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論文 142 エルサレムでの過ぎ越しの祭り

論文 142

エルサレムでの過ぎ越しの祭り

4月、イエスと使徒は、エルサレムで働き、毎夕ベサニアで夜を過ごすために都を出ていた。イエス自身は、エルサレムのギリシア系ユダヤ人、フラーヴィオスの家で毎週1 晩か2 晩を過ごし、そこには、多くの著名なユダヤ人が、彼との会見のために秘かにやって来た。

エルサレムでの初日、イエスは、以前の高僧で、ゼベダイの妻サロメの親類でもある何年か前の友人ハナンジャーを訪問した。ハナンジャーは、イエスとその教えについてずっと聞いており、高僧の家を訪問したときは、イエスは、あまり歓待されなかったた。イエスは、ハナンジャーの冷たさを感じ取ると、早急に立ち去った。去るにあたり、「恐怖は、人の主な奴隷化に追いやるものであり、誇りは、人の大きな弱点である。あなたは、自分をこの喜びと自由の破壊者双方の束縛へと陥れるつもりなのか。」と言った。しかし、ハナンジャーは、返答をしなかった。あるじは、人の息子の裁判で義理の息子と座っている彼を目にするまで、再び会うことはなかった。

1. 寺院での教え

この月を通して、イエスか使徒の一人が寺院で毎日教えた。過ぎ越しの祭りの群衆が、寺院での教えのための入り口を見つけることができないほどに膨れあがると、使徒は、神聖区域の外で教える多くの班を受け持った。要旨は、次の通りであった。

1. 天の王国は近い。

2. 神の父性に対する信仰によって、天の王国に入ることができ、その結果、神の息子になる。

3. 愛は、王国の中で暮らすための規律—自分自身を愛するように隣人を愛するとともに神に対する最高の献身である。

4. 父の意志への服従は、個人的な人生において精神の果実をもたらすことは、王国の法である。

過ぎ越し祭りの祝いのために来た群衆は、イエスのこの教えを聞いた。そして、何百人もが朗報に喜んだ。ユダヤ人の主要な聖職者と支配者は、イエスと使徒に非常に関心をもつようになり、彼らをどうすべきか議論し合った。

寺院とその周りで教えること以外に、使徒と他の信者は、過ぎ越し祭りの群衆の中で多くの個人の仕事に従事していた。関心を持つこれらの男女は、イエスの言葉に関する知らせをこの過ぎ越し祭りの祝賀からローマ帝国の最果て、また東洋までも伝えた。これは、王国に関する福音の外の世界への伝播の始まりであった。もはや、イエスの仕事は、パレスチナに閉じ込められてはいなかった。

2. 神の怒り

ジャアコブというクレタからの裕福なユダヤ商人が、エルサレムの過ぎ越し祭に参列しており、イエスに個人的に会いたいと申し入れをし、アンドレアスのところにやって来た。アンドレアスは、イエスとのこの内密の会合を翌晩フラーヴィオスの家でする手配をした。この男性は、あるじの教えを理解することができず、神の王国についてより完全に尋ねたいと望んで来たのであった。ジャアコブがイエスに言った。「しかし、先生、モーシェと昔の予言者達は、ヤハウェが嫉妬の神、大いなる怒りと激しい憤怒の神であると言っています。予言者達は、かれは、悪人を嫌い、法に従わない者に復讐すると言います。あなたと弟子は、あなたがとても近いと宣言している天の王国のこの新しい王国に彼らを歓迎するほどに、神は、すべての人間を愛する優しい情け深い父であることを我々に教えています。」

ジャアコブが、話し終えると、イエスが答えた。「ジャアコブ、きみは、その時代の知識に従ってその世代の子等に教えた昔の予言者達の教えをよく述べた。楽園の我々の神は不変である。しかし、その本質の概念は、モーシェの時代からアモスの時代、さらには予言者イザヤの世代に至るまで拡大し、成長してきた。そして、今私は、新しい栄光で父を明らかにし、すべての世界のすべての人に父の愛と慈悲を指し示すために生身の姿で来たのである。生気と善意のその言葉で世界中のすべての人にこの王国の福音が広がっていくとき、万国の家族の中に改善されたより良い関係が育つであろう。時間が経過するにつれ、父親とその子等は、より互いを愛し、その結果、天の父の子への愛に対しさらに良い理解をもたらすであろう。心しなさい、ジャアコブ。良い、そして本物の父というものは、家族を一纏まりとして—一家族として—愛するだけではなくて、家族の個々人を本当に愛し、愛情を込めて気にかけているのである。」

天なる父の特質に関するかなりの議論の後、イエスは、息をついで言った。「ジャアコブ、子だくさんの父であるから、きみは、私の言葉の真実がよく分かっている。」そこで、ジャアコブが言った。「しかし、あるじ様、私が6人の子の父であると誰が言いましたか。どうしてこれを知ったのですか。」そこで、あるじが答えた。「父と息子は、すべてのことを知っていると言うだけで十分であろう。彼等は本当にすべてを見るのであるから。地球で父として自分の子供を愛する君は、今、自身のために天なる父の愛を現実のものとして受け入れなければならない—アブラーハムの全ての子供のためだけでなく、君のために、君の一個人の魂のために。」

そこでイエスは続けた。「子供が非常に幼く、未熟であるとき、そして制裁しなければならないとき、子供は、父が立腹し恨みの憤怒に満ちていると思うかもしれない。彼らの未熟さは、父の明敏で正しくしようとする愛情を弁え罰を見破ることができない。しかし、この同じ子供等が、成人の男女になるとき、彼等が、父に関対して、この早期の誤った考えに執着することは、愚かではなかろうか。成人した男女として、今や、このすべての初期の躾における父の愛について明察すべきである。何世紀もが移り去ると共に、人類は、天の父の真の本質と愛する特質をより理解するようになるべきではないか。モーシェと予言者が、見たような神を見ることに固執するのであれば、精霊的啓発の続く世代からどんな利益が得られるのか。ジャアコブ、お前に言おう。この時間の明るい光の下で、過去の誰とて見たことのない父が、君には見えるはずである。そうして彼に会い、きみは、そのような慈悲深い父が統治する王国に入ることに歓喜すべきであり、その後は彼の愛の意志が自分の人生を支配するよう追い求めるべきである。」

そこで、ジャアコブが答えた。「先生、信じます。私を父の王国に導いてくれることを望みます。」

3. 神の概念

12人の使徒は、(彼等のほとんどが、この神の特質の議論を聞いていた。)その夜、イエスに天の父について多くの質問をした。これらの質問に対するあるじの答えは、現代の言い回しで次の概要により最も良く提示される。

イエスは、大まかな内容で穏やかに12人を叱責した。君たちは、ヤハウェの理念の発展に関連するイスラエルの伝統を知らないのか。また、神の教義に関する聖書の教えに無知であるのか、と大まかな内容で。そして、あるじは、ユダヤ民族の進化過程の中での神格の概念の進化について使徒への訓示に進んだ。神の理念の次の発達段階に注意を促した。

1.、ヤハウェ—シナイ一族の神。これは、モーシェがイスラエルの神なる主のより高い段階にまで高揚させた神の原始の概念であった。神格の概念がどんなに粗雑であろうが、あるいは、いかなる名前でその神性の本質を象徴しようが、天の父は、決して地球の子等の誠実な崇拝の受け入れに失敗しない。

2. いと高きもの。天の父のこの概念は、メルキゼデクがアブラーハムに示し、後にこの拡大し発展した神の理念を信じた人々がシャレムから遠くへと伝えた。アブラーハムとその弟は、太陽崇拝の確立のためにウールを去り、メルキゼデクのエル・エリョン—いと高き神—の教えの信者となった。彼等のものは、古いメソポタミアの考え、そして、いと高きものの教義の混合からの神の合成概念であった。

3. エル・シャッダイ。初期の間、ヘブライ人の多くは、ナイル地方での捕われの身の間に学んだエジプト人の天の神の概念であるエル・シャッダイを崇拝していた。メルキゼデクの時代からずっと後、神のこれら3つの全概念は、創造者の神、イスラエルの神なる主の教義形成のために結びつけられるようになった。

4. エロヒーム。アダムの時代から、楽園の三位一体の教えは、持続した。聖書が、「初めに、神々が天地を創造した」と主張して始まっているのを思い出さないか。これは、その記録がなされたとき、3 柱の神が一つであるという三位一体概念が、我々の先祖の宗教に位置を見出してていたことを示している。

5. 最高のヤハウェ。イェシャジャの時代までには、神に関するこれらの信念は、同時に全能であり、全く慈悲深いという宇宙の創造者の概念へと拡大していった。そして、我々の父の宗教の中で、この進化し、拡大する神の概念は、事実上以前のすべての神格の理念に取って代わった。

6. 天の父。 さて、我々は、天の父として神を知っている。我々の教えは、信者が神の息子であるところの宗教を提供する。それは、天の王国の福音に関する朗報である。息子と聖霊は、父と共存しており、これらの楽園の神格の本質と聖職活動の顕示は、神の上昇する息子達が永遠の精霊的進歩の無限の時代を通して拡大し輝き続けるであろう。すべての時代とすべての世代において、いかなる人間の真の崇拝—個人の精霊的進歩に関する—は、天の父に与えられる敬意として内在する霊に認識される。

使徒は、前の世代のユダヤ人の心の神の概念の発展に関するこの詳述を聞いたほどには、かつてそのように衝撃を受けたことはなかった。かれらは、質問ができないほどにうろたえていた。イエスの前に皆が黙して座ると、あるじが続けた。「そして、聖書を読んだことがあるならば、これらの真実は知っていたであろう。サムエルの中でこう言っているのを読んだことはないのか。『そして、主の怒りは、イスラエルに対して燃え上がり、イスラエルとユダの人口を数えよ、と言ってダーヴィドを動かすほどであった。』と。また、サムエルの時代には、アブラーハムの子等は、ヤハウェが、善、悪の両方を作ったと本当に信じたので、これは不思議ではなかった。ところが、後の筆者が、神の本質に対するユダヤ人の概念の拡大後においてこれらの出来事を述べるとき、悪をヤハウェへの所為にする勇気がはなかった。したがって、彼は言った。『さて、魔王は、イスラエルに立ち向かい、ダーヴィドを挑発して、イスラエルの人口を数えさせた。』聖書でのそのような記録が、1 世代から次世代へと神の本質の概念がどのように発展し続けたかについてあきらかに示しているのが、君達は認識できないのか。

「一方、君達は、神性のこれらの拡大していく概念を完全に維持していくことにおいて神の法の理解の発達について明察すべきであった。イスラエルの民が、ヤハウェの拡大した顕示の前の時代にエジプトから脱出して来たとき、彼らには、シナイを目前にして野営するときまでまさに法律として用いられた十戒があった。これらの十戒は、次の通りであった。

「1.他のいかなる神も崇拝してはならない、なぜならば、主は嫉妬深い神である。

「2. 偶像を作ってはいけない。

「3. 種を入れないパンの祭りを守ることを怠ってはならない。

「4. 人間の息子であれ、家畜の雄であれ、初子は私のものであると主が言われる。」

「5. 6日間働いてよいが、7日目は安息せよ。

「6.最初の実と年の終わりの収穫祭を行なわなければならない。

「7. 生贄の血を種を入れたパンに添えて捧げてはいけない。

「8. 過ぎ越し祭りの祝宴の生贄は朝までおいてはいけない。

「9. 土地でできた初収穫の1番最初の実をあなたの神である主の家に持って来なければならない。

「10.子ヤギをその母の乳で煮てはならない。

そして、次に、モーシェは、シナイの雷と稲妻の中で、君達全員が、神格の拡大しているヤハウェの概念に伴うより価値のある発言であると同意するであろう新しい十戒を与えた。そして、これらの戒律が聖書に2度記録され、エジプトからの解放が、安息日の遵守の理由として割り当てられるという最初の場合であり、後の記録においては、我々の祖先の発展する信仰が、安息日の遵奉の理由として創造事実の認識に変えられることを要求したということに決して注意を払わなかったのか。

そして、君達は、これらの10 条の否定的な戒律—イザヤの時、より優れた精霊的な啓蒙において—は、優れた肯定な愛の法、つまり、この上なく神をそして隣人を自分自身のように愛する命令に変えられたことを再び思い出すであろう。そして、私は、神と人に対する愛のこの最高法こそが、人の全責務を構成するとも明言しておこう。」

話し終えたとき、誰も彼に質問をしなかった。皆は、それぞれ眠りについた。

4. フラーヴィオスとギリシア文化

ギリシア系ユダヤ人のフラーヴィオスは、割礼も施されず、洗礼もされていない改宗者であった。かれは、芸術と彫刻美の愛好家であったので、エルサレムに滞在の際の家は、美しい建築物であった。この家は、世界旅行の際にあちこちで集めた極めて貴重な宝物で絶妙に飾られていた。イエスを家に招待することを最初に考えたとき、かれは、あるじがこれらのいわゆる偶像を見て怒るかもしれないと恐れた。しかし、イエスが家に入ったとき、家のあちこちに置かれたこれらの偶像崇拝物と言われるものの所持を非難する代わりに、かれは、フラーヴィオスが、好きな像のすべてを示して部屋ごとに案内していると、全ての収集物に大きな関心を明らかにして、各々の品物について多くの鑑賞眼のある質問をしたことに、フラーヴィオスは、快く驚かされた。

あるじは、亭主が芸術に対する彼の好意的な態度に当惑するのを見た。したがって、全体の収集を見終えたとき、イエスが言った。「父により創造され、人の芸術的な手により形成されたものの美を鑑賞するという理由で、なぜあなたは避難されると思わなければならないのか。モーシェがかつて、偶像崇拝と誤りの神の崇拝と闘おうとしたという理由で、なぜ全ての人が、優雅さと美の再生に難色を示さなければならないのか。フラーヴィオス、モーシェの民は、彼を誤解し、今では、天地の事物に似せたものや、偶像や画像の彼が禁止さえしている誤りの神々を作っているのだよ。だが、たとえモーシェが、そのような制限をその頃の陰った心に教えたとしても、天の父が宇宙全体の聖霊支配者として明らかにされる今日、それが一体何の関係があろうか。そして、フラーヴィオス、来たる王国では、『これを崇拝するな、あれを崇拝するな』とは、もはや教えないと、私は宣言する。もはや、これを慎んだり、あれをしないようにと注意の命令を心配せず、むしろすべての者が、1つの最高責務に関心をもつのである。そして、人のこの責務は、2つの大きな特権、すなわち無限の創造者、楽園の父への心よりの崇拝、そして仲間の人間へ授与される情愛深い奉仕で言い表される。自身を愛するが如く隣人を愛するならば、それは、神の息子であることを本当に知ったいるのである。

父がよく理解されなかった時代には、モーシェの偶像崇拝に抵抗する試みは正当化されたが、来たる時代においては、父は息子の人生の中で明らかにされであろう。そして、この神の新しい顕示は、創造の父を石の偶像や金銀の画像と混同することを永久に不要とするであろう。今後、賢明な人間は、そのような美の物質的鑑賞と楽園の父、万物の神と混同することなく芸術の宝物を楽しむかもしれない。」

フラーヴィオスは、イエスが教えたすべてを信じた。その翌日、かれは、ヨルダン川の先のベタニアに行き、ヨハネの弟子達に洗礼を施された。これをしたのは、まだイエスの使徒が信者達への洗礼をしていなかったからであった。フラーヴィオスは、エルサレムに戻ると、イエスのために立派な宴を設け、友人60 人を招待した。そして、これらの客の多くが、来たるべき王国の知らせの信者となった。

5. 保証についての講話

イエスがこの過ぎ越し祭りの週に寺院で説いた際だった説教の1つは、聴衆の一人、ダマスカスからの男性の質問への答えにあった。この男性はイエスに尋ねた。「しかし、先生、あなたが神によって送られ、また、あなたとあなたの弟子が真近にあると宣言するこの王国に本当に入れるという確実性を、我々は、どのように知るのでしょうか。」そこで、イエスが答えた。

「私の言葉と弟子の教えに関しては、その実で判断すべきである。我々が精霊の真実を宣言するならば、君の心の精霊は、我々の言葉が本物であることを目撃するであろう。王国と、天なる父による受諾の確信に関しては、息子を家族や父の心の情愛に関し心配させたり、はらはらさせる状況に置くのと、それとも安心できる場所に保つのとでは、君達の間のどんな父親が、相応しく情け深いかを聞かせてもらおう。君達の地球の父は、君達の人間の心の彼等に対する永続的な愛に関し、自分の子供を不安な状態において拷問することを楽しむであろうか。天の君達の父もまた、王国での彼らの位置に関して、精霊の忠実な子等を疑わしい不安の状態に放っては置かない。神を父として受け入れるならば、それで事実上、君達は、実際に神の息子なのである。そして、息子であるならば、そこで、君達は、永遠の、また神の息性に関係するすべての位置と地位が確かなものとなる。私の言葉を信じるならば、私を送った神を信じることになり、また、このように父を信じることにより、天の市民権を確かにしたのである。天の父の意志を為すならば、君達は、神の王国における永遠の進歩の命の達成において決して失敗しないのである。

「崇高なる聖霊は、君達が確かに神の子であるということを君達の精霊と共に目撃するであろう。そして、神の息子であるならば、それで、君達は、神の精霊の生まれなのである。また、神の精霊の生まれのものは誰でも、すべての疑問に打ち勝つ力を備え持っている。そして、これこそが、すべての不安を克服する勝利であり、信仰でさえある。

「今の時代に言い及んで、予言者イェシアジァが言った。『精霊が上から我々に注がれると、そこで義の業は、永遠に平和、平穏、確信をもたらす。』そして、この福音を本当に信じるものすべてにとり、私は、父の王国での永遠の慈悲と永続する命の受け入れの身元引受者となるであろう。君は、この言葉を聞き、王国に関するこの福音を信じる者は、その時に、神の息子である。そして、君君達には永続する命がある。また、君達が霊の生まれであるという全世界への証しは、君達が、心から互いを愛しているということである。」

聞き手の群衆は、何時間もイエスと共にいて、質問したり、元気づける答えを注意深く聞いた。使徒さえ、イエスの教えによりさらに多くの力と確信で王国の福音を説くことを励まされた。エルサレムでのこの経験は、12 人への格段の刺戟であった。そのような巨大な群衆との初めての接触であり、その後の仕事において素晴らしい助力となる多くの貴重な教訓を学びとった。

6. ニコーデモスの訪問

ある晩フラーヴィオスの家に、ニコーデモスというユダヤ系サンヘドリンの裕福で初老の会員が、イエスに会いに来た。かれは、このガリラヤ人の教えについて多くを聞いており、そこで、かれは、イエスが寺院の中庭で教えていたので、ある午後その声を聞きに行った。かれは、イエスが教えるのを度々聞きに行ったことであろうが、教えに出席している人々に見られることを恐れ、と言うのも、すでに、ユダヤの支配者達は、イエスと甚だ相違していたので、サンヘドリンの会員は、公然と彼と同一視されたくなかったのである。従って、ニコーデモスは、個人的に、またこの特定の夕方の日の落ちた後にイエスに会うことをアンドレアスと打ち合わせておいた。面談が始まった時、ペトロス、ジェームスとヨハネは、フラーヴィオスの庭にいたが、後に会話が続けられている家の中に入っていった。

ニコーデモスを迎えるに当たり、イエスは、特別の敬意を示さなかった。彼と話す際、妥協または過度の説得力も見せなかった。あるじは、秘密主義の訪問者に対し嫌悪感を与えようとも、皮肉も用いなかった。著名な訪問者とのすべてのやりとりにおいて、イエスは、穏やかで、熱心かつ荘厳であった。 ニコーデモスは、サンヘドリンの公式の代表者ではなかった。かれは、完全に個人的に、また心からのあるじの教えへの関心故に、イエスに会いに来たのであった。

フラーヴィオスに紹介されると、ニコーデモスが言った。「先生、神が共にいない限り、一介の人間がそのようには教えることができないのですから、我々には、あなたが神によって送られた師であることが分かります。だから私は来たるべき王国についてあなたの教えをさらに知りたいのです。」

イエスは、ニコーデモスに答えた。「実に、実に言っておく、 ニコーデモス。天からの生まれでない限り、人は神の王国を見ることはできない。」その時、 ニコーデモスが「しかし、年老いて人は、どのように生まれ変われるのですか。もう一度、母の子宮に入ることはできません。」と応じた。

イエスは言った。「それでも、精霊の生まれの人間を除き、人は神の王国を見ることはできない、と宣言する。肉から生まれるものは肉であり、精霊から生まれるものは精霊である。だが、私が上から生まれなければならないと言ったからといって、驚嘆すべきではない。風が吹くと葉の擦れる音を聞くが、風は見えない。— どこから吹いてくるのか、もしくは、どこへ吹いて行くのか—霊の生まれの誰も、そうである。君は、肉の目で精霊の顕現を見ることはできるが、実際に霊を明察することはできない。」

ニコーデモスが答えた。「でも、分かりません—それはどういうことでしょう。」イエスは、「イスラエルの教師であるというのに、これに関して全く無知であるとは。物質界の現れだけを見分ける人々に、これらのことを明らかにすることは、精霊の現実を知る人々の義務となる。しかし、我々が天の真実について告げるとして、あなたは我々を信じるであろうか。ニコーデモス。天から降りてきた者を、人の息子をさえ信じる勇気があるのか。」と言った。

そこで、 ニコーデモスが言った。「しかし、王国に入るに備え、私を作り変えるこの精霊をいかに掴み始めることができるのでしょうか。」イエスが答えた。「すでに、天の父の精霊が君の中に宿っている。精霊に導かれるならば、きみは、間もなくその精霊の目で見始めるであろう。その時、生活における唯一の目的は天にいる父の意志をすることであるから、きみは、精霊指導の心からの選択により、精霊の生まれとなるであろう。そして、このように自分が精霊の生まれであり、神の王国で幸福であることを知り、日常生活において精霊の実を多く結び始めるであろう。」

ニコーデモスは、まったく誠実であった。かれは、深く感銘したが当惑して立ち去った。ニコーデモスは、自己開発、克己、高い道徳的な特質さえ達成した。かれは、洗練され、自己本位でしかも愛他的であった。しかしかれは、神である父の意志への服従の仕方を、小さい子供が、賢明で情愛深い地球の父の案内や指導に喜んで服従するように、それによって実際に神の息子になること、永遠の王国の進歩的な相続人になることを知らなかった。

しかし、 ニコーデモスは、王国を掴むに足る信仰を奮い起こした。サンヘドリンの同僚が、イエスのための聴聞会を開かずに非難しようとしたとき、かれは、僅かに抗議をした。そして、アリマセアのヨセフと共に、かれは、後に大胆にも自分の信仰を認め、弟子の大半が、あるじの最後の苦しみと死の場面から恐怖で逃れたときでさえも、イエスの亡骸を要求した。

7. 家族についての教え

教えの忙しい期間とエルサレムの過ぎ越し祭りの週の個人の仕事の後、イエスは、その次の水曜日をベサニアで使徒と費やして過ごした。その午後、トーマスは、長くて教育的な答えを引き出す質問をした。トーマスが言った。「あるじさま、私達が王国の大使として離された日に、あなたは、我々に多くのことを言われ、訓示されましたが、私達は、群衆に何を教えるべきでしょうか。王国がより完全に到来した後、これらの人々は、どのように生きることになるのですか。弟子達は、奴隷を所有するのですか。信者達は、貧困を求め、財産を避けるのですか。我々は、法も正義も持たず、慈悲だけが波及するのですか。」イエスと12 人は、午後ずっと、それと夕食後の終夜、トーマスの問題について論議して過ごした。この記録のために、我々は、あるじの指示の次の概要を提示する。

イエスは、彼自身が、肉体での特有な生活を送って地球にいるということ、また、12 人は、人の子のこの贈与経験に参加するために呼ばれたということを使徒にまず明らかにしようとした。そして、そのような協力者として、彼らもまた、全体の贈与経験の特別な制限と義務の多くを分担しなければならない。人の息子は、同時に、神のまさしく心の中を、そして人の魂のまさしくその深層を見ることができた地球で生活を送った唯一のものであったという覆われた仄めかしがあった。

イエスは、天の王国とは、ここ地球に始まり、連続した生命拠点を経て楽園へと前進する進化的経験であると、非常に分かり易く説明した。その晩のうちに、かれは、王国開発における若干の将来の段階で、精霊的な力と神の栄光におけるこの世界を再訪すると確かに述べた。

かれは、次に、「王国の概念」は、神との人の関係を例示するには最善の方法ではないと説明した。ユダヤ民族が、王国を期待しているし、ヨハネが来たるべき王国という言葉で説教していたので、かれは、そのような修辞的表現を使うということを説明した。イエスは、「家族関係を表する用語で提示されるとき—人が、宗教を神の父性と人の兄弟愛、つまり神との息子性についての教えとして理解するとき—別の時代の人々は、王国に関する福音をより理解するであろう」と言った。それから、あるじは、天の家族の具体例として地球の家族についてかなり長く語り、生活の2 つの基本法則を再び述べた。家族の長である父に対する1番目の愛の戒め、そして、子供の間での、つまり自分を愛するようにその兄弟を愛する2番目の相互の愛の戒め。そこで、兄弟らしい愛情のそのような特性は、寡欲で情愛深い社会奉仕において必ず自然に現れると説明した。

その後、家族生活の基本的な特徴と、神と人の間に存在する関係への彼等の適用に関する忘れ難い議論があった。イエスは、本当の家族というものは次の7 つの事実に基づくと述べた。

1. 存在の事実。自然の関係と人間の類似性の現象は、家族内で結ばれている。子供は親の一定の特性を引き継ぐ。子供は両親に起源がある。人格存在は、親の行為に依存している。父と子の関係は、すべての自然に固有であり、すべての生活生存に広がる。

2. 安全と喜び。本物の父は、子供の必要に応じることに大きい喜びがある。多くの父は、子の単なる必需品を供給することに満足するのではなく、それどころか、子供の喜びに備えることもまた楽しむ。

3. 教育と訓練。賢い父は、慎重に息子と娘の教育と十分な訓練の計画を立てる。子供等は、若い間に後の人生でのより大きな責任に向けて備える。

4. 規律と制限。 明敏な父も、うら若く未熟な子に必要な規律、指導、修正、時には制限に備える。

5. 親交と忠誠。慈愛深い父は、子供との親密で情愛深い関係をもつ。かれは、常に子供の訴えに耳を傾けている。彼等の困難を共有し、かれは、常に難事克服の援助の準備ができている。父は、子孫の進歩的な福祉にこの上もなく興味を持っている。

6. 愛と慈悲。情け深い父は、無制限に寛大である。父は子に対して執念深い記憶を固守しない。父は裁判官、敵、あるいは債権者のようでもない。本当の家族は、寛容、忍耐、許しの上に築かれる。

7. 将来への備え。この世の父は、息子のために遺産を残すのが好きである。家族は、世代からもう一つ世代へと存続する。死は、別の始まりを印すために1世代を終えるだけである。死は、個々の人生を終結はするが、必ずしも家族を終わらせるというわけではない。

何時間も、あるじは、これらの家族生活の特徴を楽園の父である神と地上の子である人間との関係への適用について検討した。そして、これが彼の結論であった。「父への息子のこの関係全体を、私は、完全に知っている、なぜなら、永遠の未来において君達が手に入れなければならない息子性を、私は、すでに達成したのであるから。人の息子は、父の右手に昇る用意ができており、その結果、今すべての者が、栄光の進行を終える前に、天の父が完全であるように、君達が完全になるために、神に会うための道は、より広くいま私の中に開いているのである。」

使徒がこれらの驚くべき言葉を聞いたとき、かれらは、ヨハネがイエスの洗礼時にした表明を思い出し、また、あるじの死と復活の後に、自分達の説教と教えに関連してこの経験をありありと思い出した。

イエスは神の息子、宇宙なる父の完全な信頼にある者である。かれは、ずっと父といて、完全に彼を理解していた。かれは、今や父が、完全に満足をする地球生活を送り、生身のこの化身は人を理解することを完全に可能にした。イエスは、人の極致そのものであった。すべての本物の信者が、彼の中に、また彼を通して到達する運命にあるような、まさしくそのような完全性に、かれは、達していた。イエスは、人に完全である神を示し、自分自身で領域の完成された息子を神に提示した。

イエスは数時間論じたが、トーマスは、まだ満足していなかったので、「しかし、あるじさま、我々は、天の父がいつも親切に慈悲深く扱うということが分かりません。幾度となく地球で嘆き苦しんでも、我々の祈りがいつも聞き届けられるというわけではありません。どこで、あなたの教えの意味を掴み損ねたのでしょうか。」と言った。

イエスが答えた。「トーマス、トーマス。精霊の耳で聴く能力を身につけるまでにどれだけ掛かるのか。この王国が精霊の王国であり、また、私の父が精霊的な存在であることを見分けるのにどれだけ掛かるのか。私が、天の、その長である父が無限で永遠の霊である、精霊の家族の精霊の子供として教えているとは、きみは理解しないのか。私の教えを具体的な事にそれほどまでに文字通りに適用せずには、地球家族を神の関係の例証として用いさせてはくれないのか。君の心の中では、王国の精霊の現実をこの時代の物質的、社会的、経済的、政治的問題から切り離せないのか。私が精霊の意味を話すとき、私が説明のためにあえて月並みで文字通りの関係を使うからといって、なぜ私の意味するところを肉体の意味に置き換えたがるのか。子供達よ、精霊の王国の教えを奴隷制度、貧困、家、土地の金銭にあさましい問題へと、そして人間の公平さと正義の物質的な問題への適用をやめるように、君達に嘆願する。これらの一時的問題は、この世界の人間の懸念であり、それがある意味ですべての者に影響をもたらす一方で、君達は、ちょうど私が父の代理をしているように、この世界で私の代理をするために呼ばれたのである。きみ達は、精霊の王国の精霊的な大使、精霊の父の特別な代表者である。この時までには、私が精霊王国の成熟した人間として君達に命令することが可能なはずである。私は、単に子供として君達に話し掛けねばならないのか。決して精霊的識別力をもって成長してはもらえないのか。それでも私は、君達を愛しており、肉体の人生のまさにその終わりまでさえも、君達のことを耐え忍ぶつもりである。そして、その時でさえ、私の精霊は、君達の前を全世界へと向かうのである。」

8. 南ユダヤにて

4月末までにパリサイ人とサドカイ人の間のイエスに対する反対勢力が、甚だしく目立つようになったので、あるじと使徒は、ベツレヘムとヘブロンで働くために南を目指し、しばらくエルサレムを去ると決断した。5 月中は、これらの都市と周囲の村の人々の間で個人の仕事をして過ぎた。この旅行では、公の説教は一切なしで戸別の訪問だけであった。この時の一部、使徒が病人に福音を教えたり奉仕をする傍ら、イエスとアブネーは、ナジール人の植民地を訪れのエンゲディで過ごした。洗礼者ヨハネは、この場所から出て行き、アブネーはこの集団の長であった。ナジール人の団体の同志の多くは、イエスの信者になったが、イエスが断食と他の形式の自己犠牲を教えなかったので、これらの禁欲的で風変わりな男達の大半は、天から送られてきた教師として彼を受け入れるのを拒否した。

この地域に住む人々は、イエスがベツレヘムで生まれたことを知らなかった。大半の弟子のように、かれらは、あるじがナザレで生まれたと常に思っていたが、12 人は事実を知っていた。

ユダヤの南でのこの滞在は、労働の安らかで実り多い季節であった。多くの人々が王国に加えられた。6 月の初旬までには、エルサレムでのイエスに対する扇動が静まり、あるじと使徒は、信者に教え、慰めるために帰っていくほどであった。

イエスと使徒は、エルサレム、またはその近くで6 月全部を過ごしたが、この期間の公への教育はしなかった。かれらは、ほとんどの場合、天幕で暮らし、それは、当時ゲスセマニとして知られていた木陰の公園や庭園に張られた。この公園は、キドローンの小川から遠くないオリーヴ山の西の斜面に位置していた。かれらは、安息日の週末には、通常ベタニアでラザロとその姉妹と過ごした。イエスは、エルサレムの壁内へはほんの数回入ったが、多くの興味をもつ尋問者は、彼との雑談するのためにゲッセマネに出て来た。ある金曜日の夕方、ニコーデモスとアリマセアからきた者は、思い切ってイエスに会いにやってきたのだが、あるじのテントへの入り口の前に立っていたにもかかわらず、恐怖心のために引き返していった。そして、勿論、かれらは、イエスが二人の行為の全てを知っているとは気づかなかった。

ユダヤの支配者達は、イエスがエルサレムに戻ったということを知ると逮捕する準備をした。しかし、イエスが公への説教を何一つしないと知ると、彼が、自分達の前の扇動で怯えるようになったと結論づけ、さらなる妨害なしで、この直接的な方法での教えを続けさせると決めた。その結果、情勢は、6月の下旬まで、サンヘドリンの一員であるシーモンという者が、ユダヤ人の支配者達の前でイエスの教えを公的に支持すると宣言するまで静かに過ぎた。直ちに、イエス捕縛への新たな扇動が起こり、それは、あるじが、サマリアとデカポリスの幾つかの都市へ退くと決断するほどに強くなった。