論文 11 楽園の永遠の小島
論文 11
楽園の永遠の小島
楽園は、宇宙の中の宇宙の永遠の中心であり、宇宙なる父、永遠なる息子、無限の精霊、神性の等位者とそれらの仲間の居所である。この中央の小島は、すべての主たる宇宙の中の宇宙現実の最も巨大な組織化された本体である。楽園は精霊の住まいばかりではなく物質の球体でもある。宇宙なる父の全知的創造体は、物質からなる住まいに居を定めている。それゆえに、絶対制御の中心もまた、文字通り物質的であらねばならない。そして再度、精神的なものと精霊的存在体が事実であるということが反復されなければならない。
楽園の物質的美は、その物理的成熟の壮大さにある。神の小島の壮大さは、その居住者のずば抜けた知的達成と心の進化で示される。中央の小島の栄光は、精霊の神性人格の無限の賦与に示される—生命の光。しかし、精霊的な美の奥行きとこのすばらしい奇観の組み合わせは、物質創造生物の有限の心の理解力を完全に超えるものである。神性の住まいの栄光と精霊的壮麗さは人間には理解できない。楽園は永遠から来ている。光と生命のこの中心的小島の起源に関する記録も慣例もない。
1. 神の住居
楽園は、普遍的領域の行政における多くの目的に適うが、被創造の存在体には、主として神の居住地域として存在する。宇宙なる父の人格的臨場は、このほぼ円形の、しかし球体ではない神格の住まいの上面のまさにその中心に居住している。宇宙なる父のこの楽園臨場は、直接に永遠なる息子の個人的臨場に囲まれ、両者は、無限の精霊の言葉では表されない栄光に包まれている。
神は住んでおり、ずっと住んできており、そして、永久にこの同じ中央の、永遠の住まいに住むであろう。我々はいつもそこに神を見つけてきたし、いつも見つけるであろう。宇宙なる父は、宇宙的には局地化され、精霊的には人格化され、地理的には宇宙の中の宇宙のこの中心に居住している。
我々は皆、宇宙なる父を探し求めるための直接針路を知っている。あなたは、その悠遠さゆえに、また介在する宇宙の広大さゆえに、神の住居に関し多くを理解することはできないが、ちょうどユランチアで地理的に、確かに位置するニューヨーク、ロンドン、ローマ、あるいはシンガポールの都市の位置を確実に、完全に知っているように、これらの途方もない広がりの意味を理解することのできるものたちは、神の位置と住居を知っている。あなたが、船、地図、羅針盤を備えた理に適った航海士であったならば、容易にこれらの都市を見つけることができるであろう。同様に、あなたが通行のための時間と方法を持ち、殊に資格が与えられ、必要とする手引きがあるならば、ついに宇宙なる父の精霊的栄光の中央の輝きの前に立つまで星のきらめく領域を経て内側へと常に旅を続け、宇宙から宇宙、回路から回路へと水先案内ができるであろうに。旅行のすべての必需品が備えられ、万物の中心に神の個人的臨場を見つけるのはあなた自身の惑星の遠方の都市を見つけるのと同程度に可能である。あなたがこれらの場所を訪れなかったということが、それらの現実、あるいは実際の臨場を少しも覆すことにはならない。わずかばかりの宇宙創造物だけが、楽園で神を見つけたということが、万物の中心における存在の現実、あるいは精霊的人格の実在のいずれかを覆すということはいささかもないのである。
父は、いつもこの中央位置に見つけられる。父が移動したとなれば、宇宙に大混乱がもたらされるるであろう。なぜなら、宇宙の引力線が最果ての創造からこの居住地域に集まるのであるから。我々が内に向かい父へと旅するに従い、宇宙を通って人格回路をさかのぼろうと、または上昇する人格についていこうとも、我々が下の楽園へと物質引力の線をたどろうと、または宇宙根源力の押し寄せてくる周期の後をつけようとも、永遠なる息子へと精霊的引力の線をたどろうとも、神の楽園の息子の内部へ向かう行進に従がおうとも、我々が心の回路をたどろうとも、無限の精霊から生じる何兆もの天の存在体の後をつけようとも、—これらの観測のどれかによって、またはそれらのすべてにより、我々は直接父の臨場へと、父の中央の住まいへと導かれるのである。ここに、神は、個人的に、文字通り、実際に臨場している。そして、生命、エネルギー、人格が、無限の存在から全宇宙へと洪水の勢いで流れるのである。
2. 永遠の島の特質
あなたは、天文的位置から、つまりあなたの星体系の空間位置からさえ認識できる物質的宇宙のおびただしさを一瞥し始めているので、そのような物凄い物質宇宙には適切でふさわしい首都、すなわち物質領域と生き物のこのすべての広大かつ広範囲の創造の威厳と無限の広がりをもつ普遍的支配者の本部がなければならないということが、あなたには明白となるはずである。
楽園の形状は空間の生息本体とは異なる。球体ではない。それは、南北の直径が東西の直径よりも1/6長く、確実に楕円形である。中央の小島は基本的には平坦であり、上表面から下表面までの距離は東西の直径の1/10である。
その静止状態と小島の北端の力-エネルギーのより大きい外への圧力を理解したうえでのこれらの寸法の違いが、主たる宇宙の絶対方向の確立を可能にする。
中央の小島は、地理的に3つの活動領域に分割される。
1. 上方の楽園
2. 周囲の楽園辺縁
3. 下方の楽園
我々は、人格活動に専念しているその面を上方とし、また反対面を下方として楽園のその表面について話す。楽園周辺は、厳密には人格的、または非人格でない活動に備える。三位一体は、人格面を、つまり上方面を支配し、無条件絶対者は、下方面を、つまり非人格面を支配しているようである。我々は、無条件絶対をほとんど人としては想像しないが、楽園下方に局地化されたこの絶対者の機能的な空間臨場については考える。
永遠の小島は、単一の具体化の形で成っている—現実の定常系。楽園のこの実際の物質は、宇宙の中の広い宇宙の他のすべての場所では見つけられない空間の潜在性の均一組織である。それは異なる宇宙において多くの名前を受け、ネバドンのメルキゼデク系は、以来、長い間、それをアブソリュータムと命名した。この楽園の物質源は、死んでも生きてもいない。それは第一根源と中枢からの非精霊の最初の表現である。それは楽園であり、楽園に複製はないのである。
我々には、第一根源と中枢は、無限性の限界からの自己解放の手段の一部として、すなわち、準無限の創造を、時間-空間の創造をさえ可能にする方法として、楽園の宇宙現実のためのすべての絶対可能性を集結してきたように見える。しかし、宇宙の中の宇宙がこれらの質を明らかにするというだけで、楽園がかならずしも制限される時間-空間であるということにはならない。楽園は、時間なくして存在しており、空間に位置も持たない。
空間は、おおむね外観上では下方楽園の真下に源を発している。時間は、上方楽園の真上に。中央の小島の公民は、事象の非時系列を完全に意識しているが、あなたが理解している時間は、楽園存在の特徴ではない。動きは、楽園には備わってはいない。それは意志である。しかし、距離の概念には、それが楽園で相対的位置に適合されるとき、絶対的距離にさえ、誠に多くの意味がある。楽園は無空間である。故に、その領域は絶対的であり、よって、人間の心の概念を超え様々な意味において実用的である。
3. 上方楽園
上方楽園には、神臨場、最聖域圏、聖域圏の壮大な3 つ活動圏がある。直接に神格の存在を囲む広大な領域は、最聖域圏としてかたわらに置かれ、崇拝、三位一体化、高い精霊的到達の機能のために用いられる。この領域には物質構造化もないし純粋に知的創造もない。それらは、そこには存在し得ないのである。私にとり、人間の心に楽園の最聖の球体に関する神性と美をともなう壮大さを描くことを引き受けるということは無益である。この領域は、完全に精霊的であり、あなたは、ほぼ完全に物質的である。純粋に精霊的現実は、物質的存在体にとり、明らかに実在しないのである。
最聖の領域における物理的具体化はないとはいえ、聖地の領域には、また楽園周辺の歴史を思い起こさせる領域には、なおさらにあなたの肉体時代の豊富な記念品がある。
聖地は、つまり中心から離れた領域、または居住領域は、7つの同心区域に分割される。楽園は、父の永遠の住居であるので時として「父の家」と呼ばれ、これらの7区域はしばしば「父の楽園大邸宅」と称される。その内側、または第1区域は、楽園公民とたまたま楽園に居住しているかもしれないハヴォーナ出身者がにより占有される。次の、または第二区域は、時間と空間の7超宇宙出身者の住居区域である。進化的発展の宇宙の出身である精霊存在体と上昇する創造物の楽園の家であるこの第二区域は、広大な7区分へと部分的に細分されている。これらの各区域は、もっぱら単一超宇宙の人格の福祉と前進に捧げられるが、これらの活動部門は、現在の7超宇宙の必要条件を大いに越えている。
楽園の7区分のそれぞれは、10億の栄光ある各労働集団の宿泊本部のための単位へと細分されている。千のこれらの単位が1分隊を構成する。10万の分隊が1会衆に相当する。 1千万の会衆が1議会を構成する。10億の議会が1大単位を作る。そしてこの上昇系は、第二大単位、第三大単位などを経て、第七大単位へと続く。そして、7個の大単位は、主たる単位を構成し、7個の主たる単位は、上級単位を構成する。上昇系は、こうして7個のまとまりで上級、超上級、天界、超天界を経て最高単位へと広がる。しかし、これさえも利用可能な全空間を活用するというわけではない。楽園におけるこの驚異的な数の住宅の名称は、あなたの概念を超えた数、聖地の割り当てられた領域の1パーセントをはるかに下回って占めている。内部に向かって進むもの達のための、楽園上昇を始めないもの達のためにさえ、永遠の未来の時代にまで上る余裕がまだ沢山あるのである。
4. 周辺楽園
中央の小島は、突然に崖状で終わるが、その規模は非常に巨大であるので、この終端角度はいかなる外接領域内においてもあまり識別はできない。周辺楽園の表面は、精霊人格の様々な集団の降着や派遣用に一部占領されている。未充満の空間帯は、外面にほぼ接触するので、楽園へと運命づけられているすべての人格輸送は、これらの領域に到着する。上方でも、下方でもない楽園は、超熾天使、または空間通過者の他の型が接近し易い。
主たる7精霊は、息子の輝く球体とハヴォーナ世界の内側の回路間の空間において楽園周辺を周る精霊の7球体において個人的な権力と権威の座を持つが、楽園周辺の根源力-焦点の本部を保守する。ここで、緩やかに循環している崇高な力の7統括者の臨場は、7超宇宙に向かう一定の楽園エネルギーのために7個の閃光局の位置を示す。
ここ周辺楽園には、時間と空間の地方宇宙に捧げられる創造者たる息子に割り当てられている歴史的かつ予言的な展示の領域がある。現在、打ち立てられたり、または蓄えられているちょうど7兆の歴史上のこれらの保留区域があるが、その配置は、このように割り当てられた周辺領域のその部分の、一まとめにしてもほんの4パーセント程度を占めるに過ぎない。我々は、創造のためのこれらの広大な保留区域が、そのうちに現在知られている生息の、7超宇宙の境界を超えて設定されると推断する。
既存の宇宙の使用目的のために指定された楽園の一部は、ほんの1パーセントから4パーセントしか占めておらず、一方、これらの活動に割当てられる領域は、少なくともそのような目的に実際に必要であるその100万倍である。楽園は、ほぼ無限の創造活動に対応に足りる十分の大きさなのである。
だが、楽園の栄光を思い描こうとするそれ以上の試みはあなたにとって徒労であろう。あなたは、待たなければならず、待っている間にも昇らなければならない。なぜなら、実に、「宇宙なる父が時間と空間の世界の肉体生活を乗り切る者達のために用意をした事を、まだ目は見ておらず、耳は聞いておらず、人間の心の中にも入っていかなかった。」のであるから。
5. 下方楽園
下方楽園に関しては、我々は明らかにされていることだけを知っている。人格はそこには滞在しない。それは、精霊の知力ある者の活動には何の関わりもなく、神格絶対もそこでは機能しない。我々には、すべての物理エネルギーと宇宙根源力の回路が、下方楽園にそれらの起源を持つということ、また、それが次のように構成されているとが知らされている。
1. 下方楽園の中央部分にある三位一体の位置する真下は、未知で明らかにはされていない無限の区域である。
2. この区域は名のない領域に直接に囲まれている。
3. 下面の外側縁を占拠している主には空間の潜在性と力-エネルギーに関係する地域がある。この巨大な根源力の楕円形の中心の活動は、いかなる3結合体の周知の機能によっても識別可能ではないが、空間の根源力-補填はこの領域に局地化されている。この中心は、3同心の楕円形から成り立っている。最深部は、楽園自体の力-エネルギー活動の中心である。最外部は、ことによると無条件絶対の機能と同一視されるかもしれないが、我々は、中間区域の空間的機能については定かではない。
この根源力の中心の内層は、その振動が物理空間の最外部の境界への流れを方向づける巨大な心臓として機能するようである。それは力‑エネルギーを方向づけ、変更はするものの、それを追い出すことはほとんどしない。この第一根源力にある現実の圧力-臨場は、楽園中心の北端においては南の領域におけるよりも確実に大きい。これは一様に記録されている相違である。空間の主根源力は、根源力-エネルギーのこの基本形状の拡散に関する何らかの未知の循環系の操作を経て南で流入し、北で流出するようである。また、東西圧力には時として著しい違いがある。この区域から発する根源力は、観察可能な物理引力に対応しないが、つねに楽園引力に対応している。
根源力の中間区域の中心は、この領域を直接に取り囲む。この中間区域は、3周波活動を経て膨張し収縮することを除いては静的であるように見える。これらの中の最少の振動は、東-西方向に、次は南-北方向にあり、最大の振れは、あらゆる方向にあり、つまり一般化された拡大と収縮がある。この中間区域の機能は、実に一度も確認されたことはないが、それは根源力の中心の内と外の区域間での相互的な調整と関わりがあるにちがいない。中間層は、主たる宇宙空間の連続段階を切り離している中間区域すなわち静寂区域の制御機構であると多くのものに信じられているが、何の証拠も顕示もこれを裏づけてはいない。この推論は、この中間領域が主たる宇宙の非瀰漫の宇宙機構の働きに関連する何らかの方法であるという知識に由来する。
外側の区域は、空間の未確認の可能性をもつ3同心の楕円帯の中で最大であり最も活発である。この領域は、想像外の活動場所、すなわち、全外宇宙の巨大かつ推測不可能な領域を一面に覆う7超宇宙とそれを越える最も外側の境界のあらゆる方向へと宇宙を進む放出の主要回路点である。この空間存在は、三位一体として機能するとき、何らかの明かされていない方法で無限の神格の意志と命令に間接的に対応するようであるが、完全に非個人的である。これは、無条件絶対の空間存在の中央の焦点化、つまり楽園の中心であると信じられている。
根源力のすべての形状とエネルギーの全局面は、回路化されているようである。それらは宇宙全体で循環し、一定の経路で戻る。しかし、無条件絶対者の作動区域の放射に際しては、外向きであるか、または内向きであり、すなわち決して同時に両方ではない。この外側区域は、長年の周期の巨大部分で脈動する。ユランチア時間の10億年間余り、この中心の空間力は外向きである。また次にそれは、同様の期間内向きになるであろう。そして、この中心の空間-根源力の顕現は普遍的である。それらは瀰漫可能な全空間において広がっている。
すべての物理的力、エネルギー、物質は一つである。すべての根源力-エネルギーは、そもそも下方楽園から来ており、やがてはその空間回路の完成後にそこへ戻るであろう。宇宙の中の宇宙の現在の現象状況にあるエネルギーと物質の組織はすべてが、下方楽園から来たのではない。空間は、物質と前物質のいくつかの形状の母体である。楽園の根源力の中心の外側区域は、空間-エネルギーであるが、空間はそこに源をとってははいない。空間は、根源力でも、エネルギーでも、力でもない。この区域の振れは、空間の呼吸を説明するが、この区域の内向と外向の局面は、連動し、拡大-収縮空間の20億年周期に同調している。
6. 空間呼吸
我々は、空間呼吸の実際の仕組みを知らない。我々は、ただすべての空間が交互に縮小し、また広がるということを単に観測するに過ぎない。この呼吸は、瀰漫的空間の水平伸張と、楽園の上下の巨大空間の貯留層に存在する非瀰漫的空間の垂直伸張の両方に影響する。これらの空間貯留層の容積概観の想像を試みる際、あなたは、砂時計を思い浮かべるかもしれない。
瀰漫空間の水平伸張の宇宙が拡大する間、非瀰慢空間の垂直伸張の貯留層は収縮し、また逆も起こる。下方楽園の真下には瀰漫と非瀰慢の空間の合流がある。二つの型の空間は、宇宙の収縮と拡大において瀰慢可能な空間を非瀰慢可能にし、また同様に逆の変化がもたらされる変形する調整回路を経て流れる。
非瀰慢空間とは、瀰漫空間に存在すると知られているそれらの根源力、エネルギー、力、臨場に満たされないことを意味する。我々は、垂直(貯留層)空間が、常に水平(宇宙)空間の釣り合いとして機能するようになっているかどうかは知らない。我々は、瀰漫空間に関し創造的な意図があるかどうかは知らない。我々は、空間貯留層に関し実際のところほとんど知らず、単に、それが存在しているということ、また、宇宙の中の宇宙の空間-拡大-収縮を相殺しているらしいということを知るに過ぎない。
空間呼吸の周期は、ユランチア時間の10億年間余りにわたり各段階ごとに広がる。次には収縮する。瀰漫空間は、いま、拡大段階の中間点に近づきつつあり、同時に、瀰漫空間は、収縮段階の中間点に接近しており、そして、我々には両空間拡大の最外部の限界が、理論上、今楽園からほぼ等距離にあると知らされている。非瀰漫空間の貯留層は、今、宇宙の瀰漫空間が周囲の楽園から外空間の第4段階へと、またそれを超えたところまで上方楽園の上と下方楽園の下に垂直に広がっているのである。
空間貯留層は、ユランチア時間の10億年間は収縮し、同時に、主たる宇宙とすべての水平空間の根源力の活動は拡大する。したがって、拡大収縮全周期を完了するには、ユランチア時間の20億年強を要する。
7. 楽園の空間機能
空間は、楽園のどの表面上にも存在してはいない。もし人が、直接楽園の上面から「見上げる」ならば、ただ非瀰漫空間が出ていくのを、あるいは入ってくるのを、ちょうど今入ってくるのを、見るであろうに。空間は楽園には触れていない。静かな中ほどの区域だけが中央の小島に接触している。
楽園は、瀰漫と非瀰漫の空間の間に存在する比較的静かな区域にある実際には動かない核である。これらの区域は、地理的に、楽園の相対的広がりであるように見えるが、おそらくは何らかの動きがそれらにはある。我々は、それらに関しほとんど知らないが、空間減少された運動のこれらの区域が、瀰漫空間と非瀰漫空間を引き離すのを観測するのである。瀰漫空間の段階の間にはかつて同様の区域があったが、これらは現在、さほど静かではない。
全空間の垂直断面は、水平の腕が瀰漫の(宇宙)空間を表し、また非瀰漫(貯留層)空間を表すマルタ十字架にわずかに似ている。4本の腕の間の区域は、中央空間地域が瀰漫と非瀰漫の空間を引き離すように、多少それぞれを引き離すであろう。これらの無活動の中央空間領域は、楽園からはますます遠い距離においていよいよ大きくなり、ついには、全空間の境界を包含し、また空間貯蔵と広げられた空間の全水平延長の両方を完全に封入する。
空間は、無条件絶対内において準絶対的状態でもなく、無条件絶対の臨場でもなく、また、究極者の機能でもない。それは楽園の贈与であり、また壮大な宇宙の空間とすべての外側領域の空間は、無条件絶対の最初の空間の潜在性が実際に瀰漫していると信じられている。この瀰漫空間は、楽園周辺近くから第4空間段階を通して水平に外側へと、また主たる宇宙の周辺を越えて広がるのであるが、いかにはるかに越えてかは分からない。
あなたが、楽園の上下の両表面に対し直角に位置する有限ではあるが、想像できないほどに大きなV字形、その先が周囲の楽園にほぼ接するほどのV字形の面というものを思い描き、次に、楽園の周りの楕円回転におけるこの面を思い浮かべるならば、その回転が、おおまかに瀰漫空間の容量を説明するであろう。
宇宙のある特定位置からは水平空間の上側と下側に限界がある。もし誰かが、オーヴォントンの平面に直角に、または上か下にも、遠くに十分に動くことができるならば、瀰漫空間の上限と下限が、やがては巡り合うであろう。主たる宇宙の知られている広さの中では、これらの限界は楽園からさらに大きく離れますます遠くへと引き離される。空間は厚くされ、それは創造の平面、つまり宇宙よりもいささか速く厚くされる。
例えば最初の宇宙段階から7超宇宙を切り離すものなどの空間面の間の比較的静かな領域には、静止状態の空間活動の巨大な楕円の区域がある。これらの区域は、整然たる列で楽園の周囲を回る広大な銀河を切り離す。あなたは、明かされてはいない宇宙が今形成しつつある最初の宇宙段階を、楽園の周りで揺れ動き、上方と下方が静止の中間区域と接し、そして、内側と外側が比較的静かな空間区域と接する銀河の大行進として想像することができる。
一空間段階は、その結果、相対的静止に四方を囲まれる楕円の運動領域として機能する。動きと静止けさのそのような関係は、宇宙根源力と突発エネルギーが永遠に楽園の小島を周回する間、あとに続く運動への減少抵抗の空間の曲がった進路を構成する。
主たる宇宙のこの交互する区画は、銀河の時計回りと反時計回りの交互の流れと関連して、破壊的、分散的な活動と思えるほどの引力圧の強調を防ぐように設計された物理引力の安定化の要素である。そのような手はずは、反引力の影響を与えており、ともすれば危険な速度への歯止めとして機能する。
8. 楽園引力
引力に不可避の引く力は、全空間のあらゆる宇宙のすべての世界を引きつける。引力は楽園の物理的臨場の全能的把握である。引力は、永遠なる神すなわち、万物であり、万物を満たし、その中に万物がある神の宇宙の物理的装飾を構成するきらめく星、灼熱の太陽、回転する球体が結ばれている全能のより糸である。
物質絶対引力の中心と焦点は、ハヴォーナを包囲する暗い引力本体に補足され、上下の空間貯留層に平衡化される楽園の小島である。下方楽園の既知のすべてのエマナチオンは、主たる宇宙の楕円空間段階の無限の回路において中央の引力牽引力に不変的に的確に応じる。知られているあらゆる型の宇宙現実には、時代による湾曲、すなわち周期の傾向、おおきい楕円の揺れがある。
空間は引力に無反応であるが、引力の均衡をとる。空間の衝撃緩和がなければ、爆発作用は周囲の空間体をぐいと動かすことであろう。瀰漫空間は、また物理的引力、あるいは線引力への反引力影響を及ぼす。空間は、実際にはそのような引力作用を遅らせることはできないが、中和することはできる。絶対引力は楽園引力である。局部の、または線の引力は、エネルギーあるいは物質の電気段階に関係がある。それは、中央宇宙、超宇宙、外宇宙の適切な具体化が行われた場所のどこであろうとも作動する。
宇宙根源力、物理エネルギー、宇宙の力、および様々な具体化のおびただしい型は、楽園引力への、完全に明確ではないとはいえ、一般的な3段階を明らかにする。
1. 前引力段階(根源力)。これは宇宙根源力の前エネルギーの型への空間の潜在性の個体化における第一歩である。この状態は、時として純粋なエネルギーまたは分離と呼ばれる本源の根源力-補填の概念に類似している。
2. 引力段階(エネルギー)。空間の根源力-補填のこの変化は、楽園の根源力組織者の行動により生み出される。それは、楽園引力の牽引力に反応するエネルギー体系の登場を示唆する。この突発エネルギーは、本来なら中立であるが、結果としておこるさらなる変形は、いわゆる負と正の特性を示すであろう。我々はこれらの段階を究極と命名する。
3. 後引力段階(宇宙の力)。この段階において、エネルギー-物質は線形引力の制御への対応を明らかにする。中央宇宙におけるこれらの物理的体系は、ツリアータとして知られている三重の組織である。それらは、時間と空間の創造の強大な力の母体系である。超宇宙の物理体系は、宇宙力指揮官とその仲間により結集される。これらの物質的組織は、構成的には二元であり、引力(グラヴィタ)として知られている。ハヴォーナを包囲する暗い引力体は、ツリアータでもグラヴィタでもなく、その引き抜く力は、物理引力の二つの、線的そして絶対的型を明らかにする。
空間の潜在性は、引力のいかなる型の相互作用の影響下にもない。楽園のこの第一賦与は、現実の実際段階ではないが、すべての相対的かつ機能的な非精霊現実にとっての原型である。—根源力‑エネルギーの全顕示、力と物質の組織。空間の潜在性は、定義するには難しい用語である。それが空間にとっての先祖であるものということを意味するのではない。その意味は、空間内に実在する潜在性と可能性についての考えを伝えるべきである。それは、楽園からきており、無条件絶対の空間臨場を構成するそれらすべての絶対的影響と可能性を包含することを大まかに思い描くことができる。
楽園は、宇宙の中の宇宙の全エネルギー物質の絶対的源と永遠の焦点である。無条件絶対者は、その根源と起源として楽園を持つ顕示者、調整者、集積所である。無条件絶対者の宇宙臨場は、引力拡大の潜在的無限性、つまり楽園臨場の弾性的緊張の概念に相当しているように思われる。この概念は、すべてが楽園に向かって内部に引き込まれるという事実を理解する際に我々を支援する。例証は粗雑であるものの、それにしても有用である。また、それは、引力がなぜ物質に垂直な面において常に優先的に行動するかを説明し、楽園とその周囲の創造に関する異なる寸法の現象的意味を説明する。
9. 楽園の独自性
楽園は、それが第一起源の領域と目標の最終目的地であるという点において全精霊人格に固有である。地方宇宙の下級の全精霊存在体が、即座に楽園に運命づけられてはいないというのは本当であるが、それでも楽園は、全超物質人格が望む目標である。
楽園は、無限の地理的中心である。それは、宇宙創造の一部ではない、永遠のハヴォーナ宇宙の実際の部分でさえない。我々は、よく神性宇宙に属すると中央の小島に触れるが、それは実際にはそうではない。楽園は永遠かつ唯一の存在である。
過去の永遠において宇宙なる父は、永遠なる息子の存在における精霊自身の無限の人格の表現に際し、同時に、楽園として非人格的自己の無限の可能性を明らかにした。非人格と非精霊の楽園は、最初の息子を永遠化した父の意志と行為への必然的反響のであったように見える。こうして、父は、実際の2局面—人格的かつ非人格的、つまり精霊的かつ非精霊的—における現実を映し出した。2局面の間の緊張は、父と息子による活動への意志を前提にして、連合活動者と物質界と精霊存在体の中央宇宙に存在させた。
現実が人格と非人格 (永遠なる息子と楽園)へと分化されるとき、何らかの形で条件づけられない限り非人格の「神格」であるものと呼ぶのは全く適切ではない。神の行為のエネルギーと物質的影響をとても神格と呼ぶことはできない。神格は、神格でない多くを引き起こすことができるが、楽園は神格ではない。それは、人間がそのような用語を理解することができるようには意識してはいない。
楽園は、いかなる存在体、あるいは生きるものにとっての先祖ではない。それは創造者ではない。人格と心-精霊関係は、伝えられるが、様式は伝えられない。様式は決して反映ではない。それらは複製である--再現。楽園は様式の中で絶対である。ハヴォーナは、現実には、これらの可能性の展示である。
神の住居は、中央にあり永遠であり、栄光的で理想的である。神の家はすべての宇宙本部世界のための麗しい様式である。そして、神の直接的宿りの中央宇宙は、それらの理想、組織、および究極目的におけるすべての宇宙のための様式である。
楽園は、すべての人格活動の普遍的本部であり、力-空間とエネルギー顕現の根源-中枢である。すでにあった、現在ある、あるいは、まだないすべてが、永遠なるの神のこの中央のとどまる場所からすでに来た、いま来ている、あるいは、来るであろう。楽園はすべての創造の中心と、すべてのエネルギーの源と、すべての人格の第一の起源の場所である。
要するに、人間にとり永遠なる楽園についての最も重要なものは、宇宙なる父のこの完全な住まいが、神の必滅かつ物質の息子の不滅の魂、すなわち時間と空間の進化世界の上昇する創造物の現実であり、はるかに遠い目標であるという事実である。父の意志を為す経歴を抱く神を知るすべての人間は、神性追求と完全性到達の長い長い楽園の道に既に乗り出した。数え切れないほどの多くが現在そうするように、空間の下級の球体から昇り終えたそのような動物起源の存在体が楽園の神々の前に立つときこそ、そのような達成が、至高の限界に近似する精霊的変化の現実を表すのである。
[ユヴァーサの日の老いたるものにより機能するようにこのようにして任命される英知の完成者による提示]