祈りは、協力の精霊の進歩につながる。理想的な祈りは、理性的な崇拝につながる精霊的な親交の形である。真実に祈ることは、理想成就のために天に向かって手を伸ばす至誠の態度である。
祈りは、魂の息吹であり、父の意志を確かめる試みにおいて不断であるよう導くべきである。この中の誰かに隣人がいるとして、真夜中に行き、『友よ、3塊のパンを貸してください。友達が旅先から会いに来たのですが、何も出すものがないのです。』と言った場合、隣人が、『面倒を掛けないでくれ。もう戸は閉めており、いま子供等と寝ている。だから、起きて、パンをあげることはできない。』と答えるとしたら、きみは、友人が空腹であると、そして、差し出す何の食物もないと説明し、しきりに頼むであろう。君達に言う、隣人は、友人であるという理由からは起きてパンを与えないだろうが、しつこさのために起きあがり、必要な数のパンを出してくれるであろう。それでは、もしも、執拗さが、必滅の人間からさえ好意を得られるならば、君の精霊の執拗さは、どれくらい君のために天の父の喜んで渡す手から命のパンを勝ち得ないことがあろうか。重ねて言う。求めよ。さすれば、与えられるであろう。探せよ。さすれば、見い出すであろう。叩けよ。さすれば、開かれるであろう。誰でも求める者は受け、探す者は見い出す。そして戸を叩く者には開かれるであろう。
息子が浅はかにも求めるとして、子の不完全な願いに文字通り応えるよりも、むしろ親らしい知恵に従い応えることを、父親である君達の誰が、躊躇うであろうか。子供がパンを必要とするのに、ただ浅はかにそれを求めるという理由で、石を与えるであろうか。息子が魚を必要とするのに、魚と一緒に蛇がたまたま網にかかり、その子供が愚かに蛇を求めるという理由だけで、水蛇を与えるであろうか。このように、死を免れず有限である君が、祈りに答え、子供に好ましく適切な贈り物を与える方法を知っているならば、なおのこと、天の父が、求める者に精霊と多くの附加の恩恵を与えないことがあろうか。人は、いつも祈るべきであり、また挫折しないようにすべきである。
邪悪な都に住んでいたある裁判官の話をしよう。この裁判官は、神を恐れず、人を敬いもしなかった。さて、貧乏な未亡人が、その都におり、繰り返しこの不当な裁判官の元に来ては、『敵から保護してください。』と言った。しばらくの間、彼女に耳を貸そうともしなかったが、やがて、かれは、自分に『私は、神を恐れもしなければ、人を敬いもしないが、この後家が、渡しを煩わすのをやめないので、絶えずやって来ては私をくたくたに疲れさせるのをやめさせるために彼女を擁護しよう。』と言った。私は、君が祈りに徹することを奨励し、また君の請願が正当で公正な上にいる父を変えることはないということのためにこれらの話をしている。しかしながら、君の粘り強さというものは、神の機嫌をとるためではなく、地球での君の心構えを変え、精霊の受容性のために魂の能力を拡大することである。
「しかし、君が祈るとき、ほんの少しの信仰しか実践していない。本物の信仰というものは、魂の拡大と精霊的な進歩の通り道にたまたま横たわるかもしれない物質的な困難の山を取り除くであろう。」
3. 信者の祈り
しかし、使徒はまだ満足していなかった。かれらは、新しい弟子達に教えることのできる手本となる祈りをイエスから与えられることを望んでいた。祈りに関するこの講話を聞いた後、ジェームス・ゼベダイオスが言った。「とても、素晴らしいです。あるじさま、でも、私たちに頻繁に懇願する新しい信者達が望む『天の父に適切に祈る方法を教えてください。』というような祈りの形を私達は望んでいるのではありません。
ジェームスが話し終えると、イエスが言った。「もし、それならば、君達がまだそのような祈りを望んでいるのなら、ナザレスで私の弟妹達に教えたものを紹介しよう。」
天国にいます我らの父よ、
御名が崇められますように。
御国が来ますように、御心が
天で行なわれるとおり地でも行なわれますように。
日々の糧を今日もお与えください。
魂を命の水で新たにしてください。
我々が債務者を許しましたように、
私達の負債の一つ一つをお許しください。
誘惑から救い、悪からお救いください。
そして、私達を愈々あなたのように完全にしてくださいますように。
使徒が、信者のための手本の祈りを自分達に教えることをイエスに望んでいたのは奇妙ではない。洗礼者ヨハネは、いくつかの祈りを彼の追随者に教えた。すべての偉大な教師は、生徒のための祈りを定式化した。ユダヤの宗教教師は、ユダヤの礼拝堂や通りの曲がり角でさえ唱えた25 か30 種類の幾つかの纏まった祈りがあった。イエスは、人前で祈るのが殊の外嫌いであった。これまで、12 人は、彼がほんの数回祈るのを聞いた。かれらは、彼が祈りか崇拝に夜を徹して過ごしているのに気づいたし、その祈りの方法、または型を知ることに強い好奇心をもった。ヨハネが弟子に教えたように、群衆が祈りの方法を教えてもらいたいと頼むとき、12 人は、本当に何と答えるか知っておくように迫られていた。
イエスは、つねに12 人に密かに祈ることを教えた。かれらが、祈りに従事するとき、自然の静かな環境の中に立ち去るか、それぞれの部屋に入り、戸を閉めることを。
イエスの死、そして父の元への上昇後、「主イエス・キリストの名において」というこのいわゆる主の祈りの附加で終えるのが多くの信者の習慣になった。その後もさらに、書写の際、2行が失われ、余分な節がこの祈りに加えられた。「王国と力と栄えは、とこしえにあなたのものでありますから。」
イエスは、ナザレスの家で祈ったような集団の形で使徒に祈りを授けた。かれは、集団、家族、または社会的な請願だけを教え、正式の個人的な祈りは決して教えなかった。また、かれは、決してそれをしようと申し出もしなかった。
イエスは、効果的な祈りは次のようなものであることを教えた。
1. 利己的でない—自らのためではない。
2. 信じる—信仰に従って。
3. 誠実である—正直な心。
4. 理性的である—光に従って。
5. 信じて疑わない—父のすべての賢明な意志へ服従して。
イエスが山で祈って全夜を過ごすのは、主に弟子、特に12 人のためであった。あるじは、自分のためにはほとんど祈らなかった、楽園の父との理解にもとづく親交における性質の崇拝に多く従事はしたが。
4.祈りに関してさらに
使徒は、祈りに関する講話後の何日間、この非常に重要で、敬虔な実践についてあるじに質問をし続けた。祈りと崇拝に関する最近の使徒に対してのイエスの指示は、現代の言い回しで次のように纏められ、言い換えられるかもしれない。
いかなる祈願のひたむきで切望する復誦も、そのような祈りが神の子の誠実な表現であり、また、誠実に発せられるとき、いかに無分別であろうと、直接の答が不可能であろうとも、精霊的な受容性の魂の能力を広げることに決してしくじることはない。
すべての祈りにおいて、息子聖性は、贈り物であるということを心しなさい。子共は、息子あるいは娘の身分を得るために何もする必要はない。地球の子等は、その両親の意志により生まれて来る。まさにそのように、神の子は、天の父の意志により神の恵みと新しい精霊の命に入るのである。それ故、天の王国—神の息子性—は、小さい子供がするように、受け入れられねばならない。人は正義—進歩的な性格の開発—を獲得するが、息子性は、神の恵みによりまた信仰を通して受け取る。
祈りは、宇宙の中の宇宙の崇高な支配者達と共にイエスを彼の魂の超-親交にまで導いた。祈りは、地球の死すべき者を真の崇拝の親交にまで導くであろう。受容性の魂の精霊的能力は、個人的に適切で意識的に認識できる天の恩恵の量を決定する。
祈りとその関連した崇拝は、人生の日々の日課からの、つまり物質的な存在の単調な骨の折れる仕事からの離脱の技である。それは、精霊化された自己実現の達成と理性的で宗教的な達成の個性への接近方法である。
祈りは、有害な内省に対する解毒剤である。少なくとも、あるじの教えたように祈りは、魂にへのそのような慈善的な宗教活動である。イエスは、一貫して人が仲間のために祈る有益な影響を用いた。通常、あるじは、単数形ではなく、複数形で祈った。自分の地上生活の大危機にだけ、イエスは、自分のために祈ったのであった。
祈りは、人類の物質文明の真っ只中にある精霊生活の息吹である。崇拝は、死すべき者の喜びを追求している世代のための救済である。
祈りが、魂の精神の電池を再充電に例えられるかもしれないように、崇拝は、宇宙なる父の無限の精霊の宇宙放送を受信するために魂の波長を合わせる行為に例えられるかもしれない。
祈りは、精霊の父への子供の誠実で切望している様である。それは、人間の意志を神性意志と交換する心理過程である。祈りは、そうあるべきものへと変更する神性の計画の一部である。
不寝番で長い夜をイエスに度々伴ったペトロス、ジェームス、ヨハネが、イエスの祈りを決して聞いたことがなかった理由の一つは、祈りを滅多に言葉として口にしなかったからである。イエスの祈りのすべては、実際に精神と心で行われた—静かに。
全ての使徒の中でうち、ペトロスとジェームスは、祈りと崇拝についてのあるじの教えの理解に最も近づいた。
5. 他の祈りの形
時々、地上のイエスの残りの間、かれは、祈りのさらに幾つかの形に使徒の注意を向けさせたが、これは、ただ他の事柄の例証としたに過ぎず、これらの「教訓的な祈り」を群衆には教えるべきではないと命じた。それらの多くは、他の棲息惑星からのものであったが、イエスは、この事実を12 人には明らかにしなかった。つぎは、これらの祈りの中からのものであった。
宇宙の領域がそのうちに存在する我々の父よ、
御名とあなたのすべての栄光の特質が高められますように。
あなたの臨場が我々を包み、あなたの栄光が明らかにされる、
高きにては完全に、我々を通しては不完全に。
光の生気を与える力をこの日にお与えください。
我々の空想の邪悪な脇道に迷い込ませないでください。
栄えある内在者、永続する力は、あなたのものであり、
私達には、あなたの息子の限りない愛の永遠の贈り物。
そのように、永久に真実であります。
~ ~ ~ ~ ~
創造の御親よ、あなたは宇宙の中心におられる。
あなたの特質と性格をお授けください。
お恵みによりあなたの息子と娘にしてくださり、
私達の永遠の獲得、業績で御名を賞賛させてください。
うちに生き、宿るために調整し統制する精霊をお与えください。
天使達が命じられたことを光の中でするように、私達がこの世であなたの意志ができますように。
真実の道に沿っての進行をこの日に支えてください。
惰性、悪、すべての罪深い違反からお救いください。
私達が仲間に慈愛を示すように、私達に対して寛容でありますように。
創造物である私達の心に慈悲の精霊を広く放ってください。
御手により、一歩一歩、覚束ない人生の迷路でお導きください。
そして、私達の終わりが来るとき、私達の忠実な霊を自身の御胸に受け入れてくださいますように。
それよりも何よりも、あなたの意志が行われますように。
~ ~ ~ ~ ~
完璧で公正である天なる父よ、
この日に私達の道程を導き、指示してください。
私達の歩みを浄め、考えを整えてください。
永遠の進展の道へいつもお導きください。
力の充満に、叡知で満たしてください。
そして、無限の活力で元気づけてください。
熾天使の軍勢の臨場と指導の神性の意識で
奮い立たせてください。
光の道へと上へといつもお導きください。
大審判の日に完全に正しいと私達の弁明をしてください。
永遠の栄光で私達をあなたのようにしてください。
そして、天においてあなたの限りない奉仕に迎え入れてくださいますように。
~ ~ ~ ~ ~
神秘の中の父よ、
あなたの聖なる性格を私たちに明らかにしてください。
道、光、真実を見るために、地上の子に
今日という日に、お与えください。
永遠の進歩の小道をお示しください。
そして、その中で歩く意志をお与えください。
私達の中に神性の王位を打ちたててください。
そして、それによる完全な自己支配をお授けください。
暗闇と死の道へと迷い込ませないでください。
命の水の側へと永久にお導きください。
あなたのために私達のこれらの祈りをお聞きください。
私達をますますあなたのようにすることをお喜びください。
最後に、神の息子のために
私達を永遠の腕の中に迎えてください。
それよりも何よりも、あなたの意志が行われますように。
~ ~ ~ ~ ~
一つの御祖に結合されている栄光の父と母よ、
私達は、あなたの神性に忠実であります。
私達の中に、また私達を通して再び生きるあなた自身
あなたの神霊の贈り物と贈与によって、
あなたが高きにては完全で荘厳であられるとき、
この世ではこのようにあなたを不完全に再生させます。
日々、心地よい兄弟愛の仕事をお与えください。
そして、刻一刻、愛の奉仕の道にお導きください。
いつも私達に我慢強くあってください。
私達があなたの我慢強さを子供達に示すように
万事を首尾よくする神性の知恵を、
万物に優しくある無限の愛をお与えください。
私達の慈善が、この世の弱者を包み込むことができるように
忍耐と慈愛をお授けください。
私達の経歴が終わるとき、それをあなたの名前の誉とし、
あなたの善霊の喜びに、また私達の魂の介助役にとっての満足としてください。
情愛深い父よ、私達の願いとしてではなく、死の運命にあるあなたの子等の永遠の利益を望むものとして、
このようになりますように。
~ ~ ~ ~ ~
我々の完全に忠実な源、そして全能の中枢よ、
すべてに優美な息子の御名が敬虔で神聖でありますように。
あなたの恵み深さと祝福が私達に注がれました。
このように、あなたの意志を実行し、あなたの命令を実行する権限が与えられました。
刻々、生命の木の養分をお与えください。
日々、その川の生きた流れで我々に活力を与えてください。
一歩一歩、暗闇から神の光の中にお導きください。
内在する精霊の変化により心を一新させてください。
そして、命の終わりが遂にやって来るとき
私達を迎え入れて、永遠へとお送りください。
天の実り多い奉仕の王冠をお授けください。
そして、我々は、父、息子と聖なる影響を賞賛します。
それよりも何よりも、全宇宙中で永遠にそのようにいたします。
~ ~ ~ ~ ~
宇宙の秘かな場所に住んでおられる私達の神よ、
あなたの御名が讃えられ、慈悲が敬われ、審判が尊ばれますように。
真昼に正義の太陽をお照しくださり、
薄明かりでぐらつく足取りもお導きください。
あなた自身が選ぶ方行に、我々の手を取りお導きくださり、
行く手が困難で暗いとき、我々を見捨てないでください。
私達がたびたびあなたを無視し忘れるようには、我々を忘れないでください。
むしろ、慈悲深くあり、我々が、あなたを愛したいと望んでいるように、我々を愛してください。
優しく見守り、慈悲をもってお許しください、
我々を苦しめ傷つける者を義をもって我々が許すように。
威厳のある息子の愛、献身、贈与が、
あなたの無限の慈悲と愛で永遠の命が得られますように。
宇宙の神が、精霊を豊かにお授けくださいますように。
この精霊の先導に逆らうことのない恩恵をください。
熱心な熾天使の軍勢の情愛深い活動によって
息子が、この時代の終わりまで我々を案内し、導きますように。
私達をいつもあなたに似るようにしてください。
そして、我々の終わりに、永遠の楽園の抱擁に迎えてください。
それよりも何よりも、贈与の息子の名にかけて。
そして、崇高なる父の名誉と栄光のために。
使徒が、これらの祈りの教えを勝手に公にすることは許されなかったが、個人的な宗教経験においてこれらの示現のすべては、とても彼らの役に立った。イエスは、12 人の詳細な指示に関する具体例としてこれらの祈りと他の祈りの型を利用した。そして、この記録にこの7つの雛形の祈りが転写される特定の許可が、与えられた。
6. ヨハネの使徒との会議
10月1日頃、洗礼者ヨハネの数人の使徒に会ったとき、フィリッポスと数人の仲間の使徒は、近くの村に食品の買い出し中であった。市場でのこの偶然の出会いの結果、イエスの先例に従い、ヨハネが最近彼の使徒になるべき12人の指導者を任命していたので、3週間の会合が、ギルボーアの野営地でイエスの使徒とヨハネの使徒の間でもたれた。ヨハネは、自分に忠誠な支持者の中の長であるアブネーの強い勧めに応じてこれをした。イエスは、最初の週、このギルボーアの野営地での合同会議にずっと臨席していたが、あとの2 週間は欠席した。
この月の2 週目の初めまでに、アブネーは、仲間全員をギルボーアに集合させ、イエスの使徒との協議会に入る準備をした。3週間にわたり、この24人の男達は、1日3回の会合を毎週6日間開いた。第1週、イエスは、午前、午後、夕方の会合の合間で皆と交わった。かれらは、あるじに会い、共同審議の統括を望んでいた。しかし、イエスは、3度の特別な機会に話すことには同意したものの、議論への参加は堅く拒否した。イエスによる24 人へのこれらの会談は、共感、協力、寛容についてであった。
アンドレアスとアブネーは、使徒2集団の共同会議の議長に交替して当たった。これらの使徒には、議論すべき多くの困難と解決すべき多数の問題があった。かれらは、再三、自分達の問題をイエスに示すのであったが、イエスが言う次の事を聞くだけであった。「私は、君達の個人的で純粋に宗教的な問題にだけ関心がある。私は、集団にではなく個人への父の代表である。君が、神との関係における個人的な困難があるならば来なさい。そこであなたの話を聞き、問題解決について助言しよう。しかし、宗教的な質問に関する異なる人間の解釈の調整と、宗教の社会化を始めるとき、君は、すべてのそのような問題を自身の決断で解決する運命にある。にもかかわらず、私はいつも好意的で、関心があり、君が精霊的に関係しない重要なこれらの問題を論じて結論に達するとき、ただし全員が合意する場合に限って、はじめて、私は、あらかじめ完全な承認と心からの協力を誓約する。さて、審議の妨げをしないよう、私は、君達のもとを2 週間離れる。心配しないでくれ、戻ってくるから。私は、父の用向きに関わる、我々にはこの世の他に世界があるのだから。」というだけであった。
このように言ってから、イエスは、山腹を下りて行き、皆はまる2 週間一目たりとも彼を見なかった。そして、かれらは、この間、彼がどこに行ったか、何をしたのか決して分からなかった。24 人が、問題を真剣に考えるために落ち着くことができるまでには幾らかの時があり、あるじの不在に非常に当惑していた。しかしながら、1 週間以内には再び自分達の議論の真っ只中におり、助けを求めてイエスの元に行くことはできなかった。
一団が同意した最初の項目は、つい最近イエスに教えられた祈りの採用であった。それは、両集団の使徒により信者に教えられるものとして、この祈りの受け入れに満場一致で可決された。
かれらは、牢獄の内外にかかわらずヨハネが生きている限り、12人の使徒の両集団が、彼らの仕事を続けるということ、1週間の合同会議が、時々の同意の場所で3カ月毎に開かれるということを次に決めた。
しかし、彼等の全ての問題で最も重大なものは、洗礼の件であった。イエスがこの問題に関しいかなる声明も拒否したので、彼らの困難は、以前にも増して深刻化した。彼らは最終的に同意した。ヨハネが生きている限り、または、この決定を共同で変更するまでは、ヨハネの使徒だけが、信者を洗礼し、イエスの使徒だけが、新しい弟子を最後に教える。これにより、共同審議会は、洗礼が、王国の事柄と外向き同盟における第一歩になると満場一致であったので、その時からヨハネの死後まで、ヨハネの2 人の使徒が、信者の洗礼のためにイエスとその使徒に同行した。
次に同意されたのは、ヨハネの死に際しては、ヨハネの使徒がイエスに赴き、彼の指示に従うようになること、また、イエスか彼の使徒に認可されない限り、これ以上洗礼を施さないということであった。
それから、ヨハネの死に際しては、イエスの使徒達は、神性の聖霊の洗礼の表象として水での洗礼を始めるということを票決した。悔悟が、洗礼の説教に添えられるべきであるか否かに関しては、任意のままにされた。団体を拘束する何の決断もなされなかった。ヨハネの使徒は「悔い改めよ、そして洗礼されよ。」と説教し、イエスの使徒は「信じよ、そして洗礼されよ。」と公布した。
そして、これは、異なる努力を調整し、意見の相違を組成し、外面上の儀式を制定し、個人の宗教的実践を社会化するイエスの追随者の最初の試みの物語である。
多くの他のさほど重要でない問題が考慮され、解決策が満場一致で可決された。問題に取り組み、イエスなしで困難を和らげることが強いられたとき、この24人の男達は、2 週間で本当に著しい経験をした。かれらは、意見の異なること、議論すること、論争すること、祈ること、妥協すること、そして、そのすべてを通して、他者の観点に共感しつつ、自分の正直な意見に対し少なくとも幾らかの寛容性の維持を学んだ。
イエスは、財政に関する質問の最終的な議論の午後に戻り、皆の審議や決定を聞いて言った。「これらが、それでは、君達の結論である。だから、私は、一丸となった君達の決定の精神を実行にうつす手助けをするつもりである。」
この時から2カ月半後に、ヨハネは処刑された。この期間を通して、ヨハネの使徒は、イエスと12人と留まった。彼ら全員は、この仕事の期間、デカーポリスの街々で一緒に働き、信者を洗礼した。西暦27年11月2日、ギルボーアの野営は解散された。
7. デカーポリスの街々で
11月と12月を通して、イエスと24 人は、デカーポリスのギリシアの街々、主にシソポリス、ゲラーサ、アビラで静かに働いていた。これは、実にヨハネの仕事と組織の引き継ぎのその予備期間の終わりであった。常に、新たな、意外な顕示という社会化される宗教は、救おうとする以前の宗教の確立した型と慣習の妥協の代価を支払うのである。洗礼は、イエスの追随者が、宗教団体として、洗礼者ヨハネの追随者を組み入れるために支払った代価であった。ヨハネの追随者は、イエスの追随者に加わる際に、水での洗礼を除くほとんど全てを諦めた。
イエスは、デカーポリスの街々での伝道において公への教えをしなかった。かれは、かなりの時間を24 人への教えに費やし、ヨハネの12 人の使徒との多くの臨時会をもった。そのうちに、かれらは、イエスが、なぜ獄中のヨハネの訪問に行かないのか、また、なぜその釈放の確保の何の努力もしないのかをよく理解するようになった。しかし、かれらは、イエスが、なぜ驚異の業を施さないのか、なぜ神の権威の可視的な印をもたらすことを拒否するのかについては、決して理解することができなかった。ギルボーアの野営に来る前、彼らは、主としてヨハネの証言によりイエスを信じていたが、すぐ、あるじとその教えとの直接接触の結果として信じ始めていた。
この2カ月間、一団は、イエスの使徒とヨハネの使徒の中からの二人ずつの組になってほとんど働いていた。ヨハネの使徒が洗礼し、イエスの使徒が教授し、一方自分達の理解に従って、両者が王国の福音を説いた。そして、彼らは、これらの非ユダヤ人と信仰を捨てたユダヤ人の多くを説き伏せた。
アブネー、ヨハネの使徒の長は、イエスの敬虔な信奉者になり、後にはあるじが福音を説くように任命した70 人の教師の主長となるほどであった。
8. ペラの近くの野営で
12月後半、彼らは皆、ペラ付近のヨルダン川近くへ行き、そこで、再び教えたり説教を始めた。ユダヤ人と非ユダヤ人の双方が、福音を聞きにこの野営地に来た。ヨハネの特別な友人の何人かが、洗礼者からの初めての、そして最後の伝言をあるじにもたらしたのは、イエスが、 群衆に教えていたある午後であった。
ヨハネは、そのとき獄中に1 年半もおり、イエスは、この間大半を非常に静かに働いた。従って、ヨハネが王国について訝るようになるのは、不思議ではなかった。ヨハネの友人達、イエスの教えを中断して「洗礼者ヨハネが、我々を尋ねに来させました。—本当に、あなたが救出者であるのか、それとも、他に探すべきかを。」と言った。
イエスは、中断し、ヨハネの友人達に言った。「戻って、忘れられてはいないとヨハネに言いなさい。君達が見聞きしてきたこと、貧者には説き諭された良い知らせがあるということを告げなさい。」そして、イエスがヨハネの使者達にさらに話し、再び群衆の方に向き直って言った。「ヨハネが、王国の福音を疑っていると思ってはいけない。彼は、私の弟子でもある彼の弟子に確認の問い合わせをしているに過ぎないのである。ヨハネは虚弱者でない。ヘローデスが投獄する前に、ヨハネが、説教するのを聞いたのは誰か。ヨハネに何を見たか—風に揺られる葦であったか。不安定の情趣で柔らかい衣を着ている男であったか。概して豪華に着飾る者や、華奢に暮らす者は、王の宮廷や金持ちの大邸宅にいる。だが、ヨハネを見たとき、何を見たか。予言者か。そうだ。予言者以上のものであると、私は君達に言う。ヨハネについて書かれていた。『見よ、私は、私の使者を遣わす。彼はあなた方の前に道を整える。』
「誠に、誠に、君達に言う。女性から生まれた者の中で、洗礼者のヨハネよりすぐれた者は出なかった。それでも、天の王国で小さいものは、精霊の生まれであり、神の息子になったということを知っているので、より偉大である。」
その日イエスの言うことを聞いた多くの者が、ヨハネの洗礼を受け、それにより、公的に王国への入国を表明した。そして、ヨハネの使徒は、その日以後イエスにしっかりと結びつけられた。この出来事は、ヨハネとイエスの追随達の真の結束を記した。
使者達は、アブネーとの談話の後、このすべてをヨハネに伝えるためにマカイロスに出発した。かれは、は大いに慰められ、その信仰は、イエスの言葉とアブネーに関する伝言により強化された。
この午後、イエスは、続けて教え、こう言った。「しかし、この世代を何に例えようか。君達の多くは、ヨハネの知らせも私の教えも受け入れようとはしないであろう。君達は、仲間に呼びかけて言う市場で遊んでいる子供のようなものだ。『笛を吹いてやったのに、君達は踊ってくれなかった。悲しんで泣いても、悲しまなかった。』君達の一部の者は、それと同じである。ヨハネは、食べもせず、飲みもしなかった。そこで、人々は、彼には悪魔がいると言った。人の息子は、食べもし飲みもしながら来る。そして、この同じ人々は言う。『見よ、大食いで大酒飲み、居酒屋の主人達と罪人達の仲間だ。』本当のところ、知恵は、その子供達によって証明される。
天の父は、これらの真実の幾つかを赤子に示す傍ら、賢く強慢な者からは隠しているようである。しかし、父は、全ての事をよくされる。父は、彼自身が選ぶ方法によって宇宙に自分を明らかにする。だから、働いている者、重荷を背負う者は皆来なさい。そうすれば、魂に安らぎが来るであろう。神のくびきを負いなさい。そうすれば、人知では到底測りしれない神の平安を経験するであろう。」
9. 洗礼者ヨハネの死
洗礼者ヨハネは、西暦28年1月10日の夕方、ヘローデス・アンティパスの命により処刑された。マカイロスに行っていたヨハネの弟子の数人は、その翌日処刑を聞きつけ、ヘローデスの元に行き遺骸を要求し、それを墓所の中に置き、後にセバステのアブネーの家で埋葬した。その翌日の1月12日、彼らは、ペラ近くのヨハネとイエスの使徒の野営地に向け北へと出発した。そして、かれらは、イエスにヨハネの死を告げた。報告を聞いたイエスは、群衆を解散させて、24人を集めて言った。「ヨハネが死んだ。ヘローデスが打ち首にした。今夜、共同審議に入り、それに応じてそれぞれの仕事を整理しなさい。もはや遅延はない。公然と、そして力をもって王国を宣言する時が来た。明日、ガリラヤ入りをする。」
そこで、西暦28年1月13日の朝早く、イエスと使徒は、25人ほどの弟子とともにカペルナムに進み、その夜、ゼベダイの家に投宿した。