本セクションは、啓示者メルキゼデクの監督の下に活動する12名のウランティア中途者(midwayers)の後援を受けています。
この物語のあらすじは、かつて使徒アンドリューの監視を行っていた二次中途者によってもたらされました
ユランチアにおいて、そして人間の姿でのマイケルの生涯の再陳述を監督することをガブリエルから任された天啓委員会のメルキゼデクの指揮者である私は、宇宙贈与体験の最終段階への船出のために創造者たる息子が、ユランチア到着の直前に起きたある出来事の提示を託されている。自分が創造した知的生物に彼が課すのと同様の生活を送るということ、すなわち被創造物の諸々の団体に自ら身を投じるということは、自己が創造した宇宙万物界での最高主権の為にいかなる創造者たる息子もが支払わなければならない代価の一部なのである。
私が詳細に描写しようとする出来事の前に、ネバドンのマイケルは、知的な創造物の彼の多様な創造の異なる6団体の姿を装い自分自身を6度贈与した。それから、かれは、意志をもつ知的創造物の最下位の人間の姿で、そして宇宙の中の宇宙の神性である楽園の支配者の命に従い、宇宙主権獲得劇の最終幕において演じるために前述の物質界の人間としてユランチアにおりる準備をした。
前述のこれらの各々の贈与過程において、マイケルは、自分が創造した生物の一群の有限体験だけでなく、楽園の協力を得て、この体験の中であるいはこの体験自体が、自らが創造した宇宙の主権者に自身を任ずることにさらに貢献するであろう不可欠な経験をも得た。全地域の宇宙時間のいつ何時においても、マイケルは、創造者の息子としての独自の主権の主張ができたし、自己の選択後、創造者の息子として自分の宇宙を統治する事ができた。そのような出来事の際、イマヌエルと連携の楽園の息子は、その宇宙を離れた。しかしマイケルは、創造者の息子として単に独自の権利でネバドンを治めたくはなかった。かれは、楽園の三位一体への協力的従属による実際の体験を通じて宇宙段階のその高位置への上昇を熱望し、そこでかれは、自身の宇宙を治める資格が得られるようになり、いつか崇高なるものの高められた統治において特性となる洞察の完全性と実行の叡智をもってその業務を行う。かれは、創造者の息子として統治の完全さを志すのではなく、宇宙叡智と崇高なるものの神性体験の具体化にむけての行政の至高性を切望した。
マイケルは、それゆえに、自分の宇宙創造物の多種の系列にこれらの七贈与をするにあたり二重の目的があった。第一に、マイケルは、完全な主権を引き受ける前に、全ての創造者の息子に求められる創造物理解のための経験を完了しているところであった。創造者の息子は、自己の権利で自分の宇宙をいつでも支配するかもしれないが、七贈与過程後に限り、楽園の三位一体の最高代表として統治することができる。第二に、かれは、地域宇宙における独自の、直接の行政実行可能な楽園の三位一体の最大限の権威を代表する特権を切望していた。したがって、各々の宇宙贈与の経験の間、マイケルは、楽園の三位一体の人格の多様な結合におけるさまざまに構成された意志に首尾よく受け入れられるように自ら進んで従属的であった。つまり、最初の贈与に関して、かれは、父、子、精霊の結合意志に従属的であった。第二の贈与は、父と子の意志に。、第三の贈与は、父と精霊の意志に。第四の贈与は、子と精霊の意志に。第五の贈与は、無限の 精霊の意志に。第六の贈与は、永遠なる息子の意志に。ユランチアにおける第七の、最終の贈与の間には、宇宙の父の意志に。
マイケルは、それ故、自分の地域宇宙の創造物の経験と創造者の七重の神性意志を自身の個人の主権に結びつける。このようにマイケルの行政は、全ての意図的な占拠は奪われるが、最大に可能な権力の典型となった。彼の力は、楽園の神格との経験豊かな結合に由来するがゆえに無限である。かれの権限は、宇宙の創造物の姿での実際の経験を通して得たがゆえに、問題とはならない。マイケルの主権は、楽園の神格の七重の観点と時空の生物の観点とを同時に包み込んでいるがゆえに至高である。
最終贈与の時を定め、この驚異的な出来事が起こる惑星を選び出し、マイケルは、ガブリエルと通常の前贈与の協議をし、それから兄であり楽園顧問であるイマヌエルの前に立った。マイケルは、ガブルエルには今までに与えられなかった宇宙行政に関する全権力をイマヌエルの管理にいま託したのであった。そして、マイケルのユランチアにおける具現への出発前に、イマヌエルは、ユランチア贈与の間の宇宙管理を引受け、マイケルがユランチアにおいて人間として間もなく成長する時の、具現の先達となる贈与の助言を伝えに赴いた。
これに関して、マイケルが楽園の父の意志に従い、人間の身体でこの贈与実行を選択したのだという事が、心に留めておかなければならない。宇宙主権獲得という唯一の目的のためにこの具現を果たすにあたり、誰かからの指示を必要とはしていなかったが、創造者の息子は、楽園の神格の多様な意志と協力的な機能にかかわる崇高者の顕示の計画へと乗り出したのであった。このように、しかも、遂に、独自に得られる時、かれの主権は、現に崇高の中で極に達していると同様に、神格の七重の意志に包括的であるはずである。 それゆえ、諸々の楽園の神格とその連携の直接の代表者に前もってに回教授された。そして今、かれは、宇宙なる父に代わり、ネバドンの地域宇宙への楽園の三位一体の大使である日々の和合のものに教えられた。
この強大な創造者の息子の意志の結果、より自発的に自分自身を楽園の神格の意志に従がわせる即座の利点と絶大な代償が、今度は宇宙なる父のそれに、今一度もたらされた。そのような連合的従属をもたらすためのこの決意により、マイケルは、この具現、人間の資質ばかりではなく全ての楽園の父の意志において体験しようとしていた。 そしてさらに、マイケルは、ユランチア贈与のための自分の留守中に、イマヌエルが、楽園の父の全権威において彼の宇宙の行政執行にあたるばかりではなく、超宇宙の日の老いたるものが、全贈与の期間を通して自分の領域内の安全を命じたという慰める情報で、この類い希な贈与を始めることができたのである。
そしてこれが、イマヌエルが七度目の贈与委任を提示した際の背景であった。イマヌエルのこの前贈与委任から、その後のユランチアにおいてナザレのイエス(キリスト・マイケル)となった宇宙君主までの以下の抜粋提示が、私に許された。
「私の創造者の弟よ、私は、君の七度目の最終的な宇宙贈与を目撃しようとしている。君は、先の六回の委任をなんと忠実に、完壁に実行した。私は、君が最終の主権贈与に意気揚揚であると信じて疑わない。これまで君は、選択した系列の完全に発達した生物として自分の贈与圏にこれまで現れてきた。今、君は、ユランチア、君が選んだ、十分には進化していない生物であるばかりか哀れな赤子である乱れた物騒な惑星へ現れようとしている。これは、我が僚友よ、君にとって新しくかつて試されたことのない体験となるだろう。君は、贈与の全代価を支払おうとしているし、生物の姿をして創造主具現の完全な悟りを体験しようとしている。
自身の以前の各贈与を通して、君は、楽園の神格3名とその神聖の相互連合の意志に沿って任意に自身を被験者と選んできた。崇高者の意志の七段階のうち、君は、先の贈与において楽園父の人格の意志以外は全て自分自身を被体験者としてきた。君が、七贈与を通じて専ら父の意志に完全に従うと決めた今、私は、我々の父の直々の代表者として君の具現の時のために、君の宇宙において無条件の管轄権を引き受ける。
ユランチア贈与の着手にあたり、君は、自らが創出するどんな生物によってでも差し出されるかもしれない援助全ての惑星外からの援助や特別の助力を自発的に退けた。君が創りだしたネバドンの息子らが、自分達の宇宙経歴を通じ、安全指導のために君に全く依存するように、君は、次に起こる君の人間としての経歴において、未だ明かされていない人生の転変の中での安全指導を、今、全く素直に楽園の父に委ねなけらばならない。そして この贈与体験終了時に、君は、地域宇宙の創造者であり父としての君との彼らの近しい関係の一部として修得することを全ての君の創造物に全く変わらず要求するところの信仰-信頼の完全な意味と豊かな意義を実に深く知るであろう。
ユランチア贈与を通して、君は、楽園の父との破られることのない交わりただ一つだけを考慮する必要がある。そして、君の贈与の世界が、さらには君の創造の全ての宇宙が、君の父と私の父、全てのものの宇宙なる父の新しくてより理解できる啓示をみるのは、そのような関係の完成によってである。君の懸念は、それゆえ、ユランチアでの私生活に関わることだけである。権限の自発的な放棄のその瞬間から楽園が承認した宇宙の主権者として我々の元に戻るまで、君が今私に手渡した代理の権利ではなく、それどころか最高権力そして支配権を私の手から受け取るまで、私は、君の宇宙の安全と途切れることのない行政を完全に手際よく効率的に引き受ける。
そこで、いま約束をしている(自分の言葉を忠実に履行するための全楽園の保証であるということをよく承知している) 私には、全てを行なう権限を委ねられているということを君は確信をもって知っているかもしれない。君の自発的な贈与の期間を通して、ネバドンで全ての信仰に関する危険を防止するユヴァーサの日々の老いたるものの指示が丁度私に通知されたことを私、私は発表する。君が意識を引き渡す瞬間から、つまり人間への化身の開始から、即座に君自身の創造と組織化のこの宇宙の崇高で無条件の主権者として我々のところに戻るまで全ネバドンでは重大な事は何も起こり得ない。この贈与での肉体化の間、私は、あなたの留守中ネバドンの宇宙における反逆、またはあえて反乱を扇動しようとするいかなる者の即時の、かつ自動的消滅の処置を無条件で委ねる日々の老いたるものの命令を、私は携えている。弟よ、私の臨場において、またユヴァーサの判決命令により増強される楽園の権威の立場から、 君の宇宙とその全ての忠実な創造物は、君の贈与間、安全を保証されるであろう。君は、一つの考えだけ—君の宇宙の人間に我々の父の強化された顕示—をもって君の使命に赴いてよろしい。
私は、先の各贈与時のように兄である受託人として君の宇宙の管轄での享受者であるということを君に思い出させる。私は、君の名において全ての権威を行使し、全ての力を奮う。私は、楽園の父がそうするように、しかも前述のように君に代わって働けという君の明確な要請通りに勤める。これが、事実であるから、全てのこの委任された権威は、いつでも君が行使するに良いと思うときに再度君のものとなる。君の贈与は、ずっと完全に自発的である。君は、天上の付与なしに人間としてその領域にいるが、全ての返上した力は、再び君自身に宇宙の権限を執ることを選べる。君が、力と権限により復権することを選ぶなら、それは、全く個人的な理由によるものであるということを覚えておきなさい。私は生きた至高な盟約であり、私の立合いと父の意志に沿い、君の宇宙の安全な行政の保証をする。君がサルヴィントンを留守にしている間、ネバドンで3度起こったような反逆は、起こるはずはない。日の老いたるものは、ユランチア贈与の期間、ネバドンの反逆は、直接的で即刻の自滅の種に封じ込められていると布告した。
君が、この最終でしかも並外れた贈与で留守の間中、私は、(ガブリエルの協力で) 君の宇宙の誠実な管理を誓う。そして、神の顕示のこの聖職の引き受けと、完成された人間の理解のこの体験するように君に委任するとき、私は、私の父と君の父のために行動し、君に次のような助言を申し出る。その助言は、君が、肉体での継続的な滞在である神性の奉仕に関し、徐々に自己意識が強くなるにつれ、地上での君の生活において先達となるはずである。
1.慣習に従い、そしてソナリントンの技術と一致して―楽園の永遠なる息子の委任に応じて―私は、君がまとめ、ガブリエルが私の保護下においた計画と調和して、この人間贈与にあたり即時の登場のためにあらゆる点で準備した。君は、領域の子供としてユランチアで育ち、人間としての教育を終え―始終楽園の父の意志に服して―すでに決心したようにユランチアでの生活を送り、惑星逗留を終え、そして自分の宇宙の最高主権を父から受け取るために父の元への上昇に備えるであろう。
2.双方に付随することではあるのだが、地上における使命と宇宙の啓示は別として、私は、君が、神性の同一性を十分に自己意識をしたうえで、サタニア機構におけるルシファ-の反逆を基本的に終結させるという付加の任務の引受けることを、しかもこの全てを人の息子として行なうことを勧める。このように、領域の必滅の創造物として、父の意志への信仰・従順によって弱点を力強いものに変え、この罪深く不当な反逆の始まりにおいて、君がそのように賦与されているとき、身勝手に繰り返し全力で成し遂げることを拒んできた全てを丁寧に果たすことを提案する。君が、神の息子、君の宇宙の崇高な主権者ならびに人の息子、ユランチアの惑星王子として我々の元に戻るならば、私は、それを君の人間贈与の極致にふさわしいとみなすであろう。ネバドンの知性ある生物の最下級の人間として、カリガスティアとルシファ-の不敬な野望に向かい合い、裁決しなさい。そして、卑しい身分を引き受けている間、堕落した光の子達の恥ずべき詐称の決着を永久につけてしまいなさい。君の創造特権の行使を通して、これらの逆徒の評判を落とすことを断固として拒んできたが、君が創造した最下級生物の姿でこれらの堕落した息子の手から支配力を捩じ取るというのは、今こそふさわしいことである。あなたの全地域宇宙は、公平にみて慈悲があなたに独断的権力でしないように戒めるそれらの事柄を生身の役割で行う君の正義を明らかに、そして永遠に認識するであろう。そして、君は、ネバドンにおける崇高者の主権の可能性を君の贈与で確立し、この業績の認識に関係する時間の大小のずれにもかかわらず、過去の全ての暴動における未裁決事項に実質的に終結をもたらすであろう。この行為により、君の宇宙の未整理の紛争は、実質的には決済するであろう。そして自身の宇宙の至高主権の賦与の後には、君独自の偉大な創造のいかなる部分においてもその主権に対して類似した挑戦は決して繰り返されることはない。
3. 君が、ユランチア離脱の終結に成功した時、疑う余地なくするであろうが、私は、最終の贈与体験である君の宇宙による不変の承認として、ガブリエルからの「ユランチアの惑星王子」の肩書きの贈与の受け入れを助言する。そして、君は、贈与の主旨に一致して、カリガスティアの裏切りと以降のアダムの不履行が、ユランチアにもたらす悲しみと混沌を償う全ての事をさらにすることを勧める。
4. 君の要請に従い、ガブリエルと関係者すべては、一時代の終了、睡眠中の生残者の回生、そして授けられた真実の精霊の配剤の設立をともなって、領域での配剤の判決表明とユランチア贈与の終了を願う君の望みについて協力するであろう。
5. 君が贈与の惑星と君が人間として滞在している間にそこに生きている人間の目前の世代に関して、私は、君に教師の役割で大いに機能するように助言する。まず、人間の精霊的な資質の解放と鼓吹に注目しなさい。次に、陰った人知を照らし、人間の魂を癒し、人心を長年の恐怖から解放しなさい。それから、君の人間としての知恵に従い、生身の兄弟姉妹の身体の福利と物的慰めに仕えなさい。全ての君の宇宙の感化と強化のために理想的な信仰生活を送りなさい。
6. 贈与の惑星において、反逆し分離した者を精神的に解放しなさい。ユランチアで、崇高者の主権にさらに貢献しなさい、そうすることにより、君の独自の創造の幅広い領域の津々浦々にこの主権の設立を拡大する。これ、つまり人の姿での物理的な贈与において、時・空の創造者の最終啓発の経験、つまり楽園の父の意志をもって、人間の資質範囲で働く二元的経験をするところである。有限の創造物の意志と無限の創造者の意志は、ちょうど彼らが、崇高なるものの進化する神格と一体になるように、君の現世の命で一つとなる。君の贈与する惑星に真実の精霊を注ぎ、そうして隔離されたその球体の全ての普通の人間が、すぐに、完全に、我々の楽園の父の分離した存在体、つまりその領域の思考調整者の聖職奉仕に近づき易くしなさい。
7. 贈与の世界で君が行うかもしれない全てにおいて、君の全宇宙の教示と啓発のために生きているのだと常に心掛けなさい。君は、人間化身のこの生涯をユランチアに贈与しているのだが、君は、そのような人生を、行政領域の広大な銀河の一部としてすでに形をなしたか、今なしているか、あるいはこれから形作っていくあらゆる生息界にかつて住み、今存在する、あるいはその最中にあるかもしれない超人的な英知とあらゆる人間の精神鼓舞のためにそのような生活を、今まさに送ろうとしているところである。地球における人の姿での君の一生は、人間のための実例を設定するため、または ユランチアの人間、あるいは他のいかなる世界のどの次世代のために生きるのでもない。むしろユランチアにおけるの肉体の人生は、来たるすべての世代を通して全ネバドン界の全てにとっての人生の示唆となるべきである。
人間化身で実現され体験されるべき君の大いなる使命は、楽園の父の意志を行う、神すなわち君の父を、肉体でしかも取り分け創造物に、明かすということに一心不乱に動機づけられて人生を送るという決心に含まれている。 同時に、君は、新たな昂揚をもって我々の父を全ネバドンの超人間達に、解釈を与える働きをするであろう。人間と超人の型の心に楽園の父の増大された解釈と新しい顕示の使命を携えて、君も、等しく、神に人間の新顕示をするという役目を果たすであろう。全ネバドンではこれまで見られなかった生身での君の一度の短い人生において、生物存在の短い経歴のあいだに、神を知る人間による超越的で達成し得る可能性を示しなさい。そして、ネバドンのすべての超人的な知力あるもののために、また全時代のために、人間とその惑星生活における浮沈にかかわる新しくて啓示的な解釈をもたらしなさい。君は、必滅の肉体に似せてユランチアへ降りて行き、人間として、その時代に、またその世代に生きようとしており、君の宏大な創造の情勢の至高な約束において完成された理想の技を君の全宇宙に示すことができるように機能するであろう。人間を求め、探し当てる神の成就と、神を求め、探し当てる人間の現象。そして相互の満足のためにこれの全てをし、生身での一度の短い生涯人生でこれをするということ。
9. 実際君が、領域の普通の人間となる一方、潜在的には楽園の父の創造者の息子のままでいるということを絶えず心に留めおくように注意する。人の息子として暮らし、立ち振る舞うのであるが、化身の間中ずっと、君独自の神格の創造的な特質は、ソルヴィントンからユランチアまでついていく。その化身を終了するのは、思考調整者の到着後のいつでも君の意志の力の範囲内となる。その調整者の到着と受け入れに先立ち、私は、君の人格の整合性を保証する。だが、調整者の到着後と君の贈与任務の性質と意義に対する漸進的な認識と同時に、人格の臨場からのこれらの属性の不可分であるがゆえに、君の創造者の特権は、人間の人格と結合して留まるであろうという事実を考慮したいかなる超人の達成、業績、または力のための意志の形式化も、君は、慎むべきである。だが、自覚と思慮ある意志の行為により君が、全人格の選択に終わる全面的な決意をしない限り、いかなる超人の反響も、楽園の父の意志は別として地上における君の経歴に寄り添うことはないのである。
「さて、弟よ。贈与の一般的な行動に関する指導の後、ユランチアへの準備をする君を後にするに当たり、ガブリエルとの協議において達した、そして人間生活のあまり重要でない部分に関し、特定の助言の提示をさせてもらいたい。 我々は更に提案する。
1. 人間の地球での生活の理想の追求において、君の仲間の人々に実践的で即有用ないくつかの事柄の実現と実例にいくらかの気配りをするということ。
2. 家族関係については、彼らが君の贈与の時代と世代に確立されるのを見たように、受入れられた家族生活の慣例を優先にさせなさい。君が現れることに決めた人々の習慣に従って家族生活や共同生活を送りなさい。
3. 社会秩序に対する君の関係において、主に努力を精霊的な蘇生と知的な解放に限ることを助言する。君の時代の経済構造と政治的信条のすべての紛糾を避けなさい。ユランチアでの理想的な信仰生活に一層専念しなさい。
4. いかなる状況下においても、微小なりとも、ユランチア民族の平常で規則正しい漸進的な進化を妨害すべきではない。しかしこの禁止は、肯定的な信仰倫理の恒久の、改善された制度をユランチアにもたらす君の努力を限定するものだと解釈すべきではない。君には、配剤の息子として、世界人類の精霊的で宗教的な地位の向上に関してある種の特権が授けられている。
5. 自分にあったやりかたで、君は、ユランチアで見つかるかもしれない既存の宗教的、精霊的な動勢と行動をともにすべきであるが、組織化された団体、結晶化された宗教、あるいは人間の隔離された倫理集団化の形式的な設立をあらゆる方法で避けることに努めなさい。君の生涯と教えは、全ての宗教と全ての民族の共同財産となろうとしている。
6. 我々は、ユランチアの宗教的信条、あるいは他の型の非進行性の宗教的な忠誠のそのあとに続く偏見的な機構の創造に不必要に貢献しないようにとの目的で、さらに君に忠告する。その惑星に著作を残さないように。後々まで残る材質への全ての書き込みを慎みなさい。仲間に君自身の絵姿や他の摸倣物を製作しないように命じなさい。出発時にその惑星に偶像的な崇拝のおそれのあるものが残されないことを確かめなさい。
7. ありきたりの男性一個人として、その惑星での普通で平均的な社会生活を送る間、君は、まったく尊敬すべきで、かつ君の贈与と一致している結婚関係にはおそらく入らないであろう。だが、ソナリントンの化身の任務の一つは、いかなる惑星にも楽園出身の贈与の息子による人間子孫が残されることを禁じているということを。私は、君に思い出させなければならない。
8. 近づいてくる贈与の他の全ての詳細において、我々は、内住する調整者を導き、人間を先導をする常に居合わせている神性について教え、そして代々の贈与からの拡大する人間の心の理由・判断を君に依託する。創造物と創造者の特質とのそのような交わりというものは、いかなる一世界において(ましてユランチアにおいては)、いかなる世代の一個人によって必ずしも完全だとみなされるばかりでなく、より高度に完成され、また完成されつつある遠く離れた君の宇宙の世界において全く絶大に充実したと評価され、君が我々ために惑星圏において完全な人間生活を送ることを可能にするであろう。
君が我々のもとを去り、人格の意識の放棄を果たした瞬間から、人間の姿に化身した神性同一性の認識を徐々に回復する間、そしてユランチアでの君の贈与経験のすべてを経て、肉体からの解放と父の主権の腹心となるための昇天まで過去の履行において、我々をずっと支えてくれた君の父と私の父が、君の案内をし、支えて、ともにいてくれますように。私が、サルヴィントンで再び会う時、我々は、君自身が創り、仕え、完全に理解をしたこの宇宙の至高で無条件の主権者として君の帰還を歓待する。
君に代わり、今、私は治める。ユランチアでの七度目の人間贈与の間、全ネバドンの代理主権を引き受ける。君に、ガブリエルよ、人の息子そして神の息子として、権力と栄光を携え私の元へ戻されるまで、やがて人の息子になろうとしている者の保護を委託する。そしてガブリエル、マイケルがこのように帰還するまで私が君の主権者である。」
~ ~ ~ ~ ~
ついですぐに、集められた全サルヴィントンを前にして、マイケルは我々のもとから立ち去った。彼が、ユランチアにおける贈与経歴の完了後、至高でしかも直々の宇宙の君主として戻るまで、いつもの場所にマイケルをもう見かけなかった。
そして、このようにして、創造者の父が、利己的に君主の地位を求め、創造者の息子が、惑わされた宇宙への従属的な創造物の理性的でない忠誠により、勝手に、専制的に権力を維持したという仄めかしに耽けったマイケルの子供というにはあたらない特定の者達は、神の息子が人の息子としてこの時始めたこの献身的な奉仕生活により—常に「楽園の父の意志」に従って—永久に沈黙させられ、困惑させられ、幻滅させられたままになろうとしていた。
しかし、間違えてはいけない。キリスト・マイケルは、実に二重の本源の存在ではあるが、二重人格ではなかった。かれは、人と連携した神ではなく、むしろ人間に化身した神であった。そして、常に確かに結合されたものであった。そのように理解され難い関係において唯一の進歩的な要因というものは、 神であり人間であるというこの事実の進歩的自意識の実現と認識(人の心による)であった。
キリスト・マイケルは、徐々に神になったのではない。イエスの地球人生の幾つかの重要な場面において、神が人になったのではない。イエスは、神であり人間であった—何時でも、さらには今後永久に。そしてこの神とこの人間は、ちょうど三存在体である楽園の三位一体が、実際には一つの神格であるように、一つであったし、今そうである。
マイケルの贈与の至高な精霊的な目的が、神の顕示を強化することであった事実を決して見失ってはならない。
ユランチアの人間は、奇跡的な事柄に対し様々な概念を持っているが、地域宇宙の住民である我々には、奇跡は数が少なく、これらの中でも群をぬいて興味深いものは、楽園の息子の化身での贈与である。君の世界における、またそこへの神性の息子の明らかに自然の過程での出現を、我々は、奇跡—我々の理解を超越した普遍的な法則の作用—とみなす。 ナザレのイエスは奇跡の人であった。
この驚異的な体験の全てを通じて、あるいはその中で、父なる神は、いつも通り自分自身を表示することを選んだ—いつもの方法で—普通で、自然で、頼れる神のやり方で。
我々の系列の議長、そして記録に載るメルキゼデクの共同の後援によりユランチア中間者の連合同胞組合の12名の委任の監督下で働く私は、使徒アンドリューへの以前の配属の二次中間者であり、地上の創造物の私の系列がナザレのイエスの生涯を観察し、かつ私の属する序列のものが目撃したままの、また私の現世の保護の被験者が、その後部分的に記録したままの、ナザレのイエスの生涯の足跡の物語を記録にのせる権限を与えられている。主が、いかに慎重に書面の記録を残すことを避けたかを知りつつ、アンドリューは、自らが書面にした物語の記録を増やすことを固く拒んだ。イエスの他の使徒側の同様の態度は、キリストの福音の著述を大いに遅らせた。
イエスは、精霊的には頽廃時代の間、この世界に来なかった。イエス誕生の際のユランチアは、すべての後アダムの歴史以前には知られていなかったような、それ以来のどの時代にも経験されていなかったような精霊的な思考や宗教生活の復活を経験していた。マイケルが、ユランチアで肉体化した時、世界は、これまでに普及した、あるいはそれ以来勝ち得た創造者の息子の贈与にとり最も好都合な状態を呈していた。ちょうどこれらの時代より何世紀も以前、ギリシア文化やギリシア語が、西洋と東洋の近くで普及しており、レヴァント人種であり、本来部分的には西洋でもあり東洋でもあるユダヤ人は、東西の双方の新宗教の効果的な波及のために、そのような文化的言語的背景を役立てることに抜きんでて適していた。これらの最も有利な状況は、ローマ人により地中海世界の寛容な政治支配によりさらに強化された。
世界状況のこの全ての組合わせは、自らはローマ市民でありながら、宗教文化においては純然たるヘブライ人であるポールの活動、ユダヤの救世主の福音をギリシア語で公布した活動、によりみごとに例示されている。
以前あるいはそれ以後の西洋では、イエスの時代の文明のようなものは見られていない。欧州文明は、破格の三重の影響のもとに統一され調和されていた。
1.ローマ人の政治的かつ社会的組織
2. ギリシア人の言語と文化—そしてある程度の哲学
3. ユダヤ教と道徳教育の急速な普及の影響
イエス生誕時、全地中海の世界は、統一帝国であった。良い道路は、世界歴史上初めて多くの主要中心地を相互に接続していた。海からは海賊が排除され、交易と旅が急速に進んでいた一つの偉大な時代であった。欧州は、キリスト以後19世紀までそのような旅と交易の時期を二度と味わうことはなかった。
グレコ・ローマ世界の内部の平和と表面的な繁栄にもかかわらず、帝国の大多数の住民は、汚染と貧困に苦しんだ。小数の上流階級は裕福で、哀れで貧困な下流階級は平民を含んでいた。幸福で繁栄的な中流階級は、そのころ存在しなかった。それは、まさにローマ社会に出現しようとするところであった。
拡大していくローマとパルティア列国間の最初の争いは、最近決着がつき、シリアは、ローマ人の手に委ねられた。イエスの時代、パレスチナとシリアは、繁栄、相対的な平和、東と西の両側との広範囲な通商の時代を味わっていた。
ユダヤ人は、昔のセム族の一部であり、それは、バビロニア人、フェニキア人、より比較的最近のローマの敵であるカルタゴ人をも含む。キリスト後の一世紀初頭、ユダヤ人は、セム族の民族で最も有力な集団であり、かれらは、その当時交易のために支配され組織されていたように、世界において偶然にも特に重要な地理的位置を占有していた。
古代の国々を結ぶ主要な街道の多くは、パレスチナを貫いており、それゆえ、それは、三大陸の会合場所、または交差点であった。旅、交易、それとバビロニア、アッシリア、エジプト、シリア、ギリシア、パルティア、ローマの軍隊は パレスチナに連続して通り過ぎた。太古から、東洋からの多くの隊商路は、地中海の東端の少ない良港へとこの地域の一部を通過しており、そこから船は、貨物を全ての西洋の海域へと輸送した。そして往来するこの隊商の半分以上が、ガリラヤのナザレの小さい町を、または近くを通りぬけていった。
パレスチナは、ユダヤ人の宗教文化の故郷であり、キリスト教の発祥の地であったが、ユダヤ人は、多くの国々に居住して国外におり、ローマやパルティア列国の各地方で商いをしていた。
ギリシアは、言語と文化を提供し、ローマは道路を敷設し、帝国を統一したが、ユダヤ人のこの分散は、二百以上の教会堂とローマ世界の至る所に点在する見事に組織された宗教的な共同社会をもって、天の王国の新たな福音が、そこに最初の受け入れを見つけ、またそこからその後の世界の果てまで広がることになる文化の中心地を提供したのであった。
各ユダヤの教会堂は、非ユダヤ人信者の非主流派、つまり「信心深い」または「神を怖れる」人間に寛容であったし、ポールが、キリスト教へ早期に改宗させた者の大半もこの非主流派大半の中からであった。エルサレムの寺院でさえ、非ユダヤ人のその凝った中庭を構えていた。エルサレムとアンチオキアの文化、商業、礼拝の間には非常に緊密な関係があった。アンチオキアでのポールの使徒達は、最初は「キリスト教徒」と呼ばれていた。
エルサレムにおけるユダヤ寺院における礼拝集中化は、一神教の生き残りの秘密と万国の一つの神と全人類の父という新しく、しかも拡大された概念の育成と世界への送出の望みと同様に構成されていた。エルサレムの寺院での礼拝は、非ユダヤ人の国家的君主と民族迫害者の継承の失墜に直面しての宗教文化概念の生存を意味した。
この時代のユダヤ民族は、ローマの宗主権下にあったにもかかわらず、かなりの自治を味わっており、ユダ・マカバイと身近な継承者達による救出のごく最近の英雄的功績を覚えており、より偉大な救済者、すなわち長らく待ち望んでいたメシアの即座の出現の期待に震えていた。
半独立国としてのパレスチナ、つまりユダヤの王国の存続の秘密は、ローマ政府のその外国政策に含まれており、そしてそれは、シリアとエジプト間の往来のパレスチナ街道と、おなじく東洋と西洋間の隊商道の西の終点の支配と維持を望んだ。ローマは、これらの地域において自国の拡張を抑制するかもしれないレヴァントの地でのいかなる権力勃興をも望まなかった。セレウコスのシリアとプトレマイオスのエジプトを互いにけしかけるという陰謀目的の方針が、隔離的かつ独立した国としてのパレスチナの促進を余儀なくした。ローマの政策、エジプトの退廃、パルティアの拡大する力の前にして、セレウコスの進展的弱体化は、なぜ幾世代もの間ユダヤの小弱な集団が、北のセレウコス朝と南のプトレマイオス朝双方に対しその独立を維持することができたのかを明かしている。ユダヤ人は、周辺の、またより強力な政治原則からのこの幸運な自由と独立を「選ばれた民族」だという事実、ヤハウェの直接介在とみなした。そのような民族優越の態度は、ローマの宗主権が遂にこの地を襲った時、それを堪え忍ぶことをより難しくした。だがその嘆かわしい時にさえ、ユダヤ人は、世界への自分達の使命が、政治的ではなく精霊的なものだと知ることを拒んだ。
イエスの時代、ローマの支配者達に賢く取り入り、ユダヤの主権を握った当時部外者であったイヅミア人ヘロデに支配されていたことから、ユダヤ人は、いつになく怖れて勘ぐっていた。ヘロデは、ヘブライの儀式遵守への忠誠を明言したにもかかわらず、多くの異神のための寺院建築に着手した。
ヘロデとローマの支配者の友好関係は、ユダヤ人の旅にとっての世界を安全にし、こうしてローマ帝国内のはるか遠くにさえ、また天の王国の新しい福音をもつ外国の条約国へとその滲透拡大への道を開いた。ヘロデの統治は、またヘブライとギリシア哲学のさらなる融合へと大いに貢献した。
ヘロデは、カエサレアの港を建設し、それは、パレスチナが文明世界の十字路となることをさらに助けた。かれは、紀元前4年に死亡し、息子ヘロデ・アンティパスは、イエスの青年時代と聖職時代から西暦39年までのガリラヤとペレアを支配した。アンティパスは、その父と同様に偉大な建築家であった。かれは、セフォリスの重要な交易総合施設を含む多くのガリラヤの都市を再建した。
ガリラヤ人は、エルサレムの宗教指導者やラビの師達からは好意的にみられなかった。イエス生誕時、ガリラヤには、ユダヤ人よりも非ユダヤ人が多くいた。
ローマの社会と経済状態は、最盛期ではなかったが、広範囲にわたる国内平和と繁栄は、マイケルの贈与にとり好都合であった。キリスト後の一世紀、地中海世界の社会は、5段階の明確な層から成っていた。
1. 貴族 金と職権をもつ上流階級、すなわち特権を与えられた支配集団
2. 商業集団 豪商、銀行家、商人—大手の輸出入業者—つまり国際的な商人
3. 小さな中流階級 この集団は、まことに小さいが、とても影響力をもち、初期のキリスト教会の道徳的な背景を提供し、それは、これらの集団が各種の技能や商業で存続することを奨励した。パリサイ人の多くは、ユダヤ人の間でこの商人階級に属した。
4. 自由な下層階級 この集団にはほとんど社会的地位はなかった。自らの自由を誇りとしたが、奴隷労働との競争を強いられたので、非常に不利な立場に置かれた。上流階級は、この集団を軽蔑し、「繁殖目的」以外は役立たずとみなした。
5. 奴隷 ローマの人口の半分は、奴隷であった。多くは、優れた者で、自由な下層階級へと、さらには商人へと素早く我が道を進んだ。大多数は、平凡であるか、非常に劣るかであった。
優れた民族のものでさえも、奴隷制度は、ローマ軍征服の特徴であった。奴隷に対する主人の力は、絶対であった。初期のキリスト教会は、主に下層階級とこれらの奴隷から成っていた。
優秀な奴隷は、しばしば賃金を受けとっていたし、その貯えで自由を買い取る事ができた。そのような解放された奴隷の多くは、国、教会、実業界において高い地位へと昇った。そしてそのような可能性こそが、この緩和された奴隷形態に対し初期のキリスト教会を非常に寛容なものとした。
キリスト後の1世紀、広範囲にわたる社会問題は、ローマ帝国にはなかった。民衆の大部分は、偶々生まれてきたその集団に自分が帰属すると考えた。常に優秀で有能な個人がローマ社会の下層から上層への門戸の開放があったが、人々は、一般的に自分の社会的地位に満足していた。かれらは、階級意識もなく、これらの階級差を不当だとか間違っているとは見ていなかった。キリスト教は、いかなる場合もその目的のために抑圧された階級の苦難の改善の経済運動ではなかった。
女性は、パレスチナでのその制限された位置においてローマ帝国内中のより多くの自由をで味わったが、ユダヤ人家族の献身と自然の情愛は、非ユダヤ人世界のそれよりもはるかに超えていた。
非ユダヤ人は、道徳的見地からはユダヤ人より幾分劣っていたが、より高潔な非ユダヤ人の心には、キリスト教の種が芽生え、徳性と精霊到達の豊かな収穫が可能な天性の善の豊かな土壌があり、潜在的な人間の情愛があった。非ユダヤ人の世界は、当時四種類の大きな哲学に支配されており、全てが、多少なりともギリシアの初期のプラトンの哲学に由来していた。 これらの哲学学派は、
1. エピクロス主義この一派は、幸福の追究に専念した。良いエピクロス主義者は、官能的な不節制に傾注をしなかった。少なくともこの教義は、ローマ人を運命論の致命的な形態から救いだす手助けをした。それは、人間は、地球での現状の改善にむけて何かをすることができることを教えた。それは、無知な迷信と有効に闘った。
2. ストア主義 ストア主義は、上の階級の優れた哲学であった。ストア学者は、制御的な理由‐運命が、万象を支配すると信じた。人の魂は、神性であると、物質的な悪の身体に閉じ込められたものであると教えた。人の魂は、自然と、つまり神と調和して生きることにより自由をかち得た。かくして美徳は、それ自体が報償となった。ストア主義は、崇高な道徳に発展させ、哲学のどの純粋な人間組織も、その後理想を越えられなかった。ストア学派は、「神の子孫」であると明言する一方、神を知り損ね、したがって神を見つけることができなかった。ストア主義は、哲学に留まった。決して宗教にはならなかった。その支持者は、自分の心を普遍の心の調和との一致を追い求めたが、自分自身を愛情ある父の子だと想像することはできなかった。ポールが、「私は、いかなる状態にいようともそれに満足することを学んだ。」と書いた時、ストア主義に大きく傾いていた。
3. キニク学派キニク哲学は、アテネのディオゲネスまで遡るが、かれらは、メルキズィデクのマキヴェンタの教えの遺物から教義の多くを導き出した。キニク哲学は、かつては哲学的であるよりも宗教的であった。少なくとも、キニク学者は、その宗教‐哲学を民主的にした。かれらは、「人は、望むなら自らを救うことができる。」と広場や市場で頻繁に自らの教理を説いた。 かれらは、人々に質朴、美徳、を説き、怖れずに死を迎えることを促した。さすらいのこれらのキニク伝道者は、精霊的に熱望する民衆に後のキリスト教の宣教師への準備をさせることに大いに役立った。人気のある説教のかれらの計画は、ポールの書簡の様式や表現法に倣っていた。
4. 懐疑派 懐疑主義は、知識は誤りであり、確信や保証は不可能であると断言した。それは、全く否定的態度であり、決して普及しなかった。
これらの哲学は、半ば宗教的であった。それらは、しばしば爽やかで、倫理的で、昂揚的であったが、通常一般人を越えたものであった。 キニク主義は除外できようが、かれらは、貧民や弱者にさえ救済の宗教ではなく強者や賢者にとっての哲学であった。
前の時代を通して、宗教は、主に種族や国家の関心事であった。それは、しばしば個人にとっての問題ではなかった。神は、種族的、国家的であり、個人的なものではなかった。そのような宗教の仕組みは、平均的な人間の精霊的な願望に対してほとんど満足をもたらすことはなかった。
イエスの時代の西洋の宗教は、以下を含む。
1. 異教徒の崇拝集団 これらは、ギリシアとラテンの神話と愛国心、それに伝統の組合わせであった。
2. 皇帝崇拝 国家の象徴としてのこの人間の神格化は、ユダヤ人や初期のキリスト教徒をまことに本気で憤慨させ、直接ローマ政府による両教会の激しい迫害へと導いた。
3. 占星術 バビロンのこの疑似科学は、グレコローマン帝国中で宗教へと発達していった。20世紀においてさえ人間は、迷信から完全に救い出されなかった。
4. 神秘的宗教 そのような精霊的に渇望的な世界に、レヴァントからの新たで馴染みのない宗教である神秘的な礼拝集団が、氾濫し、それは、一般人の心を奪い、かれらに個々の救済を約束した。これらの宗教は、急速にグレコローマン世界の下層階級の意にかなった信仰となった。そしてそれは、はるかに優れたキリストの教えの急速な普及への道を開くのに大いに役立った。それは、聡明者には興味をそそる神学と関連して厳かな神格の概念を、そして当時の無知ではあるが精神的に渇望する平均的な人々を含むすべてのものには、深遠な救済を提示した。
神秘的な宗教は、国家信仰の終焉を招き、多数の私的な教団を生み出すに至った。神秘的な宗教は多かったが、全ては以下の如く特徴づけられた。
1. 神話的伝説、不可思議な話—その名の由来。ミスラ信仰の教えに例示されるように、概してこの不可思議な話は、ある神の生と死と蘇りにかかわるものであり、そしてそれは、キリスト教のパウロの新興教団と同時期に起こり、しばらくは、競争相手でもあった
2. 不可思議な話は、非国家的で、異人種間であった。それらは、宗教的な友愛団体と多数の派閥社会を引き起こし、個人的でかつ友愛的であった。
3. 礼拝において、それらは、開始の念入りな儀式や崇拝の印象的な儀式によって特徴づけられた。秘密の儀式や祭礼は、時おり気味悪く背反的であった。
4. だが、その式典の性質またはやり過ぎの度合がどうであろうとも、これらの不可思議な話は、信奉者に必ず「悪からの救出、死後の生存、この悲哀と奴隷世界の向こうの至福の領域での永続する命」の救済を約束した。
しかしイエスの教えを不可思議な話と混同するという間違いを犯してはならない。不可思議な話の人気は、人の救済に対する疑問を明らかにし、このように個人の宗教と正義への真の渇望を描写している。不可思議な話は、この渇望を適切に満足させることに失敗したものの、命のパンと水を本当にこの世にもたらしたイエス以降の出現への道を開いた。
神秘宗教のより良い形への広範にわたる固執を利用する努力において、パウロは、数多くの予期される改宗がより容認できるようにするために、イエスの教えにいくらかの脚色を施した。だが、イエスの教え(キリスト教)のパウロの妥協でさえ、以下の理由で秘教よりはるかに勝っていた。
1. パウロは、道徳上の償還、つまり倫理救済を教えた。キリスト教は、新しい生活を指示し、新たな理想を明示した。パウロは、奇術儀式や儀式的魔術を捨てた。
2. キリスト教は、悲哀からの、さらには死からさえ提供された救済だけではなく、永遠の生存の性質をもつ正義の特徴の付与に続く罪からの救済の約束をして、人間の問題への最終的解決と取り組む宗教を提示した。
3. 秘教は、神話に基づいて築かれた。パウロがそれを説いたように、キリスト教は、人類へのマイケル、神の息子の贈与という歴史的事実に基づいていた。
非ユダヤ人の間の道徳は、哲学または宗教に必ずしも関係はなかった。パレスチナ国外に、宗教の聖職者が道徳的な生活を送るものだということを、人々は必ずしも思いつかなかった。ユダヤ人の宗教とその後にはイエスの教えは、そして後のパウロの進化していくキリスト教は、宗教家に道徳と倫理の双方に目を向けることを強調し、片手を道徳に、もう一方の手を倫理に置いた最初のヨ-ロッパ宗教であった。
イエスは、哲学のそのような不完全な体系に支配され、宗教のそのような複雑な儀式に惑わされた人間のそのような世代にパレスチナで生まれた。そして、かれは、個人の宗教である自分の福音—神との息子性—をその後この同世代に与えた。
西暦紀元前一世紀の終りまでには、 エルサレムの宗教的思想は、ギリシアの文化的な教え、その哲学によってさえ甚だしく影響され、幾らか修正された。エルサレムと西洋とレヴァントの残りは、ヘブライ思想の東洋と西洋の学校の間の長きにわたる見解の争いにおいて、西部のユダヤ、または改変されたギリシアの観点を採用した。
イエスの時代パレスチナでは、3言語が普及していた。庶民は、アラム語の何らかの方言を話し、僧侶とラビは、ヘブライ語を話し、大方のユダヤ人の教育を受けた階級と上層階級の者は、ギリシア語を話した。アレクサンドリアにおいてヘブライ経典のギリシア語への初期の翻訳は、ユダヤ人の文化と神学に関するギリシア側の後の優越性に大きく責任があった。そしてキリスト教師の著作は、同じ言語でまもなく表示されるところであった。ユダヤ教の復興は、ヘブライ経典のギリシア語の翻訳から始まる。これは、後にパウロのキリスト教集団が東方へではなく、西方への移動を決定したきわめて重大な影響であった。
ギリシア化したユダヤの信条は、エピクロス派の教えにほとんど影響されなかったが、プラトンの哲学とストア派の自己否定教義にまことに著しく影響を受けた。ストア主義の大々的な侵入は、マカバイ書の第四書に示されている。プラトンの哲学とストア派の教義双方の浸透は、ソロモンの知恵に例証されている。ギリシア化したユダヤ人は、ヘブライの神学と、かれらが敬うアリストテレスの哲学との適合に困難を見い出さなかったそのような寓意的な解釈をヘブライ経典にもたらすほどであった。しかしこの全ては、これらの問題がアレクサンドリアのフィロンにより取り扱われるまで壊滅的な混迷へと至り、フィロンは、ギリシア哲学とヘブライ神学を宗教的な信念と実践の簡潔でかなり一貫した体系への調和と組織化をはじめた。そしてイエスが生きて、教えた時にパレスチナで普及したのが、ギリシア哲学とヘブライの神学が結合されたこの後の教えであり、またパウロは、キリスト教の自己のさらに進歩し啓発する儀式を作り上げる基盤としてこの教えを役立てた。
フィロンは、偉大な師であった。モ-ゼ以来、西洋世界の倫理的、宗教的な思想に対するそのような重大な影響を及ぼした者はいなかった。倫理、宗教の教えの同時代の体系のより良い要素の組合せに関しては、それまでに7人、セツアード、モーゼ、ゾロアスター、老子、釈迦、フィロン、パウロの傑出した師がいた。
パウロは、ギリシアの神秘的な哲学とローマのストア教義をヘブライの法律尊重主義の神学と結びつけるフィロンの努力からきた全てではないが多くの矛盾に気づき、賢明にも自分の前キリスト教の基礎の神学から除去した。フィロンは、ユダヤの神学において長期間の潜伏状態にあった楽園の三位一体の概念を復活させるために先導し、パウロは、より完全にそれをした。パウロには、フィロンと歩調を合わせたり、またはアレクサンドリアのこの裕福で学のあるユダヤ人の教えを超えることができないというただ一つの問題があった。それは、償いの教義であった。フィロンは、流血のみによる許しの教義からの救出を教えた。またかれは、おそらく思考調整者の現実と出現をパウロよりも明らかに垣間見た。しかしパウロの原罪の理論、つまり、代々の罪と生来の悪とそれからの救出の教義は、部分的にミスラ教に起源があり、ヘブライの神学、フィロンの哲学、またはイエスの教えとの共通点はほとんどない。原罪と償いに関するパウロの教えのいくつかの局面は、パウロ自身によるものであった。
イエスの生涯に関する物語の最後であるヨハネによる福音書は、西側の民族に向けられており、またフィロンの教えの使徒でもある後のアレキサンドリアのキリスト教信者の視点に大いに照らしてその話を提示している。
キリストの時代頃、ユダヤ人への感情の奇妙な逆戻りがアレキサンドリアで起こり、このユダヤの旧本拠地から迫害の毒性のうねりが及び、ローマにさえ及び、そこから何千人もが追放された。しかしそのような誤伝の作戦は、一時的であった。帝政は、まもなく帝国中にユダヤ人の奪われた自由を完全に回復した。
世界全域にわたり、たとえいずこでユダヤ人が、商業または弾圧により離散しようとも、皆いっせいにその心をエルサレムの聖なる寺院に集中し続けた。ユダヤ人の神学は、エルサレムで解釈され慣行されたように生残した。それは、特定のバビロニアの師達の時宜にかなった介入によって忘却から何回も救われはしたものの。
これらの分散した250万ものユダヤ人は、その国家宗教的な祭典のためにエルサレムに行くのが常であった。東側のバアビロニアと西側のギリシアのユダヤ人の神学または哲学の相違にもかかわらず、かれらは皆、その礼拝の中心地はエルサレムであると合意し、メシアの到来をずっと心待ちにしていたのであった。
イエスの時代までにはユダヤ人は、その起源、歴史、運命についての定着した概念にたどりついていた。かれらは、自分達と非ユダヤ人の世界の間に分離の堅い壁を築いてしまっていた。かれらは、非ユダヤ人の全慣行を決定的に蔑視していた。ユダヤ人は、法律条文を崇拝し、直系であることへの誤った自尊心に則った独善的形式に耽けっていた。かれらは、約束されたメシアについての先入観を形成し、これらの期待の大部分は、国家的、民族的な歴史の一部として来るメシアというものを心に描いた。それらの時代のヘブライ人にとりユダヤ人の神学は、取り消せない、永遠に決定されたものであった。
寛容性と親切に関するイエスの教えと実行は、自分達が他の民族であるとみなした他民族に向けてのユダヤ人の長年の態度に相反していた。何世代もの間、ユダヤ人は、人間の精霊的な友愛についてのあるじの教えの受入れを不可能にした外界に対する態度を培ってきた。ヤハウェを非ユダヤ人と平等に共有することは、彼らにとり不本意であったし、そのような新たで未知の教義を教えたものを神の息子として受け入れることは同様に不本意であった。
律法学者、パリサイ人、そして僧職者は、儀式主義や法律尊重主義のすさまじい束縛、すなわちローマの政治規則のそれよりもはるかに真に迫った束縛でユダヤ人を押えつけた。イエスの時代のユダヤ人は、法律服従に抑制されるだけでなく、私的、社会的な生活のあらゆる領域に関係し、侵害する伝統からの盲目的要求にも等しく束縛された。これらの綿密な行動規制は、あらゆる忠実なユダヤ人につきまとい支配した。自分達の神聖な伝統をあえて無視し、長らく守られた社会的行為の規制をあえて侮辱する自分達の一人を敏速に拒絶したことは不思議ではない。かれらは、父アブラハム自身が制定したとみなす教義との激突を躊躇しない者の教えを決して支持することはできなかった。モーゼは、ユダヤ人に法を与え、ユダヤ人は妥協しようとはしなかった。
キリスト後の1世紀までに著名な師、法学者による口頭での法解釈は、法文それ自体よりも高い権威をもつようになった。そしてこの全ては、ユダヤ人の特定の宗教指導者が、新たな福音の受諾を人々にそろって反対させることを容易くした。
これらの状況は、ユダヤ人が、宗教の自由と神性の解放の新しい福音の使者としての自分達の神性の運命を満たすことを不可能にした。かれらは、伝統の枷を打ち壊すことができなかった。エレミヤは、「人の心に書かれる法律」、エゼキエルは、「人の魂に住む新たな精霊」と話し、詩篇作者達は、神が、「健全な心を内に創造し、善良な精神を取り戻す」ようにと祈った。しかし、善行と法への奴隷のユダヤ宗教が伝統主義的惰性の停滞の犠牲となった時、宗教的進化の動きは、欧州民族へと西に向かった。
そしてそれ故、異なる民族には、進展する神学を、すなわちギリシア人の哲学、ローマ人の法律、ヘブライ人の道徳、そして人格の気高さと精神の解放に関するパウロによって編み出されたイエスの教えに基づく福音を包含する教えの体系を、世界へ送り出すことを求められた。
パウロのキリスト教の礼拝集団は、ユダヤ人の母斑としてその道徳性を表している。ユダヤ人は、歴史を、神の摂理—ヤハウェの業、と見た。ギリシア人は、永遠の命のより明確な概念に新しい教えを持ち込んだ。 パウロの教義は、イエスの教えばかりではなく、プラトンやフィロンの教えによっても神学と哲学における影響をうけた。倫理に関しては、キリストばかりでなくストア学者にも感化を受けた。
アンチオキアのキリスト教のパウロの儀式に表現されたように、イエスの福音は、以下の教えと混合された。
永遠の命に関するかれらの概念の幾つかを含むユダヤ教へ改宗したギリシア人の哲学的論法
2. 主な神秘的宗教の魅力的な教え、特に償い、ある神の犠牲による救済のミスラ教の教理
3. 確立したユダヤ教の不屈の道徳
イエスの時代の地中海ローマ帝国、パルティア王国、近隣の民族は全て、世界地理、天文、健康、疾患に関して粗末で原始的な考えを持っており、当然ながらナザレの大工の新しく驚くべき表明に仰天した。善と悪の精霊所有に関する考えは、単に人間だけに適応するのではなく、あらゆる岩や木の数だけ精霊があると信じられた。これは、魔法をかけられた時代であり、誰もが奇跡は当たり前の出来事と信じていた。
可能な限り、我々の任務と一貫して我々は、ユランチアのイエスの生涯に関する既存の記録を利用し、ある程度調整しようと努めてきた。我々は、使徒アンデレの失われた記録入手に恵まれ、そしてマイケルの贈与期間中、地球にいた天の存在体の巨大な集団の、(今はマイケルの個人付きの調整者を含む)協力から利益を得てきたが、いわゆるマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音を有用させることもまた我々の目的であった。
これらの新約聖書の記録は、以下の状況においてそれらが起源であった。
1.マルコによる福音書。ヨハネ・マルコは、一番早く、(アンデレの記録を除く)、最も短く、最も簡潔なイエスの生涯を書いた。かれは、あるじを聖職者として、人間の間の人として提示した。マルコは、自身が描く場面の多くをあちこち歩きまわる若者であったが、その記録は、実際にはシモン・ペテロによる福音である。マルコは、早期にはペテロと後にはパウロと交わった。マルコは、ペテロの扇動と切実なローマの教会の請願に応えてこの記録を書いた。地上にあってしかも生身の時、あるじが一貫していかに自分の教えを書き上げることを拒んだことについて分かってており、マルコは、伝導者や他の先導的な使徒達と同じく文書にすることを躊躇った。しかしピーターは、ローマの教会がそのような文章化された物語の援助を必要としていると感じ、そこで、マルコはその準備をすることに同意した。かれは、紀元67年のピーターの死の以前に多く書きとめ、ピーターが承認した概要通りに、またローマの教会のために、ピーターの死後書き始めた。福音書は、紀元68年の終盤近くに完成された。マルコは、ひたすら自分とピーターの記憶に基づいて書いた。記録は、多数の分節が取り除かれたり、複写される以前に本来の原稿から紛失した後半五分の一を埋め合せるために何らかの後の内容が最初の福音の最後に追加され、その後かなり変わった。マルコによるこの記録は、アンデレとマタイの覚え書きとともに、イエスの生涯と教えの描写をしようとしたこの後に続くすべての福音書物語の基礎となった。
2. マタイによる福音書。 いわゆるマタイによる福音書は、ユダヤ人のキリスト教徒の啓発のために書かれたあるじの生涯の記録である。この記録の作者は、その生涯においてイエスがした多くが、「予言者が語ったことが満たされるかもしれない」ということを絶えず示そうとしている。マタイの福音書は、イエスをダビデの息子として描写し、法と予言者に大いなる敬意を示すように彼を描いている。
使徒マタイは、この福音書を書かなかった。それは、マタイの弟子の一人であるイサドレによって書かれ、かれは、これらの出来事に関するマタイの個人的な回想だけでなく、磔刑直後にイエスの教えを自らがとった特定の記録もまたその仕事の助けとして持っていた。マタイによるこの記録は、アラム語で書かれている。 イサドレは、ギリシア語で書いた。マタイの創作であるとだますつもりはなかった。その時代は弟子が、このようにその師を重んずるのが習わしであった。
マタイの本来の記録は、かれが福音伝道に関わるためにエルサレムを出発する直前の紀元40年に編集され、追加された。それは、個人的な記録であり、最後の複写は、紀元416年にシリアの修道院の火事で焼けた。
イサドレは、ティトゥスの軍隊による市の包囲後の紀元70年に、マタイの覚え書きの複写を携えてエルサレムからペラへと逃れた。イサドレは、71年にはペラに住みながら、マタイによる福音を書いた。かれも、マルコの物語の最初の五分の四を持っていた。
3. ルカによる福音書。ピシディアのアンチオキアの医者ルカは、パウロの非ユダヤ人改宗者であり、全く異なるあるじの生涯の話を書いた。ルカは、パウロを追って紀元47年にイエスの教えと生涯について知り始めた。ルカは、これらの事実をパウロや他の人々から収集通りに、自身の記録中で「主イエス・キリストの恩恵」を多分に温存している。ルカは、あるじを「収税吏と罪人の友」であると述べている。ルカは、パウロの死後まで福音書に自分の多くの覚え書きを体系的にまとめなかった。82年にアンチオキアで書き込んだ。かれは、キリストとキリスト教の歴史を扱う3冊の本を計画したが、丁度これらの2冊目の「使徒言行録」を終える直前の紀元90年に死亡した。
福音書編纂のための材料としてまずルカは、パウロがルカに話した通りのイエスの生涯の話に依存した。ルカの福音書は、それ故ある意味ではパウロによる福音である。しかしルカは、他の情報源を持っていた。かれは、記録をとるイエスの生涯の数多くの挿話の多くの目撃者と面談するだけでなく、五分の四がイサドレの物語りであるマルコの福音の写しと、セデスという名の信者が紀元78年に書いた簡潔な記録も持っていた。ルカも、使徒アンドレによるといわれる削除されたり、多分に手を加えられた幾つかの記録の写しも持っていた。
4. ヨハネによる福音書。ヨハネによる福音書は、多くがユダヤにおける、あるいはエルサレムの周辺での他の記録にはないイエスの働きに及んでいる。これは、いわゆるゼベダイの息子、ヨハネによる福音書であるが、ヨハネは、書きはしなかったが、示唆した。その最初の文書は、ずっとヨハネ自らが書いてきたようにみせるために何回も手が加えられた。この記録がなされた時、ヨハネは、他の幾つかの福音書を持っており、かれは、多くが削除されていることに気づいた。したがって、紀元101年に、かれは、カエサリアからのギリシア系ユダヤ人である仲間のナタンに書き始めるように励ました。ヨハネは、記憶から、そして既存する3種類の記録への言及により自分の材料を供給した。自らの文書記録はない。「ヨハネの第一の手紙」 として知られる書簡は、ヨハネの指示のもとにナタンが実行していた仕事のための前置きの手紙としてヨハネ自身によって書かれた。
これらの全ての作者は、彼らが見て、覚え、あるいは知ったままのイエス像と、またキリスト教に関するパウロの神学のその後の擁護が、これらの遠のいた出来事に関する彼らの概念に影響したままに、イエス像を提示した。そして、これらの記録は、不完全ではあるが、およそ二千年間のユランチア歴史の針路を変更するには十分である。
[承認: ナザレのイエスの教えを換言したり、その活動を再述する私の任務を実行するにあたり、全ての記録と地球の情報源を存分に参考にした。私の主な動機は、現在生きている人間の世代に啓蒙的であるばかりでなく、すべての未来の世代に役立てるかもしれない記録を用意することである。私が手に入れられる膨大な情報の貯えから、この目的遂行に最適であるものを選んだ。出来る限り、私は、人間から情報を得た。そのような情報源で果たせない時、超人間のそれらの記録の助けを借りた。イエスの生涯と教えについての考えや概念が、人間の心により何とか表現された時、私は、そのような人間の思考形式を明らかに優先した。私は、あるじの生涯と教えの真の意味と内容に関する我々の概念をより良く適合させるために言語表現の調整を追求はしつつも、私の物語すべてにおいて実際の人間の概念と思考形式に出来る限り、固執してきた。私は、人間の心からくるそれらの概念が、他の全ての人間の心によく受け入れられ、役立つことを立証するであろうことをよく心得ている。私は、人間の記録の中、あるいはその表現の中に必要な概念が見つけられない場合、次に地球の創造物の私自身の系列である中間者達の記憶の資源にたよった。そしてその第二の情報源が不十分であるとき、私は、躊躇せずに超惑星情報源に頼った。
私が収集し、そしてイエスの生涯とその教えを準備したこの覚え書きは—使徒アンドレアの記録の記憶は別として—イエスの時代からこれらの顕示、より正確には言い直し、を書き綴る時代までの二千年以上を生きた人間達の結集されたイエスの教えの思考の玉石と優れた概念を包含している。啓示的な許可は、人間の記録と概念が、適切な思考形式を供給できない時に限って用いられた。私の天啓委員会は、必須の概念上の表現を単に人間から引き出す努力に失敗したと証言できるそのような時まで、情報、あるいは表現のいずれかを人間以外の情報源に頼ることを私に禁じた。
11名の中間者の仲間の協力と、メルキズィデクの記録の監督下にあって、私は、その効果的な順序の私の概念に従い、また具体的な表現の選択に応じてこの物語を描写してきたが、それでも、私がこのように有用してきた大部分の考えや、いくらかの効果的な表現でさえ、この仕事の時点でまだ生きている人々にいたるまでの地上で既に生きた中間の世代、多くの民族の人間の心が起源であった。多くの点において私は、最初の語り手であるというよりはむしろ収集家、編集者として勤めた。私は、それらの考えや概念、望ましくは人間の、考えや概念を躊躇せず用いて、そして、それは、私が、イエスの生涯の最も効果的な描写法を可能にし、また最も衝撃的に有用でかつ普遍的に昂揚的な表現法においてイエスの無比の教えを再述を容易にしてくれた。ユランチア中間者の連合同胞組合に代わって、私は、地球上におけるイエスの生涯の再陳述のさらなる推敲に用いられてきた全ての記録や概念の資料への恩恵に深く感謝するものである。]
マイケルの贈与のための地としてパレスチナを選択に導いた多くの理由、特にこの神の息子のユランチア出現のための直接の場として、ヨセフとマリヤの家族が選ばれた正確な理由を完全に説明することは、およそ不可能であろう。
ガブリエルとの協議において、メルキズィデクにより用意された隔離された世界の状態についての特別報告の研究の後、マイケルは、かれの最終贈与を実施する惑星としてようやくユランチアを選んだ。この決定の後にガブリエルは、ユランチアを私的に訪れ、人間の集団についての研究とその世界とその民族の精神的、知性的、人種的、地理的特徴の調査の結果、ヘブライ人が贈与民族として選択を正当化したそれらの相対的な利点を備えていると決定した。この決定へのマイケルの同意を受けて、ガブリエルは、ユダヤの家庭生活調査の任務を依託される宇宙の人格の高序列の中から選ばれた12名の家庭委員を任命し、ユランチアへ急派した。この委員会がその役務を終えた時、ガブリエルは、ユラアンチアにおり、マイケルの予定されている具現のための贈与家族として、3組の可能な夫婦、委員会の意見で、等しく好ましいとの推薦報告をうけた。
ガブリエルは、候補にあげられた3組の夫婦からヨセフとマリヤを選んだ。続いてマリヤの前に自ら現れ、贈与する子の地上の母に選ばれたという喜ばしい知らせをその際彼女に伝えた。
イエス(ヨセフの息子ヨシュア)の人間の父ヨセフは、その祖先の女系から時々家系図に加えられた多くの非ユダヤの民族的な血筋をもたらしたが、純粋なヘブライ人であった。イエスの父方の祖先は、アブラハムの時代へ、そしてこの敬うべき家長からシュメール人やノド人へ繋がる継承の初期の家系ノウダイツ族へ、また古代青色人種の南の種族からアンドンとフォンタへと遡った。ダヴィデとソロモンは、ヨセフの家系の直系でもなく、アダムまで直接遡るヨセフの家系でもない。ヨセフの直接の祖先は建築業者、大工、石工、鍛冶屋などの職人であった。ヨセフ自身は、大工で後には請負人であった。その家族は、庶民の高潔で長く続いた傑出した家系に属しており、ユランチアの宗教進化に関連して際だち、非凡な人物達の出現により時おり目立っていた。
イエスの人間の母マリヤは、ユランチアの人種的な歴史における最も注目に値する女性の多くを有する類希な祖先の長く続いた子孫であった 。マリヤは、かなり通常の気質をもつ当事の世代の平均的な女性ではあったが、 祖先の中には、アノン、タマラ、ルツ、バテシバ、アンシエ、クロア、エバ、 エンタ、ラッタのようなよく知られた女性がいた。共通の、あるいは1祖先のより幸運な血筋の始まりまで遡っても、当時のユダヤ人の女性の誰一人として、より歴々たる血筋を持っている者はいなかった。マリヤの家系は、ヨセフの家系と同様、強いが平均的な個人の優性により特徴づけられており、文明の行進と宗教の漸進的進化において数多くの傑人達が時おり際だっていた。人種的に考えて、マリヤをユダヤ人とみなすのはまず妥当ではない。文化と信仰面において、彼女は、ユダヤ人であったが、遺伝的付与においては、シリヤ、ヒッタイト、フェニキア、ギリシア、エジプトよりであり、人種的遺産は、ヨセフのそれよりさらに一般的であった。
マイケルの計画された贈与の時代、ヨセフとマリヤは、パレスチナに住む全ての夫婦の中で、広範にわたる人種的な関係と平均をはるかに越える人格付与の最も理想的な組み合わせを有していた。一般人が、彼を理解し受け入れることができる普通の人間として地上に現れるのがマイケルの計画であった。それ故に、ガブリエルは、ちょうどヨセフとマリヤのような人が贈与の両親となることを選んだ。
ユラチアでのイエスの一生の仕事は、事実上は洗礼者ヨハネによって始められた。ヨハネの父ザカリヤは、ユダヤ人の僧職にあり、一方母のエリザベスは、イエスの母マリヤも属する同じ大家族集団の最も盛んな分家の一員であった。ザカリヤとエリザベスは、長年連れ添っていたが子なしであった。
後にマリヤに知らせに立ったように、ある日の正午ガブリエルがエリザベスの前に現れたのは、ヨセフとマリヤの結婚からおよそ3ヶ月後の紀元前8年、6月下旬であった。ガブリエルは言った。
「 そなたの夫ザカリヤが、エルサレムの祭壇の前に立ち、集った人々が救出者の到来を祈る傍ら、私ガブリエルは、程なくこの神性の師の先触れ人となるべく息子をそなたが産むことを知らせに来た、そなたは、その息子をヨハネと呼ぶように。その子は、そなたの神である主に生涯を献じて成長するであろうし、また機が熟した時には多くの魂を神へ向けさせるので、そなたの心を喜ばせるであろうし、そなたの民族の魂を癒す者、全人類の精霊解放者の到来をも布告するであろう。そなたの親類のマリヤは、この約束の子の母になるはずだし、私はその者にも現れる。」
エリザベスは、この光景に大いに恐れた。ガブリエルが去った後、この経験を心の中で熟考し、威厳のある訪問者の言葉について長らく考え込んだが、翌年の2月初旬に、マリヤを次に訪れるまで夫のほかには誰にも天啓について話さなかった。
しかしながら、エリザベスは、夫にさえも5ヶ月のあいだ秘密を漏らさなかった。ザカリヤは、ガブリエルの訪問について明かすことに対して非常に懐疑的で、何週間も経験全体を疑った。ただ子を待ち設けている妻をもはや見咎めることが出来なくなってから、あまり気乗りのしないままガブリエルの訪問を信じると納得した。ザカリヤは、エリザベスが将来の母であることに関して大変に惑わされたが、自身の高齢にもかかわらず妻の清廉さを疑わなかった。ザカリヤが、エリザベスが来たるべきメシアのための道を開くはずの宿命の息子の母となることを、印象的な夢の結果として、完全に納得するには、ヨハネ誕生の6週間前までかかったのであった。
ガブリエルは、紀元前8年11月中旬、ナザレの家で働いているマリヤに現れた。マリヤは、自分が母になるところだということを疑いなく知って後、エリザベスを訪ねるためエルサレムの6.4キロメートル西の丘にあるユダの町へ旅させるようにヨセフを説得した。ガブリエルは、妊婦の各々に自分の出現を知らせておいた。当然ながら二人は、会合を念じ、経験を照らし合わせ、また息子達のあり得べき未来について語った。マリヤは、この遠戚の元に3週間留まった。エリザベスは、ガブリエルの出現に関するマリヤの信念を多いに強め、その結果、マリヤは、この世界の平均的で普通の幼児、いたいけな幼子としてもうすぐ世に提示する運命の子の母の招請に応じて充分専念するために帰宅した。
ヨハネは、紀元前7年3月25日、ユダの町で生まれた。ザカリヤとエリザベスは、ガブリエルの予言通りに息子が誕生したことを大いに喜び、8日目にその子を割礼に出した際、事前に指示されていた通り正式にヨハネと命名した。ザカリヤの甥は、ヨハネと名付けられるはずの息子が生まれたとエリザベスからマリヤへの伝言をたずさえてすでにナザレへ出発していた。
ヨハネは、最も初期の幼少から、精神的な指導者であり宗教の師となるように成長するという考えを両親から巧みに刻みつけられていた。ヨハネの心の土壌は、そのような暗示的な種を撒くことにずっと応えたのであった。子供の時でさえ父の礼拝期間中、かれは、寺院でしばしば見掛けられたし、自分が目にしたもの全ての重大さにとてつもなく感動した。
ある日没時、ヨセフの帰宅前、ガブリエルは、低い石台の側のマリヤに現れ、彼女が落ち着きを取り戻すと、「私のあるじであり、そなたが愛し育てるはずの方の使いで私はきた。マリヤよ、天において定められてそなたが受胎すると、そしてそのうち時がきて息子の母になるであろうとそなたに嬉しい知らせを持ってきた。その子をヨシュアと呼びなさい。その子は、地上と人々の間に天の王国を開始するはずである。そなたの親類のエリザベスとヨセフの外には、この一件について語るでない。私はエリザベスにもすでに姿を見せて、彼女もまた、ヨハネと名付けられ、そなたの息子が、偉大な力と深い信念で人々に宣するはずの救済の知らせのための道を構える息子を間もなく産むであろう。マリヤよ、私の言葉を疑うでない。このために運命の子が命を持つ者の住いとしてこの家が選ばれた。私の祝福をそなたに申し渡す。いと高きものの力がそなたを強くするであろう。 そして全ての地上の主がお前を見守るであろう。」と言った。
マリヤは、身ごもっていると確信するまで、夫にこれらの尋常でない出来事をあえて明かす前に、何週間も秘かにこの訪問について考えを思い巡らせた。ヨセフはこの全てを聞いた時大いに悩み、マリヤに大きく信頼を置きつつも幾夜も眠れなかった。ヨセフは、最初ガブリエルの訪問を疑った。それからマリヤが、本当に神の使者の声を聞き、その姿を見たということをほぼ納得した時、そのような事がどうしてありうるかと考え込んでしまい、心は千千に乱れた。何で人の子が神の運命の子でありうるのか。来たるべき救済者には、神の資質があるということはユダヤの概念にはまず無かったものの、ヨセフは、数週間の考えの後、自分達二人とも、メシヤの両親に選ばれたのだという結論に至るまで、決してこれらの相反する考えを受け入れることが出来なかった。この重大な結論に到達し、マリヤは、エリザベスを訪れるべく出発を急いだ。
マリヤは、帰宅すると両親のヨアヒムとハナを訪ねた。勿論この時点でガブリエルの訪問について誰も何も知らなかったが、2人の兄弟と2人の姉妹達も両親同様に、常にイエスの神性の任務について非常に懐疑的であった。しかしマリヤは、サロメには自分の息子は偉大な師になると思うと打ち明けた。
マリヤへのガブリエルの告知は、イエスの受胎の翌日になされ、約束の子の妊娠と分娩という全経験に関する超自然の唯一つの出来事であった。
自分が非常に印象的な夢を経験をするまでヨセフは、マリヤが人並外れた子の母になるという観念を受け入れることができなかった。この夢で燦々たる天界の使者が、ヨセフに現れ、あれこれ言ったうえに、「ヨセフよ、私は、今天に君臨する神の命令で現れ、 またマリヤが産み偉大な世の光となる子についてお前に教えるよう申しつけられた。その子は命を得て、その生涯は人類の光となる。かれは、まず自身の人々の元にやってくるが、かれらは、それをまず受入れないであろうが、受け入れる者達には神の子等であるということを明かすであろう。」と言った。この経験の後、ヨセフは、ガブリエルの訪問とまだ生まれていない子が、地上への神の使者になるという約束のマリヤの話を決して二度と疑わなかった。
これらの訪問の中でダヴィデの家については、何も言及されなかった。イエスが、「ユダヤ人の救済者」になる、長く待望まれたメシアになるということさえ、何の暗示もされなかった。イエスは、ユダヤ人が予期していたそのようなメシアではなく、地上の救済者であった。その使命は、全ての人種、民族へであって、何か特定の集団へではなかった。
ヨセフは、ダヴィデ王の血統ではなかった。マリヤには、ダヴィデ側からの先祖がヨセフよりもいた。ヨセフは、ローマの国勢調査の登録のために確かにダヴィデの町のベツレヘムへ行ったが、ヨセフの父側の先祖6世代前は孤児であったので、ダヴィデの直結の子孫であったサドクという者に養子にもらわれた。そのゆえに、ヨセフもまた、「ダヴィデ家」として報告されていた。
旧約聖書のいわゆるメシヤに関する予言は、その地上生活のずっと後、イエスに当てはまるように作られた。何世紀もの間、ヘブライの予言者達は、救済者の到来を公言し、歴代を通してこれらの約束は、ダヴィデの王座に座る、モーゼの奇跡的だといわれる手段によって、全ての外国支配からの自由、力強い国家としてパレスチナにユダヤの設立を始めるであろう新任のユダヤ人の支配者に言及し、解釈されてきた。また、ヘブライ教典に見られる多くの比喩的文章は、イエスの生涯の任務に、後に誤用された。多くの旧約聖書の引用は、あるじの地上での生涯の幾つかの挿話に当て嵌まるように歪められた。イエス自身、ダビデの王室へのいかなる関係もかつて公的に否定した。 「乙女が、息子を産むであろう。」というこの件さえ、「処女が、息子を産むであろう。」と作られた。これも、マイケルの地上での経歴の後に作り上げられたヨセフとマリヤの双方の多くの系図についても同様に事実であった。これらの血統の多くは、あるじの家系の多くを含むが、概して本当ではなく、事実に基づいていないかもしれない。イエスの初期の追随者のすべてが、主君で、あるじの生涯において全ての昔の予言的な語調の誘惑に余りにもしばしば屈した。
ヨセフは、物柔らかな男で頗る誠実で、かつ宗教的慣習や民族習慣のあらゆる点において忠実であった。無口で黙考であった。ユダヤ民族のひどい窮境は、ヨセフを深く悲しませた。8人の兄弟姉妹の中の若者として、かれは、陽気な方であったが、結婚生活の初期(イエスの幼児期)は、軽度の落胆期にあった。これらの気質の表れは、自身の早世の直前、それと家族の経済状態が、大工から順調な請負人への自己の栄進により強化された後、改善された。
マリヤの気質は、夫のそれとは正反対であった。彼女は、常に陽気で滅多に鬱に落ち入らず、常に明るい気性であった。マリヤは、自己感情の自由で頻繁な表現を思いのままにし、ヨセフの突然の死後まで悲嘆に暮れているところは決して見られなかった。そして、この衝撃から立ち直るやいなや、彼女には、驚嘆している目前で実に急速に繰り広げられていく長男の途方もない使命によって起こされる懸念や疑問が押し寄せた。しかしマリヤは、このようなすべての変わった経験の間、風変わりでよく理解されていない長男とその生き残りの弟妹達との関係において落ち着き、勇ましく、かなり賢明であった。
イエスは、自己の人間資質の中の希な穏やかさと信じられないほどの思いやりのある理解を父から受けた。かれは、偉大な師として、そして義憤への途方もなく大きな度量の贈り物を母から受け継いでいた。イエスは、成人期の生活環境に対する感情的な反応において、ひところは父のようであり、黙想的で敬虔的で、時にはあきらかな悲しみにより特徴づけられた。だが、しばしば母の楽観的で断固たる気性にならって突き進んだ。全般的に見て、成長し、成人期の重要な段階へ突入するにつれてマリヤの気質が、神の子の経歴を支配し勝ちであった。ある点においては、イエスは、両親の特徴の混合であった。他の点においては、一方の親の特質をみせた。
イエスは、ヨセフからはユダヤ人の儀式の習わしにおける厳しい教育とヘブライ経典の並外れの知識を、マリヤからは信仰生活のより幅広い視点と個人の精霊的な自由のより進歩主義の概念を得た。
ヨセフとマリヤの双方の家族は、その時代としては立派な教育を受けた。ヨセフとマリヤは、時代と身分のわりには、はるかに平均以上の教育を受けていた。前者は思考家であった。後者は計画家であり、適合性に優れており、即時の実行において実践的であった。ヨセフは黒目で褐色肌、マリヤは茶目のほとんど白肌であった。
ヨセフが生きていたならば、疑いなく天命の任務の長男の断固たる信者となっていたであろう。マリヤは、他の子供、友達、親戚の取る立場に大いに影響され、信じることと疑うことを繰返したが、常に、その子を宿した直後のガブリエルの出現の記憶に最終的には落ち着くのであった。
マリヤは、機織りの名手で、その当時の家事全般にわたって平均以上の手腕をもち、誠に良い家政婦であり、最高の主婦であった。ヨセフとマリアは、共に良い先生であり、子供等が、その時代に学習可能な事柄を熟知するように配慮した。
ヨセフは若い時、マリヤの父が家の増築工事をする際に雇われていた。そしてイエスの両親になるべきこの二人の求愛関係が実際に始まったのは、マリヤが中食時にヨセフに1杯の水をもたらした時であった。
ヨセフが21歳の時、二人は、ナザレ近郊のマリアの家でユダヤの習慣に則って結婚した。この結婚は、およそ2年間にわたる通常の求愛関係を締めくくった。程なく二人は、ヨセフが二人の兄弟の助力を得て建てたナザレの新しい家に引っ越した。その家は、近郷を魅惑的に見渡す高地の麓近くに位置していた。特別に用意されたこの家で、待ち望んでいる若い両親は、ユダヤのベツレヘムの家を留守にしている間、宇宙のこの重大な出来事が起ころうとしているとは気づかず、約束の子を歓迎しようと考えた。
ヨセフの家族の大部分は、イエスの教えの信奉者となったが、マリヤの身内は、イエスがこの世を去るまで信じる者は極めて少なかった。ヨセフは、待ち臨まれるメシアの信仰理念の方により傾いていたが、マリヤとその家族、特に父親は、現世の救済者であり、政治的統治者であるメシアの考えにしがみついていた。
ヨセフは、東方またはバビロニヤよりのユダヤ宗教を強烈に信じていた。マリヤは、より自由の、幅広い西方の、またはギリシアの律法と予言者の解釈の方に強く傾倒していた。
イエスの自宅は、町の東の地域に位置する村の泉から少し離れ、ナザレの北寄りにある高い丘からそう遠くない所にあった。イエスの家族は、市の郊外に住み、これが後に、彼が、郊外での頻繁な散策を楽しんだり、東方へ続くタボル山脈とほぼ同じ高度のネイン丘陵を除くガリラヤ南方の全丘陵の中で最も高いこの近くの台地の頂への旅を容易にした。家は、この丘の南の岬の少し南東寄りに、そしてこの高台のふもととナザレを経てカナに続く道のおよそ中間に位置していた。この丘に上る以外のイエスの好んだ散策は、セフォリスへの道路へ繋がる地点へむかう北東方向の丘の麓をくねる狭い小道を辿ることであった。
ヨセフとマリヤの家は、平屋と動物を収容する建物と隣合わせの1部屋の石造りであった。家具の内訳は、低い石の食台、陶器、石皿、壷、織機、灯火台、幾つかの少さな腰掛け、それに石の床で眠るため敷物であった。動物小屋近くの裏庭には、かまどと穀物を挽く臼を被った小屋があった。この型の臼を扱うには、1人が臼を回しもう1人が穀物を入れる操作で2人の人間を要した。少年だったイエスは、母が引く側でしばしば穀物をこの臼に注ぎ足した。
後年家族が増えるに従い、かれらは、同じ皿や壺からの食べ物を取って食事を楽しむために拡大された食台の周りに皆が据わったものだった。冬期、夕食の食台にはオリーブ油を満たした少さくて平らな陶磁の明かりが、灯されたものだった。マルタの誕生後ヨセフは、昼間は大工仕事、夜間は睡眠用の大きな部屋の増築をした。
紀元前8年3月 (ヨセフとマリヤが結婚した月) に、アウグストゥス皇帝は、国勢調査が有利な課税をもたらすように、ローマ帝国の全住民は、番号を付されなければならないと布告した。ユダヤ人は、「人民番号制度」のいかなる形にもつねに大いに偏見をもっていた。ユダヤの王ヘロデは、これと深刻な国内問題とも関系して、1年間ユダヤ王国におけるこの国勢調査実施の延期を企んだ。紀元前7年に行われたヘロデのパレスチナ王国を除き、この人口調査は、1年後の紀元前8年に全ローマ帝国でなされた。
マリヤは、登録のためにベツレヘムに行く必要はなく—ヨセフが、家族の登録を許可された—だが、冒険的で積極的であるマリヤは、同行をすると言って譲らなかった。彼女は、ヨセフの留守中に子が生まれはしないかと一人残されるのを怖れ、その上ベツレヘムはユダの町からそう遠くないこともあり、縁戚のエリザベスとのありうる楽しい会話を期待した。
ヨセフは、実際にマリヤの同行を禁じたが、無駄であった。3、4日分の旅用の食料が用意され詰め込まれた時、彼女は、2倍の食べ物を用意し、旅仕度はすでにできていた。しかし現実には出立前、ヨセフは、マリヤの同伴は仕方がないと考え、二人は、夜明けにナザレを陽気に出発した。
ヨセフとマリヤは、貧乏で、たった一頭の役畜しか持っておらず、ヨセフが、動物を曳いて歩き、身重であったマリヤは食料を載せたこれに乗った。父が最近身体障害者になったので、両親への援助もあり、家の建築と調度は、ヨセフにとり大変な経済負担であった。こうしてこのユダヤの夫婦は、紀元前7年8月18日早朝、ベツレヘムへの旅へと質素な家を発った。
旅の初日は、ギルボア山麓の丘あたりまで行き、ヨルダンの川岸で夜を過ごすべくそこで野宿をし、ヨセフは、宗教の師の考えに固執し、マリヤは、ユダヤ人のメシア、ヘブライ国家の救世主の考えを持続し、二人にどのような子が生まれてくるのかあれこれと億測に耽けった。
8月19日の明るい早朝、ヨセフとマリヤは、再び旅路にあった。二人は、ヨルダン渓谷を見下ろすサータバ山の麓で昼食をとり、夜までにエリコに辿り着くよう旅を続け、そこで町の郊外の街道沿いの宿をとった。夕食後、ナザレの旅人は、ローマ支配の圧政、ヘロデ、国勢登録、それとユダヤ人の学問と文化の中心地としてのエルサレムとアレクサンドリアの相対的影響を多いに討論した後、その夜の眠りに就いた。8月20日早暁、かれらは、旅を再開し、昼前にエルサレムに到着し、寺院を訪問して目的地に向けて進み、午後の半ばにベツレヘムに着いた。
宿は込み合っていた。そこでヨセフは、遠戚との同宿を求めたが、ベツレヘムのどの部屋も超満員であった。その宿の中庭に戻る途中、かれは、岩石の横腹を削りとって造った丁度宿の下に位置する隊商用の厩が、宿泊人受け入れのために動物が追い出され、掃除されていると知らされた。ヨセフは、驢馬を中庭に放置し、衣類と食料の入った二人の袋を担いでマリヤと宿舎へと石段を下りた。二人は、厩舎と飼葉小屋の前に通じるかつては穀物倉庫であった場所にいた。天幕は吊るされており、そのような心地良い休息場所を得て幸だと考えた。
ヨセフは、すぐ外に出掛けて登録することを考えたが、マリヤは、疲労し、かなり苦しんで側にいるように嘆願したので、ヨセフは、そうした
その夜マリヤは、一晩中落ち着けず、二人ともよく眠れなかった。夜明けまでには出産の激痛は明らかで、紀元前7年8月21日、正午、マリヤは、女性の旅の道連れの援助と懇切な介添えで男児を出産した。ナザレのイエスが世に生まれ、マリヤがそのような非常事態に備えて携えてきた布に包まれて近くの飼い葉桶に横たえられた。
その前後の全ての稚児が、この世に生まれてきたのと同じ様に、約束された子は、生まれた。八日目、ユダヤの習慣に則り、かれは、割礼をうけ、正式にヨシュア(イエス)と名付けられた。
イエス誕生の翌日、ヨセフは登録をした。以前エリコで二晩語った男に出会い、ヨセフは、その宿に部屋を取っていた裕福な友のところへ連れていかれると、この者は、ナザレの夫婦と快く部屋を交換すると言った。その日の午後夫婦は、宿に上がって行き、ヨセフの遠戚の家に宿泊先を得るまでの約3週間ここに住んだ。
イエス出生後の二日目、マリヤは、子が生まれたとエリザベスに伝言をすると、エルサレムまで来てザカリヤとこの問題全般について話そうというヨセフへの誘いの返事をもらった。ヨセフは、翌週ザカリヤに相談するためにエルサレムに行った。ザカリヤとエリザベスの双方共に、イエスは、誠にユダヤ人の救済者メシヤになり、自分達の息子ヨハネは、側近の長、運命の右腕の男となるはずだという真摯な確信の虜となった。そしてマリヤは、同様の考えを持っていたので、イエスが、全イスラエルの王座のダヴィデの後継者になるように成長していけるように、ダヴィデの町のベツレヘムに留まるようヨセフを説き伏せるのに苦労はなかった。そいう訳で、ヨセフが大工業に携わり、1年以上ベツレヘムに留まった。
監督者達のもとに集合したユランチアの熾天使は、イエスの正午の誕生に、ベツレヘムの厩舎の上方で栄光を讃え聖歌を歌ったが、これらの讃賞の発声は、人間の耳には聞こえなかった。ザカリヤに遣わされたウルからのある僧達が到着する日まで、羊飼いも他の人間も誰としてベツレヘムの稚児に敬意を払いにきた者はいなかった。
メソポタアミアからのこれらの僧は、「命の光」が赤ん坊として地上に、そしてユダヤ人の間に出現しようとしていると、夢の中で知らされたのだと、以前その国の見知らぬ宗教の師に言い聞かされていた。そこでこれらの3人の師は、その方角へこの「命の光」を探しに出た。エルサレムでの何週間もの空しい探索の後、ウルに戻ろうとしているところで、ザカリヤは、その者達に出会い、イエスこそが探し求めているものであると明かし、ベツレヘムヘ彼らを向かわせたのであった。そこで3人は、赤ん坊を見つけ、地上の母マリヤに自分達からの贈物を残していった。彼らの訪問の際、その赤ん坊は、生後ほぼ3週間であった。
これらの賢者は、ベツレヘムに案内する星見なかった。ベツレヘムの星の美しい伝説は、このようにして始まった。イエスは、紀元前7年8月21日、正午に生まれた。紀元前7年5月29日、魚座の配列の中で木星と土星の並みはずれた連結が起きた。そして同年9月29日と12月5日に類似の結合が発生したということは、注目に値する天文事実である。これらの驚異的であるが、全く自然の出来事の基盤に、それ以降の善意の熱狂者達が、ベツレヘムの星の魅力的な伝説を作り、敬慕する東方の三博士は、それにより飼葉小屋へと導かれ、そこで稚児を見て、崇拝した。東方や近東の心は、お伽話を楽しみ、かれらは、宗教指導者や政治上の英雄の生涯についてのそのような美しい作り話を絶えず紡ぎ出しているのである。印刷物がなく、一世代から別世代へとほとんどの人間の知識が口伝えされる時、作り話が伝統となり、伝統が、次第に容認された事実となることは、誠に容易いであった。
モーゼは、どの長男も主に属すると、そして異教徒の習慣であった犠牲の代わりに、もし親が公認の僧に5シケルを支払い、その子を買い戻せば、そのような息子は生きることが許されると、ユダヤ人に教えた。また一定の期間を過ごした後、清めのために母自身(あるいは代わって適当な捧げものをする誰か)が、寺院に参ることを指導したモーゼの条例もあった。同時にこの双方を行なうのが慣例であった。依ってヨセフとマリヤは、イエスを僧達に渡し、その買い戻しの実行とマリヤのいわゆる分娩の汚れからの浄めのための適切な犠牲を払うためにエルサレムの寺院へ参った。
寺院の中庭あたりを絶えず俳廻する唄い手シメオンと詩人アナの注目に値する二人の人物がいた。シメオンは、ユダヤ人であったが、アナは、ガリレア人であった。この一組は、しばしば一緒にいて、そして両者とも、僧ザカリヤの親友であり、この僧は、二人にヨハネとイエスの秘密を打ち明けた。シメオンとアナの両者は、メシアの到来を待望み、ザカリヤに対する信頼は、イエスが期待されるユダヤ民族の救済者だと二人に思わせた。
ザカリヤは、ヨセフとマリヤが、イエスと寺院にみえる予定の日を知っており、真っ直に挙げた手で、長子の行列の中のイエス指し示すことをシメオンとアナとに事前の手はずを整えた。
アナは、この機会のために詩を書き、シメオンが歌うと、ヨセフ、マリヤ、そして寺院の中庭に集った者全員が、大いに驚いた。またこれは、長男買い戻しの讃美歌であった。
主なるイスラエルの神は讃むべきかな
神はその民を顧みてこれをあがなわれたのだから。
私達全員のために救いの角を
下僕ダヴィデの家にお立てになった。
聖なる予言者達の口によってお語りにもなったように―
敵から、また私達を憎む全ての者の手からの救済を。
私達の父祖達に慈悲を示され、その聖なる盟約を覚えていられて―
父祖アブラハムにお立てになった誓い
私達を敵から救い出し
恐れなく仕えさせてくださるのである
生きている限り清く正しく。
おお、幼子よ、約束の子よ、いと高きものの予言者と呼ばれるであろう。
その王国を築くため主のみ前に先立って行き、
罪の許しによる救いを
その民に知らせるのであるから。
神の優しい慈悲を喜べ
今、啓示の光が上から私達を望んだのであるから。
暗黒と死の陰とに住む者を照らし
私達の足を平和の道へ導くであろう。
主よ、今こそあなたはみ言葉通りにこの下僕を安らかに去らせてくれますように
この救いはあなたが万民の前にお備えになったもので
異邦人をも照らす啓示の光
み民イスラエルの栄光であります。
ベツレヘムへの帰途、ヨセフとマリヤは、混乱し威圧され、沈黙していた。マリヤは、年老いた詩人アナの別れの挨拶に大変当惑し、ヨセフは、イエスが待ち臨まれているユダヤ民族のメシヤだと印象づけるこの時期尚早の努力に調和していなかった。
しかしヘロデの監視人達は、行動をとらずにはいなかった。監視人達が、ウルからの僧達のベツレヘム訪問を通報すると、ヘロデは、これらのカルデア人に出頭するよう命令を出した。ヘロデは、これらの賢者にしきりと「ユダヤの王」について尋ねたが、かれらは、赤ん坊を産んだ母は、夫と共に国勢調査登録にベツレヘムに下りてきたものだと説明したが、彼に些さかの満足も与えるものではなかった。ヘロデは、この返事に満足せず、賢者達が、その子の王国は宗教的であって現世のものではないと宣言したのであるから、自分もその子に会って崇めることができるよう探し出すようにと彼らに財布を与え、指示をして送り出した。だが賢者たちが戻らないので、ヘロデは疑い始めた。これらを心に思い起こしていると、通報者達が、戻ってきて、イエスの買い戻しの儀でシメオンが歌った部分の写しを持参し、寺院での最近の出来事の全てを報告をした。だが彼らは、ヨセフとマリヤを追うことができず、夫婦が、稚児をどこへ連れていったのか応答できずにいると、ヘロデは、非常に怒った。そこでヨセフとマリヤの居場所を突き止める捜索隊を派遣した。ナザレ家族のヘロデの探策を知り、ザカリヤとエリザベスは、ベツレヘムから遠のいたままでいた。男の稚児は、ヨセフの親戚に隠された。
ヨセフは、仕事を探すことを怖れたし、僅かな貯えは急激に消えていった。寺院での浄めの儀式の際でさえ、ヨセフは、モーゼが窮民の母達の清めの儀式に指示したように、マリヤのために2羽の小鳩の供え物を正当化するほどに自分は貧乏であると考えた。
1年以上の探索の後、へロデの密偵は、まだイエスの居所が掴めずにいた時、その上幼児は、まだベツレヘムに隠されているという疑惑から、組織的なベツレヘムの各家の捜索がなされ、2歳以下の全ての男の幼児は殺すようにとの命令を準備し、そしてこの方法により「ユダヤ人の王」にならんとするこの子供が滅ぼされることを確実にしたかった。こうしてユダのベツレヘムでは1日に16人の男の幼児が殺された。しかし、陰謀と殺人は、当の彼自身の家族内でさえ、ヘロデの宮廷においては当り前であった。
これらの幼児の大殺戮は、イエスが1歳を少し過ぎた紀元前6年の10月の半ばに起きた。しかしヘロデの宮廷の随行員の中にさえメシヤの到来を信じる者がおり、そのうちの一人は、ベツレヘムの男の幼児虐殺命令を知ると、ザカリヤに伝え、続いてザカリヤは、ヨセフに使いを送り、ヨセフとマリヤは、幼児と共に殺戮前夜エジプトのアレクサンドリアに向けて出発した。注意を逸らすために、かれらは、イエスと単独でエジプトへの旅をした。かれらは、ザカリヤが与えてくれた資金でアレクサンドリアへ行き、そこでマリヤとイエスが、ヨセフの裕福な家族に身を寄せている間、ヨセフは、自分の仕事をした。かれらは、アレキサンドリアにまる2年逗留し、ヘロデの死後までベツレヘムには戻らなかった。
ベツレヘム滞在の不確実性と不安から、マリヤは、アレクサンドリアに無事にたどり着くまで離乳せず、そこで家族は、通常の生活に落ち着くことができた。かれらは、親類と共に暮らし、ヨセフは、到着直後に仕事を確保したので、自分の家族を養うことができた。かれは、数ケ月間大工として雇われ、その後幾つかの公共建築物の一つに携わる大きな労働者集団の長に昇進した。この新たな経験は、ナザレに戻ってからのヨセフに、請負人になる一案を持たらした。
イエスの心もとない幼年早期を通じて、マリヤは、幸福を危うくするかもしれない、あるいはいかなる形での地上での使命を妨害する何かが我が子に降り懸からないように長い監視を続けた。彼女ほどに、我が子に献身したものはいなかった。イエスがたまたま居ることになった家庭には、他に同じ年頃の子供が二人おり、近隣には遊び仲間として年の合う子供が、他に六人いた。最初マリヤは、イエスを身近に置こうとした。彼女は、他の子供と庭で遊ぶのを許せば何か起こりはしまいかと恐れたが、ヨセフは、同じ年頃の子供に順応する方法を学ぶ有用な経験を奪い取ると、縁者の加勢を得て、マリヤを説得することができた。そしてマリヤは、そのような過保護の指導と通常でない養護は、自意識の強い、幾分自己中心的にする傾向があるかもしれないと気づき、約束の子を他の子供と同じように成長させる方策に納得した。彼女は、この決定に従順である傍ら、家の周りや庭で小さい子等が遊んでいる間は何時も必ず見守っていた。嬰児と幼少初期のこれらの年月、マリアが、息子の安全を念じ続けたこの重荷というものは、愛情深い母のみが知ることができるのである。
イエスは、アレクサンドリアでの2年間の滞在を通して健康に恵まれ、普通に成長し続けた。数人の友と、親類は抜きにして、誰もイエスが「約束の子」だとは告げられなかった。ヨセフの縁者の一人は、メンフィスのイクナトンの遠い子孫である幾人かの友人にこれを明かし、かれらは、アレクサンドリアの信者の小集団とともに、ナザレの家族の無事を願い、その子に敬意をはらうためにパレスチナに戻る少し前にヨセフの親類の篤志家の宮殿のような自宅に集った。この折に集まった友は、イエスにヘブライ教典の完全なギリシア語訳を提示した。しかしこのユダヤの聖なる書の写本は、イエスとマリヤの両人が、エジプトに残るようにとのメンフィスとアレクサンドリアの友人達の招待をようやく断わるまでヨセフの手に渡されなかった。これらの信者は、運命の子が、パレスチナのいかなる指定された場所よりもアレクサンドリアの住人としての方がはるかに大きな世界的影響を及ぼすことができると主張した。ヘロデの死報を受けた後、これらの説得が、パレスチナへの彼らの出発をしばらく遅らせた。
ヨセフとマリヤは、友人のエズラエオンの小舟でアレクサンドリアをようやく離れ、ヨッパに向かい、紀元前4年8月下旬にその港に着いた。かれらは、直接ベツレヘムへ行き、そこに留まるべきか、あるいはナザレに戻るべきかを友人や縁者と談義し、9月のまる一月をそこで過ごした。
マリヤは、イエスが、ダヴィデの町ベツレヘムで育つべきだという考えを完全に諦めなかった。ヨセフは、息子がイスラエルの王のような救済者になるとは、実際に信じなかった。その上、かれは、自身が、本当はダヴィデの子孫ではないということを知っていた。自分が子孫にみなされているのは先祖の一人のダヴィデの家系への養子縁組によるものであった。勿論マリヤは、ダヴィデの町こそがダヴィデの王座の新候補者が育て上げられるに最適の場所であると考えたが、ヨセフは、アーカラウスとよりもアンティパス・ヘロデとの賭けを望んだ。ヨセフは、ベツレヘム、あるいはユダの他の市における子供の安全性に大きな懸念を抱いた。ガリラヤのアンティパスよりも、アーカラウスの方が、父ヘロデの威嚇的な政策を進めそうだと推測した。そしてこれらの理由以外にヨセフは、子を養い教育するのにはガリラヤの方が良いと自分の好みをあからさまにしたが、マリヤの反対を押し切るのに3週間を要した。
ヨセフは、10月1日までにナザレに戻ることが自分達にとって最善であると、マリヤやすべての友人を説得した。そこで、紀元前4年10月初旬、ベツレヘムからリッダ、スキトポリス経由でナザレに出発した。ある日曜日の早朝、ヨセフと同伴の5人の親類が、徒歩で進む一方、マリヤとその子供は、新たに手に入れた役畜に乗り出発をした。ヨセフの親族は、ナザレまでの単独旅行を許そうとしなかった。連中は、エルサレム、ヨルダン渓谷経由でガリラヤへ行くことを怖れたし、西の経路は、幼い子を連れた二人きりの旅人にとり必ずしも安全ではなかった。
旅の4日目、一行は、無事に目的地に着いた。かれらは、知らせることもなく家に到着し、そこにはヨセフの既婚の兄弟の一人が、3年以上も住んでおり、かれは、一行を見て誠に驚かされた。かれらは、すべきことをひっそりと為し、ヨセフとマリヤどちらの家族もアレクサンドリアを出発したことさえ知らなかった。あくる日ヨセフの兄弟は、家族を引っ越しさせ、マリヤは、イエスの誕生以来初めて我が家での生活を味わうべく小家族とともに落ち着いた。ヨセフは、一週間足らずで大工仕事を確保し、家族はこの上なく幸せであった。
イエスは、ナザレに帰着時点でおよそ3歳と2ヶ月であった。かれは、全てのこれら旅によく耐えたし、駆け回ったり、楽しめる自分の家があり、健康に優れ、稚拙な歓喜と興奮に満ちていた。しかしかれは、アレクサンドリアの遊び友達との交わりを大いに懐かしんだ。
ヨセフは、ナザレへの途中、ガリラヤの友人や縁者の間でイエスが約束の子であると言い触らすのは賢明ではないとマリヤを説き伏せていた。かれらは、これらの件についての全ての言及を誰からも差し控えることに同意した。そして双方共に、この約束遵守にとても忠実であった。
全年を通してイエスの4年目は、通常の身体発育と心的活動の期間であった。一方かれは、ヤコブという近隣の同じ年頃の少年に非常に近い愛着を覚えるようになった。イエスとヤコブは、二人で遊びを楽しむとともに、優れた友人、忠実な、たいそう睦まじい友へと成長していった。
このナザレの家族生活における次の重要な出来事は、紀元前3年4月2日の早朝の次男ヤコブの誕生であった。イエスは赤ん坊の弟を持つという思いに興奮し、赤子の最初の動きを観察するために何時間も立っていたのであった。
ヨセフが村の泉と隊商の停留場近くに小さな作業場を建てたのは、同じ年の真夏のことであった。これ以降、かれは、昼間の大工仕事はごくわずかしかしなかった。彼には、仲間として2人の兄弟と他に幾人かの職人がおり、自身は、仕事場に残り軛や鋤を作ったり他の木工作業をしながら彼らを働きに出した。かれは、革、綱、粗布でも工作をした。イエスの方と言えば、成長とともに、学校のない折には、 世界の隅々からの隊商案内人や旅行者の会話や世間話を聞いたりする一方で、家の仕事で母を手伝い、仕事場で父の働き振りを観察したりと、父母の間での時を均等に過ごした。
イエスが4歳になる1ヶ月前のこの年の7月に、隊商の旅人との接触による悪性腸疾患の発生が、ナザレ中に広がった。マリヤは、イエスがこの伝染病に晒される危険をとても警戒し、二人の子供を着物にくるみ、ナザレの数キロメートル南のサリド近くのメギド道沿いにある自分の兄弟の田舎の家に逃れた。かれらは、2ヶ月以上もナザレに戻らなかった。イエスは、この最初の農場経験を大いに楽しんだ。
ナザレへの帰還の一年余の後、少年イエスは、何かにおいて個人的で、しかも心の底からの最初の道徳決意の年齢に到達した。楽園の父からの神性の贈物である思考調整者は、先に人間の肉体に似せた超人存在の化身のメルキズィデクのマキヴェンタに仕え、こうして経験を積み、彼に内住するためにやってきた。これは紀元前2年2月11日に起きた。心の内に住み、 心の究極的な崇高化と進化している不滅の魂の永久生存のために働くこれらの思考調整者を受け入れたそれ以前、またその時代以降の幾百万という他の子供達と同様に、イエスは、神性の訓戒者の到来に気づかなかった。
2月のこの日、マイケルの子供に似せた具現の完全な状態に関連があり、宇宙の支配者の直接かつ個人的な監督は、終わった。展開していく人間の具現の期間、その瞬間から、イエスの後見は、この内住する調整者、そして惑星の上司の指図に従い、ある種の決められた任務の履行を割り当てられた中間創造物の代理者により、時おり補充される関連する熾天使等の任務と定められている。
この年の8月イエスは5歳であった。それゆえ我々は、その一生の5年目(数え年)と言おう。この年、紀元前2年、5年目の誕生日の1ヶ月余り前、7月11日の夜生まれた妹のミリアムの到来がイエスを非常に喜ばせた。翌日の夕方、生物の中の様々な集団が、別々の個人としてこの世界に生まれてくる様について、イエスは、父と長い話をした。イエスの初期教育の最も貴重な部分は、深く考え、追い求めるイエスの探求に対しての両親からの答えから確保された。ヨセフは、少年の数多くの質問に充分の労力や時間を費やすことを決して怠らなかった。5歳から10歳までの時期、イエスは質問の塊であった。ヨセフとマリヤが答えられない時、2人は、充分討論したり、または少年の利発な心が仄めかした問題に対して満足のいく解決に至る努力をするイエスを他の可能な限りの方法で助力することを決して怠ったことはなかった。
ナザレからの帰郷以来、家族は忙しく、ヨセフは、新しい仕事場の建設や本来の仕事の再出発に殊の外追われてきた。かれは、それ程までに仕事にかまけていたので、ジェイムズのための揺りかごを作る時間さえなかったが、これは、ミリアムが生まれるかなり前に改められていたので、この稚児には、家族が、可愛がるのに寄り集まってくるとても心地の良い赤ちゃん用のベッドがあった。 幼いイエスは、心から、自然で普通の家庭経験に入った。かれは、弟や赤ん坊の妹をとても可愛がり、マリヤの育児に大いに役立った。
当時のガリラヤのユダヤ人の家庭ほどに子供により知的で、道徳的で、良い宗教教育を与えられる家庭は、非ユダヤ人の世界にはほとんど無かった。これらのユダヤ人は、子育てや教育のための系統だった段階があった。子供の生涯を7段階に分けていた。
1. 新生児、最初の8日まで
2. 授乳児
3. 離乳児
4. 母に依存の期間、5年目終了まで続く
5. 子供の独立の始まり、息子の場合父は、その教育の責任を持つ
6. 思春期の少年と少女
7. 成年男女
子供の躾の責任は、5回目の誕生まで母が担うのが、ガリラヤのユダヤ人の習慣であり、それからは、もしそれが男の子ならその時点から父親が、少年の教育責任を負う。イエスは、したがって、この年ガリラヤのユダヤ人の子供の第5段階に当たり、それに応じて紀元前2年8月21日、マリヤは、更なる教導のためにイエスを正式にヨセフに手渡した。
今度はヨセフが、イエスの知性と宗教教育を直接引受けるのであるが、母は、まだその子の家庭教育に関心を持っていた。彼女は、地所をぐるっと取り囲む庭園の塀のまわりに育つ蔦や花について知り、世話をすることを彼に教えた。彼女はまた、イエスが地図を描き出したり、アラム語、ギリシア語、後にはヘブライ語を書くことで、彼の初期の練習の多くをした砂入りの数個の浅い箱を家の屋根の上(夏の寝室)に用意をした。そしてかれは、流暢な3言語すべての読み、書き、話すことを学んだ。
イエスは、身体的にほとんど完璧な子供に見えたし、精神的にも感情的にも通常の成長を続けた。この年(数えの5歳)の後半、軽い消化不良、最初の軽い病気を経験した。
ヨセフとマリヤは、度々長子の将来について語り合ったが、もしそこに君がいたとしたならば、その時代と場所における普通の健康で伸び伸びとした、だが極めて好奇心の強い子の育つところを観察するに過ぎなかったであろう。
すでに、イエスは、母の助力でアラム語系のガリラヤ方言を会得していた。さて今度は父が、ギリシア語を教え始めた。マリヤは、ギリシア語をほとんど話さなかったが、ヨセフは、アラム語とギリシア語双方の流暢な話し手であった。ギリシア語学習のための教科書は、ヘブライ教典—詩篇をふくむ法律と予言者の完全版—の写しであり、それは、エジプトを立つ際に贈呈されたものであった。ギリシア語の完全な写本は、ナザレ中に2冊だけであり、大工の家族によるその中の1冊の所有は、多くの訪問客がヨセフの家を求める場所にすると同時に、イエスの成長につれ、ほとんど絶えることなくひたむきな生徒達や誠実な真の探求者達に会わせることが出来たのである。その年の暮れる前に、イエスは、この極めて貴重な写本の管理をしており、6回目の誕生日には、聖なる書は、アレクサンドリアの友人と親類からイエスに贈られたものだと告げられ、そしてかれは、短い間ですぐその写本を読めるようになった。
まだ6歳にもならない時、イエスの若い人生の最初の大きな衝撃が起こった。父は、—少なくとも父母共に、—全てを知っていると少年には思われた。それ故、かれが、父にたった今起こった弱震についてその原因を尋ねた折、「息子よ、私は余り知らないよ。」とヨセフがいうのを耳にしたこの聞きたがりの子供の驚きを想像してみよ。こうしてイエスには、この地上の両親が、全賢全知ではないことが分かると、長くて混乱させるような幻滅が、始まった。
ヨセフの最初の考えは、地震は神によって起こされたとイエスに言おうとしたが、そのような答えは、より厄介な質問の挑発になると、瞬間の反射がヨセフを諭した。幼いころでさえ迂闊に神か悪魔どちらかの責任にして、物理的あるいは社会現象についてのイエスの質問に答えるのは誠に難しかった。ユダヤ人の普通の信念と調和して、イエスは、心的、精神的現象の可能な説明として善霊と悪霊の教えを長らく快諾していたが、そのような目に見えない作用は、自然界の物理現象によるものであるとずっと前から疑わしくなっていた。
イエスが6歳になる前の紀元前1年の初夏、ザカリヤ、エリザベスとその息子のヨハネが、ナザレの家族を訪ねて来た。イエスとヨハネは、二人の記憶の中での最初の訪問であるこの時を楽しんだ。訪問者は、ほんの数日しか居られなかったが、親達は、息子達の将来の計画を含む多くの事を話し合った。こうして親達が、談話している間、少年達は、屋上の砂で積木で遊んだり、他にもいろいろと実に男の子らしい様子で遊んでいた。
イエスは、エルサレムから来たヨハネに会って、イスラエルの歴史に尋常でない興味を表し、安息日の儀式、会堂での説教や繰り返される祝賀の馳走の意味について詳細を尋ねるようになった。父親は、この全ての時期について説明した。最初は、第一夜に1本の蝋燭から始まり、翌晩にもう1本追加していく八日間続く真冬の祝いの灯明であった。これは、ユダ・マカバイが、モーゼの追悼式の復興後、寺院への奉納を祝ったものであった。次は、エステルの饗宴と彼女によるイスラエル救出の祭、すなわち早春のプリムの祝賀であった。この後に続くのは、厳粛な過ぎ越しの祭りであり、大人達は、都合のつく時にいつでもエルサレムで祝う一方で、子供達は、家でまる一週間酵母のパンを食べられないことを注意するのであった。その後に初物の祭、つまり農作物の収穫があり、最後に最も荘厳な新年の祝い、償いの日があった。これらの祝賀の一部と遵守は、イエスの幼い心には理解しがたいものであったが、かれは、真剣にそれらについて考えた上で、葉の仮小屋で野営をした笑いと娯楽の全ユダヤ人の慣例の休暇時期の会堂の饗宴の喜びに完全に入り込んでいった。
ユセフとマリヤは、この年のずっとイエスの祈りに困惑した。イエスは、まるで地上の父親ヨセフに話すように天国の父に話すと言って譲らなかった。神格との厳粛で敬虔な交わりの手段からのこの離別は、両親に、特に母にいささかの心の動揺を与えたが、変わるようにと彼を説得することはなかった。かれは、教えられてきた通りにお祈りを唱え、その後に「少し天国の僕の父と話」をすると主張した。
この年の6月ヨセフは、ナザレの仕事場を男のきょうだいに譲り、建築業者として正式に仕事を始めた。年が終わる前には、家族の収入は3倍以上となった。ヨセフの死後まで二度と再びナザレの家族が貧困の危機を感じることは決してなかった。家族は、より大きく膨らみ、余分の教育や旅行に多額を費やしたが、ヨセフの増収入は、増額出費との足並みをそろえていた。
続く数年間、ヨセフは、ナザレ内外での建築と併行して、カナ、ガリラヤのベツレヘム、マグダラ、ネイン、セフォリス、カペルナム、エンドルでかなりの仕事をした。ジェイムズが、家事や幼い子供達の世話の手伝いができる年齢に成長するにつれ、イエスは、父と家を離れ、これらの近隣の町村への頻繁な旅をした。イエスは、鋭い観察者であり、これらの旅で多くの実用的な知識を得た。かれは、人間とその地上の生き様について勤勉に知識を蓄えた。
この年、自己の強い感情と強烈な衝動を家族の協力や家庭教育の要求に合わせることにイエスは、大きく前進した。マリヤは、愛情ある母であったが、かなり厳しい規律励行者であった。しかしヨセフは、いつも少年と腰を下ろし、様々な点において、家族全体の幸福と平穏のために個人的な欲望の節制の必要性について真実の、しかも根本理由について充分に説明するのが常であったので、イエスに対する大きな影響力を振るった。その状況が説明されると、イエスは、つねに聡明に、かつ快く親の願いや家庭のきまりに協力的であった。
母が家の手伝いを必要としない時の余暇の多くは、昼間は花と植物、夜間は星の考察に費やされた。かれは、この秩序立ったナザレ一家の就寝時間のずっと後に、横になり不思議そうに星空を見上げるといったやっかいな傾向を明らかにした。
これは、イエスの生涯で多事の年であった。1月初旬、ガリラヤで大きな吹雪が起きた。61センチメートルの深さの雪が降り、イエスがその一生で見た中で最大の降雪であり、ナザレで百年間に降った中でも最も深いものであった。
イエスの時代のユダヤ人の子供の遊びは、むしろ限定的であった。子供達は、あまりにしばしば年上の者がしているのを見てその中で真剣な事をして遊んだ。かれらは、しばしば目にし、いかにも壮観な儀式である結婚式や葬式の真似事をよくした。かれらは、踊ったり、歌ったりしたが、後の時代に子供達がよく楽しんだ決まりを伴うような遊びはそれほどなかった。
イエスは、隣の少年と、後にはジェイムズと共々に、大工の仕事部屋の一番奥の角での遊びを楽しんだ。そこでかれらは、鉋屑や木片で大いに面白く遊んだ。 安息日に禁じられている特定の遊びの害悪について理解することは常に難しかったが、かれは、両親の意に即さないことは決してしなかった。イエスは、ユーモアと戯れの能力を持っていたが、その時代と世代の環境においてそれを表現する機会はほとんどなかったものの、14歳まではたいてい陽気で気楽であった。
マリヤは、家と隣接した動物小屋の上に鳩小屋を置いてあり、家族は、鳩の売却から得た利益から十分の一を差し引きそれを特別慈善基金として会堂の役員に渡した後、イエスが残りを管理した。
この時までにあった事故らしい事故は、粗布製の屋根の寝室に続く裏庭の石段での転倒であった。それは、東からの突然の7月の砂嵐の際に起きた。熱風は、通常は雨季に、特に3月と4月に粒砂の突風をもたらした。そのような嵐が7月にあるというのは、番外なことであった。 嵐が襲ってきた時、イエスは、乾燥期の大半は、これが遊戯場であったので例によって屋根で遊んでいた。かれは、階段を下りているとき砂で目つぶしにあい倒れた。この事故の後ヨセフは、階段の両側に手摺を設けた。
この事故を予め防ぐ方法はなかった。現世の中間の保護者達、つまりこの少年の見守りを任されていた正、副の中間者の怠りであるとは、責められなかった。守護天使の責任にも問えなかった。ただ単に避け得られるものではなかった。だが、ヨセフのエンドルへの留守中に起きたこの些細な事故は、心に多大の不安を広げていったので、マリヤは、無分別にも何ヶ月もの間、自分の極近くにイエスを居させようとした。
物理的災害、物理自然のありふれた出来事には、天界の人格は濫りに手出しをしない。普通の情況下においては、中間の被創造物のみが、宿命の男性、女性である人間達を護るために物質状況に介入することができるのであり、特別の状況においてさえ、これらの存在体でさえ上司の特定の指図に限って行動できる。
そして、これは、この好奇心と冒険心に溢れた若者の上にその後起きたそのような軽い事故の中の一つにすぎない。活発な少年の平均的な幼少時代や青春時代を心に思い描けば、あなたは、イエスの若々しい経歴に関するかなりはっきりとした見当がつくであろうし、彼が、両親に、特に母親にいかほどに憂慮させたか想像できるであろう。
ナザレの家族ヨセフに、4番目の家族が、紀元1年3月、水曜日の朝生まれた。
イエスは、今や、ユダヤの子供の教会堂の学校において正規の教育が始まる年齢の7歳となった。そこでかれは、この年の8月、ナザレでの波瀾万丈の学校生活に踏み入った。この少年は、すでにアラム語とギリシア語の二つの言語の流麗な読み手、書き手、話し手であった。かれは今度は、ヘブライ語の読み、書き、話すことの学習課題に習熟しようとするところであった。そしてかれは、目前にある新しい学校生活を本当に熱望していた。
かれは、3年間—10歳まで—ナザレ教会堂の小学校に通った。かれは、この3年間ヘブライ語で書かれた法典の基本を学んだ。次の3年間は、その上の学校で学び、神聖な法律のより深い教えを反復朗読により記憶することに集中した。かれは、13歳の年にこの会堂の学校を卒業し、会堂司達から「戒律の息子」として、この後イスラエル国家の責任ある国民として、エルサレムでの過ぎ越しの祝いへの出席を課され、 教育を受けたとして両親に引き渡された。依ってかれは、その年父母と共に最初の過ぎ越しの祝いに参加した。
ナザレでは、生徒達は、床に半月になって座り、一方先生、つまりハザン、教会堂役員は、生徒に向かい合って座った。かれらは、レビ記に始まり、他の法典の学習、それに予言者、詩篇と次々に学習していった。ナザレの教会堂は、ヘブライ語の経典の完全な写本を所有していた。 12年目までは旧約聖書のみの学習であった。夏間の学習時間は、大幅に短縮された。
イエスは、早々とヘブライ語の熟練者となった。際だった訪問者がたまたまナザレに逗留していなかったりすると、若者として、会堂での通例の安息日の礼拝に集った忠実な支持者にしばしばヘブライ語の教典を読むことを頼まれるのであった。
これらの会堂学校に、勿論教科書はなかった。指導にあたっては、ハザンが声に出し、生徒達がその後について復唱するというものであった。学生は、その書物を手にする時は、朗読と不断の復誦により学んだ。
イエスは、更なる正規の学習に加えて、方々の土地からの人間が父の修理場に出入りするにつれ、あらゆる方面からの人間性と接触し始めた。かれは、成長すると、休憩や食事のために泉の近くに滞在する隊商人と自由に交わった。ギリシア語が堪能な話者あるかれは、大部分の隊商の旅人や案内人との談話にほとんど苦労はなかった。
ナザレは、隊商の中間駅であり、分岐点であり、構成人口は主に非ユダヤ人であった。同時にそれは、ユダヤ人の伝統的な法律の自由な解釈の中心地としても広く知られていた。ユダヤ人は、ユダでよりもガリラヤにおいてより非ユダヤ人と自在に混じった。ナザレのユダヤ人は、非ユダヤ人との接触からくる堕落の恐怖に基づく社会規制の解釈においてガリラヤの全都市の中で最も寛大であった。これらの状況が、エルサレムに「ナザレから何か良い事が起こり得るか。」という諺を引き起こした。
イエスは、主に家庭において修身と精神的な修養を受けた。ハザンからは、知的かつ神学上の教育の多くを得た。だが真の教育—人生における難題と取り組む実際の試練のための心と情感の素養—は、同胞に混じることで得た。人類を知る機会をイエスにもたらしたのは、老若の、ユダヤ人と非ユダヤ人であるこれらの仲間の人々とのこの親しい交友であった。イエスは、人間を完全に理解し、心から愛したという点において大いに教育を受けた。
会堂での歳月を通じて、かれは、聡明な生徒で、3言語に精通しており、大いなる利点を備えていた。ナザレのハザンは、イエスの学校での課程修了に際し、「少年に教える事が出来た」よりも自分は、「イエスの探究的な質問からもっと学んだ。」とヨセフに打ち明けた。
イエスは、修業課程を通して多くを学び、会堂における定例の安息日の説教から多大の激励を得た。ナザレでは、安息日に立ち寄った著明な訪問者に会堂での演説を依頼するのが慣例であった。イエスは、成長するにつれ、全ユダヤ世界の偉大な思想家達が意見を述べるのを聞いたし、ナザレの会堂は、ヘブライの思想と文化の先進で自由主義の中心地であったことから、多くの者もまたほとんど保守的なユダヤ人ではなかった。
7歳の入学時に、(この時期ユダヤ人は、義務教育法を開始したばかりであった)、その学習を通して手引きとなる適切な教え「誕生日の文章 」を選ぶことが慣行であり、生徒達は、13歳の卒業の際にそれについてしばしば詳細に述べた。イエスが、選択した原文は、予言者イザヤからの「主なる神は我上にあり。主は我に油を塗られ給われたから。弱き者に良き報せをもたらすために、傷ついた者を癒すために、捕われた者へ自由を宣言するために、精神の囚人を解き放つために、あの方を遣わされた。」であった。
ナザレは、ヘブライ国家に24ヶ所ある僧の中心地の一つであった。しかしガリラヤの僧門は、伝統的な法の解釈においてユダヤの代書人やラビよりも寛大であった。ナザレにおける安息日遵守は、より自由であった。ヨセフは、それ故、安息日の午後、イエスを散歩に連れ出すのが慣習であり、彼らの気に入りの小旅行の一つは、家の近くの高い丘に上ることであり、そこからはガリラヤの全景が臨めた。晴れた日には、北西の方角に海へと続くカルメル山の長い尾根が見えた。そしてイエスは、父が、ヘブライ予言者の長い系列の最初の一人であるアハブを叱責し、バールの僧達を暴き出したエリヤの話をするのを幾度も聞いた。北には、ハーモン山が、堂々たる華麗さでその雪の頂を高くして、万年雪で白く煌くおよそ910メートルの上向きの稜線を占有していた。また遠く東には、ヨルダン渓谷とはるか先にはマオブの岩の多い丘が横たわるのが見えた。南と東には、太陽が、大理石の壁を照らしており、円形劇場と人目を引く寺院のあるデカポリスのグレコローマンの市街が見えた。彼らが、日の沈む方向へ散策していくと、西には遠い地中海に帆船を見てとることができた。
イエスには四方からナザレに出入りする隊商が見え、南の方角にはギルボア山とサマリアへと続く広大で肥沃なエスドラエロンの平原が見下ろせた。
遠景を見渡す高さまで登らない時は、かれらは、近郷を逍遥し、季節にそって様々な自然の趣を注視した。家庭的団欒の他に、イエスの初期の教育は、敬虔で思いやりのある自然との触れ合いに関係があった。
イエスは、8歳前には、ナザレの全ての母親や若い女性に知られており、彼女たちには家から遠くなく、町全体の接触と噂話の中心地の一つである泉で出会い、話したことがあった。この年イエスは、家族の雌牛の搾乳や他の動物の世話の方法を習った。この年とその翌年には、チーズ作りと機織りも学んだ。10歳のかれは、織機操作の名手であった。イエスと隣の少年ヤコブが渾々たる泉の近くで働く陶工と大の親友となったのは、この頃であった。二人は、ろくろの上の粘土を形作るナタンの巧妙な指を見て、成長したら陶工になると何度となく心に誓った。ナタンは、この少年達が気に入り、粘土を与え、色々な物や動物を競って形にすることを提案し、二人の独創的な想像力を刺戟しようとした。
この年は、学校での興味深い年であった。イエスは、変わった生徒ではなかったが、勤勉な生徒で三分の一のより進んだ集団に属しており、よく勉強をしたので、毎月一週間休みを許されるほどであった。通常この一週間は、マグダラ近くのガリラヤの湖岸の漁師のおじか、それともナザレの8キロメートル南の農場のもう一人のおじ(母の兄弟)と過ごした。
母は、イエスの健康と安全を過度に案じるようになったが、これらの旅を次第に仕方がないと思うようになった。叔父や叔母達も全員イエスを非常に気に入り、この年とそれ以降、家々の間では、月々の自分達の仲間の確保のための活発な競争が起きた。おじの農場での第1週目の逗留(幼児以来) は、この年の1月であった。ガリラヤ湖での最初の週の漁の経験は5月であった。
イエスは、この頃ダマスカスからの数学の先生に会い、数の扱いのいくらかの新方法について学び、数年の間、数学に多くの時間を費やした。数、距離、割合に関しての鋭い感覚を身につけた。
イエスは、弟のジェイムズをとても可愛がるようになり、この年末までには弟に文字を教えるようになった。
この年イエスは、乳製品を竪琴の授業料と引き換える段取りをつけた。かれは、音楽の全てに対し尋常でないほどの好みがあった。後にかれは、若い仲間の間において声楽への関心を強めた。かれは、11歳までには上手な竪琴奏者で、並外れた解釈と巧みな即興で家族と友達の両方をもてなすことを大いに楽しんだ。
イエスは、学校で羨ましがられる程の進歩を続ける傍ら、両親や先生達にとっては全てが円滑にいくというわけではなかった。イエスは、科学、宗教の双方に関する、特に地理と天文に関して当惑させる多くの質問をすることに固執した。かれは、特に、何故パレスチナでは乾期と雨期があるのか知りたがった。繰り返し、ナザレとヨルダン渓谷との大きな温度差の説明を求めた。かれは、そのような利口な、しかし面倒な質問を決して簡単には止めなかった。
3番目の弟シモンが、この年紀元2年4月、金曜日の夕方に生まれた。.
2月にラビのエルサレム学院の先生の一人ナホルが、イエスを観察するためにやってきて、エルサレムの近くのザカリヤの家に類似の使命を帯びていた。かれは、ヨハネの父にそそのかされてナザレにきた。最初かれは、イエスの率直さと宗教的な事柄に自身を結びつける型破りな態度に幾らか驚かされたが、それはガリラヤが、ヘブライの学問と文化の中心地から遠いせいであるとし、イエスをユダヤ文化の中心地で教育と実習の利点があるエルサレムに彼とともに連れ帰ることをヨセフとマリアに勧めた。マリヤは半ば説得させられた。彼女は、長男が、メシア、ユダヤの救済者になるのだと確信していた。ヨセフは躊躇した。同様にかれは、イエスが、運命の人になるために成長すると納得させられていたが、その運命が如何ようなものになるのか全く不確かであった。しかしかれは、息子が地上においてある大きな使命を果たすということを決して疑わなかった。かれは、ナホルの助言を考えれば考えるほど、提案されたエルサレム滞在の妥当性をますます疑問に思うのであった。
ナホルは、ヨセフとマリヤのこの意見の食い違いのために、この問題すべてをイエスに任せる許可を要請した。イエスは、注意して聞き、ヨセフ、マリア、それにその息子が自分の気に入りの遊び相手である隣人の石工のヤコブと話し、それから二日後、両親と助言者の間にそのような意見の差があり、どちらにも強く感じることはなく、また自分自身が、そのような決定責任をもつに足るとは思わないので、全体の情況を見て、かれは、「天国の父と話す」とついに決めた。かれは、その答えに完全には自信がないので、むしろ「父母と」家に留まるべきだと感じていると報告告した上で、「私のことをそれ程に愛している二人の方が、私の身体だけが見え、そして私の心を観察はできるが、私を本当には知ることのできない他人よりも、私のためにより多く出来るし、より安全に導くことができるはず。」だと付け加えた。皆は、驚嘆し、ナホルは、エルサレムへと戻っていった。イエスが家を離れることが再び検討事項となるのは、何年も先のことであった。
イエスは、ガリラヤにおいてよりもアレキサンドリアで学校教育のより良い機会を享受することができたもしれないが、最小限の教育的指導で自身の人生問題を解決をし、同時に、文明世界の各地域からのあらゆる階級の多くの男女との不断の接触からの大きな利点を味わうというそのようなすばらしい環境は、あり得なかったかもしれない。イエスが、アレキサンドリアに留まっていたならば、彼の教育は、ユダヤ人によって、またユダヤ人の線に沿って排他的に指導されていたであろう。イエスは、ナザレにおいて教育を確かなものとし、非ユダヤ人を理解するように許容的な態度で準備ができたし、ヘブライ神学の解釈における東方またはバビロニアと、西洋またはギリシャの相対的長所についてのより良く均衡のとれた考えが得られる教育を受けた。
重病をしたとはほとんど言えないが、この年イエスは、弟達と赤ん坊の妹と幼年期の軽い病気の幾つかに罹った。
学校は引き続きあり、かれは、いまだに好評な生徒で、毎月1週を自由に行動しており、また引き続いて隣接する都市への父との旅行、ナザレの南の叔父の農場での滞在、マグダラからの遠出の漁とにおよそ等分の時を分けて過ごした。
すべての像、絵画、および素描は、事実上は偶像崇拝であるという教えに関して、イエスが敢えてカザンに挑戦した時、学校での最も重大な問題が、晩冬に起ころうとしていた。イエスは、陶芸用の粘土でさまざまな物を形にするのと同じく、風景描写を楽しんだ。その類の全ては、ユダヤの法により厳しく禁じられていたが、かれは、これまでは、これらの活動を続けることを許されるまでに両親の異議を緩めることがなんとかできていた。
しかし、より遅れている生徒の一人が、教室の床の上のイエスが描いた教師の木炭画を発見した時、問題は、学校で再び巻き起こされた。それは、一目瞭然でそこにあり、そこで委員会は、長男の無法を抑圧するために何かが為されることを要求するためにヨセフを呼ぶ前に、長老の多くがその絵を見ておいた。多才で活発な子供の行動に関してヨセフとマリヤに苦情が初めて来たということではなかったが、これは、これまで訴えられた苦情の中で最も深刻なものであった。イエスは、裏口のすぐ外の大きな石に据わり、暫く自分の芸術的努力に対する告発を聞いていた。イエスは、彼らの申し立てた自分の悪行で父を非難することに憤慨した。そこでかれは、堂々と歩いていき、恐れることなく告発するもの達に立ち向かった。長老達は、混乱に陥った。一人か二人は、少年が冒涜そのものではないとしても冒涜的だと考る一方、何人かは、滑稽な出来事と看做そうとした。ヨセフは困惑し、マリヤは憤慨していたが、イエスは、言いたい事を言い、勇敢に自分の視点を守り、争点の的となる他の全ての問題と同様にこれに関しても父の決定を受け入れる、と完璧な自制をもって発言した。そこで長老委員会は、黙して解散した。
マリヤは、イエスが、学校でこれらの疑わしい活動の何も続けないと約束するならば、家での粘土形成を許可するようヨセフに働き掛けると努力したが、ヨセフは、第2の戒律の律法学者の教義の解釈が優先されるべきだと決定せざるを得ないと感じた。それでイエスは、その日から父の家に住む限り、何かに似せて描写も形作りもしなかった。しかしかれは、自分のした事が悪いとか、若い人生の大いなる試みの一つを構成したそのように好きな楽しみをあきらめることに納得してはいかなかった。
6月の後半、イエスは、父共々タボル山の頂上に初めて登った。晴れた日で、眺めは上々であった。この9歳の少年にとり、インド、アフリカ、およびローマを除く全世界を本当に眺めたように思えたのであった。
イエスの2番目の妹マルタが、9月13日、木曜日の夜に生まれた。マルタが生まれて3週間後、ヨセフは、しばらく家にいたが、仕事場と寝室を一つにする家の増築を始めた。イエスのために小さい作業台が作られ、イエスは、初めて自分自身の道具をもった。かれは、長年折々に、このベンチで作業し、くびき作りに関しては大いに技術を高めるようになった。
この冬と翌年は、ナザレの数十年の間で最も寒かった。 イエスは、山で雪を見たことがあったし、ナザレにも何度か雪は、降ったことがあり、ほんの短い間地面に残った。しかしかれは、この冬まで氷を見たことはなかった。水が、固体、液体、蒸気として存在し得るという事実—かれは、長らく煮え立つ深鍋からの蒸気について考えた—は、若者に、物質界とその構成について多くを考えさせた。とはいえ、この成長する若者に具体化した人格は、この間ずっと広大な宇宙のこれら全ての物の実際の創造者であり組織者であった。
ナザレの気候は、厳しくなかった。1月は、最も寒い月で、平均気温は摂氏10度前後であった。最も暑い月の7月と8月は、24度から32度の間を上下した。山岳からヨルダン川と死海の谷まで、パレスチナの気候は、極寒から炎熱にまで及んだ。それ故、ある意味でユダヤ人は、ありとあらゆる世界の異なる気候条件で住む準備ができていた。
最も暑い夏の数カ月でさえ、涼しい海風は、通常午前10時から午後10時頃まで西から吹いた。だが、時おり東の砂漠からすさまじい熱風が、全パレスチナに吹いた。この熱い爆風は、通常雨期の終わり近くの2月と3月に襲ってきた。当時雨は、11月から4月まで爽やかなにわか雨であり、降り続くものではなかった。パレスチナには夏と冬、乾期と雨期の2つの季節しかなかった。1月に花が咲き初め、4月末までには国中が、1つの広大な花園であった。
イエスは、この年の5月におじの農場で初めて穀物の収獲を手伝った。かれは、13歳までにナザレ周辺で働く男女の仕事に関する金属工作を除くほとんど全てについて何かを知ることができおり、成長してからは、父の死後、鍛冶屋の仕事場で数カ月を過ごした。
仕事と隊商移動の低調時、イエスは、カナ、エンドル、ナイン近くへ父と娯楽や仕事で多く旅をした。若者の時でさえ、かれは、ナザレから北西へほんの5キロメートルほどの、そして紀元前4年から紀元25年頃までガリラヤの首都であり、またヘロデ・アンチパスが住居の一つであったセフォリスを頻繁に訪れた。不文律
イエスは、身体的に、知的に、社会的に、精霊的に成長し続けた。 家から離れる旅行は、家族へのイエスのより良く、より寛大な理解に大いに役立った。そしてこの頃までには、両親でさえ彼に教えると同時に彼から学び始めていた。青春期にさえイエスは、独創的な思考者であり、巧みな教師であった。かれは、いわゆる「不文法」と絶えず衝突したが、常に家族の習慣に適応しようとした。かれは、同年令の子供等とうまくやったが、彼らの行動の鈍い心に度々落胆するようになった。 10歳前には、成年者—身体的、知的、宗教的—の技能の促進のための一団となった7人の少年団の団長になっていた。これらの少年の中にあって、イエスは、多くの新しい遊びと身体の気晴らしのための様々の改善された方法の導入を果たした。
父との田舎での散策の際、イエスが、特異な性質を帯びる自分の生涯の使命についての自意識を持ち始めたと暗示するような気持ちと考えを初めて表現したのは、7月5日、月の最初の安息日であった。ヨセフは、息子の極めて重要な言葉を注意して聞いたが、ほとんど意見を述べなかった。ヨセフは、進んで情報提示をしなかった。あくる日イエスは、同様の、しかしより長い話をマリヤとした。マリヤは、同じように若者の表明に聞き入ったが、こちらもまた情報を提示しようとはしなかった。イエスが、人格の本質と地上での任務の特性に関する自身の意識内でのこの拡大する顕示について再び両親と話すまでにはおよそ2年の間があった。
8月に教会堂の上の学校に入学した。かれは、質問することに固執し、学校で絶えず問題を引き起こした。ますますかれは、おおよそすべてのナザレを騒ぎに閉じ込めた。両親は、これらの不穏な質問を禁じることには気が進まなかったし、担任教師は、この若者の好奇心、洞察と知識に対する渇望に殊の外好奇心をそそられた。
遊び仲間は、イエスの行為に超自然的なものは何も見なかった。ほとんどの点においてかれは、皆と同じであった。勉強に対する彼の関心は、いくらか平均以上であったが、並外れてというほどではなかった。彼は、学級の他の者より多く質問をした。
恐らくイエスの最も希有に目立つ気質は、自分の権利のための争いには不本意なことであった。年の割りにはそのようなよく発達した若者であったので、不当な、あるいは個人攻撃を受けた時でさえ、防御に気が進まないということは、遊び仲間には奇妙に見えた。事はうまく運び、1歳年上の隣人の少年ヤコブとの友情のお蔭で、イエスは、この特徴のために多くは苦しまなかった。ヤコブは、イエスのすばらしい崇拝者であり、ヨセフの商売仲間である石工の息子であった。イエスは、身体的な争い事には反感を持っていたので、ヤコブは、イエスへの手出しを誰にも許さないようにすることを自分の仕事とした。数倍年上で粗野な若者達は、イエスの評判の従順性を頼みにして攻撃をしたが、いつも自薦の覇者であり、常備の護衛者である石工の息子、ヤコブの手による迅速で確実な報復に悩んだ。
イエスは、その時代と世代のより高い理想を表するナザレの少年の中で一般に認められた指導者であった。ただ単に公平であるばかりではなく、愛を示し慎重な恩情に接し、稀で理解ある思いやりもあったので、かれは、若い仲間に本当に慕われた。
この年、年上の者への際立った好みを示し始めた。かれは、年長の人間との文化的、教育的、社会的、経済的、政治的、宗教的な事柄ついての話し合いを楽しんだし、かれの論理の深さと観察の鋭さは、常に話たがるほどに大人を魅了した。両親は、彼が、家の援助の責任を持つようになるまで、そのような嗜好を明示する年上の、より博識のある個人とよりも、むしろ同年令の、またはイエスの年に近い者と付き合うように影響を与えようとしていた。
この年の終わり、ガリラヤ湖の叔父と2ケ月間の漁経験をし、非常に成果もあった。成人前に、かれは、有能な漁師となっていた。
イエスの身体的な発達は続いた。かれは、学校では上級にいて特権を与えられた生徒であった。イエスは、弟妹達とかなり仲が良く、弟妹のうちの一番年上と較べても3歳半も上の利点があった。かれは、小癪であり過ぎるとか、適切な謙遜さと若々しい慎みを欠くとイエスについて評価する鈍感な子供の何人かの親達を除き、ナザレではよく思われた。かれは、若い仲間の遊戯の活動を、より真剣でかつ考え深い方向へ導く傾向をつよく表した。イエスは、生まれながらの教師であり、遊びといえども、教師として機能することを簡単には抑えることができなかった。
ヨセフは、イエスに生計を立てる多様な手段を指導し始め、早くに産業と貿易に比較しての農業の利点をいた。ガリラヤは、ユダヤよりも美しく、繁栄している地区であり、エルサレムやユダヤで暮らすのとでは、わずか4分の1ほどの費用しか掛からなかった。それは、5千以上の人口をもつ200以上の町と1万5千以上の人口をもつ30の町を含む農村であり、盛んな産業都市の行政区であった。
イエスは、ガリラヤの湖での漁業を観察するために父との初めての旅で、漁師になるともう少しで決心するところであった。だが、父の職業との近い関係が、後に大工になる影響を与えた。さらに後の影響の組み合わせが、彼を新しい社会の宗教的な教師になるという最終的な選択へと導いた。
この年を通じて、若者は、父と家から離れて旅を続けたが、頻繁におじの農場も訪ね、自分の本拠地を町の近くに設けたおじと漁のために時折マグダラへ行った。
ヨセフとマリヤは、しばしばイエスに何らかの特別な依怙贔屓を示すか、あるいは、約束の子、運命の子であるという自分達の知識をもらす誘惑にかられた。だが両親は共に、全てのこれらの事柄において並み外れて物分かりがよく賢明であった。数回、彼らが少年に対していかなる方法でもいかなる贔屓でもしたときに、少年は、全てのそのような特別な配慮を、ほんの僅かにしろ、即座に拒否した。
イエスは、隊商用の供給場でかなりの時間を過ごし、世界各地からの旅行者と話すことにより年のわりには驚きに値いするほどの国際的な事柄に関する情報を蓄えた。これは、自由な遊びと若い喜びを満喫する最後の年であった。これ以降、この若者の人生には困難と責任が急速に増えた。
紀元5年6月24日、水曜日の夕方、ユダが生まれた。7番目の子供のこの出生には合併症が伴った。マリヤは、ヨセフが数週間も家に留まるほどの重体であった。イエスは、父の使い走りと母の重病からくる多くの任務でとても忙しかった。この若者は、自分の早年の無邪気な態度には決して2度と戻れないことを悟った。母が病についた時点—11歳の直前—から最初に生まれた息子としての責任を引き受け、通常これらの重荷が自分の責任となるはずの1年あるいはたっぷり2年前にはこのすべてをすることを強いられた。
カザンは、イエスと毎週一晩過ごし、イエスのヘブライ経典の習得の手助けをした。かれは、有望な生徒の進歩に大いに興味があった。したがって、あらゆる面で喜んで援助してくれた。このユダヤ人教師は、この発達する心に大きな影響を及ぼしたが、学識のあるラビの下で教育を続けるためにエルサレムに行く見込みに関してイエスがすべての自分の提案に対しあまりにも無関心である理由を決して理解をすることができなかった。
5月の中頃、若者は、デカポリスの主要なギリシアの都市、すなわちベツ‐シアンの古代のヘブライの都市であるスキトポリスへ出張する父に同伴した。 途中ヨセフは、サウル王、ペリシテ人、それにイスラエルの混乱以降の出来事の古の歴史の多くを詳しく話した。イエスは、このいわゆる異教徒の都の清潔な外観と秩序立った佇いに非常に感銘を受けた。かれは、戸外劇場に驚嘆したり、「異教徒」の神々の崇拝のために捧げられた美しい大理石の寺院に見とれた。ヨセフは、若者の熱意に非常に戸惑い、エルサレムのユダヤ人の寺院の美と壮大さを褒めそやすことにより、これらの好感を打ち消そうとした。イエスは、ナザレの丘からこのすばらしいギリシアの都市をしばしば物珍しそうに見つめて、その大規模な公共事業と華麗な建物に関して何度も尋ねたが、父は、いつもこれらの質問への答えを避けようとしたのであった。今、かれらは、この非ユダヤ人の都市の美しさに向かい合い、ヨセフは、イエスの質問を体よく無視することができなかった。
ちょうどこの時、デカポリスのギリシアの都市対抗の恒例の腕力競技大会と公開実演が、スキトポリスの円形劇場で進行中であり、イエスは、競技を見に連れて行くように父にせがみ、ヨセフは、イエスのあまりのしつこさに拒否をためらった。少年は、競技にぞくぞくし、身体発達と運動技能の誇示の精神に心の底からのめり込んでいった。ヨセフは、「異教徒」の強い虚栄心に見入る息子の熱狂振りを目にし、言い表せないほどの衝撃を受けた。 競技終了後、イエスが競技への賛意と、健全な野外活動からの利益が得られれば、ナザレの青年達の為に良いかもしれないとの提案を耳にした時、ヨセフは、生涯での驚きを受けた。ヨセフは、本気で、しかもそのような習慣の不道徳な特質についてイエスと長く話したが、少年が納得していないことはよく分かっていた。
イエスがこれまでに父が立腹しているのを見たのは、その夜宿の部屋での長話の中で、少年が、ユダヤ人の考えの傾向を全く忘れたうえで、家に戻りナザレに円形劇場の建設のために働くことを提案した時のこの一度きりであった。ヨセフは、長男が、そのような非ユダヤ人的な感情を表明するのを聞くと、普段の穏やかな態度を忘れ、イエスの肩を掴み、「息子よ、お前が生きている限り決してそのような不道徳な考えを2度と口にして私に聞かせるでない。」と立腹し、声高に言った。イエスは、父の感情表示に驚いた。かれは、今まで父の憤りに個人的な痛みを一度も感じさせられたことがなかったので、表現できないほどに驚き、かつ衝撃を受けた。「良く分かりました。お父さん、そう致します。」とだけ答えた。少年は、父の生きている間、わずかな態度でさえも、ギリシア人の競技と他の競技の活動について触れることはなかった。
後にイエスは、エルサレムでギリシアの円形劇場を見て、そのようなものがユダヤ人の見解からはいかに憎むべきものであるかを知った。それでもその人生を通じて、ユダヤ人の慣例が許す範囲において、十二使徒のための定期的な活動の後の予定に、かれは、健康的な娯楽の考えを個人の計画に、取り入れることに努力した。
この11年目の終わり、イエスは、活発でよく発達した、適度にユーモラスで、またかなり気楽な若者であったが、またこの年以後は、ますます深い瞑想と真剣な熟考の独特の時期として過ごした。かれは、世界での使命の要求に従順であると同時に、家族への義務をどのようにして果たそうとするのかについて考えるのに多くの時間を費やした。かれは、すでに自分の聖職活動は、ユダヤ民族の改善に限られてはいないと心に受けとめていた。
これは、イエスの人生で多事多端な年であった。ますますそれによって人間が生計を立てる方法の研究を遂行する一方で、イエスは、学校では進歩をし続け、自然についての研究では疲れを知らなかった。かれは、家の大工場での定期の仕事を始め、ユダヤ人の家族では非常に変わった取り決めであったが、自分自身の所得の管理を許された。この年、そのような問題を家族の秘密にしておく知恵も学んだ。かれは、村で問題を引き起こした方法を意識するようになっており、これからは仲間とは異なるとみなされるかもしれない全てを隠すことにますます慎重になった。
この年を通して、かれは、自分の使命の本質に関し、実際の疑いとまではいかないとしても、長期にわたる不確実性の時期を経験した。自然に育む自身の人間の心は、イエスの二元的な現実をまだ完全には把握していなかった。自分には一つの人格があるという事実は、彼が、その同一人格と関連する特質を構成する要素の二重の起源の認識を難しくした。
かれは、この後ずっと弟妹達とより仲良くなった。かれは、ますます手際よく、つねに情け深く思いやりがあり、彼らの利益と幸福において公的任務の始まりまで弟妹達との良い関係を楽しんだ。より明確に、かれは、ジェームス、ミリアムと二人のより幼い(まだ生まれていない)子供たち、アモスとルツと仲良くした。かれは、いつもマーサととても仲がよかった。イエスの家庭での問題は、主にヨセフとユダ、特に後者との摩擦から起きた。
ヨセフとマリヤにとり神格と人間性のこの前例のない組み合わせの育みを請け負うことは、苦しい経験であり、それでいてかれらは、親の責任をとても忠実に、首尾よく履行したのですばらしい名誉に値する。徐々に、イエスの両親は、超人的な何かがこの長男の中に住んでいると理解したが、約束のこの息子が、本当にこの地域宇宙の物質と生命の実際の創造者であるということを、決して夢にさえ思わなかった。ヨセフとマリヤは、自分達の息子イエスが、本当は死ぬべき運命の肉体に化した宇宙の創造者だということを決して知ることなく終わった。
この年、イエスは、 これまでよりも多く音楽に注意を払い、弟妹のために自宅教育を続けた。若者が、自分の使命の本質に関してヨセフとマリヤの間での視点の違いを鋭く意識するようになったのは、およそこの頃であった。イエスは、両親の異なる意見について多くを考え、かれが熟睡していると思い二人が、議論しているのをしばしば聞いた。ますます、かれは、父の視点に傾き、そのため母は、息子の人生の経歴に関する問題における自分の指導を徐々に拒絶しているという実感に傷つく運命にあった。そして時が過ぎるにつれ、この理解の隙間は広がった。ますますマリヤは、イエスの使命の意義を理解しなかったし、このいい母親は、気に入りの息子が、彼女の好む期待を実現させないことに愈々傷つくのであった。
ヨセフは、イエスの使命の精霊的な特徴に対して発達する自分の信念を楽しんだ。そして、他の、より重要な理由がなければ、ヨセフがイエスの地上での贈与の概念の遂行を見るまでいきることができなかったことは、不運に思われる。
学校での最後の年、12歳の時、イエスは、家の出入りの都度、戸口の側柱に釘づけされた一片の羊皮紙に触り、触れたその指に口づけをするユダヤの習慣に関して父に抗議した。この習慣の一部として、「主は、これから、さらには永久に、我々が出かけ、また入るのを守ってくださりますように。」と言うのが習わしであった。ヨセフとマリヤは、そのような創造が、偶像崇拝的な目的に使用されるかもしれないと説明して、像形を作らない、あるいは絵を描かない理由について繰り返し教えてきた。イエスは、像形と絵に対する二人からの禁止を完全に理解したという訳ではないが、一貫性への高い概念を持っていたので、側柱の羊皮紙に対するこの習慣的儀礼は、本質的には偶像崇拝的であると父に指摘した。そこでヨセフは、イエスが抗議した後、羊皮紙を除去した。
時が経過するにつれて、イエスは、家族の祈りやその他の習慣の宗教的な慣行を修正のために多くのことをした。その礼拝堂が、有名なナザレの教師ホゼによって例示される自由主義のラビの学校の影響を受けていたので、ナザレでそのような多くのことをすることは、可能であった。
この年と次の2年間、イエスは、彼の宗教的実践と社会的快適さへの個人的な視点を両親の確立した信念に合わせるために、恒常的な努力の結果として、かなりの精神的苦悩を被った。自身の信念に忠誠であろうとする衝動と両親への忠実な服従の良心的な訓戒との対立に心が乱れた。イエスの最高の対立は、若々しい心の中で最優先する重大な二つの指令の間にあった。一つは、「真実と正義に関する自身の最も高い信念の命令に忠実であれ。」他方は、「生命を与え、養育をしたので、父母を敬え。」であった。しかしながら、かれは、個人の自分の信念と家族に対する義務への忠誠のこれらの領域で必要とされる日々の調整をする責任を決して回避することなく、忠誠、公正、寛容性と愛に基づく集団連帯の見事な観念に個人の信念と家族の義務のますます調和した混合をもたらす満足感を成し遂げた。
この年、ナザレの若者は、少年時代から若い成人時代へと移行した。声は変化し始め、心身の他の特徴は、青年期の接近の徴候を示した。
紀元7年1月9日、日曜日の夜、赤ん坊の弟アモスが生まれた。ユダは、まだ二歳にも達しておらず、赤ん坊の妹ルツは、まだ生まれていなかった。それで父が翌年事故死を遂げた時、イエスには小さい子供のいる相当に大きい家族の世話が任されたということが理解できるであろう。
人間の啓蒙と神の顕示の地上における使命を行う運命にあると、イエスが、人間の能力で確信し始めたのは、2月の中頃であった。遠大な計画に結びつけられた重要な決定は、外見的にはナザレの普通のユダヤ少年であるこの若者の心の中で定式化されていた。この全てが、いま青春期にある大工の息子の考えと行為において展開し始めるにつれ、全ネバドンの知的な生命体は、強い興味と驚きで傍観していた。
紀元7年3月20日、その週の第1日目、イエスは、ナザレの礼拝堂と関係のある地元の学校の訓練課程から卒業した。これは、どんな意欲的なユダヤ人の家庭生活においても、長男が「戒律の子」および、主である神の買い戻された長子、「いと高きものの子」および、全地球の主の召使いと宣言されるすばらしい日であった。
その前の週の金曜日、ヨセフは、この喜ばしい行事への参加のために、新しい公共建築物の作業を担当していたセフォリスから戻ってきていた。イエスの教師は、注意深く、勤勉な自分の生徒が、何らかの傑出した経歴、何らかの顕著な任務に運命づけられると堅く信じた。長老たちは、イエスの規範から外れた傾向による自分達との全ての悶着にもかかわらず、少年を非常に誇りに思い、有名なヘブライの専門学校で教育を続けるためにイエスがエルサレムに行けるよう既に計画を立て始めていた。
イエスは、これらの計画が時々議論されているのを聞くにつれ、ラビの元での学習のためにエルサレムには決して行かないことをますます確信するようになった。しかし、かれは、現在5人の弟と3人の妹、ならびに母と自分とから成る大家族の扶養と指揮の責任を負うことによって起こるそのようなすべての計画の放棄が確実となる悲劇がそれほど早く起こるとは夢にさえ思わなかった。イエスには、この家族を養うにあたり、父のヨセフに与えられたよりもひと回り大規模で、より長期間の経験をした。かれは、自分自身が設定した基準、すなわちあまりにも突然に悲しみに見舞われた、あまりにも不意に取り残された、この家族—自分の家族—の賢明で、我慢強い、理解ある、有能な教師であり一番年上の兄弟となることを適えたのであった。
いまは成人の入り口に達し、ユダヤ教の礼拝堂学校から正式に卒業したイエスには、両親と最初の過ぎ越しの祭りに参加するためにエルサレムに行く資格があった。この年の過ぎ越しの祭典は、紀元7年4月9日、土曜日に当たった。4月4日、月曜日の朝、相当数の仲間(103人)のナザレからエルサレムへの出発準備は、できた。かれらは、サマリアへと南に旅をし、ジェズリールに達するとサマリア通過を避けるために東に向かい、ギルボア山を回り、ヨルダン渓谷へと行った。ヨセフとその家族は、ヤコブの井戸とベテルを経てサマリアを下りて行く方が楽しめたのであろうが、サマリア人を相手にするのが嫌なユダヤ人の一行は、ヨルダン渓谷を通り、近郷の者達と連れだって行くこととした。
非常に恐れられたアーケラウスは免職されており、かれらは、エルサレムへのイエス同行を恐れる必要がなかった。最初のヘロデがベツレヘムの赤子を滅ぼそうとして以来、12年が過ぎていた。そして、現在、誰も、その件をナザレのこの無名の少年に関連づけて考えるものはいなかった。
ジェズリールの合流点に到達前、かれらは、旅を続け、間もなく左側に、シュネムの古代の村を見て通り過ぎていくと、イエスは、かつてそこに住んでいたイスラエル中で最も美しい少女について、またエリシアがそこで為した素晴らしい行動について再び聞いた。ジェズリールを通る際、イエスの両親は、アハブとイゼベルの行いとエヒュウの手柄について詳しく話した。かれらは、ギルボア山を周回しながら、この山の斜面で自殺したサウル、ダヴィデ王、それにこの歴史的な場所に関する多くについて語った。
ギルボアの麓を一周すると、巡礼者達は、右の方にスキトポリスのギリシアの都市を見ることができた。皆は、遠方から大理石の建造物を見つめたが、自分たちを汚し、今度のエルサレムでの過ぎ越しの厳粛かつ神聖な礼式に参加できなくならないように非ユダヤ人の都市の近くには行かなかった。メアリは、ヨセフもイエスもなぜスキトポリスについて話さないかを理解できなかった。かれらは、この挿話を一度も明らかにしたことがなかったので、マリヤは、前年のかれらの論争については知らなかった。
さて、道は、熱帯のヨルダン渓谷へと真下に通じた。イエスは、死海に流れ下りながら煌き、波を立て、果てしなく曲がりくねるヨルダン川への驚嘆の眼差しをさらすこととなった。荘厳な姿で歴史的な谷を見下ろしている膨大な雪を頂くヘルモン山が遠く北に聳える一方、かれらは、この熱帯の渓谷の旅を南へに下がるにつれ、外套を側に置いて、豊かな穀物平野と桃色の花をふんだんにつけた美しい夾竹桃を楽しんだ。スキトポリスの反対側から3時間余りの旅をして、かれらは、湧泉にやってきて、その夜は星明りの天の下で野営した。
旅の2日目、かれらは、ヤッボク川が、東からヨルダン河に流入するところを通り過ぎ、東にこの河の谷間を見上げて、ミデアン人が、この領域の土地に溢れて殺到したギデオンの時代について詳しく語った。2日目の旅の終わり近く、かれらは、そこでヘロデが妻の一人を投獄し、自分の絞め殺された二人の息子を埋葬したサータバ山、つまりアレクサンドリアの砦が頂上を占領している、ヨルダン渓谷を見下ろす最も高い山の麓近くで野営した。
3日目、かれらは、最近、ヘロデによって建てられ、その優れた構造と美しいシュロの庭で注目されている二つの村を通過した。日暮れまでには、エリコに達し、そこに翌日まで留まった。ヨセフ、マリヤ、イエスの3人は、その夕方、ユダヤ人の言い伝えでは、ヨシュアが、(この人に因んでイエスが命名された)名高い功績を上げた古代のエリコの遺跡まで2.4キロメートル歩いた。
旅の4日目で最後の日までには、道は、巡礼者の絶え間ない行列であった。かれらは、今や、エルサレムに繋がる丘を登り始めた。頂上に近づくにつれ、山を後ろにヨルダン川を、また南の遠くに死海の流れのゆるい水域を見ることができた。エルサレムまでのおよそ中間当たりで、イエスは、オリーブ山(自分のその後の人生でとても多くの一部である地域)を初めて目にし、そこでヨセフは、聖都が丁度この尾根の向うにあると教えると、少年の胸は、やがて我が天の父の都と家を見る喜びの期待に速く鼓動した。
かれらは、オリーブ山の東斜面にあるベタニヤと呼ばれる小さな村の境界で、一息入れた。親切な村人達は、もてなすために巡礼者のもとにどんどんやってきて、ヨセフとその家族は、たまたまイエスとほぼ同じ年頃のマリヤ、マルタ、ラザロの三人の子をもつサイモンという者の家の近くで止まった。その家族は、ナザレ一家を飲食に招き入れ、2家族間の生涯の絆がうまれ、その後しばしば、波瀾万丈の人生で、イエスは、この家に立ち寄った。
かれらは、 突き進み、すぐオリーブ山の縁に立っており、イエスは、初めて(自身の記憶で)、聖都、尊大な宮殿、そして感激的な父の寺院を見た。この4月の午後、オリーブ山のそこに立ち、エルサレムの初めての眺望に深く感じ入り、この上なく完全に魅了されたこの時の純粋に人間的なそのような心の震えを経験したことは、その人生のいかなる時においても、イエスにはかつてなかった。そして、イエスは、天の師の中の最後の、最も素晴らしいもう一人の予言者を拒絶しようとしていた都を、後年、この同じ場所に立ち、泣いて悲しんだ。
だがかれらは、エルサレムへと急いだ。もう木曜日の午後であった。都に到着し、かれらは、寺院を通り過ぎた。イエスは、決して人間のそのような群れを見たことがなかった。これらのユダヤ人が、世間に知られている最も遠い場所からここにどのように集合したかについて深く考えた。
かれらは、ほどなく、事前に手配されている過ぎ越しの週間の宿泊場所に、マリヤの裕福な親類の、ヨハネとイエスの両人の初期の歴史について、ザカリヤを通して何かを知る者の大きい家に着いた。あくる日、準備の日、かれらは、過ぎ越しの安息日に適う祝賀のための準備をした。
エルサレム中が過ぎ越しの準備にざわめいている間、ヨセフは、2年後規定の15歳に達し次第、すぐに教育を再び始めるための手配をしてあった学院を訪問するために、息子を連れまわる時間の都合をつけた。慎重にこれらの練られた計画全てに、イエスがいかに僅かしか関心がないかを明らかのするのを見て、ヨセフは、誠に当惑した。
イエスは、寺院とそれに関する全儀式や他の活動に深く感動した。4歳以来初めて、多くの質問をするために思索に夢中になり過ぎていた。イエスは、それでも、天なる父は、なぜそれほどに多くの罪のない無力な動物の殺戮を要求するのか、困惑する幾つかの質問を(以前にしたように) 父にした。そしてこの父には、自分の答えと説明への試みは、深い考えと鋭い論理的思考をもつ息子には不満足であったと、若者の顔の表情からよく分かった。
過ぎ越しの安息日の前日、精霊的な照明の上げ潮は、イエスの人間の心に広まり、古来の過ぎ越しの祝賀のために集まった精霊的に盲目で、道徳的に無知な群衆への溢れんばかりの慈愛深い哀れみでイエスの人間の情愛が満たされた。これは、肉体をもつ神の子が、過ごした最も驚異的な日の一つであった。そして、その夜、地球経歴で初めて、イマヌエルに委任されたイエス付きのサルヴィントンからの使者が現れ、「時が来た。あなたの父の用向きを始める時です。」と言った。
そして、ナザレ家族の思い責任が若い肩にのしかかってくるよりもずっと以前に、天の使者は、まだ13歳にもなっていないこの若者に、宇宙の責務の再開を始める時がきたと気づかせるためその時到着した。これは、ユランチアにおける息子の贈与の成就と「人間‐神の肩上の宇宙政府」を取り替えにおいてついに最高点に達する一連の長い行事の最初の行為であった。
時の経過につれ、肉体化の神秘は、我々全員にとり、ますます測りしれないものとなった。ナザレのこの若者が、すべてのネバドンの創造者であるということを、我々は、ほとんど理解することができなかった。同様に我々は、最近、この同じ創造者たる息子の精霊とその楽園の父の精神がどのように人間の魂に関係しているかをも理解してはいない。時の経過とともに、我々は、彼が、肉体をもって生きる傍ら、宇宙の責務をその両肩に担っているにもかかわらず、その人間の心は、ますますそれについて明察していることを知ることができた。
こういう具合でナザレの若者の経は、終わり、その思春期の青年—ますます自意識の強い神の人間—の物語を始まる。広がっていく人生の目的を両親の願望、家族への義務、およびその時代と世代の社会の望みとを統合するよう努力につとめ、かれは、自分の世界での経歴への熟考を始める。
イエスの多事多端な地上での生涯における出来事の中で、 記憶にあるエルサレムへの最初の訪問ほど、魅力あり人間らしく感動的なものはなかった。一人で寺院での討論に参加した経験に特に刺激され、それは長い間、幼年後期と思春期初期の大きな出来事として彼の記憶の中で際立った。これは、気兼ねも制約もなく、陽気な出入りの、数日間の独立生活を楽しむ最初の機会であった。過ぎ越しの祭りの翌週の間、この短期間の指示を受けない生活は、かれが、責任から離れて今までに楽しんだ初めての完全な自由であった。そして、再び、たとえ短期間でも、同様のすべての責任感からの自由な期間を持ったのは、その後何年も先のことであった。
女性は、滅多にエルサレムの過ぎ越しの祭りに行かなかったし、臨場は必要とされなかった。しかしながら、もし母が同行しなければ、イエスは、行くことを実質的に拒否した。そして、母が、行くと決めた時、多くの他のナザレ出身の女性が旅をすることになったので、これまでになくナザレからの過ぎ越しの祭りの一行は、男性に比較してかなりの女性の数であった。エルサレムへの道すがら、皆は、ときおり、詩篇第130を繰り返し歌った。
ナザレを発ったときからオリーブ山の頂上に着くまで、イエスは、期待に満ちた予想からの一つの長いある種の圧迫感を経験した。楽しい幼児期、かれは、エルサレムとその寺院について敬虔に聞いてきたが、現実に、今すぐそれらを見るところであった。オリーブ山から、そして外からのより詳細な寺院の観察では、寺院は、イエスが期待していた以上のものであった。しかし、一度その神聖な正門を入ると、かなりの幻滅が始まった。
イエスは、イスラエルの市民として奉げられようとしていた新生の戒律の息子のその集団に加わるために、両親と共に寺院の境内を通り抜けた。かれは、寺院での群集の一般的な態度に少し失望したが、母が、女性用の桟敷へ行く途中で暇乞いをしたとき、その日の最初の大きな衝撃があった。母が奉納式に同伴することになっていないなどとは、決して思いもつかなかった。そして、イエスは、母がそのような不当差別に苦しまされたので、すっかり憤慨していた。かれは、強くこれに憤慨したが、父への抗議のいくつかの意見は別として、何も言わなかった。しかし、代書人と教師への質問が1週間後に明らかにしたように、イエスは、深く考えに考えた。
イエスは、奉納儀式を終えたが、その形式的で単調な特質に失望した。かれは、ナザレの礼拝堂の儀式を特徴づけた個人の関心の欠落を寂しく感じた。それからイエスは、母を迎えに戻り、寺院、その様々な中庭、回廊、および廊下の周りでの最初の見物に父に同行する準備をした。寺院の境内は、1度に20万人以上の礼拝者を収容することができ、これらの建築物の広大さ—これまでに見てきたものとの比較において—は、イエスの心に大いに感銘を与える一方で、かれは、寺院での儀式とそれに関する崇拝の精霊的な重要性の熟考に興味をそそられた。
寺院の儀式の多くは、彼のの美と象徴の感覚に非常に感動的に感銘を与えたが、イエスは、多くの注意深い質問に両親が答えて提示するこれらの儀式に関する真の意味の説明につねに失望した。イエスは、信念を神の復讐、または全能の神の激怒に関係づけた崇拝と宗教的な献身の説明を単純には受け入れようとはしなかった。寺院訪問の終了後、これらの質問に関する更なる議論において、父が正統的なユダヤ人の信仰の受諾を承認するということにいささか固執するようになったとき、イエスは、突然両親に向かい、訴えるように父の目を覗き込んで言った。「父よ、本当であるはずがない—天国の父は、地上の誤りを犯す子を気にしないはずがない。天の父は、あなたが私を愛しているほどに自分の子供を愛さないはずがない。そして、私はよく知っている。たとえ私が浅はかなことをしようとも、あなたは決して私に激しい怒りをぶちまけないであろうし、怒りを発散もしないであろう。地球の父であるあなたが、そのような人間の神からの反映を所持しているならば、いわんや、天の父は、ずっと多く善に満たされ、慈悲に溢れているはずである。私は、天国の父が、地球の私の父ほどには私を愛していないと信じることを拒否する。」
ヨセフとマリヤは、長男のこれらの言葉を聞いて安堵した。そして、かれらは、決して二度と神の愛と天の父の慈悲深さに関し、彼の気持を変えようとはしなかった。
イエスは、通過した寺院の中庭のいたる所で目撃した不敬の精神に衝撃を受け、うんざりさせられた。寺院における群集の行為は、「我が父の家」でのそれらの存在と矛盾すると考えた。しかし、父に連れられて非ユダヤ人の中庭へいった時、イエスは、両替商や生贄用の動物や他の商業商品の商人の存在が知れる羊の鳴き声とガヤガヤという雑音が、滅多やたらと入り混じったその騒々しいわけの分からない言葉、声高な話振りやののしりに、 若い人生での衝撃を受けた。
だが、ちょうどセフォリス訪問の際にごく最近に見た塗りたてた女性のような軽薄な娼婦が、寺院のこの管区内をこれ見よがしに歩く光景に、イエスの礼節に対する観念が、とりわけ侵害された。寺院におけるこの冒涜は、彼のすべての若い憤りを完全に刺激し、ヨセフに自己を思いのままに表現することをためらわなかった。
イエスは、寺院の風情と礼拝を賞賛したが、数多くのとても軽率な礼拝者の表情に見た精霊的な醜さに衝撃を受けた。
かれらは、動物の群れの屠殺と青銅の噴水で屠殺役を勤める僧達がその手の血を荒い流すのを見物するために、祭壇が設けられた寺院前の岩棚の下にある僧の中庭へ下りていった。血みどろの舗道、僧達の血なまぐさい手、それに瀕死の動物の鳴き声は、この自然を愛する若者の我慢の域をはるかに越えるものであった。凄まじい光景は、ナザレのこの少年をうんざりさせた。かれは、父の腕を掴み、連れ去るように懇願した。かれらは、非ユダヤ人の中庭を通過して引き返したが、そこで聞いた下品な笑いや不敬の冗談さえ、たった今目にした光景に較べれば救いであった。
ヨセフは、息子がいかに寺院の儀式の光景に吐き気を催したかを見て、賢明にもイエスをコリントの青銅で作られた芸術的な門、「麗しの門」を見に連れていった。しかし、イエスは、すでに寺院での最初の訪問を十二分に味わっていた。かれらは、上部の中庭のマリヤのところに戻り、群衆から離れ、野外においてアシュマナンの宮殿、ヘロデの大邸宅、およびローマの警備員の塔を見て一時間歩き回った。この散策の間、ヨセフは、エルサレムの住民だけが、寺院での毎日の生贄の目撃を許可されており、またガリラヤの住人は、過ぎ越しの祭り、五旬節(過ぎ越しの祭りの後の7週間)の祭り、10月の仮庵の祭りの1年に3回だけ寺院での礼拝参加のためやって来る、とイエスに説明した。これらの祭りは、モーゼによって定められた。かれらは、それから宮清めの祭りとプリムの祭りのその後に確立された二つの祭りについて論じた。その後、かれらは、宿泊所に行き、過ぎ越しの祭りの祝いの準備をした。
ナザレの5家族は、ベタニヤのサイモンの家族の過ぎ越しの祭りの客または仲間であり、サイモンは、一行のために小羊を購入してあった。寺院訪問の際イエスに大きく影響を与えたのは、それほどまでの膨大な数に及ぶこれらの小羊の虐殺であった。マリヤの親類と過ぎ越しの祭りの食事をする予定であったが、イエスは、ベタニヤに行く招待に応じるよう両親を説得した。
その夜、かれらは、過ぎ越しの祭りのために集まり、無発酵のパンと苦い香草と焼かれた肉を食べた。契約の新生の息子であることから、イエスは、過ぎ越しの祭りの起源を詳しく話すように頼まれ、これを上手にしたのだが、つい最近見聞きしたことで、若い、しかし考え深い心に印象を穏やかに反映する多数の意見を含めたことで両親をいくらか狼狽させた。これが過ぎ越しの祭りの祝宴の7日間の儀式の始まりであった。
そのような問題に関して両親には何も言わなかったが、イエスは、この早期においてでさえも、屠殺された小羊なしの過ぎ越しの祭りを祝う正当性を心の中で考えを巡らせていた。かれは、心中で、天の父は、この生贄の供え物の光景を喜んでいないということが確かであると感じたし、歳月が経過するにつれ、いつか無血の過ぎ越しの祭りの祝賀を打ち建てようとますます決心するようになった。
その夜イエスは、ほとんど眠らなかった。イエスの睡眠は、殺戮と苦悩との不快な夢に大いに妨げられた。かれの心は、取り乱れ、またユダヤ人の儀式の全体系に関する神学の矛盾と不条理に引き裂かれるのであった。両親も同様にほとんど眠らなかった。かれらは、終わったばかりのその日の出来事に大いに当惑した。かれらにとっては奇妙で断固に取れる若者の態度に完全に、その心は、動揺した。マリヤは、宵のうち、神経質に動揺し、ヨセフは、等しく困惑していたが、穏やかなままでいた。かれらが、敢えて彼を励ましたならば、イエスは、両親と快く話したであろうが、双方共にこれらの問題に関して率直に若者と話すことを恐れた。
寺院での翌日の礼拝は、イエスにとりむしろ容認できるものであり、不快な前日の思い出を取り除くには大いに役立った。翌朝、若いラザロは、イエスを手元におき、かれらは、エルサレムとその近郊の計画的な探検を開始した。 その日が終わる前に、イエスは、教育と質問会議が進行中の寺院の周辺に様々な場所を発見し、分離のための被いの後ろに本当にあるものに興味を持ち、目で確かめるために最も聖なるいくつかの訪問は別として、これらの教育会議で寺院の周辺で時間の大部分を費やした。
過ぎ越しの祭りの週を通して、イエスは、戒律の新生の息子達の間に身を置いた。これは、イスラエルの完全な市民でないすべての人々を隔離した柵の外に、イエスが着席しなければならないことを意味した。このように青春期を意識させられたので、かれは、心に湧き立つ多くの質問を差し控えた。少なくとも過ぎ越しの祭りの祝賀が終わるまでは差し控えた。そして、新たに奉納された若者達に対するこれらの制限は解除された。
過ぎ越しの祭りの週の水曜日、イエスは、ベタニヤで夜を過ごすためにラザロと一緒の帰宅が許された。この夜、ラザロ、マルタとマリヤは、イエスが、現世と永遠、人間と神の問題について論じるのを聞き、またその夜以来、三人全員が、まるで自分達の兄弟であったかのようにイエスを愛した。
その週末までにイエスは、外側の中庭で行なわれている公開協議のいくつかには出席したが、寺院の議論集団の外側の円陣にさえ入場の資格はなかったので、ラザロをあまり見かけなかった。ラザロは、イエスと同年令であったが、エルサレムでは、若者は、満13歳になるまで、戒律の息子の奉納の儀には滅多に許されなかった。
再三、過ぎ越し祭りの週の間、両親は、その若い頭を両手で抱えて一人離れて座り、深く考え込んでいるイエスを見かけた。かれらは、このように振る舞うイエスを一度も見たことがなく、今の経験にどれほどイエスの心が混乱し、精神が煩わされたかを分からずにひどく当惑した。かれらは、どうすべきか分からなかった。二人は、過ぎ越し祭りの週の日々が経過するのを歓迎し、奇妙に行動している息子のナザレへの無事な帰還を切望した。
イエスは、自分の問題について日々考え抜いていた。かれは、週末までには多くの調整をした。しかし、ナザレに戻る時がくると、イエスの若い心は、まだ当惑に満ち、多くの答えのない疑問と未解決の問題に悩まされていた。
イエスのナザレの教師とともにエルサレムを去る前に、ヨセフとマリヤは、ラビで最も有名な学院の1つで長期に渡る教化過程を始めるために、イエスが、15歳に達したときに戻ってくる明確な取り決めをした。イエスは、両親と教師との学校訪問に同行したが、三人の言動のすべてにいかにも無関心らしそうな彼の様子に三人共心を痛めた。マリヤは、エルサレム訪問に対するイエスの反応で深く苦痛を感じ、ヨセフは、若者の奇妙な意見と変わった行為に心から当惑した。
最終的には、過ぎ越しの祭りの週は、イエスの人生の大きい出来事であった。かれは、奉納の候補仲間である多くの同じ年頃の数十人の少年達との一堂に会する機会を楽しみ、またローマの極西部地域の場合のようにメソポタミア、トルキスタン、パルチアに如何ように人々が住んでいるかを知る手段としてそのような接触を利用した。イエスは、エジプトとパレスチナ近くの他の領域の若者の成長の仕方には既にかなり精通していた。この時のエルサレムには何千人もの若者がおり、ナザレの若者は、個人的に、150人以上と会い、多少広範囲に質問をしたり意見をきいたりした。かれは、特に極東と遠い西側諸国出身の若者に興味を持った。この接触の結果、若者は、同胞である様々な集団が、暮らしのためにどのように精を出して働いているかを知る目的で世界を旅する願望を抱き始めた。
ナザレの一行は、過ぎ越し祭りの終了後の週の1日目の午前半ばに寺院の周辺に集まると申し合わせていた。皆は集合し、ナザレへの復路の旅を開始した。両親が旅仲間の集合を待ち受ける間、イエスは、議論を聞くために寺院に入った。まもなく一行は、出発の準備をし、エルサレムの祭への往復の旅の習慣通りに、男の1集団と女の1集団に分かれた。イエスは、エルサレムへは母と女性達と上っていった。今は奉納の青年であり、ナザレには父と男性達と共に戻るはずであった。しかし、ナザレの一行がベタニヤの方へ進んだとき、イエスは、寺院で天使に関する議論にすっかり夢中になっており、両親の出発時間が過ぎたことにまったく不注意であった。そして、寺院の会議の昼の散会まで、取り残されてしまったとは気付かなかった。
ナザレの旅人達は、イエスを取り残したのではなかった。というのも、マリヤは、イエスは男性と共に旅をすると推測し、ヨセフの方は、エルサレムにはマリヤのロバを引いて女性連と上ったので女性とともに旅すると考えたので。皆は、ジェリコに達し、その夜の滞在準備に入るまで、イエスの不在が分からなかった。ジェリコに到着する最後の班に問い合わせをし、そのうちの誰も息子を見なかったと分かり、夫婦は、不眠の夜を過ごし、息子に起こったかもしれないことに思いを馳せ、過ぎ越し祭りの週の出来事に対するイエスの珍しい変わった反応の多くを列挙し、一行がエルサレムを去る前に、集団の中にイエスを確かめなかったことを互いを穏やかにたしなめた。
その間、イエスは、午後ずっと寺院に留まり、議論に聞きいり、過ぎ越し祭りの週の沢山の群衆が去ろうとしているより静かで落ち着いた雰囲気を楽しんだ。そのいずれにも参加はしなかった午後の議論の終結時に、イエスは、ベタニヤへ赴き、サイモンの家族の夕餉の準備ができたちょうどその時に到着した。3人の若者は、イエスを迎えて大喜びであった。その夜、イエスは、サイモンの家に留まった。かれは、夕方ほんのわずかの訪問しかせず、時間の多くを一人庭で瞑想をした。
次の日早々、イエスは、起きて寺院へ向かった。オリーブ山の崖縁で休止し、目にした光景—精霊的に貧困な民族、伝統による束縛、ローマ軍団の監視下での生活—に涙した。午前の前半には、議論に参加すると決心したイエスが、寺院に居た。一方ヨセフとマリヤもまたエルサレムへの来た道を辿るつもりで夜明け早くに起きていた。まず最初にかれらは、過ぎ越し祭りの週の間、家族として宿泊していた親類の家へと急いだが、問い合わせは、イエスを誰も見なかったという事実に終わった。一日中捜して、何の足跡も見つからず、二人は、夜親類の家に戻った。
イエスは、二日目の会議において大胆な質問をすると決めており、 非常に驚くべき方法で、しかも常に若者らしさを保つ態度で寺院の討議に参加した。イエスの鋭い質問は、 時々ユダヤ法の学識をもつ教師達にはいくらか厄介であったが、イエスが、知識への明白な飢餓と相挨って、率直な公平さのそのような精神を明示したので、大部分の寺院の教師は、あらゆる考慮でイエスを遇したいという気になった。しかし、非ユダヤ人用の中庭の外を逍遥し、知らず知らずのうちに禁制の、神聖な境内に入った酔った非ユダヤ人を処刑する正義について大胆に質問をした時、より偏狭な教師の一人は、若者が暗示している批評に苛立ち、イエスを睨んで年令を問い質した。イエスは、「13歳にほんの4カ月あまり足りない。」と返答した。「では、」今怒っている教師は、「法の息子の年でもないのに、お前はなぜここにいるのか。」と応えた。そして、イエスが、過ぎ越しの祭りの間に奉納を受けており、ナザレの学校を終えた学生であると説明した時、教師達は、こぞって「分かっていたはずだ。あいつは、ナザレの出だ。」と嘲笑的に答えた。しかし、指導者は、13歳ではなく12歳で、ナザレの礼拝堂の統治者が卒業させたのであれば、技術的にはイエスが非難される立場にはないと主張した。数人の中傷者は、立ち上がって去ったにもかかわらず、若者が寺院の議論の生徒として邪魔されずに続けてよいと決定された。
これが、つまり寺院の2日目が終わったとき、イエスは、その夜またベタニヤへ行った。そして、かれは、再び思索し、祈りのために庭へ出た。イエスの心が、重大な問題の熟考に関心を持ったことは明らかであった。
寺院での代書人と教師とのイエスの3日目は、この若者のことを聞きつけ、法の賢者達を混惑させるところを見て楽しむためにやってきたガリラヤからの多くの観衆をもたらした。サイモンも、少年が何をしていたかを知るためにベタニヤから下りて来た。ヨセフとマリヤは、イエスを案じてこの日ずっと探索を続け、何度か寺院にも入りさえしたが、一度イエスの魅力的な声が聞こえる距離までほとんど来たが、二人は、幾つかの討論集団を詳細に調べようとは思わなかった。
その日が終わる前に、寺院の主な討論集団の全体の注意は、イエスによる質問に集中するようになった。多くの質問の中には、以下のもがあった。
1.ベールの後ろに、最も聖なるものに本当は何が存在するのか。
2. イスラエルの母達は、なぜ男性の寺院礼拝者から分離されなければならないのか。
3. 神がその子供を愛している父であるならば、神の恩顧を得るための全てのこの動物屠殺は何故なのか—モーゼの教は誤解されてしまったのか。
4. 寺院は天国の父の崇拝に捧げられているのに、非宗教的な物々交換と売買に従事する者達の臨場を許することは首尾一貫しているのか。
5. 期待される救世主は、ダヴィデの王座に着く現世の王子になることになるのか、あるいは精霊の王国設立における命の光として機能することになっているのか。
一日中聴いていた人々は、これらの質問に驚嘆した。そして、サイモンほど驚いた者は他にいなかった。4時間以上、このナザレの若者は、ユダヤのこれらの教師の思考を刺激し、心を探る問題を積み重ねた。イエスは、年長者の所見に関してほとんど批評はしなかった。イエスは、問い掛けの質問で自己の教えを伝えた。器用で巧妙な質問の言い回しによって、かれは、全く同時にかれらの教えに疑問を呈し、自身の教えを示唆するのであった。かれの質問する態度には、彼の若々しさに多少憤慨した者達にさえ慕わせる聡明さとユーモアの魅力的な組み合わせがあった。これらの鋭い質問をするに当たり、常にきわめて公平で、思いやりがあった。寺院のこの日の盛り沢山な午後、イエスは、後の公の任務の全体に特徴となった相手の弱みにつけいることへの躊躇、その同じ躊躇を示した。若者として、そして後に男性としてイエスは、単に仲間に対する論理的な勝利を経験するためだけに議論に勝つような利己的な欲望がないようであった。ただ一つのものに、つまり永遠の真実を公布し、その結果、永遠の神の 最大限の顕示をもたらすことにだけこの上なく関心があった。
その日が終わりにサイモンとイエスは、ベタニヤへとゆっくり戻った。道中の大部分男と少年の双方は、黙っていた。イエスは、再度オリーブ山の崖に立ち止まったが、都とその寺院を見ても泣きはせず、無言の敬虔に頭を下げるだけであった。
ベタニヤでの夕食後、イエスは、そのように再び陽気な円陣に加わることを辞退したが、その代わりに庭に出て、そこで夜遅くまで長居し、一生の仕事の問題への取り組みの何らかの明確な計画をよく考えるために、また精霊的に盲目になる同国人に天の父についてより美しい概念を示すために、法律、慣習、礼式、かび臭い伝統のひどい束縛から彼らを解放し、いかに最適に働くかを決めるために虚しく、努力した。しかし、鮮明な明かりは、真実を探求している若者のもとには来なかった。
イエスは、奇妙にも地上の両親には無頓着であった。朝食時でさえ、彼の両親は、その頃までには家に着くに違いないとラザロの母が言っても、イエスは、彼の長居に、皆がいくらかなりとも心配していることを理解した様子はなかった。
イエスは、再び寺院への途中であったが、オリーブ山の崖で思索のために止まらなかった。午前の議論の中で、多くの時間が法と予言者に費やされた。教師達は、イエスが、ギリシア語とヘブライ語の聖書になじみ深いのに驚かされた。しかし、かれらは、イエスの真実に関する知識よりもその若さに驚嘆していた。
午後の会議で指導者が、若者に進み出るように誘い、指導者は彼の横に座ると、祈りと崇拝に関する若者自身の視点を語ることを勧めた時、かれらは、若者の祈りの目的の問いに答え始めようとするところであった。
その前屋夜、イエスの両親は、法の解説者達ととても手際よく論争したこの奇妙な若者について聞かされたが、この若者が自分達の息子であるとは思いもよらなかった。二人は、イエスが、エリザベツとヨハネに会うためにそこへ行ったかもしれないと考えたので、ザカリヤの家へ旅することを決めるところであった。かれらは、ザカリヤは恐らく寺院にいると思い、ユダの町へいく途中、そこに立ち止まった。二人が、寺院の中庭をそぞろ歩きで通っていると、行方不明の若者の声を聞きつけ、寺院の教師達の間に座っている彼を見たときの夫婦の不意の驚きを想像してみなさい。
ヨセフは言葉も出なかったが、マリヤは、今驚いている両親を迎えるために立ち上がっている若者に突進していき、長く鬱積した恐怖と心労をさらけ出し、「我が子よ、我々をなぜこのように扱ったのか。父と私が嘆きながらお前を捜し求めて、はや3日以上である。我々を見捨てる何かにとりつかれたのか。」と言った。それは、緊張の瞬間であった。イエスが言うことを聞こうとすべての目が、注がれた。父は、咎めるようにイエスを見たが、何も言わなかった。
イエスは青年であると看做されていることを思い起こされなければならない。かれは、通常の子供の学校教育を終え、法の息子として認められ、イスラエルの国民として奉納を受けた。それでも、母は、若い一生の最も重大で崇高な努力の最中に、全群集の前で穏やかとは言えない調子でイエスを叱責し、その結果、真実の教師、正義の伝道者、天の父の情愛深い性格の啓示者として機能するために与えられる最大の機会の一つを不名誉な終結にしてしまった。
しかし、若者は、状況に対応した。この状況を作り上げた全ての要因を公平に考慮にいれるとき、あなたは、母の予想外の叱責に対する少年の返事の妥当性を計る準備ができているであろう。寸時の考えの後に、イエスが母に「それほど長い間私を探していたのは、なぜであるのか。父の用向きをすべき時が来たので、父の家で私を見つけるとは思ってもらえなかったのか。」と答えて言った。
誰もが若者の物言いに驚いた。皆は、黙って撤退し、立って一人だけ両親とともいるイエスを残した。まもなく青年は、静かに、「両親よ。来なさい。誰もが一番良いと考えたことをした。我々の天国の父は、これらのことを定められた。家に向けて出発しよう。」と言ったとき、三人全ての困惑を取り除いた。
かれらは、黙って出発し、その夜の宿泊のためにジェリコに到着した。一度だけ、かれらは止まり、あのオリーブ山の例の崖の上で若者は、自分の棒を高く掲げ、頭の先から爪先までを激しい感情で震わせて言った。「ああ、エルサレムよ、エルサレム、そしてその人々よ、お前達はどんなに奴隷であることよ—ローマのくびきと自身の伝統の犠牲者に追従している—しかし、私は、そこの寺院を浄化し、この束縛から我が民衆を救い出すために戻ってくる。」
ナザレへの3日間の道中、イエスは、ほとんど言葉を発っしなかった。両親もまたイエスの前では多くを言わなかった。かれらは、長男の行動の理解に本当に途方に暮れていたが、たとえ完全にそれらの意味を理解できなかったとしても、かれらは、イエスのいうことを自分達の心の宝とした。
家に着くと、イエスは、両親への愛情を保証し、自分の行いのために再び苦しむと、彼らが怖れる必要はないと暗示して、簡潔な声明を提示し、かれは、「我が天の父の意志をしなければならない一方、我が地上の父にも従順である。私は自分の時間を待ち受ける。」と、この重大な声明を終えた。
しかしイエスは、心で、自分の考える順路を押し進むため、あるいは地球での仕事の計画設定のために、両親の善意ではあるが見当違いの努力への同意を何度も拒否するのであった。それでも、かれは、あらゆる方法で楽園の父の意志の実行への献身と一貫しており、地球の父の願望に、そして肉体をもつ家族の慣習に最も潔く従った。かれは、同意できないときでさえ、従うために可能な全てをしたのであった。イエスは、自分の義務への専念と家族への忠誠と社会奉仕に対する責務との調整に関し達人であった。
ヨセフは困惑したが、マリヤは、これらの経験を振り返り安らぎを得て、結局、オリーブ山におけるイエスの言葉を、イスラエルの救済者としての息子のメシアの使命の予言とみなした。彼女は、イエスの考えを愛国的かつ国家主義の方向へ成形するために、新しくされた精力で、イエスの気に入りのおじ、自分の兄弟の努力の助けを得た。そして、イエスの母は、長男が、ダヴィデの王座を回復し、永遠に政治的な束縛である非ユダヤ人のくびきを解き放つ者達の指揮を引き受ける準備をする仕事に、他のあらゆる方法で、自らが取り組んだ。
イエスの全地上生活経験の中で、14年目と15年目は、極めて重要であった。かれには神格と運命に対する自意識が起こり始め、また内在する調整者との大きな意思疎通を成し遂げる前のこの2年間は、ユランチアにおける波乱万丈の人生で最も辛い年であった。この期間こそ、大試練、本当の誘惑の2年間と呼ばれるべきである。人間の若者の誰も、青春の初期の錯乱と調整問題をの経験に際して、イエスが、幼年時代から青年時代への移行の間に通過したそれよりも重大な試練をこれまでに経験をしなかった。
イエスの若い成長に関わるこの重要な期間は、エルサレム訪問終結とナザレへの帰還で始まった。最初マリヤは、もう一度我が息子を返してもらったと、イエスが従順な息子になるために帰宅したと—かつてそうではなかったという訳ではない—そして、今後イエスの将来に対する自分の計画に息子がより協力的であるだろうという考えで幸せであった。しかし、彼女は、母親の妄想と認識されていない家族の誇りのこの日の光に長いあいだ浴することはなかった。間もなく、彼女はより完全に幻滅されることになっていた。少年は、いよいよ父といることが多くなった。かれは、次第に自分の問題を母に相談しなくなった。一方両親は、この世界の事柄と天の父のための仕事に対するイエスのたび重なる熟考をますます理解できなかった。率直に言ってイエスを理解してはいなかったが、かれらは、彼を本当に愛していた。
成長と共に、ユダヤ民族に対するイエスの哀れみと愛は、深まった。しかし、時の経過につれて、政治的に任命された僧侶の父の寺院での存在に膨らむ正義の憤りが、心で発達した。イエスには、誠実なパリサイ人と正直な代書人に対する大いなる敬意があったのだが、偽善的なパリサイ人と不正直な神学者をたいへん軽蔑した。かれは、誠実でない全てのそれらの宗教指導者を軽蔑の目で見た。イスラエルの指導部を詳細に見るとき、かれは、ユダヤ人が期待する救世主になる可能性を好意をもって見たくなったが、そのような誘惑に決して屈しなかった。
エルサレムの寺院の賢者の間でのイエスの手柄の話は、ナザレ中を、特に礼拝堂学校のイエスの元教師にとり満足させるものであった。しばらくの間、イエスへの称賛が皆の口にのぼった。村中が、かれの幼い頃の知恵と賞賛に値する行為について話題にし、イエスが、イスラエルの偉大な指導者になる運命にあると予測した。遂に真に偉大な師が、ガリラヤのナザレから出現しようとしていた。そして、かれら全員は、イエスが、定期的に礼拝堂で安息日に聖書を読むことを可能にする15歳の年を楽しみにしていた。
これは、イエスの14回目の誕生日の年である。かれは、良いくびき職人になり、帆布と革の両方でよく働いていた。また、急速に専門の大工と家具職人に成長していた。この夏、かれは、祈りと思索のためにナザレの北西にある丘の頂上への頻繁な少旅行をした。かれの地上における自己の贈与に対する自意識は、徐々に強くなっていた。
この丘は、100年余も以前に、「バールの高き所」であった。そして、今やそれは、シメオンの墓、イスラエルの評判の聖人の遺跡であった。イエスは、シメオンのこの丘の頂上からナザレと周囲の国土を見渡した。かれは、メギドを見つめ、アジアでその最初のすばらしい勝利を得ているエジプトの軍の話を思い出すのであった。そして、後に、別のそのような軍隊が、いかにユダヤのヨシア王を破ったか。それほど遠くない所には、デボラとバラクがシセラを破ったターナクを見ることができた。遠くには、ドーサンの丘を望むことができ、かれは、そこでヨセフの兄弟が、ヨセフをエジプトの奴隷として売ると教えられていた。それから、かれは、視線をエバルとゲリズィム山に移して、アブラハム、ヤコブ、アビメレフの伝統を列挙するのであった。このように、父ヨセフの民族の歴史的、伝統的な出来事を思い出し、考えを巡らせた。
かれは、礼拝堂の教師の下で上級の読書課程を続け、また弟妹が適当な年齢に達するまでその家庭での教育を続行した。
この年の前半、ヨセフは、ナザレとカペルナウム所有地からの収入をエルサレムでのイエスの長い学習課程の支払いのためにとっておく手配をしており、翌年の15歳の8月にエルサレムに行くという計画になっていた。
この年の初めまでに、ヨセフとマリヤの両者は、頻繁に長男の運命に疑問を抱いた。イエスは、誠に才能豊かで愛らしいかったが、とても理解し難く、推し量り難い子供であり、そして驚異的または奇跡的なものは決して起こらなかった。息子を誇りに思う母は、息を弾ませ、何らかの超人的な、または奇跡的な離れ技を行う息子を見ることを期待しているのだが、望みは、いつも残酷な失望に打ち砕かれた。こういうことは、まったくの落胆であり、気が滅入った。当時の敬虔な人々は、予言者と約束の人が、常に天職を示し、奇跡を起こし、驚くべき成果を収め、神の権威を確立すると本当に信じた。しかし、イエスは、このいずれもしなかった。そういう訳で、イエスの将来を深く考える時、両親の混乱は着実に増加した。
ナザレ家族の改善された経済状態は、家庭内でのあらゆる点で、特に、筆記用石盤として使われた炭で良く書ける滑らかな白い板の増加数に反映された。イエスには、音楽の稽古の再開も許された。かれは、ハープの演奏を大変に好んだ。
この年ずっと、イエスは、「神と人から愛されるようになった」と、本当に言うことができる。家族の見通しは良かったし、未来は明るかった。
ヨセフが、知事の住居の作業中、荷装置の落下によりひどく傷ついたという悲惨な報せをセフォリスからの飛脚が、このナザレの家にもたらした9月25日、火曜日のその運命的な日まで、全ては、とても順調よくいった。セフォリスからの使者は、ヨセフの家への途中、店に立ち寄り父の事故をイエスに知らせ、そこでかれらは、マリヤに悲報を伝えにともに家に行った。イエスは、すぐ父の元に行くことを望んだが、マリヤは、自分が夫の側に急がなければならないと言い、何も聞こうとはしなかった。マリヤは、ヨセフが、どれくらいひどく負傷したのか分からないので、自分が戻るまでイエスが幼い子供と家に残り、当時10歳のジェームスが、セフォリスへ同伴すべきだと指示した。しかし、ヨセフは、マリヤが到着する前にその怪我で死んだ。かれらは、ヨセフをナザレに連れて戻り、かれは、その翌日その父の側に埋葬された。
見通しは良く、未来は明かるかったちょうどその矢先、明らかに容赦のない手が、このナザレの家長を襲った。この家庭の諸事は崩壊し、イエスのための凡ゆる計画と今後の教育は覆された。たった今14歳になったばかりのこの大工の若者は、地球上において、しかも肉をもつ身で神性を明らかにするという天の父からの委任を実現させるだけでなく、この若い人間は、未亡人の母と7人の弟妹の—もう一人はまだ生まれていない—責任を担わなければならないという現実に気づいた。ナザレのこの若者は、今や、突然にとり残されたこの家族の唯一の支えと安らぎになった。この様に、非常に早い時期に、人間の家族の長に伴う責任、自身の弟妹の父となり、母を支え守る、この世で知ることになっている唯一の家である父の家庭の後見人として役目を果たす、きついが、教育的、訓育的な責任を負うこの運命の青年を強要するユランチアにおける自然秩序によるそれらの出来事の発生が可能とされた。
イエスは、あまりにも突然に押しつけられる責任を喜んで引き受け、それを最後まで忠実に担った。人生の少なくとも1つの重大な問題と予想された困難は、悲劇的に解決された—かれは、いまラビの下での勉学のためエルサレムに行く見込みはなかった。イエスが、「如何なる人間にも従属しない。」というのは常に本当であった。イエスは、かつて本当に無邪気な小さい子供からさえ学ぶことを望んでいたが、真実を教えるために決してその権限を人間に求めることはなかった。
かれは、出生前の母へのガブリエルの訪問についてまだ何も知らなかった。公のための宗教活動を始めるにあたり、自分の洗礼の日にヨハネから初めてこれを知らされた。
数年が経過し、ますますナザレのこの若い大工は、社会のあらゆる制度とあらゆる宗教の慣習を不変の分析方法で測定した。それは、人間の魂のために何をするのか。人に神を連れて来るのか。それは、神に人を連れて来るのか。この青年は、人生の娯楽的、また社会的な局面を完全に無視はしなかったが、ますます、ただ2つの目的に時間と活力を傾けた。すなわち家族の世話と、地上において天の父の意思を行動に移す準備に。
この年、冬の夕方にイエスのハープの演奏や、話 (若者は物語りの名手であったので)を聞いたり、またギリシア語の聖書を読むのを聞いたりするために立ち寄るということが、隣人達の習慣となった。
ヨセフの死の時点で、家族の経済状況は、相当の金額があったので、かなり滑らかに運んだ。イエスは、早くも鋭い経営判断と財政的な聡明さの所持を示した。かれは、寛容であるが、質素であった。倹約はするが、気前がよかった。かれは、父の財産の賢明で有能な管理者であるところをみせた。
イエスとナザレの隣人が、家に歓声を運び込むために凡ゆることをしたにもかかわらず、マリヤは、および子供達さえ、悲しみで陰欝になっていた。ヨセフは、もういなかった。ヨセフは、並筈れた夫であり父親であったので、皆は、彼を恋しがった。彼と話したり、別れの言葉を聞くことができないままに彼が死んだと思うことは、一入悲観的に思えた。
この15年目の半ばまでには—ユダヤの年によるのではなく、我々が数える20世紀の暦で—イエスは、家族の切り回しというものをしっかりと把握していた。この年が暮れる前、一家の貯蓄は、尽きようとしており、隣人のヤコブと共有していたナザレにある家の1つを処分する必要に直面した。
西暦9年4月17日、水曜日の夕方に、末っ子のルツが生まれた。そして、イエスは、能力のおよぶ限り、この格別に嘆かわしい試練の間、母に安らぎを与え世話をすることで父の代理の努力をした。ほぼ20年もの間(公の宗教活動の開始まで)、イエスが、幼いルツを世話したほどには、どんな父親も、愛情を込め、まめやかに自分の娘を可愛がり、養育することはできなかったであろう。イエスは、残りの家族全員にとっても等しく良い父親であった。
この年を通して、イエスは、後に使徒に教え、多くに「主への祈り」として知られるようになった祈りをまず定式化した。ある意味でそれは、家族祭壇の進化であった。彼らには、称賛と幾つかの正式な祈りの多くの形があった。父の死後、イエスは、年長の子供達のお祈りの際、自己表現をすること—自身がそうすることをとても楽しんだ—を個別に教えようとしたが、弟妹達は、イエスの考えを理解することができず、いつも決まって自分達の暗記した祈りの形に戻るのであった。年長の弟妹は、個人的な祈りをするようにと動機づけるこの努力の中で、イエスは、示唆に富んだ言い回しで、それとなく導こうとした。やがて、皆は、イエスの意図しないところで教えられたこれらの示唆に富んだ言葉から大幅に確立された祈りの形式を用いるようになった。
遂にイエスは、各人に自然発生的な祈りを明確に述べさせるという考えを諦めた。そして、10月のある晩に、低い石の食卓の小さい明かりの側に座り、およそ46センチメートル四方の滑らかな杉板の上に炭で、その後ずっと家族の習慣となる祈りを書いた。
この年、イエスは、混乱した考えに非常に悩んだ。家族への責任は、彼に「父の用向きに従事する」ためにエルサレム訪問に応じるためのいかなる計画の即座の実行も実に効果的に取り除いてしまった。イエスは、地球の父の家族の保護と世話が、すべての任務に優先しなければならないと、家族の扶養が、自分の最初の義務にならなければならないと、正しく結論づけた。
この一年間、イエスは、ユランチアにおける贈与任務の呼称として、後での採用に影響を及ぼす「人の息子」をいわゆる「エノク書」の中の一節を見つけた。かれは、ユダヤ人のメシアの考えを徹底的に考察し、自分はそのメシアにはならないと完全に確信した。かれは、父の民を助けることを切望したが、パレスチナの外国支配を打倒するためにユダヤ軍を導くとは決して思っていなかった。かれは、エルサレムでダヴィデの王座に決して着かないことを知っていた。かれは、自分の任務は、単にユダヤ民族だけの精霊的救済者、または道徳の師のいずれでもないと強く信じた。それ故、イエスの一生の任務は、決して激しい切望や、期待されているヘブライ経典のメシアの予言の遂行ではありえなかった。少なくとも、かれは、ユダヤ人が理解している予言者のこれらの予測のようなものではなかった。かれは、同様に予言者ダニエルに表現された「人の息子」としては決して現れることはないと確信していた。
しかし、世界の教師として出て行く時がきた時、自分自身を何と呼ぶのか。かれは、自己の任務に関し、どんな主張をすべきか。自分の教えを信じる者達に何と呼ばれるのか。
すべてのこれらの問題を心で思い巡らせている間、かれは、ナザレの礼拝堂の図書館で勉強していた黙示録の書物の中に「エノク書」と呼ばれるこの原稿を見つけた。それは、昔のエノクによって書かれはしなかったと確信していたものの、非常に好奇心をそそるものであったので、繰り返し何度も読んだ。特に感銘を与える一節「人の息子」という言葉があった。エノク書と呼ばれるこの書の作者は、この「人の息子」について話しを続け、「人の息子」が地上でする働きについて述べ、人類に救済をもたらすためにこの地球に降りる前に、この「人の息子」が、神聖な栄光の中庭をその父、全てのものの父、とともに歩いたということ、そして、貧しい民衆に救済を公布するために、地球におりて来るために、この全ての壮大さと栄光に背をむけたという説明を続けた。これらの文節を読むにつれて、(これらの教えと混合されるようになった東方神秘主義の多くが誤っていることをよく理解しながらも)イエスは、部分的に公認されるだけのこの「エノク書」の中に押し込められたこの話ほどには、ヘブライ経典のすべてのメシアの予言も、ユダヤの救世者に関するすべての理論のいずれも、真実ではないと感情で反応し、心で認識した。そして、かれは、就任の称号として「人の息子」を採用するとその場で決めた。そして、後に公の仕事を始めたとき、イエスは、実際にこうした。イエスには、真実を認識する的確な能力があり、それが、いかなる源から生じてこようとも、決して真実の受け入れを躊躇うことはなかった。
この時までにかれは、世界のために来たるべき仕事に関して多くのことをかなり徹底的に決定していた。しかし、かれは、頑強にまだユダヤ人の救世主である考えをもっている母にはこれらの問題について何も言わなかった。
イエスのより若い日の大いなる混乱が、そのときに起きた。地球での任務の本質に関し何かを安定させ、かれは、「父の用向きに従事する」ために—全人類に父の情愛深い本質を示すために—国家の救済者、ユダヤ人の教師または王の来ることについて言及した経典の中の多くの論述についての熟考を改めて始めた。どんな出来事に、これらの予言は言及しているのか。かれは、ユダヤ人ではないのか。ダヴィデ家の者か、あるいは、そうではないのか。母は、そうであると断言した。父は、そうではないと決定した。イエスは、そうではないと決めた。しかし、予言者は、メシアの本質と任務を混同してしまったのか。
結局、母が正しかったのかもしれないのか。過去に意見の相違が起きたとき、母は、ほとんどの場合に正しかった。彼が新しい教師であり、メシアでなかったならば、そのような者が、地球任務の期間中にエルサレムに現れるならば、自分はどのようにこのユダヤのメシアを見分けるべきか。さらに、このユダヤのメシアと自分の関係は何であるべきか。そして、一生の任務に着手した後の家族との自分の関係は何であるべきか、ユダヤ共和国と宗教との関係や、ローマ帝国との、また非ユダヤ人とそれらの宗教との関係は何であるべきか。この若いガリラヤ人は、自分自身、母、および他の空腹な8人の子供の生計を立てるために大工用の長椅子で取り組み続けながら、これらの重要な問題の各々を心で練り、真剣にじっくり考えた。
この年が暮れる前、マリヤは、家族の資金の減少を知った。彼女は、鳩の販売をジェームスに引き継いだ。まもなく、かれらは、2頭目の牛を買い、ミリアムの援助でナザレの隣人に牛乳の販売を始めた。
深遠な思索の期間、祈りのために丘の上への頻繁な小旅行、加えて、時おり提示されるイエスの多くの奇妙な考えは、母をすっかり警戒させた。時々彼女は、若者が我を忘れていると思い、結局、イエスは、約束の子であり、何かしら他の若者と異なるということを思い出し、自分の恐れを静めさせるのであった。
しかし、イエスは、世界に、母にさえも、自分の考えの全てを提示しないということを学んでいるところであった。この年以降、心で起こっていたことに関するイエスの発表は、着実に減少した。つまり、平均的な人が理解できない、そして、それが、イエスの存在を普通の人より独特であるか、または異なると見なす方向に導きそうな事柄に関してあまり話さなかった。かれは、自分の問題を理解できる誰かを切望したが、見たところ、平凡で型通りになった。かれは、信頼できて秘密を守る友人を切望したが、イエスの問題は、人間の仲間が理解できないほどに複雑であった。変わった状況の特異性は、かれに単独で自分の重荷に耐えることを強要した。
15回目の誕生日を迎えると、イエスは、安息日に礼拝堂の説教壇を公式に占有することができた。前に何度も、話者が不在の場合、イエスは、聖書を読むように頼まれたが、今、法律により礼拝を行うことができるその日が来た。従って、15回目の誕生日の後の最初の安息日に、カザンは、イエスが礼拝堂の朝の礼拝を執り行う手配をした。そしてナザレのすべての忠実な信者達が集まった時、青年は、教典の選択をして立ち上がって読み始めた。
「主が私を塗油されたので、主なる神の魂が私にある。朗報を従順な者にもたらすために、傷心な者に包帯をするために、捕虜へ自由を宣言するために、そして、精霊的な囚人を解放するために、神の恩恵の年と我々の神の罪の報いを受けるべき日を宣言するために、神は私をつかわされた。全ての嘆く人を慰めるために、灰の代わりに美を、悲しみの代わりに喜びの油を、悲しみの気分の代わりに称賛の歌をを与え、それによって神が賛美されるかもしれない主の植え付けられた正義の木と呼ばれるように。
「生き永らえるため、悪ではなく善を求めなさい。主、万軍の神が、あなたと共にいるでしょう。悪を憎み、善を愛しなさい。門内にて思慮分別を定着させなさい。恐らく、主なる神はヨセフの生き残りの者に哀れみを示すであろう。」
「自分自身を洗いなさい。自分自身を清めなさい。私の目の前であなたの行いの悪を片づけなさい。悪行を止め、善行を学びなさい。正義を求め、被虐者を救い、父無し子を護り、そして寡婦の弁護をしなさい。」
「全地球の主の前に進み行くために、何をもって、主の前に来るのであるか。焼いた供物、1歳の子牛と共に彼の前に来た方がいいでしょうか。主はラム数千、羊数万、または油の川に喜ばれるでありましょうか。私の罪のために長子を、私の魂の罪のために私の身体の果物を差し上げるべきでしょうか。いいえ、人々よ、主は、お見せくださった、何が良いかを。そして、主は単に公正に取扱い、慈悲を愛し、神と謙虚に歩くこと以外に何を要求されるというのか。」
「それからあなたは、だれに、地球の環に座る神を例えるだろうか。目を上げて、誰がこれらのすべての世界を構築したか、誰が数多くの人間を創り、誰がそれらの全てをその名前で呼ぶか見なさい。神は、力の偉大さでこれらの全てのことをし、力が強いからこそ、誰もそれからもれない。神は、力を弱者に与え、そして疲れきっている者達に強さを増やす。恐れないで、私があなたと共にいるので。うろたえないで。私があなたの神であるから。あなたを強くし、助ける。はい、わたしは、あなたの主なる神であるので、私の正義の右手であなたを支える。そして、あなたの右手を握り、助けるので、恐れるないで、と言うのです。」
「そして、あなたは、私の目撃者である。皆が、私を知り、私を信じるように、私が永遠なる神だと理解するように、私が選んだ使用人である。私は主でさえあり、私の他に、救世主はいない。と主がおっしゃる。」
そして、かれは、このように読み終えて座った。その後、それほど丁重に読んで聞かされた言葉を深く考えながら、人々は家に帰った。町の衆は、イエスが、そのように堂々と厳かであるところを見たことがなく、それほど熱心で、それほど誠実な声を聞いたことがなかった。かれらは、とてもりりしく毅然とし、威厳のある彼を見たことがなかった。
この安息日の午後イエスは、ジェームスと共にナザレの丘に登り、帰宅すると、炭で2枚の滑らかな板にギリシア語で十戒を書き上げた。その後、マルタが、これらの板に色付けをして飾った。そして、それは、ジェームスの小さな作業台の上の壁に長らくぶら下がっていた。
徐々に、イエスと家族は、早年の簡素な生活に戻った。衣服や食物さえより質素になった。家族は、牛乳、バター、およびチーズを多く消費した。旬には、庭の農作物を楽しんだが、1カ月経過する度に、 かれらは、さらなる倹約の実行を要した。家族の朝食は、非常に質素であった。最も良い食物は、夕食用に取っておいた。しかしながら、これらのユダヤ人の富の欠如は、社会的下位を意味しなかった。
すでにこの若者は、人がその当時どう生きたかをほぼ理解していた。そして、家庭、田畑、および作業場の生活をいか程に理解したかは、人間の経験の全局面との親密な接触を明らかにするその後の教えにより充分過ぎるほどに示されている。
ナザレのカザンは、イエスが偉大な師に、おそらくエルサレムの有名なガマリアルの後継者になるという確信に執着し続けた。
明らかに、経歴のためのイエスの全計画は、阻まれた。問題がそのとき進展していて、未来は明るくなかった。しかし、かれは、たじろぐことはなかった。かれは、落胆しなかった。イエスは、日々、即座の義務をよく履行し、人生における拠点の身近な責任を忠実に果たしながら、生活を続けた。イエスの人生は、すべての失望した理想主義者達の永遠の安らぎである。
通常の日傭い大工の賃金は、徐々に減少していた。イエスは、年末まで早くから遅くまで働いても、1日あたりおよそ25セント相当しか得ることができなかった。翌年までには、家族は、礼拝堂査定分と1/2シケルの寺院の税は言うまでもなく、民間税の支払いさえも難しいと分かった。収税吏は、年内にハープを取ると脅かしさえしてイエスから追加収益を絞り取ろうとした。
ギリシア語の経典が収税吏に発見され、押収されるかもしれないと恐れ、イエスは、15回目の誕生日に、ナザレの礼拝堂図書館に主への成人の供え物としてそれを提出した。
ヨセフの事故死で受理すべき金額の論争上告に対するヘロデの決定を受けるためにセフォリスに赴いた際、イエスの15年目の大なる衝撃が襲った。セフォリスの会計係が些細な金額を提示した時、イエスとマリヤは、かなりの金額の受領を期待していた。ヨセフの兄弟達が、ヘロデに直接上告をしていた。そして、そのとき、イエスは、宮殿に立っており、父の死の時点で何の支払い義務もなかったというヘロデの宣告を聞いた。そのような不当な決定のために、イエスは、ヘロデ・アンティパスを決して信じなかった。イエスが、一度ヘロデについて「あのキツネ」と触れたことは、意外ではない。
この年とその後の数年間、大工の長椅子の緻密な仕事が、隊商人との交じわりの機会をイエスから奪った。家族の供給場は、おじに既に買収されており、イエスは、概して家にある店で働き、そこは、マリヤや家族を助けるには手近であった。およそこの頃、イエスは、世界の情報を集めにジェームスをラクダの用地まで送り始め、このようにしてその日のニュースと接触を保ち続けようとした。
イエスは、成長して大人になるにつれ、その前後の時代の平均的な若者が耐えたそれらの全ての闘争と混乱を経験した。そして、家族を養う厳しい経験は、安逸な思索のため、または神秘的傾向のための過度の時間消費に対する確かな安全装置であった。
これは、イエスが、丁度家の北部に位置するかなりの土地を借りした年であり、それは家族の菜園として分割された。年長児の各々には個々の菜園があり、皆は、農業努力において激しい競争を始めた。一番年上の兄は、野菜耕作の季節の間、毎日、菜園で、皆と若干の時間を過ごした。イエスは、菜園で弟妹達と働く間、皆が足枷のない人生の解放と自由を楽しむことのできる田舎の農場にいるという願望をしばしば抱いた。しかし、皆は、田舎で成長しているうのではなかった。そしてイエスは、理想主義者であると同時に徹底的に実用的な若者であり、問題を見つけると知的に活発にそれに着手し、自分と家族の状況を現実に調整し、個々の、また家族としての望みに対して最も高く可能な満足に、自分達の状況を適合させるためにあらゆる限りのことをした。
一時イエスは、ヘロデの宮殿の作業のために父に支払われるべきかなりの金額を得ることができるならば、小さい農場の購入を保証するための充分な資力が得られることをかすかに望んでいた。かれは、家族を田舎へ移すこの計画を本当に真剣に考慮した。しかし、ヘロデが、ヨセフへの当然の支払いのいずれをも拒否した時、田舎での家の所有の望みを諦めた。彼らには、そのとき数羽の鳩に加えて3頭の牛、4頭の羊、鶏の群れ、ロバと犬の各一匹がいたので、農場生活の経験の多くを楽しむ工夫をした。幼い子供達にさえ、このナザレ家族の家庭生活を特徴づけた経営者側のよく整った計画を実行すべき一定の任務があった。
イエスは、この15年目の終わりに、人間生活におけるその危険で難しい期間、幼児期のより満足した年と高潔な性格発達における先進的な経験の習得に向けて増大したその責任と機会の成年期へ近づく意識との間の移行期間横断を完了した。心身の成長期間は終わり、そのときナザレのこの青年の真の経歴が始まった。
思春期に入るにつれ、イエスは、家族の長であり、唯一の支柱となっていた。父の死後の数年内に家族の全財産は、なくなった。時の経過と共に、かれは、自己の前存在をますます意識するようになった。同時に、かれは、楽園の父を人間の子等に示す特別の目的のために肉体で地球にいるということをより完全に認識し始めた。
この世界あるいは他の世界に住んだ、またはそのうち住むであろうどんな思春期の若者も、解決すべきより多くの重大な問題、若しくは、解くべきより複雑な困難に決して直面しなかった。どんなユランチアの若者も、イエス自らが奮闘努力の15歳から20歳の間に耐えた以上の多くの試練の闘争、または苦境を潜り抜けるよう要求されることは、決してないであろう。
このように人の子は、悪に取り捲かれ、罪に取り乱された世界において思春期の実際の生活経験を味わい、ネバドンの全領域の若者の人生経験に関する完全な知識を備え、その結果、かれは、永遠に、全ての時代、地域宇宙の全世界で苦悩し当惑している若者の理解ある避難所となった。
ゆっくりではあるが確実に、その上実際の経験によりこの神の息子は、宇宙の主権者として、全地域宇宙の世界における全ての創造された知力を有する者の疑いのない、最高の支配者として、全時代の生き物と個人的な資質と経験の全ての段階における理解ある避難所になる権利をかち得ているのである。
肉体化した息子は、幼少時代を経て、問題のない幼児期を経験した。それから、かれは、幼児期と成人初期の間の試練と苦しい変遷段階を脱して来た—思春期のイエスとなった。
この年、かれは、完全な身体的成長を遂げた。力強く立派な青年であった。かれは、ますます冷静で真剣になったが、親切で、思いやりがあった。目は、親切であったが、鋭かった。微笑は、いつも人を引き付け、安心させるようであった。声は、音楽的ではあるが、威厳をもっていた。挨拶には、心がこもり気どりがなかった。常に、最も平凡なふれ合いにおいてさえ、2重の資質、つまり人間と神性の接触が目立っているようであった。かれは、思い遣る友人と威厳ある教師のこの組み合わせをずっと示した。そして、この人格の特性は、早くに、これらの思春期の年においてさえ、明らかになりつつあった。
この身体的に逞しく強健な若者は、人間の思考の豊かな経験ではなく、そのような知的な発展の能力の充満である人間の知性の完全な成長をも成した。かれは、健康でよく均整のとれた肉体、鋭く分析的な心、親切で思いやりのある気質、やや変動はするが積極的な気質を持ち合わせ、その全ては、強い、際だった、そして魅力的な個性にと整合されていった。
母や弟妹には、時の経過とともにイエスを理解することは、 より難しくなった。 皆は、イエスの言行を誤解した。母は、弟妹達に、イエスはユダヤ人の救世者となるべく運命づけられているということを理解するように指導していたので、これらの言行は、長兄の人生には不適切であった。マリヤから家族秘密としてそのような通告を受けた後に、イエスの全てのそのような考えと意志を端的に否定する時の皆の混乱を想像してみよ。
この年サイモンは入学し、家族はもう一つの家を売らざるをえなかった。ジェームスは、そのとき3人の妹の教育を担当した。そのうちの二人は、真剣な勉強を始めるに足る年齢であった。 成長するやいなや、ルツは、ミリアムとマルタからの世話を受けた。通常、ユダヤ人の家族の少女はほとんど教育を受けなかったが、イエスは、少女は少年と同じように学校に通うべきであると主張し、(そして母も同意した。)そして、礼拝堂の学校が彼女たちを受け入れなかったので、特に家での授業をするほかなかった。
この年を通して、イエスは、作業台に閉じ込もった。幸いにも、沢山の仕事があった。イエスの手によるものは、その地方でどんなに仕事が低調であろうとも、決して暇などないほどに優れた品質であった。時には、ジェームスが助けるほど沢山にあった。
この年末までに、かれは、家族を養い、かれらが結婚するのを見届けた後、真実を教える教師として、また世界へ天の父を明かす者として公的に仕事を始める決心をもう少しでするところであった。かれは、期待されるユダヤの救世主とはならないことを理解しており、母とこれらの問題について議論することはほとんど無役であると結論を下した。かれは、過去に伝えた全てが、彼女にはまず何の印象も与えなかったし、その上父が、母の気持を変えるために決して何事も言えなかったことを思い出し、彼女がいかなる考えを抱こうとも為すがままにさせようと決心した。この年以降、これらの問題について、かれは、徐々に母または他の誰とも話さなくなった。地球に生きる誰も、その実行に関しての助言を与えることができない程に、その任務は独特であった。
かれは、家族にとり若くはあったが本当の父であった。かれは、子供達と可能な限りの時間を過ごし、皆も実に彼を愛した。母は、とても懸命に働いている彼を見て嘆き悲しんだ。母は、彼が、あれほど他愛なく計画したラビとのエルサレムでの修学の代わりに、家族のために生計を立て、日々大工用の台でこつこつ働いていることを憂いた。息子について理解できないことが沢山あったが、マリヤは、息子を非常に愛しており、喜んで家庭の責任を背負う態度にこの上なく感謝した。
およそこの時期、特にエルサレムとユダヤにおいて、ローマへの納税に対する抵抗を支持してかなりの動揺があった。やがてゼロテ派と呼ばれる強い国家主義的な団体が生まれた。パリサイ人と異なり、ゼロテ派は、メシアの接近を待つ気はなかった。彼らは、政治的反乱の決定を強いた。
エルサレムからの一団の主催者は、ガリラヤに到着し、ナザレ到着まで調子の良い前進をしていた。彼らが会いに来た時、イエスは、慎重に彼らの話を聞き、多くの質問もしたが、党に加わることは拒んだ。かれは、入党しない理由を明らかにすることを完全に断ったので、ナザレの若い仲間の多くを党から遠避ける結果となった。
マリヤは、イエスに入党するよう説得するために最善をつくしたが及ばなかった。彼女は、国家主義的な目的を擁護する真剣な依頼への拒否は反抗である、エルサレムからの帰省の際の両親に従順であるという誓約への違反であるとまで仄めかした。しかし、このそれとない皮肉に答えて、かれは、彼女の肩に優しく手を置いて、顔を覗き込みながら、「母よ、どうしてそんなことができるのか。」と言うだけであった。そこで、マリヤは、自分の言葉を取り下げた。
イエスのおじ(マリヤの兄弟サイモン)の一人は、この集団にすでに加わっており、後にガリラヤ分団の幹部となった。数年間、イエスとこのおじの間には、ある種の疎遠があった。
しかし、問題は、ナザレで起ころうとしていた。これらの問題に対するイエスの態度は、町のユダヤの若者の間での不一致を生む結果となった。およそ半分は、国家主義的な組織に加わり、残る半分は、対立するより穏健な集団に編成を始め、イエスが指揮を引き受けることを期待した。かれが、理由として家族への重い責任を訴え、差し出された名誉を拒否したとき、かれらは、驚き、そして皆は、それを容認した。しかし、やがて裕福なユダヤ人イサク、異教徒への金貸しが、イエスに道具を置いてこれらのナザレ愛国者の指揮を引き受けるならば、イエスの家族を養うことに同意すると進み出た時、状況はさらに複雑になった。
イエスは、当時かろうじて17歳、人生早期において最も微妙かつ困難な状況の1つに直面した。愛国的な問題は、特に税収集の外国の抑圧者が複雑にするとき、精霊的な指導者にとって自分自身を関係づけることは常に困難であるし、この場合、ユダヤ人の宗教が、ローマに対してこの抵抗に関与していたことから、二重にそうであった。
母とおじ、弟のジェームスまでもが、国家主義運動に加わるように促したので、イエスの立場は、 より難しくなった。ナザレの全ての善良なユダヤ人は、入党した。そして運動に加わらなかった青年全員は、イエスが考えを変えた瞬間、すぐにも加入したことであろう。だが、イエスには、ナザレ中でただ一人の賢明な助言者、ナザレの市民委員会が公開の審判に対するイエスの答えを求めに来たとき、委員会への自分の返事に関して助言をくれた年老いた師、カザンがいた。イエスの若い人生全てにおいて、これは、かれが公的な戦略に意識的に向かったまさしく最初であった。それ以前、つねにかれは、状況をはっきりさせるために真実の率直な声明を頼みとしたが、今度は、完全な真実を宣言することができなかった。かれは、自分が人間以上のものであるということを仄めかすことができなかった。かれは、より円熟した人格到達が待たれる任務に関わる自分の考えを明らかにすることができなかった。これらの制限にもかかわらず、彼の宗教的な忠誠と国民的な忠誠に、直接に疑問が呈された。家族は、騒乱状態、若い友人達は分裂、町の全ユダヤ人の集団は大騒動であった。そして、それが全て彼の所為であると感じていたとは。だが彼は、どんな類の問題も、まして、この種類の騒動を起こすといういかなる意図に関してもなんと潔白であったことか。
何かが為されねばならなかった。かれは、自分の立場を述べなければならず、勇敢に、外交的に多くの者を、全ての者にではないが、満足させて、これを果たした。そればかりではなく、かれは、第一の義務は、家族に対してあるということ、未亡人の母と8人の弟妹は、単なる金銭で購入できる—生活のための物理的必需品—以上の何かを必要としたということ、家族には父の保護と指導が与えられる権利があるということ、そして、かれは、潔白な心で、残酷な事故が突き出した義務から自分を解放することができなかったという立場を維持して、自分の本来の申し立ての条件を厳守した。かれは、自分を進んで放免してくれるという母とすぐ下の弟に感謝の意を述べたが、物質援助のためにどんなに多くの金銭が間に合ったとしても、亡父への忠誠が家族を去ることを禁じると繰り返して言い、「金は、愛することができない。」という生涯忘れられない言葉を述べた。この話の中で、イエスは、自分の「人生の任務」について幾つかの不明瞭な言及をしたが、それが、軍事的な思想に矛盾している可能性の有無にかかわらず、自己の人生における他の全てと共に、自分が忠実に家族に対する義務を果たせるために、それはあきらめたということを説明した。ナザレの誰もが、彼が家族にとって良い父であることをよく知っており、これは、あらゆる高潔なユダヤ人の情愛に非常に優しく訴える事柄であったことから、イエスの嘆願は、聞き手の多くの心から感謝の反応を得た。また、この点に関心のない者達は、予定にはなかったジェームズのこの時の演説に和らげられた。まさしくその日、カザンは、ジェームスに演説の予行をさせてあったのだが、それは、かれらの秘密であった。
ジェームスは、自分が家族のために責任を負えるほどの年齢であったならば、イエスは、その民族解放の手助けをするはずだと確信するし、もし皆が、イエスは、「父と教師であるために、我々と家に留まることに同意さえしてくれれば、ヨセフの家族からはただ一人の指導者でなく、ほどなく、世間は、5人もの忠誠な民族主義者を手に入れるであろう。なぜなら、父親代わりの兄の指導で成長し、我々の国家に仕えるためにやってきたのは5人の男の子ではなかったのか。」と述べた。そして、このようにこの若者は、非常に緊張し、険悪な状況にかなり平穏な結末をもたらしたのであった。
一応、危機は終わったが、この事件は、ナザレでは決して忘れられなかった。動揺は持続し、イエスは、二度と皆のお気に入りではなかった。感情の分裂は、決して完全に克服されなかった。そして、他の、またその後の出来事により増大されるこれは、かれが、後年カペルナムに移った主な理由の1つであった。この後、ナザレは、この人の子に関する感情の分裂を引きずった。
ジェームスは、この年学校を卒業し、自宅の大工の工房での専業に従事した。イエスが、より多く家の仕上げや飾り棚専門の作業をより開始する一方で、ジェームスは、道具の賢明な遣い手となり、今や、くびきと鋤の製造を引き継いだ。
この年、イエスは、心の統合において大きく前進した。徐々に、かれは、神と人間性を統合し、このすべての知性の統合を彼自身の決定力と内住する訓戒者の、丁度すべての贈与後の世界にいるすべての通常の死すべき運命にある者がその心の中に持っているような訓戒者の援助だけで実行した。今までのところ、エルサレムでの夜、兄のイマヌエルにより派遺された使者が、自分の前に1度現れた訪問以外には、この青年の生涯で超自然であるものは何も起こってはいなかった。
この年の間に、家屋と庭を除く家族のすべての持ち物が処分された。既に抵当に入っていたカペルナムの所有地の最後の一画が、(他の分の所有権を除き)売却された。収益は、税金、ジェームス用の幾つかの新しい道具の購入のために、それにジェームスが家続きの店で働き、マリヤの家事を助けられほどの年齢であったので今やイエスが買い戻すと提案した隊商用地の近くにある古い家庭用品店兼修理店の支払いとに使われた。このようにしばらくのあいだ財政的な圧迫が緩和されることから、イエスは、ジェームスを過ぎ越し祭りに連れて行くことに決めた。二人は、単独になるようにサマリア経由で1日早くエルサレムに向かった。かれらは、歩き、イエスは、父が5年前同様の旅において教えてくれたように、途中の歴史的な場所についてジェームスに話した。
サマリアを通過する際、かれらは、多くの奇妙な光景を目にした。この旅で、かれらは、個人的、家族的、また国家的な問題の多くについて論議した。ジェームスは、非常に信仰の厚い型の若者であった。そして、ほんの僅かしか知らないイエスの一生の仕事に関する計画について完全には母に同意してはいない一方で、かれは、イエスがその任務を始められるように、自分が家族のために責任を負うことができる時を楽しみにしていた。かれは、イエスが過ぎ越しの祭りに連れて行ってくれることを非常に感謝した。二人は将来についてこれまで以上によく話し合った。
イエスは、サマリアの道すがら多くのことを、特にベテルでのことやヤコブの井戸の水を飲む時について考えた。彼と弟は、アブラハム、イサク、ヤコブの伝統について検討した。かれは、エルサレムで目撃しようとしていたことのためにジェームスに準備させる多くのことをし、こうして、自身が最初の寺院訪問で経験したそのような衝撃を少なくしようとした。しかし、ジェームスは、これらの幾つかの光景にそれほど敏感ではなかった。かれは、数人の聖職者の任務実行の際のおざなりで冷たい態度を批評したが、概してエルサレムでの滞在を大いに楽しんだ。
イエスは、過ぎ越しの夕食にジェームスをベタニヤに連れて行った。サイモンは、すでにその父と共に埋葬されていた。イエスは、寺院から過ぎ越しの祝いの子羊を持参しており、過ぎ越し祭りの家族の長としてこの家庭の主人役をした。
過ぎ越しの夕食後、マルタ、ラザロとイエスは、深夜まで話したが、マリヤは、ジェームスと話すために座った。翌日、かれらは寺院の礼拝に出席し、ジェームスはイスラエルの共和国に受け入れられた。その朝、かれらは、寺院を見るためオリーブ山の崖に立ち止まり、ジェームスが驚嘆する旁らで、イエスは、エルサレムを黙って見つめていた。ジェームスは、兄の態度を理解できなかった。その夜、かれらは、再びベタニヤに戻り、翌日は家に向けて立つところであったが、ジェームスが、教師達の話を聞ききたいと説明し、寺院に戻ると言い張った。そして、これは本当ではあったが、かれは、心の中では秘かに母から聞いたようにイエスが議論に参加するのを聞きたかったのであった。従って、かれらは、寺院に行き、議論を聞いたが、イエスは、質問をしなかった。それは、すべて人と神のこの目覚めた心にとりあまりに子供じみて無意味に思えた—それらを哀れむことしかできなかった。ジェームスは、イエスが何も言わないことに失望した。彼の質問に対してイエスは、「私の時間はまだ来ていない。」と答えるだけであった。
その翌日、かれらは、家に向けてエリコとヨルダン渓谷を旅し、イエスは、13歳の時のこの路上の旅をも含む道中での多くのことについて詳しく話した。
ナザレに戻ると同時に、イエスは、家族の古い修理工房で仕事を開始し、国や周辺の全域からの多くの人々に毎日会えることができ、大いに励まされた。イエスは、本当に人々—ただのありふれた人々—を愛した。かれは、毎月ジェームスの助けで店の支払いをし、家族への仕送りを続けた。
年に何度かそのような機能を果たす訪問者がいない時、イエスは、礼拝堂で安息日の聖書を読み続けた。そして、何度も教訓に関する注釈をしたが、通常、注釈不要な節を選択していたのでそれは不要であった。かれは、一つが他方を解明するように様々な章段の朗読の順を取りまとめるほどに巧みであった。天気さえよければ、安息日の午後、かれは、自然の中での散策に弟妹を連れ出すことを欠かすことはなかった。
カザンは、この頃、哲学的な議論のための青年同好会を発足させ、異なる構成員の自宅において、またしばしば自身の家でも会合をもち、イエスは、この会の際立った一員となった。この手段により、最近の民族主義的な論争の際に失った地域における信望の回復が可能となった。
制限をうけていた間、イエスの社会生活は、完全に軽視されてはいなかった。ナザレの青年と若い女性の両方に多くの暖かい友人と忠実な賞賛者がいた。
9月に、エリザベツとヨハネは、ナザレ家族を訪問した。イエスが、大工仕事か他の仕事を始めるためにナザレに残るように勧めない限り、ヨハネは、父を失っており、農業と羊の養育に従事するためにユダの丘に戻るつもりであった。かれらは、ナザレ家族が実質的に無一文であることを知らなかった。マルヤとエリザベツは、息子達について話せば話すほど、2人の青年が共に働き、またより互いに会う方が良いと確信するようになった。
イエスとヨハネは、多く語り合った。そして、非常に親密で個人的な幾つかの問題についても話した。この訪問を終えた時、彼らは、彼らの仕事に「天の父が召喚をかけ」、 社会奉仕で出会うまで再び会わないと決めた。ヨハネは、母の扶養のために家に戻り働くべきであると考えるにいたるまでに、ナザレで見たものにこの上もなく感動した。かれは、イエスの生涯の任務の一役をかうことになると確信するようになった。しかし、かれは、イエスが、何年間も家族の扶養に従事することになっていることを知った。したがって、家に戻り、小さい農場の作業と母の必要に応えるために落ち着くことに大いに満足した。そして、ヨハネとイエスは、人の子が洗礼のためにヨルダン川の側に出向くその当日まで、決して互いを見かけることはなかった。
この年の12月3日、土曜日の午後、再び死が、このナザレ家族を襲った。幼いアモス、赤ん坊の弟が、高熱で1週間の病気の後に死んだ。マリヤは、ただ一人の支えである長男とこの時の悲しみをくぐり抜けた後で、遂に、しかも最も満ちた気持ちでイエスを家族の本当の長と認めた。そしてかれは、実にふさわしい指導者であった。
4年の間に家族の生活水準は、着実に減退していた。年々、かれらは、増大する貧困の危機を感じた。この年の暮れまでには、全て困難な闘いのうちの最も難しい経験の1つに直面していた。ジェームスはまだ多くを稼ぎそうにはなく、他のすべての上に重なる葬儀費用が、家族をぐらつかせた。しかし、イエスは、心配し悲嘆している母にただ言うのであった。「母、マリヤ、悲しみは我々を助けはしない。我々は皆、最善をつくしている。そして、おそらく母の微笑というものは、 我々がより首尾よくする気にさえするかもしれない。日増しに、我々は、より楽しい先の日々への望みによってこれらの課題に向かって元気づけられている。」イエスの剛健で実際的な楽観主義は、誠に伝染的であった。全ての子供が、 より楽しい時代とより良いものへの期待の雰囲気の中で暮らしていた。そして、家族の貧困の抑うつ性にもかかわらず、この希望に満ちた勇気は、強健で高貴な性格の開発に非常に関与した。
イエスは、目前の課せられた仕事に、心、魂、身体のすべての力を効果的に駆使する能力を備えていた。かれは、解決したい一つの問題に対して深い、考える心を集中することができた。そしてこれが、自身の不屈の忍耐と関連して、穏やかに死すべき者の困難な試練に耐え—まるで「目に見えない神を見ている」かのように生き—させた。
この頃までには、イエスとマリヤは、とても折り合いが良くなっていた。彼女は、もうそれほどイエスを息子と見なさなかった。それよりもイエスは、彼女の子供等の父となった。毎日の生活は、実際的で目前の困難でいっぱいであった。二人は、イエスの生涯の仕事について頻繁に話さなくなった。というのも時の経過につれ、二人の思いのすべては、互いに4人の少年と3人の少女の支えと躾に捧げられていたので。
イエスは、この年明けまでに、子供の教育方法—悪行を禁じるユダヤの古い流儀の代わりに善を行なう肯定的な命令—に関して母の容認を完全に勝ち得ていた。家庭においても、公の教えの経歴を通じても、イエスは、変わることなく肯定的な形式の勧告を用いた。いつも、そしていたる所で、「これをしなさい—それをすべきである。」と言ったのである。イエスは、古代の禁制に由来する教育の否定的な方法を決して採用しなかった。悪の禁止の強調を控え、一方で善の実行を高揚した。この家庭の祈りの時間は、家族の福祉に関するありとあらゆる事柄について議論するための機会であった。
イエスは、弟妹に賢明な躾をかなり早い時期に始めたので、彼らからの即座の、または心からの服従を得るための罰は、僅かしか必要とされなかったか、あるいは皆無であった。唯一の例外は、ユダであり、イエスは、いろいろな機会にこの子供には家庭での規則違反に対して処罰を課すのが必要であると認めた。3度にわたる明白で故意の家族内の規則違反に対し、ユダを罰する必要があると考えた時、その罰は、 年長児の一致した決定により、しかも、それが課せられる前にユダ自身の同意があった。
イエスは、為すこと全てにおいてとても秩序があり系統だっていたが、管理支配においては、父親代わりの兄を動かした正義の精神が、子供達全員を大いに印象づける爽快な判断の融通性と適合性の個性を持ち合わせていた。かれは、弟妹を決して気紛れに躾ることはなく、そのような均一な公正さと個人的考慮の理由故に家族全員に慕われた。
ジェームスとサイモンは、好戦的で時には怒りをぶつける遊び仲間を宥めるというイエスの計画に従おうと成長し、かなり成功もしていた。しかし、ヨセフとユダは、家でそのような教えに同意しながら、仲間に襲われると防御しようと慌てた。特にユダは、これらの教えの精神に違反する罪を犯した。しかし、無抵抗は、家族の原則ではなかった。個人的な教えに対する違反に罰は、なかった。
一般に、全ての子供、特に少女達は、まるで愛情深い父親にするように、イエスに幼年期に関わる問題を相談もし、また託しもするのであった。
ジェームスは、均衡のとれた、冷静な若者に成長したが、イエスのようにはそれほど精霊的に傾斜はしなかった。かれは、忠実な労働者である一方、精霊的にあまり気を配らないヨセフよりはるかに良い学生であった。ヨセフは、こつこつと働く者であり、他の子供の知的水準には及ばなかった。サイモンは、善意の少年であったが、あまりにも夢想家であり過ぎた。かれは、人生で落ち着くのに時間がかかり、イエスとマリヤにとってかなりの不安の種であった。しかし、かれは、いつも善良で善意の若者であった。ユダは、火つけ役であった。最も高い理想を持っていたが、気質が不安定であった。かれは、母の決断力と攻撃性の全てを、それ以上を備えていたが、母の釣り合いの感覚と判断の多くを欠いていた。
ミリアムは、高貴で精霊的なものへの鋭い認識をもつ分別があり、穏健な娘であった。マルタは、思案と行動の鈍さにもかかわらず、非常に信頼できる有能な子供であった。赤ん坊のルツは家の陽光であった。言葉について考えはしないが、心は最も誠実であった。兄であり父である人をまさに崇拝していた。しかし、家族は、彼女を甘やかしはしなかった。彼女は、可愛い子供であったが、家族の中で、都で一二を争うほどの美人であったミリアムほどの顔立ちではなかった。
時の経過とともに、イエスは、安息日の遵守と他の多くの宗教面に関連した家族の教えと習慣を自由にし、また変更のために多くのことをし、マリヤは、これらのすべての変化に心から同意した。この頃までにイエスは、疑いのない家長となった。
この年、ユダは入学した。そして、これらの費用の負担のためにイエスは、ハープを売る必要があった。したがって最後の娯楽の楽しみが消えた。心や身体が疲れると、かれは、ハープの演奏を非常に好んだが、ハープは、収税吏による没収からは少なくとも安全であると考えて自分を慰めた。
イエスは、貧しくはあったが、ナザレでの社会的な地位は決して損なってはいなかった。かれは、主要な青年の一人であり、大半の若い女性に非常に高く評価されていた。豪商でもあり貿易業者でもあるナザレのエズラの長女レベッカは、イエスが、強健かつ知的な男らしさのすばらしい雛形であり、また精霊的指導者としてのその評判を考えるとき、自分が徐々にこのヨセフの息子に恋心を抱いていくのが分かっても不思議ではなかった。彼女は、まずミリアムに自分の愛情を打ち明けた。ミリアムは、次に母とこのすべてを徹底的に話し合った。マリヤは、強く興奮した。今や不可欠の家長となった我が息子を失おうとしているのか。悩み事は決して止まないのか。何が次に起こるというのか。そしてマリヤは、結婚がイエスの将来の経歴にどんな効果をもたらすかを熟考するために佇んだ。度々ではないが少なくとも時々、彼女は、イエスが「約束の子」であったという事実を思い出した。彼女がミリアムとこの問題を徹底的に話しあった後、二人は、イエスがそれを知る前にレベッカのもとに直接行き、全体の話を提示し、そして正直にイエスが運命の息子である、偉大な宗教指導者、恐らくメシヤになることになっている、という自分達の信念を話し、食い止める努力をすると決めた。
レベッカは熱心に聴いた。彼女は、詳細な説明に興奮を覚え、自分が選んだこの男性と運命を共にし、指導者の生涯を共有するとますます決心していた。彼女は、そのような男性こそ忠実で有能な妻をいっそう必要とすると(自分自身に)言い聞かせた。彼女は、自分を思い切らせるマリヤの努力を家長と家族の唯一の支えを失う畏怖への自然な反応と解釈した。しかし、彼女は、大工の息子への自分の思いに父が賛成したことを知っており、彼が、イエスの収益の損失分を補償するために家族に完全に十分な収入を快く供給すると正しく判断した。父がそのような計画に同意した時、レベッカは、改めてマリヤとミリアムと談合をした。そして、二人の支持が得られなかったとき、彼女は、あえてイエスの元に行った。彼女は、父の協力を得てこれをし、その父は、レベッカの17回目の誕生日の祝賀のためにイエスを家に招待した。
イエスは、最初に父、そしてレベッカ自身からのこれらの詳述を注意深く、好意的に聴いた。イエスは、如何なる金額も父の家族を直接養う自分の義務、「すべての人間の最も神聖であるものを実現すること—自分自身の肉親への忠誠」の代理をすることはできない、という趣旨の思いやりのある回答をした。レベッカの父は、イエスの家族への献身の言葉に深く感動し、談合から退いた。自分の妻マリヤへのたった一言は、「我々は、あの人を息子として得られない。自分達には立派過ぎる。」であった。
そしてレベッカとのあの重大な話が始まった。ここまで、イエスは、少年と少女、青年と若い女性をほとんど区別してこなかった。彼の心は、人間の結婚における個人の愛の達成を真剣に考慮をするには、実際的な現実のさし迫った問題と「父の用向き」に関わる自己の最終的な経歴への興味をそそる瞑想とにあまりにいつも没頭し過ぎてきた。しかしその時、彼は、あらゆる平均的な人間が直面し決断しなければならないそれらの問題のもう一つに直面していた。誠にもってかれは、「君のように全ての点において試された」のであった。
注意深く聴いた後かれは、レベッカからの表明された賛美に心から感謝し、「それは、私の生涯においてずっと私を励まし、慰めてくれる。」と付け加えた。彼は、単純なきょうだい関係と純粋な友情以外のいかなる女性との交友も自由に始めることはできないと説明した。最初の、そして最高の義務は、自分の父の家族の扶養であり、それが達成されるまで結婚を考えることができないと明らかにした。次に、イエスは、「私が運命の息子であるならば、運命が明らかになるその時まで生涯持続する義務を負ってはいけない。」と付け加えた。
レベッカは悲嘆にくれた。父がセフォリスに越すことを最終的に同意するまで、慰めを拒絶し、父にナザレを去るよううるさく頼んだ。後年、求婚した多くの男性に対して、レベッカには1つの答えしかなかった。彼女は1つの目的だけのために生きた—自分にとりこれまでに存在した最も偉大な男性が、真実の教師としてその経歴を始めるその時を待つこと。そして、彼女は、その日イエスが勝ち誇ってエルサレムへ乗って行ったときも(イエスには気付かれずに)、居合わせており、イエスの波瀾万丈の公のための労務の間中、献身的に追従した。そして、レベッカにとり、天上の数え切れない世界にとっても同じく、「1万の中の最もいとおしく偉大な人」である人の子が十字架に磔けられた運命の悲惨なその午後に、彼女は、マリヤの側で「他の女性達」の中に立っていた。
イエスへのレベッカの愛の物語は、ナザレで、後にはカペルナムで囁かれ、それゆえ続く数年間、多くの女性は、男性達が愛しんだように彼を愛し、かれは、二度と別の立派な女性からの個人的な献身の申し出を拒絶しなければならないようなことはなかった。この後ずっとイエスへの人間の愛情は、敬虔かつ崇拝的な性質を伴なった。男女双方は、自己満足や愛情からくる独占欲の色合いではなく、彼がそうあったという理由でイエスを献身的に愛した。しかし、何年もの間、イエスの人柄の話がされる時はいつでも、レベッカの献身が詳細に語られた。
ミリアムは、完全にレベッカの事件を知っており、また兄がいかに美しい少女の愛さえ見捨ててしまったかを知り、(彼の運命の将来の経歴の要素がわからずに)イエスを理想化し、感動的で深遠な感情で父として兄として愛するようになった。
家族は、ほとんどそれをする財政的な余裕はなかったが、イエスは、過ぎ越し祭りにエルサレムまで行きたいという不思議な強い思いがあった。母は、レベッカとの最近の経験を知っており、イエスに旅をするよう賢明に促した。かれは、それを明らかに意識してはいなかったが、最も望んだことはラザロと話し、マルタとマリヤと雑談する機会であった。自身の家族の次に、かれは、とりわけこの三人が好きであった。
エルサレムへのこの旅の際、かれは、メギド、アンチパトリス、ロド経由で行き、そして、彼がエジプトからナザレに連れ戻された時と同じ道筋の一部を辿った。かれは、過ぎ越し祭りに行くのに4日間を費やし、パレスチナの国際的な戦場のメギドとその周辺で生じた過去の出来事について多くを考えた。
イエスは、エルサレムを通過し、寺院と集いくる参拝者を見るためにだけ休止した。かれは、ヘロデが建築したこの寺院と政治的に任命されたその聖職者を嫌悪していた。かれは、何よりもラザロ、マルタ、マリヤに会いたかった。ラザロは、イエスと同年齢で今は家の長であった。この訪問までには、ラザロの母もまた、埋葬されていた。マルタは、イエスより1歳あまり上であったが、マリヤは、2歳若かった。そして、イエスは、三人にとり偶像的理想であった。
この訪問中、伝統に対する反抗のそれらの周期的な発生の一つ—イエスが天の父を誤って描写していると考えるそれらの儀式的な習慣に関する憤りの表現—が起きた。ラザロは、、イエスが来ていることを知らずにエリコ街道沿いにある村の友人と過ぎ越し祭りを祝う段取りをしていた。そのときイエスは、自分達のいる所、ラザロの家で饗宴を祝おうと提案した。「しかし、」とラザロは言った。「過ぎ越しの祝いの小羊がない」。そこでイエスは、天の父はそのような子供じみた無意味な儀式に本当に関係していなかったという趣旨の長い説得力のある講説を始めた。彼らは、厳粛で熱心な祈りの後に立ち上がり、イエスが言った。「モーゼが指導したように、私の人民の幼稚で暗い心を彼らの神に仕えさせよ。彼らがするのは良いのだが、命の光を見てしまった我々が、死の暗闇を父をに近づけさせるようなことをしてはならない。父の永遠の愛の真実を知って自由になろう。」
その晩薄明かりのころ、この四人は、着座をし、敬虔なユダヤ人による子羊なしの最初の過ぎ越し祭りの祝宴の相伴をした。無発酵のパンとワインが、この過ぎ越し祭りのために用意され、イエスは、自らが「命の糧」と「命の水」と名づけたこれらの象徴の品を仲間に出し、彼らも、たった今与えられた教えに厳粛に従って摂った。以降ベタニヤ訪問ではいつも、この聖餐の儀式に従うことがイエスの習慣であった。家に帰るとこのすべてを母に伝えた。母は、まず驚いたが、イエスの視点が徐々に見えてきた。それでも、彼が、家での過ぎ越し祭りにはこの新しい考えを取り入れない意図を保証すると、彼女は大いに安心した。家では子供達とともに「モーゼの法により」年ごとに過ぎ越しの食事を続けた。
マリヤが結婚に関してイエスと長談義をしたのは、この年であった。マリヤは、家族への責任がなければ結婚するかどうかイエスに率直に尋ねた。イエスは、目前の義務が自分の結婚を禁じているので、その問題についてあまり考えたことがないと説明した。かれは、結婚生活に入るということには疑念があると述べた。全てのそのような事は、「私の時間」、つまり「私の父の仕事が始まらなければならない」時を待たなければならないと言った。肉体をもつ身で子供の父にはならないと既に決心していたので、かれは、人間の結婚問題を余り考えなかった。
この年、かれは、自己の人間と神の本質を簡単で有効な人間の個性になお一層織り込む新たな任務にとりかかった。そして、かれは、道徳面と精霊的な理解において成長し続けた。
ナザレの全財産(家を除く)は無くなったが、この年、かれらは、カペルナムの不動産の持ち分の販売から些さかの財政的な潤いがあった。これは、ヨセフの全地所の最後であった。カペルナムのこの不動産取引は、ゼベダイという名の船大工とであった。
ヨセフは、この年、礼拝堂の学校を卒業し、家の大工工房の小さな台での仕事を開始する準備をした。父の地所は尽きてしまったが、三人が、定期の仕事に従事していたので首尾よく貧困を退ける見通しがあった。
イエスは、急速に大人に、単なる青年ではなく、大人になっている。かれは、責任を担うことをよく学んだ。かれは、失望に直面し、先に進む方法を知っている。かれは、計画が阻まれ、目的が一時的に覆される時、勇敢に耐える。かれは、不公平に直面してでさえいかに公正であるかを学んだ。かれは、精霊的な生活の理想を地上での生活要求に合わせる方法を学んでいる。かれは、必要性からくるより間近で即座の目標達成のために精を出して働く傍ら、理想主義の、より高く、遠い目標の達成をいかに計画するかを学んでいる。かれは、人間のありふれた要求に自己の切望を調整する術を着実に習得している。かれは、精霊駆動の活力を物理的達成の方法に転じて活用する術をほぼ習得した。かれは、地球での生活を続ける一方、天国にいるような生活を送る方法をゆっくり学んでいる。かれは、地球での家族の子供を導き、また指示する父親の役割を引き受けつつ、ますます天の父の究極的指導に依存している。かれは、敗北の状態から巧みに勝利をもぎ取ることにかけて経験豊富になりつつある。かれは、時間の困難を永遠の勝利に変える方法を学んでいる。
年が経過するに従い、ナザレのこの青年は、このようにして時空の世界での命あるものとして人生を経験し続ける。かれは、ユランチアにおいて代表的で、豊富な充実した人生を送る。かれは、自己の創造した生物が潜り抜ける最初の人生、肉体での人生の短くて奮闘的な歳月の間に通過する経験において熟したままでこの世を去った。そして、このすべての人間の経験は、宇宙主権者の永遠の所有である。かれは、我々の理解ある兄であり、思いやりのある友であり、経験豊かな主権者であり、慈悲深い父である。
かれは、子供として知識の巨大な量を蓄積し、青年としてこの情報を選別し、分類し、相関させた。そして今領域の人間としてかれは、この世界、全ネバドン界の他のすべての居住圏の仲間の人間のための次に始まる自分の教育、宗教活動、奉仕における活用の前に精神的な財産の統合化を始める。
この領域の赤子として生まれ、幼年期の生活をし、少年と若者の引き続く時期を通り抜けた。かれは、人間生活への経験が豊かに、人間性への理解に満ち、人間性のもろさへの同情に溢れ、今、完全な成人の敷居に立っている。全ての時代と段階における限りある命を有する者へ天国の父を明らかにする神性芸術に熟練しつつある。
そして今、成熟した人間—この世界の成人—としてかれは、人に神を顕示し、人を神に導く最高の任務を続ける準備をする。
ナザレのイエスは、成人期の初期に入り、地球での通常かつ平均的な人間の生活を送ってきたし、送り続けた。イエスは、ちょうど他の子供が来るように、この世界に生まれた。かれは、自分の両親の選択には無関係であった。かれは、7番目の最後の贈与、人間の肉体に似せての顕現実行のための惑星としてこの特定の世界を選びはしたが、しかし他の点においては、自然な方法でこの世界に入り、ちょうど、この世界の、あるいは同様の世界の死すべき運命にある者達がするようにこの領域の子供として育ち、またその環境の変化に取り組んだ。
ユランチアにおけるマイケルの贈与の二重目的をいつも心に留めて置きなさい。
1. 肉体での完全な人間生活を送る経験の習得、すなわちネバドンでの主権の完了。
2. 時間と空間世界の命ある居住者への宇宙なる父の顕示、およびこれらの同じ者が、宇宙なる父をより良く理解するためのより効果的な先導。
他のすべての被創造物の恩恵と宇宙の利点は、付帯的であり、人間贈与のこれらの主要な目的に較べれば二次的なものであった。
成人期に至るとともに、イエスは、最も低い知的生物の型の人生の知識を習得する経験を完了する課題にひたむきに、最大限の自意識で開始し、そうすることにより最後に、そして完全に、自己創造の宇宙の無条件の統治の権利を獲得するのである。かれは、完全に自己の二元的な本質を認識しているこの驚くべき課題に取り組んだ。しかし、かれは、事実上、この二つの本質を一人—ナザレのイエス—に一体化をすでに効果的にしていたのであった。
ヨシュア・ベン・ヨセフは、自分が男であり、死すべき運命の人間であり、女から生まれたものであるということを熟知していた。これは、最初の肩書「人の子」の選択に示されている。かれは、実に血肉をもつ参加者であり、そして、今でさえ最高の権威で宇宙の運命を取り仕切るとき、自力で得た多数の称号の中にまだ人の子を携えている。宇宙なる父の創造的な言葉—創造者の息子—が、「ユランチア領域の人として肉体を与えられたうえで住んだ。」ということは文字通り本当である。かれは、労働し、疲労し、休息し、眠った。腹を空かせそのような渇望を食物で満たした。喉の渇きを覚えその渇きを水で癒した。人間の全ての気持ちと感情を経験した。かれは、「君と同様すべての事柄で試され」、そして苦しんで死んだ。
かれは、ちょうど領域の他の死すべき者がするように、知識を得て、経験を重ね、これらを知恵に結合した。洗礼後まで、かれは、超自然力も用いなかった。ヨセフとマリヤの息子として、かれは、人間の資質の一端にいかなる助けも使用しなかった。
自分の前人間存在の属性に関しては、∔かれは、すべて後にした。公の仕事の開始前、かれは、人と出来事に関する知識に関して、完全に自らを制限していた。かれは、人間の間の本物の人間であった。
それは、とこしえに見事に真実である。「我々には、虚弱さに心を動かされる高位の支配者がいる。我々には、我々同様すべての点において試され、誘惑された、しかしいまだ罪の無い主権者がいる。」そして、自らが、試され試み、受難したので、その人は、混乱し、困窮している者を理解し、力を貸すことができる。
ナザレの大工は、その時自分の目前にある仕事を完全に理解したが、その自然な流れの水路において人間生活を送ることを選んだ。そして、これらの問題のいくつかでは、記録さえされているように、かれは、誠に自己が創りだした限りある命をもつ者にとっての模範である。「神の本質をもち、神と対等であることを奇妙でないと思ったイエス・キリストの中にもあるこの心を受け入れよ。しかし、かれは、自ら被創造物のかたちをとり、自らをとるに足りないものとし、人間の姿で生まれてきた。そして、このように人間の姿で、自分を低くし、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで、かれは、従順であった。」
かれは、ちょうどすべての他の人間家族が送ることができるように、死を免れない人生を送り、「生身での日々においては、すべての悪から救うことのできる方に頻繁に、強い感情と涙とをもって、祈りと願いを捧げ、そして彼の祈りは、信じたがゆえに聞き入れられた。」それゆえに、かれが、それらの者の上で慈悲深く理解ある主権を有する支配者になれるようにあらゆる点で兄弟姉妹のように作られているのは当然であった。
かれは、自己の人間性を決して疑いわなかった。それは、自明であり、自分の意識の中につねに存在していた。しかし、自分の神性には、疑問と推測の余地がつねにあり、少なくともこれは、自身の洗礼行事のその時まで事実であった。人間の見地から、神格の自己実現は、ゆっくりと、自然な進化的目覚めであった。神性のこの目覚めと自己実現は、エルサレムにおいてまだ13歳にもならないとき、人間生活での最初の超自然の出来事と共に始まった。そして、神性の自己実現に関するこの経験は、肉体をもつ身でありながら2番目の超自然の経験時点、ヨルダン川でのヨハネによる洗礼に伴う公の聖職と教育の経歴の始まりを記した出来事の際に完了した。
天からのこれらの2つの訪問の間には、1つは13年目、もう一つは洗礼、この肉体を与えられた創造者の息子の人生において超自然的、または超人的なことは何も起こらなかった。にもかかわらずベツレヘムの赤子、ナザレの少年、若者、男性は、実際は肉体を与えられた一宇宙の創造者であった。しかし、かれは、決して一度もこの力を用いなかったし、自分の守護天使は別として、ヨハネによる洗礼の日まで自己の人生の生き方において、天界の人格の指導を利用しなかった。このように証言する我々は、何を話しているかが分かっている。
しかも、かれは、生身の人生の間ずっと実に神性であった。かれは、実際に天国の父の創造者の息子であった。かれは、一度公的な経歴に入ると、統治権獲得のための純粋に人間としての経験の技術的な完成の後に、自分が神の息子であることを公的に認めることを躊躇わなかった。かれは、「私はアルパであり、オメガである。初めであり終わりである、1番目であり最後である。」と宣言することを躊躇わなかった。後年かれは、全世界の全ての名にまさる名を持つ栄光の主、宇宙の支配者、全創造の主なる神、イスラエルの聖なる者、すべての主、我々の主で我々の神、宇宙の全能、この創造の宇宙の心、知恵と知識の全宝物を隠しもっているもの、万物を満たすものの豊かさ、永遠なる神の永遠なる言葉、万物の前にあり万物がその中に存在するもの、天地の創造者、宇宙を支えるもの、全地球の裁判官、永遠の命を与えるもの、真の羊飼い、世界の救世者、救済の船長、と呼ばれたとき何の抗議もしなかった。
かれは、自分の純粋な人間生活の発現から後年の人類における、人類の為の、そしてこの世界と他の全ての世界にとっての神性の公職に関する自意識の後に適用されたこれらの称号のいずれにも決して反対はしなかった。イエスは、適用された1つの称号だけには反対した。一度イマヌエルと呼ばれたとき、「私ではない、それは兄である。」と単に答えた。
常に、地球でのより重大な人生に入って後にさえ、イエスは、天の父の意志に誠に服従的であった。
自身の洗礼後、かれは、誠実な信者と謝意にあふれた追随者が自分を崇拝することを許すことなど考えもしなかった。かれは、家族のための生活必需品を賄うために貧困と闘い、こつこつ手で働く間さえ、神の息子であるという意識は拡大していった。かれは、自分が、天空と人間生活を全うしているまさしくこの地球の制作者でであることを知っていた。そして、大きな、傍観している宇宙を通した天の存在体の集団は、ナザレのこの男性が、最愛の主権者であり創造者‐父であることを同様に知っていた。この数年間ずっと、深い緊張感が、ネバドンの宇宙に広がった。すべての天の目は、絶え間なくユランチアに—パレスチナに—焦点が合わせられた。
この年イエスは、過ぎ越しの祭りを祝うためにヨセフとエルサレムに行った。かれは、奉納のためにジェームスを寺院に連れて行ったので、ヨセフを連れて行くのは自分の義務であると考えた。イエスは、家族の扱いに決して些さかの依怙贔屓もしなかった。かれは、ヨセフと通常のヨルダン渓谷経由でエルサレムには行ったが、アマツースを貫く東ヨルダン経路でナザレに戻った。イエスは、ヨルダン川を下りながらヨセフにユダヤ人の歴史を語り、帰路においては伝説的に川の東の領域に住んでいたルーベン、ガド、ギレアデの評判の部族達の経験について話した。
ヨセフは、イエスの生涯の使命に関する多くの誘導尋問をしたが、これらの問いの大部分に、イエスは、「私の時間はまだ来ていない。」と答えるだけであった。しかしながら、ヨセフが以降の歳月の感動的な出来事の間に覚えていた多くの内容は、これらの親密な議論で仄めかされていた。イエスは、いつもエルサレムでこれらの祭礼祝賀に出席の際するように、ベタニヤでヨセフと3人の友とこの過ぎ越し祭りを過ごした。
これは、イエスの弟妹が青春の問題と再調整に特有である試練と苦難に直面していた数年間の1つであった。イエスには、そのとき7歳から18歳におよぶ弟妹がおり、かれは、彼らの知的、そして感情的な生活の新たな目覚めに順応するための力添えに忙しくしていた。かれは、弟妹の生活で明らかになったとき、青春期の問題とこのように取り組まなければならなかった。
この年、サイモンは、学校を卒業し、イエスの少年時代の遊び仲間であり、またいつでも擁護者であった石工のヤコブと仕事を始めた。何回かの家族会議の結果、少年全員が大工に従事することは、賢明でないという決論に達した。商売の多角化することにより、自分達が全体の建造物を建てるための契約を取る準備ができるかもしれないと考えた。また、3人が専任大工として働き続けてきたので、彼らは、それほど忙しくなかった。
イエスは、この年、家の仕上げと指物細工を続けたが、隊商修理場で大部分の時間を過ごした。ジェームスは、イエスと交替で修理場の店番を始めていた。この年の後半、ナザレ近辺での大工仕事が低調であったとき、イエスは、鍛冶屋と一緒に働くためセフォリスに行っている間、修理工場をジェームスに、家の仕事場をヨセフに任せた。かれは、6カ月間金属に取り組み、金床に関するかなりの技能を取得した。
イエスは、セフォリスで新しい仕事を始める前に、定期的な家族会議を開き、その時18歳を過ぎたばかりのジェームスを粛として家族の代理の長としてつかせた。かれは、心からの支持と全面的協力をこの弟に約束し、家族の各自からはジェームスへの正式な服従の約束を取り立てた。イエスが弟へ週ごとの支払いをする一方、この日からジェームスは、家族に対する完全な財政的な責任を担った。イエスは、その後決してジェームスの手から手綱を取り戻すことはなかった。セフォリスで働いている間、かれは、必要なら毎晩徒歩で家に戻れたが、天気や他の理由を口実に意図的に遠のいていた。しかし、真の動機は、家族責務に関係してジェームスとヨセフを訓練することにあった。家族を乳離れさせる緩やかな行動を開始した。イエスは、新計画の進み具合いを観測するため、助言を与えもし有用な提案を示すため、安息日ごとに、また時々必要に応じて平日にナザレに戻った。
セフォリスでの6カ月の大部分の暮らしは、さらに非ユダヤ人の生活の見方に詳しくなる新たな機会をイエスに提供した。かれは、非ユダヤ人と働き、非ユダヤ人と暮らし、あらゆる可能な方法において非ユダヤ人の生活習慣やその心を細心で労をいとわず学んだ。
ヘロデ・アンティパスの故郷である都市の道徳的な水準は、隊商の都市ナザレのそれさえもはるかに劣っていたので、イエスは、セフォリスでの6カ月の滞在の後ナザレに戻る言い訳を見つけることは嫌ではなかった。イエスが働いていた集団は、セフォリスとティベリアスの新都市の両方の公共仕事に従事することになっており、イエスは、ヘロデ・アンティパスの管理下のいかなる種類の雇用であろうと関係があることには気が向かなかった。その上、イエスの意見では、ナザレに戻るさらに他の賢明な理由があった。かれは、修理場に戻っても、家族の問題に関する指揮を2度ととらなかった。かれは、店でジェームスと協同で働き、家庭の監督に関してもできるだけ彼に続けさせた。ジェームスの家族の支出と予算管理は、そのままであった。
イエスが、家族活動の活発な参加からついには引き下がるための準備をしたのは、まさしくそのような賢明で思慮深い計画によってであった。ジェームスが、家族の代理として2年間の経験をしたとき、ヨセフは、家庭の財政役に据えられ、家の一般的な管理を委ねられ—まる2年後に、ジェームスは、結婚することになっていた。
この年、財政的な圧迫は、4人が仕事に携わっていたことからわずかに和らいだ。ミリアムは、ミルクとバターの販売でかなりの収入を得た。マーサは、有能な織り手になった。修理工場の購入価格の1/3余りが支払われた。そのような状況であったので、イエスは、サイモンを過ぎ越しの祭りにエルサレムに連れていくために仕事を3週間休んだ。これは、父の死以来、日々の労苦から離れて楽しんだ最も長い期間であった。
かれらは、デカポリス経由でペラ、ゲラサ、フィラデルフィア、ヘスボン、エリコを通ってエルサレムへと旅した。戻りは、海岸沿いに感動的なロド、ヨッパ、カエサレア、そこからカーメル山まわりでプトレマイオス、そしてナザレであった。イエスは、この旅でエルサレム地区の北部のパレスチナ全体についてかなり知った。
イエスとサイモンは、エルサレムの自分の本部に留まるように主張するまでにナザレの二人にかなりの好感をもったダマスカスからの商人との面識をフィラデルフィアで得た。サイモンが寺院に出席をする一方、イエスは、世界事情に通じたこの教養ある旅慣れた男性と話して多くの時間を費やした。この商人は、4千頭の隊商用のラクダを所有していた。かれは、ローマ世界全域に関心を抱き、そのときはローマへの途中であった。かれは、イエスにダマスカスに来て自分の東洋輸入業務に参入することを提案したが、イエスは、家族からそれほど遠ざかって行くことは差し障りがあると説明した。とはいうものの、帰途では、これらの遠方の都市と、それよりさらに遠く離れた極西、極東の国々、すなわち隊商隊の旅客や案内人が話すのを度々聞いた国々について多くを考えた。
サイモンは、エルサレム訪問を大いに楽しんだ。かれは、戒律の新しい息子のための過ぎ越しの祭りの奉納で、イスラエルの共和国に順当に受け入れられた。サイモンが過ぎ越しの祭式に出席する間、イエスは、参詣者の群衆に混じったり、数多くの非ユダヤ人の改宗者との多くの興味深い個人的な会話をした。
恐らくすべてのこの接触で最も注目に値するものは、ステパノというギリシア人的な若者とであった。この青年は、エルサレムを初めて訪れ、過ぎ越しの祭りの週の木曜日の午後に偶然にイエスに出会った。両者がアシュマナン宮殿を見ながら逍遥する間、イエスは、何気ない会話を始め、互いに関心を持つようになり、ついには、生き方、真の神、神の崇拝に関する4時間の議論につながった。ステパノは、イエスの言うことにすばらしく感動したのであった。かれは、イエスの言葉を決して忘れなかった。
そして、これが後にイエスの教えの信奉者となり、そしてこの初期の福音を説く際のその大胆さがもとで、怒るユダヤ人の投石で死ぬという結果におわった同じステパノであった。新しい福音の自身の視点の宣言におけるステパノの驚異的な大胆さの一部は、イエスとのこの早期の会談が、直接的原因であった。だが、ステパノは、およそ15年ほど前に話をしたガリラヤの人物が、後に世界の救済者であると彼が宣言した人と全く同じ人であることを、また、自分がその人のためにそれほど早く死に、その結果、新たに進化しているキリスト信仰の最初の殉教者になることになっていたとは決して推側さえしなかった。ステパノが、ユダヤの寺院とその伝統的習慣に対する攻撃への代価として自己の命を委ねたとき、タルソスの市民のサウルという者がそばにいた。そして、サウルは、このギリシア人が、いかに自己の信仰のために死ぬことができたかを目撃すると、ステパノがそのために死んだ主義を終には信奉するように自分を導く感情が、心を刺激した。後にかれは、唯一の創設者、キリスト教の、でないとしても、攻撃的で不屈のパウロ、哲学者、となった。
過ぎ越し祭りの週後の日曜日、サイモンとイエスは、ナザレへの帰途についた。サイモンは、イエスがこの旅で教えたことを決して忘れなかった。かれは、いつもイエスを慕っていたが、今は、父であり兄であるイエスを知り始めた自分に気づいた。かれらは、国を旅し、道の旁らで食事を作ったりしながら、多くの隠し立てのない話をした。木曜日の正午家に到着し、サイモンは、自分の経験に関する話で家族をその夜遅くまで釘づけにした。
エルサレムで、イエスが「見知らぬ、特に遠国からの人々と雑談するのに」大部分の時間を費やしたというサイモンの報告に、マリヤは非常に動揺した。家族は、イエスの人々への格段の関心を、つまり人々と雑談し、その生活方法を学び、また何を考えているのかを見つけるというイエスの衝動を、決して理解することができなかった。
ナザレの家族は、ますます自分達の即座の、また人間くさい問題に取り紛れるようになった。イエスの未来の使命についてそれほど言及されることはなく、イエスも、滅多に自分の将来の経歴について口にすることはなかった。母は、まれにイエスが約束の子であることを思い浮かべた。彼女は、イエスが地球上で神のどんな任務も実現させることになっているという考えを徐々に諦めていた。それでも時々、子の生まれる前のガブリエル訪問を立ち止まって思い出すと、その信念が蘇るのであった。
エルサレムへの途中、イエスは、最初にフィラデルフィアで出会った商人の客人としてダマスカスでこの年の最後の4カ月を過ごした。この商人の代理人は、ナザレを通過する際にイエスを捜したうえでダマスカスへと送っていった。このユダヤ混血の商人は、ダマスカスで宗教哲学の学校設置のために桁外れの金額を奉仕すると申し出た。かれは、アレキサンドリアを負かすほどの学問の中心地の創設を計画した。そして、イエスがこの新計画の先導者になる準備のために、世界の教育の中心地への長い見学旅行を即刻始めるべきであると提案した。これは、純然たる人間の経歴において、イエスがこれまでに直面した最大の誘惑の1つであった。
まもなくこの商人は、この新たに計画された学校の支持に同意した12人の商人と銀行家の一団をイエスの前に連れて来た。イエスは、提案された学校に対する深い関心を表し、その組織の計画の手助けをしたが、自分の述べてはいないが、他の優先する責務が、そのような覇気満々の企ての指揮の受け入れを妨げるという懸念を表明した。この自称後援者は、執拗であり、彼、妻、息子達、娘達が、差し出した名誉を受け入れるようにイエスを説き伏せようとする一方、かれは、かれの家での若干の翻訳にイエスにとり有利になるように雇った。しかし、イエスは同意しなかった。かれは、地球での使命は学習団体に支えられるないことをよく承知していた。かれは、どんなに善意であろうとも、「人間の評議会」に指示されることを少したりとも義務づけてはならないことを知っていた。
指導力を示した後にさえ、エルサレムの宗教指導者に拒絶されたかれは、ダマスカスの実業家かつ銀行家に主たる師と認められ、迎え入れられ、しかもこのすべてが、ナザレの人目につかない無名の大工であったときに。
かれは、この申し出について家族には決して話さず、この年末にはまるでダマスカスの友人達の口上手な申し入れに一度も誘惑されたことがなかったかのように、ナザレでの日々の務めに従事していた。またダマスカスのこれらのいずれの男性も、すべてのユダヤ人に動揺を与えたカペルナムの後の市民を自分達の結合された富が手にしたかもしれない名誉をあえて拒否したナザレの元大工とを結びつけなかった。
イエスは、世界の目で、決して一個人の行いとして関連づけられるようなことのないように、自分の人生の様々な挿話を分離することを最も賢く、しかも意図的に案出した。その後の数年間、かれは、アレキサンドリアに対抗する学校をダマスカスに設立する好機を斥けた奇妙なガリラヤ人についてのこの同じ話が語られるのを何度となく聞いた。
かれが、地上での経験におけるある種の特徴を隔離しようとしたとき、イエスの心にあった1つの目的は、その後の世代が、彼が生きて教えた真実に従う代わりに、その師を崇拝する原因になるような多才で華々しい経歴の構築を防ぐことであった。イエスは、自分の教えに注意を引くようなそんな人間の功績の記録を確立したくなかった。とても早くからイエスは、自らが世界に公布するつもりであった王国の福音の競争相手になるかもしれない自分に関する宗教を、追随者達が打ち立てようという気になると気がついた。従って、かれは、自分の波瀾万丈の一生の間、教えを公布する代わりにその師を高めるような人間のこの自然の傾向の助けになるかもしれないすべてを一貫して抑圧しようとしていた。
また、この同じ動機が、この世界での彼の多様な人生の多岐にわたる時期に、異なる称号で知られることをなぜ許容したかをも説明している。一方、家族や他の者達の正直な信念に反して彼をを信じさせるように彼らを導く少しの不都合な威圧も欲しなかった。かれは、常に人間の心の不当な、または不公平な弱みに乗じることを拒否した。彼らの心が、自分の教えで明らかにされる精霊的な現実に共鳴しない限り、人々に自分を信じて欲しくはなかった。
ナザレの家庭は、この年の暮れまでにはかなり順調に進んでいた。子供は成長していたし、マリヤはイエスの留守に慣れてきた。かれは、即座の個人的な費用のために家族扶養のために自己の収益をジェームスに与え続け、ほんの一部だけを手元に残した。
数年が経過すると、この男性が地球の神の息子だと認識することは、より難しくなった。かれは、全く領域の一個人のように、丁度他の人間と同じようにみえた。また天国の父により、贈与がまさしくこのように展開すべきであると定められた。
これは、家族責任から比較的に自由であったイエスの最初の年であった。ジェームスは、イエスの助言と財政援助で家庭の管理を非常に首尾よくやっていた。
この年の後半、パレスチナ海岸のどこかでイエスとアレクサンドリアのユダヤ人の集団の間での会合の手配のために、アレキサンドリアからの一青年が、この年の過ぎ越しの祭りの次の週に、ナザレにやってきた。この会議は、6月中旬に予定され、イエスは、主要な礼拝堂のカザンの補佐の地位をまず誘因として提案し、イエスが宗教教師として自分達の都市で確立するように強く求めたアレキサンドリアの5人の著名なユダヤ人に会うためにカエサリアへ出向いた。
この委員会の代表者らは、アレキサンドリアが、全世界のためのユダヤ文化の本拠地になる運命にあると、すなわちユダヤの情勢のヘレニズム動向は、事実上バビロニアの学派をはるかに引き離したとイエスに説明した。かれらは、エルサレムにおける、そして全パレスチナでの反逆の不吉な鳴動をイエスに思い出させ、パレスチナのユダヤ人のいかなる暴動も国家自尽に等しいと、ローマの鉄の手は3カ月で反逆を粉砕するであろうと、エルサレムは破壊され、寺院は取り壊され一つの石も残されないだろうと、確信をもって彼に言った。
イエスは、皆が言うべきことのすべてを聞き、彼らの信頼に感謝し、アレキサンドリア行きを断るに当たり、大まかに、「私の時間はまだ来ていない。」と言った。かれらは、与えようとした名誉に対するイエスの明白な無関心に困惑した。イエスにいとまごいをする前に、アレクサンドリアの友人の尊敬の印として、また、打ち合わせのためにカエサレアに来る時間と費用の補償として財布を差し出した。しかし、「ヨセフの家は、施し物を一度も受けたことがないし、私には強い腕力があり、弟達が働ける限り、我々は他人のパンを食べることはできない。」と言いつつ同様に金をも拒否した。
エジプトからの友人達は、家に向けて出帆した。そして、その後数年間、パレスチナにおいてあれほどの騒動を引き起こしていたカペルナムの船大工の噂を聞いたとき、それが成人したベツレヘムの赤子で、アレキサンドリアでの偉大な師になる招待をあっさり断った奇妙な振る舞いのガリラヤ人と同じだと推察したのは、わずかの者だけであった。
イエスはナザレに戻った。残るこの年、全生涯の中で最も問題のない6カ月であった。かれは日常の解決すべき問題や乗り越える困難からのこの一時的な中断を味わった。かれは、天国の父と多く交わり、自分の人間の心の支配において相当の進歩を遂げた。
しかし、時間と空間の世界における人間社会の諸事は、長くは順調に進まない。ジェームスは、12月にナザレの若い女性エスタと非常な恋仲であると説明し、段取りがつけばいつか結婚したいとイエスに打ち明けた。ジェームスは、ヨセフがもうすぐ18歳になり、家族の代理の長として務める機会をもつことは、ヨセフのために良い経験であるという事実に注意を向けた。イエスは、ジェームスが、家の指揮実行に当たるヨセフに適切な訓練がその間に与えられるのであればという条件で、2年後の結婚に同意した。
そしてこのとき、事が動き始めた—結婚の気配があった。結婚へのイエスの同意を得るためのジェームスの成功は、ミリアムを勇気づけて、彼女の心積もりを父親代わりの兄に働き掛けさせた。若い石工、ヤコブ、かつてのイエスの自薦覇者、今はジェームスとヨセフの仕事仲間は、長い間ミリアムとの結婚許可を得ようとしてきた。イエスは、ミリアムが彼女の計画を提示したとき、ヤコブが正式な申し入れをしに来るべきだと指示し、マルタが、長女としての義務を引き受けるに充分だと感じ取り次第、すぐに結婚のための祝福をするという約束をした。
在宅中かれは、1週間に3回、夜間の授業を教え続け、安息日にはしばしば礼拝堂で聖書を読み、母と雑談し、子供達に教え、大抵は、イスラエル共和国の立派で尊敬されるナザレの市民として一般的に振舞った。
この年ナザレ一家は皆、健康な状態で始め、マルタがルツのためにしなければならない特定の仕事を除いては、すべての子供の通常の学校教育の修了をみた。
イエスは、アダムの時代から地上に現れた成人の最も強健で洗煉された男らしさの雛形のうちの一人であった。身体の発達は、見事であった。心は活発で、鋭敏で、洞察力があった—同時代の人の平均的心理と比べて、それは、巨大な規模での発達であり—かつ、その精神は誠に人間的に神性であった。
家族の財政は、ヨセフの地所の消失からは最高の状態にあった。隊商修理場に対する最終的な支払いは、すでにおわり、誰からの借金もなく、数年ぶりに初めて若干の資金があった。こういう事情であり、他の弟を各々の最初の過ぎ越し祭りの式にエルサレムに連れて行ったことでもあり、イエスは、ユダ(礼拝堂学校を卒業したばかり)の最初の寺院訪問に同行すると決めた。
イエスが、弟をサマリア経由で連れて行く際の揉め事を案じたことから、ヨルダン渓谷に沿う同じ道をエルサレムへ行き、また戻った。ユダは、すでにナザレで強い愛国感情と結合した短気な性癖のために何度か些細な悶着に陥ったことがあった。
かれらは、そのうちにエルサレムに到着し、ユダの魂の深層を掻き混ぜ、ぞくぞくさせたまさにその光景の寺院への最初の訪問の途中、たまたまベタニヤのラザロに出会った。イエスがラザロと話し、過ぎ越し祭りの共同祝賀の準備の相談をしているとき、ユダは、皆にとって深刻な問題を起こしていた。通りがかりのユダヤの少女に不適当な発言をしたローマの護衛兵が、すぐ近くに立っていた。ユダは、火のような憤りで紅潮し、兵士に聞こえる範囲内で、直接そのような無礼に対する自分の憤懣の表明に時間をかけなかった。さて、ローマの軍人は、何にでもユダヤ人からの軽蔑の類には非常に敏感であった。従って、護衛兵は、即座にユダを拘禁した。これは、若い愛国者には手に負えず、イエスが警告の一瞥で注意を促すことができる前に、ユダは、鬱積した反ローマ感情を能弁に罵詈をあびせた。そのすべてが、悪い状況を悪くするだけであった。ユダは、側によるイエスとともに、すぐに軍の刑務所に連行された。
イエスは、ユダの即座の公聴会か、さもなくばその晩の過ぎ越し祭りの祝賀に間に合う釈放のいずれかを得ようと努めたが、この試みに失敗した。翌日がエルサレムでの「聖なる集会」であったので、ローマ人でさえ、敢えてユダヤ人に対する告訴を聞くつもりはなかった。従って、ユダは、逮捕後の2日目の朝まで監禁されたままであり、イエスは、ともに刑務所に留まった。かれらは、戒律の息子をイスラエルの完全な市民に迎え入れる儀式のとき寺院にはいなかった。ユダは、数年間、次回の過ぎ越し祭りとゼロテ党、自分が属し、彼が非常に活動的であった愛国的な組織の宣伝業務に関してエルサレムに入るまでこの正式な儀式に参加しなかった。
刑務所での2日目の翌朝、イエスは、ユダのために軍の治安判事の所に出向いた。イエスは、弟の若さを謝罪し、弟を逮捕へと導いた出来事の挑発的な性質に関しさらなる説明、しかも思慮深い申し立てで、この事件に対処したので、行政長官は、若いユダヤ人の乱暴な激発には何らかの可能な口実があったかもしれないという意見を述べるほどであった。そのような軽率な罪を犯さないようユダに警告した後、二人を罷免する際にイエスに言った。「その若者を監視するほうがよい。かれは、お前達にとって多くの問題を起こす傾向にある。」そして、ローマの裁判官の言ったことは真実であった。ユダは、イエスにとりかなりの問題を起こし、そして、いつもこれと同じ類の問題—考えのない、賢明でない、愛国的な爆発による行政当局との衝突—であった。
イエスとユダは、その夜を過ごすためにベタニヤまで歩き、なぜ過ぎ越し祭りの夕食の約束を果たせなかったかを説明し、翌日ナザレに向けて出発した。イエスは、エルサレムでの弟の逮捕に関して家族には話さなかったが、帰宅のおよそ3週間後にこの出来事についてユダと長い話をした。イエスとのこの話の後、ユダ自身が、家族に話した。かれは、父親代わりの兄が、このつらい経験の全体を通して示した忍耐と寛容を決して忘れなかった。
これは、イエスにとり家族の一員を伴って参加した最後の過ぎ越し祭りであった。ますます人の子は、自身の血縁との近い交わりから切り離されるようになっていた。
深い思索の季節であるこの年は、しばしばルツとその遊び仲間に妨害された。イエスは、エルサレムへの様々な旅行の経験に関する話に決して聞き飽きることのないこれらの子供のあどけない楽しみや幼年期の喜びを共有するために、世界と宇宙のための自分の将来の仕事についての熟考を延期する準備がいつでもできているのであった。子供たちも、動物と自然に関するイエスの話を大いに楽しんだ。
子供達は、いつも修理場で歓迎された。イエスは、工房の側に砂、煉瓦、および石を用意し、子供の一団は、楽しむためにそこに群れた。遊びに飽きると、その中の大胆な子らは、工房を覗き見し、経営者が忙しくないと、「ヨシュアおじさん、出て来て長い話をしてよ。」と大胆に入って行って言うのであった。それから、彼らは、子供らが、地面で彼の前に半円になり、イエスが店の隅のお気に入りの岩の上に座るまで手をぐいと引いて連れ出していくのであった。幼子達は、ヨシュアおじさんをどれほどまでに楽しんだことであったか。かれらは、笑うこと、それも心から笑うことを学んでいた。最も幼い一人か二人の子供が、膝に登ってきて座るのがお決まりであり、話をするときの表情に富んだ彼の顔を驚いて見上げるのであった。子供達は、イエスを慕い、イエスは子供達を可愛がった。
友人達にとり、イエスの知的な活動の範囲を理解すること、また政治、哲学、宗教の深遠な議論から5歳から10歳の間のこれらの幼児の気楽で喜ばしい遊びの態度にいかしてそのように唐突にしかも完全に揺らめくことができるのかを理解することは、難しかった。イエスは、弟妹の成長につれ、彼が多くの余暇を得るにつれ、かつまた、孫が生まれる前に、これらの幼い者達へ大きな注意を払った。しかしかれは、大いに孫を楽しむほどにはこの世に長く生きなかった。
この年が明けるとともに、ナザレのイエスは、自分が広範囲にわたる潜在的な力を備えていることを強く意識するようになった。しかし、この力は、少なくとも時の来るまでは、人の子としての人格による使用はされないと、彼は完全に心得ていた。
このとき、かれは、天の父と自分の関係に関して多くを考えたが、ほとんど口にはしなかった。そして、このような考えの結論は、かつて丘の上での祈りで、「自分が何者であるのか、そしていかなる力を行使するのか、しないかにかかわらず、常に楽園の父の意志に従順であったし、これからもそうである。」と表現された。しかし、この男性が、仕事の往き帰りにナザレ周辺を歩くとき、「知恵と知識のすべての宝物が彼の中に隠されている」ということ—広大な宇宙に関係があることから—は、文字通り本当であった。
家族に関しては、この年いっぱい、ユダを除いては順調であった。長年、ジェームスは、仕事に落ち着く様子もなく、家の費用に対する分担責任を果たすこともない最年少の弟で苦労をした。家に同居する間、ユダは、家族維持のための自分の割り当て分を稼ぐことに関し誠実ではなかった。
イエスは、平和の人であり、ときどきユダの好戦的な離れ技と数多くの愛国的な爆発に手を焼いた。ジェームスとヨセフは、彼の追い出しを支持していたが、イエスは同意しなかった。彼らの忍耐が激しく試されるとき、イエスは、助言するだけであった。「我慢しなさい。弟がまずより良い道を知り、次にそこで君達に従がえるように抑制するよう助言に関しては賢明であり、人生に関しては雄弁でありなさい。」イエスの賢明で情愛深い助言は、家族の亀裂を防いだ。家族は、一纏まりのままでいた。しかしユダは、結婚後まで決して冷静な感覚に目覚めなかった。
マリヤは、イエスの将来の使命についてあまり話さなかった。この主題に及ぶといつでも、イエスは、「私の時間はまだ来ていない。」と、返答するだけであった。イエスは、自分の人格の目前の臨場の依存を家族に止めさせる難しい任務をほぼ完了した。イエスは、人間のための本当の公務へのより活発な先触れを始めるために、このナザレの家を矛盾なく離れることのできるその日のために素早く準備をしていた。
第7の贈与における主要な任務が、被創造者の経験習得、ネバドンの主権の達成であったという事実を決して見失ってはならない。そして、まさにこの経験の蓄積において、イエスは、ユランチアに、そして全地域宇宙に楽園の父の最高の顕示をした。これらの目的に付随して、この惑星の複雑な問題は、明けの明星の反逆に関連があったことから、彼もその問題解決をも引き受けた。
この年、イエスは、通常の余暇以上に楽しみ、修理場の経営におけるジェームスと家庭内の管理におけるヨセフの養成に多くの時間を捧げた。マリヤは、イエスが自分達から離れていく用意をしていると感じた。自分達を残してどこに行くのか。何をするために。イエスが救世主であるという考えをあきらめようとしている彼女であった。彼を理解できなかった。彼女は、長男を全く理解できなかった。
イエスは、この年、家族の銘々と多くの時間を過ごした。かれは、彼らを丘の上や田舎を通り抜ける長い頻繁な散策に連れ出すのであった。収穫前に、かれは、ユダをナザレの南の農夫のおじの元へ連れていったが、ユダは、収穫後ずっと留まってはいなかった。かれは、逃げ出し、後にサイモンが、漁師といる彼を湖で見つけた。サイモンが家に連れ戻ったとき、イエスは、この逃走少年といろいろと話し合い、ユダが、漁師になりたがっていたので、共にマグダラに出掛け親類の漁師に預けた。そこでユダは、非常によく働き、しかも結婚するまでずっと働き、結婚後も漁師にとどまった。
遂に弟全員が、生涯の仕事を選び、それぞれに落ち着くその日が来た。舞台は、イエスの出発のために設定されていた。
11月に、二組の結婚式があった。ジェームスとエスタ、そしてミリアムとヤコブが、結婚した。実に嬉しい出来事であった。マリヤでさえ、イエスが遠ざかる準備をしていると理解した時々を除いては、もう一度幸福であった。彼女は、大きな不安に苦しんだ。少年の時のように、イエスが座り、自由にすべてを話しさえしてくれればと思うのだが、かれは、一貫して打ち解けなかった。かれは、将来についていたく寡黙であった。
ジェームスとその花嫁エスタは、父からの贈り物であるこぢんまりとした町の西側の小さい家に越した。ジェームスは、母の家の援助を続けたが、その分担は、結婚のために半分に減らされ、またイエスは、家族の長として正式にヨセフを任命した。ユダは、毎月、割り当て分の金額を非常に忠実に送ってきていた。ジェームスとミリアムの結婚式は、ユダに非常に有益な影響をもたらした。そして彼が、二組の結婚式のその翌日漁場に向けて発つとき、「私の全義務を果たすし、必要であればそれ以上に、」と自分に頼ることができるということをヨセフに確約した。そして、その約束を守った。
すでに父であるヤコブは先祖と共に埋葬されており、ミリアムは、マリヤの隣のヤコブの家で生活した。マルタは、家でミリアムの代わりをし、新家庭の状況は、その年の暮れるまでには順調であった。
この二組の結婚式の翌日、イエスは、ジェームスと重要な話をした。かれは、家を出る準備をしていると密かにジェームスに伝えた。かれは、ジェームスに修理場の全権利を提示し、正式に、ヨセフの家の長から厳かに退位し、そして弟のジェームスを「父の家の長と保護者」として最も感動的に定めた。イエスは、修理場を与える返礼に、ジェームスが、今後家族に対する全財政的な責任を負い、こうして、これらの事柄におけるこれ以後の全ての義務からイエスを自由にすると明文化された秘密の同意書を作成し、二人は署名した。契約の署名後、イエスから何の貢献なく、予算が、家計の支出実費と合致するように調整された後、イエスが、ジェームスに言った。「だが、息子よ、私の時間が来るまで毎月いくらか送り続けるつもりであるが、それは必要に応じて、お前が用いるべきものである。私の金は、家庭の必需品、または娯楽に用いなさい。病気、あるいは家族の誰に降り掛かってくるかもしれない予期されない非常事態に適用しなさい。」
このようにして、イエスは、父の用向きで公の中に入って行く前の成人期の第2の、しかも家から離れた段階を始めようと準備をした。
イエスは、自身をナザレ一家の家事の管理から、また個々の家族の直接的指導から遂に完全に切り離した。かれは、洗礼の出来事の直前まで、家族の財源に貢献し、 また弟妹一人一人の精霊的福祉に対する強い個人の関心を持ち続けた。その上つねに、未亡人である母の安らぎと幸せのために人間的に可能な限りのすべてをする用意ができていた。
人の子は、そのとき永久にナザレ一家から離れるためのあらゆる準備をし終えた。これは、彼にとって容易くなかった。イエスは、当然のことながら自分の民族を愛していた。家人を愛しており、この自然な愛情が、彼らへの並はずれた献身によってすばらしく増大された。我々は、自分をより完全に仲間に授与すればするほど、より彼らを愛するようになる。そして、イエスは、それほどまでに完全に自分を家族に捧げていたが故に、大いなる熱い情愛で皆を愛していた。
すべての家族は、イエスが家族を去り行く準備をしているという実感に徐々に気づいた。予期した別離の悲しみは、家族に意図された出発の発表の準備をさせるこの段階的な方法によって抑えられたに過ぎない。かれらは、 彼がこの最後の別離の計画を立てていることに4年以上気づいていた。
この年、西暦21年1月、雨の日曜日の朝、イエスは、形式張らずに暇ごいをし、ティベリアスに行き、ガリラヤ湖周辺の他の都市を訪ねまわる予定だと説明するだけであった。そして、このようにして、二度とその家庭の正員になることなく皆を後にした。
かれは、セフォリスに代わりまもなくガリラヤの首都となる新しい都市ティベリアスで1週間を過ごした。そして、ほとんど興味を感じなかったので、かれは、引き続きマグダラ、ベツサイダからカペルナムへと移り、そこで父の友人のゼベダイを訪問するために立ち止まった。ゼベダイの息子は漁師であり、自らは船大工であった。ナザレのイエスは、設計と建築両方の専門家であった。かれは、木工の名人であった。ゼベダイも、ナザレの職人の技を長く知っていた。長い間、ゼベダイは、改良された船を作ることを考えていた。かれは、その時、イエスの前にその計画を示し、この訪問中の大工に自分の事業に加わるように誘うと、イエスは、直ちに同意した。
イエスは、ゼベダイとほんの1年間余り働いたが、その期間、新式の船を造成し、またまったく新しい船作りの方法を確立した。イエスとゼベダイは、優れた技術と板を蒸す大いに改良された方法によって、湖で航行する古い型よりもはるかに安全な大変優れた型の船の製造を始めた。数年間、ゼベダイは、これらの新式の船の生産をし、小企業が扱える以上の沢山の仕事があった。5年未満で、実質的に湖上のすべての船は、カペルナムのゼベダイの作業場で造られていた。イエスは、新船の設計家としてガリラヤの漁師仲間によく知られるようになった。
ゼベダイは、適度に裕福な男であった。カペルナムの南の湖に造船場を持ち、住居は、ベツサイダの漁場本拠地近くの湖岸の下手にあった。イエスは、カペルナムにいた1年余をゼベダイの家で暮らした。この世界で長い間単独で、すなわち父なしで、働いてきて、かれは、父親代わりの共同者とのこの労働期間を大いに楽しんだ。
ゼベダイの妻サロメは、ほんの8年前に退位したばかりで、まだサダカイ教徒で最も影響力をもつエルサレムのかつての高僧アンナスの親類であった。サロメは、イエスの偉大な崇拝者となった。自身の息子、ジェームス、ヨハネ、ダヴィデを愛すると同様にイエスを愛し、一方4人の娘は、イエスをまるで長兄のようにみなした。イエスは、ジェームス、ヨハネ、ダヴィデとよく釣りに出かけ、また彼らは、彼が経験豊富な漁師であり専門の船大工であることを知った。
この年ずっとイエスは、月毎にジェームスに金を送った。かれは、10月にマルタの結婚式に出席するためにナザレに戻ったが、サイモンとユダの二組の結婚式の直前に戻るまで、再び2年以上もナザレを留守にした。
イエスは、この年ずっと船を造り、人が地球でいかに生きるかを観察し続けた。かれは、カペルナムが、ダマスカスから南への直通路であることから、隊商の拠点地訪問のために頻繁に下りて行くのであった。カペルナムは、強固なローマ軍の任地であり、駐屯部隊の指揮官は、ユダヤ人がそのような改宗者を「敬虔な人間」と呼ぶのを常としたヤホエを信仰する非ユダヤ人の信者であった。この士官は、ローマの裕福な家族の出であり、カペルナムに美しい礼拝堂を建設することを引き受けた。そして、それは、イエスがゼベダイと暮らすようになるほんの少し前にユダヤ人に寄贈された。この年イエスは、この新しい礼拝堂の礼拝式の半分以上をとり行い、そして、たまたま出席した隊商の中の何人かは、ナザレからの大工としてのイエスを覚えていた。
納税時期に至り、イエスは、「カペルナムの熟練職人」と登録した。この日より地球での人生の終わりまでカペルナムの住人として知られた。かれは、様々な理由から他の者が、彼の住居をダマスカス、ベタニヤ、ナザレ、またアレキサンドリアにあてがっても許諾はしたものの、決していかなる他の届け出住所の申し立てはしなかった。
イエスは、カペルナムの礼拝堂において図書室の大きい箱の中に多くの新しい本を見つけ、そして、1週間あたり少なくとも五夜を猛烈な研究で過ごした。かれは、ある夜は、年老いた人々との社会生活に捧げ、またある夜は、若年層と時を過ごした。イエスの人格には、若者を引きつける何か優しくて奮い立たせるものがあった。かれは、自分の周りにいる彼らを絶えず安心させた。恐らく、彼らとうまくいく大きな秘密は、いつも彼らがしていることに興味を持ち、一方、求められない限りめったに忠告を申し出ないという二つの事実にあった。
ゼベダイ家の人々は、イエスをほぼ崇拝し、イエスが、勉学のために礼拝堂に行く前に、毎晩夕食後の質疑応答に決して欠かすことなく出席した。若い隣人達も、夕食後のこれらの会に出席するために頻繁にやってきた。これらの小さい集会で、イエスは、彼らが理解できる範囲において多様で高度な教授をした。かれは、全く自由に彼らと話した、政治学、社会学、科学、哲学に関する自分の考えや理想を述べたが、宗教—神との人間の関係—について議論する時を除いては、決して権威を伴う結末を話すつもりはなかった
ゼベダイには多くの従業員がいたので1週間に1度、イエスは、家族全体、そして作業場と岸の助手達との会合を開いた。イエスが最初に、「先生」と呼ばれたのは、これらの労働者のあいだでのことであった。全員が、イエスを愛した。イエスは、カペルナムでのゼベダイとの作業を楽しんだが、ナザレの大工の工房の脇での子供達の遊びを懐かしく思った。
ゼベダイの息子ではジェームスが、師として、哲学者としてのイエスに最も関心をもった。ヨハネは、イエスの宗教に関する教育と意見を最も好んだ。ダヴィデは、整備士としてのイエスを尊敬したが、宗教的観点や哲学的な教えにはあまり価値を見い出さなかった。
ユダは、しばしばイエスの礼拝堂での話しを聞きに安息日にやって来て、雑談のために留まるのであった。かれは、長兄を目にすればするほど、イエスが本当に偉大な人であるとますます確信していった。
この年イエスは、自己の人間の心の優勢な支配においてかなりの進歩をし、内在する思考調整者との意識的な接触の新たで高い段階に到達した。
これは、落ち着いた生活の最後の年であった。イエスは、この後、一ヶ所または一つの仕事に丸一年を過ごすことは決してなかった。地上での巡礼の日々は、急速に接近していた。激しい活動の時代は、遠い将来ではなかったが、今や、数年の大規模な旅行と非常に多様な個人的な活動が、過去の簡潔だが非常に精力的な生活とさらに激しく、骨の折れる公的務めとの間に介入しようとしていた。かれが、神とユランチア贈与の超人間段階の完成された神-人としての教導と説教の経歴を始める前に、領域の人間としての彼の教育が完了されなければならなかった。
紀元22年3月、イエスは、ゼベダイとカペルナムに別れをつげた。かれは、エルサレムまでの費用を賄う小額の支払いを頼んだ。ゼベダイと働いている間、イエスは、小額だけを引き下ろしてきた。そして、それを毎月ナザレの家族に送り届けていたのであった。ある月はヨセフが、金のためにカペルナムにやってきて、翌月はユダがきてイエスから金を受け取りナザレに持ち帰るのであった。ユダの漁場の本拠地は、カペルナムのわずか数キロ南にあった。
ゼベダイの家族を離れるとき、イエスは、エルサレムに過ぎ越し祭りまで留まることに同意した。そして、家族全員は、その催しに出席すると約束した。彼らは、一緒に過ぎ越し祭りの夕食をする打合せさえした。イエスが去ると彼らは全員、特にゼベダイの娘達が嘆いた。
カペルナムを去る前に、イエスは、新知の友であり、近しい仲間でもあるヨハネと長い話をした。かれは、「私の時が来る」まで広範囲にわたる旅行を考えているとヨハネに伝え、自分に支払われるべき金額が尽きるまで、自分に代わって毎月若干の金をナザレの家族に送る件を頼んだ。ヨハネはこう約束をした。「先生、あなたの用向きに取り組み、世界での仕事をしてください。この件、あるいは、いかなる他の事柄でもあなたの代理をします。私自身の母親を養い、私自身の弟妹達を世話するようにあなたの家族をお世話します。私は、あなたの指示通りに、彼らが必要になるかもしれないとき、私の父が管理しているあなたの資金を支出しますし、その資金が底を尽き、あなたからもさらに受け取ることもなく、あなたの母上が困っているようなときには、私自身の稼ぎを分けるつもりです。安心してお進みください。私は、このすべての件についてあなたの代行をします。」
従って、イエスがエルサレムに出発した後、ヨハネは、イエスに支払われるべき金に関して父のゼベダイに相談した。そしてかれは、その高額に驚いた。かれらは、イエスがその件を完全に二人の手に委ねたので、これらの資金を土地に投資し、その収入をナザレ一家の補助に当てるほうが良い計画であると同意した。ゼベダイは、抵当で売りにでているカペルナムの小さい家を知っていたので、イエスの金でこの家を買い、友のためにその所有権を保持するようにヨハネに指示した。そこで、ヨハネは、父の助言に従った。2年間、この家の賃貸料は抵当に当てられ、そして、家族の必要に応じて使うようにイエスからヨハネにやがて送られてくる一定の大きな基金によって増やされる額は、この負債とほぼ同額であった。ゼベダイは、差額を補い、その結果ヨハネは、期限に達した残額を完済した。それによって、この2部屋家屋の完全な所有権を確保した。こうにしてイエスは、カペルナムの家の所有者になったが、それに関して知らされてはいなかった。
ナザレの家族は、イエスがカペルナムを立ったと聞き、ヨハネとのこの財政的な取り決めを知らずに、イエスからの援助はこれ以上無い時が遂にやってきたと思っていた。ジェームスは、イエスとの契約を覚えており、弟達の助力を得て、直ちに家族の世話の全責任を担った。
それはさておき、エルサレムのイエスの様子を見に戻ろう。およそ2カ月間、イエスは、ラビの諸々の学校への時折の訪問に加えて、その多くの時間を寺院での議論を聞くことに費やした。かれは、安息日の大半をべタニヤで過ごした。
イエスは、元高僧のアンナスに「私の息子同様である者」と紹介するゼベダイの妻サロメからの手紙をエルサレムへ携えてきた。アンナスは、彼と多くの時間を共に過ごし、エルサレムの宗教教師の養成所の多くを訪問するためにイエスを連れまわった。イエスは、これらの学校を徹底的に調べ、慎重にその教授法を観察したが、決して人前ではただ一つの質問さえしなかった。アンナスは、イエスを偉人と見なしてはいたものの、彼に対しての助言方法に関して困惑した。かれは、エルサレムの学校のいずれかに学生として入学を勧めるのは愚かであることに気づきはしたものの、これらの学校で一度も訓練を受けない限り、イエスが常任教師の身分では決して受け入れられないこともよく知っていた。
やがて、過ぎ越し祭りの時は近づき、ゼベダイとその家族全員が、各方面からの群衆とともにカペルナムからイスラエルへと到着した。彼ら全員は、アンナスの広々とした家を訪れ、そこで、幸せな1家族として過ぎ越し祭りを祝った。
この過ぎ越し祭りの週が終わる前、イエスは、裕福な旅行者と17歳くらいのその息子と、まったくの偶然で行き会わせた。インド出身これらの旅行者は、ローマや地中海の他の様々な場所への途中にあり、二人のために通訳をし、息子の個人教授ができる誰かを見つけることを望んで、過ぎ越し祭りの間にエルサレムに到着する段取りをつけていた。父親は、イエスが彼らと旅をすることに固執した。イエスは、自分の家族について話し、必要とするかもしれない時におよそ2年間も遠ざかるのは全く公平ではないと告げた。すると東洋からのこの旅行者は、家族の困窮の際の擁護のために、イエスの友人達にそのような基金を任せられるように一年間の賃金をイエスに前払いすると申し入れた。そこで、イエスは旅に同意した。
イエスは、この高額をゼベダイの息子ヨハネに引き継いだ。そして、ヨハネがいかにこの金をカペルナムの不動産の抵当の清算に適用したかは、既に述べた通りである。イエスは、この地中海旅行に関する秘密をゼベダイには完全に打ち明けたが、他の者には、肉身にさえも漏らさぬように堅く口止めをした。そしてゼベダイも、およそ2年のこの長い期間、イエスの所在に関して決して明らかにはしなかった。イエスのこの旅行からの帰還前、ナザレの家族は、もう少しでイエスが死んだとあきらめるところであった。時折、息子ヨハネとナザレに来るゼベダイがくれる保証だけが、マリヤの心の望みを繋いだ。
この間、ナザレ一家は、非常にうまくやっていた。ユダは、自分の負担分を格段に増加しており、しかもこの特別な負担を結婚するまで引き受けた。彼らは、ほとんど援助を必要としなかったが、イエスが指示したように毎月マリヤとルツに手土産を持っていくのが、ヨハネとゼベダイの決まり事であった。
イエスの29年目全体は、地中海周辺の旅の締め括りに費やされた。主な出来事は、(我々にこれらの経験を明らかにする許可がある限り)すぐこの次に続く論文での主題を構成する。
ローマ世界のこの周遊旅行を通して、多くの理由から、イエスは、ダマスカスの筆記者として知られていた。しかしながら、戻りの旅のコリントと他の滞在地では、ユダヤ人の個人教授として知られていた。
これは、イエスの人生で盛り沢山の期間であった。この旅行中、多くの人々と接触したが、この経験は、家族の誰にも、また使徒達にも決して明かすことのなかったイエスの人生の局面である。イエスは、生身の人生を送り、(ベツサイダのゼベダイは別として)彼がこの大規模な旅行をしたことを知る者はなくこの世を去った。数人の友は、彼がダマスカスに戻ったと思った。他のものは、インドに行ったと思った。一度副カザンになる目的でそこにくるよう誘われたことがあることを知っていたので、イエスの家族は、アレキサンドリアにいると信じがちであった。
パレスチナに戻ったとき、イエスは、エルサレムからアレキサンドリアに行ったという家族の意見を変えようともしなかった。パレスチナを留守にしている間中、その都市での学習と教養に時間を費やしていたと彼らに信じ続けさせた。ベツセイダの船大工ゼベダイだけが、これらの件に関する事実を知っており、ゼベダイは、誰にも告げなかった。
君は、ユランチアでのイエスの人生目的を解読しようと精一杯の努力において、マイケルの贈与の動機に留意しなければならない。彼の明らかに奇妙な行為の多くの意味を理解しようとするならば、君は、彼の君の世界での滞在目的について見極めなければならない。かれは、過度に魅力的で、注目をむさぼるような個人的な経歴を確立することのないように一貫して慎重であった。かれは、同胞に稀有な、あるいは強烈な印象を与えることを望まなかった。かれは、死を免れない仲間に天の神を明らかにする仕事に専念し、同時に、地球での限りある命をもつ人生にあってこの同じ天なる父の意志にずっと服従しながら崇高な任務に自己を捧げた。
もしこの神性の贈与について知ろうとする全ての人間の学習者が、イエスは、ユランチアでこの顕現の生活を送ると同時に、自分の全宇宙のためにそういう生活を送ったということを思い起こすならば、それも常に地上での彼の生活の理解に役立つであろう。ネバドンの全宇宙の至る所で生命を有する一つ一つの球体のために人間の特徴である肉体をもって彼が生きたということには、何か特別で奮起させるものがあった。また、波瀾万丈のユランチアでのイエスの滞在以来、棲息可能となったそれらのすべての世界についても等しく真実である。そして、この地域宇宙の未来の全歴史の意志を持つ被創造物が生息するようになるかもしれない全ての世界にとっても同様に、負けず劣らず真実であろう。
ローマ世界のこの旅行期間中、またその経験を通して、人の子は、当時の世界の様々な民族との教育的な接触-訓練をほとんど完了した。かれは、ナザレへの帰還までに、人がユランチアでいかに生き、またその生活を達成したかを、この旅行-修行を介しておおよそ学んだのであった。
地中海盆地周辺の彼の旅の真の目的は、人を知ることにあった。かれは、この旅で何百人もの人間ととても近しくなった。貧富のある、上下のある、黒い肌と白い肌の、教育有無の、教養有無の、肉慾的また精神的な、宗教心のある、また無宗教な、道徳的また不道徳なというあらゆる種類の人間に出合い、そして愛した。
この地中海旅行において、イエスは、物質的かつ必滅者の心を習得する人間としての任務においてかなりの進歩をし、一方内在する調整者は、この同じ人間の知性の上昇とまたその精霊制覇において大きく前進した。この旅の終わりまでにイエスは、自分が神の子、宇宙なる父の創造者の息子であるということを—あらん限りの人間の確実性で—事実上知った。調整者は、人の子がネバドンのこの地域宇宙を体系化し、管理するためにやってくる前の神の父との天国での朧気な経験の意識を人の息子の心にますます蘇させることができた。このように調整者は、ほとんど永遠の様々な時代に、彼の以前の、神性の存在のそれらの必要な思い出をイエスの人間の意識に少しずつもたらしたのであった。調整者によって持たらされる「前-人間」経験の最後の叢話は、意識している人格をユランチア顕現着手のために引き渡す直前のサルヴィントンのイマヌエルとの送別の会議であった。そして、「前-人間」存在のこの最後の記憶の絵は、ヨルダン川のヨハネによる洗礼のまさしくその日にイエスの意識に明らかにされた。
地域宇宙の見物中の天の有識者にとり、この地中海の旅は、凡ゆるイエスの地球での経験の中、少なくとも磔と人間としての死の出来事までの全経歴の中で最も目を離せないものであった。これは、すぐ次の時代の公的使命とは対照的に個人的使命の魅力的な期間であった。この特有な挿話は、このときまだ彼が、ナザレの大工、カペルナムの船大工、ダマスカスの筆記者であったという理由から、一段と心を魅かれるものであった。かれは、まだ人の子であった。かれは、まだ自分の人間の心の完全な支配を達成していなかった。調整者は、イエスの自己同一性を完全に征服もしておらず、それに対応したというわけでもなかった。それでも、彼は人間であった。
人の子の純粋な人間の宗教経験―個人の精霊的な成長―は、この29年目にその成就の最高潮に達した。精霊発達のこの経験は、彼の思考調整者到着の瞬間から人間の物理的な心と精霊から贈られた心との間での自然で正常な人間関係の完了と確認—これらの二つの心を一つにする現象、人の子がヨルダンでの洗礼の日、この領域の肉体を与えられた死すべき者として完了し、究極に到達する経験—のその日まで一貫してゆるやかな成長であった。
これらの数年の間、かれは、天の父と正式な親交にそれほど多くの季節を通じて従事したようすはない一方で、楽園なる父の内在する精霊の臨在との個人的な意志疎通をはかるますます効果的な方法を完成させた。かれは、肉体をもつ実生活、充実した、自然で、平均的人生を送った。かれは、個人の経験を通じて、時と空間の物質界での人間生活の全体と本質の現実に相当するものを知っている。
人の子は、絶佳の喜びから深遠な悲しみに亙る人間の感情を広範囲にわたり経験した。かれは、喜びの子であり、稀にみる上機嫌の人であった。同様に、「悲しみの人であり悲嘆をよく知る人」であった。精霊面に関していえば、かれは、人間生活の足の先から頭の天辺まで、最初から最後までを生き抜いた。物質的観点からは、かれは、人間生活において社会の両極端を生き抜くことを避けたように見えるかもしれないが、知的観点では、全ての人類の経験にすっかりなじみ深くなっていた。
イエスは、思考と感情、 誕生から死に至るまでのこの領域の進化し上昇していく命に限りある者達の衝動や衝撃について知っている。かれは、物理的、知性的、精霊的な個性の始まりから幼児、幼年、青年、成人期までの人間生活—死という人間の経験さえも—を送った。知的かつ精霊的な進歩のこれらの普通で身近な人間の段階を経験するだけでなく、かれは、また、ほんの僅かなユランチアの人間しか到達しない人間と調整者とのより高く、より高度な和睦の段階をも完全に経験した。このようにして、かれは、君の世界で送られているだけではなく、時と空間を有する他のすべての進化的世界で送られるように、さらには最も高度で、最も進歩した光と命の全世界で送られているように、完全な人間生活を経験した。
人の姿に似せて送ったこの完全な生活は、彼の仲間である人間、つまり、たまたま彼の地球の同時代人であった人々の無条件の、満場一致の承認を受けてはいなかったかもしれないが、肉体で、そしてユランチアで送ったナザレのイエスの人生は、まさしく同時に、まさしくその同じ人格‐人生の中で、人間への永遠の神の完全な顕示と、無限なる創造者を満足させるための完成された人間の人格の提示を成しているとして宇宙なる父による完全で、無条件の承認を受けたのであった。
そして、これが彼の本当の、最高の目的であった。かれは、その時代、またはいかなる他の時代においても、いかなる子供または大人、あるいはいかなる男または女のための完全かつきめ細やか手本としてユランチアで生活するために下りてはこなかった。完全で、豊かで、美しく、高潔な人生に、我々は皆、絶妙に模範的で、神々しく感情をかき立てるものをたくさん見つけるかもしれないということは本当に事実ではあるが、これは、彼が本当に、純粋に人間の生活を送ったという理由に依る。イエスは、他のすべての人間が真似る手本を示すために地球での生活を送らなかった。君達全員が、地球で人生を送ることができる同様のその慈悲ある恩恵により、かれは肉体でこの人生を送った。そして、彼の時代に、自身の人間生活を彼らしく送ったので、その結果として、我々すべてに我々の時代に自身の生活を我々らしく送る模範を設定した。君は、彼が送った生涯を切望することはできないが、彼が生きたように君の人生を送ると、また同じ方法で生きると決心することはできる。イエスは、この地域宇宙の全領域のあらゆるの時代のすべての人間にとり具体的な、詳細な手本でないかもしれないが、最初の上昇世界から宇宙の中の宇宙、それにハヴォナから楽園へと前進するすべての天国巡礼者にとっての永遠の激励であり先達である。イエスは、人から神への、部分から完全への、地球から天への、時間から永遠への新たな生きた道である。
29年目の終わりまでには、ナザレのイエスは、人の姿で一時逗留者として人間に課される人生を事実上送り終えた。かれは、神の完全性を人間に明らかにするために地上にやって来た。かれは今や、神の前に明らかになる時を待ち受けて人間としてほとんど完全となったのである。そして、かれは、30歳前にこの全てを成したのであった。
ローマ世界における回遊は、イエスの地上生活における28年目の大部分と29年目の全部を費やした。イエスとインド出身の2人、ゴノドとその息子ガニドは、西暦22年4月26日、日曜日の朝エルサレムを出発した。彼らは、計画に沿って旅をし、イエスは、翌年の西暦23年12月10日に、ペルシャ湾のキャラックスの都で父子に別れを告げた。
彼らは、エルサレムからヨッパ経由でカエサレアに行った。彼らは、カエサレアでアレキサンドリア行きに乗船した。アレキサンドリアからはクレタ島のラセーアに向け出航した。クレタ島からキレーネに立ち寄りカルタゴに出航した。カルタゴでナポリ向けの船に乗り、マルタ、シラクサ、メッシーナに寄港した。ナポリからカプアへ行き、そこからローマへのアッピア街道を旅した。
ローマでの滞在後、かれらは、陸路をタレントゥームへと行った。そこでニコポリスとコリントに止まり、ギリシアのアテネに向けて船出した。アテネから、トロアス回りでエフェソスに行った。エフェソスから、途中ロードス島に入港しキプロスへと出帆した。キプロスで訪問や休息をしながらかなりの時間を過ごし、次に、シリアのアンチオケに向けて出帆した。アンチオケから、シドンに向け南へと旅し、それからダマスカスに行った。そこから、タプサカスとラーリッサを通過し、隊商と共にメソポタミアへと移動した。バビロンでしばらく過ごし、ウルや他の場所を訪れ、シューシャンに行った。シューシャンから、キャラックスに旅し、ゴノドとガニドはそこからインドへと乗り出した。
イエスがゴノドとガニドの話す言語の基本を身につけたのは、ダマスカスで4カ月働いている間のことであった。そこに滞在中、かれは、ギリシア語からインド言語の中の1つへの翻訳作業に多くの時間を費やし、ゴノド家の故郷の出身者の援助をうけた。
この地中海の回遊において、イエスは、日々のおよそ半分をガニドの教授とゴノドの業務会議や社交の通訳とに費やした。自由になった日々の残る時間を仲間との親密で個人的な社交、この世界の人との懇親的交流に専念した。この交流は、丁度公務に先行するこれらの数年間の彼の活動を著しく特徴づけた。
イエスは、直の観察と実際の接触により、西洋とレバント地方のより高度の物質文明と知的文明に精通した。かれは、ゴノドと才気あふれる息子からインドと中国の文明、文化に関する多くを学んだ。というのも、自身がインド国民であるゴノドは、黄色人種の帝国への3回にわたる大々的な旅行をしたからであった。
青年ガニドは、この長く、親密な関係においてイエスから多くを学んだ。彼らは、互いへの大いなる愛情を育んだ。若者の父は、共にインドに行くように幾度も説得を試みたが、イエスは、いつもパレスチナの家族の元に戻る必要性を申し立てて辞退した。
ヨッパでの滞在中、イエスは、サイモンというなめし革業者のために働くペリシテ人の通訳ガジャに出会った。メソポタミアのゴノドの代理人は、このサイモンと多くの商取引きをしていた。そこでゴノドと息子は、カエサレアへの途中で彼を訪ねたかった。ヨッパでの滞在中、イエスとガジャは、心和やかな友となった。この若いペリシテ人は、真実探求者であった。イエスは、真実提供者であった。かれは、ユランチアのその同時代人のための真実そのものであった。偉大な真実探求者とその提供者が出会うとき、結果は、新たな真実経験からの大いなる解放的啓蒙誕生となる。
ある日の夕食後、イエスと若いペリシテ人は、海辺を散策していると、ガジャは、この「ダマスカスの筆記者」が、ヘブライの伝統にとても精通しているということを知らずに、ヨナが、タルシシへの不運な航海に乗り出したことで有名な船着場をイエスに指し示した。そして意見を述べ終えて、かれは、「でも、大きい魚が本当にヨナを飲み込んだと思いますか。」イエスにこう質問をした。イエスは、この青年の人生が、この伝統にひどく影響され、伝統への熟考が、義務から逃げようとする愚かさを刻み込んだと認めた。従ってイエスは、実際の生活に対するガジャの現在の動機の地盤を突然破壊するようなことは何も言わなかった。この質問に答えて、イエスは言った。「我が友よ、神の意志に従って生きる生活に関しては我々は皆ヨナである。度ある毎に遠くの誘惑へ逃げ、生きることの現在の義務から逃れようとすると、その結果、真実の力と正義の勢いに導かれることのないそれらの影響の直接支配のもとに自分自身を置いている。義務からの逃避は、真実の犠牲である。まさにその絶望の深層にいる時でさえ、そのような神を見捨てるヨナのような者達が、神と神の素晴らしさを捜し求めない限り、光と命の活動からの逃避は、結局は、暗黒と死につながる自分本位の難しいクジラとの痛ましい闘争をもたらすだけである。そして、そのような落胆する魂が、心から神—真実への飢餓と正義への渇き—を捜し求めるとき、それらを更なる監禁状態にしておけるものは何もない。いかに大きな深層に堕落しようとも、全心で光を求めるとき、天の主なる神の精霊が、それらを監禁状態から救い出すであろう。人生における凶悪な情況は、彼らを一新された奉仕活動やより賢明な生活のための新たな機会である陸地へと吐き出すだろう。」
ガジャは、イエスの教えに非常に動かされ、それから二人は、海辺で夜遅くまで長く語り、下宿に戻る前には、一緒に、しかも互いのために祈った。これが、ピーターの後日の説教を聞き、ナザレのイエスの造詣深い信者となり、またドルカスの家においてある晩ピーターと忘れ難い議論をした同じガジャであった。そして、ガジャは、キリスト教を受け入れる裕福な革商人のサイモンのための最終決定に深く関わった。
(この地中海見学での人間の仲間との個人的な活動に関するこの物語において、我々は、与えられた許可に従い、イエスの言葉をこの発表時点でのユランチアの現代の言い回しで自由に変換するつもりである。)
ガジャとのイエス最後の話しは、善悪に関する議論であった。この若いペリシテ人は、世界には善と共に悪が存在するために不公平感に非常に煩わされていた。彼は言った。「神が無限に善であるならば、我々が悪の不幸に苦しむのをどうして許すことができるのですか。結局、だれが悪を創造するのですか。」その頃、多くの者は、神が善と悪の双方を創造するとまだ信じていたが、イエスは、そのような誤りを決して教えなかった。この質問に答えて、イエスは言った。「我が弟よ、神は愛である。従って彼は、よいにちがいないし、彼の善は、悪の小さくて非現実的なものを含むことができないほどに非常に大きくて真実である。神は絶対に良いので、その中には断じて否定的な悪のいる場所はない。悪は、善に抵抗し、美を拒絶し、真理に対して不誠実である者の未熟な選択と軽率な過失である。悪は、単に未熟さ故の不適合か、または無知からの破壊的、歪曲的影響である。悪は、光の浅はかな拒絶のすぐ後についてくるる必然の暗黒である。暗くて虚偽の悪、意識的に受け入れられ、故意に是認されるときの悪は、罪となる。
「君に真実と誤りを選ぶ力を授けることにより、天の君の父は、光と命の積極的な道に潜在的な陰性を創った。しかし、知的創造物が、生き方の誤選による自己の存在を望むときまで、悪のそのような誤りは、実際には不在である。そして、そのような悪は、そのような意図的かつ反逆的な生物が、知りつつ、しかも故意に選択することにより後に罪に引き揚げられる。これは、ちょうど自然が小麦と毒草を収穫まで並んで育てさせるように、天の我々の父が、人生の終わりまで善と悪とが共に行くことを許容する理由である。」彼らのその後の議論が、きわめて重大なこれらの陳述の真の意味を彼の心に明らかにしたので、ガジャは、彼の質問へのイエスの答えに完全に満足した。
乗り込むつもりであった船の巨大な操縦用の櫂の1本が割れる恐れがあると分かり、イエスと友人等は、想定以上にカエサレアに留まった。船長は、新しいものが作られる間、港に残ると決めた。熟練した木工職の不足があり、イエスは、援助を申し出た。夜間、イエスと友人等は、港のあたりの遊歩道として用いられた美しい壁の上を散策した。ガニドは、都市の水道装置と、街路と下水を洗い流すために潮が用いられる技術に関するイエスの説明を大いに楽しんだ。インドのこの若者は、小高い場所に建つローマ皇帝の巨大な像の乗っているアウグストゥスの寺院に非常な感銘を受けた。滞在2日目の午後、3人は、2万人収容可能の巨大な円形劇場での公演に出席し、その夜は、劇場でのギリシア演劇を見に行った。これらはガニドが目撃したことのない初めての種類の見せ物であり、かれは、イエスにそれらについて多くの質問をした。カエサレアは、パレスチナの首都であり、またローマの行政長官の住居地でもあったことから、彼らは、3日目の朝、知事の宮殿への正式訪問をした。
彼らの滞在している宿にはまた、モンゴルからの商人が宿泊しおり、この極東人は、ギリシア語をかなり上手に話すので、イエスは、何度か彼を長時間訪ねた。この男は、イエスの人生哲学に非常に感銘を受けたし、また「天の父の意志への日々の服従による天国にいるような地上での人生」に関するイエスの知恵の言葉を決して忘れなかった。この商人は道教信者であった。それによりかれは、宇宙の神格の教義の強い信者となっていた。モンゴルに帰国すると、かれは、これらの進んだ真理を隣人や商売仲間に教え始めた。そして、そのような活動の直接的な結果として、その長男は、道教の聖職者になると決めた。この青年は、その一生を通じて進んだ真理のために大きな影響を及ぼし、一神—天の最高支配者—の教義は、同様に献身的に忠誠である息子と孫息子により引き継がれた。
フィラデルフィアにその本部を置いてあることから、早期のキリスト教会の東方分会が、エルサレムの信者よりもイエスの教えに忠実であった。王国の新しい福音の種子を植えるにはとても好ましい精霊的土壌である中国にペトロのような者が行ったり、インドにもパウロのような者が入国しなかったのは残念であった。フィラデルフィアの人々が解釈したこれらのイエスの教えこそ、西洋でのペテロやパウロの説教がもたらしたような直接的、効果的な魅力を精霊的に餓えていたアジア民族の心にもたらしたことであったろう。
イエスと共に操縦用の櫂作りに携わっていた青年の一人は、ある日、イエスが造船所で精を出して働きながら時々刻々口にした言葉に大層興味をもつようになった。イエスが、天国の父が地球の子等の幸福に興味を持っていると仄めかすと、この若いギリシア人アナクサンドが言った。「神々が私に興味があるならば、彼らはなぜこの作業場の容赦のない、不当な親方を免職しないのですか。」イエスの返答に、かれは大変驚いた。「君が厚情の道を知り、正義を重んじるので、恐らく神は、君がより良い方向に導くことができるようにこのさ迷っている男性を近くに連れて来たのであろう。多分君は、この兄弟を他のすべての人間ともっと意気投合させるようにする塩であろう。まだ君がその味を失っていなければのことだが。現状のままでは、彼の邪道が君に好ましくない影響を及ぼすという点で、この男性は君の主人である。なぜ善の力で悪の上に優位に立ち、その結果、君達二人の間の全ての関係における師とならないのか。もし君が公正で生きた機会を彼に与えるならば、私は、君の善が、彼の悪を封じることができると予測する。人間の生活の過程で、誤りと悪との昂然たる戦いの1つにおいて精霊的な活力と神の真理との物理的人生の共同者となる感動を楽しむことほど夢中にさせる冒険はない。精霊の暗闇に座る人間への精霊的な光の生きた回路となることは、驚くべき、しかも著しい変様の経験である。君の方がこの男性よりも真実でより祝福されているならば、彼に欠落するところが君を刺戟すべきである。確かに君は、海岸で泳げないで死ぬ仲間を見てただ立っていることのできる臆病者ではない。水におぼれる彼の身体に比べて、暗闇でもがいているこの男性の魂の方がどれほど価値のあることか。」
アナクサンドはイエスの言葉に甚だしく感動した。ほどなくイエスの言ったことを上司に話した。そしてその夜、双方共に自分の魂の健全さに関しイエスの忠告を求めた。そして後に、キリスト教の趣意が、カエサレアにおいて宣言された後、この両者(一人はギリシア人、他方はローマ人)が、フィリップの説教を信じ、彼が設立した教会の重立った人材となった。その後、この若いギリシア人は、ローマ百人隊長のコーネリアスの執事に任命され、このコーネリアスは、ピーターの聖職活動を通して信者となった者である。アナクサンドは、カエサレアでのポールの投獄の日々、苦悩し、死に果てる者達に神について知らせているとき、2万人のユダヤ人大虐殺の最中、思いがけなく事故で死ぬまで暗闇に座る者達へ光を与え続けた。
ガニドは、この時までに、いかに自分の家庭教師がその余暇を仲間のために特異で直接の聖職行動に費やしたかを知り始めた。そして、若いインド人は、これらの絶え間ない活動の動機を見つけ出しにかかった。彼は、「なぜ、あなたはそれほどまでに見知らぬ人との交流にかまけているのですか。」と尋ねた。そこで、イエスは答えた。「ガニド、誰にとっても神を知る者は見知らぬ人ではない。天の父を捜し当てる経験を通じて、すべての人間は、君の兄弟姉妹であるということに気づく。そこで新たに見つけた兄弟に会う興奮を楽しむということが奇妙に見えるか。自分の兄弟姉妹と面識をもち、かれらの問題を知り、彼らを愛するために学ぶということこそ、最高の生活経験である。」
この談合は、その夜かなり遅くまで続き、そのなかで、青年は、神の意志と人間の心による選択行為、いわゆる人間の意志との違いを教えるようイエスに求めた。イエスは大体以下のようなことを言った。『神の意志は、神の道であり、いかなる可能な選択肢に直面の際の神との提携である。神の意志をするということは、従って、ますます神のようになっていくという進歩的経験であり、また、神は、善、美、真である全ての源であり、究極目標である。人の意志は、人の道であり、命はかない者が選び行う全体の骨子である。意志は、知的な反射に基づく決定行為に導く自意識をもつものの自発的選択である。』
午後、イエスとガニドは、非常に悧巧な牧羊犬との遊びを楽しんでいた。ガニドは、犬は精神をもつのかどうか、意志があるのかどうかを知りたく思った。その疑問に応えてイエスは、言った。「犬には、有形な人間、すなわち彼の主人を知りうる心はあるが、霊であるところの神を知ることはできない。したがって、犬は精神的資質を持たず、精神的な経験も楽しむことはできない。犬には、本性からくる、また訓練により増大される意志があるかもしれないが、そのような心の力は精神的な力でもなく、それは、反射的でない—それは、 より高い、そして道徳的な意味を見分けたり、または精神的で永遠の価値を選ぶ結果ではない—ので、人間の意志にも匹敵しない。それは、そのような精神的識別力の所有と真理の選択が、必滅の運命にある者を道徳的存在者、つまり精神的責任と永久生存の可能性を与えられる生き物にするのである。」イエスは、動物のそのような精神力の欠如こそが、やがて動物世界での言語を開発したり、あるいは永遠に人格生存に同等な何かを経験するというようなことをとこしえに不可能にすると説明を続けた。この日の教授の結果ガニドは決して、二度と人間の動物の体への輪廻の信仰を抱かなかった。
翌日、ガノドは、このすべてについて父と語り合い、また、ゴノドの質問に答えて、イエスは、次のように説明した。「動物的存在の物質問題に関して現世の決定を下すことにのみ専心している人間の意志は、ゆくゆく滅ぶ運命にある。心からの道徳的な決定と絶対的な精神的選択をする者達は、このようにして次第に内在し神性である精霊と同一視され、その結果、ますます永遠に生存する価値ある者として変容—神のような奉仕がいつまでも続く進行—していく。」
我々が、現代の言葉で大体次のようなことを意味する重大な真理を初めて耳にしたのは、この同じ日であった。「意志は、主観的な意識をそのままに客観的に表現し、神のようであることを切望する現象を経験することを主観的な意識が可能にする人間の心のその現れである。」そして、それは、あらゆる思慮深くて精神的に関心がある人間が、創造的になることができるというこの同じ意味合いである。
カエサレアの旅は盛り沢山なものであった。船の準備ができたある日の正午、イエスと2人の友人は、エジプトのアレキサンドリアへと出発した。
三人は、アレキサンドリアへの誠に快い航路を楽しんだ。ガニドは船旅を楽しみ、イエスを質問攻めにした。都市の港に接近するにつれ、青年は、アレクサンダーが防波堤で本土に繋いだ島、にあるファロスのすばらしい灯台に感動した。灯台は、2つの立派な港をこうして造築した結果、アレキサンドリアをアフリカ、アジアそしてヨーロッパの海の商業十字路地点とした。このすばらしい灯台は、世界の7不思議の1つであり、またすべてのその後の灯台の先駆けでもあった。彼らは、この見事な人工の救命装置を見るために朝早く起き、イエスは、感嘆の真只中にいたガニドに言った。「ところで息子よ、インドに帰ったなら、たとえ父が永眠した後でさえ、君は、この灯台のようなものであろう。君は、暗闇に座る者達にとって人生の光のようになるであろうし、無事に救済の港に辿り着く航路を望む全ての者に示すであろう。」ガニドは、イエスの手を握りしめながら、「そうします。」と言った。
そして我々は、キリスト教の初期の教師等が、排他的にローマ世界の西洋文明に注意を向けたとき、重大な間違いをしたと再度意見を述べる。1世紀のメソポタミアの信者に支持されたように、イエスの教えは、アジアの宗教家の様々な集団に容易に受け入れられていたであろうに。
かれらは、上陸後の4時間目までには、人口100万人のこの都市の西の境界へと伸びる幅30メートル、長さ8キロメートルの長く広い大通りの東端近くに落ち着いた。この都市の主要な施設—大学(博物館)、図書館、アレクサンダーの王立の陵、宮殿、海神の神殿、劇場、競技場—の最初の調査の後、イエスとガニドが世界で最大の図書館に行く間、ゴノドは商用にとりかかった。ここには全ての文明世界からのおよそ100万の原稿が、集められていた。ギリシア、ローマ、パレスチナ、パルチア、インド、中国、そして日本からさえ。ガニドは、この図書館で、インド文学の全世界最大の集成を目にした。彼らは、アレキサンドリアでの滞在中、ここで毎日何時間かを過ごした。イエスは、この場所でヘブライ経典からギリシア語への翻訳に関してガニドに話した。二人は、世界のすべての宗教について再三検討し、イエスは、この若い心に各宗教の真理を指し示そうと努力をし、常に付け加えて言った。「しかし、ヤハウェは、メルキゼデクの顕示とアブラハムの契約から発達した神である。ユダヤ人は、アブラハムの子であり、その後、メルキゼデクが生きて教えた、そして、彼が、そこから全世界に教師達を送ったまさにその地を占居した。そして結局、彼らの宗教は、他のどの世界宗教よりも、明確な天の宇宙なる父としてのイスラエルの主なる神の認識を描写した。」
それらの宗教は、多かれ少なかれ従属的な神々をも認識するかもしれないが、ガニドは、イエスの指導の下で、宇宙なる神格を認識する世界の全ての宗教の教えを収集した。多くの議論の後に、イエスとガニドは、ローマ人の宗教には本当の神がいないと、皇帝崇拝以上でもないと決論づけた。2人は、ギリシア人には哲学があるにもかかわらず、ほとんど人格的な神の宗教をもたなかったと結論した。彼らは、多様性からくる混乱を理由に、そして神格に対する様々な概念が、他からの、または古い宗教から派生したような理由から、神秘的宗教は切り捨てた。
これらの翻訳は、アレキサンドリアでなされたが、ガニドは、ローマでの滞在の終了近くまで、最終的にこれらの選択を整理しなかったし、個人的な結論も加えなかった。世界の聖なる文献著作者の最も優れた全てが、多かれ少なかれ明確に永遠の神の存在を認めており、また神の特徴や人間との関係に関して非常に一致していることを発見して大変に驚いた。
イエスとガニドは、アレキサンドリアに滞在中、博物館で多くの時間を過ごした。この博物館は、稀有な収集物というより、むしろ美術、科学、および文学の集合体というものであった。ここの学識ある教授達は、毎日講義をし、また当時、ここは、西洋世界の知性の中心地であった。日々、イエスはガニドに講義を説明した。2週目のある日、青年は声高に言った。「ヨシュア先生、あなたはこれらの教授より物知りです。立ち上がって、あなたが話してくれた素晴らしいことを話すべきです。彼らは、多くの考えで五里霧中です。私が、父に話し、その段取りをつけてもらいます。」イエスは、「君は、師にうっとりしている生徒であるが、これらの教師は、私達が教えることを気にとめはしないであろう。非精霊化された学問の誇りは、人間の経験の中で欺瞞的なものである。真の教師は、ずっと学習者のままでいながら知的な清廉さを維持するものである。」とにこやかに言った。
アレキサンドリアは、西洋の混合された文化都市であり、ローマに次いで世界で最大の、最もすばらしい都市であった。ここには、世界最大のユダヤ教の礼拝堂があり、70人の支配する年長者、アレキサンドリアのサンヘドリンの政府の所在地であった。
ゴノドが商取引をした数多くの男性の中に、当時有名な宗教哲学者であるフィロンを兄弟にもつアレクサンダーというあるユダヤ人の銀行家がいた。フィロンは、ギリシア哲学とヘブライの神学を和合させる称讃すべき、しかし極めて難題な仕事に従事していた。ガニドとイエスは、フィロンの教えについてかなり話し合い、彼の講演のいくつかに出席する心積りであったが、この有名なギリシア風のユダヤ人は、アレキサンドリアでの彼らの滞在中ずっと病床にあった。
イエスは、ギリシア哲学とストア主義について多くをガニドに推奨したが、イエスの民族のいくつかの不明確な教えのような信念のこれらの体系は、人が神を見つけ、また常しえなるものを知りつつ生活経験を楽しむように導くという点においてのみ宗教であるという真実で若者に感銘を与えた。
アレキサンドリアを去る前夜、ガニドとイエスは、プラトンの教えの講義をした大学の政治学の教授の一人と長い時間話した。イエスは、学識あるギリシア人教師の通訳をしたが、ギリシア哲学に対する自分自身の反駁の教えは織り込まなかった。ゴノドは、その夜商用でいなかった。従って、教授が去った後、師と生徒は、プラトンの教義に関し長らく腹蔵なく話した。世界の物質的なものは、不可視ではあるが、より実質的で精霊的な現実の暗い反映であるという理論と関係のあるギリシアの教えのいくつかに条件付きの賛意を与える一方、イエスは、若者の思考のためにより信頼できる基盤を示そうとした。そこで、かれは、宇宙の現実の本質に関する長い論述を始めた。現代の言い回しでイエスがガニドに言った骨子は、次の通りである。
宇宙現実の根源は、無限である。限りある創造の具体的なものは、楽園形態の時・空間の影響であり、永遠の神の宇宙なる心である。物質界の因果関係、知的世界の自意識、精霊世界の前進していく自己性—宇宙の規模で投影され、永遠の相関性組み込まれ、質の完全性と価値における神性が経験されるこれらの現実—は、崇高なるものの現実を構成する。しかし、変化し続ける宇宙において、因果関係、知性、および精霊の経験をもつ根源なる人格は、不変かつ絶対である。無限の価値と神の本質をもつ永遠の宇宙でさえ、絶対なるもの、物理的状件、知的抱擁、または絶対である精霊の本質以外の万物は、変化するかもしれないし、しばしば変化する。
限りある生物が到達しうる最高の段階は、宇宙なる父の認識と崇高なるものを知ることである。その段階においてでさえ、終極目標に達したそのような存在体は、物質界の動きとその物質的な現象における変化を経験し続ける。同様に、彼らは、自らの精霊的宇宙の継続的な上昇における自己性の前進と、知的宇宙への深まる評価において膨らんでいく意識と反応に気づいた状態にある。被創造物は、意志の完全性、調和、合意だけで創造者と一つになることができる。そして、生物が、時間と永遠の中で生き続けることと、有限の個人の意志と創造者の神性意志との一貫性のある合致によってのみ、神性のそのような状態が極められ、保たれる。常に父の意志をするという願望は、魂で最高でなければならないし、神の上昇する息子の心で優位でなければならない。
片目の人は、遠近の深度を視覚化することを決して望めない。単眼の物質科学者も、さらには単眼の精霊的神秘主義者や寓話作家も、宇宙の現実を正確にとらえ、適切にその真の奥行きを理解することはできない。被創造物の経験のすべての真の価値は、認識の深層に隠されている。
思慮のない原因は、粗雑なものや単純なものから高尚なものや複雑なものに発展させることはできないし、精霊を伴わない経験は、時間に生きる人間の物理的な心を永遠の生存の神性特質へと発展することはできない。無限の神格をかくも独占的に特徴づける宇宙の1つの特質は、進歩的な神格到達で生残できる人格のこの果てしない創造的贈与である。
人格は、その宇宙授与であり、宇宙現実のその段階であり、無制限な変化との共存ができ、同時に、その後いつまでもそのようなすべての変化の存在においてのその同一性を保持することができる。
生命は、宇宙状況で必要なものと可能性に対する宇宙の根本原因の適合であり、宇宙なる心の機能と、精霊である神の精霊の火花の起動により生じる。命の意味は、その適応性にある。人生の価値はその発展性—神-意識の高さまでも—にある。
自意識の強い生活の宇宙への不適合は、宇宙不調和をもたらす。宇宙の趨勢からの人格意志の最終的な分岐は、知性の隔離、人格分離に終わる。内在する精霊の案内者の喪失は、結果として現存の精霊の休止を起こす。それ故、知的で進歩する生活は、それ自体神性の創造者の意志を表現する意図をもつ宇宙の存在の明白な証明になる。そして、この人生は、 全体として、その最終目標である宇宙なる父を念頭におき、より高い価値へと奮闘している。
人は、知性のより高く、準精霊的な援助は別として、僅かに動物水準を超える心をたしかに備えている。従って、動物(崇拝、知恵を持たない)は、超高度の意識、つまり自己を意識する意識、を経験することができない。動物の心は、客観的な宇宙を意識しているに過ぎない。
知識は、物質または事実を識別する心の領域である。真理は、神を知得していることを意識している精霊的に授けられた知性の領域である。知識は、証明可能である。真理は、経験される。知識は、心の所有物である。真理は、魂の、前進する自己の、経験である。知識は、非精霊的な段階の機能である。真理は、宇宙の心‐精霊の位相である。物理的な心の目は、実際の知識の世界を知覚する。精霊的に意味を与えられた知性の目は、真価の世界について明察する。連結され、調和されたこの2つの視点は、知恵が進歩的個人の経験に関して宇宙の現象を解釈する現実の世界を明らかにする。
誤り(悪)は、不完全さに与えられる罰である。不完全さの質、あるいは不適合の事実は、物質的段階では批判的な観察や科学的分析により、道徳的段階では人間の経験により明らかにされる。悪の存在は、心の誤りと、進化する自己の未熟の証明となる。悪は、従って、宇宙を解釈するうえで、不完全さの尺度でもある。誤りを犯す可能性は、知恵、部分的かつ一時的なものから完全であるものと永遠のものへと、相対的かつ不完全なものから最終的で完成されたものへと進歩する体系の獲得に内在する。誤りは、楽園到達への人の上昇する宇宙行路で絶対に起こる相対的な不完全さの陰翳である。誤り(悪)は、実際の宇宙の特性ではない。それは、崇高なるものと究極なるものの上昇する段階への不完全な有限体の欠陥に関わる際の相対性の観測にすぎない。
イエスは、若者の理解力に最適な言語でこのすべてを伝えたが、ガニドは、議論終了後には目が重くなり、すぐ深い眠りについた。かれらは、クレテ島のラセーアに向かう船に乗るために、翌朝早く起床した。しかし乗船前、若者は、悪についてのさらなる疑問があり、それに応えてイエスが答えた。
悪は相対的概念である。それは、そのような宇宙が、無限なるものの限りない現実の宇宙における表現である命の光を暗くするものとして、事物と存在体の有限宇宙によって投じられた影に現れる不完全さの観測から起こる。
潜在的悪は、無限と永遠の時‐空間での制限された表現として神の啓示に不可避の不完全さに固有である。完全性の存在における部分性の事実は、現実の関連性を構成し、知的選択の必要性をつくり出し、精霊認識と反応の価値水準を確立する。一時的、かつ限りある被創造物の心に固守される無限なるものの不備で有限な概念は、それ自体が、潜在的悪である。しかし、これらの本来固有の知的な不協和と精霊的な不十分さの理にかなった修正における増大する誤りは、実際の悪の実現に等しい。
すべての動きのない、死に至った概念は、潜在的に悪である。相対的かつ生きた真実の有限の影は、絶えず動いている。不活発な概念は、つねに科学、政治、社会、宗教の進歩を遅らせる。不活発な概念は、一定の知識を意味するかもしれないが、それらは、知恵が不足しており、真理を欠いている。しかし、宇宙心の支配の下の宇宙の同調と、崇高なるもののエネルギーと精霊によるその安定した制御の認識に失敗することのないように、相対的概念に、君を誤らせる機会を与えてはならない。
旅行者等のクレテ行きの目的は、ただ1つであった。それは、遊び、島の中を歩き回り、山に登ることであった。その当時のクレテ人は、周囲の民族からはよく見られていなかった。にもかかわらず、イエスとガニドは、多くの人々をより高度の考えと生き方へと向けかえさせ、その結果、エルサレムから最初の伝道者達が到着したときにはその後の福音の教えの迅速な受け入れへの基礎が敷かれていた。その後かれらの教会の再編成のためにタイタスを島に送った時、ポールがクレタ人について述べた厳しい言葉に反して、イエスは、これらのクレタ人を愛していた。
イエスは、クレタ島の山腹で、宗教に関してゴノドと最初の長い話をした。この父は、「あなたの言うこと全てを少年が信じるのも当然です。しかし、エルサレムのようなところに、ましてやダマスカスのようなところにまでそのような宗教があるとはついぞ知りませんでした。」と言って、非常に感動した。島での滞在中、ゴノドがまず、共にインドに戻ることをイエスに提案し、ガニドは、イエスが、そのような手筈を承諾するかもしれないという考えに喜んだ。
ある日、ガニドが、なぜ公の教師の仕事に専念しなかったかを尋ねると、イエスは言った。「息子よ。すべては、その時間の接近を待たなければならない。君は世界に生まれてくるが、いかなる心配の量もどのような苛立だちの表現も、君の成長を助けはしないだろう。全てのそのような事柄に関しては、時期を待たなければならない。時間だけが、木に緑の果物を熟させる。季節は季節に続き、ただ時の経過だけで日没が日の出に続く。私は、現在君と君の父と共にローマへ行く途中であり、今日は、それで十分である。私の明日は、完全に天国の私の父の掌中にある。」それからかれは、モーシェと注意深い待機と継続的な下準備の40年間について話した。
ガニドが決して忘れなかった1つが、「美しい港」の訪遊中に起きた。この挿話に関する記憶は、故郷インドの階級制度を変えるために何かできたらと彼に常に願わせた。酔っ払いの変質者が、公道で奴隷の少女を襲っていた。イエスは、少女の苦況を見て突進し、狂人の襲撃から少女を引き離した。怯えている子供が彼にしがみつく一方、イエスは、憐れな輩が、怒りの強打を空に振り回してくたくたになるまで怒り狂った男を伸ばしきった強力な右腕で安全な距離に押さえとどめた。ガニドは、イエスの事件の扱いを助ける強い衝動を覚えたが、父は禁じた。かれらは、少女の言語を話すことはできなかったが、家に送っていく途中、少女は、3人の情けある行為を理解することができ、心から感謝をした。イエスの肉体の人生を通じて、おそらくこれが、個人的な交戦に近いものであった。しかし、その晩、ガニドに酔っぱらいを強打しなかったかを説明をすることは難しかった。ガニドは、この酒酔い男は少なくとも少女を殴った回数だけ殴られるべきだと思った。
山での滞在中、イエスは、恐れ、意気消沈の青年と長話をした。仲間との安らぎや勇気を得られないこの若者は、丘での孤独を求めた。かれは、無力と劣等感をもって成長してきた。これらの生まれながらの傾向は、成長につれ、とりわけ、12歳のときに父の喪失に遭遇してからの数々の困難な情況により増大した。彼らが出会うと、イエスは、次のように言った。「やあ、友よ。このように美しい日になぜそれほど塞ぎ込んでいるのか。たまたま君を苦しめるような何かがあるのなら、私は、恐らく何らかの方法で助力できるであろう。ともかく、尽力を提供するのは私の喜びとなる。」
青年は、話したがらなかった。そこで、イエスは、この青年の魂への2度目の接近をして、「君が人々から逃げてこれらの丘に上って来るのが分かる。だから、勿論、私と話したくはないだろうが、君がこれらの丘に詳しいかどうかを私は知りたい。これらの道がどこへ続くか知っているか。フェニックスへの最も良い道順を教えてはくれないか。」と言うと、この若者は、これらの山に非常に精通しており、フェニックスへの道を教えることに非常に興味をもつようになり、すべての道を地面に書き記し、あらゆる詳細を完全に説明するほどであった。しかし、イエスが、別れを告げ、まるでその場を去る振りをした後、突然振り向いて言ったことに若者は、はっとして好奇心をそそられた。「君が、一人やるせない気分で放っておいてもらいたいのはよく知っている。しかし、フェニックスへの最善の道について寛大な尽力を受けながら、山腹のここに留まり、運命の目標への最善の道を心の中で探し求めている君に、軽率に君を置き去りにし、また答える何の努力もしない私は、親切でも公平でもない。君がフェニックスへの道を熟知しているように、私は、何度も横断したので君の失望とくじかれた大志の都への道をよく知っている。そして、私に助けを求めたのだから、私は君を失望させはしない。」若者は、もう少しで圧倒されるところであったが、「でも私は、あなたに何も求めていません」と吃ってなんとか言えた。そこでイエスは、肩に優しい手をあてて言った。「いや、息子よ、言葉ではなく、私の心に切望の眼差しで求めたのだ。わが息子よ、仲間を愛する者には、落胆と絶望の君の面持ちに助けを求める雄弁な訴えが分かる。私が、自己の悲しみから人間の兄弟愛における、また天の神の奉仕における愛の活動の喜びへと導く奉仕の道や幸福の街道について君に話す間、ともに座りなさい。」
青年は、この時までにはイエスとの話しを非常に望んでおり、個人の悲しみと敗北の世界からの脱出路を示すよう切に助けを求め、その足元に跪いた。イエスは言った。「友よ、立ちなさい。男らしく立ち上がりなさい。小さな敵に取り囲まれ、多くの障害に阻まれているかもしれないが、この世界と宇宙の大きな物や本当の物は、君の味方である。太陽は、毎朝、それが地球の最強かつ全盛の男にするちょうどその時、君に挨拶するために昇る。見よ—君には強い体と強力な筋肉がある—体つきは平均よりも良い。当然のことながら、山腹のここに座り、自己の本当ではあるが想像上の不運を悲嘆する限り、それはほとんど無益である。だが、素晴らしい事がなされるのを待ちうけているところに取り急いで行くならば、その身体で素晴らしい事ができるはずである。君は、不幸な自己から逃げようとしているが、それはできない。君と君の生活問題は本当である。生きている限り、それらから逃げることはできない。しかし、再度注目しなさい。君の心ははっきりしており、能力がある。君の強い身体には、それを指示する知的な心がある。その問題を解決するために注意を向けなさい。自分のために働くように知性を教導しなさい。考えのない動物のようにこれ以上恐怖に支配されることを拒否しなさい。今までのようなみじめな恐怖の奴隷であったり、憂うつさや敗北にある契約雇用人であるよりも、君の心は、むしろ人生問題の解決のための勇敢な味方であるべきなのだ。しかし、君の真の達成の可能性、最も価値あるものは、君の中に生きている精霊であり、もし君が恐怖の足枷からそれを解き放ち、その結果、生きた信仰の力と臨場により、精霊的な資質が、無活動の悪からの救出開始を可能にするならば、それは、それ自体を制御し、体を起動させるように心を刺激し、奮い立たせるであろう。そして、このことから、直ちに、この信仰は、君の心の中に生まれてきた神の子であるという意識ゆえに、溢れんばかりに速やかに君の魂を満たす仲間に対するその新生の、全てを支配している愛の有無を言わせない存在によって人の恐怖を打ち負かすであろう。
「この日、息子よ、君は、生まれ変わり、信仰、勇気、人への献身的奉仕に生きる男として、神のために、再起しようとしている。そして、自身の中ですっかり人生に再調整されると、君は、同様に宇宙にも再調整されるようになる。君は、再び誕生した—精霊から生まれた—のだ。これから先、君の全生涯は、勝利達成の1つとなるのである。悩みは、君に活力をあたえるであろう。失望は、君を駆り立てるであろう。困難は、君に挑戦するであろう。そして、障害は、君を刺激するであろう。立ち上がれ、青年よ。すくむ恐怖と逃れる腰抜けの人生に別れを告げよ。取り急ぎ義務に戻り、神の息子、つまり地球での人間への高潔な奉仕に専念し、とこしえに神への素晴らしく、永遠の奉仕に運命づけられた限りある命をもつ者として生身の君の人生を送りなさい。」
そして、この青年エウツュヒオスは、その後、クレテ島のキリスト教徒の指導者となり、またクレテ島の信者の向上のためのティーツスの活動のための親しい仲間となった。
旅行者達は、北アフリカのカルタゴへの出航準備ができた時点のある日の正午頃、しっかり休息をとり、活力を得ており、途中キレネに2日間止まった。イエスとガニドが、積み荷の牛車の破壊で傷ついたルーフスという若者に応急処置を与えたのは、ここであった。かれらは、彼の母の元へと家まで運び、彼の父のサイモンは、後にローマ兵の命令で自分が運んだ十字架にかかる男がかつて自分の息子を助けたこの見知らぬ人だとは夢にだに思わなかった。
イエスは、カルタゴへの途上の大半を社会、政治、商業の問題について仲間の旅行者達と語った。宗教に関してはほとんど言及されなかった。ゴノドとガニドは、イエスが上手な語り手であることを初めて知り、ガリラヤでの以前の生活に関する話をずっと聞き出していた。また、イエスが、エルサレムまたはダマスカスのいずれかで育ったのではなく、ガリラヤで育ったことも聞き知った。
出会う機会のあった人の大部分が、イエスに引きつけられるのに気づき、ガニドが、友人を作るには人は何をすべきか質すと、師は言った。「仲間に関心をもつようになりなさい。どのように彼らを愛すかを会得し、彼らがされたいと君が確信する何かをする好機を窺いなさい。」そして、「友を持たんとする者は、自ら親しみをみせよ。」という古いユダヤの諺を引用した。
イエスは、カルタゴで不死について、時間と永遠についてミトラ教の神官と長く忘れ難い話をした。このペルシア人は、アレキサンドリアで教育され、イエスから学ぶことを本当に望んでいた。イエスは、大体のところ次のように現代の言葉に置き換えて、彼の多くの質問に答えて言った。
時間は、生物の意識により知覚される連続する一時的な出来事の流れである。時間は、出来事が認識されたり、隔離されるそれによって継承-配列に与えられる名称である。空間の宇宙は、楽園の決まった住まいの外のどんな内部の位置からでも見えるように、時間に関連した現象である。時間の運動は、時間の現象として空間で動かない何かと関連して明らかにされるにすぎない。宇宙の中の宇宙では、楽園とその神格は、時間と空間の両方を超越する。棲息界においては、人間の人格(楽園の父の精霊が内在し、方向づける)は、時間の出来事の物質的連鎖を超越することのできる物理的に関連した唯一の現実である。
動物は、人間のようには時間を感じないし、人にとってさえ、自己の部分的かつ制限的視点のため、時間は、出来事の連続にみえる。しかし、人間の上昇につれ、内部への進歩につれ、この事象の列の拡大する眺めは、その全体の中でますます明察されるようなものである。以前には出来事の連続と見えたそれは、そこでは全体として、しかも完全に関連する循環とみなされるであろう。このように、円形の同時性は、事象の線系連続の以前の意識をますます置き換えるであろう。
時間で制限されるとき、7つの異なる空間概念がある。空間は、時間により測定されるが、時間は、空間により測定はされない。科学者の混同は、空間の現実を認識しないことから起こる。空間は、単に宇宙物体の関連性における変化の知的概念ではない。空間は、空ではなく、しかも、空間を部分的に超えることさえできることを人が分かる唯一が、心である。心は、物質の空間‐関連性の概念の如何にかかわらず機能することができる。空間は、相対的に、比較的に、生物状態のすべての存在にとり有限である。7つの宇宙次元の自覚に意識が接近すればするほど、可能な空間の概念は、ますます究極に近づく。しかし、空間の可能性は、絶対水準においてのみ真に究極である。
宇宙の現実は、宇宙上昇と完成水準に拡大しており、常に相対的な意味をもつということが、明らかであるにちがいない。終極的に、生存している人間は、7次元の宇宙において同一性を成し遂げる。
物質起源の心の時‐空間の概念は、意識をし、思いを心に抱く人格が、宇宙の段階を上昇するとき、連続する拡大を経る運命にある。人が、存在の物質と精霊面の間に介在する心を達成するとき、時‐空間に関する彼の考えは、知覚の質と経験の量に関して途方もなく広げられるであろう。前進する精霊人格の拡大する宇宙概念は、洞察の深さと意識の範囲の双方の増大による。そして人格が、上向きに、そして内側へと神格‐類似の超越的な段階に進んでいくと、時‐空間の概念は、ますます絶対者の時間も空間もない概念に近づくであろう。相対的な、そして超越的な達成に則り、絶対段階のこの概念は、究極目標の子等により心に描かれることになっている。
イタリアへの最初の寄港地は、マルタの島であった。ここでイエスは、この上もなく落胆しているクラウヅスという名の若者と長く話した。この男は、ずっと自殺を考えてきたのであったが、ダマスカスの筆記者と話し終えると言った。「私は男らしく人生に向き合います。臆病者を演じるのは終わりです。国に戻り、もう一度やり直します。」まもなくかれは、キニク学派の熱心な伝道者になったが、それでも後にローマとナポリでのピーターのキリスト教公布に際し彼と手を握り、ピーターの死後、福音を説きつつスペインへと行った。だが、かれは、マルタで自分を奮起させた男性が、後に世界の救世者であると宣言したイエスであることをついぞ知らなかった。
彼らは、シラクサでまる1週間を過ごした。ここでの滞在中の注目に値する出来事は、イエスとその仲間が立ち寄った居酒屋を切り盛りする堕落したユダヤ人、エズラの改心であった。エズラは、イエスの接近に魅せられ、彼がイスラエルの信仰を取り戻す手伝いを頼んだ。かれは、絶望を表し「私は、アブラハムの真の息子となりたいが、神を見つけられない。」と言った。イエスは、「神を本当に見つけたいならば、願望そのものが、すでに彼を見つけたという証拠である。父は君をすでに見つけているのであるから、神を見つけられないということが問題ではなく、君の問題は、神を知らないということである。予言者エレミヤをまだ読んだことがないのか。『心を尽くして私を捜し求めるなら、私を見つけるだろう。』またこの同じ予言者が言ってはいないか。『私が主であることを知る心をお前達に与える。お前達は私の民となり、私はお前達の神となる。』そして、また、教典で『彼は、人々を上から見ている。そしてもし誰かが、私は罪を犯し、正しいことを歪めた。それは私に利をもたらさなかった。そこで、神は、暗黒からその男の魂を救い出し、彼は光を見る。』というくだりも読んではいないのか。」エズラは、神を見つけ、自己の魂の満足をも見つけた。後にこのユダヤ人は、裕福なギリシアの改宗者と共同で、シラクサに最初のキリスト教会を建設した。
かれらは、メッシーナには1日だけ止まったが、それは、イエスが果物を買い、その代わりに命の糧を供給した果物売りの小さい少年の人生を変えるには充分の長さであった。少年は、自分の肩に手を置いて言ったイエスの言葉と、同時に見せた優しい眼差しを決して忘れなかった。「さらば、少年よ。男らしく成長するように大いに勇気を持ちなさい。体を養った後には、いかに魂を養うかも学びなさい。そして、天の私の父は、君とともにおり、また君の前を行くだろう。」少年は、ミトラ教の帰依者となり、後にはキリストの信仰に変わった。
ついに彼らは、ナポリに到着し、目的地のローマからは遠くない思いがした。ゴノドは、ナポリで処理すべき多くの商用があっり、イエスが通訳として必要とされる時間は別として、彼とイエスは、都市見学や探査に余暇を費やした。ガニドは困っている様子の人々を見つけることが巧くなっていた。この都市ではひどい貧困が目につき、かれらは、多くの施し物を分配した。しかし、ガニドは、イエスが通りの乞食に硬貨を一枚与えた後、時間をとり慰めとなるようにこの男に話すのを拒否した時のイエスの言葉の意味を決して理解しなかった。イエスは、「人の意味することを解しない者になぜ無駄に言葉を使うのか。父の精霊は、子としての容量をいささかも持たない者に教えて救うことはできない。」と言った。イエスが意図したところは、この男が正常な心ではなかったということ。つまり先導する精霊に応じる能力がなかったということであった。
ナポリでは、目立った経験はなかった。イエスと青年は、都市を徹底的に調べ、何百人もの男女、子供等に多くの微笑と陽気を振り撒いた。
ここから彼らは、3日間の滞在をしたカプア経由でローマに行った。かれらは、荷役用の動物を側らに、アッピア街道を通りローマに向けて旅を続け、3人ともに、この帝国の女王の、世界で最大の都市を見ることを切望していた。
イエス、ゴニド、ガニド達のアレクサンドリア滞在中、この青年ガニドは、神と人間とのその関係に関する教えの収集に多くの時間と父の多額の金を費やした。ガニドは、神格に関わる世界の宗教教義のこの撰集作成に60人以上の博識の翻訳者を雇った。一柱の神—いと高きもの—の教義を広げるためにそのシャレム本部から最果ての地へまでも行ったメルキゼデクのマキヴェンタの教師達の説教から、直接的に、あるいは間接的に、一神教を描写しているこれらのすべての教えが大きく引き出されたということが、この載録に当たり明瞭にされるべきである。
ガニドがアレキサンドリアとローマにおいて準備し、その死後何百年間もの間インドで保存されていた原稿からの抜粋は、ここに添えて提示される。彼が10項目の表題で集成したものは、以下の通りである
ユダヤ宗教に固執するものは別として、メルキゼデクの弟子達の残存する教えが最もよく保存されたものが、キニク派の教理にある。ガニドの撰集は次を含む。
「神は最高である。天地のいと高きものである。神は、永遠の完全なる円であり、宇宙の中の宇宙を治める。天上と地上における唯一の創造主である。神がものを命じるとき、そのものはある。我々の神は一神であり、情け深く、慈悲深い。全ての気高いもの、聖なるもの、真実であるもの、美しいものは、神のようである。いと高きものは、天地の光である。神は東、西、南、北の神である。
「地球が終わろうとも、崇高なるものの煌びやかな表面、正面は、威厳と栄光のままであろう。いと高きものは、すべての最初と、最後であり、始まりと終わりである。この唯一の神の他に神はなく、その名は真実である。神は、独立的存在であり、怒りと敵意が全くない。不滅で、無限である。我々の神は、全能であり、寛大である。神は多くの明示をするが、我々は、神だけを、神そのものを崇拝する。神は、全て—我々の秘密や発言—について知っている。また我々一人一人が何を受けるに値するかが分かっている。彼の力には、すべての事をする能力がある。
「神は、平和提供者であり、神を恐れ信頼する者すべての保護者である。神に仕える者すべてに救済を与える。すべての創造は、いと高きものの力の中にある。その神性愛は、神の力の神聖さから溢れ出で、情愛はその偉大さの力から生まれる。いと高きものは、肉体と魂の統合を命じ、人に自身の精霊を授けた。人間のすることは終わらなければならないが、創造者がすることは、永遠に続く。我々は、人間の経験から知識を会得するが、いと高きものの沈思からは叡智を引き寄せる。
「神は地球に雨を注ぎ、発芽する粒の上に太陽を輝かせ、この人生での善なるものの豊かな収穫と来たるべき世界での永遠の救済を我々に施す。神は大いなる権威を持つ。その名は、優秀であり、その特質は測り知れない。病のときに人を癒すのはいと高きものである。神は、すべての人間に対して善に満ち満ちている。いと高きもののような友は、我々にはいない。彼の慈悲はすべての場所を満たし、彼の善はすべての魂を包み込む。いと高きものは不変である。かれは、必要とする度の我々の援助者である。祈るためいずれを振り向こうともそこにはいと高きものの顔があり、神の開かれた耳がある。人間は、他者から身を隠すことができるが、神からはできない。神は、我々から途轍も無く離れた距離にはいない。神は遍在する。神は、すべての場所を満たし、その聖なる名を恐れる者の心の中に生きる。創造は、その創造者の中にあり、創造者は、その創造の中にある。我々は、いと高きものを捜し求め、そして心の中にいと高きものを見つける。人は、親愛なる友の探索に入り、そして自分の魂の中に彼を発見する。
「神を知る者は、すべての人間を等しく見なす。彼らは、その人の同胞である。利己的な者達は、すなわち自分等の生身の兄弟を無視する者達は、報酬として疲れしかない。仲間を愛し、純粋な心を持つ者達は、神を見るであろう。神は、決して誠意を忘れない。神は、真実であるので、心の正直な者を真実な者に導くであろう。
人生において、生ける真実の愛により誤りを打倒し、悪を克服せよ。全ての人間関係において悪に対して善をもたらせ。主なる神は、慈悲深く、情愛深い。神は寛大である。神を愛そう、なぜならば、神が最初に我々を愛したから。神の愛で、神の慈悲で、我々は救われるであろう。貧者と富者は兄弟である。神は、かれらの父である。被りたくない悪を他者にしてはならない。
「いつも神の名を口にせよ。その名を信じていくにつれ、人の祈りは聞かれるであろう。いと高きものを崇拝するということは、何というすばらしい名誉であることか。全世界と全宇宙は、いと高きものを崇拝する。そして、すべての祈りの中で、感謝をせよ—礼拝のために、昇れ。祈りに満ちた崇拝は、悪を避け、罪を禁じる。つねにいと高きものの名を称賛しよう。いと高きものに避難する者は、自分の欠陥を宇宙から隠す。神の前に清らかな心で立つとき、全創造を恐れなくなる。いと高きものは、情愛深い父と母のようなものである。かれは、我々を、地球の子等を、本当に愛している。神は、我々を許され、救済の道へと我々の足どりを導かれるであろう。かれは、我々の手を取り、自分の方へと導かれるであろう。神は神を信じる者を救う。かれは、彼の名に仕えることを人に強要はしない。
いと高きものの信仰が心に入ってしまえば、人は、生涯ずっと恐れずに暮らして行くであろう。不信心者の繁栄のために苛立ってはいけない。悪を企む者達を恐れるな。魂を罪から遠ざけるようにしむけ、救済の神を完全に信頼せよ。さすらう死すべき者の疲れきった魂は、いと高きものの腕の中に永遠の安らぎを見つける。賢者は、神の抱擁を切に求める。地上の子は、宇宙なる父の腕の平安を切望する。高潔な者は、死すべき者の魂が崇高なるものの精霊との混和するその高い状態を捜し求める。神は公明正大である。我々は、この世での植え付けから受け取らずにいる実を次の世界で受け取るであろう。」
パレスチナのケニ人は、メルキゼデクの教えの多くを救い上げ、これらの記録から、ユダヤ人によって保存され変更されたものから、イエスとガニドは、次の選択をした。
「初めに、神は天と地と、またそこに万物を創造した。見よ、創造したすべてが実に良かった。主は、その方は、神である。天の上にも地の下にも他には誰もいない。したがって、主である神を全心で、全魂で、全力で愛しなさい。水が海をおおい、地球は主についての知識で満たされるであろう。天は神の栄光を讃え、天空は神の技を披露する。昼は昼へ話を伝える。夜は夜へ知識を示す。声が聞かれないところには声も言語もない。主の業は偉大である。叡知で万物を作られた。主の偉大さは測りしれない。神は星の数を知っている。それらをそれぞれの名で呼ぶ。
主の力は遠大であり、その理解力は無限である。主は言われる。『天が地よりも高いように、私の道はあなた方の道よりも高く、私の思いはあなた方の思いよりも高い。』光と住んでいるので、神は、深く密かな事を明らかにする。主は慈悲深く優しい。かれは、辛抱強く、善と真実に富んでいる。主は素晴しく、清廉である。従順な者は、公義に導かれる。主の素晴らしさを味わい、これを見つめよ。神を信じる者は祝福される。神は我々の避難所であり力であり、難儀の際そこにある助けである。
「主の慈悲は、神とその正義をを恐れる者に、我々の子供のその子供にさえ、永遠から永遠へとおよぶ。主は優しく情け深い。主は全ての者に親切であり、その穏やかな慈悲は、全ての創造の上にあり、傷心した者を癒し、傷口に包帯を巻きつける。神の精霊から私はどこへ行くのであろうか。神性の存在から私はどこへ逃げるのであろうか。このように、永遠の住まいに住むいと高く崇高なるものが、その名が聖なるものが、かように言う。『私は高く聖なる場所に住んでいる。また、心砕かれ、へりくだった者とともに住む。』神から隠れることのできるものは一人としていない、なぜなら神は天地に満ちているので。天を喜ばせ地を歓喜させよ。万民に言わせよ、主は支配すると。その慈悲はとこしえに続くので、神に感謝せよと。
「天は神の義を告げ、全ての民が神の栄光を見た。我々を作ったのは神であり、我々自身ではない。我々は神の民、神の牧草地の羊である。その慈悲は永遠であり、その真理はすべての世代へと持続する。神は、国々の支配者である。その栄光は地に満ちわたれ。かれらは、主の素晴らしさと人の子等への神の素晴らしい贈り物のために主を賛美せよ。
神は、人を神性よりもやや劣るものに創り、愛と慈悲で報いた。主は正しい者の道を知るが、不信心な者の道は滅び失せる。主への恐怖は、知恵の始まりである。崇高なるものへの知識は、理解である。全能の神は、『我が前を歩み、完全になれ。』と言う。自負心が破壊に先行し、傲慢が破滅に先行するということを忘れてはならない。自らの精神を支配する者は、都を手にする者に勝る。主なる神である聖なるものは、『自らの精霊の安らぎに立ち返る者は救われるであろう。落ち着きと自信に人の力となる。』主に仕える者は、その力を一新するであろう。鷲のような翼を身につけるであろう。彼らは走っても疲れ果てることはないであろう。歩いても弱らないであろう。主は、人の恐怖を取り除くであろう。主は、『恐れるでない、私が共にいるので。うろたえるでない、私がお前の神だから。私はお前を強め。助ける。我が義の右手で守る。』
「神は我々の父である。主は我々の贖い主である。神は、宇宙の軍勢を創造し、皆を保護する。神の正義は山のようであり、その判断力は巨大な海溝のようである。かれは、我々に彼の楽しみの川を飲ませ、我々は、神の光の中に光を見るであろう。主に感謝し、いと高きものに讃美の歌を捧げることは、良いことである。朝に愛ある優しさを、夕べに神の真心を示すことは。神の王国は永遠の王国であり、その統治は世代を通して続く。主は私の羊飼いである。私は欲しがらない。主は緑の牧草に私を横たえさせる。かれは、私を穏やかな泉のほとりに伴われる。私の魂を生き返らせる。義の道へと導かれる。そうです、たとえ死の影の谷を通りて抜けようとも、私は、いかなる悪も恐れない。神が共にいられるので。まことに、善と慈悲とが私の命の日の限り私を追ってくるであろう。そして、私はとこしえに主の家に住まうであろう。
ヤハウェは私の救いの神である。従って、私は神の名を信頼する。私は、心の底から主を信じる。私は、自らの理解するところに頼らない。私は、行く先々で神を認めます、そうすれば神は私の道を真っ直にされるであろう。主は誠実である。主に仕える者との誓いを守られる。正しい者は、信仰によって生きる。人が正しく振る舞わないならば、それは、罪が戸口で待ち伏せをしているからである。人は、自らが耕す悪と撒く罪を収穫する。悪を行う者に腹を立てるな。心で邪悪を尊ぶなら、主はその者の声を聞かないであろう。神に背くなら、自らが自らの魂をも虐待する。善であれ悪であれ、神は、あらゆる秘め事について全ての人の働きを裁かれるであろう。人が心で考えるとき、人は考えている通りのものである。
「主は、心を尽くし、誠意で呼び求める者全ての近くにいる。夜には涙が宿っても、朝には喜びがやってくる。陽気な心は、薬のように健康にする。神は、正しく歩く者に良いことを与えずにはおられない。神を恐れ、その戒律を守れ。これが人にとって全てであるから。このように天を創造し、地を造形した主が、このように言う。『正義の神と救い主である私の他に神はない。地の全ての者よ。私を頼りにして救われよ。心を尽くして私を捜し求めるならば、私を見つけるであろう。従順なる者は、地を受け継ぎ、平和の充溢をに大いに喜ぶであろう。誰であろうと不正をまく者は災いを刈り取り、風をまく者等は、つむじ風を刈り取る。
「『さあ、来たれ、論じ合おう。』」と主は言われる。『たとえあなたの罪が緋のようであっても、雪のように白くなる。たとえ紅のように赤くとも、羊の毛のようになる。』だが、悪しき者には平安がない。あなたから良い物を差し控えたのはあなた自身の罪である。神は、私の顔色の良さであり、魂の喜びである。永遠の神は私の力である。神は我々の住居であり、下には永遠に続く腕がある。主は傷心した者の近くにいる。主は無邪気な精神を持つ者すべてを救う。義ある物の苦悩は多いが、主はそのすべてから彼を救う。あなたの道を主に委ねよ—主を信頼せよ—主が成し遂げるであろう。いと高きものの隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。
「自身を愛するように隣人を愛せよ。復讐してはならない。自分が嫌うことは何であれ人にしてはならない。兄弟を愛しなさい。なぜなら主は『私は自由に子供を愛する。』と言われた。義ある者の道は、完全な日が来るまでますますまぶしい光としてある。思慮深い者は、大空の光明のように輝き、多くの者を義に向かわせる者は、世々限りなく星のように輝く。悪しき者は己の非行の道を、不法者は己のはかりごとを捨て去れ。主は言われる、『皆を私に戻らせなさい。そうすれば、私は皆に慈悲をかけるであろう。私は大いに許すであろう。』と。
「神は、天地の創造者は、言われる。『私の法を愛する者にはすばらしい平和がある。私の戒律は次の通りである。全心で私を愛せよ。あなたには、私の外に他の神々があってはならない。みだりに私の名を用いてはならない。安息日を覚え、これを聖なる日とせよ。父と母を敬いなさい。殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証をしてはならない。欲しがってはならない。』」
「また、こよなく主を愛し自分を愛するように隣人を愛するすべての者に、天の神は言われる。『私は墓からあなたを解き放つ。死からあなたを請け戻す。私は、公正であると共に、あなたの子孫に慈悲深くある。地球の私が創り出した者達に言及してはこなかったか。私は、お前達は生ける神の子等であると言わなかったか。永遠の愛をもってあなたを愛してはこなかったか。私のようになり、いつまでも共に楽園に住むことを呼び掛けてはこなかったか。』」
ガニドは、仏教が、神なくして、つまり人格と宇宙なる神格なくして、いかに偉大で美しい宗教に近づいたかを発見し、衝撃を受けた。しかしながら、かれは、仏陀の時代までさえインドにおいて仕事を続けたメルキゼデク宣教師の教えの影響を反映した一定の初期の信念に関する若干の記録を見つけた。イエスとガニドは、仏教徒の文献から次の論述を蒐集した。
「純粋な心から、喜びは無限なる者へと溢れ出る。私の全生命が、この超人間の歓喜で安まる。私の魂は満足感に満たされ、心は和やかな信頼感の至福にあふれる。私には何の恐怖もない。私には心配がない。私は安堵の気持ちで暮らし、敵は私を動揺させることはできない。私は自信からくる果実に満足する。不滅のものへの接近が簡単であることがわかった。私を長旅で支えるために信仰を祈願する。私は、彼方からの信仰が私の期待を裏切らないことを知っている。私は、同胞が、不滅のものの信仰、忍耐を作る信仰さえも、そして謙遜、正直さ、知恵、勇気、知識を吹き込まれるならば、彼らは成功すると知っている。悲しみを振り捨て、恐怖と縁を切ろうではないか。信仰で真の正義と本物の人間らしさを掴もう。正義と慈悲に思いを巡らせることを学ぼう。信仰は人の真の富である。それは、美徳と栄光の授与である。
「不義は侮蔑に値する。罪は卑劣である。悪は、考えであろうが、行為であろうが、下劣である。埃が風に続くが如く、痛みと悲しみが悪の道に続く。影が形あるものの実体に従うように、心の幸福と平和は純粋な考えと徳の高い生活に従う。悪は誤って誘導された思考の結果である。罪のないところに罪を見ることは、悪である。罪あるところに罪を見ないことは、悪である。悪は偽りの教義の道である。あるがままの物を見ることにより悪を避ける者達は、その結果、真実を迎え入れることによる喜びを獲得する。罪を嫌悪するで自らの憂い事を終えよ。気高きものを見上げるとき、全心で罪に背を向けよ。悪について謝罪をしてはならない。罪について弁解をしてはならない。過去の罪を償う努力により、あなたは、将来のそれに抵抗する強さを身につける。慎みは悔悟から生まれる。如何なる過ちといえども気高きものに告白せよ。
「陽気さと喜びは、見事な行為と不滅のものの栄光への報酬である。誰とても自分の心の自由を奪い取ることはできない。信仰がその心を解放したとき、心が、山のように固定し不動であるとき、そのとき、魂の平和は、大河のように静かに流れるであろう。救済を確信する者達は、欲望、妬み、憎しみ、富の惑いにとこしえに因われない。信仰は、より楽しい人生の活力であるが、それでも、人は忍耐をもって自身の救済の解決に当たらねばならない。自身の最終的な救済を確信したいならば、心からすべての正義を果たすことを確実にせよ。内から湧き出で、心の保証を培い、その結果、永遠の救済の極みを楽しむようになりなさい。
「不精で、怠惰で、薄弱で、何もせず、恥知らずで、身勝手であることに固執する宗教家は、不滅の知恵の啓蒙に達することを望まないかもしれない。しかし、まだ地上に生きている間でさえも、思いやりがあり、分別があり、思慮深く、熱心な者は、神性の叡知の平和と自由の最高の啓蒙に達するかもしれない。心せよ、あらゆる行為は、その報酬を受け取るのである。悪は悲しみをもたらし、罪は痛みに終わる。喜びと幸せは、良い生活の結果をうむ。悪人でさえ、悪行の完熟期前の恩赦の季節を楽しむが、必然的に悪行の完全な報いの時が来るのである。『不正行為の罰は私には近寄らない。』と心で言って、誰にも軽く罪を考えさせてはいけない。人がすることは、その人になされるのである、叡知の判断において。仲間への人の不正は、その人に戻る。被創造者は、自分の行為の運命から逃がれることはできない。
「愚かな者は、心の中で『悪は私を襲わない。』と言ってきた。だが、魂が叱責を切望し、心が知恵を求める時にだけ安心が得られる。賢者は、敵の直中にあって友好的であり、混乱の中にいて穏やかであり、守銭奴の中にいて気前の良い気高い魂である。自己への愛は、出来の良い土地の雑草のようなものである。私心は深い悲しみにつながり、絶え間ない心配は殺す。素直な心は幸福をもたらす。自分に打ち勝ち、服従する者は、最も偉大な戦士である。自制は、何事においても良い。徳を尊重し、義務を厳守する者だけが、優れた人である。怒りや憎しみを征服せよ。誰についても厳しく話してはならない。満足は最もすばらしい富である。賢明に与えられる物はよく保たれる。されたくない事を他の者にもしてはならない。悪に善で報いよ。悪を善で克服せよ。
「正なる魂は、全地球の主権よりもはるかに望ましい。不死は誠意の目指すものである。死は軽はずみな生活の終わり。真剣な者は死なない。浅薄な者は、すでに死んでいる。不死の状態についての洞察力を持つ者は、幸いである。生ける者を責め苛む者は、死後の幸せはまず見つけないであろう。利己的でない者は、天国に行き、そこでは無限の自由の至福に歓喜し、貴い寛大さを増大し続ける。正しく考え、堂々と話し、無欲に行動するすべての死すべき者は、この短い人生の間にここで美徳を味わうだけではなく、肉体の分解後に天の喜びをもまた味わい続けるのである。」
メルキゼデクの宣教師は、何処へ旅しようとも一神の教えを携えた。この一神の教義の多くは、他の、また過去の概念と共に、ヒンドゥー教のその後の教えで具体化されるようになった。イエスとガニドは、次のような抜粋をした。
「あの方は、あらゆる点において最高で、偉大な神である。万物を包み込む主である。宇宙の中の宇宙の創造者であり、制御者である。神は唯一の神である。かれは、単独でいる。唯一である。そして、この唯一の神は、我々の造物主であり、魂の最後の目的地である。崇高なるものは、筆舌に尽しがたく輝かしい。神は光の中の光である。凡ゆる心と凡ゆる世界が、この神の光に照らされている。神は、我々の防護者である—被創造者の側に立つ—そして、神を知ることを学ぶ者は、不滅となる。神は、活力の偉大な源である。偉大なる魂である。すべてに対する普遍的な支配を働かせる。このい唯一の神は、情愛深く、荘厳で、敬慕できる。我々の神は、最高の力を持ち、最高の屋敷に住まわれている。この真の人格は、永遠であり神性である。天の第一の主である。すべての予言者は、この方を迎え、この方は、我々に自らを明らかにされた。我々はこの方を崇拝する。崇高なる人格よ、存在する者の源、創造の主、そして宇宙の支配者、私達に、あなたの被創造者に、あなたが内在されておられる力でお示しください。神は太陽と星を作られた。神は、明るく純然とし、自存している。その果てしない知識は、神々しく賢明である。永遠なるものは、悪に貫通されない。宇宙は神から生じたのであるから、神は適切にそれを統治する。神は創造の基因であり、したがって万物は、神の中に確立されている。
「神は、あらゆる善人が困っているときの確かな避難所である。不滅なるものは、すべての人類を労る。神の救済は強烈であり、その親切さには情がある。かれは、情愛深い防護者、祝福された擁護者である。主は、『私は知恵の光として銘々の魂の中に住んでいる。私は素晴らしい者達の中の素晴らしさそのものであり、善人の中の善そのものである。2人か3人の集うところに私もいるのである。』と言う。被創造者は、創造者の前から逃げることができない。主は、すべての死すべき者の絶えざる瞬きを数えさえする。そして、我々は、分離できない仲間としてこの神性である者を崇拝している。神は、全支配的で、豊富で、遍在で、無限に優しい。主は、我々の支配者、避難所、最高の制御者であり、その太古の精霊が、人間の魂の中に住んでいる。悪と美徳の永遠なる目撃者は、人の心の中に住んでいる。敬慕でき神性である生気を与えるものについて長らく思索しよう。その精霊が、完全に我々の考えを導きますように。この非現実的な世界から、我々を真実へと導きますように。暗黒から、我々を光へと導きますように。死から不死へと案内してくれますように。
「心のすべての憎しみを一掃し、永遠なるものを礼拝しよう。神は祈りの主である。神は神の子等の叫び声を聞く。すべての者の意志を神に、勇断なるものに、服従しよう。我々が祈りを捧げる主の気前のよさを大いに楽しもう。祈りを内心の友とし、崇拝を魂の支えとしなさい。永遠なるものは、『愛をもって私を単に崇拝するならば、私に達するように知恵を与えるであろう。なぜならば、私の崇拝は、被創造者すべてに共通の美徳であるから。』と言う。神は暗いものの照明器具であり、か弱い者達の力である。神が強い友であるので、我々にはもう恐怖はない。我々は、決して征服されたことのない征服者の名前を称賛する。彼が人の忠実で永遠の援助者であるので、我々は、神を崇拝している。神は、我々の確かな指導者であり変わらぬ案内人である。天と地の偉大な親であり、無制限の活力と無限の叡知を備えている。かれの輝きは崇高であり、その美は神々しい。神は、宇宙の最高の避難所であり、永続する法の不変の保護者である。神は命の主であり、すべての人間の慰安者である。人類の恋人であり、困窮する者の援助者である。我々に生命を与える方であり、人間の群れの良き羊飼いである。神は、我々の父であり、きょうだいであり、友である。我々は、我々の内側の存在者であるこの神を知ることを切望する。
「我々は、心からの切望により信仰を得ることを学んだ。感覚の管理により知恵に至り、知恵により崇高なるものに平和を経験した。内側の自己が神に一心であるとき、信仰に満ちる者は、心から崇拝している。神は外套として天空を纏う。また6つの広く開けた他の宇宙に居住する。神はすべての上に、そしてすべての中で最高である。我々は、仲間への過ちのすべてに対して主からの許しを切望し、また、我々が被った不正から友人を解放する。我々の精霊はすべての悪をきらう。それ故、主よ、我々を罪のすべての汚れから解放してください。我々は、慰める人、防護者、救世者としての神—我々を愛している方—に祈る。
「宇宙の番人の精霊は、単純な被創造者の魂に入る。唯一の神を崇拝するその者は、賢明である。完全性を求めて努力する者は、崇高なる主を知らなければならない。崇高なるものの至福の保証を知る者は、決して恐れない、なぜなら、崇高なるものが、『恐れるでない、私が共にいるので。』と仕える者に言うので。摂理の神は我々の父である。神は真実である。そして、被創造者が神を理解する—真実を完全に知るようになる—ということが、神の望みである。真実は永遠である。それは宇宙を支える。我々の最高の願望は、崇高なるものとの合一である。偉大な制御者は、万物の発動機である—総てが神に端を発する。そして、これが義務の大意である。いかなる人にも、その人にとり厭わしいことを他者にさせてはならない。悪意を抱かず、自分を打つ者を打たず、慈悲をもって怒りを征服し、慈善をもって憎しみに打ち勝てよ。神は、懇切な友であり、この世での我々の違反を許される情けある父であるが故に、我々はこのこの総てを為すべきである。
「神は我々の父であり、地球は我々の母であり、宇宙は我々の生まれ故郷である。神がいなければ、魂は囚人である。神を知ることは、魂を解放する。神への思索により、神との合一により、悪の幻想からの救助とすべての物質的束縛からの究極の救出がある。人が1枚の革のように空間を巻き上げるとき、人は、神を見つけたので、悪の終わりが来る。神よ、地獄の三重の破滅—色欲、憤怒、物欲—からお救いくだい。魂よ、不死の精霊の戦いに身構えよ。人間の人生の終わりが来るとき、より適当で美しい型のためにこの肉体を見捨ることを、恐怖、悲しみ、飢え、渇き、または死のない崇高なるものと不滅なるものの領域で目覚めることを躊躇ってはいけない。神を知るということは、死の綱を切ることである。神を知る魂は、牛乳の上に乳脂肪が現れるように、宇宙の中で上昇する。我々は、神、総てにおいて働く方、偉大なる魂、全被創造者の中に席を占めている方を崇拝している。そして、神が人間の心の中で王位にあると知る者は、神のように—不滅に—なる運命にある。悪はこの世に置き去りにされなければならないが、美徳は天へと魂に従う。
邪な者だけが次のように言うのである。「宇宙には、真実もなければ支配者もいない。我々の欲のために設計されたに過ぎない。そのような者は、自分の知識の微小さに欺かれる。彼らはその結果、自らの欲望の享受に身を委ね、魂から美徳の喜びと正義の快楽を奪う。罪から救済を経験することよりも素晴らしい何があり得ようか。崇高なるものを見た者は、不滅である。肉体の人間の友は、死を生き残ることはできない。美徳だけが、楽園の喜ばしい、陽の当たる野外に向けて前進する旅において人の側を歩く。」
ゾロアストレスは、初期のメルキゼデク宣教師の子孫に自ら直に接触しており、彼等の一神主義は、ゾロアストレスが、ペルシアで創立した宗教の中心の教えとなった。ユダヤ教は別として、当時のいかなる宗教も、これらのサレムの教えの多くを包含していなかった。この宗教の記録から、ガニドは次を抜粋した。
「万物は、すべてに賢明であり、善であり、義であり、聖であり、華麗であり栄えある唯一の神から来ており、この神に属している。これは、我々の神は、すべての光明の源である。神は、創造者であり、すべての良い目的の神であり、宇宙の正義の防護者である。人生における賢明な行路は、真実の精霊と調和して行動することである。神は、総てを見ており、悪者の悪行と善者の善行の双方を見ている。神は、燐く目で万物を観察する。その接触は、癒しの接触である。主は、全能の後援者である。神は、義である者にも悪なる者にもその慈悲深い手を差し伸べる。神は、世界を築き、善にも悪にも報酬を定めた。すべてに賢明な神は、清い考えをもち正しく行動する敬虔な者に不死を約束した。人は、崇高に望むとき、その通りになるであろう。太陽の光は、宇宙で神を明察する人々への知恵のようなものである。
「賢明なるものの喜びを求めることにより、神を称賛せよ。賢明なるものの啓示宗教により定められた道を嬉々として歩くことによって、光の神を崇拝せよ。崇高なる神しか、光の主しかいない。我々は、水域、植物、動物、地球、および天を作られた方を崇拝する。神は、最も情け深い主である。我々は、最も麗しいもの、永遠の光が与えられた気前のよい不滅なるものを崇拝している。神は、我々から最も遠くに、同時に、我々の魂の中に住んでいるという点で、最も近くにいる。神は、神聖であり最も聖なる楽園の精霊であり、なおかつ全被創造者の中の最も好意的である者よりも好意的である。我々は、全事業のこの最大事、つまり神について知るということにおいて、神の補助を最も受けている。神は、非常に敬慕できる公正な友である。我々の知恵であり、命であり、魂と肉体の精力である。賢明な創造者は、我々の良い考えを通して、我々が神の意志をすることを可能にし、その結果、我々は、神のように完全であるすべての実現を達成する。
「主よ、精霊の次の人生に備えている間、生身でのこの人生を送る方法を教えてください。我々に話しかけてください、主よ、そうすれば、あなたの言いつけ通りにいたします。良い道を教えてください、そうすれば、正しく進みます。我々のあなたとの合一を叶えてください。我々は、正義との合一に導く宗教は、正しいということを知っています。神は、我々の賢明な本質であり、最善の考えであり、正しい行為である。神精との和合と神の中での不死を与えてくださいますように。
「賢明なるもののこの宗教は、あらゆる悪の考えと罪深い行為から信者を清める。私は、考えや言葉、または行為で—故意に、または意図せずに—怒ったとしたならば、悔悟の態度で天の神にぬかづき、慈悲と許しを乞い、祈りを捧げる。もし二度と悪い事をしないことを目標にすれば、私は、告白をするとき、私の魂から罪が取り除かれるということを知っている。私は、許しが罪の束縛を取り去るということを知っている。悪を行う者は、罰を受けるが、真実に続く者は、永遠の救済の至福を味わう。優美さを通して我々をしかと捉え、我々の魂に救いの力を与えてください。我々は、完全性に達することを、神のようになることを切望していますので、慈悲を要求します。
インドにおいて1神の教義を保存した宗教信者の3番目の集団—メルキゼデクの教えの生存—は、当時、スヅアン教徒として知られていた。後にこれらの信者は、ジャイナ教の信奉者として知られるようになった。彼らは次のように教えた。
「天の主は最高である。罪を犯す者は、天上には昇らないが、義の道を歩く者は、天に場所を見つける。真実を知るならば、我々は、この後の生命を確信する。人の魂は、最も高い天国で本当の精霊的な特徴を発達するために、完全性に達するために、そこに昇るかもしれない。天国での状況が、罪の束縛から人を救い出し、最終的至福をもたらす。正しい者は、すでに罪の終わりと災いとのすべてのその関わりを経験してきた。自己は、人の打ち勝ち難い敵であり、自己は、人の4つの最大の激情として表れる。怒り、自惚れ、偽り、欲張り。人の最大の勝利は、自身の征服である。人が許しのために神に目を向けるとき、また、敢えてそのような自由を味わうとき、かれは、それによって恐怖から救われる。人は、自らが扱われたいと思うように仲間の人間を扱いながら人生の旅を進むべきである。」
ごく最近、この極東の宗教の写本が、アレクサンドリアの図書館に入れられた。それは、ガニドがこれまで聞いたことのない世界宗教の1つであった。次の要約に示されるように、この信仰もまた早期のメルキゼデクの教えの名残りを収録していた。
「主は言われる。『人は皆、私の神性の力の拝受者である。全ての者は、私の慈悲の祝福を味わう。私は、遍くところでの正しい者の増加に大きい喜びを味わう。自然の美と人の美徳の双方において天の王子は、自分を明らかにしようと努めるし、公正な本質を示そうとしている。昔の者は、私の名を知らなかったので、私は、目に見える存在としてこの世に生まれ自らを現わし、人間が私の名を忘れないほどに私は卑下を我慢した。私は天地の造物主である。太陽、月、すべての星は、私の意志に従う。私は、陸地と4つの海のすべての生き物の支配者である。私は偉大で最高であるが、それでも最貧の人間の祈りに注意を払う。被創造者が、私を崇拝するならば、私はその祈りを聞き、心の思いを満たす。』
「『人が不安に屈する度に、人は、心の精霊の導きから一歩逸れる。自負心は神を見えなくする。』天の助けを得たいならば、自負心を捨て去るように。一本一本の自負の髪は、まるで大きな雲で救いの光を遮断するかのようである。内面が明かるくなければ、外面のために祈ることは無益である。『私が祈りを耳にしたならば、それは、人が虚偽と偽善を持たないきれいな心で、鏡のように真実を映す魂で私の前に来るからである。もし不死を獲得したいのならば、世界を見捨てて私のところに来なさい。』」
メルキゼデクの使者達は、遠く中国に入り込み、1 神の教義は、いくつかの中国宗教の初期の教えの一部となった。最も長く持続し、その上、一神教の真実の大部分を含んでいる宗教は、道教であり、ガニドはその創設者の教えから次のようなものを集めた。
「崇高なるものは、何と純粋で穏やかであり、また何と強力で、偉大であることか。何と深く測り知れないことか。天のこの神は、万物の尊敬される先祖である。永遠なるものを知っているならば、人は、悟っており賢明である。永遠なるものを知らないならば、そうすると、無知は、それ自体が悪として現れ、それ故、罪の激情が生じる。この不思議な存在者は、天地が存在する以前にいた。かれは、本当に精霊的である。かれは、単独でおり、変化しない。実に世界の母であり、全創造がその周りを動く。この偉大なるものは、自分自身を人間に与え、それにより人間は、卓越したり生き残りを可能にする。少しの知識しかないとしても、それでも人は、崇高なるものの道に入ることができる。天の意志に従うことができる。
真の奉仕の全ての良い働きは、崇高なるものから来る。万物は、命を偉大なる源に依存する。偉大な崇高なるものは、その贈与に対し何の賞賛も求めない。かれは、最高の力をもつが、我々の視線からは隠されたままである。被創造物を完成させながらも絶えず自分の属性を変える。絶妙な理あるものは、その設計において緩慢であり忍耐強いが、その遂行は確かである。崇高なるものは、宇宙を一面に覆い、それを支えている。その溢れんばかりの影響と引き付ける力の何と大きく偉大であることよ。真の善は、その中ですべてに恵みを与え、何も害しないという点で、水のようなものである。そして、水のように、真の善は、最も低い場所、他のものが避けるそれらの段階さえ探し求めており、それは、それが、崇高なるものと似通っているからである。崇高なるものは、万物を創造し、それらの本質を養い、精霊的にそれらを完成させる。そして、崇高なるものが自分を強制することなくいかに被創造者を育て、保護し、完成させるのかは、神秘である。かれは、誘導し、指示はするが、独断的ではない。前進を促すが、支配はしない。
「賢明な者はその心を普遍化させる。生兵法は大けがのもと。偉大さを求める者は、自らを慎むことを学ばなければならない。創造において、崇高なるものは、世界の母となった。人の母を知ることは、人の息子の関係を認めることである。全体の観点から各部に注意する者は、賢者である。まるでその立場にいるかのように自身を全ての人と関わりをもたせるようにしなさい。親切で怪我に報いるように。人々を愛しているならば、人々は、その人に近づくであろう—彼等の支持を得ることに何の苦労もしないであろう。
「偉大な崇高なるものは、全般に行き渡っている。かれは、左側と右側にいる。かれは、全創造を支持し、すべての真の存在体に宿る。人は、崇高なるものを見つけることができないし、彼がいない場所に行くこともできない。もし人が自分の悪のやり方を認め、心から罪を悔いるならば、そこで許しを求めることができる。かれは、罰を免れるかもしれない。かれは、災難を天恵に変えるかもしれない。崇高なるものは、全創造にとり安全な避難所である。かれは、人類の保護者と救世主である。毎日彼を捜し求めるならば、人は彼を見つけるであろう。崇高なるものは罪を許すことができるので、かれは、すべての人にとって最も大切である。神は、人のすることに対して与えるのではなく、その人が何であるかに報酬を与えるということを常に覚えていよ。したがって、報酬という考えをもたずに仲間への助力を広げるべきである。自己への利益を考えることなく善行を施すように。
「永遠なるものの法を知る者は、賢明である。神の法についての無知は、惨めで災いである。神の法を知る者は、寛容の気質がある。永遠なるものを知っているならば、肉体は滅ぶとも、精霊の奉仕において人の魂は、生き残るのである。自分の瑣末さを認めるとき、人は本当に賢明である。永遠なるものの光に留まるならば、人は崇高なるものの啓蒙を味わうであろう。崇高なるものに献身する者は、永遠なるもののこの探求において喜ぶ。「人が死ぬと、精霊の存在体は遠大な家路への旅に向けその長距離飛行を開始する。」
神を最小に認めている世界の重要な宗教でさえ、メルキゼデク宣教師の一神教と彼らの不断の後継者達を認めた。ガニドの儒教に関する概要は、次の通りであった。
「天が定めることに誤りはない。真実は、本当であり神性である。すべては天から始まり、偉大なる天は何の誤りも犯さない。天は、劣る被創造者の指導と高揚を助けるために多くの配下を任命してきた。天から人を治める唯一の神は、偉大、非常に偉大である。神は、権力において荘厳であり、裁きにおいて厳格である。しかし、この偉大なる神は、多くの劣る人々にさえ道徳心を与えた。天の恩恵は、決して止まない。慈善は、人への天の極上の贈り物である。天は、その尊さを人の魂に贈与した。人の美徳は、天の気高さのこの授与の実りである。偉大な天は、全てに見識が高く、人の全行為において共に行く。そして、偉大なる天を我々の父母と呼ぶとき、我々は首尾よくする。我々がこのように神の先祖の使用人であるならば、我々は、天に自信をもって祈ることができる。つねに、そしてすべてにおいて、天の壮大さの畏怖をもって立とう。神よ、いと高き方そして主権ある実力者よ、裁決はあなた次第であり、すべての慈悲は神の心から生じるということを我々は、認識します。
「神は我々と共にいる。したがって、我々の心には何の恐怖もない。もし私の中になんらかの美徳が見つかるならば、それは、私といる天神の顕現である。しかし、私の中のこの天神は、私の信仰にしばしば難しい要求をする。神が私といるならば、私は、心にいかなる疑いも持たないと決心した。信仰は、物の真理に非常に近いはずであるし、私には、人がこの立派な信仰なくして生きられるのか分からない。善と悪は、原因なくして人に起こらない。天神は、その目的に応じ人の魂に対処する。自分が悪いと気づくとき、誤りを認めることを躊躇わず、速く改めよ。
「賢明な者は、単なる生計を捜し求めるのではなく、真実探索に専念している。天神の完全性に達することが、人の目標である。優れた者は、自己調整の習慣をもち、不安や恐怖がない。神は人と共にいる。心に疑問を持ってはいけない。あらゆる善行には報酬がある。優れた者は、天神に対し不平を言わず、人に遺恨を抱かない。自分にされたくないことを、他者にしてはならない。すべての罰の一部に同情が示されますように。あらゆる点で、罰を天恵とすることに努めよ。それが偉大なる天神の方法である。すべての生物は、死んで地に戻らなければならないが、高潔な者の精霊は天上で示され、最終的な明るさの栄光の光に昇るために進み行く。」
楽園なる父に関する世界宗教の教えのこの編集を達成する困難な作業の後に、ガニドは、イエスの教えの結果として神に注目するに至ったという確信の概要であると考えたことを定式化する任務を自らに与えた。この青年には、そのような信条を「我々の宗教」として言及する習慣があった。これが彼の記録であった。
「主である我々の神は、唯一の主であり、人は、自身を愛するがごとく、主のすべての子を愛するために最善をつくす一方で、心と精霊を尽くして主を愛すべきである。この唯一の神は、我々の神々しい父であり、万物がその中にあり、その精霊が宿ることによりすべての真摯な人間の魂に神が宿る。そして、神の子である我々は、真実の創造主に自分の魂を委ねる方法を学ばなければならない。全てが、天なる父には可能である。かれは、万物と全生物を作った創造主であるが故に、それは、そうあるはずである。我々は、神を見ることはできないが、知ることはできる。そして、天の父の意志に順じて日々生きることにより、我々は、同胞に神を明らかにすることができる。
「神の特質である神性の豊かさは、無限に深く永遠に賢明であるに違いない。我々は、知識で神を捜し出すことはできないが、個人の経験により心の中に神を知ることができる。神の正義は、測り難いかもしれないと同時に、その慈悲は、地上の最も謙虚な者により受け取られるかもしれない。父は、宇宙を充満する間、我々の心の中にも生きている。人の心は、人間的で、必滅であるが、人の精霊は、神性で、不死である。神は全能であるだけでなく全てに賢明でもある。誤りの多い傾向にある我々の地球の両親が、いかように我が子を愛し、また良い贈り物を与えるかを知っているならば、天の良き父が、いかに地上の我が子を賢明に愛し、適切な天恵を授けるかを知っているはずである。
「その子が、父を見つける願望を持ち、真に父のようになることを切望するならば、天の父は、地球の子の一人として滅ぼすことを容赦しない。父は、邪悪な者さえ愛しており、恩知らずな者に常に親切である。より多くの人間が、神の良さを知りさえできれば、必ずや自分達の邪道を悔いるように、罪と知る全てを見捨てるように導かれるであろうに。すべての良いことは、光の父から下りてくるし、光の父には変化も、変化の翳りもない。本当の神の精霊は、人の心にある。かれは、すべての人間が兄弟となることを意図している。人間が神を探り始めるとき、それは、神が人間を見つけ、また人間が神についての知識を求めているという証拠である。我々は、神の中に生き、神は我々の中に宿る。
「私は、神が、すべての私の民の父であるということを信じることにもはや満足しない。これからは、神はまた私の父でもあると、私は信じる。つねに私は、真実の精霊の助けを借りて神を崇拝しようとしており、それは、私が本当に神を知るようになったとき、私の援助者である。しかし、まず第一に、私は、地球で神の意志を成す方法を学ぶことにより神崇拝の実行をするつもりである。つまり、神が処遇してもらいたいであろうと私が考えるそのままを、仲間である人間一人一人への扱いに最善をつくすつもりである。そして、肉体でのこの種の人生を送るとき、我々は、神について多くの事を問うかもしれず、神は、仲間への貢献に一層準備できるという我々の心の願いを適える。そして、神の子のこの情愛深い奉仕のすべてが、天の悦び、つまり天の精霊の活動の高度の喜びを受け入れたり経験する我々の能力を拡大する。
「私は、毎日、言語に絶する神からの贈り物に対して感謝をする。私は、人の子等への彼の驚くべき業を称賛する。私にとり神は、全能者、創造者主、権力者、そして恩恵者であるが、何よりもよいことは、彼は、私の精霊の父であり、神の地上の子として私がいつか神に会いに先に進むということである。私の個人的教師は、神を捜し求めることにより私が神のようになると言った。神への信仰により、私は神と平和に到達した。我々のこの新宗教は、非常に喜びに満ちており、永続する幸福を生む。私は、死ぬまで信心深くあると、そして永遠の命の王冠を必ず受けると確信している。
「私は万事を見分け、良いものを堅く守ることを学んでいる。人からしてもらいたいことは何事であろうとも、私も仲間にそうする。この新たな信仰によって、私は、人が神の息子になるかもしれないということを知っているが、すべての人間が兄弟であるということを立ち止まって考えると、どうかするとそれは、恐怖であるが、しかしそれは、事実であるに違いない。人間の兄弟関係の受け入れを拒否する一方で、神の父性愛をいかにして喜ぶことができるかについて、私には分からない。主の名を呼び求める者は、誰であろうと救われる。もしそれが真実であるならば、すべての者が私の兄弟であるに違いない。
「今後私は、密かに善行をするつもりである。また、一人でいるときに最も多く祈るつもりである。私は、仲間に対して不公平ではないと判断するつもりはない。私は、敵を愛することを学ぶつもりである。私は、神のようであることのこの実践をまだ本当に習得してはいない。これらの他の宗教に神を見るが、より美しく、情愛深く、慈悲深く、個人的で、積極的である方として、私は、『我々の宗教』に神を見い出す。しかし、何よりもこの偉大で荘厳な存在者が、私の精霊的な父であり、私はその子供である。そして、彼のようになるという私の正直な願望以外には、私には、徐々に神を見つけ、永遠に神に仕える方法は他にはない。ついに私には、神、驚異の神のいる宗教があり、そしてかれは、永遠の救済の神である。
ゴノドが、ローマの支配者ティベリウスへのインドの王子からの挨拶状を携帯したので、2人のインド人とイエスは、ローマ到着後の3日目に彼の前に現れた。気難しい皇帝は、この日は異常に上機嫌で、長い間、三人組と雑談をした。3人が退席したとき、皇帝は、自分の右に立っている補佐官にイエスに関して述べた。「わしが、あいつの王らしい物腰と優雅な態度を身につけていたら真の皇帝であるんだがなあ、そうだろう。」
ガニドは、ローマ滞在中、都市周辺の興味ある場所の訪問に一定の時間を過ごした。父は、多くの商取引きがあり、息子が自分の大規模な商業の経営管理のふさわしい後継者になるように成長することを望んでおり、少年を実業界に導き入れる時が来たと思った。ローマには多くのインド市民がおり、ゴノドの従業員の一人は、イエスが一日中自分の時間が過ごせるように通事として再々彼に同行するのであった。これは、200万の住民のこの都市を徹底的に知るようになる契機を彼に与えた。政治の、法律の、そして商業の生活の中心地である大広場で、頻繁に彼の姿が見かけられた。かれは、しばしばカピトリウムの丘に登っていき、ジュピター 、ユノ、およびミネルヴァに捧げられたこのすばらしい寺院に見入りながら、これらのローマ人が捕われた無知の束縛というものについてつくづく考えた。また、パラティヌスの丘で多くの時間を過ごし、そこには皇帝の住居やアポロの寺院、またギリシアやラテン語の図書館があった。
この時代、ローマ帝国は、南ヨーロッパ、小アジア、シリア、エジプト、北西のアフリカの全てを包括していた。そして、その住民は、東半球のあらゆる国の住民を含んでいた。ユランチアの人間のこの国際的な集合体を研究し、またこれらと交じわるというイエスの願望が、この旅行に同意した主な理由であった。
イエスは、ローマで人間について多くを学んだが、その都市での6カ月の滞在中の多方面にわたる全経験で最も貴重なものは、帝国の首都の宗教指導者との接触であり、また彼等へ与える自分の影響であった。イエスは、 ローマでの最初の1週が終わる前に、キニク学派、ストア学派、密儀宗派、そのうちの特にミースラ派の手応えのある指導者達を捜し求め、知り合った。ユダヤ人が彼の使命を拒絶しそうであったことがイエスにとって明らかであろうとなかろうと、かれは、やがて使者達が、天の王国を公布しにローマに来ることをきわめて確かに予見した。それ故、使者達の伝達ためのより良い、しかもより確かな受け入れの道を用意するために最も驚くべき方法でとり掛かった。かれは、主要なストア学派から5人、キニク学派から11人、密儀宗派の16人の指導者達を選り抜き、約6カ月間をこれらの宗教教師との親密な付き合いで余暇の多くを費やした。そして、かれは、一度として誤りを攻撃したり、あるいは彼等の教えの欠陥にさえ言及なかった。これが、イエスの指導方法であった。イエスは、この真実の高揚が非常に短期間で関連的な誤りを効果的に押し出し、次に彼らの心にあるこの真実を潤色し、また光彩を添えるように彼らが教える真実をそれぞれに選択するのであった。このようにして、イエスに教わったこれらの男女は、初期のキリスト伝導の教えにおいてその後に付加される真実、または類似の真実の認識のために用意ができていた。それは、ローマとその帝国一円におけるキリスト教の急速な普及にその強力な弾みをつけた福音伝道者のこの初期の教えの受理であった。
ローマでイエスに教わった32人の宗教指導者のうち、わずかに2人が、実を結ばなかったという事実を記すとき、この注目に値いする行為の意味をより理解できる。30人は、ローマのキリスト教創設の重要な人物となり、そのうちの何人かは、主要なミースラ寺院をその都市の最初のキリスト教会に転ずる助力をした。舞台裏から、また19世紀という時に照らし合わせて人間の活動を見る我々は、全ヨーロッパにおけるキリスト教の急速な伝播のための早期の舞台設定における最高価値の3要素を的確に認める。そして、それらは次の通りである。
1.使徒としてのサイモン・ピーターの選抜と保持
2.その死がタルソスのシャウールを勝利に導いたステパノとのエルサレムでの会談
3.ローマと帝国一円における新興宗教の以降の指導のためのこれら30人のローマ人の下準備
ステパノも選抜された30人もいずれも、その名前が、やがて自分達の宗教の教えの主題となるまさにその人物とかつて話したことがあったなどとは、彼等の全経験を通じて、一向に気づかなかった。最初の32人のためのイエスの仕事は、完全に私的なものであった。ダマスカスの筆記者は、これらの個人のための働きにおいて、たいていは1人ずつ教え、2人以上というのは稀であり、1度に4人以上とは決して会わなかった。そして、これらの男女は、伝統に束縛されていなかったことから、かれは、宗教教育のためのこの立派な仕事を果たすことができた。彼らは、その後の全ての宗教発展に関し固定的先入観の犠牲者ではなかった。
ローマにいたピーター、ポール、およびキリスト教師らは、自分達に先行し、また、彼らが新しい福音と共に来るための道をそれほど明らかに (彼らは、無意識に思ったが)準備したダマスカスのこの筆記者に関して数年間にわたり幾度となく聞かされた。ポールは、ダマスカスのこの筆記者の身元を決して推測することはなかったが、自分の死の前の短い期間、容姿記述の類似性を理由に、「アンチオケの天幕職人」が、「ダマスカスの筆記者」でもあったという結論に達したのであった。ある時、ローマで説教している時、サイモン・ピーターは、ダマスカスの筆記者の記述を聞いて、この人物がイエスであったかもしれないと推量したが、あるじは、ローマに行ったことがないとよく知っていたので(彼がそのように考えた)、すぐにその考えを退けた。
イエスがローマ滞在中の早期、終夜談話をしたのは、ストア学派の指導者アンガモンとであった。この男性は、後にポールの親友となり、ローマのキリスト教会の強い支持者の一人であることが分かった。イエスがアンガモンに教えた要旨は、現代の言い回しで次のようなものであった。
真の価値基準は、精霊界において、また永遠の真理の神性の水準で探されなければならない。上昇者にとり、すべての下級の標準と物質的標準は、一時的であり、部分的であり、しかも劣ると認識されなければならない。科学者は、科学者として物質的な事実の関連性の発見に限られている。厳密に言って、実利主義者または理想主義者のいずれかであると断言する権利は、彼にはない、なぜなら、そうすることにより、態度のいかなる、そしてすべての主張が、哲学のまさしく本質そのものであるがゆえに、物の科学者の態度を捨て去ることになる。
人類の道徳的な洞察と人類の精霊的な達成が釣りあって増大しない限り、純粋に物質的文化の無制限な進歩は、とどのつまり文明への脅威となるかもしれない。純粋に物質的な科学は、それ自体の中にすべての科学的な努力の破壊への潜在的種子を匿っている。というのは、まさしくこの態度こそが、その道徳価値の感覚を捨て、その到達という精霊的な目標を否認した文明というものの究極の崩壊の前兆となるからである。
物質科学者と極端な理想主義者は、常に対立するように運命づけられている。これは、高い道徳的価値と精霊的試練の水準の共通標準を併せ持つそれらの科学者達や理想主義者達には当てはまらない。あらゆる時代に科学者と宗教家は、人間の要求に係わる法廷において自分達は裁判にかけられていると気づかなければならない。彼らは、人間の進歩のための奉仕への高められた献身により自分達の途切れない生存を正当化するように勇敢に努力する傍ら、自分たちの間のすべての戦争を避けねばならない。いかなる時代のいわゆる科学、あるいは宗教が誤っているならば、それは、より本当の、またよりふさわしい理法の物質科学、あるいは精霊的宗教の出現以前に、その活動を浄化するか、または消え去らねばならない。
マーヅスは、ローマのキニク学派の定評ある指導者であり、ダマスカスの筆記者の親友となった。毎日毎日、かれは、イエスと会話し、来る夜も来る夜もイエスの高邁な教えに耳を傾けた。マーヅスとのより重要な議論の中でもこの誠実なキニク主義者の質問に答えるために意図されたものが、善と悪に関するものであった。イエスの要旨は、20世紀の言い回しで以下のようなもであった。
兄弟よ、善と悪は、単に観察可能な宇宙を人間が理解する際の相対的な水準を象徴する言葉にすぎない。人は、倫理的に怠惰であり、社会的に無関心であるならば、人間の善の基準として現在の社会慣習を受け入れることができる。精霊的に怠惰で、道徳的に非進歩的であるならば、自身の善の標準として同時代人の宗教慣習と伝統を取り入れてもかまわない。しかし、時を生き残り、永遠へと羽化する魂は、天の父が人の心の中に宿るために送った神精により確立される精霊的基準の真の価値で彼らが測定されたように、善と悪の間における生きた、しかも本人の選択をしなければならない。この宿る精霊は、人格生存の基準である。
真実と同様に、善は、つねに相対的であり、絶えず悪と対比される。それは、人間の進化している魂が、永遠の生存に不可欠な選択のこれらの個人的決定を可能にする善と真理の特性の識別である。
科学的指図、社会慣習、および宗教教義に論理的に従う精霊的に盲目の個人は、自身の道徳的な自由を犠牲にし、かつ精霊的な自由を失うという由々しい危険にさらされている。そのような魂は、知的なオウム、社会的ロボット、および宗教権威への奴隷になる運命にある。
善は、道徳的な自己実現と精霊的な人格達成—内在する調整者の発見とそれとの一体感—の拡大する自由の新たな段階へ発展している。美への認識を高め、道徳的な意志を増大し、真理の洞察力を強化し、仲間を愛し貢献する能力を拡大し、精神的理想を高め、時間に生きる人間の最高の動機と内在する調整者の不朽の計画を統一するならば、経験というものは、良くあり、そのすべてが、父の意志をなすという増加された願望に直接導き、それにより、神を見つけ、さらに彼に似るようにという神性の情熱を促進する。
生物発展の宇宙段階を昇るにつれ、人は、自身の善・経験と真理・認識のための完全に釣り合って増加する善と減少する悪があることを理解するであろう。上昇する人間の魂が最終的な精霊水準に到達するまでは、誤りを受け入れたり、あるいは悪を経験する能力は、完全には失われないであろう。
善は、生きており、相対的で、常に前進し、つねに個人の経験であり、真と美の認識と相関している。善は、人間の経験において、否定的相対物—潜在的悪の影—と対比されなければならない精霊的な水準の肯定的な真実-価値の認識に見られる。
君が楽園段階に達するまで、善は、常に所有というよりも探求ということであり、到達の経験というよりも目標ということである。しかし、人は、正義を渇望する時でさえ、人の善の部分的到達における増加する満足感を経験する。世界の善と悪の存在は、存在のそれ自体の確証であり、人間の道徳意志、すなわち人格の現実である。このようにして、それは、これらの価値を識別し、また、どちらかを選ぶこともできる。
楽園到達までには、自身を真の精霊価値と同一視のための上昇する死すべき運命にある者の能力は、完全な命の光の獲得達成における結果として、甚だ拡大される。楽園の無限の支配者からの神性の光の鋭い光輝に照らし出される時、そのような完成された精霊の人格は、そのような正義の精霊が、潜在的悪のいかなる否定的な影も投げかけるという余地をいささかもとどめないほどに、真、美、善、の確かで最高の特質と統合され、完全に、神々しく、精霊的になる。善は、すべてのそのような精霊的人格においては、もはや部分的ではなく、対照的であり、比較的である。それは、神のように完全となり、精霊的に充実された。それは、崇高なるものの純粋さと完成に接近する。
悪の可能性は、その現実性ではなく、道徳的な選択が必要である。影は、ただ単に相対的に本当である。実際の悪は、個人の経験として必要ではない。潜在的悪は、精霊的な発達の下級の段階において道徳的な進歩の領域の決定刺激物として等しく働く。道徳的な心が悪をその選択とする場合にだけ、悪は、個人の経験の現実となる。
ナボンは、ギリシア系ユダヤ人で、ローマの主だった密儀主義、ミースラ派の指導者の中で傑出していた。ミースラ教のこの高僧がダマスカスの筆記者と多く談合をした中で、かれは、ある晩の二人の間での真理と信仰の議論に何よりも永久に影響を受けた。ナボンは、イエスを転向させようと考えていたし、またイエスにミースラ教師としてパレスチナに戻ることさえ仄めかした。ナボンは、イエスが王国に関する福音への初期の転向者の一人になるように彼に準備させているとは少しも気づいていなかった。現代の言い回しに置き換えて、イエスの教えの骨子は、次の通りであった。
真理は、生きることだけによって言葉で定義することはできない。真理は、つねに知識以上のものである。知識は、観察されるものに関係するが、真理は、知恵と調和し、また人間の経験のような、はかれない物を、精霊的かつ生きた現実でさえ、受け入れるという点において純粋に物質的な段階を超越する。知識は科学から生まれる。叡知は真の哲学から。真理は、精神的生活における宗教経験から。知識は事実に対処する。叡知は関係に。真実は現実価値に。
人は、生活の進歩的な闘いに適応する際、精神的に怠惰であり、未知をこの上もなく恐れており、科学を結晶化させ、哲学を定式化し、真実を教義化する傾向がある。自然の人間は、考える習慣と生活技術の変化の開始が、緩やかである。
明らかにされた真理、つまり個人的に発見された真理は、人間の魂の最高の喜びである。それは、物質的な心と内在する精霊の共同の創造である。この真実への洞察力のある、美を愛好する魂の永遠の救済は、父の意志を為し、神を見つけ、彼のようになる目的に一心に導く善に対する切望と熱望により保証される。対立は、真の知識と真理の間には決して存在しない。知識と人間の信念、、物質的な発見あるいは精霊の発達の新事実に直面することに対する恐怖に支配されている偏見に彩られ、恐怖に歪んだ信念との間に、対立はあるかもしれない。
しかし、真理は、信仰の実践なくしては決して人間の所有物とはなり得ない。人の思考、叡知、倫理、および理想が、彼の信仰、つまり崇高な望みよりも高く上昇しないのであるから、これは真実である。そして、そのような真の信仰すべては、深遠な回顧、誠実な自己批判、妥協のない道徳意識に基づく。信仰は、精霊化された創造性豊かな想像力の鼓舞である。
信仰というものは、人の心に生き、永久生存の可能性をもつ神性の火花、すなわち不滅の胚芽の超人的な活動を放つために機能する。植物と動物は、1世代から別の同分子へと伝える方法により時間の中で生き残る。人間の魂(人格)は、この内在する神格の火花との同一性関係により人間の死を生き残る。それは、不滅であり、人間の人格が進歩的な宇宙存在の継続的でより高い段階へと恒久化するために機能する。人間の魂の隠された種子は、不滅の魂である。魂の2世代目は、精霊的、かつ前進する生存の人格顕現の継承の最初のものであり、それは、その存在の根源、全存在の人格の根源、すなわち神、宇宙なる父に到達するときにだけ終える。
生命は、続く—生き残る—なぜならそれは、宇宙機能、神を知る任務、があるので。人の魂を起動する信仰は、運命のこの目標達成を中止することはできない。この神性の目標を一度達成すると、神のように—永遠の—なっているので、決して終わることはできない。
精霊的進化とは、悪の可能性に伴う同等であり、累進的な善の減退の増加し、かつ自発的な選択の経験である。善のための選択の最終的な達成と真理評価のための完成した能力の到達を伴って、正義が潜在的悪の概念にさえ出現する可能性を永遠に禁止する美と神聖の完成が生まれる。そのような神を知る魂は、神性の善のそれほどまでに高い精霊的段階で機能するとき、いかなる悪の疑いの影も投げかけはしない。
宇宙なる父のこの不滅で内在する精霊の火花との同一性を果たそうとする魂ごとに、人の心の楽園からの精霊の存在は、神性進行における永遠存在の啓示の約束と信仰の誓約を構成する。
宇宙進歩は、それが、自己理解とそれに伴う任意の克己のさらに高い段階の進歩的な到達に関連づけられるので、人格の自由を増加することにより特徴づけられる。精霊的克己の完全性への到達は、宇宙の自由と個人の自由の完全さに相等しい。信仰は、そのように広大な宇宙における人の初期での方位決定の際の混乱の真っ只中において人の魂を育み、擁護しており、一方、祈りは、創造的な想像力の様々な閃きのすばらしい統一する者の内在し、関連する神性存在の精霊の理想とを同一化しようとする魂の信仰の衝動となる。
ナボンは、イエスとの対談の度に、これらの言葉に大いに感銘を受けた。これらの真理は、ナボンの心の中で燃え続け、イエスの福音の後に到来する伝道者にとっての大きな援助であった。
ローマ滞在中イエスは、やがて来る王国で将来の弟子となる男女に準備させるこの仕事に自分のすべての閑暇を捧げたというわけではなかった。かれは、世界で最大であり、最も国際的なこの都市に生きる民族と階級のすべての人間に関する詳細な知識獲得のために、多くの時間を過ごした。これらの多数の人間とのそれぞれの接触において、イエスには二重の目的があった。かれは、生身で生きている生活への彼らの対応を学ぶことを望んだし、また、その人生をより豊かでより価値あるものにするために何かを言うか、行なうつもりでいた。この数週間の彼の宗教的な教えは、12人の師として、また民衆への説教者としてその後の人生を特徴づけたものとはいささかも異なるものではなかった。
その伝言の要旨は、いつも次の通りであった。人がこの同じ愛の神の信仰の息子であるという朗報と合わせて、天の父の愛の事実とその慈悲の真実。イエスの社会的接触の常套手段は、彼等への質問で人々を打ち解けさせ、自分との会話に向かわせることであった。談話は、通常彼らへの質問から始まり、彼らのイエスへの質問で終わるのであった。イエスは、質問をしたり、答えたりすることによっても、等しく教育に熟達していた。原則として、彼がよく教えた者達に対しては、控え目に言った。彼の個人的貢献からもっとも恩恵を受けた者達は、同情的で理解ある聞き手に、またそれ以上の人物に魂の重荷をおろす機会に多大の安心を得ることになる、負担過重の、心許ない、打ちしおれた者達であった。そして、これらの調整不十分な人間が、イエスに彼らの問題に関して話すとき、かれは、現下の安らぎと即座の慰めの言葉を口にすることを怠らなかったとはいえ、現実問題の解決に実用的かつ即座に役立つ提案をつねに示すことができるのであった。そして、かれは、変わることなく、これらの苦しむ者に神の愛について話し、あらゆる手段で、彼らはこの天にいるやさしい父の子であるという情報を伝えるのであった。
この様に、ローマでの滞在中、イエスは、市の500人以上の人間との慈愛深く向上的な個人的交流を得た。このようにして、かれは、エルサレムでも、アレキサンドリアにおいてでさえも決して得ることのできなかった人類の異なる人種についての知識を得た。イエスは、地上の人生における同様の期間に比較し、常にこの6カ月を最も豊かで最も教育的なものの1つと見なした。
予測されたかもしれないように、何らかの業務、または、しばしば教育、改革、または宗教運動の何らかの事業のために彼の尽力を手に入れようと望む多数の人々が、そのような万能かつ積極な人物に働き掛けることなく、彼は、6カ月間世界の大都会で機能しないでいるはずはなかった。10回以上ものそのような申し入れがあり、かれは、その都度、適切な言葉で、もしくは何らかの親切な奉仕で精神的品位の高まる何らかの考えを与えるための好機として利用した。イエスは、いろいろな人々のために事を為すということ—小事さえも—が、とても好きであった。
かれは、政治や政治手腕について元老院議員と話し、イエスとのこの1つの接触が、この立法者に強い印象を与え、政府が人々を支配し、食べさせるという考えから、民衆が政府を支えるという考えに同僚達を説得しようと虚しく残りの人生を費やしてしまった。イエスは、ある晩、裕福な奴隷所有者と過ごし、神の息子としての人間について話すと、翌日、この男クラウディウスは、117人の奴隷を自由にした。イエスは、ギリシア人の医師との夕食に訪れた。患者達には肉体があると同様に心と魂があるということを話したところ、この有能な医者は、さらに同胞により行き届く奉仕を試みるようになった。イエスは、あらゆる職業の様々なろ人と話した。彼がローマで訪問しなかった唯一の場所は、公衆浴場であった。かれは、広まった性的混乱のため、友人達との風呂への同伴を拒んだ。
彼等がティベリス川に沿いに歩いたとき、イエスは、ローマ兵に言った。「手と同様に心も勇敢であれ。思いきり正義を為し、慈悲を示すほどに寛大であれ。上司に従うように、下級の本質が上級の本質に従うよう強いるように。善をあがめ、真理を賞賛せよ。醜悪のかわりに美を選ぶように。全心で仲間を愛し、神に手を差し出すように努めよ、なぜならば、神は君の天国の父であるから。」
かれは、公開広場で演説者に言った。「きみの雄弁さは、気持ちがよく、きみの論理は、賞賛に値し、きみの声は快いが、きみの教えは真実にはほど遠い。君が、精霊の父として神を知ることに奮い立つ満足を味わうことができさえすれば、暗黒の束縛と無知の奴隷制度から君の仲間を解放するために演説の威力を駆使できるかもしれないであろうに。」これは、ピーターがローマで説教するのを聞き、その後、かれの後継者になったマーカスであった。サイモン・ピーターが磔刑にされたとき、ローマの迫害者に逆らい、大胆に新しい福音を説教し続けたのは、この男であった。
不正に起訴された貧しい男に会い、イエスは、彼と共に行政長官の前に行き、彼のために出頭する特別許可を受け、素晴らしい演説をした。「正義は、国を偉大にする。国が偉大であればあるほど、不正行為が、その最もみすぼらしい市民にさえ起こらないようにするであろう。法廷で金銭や勢力を持つ者だけが正義を保証することができるとき、いかなる国といえども禍なるかな。有罪者を懲罰するだけでなく、無実の者を放免することは、行政長官の神聖な責務である。国の生存は、法廷の不偏さ、公正さ、健全性にかかっている。ちょうど真の宗教が慈悲に基づいているように、民政は、正義に基づいている。」裁判官は、再審理をし、証拠が厳密に再調査されると、かれはその囚人を釈放した。これらの直接の奉仕活動に携わる日々におけるイエスの全活動の中で、これが、公に姿を見せたことに最も近いものであった。
アンガモンに紹介されていたローマ市民でストア派のある富豪は、イエスの教えに大いに関心をもつようになった。多くの親密な談話の後、この裕福な市民は、もし富があったらそれで何をするかをイエスに尋ねた。そこで、イエスは、「私なら、物質的な人生の充実のためには物質的な富を与えるであろう。知的生活の向上、社会生活の昂揚、精霊生活の前進のためにはそれぞれ知識、叡知、精霊的奉仕を与えるように。私は、次とそれに続く世代の利益と昂揚のために、1世代の資源の賢明で有能な受託人として物質的な富を管理するであろう。」と答えた。
しかし、金持ちは、イエスの答えに完全には満足しなかった。敢えて重ねて尋ねた。「しかし、あなたは、私の立場のような者は、その富で何をすべきだと思われますか。その富を保つべきであるか、または与えてしまうべきでしょうか。」彼が、神への忠誠と人々への義務に関して一層の真実を知ることを本当に望んでいると知覚したとき、イエスは、さらに答えて言った。「良き友よ、君が、誠実な叡知の探求者であり、正直な真理の愛好者であると見分ける。従って、私は、富の責任に関する君の問題の解決に対し、私の考えの呈示をしようと思う。助言を求められたのでするが、この忠告を与えるに当たり、私は、他のどの金持ちの富にも関係がない。すなわち、助言を君にだけ、そして個人的な指導のために忠告を提供しようとしているのである。君が、富を本当に信託として望むならば、君の蓄積された富の賢明で有能な執事になることを誠に願望するならば、その富の出所を次のように分析することをぜひ助言したい。この富がどこから来たのかを自身に問い、正直な答えを見つけるよう最善をつくしなさい。そして、莫大な財産の出所を検討する助けとして、物質的な富の蓄積に関して次のような異なる10の方法を心に留めおくことを提案したい。
1. 相続による富—両親や他の先祖からの財産
2. 発見による富—母なる大地の未開墾の資源から得た財産
3. 通商による富—物的商品の物々交換における正当な利益として得た財産
4. 不当な富—不当な搾取か仲間を奴隷状態にすることで得た財産“
5. 利子による富—投資された資本が生み出した公平で正当な収益からの収入
6. 才能による富—人間の心の創造的で発明的な特質の報酬から生じた財産
7. 偶然による富—仲間の気前のよさ、または生活環境の豊かさからの財産
8. 盗みによる富—不当、不正直、窃盗、または詐欺により取得された財産
9. 信託資金—現在または将来何らかの特定の使用のために仲間によって託された財産
10. 報酬による富—自身の直接の労働から得た財産、心身での日々の尽力による正当な報酬。
そこで友よ、神の前で、そして人に貢献して莫大な財産の誠実で正当な執事でありたいならば、自分の富を大まかにこの10の主要な部門に分割せねばならず、次に、正義、公平さ、公正、および真の実効における賢明で正当な法の解釈に従って、各部分の管理に着手せよ。たとえ、時おり間違えたとしても、天の神は、君を咎めはしないであろうし、疑わしい状況においては、人生の不幸な情況で苦しむ犠牲者の苦悩への慈悲深くて寡欲な思いやりの側に立たれるであろう。物質的状況の公平さと正義にあからさまな疑いがある際は、必要としている者に、受けるに値いしない艱難の不運に苦しむ者に目をかけなさい。」
数時間にわたりこれらの事柄を論議した後、イエスは、さらに詳細な指示を求める富豪の要求に応じて詳しく忠告を拡大し続けた。その要旨は、「富に対する君の態度に関して更なる提案を提供する傍ら、私の助言が、君と君の個人的な指導のためにだけ与えられたものとして受け取るよう諌める。探求心旺盛の友人としての君と自分にだけ話す。他の富める者がその富をいかように考えるべきか、君が独裁者とならないことを厳命する。君に助言しよう。
1. 相続による富の執事として、その出所を考慮すべきである。現世代の恩恵のために公正な代価を差し引いた後、君は、続く世代への正統の富の正直な移行において過去の世代を代表するという道徳的責任の下にいる。しかし、先祖による富の不正な蓄積に関係するいかなる不正も恒久化させる義務はない。相続した富のいかなる部分といえども詐欺や不正によるものと判明したとき、自己の正義、寛大さ、賠償への信念に従い払い戻しをしてもよい。正当に引き継いだ富の残りは、公明正大に使ってもよいし、安全に世代から世代への受託人として移行してもよい。賢明な識別と適正な判断で、後継者に対する富の遺贈物に関する君の決定を書き記すべきである。
2. 発見の結果としての富を享楽する者は誰であろうとも、1個人は、地球に短期間だけ住むことができるのだということを心すべきである。それ故、あらん限りの同胞の最大数の可能性によるこの発見の共有のための適切な準備をするべきである。発見者は、発見の努力に対し、すべての報酬が否定されるべきではないが、蔵匿された自然資源の発見から得たすべての利点と天恵を身勝手に主張しようとつけこむべきでもない。
3. 人間が、貿易や物々交換により世界で事業を行うことを選ぶ限り、公明正大で合法の利益を得る資格がある。すべての商人が、その活動に対する賃金の受け取りに値する。商人は、その手間賃を受ける権利がある。世界の組織化された経済活動における貿易の公正さと仲間へのそれ相応の正直な扱いは、異なる多くの種類の富の利益を生み出し、これらのすべての富の源が、正義、清廉、公正さの最も高い原則に基づいて判断されなければならない。清廉な商人は、同様の取り引きで相手業者に喜んで供与するのと同じ利益を取るのをためらうべきでない。商取り引きが大規模に行われるとき、この種の富は、個々に稼いだ収入とは同じではないが、同時に、そのような正直に蓄積された富は、その後にくる富の分配の際、その所有者に相当の分け前分の発言力を与える。
4. 神を知り、神性の意志を為そうとする人間は、富の抑圧に身を屈して従事することはできない。気高い者は、生身の同胞を奴隷状態、または不当な搾取によって富を蓄積したり、富による権力を築いたりしないであろう。富は、圧迫された人間の汗に由来するとき、道徳的な呪詛であり、精神的恥辱である。そのような富のすべては、このようにして、強奪されたそれらの者へ、または、それ等の子へ、それ等の子の子へと還元されるべきである。永続する文明は、労働者の手間賃を騙し取る実践に基づいて築きあげることはできない。
5. 清廉な富は、利息を得る資格がある。人が貸借する限り、貸した元金が合法な富であるならば、正当な利息の回収が許される。利息の要求以前に、まず自分の元金を浄化せよ。暴利の営業に身を落とすほど狭量になったり、欲深くなってはいけない。奮闘している仲間に対し、不正に有利な立場をとるような金力を用いるほどに決して利己的になってはいけない。財政的困窮にいる兄弟から高利を取るような誘惑に負けてはいけない。
6. 才能の飛躍により富を手に入れるようなことがあるならば、つまり財産が独創的な資質からくるものであれば、そのような報酬の不当な分け前を主張してはならない。才能は、何かをその先祖と子孫双方に負っているのである。それは、自分が働き、発見を成し遂げたのは、人々の間にあって普通の人間としてであるということにも、それは、気づくべきである。才能から富のすべての増加分を奪うことは、等しく不当であろう。人間が富の公正分配に関するこのすべての問題に原則や規定を確立することは、到底不可能であろう。まず君は、人を自分の兄弟であると気づかねばならない。そして、人に施すであろうことを、君がして欲しいと正直に望むならば、正義、清廉、公正の平凡な命令は、経済報酬と社会正義のあらゆる再発問題の正当で公平な解決に君を導くであろう。
7. 運用で得られる正当かつ合法の報酬を除いては、誰も時間と機会がもたらす富に対する所有権を主張すべきではない。偶然の富は、人の社会的、もしくは経済集団の利益のために費やされる信託のように見なされるべきである。そのような富の持ち主は、そのような不労による資産の賢明かつ有効な分配の決断において主要な発言権が与えられるべきである。文明人は、必ずしもすべてを直接かつ私的所有物として支配すると見ているというわけではない。
8. 財産のいずれかの部分が故意に詐欺によって得られたとしたならば、富の何にせよ不正直な実践か不公平な手段によって蓄積されたとしたら、富が、仲間との不当な商取引の結果であるとしたら、これらのすべての不正な利得を然るべき所有者に即座に還元せよ。完全な代償をし、こうして、すべての不正直な富を浄化しなさい。
9. 他者の利益のための1個人の富の信託職務は、厳粛かつ神聖な責務である。そのような信託で危険を犯したり、またそれを危険にさらしてはいけない。すべての正直な人間が認めるもののみを信託から自分のものとしなさい。
10. 自身の精神的、かつ肉体的努力—その仕事が公平と公正さで行われてきたのであるならば—からくる報酬を代表する財産のその部分は、本当に、君自身のものである。もしこの権利の行使が他の人間へ害を及ぼさないと君が思うなら、誰もそのような富を保持し、使用する君の権利を否定することはできない。」
イエスが助言を終えたとき、この裕福なローマ人は、長椅子から立ち、その夜の別れを告げるに当たり、このような約束をした。「良き友よ、あなたは、すばらしい知恵と善の人だと見受けます。だから、私は、明日、助言に従って私のすべての富の管理を始めます。」
ここローマでも、宇宙の創造者が、迷い子を案じる母親の元に連れ帰るのに数時間を費やすという感動的な事件が、起きた。この男の子は、家から遠くさ迷い歩いており、困って泣いているのをイエスが見つけた。ガニドと図書館に行く途中であったが、二人は、その子供を家に連れ帰ることに専念した。ガニドは、イエスの評言を決して忘れなかった。「ガニドよ、大方の人間は、迷い子のようなものだ。ちょうどこの子供が、家からほんの少しのところにいる時のように、人は、実のところ、安全と保護からほんの短い距離に居る時、恐怖に泣き、悲しみに苦しむことに多くの時間を費やすのである。そして、真実の道を知り、神を知ることの確信を楽しむそれら全ての者達は、生活の満足感を見つける努力において仲間に指導を提供することを義務ではなく、特権であることを尊重すべきである。我々は、子供をその母に連れ戻るこの奉仕をこの上なく楽しまなかったか。同じように、人を神に導く者は、人間の奉仕の最高の満足を経験し、楽しむのである。」その日以後の余生を、ガニドは、家に帰せるかもしれない迷い子等の見張りをずっとしたのであった。
夫が期せずして死んだ5人の子持ちの未亡人がいた。イエスは、事故で父を失ったことをガニドに話し、ガニドが、食物と衣類を提供するために父親に金を求める一方、二人は、何遍もこの母と子供を慰めに行った。二人は、最年長の少年が家族の世話の手伝いができるような働き口を見つけるまで努力をやめなかった。
その夜、これらの経験談を聞き、ゴノドは、愛想よくイエスに言った。「私の方は、息子を学者か実業家にするつもりですが、あなたの方は、哲学者か博愛家の育成にと取り掛かるのですね。」そこで、イエスは、微笑みながら返答した。「恐らく、我々は、その4通りに仕立て上げるだろう。そうすれば、かれは、人生において4倍の満足感を味わうことができる。人間の美しい音調を聞き分ける耳で1つの代わりに4つの音色を聴くことができるではないか。」その時、ゴノドが言った。「あなたは、本当に哲学者であると認めます。未来の世代のために本を書かなければなりません。」そこでイエスが答えた。「本ではない—私の使命はこの世代、そして全世代のために人生を送ることである。私は、、、。」しかし、かれは中止した。「息子よ、もう就寝の時間である。」とガニドに言って。
イエス、ゴノド、ガナドは、ローマから周辺領域内の興味ある地点へと遠く離れて5度旅をした。北イタリアの湖への訪問の際、イエスは、神を知ることを望んでいない者に神について教えることは無理であることに関してガニドと長く話した。湖までの旅の最中、たまたま考えの足りない異教徒に出会い、イエスが、その男を自然に精霊的な問いかけの議論へと導く会話につかせる慣例に従わなかったことに、ガニドは驚いた。なぜこの異教徒へそれほどまでに小さい関心しか示さないかを師に尋ねると、イエスが答えた。
「ガニド、あの男は真実に飢えていなかった。自分自身に不満ではなかった。助けを求める用意ができていなかったし、心の目は、魂のための光を受けるために開いてはいなかった。あの男には救済の収穫のための機が熟していなかった。かれは、 人生の試練と困難に備えるための叡知とより高い学問の受け入れに準備するためのより多くの時間を必要としている。または、我々と同居させることができるならば、我々の人生を通じて彼に天国の父を見せることができるかもしれないし、その結果、かれは、我々の父について質すことを余儀なくされるほどに、神の息子として生きる我々に引きつけられるようになるであろう。神を捜し求めない者に神を示すことはできない。気のすすまない者達を救済の喜びに導くことはできない。人は、生活経験の結果として真実に飢えるようにならなければならない、または別の人間がそのような仲間を天の父へと導く手段として行動する前に、神性の父と知り合っている者達の人生との接触の結果として神を知りたいと望まなければならない。神を知っているならば、地上での我々の真の本務は、父が彼そのものの明示を可能にさせるほどに生きることである。このようにして、すべての神を探して求めている者は、父を目にし、また我々の人生でこのような振舞の神についてさらに探し当てようとするに当たり我々の助力を求めるであろう。」
イエスが、まる一日、父と息子の両者と仏教について話をしたのは、スイスへの旅の山中でのことであった。ガニドは、イエスに何回も仏陀に関する率直な質問をしたのだが、いつもやや回避的な回答しか得られなかった。今度は、父が、イエスに息子の面前で仏陀に関する直接の質問をし、率直な回答を得た。ゴノドが言った。「あなたが仏陀について知っていることを本当に知りたいのです。」そこで、イエスが答えた。
「君の仏陀は、君の仏教よりもはるかに勝っていた。仏陀は、偉人で、その人民にとって予言者でさえあったが、彼は親のない予言者であった。私が意味するところは、かれは、早くに精霊の父、天の父を見失った、ということである。彼の経験は痛ましかった。かれは、神なしで、神の使者として生き、教えようとした。仏陀は、救済の船を安全な港の間近まで、人間救済の安息地の入り口の間近まで誘導した。そして、そこで、不完全な航行図のせいで、良い船は座礁した。そこで、これらの多くの世代が、静止し、ほぼ絶望的に足止めされたままでいる。君の民族の多くが、幾星霜もの間、その上に留まっていることよ。休息の安全水域の声の届く範囲内に生きてはいるが、良い仏陀の高貴な船が港のすぐ外で坐礁の不運に遭ったので、彼らは、入るのを拒否している。そして仏教徒等は、予言者の哲学的技巧を放棄し、高貴な精神を掌握しない限り、この港に決して入らないであろう。君の民族が、仏陀の精神に忠実であり続けていたならば、君は、ずっと以前に精霊の平静、魂の休息、救済の保証の港に入っていたことであろうに。
いいか、ゴノド、仏陀は、精霊では神を知っていたが、心での発見では明確に失敗をした。ユダヤ人は心で神を発見したが、精霊ではあまり知らなかった。今日、仏教徒は、神なしに哲学でもがいており、これに反し我が民族は、人生と自由の救済哲学なしに痛ましいほどに神への怖れの俘となっている。君には神なしで哲学がある。ユダヤ人には神がいるが、神に関係づけられた生きるための哲学なしでいる。精霊として、父としての神の想像に失敗し、仏陀は、自身の教えにおいて、民族を変え、国を高めるつもりならば宗教が保持しなければならないところの道徳的な活力と精霊的な機動力の提供に失敗した。
その時ガニドが、強調して言った。「先生、あなたと私とで新しい宗教を作りましょう。インドにとって充分に立派なもの、ローマにとって充分に大きいもの、そうすれば、おそらくユダヤ人のヤハウェと交代できるかもしれない。」そこで、イエスが返答した。「ガニド、宗教というものは作られない。人の宗教は、長い期間にわたり発展するが、神の顕示は、仲間へ神を明らかにする人間の生活において地球を瞬間的に照らし出す。」しかし、彼らは、この予言的な言葉の意味を理解しなかった。
その夜、退座した後、ガニドは眠ることができなかった。長い間父と話してようやく言った。「だから、父上、私は、時々ジャシュアが予言者だと思います。」そこで父は、「息子よ、他にもいるよ。」と眠たげに答えるだけであった。
この日以来、ガニドは、余生を自身の宗教を発展させ続けた。かれは、イエスの寛大さ、公正さ、忍耐に甚だしく感動した。哲学と宗教のすべての議論において、この若者は、憤りの感情、若しくは敵意の反応など決して経験しなかった。
宇宙の創造者に新興宗教を提唱しているインドの若者のこの光景を目にすることは、天の智者達にとっては何という光景であることか。そして、青年はそれを知らなかったのだが、彼らは、直ぐにその場で新たで、永遠の宗教—救済のこの新しい方法、イエスを通しての、またイエスの中の神の顕示—を作っていたのであった。若者が最もしたかった事を実際には無意識のうちにしていたということ。そして、それは、これまでにそうであったし、その結果、現在、未来もそうである。精霊的な教えと、心から、また非利己的に先導したり、そうあることを啓発する人間の想像力は、父の意志を神のように行う人間の献身度合に従い、はっきりと創造的になる。人が神と協力して行くとき、すばらしいことが起こるかもしれないし、起こるのである。
ローマを去る準備をしているとき、イエスは友人の誰にも別れを告げなかった。ダマスカスの筆記者は、前触れなしにローマに現れ、同様に姿を消した。彼を知り愛していた人々が、再び彼に会う望みを諦めるまでには、まる1年かかった。2年目が終わる前、彼を知る小集団は、イエスの教えの共通の関心事と彼との楽しい時代の思い出を仲立ちとして互いに惹かれていることに気づいた。そして、ストア派、キニク派、密儀主義の小集団は、これらの不規則で非公式の会合をキリスト教の最初の伝道者がローマに出現する直前まで持ち続けた。
ゴノドとガニドは、タレンツムへの荷車ですべての所有物を送るほどに、アレキサンドリアとローマで多量に物品を購入し、一方3人の旅行者は、ゆっくりとイタリア中を歩き、大きなアッピア街道へと歩いた。この旅行で、彼らは、いろいろな人間に遭遇した。多くの高貴なローマ市民とギリシアの移住民が、この道路に沿いに住んでいたが、相当数の下位の奴隷の子孫が、すでに出現し始めていた。
ある日、昼食で休息している間、タレンツムへの半道ほどで、ガニドは、インドのカースト制度に関するイエスの考えをじかに質問した。イエスは言った。「人間は、各々が、あらゆる点において異なるが、神の前と精霊界では、すべての死すべき者は、相等しい基盤に立っている。神の目には人間の2つの集団しかない。彼の意志を為すことを望む者とそうでない者達と。宇宙が、棲息界に注目するとき、2つの立派な階級についても同様に明察する。神を知る者とそうでない者と。神を知ることができない者は、いかなる領域の動物の中にでも、動物の一人とみなされる。人類は、物理的、精神的、社会的、職業的、道徳的に見られる異なる能力に応じて適切に多くのまとまりに分割ができる。それらは、、しかし、人間のこの異なる種類が、神の審判の法廷に現れるとき、彼らは、相等しい基盤に立つ。神は本当に人々を差別しない。知的、社会的、道徳的事柄において他と異なる人間の能力と天与の才能の認識から逃がれることはできないが、神の前で崇拝のために集まるとき、人間の精霊的なきょうだい関係をそのように区別をすべきではない。」
ある日の午後、彼らがタレンツムに近づいたとき、非常におもしろい事件が路傍で起きた。乱暴で弱いもの苛めの少年が、残酷にも小さい少年を攻撃しているのを目撃した。イエスは、襲われた少年の助太刀へと急いだ。彼を救ったとき、イエスは、小さい方が逃げるまで攻撃した者をしっかり掴んでいた。イエスが小さい弱い者いじめを放した瞬間、ガニドは、少年に飛びかかり、したたかに打ちすえ始めた。ガニドが驚いたことに、イエスは、即座に妨害した。ガニドを押しとどめ、怯えている少年を逃した後に、青年は、楽に息ができるようになるや否や、興奮して言った。「理解できません、先生。慈悲が、小さい方の少年を救うことを義務づけるならば、正義は、悪さをしている大きい方の少年を罰することを要求してはいませんか。」答えてイエスが言った。
「ガニド、理解できないということは本当であろう。慈悲の奉仕活動は、つねに個人の働き掛けであるが、正義の懲罰は、社会的、政の、または宇宙管理集団の機能である。個人として、私は慈悲を示す恩義がある。私は襲われた少年の救出に行かなければならないし、一貫して攻撃者を抑止するに足る力を行使できるかもしれない。そして、私がしたことは、まさにそれである。私は襲われた若者の救出を成し遂げた。それは、慈悲行為の仕上げであった。それから私は、揉め事に弱い方が逃げるに足りる間、強制的に攻撃者を留めおいた。私は、その後で事件から退いた。私は、攻撃者を裁く役にまわらず、このように彼の動機を審判すること—仲間への攻撃に至ったことすべてに判決を下すこと—そして、彼の悪行に対する償いとして私の心が命じるかもしれない程度の懲罰を実行することを引き受けなかった。ガニド、慈悲は気前がよいかもしれないが、正義は正確である。君は、二人の人間が適法の要請を満たす懲罰に同意しそうにはないということが認識できないのか。むち打ちを、1人は40 回、別の者は20 回を課し、また他の者は正当な罰として独房監禁を勧めるであろう。この世界でそのような責任は、集団に任されるか、集団の選ばれた代表に与えられるほうが良いと見ることはできないか。宇宙では、判断は、すべての悪行ならびにその動機づけの前例を完全に知っている者に帰属する。文明社会や組織化された宇宙では、裁判は、公平な判断の結果として生じる公正な判決を言い渡すことを前提とし、そして、そのような特権は、世界の司法集団と、全創造の、より上の宇宙の全てを知る管理者達に授けられる。」
彼らは、慈悲の顕現と処罰の問題に関して何日も話した。そしてガニドは、少なくともある程度は、イエスがなぜ個人の格闘に従事しないかを理解した。しかし、ガニドは、1つの最後の質問をし、それに対する完全に満足できる答えは決して受けることはなかった。そして、その質問は次の通りであった。「でも先生、より強く、怒りっぽい者が襲いかかり、あなたを滅ぼすと脅かしたならば、どうされますか。防御のためのなんの努力もしないのですか。」楽園の父の愛が宇宙を見物中の例証として彼(イエス)が地球に住んでいるということをガニドに明らかにすることを望まないことから、イエスは、完全にしかも満足のいくように若者の質問に答えることができなかったが、これだけは言った。
「ガニド、この問題の一部がいかにお前を当惑させるかについてよく理解できる、そこで、その質問に答える努力をするつもりである。まず最初に、私の身に起こるかもしれないすべての攻撃に関し、私は、攻撃者が神の息子—肉体をもつ我が弟—であるかどうかを判断するであろう。もしそのような者が、道徳的判断力と精霊的理性を保持していないと思うならば、私は、攻撃者への結果にかかわらず抵抗のために躊躇なく力の及ぶ限り我が身を守るであろう。しかし、自衛上とは言え、息子としての資格をもつ仲間をこのように強襲はしない。つまり、私は、私に対する襲撃に対する判断なしに前もって罰しはしない。私は、あらゆる可能な術策で、彼がそのような攻撃をしないように阻み、思いとどまらせ、またその打ち切りに失敗の際は、攻撃を和らげるための努力をするであろう。ガニド、私は、天の父の加護を絶対に信頼すしている。私は、天の父の意志をすることに捧げている。本当の害が私に及ぶとは思わない。敵が私に加えたいかもしれない何事によっても、私の畢生の仕事が危険にさらされ得るとは思わないし、我々の友人からは誓ってどんな暴力も加えられない。全宇宙が私に友好的である—この全能の真実を、私は、すべての外観にかかわらず、心からの信頼をもって信じている—まったく確信している。」
しかし、ガニドは、完全に満足したというわけではなかった。彼らは何度も、これらの問題について論議したし、イエスは、少年時代の経験を幾つか話し、そのうえ石工の息子ヤコブについても話した。ヤコブが自分をいかにイエス防御ために任じたかを知り、ガニドガ言った。「ああ、分かり始めました。まず第一に、いかなる常人も、あなたのように優しい人を攻撃したくはありません。そのような事をするほどに軽率であったとしても、ちょうどあなたが、だれか困っている人を見かける度に救出に行くように、あなたの援助に飛んで行く他の人間が近くにいることは、全くもって確かです。先生、心では、私は、同意見です。でも、頭では、私がヤコブであったなら、彼らが、あなたは自分を防御しないだろうと考えたから攻撃しようと思った無礼な奴を罰するのを、私は、やはり楽しんだろうと思います。あなたは、他のものを助け、苦難の仲間に貢献して多くの時間を費やしているので、人生の旅路においてかなり無事であると思います—そうですねえ、あなたを守る誰かが、たぶん常に身近にいるでしょう。」そこで、イエスが答えた。「その試練はまだ来ていない。ガニド、それに、その時がきたら、我々は、父の意志に従わねばならない。」そして、それが、若者が、自衛と無抵抗のこの難しい主題について師から引き出し得た全てであった。別の機会に、かれは、組織化された社会は、その正当な委任の遂行において、力の行使のあらゆる権利があるという意見をイエスから得た。
船着き場でゆっくりしている間、積荷を降ろすのを待っている間、旅行者等は、ある男がその妻を虐待しているのを見た。習慣通り、イエスは、攻撃を受けている人のために仲裁に入った。かれは、怒っている夫の後ろに歩み寄り、そっと肩を叩いて言った。「もしもし、少し内緒で話しをしてもよろしいか。」立腹している男は、そのような接近に困惑し、寸時の当惑の躊躇の後に吃って言った。「ええ、まあ、はい、何か用ですか。」イエスが彼を脇に導いて、言った。「友よ、私は、何かとんでもない事が君に起こったに違いないと見てとる。それほどまでの強者が、自分の子供の母である妻を、こともあろうに、ここで、皆の目前で攻撃する何事があったのかぜひとも教えてもらいたい。この攻撃に何らかの正当な理由が君にはあるはずだと確信する。あの女は、夫からのそのような扱いを受けるに値する何をしたのか。よく見ると、君は慈悲を示すという願望まではいかないが、私は、君の顔に正義への愛が見えていると思う。道ばたで強盗に攻撃される私を見つけたならば、君は、躊躇なく救出に突進してくるであろうと、私は、はばかりながら言おう。君は、人生でそのような多くの勇敢なことをしてきたと敢えて言う。さて、友よ、どうしたのか言ってくれ。女が何か不都合をしたのか、あるいは、君が愚かにも取り乱し、軽率に女を襲ったのか。」この男の心を打ったのは、イエスが言った言葉そのものではなく、イエスの所見の締めくくりの際に、彼に与えた親切な表情と同情的な微笑みであった。男は言った。「あなたは、キニクの僧であるとお見受けします。そして、私を引き止めてくれたことに感謝します。家内がとんでもない不都合をした訳ではありません。良い女でありますが、私は人前で私の粗探しをする態度に苛立ち、かっとなるのです。自分の自制の無さを残念に思います。また、何年か前により良い道を教えてくれたあなたの兄弟の一人にした誓いに従って行動するよう努めると約束します。きっと約束します。」
そこで、別れを告げるに当たり、イエスが言った。「兄弟よ、女性が喜んで、しかも自発的にそのような権限を与えない限り、男性には女性に対して如何なる権限もないということを常に覚えていなさい。君の妻は、生涯を通して、君の人生の闘いに助太刀し、子を生み育てる負担のはるかに大きな一端を担うと決めていた。だから、子供を身篭もり、生み、保育しなければならない配偶者としての女性に、男性が、この特別な奉仕のお返しとして、与えることのできるその特別な保護を女性が受けるということは公平であるというほかない。男性が妻子に進んで与える情愛深い世話や思い遣りは、その男性の創造的かつ精霊的な自意識のより高い段階への到達の尺度である。君は、男女は、不滅の魂の可能性を所有するように成長する存在体をつくり出す点において神との共同者であるということを知っているか。天の父は、宇宙の子等の聖霊なる母を自分と等しいものとみなしている。君の子供たちの人生において自分達を再生させるという精霊の経験を本当に完全に共有する母でもある伴侶と君の人生とそれに関連するすべてを同等の条件で分け合うことは、神のようである。神が君を愛するように、君が子供たちを愛することができさえすれば、天の父が無限なる聖霊、つまり広大な宇宙のすべての精霊の子供の母を大いに敬い、高めるように、君も妻を愛し、大切にするであろう。」
船に乗り込むと、彼等は、無言で抱き合って立っている涙の目をした夫婦を振り返った。イエスの男への言い置きの後半を耳にしたゴノドは、一日中それについての思索にふけった。そして、インドに帰国したとき、かれは、自分の家庭の変革を決意した。
ニコーポリスへの旅は快いものであったが、風の具合いが思わしくなく、遅速であった。3人は、ローマでの経験を語り、また、最初にエルサレムで会ってからその身に起きたすべての追憶にふけり、多くの時間を過ごした。ガニドは、個人的な奉仕活動の精神に染まるようになっていた。かれは、船の執事に接近し始めたが、2日目、宗教の水の苦境に陥ると、ジャシュアに助けを求めた。
彼等は、オーグストゥスが、戦さの前に軍隊と野営をした土地であるこの場所にアクティオンの戦いを記念して「勝利の都」としておよそ50 年前に設立した都市ニコーポリスにおいて数日を過ごした。彼等は、船舶で出会ったユダヤ信仰のギリシア人改宗者ジャラミーの家に泊まった。使徒パウロは、3度目の伝道の旅の途中、同じ家で冬の間ずっとジャラミーの息子と過ごした。彼らは、ニコーポリスからローマのアハイア州の首都であるコーリントスへと同じ船で航海をした。
彼らがコーリントスに達する頃には、ガニドは、ユダヤ人の宗教にたいへん関心をもつようになっていたことから、ある日、彼らがユダヤの礼拝堂を通りかかったとき、人々が入っていくのを見て、彼がイエスに礼拝に連れていくように頼んでも不思議ではなかった。当日、彼らは、博識のラビの「イスラエルの運命」についての講話を聞き、礼拝の後、この礼拝堂の統治者の長であるクリスポスに会った。彼らは何度となく礼拝に行ったが、主な狙いは、クリスポスに会うことであった。ガニドは、クリスポス、その妻、それと5人の子供がとても好きになった。かれは、ユダヤ人がどう家族生活を送るかを観測することをとても楽しんだ。
ガニドが家庭生活を学んでいる間、イエスは、より良い宗教生活の道をクリスポスに教えていた。イエスは、この前向きなユダヤ人と20 回以上の学習の機会をもった。何年も後に、パウロがまさにこの礼拝堂で説教していた時、ユダヤ人がパウロの趣意を拒絶し、礼拝堂でさらに説教することを禁止ずることを票決した時、そして、パウロが非ユダヤ人のところへ行った時、クリスポスと全家族は、その新宗教を迎え入れたということ、また、クリスポスは、パウロが後にコーリントスで組織化したキリスト教の主だった擁立者のうちの1人になったということは、驚きに当たらない。
コーリントスで説教した18カ月間、シーラスとティモセオスが後に加わり、パウロは、「インド商人の息子のユダヤ人家庭教師」に教えを受けた他の多くの者に会った。
コーリントスで、彼らは、3大陸からのあらゆる民族の人々に出会った。アレキサンドリアとローマに次いで、それは、地中海帝国の最も世界的な都市であった。この都市には人の注意を引きつける多くのものがあり、ガニドは、海抜およそ600メートルに立つ要塞を訪ねることに決して飽きなかった。かれは、礼拝堂の周辺とクリスポスの家でも多くの余暇を過ごした。かれは、ユダヤ人の家庭での女性の立場に最初は驚かされたが、のちには魅了された。それは、この若いインド人には意外なことであった。
イエスとガニドは、しばしば別のユダヤ人の敬虔な商人ジュースツスの家の客人となった。その者は、ユダヤの礼拝堂のそばに住んでいた。後に、しばしば使徒パウロは、この家に滞在したとき、インドの若者とユダヤ人の家庭教師とにかかわるこれらの訪問の詳しい話を何回となく聞いたとき、同時にパウロとジュースツス双方ともに、そのような賢明で才気あふれるヘブライ人教師が一体どうなったのか不思議に思った。
ローマでガニドは、イエスが彼等とともに公衆浴場に行くことを拒否するのに気がついた。青年は、何度かその後、男女関係のイエスの言及を引き出そうと更に試みた。若者の質問に答えはするものの、かれは、決してこの問題を長々と検討する気はなさそうであった。ある晩、コーリントス外辺の海へと続く要塞の壁の近くを逍遥していると、二人は、娼婦二人に話しかけられた。ガニドは、イエスが、高い理想の男性であるということ、また、汚れや悪を味わったものと共にすることを嫌悪するという考えを、正しく吸収していた。従って、かれは、これらの女性にきつく口をきき、立ち退くように粗雑に合図した。これを見て、イエスが言った。「君はよかれと思ってしているが、たまたま間違いを犯している子供等であるといえども、神の子に向かってそのように話すべきだと思ってはならない。これらの女性に裁きを下す我々は一体何者であるのか。彼女らが暮らしを立てているそのような方法に向かわせた事情のすべてを知っているのか。これらの問題について話す間、私とここに居なさい。」娼婦等は、ガニドに言われたことよりもイエスの言ったことに驚いた。
皆が月明かりの中でそこに立ったとき、イエスは、続けて言った。「人間の心の中には天の父の贈り物である神精が宿っている。この良い精霊は、我々を神にずっと導く、つまり神を見つけ神を知る手伝いに努めている。しかし、人間の中には、創造主が個人とその民族の幸福を促進するために与えた自然の肉体的な傾向も多くある。さて、しばしば、男女は、自分自身を理解する努力において、また大幅に利己主義と罪が支配する世界での生計を立てるための多種多様の困難と格闘することにおいて混乱する。ガニド、私には、これらの女性のどちらも望んで邪であるとは見えない。彼女らは、多くの不幸を味わったと言うことが顔で分かる。二人は、明らかに残酷な運命の手にかかり、非常に苦しんできた。故意にこの類の人生を選びはしなかった。彼女らは、まったく絶望的に、時間の圧力に降伏し、絶望的に見えた状況から抜け出る最良の道として生計を得るためにこの不愉快な方法を受け入れた。ガニド、一部の人間の心は本当に邪悪である。かれらは、故意に卑しいことをすることを選ぶが、言ってみなさい、涙に濡れたこれらの顔を覗き込んで何か不愉快なものや邪悪なものが見えるか。」そこでイエスが返答を待っていると、吃って答えるガニドの声は、詰まっていた。「いいえ、先生、見えません。だから、私の無礼を二人に謝ります。二人の許しを懇願します。」その時、イエスが言った。「私は、天の父がすでに二人を許したということを代弁すると同時に、また二人がすでに君を許しているということを二人に代わって伝える。さあ、みんな、私の友人の家に一緒に行き、そこで軽い食事を求めて、そして新しく、より良い将来の人生計画を立てよう。」この時まで、驚く女達は、一言も声を発っしなかった。二人は、互いに見合い、案内する男達の後に黙って続いた。
そんなに遅い時刻に、イエスがガニドと二人の見知らぬ者と現れ、こう言った時のジュースツスの妻の驚きを想像して見よ。「こんな時間に来る我々を許してくれるでしょうが、ガニドと私は、軽い食事がしたいし、これらの私達の新たな友達と分け合いたいし、二人もまた栄養を必要としている。 また、こういうことの他に二人の女性の人生の再出発の手助けの最善の方法について、あなたが、我々二人と一緒に助言することに関心をもつだろうという考えで来たのでもある。女性たちは、事情を話すことができるが、多くの苦労をしたと私は推測しているし、また、あなたの家、ここに二人が直接現れたこと自体、彼女等が、いかほどまでにひたすらに善良な人々を知りたいと切望しているかを証明しているし、また、二人が誠に健気で高潔な女性になり得るかをいかに喜んで全世界—天の天使さえ—に示す好機を迎え入れることであろう。」
ジュースツスの妻マールタが、食物を配膳し終えると、イエスは、不意の暇乞いをしながら言った。「遅くなって来たし、この青年の父が我々を待ち受けていることでもあるので、あなた方—3人の女性達—いと高きものの愛し子達をここに残し、我々二人は失礼させてもらう。君達が、地球での新たでより良い人生、また、はるか彼方での永遠の生活のための計画を立てる間、私の方は、君等の精霊の導きのために祈るつもりである。」
イエスとガニドは、このように女性等と別れた。2人の娼婦はずっと何も言わないままであった。同様に、ガニドも無言であった。その上、しばらくの間マールタもそうであった。が、ややあってマールタは、難局に対処し、この見知らぬ者のためにイエスが望んだ全てをした。2 人の女性のうちの年長者は、永遠の生存という明るい望みをもってその後間もなく死亡した。若い方の女性は、ジュースツスの職場で働き、後にはコーリントスで最初のキリスト教会の永久会員になった。
イエスとガニドは、クリスポスの家で、後にパウロの忠誠な支持者となったガイウスというものに幾度か会った。コーリントスでのこの2カ月間、彼等は、意味のある何十人もの個人との親密な会話をし、明らかにさり気ない全接触の結果、半分以上の非常に影響を受けた者達が、その後のキリスト教の共同体の一員となった。
パウロは、コーリントスに最初に行ったとき、長逗留するつもりはなかった。しかし、かれは、ユダヤ人の家庭教師が、自分の仕事への道をいかによく準備していたかを知らなかった。さらに、かれは、すでに大きな関心が、アクヴィラとプリースキラにおきていたということが分かった。アクヴィラは、ローマでイエスが接触したキニク派の1人であった。この二人は、ローマからのユダヤ難民であり、パウロの教えを速く受け入れた。二人が天幕職人であったので、パウロは、両者と同居し、共に働いた。パウロがコーリントスでの滞在を長引かせたのは、こういった状況によるものであった。
イエスとガニドは、コーリントスにおいてさらに多くの興味深い経験をした。二人は、イエスから受けた訓示から大いに利益を受けた相当数の人々と親しく話した。
かれは、人間の仲間の虚弱者や衰弱者でさえも神々しい人生の困難な事柄を容易に受け取ることができるように人生経験の製粉場で真実の穀物をすり砕くことに関して製粉業者に教えた。イエスは言った。「精霊的認識においては赤子である者達に真実の乳を与えよ。君の生きた情愛深い奉仕活動において、魅力的な形で、それぞれの尋問者の感受性の容量に合った精霊の糧を供給しなさい。」
ローマの百人隊長に言った。「ケーサーのものはケーサーに返し、神のものは、神へ。」ケーサーが、神格のみが主張できるその敬意を大胆に横取りしようとしない限り、神への誠実な奉仕とケーサーへの忠勤は、衝突しない。神を知るようになるならば神への忠誠は、尊敬に値いする皇帝への君の献身をより忠誠に、より忠実にするであろう。」
ミースラ信仰の熱心な指導者に言った。「君は、永遠の救済の宗教を確かに捜し求めているが、人為の神秘主義と人間の哲学の間でそのような栄光の真実の探索をするということは誤っている。永遠の救済の神秘は、君自身の魂の中に住んでいるということを知らないのか。天の神が君の中に住まうために彼の精霊を送ってきていること、またこの精霊が、全ての真実を愛する人間と神に仕える人間をこの世から死の入り口を通過し、神がその子等を待ち受ける永遠の光の高さまで引率していくということを知らないのか。そして、決して忘れれてはいけない。神のようになることを本当に願うならば、神を知る者は神の息子である。」
かれは、エピクーロス派の教師に言った。「最良を選び、最善を尊ぶことを確かにしているが、人間の心の神の存在の認識に由来する精霊の領域に表現される人間の生活のよりすばらしいものを認めることができないとき、君は賢明であるのか。すべての人間の経験における素晴らしいものは、その精霊が君に内住し、我々の共通の父、全創造の神、宇宙の主の個人的な存在を達成するその長くてほとんど無限の旅において先へと導こうとしている神を知ることの実現である。」
ギリシア人の契約者と建築業者に言った。「友よ、人間の物質の建築物を築くように、君の魂の中に神精に似たもので精霊的な特質を育てなさい。時間に生きる建築業者としての君の業績を天の王国の精霊の息子としての君の達成に優先させることのないように。他者のために時の世界の大邸宅を建設するが、君は、自分のための永遠の大邸宅への権利の確保を怠ってはならない。常に覚えていなさい。その地盤が正義と真実である都というものがあり、また、その建築者と建設者は、神であると。」
ローマの裁判官に言った。「人を裁く際、きみ自身もいつの日か宇宙の支配者達の法廷に裁きを受けることを覚えておくように。正当に、慈悲深くさえ、裁きなさい。いつか、君も、このように最高調停者からの慈悲深い斟酌を同様に切望するであろう。同様の状況下で自らが裁かれたいと思うように、文字通りにでなく、法の精神によって手引きされて裁きなさい。そして、全ての地球の裁判官の前にいつか君が立つ時、君の前に引かれて来る者の必要の照らして公正さに支配される正義を与えるように、慈悲により和らげられる正義を期待する権利が、君にもあるであろう。」
ギリシアの宿屋の女将に言った。「いと高きものの子供をもてなす者として君の親切なもてなしをしなさい。人々の心の中に住むために下ってきた神精が宿る人々の中の神に働きかけるという増加する体現を通して、日々の骨折り仕事を美術の高い段階へと高め、それによって、彼らの心を変えることを追い求め、神精が与えられたこれらのすべての贈り物の楽園の父に関する知識へと導くようにしなさい。」
イエスは、ある中国商人を頻繁に訪ねた。別れ際に彼を諭した。「神を、君の真の精霊の先祖だけを、崇拝しなさい。父の精霊がいつも君に宿り常に魂の向きを天へ示すということを覚えていなさい。この不滅の精霊の無意識の導きに従うならば、神を見つける高められた道において前進し続けるのは確かである。そして君が天の父に達するとき、それは、神を探すことにより君がますます神に似てきたからであろう。では、チャン、元気で、だが、ほんの一時季だけ。なぜなら、我々は、父が楽園に向かう者のために多くの楽しい停止場所を設けている光の世界で再会するのであるから。
イギリスからの旅人に言った。「兄弟よ、君は、真実を捜し求めていると見てとる。私は、すべての真実の父の霊が君の中に住むかもしれないと暗示する。かつて、君は、自身の魂の精霊と話すことを心から努力したか。そのようなことは、本当に難しく、成功の意識をあまり与えない。だが、内在する精霊と通じ合おうとする物質的な心のあらゆる地道な試みは、 確実な成功をもたらす。それでも、そのようなすべての壮大な人間の経験の大部分が、神を知るそのような人間の魂の中に意識を越えた記録として長く残らなければならない。」
家出少年に言った。「覚えていなさい、人には逃げ出すことのできない2 つのものがある—神と自分自身。どこへ行こうとも、自身と君の心の中に住む天の父の精霊とを連れている。息子よ、自身を騙そうとすることをやめなさい。落ち着いて人生の事実に直面する勇敢な実践を始めなさい。教えたように、神との関係における息子の資格の保証と永遠の命の確実性にしっかり掴まりなさい。この日から真の男、勇敢に、明敏に人生に直面すると決心をした男になることを目的としなさい。
最期の時間の死刑囚に言った。「兄弟よ、君は、悪の時代に当たってしまった。君は迷った。次第に犯罪の網に縺れた。君との話しから、君がその現世の命を犠牲にするつもりがなかったことがよく分かる。しかし、君は確かにこの悪を犯し、仲間は、有罪であると判決を下した。すなわち彼らは、君が死ぬべきだと評決した。君あるいは私は、その自己選択の方法において国のこの自衛権を否定できない。君の悪行の刑罰から人間的に逃がれる方法はなさそうである。仲間は君のしたことで君を判断せざるを得ないが、君が許しを懇願できる裁判官がおり、かれは、君の本当の動機とより良い意図によって君を裁くであろう。君の悔悟が本物であり、信仰が誠実であるならば、神の裁きに合うということを恐れる必要はない。人間によって君の誤りが死罪に値すると課せられた事実そのものは、天の法廷の前で、君の魂が正義を得て、慈悲を味わう機会に対して偏見をもつものではない。
イエスは、熱望する多くの人々との数多くの、この報告書に記すには多過ぎるほどの、個人的会談を楽しんだ。3人の旅行者は、コーリントスでの滞在を味わった。教育の中心地としてより有名であったアテネを除き、コーリントスは、これらのローマ時代を通してギリシアで最重要都市であり、この繁栄する商業の中心地での2カ月間の滞在は、3人全員に多くの貴重な経験をする機会を提供した。この都市での彼らの滞在は、ローマからの帰途のすべての停留において最も興味あるものの1つであった。
ゴノドは、コーリントスにかなりの興味があったが、仕事は遂に終了し、皆は、アテネに向けて出帆の準備をした。コーリントスの港の1つから陸路16キロメートルの距離の他所へ運ぶことのできる小型船で旅をした。
皆は、まもなくギリシアの科学と学習の昔の中心地に到着した。ガニドは、その境界を故郷のインドの地にまでも広げた嘗てのアレクサンドリア帝国の文化の中心地アテネにいるという考え、ギリシアにいるという考えに興奮していた。商取引は、ほとんどなかった。それでゴノドは、多くの興味ある場所を訪ねたり、若者と多才な師との間で交わされる興味深い議論を聞いたりして時間の大部分を二人と共に過ごした。
立派な大学はアテネにまだ発展しており、三人組は、頻繁にその講堂を訪れた。アレキサンドリアの博物館での講演に出席したとき、イエスとガニドは、プラトンの教えを徹底的に議論をしたことであった。皆は、ギリシアの芸術を楽しみ、その例は、まだこの都市周辺のあちこちで見つけられた。
父と息子の両者は、イエスが、ある晩彼等の宿でギリシア人の哲学者と科学について議論をしたのを大いに楽しんだ。この学者ぶる者がほぼ3 時間話した後、そして、彼が講和を終えたとき、現代の概念に置き換えて、次のようにイエスが言った。
科学者は、引力のエネルギー、または力の発現、光、および電気をいつか測定するかもしれないが、これらの同じ科学者は、これらの宇宙現象が何であるかを決して(科学的に)話すことができない。科学は、物理的エネルギー活動を取り扱う。宗教は、永遠の価値を取り扱う。真の哲学は、これらの量的、質的な観察を相関させるために最善をつくす知恵から起こる。純粋に物理的な科学者は、精霊的な盲目は言うまでもなく、数学上の自尊心と統計的自惚れに苦しめられるようになるかもしれないという危険が常に存在する。
論理は、物質界において妥当であり、その運用を物理的な事象に制限されるとき、数学は、頼りとなる。しかし、生活問題に適用される場合、双方ともに完全に信頼もできないし、絶対確実でもない。生活は、全く物質的でない現象を包含する。算術は、1 人の男が10 分で羊を刈ることができるとしたら、10 人の男だと1 分でそれを剪断することができると提示する。それは数学らしく響くが、真実ではない。なぜなら、10 人は、そうはできないからである。仕事が大いに遅れるほどにお互いが邪魔となるであろう。
数学は、1 人が知的で道徳的な1 単位の価値を表すならば、10 人が10 倍のこの価値を表すことを断言する。しかし、人間の人格を扱う際、そのような人格は、単純な算術合計よりむしろ方程式に関係がある人格の数の二乗と等しいという方が真実により近いであろう。連携した労働の協調のある人間の社会的集団は、その部分の単なる合計よりもはるかに大きい力を表す。
量は事実として確認されることができ、その結果、科学的な画一性となる。心の解釈の問題である質は、価値の見積りを表す。従って、個人の経験に留まらなければならない。科学と宗教の両方が、より独断的でなくなり、批判に対しより寛容になるとき、哲学は、明敏な宇宙の理解において統一を達し始めるであろう。
あなたが、その操作について実際に明察することさえできるならば、広大無辺の宇宙には統一がある。真の宇宙は、永遠なる神のあらゆる子供に好意的である。真の問題は、人の限られた心が、思考における論理の、真実の、照応する統一をどのように実現できるか、ということである。量的事実と質的価値は、楽園の父に共通の原因があるということを単に心に抱くだけで、心のこの宇宙を知る状態を持つことができる。現実のそのような概念は、宇宙現象の意味深い統一に対するより広い洞察をもたらす。それは、進歩的な人格到達への精霊的な目標を明らかにさえする。そして、これは、絶えず非個人的な関係を変え、個人的な関係を発展させる生きている宇宙の変らない背景を感じることができる統一の概念である。
それらに介在する物質、精霊、状態には、真の宇宙の真の統一における相互に結合し、関連する3段階がある。事実と価値の宇宙現象がどのように拡散的に見えるかにかかわらず、それらは、結局崇高なるものの中に統一される。
物質的存在の現実は、目に見える物質だけでなく、認識されないエネルギーにも付随する。宇宙のエネルギーが、非常に低下し、運動に必要な度合を獲得すると、次には好ましい状況下において、これらの同じエネルギーは質量となる。そして、忘れてはいけない。見た目の現実の存在を知覚できる心だけでも、それ自体本当である。そして、エネルギー-質量、心、精霊のこの宇宙の基本的な原因は、永遠である—それは、存在し、また宇宙なる父とその絶対的調整者の性質と反応にある。
彼等は全員、イエスの言葉に大変驚き、ギリシア人が皆に暇乞いをすると、イエスが、「ついに、私の目は、人種的な優越以外に何かを考え、宗教以外に何かを話すユダヤ人を見た。」と言った。そこで、かれらは就寝した。
アテネでの滞在は快く、有益であったが、それは、人間交流においては特に実りあるというものではなかった。ギリシアに栄光があり、その人民の心に叡知があった初期の下位の奴隷の子孫であったので、その時代のあまりに多くのアテネ人は、過去の彼らの評判を知的に誇りに思ったか、精神的に愚かで無知であった。その時でさえ、アテネの市民の間にはまだ多くの鋭敏な心の者がいた。
アテネを去るに当たり、旅人達は、ツロアス経由でアジアのローマ行政区の首都エペソスへ行った。彼らは、都からおよそ3キロメートルのエペソス人のアルテミスの有名な神殿を何度も訪れた。アルテミスは、全小アジアで最も有名な女神であり、古代のアナトリア時代のさらに以前の母神が永続化したものであった。彼女の崇拝の為に奉納された巨大な神殿に展示された粗末な偶像は、天から落下してきたと言われた。神性の象徴としての像を敬うガニドの以前の習慣が根絶されるというわけではなかったので、ガニドは、小アジアのこの豊饒と多産の女神に敬意を表し、小さい銀の社を購入するのが最善であると考えた。その夜、彼らは、人間の手で作られたものへの崇拝に関し長々と話した。
滞在の3日目、彼らは、港口の浚渫を観察するために川に沿ってを歩いた。正午に、皆は、里心を起こし、気落ちした若いフェニキア人と話した。かれは、自分を飛び越えての昇進をした特定の青年を、とりわけ妬んでいた。イエスは、元気づける言葉を伝え、昔のヘブライの諺を提示した。「人の贈り物は、その人の為に道を開き、偉人の前に彼を導く。」
地中海のこの旅行で訪問した大都市訪問のうち、彼らは、キリスト教宣教師のその後の仕事にとって些細なことをここで達成した。キリスト教は、主にパウロの努力でエペソスにその発足を確実なものとした。パウロは、ここに2年以上住み、生計のために天幕を作り、毎晩ツランノスの学校の本講堂で宗教と哲学についての講義をしたのであった。
この地元の哲学の流派に関係がある進歩的な思想家がおり、イエスは、この人物との何度かの有益な会談をした。イエスは、これらの会談において「魂」という言葉を繰り返し用いた。この学識あるギリシア人は、最後に「魂」の意味を問い、イエスが答えた。
「魂とは、人間を永々と動物世界の上の段階に高める自己反射的で、真実について洞察力のある魂を認識する人の部分である。自意識は、それ自体は、魂ではない。道徳的な自意識は、真の人間の自己実現であり、人間の魂の基礎を構成しており、そして魂は、人間の経験の潜在的生存価値を有する人のその部分である。道徳的な選択と精霊的な達成、神を知る能力と神に似ることへの衝動は、魂の特徴である。人の魂は、道徳的思考と精霊的活動から離れて存在することはできない。澱んだ魂は、死にかかっている魂である。しかし、人の魂は、心の中に住む神精とは全く別なものである。神精は、人間の心の最初の道徳的な活動と同時に到着し、それは、魂の誕生の時である。
魂の救済あるいは喪失は、道徳的な意識が、その関連する人間の精霊の贈与との永遠の同盟を通して生存状態に達するかどうかに関係する。救済は、道徳的な意識による自己実現の精霊化であり、その結果、生存価値を備えるようになる。魂対立のすべての形は、道徳的または、精霊的な自意識と、純粋に知的な自意識の間の不調和にある。
人間の魂は、熟し、高尚し、精霊化されるとき、それが物質的なものと精霊的なものの間、物質的な自己と神精の間にある実体に近づくという点において、天にいるような状態に到達する。物質的な調査法でも精霊的な立証法でも発見できないことから、人間の進化する魂は、描写が困難であり、立証するのはそれ以上に難しい。物質科学は、魂の存在を示すことができないし、純粋な精霊の吟味もできない。人間の魂存在の発見に関する物質科学と精霊標準の両方の失敗にもかかわらず、道徳的に意識的なあらゆる人間は、本当の、実際の個人的な経験として、自己の魂の存在を知っている。」
やがて旅人達は、ロードス島に止まり、キプロスに出帆した。彼らは、長い水路の旅を楽しみ、目的の島に到着し、身体を休め精力を回復した。
地中海の旅の終わりに近づいていたので、キプロスで本当の休息と遊戯の期間を楽しむことが、皆の計画であった。パポスに着陸し、近くの山での数週間の滞在に備えすぐに物資の収集に取り掛かった。到着後の3 日目、彼らは、荷を満載した動物達と丘を目指して出発した。
2 週間、三人組は大いに楽しんでいたが、何の徴候もなく、若いガニドが、いきなり、ひどい病気に掛かった。かれは、2 週間激しい熱に悩まされ、しばしば錯乱状態となった。イエスとゴノドの両者は、病の少年の付き添いで忙しくしていた。イエスは、巧みに、そして優しく若者の面倒をみた。父は、患っている青年に対するイエスのすべての奉仕に明らかにされる温厚さと熟練の様に驚嘆した。彼らは、住宅地からは遠くにいたし、少年は動くことができないほどの病気であった。従って、二人は、山中のその場所で健康を回復するためのできる限りの看病をした。
ガニドの3 週間の回復期間、イエスは、自然とその多様な情趣について多くの興味ある事柄を彼に話した。また、彼らは、山頂を歩き回り、少年が質問し、イエスがそれに答え、また傍らで父親が全体の成り行きに驚嘆し、彼らは、いかに楽しんだことであったか。
山に滞在の最後の週、イエスとガニドは、人間の心の機能について長らく話した。数時間の議論の後、若者は、この質問をした。「しかし、先生、人がより高等動物よりもより高度の自意識形態を経験するとは、どういうことですか。」そこで、現代の言い回しで、イエスが答えた。
息子よ、私は、すでに人の心とそこに住む神精に関する多くを教えたが、今は、自意識が現実のものであると強調させてくれ。どんな動物でも自意識するとき原始の人間となる。そのような達成は、非人間的なエネルギーと精霊を想い描く心の間での機能の調整から生じ、人間の人格のための絶対の焦点、すなわち天の父の精霊の授与を保証するのが、この現象である。
考えは、単に感覚に関する記録ではない。考えは、感覚と個人的な自己の反射的な解釈である。そして、自己とは、自身の感覚の集合体以上のものである。進化している自己における統一への接近の何かになることが始まり、その統一は、そのような自意識の強い動物起源の心を精霊的に活動させる完全統一の一部である内在するものに由来する。
単なる動物は、時間を通しての自意識を持つことができない。動物には、関連する感覚認識とその記憶の生理的な調整があるが、知的で反射的な人間の解釈の結論で表れるようには、動物は、意味のある感覚の認識を経験しなし、これらの結合した物理的経験の意味深い関係をも示さない。そして、彼のその後の精霊的な経験の現実に関連づけられる自意識の強い存在のこの事実は、人に宇宙の潜在的息子の素質を与え、宇宙の崇高なる統一の最終的な達成の前触れとなる。
また人間の自己性は、単に意識の連続状態の集合体でもない。効を奏する意識選別人や交友者の働きなくして、自己性の指定を保証するに足りる統一は存在しないであろう。そのような非統一の心は、人間の地位の意識段階にほとんど達することができないであろう。意識の関係がただ偶然であるならば、すべての人の心は、精神の狂気のある段階の抑制されない、無作為の関係を示すであろう。
ただ単に物理的感覚の意識から単独に確立される人間の心は、精霊的段階に決して達することができなかった。この種の物質的な心は、ある意味で全く道徳的価値を欠いており、時間内の調和した人格達成に不可欠であり、また永遠の人格生存に不可分である精霊優位の指針感覚なしでいるであろう。
人間の心は、早くに、超物質である性質を明らかにし始める。本当に熟考する人間の知性は、完全に時間の限界に縛られるというわけではない。その個人が人生の遂行において甚だ異なるということは、遺伝の様々な授与や環境の異なる影響だけでなく、自己が獲得した父の内在する精霊との統合の度合、一方と他方との結合の尺度をも暗示する。
人間の心は、二重の忠誠の対立にうまくは耐えられない。善と悪の両方に仕える努力の経験を経ることは、魂に対する厳しい重圧である。この上なく幸福で有効的に統一された心は、天の父の意志を為すことに完全に捧げられるものである。未解決の対立は、統一を破壊し、心の分裂で終わるかもしれない。しかし、魂の生存の資質は、どんな犠牲をはらっても心の平和を保証しようと試みることより、高潔な切望を諦めることにより、そして精霊の理想の妥協により促進はされない。むしろ、そのような平和は、真実である勝利に達するという確固たる主張により到達されるのであり、この勝利は、善の強大な力で悪に打ち勝って獲得されるのである。
彼らは、翌日サラミスに出発し、そこからシリア海岸のアンチオケに向かった。
アンチオケはシリアのローマ行政区の首都であり、ここには帝国の知事の住居があった。アンチオケには50万人の住民がいた。それは、帝国で3番目の人口規模であり、不正と極悪の不道徳に関しては最悪の都市であった。ゴノドには、扱うべきかなりの仕事があった。従って、イエスとガニドは、大方二人きりであった。彼らは、ダフネの林を除く、この多言語の街の周辺のすべてを訪れた。ゴノドとガニドは、この悪名高い恥ずべき神殿を訪れたが、イエスは、同行することを断った。そのような場面は、インド人にとりそれほど衝撃的ではなかったが、理想主義的なヘブライ人には反感を抱かせるものであった。
パレスチナに近づくにつれ、そして旅の終わりになるにつれ、イエスは、冷静にまた反映的になった。かれは、アンチオケではあまり人々と雑談しなかった。かれは滅多に街を歩き回らなかった。ガニドは、師がなぜアンチオケに対する関心を示さなかったのかという質問の後に、イエスからようやく次のような言葉を引き出した。「この都はパレスチナから遠くない。おそらく、いつか私はここに戻るつもりである。」
ガニドは、アンチオケで非常におもしろい経験をした。この青年は、自分自身が利発な生徒であることを証明して、既にイエスの教えのいくつかの実用化を始めた。アンチオケで父親の商売に関係し、解雇を考えるほど非常に不快で不満になったインド人がいた。ガニドがこれを聞いたとき、自ら父親の仕事場へ行き、この同国人と長い談合をした。この男は、場違いな仕事に就かされていたと感じていた。ガニドは、天の父について話し、様々な意味でこの人物の宗教の視点を広げた。しかし、ガニドが言った全ての中でも、ヘブライの諺の引用が最も効果を示した。そしてその知恵の言葉は、「手がすることを見つける何であろうと、全力でそれをせよ。」
ラクダの隊商のために彼らの荷物を準備をすると、彼らは、さらにシドーンへ、そこからダマスカスまで進み、3日後には、砂漠を越える長い苦しい旅の用意をした。
砂漠横断の隊商の旅は、旅行経験豊富なこれらの男達にとり新体験ではなかった。ガニドは、師が20頭のラクダの積載を手伝うのを見て、また自分達の動物の扱いを申し出るのを見て、「先生、何かあなたができないというようなことがありますか。」と驚いて大声で言った。イエスは、微笑むだけであった。そして、「勤勉な生徒の目には師は確実に名誉である。」と言った。そして、 彼らは、古代のウルの都に向かった。
イエスは、アブラハムの出生地ウルの初期の歴史に非常に興味を持っており、同時にシューシャンの遺跡と伝統にも等しく魅了されていたので、ゴノドとガノドは、イエスが更に調査を行える時間を提供するために、また自分達と共にインドに戻るように彼を説得するさらに良い機会を得るために、これらの地域における滞在を3週間延ばした。
ガニドが知識、知恵、真実の違いに関してイエスと長談義をしたのはウルであった。ガニドは、ヘブライ人の賢者の言葉に大いに魅了された。「知恵は、主要なものである。それ故、知恵を得よ。知識の探求でもって理解を得よ。知恵を高めよ。さすれば、それが人を押し進めるであろう。知恵を迎え入れれば、それが、人に名誉をもたらすであろう。」
ついに、別れの日が来た。彼らは皆、特に若者は、勇敢であった。しかし、それは辛い試練であった。彼らは、涙ぐんだ目をしていたが、勇ましい心情であった。師に別れを述べる際、ガニドが言った。「さようなら、先生、でも永遠にではなく。再びダマスカスに来るとき、私は、あなたを探します。私はあなたを慕っています。なぜなら天国の父は、あなたに似ているに違いないと思いますので。少なくとも、あなたが神に言い及んできたことが、あなたによく似ているのが私には分かります。教えを覚えていますが、特に、あなたのことを決して忘れはしません。」父は、「我々をより良くし、神を知るのを助けてくれた方、偉大な先生、さようなら。」と言った。そして、イエスは、「君達に平和を。天の父の祝福あれ。」と返した。そして、イエスは、岸に立ち、碇泊している船に小舟が二人を乗せていくのを見た。このようにしてハラクスでインドの友から立ち去ったあるじは、この世で二度と彼等には決して会わなかった。二人の方も、後でナザレのイエスとして現れた男性が、たった今別れた自分達の師であるこの同じ友人であったと知ることは、この世では一度もなかった。
インドでは、ガニドは、影響力のある男性になるように、著名な父のふさわしい後継者になるように成長し、そして最愛の師イエスから学んだ気高い真実の多くを広めた。人生の後半で、ガニドが、十字架上に人生を終えたパレスチナの見知らぬ教師について聞いたとき、この人の息子に関する福音と自分のユダヤ人の家庭教師の教えとの類似点を認めはしたものの、この2人が実際に同じ人物であったとは決して思いつかなかった。
このように、師ジャシュアの使命と称されるかもしれない人の息子の人生における章を終える。
地中海の旅行中、イエスは、出会った人々と通過した国々をじっくり調査してきた。そして、この時期に地球での人生の残りに関する最終的な決定に達した。パレスチナでユダヤ人の両親に生まれたと予め定められたその計画を十分に考慮し、今や最終的に承認した。従って公のための真実の教師として自分の一生の仕事の始まりを待ち受けるためにわざわざガリラヤに戻った。かれは、父親ヨセフの身内のその土地で公的な経歴の計画を立て始めた。また、イエスは、彼自身の自由選択でこれをした。
イエスは、地球での人生の終章設定をし、最終場面を演じるために、パレスチナが、ローマ世界で最善の場所であることを個人的に人生経験を通して知った。初めて、故郷のパレスチナのユダヤ人と非ユダヤ人の間で公然と自己の本質を表し、また自己の神性の正体を明らかにする計画に完全に満足していた。かれは、無力な赤子として人間生活に入った同じ土地で確実に地球での人生を終え、限りある命の自己の使命を全うすると決めた。彼のユランチア経歴はパレスチナのユダヤ人の中で始まり、かれは、パレスチナのユダヤ人の中でその人生を終えることを選んだ。
ハラクスでゴノドとガニドに暇乞いをした後(西暦23年、12月)、イエスは、ウル経由でバビロンへ戻った。そこで、彼は、ダマスカスへ行く途中の砂漠の隊商隊に合流した。ダマスカスからナザレに行き、ほんの数時間カペルナムに寄り、ゼベダイの家族を訪問した。そこで、かれは、以前いつか自分の代わりにゼベダイの船の作業場に働きに来た弟のジェームスに会った。ジェームスとユダ(また偶然カペルナムにいた)と話した後に、ゼベダイ・ヨハネがなんとか買うことができた小さい家をジェームスに引き渡した後に、イエスは、ナザレに進んだ。
地中海旅行の終わりに、イエスは、ほぼ公のための職務の始まりまでには、生活費用を満たすに足りる金額を受領していた。しかし、カペルナムのゼベダイとこの並はずれた旅で会った人々は別として、世間は、イエスがこの旅行をしたことを全く知らなかった。家族は、彼がこの時期アレキサンドリアで研究して勉強に費やすと常に考えていた。イエスはこれらの思い込みを決して確かめなかったし、そのような誤解を公然と否定もしなかった。
数週間のナザレでの滞在中、イエスは、家族や友人と雑談し、修理工場で弟ヨセフと若干の時を過ごしたが、大部分はマリヤとルツへ注意を注いだ。ルツは当時15歳ほどであり、年若い女性となってからは、これが彼女と長く話すイエスの最初の機会であった。
サイモンとユダの両者は、少し前から結婚したかったのであるが、イエスの同意なくしては嫌であった。従って、長兄の帰りを期待して、彼らは、この行事を延期していた。ほとんどの事柄に関してジェームスを家族の代表と見なしてはいたものの、結婚するに当たっては、彼らは皆、イエスの祝福を望んだ。それで、サイモンとユダは、この年西暦24 年、3 月上旬に二組の結婚式を挙げた。年上の子供達が今や皆結婚した。一番年下のルツだけが、マリヤと家に残った。
イエスは、家族の個々人と全く普通に自然に雑談したが、皆が揃ったときは、それほど話さなかったので、かれらは、それに気づき、感想を述べ合うほどであった。マリヤは、特に長子の息子のこの異常に独特な振舞いに当惑した。
イエスがナザレを去る準備をしていた頃、都を通過していた大隊商隊の案内人が、激しい病にかかった。そこで外国語に通じたイエスが、その代役を買って出た。この旅行は1年間の彼の不在を必要とする理由で、その上すべての弟が結婚しており、母はルツと家にいたので、イエスは、家族会議を召集し、母とルツには、つい最近ジェームスに与えたカペルナムの家に移り住むことを提案した。従って、イエスが隊商隊と去った数日後、マリヤとルツは、カペルナムに移り、かれらは、イエスが用意した家でマリヤの余生の間を暮らした。ヨセフとその家族は、古いナザレの家に引っ越した。
これは、人の息子の内面的経験におけるより変わった年の1つであった。人間の心と内在する調整者との間の有効な調和をもたらす素晴らしい進歩が見られた。調整者は、遠くない将来の大きな出来事に対する考えの再編成と心の習熟に活発に従事していた。イエスの人格は、世界に対する自己の心構えにおける大きな変化に備えていた。これらは、変わり目の時、神が人として姿を現す人生を始め、今人が神として地球でのその人生を完了しようと準備をしている過渡期であった。
イエスがカスピ海地域への隊商旅行でナザレを去ったのは、西暦24年4月1日であった。イエスがその案内人として加わった隊商隊は、エルサレムからダマスカスとウルミア湖経由で、アッシリア、メディアおよびパルチアを通過し、南東のカスピ海地方に行く予定であった。かれが、この旅行から戻るまでにはまる1年かかった。
イエスにとってのこの隊商の旅は、探査と直接奉仕のもう一つの冒険であった。隊商隊の家族—乗客、番人、ラクダの御者達—との面白い経験をした。隊商の沿道に住む何十人も多くのの男女、および子供等は、ありふれた隊商の並はずれた案内人であるイエスとの接触の結果、より豊かな人生を送った。彼の個人的奉仕の機会を全ての者が楽しんだ訳ではないが、彼と出合い話したかなりの人々は、自然の余生がより良くされた。
彼のすべての世界旅行のうち、このカスピ海旅行が、東洋の最も近くにイエスを移動させ、また極東民族をより理解することを可能にした。かれは、赤い民族を除いてユランチアに生き残っている各種族との親密かつ直接的な接触をした。かれは、等しくこれらの様々な種族、混合した民族のそれぞれへの個人的な奉仕を楽しんだし、彼らは皆、イエスの携えてきた生きた真実を受け入れた。極西部地方からのヨーロッパ人と極東からのアジア人はみな同じで、望みと永遠の命のイエスの言葉に注目し、かれが、自分達の間でとても慈悲深く暮らしたイエスの愛の奉仕と精神的活動の人生によっても等しく影響を受けた。
隊商旅行はあらゆる面で成功であった。この年ずっと物資の責任を委ねられ、また隊商を構成している旅行者の安全な指揮の責任ある経営伎倆において機能したので、これは、イエスの人間生活での最も興味深い挿話であった。そして、彼は、最も忠実に、効率的に、賢明に自分の複数の職務を履行した。
カスピ海地方からの戻り、イエスは、ウルミア湖で隊商の指揮をあきらめ、そこに2 週間余り滞在した。彼は、後発の隊商の乗客としてダマスカスに戻った。そこでは、ラクダの所有者達が、彼等の業務活動に留まるよう懇願した。この申し出を断り、隊商の行列とカペルナムへと旅を続け、西暦25 年4 月1 日到着した。もはや、かれは、ナザレを故郷とは見なさなかった。カペルナムは、イエス、ジェームス、マリヤ、およびルツの家となった。しかし、イエスは、決して家族と再び暮らさなかった。かれは、カペルナムでは、ゼベダイ家を自分の家庭とした。
カスピ海への途中、イエスは、ウルミア湖西岸のウルミアの古いペルシアの都市で休息と回復のために数日間留まった。ウルミア近くの沖合にある一群の島の中で最大のものには、「宗教の霊」に捧げた大きい建物—講議用円形劇場—があった。この建物は、実は宗教の哲学の寺院であった。
この宗教寺院は、ウルミアの豪商とその3 人の息子により建設された。この男は、キンボイトンといい、先祖は多くの多様な民族を含む。
この宗教学校での講義と討議は、平日毎朝10 時に始まった。午後の集会は3 時に始まり、夜の討論は8 時に開かれた。キンボイトンか3 人の息子のうちの一人は、いつも教育、議論と討論のこれらの集会の議長をした。この異色の宗教学校の創設者は、一度も自分の個人的な信仰を明らかにすることなく生きて、死んだ。
時折、イエスは、これらの議論に参加し、そしてウルミア出発前に、キンボイトンは、帰路には2 週間自分達と滞在し、「人間の兄弟愛」に関して24 回講議し、そして特に彼の講義に関して、また全体を通しての人間の兄弟愛に関する質問、議論と討論の12 回にわたる夜の集会を開くための打ち合わせをイエスとした。
この取り決めに従って、イエスは、帰路の途中に立ち寄り、これらの講義をした。これは、ウランチアでの全てのあるじの教えの中でも最も系統だった、正式なものであった。人間の兄弟愛に関わるこれらの講義と議論に含まれた1つの主題についてこれほどまでに多くを言ったことは前にも後にも決してなかった。これらの講義は、事実上、「神の王国」と「人間の王国」についてであった。
30以上の宗教と宗派は、宗教的な哲学のこの寺院の教授陣に見受けられた。これらの教師は、選ばれ、支持され、またそれぞれの宗教集団によって完全に公認された。このとき、教授陣にはおよそ75 人がおり、かれらは、12 人程度収容できる小家屋に住んでいた。この集団は、新月毎に、多くの顔ぶれと入れ換えられた。寛容のなさ、争い好きな態度、また共同体の滑らかな運営を妨げるような他のいかなる他の気質も、問題のある教師の即時、即刻の解雇をもたらすのであった。その教師は、形式ばらずに解雇され、控えの補欠がすぐに、その位置に就任するのであった。
様々な宗教のこれらの教師は、かれらの宗教が、この人生と次の世界の人生における基本的な事に関していかに相似しているかについて示すかなりの努力をした。この教授陣に席を得るために受け入れなければならないわずかに1 つの主義—すべての教師が、神、ある種の最高の神格、を認識する宗教を代表しなければならない—が、あった。組織化された宗教を代表しない5 人の独立した教師が教授陣にいた。そして、イエスが現れ出向いたのは、そういう独立した教師達であった。
[我々ミッドウエイヤーがウルミアでイエスの教えに関する概要を最初に準備したとき、ユランチア啓示のこれらの教えを含む知恵に関する教会の熾天使と進歩する熾天使との間に、相違いが、起きた。これらの世界機能が20世紀に存在するようには、ウルミアであるじの教えを神の王国と人の王国の問題に適合させるのは誠に困難なことであったように、宗教と人間の政府の両方で優勢である20 世紀の状況は、イエスの時代の優勢さとはかなり異なっている。我々は、惑星政府のこれらの熾天使の両集団が満足できるあるじの教えを系統立てて述べることができなかった。最終的に、天啓委員会のメルキゼデク議長は、ユランチアに関する20世紀の宗教上の、そして政治状況に適合するように、あるじのウルミアの教えの視点を準備するために我々の集団からの3 名の委員会を任命した。従って、我々3 名の二次中間者は、イエスのそのような教えの翻案を完成し、現代の世界情勢に適用して彼の公式見解を言い換えて、天啓委員会のメルキゼデク議長によって編集された後に、我々は、あるがままのこの声明をいま提示する。]
人間の兄弟愛は神の父性に基づく。神の家族は、神の愛に由来しており—神は愛である。神なる父は、その子等全てを神々しく愛している。
神の政府、天の王国は、神の主権、神は霊である、という事実に基づく。神は精霊であるので、この王国は精霊的である。天の王国は物質的でもなく、単に知的でもない。それは、神と人との精霊的な関係である。
異なる宗教が神なる父の精霊主権を認識するならば、すべてのそのような宗教は平和のままであろう。1 つの宗教が、他のすべてよりもいくらか優れている、また他の宗教の上に独占的な権限を保持すると仮定する時だけ、そのような宗教は、他の宗教を受け入れないないか、または他の宗教信者を敢えて迫害することになるであろう。
宗教平和—兄弟愛—は、全宗教が、全ての教会の権威を完全に剥奪し、精霊主権の全ての概念を完全に放棄することを進んでしない限り、決して存在し得ない。神のみが精霊主権者である。
全ての宗教が、何らかの超人的段階に、神自身への全ての宗教主権の譲渡に同意しない限り、宗教戦争無しには、宗教(信仰の自由)の間に平等はあり得ない。
人間の心の天の王国は、宗教統一(必ず一様であるというわけではない)を生み出すであろうから、そのような宗教信者から成るすべての宗教団体は、教会の権限—宗教主権の全て—のすべての概念から自由になるであろう。
神は精霊であり、神は人の心に住むために自分の精霊の破片を与える。精霊的に、全ての人間は平等である。天の王国には、カースト制度、階級、社会的水準、および経済集団がない。皆が、同胞である。
しかし、人が、神なる父の精霊主権を見失うその瞬間、ある1 つの宗教は、他の宗教の上にその優越について主張し始めるであろう。そうなると、地球の平和と人の間の善意の代わりに、不和、非難の逆襲、宗教戦争さえ、少なくとも宗教家の間の戦争、が始まるであろう。
自身を同等のものと見なす自由意志を持つ者たちは、いくらかの超主権を、自身の上に何らかの権威を条件として相互に認めない限り、遅かれ早かれ、他の人々や集団の上に力と権威を獲得するため彼等の手腕を試用したくなる。平等の概念は、「超主権」のいくらかの支配過剰の影響の相互認識を除いたのでは、平和を決してもたらさない。
ウルミアの宗教家たちは、宗教主権に関する全ての概念を完全に放棄したので、比較的平和に平静に共存した。精霊的に、彼らは全員、主権を有する神を信じた。社会的には、議長—キンボイトンに完全かつ非-挑戦の権力を委任した。かれらは、仲間教師の上に立とうとした教師に、何が起こるかを熟知していた。すべての宗教集団が、神の偏愛、選ばれた人々、宗教主権に関する全ての概念を惜しげなく放棄するまで、ユランチアに持続する宗教平和をもたらすことはできない。神なる父が最高となるときにだけ、人間は、地球で宗教の兄弟となり平和に共存するようになるのである。
[神の主権に関するあるじの教えは、真理—世界の宗教の中で彼に関するその後の宗教の台頭によって複雑になったに過ぎない—であるとともに、政治的な主権に関する彼の発表は、この1,900 年間もその上も、国の生活の政治的進化によって非常に複雑になった。イエスの時代の世界には、2大強国—西洋のローマ帝国と東洋の漢帝国—しかなく、これらは、パルティア王国、そしてカスピ海とトルキスタン領域に介在する他の国々とにより遠く切り離されていた。我々は、従って、ウルミアでの政治主権に関するあるじの教えの要旨からは、次の提示においてより遠く離れてしまった。同時に、それらが、キリスト以後の20 世紀に政治的主権の発展の格別に重要な段階に適用できるような教えの移入の叙述を試みる。]
国が無制限な国家主権の錯覚に基づく概念に執着する限り、ユランチアにおける戦争は決して終わらないであろう。棲息世界には2 局面の相対的主権しかない。一個人の精神的な自由意志と人類の総体的な主権。個々の人間の局面と人類総体の局面の間では、すべての分類づけと集団は相対的であり、一時的であり、また個人と惑星全体—個人と人類—の福祉、幸福、進展を高める限りにおいては価値がある。
宗教教師は、神の精霊的主権が、全ての介在する精霊的忠誠心と取って代わるということをつねに思い出さなければならない。いつか市民の統治者は、いと高き者が人の王国で統治するということを知るであろう。
人の王国におけるいと高き者のこの統治は、いかなる人間の、殊に贔屓された集団の特別な利益ではない。「選民」というようなものはないのである。いと高き者達の統治、政治的進化の過度の統制者達は、すべての人間の最大多数のための最長期間にわたる最善を促進するように考案された規則である。
主権は、力であり、組織化により成長する。政権組織のこの成長は、人類全体の絶えず拡大する部分を含む傾向があることから、好ましく、適切である。しかし、政治団体のこの同じ成長は、政権の初期で自然の組織—家族—と政治的な成長の最終的成就—全人類による、そして全人類のための全人類の政府—の間に介入するあらゆる段階で問題を生じさせる。
政治的主権は、家族集団において親の力で始め、家族が様々な理由のために血縁の一族と重なり部族に合一—超血族の政治上の分類づけ—するように、組織化により進化する。そして、取引、商業、および征服により、部族は国として統一され、国自体は時おり帝国により統一されるようになる。
主権がより小さい集団からより大きい集団へと移行するにつれ、戦争は減少する。すなわち、小国間の小戦争は減少するが、複数の国が主権を拡大するにつれ、より大きな戦争の可能性が増大する。やがて、全世界が調査され、占領されてしまうとき、国が少なく、強く、強力であるとき、これらの強大で、おそらくは主権をもつ国々が国境を接するとき、その上海洋だけがそれらを切り離すとき、重大な戦争、世界的な紛争のために舞台が設定されるであろう。いわゆる主権国家というものは、紛争を引き起こすことなく、戦争を起こすことなく、交流はできない。
家族から全人類への政治主権の進化の困難は、介在する全ての段階において示される慣性抵抗にある。時々家族は、その一族に逆らってきたし、一族と部族は、しばしば地方国家の主権を覆してきた。政治主権のそれぞれの新たで前向きの進化は、政治団体の過去の開発の「足場段階」によって躊躇し、妨げられるし、(今までもずっとそうであった)。そして、これは、いったん動かされた人間の忠誠心は、変えにくいので本当である。部族の発展を可能にする同じ忠誠は、「超部族」—領国—の発展を難しくする。そして、領土の状態の進化を可能にする同じ忠誠心(愛国心)は、すべての人類の政府の進展的発達を非常に複雑にする。
政治主権というものは、まず、家族内個人により、それから部族やより大きい分類分けに関わる一族による自己決定主義の降伏から生まれる。より小さいものから非常に大きい政治団体へのこの進歩的な自己決定の移行は、明とムガール王朝の確立以来、東洋においては概して衰えずに続行した。西洋においては、不幸な後退する動きが、多数の小集団の潜んでいた政治主権をヨーロッパに再確立することによってこの通常な傾向を一時的に覆したとき、世界大戦の終わりまでの1,000年以上これを手にしていた。
ユランチアは、いわゆる主権国家が、主権を賢明にかつ完全に人間の兄弟の手—人類政府—に引き渡さない限り長続きする平和を味わないであろう。。国際主義—国際連盟—は、人類に永久的平和を決してもたらすことはできない。世界規模の国家同盟は、小規模戦争を効果的に防ぎ、小国をまずまず制御するであろうが、世界大戦を防いだり、最も強力な3、4、または5 つの政府を抑制はしないであろう。実際の紛争に直面の際、これらの大国の1つは、同盟から脱退し、戦争を宣言するであろう。国家主権の妄想の害毒に感染状態でいる限り、国同士の戦争をくい止めることはできない。国際主義は、正しい方向への一歩である。国際的警察力は、多くの小戦争を防ぐであろうが、それは、大きな戦争、地球の相当の軍事政府同士の闘争を防ぐに当たっては効果的ではなかろう。
本当に主権国家(強国)の数が著しく減少するに従い、人類政府ののための機会と必要性の双方も、増加する。ほんのいくつかの本当の主権の(強力な)国家が存在する時、国家(帝国)覇権のための生死の争いに乗り出さなければならないか、さもなくば、主権の特権の自発的な引き渡しにより、かれらは、全人類の真の主権の始まりとして役目を果たす超国家力の不可欠な中枢を設けなければならない。
すべてのいわゆる主権国家が全人類の代理政府手に戦争を起こすその力を引き渡すまで、ユランチアに平和は来ないであろう。政治主権は、世界の民族に本来備わっている。ユランチアの全民族が世界政府を創設するとき、彼らにはそのような統治主権を握る権利と力がある。そして、そのような代表または民主主義の世界の強国が、世界の陸、空、海軍を支配するとき、地球の平和、および人の間の善意の波及が可能となる—だが、それまでは、、、。
重要な19 世紀と20 世紀の具体例を用いるために: アメリカ連邦国家の48 州が長い間、平和を享受してきた。彼等の間に戦争は、もうない。連邦政府に自分達の主権を放棄し、戦争の仲裁を経て、自決の妄想に対する全ての要求を断念した。各州がその内政事情を管理する旁ら、外交関係、関税、出入国管理、軍事、または各州間の商業には関わらず、個々の州も、市民権の問題に関係しない。連邦政府の主権が何らかの危険にさらされるときだけ、48 州が戦争による損害を被る。
これらの48 州、主権と自決の対の詭弁を捨て、州の間の平和と安らぎを楽しむ。同様に、ユランチアの国々は、それぞれの主権を地球の政府—人間の兄弟の主権—の手に自由に明け渡すとき、平和を味わい始める。ロードアイランドの小さい州がニューヨークの人口の多い州、またはテキサスの大きい州と全く同等にアメリカ議会に2 人の上院議員がいるように、この世界国家においては、小さい国々は、大きい国々と同じくらい強力であろう。
この48 州の限られた(州の)主権は、人間により人間のために創出された。アメリカ連邦政府の超州的(国家的)主権は、最初の13 州により自州のために、そして人間のために創出された。いつか、人類の惑星政府の超国家主権は、国家により自国の利益と全ての人間のために同じように確立されるであろう。
国民は政府のために生まれない。政府は、人のために設立され、考案される組織である。全人類の主権政府の出現を達成するまでは政治主権の発展に終わりのあるはずはない。他のすべての主権は、価値においては相対的であり、意味においては中間的であり、状態においては従的である。
科学の進歩と共に、戦争は、ほとんど民族的に自滅状態になるまでますます破壊的になるであろう。人間が、人類の政府を設立を望み、永久的平和と善意の安らぎ—世界規模の善意の祝福—を享受し始めるまでに、どれくらいの世界大戦が戦われなければならないのか、そして、どれくらいの国際連盟が失敗しなければならないのか。
1 人の人間が解放—自由—を切望するならば、他の全ての人間も同じ自由を熱望するということに気がつかねばならない。そのような自由を好む人間集団は、全ての仲間の人間に等しい自由を保証すると同時に、各人に同程度の自由を与えるそのような法、規則、条例に従属することなくして安らかに共存することができない。1 人の人間が絶対に自由になるつもりであるならば、他者は、完全な奴隷にならなければならない。そして、自由の相対的な本質は、社会的に、経済的に、政治的に存在する。自由は、法の施行によって可能になる文明の贈り物である。
宗教は、人間の兄弟愛がわかることを精神的に可能にするが、人間の幸福と能率のような目標に関連した社会的、経済的、政治的な問題を調整するための人類政府を必要とするであろう。
世界の政治主権が、分割され、1群の民族国家により不当に保持される限り、戦争や戦争の噂を聞くだろう—国は国に敵対して立ち上がるであろう。それぞれの主権をあきらめ、イギリスに置くまで、イングランド、スコットランド、ウェールズは、つねに互いに戦ってきた。
もう一つの世界大戦は、主権国家と呼ばれる国々にある種の連邦を形成することを教え、その結果小規模戦争、つまり弱国間での戦争を防ぐための機構を設定することであろう。しかし、人類の政府が創設されるまで、世界戦争は続くであろう。全世界の主権は、世界的な戦争を防ぐであろう—他の何もできない。
48 のアメリカの自由な州は、平和に共存する。絶えず交戦中のヨーロッパの国々に住んでいる様々な国籍と民族の全てが、この48 州の国民の間にいる。これらのアメリカ人は、全世界のほとんどすべての宗教、宗派、およびカルトを代表するが、ここ北アメリカでは、平穏に共存している。そして、この48 州がその主権を引き渡し、想定された自決権の全概念を断念したので、この全てが可能になる。
それは、軍備または武装解除の問題ではない。世界規模の平和を維持するこれらの問題を決するのは、徴兵制または自発兵役制のどちらのでもない。強国からあらゆる形の近代軍備とすべての型の爆発物を取りあげるならば、かれらが国家主権の神授の王権の妄想に執着する限り、彼らは拳、石、棒切れで戦うであろう。
戦争は、人間のたいへんで恐ろしい病気ではない。戦争は、兆候、結果である。本当の病気は国家主権の病原菌である。
ユランチアの国々には、本当の主権を備えていなかった。彼らには、世界大戦の破壊行為と荒廃から彼らを保護することのできた主権は決してなかった。人類の世界的な政府の創設において、今後すべての戦争から完全に保護することのできる真の、正真正銘の、長続きする世界主権を実際に確立しているほどには、国家は、主権を放棄してはいない。地方の問題は、地方自治体が取り扱うであろう。国家の問題は、国家の政府が、国際問題は、世界的な政府が管理するであろう。
条約、外交、外国政策、同盟、力の均衡、または他のいかなる型のその場限りの国家主義の主権の操作でも、世界平和を維持することはできない。世界法の誕生が必然であり、世界政府によって施工されねばならない—全人類の主権。
個人は、世界政府の下ではるかに多くの自由を楽しむであろう。今日、列強の国民は、ほとんど圧政的に課税され、規制され、支配されており、中央政府が、その主権を国際的な問題に関しては世界政府の手へ進で移行するとき、現在のこの個々の自由に対する干渉の多くが消滅するであろう。
世界政府の下、本物の民主主義の個人の自由に気づき、味わう真の機会が、国家集団に与えられるであろう。自決の誤りは終わるであろう。金銭と貿易の世界的な規制とともに、世界平和の新時代が来るであろう。やがて世界共通言語が進化し、少なくとも何時か世界的な宗教—または、世界的観点をもつ宗教—を得る幾らかの望みがある。
集合体が、すべての人類を含むまで、決して集団安全保証は平和をもたらさないであろう。
人類が代表する政府の政治主権は、地球に恒久平和をもたらすであろうし、人の精神的な兄弟愛は、すべての人間の間の善意を永遠に保証するであろう。そして、地球平和と人の間の善意を実現され得る如何なる方法も他にはない。
キンボイトンの死後、息子達は、温和な教授陣の維持において大変な困難に遭遇した。もしウルミア教授陣に加わった後のキリスト教の教師陣が、より多くの知恵を示し、より多くの寛容を行使させていたならば、イエスの教えの影響は、はるかに大きかったであろう。
キンボイトンの長男は、フィラデルフィアでアブネーに助けを求めたが、教師達は、頑固で、容易に妥協しないと判明したので、アブネーの教師の選択は最も不運であった。これらの教師は、自分たちの宗教を他の信仰の上に優位にしようとした。かれらは、しばしば言及された隊商案内人の講演は、イエス自身のものであったということを決して推測しなかった。
教授陣の中での混乱が拡大するにつれ、3 兄弟は、資金援助を撤回し、5 年後には、学校が閉鎖した。その後、それは、ミスラ寺院として再開され、遂には自分達の組織の祝賀の際に焼失した。
イエスがカスピ海への旅から戻った時、かれは、自分の世界旅行はほとんど終わりだと知っていた。かれは、パレスチナの外へのもうひとつの旅行だけをした。それは、シリアへであった。かれは、カペルナムへの短い訪問後、数日の訪問のためにナザレに立ち寄った。4 月中旬、かれは、テュロスへ向けてナザレを立った。そこから北へと旅を続け、シドーンに数日間留まりはしたものの目的地はアンチオケであった。
これは、パレスチナとシリアを通過するイエスの単独の放浪の年である。この旅の年を通して、かれは、この地域の異なる地域で様々な名前で知られていた。ナザレの大工、カペルナムの船大工、ダマスカスの筆記者、及びアレキサンドリアの教師。
人の息子は、アンチオケで働き、観察し、学習し、訪問し、奉仕し、そして、人はどのように生きるのか、自分は、どのように考え、感じ、また人間の存在の環境に反応するのかを学びながら2カ月以上暮らした。かれは、この期間の3 週間、天幕職人として働いた。この旅行で訪問した他のどの所よりもアンチオケに長く滞留した。10 年後、使徒パウーロスがアンチオケで説教をしていたとき、信奉者達がダマスカスの筆記者の教義について話すのを聞いたとき、自分の生徒達があるじそのものの声を聞いたとは、あるじ自身による教えを聞いたとは、ほとんど知らなかった。
イエスは、アンチオケから海岸沿いを南にカエサレアへと旅した。そこで、数週間滞在し、海岸をヨッパへと進んだ。ヨッパからイアムニア、アシュドド、ガザへと内陸を旅した。ガザから、ベーシェバへと内陸路を取り、そこに 1 週間留まった。
イエスは、それからパレスチナの中心を通り、南のベーシェバから北のダンまで行く一個人としての最終的な歴遊を始めた。この北方への旅では、ヘブロン、ベスレヘム(自分の出生地を見た所)、エルサレム(ベサニアは訪問しなかった)ベールス、レボナハ、シハー、シェケム、サマリア、ゲバ、エンガニエム、エンドール、マードに立ち寄り、マグダラとカペルナムを通過し、北ヘと旅を続けた。そしてかれは、メロム湖の東を通りカラフタ経由でダン、すなわちカエサリア・ピリピに行った。
内在する調整者は、その時イエスに人間の居住地域を見捨て、かれが、人間の心を習得する仕事を終え、地球での一生の仕事の残りに完全な献身を果たす任務を遂行できるようにヘルモン山に行くように導いた。
これは、ユランチアにおけるあるじの地球人生における稀で驚異的な時代の1 つであった。もう一つの、非常に似通ったものは、彼が洗礼の直後、ペラの近くの丘を一人で通過した経験であった。ヘルモン山の隔離のこの期間は、純粋に人間の経歴の終了、すなわち、厳密には人間贈与の終了の特性を現し、一方後の隔離は、贈与におけるより神の局面の始まりを示したが。イエスは、6 週間ヘルモン山の斜面で一人で神と暮らした。
カエサリア・ピリピの近隣で若干の時を過ごした後に、イエスは、物資の準備をし、荷役用の動物とティグラスという若者を確保し、西ダマスカス道路沿いに、ヘルモン山麓の丘のかつてベイト・ジェンとして知られた村に向かった。西暦25年8月の中旬近く、かれは、本拠地をここに設立し、ティグラスの管理のもとに物資を残し、孤立した山の斜面を上った。ティグラスは、この初日イエスに指定された標高およそ1,800 メートルの地点へ同伴し、2人は、ティグラスが1 週間に2度食物を置くはずのこの場所に石の容器を造った。
1日目、ティグラスを残した後、祈りのために止まったとき、イエスは、まだほんの少ししか山を上っていなかった。他の事柄と合わせて、かれは、「ティグラスといる」ための後見熾天使を送り返すように父に頼んだ。彼は、人間生活における現実との最後の戦いまで一人で進むことを容認されることを要請した。そして、要請は受け入れられた。イエスは、彼を誘導し、支えるために内在する調整者とだけで大試練に突入した。
山にいる間、イエスは質素に食した。食物を口にしない日は1 日か2 日に抑えた。彼が、この山で立ち向かってきた超人的生物に精神で格闘し、力で破ったのは本当であった。かれらは、サターニア系の彼の大敵であった。かれらは、現実と紊乱した心の幻影との区別ができない弱化し空腹な人間の知的な気まぐれから発展する想像力の幻影ではなかった。
イエスは、ヘルモン山で8 月の最後の3 週間と9 月の最初の3 週間を過ごした。これらの数週間、彼は、心の理解と人格制御の環を成し遂げる人間としての任務を終えた。天なる父とのこの期間の親交を通し、内在する調整者も、課された仕事を完了した。この地球の被創造物の人間の目標は、そこで遂げられた。心と調整者との調和の最終局面だけが完成されないまま残った。
楽園の父との5 週間以上におよぶ中断することのない交わりの後、イエスは、彼の本質と時空間の人格顕現の物質的段階における勝利の確実性で絶対的に確信するようになった。かれは、神の資性が人間の資性に優勢となることを完全に信じ、断言することを躊躇わなかった。
イエスは、山での滞在の終わり近く、人の息子として、ヨシュア・ベン・ヨセフとしてサターニアの敵との協議の開催を許可されないものかどうかを父に尋ねた。この要求は承諾された。ヘルモン山での最後の週、途轍も無い誘惑、宇宙規模の試練が起きた。魔王(ルーキフェレーンスを代表する)と反抗的な惑星王子カリガスティアが、イエスとともにいて、イエスに完全に見えるようにした。そして、この「誘惑」、反逆的人格の詐称に直面した人間の忠誠心のこの最後の試練は、食物、寺院の尖塔、または僭越行為と関係するものではなかった。それは、この世界の王国に関するものではないが、広大かつ素晴らしい宇宙の主権に関するものであった。記録の象徴するところは、 世界の子供らしい考えの無教育な時代のために意図された。そして、後の世代は、人の息子がヘルモン山でのその波瀾万丈の日に如何に途轍もない戦いをくぐり抜けたかを理解するべきである。
ルーキフェレーンスの密偵からの多くの提案と対案に、イエスは、単に、「楽園の父の意志が打ち勝ちますように。そして、お前達を、我が反逆の息子達を、日の老いたるものが神らしく審判しますように。私は、お前達の創造者たる父である。おそらく私には公正にお前達を裁けないし、お前達はすでに私の慈悲を拒んだ。私は、お前達をより大きい宇宙の裁判官達の採決に委ねる。」と答えただけであった。
ルーキフェレーンスに提案された全ての妥協と一時凌ぎに対し、肉体化の贈与に関するそのような全てのまことしやかな提案に対し、イエスは、「楽園の父の意志は為される。」と単に答えた。そして、つらい試練が終わったとき、分離されていた後見熾天使はイエスの側に戻り、彼に力をかした。
晩夏のある午後、木立ちの中で、自然の静けさの中で、ネバドンのマイケルは、自己の宇宙の疑いのない主権を勝ち取った。任務を完遂したその日、時と空間の進化の世界で人間の肉体に似せた化身の生活を完全に送るため創造者たる息子のもとへと出発した。この重大な業績の宇宙発表は、その後何カ月も、彼の洗礼の日までされなかったが、それは、すべて、その日山で本当に起きたのであった。そして、イエスがヘルモン山から下りて来たとき、サターニアのルーキフェレーンス反逆とユランチアのカリガスティア脱退事実上決着がついた。イエスは、自分の宇宙の主権を獲得するために課された最後の代価を払った。そして、それは、すべての反逆者の地位を管理し、今後の全てのそのような大変動(もし起こるならば)が、即座に、有効に対処されるように確定する。従って、イエスのいわゆる「大いなる誘惑」がその出来事のすぐ後ではなく、彼の洗礼前に行われたということが分かるかもしれない。
山でのこの滞在の終わりに、イエスが下山していると、ティグラスが食物を持って会いに来るのに行き掛かった。彼に帰らせながら、「休息の時期は終わっった。私は父のための仕事に戻らなければならない。」とだけ言った。かれらが、ダンへの戻る旅の間、イエスは、口数少なく全く変わった人であった。かれは、その場所で若者に別れを告げ、ロバを与えた。それから前来た道を南へカペルナムへと進んで行った。
それは、夏の終わり近くの贖罪の日と礼拝堂の祝宴の頃であった。イエスは、安息日の間にカペルナムで家族会議を開き、翌日ゼベダイの息子のヨハネと湖の東方へ行き、ゲラーサ経由でヨルダン渓谷を下がりエルサレムに出発した。道中、同伴者と多少の会話をしているうちに、ヨハネは、イエスの大きい変化に気づいた。
イエスとヨハネは、ベサニアのラザロとその妹達のところで一夜を過ごし、翌朝早くエルサレムに行った。かれらは、少なくともヨハネは、その都市周辺で3 週間ほど過ごした。イエスが近辺の丘を散策し、何日も天の父との精霊的な交わりに従事する間、ヨハネの方は、何日も単独でエルサレムに入った。
贖罪の日の厳粛な礼拝の儀式には両者ともに出席した。ヨハネは、ユダヤ人の宗教儀式における最も重要な日の儀式に非常に感動したが、イエスは、終始考え深く黙っている見物人でいた。人の息子にとって、この儀式の執行は、哀れで無念であった。彼は、その全てを天の父の性質と属性の不正確な表現として見た。無限の慈悲の神の正義と真実に関わる事実の茶番劇だと傍観した。かれは、父の優しい性質と宇宙におけるその慈悲深い行為につい燃えるほどに漏らしたかったのだが、誠実な訓戒者は、彼の時間はまだ来ていないと諭した。しかし、その夜イエスは、ベサニアでヨハネが大いに不安になる数多くの所見を漏らした。しかもヨハネは、その晩自分達の聞いたイエスが言ったことの真の意味を決して完全に理解はしていなかった。
イエスは、ヨハネと神殿の祝宴の週を通して留まる予定をした。この祝宴は、全パレスチナの毎年の休日であった。ユダヤ人の休暇の時であった。イエスは、この時の歓楽に参加はしなかったが、老若の気楽で楽しい奔放さを見るにつけ喜びを得て、満足を経験したのは明白であった。
祝賀の週の真っ只中、祭礼が終わる前、イエスは、楽園の父とのよりよい心の交わりができる丘に退きたいと言ってヨハネと別れた。ヨハネは一緒に行きたかったであろうが、イエスは、「人の息子の重荷に耐える必要はない。都が安らかに眠る間、番人だけが不寝番をしなければならない。」と、彼に祭礼のあいだ留まるように言い張った。イエスは、エルサレムに戻らなかった。かれは、ベサニア近くの丘に一人でほぼ1 週間いた後にカペルナムへと出発した。帰り道では、シャウール王が自身の命を取った場所近くのギルボアの斜面で、単独で一 昼夜を過ごした。カペルナムに到着したときは、かれは、ヨハネをエルサレムに残した時よりも明かるく見えた。
イエスは、翌朝ゼベダイの仕事場に置いてあった手回り品の入った箱の場所に行き、前掛けをつけて仕事の構えで現れ、「私の時間が来るのを待つ間、忙しくしているのが当然である」と言った。かれは、翌年の1 月まで数カ月、船小屋で弟ジェームスの横で働いた。イエスとの作業のこの期間の後、例え如何ような疑いが人の息子の生涯の仕事に対するジェームスの理解を曇らせようとも、かれは、イエスの任務に対する信念を決して二度と完全に諦めることはなかった。
船小屋でのイエスの仕事のこの最後の期間、いくつかの大型船の内装仕上げに時間の大部分を費やした。全ての手仕事にかなりの苦心をし、立派な作品を完成したとき、かれは、人間の業績の満足感を経験するように思えた。かれは、瑣事には時間を無駄にはしなかったが、与えられたいかなる仕事の本質的な事に関しては、骨身を惜しまない労働者であった。
時が経つにつれ、ヨルダン川で悔悟者を洗礼しながら説教しているヨハネという者の噂がカペルナムに届いた。ヨハネは、「天の王国は近い。悔悟し、洗礼をうけよ。」と説いた。ヨハネが、エルサレムに最も近い川の浅瀬からヨルダン渓谷をゆっくり説教しながら進むに間、イエスは、これらの報告を聞いた。しかし、イエスは、ヨハネが、翌年、西暦26年の1 月にペラ近くに川を上ってくるまで船を作り働き続け、自分の道具を置いて、「私の時が来た。」と宣言し、やがて、洗礼のためヨハネのもとに赴いた。
しかし、大きい変化が、イエスの上に起きていた。国を往来するごとに、彼の訪問や奉仕活動を受けてきた人々のうちの僅かしか、過ぎ去った歳月に1 個人として知り合い、慕ってきた同じ人物が、公の師だとはその後ずっと気づかなかった。そして、早期の受益者達が、公の、権威ある教師の後の役割でイエスと気づかないこの失敗には理由があった。それは、心と精神のこの変化は、長年にわたり進行しており、ヘルモン山での重要な滞在中に終わった。
ガブリエルが前年の6 月エリサベツにした約束に基づき、洗礼者ヨハネは、紀元前7 年3 月25 日に生まれた。エリサベツは、ガブリエル訪問の秘密を5 カ月間保った。彼女が、夫のザハリーアスに告げると、かれは、大いに当惑し、ヨハネ出生のおよそ6 週間前に奇妙な夢をみて、ようやく彼女の話を完全に信じた。ガブリエルのエリサベツ訪問とザハリーアスの夢を除いては、洗礼者ヨハネの出生に繋がる奇妙なこと、または超自然なことは何もなかった。
8 日目、ユダヤ人の習慣に順じヨハネは割礼された。エルサレムのおよそ4 マイル西のユダの町として知られた小さい村で、かれは、日を重ね年を重ね、普通の子として成長した。
ヨハネの幼年期前半での最も重大な出来事は、両親と共に、イエスとナザレ一家を訪問したことであった。この訪問は、彼が6 歳を少し過ぎた紀元前1 年の6 月であった。
両親は、ナザレからの帰宅後、若者に系統だった教育を始めた。ユダヤ教会の学校はこの小さい村にはなかった。しかしながら、聖職者であるザハリーアスは、かなり良い教育を受け、またエリサベツは平均的なユダヤ女性よりもはるかに良い教育を受けていた。「アーロンの娘達」の子孫である彼女もまた、聖職者の家の出の者であった。ヨハネは、一人子であったので、二人は心と精神面の鍛練にかなりの時間をかけた。ザハリーアスは、多くの時間を息子の教育に専念できるように、エルサレムの寺院ではほんの短い礼拝の期間を受け持った。
ザハリーアスとエリサベツは、羊を育てた小さい農場を持っていた。この土地では生計をほとんど立てなかったが、ザハリーアスは、聖職者に献納された寺院の資金からの定期の手当てを受領した。
ヨハネには14歳で卒業する学校はなかったが、正式のナジル人の誓いを立てるように、両親が適切な年としてこの年を選んでいた。そのため、ザハリーアスとエリサベツは、息子を死海近くのエンゲディに連れて行った。これは、ナジル人友愛会の南の本部であり、そこで、若者は、人生のためのこの集団に正式に、厳かに入会させられた。これらの儀式と全ての酒類を慎むこと、髪を伸ばすこと、死者に触れるのを控えるという誓いを立てた後に、家族は、エルサレムへと進み、そこで、エルサレムの寺院の前で、ヨハネは、ナジル人になる者に要求される捧げ物をし終えた。
ヨハネは、有名な先人であるサムソンと予言者サミュエルに宣誓されたものと同じ生涯の誓いを立てた。終身ナジル人は、神聖化され、そして聖なる人格と見られた。ユダヤ人は、ナジル人というものをほとんど尊敬および崇拝を持って、高僧相応で重んじ、これは、高僧を除く、生涯の献身をするナジル人のみが、最も神聖な寺院に入ることを許された唯一の人々であったということから奇妙なことではなかった。
ヨハネは、父の羊の世話をするためにエルサレムから戻り、高潔な性格の強者に成長した。
16 歳のとき、ヨハネは、エーリージャに関する読書の結果、カーメル山の予言者に大いに感動し、その服装を採用すると決めた。その日から、ヨハネは、いつも革の腰ひもで毛の深い衣服を着た。かれは、16 歳で1.8 メートル以上もあり、ほとんど成長していた。ゆったり流れる髪と特異な服装で絵に描いたような若者であった。そして、両親は、この一人息子、約束の子、ナジル人に素晴らしいものを期待した。
ザハリーアスは、数カ月の病気の後に、丁度ヨハネの18歳が過ぎた、西暦12 年7 月に死んだ。ナジル人の誓いが死者との接触を、たとえ自分の家族であろうとも、禁じていたので、これはヨハネにとり格別に妨げな困惑の時であった。死者による汚染に関し誓いの制限に順じる努力はしたものの、完全にナジル人の修道会の要求に従順であるということを疑問に思った。従って、父の埋葬後、かれは、エルサレムに行き、そこで女性用の中庭にあるナジル人用の一遇で、清めに必要とされる生贄を捧げた。
この年9月に、マリアとイエスを訪ねるためにナザレに旅行をした。ヨハネは、生涯の仕事に踏み切るとほぼ決心するところであったが、家に帰り、母の世話をし、「父の時間の来ること」を待ち受けるというイエスの言葉にだけではなく、手本にも諭された。この楽しい訪問の終わりにイエスとマリアに別れを告げた後、ヨハネは、ヨルダン川での洗礼まで再びイエスに会うことはなかった。
ヨハネとエリサベツは、家に戻り将来の計画を立て始めた。ヨハネが寺院の資金からの聖職者用の手当ての受領を拒否したので、まる2 年経と経たないうちにほぼ家をなすところであった。それで二人は、羊の群れとともに南に行くことにした。これにより、ヨハネの20 歳の夏、ヘブロンへの引越しがあった。ヨハネは、いわゆる「ユダヤの荒野」のエンゲディの死海へと大きく流れ込む支流の小川に沿って羊の世話をした。エンゲディ植民地は、終身ナジル人や期限付きの奉献のナジル人だけでなく、それぞれの群れと共にこの領域に集まり、ナジル人友愛会と親しく交わる他の多数の禁欲的な牧夫も含んでいた。彼らは、羊牧や裕福なユダヤ人からの会への贈り物で生活をした。
時の経過につれて、ヨハネは、次第にヘブロンに戻らなくなり、より頻繁にエンゲディを訪れた。ナジル人の大多数とは似ても似つかない程で、友愛会との親交は、彼には非常に難しいとはっきりと分かった。しかし、かれは、エンゲディの植民地の指導者で長でもあるアブネーが非常に気に入っていた。
ヨハネは、この小さい川の狭間に沿って、積み重ねた石の少なくとも12ヶ所の避難所と夜のための柵囲いを造り、そこで羊とヤギの群れを監視し保護することができた。羊飼いとしてのヨハネの生活は、彼に思考のためのかなりの時間を与えた。母に会うためや羊の売却のためヘブロンに行ったりするとき、また安息日の礼拝のためエンゲディにいったりするとき、群れの世話をするある意味で養子にしたようなベス-ズールの孤児、エズダとよく話した。ヨハネと若者は、羊肉、ヤギの乳、自然の蜂蜜、その地方の食用のイナゴを食し、非常に質素に暮らした。これは、二人の通常の食事は、時おりヘブロンとエンゲディからの食料で補足された。
エリサベツは、パレスチナ人と世界情勢を逐次ヨハネに知らせた。そして、旧体制が終わる時がどんど近づいているという、新時代の、つまり「天の王国」接近の伝令者に自分がなろうとしている彼の信念は、だんだんと深まっていった。この無骨な羊飼いは、予言者ダニエルの文章を特に好んだ。かれは、ザハリーアスが世界の偉大な王国史を表わしていると教えたバビロンに始まりペルシア、ギリシア、遂にはローマに至る壮大な画像に関するダニエルの記述を1,000 回読んだ。ヨハネは、ローマがすでに数ケ国語を話す人種と民族で構成されているということから、強く結合され、堅く統合された帝国には決してなり得ないということを察知した。かれは、ローマは、その時でさえシリア、エジプト、パレスチナ、および他の行政区として分割されていると信じた。ヨハネは、さらに読み進んだ。「これらの王の時代に、天の神は決して破壊されることのない王国を築く。そして、この王国は、他の人々に与えられないが、これらの全ての王国を粉々に破壊し、食い潰すであろう。そして、それは、とこしえに立っているであろう。」「全ての民族、国家、言語が彼に仕えるように、統治権、栄光、王国が彼に与えられる。彼の統治権は滅ぶことのない永遠の統治権であり、彼の王国は決して破壊されないであろう。」「そして、王国と統治権と全天界の下の王国の偉大さが、いと高き者の聖者の人々に与えられるであろう。その王国は、永遠の王国であり、全自治領が彼に仕え従うであろう。」
ヨハネは、イエスに関し両親から聞いたことや、経典で読んだこれらの章句によってもたらされる混乱を決して完全に乗り越えることができなかった。ダニエルのなかに、「夜、幻影を見た。そして、見よ。天の雲と共に、人の息子らしき者が来た。そして統治権と、栄光と、王国がその者に授けられた。」を読んだ。しかし、予言者のこれらの言葉は、両親に教えられたことと相入れなかった。18 歳の訪問の際のイエスとの会話とも、教典の文のいずれにも一致しなかった。この混乱にもかかわらず、彼が困惑している間中、母は、遠い従兄、ナザレのイエスが、本当の救世主であるということ、デヴィッドの王座に着くことになっているということ、ヨハネが、イエスの事前の伝令者と主要な援助者になるということを、受け合うのであった。
ヨハネは、ローマの不道徳と邪悪、そして帝国の放蕩と道徳的な不毛について聞いた全てから、ヘローデス・アンティパスとユダヤの知事の悪行について自分の知っていることから、時代の終わりが迫っていると信じようとした。無骨で気高いこの自然児にとは、人間の時代の終わりと新しい神の時代の夜明け—天の王国—のために世界は準備ができたように思われた。ヨハネの心の中で、自分は従来の予言者の最後の者で、新しい予言者の最初の者になるという気持ちが広がっていった。そして、全ての人の前に出て行き、次のように宣言するしたいという高まる衝動にすっかり心が震えた。「悔悟せよ、神と正しい関係にあれ。終わり備えよ。地球の新たで永遠の秩序、天の王国の現出のために自身の準備をせよ。」
西暦22年8月17日、ヨハネが28 歳のとき、母は突然亡くなった。死者との接触に関するナジル人の制約、たとえ自分の家族でさえ、について知るエリサベツの友人が、ヨハネを呼びにやる前に、 エリサベツの埋葬をすべて手配した。母の死の報せを受け取ると、ヨハネは、エズダに群れをエンゲディに追いやるように指示し、ヘブロンに出発した。
母の葬儀からエンゲディに戻り、自分の群れを友愛会に進呈し、そして、しばらくの間、断食して祈る傍ら、外の世界から自分を引き離した。ヨハネは、神性への接近の古い方法だけを知っていた。エーリージャ、サムエル、ダニエルというような記録だけを知っていた。エーリージャは、予言者の彼の理想であった。エーリージャは、予言者と見なされたイスラエルの最初の教師であった。そしてヨハネは、自分が本当に天の使者のこの長くて傑出した列の最後となることを本当に信じた。
2年半、ヨハネは、エンゲディに住み、「時代の終わりは差し迫っている。」「天の王国が出現しようとしている。」と大半の友愛会を説得した。彼の全ての早期の教えは、非ユダヤ人の支配からユダヤ国家を救う約束された救世主という当時のユダヤ人の考えと概念に基づくものであった。
この期間、ヨハネは、ナジル人エンゲディの家で見つけた神聖な著作物をしきりに読んだ。その時点までの最後の予言者であるイザヤとマラキエに特に感銘を受けた。かれは、イザヤの最後の5 章を繰り返し読み、これらの予言を信じた。マラキエでは次の部分を読み取るのであった。「見よ、私は、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、予言者エーリージャを遣わす。父の心を子に向けさせ、子の心を父に向けさせる。それは、私が呪いで地球を打ち壊しに来ないためである。」そして、ヨハネに来たる王国の説教と、同胞のユダヤ人に激しい怒りから逃れるように勧めるために出て行くことを思い留まらせたのは、エーリージャが戻るというマラキエのこの約束だけであった。ヨハネは、来たるべき王国の通知の宣言の用意ができていたが、エーリージャ到来のこの予想が2 年以上も彼を押しとどめた。かれは、自身がエーリージャでないことを知っていた。マラキエは、何を意味したのか。予言は文字通りであるのか、または比喩的であったのか。どのように彼は、真実を知ることができたのか。ヨハネは、最終的に、最初の予言者がエーリージャと呼ばれたので、結局最後の名前も同じ名前が知られるべきであると、敢えて考えた。それでも疑いに疑って、かれは、自身をエーリージャと名乗らなかった。
ヨハネに同時代人の罪と悪への直接的でぶっきらぼうな攻撃方法を採らせたのはエーリージャの影響であった。彼は、エーリージャに似せて装おうとし、エーリージャのように話す努力をした。あらゆる外観の面において、かれは、昔の予言者に似ていた。かれは、まったくもって勇敢で絵に描いたように見事な自然の子、まったくそのように恐れ知らずで大胆な正義の伝道者であった。ヨハネは、文盲ではなかった。ユダヤ人の神聖な著作をよく知ってはいたものの、まったく教化されていなかった。かれは、明確な思想家、力強い話者、熱烈な弾劾者であった。かれは、全く年相応の模範者ではなかったが、雄弁な叱責者であった。
ついに、かれは、新時代、神の王国の宣言方法を考えついた。彼は、救世主の伝令者になることに落ち着いた。かれは、すべての疑いを一蹴し、西暦25年3 月のある日、公の伝道者として短いが輝かしい経歴を始めるためにエンゲディを出発した。
ヨハネの前触れを理解するためには、彼が活動の舞台に現れた当時のユダヤ民族の状況報告におよばなければならない。全イスラエルが、およそ100 年間も途方に暮れてきた。非ユダヤ人の君主への連続的服従の解釈に戸惑っていた。モーシェは、正義がつねに繁栄と力で報いられると教えなかったか。神に選ばれた民ではなかったのか。 ダーヴィドの王座はなぜ寒々しく空虚であったのか。モーシェの教義と予言者の指針に照らし合わせてみるとき、ユダヤ人は、長く続いた国家の荒廃の説明の難しさに気づいた。
イエスとヨハネの時代のおよそ100 年前、宗教教師、黙示信仰者の新しい学校が、パレスチナに現れた。これらの新しい教師は、国家が犯した罪のために人々が報いを受けているとユダヤ人の受難と屈辱の説明をする信仰の方法を発展させた。かれらは、過去のバビロニアと他の監禁状態を説明するためにあてがわれた周知の理由へと後退した。しかし、黙示録の信仰者たちは、イスラエルは勇気づけられるべきである、苦悩の日々はほとんど終わりに近い、神に選ばれた人々の試練はほぼ終わろうとしている、神の異教の外国人に対する忍耐はほとんど尽き果てている、と教えた。ローマ支配の終わりは時代の終わり、ある意味では世の終わりと同義であった。これらの新しい教師は、ダニエルの予言の方に大きく傾いており、創造がその最期の段階に移ろうとしていると一貫して教えた。この世の王国は、神の王国になろうとしていた。当時のユダヤ人の心にとって、これは、次の言い回し—天の王国—を意味し、それはヨハネとイエスの両者の教えに終始一貫している。パレスチナのユダヤ人にとり、「天の王国」という言い回しは、神、救世主が、ちょうど天国で統治したように—「天国でのように、あなたの意志が地球で為される。」—力の完全さで地上の国々を統治する絶対に公正な状態という1 つの意味しかなかった。
ヨハネの時代全ユダヤ人が、「王国はいつ来るだろうか。」と心待ちに尋ねていた。非ユダヤ人の国々の支配の終わりが近づいているという一般的な感覚があった。その世代の生涯の間には、全てのユダヤ人に、長い年月の願望達成が起こるという活気的な望み強い期待が満遍なくあった。
ユダヤ人は、来たる王国の性質の推定において大いに異なりはしたものの、間近に、ほんの戸口まで差し掛かっているという信念においては同じであった。旧約聖書を読む者の多くが、その敵から開放され生まれ変わるユダヤの国のために、そしてダヴィド王の後継者にとってかわるパレスチナの新しい王を、全世界の正当で公正な支配者としてすぐに承認される救世主を、文字通り心待ちに探した。小さくはあったが、敬虔なユダヤ人の別の集団は、神のこの王国に関しおびただしく異なる視点を持った。彼らは、来たる王国が現世のものでないこと、世界は確かにその終わりに近づいていると、そして、「新しい天国と新しい地球」は、神の王国の設立の到来を告げることであったと教えた。この王国は、永遠の自治領であり、罪は終わろうとしていると、新しい王国の国民は、この無限の至福の享受のなかで不滅になろうとしていると教えた。
皆は、粛清する、あるいは浄化する若干の徹底的な規律が、地球上における新しい王国の設立に当然先行することについて同意していた。直解主義者は、すべての無神論者を滅ぼす世界規模の戦争が起き、そして信仰に忠実な者が、普遍で永遠の勝利に瞬時に進行すると教えた。精神主義者は、王国が、邪悪な者を罰と最終的な破壊のふさわしい裁きに追いやる神の偉大な裁決により到来を告げられるであろうと、そして同時に、選民の中の敬虔な聖者を、神の名前で解放された国の支配をする人の息子のいる名誉と権威の高い席に上げると、教えた。そして、この後者の集団は、多くの敬虔な非ユダヤ人が新しい王国の仲間に認められるかもしれないとさえ考えた。
ユダヤ人の何人かは、神が、ことによると直接的、また神らしい介入によってこの新しい王国を樹立するかもしれないという意見を抱いたが、圧倒的多数は、彼が代表するある中継ぎ、救世主を間に入れると考えた。そして、それは、ヨハネとイエスの世代のユダヤ人の心にあり得た救世主という言葉の唯一可能な意味であった。救世主は、単に神の意志を教えたり、あるいは正義の生き方の必要性を宣言する者について言及し得るものではなかった。救世主は、予言者以上のものを意味した。そのような全ての聖なる人々には、ユダヤ人は予言者の称号を与えた。救世主は、新しい王国、神の王国の樹立をもたらすことであった。これを成し得なかった者は、伝統的なユダヤ人の感覚において救世主ではあり得なかった。
この救世主はだれであるのだろう。又もや、ユダヤ教師達の意見は異なった。古参者は、ダヴィドの息子の教義に執着した。新参者は、新しい王国は、天の王国であるので、新支配者は、神の人格、天で長く神の栄誉の座にいた者であるかもしれない、と教えた。奇妙に聞こえるかもしれないが、このように、新しい王国の支配者を想像した者は、人間の救世主としてではなく、単なる人間としてではなく、このように長く待たれている、新しくなる地球の支配権を持つ「人の息子」—神の息子—天の親王として彼を見た。ヨハネが、「悔悟せよ、天の王国が間近いので。」と広布に向かったとき、ユダヤ世界の宗教的な背景はそのようなものであった。
それ故、来たるべき王国のヨハネの情熱的な説教を聞いた人々の少なくとも6 人の心の中で異なる意味を持ったという事が明らかになる。しかし、かれらが、いかなる重要性をヨハネが使った言葉に置こうとも、ユダヤ王国を期待する者のこれらの様々な集団は、この正義と悔悟を説く誠実で、熱心で、粗っぽい伝道者の広布に興味をそそられ、そしてその伝道者は、非常に厳かに「迫る神の怒りから逃がれる」ことを聞き手に熱心に説いた。
西暦25年3 月初め、ヨハネは、死海の西海岸周辺、そしてジャシュアとイスラエルの子孫等が最初に約束の地に入ったとき通った古代の浅瀬ジェリーホの反対側のヨルダン川に旅行した。そして、川の反対側に渡り、浅瀬への入り口近くに自分の場所を決め、川を往来する人々に説教を始めた。全ヨルダン川の横断点でこれが最も往来の激しい地点であった。
彼が伝道者以上の者であったということは、ヨハネの声を聞いた全ての者にとって明らかであった。ユダヤの荒野から来たこの見知らぬ男の言うことを聞いた人々の大多数は、自分達は予言者の声を聞いたと信じながら遠ざかった。これらの疲れて期待に満ちたユダヤ人の魂が、そのような現象にかき乱されたのは当然であった。全ユダヤ歴史を通して、アブラハムの敬虔な子供等はそれほどまでに「イスラエルの安らぎ」にあこがれ続けたり、また熱烈に「王国の回復」を予期しなかった。全ユダヤ歴史を通して、ヨルダン川のこの南の横断地点の土手の上に非常に神秘的に現れたまさしくその時の「天の王国は間近い」というヨハネの言葉ほど、深く一般的な魅力を与えたものは決してなかった。
彼はアモスのように牧夫であった。古風なエリヤのようないでたちで、「エリヤの精神と力」で訓告を大喝し、激しく警告を浴びせた。旅行者が、彼が説教している情報をヨルダン川沿いに広く伝えたので、この奇妙な伝道者が、全パレスチナを勢いのよい騒ぎに至らせたのは驚くに足りない。
このナザレの伝道者の仕事に関し、もう一つの新たな特徴があった。彼は「罪を赦すために」ヨルダン川で信者一人一人の洗礼を施した。洗礼はユダヤ人の間の新しい儀式ではなかったが、ヨハネがその時したようなものは一度も見たことがなかった。非ユダヤ人の改宗者を寺院の外庭の仲間へと洗礼することは、このように長く実行したが、ユダヤ人自身が悔悟の洗礼を受けることは一度も要求されたことはなかった。ヨハネが説教と洗礼を開始とヘローデス・アンティパスの扇動による彼の逮捕と投獄との間にはほんの15 カ月しかなかったが、かれは、この短期間に10 万人をはるかに越える悔悟者に洗礼を施した。
ヨハネは、ヨルダン川の北での開始前、ベタニアの浅瀬で4 カ月間説教をした。多少の好奇心のある者、だが多くの真剣で真面目な者からなる何万人もの聴衆が、ユダヤ、ペライア、サマリアの全地域から聞きにやって来た。幾人かは、ガリラヤからさえも来た。
この年の5 月、彼はベタニヤの浅瀬にまだ長居していたが、聖職者とレビ族は、ヨハネが救世主であると主張しているのかどうか、また誰の権威のもとに説教しているのか問い質すための代表団を出した。ヨハネはこれらの質問者に答えた。「予言者が言ったように、『荒野で呼ばわる者の声』を聞いたと、また『主の道を用意し、神のためにその道を真っ直にせよ。全ての谷は埋められ、全ての山と丘とは低くされ、盛り上がった地は平地に、でこぼこ道は平らとなる。こうして、あらゆる人が、神の救いを見る。』と聞いたと主人の元にいって伝えよ。」
ヨハネは、勇ましいが駆け引きを知らない伝道者であった。ある日、かれがヨルダン川の西の堤で説教をし洗礼していると、パリサイ人の集団と数人のサドカイ人が洗礼のためヨハネの前に進み出た。かれは、川の中へ導いて行く前に、かれらの一団に向かって言った。「誰が、お前達に炎の前の毒蛇のように近づく復讐から逃げるように警告したのか。お前達を洗礼するつもりであるが、罪の赦しを受けるつもりなら、真剣な悔悟にふさわしい成果をもたらすように警告する。アブラハムがお前達の父であるなどと言わないでくれ。神は、お前達の前にあるこの12個の石をアブラハムにふさわしい子供を育て上げることができると断言する。そして、この瞬間、まさにその木々の根に斧が横たえられている。良い実をつけない木は全部切り倒され、炎に投げ込まれる運命にある。」(彼が参照した12個の石は、彼らが最初に約束の地に入った時、「12 の部族」の交差の記念のためにまさしくにこの地点にジャシュアによって並べられた評判の記念の石であった。)
ヨハネは、弟子達のために授業を行ない、その過程で彼等の新たな人生の細部にわたる教授をし、多くの質問に答える努力をした。教師達には法の精神ならびに法律の文言を教えることを助言した。かれは、金持ちには貧乏人に食べ物を与えることを教え、税徴収人には、「割り当てられた以上に強要してはならない。」と言った。兵士に「暴力を揮わず、不当に何も強要してはならない—自分の賃金に満足せよ。」と言った。皆に助言をするとともに、「時代の終わりに備えよ—天の王国は間近である。」と説いた。
ヨハネは、来たるべき王国とその王についてまだ混乱した考えのままでいた。長く説教すれば説教するほど、ますます混乱するようになったが、来たるべき王国の性質に関わるこの知的な不確実性は、王国の即時の出現の確実性に関わる彼の信念を少しも減じなかった。ヨハネは、心では混乱したかもしれないが、精神においては決してそうではなかった。かれは、来たるべき王国に疑いはないが、イエスが、その王国の統治者であることになっているかどうかに関しては全く確信がなかった。ヨハネが、ダヴィドの王座の回復の考えにしがみつく限り、ダヴィドの市に生まれたイエスが、長く待たれている救出者となるという両親の教えは一貫しているようであったが、彼が精霊的な王国の教義と地球の現世の終わりの教義に傾けば傾くほど、イエスがそのような出来事で一役果たすということには大いに疑いがあった。時おり全てに疑問を持ったが、長い間ではなかった。かれは、従兄と隈なく話せることをこの上なく願ったが、それは交した約束に反することであった。
ヨハネは、北へ旅をしながらイエスのことをよく考えた。ヨルダン川に沿って旅しながら12 ヶ所以上で立ち止まった。「あなたが救世主ですか。」と尋ねた弟子の直接の質問に答えて、「私の後に続く別の方」と最初に言及したのはアダムという所であった。そして、続けて言った。「私より偉大な方が私の後に来られるだろう。その方のサンダルの紐を屈んで解く価値も私にはない。私は水で洗礼するが、その方は聖霊で洗礼されるであろう。そして、脱穀の床を完全に洗うために、シャベルがその方の手にある。自分の穀倉に小麦を集められるが、もみ殻は判決の炎で焼き尽くされるであろう。」
弟子の質問に応じて、ヨハネは、自分の教えを広げ続け、日々、自分の初期の謎めいた意見に比べ、「悔悟し、洗礼されよ。」と、有用かつ元気づけとなるものをさらに付け加えた。ガリラヤとデカポリスからの群衆が、この時までに到着していた。何十人もの熱心な信者が、自分達が崇拝する教師と毎日長居した。
西暦25 年の12 月までには、ヨハネがヨルダンへの旅でペライア付近に辿り着いたとき、その名声は、パレスチナ中に広がっており、彼の仕事は、ガリラヤ湖周辺の全ての町での会話の主要な話題になった。イエスはヨハネの教えを褒めており、これが、悔悟と洗礼のヨハネの儀式にカペルナムからの多くの者が加わる結果となった。ヨハネがペライアの近くに説教の場所を取った直後の12 月、ジェームスとゼベダイの漁師の息子達が、そこへ行き洗礼を申し出た。彼らは、1 週間に1 度ヨハネに会いに行き、伝道者の最新の、直接の報告をイエスの元へもたらした。
イエスの弟のジェームスとジュードは、洗礼のためにヨハネの元に行くことを話し合っていたことであり、ジュードが安息日の礼拝にカペルナムにやって来た今、二人は、礼拝堂でのイエスの講義を聞いた後、自分達の計画をイエスに相談することにした。これは、西暦26年1月12日、土曜日の夜のことであった。イエスは、翌日までの議論の延期を要求し、その際二人に答えると言った。彼はその夜ほとんど眠らず、天の父との近い交わりをした。かれは、弟達と正午の食事をとり、ヨハネによる洗礼に関し彼らに忠告する手配をしてあった。その日曜日の朝、イエスはいつものように船小屋で働いていた。ジェームスとジュードは、弁当をもって到着し、まだ正午の休憩時間ではなく、イエスがそのような事柄に非常に規則正しいことを知っていた二人は、材木小屋で待っていた。
昼の休憩直前、イエスは、道具を置き、仕事用の前垂れを脱ぎ、部屋に一緒にいた3 人の労働者に単に「私の時間が来た。」と告げた。かれは、弟のジェームスとジュードのところへ出掛け、「私の時間が来た—ヨハネのところへ行こう。」と繰り返した。そして、彼らはすぐペライアに出発し、旅をしながら昼食をとった。これは、1 月13 日、土曜日であった。彼らは、夜ヨルダン渓谷に滞在し、翌日正午頃にヨハネの洗礼の場所に到着した。
ヨハネは、ちょうどその日の志願者の洗礼をし始めたところであった。ヨハネの来たるべき王国の説教を聞き信奉者となった熱心な男女のこの列にイエスと2 人の弟が並んだとき、何十人もの悔悟者が、自分達の順番を待ち並んで立っていた。ヨハネは、ゼベダイの息子達にイエスのことを以前から尋ねてきた。自分の説教に関するイエスの意見を聞いており、また日を追うごとにその場所にイエスが来るのを期待してはいたものの、洗礼志願者の列に迎え入れるとは思っていなかった。
そのような多くの転向者の素早い洗礼の詳細で夢中になっており、ヨハネは、人の息子が目の前に立つまでイエスを見上げなかった。ヨハネが、イエスに気づき生身の従兄弟に挨拶し、「それにしても、私に挨拶するのに何故水の中に入ってくるのですか。」と尋ねる間、儀式は暫く中断された。そこで、イエスは、「君の洗礼を甘受するために。」と答えた。ヨハネが応答した。「しかし、私の方が、あなたに洗礼されるべきであります。あなたがなぜ私の方に来られるのですか。」そこでイエスがヨハネに囁いた。「今は、我慢してくれ。私とここに立っている弟達のために君と二人でこの例を設けることになるし、人々が、私の時間が来たのを知るかもしれない。」
断固たる、権威ある響きがイエスの声にはあった。西暦26 年1 月14 日、月曜日の正午にヨルダン川でナザレのイエスの洗礼の準備をしたとき、ヨハネは、感きわまってぶるぶる震えていた。このようにして、ヨハネは、イエスとその弟ジェームスとジュードを洗礼したことであった。ヨハネは、この3 人を洗礼すると、翌日正午に洗礼を再開すると発表し、その日は他の者達を帰させた。人々が去り行くとき、まだ水の中に立っている4 人の男は、奇妙な音を聞いた。やがて、イエスのすぐ頭上に命名しようのないものが少しの間現れた。彼らは、「これが誠に喜ばしい我が愛しい息子である。」と言う声を聞いた。イエスの顔付きが大きく変化し、黙って水から出て来ると、かれは、彼等に別れを告げ、丘に向かい東の方へ行った。誰も、40日間イエスを再び見なかった。
ヨハネは、母の口から幾度となく聞いた、イエスも自分もまだ生まれる前のガブリエルの母の訪問の話をイエスに伝えるためその後を適当な間隔で追っていった。「今、確実にあなたが救出者であることが分かりました。」と言い、イエスが先に進むままにした。
ヨハネが弟子達のところに戻ると、(今や、彼のところに泊まる25人、あるいは30人程が絶えずいた)、弟子達は、イエスの洗礼に関してたった今起きたことについて話し合い、熱心な会議の最中であった。ヨハネが弟子達にイエス生誕前のガブリエルのマリア訪問の話をしたとき、またこのことを告げた後にさえイエスが一言も言わなかったことを明らかにしたとき、彼らは一入驚いた。その晩雨はなく、この 30 人以上のこの一団は、星明りの夜に入るまで長く話し込んだ。かれらは、イエスがどこに行ったのか、そして、いつ再び会えるのかと疑問に思った。
この日の経験の後、来たるべき王国と期待される救世主に関するヨハネの説教には、新しいある種の調子を帯びてきた。それは、緊張の時間、イエスの帰りを待つ、緊張の40日間であった。しかし、ヨハネは、かなりの強力に説教し続け、一方弟子達は、この頃にヨルダン川でヨハネのまわりに集まった溢れんばかりの人だかりに説教し始めた。
この40日の待機の間、多くの噂が田舎周辺、またティベリアスやエルサレムにさえ流布した。ヨハネの野営場に数千もの人数が、新たな呼び物、評判の救世主を見に来るのだが、イエスは見えなかった。ヨハネの弟子達が、見なれない神の子が丘に行ったと主張したとき、多くの者は、話全体を疑った。
イエスがそれらの元を去ったおよそ3週間後、ペライアに、エルサレムからの聖職者とパリサイ人の新たな代表団が到着した。彼らは、ヨハネがエリーヤであるか、それともモーシェが約束した予言者であるのか直接ヨハネに尋ねた。「私ではない。」とヨハネが言うと、かれらは、敢えて「救世主であるか。」と聞き、「私ではない。」と、ヨハネが答えた。そこでエルサレムからの者たちが言った。「エリヤでも予言者でも救世主でもないならば、なぜ人々に洗礼を施し、こうした騒ぎを引き起こすのか。」ヨハネが返答した。「私がだれであるかを言うのは私の声を聞き、私の洗礼を受けた人々でなければならないが、私が水で洗礼をするのに反して、聖霊で洗礼するために戻ってこられる方が我々の中にいるということをはっきり言おう。
この40日間、ヨハネとその弟子達にとっては困難な期間であった。イエスへのヨハネの関係は何であるのか。多くの質問が議論となった。政治と利己的優先が台頭し始めた。激しい議論は、救世主のいろいろな考えと概念を中心に大きくなっていった。かれは、軍幹部やダヴィド王になるのだろうか。ジャシュアがカナーン人にしたように、かれは、ローマ軍を強打するのだろうか。または、精霊的な王国をうちたてに来るのだろうか。天の王国の樹立のこの任務に何が組込まれたいることになっているのか心の中では全体が明確であったというわけではないが、むしろヨハネは、イエスが天の王国の樹立のために来たのだという小数派に言えば同意見であった。
これらの日々は、ヨハネの経験の中で非常に骨の折れるものであり、ヨハネはイエスの帰りを祈った。弟子の数人が、イエス探索のいくつかの偵察隊を組織したが、ヨハネは禁じた。「我々の時は、天の神の掌中にある。かれは、選ばれた息子を指示するであろう。」
朝食の最中、ヨハネの仲間が、北の方を見上げ自分達の方に来るイエスを見たのは、2月23日の安息日の早朝であった。イエスが接近してくると、ヨハネは大きい岩に立ち上がり、朗々たる声を張り上げて言った。「神の息子よ。世界の救済者よ。これが、『私の後に来られる方は、私よりすぐれた方である。わたしよりも先におられたからである。』と私が言ってきたお方である。このためにこそ、わたしは、天の王国が近いと広布し、悔悟を説き、水で洗礼するために荒野から出て来た。そして、今、聖霊で洗礼を施す方が来られる。また、私はこの方の上に神の霊が降臨するのを見たし、神の声が、『これが私がとても満足している愛しい息子である。』と宣言するのを聞いた」
イエスは、弟のジェームスとジュードがカペルナムに帰ったので、ヨハネと食べるために座る間、皆には食事の続きに戻るように言った。
次の日朝早く、かれは、ヨハネと弟子達に暇乞いをし、ガリラヤに戻った。かれは、再びいつ会うかについては一言も言わなかった。自身の説教と任務に関するジョンの問い合わせに、「私の父が過去にそうしてきたように、そなたを現在、未来、と導くであろう。」と、イエスは言っただけである。そして、この2 人の偉人はその朝ヨルダンの堤で別れた。互いに生身の姿で再び会うことはなかった。
イエスがガリラヤへと北に行ったので、ヨハネは、彼の足跡を辿り南方に導かれる思いがした。従って、3 月3 日日曜日の朝、ヨハネと弟子の残りは、南への旅を始めた。ヨハネの近い追随者のおよそ四分の一が、イエスを求めてガリラヤへ出立していた。ヨハネには混乱の悲しみがあった。かれは、イエスを洗礼する前に説教したようには、決して二度と説教をしなかった。来たるべき王国の責任が、もはや自分の肩の上にはないと何となく感じた。自分の仕事はほとんど終わったと感じた。かれは、侘しく、孤独であった。しかし、彼は洗礼し、説教し、南へと旅を続けた。
アダムの村近くで、ヨハネは数週間とどまり、別の男の妻を不法に連れて行ったアンティパス・ヘローデスに対する忘れ難い攻撃をしたのはここであった。この年(西暦26 年)の6 月までに、ヨハネは、来たるべき王国について一年以上も前に説教を開始したヨルダン川のベタニヤの浅瀬に戻っていた。ヨハネは、イエスの洗礼に続く数週間のうちに、新たな激しさをもって腐敗した政治と宗教支配者達を公然と批難するとともに、その説教は、一般大衆への慈悲の宣言へと徐々に変化していった。
ヘローデス・アンティパスは、ヨハネが説教していたその領域において、ヨハネと弟子が反逆をしかけないかと心配になった。ヘロデは、自分の内政へのヨハネの公的批判にも憤慨した。このすべてを鑑みて、ヘロデは、ヨハネを投獄することに決めた。従って、6 月12 日の朝早く、群衆が説教を聞き、洗礼を目撃しに到着する前に、ヘロデの手下達がヨハネを拘禁した。何週かが過ぎ、ヨハネが釈放されなかったので、弟子達は、全パレスチナに離散し、その多くが、イエスの追随者に合流するためにガリラヤに入った。
ヨハネは、獄中の孤独でやや苦い経験をした。僅かの追随者しか、彼に会うことを許されなかった。イエスに会いたいと切望したが、人の子の信者となった自分の追随者達を通して彼の働き振りを聞くことに満足しなければならなかった。かれは、しばしばイエスと自分の神の任務を疑う誘惑にかられた。イエスが救世主であるならば、なぜこの耐え難い監禁から救い出す何もしなかったのか。神が創造された野外に慣れたこの無骨な男は、1 年半もその上もその卑しむべき牢獄で苦しんだ。そして、この経験は、イエスへの信頼、および忠誠に対する大きな試練であった。実に、この全体の経験は、神へのヨハネの信頼に対する大きな試練でさえあった。かれは、幾度となく自身の使命と経験の真正さえ疑う誘惑にかられた。
入獄から数カ月後、彼の弟子の一団がやって来て、イエスの公の活動に関する報告をした後で言うことには、「わかりますか、先生。あなたとヨルダン川の上流にいた人が成功しており、彼の元に来る者全てを受け入れています。かれは、収税人や罪人とさえ馳走を楽しんでいます。あなたは勇敢に彼を援護されましたが、彼はあなたの救出のために何事もしてはいません。」しかしながら、ヨハネは友等に答えた。「天の父から彼に与えられていない限り、この方は何もすることができない。」お前達は、『私は救世主ではない。しかし、来られる前にその方のために道を準備するために送られて来た者である。』ということを私が言ったのをよく覚えている。そしてそれを私はした。花嫁がいる者は花婿である。しかし、近くに立ち、彼の声を聞く花婿の友人は、花婿の声に大いに喜ぶ。したがって、これで、私の喜びは実現する。彼は大きくなり、私は小さくならなければならない。私はこの地球にいて、自分の趣意を宣言した。ナザレのイエスは、天から地上に降りて来られ、我々全ての上におられる。人の息子は神より下降して来られ、そうして神の言葉をお前達に宣言されるであろう。なぜなら、天の父は、自身の息子に限定して精霊を与えられはしない。父はその息子を愛しておられ、そのうち、この息子の手に全てを載せられるであろう。息子を信じる者は、永遠の命を持つ。そして、私が話すこれらの事は本当であり、不変である。」
これらの弟子は、ヨハネの表明に非常に驚き、黙って出発する程であった。ヨハネもまた予言を口にしたと認め、非常に動揺した。彼は、決して二度とイエスの使命と神性をいささかも疑わなかった。しかし、イエスからなんの知らせもないということ、会いに来ないということ、牢獄から自分を救い出すためのなんの力も用いないということが、ヨハネにとっては極度の失望であった。ところが、イエスはこれに関してすべてを知っていた。イエスが、自分の神性に関する認識を持つそのとき、そしてヨハネがこの世を離れる際のヨハネのために備えられた大きな事を完全に知り、またヨハネのこの世での仕事が終わったということを知っていたことから、イエスは、ヨハネを非常に愛していたものの、立派な伝道者かつ予言者の生涯の自然な仕上がりに干渉しないように自己を抑制した。
獄中でのこの長い不安は、人間にとって耐え難かった。自分の死のわずか数日前、ヨハネは、再び信頼する使いの者達をイエスの元へ送った。「私の仕事は終わったのですか。私はなぜ獄中で苦しい生活を送っているのですか。本当に、あなたは救世主であられますか。あるいは別の方を私達は探すべきですか。」と尋ねた。そしてこれらの2 人の弟子が、この言伝をイエスに伝えると、人の息子が答えた。「忘れてはいない。我々二人にとって全ての正義を満たすことが適しているのであるから、私共々これに耐えよ。とヨハネのところに戻って伝えよ。お前達が見聞きした事—良い知らせが貧しい者達に説教されているということ—を戻ってヨハネに伝えよ、そして、最後に「私を疑ったり、私に躓いたりしなければ、来る時代に夥しく祝福されるであろう、と愛すべき我が地上での使命の伝令者に伝えよ。」これが、ヨハネがイエスから受け取った最後の言葉であった。この言葉は、彼を大いに慰め、彼の信頼を非常に安定させ、この忘れ難い出来事のすぐ後に早くも迫っていた肉体の悲惨な彼の人生の終わりのための準備をさせた。
ヨハネは、捕らえられた時ペライアの南で働いていたので、すぐマカイロスの砦の牢に連れて行かれ、処刑時までそこに投獄された。ヘロデは、ガリラヤのみならずペライアも統治し、当時ペライアのユーリアスとマカイロスの両地に住居を維持した。ガリラヤでは、公邸がセフォーリスから新しい首都ティベリアスに移されていた。
ヘロデは、反逆を扇動しないかとヨハネの釈放を恐れた。何千ものペライア人が、ヨハネは聖なる人物、予言者であると信じたので、首都での群衆が暴動を起さないかとヨハネの死刑を恐れた。依って、他に打つ手を知らず、ヘロデは、ナザレの伝道者を獄中に留めた。ヨハネは、何度か、ヘロデの前に出たが、釈放されたとしても、ヘロデの領地を去ることにも、全ての公の活動を差し控えることにも決して同意しようとはしなかった。そして、着実に増大していたナザレのイエスに関するこの新しい動揺は、ヨハネを自由にする時ではないことをヘロダに諭した。その上、ヨハネは、ヘロディアス、つまりヘロデの不法な妻の激しく辛辣な憎悪の犠牲者でもあった。
ヘロデは、何度となく天の王国に関しヨハネと話した。そして、時々その言葉に真剣に感銘を受けながらも牢獄からの釈放を恐れていた。
ティベリアスではまだ多くの建築が進んでいたことから、ヘロデは、ペライアの邸でかなりの時を過ごし、その上、マカイロスの砦を特に好んだ。ティベリアスの全ての公共建築物と公邸が完全に仕上がるまでにはまだ数年もあった。
自分の誕生日の祝賀で、ヘロデは、ガリラヤとペライア政府の主要な役人達と評議会の他の部下のためにマカイロス宮殿で盛大な祝宴を開いた。ヘロディアスは、ヘロデへの直訴ではヨハネに死をもたらせることができなかったので、今や、悪賢い計画により自らがヨハネを死に至らせる任につく決心をした。
宵の祭礼と座興の中で、ヘロディアスは、宴会客の前での踊りのために彼女の娘を紹介した。ヘロデは、少女の踊りに大層満足し、自分の前に呼んで言った。「そなたは、魅力的である。非常に嬉しいぞ。わしのこの誕生日にそなたの望んでいることを何でも申してみよ。王国の半分であろうと与えるぞ。」ヘロデは、多量のワインに酔ってこのすべてをした。若い娘は、脇に引っ込みヘロデに何を求めるべきか母に尋ねた。ヘロディアスは、「ヘロデに行って、洗礼者ヨハネの首を頼みなさい。」と言った。そこで、若い娘は、宴会の席に戻り、「大皿の上に洗礼者ヨハネの首をすぐに戴きとう存じます。」と、ヘロデに言った。
ヘロデは恐れと悲しみで一杯になったが、誓いのためと、共に食卓についた全ての人々の手前、要求を否定しようとしなかった。そして、ヘローデス・アンティパスは、兵士を差し向け、ヨハネの首を持って来るように命じた。それで、ヨハネは、その夜刑務所で首をはねられ、兵士は、大皿の上の予言者の首を持って来て、宴会場の背後で若い娘に提示した。少女は、その大皿を母に与えた。ヨハネの弟子達がこれを聞くと、刑務所にヨハネの身体を取りに行き、墓に横たえた後、イエスの元に行って伝えた。
イエスは、ヨハネの説教に対する大衆の関心が最も高いときに、また、パレスチナのユダヤの人々が熱心に救世主の出現を期待しているときに、公のための仕事を始めた。ヨハネとイエスの間には、かなりの違いがあった。ヨハネは、熱烈でひたむきな労働者であったが、イエスは、穏やかで幸福な労働者であった。かれは、全生涯を通じて急いだのはほんの数回というほどであった。イエスは、世界にとって心地よい安らぎであり、幾分か模範でありもした。ヨハネは、ほとんど安らぎでも模範でもなかった。かれは、天の王国を説いたが、その幸福感をほとんど経験しなかった。イエスは、ヨハネについて旧体制の予言者の中で最も立派な者と語ったが、同時に、新しい道の見事な光を見、それによって天の王国に進んだ中で最も低い者の方が、ヨハネよりも実に立派であるとも言った。
ヨハネが来たるべき王国を説いたとき、その趣意は次の通りであった。悔い改めよ。来たる激怒から逃がれよ。イエスが説教し始めたとき、悔悟への勧告は残存していたが、そのような言葉の後にはいつも新しい王国の喜びと自由の良い知らせ、福音が続いた。
ユダヤ人は、期待される救出者についての多くの考えを抱いた。そして、これらの異なる救世主教育の各学校は、それぞれの論点の裏付けとしてヘブライ経典での陳述を指摘することができた。ユダヤ人は、一般的に、国史をアブラーハームから始め、遂には救世主と神の王国の新時代に達すると見なした。初期において、かれらは、この救出者を「主のしもべ」として、それから、「人の息子」として把握し、最近では、救世主を「神の息子」と言及するまでに至った。しかし、たとえ「アブラーハームの子孫」と呼ばれようが、「ダーヴィドの息子」と呼ばれようが、救世主、「聖油を注がれた者」であるということには皆が同意した。このように、この概念は、「主のしもべ」から「ダーヴィドの息子」、「人の息子」、「神の息子」へと展開していったのであった。
ヨハネとイエスの時代、学識のあるユダヤ人は、「主のしもべ」としての予言者、聖職者、王、の三重の任務を兼ねる完成した代表的イスラエル人としての来たるべき救世主の考えをもった。
モーシェが驚くべき奇跡によってエジプトの束縛から祖先を救出したように、ユダヤ人は、来たるべき救世主も、さらに大きい力の奇跡と人種的勝利の驚異の行為によりユダヤ民族をローマ支配から救い出すであろうと心から信じた。ユダヤ教のラビ達は、来たる救世主の予言的なものを明言した経典から、それらの見た目の矛盾にもかかわらず、およそ500 の文章を集めた。そして、時、技法と機能のこれらのすべての詳細の真っ只中に、彼等は約束された救世主の人格をほぼ完全に見失った。彼らは、ユダヤ国家の栄光の回復を探していた—世界の救済よりも、むしろ、イスラエルの一時の高揚を。従って、ナザレのイエスがユダヤ人の心のこの物質的救世主の概念を決して満たすことができなかったということが明白になる。もし評判の救世主の予測の多くが、これらの予言的な発言を異なる角度から観察していたならば、一時代の終結者として、また新たでより良い慈悲の配剤と万国救済の開始者としてイエスを認識するために誠に自然に心の準備をしたことであろう。
ユダヤ人は、シェキーナの教義を信じるように育てられた。しかし、神臨場のこの評判の象徴は、寺院では見られることにはなっていなかった。彼らは、救世主の接近がその回復を実行すると信じた。かれらは、民族的な罪と人の想定された悪の性質についての混乱させる考えを抱いた。ある者達は、アダムの罪が人類を呪っていると、また救世主がこの呪いを取り除き神の恩恵を回復すると、教えた。他の者達は、人を創造するに当たり、神が善悪二つの性質を入れたと、またこの計いの結果を観測し大いに失望したと、「このように人間を造ってしまったということを後悔した。」と、教えた。そして、これを教えた者達は、救世主がこの先天的悪の性質から人を身請けしに来ることになっていると信じた。
大方のユダヤ人は、国家の罪のため、非ユダヤ人の改宗者の不熱心のせいでローマ支配下で苦しみ続けると思っていた。ユダヤ国家は、心から後悔していなかった。したがって、救世主は来るのを遅らせていた。多くの話が、悔悟に関してあった。だからこそ、「悔い改め、洗礼を受けよ。天の王国が間近である故。」というヨハネの強力で直接的説教が心を引きつけた。そして、天の王国はどんな敬虔なユダヤ人にも1つのことしか意味し得なかった。救世主の接近。
マイケルの贈与には救世主のユダヤ人の概念に全く無縁な1つの特徴がり、それは、二つの特質、人間と神性の合一であった。ユダヤ人は、完成された人間として、超人間として、また神性としてさえ様々に救世主を想像しはしたものの、人間と神の合一の概念を決して心に抱かなかった。そして、これはイエスの初期の弟子達が大きな障害であった。弟子達は、早期の予言者によって提示されたようにダーヴィドの息子としてまた、ダニエルの超人的な考えや、後の数人の予言者によって提示されたような人の息子としての、また更には、イーノックの書の作者によって、この作者のある同時代人達によって描写されたように神の息子としてさえ人間である救世主の概念を理解した。しかし、一瞬たりとも地上の一つの人格における二つの性質、人間と神性の合一の真の概念を一度も心に抱くことはなかった。生物形態における創造者の肉体化は、予め明らかにされてはいなかった。それはイエスにだけ明らかにされた。世界は、創造者たる息子が肉体をもち、人間界に住むまでそのようなことは何も知らなかった。
イエスは、パレスチナが、ヨハネの知らせ—「神の王国は間近い」—に期待で燃えんばかりのとき、全てのユダヤ人が慎重に厳粛に自省しているときのヨハネの説教の絶頂時に洗礼を受けた。ユダヤ人が感じる人種的連帯意識は、非常に深遠であった。ユダヤ人は、父の罪が子を苦しめるかもしれないと信じるだけでなく、一 個人の罪が国を呪うかもしれないと堅く信じた。従って、ヨハネの洗礼を受け入れた全ての者が、ヨハネが非難した特定の罪で自身が有罪であると考えたわけではなかった。多くの敬虔な者達は、イスラエルの利益のためにヨハネによる洗礼を受けた。彼らは、無知からのある種の罪が、救世主の到着を遅らせるかもしれないと恐れた。かれらは、有罪で、罪に呪われている国に属していると感じ、洗礼することで民族の懺悔の産物を明らかにできるかもしれないと洗礼に出向いた。従って、イエスは決して悔悟の儀式もしくは罪の許しのためとしてヨハネの洗礼を受けなかったということは、明白である。ヨハネからの洗礼を受け入れることにより、イエスは、多くの敬虔なイスラエル人の例に倣ったに過ぎなかった。
ナザレのイエスが洗礼のためにヨルダン川に行ったとき、彼は、心の征服、そして自己同一化に関連する全ての問題において、精霊と人間の進化の上昇のその頂点に達した領域の者であった。かれは、その日、時間と空間の進化の世界の完成者をヨルダン川に立たせた。完全な同時性と完全な意思疏通は、イエスの人間の心と内在する精霊調整者、つまり楽園の父の神性の贈り物との間で確立した。イエスの調整者は、事前にこの特別任務のために同様に人間に似せて肉体化された内在する他の超人、メルキゼデクのマキヴェンタによって準備されていたそれを除いては、全てのユランチアの普通の人間には、まさにそのような調整者が、宿るのである。
通常、領域の人間が、そのような高い人格完成の段階に達するとき、関連する神性の調整者と人間の発達しきった魂の最終的な融合が終わる精霊的な向上の予備的現象が起こる。そのような変化は、ヨハネの洗礼を受けるために2 人の弟とヨルダン川に行ったまさしくその日に、ナザレのイエスの人格経験において明らかに生じるはずであった。この儀式は、ユランチアにおける彼の純粋に人間の生涯での最終的な行為であり、多くの超人の観察者は、調整者とその棲家となった心の融合の目撃を期待したが、彼らは皆、失望を受ける運命にあった。何か新しくてより大きいことが起こった。洗礼のためにヨハネがイエスの上に手を挙げると、内在する調整者は、ジャシュア・ベン・ヨセフの完成された人間の魂に最後の別れを告げた。そして、しばらくするとこの神性の実体は、専属調整者かつネバドンの全地域宇宙の自分の種類の長としてディヴィニントンから戻った。このようにして、イエスは、個人化された型で自分の元へ戻ると、自身のそれ以前の神の霊が下降しているのを見たのであった。そして、かれは、「これが、私がとても喜んでいる愛しい息子である」と楽園起源のこの同じ精霊が話すのをそのとき聞いた。そして、ヨハネもまた、イエスの2 人の弟とこれらの言葉を聞いた。水際に立つヨハネの弟子達は、これらの言葉を聞かなかったし、専属調整者の幻影らしきものも見なかった。イエスの目だけが専属調整者を見た。
帰還し、その時、昂揚した専属調整者がこのように話したとき、何の音もなかった。一方彼らの内の4 人が川の中で手間取っていると、イエスは、すぐ近くの調整者を見上げて祈った。「天で支配される父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。御心が天で行なわれるように地でも行われますように。」彼が祈ったとき「天は開かれた」、そして人の息子は、今は専属調整者であるものにより呈示された人間の姿に似せて地上に来る前の神の息子としての、また肉体化された人生が終わるべき時になる自分自身の姿を見た。この神々しい姿は、イエスだけが見た。
調整者は楽園の父より来ており、またそのように振舞うのでヨハネとイエスが聞いたのは、宇宙なる父の代わりに話している専属調整者の声であった。イエスの地上での余生を通して、この専属調整者は、イエスの全ての労働に関わった。イエスは、この昂揚された調整者との絶え間ない交わりをもった。
受洗礼したとき、イエスは何の悪行も悔いなかった。罪の告白もしなかった。彼の洗礼は、天の父の意志を果たすための献身のものであった。かれは、洗礼のときに紛れもない父の呼び出し、父のための仕事の開始のための最終召喚を聞き、そこでこれらの多種多様の問題を熟考するために40日間人里離れた場所へ一人立ち去った。このようにして、ユランチアにかつて居た、同時に今居るイエスは、地球の仲間との積極的人格の交流から一時期引き下がり、上昇する人間が、モロンチア世界で宇宙なる父の内側の存在者と融合するときはいつでも起こるまさにその手順に従っていた。
洗礼のこの日純粋にイエスの人間の人生が終わった。神の息子は父を見つけ、宇宙なる父は肉体をもつ息子を見つけ、そしてお互いに相手と話す。
(洗礼を受けた時、イエスは、ほぼ31歳半であった。一方ルーカスは、イエスはティベリウス・ケーサリーア治世の15 年目の年に受洗し、それは、オーグストゥスが西暦14 年に没しているので西暦29 年になり、ティベリウスは、オーグストゥスの死の前の2 年半は彼と共に皇帝であり、オーグストゥスに敬意を表し硬貨が西暦11 年に造幣されたということが思い起こされるべきであると言っている。彼の実際の統治の15年目は、従って、まさしくこの西暦26 年、イエスの洗礼の年であった。そして、これは、ポンティウス・ピーラツスがユダヤの知事としての支配を始めた年でもあった。)
イエスは、洗礼前の6 週間ヘルモン山の露に濡れて自身の人間贈与における大きな試練に耐えていた。そこでヘルモン山で、領域の助けなしの人間として、かれは、ユランチアの王位を狙うカリガスティア、この世界の王子に出会い、打ち破った。その波瀾万丈の日、宇宙記録では、ナザレのイエスは、ユランチアの惑星王子となった。ネバドンのまもなく最高の主権者であると宣言されるこのユランチア王子は、計画を立て、人の心に神の新しい王国を宣言する方法を決めるために、そのとき40日間の隠遁に入った。
かれは、洗礼後、調整者の専属化により引き起こされる世界と宇宙の変化した関係へのの自己調整40日間に入った。ペライアの丘でのこの孤立の期間、かれは、自分が始めようとしている地球人生の新しく、しかも変更された局面で探求されるべき政策と採用されるべき方法を決断した。
イエスは、断食の目的や魂の苦悩のために隠遁に入らなかった。かれは、禁欲主義者ではなく、神への接近に関するそのようなすべての概念を永久に破壊するために来た。この隠遁を求める彼の理由は、モーシェとエリヤを、また洗礼者ヨハネさえ動かしたものとは、似ても似つかないものであった。イエスは、自身の作成の宇宙への、そして宇宙の宇宙への関係に関し、完全に自意識があり、楽園なる父、天の父によって監督されていた。彼は、そのとき、ユランチアの具現化を始める前に兄イマヌエルに指示された贈与の責任とその指令を完全に思い出した。かれは、その時全てのこれら広範囲にわたる関係を明確に、完全に理解するとともに、この世界のために、そして自分の地域宇宙にある他の全ての世界のために、公の仕事の実行についての計画を案出し、手順を決めることができるように落ち着いた思索の時間を求めて離れることを望んでいた。
丘を散策して適当な避難所を探している間、イエスは、自分の宇宙の最高業務執行者であるガブリエル、ネバドンの明けの明星に遭遇した。ガブリエルは、そのとき宇宙の創造者たる息子との個人的な意思疎通を再確立した。かれらは、マイケルがユランチア贈与に乗り出す前にエデンティアに行く時、サルヴィントンで同僚ににいとまごいをして以来、初めて直接会った。イマヌエルの指示とユヴァーサの日の老いたるものの権限により、ガブリエルは、そのとき宇宙の完成された主権の獲得とルシファーの反逆の終結に関する限り、ユランチアでの贈与経験が事実上完了されたと示す情報をそのときイエスの前に置いた。前者は、調整者の専属化が、イエスの人の姿での贈与の完全さと完成を裏づけした洗礼の日に達成され、後者は、その日イエスが、待っている若者ティグラスに加わるためにヘルモン山から下りてきたときの歴史的事実であった。地域宇宙と超宇宙の最も高い権威に基づいて、イエスは、主権と反逆に関して彼の個人的身分に影響をおよぼす限り、贈与の仕事は完了されたということをそのとき知らされた。かれは、洗礼の際の映像において、また内在する調整者の専属化の現象において、楽園からこの保証をすでに受けていた。
彼がガブリエルと話して山にいる間、エデンティアの星座の父は、イエスとガブリエルに直接現れて言った。「記録は完成されている。ネバドンの宇宙におけるマイケル611,121番の主権は、宇宙なる父の右側に完成されている。私は、ユランチア具現のための後援者でもある君の兄イマヌエルの贈与からの解放を君にもたらす。君は、現時点、またこの後いつでも肉体化贈与を終えること、父の栄誉の座に昇ること、自身の主権を受けとること、全ネバドンの当然の報いとしての無条件の統治者の地位に就くことに関する選択方法において自由である。君の宇宙における全ての罪の反逆終了に関して、また将来すべてのそのようなありうる動乱に対処する完全で無制限な権威を君に授けて、日の老いたるものの認可により、私も、超宇宙の記録完成を証言する。ユランチアでの、また人間の姿での君の仕事は事実上終わっている。これから先の進路は君自身が選ぶ問題である。」
エデンティアのいと高き父が去ると、イエスは、宇宙の福祉に関しガブリエルと長く話し、イマヌエルに挨拶をし、ユランチアで着手しようとしていた仕事においても、サルヴィントンで与えられた贈与前の管理に関して受けた助言を忘れず心に留め置くという自分の保証を提示した。
この孤立の40日の間ずっと、ジェームスとゼベダイの息子ヨハネは、イエス捜しにかかっていた。何度となくイエスのいた場所から遠くないところにいたが、彼等は、どうしてもイエスが見つけられなかった。
丘の上で日々、イエスは、ユランチア贈与の残りの計画を作成していた。かれは、ヨハネと同時には教えないとまず決めた。ヨハネの仕事が、その目的を実現するまで、または禁固により突然ヨハネが押し止められるまで、かれは、隠遁に近いままでいるつもりであった。イエスは、ヨハネの大胆不敵の、掛け引きを知らない説教がやがて民間支配者の恐怖と敵意を喚起するのをよく知っていた。ヨハネの不安定な状況を考慮に入れ、イエスは、広大な宇宙の中の全棲息界のために、自分の民族と世界のために、公のための作業予定を確実に計画し始めた。マイケルの人間贈与は、ユランチアでのことであるにもかかわらず、ネバドン全世界に関わることであった。
ヨハネの動きと自分の一通りの調整計画について考え抜いた後、イエスがまずしたことは、心の中でのイマヌエルの指示の見直しであった。労役の方法に関係し与えられた忠告、またこの惑星に永久的な文章を残さないという忠告を慎重に熟考した。イエスは、この後、決して砂以外には何にも書かなかった。弟ヨセフにとっての非常な悲しみは、イエスが、次にナザレを訪れた際、大工小屋周辺の板の上に保存されていた、また古い家の壁に掛けられていた自身の書き物のすべてを破壊したことであった。それから、イエスは、彼が見つける世界の経済、社会、政治に対する自分の姿勢に関するイマヌエルの忠告について深く考えた。
イエスは、この40日間の孤立の間、断食をしなかった。彼が最も長い期間食物なしで過ごしたのは、考えに夢中になり食べることをすっかり忘れた丘での最初の2日間であった。しかし、3日目は食物を探しに行った。この期間、かれは、この世界やいかなる他の世界を拠点にする悪霊や反逆的人格に誘惑されることは決してなかった。
これらの40日は、人間と神の心との最終的合議の機会、あるいは、むしろこれら二つの、今は一つとなった心の最初の本当の機能の時であった。この重要な思索の時間の結果は、神の心が勝ち誇り、また精霊的に人間の知性を支配したということを決定的に示した。この後人の心は神の心となり、人の心の自己性は遍在するが、この精霊的になった人間の心は、いつも、「私のではなくあなたの意志がなされる。」と言のである。
この重大な時間の出来事は、飢えて弱められた心の空想的な幻影でもなく、「荒野のイエスの誘惑」としてその後に記録された混乱した幼稚な象徴主義でもなかった。むしろ、これは、ユランチア贈与の全体的、重要かつ様々な経歴を熟考するための、また反逆孤立した他の全ての天界の改善にも何かを貢献しつつ、この世界に最も奉仕するさらなる仕事のためのそれらの計画を慎重に準備するための時期であった。イエスは、アンドンとフォンタの時代から、アダムの不履行を経てサレムのメリキゼデクの活動に至るユランチアの人間の歴史全体を熟考した。
ガブリエルは、イエスが、ユランチアにしばらく留まる方を選ぶかもしれない場合、自己を世界に明らかにするかもしれない2 つの方法があることを彼に思い出させた。そして、この問題に関する選択が、彼の宇宙主権にも、ルシファー反逆の終結にも無関係であることが、イエスに明らかにされた。世界のための奉仕活動のこの2 つの方法は次の通りであった。
1. 自身の方法—この世界の即座の必要性と彼自身の宇宙への現在の啓発の見地から最も快適で有益と思えるかもしれない方法
2. 父の方法—宇宙中の宇宙の楽園管理の高い人格により想像、される生物の生活のための先見的な理想の例示。
地球での人生の残りを采配できる2 つの方法のあることが、このようにイエスに明らかになった。この各々の方法には、即座の状況に照らし合わせて考えられるように、それぞれ利点があった。人の息子は、行為の選択のこの2 つの方法が、自分の宇宙主権の受領とは無関係であることを明らかに見た。それは、宇宙の中の宇宙の記録上ですでに解決され、公認された事柄であり、あとは自らの要求が待たれるのみであった。しかし、かれが、常に父の意志に服従し、それを立派に始めたので、と同様に、もしその肉体での地上の経歴を終えるの適当だと見るならば、楽園の兄イマヌエルに格段の満足を与えるであろうということがイエスに示された。この孤立の3日目、イエスは、地球での経歴を終えるために世界に戻り、そして、いかなる2 つの方法にかかわる状況においても、終始父の意志を選ぶと決心した。そして、かれは、いつもその決心通りに地球での人生の残りを全うした。かれは、苦渋の最後までさえ変わることなく彼の主権を天の父の主権の下に置いた。
山野での40日間は、大いなる試練の期間というよりは、むしろあるじの大いなる決断の期間であった。この期間、自分自身との、また父の直の臨場—専属調整者(もはや私的な熾天使の後見者を併せもっていなかった) —との孤立した親交において、イエスは、自分の方針を整理し、地上での経歴の残りの指揮に掛かる大いなる決断に順々に到達した。その後、大いなる試練の伝説は、ヘルモン山の奮闘の断片的な物語の混同と、さらには、すべての偉大な予言者と人間の先達が、公の経歴を断食と祈りのこれらの想定された時期を経ることから始めるのが習慣であったことから、混乱して孤立のこの一時期と関連付けられるようになった。いかなる新たな、あるいは重大な決定に直面するとき、神の意志を知ろうとすることができる彼自身の精霊との親交のために引き篭もるのがイエスの習慣であった。
地球での余生のためのこの全計画において、イエスは、いつも2 つの相反する行為の進路に彼の人間の心は苦しんだ。
1. かれは、彼を信じ、新しい精神的な王国を受け入れるように民衆—そして世界—を説き伏せることを強く心に抱いた。かれは、来たるべき救世主に関する民衆の考えをよく知っていた。
2. かれが、父は承認すると自分が承知しているように、生きて、働くこと。必要としている他の世界のために仕事をすること。王国の樹立において父を明らかにし自分の愛の神性の特質を明示し続けること。
この重大な日々を通して、イエスは、古代の岩の洞窟で、かつてベイトアーディスと呼ばれた村の近くの丘の斜面の避難所で過ごした。かれは、この岩の避難所近くの丘の斜面から来る小さい泉の水を飲んだ。
この期間、自分との、また専属調整者とのこの談合の開始から3 日目、最愛の君主の意志を待つために、彼らの指揮官が送ったネバドンの集合された天の軍団の光景がイエスに示された。この強力な軍勢は、熾天使の12 の軍団と宇宙の有識者の凡ゆる集団からの釣り合いのとれた数を迎え入れた。イエスの孤立の最初の重要な決定は、ユランチアにおける公の仕事に関連して続いて起こる取り組みにこれらの強力な人格を用いるか否かということであった。
イエスは、これが父の意志であったことが明白にならない限り、この巨大な集団の一つの人格をも利用しないと決めた。この一通りの決定にもかかわらず、巨大の軍勢は、イエスの地上での余生のあいだ共に残り、君主の意志の微妙な表現につねに従う準備でいた。イエスは、これらの付き添いの人格を自分の人間の目で絶えず捉えはしなかったが、専属調整者は、彼等の全てを見もし、通信もできた。
40日間の丘の隠遁から下りて来る前、イエスは、先ごろ専属化した調整者に宇宙の人格者達のこの付き添いの大軍の直々の指揮を命じ、そしてユランチア時間の4 年以上、宇宙の知者組織、情報部の各分隊からのこの選ばれた人格達は、従順に、かつ敬意をもってこの高位の、経験豊富な専属神秘訓戒者の賢明な指導の下で機能したのであった。この強力な集会の指揮を引き受けるに当たり、楽園の父の一度限りの、また部分であり本質である調整者は、いかなる場合も、父がそのような干渉の意図に発展しない限り、これらの超人の機関が仕えることが認められたり、イエスの地上の経歴に関し、あるいはイエスの地上の経歴のために、彼ら自身が現れたりということがないことをイエスに保証した。このように、父が、息子の地球での労役のいくらかの特定の行為または挿話に参加することを独自に選ばない限り、イエスは、1つの重大な決定により、自己の人間としての経歴に関する全ての問題において、自分自身からあらゆる超人的な協力を自発的に奪い去った。
キリスト・マイケルに付き添い宇宙の軍勢のこの指揮を引き受け入れるに当たり、専属調整者は、宇宙生物のそのような集団が、彼等の宇宙活動が彼らの創造主の代表として派遣された権威者によって制限されるかもしれない一方で、そのような制限は、時間における彼らの機能に関して効果的ではないとイエスに指摘するためにかなりの苦心をした。そして、彼等が一度専属化されるならば、この制限は、調整者が「非時間」の存在であるという事実に依存していた。従って、イエスは、指揮の下におかれた有識者、情報部に対する調整者の制御が、空間に関わる全ての問題に関して終了し、完全にされる傍ら、時間に関しては同様の完全な制限を強いることはできないということを悟された。調整者は、言った。「私は、楽園の父が、君の選ぶ彼の神性意志が達成されるために、そしてそれらにおいて、父がそのような代理を放つことを私に指示する場合と、そして君が、時間に関して本来の地球の秩序からの逸脱、出発を巻き込むだけの君の神-人間の意志に関わるいかなる選択、または行動に取り組むかもしれない場合を除いては、君の指示どうりに、君の地球での経歴に関するいかなる方法でもこの付随する宇宙、情報部、有識者の軍勢の使用を、命、禁じる。全てのそのような出来事において、私は無力であり、力の完全性と力の団結のもとにここに集合したあなたの創造物も同様に無力である。あなたの結合した本質が一度そのような願望を抱くと、あなたの選択によるこれらの命令は直ちに、実行されるだろう。そのようなすべての問題における君の願望は、時間短縮の構成要素となるだろうし、また意図される事柄は起こる。私の指揮のもとで、これは、君にの潜在的主権に押しつけられる最大の制限となる。私の自意識に時間は実在せず、従って、私はそれに関連する君の生きものの何でも制限することはできない。」
このように、イエスは、人の間の人として生き続けるという決断を努力して承知した。彼は、一回の決断により、時間にのみ関係するような問題を除いては、引き続いて起こる自分の公のための任務に参加することから様々な有識に付随する宇宙の軍勢のすべてを除外した。したがって、天の父が明確に別の方法で統治しない限り、イエスの仕事に関係して考えられるあらゆる超自然の、または真偽のほどは分からないが超人的な出来事、付属物も完全に時間の除去に関係してくることが明白となる。明白に述べられた時間の問題を除いては、地上でのイエスの残りの労役に関して起こるいかなる奇跡も、慈悲の働きも、または他の起こりうる出来事も、彼がユランチアで生きたような人間の問題において確立され、または普通に作用している自然の法測を超える行為の本質でも特質でもあえなかった。勿論、「父の意志」の明示に何の限界も、認められないかもしれない。宇宙のこの潜在的君主の表明された願望に関する時間の除去は、問題となる行為または出来事に関連して、その時間が短縮されたり除去されないという趣旨でこの神-人間の意志の直接で明白な行為によってのみ避けることができた。イエスには、明らかな時間の奇跡の発現を防ぐために、絶えず時間を意識し続けることが必要であった。確かな願望の慰みに関して、彼の方の時間的意識のどのような経過も、この創造者たる息子の心で、時間の介入なしに、考えられた事の実施に等しかった。
連帯する専属化の調整者の監督的支配を通して、空間に関する彼個人の地球活動を制限することは、マイケルにとって完全に可能であった。しかし、人の息子が、ネバドンの潜在的君主として時間に関して新しい地球での身分をこのようにして制限することはできなかった。そして、これが、ユランチアでの公の任務に取り掛かるときのナザレのイエスの実際の状況であった。
創造した情報機関の全階級の全人格に関して自身の方針に決着をつけ、これが彼の神性の新しい状態の固有の可能性から見て決定することができる限り、イエスは、そのとき自分の考えを自分自身に向けた。今やこの宇宙に存在する完全に自意識のある万物と生物の創造者は、人の間での活動再開のためにガリラヤに戻るとすぐ対峙するであろう人生で再び起こる状況において、かれは、この創造者の特権で何をするのであろうか。実際すでに、この人里離れた丘にいるちょうどそこで、この問題は、食物入手に関連して強引に表面化した。孤独な思索の3日目までには、人間の体は空腹を覚えた。常人がするように食物を探すべきか、または単に通常の創造力を駆使し、かつ手元で準備ができる適当な身体の滋養物を生産すべきか。あるじのこの重大な決断は、誘惑として—彼が、「これらの石がパンのかたまりになるように命令する」という想定上の敵に挑戦を受けたとして—描かれてきた。
イエスは、このように地球での仕事の残りのためにもう一方の、一貫した方針に決めた。個人的な必要性に関する限り、押し並べて、他の人格との関係においてでさえ、かれは、そのとき通常の地球の人間の道を進むことを意図的に選んだ。かれは、自身の確立した自然の法則を超えたり、違反したり、侵犯するような方針には断固たる反対の決意をした。しかし、これらの自然の法則は、一定の認識され得る事局においては、専属調整者が既に警告したように大いに加速されないかもしれないということを、イエスは、自分自身に約束することができなかった。原則として、イエスは、生涯の仕事が自然の法則に基づき、既存の社会的組織と調和して、組織され実施されなければならないと決めた。あるじは、それに関して奇跡や驚くべきことに反対の決定に相当する生活案を選んだ。またしても、「父の意志」を支持して決断した。またしても、全てを楽園の父の手に委ねた。
イエスの人間性は、第一の義務は自己保全であることを必要とした。それは、時間と空間の世界での自然な人間の通常の態度であり、従って、ユランチアの人間の正統な反応である。しかし、イエスは、単にこの世界とその生物に関心をもったのではなかった。つまり、かれは、広範囲にわたる宇宙の多種多様の生物を導き、奮い立たせるように考案された生活を送っていた。
洗礼の際の啓示、照光の前、かれは、天の父の意志と導きに完全な服従をして生きてきた。かれは、父の意志へのまさにそれほどまでの暗黙の人間の依存をし続けていくことを断固と決めた。かれは、不自然な行程をたどることを目標とした—自衛を求めないと決めた。かれは、身を守ることを拒否する方針を取り続けることを選んだ。かれは、人間の心になじみのある教典の言葉で自分の結論を明確に述べた。「人はパンのみで生きるのではなくして、神の口から出る一つ一つの言葉で生きるものである。」食物に対する渇望に表現されるように、肉体の欲望に関してこの結論に達する際に、人の息子は、肉体の他のすべての衝動や人間性の自然の衝動に関して最終的な決定を下した。
事によると他人のために超人力を用いるかもしれないが、断じて。本人のためには用いない。そして、彼は一貫してまさにその終わりまでこの方針を進め、「他のものを救った。 自分は救えない。」と嘲って言われたとき、—それは彼がそうしようとしなかったからである。
ユダヤ人は、砂漠のような場所の岩から水を出し、荒野で祖先に天から与えられた食物を食べさせたと評判であったモーシェよりもさらに偉大な驚くべきことをする救世主を期待していた。イエスは、同胞が待っていた種類の救世主を知っていた。そして、彼等の最も楽天的な期待に適うために全ての力と特権があったが、そのようなすばらしい力と栄光の計画に不利な決定を下した。イエスは、期待される奇跡のそのような運用は、無知な魔法と昔日と未開の祈祷師の品位を落とす実践に立ち返るものだと見なした。ことによると、自分の創造物の救済のために、かれは、自然の法則を加速するかもしれないが、彼自身の法則を超えること、自分の利益のためあるいは仲間の威圧のためにはしないだろう。そして、あるじの決定は最終的であった。
イエスは彼の民族のために嘆いた。彼らが「地は10、000 倍にその果実をもたらし、1 本のつるは1,000本の技になり、それぞれの枝には1,000 個の房が実り、それぞれの房には1,000 個のブドウの粒を着け、それぞれの粒は3.8リットルのブドウ酒を生産するであろう」という時への期待に導かれてきたかを完全に理解した。救世主が奇跡豊富の時代に案内するとユダヤ人は、信じた。ヘブライ人は長い間、奇跡と驚きの伝統のもとに養育されてきた。
イエスは、パンとワインを増やしに来ている救世主ではなかった。一時の必要なものだけを施しに来なかった。かれは、誠実な努力において天の父の意志を為して生きるように地球の子等に自分に加わらせようとするとともに、天の父を彼等に明らかにするためにきた。
この決定において、ナザレのイエスは、個人の強化のための、または全く利己的な利得や称賛のための神性能力と神から与えられた能力を悪用する愚かさと罪を傍観している宇宙に描き示した。それは、ルーキフェレーンスとカリガスティアの罪であった。
イエスのこの重要な決定は、利己的な満足感と感覚的な満足感が、一人の、そして自分自身の、進化する人間に幸福を授けることができないという真実を非常に効果的に描写する。人間の存在にはより高い価値—知的精通と精神的達成—がある。人の単なる物理的欲求と衝動が要する満足感をはるかに卓越するもの。人の本来の才能と能力の贈与は、主に心と精神のより高い力の進展と品位に捧げられるべきである。
イエスは、宇宙の被創造者に新たでより良い暮らしの方法、すなわち生活のより高い道徳的な価値と空間世界における進化の人間生活におけるより深い精神的な満足感をこのように顕にした。
物質的肉体が必要とする食物や身体の表明のような問題に関する決断の後、自分自身と仲間の健康の解決すべきさらなる他の問題が残っていた。個人の危険に直面しているとき、彼の態度はどんな風であるのだろうか。人間としての安全に関し通常の注意を払い、肉体の人生経歴において時宜を得ない終了を防止するが、生身の人生の危機に際しては、すべての超人的な介入を控えるために理にかなう予防措置をとることに決めた。この決断をしているとき、イエスは、自分の前に突き出ている岩棚の木陰に座っていた。彼は、出っ張りから空間へと身を投じることができ、ユランチアにおける生涯の仕事に立ち向かい天の有識の介入に訴えないという最初の重要な決断を取り消すならば、彼に危害が加えるようなことは何も起こらないし、自己保存に対しての彼の態度に関する2 番目の決断を取り消しても何も生じないということを完全に理解した。
イエスは、同国人が自然の法則を超えて存在する救世主を期待しているのを知っていた。かれは、その教典を確かに教えられてきた。「災いはあなたにふりかからず、疫病もあなたの住いに近づかない。なぜなら、かれは、御使いに命じてすべての道であなたを見守らせるので。かれらは、あなたが足に石をぶつけないように、手であなたを支える。」この種の推定が、重力の父の法則に対してのこの挑戦が、起こり得る危害から身を守るため、あるいは、おそらく、誤って教えられたり取り乱した人々の信頼を勝ち取るために正当化されるであろうか。徴候を求めているユダヤ人にとり満足であろうとも、そのような進路は、父の顕示ではなく、宇宙の中の宇宙の確立した法則に関わる疑わしく軽率以外の何ものでもない。
このすべてを理解し、その上あるじが、個人的な行為に関する限り自己が確立した自然の法則を無視して働くことを拒否したのを知ったので、彼が決して水面を歩かなかったし、世界を司どる物質界への暴挙となる他の何事もしなかったということが君達には、確かに分かる。勿論、依然として、専属調整者の管轄権の下に置かれたそれらの事柄に関して、時間の要素に対する支配力の欠如から彼が完全に救い出される方法は、見つけられていなかったということを始終心に留めながらも。
地球での全人生を通して、イエスは、この決断に一貫して忠実であった。パリサイ人が徴候を求めて彼を罵っても、または、カルバリで番人が十字架から下りてきてみろと言っても、かれは、山腹でこの時の決断を固く守ったのであった。
この神-人間が取り組み、ほどなく天の父の意志に従い決断を下した次の重大な問題は、自分の超人的な力を仲間の人間の注意を引き付けたり、信奉を得る目的に使われるべきかどうかという問いに関していた。ユダヤ人がしきりに欲しがる見せ物や驚くべき事に満足を与えるためにいかなる方法でも宇宙の力を用いるべきなのか。彼は、そうしてはならはないと決めた。自分の使命に人の注意を集める方法としてのすべてのそのような習慣、実行を排除する行動方針に落ち着いた。そして、一貫してこの重要な決定を貫いた。慈悲の奉仕において幾度にもわたる時間短縮の示威行動をしたときでさえ、かれは、いつもきまって治癒施しの受容者に自分達が受けた恩恵を誰にも告げないように窘めた。そして、かれは、神格の証しと表示のために「印を見せろ」という敵の嘲りの挑戦をつねに拒否したのであった。
イエスは、奇跡の業と驚きの実行は、物質的な心の威圧による外面向きの忠誠のみを引き出すであろうということを非常に賢明に予見した。そのような芸当は、神を明らかにすることもなく、人も救わないであろう。彼は、単なる驚きの施し人になることを拒否した。かれは、一つの任務—天の王国の設立—だけに専念すると決意した。
深く考え込むイエスのすべてのこの重要な自身との対話の間、質問と疑問に近い人間の部分が、神であると同時に人であることから、あった。奇跡的なことを行なわなければ、ユダヤ人は、彼を救世主として決して認めないのは明白であった。さらに、ほんの1 つ不自然なことを行うことに同意するならば、イエスの人間の心は、それが本当に神の心に追従していることを確実に知るであろう。神性の心が人間の心の疑いの性質にこの譲歩をすることは、「父の意志」と一致することになるのであろうか。イエスは、
それが、そうではないと、また専属調整者の臨場を人類と協力する神性の十分な証しとして言及すると決断を下した。イエスは多くの旅をした。かれは、ローマ、アレキサンドリア、ダマスカスを思い出した。世界の方法—妥協と外交による政治や商業において人々が目標を達する方法—を知っていた。かれは、地球での任務促進においてこの知識を利用するのだろうか。かれは、王国の設立における世界の知恵と富の影響の全ての妥協に対して同様に反対する決心をした。かれは、父の意志のみを頼みにすることを再び選んだ。
イエスは、自分の力の1 つが可用であることを百も承知していた。かれは、国と世界の注意を自分にすぐにも集中させ得る多くの方法を知っていた。まもなく、過ぎ越しの祭りがエルサレムであった。都は訪問者でいっぱいになった。イエスは、寺院の小尖塔に昇り、うろたえる群衆の前で空中を歩き出ることができた。それが、彼らが探している救世主の種類であった。しかし、かれは、ダーヴィドの王座を回復しに来たのではなかったので、結果として皆を失望させたであろう。また、かれは、神の目的を達成する自然で、緩やかで、確かな方法を追い抜こうとするカリガスティアの手口の無益さを知っていた。またもや、人の息子は、父のやり方、父の意志に素直に服従した。
イエスは、自然で、変哲のない、難しい、しかも骨の折れる方法で、ちょうど地球の子等が天の王国の拡大、延長の仕事で従わなければならないようなそのような方法で人類の心に天の王国を樹立することを選んだ。なぜなら、人の息子は、それが「全ての時代の多くの子等が王国に入るという多大の苦難を経る」ということを熟知していたがゆえに。イエスは今や、力を持ち、しかもその力を純粋に利己的であるか個人的な目的にそれを用いることを断固としてと拒否する文明人の大きな試練を通過していた。
人の息子の人生と経験の君の考慮において、神の息子は、20 世紀の、または他の世紀の人間の心にではなく、1 世紀の人間の心で肉体化されたということが心に留め置かれるべきである。よって、我々は、イエスの人間の贈与が自然な修得という考えを伝えるつもりである。かれは、先天的、かつ時間の環境の要素、加えて自らの訓練と教育の影響の所産であった。その人間性は、本物で、自然であり、完全にその時代と世代の実際の知的事情と社会的かつ経済的状況の先例に由来しており、それらにより育てられた。この神-人間の経験において、神性の心が人間の知力を超えるという可能性がつねにありつつも、彼の人間の心が機能するとき、それは、本当の人間の心がその時代の人間環境の条件のもとでそうするように機能した。
イエスは、専横な、任意の権威を示す目的のために人工の状況を作るか、または道徳的な価値を高めるか、または精神的進歩を速める目的のために特別な力を欲しいままにする愚かさを自分の広大な宇宙の全世界に描写した。イエスは、マッカビーウス、一族の治世の失望の繰り返しに地上での自分の任務を貸さないと決めた。過分な人気を得る目的、もしくは政治上の威信を得るために神の属性の悪用を拒否した。かれは、神性の、または創造的なエネルギーを国力、あるいは国際的な名声への変化を支持しようとはしなかった。罪との交わりは言うまでもなく、ナザレのイエスは、悪との妥協を拒否した。あるじは、その他の地球と一時的な考慮よりも父の意志への忠節を得々と優先した。
かれは、自然の法則と精霊の力に対する彼の個々の関係に属するそのような方針の質問に決着をつけ、神の王国の公布と設立において採用される方法の選択に注意を向けた。ヨハネは、すでにこの仕事を始めていた。イエスは、いかにして知らせを広め続けられるのか。かれは、どのようにヨハネの任務を引き継ぐべきか。かれは、どのように効果的な努力と知的な協力のために追随者を組織すべきなのか。イエスは、さらに自分自身をユダヤ人の救世主、少なくとも当時一般に考えられていたような救世主と見なすことを禁じる最終的な決断にそのとき達していた。
ユダヤ人は、イスラエルの敵の力を低下させ、世界の支配者としてのユダヤ人を確立し、貧困や圧迫から自由にする奇跡の力をもって来る救出者を心に描いていた。イエスは、この望みが決して現実にならないことを知っていた。天の王国は、人の心の中における悪の打倒に関係しており、イエスは、それが純粋に精神に関わる問題であということを知っていた。かれは、輝かしくまばゆいような力の誇示で精霊の王国を開始する適否をよく考え—そのような針路は、マイケルの司法権内で完全に許されたことであろう—しかし、かれは、完全にそのような計画に反対する決心をした。カリガスティアの革命の方法に妥協しようとはしなかった。かれは、父の意志への服従により実質的には世界を勝ち取り、そして、自分がそれを始めたので、また人の息子して自分の仕事を終えるつもりであった。
そのとき天と地において事実上全ての力を所有するこの神-人間が、一度主権の旗印を広げることを、また、驚きを為す大隊を整列させることを決めたならば、ユランチアで起こったであろうことを君は、ほとんど想像することなどできないのである。しかし、彼は妥協しようとはしなかった。かれは、神への崇拝がおそらくそこから導き出されるかもしれない悪に仕えようとはしなかった。かれは、父の意志に従おうとした。かれは、傍観している宇宙に宣言した。「主を、神を崇拝せよ。また彼にだけ仕えよ。」と。
日が経つにつれ、ますます明確に、イエスは、自分がどんな真実の啓示者になろうとしているかを知覚した。神の道が簡単そうでないことを認識した。かれは、人間の経験の残りの杯がことによると苦いかもしれないと悟り始めたが、それを飲むと決めた。
彼の人間の心さえダーヴィドの王座に別れを告げている。一歩一歩、この人間の心は、神性の道に従っている。人間の心はまだ質問するが、つねに無条件に父の永遠かつ神性の意志をすることに服従しながら、世界の人間としてこの結合された人生の最終的な裁定として間違いなく神の答えを受け入れる。
ローマは西洋世界の女主人であった。人の息子は、現在、孤立とこれらの重大決定を達成するにあたり、世界統治権を獲得するユダヤ人にとって、天の軍団に命じ、自由になる天の軍勢で、最後の機会であった。しかし、そのような絶大な知恵と力をもつこの地上生まれのユダヤ人は、自己の強化、または自分の民族の王座獲得のためには宇宙の授与の使用を拒んだ。かれは、「この世の王国」を比喩的に見ており、またそれを手に入れる力を備えていた。エデンティアのいと高きもの達は、これらのすべての力を彼の手に委ねていたが、かれは欲しなかった。地上の王国は、宇宙の創造者と支配者の関心を引くには取るに足りないものであった。かれには、1 つの目的、つまり人へのさらなる神の顕示、王国の設立、人間の心における天の父の支配だけがあった。
戦闘、抗争、虐殺についての考えは、イエスにとりとても不快であった。かれは、そのいずれももっていなかった。かれは、愛の神を明らかにする平和の王子として地球に来るつもりであった。洗礼の前、かれは、ローマの制圧者への反逆のために彼らの指揮をというゼローテースの申し出を再度拒否した。そのとき、次のような母が教えてくれたそれらの経典に関して、最終的な決定をした。「主は私に、『お前は私の息子である。この日、お前を生まれさせた。私について尋ねなさい。そうすれば、相続のために異教徒を、属領としては地球の最大部分をお前に与えるつもりである。お前は鉄の棒でかれらを砕くだろう。陶芸家の船のようにそれらを粉微塵に打ち砕くだろう。』」
ナザレのイエスは、そのような発言は彼に言及しなかったという結論に達した。ついに、最終的に、人の息子の人間の心は、全てのこれらの救世主の困難と矛盾—ヘブライ経典、親の躾、カザンの教育、ユダヤ人の期待、人間の野心的な切望—を一掃した。かれは、進むべき道をきっぱりと決めた。かれは、ガリラヤに戻り、静かに王国の公布を始め、詳しい手順については日々、父(専属化の調整者)に頼ることにした。
性霊的な問題の証明のために物質的な基準を当て嵌めることを拒否するとき、無遠慮に自然の法則に挑むことを拒否するとき、これらの決心により、イエスは、広漠たる宇宙のあらゆる世界における全ての人間のためにふさわしい例を設定した。そして、精霊的な栄光の前兆として束の間の権力を拒否するとき、かれは、奮いたたせる宇宙忠誠と道徳的気高さの模範を示した。
かれが、洗礼後に丘に上がったとき人の息子に自分の任務とその性質について何らかの疑問があったとしても、孤立と決定の40日間の後、仲間の元に戻ったときはなにもなかった。
イエスは、父の王国の設立のための計画案を立てた。かれは、民衆の物理的満足感に迎合しようとはしない。かれは、最近それがローマでされているのを見たようには、群衆にパンを分配しない。たとえユダヤ人がまさしくその種の救済者を待っているとしても、かれは、奇跡のような働きにより自分に注意を引きつけようとはしない。また、かれは、政治権力、またはこの世の、一時的な力による誇示で精霊的な知らせの受け入れをしようとはしないだろう。
期待しているユダヤ人の目に来たるべき王国を強化するこれらの方法を拒絶することにより、かれは、この同じユダヤ人が、権威と神性への彼の請求のすべてを確かに、しかも最終的に拒絶すること確信していた。このすべてを知りながら、イエスは、長く初期の追随者が救世主として彼について触れることを防ごうとした。
公のための任務を通して、絶えず再発する3 つの状況、食べさせろという騒ぎ、奇跡の強調、最後は追随者が彼を王にするという要請、を扱う必要性に直面した。しかし、イエスは、ペラリアの丘での孤立の日々における決定から離れることは決してなかった。
この忘れ難い孤立の最終日に、ヨハネとその弟子達に合流するために山を下り始めるにあたり、人の息子は、最後の決断をした。そして、この決定を専属調整者に次の言葉で伝えた。「そして、他のすべての事柄に関して、いまこのような決定-記録として、私は、父の意志に従うことをあなたに誓います。」このように話すと、かれは、山を下りて行った。その顔は、精霊的な勝利と道徳的業績の栄光で輝いた。
西暦26 年2 月23 日、土曜日の早朝、イエスは、ペラで露営していたヨハネの仲間に再び加わるために丘から下りてきた。イエスは、その日、ずっと群衆と交じわった。かれは、転んでけがをした若者に力を貸し、そして安全に両親の手元に連れて行くためにペラ近くの村へと旅をした。
この安息日の間、ヨハネの先導的主要な弟子の二人は、イエスと多くの時間を過ごした。ヨハネの全追随者のうち、アンドレアスという者が、最も深くイエスに感銘を受けた。かれは、負傷した少年をペラに連れて行くイエスに同行した。ヨハネとの合流のために戻る途中、アンドレアスは、イエスに多くの質問をし、目的地到着の直前に、二人は会話をするために立ち止まった。その際アンドレアスは、「カペルナムに来られてからずっとあなたを観てきて、あなたは、新しい師であると思っています。あなたのすべての教えを理解をしてはいないのですが、断然あなたに従って行くと決心しました。謙虚な生徒となり、新しい王国について全ての真実を学びたいのです。」と言った。そこでイエスは、人の心の中に新しい神の王国を設立する仕事で共に働くことになる12 人の1団の1 番目の使徒として、アンドレアスを歓迎した。
アンドレアスは、ヨハネの寡黙な観察者、忠実な信者でもあり、また彼にはシーモンというヨハネの傑出した弟子の一人の非常に有能で熱心な兄弟がいた。シーモンがヨハネの主要な支持者の一人であったと言うのは誤ってはいないであろう。
イエスとアンドレアスがキャンプに戻るとすぐに、アンドレアスは、兄弟のシーモンを捜し出し、脇へ連れていき、自身はイエスが偉大な師であるという思いに落ち着いたこと、また弟子として誓約したことを告げた。続けて、イエスが自分の奉仕の申し出を受け入れたこと、新しい王国のための奉仕をする仲間に彼(シーモン)も同様に参加の申し出をすることを提案した。シーモンが言った。「この方がゼベダイの店で働くようになってから神が送られた方だと信じてきたのだが、ヨハネはどうするのか。彼を見捨てることになるのだろうか。これは正しい行為なのだろうか。」 そこで、二人は、すぐにヨハネに相談しに行くことにした。ヨハネは、有能な助言者と最も有望な弟子二人を失うという思いに悲しんだが、敢然として質問に答えて言った。「これはほんの始まりである。やがて私の仕事は終わり、我々は皆、あの方の弟子になるであろう。」そこで、アンドレアスは、兄弟が新しい王国のための奉仕に加わることを望んでいることを取り次ぐと同時に、イエスには傍らに引っ込むように合図した。そして、2 番目の使徒としてシーモンを歓迎するにあたり、イエスは、「シーモン、そなたの熱意は立派であるが、王国の仕事にとっては危険である。言論に関してはもっと考え深くなるように訓戒しておく。そちの名前をペトロスとしたい。」と言った。
ペラに住む負傷した若者の両親は、イエスにその夜我が家のつもりで泊まるようにと懇願し、イエスはその約束をしていた。アンドレアスとその兄弟を後にする前に「明日早くに、我々はガリラヤに行く。」と、イエスが言った。
イエスが夜ペラに戻った後、アンドレアスとシーモンが、来たるべき王国の設立における奉仕の性格について依然として検討中、ゼベダイの息子のジェームスとヨハネは、丘での長くて無益なイエスの探索からちょうどその場に戻り着いたところであった。シーモン・ペトロスが、いかにして彼と彼の兄弟(アンドレアス)が新しい王国の最初に受け入れられた助言者になったか、また翌朝、新しいあるじと二人がガリラヤにむけて発つことになっていると聞き、ジェームスとヨハネの二人は悲しんだ。ジェームスとヨハネは、しばらくの間イエスを知っており、愛してもいた。二人は丘で何日も彼を捜していて、戻ってみると自分達よりも他の者達が優先されていたことを知ったのである。かれらは、イエスがどこに行ったかを尋ね、急いで捜しに行った。
住まいに達すると、イエスは眠っていたが、二人は、彼を起こして言った。イエスは、「大層長い間共に暮らしてきた我々が丘であなたを探している間、他のものを贔屓にし、新しい王国でのあなたの最初の仲間としてアンドレアスとシーモンを選ぶというのはどういうことですか。」イエスは、「心を穏やかにして、『人の息子が父の用向きに携わろうとするとき、誰がお前達に捜さねばならないと指示したか』自分に尋ねなさい。」と応じた。丘での長い探索の詳細を語ると、イエスはさらに悟して言った。「丘ではなく、自身の心の中に新しい王国の秘密を捜し求めることを学ぶべきである。探していたものは、すでにお前達の魂の中に存在していた。お前達は実に私の同胞であり、—私に受け入れられる必要はなく—すでにお前達は王国の者であった。だから、元気を出し、明日我々と一緒にガリラヤに行く準備をもすべきである。」「しかし、ご主人様、アンドレアスとシーモンと時を同じくして、ジェームスと私は新しい王国の仲間になるのですか。」と次に、ヨハネが敢えて尋ねた。そこで、イエスはそれぞれの肩に手を置いて言った。「兄弟よ、他のこれらの者が受け入れられる要求をする前にさえ、王国の精神においては、お前等はすでに私と共にいたのであるぞ。友よ、王国に入るのに要請は必要ではない。お前達は最初から私と共に王国にいた。人の目には、他の者達がお前達よりも先んじているかもしれないが、お前達がまだこの要請をする前に、私も王国の協議会において心でお前達を数に入れたのである。そして、そうであったとしても、善意だが、独り決めの任務の迷っていない者の探索に従事していなかったとしたならば、人の目にはお前達が先んじて見えるかもしれない。来たるべき王国においては、心配を助長するような事柄に留意せず、むしろ絶えず天にいる父の意志をすることだけに関わるように。」
ジェームスとヨハネは、快く叱責を受け入れた。かれらは、アンドレアスとシーモンをもう決して妬むことはなかった。そして、彼らは、2 人の仲間の使徒と翌朝のガリラヤへの出発の準備をした。この日から、使徒という用語は、後に彼に追従した信じる弟子の夥しい数の群衆からイエスの助言者の一門を区別をするために用いられた。
その夕方遅く、ジェームス、ヨハネ、アンドレアス、シーモンは、洗礼者ヨハネと親しく談話をし、頑強なユダヤの予言者は、涙ぐんだ目ではあるが、ゆるぎない声で、自分の主要な弟子二人を来たるべき王国のガリラヤの王子の使徒になるために行かせた。
西暦26年2月24日、日曜日の朝、イエスは、ペラ近くの川のそばで洗礼者ヨハネと別れ、その後生身の姿では彼に二度と会うことはなかった。
その日、イエスと4人の弟子の使徒がガリラヤに出発したとき、ヨハネの追随者の野営ではかなりの騒ぎがあった。最初の大きな分裂が起ころうとしていた。その前日、ヨハネは、イエスが救出者であるという積極的な見解をアンドレアスとエズラにしたのであった。アンドレアスはイエスに続くと決めたが、エズラは、ナザレの温厚な大工を拒絶して、仲間に宣言した。「予言者ダニエルは、人の息子が、力と素晴らしい栄光において、天の雲と共に来ると断言している。このガリラヤの大工、このカペルナムの船大工が、救出者であるはずがない。神のそのような贈り物がナザレから来るようなことがあるだろうか。このイエスは、ヨハネの親類であり、我々の師は、心の優しさ故に騙されているのである。この偽の救世主から遠のいていようではないか。」ヨハネが、これらの発言のためにエズラを叱責すると、彼は多くの弟子と共に離れて南へと急いだ。そして、この1団は、ヨハネの名の下に洗礼し続け、やがてヨハネを信じイエスの受け入れを拒否した人々の宗派を創設するに至った。この名残の1団は、今日までメソポタミアに存続している。
この問題がヨハネの追随者の中でふつふつと起ころうとする一方で、イエスとその4 人の弟子の使徒は、ガリラヤへのかなりの距離を行く途中であった。ナイン経由でナザレへ行くためにヨルダン川を横断する前、道のはるか前方を見ていたイエスは、ベツサイダのフィリッポスという者が友と自分達の方にやってくるのを目にした。イエスは、フィリッポスを以前から知っており、またフィリッポスも新しい使徒4 人全員によく知られていた。かれは、噂の来たるべき神の王国についてさらに学ぶためにペラにいるヨハネを訪問するために、友人ナサナエルと行く途中であり、喜んでイエスに挨拶をした。フィリッポスは、イエスが初めてカペルナムに来て以来その賛美者であった。しかし、ガリラヤのカナに住んでいたナサナエルは、イエスを知らなかった。フィリッポスは、ナサナエルが道端の木陰で休む間、自分の友人達への挨拶のために進み出た。
ペトロスがフィリッポスを脇に連れて行き、全員、つまり自分自身、アンドレアス、ジェームス、ヨハネは、来たるべき王国のイエスの仲間になったところだと説明し始め、フィリッポスに奉仕を志願するよう強く促した。フィリッポスは困惑した。何をすべきなのか。ここで—ヨルダン川近くの路傍において—何の予告もなくして、生涯で最も重大な問いへの即座の決断に直面した。イエスは、この時まで、ガリラヤ経由のカペルナムへの旅行についてジェームスに略述をしており、フィリッポスは、ペトロス、アンドレアス、ヨハネとの熱心な会話をしていた。最後に、アンドレアスが、「先生に尋ねないか。」とフィリッポスに提案した。
イエスが本当に偉大な人物、ことによると救世主であるかもしれないと、フィリッポスは、突然に気づき始め、この件でイエスの決定を受け入れると決めた。そこで、真っ直にイエスのところに行き「先生、ヨハネの元に行くべきでしょうか、それともあなたに続く友に加わるべきでしょうか。」と尋ねた。そこで、イエスは、「私についてきなさい。」と答えた。フィリッポスは、救済者を見つけたという確信にぞくぞくした。
フィリッポスは、そのとき仲間の全員には今の場所に留まるよう合図し、自分が耳にした洗礼者ヨハネ、来たるべき王国、期待される救世主に関する多くの事柄をあれこれと心の中で考えながら、まだ桑の木の下にいる友人ナサナエルに新たな決心を打ち明けるために、急いで戻った。フィリッポスは、これらの思索を遮り、大声で「救世主を見つけた、モーシェと予言者が書き、ヨハネが宣言した方を。」と言った。ナサナエルは、見上げて、「この師はどこから来られるのか」と問い質した。そこでフィリッポスは、「ナザレのイエス、ヨセフの息子、最近カペルナムに住んでいる大工である。」と答えた。そこでいくらか衝撃を受けたナサナエルは、「そのような何か良い事がナザレから来るはずがあろうか。」と尋ねた。しかし、フィリッポスは、ナサナエルの腕を取り、「見に来なさい。」と言った。
フィリッポスがナサナエルを連れて行くと、イエスは、誠実な懐疑者の顔を穏やかに見つめがら「本物の、偽りのないイスラエル人を見なさい。私についてきなさい。」と言った。そこで、ナサナエルは、フィリッポスの方を振り向いて言った。「君は正しい。あの方は本当に人のあるじである。私もついていく。もし私がそれに値するなら。」そこでイエスは、ナサナエルに頷いて再び「私についてきなさい」と言った。
イエスは、そのとき将来の近しい仲間の半分の人数を、知り合いの5 人と見知らぬ1 人ナサナエルを集めた。更なる遅滞なしで、その夕方遅く、皆は、ヨルダン川を渡り、ナインの村のそばを行き、ナザレに到着した。
かれらは全員、イエスの少年時代の家でヨセフと夜を過ごした。イエスの仲間は、見い出さればかりの師が、家のまわりに残る十戒、他の標語、諺のすべての自筆の痕跡を完全に破壊することに何故それほどまでにこだわるのかほとんど理解しなかった。しかし、この処置は、皆がその後イエスの書くところを—埃か砂以外には—決して見なかったという事実とともに心に深い印象を与えた。
皆がその町の際だった若い女性の結婚式に招待されたので、イエスは、翌日使徒をカナに行かせ、自分は弟ユダに会うためにマグダラに寄り、カペルナムの母を急いで訪問する準備をした。
ナザレを経つ前、イエスの新しい仲間達は、つい最近の素晴らしい出来事についてヨセフと他のイエスの家族に話し、イエスが長く期待されている救世者であるという自分達の確信をを自由に表した。イエスの家族は、このすべてを徹底的に話し合った。そして、ヨセフが、「多分、とどのつまり、母は正しかった—おそらく、我々の奇妙な兄は、きたるべき王なのであろう。」と言った。
ユダは、兄ジェームスとイエスの洗礼の場に居合わせて、イエスの地上での任務の確固たる信者になった。ジェームスとユダの両者は、兄の任務の性質に関して非常に当惑したが、母は、救世主、ダーヴィドの息子としてイエスに関する彼女のすべての初期の望みを復活させた。そして、かのじょは、イスラエルの救済者として兄を信じるように息子達を奨励した。
イエスは、月曜日の夜カペルナムに到着したが、ジェームスと母の住む自宅には帰らず、直接ゼベダイの家に行った。カペルナムの友人の全員が、彼にすばらしい、快い変化を認めた。もう一度、比較的に愉快であり、ナザレでの早年の彼自身のようであった。ちょうど洗礼前後の孤立期間までの長年、彼はますます真剣で打ち解けない感じであった。皆には今、全く以前の彼に見えた。いくぶん厳然とした重要性と高められた様相が見られたが、再び気軽で楽し気であった。
マリアは期待にぞくぞくした。かのじょは、ガブリエルの約束の遂行に近づいていると予期した。かのじょは、ユダヤ人の超自然的な王として我が息子の奇跡的な顕示に全パレスチナ人が間もなくびっくり仰天するのを待ち望んだ。しかし、母、ジェームス、ユダ、ゼベダイからの数多い質問のすべてに、イエスは、ただ微笑んで答えるだけであった。「私は、しばらくここに滞在した方が良い。天にいる父の意志をしなければならない。」
その翌日、火曜日に、かれらは全員、ナオミの結婚式のためにカナに旅した。式はその明くる日行われることになっていた。そして、「父の時間が来る」まで何人にも自分のことを話さないというイエスの度重なる警告にもかかわらず、皆は、救世主を見つけたという知らせをこっそりと方々へ広めると言って譲らなかった。かれらは各々、イエスがまじかのカナでの結婚式でメシアの権威の就任を開始する、また偉大な力と崇高な威厳でそれを為すだろうという確信をもって期待した。かれらは、イエスの洗礼の際に起きた現象について話されてきたことを覚えていたし、超自然の驚くべき事柄と奇跡の実演の徴候を増加することにより、地上でのイエスの将来の進路が示されるであろうと信じた。それに応じて、田舎全体は、ナオミとナサンの息子ヨハブの婚礼の祝宴にカナに集まる準備をしていた。
マリアは、長年あまり楽しくなかった。彼女は、息子の戴冠式を目撃するために向かう皇太后の思いでカナに旅した。イエスの13 歳以来ずっと、家族や友人は、仲間の願いや要求に対しとても思いやりがあり理解があり、また心に触れるほど同情的であり、屈託のないほどに幸福な風を見ていなかった。そんな訳で、彼らは全員、何が起こるのかと疑問に思い、小さい群れになって囁いた。この不思議な人は、次に何をするのだろうか。来たるべき王国の栄光、栄光の到来をどのように開幕、告げるするのか。彼らは全員、イスラエルの神の威力と迫力の顕示を目撃するために出席しているという考えに興奮していた。
水曜日の正午までには、婚礼の祝宴に呼ばれた4 倍以上の数に達するほぼ1,000 人の客がカナに到着した。水曜日に婚礼を祝うことがユダヤの習慣であり、招待は式の一ヶ月前に方々に送られていた。午前と午後の前半は、結婚式よりもイエスための公の歓迎会のように見えた。誰もが、この最近有名なガリラヤ人に挨拶をしたがり、イエスの方も、老いも若きも、ユダヤ人、非ユダヤにもとても誠心誠意で対応した。そして、イエスが、予備結婚行式の行列を率いるのに同意すると、皆は歓喜するのであった。
イエスは、そのとき自身の人間生活、自身の先在の神性、そして自身の人性と神性の結合、または融合の状態に関し、完全に自意識があった。かれは、完全な平静さで、一瞬のうちに人間の役を演じるか、または即座に神性の人格特権を引き受ける、みなすことができた。
時間、日が経つにつれ、イエスは、自分が何らかの驚きに値いする行為を演じることを人々が期待していることをますます意識するようになった。特にかれは、家族と6 人の弟子である使徒が何らかの驚異的で超自然の顕現によって来たるべき王国を適切に発表することを楽しみに待っているのに気づいた。
午後早々、マリヤは、ジェームスを呼び出し、そこで皆は一緒に、結婚式に関連して、自分を明白にする計画をたてていた「超自然の者」としていつ、どの時点でどの程度までの自信で秘密を彼等に打ち明けるかを問うために大胆にもイエスに近づいた。かれらが、これらの事柄について話すやいなや、イエスの独特の憤りを刺激してしまったのを皆は見た。彼は、「私のことを思うなら、私が天にいる父の意志を待つ間、喜んで共にいてもらいたい。」とだけ言った。だが叱責の雄弁さは、その表現にあった。
人間イエスにとり母のこの行動は大きな失望であり、また彼自身がいささかの神性示威を楽しむという母の思わせ振りの提案に対する自分の反応に非常に冷静になった。丘でのつい最近の孤立の際、自分がしないと決めた中の1つがまさしくそれであった。数時間、マリヤは、非常に落胆していた。かのじょは、「あの子が分からない。全てはどういうことなの。あの子の奇妙な行動に終わりがないのだろうか。」と、ジェームスに言った。ジェームスとユダは、母を慰めようとしたが、イエスは、1 時間の隔離のために引き下がった。しかし、かれは、参集に戻り、もう一度快活に楽しんだ。
婚礼は期待の静寂のうちに続いたが、全体の儀式は、貴賓からの動きも言葉もなく終わった。そうすると、ヨハネが「救世主」として発表した大工であり、船大工が、その手の内を晩のお祭り騒ぎの際、おそらく結婚式の夕食で見せるという噂が流れた。しかし、かれが、結婚披露宴の直前に使徒を集め、「好奇のもの満足感のためや疑うものの思い込みのために何らかの奇跡的な業をしにこの場所に来たと思わないでくれ。むしろ、我々は天にいる我々の父の意志を待つためにここにいるのである。」と真剣に言ったとき、そのような全ての示威への期待は、6 人の弟子の使徒の心から有効に取り除かれた。しかし、イエスが仲間と相談しているのを見ると、マリヤと他のものは、驚異的な何かが起ころうとしていると思い込んでしまった。そこでかれら全員は、結婚式の夕食と祝いの親交の夕べを楽しむために座った。
花婿の父は、婚礼の祝宴に招かれたすべての客のために沢山のワインを用意していたのだが、息子の結婚が、メシアの救世者としてのイエスの期待される顕現と密接に関連づけられることになるなどとどうして知り得ることができたであろうか。客の中に名の知れたガリラヤ人を含む名誉を喜んだが、婚礼の食事の終了前に、使用人達は、ワインが不足してきているという狼狽する知らせを伝えた。正式の食事が終わり、客が庭のあたりを遊歩していた頃、花婿の母は、ワインの供給が尽きることをマリヤに打ち明けた。そこでマリヤは、自信をもって言った。「息子に話すので心配しないで。力を貸してくれます。」ほんの数時間前の叱責にもかかわらず、かのじょは、大胆にもこのようにしたのであった。
何年もの間ずっと、ナザレでの家庭生活のあらゆる危機に面しイエスに助けを求めてきたので、今回も彼を思い浮かべることはマリヤにとって自然なことに過ぎなかった。しかし、この野心的な母には、このとき長男に訴えるさらに他の動機があった。イエスが庭の角に一人立っていると、「息子よ、ワインが無いよ。」と近づいて言った。イエスが答えた。「善良な女よ。それが私にどう関係があるのか。」マリヤは、「でも、私は、あなたの時間が来たと思う。私達を助けられないの。」と言った。イエスは、「私は、このような事をするために来たのではないと再度断言する。なぜまたこれらの問題で私を煩わすのか。」と答えた。するとマリヤは、わっと泣き崩れ、懇願した。「でも、息子よ。私は、あなたが助けてくれると彼らに約束した。私のために何かしてくれないか。」そこで、イエスが言った。「女よ。そのような約束などして一体どうしたのか。二度とそれをしないように頼むよ。我々は、全ての件に関して天の父の意志を待たなければならない。」
イエスの母マリヤは、打ちひしがれた。唖然とした。かのじょが、顔に涙を流しながら動かずに自分の前に立っていると、イエスの心は、肉体をもつ自分を生んだ女性への同情に襲われた。そして、かれは、前屈みになり、彼女の頭に優しく手をのせて言った。「まあ、まあ、母マリヤよ、私の明らかにきつい言葉に嘆かないように。天の父の意志をするためにだけ私が来たということをあなたにしばしば話さなかったかな。それが父の意志の一部であるならば、あなたが私に言いつけることは何でも大いに喜んでするよ。」そこで、イエスは急に止まり、躊躇った。マリヤがは、何かが起こっていると感じているようであった。飛び上がって、かのじょは、イエスの首の周りに腕を素早く回し、口づけをし、使用人の宿舎へ急いで立ち去り、「息子が何を言っても、それは起こる。」と言った。ところが、イエスは何も言わなかった。かれはそのとき気づいた。すでに言ってしまった—あるいは、むしろ望みたっぷりに考えた—考え過ぎたと。
マリヤは、歓喜に小躍りした。ワインがどう生産されるのかは知らなかったが、彼女は、彼の権威を主張すること、敢えて進みでて身分を主張し、メシアの力を示すことを長子の息子を説得したと自信をもって思った。そして、特定の宇宙の力と人格の臨場と連合のため、それについては出席者全員が完全に無知であったが、彼女が失望することにはなっていなかった。マリヤが望み、、神-人であるイエスが人間らしい思いで、また同情的に望んだワインは、まさに現れようとしていた。間に合った。
すぐ近くに、それぞれにほぼ70リットルの水で満たされた石の水瓶が、6 個あった。この水は、引続く婚儀の祝賀における最後の清めの儀式に使用される予定であった。活発な母の指揮の下でのこの巨大な石の容器についての使用人達の騒動は、イエスの注意を引いたので、かれが、行ってみると皆が水差し満杯にワインを次々に汲み出しているのが観えた。
何があったのか、イエスには徐々に分かってきた。カナの結婚の祝宴の全出席者のうち、イエスが最も驚いた。他の者は、彼が驚くことをすると期待していが、それは目標にしていないことであった。そこで、人の息子は、丘での専属思考調整者の訓戒を思い出した。時間から解放された創造者の特権を奪ういかなる力、または人格の不能であることに関して、いかに調整者が、彼に警告したかを考え直した。力の変換者達、中間者達、および他のすべての必要とされる人格が、この時その水や他の必要な要素の近くに集合し、宇宙創造君主の発露の願望のもとに、ワインの瞬時の存在が起こるのは逃がれようのないことであった。また、専属調整者が、息子の願望の実行は、決して父の意志に違反でないことを示したことから、この出来事は二重に確実になった。
しかし、これは、いかなる意味合いからも奇跡というものではなかった。自然の法則は、改変されたり、廃棄されたり、または超越されたりはしなかった。ワイン生産に必要な化学要素の超人による組み合わせに関連して、時間の抑止以外は、何も起こりはしなかった。この時カナでは、創造者の代理人達は、時間に関係なく、また必要な化学成分の空間の組み合わせにおける超人の介入によりそれをしたことを除いては、ちょうど彼らが普通の自然の過程によってするようにワインを作った。
その上、このいわゆる奇跡の実施が、楽園の父の意志に反しなかったということは明白であった。さもなくば、イエスがすでにすべての事で父の意志に服従していたので起こりはしなかったであろう。
使用人が、この新しいワインを汲み、新郎の付き添い役に運んだとき、「祝宴のきまり」、そして彼がそれを味見したとき、かれは、花婿に呼びかけて言った。「最初に良いワインで始まり、客がすっかり酔っぱらうと劣った葡萄の実のワインを持って来るのが習慣である。だが、君は極上ワインを祝宴の最後まで取って置いた。」
マリヤと弟子達は、イエスが意図しそれを実行したと考えた勘違いの奇跡に大いに喜んだが、イエスは、庭の木々の覆い被さった隅に引き下がり、しばらく重大な考えに従事した。この出来事は、現情況下では自分個人で抑え切れないことである、父の意志に反しないことであり、必然であると、イエスは、最終的に踏ん切りをつけた。彼が皆のところに戻ると、人々は畏敬をもってかれを見た。かれらは全員、彼を救世主と信じた。しかし、イエスは、彼らが今うっかり見てしまった異状な出来事のためだけで自分を信じるというのを知り、ひどく当惑した。イエスは、全体を考えられるようしばらくの間また屋根に退いた。
このような度重なる事件の原因となる同情や哀れみに耽けることのないように、かれは、絶えず警戒しなければならないということをそのとき完全に理解した。けれでも、人の息子が肉体での人生の最終的な別れまでには多くの同様の出来事が起きた。
客の多くは、結婚の祝いの週の間中留まったが、イエスと新しく選ばれた弟子である使徒—ジェームス、ヨハネ、アンドレアス、ペトロス、フィリッポス、ナサナエル—は、誰にも別れを告げずに翌朝極めて早くカペルナムへ出発した。イエスの家族やカナの全ての友人は、かれが突然に皆のもとを去ったので非常に心を痛めた。そこで 、イエスの一番下の弟ユダが彼を探しに出発した。イエスと使徒は、直接にベスサイダのゼベダイの家に行った。この旅行でイエスは、選ばれたばかりの仲間と来たるべき王国の多くの重要な事柄について論議し、特に水がワインに転じたことに言及しないように警告した。かれはまた、今後の仕事においてセフォーリスとティベリアスの都市を避けるように忠告した。
その晩の夕食後、イエスの地球での全経歴で最も重大な会議の1つが、ゼベダイとサロメのこの家で開催された。この会議には6 人の使徒だけが出席していた。ユダは、彼らが解散しようとするときに到着した。この6 人の選ばれた男達は、カナからベスサイダまでをまるで空中を歩いているかのようにイエスと旅をした。皆は、期待で生き生きとし、また人の息子の親密な仲間として選ばれたという思いに感動した。しかし、イエスが自分は誰であり、地上での任務が何であるか、またそれがどう終わりそうであるかということを明らかにすると、皆は呆然とした。かれらは、彼が話していることを理解できなかった。皆は口もきけないでいた。ペトロスでさえ、表現し難いほどに押し潰された思いであった。ただ深く考えるアンドレアスだけは、イエスの勧告の言葉に思い切って応じた。イエスは、皆が自分の趣意を理解していないと気づいたとき、ユダヤの救世主に関する彼らの考えがあまりに完全に具体化されたのを見たとき、自分は弟ユダと歩いて話す傍ら皆には休ませた。ユダは、イエスに暇乞いをする前に強い感情で言った。「父であり兄である人よ、私はあなたを一度も理解したことがない。母が教えてくれたあなたかどうか確かには分からない。また私は、来たるべき王国についても完全に理解したいうわけではないが、あなたが神のような強力な人であることは分かります。私は、ヨルダン川であの声を聞きましたし、あなたが誰であろうとも私はあなたの信者です。」かれは、話し終えるとマグダラの自宅に向けて出発した。
その夜、イエスは眠らなかった。かれは、夜用の肩掛けを纏い、翌日の明け方まで考えながら湖岸に座った。その夜の思索の長い時間の中で、かれは、長く期待された救世主として以外に追随者達に自分を見せることは決してできないということを明確に理解した。ついに、彼は、ヨハネの予言の実現として、またユダヤ人が探し求めている者としてあること以外には、王国に関する自分の主旨発信の開始をする方法はないと気づいた。結局、彼は、ダーヴィドのような救世主の型ではなかったが、より精神的に気を配る実に昔の予言者の予言的発言の実現であった。決して二度と、かれは、救世主であることをまったく否定しなかった。かれは、父の意志の仕事を果たすことにこの複雑な状況の最終的な解決を委せることに決めた。
翌朝、イエスは、友人達との朝食に合流したが、皆は、元気のない集団であった。かれは、雑談し、食事の終わりに自分の周りに皆を集めて言った。「このあたりにしばらく留まるのが父の意志である。お前たちは、ヨハネが、王国への道を開きに来たと言うのを聞いている。従って、ヨハネの説教の成就を待ち受けることが、我々に相応しい。人の息子の前触れをする者が彼の仕事を終えたとき、我々は、王国の良い知らせの宣言を始めるつもりである。」イエスは船の作業場にゼベダイと行く用意をする一方で、使徒達にはそれぞれの漁仕事に戻るよう指示し、自分が話すことになっている会堂で翌日会うことを約束し、その安息日の午後かれ等との会合をもつことを決めた。
洗礼に続くイエスの最初の公の場への出現は、西暦26年3月2日、安息日のカペルナムの会堂であった。会堂は溢れんばかりに混雑していた。ヨルダン川での洗礼の物語は、そのとき水とワインのカナからのほやほやの報道によりますます増大していた。イエスは上座を6人の使徒に与え、彼らと共に座したのが人間の兄弟のジェームスとユダであった。前夜ジェームスとカペルナムに戻った母も、会堂の婦人の区画に着席していた。全聴衆はいらいらしていた。彼らは、その日話そうとしている者の資質と威権に適する証明である何らかの並はずれた神通力の明示を目撃することを期待した。しかし、かれらは、失望する運命にあった。
イエスが立ち上がると、会堂の主宰は経巻を手渡した。そこでイエスは、予言者イザヤから読んだ。「このように主は言われる。『天は私の王座。地は私の足台。私のためにあなたが建てる家は、いったいどこにあるのか。私の住む場所はいったいどこにあるのか。これらすべては、私の手が造ったもの。』主は言われる。『だが、私が目を留める者は、貧しく、へりくだって心砕かれ、私の言葉におののく者だ。』恐れおののく者達よ、主の言葉を、聞け。『あなた方の同胞は、あなた方を憎み、私の名のためにあなた方を押しのけた。』だが、主に栄光を現させよ。主はあなた方の楽しみを見にこられる。彼等は恥を見る。町からの声、寺院からの声、主からの声が言う。『彼女は、産みの苦しみをする前に身篭もった。陣痛の起こる前に男の子を産み落とした。』誰がそのようなことを聞いたことがあるか。地は1日の陣痛で産み出されようか。また、国は一瞬にして生まれようか。しかし主はこう仰せられる。『見よ、私は、川のように平和を延ばし広げよう。また、非ユダヤ人の栄光さえ溢れる流れのようにしよう。母に慰さめられる者のように、私はあなたを慰める。だから、あなたはほかならぬエルサレムで慰められるようになる。「そして、あなたがこれらのものを見るとき、あなたの心は喜ぶであろう。』」
この朗読を終えると、イエスは、巻き物を持ち主に戻し、座る前に簡単に言った。「辛抱しなさい、そうすれば神の栄光を見るであろう。私と共に居る者達すべても正にその通りで、このようにして天にいる父の意志を為すことを学ぶべきである。」皆は、このすべての意味が何であるのか不思議に思いつつ各々の家に帰った。
イエスは、その午後使徒のジェームスとユダと小舟に乗り、岸に沿って少し漕ぎ、そこで、来たるべき王国について彼らに話すあいだ投錨した。そして二人は、木曜日の夜よりも多くを理解した。
イエスは、「王国の時間が来る」まで通常の義務に着手するように命じた。そして、二人を勇気づけるために、かれは、規則正しく船小屋に戻り働く模範を示した。かれらが今後の仕事のために毎晩3 時間を研究と準備に費やすべきであると説明し、イエスは、さらに言った。「父が、お前達を呼ぶよう私に命じるまで、我々は皆、このあたりに残るつもりである。まるで何も起こらなかったかのように、各人がいつもの仕事に戻らねばならない。私のことを誰にも話してはいけないし、私の王国は騒ぎや魅惑と共に来ないということを銘記しなさい、しかし、むしろ父が、お前達の心と王国の協議会に加わるために召喚される者の心において働く大きな変化を通して来なければならない。そなた等は我が友である。信頼しているし、愛しくも思っている。そなた等は、まもなく私の個人的な仲間になろうとしている。我慢強く、優しくあるように。いつも、父の意志に従順でありなさい。王国の召喚に備えるように。多くの者が王国に入るのは多くの苦難を通してだけであると私が警告するのであるから、父への奉仕における大きな喜びを経験する間、難局に対しても心構えをするように。しかし、王国を見つけた者達にとり、喜びは満たされ、彼等は、全地球上のの祝福されたものと呼ばれるであろう。しかし、誤った望みをいだくでない。世界は私の言葉に躓くであろう。そなた達でさえ、我が友よ、君達の混乱した心に私が繰り広げているものを完全には気がついてはいない。間違うでない。我々は、徴候を求める者の世代のために働きに出て行く。かれらは、私が父によって送られたということの証しとして奇跡的な業を要求するであろうし、父の愛の顕示における私の任務の信任に気づくには時間がかかるであろう。」
その晩、かれらが、岸に戻ると、帰途に向かうに当たり、イエスは、水際に立ち、「父よ、私は、彼らの疑いにもかかわらず、今でさえ信じているこれらの幼い者達のために感謝いたします。そして、彼らのために、私は、あなたの意志をするため自分を引き離してきました。そうして、いま私達が一つであるように、彼らが一つであることを学びますように。」と祈った。
4ヶ月間—3月、4月、5月、6月—の長い待機期間が続いた。イエスは、これらの6 人の仲間と自分の弟ジェームスとの愉快で楽しくはあったが、100回 以上にも及ぶ長い熱のこもった会合をもった。家人の病気のために、弟のユダは、これらのクラスにあまり出席することができなかった。イエスの弟ジェームスは、彼への信頼を失わなかったが、マリヤは、遅れと無活動のこの数カ月間に、もう少しで息子をあきらめるところであった。カナでそのような高さにまで上げられた彼女の信念は、そのとき新たな低レベルに沈んだ。彼女は、「彼を理解できない。すべては何を意味するのか分からない。」と、しばしば繰り返す突発の言葉に頼ることしかできなかった。しかし、ジェームスの妻は、マリヤの勇気への肩入れのために多くのことをした。
この4カ月を通して、人間の弟を含む7 人の信者が、イエスと知り合うようになった。彼等はこの神-人と一緒に暮らすという考えに慣れてきた。かれらは、彼を律法学者と呼びながらも、彼を恐れないことを学び取っていた。イエスは、皆がその神性にうろたえることなく、かれが皆の間で生きることを可能にする並ぶもののない人格的気品を持ち合わせていた。彼らは、必滅の姿の似せた神、「神と親しい友」であることが実に簡単であることが分かった。この待機の期間は、信者の全集団を厳しく試した。何事も、断じて奇跡的な何事も、起こらなかった。かれらは、日増しに、自分達の通常の仕事に取り組み、同時に連夜、イエスの足元に座った。かれらは、彼の優れた人柄により、またくる夜もくる夜も彼が話した仁愛深い言葉により、結合された。
この待機と教育期間は、特にシーモン・ペトロスにとって困難なものであった。彼は、ヨハネがユダヤで説教し続ける間、イエスにガリラヤで王国を説くこと始めるように繰り返し説得しようとした。しかし、ペトロスへのイエスの返事は、いつも次の通りであった。「辛抱せよ、シーモン。進歩せよ。父に呼び出されるとき、我々は少しも準備をし過ぎたということはない。」アンドレアスは、自分のより熟練した、また哲学的な助言でペトロスを時おり宥めるのであった。アンドレアスは、イエスの人間らしい自然さに甚しく感動した。神にそれほどまでに近く生きることのできる者が、何故そのように人に親しみ深く思いやりがある得るのか方法を考えることに、かれは決して飽きることがなかった。
この全期間中、イエスは、二度しか会堂で話さなかった。この何週間もの終わるまでには、彼の洗礼とカナでのワインにまつわる噂が静まり始めた。また、イエスは、この期間、明白な奇跡がそれ以上起こらないように気をつけた。ベスサイダで全く静かに暮らしていたのだが、イエスの奇妙な行ないについての報告は、アンティパス・ヘロデまで届けられており、彼はイエスが何をしようとしているのか見定めるためにスパイを次々と送った。ところが、ヘロデは、ヨハネの説教の方がより心掛かりでありイエスには危害を加えないと決め、イエスの仕事は、カペルナムで非常に静かに続行していた。
この待機の期間、イエスは、彼の仲間の態度が、様々な宗教団体とパレスチナの政党に対してどうあるべきかを教えようと努力をした。イエスの言葉は、つねに、「我々は、彼等全部を説き伏せようとしているが、我々は彼等の何者ものでもない。」ということであった。
筆記者と律法学者は、まとめてパリサイ人と呼ばれた。彼らは、自らを「仲間」と呼んだ。様々な意味で、彼等は、ユダヤ人の中の進歩的集団であり、後の予言者であるダニエルのみが言及した主義、たとえば死者復活の教義などのヘブライ経典の中には明確に見つけられない多くの教えを採用した。順番
サドカイ人は、聖職と特定の裕福なユダヤ人から成った。彼らは、法執行の詳細にそれほどまでの喧し屋でなかった。パリサイ人とサドカイ人は、宗派というよりは、むしろ党派であった。
エッセネ派は、本当の宗派であり、マカバイ戦争中に始まり、その必要条件は、いくつかの点でパリサイ人のそれより厳しいものであった。彼らは、多くのペルシアの信仰と習慣を採用していたし、僧院では兄弟関係として生活し、結婚は、控えて、全ての物を共有した。かれらは、天使についての教えを専門とした。
ゼロテ派は、猛烈なユダヤ人の愛国者の集団であった。ローマ帝国の支配の束縛から逃げるための戦い、努力においてはありとあらゆる方法が正当化されると主張した。
ヘロデ党は、ヘロデ王朝の回復により直接のローマ支配からの解放を主唱したまぎれもない政党であった。
パレスチナのまさしく真ん中で、ユダヤ人の教えと多くの同様の視点を保持しながらも「ユダヤ人が全然関わりをもたない」サマリア人が住んでいた。
小規模のナザレの同胞を含むこれらの党派のすべてが、いつか来る救世主を信じた。彼らは皆、国家の救済者を探した。しかし、イエスは、自分と弟子達が、これらの教えや習慣の学校のいずれにも関連するようにはならないと断言することに、非常に積極的であった。人の息子は、ナザレ人の一員にもエッセネ派の一員にもなるつもりはなかった。
ヨハネがしたように、イエスは、使徒達に福音を説き、信者に教えて出て行くすべきだと後に指示して、「天の王国の良い知らせ」の公布を強調した。「愛、哀れみ、同情を示さ」なければならないということを仲間に絶えず認識させた。天の王国とは、人の心における神の崇拝、着座と関係がある精霊的な経験であると、早期に信奉者に教えた。
積極的な公の説教に乗り出す前にこのように待機している間、イエスと7 人は、ヘブライ経典の研究において各週に2 晩会堂で過ごした。激しい公の仕事の季節からの後年、使徒達は、この4カ月間があるじとの全交流において最も貴重で有益なものであったと振り返った。イエスは、これらの者が同化することのできるすべてを教えた。教育過剰の誤りを犯さなかった。かれは、彼らの理解能力をはるかに超える真理の提示による混乱を引き起こさなかった。
彼らが6月22日の安息日に初の説教の巡歴に出掛ける直前、そしてヨハネ投獄のおよそ10日後、イエスは、使徒達をカペルナムに連れて来てから2 度目の会堂の説教壇に立った。
「王国」についてのこの説教の数日前、イエスが船小屋で仕事をしていると、ペトロスが、ヨハネの逮捕に関する情報をもたらした。イエスは、もう一度道具を置き、前掛けをはずし、ペトロスに言った。「父の時間が来た。王国の福音を公布する用意をしよう。」
イエスは、西暦26年6月18日のこの火曜日に、大工台での最後の仕事をした。ペトロスは、大急ぎで仕事場を飛び出し、昼下がりまでにすべての仲間を集め、岸辺の木立に皆を残してイエスを探しに入った。しかし、かれは、祈りのために違う木立に行っていたあるじを見つけることができなかった。かれらは、イエスがその夜遅くゼベダイの家に戻り食物を求めるまで彼に会わなかった。その翌日、イエスは、次の安息日に会堂で話す特権を得るために弟ジェームスを行かせた。会堂の主宰者は、イエスが、礼拝式を再び行なう気があることを非常に喜んだ。
イエスは、神の王国についてこの忘れ難い説教の前に、すなわち公的な経歴の最初の野心的な努力に際し、経典の中からこれらの章句を読んだ。「皆は、私のとっての祭司の王国、聖なる国民となる。ヤハウェは、我々の裁判官であり、立法者であり、王である。我々を救う。ヤハウェは私の王であり私の神である。すべての地球上の大王である。この王国において慈愛は、イスラエルの上にある。主の栄光を祝福せよ。彼は王であるから。」
読み終えたとき、イエスは言った。
「私は父の王国の設立を宣言するためにやって来た。そして、この王国は、私の父が偏ることをせず、その愛と慈悲が全ての上にあるので、ユダヤの、そして非ユダヤの、貧富の、自由の身や拘束の身の、これらの礼拝している者達を含んでいる。
天の父は人の心に宿るように彼の精霊を送り、私が地上での仕事をし終えるとき、同様に、真実の聖霊も全ての者に注がれるであろう。そして、父の精霊と真実の聖霊は、あなたを精霊的理解と神の正義の来たるべき王国に定着させるのである。私の王国はこの世のものではない。人の息子は、権力のための王座、または世俗的栄光のための王国の設立のために軍隊を戦いに導かない。私の王国が来るとき、あなたは、人の息子を平和の王子、永遠の父の啓示として知るであろう。この世界の子供等は、この世界の王国の設立と拡大のために戦うが、私の弟子は、彼らの道徳的な決定と精神の勝利によって天の王国に入るであろう。そして、一度そこに入ると、彼らは、喜び、正義、永遠の命を見つけるであろう。
このように父のそれのような特質の気高さを求めて努力し始めて、王国に入るろうとする人々は、必要である他の全てをやがて手にする。しかし、私は、嘘偽りなく言う。幼子のような信頼と疑うことのない依存で王国への入り口を探さない限り、入場獲得はあり得ないであろう。
王国がここにある、王国がそこにあると言って来る者達に誤魔化されてはいけない、なぜならば、父の王国は、目に見えるものや物質的なものには関係ないのである。この王国は、今でさえあなた達の中に存在する、なぜならば、神の精霊が人の魂に教え導くところには実際には天の王国があるから。そして、神のこの王国というものは、正義、平和、そして聖霊の喜びである。
なるほどヨハネは、悔悟の象徴として、そして罪の許しのために洗礼を施したが、あなたは、天の王国に入るとき、聖霊で、と、洗礼されるであろう。
父の王国には、ユダヤ人も非ユダヤ人もなく、ただ奉仕による完全性を追い求める者達がいるであろう、なぜならば、父の王国で立派である者は、まずすべての者達への奉仕者でならなければならないと私が宣言するから。もし仲間に仕えることを望むならば、あなたは、私がやがて父と共にその王国で座るのと同様に、被創造者のような姿での奉仕により私と共に私の王国に座るであろう。
この新しい王国は、良い土壌の畑に芽を出す種子に似ている。それはすぐには完全な果物にはならない。人の魂の王国の設立と、王国が発展し永遠の正義と永遠の救済の完全な成就に至るその時までには時間の隔たりというものがある。
そして、私が宣言するこの王国というものは、力と豊かさの治世ではない。天の王国は、肉や飲み物の問題ではなく、むしろ天にいる父への向上する奉仕における進歩的な正義と増加する喜びの人生である。なぜならば、父は、『私が完全であるように、皆もついには完全になることが私の意志である。』と地上の子供等について言ったのではなかったか。
私は王国のうれしい知らせを説くために来た。この王国に入る人々に重い負担を加えるために来たのではない。私は新たでより良い道を宣言し、来たるべき王国に入ることのできる者達は、神性の安静を味わうであろう。また、世事に関する問題でいかなる犠牲を払おうとも、また、たとえ天の王国に入るためにいかなる犠牲を払おうとも、あなたは、この世での、また永遠の命の時代においても一層の喜びと精神的進歩を受けるであろう。
父の王国への入り口は、行進する軍隊も、この世の滅ぼされた王国も、繋がれたくびきの破壊も待ってはいない。天の王国は真近であり、そこに入る者はすべて豊かな自由と悦ばしい救済を得るであろう。
この王国は永遠の統治である。王国に入る人々は父へ向かって上昇するのである。かれらは、楽園において確かに父の栄光の右側に達するであろう。また、天の王国に入るすべての者は、神の息子となり、来たる時に父の元に昇るのである。私は、独り善がりの公正な者ではなく、罪人と、神の完全な正義に飢え渇望するすべての者を呼びにきたのである。
ヨハネは、そなた達に王国への準備をさせるために悔悟を説いてやって来た。今度は、私が、天の王国への入国代価としての神の贈り物である信仰を公布しにやってきた。父が無限の愛であなたを愛しているということだけを信じるならば、あなたは、神の王国にいるのである。」
このように話すと、かれは座った。彼の言葉を聞い者は皆、非常に驚いた。弟子達は驚嘆した。ところが、人々は、この神-人の唇から朗報を受け入れる用意ができていなかった。完全にそれを理解できたというわけではないが、話を聞いた者のおよそ1/3が彼の知らせを信じた。およそ1/3は、心の中で期待される王国がそれほどまでに純粋に精神的である概念を拒絶するために身構え、これに反して残りの1/3は、その教えを理解することができない一方で、この中の多くが、イエスは、「少しおかしい」と思っていた。
「王国」について説教をした後の午後、イエスは、6 人の使徒を集め、ガリラヤの海やその周辺の都市を訪問する計画を明らかにし始めた。弟のジェームスとユダは、この会議に呼ばれず、とても傷ついた。二人は、これまで自分たちはイエスの仲間の中枢部に属すと考えてきた。しかし、イエスは、王国の使徒の指導官からなるこの部隊の構成員に親族縁者を組み入れない予定であった。カナでの出来事以来、母から見た彼のよそよそしさと合わせて、選ばれたわずかの人数の中にジェームスとユダを含まなかったこの失敗は、イエスとその家族との間での絶えず拡幅する溝の出発点であった。この状況は公務の間中ずっと続き—家族はほぼイエスを拒絶した—そして、これらの相違は、彼の死と復活の後まで完全に取り除かれなかった。母は、変動する信仰と望みの感情と、増加する失望、屈辱、絶望の感情との間で迷った。最も若いルースだけは、父でも兄でもある人に変わりのない忠誠のままでいた。
復活後まで、イエスの全家族は、ほとんど彼の公務に関係しなかった。予言者が国で敬われなければ、家族でも理解ある評価は得られないものである。
その翌日、西暦26年6月23日、日曜日、イエスは、最終的な指示を6 人に与えた。王国の喜ばしい知らせを教えるために、かれは、二人ずつで赴くように指示した。かれは、洗礼を禁じ、大衆への説教を勧めた。かれは、後日彼らに公然と説教するのを許可するが、しばらくの間、また多くの理由から、個人的に同胞に接する実際の経験を得ることを望んでいると説明し続けた。イエスは、皆の最初の巡歴を完全に個人的な仕事の一つとすることを目標とした。この発表は使徒にはある種の失望ではあったが、それでも、かれらは、王国の公布のこのようにして始まるイエスの理由が、少なくとも幾分かは分かり、元気良く自信に満ちた熱意で始めた。イエスは、ジェームスとヨハネをケリサへ、アンドレアスとペトロスをカペルナムへ、一方フィリッポスとナサナエルをタリヘアへと二人ずつ送り出した。
この最初の2 週間の活動開始の前、イエスは、自分の出発後に王国の仕事を続けるための12 人の使徒に任命したいということを発表し、計画された使徒団の会員資格のために初期の改宗者の中から各自が、1 人を選ぶ権限を与えた。ヨハネは、率直に尋ねた。「でも、あるじ様、この6 人が、我々の真っ只中に割り込んできて、ヨルダン川以来あなたと共にいて、王国のための最初の働き、これに備えてあなたのすべての教えを聞いてきた我々とが、全てを等しく分け合うのですか。」そこで、イエスが答えた。「そうだよ、ヨハネ。そなたが選ぶ一人が我々と一つになり、私がお前達に教えたように王国に関するすべてをその者達に教えるのだ。」このように言うと、イエスは皆を残して去った。
6 人は、銘々が新しい使徒を選ぶべきであるというイエスの指示に関わる議論で多く意見を取り交わすまで、仕事のために離散しようとはしなかった。アンドレアスの助言が最後には勝ち、それぞれの仕事に出掛けた。アンドレアスの言った要旨は、「あるじは正しい。この仕事を成就するには我々の人数は少な過ぎる。より多くの教師が必要であり、あるじは、この6 人の新しい使徒を選ぶことを我々に委ねる程に我々に対する多大の信用を明らかにした。」であった。この朝、それぞれの仕事に向かうために別れるとき、わずかの隠された憂うつさが、各人の心中にあった。かれらには、イエスの不在で寂しくなりそうであると知っていたし、自分達の恐れと小心さとは別に、これは、彼らが描いた天の王国が開始される方法ではなかった。
6 人は、2 週間働き、その後、会議のためゼベダイの家に戻る申し合わせであった。その間、イエスは、ヨセフ、シーモン、およびその界隈に住む自分の他の家人を訪ねるためにナザレへ行った。イエスは、父の意志を為すことに専念し、家族への信用と愛情を保ち続け、人間の力の及ぶ限りの全てをした。この件に関しては、完全な義務を果たし、またそれ以上のことをした。
使徒がこの任務で出掛けている間、イエスは、そのとき獄中にいるヨハネのことを多く考えた。それは、釈放のために潜在的力を用いるという大変な誘惑に駆られたが、もう一度、「父の意志を待つ」ことに譲った。
6 人のこの最初の伝道の旅は、著しい成功であった。皆は、人々との直接かつ個人的な接触に格段の価値を見い出した。結局、宗教とは、純粋に、かつ完全に個人的な経験に関わる問題であるということを十分に悟り、イエスのもとに戻っていった。かれらは、庶民が、いかに宗教的な安らぎと精神的な歓喜の言葉を聞きたがっているかを感じ始めた。イエスの周りに集う時、皆は間髪を入れずに話したがったが、アンドレアスが、係を引き受け一人ずつに命じると、皆は、あるじに正式な報告をすると共に、6 人の新しい使徒のために各自の指名を提示した。
各自が新しい使徒の選出を提示した後で、イエスは、他の者達に指名に関して投票するよう求めた。このようにして、6 人のすべての新しい使徒が、 従来のすべての6 人全員に正式に受け入れられた。イエスは、そこで、皆でこれらの候補を訪ねて活動への呼び出しを掛けると発表した。
新たに選出された使徒は次の通りであった。
1. マタイオス・レービー、カペルナムの税関徴収人、かれの役所は、市の真東、バタネア境界近くにあった。アンドレアスに選ばれた。
2. トーマス・ディーディモス、タリヘアの漁師で、以前はガダラの大工であり石工であった。フィリッポスに選ばれた。
3. ジェームス・アルフェウス、ケリサの漁師であり農夫であり、ジェームス・ゼベダイに選ばれた。
4. ユダ・アルフェウス、ジェームス・アルフェウスの双子の兄弟、やはり漁師で、ヨハネ・ゼベダイに選ばれた。
5. シーモン・ゼローテースは、イエスの使徒に加わるためにあきらめたゼロテ党の愛国組織の高位置の役員であった。シーモンは、ゼロテ党に加入する前は商人であった。ペトロスに選ばれた。
6. ユダ・イスカリオーテスは、ジェリコに住む裕福なユダヤ人の両親の一人息子であった。サドカ派の両親は、洗礼者ヨハネを慕うようになった彼を勘当した。イエスの使徒たちが見つけたとき、彼は、これらの地方で職を探しており、財政に関する経験を主な理由に、ナサナエルが、仲間に加わるように誘った。ユダ・イスカリオーテスは、12人の使徒の中の唯一のユダヤ人であった。
弟子達が詳しく語るべき多くの興味深く有益な経験をしたこともあり、イエスは、彼らの質問に答えたり、報告の詳細を聞いたりして、6 人とまる1日を過ごした。かれらは、より断言的な、物々しい公の働きを始める前に、ひっそりと個人的な態度で働くように自分達を送り出すあるじの計画の賢明さをそのとき理解した。
翌日、イエスと6 人は、関税徴収人のマタイオスを訪ねに出掛けた。マタイオスは、貸借を対照させ、役所の事務を兄弟に引き渡す準備をし終え、皆を待ち受けていた。料金徴収所に近づくと、アンドレアスは、イエスと前進し、そこでイエスは、マタイオスの顔を覗き込んで、「私についてきなさい。」と言った。マタイオスは、立ち上がりイエスと使徒達と共に自分の家に行った。
マタイオスは、その晩のために準備しておいた宴会の件をイエスに告げ、せめてイエスが同意し、主賓になることを承諾してくれるなら、家族と友人にそのような晩餐を設けたいと告げた。そこで、イエスは、同意の相槌を打った。その時ペトロスは、マタイオスを脇に連れて行き、自分がシーモンという者を使徒に加わるように誘い、その同意を得たこと、またシーモンもこの宴会に招かれるということを説明をした。
マタイオスの家での真昼の昼食会の後、皆は、ペトロスと一緒にゼロテ党員のシーモンを訪ねて行き、その時は甥が切り回している彼の古い、びた仕事場に彼を見つけた。ペトロスがシーモンのところにイエスを案内していくと、あるじは、情熱的な愛国者に挨拶し、「私についてきなさい。」と言うだけであった。
かれらは、マタイオスの家に帰った。そこでは、夕食の時間まで政治と宗教について多くを語った。レビ家は、長らく事業と税収集に従事してきた。それ故、マタイオスがこの宴会に招いた客の多くは、パリサイ人がその場にいれば「居酒屋の主人と罪人」と呼んだことであったろう。下の文との関係
その当時、著名な人物のためにこの種の歓迎の宴が催されるとき、興味をもつ全ての者達が、食事中の客達を観察し、主賓の会話や弁舌を聞くために宴会場の周りで長居するのが習慣であった。因って、カペルナムのパリサイ人の大部分は、この変わった社交の集いでイエスの行状を観察するためこの場に臨んでいた。
晩餐が進歩むにつれ、正餐客の喜びは、最高の域にまで達した。だれもが非常に素晴らしい時を過していたので、見物中のパリサイ人等は、イエスのこれほどまでに気楽で呑気な社交の場への参加を、心の中で批評し始めた。その晩遅く、皆の演述の最中、より悪意のあるパリサイ人の中の一人は、ペトロスにイエスの行為を批評するまでに至った。「居酒屋の主や罪人と共に食し、このように軽率な快楽行為にそのような場面にいるこの男が正義であるとどうして大胆にも教えるのか。」と言った。イエスが集い来た者達に別れの祝福を述べる前に、ペトロスは、この批判をイエスにささやいた。イエスは、話し始めて言った。「今宵マタイオスとシーモンを仲間として迎え入れるためにここに来るに当たり、あなた方の気安さと社交的陽気さを目撃して喜ばしく思うが、君達の多くが精霊の来たるべき王国への入口を見つけるので、尚さらに君達は歓喜すべきであり、そこで天の王国の良い事をもっと豊かに楽しむであろう。そして、私がこれらの友人と遊興のためにここに来たので心の中で私を批判して立っている者に、私は、社会的に虐げらている者に喜びを、道徳の虜となっている者に精神の自由を知らせにきたと言わせてもらおう。丈夫な者に医者はいらない、いるのは病人であるということを思い出させなければならないのか。私は、正義あるものにではなく、罪人に呼び掛けに来た。」
かつ、正義の性格と気高い感情の人物が、自由に嬉々として一般人と居酒屋の主や評判の罪人などの無宗教的で快楽を求める群衆とさえに混じり合うのを目にすることは、すべてのユダヤ文化において本当に奇妙な光景であった。シーモン・ゼローテースは、マタイオスの家のこの集会で演説することを望んでいたが、イエスは、来たるべき王国とゼロテ党の動きとが混乱することを望んでいないことを知り、アンドレアスは、いかなる公的所見の発表も控えるように彼を説き伏せた。
イエスと使徒は、その夜マタイオスの家に留まり、そして家に帰ると、人々はただ1つのことだけ、イエスの長所と親しみやすさについて話した。
翌日、9 人全員は、次の2 人の使徒、ジェームスとヨハネ・ゼベダイの指名するアルフェウスの双子の兄弟であるジェームスとユダの正式の呼び出しのために小舟でケリサに行った。漁師の双子は、イエスと使徒を心待ちにしていたので、岸で一行を待ち受けていた。ジェームス・ゼベダイが、ケリサの漁師達を紹介すると、あるじはじっと見つめて頷いて、「私についてきなさい。」と言った。
共に過ごしたその午後、イエスは、祝いの集会の出席に関して逐一指導し、所見を結論づけて言うことには、「すべての人は、私の兄弟である。天の父は、我々が創造するどんな生物も軽蔑しない。天の王国は、すべての男女に開かれている。人は、そこへの入り口を探し求めるかもしれない空腹の魂に対して慈悲の扉を閉めてはいけない。我々は、王国について聞きたいと望む者すべてと食事につくのである。天の我々の父が上から見るとき、人間はみな同じである。したがって、パリサイ人や罪人、サドカイ人や居酒屋の主人、ローマ人やユダヤ人、金持ちや貧乏人、自由の身や束縛の身であろうと食事を共にすることを拒んではいけない。王国の扉は、真実を知ろうとする者や神を見つけようとする者ののために広く開け放たれているのである。」
その夜、アルフェウス家での簡単、質素な夕食の場に、双子は、使徒の家族に受け入れられた。その晩遅く、イエスは、使徒達に不純な精霊にかかわる起源、特徴、宿命に関する最初の教授をしたが、かれらは、教えられた内容の重要性を理解することができなかった。かれらは、イエスを慕い敬うのは非常に簡単であるが、その教えの多くを理解することは非常に難しいとわかった。
一夜の休息後、その時11人となった一行は、タリヘアまで小舟で行った。
漁師のトーマスと放浪者のユダは、タリヘアの漁船用の船着場でイエスと使徒達に会い、トーマスは、近くの自分の家に一行を案内した。フィリッポスは、その場で使徒候補としてトーマスを指名し、ナサナエルは、同様の栄誉のためにユダヤ人、ユダ・イスカリオテを指名した。イエスはトーマスを見て言った。「トーマス、信仰が足りない。でも君を受け入れよう。私についてきなさい。」ユダ・イスカリオテに、あるじは言った。「ユダ、我々は皆同一の肉体をもつ者である、そして、私が君を我々の中に受け入れるように、いつも君のガリラヤの同胞に忠誠であることを祈る。私についてきなさい。」
皆が元気を取り戻すと、イエスは、彼らと祈り、聖霊の性質と働きを伝受するために一期間12人を隔てたが、またもや、彼らは、イエスが教えようと努めたそれらの素晴らしい真理の意味を理解することに大きく失敗した。ある者が1つの主旨を掴み、またある者が別の主旨を悟りはしたものの、誰として教えを包括的に理解することはできなかった。常に、かれらは、イエスの新しい福音を自分達の古い信仰の型に合わせようとする過ちを犯すのであった。イエスが救済の新たな福音を宣言し、神を見つける新たな方法を証明するために来たという考えを掴み取ることができなかった。かれらは、イエスが天の父の新しい顕示であると気づかなかった。
翌日、イエスは、12 人の使徒をそっとしておいた。皆が、互いによく知り合うようになり、自分の教えたことについて話し合うことを望んだ。あるじは、晩の食事に戻り、夕食後の数時間熾天使の職務に関し彼らに話し、使徒の何人かは、その教えを理解した。かれらは、一夜休息し、翌日小舟でカペルナムに発った。
ゼベダイとサロメは、自分達の大きい家をイエスと12人の使徒に引き渡せるように、息子ダーヴィドと暮らすために出発していた。ここで、イエスは、選ばれた使者と静かな安息日を過ごした。かれは、王国の公布のために注意深く計画し、行政当局とのどんな衝突も避ける重要性を十分に説明して言った。「もし民間統治者を叱責しなければならないような状態になるならば、その仕事は私に任せなさい。君たちは、ケーサーやその奉公人の公然たる非難をしないということを心しなさい。」ユダ・イスカリオテが、ヨハネを牢獄から連れ出すための何もなされない訳を質すためにイエスをわきへ連れていったのがこの同じ晩であった。そして、ユダは、イエスの態度に完全には満足していなかった。
翌週は、激しい研修に専念した。6人の新しい使徒達は、毎日、王国の仕事に備えて学び経験したすべての徹底的な復習のためにそれぞれの指名者の手に委ねられた。従来の使徒達は、新しい6 人のためにその時までのイエスの教えを慎重に見直した。夕べには、全員が、イエスの指示を受けるためにゼベダイの庭に集合した。
イエスが休養と気晴らしのために週半ばの休日を設置したのは、この時であった。そして、皆は、イエスのこの世での余生を通して毎週1日間、この案を実行した。かれらは、概して水曜日には決して通常の活動をしなかった。この毎週の休日に、イエスは、「子供達よ、1 日遊びに行きなさい。王国のための辛い作業を離れ体を休め、以前の職業に戻ることからくる、または新しい娯楽的活動の類からくる気分の爽快さを楽しむように。」と言い、通常は皆から離れるのであった。イエス自身は、地球人生のこの期間に休息のこの日を実は必要とはしなかったが、それが彼の人間の仲間に最も良いのを知っていたので、この案に従った。イエスは、教師、あるじであった。彼の同僚は生徒、使徒であった。
イエスは、彼の教えと使徒の間の彼の人生と、後に起こるかもしれない自分に関する教えの間の違いを明らかにすることに努力を払った。イエスは、「私の王国とそれに関連する福音は、君達の知らせの要旨である。私と、私の教えに関する説教で脇道に逸れてはならない。王国に関する福音を公布し、天の父に関わる私の顕示を描写しなさい。しかし、私の信念と教えに関する伝説を創り出したり、宗派を築いたりするような脇道に誤り導いてはならない。」しかし、かれらは、またもや、イエスがなぜこのように話すかを理解しなかったし、誰もなぜそのように自分達に教えるかを敢えて尋ねなかった。
これらの初期の教えにおいてイエスは、天の父の概念に関わる間違った概念以外には、使徒との論争をできるだけ避けようとした。すべてのそのような問題において、かれは、誤った信念を修正することを決して躊躇わなかった。ユランチアでのイエスの洗礼後の人生においてただ1 つの動機があり、それは、より良くてより真実の楽園の父の顕示であった。イエスは、神への新たでより良い道、信仰と愛への開拓者であった。使徒への勧告は、いつも、「罪人を捜し求めに行きなさい。落胆している者を見つけ、憂える者を慰めなさい。」であった。
イエスは、状況を完全に把握をしていた。自分の任務推進において利用されたかもしれない無限の力を備えていたが、大部分の人々が、不十分であると考えたり、無意味であると見なしたりする手段や人格にまったく満足していた。途轍も無い劇的な可能性をもつ任務に従事していたが、かれは、最も静かで非劇的な方法で父の用向きに取り組むと主張した。かれは、すべての力の表示を慎重に避けた。そして、かれは、その時、少なくとも数カ月、ガリラヤ湖周辺で12人の使徒と静かに働く予定であった。
イエスは、5 カ月の個人的な仕事の地味な、静かな伝道活動の計画を立てた。かれは、これがどれくらい続くのかを使徒に告げなかった。かれらは、週ごとに働いた。そして、この週の初日早くに、かれが、ちょうどこれを12人の使徒に発表しようとしているとき、シーモン・ペトロス、ジェームスゼベダイとユダ・イスカリオテが、私的な会話のためにやって来た。ペトロスは、イエスを脇へ連れ行き、敢えて次のように言った。「あるじ様、王国に入る機が今や熟したのかどうか、仲間の命令を受けて窺いに参りました。また、あなたは、カペルナムで王国を公布されるのですか、あるいは我々は、エルサレムに移動することになっているのでしょうか。それと、我々各々は、王国設立においてどの位置に着くのか分かるのはいつのことでしょうか。」ペトロスは、更に質問をし続けたのであろうが、イエスは勧告的な手を上げて、彼を止めた。そして、彼らに加わろうと近くに立っている他の使徒に合図して言った。「私の幼子達よ、私は、どれだけお前達のことを耐え忍ばなければならないのか。私の王国は、この世のものでないことを明確にはしなかったか。ダーヴィドの王座に着くために来たのではないと何回も言ってきのに、今、銘々が、父の王国でどの位置を占めるのかを尋ねるというのは一体どういうことなのか。そなた達は、私が、精神の王国の大使としてお前達を召集したということが悟れないのか。間もなく、本当に間もなく、ちょうど私が、いま天の父の代理をしているように、そなた達は世界において、王国の宣言において、私の代理をすることになっているということが分からないのか。私が王国の使者としてお前達を選び教えてきたが、人の心の神性の卓越したこの来たるべき王国の性質と重要性を理解しないということがあり得るのだろうか。友よ、もう一度私の言うことを聞きなさい。私の王国が力の支配あるいは栄光の治世であるというこの考えを心から払いのけなさい。確かに、天国と地球上のすべての力がやがて私の手に与えられるが、我々がこの時代に自分達を賛美するためにこの神の賦与を用いることは、父の意志ではない。他の時代に、君たちは私と共に力と栄光の座に本当に着くだろうが、今は、父の意志に従い、父の命令を実行するために謙虚な服従において進むことが当然である。」
仲間は、再度衝撃を受け唖然とした。イエスは、祈りのために2 人ずつ行かせ、正午には自分のところに戻るように求めた。このきわめて重大な午前中、かれらは、それぞれに神を見つけようとし、互いに励まし、元気づける努力をし、言いつけられた通りにイエスの元に戻って行った。
イエスは、そのときヨハネの来ること、ヨルダンでの洗礼、カナの婚礼の宴、最近の6 人の選出、自分の肉身の弟達の退出について皆に詳しく話し、また王国の敵が彼等を引き離そうともするであろうと警告した。この短いが誠意のこもった話の後、使徒は全員、ペトロスの指導の下に立ち上がり、あるじへの不滅の献身を宣言し、「それが何であろうとも、たとえ完全にそれを理解しなくても来たるべき王国に。」とトーマスがそれを言い表したように王国への不動の忠誠を誓った。その教えを完全に理解したというわけではないが、彼らは全員、本当にイエスを信じた。
イエスは、彼らがどのくらいの金を持っているのかをその時尋ねた。また、各自の家族のために何をしたかを問い質した。自分達を2 週間も支えることができないほどの資金であると分かったとき、イエスは、「我々がこのような状態で仕事を始めるのは父の意志ではない。我々は、海のそばのそこに2 週間留まり、漁をするか、または見つける何でもするつもりである。一方、最初に選ばれた使徒のアンドレアスの指導の下に、今後の仕事で、すなわち現在の個人的な活動と、また後に、福音を説き、信者に教えるために私が君達を任命するときのための必要なものすべてを用意するよう皆が団結するように。」皆は、この言葉に大いに励まされた。これは、イエスが、 より積極的で断定的な公のための努力を後に始めるように設計した最初の明確で積極的な通告であった。
使徒は、漁に専念すると決めたので、自分達の組織化の終了や翌日の漁の始まりに向け、舟やら網の調達完了にその日の残りを費やした。彼らの大半は漁師であったし、イエスでさえ経験豊富な船方であり漁師であった。次の数年間、皆が使用する舟の多くは、イエス自身の手によるものであった。そして、それらは、立派で頼りになる舟であった。
イエスは、皆が2 週間漁に専念するように申しつけ、「それから、君達は、人の漁師になるために先へ進むであろう」と言い足した。かれらは、3班に分かれて漁をし、イエスは、毎夜、異なる班に伴った。彼らは皆、イエスといることを非常に楽しんだ。イエスは、良い漁師であり、陽気な仲間であり、刺激的な友であった。共に働けば働くほど、かれらは、さらに彼を愛していた。マタイオスは、ある日「一部の人を理解すれば理解するほど、ますます尊敬しなくなるが、この方は、理解しなくなればなるほど、より好きになる。」と言った。
2 週間のこの漁業の計画と2 週間の王国のための個人的な仕事をすることは、5カ月以上も延長され、ヨハネ投獄の後の弟子達に向けられたそれらの特別な迫害の停止の後まで、この年西暦26年の終わりまでも続いた。
2 週間の漁を終えると、12 人の会計係として選ばれたユダ・イスカリオテは、扶養家族の世話の基金はすでに備えられていたので、使徒の基金を6等分した。そして、西暦26年の8月中旬近く、アンドレアスが割り当てた野外での仕事に二人ずつが、出掛けて行った。イエスは、最初の2 週間、アンドレアスとペトロスと行き、次の2 週間はジェームスとヨハネと行く、といった具合に、彼らが選んだ順に他の組と出掛けて行った。このように、公の活動の始まりに向けて皆を召集する前に、かれは、少なくとも各組と一度は出かけることができた。
イエスは、苦行も犠牲もなく神への信仰による罪の許しを説くことを、また天の父は、平等の永遠の愛で全ての子供を愛しているということを教えた。かれは、使徒に次のような事項についての議論を控えることを言いつけた。
1. 洗礼者ヨハネの仕事と禁固。
2. 洗礼の際の声。イエスは、「声を聞いた者達だけがそれについて言及してもよい。私から聞いたことのみを話しなさい。どんな伝聞も話すではない。」と言った。
3. カナでのワインが水に変わったこと。イエスは、「水とワインに関して誰にも話すな」と言って、真剣に託した。
漁師として2 週間交代に働いたこの5、6ヶ月間、皆は、素晴らしい時を過ごした。そして、それによって、2 週間の野外での王国の布教活動を支えることができる金を得た。
一般人は、イエスと使徒の教えと布教に驚嘆した。ラビ達は、長い間、無知な者は、敬虔でも正しくもあるはずがないとユダヤ人に教えてきた。しかし、イエスの使徒は、敬虔であり、公正であった。しかし、彼らは、ラビ達の学習と世界の知恵の多くをに関して晴れやかに無知であった。
イエスは、ユダヤ人が教えるようないわゆる良い働きの悔悟と信仰による心の変化—新生—王国入場の代価としてイエスが求める—との違いを使徒達に分かり易くした。かれは、父の王国に入ることへの唯一必須の信仰について使徒に教えた。ヨハネは、「悔悟—近づく復讐から逃げるために」を教えた。イエスは、「信仰は、神に対する現在の完全かつ永遠の愛に至るために開いている扉である。」と教えた。イエスは、予言者、つまり神の言葉を宣言しに来る者のようには話さなかった。かれは、権威を持つ者として自分のことを話すようであった。イエスは、奇跡追求の心から内在する神の愛の精霊と救いの恵みへの満足感と保証における真実の、また個人的な経験の発見に彼らの心を転換させようとした。
使徒は、あるじが、出会うあらゆる人間に深遠な敬意と思いやりの気持をみせるということを早くに知った。そして、かれらは、かれが、いろいろな男女子供にじつに一貫して与えたこの均一で偏重のない思いやりにすばらしく感銘を受けた。イエスは、心身の重荷を背負った通りすがかりの女性を元気づけようと道路に出るために意味深い講演の真っ最中に中断するのであった。かれは、割り込んでくる子供と親しく交わるために使徒との重大な会議を中断するのであった。イエスにとり、たまたま自分の面前にいる個々の人間ほど非常に重要なものはないようであった。かれは、あるじであり同時に教師であったが、それ以上のものであった—友であり隣人であり、理解ある同志であった。
イエスの公への教えは、主に寓話と短い講話であったが、使徒には変わることなく質疑応答で教えた。かれは、後の公への講話では誠実な質問に答えるために、必ず一息入れるのであった。
使徒は、最初は女性へのイエスの対応に衝撃をうけたが、すぐ慣れていった。かれは、王国では女性は男性と等しい権利を浴することになっていると、彼らに非常に明確にした。
漁業と個人的な仕事の交互のこの何かしら単調な期間は、12人の使徒には疲れ果てる経験であると判明したが、かれらは、試練に耐えた。かれらは、不平、疑念、一時的な不満を感じながらもあるじへの献身と忠誠の誓いに誠実なままでいた。それは、彼ら全員が(ユダ・イスカリオテを除く)、審判と磔刑の暗黒の時間にさえ彼に忠誠であり、誠実であったように、慕ったのは、この試練の数カ月間のイエスとの個人的な付き合いであった。真の人間は、イエスのようにそれほど身近に暮らし、それほどまでに彼らに捧げた尊敬されていた教師を実際には簡単に見捨てることができなかった。あるじの死の暗黒の時間を通して、これらの使徒の心において、すべての理由、判断、論理は、ただ1つの並はずれた人間の感情—友情・忠誠の最高の感情—に従って、服従して取り除かれた。イエスとの仕事のこの5カ月は、この使徒の各自が、イエスを全世界の親友であると考えさせた。そして、王国に関する福音の宣言の復活と更新の後までも彼等を結合したものこそ、イエスのずば抜けた教えや驚異の行いではなく、この人間の感情であった。
静かな仕事のこの数カ月が使徒にとり大いなる試練、乗り切った試練であったばかりでなく、公への不活発のこの期間は、イエスの家族にとってもい大いなる試練であった。イエスが公の仕事の開始準備が整うまでに、(ルースを除く)家族全体は、実際に彼を見捨てた。かれらは、ほんのいくつかの機会に、彼とのその後の接触を試みたことではあるが、それは、イエスは気がおかしいと皆が信じるほどまでになったので、共に家に帰るように説得するためであった。単に彼らは、彼の哲学を理解できず、その教えも把握できなかった。それは、同じ血肉を分かつ者にとり、あまりにも手に負えないものであった。
使徒達は、カペルナム、ベスサイダ-ユーリアス、コラズィン、ゲラサ、ヒップス、マグダラ、カナ、ガリラヤのベスレヘム、イオータパタ、ラマハ、サフェド、ギシャーラガダラ、アビラでの個人的な仕事を続けた。かれらは、これらの町以外の多くの村や田舎でも働いた。この期間の終わりまでには、12 人は、それぞれの家族の世話のためにかなり満足できる計画を考えた。使徒の大半は結婚しており、何人かには数人の子供もいたが、使徒の基金からの僅かばかりの援助があり、家族の財政的保護を心配せず、あるじの仕事に全精力をささげることができるような取り計らいをしておいた。
使徒は、早々に次のように自分たちを組織した。
1. アンドレアスは、最初に選ばれた使徒は、12 人の議長と、事務総長として任命された。
2. ペトロス、ジェームス、ヨハネは、イエスの個人的な話相手に任命された。身の回りや雑用に手を貸すために、また天の父との夜通しの祈りと神秘的な親交をするそんな夜と、昼夜付き添うことになっていた。
3. フィリッポスは集団の執事と考えられた。食料供給をし、またその訪問者や、時には多数の聴衆にまで食べ物があるか確認するのが彼の義務であった。
4. ナサナエルは、12人の家族の必要なものの世話をした。各使徒の家族の要求に関し、定期的な報告を受け、会計係のユダに必要としている者に毎週基金を送る要求書を作成した。
5. マタイオスは、使徒の団体の財務代理人であった。予算の均衡を点検し、基金の補給をするのが彼の義務であった。相互支援のための資金が間に合わないとき、また、この団体の維持に十分な寄付金が受領されないとき、マタイオスは、12 人を一時期漁に戻す権限が与えられた。しかし、公の仕事の開始後、これは決して必要ではなかった。活動のための資金調達ができる程度の資金が、つねに財政係の手にはあった。
6. トーマスは、旅程の幹事であった。教育と説教のためのおおよその場所を選んだり、宿の手はずをしたり、円滑で迅速な旅行の保証にかかわった。
7. アルフェウスの双子の息子ジェームスとユダは、群衆の管理に割り当てられた。かれらは、説教の間の群衆の秩序の維持に十分な補佐の数の案内係を任命する仕事であった。
8. シーモン・ゼロテには、休養と遊びの係が与えられた。かれは、水曜日の日程を管理し、また毎にち2,3時間の骨休めと気分転換をもたらそうとした。
9. ユダ・イスカリオテは、会計係に任命された。かれは、鞄を所持した。かれは、すべての費用を支払い、帳簿を管理した。マタイオスのために週ごとの予算見積りをし、またアンドレアス用に週報を作成した。ユダは、アンドレアスの認可のもとに基金を払い戻した。
このように、12 人は、自分達の初期の組織から裏切り者ユダの脱走により必要になる再編成の時期まで機能した。イエスが西暦27年1月12日日曜日、皆を召喚し、正式に王国の大使として、またそのうれしい知らせの伝道者として定めるまで、あるじと弟子・使徒達は、この簡単な様式で続けた。そして、すぐその後、かれらは、エルサレムとユダへの最初の公布に赴く準備をした。
イエスは、繰り返し使徒の望みを粉微塵に打ち砕き、個人の高揚に対するあらゆる野心をかき乱したにもかかわらず、ただ1 人だけが彼を捨てたということは、イエスの地球での人生の魅力と正しさを雄弁に証明している。
使徒は天の王国についてイエスから学び、イエスは人の王国、ユランチアと時間と空間の他の進化する世界に住む人間性について彼等から多くを学んだ。この12 人は、多くの異なる型の人間の気質を代表しており、学校教育によらないが故に、同じようには形成されていなかった。これらのガリラヤの漁師の多くは、100 年前にガリラヤの非ユダヤ人の人口の強制的な改宗の結果、非ユダヤ人の家柄の濃い血、重圧を伝えた。
使徒を無知で無学であると見誤ってはいけない。アルフェウスの双子を除く全ての者は、ヘブライ経典とその当時広まった知識の多くを徹底的に仕込まれた会堂学校の卒業生であった。7 人は、カペルナムの会堂学校の卒業生であリ、それは、ガリラヤのいずれにもこれより優れたユダヤの学校はなかった。
記録が、「無知で無学」であると王国のこれらの使者に言及するのは、彼らが素人であったという考えを伝えることが意図されており、ラビの知識を伝習しておらず、経典の律法学者的解釈を研修していないということであった。かれらは、いわゆる高等教育が欠けていた。現代においては、かれらは、確かに、無教育で、社会のある集団では無教養でさえあると考えられるであろう。1 つのことが確かである。使徒は、同一の堅苦しく型にはまった教育課程を経験しなかった。かれらは、青春時代からずっといかに生きるかを学ぶ別々の経験を味わった。
アンドレアス、王国の使徒団の議長は、カペルナムで生まれた。かれは、家族の子供5 人—彼自身、弟シーモン、3人の妹—の最年長であった。今は亡き父は、カペルナムの漁港ベスサイダで干物業でゼベダイとの共同経営者であった。使徒になるとき、アンドレアスは、未婚であったが、既婚の弟シーモン・ペトロスと家を建設した。両人ともに漁師で、ゼベダイの息子であるジェームスとヨハネとの共同者であった。
西暦26年、使徒として選ばれた年、アンドレアスは、33 歳であり、イエスよりもまる1 歳上で、使徒の中で最年長であった。かれは、優秀な先祖の血統の出であり、12 人の中で最も有能な人物であった。雄弁さを除いては、かれは、ほとんど全ての想像可能な能力において仲間と同等であった。イエスは、アンドレアスにあだ名、兄弟のような名称を決して与えなかった。しかし、すぐにイエスをあるじと呼び始めたように、使徒たちは、アンドレアスにもまた「長」に均しい呼び名をつけた。
アンドレアスは、より良い管理者であったが、それよりも良き組織者であった。かれは、4 人の使徒の中枢部の1 人であったが、他の3 人があるじとの非常に近い交わりを楽しむ間、イエスが、かれを使徒集団の代表として任命したことが、 かれを他の仲間と共に任務に携わるままでいることを必要とした。まさしくその終わりまで、アンドレアスは、使徒軍団の重鎮のままでいた。
アンドレアスは、決して有能な伝道者ではなかったが、有能な個人の働き手であり、王国の草分けの宣教の1 番目に選ばれた使徒として、後に王国の最も偉大な説教者の一人となる弟シーモンをイエスの元にすぐに連れて来るような人物であった。アンドレアスは、イエスが12 人を王国の使者に養成する手段として個人の仕事の取り組みを利用するイエスの方針の主な支持者であった。
イエスが使徒に個人的に教えたか、または群衆に説教したかにかかわらず、アンドレアスは、つねに何が起きているかに通じていた。かれは、理解ある経営者であり有能な管理者であった。問題を自分の権限の域を超えるものであると見なさない限り、その場合はまっすぐイエスに訴えるが、自分にもたらされるあらゆる事柄に関する即座の決定をした。
アンドレアスとペトロスは、性格と気質において非常に異なっていたが、見事に反りのあった二人の名誉として永久に記録されなければならない。アンドレアスは、ペトロスの雄弁さに決して嫉妬しなかった。アンドレアスのような型の年上の男性が、 年下の若くて有能な弟に対しそのように甚深な影響を及ぼしているのはあまり見かけないであろう。アンドレアスとペトロスは、互いの能力にも業績にも全く嫉妬しているようには見えなかった。主としてペトロスの活気に満ちた奮い立たせる説教により2,000 人が王国に加えられた五旬節の日の夕方遅くに、アンドレアスが弟に言った。「私にはできなかったが、できる弟がいて嬉しい。」それに答えて、「しかし、あなたがあるじのところへ私を連れて来ず、しかもあなたの物事に動じない様が私を彼のところに留め置くことがなければ、こうする私はここにいるはずがありません。」とペトロスが言った。アンドレアスとペトロスは、兄弟といえどもともに平和に暮らし、ともに効果的に働くことができると証明する例外であった。
五旬節後、ペトロスは、有名になり、残りの人生を「シーモン・ペトロスの弟」として紹介されて過ごすことになったが、それは年上のアンドレアスを決していらだたせはしなかった。
全使徒の中で、アンドレアスは、一番人を見る目があった。他の何れもが会計係が何かおかしいと疑わなかったときでさえ、ユダ・イスカリオテの心で問題を企てていることがわかっていたが、かれは、自分の怖れを誰にも話さなかった。アンドレアスの王国へのすぐれた働きは、福音宣言のために派遣される最初の宣教師選出に関するペトロス、ジェームス、ヨハネへの忠告や、また、これらの初期の指導者への王国の行政諸事の組織だった管理に関する助言においてであった。アンドレアスは、若年層に隠された資力や潜在する才能を発見するすばらしい才能を持っていた。
イエス昇天後まもなく、アンドレアスは、去ったあるじの言行の多くの個人的記録に着手した。アンドレアスの死後、この個人的な記録の写しが他に作られ、キリスト教会の初期の教師間で自由に回覧された。アンドレアスのこれらの非公式記録は、地球でのあるじの人生のかなり連続した物語を捏造するまで、その後編集され、修正され、変更され、また追加されたりした。原本が最初に選ばれた12人の使徒によって、について書かれたおよそ100年後、これらの変更され修正された数少ない写本の最後のものは、アレクサンドリアで炎焼した。
アンドレアスは、明確な洞察、論理的思考、ゆるぎない決断の男であり、その性格的な強みは、ずば抜けた安定性で形成されていた。気質上の妨げとなるものは、情熱に欠けることであった。何度となく賢明な称賛により仲間を励ますことができなかった。そして、友の値打ちのある成果を称賛しないこの寡黙さは、お世辞と不誠実に対する憎悪へと、からつながった。アンドレアスは、便利屋で、冷静で、独立独行の、小規模事業の成功者の一人であった。
どの使徒もイエスを愛したが、特に心を引きつけるある種の特別の人格の特徴ゆえに、12人の各々が、彼に引かれたというのは本当のままとしてある。アンドレアスは、一貫した誠意、ごく自然な尊厳さの理由からイエスを敬慕した。人は、一度イエスを知ると、友人に彼のことを知らせたいという衝動に動かされた。かれらは、全世界に本当に彼を知って欲しかった。
後の迫害がエルサレムからようやく使徒を離散させたとき、アンドレアスは、アルメニア、小アジア、マケドーニアを通って旅し、最後にはアハイアで逮捕され、パトライで磔刑にされた。この強壮な男が十字架で息絶えるまでにはまる2 日間かかった。しかも、これらの悲劇の時間を通して、かれは、天の王国の救済の良い知らせを効果的に宣言し続けた。
使徒に合流したときシーモンは30歳であった。かれは、結婚し3人の子持ちで、カペルナムの近くのベスサイダで生活していた。兄アンドレアスと妻の母とが同居していた。ペトロスとアンドレアスの両人は、ゼベダイの息子等の漁船の共同経営者であった。
アンドレアスが使徒の2番目として彼を紹介する前に、あるじはすでにシーモンを知っていた。イエスがシーモンをペトロスと名を与えたとき、彼は微笑んでそれをした。それはあだ名のようなものであった。シーモンは、全ての友人には不安定で衝動的な仲間として知られていた。後に、本当に、イエスは、この容易く与えたあだ名に新しく重要な意味を添えることになった。
シーモン・ペトロスは、衝動的で楽天的な人物であった。かれは、自分の強い感情を自由に満足させつつ成長した。かれは、飽くまで考えずに話すことに固執したので、絶えず問題に陥った。そしてまた、この種の考えの無さが、友人や仲間のすべてに絶え間のない問題をもたらし、あるじから多くの軽い叱責を受ける原因でもあった。ペトロスが、軽はずみな談話のためにさらに多くの困難に至らなかった唯一の理由は、かれが、あえて提案を公表する前に、兄アンドレアスと多くの計画や措置について話し合うことを非常に早くに身につけたからであった。
ペトロスは、能弁な話者であり、感動的な飛躍的であった。かれは、人の自然かつ鼓舞する指導者であり、理解の早い思考家でもあったが、深い理論家ではなかった。かれは、使徒全員よりも多くの質問をし、この大部分は見事で、関連した質問であったが、軽率で愚かな多くの質問もあった。ペトロスには深く考える心がなく、しかもその心についてよく知っていた。したがって、かれは、迅速な決断と突然の行為にでる人物であった。他の者は、海辺にいるイエスを目にした驚きを話すが、ペトロスは、あるじに会うために岸へと泳いだ。
ペトロスが最も賞賛してイエスにみた1つの特徴は、崇高な優しさであった。ペトロスは、決してイエスの忍耐力を静観することに飽きることがなかった。かれは、7 回だけでなく、77回も罪人を許す教訓を決して忘れなかった。かれは、高僧の中庭においてイエスを軽はずみに故意でなく否定した直後の暗い陰気な日々、あるじの寛大な性格のこれらの印象について多く考えた。
シーモン・ペトロスは痛ましく揺れていた。かれは、突然極端から極端に揺れ動くのであった。まずイエスに我が足を洗わせることを拒否し、次にあるじの返答を聞くと、洗ってくれるように請うのであった。しかし、イエスは、詰まるところ、ペトロスの欠点は心ではなく頭であることを知っていた。かつて地球上に生きた中で勇気と臆病の最も不可解な組み合わせの人間であった。彼の性格のすばらしい長所は、忠誠と友情であった。ペトロスは、実に、実にイエスを愛した。それにしても、この偉大な献身の強さにもかかわらず、かれは、使用人の少女にからかわれ、主君あるじを否定させられるほどに、とても不安定で気まぐれであった。ペトロスは、迫害とその他の形態の直接の攻撃にも耐えることができたが、嘲笑の前には萎縮した。正面攻撃に直面するとき、かれは、勇敢な軍人であったが、後部からの襲撃に驚くとき、恐怖に竦む臆病者であった。
ペトロスは、サマリア人の間でのポール、非ユダヤ人の間でのパウーロスの仕事を守るために進み出るイエスの使徒のうちの最初の者であった。それでいて後に、嘲るユダヤ化した人々にアンチオケにおいて直面したとき、自説を翻して非ユダヤ人から一時的に引き下がり、パウーロスから不敵の告発を受けるばかりであった。
かれは、イエスの複合の人間性と神格について心からの告白をした最初の使徒であり、また、ユダを除くイエスを否定したのも最初であった。ペトロスは、それほど夢想家ではなかったが、恍惚の雲と芝居じみた気ままな熱意から現実の平凡でありのままの世界に下りることを嫌った。
イエスの後を追うに当たり、文字通り、また比喩的にも、かれは、行列を率いたか、さもなければ他に遅れをとる—「離れて遠く後に続く」かであった。しかし、かれは、王国を樹立し、その使者を1 世代における地球の隅々へ送るために、パウーロスは別として、12 人の中では他の誰よりも多くのことをした伝道者であった。
無分別なあるじの否定後、かれは、我に戻り、使徒達が、磔刑の後に何が起ころうとしているのかを見定めるために留まる間、アンドレアスの同情的で理解ある指導で、かれは、再び漁業の道へと引き返した。イエスが彼を許し、また、彼があるじの囲いの中に迎え入れられたことを完全に確信すると、王国の炎は、魂の中で非常に明るく燃え、暗闇に座わる数千もの人間へのすばらしい救いの光となるほどであった。
エルサレムを去り、パウーロスが非ユダヤ人のキリスト教会の間で指導的人物となる前、ペトロスは、広範囲に旅をした。パウーロスによって育成された教会の多くにさえ訪れ、奉仕をした。ペトロスとパウーロスは、気質と教育において、神学においてさえ非常に異なったが、後年教会を築き上げるために一緒に円滑に働いた。
部分的にルカスにより記録された説教に、それとマルコスの福音書には、ペトロスの様式と教育の何かが見られる。その力強い様式と教えは、ペトロスの手紙 第1として知られる彼の手紙でよりよく窺える。少なくとも、それが、後にパウーロスの弟子によって変更される前は、これは本当であった。
しかし、ペトロスは、イエスが、詰まるところ、実に誠にユダヤの救世主であるとユダヤ人に納得させようとする誤りを犯すことに固執した。ちょうど彼の死の日まで、シーモン・ペトロスは、ユダヤの救世主としてのイエス、世界の贖い主としてのキリストと、い神の顕示としての人の息子、全人類の情愛深い父の概念との間で心の中で混乱し続けた。
ペトロスの妻は非常に有能な女性であった。長年、かの女は、女性団体の構成員として充分の働きをし、ペトロスがエルサレムを追放されると、彼の伝道のためのすべての遠出をはじめとし、教会へのすべての旅に同行した。そして、有名な夫がその命を明け渡した日、かの女は、ローマの競技場の野獣に放り投げられた。
かくして、イエスの親友、中枢部の側近の1 人であるこの男性ペトロスは、力と栄光で彼の伝道の拡充が成し遂げられるまで、王国の喜ばしい知らせを宣言しながらエルサレムから前進して行った。捕獲者が、彼のあるじが死んだように—十字架上で—彼も死ななければならないと告げると、かれは、自分を高い名誉の受領者と見なした。このようにして、シーモン・ペトロスは、ローマで磔刑にされた。
イエスが「雷の息子」の愛称で呼んだゼベダイの二人の使徒の息子のうちの兄ジェームスは、使徒になるとき30歳であった。結婚しており、4 人の子持ちで、カペルナムの郊外ベスサイダで両親の近くで生活していた。かれは、漁師で、弟ヨハネと一緒にアンドレアスとシーモンと共同して仕事に励んだ。ジェームスと弟ヨハネは、他の使徒の誰よりも長くイエスを知っている利点を味わった。
この有能な使徒は、気質上は矛盾するものであった。かれは、本当に二つの性質を備えているらしく、その両方は、強い感情に動かされていた。かれは、一度憤りが完全に刺激されると、特に荒々しかった。かれは、一度相応に挑発されると、燃えるような気質であり、嵐が止むと、それが全く義憤の表明であったという見せかけで怒りを正当化し弁解するのが習慣であった。怒りのこの周期的な大変動を除いては、ジェームスの個性は、非常にアンドレアスのそれのようであった。かれは、人間性ではアンドレアスの思慮深さや洞察力を持っていなかったが、はるかに優れた演説家であった。ペトロスに次いで、しかしマタイオスを除いて、ジェームスが12 人の中で最良の大衆演説家であった。
ジェームスは、決してむら気とは言えないが、ある日は静かで無口であり、その翌日は非常な饒舌家となり、語り手となり得た。通常イエスと自由に話したが、かれは、12 人の間で続けて何日も黙っている男性であった。彼の大きな弱点は、この説明のつかない沈黙の期間であった。
ジェームスの個性の傑出している特徴は、考察に関し各方面から考える能力であった。全12 人中、かれは、イエスの教えの真の重要性と意味を最も近く理解した。彼もまた、最初あるじの意味するところの理解に時間が掛かったが、彼らの訓練の終了までにはイエスの言葉の優れた概念を習得した。ジェームスは、広範囲の人間性を理解することができた。かれは、多才なアンドレアス、激しいペトロス、控え目な弟ヨハネとよく気が合った。
ジェームスとヨハネは、一緒に働こうと苦労をしたが、二人がいかによく気が合ったかを観測するのは感激的であった。アンドレアスとペトロスほどにはあまりうまくいかなかったが、通常2 人の兄弟、特にそのような強情で断固な兄弟に期待されるよりもずっと良かった。しかし、奇妙に見えるかもしれないが、ゼベダイの2 人の息子は、見知らぬ人に対してよりもお互いに対し、はるかに寛容であった。かれらは、互いにすばらしい愛情を感じた。かれらは、つねに楽しい遊び仲間であった。あるじに対する軽蔑を示すことを敢えてしたサマリア人を滅ぼすために天国から砲撃を加える命令を欲しがったのはこの「雷の息子」であった。しかし、ジェームスの時ならぬ死が、弟ヨハネの激しい気質を大いに変えた。
ジェームスが最も賞賛したイエスのその特徴は、あるじの同情的な愛情であった。無名人、有名人、貧者、富者に対するイエスの理解ある関心に、ジェームスの心は、引きつけられた。
ジェーム・スゼベダイは、均衡のとれた思想家と立案者であった。アンドレアスと共に、かれは、使徒団の中ではより分別のあるものの1 人であった。かれは、活発な個人であったが、決して急がなかった。かれは、ペトロスにとっては平衡力を保つ素晴らしいてん輪であった。
かれは、慎み深く、穏やかで、日々仕える人であり、控え目な労働者であり、一旦王国の本当の意味の何かを掴むと、どんな特別報酬も求めなかった。息子達にイエスの左右の栄誉の座が与えられるのか尋ねたジェームスとヨハネの母についての話にさえ、この要求をしたのは母であったということを思い出さなければならない。そして、二人がそのような責任を負う準備ができているということを示したとき、かれらが、ローマ支配に対するあるじの想定された反乱を伴う危険性を認識していたと気づくはずだし、かれらが、その代償を喜んで払う気もあったと認めなければならない。イエスが、その杯を飲みほす準備ができているかどうかを尋ねたとき、彼らはできていると返答した。そして、ジェームスに関しては文字通りそうであった—殉教を経験した最初の使徒であり、ヘロデ・アグリッパに早くに剣で死に追いやられたことを考えるとき、彼はあるじと共に杯を飲みほした。ジェームスは、このように、王国の新しい戦線で命を犠牲にする12 人のうちの最初のものであった。ヘロデ・アグリッパは、他のすべての使徒の誰よりもジェームスを恐れた。ジェームスは、多くの場合本当に静かで黙っていたが、自分の信念がそそられ挑戦されると、勇敢で決然としていた。
ジェームスは、十分にその人生を送り、そして終わりが来たとき、裁判と処刑に立ち会った告発し密告をした者でさえ、非常に心を打たれイエスの弟子達に合流するためにジェームスの死の場面から急いで離れるほどに、そのような優美さと剛毅を保った。
使徒になったとき、ヨハネは、24歳で12 人中で最年少者であった。かれは、未婚でベスサイダで両親と暮らしていた。かれは、漁師であり、アンドレアスとペトロスと協同で兄ジェームスと働いていた。使徒になる前後、ヨハネは、イエスの個人的な世話係としてあるじの家族の世話に関わり、イエスの母マリアが生きる限りこの責任を担い続けた。
ヨハネは、12 人中最も若く、イエスの家族の件にとても密接に関係したので、かれは、あるじにとり非常に大切ではあったが、「イエスが愛していた弟子」であったとは正直言えない。あなたは、イエスのような度量の大きい人格が、依怙贔屓を示す、ある者を他よりも愛するなどと決して邪推しないであろう。ヨハネが、兄ジェームスと共に、他の使徒より長くイエスを知っていたことは言うまでもなく、イエスの3人の側近の一人であったという事実が、この間違った考えにさらなる色を添えた。
使徒になった直後、ペトロス、ジェームス、ヨハネは、イエスの個人的な側近として選任された。12 人の選出直後、またイエスが集団の責任者者として務めるように任命したとき、イエスは、アンドレアスに言った。「さて、私と居て、側に留まり、気持ちを和らげてくれ、日々の用を足してくれる2、3人の仲間を選任して欲しい。」そこで、アンドレアスは、この特別任務には、次の3人の最初の使徒に選ばれる者が一番良いと考えた。かれは、自分自身そのような恵まれた奉公に志願したかったが、自分には既にあるじから任務が与えられていた。それで、かれは、ペトロス、ジェームス、ヨハネにイエス付きになるようすぐに指示した。
ヨハネ・ゼベダイの性格には多くの魅力ある特色があったが、それほど魅力的でないものは、過度ではあるが、通常は上手に隠された自惚れであった。イエスとの長い付き合いは、性格に多くの大きい変化をもたらした。この自惚れはかなり減少したが、老いて多少子供っぽくなるとある程度再び現れ、現在自分の名前が記されている福音書を書くネイザンに指示するほどであり、老いた使徒は、自分を「イエスが寵愛した弟子」と繰り返し照会することを躊躇しなかった。ヨハネは、他のどの地球の人間よりも最も近くイエスの親友になったということ、かなり多くの事柄に関して選ばれた個人的な、人格的な代表人であったという事実から見て、イエスがごく頻繁に心を許した弟子であることをヨハネが最も定かに知る以上、自身を「イエスが寵愛した弟子」と考えようになったのは、奇妙ではないであろう。
ヨハネの性格で最大の特徴は、その信頼性であった。かれは、迅速、勇敢、忠実、献身的であった。最大の弱点は、この特有の自惚れであった。かれは、父親の家族の最年少であり、使徒集団の最年少者でもあった。おそらく、かれは、ほんの少し甘やかされていた。恐らく機嫌を取られ過ぎてきた。しかし、後年のヨハネは、24歳でイエスの使徒の集団に合流した自惚れで気まぐれな青年とは非常に異なった種類の人間であった。
ヨハネが最も評価したイエスの特徴は、あるじの愛と利己心の無さであった。この特徴が彼に非常に強い印象を与えたので、その後の彼の人生全体が、愛の感情と兄弟の献身に支配されるほどであった。かれは、愛について話し、愛について書いた。この「雷の息子」は、「愛の使徒」となった。そして、エウフラーテスで、老年のこの司教が椅子で教会まで運ばれなければもはや聖壇に立ち説教することができなくなったとき、そして礼拝の終わりに信者への二言、三言を頼まれたとき、長年のあいだ唯一発した言葉は、「幼子達よ、互いを愛せよ。」であった。
ヨハネは、気分が奮い立つ時以外は口数の少ない男であった。かれは、よく考えるが、ほとんど口に出さなかった。老いてくるにつれ、その気質は、より控え目で、より制御されるようになったが、かれは、話す気の無さを決して克服しなかった。この寡黙さを完全に克服したというわけではなかった。しかし、かれは、顕著で創造的な創造力に恵まれていた。
人がこの静かで内省的な型にはみつけそうもないもう一つの面が、ヨハネにはあった。かれは、いくらか偏屈で、過度に偏狭であった。この点で彼とジェームスは、非常に似通っていた—両者は、無礼なサマリア人の頭上に天国から砲撃を加える命令を欲しがった。ヨハネがイエスの名前で教えている数人の見知らぬ者に遭遇したとき、かれは、即座に彼らに禁じた。しかし、この種の自尊心と優越意識に染まった者は、12人中彼一人ではなかった。
ヨハネは、イエスが母と家族の世話にいかに忠実に準備をしたかを知っていたので、ヨハネの人生は、イエスが家なしで済ませる光景にものすごく影響された。また、家族が彼を理解せず徐々に彼から退いているのに気づいているヨハネは、イエスにも深く同情した。この全体の状況、 併せて、イエスが自分のほんの僅かの望みにさえ常に天の父の意志に従い、またイエスの疑うことのない信頼の日常生活のさまとが、ヨハネに、性格における著しく永久的な変化、その後の人生に体の現れた変化、をもたらすほどの深遠な印象を与えた。
ヨハネには、他の使徒の少数しか備えていない平静で大胆な勇気があった。かれは、イエスの逮捕の夜、絶えず後に続き、まさしくその死地にあえて同行した使徒こそ、彼であった。かれは、イエスの地球での最後の時間の直前まで側に居合わせ、イエスの母に関する彼の責任を忠実に実行に移し、かつ、あるじの死を免れない命の最後の瞬間に与えられるかもしれないそのようなさらなる指示も受ける準備ができていた。1つ確かなことがある。ヨハネは徹底的に信頼できた。ヨハネは、12 人が食事をとる際、通常、イエスの右側に座った。本当に完全に復活を信じた12 人のうちの1 番最初が彼であり、復活後、海岸の彼等のところに来たあるじを最初に見分けたのも彼であった。
ゼベダイのこの息子は、キリスト教運動の初期期の活動においてペトロスと非常に密接に関係した。そして、エルサレム教会の主要な支持者の一人になった。かれは、五旬節の日のペトロスの腹心の援護者であった。
ジェームス殉教の数年後、ヨハネは、兄の未亡人と結婚した。人生最後の20年間、かれは、情愛深い孫娘の看護を受けた。
別の皇帝がローマの政権に就くまで、ヨハネは、獄中に何度か入り、4 年間パトモス島に追放された。ヨハネが、如才なく賢明でなかったならば、より率直な兄ジェームスのように確かに殺されていたであろう。数年が経過し、ヨハネは、主の弟ジェームスと民間行政長官の前に現れたとき、賢明な和解の実践を学んだ。二人は、「柔らかな答えは憤りを静める。」ということを知った。また、彼らは、「天の王国」としてよりもむしろ「人類の社会奉仕に専念する精神的兄弟愛」としての教会を代表することも学んだ。かれらは、統治力—王国と王—よりも愛の奉仕を教えた。
パトモスでの一時的な流罪生活において、ヨハネは、かなり短縮され歪曲された形で読者が手にするところの黙示録を著わした。この黙示録は、広範囲にわたる顕示の残存する断片を収録しており、その大部分が失われたり、ヨハネの執筆後に他の部分が取り除かれている。それは、ただ断片的で品質が落とされた形で保存されている。
ヨハネは、非常に旅行をし、絶え間なく働き、またアジアにある教会の司教になった後は、エウフラーテスに落ち着いた。エウフラーテスで99歳のとき、仲間のネイザンに、いわゆる「ヨハネによる福音書」の文章の中で指示した。12人の全使徒の中では、結局ヨハネ・ゼベダイが、傑出した神学者となった。かれは、西暦103年、エウフラーテスにおいて101歳で自然死を遂げた。
フィリッポスは、イエスと最初の4人の使徒がヨハネの集結地点ヨルダンからガリラヤのカナに行く途中で召集された5 番目の使徒であった。ベスサイダに住んでいたので、フィリッポスは、イエスをしばらくの間知っていたが、ヨルダン渓谷で、「私についてきなさい。」と言われるその日まで、イエスが本当に偉大な人物であったとは思いつきもしなかった。フィリッポスも、アンドレアス、ペトロス、ジェームス、ヨハネ等が、救済者としてイエスと認めた事実にいくらかの影響を受けた。
使徒に加わったたとき、フィリッポスは、27 歳であった。かれは、近々に結婚したが、そのとき子供はいなかった。使徒が彼に与えたあだ名は、「好奇心」を意味した。フィリッポスは、つねに立証を求めた。かれは、いかなる提案も非常に深く見抜くようには決して見えなかった。かれが、必ずしも鈍いという訳ではないが、想像性に欠けた。この想像性不足が、性格上の大きな弱点であった。かれは、ありふれた、事務的な個人であった。
使徒が奉仕のために組織化されるとき、フィリッポスは、執事にされた。食糧が常に供給されているかを見るのが、彼の義務であった。そして、彼は良い執事であった。彼の性格上の最大の長所は、入念な徹底性であった。かれは、数学的で、かつ系統的であった。
フィリッポスは、3人の男、4人の女の7人の兄弟姉妹の家族の出であった。かれは、上から2 番目で、復活後に、王国入りのために家族全体に洗礼を施した。フィリッポスの身内は、漁に携わる人々であった。父は、非常に有能な男性で深い思想家であったが、母は、非常に平凡な家族の出であった。フィリッポスは、大きいことをすると期待できる男ではなかったが、小さい、些細な事を大きくできる、手際よく、気に入られるようにできる男であった。全員の需要を満たす食物を手元に置くことに、4 年間でほんの数回しか失敗しなかった。かれらが、暮らした生活に付帯する多くの非常時の要求にさえ、不備であるということは稀であった。使徒の世帯の供給部は、明敏に効率的に経営された。
フィリッポスの長所は、几帳面な信頼性であった。かれの性格上の短所は、想像性のまったくの欠如、物証事実をもとにして結論に至る能力の欠如であった。かれは、理論上では数学的であるが、想像性においては建設的ではなかった。かれには、特定の種類の想像性がほぼ完全に欠落していた。かれは、真に典型的な平凡な普通の男性であった。イエスが教え説教するのを聞きにくる多くのそのような男女が群衆の中におり、かれらは、自分たちのような者が、あるじの協議会の名誉ある位置に登用されるのを観察することでものすごい安らぎを得た。自分等に似た者が、高い場所を王国に関する問題においてすでに見つけたという事実から勇気を得た。そして、とても我慢強くフィリッポスの愚かな質問を聞き、執事の「証明してくれ」という要求に何回となく応じることで、イエスは、ある人間の心の機能の仕方についてよく分かった。
フィリッポスがそれほどまでに続けて賞賛したイエスについての1つの特性は、あるじの不断の寛大さであった。フィリッポスは、イエスに何の狭量で、しみったれた、けちな部分を決して見つけることができなかったし、このつねに存在し、変わることのない寛大さを敬った。
フィリッポスの個性に関しては、あまり印象的でないところがあった。かれは、「アンドレアスとペトロスが暮らす町ベスサイダのフィリッポス」としばしば言及された。かれは、洞察力がほとんどなかった。かれは、与えられた状況の劇的な可能性を理解することができなかった。かれは、悲観的ではなかった。単に平凡であった。かれは、精霊的な洞察も大いに不足していた。あるじの最も奥深い講話のうちの1つの真最中に、かれは、明らかに愚かな質問のためにイエスを中断することを躊躇わないのであった。しかし、イエスは、そのような思慮の無さを決して叱責しなかった。かれは、教えのより深い意味を理解するフィリッポスの無能さに心棒強く思いやりがあった。イエスは、これらの煩わしい質問をするフィリッポスを一度叱責したならば、この正直者を傷つけるだけでなく、そのような叱責は決して自由に二度と質問をしないほどに苦痛を与えるであろうことをイエスはよく知っていた。イエスは、類似した反応の遅い数えきれない多数の人間が、空間世界にいることを知っていた。そして、かれは、彼を頼り、いつも自由に自分達の問いや問題をもって会いにくることを督励したがっていた。詰まる所、イエスは、説いている説教よりも、フィリッポスの愚かな質問にほんとうに興味を持っていた。イエスは、この上もなく人間、すべての種類の人間に興味を持っていた。
使徒である執事は、良い演説者ではなかったが、非常に説得力があり、成功した個人の労働者であった。かれは、簡単に落胆しなかった。かれは、地道な努力家で、引き受けた何事においても非常に粘り強かった。かれは、「来なさい」と言う素晴らしくまれな才能を持っていた。彼の最初の転向者ナサナエルは、ナザレスとイエスの長所と短所について議論したかったが、フィリッポスの功を奏す返答は、「来て見なさい」であった。かれは、聞き手に「行くように」—これをせよ、あれをせよ—、と強く勧める押しつけがましい伝道者ではなかった。かれは、「来なさい。」「共に来なさい。道を示すつもりである。」と自分の仕事で起こるすべての状況に応じた。そして、それは、いつも教えにおけるすべての形と局面の効果的技法なのである。両親でさえ、「これをしに行きなさい、それをしに行きなさい」ではなくむしろ、「良い方法を示し、教えてあげる間一緒に来なさい。」と子供に言うより良い方法をフィリッポスから学ぶかもしれない。
フィリッポスが新しい状況に適応できないことは、エルサレムでギリシア人が彼のところに来たときによく示された。「先生、イエスに会いたいのです。」そのとき、フィリッポスは、そのような質問をするどんなユダヤ人にも「来なさい」と言ったところであろう。ところが、これらの男性は外国人であり、フィリッポスは、そのような事柄に関し目上からのいかなる指示も思い出せなかった。そこで唯一つできることは長であるアンドレアスに相談することであった。そして、両者は、イエスのところへと好奇心旺盛なギリシア人に付き添っていった。同様に、信者への説教と洗礼のためにサマリアに行ったとき、あるじに教えられていたので、真実の聖霊を受け入れたことの印しとしての転向者に手を置くことを控えた。これは、母教会のために彼の仕事を観察するためにほどなくエルサレムからやって来たペトロスとヨハネによって行われた。
フィリッポスは、あるじの死のつらい時代を通し、12 人の再編に参加し、差し迫るユダヤ人集団の外の人々を王国に加入させるために旅立った最初の人物であり、サマリア人のための自分の仕事と、福音のためのすべての自分のその後の作業において最も成功した。
婦人団体の有能な構成員であったフィリッポスの妻は、エルサレムでの迫害からの脱出後、夫の福音伝道者の仕事に活発に関わるようになった。フィリッポスの妻は、恐れを知らない女性であった。かの女は、夫の殺人者にさえ喜ばしい知らせを宣言するように奨励して、フィリッポスの十字架の足元に立ち、彼の力が萎えると、自らがイエスへの信仰による救済の詳述を始め、怒るユダヤ人達に突進され死ぬまで石を投げられ、とうとう黙らされた。長女レアは、彼らの仕事を続け、後にヒエラーポリスの名高い女予言者となった。
12 人のかつての執事フィリッポスは、行くところどこで信者を得て、王国での強力な人物であった。そして、かれは、その信仰のために遂には磔刑にされ、ヒエラーポリスに葬られた。
使徒の6番目で、かつ最後にあるじ自身に選ばれるナサナエルは、友人フィリッポスにイエスの元に連れて来られた。かれは、いくつかの企業でフィリッポスと関係があり、二人がイエスに遭遇したときは、ともに洗礼者ヨハネ会いに行く途中であった。
ナサナエルが使徒に合流したときは25歳であり、その集団の中では2番目に若かった。7 人兄弟姉妹の中で最も若く未婚であり、老いて虚弱な両親の唯一の扶養者で、両親とカナに住んでいた。兄や姉は結婚しているか、または死亡しており、誰もそこには住んでいなかった。ナサナエルとユダ・イスカリオテは、12 人中2 人の最高の教育を受けた男性であった。ナサナエルは、商人になろうと考えていた。
イエスは、ナサナエルに直接あだ名をつけなかったが、12 人はすぐに、正直、誠意を意味する言葉で彼について話し始めた。かれは、「狡猾さなし」であった。そして、これは、彼の大きな美徳であった。かれは、正直で、誠実であった。その性格上の弱点は、高慢さであった。かれは、家族、自分の都市、自己の評判、自国を非常に誇りに思っており、それは、度が過ぎていなけば、その全てが立派である。しかし、ナサナエルは、個人的な偏見で極端に走る傾向があった。かれは、個人的な見解により、個人を事前に判断する傾向にあった。イエスに出会う前にさえ、かれは、「何か良いことが、ナザレスから来ることがあろうか。」などと質問するのに時間を掛けなかった。しかし、ナサナエルは、たとえ誇り高かったとしても、頑固ではなかった。かれは、一度イエスの顔を覗き込むと、自分を翻すことに迅速であった。
あらゆる点でナサナエルは、12 人の中で奇異な天才であった。かれは、使徒哲学者であり夢想家であったが、非常に実用的な類いの夢想家であった。かれは、深遠な哲学の期間と稀でひょうきんな滑稽の期間とを行き来した。気分が乗ると、かれは、たぶん12 人中で最も上手な語り手であった。イエスは、ナサナエルが、真剣なことと軽薄なことの両方のに関する講話を聞いて大いに楽しんだ。次第に、ナサナエルは、イエスと王国をより真剣に受け止めたが、自分を決して真剣に受け止めることはなかった。
使徒は全員、ナサナエルを愛し尊敬した。また、かれも、もユダ・イスカリオテを除く皆と、見事にうまくやっていった。ユダは、ナサナエルが十分真剣に使徒の資格を得たと思わなかったし、一度、秘かにイエスの元に行きナサナエルに対する不満を無鉄砲申し立てた。イエスが言った。「ユダ、足元に注意しなさい。自分の職務を過大視しないように。我々のだれがその兄弟を裁く能力があるのか。子供等が人生の重大事にだけ参加することが、父の意志ではない。繰り返させてくれ。生身の我が同胞が、喜び、嬉しさを得て、より豊かな人生を過ごせるようになるために私は来た。だから、ユダ、行きなさい、そして任せられたことをしっかりやり、神への報告は、兄弟ナサナエル自身に任せなさい。」そして、多くの同様の経験と共にこの記憶は、長い間ユダ・イスカリオテの自己欺瞞の心の中に長く続いた。
何回も、イエスが、ペトロス、ジェームス、ヨハネと遠く山に離れているとき、そして使徒間で緊張し、縺れてくるとき、そして、アンドレアスでさえ悲嘆にくれる同胞に言うべきことが定かでないとき、ナサナエルは、いささかの哲学、あるいは閃きのユーモアで緊張を和らげるのであった。上機嫌も。
ナサナエルの義務は、12 人の家族の世話をすることであった。かれは、使徒の協議会をしばしば休んだ。何故ならば、自分の受け持ちの1つに何か尋常でないことが起こったと聞くと直ちにその家に行くからであった。12 人は、それぞれの家族の保護がナサナエルの手で安全であるという認識ですっかり安心していた。
ナサナエルは、イエスの寛大さを最も尊敬した。かれは、人の息子の包容力と寛大な同情について熟考することに決して飽きることがなかった。
ナサナエルの父(バトロメーオス)は、五旬節の直後、この使徒が王国のうれしい知らせを宣言し、信者達の洗礼を施しにメソポタミアとインドに行った後、に死んだ。ナサナエルの同胞は、かつての自分達の哲学者、詩人、ユーモアの持ち主がどうなったかついぞ知らなかった。しかし、たとえその後のキリスト教会の組織に参加しなかったとしても、かれも、王国の偉人であり、あるじの教えを広げるために多くのことをした。ナサナエルは、インドで死んだ。
マタイオス、7 番目の使徒は、アンドレアスに選ばれた。マタイオスは関税徴収人か、または居酒屋の主の家族の者であったが、自身は、在住していたカペルナムの関税徴収人であった。かれは、31歳で、結婚しており、4 人の子持ちであった。適度の富の男で、使徒団に属する中の唯一の資力を持つ人物であった。遣り手の実業家であり、上手な社交家であり、また人と親しくなり、かなりのさまざまな人間とうまくやっていく器量に恵まれていた。
アンドレアスは、マタイオスを使徒の財政の代表に任命した。ある意味で、マタイオスは、使徒組織の財政代理人と広報代弁者であった。かれは、人間性の鋭い判者で非常に有能な布教者であった。その人柄については説明し難いが、非常に熱心な弟子であり、イエスの使命と王国の確実性をますます信じる者であった。イエスは、レービーに決してあだ名をつけなかったが、仲間の使徒は、俗に「金をせしめる者」と呼んだ。
レービーの長所は、目的への心からの傾倒であった。彼、居酒屋の主人が、イエスと使徒に受け入れられたということは、歳入徴収者にとり圧倒的な感謝の要因であった。しかしながら、他の使徒、特にシーモン・ゼローテースとユダ・イスカリオーテスは、居酒屋の主人を自分達の真っ只中に受け入れることにしばらくの時間を必要とした。マタイオスの弱点は、人生に対しての先見の明の無さと物質的な物の見方であった。しかし、数カ月経つにつれ、すべてのこれらの問題において、かれは、おおきく前進した。勿論、資金補充をし続けるのが義務であったので、かれは、最も貴重な教えの期間の多くを欠席せざるを得なかった。
マタイオスが最も感謝したのは、あるじの寛大な気質であった。かれは、神を見つける仕事おいては、信仰のみが必要であるとを詳述することを決して止めないのであった。かれは、つねに「この神を見つける仕事」として王国について話すことを好んだ。
マタイオスは、過去をもつ男であったが、素晴らしい記録を打ちたて、また時間が経つにつれ、仲間は、居酒屋の主人の実績を誇りに思うようになった。かれは、イエスの話に関して広範囲に書きとった使徒の一人であり、これらの記録は、イエスの言動に関してのイザドルのその後の物語の基礎として使われた。そして、それは、マタイオスによる福音書として知られるようになった。
カペルナムの実業家であり、関税徴収人のマタイオスの立派で役立つ人生は、その後の時代を通し、何千人もの他の実業家、公務員、政治家を導いたり、またこれらの者が、「私についてきなさい」と言うあるじのその魅力的な声を聞くための手段となっていた。マタイオスは、本当に鋭い政治家であったが、イエスに非常に忠誠であり、来たるべき王国の使者への十分な融資を確実にする責務にこの上なく専念した。
12 人中のマタイオスの存在は、宗教の安らぎの領域が、長らく自分たちにはないとみなしている落胆し追放された者へ、王国の扉を広く開け放たれるように保つ手段であった。追放され絶望的な男女は、イエスを聞くために群がってきたが、かれは、断じて誰も締め出さなかった。
マタイオスは、弟子達を信じ、あるじの教えの直接の傍聴者が自由に申し出た提供物を受け取りはしたが、群衆には決して基金を公然と求めなかった。かれは、すべての財政的な仕事を静かに個人的な方法で行ない、より安定した階級の関心をもつ信者に金銭の大部分を募った。事実上自己のささやかな富の全てをあるじと使徒の仕事に与えたが、この全てを知るイエスを除いては、かれらは、この寛大さをついぞ知らなかった。マタイオスは、イエスと仲間が自分の金を汚れたものと見なすかもしれないという恐れから、使徒の基金に貢献することを公然と躊躇った。そこでかれは、他の信者の名前で多くを付与した。早期の数カ月間、皆の中に居るのは多かれ少なかれ試験であると知っている時、マタイオスは、日々の糧はしばしば自分の基金で賄われたということを仲間に知らせたいと強く誘惑の念にかれたが、それには屈っしなかた。居酒屋の主人への軽蔑の証拠が表面化するようになると、レービーは、彼らに寛大さを示したくてたまらなかったが、いつもなんとか抑えることができた。
その週の基金が見積もり額に満たないとき、レービーは、しばしば自身の個人の財源に頼るのであった。また、時折イエスの教えに大いに興味をもつと、必要な基金の勧誘不履行の埋め合わせを自分持ちにしなければならないと知りつつも、留まって教えを聞く方を選んだ。しかし、レービーは、イエスが金銭の多くは自分の懐からでていることを知ってくれる、かもしれないことを非常に願った。かれは、あるじがそれについて全てを知っているとはほとんど知らなかった。使徒は皆、マタイオスが、迫害の開始後に王国の福音を宣言しに行くとき、実際には文無しで、彼らにとっての恩人であったとは知らずに、死んでいった。
これらの迫害が、信者にエルサレムを見捨てさせたとき、マタイオスは、北へと旅し、王国の福音を説き、信者に洗礼を施した。かつての使徒仲間は、彼の行方を全く知らなかったが、シリア、カッパドキア、ガラティア、ビティニア、ツラーケ中で説教をし、洗礼を施した。そして、ある不信心なユダヤ人達が、彼を死においやるためにローマ兵達と共謀したのは、ツラーケのリシマヘイアであった。そして、この再生の居酒屋の主人は、最近の地球での滞在中のあるじの教えからとても確実に学んだ救済の信仰をもって、誇らしげに死んだ。
トーマスは、8 番目の使徒であり、フィリッポスに選ばれた。後には「疑い深い人」として知られるようになったが、仲間の使徒は、彼を常習的に疑う人とはほとんど見ていなかった。かれのものは、論理的で疑い深い心であることは本当であるが、彼には親しく知る者に、彼をささいな懐疑論者と見ることを禁じる勇気ある忠義いうものがあった。
使徒に加わったとき、トーマスは、29歳であり、結婚しており、4 人の子供がいた。かれは、以前は大工であり石工であったが、最近漁師になったところで、ガリラヤの海へと注ぐヨルダン川の西の堤に位置するタリヘアに住み、この小さな村の指導的な市民と見られていた。かれは、ほとんど教育を受けなかったが、鋭い、論理的思考の心を持ち、ティベリアスに住む優れた両親の息子であった。トーマスは、12 人中、本当に分析する心をもつ者であった。使徒団において、かれは、本当の科学者であった。
トーマスの早期の家庭生活は、不幸であった。両親の結婚生活は、必ずしも幸せではなく、これが、トーマスの成人の経験に反映された。かれは、非常に不愛想で喧嘩好きの性質で成長した。妻でさえ、使徒に合流する彼をみて喜んだ。この女は、悲観的な夫がほとんど家を留守にするだろうという考えで安心した。トーマスも、穏やかに彼とうまくやっていくことを非常に困難にする一筋の猜疑があった。ペトロスは、最初は、トーマスに多いに動揺して、「意地悪で、醜く、いつも疑わしげである」と兄アンドレアスに不平を言った。しかし、仲間は、トーマスを知れば知るほどより好きになった。かれらは、彼が、無類に正直で怯むことなく忠誠であるとわかった。かれは、文句なしに誠実で疑いなく正直であったが、生まれながらの粗探し屋で、真の悲観論者に成長した。その分析する心は、疑念で苦しめられるようになった。12 人と交わり、このようにイエスの高貴な性格と接触し始めたとき、トーマスは、急速に仲間の人間への信用を失っているところであった。あるじとのこの交わりが、トーマスの全体の性質を変え、仲間への彼の精神的な反応に大きな変化をもたらし始めた。
トーマスの大きな強みは、怯むことのない勇気と結合するずば抜けた分析的な心であった—一度決心すると。大きな弱点は、怪しく疑うことであり、生身の生涯を通して、決して完全に打ち勝ったというわけではなかった。
トーマスは、12人の組織内で旅程の手はずをし、管理をする役に当てられ、使徒団の仕事と活動の有能な責任者であった。かれは、よい役員であり、優れた実業家であったが、非常なむら気により不利な立場にいた。かれは、前日と翌日では別の男であった。使徒に加わったとき、かれは、憂うつに塞ぎ込みがちであったが、イエスと使徒との接触が、大幅にこの病的内省を治した。
イエスは、トーマスをたいへん楽しみ、多くの長い個人の会談をした。たとえかれらが、イエスの教えの精神的、哲学的局面に関し完全にすべてを理解することができなかったとしても、使徒の間の彼の存在は、すべての正直な疑り深い者にとっての大きな安らぎであり、また多くの当惑する心が、王国に入る奨励ともなった。12 人中のトーマスの会員資格は、イエスが、正直な疑い深い者さえ好きであったという動かない表明であった。
他の使徒は、何らかの特別で傑出している特性ゆえにイエスを尊敬したが、トーマスは、見事に均衡のとれた性格ゆえにあるじを尊敬した。トーマスは、とても優しく情け深い、それでいて毅然と公明正大である人をますます賞賛し尊敬した。とても断固としているが、決して頑固ではない。とても穏やかであるが、決して無関心ではない。とても助けとなり同情的ではあるが、決しておせっかいでも横暴でもない。とても強いが、同時に、とても優しい。とても前向きであるが、決して手荒くもなく粗雑でもない。とても柔和であるが、決して迷いがない。とても純粋で汚れがないが、同時に大人であり、積極的であり、説得力がある。とても勇敢であるが、決して無鉄砲ではない。本当に自然の愛好者であるが、自然を崇敬する全ての傾向には囚われない。とても面白く茶気があるが、軽率さや軽薄さが全くない。それは、トーマスを魅了したこの無比の人柄の均整さであった。トーマスは、12 人の中の誰よりもイエスの最も高い知的理解と性格評価をおそらく楽しんだであろう。
12人の協議会では、トーマスは、最初に安全方針を提唱していつも用心深かったが、もしその保守主義が否決されるか、または却下されたならば、恐れることなく常に決定された計画実行にかかる1 番最初の者であった。かれは、何度も無鉄砲で無遠慮に企てに抵抗するのであった。とことん討論するのであるが、アンドレアスが提案を採決しようとしたり、また自分が強固に反対した事を12人がすると選んだ後では、「しよう。」と、最初に言うのは、トーマスであった。かれは、見事な敗者であった。かれは、恨みを残さず傷ついた感情を抱かなかった。再三再四、かれは、イエス自身を危険にさらさせることに反対したが、あるじが、そのような危険を冒すと決めると、「さあ、仲間よ、彼と行って共に死のう。」と勇敢な言葉で使徒を奮い起こすのは、いつもトーマスであった
トーマスは、いくつかの点でフィリッポスに似ていた。かれも、「示される」ことを欲したが、懐疑に関する彼のあからさまな表現は全く違った知的な活動に基づいていた。トーマスは、単に疑い深いのではなく、分析的であった。個人の肉体上の危険を伴う勇気に関する限り、かれは、12人中で、最も勇敢な1人であった。
トーマスには、非常に悪い日が何日かあった。時には、気がふさぎうなだれた。9 歳のとき双子の姉妹を喪失したことが、若い彼に多くの悲しみを与え、後の人生での問題をさらに悪化させた。トーマスの気が沈んでくると、回復を助けたのは、時にはナサナエルであり、時おりはペトロスであり、アルフェウスの双子のうちの一人であったことも稀ではなかった。最も意気消沈したとき、トーマスは、残念なことにいつもイエスとの直接の接触を避けようとした。しかし、トーマスが意気阻喪に苦しみ、疑念に悩んでいるとき、あるじは、これについて全てを知っており、この使徒に理解ある同情を持っていた。
時々、トーマスは、アンドレアスに1日か2日間一人で出かける許可を得るのであった。しかし、そのような方針が賢明でないことをすぐに知った。落胆したとき、かれは、仕事に密着し、仲間の近くに留まることが最善であることが早くに分かった。しかし、感情的な生活に何が起ころうとも、かれは、使徒であり続けた。実際に前進するときがくると、いつも「行こう」と言ったのは、トーマスであった。
疑問を持ち、それに直面し、そして勝つ人間の見事な例は、トーマスである。彼には、すばらしい心があった。かれは、口喧しい批評家ではなかった。論理的な思考家であった。かれは、イエスと仲間の使徒にとり厳しい考査であった。イエスと彼の仕事が本物でなかったならば、それは、初めから終わりまでトーマスのような人間を保持することはできなかったであろう。かれは、事実に対する鋭く確かな感覚を有していた。誤魔化しや欺瞞の最初の表面化でトーマスは、彼等を皆見捨てていたことであろう。科学者は、地球でのイエスとその仕事を完全に理解しないかもしれないが、心が本物の科学者のそれであった人物—トーマス・ディーディモス—は、あるじとその人間の仲間と暮らし、働き、そしてかれは、ナザレスのイエスを信じた。
トーマスには、公判と磔刑の数日間の苦しい時があった。かれは、絶望のどん底の季節にいたが、勇気を奮い起こし、使徒達にへばり付き、ガリラヤ湖でのイエスの歓迎に皆と出席した。しばらく、かれは、疑いの抑鬱に屈したが、ついには信仰と勇気を結集した。かれは、五旬節の後、使徒に賢明な助言を与え、迫害が信者を離散させると、王国の喜ばしい知らせを説き信者を洗礼しながらキプロス、クレタ、北部のアフリカの海岸、シチリアへと行った。そして、かれがローマ政府の手先の者達に逮捕され、マルタで殺されるまで、トーマスは、説教と洗礼を続けた。死のわずか数週間前に、かれは、イエスの生涯と教えについて書き始めていた。
アルフェウスの息子のジェームスとユダは、ケリサ近くに住む双子の漁師は、9 番目と10 番目の使徒であり、ジェームスとヨハネ・ゼベダイに選ばれた。かれらは、26 歳で結婚しており、ジェームスには3 人、ユダには2 人の子供がいた。
2 人の平凡な漁師に関し言うべきことはあまりない。二人はあるじが非常に好きであり、イエスも彼らが好きであったが、かれらは、質問のために決してイエスの講義を中断したりはしなかった。かっらは、使徒仲間の哲学論議も神学討議もほとんど理解しなかったが、自分達が、そのような一団に数えられることに気づき大いに喜んだ。この2 人の男性は、容姿、心的特徴、精神的な感覚の範囲がほとんど同一であった。1 人について言えるかもしれないことは、もう片方についても記録されるべきである。
アンドレアスは、群衆の警備する作業を彼らに任せた。かれらは、説教時間の主な案内係であり、事実上、12 人の雑用係で使い走りの小僧であった。かれらは、物資でフィリッポスの手伝いをし、ナサナエルのために金をその家族に運び、使徒の誰にでもいつでも援助の手を貸す準備ができていた。
民衆は、自分達と変わらない二人が、使徒の間の名誉ある場所にいるのを見て、大いに励まされた。使徒としてのこの平凡な双子の他ならぬ受理が、多くの弱い心の信者を王国に連れてくる結果となった。そして、また民衆は、まったく自分たちと変わらない公式の案内係に導かれ、管理されているという考えに一層気持ちよく感じた。
サッダイオスとリッバイオスとも呼ばれたジェームスとユダには、長所も短所もなかった。弟子達から与えられたあだ名は、平凡な性質の良い呼称であった。かれらは、「使徒のうちでいと小さき者」であったが、それを知り、愉快に感じた。
ジェームス・アルフェウスは、特にあるじの平易さが気に入った。双子達は、イエスの心を理解できなかったが、かれらは、あるじの心との気の合う絆を掴んだ。二人の心は、高位のものではなかった。かれらは、敬意の念で愚かだと呼ばれさえしたかもしれないが、精神性においては本物の経験をした。かれらは、イエスを信じた。二人は、神の息子と王国の人であった。
ユダ・アルフェウスは、あるじの衒いのない謙虚さに引かれた。そのような個人の尊厳に繋がるそのような謙虚さは、ユダに大きく訴えた。イエスがつねに自己の普通でない行為に関して沈黙を強いるという事実が、この自然の純真な子供に大きな印象を与えた。
双子は、気立てが良く純真な助っ人であり、誰もが彼らが非常に好きであった。その他のそのような単純で恐れに支配された数知れない数百万の魂が空間世界にはおり、その者達を同じように彼と流出された真実の聖霊との活発で信ずる親交に迎え入れたいので、イエスは、王国における個人的な職員の名誉の位置にこれらの1つの才能をもつ青年達を歓迎した。イエスは、些少さを軽蔑せず、悪と罪だけを見下した。ジェームスとユダは、幼くはあったが、同時に誠実であった。かれらは、単純で無知であったが、気が大きく親切で気前がよかった。
そして、あるじが、ある金持ちの男を自分の財産を売り貧者を援助しない限り伝道師として受け入れることを拒否したあの日、これらの謙虚な男達がいかに誇りに思ったことか。人々がこれを聞き、また助言者の中に双子を見たとき、彼らは、イエスが人間を差別する人でないことを確信した。だが、神の施設—天の王国—は、これまでにそのような平凡な人間の基盤に建設されることができたのであった。
イエスとのすべての付き合いの中で1 度か2 度だけ、人前で質問するという冒険をこの双子がした。あるじが世界に公然と正体を明らかにすることについて話したとき、ユダは、イエスに一度質問する好奇心にそそられた。かれは、12 人の間にそれ以上の秘密がなくなるという些かの失望を感じ、敢えて尋ねた。「しかし、あるじ様、このように自分を世界に表明されると、あなたの特別な善の表明を我々にどのように与えてくださるのですか。」
双子は、最期まで、磔刑、絶望と公判の暗黒の日まで、忠実に仕えた。かれらは、イエスへの心の信頼を決して失うことなく、ヨハネを除いては、二人が最初に彼の復活を信じた。だが、彼らは、王国の設立を理解することができなかった。あるじが磔刑にされた直後、かれらは、家族と網に戻り、二人の仕事は終わった。彼らには、王国のより複雑な闘いにおいて先へ進む能力がなかった。しかし、かれらは、4年近くの神の息子、宇宙の君主である創造者との個人的関係をもつ光栄に浴し、また祝福されたという意識で生活し、死んでいった。
シーモン・ゼローテース、11番目の使徒は、シーモン・ペトロスに選ばれた。かれは、立派な祖先をもつ有能な男であり、カペルナムで家族と暮らしていた。使徒に属したとき、かれは28歳であった。かれは、火のような扇動者であり、よく考えずにものを言う人物でもあった。ゼロテ党の愛国組織に全ての注意を払う前、かれは、カペルナムの商人であった。
シーモン・ゼローテースは、使徒団の楽しみと気晴らしのための任を与えられ、かれは、遊びと12人の娯楽活動の非常に有能なまとめ役であった。
シーモンの長所は、その鼓舞的忠誠心であった。王国に入ることに躊躇い、もがいている男女を見つけると、使徒は、シーモンを呼びにやるのであった。全疑問に決着をつけ、すべての躊躇いを取り除き、「信仰の自由と救済の喜び」に新生の魂を見るために、神への信仰による救済のこの熱心な主唱者は、通常、わずか15分程を必要とした。
シーモンの大きな弱点は、その物質志向にあった。かれは、ユダヤ国家主義者から精神的に関心のある国際主義者へと早く変わることができなかった。そのような知的、感情的変化をするには、4 年という歳月は短か過ぎたが、イエスは、彼に対していつも寛容であった。
イエスについてシーモンが非常に敬服したことは、あるじの沈着さ、確信、平静さ、説明のつかないゆとりであった。
シーモンは、過激な革命家、大胆不敵な扇動の火付け役であったが、「地球の平和と人間相互の善意」の強力かつ有能な伝道者になるまでには徐々にその火のような性癖を抑圧した。シーモンは、偉大な論客であった。口論するのが好きであった。そして、教育あるユダヤ人の法的思考やギリシア人の知的な言い逃れに対処するとき、その仕事はいつもシーモンに割り当てられた。
かれは、生来の反逆者であり、修練による因襲破壊者であったが、イエスは、シーモンを天の王国のより高い概念へと至らせた。つねに抗議をする連中と行動をともにしてきたが、そのとき、前進する連中、精霊と真実の無制限で永遠の進行に加わった。シーモンは、猛烈な忠誠心と暖かい個人的に献身する男性であり、イエスを心から愛した。
イエスは、実業家、肉体労働者、楽天主義者、悲観論者、哲学者、懐疑論者、居酒屋の主人、政治家、愛国者と行動をともにすることを恐れなかった。
あるじは、シーモンと会談を多くしたが、この熱心なユダヤ国家主義者を国際主義者へと変えることに決して完全には成功しなかった。イエスは、社会的、経済的、政治的秩序に改善を見たいということは、妥当であるとシーモンにしばしば話したが、つねに付け加えて、「それは、天の王国の本務ではない。我々は、父の意志を為すことに捧げなければならない。我々の本務は、天の性霊的政府の大使であり、我々が担う信任状の政府の先頭に立つ神性の父の意志と性格の代表以外には、我々は、直接何も関心をもってはならない。」と言った。すべてを理解するには難かったが、シーモンは、徐々に、あるじの教えの意味の何かを掴み始めた。
エルサレムの迫害による分散後、シーモンは、一時的な隠遁に入った。かれは、文字通り押し潰された。国家主義的愛国者として、かれは、イエスの教えに降伏し服従してきた。そのとき、すべてが失われた。かれは、絶望していたが、数年間のうちに望みを奮い起こし、王国の福音を宣言するために前進した。
かれは、アレキサンドリアに行き、ナイル川沿いに上った後、アフリカの中心部に入り込み、至る所でイエスの福音を説き、信者を洗礼した。かれは、こうして老人となり、微弱となるまで働いた。そして、かれは、死んでアフリカの中心部に埋葬された。
ユダ・イスカリオテ、12 番目の使徒は、ナサナエルに選ばれた。南イェフーダの小さい町ケリヨースに生まれた。彼が若者のとき、両親はイェリーホに移り、かれは、そこで暮らし、洗礼者ヨハネの説教と仕事に興味を持つようになるまで父の様々な事業に従事していた。ユダの両親は、サドカイ人で、息子がヨハネの弟子に加わったとき縁を切った。
ナサナエルがタリヘアで会ったとき、ユダは、ガリラヤ湖の南端にある干物業に職を求めていた。使徒に加わったとき、かれは、30歳で未婚であった。かれは、おそらく12人中で最高の教育を受けた男であり、あるじの使徒一門で唯一のユダヤ人であった。ユダには外面に現れる文化的、習慣的修練の特徴は多くあったが、目立つ人的長所としての特性はなかった。かれは、すぐれた思考家ではあったが、常に真に正直な思考家ではなかった。ユダは、自分自身を本当に理解していなかった。かれは、自分に対し真に誠実ではなかった。
アンドレアスは、ユダにぴったりの位置、12 人の会計係に任命し、ユダは、あるじを裏切る時間まで、正直に、忠実に、最も効率的に役目を果たした。
人を引きつけ、また絶妙に魅力のあるイエスの人柄を一般的に敬う以外に、ユダにはイエスに関する何の特性も見い出ものはなかった。ユダは、ガリラヤの仲間に対する自分の中のユダヤ人の偏見を決して乗り越えることができなかった。かれは、心の中でイエスに関して多くのことを批判さえしたのだあった。11 人の使徒が完全な男性として、「1 万の中で魅力があり最高である者」として見なした人を、この自己満足のユダヤ人は、敢えて自身の心でしばしば批評した。かれは、イエスが臆病で、彼自身の力と権威を主張することをいくらか恐れていたという考えを本当に抱いていた。
ユダは、優れた実業家であった。イエスのような理想主義者の財務を管理するということ、数人の使徒の雑な商法に取り組むということは言うまでもなく、気転、能力、忍耐と、勤勉な献身を必要とした。ユダは、実に偉大な経営者、また先見の明のある有能な財政家であった。そして、かれは、組織、制度にうるさい人間であった。12 人の誰もユダを決して批判しなかった。彼らが見ることができる限り、ユダ・イスカリオテは、並ぶもののない会計係、学問のある男、忠実な(時々批判的ではあるが)使徒であり、あらゆる言葉の意味において大成功者であった。使徒はユダを愛していた。彼は本当に使徒の1人であった。かれは、イエスを信じたに違いないが、我々は、彼が本当に全心であるじを愛したかどうか疑問に思う。ユダの場合は、次のことわざの真実を例示する。「人の目には真っ直に見える道がある。その道の終わりは死の道である。」罪と死の道への心地よい調整の平和的な欺瞞の犠牲になることは、概して可能である。ユダがいつも財政上あるじと使徒仲間に忠誠であったことは、保証する。金が、あるじへのユダの裏切の動機では決してありえなかった。
ユダは、賢明でない両親の一人息子であった。とても幼いとき、かれは、可愛がられ、過保護にされた。かれは、甘やかされた子供であった。成長すると、かれは、自惚れについての考えを誇張した。かれは、負けっぷりが悪かった。彼には公正さについての甘くて歪められた考えがあった。かれは、憎しみと疑いに耽けった。かれは、友人の言葉と行為を曲解するで専門家であった。かれは、自分を不当に扱った気に入った者にさえ仕返しをする習慣を全人生を通して培った。彼の価値と忠誠の観念には欠陥があった。
イエスにとり、ユダは、信仰の冒険であった。最初から、あるじは、この使徒の弱点を完全に理解し、また仲間へ受け入れることの危険性を熟知していた。しかし、救済と生存のために完全で等しい機会をあらゆる被創造者に与えることは、神の息子の特徴である。イエスは、被創造物の王国への献身の実意と誠意に関し疑問が存在するとき、疑ぐり深い候補者を完全に受け入れることは、人の裁判官の不変の実行であるということをこの世の必滅の者だけでなく、他の無数の世界の見物人にもそれを知って欲しかった。永遠なる命への扉は、すべてに開け放たれている。「望むものは誰でも来てよい。」来るものの信仰以外には、何の制限も資格もない。
これこそがイエスが、ユダにその終わりまで行くことを許し他他ならぬ理由であり、そしてこの弱く混乱した使徒を変え、また救うために、常にすべての可能なことをした。しかし、光が正面に迎え入れられず、背かれるとき、それは、魂の中で暗闇になりがちである。ユダは、王国についてのイエスの教えに関して知的には成長したが、他の使徒が為した精神的特質の習得においては前進しなかった。かれは、精神経験において満足に個人的な前進ができなかった。
ユダは、ますます個人的な失望で黙考する者となり、最終的には憤りの犠牲者となった。感情は何度となく傷つき、かれは、親友に、あるじにさえ異常に疑ぐり深くなった。やがて、かれは、仕返し、何らかの報復、そう、仲間とあるじへの裏切りの考えにさえとりつかれるようになった。
しかし、この邪で危険な考えは、感謝する女性がイエスの足元で高価な香箱を壊す日まで明確な形を取らなかった。これは、ユダには無駄に思えた。そして、自分の公の抗議が、皆の聞いているまさにそこで、イエスにあのように全面的に認められなかったとき、それは、もうひど過ぎるるものであった。その出来事は、つのる嫌悪、苦痛、悪意、偏見、嫉妬、生涯の報復の全てを決定し、仕返しの相手が誰であるかさえ知らずに決意した。しかし、イエスは、たまたま光の進歩的な王国から自ら選んだ暗黒の領域への通過を記録した挿話の主役であったので、ユダは、自身の不幸な人生の汚れた芝居全体において、1人の罪のない人に自身の性格のすべての悪を具体化したのであった。
あるじは、個人的にも公的にも滑り落ちているとユダにしばしば警告したが、神の警告は冷酷な人間性に対処する際、通常、役に立たない。イエスは、人の道徳的な自由と矛盾せず、ユダが間違った道へ行くことの選択を防ぐために可能な全ての事をした大いなる試練が、ついに来た。憤りの息子は、しくじった。かれは、誇張された自惚れの、誇り高い復讐心に燃えた心のひねくれた、賤しい命令に譲り、混乱、絶望、そして堕落へと迅速に突入していった。
それからユダは、君主でありあるじに対する背信行為のために卑しく恥ずべき陰謀に身を投じ、すばやく邪悪な計画実行に移った。怒りを孕んだ反逆的裏切りの計画の実行の間、かれは、後悔と恥の瞬間を経験し、そしてこの平穏な時期には、イエスがことによると土壇場でその力を出し自分を救出するかもしれないという考えを、心の中で自衛として、いくじなく抱くのであった。
卑劣で罪深い仕事がすべて終わると、自己が長らく暖めた復讐への渇望を満たすために30片の銀で容易く友人を売ることを考えた人間であるこの裏切り者は、飛び出し、この世の生活の現実から逃げる劇におて最後の行為をとった—自殺。
11人の使徒は、ぞっとし、唖然とした。イエスは、裏切り者を哀れみだけで見た。世界は、ユダを許し難いと知り、彼の名は、遠く離れた宇宙の至る所で避けられるようになった。
西暦27年1月12日、日曜日の正午直前、イエスは、王国の福音の公の伝道者としての聖別式のために使徒を集めた。12人は、いつでも呼び出されることを期待していた。それで、この朝、岸から遠くへの漁には出なかった。そのうちの数人は、網の修理をしたり、漁具をもてあそんだりして岸近くに長居していた。
イエスは、使徒を呼びながら海岸へ下り始めると、まず岸近くで釣をしていたアンドレアスとペトロスに手を振った、を呼んだ。次に、父親ゼベダイを訪ね、ほど近い船の中にいて網の修理をしていたジェームスとヨハネに合図した。かれは、他の使徒も二人ずつ呼び集め、12 人全員が集まると、カペルナム北部の高地に彼等と旅行し、そこで正式の聖別式に備え彼らに教え始めた。
使徒の12人全員が一度だけ静かであった。ペトロスさえ熟考する雰囲気であった。長く待たれていた時が、ついに来たのであった。父の王国の接近の宣言のために、あるじを代表する神聖な仕事への個人と集団の献身とある種の厳粛な儀式に参加するためにあるじと供に出発しようとしていた。
正式の聖別式の前に、イエスは、自分の周りに座る12 人に話した。「同胞よ、王国のこの時が来た。私は、王国の大使として父に紹介するためにそなた達をここに連れて来た。そなた達の何人かは、最初に呼ばれたとき、私が会堂でこの王国について話すのを聞いた。各人が、ガリラヤ湖やその周辺都市で私と共に働いてきたので、父の王国についてさらに学んできた。だが、たった今、私は、この王国についてさらに話すことがある。
「私の父が、地上の子等の心に設立しようとしている新たな王国は、永遠に続く統治である。神性意志を為すことを望む者の心における父のこの支配にはいかなる終わりもないはずである。父は、ユダヤ人の神でも非ユダヤ人の神でもないと、そなたたちに断言する。アブラハムの子の多くは、人の子の心の聖霊支配のこの新たな兄弟関係に入ることを拒否する間、多くは、父の王国に我々と座を供にするために東西から来るのである。
この王国の力は、軍隊の強さや富の力においてではなく、むしろこの天の王国の生まれ変わった住民、つまり神の息子の心に教え、情を支配するようになる神の精神の栄光の中にある。これは、正義がそなた臨する兄弟関係であり、そしてその掲げる合い言葉は、地の上には平和が、全ての者には善意がある。そなた達が直ちに宣言しにいくことになっているこの王国は、あらゆる時代の善人の望み、地球全体の希望、全予言者の賢明な約束の遂行なのである。
だがそなた達には、子供等よ、この王国へとそなた達について来る他の全ての者にも厳しい試練が設定される。信仰だけがその入り口を通させるが、前進する神性親交の人生で昇り続けようとするならば、そなたは、父の霊に実をつけなければならない。誠に、誠に言っておく。『主よ、主よ、』と言う者すべてが、天の王国に入るわけではないのだ。むしろ天にいる父の意志を為す者が、入るのである。
世界へのそなた達の知らせは次の通りである。最初に神の王国とその正義を求めよ。これを見つけることにより、永遠に生き残りに不可欠の他のすべてのものが、共に確かとなる。そして、私は今、父のこの王国が見せ物とも、見苦しい実演会とも共には来ないということを、明らかにしておく。因ってそなた達は、『ここにある』とか『そこにある』とか言って、この王国の宣言に向かうのではない。そなた達が説教するこの王国は、そなた達の中にいる神であるのだから。
誰でも父の王国で優れてくる、好きになる、と全ての者への公使となる。また、そなた達の中で1 番になる誰であろうと、その同胞に仕える者にさせよ。しかし、天の王国でいったん国民として実際受け入れられると、もはや使用人ではなく、息子、生きる神の息子なのである。そして、それが、すべての障壁を壊し、すべての人間に父を知らせしめ、また私が宣言しにきた救済の真実を信じさせるまで、この王国は、世界で発展していくのである。今でさえ、王国は手元にあり、そなた等の一部は、神の治世の偉大な力を見るまでは死なないであろう。
そして今、やがて地球全体が父の称賛で満たされるまで、そなた等が見ているこれが、すなわち12人の平凡な男のこの小さな始まりが、増大し成長するのである。そして、人はそなたらが私といて、王国の真実を学び知ったということを、その言葉でよりも送る生活によりよく分かるのである。そなた等の心に苛酷な重荷を横たえるつもりはなく、今、肉体をもって送っているこの生活で父の代理を私がしているように、私がほどなく去るとき、世界で私の代理をする厳粛な責任をそなた等の魂に置いていこうとするところである。話し終えると、かれは、立ち上がった。
イエスは、王国に関する表明を聞いたばかりの12 人の死すべき者にそのとき、自分の周りに輪になって跪くように言った。それから、あるじは、それぞれの使徒の頭に手を置き、ユダ・イスカリオテに始まり、アンドレアスで終わった。かれは、皆を祝福すると、手を伸ばして祈った。
「父よ、私は今、これらの者、使者をあなたの元に連れて参ります。地上の我々の子供の中から、あなたの代理をしに私が来たように、私は、私の代理をしに旅立つこの12 人を選びました。私を愛し共にいてくださったように、これらを愛し共にいてやってください。そして、いま、父よ、私が来たるべき王国のすべての事柄を彼らの手に置くとき、これらの者に叡知を与えてくださいますように。そして私は、それがあなたの意志であるならば、この者達の王国のための仕事の手助けのため地球に留まります。そして、父よ、これらの者のために感謝いたします。また、与えられた仕事を私が続けていく間、この者達をあなたの保護にゆだねます。」
イエスが祈り終えたとき、使徒はそれぞれがその場で俯したままであった。そして、ペトロスでさえ、あるじを見るために敢えて目を上げるまでには何分もかかった。一人ずつイエスを抱きしめたが、誰も何も言わなかった。天の軍勢がこの厳粛で神聖な光景を見下ろす間、大いなる沈黙がこの場所に瀰漫した—人間の心の指示の元に人間の神性の兄弟関係に関する事柄を委ねる宇宙の創造者。
それからイエスは話した。「父の王国の大使である今、そなたらはそれによって地球の他のすべての者とは別の異なった人間の種類となった。そなたらは、今や人の間にいる人としてではなく、この暗い世界の無知な生物の中にいる別の、天の国の開眼している国民としてある。これ以前のそなた等の生き方では十分ではない。今後は、より良い人生の栄光を味わった者として、新たな、より良い世界のそなた主の大使として、地球に送り戻された者として生きなければならない。教師は、生徒よりも期待される。あるじは、下僕よりも期待される。天の王国の国民は、地上の王国の国民よりも必要とされる。今から伝えようとする事柄の幾つかは、困難に思えるかもしれないが、私が今父の代理をしているように、この世界で私の代理をすることは、そなたらが選んだことである。そして、地球の私の代理人として、そなたらは、私が理想とする空間世界での人間生活を反映し、また我が地上生活で天にいる父を明らかにする私が例示する教えと習慣を受け入れ期待に応える義務がある。
「精霊的に捕虜となっている者達へ自由を、つまり恐怖に捕われた者へ喜びを宣言し、天の父の意志に従い病人を癒すためにそなた達を送りだす。私の子供が困っているのを見掛けたら励まして次のように話し掛けなさい。
「心の貧しい者、へりくだる者は幸いである。天の王国の宝物は彼等のものであるから。
「義に飢え渇く者は幸いである。満たされるであろうから。
「柔和な者は幸いである。地を相続するであろうから。
「心の清い者は幸いである。神を見るであろうから。
「そして、たとえそうだとしても、精神の安らぎと約束のこれらの更なる言葉を私の子供等に伝えなさい。
「悲しむ者は幸いである。慰められるであろうから。涙する者は幸いである。悦びの霊を受けるであろうから。
「哀れみ深い者は幸いである。哀れみを受けるであろうから。
「平和を作る者は幸いである。神の子と呼ばれるであろうから。
「義のために迫害される者は幸いである。天の王国は彼等のものであるから。罵られ迫害され、ありもしない事で悪口雑言を言われるときそなた等は幸いである。喜び、殊のほか、喜びなさい。天におけるそなた等の報いは大きいのであるから。
「我が同胞よ、そなた等を送り出す、そなた等は地の塩である、味を助ける塩である。しかし、もしこの塩がその味を失ったならば、何をもって塩味を付けるのであろうか。それは、何の役にも立たず、捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。
「そなた等は世界の光である。丘の上にある町は隠されることができない。蝋燭を点けても、誰も升の下には置かず、燭台に立てる。そうすれば、それは家にいる全員を照らす。このようにそなた等の光を人々の前で輝かせ、人々がそなた等の良い行いを見て天にいる父を崇めるようにしなさい。
「私は、私の代理をし、父の王国の大使として務めるようにそなた等を世界へ差し向ける。そして、良い知らせを公布しに行くに当たり、そなた等を使者として送る父を信頼しなさい。不正に対し無理に抵抗してはならない。肉の腕に頼ってはならない。隣人が右頬を打つならば、他方も向けなさい。自分達の間で法に訴えるよりも進んで不正に苦しみなさい。苦しんだり必要としているすべての者へ優しさと情けの奉仕をするように。
「言っておく。敵を愛し、そなた等を嫌う者に善を施し、呪う人々を祝福し、悪意をもって利用する者のために祈りなさい。私が人にするであろうとそなたが信じることは何でもしなさい。
「天のあなたの父は、善人の上と同じように悪人の上にも太陽を照らす。同様に正者にも不正者にも雨を降らせる。そなた等は、神の息子である。さらに、今は父の王国の大使である。神が慈悲深くあるように、情け深くありなさい。そうして、天の父が完全であるように、王国の永遠の未来において、あなたは完全になるのである。
「そなた等は人を裁くためにではなく、救うために任命された。地球での人生の終わりに、そなた等は、皆慈悲を期待するだろう。したがって、必滅の運命にある人生の中で肉体をもつ同胞のすべてに慈悲を示すことをそなた等に要求する。光線が目に当たっているときに同胞の目の中の塵を取り出そうとする過ちを犯さないように。目の光線を除けてはじめて同胞の目の中の塵の粒子が見えて取り除くことができる。
「はっきりと真実を見分けなさい。恐れずに正しい生活を送りなさい。そうしてそなた等は私の使徒となり、私の父の大使となる。そなた等は、こう言われているのを聞いた。『もし盲人が盲人を導くならば、両者は穴に落ちこむであろう。』王国に他のものを案内するのならば、そなた自身が、生きた真実の透明な、明るい光の中を歩かなければならない。王国のすべての仕事において、私は、そなた等に正しい判断と鋭い知恵を示すことを強く勧める。聖なるものを犬に与えてはならない。また豚に真珠を投げやるな。珠玉を足で踏みにじり、向き直りそなた等を引き裂きにくるであろうから。
羊の衣を着て近づいてくるが、その内側は強欲なオオカミである偽の予言者について警戒する。そなた等は、その実によって彼等を見分けるであろう。人は、茨からブドウを、あざみからイチジクを採取するであろうか。たとえそうだとしても、このように、あらゆる良い木は良い実をつけるが、腐った木は悪い実をつける。良い木が悪い実を結ぶことはないし、腐った木が良い実を結ぶことはできない。良い実を結ばない木は、やがてことごとく切り倒され、火に投げ込まれる。天の王国への入り口を獲得するには、動機こそが肝心である。父は、人々の心の中を見て、彼等の内側の切望と至誠の意志により判断をする。
王国の大いなる判決の日に、多くの者は、『私達はあなたの名前で予言し、あなたの名前で多くの立派な働きをしませんでしたか。』と私に言うであろう。だが私は、『お前達を決して知らなかった。偽教師共、行ってしまえ。』と言わざるを得ないであろう。しかし、ちょうど私が父の代理をしたように、この批難を聞き入れ、私の代理をする任務を誠実に実行する者は、我が奉仕と天の父の王国への大きく開いた入り口を見つける。」
使徒達は、これまでイエスがこのように話すのを一度も聞いたことがなかった。というのは、かれは、最高権威を持つ者のように話したので。かれらは、日没頃に山を下りたが、誰もイエスに質問をしなかった。
いわゆる「山上の垂訓」はイエスの福音ではない。多くの助けとなる訓示を含んではいるが、それは、12人の使徒に対するイエスの聖別の委託であった。それは、ちょうど自分が父をそれほどまでに雄弁に、また完全に代表したように、人間の世界で福音を説き、自分の代理を切望し続けようとしている者へのあるじの個人的委任であった。
「そなた等は地の塩である、味を助ける塩である。しかし、もしこの塩がその味を失ったならば、何をもって塩味を付けるのであろうか。それは、何の役にも立たず、捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。」
イエスの時代、塩は貴重であった。金の代用とさえされた。現代の言葉「給料」は、塩に由来する。塩は食物に風味をつけるばかりでなく、防腐剤でもある。それは、他のものをよりおいしくするし、このように消費されることにより役目を果たす。
「そなた等は世界の光である。丘の上にある町は隠せない。蝋燭を点けても、誰も升の下には置かず、燭台に立てる。そうすれば、家にいる全員を照らす。このようにそなた等の光を人々の前で輝かせ、人々がそなた等の良い行いを見て天にいる父を崇めるようにしなさい。」
光は、暗黒を晴らすと同時に、混乱させ挫折させるほどに非常に「目をくらます」こともできる。仲間が、高められた生活の新しくて、神を敬う道へと導かれるために、我々は、光をとても輝かせるように悟される。我々の光は、自己に注意を引きつけないために、ように輝きを放つべきである。人の職業でさえも、人生のこの光の普及のために有効な「反射鏡」として利用されることができる。
強い性格は、悪事を働くことからではなく、むしろ正行から得る。利己心の無さは、人間の偉大さの徽章である。自己実現の最も高い段階は、崇拝と奉仕により到達できる。幸福で有能な人は、悪行の恐怖にではなく、正行への願望に動機づけされる。
「その実によって、あなたがたは彼らを知るであろう。」人格は基本的に不変である。変化する—成長する—ものは、徳性である。現代宗教の主な誤りは、否定主義である。実を結ばない木は切り倒され、「火に投げ込まれる。」単なる抑圧—「すべきではない」という命令に従うこと—から道徳的価値は得られない。恐れと恥は、宗教生活には価値のない動機である。神の父性を明らかにし、人の兄弟愛を高めるときにだけ、宗教は有効である。
生活ための実効的な哲学は、宇宙洞察の組み合わせと社会、経済環境への人の感情的な反応の統合により形成される。忘れるでない。継承した衝動が基本的に修正されることはできないが、そのような衝動への感情的な反応を変えることはできる。従って、道徳的な性質は、変更されることができ、性格は改善することができる。強い性格において、感情的反応は、統合され、調整されるし、その結果、統一された個性が生み出される。不十分な統一は、道徳的性質を弱め、不幸を生む。
立派な目標がなければ、人生は、無目的で無益になり、多くの不幸が結果として生じる。12人の聖別式でのイエスの講義は、長としてふさわしい人生哲学を構成する。イエスは、経験に基づく信仰を行使するように追随者に勧めた。かれは、単なる知的な同意、軽信、確立された権威を頼りにしないように訓戒した。
教育は、我々の自然で、引き継がれた衝動を満足させるより良い方法を学ぶ(発見する)ための手段となるべきである。そして、幸せは、感情的な満足感のこれらの強化された方法の結果として起こるものである。望ましい境遇は、大いにそれに貢献するかもしれないが、幸せは、境遇にほとんど依存していない。
あらゆる死すべき者は、実に完全な人間であること、父が天で完全であるように同じく完全であること、を切望する。そして、そのような達成は、結局「宇宙は本当に父親のようである」が故に可能なのである。
山上の説教に始まり最後の晩餐の講話まで、イエスは、追随者に兄弟の愛よりむしろ父親らしい愛を表明することを教えた。兄弟愛は、自分自身を愛するように隣人を愛するであろうし、それは、「黄金律」の適切な遂行となる。しかし、父親らしい愛情は、イエスがあなたを愛するようにあなたが仲間の人間を愛することを要求する。
イエスは二元的な愛情で人類を愛する。二つの人格—人間であり神である—として地球に住んでいた。かれは、神の息子として、父性愛をもって人を愛する—かれは、人の創造者であり、宇宙の父である。人の子の息子として、イエスは兄弟として死すべき者を愛する—かれは、実に人間の人であった。
イエスは、追随者に兄弟愛の不可能な顕現を達成することを期待はしなかったが、神に似るように努力すること—天の父が完全であるように完全であること—を実に期待し、神が彼の創造物を見るように、彼らが人を見始めることができ、それにより、神が彼らを愛するように人を愛し始めることができるようにということ。12人の使徒へのこれらの勧告の中で、イエスは、多数の環境社会的な調整をするに当たり、ある種の感情的な態度に関連して父性愛のこの新概念を明らかにしようとした。
あるじは、単なる兄弟愛の限界に対比させて、父性愛に関する卓越し、かつ至高の反応の次の4項の描写への前触れとして、4種類の信仰態度への注意を促すことによりこの重要な講話を紹介した。
彼はまず、精神的に自信のない、正義に飢えた、素直に忍従している者、そして心の純粋である者について話した。そんな精霊明察の死すべき者は、父のような愛情の驚くべき威力を奮うことができるほどに神の無我のそのような段階に達することが期待できる。嘆き悲しむ状態にあってでさえ、かれらは、慈悲を示し、平和を促進し、迫害に耐える力を与えられ、そして、これらの苦しい状況のすべてを通して、父性愛で魅力のない人間さえ愛するであろうということ。父の愛情は、兄弟の愛情を測り知れないほど超える献身の段階に到達することができる。
信仰とこれらの至福の愛は、徳性を強化し幸福を生む。恐れと怒りは、品格を弱め、幸福を破壊する。この重大な説教は、幸福の主題で始まった。
1.「心貧しき者—へりくだる者—は、幸いである。」子供にとり、幸せは、即座の快楽の熱望を満たすことである。大人は、増大された幸せのその後に収穫するために自制の種子をまくことを望む。イエスの時代とその後ずっと、幸せは、あまりにも頻繁に富の所有の考えに関連づけられてきた。寺院で祈るパリサイ人と居酒屋の主の話では、一人は精神が豊かであると感じた― 利己的。他方は、「心が貧しい」と感じた― 謙虚。一人は自給自足していた。もう一方は教えやすく、また真実を求めていた。心の貧しい者は、精神的な豊かさの目標を—神を—捜し求める。。そして、そのような真実探求者は、遠い将来に報酬を待つ必要はない。報酬は、いま与えられる。かれらは、自身の心の中に天の王国を見つけ、いまそのような幸せを経験する。
2. 「義に飢え渇く者は幸いである。満たされるであろうから」。精霊的に貧しいと感じる者だけは、つねに正義を切望するであろう。謙虚な者だけは、精霊のの強さを捜し求め、精霊的な力を切望するのである。だが、精霊的な資質への自己の欲望増進のために故意に精霊的な断食に従事することは、最も危険である。肉体的断食は4、5日後には危険に陥る。人は、食物に対するすべての欲求を失う傾向がある。長期の断食は、肉体的にせよ、精神的にせよ、飢えを破壊する傾向がある。
体験的正しさは、義務ではなく、喜びである。イエスの正しさは、動的な愛—父親らしい、兄弟らしい愛情—である。それは、否定でも、汝してはならぬ型の正義でもない。人はどうして何か否定的なこと—何か「しない」こと—を切望できようか。
この最初の2つの至福を子供の心に教えることは、それほど簡単ではないが、成熟した心は、その意味を理解すべきである。
3. 「柔和な者は幸いである。地を相続するであろうから。」真に柔和な者は、恐怖とは関係がない。それはむしろ神との人の協力の態度である—「あなたの意志は為される。」それは忍耐と慎みを迎え入れ、合法的、友好的宇宙への固い信頼によって動機づけられる。それは神の導きに対して反逆するすべての誘惑を支配する。イエスは、ユランチアの理想的に柔和な男性であり、広大な宇宙を引き継いだ。
4. 「心の清い者は幸いである。神を見るであろうから。」精神の純度は、否定的な性質がない、疑念と報復を欠くということ以外に。純粋さについて議論する際、イエスは、人間の性に対する態度に対処つもりは全くなかった。かれは、人がその仲間である人間に持つべき信頼についてより多く言及した。親が子に抱く信頼、そしてその信頼は、父親が彼らを愛するように、人に仲間を愛することを可能にするということ。父性愛は、甘やかす必要はなく、悪を容赦せず、それでいて常に反冷笑的である。父性愛には、単一目的があり、いつも人にとっての最善を探す。これこそが、本当の親の態度である。
神を見るということ—信仰により—は、本当の精神的な洞察力を取得することを意味する。そして、精神的な洞察力は、調整者の指導を強化し、これらは結局、神-意識を増大させる。そして、父を知るとき、人は、神性の息子の資格への自信が確実となり、単なる兄弟としてではなく—兄弟愛で—しかし、同時に父親として—父親らしい愛情で—生身の兄弟のそれぞれをますます愛すことができる。
子供にさえこの注意を教えることは、簡単である。子供は自然に人を信じており、そこで両親は、子供がその素朴な信頼を失わないようにしなけばならず、子供を扱う際に、すべてのごまかしを避け、疑念の暗示を差し控えるべきである。彼らが、自身の英雄を選び、彼ら自身の一生の仕事を選択するのを賢明に助けよ。
そして、イエスは、奮闘している人間のすべての闘いの主要な目的の理解—完全性—神性到達さえも、に関し追随者に教授し続けた。かれは、つねに彼らに訓戒した。「完全でありなさい。天の父が完全であるように。」かれは、12人に、彼ら自身を愛すると同じように隣人を愛するようには勧めなかった。それは、価値ある達成となったではあろうが。それは、兄弟愛の成就を示すことになったであろうが。かれは、むしろ、自分が使徒達を愛したように人々を愛するように—兄弟らしい愛情だけでなく父親らしく愛すること—訓戒した。そして、かれは、父性愛の4 つの最高の反応を指し示してこれを説明した。
1. 「悲しむ者達は、幸いである。慰められるであろうから。」いわゆる常識、あるいは最善の論理は、幸福が悲しみから得られるとは決して示唆しない。しかし、イエスは、外面の、または、これみよがしの悲しみについて言及はしなかった。かれは、思いやりの感情的な態度について触れた。優しさを表したり、あるいは心情的感覚や肉体的な苦しみの形跡を示すことは男らしくないと少年や青年に教えることは、重大な誤りである。同情は、女性と同様に男性にとっても立派な属性である。男らしくあるために、無感覚である必要はない。これは勇敢な人間を形成するには間違った方法である。世界の偉人は、嘆くことを恐れなかった。モーシェ、嘆く者は、シムソンやゴリアテよりも偉大な男性であった。モーシェは、ずば抜けた指導者であったが、素直な男性でもあった。人間の必要性に対して感じ易く敏感な反応を示すことは、本物で長続きする幸福を生み出す一方、そのような親切な態度は、怒り、憎しみ、猜疑の破壊的な影響から精神を保護する。
2. 「哀れみ深い者達は、幸いである。哀れみを受けるであろうから。」ここでいう哀れみとは、真の友情の高さ、深さ、幅—慈愛—を意味する。哀れみは、時折受け身であるかもしれないが、ここでは、それは活発で豪快—最高の父親らしさ—である。愛する親は、何回であろうとも、子供を許すことにほとんど困難を感じない。そして、甘やかされていない子供においては、苦しみを和らげようとする衝動は、自然である。実際の状況を評価するに十分の年齢に達しているとき、子供は、通常親切で、同情的である。
3. 「平和を作る者は幸いである。神の子と呼ばれるであろうから」イエスの聴衆は、平和を作る者ではなく、軍事的救出を切望していた。しかし、イエスの平和は、穏やかで否定的な種類のものではない。裁判と迫害をものともせず、かれは、「あなた方に私の平安を残して行く」と、言った。「心を煩わさせてはいけない、恐れさせてもいけない。」これは、破壊的な闘争を防ぐ平和である。個人の平和は、人格を統合する。社会的平和は、恐怖、欲深さ、怒りを防ぐ。政治的平和は、民族対立、国家間の不信感と戦争を防ぐ。和平、は不信と疑心の治療である。
子供は、調停者として機能することを容易に教えることができる。かれ等は、集団活動を楽しむ。一緒に遊ぶことを好む。あるじは別の機会に言った。「自分の命を救うものは誰でもそれを失うが、自分の命を失うものは誰でも、それを見つけるであろう。」
4. 「義のために迫害される者は幸いである。天の王国は彼等のものであるから。罵られ迫害され、ありもしない事で悪口雑言を言われるときそなた等は幸いである。喜び、殊のほか、喜びなさい。天におけるそなた等の報いは大きいのであるから。」
非常に多くの場合、迫害は平和に続く。しかし、若者と勇敢な大人は、困難、または危険を決して避けない。「友のために命を捨てる者の愛ほど大きい愛はない。」そして、父性愛は、自在にこれらすべてのことが—兄弟愛がほとんど成就できない事柄をが—できる。そして、進歩は、常に迫害の最終的な報いであった。
子供は、いつも勇気の挑戦に応じる。青春期は、いつも「挑戦に応じる」気がある。そして、あらゆる子供は、犠牲について早くに学ばなければならない。
従って、説教の至福についての山上の説教は、法—倫理と義務—についてではなく、信仰と愛についてであるということが明らかにされる。
父性愛は、悪に対する善の報い—不正に報いる善行—を満悦する
日曜日の夕方、カペルナムの北の高地からゼベダイの家に着くと、イエスと12 人は、簡単な食事を相伴した。その後、イエスは海岸沿いに散歩に行ったが、12 人は仲間同志で話した。短い会議の後、双子が暖と灯りをとるために小さな火を起こす一方、アンドレアスは、イエスを探しに出かけた。彼に追いついたとき、言った。「あるじさま、仲間は、王国についてあなたの言ったことを理解することができません。あなたが、さらに指示を与えてくれるまでこの仕事を始めることができないと感じています。庭で我々に合流し、我々があなたの言葉の意味の理解できる助けをお願いしに参りました。」そこで、イエスは、使徒に会うためにアンドレアスと一緒に行った。
庭に入ると、かれは、自分の周りに使徒を集め、さらに教えて次のように言った。「新しい教えを直接古い教えの上に建てようとするから私の趣意の受け入れが難しいのであるが、私は、そなた等は生まれ変わらなければならないと断言する。そなた等は、幼子として新たに出直し、進んで私の教えを信じ、神を信じなければならない。王国の新しい福音を現状に従わせることはできない。そなた等は、人の息子と地上でのその使命について考え違いをしている。だが、法と予言者を除外するために私が来たと思い誤ってはならない。私は破壊するためにではなく、成し遂げ、拡大し、照らすために来たのである。法に背くためにではなく、むしろこれらの新しい戒律をそなた等の心の平板に記しに来たのである。
施し、祈り、断食によって父の恩恵を得ようとする人々の正義を上回る正義をそなた等に要求する。王国に入ろうとするならば、愛、慈悲、真実からの正義—天の父の意志を為すという心からの願望—をもたねばならぬ。」
その時、サイモン・ペトロスが、「あるじさま、あなたに新たな戒律があるならば、私達はそれを聞きたいのです。新たな道を示してください」と言った。イエスはペトロスに答えた。そなた等は、「法を教える人々が、『殺すな。殺す者は誰でも裁判を受けねばならぬ』と言うのは聞いているところである。しかし、私は、動機を見つけるために行為以上のものを見る。兄弟に立腹する者は誰でも、厳しい非難の危険にさらされていると断言する。心に憎しみを抱き、心で復讐を企む者は、裁決の危険性に立つ。そなた等は、仲間をその行為によって判断しなければならない。天の父は、人の意図によって判断する。
「そなた等は、法の教師達が、『姦淫するな』と言うのは聞いているところである。しかし、私は、色欲の意図をもって女性を見る者は、すべてその心の中ではすでに姦淫を犯したと伝えておく。そなた等は、その行為によって人を判断することができるだけであるが、父は、その子供等の心の中を見て、慈悲をもって、彼らの意図と本当の願望に相応して裁く。」
イエスは、他の戒律について議論し続ける気でいたが、ジェームス・ゼベダイが遮って尋ねた。「あるじさま、離婚に関しては何を人々に教えましょうか。モーシェが指示したように、我々は男性に妻との離婚を許しましょうか。」この質問を耳にしたイエスが言った。「私は法を制定するためにではなく、教化するために来た。この世の王国を改革するためにではなく、天の王国を樹立しに来たのである。私が、今日は良いかもしれないが、他の時代の社会には当て嵌まらなくなるであろう政治、通商、社会的行動の規則をそなた等に教える誘惑に負けることは、父の意志ではない。私は、単に心を安らげ、精神を解放し、魂を救うためだけに地上にいるのである。しかし、この離婚の質問に関して、モーシェは、そのようなことを支持したが、アダムの時代やその園ではそうではなかったと、私は言っておく。」
使徒が短い時間話した後、イエスは続けた。「つねに、全ての人間の行為に関し2 つの視点—人と神、肉体の道と精神の道、時間の評価、推定と永遠での視点—を認めなければならない。」教えられたすべてを理解できたというわけではなかったが、12人は、実際この教授に助けられた。
次に、イエスが言った。「しかし、そなた等は、文字通りに私の教えを解釈し慣れているので、私の教えに躓くであろう。そなた等、私の教えの精神を悟るのに時間がかかる。そなた等は、私の使者であるということを再度思い出さなければならない。私が精神で生きたように、そなた等も生きる恩顧を被っている。そなた等は私の個人的、人格代表である。しかし、すべての人が、あらゆる事項について、そなた等がするように生きると期待する間違いを犯してはいけない。また、私がこの群れに属さない羊を連れているということ、また、私が必滅の性質の人生を送る間、その終わりまで、神の意志を為す様式を彼等に提供しなければならいという恩義を受けているということを覚えていなければならない。」
その時、ナザニエルが尋ねた。「あるじさま、正義に場所を与えないのでしょうか。」モーシェの法は、『目には目を、歯には歯を』とあります。「私達は何と言いましょうか。」そこで、イエスが答えた。「悪を善で迎えるべきである。我が使者は、人と争うことなく、すべてに穏やかでなければならない。仕返しがそなたらのやり方であってはいけない。人間の支配者は、そのような法を持つかもしれないが、王国ではそうではない。慈悲は、いつも人の判断の基盤となり、また人の行為を好む。そして、これらが困難に聞こえるなら、そなた等は、今でも、折り返すことができるのである。使徒の資格の必要条件が難し過ぎると思うならば、そなた等は、それほど厳しくない弟子の身分の小道に戻ることができるのである。」
驚くべきこれらの言葉を聞き、使徒達は、しばらく退いていたがすぐに戻り、ペトロスが、言った。「あるじさま、私達はあなたと続けます。我々1 人として折り返しはいたしません。特別、追加価格を払う用意が完全にできています。杯を飲みほします。単に弟子ではなく、使徒になります。」
イエスはこれを聞いて言った。「では、よろこんで自分の責任を引き受け、私についてきなさい。秘かに善行を施しなさい。施しをするとき、右手がすることを左手に分からせてはいけない。そして、祈るときは一人になり、無駄な反復と無意味な句を用いてはならない。尋ねる前に、すでに父は、そなたが必要とすることを知っていることを必ず思い出しなさい。そして、人に見られるための悲しい相貌で、断食しがちになってはならない。選ばれた使徒として、今、王国の奉仕に赴き、地球で自分のための宝物を貯えず、しかも、寡欲な奉仕による、天での自分のための宝物を蓄えなさい。何故ならそこにそなた等の宝物があり、また、そこに、そなた達の心があるのであるから。
肉体の明かりは目である。したがって、目が寛大であるならば、全身は光に溢れるであろう。しかし、目が利己的であるならば、全身は暗闇に満ちるであろう。自身のその明かりそのものが闇に向けられるとならば、その暗闇はどれほどのものであることか。」
そこでトーマスが、自分達は「すべてを共用し続ける」べきであるかどうかを尋ねた。あるじは、「そうだよ。我々同胞は、理解し合う1つの家族として共存すべきである。そなた等には大きな仕事が任されている。だから、私はそなた等の全面的な奉仕を切望する。それがよく言われてきたことは知っているであろう。『人は2 人の主人に仕えることはできない。』人は、心から神を崇拝し、また同時に、心から富の神に仕えることはできない。王国の仕事で無条件に徴募した今、命を危ぶむではない。まして、何を食べ、何を飲むべきか心配するな。また、身体にこだわるな。いかなる衣を身に纏うべきかを。既に、進んでしようとする手とひたむきな心は空腹にならないということを学んだではないか。さて、活力のすべてを王国の仕事に捧げる準備をするとき、父がそなた等の需要に無頓着でないということを確信せよ。まず神の王国を求めなさい。そうすればその入り口を見つけたとき、そなたには、すべての必要なものが与えられるであろう。したがって、明日のことを過度に心配するでない。1 日の苦労は、その日1 日で十分である。」
かれらが、質問するために徹夜をする気でいるのを見ると、イエスは言った。「同胞よ、そなた等は土製の船である。翌日の仕事ができるように、休息するのが最良である。」しかし、睡眠は彼らの目から去っていた。ペトロスは、「ほんの少し個人的な話があります。」とあるじの要請に相対して言った。「同胞に秘密にしたいというわけではないのですが、心が煩わされているのです。おそらく、もしあるじさまからの叱責に値するならば、 二人きりのほうがそれに耐えられるでしょうから。」そこで、家へと先導し「ペトロス、共に来なさい。」と、イエスが言った。ペトロスが、あるじの元から戻ると、大いに元気づき励まされており、ジェームスは、イエスに話しに行くと決めた。そこで、早朝の数時間まで、他の使徒達は、あるじと話すために一人つずつ入っていった。寝入ってしまった双子を除き、皆が個人的な相談をしたとき、アンドレアスが入っていってイエスに言った。「あるじさま、双子は庭の火の側で寝入ってしまいました。二人が話したいかどうか尋ねるために起こしましょうか。」そこでイエスは、「二人は大丈夫である。煩わすでない」と、微笑んで言った。その時、夜は明けようとしていた。明くる日の陽光が差すところであった。
数時間の睡眠後、12 人がイエスとの遅い朝食に集められたときかれは、「今や、そなた等は、喜ばしい知らせを説いて、信者を導く仕事を始めなければならない。エルサレムに行く用意をせよ。」と言った。イエスが話した後、トーマスは、勇気を奮い起こして言った。「今、仕事を始める準備ができていなければならないと、あるじさま、分かってはおりますが、私は、我々が、この大きな仕事をまだ実行にうつすことができないと恐れるのであります。王国の仕事を始める前に、あと数日このあたりでの滞在に同意してください。」イエスは、使徒のすべてがこの同じ恐怖に襲われているのを見て言った。「要求通りになる。我々は安息日が終わるまで、ここに留まろう。」
数週間、熱心な真実探求者の小さな幾つかの集団は、好奇心の強い観衆とイエスに会いにベスサイダにてい来た。すでに、イエスに関する話は田舎にまで広がっていた。詮索好きな者達は、テュロス、シドーン、ダマスカス、ケーサレーア、エルサレムの遠くの都市からやって来た。イエスは、これまで、このような人々に挨拶して、王国に関して教えてきたのだが、そのときあるじは、この仕事を12 人に任せた。アンドレアスは、使徒の一人を選び、訪問者の一集団に割り当てるのであるが、時には12人全員が同じように従事した。
かれらは、日中は教え、夜遅く個人的な談合をもち、2日間働いた。3日目、「釣りをしに行くか、呑気な気分転換を探すか、あるいは、家族を訪問する」ようにと使徒を送り出し、イエスは、ゼベダイとサロメを訪ねた。木曜日、かれらは、更に3日間の教育に戻った。
この予行演習の週、イエスは、自分の地球での洗礼後の任務の2つの大きな動機について使徒に何度も繰り返した。
1.父を人に明らかにすること。
2. 人を息子としての自覚をもつように導くこと—いと高きものの子供であると信仰により気づかせること。
この様々な経験の1 週間は、12人に多くのことをもたらした。数人は、自信過剰になりさえした。最後の談合、安息日後の夜には、ペトロスとジェームスがイエスのところにやって来て、「準備ができています—すぐに、王国を手に入れに先へ進みましょう。」と言った。それに対し「皆の知恵が熱意に吊り合い、勇気が無知を埋め合わせられますように。」と、イエスが答えた。
使徒達は、その教えの多くを理解しなかったが、彼がともに暮らした魅力的に美しい人生の意味は把握した。
イエスは、使徒達が自分の教えを完全には我がものにしていないことを心得ていた。かれは、ペトロス、ジェームス、ヨハネにいくらかの特別な教授を与えることに決め、かれらが、仲間の考えをはっきりさせてくれることを望んだ。かれは、12 人が精霊的な王国の理念に関するいくつかの特徴を理解している一方で、これらの新しい精霊の教えを直接ダーヴィドの王座の回復として天の王国、それに、地球での一時的威光としてのイスラエルの再建という古くて不動の文字通りの概念に縛りつけることに頑として固執するところを見た。従って木曜日の午後、イエスは、王国の諸事について論議するために、ペトロス、ジェームス、ヨハネとボートで岸を離れた。これは、何十もの質問と答えを含む4 時間にわたる教育的会談であり、サイモン・ペトロスが、翌朝、弟アンドレアスに与えたこの重大な午後の概要を再編成してこの記録に載せることは、最も有益であるかもしれない。
1. 父の意志を為すこと。天の父の上からの加護に対する信頼というイエスの教えは、盲目かつ受動的な運命論ではなかった。この午後、かれは、是認して古いヘブライの諺から引用した。「働かざる者食うべからず。」かれは、自己の教えの十分な評釈として自身の経験を指し示した。父を信じることについての彼の教訓は、現代、または、いかなる他の時代の社会的、経済的状況によって判断されてはならない。彼の教授は、すべての時代、すべての世界で神に近く生きるための理想的な原則を包含している。
イエスは、3 人に使徒と弟子との責務の違いを明らかにした。そして、その時でさえ、12 人の思慮分別と将来への思慮の行使を禁じなかった。彼が説教したことは、先見に対してではなく、憂慮、つまり思い悩みに対してであった。かれは、積極的で注意深い神の意志への服従を教えた。倹約と節約に関する彼らの質問の多くに答えて、単に大工、船大工、漁師としての自己の人生、それと12 人の彼の慎重な組織に注意を向けさせた。かれは、世界は敵として見なされるべきでないということを明らかにしようとした。人生の情況は、神の子供と神の摂理の一緒の働きが構成要素となるということを。
イエスは、自身の無抵抗の個人の習慣を彼らに理解させることに大いに苦労した。かれは、身を守ることを断固として拒否した。そして、自分達がその同じ方針を取れば、イエスが喜ぶように使徒達には見えた。悪へ抵抗、不正、そして傷害と戦わないように教えたのであり、悪行への受動的寛容を教えたのではなかった。また、この午後、悪人と犯罪者に対する社会的刑罰に賛成すること、そして民間政府が、社会秩序の維持と正義の遂行において時には力を用いなければならないということを明らかにした。
かれは、弟子に報復の悪習について警告することを決してやめなかった。かれは、復讐、すなわち報復観念を容認しなかった。かれは、恨みを抱くことを嘆いた。かれは、目には目を、歯には歯の考えを禁じた。これらの事柄は民間政府に帰するものとする一方、もう片方では神の判断に帰するものとしつつ、私的一身上の報復の考え全体には賛成しなかった。彼の教えは、国家にではなく、個人に適用されるのだと3 人に断言した。これらの問題に関し、その時までの彼の教授を以下のようにまとめた。
敵を愛せよ—人間の兄弟愛の道徳的な主張を銘記せよ。
悪の無益さ:悪、誤りは復讐によっては正されない。敵と同じ手段による悪との戦いの過ちを犯すな。
信仰を持て—神の正義と永遠の善の最終的勝利への確信
2. 政治的な態度。かれは、ユダヤ民族とローマ政府間にその時存在していた張りつめた関係に関して、発言において使徒が慎重であるようにと警告した。かれは、彼等がこれらの困難にどんな形であれ、巻き込まれることをを禁じた。イエスは、常に敵の政治てき罠を避けることに慎重であり、いつも応えて「ケーサーのものはケーサーに、神のものは神に返しなさい。」と言った。かれは、救済の新しい方法を確立する任務から注意をそらすことを拒否した。かれは、他の何事にも関知、心配しようとしなかった。かれは、個人生活において、いつもすべての市民の法と規則をよく守り、公へのすべての自分の教えにおいては、市民、社会、経済の領域を無視した。かれは、人の内面と個人的精霊的な生活の原則だけに関心があるのだと3人の使徒に話した。
イエスは、従って、政治的な改革者ではなかった。かれは、世界の再編成に来たのではなかった。もし彼がこれを行なっていたとしても、それは、その時代と世代だけに通用したであろう。にもかかわらず、かれは、最善の人生の道を人に示したし、いかなる世代も、イエスの人生をそれ自身の問題に最もよく適応させる方法を発見する努力からは免除さてはいない。しかし、イエスの教えをいかなる政治の、または経済の理論とも社会的、または産業体制とも同一視する誤りを決して犯してはならない。
3. 社会的な態度。ユダヤ人の律法学者は、長い間、この問いについて論じ合ってきた。隣人とはだれであるのか。イエスは、能動的、自発的な親切、つまり仲間へ向ける愛というものが、本物であるので、隣人というものが全世界を包含し、その結果、すべての人間を隣人へと発展する愛の考えを示しに来た。このすべてにも関わらず、イエスは、集団にではなく、個人だけに興味を持っていた。社会学者ではなかったが、イエスは、利己的な孤立のすべての形を破壊するために努めた。かれは、純粋な共感、同情を教えた。ネバドンのマイケルは、慈悲に支配された、主動の息子である。同情は、まさしく彼の本質である。
あるじは、人は、決して友人を食事に招くべきではないとは言わなかったが、追随者には貧乏人と恵まれない者に馳走を設けるべきであると言った。イエスには安定した正義感があったし、それは、つねに慈悲で緩和された。かれは、使徒に、社会的寄生体、あるいは専門の施し探求者に強要されることを教えなかった。彼がしてきた社会学的表明に最も近いものは、「人を裁くな。自分が裁かれないためである。」と言ったことである。
無差別の親切心は、多くの社会的弊害で非難されるかもしれないことを明らかにした。イエスは、使徒の基金が自分の要求、あるいは、使徒の2 人の共同陳情による以外は、施しものとして配られないということをはっきりとユダに翌日指示した。このすべての事柄に関し、いつも「蛇と同じくらい賢明であるが、鳩と同じくらい無害であれ。」と言うのが、イエスの習慣であった。すべての社会的状況における忍耐、寛容、許しを教えることが、彼の意図のように見えた。
イエスの人生哲学において、家族というものがまさにその中心を占有した—ここと、そしてこの後。かれは、ユダヤ人の先祖への過剰敬意の傾向を修正しようとする一方、家族の上に神に関する自分の教えの基礎を形成した。かれは、家族生活を最も高い人間の義務として褒めはしたが、家族関係が宗教義務を妨げてはならないことを明瞭にした。かれは、家族が一時的組織であるという事実に注意を促した。それは死を生き残らないということ。イエスは、家族が父の意志に反したとき、自分の家族を諦めることを躊躇わなかった。より新しく、より大きな人間の兄弟関係—神の息子達—を教えた。イエスの時代、パレスチナとローマ帝国での離婚の慣習は、緩いものであった。かれは、結婚と離婚に関する法の制定を繰り返し拒否したが、初期の支持者の多くは、離婚に関する強い意見を持ち、その意見がイエスによるものだとすることをを躊躇しなかった。ヨハネ・マークを除く新約聖書の著者は全員、離婚に関するこのより厳しく進歩的な考えに固執した。
4. 経済的態度。イエスは、世界を見つけた通りにこの世界で、働き、住み、商いをした。かれは、経済改革者ではなかったが、富の不平等な分配の不正にしばしば注意を促した。しかし、かれは、救済のいかなる提案も申し出なかった。使徒は、財産を持たないことになってはいたが、富と財産に対してではなく、単にその不平等で不公平な分配に対して説教しているのだということを3 人に明確にした。かれは、社会的正義と産業的公正さの必要を認めたが、その達成に対して何の規則も提供しなかった。
かれは、支持者に現世での所有、財産を避けることを決して教えず、12人の使徒だけに教えた。医者のルカスは、社会的平等の強い信奉者であり、イエスの言葉を自己の個人的信念と調和させて、解釈のために多くのことをした。イエスは、支持者に生活の共同様式を採用するように決して個人的に命じなかった。かれは、そのような事柄に関していかなる種類の表明もしなかった。
イエスは、「人の幸せは、物質的所有の豊富さにあるのではない」と断言し、聴取者に慾深さについて頻繁に警告した。かれは、「人が全世界を得ても、自身の魂を失うならば、何の徳になろうか。」と絶えず繰り返した。財産所有へのいかなる直接攻撃もしなかったが、かれは、まず精神的な価値の優先が、永遠に重要であると主張した。後の教えの中では、公への奉仕の過程において提示した多数の寓話を語ることにより、ユランチアの数多くの誤った人生観を修正しようとした。イエスは、決して経済理論を定式化するつもりはなかった。各時代が既存の問題のためにそれ自体の改善措置を発展しなければならないことを、かれはよく知っていた。そして、今日もしイエスが、地球にいたならば、生身の姿で生活していたならば、かれは、現代の政治的、社会的、あるいは経済的論争のいずれにも肩入れしないであろうから、単純にこの理由のために、大方の善男善女にとっては大きな失望となるであろう。純粋に人間の問題の解決のために、幾重にもより有能にするためにあなたの内側の精霊的な人生を完成する方法をあなたに教える一方で、かれは、壮大なまでに超然と離れたままでいるであろう。
イエスは、すべての人間を神のように作りかえ、次に、これらの神の息子が、政治、社会、経済問題を解決する間、同情して傍観しているのである。彼が公然と批難したのは富ではなく、富がその熱愛者の大多数にもたらす事柄であった。この木曜日の午後、イエスは最初に、「受けるより与える方が幸いである。」と仲間に話した。
5. 個人的宗教。使徒がしたように、イエスの人生によるその教えをより理解すべきである。イエスは、ユランチアで完成された生活を送った。そしてイエスの人生がその直接の背景上に思い描かれるとき、彼の独自の教えを理解することができる。12 人への教訓でも、あるいは民衆への説教でもなく、彼の人生というものが父の神の性格と愛する人格を明らかにすることにおいて最も手助けとなるであろう。
イエスは、ヘブライの予言者やギリシアの道徳家達の教えを攻撃しなかった。あるじは、これらの偉大な教師達が表した多くの良いことを認めたが、追加する何かを、「神の意志への人間の意志の自発的服従」を教えるために地球に降りて来た。イエスは、単に宗教人、完全に宗教感情に捕らわれた、そして、精神的衝動によってのみ動機づけられた人間というものの産出を欲したのではなかった。ほんの1 目だけ彼を見ることが出来たら、イエスがこの世の物事に関してかなりの経験をもつ真の人間であることを知ることができたのだが。イエスの教えはこの点で甚だしく曲解され、西暦の何世紀にもわたり長い間相当に誤り伝えられている。また、人はあるじの従順さと謙虚さについて歪んだ考えを保持してきた。彼が人生で意図したことはずば抜けた自尊心であったように見える。彼は、本当に発揚するためにへりくだることを人に教えただけである。彼が本当に意図したことは、神へ対しての真の謙虚さであった。誠意--純粋な心、に大いなる価値を置いた。誠実さは彼の性格評価において主徳であり、勇気は彼の教えのまさしくその中心であった。「恐れるな」は 、彼の合言葉であり、我慢強い忍耐は性格の強さにおける彼の理想であった。イエスの教えは武勇、勇気、英雄精神の宗教を構成する。そして、まさしくこれが、自分の個人的な代表としてその大半が粗野で、力強い、男々しい漁師である12人の平凡な男性を選んだ理由である。
イエスは彼の時代の社会的悪に関して言うことはあまりなかった。滅多に、道徳的過失についての言及をしなかった。真の美徳の積極的な教師であった。教育の否定的方法を慎重に避けた。悪の宣伝を拒否した。道徳改革者でさえなかった。人類の官能的衝動が、宗教的戒めでも法的禁止でも抑圧されないということをよく知っていたので、そのように使徒達に教えた。彼の数少ない告発は主に自尊心、残酷さ、圧迫、偽善に対して向けられた。
イエスはヨハネのようにはパリサイ人さえ激しく糾弾しなかった。心の直ぐい多くの筆記者やパリサイ人を彼は知っていた。彼らが宗教伝統への束縛の俘になっていることを理解した。イエスは、「最初に、木を良くすること」を、大いに強調した。あるわずかな特別の美徳だけでなく、イエスは一生涯を評価するということで3 人を強く印象づけた。
ヨハネがこの日の教えから1 つ得たことは、イエスの宗教の中心は、天の父の意志をする動機づけられた人格と結び合わされた情け深い性格の習得にあるいうことであった。
ペトロスは、自分達が宣言しようとしていた福音は、人類全体のための誠に新鮮な始まりであるという考えを理解した。彼は後にこの印象をポールに伝え、ポールは、そこから「第2 のアダム」として彼のキリストの主義を明確に述べた。
ジェームスは、イエスが地球の自分の子供等がまるで既に完成した天の王国の市民であるかのように生きることを望んでいるという心踊る真実を理解した。
人は異なることを理解していたので、イエスは使徒達にそう教えた。何らかの固定した様式に弟子や信者達を形づくろうとするのを控えるよう彼等に絶えず勧めた。彼は、神の前で完成していく、そして別々の個人で展開するそれぞれの魂をそれ自身の道で成長させようとした。ペトロスの多くの質問の1つに答えてあるじは言った。「幼い子供として新たでより良い人生に改めて出発できるように人を自由にしたい。」イエスは、真の善は無意識であらねばならない、慈善を施す際右手のすることを左手に知らせることのないようにと常に主張した。
この午後、あるじの宗教が精神的自省のための何の用意もしないと気づいたとき、3 人の使徒は驚いた。イエスの前後の時代の全ての宗教は、キリスト教でさえ、慎重に良心的自省をもたらす。だが、ナザレのイエスの宗教はそうではない。イエスの人生哲学は、宗教内省なしなのである。大工の息子は、性格作りをついぞ教えなかった。天の王国は芥子菜の種子に似ていると宣言し、性格の成長を教えた。だが、イエスは、思いあがりの我質の防止として自己分析を禁止する何も言わなかった。
王国に入る権利は、信仰、個人的な信念を条件とする。王国の進展的上昇に残るためには、すなわち、高価な真珠を得ることは、人の持つすべてを売って得るということである。
イエスの教えは、皆のための、ただ単に病弱者や奴隷のためではない、宗教である。彼の宗教は、(彼の滞在期間中)決して教義や神学の法に具体化しなかった。彼は後に1 行の文章といえども残さなかった。全世界の全ての時代の霊的な指導と道徳的な教育に適した霊感的、理想主義的な遺産として彼の人生と教えが宇宙に遺贈された。今日でさえすべての宗教、それらの1つ1つが生きる望みではあるが、イエスの教育はそういうものとは差違がある。
宗教が人の唯一のこの世での追求であるとは使徒達に教えなかった。それは神に仕えるユダヤ人の考えであった。しかし、彼は、宗教は12 人の専業であると主張した。イエスは、彼の信者達の本物の文化追求を妨げる何も教えなかった。エルサレムの伝統に縛られた宗教学校から逸らしただけである。彼は自由で、心が広く、博識で、寛大であった。彼の正しい生き方の哲学には自意識の強い敬虔さの存在すべき場所はなかった。
あるじは、自身の時代にも、またその後の時代にも宗教に無関係の問題にはどんな解決策も提供しなかった。イエスは永遠の現実に関する精神的な洞察を発展させ、生活の独創性における先導性を刺激することを願った。彼は、徹底的に人類の基礎をなす、永久的な精神の必要性に関与した。彼は、善が神と等しいことを明らかにした。彼は、愛—真実、美、善を高めた。—神の理想と永遠の現実として。
あるじは、人の中に新たな精神、新たな意志を創造しに来た。—真実を知るための、情けを経験するための、また、善を選ぶための新しい収容能力を与えに—天の父が完全であるのと同じく、完全になるように永遠の衝動に結びつけられた、神の意志と和合するという意志。
次の安息日、聖別をした高地に旅して戻りつつ、イエスは使徒達に専念した。そして、そこで激励のための長くて美しく感動的な自らの伝言の後で、12 人の厳粛な献身の行事に従事した。この安息日の午後、イエスは山の中腹で自分の周りに使徒を集め、この世にそれらを残すことを強制されるその日に備え、天の父の手に彼等を授与した。この折、新たな教えはなく、まさに歓談と親交だけであった。
イエスはこの同じ場所で伝えた聖別式の説教の多くの特徴を再検討し、自分の前に一人ずつ召喚しながら、自分の代表として世界へ前進することを委託した。あるじの奉納委託は次の通りであった。「全世界に進入し王国の喜ばしい知らせを説きなさい。精神の虜となっている者を解き放ち、圧迫されている者を慰め、苦しんでいる者に力を貸しなさい。惜しげなく受け取ったのであるから惜しげなく与えなさい。」
イエスは、「労働者はその手間賃に値する。」と言い、金も余分な衣服も手に入れないよう忠告した。そして、最後に言った。「見よ、まるで狼の真只中にいる羊のようにお前達を送り出す。だから、蛇のように賢く鳩のように無害でありなさい。しかし、敵はユダヤの礼拝堂でそなた等を懲戒する傍ら、彼らの協議会にそなた等を呼び立てるので用心しなさい。この福音を信じるという理由で、知事と支配者の前に連れていかれるであろう。そして、彼等へのあなたのその供述こそが私にとっての目撃者になるだろう。彼らがあなたを判断に導くとき、何を言うべきか案ずるでない。我が父の霊があなたに宿っておりそのような時にはあなたを通して話すであろうから。そなた等の何人かは殺されるであろうし、地上の王国を設立する前に、この福音のために多くの民族に嫌われるであるろう。だが、恐れるでない。私が共にいるし、我が霊がそなた等が全世界に行くその前を行くのである。それに、あなたがまずユダヤ人、それから異教人のところへ行く間、父の霊が共にとどまるであろう。」
そして、山から下りてくると、ゼベダイの家である自分達の家に戻っていった。
雨が降り始めていたのでその晩家での教えの中でイエスは、何をすべきか、何をすべきでないかを12 人に示そうと長々と話した。彼らは正義に達する方法として確たる事を行なうことを課した宗教だけを知っていた—救済。しかし、イエスは、繰り返し言うのであった。「王国では仕事をするためには正しくあらねばならない。」「したがって、完全でありなさい。天のあなた方の父が完全であるように。」と何度も何度も繰り返した。あるじがずっと狼狽えている使徒達に説明していたことは、単に信じることにより、簡単で真摯な信頼により、世界にもたらされる救済というものを自分が持ってきたのだということであった。イエス曰く:「ヨハネは悔悟の洗礼、古い生き方に関する嘆きを説いた。そなた達は神との親交の洗礼を宣言するのである。そのような教えを必要として立つ者等に悔悟を説きなさい。但し既に二心のない王国への入り口を探している者等には扉を大きく開き、神の息子等の喜ばしい親交に加わるよう命じなさい。」しかし、王国で信仰により公正であるということは、地球の人間の日常生活で正義の行ないが先行しなければならないということをこれらのガリラヤの漁師達を説得するのは難しい仕事であった。
12 人を教えるこの仕事でのもう一つの大きな困難は、宗教真理の理想主義的で霊的な原則を高度に解釈し、個人的行為の具体的な規則にそれらを作り変えるという彼等の傾向であった。イエスは魂の姿勢である美しい精神を差し示すのであったが、彼らは、そのような教えを個人的な振舞いの規則に訳解すると言い張った。何回も、あるじの言ったことを確実に覚えようとするとき、彼が言わなかったことは忘れるの所かであった。しかし、教えたことは全て自身が実行したのでその教えを徐々に自分達のものとしていった。口頭教授から得られないことは、共に生活する中で次第に習得していった。
あるじが、広範囲の宇宙の各世界における各時代の各人のために霊的鼓吹の生活を送ることに従事していたのは、使徒には明らかではなかった。折々伝えたにもかかわらず、イエスがこの世だけでなく彼の広大な創造における他のすべての世界のために働いているという観念を使徒達は理解しなかった。イエスは、この世だけの男女のために人間生活の個人的な模範を設定するのではなく、むしろすべての世界のすべての人間のために高い精神的で鼓舞する理想を作成するためにユランチアで彼の肉体の姿の生活を送った。
この同じ夜トーマスがイエスに尋ねた。「あるじさま、父の王国への入場を獲得できる前に我々は幼い子供のようにならなければならないと言われ、その上偽の予言者に騙されず、豚の前に真珠を投げかける罪を犯すなとあなたは警告されました。今、私は正直なところ当惑しています。あなたの教えが理解できません。」イエスがトーマスに答えた。「どれだけ、あなたのことを耐え忍びましょうか。あなたは、いつも私が教える全てを文字通りに解釈したがる。王国に入る代価として幼い子供のようになるよう求めたとき、簡単に誤魔化されたり、 何でも喜んで信じる気持、あるいは見知らぬ者を信用する性急さに参照しなかった。説明から集約して欲しかったことは子と父の関係であった。そなたは子であり、またそなたが入ろうと探し求めるところはそちの父の王国である。すべての普通の子とその父の間には理解し情愛深い関係を保証し、父の愛と慈悲のために駆け引きをするすべての気質を排除するそんな自然な愛情がある。そして、あなたが説教に向かおうとしている福音はまさしくこの永遠の子と父の関係の信仰認識から成長する救済と関係がある。」
イエスの教えの1つの特徴は、彼の哲学の道徳性が個人と神との私的関係に基づくということであった。-まさしくこの子と父の関係。イエスは民族でも国家でもなく、個人を強調した。夕食をとる間、イエスはマシューとの話で、どんな行為の道徳性も個人の動機により判断されると説明した。イエスの道徳はいつも肯定的であった。イエスによって言い直される黄金律は能動的な社会接触を要求する。古い否定的規則は孤立して従うことができた。イエスは、すべての規則と儀式から道徳を剥ぎ取り、それを霊的な考えと真に公正な生き方の威厳のある段階へと高めた。
イエスのこの新しい宗教は、 その実用的な含みがないわけではないが、実用的な政治上、社会上、あるいは経済上の価値の彼の教えに見られるものは何であろうとも、本物の個人的宗教経験の自然発生的な日々の仕事における精神の果実の表れとしてのこの内側の魂の経験の自然な働きなのである。
イエスとマシューが話し終えた後、サイモン ゼローテースが、「しかし、あるじさま、すべての人間が神の息子なのですか」と尋ねた。そこで、イエスが答えた。「そうだよ、シーモン。すべての人間が神の息子である。そしてその良い知らせをそなたが宣言しにいこうとしている。」しかし、使徒達はそのような主義を理解することができなかった。それは新しくて、奇妙で、瞠目に値する発表であった。そして、彼等にこの真実を印象づけたいという願いのためにイエスは、追随者達に彼らの兄弟としてすべての人を扱うことを教えた。
アンドレアスの質問に対応し、あるじは彼が教える道徳は彼の生活宗教から不可分であると断言した。彼は人の性質というものに基づいて教えたのではなく、人の神への関係に基づいて道徳を教えた。
ヨハネは、「あるじさま、天の王国とは何ですか」とイエスに尋ねた。そこで、イエスが答えた:「天の王国はこれらの3つの基礎で成る。1番目、神の主権事実の認識; 2番目、神の息子の資格への真実への信念;3番目、神の意志を為すという最高の人間の望みの有効性への信頼--神に似るように。そして、これが福音に関する朗報である:信仰によりすべての死すべき者にはこれらの全ての救済の基礎が得られるということ。」
そして、今や待期の週は終わり、皆は翌日エルサレムに出発する準備をした。
西暦27年1月19日、その週の最初の日、イエスと12 人の使徒は、ベスサイダ本部からの出発準備をした。4月に過ぎ越し祭りの饗宴の出席のため4 月にエルサレムまで行く、そして、それはヨルダン渓谷経由の予定であるという以外、かれらは、あるじの計画について何も知らなかった。使徒の家族や弟子の中の幾人かが、別れを告げ、そして、皆が始めようとしている新しい仕事での成功を祈るためにやってきたので、正午近くまでゼベダイの家を出立しなかった。
去る直前、あるじの行方が分からず、アンドレアスが探しに出かけた。短い探索の後、かれは、岸辺に座り涙しているイエスを見つけた。あるじが嘆き悲しんでいるように見えたり、重大な問題に没頭している瞬間を12 人はしばしば目にしてきたことだが、誰も、彼が泣くのを見たことはなかった。アンドレアスは、あるじがエルサレムへの出発の宵にこのように動じているのを見ていささか驚き、あえてイエスに近づいて尋ねた。「この素晴らしい日に、あるじさま、父の王国を宣言するためエルサレムに出発しようとする時に泣かれるのは何故ですか。我々の誰が怒らせたのですか。」イエスは、12 人と合流するためアンドレアスと戻りながら答えた。「君等の誰も私を悲しませてはいない。ただ父のヨセフの家族の誰も道中の安全を述べに来ることを忘れていたのが悲しいだけだよ。」このとき、ルースは、ナザレの兄ヨセフを訪問中であった。家族の他の者は、傷ついた気持ちのせいで、誇り、失望、誤解、それに心の狭さからくる憤りに溺れ、遠ざかっていた。
カペルナムはティベリアスから遠くなく、イエスの名声は、ガリラヤ全土と、その先の地域にさえ広がり始めた。イエスは、ヘロデがすぐ自分の仕事に注意し始めるのが分かっていた。それ故、使徒と南へ、そしてユダヤへと旅するのが良いと考えた。100 人以上の信者の一隊が共に行くことを望んだが、イエスは、彼らと話し、使徒集団に伴いヨルダン川を下りて行かないように懇願した。信者らは、後に残ることに同意したものの、彼らの多くは、数日内にあるじの後に続いた。
初日イエスと使徒は、タリヘアまで旅しただけで、その夜はそこで休んだ。翌日、ヨハネが約1 年前に説教し、イエスが洗礼を受けたペラ近くのヨルダン川の地点に進んだ。かれらは、ここに教えたり説教をしたりで2 週間余り留まった。1 週目の終わりまでには、数百人が、イエスと12 人が寝起きしている場所近くの野営地に集まり、そして、かれらは、ガリラヤ、フォイニキア、シリア、デカーポリス、ペライア、ユダヤから来たのであった。
イエスは公への説教をしなかった。アンドレアスは、群衆を分け、説教者を午前と午後の集会に割り当てた。夕食後、イエスは、12 人と話した。かれは、新しいことは何も教えず、以前の教えの復習だけをし、また多くの質問に答えた。その中の1 晩、この場所近くの丘で過ごした40日間について12 人に話した。
ペライアとユダヤから来た人々の多くは、ヨハネによる洗礼を受けて、イエスの教えについて一層の興味を持っていた。使徒は、ヨハネの説教をどんな形であれ損なうことがなく、今回は新しい弟子にさえ洗礼をしなかったので、使徒は、ヨハネの弟子への教えにおいて多く前進した。ところが、イエスが、もしヨハネの発表通りの者であるならば、彼が獄舎から救い出すための何もしないということは、ヨハネの追随者には常に躓きの石であった。ヨハネの弟子は、イエスがなぜ彼らの敬愛する指導者の残忍な死を防止しないのかについて決して理解することができなかった。
くる夜もくる夜も、アンドレアスは、洗礼者ヨハネの追随者と円満に暮らしていくきめ細やかで難しい課題を仲間の使徒に慎重に教授した。イエスの公の奉仕のこの最初の年に、彼の追随者の3/4人以上は、以前にヨハネの後を追い洗礼を受けていた。西暦27年のこの年全体は、事無くペライアとユダヤでのヨハネの仕事の引き継ぎに費やされた。
かれらがペラを去る前夜、イエスは、使徒に新しい王国に関して更なる指示を与えた。あるじは言った。「君等は、来たる神の王国を探すことを教えられてきた。そして、今、私は、この長く待ち望まれた王国が真近であると、そしてそれが、すでにここに、我々の真っ只中にあるとさえ知らせて来た。あらゆる王国には、王座に着き、領土の法律を布告する王がいなければならない。そして、君等は、救世主がダーヴィドの王座にいる地球のすべての民族の上のユダヤ国家の賛美された支配として、また全世界の法律を発布しているこの奇跡の権力の場所から天の王国の概念を発達させてきた。しかし、我が子よ、君等は信仰の目で見ず、精霊の理解力でも聞いてはいない。私は、天の王国は、人の心の中での神の支配の実現と認識であると宣言する。この王国に王がいるというのは本当である。そして、その王は、我が父であり君の父である。我々は実に彼の忠臣であるが、彼の息子であるという超越していく真実こそがその事実をはるかに超える真実である。私の人生において、この真実は、すべての者に明らかにされるのである。また、我々の神は、王座に座ってはいるが、人が手で作った物ではない。無限者の王座は、天国の中の天国の父の永遠の居住地域である。かれは、宇宙の中の宇宙に万物を満たし、法を宣言する。そして、父は、人間の魂の中で生きるために送った霊により地球の子等の心の中でも支配する。
この王国の忠臣であるとき、君は、いかにも宇宙の支配者の法律を聞かされる。しかし、私が宣言しに来た王国の福音のために、君が、息子としての自分を信仰によって発見するとき、今後君は、全能の王の法に服従する生物として自分を見るのではなく、愛する、また神性の父の特権のある息子として見る。誠に、誠に、私は言おう。父の意志が人の法律であるとき、人はほとんど王国にはいない。しかし、父の意志が本当に人の意志になるとき、それにより、人の中に王国が確立された経験となるからであるから、人は実際には王国にいるのである。神の意志が人の法であるとき、人は気高い従属臣下である。しかし、人が、神の息子の資格のこの新しい福音を信じるとき、父の意志は、人の意志となり、人は、神の自由な子の高い位置に、王国の解放された息子にと高められる。」
使徒の何人かは、この教えの何かを掴んだが、誰とても、おそらくジェームス・ゼベダイの他は、この途轍も無く重大な発表の重要性の全体を理解しなかった。だが、これらの言葉は、全員の心に根づき、後年の奉仕の仕事を充実させるようになった。
あるじと使徒は、3週間程アマススの近くに留まった。使徒は、1日2回、群衆への説教を続け、イエスは、各安息日の午後に説教した。水曜日の息抜きの時間を持ち続けることは、不可能になった。したがって、安息日の礼拝中は、全員が任に着くとともに、残る6日間で2 人ずつが休息をとるべく、アンドレアスが手配した。
ペトロス、ジェームス、ヨハネは、公ヘの説教の大部分をし、フィリッポス、ナサナエル、トーマス、シーモンは、対人的な仕事を多くし、特別な照会者の団体のための授業を行なった。アンドレアス、マタイオス、ユダは、各々に宗教の仕事もかなりしたのだが、3人で一般的な経営委員会へと発展させていく一方で、双子は、一般的な取り締まりの指揮を続けた。
アンドレアスは、ヨハネの弟子とイエスの新しい弟子との間に絶えず再発する誤解とくい違いを調節する任務につねに忙しかった。深刻な状況が数日ごとに起こるのであったが、アンドレアスは、使徒仲間の援助で少なくとも一時的に争い合う連中をなんとかある種の合意に導くことができた。イエスは、これらのどの合議の参加も拒否し、またこれらの問題に対する適切な調整に関するいかなる忠告も与えようとしなかった。使徒がいかにこれらの複雑な問題を解決すべきか1 度として提案を申し出なかった。アンドレアスがこれらの質問をしに来ると、イエス、いつも言うのであった。「主人役が、客の家族問題に関わるのは賢明ではない。賢明な親というものは、自分の子供達の些細な口喧嘩に決して一方側に片寄って味方をしない。」
あるじは、使徒と弟子のすべての取り扱いに素晴らしい知恵を示し、また完全な公正さを明示した。イエスは、まことに人間の間のあるじであった。かれは、人格の結合した魅力と力で仲間の人間に大いなる影響を与えた。剛強で、遊牧的で、かつまた住居なしの彼の人生には、微妙に威厳のある影響力があった。彼の威厳ある教え方、明快な論理、推理の力、賢明な洞察、心の注意深さ、無類の平静さ、崇高な寛容性には、知的な魅力と精霊的に引きつける力があった。かれは、淳朴で、凛々しく、正直かつ不敵であった。あるじの風采にはこの肉体的かつ知的な影響のすべてに明らかであるとともに、彼の人格に伴うようになった特徴のそれら精神的な魅力の全て—忍耐、優しさ、従順さ、穏やかさ、謙遜—でもあった。
ナザレのイエスは、誠に強い説得力をもつ人格であった。かれは、知力と精神の要塞であった。その人格は、支持者の間の精霊的に関心を持つ女性達だけではなく、教育があり知性的なニコーデモスや、十字架の警備に配置されあるじが死ぬのを見終えたとき「本当に、これは神の息子であった。」と言った隊長、頑丈なローマ軍人の心をも惹きつけた。また男らしい、無骨なガリラヤの漁師達は、彼をあるじと呼んだ。
イエスについての描写は、最も不運である。キリストのこれらの絵は、若者に悪影響を及ぼした。かれが、芸術家達が一般に表現したような男であったとしたならば、寺院の商人達は、ほとんどイエスの前から逃げなかったであろうに。彼の男らしさには、威厳があった。かれは、立派で、しかも自然であった。イエスは、温和で、和やかで、優しく、親切な神秘主義者としての姿勢をとらなかった。その教えは、感動的に豪快であった。かれは、良く意図するだけではなく、実際に良く為ようと歩き回った。
あるじは、「怠惰な者、夢みる者は皆来れ。」とは決して言わなかった。しかし、何度も、「働く者は皆来れ。そうすれば、休息を与えよう—精神の強さを。」と言った。あるじのくびきは、実に簡単であるにもかかわらず、それを決して押しつけない。あらゆる個人は、自身の自由意志のこのくびきを取らなければならない。
イエスは、犠牲による征服、誇つまり誇りと私心の犠牲を描いた。慈悲を示すことにより、かれは、すべての遺恨、不平、怒り、利己的な力と報復への欲望からの精神的な救出を描こうとした。そして、かれが「悪に抵抗するな」と言うとき、罪を大目にみたり、または仲間に不正をすすめることを意味しないと、彼は後に説明した。かれは、むしろ許しの教え、「人の人格に対する悪行への抵抗、個人の尊厳のその人の感情に対する悪害への抵抗」を意図した。
アマススに逗留中、イエスは、新しい神の概念に関し教えて使徒に多くの時間を過ごした。かれは、再三、神は父であると、全創造の正当な裁判官として彼が後に彼らを裁くとき、彼らに対して用いられるべき罪と悪の記帳係、地球上の間違えている子供に対して損害を与える記帳係に主として従事している有能で最高の帳簿係ではないということを教え、使徒達に感銘を与えた。ユダヤ人は、神をすべての上の王として、国家の父としてさえ長い間、思い描いてきたが、かつて数多くの人間は、個人の情愛深い父としての神の考えを決して抱いたことはなかった。
トーマスの質問「王国のこの神はどなたですか。」に対し、イエスが答えた。「神は君の父であり、宗教—私の福音—は、君が、彼の息子であるという真実の認識を信じること以外の何ものでもない。そして、私の人生と教えにおいてこの両方の考えを明らかにするために、私は、実際にあなたの間のここにいる。」
イエスはまた、宗教義務として動物の贄を捧げる考えから使徒の心を解放しようとした。しかし、日々の供え物の宗教で訓練されたこの男性達は、イエスの意図の理解に時間が掛かった。それでも、あるじは、その教えにおいて飽きることはなかった。1 つの具体例によって使徒全員の心に達することができないとき、かれは、明確にする目的で趣意を言い直し別の種類の寓話を用いるのであった。
この同じ時にイエスは、「苦しむ者を慰め病む者を世話すること」の任務に関し、さらに詳しく12人に教え始めた。あるじは、全人間—個々の男性または女性を形成する体、心、精霊の統合—について多く教えた。イエスは、仲間が遭遇するであろう3 つの形の苦悩について話し、人間の病の悲しみに苦悩する全ての者に対しどのように奉仕すべきかを説明し続けた。彼らに以下の事を認識することを教えた。
1. 肉体の病気—一般に身体の病気と考えられているそれらの苦悩
2. 悩む心—後に感情的かつ精神的な撹乱として見られていたそれらの非身体的苦悩
3. 悪霊の憑依
イエスは、その時代に、しばしば汚れた霊とも呼ばれたこれらの悪霊の起源に関する性質や何かを時おり使徒に説明した。あるじは、悪霊の憑依と狂気の違いをよく知っていたが、使徒はそうではなかった。ユランチアの初期の歴史に関する彼等の限られた知識から考えても、イエスが、完全にこの件を理解させることを引き受けることも可能ではなかった。だが、これらの悪霊について暗示しながら、かれは、しばしば言った。「私が天の父の元に昇ったとき、私が自分の精霊をそれ等の時代のすべての者に注いだ後、王国が大いなる力と精霊の栄光に到達するとき、それらは、もう人に危害を加えないであろう。」
週ごと月ごとに、この年を通して、使徒は、病人の治療の奉仕にますます注意を向けた。
アマススでの毎晩の会議の中で最も重大なものの1つは、精霊統一の議論に関するものであった。ジェームス・ゼベダイは、「あるじさま、我々は同じように見て、その結果、我々の間にある調和を楽しむことをどのように会得すればよいのでしょうか。」と尋ねた。この質問を聞くと、イエスは、精神がかき混ぜられ、「ジェームス、ジェームス、同じく見るべきであるといつ私が教えたか」と答えたほどであった。私は、神の前で死すべき者に独創性と個々の自由な生活を送る権限が与えられるように精霊的な自由を宣言するためにこの世に来た。私は、社会的調和と友愛の平和が、自由な人格や精神の独創性の犠牲によって買い入れられることを望まない。私が君等に要求することは、使徒達よ、精霊の統一であり、天の私の父の意志を心からすることを君の結合した献身の喜びにそれを経験することができる。精霊的に同じくあるために、同じく見たり、同じく感じたり、あるいは、同じく考えたりさえする必要はない。精霊的統一は、天の父の精霊の贈り物が君達それぞれに宿っており、ますます支配されていくという意識からくる。使徒としての調和は、各人の精霊の望みが、起源、性格、運命において同じであるという事実から起こらなければならない。
「このように、君たちは、各人の内在する楽園の精霊の同一性の相互意識から成長する精霊目的と精霊理解の完全な統一を経験することができる。そして、君たちは、理性的な考え、気質上からくる感情、社会的な行為の個々の態度の最大の多様性のまさしくその表層においてこの深遠な精神的統一のすべてを楽しむことができる。人格は、爽やかに多様であり、著しく異なっているかもしれないが、一方で、神性崇拝と兄弟愛の精霊的本質と精霊の実りは、一現化されるので、君の生活を凝視する者すべてが、この精霊の同一性と魂の統一を認める保証するかもしれない。君たちが私と一緒にいて、それによって、そして満足に、天の父の意志を如何に為すかということを、彼らは、学んできたと気づくであろう。心、体、魂の本来の資質の手法に応じて、そのような奉仕をする間でさえも、神への奉仕の統一を達成することができる。
「精神の統一は、常に個々の信者の人生において調和すると分かるであろう2 つのことを意味する。まず最初に、君は、人生奉仕のための共通の動機をいだいている。君は全員、何よりも天の父の意志をすることを望んでいる。第2には、人は皆、共通の目標がある。人は皆、天の父を求める目的があり、その結果、彼のようになるということを宇宙に立証する。」
12人の研修中、イエスは、何度となくこの主題に立ち帰った。繰り返し、かれは、彼を信じる人々が、たとえ良い人の宗教解釈によるものでも教義化されたり、規格化されるようになるべきであるというのは、自分の願望ではないと彼らに言った。再三、かれは、使徒に王国に関する福音で信者を誘導し、制する方法として教義の定式化と伝統の体制化を避けるよう注意した。
アマススでの最後の週の終わり近く、シーモン・ゼローテースは、ダマスカスで商業に携わるペルシア人のテヘルマという者をイエスのもとに連れて来た。テヘルマは、イエスについて耳にし、カペルナムに会いに来て、そこで、イエスが使徒とエルサレムへ向かいヨルダン川に沿って行ったと知ったので、探しに出向いたのであった。アンドレアスは、教授のためにテヘルマをシーモンに会わせた。シーモンは、「拝火者」としてペルシア人を見ているが、テヘルマは、火が純然かつ聖なるものに見える象徴にすぎないと説明するのにかなりの苦心をした。イエスと話した後、ペルシア人は、教えを聞き、説教を聞くために数日間残る意志を表した。
イエスと二人きりのとき、シーモン・ゼローテースは、あるじに尋ねた。「私が彼を説得できなかったのは何故でしょうか。私にはそれほどまでに抵抗し、あなたにはとても容易に耳を貸したのは何故でしょうか。」イエスが答えた。「シーモン、シーモン、何かを救済を求める人々の心から取り出すようなすべての努力を控えるように私は何度教えてきたことか。幾度私は、これらの飢えた魂に何かを入れるためだけに働くように言ってきたことか。人を王国に導きなさい。そうすれば、王国の大いなる、また生きる真実が、やがて、すべての重大な誤りを追い出すであろう。君が、神は父であるという良い知らせを人間に提示したとき、彼が本当に神の息子であるということを彼により簡単に説き伏せることできる。そして、君は、それをし終えることにより暗闇に座るものに救済の光を持って来たのである。シーモン、人の息子が、君たちのところに最初に来たとき、モーシェと予言者を非難して、そして、新しくより良い生き方を宣言して来たか。いや、私は、人が祖先から得たものを持ち去るのではなく、祖先が一部だけ見たもののその完成された展望を示しに来た。シーモン、王国についての教えを説きに行きなさい。そして、君が、王国内に安全に確実に一人の人間を伴っているとき、そしてそのような者が、君のもとに質問に来るとき、その時こそが、神の王国の内で魂の漸進的進歩と関係づける指導を与える時である。」
シーモンは、これらの言葉に驚いたが、イエスの命じた通りにした。そして、このペルシア人テヘルマは、王国に入った人々の数のうちに数えられた。
その夜、イエスは、王国の新しい人生について使徒に語った。その一部「王国に入るとき、人は生まれ変わっている。君達は、肉体だけが生まれ変わった者には精霊の深いものを教えることはできない。最初に、精霊の高度な道を教えようとする前に人が精霊的に生まれ変わっているかを見定めよ。まず寺院に連れて入るまで、人に寺院の美しさを示そうとしてはいけない。君は神の父性と人の息性との教義について話す前に、人を神の息子として神に紹介せよ。人と争うではない—つねに忍耐強くあれ。それは、君の王国ではない。君は大使にすぎない。単に宣言をしに旅立ちなさい。これは、天の王国である—神は君の父であり、君はその息子である。そして、この朗報は、心からそれを信じるならば、君の永遠の救済である。」
使徒は、アマススでの滞在中、大きく前進した。しかし、イエスがヨハネの弟子の扱いに関し提案を与えないことにとても失望していた。洗礼の重要な件に関してさえ、イエスが言った全ては、次の通りであった。「ヨハネは、確かに水で洗礼したが、天の王国に入るとき、君達は精霊者で洗礼されるのである。」
2月26日、イエス、使徒、追随者の大集団は、ヨハネが来たるべき王国の宣言を最初にした場所のベサニアの近くの浅瀬のペライアに向けてヨルダン川を旅した。イエスと使徒は、ここに留まり、エルサレムへ進む前の4 週の間、教育と説教をしていた。
ヨルダンの先のベサニア滞在の2週目、イエスは、3日間の休息のためにペトロス、ジェームス、ヨハネを連れて川向こうの、そしてイェリーホの南の丘に行った。あるじは、3人に天の王国に関する多くの新しく高度な真実を教えた。この記録の目的のために、我々は、次のようにこれらの教えを再編成し、分類する。
イエスは、弟子達が王国のみごとな精霊の現実を味わい、人間が弟子達の生活を見ることにより、王国を意識するようになり、そこから、王国の道に関心をもつ信者達の世界に住むようになるということを強く望むと分からせようとした。その永遠で、神々しい精霊の現実で王国への入国を保証する信仰の贈り物の喜ばしい知らせを聞くことは、全てのそのような誠実な真実の探求者には常に嬉しいことである。
あるじは、王国に関する福音の全教師の唯一の仕事は、個々の人間に彼の父として神を明らかにすること—この個々人が息子としての意識をもつようになるよう導くこと—であると、そして、その信仰をもつ息子としてこの同じ人間を神に紹介することを彼等に銘記させようとした。この不可欠な双方の顕示が、イエスに達成されている。かれは、本当に、「道、真実、命」となった。イエスの宗教は、完全に地球での彼の贈与の人生生活に基づいた。イエスがこの世を去って行くとき、個人の宗教生活に影響する本も、法も、あるいは人間組織の他の形式も後には残さなかった。
イエスは、他の全ての人間関係よりも永遠に優先すべき人間との個人的かつ永遠の関係を樹立するために来たのだということを明らかにした。そして、かれは、この親密な精霊的親交は、全世代、全民族の間の全社会的条件におけるすべての人々に拡大されることになっていると強調した。彼が子供等に約束した唯一の報酬は次の通りであった。現世においては—精霊的な喜びと神の交わり。来世においては—楽園の父に属する神性の精霊現実の進展における永遠の命。
イエスは、王国に関する教えの最重要の2つの真実を大いに強調した。それは、つぎの通りである。真実の真摯な認識を通して、人間の自由達成のための画期的教育に関連づけられる信仰による、信仰のみによる救済の達成である。「人は、真実を知り、そして、真実は人を自由する。」イエスは、物質的に現された真実であり、天の父の元への帰還後に、自分のすべての子供の心の中に真実の聖霊を送ると約束した。
あるじは、地球上の全ての時代のために、使徒に真実の要点を教えていた。かれらは、実際は彼の言うことが他の世界の感化や啓発を目的とした教えを、しばしば聞いた。かれは、人生の新しく独創的な計画を例示した。、人間の見地から、かれは、本当にユダヤ人であったが、領域の死すべき者として全世界のためにその人生を送った。
王国計画の展開における父の認識を保証するために、イエスは、「地球の偉人」を意図的に無視したと説明した。かれは、貧しい者達、つまり先行する時代の大部分の進化の宗教によって甚だ無視されてきたまさにその階級の中で自分の仕事を開始した。かれは、人を軽蔑しなかった。彼の計画は、世界規模であり、宇宙規模でさえあった。かれは、これらの発表において非常に大胆で断固としていたので、ペトロス、ジェームス、ヨハネでさえ、彼がことによると気が狂っているかもしれないと考えたくなるほどであった。
かれは、小数の地球の被創造者のために模範を示すためではなく、彼の全宇宙の中の全世界の全民族のために人間生活の基準を確立し、示すためにこの贈与任務についたという真実を使徒に穏やかに伝えようとした。そして、この基準は最も高い完全さに、宇宙なる父の究極的善にさえ働きかけた。しかし、使徒は、彼の言葉の意味を理解することができなかった。
かれは、師として、物質的な心に精霊の真実を提示するために天から送られた教師として機能するために来たのだと発表した。そして、これは、まさしく彼がしたことである。かれは伝道者ではなく教師であった。人間の観点から、ペトロスは、イエスよりはるかに効果的な伝道者であった。イエスの説教は、思わずつり込まれる雄弁さ、あるいは感情に訴えるという理由では余りなく、無比の人柄故にとても効果的であった。イエスは、直接人の魂に話した。かれは、人の精神の、だが心を通しての教師であった。かれは、人と共に生きた。
イエスは、地球での彼の仕事は、ある点に関して、「高いところにいる仲間」の委任によりすなわち、楽園の兄弟、イマヌエルの前贈与の指示に言及して、制限されるということをピーター、ジェームス、ヨハネに仄めかした。父の意志を為すため、父の意志のみを為すために来たということを告げた。このようにして心からの目的への専念に動機づけられていたので、世界の悪に思い悩み苦しんではいなかった。
使徒達は、イエスの気取らない友情を認識し始めていた。あるじは、近づき易くはあったが、いつもすべての人間から独立し、すべての人間の上に生きていた。一瞬たりとも、単なるどういった人間の影響、あるいは脆い人間の判断に支配されなかった。世論に全く注意を向けなかったし、称賛に影響されなかった。滅多に誤解を正すためや、または誤伝に憤慨するために止まらなかった。どんな人にも決して忠告を求めなかった。自分の為に祈ることを決して要求しなかった。
イエスがいかに始めから終わりまで見えているように思えてジェームスは驚いた。あるじは、驚いているようには滅多に見えなかった。決して興奮もせず、困りもせず、また混乱もしなかった。どんな人にも決して謝らなかった。時には悲しんだが、決して挫折しなかった。
神の全贈与にもかかわらず、結局イエスは人間であると、より明確にヨハネは、認めた。イエスは、人として人の中に生き、人を理解し、愛し、また人の扱い方を知っていた。個人的な人生においては、非常に人間的であり、しかも欠点なぞなかった。その上、いつも寡欲であった。
ピーター、ジェームス、ヨハネは、イエスがこの時に言ったことをあまり理解することはできなかったが、その優しい言葉は心の中に残り、また磔刑と復活後、かれらは、後の彼等の聖職活動を大いに豊かにし、晴れやかにした。かれらが、あるじの言葉を完全理解しなかったというも不思議ではない。かれが、新時代の計画を使徒に映し出していたのであるから。
ヨルダンの先のベサニアでの4 週間の滞在を通して、アンドレアスは、使徒の二人組を毎週何度か、1日または2日間イェリーホに行くように命じるのであった。ヨハネには、イェリーホに多くの信奉者がおり、その大多数が、イエスと使徒達のより先進の教えを歓迎した。これらのイェリーホ訪問の際、使徒は、とりわけ病人にイエスの教えを聖職活動に当てはめて実行し始めた。彼らは、都市のあらゆる家を訪問し、あらゆる苦しめられている人を慰めようとした。
使徒は、イェリーホで若干の公の仕事をしたが、彼らの努力は、 より静かで個人的性質のものであった。そのとき彼らは、王国に関する朗報は病人にとって非常に元気づけるもの、自分達の言葉が苦しめられている者にとり癒しであることが分かった。そして、王国の喜ばしい知らせを説き、苦しめられている者への聖職活動という12人のイエスからの任務が最初に完全な効果をみたのは、イェリーホであった。
彼らは、エルサレムへの途中イェリーホに立ち寄り、イエスと協議するために来ていたメソポタミアからの代表団に追いつかれた。使徒は、ここで1日だけ過ごす計画であったが、東洋からのこれらの真実探求者が到着すると、イエスは、彼らと3日間を過ごし、真実探求者は、天の王国の新たな真実に関する知識に満足し、ユーフラテス川沿いのそれぞれの家に戻った。
月曜日に、3月の最後の日、イエスと使徒は、エルサレムへの旅に向かい丘へと登り始めた。ベサニアのラーザロスは、イエスに会いに二度ヨルダンまで行ったことがあり、あるじと使徒がエルサレムに留まることを望む限り、ラザロとその姉達は、本部作りのためにあらゆる手筈をとっていた。
ヨハネの弟子達は、群衆に教え洗礼し、ヨルダンの先のベサニアに滞在していので、ラザロの家に到着したとき、イエスは、12 人だけを従えていた。ここで、イエスと使徒は、5 日間留まり、過ぎ越しの祭りのためにエルサレムに進む前に元気を取り戻した。弟の家にあるじとその使徒を受け入れるということは、そこで彼らの必要を満たせることができ、マールタとマリアの人生でのすばらしい出来事であった。
4月6日、日曜の朝、イエスと使徒は、エルサレムに出掛けて行った。そして、これは、あるじと12 人全員がそこに一緒に居た最初であった。
4月、イエスと使徒は、エルサレムで働き、毎夕ベサニアで夜を過ごすために都を出ていた。イエス自身は、エルサレムのギリシア系ユダヤ人、フラーヴィオスの家で毎週1 晩か2 晩を過ごし、そこには、多くの著名なユダヤ人が、彼との会見のために秘かにやって来た。
エルサレムでの初日、イエスは、以前の高僧で、ゼベダイの妻サロメの親類でもある何年か前の友人ハナンジャーを訪問した。ハナンジャーは、イエスとその教えについてずっと聞いており、高僧の家を訪問したときは、イエスは、あまり歓待されなかったた。イエスは、ハナンジャーの冷たさを感じ取ると、早急に立ち去った。去るにあたり、「恐怖は、人の主な奴隷化に追いやるものであり、誇りは、人の大きな弱点である。あなたは、自分をこの喜びと自由の破壊者双方の束縛へと陥れるつもりなのか。」と言った。しかし、ハナンジャーは、返答をしなかった。あるじは、人の息子の裁判で義理の息子と座っている彼を目にするまで、再び会うことはなかった。
この月を通して、イエスか使徒の一人が寺院で毎日教えた。過ぎ越しの祭りの群衆が、寺院での教えのための入り口を見つけることができないほどに膨れあがると、使徒は、神聖区域の外で教える多くの班を受け持った。要旨は、次の通りであった。
1. 天の王国は近い。
2. 神の父性に対する信仰によって、天の王国に入ることができ、その結果、神の息子になる。
3. 愛は、王国の中で暮らすための規律—自分自身を愛するように隣人を愛するとともに神に対する最高の献身である。
4. 父の意志への服従は、個人的な人生において精神の果実をもたらすことは、王国の法である。
過ぎ越し祭りの祝いのために来た群衆は、イエスのこの教えを聞いた。そして、何百人もが朗報に喜んだ。ユダヤ人の主要な聖職者と支配者は、イエスと使徒に非常に関心をもつようになり、彼らをどうすべきか議論し合った。
寺院とその周りで教えること以外に、使徒と他の信者は、過ぎ越し祭りの群衆の中で多くの個人の仕事に従事していた。関心を持つこれらの男女は、イエスの言葉に関する知らせをこの過ぎ越し祭りの祝賀からローマ帝国の最果て、また東洋までも伝えた。これは、王国に関する福音の外の世界への伝播の始まりであった。もはや、イエスの仕事は、パレスチナに閉じ込められてはいなかった。
ジャアコブというクレタからの裕福なユダヤ商人が、エルサレムの過ぎ越し祭に参列しており、イエスに個人的に会いたいと申し入れをし、アンドレアスのところにやって来た。アンドレアスは、イエスとのこの内密の会合を翌晩フラーヴィオスの家でする手配をした。この男性は、あるじの教えを理解することができず、神の王国についてより完全に尋ねたいと望んで来たのであった。ジャアコブがイエスに言った。「しかし、先生、モーシェと昔の予言者達は、ヤハウェが嫉妬の神、大いなる怒りと激しい憤怒の神であると言っています。予言者達は、かれは、悪人を嫌い、法に従わない者に復讐すると言います。あなたと弟子は、あなたがとても近いと宣言している天の王国のこの新しい王国に彼らを歓迎するほどに、神は、すべての人間を愛する優しい情け深い父であることを我々に教えています。」
ジャアコブが、話し終えると、イエスが答えた。「ジャアコブ、きみは、その時代の知識に従ってその世代の子等に教えた昔の予言者達の教えをよく述べた。楽園の我々の神は不変である。しかし、その本質の概念は、モーシェの時代からアモスの時代、さらには予言者イザヤの世代に至るまで拡大し、成長してきた。そして、今私は、新しい栄光で父を明らかにし、すべての世界のすべての人に父の愛と慈悲を指し示すために生身の姿で来たのである。生気と善意のその言葉で世界中のすべての人にこの王国の福音が広がっていくとき、万国の家族の中に改善されたより良い関係が育つであろう。時間が経過するにつれ、父親とその子等は、より互いを愛し、その結果、天の父の子への愛に対しさらに良い理解をもたらすであろう。心しなさい、ジャアコブ。良い、そして本物の父というものは、家族を一纏まりとして—一家族として—愛するだけではなくて、家族の個々人を本当に愛し、愛情を込めて気にかけているのである。」
天なる父の特質に関するかなりの議論の後、イエスは、息をついで言った。「ジャアコブ、子だくさんの父であるから、きみは、私の言葉の真実がよく分かっている。」そこで、ジャアコブが言った。「しかし、あるじ様、私が6人の子の父であると誰が言いましたか。どうしてこれを知ったのですか。」そこで、あるじが答えた。「父と息子は、すべてのことを知っていると言うだけで十分であろう。彼等は本当にすべてを見るのであるから。地球で父として自分の子供を愛する君は、今、自身のために天なる父の愛を現実のものとして受け入れなければならない—アブラーハムの全ての子供のためだけでなく、君のために、君の一個人の魂のために。」
そこでイエスは続けた。「子供が非常に幼く、未熟であるとき、そして制裁しなければならないとき、子供は、父が立腹し恨みの憤怒に満ちていると思うかもしれない。彼らの未熟さは、父の明敏で正しくしようとする愛情を弁え罰を見破ることができない。しかし、この同じ子供等が、成人の男女になるとき、彼等が、父に関対して、この早期の誤った考えに執着することは、愚かではなかろうか。成人した男女として、今や、このすべての初期の躾における父の愛について明察すべきである。何世紀もが移り去ると共に、人類は、天の父の真の本質と愛する特質をより理解するようになるべきではないか。モーシェと予言者が、見たような神を見ることに固執するのであれば、精霊的啓発の続く世代からどんな利益が得られるのか。ジャアコブ、お前に言おう。この時間の明るい光の下で、過去の誰とて見たことのない父が、君には見えるはずである。そうして彼に会い、きみは、そのような慈悲深い父が統治する王国に入ることに歓喜すべきであり、その後は彼の愛の意志が自分の人生を支配するよう追い求めるべきである。」
そこで、ジャアコブが答えた。「先生、信じます。私を父の王国に導いてくれることを望みます。」
12人の使徒は、(彼等のほとんどが、この神の特質の議論を聞いていた。)その夜、イエスに天の父について多くの質問をした。これらの質問に対するあるじの答えは、現代の言い回しで次の概要により最も良く提示される。
イエスは、大まかな内容で穏やかに12人を叱責した。君たちは、ヤハウェの理念の発展に関連するイスラエルの伝統を知らないのか。また、神の教義に関する聖書の教えに無知であるのか、と大まかな内容で。そして、あるじは、ユダヤ民族の進化過程の中での神格の概念の進化について使徒への訓示に進んだ。神の理念の次の発達段階に注意を促した。
1.、ヤハウェ—シナイ一族の神。これは、モーシェがイスラエルの神なる主のより高い段階にまで高揚させた神の原始の概念であった。神格の概念がどんなに粗雑であろうが、あるいは、いかなる名前でその神性の本質を象徴しようが、天の父は、決して地球の子等の誠実な崇拝の受け入れに失敗しない。
2. いと高きもの。天の父のこの概念は、メルキゼデクがアブラーハムに示し、後にこの拡大し発展した神の理念を信じた人々がシャレムから遠くへと伝えた。アブラーハムとその弟は、太陽崇拝の確立のためにウールを去り、メルキゼデクのエル・エリョン—いと高き神—の教えの信者となった。彼等のものは、古いメソポタミアの考え、そして、いと高きものの教義の混合からの神の合成概念であった。
3. エル・シャッダイ。初期の間、ヘブライ人の多くは、ナイル地方での捕われの身の間に学んだエジプト人の天の神の概念であるエル・シャッダイを崇拝していた。メルキゼデクの時代からずっと後、神のこれら3つの全概念は、創造者の神、イスラエルの神なる主の教義形成のために結びつけられるようになった。
4. エロヒーム。アダムの時代から、楽園の三位一体の教えは、持続した。聖書が、「初めに、神々が天地を創造した」と主張して始まっているのを思い出さないか。これは、その記録がなされたとき、3 柱の神が一つであるという三位一体概念が、我々の先祖の宗教に位置を見出してていたことを示している。
5. 最高のヤハウェ。イェシャジャの時代までには、神に関するこれらの信念は、同時に全能であり、全く慈悲深いという宇宙の創造者の概念へと拡大していった。そして、我々の父の宗教の中で、この進化し、拡大する神の概念は、事実上以前のすべての神格の理念に取って代わった。
6. 天の父。 さて、我々は、天の父として神を知っている。我々の教えは、信者が神の息子であるところの宗教を提供する。それは、天の王国の福音に関する朗報である。息子と聖霊は、父と共存しており、これらの楽園の神格の本質と聖職活動の顕示は、神の上昇する息子達が永遠の精霊的進歩の無限の時代を通して拡大し輝き続けるであろう。すべての時代とすべての世代において、いかなる人間の真の崇拝—個人の精霊的進歩に関する—は、天の父に与えられる敬意として内在する霊に認識される。
使徒は、前の世代のユダヤ人の心の神の概念の発展に関するこの詳述を聞いたほどには、かつてそのように衝撃を受けたことはなかった。かれらは、質問ができないほどにうろたえていた。イエスの前に皆が黙して座ると、あるじが続けた。「そして、聖書を読んだことがあるならば、これらの真実は知っていたであろう。サムエルの中でこう言っているのを読んだことはないのか。『そして、主の怒りは、イスラエルに対して燃え上がり、イスラエルとユダの人口を数えよ、と言ってダーヴィドを動かすほどであった。』と。また、サムエルの時代には、アブラーハムの子等は、ヤハウェが、善、悪の両方を作ったと本当に信じたので、これは不思議ではなかった。ところが、後の筆者が、神の本質に対するユダヤ人の概念の拡大後においてこれらの出来事を述べるとき、悪をヤハウェへの所為にする勇気がはなかった。したがって、彼は言った。『さて、魔王は、イスラエルに立ち向かい、ダーヴィドを挑発して、イスラエルの人口を数えさせた。』聖書でのそのような記録が、1 世代から次世代へと神の本質の概念がどのように発展し続けたかについてあきらかに示しているのが、君達は認識できないのか。
「一方、君達は、神性のこれらの拡大していく概念を完全に維持していくことにおいて神の法の理解の発達について明察すべきであった。イスラエルの民が、ヤハウェの拡大した顕示の前の時代にエジプトから脱出して来たとき、彼らには、シナイを目前にして野営するときまでまさに法律として用いられた十戒があった。これらの十戒は、次の通りであった。
「1.他のいかなる神も崇拝してはならない、なぜならば、主は嫉妬深い神である。
「2. 偶像を作ってはいけない。
「3. 種を入れないパンの祭りを守ることを怠ってはならない。
「4. 人間の息子であれ、家畜の雄であれ、初子は私のものであると主が言われる。」
「5. 6日間働いてよいが、7日目は安息せよ。
「6.最初の実と年の終わりの収穫祭を行なわなければならない。
「7. 生贄の血を種を入れたパンに添えて捧げてはいけない。
「8. 過ぎ越し祭りの祝宴の生贄は朝までおいてはいけない。
「9. 土地でできた初収穫の1番最初の実をあなたの神である主の家に持って来なければならない。
「10.子ヤギをその母の乳で煮てはならない。
そして、次に、モーシェは、シナイの雷と稲妻の中で、君達全員が、神格の拡大しているヤハウェの概念に伴うより価値のある発言であると同意するであろう新しい十戒を与えた。そして、これらの戒律が聖書に2度記録され、エジプトからの解放が、安息日の遵守の理由として割り当てられるという最初の場合であり、後の記録においては、我々の祖先の発展する信仰が、安息日の遵奉の理由として創造事実の認識に変えられることを要求したということに決して注意を払わなかったのか。
そして、君達は、これらの10 条の否定的な戒律—イザヤの時、より優れた精霊的な啓蒙において—は、優れた肯定な愛の法、つまり、この上なく神をそして隣人を自分自身のように愛する命令に変えられたことを再び思い出すであろう。そして、私は、神と人に対する愛のこの最高法こそが、人の全責務を構成するとも明言しておこう。」
話し終えたとき、誰も彼に質問をしなかった。皆は、それぞれ眠りについた。
ギリシア系ユダヤ人のフラーヴィオスは、割礼も施されず、洗礼もされていない改宗者であった。かれは、芸術と彫刻美の愛好家であったので、エルサレムに滞在の際の家は、美しい建築物であった。この家は、世界旅行の際にあちこちで集めた極めて貴重な宝物で絶妙に飾られていた。イエスを家に招待することを最初に考えたとき、かれは、あるじがこれらのいわゆる偶像を見て怒るかもしれないと恐れた。しかし、イエスが家に入ったとき、家のあちこちに置かれたこれらの偶像崇拝物と言われるものの所持を非難する代わりに、かれは、フラーヴィオスが、好きな像のすべてを示して部屋ごとに案内していると、全ての収集物に大きな関心を明らかにして、各々の品物について多くの鑑賞眼のある質問をしたことに、フラーヴィオスは、快く驚かされた。
あるじは、亭主が芸術に対する彼の好意的な態度に当惑するのを見た。したがって、全体の収集を見終えたとき、イエスが言った。「父により創造され、人の芸術的な手により形成されたものの美を鑑賞するという理由で、なぜあなたは避難されると思わなければならないのか。モーシェがかつて、偶像崇拝と誤りの神の崇拝と闘おうとしたという理由で、なぜ全ての人が、優雅さと美の再生に難色を示さなければならないのか。フラーヴィオス、モーシェの民は、彼を誤解し、今では、天地の事物に似せたものや、偶像や画像の彼が禁止さえしている誤りの神々を作っているのだよ。だが、たとえモーシェが、そのような制限をその頃の陰った心に教えたとしても、天の父が宇宙全体の聖霊支配者として明らかにされる今日、それが一体何の関係があろうか。そして、フラーヴィオス、来たる王国では、『これを崇拝するな、あれを崇拝するな』とは、もはや教えないと、私は宣言する。もはや、これを慎んだり、あれをしないようにと注意の命令を心配せず、むしろすべての者が、1つの最高責務に関心をもつのである。そして、人のこの責務は、2つの大きな特権、すなわち無限の創造者、楽園の父への心よりの崇拝、そして仲間の人間へ授与される情愛深い奉仕で言い表される。自身を愛するが如く隣人を愛するならば、それは、神の息子であることを本当に知ったいるのである。
父がよく理解されなかった時代には、モーシェの偶像崇拝に抵抗する試みは正当化されたが、来たる時代においては、父は息子の人生の中で明らかにされであろう。そして、この神の新しい顕示は、創造の父を石の偶像や金銀の画像と混同することを永久に不要とするであろう。今後、賢明な人間は、そのような美の物質的鑑賞と楽園の父、万物の神と混同することなく芸術の宝物を楽しむかもしれない。」
フラーヴィオスは、イエスが教えたすべてを信じた。その翌日、かれは、ヨルダン川の先のベタニアに行き、ヨハネの弟子達に洗礼を施された。これをしたのは、まだイエスの使徒が信者達への洗礼をしていなかったからであった。フラーヴィオスは、エルサレムに戻ると、イエスのために立派な宴を設け、友人60 人を招待した。そして、これらの客の多くが、来たるべき王国の知らせの信者となった。
イエスがこの過ぎ越し祭りの週に寺院で説いた際だった説教の1つは、聴衆の一人、ダマスカスからの男性の質問への答えにあった。この男性はイエスに尋ねた。「しかし、先生、あなたが神によって送られ、また、あなたとあなたの弟子が真近にあると宣言するこの王国に本当に入れるという確実性を、我々は、どのように知るのでしょうか。」そこで、イエスが答えた。
「私の言葉と弟子の教えに関しては、その実で判断すべきである。我々が精霊の真実を宣言するならば、君の心の精霊は、我々の言葉が本物であることを目撃するであろう。王国と、天なる父による受諾の確信に関しては、息子を家族や父の心の情愛に関し心配させたり、はらはらさせる状況に置くのと、それとも安心できる場所に保つのとでは、君達の間のどんな父親が、相応しく情け深いかを聞かせてもらおう。君達の地球の父は、君達の人間の心の彼等に対する永続的な愛に関し、自分の子供を不安な状態において拷問することを楽しむであろうか。天の君達の父もまた、王国での彼らの位置に関して、精霊の忠実な子等を疑わしい不安の状態に放っては置かない。神を父として受け入れるならば、それで事実上、君達は、実際に神の息子なのである。そして、息子であるならば、そこで、君達は、永遠の、また神の息性に関係するすべての位置と地位が確かなものとなる。私の言葉を信じるならば、私を送った神を信じることになり、また、このように父を信じることにより、天の市民権を確かにしたのである。天の父の意志を為すならば、君達は、神の王国における永遠の進歩の命の達成において決して失敗しないのである。
「崇高なる聖霊は、君達が確かに神の子であるということを君達の精霊と共に目撃するであろう。そして、神の息子であるならば、それで、君達は、神の精霊の生まれなのである。また、神の精霊の生まれのものは誰でも、すべての疑問に打ち勝つ力を備え持っている。そして、これこそが、すべての不安を克服する勝利であり、信仰でさえある。
「今の時代に言い及んで、予言者イェシアジァが言った。『精霊が上から我々に注がれると、そこで義の業は、永遠に平和、平穏、確信をもたらす。』そして、この福音を本当に信じるものすべてにとり、私は、父の王国での永遠の慈悲と永続する命の受け入れの身元引受者となるであろう。君は、この言葉を聞き、王国に関するこの福音を信じる者は、その時に、神の息子である。そして、君君達には永続する命がある。また、君達が霊の生まれであるという全世界への証しは、君達が、心から互いを愛しているということである。」
聞き手の群衆は、何時間もイエスと共にいて、質問したり、元気づける答えを注意深く聞いた。使徒さえ、イエスの教えによりさらに多くの力と確信で王国の福音を説くことを励まされた。エルサレムでのこの経験は、12 人への格段の刺戟であった。そのような巨大な群衆との初めての接触であり、その後の仕事において素晴らしい助力となる多くの貴重な教訓を学びとった。
ある晩フラーヴィオスの家に、ニコーデモスというユダヤ系サンヘドリンの裕福で初老の会員が、イエスに会いに来た。かれは、このガリラヤ人の教えについて多くを聞いており、そこで、かれは、イエスが寺院の中庭で教えていたので、ある午後その声を聞きに行った。かれは、イエスが教えるのを度々聞きに行ったことであろうが、教えに出席している人々に見られることを恐れ、と言うのも、すでに、ユダヤの支配者達は、イエスと甚だ相違していたので、サンヘドリンの会員は、公然と彼と同一視されたくなかったのである。従って、ニコーデモスは、個人的に、またこの特定の夕方の日の落ちた後にイエスに会うことをアンドレアスと打ち合わせておいた。面談が始まった時、ペトロス、ジェームスとヨハネは、フラーヴィオスの庭にいたが、後に会話が続けられている家の中に入っていった。
ニコーデモスを迎えるに当たり、イエスは、特別の敬意を示さなかった。彼と話す際、妥協または過度の説得力も見せなかった。あるじは、秘密主義の訪問者に対し嫌悪感を与えようとも、皮肉も用いなかった。著名な訪問者とのすべてのやりとりにおいて、イエスは、穏やかで、熱心かつ荘厳であった。 ニコーデモスは、サンヘドリンの公式の代表者ではなかった。かれは、完全に個人的に、また心からのあるじの教えへの関心故に、イエスに会いに来たのであった。
フラーヴィオスに紹介されると、ニコーデモスが言った。「先生、神が共にいない限り、一介の人間がそのようには教えることができないのですから、我々には、あなたが神によって送られた師であることが分かります。だから私は来たるべき王国についてあなたの教えをさらに知りたいのです。」
イエスは、ニコーデモスに答えた。「実に、実に言っておく、 ニコーデモス。天からの生まれでない限り、人は神の王国を見ることはできない。」その時、 ニコーデモスが「しかし、年老いて人は、どのように生まれ変われるのですか。もう一度、母の子宮に入ることはできません。」と応じた。
イエスは言った。「それでも、精霊の生まれの人間を除き、人は神の王国を見ることはできない、と宣言する。肉から生まれるものは肉であり、精霊から生まれるものは精霊である。だが、私が上から生まれなければならないと言ったからといって、驚嘆すべきではない。風が吹くと葉の擦れる音を聞くが、風は見えない。— どこから吹いてくるのか、もしくは、どこへ吹いて行くのか—霊の生まれの誰も、そうである。君は、肉の目で精霊の顕現を見ることはできるが、実際に霊を明察することはできない。」
ニコーデモスが答えた。「でも、分かりません—それはどういうことでしょう。」イエスは、「イスラエルの教師であるというのに、これに関して全く無知であるとは。物質界の現れだけを見分ける人々に、これらのことを明らかにすることは、精霊の現実を知る人々の義務となる。しかし、我々が天の真実について告げるとして、あなたは我々を信じるであろうか。ニコーデモス。天から降りてきた者を、人の息子をさえ信じる勇気があるのか。」と言った。
そこで、 ニコーデモスが言った。「しかし、王国に入るに備え、私を作り変えるこの精霊をいかに掴み始めることができるのでしょうか。」イエスが答えた。「すでに、天の父の精霊が君の中に宿っている。精霊に導かれるならば、きみは、間もなくその精霊の目で見始めるであろう。その時、生活における唯一の目的は天にいる父の意志をすることであるから、きみは、精霊指導の心からの選択により、精霊の生まれとなるであろう。そして、このように自分が精霊の生まれであり、神の王国で幸福であることを知り、日常生活において精霊の実を多く結び始めるであろう。」
ニコーデモスは、まったく誠実であった。かれは、深く感銘したが当惑して立ち去った。ニコーデモスは、自己開発、克己、高い道徳的な特質さえ達成した。かれは、洗練され、自己本位でしかも愛他的であった。しかしかれは、神である父の意志への服従の仕方を、小さい子供が、賢明で情愛深い地球の父の案内や指導に喜んで服従するように、それによって実際に神の息子になること、永遠の王国の進歩的な相続人になることを知らなかった。
しかし、 ニコーデモスは、王国を掴むに足る信仰を奮い起こした。サンヘドリンの同僚が、イエスのための聴聞会を開かずに非難しようとしたとき、かれは、僅かに抗議をした。そして、アリマセアのヨセフと共に、かれは、後に大胆にも自分の信仰を認め、弟子の大半が、あるじの最後の苦しみと死の場面から恐怖で逃れたときでさえも、イエスの亡骸を要求した。
教えの忙しい期間とエルサレムの過ぎ越し祭りの週の個人の仕事の後、イエスは、その次の水曜日をベサニアで使徒と費やして過ごした。その午後、トーマスは、長くて教育的な答えを引き出す質問をした。トーマスが言った。「あるじさま、私達が王国の大使として離された日に、あなたは、我々に多くのことを言われ、訓示されましたが、私達は、群衆に何を教えるべきでしょうか。王国がより完全に到来した後、これらの人々は、どのように生きることになるのですか。弟子達は、奴隷を所有するのですか。信者達は、貧困を求め、財産を避けるのですか。我々は、法も正義も持たず、慈悲だけが波及するのですか。」イエスと12 人は、午後ずっと、それと夕食後の終夜、トーマスの問題について論議して過ごした。この記録のために、我々は、あるじの指示の次の概要を提示する。
イエスは、彼自身が、肉体での特有な生活を送って地球にいるということ、また、12 人は、人の子のこの贈与経験に参加するために呼ばれたということを使徒にまず明らかにしようとした。そして、そのような協力者として、彼らもまた、全体の贈与経験の特別な制限と義務の多くを分担しなければならない。人の息子は、同時に、神のまさしく心の中を、そして人の魂のまさしくその深層を見ることができた地球で生活を送った唯一のものであったという覆われた仄めかしがあった。
イエスは、天の王国とは、ここ地球に始まり、連続した生命拠点を経て楽園へと前進する進化的経験であると、非常に分かり易く説明した。その晩のうちに、かれは、王国開発における若干の将来の段階で、精霊的な力と神の栄光におけるこの世界を再訪すると確かに述べた。
かれは、次に、「王国の概念」は、神との人の関係を例示するには最善の方法ではないと説明した。ユダヤ民族が、王国を期待しているし、ヨハネが来たるべき王国という言葉で説教していたので、かれは、そのような修辞的表現を使うということを説明した。イエスは、「家族関係を表する用語で提示されるとき—人が、宗教を神の父性と人の兄弟愛、つまり神との息子性についての教えとして理解するとき—別の時代の人々は、王国に関する福音をより理解するであろう」と言った。それから、あるじは、天の家族の具体例として地球の家族についてかなり長く語り、生活の2 つの基本法則を再び述べた。家族の長である父に対する1番目の愛の戒め、そして、子供の間での、つまり自分を愛するようにその兄弟を愛する2番目の相互の愛の戒め。そこで、兄弟らしい愛情のそのような特性は、寡欲で情愛深い社会奉仕において必ず自然に現れると説明した。
その後、家族生活の基本的な特徴と、神と人の間に存在する関係への彼等の適用に関する忘れ難い議論があった。イエスは、本当の家族というものは次の7 つの事実に基づくと述べた。
1. 存在の事実。自然の関係と人間の類似性の現象は、家族内で結ばれている。子供は親の一定の特性を引き継ぐ。子供は両親に起源がある。人格存在は、親の行為に依存している。父と子の関係は、すべての自然に固有であり、すべての生活生存に広がる。
2. 安全と喜び。本物の父は、子供の必要に応じることに大きい喜びがある。多くの父は、子の単なる必需品を供給することに満足するのではなく、それどころか、子供の喜びに備えることもまた楽しむ。
3. 教育と訓練。賢い父は、慎重に息子と娘の教育と十分な訓練の計画を立てる。子供等は、若い間に後の人生でのより大きな責任に向けて備える。
4. 規律と制限。 明敏な父も、うら若く未熟な子に必要な規律、指導、修正、時には制限に備える。
5. 親交と忠誠。慈愛深い父は、子供との親密で情愛深い関係をもつ。かれは、常に子供の訴えに耳を傾けている。彼等の困難を共有し、かれは、常に難事克服の援助の準備ができている。父は、子孫の進歩的な福祉にこの上もなく興味を持っている。
6. 愛と慈悲。情け深い父は、無制限に寛大である。父は子に対して執念深い記憶を固守しない。父は裁判官、敵、あるいは債権者のようでもない。本当の家族は、寛容、忍耐、許しの上に築かれる。
7. 将来への備え。この世の父は、息子のために遺産を残すのが好きである。家族は、世代からもう一つ世代へと存続する。死は、別の始まりを印すために1世代を終えるだけである。死は、個々の人生を終結はするが、必ずしも家族を終わらせるというわけではない。
何時間も、あるじは、これらの家族生活の特徴を楽園の父である神と地上の子である人間との関係への適用について検討した。そして、これが彼の結論であった。「父への息子のこの関係全体を、私は、完全に知っている、なぜなら、永遠の未来において君達が手に入れなければならない息子性を、私は、すでに達成したのであるから。人の息子は、父の右手に昇る用意ができており、その結果、今すべての者が、栄光の進行を終える前に、天の父が完全であるように、君達が完全になるために、神に会うための道は、より広くいま私の中に開いているのである。」
使徒がこれらの驚くべき言葉を聞いたとき、かれらは、ヨハネがイエスの洗礼時にした表明を思い出し、また、あるじの死と復活の後に、自分達の説教と教えに関連してこの経験をありありと思い出した。
イエスは神の息子、宇宙なる父の完全な信頼にある者である。かれは、ずっと父といて、完全に彼を理解していた。かれは、今や父が、完全に満足をする地球生活を送り、生身のこの化身は人を理解することを完全に可能にした。イエスは、人の極致そのものであった。すべての本物の信者が、彼の中に、また彼を通して到達する運命にあるような、まさしくそのような完全性に、かれは、達していた。イエスは、人に完全である神を示し、自分自身で領域の完成された息子を神に提示した。
イエスは数時間論じたが、トーマスは、まだ満足していなかったので、「しかし、あるじさま、我々は、天の父がいつも親切に慈悲深く扱うということが分かりません。幾度となく地球で嘆き苦しんでも、我々の祈りがいつも聞き届けられるというわけではありません。どこで、あなたの教えの意味を掴み損ねたのでしょうか。」と言った。
イエスが答えた。「トーマス、トーマス。精霊の耳で聴く能力を身につけるまでにどれだけ掛かるのか。この王国が精霊の王国であり、また、私の父が精霊的な存在であることを見分けるのにどれだけ掛かるのか。私が、天の、その長である父が無限で永遠の霊である、精霊の家族の精霊の子供として教えているとは、きみは理解しないのか。私の教えを具体的な事にそれほどまでに文字通りに適用せずには、地球家族を神の関係の例証として用いさせてはくれないのか。君の心の中では、王国の精霊の現実をこの時代の物質的、社会的、経済的、政治的問題から切り離せないのか。私が精霊の意味を話すとき、私が説明のためにあえて月並みで文字通りの関係を使うからといって、なぜ私の意味するところを肉体の意味に置き換えたがるのか。子供達よ、精霊の王国の教えを奴隷制度、貧困、家、土地の金銭にあさましい問題へと、そして人間の公平さと正義の物質的な問題への適用をやめるように、君達に嘆願する。これらの一時的問題は、この世界の人間の懸念であり、それがある意味ですべての者に影響をもたらす一方で、君達は、ちょうど私が父の代理をしているように、この世界で私の代理をするために呼ばれたのである。きみ達は、精霊の王国の精霊的な大使、精霊の父の特別な代表者である。この時までには、私が精霊王国の成熟した人間として君達に命令することが可能なはずである。私は、単に子供として君達に話し掛けねばならないのか。決して精霊的識別力をもって成長してはもらえないのか。それでも私は、君達を愛しており、肉体の人生のまさにその終わりまでさえも、君達のことを耐え忍ぶつもりである。そして、その時でさえ、私の精霊は、君達の前を全世界へと向かうのである。」
4月末までにパリサイ人とサドカイ人の間のイエスに対する反対勢力が、甚だしく目立つようになったので、あるじと使徒は、ベツレヘムとヘブロンで働くために南を目指し、しばらくエルサレムを去ると決断した。5 月中は、これらの都市と周囲の村の人々の間で個人の仕事をして過ぎた。この旅行では、公の説教は一切なしで戸別の訪問だけであった。この時の一部、使徒が病人に福音を教えたり奉仕をする傍ら、イエスとアブネーは、ナジール人の植民地を訪れのエンゲディで過ごした。洗礼者ヨハネは、この場所から出て行き、アブネーはこの集団の長であった。ナジール人の団体の同志の多くは、イエスの信者になったが、イエスが断食と他の形式の自己犠牲を教えなかったので、これらの禁欲的で風変わりな男達の大半は、天から送られてきた教師として彼を受け入れるのを拒否した。
この地域に住む人々は、イエスがベツレヘムで生まれたことを知らなかった。大半の弟子のように、かれらは、あるじがナザレで生まれたと常に思っていたが、12 人は事実を知っていた。
ユダヤの南でのこの滞在は、労働の安らかで実り多い季節であった。多くの人々が王国に加えられた。6 月の初旬までには、エルサレムでのイエスに対する扇動が静まり、あるじと使徒は、信者に教え、慰めるために帰っていくほどであった。
イエスと使徒は、エルサレム、またはその近くで6 月全部を過ごしたが、この期間の公への教育はしなかった。かれらは、ほとんどの場合、天幕で暮らし、それは、当時ゲスセマニとして知られていた木陰の公園や庭園に張られた。この公園は、キドローンの小川から遠くないオリーヴ山の西の斜面に位置していた。かれらは、安息日の週末には、通常ベタニアでラザロとその姉妹と過ごした。イエスは、エルサレムの壁内へはほんの数回入ったが、多くの興味をもつ尋問者は、彼との雑談するのためにゲッセマネに出て来た。ある金曜日の夕方、ニコーデモスとアリマセアからきた者は、思い切ってイエスに会いにやってきたのだが、あるじのテントへの入り口の前に立っていたにもかかわらず、恐怖心のために引き返していった。そして、勿論、かれらは、イエスが二人の行為の全てを知っているとは気づかなかった。
ユダヤの支配者達は、イエスがエルサレムに戻ったということを知ると逮捕する準備をした。しかし、イエスが公への説教を何一つしないと知ると、彼が、自分達の前の扇動で怯えるようになったと結論づけ、さらなる妨害なしで、この直接的な方法での教えを続けさせると決めた。その結果、情勢は、6月の下旬まで、サンヘドリンの一員であるシーモンという者が、ユダヤ人の支配者達の前でイエスの教えを公的に支持すると宣言するまで静かに過ぎた。直ちに、イエス捕縛への新たな扇動が起こり、それは、あるじが、サマリアとデカポリスの幾つかの都市へ退くと決断するほどに強くなった。
西暦27年6月末、ユダヤの宗教支配者の増大する反対のため、イエスと12 人は、ベサニアのラーザロスの家に保存されるための天幕や個人の手回り品を送った後にエルサレムを出発した。かれらは、サマレイアへと北に入り、安息日の間ベセールに滞在した。ここでは数日間、ゴープナとエフライェムから来た人々に説教した。アリマセアとタムナからの市民集団は、彼らの村を訪れるようにとイエスを誘いに来た。あるじと使徒は、この地域のユダヤ人とサマレイア人に教えて2 週間以上を過ごしたが、かれらの多くは、王国に関する朗報を聞くために、遠くはアンティパトリスからやって来た。
南サマレイアの人々は、喜んでイエスの話を聞いた。ユダ・イスカリオーテスを除く使徒は、サマレイア人に対する自分達のもつ偏見の多くを取り除くことに成功した。ユダにとりこれらのサマレイア人を愛することは、非常に困難であった。7 月のイエスと仲間の最後の週は、ヨルダン川の近くのファサイリスとアーヘライダの新しいギリシアの都市へ向かうための準備をした。
使徒の一行は、8月前半にその本部をアーヘライダとファサイリスのギリシアの都市に設け、そこで、ほとんどが異教徒—ギリシア人、ローマ人、シリア人—の集団に説教を—というのは、これらの2つのギリシアの町にはわずかなユダヤ人しか住んでいなかった—するという彼等にとり最初の経験をした。これらのローマ市民との接触において、使徒は、来たるべき王国の知らせに関する宣言において新たな困難に遭遇し、イエスの教えに対する新たな反論に出くわした。使徒との数多い夜の談合の1つで、12 人が個人の仕事で被体験者との経験を繰り返し報告するなかで、イエスは、王国の福音へのこれらの反論を注意深く聞いた。
フィリッポスによる質問は、かれらの問題に特有であった。フィリッポスが言った。「あるじさま、これらのギリシア人やローマ人は、そのような教えは虚弱者と奴隷だけに適合していると、我々の知らせを軽んじております。異教徒の宗教の方が、強く、強健で、攻撃的な性格の習得を刺激するので、我々の教えよりも優れていると断言しています。かれらは、我々が、地上からすぐ滅尽する受動的な非抵抗者の衰弱した雛形へと全ての者を変換するのだと、断言しています。彼らは、あるじさま、あなたが好きであり、あなたの教えは、天来のようであり、理想的であると率直に認めてはおりますが、真剣に我々を受け止めようとはしません。かれらは、あなたの宗教は、この世界のためのものではないと、つまり、人はあなたが教えるようには生きいけない、と主張しています。さて、あるじさま、これらの異教徒に何と言えば良いのでありましょうか。」
王国の福音への同様の反論が、トーマス、ナサナエル、シーモン・ゼロートースおよびマタイオスによって示されるのを聞き、イエスは12 人に言った。
「私は、父の意志を行ない、また父の慈しむ特質を全人類に明らかにするためにこの世に来た。それが、 我が同胞よ、私の任務である。そして、この時代、あるいは別の世代のユダヤ人や非ユダヤ人による私の教えに対する誤解のいかんにかかわらず、私は、この1つの事をするのである。しかし、神の愛でさえその厳しい規律があるという事実を見落とすべきではない。息子に対する父の愛情は、考えの足りない子の賢明でない行為を押しとどめることをしばしば父に強制する。子は、いつも父の賢明で情愛深い拘束的な躾の動機を理解するというわけではない。しかし、我が楽園の父は、人を感動させずにはおかない愛の力によって宇宙の中の宇宙を統治するということをあなた達に宣言する。愛は、すべての精霊の現実の中で最も偉大である。真実は解放する顕示であるが、愛は最高の関係である。そして、あなたの仲間が今日の世界管理においていかなる大失敗をしようとも、来たる時代には、私が宣言するこの福音が、まさにこの世界を統治するであろう。人間の進歩の究極の目標は、神の父性の敬虔なる認識と人間の兄弟愛の具体化である。
しかし、誰が、私の福音が奴隷と虚弱者のためだけに意図されていると言ったのか。君達は、選ばれた使徒よ、虚弱者に似ているのか。ジョンは虚弱者に似ていたか。私が恐怖の俘になっていると見るのか。本当である、この世代の貧者や被抑圧者に福音が説かれたのは。この世界の宗教は、貧しい者を無視してきたが、我が父は、人々を差別はしない。そのうえ、今日の貧者は、悔悟の呼び掛けと息子性の受け入れに心を留める最初の者である。王国の福音は、すべてのユダヤ人、非ユダヤ人、ギリシア人、ローマ人、富める者、貧しい者、自由の身、束縛される者に—かつ、老若、男女にも同等に—説かれようとしている。
父は、愛と喜びの神であり、慈悲を施すのであるから、王国の奉仕が単調な寛ぎであるという考えを吸収してはいけない。楽園上昇は、いまだかつてない最高の冒険、永遠への険しい到達である。地球上の王国の奉仕は、君と同僚が、駆り集めることのできるすべての勇気ある人間らしさを要求するであろう。君の多くは、この王国の福音への忠誠のために処刑されるであろう。勇気が、戦闘の仲間の存在により強化されるとき、実戦で死ぬのは容易い。しかし、人間の心の中に秘められた真実の愛のために穏やかにただ一人で命を横たえることは、より高く、より深遠な人間の勇気と献身の形を要求する。
今日、信じない者達は、無抵抗と非暴力の人生に関する福音を説くあなた方を軽蔑するかもしれないが、君達は、これらの教えへの壮烈な献身により全人類を驚かせるこの王国の福音の誠実な信者の長い列の最初の奉仕志願者である。世界のどんな軍隊も、朗報—神の父性と人の兄弟愛—を宣言しに全世界に向かう君達とその忠実な後継者達が写し出すほどの度胸と勇気をこれまでに見せたことがない。生身の度胸は、勇気の最も低い形である。心の勇敢さは、より高い種類の人間の勇気であるが、最高かつ至上であるのは、深遠な精霊的な真実に対する啓発された信念への妥協のない忠誠心である。そして、そのような勇気は、神を知る人間の勇壮さを成す。そして、君達は全員、神を知る人間である。実際、君達は人の息子の個人的な仲間である。」
これがイエスがその折に言った全てということではないが、これは、彼の演説の序論であり、そして、かれは、この表明の詳述と例証を長々と続けた。これは、イエスがこれまでに12 人に向けた最も熱のこもった講演の1つであった。あるじは、滅多に歴然とした強い気持ちで使徒に話さなかったが、これは、著しい感情の伴った明白な真剣さで話した数少ない出来事の1つであった。
使徒の公への説教と個人の仕事の結果は、すぐにあらわれた。まさにその日から、彼らの言葉は、新しい勇ましい勝利の音色を帯びた。12 人は、王国の新しい福音の積極的な攻勢の精神を帯び続けた。この日以降、彼らは、否定的な美徳とあるじの多面的な教えの否定的な長所と受動的な命令の説教にそれほどまでには占有されなかった。
あるじは、人間の克己の完成された雛形であった。かれは、罵られても罵りはしなかった。かれは、苦しむとき、苦しめる者に対し何の脅しも発しなかった。かれは、敵に糾弾されたとき、まったく天の父の公正な判断に身を委ねた。
夕方の会議の1つで、アンドレアスがイエスに尋ねた。「あるじさま、ヨハネが我々に教えたように、我々は自己犠牲を実行するのでしょうか。それともあなたが教える克己を求めて努力するのでしょうか。どの点で、あなたの教えは、ヨハネのものとは異なるでしょうか。」イエスが答えた。「祖先の光と法に従っていかにもヨハネは正義の道を教えた。そして、それは、自省と自己犠牲の宗教であった。しかし、私は、無私無欲と自制の新しい伝言をもってきた。私は、天の父によって私に明らかにされたような生き方を示すのである。
「まことに、まことに、君に言おう。自らを治める者は、町を占領する者よりも偉大である。克己は、人の道徳的な性格の基準と精精的な開発の指標である。古い秩序では、人は断食し、祈った。精神再生の新しい生物として、人は、信じ、歓喜することを教えられる。父の王国では、人は、新たな被創造物となる。古いものは廃ることになる。見なさい。万物がどのように新しくなるかを私が見せる。そして、人は、互いへの愛により、束縛から自由に、死から永遠の生命に進んだことを世界に信じさせることである。
「昔のやり方では、人は、抑圧すること、服従すること、生活の規則に従うことを追求する。新しいやり方では、人は、真実の聖霊により変えられ、その結果、絶え間ない心の精霊的更新により魂の内面で強化される。このようにして、人は、神の優しく、許容できる、そして完全な意志を確かで喜ばしく実行する力に恵まれるのである。忘れるでない—それは、人が神性の参加者になることを確実にする神のきわめて偉大で貴重な約束に対する人の個人の信仰である。このように、人の信仰と精怜の変化でにより、人は実際は神の寺院となり、彼の精霊は実際に人の中に住むのである。それから、もし精霊が人の中に住むならば、人は、もはや肉体の奴隷ではなく、精霊の自由で解放された息子である。精霊の新しい法は、自己束縛の恐怖と自己否定の奴隷の古い法に代わって自制の自由を授ける。
「しばしば、人は、悪をしでかしたとき、実際には、自身の本来の傾向で惑わされてきたにもかかわらず、自分の行為を悪者の影響のせいにしようと考えてきた。ずっと以前に予言者エレミヤは、人間の心が、何ものにもまして欺瞞的で、時には絶望的に邪でさえあると言わなかったか。人は、なんと容易く自己欺瞞になり、それにより、愚かな恐れ、種々の欲望、隷属的な楽しみ、悪意、妬み、そして執念深い憎しみにさえ陥るのである。
「救済は、肉体の独善的行為によるのではなく、精霊の再生によるのである。きみは、肉の恐れと自己否定によってではなく、信仰により義とみとめられ、神の恵みにより仲間に歓迎される、とはいえ、精霊の生まれである父の子等は、自己と、肉体の欲望に関係する全てにとってのこれまでずっと、そして常に主人である。信仰によって救われるということを知るとき、人には、神との真の平和がある。そして、この妙なる平和の道に続く者はすべて、永遠の神の絶えず前進する息子の永遠の奉仕へと浄められる運命にある。これからは、神の愛に完全性を捜し求める一方で、心身のすべての悪から自分を浄化することは、人の義務ではなく、むしろ高い特権である。
息子性は信仰に基づき、人は、恐怖に動揺することなく変わらずにいることである。人の喜びは、神性の言葉への信仰からくるものであり、それ故に父の愛と慈悲の現実への疑いに導かれはしない。それは、人を正真正銘の悔悟に導く神の善そのものである。自己支配の秘密は、常に愛でによって働く内在する精霊への信仰に結びついている。この救済する信仰でさえ、自分自身からは得ない。それも、神の贈り物である。そして、この生きた信仰の子供であるならば、人は、もはや自己の奴隷ではなく、むしろ自分自身の勝利を収めた主人、解放された神の息子なのである。
そこで、子供等よ、人が精霊の生まれであるならば、自己否定の人生と肉体の欲望を警戒する人生における自意識の強い束縛から永久に救われる。そして、精霊の喜びの王国に連れられ、そこでの日常生活において自然に精霊の実をしめす。そして、精霊の果実は、真の克己の本質であり、地球の人間の到達の最も高い型でさえある。」
おそらくこの頃、かなり神経質で感情的な緊張状態が、使徒とその近い弟子仲間の間に展開した。かれらは、一緒に暮らし働くことになかなか慣れなかった。かれらは、ヨハネの弟子との調和した関係の維持にますます困難を経験していた。非ユダヤ人とサマレイア人との接触は、これらのユダヤ人にとりかなりの試煉であった。その上、これらのほかに、イエスの最近の発言は、かれらの心の不安状態を増大した。アンドレアスは、ほとんど我を忘れていた。かれは、次になすべきことが分からず、問題と当惑を抱えてあるじの元へ行った。イエスは、この使徒の長が、問題を告げるのを聞いて言った。「アンドレアス、人がそのような関係の段階に至るとき、そして、それほど多くの人々が強い感情で関わり合っているとき、君は、説得してその当惑を思いとどませることはできない。私には君の頼みをすることはできない—私は、これらの私的な社交問題に参加するつもりはない—が、3日間の骨休めと息抜きの享受には参加するつもりである。同胞のもとに行き、全員が、私とサールタバ山に行くことになっていると知らせてきなさい。私は、そこで1日か2日休息したい。
きみは、ただちに11人の同胞のところに行き、個人的に次のように伝えるべきである。『あるじが、一とき休み、寛ぐために我々と一緒に行くことを望んでいる。我々は全員、最近相当精神のいらだちと心の緊張感を経験したので、この休日の間、多くの試煉や問題についていかなる言及もしないことを提案する。この件で皆をあてにしてもよいか。』このように、ひそかに個人的に同胞の各人に働きかけなさい。」そこで、アンドレアスは、あるじの命令通りにした。
それぞれの経験上、これは素晴らしい機会であった。彼らは、山に上ったこの日を決して忘れなかった。全旅行を通して、自分達の問題に関し一言も言われなかった。山頂に着くと、イエスは皆を周りに座らせて言った。「同胞よ、君達は皆、休息の価値と気晴らしの効果を会得しなければならない。何らかの縺れた問題を解決する最良の方法は、しばらくそれらを見捨てることであると気づかねばならない。それから、休養あるいは崇拝からさっぱりして戻ると、毅然たる心は言うまでもなく、君達は、より鮮明な頭とより確かな手で問題に体当たりすることができる。また、心と身体を休ませる間、幾度となく問題の規模や割合が縮まっているのが分かる。」
翌日、イエスは、議論の議題を12人各自に一つ割り当てた。その日まる1日、彼らの宗教の仕事には関連しない回想と諸事についての話し合いに徹した。イエスが皆の真昼の食事のためにパンをちぎったとき、感謝を—口頭で—捧げることさえ怠ったとき、彼らはほんのしばらく驚いた。彼が、そのような形式的な手続きを怠るところを見るのは、彼らには初めてであった。
山に登ったとき、アンドレアスの頭は問題でいっぱいであった。ヨハネは過度に心が当惑していた。ジェームスはひどく魂が煩わされた。マタイは、彼らが非ユダヤ人の間に逗留していたので資金面で切羽詰まっていた。ペトロスは、神経が高ぶり、最近いつもより怒りっぽくなっていた。ユダは、過敏さと自己本位からくる周期的な発作に苦しんでいた。シーモンは、自分の愛国心と人間の兄弟愛とを調和させる努力において異常に動揺していた。フィリッポスは、事の成り行きにますます困惑した。ナサナエルは、非ユダヤ人の住民との接触以来、あまり剽軽ではなくなっており、トーマスは、ひどい意気消沈の時期にいた。双子だけは、平常通りで、平静であった。彼らは全員、ヨハネの弟子と穏やかに暮らしていく方法に関し非常に迷っていた。
3日目、山を下り野営地に戻りかけたとき、皆に大きな変化が起きた。かれらは、多くの人間の難問が実際は存在しない、また多くの差し迫った問題が、誇張された恐怖の創作物であり、増大された不安の結果であるという重要な発見をした。そのようなすべての当惑は振り捨てることが最善であることを学んだ。自分達が出掛けて行くことにより自然に解決するようにそのような問題を置き去りにしたのであった。
この休暇からの帰還は、ヨハネの追随者との大いに改善された関係の期間の始まりを記した。12人の多くは、皆の心の変化に気づき、規則的生活義務からの3日間の休暇の結果、過敏な短気からの解放に気づいたとき、本当に陽気づいた。人間関係の単調さが、悩みの種子を増殖し困難を拡大するという危険がつねにある。
アーヘライダとファサイリスのギリシアの2都市の非ユダヤ人の多くが、福音を信じたというわけではなかったが、12人の使徒は、もっぱら非ユダヤ人の集団との初めての広範囲な仕事で貴重な経験をした。その月半ばの月曜日の朝、イエスは、アンドレアスに言った。「我々はサマレイアに入る。」そこで、皆は、ヤコブの井戸の近くのシハーの都市にむけてすぐに出発した。
600 年以上もの間、ユダヤのユダヤ人、後にはガリラヤのユダヤ人も、サマレイア人に敵意を抱いてきた。ユダヤ人とサマレイア人の間のこのわだかまりは、このようにして起きた。紀元前700年頃、アッシリアの王サーゴーンは、中部パレスチナの反乱鎮圧に当たり、イスラエルの北の王国から2万5千人あまりのユダヤ人を連れ去り、捕虜とし、その代わりにほとんど同数のクティーテース、セファーヴィー、ハマティーテースの子孫を定着させた。後に、オスナッパーは、サマレイアに住まわせるためにさらに他の移住団を送った。
ユダヤ人とサマレイア人の間の宗教上の反目は、バビロン人の監禁状態からのユダヤ人の復活から、すなわちサマレイア人がエルサレムの再建妨害に立ち働いているときに始まった。その後、アレクサンダー軍への好意的援助の拡大により、かれらは、ユダヤ人を怒らせた。彼らの友好と引き換えに、アレクサンダーは、サマレイア人にゲリージーム山に寺院建設の許可を与え、そこで、彼らは、ヤハウェと部族神を崇拝し、エルサレムの寺院の礼拝順序を真似て生贄を提供した。かれらは、少なくとも、ヨハネ・ヒルカノスがゲリージーム山の彼らの寺院を破壊するマッカビーウスの時代までこの崇拝を続けた。使徒フィリッポスは、イエスの死後のサマレイア人のための労働において、この古いサマレイアの寺院の跡地で多くの会合を開いた。
ユダヤ人とサマレイア人の間の敵意は、謂れのある歴史上のものであった。アレクサンダーの時代以来、かれらは、互いにいかなる関係も持たなかった。12 人の使徒は、デカーポリス、シリアのギリシアの、また他の非ユダヤ教徒の都市での説教に反対ではなかったが、「サマレイアに入ろう」と、イエスに言われたとき、それは、あるじに対する忠誠の手厳しい試煉であった。しかし、1 年もその上もイエスといるうちに、かれらは、イエスの教えへの信頼さえ、またサマレイア人に対する自分達の偏見さえ超える個人的な忠誠心の形を開発した。
あるじと12 人がヤコブの井戸に到着したとき、彼らは、しばらくこの付近に逗留したかったので、フィリッポスがシハーから食物とテントを持って来る手伝いのため使徒達を連れて行っている間、旅で疲れきっていたイエスは、井戸の側に留まった。ペトロスとゼベダイの息子達は、イエスと残っていたことであろうが、イエスは、仲間と一緒に行くように要求して、言った。「私のために恐れなくてよい。これらのサマレイア人は、親しみやすい。我々の同胞のみが、つまりユダヤ人のみが、我々に危害を加えようとする。」イエスが使徒の帰りを待つために井戸の側に座ったのは、この夏の夕方6 時頃であった。
ヤコブの井戸の水は、シハーにある数ある井戸水より鉱物が少なく、従って、飲み水として非常に重宝された。喉が乾いていたが、イエスにはいかようにも井戸から水を手にする方法がなかった。そこでシハーの女性が、水差しを持ち井戸から汲み取る準備をしていると、「一杯おねがいします。」と、イエスは言った。サマレイアのこの女性は、見かけや出立ちからイエスがユダヤ人であることが分かり、またその訛りからガリーラのユダヤ人であると推測した。彼女は、名はナルダといい、美しい女性であった。彼女は、井戸でユダヤ人の男性にそのように話しかけられ、水を求められたことに非常に驚いた。というのは、当時自尊心をもつ男性が人前で女性に話すのは、ふさわしくないと考えられており、ましてやユダヤ人がサマレイア人と会話することははるかに少なかったので。それ故、ナルダは、「ユダヤ人でありながら、なぜ私に、サマレイア人の女に飲み物を求めるのですか。」と尋ねた。イエスは答えた。「私は、確かに飲み物を求めはしたが、もしあなたが理解することができたなら、私に生ける水を一飲み求めるであろうに。」その時、ナルダが言った。「でも、だんなさま、あなたには汲み取るものもなく、それに井戸は深いのです。それと、その生ける水をどこから手に入れるのですか。あなたは、この井戸を与えてくれた私達の先祖ヤコブよりも偉い方ですか。ヤコブ自身、その子等も、その家畜もこの井戸から飲んだのです。
イエスが返答した。「この水を飲む誰でも再び喉が渇くであろうが、生ける精霊の水を飲む者は、誰であろうとも決して喉が渇くことはない。また、この生ける水は、その人のうちにて、とこしえの命にさえ至る湧き出で爽快にする井戸となる。」次に、ナルダが言った。「渇くことがなく、また、はるばるここに汲みに来なくてよいようにその水をください。そのうえ、サマレイアの女がこのように立派なユダヤの方から何であれ頂戴できれば喜びであります。」
ナルダは、自分に快く話すイエスの気持ちをいかように解釈してよいか分からなかった。彼女は、あるじの顔、清廉で聖者のような男性の表情に見入ったが、優しさをありきたりの親しみと誤解し、彼の比喩的表現を自分への言い寄りと曲解した。そして、彼女は、品行に欠ける女性であったので、おおっぴらに浮つく気分になるつもりでいたが、イエスが女性の目を真っ直ぐ覗き込み、命令口調で、「婦人よ、夫の元へ行きここに連れて来なさい。」と言ったとき、この命令がナルダを正気にさせた。彼女は、あるじの優しさについての自分の誤りに気づいた。その話し振りを誤解したと気づいた。彼女は怯えた。風変わりな人の面前に立っていると悟り始め、彼女は、心の中で相応しい返事を手探りしながら、かなり混乱し、「でも、私は夫を連れてこれません、私にはいないので。」と言った。その時、イエスが言った。「そなたは真実を話した。かつて夫がいたかもしれないが、今一緒に生活している者は夫ではないのだから。私の言葉を軽々しく扱うのを止め、私がこの日に持つ生ける水を捜し求める方が良かろう。」
この時までに、ナルダは冷静になっており、彼女の良い部分が呼び覚まされていた。彼女は、まったく好んで不道徳な女性となったのではなかった。夫に冷酷に、また不当に捨てられて苦境に陥り、結婚せずに、妻としてあるギリシア人と暮らすことに同意した。彼女は、あまりにも軽率にイエスに話したことを今や大変に恥じ、また深く後悔し、あるじに言った。「主よ、あなたが聖なる方、あるいは予言者であると悟り、あなたに対する口のきき方を後悔しております。」そして、彼女は、多くの者達が過去にもその後にもしてきたように—神学と哲学の議論に変えて個人的な救済問題を避けて、—あるじに直接の、個人的な助けを求めようとしていた。その時、彼女は、すばやく自身の必要から会話の向きを神学上の論争へと変えた。ゲリージーム山の方を指して、彼女は続けた。「私達の祖先はこの山で礼拝しましたが、でも礼拝すべき場所はエルサレムだとあなたは言われます。では、神の適切な礼拝場所はどちらですか。」
イエスは、魂の製作者との直接の、探し求める接触を避ける女性の魂の試みを見て取ったが、その魂により良い生き方を知る願望があるのも見た。結局のところ、ナルダの心には、生ける水への本当の渇きがあった。したがって、かれは、根気よく彼女に対処して言った。「女よ、この山でもエルサレムのどちらでも父を崇拝しない日がやがて来ると言わせてもらおう。しかし、いま人は、自分が分からないもの、すなわち多くの異教の神々の宗教と非ユダヤ教的哲学の混合物を崇拝している。ユダヤ人は、少なくとも誰を崇拝するかについて知っている。彼らは、1柱の神、ヤハウェに崇拝を集中することによりすべての混乱を取り除いた。しかし、すべての誠実な崇拝者が、精霊と真理をもって父を崇拝するときが来るとき—今でさえ—、というのも、父は、まさにそのような崇拝者を求めているのであるから。 神は精霊であり、彼を崇拝する者は、精霊と真理で崇拝しなければならない。救済とは、他の者がいかに、あるいは、いずこで崇拝すべきかを知ることではなく、私がたった今進呈しようとするこの生ける水を人の心の中へ受け入れることから得られるのである。」
しかし、ナルダは、地上での自分の都合の悪い私生活と神の前での自己の魂の状態についての話を避けて、さらに努力するのであった。彼女は、もう一度、一般的な宗教の質問に向かって言った。「はい、私は、救出者と呼ばれている改心させる人の接近、そして、その方が来られるとすべてのことを私達に明言するということをヨハネが説教したのを知っています。」そこで、イエスは、ナルダを遮り、瞠目に値する確信をもって言った。「あなたに話している私がその者である。」
これは、イエスが地球でした神性と息子性の最初の直接かつ積極的な、また、公然の表明であった。そして、それは、女性に、サマレイアの女性に、しかもこの瞬間まで人の目には問題のある性格の女性に、だが、神の目には彼女自身が望んだ以上の罪を犯してきた女性として映った女性に、また今は、救済を望み、心から誠意をもって望む人間の魂に、為されたのであった。そして、それで十分であった。
ナルダが、より良いこと、そしてより立派な生き方の彼女の本当の、個人的な切望を口にしようとした時、つまり心の本当の願望を話そうとしたちょうどその時、12 人の使徒は、シハーから戻り、イエスがこの女と親しげに話している—このサマレイアの女と、しかも、たった二人でいる—この場面に行き合わせ、皆は驚いたどころではなかった。彼等は、すばやく物資を置いて脇へ寄り、誰も向こう見ずにイエスを咎めようとはしなかった。一方イエスがナルダに言った。「女よ、行きなさい。神はそなたを許した。今後、そなたは、新しい人生を送るであろう。そなたは、生ける水を受け取り、新たな喜びは、そなたの魂の中に湧き出で、そなたは、いと高きものの娘となるであろう。」そこで、女性は、使徒達の難色に気づき、水差しを置き去りにして都へと逃げた。
彼女は、都に入ると会う人ごとに呼び掛けた。「ヤコブの井戸に出かけなさい。早く行きなさい。そこで私がかつてしたすべてを言い当てた人に会うでしょう。もしかしたら、この人が改心させる人かもしれません。」そして、陽が沈む前に、大群衆は、イエスの話を聞くためにヤコブの井戸に集合した。そこで、あるじは、生命の水、内在する精霊の贈り物についてさらに話した。
使徒は、女、いかがわしい性格の女、不道徳である女とさえ喜んで話すイエスの気持に衝撃を受けずにはいられなかった。女が、いわゆる不道徳な女でさえも、父として神を選ぶことができる魂を持ち、それによって神の娘となり、生命、永遠に続く命の候補者になると使徒に教えることは、イエスにとって非常に困難であった。19 世紀経た後でさえ、多くの者は、あるじの教えを理解することに、同様の不本意を見せる。キリスト教でさえ、キリストの人生の真実の代わりに、その死の事実の周りに執拗に確立されてきた。世界は、彼の悲惨で悲しい死よりも彼の幸福で神が顕な人生に関心を持たなければならない。
ナルダは、その翌日、使徒ヨハネにこの全ての話をしたが、彼は、他の使徒に決してそれを完全に明らかにせず、イエスも12 人にそれを詳細には話さなかった。
ナルダは、イエスが「私がかつてしたすべて」を言い当てたとヨハネに告げた。ヨハネは、ナルダとの話についてイエスに何度も尋ねたかったが、ついぞしなかった。イエスは、彼女の事ではただ1つだけ彼女に言ったのだが、イエスの彼女の目を見入る様子や扱いが、直ちに彼女の波瀾万丈の人生の全景を心にもたらしたので、彼女は、過去の人生のこの見直しの全てをあるじの様子と言葉に関連づけたのであった。イエスは、彼女には5人の夫がいたとは決して言わなかった。夫に捨てられてから4人の異なる男性と暮らしてきた。そして、イエスが人の姿をした神であると気づいた瞬間、これが、すべての彼女の過去と共に、心の中にありありと浮かんだので、イエスは、本当に自分に関する全てを話したと後にヨハネに繰り返して言うほどであった。
ナルダが、イエスに会いにくる群衆をシハーから引き寄せた晩に、12人は、ちょうど食物を持って帰ったところであった。彼らは、一日中食べずに空腹であったので、イエスに人々と話す代わりに自分達と一緒に食事をするように懇願した。しかし、イエスには、暗闇が、すぐに彼らに覆いかぶさると分かっていた。従って、人々を帰す前に彼らに話す決意に固執した。アンドレアスが、群衆に話す前に一口食べるように説得しようとした時、イエスは、「私にはきみが知らない食べる肉がある。」と言った。これを聞いた使徒達が互いに言った。「誰かが、何か食べものを持って来たのであろうか。あの女が飲み物と一緒に食物を上げたということがあろうか。」彼ら同士が話しているのを聞いて、イエスは、人々に話す前に脇に回って12人に言った。「私の肉というのは、私をつかわされた方の意志を為し、その方の御業を為し遂げることである。もはや収穫までこれこれしかじかの時であると言うべきではない。我々の話しを聞くためにサマレイアの都市から来るこれらの人々を見なさい。言っておく。畑はすでに色づき刈り入れを待っていると。刈る者は、報酬を受けて永遠の命に至るこの実を集める。よって、蒔く者も刈る者も共に喜ぶ。ここに『一人が蒔き、一人が刈る』という諺が本当となる。私は、君達がまだ働いたことのないところで刈り取らせるために今遣わせるところである。他の者達は働いた。そして、彼等の仕事を君達が始めようとしている。」これは、洗礼者ヨハネの説教に言及したのであった。
イエスと使徒は、シハーに入り、ゲリージーム山で野営に入る前に2日間説教をした。シハーの住民の多くは、福音を信じ洗礼を求めたが、イエスの使徒は、洗礼をまだ実行しなかった。
ゲリージーム山での初めての野営の夜、使徒は、ヤコブの井戸での女性に対する自分達の態度を批難されると予測したが、イエスは、その件に関しては何も言わなかった。その代わり、かれは、「神の王国での主要な現実」について注目すべき話をした。どんな宗教においても、人が宗教について考えるとき、価値が不均衡になることを容認し、また事実が真理の場所を占有することは非常に容易いことである。十字架の事実は、その後のキリスト教のまさにその中心となった。だが、それは、ナザレのイエスの人生とその教えから来るかもしれない宗教の中心の真理ではない。
ゲリージーム山でのイエスの教えの主題は、次の通りであった。すべての人に、ちょうど彼(イエス)が、兄弟-友人であったように、神を父-友人として認めてもらいたということ。そして、ちょうど真実が、これらの神性関係の観察の最大の表明であるのと同じように、かれは、繰り返し、愛が、世界で—宇宙で—最も優れた関係であるということを彼らに銘記させた。
イエスは、安全にそうすることができたし、それに二度とサマレイアの中心を訪れ王国に関する福音を説くことはないと知っていたので、サマレイア人に完全に自身を表明した。
イエスと12人は、ゲリージーム山で8月末まで野営した。かれらは、日中は町中でサマレイア人に王国—神の父性—の朗報を説き、夜は野営場で過ごした。これらのサマリアの都市でのイエスと12人の仕事は、多くの魂を王国へもたらし、イエスの死と復活後、また、エルサレムでの信者達への痛烈な迫害による使徒達の地の果てへの分散後のこれらの領域でのフィリッポスの驚異的な仕事への道の開拓に大いに役立ったのであった。
ゲリージーム山での夜の談合で、イエスは、多くのすばらしい真実を教えた。特に、次のことを強調した。
真の宗教は、創造者と自意識関係における個々の魂の行為である。組織化された宗教は、個々の宗教家の崇拝を社会化する人の試みである。
崇拝—精霊的熟考—は、奉仕、物質的な現実との接触と交互になされなければならない。仕事は、遊びと交互になされるべきである。宗教は、ユーモアと調和されなければならない。深い哲学は、律動的な詩によって和らげらなければならない。生活の重圧—人格の時間的緊張—は、崇拝の安らぎでほぐされるべきである。宇宙の中での人格孤立の恐怖から来る不安感は、父を信仰する静観によって、また、崇高なるもののを認識する試みによって中和されなければならない。
祈りは、人にあまり考えさせないで、より悟るように考案されている。それは、知識を増大させるためではなく、むしろ洞察が展開されるように考案されている。
崇拝は、未来により良い人生を予想し、これらの新しい精霊的な意味を今ある生活への反映が意図されている。祈りは、精神的に支えているが、崇拝は、神々しく創造的である。
崇拝は、多くの者への奉仕の気持を奮い立たせるために一つなるものに向かう手法である。崇拝は、物質的宇宙からの魂の分離、並びに、全創造の精霊的現実への魂の同時の、確実な執着を測定する物指しである。
祈りは、自己を思い出させること—崇高な考え—である。崇拝は、自己を忘れること—超思考—である。崇拝は、努力を要しない注目、本当の、理想的な魂の休息、安らかな精神努力の形態である。
崇拝は、部分がそれ自体を全体と同一視する行為である。有限者が自身と無限者を、息子が自身と父を、足並みを揃える行為における時と永遠を同一視する行為である。崇拝は、神性の父、との息子の個人的な親交行為、つまり人間の魂-精霊による壮快で、創造的で、そして兄弟らしくて空想的な態度である。
使徒は、野営場での教えのほんのいくつかしか把握しなかったが、他の世界では理解されたし、また、地球の他の世代はするであろう。
9月と10月は、ギルボーア山の傾斜地の奥まった野営に隠遁して過ごされた。イエスは、使徒と9月をここで過ごし、王国の真実を彼らに教え、指導した。
イエスと使徒が、この時期サマレイアとデカーポリスの境界に隠遁していたのには、幾つかの理由があった。エルサレムの宗教的な支配者達は非常に敵対的だあった。ヘローデス・アンティパスは、ヨハネとイエスが、何らかの方法で関連していると疑念を抱き続けると同時に、ヨハネを放免するのも処刑するのも恐れながら、まだ獄中に拘留していた。これらの状況のもと、イェフーダかガリラヤのどちらかで積極的な仕事に対して計画を立てることは賢明ではなかった。第3の理由があった。信者の数が増加するにつれ、ヨハネの弟子の指導者達とイエスの使徒達の間にゆっくりと増大する緊張感が悪化していた。
イエスには、教育と説教の下準備の時期は、ほぼ終わり近くであるということ、次の行動は、地上での人生の完全で最終的な努力の始まりにかかわってくるということが分かっており、かれは、洗礼者ヨハネにとって困難である、または恥ずかしいようないかなる方法でもこの仕事の着手を望まなかった。従って、イエスは、使徒に温習をさせながら隠遁して、若干の時を過ごし、連合のための努力においてその後ヨハネが処刑されるか、釈放されるまでデカーポリスの町で静かに仕事をすると決めた。
時の経過と共に、12 人は、一層イエスに傾注し、ますます王国の仕事に専念するようになった。その献身は、大いに個人的な忠誠心によるものであった。彼らは、イエスの多面的な教えを把握しなかった。かれらは、イエスの性質や地球での贈与の意味を完全に理解したというわけではなかった。
イエスは、3つの理由により隠遁することを使徒に明らかにした。
1. 王国の福音への彼等の理解と信念を確認するため。
2. イェフーダとガリラヤ両所における彼等の仕事への反対が鎮まるのを待つため。
3. 洗礼者ヨハネの運命を待ち受けるため。
ギルボーアに滞在中、イエスは、自分の早期の人生とヘルモン山での経験に関して12 人によく話した。また、洗礼直後の40日間に丘で起こったことを幾分明らかにした。かれはまた、父のもとに戻るまでこれらの経験に関して何人にも話すべきではないと、彼らに直接に命じた。
イエスがまず奉仕をするようにとの要請をして以来、9月のこれらの週に、皆は休息し、訪問し、自分達の経験について詳しく語り、また、あるじが今までに教えてくれたことを整合させるひたむきな努力をした。多少なりとも彼らは全員、これが長期にわたる休養の最後の機会であると感じた。彼らには、イェフーダかガリラヤのどちらかでの来たるべき王国の最終的な布告の始まりを記すと分かっていたが、王国が来たとしてもそれが一体何であるのか、それに関する考えはほとんどなく、また定着した考えなども全くなかった。ヨハネとアンドレアスは、王国はすでに来たと思った。ペトロスとジェームスは、まだ来ていないと思った。ナサナエルとトーマスは、当惑していると率直に認めた。マタイオス、フィリッポス、シーモン・ゼローテースは、確信がなく困惑していた。双子は、論争についてこのうえなく幸福で知らずにいた。ユダ・イスカリオーテスは、黙して曖昧であった。
イエスは、この時期の大半、山の野営場近くに一人きりでいた。時折、かれは、ペトロス、ジェームス、ヨハネを伴ったが、度々祈るか、または親交のために一人で立ち去った。洗礼とペライアの丘での40日間後、父との交わりのこの期間を祈りと呼ぶことは、決して妥当ではなく、また崇拝していると呼ぶことも矛盾しているのだが、父との個人の親交としてこの期間に触れることは全く正しい。
9 月全体を通しての議論の本題は、祈りと崇拝であった。彼らが数日間崇拝について議論した後、イエスは、「あるじさま、祈る方法を我々に教えてください。」というトーマスの要請に答えて、ようやく祈りに関する忘れ難い講義をした。
ヨハネは、祈りを、来たるべき王国における救済のための祈りを、弟子に教えた。イエスは、彼の追随者がヨハネの祈りの形式を用いることを決して禁じはしなかったが、使徒は、あるじが、一定の、正式な祈りをする習慣を完全に是認していないとかなり早くに察知していた。にもかかわらず、信者は、絶えず祈り方を教えてくれるように頼み込んだ。12人は、イエスがどんな祈りの形を承認するかを切望した。そして、イエスが、トーマスの要請に答えて示唆に富んだ祈りの形式を教えることにこの時同意したのは、主に一般人のための何らかの簡単な祈りの必要性のためであった。イエスは、ギルボーア山滞在中の3週目のある午後、この授業をした。
「ヨハネは、簡単な祈りの形式を確かに教えた。『父よ、罪を洗い流してください。あなたの栄光をお示しくださり、精霊に私達の心を永遠に浄めさせてください。アーメン。』かれは、あなたが、民衆に何か教えることがあるようにとこの祈りを教えた。かれは、祈りにおける魂の表現としてそのような一纏まりの、そして正式の祈りを用いるべきだとは意図しなかった。
「祈りは、精霊に向かう完全に個人的で自然発生的な魂の態度の表現である。祈りは、息子性の精霊的交わりと仲間であることの表現でなければならない。精霊により書き綴られるとき、祈りは、協力の精霊の進歩につながる。理想的な祈りは、理性的な崇拝につながる精霊的な親交の形である。真実に祈ることは、理想成就のために天に向かって手を伸ばす至誠の態度である。
祈りは、魂の息吹であり、父の意志を確かめる試みにおいて不断であるよう導くべきである。この中の誰かに隣人がいるとして、真夜中に行き、『友よ、3塊のパンを貸してください。友達が旅先から会いに来たのですが、何も出すものがないのです。』と言った場合、隣人が、『面倒を掛けないでくれ。もう戸は閉めており、いま子供等と寝ている。だから、起きて、パンをあげることはできない。』と答えるとしたら、きみは、友人が空腹であると、そして、差し出す何の食物もないと説明し、しきりに頼むであろう。君達に言う、隣人は、友人であるという理由からは起きてパンを与えないだろうが、しつこさのために起きあがり、必要な数のパンを出してくれるであろう。それでは、もしも、執拗さが、必滅の人間からさえ好意を得られるならば、君の精霊の執拗さは、どれくらい君のために天の父の喜んで渡す手から命のパンを勝ち得ないことがあろうか。重ねて言う。求めよ。さすれば、与えられるであろう。探せよ。さすれば、見い出すであろう。叩けよ。さすれば、開かれるであろう。誰でも求める者は受け、探す者は見い出す。そして戸を叩く者には開かれるであろう。
息子が浅はかにも求めるとして、子の不完全な願いに文字通り応えるよりも、むしろ親らしい知恵に従い応えることを、父親である君達の誰が、躊躇うであろうか。子供がパンを必要とするのに、ただ浅はかにそれを求めるという理由で、石を与えるであろうか。息子が魚を必要とするのに、魚と一緒に蛇がたまたま網にかかり、その子供が愚かに蛇を求めるという理由だけで、水蛇を与えるであろうか。このように、死を免れず有限である君が、祈りに答え、子供に好ましく適切な贈り物を与える方法を知っているならば、なおのこと、天の父が、求める者に精霊と多くの附加の恩恵を与えないことがあろうか。人は、いつも祈るべきであり、また挫折しないようにすべきである。
邪悪な都に住んでいたある裁判官の話をしよう。この裁判官は、神を恐れず、人を敬いもしなかった。さて、貧乏な未亡人が、その都におり、繰り返しこの不当な裁判官の元に来ては、『敵から保護してください。』と言った。しばらくの間、彼女に耳を貸そうともしなかったが、やがて、かれは、自分に『私は、神を恐れもしなければ、人を敬いもしないが、この後家が、渡しを煩わすのをやめないので、絶えずやって来ては私をくたくたに疲れさせるのをやめさせるために彼女を擁護しよう。』と言った。私は、君が祈りに徹することを奨励し、また君の請願が正当で公正な上にいる父を変えることはないということのためにこれらの話をしている。しかしながら、君の粘り強さというものは、神の機嫌をとるためではなく、地球での君の心構えを変え、精霊の受容性のために魂の能力を拡大することである。
「しかし、君が祈るとき、ほんの少しの信仰しか実践していない。本物の信仰というものは、魂の拡大と精霊的な進歩の通り道にたまたま横たわるかもしれない物質的な困難の山を取り除くであろう。」
しかし、使徒はまだ満足していなかった。かれらは、新しい弟子達に教えることのできる手本となる祈りをイエスから与えられることを望んでいた。祈りに関するこの講話を聞いた後、ジェームス・ゼベダイオスが言った。「とても、素晴らしいです。あるじさま、でも、私たちに頻繁に懇願する新しい信者達が望む『天の父に適切に祈る方法を教えてください。』というような祈りの形を私達は望んでいるのではありません。
ジェームスが話し終えると、イエスが言った。「もし、それならば、君達がまだそのような祈りを望んでいるのなら、ナザレスで私の弟妹達に教えたものを紹介しよう。」
天国にいます我らの父よ、
御名が崇められますように。
御国が来ますように、御心が
天で行なわれるとおり地でも行なわれますように。
日々の糧を今日もお与えください。
魂を命の水で新たにしてください。
我々が債務者を許しましたように、
私達の負債の一つ一つをお許しください。
誘惑から救い、悪からお救いください。
そして、私達を愈々あなたのように完全にしてくださいますように。
使徒が、信者のための手本の祈りを自分達に教えることをイエスに望んでいたのは奇妙ではない。洗礼者ヨハネは、いくつかの祈りを彼の追随者に教えた。すべての偉大な教師は、生徒のための祈りを定式化した。ユダヤの宗教教師は、ユダヤの礼拝堂や通りの曲がり角でさえ唱えた25 か30 種類の幾つかの纏まった祈りがあった。イエスは、人前で祈るのが殊の外嫌いであった。これまで、12 人は、彼がほんの数回祈るのを聞いた。かれらは、彼が祈りか崇拝に夜を徹して過ごしているのに気づいたし、その祈りの方法、または型を知ることに強い好奇心をもった。ヨハネが弟子に教えたように、群衆が祈りの方法を教えてもらいたいと頼むとき、12 人は、本当に何と答えるか知っておくように迫られていた。
イエスは、つねに12 人に密かに祈ることを教えた。かれらが、祈りに従事するとき、自然の静かな環境の中に立ち去るか、それぞれの部屋に入り、戸を閉めることを。
イエスの死、そして父の元への上昇後、「主イエス・キリストの名において」というこのいわゆる主の祈りの附加で終えるのが多くの信者の習慣になった。その後もさらに、書写の際、2行が失われ、余分な節がこの祈りに加えられた。「王国と力と栄えは、とこしえにあなたのものでありますから。」
イエスは、ナザレスの家で祈ったような集団の形で使徒に祈りを授けた。かれは、集団、家族、または社会的な請願だけを教え、正式の個人的な祈りは決して教えなかった。また、かれは、決してそれをしようと申し出もしなかった。
イエスは、効果的な祈りは次のようなものであることを教えた。
1. 利己的でない—自らのためではない。
2. 信じる—信仰に従って。
3. 誠実である—正直な心。
4. 理性的である—光に従って。
5. 信じて疑わない—父のすべての賢明な意志へ服従して。
イエスが山で祈って全夜を過ごすのは、主に弟子、特に12 人のためであった。あるじは、自分のためにはほとんど祈らなかった、楽園の父との理解にもとづく親交における性質の崇拝に多く従事はしたが。
使徒は、祈りに関する講話後の何日間、この非常に重要で、敬虔な実践についてあるじに質問をし続けた。祈りと崇拝に関する最近の使徒に対してのイエスの指示は、現代の言い回しで次のように纏められ、言い換えられるかもしれない。
いかなる祈願のひたむきで切望する復誦も、そのような祈りが神の子の誠実な表現であり、また、誠実に発せられるとき、いかに無分別であろうと、直接の答が不可能であろうとも、精霊的な受容性の魂の能力を広げることに決してしくじることはない。
すべての祈りにおいて、息子聖性は、贈り物であるということを心しなさい。子共は、息子あるいは娘の身分を得るために何もする必要はない。地球の子等は、その両親の意志により生まれて来る。まさにそのように、神の子は、天の父の意志により神の恵みと新しい精霊の命に入るのである。それ故、天の王国—神の息子性—は、小さい子供がするように、受け入れられねばならない。人は正義—進歩的な性格の開発—を獲得するが、息子性は、神の恵みによりまた信仰を通して受け取る。
祈りは、宇宙の中の宇宙の崇高な支配者達と共にイエスを彼の魂の超-親交にまで導いた。祈りは、地球の死すべき者を真の崇拝の親交にまで導くであろう。受容性の魂の精霊的能力は、個人的に適切で意識的に認識できる天の恩恵の量を決定する。
祈りとその関連した崇拝は、人生の日々の日課からの、つまり物質的な存在の単調な骨の折れる仕事からの離脱の技である。それは、精霊化された自己実現の達成と理性的で宗教的な達成の個性への接近方法である。
祈りは、有害な内省に対する解毒剤である。少なくとも、あるじの教えたように祈りは、魂にへのそのような慈善的な宗教活動である。イエスは、一貫して人が仲間のために祈る有益な影響を用いた。通常、あるじは、単数形ではなく、複数形で祈った。自分の地上生活の大危機にだけ、イエスは、自分のために祈ったのであった。
祈りは、人類の物質文明の真っ只中にある精霊生活の息吹である。崇拝は、死すべき者の喜びを追求している世代のための救済である。
祈りが、魂の精神の電池を再充電に例えられるかもしれないように、崇拝は、宇宙なる父の無限の精霊の宇宙放送を受信するために魂の波長を合わせる行為に例えられるかもしれない。
祈りは、精霊の父への子供の誠実で切望している様である。それは、人間の意志を神性意志と交換する心理過程である。祈りは、そうあるべきものへと変更する神性の計画の一部である。
不寝番で長い夜をイエスに度々伴ったペトロス、ジェームス、ヨハネが、イエスの祈りを決して聞いたことがなかった理由の一つは、祈りを滅多に言葉として口にしなかったからである。イエスの祈りのすべては、実際に精神と心で行われた—静かに。
全ての使徒の中でうち、ペトロスとジェームスは、祈りと崇拝についてのあるじの教えの理解に最も近づいた。
時々、地上のイエスの残りの間、かれは、祈りのさらに幾つかの形に使徒の注意を向けさせたが、これは、ただ他の事柄の例証としたに過ぎず、これらの「教訓的な祈り」を群衆には教えるべきではないと命じた。それらの多くは、他の棲息惑星からのものであったが、イエスは、この事実を12 人には明らかにしなかった。つぎは、これらの祈りの中からのものであった。
宇宙の領域がそのうちに存在する我々の父よ、
御名とあなたのすべての栄光の特質が高められますように。
あなたの臨場が我々を包み、あなたの栄光が明らかにされる、
高きにては完全に、我々を通しては不完全に。
光の生気を与える力をこの日にお与えください。
我々の空想の邪悪な脇道に迷い込ませないでください。
栄えある内在者、永続する力は、あなたのものであり、
私達には、あなたの息子の限りない愛の永遠の贈り物。
そのように、永久に真実であります。
~ ~ ~ ~ ~
創造の御親よ、あなたは宇宙の中心におられる。
あなたの特質と性格をお授けください。
お恵みによりあなたの息子と娘にしてくださり、
私達の永遠の獲得、業績で御名を賞賛させてください。
うちに生き、宿るために調整し統制する精霊をお与えください。
天使達が命じられたことを光の中でするように、私達がこの世であなたの意志ができますように。
真実の道に沿っての進行をこの日に支えてください。
惰性、悪、すべての罪深い違反からお救いください。
私達が仲間に慈愛を示すように、私達に対して寛容でありますように。
創造物である私達の心に慈悲の精霊を広く放ってください。
御手により、一歩一歩、覚束ない人生の迷路でお導きください。
そして、私達の終わりが来るとき、私達の忠実な霊を自身の御胸に受け入れてくださいますように。
それよりも何よりも、あなたの意志が行われますように。
~ ~ ~ ~ ~
完璧で公正である天なる父よ、
この日に私達の道程を導き、指示してください。
私達の歩みを浄め、考えを整えてください。
永遠の進展の道へいつもお導きください。
力の充満に、叡知で満たしてください。
そして、無限の活力で元気づけてください。
熾天使の軍勢の臨場と指導の神性の意識で
奮い立たせてください。
光の道へと上へといつもお導きください。
大審判の日に完全に正しいと私達の弁明をしてください。
永遠の栄光で私達をあなたのようにしてください。
そして、天においてあなたの限りない奉仕に迎え入れてくださいますように。
~ ~ ~ ~ ~
神秘の中の父よ、
あなたの聖なる性格を私たちに明らかにしてください。
道、光、真実を見るために、地上の子に
今日という日に、お与えください。
永遠の進歩の小道をお示しください。
そして、その中で歩く意志をお与えください。
私達の中に神性の王位を打ちたててください。
そして、それによる完全な自己支配をお授けください。
暗闇と死の道へと迷い込ませないでください。
命の水の側へと永久にお導きください。
あなたのために私達のこれらの祈りをお聞きください。
私達をますますあなたのようにすることをお喜びください。
最後に、神の息子のために
私達を永遠の腕の中に迎えてください。
それよりも何よりも、あなたの意志が行われますように。
~ ~ ~ ~ ~
一つの御祖に結合されている栄光の父と母よ、
私達は、あなたの神性に忠実であります。
私達の中に、また私達を通して再び生きるあなた自身
あなたの神霊の贈り物と贈与によって、
あなたが高きにては完全で荘厳であられるとき、
この世ではこのようにあなたを不完全に再生させます。
日々、心地よい兄弟愛の仕事をお与えください。
そして、刻一刻、愛の奉仕の道にお導きください。
いつも私達に我慢強くあってください。
私達があなたの我慢強さを子供達に示すように
万事を首尾よくする神性の知恵を、
万物に優しくある無限の愛をお与えください。
私達の慈善が、この世の弱者を包み込むことができるように
忍耐と慈愛をお授けください。
私達の経歴が終わるとき、それをあなたの名前の誉とし、
あなたの善霊の喜びに、また私達の魂の介助役にとっての満足としてください。
情愛深い父よ、私達の願いとしてではなく、死の運命にあるあなたの子等の永遠の利益を望むものとして、
このようになりますように。
~ ~ ~ ~ ~
我々の完全に忠実な源、そして全能の中枢よ、
すべてに優美な息子の御名が敬虔で神聖でありますように。
あなたの恵み深さと祝福が私達に注がれました。
このように、あなたの意志を実行し、あなたの命令を実行する権限が与えられました。
刻々、生命の木の養分をお与えください。
日々、その川の生きた流れで我々に活力を与えてください。
一歩一歩、暗闇から神の光の中にお導きください。
内在する精霊の変化により心を一新させてください。
そして、命の終わりが遂にやって来るとき
私達を迎え入れて、永遠へとお送りください。
天の実り多い奉仕の王冠をお授けください。
そして、我々は、父、息子と聖なる影響を賞賛します。
それよりも何よりも、全宇宙中で永遠にそのようにいたします。
~ ~ ~ ~ ~
宇宙の秘かな場所に住んでおられる私達の神よ、
あなたの御名が讃えられ、慈悲が敬われ、審判が尊ばれますように。
真昼に正義の太陽をお照しくださり、
薄明かりでぐらつく足取りもお導きください。
あなた自身が選ぶ方行に、我々の手を取りお導きくださり、
行く手が困難で暗いとき、我々を見捨てないでください。
私達がたびたびあなたを無視し忘れるようには、我々を忘れないでください。
むしろ、慈悲深くあり、我々が、あなたを愛したいと望んでいるように、我々を愛してください。
優しく見守り、慈悲をもってお許しください、
我々を苦しめ傷つける者を義をもって我々が許すように。
威厳のある息子の愛、献身、贈与が、
あなたの無限の慈悲と愛で永遠の命が得られますように。
宇宙の神が、精霊を豊かにお授けくださいますように。
この精霊の先導に逆らうことのない恩恵をください。
熱心な熾天使の軍勢の情愛深い活動によって
息子が、この時代の終わりまで我々を案内し、導きますように。
私達をいつもあなたに似るようにしてください。
そして、我々の終わりに、永遠の楽園の抱擁に迎えてください。
それよりも何よりも、贈与の息子の名にかけて。
そして、崇高なる父の名誉と栄光のために。
使徒が、これらの祈りの教えを勝手に公にすることは許されなかったが、個人的な宗教経験においてこれらの示現のすべては、とても彼らの役に立った。イエスは、12 人の詳細な指示に関する具体例としてこれらの祈りと他の祈りの型を利用した。そして、この記録にこの7つの雛形の祈りが転写される特定の許可が、与えられた。
10月1日頃、洗礼者ヨハネの数人の使徒に会ったとき、フィリッポスと数人の仲間の使徒は、近くの村に食品の買い出し中であった。市場でのこの偶然の出会いの結果、イエスの先例に従い、ヨハネが最近彼の使徒になるべき12人の指導者を任命していたので、3週間の会合が、ギルボーアの野営地でイエスの使徒とヨハネの使徒の間でもたれた。ヨハネは、自分に忠誠な支持者の中の長であるアブネーの強い勧めに応じてこれをした。イエスは、最初の週、このギルボーアの野営地での合同会議にずっと臨席していたが、あとの2 週間は欠席した。
この月の2 週目の初めまでに、アブネーは、仲間全員をギルボーアに集合させ、イエスの使徒との協議会に入る準備をした。3週間にわたり、この24人の男達は、1日3回の会合を毎週6日間開いた。第1週、イエスは、午前、午後、夕方の会合の合間で皆と交わった。かれらは、あるじに会い、共同審議の統括を望んでいた。しかし、イエスは、3度の特別な機会に話すことには同意したものの、議論への参加は堅く拒否した。イエスによる24 人へのこれらの会談は、共感、協力、寛容についてであった。
アンドレアスとアブネーは、使徒2集団の共同会議の議長に交替して当たった。これらの使徒には、議論すべき多くの困難と解決すべき多数の問題があった。かれらは、再三、自分達の問題をイエスに示すのであったが、イエスが言う次の事を聞くだけであった。「私は、君達の個人的で純粋に宗教的な問題にだけ関心がある。私は、集団にではなく個人への父の代表である。君が、神との関係における個人的な困難があるならば来なさい。そこであなたの話を聞き、問題解決について助言しよう。しかし、宗教的な質問に関する異なる人間の解釈の調整と、宗教の社会化を始めるとき、君は、すべてのそのような問題を自身の決断で解決する運命にある。にもかかわらず、私はいつも好意的で、関心があり、君が精霊的に関係しない重要なこれらの問題を論じて結論に達するとき、ただし全員が合意する場合に限って、はじめて、私は、あらかじめ完全な承認と心からの協力を誓約する。さて、審議の妨げをしないよう、私は、君達のもとを2 週間離れる。心配しないでくれ、戻ってくるから。私は、父の用向きに関わる、我々にはこの世の他に世界があるのだから。」というだけであった。
このように言ってから、イエスは、山腹を下りて行き、皆はまる2 週間一目たりとも彼を見なかった。そして、かれらは、この間、彼がどこに行ったか、何をしたのか決して分からなかった。24 人が、問題を真剣に考えるために落ち着くことができるまでには幾らかの時があり、あるじの不在に非常に当惑していた。しかしながら、1 週間以内には再び自分達の議論の真っ只中におり、助けを求めてイエスの元に行くことはできなかった。
一団が同意した最初の項目は、つい最近イエスに教えられた祈りの採用であった。それは、両集団の使徒により信者に教えられるものとして、この祈りの受け入れに満場一致で可決された。
かれらは、牢獄の内外にかかわらずヨハネが生きている限り、12人の使徒の両集団が、彼らの仕事を続けるということ、1週間の合同会議が、時々の同意の場所で3カ月毎に開かれるということを次に決めた。
しかし、彼等の全ての問題で最も重大なものは、洗礼の件であった。イエスがこの問題に関しいかなる声明も拒否したので、彼らの困難は、以前にも増して深刻化した。彼らは最終的に同意した。ヨハネが生きている限り、または、この決定を共同で変更するまでは、ヨハネの使徒だけが、信者を洗礼し、イエスの使徒だけが、新しい弟子を最後に教える。これにより、共同審議会は、洗礼が、王国の事柄と外向き同盟における第一歩になると満場一致であったので、その時からヨハネの死後まで、ヨハネの2 人の使徒が、信者の洗礼のためにイエスとその使徒に同行した。
次に同意されたのは、ヨハネの死に際しては、ヨハネの使徒がイエスに赴き、彼の指示に従うようになること、また、イエスか彼の使徒に認可されない限り、これ以上洗礼を施さないということであった。
それから、ヨハネの死に際しては、イエスの使徒達は、神性の聖霊の洗礼の表象として水での洗礼を始めるということを票決した。悔悟が、洗礼の説教に添えられるべきであるか否かに関しては、任意のままにされた。団体を拘束する何の決断もなされなかった。ヨハネの使徒は「悔い改めよ、そして洗礼されよ。」と説教し、イエスの使徒は「信じよ、そして洗礼されよ。」と公布した。
そして、これは、異なる努力を調整し、意見の相違を組成し、外面上の儀式を制定し、個人の宗教的実践を社会化するイエスの追随者の最初の試みの物語である。
多くの他のさほど重要でない問題が考慮され、解決策が満場一致で可決された。問題に取り組み、イエスなしで困難を和らげることが強いられたとき、この24人の男達は、2 週間で本当に著しい経験をした。かれらは、意見の異なること、議論すること、論争すること、祈ること、妥協すること、そして、そのすべてを通して、他者の観点に共感しつつ、自分の正直な意見に対し少なくとも幾らかの寛容性の維持を学んだ。
イエスは、財政に関する質問の最終的な議論の午後に戻り、皆の審議や決定を聞いて言った。「これらが、それでは、君達の結論である。だから、私は、一丸となった君達の決定の精神を実行にうつす手助けをするつもりである。」
この時から2カ月半後に、ヨハネは処刑された。この期間を通して、ヨハネの使徒は、イエスと12人と留まった。彼ら全員は、この仕事の期間、デカーポリスの街々で一緒に働き、信者を洗礼した。西暦27年11月2日、ギルボーアの野営は解散された。
11月と12月を通して、イエスと24 人は、デカーポリスのギリシアの街々、主にシソポリス、ゲラーサ、アビラで静かに働いていた。これは、実にヨハネの仕事と組織の引き継ぎのその予備期間の終わりであった。常に、新たな、意外な顕示という社会化される宗教は、救おうとする以前の宗教の確立した型と慣習の妥協の代価を支払うのである。洗礼は、イエスの追随者が、宗教団体として、洗礼者ヨハネの追随者を組み入れるために支払った代価であった。ヨハネの追随者は、イエスの追随者に加わる際に、水での洗礼を除くほとんど全てを諦めた。
イエスは、デカーポリスの街々での伝道において公への教えをしなかった。かれは、かなりの時間を24 人への教えに費やし、ヨハネの12 人の使徒との多くの臨時会をもった。そのうちに、かれらは、イエスが、なぜ獄中のヨハネの訪問に行かないのか、また、なぜその釈放の確保の何の努力もしないのかをよく理解するようになった。しかし、かれらは、イエスが、なぜ驚異の業を施さないのか、なぜ神の権威の可視的な印をもたらすことを拒否するのかについては、決して理解することができなかった。ギルボーアの野営に来る前、彼らは、主としてヨハネの証言によりイエスを信じていたが、すぐ、あるじとその教えとの直接接触の結果として信じ始めていた。
この2カ月間、一団は、イエスの使徒とヨハネの使徒の中からの二人ずつの組になってほとんど働いていた。ヨハネの使徒が洗礼し、イエスの使徒が教授し、一方自分達の理解に従って、両者が王国の福音を説いた。そして、彼らは、これらの非ユダヤ人と信仰を捨てたユダヤ人の多くを説き伏せた。
アブネー、ヨハネの使徒の長は、イエスの敬虔な信奉者になり、後にはあるじが福音を説くように任命した70 人の教師の主長となるほどであった。
12月後半、彼らは皆、ペラ付近のヨルダン川近くへ行き、そこで、再び教えたり説教を始めた。ユダヤ人と非ユダヤ人の双方が、福音を聞きにこの野営地に来た。ヨハネの特別な友人の何人かが、洗礼者からの初めての、そして最後の伝言をあるじにもたらしたのは、イエスが、 群衆に教えていたある午後であった。
ヨハネは、そのとき獄中に1 年半もおり、イエスは、この間大半を非常に静かに働いた。従って、ヨハネが王国について訝るようになるのは、不思議ではなかった。ヨハネの友人達、イエスの教えを中断して「洗礼者ヨハネが、我々を尋ねに来させました。—本当に、あなたが救出者であるのか、それとも、他に探すべきかを。」と言った。
イエスは、中断し、ヨハネの友人達に言った。「戻って、忘れられてはいないとヨハネに言いなさい。君達が見聞きしてきたこと、貧者には説き諭された良い知らせがあるということを告げなさい。」そして、イエスがヨハネの使者達にさらに話し、再び群衆の方に向き直って言った。「ヨハネが、王国の福音を疑っていると思ってはいけない。彼は、私の弟子でもある彼の弟子に確認の問い合わせをしているに過ぎないのである。ヨハネは虚弱者でない。ヘローデスが投獄する前に、ヨハネが、説教するのを聞いたのは誰か。ヨハネに何を見たか—風に揺られる葦であったか。不安定の情趣で柔らかい衣を着ている男であったか。概して豪華に着飾る者や、華奢に暮らす者は、王の宮廷や金持ちの大邸宅にいる。だが、ヨハネを見たとき、何を見たか。予言者か。そうだ。予言者以上のものであると、私は君達に言う。ヨハネについて書かれていた。『見よ、私は、私の使者を遣わす。彼はあなた方の前に道を整える。』
「誠に、誠に、君達に言う。女性から生まれた者の中で、洗礼者のヨハネよりすぐれた者は出なかった。それでも、天の王国で小さいものは、精霊の生まれであり、神の息子になったということを知っているので、より偉大である。」
その日イエスの言うことを聞いた多くの者が、ヨハネの洗礼を受け、それにより、公的に王国への入国を表明した。そして、ヨハネの使徒は、その日以後イエスにしっかりと結びつけられた。この出来事は、ヨハネとイエスの追随達の真の結束を記した。
使者達は、アブネーとの談話の後、このすべてをヨハネに伝えるためにマカイロスに出発した。かれは、は大いに慰められ、その信仰は、イエスの言葉とアブネーに関する伝言により強化された。
この午後、イエスは、続けて教え、こう言った。「しかし、この世代を何に例えようか。君達の多くは、ヨハネの知らせも私の教えも受け入れようとはしないであろう。君達は、仲間に呼びかけて言う市場で遊んでいる子供のようなものだ。『笛を吹いてやったのに、君達は踊ってくれなかった。悲しんで泣いても、悲しまなかった。』君達の一部の者は、それと同じである。ヨハネは、食べもせず、飲みもしなかった。そこで、人々は、彼には悪魔がいると言った。人の息子は、食べもし飲みもしながら来る。そして、この同じ人々は言う。『見よ、大食いで大酒飲み、居酒屋の主人達と罪人達の仲間だ。』本当のところ、知恵は、その子供達によって証明される。
天の父は、これらの真実の幾つかを赤子に示す傍ら、賢く強慢な者からは隠しているようである。しかし、父は、全ての事をよくされる。父は、彼自身が選ぶ方法によって宇宙に自分を明らかにする。だから、働いている者、重荷を背負う者は皆来なさい。そうすれば、魂に安らぎが来るであろう。神のくびきを負いなさい。そうすれば、人知では到底測りしれない神の平安を経験するであろう。」
洗礼者ヨハネは、西暦28年1月10日の夕方、ヘローデス・アンティパスの命により処刑された。マカイロスに行っていたヨハネの弟子の数人は、その翌日処刑を聞きつけ、ヘローデスの元に行き遺骸を要求し、それを墓所の中に置き、後にセバステのアブネーの家で埋葬した。その翌日の1月12日、彼らは、ペラ近くのヨハネとイエスの使徒の野営地に向け北へと出発した。そして、かれらは、イエスにヨハネの死を告げた。報告を聞いたイエスは、群衆を解散させて、24人を集めて言った。「ヨハネが死んだ。ヘローデスが打ち首にした。今夜、共同審議に入り、それに応じてそれぞれの仕事を整理しなさい。もはや遅延はない。公然と、そして力をもって王国を宣言する時が来た。明日、ガリラヤ入りをする。」
そこで、西暦28年1月13日の朝早く、イエスと使徒は、25人ほどの弟子とともにカペルナムに進み、その夜、ゼベダイの家に投宿した。
イエスと使徒は、1月13日火曜日の晩にカペルナムに到着した。いつも通り、かれらは、ベスサイダのゼベダイオスの家に自分達の本部を置いた。洗礼者のヨハネを死に追いやられたそのとき、イエスは、ガリラヤを皮切りに初の公開の説教のための旅行を始める準備をした。イエスが戻ったという便りは、急速に街中に広まり、翌日早々に、イエスの母マリアは、息子ヨセフを訪ねるためにナザレへと急いだ。
イエスは、使徒に初めての大規模な公への説教旅行の準備を命じ、ゼベダイオス家で水曜日、木曜日、金曜日を過ごした。かれもまた、個人や団体の双方からくる多くの熱心な尋問者を迎えて、教えた。アンドレアスを通して、かれは、来たる安息日にユダヤの会堂で話す手配をした。
金曜日の夕方遅く、一番下の妹ルースが、イエスを秘かに訪問した。かれらは、岸近くに投錨された舟の中でおよそ1 時間共に過ごした。誰も、ジョン・ゼベダイオスを除いては、この訪問について知らなかっし、イエスは、他言しないよう彼を窘めた。ルースは、彼女の最も早期の精霊的意識の時代からイエスの多事多端の伝道、死、復活、昇天まで一貫して、また躊躇うことなく地球任務の神性を信じたイエスの家族の唯一人であった。そして、彼女は、肉体での超自然の父であり兄の任務の特質を一度も疑うことなく、ついには次の世界へと進んだ。裁判、拒絶、磔刑のつらい試練の間、地球の家族に関しては、末っ子ルースが、イエスの主な安らぎであった。
この同じ週の金曜日の朝、イエスが海辺で教えていると、水際近くにまで人々が押し合ったので、かれは、近くの舟に乗っている数人の漁師に助けに来るよう合図した。舟に乗り、イエスは、集ってきた群衆に2 時間以上も教え続けた。この舟は、「シーモン」と命名された。それは、シーモン・ペトロスの嘗ての漁船であり、イエス自身の手によって造られた。この特別な朝、ダーヴィド・ゼベダイオスと2人の仲間が、この舟を使っており、湖での不漁の夜から岸近くに寄ってきたところであった。イエスが、援助に来るよう要求したときは、かれらは、網の掃除や修理をしていた。
イエスは、人々に教え終えた後でダーヴィッドに言った。「私を助けに来てくれて遅れたので、今度は、君達と働かせてもらおう。漁に行こう。向こうの深いところへ行き、一網下ろそう。」しかし、ダーヴィドの助手の一人であるシーモンが、答えた。「あるじさま、それは無益でございます。我々は夜通し、こつこつ働いて、何の漁もありませんでした。でも、仰せの通り網を仕掛けてみましょう。」そこで、シーモンは、主人のダーヴィドの合図があったのでイエスの指示に従った。イエスに指定された場所に進むと、かれらは、網を沈めたが、その網が破れるのではないかと恐れるほどの魚の群れを封じ込め、陸の仲間に応援の合図を送るほどであった。3隻全てが沈むほどに魚で満たされたとき、このシーモンは、イエスに跪いて言った。「私から離れてください、あるじさま。私は罪深い者でありますから。」シーモンとこの挿話に関係があった全員は、漁獲量に驚いた。その日から、ダーヴィド・ゼベダイ、このシーモン、そしてその仲間は、網を捨ててイエスの後を追った。
しかし、これはいかなる点からも、奇跡の漁獲ではなかった。イエスは、自然に密接した学生であった。彼は、経験豊富な漁師であり、ガリラヤ海の魚の習性を知っていた。かれは、この場合、単に通常魚が日中この時刻に見られる場所にこれらの男を向けさせたに過ぎない。しかし、イエスの追随者は、常にこれを奇跡と見なした。
次の安息日、会堂での午後の礼拝の際、イエスは、「天の父の意志」について説教をした。午前中、シーモン・ペトロスは、「王国」について説いた。アンドレアスは、会堂での木曜日の晩の会合で教え、彼の課題は、「新たなる道」についてであった。この特定の時期、地球上のいかなる都市でよりもカペルナムの多くの人々は、イエスを信じた。
イエスがこの安息日の午後会堂で教えるに当たり、習慣に従いまず法律から内容を選び、出エジプト記から読んだ。「そして、あなた方の主に、神に仕えなさい。主は、あなた方のパンと水を祝福し、全ての病が除き去るであろう。」かれは、予言書からの第2の本文を選び、イェシァジァから読んで、「起きて輝きなさい。あなたの光が来たのだから。そして主の栄光が、あなたの上に輝いている。闇が地を覆い、真っ暗闇が諸国民を覆うかもしれないが、主の精霊は、あなたの上に輝き、精霊の栄光は、あなたに見られるであろう。非ユダヤ人さえこの光に来るであろう。そして、多くのすばらしい心は、この光の明るさに降伏するであろう。」
この説教は、宗教が個人的経験であるという事実を明らかにするためのイエスの側の努力であった。とりわけ、あるじは、次のように言った。
君達は、情け深い父が、全体として家族を愛するとともに、その家族の個々の構成員への強い愛情ゆえに、皆を一集団と見なしているということをよく知っている。君達は、もはやイスラエルの子供としてではなく、神の子として天の父に近づかなければならない。君達は、集団としては本当にイスラエルの子であるが、個人としては、各々が神の子である。私は、父をイスラエルの子等に明らかにしに来たのではなく、むしろ本物の個人の経験として個々の信者に神についてのこの知識と彼の愛と慈悲の顕示を携えて来たのである。予言者は全員、ヤハウェが民を労ると、神がイスラエルを非常に好きであると教えてきた。しかし、私は、後の予言者の多くも理解したよりすばらしい真実を、神があなたを—あなた方一人一人を—個人として愛していると宣言しに来た。今までのすべての世代のあなた方には、国家の、または人種の宗教があった。今は、私は、個人の宗教を与えに来たのである。
しかし、これさえ新しい考えではない。予言者の何人かが、そのように教えてきたので、君達の間の精霊的に関心のあるものの多くは、この真実を知っていた。聖書で予言者エレミヤのこの文を読んだことはないのか。『その頃には、かれらはもう、父が酸い葡萄を食べたので、子供の歯が浮くとはもう言わない。人はそれぞれ自分の咎のために死ぬ。誰でも酸い葡萄を食べる者は、歯が浮くのである。見よ、その日が、我が民と新しい契約を結ぶ時がくる。私がエジプトの国から連れ出した日に彼らの祖先と結んだような契約によるのではなく、新たな道に従って、私は、彼らの心に私の律法を書き記しさえする。私は彼らの神となり、彼らは私の民となる。その時代には、ある人が隣人に、主を知っているかとは聞かない。いや、そうではない。それは、身分の低い者から高い者までが皆、私を知るからである。
これらの約束を読んではいないのか。聖書を信じていないのか。予言者の言葉が、あなたが他ならぬこの日に見ているものに実現されているとは思わないのか。エレミヤは、宗教を心の問題として扱うことを、個人として自分自身を神に関係づけることを勧めはしなかったか。預言者は、天の神があなたの個々の心を追求するとは言わなかったか。また、本来の人間の心は、何ものにもまして、人を誤らせ、しばしば絶望的に邪であると警告されなかったのか。
エゼキエルが、宗教は、個々の経験において現実のものにならなければならないとあなたの祖先にさえ教えた個所をまだ読んではいないのか。きみは、『父が酸い葡萄を食べたので、子供の歯が浮く』という諺をもう決して用いないようになる。『私は誓って言う。』と主なる神は言う。『見よ、全ての命は私のものである。父の命も、息子の命も私のもの。罪を犯す者のみが死ぬ。』そこでエゼキエルは、神のために話してこの日にさえ予見して、『私は新たな心も与え、あなた方のうちに新たな精霊を授けよう。』と言った。
「これ以上、神が、個人の罪のために国を罰すると恐れるべきではない。天の父は、国の罪のために信じる子供等の一人を罰しはしないであろう。どんな家族の個々の構成員も、しばしば家族の誤りや集団による罪の具体的な結果に悩まなければならないが、良い国—あるいは良い世界—の希望が、個人の進歩と啓蒙に結びついているとは、気づかないのか。
人間がこの精霊的な自由を考慮した後に、地上の子等が、創造者を見つけ、神を知り、神のようになることを追い求める楽園経歴の永遠の上昇 (これは、内在する霊からくる神性の衝動への被創造物の意識的な反応に含まれる)を始めることを天の父が望んでいるということをあるじは描写した。
使徒は、この説教に大いに助けられた。彼らは全員、王国の福音が国ではなく、個人に向けられる知らせであると、より完全に理解した。
カペルナムの人々は、イエスの教えに詳しくはあったが、この安息日の説教には驚いた。かれは、代書人としてではなく、いかにも、権威を持っている者として教えた。
イエスが話し終えたそのとき、イエスの言葉に非常に動揺した会衆の一人の若者が、激しい癲癇の発作に襲われ大声で叫んだ。発作の終わりに、意識を戻すとき、かれは、夢見の状態で言った。「ナザレのイエス、いったい我々は、あなたと何の関係があるのですか。あなたは、神の聖なる者である。我々を滅ぼしに来たのですか」イエスは、人々に静かにするように命じ、青年の手を取って言った。「出て来い」—そこで、青年は、即座に目を覚ました。
この青年は、不浄の霊や悪霊にとりつかれたのではなかった。普通の癲癇の犠牲者であった。しかし、青年は、自分の患難は、悪霊憑依によるものであると教えられてきた。彼は、この教えを信じ、自分が思うことや言うことは全てその病に従って振る舞った。人々は皆、そのような現象が、不浄な霊の存在に直接起引していると信じた。従って、かれらは、イエスがこの男から悪霊を追い出したと信じた。しかし、イエスは、その時、癲癇を治しはしなかった。当日の日没後まで、この男性は、本当には癒されなかった。ペンテコステの日のずいぶん後に、イエスの行為について書く最後の使徒ヨハネは、これらのいわゆる「悪魔の追放」の行為のすべての言及を避け、そして、かれは、そのような悪霊憑依の事例は、ペンテコステ以後決して起こらなかったという事実からこれをしたのであった。
この当たり前の事件の結果、イエスが男から悪霊を追放し、午後の説教の締め括りの際に礼拝堂で奇跡的に彼を癒したという話が、カペルナム中に広められた。安息日は、そのような驚くべき噂を急速に効果的に拡散するにはまさに最適の日であった。また、この話は、カペルナムの周辺のすべての小さい居留地にまで伝えられ、人々の多くがそれを信じた。
イエスと12 人が本部を置いたゼベダイオスの大きい家では、ほとんどの場合シーモン・ペトロスの妻とその母が、料理と家事をした。ペトロスの家は、ゼベダイオス家の近くにあった。そして、ペトロスの妻の母が、数日間寒気と熱に病んでいたので会堂からの帰途、イエスと友人達は、そこに立ち寄った。さて、イエスが、この病の女性をしっかり見つめ、手を握り、眉をなで、安らぎと勇気づけの言葉をかけていたとき、偶然、熱が引いた。会堂で奇跡は施してはいなかったと使徒に説明する時間が、イエスにはまだなかった。使徒の心にはこの事件がとても鮮やかで生き生きとしており、またカナでの水と葡萄酒の件も思い出しながらもう一つの奇跡として、かれらは、この偶然の一致をとらえ、使徒の何人かは、都中にこの知らせを広めに飛び出した。
ペトロスの義母アマタは、マラリア熱に苦しんでいた。このとき、イエスが奇跡的に治癒させたのではなかった。ゼベダイオス邸の前庭で起きた並はずれの出来事の数時間後まで、つまり日没後まで、彼女の治癒は、起こらなかった。
そしてこれらの事例は、驚きを探している世代と奇跡志向の人々が、イエスが別の奇跡を行なったと宣言する口実として、すべてのそのような偶然の一致に必ず飛びつく態度の典型である。
この多事多端の安息日の終わり近く、イエスと使徒が夕食に加わる準備をするまでには、全カペルナムとその近郊では、これらの評判の治癒の奇跡に興奮していた。そして、病気や悩める者は皆、陽が落ちるとすぐにイエスのところへ行くか、友人達にそこへ運ばれていく準備を始めた。ユダヤの教えでは、神聖な安息日の間、健康を求めることさえ許されてはいなかった。
したがって、地平線に太陽が沈むや否や、何十人もの悩む男女、子供等が、ベスサイダのゼベダイオスの家に向かって進み始めた。1 人の男が、太陽が隣人の家の後ろに沈むとすぐに、麻痺している娘と出発した。
全日の出来事が、この並はずれた日没場面の舞台準備をした。イエスが午後の説教に使用した本文さえ、病気が払いのけられなければならないと仄めかしていた。かれは、先例のない力と権威で話してきた。その言葉は、とても無視できなかった。かれは、いかなる人間の権威にも訴えることなく、同時に人の良心と魂に直接話した。論理、法的こじつけ、賢明な格言に頼ることなく、聞き手の心に強力で、直接的な、明確で、個人的な訴えをした。
その安息日は、イエスの地球での人生で、さよう、宇宙の人生での、格別な日であった。すべての地域宇宙の意図と目的にとって、カペルナムの小さなユダヤの都市は、ネバドンの実質の首都であった。カペルナムの会堂の一握りのユダヤ人が、イエスの説教の重要な最後の表明を聞く唯一の存在ではなかった。「憎しみは恐怖の影である。復讐は臆病の仮面である。」聴衆もまた、「人は悪魔の子ではなく、神の息子である」と宣言する彼の祝福の言葉を忘れることができなかった。
日の入り後間もなく、イエスと使徒達がまだ夕餉の食卓の周りに長居していると、ペトロスの妻が、前庭に声を聞きつけ、扉へ向かって行くと、大きな病人の一隊を、またカペルナムからの道路は、イエスの手による治癒を求めて集いくる人々で混雑しているのを見た。彼女は、この光景を見るや否やすぐ夫に知らせ、夫はイエスに告げた。
ゼベダイ家の表口から踏み出てみると、あるじは、傷つき、苦む人々の隊列を目にした。かれは、およそ1,000人の病気や病気がちの人間を見つめた。少なくとも、それは、彼の目の前に集まった人数であった。居合わせる者すべてが苦しんでいるというわけではなかった。一部の者は、この努力において治療を確実にするために愛しい者達を補助しながらやって来た。
宇宙行政にあたる彼自身の信託された息子達の誤りと悪行の結果として、大いに苦しんでいるこれらの悩める人間達、女、男、子供等の光景が、特にイエスの人間の心の部分に触れるとともに、この情け深い創造者たる息子の神性の慈悲を刺激した。しかし、かれは、純粋に物質的な驚異の土台の上に永続する精霊的な動勢を築き上げることは決してできないことをよく心得ていた。自身の創造者の特権を示すことを控えることは、彼の一貫した方針であった。カナ以来、超自然の、あるいは奇跡の教えは、彼の教えに伴うことはなかった。それでも、苦しむこの群衆は、彼の同情的な心に触れ、彼の理解ある愛情に力強く訴えるのであった。
前庭からの声が叫んだ。「あるじさま、話しください。私達の健康を取り戻してください。病気を治してください。魂を救ってください。」これらの言葉が発せられるや否や、この肉体をもつ宇宙の肉体化の創造者にいつものように伴っている熾天使、物質制御者、生命伝送者、中間者の巨大な数の随員は、君主が合図を送るならば、創造する力で行動する準備ができていた。これは、人の息子が判断に当たり神性の叡知と人間の同情が絡み合ったので、イエスの地上経歴において父の意志への訴えにおいて避難を求めるというそういった瞬間の1つであった。
ペトロスが、救いを求める叫び声に注意するようにあるじに懇願すると、イエスは、苦しんでいる群れを見下ろして答えた。「私は父を明らかにし、その王国を設立するためにこの世界にやって来た。この目的のためにこそ、この時間まで生きてきたのである。従って、もし、それが私を寄越したあの方の意志であり、また、天の王国の福音公布への私の献身に矛盾していなければ、私の子供が完全にされるのを見ることを望み、—そして—」しかし、それから先のイエスの言葉は、騒ぎで掻かき消された。
イエスは、この治療決定の責任を父の裁定に任せた。イエスの専属思考調整者の指揮下に働いている天の人格の集団が勢いよく活動していたとき、あるじは、ほとんど言葉を発していなかったので、明らかに父の意志は異議を挟まなかった。夥しい数の随員は、苦しめられているこの人間の群れの中に降りて行き、瞬時に683人の男女、子供等が完全になった、すなわち、すべての身体の病気と他の具体的な異状が完全に癒された。そのような場面は、その日以前も、その日以降も、地球では決して目撃されなかった。そして、治療のこの創造的なうねりを見るためにいた我々にとって、それは感動的な光景であった。
しかし、超自然の回復のこの突然で予想外の発生に驚いた全ての存在の中でも、イエスが、最も驚いた。彼の人間的興味と同情が、目前に広がる悩み苦しんでいる光景に焦点が合わせられた瞬間、かれは、創造者たる息子の特定の状態や状況のもとでの創造者の特権である時間要素を制限できないことに関して専属調整者の勧告的な警告を自分の人間の心に留めおくことを怠った。イエスは、もし父の意志がそれによって侵されないのであれば、これらの苦しむ人間が完全に癒されるのを見ることを望んでいた。イエスの専属調整者は、創造的なエネルギーのそのような行為が、そのとき楽園の父の意志を逸脱しないと即座に判断し、そして、そのような決定により—治療願望のイエスの先行する表現があったことから—創造的行為があった。創造者たる息子が望むことは、何であろうがその父が望むことなのである。そのような一纏めの人間の肉体治療は、その後のイエスの地上生活のすべてにおいて行なわれなかった。
予想されていたかもしれないように、カペルナムのベツサイダでの日没のこの治療の評判は、ガリラヤとユダヤ中に、そして地方へと広まった。再び喚起されたのはヘロデの恐怖であり、かれは、イエスの活動と教えに関する報告をすること、また彼がナザレの元大工であるのか、それとも洗礼者ヨハネが死から復活したものなのかを見張り人に確かめに行かせた。
主にこの意図しない肉体的な治療の披露ゆえに、これからずっと残りの地球経歴の間、イエスは、伝道者であるととも医師にもなった。彼が教え続けたのは本当であるが、使徒が、公への説教と信者への洗礼をする一方、イエスの個人的な仕事は、大部分は病人と困窮する者への奉仕であった。
しかし、神性エネルギーのこの日没の超自然の、創造的な身体的な治療の享受者の大半は、慈悲のこの驚異的徴候により永久に精神的に恩恵を被った訳ではなかった。少数の者は、この身体的恩恵に本当に教化されたのだが、精霊の王国は、時間を超越した独創的治療のこの驚くべき現象によっては人の心に進入しなかった。
地球でのイエスの任務に沿って時おり起きた治療の奇跡は、王国公布の計画の一部ではなかった。それらは、神性の慈悲と人間の同情の先例のない組み合わせに関連したほとんど無制限の創造者の特権の神性存在体を必然的に地球に固有に備わっていたことによる。しかし、そのようないわゆる奇跡は、偏見を高める評判をもたらし、多くの求めていない悪評を提供したので、イエスに多くの迷惑をもたらした。
この大々的な治療後の晩ずっと、悦びと幸せな群集は、ゼベダイオスの家に溢れ、イエスの使徒は、感情的な熱意で最高に緊張していた。人間の見地から、これは多分、イエスとの彼らの全ての関わりの中で最高の日であった。ついぞ、後にも先にも彼等の望みは、確信に満ちたそのような期待の極みにまで高まることはなかった。イエスは、ほんの数日前に、まだサマリアの境界内にいるとき、王国が政権を握る時が来たと彼らに言い、使徒は、そのとき目にしたことが、その約束の実行だと思った。かれらは、治療の力のこの驚くべき現象が、ほんの始めであるならば、来ることになっている光景にわくわくするのであった。イエスの神性に対するかれらの持続する疑いは、払いのけられた。かれらは、戸惑いの魅惑の頂点に文字通り酔っていた。
かれらは、イエスを捜したが、見つけることができなかった。あるじは起きてしまったことに非常に狼狽した。さまざまの病気が癒されたこれらの男女、子供は、夜遅くまで長居し、感謝を伝えられるかもしれないとイエスの帰りを望んでいた。使徒は、数時間が経過し、隠遁したままのあるじの行為を理解することができなかった。あるじの打ち続く不在を除けば、彼らの喜びは、いっぱいで完全であったのだろうが。イエスが彼らのもとに戻ったときには、時刻は遅く、治癒の出来事の受益者のほぼ全員は、各自の家に帰っていた。イエスは、 12人と彼に挨拶するために長居していた他の者達の祝辞と敬愛を拒み、「父は肉体を癒す力があると喜ぶのではなく、魂を救う力があると喜びなさい。明日は父の用向きをするのであるから骨を休めよう。」と言った。
またもや12 人は失望し、当惑し、心嘆く男等は、それぞれの休息についた。双子以外は、その夜ぐっすり眠った者はあまりいなかった。あるじは、使徒の魂を励まし心を喜ばせる何かをするやいなや、彼らの望みを即座に粉々に打ち砕き、勇気と熱意の基盤を完全に取り壊すように思えた。この戸惑う漁師達が互いの目を覗き込むとき、彼らには「彼を理解することができない。このすべては何を意味するのか。」という1つの考えしかなかった。
イエスもまたその土曜日の夜、あまり眠らなかった。世界には物理的苦悩が満ち、物質的な困難がはびこっていると、かれは、はっきりと知り、そして、病人や苦しんでいる者に時間の多くを注がざるをえないので、人の心の中に精霊の王国を設立するという自分の任務が妨げられるか、あるいは、少なくとも物理的なもののための活動に従属されるという重大な危険の思索に耽けった。夜間、イエスの人間の心を占めたこれらの考え、また同様の考えのために、その日曜日の夜明けのはるか前に起き、父との親交のために一人で好きな場所の1つに出掛けた。この早朝のイエスの祈りの主題は、かれが、人間の苦しみを前にして、自身の人間の同情が、自身の神性の慈悲とつながれて、自分にそのような訴えをすることを許させないかもしれないということ、自分の時間のすべてが、物理的な奉仕で占められ、精霊的な奉仕を怠るということへの叡知と判断のためのものであった。かれは、必ずしも病人の世話を避けることを願ったというわけではなかったが、精霊的な教育と宗教的な訓練のより重要な仕事もしなければならないということを知っていた。
イエスは、一意専心に適した個室がなかったので丘に何度も祈りに出かけた。
ペトロスは、その夜眠ることができなかった。それで、かれは、非常に早く、イエスが祈りに出かけた直後に、ジェームスとジョンを起こし、3 人であるじを探しに行った。1 時間以上の探索の後、かれらは、イエスを見つけ、彼の奇妙な行為の理由を教えてくれるように懇願した。かれらは、すべての人間が大喜びし、また使徒が大いに喜んでいるときに、かれはなぜ、治癒の精霊の強力な注入に悩んでいるように見えるのかを望んでいた。
4 時間以上イエスは、これらの3 人の使徒への何があったかの説明に努めた。かれは、生じた事について教え、そのような徴候の危険性を説明した。イエスは、祈るためにやって来た理由を打ち明けた。父の王国が、なぜ驚異の働きや身体の治療に基づいて建てることができないのか本当の理由を仲間に明確にしようとした。しかし、彼らは、その教えを理解することができなかった。
一方、日曜日の早朝、苦しんでいる者や物珍しさを求める他の群衆が、ゼベダイの家の周りに集まり始めた。かれらは、イエスに会おうと騒ぎ立てた。アンドレアスと使徒は、とても当惑しており、シーモン・ゼローテースが会衆に話す間、アンドレアスは、数人の仲間とイエスを探しに出た。3 人の仲間といるイエスの居場所をつきとめると、アンドレアスが言った。「あるじさま、群衆になぜ我々を置き去りになさるのですか。ご覧ください。全ての者が、あなたを追い求めております。これまで決してこれほど多くの者が、あなたの教えを求めたことはございません。今も、家は遠近からやってきた者達に取り囲まれております。かれらに教えに私たちと戻ってもらえませんか。」
これを聞いたイエスが答えた。「アンドレアス、私の地球の任務は、父の顕示であり、私の知らせは、天の王国の発布であることを、私は、お前やこれらの者に教えてはこなかったか。どうして、では、物見高い者を喜ばせ、兆しや驚異を捜し求める者の満足のために私の仕事から横を向かせたいのか。我々は、この数カ月ずっとこれらの人の中にいなかったか。彼等は、王国に関する朗報を聞くために大勢で押し寄せて来たか。かれらは、なぜ今、我々を取り巻きに来たのか。魂救済のための精霊的真実の享受の結果としてではなく、むしろ彼らの身体の治癒のためではないのか。人が驚異的な兆候のために我々に引きつけられるとき、彼らの多くが、真実と救済を求めてではなく、むしろ身体の疾患治癒を求めて来たり、物質的困難からの確実な救済を得るためにやって来るのである。
「私がカペルナムにいるこの間中、会堂でも、海辺でも、私は、真実を聞く耳と受け入れる心を持つすべての者に王国の朗報を説いてきた。精霊的なものを排除し、これらの好奇心の強い者の要求を満たし、身体の事柄のために忙しく立ち回るために君達と戻ることは、父の意志ではない。福音を説き病人に力を貸すために君達を聖別したが、私は、私の教えを廃除して、治療に没頭するようなことになってはいけない。いや、アンドレアス、ともに帰るつもりはない。我々が教えたことを信じ、神の息子等の自由を喜ぶようにと人々に伝えなさい、そして、ガリラヤの他の都市へ向かう我々の出発にそなえなさい、そこでは、すでに王国の良い知らせを説く道が、用意できている。父の元から私が来たのは、この目的のためである。行きなさい、そして、私が帰りを待ち受けている間、我々の即時の出発に備えなさい。」
イエスが話し終えると、アンドレアスと仲間の使徒は、ゼベダイオスの家に悲しそうに戻っていき、集ってきた群衆を解散させ、イエスの指示通りに旅仕度をした。そして、西暦28年1月18日、日曜日の午後、イエスと使徒は、ガリラヤの都市での自分達の最初の、本当に公のための、公然の伝道遊歴に旅立った。かれらは、この最初の遊歴に当たり王国の福音を多くの都市で説いたが、ナザレへは行かなかった。
その日曜日の午後、イエスと使徒が、リッモーンに向けて発った直後に、弟のジェームスとユダが、彼に会いにゼベダイオスの家を訪問した。当日正午頃、ユダは、兄ジェームスを捜し出し、二人でイエスの元に行こうと主張した。ジェームスがそれに同意する頃には、イエスはすでに出発していた。
使徒達は、カペルナムで刺激された遠大な関心を後にすることには気が進まなかった。ペトロスは、少なくとも1,000人の信者が王国へと洗礼されるかもしれないと見込んだ。イエスは、我慢強くそれらを聞いたが、戻ることには同意しないのであった。一時期、沈黙が広がり、そこで、トーマスは、仲間の使徒に講演して「行こう。あるじは話された。天の王国の神秘を完全に理解することができないとしても、我々は1つの事を確信している。我々は自分のためにいかなる栄光をも求めない師について行くのだ。」と言った。そこで、皆は、しぶしぶ、良き知らせを説きにガリラヤの都市へと出掛けた。
西暦28年1月18日、日曜日、ガリラヤでの初の公開伝道遊歴が始まり、それは、およそ2カ月間続き、3月17日にカペルナムへの帰還で終わった。ヨハネの元使徒の援助を受けてイエスと12人の使徒は、この遊歴中、リッモーン、イオタパタ、ラマハ、ゼブールーン、イロン、ギシャーラ、ホラズィン、マードン、カナ、ナイン、エンドールで福音を説き信者達を洗礼した。これらの都市で逗留し教え、一方、他の多くのより小さい町では通過する際に王国の福音を公布した。
イエスが仲間に自由に説教することを許諾したのは、これが初めてであった。かれは、この遊歴で3 回だけ彼らに警告をした。ナザレに近づかないことと、カペルナムとティベリアスを通過するときは慎重であるように訓戒した。それは、使徒にとり、遂に自由に説いて規制なしで教えることができると感じる大きな満足感の源であり、かれらは、福音の説教、病人への奉仕、信者の洗礼の仕事に打ち込んだ。
リッモーンの小さい都市は、かつてバビロンの空気の神、ラッマンが崇められていた。初期のバビロン人と後のゾロアスターの教えの多くが、まだリッモーン人の信仰に迎え入れられていた。従って、イエスと24 人は、多くの時間、これらの以前の信仰と新しい王国の福音との違いを明確にする課題に専念した。ここでペトロスは、彼の早期の経歴の幾つかの立派な説教の1つ「アーロンと金の子牛」を説いた。
リッモーンの市民の多くがイエスの教えの信奉者になったが、かれらは、後年その同胞に大きな問題をもたらした。一つの人生の短い間に、自然崇拝者を精霊的な理想の崇拝完の全な親交に転向させることは、困難である。
光と闇、善と悪、時と永遠の考えについてのバビロンとペルシアのより良いものの多くは、いわゆるキリスト教の教義に後に取り入れられ、それらの包含は、近東の民族がキリスト教の教えをすぐに許容できるようにした。同様に、多くのプラトンの理想的な精霊の型、あるいは、すべての可視で物質的なものの不可視な型の包含は、後にフィロンによってヘブライの神学に適合させられるように、パウーロスのキリスト教の教えを西方のギリシア人が受諾することをより簡単にした。
トダンが、最初に王国の福音を聞いたのはリッモーンであり、彼は、後にこの知らせをメソポタミアへ、そしてさらにその先へと伝えた。かれは、ユーフラテス川以遠に住む人々に朗報を説く最初の者達の一人であった。
イオタパタの一般人は、喜んでイエスと使徒の言葉を聞き、多くが王国の福音を受け入れたが、イオタパタでの任務を際だたせるのは、この小さい町での滞在2晩目の24人へのイエスの講話であった。ナサナエルの心では、祈り、感謝の祈り、崇拝に関するあるじの教えが混乱していた。そこで、彼の質問に応えて、イエスは、かなりの長さでこの教えのさらなる説明をした。この講話は、現代の言葉遣いにまとめて、次の点を強調して示すことができる。
1.人の心の中における不正への意識的かつ執拗な顧慮は、祈る者の魂の回路、その製作者との精霊的意志疏通の回路の接続を徐々に滅ぼす。当然、神は、その子供の陳情を聞くのだが、人間の心が不正の概念を故意に、そして持続的に抱くとき、徐々に、地球の子供とその天の父との個人的な親交の消失が結果として起こる。
2.既知の、しかも確立した神の法に矛盾するその祈りは、楽園の神格に対する憎悪である。精霊、心、物質の法則において、神々が、被創造者に話すようには、人が神々の言うことを聞こうとしないならば、被創造者による作為ある意識的な侮蔑行為そのものが、そのような無法かつ反抗的な人間の個人の陳情を聞くことから精霊的人格の耳を遠ざけるのである。イエスは、使徒に予言者ザハリーアから引用した。「だが、彼らは聞こうともせず、肩を怒らし、耳をふさいで聞き入れなかった。さよう、彼らは、予言者達を通して我が精霊により送った法と言葉を聞き入れないために、心を石のように硬くした。したがって、彼らの邪な考えの結果、大きな怒りが、邪な考えをもつ者の上におりてきた。そして彼らは、慈悲を求めて泣くこととなったが、何も聞かれなかった。」 そこでイエスは、「神の法を聞こうとしない者は、その祈りさえ忌み嫌われる。」と賢者の言った諺を引用した。
3.神-人の意思疏通経路の人間側の端を開けることにより、必滅の運命にある者達は、すぐに、世界の被創造物への神性の働き掛けであるいつまでも続く流れを利用できるようにする。人が心の中の神の精霊が話すのを聞くとき、神がその人の祈りを同時に聞くという事実は、そのような経験に固有なことである。罪の許しさえこの同じ的確な様式で作動する。天の父は、人が請うことを思いつく前にさえ許した。しかし、そのような許しは、自身が仲間を許すそのような時まで、個人的な宗教経験において可能ではない。神の許しは、仲間を許すことを実際条件とはしないが、経験において、それは、全くそのように条件づけられている。そして、神と人間の許しのこの同時性の事実は、このように認識され、また、イエスが使徒に教えた祈りで結びつけられた。
4. 慈悲が法を回避するのに無力である宇宙には、正義の基本的な法がある。楽園の寡欲な栄光は、時間と空間の領域の完全に利己的な被創造者による受領は可能ではない。神の無限の愛でさえ、生き残りを選ばない人間に永遠の生存の救済を押しつけることはできない。慈悲には、宏大な贈与の柔軟性があるが、結局は、慈悲と結合される愛でさえ効果的に取り消すことのできない正義の命令がある。イエスは再びヘブライの聖書から引用した。 「私は呼んだが聞こうとしなかった。手を差し延べたが誰とて注目しなかった。人は、私のすべての助言を無視し、叱責を拒絶し、この反抗的な態度のため、私を訪ねても答えを受けとれないということが回避不能となってくる。生き方を拒絶したので、苦しんでいるとき、一所懸命に私を探すかもしれないが、見つけられないであろう。」
5.慈悲を受ける者は、慈悲を示さなければならない。自分は裁かれることはないと判断してはいけない。人が他者を裁く態度で人はまた裁かれるであろう。慈悲は宇宙の公正さを完全には取り消さない。最後には、それは、本当であると判明するであろう。「貧者の叫びに耳を貸さない者は誰であろうといつかは泣いて助けを求めるだろうが、だれもその声を聞かないであろう。」どんな祈りの誠意も、聞かれることの保証である。どんな陳情に対しても、精霊の叡知と宇宙の一貫性が、時、方法、答えの度合の決定者である。賢明な父というものは、無知で未経験な子の愚かな祈りには文字通り応じない、とはいえ、子は、そのような不合理な陳情に多大の喜びと魂の真の満足を得るかもしれないが。
6.天の父の意志を為すことに完全に献身するとき、人の祈りは父の意志と完全に一致するし、また父の意志は、その広大な宇宙のの至る所で常に明白であるので、すべての誓願への答えが用意されるであろう。真実の息子が望むことは、無限の父が望むことである。そのような祈りが答えられないままでではありえない、だが、他のいかなる類の請願も、おそらく詳細に答えられるというわけではない。
7.公正な者の叫びは、善、真、慈悲の父の倉の戸を開く神の子の信仰の行為であり、これらの見事な贈り物は、息子の接近と個人的充当を長く待っていたのである。祈りは、人への神の態度を変えはしないが、不変の父への人の態度を変える。祈る者の社会的、経済的、または外向きの宗教の地位ではなく、祈りの動機が、神の耳への優先権を与える。
8.祈りは、時間の遅れを避けたり、空間の障害を卓越することには許されない。祈りは、自己を増大したり、仲間よりも不公平な利点を獲得するための手段として考案されてはいない。徹底的に利己的な魂は、言葉の持つ本当の意味で祈ることができない。イエスは、「神の特質をあなたの最高の喜びとしなさい。そうすれば、神は心からの願いを必ず聞き届けるであろう。」「道を神に委ねなさい。神を信頼しなさい。そうすれば、彼は行うであろう。」「主は貧しい者の叫びを聞き、困窮している者の祈りに注目するのだから。」と言った。
9.「私は父からやって来た。だから、父に尋ねることに関して疑うなら、私の名前で願いなさい、そうすれば、私は、あなたの本当の必要と願望と、また父の意志に従って、願いを提示するつもりである。」祈りで自己中心になるという重大な危険を警戒しなさい。自分のために多く祈ることを避けなさい。同胞の精霊的な進展のためにより祈りなさい。物質的な祈りを避けなさい。精霊の中に祈り、精霊の贈り物の豊かさのために祈りなさい。
10.病人や困苦する者のために祈るとき、君の願いが、この苦しむ者達の必要なとする物への優しくて知的な奉仕にとって代わると期待してはいけない。家族、友人、仲間の幸せを祈りなさい、しかし、特にあなたを罵る人々のために祈りなさい、そして、あなたを迫害する者のために情愛深い請願をしなさい。「だが、いつ祈るかを言うつもりはない。内に宿る精霊のみが、精霊の父とのあなたの内側の関係を表すそれらの願いの言葉へとあなたを動かすかもしれない。」
11.多くの者が困ったときだけに祈りに訴える。そのような習慣は、軽はずみで紛らわしい。本当である、悩むときに祈るのは良いというのは、だがすべてが魂とうまくいくときでさえも、父の息子として話すことを心に留め置くべきである。自分の真の誓願はいつも秘密にして置きなさい。個人的な祈りを人に聞かせてはならない。感謝の祈りは、集団での崇拝に適してはいるが、魂のための祈りは私事である。全ての神の子にとり適切である唯一の祈りの型があり、それは、「それでも、あなたの意志は為されます。」である。
12.この福音の全ての信奉者は、心から天の王国の拡大を心より祈るべきである。ヘブライ聖書のすべての祈りのうち、イエスは、詩篇作者の申し立てにもっとも同意して注解した。「神よ、私に清い心を造り、私のうちにある良い精神を新たにしてください。秘めた罪から私を一掃し、あなたのしもべを傲慢の罪に近寄らせないでください。」イエスは、「主よ、私の口に見張りを置き、私の唇の戸を守ってください。」と引用して、かなりの時間にわたって祈りと不注意で問題のある言論との関係について評した。「人間の舌は、」と、イエスは言った。「わずかな者しか慣らすことのできない身体の一部である。しかし、宿る精霊は、この手に負えない一員を寛容で慈悲を奮い立たせる親切な声へと変えることができる。」
13.イエスは、この世の人生の道における神の導きを求める祈りは、父の意志についての知識のための嘆願に続いて重要なものだと教えた。実際は、これは、神の叡知を求める祈りを意味する。イエスは、人間の知識と特別な技術が祈りによって獲得できるということを決して教えなかった。しかし、かれは、祈りが、神性の精霊の臨場を受ける人の能力の拡大における要因であることを教えた。イエスが精霊と真実において祈ることを仲間に教えるとき、切実に、そして人の啓蒙に従って祈ることに、つまり心から理性的に、切々と断固としてと祈ることに言及したと説明した。
14.イエスは、祈りが極度に修辞的な反復、雄弁な言葉遣い、断食、苦行、または犠牲によってより効果を生むというような考えを避けるように追随者に警告した。感謝を通して真の崇拝へ導く方法としての祈りを用いるように、信者に強く勧めたのであった。イエスは、追随者の祈りと崇拝における感謝の態度があまりにも少なすぎることを嘆いた。この機会に聖書から引用して言った。「主に感謝し、いと高きものの名を褒めて歌うこと、朝毎にその愛の優しさを、夜毎にその真実を言い表わすことは、良い事である、というのも、神が為されたことで私を喜ばせてくださいましたので。神の意志通りに、全てに感謝いたします。」
15.イエスは続けた。「通常の必要なものについて絶えず心配し過ぎてはいけない。地球での存在問題について気づかうではない、だが、誠実な感謝の態度で、祈りと懇願により、これら全てにおいて、必要な事柄を天にいる父の前に広げなさい。」そこで、かれは、聖書から引用した。「私は歌で神の名を誉め称え、感謝の祈りで崇めます。それは、角と蹄をもつ雄牛、または若い雄牛の生贄にまさって主に喜ばれるでしょう。」
16. イエスは、父への祈りをするとき、耳を傾けている魂に内在する精霊が話す良い機会を与えるために、しばらく静かな受け入れの状態にいるべきであると信奉者に教えた。人間の心が本当の崇拝の態度にあるとき、父の精霊は、人と最もよく話す。我々は、内在する父の精霊の援助と真実の奉仕を通しての人間の心の照明によって神を崇拝する。イエスは、崇拝とは、ますます人を崇拝されるもののに似せていくものだと教えた。崇拝は、有限者が次第に無限者に接近し、最終的に無限者の臨場に達する変換経験である。
そして、イエスは、神との人の親交について他の多くの真実を使徒に話したのであったが、彼らの多くのは、彼の教えを完全には理解できなかった。
イエスは、科学と哲学が人間の経験の需要を満たすに十分であると教えた老いたギリシアの哲学者とのラマハでの忘れ難い議論をした。イエスは、忍耐と共感をもってこのギリシア教師の言うことを聴き、教師が話し終えたとき、語られた多くの真実を認めながらも、イエスは、人間の存在の議論について「どこから、なぜ、どこへ」についての説明がなかったことを指摘してつけ加えた。「あなたが止めたところで、我々は始まる。宗教とは、心だけでは決して発見することができなかった、あるいは完全に理解することのできなかった精霊の現実を扱う人の魂の顕示である。知的な努力は、人生の事実を明らかにするかもしれないが、王国の福音は、存在の真実を繰り広げる。あなたは、真実の物質的な影について検討してきた。これらの人間存在の物質的事実のつかの間の影を投げかける永遠かつ精霊的な現実について話す間、今度は、君が聴いてくれるだろうか。」1 時間以上、イエスは、王国の福音の救済の真実についてこのギリシア人に教えた。年老いた哲学者は、あるじの接近の態様を容易に受け入れ、心から正直であったので、すぐにこの救済の福音を信じた。
使徒は、イエスがこのギリシア人の多くの命題に公然と賛成する様子に少し当惑したが、イエスは、そののち彼らに個人的に言った。「わが子よ、ギリシアの哲学に寛容であったからといって驚くではない。真の、本物の内面的確実性は、少しも外面的分析を恐れることなく、真実もまた正直な批判に憤慨することはない。人は、不寛容が、人の信念の真実性に関して秘密の疑念を抱くことを覆い隠す仮面であるということを決して忘れるべきではない。心から信じるその真実を完全に信頼するとき、だれも決して隣人の態度により邪魔をされない。勇気は、人が信じることを公言するそれらの事柄への完全な正直さへの確信である。誠実な人間は、自らの本当の信念と高潔な理想に対する批判的な考査を恐れない。」
ラマハでの2 晩目、トーマスは、イエスにこの質問をした。「あるじさま、あなたの教えの新しい信者達は、どのようにして王国のこの福音の真実に関し本当に知り、確信できるのですか。」
そこで、イエスはトーマスに言った。「人が、父の王国の家族に入ったという、また王国の子等とともに永遠に生き残るだろうという人の保証は、完全に個人的な経験—真実の言葉への信頼—の問題である。精霊的な保証は、神性の真理の永遠の現実における個人の宗教経験に相当しており、さもなければ、人の真理の現実の理性的な理解に精霊的な信仰を加え、あなたの正直な疑問を引いたものに等しいのである。
「息子は、父の命を自然に賦与されている。父の生きる精霊を賦与されているので、あなたは、それゆえ神の息子である。あなたは、父の生きる精霊、永遠の命の贈り物と同一視されるので、肉体の物質界において人生を乗り切る。多くの者が、本当に、私が父の元から来る前にこの人生を過ごし、そして私の言葉を信じたので、もっと多くの者がこの精霊を受けた。しかし、私が父のもとへ戻るとき、すべての人の心の中へ父がその精霊を送ると、私は断言する。
「あなたは、神霊の心で働きを観察することができないが、天の父のこの内在する精霊の教えと指導にあなたの魂の力の制御を委せた度合いを知る実用的な方法があり、そしてそれは、仲間に対するあなたの愛の度合いである。父のこの精霊は、父への愛の性質があり、人を支配しつつ、神性の崇拝と仲間への思いやりの愛の方向へとつねに導くのである。私の教えは、父の内在する存在の内面からの指導を、君により意識させるようになったので、君は、まず神の息子であると信じている。しかし、やがて真実の聖霊は、すべての人に注がれ、私が今君達の中に生き、真実の言葉を話しているように、それは、人の中に生き、すべての人に教えるであろう。この真実の聖霊は、君の魂の精霊的な贈与を代弁して、神の息子であることをあなたが認識する手助けをするであろう。真実の聖霊は、現在一部の人のなかに住んでいるように、その時には全ての人間の中に住む父の内在する存在を絶えず証言するし、君の精霊は、君が神の息子であるということを君に伝える。
この精霊の導きに従う地球のあらゆる子共は、遂には神の意志を知り、父の意志に降伏する者は、永遠に生きるのである。地球の生活から永遠の身分状態への道は、あなたには明らかにされていないが、道はあり、またつねにあったのであり、私は、その道を新たに、しかも活気のあるものにするために来た。王国に入る者は、すでに永遠の命をもつ—決して滅びない。しかし、あなたは、この多くを私が父の元へ帰った後により一層理解するであろうし、また、回顧して現在の経験を見ることができる。」
そして、これらの祝福の言葉を聞いた者全ては、大いに励まされた。ユダヤ人の教えは、正しい者の生存に関して混乱していて不確かであって、イエスの信奉者には、全ての本物の信者が永遠に生存に関わるこれらの非常に明確で積極的な保証の言葉を聞くのは、爽快で、奮い立たせるものがあった。
使徒は、戸別訪問の慣例を続け、意気消沈した者を安らげ、病苦の者に力を貸し、信者を説いたり洗礼をし続けた。イエスの使徒の各々が、その時ヨハネの使徒を仲間としていたので、使徒の組織は拡大された。アブネーは、アンドレアスの仲間であった。そして、次の過ぎ越し祭りためにエルサレムに行くまで、この策が取られた。
ゼブールーンでの彼らの滞在中、イエスが与えた特別な指示は、主に王国での相互の義務に関するさらなる議論と関係があり、それは、個人の宗教経験と社会の宗教義務の友好の違いを明確にするように考案された教育を包含した。これは、あるじがかつて宗教の社会的局面を議論したという数少ない機会の1つであった。地上での全人生を通じて、イエスは、宗教の社会化関して追随者にごく僅かしか教授しなかった。
ゼブールーンには混合民族がいて、殆どユダヤ人、あるいは非ユダヤはおらず、彼等は、カペルナムでの病人の治癒について聞いたにもかかわらず、少数の者しかイエスを本当には信じなかった。
ガリーラとイェフーダの小さな多くの都市でさえそうであるように、イロンには会堂があり、イエスの活動の初期には、安息日に会堂で話すのが彼の習慣であった。時々、かれは、朝の礼拝で話し、そして、ペトロスか他の使徒の一人が午後の礼拝で説教するのであった。イエスと使徒は、会堂で平日の夜の集会でしばしば教えもし、説教もしたのであった。エルサレムの宗教指導者達は、ますますイエスに敵対的になったが、かれらは、その都市の外の会堂には直接支配の行使はしなかった。かれらが、会堂での教導に対しほぼ全般的な閉鎖をもたらすために彼に対しそのような広範囲にわたる感情を巻き起こすことができるのは、イエスの公の活動の後期であった。この当時は、ガリーラとイェフーダの全ての会堂が彼に開かれていた。
イロンは、その頃大規模な鉱物現場であり、イエスは、坑夫の生活に一度も加わったことがなかったので、イロンでの滞在中、時間の大部分を鉱山で過ごした。使徒が、家庭訪問をして、公の場で説教をする間、イエスは、これらの地下労働者と鉱山で働いていた。癒す人としての名声は、この遠くの村にさえ広まっており、多くの病人や苦に悩む者が、援助を求め、多くの者が、その治療の奉仕に大いに恩恵を受けた。しかし、かの癩病患者の件を除き、これらの事例のいずれにおいても、いわゆる奇跡というものは起こさなかった。
イロンでの3日目の午後遅く、鉱山からの戻り、イエスは、宿への途中でたまたま狭い脇道を通り抜けた。ある癩病の男のむさ苦しいあばら屋に近づくと、癒す者としての彼の名声について聞いていたこの苦しんでいる者は、戸を通り過ぎていくイエスの前に大胆にも近づき、跪いて話し掛けた。「主よ、あなたがなさろうと思うならば、私を清くしてください。私はあなたの弟子の知らせを聞きました。そして、清くなるのであれば、王国に入ります。」ユダヤ人の間では、癩病人は会堂に出席すること、あるいは、公の崇拝に従事することさえ禁じられていたので、癩病患者はこのように言った。この男は、癩病の治療法を見つけることができなければ来たるべき王国に受け入れられないと本当に信じていた。そして、イエスがその苦悩してい彼を見て、しがみつかんばかりの信頼の言葉を聞いたとき、彼の人間の心は、動かされ、神の心は同情をかき立てられた。イエスが見ると、男は跪き伏し拝んだ。そこで、あるじは、手を差し伸ばし彼に触れて言った。「しよう—きれいになれ。」そうすると、すぐに、回復した。癩病は、もはや彼を苦しめなかった。
イエスが男を抱え上げて立たせると、男に託して言った。「気をつけて、治癒については誰にも話さず、静かに自分の用向きに取り組みなさい。自分の浄めの証しのために、行って聖職者に自分を見せ、モーシェが命じた供え物を奉げなさい。」しかし、この男性は、イエスの命令通りにしなかった。その代わりに、イエスが自分の癩病を治したと街中に公表し始めた。そして、男はすべての村で知られていたので、人々は、その病の浄められたことが明らかに見てとれた。イエスが訓戒したようには聖職者達のところへは行かなかった。かれが、イエスが癒したというこの知らせを広めた結果、病人が群がったので、あるじは、翌日早く起き、村を去るのを余儀なくされるほどであった。イエスは、町には二度と入らなかったが、鉱山近くの周辺に2日間留まり、信じる坑夫達に王国の福音に関してさらに教え続けた。
癩病人のこの浄化は、この時が、意図的に、また故意にイエスが実行した最初のいわゆる奇跡であった。そして、これが本当の癩病の事例であった。
かれらは、イロンからギシャーラに行き、福音の宣言に2日間を費やして、それかれホラズィンに出発し、そこでは朗報を説いておよそ1 週間を過ごした。だがホラズィンでは王国への多くの信者を得ることができなかった。イエスが教えた場所で、そのような全般的な拒絶を受けたことはなかった。ホラズィンでの滞在は、大方の使徒には非常に気落ちのするものであり、アンドレアスとアブネーは、仲間の勇気を高めることにとても苦労した。そこでかれらは、静かにカペルナムを通過して、マードンの村に進んだが、そこではあまりうまくいかなかった。つい最近訪れたこれらの町での好評を得なかった原因は、教育と説教において治癒する者として言及することを差し控えるようにとのイエスの主張のためであったという考えが、大方の使徒の心で広がった。使徒達は、別の癩病患者を浄めるか、あるいは他の方法で人々の注意を引きつける力を表すことをいかに願ったことであったか。しかし、あるじは皆の熱い衝動に冷静であった。
「明日、カナに行く」と、イエスが発表したとき、使徒の仲間は大いに励まされた。かれらは、イエスが、カナではよく知られていたので、思いやりのある傍聴がいると知っていた。3日目に、息子が危篤状態の部分的に信者であるタイタスというカペルナムのある著名な市民が、カナに到着したとき、彼らは人々を王国にもたらす仕事を一所懸命にしていた。彼は、イエスがカナにいると聞いた。それで彼に会うために急いできた。イエスは、どんな病気も癒すことができるとカペルナムの信者達は考えていた。
この貴族は、カナでのイエスの居場所を突き止めると、イエスにカペルナムへと急ぎ、苦しむ息子を癒すことを懇願した。使徒は、息を殺し期待して傍観していると、イエスは、病の少年の父を見て言った。「どれだけそなたことを耐え忍ぶのであろうか。神の力はそなたの真ん中にあるのだが、君は、兆しや不思議なことを見ることを期待はしても、信じることは拒否する。」ところが貴族は、イエスに嘆願した。「主よ、私は信じています。でも子供が死ぬ前に来ました。私が彼を置き去りにして出てきた時はすでに死に瀕していましたので。」そこで、イエスが静かな思索にしばらく頭を下げていたが、突然に言った。「家に戻りなさい。息子は生きるであろう。」タイタスは、イエスの言葉を信じカペルナムへと急いだ。戻りかかっているところへ、会いに出てきた使用人が、「お喜びください。ご子息がよくなられました—生きておられます。」と言った。そこでタイタスが、少年は何時に回復し始めたかを尋ねると、使用人が「昨日7 時頃、熱が引き始めました。」と答えると、その父は、それはイエスが「息子は生きるであろう。」と言ったおよそその時刻であったと思い出した。それでタイタスは、その後全心で信じ、また自分の全家族も信じた。この息子は、王国の強力な聖職者となり、後にはローマで苦しむ人々に自分の人生を捧げた。タイタスの世帯全体、その友人達、および使徒達さえ、この挿話を奇跡と見なしたが、そうではなかった。少なくともこれは、身体の病気治療の奇跡ではなかった。それは、単に自然法の経過に関する予備知識、洗礼後にイエスが頻繁に頼ったまさしくそのような知識に関する例であった。
この村での活動に伴うこの種の2 度目の挿話への妥当性を欠く注目のために、イエスは、再びカナから急いで遠ざかることを余儀なくされた。町民は、あの水とワインを覚えており、今、はるか遠くの貴族の息子を癒したと思い、人々は、病人や、苦しむ者を連れてくるだけでなく、苦しむ者を癒すことさえ要求して遠くから使いの者を送るのであった。そこで、イエスは、田舎全体が興奮しているのを見ると、「ナインに行こう。」と、言った。
これらの人々は前兆を信じた。かれらは、驚きを求める世代であった。この時までにガリラヤの中部と南の人々は、イエスとその個人の活動を奇跡の目で見るようになった。ただの精神異状や情緒障害に苦む数多くの、何百もの正直な人々が、イエスの前にやってきては、イエスが癒したと友人達に触れ回りながら帰宅するのであった。そして、そのような精神的な治癒の場合、素朴でお人よしの人々は、肉体的治療、奇跡的な療法と見なした。
カナを立ちナインに行こうとしたとき、大多数の信者と好奇心の強い多くの人々が、イエスのあとに続いた。彼らは、奇跡と驚きを見る決意をしており、失望する予定にはなかった。イエスと使徒が、都市の出入り口界隈に近づくと、ナインの未亡人の一人息子を近くの墓地へ運んで向かう葬列に出合った。この女性は非常に尊敬されており、村の半分はこのおそらく死んだ少年の棺架の運搬人の後に続いていた。葬列がイエスと追随者に近づくと、未亡人とその友人達は、あるじに気づき息子を生き返らせるように懇願した。彼らの奇跡への期待は、非常な高さにまで上がり、イエスはどんな人間の病気も治療できるのであるから、そのような治療者が死者を生き返せないことがあろうかと思うほどであった。このようにしつこく強請される間、イエスは前進し、棺架の覆いを上げ少年を調べた。青年が本当に死んでいないのに気づき、かれは、自分がそこにいることで避けることのできる悲劇を察知し、それで、母に振り向いて言った。「泣くでない、息子は死んではおらず眠っている。息子はあなたの元に戻されるであろう。」そして、青年の手を取り、「目覚めなさい、そして立ちなさい。」と、言った。そこで、死んでいたはずの若者は、ややあって座り、話し始めたので、イエスは、彼らを家に送り返した。
イエスは、群衆をなだめる努力をし、若者は本当は死んでいなかったし、墓から連れ戻してもいないと空しく説明したのだが無駄であった。後を追ってきた群衆、それにナインの村全体が、感情的な熱狂の最高度にまで湧き立っていた。恐怖は多くの者を捕らえ、狼狽は他の者を捕らえ、そして他の者達は、罪のために祈り嘆き悲しんだ。そして、騒ぎ立てる群衆を分散することができたのは、日暮れもずっと後のことであった。そして、勿論、少年が死んでいなかったというイエスの申し立てにもかかわらず、誰もが、奇跡が為され、死者さえも生き返ったと主張した。少年は、単に深い眠りについていたのであると説明しても、かれらは、それがイエスの話し方であり、常に自分の奇跡を隠そうと、とても控え目であるという事実の方へ注意を促すのであると説明した。
イエスが未亡人の息子を死から甦らせたという報道が、ガリラヤ中に、そしてユダヤに流れ、この知らせを聞いた多くは、それを信じた。目を覚まさせ立ち上がらせたとき、未亡人の息子は、実は死んでいなかったということを決して完全には全使徒にさえ理解させることはできなかった。しかし、イエスは、自分に関係ある挿話であると記録したルカスの記録を除いては、その後のすべての記録に入れないように十分に彼らに刻みつけた。そして、イエスが医師として再び取り巻かれたので、翌日早くにエンドールへと出発したのであった。
エンドールでは、イエスは、身体治癒を求めて騒ぎ立てる群衆から数日間逃れた。この地域での滞在中、あるじは、使徒への教授のためにシャウール王とエンドールの魔女の話を詳しく語った。イエスは、しばしば死者の霊と思われるものになりすました脇にそれ反逆的な中間者達は、もうこれらの奇妙なことができないように規制されるということを使徒にはっきりと告げた。イエスは、彼が父の元に帰った後、また、彼らが自分達の精霊をすべての人間に注いだ後、そのような準精霊—いわゆる不浄な霊—は、もはや人間の中の微弱な者や邪心の者に取り憑かないのだと話した。
イエスは、人間を去った精霊は、生きている仲間との意思疏通のために自分達の本来の世界には戻らないのだとさらに説明した。前進する人間の精霊は、神の配剤の時代の成就後、例外的な場合、惑星の精霊的な管理の一部としたその時にだけ、地球に戻るのが可能である。
かれらが2 日間休養すると、イエスは、使徒に言った。「明日、田舎が静まっている間、滞在し、教えるためにカペルナムに戻ろう。郷里は、もうこの類の興奮から醒めているであろう。」
イエスと使徒は、3月17日、水曜日、カペルナムに到着し、エルサレムに向けて発つ前に、ベスサイダ本部で2 週間を過ごした。この2 週間、イエスは、父の仕事に関し丘で多くの時間を一人で過す間、使徒は海辺で人々に教えた。イエスは、この期間中、ジェームスとヨハネ・ゼベダイオスを同伴してティベリアスへ2 度秘密の旅行をし、そこで信者達に会い、王国の福音を教えた。
ヘロデの屋敷の多くの者は、イエスを信じ、これらの会合に参加した。イエスに対するこの支配者の敵意を和らげるのを助けたのは、ヘロデの表向きの家族のこれらの信者の影響であった。ティベリアスのこれらの信者は、イエスが宣言した「王国」が、政治上の思惑ではなく、自然で精霊的なものであるとヘロデに詳細に説明した。ヘロデは、むしろ一家のこれらの者を信じていたので、イエスの教えや治療に関係する報告が広く行き渡ることに不必要な心配を受け入れようとしなかった。かれは、癒す者、または宗教教師としてのイエスの仕事に対して意義はなかった。多くのヘロデの顧問官や、ヘロデ自身でさえ、好意ある態度であったにもかかわらず、エルサレムの宗教指導者達に非常に影響を受け、イエスとその使徒に対し痛烈で威嚇的な敵であり続け、また後には彼らの公の活動を妨げる多くのことをしたヘロデの部下の一集団がいた。イエスにとっての最大の危険は、ヘロデではなく、エルサレムの宗教指導者達であった。イエスと使徒がかなりの時間を過ごし、公への説教の大部分をエルサレムやユダヤでよりも、むしろガリラヤでしたというのはまさしくこの理由によるのであった。
彼らが過ぎ越し祭りの祝宴にエルサレムに行く準備をしていた前日、カペルナムに駐屯するローマ人の護衛、百人隊長、すなわち兵隊長であるマングスは、会堂の支配者達のところへ赴き「私の忠実なしもべが病気になり、死の寸前なので、代理でイエスの元に行き、使用人を癒すよう頼んでくれますか。」と言った。ローマの隊長は、ユダヤ人指導者達ならイエスにより幅が利くと思ったのでこうした。そこで長老達がイエスに会いに行き、代弁者が言った。「師よ、カペルナムに行き、ローマの百人隊長の気に入りの使用人を救ってくださるように、我々は、切にお願いいたします、隊長は、非常に我が国を思ってくれ、その上、あなたが何回となく話しをした他でもないあの会堂さえ建てましたので、あなたの注目を得るに値するのです。」
イエスは話を聞くと、「一緒に行こう。」と、言った。百人隊長の家に一緒に行き、彼らが庭に入る前に、このローマ軍人は、イエスを迎えるために友人達を行かせ、次のことを告げるように頼んだ。「主よ、私の家にあなた自身がわざわざ入らないでください。私は、私の屋根の下に来てもらうに相応しい者ではありませんので。私があなたの方に参るのもまた相応しいとは考えませんでした。そういう訳で、あなた民族の長老を送らせていただきました。ところが、私は、あなたが立っておられるその場で言葉を話し、私の下僕を癒すことができるということを存しております。なぜなら、私自身、他者の命令下にあり、また私の下には兵隊達がおり、この中の一人に行けと言うと行き、また、他の者に来いというと来ます。それに、私の使用人達にこれをせよ、あれをせよと言うと、皆はします。」
イエスは、これらの言葉を聞くと、使徒や共にいた者達に向き直って言った。「非ユダヤ人の信仰には驚嘆する。誠に誠に言っておく。私は、それほどまでに厚い信仰を見たことがない。いや、イスラエルにはない。」イエスは、家を背にして、「では、行こう」と、言った。そこで、百人隊長の友人達は、家に入って行き、イエスの言ったことをマングスに言った。すると、その時間から使用人は、回復し始め、結局、通常の健康と機能を取り戻した。
しかし、我々は、ちょうどこの時に起こったかについて決して分からなかった。これは単なる記録であり、目に見えない存在が、百人隊長の使用人の治療に当たったかどうかに関しては、イエスに同伴した人々には明らかにされなかったということである。我々は、使用人の全快の事実を知るだけである。
3月30日、火曜日の朝早く、イエスと使徒の一行は、過ぎ越しの祭りのためにヨルダン渓谷経路でエルサレムへの旅を始めた。かれらは、4月2日、金曜日の午後到着し、いつも通り、ベサニアに本部を設けた。イェリーホ通過の際、ユダが家族の友人の銀行で何某かの皆の共通基金の預金をする間、かれらは、休息のために止まった。ユダが余剰金を持ち運んだのは、これが初めてであり、この預金は、イエスの裁判と死の直前にエルサレムへの最後の、そして波瀾万丈の旅で再びイェリーホを通過まで手つかずのままであった。
一行は、エルサレムへ平穏無事に旅したが、ベサニアではほとんど落ち着けなかった。身体の治療、煩わされた心の慰め、魂の救済を求めに遠近から来る者達が、非常にたくさん集まり始めたので、イエスには、休息のための時間がほとんどなかった。従って、彼らは、ゲッセマネにテントを張り、あるじは、絶えず群がりくる群衆を避けるために、ベサニアからゲッセマネへと往復するのであった。使徒の一行は、エルサレムでおよそ3 週間過ごしたが、イエスは、彼らに公開の説教ではなく、個人的な教育、および個人的な仕事だけをするように申しつけた。
かれらは、静かに過ぎ越し祭りをベサニアで祝った。そして、イエスと12人が血を見ることのない過ぎ越し祭りの祝宴に加わるのは、これが初めてであった。ヨハネの使徒は、イエスとその使徒と過ぎ越しの祭りの食を共にしなかった。彼らは、アブネーと、そしてヨハネの説教の初期の信者達と宴を祝った。これは、イエスがエルサレムで使徒と共に祝った2 度目の過ぎ越し祭りであった。
イエスと12人のカペルナムへの出発の際、ヨハネの使徒は、ともに戻らなかった。アブネーの指示に従い、かれらは、エルサレムと周辺の地域に留まり、王国の拡大のために静かに働き、一方イエスと12人は、働くためにガリラヤに戻った。70人の伝道者が任命され送り出されるほんの少し前まで、24人全員は、決して2度と一緒にはならなかった。しかし、2集団は協力的であり、相互の意見の相違にもかかわらず、最高の感情が勝った。
エルサレムでの2 度目の安息日の午後、あるじと使徒が寺での礼拝に参加しようとしていると、ヨハネが「共に来てください。あるものをお見せしたいのです。」とイエスに言った。ヨハネは、エルサレムの門の1 つを通りイエスをベセスダと呼ばれる大池へと案内した。この池の周囲には、5 つの柱廊玄関の構築物があり、その下には大集団の苦しむ者が治療を求めてたむろしていた。これは、赤みがかった水が、池の下の岩石の洞窟におけるガス蓄積の結果、時おり不規則な間隔で泡立つ温泉であった。この周期的な暖かい水域の撹拌は、超自然の影響によるものだと多くに信じられ、また、そのような撹拌後の水に入った最初の者は、どのような疾患であろうとも癒されるというのが一般的信仰であった。
使徒は、イエスから強要された規制の下で幾らか落ち着かずにいた。そして、12 人中、最も若いヨハネは、この束縛に特にいら立っていた。かれは、あるじが、集まった苦しむ者達の光景に強く同情を引かれ、奇跡の治療の実行へと心が動かされ、それにより、全エルサレムが仰天し、やがて、それ等は説き伏せられて王国の福音を信じるであろうと考えたうえで、イエスを大池に連れてきた。ヨハネが言った。「あるじさま、これらの苦しんでいる者達をご覧ください。我々が何かしてやれることはないのでしょうか。」そこで、イエスは答えた。「ヨハネ、なぜ私が選んだ道から逸れるように私を唆そうとするのか。なぜ永遠の真実の福音の宣言の代わりに、驚異の働きや病人の治療に置き換えることを望み続けるのか。息子よ、そなたの望みに沿うようなことはしないかもしれないが、大いなる歓呼と永遠の慰めの言葉が掛けられるように、これらの病人と苦しむ者達を集めなさい。」
この集まってきた者達にイエスが話した。「あなた方の多くが、長年の誤った生活のために病気であったり、苦しんだりしてここにいる。ある者は時の災難に、他の者は祖先の誤りの結果に苦しむ一方、君達の一部は、この世での束の間の生活の不完全な状態の困難な条件下で苦しんでいる。ところが、私の父は働いており、また、私は、あなた方の地上での状態を改善するために、それどころか、とりわけ永遠の身分を保証するために働くのである。天の父がそう望んでいると発見しない限り、我々の中の誰も、人生の困難を変えるために大いに役立つことはできない。結局、我々は全員、永遠なるものの意志を為す恩義を受けている。もしあなた方が、全ての肉体の苦悩が癒されれば、確かに驚嘆するであろうが、すべての精霊的な病が浄められ、すべての道徳的な虚弱さが癒されたと気づくならば、それのほうがはるかに素晴らしいことである。あなた方は、皆神の子である。天なる父の息子である。時間の束縛が苦しめているように思えるかもしれないが、永遠の神は、あなたを愛している。また、審判の時が来るとき、恐れてはいけない、あなた方すべてが、正義ばかりではなく、慈悲の豊かさを見い出すであろう。本当に、本当に、あなた方に言おう。王国の福音を聞き入れ、神と息子性のこの教えを信じる者は、永遠の命を有している。そのような信者達は、すでに審判と死から光と命へと移っており、また、墓にいる者達さえ復活の声を聞く時が来ているのである。」
聞いた人々の多くは、王国の福音を信じた。苦しむ者の幾人かは、非常に元気づけられ精霊的に生き返され、自分達の疾患もまた癒されたと宣言して歩きまわるのであった。
不安な心の疾患に長年伏さぎ込み苦しんできた一人の男が、イエスの言葉に喜んで家に帰り、安息の日ではあったが、寝床をあげた。この苦しむ男は、誰かが助けてくれるのをこれらの年月ずっと待っていたのであった。それほどまでに自己の無力の犠牲者であったので、かれは、自身を助けるという考えを一度も持ったことがなかったのだが、回復のために彼がすべきことは1つのこと—寝床を片付けて歩くこと—であったと分かった。
その時、イエスがヨハネに言った。「司祭長等と代書人等がやってきて、我々がこれらの苦しんでいる者に生命の言葉を話したと怒る前に出立しよう。」そこで、仲間に加わるために寺院に戻り、まもなくベサニアで夜を過ごすために出発した。しかし、ヨハネは、この安息日の午後のイエスとのベサニアの大池のこの訪問について、ついぞ他の使徒に話さなかった。
ベサニアで、この同じ安息日の夕方に、イエス、12 人、それに一団の信者が、ラーザロスの庭で火を囲んで集まっていると、ナサナエルが、イエスにこう質問をした。「あるじさま、我々が自分にしてもらいたと思うことを他の者にそうするべきであると訓示され、古い生活規則の前向きな所見を我々に教えてくださいましたが、私はどのようにそのような命令をいつも守ることができるか完全に理解したわけではりません。好色で、それ故、邪に内縁関係を結ぼうと企む男の例を引用することで、私の主張を例示させてください。我々は、人にしてもらいたいと思うことを人に施すということを、この悪を企む男にどう教えることができるでしょうか。」
ナサナエルの質問を聞くと、イエスは、すぐに立ち上がり使徒達に指さして言った。「ナサナエル、ナサナエル、心でいかような考えをしているのか。私の教えを精霊の生まれの者として受け取りはしないのか。知恵ある者、また精霊的なものを理解する者として真実を聞かないのか。人にしてもらいたいことを人に施せと諭すとき、私の教えを悪行の奨励認可へと捻曲げようとする者にではなく、高い理想の人間に私は語り掛けている。」
あるじが話し終えると、ナサナエルは、立ち上がって言った。「しかし、あるじさま、私が、あなたの教えのそのような解釈に賛成すると思うべきではありません。多くのそのような人間が、あなたの諌言をこのように誤解するかもしれないと推測したのでお尋ねしたのです。そこで、これらの問題に関して我々に一層の指示を与えていただきたいのです。」そうしてナサナエルが座ると、イエスは、話し続けた。「よく分かっている、ナサナエル。そのようなどんな悪の考えもそなたの心には無いということを。だが、君達全員が、しばしば私の常套の教えに、つまり、人間の言語で、しかも人間が話すはずの言語で与えねばならない教えに、純粋に精霊的な解釈をし損ねるのには失望している。生活のこの原則、『人にしてほしいと望むことを人に施せ』というこの訓戒の解釈に与えられる意味の異なる段階に関し教えよう。
1. 肉体の段階。かくのごとく全く利己的で淫らな解釈は、あなたの質問の仮定によってよく例示されているであろう。
2. 感情の段階。この段階は、肉体のそれよりも1段階高くて、共感と哀れみが、生活のこの原則に関する人の解釈の度合を高くすることを意味する。
良い判断は、生活のそのような原則が、深遠な自尊の気高さに具現される高い理想主義に一致して解釈されるべきであることを要求する。
4. 兄弟愛の段階。仲間の福祉へのさらに高い寡欲な献身の段階に気づく。神の父性に対する意識とその結果からくる人の兄弟愛の認識から生じる心からの社会奉仕のこのより高い段階においては、この生活の基本的な原則の新しくてはるかに美しい解釈が発見される。
5. 道徳的段階。すると、解釈の真の哲学の段階に達するとき、物事の正誤に対する真の洞察力を持つとき、そして人間関係の永遠の適合性を知覚すとき、高潔で、理想主義的で、賢明かつ公平な第三者が、あなたの人生状況への調整の個人的問題に適用するそのような訓令を考え、解釈するであろうと、人が想像するような解釈のそのような問題を考え始めるであろう。
6. 精霊的な段階。そうすると遂に、神が人間を扱うであろうと我々が心に抱くように、全ての人間を遇するこの神性の命じる生活のこの法を我々に強いて気づかせる精霊の洞察と精霊的な解釈の段階に、我々は達する。それは、宇宙の人間関係の理想である。そして、人の最高の願望が、常に父の意志を為すことであるとき、これは、すべてのそのような問題に対する人の態度である。私は、それ故、同様の情況において私がするでろうと弁えることをすべての人にしなければならないい。」
イエスがこの時までに使徒に言った何も、これほどまでに彼らを驚かせなかった。彼らは、あるじが退いた後もずっとその言葉について検討し続けた。ナサナエルは、イエスが自分の質問の意図を誤解したという億測から立ち直るのに時間が掛かったが、他のものは、哲学的な仲間の使徒が、そのような思考を刺激する質問をする勇気に対し十二分に感謝していた。
サイモンは、ユダヤ人のサンヘドリンの一員ではなかったが、影響力のあるエルサレムの有力なパリサイ人であった。かれは、不熱心な信者であり、そのために厳しく批評されるかもしれないが、あえてイエスとその個人的な仲間であるペトロス、ジェームス、ヨハネを社交を兼ねた食事に家へと招待した。サイモンは、今まであるじを観測してきて、その教えに、それ以上に彼のひととなりに非常に心を動かされた。
裕福なパリサイ人等は、慈善に没頭しており、自分達の博愛に関し公表を回避しなかった。ある乞食に慈善を施そうとするとき、時折はトランペットさえ吹くのであった。貴賓のために宴会を開くとき、食事をしている人達の長椅子の後方の部屋の壁に沿って立ち、宴会客が、彼らに投げるかもしれない食物の一部を受けるために通りの乞食さえ入ってくることができるように家の戸を開け放すことが、これらパリサイ人の習慣であった。
サイモンの家でのこの特別の機会に、通りから来る者の中に最近王国の福音の朗報の信者になった道徳的に芳しくない評判の女性がいた。この女性は、非ユダヤ人の寺院の中庭のすぐ近くに位置するいわゆる高級売春宿の中の一つの元管理人としてエルサレム中によく知られていた。彼女は、イエスの教えを受け入れ、邪悪な商売の場を閉鎖して、自分に関連した女性の大部分が福音を受け入れて生活様式を変えるように仕向けた。これにもかかわらず、彼女は、まだパリサイ人にかなり軽蔑されたままで、また髪を下ろしたままでいること—売春の象徴—を強要されていた。この無名の女性は、匂い入りの塗布用洗浄水の大きな瓶をもってきてイエスの後ろに立っており、イエスが食卓の方に寄り掛かると、その足を塗布し始めると共に、感謝の涙でも足を濡らし、自分の頭髪でそれを拭った。そして、この塗布を終えても、彼女は、足に涙を流しつつ口づけを続けた。
サイモンがこのすべてを見て、「この人がもし予言者であるならば、自分に触れるこの女が何者でどんな様子であるか、つまり悪名高い罪人であることを見て取るであろうに。」と思った。イエスは、サイモンの心で何が起きているかが分かり、はっきり言った。「サイモン、君に言いたいことがある。」サイモンが答えた。「先生、お続けください。」そこで、イエスが言った。「ある裕福な金貸しには、2 人の債務者がいた。一人は500 デナリウス銀貨を、他の一人は50 のデナリウス銀貨を借りた。さて、二人のどちらとも支払う何もないとき、彼はその両方を許した。そのうちのいずれが、サイモン、その男をより愛しているであろうのう。」サイモンが答えた。「その男、多額を許された男の方だと思います。」「そなたはまともに判断した。」と、イエスは言い、女性を指差しながら続けた。「サイモン、この女性をよく見なさい。私は招待客として君の家に入ったが、私の足にはいささかの水ももらわなかった。この謝意を示す女性は、涙で私の足を洗い、それを彼女の頭髪で拭いた。君は親しみのこもった挨拶の口づけの一つもしなかったが、入って来てからずっとこの女性は、私の足に口づけするのをやめなかった。、君は私の頭に塗油するのを怠ったが、彼女は、貴重な洗浄水を私の足に塗った。そこで、このすべての意味は、何であるのか。単に、その意味は、彼女の多くの罪が許されてきたということ、そしてこれが、彼女を非常に愛するように導いてきた。だが、ほんの少ししか許しを受けなかった者達は、少ししか愛さないのである。」それから、女性の方に振り向きその手を取り、彼女を立たせながら言った。「あなたは本当に自分の罪を悔いたので、それらは許された。仲間の軽はずみで不親切な態度にがっかりしてはいけない。天の王国の喜びと自由で前進しなさい。」
サイモンと食事の席に着いていたその友人達がこれらの言葉を聞くとさらに驚き、自分たち同志で「罪を許しさえものともしないこの男は誰であろう。」とひそひそと話し始めた。そして、このように呟やかれていているのを聞くと、イエスは、女性を帰すために「婦人よ、安心して行きなさい。あなたの信仰がそなたを救った。」と言った。
イエスが友人達と去ろうと立ち上がりながらサイモンに向かって言った。「君の心は分かっている、サイモン。いかに信仰と疑いの狭間で取り乱し、いかに恐怖に取り乱し、また誇りに煩わされているかを。しかし、私は、王国の福音が、招かれも歓迎もされない客の心ですでに生じた凄まじい変化に匹敵するような、ちょうどそのような強力な心と精神の変化を人生の自分の拠点において君が光に譲り、経験することができるように君のために祈る。そして、私は、父が天の王国に入る信仰を持つ者すべてにその入り口を開いたと、そして、地上の最も卑賎な者、またはおそらく紛れもない罪人に対してさえ、それが入り口を心から求めるならば、誰も、あるいは人間のいかなる結社も、これらの入り口を閉じることはできない、と君達すべてに宣言する。」そして、イエスは、ピーター、ジェームス、ヨハネとともに、主人に暇乞いをし、ゲッセマネの庭で宿営をしている使徒に加わるために戻って行った。
同夜、イエスは、使徒にとって長期にわたり記憶することになる神との地位の相対的価値と楽園への永遠の上昇における進展について演説をした。イエスが言った。「子供達よ、子と父との間に本当の、また生きた関係が存在するならば、子供は、父の理想に向かって絶え間なく進歩することは確かである。本当に、子供は、最初は遅い前進をするかもしれないが、それでもなお、進歩は確かである。重要なことは、進歩の敏速性ではなく、むしろその確実性である。進歩の方向が神へ向かうという事実ほどには、実際の業績は、それほど重要ではない。今日、あなたが何であるかよりも、日々無限になることの方がより重要なのである。
「君達の一部が、今日サイモンの家で見たこの変化した女性は、現在、サイモンやその善意の仲間のずっと下の生活水準で暮らしている。しかし、これらのパリサイ人が、無意味の儀式的な礼拝のまやかしの段階の通過に関する幻想の偽りの進展に専念する一方で、この女性は、真剣に、神の長くて波瀾万丈の探索を始め、天への彼女の道は、精神的な自負や道徳上の自己満足に妨げられてはいない。この女性は、人間の立場で言えば、サイモンよりも神からははるか遠くにいるが、その魂は、進歩的な動きをしている。彼女は、永遠の目標に向かって行く途中である。この女性には、将将来への凄まじい精霊的可能性がある。一部の君達は、魂と精霊の実際の水準の高さには立っていないかもしれないが、神への開かれた生きる道で、信仰を通して、毎日前進している。君達等の一人一人には、未来に絶大なる可能性がある。「不活発な俗世間の智慧の蓄えと精霊的な不信仰の優れた知性を備えていることよりも、小さいが、生きていて発達する信仰を持つ方がずっとよい。」
しかし、イエスは、父の愛に甘える神の子供の愚かさを避けることを使徒にくれぐれも注意した。かれは、天の父が、いつでも罪を容赦し、無謀を許そうとするような、手ぬるい、しまりのない、または愚かに寛大ではない親であると断言した。父と子の例証を、軽はずみな子供の道徳的な破滅をもたらす地球の愚かな者と共謀し、その結果、自身の子供らの非行と早期の堕落に確実に、直接的に教唆する甘やかし過ぎて、賢明でない両親が神が似ていると誤って適用しないように聞き手に警告した。イエスは言った。「私の父は、すべての道徳的な成長と精霊的な進歩にとって自己破壊的で、自滅的である自分の子の行為と習慣を寛大に容赦はしない。そのような罪深い習慣は、神の目には忌まわしいことである。」
ようやく使徒とカペルナムに出発する前、イエスは、エルサレムの身分の高い者や低い者、金持ちや貧乏人との他の多くの半ば私的な会合や宴会に出席した。実に、多くの者が、王国の福音の信者となり、やがては、エルサレムとその周辺で王国の利益を促進するために後に残ったアブネーとその仲間によって洗礼された。
4月最後の週、イエスと12人は、エルサレム近くのベサニア本部から出発し、イェリーホとヨルダンを通りカペルナムへの帰路ついた。
主要な聖職者とユダヤ人の宗教指導者は、イエスをどう扱うべきか決めるために多くの秘密の会合を開いた。彼の教えを終わらせるための何かをすべきであると皆が同意するのであったが、その方法については意見がまとまらなかった。彼らは、ヘロデがヨハネを死に追いやったように、行政当局がイエスを処分することを望んでいたが、イエスが、ローマ当局が彼の説教をあまり警戒しないほどの仕事をしていたことが分かった。従って、カペルナムへのイエスの出発前日に開かれた会合では、かれは、宗教上の罪で捕縛され、サンヘドリンによる裁判にかけられなければならないと決められた。したがって、イエスの後をつけ、その言葉と行動を観察し、法律違反と冒涜の十分な証拠を収集したところで、エルサレムに報告をもって戻るための6 人の密偵委員会が任命された。これらの6 人のユダヤ人は、30 人ほどの使徒の一行にイェリーホで追いつき、弟子になるのを望むと見せかけイエスの追随者の家族に加わり、ガリラヤでの2 回目の説教巡行の始まるまでその集団に留まっていた。そこで、そのうちの3 人は、主要な聖職者とサンヘドリンに報告するためエルサレムに戻った。
ペトロスは、ヨルダン川の向こうで群衆に説教し、翌朝、彼等は、アマススに向かい川を上った。かれらは、カペルナムに真っ直進みたかったのであるが、それほどまでの群衆がここに集まったので説教し、教え、洗礼をし、3 日間留まった。かれらは、安息日の朝、つまり5 月1 日まで、家に向けて進まなかった。エルサレムの密偵は、イエスが、安息日にあえて旅行を始めるつもりであったので、そのときイエスに対する最初の罪状—安息日の違反—を手にしたたと確信していた。しかし、かれらは、失望する運命にあった、というのも、出発直前、イエスは、アンドレアスを面前に呼び入れ、そして皆の前で、ユダヤの安息日の法的に許される道程であるほんの1,000 メートル足らずの距離を進むように命令したからであった。
だが、密偵は、イエスとその仲間を安息日違反で告訴する機会を長く待つには及ばなかった。一行が細い道に沿って通っていると、ちょうど実のついたばかりの波うつ小麦が、両側の手近にあり、使徒達の数人は、空腹であったので、熟れた粒をむしって食べた。旅人が道路に沿って行くとき、穀物を自由に取ることは慣例であり、従って、そのような行為に悪行という考えなどは決して結びつけられなかった。しかし、密偵は、イエスを責めたてる口実としてこれに飛びついた。かれらが、アンドレアスが手の中で穀物を擦るのを見て歩み寄って言った。「安息日に粒を毟り、擦るのは不法であることと知らないのですか。」そこで、アンドレアスが答えた。「といっても、我々は空腹であり、必要分しか擦っていない。それと、いつから、安息日に穀物を食べるのは罪となったのですか。」しかし、パリサイ人は言った。「食べることは悪くはないが、粒を毟り、手の中で擦ると法を破ることになる。まさか、あなたのあるじは、そのような行為をよいとは思わないであろう。」その時、アンドレアスが言った。「しかし、粒を食べるのが悪くなければ、我々の手の間での摩擦は、あなたが許す粒の咀嚼より大きな仕事ではない。そのようなつまらないことでなぜとやかく言うのか。」アンドレアスが、彼らが揚げ足取りであると仄めかすと、彼らは憤慨し、イエスがマタイオスと話しながら歩いているところに急いで戻り、抗議して言った。「先生、見てください。使徒が安息日に不法なことをしています。穀物を毟り、擦って、それを食べています。あなたが、彼等を止めるよう命令するのを確信しています。」その時、イエスは、批難する者達に言った。君達は、実に法に熱心であり、また、安息日を神聖に保つこともよく覚えている。だが、ある日ダーヴィドが空腹で、共にいた者達と神の家に入り、供え物のパンを食べたが、それは、聖職者達を除き、誰にも合法ではないというのを聖書で読んだことはないのか。そして、ダーヴィドもまた、共にいた者達にこのパンを与えた。また、安息日に多くの必要なことをするのが合法的であると我々の法律を読みとってはいないのか。そして、私は、日が終わる前に君達がこの日に必要な持参物を食べるのを見はしないのであろうか。良い部下よ、君達は安息日にとても熱心でありはするが、仲間の健康と幸福を見守ることをより上手にするほうが良かろう。私は、安息日のために人が作られたのではではなく、人のために安息日が作られたと断言する。そして、私の言葉に注意して共にここにいるならば、人の息子は、安息日にさえ主であると公然とに宣言する。」
パリサイ人は、彼の眼識と叡知の言葉に驚き困惑した。その日の残りは、かれらは、自分達だけでいて、それ以上の質問は敢えてしなかった。
ユダヤの伝統と隷属的な、盲目的な、儀式に対するイエスの反目は、いつも積極的であった。それは、彼がしたこと、そして確言したことに表された。あるじは、ほとんど否定的な批難に時間を費やさなかった。彼は、神を知る人々は、罪を犯す許可により自分を騙すことなく生きる自由を楽しむことができるということを教えた。イエスは使徒に言った。「人は、真実によって教えられ、本当に自分がしていることを知っているならば、幸せである。だが、もし神の道を知らなければ、不幸であり、すでに法を破る者である。」
イエスと12 人が舟でタリヘアからベスサイダに来たのは5月3日、月曜日の正午頃であった。かれらは、旅をともにしていた人々から逃がるために舟で移動した。しかし、翌日までには、エルサレムからの正式の密偵を含む他の人々が、再びイエスを見つけた。
火曜日の夕方、イエスが質疑応答の通例の授業をしていると、6人の密偵の首領が言った。「私は、今日、あなたの授業に付き添ってここにいるヨハネの弟子の一人と話していました。そして、我々は、あなたが、なぜあなたの弟子達に、我々パリサイ人やヨハネの追随者が断食するように、また祈るように決して命じないのか合点がいきませんでした。」そこでイエスは、ヨハネの声明を参照して、この質問者に答えた。「花婿が一緒にいるとき、花嫁の部屋にいる息子達は、断食をしますか。花婿が共にいる限り、彼らはほとんど断食することはできない。しかし、花婿が連れ去られるときはやって来るし、その時には、花嫁の部屋の子達は、疑う余地なく断食も祈りもするであろう。祈ることは、光の子供にとって自然であるが、断食は、天の王国の福音の一部ではない。賢明な仕立屋は、それが濡れて、縮んで酷い綻びを作らないように、古着に新しく、まだ縮んでいない1 切れの布を縫いつけないということを思い出しなさい。人は、また、新しい葡萄酒が皮を破裂させ、葡萄酒と皮の両方を悪くするといけないので、新しい葡萄酒を古い皮に入れはしない。賢明な人は、新葡萄酒を新皮に入れる。したがって、王国の福音の新しい教えに古い規律をあまり多く持ち込まないということで、私の弟子は、賢明さを示しているのである。師を失ったあなた方には一時、断食が正当化されるかもしれない。断食は、モーシェの法の適切な部分であるかもしれないが、来たる王国では、神の息子達は、恐怖からの自由と神性の精霊に喜びを経験するのである。」これらの言葉を聞くと、ヨハネの弟子は慰められ、パリサイ人は、より混乱に陥った者であった。
それからあるじは、すべての古い教えは、完全に新しい教義に取り替えられるべきであるという概念を抱くことに対し聴衆に警告し始めた。イエスは言った。「古く、真実であるものは留まらなければならない。同様に、新しいが、間違っているものは拒絶されなければならない。しかし、新しく、真実であるものを受け入れる信仰と勇気を持ちなさい。それが書かれているのを思い出しなさい。『新しい友は、旧友に匹敵しないのであるから、旧友を見捨ててはならない。新しいワインとても、新たな友人と同じである。それが古くなれば、あなたは喜んでそれを飲むであろう。』」
その夜、普通の聴衆が退散したかなり後に、イエスは、使徒に教え続けた。予言者イザヤからの引用することからこの特別な教示を始めた。
「『なぜ断食したのか。圧迫に喜びを見つけ、不正な扱いを楽しみ続ける傍ら、いかなる理由で魂を苦しめるのか。見よ、断食をするのは、争いと論争のためであり、不法に拳を打ちつけるためである。しかしながら、いと高きところで声を聞いてもらうためには、このように断食すべきではない。
「私が選んだ断食は—人が魂を苦しめる日は—このようなものであろうか。それは、葦のように頭を垂れ、粗布と灰に腹這うこであろうか。あえてこれを断食と呼び、主の目にとって満足の日と呼ぶのであろうか。私が選ぶ断食は、これではないのか。邪な絆を解き、重い負担の結び目を緩め、虐げられた者を自由の身とし、全てのくびきを壊すこと。飢える者にパンを分け与え、家の無い者や貧しい者を私の家に連れてくることではないのか。そして、裸者を目にするとき、私はそれらに着せるつもりである。
そのとき、暁のようにあなたの光が差し出で、あなたの調子はすみやかに上がる。あなたの義は、あなたの前に進み、主の栄光が、あなたのしんがりとなる。あなたが乞うと、主は答え、あなたが叫ぶと、私はここにいる、と仰せられる。そして、あなたが抑圧、非難、虚栄を慎めば、主はこの全てをするであろう。父は、むしろ、あなたが、飢える者に心を配り、悩む者に働き掛けることを望んでいる。そうすると、あなたの光は闇の中に光り輝き、あなたの暗闇さえ真昼のようになる。そして、主は、絶えずあなたを導き、魂を満たし、強さを更新する。あなたは潤された園のようになり、水の枯れない泉のようになる。そして、これらのことをする者達は、ふいになった栄光を回復する。かれらは、多くの世代の礎を築き直すであろう。かれらは、崩壊された壁の再建者、住めるように往来を回復する者、と呼ばれるであろう。」
それから、長く夜遅くまで、イエスは、弟子に現在と未来の王国で確実にするのは彼らの信仰であり、魂の苦悩でも肉体の断食でもないという真実を提議した。かれは、使徒に少なくともこの昔の予言者の考えに従うことを熱心に説き、また、イザヤや、それより以前の予言者達の理想さえもはるかに超えて進歩するという望みを述べた。彼のその夜の締め括りの言葉は次の通りであった。「あなたが神の息子であるという事実を把握し、同時に誰もがきょうだいであると認識するその生きる信仰により、神の恵みで豊かになりなさい。」
イエスが話すのを止め、皆が眠りについたのは朝の2 時過ぎであった。
西暦28年5月3日から10月3日まで、イエスと使徒の一行は、ベスサイダのゼベダイオス邸に居住していた。この乾期の5カ月間を通して、ゼベダイオスの屋敷近くの海辺に巨大な野営が維持されており、それは、イエスの増加する家族の収容のために大幅に拡大されてきた。真実探求者、治療志願者、好奇心に動機づけられた信奉者などの変わり続ける人口に占拠され、この海辺の野営は、500 人から1,500 人の数にのぼった。天幕でなりたつこの町は、ダーヴィド・ゼベダイオスの全般的監視下にあり、アルフェウスの双生児が、支援した。野営地は、その全般的管理はもとより、規律、衛生において一つの模範であった。異なった種類の病人は、隔離され、信者である医師エルマンというシリア人の指揮下に置かれた。
この期間、使徒は、少なくとも1 週間に1 日は漁に行き、その獲物を海辺の野営地での消費のためにダーヴィドに販売するのであった。このようにして受領される金は、集団の資金に回された。12 人は、家族か友人と毎月1 週間を過ごすことが許された。
アンドレアスは、使徒の活動の全般的監督を続けたが、ペトロスは、伝導者の学校の全てを任された。使徒は皆、毎日午前中、伝導者集団の教育を分担し、午後は教師と生徒の両方が民衆に教えた。夕食後、1 週間に5 夜、使徒は、伝導者のために質問中心の授業をした。1 週間に1 度、イエスは、この質問の授業を取り仕切り、前回の授業から持ち越されてきた質問に答えた。
5カ月のうちに、数千人がこの野営地に出入りした。関心をもつ人々が、ローマ帝国全地域とユーフラテス川の東の国々から頻繁に出席した。これは、あるじの教えで最も長く定住し、また、よく組織された期間であった。イエスの近親は、この時期ナザレかカナで大部分を過ごした。
野営地の集団は、使徒の家族のようには、共通の利害の共同体として実行されなかった。それは、ダーヴィド・ゼベダイオスがこの大天幕都市を管理したので、誰も一度も追い払われることなく自己持続型の企業となった。この変わり続ける野営は、ペトロスの福音伝道者の訓練学校の不可欠な特徴であった。
ペトロス、ジェームス、アンドレアスは、伝道者の学校への入学志願者を判定するためにイエスによって任命された委員であった。ローマ世界と東洋、遠くはインドまでの全民族と国々が、この新しい予言者の学校の生徒達に見受けられた。この学校では、学習と実行の計画に基づき指導された。学生は、午前中に学んだことを午後には海辺で会衆に教えた。夕食後、かれらは、午前の学習と午後の教育の両方について形式ばらずに議論した。
各々の使徒教師は、自身の王国の福音の視点を教えた。かれらは、同様に教えるためのいかなる努力をしなかった。標準化された、あるいは教義化された神学理論の定式化もなかった。各使徒は、同じ真実を教えたが、あるじの教えに関する自身の個人的な解釈を提示した。そして、イエスは、王国の事柄の個人的経験この多様性の提示を是認しており、週ごとの質疑の時間で福音についてのこれらの多くの、異なる視点を絶えず調和し、調整した。教育問題におけるこの大幅な個人の自由の度合にもかかわらず、シーモン・ペトロスは、伝道者の学校の神学において優位を占めがちであった。ペトロスについで、ジェームス・ゼベダイオスが最大の個人的影響を及ぼした。
100人以上の伝導者がこの海辺での5カ月間に訓練された人材であり、後にその中から(アブネーとヨハネの使徒達を除く)70人の福音の教師と伝道者が選ばれた。伝道学校においては、12 人のようには、全てを共有しなかった。
これらの伝導者は、福音を教えて説きはしたが、イエスに王国の70人の使者として後に任命され委嘱されるまで信者を洗礼を施さなかった。この場所の日没の場面には、数多く癒されたうちの7人だけが、これらの福音伝道者の間に見受けられた。カペルナムの貴族の息子は、ペトロスの学校で福音活動のために訓練された者の1 人であった。
海辺の野営地に関しては、シリア人の医師のエルマンが、25人の若い女性と12人の男性部隊の援助で、王国の最初の病院と見なされるべきものを組織し、4カ月間運営した。主な天幕の町の南にほど近い距離に位置するこの診療所において、かれらは、祈りと信仰奨励の精霊的な実行を初めとし、すべての既知の物理的な方法に従って病人の手当てをした。イエスは、少なくとも1 週間に3 回この野営地の病人を訪問し、苦しむ者それぞれとの個人的接触をした。我々が知る限り、快方に向かったり、または回復してこの診療所から去った1,000 人の中の煩ったり病んだりする者達に、超自然的な治療のいかなる、俗にいう奇跡も起こらなかった。しかしながら、恩恵を被ったこれらの個人の大多数は、イエスが癒したと宣言するのを止めなかった。
イエスが、エルマンの患者のために自身の活動の一部に関連してもたらした治療の多くは、本当に、奇跡の業に似ているように見えたが、聖職活動の恐怖を払いのけ、不安を破壊する、強いかつ積極的で慈悲深い人柄の直接的で、鼓舞する影響のもとにいる期待に満ち、信仰に支配される人々の経験で起こる場合があるかもしれないように、我々は、それらが、ちょうど心と精神のそのような変化にすぎないということを教えられた。
エルマンとその仲間は、「悪霊の憑依」に関してこれらの病める者に真実を教える努力をしたが、あまり成功を収めなかった。いわゆる不浄な霊の居住により、肉体の病と精神の錯乱が病人の心、もしくは身体に引き起こされるという信念は、ほとんど一般的である。
病人や苦しんでいる者とのすべての関係において、処置技術または未知の疾患原因の顕示に関しては、イエスは、ユランチアへの肉体化の冒険に乗り出す前に与えられた楽園の兄イッマーヌエルの指示を無視しなかった。これにもかかわらず、病人の世話をした者達は、イエスが病人や受難者の信仰と自信を奮い立たせる様子を観測することにより多くの有用な教訓を得た。
寒気と高熱の拡大する季節が近づく少し前、野営は解散した。
この期間、イエスは、野営地で12回足らずの一般礼拝を行い、ガリラヤへの公開説教に際し、新たに教習を受けた伝導者達との出発前の2 度目の安息日に1度だけカペルナムの会堂で話した。
洗礼以来、あるじは、ベスサイダでのこの伝導者の教習の野営地のこの期間ほどには、それほど一人でいたことはなかった。使徒のうちの誰かが、なぜそれほどまでに自分達から遠のいているのか思い切ってイエスに尋ねるたびに、「父の用向きに関して」と必ず答えるのであった。
この不在期間中、イエスは、2 人の使徒だけを伴った。かれは、100 人以上の数にのぼる新しい福音伝道の候補者達を訓練する仕事に参加できるように、一時的にペトロス、ジェームス、ヨハネを個人秘書としての任務から解放した。あるじが、父の用向きに関し丘に行くことを望むときは、同行のためのたまたま暇な使徒二人を呼び寄せるのであった。このようにして、12 人はそれぞれにイエスとの身近な関係と密接な接触の機会を楽しんだ。
この記録の目的のためには明らかにされてはいないが、我々は、あるじが、丘でのこの孤独な時期の多くを宇宙業務に関する多くの統轄者との直接的かつ行政的な関係にあったという判断に導かれた。おおよそ洗礼の時以来ずっと、我々の宇宙のこの肉体を与えられた君主は、ますます、しかも意識的に特定の宇宙行政の局面にむけて積極的になってきていた。地球の業務への参加が減少したこの数週間、かれは、彼の側近の仲間には何かしら明らかにされていないが、広大な宇宙の営みに従事するそれらの高い精霊の有識者達の指導に従事しており、また人間イエスは、彼のそのような活動を「父の用向き」と称することを選んだという意見を、我々は、常に保持してきた。
何時間も一人でいるとき、それでもいつも近くには2人の使徒がいるとき、かれらは、イエスが言葉を聞きはしないのだが、その相貌が、急速にしかも多様に変化をするのを観測した。そのうちの何人かが、その後に目撃したようなあるじとの意思疏通があったかもしれない天に存在体のいかなる可視的徴候の観察もしなかった。
ゼベダイオスの庭のある閑静で雨覆いされた片隅において、話しを望む個人達と1 週間に2 晩、特別の会話をするのが、イエスの習慣であった。トーマスは、非公式のこれらの晩の会話の中であるじにこう質問した。「人が王国に入るためになぜ精霊が生まれる必要があるのですか。悪の支配から逃げるのに生まれ変わることが必要なのですか。あるじさま、悪とは何ですか。」イエスは、これらの質問を聞くとトーマスに言った。
「悪と悪者を、より正確には、邪悪な者とを取り違えてはならない。君が悪者と呼ぶ者は、利己心の息子であり、故意に、父とその忠誠な息子の律法に対して入念な反逆に及ぶ高地位の管理者である。しかし、私は、すでにこれらの罪深い反逆者を征服した。父とその宇宙に対するこれらの異なる態度を心の中で明らかにしなさい。父の意志へのこれらの法の関係を決して忘れてはいけない。
悪は、神の法への、つまり父の意志への、無意識の、または意図しない違反である。悪は、同様に父の意志の服従に対する不完全性の尺度である。
罪は、神の法、つまり父の意志を意識し、知った上での作為の違反である。罪は、神の力に導かれ、精霊的に指導されることへの不本意の尺度である。
「邪悪は、神の法、つまり父の意志への意図的で、断固とした執拗な違反である。邪悪は、人格生存のための父の情愛深い構想と救済のための息子の慈悲深い活動に対する持続的拒絶の尺度である。
精霊の再生に当たり、必滅の人間は、生来の悪の傾向を受け易いのであるが、そのような自然な素行欠陥は、罪でもなく邪悪でもない。人間は、楽園の父の完全さへの長い上昇を始めたばかりである。本来の資質においての不完全であることや、部分的であることは、罪ではない。人は、実に悪の影響をうけるが、知りつつ、しかも故意に、罪の道と邪悪の人生を選ばない限り、決して悪の子ではない。悪は、この世の自然な秩序に固有であるが、罪は、精霊的な光から真の闇に落下した者によってこの世にもたらされた意識的反逆の態度である。
「トーマス、君は、ギリシア人の教義とペルシア人の誤りに惑わされている。悪と罪の関係を理解していないというのは、君が、完璧なアダームと共に地球が始まり罪により現在の嘆かわしい状態に急速に堕落したと人類を見ているからである。なぜ君は、アダームの息子カインが、ノドの国に行き、そこで妻を得たという記録の意味を理解することを拒否するのか。まなぜた、神の息子が人間の娘の中で妻を見つけると描く記録の意味を解釈することを拒否するのか。
人間は、実に、本来悪であるが、必ずしも罪深いというわけではない。新たに生まれること—精霊の洗礼—は、悪からの救出に不可欠であり、天の王国への入国に必須であるが、このいずれによっても人が神の息子であるという事実が損なわれはしない。人は、何らかの不可解な方法で、異星人、外国人、または継子として天の父から遠ざかっているので、父による法的縁組を何らかの手段で捜し求めなければならないというこの潜在的悪の固有の存在もまた意味しない。すべてのそのような考えは、まず、父に対する誤解、次に人間の起源、本性、および運命に対しての無知から生まれた。
「ギリシア人や他の者達は、人が、信心深い完全性から忘却または破壊の方向へ着実に下降していると君達に教えてきた。私は、人が、王国への入国により、確かに神と神性の完全性へと上昇しているということを示しに来た。どんな方法であろうが、神的、かつ精霊的な永遠の父の意志の理想に達しないものは誰でも、悪の可能性を秘めてはいるが、そのような者が必ずしも罪深いわけではないし、まして邪悪であるわけではない。
トーマス、聖書でこのように書かれているのを読んだことはないのか。『あなた方は、神である主の子である。』『私は、彼の父になるであろうし、彼は私の息子になるだろう。』『私の息子になるように、彼を選んだのである。私は彼の父になる。』『私の息子等を遠くから、私の娘等を地の果てから連れて来なさい。私の名で呼ばれるあらゆる者さえも、私の栄光のために私が彼等を創造したのであるから、』『あなたは生きる神の息子である。』『神の精霊を持つ者は、本当に神の息子である。』自然の子には人間の父の物質的な部分があるが、王国のすべての信仰の息子には天なる父の精霊的な部分がある。」
イエスは、このすべてと、より多くのことをトーマスに言い、またその多くを使徒は理解した。尤もイエスは、「私が父の元に戻る後まで、これらの問題に関する事を他のものに話さないように」と訓戒した。そして、あるじがこの世から出発する後まで、トーマスは、この会談について言及しなかった。
ナサナエルは、庭での別の私的な会談の中で、イエスに尋ねた。「あるじさま、あなたが、やたらに治療の実施を拒否する訳は分かりかけてきたのですが、私は、あまりにも多くの地上の子が、数々の苦悩を受けるのをなぜ天の情愛深い父が放っているのか理解に苦しんでいます。」あるじは、ナサナエルに答えて言った。
「ナサナエル、この世界の自然の秩序が、父の意志に対する特定の手に負えない反逆者の罪深い冒険に幾度となくかき乱されてきたことを理解していないから、君や他の多くの者は、このように当惑している。だから、私はこれらの整理をしに来たのである。しかしながら、宇宙のこの部分を元の軌道に戻し、その結果、罪と反逆の余分の負担から人の子等を解放するには、多くの時代を必要とするであろう。人の上昇には、悪の存在それだけで十分な試練である—生き残りにとって罪は必須ではない。
「しかし、息子よ、父は、子供を故意に苦しめはしないということを知るべきである。人は、神性意志のより良い道に入ることを執拗に拒絶する結果、自分自身に不要な苦悩をもたらす。悪には苦悩が潜在するが、その多くは罪と邪悪によって生みだされる。多くの稀有な出来事が、この世で生じてきたことであるし、思考力のある者皆が、目撃する苦難や苦悩の光景に当惑するのは奇妙ではない。しかし、1つのことを確信してよい。父は、悪行への任意の罰として苦悩を送りはしない。悪の欠点と障害は、内在的である。罪への刑罰は、必然である。邪悪への破壊の結果は変えられない。人は、生きるために選ぶ自然な生活の結果であるそれらの苦悩を神のせいにすべきではない。人は、それがこの世界で送られるような人生の一部であるそれらの経験について不平を言うべきでもない。必滅者が、地球での自分の地位の向上に向かい持続的に一貫して取り組むべきであるということが、父の意志である。賢明な精励は、人が俗世の災いの多くに打ち勝つことを可能にするであろう。
「ナサナエル、人が、様々な物質的な問題の解決をするためによく準備し、心を奮い立たせることができるように、かれらが、精霊的な問題を解決することを助け、こうしてかれ等の心を活気づけることは、我々の任務である。私は、君が聖書を読んだときの混乱を知っている。あまりにも頻繁に、無知な人間が、理解できないすべてに対する責任を神のせいにする傾向が、広まってきた。人が理解しないかもしれない全てに対して、父に直接責任があるわけではない。父の定める何らかの正当で賢明な法が、たまたま人を苦しめるという理由だけで、父の愛を疑ってはいけない、人がそのような神の法令を何気なく、または、故意に破ったのであるから。
しかし、ナサナエル、識別力をもって読みさえすれば、君に教えていたであろう多くのことが聖書には載っている。それが書かれているのを思い出さないのか。『我が子よ、主の懲らしめをないがしろにするな。その叱責をも厭うでない。ちょうど父が我が子を叱るように、主は愛するものを叱る。』『主はすすんで苦しめはしない。』『苦しみに会う前に、私は誤った道に行きました。しかし今は、法に従います。』『神性の掟をそれによって学ぶかもしれませんので、苦悩は私にとって幸いでした。』『私はあなたの悲しみを知っています。永遠なる神は、人の避難所であり、永遠の腕が下方にあります。』『主は虐げられた者の避難所、苦しみの際の休憩所でもある。』『主は病めるものを床で支えられる。主は病人をお忘れにならない。』『父が子供等に情の深さを示すように、主は彼を恐れる者に情け深いのである。主はあなたの身体を知っており、私達が塵であることを心に留めておられる。』『あの方は、心の傷を癒し、傷口に包帯をする。』『あの方は、貧者の希望、心を痛める貧窮者の力、嵐からの避難所、そして、痛烈な熱気を避ける影である。』『あの方は、弱り果てた者には力を与え、力のない者には強さをつける。』『あの方は、傷つく葦を折ることなく、くすぶる亜麻を消すこともない。』『あなたが苦悩の川を過ぎるとき、私はあなたと共におり、逆境の川が氾濫するとき、私はあなたを見捨てはしない。』『あの方は、心傷ついたものを癒すために、捕われ人を解放するために、嘆く者全てを慰めるために私を遣わされた。』『苦しみには是正がある。苦悩は塵からは生まれない。』」
非常に多くの明らかに罪のない人々が、なぜそれほど多くの病に苦しんだり、それほど多くの苦悩を経験するのか、ヨハネがまたイエスに尋ねたのは、ベスサイダでのこの同じ晩であった。ヨハネの質問に答え、他の多くの事柄も添え、あるじが言った。
「息子よ、君は、逆境の意味または苦悩の目的を理解していない。セム文学のかの傑作—ヨブの苦悩の聖書の物語—を読んだことがあるのか。神の下僕の物質的繁栄の詳述から始まるこの素晴らしい訓話を思い出さないのか。ヨブは、子供、富、尊厳、身分、健康、それに人がこの一時的人生で重んじる他の何もかもにおいて祝福されていたのを君はよく覚えている。アブラーハームの子孫の古くからの教えによると、そのような物質的繁栄は、神の引立てのすべての十分な証拠であった。しかし、そのような物質的所有と現世の繁栄は神の引立てを示していない。天の父は、金持ちを愛するのと全く同様に貧乏人を愛している。父は人間を差別をしない。
神の法への違反は、遅かれ早かれ罰の報いに則るが、人は、確かに撒いた種子をとどのつまりには刈り取りはするが、人間の苦悩がいつも先行する罪に対する処罰罰ではないということを知るべきである。ヨブとその友人達のいずれもが、自分達の難問に対しての本当の答えを見つけることができなかった。そして、現在光を享受している君は、この独特の訓話の中で演じる役をまずサタンか神のいずれにもほとんど割り当てないであろう。ヨブは、苦しみを通して、知的問題の解決、あるいは、哲学上の困難の解決策を見つけはしなかったが、見事な勝利を成し遂げた。自己の神学弁護の行き詰まりに直面してでさえ、かれは、『自分を憎悪する』、と心から言うことのできる精霊的な高さに昇った。その時、神の姿の救済がヨブに下された。このように苦しみの経験から、ヨブは、誤解したが、道徳的理解と精霊的な洞察の超人的段階に昇った。神に忠実なこの苦脳する者が神の姿を目にするとき、すべての人間の理解を超える魂の平和があとに続く。
「ヨブの友人の最初のものエリーファズは、自身の繁栄の日々に他の者達に処方した同じ不屈の精神を示すように苦しむ者に勧めた。この間違った慰安者は言った。『あなたの宗教を信じなさい、ヨブ。苦しむ者は、邪な者であり正しい者ではないということを思い出しなさい。あなたはこの罰に相当するに違いない。さもなくば、苦しめられはしないであろう。神の目にはいかなる人間も正しくあるはずがないことを君はよく知っている。悪者は決して本当に繁栄しないことを君は知っている。とにかく、人は、憂悶する運命のようであるし、恐らく主は、君自身のために制裁しているに過ぎない。』哀れなヨブは、人間の苦脳の問題そのような解釈から多くの安らぎを得られなかったのは当然である。
「しかし、2人目の友人ビルダデの助言は、当時受け入れられた神学の見地からのその堅実さにもかかわらず、さらに憂鬱であった。ビルダデが言った。『神は不当であるはずがない。君の子供達は死んだので罪人であったに違いない。君は、間違っているにちがいない。でなければ、それほどまでに苦しめられはしないだろう。また、君が本当に正しければ、神は苦悩から間違いなく救い出すであろう。人間との神の関係の歴史から、全能者は、悪人だけを滅ぼすということを学ぶべきである。』
「そこで、君は、ヨブがどのように友人達に答えたかを思い起こす。『私は、神が助けを求める私の叫びを聞かないということのをよく分かっている。どのように神は公正であり、同時に私の無実をそれほどまで完全に無視できるのか。私は、全能者に哀願することからは、いかなる満足も得られないことを思い知っている。君達は、神が悪人による善人の迫害を許容するということを認識することはできないのか。そして、人は非常に弱いものであるから、全能の神の手からの斟酌のどんな見込みがあるというのか。神は、私が今あるように造られ、神が私を急に襲うとき、私は無防備である。なぜ神はこんな惨めな恰好で苦しむためだけに私を創造されたのか。』
「そこで、友人等の助言と彼の心を占めた神についての誤った考えを考慮して、誰が、ヨブの態度に挑戦することができるか。あなたは、ヨブが、人間の資質をもつ神を切望したということ、つまり、公正な者が、人の死を免れない状況を知っており、また長い楽園上昇のこの最初の人生の一部として、しばしば頑是なく受難しなければならないことを理解している神性存在者と親しく交わることをヨブが熱望したということが分らないのか。そういう訳で、人の息子は、今後ヨブの苦悩に耐えることを要求されるそれらの全ての者を慰め、救援することができるように、そのような肉体での生涯を送るために父のもとからきたのである。
「ヨブの3番目の友人ツォファーは、その時、さらに慰めの少ない言葉を掛けた。『このように苦しめられているのだから、君が正しいと主張するのは愚かである。だが、私は、神のやり方を理解するのは不可能であることを私は認める。おそらく君の全ての災いには何らかの隠された意図がある。』そして、ヨブは3人全員の友人の言うことを聞くと、かれは、直接神に助けを求めて、『女から生まれる人は、わずかの時と難儀に満ちている』という事実を訴えた。
それから2回目の友人達との話し合いが始まった。エリーファズは、より厳しくなり、批難し、皮肉たっぷりであった。ビルダッドは、友人達へのヨブの軽蔑に憤慨するようになった。ツォファーは、沈鬱な忠告を繰り返した。ヨブは、この時までには友人達に嫌悪感を覚えるようになり、再び神に訴えた。そのとき、かれは、友人達の哲学に表現され、彼自身の宗教態度においてさえ守られている不公平な神に対して、公平な神に訴えた。次にヨブは、人間生活での不公平が、より公正に調整されるかもしれない来世の安らぎに逃避した。人間からの助けの失敗は、ヨブを神へと追いやる。次には、心の中の信仰と疑念の間での大いなる闘いが起きた。遂には、人間の苦しむ者は、命の光を見始める。拷問された魂は、望みと勇気の新しい高さに昇る。苦しみ続け、そして死にさえするかもしれないが、開眼した魂は、今その勝利の叫び『私の擁護者は生きている。』を発するのである。
「両親を罰するために子供を苦しめるという教義に挑んだとき、ヨブは、全く正しかった。ヨブはかつて、神が公正であることを認める用意があったが、何らかの魂を満足させる永遠なるものの人格的特質の顕示を切望していた。そして、それは地球上の我々の任務である。苦しむ人間は、これ以上神の愛を知り、天の父の慈悲を理解する安らぎを否定されることはないのである。つむじ風から話される神の言葉は、その発言された時代には厳然とした概念であったが、君は、父が自らを明らかにせず、むしろ人間の心の中で、『これが、道である。そこを歩きなさい。』とかすかな細い声で、話すということをすでに学んだ。神が人の中に住むということ、彼があなたのようになるということ、あなたが彼のようにするということをあなたは理解していない。
それから、イエスは、この最終的な声明した。「天の父は、好んで人の子を苦しめはしない。人は、まず、時間の偶然性と不完全な物理的存在の悪の欠点に苦しむ。次に、かれは、容赦のない罪の結果—生命と光の法則への違反—に苦しむ。そして、最後に、人は、地球上で天の公正な規則に反抗して、自己の邪悪な持続性の報いを収穫する。しかし、人の惨めさは、神の裁決からくる直接的な天罰ではない。人は、現世の苦しみを大いに減少できるし、するであろう。しかし、これを最後に、神が悪者の命令を受けて人を苦しめるという迷信から開放されなさい。良い人でさえ、どれだけ多くの間違った考えを抱くかもしれないということを単に発見するために、ヨブ記を検討しなさい。そして、そのような誤った教えにもかかわらず、痛々しいほどに苦しんだヨブでさえ、どのように安らぎと救済の神を見つけたかに気づきなさい。ついに、彼の信仰は、癒しの慈悲と永遠の正義として父から溢れくる命の光を見分けるための苦しみの雲を突き通した。」
ヨハネは、これらの言葉を心で何日も熟考した。あるじとの庭でのこの会話の結果、彼の余生全体が、著しく変わり、彼は、平凡な人間の苦悩の源や、特質、それに目的に対する使徒の観点に変化をもたらすために後に多くのことをした。だが、ヨハネは、あるじが立ち去る後までこの会議について決して話さなかった。
イエスは、使徒と新しい伝道者の一団が、再度ガリラヤへの説教旅行に立つ2週間前の安息日に、「正しい生活の喜び」についてカペルナムの会堂で話した。イエスが話し終えると、不具になったり、足が不自由であったり、病気であったり、苦しんでいる者の大集団が、治療を求めて彼の周りに混みあった。この集団には、使徒、多くの新しい伝道者、それにエルサレムからのパリサイ派の諜報者達もいた。イエスのいく所はどこでも、(丘での父の用向きに関する時以外) エルサレムの6人の密偵が、必ず後を追った。
密偵中のパリサイ派の指導者は、イエスが人々と話して立っていたので、萎える手の男にイエスに近づき、安息日に癒されるのは合法であるかどうか、あるいは他の日に頼むべきか尋ねるように誘導した。イエスは、この男性を見て、その言葉を聞き、また彼がパリサイ派に送られてきたと察知して言った。「質問をするので進み出て来なさい。もし君が羊を飼っていて、安息日にそれが穴に落ちたなら、手を伸ばし、それを掴んで、持ち上げて外に出しますか。安息日にそのようなことをすることは、合法ですか。」そして、男が答えた。「はい、あるじさま、安息日にこのように良いことをするのは合法です。」その時、イエスは皆に向かって言った。「君が、なぜこの男性を私の前に寄こしたか分かっている。安息日に慈悲を示す気にさせることができるならば、君は、私に違反の原因を見つけるであろう。君は、安息日にさえ、穴から不運な羊を救い出すのは合法であると、あなた方は皆、同意した。君達が、安息日に慈愛を動物に示すだけでなく、人にも示すことは合法であると証言することを求める。人は、どれだけ羊より貴重であることか。私は、安息日に人に善行を施すことが合法であると宣言する。」そして、彼ら全員が、イエスの前に黙って立っていると、イエスは、手の萎えた男に向けて言った。「皆が見えるように私の側にきてここに立ちなさい。そして、あなたは、今、安息日に良い行いをすることは、父の意志であることを知ることができる。癒されるという信仰をあなたがもつならば、手を伸ばしなさい。」
そして、この男性が萎えている手を差し伸ばすと、それは癒された。人々はパリサイ人を襲いたいと思ったが、イエスは、静まるように言い、「安息日に良い行いをすること、命を救うことは、合法的であると言ったばかりであるが、危害を加えたり、殺す欲情に屈するようにとは教えなかった。」怒ったパリサイ人達は、立ち去った。安息日であったにもかかわらず、彼らは、直ちに、ティベリアスへと急ぎ、ヘローデスと相談し、イエスに対する味方としてヘローデス一党を抱き込み、ヘローデスの偏見をそそろうとできる限りのことをした。ところが、ヘローデスは、エルサレムに苦情を持ち込むようにと忠告して、イエスを阻止しようとの働きかけを拒否した。
敵の挑戦に応じて、イエスが為した初めての奇跡がこれであった。そして、あるじは、自分の治療の力量の誇示としてではなく、全人類に、宗教の安息日の休養を無意味な制限の真の束縛にすることに対する効果的な抗議として、このいわゆる奇跡を実行した。この男性は、石工の仕事に戻り、感謝と公正の生活による治癒が持たらされた者達の一人であることを証明した。
ベスサイダ滞在の最後の週、イエスとその教えに対するエルサレムの密偵の態度は、大きな分裂が生じるようになった。これらのパリサイ派の3 人は、自分達の見たり聞いたりしたことに甚だ感動した。一方、エルサレムでは、若くて有力なサンヘドリンの一員アブラーハームが、公然とイエスの教えを信奉し、シロアーの池でアブネーの洗礼を受けた。エルサレム中がこの出来事に興奮し、密偵中のパリサイ派の6人の召喚のために、即座に、使者が遣わされた。
前回のガリラヤ巡歴の際、王国へと説き伏せられたギリシア人の哲学者は、アレキサンドリアのある裕福なユダヤ人と戻ってきた。そして、もう一度、彼らは、診療所とともに哲学と宗教併設の学校の設立目的でイエスに街に来るように誘った。しかし、イエスは丁重に招待を断った。
この頃、バグダッドから恍惚状態の予言者キルメットがベスサイダの野営に到着した。この予言者と思われていた者は、恍惚状態のとき特異な光景を見たり、睡眠が妨害されるとき、空想的な夢を見た。かれは、野営地でかなりの騒動を引き起こし、シーモン・ゼローテースは、自己欺瞞の詐称者をかなり手荒く扱いをしかったのだが、イエスが介入し、数日間完全な行動の自由を容認した。キルメットの説教を聞いた者すべては、その教えが、王国の福音によって判断されるような健全なものではないことが分かった。彼は、まもなく6人の情緒不安定で突飛な者だけを連れて、バグダッドに帰った。しかし、イエスがバグダッドの予言者のために取りなす前に、自薦の委員会の助けをかりたダヴィド・ゼベダイオスが、キルメットを湖へと連れ出し、繰り返し水中に突っ込んだ後、そこから発つように—自身の野営隊を組織し設立するよう—忠告した。
この同じ日に、フェニキア女性のベス・マリオンが、非常に熱狂し気が狂い、水上を歩行しようとして溺れそうになった後、友人達に遠ざけられた。
エルサレムの新しい転向者であるパリサイ派のアブラーハームは、この世での財産のすべてを使徒の基金に寄附し、この寄附は、100人の新たに訓練された伝道者の即座の派遣を可能にするほどの大きなものであった。アンドレアスは、すでに野営地の閉鎖を発表したので、皆は家に帰るか、伝道者に続きガリラヤ行きの準備をした。
10月1日、金曜日の午後、イエスが、ゼベダイオス邸の広々とゆったりした表の部屋で、この集会の前列に着席するエルサレムからのパリサイ派の6人、それに使徒、伝道者、野営解散作業時の他の指導者達と最後の会合をしているとき、イエスの地球の全生涯において最も奇妙で特異な挿話の1つが生まれた。あるじは、この時、雨季のこれらの集会に対応するために作られたこの大きい部屋に立って話していた。家は、イエスの講話の何らかの部分を聞き取るために耳を澄ましている夥しい人の群れで完全に囲まれていた。
家にはこのように人々が群がり、また、切望する聴者に完全に囲まれていたが、長い間中風に苦しんでいる男性が、カペルナムから小さい寝椅子に乗せられ友人達に運ばれてきた。この中風患者は、イエスがベスサイダを去るところだと聞き、併せて、つい最近快癒したばかりの石工のアーロンと話したことでもあり、治療を頼めるイエスの前に連れていってもらおうと決意した。友人達は、ゼベダイオスの表と裏の双方の出入り口に辿り着こうとしたが、あまりに多くの人が空き間のないほどに混み合っていた。しかし、中風患者は、諦めようとはしなかった。かれは、イエスが話している部屋の屋根に昇るための梯子を調達するように友人に指示し、彼等は、瓦を外し、患っている者があるじの目前の床に届くまで大胆にも寝椅子の上のこの病める男を縄で下げた。彼らがしでかしたことを見ると、イエスは、話すのをやめた。一方、部屋にいた人々は、病気の男とその友人等の根気に驚嘆した。中風患者が言った。「あるじさま、あなたの教えの邪魔をしたくはありませんが、私は、完全な身体にしてもらうと決心しています。私は、治療を受けてもすぐにあなたの教えを忘れた人々とは違います。天の王国で仕えることができるように完全な身体にしていただきたいのです。」さて、この男の苦悩は彼自身の無駄に送った人生によってもたらされたにもかかわらず、その信仰を見てとり、イエスは、麻痺患者に言った。「息子よ、恐れるでない、そなたの罪は許される。そなたの信仰がそなたを救うであろう。」
座している他の筆記者や法曹達といたエルサレムからのパリサイ派の者達等が、イエスのこの宣告を聞くと、彼等は、それぞれ次のように思い始めた。「この男は、よくもこのような口をきくことだ。そのような言葉が、冒とくであることが分からないのか。誰が、神以外に罪を許すことができるものか。」かれらののそれぞれの心の中や自分達同志でこのように理由づけているのをイエスの中の精霊が知覚して、彼らに話しかけた。「なぜそのように心の中で理由づけているのか。私を批判するとは一体何者であるのか。私がこの中風患者に、罪は許される、あるいは、立て、床をとりあげて歩け、と言おうが、何の違いがあるというのだ。しかし、このすべてを目撃するあなた方が、人の息子にはこの世で罪を許すための権威と力があるということを遂に知ることができるように、私は、この苦しむ男に、立て、床をとりあげて歩け、と言うつもりである。」そして、イエスがこのように言うと、中風患者は立ち、彼らが道をあけると、皆の前を大股で退いた。この出来事を目にした者達は、驚くばかりであった。ペトロスは、散会させたが、多くの者は神に祈り、賛美するとともに、そのような奇妙な出来事を一度も見たことがないことを告白するのであった。
そして、サンヘドリンからの使者達が、6人の間者にエルサレムへの帰還を命じるために到着したのは、およそこの頃であった。この知らせを聞くと、彼等の間でまじめな討論が始まった。そして、議論が終わると、首領とその2人の仲間は、使者とエルサレムに帰った。そして、探っていたパリサイ派の3人は、イエスに対する信仰を認め、すぐ湖に行き、ペトロスの洗礼をうけ、使徒等は、王国の子として兄弟の交わりをした。
2度目のガリラヤにおける公開の説教巡歴は、西暦28年10月3日、日曜日に始まり、およそ3カ月続き、12月30日に終わった。この努力に関与したのは、新たに募集された117人の伝道者集団と多数の他の関心をもつ者に助けられたイエスとその12人の使徒であった。かれらは、この旅で、ガダラ、プトレマイス、ジャフィア、ダバリッタ、メギッド、ジズリール、スキトイポリス、タリヘア、ヒップス、ガマラ、ベスサイダ-ユーリアスと他の多くの都市や村を訪れた。
この日曜日の朝の出発の前、アンドレアスとペトロスは、最終的な指令を新伝道者に与えるようにイエスに要請したが、あるじは、他のものが満足にできるそれらのことをすることは、自分の領域ではないと言って辞退した。十分な熟考の後、ジェームス・ ゼベダイオスがその任を司るべきであると決められた。ジェームスの締めくくりの言葉の後、イエスは、伝道者に言った。「要請に従って仕事をするために前進しなさい。後に、有能で忠実であることを示したとき、王国の福音を説くために君達を任命するつもりである。」
この遊歴においては、ジェームスとヨハネだけが、イエスとともに旅をした。ペトロスと他の使徒は、それぞれが、12 人ほどの伝道者を伴い、説教と教えの仕事に携わりながら近密な関係を保った。信者達が王国に入る準備ができるのと同じ程の速さで、使徒達は、洗礼を行うのであった。イエスと2 人の仲間は、伝道者の仕事を観測し、王国設立のための努力をする彼らを奨励するために、しばしば1日に2都市を訪問し、この3カ月間に広範囲に旅をした。この2度目の説教遊歴全体は、主に、この新しく訓練された117人の伝道集団に実践経験を提供する努力であった。
この期間を通して、そしてその後、イエスと12 人の最後のエルサレムへの出発の時まで、ダーヴィド・ゼベダイオスは、王国の仕事のためにベスサイダの父の家に常設本部を維持した。これはイエスの地球での仕事のための情報本部であり、ダーヴィドがパレスチナや隣接する領域の様々な地域での労働者間で取り続ける使者の活動ための中継拠点であった。かれは、率先してこの全てをしたが、アンドレアスの承認は得た。ダーヴィドは、急速に拡大伸張していく王国の仕事でのこの情報部門で、40人から50人の使者を抱えた。このように忙しくすると共に、自分の従来の漁業に時間の一部を費やして、自分の暮らしを支えた。
ベスサイダでの野営が解散される時までには、イエスの名声は、特に治療者としての名声は、全パレスチナ、全シリア、それに周囲の国々へと広まった。病人は、彼らが、ベスサイダを後にしてから数週間後も到着し続け、あるじが見つからなくてどこにいるかをダーヴィドから教えられると、後を探し求めて行くのであった。この旅でイエスは、いわゆる奇跡の何も意識しては実行しなかった。にもかかわらず、何十人もの苦む者達は、療治を求めに追いたてる激しい信仰からの復興力の結果として健康と幸福の回復を得た。
この活動の頃に現れ始めた—そして、イエスのこれ以降の人生でずっと続いた—のが、独特の、そして説明し得ない一連の治癒現象であった。この3カ月間の旅行中、ユダヤ、イヅマイア、ガリーラ、シリア、タイヤ、シドーンおよび、ヨルダン川の向こうからの100人以上の男女、子供が、イエスによるこの無意識の回復の受益者であり、皆は、自分達の家に帰り、イエスの名声拡大に加わった。イエスは、自然発生的なこれらの治癒の1つを観測する度に、受益者に「誰にも言うな」と直接託したにもかかわらず、彼らは人に告げてしまうのであった。
自然発生的、あるいは無意識の治癒に一体何が起こったのか、我々には決して明らかにされなかった。あるじは、これらの治療がどのように作用するのかを使徒に決して説明しなかった。数回、単に「力が私から出て行ったのが分かる。」と言ったのを除いては。かれは、ある時、病んでいる子供に触れられると、「生命が私から出て行ったのが分かる。」と述べた。
自然発生的な回復に関するこれらの出来事の本質に関して、あるじからの直接の言葉がないとき、いかに達成されたのかを説明することを我々が引き受けることは差し出がましいことであるが、そのような全治療現象に関する我々の意見を記録することは、差し支えないであろう。イエスの地上での任務の間に起きた多くのこれらの見かけ上の治癒の奇跡は、以下次の3種類の強力で、影響力の強い、相互影響の混在の結果であると我々は思う。
1.執拗に回復を追求する人間の心の中の強い、優勢の、生きている信仰の存在にくわえて、そのような治癒が、純粋に物理的な回復よりもむしろその精霊的な恩恵のために望まれたという事実。
2.ほぼ無制限で永遠の創造的な治癒力と特権を実際に自身の中に持つ肉体化され、慈悲に支配された創造者たる神の息子の大きな哀れみと恩情の存在、くわえてそのような人間の信仰。
3. 被創造者の信仰と創造者の人生と共に、この神-人が父の意志の擬人化された表現であるということは、留意されるべきである。もし、父が別に望まなければ、人間の必要性とそれに応じる神性の力の接触において2つが1つになり、人間には無意識のうちに治癒が起こったのだが、イエスにはその神性によりすぐに認識された。そこで、これらの多くの治癒に関する説明は、長らく我々が知る偉大なる法に、すなわち創造者たる息子の望むことが、永遠の父の意志である、ということに見い出されなければならない。
次に、人間の深い信仰の特定の型は、イエスの直接の臨場において、その時人の息子に非常に関係していた特定の創造的な力と宇宙の人格の治癒の顕現に、文字通り、本当に人を感動させずにいられなかったというのが、我々の意見である。従って、それは、イエスが、たびたび目の前で、人間が力強い個人の信仰により自分自身を癒させたという記録の事実になる。
多くの他の者は、まったく利己的な目的のために治療を求めた。付添いを連れたタイヤからの金持ちの未亡人は、自分の数多くの疾患を癒してもらおうとやって来た。彼女は、イエスをガリラヤ中追い回し、まるで最高入札者によって神の力が購入されるものであるかのように、ますます多くの金を提供し続けた。しかしながら、彼女は、決して王国の福音には関心をもつようにはならなかった。彼女が求めたものは、ただ身体の病の治癒であった。
イエスは、人の心を理解した。かれは、何が人の心にあるかが分かっており、もし彼の教えが人々に提示されたままで残されていたならば、彼の地球の人生に提供されている奮い立たせる解釈を唯一の解釈として残していたならば、すべての国とすべての宗教は、王国の福音を速やかに迎え入れたことであったのだが。特定の国々、民族、宗教が、彼の教えをより容認できるように、彼の教えを言い換えるイエスの初期の追随者善意の努力は、あまり容認できるものではない結果をもたらしただけであった。
使徒パウロスは、自分の時代の好ましい特定集団にイエスの教えをもたらす努力において指導と訓戒の多くの手紙を書いた。イエスの福音の他の教師も同様にしたが、イエスの教えの現れとして発表する者によって、これらの手紙の幾つかが後にまとめられるとは、彼らの誰も理解してなかった。そして、いわゆるキリスト教が、他のどの宗教よりもあるじの福音を多くのものを含んではいるのだが、同時に、イエスが教えなかった多くも含んでいる。ペルシアの秘教とギリシアの哲学の多くから初期のキリスト教への多くの教えの編入とは別に、2つの重大な誤りがあった。
1. 福音の教育を直接にユダヤ人の神学に関連づける努力。償いのキリスト教の教義に例証されるような—イエスが父の厳しい正義を満たし、神の怒りを静める犠牲の息子であったという教え。これらの教えは、信じないユダヤ人が、王国の福音をより許容できるようにする賞賛に値する努力から始まった。必ず、ユダヤ人の勝ち取りに関する限り、これらの努力は、失敗はしたものの、以降のすべての世代において多くの正直な人間を混乱させたり、遠ざけることはしなかった。
2. あるじの初期の追随者の2 番目の大きな失態、そして、その後のすべての世代が恒久化させたことは、あまりにも完全にイエスという人に関してのキリスト教育をまとめることであった。キリスト教の神学におけるこのイエスの人物偏重は、彼の教えを不明瞭にしてしまい、このすべてが、ユダヤ人、イスラム教徒、ヒンズー教徒、および他の東洋の宗教家等にとりイエスの教えの受け入れをますます難しくした。我々は、彼の名前がついているかもしれない宗教で、イエスの人としての位置を過小評価したくはないのだが、彼の奮い立たせる人生に影を落としたり、神の父性と人の兄弟愛という彼の救済の言葉に取って代わるそのような考慮を許さない。
イエスの宗教の教師は、宗教間の違いに大いに重点をおくことを控えつつ、共通して保持する真実の認識(その真実の多くは直接、または間接的なイエスの言葉から来る)によって他の宗教に接近すべきである。
その特別な時期に、イエスの名声は、主に医師としての信望に支えられながらも、それがずっと続いたということにはならない。時の経過につれて、かれは、ますます精霊的な助けのために求められた。しかし、一般人に最も直接に即座に訴えたのは、肉体的な治療であった。イエスは、道徳的な奴隷状態と精神的な悩みをもつ犠牲者によりますます必要とされ、いつも決まって救出の道を彼らに教えた。父親達は、息子達の扱いに関する忠告を求め、母親達は、娘達の指導における助けを求めた。かれは、暗闇に座する者達がやって来ると、彼らに人生の光を明らかにした。彼の耳は、人類の悲しみにいつも開かれており、かれは、助けを求める者をつねに助けた。
人間の姿に似せて来た創造者自身がこの世にいるとき、幾つかの驚異的な事が起こることは、不可避であった。しかし、あなたは、これらのいわゆる奇跡の出来事を通じて決してイエスに近づくべきではない。イエスを通して奇跡に接近することを学びなさい、しかし、奇跡を通してイエスに近づく誤りを犯してはならない。そして、この訓戒は、ナザレのイエスが、地球で物質超越を果たした唯一の宗教創設者であったにもかかわらず、正当化される。
地球のマイケルの任務で最も驚異的かつ革命的特徴は、女性に対する態度であった。男性が、公的な場所で自分の妻にさえ挨拶をしない時代や世代において、イエスは、敢えてガリラヤの3度目の旅に福音の教師として女性達を伴った。そして、彼には、「法の言葉は、女に伝えられるよりも焼かれるほうがましである。」と断言する律法学者の教えに直面するに当たり、完全な勇気があった。
1 世代のうちに、イエスは、女性を不敬な忘却と長年の奴隷のような骨折り仕事から向上させた。イエスの名前を敢えて取る宗教の1つの恥ずべきことは、その後の女性への態度においてこの尊い例に続く道徳的な勇気を欠いたことである。
イエスと交じわるにつれ、人々には、彼が当時の迷信に全く囚われていないということが分かった。かれは、宗教的な偏見がなかった。かれは、決して偏狭的ではなかった。かれは、心に社会的反目に類似する何も持っていなかった。祖先の宗教の美点に応ずると共に、迷信と束縛の人為的な伝統の無視を躊躇わなかった。自然の大災害、時の異変、他の悲惨な出来事は、神罰や神の摂理の不可解な行いではないということを敢えて教えた。かれは、無意味な儀式への奴隷的な執着を非難し、物質的な崇拝の誤りを暴いた。かれは、大胆に人の精霊的な自由を宣言し、肉体をもつ人間が本当に、確かに、実際に生きる神の息子であるということを敢えて教えた。
大胆に真の宗教の印として清い手の代わりに清い心を用いたとき、イエスは、先祖のすべての教えにまさった。かれは、伝統と真実を入れ替え、虚栄と偽善のすべての見せ掛けを払いのけた。それでも、神のこの恐れ知らずの男性は、破壊的な批判を表明せず、その時代の宗教的、社会的、経済的、政治的な慣習への完全な無視を明らかにしなかった。かれは、好戦的な革命家ではなかった。かれは、進歩的な進化論者であった。かれは、同時に本来そうあるべき優れたものを仲間に提供する時にだけ同時に破壊に従事した。
イエスは、それを強いることなく、追随者の服従を得た。個別の呼び出しを受けた3 人の男性だけは、弟子の身分の招待に応じることを拒否した。かれは、特有の聴衆動員力を奮ったが、独裁的ではなかった。彼は信用を博し、誰も与えられる命令に決して憤慨しなかった。弟子に対する絶対的権限を得たが、誰も決して反対しなかった。かれは、追随者達が彼をあるじと呼ぶことを受け入れた。
あるじは、根深い宗教偏見を抱く者、または彼の教えに政治的危険性を認めると思う者を除くすべての人から賞賛をうけた。人は、彼が教える独創性と信頼すべき権威に驚いた。彼らは、無教養の、煩わしい尋問者達への扱う際のあるじの忍耐に驚嘆した。かれは、自分の仕事の影響を受けるすべての者の心に望みと自信を注入した。彼に会ったことのない者だけは、あるじを恐れ、また、彼を真実の覇者と看做す者、その真実により覆される運命にある悪と誤りをいかなる犠牲を払おうとも心に保持すると決意した者だけが、彼を嫌った。
友人と敵の両者に、強く、一風変わった魅力的な影響を及ぼした。人の群れは、ただ彼の情けある言葉を聞き、その簡素な生活を見るために彼に数週間ついて行くのであった。献身的な男女は、ほとんど超人的な愛情でイエスを愛していた。かれらは、彼を知れば知るほど、より彼を愛していた。そして、このすべてが、今なお真実である。今日でさえ、そして全ての未来に、人は、この神-人を知れば知るほど、ますます彼を愛し、彼に続くであろう。
イエスとその教えに対する一般人の好ましい受け入れにもかかわらず、エルサレムの宗教指導者は、ますます不安になり、敵対的になった。パリサイ派は、系統的で独断的な教義を明確に述べた。イエスは、時に応じて教えた教師であった。かれは、系統だてた教師ではなかった。イエスは、たとえ話により人生から教えるほどにはあまり法からは多く教えなかった。(そして、趣意の例示のために寓話を用いるとき、その目的のために話の中でただ1つの特徴を利用するように工夫した。イエスの教えに関する多くの誤った考えは、彼の寓話から寓話を作ろうとすることによりもたらされたのかもしれない。)
エルサレムの宗教指導者は、若いアブラハムの最近の転向、それにペトロスの洗礼を受け、そのとき伝道者等とガリラヤでのこの2 度目の説教遊歴に出掛けた3人の諜報員の脱党の結果、ほとんど半狂乱になっていた。ユダヤの指導者は、恐怖と偏見でますます目がくらみ、心の方も、王国の福音の興味をそそる真実への継続的な拒絶によって堅くされた。人が心の中に住む精霊への訴えを止めるとき、自らの態度を修正することはほぼできない。
イエスが、ベスサイダの野営で伝道者達に初めて会ったとき、演説を終える際に言った。「心身で—感情的に—人は、個別に反応するということを心すべきである。人についての唯一画一なものは、内在する精霊である。神霊は、資質と経験の範囲においていくらか異なるかもしれないが、すべての精霊的な訴えに一様に反応する。「この精霊を通して、またこの精霊に訴えることによってだけ、いつか人類は、統一と兄弟愛を勝ち得る。」しかし、ユダヤ人の指導者の多くは、福音の精神的な訴えに、彼らの心の扉を閉じた。この日から、彼らは、あるじの破壊のための計画や陰謀をやめなかった。彼らは、イエスが宗教犯罪者、つまりユダヤの神聖な法の中心的な教えの違反者として逮捕され、宣告を受け、処刑されなければならないと確信していた。
イエスは、この説教遊歴において公の仕事をほとんどしなかったが、ジェームスとヨハネと共にたまたま滞在したほとんどの村や町で数多くの夜間の授業において信者達を指導した。これらの夜の会の1つで、若い伝道者の一人が、怒りに関する質問をイエスにして、あるじは他の事柄も含めて返答した。
「怒りは、一般的に、精霊的な特質が、統合された理性と肉体の性質の制御を得ることに失敗する度合を表す物質的徴候である。怒りは、寛大な兄弟愛の不足、加えて、自尊と自制の不足を示す。怒りは、健康を減少させ、心の質を下げ、人の魂の精霊の師を不利な立場におく。聖書で、『怒りは愚かな男を殺す。』また、その男が『己の怒りに苦しむ。』『容易に怒らない者は、優れた理解者である、』が、『気短かな者は愚かさを高める』とあるのを読んだことはないのか。あなた方は皆、『穏やかな受け答えは、怒りを逸らす。』また、いかに『酷い言葉が怒りを煽る。』かを知っている。『思慮分別は、怒りを据え置く。』一方、『自己を支配できない者は、壁のない無防備の都市に似る。』『怒りは残酷で、苛立は言語道断である。』『立腹する者は、争いを煽り、怒り狂う者は、違犯を増やす。』『精神を苛立てはならない。苛立は、愚かな者の胸に留まるのであるから。』イエスは、話しをやめる前にさらに言った。「精霊の導きが、神の息子の身分に矛盾する動物的な怒りの爆発に捌け口を見い出す傾向からあなたを救い出す際に、あまり苦労がないように心を愛で占めなさい。」
この同じ時、あるじは、良く釣り合いのとれた性格を備えている好ましさについて一団に話した。かれは、ほとんどの人間が何らかの職業の熟達に専念することが必要であると認めたが、生活活動における狭量や制限される方への専門化のし過ぎに向かう全ての傾向を遺憾に思った。かれは、どんな美徳といえども、極端に推し進めれば、悪癖になりうるという事実に注意を促した。イエスはつねに節度を説き、また一貫性—人生問題に応じた調整—を教えた。過剰な共感と哀れみは、深刻な情緒不安定に陥れるかもしれないと指摘した。熱意は、狂信に追いやるかもしれないということを。かれは、想像が空想へと、また非実用的な仕事へ道を踏み外したかつての仲間の一人について検討した。同時に、過剰の保守的な凡庸性における無味乾燥の危険に対して警告した。
そして、イエスは、勇気と信仰の危険性について、彼らが、いかに軽率な人間達を時おり無謀さとでしゃばりに導くかについて論述した。かれはまた、度が過ぎると、いかに慎重さと思慮深さが臆病と失敗につながるかを示した。かれは、奇抜さに進む全ての傾向を回避するとともに、独創性に向けて努力することを聴者に熱心に説いた。かれは、感傷的でない同情、独善的態度のない信心を嘆願した。かれは、恐れと迷信のない崇敬を教えた。
彼自身の人生は、その教えを雄弁に例示している事実ほどには、釣り合いのとれた性格についてのイエスの教えは、仲間をそれほど感動させてはいなかった。イエスは、圧迫と攻撃の真っただ中に住んでいたが、決して動揺しなかった。敵は、絶えず罠を仕掛けたが、決して罠にはめることができなかった。賢明で学識ある者は、躓かせようと努めたが、彼は躓かなかった。彼らは、討論に巻き込もうとしたが、彼の答えは、いつも啓蒙的で威厳があり、決定的であった。講話が種々雑多の質問で遮られるとき、彼の答えは、いつも意味深く最終的なものであった。虚偽の、不当で邪悪なあらゆる類の攻撃方法の行使を躊躇わない敵の絶え間ない圧力に対し、かれは、決して卑劣な戦術に訴えなかった。
多くの男女が、生計のための職業として何らかの確かな仕事に勤勉に専念しなければならないのは本当であるとともに、それでも、人間が地球で実際に人生を送って広範囲の文化的な憧れを培わなければならないということは、全くもって望ましい。真に教養のある者は、仲間の人生と行ないに不案内のままでいることに満足しない。
イエスが、サイモン・ゼローテースの指揮の下に働いている伝道者の一団を訪問しているとき、夜の会議中にサイモンが、あるじに尋ねた。「なぜ一部の人は他よりもはるかに幸福で満足しているのですか。満足とは宗教的な経験の問題ですか。」他にもある中から、特にサイモンの質問に答えて、イエスは言った。
「サイモン、一部の人は他よりも自然に幸せである。その多くは、非常に多くは、人の中に生きる父の精霊に導かれ指示される人の意欲に依存している。聖書で賢者の言葉を読んだことはないのか。『人の精霊は主のともしび、腹の底まで探りだす。』また、そのような精霊主導の死すべき者は言う。『測り綱は私の好む所に落ちた。まことに、素晴らしい私への譲りの地だ。』『一人の正しい者の持てる僅かなものは、多くの悪者の豊さにまさる。』なぜなら『善人は自分の中に満足している。』『心に喜びがあれば、顔色を良くし毎日が宴会である。』『僅かなものをもっていて主を恐れるのは、多くの財宝をもっていてそれに伴う苦労があるのにまさる。野菜を食べて愛しあうのは、肥えた牛を食べて憎みあうのにまさる。』『不正をして多くの富をもつより、正しくあって少しの富をもつ方が良い。』『陽気な心は薬のような働きがある。』『過多の精神の悲しみと苦痛を担うよりも、一握りの平静がある方がよい。』
「人の悲しみの多くは、野心からくる失望と傷ついた自負から生まれる。人は、地上での人生を最大限に生かす義務を負うが、このように心から努力し、自分の境涯を受け入れ、手にするものを多いに生かすように独創性を働かすべきである。人の問題のあまりにも多くが、自身の本来の心にある恐怖の土壌に起源がある。『誰も追いかけないとき、悪者は自由である。』『悪者は、荒れ狂う海のようなものだ。静まることができず、泥と土を吐きだすからだ。』『悪者には平安がない、と神は仰せられる。』
「だから、偽りの平安と一時の喜びを求めるのではなく、むしろ精霊に平静、満足、喜びをもたらす神性の息子性の保全を求めなさい。」
イエスは、この世界を「涙の谷」とは、少しも考えなかった。むしろ、それを楽園上昇ための永遠かつ不滅の精霊の誕生球体、「魂形成の谷」と見なした。
夜の会議中、フィリップがイエスに次のように言ったのは、ガマラでであった。「あるじさま、あなたなら、私達に恐れずに天の父に向けさせるでしょうに、『主を恐れよ』と聖書が教えているのは何故ですか。我々は、これらの教えを一致させるにはどうしていくのでしょうか。」そこで、イエスが、フィリップに応えて言った。
「子供等よ、そのような質問をしても私は驚かない。初めに人が崇敬を学ぶことができたのは、恐怖を通してだけであった。しかし、息子の情愛深い認識と父の深く完全な愛のやり取りによる永遠なるものへの崇拝に引きつけられるように、私は、父の愛を顕示しにきたのである。私は、嫉妬し激怒する王のような神へのうんざりする奉仕へ駆り立てる盲目的な恐れへの束縛から君達を救いたいのである。優しく公平で慈悲深い父である神へのその高尚で崇高な自由の崇拝を喜び、それに導かれるように、神と人間の間の父と息子の関係を君達に教えたい。
『主への恐れ』は、恐怖に始まり、苦悶と畏怖を経て、畏敬と崇敬へと相次ぐ時代において異なる意味をもっていた。そして、現在、私は、崇敬から、認識、実感と評価を経て愛へと君を上へと導きたい。神の業だけを認識するとき、人は、至高なるものに対する恐れへと導かれる。だが、人が、生きる神の人格と特質を理解し経験し始めるとき、かれは、ますます、そのような善で、完全で、普遍的な永遠の父を愛するように導かれる。そして、地球上での人の息子の使命を構成するこれこそが、神への人のこの関係の変化なのである。
「その手から良い贈り物を受け取るかもしれないように、知性ある子等は、父を恐れない。しかし、息子と娘への父の愛情の命じるところによって与えられる豊富な良いことをすでに受けたので、これらの大いに愛された子供は、そのような物惜しみをしない恩恵への敏感な認識と感謝で父を愛するように導かれる。神の善は、悔悟へ導く。神の恩恵は奉仕へ導く。神の慈悲は救済へ導く。また神の愛は、賢明で自由な心の崇拝に導く。
「あなたの先祖は、神が強大で神秘的であるがゆえに恐れた。君は、彼のすばらしい愛、豊富な慈悲、栄光の真実ゆえに神を崇拝するであろう。神の力は、人の心に恐怖を引き起こすが、その人格の気高さと正しさは、崇敬、愛、および自発的な崇拝を生じさせる。忠実で優しい息子は、強血からで気高い父さえ恐れたり畏怖しない。私は、恐怖の代わりに愛、悲しみの代わりに喜び、畏怖の代わりに自信、隷属的束縛と無意味な儀式の代わりに愛の礼拝と感謝の崇拝へ向けるためにこの世界に来たのである。しかし、『主への恐れは、知恵の始まりである。』ということは、闇に座る者達にとってまだ本当である。しかし、光がより完全に来たき、神の息子達は、神が何をするかということを恐れるよりも、神が何であるかということで無限なるものを称賛するために導かれる。
「子供が幼く軽率であるとき、かれらは、両親を尊敬するように必ず諭されなければならない。しかし、彼らが、大きくなり親の援助と保護の恩恵をいくらか感謝するようになると、理解ある敬意と増大する愛情を通して、両親が何をしたかということよりも、何であるかということのために、実際に両親を愛する経験段階へと導かれる。父は自然に子を愛しているが、子は、父が何ができるかという恐怖から、畏敬、畏怖、依存、および崇敬を通しての愛の評価と情愛深い姿勢へと父に対する愛を育まなければならない。
「『それが人の全てであるがゆえに、神を恐れ、その命令に従う』べきであるということを君達は教えられてきた。しかし、私は、新しくより高い戒律を与えにきた。私は、『それが神の解放された息子の最高の特権であるので、神を愛し、その意志を為す』ことを教えたい。祖先は、『神—強大なる王』を恐れることを教えた。 私は、『神—全く慈悲深い父』を愛することを教える。
「天の王国には、私は、それを宣言するためにきたのだが、高く強大ないかなる王もいない。この王国は、神の家族である。遍く認識され制限されることなく崇拝される中心であり、知的な存在体のこの広範囲の兄弟愛の先頭は、私の父でありあなた方の父である。私は彼の息子であり、あなたも彼の息子である。したがって、あなたと私は、天国のような状況での同胞であるというのは永遠に本当であり、我々が地球での肉体をもつ人生で同胞となったからには、それは、より一層永遠に真実である。そこで、神を王として恐れたり、または、あるじとして仕えることを止めなさい。創造者として崇敬することを学びなさい。彼を、あなたの精霊の青年時代の父として敬いなさい。慈悲深い擁護者として愛しなさい。そして、最後に、あなたのより成熟した精霊的な実現と感謝する愛情深く全てに賢明な父として彼を崇拝しなさい。
「天の父に対する誤った概念から謙虚さに対する誤った考えが育まれ、偽善の多くが生ずる。人は、本来埃の虫であるかもしれないが、父の精霊が内に住むようにになると、その人は神性になる運命にある。父が贈与する精霊は、確実に神の源と宇宙段階の起源に戻るであろう。そして、この内在する精霊の生まれ変わる子供になった人間の魂は、まさしく永遠の父の面前へと神の精霊と確かに昇るのである。
「謙虚さは、本当に、天の父からすべてのこれらの贈り物を受け取る必滅の人間に適しており、そこで、天の王国の永遠の上昇のそのようなすべての信仰の候補者に関連した神の尊厳がある。これみよがしの偽りの謙虚さの無意味でくだらない行使は、救済の源への評価と精霊生まれの魂の目標の認識とは相容れない。神の前の謙虚さは、心の深さにあってこそ適切である。人の前の謙虚さは、称讃に値する。しかし、自意識と注目を切望する謙虚さの偽善は、王国の開眼している息子には子供じみて、相応しくない。
「神前で素直であり、人前での自制はとてもよいのだが、その素直さは、独善的正義の自意識の感覚からくる自己欺瞞の誇示ではなく、精霊の源からくるものにしなさい。『へりくだって神と歩め』と言ったとき、予言者は、慎重に話した、というのは、天の父が無限なるものであり、永遠なるものであると同時に、『悔恨する心と謙遜な姿勢をもつ者とともに』住んでもいるのであるから。父は自負心を軽侮し、偽善を嫌い、不正を憎悪する。そして、それは、天の王国の精霊の現実への人間の入国に不可欠である心構えと精霊の反応の例証として、私は、幼子にたびたび言及してきたのは、天なる父の情愛深い支持と誠実な指導において真心と完全な信頼の価値を強調するためであった。
「予言者エレミヤが『口では神に近いが、心では遠い。』と言ったとき、多くの死すべき運命にある者をよく描写した。また、『祭司たちは代金をとって教え、予言者たちは金のために占いをする。同時に、彼らは、敬虔を公言し、主が彼等とともにいると宣言する。』君達は、『心に悪さを胸に抱く旁らで、隣人へ平安を語る』それらの者、『心が表裏反覆である旁らで、唇でおだてあげる』それらの者に対して充分に警告されなかったのか。信じている人の凡ゆる悲しみの中でも、誰も信頼されている友人の家で傷つけられることほど酷いことはない。」
アンドレアスは、サイモン・ペトロスとの協議とイエスの承認により、遊歴中の様々な集団に説教を終えて12月30日、木曜日のいつかベスサイダに戻るように使者を急派するようにベスサイダでダーヴィドに命令した。その雨の日の夕食時間までには、使徒集団と教育伝道者は皆、ゼベダイオスの家に到着した。
一団は、ベスサイダと近くのカペルナムの家々に収容され、安息日の間ともに居た。その後全体は、家族の元に帰ったり、友を訪問したり、または釣りをするために 2 週間の休みが許された。一緒にいたベスサイダでの2、3日は、実に、爽快で感激的であった。老年の教師達さえ、それぞれの経験を話す若い伝道者に啓発された。
ガリラヤのこの2 度目の旅に参加した117 人の伝道者のうちわずか75 人程が、実際の体験の試練を乗り切り、2 週間の休息の終わりに活動を割り当てられるために控えていた。イエスは、アンドレアス、ペトロス、ジェームス、ヨハネと、ゼベダイオスの家に残り、王国の福祉と拡大に関する協議に多くの時間を過ごした。
西暦29年1月16日、日曜日の夕方、アブネーは、ヨハネの使徒と共にベスサイダに到着し、翌日アンドレアスとイエスの使徒との共同会議に入った。アブネーと仲間は、ヘブロンに本部を設け、これらの会議のために定期的にベスサイダに行くのが習慣であった。
この共同会議で考慮される多くの案件の中には、治癒の祈りの際の特定の油を病人に注ぐ習慣であった。またもやイエスは、議論への参加、あるいは彼等の結論に関する意見表明を断った。ヨハネの使徒は、その活動の中で病苦の者にいつも塗布油を使用しており、これを両団体の一律の実践として定めようとしたが、イエスの使徒は、そのような規則で縛られることを拒んだ。
1月18日火曜日、24人のガリラヤへの3度目の説教遊歴への派遣に先だち、考査済みの伝道者およそ75人が、ベスサイダのゼベダイオス家で合流した。この3度番目の任務は、7週間続いた。
伝道者は、5人ずつの組み分けで送り出され、イエスと12 人はたいてい一緒に旅行しながらも、使徒は、2 人ずつが必要に応じ信者の洗礼に出掛けた。ほぼ3週間、アブネーと仲間も、この集団と共に働き、福音伝道者に助言したり、信者に洗礼を施した。彼らは、マグダラ、ティベリアス、ナザレス、それにガリラヤの中部と南部の主要都市や集落、また以前に訪ねたことのあるすべての場所と他の多くの土地を訪ねた。北部の地域を除き、これが、ガリラヤへの最後の知らせであった。
地球の生涯に関係するイエスの全ての大胆な行為の中で最も驚くべきことが、1月16日の夕方、「明日、我々は、王国の奉仕活動のために10人の女性を別に任命するつもりである。」という彼の突然の発表であった。2 週間区切りの最初に、使徒と伝道者が休暇でベスサイダから離れようとしている時、イエスは、ダーヴィドに家に彼の両親を呼び出し、またベスサイダに数人の使者に急いで前の野営や天幕の診療の運営で活躍した10人の敬虔な女性を呼びにいかせることを頼んだ。これらの女性は皆、若い伝道者に託された指示を聞いてきたものの、イエスが、病人に王国の福音を教えたり、奉仕することを敢えて女性に命じるとは、女性自身もその教師達にも決して思いつかなかった。イエスに選ばれ、任命されたこの10人の女性は、次の通りであった。ナザレスの会堂の元教会堂役員の娘シューシャン、ヘロデ・アンティパスの執事であるフーザスの妻ジョーアンナ、ティベリアスとセーフォリスの裕福なユダヤ人の娘エリサベツ、アンドレアスとピーターの姉マールサ、あるじの肉身の弟ユダの義理の妹レイチェル、シリア人の医師エルマンの娘ナサンタ、使徒トーマスのいとこミルカ、マタイオス・レーヴィーの長女ルース、ローマ百人隊長の娘ケールタ、ダマスカスの未亡人アガマン。その後、イエスは、この一団に2人の他の女性、メアリ・マグダーリンとアリマセアのヨセフの娘レベッカを加えた。
イエスは、彼女らに女性自身の組織を作る認可を与え、ユダに設備と荷駄用の動物用意のための基金を提供するように指示した。10 人は、その長にシューシャンを、会計係にジョーアンナを選出した。その後ずっと自身の資金を供給し、二度とユダには援助を求めなかった。
女性が、会堂の主要階の床の間に許されさえしない(女性用回廊に限定)その当時、新しい王国の福音の権限を与えられた教師として見られるということは、肝を潰すほど驚くに値することであった。福音教育と活動のために女性を別個に配置するにあたり、イエスがこれらの10人の女性に与えた責任は、全時代を通して全女性を自由にするという解放宣言であった。もはや、男性は、女性を精霊的に劣勢であると見てはいけなかった。これは、12人の使徒にさえ明らかな衝撃であった。天の王国には、金持ちも貧乏人も、自由も束縛も、男性も女性もなく、すべてが等しく神の息子と娘である。」と、あるじが言うのを幾度となく聞いてきたにもかかわらず、宗教教師としてこれらの10人の女性を任命し、一緒に旅することさえ許すと正式に提案したとき、彼等は、文字通り唖然とした。この行為に国中が騒ぎ立ち、イエスの敵はこの動きに乗じたが、至る所で、朗報を信じる女性信者は、選ばれた姉妹の後ろにしっかりと立ち、宗教活動における女性の位置のこの遅れた承認への確たる賛意を口にした。この女性解放は、つまり当然の認識を彼女等に与えるということは、あるじの出発直後、使徒によって実行された。とはいえ、その後の世代では昔の習慣へと後退したのだが。キリスト教会の初期を通して、女性の教師と宗教活動者は、婦人執事と呼ばれ、一般的な認知をえていた。だがポールは、理論的にはこれをすべて容認していたという事実にもかかわらず、彼自身の態度にはそれを決して本格的には組み入れず、個人的にも実際に実行が難しいとわかった。
使徒一行のベスサイダからの旅の際、女性達は後部に続いた。彼女等は、会議時間中はいつも一団となって話者の前方と右側に位置した。王国の福音の信者になる女性達はますます増え、彼女等が、イエスまたは使徒達のうちの一人と個人的な話をしたいと望むとき、おおくの困難の原因となり、困惑につきないものがあった。このとき、このすべてが変わった。女性信者の誰かが、あるじに会いたいと思ったり、使徒と協議したいと望むとき、彼女等は、シューシャンのところに行き、12人の女性伝道者の一人を伴い、直ちにあるじか使徒の一人のところに行くのであった。
女性が最初に自身の有用性を発揮し、自らが選ぶ賢明さを立証したのはマグダラでのことであった。アンドレアスは、女性との、特に疑わしい性格の者達との対人的な仕事に関して、かなり厳しい規則を仲間に押しつけていた。一行がマグダラに入ると、10 人の女性は、いかがわしい場所に入ることも、直接そこの全被収容者に喜ばしい知らせを説くことも自由であった。また、病人を訪問する時、これらの女性は、苦しんでいる姉妹達にその活動で親密に近づくことができた。この場所でのこの10人(その後12人の女性として知られる)の女性の活動の結果、マリア・マグダーリンが王国へと説得された。この女性は、不運の連続とそのような判断の誤りを犯す女性に対する標準的社会がとる態度の結果として、マグダラの邪悪な盛り場の1つにいた。彼女のような者にさえ王国の数ある扉が、開かれていることをマリアに明らかにしたのは、マーサとレイチェルであった。マリアは、朗報を信じ、翌日、ピーターにより洗礼を受けた。
マリア・マグダーリンは、12人の女性伝道団の中で最も有能な福音教師となった。彼女は、イオータパタでの自身の転向の約4 週間後、レベッカとともにそのような活動に選ばれた。マリアとレベッカは、この集団の他のものと共に虐げられた姉妹の啓蒙と向上のために忠実に、効果的に働き、イエスの地球での人生の残りを通して進み続けた。そして、イエスの人生劇中の最後の、しかも、悲劇的な挿話が起きているとき、一人を除く全使徒が逃げたにもかかわらず、これらの女性は、皆居合わせ、一人として彼を否定したり裏切ったりはしなかった。
安息日の使徒一行の礼拝は、イエスの指示でアンドレアスにより女性の手に委ねられていた。もちろん、これは、彼らが新しい会堂でできないことを意味した。女性達は、この行事の任にジョアナを選び、会合は、ヘロデがペライアのユーリアスの官邸に住み不在であったので、その新宮殿の宴会部屋で行われた。ジョアナは、イスラエルの宗教生活における女性の働きに関して聖書から読み、ミリアム、デボラ、エスター、および他の者達に言及した。
その夕方遅く、イエスは、男女連合の一行に「魔法と迷信」について忘れ難い話をした。その頃、明るい、おそらくは新しい星出現は、地上に偉人が生まれたことを示す象徴と考えられていた。そのような星が近年観測されていたので、アンドレアスは、これらの思い込みが根拠のあるものかどうかをイエスに尋ねた。あるじは、アンドレアスの質問に対する長い答えの中で、人間の迷信について主題全体に関して徹底的な議論を始めた。イエスのこのときの論述は次の現代の言い回しにまとめられるかもしれない。
1. 天上の星の軌道は、地球の人間生活の出来事と少しの係わりもない。天文学は、適切な科学の追求であるが、占星術は、王国の福音には属さない迷信的誤りの積み重ねである。
2. 最近殺された動物の内臓検査では、天候、将来の出来事、または、人事の成り行きなど何も明らかにすることはできない。
3. 死者の霊は、生存中の家族、またはかつての友人との情報交換のためには戻らない。
4. 魔除けや遺品は、病気を治したり、災害を避けたり、あるいは悪霊に影響を及ぼすには無力である。精霊の世界に影響を及ぼすすべてのそのような物質的手段に対する信奉は、はなはだしい迷信にすぎない。
5. 賽を投げるのは、多くの小さな困難に決着をつける便利な方法であるかもしれないが、神の意志を明らかにするように考案された方法ではない。そのような結果は、まったく物質的偶然の問題である。精霊的世界との交じわりの唯一の方法は、注がれた息子の精霊と無限なる精霊の遍在する影響と共に人類の精霊の贈与、つまり内在する父の精霊に迎え入れられることである。
6. 占法、呪術、幻術は、魔法の妄想がそうであるのと同様に、無知な心の迷信である。数に対する魔法の信奉、好運の前兆、不運の前触れは、純然たる根拠のない迷信である。
7. 夢の解釈は、主に無知で空想的な推測がなす迷信深く根拠のない方式である。王国の福音は、原始宗教の占い師である祭司と共通するものは何もない。
8. 善か悪の霊は、粘土、木、または金属の物質的象徴の中に住むことはできない。偶像は、作られているその物質以外の何ものでもない。
9. 催眠術師、魔術師、呪術師の慣習は、エジプト人、アッシリア人、バビロニア人、および古代カナーン人の迷信によるものであった。善霊の保護や想像上の悪霊を祓い除けるための護符や全ての呪文の類は、無益である。
10. イエスは、呪縛、苦難、幻惑、祟り、前兆、マンドレーク、結ばれた紐、および他のすべての無知でとりこにする迷信の形態における皆の信奉を暴露し、批難した。
翌晩12人の使徒、ヨハネの使徒、それに新たに任命された女性集団を集めて、イエスが言った。「君達には、収穫は豊富であるが、労働者はわずかであることがわかっている。よって、労働者を主の畑地にもっと送り出すように収穫の主に祈ろう。若い教師達を慰め、教えるために、私が残る間、まだ好都合で平和であるうちに、従来から使徒を2人ずつ王国の福音を説いて、全ガリラヤを素早く通過できるように送り出したい。」そして、彼らに行供養に求めたので、かれは、使徒を2名ずつ任命した。それらは次の通りであった。アンドレアスとペトロス、ジェームスとヨハネ・ゼベダイオス、フィリッポスとナサナエル、トーマスとマタイオス、ジェームスとユーダス・アルフェウス、シーモン・ゼローテースとユダ・イスカリオーテス。
イエスは、12人のためのナザレの会合の日取りを決めて、別れに際して言った。「この任務では如何なる非ユダヤ人の都市にも行ってはいけない、サマリアにも入ってはいけないが、その代わりにイスラエルの家の迷える羊のところ行きなさい。王国の福音を説き、人が神の息子であるという救済の真実を宣言しなさい。弟子は、そのあるじの上ではなく、使用人がその主より優れてもいないということを心しなさい。弟子はあるじと同等であること、使用人は主と同じ様になることで十分である。もし一部の者が、家のあるじをあえてベエルゼブブの仲間と呼ぶとしたならば、かれらは、その世帯の者達をどれほど大きく見るであろうか。だが、君達は、これらの不信心な敵を恐れるべきではない。私は、明らかにされようとしない何もないと断言する。知られるべきでない隠されたものは何もない。私が、個人的に教えてきたこと、それを知恵をもって公然と説きなさい。私が奥の部屋で明らかにしてきたこと、それを君達は屋根から来たるべき季節に公布することになっている。また、友人と弟子達よ、君達に言う。身体を殺すことはできるが、魂を滅ぼすことのできない者達を恐れてはいけない。むしろ身体を支え、魂を救うことのできるあの方を信じなさい。
「2羽の雀は1 ペニーで売られるではないか。しかも、私は、そのいずれも神の視界では忘れられないと言い切る。あなたの頭髪さえすべて数えられているということを知らないのか。だから、恐れるでない。あなた方は、かなり多くの雀よりもっと価値がある。私の教えを恥じるでない。平和と善意を公布しに行きなさい。ただし、欺かれてはならない—平和は、常にあなたの説教に伴うわけではない。私は地球に平和をもたらすために来たが、人が私の贈り物を拒絶するとき、分裂と混乱は起こる。家族の全てが、王国の福音を受け入れるとき、平和は、本当にその家に留まる。しかし、その家族の幾人かが王国に入り、他のものが福音を拒絶するとき、そのような分裂は、悲痛と悲嘆だけをもたらす。人の敵が自身の家庭のものにならないように、家族全員を救うために、ひたむきに働きなさい。だが、あなたが各家族の全員のために最善を尽くしても、この福音よりも父か母を愛する者は、王国にふさわしくないと私は、言い切る。」
12 人は、これらの言葉を聞き終えると、出発の準備をした。そして、皆は、あるじが手配したようにナザレでイエスと他の弟子に会うための集合の時まで、再び一緒にはならなかった。
シュネムでのある晩、ヨハネの使徒達がヘブロンに戻った後、そしてイエスの使徒が2 人ずつ送り出された後、あるじが、ヤコブの指示のもとに働く12人の若い伝道者の一行と12人の女性に教えているときに、レイチェルは、イエスにこの質問をした。「あるじさま、女性が、救われるためには何をするのか、尋ねられたときどう答えましょうか。」イエスは、この質問を聞いて答えた。
「救われるために何をすべきかと男女が尋ねるとき、この王国の福音を信じなさい、神の許しを受け入れなさい、と答えなさい。信仰により、内在する神の精霊に気づきなさい、その受け入れが、あなたを神の息子にする。聖書で、次のようにあるのをまだ読んだことはないのか。『ただ主にだけ、正義と力がる。』また、父が言うところでは、『私の正義は近い』とある。『我が救いはすでに出ており、私の腕は民を抱える。』『私の魂は、神の愛に喜ぶ。神が、私に救いの衣を着せ、正義の外套をまとわせて下さったから。』『主を我々の正義と呼ぶべきだ』とその名に言い及んだ父についてもまた読んではいないのか。『一人よがりの汚らわしいぼろの着物を持ち去り、我が息子に神の正義と永遠の救いの衣をまとわせなさい。』『正義は信仰によって続くであろう。』というのは永遠に本当である。父の王国への出入りは、完全に自由であるが、進歩—神の恵みにおける成長—は、そこでの存続に不可欠である。
「救済は父の贈り物であり、その息子達によって明らかにされる。あなたの側での信仰による受理が、あなたを神性の性質の参加者、神の息子または娘にする。あなたは、信仰に罪がないとして許される。信仰によりあなたは救われる。そして、この同じ信仰により、あなたは進歩的で神性の完全性の道において永遠に前進させられる。アブラーハームは、信仰により罪がないとして許され、メルキゼデクの教えにより救済に気づかされた。全ての時代を通して、この同じ信仰が人の息子を救ってきたが、今、息子が、救済をより本格的に、また受け入れ可能にするために父の元からやって来たのである。」
イエスが、話すのをやめたとき、これらの情け深い言葉を聞いた人々には大きな悦びがあり、皆は、新たな力と更新された活力と熱意をもって次の日から王国の福音を宣言しながら前進し続けた。そして、女性達は、地球での王国設立のためのこれらの計画に自分達が含まれていることを知りますます歓喜した。
最後的な声明を要約する際に、イエスは言った。「救済を買うことはできない。正義を獲得することはできない。救済は神の贈り物であり、正義は、王国の息子性の精霊生まれの人生の自然の果実である。あなたは、正しい生活を送るという理由で、救われるということではない。むしろ、あなたが既に救われ、神の贈り物としての息子性に気づき、地球の人生の最高の喜びとしての王国での活動に気づいたので正しい生活を送るということである。この福音、神の善の顕示を信じるとき、人は、すべての既知の罪の自発的悔悟に導かれるであろう。息子性の実現は、罪を犯す願望とは相容れない。王国の信者は、義に飢え、神の完璧さに渇いている。」
イエスは、夜の議論で多くの課題について話した。この遊歴の残りの期間—皆がナザレで合流する前に—「神の愛」「夢と展望」「悪意」「謙遜と従順さ」「勇気と忠誠」「音楽と崇拝」「奉仕と服従」「自負と傲慢」「悔悟に関係する許し」「平和と完全性」「悪口と嫉み」「悪、罪、誘惑」「疑念と不信仰」「叡知と崇拝」についてイエスは論じた。従来の使徒が遠くにいっており、男女双方のこの若い集団は、より自由にあるじとのこれらの議論に入った。
12人の伝道者の1 集団と2、3日を過ごした後、イエスは、ダーヴィドの使者達によるすべてのこれらの労働者の所在と動きに関して知らされ、もう一つの集団に加わるために進むのであった。これが女性達の初の遊歴であり、彼女等はイエスと多くの時を共にした。各集団は、使者の働きで、遊歴の進捗を完全に知らされており、他の集団からの情報入手は、常に点在し離れ離れの労働者達にとっての励みの源であった。
彼等の分散の前に、12人の使徒が、伝道者や女性部隊と共に、3月4日、金曜日に、あるじに会うためにナザレに集合するということが決められていた。従って、ほぼこの頃、ガリラヤの中部や南部の全域からこれらの使徒と伝道者の様々な集団が、ナザレへ向かい始めた。午後の中頃までには、早く到着した者が用意したこの都市の北部の高地に位置する野営に、最後の到達者であるアンドレアスとピーターが、到着した。そして、イエスが公の活動の始まり以来ナザレを訪れたのは、これが初めてであった。
この金曜日の午後、イエスは、全く見られもせず、完全に気づかれもせずナザレを歩き回った。かれは、幼年時代の家と大工の仕事場のそばを通り、若者時代あれほどまでに楽しんだ丘で30分を過ごした。ヨルダン川のヨハネによる洗礼の日以来、人の息子は、魂の中をかき混ぜるそのような人間の感情の奔出を感じたことはなかった。下山の間、かれは、ナザレでの成長の少年時代に幾度も幾度も耳にしたように、日没を知らせる馴染みのあるトランペットの轟音を聞いた。野営に戻る前、かつて通学した会堂のそばを歩き、幼年期の多くの思い出に心を満足させた。その日早く、イエスは、安息日の朝の礼拝での説教のために、トーマスに会堂の支配者との打ち合わせに行かせていた。
ナザレの人々は、敬虔と正しい生活における評判が、決して良くはなかった。年の経過と共にこの村は、近くのセーフォリスの低い道徳的基準によってますます悪影響を受けるようになった。その少年時代と若者時代を通して、ナザレではイエスに関する意見の分裂があった。かれが、カペルナムに移ると、彼に対する多くの憤りがあった。ナザレの住民は、元大工の行ないについて多く聞いてはいたが、初期のいずれの説教遊歴にも自分の出身の村を一度も含んだことがないと怒っていた。かれらは、イエスの名声について確かに耳にしていたが、彼が若者時代の都市ですばらしい働きの一つとしてなかったので、市民の大部分は、怒っていた。ナザレの人々は、何カ月もの間イエスについて相当に議論していたが、その意見は、概して彼にとって好ましくはなかった。
このように、あるじは、歓迎されず、明らかな敵対的で、酷評の空気の只中にいる自分に気づいた。しかし、これが、全てではなかった。敵は、彼がナザレでこの安息の日を過ごすことになっていることを知り、会堂で話すであろううと想定し、彼を執拗に悩ませ、あらゆる可能な方法で問題を引き起こすために多数の荒々しく粗野な者等を雇っていた。
少年時代の会堂役員の溺愛的な師を含み、イエスのかつての友人の大方は、 死ぬか、またはナザレを去っていたし、より若い世代は、強い嫉妬で彼の名声に憤慨する傾向にあった。かれらは、父親の家族へのイエスの早くからの献身を記憶してはいなかったし、ナザレ在住の弟や結婚している妹達への訪問の怠慢を痛烈に批評した。イエスに対するその家族の態度もまた、市民のこの険悪な感じを増加させる傾向にあった。ユダヤ人の間の正統派は、イエスがこの安息日の朝に会堂へ行くのに速く歩き過ぎるという理由であえて批評さえした。
この安息日は、美しい日であった。全てのナザレ人(友と敵)は、町の会堂でこの元市民の講話を聞くこととなった。使徒の随員の多くは、会堂の外に残らなければならなかった。彼の声を聞きにきた者すべてのための場所がなかった。イエスは、青年時代この崇拝の場所でしばしば話した。そして、この朝、会堂の支配者が、彼に聖書の教えを読むための神聖な書の巻物を手渡したとき、これはイエスがこの会堂に寄贈したまさにその写本であるということを居合わせた誰も思い出すようには見えなかった。
この日の礼拝は、ちょうどイエスが少年として出席した時のように執り行われた。かれは、会堂の支配者と講壇を昇り、礼拝は、2つの祈りの朗唱で始められた。「誉め称えよ、世界の王である主を。光をつくり、闇をつくり、平和を生みだし全てを造る主を。慈悲をもって、地上とそこに住まう者に光を与える方、善をもって、一日一日と毎日、創造の業を新たになさる方。誉め称えよ、神なる主を、御業の栄光のため、賛美のために作られた光明を与える明かりのために。セラ。誉め称えよ、光を作られた神なる主を。」
一瞬の休止の後、かれらは、再び祈った。「すばらしい愛をもって、我々の神である主は、我々を愛し、溢れんばかりの多大の哀れみをもって、父であり我々の王は、彼を信じた我々の祖先のために我々を哀れんできた。あなたは、人生の掟を彼らに教えた。我々に慈悲をお示しください。法に向けて我々の目を開いてください。あなたの戒律に心を従わせてください。御名を愛し恐れるように我々の心を一つにしてください、末代までも、我々が恥をみないように。あなたは救済を用意する神であり、全ての国と言語の中から我々を選ばれ、我々が、愛情を込めてあなたの統一を称賛することができるように実際、偉大な御名—セラ—の近くに我々を連れて来られました。誉め称えよ、愛でイスラエルの民を選んだ主を。」
会衆は、それから、ユダヤ人の信仰の教義、シェマを朗唱した。この儀式は、法からの多数の章句の繰り返しから成り、崇拝者が天の王国のくびき、また、昼夜適用される戒律の任を負うことを示した。
それから、3番目の祈りに続いた。「あなたは、ヤハウェ、我々の神であり、我々の祖先の神であるというのは本当です。我々の王であり祖先の王、我々の救済者であり、祖先の救済者、我々の創造者であり救済者の岩、我々の助力者であり救出者であります。御名は永遠から来ており、あなたの他に神はいません。救出された者達が海辺で歌う新たな歌は御名を称えた。皆は共に王を称賛し認めて言う。ヤハウェは治め、世界に終わりはないと。誉め称えよ、イスラエルを救う主を。」
会堂の支配者は、次に、神聖な書物を入れた箱舟、または櫃の前の自分の場所に行き、19の祈りの賛辞、または祝福の朗唱を始めた。しかし、このとき、貴賓が講話のためにより多くの時間を持つことができるように礼拝を短くするのが望ましかった。そのため、祝福の1番と最終だけが朗唱された。1番目は次の通りであった。「我々の神である主、我々の祖先の神、アブラーハームの神、イサク神、ヤコブの神を称賛せよ。偉大で、強大で、凄まじい神、慈悲と親切を示る方、万物を創造する方、先祖への情けある約束を思い出し、その子々孫々に自身の御名ゆえに愛をもって救世主を連れて来る方。王よ、介添人よ、救世主よ、盾よ。誉め称えよ、ヤハウェよ、アブラーハームの盾よ。」
そこで最後の祝福が続いた。「おお、イスラエル人に大いなる平和をお与えください、あなたは、全ての和平の王であり主であられますので。そして、いつでも、そして毎時間、イスラエルに平和を与えるのは、あなたの目に良い。讃えよ、平和で民イスラエルを満たす方、ヤハウェを。」会衆は、支配者が祝福を朗唱するときに彼を見なかった。祝福に続き、かれは、この機に適った形式ばらない祈りを捧げ、これが終わると、会衆一同がアーメンを唱えた。
次に、会堂役員は箱舟に行き巻き物を取り出し、聖書の教えを読むことができるようにそれをイエスに渡した。少なくとも法の3節を読むように7人を指名するのが慣例であったが、この訪問客は、自身の選択による教えを読むことができるようにこの実行は、この時は見送られた。イエスは巻き物を取り、立ち上がって申命記から読み始めた。「この日私が与えるこの戒律は、あなたから隠されてもいないし、また、遠くかけ離れたものでもない。これは天にあるのではないから、誰が、私達のために天に上り、それを取って来て、私達に聞かせて行なわせようとしているのか、と言わなくてもよい。また、これは海の彼方にあるのではないから、誰が、私達のために海のかなたに渡り、戒律を取って来て、私達に聞かせて行なわせようとしているのか、と言わなくてよい。まことに、命の言葉は、あなたが知ることができ、それに従うことができるように、あなたのごく身近にあり、あなたの面前にさえ、また心の中にさえある。」
法の書から読むのをやめたとき、かれは、イェシァジァの方に向いて読み始めた。「主の御霊が私の上にある。主が、貧者に良い知らせを説くようと私に油を注がれたので。主は、捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために、虐げられている人を自由にするために、主の恵みの年を知らせるために私を遣わされた。」
イエスは、本を閉じ、会堂の支配者にそれを返した後に、座って人々に語り始めた。「今日、これらの言葉は、満たされた。」と始めた。それからおよそ15分間「神の息子と娘」について話した。人々の多くは、この講話に満足し、その仁恵と叡知に驚嘆した。
正式な礼拝の終了後、会堂では興味あるかもしれない人々が質問できるように演説者が残ることが、慣例であった。従って、この安息日の朝、イエスは、質問のために押し寄せた群衆の方へ下りていった。この集団の中には悪戯を企む心の多くの不穏な個人がおり、この人だかりの周辺には、イエスに対して問題を引き起こすために雇われた劣悪な者達が、歩き回っていた。外に留まっていた弟子と伝道者の多くは、今や会堂の中に位置しており、難儀が企てられていることにすぐ気づいた。皆はあるじを連れ去ろうとしたが、彼は一緒に行こうとしなかった。
イエスは、会堂で敵の大勢の群集と小数の仲間に取り囲まれているのを知り、彼らの失礼な質問と邪悪な冷やかしに応えて滑稽交じりに言った。「はい、私は、ヨセフの息子である。大工であり、あなたが、『医者は、己が身を治す』という諺を私に、思い出させても、カペルナムで私がしたと聞いたことをナザレで私にさせようと挑んでも、私は驚きはしない。しかし、『予言者は、自分の郷里やその人々を除いてはどこでも敬われるものだ。』と聖書でさえはっきり記しているのを君達が目撃するよう呼び掛ける。」
しかし、彼らは、イエスを押しのけ、批難し指して言った。「あなたは、自分がナザレの人々よりも良いと思っている。あなたは我々から立ち去ったが、あなたの弟は普通の労働者であり、妹達もまだ我々の中で暮らしている。我々は、あなたの母、マリアを知っている。彼らは今日どこにいるのですか。あなたの大した働きについて聞くが、戻ってくると驚きをに値することをしないということに気づいた。」イエスは、彼等に答えた。「私は、私が育った街に住む人々を愛している。そして、あなた方が皆、天の王国に入るのを見て私は歓喜するであろうが、神の業をすることは、私が決定することではない。恩恵の変化は、受益者である者達の生きている信仰に応じてもたらされる。」
彼自身の使徒の一人であるシーモン・ゼローテースが、若い伝道者のうちの一人ナホーの助けで群衆の中のイエスの友人の一団を集めて、あるじの敵がそこから行くのを通知しておき、好戦的態度を取るという戦術的な失敗がなかったならば、イエスは、穏やかに群衆を扱い、乱暴な敵さえ有効に武装を解いていたことであろう。イエスは、柔らかい答えは、怒りをそらすということを長い間使徒に教えてきたが、追随者は、喜んであるじと呼んだ最愛の師が、そのような非礼と軽蔑で待遇されることを見ることには慣れていなかった。それは、彼等には非常に耐え難く、かれらは、気づくと、激しく猛烈な憤懣を表現しており、そのすべては、単にこの不信心で粗野な集会での群集心理をそそりがちであった。そして、金銭目当てに働く者の指導の下に、これらの悪党は、イエスを掴み、会堂から急いで近くの険しい丘の崖っぷちに追い立て、そこで縁から下へと死に押しやろうとした。しかし、彼らが崖の縁の上で彼を押そうとしていたちょうどそのとき、イエスは、突然に捕獲者の方に向きをかえ、彼らを直視し、静かに腕を組んだ。イエスは、何も言わなかったが、彼が前方に歩き始めると、暴徒が間を開け、危害を加えず通り過ぎさせることに、彼の友人達はこの上もなく驚いた。
イエスは、野営に行き、弟子達も後に続き、そこでこのすべてが詳しく語られ。その晩、彼らは、イエスが指示した通りに、翌日早くカペルナムに戻るための用意をした。この3度目の公の説教遊歴の荒れ狂う結末は、イエスの追随者全員に冷静な効果をもたらした。彼らは、あるじのいくつかの教えの意味を理解し始めていた。王国は、多くの悲しみと苦々しい失望を通してだけ来るでという事実に気づいていた。
かれらは、この日曜日の朝ナザレを発ち、異なる経路で旅をし、最終的には3月10日、木曜日の正午までには、全員がベスサイダに集合した。彼らは、意気揚揚の十字軍の熱心で全てを征服している一隊としてではなく、真実の福音の幻滅している伝道者の冷静かつ真剣な一行として集まった。
説教をし教育する全集団は、3月10日までにベスサイダに集まった。木曜日と金曜日の夜、彼らの多くは、漁に出かけ、安息日には、父アブラハムの栄光に関するダマスカスの年老いたユダヤ人の講話を聞きに会堂に出席した。イエスは、この安息日の大半を一人丘で過ごした。その土曜日の夜、あるじは、「逆境での使命と失望の精神的価値」について集ってきた幾つかの集団に1 時間以上話した。これは、忘れ難い機会であり、聞き手は、与えられた教えを決して忘れなかった。
イエスは、先頃のナザレでの拒絶の悲しみから完全に立ち直ってはいなかった。使徒は、イエスの普段の快活な振舞いに混じっている独特の悲しみに気づいていた。ペトロスは、新伝道者の一団の福祉と指示に関わる多くの責務に深く拘わっていたので、ジェームスとヨハネがたいてい彼と共にいた。エルサレムの過ぎ越し祭りの開始を待つこの期間、女性達は、個別訪問をし、福音を教え、カペルナムや周辺の町村の病人の奉仕に時を費やした。
およそこの頃、イエスは、頻繁に自分の周りに集まりくる群衆に教えるために初めてたとえ話の方法を採用し始めた。イエスが夜遅くまで使徒と他の者達に話したので、この日曜日の朝、一行のほんの僅かしか朝食に起きてこなかった。そこで、かれは、海辺へ出かけ、いつも自分の好きに使用しているアンドレアスとペトロスの古い漁船に一人座り、王国を広げる仕事の次の行動について熟考した。しかし、あるじは長らく一人にされてはいなかった。間もなく、カペルナムや近隣の村落からの人々が到着し始め、その朝10時までには、およそ1,000人が、イエスの船の岸近くに集まり、大声で注目を求めた。ペトロスは、そのとき起きており、船に向かい、「あるじさま、私が彼らに話しましょうか。」とイエスに言った。しかし、「いや、ペトロス、私が一つ話をしよう。」と答えた。そして、イエスは、後に続いた群衆に教えた長い一連のそのようなたとえ話の最初の1つである種を蒔く人の詳述を始めた。この船には高くされた席があり、(教えるときには座るのが、習慣であったので)、イエスは、岸に沿って集まった群衆に話す間、そこに座った。ペトロスが少し話した後で、イエスが次のように言った。
「種を蒔く人が、出掛けて行き蒔いていると、ある種子は、道端に落ち足もとで踏まれて空からきた鳥に食べられてしまった。他の種子は、あまり土のない岩場に落ち、すぐに芽を出したが、土に深さがなかったので太陽が照ると、水分を得る根がなかったのですぐに枯れた。別の種子は、茨の間に落ち、茨が成長し種子を塞いでしまったので、実を結ばなかった。さらに他の種子は、良い地に落ち成育し、30倍、60倍、100倍の実をもたらした。」イエスは、このたとえ話を終えると、「聞く耳をもつ者は聞くがよい」と、群衆に言った。
イエスがこのように人々に教えるのを聞いたとき、使徒や使徒と共にいた者達は、大いに当惑した。長らく自分等達だけで話した後に、マタイオスは、その夜ゼベダイオスの庭でイエスに言った。「あるじさま、群衆に提示された難解な意味合いは何ですか。真実を求める人々になぜたとえ話をされるのですか。」そこで、イエスが答えた。
「いままで忍耐強く君達に教えてきた。君達には天の王国の神秘が知らされているが、洞察力に欠ける群衆や我々を破壊しようとする人々には、これから先、王国の神秘はたとえ話によって示されるであろう。そうして、我々は、王国入りを本当に望む人々が、教えの意味が分かり、その結果、救済を見つけることができるようにするようにし、同時に、我々を陥れるためだけに聴く人々は、 見ずして見、聞かずして聞くことにより、さらにまごつくするかもしれない。我が子等よ、持てる者には更に与えられるので豊富にある、しかし持たざる者からは、その持てるものさえ取り上げられるという精霊の法を君達は認めるか。したがって、私は、我々の友人や真実を知ることを望む人々が、探すものを見つけることができるように、最後まで大いに比喩で今後話すつもりであり、一方、我々の敵や真実を好まない人々は、理解せずに聞くかもしれないが。これらの人々の多くは、真実の道を踏襲しない。予言者は、実にそのようなすべての洞察を欠く者達を描写して言った。『この民の心は、鈍くなり、その耳は聞こえにくく、その目は閉じている、それは、真実を識別したり、心で理解しないようにしているがためである。』」
使徒達は完全にあるじの言葉の意味を理解したというわけではなかった。アンドレアスとトーマスが更にイエスと話す一方で、ペトロスと他の使徒は庭の別の方に引き下がり、熱心な、しかも長い議論に入った。
ペトロスとその周りにいる仲間は、種を蒔く人のたとえ話は比喩であり、各細目には何らかの隠された意味があるという結論に至り、イエスのところに行き説明を求めることにした。そこで、ペトロスは、あるじに近づいて言った。「我々はこのたとえ話の意味を看破することができませんし、王国の神秘を知らされると言われ、それについての説明をお願いします。」イエスがこれを聞くと、ペトロスに言った。「息子よ、私は、何も差し控えるつもりはないが、まず、何を取り沙汰していたのか、話ししてもらいたい。たとえ話の君の解釈は何なのか。」
しばらくの沈黙の後、ペトロスが言った。「あるじさま、我々はたとえ話についてかなり話しました。そして、これが私の行き着いた解釈です。種を蒔く人は、福音伝道者であり、種子は神の言葉です。路傍に落ちた種子は、福音の教えを理解しない人々を表します。固まった地面に落ちた種子を素早く取った鳥は、魔王、または邪悪なものを表し、それは、これらの無知な者の心に蒔かれたものを知らぬ間に奪い去ります。岩場に落ち、急速に成長した種子は、朗報を聞くと喜んで知らせを受け入れる浅薄で軽率な人々を代表します。でも、真実というものには、彼等がより深く理解する本当の根がないので、苦難と迫害を目前にすると、その献身は短命であります。問題が迫ると、これらの信者は躓きます。誘惑されると離れます。茨に落ちた種子は、進んで言葉を聞きますが、浮世の心配と、真実の言葉を窒息させる富の虚偽に気を許すので、不毛となる人々を表しています。さて、良い土地に落ち、30倍、60倍、100倍の実をつけるために芽を出した種子は、真実を聞いたときに、様々な角度からの感謝でそれを受け—これらの異なる知的な授与によって—これらの異なる宗教経験の角度を明かにする人々を表しています。」
イエスは、ペトロスのたとえ話の解釈を聞いた後に、他の使徒にもまた提案がないか尋ねた。この招きに、ナサナエルのみが応じて言った。「あるじさま、サイモン・ペトロスの解釈には多くの良いものを認めながらも、完全には同意いたしません。このたとえ話についての私の考えは、こうです。種子は、王国の福音を表し、種を蒔く人は、王国の使者を意味します。固まった地面の路傍に落ちた種子は、福音をあまり聞いたことのない人々、また、知らせに無関心である者、心を堅くした者を表しています。路傍に落ちた種子を引ったくる空の鳥は、人の人生での習慣、悪の誘惑、肉体の欲望を意味します。岩の間に落ちた種子は、新たな教えを受け入れることに迅速で、この真実に従って生活する困難や現実に直面するときも同様に素早く真実をあきらめるような感情的な人間を表しています。彼等は精霊的な認識を欠いています。茨に落ちた種子は、福音の真実に引きつけられる者達を表しています。その教えに服従するつもりでいますが、かれらは、人間の存在の人生に関わる自負、嫉妬、羨望、懸念に妨げられます。良い土壌に落ち、成長し芽を出し、30倍、60倍、100倍となった種子は、さまざまな精霊の啓発の贈与を保持する男女の真実を理解し、その精霊的な教えに反応する能力の自然で様々な度合いを表します。」
ナサナエルが話し終えると、ある者達は、ペトロスの解釈の正しさを求めて争い、ほとんど同数の者は、たとえ話に対するナサナエルの説明を擁護しようとし、使徒とその仲間は深刻な議論になり、熱心な討論に入った。一方、ペトロスとナサナエルは、家に撤退し、そこで、双方が、相手を説き伏せ互いの考えを変えようと活発で断固とした努力を払っていた。
あるじは、この混乱が、表現の激烈な頂点を過ぎるまで容認した。それから、かれは、手をたたいて自分の周りに皆を呼んだ。かれら全員が、もう一度まわりに集まると、「これから私がこのたとえ話について話す前に、誰か何か言うことがあるか。」と聞いた。一瞬の沈黙の後、トーマスがはっきりと言った。「はい、あるじさま、少々発言したいのです。あなたがかつて、他でもないこの件に注意するようにと我々に言われたのを、私は思い出します。あなたは、説教に具体例を用いるとき、我々は作り話ではなく、人々に教えたいと思う1つの中心となる重大な真実の実例に最適な物語を選択するべきであるということ、また、そのように話を用いた後では、物語での展開される重要でない詳細のすべてに対して精霊的な解釈を試みるべきではない、と我々に教えられました。私は、ペトロスとナサナエルの二人は、このたとえ話を解釈する試みにおいて間違っていると思います。私は、これらのことをする彼等の能力を賞賛はしますが、私は、そのすべての特徴で自然のたとえ話を精神的な類似にもたらす全てのそのような試みは、そのようなたとえ話の本当の目的に混乱と重大な誤解をもたらすだけであるということを等しく確信します。このたとえ話に関する異なる意見を持ち、私の考えでは、あなたが、このたと話を群衆に提示したときは、素晴らしい真実を心にもっており、1 時間前には我々の心は1つでありましたが、その後、あなたが、我々にその注釈を求めると、我々は、いま2つの別々の集団に分かれ、このたとえ話に関する異なる意見を持ち、私の考えでは、完全に理解するための我々の能力を妨げかねないほどに、ひたすら真剣にそのような意見をもつという事実によって、私が正しいということは、十分に証明されます。」
トーマスの話した言葉は、全ての者を落ち着かせる効果があった。かれは、皆にイエスが以前に教えてくれた事を思い出させ、そして、イエスが話を再開する前にアンドレアスが立ち上がって言った。「私は、トーマスが正しいと説き伏せられました。そこで、彼がこの種子を蒔く人のたとえ話にどんな意味を添えるか話してもらいたいです。」イエスが話すように合図した後、トーマスは言った。「同胞よ、この議論を長引かせたくはないが、もしそう望むのであれば、このたとえ話は1つのすばらしい真実を我々に教えるために話されたと思うと私は言います。そして、それは、我々が、神からの使命をいかに忠実に効率的に実行しようが、王国の福音についての我々の教えは、異なる成功の度合を伴うということである。結果のそのようなすべての違いは、直接、我々の支配の及ばない活動情況そのものに固有の事情に依るものであります。」
トーマスが話し終えると、仲間の伝道者の大半は、今にも同意するところであった。ペトロスとナサナエルさえトーマスに話しに行くところであった、そのとき、イエスが立ち上がって言った。「でかした、トーマス。たとえ話の本当の意味についてそなたは明察した。しかし、ペトロスとナサナエルの両者も、私のたとえ話から比喩を作成する仕事の危険性をそれほどまで完全に示したという点において同様によかった。心の中で、君達は、そのような思索的な想像の飛躍にしばしば有利に従事するかもしれないが、公の教えの一部としてそのような結論を提供しようとするとき、間違いを犯す。」
緊張感はなくなり、ペトロスとナサナエルは、互いにそれぞれの解釈への喜びを述べあい、アルフェウスの双子を除いては、使徒の各々は、その夜の就寝前に種を蒔く人のたとえ話の解釈に挑んだ。ユダ・イスカリオテさえ、非常にもっともらしい解釈を提供した。その後12人は、内輪で、しばしば、あるじのたとえ話を比喩として理解しようとしたのであったが、決してそのような思索を真剣には受け止めなかった。これは、使徒とその仲間にとっての非常に有益な集まりであり、これ以後、イエスが、公への教えにますますたとえ話を用いたので特に有益であった。
使徒は、たとえ話志向であったので、その翌晩ずっとたとえ話のさらなる議論に費やされるほどであった。イエスは、次の言葉で夜の会議に入った。「最愛なる者よ、君は、真実の提示を向かいあっている知性と感情に適合するように、教える際にはいつも変化をつけなければならない。さまざまな知性と気質の群衆を前にして立つとき、それぞれの聞き手の種類に合わせて異なる言葉を話すことはできないが、君の教えの伝達のために物語を告げることはできる。そして、各々の集団は、各個人でさえ、知的かつ精神的な資質に従い君のたとえ話に対する自身の解釈ができるであろう。君は、自身の光を輝かせるが、知恵と思慮深さでそうしなさい。誰も、灯りを点すとき、容器でそれを覆うか、または寝台の下に置いたりはしない。かれは、皆が光を見ることができる台の上に灯りを置く。天の王国には、明らかにされるべきではないものはないということを言っておく。最終的に知られるべきではないどんな秘密もない。結局、全てのこれらのものが明るみに出るのである。群衆だけを、しかも彼らがどう真実を聞くかを考えてはいけない。君が、どのように聞くのか、自身にも注意を払いなさい。私が、何回も言ってきたことを思い出しなさい。持っている人にはもっと与えられ、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。」ということを。
たとえ話に関する継続的な議論と彼らの解釈に関するさらなる教えは、現代の言い回しで次のようにまとめられ、表現されるかもしれない。
1. イエスは、福音の真実を教える際に、作り話、比喩の双方の採用に対しての忠告をした。かれは、自由なたとえ話の使用、特に自然のたとえ話を推薦した。かれは、真実を教える手段として自然界と精霊界の間に存在する類似を利用することの価値を強調した。かれは、頻繁に「精霊の現実から来る非現実的ではかない影」として自然のものについて言及した。
2. イエスは、ヘブライの教典から3篇か4篇のたとえ話を述べた上で、この教授方は全く新しくないという事実に注意を促した。しかしながら、それは、かれが、この後ずっと用いたのでほとんど新教授法となった。
3.たとえ話の価値を使徒に教えるに当たり、イエスは、次の点に注意を促した。
たとえ話は、心と精霊の夥しく異なる段階に同時に訴えることを可能にする。たとえ話は、想像力を刺激し、識別力に挑戦し、批判的な思考法を刺激する。それは、対立を喚起することなく共感を促進する。
たとえ話は、認識されている事柄から未知の認識へと進む。たとえ話は、精霊と超物質を導入する方法として、物質と自然を利用する。
たとえ話は、公平な道徳上の決断を刺激する。たとえ話は、多くの偏見を回避し、新たな真実を率直に心に収め、個人の憤りの自衛の最小限の喚起によりこの全てをする。
たとえ話の類推に含まれる真実を拒絶することは、人の正直な判断と正しい決定を真っ向から無視する意識的な知的行動を要する。たとえ話は、聴覚を通しての思考の強制に役立つ。
たとえ話の教育形態の採用は、主に伝統と確立された権威とのすべての論争と明らかな衝突を避けると同時に、教師が、新しく、さらに驚異的な真実さえ提示することを可能にする。
たとえ話にはまた、同じ馴染み深い場面にその後に遭遇するとき、教えられた真実に関する記憶を刺激する利点がある。
このように、イエスは、公への教育にたとえ話をますます用いる彼の実践に基礎をなす多くの理由を追随者に知らせようと努めた。
夜の教えでの終わり近く、イエスは、種を蒔く人のたとえ話について初めての注釈を与えた。かれは、たとえ話は2つのことに言及していると言った。まず最初に、それは、その時までの彼自身の活動への回想と、地球での残りの人生の間の自分の前に横たわっているものへ予測であった。2番目は、王国の使徒と他の使者達が、代々引き続いてその活動において予期するかもしれないことへの暗示でもあった。
また、イエスは、彼の仕事のすべてが、悪霊の援助と悪魔の王子によって行われると教えるエルサレムの宗教指導者の周到な努力への最大限に可能な反証として、たとえ話の使用に訴えた。当時の人々は、すべての自然現象を霊的な存在と超自然力の直接行為の成果と見ていたので、自然への訴えは、そのような教育の違反であった。かれはまた、敵が彼に対する違反や批難の原因を見つける機会をより少なくしつつ、同時により良い道を知りたい人々に重大な真実を宣言することを可能にするので、この教授方法に決定していた。
その夜一行を解散させる前に、イエスは言った。「さて、私は種を蒔く人のたとえ話の最後を話すつもりである。どうこれを君達が受け止めるかを知るために考査したい。天の王国もまた、地球で良い種子を撒く者に似ているのである。そして、彼が夜は眠り、日中は仕事をする間に、種子は、芽生え、成長し、彼は、それが、どう起こったかを知らないが、植物は実を結んだ。最初に葉が出、次に穂が、それから穂に豊かな粒が。そして、粒が熟れると、かれは、鎌で刈り取り、それで収穫は終わった。聞く耳を持つ者には聞かせよ。」
しばしば使徒は、この格言を心の中で熟考したが、あるじは、種を蒔く人のたとえ話へのこの追加へのさらなる言及を決してしなかった。
翌日、イエスは、船から人々に再び教えた。「天の王国は、畑に良い種子を蒔いた人に似ている。しかし、この人が眠っている間に敵が来て、雑草を小麦の中に蒔いて急いで離れた。そうして、若い葉が出て、後に実をつけようとするとき、雑草もまた生えてきた。それから、この世帯主の使用人達が来て言った。『旦那さま、あなたは、畑に良い種子を蒔きませんでしたか。これらの雑草はどこから来るのでしょうか。』そこでかれは、使用人に答えた。『敵がこうしたのである。』すると使用人が尋ねた。『私達にこれらの雑草を引き抜かせてください。』しかし、主人は言った。『だめだ。雑草を抜くかたわらで小麦も根こそぎにするといけない。むしろ、収穫の時まで共に成長させ、その時、刈り手に、まず雑草を集め、燃やすために縛り、次に、小麦を集め、納屋に貯蔵するようにと、私が言います。』」
人々がいくつかの質問をした後、イエスは、別のたとえ話をした。「天の王国は、人が畑に蒔く辛子菜の一粒の種子のようなものである。今、辛子菜の種子は、極小であるが、それが成熟すると、すべての野菜の中でもいちばん大きくなり、木に似ているので、その枝に空から鳥達がやって来て休息することができる。」
「天の王国はまた、女性がそれを取り3 杯の粗挽き粉に隠すパン種のようなもので、こうすると、粗挽き粉全てが発酵するのである。」
「天の王国はまた、畑に隠され人に発見された宝物に似ている。喜びのあまり、この人は、畑を買うための金を得るために持ち物全てを売り払いに行くようなものである。」
「天の王国はまた、上質の真珠を探している商人にも似ている。商人は、1 粒の高価な真珠を見つけると、出掛けていき、並はずれた真珠を購入できるかもしれないほどの所有物すべてを売った。」
「また、天の王国は海に投げ込まれ、あらゆる種類の魚を捕獲する一振りの網に似ているのである。網が一杯になると、漁師達は岸に引き揚げ、そこに腰を下ろし、魚の仕分けをし、良いものは入れ物へ、悪いのは投げ捨てるのである。」
イエスは、群衆に他の多くのたとえ話をした。事実、この時以来、かれは、この方法以外では大衆に滅多に教えなかった。たとえ話で一般聴衆に話した後、かれは、夜の授業の間、より完全により明白に自分の教えを使徒と伝道者達に説明するのであった。
群衆は、その週を通して増え続けた。安息日にイエスは、離れて丘へと急いだが、日曜日の朝が来ると、群衆は、戻ってきた。イエスは、ペトロスの説教の後、昼過ぎに群衆に話し、話し終わると使徒達に言った。「私は、人だかりに疲れた。我々が1日休めるように向こう側に渡ろう。」
湖の反対側へ向かう途中、特に1年のうちのこの時期、ガリラヤ湖に特有の激しい突然の暴風の1つに遭遇した。この水域は、海面から約210メートル下にあり、特に西側の高い堤に接して囲まれている。湖から丘へと導く急な谷間があり、湖上のへこみから日中熱せられた空気が上昇すると、日没以降、谷間の冷却空気が湖上に急降下する傾向がある。これらの強風は、急速に来て、時々同じ速さで突然遠ざかる。
この日曜日の夕暮れ、舟が、向こう岸にイエスを運んで行くのが見られたのは、ちょうどそのような夕方の強風であった。数人の若い伝道者を乗せた他の3 隻の舟が、あとについていた。西岸では嵐の形跡はなく、この湖の領域に限られておりはしたが、この暴風雨は激しかった。風は非常に強く、波が舟に打ち上げ始めた。強風は、使徒が巻く間もなく、帆を引き裂いてしまい、かれらは、2 キロ半の距離を、苦労して岸に向かい、そのとき全くこの櫂に依存していた。
その間、イエスは、小さい頭上の雨覆いの下で舟の後部で横になって眠っていた。ベスサイダを後にしたとき、あるじは、疲れきっていたし、反対側への横断航行の指示は、休息を確保するためであった。これらの元漁師は、強く、経験豊かな漕手であったが、これは彼らが、それまでに遭遇した最悪の強風の1つであった。風と波は、まるでそれが玩具の舟であるかのように激しく揺らせたが、イエスは、邪魔されることなく眠っていた。ペトロスは、後部近くの右の櫂についていた。舟が水でいっぱいになり始めたとき、櫂を手離し、イエスのところに急ぎ、目を覚まさせるために力強く揺さぶった。そして、イエスが目を覚ますと、ペトロスは言った。「あるじさま、激しい嵐に合っているのを知らないのですか。あなたが救ってくれなければ、我々は全員、死んでしまいます。」
イエスが雨の中に出て来ると、まずペトロスを見て、次に、奮闘している漕手のいる暗黒をのぞき込み、動揺してまだ自分の櫂に戻っていないサイモン・ペトロスに一瞥を返して言った。「皆はなぜそのように恐がっているのか。信仰はどこにあるのか。穏やかに、静かにしなさい。」イエスが、ペトロスや他の使徒を叱責するや否や、ペトロスに騒ぐ魂を落ち着け、安らぎを求めるように命じるや否や、乱れた空気は、その平衡が定まり非常に穏やかになった。短い驟雨を降らせた暗雲が消えると共に、荒波はほとんどすぐに静まり、空の星は頭上に輝いた。我々が判断できる限り、このすべては、全く偶然の一致であった。しかし、使徒、特にサイモン・ペトロスは、この出来事を自然の奇跡と見なすことをやめることは決してなかった。当時の人々にとって自然の奇跡を信じることは、特に簡単であった、なぜなら、すべての自然が、精霊の力と超自然的な存在体の直接の支配下の現象であると堅く信じたので。
イエスは、憂悶する彼等の精神に話しかけ、恐怖に漂う彼らの心に立ち向かったということ、暴風雨に自分の言葉に従うように命令はしなかったということを12人にはっきりと説明したが、無駄であった。あるじの追随者は、常に、そのようなすべての偶然の出来事に対して自身の解釈をすることに固執した。この日から、彼らは、あるじが、自然の力の上に絶対的な力を持っていると考えると言ってゆずらなかった。ペトロスは、いかに「風と波さえ彼に従うか」を語ることに決して飽きなかった。
イエスと仲間が岸に着いたのは、夜も遅く、穏やかで美しい夜であったので、皆は、舟の中で休み、翌朝日の出直後まで岸へは行かなかった。皆、全部でおよそ40人が、集合したとき、「父の王国の課題をじっくり考える間、あそこの丘に上って、数日滞在しよう。」とイエスが言った。
湖の東岸近くの大部分は、高地に向かって緩やかな上り坂になっており、この特定の場所では、岸の所々は、湖へと切り立った状態であった。近くの丘の斜面を指して、イエスは、「朝食のためにこの山腹を上り、避難所の幾つかで休んで話そう。」と言った。
この山腹全体は、岩石を削って作られた岩屋に覆われていた。この場所の多くは、古代の墓であった。山腹のほぼ中ほどの小さくて比較的平らな場所にケレサという小さい村の墓地があった。イエスと仲間がこの埋葬地の近くを通っていると、山腹のこれらの洞窟に住んでいる精神異常者が、皆の方へ急いできた。この狂った男性は、以前は足枷と鎖で岩穴の1つに閉じ込められていたので、この辺りではよく知られていた。かなり以前に、かれは、枷を壊してから、そのときは、墓や放棄された塚の間を自由に移動していた。
この男性は、名前をアーモーセと言い、周期的な型の狂気に苦しめられていた。何らかの衣類を見つけ、仲間の間でかなりよく振る舞うかなりの期間があった。かれは、このような正気の合間にベスサイダに行ったことがあり、そこで、イエスと使徒の説教を聞き、その時、王国の福音の本気とはいえない信者となった。しかし、間もなく激しい病の様相が現れ、彼は墓場に逃げ、そこで呻き、大声で叫び、偶々出会う者すべてを恐れさせたのであった。
アーモーセがイエスに気づくと、その足元に倒れ伏し、「イエスさま、私は、あなたを存しております。でも私は、多くの悪魔に取りつかれています、あなたが、私を苦しめないよう嘆願します。」と叫んだ。この男性は、自分の周期性の心の病は、それが起こる時は、悪い、または不浄な霊が自分の中に入り込み、その心と身体を支配しているという事実のためであると本当に思っていた。彼の問題は、大部分が、感情—脳はまったく病的ではなかった—からくるものであった。
イエスは、足元に動物のようにかがんでいる男性を見下ろし、手を伸ばして男性の手を取り、立たせて言った。「アーモーセ、君は悪魔に取りつかれてはいない。君が神の息子であるという良い知らせを君はすでに聞いた。この呪縛から出て来ることを君に命ずる。」アーモーセが、イエスのこれらの言葉を聞くと彼の知性に非常な変化が起こり、すぐに健全な心と感情の通常の制御を回復した。この時までには、近村からのかなりの群衆が集合しており、そして高地からの養豚者達も加わって増大したこれらの人々は、精神異常者が、正常な心でイエスとその追随者と自由に談話しているのを見て驚愕した。
養豚者が従順になっている精神異常者の報を広めるために慌てて村に行くと、数匹の犬が、小さな、放置された30頭ほどの豚の群れに突進し、そのほとんどを絶壁から海へと追い込んでしまった。そして、イエスの臨場と精神異常者の思い違いの奇跡的な回復に関連して、イエスが、アーモーセから多数の悪魔を追放することにより彼を直したということ、これらの悪魔が、豚の群れに入り込んだということ、直ちに豚を下方の海への真っ逆さまの破滅へ追いやったということに伝説の起源を与えたのが、この偶発事件であった。この日が終わる前に、この出来事は、豚の番人達により広く公にされ、村全体がそれを信じた。アーモーセは、この話をすっかり信じた。煩わされた心が静まった直後に、かれは、豚が丘の崖っぷちを転がり落ちていくのを見たことでもあるし、それほどに長い間自分を悩まし、苦しめていた他でもないその悪霊を連れていったと常に信じた。そして、これは、彼の治癒の永続性と大変に係わりがあった。イエスの使徒達(トーマスを除く)全員が、豚の挿話をアーモーセの治癒に直接関係があるとおもっていたというのは、相等しく真実である。
イエスは求めていた休息を得なかった。その日の大半は、アーモーセが回復したという知らせに反応して来た者達に、そして、魔物が、精神異常者から出て豚の群れに入ったという話によって引きつけられた人々の押し掛けにあった。そして、たった一晩の休息の後の火曜日の朝早々、イエスと友人達は、イエスに彼らの中から離れることを促すためにきた養豚者のこれらの非ユダヤ人の代表団に起こされた。代弁者は、ペトロスとアンドレアスに言った。「ガリラヤの漁師さん、我々から離れ、あなた方の予言者を連れて行きなさい。聖なる人であることを知っているが、我々の国の神はあの人を知らないし、我々は、多くの豚を失うという危機に立っている。我々は、あなた方への恐怖に急襲されたので、ここを去るように懇願します。」イエスが代表者達の話を聞くと、「我々の場所に戻ろう。」と、アンドレアスに言った。
皆が出発しようとしていると、アーモーセは、皆と一緒に行く許しをイエスに切に願ったが、あるじは、同意しなかった。アーモーセに言った。「あなたは神の息子であるということを忘れるでない。自身の人々のもとに戻り、神があなたのためにどんな素晴らしいことをしたかを彼らに教えなさい。」そこでアーモーセは、イエスが、自分の惑乱した魂から悪魔を追い払ったということ、そして、これらの悪霊は豚の群れに入り、それらを素早い撲滅に追いやったということを広めてまわった。そして、イエスは、デカーポリスの全ての都市に入るたびに、自分のためにしたすべての偉大なことを公言した。
ケリサの精神異常者アーモーセ治癒の話が、すでにベスサイダとカペルナムに達しており、その火曜日の昼前、イエスの船が上陸したときには、大勢の群衆が待っていた。この群れの中に、エルサレムのサンヘドリンからの新たな監視者達が、あるじの逮捕と有罪判決の原因を見つけるためにカペルナムにやってきていた。イエスが、挨拶に集まった人々と話していると、ヤイロス、会堂の支配者の一人は、群衆の間を擦りぬけ、彼の足元に伏し、手を取り、急いで一緒に来るように懇願した。「あるじさま、私の幼い一人子の娘が、死の間際にあり、我が家で横たわっております。あなたが彼女を癒しに来るのを私は念じています。」と言った。イエスは、この父親の要求を聞くと、「一緒に行こう。」と言った。
イエスがヤイロスと行くと、この父親の懇願を聞いていた大群衆は、何が起こるかを見るために後に続いた。まもなく支配者の家に到着する前に、かれらが、狭い通りを急いで通っており、群衆が彼を押し除けたとき、イエスは、突然止まり、「だれかが私に触れた。」と声高に言った。近くにいた者達が触れていないと否定すると、ペトロスは、大声で言った。「あるじさま、あなたにはこの群衆があなたを押し、我々を押し潰しているのが見えています。それでも『だれかが私に触れた。』とはどういうことですか。」そこでイエスが言った。「生命のエネルギーが私から出て行ったと知覚したので、誰が触れたかを尋ねた。」イエスは、周りを見渡し、近くの女性に目を止めた。その女性は、進み出て、足元に跪いて言った。「長年、難儀な出血に苦しんでおります。多くの医師に掛かり多くの治療に苦しみました。全資産を費やしたきましたが、誰も私を治すことはできませんでした。そうしているうちに、あなたのことを聞き、あの方の衣類の裾に触れでもすれば回復するに違いないと思ったのです。私は、人波の移動と共に前に詰め寄り、あなたの近くに立ったとき、あるじさま、私が、あなたの衣類の縁に触れたのです。そして、私は元通りになりました。私は、病が癒されるいるのが分かるのです。」
イエスは、これを聞くと女性の手を取って立たせながら言った。「娘よ、あなたの信仰があなたを元通りにしたのです。安心して行きなさい。」彼女を元通りしたのは、接触そのものではなく、その信仰であった。そして、この事例は、イエスの地球での経歴に伴う、だが意識的には決意しなかった多くの見かけは奇跡的な治癒の良い実例である。時間の経過は、この女性の疾患が本当に治されたことを立証した。彼女の信仰は、あるじの人間に内在する創造力を直接につかんだ種類のものであった。彼女の持つ信仰で、あるじに単に近づくことだけが必要であった。衣類に触れることは、全く必要ではなかった。それは単に彼女の信心の迷信的な部分に過ぎなかった。イエスは、彼女の心に長引くかもしれない、またこの治癒を目撃した人々の心に残るかもしれない2つの誤りの是正のために、この女性、ケーサレーア・フィリッピーのヴェーローニカを自分の前に呼んだ。イエスは、治癒を盗みとる試みに対する彼女の恐怖が守られたと考えながら、若しくは、衣類への接触と治療の効果を関連づける迷信を思い描きながら彼女に立ち去らせたくはなかった。彼女の純粋で、しかも生きている信仰が治癒をもたらしたということを全員に分からせたかった。
ヤイロスは、勿論、帰宅のこの遅れに実に耐えられなかった。そこで、彼等は、そのとき早い速度で急いだ。支配者の庭に入る前に、使用人の一人が出て来た言った。「あるじさまを煩わせないでください。お嬢さんは亡くなられました。」しかし、イエスは、使用人の言葉を意に介さないようであった。なぜなら、ペトロス、ジェームス、ヨハネを連れて行きながら、「恐れるでない、ただ信じなさい。」と、悲しみにうちひしがれる父に向かって言ったので。家に入ると、かれは、見苦しい騒ぎをしている嘆く者達と共に、すでにそこにフルート奏者達を見つけた。親類達は早くもすすり泣いたり号泣していた。そこで、イエスは、嘆く人全てを出し、父親、母親、3人の使徒と部屋に入った。かれは、少女は死んではいないと会葬者達に告げたが、かれらは嘲り笑った。イエスは、今度は母親に向いて言った。「娘さんは死んではいない。眠っているだけである。」家の中が静まったとき、イエスは、子供の横たわっているところに行き、その手を取り言った。「娘よ、さあ、目を覚まして立ちなさい。」この言葉を聞くと少女は、すぐに起き上がり、部屋の反対側に歩いた。まもなく少女が呆然自失から回復すると、イエスは、長らく食べていないので、何か食べるものを彼女に与えるべきだと指示した。
カペルナムではイエス対するかなりの動揺があったので、かれは、少女は長びく熱のあと昏睡状態にいたのだと、そして自分は、ただ目を覚まさせただけであり、死者の中から甦えらせたのではないのだと家族を集めて説明した。かれは、同様にこのすべてを使徒に説明したが、無駄であった。皆は、幼女を生き返らせたと信じた。イエスがこれらの見た目の奇跡の多くの説明において言ったことは、追随者達には殆ど効果がなかった。彼らは、奇跡志向であり、もう一つの驚くべきことをイエスのものとする機会を逃さなかった。イエスは、誰にも言うべきではない、と皆にはっきり言い渡し、使徒とベスサイダに戻った。
かれが、ヤイロスの家から出て来ると、唖の少年に導かれて2人の盲目の男が、イエスの後を追って、大声で治療を求めた。この頃、癒す人としてのイエスの評判は、その絶頂にあった。行く先々で、病苦に悩む者達が彼を待っていた。あるじは今や、すっかりやつれて見え、友人は皆、イエスが実際に倒れる時点まで教育や治療の仕事を続けないようにと気遣い始めていた。
庶民は言うまでもなく、イエスの使徒は、この神-人の本質と属性を理解することができなかった。その後のいずれの世代も、人としてのナザレのイエスに地上で生じたことを評価することができなかった。また、そのような並はずれた状況はこの世界でも、またはネバドンの他のどの世界においても決して再び起こりえないという単純な理由でのために、科学、あるいは宗教もにも、これらの注目に値する出来事を調べる機会は、決して起こりえない。決して二度と、この全宇宙のいかなる世界にも、人間の姿での、同時に、時間とほとんどの他の物質的ば限界を超える精霊的贈与に結合した創造エネルギーのすべての属性を具体化するものは、出現しないであろう。
イエスが地球にくる以前、あるいはそれ以来ずっと、人間の男女の強くて生きた信仰に伴う結果を直接的に、ありありと得ることは、決して可能ではなかった。これらの現象を繰り返すために、我々は、創造者であるマイケルの面前に行き、その頃の彼—人の息子—を見つけなければならなかったであろう。同様に、今日、彼の不在がそのような物質的な兆候を防止する間、人は、彼の精霊的な力の可能な表示にいかなる種類の制限も置くことを慎むべきである。あるじは、具体的な存在として不在であるが、人の心の精霊的な影響として臨場している。この世界から去ることよって、イエスは、全人類の心に宿る父のそれと一緒に彼の精霊が生きることを可能にした。
イエスは、夜は使徒と伝道者に教え、日中は人々に教え続けた。過ぎ越し祭りの間エルサレムに行く準備をする前の数日間、全ての信奉者が、帰宅するか、友人を訪ねられるように、かれは、金曜日に1 週間の休暇を言い渡した。しかし、弟子の半分以上が彼のもとを去ることを拒否し、そして、群衆の数は日毎に増大し、ダーヴィド・ゼベダイオスは、新しい宿営を設立したいほどであったが、イエスは拒否した。あるじは、過ぎ越し祭りの間あまり休息しなかったので、3月27日、日曜日の朝、人々から逃がれようとした。数人の伝道者は群衆に話ことを任され、同時にイエスと12人は、湖の対岸に気づかれずに逃げることを計画し、そこでベスサイダ-ユーリアスの南にある美しい公園でたっぷり必要な休息を取ることを提案した。この地域は、カペルナムの人々の気に入りの行楽地であった。皆は、これらの東岸の公園に馴染みが深かった。
だが人々は、そうはさせなかった。彼らは、イエスの舟の行く先を目にし、利用可能なあらゆる舟を雇い追跡を始めた。舟を入手できない者達は、湖の上手の縁に沿って徒歩での旅についた。
午後遅くまでには、1,000人以上の人々が公園の1つにあるじの居場所を突き止めた。あるじは、人々に簡単に話し、ペトロスがその後を受けて話した。人々の多くは、食物を持参してきており、夕食後、小集団で散在し、イエスの使徒と弟子が彼らに教えた。
月曜日の午後には、3,000人以上にまで膨らんだ。そして、さらに—夕方までずっと—凡ゆる種類の病人を連れ、人々は群らがり続けた。何百人もの関心のある者は、過ぎ越し祭りへの途中にイエスを見たり聞いたりするためにカペルナムに寄る計画を立て、しかも簡単に諦めようとはしなかった。水曜日の正午までには、およそ5,000人の男女、子供が、ここ、ベスサイダ-ユーリアスの南のこの公園に集った。この地方は梅雨の終わり頃にあって、天気は心地良いものであった。
フィリッポスは、すでにイエスと12人のための3日間の食物を用意しており、雑役少年マルコス少年がそれを管理していた。この群衆のほぼ半分は、3日目に入り、この午後までには、人々が持参して来た食物は、ほとんで消費されていた。ダーヴィド・ゼベダイオスには、群衆に食事をさせ、かつ収容するための宿営生活のできる町がここにはなかった。フィリッポスもまたそのような大人数のための食料の準備をしていなかった。しかし、空腹ではあったが、人々は立ち去ろうとはしなかった。イエスが、ヘロデとエルサレムの両者の指導者達との揉め事の回避を望み、戴冠される王の適切な場所として全ての敵の管轄外のこのひっそりとした場所を選んだのだと、静かに噂が流れ、人々の関心は、時間ごとに高まっていった。勿論、イエスには一言も告げられなかったが、彼には事の次第が全て分かっていた。12 人の使徒さえ、まだそのような考えに汚されていた。特に若手の伝道者達が。イエスが王であると宣言するこの試みを支持した使徒は、ペトロス、ヨハネ、シーモン・ ゼローテース、ユダ・イスカリオーテスであった。計画に反対した者は、アンドレアス、ジェームス、ナサナエル、トーマスであった。マタイオス、フィリッポス、アルフェウスの双子は、どっちつかずであった。王にするこの策略の首謀者は、ヨアブ、若い伝道者の一人であった。
これが、イエスが、アンドレアスとフィリッポスを呼び出すようにジェームス・アルフェウスに頼んだ、水曜日の午後5 時頃の舞台設定であった。イエスが言った。「群衆をどうしようか。多くの者が、もう3日も我々と共におり、空腹である。食物も持っていない。」フィリッポスとアンドレアスは、視線を交わし、次にフィリッポスが答えた。「あるじさま、これらの人々が、村の周辺に行き食物を買うことができるように追い払うべきです。」アンドレアスは,そこで、王にする計画の具体化を恐れ、すぐにフィリッポスと合流して言った。「はい、あるじさま、ご自身のしばしの休息を確保する間、群衆は、食物を買えるように解散させるのが最善だと思います。」12人の他のものは、この時までには会議に参加していた。そしてイエスが言った。「しかし、彼らを空腹状態で送り出したくはない。食べさせてはやれないのか。」これは、フィリッポスの手には負えなかったので、すぐに、はっきりと言った。「あるじさま、この田舎の地で、この群衆のためにどこでパンが買えますか。200デナリウス相当では昼食には足りません。」
使徒達が、思っていることを言う前に、イエスは、アンドレアスとフィリッポスの方に向いて言った。「人々を追い払いたくない。彼らはここで、羊飼いのない羊のようにいる。食べさせたい。我々にはどんな食物があるのか。」フィリッポスが、マタイオス、そしてユダと話している間、アンドレアスは、食料の蓄えがどれ程あるかを確かめるために若者マルコスを捜した。アンドレアスは、イエスのところに戻って言った。「若者には5つの大麦パンと2匹の干し魚しか残っていません」—すかさず、「我々は今夜まだ食べていません。」と、ペトロスが言い添えた。
一瞬、イエスは黙って立っていた。はるか彼方を見ている目付きであった。使徒達は何も言わなかった。イエスは、突然アンドレアスの方に向いて言った。「そのパンと魚を持ってきなさい。」アンドレアスがイエスに篭を持って来ると、あるじは「群衆に100人ずつの隊になり草の上に座らせ、各隊の長を一人ずつ任命し、また同時に伝道者全員をここに連れてきなさい。」と言った。
イエスは、パンを手にして感謝を表した後、それをちぎって使徒達に与え、彼らは、それを伝道者達に渡し、伝道者達は次にこれを群衆へと運んだ。イエスは、同様に魚を分け与えた。そこで、この人の群れは、食べて満たされた。群衆が食べ終えたとき、イエスは、弟子達に言った。「無駄にならないように残っているパンの欠片を集めなさい。」そこで、欠片を寄せ集めてみると12篭分あった。この飛び切りの馳走を食べたのは、男女、子供、およそ5,000人にのぼった。
そして、これは、イエスが、意識して事前に計画した結果実行した最初で最後の自然の奇跡である。弟子達が、そうではない多くの事柄を奇跡と呼ぶ傾向にあったのは事実であるが、これは、本物の超自然の働きであった。我々はそう教えられたのであるが、この場合、マイケルは、時間要因と可視の生命回路は別として、いつもするように食物要素を増加したのであった。
超自然的エネルギーによる5,000 人の給食は、人間の哀れみと創造力が、もたらしたそれらの事例のもう一つの例であった。群衆は充分に満たされ、そしてイエスの名声が、その時そこでこの途轍も無い驚きにより増大させられたので、あるじを差し止めたり、彼が王であると宣言する企ては、これ以上の個人の指示を必要としなかった。その考えは、伝染のように群衆の間で広まるようであった。群衆の身体的要求へのこの突然の劇的な供給に対する彼らの反応は、深くて圧倒的であった。長い間、ユダヤ人は、ダーヴィドの息子である救世主が来るときは、再び陸を牛乳と蜂蜜で溢れさせると、また荒野で天の恵みのマナが、祖先に降ると考えられていた生命のパンが与えられると、教えられていた。そして、この期待の全てが、そのときまさしく目前で実現されたのではなかったのか。この空腹の、栄養不足の群衆が、奇跡の食物で腹を満たし終えたとき、ただ一つの満場一致の反応しかなかった。「ここに、我々の王がいる。」イスラエルの驚異を為す救出者は来た。食べ物を与える力は、この単純な人々の目には統治する権利と関連づけられた。従って、群衆が、馳走になり終えたとき、一団となって立ち上がり、「王にしよう。」と叫んだのは当然であった。
この強大な叫び声は、イエスが、統治の権利を主張するのを見る望みをまだ保持していたペトロスと使徒の何人かを夢中にさせた。しかしながら、これらの空頼みは、長くは続かなかった。間近の岩に反響する群衆のこの強大な叫びが、ちょうど止み、イエスは、巨大な岩に上がり、注目を促すために右手を上げて、言った。「我が子よ、君達は、よかれと思ってしているが、近視で物質志向である。」短い沈黙があった。この信念の強いガリラヤ人は、その東の薄明かりの魅惑的な輝きの中に荘厳衣にそこにいた。固唾をのむこの群衆に話し続けるにつけ、かれは、どこから見ても王に見えた。「君達が私を王にしたいのは、その魂が偉大な真実で点されたからではなく、腹がパンで満たされたからである。我が王国はこの世ではないということを何度君達に教えてきたことか。我々が公布する天のこの王国は、精霊的兄弟愛であり、誰も有形の王座に着き、これを支配はしない。天の父は、地上の神の息子この精霊的兄弟愛の全知、全能の支配者である。君達が生身の姿の息子を王にしたい程までに、私は精霊の父を君達に明らかにするのに失敗してしまったのか。直ちに、全員ここから自分の家に帰りなさい。君達に王がいなければならないならば、光の父を万物の精霊の支配者として各人の心の王位に就かせなさい。」
イエスのこれらの言葉は、群衆を唖然とさせ落胆させて去らせた。彼を信じた多くの者が彼に背を向けその日からもう彼を追わなかった。使徒達は、口もきけなかった。かれらは、食物の欠片入りの12 個の篭の周りに集まり、黙して立っていた。雑役少年の若者マルコスだけが、「そして、あの方は、我々の王であることを断った」と言った。イエスは、丘で一人になるために出発する前に、アンドレアスに向かって言った。「仲間をゼベダイオスの家に連れ戻り、一緒に祈りなさい。特にあなたの弟、シーモン・ペトロスのために。」
あるじ抜き—自分達だけ—で出発させられた使徒達は、舟に乗り、沈黙して湖の西岸のベスサイダに向けて漕ぎ始めた。12人の誰も、サイモン・ペトロスほどには押し潰され、意気消沈してはいなかった。殆ど言葉は、話されなかった。彼らは皆、丘に一人いるあるじのことを考えていた。かれは、自分達のことを見捨てたのか。かれは、自分達を追い払い、ともに行くことを拒んだことはついぞなかった。この全ては、何を意味するのか。
前進をほとんど不可能にする強い逆風が起こり、暗黒が皆の上を覆っていた。数時間の暗黒と困難な漕艇において時が経過するにつれ、ペトロスは、すっかり嫌になり、疲労困憊の深い眠りに陥った。アンドレアスとジェームスは、詰め物をした舟の後部の腰掛けにペトロスを休ませた。ペトロスは、他の使徒が風波に向かけ刻苦していす旁らで夢を見た。かれは、海上を歩いて自分達の方に来るイエスの姿を見た。あるじが、舟の側を歩いているように見えたとき、ペトロスは、「我々をお救いください。あるじさま、我々をお救いください。」と大声で叫んだ。そして、舟の後部にいた者達は、この言葉のいくつかを聞いた。夜間のこの幻影がペトロスの心で続く中、かれは、イエスがこう言うのを聞く夢を見た。「元気を出しなさい。私である。恐れることはない。」これは、ペトロスの動揺した魂にはギラードの香油のようなものであった。それは、当惑した精神を落ち着かせたので、 (夢の中で) あるじに大声で叫んだ。「主よ、本当にあなたであるなら、来てあなたと共に水の上を歩けとお命じください。」そこで、ペトロスが水上を歩き始めると、騒々しい波が彼を怯えさせた。そして、かれは、沈みそうになったとき、「主よ、救ってください。」と大声で叫んだ。12人の多くが、かれのこの叫びを聞いた。次に、ペトロスは、イエスが救助に来て手を差し伸ばし、自分を掴んで持ち上げて「ああ、信仰薄き者よ、お前は何故に疑ったのか。」という夢を見た。
ペトロスは、夢の後半で眠っていた場所から立ち上がり、実際に船外へ踏み出して水の中に入った。そこで、アンドレアス、ジェームス、ヨハネが手を差し出し海から引き上げると、かれは夢から目覚めた。
ペトロスにとって、この経験は、常に本当であった。かれは、イエスがその夜自分達のところに来たと心から信じた。ペトロスは、ヨハネ・マルコスを一部納得させたに過ぎず、それは、マルコスがなぜ一部を自身の物語から省いたかについて説明している。これらの問題を慎重に検索した医師ルカスは、この挿話は、ペトロスの幻視であるとの結論を下し、それ故、彼の物語の下準備においてこの話の採択を拒否した。
木曜日の朝、日の出前、かれらは、ゼベダイオス家の近くの沖合に投錨し、正午頃まで睡眠しようとした。アンドレアスがまず起き、海辺に散歩に出掛けると、雑役少年を連れて水際の石の上に座るイエスを見つけた。群衆の中からの多くの者と若い伝道者達が、夜通し、そして翌日の大半をかけて東の丘の周りを捜したがのだ、イエスとマルコス少年は、真夜中の直後に、湖周を歩き、川向こうへとベスサイダに戻り始めていたのであった。
奇跡的に食物を与えられ、腹が満たされ心が空のときはイエスを王に据えたがった5,000人のうちのほんの500人程が、彼のあとに続くことに固執した。しかし、彼がベスサイダに戻っているという知らせをこれらの者が受け取る前に、イエスは、「皆に話しがしたい。」と言って女性を含む12人の使徒とその仲間を集めるようにアンドレアスに求めた。そして、すべてが整うとイエスは、言った。
「私は、どれだけ耐え忍ばねばならないのか。君達は皆、精霊的な理解が遅く、信仰生活が不足しているのか。私は、この数カ月ずっと王国の真実を教えてきたのだが、君達は、依然として精霊的な問題の代わりに物質的な動機に支配されるのか。モーシェが、『恐れるでない。動かずに立ち、主の救済を見よ。』と、不信心なイスラエルの民に熱心に説いた聖書の部分を、君達は、未だ読んだことはないのか。歌い手が言った。『主を信じなさい。』『耐えなさい。主を待ち、勇気をもちなさい。主があなたの心を強くするであろう。』『重荷を主に投げなさい。そうすれば主は、あなたを支えるであろう。いかなるときにも神を信頼し、神に心を注ぎなさい。神はあなたの避難場所なのだから。』『いと嵩きものの秘密の場所に住む者は、全能者の影に宿るであろう。』『人間の王子に信用を置くよりも主を信じる方が良い。』
「そしていま、奇跡の業と物質的な驚きの実行が、精霊的な王国のために魂を勝ち得ないということが、皆には分かるか。我々は、食べさせはしたが、生命のパンへの飢えにも、精霊の正義の水域への渇きへも群衆を導きはしなかった。飢餓が満たされると、かれらは、天の王国への入り口を探さず、むしろ、骨身を削ることなくパンを食べ続けられるためにだけ、この世の王にあやかって人間の王の息子を公表しようとした。多かれ少なかれ、君達の多くが参加したこの全ては、天の父を明らかにもせず、また地上でのその王国を進めるための何もしない。我々は、民間の支配者達までも疎外しそうにならなくても、国の宗教指導者の間にすでに十分な敵はいないのか。私は、父が、あなたを見えるようするためにあなたの目に塗布し、あなたを聞こえるようにするためにあなたの耳を開き、、遂には、私が教えた福音をあなたが完全に信じることができるようにと、祈る。」
それから、過ぎ越し祭りのためにエルサレムに行く準備をする前に、イエスは、数日間の休息のために使徒と撤退したいと報じ、弟子も群衆もついてくることを禁じた。そこで、イエス、使徒、そして弟子は、2、3日の休息と睡眠のために舟でゲッネサレツ地方へ行った。イエスは、地球での自分の人生の大きな危機に備えていたので、天の父との親交に時間の多くを費やした。
5,000人の給食とイエスを王にする試みの知らせは、ガリラヤとユダヤ中の宗教指導者と民間支配者双方の間に広がった好奇心を喚起し、恐怖を掻き立てた。この大いなる奇跡は、物質志向の、本気でない信者の魂に王国の福音をさらに促進するための何事もしないと同時に、それは、イエス直々の家族の奇跡を追求し、王を切望する傾向の使徒と間近の弟子を頂点に至らせる目的に適ったのであった。この劇的な挿話は、教育、修練、治療の初期期の時代を終わらせ、その結果、王国の新たな福音—神の息子の身分、精霊の解放、永遠の救済—のより高く、より精霊的な局面を宣言するこの最後の年の開始への道を準備した。
ゲッネサレツ地方の裕福な信者の家で休んでいる間、イエスは、午後にいつも12人との略式の談合を開いた。王国の大使は、幻滅した者達の真剣で、冷静で、懲らしめられた一行であった。しかし、そのすべてが起こった後でさえ、また、その後の出来事が明らかになるにつれても、これら12人の男達は、ユダヤの救世主の到来に関する生得の、また永らく心に抱いた考えからまだ完全に救われたというわけではなかった。数週間前の出来事は、驚かされたこれらの漁師にとって完全な意味を掴むことができないほど迅速に動いた。基本的な社会的行為、哲学的態度、および宗教信念の概念を徹底的、また大規模な変化を男女にもたらすには、時間を必要とする。
イエスと12人がゲッネサレツで休息している間、群衆は、離散した。一部は家に戻り、他の者は過ぎ越し祭りのためにエルサレムへとさらに進んだ。ガリラヤだけでも5万人以上を数えたイエスの熱心でおおっぴらな追随者は、1カ月足らずの間に500人足らずにまで萎んだ。イエスは、大衆人気の変わり易さを使徒に経験させ、彼等だけに王国の仕事を任せた後、そのような一時的な宗教の病的興奮の徴候への依存に誘惑されないということを教えたかったのだが、この努力は部分的にしか成功しなかった。
ゲッネサレツ滞在の2晩目、あるじは、使徒に再び種を蒔く人の話をし、以下のことを加えた。「ほら、子供等よ、人間の心情への訴えは一時的であり、全く期待はずれである。人の知性のみへの訴えは同様に空しく、不毛である。持続する成功を遂げることを望み、また信仰の光—天の王国—への精霊の誕生により疑心の暗黒からこのように救われる全ての者の日常生活における精霊の本物の果実の豊富な実りにやがて示される人間の性格のそれらの驚異の変容を成し遂げることを望むことができるのは、ただ人間の心の中に住む精霊に訴えることによってだけである。
イエスは、知性ある興味を引き、集中させる技法として感情への訴えを教えた。かれは、このように喚起され、生気を吹き込まれた心が、魂への入り口であると明示しており、魂には真実を認識し、真の性格の変化の永久的結果を提供するために福音の精霊的な訴えに応じなければならないという人のその霊精的な資質が住んでいる。
イエスは、間近かに迫る衝撃—わずか数日後のイエスへ対するの大衆の態度における危機—に対し使徒に準備させるためにこのように努力をした。彼は、エルサレムの宗教支配者が、自分達に破壊をもたらすためにヘローデス・アンティパスと共謀するであろうと12人に説明した。12人は、イエスがダーヴィドの王座に着かないつもりだ、と完全に (最終的ではないが)理解し始めた。かれらは、精霊的真実は、物質的驚異により進められないことであるとより完全に悟った。かれらは、5,000人の給食やイエスを王にする大衆受けの運動が、民衆による奇跡探求、驚異の業への期待の頂点であったと認識し始めた。精霊的な篩い分けと容赦のない逆境の迫りくる時をばく然と認め、ぼんやりと予見した。これらの12人の男性は、王国の大使として真の自らの任務の本質の実現に次第に目が覚め、また地上でのあるじの活動の最後の年の苦しくてつらい試煉に備え始めた。
彼らがゲッネサレツを去る前に、イエスは、彼らにこの並はずれた創造力の顕現に係わった理由を話し、またそれは「父の意志に従う」ということを確かめるまで群衆への同情に譲ったのではないということを確信させ、5,000人の奇跡の給食に関し彼等に教えた。
4月3日、日曜日、イエスは、12人の使徒だけを伴い、ベスサイダからエルサレムへの旅を始めた。彼等は、群衆を避け、できるだけ注意を引きつけないようにゲラーサとフィラデルフィア経由で旅をした。かれは、この旅行でのいかなる公への教へも禁じた。かれは、エルサレムでの滞在中、教えることも説教することも許可しなかった。一行は、4月6日、水曜日の夕方遅く、エルサレム近くのベサニアに到着した。この一夜は、ラーザロス、マールサ、マリアの家に止まったが、かれらは、翌日分散した。イエスは、ベサニアのラザロの家近くのサイモンという信者の家にヨハネと身を寄せた。ユダ・イスカリオテとサイモン・ゼローテースは、数人の友達とエルサレムに留まり、残りの使徒は、異なる家に二人ずつが滞在した。
イエスは、この過ぎ越し祭りの間に一度だけエルサレムに足を踏み入れたが、それは、祝宴の最高の日であった。エルサレム信者の多くは、ベサニアでイエスに会うためにアブネーに連れ出された。このエルサレムでの滞在中、12 人は、あるじに対していかに苦々しいしい感情を大衆が抱き始めたかが分かった。皆は、危機が迫っていると考えてエルサレムを出発した。
4月24日、日曜日に、イエスと使徒は、エルサレムを立ち、ヤフォ、カエサレア、プトレマイスの海岸の街を通ってベスサイダへ向かった。そこから、陸路でラマハとホラズィン経由し、4月29日、金曜日にベスサイダに到着した。家に到着するとすぐに、イエスは、翌日が安息日であるので、午後の礼拝で話す許可を礼拝堂の長に求めるようにアンドレアスを急派した。そして、イエスは、それが、カペルナムの会堂での話すことが許可される最後の時となることをよく知っていた。
金曜日の夜、ベシサイダ到着の日と安息日の朝、使徒は、イエスが真剣に何らかの重大な問題に専念しているのに気づいた。かれらは、あるじが、ある重要事項について尋常ではない思索に耽けっているのを認識した。かれは、朝食をとらず、正午にもほとん食べなかった。安息日まる一日と前の晩、12 人とその仲間は、家の周りや、庭の中、そして海岸沿いに幾つかの小集団で集められた。彼ら全員には不安からの緊張と憂慮からの懸念があった。エルサレムを出て以来、イエスは、彼等にあまり口をきいていなかった。
かれらは、あるじがそれほどまでに没頭し、無口であるのを何カ月も見掛けなかった。シーモン・ペトロスさえ、意気消沈とまではいかなくても、元気がなかった。アンドレアスは、打ち萎れた仲間達のために何をすべきか分からずに途方に暮れた。ナサナエルは、自分達は「嵐の前の静けさ」の真っ只中にいるのだと言った。トーマスは、「並外れている何かが起ころうとしている」という意見を述べた。フィリッポスは、「あるじの考えていることが分かるまで、群衆への給食や投宿の計画を忘れてくれ」とダーヴィド・ゼベダイオスに助言した。マタイオスは、資金補給のために努力していた。ジェームスとヨハネは、会堂での来たるべき説教について論議し、その可能な論題の特徴と範囲に関して推測した。シーモン・ ゼローテースは、「天の父は、その息子の擁護と援護のための何らかの予期されない方法で干渉しようとしているかもしれない」という信念、実際には望みを表明した。一方、ユダ・イスカリオーテスは、おそらくイエスは、「5,000 人にユダヤ人の王であると宣言する度胸と勇気がなかった。」という後悔に塞ぎ込んでいるのだという大胆な考えに耽けってた。
この美しい安息日の午後、イエスがカペルナムの会堂における画期的な説教をするために赴いたのは、そのような気が滅入り陰鬱な追随者の集団の中からであった。側近の追随者からの快い挨拶、若しくは、成功を願う唯一の言葉は、疑わないアルフェウスの双子の一人からであり、かれは、イエスが会堂へと家を出たとき、陽気に挨拶をして、「父があなたの力となり、今まで以上の大群衆が迎えられますように、我々は祈ります。」と言った。
すぐれた会衆は、この素晴らしい安息日の午後3 時にカペルナムの新会堂でイエスを迎えた。ヤイロスが、司会を勤めて、イエスの読む聖書を手渡した。その前日、53人のパリサイ派とサッヅカイオス派が、エルサレムから到着しており、また30人以上の近隣の会堂の指導者や支配者も出席していた。これらのユダヤの宗教指導者は、エルサレムのシネヅリオンからの命令の下で直接に行動しており、かれらは、保守的な先鋒を構成し、イエスと弟子に対して公然たる戦争開始のために来ていた。会堂の名誉の席に、これらユダヤ人の指導者の側に着席していたのは、ヘローデス・アンティパスの公式の監視者達であり、かれらは、兄弟フィリッポスの領地において、イエスがユダヤ人の王だと宣言するための民衆による企てがあったという不穏な報告に関して真実を確かめるように指示されていた。
イエスは、増加する敵の公言、公然たる直々の戦争布告に直面したと理解し、大胆に攻勢をとることに決めた。かれは、5,000人に給食することで、物質的な救世主についての彼らの考えに挑戦した。そのときかれは、ユダヤ人の救出者の概念を攻撃することを公然と再び選択した。この危機、5,000人の給食に始まり、この安息日の午後の説教で終わったこの危機は、大衆の評判と賞賛の流れを外向きに転回するものであった。これからは、王国の仕事は、人類の真に宗教的な兄弟愛のために長続きする精霊的な転向者を勝ち得るより重要な任務にますます関わりがあった。この説教は、議論、論争、決定の時期から公然の戦いと最終的承認、あるいは最終的拒絶への移行における難局を記している。
あるじは、追随者の多くが、ゆっくり、しかし確実に自分を最終的に拒絶する心の準備をしているのをよく知っていた。かれは、弟子の多くが、疑いに打ち勝ち、王国の福音に対する成熟した信仰を勇敢に断言することができる心の訓練と魂の鍛錬を通してゆっくりではあるが、確実に進んでいることを同様に知っていた。イエスは、人が、どのように善と悪の繰り返しの状況の間で反復選択の遅い過程により、危機直面の際の決断と勇敢な選択の突如の行為の実行のために覚悟するかを完全に理解していた。イエスは、選ばれた使者達に度重なる失望の演習を課し、精霊的試煉の出会いに際しての善悪間の選択のための度々の試験的機会を提供した。かれは、かれらが最後の試煉に遭遇するとき、彼らが事前の、並びに習慣的な心の態度と精霊の反応に従って、必要不可欠な重大決定をすることを追随者に依存できるということを知っていた。
イエスの地球の人生のこの危機は、5,000人の給食に始まり、会堂でのこの説教で終わった。使徒の人生の危機は、会堂でのこの説教から始まり、丸一年続き、あるじの裁判と磔刑まで終わらなかった。
イエスが話し始める前のその午後、かれらが、会堂で座っていると、ただ一つのすばらしい謎、ただ一つの最高の質問が皆の心に浮かんだ。イエスの味方と敵の双方が、ただ一つの考えに耽けった。それは、「何故、彼自身は、大衆の熱意のうねりにそれほどまで故意に、しかも効果的に背を向けたのか。」そして、この説教の直前直後に、不満な支持者達の疑いと失望が無意識の反抗となり、遂には、事実上の憎しみに変わったのであった。ユダ・イスカリオテが、初めて見捨てるという意識の考えを抱いたのは、会堂でのこの説教の後であった。だが当分の間、かれは、すべてのそのような傾向を上手に扱った。
誰もが当惑状態にあった。イエスは、彼らが唖然として混乱するままにしておいた。かれは、最近、全経歴を特徴づける最も高度の超自然力の示威に従事していた。5,000人の給食は、ユダヤ人の待ち望まれる救世主の概念に最も訴えた彼の地球人生における一つの出来事であった。しかし、王にされることを即座に、明確に拒否したことによって、この並はずれた利点は、すぐに、しかも説明無しに相殺された。
金曜日の夕方、そして再び安息日の朝、エルサレムの指導者達は、イエスの会堂での話しを妨げるために長くひたむきにヤイロスと努力をしたが、それは無益であった。この嘆願に対するヤイロスの唯一の回答は、「私はこの要求を承諾したことであるし、自分の言葉に背くつもりはない。」であった。
イエスは、申命記に見つけられる法を朗読することでこの説教に入った。「だが、もし神の声に耳を傾けなければ、違背の呪いが、必ずこの民に襲い来る。主は、あなた方が敵に打ちひしがれるようにする。あなた方は、地球のすべての王国に移されるであろう。そして、主は、あなた方とあなた方が祭り上げた王を見知らぬ国の手に任せるであろう。あなた方は、万国の間の恐怖となり、物笑いの種となり、笑い草となるであろう。息子や娘達は、捕われの状態になるであろう。あなた方のうちの在留外国人は、あなた方の上にますます高く上っていき、あなた方は、ますます低く下がっていく。これらの事は、永遠にあなた方やその子孫の上にある、なぜなら、あなた方は、神の声に耳を傾けないので。それゆえ、あなた方に向かってやって来る敵に仕えるようになるのである。あなたは、飢餓と渇きに耐え、この外国人の鉄のくびきを着けるのである。主は、あなたに対して遠くの、地の果てから国を、言葉が分からない国を、激しい表情の国を、ほとんどあなた方を重んじない国にあなた方を襲わせる。そして、彼らは、あなた方が頼みとしていた高く固められた壁が崩壊するまで、すべての町であなた方を包囲するであろう。そこで、全領土が彼らの手に落ちるのである。また、敵が押さえつける厳しさ故に、この包囲の期間、あなた方は、自身の肉体の果実、つまり、あなた方の息子と娘の肉を食べざるをえないようなことが起こるであろう。」
そして、イエスがこの朗読を終えると、預言者に転じ、イレミアスから読んだ。「『私が送ったしもべの予言者達の言葉に耳を傾けないならば、この家をシーロフのようにし、この町を地の万国の呪いとする。』そして、聖職者と教師達は、主の家でイレミアスがこれらの事を言うのを聞いた。そして、イレミアスが、主が全民衆に伝えよと命じたすべてを話し終えた時、祭司と教師等が、イレミアスを捕らえて言った。『あなたは必ず死ぬであろう。』そこで、全民衆は、主の家でイレミアスの周りに群がった。そして、これらを聞くと、ユダの王子等が、イレミアスを裁いた。その時、祭司と教師達は、王子や全民にこう言った。『この男は死に値する。我々の町に対し、あなた方が自らの耳で聞いた通りの予言をしたからだ。』そこで、イレミアスは、すべての王子とすべての人々に言った。『主は、あなたが聞いたすべての言葉をこの宮とこの町に対して予言させに私を遣わされた。よって、あなたに向かって宣言された災いから逃がれられるようにあなたの行ないと業を改め、あなたの神、主の声に従いなさい。この通り、見なさい。私は、あなたの手の中にある。あなた方が良いと思うよう、正しいと思うように私としなさい。ただ、もし私を殺すならば、自分達とこの人々とに無実の血の報いを及ぼすということをはっきり知っておきなさい。本当に主が、これらのすべての言葉をあなた方の耳にいれるために私を遣わされたのであるから。』
「当日の司祭と教師達は、イレミアスを殺そうとしたが、裁判官達は、イレミアスの警告の言葉のために同意しようとしなかった、とはいえ、彼等は、イレミアスを土牢の泥濘に腋が沈むまで紐で沈めた。差し迫る政治上の失墜について同胞に警告せよとの主の命令に従ったとき、この民族が予言者イレミアスにしたことがこれである。今日、私は、あなたに方に尋ねたい。この民族の主要な聖職者と宗教指導者は、精霊の運命の日について敢えて警告する男をどうするのであろうか。そして、あなた方は、敢えて主の言葉を公布し、天の王国への入口に通ずる光の道を歩むあなた方の拒否を指摘することを恐れない教師を殺そうとするのであろうか。
「あなたが、、地球での私の任務に関する証拠として探すものは何であるのか。我々は、貧者賎民に朗報を説く間、あなたの勢力と権限の立場を妨害することなくやってきた。我々は、あなたが崇敬するものに対し敵対的な攻撃をせず、むしろ人の恐怖に支配された魂の新しい自由を宣言してきた。私は、父を明らかにし、地球に神の息子の精霊的兄弟愛、天の王国を樹立するためにこの世にやって来た。そして、我が王国は、この世のものではないと、幾度となく念を押してきたにもかかわらず、父は、それでも、あなた方にさらなる証明の精霊的な変化と蘇生に加えて多くの物質的な驚くべき顕示をしてきた。
あなたが、 私の手に探している新しい兆しは何なのか。私は、あなた方が決定をすることができる十分な証拠を既にもっていると宣言する。誠に、誠に、私が、この日私の前に座る多くの者に言っておく。あなたは、どの道を行くのか選ぶ必要性に直面していると。また、私は、ヨシュアがあなた方の祖先に言ったように、「あなたが仕えるお方をこの日選びなさい。」と言う。今日、あなた方の多くが、別れ道に立っている。
あなた方が、対岸での群衆への給食の後に私を見つけることができなかったとき、あなた方の一部が、私の追跡のためにティベリアス漁船団(それは、1週間前、嵐の間近くに避難しにきていた)を雇ったのは何のためか。真実と正義のためにではなく、仲間にいかに仕え、力を貸すかをよく知るためでもなかった。いや、それは、むしろ働かずしてもっとパンを得るためであった。それは、命の言葉で魂を満たすことではなく、ただ容易いパンで腹を満たすことができるためであった。長い間、あなた方は、救世主が来るとき、すべての選ばれた人々に人生が愉快で容易になるそれらの驚くべきことを為すということを教えられてきた。このように教えられてきたあなた方が、それ故、パンと魚を切望しても不思議ではない。しかし、私は、それが人の息子の任務ではないと断言する。私は、精霊的な自由を宣言し、不朽の真実を教え、生きた信仰を促進しにきたのである。」
「我が同胞よ、滅失する肉に憧れるのではなく、むしろ永遠の命にさえも栄養を与える精霊的な食物を捜し求めよ。そして、これこそが、それを手に取り食する者すべてに息子が与える命のパンである、なぜならば、父が限りなくこの命を息子に与えたのであるから。そして、あなたが、『神の業を実践するために何を為すべきか。』と訊くとき、私は、『これが神の業である。遣わされた彼を信じること。』であるとはっきりと言う。」
イエスは、その時、この新しい会堂の横木を飾り付けてあった葡萄の房で装飾されたマナの模様の壷を指差して言った。「あなた方は、荒野で祖先がマナ—天のパン—を食べたと思ったが、これは地球のパンであったと告げよう。モーシェは、天からのパンをあなたの祖先に与えはしなかったが、私の父は、今、命の本当のパンをあなた与える準備ができている。天国のパンというものは、神からもたらされ、この世の人に永遠の命を与えるものである。あなたが、私にこの生きるパンをくれと言うとき、私は答えよう。私がこの命のパンである。私の元に来る者は、腹がへらず、私を信じる者は決して喉が渇かない。あなたは、私に会い、私とともに暮らし、私の仕事をじっくり見てきた、それでも、私が父から来たと未だに信じていない。しかし、信じる者達よ—恐れるでない。父に導かれるすべての者は、私の元に来るであろうし、私の元に来る者は、全く追放されない。
「また、今、きっぱりと宣言させてもらおう。私は、私自身の意志ではなく、私を寄越されたあの方の意志でこの地球に下りてきたのだと。そして、これは、私を送られたあの方の最終的な意志、私に与えられたすべてのもののうち、1 人も失ってはならないという最終的な意志である。そして、これが父の意志である。息子を見る、また信じる者は皆、永遠の命を得るであろう。つい昨日、私は、肉体のためにパンをあなたに食べさせた。今日、私は、飢えた魂のために命のパンをあなたに勧める。あの時非常に喜んでこの世のパンを食べたように、今、精霊のパンを取りますか。」
イエスが一瞬止まり、会衆を見回すと、エルサレムからの教師の一人(サンヘドリン派の成員)が、立ち上がって尋ねた。「あなたが天から下りるパンであり、モーシェが荒野で我々の祖先に与えたマナはそうではなかったとあなたは言われるのですか。」そこで、イエスは、「あなたは正しく理解している。」とパリサイ人に答えた。すると、パリサイ人が言った。「でも、あなたは、ナザレのイエスであり、ヨセフの息子であり、大工ではないのですか。あなたの父と母は、あなたの弟妹と同様に、我々の多くが、知ってはいませんか。では、あなたが、ここ、神の家に現れ、天から下りたと宣言するというのはどういうことですか。」
この時までには、会堂にはかなりの呟きがあり、騒ぎの恐れがあったので、イエスは、立ち上がって言った。「辛抱しよう。正直な試験は、決してを真実を妨害しない。私は、あなたが言う通りであるが、それ以上である。父と私は一つである。息子は父が教えることだけをして、息子は、父から息子に与えられる全ての者を受け入れるであろう。あなたは、こう預言者に書かれているところ個所を読んだことがある。『あなた方は皆、神に教えられるであろう。』また、『父の教えを聞く者は、その息子をも聞くであろう』と。内在する父の精霊の教えに屈する者全てが、遂には、私の元に来るであろう。誰とても父を見たというわけではないが、父の精霊は実に人の中に生きる。そして、天から下りてきた息子は、確かに父に会った。そして、本当にこの息子を信じる者は、すでに永遠の命を有している。
「私はこの命のパンである。あなたの祖先は荒野でマナを食べて死んでいる。だが、神からくるこのパンは、人がそれを食べれば、精霊的に決して死ぬことはない。繰り返す。私はこの命のパンである。そして、神と人のこの結合した本質に目覚めるすべての者は、永遠に生きるのである。私がすべてに与えるこの命のパンを受ける者は、私自身の生ける、また結合した本質である。息子の中の父と、父と一体の息子—それが、世界への生命を与える顕示であり、万民への私からの救済の贈り物である。」
イエスが話し終えると、会堂の支配者は会衆を解散させようとしたが、かれらは、去ろうとはしなかった。他の者が呟き、また、議論する間、 彼等はさらに多くの質問をするためにイエスの周りに群がった。そして、この状況は3 時間以上続いた。聴衆がとうとう離散するまでには、7 時をはるかに過ぎていた。
この会談後、イエスへの質問は数多くあった。幾つかは、当惑した弟子が尋ねたが、大方は、イエスを困らせ罠にかけようと粗捜しをする懐疑者達によるものであった。
燭台に立つ訪問中のパリサイ派の一人が、大声でこの質問をした。「あなたは、命のパンだと言われる。あなたは、私達があなたの肉を食べ、また、あなたの血を飲むために、どのように我々に与えることができるのですか。それを実行することができないならば、あなたの教えにはどんな効果があるのですか。」そこで、イエスはこの質問に答えて言った。「私は、私の肉が命のパンであるとも、私の血がその水であるとも教えはしなかった。しかし、私の肉体の命は、天のパンの贈与であると言った。肉体に与えられた神の言葉の事実と人の息子が神の意志に服従する現象は、神性の食物に等しい経験の現実を構成する。あなたは、私の肉を食べることも、私の血を飲むこともできないが、ちょうど私が精霊で父と1つであるように、あなたは精霊で私と1つになることができる。あなたは、神の永遠の言葉によって給養されることができる。そして、それこそが誠に命のパンであり、人間の体に似せた者に贈与されてきたものである。そして、あなたの魂には、神の精霊により水が与えられることができる。そして、それこそが本当に命の水である。父は、すべての人に宿り、導くことをいかに望んでいるかを示すために私を世界に送った。そして、私は、この肉体の生活で、全ての人が私と同じように絶えず内在する天なる父を知り、その意志を為すように奮い立たせるために過ごしてきた。」
次に、イエスと使徒を見張ってきたエルサレムの間諜の一人が、「我々は、あなたもあなたの使徒もパンを食べる前に適切に手を洗わないのに気づきました。あなた方は、穢た洗わない手で食べるそのような習慣は、昔の人々の掟に違反することをよく知っているはずです。あなた方は、杯も食器も適切に洗わない。あなたが、祖先の伝統と昔の人々の法に対してそのような無礼を働くのはなぜですか。」イエスはこれを聞き、答えた。「あなた方が、伝統の法によって神の戒律に背くのはなぜであるのか。戒律は、『父母を敬え』とあり、必要とあらば、物質を分かち合うことを指示している。ところが、あなた方は、不誠実な子供が、両親が助けられたかもしれない金が、『神へ捧げられた』と言うことを可能にする伝統の法を制定する。子供等が、自身の安らぎのためにそのようなすべての金を後に使用するにもかかわらず、昔の人々の掟は、そのような狡猾な子等をこのようにその責任から解き離つ。このように自身の伝統で戒律を無効にするのは何故であるのか。イエシァジァが、あなた方偽善者についてこのように適切に予言している。『この民は口さきでは私を敬うが、その心は私から遠く離れている。かれらは、人間の戒めを教えとして教示して無意味に私を拝んでいる。』
「あなたは、あなたが、いかに人間の伝統に固執しながら戒律を捨てているかを知ることができる。要するに、あなたは、自身の伝統を維持しながら、神の言葉を進んで拒絶している。そして、他の多くの方法で、法と予言者を超えて、自身の教えを敢えて主張している。」
それから、イエスは、全出席者へ向けて自分の所見を述べた。「だが、全員、注意して耳を傾けなさい。口から入るものが、精霊的に人を汚すのではいない。むしろ口から、あるいは心から出るものが、精霊的に人を汚すのである。」しかし、使徒でさえ、完全にその言葉の意味を理解したというわけではなかった。というのも、シーモン・ペトロスも、「聞き手の何人かが不必要に怒らないように、これらの言葉の意味を我々に説明してください。」と尋ねたので。そこで、イエスがペトロスに言った。「君もまた理解できないのか。天なる父が植えなかった植物は、みな抜き取られるであろうということを知らないのか。いまは、真実を知りたい人々へ君の注意を向けなさい。君は、真実を愛するように人を強いることはできない。これらの多くの教師は、盲目の案内人である。盲人が盲人を導けば、双方が穴に落ちるということを、君は知っている。しかし、人を道徳的に汚し、精霊的に悪影響を及ぼすそれらの事柄に関する真実を私が話す間、耳を傾けなさい。口から体に入ったり、または目や耳をから心に接近するものが、人を汚すのではないと、私は断言する。人は、おそらく心からくる、またそのような不浄な人々の言葉と行為に表現されるその悪によって汚されるだけである。悪い考えや、殺人、窃盗、姦通のの危険な企て、それに嫉妬、自負心、怒り、報復、悪態、嘘の証言は、心からくるということを知らないのか。まさにそのようなものが人を汚すのであって、儀式で汚い手でパンを食べるということではない。」
エルサレムにあるシネヅリオンのパリサイ派の委員達は、そのとき、イエスが、冒涜の罪、あるいはユダヤ人の神聖な法を嘲る罪で逮捕されなければならないとほぼ確信していた。そんな訳で、かれらは、昔の人々の法、または、いわゆる国の不成文律の幾つかの討論にイエスを巻き込む、できれば攻撃する努力をした。水がいかに不足していようとも、伝統的に俘にされたこれらのユダヤ人は、毎度の食前に所定の儀式的な手洗いを決して怠らない。「長老の戒律に背くより死ぬ方がましである」というのが彼等の信念であった。イエスが、「救済とは、清い手より、むしろ清い心の問題である」と言ったと報告されていたので、間諜等は、この質問をしたのであった。しかし、そのような信念が、一度自分の宗教の一部となると、抛擲し難い。この日から何年後でさえも、使徒ペトロスは、清潔、不清潔なものに関するこれらの伝統の多くへの恐怖の束縛にまだ捕らわれており、驚異的で鮮明な夢を経験することによって最終的に救われたのであった。これらのユダヤ人は、洗わない手で食べることは、売春婦を買うのと同様に看做し、双方共に、等く破門の罰に相当するということが思い起こされるとき、この全てがより理解できる。
その結果、あるじは、不成文律—昔の人々の伝統、その全てが、聖書の教えよりもユダヤ人をより神聖で、より拘束する、この法に代表されるラビの規則や規約の全体系の愚かさについて議論し、暴くことにしたのであった。そして、イエスは、これらの宗教指導者との公然の断裂を防止する以上の何もできない時が来たのを知っていたので、余り控えることなくはっきりと意見を述べた。
この会談後の議論の真っ最中、エルサレムからからのパリサイ派の一人が、手に負えない反抗的な霊に取りつかれて逆上している若者をイエスの元に連れて来た。かれは、この狂った若者をイエスのところへ案内して、「あなたはこのような苦悩のために何ができますか。悪魔を追放できますか。」と言った。あるじは、若者を見たとき、同情して心が動かされ、若者に来るように合図し、その手を取って言った。「君は、私が誰であるかが分かっている。出て来なさい。そして、君の忠義な仲間の一人に君が戻ってこないのを見届けることを託す。」そうすると、若者はすぐに平常で、正気になった。これは、イエスが、人間から「悪霊」を本当に追い払った最初の例である。以前の全ての事例は、思い込みの悪魔の憑依に過ぎなかった。
しかし、これは、あるじが、これらの僅かな天の反逆者が、特定の不安定な型の人間のそのような弱みに乗じることを永遠に不可能にし、時々起きたそのような時でさえ、当時、そして、あるじの精霊が全ての人に注がれたまさしく五旬節のその日まで、悪魔の憑依の本物の例であった。人々が驚くと、パリサイ派の一人は、イエスがこれらの事ができるのは悪魔と同盟しているということ、イエスと悪魔が互いに知っているということを、イエスがこの悪魔を追放する際に使った言葉で認めたことになるということだと、立ち上がって告発した。そして、かれは、エルサレムの宗教教師と指導者達は、イエスが悪魔の王子であるベエルゼブブの力でいわゆる奇跡を施すことを決めたのだと続けて述べた。パリサイ人は、「この男と関係してはいけない。魔王と協力している。」と言った。
すると、イエスが言った。「どうして魔王が魔王を追放することができるのか。内部で分かれ争う王国は成立できず、もし家が内輪で分かれ争うならば、それは、まもなく荒廃をもたらす。町というものが、一体となっていなければ包囲に耐えることはできるのか。もし、魔王が魔王を追い出すならば、それは、内輪で分かれ争うことになる。それからどのように、その王国は立ち行けようか。しかし、君は、まずその頑強な者を力ずくで負かし縛っておかない限り、誰も頑強な者の家に入り、品物を強奪できないということを知るべきである。そして、私がベエルゼブブの力で悪魔を追い出すならば、あなた方の息子等は、誰によって悪魔を追い出すのであろうか。それにより、彼らがあなたの裁判官になるであろう。しかし、神の精霊によってもし私が、悪魔を追放するならば、本当に、神の王国はあなたに方の上に来たのである。あなたが偏見に目をくらまされていなければ、恐怖と自負心に迷わされていなければ、あなたは、悪魔よりも偉大な者が、あなたの真ん中に立っているのに容易に認めるであろう。あなたは、私と共にいない者は、私に反対する者であり、私と集まらない者は、方々に散る者であると宣言することを私に強要している。目を見開き、計画的な悪意をもって、故意に神の働きを悪魔の行為のせいだと思うあなた方に厳粛な警告をさせてもらおう。誠に、誠に、言っておく。あなたの全ての罪は、あなたの全ての冒涜さえも、許されるであろう、だが、熟考と邪な意図で神を冒涜する者は誰であろうと、決して許しを得ることはないと。そのような執念深い邪悪な労働者は、決して許しを求めもしないし受けもしない。かれらは、神の許しを永遠に拒絶する罪で有罪である。
「あなたの多くは、今日、別れ道にやって来た。あなたは、父の意志と自らが選んだ暗黒の道の間の回避不能の選択をする出発点に来た。そして、あなたは、いま選んで、やがてはそうなるのである。あなたは、木を良くし、その果実を良くしなければならない、さもなければ、木は腐りその実も腐るであろう。父の永遠の王国では、木はその実で分かると、私は断言する。しかしながら、君達の中の毒蛇のような者が、すでに悪を選んでいるのでは、いかにして、良い実をつけることができるのか。とどのつまり、あなたの口は、心の悪の豊かさから話すのである。」
その時、パリサイ派の別の者が立ち上がって言った。「先生、あなたの権威と教える権利の確立とみなして、同意する予め定められた印を我々に下さい。そのような取り決めに同意してもらえますか。」これを聞いたイエスが言った。「この不信仰で兆しを求める時代は、印を探すが、あなたがすでに持っているもの、それと人の息子があなたを後にするときに見るであろうそれ以外は、前兆は、与えられはしない。」
話し終えると、使徒は、イエスを囲んで会堂から連れ出した。黙ってかれらは、ベスサイダへと帰った。かれらは、突然のあるじの教えの変化に驚嘆し、やや恐怖に襲われていた。そのような好戦的な態度をとるあるじを見ることに、かれらは全く不慣れであった。
イエスは、繰り返し使徒の望みを粉微塵に打ち砕いてきた。かれは、繰り返し彼等の最も気に入りの期待を押し潰してきたが、いかなる失望の時、あるいは悲しみの季節も、そのとき襲っていたそれに、匹敵するものは決してなかった。そして、このときかれらの安全に対する本当の恐怖は、憂鬱と混ざっていた。使徒は全員、民衆の放棄の突然さと完全さに非常に驚いた。かれらは、エルサレムからやってきたパリサイ派が示した予想外の大胆さと断定的な決意にも、いくらか怯え、まごついていた。しかし、彼らは、イエスの戦術の急転に最もうろたえた。普通の情況下では、かれらは、このより好戦的な態度の様子を歓迎したことであろうが、あまりに予期しなかった多くのこととしかも、このように起きたことが、皆を驚かせた。
さて、これらの心配の全ての上に、イエスは、家に着いたとき食べることを拒否した。何時間も、かれは、階上の1 室に孤立した。伝道者の指導者ヨアブが、戻ってきて、仲間のおよそ1/3 が運動を見捨てたと報告したのは真夜中頃であった。忠誠な弟子達は、夜通し行き来し、カペルナムでのあるじへの嫌悪感は、一般的であったと報告した。エルサレムからの指導者達は、この不満感をつのらせること、また、あらゆる可能な方法でイエスとその教えから遠ざける動きの促進にぐずぐずしてはいなかった。この試煉の時、12人の女性は、ペトロスの家での会議にいた。彼女等は、非常に動揺したが、一人として離れなかった。
イエスが上の部屋から下りてきて12 人とその仲間、合わせておよそ30 人の間に立ったのは、真夜中を少し過ぎてであった。イエスが言った。「この王国のふるいにかけることが、君達を苦しめていると分かるが、それは、避けられない。それにしても、全ての訓練を受けてきた後に、なぜ躓くべきなのか、何らかの適当な理由があったのか。王国が、これらのいい加減な群衆や熱のない弟子達を除去しているのを見るとき、恐怖と狼狽に満ちているのは何故なのか。新しい日が、天の王国の精霊的な教えの新たな栄光で輝き放つために明けようとしているのに、なぜ嘆き悲しむか。この試煉に耐えるのが難しいと分かるならば、人の息子が父の元に戻らなければならないとき、何をするのか。そこからこの世に来た場所に私が昇る時に、いつ、また、いかように準備するつもりなのか。
「愛しい者達よ、命を与えるのは精霊であることを思い出さねばならない。肉とそれに伴う全ては、ほとんど益をもたらさない。私が話してきた言葉は、精霊であり命である。元気を出しなさい。私は君達を見捨ててはいない。多くの者が、最近の率直な話しぶりに機嫌を損ねているであろう。すでに君達は、弟子の多くが背を向けたと聞いた。彼らはもう私と共に歩まない。最初から、私には、これらの本気でない信者が落伍することが分かっていた。私は、君たち12人を選び、王国の大使として確保しなかったか。そして、今、このような時に、君達も見捨てたいのか。君達の1 人が重大な危険にさらされているので、各人が自身の信仰に目をむけなさい。」イエスが話し終えると、シーモン・ペトロスが言った。「はい、ご主人さま、私達は悲しくて当惑していますが、あなたを決して見捨てるつもりはございません。あなたは、永遠の命の言葉を教えてくれました。私達は、あなたを信じ、この間ずっとあなについて参りました。我々は、背を向けるつもりはありません。あなたが神によって送られてきたのが分かっていますので。」ペトロスが話しを止めると、皆は、忠誠の誓いに賛成して一斉に頷いた。
そこで、イエスが、「休みなさい。忙しい時が待ち構えている。多忙な日々は、すぐ先にある。」と言った。
波瀾に満ちた4月30日、土曜日の夜、イエスが安らぎと勇気の言葉を意気消沈してうろたえている弟子へ述べているとき、ティベリアスでは、ヘローデス・ アンティパスとエルサレムのシネヅリオン派を代表する特別委員の一団との間で、協議会が開かれていた。これらの筆記者とパリサイ派は、ヘロデにイエスを逮捕するよう迫っていた。彼等は、イエスが、意見の相違、謀反へさえと、大衆を掻き立てているとヘロデを納得させるために全力を尽くした。しかし、ヘロデは、政治犯としてイエスに立ち向かう行為を拒否した。ヘロデの顧問達は、王の宣言をすることへの人々の要請に、また、イエスが、その提案をいかように拒絶したときの湖の対岸での出来事を正しく報告済みであった。
妻が女性活動団体に属するフーザスというヘロデの幕僚の一人は、イエスは、地球上の統治問題への干渉が意図ではなく、信者の精神的兄弟愛、イエスが天の王国と呼ぶ兄弟愛の確立だけに関心があるということをヘロデに報告していた。ヘロデは、フーザスの報告をとても信用しており、イエスの活動を妨げることを拒否するほどであった。またこのとき、洗礼者ヨハネへの迷信的な恐れによりイエスに対する態度において、ヘロデもまた影響を受けていた。ヘロデは、何も信じないと同時に、全てを恐れた背教のユダヤ人の一人であった。かれは、ヨハネを殺したことを疚しく思っており、イエスに対するこれらの陰謀に巻き込まれたくなかった。イエスにより明らかに癒された多くの病気の事例を知っており、予言者か、あるいは比較的害のない宗教狂信者のどちらかであると見なした。
ヘロデは、これらのユダヤ人が、反逆の対象者を保護しているとケーサーに報告すると脅かしたとき、彼らに協議室から出て行くように命じた。という訳で、問題は1 週間放置され、イエスは、この間追随者に切迫した分散に対する準備をさせた。
5月1日から5月7日まで、イエスは、ゼベダイオス邸において追随者との親密な協議をした。これらの会議には、頼りになり信頼できる弟子だけが許された。このとき、パリサイ派の反対に対して勇敢に立ち向かい、公然とイエスへの忠誠を宣言する道徳的な勇気を持つ者はおよそ100人の弟子だけであった。イエスは、午前、午後、夜間にこの集団との会合を開いた。毎午後、質問者の小集団は、湖畔に集合し、そこでは、数人の伝道者か使徒が、講演をした。これらの一団は、50人を滅多に越えなかった。
この週の金曜日、カペルナムの会堂の支配者達により、イエスとそのすべての追随者への神の家の閉鎖という公式の行動が取られた。この動きは、エルサレムのパリサイ派に扇動されてとられた。ヤイロスは、最高支配者として公然とイエスに同調した。
湖畔での最後の会合は、5月7日、安息日の午後にもたれた。イエスは、そのとき集合していた150人足らずの者に話した。この土曜日の夜、イエスとその教えに対する大衆の注目の傾向は、最低調を記した。その時以来、確実で緩慢な、だがより健康で信頼できる好もしい感情の増大があった。精霊的信仰と真の宗教経験においてより地に足のついた新しい随員達が増えた。追随者がもつ王国の唯物的概念と、イエスが教える理想主義的かつ精霊的な概念の間での多少の合成と妥協している変遷時期は、そのとき確実に終わった。これから先、大規模で広範囲の精霊的意味合いにおける今まで以上の公然たる王国の福音の公布があった。
西暦29年、5月8日、日曜日、エルサレムにおいて、シネヅリオン派は、パレスチナの全会堂をイエスとその追随者に対して閉ざす法令を可決した。これは、エルサレムのシネヅリオン派による権威の新たな、前例のない強奪であった。その時まで、各会堂は、崇拝者の独立した集会団体として存在し、機能しており、それ自体の支配者達の規則と指示のもとにあった。エルサレムの会堂だけが、シネヅリオン派の承認を受けてきた。シネヅリオン派のこの即決行為の後に、その5人の委員の辞任が続いた。この法令を伝え、実施するために、100人の使者が、即刻、派遣された。2 週間の短期間に、ヘブロンの会堂を除くパレスチナのあらゆる会堂が、シネヅリオン派のこの宣言書に屈した。ヘブロンの会堂の支配者達は、自分達の集会に対するそのような司法権を行使するシネヅリオン派の権利を認めることを拒否した。エルサレムの命令に応じるここの拒否は、イエスの主張への共感というよりもむしろ会衆の自治の主張に基づくものであった。その後まもなく、ヘブロンの会堂は、火事で崩壊した。
この同じ日曜日の朝、イエスは、1 週間の休暇を宣言し、弟子の全員に家に帰るか、友人のもとに行くかして、弱った魂を休ませ、愛しい者達に励ましの言葉を掛けるようにと、言い渡した。「王国の拡張を祈る間、遊ぶか、釣りをするために処々方々に行きなさい。」と、言った。
この休息の週、イエスは、湖畔の多くの家族や団体を訪問することができた。また、時折ダーヴィド・ゼベダイオスと釣りに出掛けが、単独で歩き回るときは、ダーヴィドに最も信用された2、3人が、いつも近くに潜み、かれらは、イエスの護衛に関し頭から絶対の命を受けていた。いかなる類の公開の教えも、この休息の週にはなかった。
これは、ナサナエルとジェームス・ゼベダイオスが、軽いとは言えない病気に苦しんだ週であった。3昼夜、二人は、痛みを伴う消化障害に激しく煩わされた。3晩目、イエスは、ジェームスの母サロメを休ませ、苦しむ使徒を介抱した。もちろん、イエスは、即座にこの2人を癒すことはできたが、それは、時空の進化する世界における人間の子のこれらのありきたりの困難や苦悩の対処における息子の方法でも父の方法でもない。かつて一度として、イエスは、肉体での波瀾万丈の全人生を通して、地球の家族のいかなる成員、あるいは直々の追随者のためにどんな種類の超自然の世話にも係わらなかった。
必滅の創造物の進化している魂は、その成長と発達、つまり進歩的な完全性に対して与えられた経験修練の一部として、宇宙の困難に直面し、惑星の障害に、対処しなければならない。人間の魂の精霊化は、広範囲にわたる本当の宇宙問題を教育的に解決する直接的な経験を必要とする。意志をもつ被創造物の動物の性質と下級の形態は、環境の容易さの中では都合よくは進歩しない。勤労の刺激に結びつく問題ある状況は、人間の進歩にふさわしい目標達成と精霊の目標のより高い段階の到達に甚だしく貢献する心、魂、精神のそれらの活動を起こすことを企てる。
5月16日、エルサレムとヘローデス・アンティパス双方の権威者の間のティベリアスでの2 回目の会議が召集された。エルサレムからの宗教と政治双方の指導者達が出席していた。ユダヤの指導者達は、ガリラヤとイェフーダの両方の全ての会堂が、イエスの教えに対し実際に閉じられたと、ヘロデに報告することができた。ヘロデにイエスを逮捕させる新たな努力がなされたが、ヘロデは、彼等の言いなりになることを拒んだ。しかしながら、5月18日、ヘロデは、そのような取り決めへのイェフーダのローマ支配者の同意を条件に、シネヅリオン当局が、イエスを捕え宗教上の罪で審理されるためにエルサレムに移すことを許可する計画に同意した。一方、イエスの敵は、ヘロデがイエスに敵対的になったと、またその教えを信じる者全てを撲滅する気つもりだという噂をガリラヤ中に勤勉に広めていた。
5月21日、土曜日の夜、エルサレムの民間当局は、イエスが、ユダヤ国家の神聖な法の無視の容疑で捕らえられ、シネヅリオン派の前における裁判のためエルサレムへ連れていかれるというヘロデとパリサイ派の協定に何の異議もないという知らせが、ティベリアスに届いた。それに応じて、この日の真夜中直前に、ヘロデは、シネヅリオンの役員達が、自分の領地内でイエスを捕まえ力ずくで裁判のためにエルサレムへ連れていく権限を与える命令書に署名した。この許可を与えることに同意する前に、多方面からの強い圧力がヘロデに加えられた。そして、かれは、エルサレムでは、イエスにとって厳しい敵の前での公正な裁判を期待することができないことをよく知っていた。
この土曜日の同じ夜、指導的立場にある50人のカペルナムの市民団体は、重要な問題を議論するために会堂で会った。「イエスをどうするか。」かれらは、夜中過ぎまで話し、議論し合ったが、賛同のための何の共通基盤も見い出せなかった。イエスが救世主、少なくとも聖なる人、または恐らく予言者であるかもしれないという信念に傾きがちの数人は別として、集会は、イエスについての以下の視点を保持するほぼ同数の4つの集団に分割された。
1. かれが、惑わされた無害な宗教的な狂信者であったこと。
2. かれが、反逆を巻き起こすかもしれない危険で腹黒い扇動者であること。
3. かれが、悪魔と同盟している、悪魔の王子でさえあるかもしれないこと。
4. かれが、我を忘れ、気が狂い、精神的に均衡を失っていること。
一般人にとっては衝撃的なイエスが唱道する主義について、多くの話があった。敵は、イエスの教えが非実用的であり、皆がその考えに従って正直に生きる努力をするならば、全てが瓦解すると主張した。また、その後の何世代もの人間が、同じことを言った。多くの知的で善意の人々は、これらの顕示がより教化された時代にさえ、現代文明が、イエスの教えに基づいては築かれ得なかったかもしれないと主張し、—そして、彼等は部分的に正しい。しかし、そのような全ての懐疑者達は、はるかに優れた文明が、彼の教えの上に築きあげることができたかもしれないということを忘れており、そして、いつかは、そうなるのである。この世界は、いわゆるキリスト教と呼ばれる主義に従う生半可な試みがなされたにもかかわらず、大規模にイエスの教えを本気で実行しようとしたことがなかった。
5月22日は、イエスの人生で多事な日であった。この日曜日の朝、夜明け前、ダーヴィドの使者の一人は、ティベリアスから大急ぎで到着し、シネヅリオン派の役員によるイエスの逮捕をヘロデが認可したか、または認可するところであるという知らせを携えてきた。この切迫した危険の知らせの受領は、ダーヴィド・ゼベダイオスが、使者を起こし、そしてすべての地方の弟子集団のもとに彼らを遣わせ、その朝7 時に緊急協議のために彼らを呼び出させることとなった。ユダ(イエスの弟)の義理の姉妹が、このただならぬ報告を聞くと、急いで近くに住まうイエスの全家族に知らせ、直ちにゼベダイオス邸に集合するように勧めた。そして、この急の呼び出しに応じ、やがて、マリア、ジェームス、ヨセフ、ユダ、ルースが集まってきた。
この早朝の会合で、イエスは、集った弟子に送別のための指図を与えた。つまりかれは、カペルナムからすぐに追い払われることを熟知していたので、さしあたって皆に別れを告げた。結果に関係なく、かれは、神に指導を仰ぎ、王国の仕事を続けるよう二全員に指示した。伝道者は、召喚されるかもしれないそのような時だと思う時まで働くことになっていた。イエスは、自分に同行する12人の伝道者を選出した。12人の使徒には、たとえ何が起ころうとも自分と共にいることを命じた。かれは、12人の女性には、召集されるまでゼベダイオスとペトロスの家に残るように命じた。
イエスは、ダーヴィド・ゼベダイオスの全国的な使者活動の続行に同意し、ダーヴィドは、やがてあるじへに暇乞いをして言った。「仕事にお進みください、あるじさま。偏狂者に掴まることなく、使者があなたの後について行くということを決して疑わないでください。私の部下は、決して連絡を絶つことはありませんし、彼らを通じて、他の地域での王国について知ることができますし、私達は全員、あなたについて知ることができます。私の身に何が起ころうとも、1 番目と2 番目の、さらには3 番目の指導者を指名してありますので、この活動を妨害するものは何もありません。私は教師でもなく伝道者でもありませんが、こうすることを非常に望んでおり、何も私を止めることはできません。」
この朝の7:30頃、イエスは、話を聞くために屋内に集まった100人ほどの信者への送れの挨拶を始めた。これは出席者全員にとり厳粛な機会であったが、イエスは、殊のほか愉快そうに見えた。もう一度、普段のイエスのようであった。何週間もの物々しさは去り、イエスは、信仰、望み、勇気の言葉で皆を元気づけた。
イエスの地球での家族の5人が、ユダの義理の姉妹の緊急召喚に応じて現場に到着したのは、この日曜日の朝の8 時頃であった。肉体の体をもつ全家族の中で、ルース一人だけが、イエスの地球における神性の任務を心から信じ続けた。ユダ、ジェームス、ヨセフは、まだイエスに対し非常な信頼を寄せてはいたが、その自負心は、より良い判断と真の精霊的な傾向に干渉することをゆるした。マリアは、愛と恐怖の間で、母性愛と家族の誇りの間で同様に悩んだ。疑念に悩みはしたが、彼女は、イエス誕生前のガブリエルの訪問を決して完全に忘れることができなかった。パリサイ派は、イエスが、我を忘れ、発狂しているとマリアの説得に努力していた。かれらは、彼女に息子達を伴って行き、公開の教えでのこれ以上の努力をイエスに思いとどまらせるように訴えた。かれらは、イエスの健康は直ぐに崩れると、また、イエスを先へ進ませることにより、家族全体が単に不名誉と恥辱を受けるだけだとマリアに請け合って言うのであった。そうしたことから、ユダの義理の姉妹から知らせが来たとき、マリアの家に集まりその前の晩にパリサイ派に会った5 人全員は、ゼベダイオスの家にすぐに出発した。かれらは、エルサレムの指導者達と夜遅くまで話し、多少イエスが奇妙に行動していると、ここのところ奇妙に振る舞っていると、思い込まされた。ルースは、イエスの行為のすべてを説明することはできなかったが、彼がいつも家族を公正に扱っていたと主張し、これから先の仕事を彼に思いとどまらようとする計画に同意しなかった。
ゼベダイオスの家への途中、家族は、これらのことについて話し合い、イエスを家に連れ帰るように説得しようと同意した。マリアの理由は、「息子が帰って来て私の言うことを聞きさえすれば、息子の影響を及ぼすことができるのが分かっている。」であった。ジェームスとユダは、裁判のためにイエスを逮捕しエルサレムに連れて行く計画の噂を聞いていた。また、二人は、自分自身の安全も気遣った。イエスが大衆に人気のある人物である限り、家族は、事をなるがままにしておくことができたが、今は、カペルナムの人々とエルサレムの指導者達が突然イエスに敵対し、家族は、厄介な立場での想定される不名誉の圧力を鋭く感じ始めていた。
家族は、イエスに会い、彼を脇へ連れていき一緒に家に帰るように迫ることを当て込んでいた。かれらは、彼自身に問題をもたらし、家族に不名誉をもたらすだけの新しい宗教を説こうとする愚かさを諦めさえするならば、家族に対するイエスの無視を自分達は忘れる—許すし、忘れる—ということを彼に確信させようと考えた。このすべてに対しルースは、「私は、兄さんが神の人であり、邪悪なパリサイ派が説教を止めさせる前に、進んで死ぬことを兄さんに望んでいると言うつもりである。」と言うのであった。ヨセフは、他の者がイエスに働き掛ける間、ルースを静かにさせると約束した。
彼らが、ゼベダイオスの家に着いたとき、イエスは、弟子への送別の演説をしている真っ最中であった。かれらは、家に入ろうとしたが、人で溢れんばかりに混雑していた。ようやく裏の縁側に場所を得て、かれらは、そこで、人から人へとイエスに言葉を伝えたので、それは、遂にサイモン・ペトロスからイエスに囁かれ、かれは、イエスの話を中断するつもりで、「ご覧ください。母上と弟妹が外にいて、しきりに話しをされたいと願っています。」と言った。母は、追随者へのこの別れの言葉を送ることがいかに重要であるかを思いもせず、またこの演説が、イエスを捕縛しようとする者の到着によって打ち切られそうであることも知らなかった。彼女は、どう見ても長い疎遠の後に、自分と弟達が好意をみせて、実際に彼のところへ来たという事実を考慮して、イエスが、待っているという知らせを受けた瞬間に話しを止めて自分たちのところへ来ると本当に考えていた。
これは、イエスが父の用向きに関わらねばならないということを地上の家族が理解できなかったというそれらの実例のもう一つであった。マリアと弟達は、イエスが、申し送りを受け取るために話しを中断せず、挨拶のために大急ぎで来る代わりに、美声を高くして次のように話すのを聞いたとき、深く傷ついた。「私を気遣って恐れるべきではない、と私の母と弟に言いなさい。私をこの世界に遣わされた父は、私を見捨てはしない。私の家族に何の危害も起こりはしない。勇気をもち、王国の父を信頼するように告げなさい。しかし、詰まるところ、誰が私の母で、誰が私の弟であるのか。」かれは、部屋に集う弟子の全ての方に手を差し伸べて言った。「私には母もいない。弟もいない。私の母を見なさい。私の弟妹を見なさい。天にいる私の父の意志を行う者は誰でも、私の母、私の弟、私の妹と同じであるから。」
マリアは、この言葉を聞くとユダの腕の中に崩れた。イエスが別れの挨拶の締めくくりを伝える間、彼らは、彼女を回復させるために庭へ運び出した。それから、イエスは、母と弟に打ち合わせに行ったことであろうが、ティベリアスからの使者が、シネヅリオンの役員達がイエスを逮捕し、エルサレムへ移す権限を携えてやって来る途中であるという知らせを持って急いで到着した。アンドレアスは、この知らせを受けて、イエスを遮り、そのことを告げた。
アンドレアスは、ダーヴィドがゼベダイオス家の周囲に25人ほどの見張りを立てたということ、そして、誰も彼らを不意に襲うことができないということを知らなかった。それで、かれは、何をすべきかをイエスに尋ねた。「私に母はいない。」という言葉を耳にした母親が庭で衝撃から回復する間、あるじは、そこに黙って立っていた。丁度この時、部屋にいた一人の婦人が、「あなたを生んだ子宮、あなたを授乳した乳房は幸いです。」と立ち上がり大声で言った。イエスは、この女性に応じるためにアンドレアスとの会話から一瞬を横を向いて言った。「いや、むしろ幸いなのは、神の言葉を聞き、それを守り通す者である。」
マリアとイエスの弟達は、イエスが自分達を理解しないと、自分達への関心を失くしたと思い、イエスを理解しないのは本人達であるということにはあまり気づかなかった。イエスは、人が、その過去を断ち切るということがいかに難しいかを完全に理解していた。人間がいかに説教者の雄弁さに動かされるか、また心が論理と理由に応じるように、良心が、いかに感情的な訴えに応じるかを知っていたが、それにしても、人間に過去との縁を切らせるように説得することが、どれほどはるかに難しいかも知っていた。
誤解されるか、または感謝されていないと思うかもしれない者全てが、イエスに同情する友、理解ある助言者とを感じるということは、永遠に本当である。かれは、人の敵が、自身の家庭の者である場合があるということを使徒達に警告してきたが、この予測が、いかに身近に自身の経験となるということにはほとんど気づいていなかった。イエスは、父の仕事をするために地球の自らの家族を見捨てはしなかった—家族が彼を見捨てた。後に、あるじの死と復活後、ジェームスは、早期のキリスト教の運動に関わるようになったとき、この早期のイエスとその弟子との関係を喜んで迎え入れなかった自己の失策の結果に測りしれないほど苦しんだ。
これらの出来事を通過する際、イエスは、自分の人間の心に関する限られた知識によって導かれること選んだ。かれは、仲間との経験をただの人間として経験することを望んだ。そして、かれが、去る前に家族に会うことは、イエスの人間の心の中においてであった。かれは、講話の最中に止まり、このように、非常に長い別離の後、最初の会合を公の出来事にしたくなかった。かれは、演説を終え、去る前に、家族に会うつもりであったが、この計画は、すぐ後に続く陰謀の出来事によって阻まれた。
急遽の脱出は、ダーヴィドの使者の一行が、ゼベダイオス邸の裏の出入り口に到着したことにより速められた。使者によって起こされた騒ぎは、使徒を恐がらせたし、これらの新たな到着は、自分達の捕縛者達かもしれないという考えに仕向け、そして、即座の逮捕の恐怖に、待っているいる舟へと表の入り口から急いだ。そして、この全ては、イエスが、なぜ裏の縁側で待っている家族に会わなかったかということを説明している。
しかし、急な脱出で乗船しつつ、イエスは、ダーヴィド・ゼベダイオスに言った。「皆の到来には感謝しているし、会うつもりであったと母と弟達に伝えてくれ。私に感情を害することなく、むしろ、神の意志に関する知識と、栄光と勇気のためにその意志を為すことを追求せよと悟してくれ。」と言った。
そうして、イエスが、12人の使徒と12人の伝道者と共に逮捕され、冒涜と他のユダヤ人の神聖な法に対する違反の罪で、裁判のためにエルサレムに連行するために、ヘローデス・アンティパスからの権限を得たベスサイダへの途中にいたシネヅリオンの役員からの急な脱出をしたのは、西暦29年5月22日のこの日曜日の朝であった。25人のこの一行が、櫂をとりガリラヤ湖の東岸へ漕いだのは、この美しい朝の8 時半頃であった。
あるじの舟に続くのは、もう一艘の小さ目の舟で、ダーヴィドの6人の使者を含んでおり、かれらは、イエスとその仲間との接触を維持し、その所在と安全に関する情報が、王国の仕事のための本部の役をしばらく前から果たしていたベスサイダのゼベダイオスの家に、定期的に伝えられることを見届ける指示を受けた。しかし、イエスは、決して二度とゼベダイオス邸を住まいとはしなかった。これから先、地球での人生の残りを通じて、あるじは、本当に、「頭を横たえるところがなかった。」この先、定住の住まいに似たものさえなかった。
彼等は、ケリサの村近くヘと漕ぎ、舟を友人に託し、あるじの地球の人生のこの多事多端の最後の年の放浪を開始した。しばらくかれらは、フィリポスの領地に踏み留まり、カエサレアからケーサレーア-フィリッピーへ、そこからフェニキアの海岸へと進んだ。
群衆は、この2 艘の舟が湖上を東岸に向けて進んでいるのを見ながらゼベダイオス邸の周りに長居しており、エルサレムの役員等が急いでやってきてイエスの捜索を始めるときには、2艘は、かなりの距離を行っていた。エルサレムの役員達は、イエスが逃れたと考えることを拒否し、パリサイ派とその補佐達は、イエスとその一行がベサニアから北へ旅する間、イエスを捜索してカペルナム近隣で無駄にほぼまる1 週間を過ごした。
イエスの家族は、カペルナムの家に戻り、話し、議論し、祈っておよそ1 週間を過ごした。かれらは、混乱と狼狽で満たされていた。かれらは、ルースがゼベダイオス家の訪問から戻る木曜日の午後まで心の平穏は一切なく、彼女は、ダーヴィドから、父親代わりの兄が無事で健康であり、フォイニキア海岸に向かう途中であることを知らされた。
この多事の日曜日、イエスと24 人は、ケリサ近くに上陸直後、北へ少し行き、ベスサイダ-ユールアスの南にある美しい公園で夜を過ごした。過ぎし日に立ち寄ったことがあったので、皆にはこの野営場所は馴染み深かった。就寝前、あるじは、追随者を自分の周りに呼び寄せ、ベタニアと北ガリラヤを経てフェニキアの海岸への予定されている遊歴の計画について話し合った。
イエスは言った。「このような時に言い及んで、詩篇の作者がいかに言ったかを思い出すべきである。『なぜ異教徒は激怒し、民衆は虚しく謀るのか。地の王達は立ち構え、治める者たちは相ともに集まり、主と、主に油を注がれた者とに逆らって言う。慈悲の枷を打ち砕きし、愛の綱を解き捨てよう。』
「今日、君は、これが目の前で果たされるのを見る。しかし、君には、詩篇の作者の残りの予言が実現するのは分からないであろう、というのも、作者は、人の息子とその任務に関し誤った考えを抱いたので。我が王国は、愛に基づいて設立され、慈悲をもって公布され、私心のない奉仕によって樹立される。我が父は、異教徒を愚弄し、笑って天国に座してはいない。かれは、ひどい不快感に激怒はしない。息子が、これらのいわゆる異教徒(実際には無知で教えられていない仲間)を継承するという約束は、本当である。そして、私は、慈悲と愛情の両手を広げてこれらの異教徒を迎えるのである。全てのこの親愛は、勝利を収めた息子が、『鉄の杖で彼等を打ち砕き、焼き物の器のように粉々にする。』と仄めかす記録の不幸な宣言にもかかわらず、いわゆる異教徒に示された。詩篇作者は、『恐れつつ主に仕える』ことを君に勧める—私は、信仰に神性の息子性の高い特権に進み入るように告げる。彼は、君におののきつつ喜べと命じる。私は、確信して喜べと命じる。彼は言う、『息子に口づけせよ、彼が、怒り、彼の怒りが燃えようとするときお前達が滅びないために。』と。しかし、私と一緒に暮らしてきた君達は、憤りや激怒が、人の心の中の天の王国の設立の一部ではなということをよく知っている。しかしながら、この訓戒を終える際に、彼が、『息子を信頼する者を誉め称えよ。』と言ったとき、詩篇の作者は、本当の光ちらりとを見た。」
イエスは、24人に教え続けた。「異教徒が、我々に怒るとき、口実がない訳ではない。なぜなら、彼等の見通しは、小さくて狭いので、その活力を一心に集中することができる。その目標は、近く、多少なりとも目に見える。そういう訳で、かれらは、勇敢で効果的な実行で努力する。天の王国への入国を表明した君達は、教育行為において全く弱腰で不明確である。異教徒は、直接その目標にとびかかる。君達には、あまりにも多くの慢性の切望の悪い習慣がある。君達が王国に入ることを望むならば、ちょうど異教徒が街を包囲攻撃するように、なぜ精霊の攻撃によってそれをしないのか。活動において大いに過去を後悔し、現在を愚痴り、虚しく未来に期待する態度があるとき、君達は、王国にはほとんどふさわしくない。なぜ異教徒は、激怒をするのか。かれらは、真実を知らないからである。君達は、なぜ無駄な憧れに苦しむのか。真実に従わないからである。無役な切望をやめ、王国の樹立に関わることをして、勇敢に前進しなさい。
「すべての行動において、一方的で、偏らないようにしなさい。我々の撲滅を求めるパリサイ派は、神の活動をしていると本当に思っている。かれらは、伝統によって非常に狭隘しており、偏狭で目をくらまし、恐怖で硬化している。ユダヤ人が、科学なしの宗教を持つのに反し、宗教なしで科学を持つギリシア人について考えなさい。そして、人がこのように偏狭で混乱したの崩壊を受け入れることに惑わされるとき、唯一の救済の望みは、真実で連携するようになること—改宗されること—である。
「この不朽の真実を強調しよう。真実の共同作用により、もし君達が、人生において正しさのこの美しい完全さを例示することを学ぶならば、同胞は、そのとき、君達のそうして得たものを獲得するために君達を追い求めるであろう。真実探求者が引きつけられる基準は、あなたの真実の授与、あなたの正しさの度合を表している。知らせを人々に知らせなければならない範囲は、ある意味で、君達が完全な、または公正な人生、真実で調和された生活不履行の尺度である。」
そして、彼らが就寝の挨拶を述べ枕上に安らぎを得る前に、あるじは、使徒と伝道者に他の多くの事柄を教えた。
5月23日、月曜日の朝、イエスは、ペトロスに12人の伝道者とホラズィンに行くように指示し、一方かれは、11 人とともにヨルダン川を経由し、ダマスカス-カペルナム街道へ、そこからケーサレーア-フィリッピーへの分岐点へと北東にとり、それから街へ入り、そこに2 週間滞在し教えた。かれらは、5月24日、火曜日の午後到着した。
ペトロスと伝道者は、小規模ではあるが熱心な信者の一行に王国の福音を説いて2週間ホラズィンに滞在した。だが、かれらは、多くの新しい転向者を獲得することはできなかった。ホラズィンほどに人々を王国にもたらさなかった都市は、ガリラヤ中のどこにもなかった。ペトロスの指示に従い12人の伝道者は、治療—物理的なこと—に関してあまり語ることはなく、天の王国の精霊的な真実を増大された力で説いたり教えたりしたが。ホラズィンでのこの2週間は、これまでの彼らの経歴において最も難しく実を結ばない期間であったという点において、12人の伝道者にとり真の逆境の試煉となった。このように王国のために魂を得る満足感を奪われ、各人は、新しい人生の精霊の道における自身の魂とその進展をますます本気で正直に検討した。
ペトロスは、人々が王国への入国を求める気がないと見ると、6月7日、火曜日、仲間を集めてイエスと使徒に合流するためにケーサレーア-フィリッピーに出発した。かれらは、水曜日の昼頃に到着し、ホラズィンの無神論者の間での自分達の経験を詳細に語り夕べをまるごと過ごした。この談論の中でイエスは、種を蒔く人の寓話に更に言及し、生涯の仕事の見た目の失敗の意味について多くを教えた。
ケーサレーア-フィリッピー近辺でのこの2週間の滞在中、イエスは、公のための仕事を何もしなかったが、使徒は、この街での頻繁で穏やかな夜の会合を開き、また信者の多くは、あるじと話すために野営にやって来た。この訪問の結果は、ほんのわずかの者が信者の一団に追加されたにすぎない。イエスは、毎日使徒と話し、またかれらは、天の王国を説く仕事の新たな局面が今始まっているというこをより明らかに認識した。かれらは、「天の王国は、肉でも飲み物でもなく、神の息子としての承認の精霊的な喜びを知ることである」ということを理解し始めていた。
ケーサレーア-フィリッピーの滞在は、11人の使徒に対する本当の試煉であった。それは、彼らにとり、生き抜くことの難しい2 週間であった。かれらは、ほとんど落胆し、またペトロスの意欲旺盛な人格からの時折の刺激を受けられなかった。この時期に、イエスを信じそのあとに続くことは、本当に、大きな試煉の冒険であった。この2 週間、わずかの転向者しか得られなかったが、かれらは、あるじとの日々の会合により非常に有益なことを多く学んだのであった。
使徒は、ユダヤ人が真実を信条に結晶化させたので精霊的に停滞し、滅びかけていることを学び取った。真実が、精霊の先導と進歩の道標として役目を果たす代わりに、独りよがりの排他的境界線として定式化されるようになるとき、そのような教えは、創造的で命を与える力を失い、結局は、単なる保存化と化石化になるということ。
ますますかれらは、時間と永遠における人格の可能性に関する人間の人格を見ることをイエスから学んだ。かれらは、多くの人間が、見ることのできる同胞をまず愛することにより、見えない神を愛することができるように導かれるということを学んだ。それは、この点について、仲間への寡欲な奉仕に関するあるじの発表に新しい意味が加えられた。「私の同胞の最弱の一人にそれをする限りにおいて、あなたは私にそれをしたのである。」
カエサレアでのこの滞在の最も素晴らしい教訓の1つは、宗教伝統の起源、すなわち、非神聖なもの、共通の考え、あるいは日常の出来事につながる神聖さの、感覚を許すという重大な危険性と関係があった。かれらは、真の宗教とは、最高の、そして最も本当の信念への人の心からの忠誠心であるという教えを一つの会合から持ち帰った。
イエスは、自然に対する知識を増やすことは、もし彼らの宗教的な切望が単に物質的であるならば、事物の想定された超自然起源の進歩的な置換によって、神への信仰を奪うと信者に警告した。だが、宗教が精霊的であるならば、自然科学の進歩は、永遠の現実と神の価値に対する彼等の信頼を決して妨害することはできなかった。
かれらは、宗教の動機が完全に精神的であるとき、それは、全ての生活をより価値あるものにし、高い目的で満たし、卓越する価値で威厳を与え、素晴らしい動機で奮い立たせ、その間ずっと、崇高で持久する望みで人間の魂を慰めるということを学んだ。真の宗教は、存在の重圧を和らげるように考案されている。それは、日々の生活と利己心のない活動のための信仰と勇気を放つ。信仰は、精霊的活力と正しい結果の良さを促進する。
イエスは、文明が、その宗教の最善の状態を損失したのでは生き延びることができないことを繰り返し使徒に教えた。またかれら、12 人に宗教的な経験の代わりに宗教的な象徴と儀式を受け入れるという大きな危険を指摘することに決して飽きることがなかった。イエスの地球での全人生は、宗教の凍てついた型を啓発された息子性の流動する自由への解凍する任務に一貫して捧げられた。
6月9日、木曜日の朝、真実の25人の教師のこの一行は、王国の進展に関する知らせをベスサイダからのダーヴィドの使者から受けとると、フォイニキアの海岸への旅を始めるためにケーサレーア-フィリッピーを発った。かれらは、ルーズ経由で、湿地帯の周辺を通過して、マグダラ-レバノンの小道の分岐点へ、そこからシドーンの道との交差点に金曜日の午後到着した。
ルーズ近くの張出した岩陰で昼食のために休止をする間、イエスは、彼との交りのすべての歳月を通じて使徒が聞いた最も顕著な演説の1つをした。食事のために皆が座るや否や、サイモン・ペトロスは、イエスに尋ねた。「あるじさま、天の父は全てをご存じであり、また、地上の天の王国の確立においてはその精霊が私達の後ろ盾でありますのに、我々は何故に敵の脅威から逃げるのですか。我々は、なぜ真実への敵に立ち向かうことを拒むのですか。」ところが、ペトロスの質問に答え始める前にトーマスが割り込んで尋ねた。「あるじさま、私は、エルサレムの敵の宗教の何が悪いのか、とても知りたいのです。彼等の宗教と我々のとの本当の違いは何ですか。我々は皆、同じ神に仕えるというときに、そのような信仰の多様性に行きあたるのは何故ですか。」トーマスが言い終えると、イエスが、「ペトロスの質問を無視したくはないが、まさにこの時、ユダヤの支配者との公然の衝突を避ける私の理由をいかに容易く誤解するかもしれないと良く承知しているので、却って、トーマスの質問に答えれば、皆にはもっと役立つであろう。だから、昼食を終えたら、改めてそれについて話そう。」 と言った。
現代の言い回しに要約され、再述された宗教に関するこの忘れ難い講話は、次の真理を表した。
世界の宗教には二重の起源—自然と天啓—があるが、いかなる時も、いかなる民族間でも、宗教上の献身の3つの明確な型がある。宗教への衝動の3つの顕現は、次の通りである。
1. 原始の宗教。神秘的なエネルギーへの恐怖と卓越する力への崇拝、主として物理的な自然への宗教、すなわち恐怖への宗教への半自然で本能的な衝動。
2. 文明の宗教。文明化する民族の前進する宗教概念と習わし—心の宗教—確立された宗教的な伝統の権威の知的な神学。
3.、真の宗教—啓示の宗教。超自然的な価値の啓示、永遠の現実に関する部分的洞察、天の父の無限の特質である善と美の一瞥—人間の経験に示される精霊の宗教。
あるじは、このあまりにも原始的な崇拝形態が、人類のより知的な民族の宗教形態に留まる事実を遺憾に思いはしたが、物理的感覚の宗教と本来の人間のもつ迷信深い恐怖をみくびることを拒否した。イエスは、心の宗教と精霊の宗教間の大きな違いは、前者が教会の権威に支えられ、後者が完全に人間の経験に基づくということであると、明らかにした。
そこで、あるじは、教育の時間にこれらの真実を続けて明らかにした。
民族がより高度に知的になり、より完全に文化的になるまで、原始で後れた民族の進化する宗教的習慣に非常に特色的であるそれらの幼稚で迷信深い儀式の多くは、持続するであろう。人類が精霊的な経験の現実のより高くより一般的な認識の段階に進むまで、多数の男女が、進歩的な人間の経験の厳しい現実と格闘する信仰上の冒険における心と魂の活発な参加を伴う精霊の宗教とは対照的に、知的な同意だけを必要とする権威の宗教のための個人の選択を示し続けるであろう。
権威に基づく伝統的な宗教の承認は、精霊的な本質への切望に満足感を求める人間の衝動のために簡単な出口を提示する。権威が定着し、結晶化され、確立された宗教は、恐怖に悩まされ、不安に攻められるとき、分別を失い取り乱している人の魂が逃れられる手早い避難所を提供する。そのような宗教は、満足感と保証に対して支払われる価格として、その信者に受け身の、そして純粋に知力の同意のみを必要とする。
そして、宗教の安らぎをこのように保証することを好むであろう臆病で、恐れ、躊躇う個人は、長らく地球に生きるであろう。にもかかわらず、このように権威の宗教と運命を共にする際、かれらは、人格の主権を危険に曝し、自尊心の尊厳を落としめ、最も感動的で、奮い立たせる人間のすべての可能な経験に参加する権利を完全に明け渡す。真実の個人的探求、知的な発見の危険に直面する際の陽気さ、個人の宗教経験の現実探査への決意、それが、全人類存在の最高の冒険—自分自身のために、そして、自分自身として、神を探し求め、神を見いだす人間の冒険—において公正に勝ち取るような、精霊的な信仰の知的疑問に対する事実上の勝利の実現における個人的功績を経験する最高の満足感。
精霊の宗教は、努力、奮闘、闘争、対立、信仰、決断、愛、忠誠、進展を意味する。心の宗教—権威の神学—は、その形式的な信者からこれらの努力を少しか、あるいは全く求めない。進歩的な人間の心によって発見され、また進化している人間の魂によって経験されるかもしれない精霊の現実のより遠い岸の探索における未踏の真実の公海への大胆な冒険のそれらの信仰の船旅に伴う精霊の奮闘と精神的な不安を本能的に回避するような恐怖に満ち、乗り気でないそれらの人間にとり、伝統は、安全な避難場所であり、容易い経路である。
イエスは、続けた。「エルサレムでは、宗教指導者は、彼らの伝統的な教師や他の時代の予言者達の様々な教義を知的な信条、権威の宗教の確立した体系に定式化してきた。全てのそのような宗教の訴えは、主に心に向けてである。そして、今、我々は、新たな宗教—現代の言葉の意味における宗教ではない宗教、人の心の中に住む私の父の神霊にその主な呼び掛けをする宗教。その権威が、確かに誠にこのより高い精霊的な親交の真実の信者になるすべての個人の経験にとても確かに現れるその受け入れの成果に由来する宗教—の大胆な公布をまもなく始めるので、そのような宗教との決定的な闘争に入ろうとしているのである」
24 名をそれぞれに指し示して、名を呼び、イエスは言った。「さて、天の王国の永遠の真実と崇高な壮大さにおける個人の、生きた経験の現実の美しさを自分のために発見する満足感に気づくと共に、人に救済のより良い道を宣言する任務の困難と迫害に苦しむよりも、むしろエルサレムでパリサイ派により守られるように確立され化石化された宗教への服従のこの簡単な道を、君達の誰が、選びたいであろうか。君達は、恐れており、弱々しく、安易さを求めているのか。真実の神の手の中での未来を信じるのが恐いのか、神の息子達よ。父に不信を抱いているのか、神の子供よ。君達は、伝統的な権威の宗教の確心と知力の定着した容易な道に戻るか、または、精霊の宗教、人の心の天の王国の新たな真実を宣言する不確かでやっかいな未来へと私と共に進む用意をするのであろうか。」
イエスがこれまでにした感情的訴えの数少ない一つであるこれに対し、結束した、忠実な反応を意味するつもりで、聞き手である24人全員が、立ち上がったが、イエスは手を上げて止めた。「解散しなさい、各人が単独で父と共におり、そこで私の質問に感情的でない答えを見い出し、魂のそのような本当の、誠実な態度を見つけたとき、愛のその無限の命は、我々が宣言する宗教のまさしくその精神である私の父であり、あなたの父である方に自由に大胆にその答えを伝えなさい。」
伝道者と使徒は、しばらく単独で離れて行った。彼らの意気は高揚し、心は奮い立ち、感情はイエスの言葉にひどく煽られていた。しかし、アンドレアスが皆を呼び集めたとき、あるじは、「旅を続行しよう。しばらく待つために、しばしフォイニキアに入り、皆は、心身の感情をより高い心の忠誠とより満足のいく精霊の経験に変えるために父に懇願するべきである。」とだけ言った。
24人は、旅を続ける間黙していたが、やがて、一人が他の者に話し始め、午後3 時までには、かれらは、それ程遠くまで行くことができなかった。彼らは停止し、ペトロスが、イエスのところに行って「あるじさま、あなたは生命と真実の言葉を話されました。我々はもっと聞きたいのです。何とぞこれらの事柄についてさらにお話し下さい。」と言った。
したがって、山腹の日陰で一休みしながら、イエスは、精霊の宗教に関する教えを続けた。大体の内容は、次の通りである。
君達は、心の宗教に満足しているままの方を選ぶ仲間、保安を切望し、一致を好む仲間から出て来た。君達は、威厳がある確実性の感情を冒険的で進歩的な信仰の精霊の保証と交換することに決めた。組織の宗教の厳しい束縛に不服を唱え、現在、神の言葉と考えられている記録の伝統の権威を拒絶を敢えてした。父は、モーシェ、エーリージャ、イェシャジァ、アーモーセ、ホゼアを通して本当に話したが、昔のこれらの予言者が発言を終了したとき、かれは、世界に真実の言葉の活動を止めなかった。私の父は、真実の言葉が、1時代には与えられ、もう1時代には控えるという民族や世代の公平を欠く方ではない。完全に人間であるものを精霊と呼ぶ愚行を犯すでない、そして、想定上の霊感の伝統的な宣託を通さずに来る真実の知らせの識別をしくじるではない。
私は、君達が、再び生まれることを、精霊から生まれることを強く呼び掛けてきた。私は、君達を権威の暗黒と伝統の無気力から、自分で人間の魂のために可能の限りの最大限の発見—自身の個人の経験における事実として自分のために、自分の中に、自身で神を見つけ、そしてこのすべてを行う崇高な経験—をする可能性の実現の無比の光の中へと呼び出した。そして、君達が、死から命へと、伝統の権威から神を知る経験へと移行できますように。このように、暗黒から光へと、受けき継がれた人種的な信仰から実際の経験により達成される個人の信仰に移るのである。そして、それによって、君達は、先祖から伝えられた心の神学から永遠の贈与として魂に確立される精霊の宗教へと進歩するのである。
君達の宗教は、伝統的な権威に対する単なる知的な信念から神の現実と父の神霊に関連する全てを把握することのできる生きた信仰の実際の経験へと変化するのである。心の宗教は、君達を救い難く過去に結ぶ。精霊の宗教は、進歩的な啓示から成り、精霊的な理想と永遠の現実においてより高度のより至純の達成に向けて君達につねに手招きをする。
権威の宗教は、定着した安全の現在の感情を与えるかもしれないが、君達は、そのような一時的な満足感のために精霊的な自由と信仰の自由の喪失を代償とする。私の父は、天の王国に入る代価として、精霊的に不快で、不浄で、不誠実であるものへの信念に君達に敢えて同意することを要請しない。慈悲、正義、真実の君達自身の感覚が、宗教形態と儀式への廃れた服従により侵害されるというようなことは君達に要求されることはない。精霊の宗教は、精霊があなたをどこへ導こうとも、あなたが、永々と自由に真実に続くままにさせる。そして、誰が判断できるであろうか、—恐らく、この精霊は、他の世代が聞くことを拒否してきたものをこの世代に与えることがあるかもしれない。
飢えた魂を薄暗がりへと、遥か彼方へと引きずろうとする偽の宗教教師達よ、恥を知り、彼らを放置しているのである。これにより、これらの不幸な人々が、あらゆる新しい真実の顕示にまごつきながら、あらゆる新しい発見に怯えるように運命づけられている。「神と居続ける者の心は、完全な平穏に保たれる」という言った予言者は、権威的な神学の単なる知的な信者ではなかった。この真実を知る人間は、神を見つけた。かれは、単に神について話したのではなかった。
私は、常に昔の予言者を引き合いに出し、イスラエルの英雄を称賛する習慣を諦め、代わりにいと高きものの生きている予言者となり、来たるべき王国の精霊的英雄になることを切望するように君達に諭す。神を知る過去の指導者達を尊敬することは、まことに価値があるかもしれないが、何故、そうしながらも、自分のために神を見つけ、自身の魂に神を知るという人間存在の最高の経験を犠牲にしなければならないのか。
人類のあらゆる人種は、人間の存在に関するそれ自身の精神的な見解を持つ。それ故、心の宗教は、常にこれらの様々な人種的な視点に忠実でなければならない。権威の宗教は、決して統一に立ち至ることはできない。人間の和合と必滅の兄弟の愛は、精霊の宗教の付加された贈与により、またそれを通してのみ、達成が可能である。人種の心は異なるかもしれないが、全人類には同じ神性と永遠の精霊が宿している。人間の兄弟愛の望みは、異なる心の権威の宗教が、精霊の統一して、気高くする宗教—個人の精霊的な経験の宗教—をしみ込ませ、それによって影が薄くなるときにだけ、または、そうしながら実現される。
権威の宗教は、人を分割し、互いに対して良心的隊列に配置できるに過ぎない。精霊の宗教は、人を次第に接近させ、互いが理解をもって思いやるようにさせる。権威の宗教は、信念における人の一様性を要求するが、これは現在の世界状態においては実現不可能である。信念の多様性を完全に考慮に入れる精霊の宗教は、経験の合一性—崇高な目標の同一性—のみを必要とする。精霊の宗教は、視点と展望の同一性ではなく、洞察の均一性だけを必要とする。精霊の宗教は、知的な見解の均一性を要求するのではなく、精霊感覚の統一だけを要求する。権威の宗教は、生気のない教義に結晶化する。精霊の宗教は、高揚させる愛のこもった奉仕と慈悲深い活動行為を増大する喜びと自由へと成長する。
しかし、君達の誰も、アブラーハームの子孫が、伝統的な不毛のこれらの悪い時代に出合ったからといって軽蔑して見ないように注意しなさい。我々の祖先は、執拗に、しかも情熱をもって献身的に神を追求し、自身が神の息子としてこれを熟知するアダームの時代からずっと他の全人類が知らないような神を見い出した。私の父は、モーシェの時代以来ずっと、神を探し神を知るイスラエルの長い、不屈の戦いへの注意を怠ってはいない。ユダヤ人には、疲れきった数代にわたり、神についての真実の発見にさらに近づくために骨を折り、汗をかき、呻き声を上げ、苦労をし、そしてまた受難に耐え、誤解され、軽蔑された民族のその悲しみの経験の止むことはなかった。そして、イスラエルのすべての失敗と怯みにもかかわらず、モーシェからアーモーセとホゼアの時代へと、我々の祖先は、永遠の神のずっと明確でより真実の姿を次第に全世界へ明らかにした。そして、召喚された君達が共有するために、父のさらに素晴らしい顕示への道が用意されたのである。
生きている神の意志を発見する試みよりも満足のいく感動的な冒険はないし、それが、その神の意志を正直に為そうとする崇高な経験であることを決して忘れてはならない。また、地球のどんな職業においても神の意志を為すことができるということを忘れてはならない。ある職業は神聖ではなく、他のものは世俗的である。全てのものは、生霊に導かれる、すなわち、真実に従属し、愛に高揚され、慈悲に支配され、そして公正さ—正義—に抑制される者の生活において神聖である。父と私が世界に送る精霊は、真実の聖霊だけではなく、理想主義的な美の精霊でもある。
君達は、神学の権威の昔の記録の紙面にのみ神の言葉を捜し求めることをやめなければならない。神の精霊の生まれの者は、起源の如何にかかわらず、神の言葉をこれから明察するのである。その贈与の経路が明らかに人間的であるからということで、神性の真実を無視してはならない。同胞の多くは、神の存在を精霊的に認識できずにいるが、神の理論を受け入れる心をもっている。そして、それは、天の王国が、誠実な子供の精霊的な態度を得ることによって最も良く認識できると、私が、頻りに君達に教えてきたまさにその理由である。君達に推薦することは、子供の心の未熟さではなく、むしろそのように容易く信じ、完全に信頼する幼い者の精霊的な単純さである。君達が、神の存在を感じる能力においてますます成長するべきであるということほどには、神の事実を知るということはあまり重要ではない。
一度魂の中に神を発見し始めると、君達は、ほどなく他の人間の魂に、遂には広大な宇宙の全ての生物と創造物に神を発見し始めるであろう。しかし、そのような永遠の現実の思慮深い静観にほとんど、あるいは、全然時間を与えない人の魂の最高の忠誠心と神性の理想の神として、父は、どんな機会に現れなければならないのか。心が精霊的な自然の場所ではないが、それは、誠にそこへの出入口なのである。
しかし、神を見つけたと他の人間に立証しようとする誤りを犯してはいけない。そのような有効な証明を意識的に引き起こすことはできない、とはいえ、君が神を知っているという事実の2つの明確かつ強力な実証がある。それは、次の通りである。
1. 日々の通常の生活の中で見えている神の精霊の成果。
2. 現世においてその存在を予め経験した永遠の神を発見する望みを追求において死後の生存の冒険のために、君達が、また君達が持つ物全てを無条件に危険に晒すという積極的な証拠を提供する全ての人生計画という事実。
さて、間違えてはいけない。父は、信仰の最も微かな揺らめきにいつも応じるであろう。かれは、原始人の物理的で迷信深い感情に注目される。そして、父は、信仰がとても弱く、権威の宗教に同意する受け身の態度と少しばかり余計に知的な合致をする正直だが恐怖に満ちている者達を、自分に届こうとする全てのそのような弱い試みさえ重んじて、育てるために油断なくいつも気を配っている。しかし、暗黒から光に呼ばれた君達には、全心で信じることが期待されている。君達の信仰は、身体、心、精霊の結合の態度を支配する。
君達は私の使徒であり、君達にとって宗教は、精霊的な進展と理想主義的な冒険の厳しい現実に直面することを恐れて逃れることのできる神学の避難所にはならないであろう。だが、むしろ、君達の宗教は、神が君達を見つけ、理想化し、高揚させ、精霊化したということ、また、君達が、このように君達を見つけ、君達を息子の地位においた神を探す永遠の冒険に徴募したと証言する真の経験の事実になるであろう。
イエスは、話し終えると、アンドレアスに合図して、フォイニキア方面の西を指し、「旅程に就こう。」と言った。
6月10日、 金曜日の午後、イエスと仲間は、シドーン近郊に到着し、そこでは、イエスが大衆から人気の絶頂にいた時代のベスサイダ病院の患者であった裕福な女性の家に止まった。伝道者と使徒は、すぐ隣のこの女性の友人に宿を提供してもらい、安息日の間これらの爽やかな環境の中で骨休めをした。かれらは、北の海岸都市を訪れる準備前のおよそ2 週間半をシドーンとその近隣で過ごした。
この6月の安息日は、非常に安穏なものであった。伝道者と使徒は、シドーンへの途中で聞いた宗教に関するあるじの講話に関して深い考えに完全に没頭していた。彼らは、言われたことに関する何かに感謝することはできたが、全員の誰とても教えの重要性を完全に理解したというわけではなかった。
偉大な医師や教師としてイエスについて多くのことを耳にしていたシリア人の女性は、あるじが宿泊したカールスカの家の近くに住んでおり、この安息日の午後、幼い娘を連れてやって来た。子供は、12歳位で、痙攣や他の痛ましい症状によって特徴づけられる重傷の神経障害に苦しめられていた。
イエスは、休息を望んでいると仲間に説明し、カールスカ邸での滞在を誰にも告げないように託していた。かれらは、あるじの指示に従ったが、カールスカの使用人は、イエスが自分の女主人の家に泊まっていることを知らせにこのシリア女性のノラーナの家に行き、苦しんでいる娘を治療に連れて来るように心配しているこの母に促した。この母は、もちろん、子供が悪霊、不浄の霊に取りつかれていると信じていた。
ノラーナが娘と到着したとき、アルフェウスの双子は、あるじが休息しており、邪魔はできないと通訳を通して説明した。すると、ノラーナは、あるじが休息を終えるまで子供とそこに留まると答えた。ペトロスもまた、家に帰るように彼女の説得に努めた。かれは、イエスが、多くの教えと治療で疲れていると、またフェニキアへは一時の静寂と休息のために来たのであると説明した。しかし、それは無駄であった。ノラーナは去ろうとはしなかった。ペトロスの切願に対し、彼女は、「あなたのあるじさまにお会いするまで、出発するつもりはありません。あの方が、私の子供から悪霊を追い払うことができるのを知っていますし、あの治療なさる方が私の娘を看るまで去るつもりはありません。」と言うだけであった。
そこでトーマスが、この女性を追い立てようとしたが、失敗に終わった。彼女は、トーマスに言った。「あなたのあるじさまは、私の子供を苦しめるこの悪霊を追い払うことができると信じています。ガリラヤでのあの方の素晴らしい働きについて聞いています。そして、あの方を信じています。あなた方、あの方の弟子達は、一体どうしたというのでしょうか。あるじの助けを求めに来る人々を追い立てたりして。」この女性がこう言い終えると、トーマスは引き下がった。
その時、サイモン・ゼローテースが、ノラーナを諌めに前に出て言った。「婦人よ、あなたはギリシア語を話す非ユダヤ人である。目をかけている世帯の子供からパンを取り上げ、犬に投げ与えることを、あるじに期待するのは筋ではない。」しかし、ノラーナは、サイモンの攻撃に立腹しようとはしなかった。ただ「はい、先生、話は分かります。ユダヤ人の目には私はただの犬ではありますが、あなたのあるじさまにとっては、私は信心ある犬であります。私は、あの方が娘を見さえすれば癒されると、私は信じていますので、娘をお見せすると決心しているのです。ねえ、あなたでさえも、たまたま子供の卓から落ちるパン屑を得る特権を犬から奪うことを敢えてすることはないでしょう。」と応じた。
丁度この時、幼女が皆の前で激しい痙攣に襲われ、母は叫んだ。「ほら、あなたは、私の子供が悪霊にとりつかれているのを目の辺りにしています。私達の困窮があなたに印象づけなくても、全ての人を愛し、異教徒が信じるとき敢えて癒しさえすると告げられたあなたのあるじさまには訴えるでしょう。あなたは、あの方の弟子には相応しくありません。私は、我が子が癒されるまで去るつもりはありません。」
開いた窓を通してこの会話のすべてを聞いていたイエスは、皆が驚いたことには、そのとき外に出て来て言った。「婦人よ、あなたの信仰は、すばらしいものである。あなたの望むことを与えずにはいられない程にすばらしい。平穏に帰路に着きなさい。あなたの娘はすでに癒された。」幼女は、その時から具合いが良くなった。ノラーナとその子が去るとき、イエスは、この出来事を誰にも言わないように頼んだ。仲間はこの要求に応じたが、この母と子は、田舎中に、またシドーンにおいてさえも幼女の回復の事実を知らせまわるのを止めなかったので、イエスは、数日内に宿舎を変えるのが賢明であると思うほどであった。
翌日、イエスは、使徒に教えるに当たり、シリア女性の娘の治癒についての意見を述べた。「ずっと、そうであった。天の王国の福音の教えにおいて、君達は、非ユダヤ人が、いかに救済の信仰を実践できるかを自分の目で確かめる。誠に、誠に、アブラーハームの子孫がそこに入るに足る信仰を示すつもりがないならば、父の王国は、非ユダヤ人によって握られるであろうと君達に言っておく。」
シドーンに入る際、イエスと仲間は、自分達の多くにとって初めての橋を渡った。この橋を渡りながら、とりわけ、イエスは、「現世は、橋に過ぎない。その上を通り過ぎるかもしれないが、住まいをその上に建てようと考えるべきではない。」と言った。
24 人がシドーンでの作業を始めると、イエスは、寄宿のために、その市の真北にあるユースタとその母ベルニースの家に行った。イエスが毎朝ユースタの家で24 人に教えると、皆は、教えたり説教するために午後と夕方シドーン周辺に出掛けた。
使徒と伝道者は、自分達の知らせを受け入れるシドーンの非ユダヤ人の態度に大いに励まされた。短い滞在中に多くの者が王国に加えられた。フェニキアのおよそ6 週間のこの期間は、魂を呼び覚ます仕事の非常に実り多い時であった。しかし、福音書の後のユダヤ人の筆者達は、自身の民衆の非常に多くがイエスに敵意をもっていたまさにこの時、イエスの教えに対する非ユダヤ人によるこの暖かな歓迎に関する記録を軽くやり過ごしたのであった。
様々な意味で、これらの非ユダヤ人の信者達は、ユダヤ人よりも完全にイエスの教えを評価した。ギリシア語を話すこれらのシリアフェニキア人の多くは、イエスが神のようであるというだけでなく、神がイエスに似ているということもまた知るようになった。これらのいわゆる異教徒は、この世界と宇宙全体の法の均一性に関するあるじの教えの十分な理解に達した。かれらは、神は、人や人種、または国を差別しないという教え、宇宙なる父は、偏愛をしないという教え、宇宙は、完全に、常に遵法で、確実に頼れるという教えを理解した。これらの非ユダヤ人は、イエスを恐れなかった。かれらは、その言葉を受け入れる勇気があった。人間は、幾世代もの間、イエスを理解できずにいたのではなかった。かれらは、理解することを恐れてきた。
イエスは、敵に立ち向かう勇気が欠如していたので、ガリラヤから逃げたのではないと24 人に明らかにした。かれらは、イエスが、確立した宗教との公然の衝突への構えがまだ出来てはおらず、また殉教者になるつもりはないということを理解した。「天地は去れども、我が真実の言葉は去らず。」と、あるじが最初に弟子達に言ったのは、ユースタ家でのこれらの会議の1つにおいてであった。
シドーン滞在中のイエスの教導の主題は、精霊的な進歩であった。かれは、静止していることはできないのだと教えた。かれは、正しさで進まなければならない、さもなければ、悪と罪へと後退しなければならないと言った。かれは、「王国のより大きな現実を迎え入れるために突き進む一方、過去であるそれらの事柄を忘れる」ように訓戒した。福音の中の自分達の幼年期に満足するのではなく、精霊との親交と信者間の連帯で神の息子性の完全な高さへの到達に向けて努力することを懇願した。
イエスは言った。「私の弟子は、悪を行うのをやめるだけでなく、善を行うことを学ばなければならない。全ての意識的な罪から清められなければならないだけでなく、罪悪感さえ抱くことを拒否しなければならない。君達が、罪を認めるならば罪は許される。従って、責められることのない良心を保たなければならない。」
イエスは、これらの非ユダヤ人が示す鋭いユーモアの感覚を大いに楽しんだ。あるじの心に触れ、その慈悲に訴えたのは、シリア女性ノラーナの素晴らしい不断の信仰だけでなく、彼女が示したそのユーモアの感覚であった。イエスは、自己の民族—ユダヤ人—のユーモアのあまりの乏しさに大いに心外であった。かれは、かつてトーマスに言った。「我が民族は、あまりにも真剣に考え過ぎる。ほとんどユーモアの感覚に欠けている。パリサイ派のやっかいな宗教は、ユーモア感覚をもつ民族の中に一度も根を下ろすことがができなかった。彼らも、一貫性を欠いている。かれらは、ブヨを漉し出し、ラクダを飲み込んでいる。」
6月28日、火曜日、あるじとその仲間は、シドーンを発ち、ポルピュリオンとヘルヅアへと海岸づたいに行った。かれらは、非ユダヤ人に歓迎され、多くの者達が、教育と説教のこの週に王国に追加された。使徒は、ポルピュリオンで説教し、伝道者はヘルヅアで教えた。24 人がこのように仕事に携わる一方、イエスは、しばらく皆を残し、3、4日ベイルートの海岸都市を訪問し、その前の年にベスサイダにいた信者のマラキというシリア人を訪ねた。
7月6日、水曜日、かれらは、シドーンに戻り、日曜日の朝までユースタの家に滞在し、タイアに向けサレプタ経由で海岸沿いに南に下り、7月11日、月曜日、タイアに到着した。この時までに、使徒と伝道者は、これらのいわゆる非ユダヤ人、実際には、ずっと以前のセム系起源からの主に初期のケナーン族の子孫である者達の間で働くことに慣れていた。これらの民族は皆、ギリシア語を話した。使徒と伝道等は、これらの非ユダヤ人の福音を聞こうとする熱意を観察して、また、多くの者が自分達を快く信じようとすることに驚かされた。
かれらは、ツロで7月11日から7月24日まで教えた。使徒は各人、伝道師の一人を連れて行き、こうして2人ずつが、ツロ全域とその近郊で教えたり説いたりした。多言語を話すこの賑わしい海港の住民は、快く彼らの話を聞き、また多くの者が、王国の外側へ向かう親交へと洗礼を受けた。イエスは、ダーヴィドとセロモの時代にタイアの都市国家の王であったヒーラームの墓から遠くないタイアの5キロメートルか、6キロメートルほど南に住んでいたヨセフというユダヤ人の信者の家にその本部を維持した。
この2週間あいだ毎日、使徒と伝道師は、小会合のためにアレクサンダーの防波堤経由でタイアに入り、彼らのほとんどは、毎夜、都市の南のヨセフの家での宿営地に戻るのであった。毎日、信者は、イエスと話すために街からその休憩所へやって来た。全人類に父の愛に関して、そして全人種へ父を明らかにするという息子の任務に関して信者に教えた時、あるじは、7月20日の午後、タイアで一度だけ話した。メルカース寺院の門戸が、あるじに対して開かれるほどに、これらの非ユダヤ人のあいだには王国の福音への多大の関心があったし、また後年、この古代寺院のまさしくその跡地にキリスト教会が建てられたということをこの機会に記録することは興味深いことである。
ツロとシドーンを世界中に知らしめ、また、その世界的規模の商業に非常に貢献し、それに伴う富をもたらした染料であるツロの紫色の製造に関わる指導者の多くが、王国を信じた。その後まもなく、この染料の元となる海の動物の供給が減少し始めると、これらの染料製造者は、これらの甲殻類の新たな生息地を求めて先へと進んだ。そして、このように、彼らは、地の果てまでも移動して、神の父性と人間の兄弟愛に関する知らせ—王国の福音—を携えていった。
この水曜日の午後、イエスは、講演の中で、暗くされた地下のへどろや堆肥にその根を張りつつも、雪のように真っ白な頭を日差しに高く持ち上げる白百合の話をまず追随者にした。「同様に」と、イエスは言った。「人間は、動物的土壌の中に人間性の根源と本質を持ちつつ、その精霊の性質を天の真理の日差しに掲げ、実際に精霊の気高い実をつけることができる。」
イエスが自身の職業—大工仕事—と関係のある最初で最後のたとえ話を用いたのは、この同じ説教においてであった。「精霊資質の高潔な性格の成長の土台を立派に造る」という訓戒の中で、かれは、言った。「精霊の果実をもたらすためには、精霊の生まれでなければならない。仲間の間で精霊に満たされた生活を送りたいのであれば、精霊に教えられ、導かれなければならない。しかし、虫食いの、あるいは中の腐った材木を角材にし、測定し、滑らかにして貴重な時間を浪費し、ぐらつく梁に全労働力をこのように注いだ後に、時間と嵐に耐える建築物の土台にするには不適当だとそれを拒絶しなければならない愚かな大工の誤りを犯してはならない。知的かつ道徳的な性格基盤が、拡大し高潔にする精霊の性質の上部構造を適切に擁立するよう、そして、このように精霊の性質が人の心を変え、次に、その作り直された心との共同で不滅の運命をもつ魂の展開を達成することを全ての人に徹底させなさい。君達の精霊の性質—連繋して創造された魂—は、生きた成長であるが、個人の心と倫理は、土壌であり、そこから人間の発展のこれらのより高い顕現と神性の目標が芽生えなければならない。進化している魂の土壌は、人間的でかつ物質的であるが、心と精霊のこの複合生物の目標は精霊的であり、神性である。」
この同じ日の夕方、ナサナエルは、イエスに尋ねた。「あるじさま、私達は、神がそのようなことを決してしないとあなたの顕示によりよく知っていますのに、神が我々を誘惑に導かないように私達が祈るのは何故ですか。」イエスは、ナサナエルに答えた。
「私が父を知るように、初期のヘブライの予言者達が、非常に幽かに見たようにではなく、君達が、父を知り始めている点からみて、そのような質問をするのは奇妙ではない。君達は、我々の祖先がどのように起こること全てに神を見たことをよく知っている。かれらは、全ての自然の出来事に、そして人間の経験の凡ゆる珍しい挿話に神の手を探した。かれらは、神を善と悪の双方に関係づけた。我々の祖先は、神がモーシェの心を和らげ、ファラオの心を堅くすると考えた。善、または悪の何かをする強い衝動があるとき、人は、この徒ならぬ感情をつぎのように説明して、『主は、このようにしなさい、そのようにしなさい、または、ここ行きなさい、そこへきなさいと言われた。』という癖がある。したがって、人間は、非常に多くの場合、また非常に激しく誘惑に走るため、神が、試したり、罰したり、または強化するためにそこへ自分等を導くのだと信じるのが祖先の習慣となった。しかし、君達には、本当に、今、もっと分別がある。君達は、人間が、自身の自分本位の衝動と動物的な性癖の衝動によってあまりにも頻繁に誘惑に導かれるということを知っている。このように誘惑されるとき、君達が、それをあるがままに正直に、心から誘惑を認めるとともに、より高い回路へ、またより理想的な目標へ表現をもとめている精霊と心と体の活力を聡明に傾けるということを、私は君達に諭す。このように、動物的な、そして精霊的な資質間のこれらの無駄な、そして、弱化する闘争をほとんど完全に回避する間、君達は、自分の誘惑を高揚する人間の働きの最高の型へと変えることができるのである。
「しかし、人間の単なる意志の力を通して1つの欲求を他の欲求に、おそらく優れた欲求に代える努力によって誘惑に打ち勝とうとする愚かさについて注意しておこう。君は、理想的なこれらの行為には下級であり、劣性である君が誘惑と認識するものの代わりに望むそれらのより高い、より理想の行為の形に関心と愛を本当に、心から育てたところで、精霊的に有利なその場所に至るはずである。君達は、人間の欲求の誤魔化しの抑制を抱えすぎるよりは、むしろ、精霊的な変化を通してこのように自由になるであろう。古いものと劣るものは、新しいものと優れたものへの愛に忘れ去られるであろう。美は、常に真実の愛に照らされる者すべての心の中の醜さの上に勝利を収める。新たで真摯な精霊的な愛情の排出的活力には強大な力がある。そこで、もう一度言うが、悪に打ち負かされず、むしろ善で悪を克服せよ。」
使徒と伝道者は、夜遅くまで質問を続けた。その多くの答えの中から、現代の言い回しで次の考えを再度提示したい。
力強い野心、理性的な判断、熟した知恵は、社会での成功の基礎である。指導力は、生まれながらの能力、思慮分別、根性、決断力に依存している。精霊の目標は、信仰、愛、真実への専心—正義への飢えと渇き—神を求め、神のようになることへの心からの願望である。
自分が人間であるという発見に挫けてはいけない。人間の性質は、悪に傾むくかもしれないが、本来は罪深くはない。遺憾な経験のいくつかを忘れられないことで完全に塞ぎ込まないようにしなさい。時間的に忘れられない誤りは、永遠に忘れられるであろう。君達の目標、君達の経歴の宇宙拡大の遠距離展望を敏速に取得することで魂の重荷を軽くしなさい。
心の不完全さや肉体の欲望により魂の真価の見積もりを誤るな。人間の一つの不幸な出来事を基準にして魂を判断せず、その将来の目標の評価もしてはいけない。君達の精霊の将来の目標は、精霊的な切望と目的だけに条件づけられる。
宗教は、神を知る者の進化している不滅の魂の占有的に精霊的な経験であるが、道徳的な力と精霊的な活力は、困難な社会状況の扱いや、複雑な経済問題の解決の際に利用されるかもしれない強大な力である。これらの道徳的で精霊的な資質は、人間の生活の全段階をより豊かにより意義深くする。
自分を愛する人々だけを愛することを学ぶならば、君達は、狭く、つまらない人生を送る運命にある。人間の愛は、実に相互的であるかもしれないが、神の愛は、その満足追求の全てにおいて外向的である。いかなる被創造物の性質においても愛が少なければ少ないほど、それは、より愛を必要とし、神性の愛は、そのような必要性をより満たそうとする。愛は、決して身勝手ではなく、また自己に与えることはできない。神性の愛は、自己充足的であるはずがない。それは、非-利己的に与えられなければならない。
王国の信者は、正義の確かな勝利において絶対的な信仰、すなわち全魂の信念を備えるべきである。王国の建設者は、永遠の救済の福音についての真実を疑ってはならない。信者は、いかに人生の多忙さから脇に寄る—物質的存在の悩みから逃げる—かを、ますます学ばなければならない。敬虔な交りにより、魂を生き生きとさせ、心を奮い立たせ、精霊を新しくする。
神を知る者は、不幸や失望に落胆しない。信者は、純粋に物質的な大変動からくる憂うつさに動じない。精霊生活者は、物質界の出来事に混乱させられない。永遠の命の候補者は、人間生活の全ての変遷や悩みに直面の際、爽快で建設的技術の実務者である。真の信者は、毎日生きており、正しいことをすることはより簡単であるとわかる。
精霊的な生活は、真の自尊を甚だしく増大させる。しかし、自尊は、自己称讃ではない。自尊は、つねに仲間への愛と奉仕と調和している。君達が、隣人を愛する以上に自分を尊敬するということは可能ではない。一方は、もう一方のための容量の尺度である。
時の経過とともに、あらゆる真の信者は、仲間を永遠の真実の愛へ誘うことにより巧みになる。君達は、人類に善を明らかにすることにおいて、昨日よりも今日の方が機知に富んでいるか。君達は、去年よりも今年の方がより良い正義の推薦者であるのか。君達は、飢える魂を精霊の王国に導く技術においてますます芸術的になっているのか。
君の考えが、人間の仲間に関連して地球で機能するために君達を有用な市民にするほどに実用的であると同時に、君達の理想は、自分の永遠の救済を保証するに足りる十分な高さにあるのか。精霊においては、君達の市民権は天にある。肉体においては、君達は、まだ地上の王国の住民である。物質的なものはケーサレーアに、精神的なものは神に返しなさい。
進化している魂の精霊的な容量の尺度は、真実への信念と人への愛であるが、人間の性格の長所の尺度は、遺恨の把持に抵抗する能力であり、深い悲しみに直面して思い悩むことに耐える能力である。敗北は、真の自己を正直に見ることのできる本当の鏡である。
長きにわたり年をとり、王国の情勢においてより経験を重ねていくうちに、君達は、厄介な人間との仕事においてより手際がよく、頑固な仲間との起臥においてより寛容になっているか。機転は、社会的な影響力の支柱であり、寛容さは、素晴らしい魂の目印である。これらの希有で魅力ある贈り物を所有しているならば、日の経過に従い、君達は、すべての不要な社会的な誤解を避けるために相応しい努力をする際に、より注意深く、巧みになるであろう。そのような賢明な魂は、感情的な不調整に苦しむ者達、成長することを拒否する者達、そして優雅に老いることを拒否する者達の部分であることが確かである問題の多くを避けることができる。
真実を説き、福音を宣言するすべての努力において不正直、不公平であることを回避せよ。妥当でない認識を求めてはならないし、値しない情けも切望してはならない。愛を、功績のいかんにかかわらず、神と、人間の双方からの愛を自由に受け入れなさい、そして、返礼として自由に愛しなさい。しかし、名誉と追従に関する他の全てにおいては、正直に自分に属するものだけを求めなさい。
神を意識する人間は、救済を確信している。かれは、人生を恐れない。かれは、正直であり、一貫している。かれは避けられない苦しみに勇敢に耐える方法を知っている。かれは、不可避的な困難に直面するとき、不平を言わない。
本物の信者は、ただ阻まれるからという理由で善行に疲れきるようにはならない。困難は、真実を強く求める者の熱意をそそり、障害は、勇敢な王国建築者の努力に挑戦するだけである。
また、イエスは、皆がツロからの出発準備をする前に、他の多くのことを教えた。
ツロからガリラヤ湖地域への帰還の前日、イエスは、仲間を呼び集め、12人の使徒と自分が取るものとは異なる経路で戻るように12人の伝道者に指示した。ここを去った後、伝道者は、イエスとは二度とそれほど親しく関係しなかった。
7月24日、日曜日の正午頃、イエスと12人は、ツロの南のヨセフの家を後にしてプトレイスへの海岸を下った。かれらは、ここに1日間滞在し、そこに居住する信者達に安らぎの言葉をかけた。ペトロスは、7月25日の夜、彼らに説教した。
火曜日、かれらは、プトレマイオスを発ち、ティベリアス街道経由でイオータパタ近くまで東の内陸を行った。水曜日、かれらは、イオータパタで止まり、信者に王国の事柄をさらに教えた。木曜日、イオータパタを発ち、ラマハ経由でゼブールーン村へとナザレ-レバノン山道を北へ行った。かれらは、金曜日、ラマハで会合を開き、安息日まで残った。31 日、日曜日、ゼブールーンに着き、かれらは、その夜会合を開き翌日出発した。
ゼブールーンを発ち、ギシャーラ近くのマグダラ-シドーン街道との十字路へと旅をし、そこからカペルナムの南に位置するガリラヤ湖西岸のゲッネサレツヘと進み、そこは、ダーヴィド・ゼベダイオスに会う約束をしており、また、王国の福音を説く仕事における次の行動を決めるための協議予定場所であった。
ダーヴィドとの短い談合中、多くの指導者がケリサ近くの湖の反対側に集められると知らされ、そのために、その夜かれらは、一曹の舟で湖を横切った。かれらは、一日丘で静かに休み、翌日あるじがかつて5,000 人に食べさせた近くの公園に行った。かれらは、ここで3日間骨休みをし、毎日会議を開いた。この会議には、カペルナム、およびその近郊に居住するかつての多数の信者の残党であるおよそ50人の男女が出席した。
イエスがカペルナムとガリーラを離れている間、フォイニキアでの滞在期間、イエスの敵は、全活動が解散されたとみなし、しかも、イエスの性急な撤退は、彼がすっかり怯え、自分達を悩ませに戻ることがないことを示していると結論を下した。イエスの教えに対するすべての活発な反対勢力は、ほぼ静まっていた。信者は、もう一度公開の集会を開き始めており、また、福音信者が大きな篩いに掛けられ苦難を経た真の生存者の緩やかではあるが、効果的な合併が起ころうとするところであった。
ヘロデの兄弟フィリッポスは、イエスの本気ではない信者になっており、彼の領地内であるじが暮らし、働くことが自由であるという知らせを送った。
イエスの教えとそのすべての追随者に全ユダヤ人の会堂を閉ざす命令は、筆記者とパリサイ派に逆に作用した。イエスが、論争対象としての自分を除去するとすぐに、全ユダヤ人の間に反応が起こった。パリサイ派とシネヅリオン派の指導者に対する全般的な遺恨が、エルサレムにはあった。会堂の支配者達は、自分達の会堂を秘かにアブネーとその仲間に解放し始めており、これらの教師が、イエスの弟子ではなくヨハネの追随者であると言った。
ヘローデ・アンティパスでさえ、気持ちに変化を生じ、イエスが、兄弟フィリップの領地内の湖の向こうを旅していると知るや、イエスへ知らせを送り、ガリラヤでの逮捕令状に署名はしたが、ペライアでは逮捕を認可しなかったし、このように、ガリラヤの外に留まるならば、イエスには危害が加えられないということを示した。また、かれは、この同じ采配をエルサレムのユダヤ人にも通知した。
これが、西暦29年、8月1日頃、あるじがフェニキアの任務から戻り、離散し、試され、消耗した勢力の再編成を地上の任務のこの最後の、また、波瀾万丈の年に始めた状況であった。
あるじとその仲間が、新しい宗教、人の心に住む生きている神の精霊の宗教についての公布開始の準備とともに、戦いの問題は、明らかであった。
イエスは、12 人をケーサレーア-フィリッピー付近での短い滞在に連れ出す前、ダーヴィドの使者を通して家族に会うために8月7日、日曜日、カペルナムに行く手配をした。この対面は、ゼベダイオス家の船大工小屋でする手配をしてあった。ダーヴィド・ゼベダイオスは、ナザレの家族全員—マリアとイエスの弟妹全員—が、居合わすせるようにイエスの弟ユダと打ち合わせをしてあり、イエスは、この約束を果たすためにアンドレアスとペトロスとともに行った。確かに、マリアと子供は、この約束を守るという意向であったが、イエスがフィリッポス領の湖の反対側にいるのを偶々知ったパリサイ派の一集団は、その居場所を知るためにマリアを訪れることにした。このエルサレムの密偵の到着は、マリアを大いに混乱させ、また、密偵は、家族全体の緊張と神経の過敏さに気づき、イエスの訪問が待たれているに違いないと結論を下した。従って、かれらは、マリアの家に腰を据え、援軍召喚要求をした後で気長にイエスの到着を待った。そして、これは、もちろん家族の誰といえどもイエスとの約束の成就を事実上妨げた。1 日のうち何度か、ユダとルースの二人が、イエスに知らせを送るためにパリサイ派の警戒を避ける努力をしたが、無益であった。
午後早々に、ダーヴィドの使者達は、パリサイ派が、母の家の戸口の階段に陣取っているとの知らせをイエスにもたらしたことから、かれは、家族訪問を試みなかった。そしてまた、いずれの不手際ではなく、またもやイエスとその地球での家族は、接触し損ねた。
イエスがアンドレアスとペトロスと船大工小屋近くの湖の側にいると、寺院の徴税人は、3人に出くわし、イエスと分かると、ペトロスを脇に呼んで言った。「あなたのあるじは、寺院に税金を納めないのですか。」ペトロスは、イエスが、不倶戴天の敵の宗教活動維持に貢献すべきであるという仄めかしに憤りを示したかったのだが、徴税人の妙な顔の表情に気づき、エルサレムの寺院擁立のための通例の半シェケル支払いを拒否する行為で自分達を罠にかけるのが目的であると正しく推察した。そこで、「勿論、あるじは税金を支払います。門の側で待っていてくれ。私がやがて、納税金を持ってくるから。」と返答した。
そのとき、ペトロスは、軽率に答えてしまった。ユダは、基金を運んで湖の反対側にいた。ペトロスも、兄も、イエスも、金を持ち合わせていなかった。そして、パリサイ派が自分達を探しているのを知っていたので、かれらは、金の入手のためにベスサイダに首尾よく行くことができなかった。ペトロスが、徴税人と金の支払い約束のことをイエスに話すと、イエスは言った。「約束をしたのならば、支払うべきである。しかし、何をもって約束を果たすつもりなのか。約束の履行のために再び漁師になるつもりなのか。それでも、ペトロス、この情況においては、我々は税を支払うのがいい。我々の態度でこれらの者にいかなる違反の口実も与えないようにしよう。君が舟で出掛け漁をする間、我々はここで待つ、それを向こうの市場で売ったら、徴税人に我々3人分を払いなさい。」
このすべては近くに立っていたダーヴィドの密者に立ち聞きされ、この密者は、岸近くで釣りをしていた仲間にすぐ来るように合図した。ペトロスが舟で漁に出かける準備をすると、この使者とその漁師の友人は、魚の入った数個の大きい篭をペトロスに差し出し、二人は、近くの魚商までそれを運ぶ手伝いをし、そしてこの商人は、この獲物を十分な額で買い取った。これにダーヴィドの使者が加えたものとで3 人の寺院の税に足りた。徴税人は、税金を、しばらくガリラヤを離れていた分を免除した額を、受け取った。
あなたには、ペトロスが、シェケルを口に含んだ魚を捕らえる記録があるのは奇妙ではない。その時代、魚の口の中に宝物を見つけるという多くの話があった。奇跡に近いそのような話は、ありふれていた。それで、ペトロスが二人を残し舟に向かっているとき、イエスは、滑稽まじりに言った。「王の息子等が貢ぎをせねばならないというのは奇妙である。ふつうは、宮廷維持のために税をかけられるのは余所者であるが、我々は、その筋にいかなる障害をも与えない必要がある。ここから行きなさい。多分、口にシェケルのある魚を捕まえるであろう。」イエスがこのように話した後、ペトロスがあまりにも早く寺院の徴税人と現れたので、その物語が、マタイオスの福音書の筆者によって記録されているように、後に奇跡に発展しても意外ではない。
イエスは、アンドレアスとペトロスと海岸べりで日没近くまで待った。使者は、マリアの家がまだ監視下にあるという知らせをもってきた。そこで、待っていた3 人は、暗くなってから舟に乗り、ガリラヤ湖の東岸に向かいゆっくりと漕ぎ出した。
8月8日、月曜日、イエスと12人の使徒がベスサイダ-ユーリアスの近くのマガダン公園で野営する間、100人以上の信者、伝道者、女性団体、および王国設立に興味を持つ他の者達がカペルナムから会議のためにやって来た。そして、パリサイ派の多くの者も、イエスがそこにいることを知りやって来た。この時までには、サッヅカイオスの数人は、イエスを罠にかける努力においてパリサイ派と団結した。イエスは、信者との非公開の会議に入る前、パリサイ派も出席する公開会合を開いた。パリサイ派は、あるじをやじりまくるか、さもなければ集会を妨害しようとした。妨害者の中の先導者は、言った。「先生、教えるためのあなたの権威の印を示して欲しいのです。そこで、同じことが起こるならば、すべての者は、あなたが神によって送られたのであるということを知るでありましょう。」イエスが答えた。「あなたは、夕暮れだと、空が赤いので快晴になると言うし、朝だと、空が赤くどんよりしているので、悪い天気になると言うであろう。あなたは、西で雲が上昇しているのを見るとにわか雨になり、南から風が吹くと、灼熱が来ると言うであろう。あなたは、天空の様相を見分ける方法をよく知っているのに、時代の動向をまったく見分けられないのであるか。真実を知りたい者にはすでに印が与えられている。しかし、悪意をもち、偽善的な世代には何の印も与えられないであろう。」
イエスは、このように話すと引き下がり、追随者との晩の会議に備えた。この会議で、イエスと12 人がケーサレーア-フィリッピーへの意図された訪問から戻り次第、デカーポリスの全都市と村々で連合した任務を引き受けることが決定された。あるじは、デカーポリス任務のための計画に参加し、集会の解散に当たって言った。「パリサイ派とサッヅカイオス派の潜勢力を警戒するように。彼らの多くの学習の表示に、宗教形式に対する深い忠誠心に誤魔化されてはいけない。ただ生ける真実の精霊と真の宗教の力に関心をもちなさい。君達を救うのは、死んでいる宗教への恐怖ではなく、むしろ王国の精霊の現実における生活経験への信仰である。偏見で目をくらまされたり、恐怖で無力にされないようにしなさい。また、目が見ず、耳が聞かないほど理解を歪めるような伝統への崇敬を許してはならない。真の宗教の目的は、単に平和をもたらすことではなく、むしろ、進展を保証することである。そして、あなたが、心から真実、永遠の現実の理想に愛情を抱かない限り、心の平和も精神の進歩もあるはずがない。生死の問題—永遠の公正な現実に対する時の罪深い喜び—が、君達の前に提示されている。まさに、今、信仰と希望の新しい命の生活に入るにあたり、恐れと疑いの束縛からの救いを見つけ始めるべきである。そして、あなたの魂に仲間への奉仕の気持ちが起こるとき、それを押し殺してはいけない。仲間が本当に必要としている理性ある活動において、心の中で隣人への愛の感情が溢れ出るとき、愛情のそのような衝動を表現しなさい。
火曜日の早朝、イエスと12人の使徒は、フィリッポスの領地のテトラケスの首都、ケーサレーア-フィリッピーへとマガダンを出発した。ケーサレーア-フィリッピーは、素晴らしい景観地域にあった。それは、ヨルダン川が、地下洞穴から勢いよく流れ出る景色の良い丘の間にある魅力的な谷に抱かれていた。北にはヘルモン山の頂上の全景があり、いっぽう、すぐ南の丘からはヨルダン川上流とガリラヤ湖の絶景があった。
イエスは、王国の仕事上、早期の体験でヘルモン山に行ったことがあり、そして、自分の仕事の最後の時代に入ろうとしていたこのとき、試煉と勝利のこの山に戻ることを望み、そこではかれは、使徒が責任に対する新たな展望を得て、目前にあるつらい時代のために新たな強さを身につけることを望んだ。道沿いの旅をしてメロムの泉の南を通過する頃、使徒は、フォイニキアや他の場所での最近の経験を話し、自分達の言葉がどう受け取られてきたか、また異民族があるじをどう見なしたかを話した。
昼食のために止まると、イエスは、12 人に、かつてしたことのない自分に関する質問を突然突きつけた。「人は私が誰であると言っているのか。」とこの不意の質問をした。
イエスは天の王国の特徴と性質に関して使徒に訓練をして長い月を過ごし、そして、彼自身の本質と王国との個人の関係についてさらに教え始めなければならない時、その時が来たことをよく知っていた。さて、かれらが、桑の木の下に座をしめたので、あるじは、選ばれた使徒との長い付き合いにおいて最も重要な会議の1つを開く準備をした。
半分以上の使徒が、イエスからの質問の答えに参加した。かれらは、イエスを知る者全てに予言者か、あるいは並はずれた人だと見られていると言った。悪魔達の王子と同盟しているという告発によりイエスの力を説明して、敵でさえイもエスに大いに恐れている、と言った。使徒は、イエスとは面識のないイェフーダとサマレイアの何人かは、イエスが、洗礼者ヨハネの死からの甦りであると個人的に信じていると話した。ペトロスは、イエスがいろいろな時、また様々な人々によってモーシェ、エーリージャ、イェシャジャ、イレミアスと比較されたと説明した。イエスがこの報告を聞くと、かれは、まっすぐに立ち、自分の周りに半円になって座っている12 人を見下ろしながら、瞠目に値する強い調子で、片手で水平に弧を描く身振りで皆を差して尋ねた。「だが、君達は私が誰であると言うのか。」張り詰めた沈黙の瞬間があった。12 人は、あるじから決して目を離さなかった。すると、シーモン・ペトロスが、すくっと立ち上がり勢いよく叫んだ。「あなたは救出者、生きている神の息子であります。」そこで、座っていた11 人の使徒が、一斉に立ち上がった。そうすることにより、ペトロスが全員を代弁したことを示した。
イエスは、彼らに再び座るように合図し、自分はまだ立ったままで言った。「これは、父によって君達に明らかにされた。私に関して真実を知るべき時が来た。しかし、当分の間はこれを誰にも言わないよう託す。さあ、ここから行こう。」
そして、かれらは、ケーサレーア-フィリッピーへの旅を再開し、その晩遅く到着し、彼らを待ち受けていたケルサス家に泊まった。使徒は、その夜ほとんど眠らなかった。かれらは、自分達の人生と王国の仕事におけるすばらしい出来事が起こったと感じられたようであった。
ヨハネによるイエスの洗礼と、カナでの水をワインへ変えた時以来、使徒は、いろいろな時に、事実上イエスを救世主として認めていた。短い期間、使徒の何人かは、イエスが期待された救出者であると本当に信じていた。だが、そのような望みは、心に湧きあがるが早いか、あるじが、何らかの打ちひしぐ言葉で、さもなければ期待はずれの行為によってそれらを粉々に打ち砕くのであった。長い間かれらは、精神に抱いた期待される救世主の概念と、こころに抱えたこの並はずれた男性との並はずれた共同の経験との葛藤からくる混乱状態にいた。
使徒が昼食のためにケルサスの庭に集合したのは、この水曜日の昼前であった。その朝起きて以来、その夜の大半、シーモン・ペトロスとシーモン・ゼローテースは、皆があるじを心から、単に救世主としてではなく生ける神の神性の息子として受け入れる時点へと至らせるために同胞に熱心に働きかけていた。二人のシーモンは、イエスの人物評価においてほとんど一致し、同胞が自分達の見方を完全に受け入れるように勤勉に働いた。アンドレアスが、使徒軍団の事務総長としてとどまる一方、弟シーモン・ペトロスは徐々に、また、全員の同意で、12 人の代弁者となっていた。
おおよそ正午にあるじが現れたとき、かれらは、庭で座っていた。かれらは、威厳のある厳粛さの表情を保ち、あるじが近づくと立ち上がった。イエスは、追随者が真剣に考えすぎたり、またはいくつかの出来事が起こっているときには、彼特有のその親しみある友愛の微笑によって緊張をほぐした。イエスは、威厳のある身振りで、皆に座るように指示した。12 人は、自分達の前に現れるあるじを二度と立って迎えるようなことはしなかった。かれらは、あるじが、そのような外観的な敬意に賛成しないことを見てとった。
食事を共にし、デカーポリスへのこの次の旅行計画の議論を交わした後、イエスは、突然に顔を上げ皆の顔を見つめて言った。「君等が、人の息子の正体に関してシーモン・ペトロスの宣言に同意してからまる1日が過ぐた今、まだその決定を保持しているかどうか尋ねたい。」これを聞くと、12人は立ち上がり、シーモン・ペトロスは、イエスの方に数歩進み出て言った。「はい、あるじさま、我々は、あなたが生ける神の息子であると信じます。」それから、ペトロスは、同胞と座った。
立ったままのイエスは、12 人に言った。「君達は、私が選んだ大使であり、私には、君達が単なる人間の知識の結果としてこの信念を抱くことができなかったということを、そういう事情で知っている。これは、君の一番奥の魂への父の精霊の顕示である。従って、君の中に住む父の精霊の洞察により、君が、この告白をするとき、私は、この基礎の上にこそ天の王国の兄弟愛を築くのであるということを宣言するように導かれるのである。精霊的な現実のこの岩の上に、私は、父の王国の永遠の現実に精霊的な親交の生ける寺を建設するのである。すべての悪と罪の軍勢は、神性の精霊のこの人間の兄弟愛に打ち勝つことはないのである。父の精霊は、この精霊親交の絆に入るすべての者の神の案内人、また、良き師となるが、私は、君と君の後継者達に外向きの王国の鍵—世事に対する権威—王国の仲間としての男女のこの団体の社会的かつ経済的特徴、ものとしての鍵をいま引き渡す。」そしてかれは、自分が神の息子であることを差し当たり誰にも言うべきでないと、もう一度託した。
イエスは、使徒の忠誠と清廉さを信じ始めていた。あるじは、最近経験したことに耐えることのできた自分の選んだ代理人達の信仰が、新配剤の新たな光へと、すぐ先にある、また彼らのすべての望みの明らかな残骸から出現し、それによって暗闇に座る世界を啓発するために先へ行くことのできる火のような試煉に必ずもちこたえられる信仰を見受けた。この日あるじは、1 人を除く使徒達の信仰を信じるようになった。
そして、この日以来この同じイエスは、神性の息子性のその同じ永遠のの基盤の上にその生ける寺を建ててきており、それによって神の自意識のある息子になるそのような者達は、精霊の永遠の父の叡知と愛を誉め称え敬意を表するために建てるこの生ける寺院を構成する息子性をもつ人間の石なのである。
イエスは、このように話すと、夕食の時間まで、知恵、強さ、精神的な導きを求めるために12 人に単独で丘に行くように指示した。かれらは、あるじの訓戒通りにした。
ペトロスの告白における新たで重大な特徴は、イエスが神の息子である、その疑いのない神性という画然たる認識であった。イエスの洗礼とカナの結婚式以来、これらの使徒は、まちまちにイエスを救世主と見なしてきたが、国家の救出者が神性であるということは、ユダヤ人の概念の一部ではなかった。ユダヤ人は、救世主が神性から生じるということは教えなかった。かれは、「塗油された者」であることになってはいたが、かれらは、まず「神の息子」であるとは考えなかった。2 回目の告白では、結合された特徴、人の息子であり神の息子であるという崇高な事実が、より強調された。そして、イエスが天の王国を建設すると断言したのは、神性の性質と人間性の結合のこのすばらしい真実の上にであった。
イエスは、地球での人生を送り、人の息子として贈与任務を完了しようとした。追随者は、イエスを待ち望まれる救世主と考えたかった。救世主への皆の期待を決して実現させることができないということを承知しており、かれは、その期待を部分的に満たすように皆のもつ救世主の概念にそのような修正をもたらす努力をした。しかし、かれは、そのような方策を首尾よく運ぶことはほとんどできないとそのとき気づいた。従って、かれは、大胆にも3 番目の方策を明らかにすること—おおっぴらに、自己の神性を発表すること、ペトロスの告白の真実性を承認すること、そして自分が神の息子であると12 人に宣言すること—にした。
3年間、イエスは、自分が「人の息子」であると宣言し続けており、同時にこの同じ3年間、使徒は、イエスが待ち望まれているユダヤ人の救世主であるということをますます主張してきた。イエスは、神の息子であることをその時明らかにし、人の息子と神の息子の結合された特徴の概念に基づいて天の王国を築くと決心した。かれは、自分が救世主ではないと納得させる一層の努力を控えることに決めた。かれは、その時豪胆に、自分が何であるかを明らかにし、救世主とみなす使徒の決断を無視するつもりであった。
イエスと使徒は、ケルサスの家にもう1日踏みとどまり、使者が、ダーヴィド・ゼベダイオスからの資金をもって到着するのを待った。大衆の間でのイエスの人気の崩壊に続き、多大な収入低下があった。彼らがケーサレーア-フィリッピーに着いたとき、基金は底をついていた。マタイオスは、そのような時にイエスと同胞を捨て置くことには気が進まず、かと言って、過去に何度となくしてきたようにはユダに引き渡す些かの資金の持ち合わせもなかった。しかしながら、ダーヴィド・ゼベダイオスは、有り得るこの収入減少を見通しており、それゆえに、イェフーダ、サマレイア、ガリーラ通過の際、追放された使徒とあるじに転送されるべき金の収集者として機能するべきであることを使者達に命じておいた。そういう次第で、この日の夕方までにこれらの使者は、デカーポリス旅行に乗り出すために帰還するまで使徒を支えるに足りる基金を携えてベスサイダから到着した。マタイオスは、その頃までには、カペルナムの最後の不動産の販売から金を手にすることを見込んで、この資金は、匿名でユダに引き渡すべきであると手はずを整えていた。
ペトロスも他の使徒も、イエスの神性に関してあまり十分な概念をもっていなかった。かれらは、これが地球上のあるじの経歴の新しい時代の初め、つまり、この教師・治療師が、新たに発案された救世主—神の息子—になろうとしている時だとはほとんど理解していなかった。この後ずっと、新たな音色が、あるじの知らせで見かけられた。この後、イエスの生活での1つの理想は、父の顕示であり、同時に教育での1つの考えは、生きることでのみ理解できる最高の知恵の体現を自分の宇宙に提示することであった。かれは、みんなが、命を得て、それをより豊かにできるように来たのであった。
イエスは、その時肉体での人生の4度目の、しかも最後の舞台に上がった。最初の舞台は、その幼年期、人間としての起始点、特質、運命をほんのかすかに意識していただけの数年であった。第2の舞台は、青春期と前進する成年、ますます自意識をもつ歳月、また、自分の神性と人間の任務をより明確に理解するようになった歳月であった。この第2の舞台は、自己の洗礼に関連した経験と顕示で終わった。あるじの地球経験の第3の舞台は、洗礼から、教師、また治療師としての活動の時代を経て、ケーサレーア-フィリッピーでのペトロスの告白のこの重要な時間にまで広がった。あるじの地球生活のこの第3の期間は、使徒と直接の追随者が、彼を人の息子として知り、また救世主と見なした時を含んだ。地球経歴の第4の、また最後の期間は、ここケーサレーア-フィリッピーに始まり、磔刑におよんだ。彼の活動のこの舞台は、神性についての自身の認識に特色づけられ、肉体での最後の年の労働を包含した。第4の時期、あるじは、大部分の追随者にはまだ救世主と考えられていたが、使徒には神の息子として知られるようになった。ペトロスの告白は、ユランチアの上の、そして全宇宙のための贈与の息子としての崇高な活動における真実のより完全な認識、そして選ばれた大使達による、少なくともぼんやりと、その事実の認知の新時代の始まりを印した。
このように、イエスは、教えたこと、つまり生きた進歩の技による精霊の特質の成長を人生で例示した。かれは、後の追随者のようには、魂と体の絶え間ない争いを強調しなかった。むしろ、精霊は、双方に対する容易な勝者であり、またこの知的でかつ本能的な交戦状態の多くの有効な和解に効果的であることを教えた。
新しい意味が、、この時点からイエスの教えのすべてに付随する。ケーサレーア-フィリッピー以前、かれは、その主要な師として王国の福音を提示した。ケーサレーア-フィリッピー以後、かれは、単に教師としてではなく、この精霊の王国の中心であり円周である永遠の父の神性の代表として現れ、そして、それは、イエスが人間として、人の息子としてこの全てをするということが要求されていた。
イエスは、教師として、それから教師兼医師として追随者を精霊の王国に導く心からの努力をしたのであったが、かれらは、それを受け入れようとしなかった。イエスは、自分の地球任務が、ユダヤ民族の救世主の期待を実現させることができないことを、よく知っていた。昔の予言者達は、イエスが決してなり得ない救世主を描いていたのであった。かれは、父の王国を人の息子として確立しようとしたが、追随者は冒険をしてまで進もうとはしなかった。これを見て、イエスは、信者と妥協することを選び、そうすることにより神の贈与の息子の役割を公然と引き受けるための準備をした。
従って、使徒には、イエスがこの日庭で話した多くが、非常に新しく聞こえた。そして、これらの表明の一部は、彼らにさえ奇妙に聞こえた。他の驚くべき発表の中では、次のようなものを聞いた。
「今後ずっと、もし誰かが我々との親交を望むならば、その者に息子性の義務を引き受けさせ、私について来させなさい。そして、私がもう君とはいなくなるとき、世界は、あるじがした以上にはよく待遇してくれると考えるてはいけない。私を愛しているならば、君は、崇高な犠牲を払う意欲でこの愛情を立証する用意をしなさい。」
「また、私の言葉によく注目しなさい。私は、正しき者にではなく、罪人に呼び掛けるために来たのである。人の息子は、力を貸してもらうためにではなく、すべてのために力を貸し、自分の命を贈り物として与えるために来た。私は、迷える者を探し、そして救うために来たのだと断言する。」
「父からやって来た息子を除いては、この世界の何者も、いま父を見てはいない。だが、この息子が押し上げられるならば、すべての者を自分の方に引きつけるであろうし、この息子の結合された特質のこの真実を信じる者は誰でも、不変の命を授けられるのである。」
「我々は、人の息子が神の息子であるということを公然とはまだ明らかにしないかもしれないが、君には示されてきたことである。だからこそ、大胆にこれらの神秘に関して、君に話すのである。この肉体でもって君の前に立っているが、私は、父なる神から来たのである。アブラーハーム以前に私はいる。君が私を知っているように、私は、この世界へ父からやって来て、私は、やがて、この世を離れ、父の仕事に戻らなければならないと宣言する。」
そして、いま、救世主を思い描いた君の祖先の期待を満たしはしないという私の警告に直面して、君の信仰は、これらの宣言の真実を、理解することができるか。私の王国は、この世界にはない。キツネには穴があり、空の鳥には巣があるが、私には頭を横たえるところがないという事実に直面して、君は、私に関する真実を信じることができるか。」
「それでも、私は、父と1つであると言おう。私を見た者は、父を見たのである。私の父は、私とこれらのすべての事で働いているし、君がやがてこの福音を世界中に広めに行くとき、私が君を決して見捨てないように、父は、決して任務に拘わる私を放っておかないのである。
「そして、君を呼び寄せた人生の栄光を、君が、理解し、壮大さを把握できるようにしばらくの間、私とともに、そして君達だけでいらられように、私は、いま君を連れ出してきた。すなわち、人類の心の中に父の王国を設立する信仰上の冒険、この福音を信じるすべての者の魂との生きた関係の親交をうち立てる人生。」
使徒は、これらの大胆かつ驚異的な声明を黙って聞いた。かれらは、唖然とした。それから、かれらは、あるじの言葉を議論し熟考するために小班に分散した。かれらは、イエスが神の息子であることを認めたが、自分達が導かれてきたことに対し完全な意味を理解することはできなかった。
その晩アンドレアスは、同胞各自との個人的かつ探求のための会議の開催を自ら進んで引き受け、ユダ・イスカリオテを除く仲間全部との有益で元気づける会談をした。アンドレアスは、他の使徒とのようにユダとそのように親密で個人的な関係を一度も享受したことがなかったので、ユダが、使徒軍団の団長と自由に、また内密に関わったことが決してなかったということを重大なことだとは考えていなかった。しかし、アンドレアスは、そのときユダの態度を非常に心配したので、その夜遅く、使徒全員がぐっすりと眠った後、イエスを捜し出し、心配の理由をあるじに示した。イエスは、「アンドレアス、この件で私のところに来たのは不都合ではないが、これ以上我々ができることは何もない。この使徒に精一杯の信頼をもち続けなさい。そして、私とのこの話を仲間には何も言ってはいけない。」と言った。
そしてそれは、アンドレアスが、イエスから聞き出し得た全てであった。つねに何らかの不調和が、このユダヤ人とそのガリラヤの同胞の間にあった。ユダは、洗礼者ヨハネの死で衝撃を受け、時折あるじの叱責にひどく傷つき、イエスが王になることを拒否したとき失望し、イエスがパリサイ派から逃げたとき辱しめられ、パリサイ派からの印の挑戦の受け入れを拒否したときに悔しがり、力の明示の訴えへのあるじの拒否にうろたえ、そして、そのとき、つい最近、空の財政に気重になり、時折は落胆した。また、ユダは、群衆からの刺激のなさを寂しく思った。
他の使徒の各々は、幾分か、また異なる度合いで、同様にこれらの試煉や苦難に影響されはしが、イエスを愛した。少なくとも、ユダよりもあるじを愛してきたに違いない、なぜならそれらの者は、苦渋の終わりまでイエスと共に堪え忍んだのであるから。
イェフーダ出身であることから、ユダは、「パリサイ派のパン種に注意する」ことというイエスの使徒への最近の警告に個人的に立腹していた。かれは、この声明を覆い隠された自分への言及と見なす傾向にあった。しかし、ユダの重大な誤りは次の通りであった。再三再四、イエスが、使徒だけを祈らせるために行かせようとしたとき、ユダは、宇宙の精霊の力との真心の親交に従事する代わりに、報復の感情を抱く不幸な傾向に屈し、イエスの使命に関し、かすかな疑念を抱くことに拘ると同時に人間の恐怖の考えに耽けった。
そして、今度は、イエスが、ヘルモン山へ使徒を連れて行こうとし、そこで神の息子としての地上の任務の第4の局面を開始することに決めていた。使徒の一部は、ヨルダン川での洗礼のときに出席していて、人の息子としての経歴の始まりを目撃しており、かれは、そのうちの幾人かもまた神の息子の新たで公の役割を引き受けるための正当性を聞くために出席することを望んでいた。従って、8月12日、金曜日の朝、イエスは12人に言った。「食料を買い込み、向こうの山への旅仕度をしなさい。そこでは、精霊が、地上での私の仕事の仕上げのために授けられに行くように求めている。そして、私とこの経験を潜り抜ける試煉の時に向けて強められるように同胞を連れて行きたいのである。」
あるじが、ユランチアの精霊上の運命に決着をつけ、ルーキフェレーンスの反逆を実質的に終結させるために一人山に昇っている間、一度若者ティグラスの待っていたまさにその場所近くのヘルモン山の麓にイエスと仲間がヘルモン山の麓に到着したのは、西暦29年、8月12日、金曜日の午後、日没近くであった。かれらは、直ちに起ころうとしている出来事に対する精霊的な準備のために2日間ここに滞在した。
イエスは、山で何が起ころうとしているか予め大抵のことは知っていたし、全使徒がこの経験を共有できるということを非常に求めていた。かれが、使徒と山麓に留まったのは、自身のこの顕示に彼らを馴染みをもたせることであった。しかし、かれらは、地球に間もなく現れようとしている天の存在体の訪問に対して最大限の経験に自分を完全に晒すことを正当とするほどの精霊的な水準に達することができなかった。仲間の全員を同伴できなかったので、かれは、そのような特別な徹夜に同伴する習慣にあった3人だけを連れていくと決めた。従って、ペトロス、ジェームス、ヨハネだけが、この独得な経験の一部なりともをあるじと共有した。
8月15日、月曜日の朝早く、イエスと3人の使徒は、ヘルモン山へ登り始めた。これは、ペトロスが路傍の桑の木の下での注目すべき真昼の告白の6日後のことであった。
この経験が自身の創造した宇宙に関連があったので、肉体での贈与の進捗と関係がある重大事項の処理のために、イエスは、一人になり山上への召還を受けていた。この途方もない出来事が、イエスと使徒が非ユダヤ人地域にいる間に起こるように調節されたこと、そして実際に非ユダヤ人の山上で生じたということは、意味深いことである。
正午少し前、山へのほぼ半分の目的地に着き、昼食を取る間、イエスは、洗礼直後のヨルダンの東にある丘での経験について、またこの人里離れた隠遁所へのこの前の訪問の際のヘルモン山での経験についてももう少し3人の使徒に伝えた。
少年の頃、イエスは、家の近くの丘に登り、エスドラエロン平野での過去の幾つかの帝国軍隊の戦いの幾つかを空想したことであった。今度は、ユランチアの贈与劇の最終場面を演じるためにヨルダン平野へ降りたつ準備のための恩恵を受けにヘルモン山に登った。あるじは、この日ヘルモン山での闘いを放棄して自分の宇宙領域の支配に戻ることができたのだが、楽園の永遠なる息子の命令に迎え入れられる神性の息子性の系列の必要条件を満たすことを選ぶだけでなく、楽園の父の現在の意志を最終的に、しかも完全に満たすことを選んだのであった。8月のこの日、3人の使徒は、イエスが、完全な宇宙権威の付与を辞退するのを見た。使徒は、天の使者達が、人の息子と神の息子として地球での人生を終えるために彼を後に残し、出発するのを驚きで見ていた。
使徒達の信仰は、5,000人の給食時が頂点であり、それからは、急速にほとんどゼロまで下降した。あるじ自身の神性告白の結果、そのとき、12人ののろい信仰は、次の数週間、その最高位にまで上がったが、進行的下降をもたらすだけであった。彼等の3度目の信仰復活は、あるじの復活の後まで起こらなかった。
イエスが3人の使徒に別れたのは、この美しい午後の3時頃であった。「父とその使者と親しく交わる時のために、私は一人離れて行く。私の帰りを待ち受ける間、君達にはここに留まり、人の息子の一層の贈与任務に関連する君達の全経験において父の意志が為せるように祈ることを言いつける。」こう言った後、イエスは、ガブリエルと父メルキゼデクとの長い協議のために退き、6 時頃まで戻らなかった。自分の長の不在を懸念する使徒を目にしたとき、イエスが言った。「なぜ恐れていたのか。君は、私が父の用向きに就かねばならないことをよく知っている。私が共にいないとき、どんな理由で疑うのか。人の息子は、君達の中の1人として全人生に臨むことを選んだと、私は、いま断言する。元気を出せ。私の仕事が終わるまで、お前達を置き去りにするつもりはない。」
粗末な夕食を共にしているとき、ペトロスは、「同胞と離れてどのくらいこの山に留まるのですか。」とあるじに尋ねた。イエスは「君達が、人の息子の栄光を見て、私が宣言してきたことは何でも本当であることを知るまで。」と答えた。そして、かれらは、赤々と燃える残り火の周りに座り、その朝かなり早く旅を始めたこともあり、闇が使徒の目を重くするまでルーキフェレーンスの反逆ついて話した。。
3人が30分程熟睡していると、パチパチという近くでの音に突然起こされ、周りをよく調べ非常に驚き狼狽したことは、天界の光の衣裳を纏った2名の光輝くものと親密にしているイエスを目にしたことであった。イエスの顔と姿は、天界の光の明るさで輝いた。この3名は、耳慣れない言語で話していたが、話された特定の言葉から、ペトロスは、誤ってイエスといるもの達はモーシェとエーリージャであると推測した。実際には、かれらは、ガブリエルと父メルキゼデクであった。物理的制御者は、使徒がイエスの要求のためにこの場面を目撃するように手配をしていた。
3使徒は、ひどく怯え、正気を取り戻すのに時間が掛かるほどであったが、目もくらむばかりの光景が目前から消えてなくなり、一人立つイエス見て、最初に我にかえったペトロスが言った。「イエスさま、あるじさま、ここにいて良かったです。私達は、この栄光を見て喜んでおります。恥ずべき浮き世に戻る気がいたしません。よければ、私達をここに留め置いてください。そうすれば、幕屋を3つ、あなたに1つ、モーシェに1つ、エーリージャに1つ造るつもりです。」ペトロスは、ちょうどこの時混乱し他には何も思いつかずにこう言ったのであった。
ペトロスがまだ話している間、銀色の雲が近づいて4人を覆った。使徒は、そのとき大いに怯え、礼拝のために俯いていると、声、イエスの洗礼の折に発した同じ声を聞いた。「これは私の愛しい息子である。彼に注目しなさい。」雲が消え失せると、イエスは、再び3人とともにあり、彼らに手を差し下ろし、触れて言った。「立ち上がりなさい。恐れるでない。これより素晴らしいものを見るであろう。」しかし、使徒は、本当に恐れていた。真夜中少し前に下山の準備をしながら静かで物思いに沈む三人組であった。
下山のおよそ半分の距離の間、一語の言葉も話されなかった。イエスは、そこで話を始めた。「人の息子が甦るまでこの山で見たり聞いたりしたことを誰にも、同胞にさえ話さないことを確実にしなさい。」3人の使徒は、「人の息子が甦る」までというあるじの言葉に衝撃を受け、うろたえた。3人は救出者、神の息子としてのイエスへの信仰をつい最近再確認し、栄光で変貌しているところを目の辺りにしたばかりであるのに、そのときまた、イエスは、「死から甦る」と話し始めるのであった。
ペトロスは、あるじが死ぬという考え—心に抱くにはあまりにも不愉快な考えであった—に震え上がりそして、ジェームスかヨハネがこの声明に関し何らかの質問をするかもしれないと恐れ、気を紛らわす会話を始めるのが最善だと考え、他の何を話してよいかが分からず、最初に心に浮かんだ考えを口にした。「あるじさま、救世主の出現前にエーリージャがまず先に来なければならないと筆記者達がいうのは何故ですか。」イエスは、ペトロスが自分の死と復活への言及を避けようとしているのを承知して答えた。「エーリージャは、多くの苦しみを受け最後には拒絶されるはずの人の息子のための道の準備をしに確かに最初に来る。だが、エーリージャは、すでに来たが、人々は、それを受け入れずに自分等の望むがままの仕打ちをしたと言っておく。」そうすると、3人の使徒は、イエスが、洗礼者ヨハネがエーリージャだと述べていると受けとった。もし彼らが、自分を救世主と見なすのであれば、次には、ヨハネが予言者エーリージャであるはずだと主張するということを、イエスは知っていた。
イエスは、そのときは救世主として受け入れられているということ、奇跡を施す救出者という誤った概念をいかなる程度であろうと満たすという考えを培おうとは思わない理由から、自分の復活後の栄光の先取り的な目撃に関して沈黙を命じた。ペトロス、ジェームス、ヨハネは、心でこの全てをじっくり考えたが、あるじの復活後まで誰にもそれについて話さなかった。
下山を続けながら、イエスは言った。「君は、人の息子として私を受け入れようとしていない。それ故、私は君の辿りついた決断に応じて受け入れられることを応諾したのである。だが、間違えるでない。私の父の意志は広く行き渡らなければならない。自分自身の意志の傾きに従うことを選ぶならば、君は、多くの期待外れに苦しみ、多くの試煉の経験を覚悟をしなければならない。だが、私が与えてきた教練は、自身が選ぶこれらの悲しみを通してさえ、君には意気高らかに持ち堪えさせるに十分のはずである。」
他の使徒よりもいかなる意味においても起こったことを目撃する準備ができていたので、または、精霊的にそのような稀な特権を楽しむことが適任であったので、イエスは、変貌の山にペトロス、ジェームス、ヨハネを連れて行ったのではなかった。とんでもない。かれは、12 人の誰も精霊的にはこの経験に資格がないことをよく知っていた。故に、孤独な親交を楽しむために単独になりたいとき、かれは、同伴するために選ばれた3人の使徒だけを連れて行った。
ペトロス、ジェームス、ヨハネが変貌の山で目撃したそれは、ヘルモン山でのあの盛り沢山な日の天の展示の束の間の一瞥であった。変貌は次の出来事であった。
1. 楽園の永遠なる母-息子によるユランチアにおけるマイケルの肉体での贈与完了の受諾。永遠なる息子の要求に関する限り、イエスは、履行の保証をそのとき受けた。そして、ガブリエルは、その保証をイエスにもたらした。
2. 人間の肉体に似せたユランチア贈与の完了に関する無限なる聖霊からの満足感の供述。無限なる聖霊の宇宙代表、すなわちサルヴィントンのマイケルの近い仲間であり、また臨場し続ける同輩は、父メルキゼデクを通してこの時に話した。
イエスは、永遠なる息子と無限なる聖霊の使者達に提示された地球任務の成功に関するこの証言を歓迎したが、父が、ユランチア贈与が終了したことを差し示さなかったことに気づいた。父の見えない臨場だけは、イエスの専属調整者を通して証言した。「これは私のいとしい息子である。息子に注目しなさい。」とだけ言った。そして、また、3人の使徒にも聞こえるように、これは言葉で話された。
イエスは、この天からの訪問後、父の意志を知ろうとし、そして人間の贈与のその自然の終わりまで追求すると決めた。これがイエスにとっての変貌の重要性であった。それは、3人の使徒にとり、神の息子と人の息子として地球の経歴の最終的な局面にあるじの入り口を記す出来事であった。
ガブリエルと父メルキゼデクの正式訪問後、イエスは、これらの聖職に携わる自分の息子との非公式の会話をし、宇宙の情勢に関して語り合った。
イエスと仲間が使徒の野営に到達したのは、この火曜日の朝、食時の直前であった。かれらが近づくと、使徒のまわりに集まった相当の群衆がいるのが分かり、やがて50人ほどのこの集団の口論や論争の大声が聞こえ始めた。この群衆は、9人の使徒と、ほぼ同数のエルサレムの筆記者とマガダンからの旅でイエスとその仲間を追ってきた信じる弟子達を有していた。
群衆は幾多の議論に従事したが、主要な論争は、前日イエスを求めて到着したティベリアスからのある市民に関するものであった。この男性、サフェドのジェームスには、酷い癲癇に苦しむ14歳ほどの一人子の息子がいた。この若者は、この神経性疾患に加えその時地球にいて抑制されていなかった放浪しており悪戯で反逆的な中間者の1人に憑かれており、若者は、癲癇持ちで、かつ悪霊にも憑りつかれていた。
およそ2週間、この憂える父、ヘロデ・アンティパスの下位の役人は、フィリッポス領の西の境界を彷徨して、この病める息子を癒すことを懇願できるかもしれないとイエスを探していた。かれは、イエスが3人の使徒と山にいたこの日の正午頃まで使徒の一行に追いつかなかった。
イエスを探していた40人ほどの他の人々とともに来たこの男性に突然出くわしたとき、9人の使徒は、非常に驚きかなり狼狽えた。この一行の到着時点で、9人の使徒は、少なくともその大半が、従来の誘惑—来たる王国でだれが最も偉大であるかと議論—に屈した。9人は、個々の使徒に割り当てられそうな職務についてせわしなく議論していた。かれらは、救世主の物質的任務に関わるかねてからの望みの考えから完全に、自分たちを簡単に、自由にすることができなかった。そして、彼が本当に救出者であるという使徒達の告白をイエス自身が受け入れたそのとき—少なくとも自身の神性の事実を認めた—あるじとのこの分離期間、心で最優先している望みと野心について話すことは、彼等にとって当然のことであった。そして、使徒達は、イエスを探して来たサフェドのジェームスとその仲間の探求者達に遭遇したとき、これらの議論に従事していた。
アンドレアスは、この父と息子を迎えるために歩み寄って「だれを探していますか。」と言った。ジェームスは、「きみ、私は、あなたのあるじを捜し求めております。苦しむ息子の治療を求めております。イエスに子供にとりついているこの悪魔を追い出してもらいたいのです。」と言った。そして、父は、息子が、これらの悪性の発作の結果、何回となくもう少しで命を失うほどに患っているのだと使徒達へ詳しい話を始めた。
使徒達が聴いていると、シーモン・ゼローテースとユダ・イスカリオテが父の前に進みでて言った。「我々は、息子さんを治せます。あるじの戻りを待つ必要はありません。我々は、王国の大使であり、もはや、これらの事を秘密にしません。イエスは救出者であり、王国の鍵は我々に届けられているのです。」この時までに、アンドレアスとトーマスは、片側で協議中であった。ナサナエルと他の者は、驚いて傍観していた。彼らは全員、シーモンとユダの、厚かましくないとしても、突然の大胆さにがく然としたのであった。その時、父親が、「これらの仕事があなたに任されていたのでしたら、この束縛から私の子供を救い出すそれらの言葉を話してくださいますように念じます。」と言った。するとシーモンが前進して子供の頭に自分の手を置き、真っ直にその目を覗き込んで命じた。「出て来い、不浄の霊よ、イエスの名において、我に従え。」しかし、若者にはより激しい発作しか起こらず、筆記者達は、嘲笑して使徒を馬鹿にする一方で 、失望した信者達は、これらの友好的でない批判者の嘲りに苦しんだ。
アンドレアスは、この無分別な努力とその惨憺たる失敗に心からくやしがった。かれは、会合と祈りのために使徒達を傍らに集めた。思索のこの期間の後に、かれらは、敗北の痛みを鋭く感じ、自分達の上にある屈辱を味わい、アンドレアスは、悪霊追放を試みたが、2 度目の失敗にしか過ぎなかった。アンドレアスは、率直に敗北を認め、自分達と夜を共にするか、それかイエスが戻るまで留まるよう父親に頼み、「恐らくこの類は、あるじの直接の命令以外には出ていかないであろう。」と言った。
そして、イエスが熱狂的で有頂天のペトロス、ジェームス、ヨハネと下山する間、9 人の同胞も混迷と意気消沈の屈辱感に同様に不眠状態であった。使徒達は、打ち萎れ、仕置きを受けた一団であった。しかし、サフェドのジェームスは、諦めようとはしなかった。イエスがいつ戻るのか使徒には見当もつかなかったが、サフェドのジェームスは、あるじが戻るまで留まると決めた。
イエスが近づくと、9人の使徒は、この上もなイエスを歓迎して安心し、また、ペトロス、ジェームス、ヨハネの表情に機嫌の良さと常と異なる熱意を見受け大いに勇気づけられた。彼らは全員、イエスと3人の同胞を迎えるため前方に急いだ。かれらが挨拶を交わしていると、群衆が迫ってきており、イエスは、「我々が近づいてきたとき、何を言い争っていたのか。」と尋ねた。しかし、当惑し、恥ずかしめられた使徒が、あるじの質問に答えることができるよりも先に、苦しめられている若者の案じる父親が、進み出てイエスの足元に跪いて言った。「あるじさま、私には、息子が、悪霊にとりつかれた一人子がいます。かれは、恐怖に大声で叫び、口に泡をふき、発作の際には死人のように倒れるだけでなく、しばしばこのとりついた悪霊は、彼を痙攣で引き裂き、また時には水や、炎の中にさえ投げやるのです。酷い歯軋りや、多くの打ち傷に我が子は衰弱しております。この子の人生は死よりも悪いのです。この子の母と私は、悲しい心と失意にあります。あなたを捜して、昨日の昼頃お弟子さん達に追いつきました。そして、あなたを待つ間、あなたの使徒様が、この悪魔を追い出そうとしましたが、果たせませんでした。あるじさま、今すぐ、私たちのためにそれをしてくださいますか。息子を癒してもらえますか。」
イエスがこの話を聞くと、手近の使徒に探るような目を向けるとともに、跪いている父に触れ、立つように言った。それから自分の前に立っている者すべてに、「なんと不信仰で曲がった世代であろうか。私は、いつまでお前たちを我慢しなけらばならないのだろうか。いつまで一緒にいるのだろうか。信仰の業は不信仰の命令からは生まれない、ということを知るのにどれほどかかるのか。」とイエスは言った。それから、イエスは、うろたえている父親の方を指して、「こちらに息子を連れて来なさい。」と言った。そこで、ジェームスがイエスの前に若者を連れて来ると、かれは、「いつ頃からこのように苦しめられているのか。」と尋ねた。父親は、「とても小さい時からです。」と答えた。二人が話していると、この若者は、歯軋りをし、口から泡を出しながら激しく襲われ、二人の真ん中に倒れた。かれは、激しい痙攣の後、死人のように彼等の前に横たわった。さて、父親は、再びイエスの足元に跪き、あるじに嘆願して「あなたが息子を治せるのでしたら、我々に同情してこの苦悩から救い出してくださるよう懇願いたします。」と言った。イエスはこれらの言葉を聞くと、父親の気が気でない顔を見下ろして、「父の愛の力を疑うでない。誠意とそなたの信仰の範囲だけを問いなさい。本当に信じる者には、すべてが可能である。」と言った。するとサフェドのジェ ームスは、長く覚えられることとなる信仰と疑念の混じり合うそれらの言葉、「ご主人さま、信じます。不信仰な私をお助けください。」と言った。
これらの言葉を聞くとイエスは、前進し若者の手を取って言った。「私は、父の意志に従い、生ける信仰のためにこれをするのである。息子よ、立て。服従しない霊よ、出て来い、そして戻ってくるでない。」そして、かれは、若者の手を父の手に置いて言った。「帰りなさい。父はあなたの魂の願いを聞き入れられた。」そこにいたもの全てが、イエスの敵さえも、目撃したことに驚いた。
つい最近、変貌の場面と経験において精霊的な絶頂を享受した3 人の使徒にとり、仲間の使徒のこの敗北と挫折の場面にこのように早く戻るということは実に幻滅であった。しかし、それは、王国のこの12人の大使にとって、ずっとそうであった。かれらは、人生経験において高揚と屈辱の間を耐えず行き来するのであった。
これは、二重の苦悩、身体の病いと精神疾患の、本当の治癒であった。そして、若者は、その時から永久に回復した。ジェームスが回復した息子と共に出発すると、「さあ、ケーサレーア-フィリッピーに行くぞ。すぐに、用意しなさい。と」イエスが言った。そして、一行は、静かに南に向けて旅をして、その後に群衆が続いた。
かれらは、ケルサスのもとに一泊し、その晩食事をとり休息した後、12 人は、庭でイエスの周囲に集まり、そしてトーマスが言った。「あるじさま、私達は、山で何が生じたか存じないままで、そして、あなたと共にいた同胞が、非常に励まされている一方で、私達は、今は山で起こったそれらのことを明らかにすることができないのを見て、我々の敗北に関し話してくださるとともに、これらの事柄に関し教えていただきたいと切に願います。」
すると、イエスがトーマスに答えた。「同胞が山で聞いた全ては、しかるべき時機に明らかにされるであろう。しかし、とても浅はかに試みたことにおける敗北の原因は、いま示すつもりである。あるじと仲間、あなたの同胞が、父の意志についてより大きな知識をもとめ、また、その神性の意志を効果的に為すための知恵のより豊かな付与を乞いに、昨日向こうの山に昇っている間、精霊的な洞察の心を得て、父の意志のより完全な顕示のために我々と祈るように努力せよとの指示で、ここを見守るために居残った者達は、君の指揮での信仰の行使に失敗し、そのうえに、誘惑に屈し、天の王国での自身のための好みの場所—君が思索に耽けることに固執する物質的、現世の王国—を捜し求める従来の悪い傾向に陥った。そして、私の王国がこの世のものでないという反復宣言にもかかわらず、君は、これらの誤った概念に執着している。
「君の信仰が人の息子の正体を把握するや否や、世俗的昇進に対する利己的願望が後ろに忍び寄り、君がそれを心に描くことを執着するようには存在しない、これからも存在することのない王国、天の王国で、誰が最も偉大であるべきかを、君達は、議論し始めるのである。私は、精霊的な兄弟愛の父の王国で最も偉大な者は、小さく見えなければならず、このように、同胞の奉仕者とならなければならないと言ってはこなかったか。精霊的な偉大さは、自己高揚のための物質的な力の行使の楽しみにあるのではなく、理解ある神のような愛にある。君が試みたことにおいて、君があまりにも完全に失敗したことにおいて、その目的は、純粋ではなかった。その動機は、神性ではなかった。その理想は、精霊的ではなかった。その野心は、利他的ではなかった。その手順は、愛に基づかず、その達成の目標は、天の父の意志ではなかった。
そのような事が父の意志に従っているとき以外、君は、確立した自然現象の過程を時間短縮することができないということ、また、精霊的な力なくして精霊的な働きもできないということが分かるのにどれだけ時を要するのか。そして、可能性があるとくでさえ、その3番目の重要な人的要因なしに、つまり、生ける信仰の保持の個人の経験なしに、君は、これらのいずれもすることはできない。王国の精霊的な現実とっての魅力として、君にはいつも物質的表示がなければならないのか。君は、稀れな業の可視の展示なくして、私の任務の精霊的な意味を把握することができないのか。すべての物質的な顕現の様子に関係なく、君が、王国のより高く、より精霊的な現実に忠実であることを何時当てにできるのか。」
イエスは、12人にこのように話し、付け加えて言った。「さあ、休みなさい。明日は、マガダンに戻り、デカーポリスの町や村での我々の任務について相談するので。そして、この日の経験の終わりに臨んで、山で君の同胞に話したことを各人へはっきり伝えておこう、そしてこれらの言葉を深く心に留めておくように。人の息子は、今、最後の贈与段階に入る。我々は、それらの労働を始めるところであり、私の破滅を求める者の手に私が届けられるとき、それらの労働は、やがては君の信仰と献身の大きく、最終的な試煉につながるであろう。そして、私が言うことを覚えていなさい。人の息子は殺される、だが、再び甦る。」
かれらは、悲哀に満ちて床に就いた。かれらは、当惑した。かれらは、これらの言葉を理解することができなかった。そして、言われたことに関して何か尋ねることを恐れたが、イエスの復活後にその全てを思い出した。
この水曜日の朝早々に、イエスと12 人は、ケーサレーア-フィリッピーからベスサイダ-ユーリアス近くのマガダン公園に向けて出発した。使徒は、その夜ほとんど眠らなかったので、早く起きて出掛ける用意ができた。鈍感なアルペイオスの双子でさえ、イエスの死に関するこの話に衝撃を受けた。南に旅をし、メロムの滝を超えてすぐにダマスカス街道に来て、イエスは、筆記者や他の者が、追ってやがてくるであろうと知り、彼等を避けることを望み、ガリラヤヤをつき抜けるダマスカス街道経由でカペルナムに進むようにと指示した。かれは、これらの者は、自分と使徒が、ヘロデ・アンティパスの領土の通り抜けを恐れると判断した上で、東ヨルダン街道を進むであろうことを知っていたので、こうしたのであった。かれは、この日使徒とだけいられるように自分の批判者と後をつけてきた群衆を避けようとした。
一行は、昼食時をかなり過ぎて気分回復のために日陰に立ち寄るまでガリラヤを旅し続けた。そして、かれらが食事をともにした後、アンドレアスがイエス言った。「あるじさま、同胞は、あなたの奥深い言葉を理解していません。我々は、あなたが神の息子であると完全に信じるようになりましたのに、今度は、私達を残す、死ぬというこれらの奇妙な言葉を聞いています。私達は、あなたの教えを理解していません。あなたは寓話で話しているのですか。真っ直に平凡な形で話すようお願いします。」
アンドレアスに答えて、イエスは言った。「同胞よ、私が神の息子であることを君が認めたので、私は、地球での人の息子の贈与の終わりについての真実を明かし始めることを強いられたのである。君は、私が救世主であるという信念に執着すると主張し、また救世主がエルサレムで王座につかなければならないという考えを断念しないであろう。それゆえに、人の息子は、やがてエルサレムに行き、多くのことに苦しみ、筆記者、年長者、主な聖職者に拒絶され、そして、これらのすべての後に殺され、死から甦なければならないということをあくまでも主張し続けるのである。そして、私は寓話など話していない。それらが我々を突然襲うとき、君はこれらの出来事に覚悟ができるという事実を話している。かれがまだ話しているのに、シーモン・ペトロスは、イエスに猛烈に向かっていき、あるじの肩に手をかけて言った。「あるじさま、あなたに挑むつもりは毛頭ありませんが、私は、これらのことが、あなたに決して起こらないと断言します。」
ペトロスは、イエスが好きであったのでこう言った。しかし、あるじの人間性は、善意の愛情のこれらの言葉に、楽園なる父の意志に従って地球贈与の終わりまで従事する自分の方針を変えるという誘惑の微妙な提案を認識した。そして、優しく、かつ忠誠な友でさえ、自分を思い切らせようと仄めかすという危険性を見破ったので、ペトロスと他の使徒の方に向いて言った。「私の後ろにさがれ。おまえは、敵、誘惑者の精神のにおいがする。おまえがこの様に話すとき、私の側にではなく、むしろ我々の敵側にいる。このように、おまえは、私に対する愛情を私が父の意志を為す際の躓く石にしているのである。人の道ではなく、むしろ神の意志に気を配りなさい。」
彼らが、イエスの辛辣な非難の最初の衝撃から回復した後、そして旅を再開する前、あるじはさらに話した。「もし誰かが私の後に続きたいのであれば、自分自身にかまうことなく、日々自分の責任に応え、私について来なさい。利己的に自分の命を救う者は誰でも、それを失うが、私と福音のために命を失う者は誰でも、それを救うのである。全世界を得て、自身の魂を失う者に何の利益があるというのか。人は、永遠の命と引き換えに何を与えるであろうか。すべての天の軍団の面前で、栄光のうちに父の前に出向くとき、私が君を承認することを恥ずかしくないのと同様に、この罪深くて偽善の時代に私と私の言葉を恥じるでない。それでも、現在私の前に立つ君達の多くは、この神の王国が力とともにくるのを見るまでは死を経験しないであろう。」
このように、イエスは、自分の後に続きたいのであれば辿らねばならない苦痛で相剋の道を12人に明らかにしたのであった。地上の王国での自分たちの名誉ある位置を夢みることに固執するガリラヤの漁師達にとり、これらの言葉は、何という衝撃であったことか。しかし、彼らの忠誠な心は、この勇ましい訴えに掻き立てられ、そのうちの誰とてもイエスを見捨てる気にはならなかった。イエスは、彼等だけを争いに送り出してはいなかった。イエスは、彼らをを導いていた。イエスは、彼らに勇敢に続くことだけを求めていた。
次第に12人は、イエスが自分の死の可能性についての何かを言っているという考えを理解し始めていた。イエスの死に関して言ったことを、皆はただばく然と理解はしたが、死から蘇るという彼の声明は、全く心に残らなかった。時が経過するにつれ、ペトロス、ジェームス、ヨハネは、山での変貌の経験を思い出し、これらのうちのある事柄に対してはより完全な理解に到達した。
あるじとのすべての関係において、12人は、ペトロスと他の者にこの時与えられたような燃えたつばかりの目を見たり、速やかな叱責の言葉を聞くのは、ほんの数回であった。イエスは、人間の短所に常に我慢強かったが、自分の残りの地上経歴に関わる父の意志の完全な実行計画に差し迫る脅威に直面しては、そうではなかった。使徒は、文字通り唖然とした。かれらは、仰天し、ぞっとした。自分達の悲しみを述べるための言葉が見当たらなかった。あるじが耐えなければならないことを、そして自分達も共にこれらの経験に直面しなければならないことが次第に分かり始めたが、かれらは、これらの来たるべき出来事の現実には、イエスの後半の時代に差し迫っている悲劇のこの早期の示唆のずっと後まで気づかなかった。
イエスと12人は、黙してマガダン公園の野営を目指して出発し、カペルナム経由行った。アンドレアスはあるじと話したが、午後が経過するにつれ、かれらは、イエスとは話さなかったが、自分たちだけでよく話した。
黄昏れ時カペルナムに入り、夕食のために人通りのない往来から直接シーモン・ペトロスの家に行った。ダーヴィド・ゼベダイオスは、湖の向こうに連れていく用意をしたが、彼らがシーモンの家に長居していると、イエスは、ペトロスと他の使徒を見上げて尋ねた。「今日の午後一緒に歩いたとき、君達は非常に熱心に何を話していたのか。」かれらは、来たる王国で自分等がどんな位置につくか、誰が最も偉大であるか等についてヘルモン山で始めた議論を続けていたので、使徒の多くが黙っていた。イエスは、当日、彼らの考えを占めていたものを知っていたので、ペトロスの幼子の1人に手招きして、自分達の間に置いて言った。「まことに、まことに言いきかせておこう。向きを変えてもっとこの子供のようにならなければ、君達の天の王国での進歩はほとんどないであろう。誰でも謙虚にし、この幼子のようになるものは、天の王国で最も偉大な者となる。そのような幼子を受け入れる者も、私を受け入れるのである。また、私を受け入れる者は、私を遣わしたあの方をも受け入れるのである。最初に王国に入りたいならば、肉体の君の同胞にこれらの素晴らしい真実で仕えることを求めなさい。しかし、これらの幼子の一人を躓かせる者は誰でも、臼石がその首のまわりに掛けられ海中に投げられようとも、それがその者にとっては良いであろう。手ですること、または目で見ることが王国の進展に障害を与えるのであれば、これらの大事にしている偶像を犠牲にせよ、これらの偶像にしがみついたり、王国から締め出されるよりも、人生の愛着あるものの多くを無くして王国に入るほうがよいのであるから。しかし、何よりも、君がこれらの幼子の一人として蔑まないということを確実にしなさい、幼子等の天使は、いつも天の軍勢の顔を見ているのであるから。」
イエスが、話し終えると、皆は舟に乗りマガダンに向けて出帆した。
イエスと12人がマガダン公園に到着すると、かれらは、女性団体を含むおよそ100人の伝道者と弟子の集団が待ち受けていると分かった。そこで、かれらは、早速デカーポリスの都市での教育と説教の旅の開始の準備ができた。
8月18日、この木曜日の朝、あるじは、追随者を集め、使徒各人が12人の伝道者の一人と交じわること、また他の伝道者は、デカーポリスの町や村で働くために12班に分かれて出掛けなければならないと指示した。かれは、女性団体と残りの者は、自分と残るように言いつけた。イエスは、この旅に4週間を割り当て、追随者にはマガダンに戻るのは9月16日、金曜日までに戻るように指示を与えた。かれは、この間、彼らをしばしば訪ねると約束した。この月の間、この12班は、ゲラーサ、ガマラ、ヒップス、ツァフォン、ガダラ、アビラ、エヅレイ、フィラデルフェィア、ヘシュボン、 ディーオン、スキトイポリスと他の多くの都市で働いた。この旅を通して、治療や他のいかなる並はずれた出来事は、起こらなかった。
ヒップスでのある晩、イエスは、弟子の質問に答えて許しについて教えた。あるじは言った。
「情けある男が100頭の羊を飼っており、そのうちの1頭が迷い出ていなくなったならば、99 頭を残し、かれは、すぐに迷い出た1頭を探しにいかないか。もしこの男が良い羊飼いであるならば、かれは、それを見つけるまで迷った羊の探索を続けないであろうか。そして、羊飼いが、その迷える羊を見つけたら、自分の肩に担ぎ家に帰り、喜んで友人や隣人を大声で呼び、「喜んでくれ、いなくなった羊を見つけたから。」と言うであろう。私は、悔悟を必要としない99人の正しい者よりも、後悔をする1人の罪人の上により多くの喜びが天にはあると断言する。それでもまだ、これらの幼子の1人でも迷うようなこと、ましてや滅びるようなことは、私の父の意志ではない。君の宗教では、神は、悔悟する罪人を受け入れるかもしれない。王国の福音では、父は、真剣に悔悟を考える前にさえそういう者達を見つけに行くのである。
「天の父は自分の子供を愛している。だから、君達は互いに愛することを学ぶべきである。天の父は、君を許し、君の罪を許す。だから、君は、互いに許すことを学ぶべきである。兄弟が背くならば、君は、彼のところに行き、気転と忍耐をもってその欠点を示しなさい。また、この全ては単に二人の間でしなさい。かれが、君の言うことを聞き入れるならば、君は兄弟を勝ち得たのである。しかし、彼が、君の言うことを聞き入れないならば、つまり自分の誤りったやり方に固執するならば、君は、君の証言の裏付けをし、怒っている兄弟を公正に、慈悲深く扱ったという事実を証明するために2人の、または3人の証人さえも得られるように、1人か2人の互いの友人を伴って、再び彼のもとに行きなさい。ところで、彼が、君の同胞の言うことを聞こうとしないならば、君は、会衆に全体の話をしてもよくて、そこで、彼が、兄弟の言うことを聞こうとしないならば、皆が、賢明であると考えるような行動を取らせなさい。そのような手に負えない者は、王国からの追放者にさせなさい。仲間の魂を裁判にかけることを主張することはできないけれども、そして君は、罪を許さないし、あるいは、別の方法で、出しゃばりにも天の軍勢の監督者の特権を奪わないが、同時に、地上の王国で俗世の秩序を維持すべきことは、君の手に命じられている。永遠の命に関して神の命令に干渉することはできないが、彼らが、地球の兄弟の一時的な福祉に関して、君は、行為に関する問題を決定するであろう。そうして、兄弟関係の規律に関するこのすべての問題で君が地球で命じる何であろうとも、天で認識されるであろう。君は、個人の永遠の運命を決定することはできないが、集団の行為に関しては制定することができる、なぜならば、君達の2人か3人が、これらの問題のうちどれかに関して同意し、私に尋ねるならば、それは、もし天の父の意志に反しない陳情であるならば、聞き入れられるからである。そして、このすべてはいつも本当である、というのも、2人か3人の信者が集まるところには私もいるのであるから。」
シーモン・ペトロスは、ヒップスで労働者達を担当した使徒であり、イエスがこのように話すのを聞いて尋ねた。「主よ、兄は私に何度罪を犯し、そして、私は何度許すのでか。7回までですか。」イエスは、ペトロスに答えた。「7 回どころか77 回さえも。したがって、天の王国は、執事達と財政的な計算を命令したある王にたとえられるかもしれない。彼らが、この計算書の点検を始めたとき、家臣の一人が、王に1 万タラントの負債があると告白しに王の前に連れて来られた。そのとき、宮廷のこの役員は、困窮に遭遇したと、またこの負債の支払い方法がなかったと訴えた。そこで、王は、財産を没収し、その子供等を債務返済のために売るように命令した。この厳しい上意を聞くと、この執事長は、王の前に顔を伏せ、慈悲を示すよう、また、もっと時間をくれるように哀願した。「主よ、もう少し我慢してください。そうすれば、私は、すべてを支払います。」と言った。すると、王がこの怠慢な使用人とその家族を見たとき、かれは、同情を掻きたられた。かれは、この使用人を釈放し、貸付金は全て免除するように命令した。
王の手から慈悲と許しを受けたこの執事長は、仕事に取り組み、わずか100デナリオスの借りのある部下の執事の一人を見ると、彼を掴み、つまり喉を掴んで、『私からの借りを全部支払え。』と言った。すると、この執事仲間は、執事長の前に伏せて懇願して言った。『少しだけ我慢してください。そうすれば、まもなく支払えるのです。』ところが、この執事長は、慈悲を示すどころか債務を返済するまで彼を投獄した。仲間の使用人が事の起こりを見て、非常に零落し、主であり支配者である王に告げた。王が執事長の振る舞いを聴くと、この恩知らずで容赦のない男を召喚して言った。『そなたは、意地悪で価値のない執事である。同情を求められたとき、私はそなたの全債務を完全に免除した。私がそなたに慈悲を示したように、そなたもなぜ仲間の執事に慈悲を示さなかったのか。』そして、当然の支払いを済ませるまで引き留めておけるように恩知らずな執事長を獄吏に手渡した。同じように、天なる父は、仲間に惜しみなく慈悲を示す者により多くの慈悲を示すのである。君は、これらの同じ人間が脆さという罪があるとして同胞を責め慣れているとき、自身の短所の斟酌を求めにどうして来れるのか。君たち全員に言う。自由に、君は王国の良いことを受けてきた。したがって、自由に地球の仲間に与えなさい。」
このように、イエスは、危険性を教え、仲間への私的な判断を下す不公平さを例示した。規律は維持され、正義は管理されなければならないが、このすべての事柄において、兄弟愛の叡知は勝たなければならない。イエスは、立法と司法の権威を個人にではなく団体に与えた。団体の権威のこの授与でさえ、個人的な権威として行使させてはいけない。個人の決定が偏見に歪めらるか、または激情に捩じ曲げられるかもしれないという危険が、つねにある。集団による判断は、より危険を取り除き、個人の偏見の不公平さを排除する。イエスは、常に不公平、報復、復讐の要素を最小にしようと努めた。
[慈悲と寛容の具体例としての用語77の使用は、息子ツーバル-カイーンの優れた金属兵器を敵のものと比較して、レメクが、「もしカインに、武器を手にせず、7 倍復讐があれば、私には今77倍復讐がある。」歓喜のうちに言及した聖書に由来した。]
イエスは、ヨハネとそこでヨハネと働いている人々を訪問するためにガマラに行った。その晩、ヨハネは、質疑応答の後イエスに言った。「あるじさま、昨日、私は、あなたの名前で教え、悪魔を追い払うことができると主張さえする男に会いにアシュテロースに行ってきました。さて、此奴は、我々といたことは一度もなかったし、後について来てもいないのです。それで、私は、そのようなことをするのを禁じたのです。」イエスは言った。「禁じてはいけない。君は、この王国の福音が、やがて全世界に公布されると認めないのか。福音を信じる者全てが、君の指示に服従するとどうして期待することができるのか。すでに我々の教えが、我々の個人の影響の範囲を超えて現れ始めたことを大いに喜びなさい。ヨハネ、分らないのか、私の名で大きな働きをする者は、結局は、我々の主義を支持しなければならないということが。かれらは、きっと私の悪口をすぐに言いはしないであろう。息子よ、この種の問題で、我々に反対しない者は、我々の味方であると考えたほうが、君にとっては良いであろう。来る世代では、全く相応しくない多くの者が、私の名で多くの奇妙なことをするが、私はそれらを禁じるつもりはない。喉の渇いている者に1 杯の冷水が与えられるときでさえ、父の使者は、愛のそのような行ないを記録するであろうと言っておく。」
この指示は、ヨハネを大いに当惑させた。あるじが「私と共にいない者は、私に相対しているのである」と言うのを、自分は確かに聞いたのであろうか。かれは、この場合イエスが、王国の精霊的な教えに対する人の個人の関係に言及すると同時に、もう一方では、結局は来たるべき世界規模の兄弟関係を構成する他の集団の仕事の上に、信者の1 集団の行政管理問題と司法権に関して、信者の表面的かつ広範囲の社会的関係に言い及んだことに気づかなかった。
だが、ヨハネは、王国のためにその後の作業に関してこの経験について詳しく話した。それでも使徒達は、大胆にもあるじの名前で教える人々に幾度となく立腹したのであった。イエスの足元に一度も座ったことのない者達は、敢えてイエスの名で教えることは、使徒達にはいつも不適切に思えた。
イエスの名前で教えたり働くことをヨハネに禁じられたこの男は、使徒の命令を意に介さなかった。かれは、まっしぐらの努力を続け、メソポタミアに進行する前にカーナタでかなりの信者仲間を奮い立たせた。この男アデンは、イエスがケリサ近くで癒し、またあるじが放逐した想定上の悪霊が、豚の群れに入り、崖の上から真っ逆さまに撲滅へと追いやられたとまったくの自信をもって信じる発狂者の証言からイエスを信じるようになった。
トーマスと仲間が働いたエヅレイで、イエスは、夜の討議において、真実を説く人々を導くべき、また、王国の福音を教える者すべてに弾みをつけるべき根本理念を説明した。現代の言い回しに纏めて、イエスは次のように教えた。
常に人の人格を尊重せよ。義は、決して力ずくで進められるべきではない。精霊的な勝利は、精霊的な力によってのみ得られる。物質的な圧力の使用に対するこの訓令は、物理的な力だけでなく精神力にも言及する。強烈な議論と精神的な優勢は、男女に王国を強制するために用いられることになってはいない。人の心は、論理の単なる重さで潰されたり、抜け目のない雄弁さで威圧されることになってはいない。人間の決定要因としての感情を完全に排除することはできないが、王国の大義を進める人々の教えにおいて直接訴えられるべきではない。人の心に住む神の神霊に直接呼び掛けよ。恐れ、哀れみ、または単なる感傷に訴え掛けるでない。人に訴えるに当たっては、公正であり、自粛をし、然るべき抑制を示しなさい。自分の生徒の人格に対する適切な敬意を示しなさい。「見よ、私は扉の外に立って叩き、誰かが開くならば、入っていく」と私が言ったことを思い出しなさい。
王国に人を連れて来る際、彼らの自尊心を薄らげたり損ねたりするな。過度の自尊心は、適度の謙虚さを損ない、誇り、自惚れ、傲慢に終わるかもしれないが、自尊心の損失は、しばしば意志の麻痺に終わる。自尊心を失った者にそれを回復させ、自尊心を持っている者にそれを抑制させるのが、この福音の目的である。生徒の人生での不正を非難するだけであるという誤りを犯してはいけない。彼らの人生で最も賞賛に値することに寛大な認識を与えるように銘記せよ。自尊心を失いそれを取り戻すことを本当に望む者には回復のための手を貸すということを忘れてはいけない。
臆病で恐れている人間の自尊心を傷つけないように注意せよ。お人よしの我が同胞を犠牲にした皮肉にふけってはいけない。恐怖に支配されている我が子に対して冷笑的でないように。怠惰は、自尊心を破壊する。したがって、自分が選んだ仕事にずっと精を出すように同胞に諭しなさい。そして、職なしでいる者に仕事を保証するあらゆる努力をしなさい。
男女を脅して王国へと仕向けるような価値のない戦術とういう罪を決して犯さないように。情愛深い父というものは、正当な要求に従わせようとして子供を脅かさない。
王国の子等は、情感の強い感覚が、神霊の導きに等しくないと、いつか理解するであろう。何かをしたり、または、ある場所に行くことを強く、また妙に感じるということは、そのような衝動が、必ずしも内在する精霊の導きであるというわけではない。
肉体で送る人生から精霊で送る高度な人生へと移り過ぎる者全てが横断しなければならない衝突のへりに関して全信者に前もって警告せよ。いずれの領域内においても完全に生きる者にはほとんど衝突も混乱もないが、多かれ少なかれ生活の2つの領域の間で移行の時代の不確実性を経験することが、全ての者に運命づけられている。王国に入る際、君は、その責任から逃げたり、その義務を避けたりすることはできないが、覚えていなさい。福音のくびきは、簡単であり、真実の負担は軽いのである。
世界は、生命のパンのまさしくその存在で飢える空腹な人間で満たされている。人は、内に住むまさしくその神を捜し求めて死ぬ。人は全て、生きた信仰の即座の把握の範囲で憧憬心と疲れきった足で王国の宝物を捜し求める。宗教にとり信仰は、船にとっての帆である。それは、人生のさらなる重荷ではなく、力の追加である。王国に入る者にとり1つの戦いしかなく、それは、信仰のために立派に戦うことである。信者には、1つの戦いしかなく、それは、懐疑—不信仰—に対してである。
君は、王国の福音を説く際、単に神との友情を教えている。そして、男女とも彼らの特徴的な切望と理想を最も本当に満たすそれを見つけるという点で、この親交は、同様に男女に訴えるであろう。私は、私の子供等の感情に優しく接しており、そのもろさに我慢強いが、罪には無情であり、不正も受け入れないと、私の子供等に伝えなさい。父の前で私は、本当に素直で謙虚であるが、同時に、天の父の意志に対する故意の悪行や罪深い反逆があるところでは執拗に容赦しない。
君達は、自分の師を悲しみの男として描かないであろう。将来の世代は、我々の喜びの輝き、我々の善意の高揚、我々の上機嫌の精神的刺激を知るであろう。我々は、その変換力に影響し易い朗報を公布する。我々の宗教は、新しい人生と新しい意味で鼓動している。この教えを受け入れる者は、喜びに満ちており、心ではつねに喜びに促されている。幸福を増大することは、常に神について確信がある全員の経験である。
すべての信者に間違った同情の不安定な支柱にもたれ掛かることを回避するように教えなさい。自己憐憫の甘やかしからは、強い性格を開発することはできない。正直に、惨めさを伴う単なる親交において間違った影響を正直に避ける努力をしなさい。生活の試練の前にただ浮腰で立つ臆病者には、過剰なあわれみを差し控えると共に、勇敢で勇ましい者には同情を差し伸べなさい。自分の問題を前にして闘わずして横たわる者に慰めを示してはならない。お返しに同情してくれるかもしれないからと単に同情するでない。
私の子供がいったん神性の存在の確信を自覚するとき、そのような信仰は、心を広げ、魂を高潔にし、人格を強化し、幸福を増大させ、精霊的な認識を深め、愛し愛される力を高める。
王国に入る者は、それによって時の災禍、あるいは普通の自然の大災害から免がれることにはなっていないということを教えなさい。福音を信じることは、苦境に陥ることを防ぎはしないが、それは、苦境が襲うとき、恐れなくなることを保証する。もし私を信じる勇気があり、心から私のあとについてくるならば、君は、そうすることにより苦境への確かな道に間違いなく踏み入るであろう。私は、逆境の水域から君を救い出すとは約束はしないが、それらの全てを君と共に行くと約束する。
そして、その夜の睡眠に備える前、イエスは、この信者集団にさらに多をく教えたのであった。これらの話を聞いた彼らは、心でそれを大事にし、それが話されたとき出席していなかった使徒や弟子の教化のためにしばしばそれを復唱するのであった。
それからイエスは、ナサナエルとその仲間が働いていたアビラに行った。ナサナエルは、一般的に知られるヘブライ聖書の権威を損なうように思えるイエスの表明のいくつかに非常に悩まされた。そのため、この夜、通常の質疑応答の後、ナサナエルは、イエスを他の者から連れ去って尋ねた。「あるじさま、私は、聖書に関し真実を知っていると信じてくださいますか。私は、聖典—私の意見では最高である—の部分だけをあなたが教えているのに気づいており、また、アブラーハームとモーシェの時代以前にすら神と共に天国に存在していた法の言葉は神の言葉そのものであるという趣旨でユダヤ教の教師の教えを拒絶していると推し計っています。聖書に関する真実は何でありますか。」イエスが当惑している使徒の質問を聞いて答えた。
「ナサナエル、君は、正しく審判している。私は、ユダヤ教師のようには聖書を見てはいない。この教えを受ける用意のできていない君の同胞には話さないことを条件に、この事柄に関し話すつもりである。モーシェの法の言葉と聖書の教えは、アブラーハーム以前には存在していなかった。ごく最近になって、現在あるような教典が集成されたのである。それは、ユダヤ民族のより高い考えと切望の最高のものを含むとともに、天の父の特徴と教えを代表することからはほど遠い多くのことも含んでいる。それゆえ、私は、王国の福音のために収集されることになっているそのような真理をより良い教えの中から選ばなければならないのである。
これらの著作は人の業である。彼らの一部は聖人であり、他の者はそれほど神聖ではない。これらの本の教えは、それらが起源を持つ時代の視点と啓蒙の範囲を代表している。真実の顕示としては、最初のものよりも最後のものがより信頼できる。聖書は、誤りっており、起源が、まったく人間的ではあるが、思い違いをしてはならない、それは、この時点では、全世界で探し得る宗教的な知恵と精霊的な真実の最高の収集を構成している。
これらの本の多くは、それに名前のある人々によっては書かれなかったが、収録されている真実の価値は、決して損なわれてはいない。ヨナの物語が事実でなくとも、たとえヨナが生きなかったとしても、この物語の深遠な真実、つまりニネウイへの神の愛、そして、いわゆる異教徒への神の愛は、仲間を愛する全ての者の目には、それでもやはり貴重である。聖書は、神を捜し求め、正義、真実、神聖さの最高概念をこれらの書物に記録として残す人間の思考と行為を提示しているが故に、神聖である。聖書は、たいへん多くの真実を収録しているが、君の現在の教えに照らし合わせるとき、これらの著作は、同時に、天の父を、私が全世界に明らかにしに来た情愛深い神を、誤って伝える多くのものを含んでいることが、君は知っている。
ナサナエル、愛の神が、全ての敵—男、女、子供等—を殺しに戦いに行くように祖先を導いたと教える聖書の記録を決して一瞬たりとも信じてはいけない。そのような記録は、あまり神聖ではない者の言葉であり、神の言葉ではない。聖書は、いつもそれらを作成する者達の知的で、道徳的で、精神的な状態を反映させるし、こらからも常にそうである。予言者が、サミュエルからイェシャジャまでの記録の作成の際、ヤハウェの概念が、美と栄光で成長することに気づかなかったのか。また、聖書は、宗教的な訓令と精神的な指導を意図しているということを心得るべきである。それは、歴史家か哲学者のいずれの作品でもない。
「最も嘆かわしいことは、単に聖書の記録の絶対の仕上げとその教えの絶対確実性のこの誤った考えではなく、むしろ伝統の虜となったエルサレムの筆記者とパリサイ派によるこれらの神聖な著作の紛らわしい曲解である。そして、今、王国の福音のより新しい教えに耐える断固たる努力において、聖書の激励となる教義の概念とその曲解の両方を用いるであろう。ナサナエル、決して忘れてはいけない、父は、いかなる1 世代、または、いかなる1民族への真実の顕示を制限などしていない。多くの熱心な真実探求者は、聖書のこれらの完全性主義に混乱し、落胆して、また、そうあり続けるであろう。
真実の権威は、その生きた表現に内在する精霊そのものであり、別の世代の、 あまり光彩のない、おそらく霊感を受けた者達の死んだ言葉ではない。そして、たとえ昔のこれらの聖人達が、啓示を受けて精霊に満たされた生活を送ったとしても、それは、彼らの言葉が同様に精霊的に示唆されたことを意味しない。私が去った後、君達が、私の教えに関する解釈の多様性の結果として、真実の競争相手となるいろいろな集団に速やかに分裂しないように、今日、我々は、王国のこの福音の教えの記録を作らない。記録の作成を避けると共に、我々がこれらの真実の生活を送ることが、この世代にとって最も良い。
私の言うことをよく聞きなさい、ナサナエル、人間性が影響した何も、絶対確実とは見なせない。人の心を通して神性の真実は、本当に光り輝くかもしれないが、それは、いつも相対的な純粋さと部分的な神性さなのである。被創造物は、確実性を切望することはできるが、創造者だけがそれを所有しているのである。
しかし、聖書についての教えで最たる誤りは、神秘と知恵の教えが、密封され、国の賢者だけが、あえて解釈をするという教義である。神性の真実の顕示は、人間の無知、偏狭さ、狭い心の不寛容は別として、封印されてはいない。聖書の光は、偏見にぼかされ、迷信に暗くされるだけである。神聖さの誤った恐怖は、宗教が常識によって保護されることを防いだ。過去の神聖な著作の権威に対する恐怖は、今日の正直な者達が、福音の新たな光、別の世代の神を知るこれらの他ならぬ人間が見ようと激しく望んだ光、の受け入れを事実上妨げている。
「しかし、すべての中で最も悲しい特徴は、この伝統主義の神聖の教師の数人が、まさにこの真実を知っているという事実である。かれらは、多かれ少なかれ聖書のこれらの限界を熟知しているが、道徳上の臆病者であり知的に不正直である。かれらは、神聖な著作に関して真実を知っているが、人々にそのような不穏な事実を与えずにいることを好む。その結果、彼らは、他の世代の神を知る人間の道徳上の知恵、宗教上の刺激、精霊的な教えの宝庫としての神聖な著作に訴える代わりに、日常生活の隷属的な詳細と非精霊的な事柄での権威としての案内にして、聖書を曲解し、歪めているのである。
ナサナエルは、あるじの表明に啓発され、しかも衝撃を受けた。かれは、魂の奥深いところで長らくこの話をよく考えてみたが、イエスの上昇後までこの談合に関して誰にも言わなかった。そして、その時でさえ、あるじの教えの全容を伝えることを懸念した。
ジェームスが働いていたフィラデルフェィアで、イエスは、王国の福音の肯定的本質に関し弟子に教えた。その所見の中で、聖書の一部が、他よりも多くの真実を含んでいると仄めかしたり、かれの聞き手が、魂に精霊的な糧を供給すると訓戒していると、ジェームスが、あるじを遮って尋ねた。「あるじさま、私達の個人の啓発のために聖書からよりよい良い章句をいかに選べるかを示唆してもらえますか。」イエスは答えた。「よろしい、ジェームス、聖書を読むときは、次のような永遠に真実で、神々しく美しい教えを探しなさい。
「主よ、私に清い心をお作りください。
「主は私の羊飼い。私は欲しがりません。
「自分を愛するように隣人を愛せよ。
「私が、あなたの主である神が、あなたの右手を堅く握り、恐れるな、と言っている。私があなたを助ける。
「そして、国々は、もはや戦争のことも学ばない。」
そして、これは、イエスが日々、追随者の教訓と王国の新しい福音の教えへの編入のためにヘブライ聖書の最良部分を当てた方法の実例である。他の宗教は、神の近さの考えを人に示唆してきたが、イエスは、依存する子供等の繁栄に対する情愛深い父の心遣いのような人に対する神の気遣いを示唆し、そして、これを自分の宗教の礎石とした。このように、神の父性は、人の兄弟愛の実行を避けられなくした。神の崇拝と人の奉仕は、イエスの宗教の要点となった。イエスは、王国の福音の新しい教えでユダヤ人の宗教の最良部分を取り入れ、それを相応しい環境に移した。
イエスは、ユダヤ人の宗教の受動的な教義に明確な行動の気勢を組み入れた。イエスは、儀式的な必要条件の否定的な迎合性の代わりに、自分の新しい宗教を受け入れた者に要求される積極的な行動を言いつけた。イエスの宗教は、単に信じることではなく、福音が要求するそれらのことを実際にすることで成り立った。かれは、自分の宗教の本質が、社会奉仕にあるということを教えはしなかったが、むしろその社会奉仕は、真の宗教の精霊のもつ特定の影響の1つであった。
イエスは、聖書の低劣な部分を拒絶する一方、より良い半分を躊躇わずに流用した。かれは、素晴らしい訓戒、「隣人をあなた自身のように愛せよ」を、「自民族の子孫に復讐をしてはならず、あなた自身のように隣人を愛せよ。」とある聖書からとった。イエスは、聖書の否定部分を退け、積極的な部分を流用した。かれは、否定的であるか、まったく受動的な無抵抗にさえ反対した。かれは、「敵があなたの頬を打つとき、そこに無言で立ち、受け身でおらず、積極的な態度でもう片方の頬をも向けてやりなさい。つまり、誤っている兄弟を悪の道から正しい生活のより良い道へと積極的に導く可能な限り最善のことをしなさい。」イエスは、あらゆる人生状況に前向きに積極的に反応することを追随者に要求した。他の頬を向けるということ、または、それが象徴するかもしれないどんな行為も、自発性を要求し、信者の人格の活発で、行動的で、勇敢な表現を必要とする。
イエスは、悪への無抵抗の実践者に押しつけることを故意に求めるかもしれない者達の侮辱への否定的な服従の習慣についてではなく、むしろ、善で効果的に悪に打ち勝てる目標への善の迅速で積極的な反応において、自分の追随者が、賢明であり、注意深くあるべきであるということを提唱したのであった。忘れてはいけない。本当に良いことは、最も悪質な悪よりもつねに屈強である。あるじは、正義の積極的な基準を教えた。「誰でも私の弟子になりたい者は、自分自身を捨て、日毎私についてくるための最大限の責任を負いなさい。」そして、「巡り歩いて良い業をなした。」という点で、自らが生きた。そして、福音のこの局面は、彼が、追随者に後に話した多くの寓話によって見事に例示された。かれは、決して我慢強く堪えることではなく、むしろ精力と熱意をもって人間の責任と神の王国における神の特権に最大限に従って生活することを追随者に勧めた。
ある者が不当に外套を取るならば、かれらは、他の衣類も差し出すべきであると使徒に教えるとき、イエスは、「目には目」などの報復するという昔の忠告の代りに、悪事を働く者を救うために何か積極的なことをするという考えほどには、文字通りに2番目の外套に参照はしなかった。イエスは、報復や、ただ受け身の被害者、あるいは不正の犠牲者になるという考えを嫌った。この時、イエスは、悪に挑み、抵抗する3つの方法を教えた。
1. 悪には悪を報いること—積極的な、しかし、邪悪な方法。
2. 苦情なしに、抵抗なしに悪に苦しむこと—まったく否定的な方法。
3. 悪に善を報いること、状況の支配者になるように意志を断言すること、善で悪に打ち勝つこと—積極的で公正な方法。
使徒の一人がかつて尋ねた。「あるじさま、見知らぬ人が私に彼の荷物を1.6キロメートル強制的に運ばせようとするならば、私は何をすべきでしょうか。」イエスは答えた。「小声でその見知らぬ人を叱りつける間、座って安堵を望むではならない。正義は、そのような受け身の態度からは生まれない。」それ以上有効に積極的な何も考えつかないならば、君は、少なくとも3キロメートル以上荷物を運べる。確実性のその意志は、邪で無信仰の見知らぬ人に難詰する。」
ユダヤ人は、悔悟の罪人を許し、その悪行を忘れ去ろうとする神について聞いたことはあったが、イエスが来るまでは、迷える羊を探しに行く神、率先して罪人を探しに行く神、喜んで父の家に戻る気持ちであると分かったとき、歓喜する神については聞かなかった。イエスは、宗教におけるこの肯定的な調子を自分の祈りにさえ伸張させた。また、否定的な黄金律を人間の公正さのための明確な訓戒に変えた。
全ての教えにおいて、イエスは、気を散らす詳細を絶えず避けた。かれは、美辞麗句を避け、言葉をもて遊ぶ単なる詩的表現を避けた。かれは、大きい意味を小さな表現へと習慣的に当て嵌めた。説明の便宜上、イエスは、塩、パン種、漁、幼子などの多くの用語のこれまでの意味を翻した。微細なことを無限なことなどに比較して、正反対のものを最も効果的に用いた。その描写は、「盲人が盲人を導く。」のように際立っていた。しかし、彼の実例となる教えの中で見つかる最も優れた長所は、その自然さであった。イエスは、宗教の哲学を天から地上にもたらした。かれは、新たな洞察と愛情の新贈与で魂の基本的な必要性を描いた。
デカーポリスでの4週間の任務は、それなりに成功していた。何百もの人々が王国に受け入れられ、使徒と伝道者は、イエスの直接の個人の臨場の刺激なしに仕事を続ける中で貴重な経験をした。
9月16日、金曜日、労働者の全部隊は、事前の打ち合せに基づいてマガダン公園に集合した。安息日に、100人以上の信者の協議会が開かれ、王国の仕事を拡大するための将来計画が、充分に考慮された。ダーヴィドの使者が出席しており、イェフーダ、サマレイア、ガリラヤと隣接している地区のすべての信者の福利に関する報告をした。
イエスの追随者の僅かしか、使者部隊の奉仕活動の優れた価値をこのとき完全には評価しなかった。また、使者は、パレスチナ中の信者間、それと信者とイエスと使徒との互いの接触を取り続けるだけでなく、これらの暗い日々、イエスとその仲間の生計と、それぞれ12人の使徒と伝道者の家族の擁立のための基金の集金人としての役目も果たした。
およそこの頃、アブネーは、嫁働基地を、ヘブロンからベツレヘムへと移したが、後者は、ダーヴィドの使者のイェフーダの本部でもあった。ダーヴィドは、エルサレムとベスサイダ間で夜通しの中継使者の活動を維持した。これらの走者は、毎晩エルサレムを出発し、シハーとスキトイポリスで中継し、翌朝の朝食時までにベスサイダに到着した。
そのときイエスと仲間は、王国のための働きにおける最後の時代に着手する前に、1週間の休息を取る準備をした。これは、皆の最後の休息であった、というのも、ペライア地域での任務が、皆のエルサレム到着とイエスの地球経歴の終わりの挿話上演のその時までに広げた説教と教えの運動へと展開していったからであった。
9月18日、日曜日の朝、アンドレアスは、翌週には何の仕事も計画されないと発表した。ナサナエルとトーマスを除く使徒全員は、家族を訪ねるか、友人の家に滞在するために帰省した。この週、イエスは、ほぼ完全な休息の時を楽しんだが、 ナサナエルとトーマスは、アレキサンドリアからのロダンという名のギリシア哲学者との討論に非常に忙しった。このギリシア人は、アレキサンドリアで派遣団を指揮していたアブネーの仲間の一人の教えを通じて最近イエスの弟子になったところであった。ロダンは、イエスの新宗教の教えに自分の人生哲学を調和させる仕事に、そのとき本気で従事しており、あるじが、これらの問題を自分と話し合うことを望み、マガダンにやって来た。かれは、イエスか使徒の1 人のいずれかから、直接の、信頼すべき権威ある福音の報告を手に入れることも望んでいた。あるじは、そのような会談に入ることを断ったが、ロダンを丁重迎に迎え、ロダンが言うべきすべてを聞き、代わりに福音について話すようにナサナエルとトーマスにすぐに指示した。
月曜日の早朝、ロダンは、ナサナエル、トーマス、そして、たまたまマガダンにいた25人ほどの信者への一連の10本の演説を始めた。この講演は、凝縮され、組み合わされ、現代の言い回しに置き換えられ、考察のために次の考えを提示する。
人間生活は、大きな3種類の駆動力から成る—衝動、願望、魅力。強い性格、つまり凛とした人格は、生きることへの平凡な魅力が、未探査の考えや未知の理想のより高い領域に移行されなければならないと同時に、生命の自然の衝動を社会的生活術に変換することにより、現在の願望を永続的達成が可能であるそれらのより高い切望に変えることによってのみ身につく。
文明が複雑になればなるほど、生活技術はより難しくなるであろう。社会慣習における変化が急速であればあるほど、性格開発はより複雑になるであろう。10世代毎の人類は、進歩が続くようであるならば、生きる技術を改めて学ばなければならない。そして、人間が、社会の複雑さにより拍車をかけて巧妙になるならば、 生活技術は、より少ない時間、恐らく各世代ごとに再習得される必要がでてくるであろう。生活技術の進化が、生計の方法と足並を揃えることができないならば、人間は、単なる生活衝動—現時点の願望の満足到達—に速く逆戻りするであろう。このように、人間は、未熟のままであろう。社会は、成長における完全な成熟に失敗するであろう。
社会の成熟度は、その達成が、永久の目標への漸進的な進歩のより豊かな満足感を与えるそれらのより高い渇望の歓待のために、人が、単なる一時的な現在の願望の満足感を喜んで諦めるその度合に相等しい。しかし、社会の成熟度の本物の印は、民族が、確立された信条や不穏なものに対する従来の考えからの誘惑の容易さを促進する規範、そして理想主義的、精霊的な現実のまだ気づいていない目標到達のための未探検の可能性の追求への活力を要する魅力の下で、穏やかに満足して生きる権利を手渡す意欲である。
動物は、生命の衝動に立派に反応するが、人類の大多数が生きたいという動物的衝動を経験するだけであるとはいえ、人だけは、生きる技術を極めることができる。動物は、この盲目的、本能的な衝動だけを知っている。人は、この衝動を自然な機能へと超えさせることができる。人は、知的な技術の高い平面で、天の喜びと精霊的な極みの平面でさえ生活することを選ぶことができる。動物は、生活の目的にいかなる問い掛けもせず、それ故、決して心配せず、また自殺もしない。人間に起こる自殺は、そのような存在物が、存在の動物段階から単に羽化したということ、そして、そのような人間の探検努力が人間経験の技術的段階に達しなかったという更なる事実に現れた証拠となる。動物は、生活の意味を知らない。人は、価値の認識と意味の理解のための能力を備えているだけではなく、意味の意味するところを意識もしている—洞察に対する自意識がある。
人が、冒険的な技術と不確かな論理の一つのために自然な熱情の人生を敢えて見捨てるとき、かれらは、少なくとも知的で感情的成熟のいくらかの到達点に至るまで、感情障害—闘争、不幸、不確実性—に伴う危険を受ける覚悟をしなければならない。挫折、懸念、怠惰は、道徳的未熟さの明白な証拠である。人間社会は、2つの問題に直面している。個人の成熟の達成と民族の成熟の達成。成熟した人間は、やがて優しい気持ちと寛容の感情をもって他の全ての死すべき運命にある者を見始める。成熟した人間は、両親が我が子に抱く愛と慰めをもって未熟な人々を見やる。
成功した生活は、共通の問題解決のための信頼できる技術の習熟する技以外の何ものでもない。あらゆる問題解決の第一歩は、困難を見つけ、問題を特定し、率直にその性質と重大さを認めることである。重大な誤りは、生活問題が我々の深遠な恐怖を起こさせるとき、我々がそれらを認識することを拒否するということである。同様に、我々の困難の承認が、多年の自惚れの縮小、嫉妬の自認、または根深い偏見の放棄を必要とするとき、平均的な人間は、安全の古い幻想と多年の誤った安心感にしがみつくことを好む。勇敢な人だけは、誠実で論理的な心が発見するものを自発的に正直に認め、恐れず立ち向かう。
いかなる問題の賢明かつ効果的な解決も、心が、偏り、激情、そして問題解決のためにそれ自体が提示している実際の問題要因の公平無私の調査を妨げるかもしれない他のすべての純粋に個人的な偏見を持たないことを要求する。生活問題の解決は、勇気と誠実を要する。正直で勇敢な個人だけが、恐れを知らない心の論理が導くかもしれない困らせ、混乱させる生活の迷路を勇敢に通過することができる。そして、心と魂のこの解放は、宗教的な熱意に接する賢明な熱意の推進力なしには決して生まれることはできない。難しい物質的な問題と様々の知的な危険に悩まされる目標の追求へと人を努力させるには、すばらしい理想の魅力を必要とする。
たとえ人生の窮状の対処に充分に備えているとしても、君は、仲間の心からの支持と協力を得ることを可能にする人格の心と魅力の知恵を備えていない限り、ほとんど成功を期待することができない。仲間を説得し、人を説き伏せる方法を学ばない限り、君は、世俗的、または宗教的な仕事における大幅な成功を期待することはできない。君は、単に気転と寛容性がなければならない。
しかし、私にある問題解決のすべての方法で最もすばらしいものは、イエスから、君のあるじから学んだ。私は、イエスがそれほどまでに一貫して行い、とても誠意をもって君に教えた、敬虔な思索の隔離に言及しているのである。天の父との親交のために頻繁に一人で出掛けるイエスのこの習慣には、生活の普通の対立への強さと賢明さを結集するだけではなく、道徳的かつ精霊的な特徴のより高度の問題解決のための活力を充用する技術が見つけられる。しかし、問題解決の正しい方法でさえ、人格の本来の欠陥を補わず、あるいは、真の正義への飢餓と渇きの欠如の埋め合せはしないであろう。
生活問題の孤独な探求にこれらの時期に従事するために、社会奉仕での多種多様の要求に応ずるための知恵と活力の新たな補給を捜し求めるために、神性との接触意識を全人格に実際に経験させることによって生活の最高の目的を速め深めるために、変わり続ける生活状況に順応する新たでより良い方法の掌握のために努力するために、価値があり真実であるすべてに対する教化された洞察に非常に不可欠である人の個人の態度の極めて重大な再建と再調整をもたらすために、そして、神の栄光のみを意図してこのすべてをするために—誠意であるじの好む祈り「自分の意志ではなく、あなたの意志が為されるように。」を口に出すために、一人離れていくイエスの習慣に、私は深く感銘を受けている。
あなたのあるじのこの敬虔な実践は、心を取り戻す寛ぎ、魂を奮い立たせる照明、人間の問題に勇敢に直面することを可能にする勇気、衰弱させる恐怖を消す自己理解、神のようにあることをあえてすることを可能にする保証を準備させる神性との合一の意識をもたらす。あるじが実践する崇拝の寛ぎ、あるいは精霊的親交は、緊張を和らげ、対立を除去し、人格の全資源を勢いよく増大させる。そして、私がそれを理解するように、この哲学全てが、加えて王国の福音が、新しい宗教を構成する。
偏見は、真実の認識に対して魂を惑わせ、偏見は、仲間のすべてを抱擁し、包括する基因の崇敬への魂の誠実な献身によってのみ取り除くことができる。偏見は、不可分に利己主義に関連がある。偏見は、単に自己本位の放棄により、代わりに、自己より偉大であるばかりでなく全人類よりもさらに偉大なもの—神の捜索、神性の達成—に基因にもたらす満足感の探索によって根絶することができる。人格の成熟の証しは、最も高く最も神々しく本当であるそれらの価値の実現化を絶えず捜し求めた結果、人間の願望の変化の中にある。
絶えず変化している世界において、つまり発展する社会秩序の真っ唯中に、運命の固定され確立された目標を維持することは、不可能である。人格の安定性は、無限の到達への永遠の目標として生きている神を発見し、迎え入れる人々だけが、経験することができる。このように、人の目標を時間から永遠、地球から楽園、人間から神性へと移すということは、人が再生され、変換され、再度生まれてくることを必要とする。すなわち、人が神霊の再形成された子供になること、天の王国の兄弟関係への入り口を獲得すること。これらの理想にそわないすべての哲学と宗教は、未熟である。私が教える哲学は、あなたが説く福音に結びつけられ、成熟の新しい宗教、将来の全世代の理想を代表している。そして、我々の理想が最終的であり、確実であり、永遠であり、普遍的であり、絶対であり、無限であるので、これは本当である。
私の哲学は、真の達成すなわち成熟度の目標の現実に向けての探究という衝動を私に与えた。しかし、私の衝動は、無力であった。私の探究は、駆動力を欠いた。私の探求は、方向づけの確実性の欠如に苦しんだ。そして、これらの不足は、イエスのこの新しい福音によって、その洞察の強化、理想の高度化、目標の固定によって豊かに供給された。疑念と危惧がなく私は今、心から永遠の冒険的事業に乗り出すことができる。
死すべき者が共存できるただ2つの道がある。物質の、すなわち動物の道と精霊の、すなわち人間の道。合図と音の使用により、動物は、限られた方法で互いに伝達ができる。しかし、そのような伝達形態は、意味、価値、または考えを伝えない。人と動物の間の1つの違いは、人は、最も確かに意味、価値、考え、さらには理想さえ明示し、識別する記号によって仲間との伝達ができるということである。
動物は、考えを互いに伝えることができないので、人格を開発することができない。人は、このように考えと理想の両方に関して仲間との伝達ができるので人格を開発する。
人間の文化を構成し、社会交流を通して、人が文明を築くことを可能にするのが、意味を伝え合い共有するこの能力なのである。知識と知恵は、これらの財産を後の世代に伝える人の能力のため累積するようになる。それによって、民族の文化的な活動:芸術、科学、宗教、および哲学が起こる。
人間同志の記号伝達は、社会集団を存在させることを先決している。総ての社会集団で最も効果的なものは、家族であり、特に2人の両親である。個人の愛情は、これらの物質的な交流を結合する精霊的な絆である。そのように効果的な関係は、本物の友情の献身において誠に豊かに例証されるように、同性の2人の人間の間でも可能である。
生きる技術のより高い水準の次の不可欠要因を奨励し促進するので、友情と互いの愛情のこれらの交流は、社会化し、高揚させる。
1. 相互の自己表現と自己理解。気高い人間の表現を聞く者はだれもいないので、多くのそのような人間の衝動は、消える。誠に、人が単独でいることは良くない。幾分の認識とある程度の評価は、人間の性格の発達には不可欠である。家庭に対する本物の愛情なしには、子供は、通常の性格の完全な発達を成し遂げることができない。性格は、単なる心と道徳以上の何かである。性格を発達するための意図された全ての社会的関係の中で、最も効果的で理想的なものは、相互の容認による賢明な結婚生活での男女の愛ある、そして理解ある友情である。結婚は、その多様な関係上、強い性格の発達に不可欠のそれらの貴重な衝動や、より高いそれらの動機を引き出すようように最適に意図されている。私は、それ故、家族生活の賛美を躊躇わない、なぜならば、あなたのあるじは、王国のこの新しい福音のまさにその礎石として賢明にも父子関係を選んだのであるから。そして、時の最高の理想を抱く男女の、そのような無類の共同体関係は、その所有のために必要などんな代償にも、どんな犠牲にも値するとても貴重で満足のいく経験である。
2. 魂の結合—知恵の動員。すべての人間は、遅かれ早かれ、この世の特定の概念と次の世界の特定の展望を身につける。今、人格交流を通して、現世の存在と永遠の見通しに関わるこれらの展望を結合させことが可能である。従って、一人の心は、もう一人の洞察の多くを得ることによってこそ、その精霊的価値を増大させるのである。このように、人は、それぞれの精霊的な財産を蓄えることによって魂を豊かにする。同様に、この同じ方法で、人は、展望の歪曲、偏見的見解、視点の偏見、そして判断の狭さの犠牲に陥るその常に存在する傾向を避けることが可能となる。恐怖、嫉妬、自惚れは、他の心との親密な接触によってのみ防ぐことができる。あるじは、王国拡大のために働かせるためにあなたをだけを決して派遣しないという事実に、私はあなた達の注意を促す。あるじは、つねに二人ずつであなた方を送る。そして、知恵が知識以上のものなので、知恵の結合において、社会的な小さいか、または大きい集団が、互いにすべての知識を共有するいうことになる。
3 .生活に対する熱意。孤立は、魂の充電された活力を使い果たす傾向がある。仲間との交流は、人生に対する熱意の更新に不可欠であり、人間生活のより高い段階への上昇の結果として起こるこれらの戦いを交える勇気の維持に不可欠である。友好は、喜びを高め、人生の勝利を賛美する。優しく、親密な人間の交流は、その悲しみから苦しみを、そのつらさから多くの悲痛を奪う傾向がある。友の存在は、すべての美を高め、あらゆる善を高める。人は、知性の記号によって、その友人の鑑賞力を速め拡大することができる。人間の友情のこの上ない素晴らしさの1つは、想像力の相互の刺激のこの力と可能性である。精霊の大きな力は、共通の目的への心からの献身、宇宙の神格への互いの忠誠心の意識に備わっている。
4. 悪のすべてに対する強化された防御。 人格交流と相互の愛情は、悪に対する効率のよい保険である。困難、悲しみ、失望、敗北は、 一人で堪え忍ぶとき、より苦痛で落胆的である。交流は、悪を正義に変えはしないが、それは、刺し傷をはるかに減少する際に援助をする。もし友が慰めるために身近にいれば、「悲しむ者達は幸いである」と、あなたのあるじは言った。あなたが、他の人々の幸福を生き甲斐にするという、そして、これらの他の人々があなたの福祉と進歩を生き甲斐にするために同様にいきるという知識には前向きな強さがある。人は、孤立していたのでは苦しむ。地上の一時的なやりとりだけを眺めるとき、人間は、絶えず妨げられるようになる。現在は、過去と未来から分離されると、腹立たしいほどに瑣末になる。永遠の環を垣間見ることだけが、人に最善をつくす気にさせることができ、全力を尽くすように挑戦することができる。そして、人がこのように最善の状態にあるとき、他の者のために、時間の中、そして永遠の中に滞在する仲間のために最も利他的に生きる。
そのような奮い立たせ高尚にする交流は、人間の結婚関係にその理想的可能性を見つけると、私は繰り返す。多くのことは、結婚以外で達成されるし、多くの結婚は、これらの道徳的かつ精霊的な果実を全然実らせることができないのは本当である。人間の成熟のこれらの優れた付属物よりも低い他の価値を探す人々が、あまりにも数多く結婚生活に入る。理想的な結婚は、感情の動揺や単なる性的魅惑の気紛れよりも何か安定したものの上に基づいていなければならない。それは、本物の、互いの個人の献身に基づかなければならない。このように、もしあなたが、人間の交流のそのような信頼ができて効果的な小さな構成単位を確立することができれば、これらが集合で組み立てられるとき、世界は、すばらしい、賛美の社会構造、すなわち、人間成熟の文明を見るであろう。そのような民族には、「地球の平和と人間の間の善意」というあるじの理想について何かが分かり始めるかもしれない。そのような社会が完全ではなく、悪から全く自由ではないとしても、少なくとも成熟の安定化には近づくであろう。
成熟のための努力は、働きを要し、働きは活力を要する。このすべてを成し遂げる力はどこから来るのか。物理的なものは、当然のことと思うかもしれないが、あるじは、「人はパンのみで生きることはできない。」とよく言った。通常の肉体と良い健康が与えられて、我々は、次に、人の眠る精霊的な根源力を誘い出す刺激として機能するそれらの魅力を探さなければならない。イエスは、人の中に神が生きるということを我々に教えた。では、我々は、いかにして人に神格と無限のこれらの魂に結びついた力を解放させることができるのか。神が、外へ向かいながら、我々の魂の回復へと飛び出し、それから他の無数の魂を啓発し、高揚し、祝福する目的にかなうように、我々は、いかにして人が神を放つように動機づけるか。あなたの魂で休眠状態にあるこれらの潜在的な善行の力をいかに見事に目覚めさせることができるのか。私が確信している1つのこと:感情的興奮は、理想上の精霊的な刺激ではない。興奮は、活力を増大させない。それは、むしろ心と身体の両方の力を消耗させる。では、これらの素晴らしい事をするための活力はどこからくるのか。あなたのあるじに注目しなさい。今でも、我々が活力をここで消費している間、かれは、力を取り込むために丘にいる。このすべての問題の秘密は、精霊的な親交、つまり崇拝に包まれている。人間の見地から、それは、結合された思索と緩和の問題である。思索は、心と精神との接触を成す。緩和は、精霊的な感受性の容量を決定する。そして、弱さのための強さ、恐怖のための勇気、自己の心のための神の意志この置き換えは、崇拝を構成する。少なくとも、それは、哲学者の見方である。
これらの経験が頻繁に繰り返されるとき、かれらは、習慣、強さを与えかつ信心深い習慣へと具体化し、そのような習慣は、ついには、それ自体を精霊的な性格へと系統だてていき、また、そのような性格は、成熟した人格として仲間に最終的に認められる。これらの実行は、初めのうちは難しく手間がかかるが、習慣的になると、すぐに安らぎを与え時間の節約となる。社会が複雑になればなるほど、そして文明の魅力が増せば増すほど、神を知る個人にとり、それらの精霊的な活力を節約し、増大するようになっているそのような保護的、習慣的な慣例を形成する必要が緊急となるであろう。
成熟到達のもう一つの必要条件は、変わり続ける環境への社会集団の協力の調整である。未熟な個人は、仲間の敵意を喚起する。成熟した者は、仲間の心からの協力を得て、それによって生活努力の成果を何倍にも増やす。
私の哲学は、必要ならば、正義の概念の防衛のために戦わなければならない時があるときもあると私に告げるのだが、人格のより成熟した種類であるじが、気転と寛容性の優れた、魅力のある技術によって簡単に、しかも優雅に等しい勝利を獲得するであろうと確信する。あまりにしばしば、我々が、正義のために戦うとき、勝者と敗北者の双方が、敗北を味わうことになる。つい昨日私は、あるじが、「賢明な者は、施錠された戸から入ろうとするとき、その戸を壊さず、むしろ錠をはずすために鍵を探そうとするであろう。」と言うのを聞いた。あまりに頻繁に我々は、恐れていないと自分達を単に納得させるために戦いに従事している。
王国のこの新たな福音は、より高度の生活へのより新しくより豊かな誘因を供給する生活技術に多大に貢献する。それは、運命の新しく発揚的な目標、最高の生活の目的を提示する。永遠の、神性の存在目標のこれらの新概念は、それ自体が崇高な刺激の中にあり、人のより高い本質の中に住む最良の反応を引き起こしている。知的な思考のあらゆる山頂には、心のための緩和、魂のための強さ、精霊のための親交が発見されることになっている。高度な生活のそのような有利な地点から、人は、思考の下部の段階の者の物質的な苛立たしさ—心配、嫉妬、羨望、報復、未熟な人格の自負心を越えることができる。これらの高く登って行く魂は、生活の小事からの逆流的な対立集団から自身を救い出し、そうして、精霊的な概念と天の意思伝達のより高い流れの意識に達することができるようになるのである。しかし、生活の目的は、安易で一時的な達成を捜し求める誘惑から極めて用心深く警護されなければならない。同様に、それは、狂信の破壊的な脅威に動じなくなるように育てられなければならないのである。
あなたは、永遠の現実到達に集中すると同時に、この世の生活に必要なものに対する準備をしなければならない。精霊が我々の目標であると同時に、肉体は事実である。時折、生活必需品は、偶然に手に入るかもしれないが、一般的には、我々は、それらのために明敏に働かなければならない。生きる2つの重大な問題は、次の通りである。この世での生計と永遠の生存を成就すること。そして、生計を立てる問題でさえ、その理想的な解決のためには宗教を必要とする。これらは双方共に、非常に個人的な問題である。事実、真の宗教は、個人を離れては機能しない。
現世の生活に不可欠なものは、私が見るのでは、次の通りである。
1. 良い身体的な健康
2. 清廉潔白な考え
3. 能力と技術。
4. 富—人生の福利
5. 敗北に耐える能力。
6. 文化—教育と知恵。
それらがあるじの教えの宗教的な視点から見るとき、肉体の健康と能力の物理的な問題さえ最良に解決される。人の体と心は、神の贈り物、すなわち人の精霊になる神の精霊の居住場所であるということ。こうして、人の心は、物質的なものと精霊的な現実の間の調停者となる。
人生に望ましいものの持ち分を確保するには、知性を必要とする。日々の仕事をする際の誠実さが、富の報酬を保証すると仮定することは、まったく誤っている。富の時折の、また偶然の獲得は差し置いて、現世の生活の物質的な報酬は、特定のよく組織化された経路に流れると判るし、これらの経路に近づく手立てを持つ者だけは、一時の努力に対して充分に報酬が与えられると思っているかもしれない。貧困は、孤立して独自の経路で富を追い求める多くのすべての人間にとっての運命であったに違いない。賢明な計画は、従って、現世の繁栄にとって不可欠なものとなる。成功は、仕事への専心だけでなく、人は、物質的な富の経路の何か一つの一部としても機能すべきである。もしあなたが賢明でないならば、あなたの世代のために物質的な報酬なしに献身的な人生を捧げることができる。富の流れの偶然の受益者であるならば、仲間のために価値あることを何もしなかったしても、あなたは、贅沢に溺れるかもしれない。
能力は受け継ぐものである一方、技能は修得するものである。人生は、巧妙に、上手に何か1つのことができない人にとっては、本当ではない。技能は、生活の満足感の真の原泉の一つである。能力は、先見、洞察の才能を含意する。不正直な業績の魅惑的な報酬にだまされてはならない。正直な努力に固有のその後の見返りのために精を出して働く気になりなさい。賢明な人間は、手段と目的の区別ができる。さもなければ、未来のための過度の計画は、時としてその本来の高い目的を打ち負かす。喜びを求める者として、あなたは、つねに消費者であると同時に生産者であることを目指すべきである。
聖なる受託において、人生の強さを与え、価値ある出来事を保持するためにあなたの記憶力を修行しなさい、そして、あなたは、喜びと啓発のためにそれを自由に思い出すことができる。このように、自分のために、また自分の中に、美、善、および芸術的な雄大さを積み重ねる画廊を確立しなさい。しかし、すべての記憶の中で最も貴いものは、並外れた友情の素晴らしい瞬間の大切にされた回想である。そして、これらの記憶の宝物のすべては、精霊的な崇拝の解放する接触の下に最も貴重で発揚する影響を広げる。
しかし、潔く失敗する方法を学ばなければ、人生は、存在の重荷になるであろう。気高い魂が常に身につける敗北には、芸術がある。あなたは、晴れやかに負ける方法を知らなければならない。あなたは、失望を恐れるようではいけない。決して失敗を認めることを躊躇ってはいけない。欺きの微笑と明るい楽天主義の陰に失敗を隠そうとしてはならない。成功を強く主張することは、常によく聞こえるが、結果は凄まじいのである。そのような技法は、直接、非現実世界の創造へと、そして終極的な幻滅の回避不能な崩壊へとつながる。
成功は勇気を生み、自信を促進するかもしれないが、知恵は人の失敗の結果への調整の経験だけから生まれる。現実よりも楽観的な幻想を好む人は決して賢明になることはできない。事実を直視し、理想に合わせる人のみが、知恵に到達することができる。知恵は、事実と理想の双方を迎え入れ、従って、哲学の実を結ばない両極端—事実を除外する理想主義者と精霊的な展望を欠く物質主義者—からその熱愛者を救う。成功に対する持続性の間違ったった幻想の助けによって人生の戦いを続けることができるだけであるそれらの臆病な人間は、失敗に苦しみ、自身の想像の夢の世界から最後には目を覚ますとき、敗北を経験するように運命づけられている。
そして、それは、失敗に直面し、宗教の遠大な展望がその最高の影響をおよぼす敗北に適応するこの営みにある。失敗は、宇宙探検の永遠の冒険を始めた神を追い求める人間の経験における単に教育的な挿話—知恵の習得における文化的な実験—である。そのような人間にとり、敗北は、宇宙現実のより高い段階到達への新しい道具にすぎない。
この世での人生の全事業は、惨敗に見えるかもしれないとしても、神を追い求める人間の経歴は、それぞれの人生の失敗が知恵と精霊達成の収穫をもたらす限り、永遠の光の観点からは大成功であると判明するかもしれない。知識、教養、知恵を混同するという誤りを犯すしてはいけない。それらは、人生に関係があるが、夥しく異なる精霊価値を表しており、知恵は常に知識を支配し、また、いつも教養を称賛する。
あるじは、本物の人間の宗教を精霊的な現実に接した個人の経験と考えると、あなたは、私に言った。私は、宗教を、全人類の敬意と献身に値すると考える何かに反応する人の経験として考えてきた。この意味において、宗教は、我々の現実理想の最高の概念と精霊的な達成の永遠の可能性に向かう我々の心の最も遠い範囲を表す我々の最高の献身を象徴する。
人が部族的、国家的、または人種的な感覚で宗教に反応するとき、それは、自分達の集団に属さないものを本当の人間的ではないと見るからである。我々は、常に、我々の宗教的な忠誠心の対象をすべての人の崇敬に値するといつも見る。宗教は、決して単なる知的な信念または哲学論法の問題ではありえない。宗教は、つねに、永遠に、人生の状況に反応する方法である。それは行為の種類である。宗教は、我々が、普遍的な崇拝に値すると考える何らかの現実に恭しく向かう思考、感覚、行動を包含する。
何かが、あなたの経験において宗教になったならば、あなたが、全人類、全宇宙の知者の崇拝に値するものとあなたの宗教の最高の概念を考えるので、あなたが既にその宗教の積極的な福音者になったということは、自明である。もしあなたが、宗教の積極的で伝道の福音者でないならば、あなたが宗教と呼ぶものは、単に伝統的な信念か、または知的な哲学の単なる組織にすぎないという点で、あなたは、自己欺瞞に陥っている。あなたの宗教が精霊的な経験であるならば、あなたの崇拝対象は、あなたの全ての精霊化された概念の普遍的な精霊的な現実と理想でなければならない。私は、恐怖、感情、伝統、哲学に基づく全ての宗教を知的な宗教と名付け、本当の精霊的な経験に基づくものを真の宗教と名付ける。宗教的な献身の対象は、物質的か、精霊的か、真実か、虚実か、人間的か、または神性であるかもしれない。故に宗教は、良いか、または邪悪であり得る。
道徳と宗教は、必ずしも同じではない。道徳の体系は、崇拝対象を理解することによって宗教になるかもしれない。宗教は、忠誠心と至高の献身にその普遍的な魅力を失うことにより哲学体系、または道徳規範に発展するかもしれない。宗教的な忠誠の最高の理想を構成し、そして礼拝者の宗教的な献身の受け手であるこの物、存在体、状態、存在体の位格、または、達成の可能性は、神である。精霊の現実のこの理想に適用される名前に関係なく、それは神である。
真の宗教の社会的特徴は、それが常に、個人を変え、世界を変えようとする事実にある。宗教は、文明の最も成熟している制度の最高度の社会慣習にさえ表される倫理と道徳の既知の標準をはるかに超越する未知の理想の存在を意味する。宗教は、未知の理想、未踏の現実、超人的な価値、神性の叡知、そして真の精霊達成のために努力する。真の宗教は、このすべてを為す。他のすべての信念は、この名に相応しくない。永遠の神の最高の、そして崇高な理想なくして本物の精霊的な宗教を持つことはできない。この神のない宗教は、人の発明、つまり生気のない知的信仰と無意味な感情的な儀式の人間の制度である。宗教は、その献身の対象として、大きな理想を要求するかもしれない。だが、非現実性のそのような理想は、達成することができない。そのような概念は、錯覚である。人間の達成を可能にする唯一の理想は、永遠の神の精霊的な事実に住まう無限の価値の神性の現実である。
神という言葉、神の理想と対比される神についての考えは、その宗教がたまたまいかに幼稚であろうが、誤っていようが、どんな宗教の一部にでもなり得る。そして、神についてのこの考えは、それを心に抱く人がそうすることを選ぶかもしれない何にでもなることができる。低度の宗教は、人間の心の自然な状態を満たすために神についての考えを形づくる。高度の宗教は、人間の心が真の宗教の理想の求めに応ずるために変わることを要求する。
イエスは、無限の現実の理想として父を描くだけでなく、価値のこの神性の源と宇宙の永遠の中心が、地上の天の王国に入る方を選び、その結果、神との息子性と人間との兄弟愛の受け入れの認識をする個々の被創造者によって本当に、個人的に達成できるということを明らかに断言するという点において、イエスの宗教は、崇拝についての我々の以前の全ての概念を超えている。私は、それは、これまでに世界に知られる最高度の宗教概念である、と提案すると同時に、またこの福音が、現実の無限性、価値の神性、普遍的到達の永遠性を含むのでこれ以上高度の概念は決してあり得ない、と断言する。そのような概念は、最高と究極の理想主義の経験達成を構成する。
私は、あなたのあるじのこの宗教の完全な理想に好奇心をそそられるだけでなく、精霊現実のこれらの理想が、達成可能であると、あなたと私は、楽園の入り口に我々の究極の到着の確実な彼の保証でこの長くて永遠の冒険を始めることができるという、かれの声明に対する信念を明言するように強く魂を動かされているのです。同胞よ、私は信者であり、私は乗り出した。私は、あなたと共にこの永遠の冒険的事業の途中である。あるじは、父から来られ我々に道を示すと言われる。私は、あるじが真実を話していると完全に説き伏せられている。私は、永遠である宇宙なる父は別として、達成可能などんな現実の理想、あるいは完全な価値もないと最終的に確信している。
私は、そこで、万物の神ではなく、すべての未来の万物の可能性の神を単に崇拝する。従って、その理想が本当であるならば、最高の理想へのあなたの献身は、すべての事物と生存物の過去、現在、未来の宇宙のこの神に対する献身でなけらばならない。そして、他のいかなる神も存在しない。他のいかなる神も存在しない、なぜなら、他のどの神も存在しえないのであるから。他のすべての神は、空想上の作り事、人間の心の幻想、間違った論理の歪曲、それらを捏造する者の自己欺瞞の偶像である。そう、あなたには、この神なしで宗教は有り得るが、それは何も意味しない。生ける神のこの理想の現実を神という言葉を代えようとするならば、あなたは、理想、つまり神性の現実の代わりに考えを置くことにより自己を欺いたことになる。そのような信条は、単に物欲しそうな空想の宗教である。
私は、イエスの教えに最高の宗教を見ている。この福音は、我々が本当の神を探し、そして見つけることを可能にする。しかし、我々は、天の王国へのこの入り口の代価を支払う気があるのか。我々は、再度生まれる、作り変えられる気持ちがあるのか。。我々は、自滅と魂再建のこの凄じい試煉の過程を受ける気があるのか。あるじは次のように言わなかったか。「自分の命を救おうと思う者は、それを失わなけらばならない。私が平和をもたらすためにきたと考えるのではなく、むしろ、魂の闘争を起こしに来たと思いなさい。」父の意志に専念する代価の支払い後、もしこれらの奉げられた生活の精霊の道を歩き続けるならば、本当に、我々は、素晴らしい平和を経験する。
現在、我々は、神性現実のより高い理想主義の精霊界における未来の冒険生活の存在に属する未知の、未踏の系列の魅力の探求に無条件に捧げる間、存在の知られている系列の魅力を本当に見捨てている。我々は、イエスの宗教の理想主義の現実のこれらの概念を仲間の人間に伝えようとする意味のそれらの象徴を求めて、そして、全人類が、この崇高な真実の共同の展望に感激するその日のために祈ることをやめない。父に対する我々の集中化された概念は、ちょうど今、我々の心に保持されているように、神は精霊である。またそれは、我々の仲間に伝えられているように、神は愛である。
イエスの宗教は、生活と精霊の経験を要求する。他の宗教は、伝統的な信条、感情的な感情、哲学的な意識とそのすべてで成るかもしれないが、あるじの教えは、真の精霊的な進行の実際の高さへの到達を必要とする。
神のようになる衝動の意識は、真の宗教ではない。神崇拝の喜怒哀楽の感情は、真の宗教ではない。自身を捨て、神に仕えるという信念に関する知識は、真の宗教ではない。この宗教がすべての中で最高であるという論理の妥当性は、個人の、精霊的な経験としての宗教ではない。真の宗教は、信仰が心から受け入れたその現実と理想主義にだけではなく、達成の運命と現実への参照がある。そして、このすべてが、真実の精霊の顕示によって我々に個人的にならなければならない。
このようにして、その民族の最も偉大な一人、イエスの福音の信者となったギリシアの哲学者の講説は終わった。
西暦29年9月25日、日曜日、12使徒と伝道者はマガダンに集った。その夜仲間との長い会合の後、イエスは、12使徒と会堂での饗宴に出席するために翌朝早くエルサレムに出発すると告げて皆を驚かせた。かれは、伝道者にはガラリヤの信者達を訪ね、女性班にはしばらくベツセイダに戻るように指示をした。
エルサレムへの出発の際、ナサニエルとトーマスは、アレクサンドリアのロダンとまだ討論の真っ最中であり、数日マガダンに留まるためにあるじの許しを得た。そして、イエスと10人がエルサレムに向かう一方、両者は、ロダンとの白熱の論議にふけった。ロダンは、その前の週自分の哲学を説明し、トーマスとナサニエルは、このギリシアの哲学者に王国の福音を交互に提示したのであった。ロダンは、自分のアレクサンドリアでの師で、また前使徒の一人であった洗礼者ヨハネにより自分、自分がイエスの教えをよく教え込まれていたのだということに気づいた。
ロダンと両使徒との間での意見の一致をみない神の人格についての一事項があった。ロダンは、神の属性に関して提示された全てを躊躇いなく受け入れたが、天にいる父は、人間が人格を考えているような人格体ではないと、人格体であるはずがないと強く主張した。神は人格体であると証明する試みに使徒が、難しさを覚える一方、ロダンの方は、神は人格体ではないと証明することはなお更に難しいと悟った。
ロダンは、人格の事実は、平等の存在体、すなわち同情的な理解力をもつ存在体の間の完全で相互の意志伝達の共存する事実にあると強く主張した。ロダンは言った。「人であるために、神は、接触しようとする者にとり完全に理解されるような精霊的な意志伝達の象徴を持たなければならない。しかし神は、無限かつ永遠であり、他のすべての存在の創造主であるが故に、平等の存在に関しては、神だけが宇宙において唯一である。神に等しいものはなく、対等なものとして神と意志伝達できるものはない。神は、誠に全ての人格の源であるかもしれないが、神は人格を越えたものである。」
この主張は、トーマスとナサニエルを大いに苦しめた。そこで二人は、イエスに助けを求めたが、あるじは、この討論への参加を拒否した。トーマスに言った。「君が、父の無限と永遠の性格の理想を精霊的に知る限り、君が抱く父に関する考えなど大した事ではない。」
トーマスは、神は人間と通じ合うと、したがって、ロダンの定義内でさえも、父は人であると主張した。このギリシア人は、神は自ら正体を見せない、神は未だに謎であるという理由でこれを拒んだ。そこでナサニエルは、神に接した自らの経験に訴えた。するとロダンは、自分も同じような経験をしたと同意して認めたが、これらの経験は、単に神の実在性であり人格ではないと争った。
月曜日の夜までには、トーマスはあきらめた。だが、ナサニエルは、火曜日の夜までに神の人格をロダンに信じさせた。かれは、次の理論過程においてギリシア人の見方を全く変えた。
1. 楽園の父は、自分自身に完全に等しく、全く自分のようである少なくとも二つの他の存在体—永遠なる息子と無限の精霊—との意思疎通を享受する。このギリシア人は、三位一体の教義を考慮して、宇宙なる父の人格可能性を認めることを余儀なくされた。それは、12人の使徒の心の三位一体の拡大した概念へと導いたこれらの議論のその後の考察であった。
2. イエスは父と同等であったことから、またこの息子は、地上の子らへの人格の明示を成し遂げたことから、そのような現象は、神の三位すべてによる人格所有の事実の証明、可能性の明示を構成し、そして人間との神の意思疎通の能力、また神との人間の意思疎通の可能性に関する問いを永遠に解決した。
3. イエスは、人間との共済の間柄にあり、完全な意思疎通の関係にあったということ。イエスは神の息子であったということ。息子と父の関係は、意志伝達の平等と共感のある理解の相互関係を前提としたということ。イエスと父は、一つであったということ。イエスは、神と人間双方との理解に向けての意志伝達を同時に保持したということ、そして、神と人間の双方が、イエスの意志伝達の象徴の意味を理解するので、連絡能力の必要条件に関する限り、神と人間の双方は、人格の特質を備えていたということ。それが、人間の中の神の存在を決定的に証明すると同時に、イエスの人格が、神の人格を立証したということ。同じものに関連がある二つの事柄は、互いに関係するということ。
4.人格は、人間実在と神性の価値についての人間のもつ最高概念を表すということ。神もまた、神性実在と無限の価値についての人間のもつ最高概念を表すということ。それゆえ神は、現実には、たとえ無限にかつ永遠に人格についての人間の概念と定義を卓越しているが、それでも常に、普遍に人格であるところの神性と無限の人格でなければならないということ。
5. 全ての人格の創造主であり、全ての人格の目標であるがゆえに、神は、人格でなければならないということ。ロダンは、「完全であれ、天国の父が完全であるように。」というイエスの教えに絶大に影響を受けた。
ロダンはこれらの反論を聞くと、「私は確信した。もし超人的、卓越的、崇高的,無限的、永遠的、究極的、普遍的というような一連の拡大された価値を人格の意味に補足にすることによりそのような信念の限界を認めてくれるならば、私は人としての神を認めよう。私は、神は、無限に人格以上でなければならないと同時に、それ以下の何でもあるはずがないといま確信した。私は、この議論を終え、イエスを父の個人的啓示として、また論理、理由、哲学における満たされていない全ての要因を満足させるものとして受け入れる事に満足する。」
ナサニエルとトーマスが、王国の福音についてのロダンの見解を完全に認めたので、イエスの神性の本質に関する教え、ごく最近、公に発表された教義に関する議論点だけが残った。ナサニエルとトーマスは、あるじの神性に関する自分達の観点を共同で提示した。次の論述は、凝縮され、再整理され、換言された自分たちの教えである。
1. イエスは、彼の神性を認め、我々は彼を信じる。彼が、人間の子であると同時に神の子であるということを信じることによってのみ我々が理解することのできるイエスの奉仕活動に関し多くの注目に値する事が起きた。
2. 我々との彼の友交関係の生活は、人間の友交関係の理想を例証する。神性の存在体だけが、そのような人間の友であり得た。かれは、我々が今までに知るもっとも本当に利己的でない人である。かれは、罪人にさえ友である。敵を恐れることなく愛する。我々に非常に忠実である。叱ることを辞さない一方、かれが我々をこころから愛しているということは、明白である。人は、彼を知れば知るほどより彼を愛するであろう。あなたは、イエスの不動の献身に魅せられるであろう。彼の使命に関する我々の積年の無理解にもかかわらず、彼はずっと誠実な友であった。へつらうことのない一方、かれは、我々を等しく親切に待遇する。かれは、変わることなく優しく情け深い。かれは、生活と他の全てのものを我々と共有した。我々は、幸せな共同体である。全てのものを同様に分かち合う。我々は、単なる人間が、そのような苦境の下でそのような非の打ちどころのない人生が送れるとは思わない。
3. 我々は、イエスが悪事を決して働かないので神性であると思う。かれは、間違いをしない。イエスの英知は驚異的である。彼の敬虔さは見事である。かれは、父の意志と完全に一致して日々を生きる。父の法のどれ一つとして犯さないがゆえに、悪事を悔いることは決してない。かれは、我々のために、そして我々と共に祈るが、彼自身のための決して我々に祈りを求めない。我々は、彼が一貫して潔白であると信じる。我々は、ただの人間である者が、そのような人生を送ることを明言したとは思わない。かれは、完全な人生を送ると主張し、我々は、彼がそうすると認める。我々の敬虔さは後悔より生まれるが、イエスの敬虔さは正義より生まれる。かれは、罪を許すと明言し、病を癒しもする。単なる人間は、誰も罪を許すなどと正気で主張はしないであろう。それは、神性の特権である。そしてかれは、彼との我々の最初の接触以来、彼の正しさにおいてこのように完璧であるように思われた。我々は恩恵をうけ、そして真理の知識において成長するが、あるじは、最初から正しさの円熟を示す。全ての人間、善者と悪者は、イエスに善のこれらの要素を認める。それでいて、イエスの敬虔さは、決して押しつけがましくなく、仰々しくもない。かれは、柔和でもあり、怖さも知らない。かれは、彼の神性に対する我々の信念を認めているようである。かれは、自らがそうであると称するものであるか、さもなければ古今を通して最悪の偽善者かいかさま師のいずれかである。我々は、彼がそうであると主張しているものそのものだと確信している。
4. 彼の性格の特徴と感情抑制の完成は、彼が人間性と神性の結合であるということを我々に納得させる。かれは、必ず人間の要求のありさまに対応する。かれは、決して苦悩を見逃すことはない。彼の思いやりは、身体的な苦痛、心の苦痛、あるいは精霊的な苦悶によって同様に動かされる。かれは、同胞の信仰、あるいは他の美徳の現れの見分けが早く、それらの認知において寛大である。かれは、公明正大であり、同時にとても慈悲深く、思いやりがある。かれは、人々の精霊的な頑固さを嘆き、人々が真実の明かりを見ることに同意するとき、大いに喜ぶ。
5. かれは、人間の心の考えを知り、胸中の憧れを察するようである。常に我々の荒れた精神に好意的である。かれは、人間の全ての感情を備えもっているらしいが、それらは、堂々とみごとに輝いている。かれは、強く善を愛し、等しく罪を憎む。かれは、神性の存在について超人間の意識を備えている。かれは、人間のように祈るが、神のように行う。かれは、物事を予知するようである。かれは、自分の死について、自分の未来の栄光についての何らかの謎めいた言及をし、いま敢えて語る。かれは、親切であり、豪胆かつ勇敢でもある。かれは、自己の義務遂行に決して躊躇わない。
6. 我々は、彼の超人的な知識の現象に、常に感動する。その場に居合わせていなくても何が起きているのか分かっているという事を明らかにする事柄が起こらずに、1日が過ぎ去ることが、あるじには滅多にない。かれはまた、仲間の考えについても分かるようである。かれは、疑う余地なく天上の人格と交わりを持っている。かれは、議論の余地なく地上の我々のはるか上の天上の水準で生きている。彼の独特な理解は、全てに通じているようである。かれは、我々に話をさせるために質問をするのであって、情報を得るためではない。
7.あるじは、最近、自身の超人性の主張を躊躇わない。使徒としての聖職授任の日から最近まで、かれは、自分が天なる父からきたということを否定していなかった。かれは、神性教師の権威をもって話す。あるじは、今日の宗教上の教えに反論することを、確固たる権威で新たな福音を宣言することを躊躇しない。かれは、断定的で、肯定的で、権威的である。イエスの話しを聞くとき、洗礼者ヨハネでさえ、彼が神の息子だと断言した。イエスは、他を頼りにしていないようである。かれは、多勢の支持を切望せず、人間の意見を意に介しない。かれは、勇敢で、かつ自惚れからはほど遠い。
8.かれは、自分のする全てに絶えず臨場の提携者として絶えず神について語る。かれは、善行を施して歩き回り、神が彼の中にいるようである。かれは、もし彼が神性でなかったならば、不合理であろう陳述を、自らと地上での使命についてこの上なく驚くべき主張をする。かれは、かつて「アブラハムがいたそれ以前に私はいる。」と宣言した。かれは、断言的に神性を主張した。神と提携関係にあることを公言する。かれは、天なる父との親密な提携の主張の繰り返しにおいて、言語の可能性をほとんど使い果たしている。イエスと父は一体であるとさえ敢えて断言する。かれは、自分に見たものは誰でも父を見たのだという。かれは、これらの驚異的な事を子供のような自然さで言ったり行ったりする。彼と我々との関係の言及において、かれは、同様に彼と神との関係にさり気なく触れる。かれは、神について実に確信しているようで、そのような事実に即した方法でこれらの関係について話す。
9. 祈りの生活において、かれは、直接父と意思疎通をするように思われる。我々は、彼の祈りをわずかしか聞いたことはないが、これらの数少ない中でもまるで神と向かい合って話をしているという兆しがあった。かれは、過去と将来についても知っているようである。人間以上の何ものでない限り、かれは、この全てであるはずもなく、またこれらの非凡な事柄をし得るはずがない。我々は、彼が人間であるということを知っており、それに自信があるのだが、神性であるということもほぼ同様に確信がある。我々は、彼が神性だと信じる。彼が人間の子であり、神の子であると、我々は確信している。
ナサニエルとトーマスがロダンとの会見を終えると、かれらは、仲間の使徒に加わるためにエルサレムへと急ぎ、その週の金曜日に着いた。これは、三人全ての信者の一生にとってのすばらしい経験であったし、他の使徒は、ナサニエルとトーマスのこれらの経験の詳述から多くを学んだ。
ロダンは、アレクサンドリアへの道を戻り、そこでメガンタの学校で自分の哲学を長い間教えた。かれは、天の王国に関するその後の情勢の強力な人物となった。かれは、迫害の真っ最中、ギリシアにおいて他のもの達とともにその命を諦めて、地上での終わりの日まで忠実な信者であった。
神性についての意識は、自らの洗礼のときまでにはイエスの心の中で徐々に成長した。かれは、自身の神性、前人間の存在、宇宙の特権を完全に自意識するようになってから、その神性についての自らの人間の意識をさまざまに制限する力を備えていたようである。洗礼から磔まで、人間の心にのみ依存するのか、人間と神の心の双方の知識を利用するのかは、全くイエスの任意であったと、我々には思える。時には、かれは、人間の知性に宿る情報のみを役立てたようであった。他の機会には、かれは、神性意識の超人的な部分の活用によってのみ得られる知識と英知のそのような豊かさをもって行動しているようであった。
我々は、彼が、意志により、神性意識の自己制限をすることができるという理論を受け入れることによってのみ、彼の特有の行為を理解できる。我々は、彼が、しばしば出来事の事前情報を仲間から差し控えたということ、また仲間の考えや計画の性質に気づいていたということを十分認識している。仲間の考えを認識し、計画を見抜いたりできるということを彼らに余り知られたくなかったということを、我々は理解している。かれは、使徒や弟子の心に抱かれているような人間に関する概念というものから余りはみ出さないことを望んだ。
我々は、神性意識の自己制限の実行、そして自分の予知力と思考の洞察力を仲間から隠す方法との差別化に全く窮している。我々は、彼が二つの方法を用いたと確信しているのであるが、彼が所定の例において、用いたかもしれない方法を必ずしも特定できるわけではない。我々は、彼が人間の意識の部分のみで行動しているのをしばしば目にした。そして我々は、宇宙の天の部隊の指揮官達との討議中の彼を見たし、また神性の心の疑う余地のない機能を認めたのであった。そして、それが、人間と神性の心の明らかな完全統一により起動されるように、我々は、ほとんど無数の出来事に人間と神のこの統合人格の働きを目撃したのであった。これが、そのような現象についての我々の知識の限界である。実は、この謎についての十分な真実を我々は知らないのである。
イエスは、エルサレムへの10人の使徒との出発に当たり、それが短い道程であることからサマリア経由を計画した。したがって、湖の東岸沿いにスキトイポリス経由でサマリアの境界に入った。日暮れ近く、イエスは、仲間の宿泊所の確保のためにギルボーア山の東の傾斜地にある村にフィリッポスとマタイオスを遣わせた。平均的なサマリア人よりも、偶々これらの村人は、ユダヤ人に対し大いに偏見を持っており、非常に多くのユダヤ人が会堂の祭りに行く途中であったことから、この感情は、この特別な時に高まった。これらの人々は、イエスについてほとんど知らなかった。そしてかれらは、イエスとその仲間がユダヤ人であったので宿泊を拒否した。マタイオスとフィリッポスが憤りを明らかにし、イスラエルの聖なる者への持てなしを断っているのだということをこれらのサマリア人に知らせると、激怒した村人は、棒と石で小さい町から彼らを追い出した。
フィリッポスとマタイオスが仲間のところに戻り、村から如何ように追い出されたかを報告した後、ジェームスとヨハネは、イエスに歩み寄って言った。「あるじさま、これらの横柄で改悛しないサマリア人を滅ぼすために、炎が天から下りてくるように命ずる許可を下さるよう懇願致します。」しかし、復讐のこれらの言葉を聞くと、イエスは、ゼベダイオスの息子等の方に直接向き直り厳しく叱責した。「君が、どういう態度をとっているのか君には分かっていない。復讐は、天の王国の展望を持ってはいない。議論するよりも、ヨルダン川の浅瀬近くの小さい村まで旅しよう。」このように、宗派の偏見のため、これらのサマリア人は、宇宙の創造者たる息子へのもてなしの名誉を否定した。
イエスと10人は、その夜、ヨルダン川の浅瀬近くの村に止まった。翌日早々に、かれらは、川を横切り東部のヨルダン街道経由でエルサレムへと旅を続け、水曜日の夜遅くベサニアに到着した。ロダンとの会談で遅れたトーマスとナサナエルは、金曜日に到着した。
イエスと12人は、翌月(10月)の終わりまで、およそ4週間半エルサレム付近に留まっていた。イエス自身は、ほんの数回街に入り、これらの短い訪問は、会堂の祭りの数日間に為された。かれは、ベツレヘムではアブネーとその仲間と10月の大半を過ごした。
ガリラヤからの脱出のずっと以前、追随者は、イエスの知らせがユダヤの文化と学問の中心で説かれてきたことから威信を得ることができるように王国の福音の宣言にエルサレムに行くことを嘆願した。ところが、いまイエスが実際にエルサレムに教えに来たので、かれらは、イエスの命を危ぶんでいた。シネヅリオン派が、裁判のためにイエスをエルサレムへ連れていこうとしていることを知り、使徒は、死を被らなければならないというあるじの最近繰り返した宣言を思い起こし、会堂の祭りに出席するという突然の決定に文字通り唖然とした。かれは、エルサレムに行くという皆の以前の全ての懇望には、「時は未だ来たらず。」との答であり、今度は、皆の怖恐からの抗議に「だが、時は来たれり。」と答えるだけであった。
イエスは、会堂の祭りの間、大胆にも時折エルサレムに赴き寺院で公に教えた。使徒の諌止の努力にもかかわらず、かれはそうした。かれらは、エルサレムで彼の知らせを宣言するように長らく訴えてきたが、律法学者とパリサイ派が、イエスに死をもたらせようと決心しているのを熟知しており、今となっては、イエスが街に入っていくのを見ることを恐れた。
エルサレムでのイエスの大胆な様は、追随者を以前にもまして混乱させた。多くの弟子は、そして使徒のユダ・イスカリオテでさえ、イエスが、ユダヤ人指導者とヘロデ・アンティパスを恐れたのでフェニキアまで急いで逃れたと考えるほどであった。かれらは、あるじの行動の重要性を理解することができなかった。追随者の忠告に反してまでものイエスのエルサレムでの会堂の祭りの出席は、恐怖と臆病に関する全ての囁きに終止符を打つには十分であった。
会堂の祭りの間、ローマ帝国全地域からの何千人もの信者は、イエスの教えを聞き、また多くの者は、各出身地域における王国の進歩に関しイエスと打ち合わせるためにベサニアにまで旅をした。
祭りの数日にわたりイエスが寺院の中庭で公然と説教ができた多くの理由があり、その主なものは、シネヅリオン派の役員各自の位階における秘かな感情の分裂の結果から生まれた恐怖であった。シネヅリオン派の成員の多くが、秘かにイエスを信じるか、または、断じて祭りの際の逮捕に反対であったという事実があり、そして、それほど多くの人がエルサレムに居合わせるとき、その中の多くは、イエスを信じるか、あるいは、イエスが主催する精霊的な運動に少なくとも好意的であった。
アブネーとその仲間の全ユダヤにおける努力は、王国に有利な感情を強めることに大いに役立ち、イエスの敵が反対の態度をあまり明らさまにできない程であった。これは、イエスが公然とエルサレムを訪問し、生き残ることができた1つの理由であった。この1、2ケ月前に、イエスは、確実に殺されていたことであろう。
しかし、エルサレムに公然と現れるイエスの不敵な豪胆さは、敵を畏怖させた。かれらは、そのような大胆な挑戦への備えがなかった。シネヅリオン派は、この月に何度かあるじを拘禁する微弱な試みをしたが、これらの努力からは何も生じなかった。敵は、エルサレムでのイエスの予想外の公の場への出現に不意を突かれ、イエスが、ローマ当局による保護を約束されているに違いないと億測するほどであった。シネヅリオン派の成員は、フィリッポス(ヘロデ・アンティパスの兄弟)が、ほぼイエスの追随者であったことを知っており、フィリッポスが敵からのイエスの保護の約束を保証したと推測した。エルサレムでのイエスの突然で大胆な出現が、ローマの役人との秘かな同意によるものであるという思い込みに気づく前に、イエスは、それらの管内から離れてしまっていた。
12人の使徒だけは、マガダンを出発したとき、イエスが会堂の祭りに出席するつもりであることを知っていた。あるじが、寺院の中庭に現れ、公に教え始めると、他の追随者は大いに驚き、ユダヤの当局は、寺院で教えていると報告されたとき、表現し難いほどに驚いた。
弟子は、イエスの祭りへの出席を期待はしていなかったが、イエスについて聞いたことのある遠方からの大多数の巡礼者は、エルサレムで彼にあえるかもしれないという望みを抱いた。そして、かれらは失望しなかった、というのは、イエスは、幾度もソロモンの回廊や寺院の中庭の他の場所で教えたので。これらの教えは、本当にユダヤ民族と全世界へのイエスの神性の公式の、または正式の発表であった。
あるじの教えを聞いた群衆の意見は、分かれていた。ある者は、イエスが良い人であると言い、ある者は、予言者であると言い、ある者は本当に救世主であると言い、他の者は、奇妙な教義で人々を惑わせている悪戯好きのお節介屋であると言った。イエスの敵は、彼の好意的な信者を恐れ、公然と糾弾することを躊躇い、一方イエスの友人達は、シネヅリオン派が、彼を死に追いやる固く決心していることを知っており、ユダヤの指導者達を恐れ、公然と承認することを懸念した。しかし、彼がユダヤ教の律法者の育成学校で教育を受けていないことを知るその敵でさえも、イエスの教えに驚嘆した。
イエスがエルサレムに行く度に、恐怖が使徒を襲った。イエスが地上での任務の本質に関してますます大胆な表明を聞くにつれ、かれらは、日々ますます恐れた。彼の友人の間で説教する時でさえ、イエスがそのような積極的な要求と驚くべき主張を聞くことに、かれらは不慣れであった。
寺院で教えた最初の午後、大勢の人は、新しい福音と自由と良い知らせを信じる者の喜びについて描写するイエスの言葉を座って聞いていると、好奇心の強い聴取者が、彼を遮って、「先生、あなたはユダヤの師からの教育を受けていないと聞いていますが、なぜそれほど流暢に聖書を引用したり人々に教えることができるのですか。」と尋ねた。イエスは答えた「誰も、私が表明する真実を教えてはくれなかった。またこの教えは、私のものではなく、私を送ったあの方のものである。誰かが、本当に父の意志を為すことを望むならば、それが神の教えであろうが、私が自分に関して話す教えであろうが、その人は、私の教えを確かに知るであろう。自分のために話す者は、自身の栄光を求めているが、父の言葉を表明するとき、私は、それによって私を送られたあの方の栄光を求めている。しかし、新たな光に入ろうとする前に、あなたは、むしろすでに持っている光の後を追うべきではないのか。モーシェは法を与えたが、あなた達のどれほど多くの者が、その要求を正直に満たそうとしているのか。モーシェは、この法で『殺してはならない』と命じているにもかかわらず、あなた方の一部は人の息子を殺そうとしている。」
これらの言葉を聞くと、群衆は口論を始めた。ある者は、イエスは気が狂っていると言い、ある者は、彼には悪魔がいると言った。他のものは、これが、本当に筆記者とパリサイ派が長い間殺そうとしていたガリラヤの予言者であると言った。ある者は、宗教当局は危害を加えるのを恐れていると言い、他のものは、彼らが彼の信者になったので逮捕しないと思った。かなりの議論の後、群衆の一人が、前進してイエスに尋ねた。「支配者達はなぜあなたを殺そうとするのですか。」そこで、イエスが答えた。「王国の朗報、つまり、これらの教師が、どうしても支持すると決めている形式的な宗教儀式の人の重荷になっている伝統から人を解放する福音に関する私の教えに憤慨するが故に、支配者達は、私を殺そうとしている。かれらは、安息日の法に沿って割礼を施すが、私が、一度安息日に苦悩に束縛されている男性を解放したというので私を殺したいのである。彼らは、安息日に見張りのために私の後をつけるが、私が、別の機会に、痛ましい傷ついた男性を安息日に完全に癒すことにしたので、私を殺したいのである。あなたが正直に信じ、思い切って私の教えを受け入れると、伝統的な宗教形態が覆される、永遠に崩壊されるであろうということを充分に知っているので私を殺そうとするのである。このように、かれらは、この新しく、より栄えある神の王国の福音を受け入れることを断固として拒否するので、自分達の人生を注いだ権威を奪われるのである。さて、今度は、私が、あなた方一人一人に訴える。外観で判断するのではなく、これらの真の教えの精霊によって判断しなさい。公正に判断しなさい。」
その時、別の尋問者が言った。「はい、先生、私達は救世主を探していますが、救世主来るとき、その見かけは、神秘であるということを知っています。私達は、あなたが何処からいらしたか知っています。始めからあなたはあなたの同胞の中におられます。救出者は、ダーヴィドの王国の王座を再建すために政権を携えて来ます。あなたは、救世主であると本当に主張されるのですか。」そこで、イエスが答えた。「あなたは私を知り、また、どこから来たかを知ると主張する。私は、あなたの主張が本当であったならばと思います、なぜならば、あなたは、本当に、その知識によって豊かな人生を発見するであろうから。だが、私は、自分自身ではあなたの所に来なかったと断言する。私は父によって送られ、私を送られた方は、真実で誠実である。私の言うことを拒否するということは、私を寄こされたあの方の受け入れを拒否しているのである。もしこの福音を受け入れるならば、あなたは、私を送られた方を知るようになるであろう。私は、父を知っている、というのも、私は、彼について宣言し、示すために父の元から来たのであるから。」
律法者の間者達は、イエスを逮捕を欲したのだが、多くの者が彼を信じていたことから群衆を恐れた。洗礼以来のイエスの働きは、すべてのユダヤ人によく知られるようになり、また、これらの人々が、これらのことについて詳しく話すとき、彼らの間で、「この師は、ガリラヤの出身ではあるが、また我々の救世主への期待のすべてに当て嵌まるという訳ではないが、救出者が来るとき、かれは、このナザレのイエスがすでにした以上に本当に何か素晴らしいことをするのか疑問に思う。」と言うのであった。
パリサイ派とその間者は、人々がこのように話しているのを聞くと、指導者達と相談し、寺院の中庭におけるイエスのこれらの公けの出現を阻止するために直ちに何かをすべきだと評決した。一般に、ユダヤ人の指導者は、ローマ当局が、捕縛免除を彼に約束したと信じて、イエスとの衝突を避ける傾向にあった。かれらは、さもなければ、このときのエルサレムへの到来のイエスの大胆さを説明することができなかった。しかし、シネヅリオン派の役員は、この噂を全く信じなかった。かれらは、ローマの支配者がそのようなことを秘かに、またユダヤ国家の最高首脳部に知れずにはしないと推論した。
従って、シネヅリオン派の然るべき役員エベーが、2人の助手を伴いイエスの逮捕に派遣された。エベーがイエスに向かって進んでいる間、あるじは言った。「私に近づくことを恐れてはいけない。私の教えを聞きながら近づきなさい。あなたが、私の逮捕のために送られてきたのは分かっているが、その時が来るまで人の息子には何も起こらないということを理解するべきである。あなたは私に相対して配置されてはいない。あなたは、ただ主人の言いつけ通りにするために来たのであり、また、秘かに私の滅亡を求めるとき、ユダヤのこれらの支配者達さえ神への奉公をしていると本当に思っている。
私は、何の悪意もあなたに抱いてはいない。父はあなたを愛しており、私は、それ故、偏見の束縛と伝統の暗黒からのあなたの解放を切望しているのである。私は、命の自由と救済の喜びをあなたに提示している。私は、新しくて生きた道、悪からの救出と罪の束縛の破壊を宣言する。私は、あなたが命を得られるように、永遠に得られるように来た。あなたは、私と不安にさせる私の教えを取り除こうとしている。あなたが、私はあなたとほんの少しだけいることになっていると、分かることができさえすればよいのだが。ほんのわずかの時間で、私は送られたあの方の元に行くのである。そして、それから、あなたの多くは、勉めて私を探すが、私が行こうとしているところへあなたは来ることができないのだから、私を探し当てはしないであろう。しかし、本当に私を見つけようとする者すべては、私の父につながる人生にいつか到達するであろう。」
嘲笑者の何人かは、仲間うちで言った。「我々が見つけることのできないいずこにこの男は行くのだろうか。ギリシア人の間に暮らしに行くのだろうか。自滅するつもりなのだろうか。すぐに我々から離れると宣言するのは一体どういうことか。」
エベーとその助手達は、イエスの逮捕を拒否した。かれらは、イエスを連れずに自分達の会合場所に戻っていった。イエスを連れて来なかったので、主だった祭司とパリサイ派が、エベーとその助手を咎めると、エベーは単に、「我々は、多くの者がイエスを信じているので群衆の真っ只中で逮捕するのを恐れました。また、我々は、この男のように話す者を決して聞いたことがありません。この先生には並外れた何かがあります。あなた方全員、彼の話を聞きに行かれた方がいいでしょう。」と言った。すると主だった支配者は、これらの言葉を聞くと驚いて、エベーに嘲って言った。「お前も惑わされたのか。この詐欺師を信じようとしているのか。我々学識ある者や支配者の誰かが、彼を信じたと聞いたのか。筆記者やパリサイ派の誰かが、彼の巧みな教えに騙されたと聞いたのか。なぜ、法も予言者達も知らないこの無知な群衆の振舞いに影響されるのか。教育を受けていないそのような者達は、呪われているのを知らないのか。」すると、エベーが答えた。「例えそうだとしても、ご主人様、この男は、慈悲と希望の知らせを群衆に伝えております。落胆者を励ましておりますし、その言葉は、我々の魂にとってさえ慰めであります。聖書の救世主ではないかもしれなくても、これらの教えの何が間違いであり得ましょうか。そして、それでも、我々の法は、公正を必要とはしていませんか。あの男の言うことを聞く前に非難するのですか。」すると、シネヅリオン派の長は、激怒してエベーに向かって言った。「気が狂ってしまったのか。もしかするとお前もガリラヤの出か。聖書をよく見てみろ。そうすれば、ガリラヤからは予言者は出ず、ましてや、救世主など出てはこないということが分かるであろう。」
シネヅリオン派は、混乱して解散し、イエスは、その夜ベサニアに撤退した。
その告発者とイエスの敵が、悪い評判の一人の女性を彼の元に連れて来てイエスが対処したのは、エルサレムのこの訪問中のことであった。この出来事についての歪曲された記録は、この女性が、筆記者とパリサイ派によってイエスの前に連れて来られたということ、そしてイエスが、これらのユダヤ人の宗教指導者が、不道徳の罪を犯したかもしれないと暗示しているかのように彼らを扱ったということを示唆している。イエスは、これらの筆記者とパリサイ派が、精霊的に盲目であり、伝統への忠誠心で知的に偏見を抱くと同時に、その時代と世代の最も徹底的に品行方正である人々のなかに数えられるということをよく知っていた。
本当に起こったのは、こうであった。祭りの3日目の早朝、イエスが寺院に近づいていると、一人の女性を引き摺っているシネヅリオン派に雇われた間者の一団が、会いにきた。彼らが近づくと、代表者が言った。「先生、この女は姦淫—まさにその行為—で捕まりました。さて、モーシェの法は、そのような女には投石をするべきであると命じています。あなたは、この女に何をすべきだと言われますか。」
敵の企みは、イエスが、自白した違反者に投石を要求するモーシェの法を支持すれば、ローマ裁判所の承認なしで死刑を課すユダヤ人の権利を否定したローマの支配者達との困難に彼を巻き込むことであった。彼が、女に投石することを禁じれば、かれらは、シネヅリオン派の前でモーシェとユダヤ人の法より上に彼自身をもち上げたとして告訴するつもりであった。かれらは、彼が、黙したままでいるならば、臆病者だと批難するつもりであった。ところが、あるじは、全体の陰謀がそれ自体の浅ましい重さで粉々になるように状況を取り仕切った。
かつて器量の良かったこの女は、彼の若い時代ずっとイエスに対して揉め事を起こしていたナザレの野卑な市民の妻であった。この女と結婚した男は、不届きにも妻の身体で商売をさせ、自分達の生計を立てることを強要したのであった。男は、財政的な収益のために、妻がこうして肉体的な魅力を売ることができるようにエルサレムの祭にやって来たのであった。その結果、営利化された悪習でこのように妻に対する背信行為のためにユダヤ人支配者達の金目当てに働く者達と契約を結んでいた。そこで、間者の一団は、イエス対して逮捕に際して使用できる何らかの申し立てを作り、イエスを罠にはめる目的のために女とその犯罪の相手とやって来たのであった。
イエスは、群衆を見渡して女の夫が群衆の後ろに立っているのを見た。それがどういう男であるかを知っており、卑劣な取り引きに関係していると知った。イエスは、まずこの堕落した夫の立っている近くを歩き回り、そして砂に幾つかの言葉を書くと、男は急いで去って行った。次に、かれは、この女の前に戻り、自称の告発人達のために、再び地面に書いた。イエスの言葉を読むと、かれらは、また、一人ずつ立ち去った。あるじが3度目に砂に書くと、この女性の悪事の相手は出発した、それで、この書く動作から立ち上がると、あるじは、自分の前に一人で立つ女性を見た。イエスは、「女よ、告発者達はどこにいるのか。誰もあなたに石を投げるために残らなかったのか。」と言った。すると、女性は目を上げて、「誰も居ません、ご主人様」と答えた。そこで、イエスは、「私はあなたについて知っている。私もあなたを非難はしない。穏やかに行きなさい。」そして、この女性、ヒルダナは、邪悪な夫を見捨て王国の弟子に仲間入りした。
スペインからインドまでの既知の世界の全域からの人々の出席は、イエスにとり会堂の祭りをエルサレムで初めて公的に全福音を宣言する理想的な機会にした。人々は、この祝祭日に多くの時を野外で、枝葉でできた仮小屋で生活をした。この時がそうであったように、それは、収穫の祭であり、涼しい秋の到来であったし、冬の終わりの過ぎ越し、あるいは、夏の始めの五旬節よりもより広範囲にわたって世界からのユダヤ人が出席していた。使徒は、全世界の前で地球での自分の任務について、あるじが、大胆な発表をするのを遂に目にした。
他の祝日には何の生贄も捧げなかった埋め合わせが、この時にすることが出来たので、これは、祭の中の祭であった。これは、寺院への捧げ物の受領の時であった。それは、宗教的な崇拝の厳粛な儀式と休暇の喜びの組み合わせであった。ここには、生贄、レビ族の聖歌、祭司の銀のトランペットの厳粛な吹奏音の入り混じる民族的な歓喜の時であった。夜、寺院とその巡礼者の群れの感動的な光景は、女性用の中庭で明るく燃えるすばらしい枝つきの燭台と、寺院の中庭の周囲に立つ何十個ものかがり火の煌めきに鮮やかに照らされた。全市は、アントニアのローマの城以外は華やかに飾りつけがされており、また厳しい対照でこの祝祭と信心深い光景を見下ろしていた。そしてユダヤ人は、このつねに存在するローマのくびきの名残りをいかに嫌ったことか。
異教の70ヶ国の象徴である70頭の去勢牛が、祭中に生贄として捧げられた。水のほとばしりの儀式は、神霊のほとばしりを象徴した。祭司とレビ族の日の出の行列の後には、水のこの儀式が続いた。礼拝者達は、銀のトランペットの連続する吹奏音と共に、イスラエルの中庭から女性専用の中庭へと繋がる階段を下りていった。そうして、忠実な信者達は、美しの門に向かって行進した。その門は、非ユダヤ人の中庭に通じていた。ここで、かれらは、西に向いて聖歌を繰り返し、象徴的な水の方角に行進を続けるために向きを変えた。
祭の最終日、レビ族の数に相当するおよそ450人の祭司は、役目を務めていた。夜明けには、巡礼者の各々が、左手にギンバイカと柳と棕櫚の枝の束を、右手にはヤマ林檎—シトロン、または「禁断の果実」の枝を抱え街の全域から集まった。これらの巡礼者は、この早朝の儀式のために3集団に分かれた。1つの集団は、朝の生贄の儀式に出席するために寺院に残った。別の集団は、生贄の祭壇の飾りつけ用の柳の枝を切るためにエルサレムを下ってマーザ近くへと行進すると同時に、3番目の集団は、銀のトランペットの音に合わせてオペルから噴水門のあるシロアー近くに向かう象徴的な水を堪えた金色の水差しを持つ水祭司の後に続いて寺院から行進した。金の水差しがシロアーの池で満たされた後、行列は、寺院へと行進し手戻り、水の門に入り、司祭の中庭に直接行き、そこで飲み物の提供のためにワインを持つ祭司が、水差しを持つ祭司と合流した。それから、この2人の祭司は、祭壇の土台に通じる銀の漏斗に向かって行き、そこに水差しの中身を注いだ。ワインと水を注ぐこの儀式の遂行は、集まった巡礼者に詩篇の113から118までの詠唱をレビ族と交互に始める合図であった。かれらは、これらの節を繰り返しながら、祭壇に束を振って合図をした。それからかれらは、祭りの最終日の詩篇82であることから当日の詩篇の反復に関連づけて5節目の詩で始めてその日の生贄の儀式を執りった。
祭りの最終日の前夜、場面が枝つき燭台と松明の灯りで鮮やかに照らされているとき、イエスは、集いきた人々の真っ只中に立ち上がって言った。
「私は世の光である。私について来る者は暗闇を歩まず、命の光を持つであろう。あなた方は、私を裁判にかけ、私の裁判官として座ると決め込んでおり、もし私が自分自身の証言をしても、私の目撃者が本当であるはずがないと宣言する。しかし、被創造者が創造者を裁判することは決してできない。たとえ私が自分自身の証言をしたとしても、その証言は永久に本当である、なぜならば、私は自分がどこから来て、誰であるか、どこへ行くのかを知っているのであるから。人の息子を殺したい者は、私がどこから来て、誰であるのか、どこへ行くのかを知らない。あなた方は、肉体の外見から判断するだけである。あなた方は、精霊の現実を認めない。私は、誰をも、宿敵さえも審判しない。しかし、私が、裁くことを選ぶならば、私は単独ではなく、私を世界に送り出し、すべての真の審判の源である私の父と共同して裁くので、私の審判は、真実で、公正であるだろう。あなた方は、頼りになる2人の目撃者が受け入れられることを許しさえする—さて、それから、私は、これらの真実の証言をする。それでまた、天の私の父も、またそうされる。そして、私が、昨日これを伝えたとき、あなたは、暗闇で『あなたの父はどこにいるのか。』と私に尋ねた。確かに、あなた方は、私も私の父も知らない。もし私を知っていたならば、父も知っていたであろうから。
私は、私が立ち去る予定であるということ、そして、あなた方が私を探すが、私が行くところへは来られないので、私を見つけないということを、すでに伝えてきた。この光を拒む者は、下から来た者である。私は上から来たのである。暗闇に座ることを好む者は、この世の者である。私は、この世の者ではなく、光の父の永遠の光の中に生きている。あなた方全員には、私が誰であるかを学ぶ有り余るほどの機会があったが、人の息子の正体を確認する他の証拠は、まだまだあるであろう。私は命の光であり、故意に、また知りつつこの救いの光を拒絶する者は誰でも、罪で死ぬのである。私には、言わなければならないことが、たくさんあるが、あなた方は私の言葉が受け入れられない。しかしながら、私を送られた方は真実であり、誠実であられる。私の父は、自分の過ちを犯している子供さえ愛される。父が話されたその全てを、私もまた世界に宣言する。
「人の息子が上げられるとき、あなたは全員、私がその者であり、私が何も勝手にしたのではなく、父が私に教えられた通りにしたのだということを知るであろう。私はこれらの言葉をあなたと、その子供達に話す。また、今でも、私を送られた方は、私と一緒におられる。私がいつも父の目に喜ばしい事をするので、あの方は、私を放ってはおかれなかった。」
多くの者は、イエスが寺院の中庭で巡礼者にこのように教えた通りに信じた。そして、誰もイエスを敢えて捕らえようとはしなかった。
最終日、祭りの重要な日、シロアーの池からの行列が寺院の庭を通り抜け、祭司が祭壇で水とワインを注いですぐ後に、イエスは、巡礼者の間に立って言った。「誰でも喉が渇いているならば私のところに飲みに来させなさい。上におられる父から、私が命の水をこの世に持って来る。私を信じる者は、この水が意味する精霊に満たされるであろう、なぜなら聖書にさえ『あの方から生ける水が流れ出すであろう。』とある。人の息子が、地球での仕事を終えたとき、真実の聖霊は、すべての肉体に注がれるのである。この精霊を受ける者は、決して精霊的な渇きを知らないのである。」
イエスは、これらの言葉を話すために礼拝を中断しなかった。ハレルの唱和直後、イエスは、祭壇前で枝を振るのに合わせて詩篇からの交読文を礼拝者に述べた。生贄が準備される間の丁度ここでひと一区切りあり、巡礼者は、あるじが、魅力的な声で自分が精霊に渇きを覚えるあらゆる魂に生ける水を与える者であると宣言するのを聞いたのが、このときであった。
この早朝の礼拝のまとめに当たり、イエスは、さらに群衆に続いて教えた。「あなたは、聖書の以下の部分をまだ読んではいないのか。『見よ、水が乾いた地面に注がれ、からからの土壌に広がるように、私はあなたの子供に、あなたの子供のその子供にまでも聖なる精霊を与えよう。』人間の習わしで魂に水を注ごうとしながら、儀式用の壊れた水差しで注ごうとしながら、あなたは、なぜ精霊の活動に渇望するのであろうか。あなたがこの寺院の周りで起きていることを見ることは、あなたの父が信仰の子等に神霊の贈与を象徴しようとする手段であり、あなた達はこれらの象徴を、この世代にまでも、よく永続きさせてきた。しかし、今、精霊の父の顕示が、息子の贈与を通してこの世代にやって来ており、そして、この全ては、人間の子等への父と息子の精霊の贈与に確実に続くであろう。信仰を持つあらゆる者には、精霊のこの贈与が、永遠の命に通じる道への、地上の王国での、そして、あちらの父の楽園での真の命の水に通じる道への真の教師になるであろう。」
そして、イエスは、群衆とパリサイ派の両方の質問に答え続けた。ある者は、イエスが予言者であると思い、ある者は救世主であると信じた。他の者は、彼が、ガリラヤの出身であったこと、また救世主は、ダーヴィドの王座を回復しなければならないということから、キリストであるはずがないと言った。それでも、彼らは、イエスを逮捕する勇気がなかった。
祭の最終日の午後、そして、使徒が、エルサレムから逃げるようイエスの説得の努力に失敗した後、イエスは、教えるために再び寺院に入った。かれは、ソロモンの回廊に集合した信者の大集団を見つけて話した。
「私の言葉があなたにとどまり、私の父の意志をする気があるならば、あなたは、本当に私の弟子である。あなたは真実を知るであろうし、真実はあなたを自由にする。私には、あなたがどう答えるかが分かっている。我々は、アブラーハームの子孫であり、誰にも束縛されてはいない。では、我々はどのように自由になるのであろうか。だとしても、私は、他者の命令への実際の隷属について話しているのではない。私は、魂の自由に言及している。誠に、誠に、言っておく。罪を犯す者は誰でも、罪の奴隷である。そして、あなたは、奴隷が、あるじの家にいつまでも留まりそうにないということを知っている。あなたは、息子が、父の家に留まるということも知っている。従って、もし息子があなたを自由にするならば、あなたを息子にするというのであれば、あなたは、本当に自由になるであろう。
私は、あなたがアブラーハームの子孫であることを知っているが、あなたの指導者達は、彼らの心の中で私の言葉が変わる影響を許さなかったので、私を殺そうとするのである。指導者達の魂は、偏見によって堅く閉ざされ、高慢な報復に目がくらんでいる。これらの騙された教師達が、この世の祖先だけから学んだことをしようとする一方で、私は、永遠なる父が私に示す真実をあなたに宣言する。そして、あなたが、アブラーハームが父であると答えるとき、あなたがアブラーハームの子孫であるならば、そこで、私は、アブラーハームの業をするようにあなた教えるのである。あなた方の一部は、私の教えを信じるが、他の者達は、私が神から受ける真実を話したので、私を滅ぼそうとする。だが、アブラーハームは、神の真実をそのように扱わなかった。私は、あなた方の中の何人かが、邪悪な者の働きをすることを決意していると察知する。神があなたの父であるならば、あなたは、私を知り、私が明らかにする真実を愛するであろうに。私が、父からやって来たということ、神に遣わされたということ、自分勝手にこの仕事をしていないということが分かってもらえないであろうか。私の言葉をなぜを理解してくれないのか。それは、悪の子になる方を選んだからなのか。あなたが闇の子であるならば、あなたは、私が明らかにする真実の光の中を歩くことはほぼないであろう。悪の子は、詐欺師であり、いかなる真実ももって生まれなかったので真実を支持しなかった自分達の父の方法だけに続いていく。しかし、いま、真実を語り真実に生きる人の息子が訪れるているのに、あなた方の多くは、信じることを拒否している。
「あなた方のうちの誰が、私に有罪判決を下すのか。それから、私が、父によって示された真実を宣言し、真実に生きるならば、あなたは、なぜ信じてくれないのか。神と共にいる者は、快く神の言葉を聞く。あなたは、神と共にいないこの理由から、あなたの多くは、私の言葉を聞かない。あなたの師は、私が悪魔の王子の力で仕事をすると決めつけて言いさえしてきた。私の近くにいる者は、私には悪魔がいると、悪魔の子であると言ったところである。しかし、正直に自身の魂に対処するあなた方全員には、私が悪魔ではないということがよくわかっている。あなたは、私を恥しめる間さえ、私が父を敬うということを知っている。私は、私自身の栄光ではなく、楽園なる父の栄光だけを求める。そして、私は、あなたを裁きはしない。私の代わりに裁く方がおられるので。
「私は、人が、真実のこの言葉をその心に生かし続けるならば、その人は、決して死を味わうことはないと福音を信じる者に、誠に、誠に、はっきりと言っておく。いまちょうど私の側では、筆記者が、アブラーハームが死んでおり、予言者も死んでいることから私には悪魔がいる、とこの声明が立証していると言っている。そして、かれは、『ここに敢えて立ち、お前との約束を守る者は、誰とても死を経験しないと言うまでにお前はアブラーハームと予言者達よりもはるかに偉大であるのか。大胆不敵にもそのような不敬な言葉を発するとは自分が誰であるというのか。』と尋ねている。私は、自分自身を讃美しているのであれば、栄光など何一つないと皆に言う。だが、私を誉められるのは、父、他ならぬあなたが神と呼ぶ同じ父である。しかし、あなたは、このあなたの神であり私の父を知ることができなかった、そこで、私は、本当に神の息子になる方法をあなたに示すためにやって来た。あなたは父を知らないが、私は本当に父を知っている。アブラーハームでさえ私の時代を見ることを喜び、そしてかれは、信仰によりそれを見て、喜んだのであった。」
この時までに集まってきた懐疑的なユダヤ人とシネヅリオン派の間者達は、これらの言葉を聞くと騒ぎ立て、「お前は50歳ではないのにアブラーハームに会うということを話す。お前は悪魔の子だ。」と叫んだ。イエスは、講話を続けることができなかった。出発に際し、かれは、「誠に、誠に、私は、アブラーハーム以前に私はいるとあなたに言う。」とだけ言った。信じないものの多くは、イエスに投げようと急いで石を取りに、また、シネヅリオン派の間者は、イエスを捕縛しようとしたが、あるじは、素早く寺院の廊下を擦りぬけ、マールサ、マリア、ラーザロスの待ち受けるベサニア近くの密会場所へと逃れた。
ユダヤ当局が再びイエス逮捕の計画に大胆になっていたので、イエスにはラーザロスとその妹達と友人の家に宿泊するという手配がされ、使徒達は、小班で散在するこれらの予防措置がとられた。
長年、イエスが偶々訪問するときはいつも、この3人は、すべてを差し置いてその教えを聞くのが習慣であった。両親を亡くしたことで、マールサは、家庭生活の責任を引き受けてきており、この時も、ラーザロスとマリアは、元気づける教えに深く聞き入りイエスの足元に座ったが、マールサは、夕食の用意をした。マールサは、数多くの不必要な仕事で余計に必要以上に気が散り、また、多くの些細な心配事で苦労すること、それが、彼女の気質であるということが理解されるべきである。
マールサは、これらのすべての想定した任務で忙しくしており、マリアが何も手伝わないので不安になっていた。したがって、彼女は、イエスのところに行って「あるじさま、妹が給仕の支度の全てを私一人に任せているのを気になさらないのですか。来て手伝うように命じてもらえませんか。」と言った。イエスは答えた。「マールサ、マールサ、何故いつもそんなに多くのことを気に掛けたり、多くのつまらないことに煩わされるのか。1つのことだけが、本当に価値があるのだよ。そして、マリアは、この良くて必要な部分を選んだので、私は、彼女からそれを取り上げるつもりはないよ。それにしても、あなた方二人は、私が教えたように生き、協力して仕え、調和して二人の魂を新たにすることをいつ学ぶのであろうか。すべてには時間があるということ—人生の小事は、天なる王国のより重要な事柄に道を譲るべきであるということ—を学ぶことができないのかい。」
多くの信者が、会堂の祝宴の翌週を通してベサニアに集まり、12人の使徒から指示を受けた。シネヅリオン派は、イエスが出席していなかったので、これらの集会に危害を加える努力をしなかった。イエスは、この間ずっと、アブネーとその仲間と共にベツレヘムで働いていた。祭り終了の翌日、イエスは、ベサニアに出発し、エルサレムへのこの訪問の間、寺院では二度と教えなかった。
この時、アブネーは、ベツレヘムに本部を置いており、そしてそこからユダヤと南のサマリアの都市へ、また、アレキサンドリアにさえ多くの労働者を送り出していた。イエスとアブネーは、イエス到着の数日中に使徒の2集団の仕事の整理統合の手筈を終了した。
会堂の祭りへの訪問中、イエスは、ベサニアとベツレヘムにほぼ等分の時間を配分した。かれは、ベサニアでは、かなりの時間を使徒と過ごした。ベツレヘムでは、アブネーと他の元ヨハネの使徒に多くを教えた。そして、これらの者にイエスを信じるように最終的導いたのは、この親密な接触であった。洗礼者ヨハネのこれらの元使徒は、イエスのエルサレムでの公の教えで示した勇気と、ベツレヘムでの個人的な教えで経験した思いやりのある理解によっても影響を受けた。これらの影響は、最終的に、そして完全にアブネーの仲間をそれぞれの王国の心からの受け入れとそれへの踏み出しの含意へと引き入れた。
遂にベツレヘムを去る前、あるじは、肉体での地球経歴の結末に先立ち皆が一丸となって払う努力で自分に合流するように手配をした。それは、アブネーとその仲間が、近い将来マガダン公園でイエスと12人に合流しようとの同意であった。
この同意に従い、11月上旬、アブネーとその11人の仲間は、イエスと12人と運命を共にし、磔刑までずっと1組織として働いた。
10月後半、イエスと12人は、エルサレムの近隣地域から引き上げた。10月30日、日曜日、イエスとその仲間は、イエスが数日間一人離れて休息していたエフライェムの街を出発し、西ヨルダン街道経由で真っ直ぐにマガダン公園に向かい、11月2日、水曜日の午後遅くに到着した。
使徒達は、あるじが親しみのある土地に戻り、大いに安心した。これ以上、かれらは、王国の福音の公布のためにエルサレムに行くことをあるじに急き立てることはなかった。
イエスと12人のエルサレムからマガダンへの帰着の数日後、アブネーと約50人の弟子が、ベツレヘムから到着した。この時、マガダンの宿営地に福音伝道者団体、女性団体、パレスチナ全域からの約150人の真の、また試煉を経験した弟子も集合していた。数日間、宿営地訪問と再調整に専念した後、イエスと12人は、信者のこの特別な集団のために集中研修講座を始め、それからあるじは、よく訓練を受け経験豊かなこの弟子の集合体の中から70人の教師を選び、王国の福音公布のために送り出した。この定期の教育は、11月4日、金曜日に始まり、安息日の11月19日まで続いた。
イエスは、毎朝、この仲間に講演をした。ペトロスは、公衆への説教方法を教え、ナサナエルは、教えるための技術を教え、トーマスは、質問への応答方法を説明し、マタイオスは、自分達の団体資金の調整を指導した。他の使徒も、各自の特有の経験と生まれながらの才能に従うこの研修に参加した。
70人は、マガダン宿営所において11月19日、安息日の午後、イエスによる聖職の任命をうけ、アブネーは、これらの福音伝道者と教師の長とされた。この70人の部隊は、アブネーと10人のヨハネの元使徒、初期の51人の伝道師、王国の仕事において自らを際だたせた他の8人の弟子で構成されていた。
ダーヴィドとその使者団の大多数の到着で増大した400人を超える信者の一行が、この安息日の午後2 時頃、にわか雨の中をぬって、70人の聖職授任式に列席するためにガリラヤ湖岸に集合した。
イエスは、福音の使者として引き離すために70人の頭に手を置く前に、演説した。「収穫物は実に豊富であるが、労働者は僅かである。従って、収穫の主が、さらに他の労働者を主の収穫にもたらすように祈りることをあなた方すべてに勧める。私は、王国の使者としてあなたを引き離すところである。私は、狼の中の子羊としてあなたをユダヤ人と非ユダヤ人に向けて送り出すところである。2人ずつ進むに当たり、私は、この最初の任務で進むのはほんの短い期間なので、財布も余分な衣類も携帯しないよう指示する。道中では誰にも挨拶をせず、自分の仕事だけに気を配りなさい。家に逗留するときはいつでも、その家庭に平和があるように、とまず言いなさい。平安を好む者達がそこに住んでいるならば、あなたは、そこにとどまるであろう。そうでなければ、あなたは出発するであろう。そして、その家を選んだら、差し出されるものは何でも飲食し、その町での滞在中、そこに留まりなさい。働き手が報酬を受けるのは当然であるから、あなたはこれをする。より良い宿が提供されるかもしれないという理由で家から家へと移ってはいけない。覚えていなさい、地球の平和と人の間の善意を宣言して進みながら、自己欺瞞の仇敵と競わなければならないということを。それ故、あなたも蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい。
そして、どこにあなたが行っても、『天の王国は近い。』と説教し、心、または体のいずれかを病んでいるかもしれない全ての者に力を貸しなさい。あなたは自由に王国の良いものを受け取った。自由に与えなさい。どこかの町の人々があなたを受け入れるならば、かれらは、父の王国への大きな歓迎を見るであろう。しかし、もしどこかの町の人々がこの福音の受け入れを拒否するならば、君がその不信心な地域を離れる際に、君の教えを拒否する者達に、『あなた方が真実を拒絶するにもかかわらず、神の王国があなた方の間近に来たことに変わりはない。』と君の知らせを宣言しなさい。あなたの話を聞く者は、私の話を聞いている。また、私の話を聞く者は、私を送られたあの方の言うことを聞いている。あなたの福音の言葉を拒絶する者は、私を拒絶する。そして、私を拒絶する者は、私を送られたあの方を拒絶するのである。」と言った。
イエスは、70人にこう話し終えると、アブネーから始まり輪になって跪いている各自の頭の上に自分の手を置いていった。
翌朝早々、アブネーは、70人の使者をガリラヤ、サマリア、ユダヤの全都市に遣わせた。そして、この35組は、およそ6週間の説教と教えに赴き、12月30日、金曜日、ペライアのペラ近くの新たな宿営に戻っていった。
70人の聖職授任と起用への資格を求めた50人以上の弟子は、これらの候補者を選ぶためにイエスに任命された委員会により拒絶された。この委員会は、アンドレアス、アブネーと福音伝道団の代表者から成った。この3人からなる委員会が満場一致でないすべての場合、イエスの元に候補者を連れて来た。あるじは、福音使者として聖職授任を切望する者は、誰一人としてついぞ拒絶はしなかったが、10人以上の者が、イエスとの会談後、福音の使者になることをもう望まなかった。
1人の熱心な弟子がイエスのところにやって来て、「あるじさま、私はあなたの新しい使徒の一人になりたいのですが、父は非常に年老いており、死も間近です。父の埋葬に戻ることは許されますか。」と訊いた。この男性に、イエスは言った。「息子よ、キツネには穴が、天の鳥には巣があるが、人の子にはその頭を横たえる場所はない。あなたは忠実な弟子であり、家に戻り愛する者達に仕える間もそうあり続けることができる。だが、私の福音の使者達はそうではない。福音の使者達は、私に続くため、王国を公布するために全てを見捨ててしまった。もし、聖職授任される師になりたいのであれば、あなたは朗報の発表に進み、死者の埋葬は他の者に任せなければならない。」すると、この男性は大いに失望して立ち去った。
別の弟子が来て、「聖職授任の使者になりたいのですが、家族を慰めに少しの間我が家に帰ってきたいのですが。」と言った。そこでイエスは、「聖職授任されたいのであれば、進んで全てを見捨てなければならない。福音の使者は、愛情を分割はできない。誰であろうと、鋤に手を掛けてしまって折り返すのであれば、王国の使者になるには相応しくない。」と答えた。
そして、アンドレアスは、敬虔な信者であり、聖職授任を望むある金持ちの青年をイエスの元に連れて来た。この青年マタドームスは、エルサレムのシネヅリオン派の会員であった。かれは、イエスが教えるのを聞き、後にはペトロスと他の使徒達によって王国の福音を教えられた。イエスは、聖職授任の必要条件についてマタドームスと話し、また、この問題についてより深く考慮するまで決断を延期することを要請した。翌朝早くイエスが散歩に出掛けようとしていると、この青年が、近づいてきて話しかけた。「あるじさま、私は永遠の命の保証についてあなたから知りたいのです。青春期からからすべての戒律を守ってきた私は、永遠の命を獲得するためにしなければならないことを知りたいのです。」この質問に答えてイエスは言った。「あなたが、すべての戒律—姦淫するな、殺すな、盗むな、偽りの証言をするな、騙し取るな、両親を敬え、—を守ればよく振る舞っているが、救済は、信仰への報いであり、単に働きへの報いではない。あなたは、王国のこの福音を信じるているのか。」すると、マタドームスは答えた。「はい、あるじさま、私はあなたとあなたの使徒が教えてくれた全てを信じています。」そこでイエスは、「ならば、あなたは本当に私の弟子であり王国の子である。」と言った。
そこで、青年が言った。「しかし、あるじさま、私は、あなたの弟子であることに満足してはいません。私は、あなたの新しい使者の一人になりたいのです。」イエスは、これを聞くと、大きな愛で青年を見下ろして言った。「もし喜んで代償を払うならば、あなたに欠ける1つのものを補うならば、使者の一人にしよう。」マタドームスは、答えた。「あるじさま、あなたに続くことができるならば、何でもするつもりです。」イエスは、跪いている青年の額に接吻をして言った。「私の使者になりたいのであるならば、持ち物全てを売りに行きなさい。そして、その収益を貧者かあなたの同胞に与えてしまってから私の後について来なさい。そうすれば、天の王国で宝を得るであろう。」
これを聞くとマタドームスの顔色が沈んだ。かれは、立ち上がり、悲しい気持で立ち去った、多くの資産を所有していたからである。この裕福な若いパリサイ人は、富は神の引立ての印であると信じるように育てられきた。イエスには、この青年は自己への愛とその富から自由ではないということが分かっていた。あるじは、必ずしも富に限らず、富への執着から彼を救い出したかった。イエスの弟子達は、各自の全財産を手放した訳ではなかったが、使徒と70人はそうであった。マタドームスは、70人の新使者の一人になることを望んでいた。だからこそ、イエスは、現世での全資産を手放すことを要求したのであった。
ほとんど全ての人間には、寵愛の悪としてしかとしがみつく物、そして、それを天の王国への入り口で入国の代価の一部として要求される何か1つの物がある。もしマタドームスがその富を手放してしまったならば、それはおそらく70人の会計係として管理のために彼の手に戻されていたことであったろうに。その後、エルサレムの教会設立後、その時には70人の中での会員資格を楽しむには遅過ぎたはしたものの、マタドームスは、あるじの命令に従った。そして、かれは、エルサレムの教会、主の肉親の弟のジェームスが長であった教会の会計係となった。
このように、人は、自身の決定に到達しなければならない。それは、いつもそうであったし、永遠にそうである。必滅者が、行使するかもしれない選択の自由における特定の範囲がある。精霊的な世界の力は、人を強制しない。精霊的な世界の力は、自身が選ぶ方法を進むことを許す。
イエスは、その富をもつマタドームスが、すでに福音のために全てを見捨ててしまった聖職授任者の仲間になることができないと予見した。同時に、富がなくとも、マタドームスは、すべての仲間の中での最高の指導者になるのが分かった。しかし、イエス自身の同胞と同様に、かれは、王国で決して偉大になることはなかった、というのも、イエスが求めたまさしくそのことを、そして、かれは、数年後に実際に行ったことをそのとき進んでしていたならば、自分の経験となり得たあるじとの親密で個人的な関係を、自分から奪ったのであったから。
富は、天の王国への入国には直接に関係はないが、財産への執着は、関係がある。王国への精霊的な忠誠心は、物質的な富への隷属性と相容れない。人は、精霊的な理想に対する崇高な忠誠心と物質の執着心を共有することはできない。
イエスは、財産所有が間違っているとは決して教えなかった。かれは、12人と70人だけに彼らの現世の全所有物を共通の目的に捧げるように要求した。その時でさえ、使徒マタイオスの例のように、かれらは、それぞれの資産の有利な清算を配慮した。イエスは、ローマの裕福な男性に教えたように、何度も裕福な弟子達に忠告した。あるじは、過剰な収益の賢明な投資を将来の、しかも避けられない逆境に対する保険の合法的な形態と見なした。使徒の資金が溢れんばかりのとき、ユダは、収入の減少に苦しむかもしれない後のために用いられるように貯蓄して基金を置いた。これをユダは、アンドレアスと相談の上した。イエスは、喜捨金の支払いを除いては使徒の財政とは決して個人的に何の関係もなかった。ただし、イエスが何回となく批難した経済上の1つの虐待があり、それは、強く、鋭く、より知的な仲間が、脆弱で、無学で、運に恵まれない人々の不当な搾取であった。イエスは、男性、女性、子供へのそのような非人間的な扱いは、天の王国の兄弟愛の理想とは相入れないと断言した。
イエスがマタドームスと話し終わる頃には、ペトロスと数人の使徒は、イエスの周りに集まってきており、金持ちの青年が去ろうとしているとき、イエスは、使徒に振り向いて言った。「富を有する人々にとり、完全に神の王国に入るということが如何に難しいかが分かる。精霊的崇拝は、物質的な執着心とは相入れない。人は、2人のあるじに仕えることはできない。『異教徒が永遠の命を受けるよりも、ラクダが針の目を潜り抜ける方が容易い。』という諺がある。このラクダが針の目を潜り抜けるのが容易いように、これらの自己満足の裕福な者が、天の王国に入るのも簡単であると、私は加えて宣言する。」
ペトロスと使徒は、これらの言葉を聞くと 非常に驚き、「では、主よ、誰が救われることができるのですか。富を持つ者はすべて、王国の外に留められるのですか。」とペトロスが言った。そこで、イエスが答えた。「そうではない、ペトロス。だが、富に頼る者の全ては、まず永遠の進歩に通じる精霊的な生活にはほとんど入れない。しかし、それでも、人に不可能である多くは、天の父の力の及ぶ範囲にある。むしろ、我々は、神とならば全ての事が可能であるということを認識すべきである。」
彼らが単独で出発するとき、イエスは、マタドームスを非常に愛していたので彼がともに残らなかったということを大いに悲しんだ。湖沿いに歩き、水辺に座ったとき12人の代わりに(この時までには全員がいた)、ペトロスが言った。「私達は、金持ちの青年へのあなたの言葉に悩んでおります。あなたの後に続きたい人々にその全財産を諦めるように求めるべきしょうか。」すると、イエスは言った。「いや、ペトロス。使徒になりたい者だけに、あなた方がしているように、それと1家族のように私と同居することを望む者だけに。しかし、父は、子供達の愛情が純粋であり分裂的でないことを必要とする。あなたと王国の真の愛の間に割り込む何事も何人も、引き渡されなければならない。人の財産が魂の境界域内に侵入しなければ、それは、王国に入ることを望む人の精霊的な人生において重要ではない。」
そこで、ペトロスは、「しかし、あるじさま、私達は、あなたに続くためにすべてを放棄しました。それで、私達は、何を得るのでしょうか。」と言った。そこで、イエスは、12人全員に話した。「誠に、誠に、言いきかせておこう。私のためや天の王国のために財産、家、妻、同胞、両親、または子供を置き去りにする者は誰でも、この世界にあって恐らくいくつかの迫害と共に、その幾倍かを受けない者はなく、やがて行く世界で永遠の命を受けない者はないのである。しかし、先の者が後になり、後の者がしばしば先になることが多いのである。父は、被創造者の必要性に従い、また、宇宙の福祉ために慈悲深く情愛深い思いやりの公正な法の遵奉において彼等に対処する。
「天の王国は、沢山の雇い人を抱え、朝早くブドウ園の労働者を雇いに出かける世帯主に似ている。1日当たり1デナリオスの支払いを約束し、その労働者達をブドウ園に送った。その後世帯主は、9時頃に出かけ、他の者が市場で立っているのを見て言った。『君達も私のブドウ園に行って働きなさい。働きに応じて支払うつもりである。』そこで、かれらは、早速出かけて行った。世帯主は、また12時と3時頃に出かけて同様にした。午後5時頃また市場に行くと、何もせずに立っている者達を見たので、かれは、『何もせずに何故一日中立っているのか。』と尋ねた。するとその人々は、『誰も雇ってくれなかったからです』。と答えた。すると、世帯主が言った。『君達も私のブドウ園に行って働きなさい。働きに応じて支払うつもりである。』
夕方になるとブドウ園のこの所有者は、執事に言った。『労働者達を呼びなさい。最後に雇われた者から始め、最初に来た者が最後になる順番で賃金を支払いなさい。』5時頃に雇われた人々が来て、それぞれに1デナリオスを受け取り、他の労働者達も同じであった。その日の始めに雇われた者達は、後から雇われた者達がどの程度支払われたかを見て、同意した以上の受け取りを期待した。しかし、他の者同様に、誰もが1デナリオスだけを受領した。そして、各々が自分の賃金を受け取ると、彼等は、世帯主に不平をもらした。『最後に雇われた者達は、ほんの1時間しか働かなかったのに、灼熱の中での1日の仕事を担った私達と同じ支払いを受けました。』
世帯主はその時、答えた。『友よ、私は、あなた方に対し不正をしてはいない。あなた方各人は、1日あたり1デナリオスの約束をしませんでしたか。自分の取り分をもらって行きなさい、私は、最後に来た人々にもあなた方と同様に払いたいのである。自分の物を自分がしたいようにするのは当たり前ではありませんか。それとも、私が善くあり、情けをみせるので、あなた方は私の気前のよさを妬んでいるのですか。』」
70人が最初の任務に赴いた日は、マガダンの宿営にまつわる感動的な時であった。その朝早く、70人への最後の話の中でイエスは、次の点を強調した。
1. 王国の福音は、全世界に、非ユダヤ人にならびにユダヤ人に公布されなければならない。
2. 病人に奉仕する傍らで、奇跡の期待を持つ教えは控えよ。
3. 現世の権力と物質的な栄華の外面的な王国ではなく、神の息子の精霊的な兄弟愛を公布せよ。
4. 福音を説くことへの心からの献身が損なわれるかもしれない過度の社交的な訪問や他の些細な事での時間の損失を避けよ。
5.本部に選ばれる最初の家が相応しい家であると分かるならば、その都市での滞在中はそこに留まるように。
6. エルサレムのユダヤ人の宗教指導者との公然の決別の時がもう来たことをすべての忠実な信者に明らかにせよ。
7. 人の義務の全ては、心と魂を尽くして神を愛し、あなた自身のように隣人を愛せよ、というこの1つの戒めに要約されているということを教えよ。(これは、彼等が、パリサイ派によって述べられた生活の613の原則に代わる人の全義務として教えることになるもの。)
イエスがこのように使徒と弟子の全員の前で70人話し終えると、シーモン・ペトロスは、70人を連れ去り、彼らに聖職授任の説教をした、そしてその説教は、王国の使者として手を置いて彼らを引き離した際に、あるじから与えられた訓示を詳細にしたものであった。ペトロスは、70人が体験する際に次の長所を大事にするように勧めた。
1. 献身的帰依。つねに福音の収穫に向けより多くの労働者が送り出されることを祈ること。人がそのように祈るとき、「ここに、私はいます。私をお送りください。」と祈っているのであるということを説明した。かれは、日々の崇拝を無視しないように諭した。
2. 真の勇気。かれは、彼等が、敵意に直面し、そして、迫害を受けるのは確かであると警告した。ペトロスは、彼等の任務は、臆病者のための仕事には向かないと伝え、また、恐れている者は、着手する前に身を引くように忠告した。しかし、誰も引き下がらなかった。
3. 信仰と信頼。かれらは、この短い任務で必要なものが全く用意されないまま出て行かなければならない。かれらは、食物、避難所、および他のすべての必要なものについては父を信じなければならない。
4. 情熱と自発性。 かれらは、情熱と知的な熱意に動かされなければならない。かれらは、厳しくあるじの用向きに気を配らなければならない。東洋の挨拶は、長くて入念な儀式であった。そこで、かれらは、「道端では人に挨拶しない」ようにと命じられてきており、それは、むだな時間をなくして仕事に取り組む一般的な方法であった。それは、友好的な挨拶の問題とは無関係であった。
5. 親切と礼儀。あるじは、社会的な儀式における時間の不必要な浪費を避けるように命じたが、彼等が接触するであろう全ての人々に対する礼儀を命じた。かれらは、自分たちが家で持てなしをうけるかもしれない者に対してあらゆる親切を示すことになっていた。より快適であるか、または有力である者の家で楽しむために慎ましい家を去ることを避けるように厳しく注意された。
6. 病人への奉仕。70人は、心身を病む者を求め、疾患の緩和、または治癒をもたらすためにできる全てをすることをペトロスに課された。
このように任され、指示されると、かれらは、2人ずつに組み、ガリラヤ、サマリア、ユダヤでの任務に赴いた。
ユダヤ人は、時おり異教の国が70ヶ国あることを思って、70という数に独得の考えをもち、また、これらの70人の使者は、すべての民族に福音をもたらすことになってはいたが、我々が認識する限りにおいては、この一団が丁度70人であったのは単なる偶然であった。イエスは、少なくとも他の6人ほどを確かに受け入れたことであろうが、それらの者には、富と家族を見捨てるという代償を払う気がなかったのである。
イエスと12人は、あるじがヨルダン川で洗礼されたペラ近くのペライアにおいて、そのとき、最後の本部を設ける準備をした。11月の最後の10日間は、マガダンでの協議会に費やされ、12月6日、火曜日には、およそ300人の仲間の全員は、ペラ近くの川の側でその夜の宿泊のために夜明けに持ち物を携え出発を始めた。泉の側のこれは、洗礼者ヨハネが何年も前に陣取っていた同じ場所であった。
マガダン宿営の解体後、ダーヴィド・ゼベダイオスは、ベスサイダに戻り、すぐに、使者活動の縮小に取り掛かった。王国は、新局面を迎えていた。巡礼者は、日々,全パレスチナ、そしてローマ帝国の遠域からさえもやって来た。信者は、時にはメソポタミアとチグリス川の東の土地から訪れた。従って、12月18日、日曜日、ダーヴィドは、以前湖岸のベスサイダの宿営を指揮った際の宿営装具を、父の家に格納していた宿営装具を、使者団の助けを借り荷物用の動物に載せた。ベスサイダに当分の間の別れをし、湖岸とヨルダン川沿いに使徒の宿営の北のおよそ800メートル程の地点へと下り続け、そして、1週間足らずで約1,500人相当の巡礼者のもてなしの用意ができていた。使徒の宿営所にはおよそ500人を収容することができた。そのとき、パレスチナでは梅雨時に当たり、これらの宿泊施設においては、イエスに会いに、また教えを聞きにペライアにくる大部分はまじめで絶えず増加する求法者達の世話をすることが求められていた。
マガダンでフィリッポスとマタイオスと相談はしたものの、ダーヴィドは、この全てを率先的にした。この宿営所を指揮するに当たり、かれは、かつての使者団の大半を助手として採用した。そのとき、通常の使者の任務には20人足らずを利用した。12月下旬近く、そして70人の帰還前、およそ800人の訪問者が、あるじの周りに集められ、彼等は、ダーヴィドの宿営所に宿を見つけた。
12月30日金曜日、イエスは、ペトロス、ジェームス、ヨハネと近くの丘へ行き留守にしていたが、70人の二人ずつの使者は、多数の信者を連れてペラ本部に到着していた。5時頃イエスが宿営所に戻ると、70人全員が、教育の場所に集められた。王国の福音のためのこれらの熱心な者達がそれぞれの経験談をしているうちに、夕食は1時間以上も遅れた。ダーヴィドの使者達は、前の数週間にわたりこの消息の多くを使徒に知らせていたが、熱望しているユダヤ人や非ユダヤ人に自分達の知らせがどう受け入れられたかをこれらの新たに聖職授任された福音の教師達が直接に伝えるのを聞くことは、誠に心が奮い立つのであった。遂にイエスは、自分の個人の臨場なしで、人々が、朗報を広めに出掛けるのを目にすることができた。あるじは、そのとき、王国の進歩を由々しく妨げることなくこの世を去ることができると分かった。
70人は、自分達にいかに「悪魔でさえ服従した」かという説明に関連しては、神経障害の犠牲者の例で取り組んだ素晴らしい療法に言及した。それでも、これらの活動者に救済された本当の霊的憑拠に関する幾つかの事例があった。そこで、これらについてイエスは言及した。「私が天から魔王が稲妻のように落ちるのを見るのに照らし合わせるとき、これらの反抗的な下位の霊が、君達に服従することは奇妙ではない。しかし、これをそれ程までに喜んではいけない、というのは、私が父の元に戻るとすぐに、我々は、もうこれ以上これらの失われた少数の精霊が、不幸な死すべき者の心に入ることができないように、我々は、まさに人々のその心に我々の精霊を送ると断言する。あなたに人を目覚めさせる力があるということは嬉しいが、この経験をもとに得意になるのではなく、あなたの名が天の名簿に書かれているということ、そして、その結果、あなたは、精霊的勝利の終わりのない経歴に向かおうとしていることに歓喜しなさい。」
そして、共に晩の食事をする直前、追随者が時折目撃した感情的な恍惚状態のこれらの稀な瞬間を、イエスが経験したのは、この時であった。かれは言った。「感謝致します、天地の主である父、この素晴らしい福音が、賢者や独善者から隠されるとともに、王国のこれらの子供へのこれらの精霊的な栄光を明らかにされたことを。はい、父上、こうすることは、御心に適ったに違いなく、私は、私があなたの元に、また果たすべき仕事に戻った後に、朗報が、全世界に広まるということを知り喜んでいます。私は、私の手に全権が委ねられようとしていること、あなただけが、本当に私が誰であるかを知るということ、私だけが本当にあなたを知るということに気づき、強く心を動かされています。また、私があなたを明らかした者達だけが、あなたを知っています。そして、私は、肉体をもつ我が同胞へのこの顕示を終えたとき、高所にいるあなたが創造された者達にその顕示を続けていきます。」
イエスは、父にこのように話し終えると、使徒と奉仕者達に話すために横を向いた。「これらの事を見る目と聞く耳は、幸いである。過ぎ去った時代の多くの予言者と偉人は、あなた方がいま目にしていることを見ることを望んでいたが、それは許されなかった。そして、そのうちにやって来る光の多くの世代は、これらの事を聞くとき、それらを聞いたり見たりしたあなた方を羨むであろう。」
ついで、かれは、全ての弟子に向かって言った。「あなた方は、多くの町や村がいかに王国に関する朗報を受け入れたかを、また、私の活動者と教師が、いかにユダヤ人と非ユダヤ人の両方に受け入れられたかを聞いた。そして、本当に幸せであるのは、王国の福音を信じることを選んだこれらの共同体である。しかし、これらの使者をよく受け入れなかったホラズィン、ベスサイダ-ユーリアス、カペルナムの町の光を拒絶している住民は、不幸である。これらの場所で行われた力強い働きが、ツロとシドーンで行われていたならば、いわゆる異教徒の都市の人々は、ずっと以前に悲しみに沈んで悔悟していたことであろう、と私は断言する。裁きの日には、ツロとシドーンにとり実に耐え易いものであろう。」
翌日は安息日であり、イエスは、70人とともに出掛けて行き彼らに言った。「君達が、ガリラヤ、サマリア、ユダヤ中に散在しているそれほど多くの人の王国の福音の受け入れの朗報を携えて戻ったとき、私は、君と共に本当に喜んだ。だが、なぜ君達は、そんなに驚くほどに意気揚々としたのか。伝達が力を明らかにすると予想はしなかったのか。その効果に驚いて戻るほどには、この福音をあまり信用せずに旅立ったのか。今、私は、歓喜の君達の悦びの意気を抑えたくない一方で、驕り、精霊的な驕りの微妙さについて警告したい。不法者ルーキフェレーンスの失脚を理解することができるならば、あなた方は、すべての精霊的な驕りのすべての形態を粛として避けるであろう。
「君達は、彼が神の息子であることを人に教えるこの素晴らしい仕事についた。私は君達に道を示してきた。君の義務を果たしに先へ進みなさい、そして首尾よくすることに飽きることのないようにしなさい。あなたに、またあなたの道を世々代々にわたり進むもの全てに言っておく。私は、いつも近くに立っている、そして重荷を背負い苦しんでいる者は、皆私の元に来なさい、休ませてあげよう、私は、真実で誠実であるのだから私のくびきを負い、私に学びなさい。そうすれば、あなたの魂に休みが与えられるであろう、というのが、私の招待の言葉であり、また、それは永遠である。
かれらは、イエスの約束を試してみると、あるじの言葉が、真実であると分かった。また、数え切れない程の人々が、その日以来ずっとこれらの同じ約束を試し続け、また、その確かさを立証し続けた。
ペラ宿営での次の数日は忙しい時であった。ペライア任務のための準備が完了されつつあった。イエスとその仲間は、3カ月の全ペライアの巡行の最後の任務に着手するところであった。あるじが、地球でのその最終的な作業のためにエルサレムに入るまでは終わらないこの期間、イエスと12人の使徒の本部は、ここペライア宿営所に維持された。
イエスが人々に教えるために広範囲に行く必要はもはやなかった。そのとき、毎週、全地域から、パレスチナからだけでなく全ローマ世界および近東からイエスの元にやって来る人々の数が、増えていた。あるじは、70人とペライアの巡歴に参加したが、ペライア宿営所で群衆への教えと12人への指示に自分の時間の多くを過ごした。この3カ月を通して、使徒の少なくとも10人が、イエスと共に残っていた。
女性団体もまた、ペライアのより大きい町で2人ずつ70人と働くために出かける準備をした。この当初の12人の女性部隊は、家庭訪問の仕事と病人や苦しむ者に奉仕する技術に関してつい先ごろ50人の女性のより大きい部隊を訓練をした。シーモン・ペトロスの妻であるペルペツアは、この新しい女性部隊の一員となり、アブネーの下で拡大した女性の仕事の統率を任された。五旬節の後、彼女は、有名な夫の宣教の旅の全てに同伴した。そして、ペトロスがローマで磔刑にされた日、彼女は、競技場の野獣に餌として与えられた。また、この新女性部隊には、成員としてフィリッポスとマタイオスの妻達、それにジェームスとヨハネの母もいた。
王国の仕事は、そのとき、イエスの直接指揮の下に、その最終局面に入る準備をした。そして、この現局面は、過去のガリラヤでの人気のある時代にあるじの後に続いた奇跡に関心があり、驚くべきことを求める群衆とは対照的に、精霊的な奥深さのあるものであった。しかし、物質志向の、そして天の王国が、神の普遍的父性の永遠の事実に基づく人の精霊的な兄弟愛であるという真実を把握しない多数の追随者が、いまだにいた。
ペラ宿営所が設立される間、イエスは、奉献の祭に出席するためナサナエルとトーマスを連れ秘かにエルサレムへ行った。彼らがベサニアの浅瀬でヨルダン川を渡るまで、2人の使徒は、あるじがエルサレムに進んでいるのに気づかなかった。彼が、奉献の祭に出席するのが真意と分かると、かれらは、切々と抗議し、またあらゆる類の議論を駆使し、思い切らせようと努めた。しかし、彼らの努力は、効果がなかった。イエスは、エルサレムを訪問すると決心していた。彼らのあらん限りの嘆願に、そして自分をシネヅリオン派の手近に晒すという愚かさと危険性を強調する全警告に対し、かれは、単に「私の時間が来る前にもう一度イスラエルのこれらの教師に機会を与えたい。」と答えるのであった。
3人は、エルサレムに向かい、そして2人の使徒は、恐怖の気持ちを表明し、そのような明らかに僭越な企てに関する自分達の疑問を声に出し続けた。3人は、およ4時半過ぎにイェリーホに達し、夜はそこで泊まる準備をした。
その晩、かなりの来客が、質問のためにイエスと2人の使徒の周りに集まり、使徒は、その質問の多くに答え、あるじは、他の質問を論じた。その夜の進行の中で、ある律法学者は、評判を落とすような論争にイエスを巻き込もうとして、「先生、永遠の命を受けるには一体何をすべきかを尋ねたいのです。」と言った。イエスは、「何が律法だと預言者には書かれていますか。あなたは、聖書をどのように読みますか。」と答えた。律法学者は、イエスとパリサイ派双方の教えと知った上で答えた。「心をこめて、魂をこめて、力をつくして主なる神を愛せよ。また、自分を愛するように隣人を愛せよ。とあります。」すると、イエスが言った。「あなたは正しく答えた。あなたが本当にすれば、これが、永遠に続く命へと導くであろう。」
しかし、律法学者は、この質問にまったく誠実ではなく、自分を正当化したいのと、また、イエスを当惑させたいのとで別の質問で挑んだ。かれは、あるじに少し近づいて、「しかし、先生、一体誰が私の隣人であるか教えてください。」と、言った。律法学者は、人の隣人を「その民族の子孫」と定義したユダヤの法に違反する論述をさせ、イエスを罠にかける目的でこの質問をした。ユダヤ人は、他の全ての人々を「非ユダヤ人の犬」と見ていた。この律法学者は、イエスの教えに幾らかの馴染みがあり、従って、あるじが異なる考えであることを心得ていた。このように、かれは、神聖な法に対する攻撃として解釈できる何かを言う方向へイエスを導きたいと願っていた。
しかし、イエスは、律法学者の動機を明察し、罠に陥る代わりに聞き手に物語を、あらゆるイェリーホの聴衆が十分に真価を認めるであろう物語を始めた。イエスは言った。「ある人がエルサレムからイェリーホへ下っていく途中、非道な強盗が、この人を襲い、略奪し、裸にして殴打し、半殺しにしたまま逃げ去った。間髪を入れず、偶々その道を下ってきた一人の祭司が、負傷した男性に出くわし、気の毒な有り様を見たが、道路の向こう側を通り過ぎた。また同様に、一人のレービイ人が、通り掛かりこの男性を見たが、道路の向こう側を通り過ぎて行った。さて、丁度この頃、あるサマリア人が、イェリーホまで旅をしていて、この負傷した男性に出くわした。かれは、略奪され、打ちのめされた様を見て気の毒に思い、男性に近寄って行き、傷に油とワインを注ぎ包帯をし、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行き介抱をした。翌日、かれは、幾らかの金を取り出し、それを宿の主人に与え、『私の友人の世話をよくしてあげてください。もし、もっと費用が掛かるなら、帰りに返済します。』と言った。さて、あなた方に尋ねたい。この3人のうち誰が強盗に襲われた人の隣人であったと思いますか。」そこで、自身の罠に掛かったと悟った律法学者は、「その男性に慈悲を示した者」と答えた。そこで、イエスは、「あなたも同様にしにいってください。」と言った。
律法学者は、サマリア人、というその不愉快な言葉を差し控えることができるように「慈悲を示した者」と答えた。「誰が私の隣人であるか。」という質問への答えを、律法学者が答えることをイエスが望んでいた質問への答えを、イエスがもしそう述べたならば、直接イエス自身を異端の告発に巻き込んだであろう同じ答えを、律法学者は、与えざるをえなかった。イエスは、不正直な律法学者を困惑させたばかりでなく、全追随者にとっては美しい訓戒であり、同時に全ユダヤ人にとってはサマリア人に対する彼等の考えてもみないほどの叱責の話を聞き手に語った。そして、この話は、後にイエスの福音を信じたすべての者の間での兄弟愛の促進を続けた。
イエスは、帝国の全域からの巡礼者に福音を宣言できるように会堂の祭に出席した。イエスは、そのとき、ただ1つの目的のために、シネヅリオン派とユダヤの指導者達に光を見させる今一度の機会を与えるために奉献の祭に行った。エルサレムでのこの数日間の主な出来事は、金曜日の夜ニコーデモスの家で起きた。ここにはイエスの教えを信じるおよそ25人のユダヤ人指導者が、集められた。この集団の中には、その時、あるいは最近までシネヅリオン派に属していた14人ほどの男性がいた。この会合にはエベル、マタドームス、それにアリマセア出身のヨセフが出席していた。
この場合、イエスの聞き手は、皆学識ある者で、これらの学識者も2人の使徒共に、あるじがこの著名な集団に示した所見の幅と深さに驚いた。イエスは、アレキサンドリア、ローマ、および地中海の島々で教えていた時代から、そのような学識を披露したり、人事に関わるそのような理解を俗人にも宗教人にも示していなかった。
この小談合が解散されると、全員は、あるじの人格に当惑し、優しい態度に魅せられ、その人に愛情を抱いて立ち去った。彼らは、シネヅリオン派の残りの者達を獲得したいというイエスの願望に関して彼に忠告しようとした。あるじは、注意深く、しかも黙って皆のすべての提案に耳を傾けた。彼にはそのいずれの計画もうまくいかないことが分かっていた。かれは、大部分のユダヤ人の指導者が、王国の福音を決して受け入れないということを推測していた。それでも、彼ら全員に選択するこのもう一つの機会を与えたのであった。だがその夜、かれは、宿泊のためにナサナエルとトーマスとオリーヴ山へ出掛けるときにはシネヅリオン派の注目をもう一度自分の仕事に引きつける努力をする方法をまだ決めてはいなかった。
その夜、ナサナエルとトーマスは、ほとんど眠らなかった。かれらは、ニコーデモスの家で聞いたことにあまりにも驚いていた。かれらは、イエスが、シネヅリオン派の以前の、また現在の構成員とともに70人の前に行くという申し出に対するイエスの最後の言葉に思いを巡らせた。あるじは言った。「いや、同胞よ、それは、まったく無駄であろう。君は、自身の頭に叩きつけられる怒りを増すであろうが、彼等が私に抱く憎悪を少しも和らげはしないであろう。父が指示するかもしれない方法で、私が彼らに王国をもう一度注目させる間、銘々で出掛けなさい、精霊が君を導くに任せて父の用向きに。」
翌朝3人は、ベサニアのマールサの家に朝食に行き、それから、すぐエルサレムに入った。この安息日の朝、イエスと2人の使徒が寺院の近くに差し掛かると、皆によく知られた生まれながらにして盲目の一人の乞食が、彼のいつもの場所に座っているのに遭遇した。乞食たちは、安息日に施しを求めたり、受け取りはしなかったが、通常の場所に座ることは許された。イエスは止まって、この乞食を見た。かれは、生まれつき盲目のこの男性を見つめると、どのようにシネヅリオン派や他のユダヤ人の指導者および宗教教師の注意を地球での自分の任務にもう一度払わせるかという考えが浮かんだ。
あるじが深い考えに没頭し、そこで盲目の男性の前に立っていると、ナサナエルは、この男性の盲目に関するありうる原因を考えていて尋ねた。「あるじさま、誰が罪を犯したためですか。この男ですか、それとも両親ですか。この男が生まれつき盲人であるのは。」
律法学者は、生まれついて盲目であるそのようなすべての例が、罪によって引き起こされると教えた。子供が、罪をもって受胎されて生まれてくるばかりではなく、その父が犯した罪によって何らかの具体的な罰として盲の子供が生まれることがあると教えた。かれらは、この世界に生まれる前に子供自身が罪を犯すかもしれないとさえ教えた。また、そのような障害は、妊娠中にその母が何らかの罪、あるいは他の道楽に起因する場合があるとも教えた。
この全域にわたり、転生に関するなかなか去らない信仰があった。年老いたユダヤ教師達は、プラトン、フィロン、およびエッセーノス派の多くと共に、人は、前世で植えつけたものを1度の回生で刈り取れるという理論を許容していた。このように、1度の人生で、人は、前世で犯した罪を償うと信じられた。あるじは、彼等の魂が以前に存在しなかったと人間に信じさせることが難しいと知った。
それにしても矛盾しているようではあるが、そのような盲目は、罪の結果であると思われる一方で、ユダヤ人は、これらの盲目の乞食に施し物を与えることは、高度に賞賛に値すると考えた。通行人へ絶えず「心優しい方よ、盲を補助されご利益を得られよ。」と唱えるのが、これらの盲人の習わしであった。
イエスは、ナサナエルとトーマスとこの件について議論を始めたが、それは、単に自分の任務にユダヤの指導者の注意をもう一度顕著に向けさせるその日の方法としてこの盲目の男性を利用すると早くも決めたばかりでなく、かれは、自然であるか、または精霊的なすべての現象の真の原因を捜すことをつねに使徒に奨励したからでもあった。かれは、ありふれた物理的な出来事に精霊的な原因を当てる世間並みの傾向を避けるように使徒にしばしば警告した。
イエスは、その日の仕事の計画でこの物乞いを利用すると決めたが、名をヨシアという盲目の男性のために何かをする前に、ナサナエルの質問に答え始めた。あるじは言った。「両親でもなく、この男性が罪を犯したのでもなく、神の御業というものが彼に現れるためである。この盲目は、自然な事の成り行きでこの男性の身に生じたが、我々は、私を遣わされた方の業を今、昼の間に施さねばならない、これからしようとする事ができなくなる夜という時がたがうことなくやって来るので。世界にいるとき、私は世界の光であるが、間もなく私は、君達と共にはいなくなる。」
話し終えるとイエスは、「人の子の告訴を追い求めている筆記者とパリサイ派が、充分な機会が得られるようこの安息日にこの盲人に視力を呼び起こそう。」と、ナサナエルとトーマスに言った。ついで、かれは、前屈みになり、地面に吐いた唾を粘土と混ぜて、このすべてが、盲目の男性に聞こえるように言い、ヨシアのところに行き見えない目の上に粘土を置いて言った。「行きなさい、息子よ。シロアーの池でこの粘土を洗い流しなさい、そうすれば、すぐに、視力を得るであろう。」そして、ヨシアがシロアーの池でその通りに洗うと見えるようになり、友人と自分の家族のところに戻っていった。
今までずっと乞食であり、ヨシアは、他の何も知らなかった。それゆえ、視力の回復行為の最初の興奮が去ると、いつもの自分の施しを乞う場所に戻っていった。友も、隣人も以前の彼を知る者は皆、ヨシアが見えることに気づくと、「これは、盲の乞食ヨシアではないのか。」と言った。ある者はそうだと言うし、他の者は、「いや、そのようではあるが、この男は見える。」と言った。しかし、皆がこの当人に尋ねると、「私です。」と答えた。
彼らが、どうして見えるようになったのかを訊き始めると、「イエスと呼ばれる男性がこちらにやって来て、その友人達と私のことを話していると、唾で粘土を作り私の目に塗りシロアーの池に行って洗うように指示されました。私は、この男性に言われた通りにしました。すると、すぐに、視力を得ました。しかも、それは、ほんの数時間前のことです。私は、見るという意味の多くをまだ知らないのです。」と答えた。すると、ヨシアの周りに集まり始めた人々が、彼を癒したその不思議な人物をどこで見つけられるのかと尋ねると、ヨシアは、知らないとしか答えられなかった。
これは、すべてのあるじの奇跡で最も奇妙なことである。この男性は治療を乞いはしなかった。ヨシアは、自分にシロアーで洗うように指示し、視力を約束したイエスが、天幕の祭りの間、エルサレムで説教していたガリラヤの予言者であることを知らなかった。この男性は、自分が視力を受け取るということをほとんど信じなかったが、当時の人々は、偉大な人か聖人の唾の効力に大いなる信仰を持っていた。そして、ナサナエルとトーマスとのイエスの会話から、ヨシアは、自分の恩人となろうとしている人は、偉人か学識ある教師、または聖なる予言者であると結論を下していた。それ故に、イエスの指示通りにしたのであった。
イエスは、3つの理由で粘土と唾を利用し、また、象徴的シロアーの池で洗うように命じた。
1. これは、個人の信仰への奇跡による返答ではなかった。これは、自身の目的のために実行をイエスが選んだ、しかも、そこから、この男性が、持続する恩恵を引き出せるように取り計らった驚きに値いする業であった。
2. 盲人が治癒を求めず、彼の持つ信仰が微かであることから、物質的なこれらの行為は、彼を励ます目的のために示された。盲人は、唾の効力の迷信を本当に信じ、シロアーの池が幾らか敬虔な場所であることは知っていた。しかし、塗布の粘土を洗い流すことが必要でなかったならば、なかなかそこには行かなかったであろう。盲人の行動を引き起こすためのやり取りにはまさにぴったりの儀式であった。
3. しかし、イエスには、この特異な駆け引きに関してこれらの物質的な手段に訴える第3の理由があった。これは、全く自分自身の選択に従って為された奇跡であり、そしてそれによって、当時の、またすべての以降の時代の追随者が、病人の回復における物質的な手段を軽蔑したり、無視することを控えるように教えることを望んでいた。かれは、奇跡を人間の病気を治療する唯一の方法と考えることを止めなければならない、と皆に教えたかった。
イエスは、この全行為をシネヅリオン派、全ユダヤ教師と宗教指導者への公然の挑戦を主要目的として、この安息日の朝エルサレムの寺院近くで、奇跡の運用によりこの男性に視力を与えた。これは、イエスのパリサイ派との公の絶縁を宣言する方法であった。かれは、為すこと全てにおいていつも積極的であった。そして、この安息日の午後早く、この男性のところに2人の使徒を連れ来て、奇跡をパリサイ派に気づかせ、故意にそれらの議論を引き起こし、シネヅリオン派の前にこれらの問題をもたらすことが、イエスの目的であった。
午後の半ばまでに、ヨシアの治癒は、寺院の周りでの議論を高めたので、シネヅリオン派の指導者達が、その通常の寺院の会所で会議を開くと決めるほどであった。そして、かれらは、安息日にシネヅリオン派の会合を禁じた定款に違反してこれをした。イエスは、最後の試煉が来るときは、安息日への違反が主な罪状の1つであることを知っており、慈悲あるこの行為に対してイエスを裁くユダヤの高等裁判所のまさにその会議が、自らが課した法に直接違反し、安息日にこれらの問題を熟慮するように、盲目の男性を安息日に癒した罪で裁定のためにシネヅリオン派の元に引かれて行くことを望んでいた。
しかし、かれらは、イエスを召喚しなかった。そうすることを恐れていた。代わりに、かれらは、直ちにヨシアを呼びにやった。幾つかの予備質問の後、約50人が出席するシネヅリオン派の代弁者は、ヨシアに何が起こったのかを話すように命じた。その朝の治癒以来、トーマス、ナサナエル、および他の者から、パリサイ派が安息日に治療を施すことに立腹するということ、また係わりのある全ての者に問題を起こしそうであるということを教えられていたが、ヨシアは、イエスが救出者だと呼ばれているとはまだ気づいていなかった。そこで、パリサイ派が質問すると、「この人がやって来て、私の目に粘土を着け、シロアーに洗いに行くように言われ、そして、今、私は見えるのです。」と言った。
年上のパリサイ派の一人は、長い発言の後、「この男性は、安息日を祝わないと分かるので、神から来たはずがない。安息日に、まず粘土を作り、次に洗うためにこの乞食をシロアーに送ったり、法に違反している。そのような者が神から送られた教師であるはずがない。」と言った。
そのとき、秘かにイエスを信じる若者の一人が言った。「この男が神から遣わされていないのならば、どうしてこれらのことができるのだろうか。我々には、普通の罪人が、そのような奇跡を果たせないことうが分かっている。我々は皆、この乞食が盲目に生まれたと知っている。今かれは、見える。あなたは、それでもこの予言者が、悪魔の王子の力でこれらのすべての驚きの業をすると言われますか。」すると、イエスを敢えて起訴し、糾弾するパリサイ派の各成員にむかって、一人が、もつれさせ恥ずかしめる質問をするために立ち上がろうとするので、彼らの間に深刻な分裂が生じた。議長は、主意から逸れるのを見てとり、議論を静めるために直にこの男性へのさらなる質問の用意をした。ヨシアに向かって、「お前はこの男、このイエスについて何か述べることがあるか。お前の目を見えるようにした者は、誰であるとお前は言うのか。」と訊いた。すると、ヨシアは、「予言者だと思います。」と答えた。
指導者達は、大いに困惑し、為すべきことを知らず、ヨシアが本当に生まれつき盲目であったかどうかを知るために両親を呼びにやると決めた。かれらは、その乞食が癒されたと信じることを嫌った。
イエスがユダヤ教の全会堂への出入りを拒まれているばかりか、その教えを信じる者全ても同様に会堂から追放され、イスラエルの集会から破門されているということは、エルサレム周辺でよく知られていた。そして、これは、生活の必需品を買う権利を除くユダヤ人としてのすべての権利と特権の否定を意味した。
したがって、ヨシアの両親、貧しく恐怖に悩む二人は、威厳のあるシネヅリオン派の指導者達の前に現れたとき、率直に話すことを恐れていた。法廷の代弁者が、「これは、そなた等の息子であるか。我々が、この男が盲で生まれたと理解して間違いはないのだな。これが本当ならば、なぜ今は見えるのであるか。」と尋ねた。そこで、ヨシアの父は、ヨシアの母の賛同を受けて答えた。「これは私共の息子であり、盲で生まれたとは存じておりますが、どのようにして見えるようになったか、また、誰が見えるようにしたかは存じません。これにお尋ねください。これ自身に述べさせてください。」
それでもう一度、かれらは、ヨシアを呼び出した。かれらは、正式の審問を開く計画においてあまり反りが合ってはいなかった。そして、何人かは、安息日にこれをすることについて奇妙であると感じ始めていた。従って、ヨシアを再召喚したとき、かれらは、異なる攻撃方法により彼を罠にはめようと試みた。法廷の役員は、元盲目の男性に向かって言った。「お前は、なぜこれに対して神に栄光を与えないのか。起こったことについて全真実を何故我々に話さないのか。我々は皆、この男が罪人であることを知っている。お前は、なぜ真実を見極めることを拒否するのか。お前もこの男も両方が、安息日への違反を犯したと、お前には分かっている。目が、この日に見えるようにされたとまだ主張するならば、神をお前の治療者として認め、罪を償おうとしないのか。」
しかし、ヨシアは、口がきけないのでもなく、滑稽さを欠いてもいなかったので、法廷の役員に答えた。「私は、この男性が罪人であるかどうかは知りませんが、私が確かに知っていることがあります—私は盲でありましたが、今は見えるということです。」かれらは、ヨシアを罠にかけることができなかったので、さらに質問しようとして、「一体どのようにお前の目を見えるようにしたのか。お前に実際には何をしたのか。かれは、何と言ったのか。自分を信じるようにお前に頼んだのか。」と言った。
ヨシアは些さか苛立って返答した。「私は、全て起こったままをお伝えしました。そこで、私の証言を信じないならば、なぜまた聞こうとされるのですか。もしかすると、あなた方もそ人の弟子になられたいのですか。」ヨシアがこのように話し終えると、シネヅリオン派の者は、混乱し、ほとんど暴力的に、指導者達がヨシアに殺到し、声高に「お前はこの男の弟子であるかのように話すことができるが、我々は、モーシェの弟子であり、神の法の教師である。」と立腹して言い、ほとんど暴力的に解散した。「我々は、神がモーシェを通して話されたということを知っているが、この男イエスに関しては、どこから来たのかを知らない。」
その時、ヨシアは、三脚椅子の上に立ち、聞くことができた全員に叫んで言った。「耳を傾けてください、全イスラエルの教師であると主張するあなた方は、あなたは、この男性がどこから来たかを知らないと認め、そして聞いた証言から、彼が私の目を開いたと確かに知っているので、私は、ここに不思議なことがあると言明します。私達は全員、神は、不信心な者にはそのような業を示されないということ、神が真の崇拝者—崇敬されるにふさわしく、公正な者—の要請に対してのみそのようなことを為されるということを知っています。あなたは、世界が始まって以来、盲に生まれついた者の目が見えるようになったということを聞いたことがないのを知っている。そこで、皆さん、私をご覧ください、そして、この日エルサレムで為されたことに気づいてください。もしこの男性が神から来ていないならば、私は、彼がこうすることができなかったと言います。」すると、シネヅリオン派の者が、怒りと混乱で立ち去りながらヨシアに叫んだ。「お前は、まったく罪ある者に生まれながら、我々に教えようとしているのか。お前は、おそらく本当に盲には生まれなかったのであろう。また、目が安息日に開いたとしても、これは、悪魔の王子の力で行われたのである。」そして、かれらは、ヨシアを追放するためにすぐにユダヤ教の会堂に行った。
ヨシアは、イエスと自分の治癒の本質についての乏しい考えでこの裁判に参加した。審問が、そのような不公平で不当な線に沿って進行するにつれ、非常に賢明に勇敢に伝えた大胆な証言の大部分は、全イスラエルのこの最高裁判所においてヨシアの心の中で発達していったのであった。
寺院の1室でのシネヅリオン派のこの安息日に違反しての会議の進行中イエスは、ずっと近くを歩き回り、ソロモン回廊で人々に教え、そして、神の王国での神の息子としての地位の自由と喜びに関する朗報を彼らに伝えることができるようにシネヅリオン派の前に召喚されることを望んでいた。しかし、かれらは、イエスを呼びにやることを恐れていた。かれらは、エルサレムへのイエスの突然の、しかも公の出現につねに当惑していた。彼らがそれほどまでに一心に求めてきたまさにその機会をイエスが、その時与えたが、かれらは、シネヅリオン派の前に、イエスを目撃者としてさえ連れて来ることを、ましてや逮捕することはそれ以上に恐れた。
この時エルサレムは真冬であり、人々は、ソロモンの回廊に完全とはいえない避難所を求めた。そして、イエスが長居していたので、群衆は、多くの質問をし、かれは、2時間以上教えた。数人のユダヤ人教師は、公の前で罠に掛けようと質問した。「いつまで我々に気を揉ませるのですか。あなたが救世主であるならば、はっきりと言ってくれませんか。」イエスは言った。「私は、しばしば自分と父に関してあなた方に話してきたが、あなたは私を信じようとしない。父の名によって為す私の業が、私を証していると理解できないのですか。それにしても、あなた方の多くは、私の会衆に属しないので信じないのである。真実の教師は、真実に飢え、正義に渇望する者のみを引きつける。私の羊は私の声を聞きつけ、また、私には彼等が分かり、彼等は私に続く。そこで、私は、私の教えに続く者全てに永遠の命を与える。かれらは、決して死なず、私の手から彼等をひったくる者は誰もいない。これらの子を私に与えてくださった私の父は、全てにまさるので、誰も父の手から彼らを毟り取ることはできない。父と私は1つである。」一部の不信心なユダヤ人は、イエスに投げる石を拾うために建設中の寺院へと急いだが、信者等が制止した。
イエスは、教えを続けた。「父からの多くの情愛深い業を私は示してきた。そこで尋ねたいのだが、それらの良い業の中のどれのために私を石で打ち殺そうとするのか。」すると、パリサイ派の一人が、答えた。「良い業のためにではなく、冒涜のために、人であるお前が、大胆不敵にも自分を神と対等にする限り、我々は石を投げるのである。」すると、イエスは答えた。「私が、神によって送られたと宣言したとき、あなた等は、私を信じるのを拒否したが故に、人の息子を冒涜の罪で告発するという。もし私が神の業を行なわないならば、私を信じるでない、だが、もし私が神の業をするならば、あなたが私を信じなくとも、私は、あなたはその業を信じると考える。しかし、私が宣言することをあなたが確信できるように、父は私の中におられ、私は父の中にあり、そして、父が私の中に住まわれているように、この福音を信じる全ての者の中に父が住むということを、私は、重ねて断言しておく。」人々がこれらの言葉を聞くと、多くの者は、投げるための石を手にいれるために飛び出したが、イエスは、寺院の境内を通って出て行った。そして、かれは、シネヅリオン派の会議に付き添っていたナサナエルとトーマスに会い、ヨシアが会議室から出て来るまで寺院の近くで待った。
イエスと2人の使徒は、ヨシアが会堂から追放されたと聞くまで、ヨシアを探しに家へは行かなかった。彼らがヨシアの家に行きトーマスが庭でヨシアを大声で呼ぶと、イエスが訊いた。「ヨシア、神の息子を信じるか。」すると、ヨシアは答えた。「私が信じるかもしれないという方が誰であるかを私に教えてください。」イエスは言った。「あなたはその者を見て、その声をも聞いた。そして、今あなたに話しているのが、その者である。」そこで、「主よ、私は信じます」と、ヨシアが言い、ひれ伏し、拝んだ。
ヨシアは、彼が会堂から追放されたと知ると、最初は大いに塞ぎ込んだが、イエスが、すぐに自分達と一緒にペラの宿営に行く準備をしなければならないと指示すると、非常に勇気づけられた。エルサレムのこの質朴な男性は、本当に会堂から追放された、だが、その時代と世代の精霊的な気高さに連がるようにヨシアを先導する宇宙の創造者を注視せよ。
そして、そのとき、イエスは、エルサレムを去り、この世を去る準備の頃まで二度と戻ってこなかった。あるじは、2人の使徒とヨシアとペラに帰っていった。そして、ヨシアは、王国の福音の生涯を通じての伝道者になり、あるじの奇跡の活動の実り多い享受者の一人であることを証明した。
西暦30年1月3日、火曜日、洗礼者ヨハネの12人の使徒のかつての長、ナズィール派であり、以前はエーンゲディーのナズィール派の学校の代表であり、そのときは王国の70人の使者の長であったアブネーは、仲間を集め、彼らをペライアの都市と村々すべてへの任務に送るにあたっての最終的な指示を与えた。このペライア任務は、ほぼ3カ月続き、あるじの最後の活動であった。イエスは、人の姿での最終的な体験をするためにこれらの活動からエルサレムに直接向かった。イエスと12人の使徒の定期的な作業の補助を受ける70人は、ツァフォウン、ガダラ、マカヅ、アーベラ、ラマス、エヅレイ、ボソーレ、カスピン、ミツペ、ゲラーサ、ラガバ、スッコス、アマスス、アダ ーム、ペヌエル、カピトーリアス、ディーオン、ハチタ、ガッダ、フィラデルフィア、イオーグベハ、ギラード、ベス-ニムロー、ティーロス、エレアレー、リーヴィアス、ヘシュボン、カッリッロン、ベス-ペウル、シッティーム、シブマ、メデバ、ベス-メウン、アレオポリス、アロウエルのこれらの市や町、それにおよそ50の村落で働いた。
ペライアのこの巡歴を通して、そのとき62人を数える女性部隊は、病人の世話の大部分を受け持った。これは、王国の福音のより高い精霊面開発の最後の一区切りであり、依って、奇跡の業は不在であった。パレスチナの他のいかなる地域もイエスの使徒と弟子による徹底した扱いをうけなかったし、また善い市民の階級が、全般的にあるじの教えを受け入れたのは、他の地域ではなかった。
ユダ・マッカベーウスの時代のユダヤ人は、これらの地域から一般的には移動を余儀なくされており、このときペライアでは、非ユダヤ人とユダヤ人は相等しい数であった。ペライアは、全パレスチナで最も絵のように美しい地方であった。それは、通常、「ヨルダンの向こうの陸」とユダヤ人に呼ばれた。
イエスは、この期間を通してペラでの宿営と、教え説いて廻る様々な都市での70人の補助に当たる12人との旅に時間を費やした。イエスが託した訳ではなかったが、70人は、アブネーの指示の下にすべての信者に洗礼を施した。
1月半ばまでには1,200人以上の人がペラに集められ、イエスは、宿営所に住んでいるときは、雨に防げられない限り通常午前9時にはあ話を始め、毎日少なくとも一度はこの群衆に教えた。ペトロスと他の使徒は、毎日午後に教えた。イエスは、12人と他の上級の弟子との通常通りの質疑応答のために夜はあけておいた。夜の集団は、平均して50人ほどであった。
3月中旬までには、すなわち、イエスがエルサレムへの旅を始めるときまでには、イエスかペトロスの説教を聞く大聴衆は、毎朝4,000 人以上いた。自分の知らせに対する人々の関心が頂点に達したとき、あるじは、王国の進展のこの第2、または奇跡を伴わない段階の下での最頂点において地球での仕事を終えることを選んだ。群衆の3/4は、真実探求者であったのだが、たくさんの懐疑者や難癖をつける者と共にエルサレムや他の場所からの多くのパリサイ派が、居合わせていた。
イエスと12人の使徒は、ペラ宿営地に集まった群衆に多くの時間を注ぎ込んだ。12人は、時々アブネーの仲間の訪問のためにイエスと出掛ける以外、野外の仕事にはまず注意を向けなかった。アブネーは、これが、元主人である洗礼者ヨハネがその仕事の大部分をした地域であったので、ペライア地区には非常に馴染み深かった。ペライア任務開始後、アブネーと70人は、ペラ宿営地には二度と戻らなかった。
エルサレムの人々、パリサイ派と他の人々からなる300人を超える一行は、イエスが奉献の終わりにユダヤの管区から遠くへと急ぎ離れたとき、ペラのある北へとイエスの後を追った。そして、イエスが「良い羊飼い」について説教をしたのは、これらユダヤ人の教師と指導者が出席し、12人の使徒も傍聴している時であった。30分間の非公式の議論の後、イエスは、およそ100人の集団に話した。
「今夜あなた方に伝えることがたくさんある。そして、あなた方の多くが私の弟子であり、またある人達は仇敵であるので、それぞれが自分のために心に受け入れられるように私の教えを寓話で提示するつもりである。
「今宵、ここには、私の前には、私のために、そして王国のこの福音のために喜んで死ぬであろう者、また、数年のうちに自らを提供するであろう者がおり、そして、伝統の奴隷であるあなた方の一部は、エルサレムから私を追ってきたり、陰欝で、欺かれたあなた方の指導者達と共に人の息子を殺そうとしている。私が今肉体で送る人生は、本当の羊飼いと偽の羊飼いのあなた方の両方を判断する。もし偽の羊飼いが盲目であるならば、その者に罪はない。だが、あなたは、目が見えると主張する、あなたは、イスラエルの教師だと公言する。従って、あなたの罪はあなたにある。
「本物の羊飼いは、危険に際し夜は群れを囲いの中に集める。そして、朝が来ると、かれは、出入り口から囲いに入り羊を呼ぶと、羊はその声を知っている。羊の囲いへの進入を門からではなく、いかなる他の方法によって為すあらゆる羊飼いは、泥棒であり強盗である。本物の羊飼いは、門番が彼のために門を開けた後に囲いに入る。そして、羊は、その声を知っているので言葉に従って出てくるし、このようにして自分の羊が連れ出されると、本者の羊飼いは、それらの前に行く。彼は道を示し、羊は彼について来る。それらの羊は、彼の声を知っているので、彼について来る。それらは、見知らぬ人にはついていこうとはしない。羊は、その声を知らないので見知らぬ人からは逃げようとする。我々の周りのここに集うこの群衆は、羊飼いのいない羊のようなものである。しかし、我々が話し掛けるとき、彼らは、羊飼いの声を知っており、我々のあとに続く。少なくとも、真実に飢え、正義に渇きをおぼえている人々はそうする。あなた方のうちのある者は、私の囲いのものではない。私の声も知らないし、私についても来ない。また、偽の羊飼いであるので、羊は、あなた方の声も知らないし、あなた方に続かないであろう。」
イエスがこの寓話を話し終えたとき、誰も質問をしなかった。しばらくして、かれは、再び話し始め寓話について検討し続けた。
「私の父の群れの見習いの牧人になろうとする者は、相応しい指導者であるばかりでなく、良い食物を群れに食べさせなければならない。緑の牧草地と溜まり水へと群れを導かないようでは、あなたは本物の羊飼いではない。
「今、あなた方の一部が、あまりに簡単にこの寓話を理解するといけないので、私は、父の羊小屋への門であると同時に私の父の群れの本物の羊飼いでもあると断言する。私なしで囲いに入ろうとするすべての羊飼いは失敗するし、羊はその者の声を聞かないであろう。私は、ともに奉仕する人々といる私は、戸である。私が作成し、定めた手段で永遠の道に乗り出すあらゆる人間は、救われ、楽園の永遠の牧草地到達へと前進できるであろう。
「私も、羊のために喜んで我が命を捨てさえする本物の羊飼いである。泥棒は、単に盗み、殺し、破壊するために囲いに押し入る。だが、私は、あなた方が皆命を得られるように、しかも、それをより豊かに持つことができるようにとやって来た。金銭ずくで働く者は、危険が起こると逃げ、羊は散り散りになり全滅されるがままにするであろう。しかし、本物の羊飼いは、オオカミが来ても逃げない。かれは、群れを保護し、必要なら、羊のために自分の命を捨てるであろう。誠に、誠に、あなた方友人にも敵にも言う、私は、本物の羊飼いであると。私は、私自身を知っており、私自身は私を知っている。私は、危険に際し、逃げはしない。私は、私の父の意志成就のこの仕事を終えるつもりであり、父に保つことを委ねられたこの群れを見捨てるつもりはない。
「私にはこの囲いに属さない他の多くの羊がいるが、これらの言葉は、この世に限って当て嵌まるのではない。これらの他の羊も私の声を聞き、私を知っている。私は、彼らの全てが1つの囲いの中に、神の息子の1つの兄弟愛の中に連れて来られることを父に約束をした。そして、あなた方は全員、1人の羊飼い、本物の羊飼いの声を知り神の父性を知るのである。
「そこで、あなたは、父がなぜ私を愛し、この領域の群れの全ての保護を私の手に委ねたかが分かるであろう。父は、私が羊小屋の保護にたじろがず、羊を見捨ず、必要ならば、多種多様の群れの仕事に私の命を捨てることを躊躇わないということ知っているからである。しかし、もし私が命を捨てるなら、私は、再びそれを取り上げるということを心しなさい。誰も、他のどんな被創造物も、私の命を奪い去ることはできない。私には、自分の命を横たえる権利と力があり、再びそれを始める同じ権威と力がある。あなたはこれを理解することができないが、私は、この世界が存在する以前にさえ私の父からのそのような権威を授かった。」
彼らがこれらの言葉を聞くと、使徒は混乱し弟子は驚き、一方エルサレムやその周辺からのパリサイ派の人々は、夜道へと出ていき、「気が狂っているか、または彼には悪魔がいる。」と言った。しかし、エルサレムの教師の何人かさえ、「彼は権威を持つ者のように話す。そのうえ、生まれついての盲人の目を開いたり、この男がしてきたような全ての驚くべき事をする者を、一体誰が、見たことがあるか。」と言った。
翌日、これらユダヤ人教師のおよそ半分は、イエスを信じると明言し、残る半分は、狼狽しエルサレムの各自の家に戻った。
安息日の午後の群衆の数は、1月の終わりまでにはおよそ3,000人に達した。1月28日、土曜日、イエスは、「信用と精霊的準備」について注目すべき説教をした。まずシーモン・ペトロスが所見を述べた後、あるじは言った。
「何度も使徒と弟子に言ってきたことを、私は、今しもこの群衆に宣言する。これらのパリサイ派の多くは、心が正直で、そのうちの何人かが私の弟子としてここに留まるが、偽善で、偏見をもつ親から生まれ、伝統の束縛で養育されるパリサイ派のパン種、すなわち偽善に気をつけなさい。現在、明らかにされないものは何もないのであるから、やがて、あなた方すべてが、私の教えを理解するであろう。人の息子が、肉体での地上の任務を完了したとき、今はあなたから隠れているものは、すべて明らかにされるのである。
「すぐ、本当にすぐ、我々の敵が今秘かに暗闇で計画していることが、明るみに引き出され、屋根で言い広められるであろう。しかし、言っておく、友よ。彼らが人の息子を滅ぼそうとするとき、彼等を恐れてはいけない。肉体を殺すことはできるかもしれないが、その後、あなたに対するどんな力を及ぼすことのないそれらの者を恐れることはない。私は、あなたが天においても地においても何をも恐れず、すべての不正からあなたを救い出し、宇宙の裁判席の前に非のうちどころがないあなたを呈する力を持つ方を知ることを喜ぶように訓戒する。
「5羽の雀は、2ペニーで売れられているではないか。しかも、これらの鳥が食物探索のために飛び廻るとき、その1羽として父に忘れ去られて存在しているものはない。熾天使の後見人には、あなたの頭のその髪の毛さえ数えられている。そして、このすべてが真実であるならば、あなたは、なぜ日常生活で出合う多くの些細なことを恐れて生きなければならないのか。恐れるではない。あなたには沢山の雀よりはるかに価値がある。
「人の前で私の福音への信仰を公表す勇気を持つあなた方のすべてを、私は、やがて天の天使達の前で認めるつもりである。しかし、人の前で故意に私の教えの真実を否定する者は、天の天使達の前で天命の後見者によって否定されるであろう。
「人は、人の息子について何を言おうが、許されるであろう。しかし、大胆に神を冒涜する者は、決して許されないであろう。人が、神の行いと知りつつ、断然悪の力の所為にする場合、そのような周到な反逆者は、その罪への許しを全く求めないであろう。
「そして、我々の敵が、会堂の支配者や高い権威者の前にあなたを連れて行くとき、何を言うべきかを心配せず、また質問にどう答えるべきかに煩わされてはいけない、あなたに宿る精霊が、王国の福音の名誉において何を言うべきかを他ならぬその時に確かに教えてくれるのであるから。
「あなたは、決断の谷間にいつまでぐずついているのか。なぜ2つの意見にどっちつかずでいるのか。なぜユダヤ人または非ユダヤ人は、彼が永遠の神の息子であるという良い知らせの受け入れを躊躇わなければならないのか。嬉々として精霊的な相続への参加をあなたを説得させるのに我々はどれだけ掛かるのであろうか。私は、あなたに父を明らかにし、あなたを父に導くためにこの世に来た。私は、最初の事をしたが、しかし、最後のことはあなたの同意なしにはできない。父は、どんな人にも王国に入ることを決して強要しない。招待は、今までずっとあり、これからも常にある。誰でも望む者は、来させて自由に命の水を相伴させなさい。」
イエスは、話し終えると、彼が残っている人々の質問を聞いている間、多くの者は、使徒の洗礼を受けにヨルダン川へ向かった。
使徒が信者を洗礼する間、あるじは留まった人々と話した。ある青年が言った。「あるじさま、私の父は、多くの財産を私と兄弟に残して死にましたが、兄弟達は、私の取り分をくれようとしません。そこで、この遺産を分配するように兄弟に言ってくれませんか。」イエスは、この物質に執着する若者が議論の場にそのような質問をするということに憤りを覚えたが、更なる訓示の提示のためにその機会を利用しようとした。イエスは、「私をあなたの調停人にしたてた人、私がこの世の物質的な事象に注意を向けるという考えをどこで得たのか。」と言った。それから、周りにいる者達に向いて言った。「欲深さに注意を払い、自由でありなさい。人の命は、所有しているかもしれない豊かさにはないのである。幸福は財産の力からは来ず、また、喜びは財宝から起こらない。財産は、本来、呪いはないが、富への執着は、しばしばこの世事での執着へと導くので、魂は、神の王国の美しい精霊的な現実の魅力や天上における永遠の命の喜びが判別がつかなくなる。
「豊作をもたらす土地を持つある金持ちの話をしよう。この人は、大金持ちになったとき、あれこれと考え始めた。『私のすべての富をどうしようか。収納する場所もないくらい豊富にある。』と言った。『こうしよう。倉を取り壊しより大きいのを建てれば、収穫物や財産を格納するゆったりした場所ができる。そこで自分の魂に言える。魂よ、長年にわたり沢山の富を蓄えてきた。さあ、安心せよ。食べて、飲んで、陽気でいなさい、お前は豊かで食糧も増えたのだから。』
「だが、この金持ちもまた愚かであった。心と身体の物質的な必要性に備えるに当たり、精霊の満足と魂の救済のために天の宝物を蓄え損ねた。それでも、かれは、蓄えた財産を消費する喜びを楽しむことはなかった、なぜならば、まさしくその夜、その人の魂は彼から取り去られたので。その夜、山賊が、彼を殺しに家に押し入ってやって来て、倉を略奪し、残りは燃やした。そして、強盗から免れた財産は、相続人の間で争われた。この男性は、自分のために地球の宝物を蓄えたが、神に向かっては豊かではなかった。」
青年の問題は、翌深さにあると分かっていたので、イエスは、青年とその遺産にこのように対処した。もしこれが本当でなかったとしても、あるじは、使徒は言うに及ばず、弟子の世事にさえ決して干渉しなかった。
イエスが話し終えると、別の男性が立ち上がって尋ねた。「あるじさま、あなたに続くために使徒達が自分のすべての俗世の所有物を売り払い、またエッセーノス派のように全ての物を共有しているということを知っていますが、あなたは、我々皆を弟子と同様にさせたいのですか。正直な財産を持つことは罪でありますか。」すると、イエスはこの質問に答えて「友よ、立派な財産を持つことは罪ではない。しかし、物質的な財産が、あなたの関心を吸収し、また王国の精霊的な探索からあなたの愛を変えるかもしれない宝物に変換するならば、それは罪である。あなたの宝が天にあるならば、地球にまともに手にした所有物があることには何の罪もない、なぜならば、あなたの宝があるところには、あなたの心もあるのだから。欲深さと利己主義に繋がる財産、そして世俗的なものをふんだんに持つ者の豊かさと、王国の仕事にすべての活力を捧げる者の指示にまったく惜しみなく貢献する人々による慈善事業の精神で保持され分与される富との間には、大きな違いがある。財産のある気前のよい男女が、そのような目的のためにあなた方の主催者ダーヴィド・ゼベダイオスに資金を与えたので、ここにいて、金を持たないあなた方の多くは、あちらの宿営生活をしている町で食べさせてもらい宿を与えられた。
「しかし、財産は、詰まるところ、持続しないということを決して忘れてはならない。財産への執着は、あまりにも頻繁に精霊的な洞察力を被い隠し、破壊さえする。財産が、あなたの使用人ではなく、あなたの主人となる危険性を認識し損うことのないようにしなさい。」
イエスは、浪費、怠惰、家族のために物理的な必需品を提供することへの無関心、または施し物への依存などを教えもせず、是認もしなかった。しかし、物質的で一時的なものは、天の王国での魂の福祉と精霊的な性質の進展に従属しなければならないということを教えた。
それから、人々が洗礼を目撃するために川の側に降りて行くと、遺産に関しイエスが厳しく自分を扱ったと思ったので、最初の男性は、イエスのところに秘かにやって来た。そして、あるじが再び彼の声を聞くと答えた。「息子よ、強欲な気質を満足させるためにこのような日に命のパンを食べるる機会をなぜ逃すのか。あなたが会堂の法廷に苦情を持ち込めば、ユダヤ人の遺産に関する法が公正に執行されるということを知らないのか。私の仕事は、あなたの天の遺産に関してあなたが知るということを確実にすることと関係があるということが、あなたには分からないのですか。聖書を読みませんでしたか。『慎重さと相当の締め付けで富を増す者がおり、そして、その富はその人の報酬分である。この人は、私は休らぎを見つけ、今は絶えずに食べることができると言うが、自分に何が起こるのか、そのうえ死ぬ時にはこれらのすべてのものを他の者に残さなければならないということが分かっていない。』『欲しがってはならない。』と戒律にあるのを読んではいないのですか。また、『彼らは食べて、満ち足り、肥え太り、そして他の神々に振り向いた。』とある。詩篇に『主は、強欲な者を嫌う。』とあり、『一人の正しい者のもつ僅かな物は、多くの悪者の豊かさにまさる。』とあるのを読みましたか。『富が増えても、それに心を奪われてはならない。』イレミアスが、『富める者はその富を誇るな。』と言うところを読んでいないのですか。そして、『彼等は、口では愛しているふりをするが、心では利己的利得を追っている』と、イェゼケイルが真実を語っている。」
イエスは、「息子よ、全世界を獲得しても、あなた自身の魂を失うのであれば、何の益があろうか。」と言って青年を行かせた。
裁きの日に富はいかに評価されるかを尋ねた近くに立つ別の者に答えて、イエスは、「私は、金持ちも貧しい者も裁きに来たのではなく、人が送る生活が、全てを裁くのである。裁きに際して富者が関わるかもしれないその他の何も、巨大な富を得る全ての者が答えなければならない少なくとも3つの質問があり、これらの質問は次の通りである。
1. どれだけの富を蓄積したのか。
2. どのようにこの富を得たのか。
3. いかにその富を用いたのか。
それから、イエスは、夕食の前にしばらく休むために天幕に入った。洗礼を終えてしまうと、使徒達も、やって来て、地球の富と天での宝物に関しイエスと話したかったのだが、イエスは、眠っていた。
その晩の夕食後、イエスと12人が日課の会議のために集まったとき、アンドレアスは、尋ねた。「あるじさま、我々が信者を洗礼している間、あなたは、長居していた群衆へ我々が聞かなかった多くの話をされました。我々のためにこれらの話を繰り返してもらえますか。」そこで、イエスは、アンドレアスの要求に応えて言った。
「よし、アンドレアス、私は、富と自給のこれらの問題について話そう。だが、君達は、単に私に続くのではなく、王国の大使として定められており、全てを見捨ててしまっているのであるから、私が君達弟子に話すことは、群衆に話した事とはいくらか異なっていなければならない。すでに、君達には、数年の経験があり、君達が宣言する王国の父は、君達を見捨てないということを知っている。君達は、自分の人生を王国の活動に捧げてきた。だから、この世での生活のこと、あるいは身体のことで何を食べるか、あるいは何を着るかと心配したり思い悩んではいけない。魂の福祉は、飲食以上のことである。精霊における進歩は、衣類の必要性をはるかに超えるものである。君達が、パンの確かさを疑いたくなるとき、大烏に思い及びなさい。種子も撒かず、収穫もしない。倉庫も、納屋も持たない。それでも父は、探す一羽一羽に食物を与えられる。そして、君達は、多くの鳥よりもどれだけ価値のあることか。おまけに、心配や苛々する疑問のすべては、物質的な必要性を満たすための何もできない。君達のうちの誰も、心配することでその身長に手幅の長さを、その人生に1日を、加えることはできない。そのような問題は、君達の支配の下にはないのに、なぜこれらを憂慮するのか。
百合が、どのように成長するかを考えなさい。精を出して働かず、紡ぎもしない。それでも、あなたに言っておく。栄華をきわめたセロモでさえ、これらの花の1つほどにも着飾ってはいなかった。もし神が、今日は生き、明日は切り倒され火に投げ込まれる野の草にさえそのように装わせるのであれば、天の王国の大使である君達に、それ以上によく着せないことがあろうか。ああ、信仰薄き者よ。心から王国の福音の宣言に専念するとき、君達は、自分や見捨てた家族の支持に関して疑わしい心でいてはいけない。本当に福音に一生を捧げるならば、君達は、福音で生活するであろう。信じているだけの弟子であるならば、君達は、自身の生計をたて、しかも教えて説教し、癒すすべての者の生計に貢献しなければならない。糧と水が気がかりであるならば、君達は、そのような必要なものを非常に勤勉に探す世界の諸国民とどこで違いがあるのか。父と私の双方は、君達がこれらを必要とするということを分かっていると信じて、自分の仕事に専念しなさい。あなたが人生を王国の仕事に捧げるならば、真に必要なものは全て供給されると、これを最後に保証しておこう。より素晴らしいものを求めなさい、そうすれば、劣るものがそこに見つけられるであろう。天なるものを求めなさい、そうすれば、地球なるものが含まれている。影が実体に続くということは、確かである。
「君達は、小さい集団にすぎないが、信仰があるならば、恐怖で躓かないならば、私は、この王国を君達に与えることが父にとっての喜びであると断言する。君達は、財布が古くならないところで、泥棒が奪い取ることができないところで、そして蛾が台無しにすることができない宝物を蓄えてきた。そして、私が人々に告げたように、君達の宝物があるところに君達の心もまたある。
「しかし、我々のすぐ前にある仕事、そして私が父のもとに行った後、君達のために残っている仕事で、君達は、傷ましいほどに裁かれるであろう。君達は全員、恐怖と疑問に用心しなければならない。君達一人一人が、心の腰に帯を締め、明かりを灯し続けなさい。主人が婚宴から帰りきて戸を叩くとき、すぐ開けてあげようと待つ者のようにしなさい。それほどまでに行き届いた使用人は、そのような大切な瞬間に忠実であることを見抜く主人に祝福される。そして、その主は、使用人を座らせ、主人自らが、給仕をするであろう。君達の人生には危機が迫っていると、本当に、本当に、言っておく。そして、君達にはそれを待ち受けて用意をしておく必要がある。
「君達は、泥棒がいつ来るか分かっていれば、誰も家への侵入に悩まないということをよく理解している。君達も心構えをしておきなさい、思いがけない時に思いがけない様で、人の息子は、出発するのであるから。」
数分間、12人は沈黙して座った。これらの警告の幾つかは、以前に聞いていたが、この時に提示された内容ではなかった。
彼らが考えながら座っていると、シーモン・ペトロスが、尋ねた。「この寓話を話されるのは、あなたの使徒である我々にですか、それとも、全ての弟子のためですか。」すると、イエスが答えた。
「試煉に際し、人の魂は、明らかにされる。試煉は、本当に心にあることを明らかにする。使用人が試され、合格するとき、家の主人は、そのような使用人を世帯の中に置き、自分の子供等が食事を与えられ、保育されると安心して委せることができる。同様に、私は、私が父のところに帰るとき、私の子供の福祉をだれに任せられるか直に分かる。一家の主が、真の、そして試された使用人に家事を委ねるように、私は、私の王国の情勢に関し、この試煉の時に耐える者達をこそ賞揚するのである。
「しかし、使用人が怠惰であり、心で、『主人の帰りが遅い。』と思い、仲間の使用人を虐待し、酔っ払い達と飲食し始めるならば、主人が、予想もしていないときにやってきて、その使用人が不誠実であることが分かり、不名誉のうちに彼を追放するであろう。したがって、君達は、突然に、そして予想外の方法で訪れるその日のために十分に備えなければならない。覚えていなさい、君達には多くが与えられてきた。したがって、多くのことが要求される。火のような試煉が、君達に近づいている。私には、受けねばならない洗礼があり、それを受けるまでは警戒をしている。君達は、地球の平和を説くが、私の任務は、人の物質的な情勢に平和をもたらしはしない—少なくとも、しばらくは。家族のうちの2人が私を信じ、3人がこの福音を拒絶するような結果からは、分裂しか起こらない。友人、親類、愛する者達は、君達が説く福音に相対するように運命づけられている。これらの信者の各々には心に素晴らしくて持続する平和があるが、地球の平和は、すべての者が進んで信じ、神との息子の資格の栄光の遺産を受け入れるまでは来ないということは本当である。それでも、全ての国に、あらゆる男性、女性、子供にこの福音を宣言しに全世界に向かいなさい。」
これが、盛り沢山で忙しい安息日の1日の終わりであった。翌日、イエスと12人は、アブネーの指揮下にこれらの地域で働いていた70人を訪れるために北ペライアの町々に入った。
2月11日から20日まで、イエスと12人は、アブネーの仲間と女性団員が働いていた北ペライアの全町村を旅した。彼らにはこれらの福音の使者が成功を収めていることが分かり、イエスは、王国の福音が奇跡と驚きの付属物なしで広がることができるという事実に注意を払うように繰り返し使徒を促した。
ペライアでの3カ月のこの全任務は、12人の使徒の助けをほとんど受けずに首尾よく運ばれ、福音は、これ以後、あまりイエスの人格ではなく、その教えとして反映した。しかし、追随者は、イエスの死と復活直後、イエスの教えから離れ、奇跡の概念と神・人間の人格の賞賛された記憶を中心に初期の教会の建設を始めたので、長くはその教えに従わなかった。
2月18日、安息日に、イエスは、ラガバにいた。そこにはナサナエルという裕福なパリサイ派に属する人が住んでいた。そして、パリサイ派の仲間が、国中をイエスと12人の後を追けていたので、ナサナエルは、この安息日の朝、数にしてほぼ20名全員のために朝食を作り、イエスを主賓として招待した。
イエスがこの朝食に到着するまでには、大部分のパリサイ派が、2人か3人の律法の専門家と共に既にそこにおり、食卓についていた。あるじは、手を洗いに水盥のところへは行かずに、すぐにナサナエルの左側の席についた。パリサイ派の多くは、特にイエスの教えを好ましく思う者達は、イエスが清潔の目的のためにだけ手を洗うことを、すなわち単なる儀式的な履行を嫌っているということを知っていた。従って、イエスが手を二度洗わずに直接食卓に来ても驚きはしなかった。だが、ナサナエルは、パリサイ派の厳しい習慣を満たすことへのあるじのこの不履行に衝撃を受けた。イエスは、パリサイ派のように料理の各コースの後と食事の終わりにも手を洗わなかった。
ナサナエルと友好的でないパリサイ派の間でのかなりのひそひそ話の後、また、反対側に座る者達がひどく眉を上げたり嘲笑って唇をゆがめている後に、イエスは遂に言った。「私は、あなたが、私と食事をし、神の王国の新しい福音の宣言に関しておそらく私に質問するためにこの家に招待したと思っていた。しかし、あなたは、自分の独善への傾倒の儀式を披露するのを目撃させるために私をここに連れて来たと見受ける。あなたは、今私にその努力をしてくれたのだが、客としての私に今度は何で敬意を表してくれるのであろうか。」
あるじがこのように話すと、皆は、食卓の上に目を落とし黙ったままでいた。そして、誰も話さないので、イエスが続けた。「あなた方パリサイ派の多くは、友人として私とここにおり、何人かは私の弟子でさえあるが、パリサイ派の大多数は、福音の仕事が偉大な力を彼らの前にもたらしているときでさえも、光を見て、真実を承認することを頑固に拒否している。精霊的な糧の器が不潔で汚れているのに、あなたは、何と慎重に杯や皿の外側を洗うことよ。人々に敬虔で信心深い外観を確実に提示しようと努めているが、あなた方の内側の魂は、独善で、欲張りで、強要的で、そしてあらゆる種類の精霊的な邪悪で満たされている。あなた方の指導者は、敢えて人の息子の殺害さえ企んでいる。あなた方愚かな人々は、天の神が、外側の見せかけとその信心ぶった職業だけでなく、魂の内側の動機も見るということを理解しないのか。布施の付与と十分の一税の納入が、不公正から清めたり、万人の審判官の面前で汚れがなくあなたが立つことを可能にすると考えてはいけない。忌まわしいものだ、命の光の拒絶に固持してきたパリサイ派。あなたは、十分の一税に非常に注意深く、また施しにおいては仰々しいが、故意に神の訪問を拒み、その愛の顕示を拒絶する。あなたが、これらの軽い義務への注意を払うのは問題ないが、これらのより重大な要件を放っておくべきではなかった。忌まわしいものだ、正義を避け、慈悲を拒み、真実を拒絶する全ての者は。忌まわしいものだ、会堂で主要な席を求め、市場で媚びの挨拶を切望しつつ父の顕示を侮る全ての者は。」
イエスが去るために立ち上がろうとすると、食卓にいた律法学者の一人が言った。「しかし、あるじさま、あなたの声明の幾つかにおいて、あなたは、我々をも非難しています。筆記者にも、パリサイ派にも、律法の専門家にも何も良いものはないのですか。」すると、イエスは、立ち上がって律法学者に答えた。「あなたは、パリサイ派のように、人の肩に耐えがたい重荷を負わせながら、祝宴においては良い席、また長い礼服を着て大喜びしている。そして、人々の魂がこれらの重荷の下でたじろいでいるとき、あなたは、指の1本で持ち上げようとさえしない。忌まわしいものだ、あなた方の祖先が殺した予言者のための墓を建てることを大変楽しんでいるあなた方は。そして、予言者達がその時代にしたこと—神の正義を宣言し、天なる父の慈悲を明らかにすること—を今日しにきた者達をあなた方が今殺そうと計画するとき、あなた方は、祖先のしたことに同意しているということを明らかにしているのである。しかし、すべての過去の世代のうち、この片意地で独善的な世代の予言者と使徒の血の責任が、問われるであろう。忌まわしいものだ、世間の人々から知識の鍵を取り上げたあなた方全律法学者は。あなた自身は、真実の道へ入ることを拒否するばかりか、同時に、そこに入ろうとする他の全ての者を妨げようとしている。だが、あなた方は、そのようにして天の王国の戸を閉ざすことはできない。我々が入る信仰を持つすべての者にこれらの戸を開いてきており、これらの慈悲の入り口は、外部は美しく見えるが、内部は死人の骨とあらゆる精霊的に汚れたもので一杯の白く塗られた墓のような偽の教師と不実の羊飼いの偏見と傲慢さによって閉ざされることはない。」
そして、イエスは、ナサナエルの食卓で話し終えると、食事の相伴をすることなく家を出た。また、これらの話を聞いたパリサイ派のうち何人かは、イエスの教えの信奉者になり王国入りをした。しかし、大半の者は、エルサレムのシネヅリオン派の前に審理と判決の連れ出しに用いることができる幾つかのイエスの言葉が得られるかもしれないと、尚更に暗黒の道で待ち伏せすることに固執するようになった。
パリサイ派が特別の注意を向けたまさに3事項があった。
1. 厳しい十分の一税の実行
2. 浄めの法への綿密な遵守
3. すべての非パリサイ派との交流の回避
非パリサイ派との社交の拒絶を叱責するために考案された意見をこれらの同じ手勢の多くと再び食事するその後の別の機会まで留保しながらも、イエスは、このとき、最初の2つの慣習における精霊的な不毛を暴こうとしたのであった。
その翌日、イエスは、12人とサマリア境界近くのアマススへ行った。町に近づこうとしているとき、かれらは、この場所近くに滞在している10人の癩病の一団に遭遇した。このうちの9人は、ユダヤ人で、1人はサマリア人であった。通常これらのユダヤ人は、このサマリア人とのすべての交際や接触を控えたのでろうが、彼らの共通の苦悩は、全ての宗教的な偏見を封じるには十分過ぎるほどのものであった。イエスとその早期の治癒の奇跡について多く聞いており、また70人が、12人とのこれらの巡歴中のイエスの予定された到着時を発表する習わしにあったので、10人の癩病人は、彼がこの頃この付近に現れる予定であると気づいていた。そこで、かれらは、イエスの注意を引き、治療を求めて、町の郊外のここに居場所を定めていた。癩病人は、イエスが自分達に近づいてくるのを見て、彼には、敢えて近づこうとはせず遠くに立って哀訴した。「あるじさま、慈悲をお示しください。私達の苦悩からお浄めください。他の人々に癒したように、私達を癒してください。」
イエスは、ちょうどこの時、より正統的で、その上、伝統の束縛を受けたユダヤのユダヤ人達よりも、何故、ペライアの非ユダヤ人が、あまり正統でないユダヤ人と共に70人の説教による福音を進んで信じたがっているかを12人に説明していた。かれは、70人の知らせが、同様にガリラヤ人に、そしてサマリア人にさえ、より容易に受けいれられたという事実に注意を促した。しかし、12人の使徒は、長く軽蔑されてきたサマリア人に対してまだ親切な感情を抱くまでには至っていなかった。
このため、シーモン・ゼローテースは、癩病人の中のサマリア人を見ると、癩病人との挨拶を交わさないことに躊躇いもせず、あるじを町へと通り過ぎさせようとした。イエスは、シーモンに言った。「しかし、ユダヤ人が神を愛するように、サマリア人が神を愛しているとすればどうなのか。我々は仲間を裁かなければならないのか。誰が言えるのか。我々がこれらの10人の男性を癒すなら、恐らく、サマリア人は、ユダヤ人よりもずっと感謝するであろう。シーモン、自分の意見に確信があると感じるか。」そこで、シーモンは、「あなたが彼等を浄めれば、すぐに分かることです。」と即答した。するとイエスは、「その筈であろう。シーモン、君にはすぐ、人の謝意と神の情愛深い慈悲に関して真実が分かるであろう。」と答えた。
イエスは癩病人に近づいて言った。「もし癒されたいならば、モーシェの法に要求されているように、直ちに聖職者のところに行き、見てもらいなさい。」すると病人達は、行く間に癒された。しかし、自分が癒されていると分かると、サマリア人は、後戻りをしてイエスを探しに行き、大声で神を賛美し始めた。そして、あるじを見つけると、かれは、その足元に跪き、浄めのために感謝をした。他の9人のユダヤ人も、自分達の回復に気づき、浄めを大変有難く思ったが、聖職者に会いにいく道中を続けた。
サマリア人が依然としてイエスの足元に跪いていると、あるじは、12人を見渡し、特にシーモン・ゼローテースに言った。「10人が浄められたのではなかったか。では、どこに他の9人、ユダヤ人はいるのか。ただ1人、この異国人だけが、神を称えに戻ってきた。」それからかれは、サマリア人に「立ち上がって行きなさい。あなたの信仰があなたを癒したのである」と言った。
この余所者が出立すると、イエスは、再び使徒達を見た。伏し目のシーモン・ゼローテースを除く使徒は皆、イエスを見た。12人は一言も言わなかった。イエスも話さなかった。イエスが話す必要はなかった。
これら10人の男性の全員は、共に癩病に掛かっていると本当に信じていたが、4人だけがこのように苦しめられていた。他の6人は、癩病と間違えられた皮膚病が治されたのであった。しかし、サマリア人は、本当に癩病に掛かっていた。
イエスは、12人に癩病患者の浄めに関して何も言わないように言いつけ、アマススへと進みつつ言った。「家の子供が、父の意志に反抗的なときでさえも、自分達の恩恵をいかに当然のこととして受け止めるかが君達には分かる。父からの治療の施しに感謝を忘れても、かれらは、それが大したことではないと考えるのだが、知らない人達が、家長から贈り物を受けるとき、かれらは、驚きに満ち、授けられた良いことを認めて感謝を捧げずにはいられないのである。」それでも、使徒は、あるじの話の答えには何も言わなかった。
イエスと12人が、ゲラーサで王国の使者達と雑談したとき、イエスを信じるパリサイ派の一人がこう質問をした。「主よ、本当に救われるのは僅かの者ですか、多くの者ですか。」そこで、イエスは答えて言った。
「あなたは、アブラーハームの子供だけが救われると、非ユダヤ人の改宗者だけが救済を期待することができると、教えられてきた。エジプトから出た全ての大群の中からカーレブとヨシュアだけが、約束の地に入るために生きたと聖書に記録があるので、あなた方の一部は、天の王国を探す人のうち比較的少数の者だけが、そこへの入り口を見つけると推論してきた。
「あなた達にはもう一つ言い伝えがあり、それには多くの真実がある。永遠の命へと導く道は、真っ直ぐで狭く、そこへ導く戸は、同様に狭いがゆえに、救済を求める人々の僅かな者しか、この扉の入り口を見つけることはできない。あなた達には、破壊につながる道は広く、そこへの入り口は広く、この方向に行くことを選ぶ多くの者がいるという教えもまたある。そして、この諺には意味がある。しかし、私は、救済は、まずあなたの個人的な選択の問題であると断言する。たとえ命への戸は狭くても、それは、切に入ろうとする者すべてを受け入れるには充分に広い、私がその戸であるから。そして、息子は、信仰によりその息子を通して父を見つけようとする宇宙の一人の子に対しても入国を決して拒絶はしない。
しかし、未熟な快楽を追求し、利己主義を満足させ続けている間、王国への入国を引き延ばそうとしている全ての者に対する危険性がここにある。精霊的な経験として王国に入ることを拒否した後で、より良い道の栄光が明らかにされるようになるとき、彼らは、その後そこへの入り口を探すかもしれない。それ故、私は、私が人間の姿でやってきた時に王国を拒んだ人々が、神性の姿で王国が顕れるや、そこへの入り口を探そうとするそのような利己的な全ての者にその時に言うつもりである。私は、あなたがどこから来たのか知らない。あなたには、この天の公民の身分に備える機会があったが、慈悲が差し出すそのような全てを拒否した。あなたは、開戸されている間、すべての招待を拒絶した。今、救済を拒否したあなたへの戸は閉ざされている。この戸は、利己的な栄光のために王国に入ろうとする人々に開かれてはいない。救済は、父の意志を為すことへの心からの献身の代価を進んで支払わない人々のためのものではない。私は、あなたが父の王国に精霊と魂で背いてしまい、心身でこの戸の前に立ち、その戸を叩き、「主よ、開けてください。我々も王国で卓越したいのです。」と言っても、それは無駄である。私は、その時、お前は私の囲いの者ではないと断言する。私は、信仰において善戦し、地球の王国での寡欲の奉仕への報酬を得た人々の間にあなたを受け入れるつもりはない。また、あなたが、『私達はあなたと共に飲食しませんでしたか、あなたは、私達の大通りで教えられはしませんでしたか。』と言うとき、私は、あなたを精霊的に知らない人であると、すなわち、我々は、地球での父の慈悲の活動においての召使いの仲間ではなかったと言うであろう。そして、私は、あなたを知らないと、またしてもはっきりと言う。そこで、全地球の審判官が、『我々から立ち去りなさい。不正の働きを楽しんだすべての者達よ。』とあなたに言うであろう。
「恐れるでない。神の王国への入国により永遠の命を見つけることを心から望む凡ゆる者は、そのような永遠の救済を確かに見つける。しかし、この救済を拒否するあなたは、いつか、アブラーハームの種子の予言者達が、この栄えある王国で命の糧を分け合い、命の水で元気を回復するために非ユダヤ人の国の信者と共に座るのを見るであろう。そして、精霊的な力で、そして生ける信仰の不断の強襲によって王国をこのように受け入れる者は、東西南北から来るであろう。そして、見よ、最初の多く人の人々が、後になり、最後の人々が、多くの場合先になるのである。」
これは、本当に、正道の暮らし方に言い及ぶ、古くて身近な諺の新しく馴染みのない解釈であった。
ゆっくりと、使徒と弟子の多くは、イエスの「再度生まれ精霊から生まれない限り、神の王国に入ることはできない。」という早期の宣言の意味を学んでいた。それにもかかわらず、心が正直で信仰に誠実であるもの全てにとり、それは、永遠に真実のままである。つまり、「視よ、私は、人の心の戸に立って叩いており、もし誰かが私に向かって戸を開けるならば、入っていって夕食を共にし、その人に命の糧を食べさせるつもりである。このようにして、我々は、目的において精霊と1つであり、楽園の父の長く実り多い探求活動において、我々は常に同胞である。」ということである。したがって、少数の者、あるいは多数の者が救われることになっているかどうかは、要するに、少数の者、あるいは多数の者が、「私は戸である、私は新しい、そして生ける道であり、永遠の命のための終わり無き真実探求へと乗り出すことを望む者は誰でも、入ることができる。」という招待を意に介すかどうかによるのである。
使徒でさえも、肉体的的な抵抗を切り抜ける目的のために精神力を行使することや、神の解放された息子としての新しい人生のすべての重要な精霊的な価値を把握するための道に偶然に立塞がるかもしれないあらゆる世俗的な障害を乗り越えるための必要性に関わる彼の教えを完全に理解できなかった。
ほとんどのパレスチナ人が1日当たり2食だけをとったが、旅行中、正午にも休息と軽い飲食のために止まるのがイエスと使徒の習慣であった。そして、トーマスがイエスに尋ねたのは、フィラデルフィアへの途中でのそのような正午の休息の時であった。「あるじさま、私は、今朝の道中であなたの解釈を聞いてから物質界の奇妙で並はずれた出来事の創作において精霊的な存在体に関わりがあるかどうか、さらには、天使や他の精霊の存在体が事故を防ぐことができるかどうかお尋ねしたいのです。」
トーマスの問いに答えてイエスは言った。「非常に長いあいだ一緒にいたのに、まだそのような質問をし続けるのか。人の息子が、あなたとともに生きる者として、いかに一貫して個人の糧のために天の力を使うことを拒否するかを注意して見てはこなかったのか。我々は皆、すべての人が存在するのと同じ手段で生きてはいないのか。父の顕示と彼の苦しめられている子供の時折の治癒を除き、精霊界の力が現世の物質的な生活の中に明らかであるの君にはわかるか。
「あまりにも長い間、あなたの祖先は、繁栄は神の承認の印であると、逆境は神の不満の証である、と信じてきた。私は、そのような信心は迷信であると断言する。あなたは、はるかに多くの貧者が、嬉々として福音を受け入れ、すぐに王国に入っているのを見てはいないのか。もし富が神の好意を明示するならば、なぜ金持ちは、それほどまでに幾度となく天国からのこの朗報を信じることを拒否するのか。
「父は、正なる者にも不正なる者にも雨を降らせる。太陽は、義なる者をも不義なる者をも同様に照らす。君は、ピラトゥスが、その血を生贄の血と混ぜたそれらのガリラヤ人のことを知っているが、これが彼らに起きたからといって、どう見ても仲間のガリラヤ人の誰よりもも罪人であるとはいえないと言っておく。君は、シロアーの塔が、頭上に落ちて死んだ18人の男のことも知っている。このように滅ぼされたこれらの人が、エルサレムのすべての同胞以上に罪人であると思ってはいけない。これらの人々は、時間の偶然の事故の単なる犠牲者に過ぎない。
君の人生で起こるかもしれない3種類の出来事がある。
1. 君は、あなたと仲間が地球上で送る生活の一部であるそれらの通常の出来事を経験するかもしれない。
2. そのような出来事が、いかなる場合にも決して前もって手はずを整えられたり、領域の精霊の力によってもたらされないということをよく承知してはいるが、君は、偶然に自然の出来事の1つの、人の不運の1つの犠牲となるかもしれない。
3. 君は、世界を定めている自然の法則に従う直接の努力の収穫をするかもしれない。
自分の庭園にイチジクの木を植えた人がいて、何度もその木に実を探したが見つからず、自分の元にブドウの園丁を呼んできて、『わしは、3年間も実を探しにここに来たが、今だに見当たらない。実を結ばないこの木を切り倒してしまえ。なぜ土地をふさがなければならないのか。』と言った。すると、園丁長は、主人に答えた。『もう1年そのままにしておいてください。その周りを掘って肥料をやってみますから。そうして、もし来年実をつけなければ切り倒しましょう。』そこで、結実の法則に従ったところ、木が生きていたので豊作で報われた。
「病と健康に関しては、これらの身体の状態が、物質的な原因の結果であることを知るべきである。健康は、天国の微笑ではなく、苦悩は、神の渋面でもない。
「父の人間の子には、物質的な恩恵の授与に等しい能力がある。だからこそ、かれは、物理的なものを人の子に差別なく賦与するのである。精霊的な贈り物の賦与に関しては、父は、これらの神の資質を受理する人の能力に制限される。父は、人を分け隔てはしないが、精霊的な贈り物の賦与においては人の信仰と、常に父の意志を守る意欲に制限されている。」
イエスは、フィラデルフィアへの旅を続けながら、事故、病気、奇跡について教え、質問に応じ続けたが、かれらは、この教えを完全には理解することができなかった。1時間の教育は、生涯の信念を完全には変えないので、イエスは、彼等が理解してくれるように願っていると再三伝えることが、つまり、自分の言葉を繰り返すことが必要であると認識した。それでも、かれらは、死と復活の後までイエスの地球での任務の意味を理解することができなかった。
イエスと12人は、フィラデルフィアで説教し、教えているアブネーとその仲間を訪問する途中であった。ペライアの全都市のうち、フィラデルフィアのユダヤ人と非ユダヤ人の最大の集団は、富者も貧者も、学問のある者も無い者も、70人の教えを迎え入れ、その結果、天の王国入りをした。フィラデルフィアのユダヤ教の会堂は、エルサレムのシネヅリオン派の管理に服従したことがなく、因ってイエスとその仲間の教えに対しても一度も閉ざされたことがなかった。丁度この時、アブネーは、フィラデルフィアのユダヤ教の会堂で1日3回教えていた。
まさしくこの会堂が、後にキリスト教会となリ、福音の東部地域全体の普及のための伝道本部であった。それは、長い間あるじの教えの拠点であり、キリスト教学習の中心として何世紀もにわたりこの地域にただ一つぽつねんと立っていた。
エルサレムのユダヤ人は、常にフィラデルフィアのユダヤ人と揉めてきた。また、イエスの死と復活後、主の弟ジェームスが長であったエルサレム教会には、フィラデルフィアの会衆に伴う重大な困難が起こり始めた。アブネーは、フィラデルフィア教会の長となり、また死ぬまでそうであった。エルサレムとのこの疎遠が、なぜ新約聖書の福音書の記録にアブネーとその仕事について伺い知ることが何もないかを説明しているのである。エルサレムとフィラデルフィアとのこの不和は、ジェームスとアブネーの生涯を通じて持続し、エルサレムの破壊後にもしばらく続いた。アンチオケが北と西の本拠地であったように、フィラデルフィアは、実際上、南と東での初期の教会本部であった。
初期キリスト教会の指導者全員との不一致は、アブネーにとり明白な不幸であった。アブネーは、エルサレム教会の運営と支配権に関してペトロスとジェームス(イエスの弟)と争った。かれは、哲学と神学の違いからパウーロスと別れた。アブネーは、哲学ではギリシャ的であるよりもバビロニア的であり、加えて、パウーロスが、まずユダヤ人へ、それからグレコローマンの秘教信者にとって好ましくないものをあまり提示しない目的でイエスの教えを作り変える全ての試みに頑に抵抗した。
このように、アブネーは、孤立の生活を余儀なくされた。エルサレムの認めていない教会の長であった。かれは、敢えて主の弟ジェームスを無視した。この弟は、後にペトロスの支持を受けた。そのような行為は、元仲間のすべてからアブネーを事実上切り離した。そうなると、かれは、あえてパウーロスに抵抗した。かれは、パウーロスの非ユダヤ人への働き掛けには全く同情的であり、また、エルサレム教会との抗争においても彼を支持したが、パウーロスが説くことにしたイエスの教えの説明には激しく反対した。人生の後年においてアブネーは、「生ける神の息子ナザレのイエスの生涯を通じての教えの利口な退廃者」としてパウーロスを糾弾した。
アブネーの後年、またその後、フィラデルフィアの信者は、地球の他のいかなる集団よりもイエスが生き、また教えたようにイエスの宗教を厳密に保持した。
アブネーは、89歳まで生き、西暦74年11月21日にフィラデルフィアで死んだ。まさにその終わりまで、かれは、天なる王国の福音の忠実な信者であり教師であった。
少なくとも2人の使徒が、ペラ宿営地での群衆への教えのために残されるのが習慣であるので、ペライア任務のこの期間中、原則として、10人しか彼と共にいなかったということが、70人が働いていた様々な場所を訪れるイエスと使徒の訪問の言及に関しては、思い出されるべきである。イエスが、フィラデルフィアに進む準備をする一方で、シーモン・ペトロスとその兄アンドレアスは、ペラ宿営地に集合する群衆に教えに戻っていった。あるじが、ペライア周辺の訪問のためにペラ宿営地を出発するとき、300人から500人の野営する者が、あるじに続くことは、珍しくなかった。フィラデルフィアに到着の際には、600人以上の追随者がいた。
奇跡は、デカーポリス内での最近の説教旅行では起こらず、また、10人の癩病患者の浄めを除いては、これまでのところ、このペライアでの任務には何の奇跡もなかった。これは、福音が、奇跡を伴わず、直接イエスか、あるいは使徒さえ居合わせずに、力で宣言された期間であった。
イエスと10人の使徒は、2月22日、水曜日にフィラデルフィアに到着し、この最近の旅と労働からの寛ぎのために木曜日と金曜日を費やした。その金曜日の夜、ジェ ームスは、会堂で話し、総合協議会は、次の晩に招集された。皆は、フィラデルフィアとその近郷での福音の進展に非常に喜こんだ。ダーヴィドの使者も、アレキサンドリアとダマスカスからの朗報と同様にパレスチナ中の王国の一層の前進の知らせをもたらした。
アブネーの教えを受け入れた非常に裕福で有力なパリサイ派の一人が、フィラデルフィアに住んでおり、この人は、安息日の朝イエスを朝食に招いた。このときイエスがフィラデルフィアにいる予定であるということが知れていたので、たくさんのパリサイ派を交じえた多くの訪問者は、エルサレムと他の場所から来ていた。従って、およそ40人のこれらの主な男性と数人の律法学者は、あるじに敬意を表し、事前に申し合わせたこの朝食に招待された。
イエスがアブネーと話しながら戸のそばに佇み、そして、主人役が着席した後、シネヅリオン派の構成員であるエルサレムの指導的パリサイ派の一人が、部屋に入って来た。そして、自分の習慣通りに主催者の左側の上座に真っ直ぐ向かって行った。しかし、この場所はあるじに、またその右にはアブネーが予定されていたので、この家の主人は、このエルサレムのパリサイ派の人物には4席左へ座るように合図した。そこで、この高位聖職者は、上座を受けなかったので非常に怒った。
全員は、間もなく席に着き、そして出席者の大部分がイエスの弟子であり、そうでなくても福音に好意的である者で占めていたので、互いの交わりを楽しんでいた。敵だけは、食べに座る前に儀式的な手の洗浄をイエスが順守しなかったという事実に注意を払った。アブネーは、給仕中ではなく、食事前に手を洗った。
食事の終わり近く、長い間の慢性の病気と現在は水腫疾患で苦しんでいる男性が通りから入って来た。この男性は、最近アブネーの仲間により洗礼された信者であった。イエスに治癒のための何の要求もしなかったが、この苦しんでいる男性は、イエスに群がりくる群衆から逃げることにより、おそらくイエスの注意を引きつけるであろうと望みつつ、この朝食にこうして来たということが、あるじにはすっかり分かっていた。この男性は、そのときは奇跡があまり起こされていないことを知っていた。しかしながら、かれは、心では、自分の哀れな苦況がことによるとあるじの同情を引くかもしれないと推論した。そして、彼に間違いはなかった、なぜなら、彼がその部屋に入ったとき、イエスとエルサレムからの独りよがりのパリサイ派の人物の両者がこの男性に注意を向けたので。パリサイ派の人物は、そのような者が部屋に入ることが許されるということへの憤懣を声に出すのにぐずぐずしていなかった。しかし、イエスは、病気の男性を見て、非常に親切に微笑んだので、病の男性は、近づいてき床に座った。食事が終わると、あるじは、客の仲間をざっと見回し、次に水腫の男性を意味ありげに見てから言った。「友よ、イスラエルの教師と学問のある律法学者よ、あなた方に尋ねたい。安息日に病で苦しめられている者を癒すのは合法であるか、あるいは不合法であるか。」だが、そこに出席している者達は、イエスを知り過ぎていた。皆は黙っていた。質問に答えなかった。
その時、イエスは、病気の男性のところに行き、手を取って言った。「立ち上がって行きなさい。あなたは、癒すことを頼みはしなかったが、あなたの心の願望と魂の信仰が私には分かる。」イエスは、男性が部屋を出る前に席に戻り、食卓にいる者達に話し掛けた。「父は、王国にあなたを誘い入れるためではなく、既に王国にいる者達に自分を明らかにするためにそのような働きを為されるのである。あなた方は、まさにそのようなことをすることは、父に似ていると認めることができる、なぜなら、もし好きな動物が安息日に井戸に落ちたなら、あなた方の誰が、すぐに引き上げに行かないことがあろうか。」そして、だれも答えないので、また主人役が起きていることに明らかに賛成しているので、イエスは、立ち上がってすべての出席者に話した。「我が同胞よ、結婚の宴に招待される時は、主だつ席に座ってはいけない。おそらく、あなたより名誉を与えられた人が招待されていて、主人があなたの座っている場所をこの名誉ある客人に与えることを要求しなければならないことのないように。この場合、あなたは恥じつつ下座の場所に移ることを要求されるであろう。祝宴に招待される時、主人が客を見渡し『友よ、なぜ末席に座っているのか。もっと上座の方に来なさい。』ということができるように祝いの席に到着し、最も低い場所を捜し、そこにあなたの席を取ることは、知恵というものであろう。このようにすると、相客の前でそのような人にとっては栄えあることとなる。忘れてはならない、自分を引き上げる者は誰でも、低くされるが、自分を本当に低くする者は、引き上げられるであろう。だから、あなたが、響応したり夕食を提供するときは、返礼に宴に招待されることを考えに入れ、いつも友人、同胞、血族、あるいは、金持ちの隣人を招待することのないようにしなさい。宴を設けるときは、時々、貧乏人、不具者、盲人を招きなさい。このようにして、あなたの心は、祝福されるのである、なぜならば、あなたは、足の不自由な者が、情愛深いあなたの活動に報いることはできないということを、よく知っているのであるから。」
イエスが、パリサイ派に属する者の朝の食卓で話し終えると、出席している律法学者の一人は、沈黙を破りたいと思い、その当時一般的に言われていること「神の王国でパンを食べるものは祝福される。」と軽率に言った。すると、イエスは、好意的なその家の主人さえ肝に銘じざるをえなかった寓話を話した。
「ある支配者は、多くの客を招待し豪華な夕食を設けた。招待された者達に『お越しください。すべて準備ができましたので。』と言いに夕食時に使用人を遣わせた。すると皆がこぞって弁解を始めた。最初の人は言った。『私はちょうど農場を買ったところで、それを調べに行く必要があります。願わくば、失礼させていただきたい。』別の人は、『5頭の雄牛を購入し引き取りに行かなければなりません。願わくば、失礼させていただきたい。』また別の人は、『妻をめとったばかりで、お伺いできません。』そこで使用人は、これを報告しに主人の元に戻った。家の主は、これを聞くと、非常に立腹し、使用人に言った。『私はこの結婚の宴を用意した。肥畜は殺され、すべては客のために準備されているが、かれらは、私の招待をはねつけた。彼らは、あらゆる人の土地と商品を求めて、祝宴に来るように言う私の使用人への礼さえ欠いた。早く町の大路小路、街道や間道に出かけ、婚儀の饗宴に客が参席するように、貧者や浮浪者、盲人や足が不自由な者達をこちらに連れて来なさい。』そこで使用人達は、主人の言いつけ通りにしたが、それでもまだ多くの客のための場所があった。その時、使用人達へ主人が言った。『今度は、道路と田舎に出かけ、私の家が一杯になるほどにそこにいる者達を強制的に連れてきなさい。最初に招待された者の誰も私の夕食を口にしないと断言する。』そして、使用人達は、主人の命令に従い、家は一杯となった。」
かれらは、これらの話を聞き終えると去った。全員がそれぞれの家に帰った。その朝出席していて嘲笑ったパリサイ派の中で少なくとも一人は、この寓話の意味するところを理解していた、なぜならば、かれは、当日洗礼され王国の福音における自分の信仰を公表していたので。アブネーは、その夜、信者の総合協議会でこの寓話を説いた。
翌日、使徒は全員、すばらしい夕食のこの寓話の意味を解釈しようと哲学的課題に取り組んだした。イエスは、興味をもってこれらの異なる解釈のすべてを聴いたが、寓話の理解における更なる助けを提供することは固く拒否した。「あらゆる人に、自分のために、そして自身の魂でその意味を見い出させなさい。」と、言うだけであった。
アブネーは、シネヅリオン派の言いつけにより彼の教えにすべてが閉ざされて以来のこの安息日に、あるじが会堂で教える手筈を整えていた。イエスが初めて会堂に現れた。礼拝の終わりに、イエスは、自分の前に萎れて、塞ぎ込んだ気配の年配の婦人を見た。この婦人は、長い間恐怖に支配されていて、すべての喜びはその人生から去ってしまっていた。イエスが演台を降り、その婦人のところに行き、曲げられた恰好のその肩に触れて言った。「ご婦人よ、信じさえすれば、その虚弱な精神から完全に放たれることができるであろう。」すると、18年以上もの間恐怖からくる鬱病に屈し、縛りつけられてきたこの婦人は、あるじの言葉を信じ、信仰により体が真っ直ぐになった。自分が真っ直ぐにされたのが分かると、この女性は、声を上げ神を賛美した。
この女性の苦悩は、完全に精神的なものであったにもかかわらず、彼女の曲がった様は、塞ぎ込んだ心からくるものであったので、人々は、イエスが本当の身体の障害を癒したと思った。フィラデルフィアの会堂の会衆は、イエスの教えに対して好意的ではあったが、会堂管理者は、友好的でないパリサイ派であった。そして、かれは、イエスが身体の障害を癒したことに会衆と同じ意見であったが、イエスが、安息日にそのようなことを敢えてしたことに憤慨し、会衆の前に立ち上がって言った。「人が凡ゆる労働をするのは6日間ではないのか。安息日にではなく、これらの労働の日に来て治してもらいなさい。」
友好的ではない管理者が話し終えると、イエスは、この話し手のいる壇上に戻って言った。「なぜ偽善者の役割を演じるのか。あなた方は誰でも、安息日であっても雄牛を放ち、水を飲ませに連れていくではないか。安息日にそのような活動が許されるならば、18年もの間悪に縛られていたアブラーハームの娘であるこの女性をこの安息日にさえその束縛から解いてやり、自由と命の水を相伴すべきではないのか。」そして、女性が神を賛美し続けたので、管理者は、自分のした批評で恥をかかされ、会衆は、婦人の回復に大喜びした。
公でのこの安息日のイエスに対する批判の結果、会堂管理者は、免職となり、イエスの追随者がこの地位につけられた。
イエスは、頻繁にそのような虚弱の精神から、心の落ち込みから、恐怖の束縛からくる不安に戦く犠牲者を救った。しかし、人々は、そのようなすべての苦悩は、身体障害か悪霊の憑拠のいずれかであると考えていた。
イエスは、日曜日に会堂で再び教えた。そして、多くの人が、その日の正午、町の南を流れる川でアブネーによる洗礼をうけた。エルサレム近くのベサニアの友人達からのイエスへの急報を持って来たダーヴィドの使者の一人が到着しなければ、イエスと10人の使徒は、翌日ペラ宿営地へ戻るところであったが、そうはならなかった。
2月26日、日曜日の夜もかなり遅く、マールサとマリアからの「主よ、あなたが愛する者が重病であります。」と言う知らせを携えたベサニアからの伝令者が、フィラデルフィアに到着した。この知らせは、夕べの会議の終わりに、しかも使徒に夜の暇乞いをしているときにイエスに届いた。最初イエスは、何の返事もしなかった。自分の外の、および自分を超えた何かとの意志伝達をはかっている時のような奇妙な合間の1つが起きた。そして、次に、上を見ながら、使徒に聞こえるように使者に言った。「この病気は、本当に死に至るものではない。それは、神を賛美し、息子を高めるのに役立つということを疑うでない。」
イエスは、マールサ、マリア、その兄弟ラーザロスがとても好きであった。熱い愛情をもって彼らが好きであった。イエスの最初の、そして人間的な思考は、すぐに彼らの援助に行くことであったが、別の考えがその結合した心に起きた。かれは、エルサレムのユダヤ人の指導者達が、王国を受け入れるという望みをもう少しであきらめるところであったが、それでもかれは、自分の人々を愛しており、そして、その時、それによってエルサレムの筆記者とパリサイ派が彼の教えを受け入れるもうひとつの機会があるかもしれない計画が浮かんだ。そこで、かれは、父が望んでいるならば、地球での全経歴の最も深遠かつ素晴らしい外に向けての業であるこの最終的な働きかけをエルサレムに対してすることを決意した。ユダヤ人は、驚異的な業を為す救出者の考えに執着した。そして、物質的な驚きの業、あるいは政治力の一時的な表示の実践に身を落とすことは拒否したが、彼は今や、自分がこれまでに披露したことのない生死に関わる力の顕現のために父の同意を求めた。
ユダヤ人には、逝去のその日に死者を埋葬する習慣があった。これは、そのような暖かい気候に必要な習慣であった。墓に単に昏睡状態である者を置いておくと、2日目に、あるいは3日目にさえそのような者が、墓から出て来るようなことがい度々起きた。しかし、霊か魂が、2日か3日間、体の近くに長居するかもしれないが、それは、3日目以後は決してとどまらないということ、腐敗は、4日目までにはかなり進んでいるということ、またそのような期間の経過の後に墓から戻ってきた者は、かつてなかったというのが、ユダヤ人の信念であった。そして、これらの理由からベサニアへの出発準備をするまでに、イエスは、まる2日間フィラデルフィアに滞在した。
このため、イエスは、水曜日の朝早く、「すぐに、再びユダヤに入る準備をしよう。」と使徒に言った。使徒は、あるじがこうを言うのを聞くと互いに相談をするためにしばらく単独で引き下がった。ジェームスは、会議の指揮の任につき、そして彼らは皆、イエスに再びユダヤに入ることを許するのは愚か以外の何でもないと同意し、一丸となってそのように知らせに戻った。ジェームスは言った。「あるじさま、あなたは、数週間前エルサレムにおられました。指導者達は、あなたを死においやろうとしましたし、人々は、あなたに投石をしようとしました。その時あなたは、真実を受け入れる機会をこれらの者達に与えました。ですから、我々は、あなたが再びユダヤに入ることを認めるつもりはありません。」
その時、イエスは言った。「だが、1日に12時間という安全に仕事ができる時間があると君達は思わないか。人が昼歩くならば、光がある限り躓くことはない。夜歩くならば、かれは、光をもっていないので躓きやすい。私の日の続く限り、私は、ユダヤに入ることを恐れるものではない。私は、これらのユダヤ人のためにもう1つ強力な仕事がしたい。私は、彼等が信じるためのもうひとつの機会、彼等の言う通りの条件であろうとも—目に見える栄光状態と父の力と息子の愛の可視の顕現—を彼らに与えたい。「それに、我々の友人ラーザロスは、寝入っており、私が彼をこの睡眠から起こしに行くとは君達は思わなのか。」
その時、「あるじさま、ラーザロスが寝入ってしまっているのでしたら、確実に回復します。」と使徒の一人が言った。当時、睡眠の型として死について話すのがユダヤ人の習慣であったが、この使徒は、ラーザロスは、すでにこ世を去ったということをイエスが意味したとは理解しなかったので、今度は分かり易く、「ラーザロスは死んでいる。そして、私は、君達のために、つまり君達が、私を信じる新しい理由が今はあるということを、私がその場に居合わせなかったことを喜んでいる。そして、他の人がそれによって救われなくとも、君達のために、私は喜んでいる。そして、君は、目撃することによって、私が君にいとまごいをして、父の元へ行くその当日に備えて君達は皆、強くなるべきである。」とイエスは、言った。
ユダヤに行くことを差し控えるように彼を説得できないとき、また、数人の使徒が同伴することさえ好まないとき、トーマスは、仲間に話しかけた。「我々の恐怖をあるじにお伝えしたが、かれは、ベサニアに行くと決心されておられる。私は、それが結論を意味するということで満足する。かれらは、確実にあるじを殺そうとするが、それがあるじの選択であるならば、我々も勇気ある者のように振る舞おう。我々も共に死ぬために行こう。」そして、それは、ずっとそうであった。周到で、持続的勇気を必要とする事柄では、トーマスは、常に12人の使徒の大黒柱であった。
ユダヤへの道中では、友と敵のおよそ50人の一団が、イエスの後に続いた。水曜日の昼食時、イエスは、使徒と追随者のこの一団に「救済の条件」について話し、この教えの終わりにパリサイ派と居酒屋の主人(収税吏)の寓話を話した。イエスは言った。「だから、分かるであろう、父は人の子等に救済を与えるということ、そして、この救済は、神性の家族の息子性を受けるという信仰をもつ者全てへの無料の贈り物である。人が、この救済を得るためにできることは何もない。 独善的な働きでは、神の恩恵を買うことはできず、人前でそれほど祈ることは、心の生ける信仰の欠如を埋め合せはしない。人は、外向きの活動によって騙すことができても、神は、人の魂を覗き込んでいるのである。私があなたに話していることは、祈りのために寺院にいったパリサイ派の男性と居酒屋の主の2人の男性によく例示されている。パリサイ派の男性は、立って心で祈った。『ああ、 神さま、私は、他の人のような貪欲な者、無学な者、不正な者、姦淫する者、あるいは、この居酒屋の主のような者でないことに感謝いたします。私は、1週間に2度断食しますし、得る全ての十分の一を税として捧げています。』ところが、居酒屋の主は、遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず胸を打ちながら『 神さま、罪人の私をお許しください。』と言った。神の承認を得て家に帰ったのは、パリサイ派の男ではなく、居酒屋の主であったと君達に言っておく。おおよそ自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう。」
その夜イェリーホでは、友好的でないパリサイ派が、その仲間が一度ガリラヤでしたように、結婚と離婚についての議論に誘導し、あるじを罠にかけようとしたが、イエスは、離婚に関する法との葛藤に巻き込む彼らの努力を巧みに避けた。居酒屋の主人とパリサイ派は、よい宗教と悪い宗教を例示したように、友好的でないパリサイ派の離婚の習わしは、ユダヤの法典の良い結婚法とパリサイ派をこれらのモーシェの離婚法令に対するパリサイ派の解釈の恥ずべきゆるみとの対照に役立った。パリサイ派の男性は、最低の基準で自分を判断し、居酒屋の主は、最高の理想で自分を律した。パリサイ派の男性にとっての信心は、独善的な無活動と誤った精霊的な安全性の保証の誘導手段であった。居酒屋の主にとっての信心は、信仰による悔悟、告白、慈悲深い許しの受理の必要性の認識へと魂を奮い立たせる方法であった。パリサイ派の男性は正義を求め、居酒屋の主は慈悲を求めた。宇宙の法とは、求めよ、さすれば与えられ、探せよ、さすれば見つかる、である。
イエスは、離婚に関してパリサイ派の論争に引き込まれることを拒否はしたものの、結婚に関して最高の理想の肯定的な教えを宣言した。イエスは、全ての人間関係の最も理想的で最高なものとして結婚を高めた。同様に、かれは、当時、料理下手であるとか、不完全な主婦であるとかきわめて些細な理由により、または、器量のよい女性に惚れたという以外には別に理由なくして、妻の離縁を男性に許したエルサレムのユダヤ人のいい加減で不当な離婚の習わしに強い難色を仄めかした。
パリサイ派は、ユダヤ人に、特にパリサイ派に、この安易な離婚の種類の恩典があると教えるところまでさえも行った。そこで、イエスは、結婚と離婚問題に関する発表を拒否しながらも、結婚関係におけるこれらの恥ずべき嘲りを非常に激しく非難し、女性と子供達への不当な取り扱いを指摘した。かれは、女性よりも男性への何らかの利点を与える離婚の実践を決して認めなかった。あるじは、男性と女性に平等を与える教えだけを是認した。
イエスは、結婚と離婚を決定する新しい指図を提供はしなかったが、ユダヤ人に彼ら自身の法とより高い教えに従うことを促した。これらの社会的次元に沿って習慣を改善する努力において、かれは、記された経典に繰り返し言及した。イエスは、このように高く理想的な結婚の概念を支持しながら、成文法、または彼らの非常に大事にしてきた離婚の特権に表された社会的習慣に関して質問者との衝突を巧みに避けた。
あるじが、科学、社会、経済、政治上の問題に関して積極的な公式見解の発表に気乗りしないことを理解することは、使徒達にとり非常に難しいことであった。かれらは、あるじの地球での任務が、もっぱら精霊的な真実と宗教の真実の顕示に関係するものだとは十分に理解していなかった。
イエスが結婚と離婚に関して話した後、使徒は、その夜更けに個人的にさらに多くの質問をし、これらの問いに対する彼の答えは、彼らの心の多くの誤解を取り除いた。イエスはは、この会議の終わりに言った。「結婚は尊重すべきであり、すべての人に望まれることである。人の息子が地球の任務だけを追求するという事実は、願わしい結婚を全く非難してはいない。そのように働くということが父の意志であり、しかもこの同じ父が、男女の創造を指示したということであり、また男女が、子供を授かり、そして躾けるための家庭の確立に当たっては、天地の製作者と共同者になるこの両親の創造において、最高の奉仕、それに伴う喜びを見い出すことが神性の意志である。このために男は父母から離れ、妻に愛情深く結びつき、そして、2人は1つとなるのである。」
このように、イエスは、使徒の結婚についての多くの心配事を取り除き、離婚に関する多くの誤解を除いた。同時に、かれは、社会的な結びつきの理想を高め、女性と子供と家に対する彼らの敬意を増大させるために多くのことをした。
結婚と子供の幸福についてのイエスの言葉は、その晩イェリーホ中に広まり、そのため、翌朝、イエスと使徒が出発準備をするずっと前、朝食の前にさえ、何十人もの母親が、子供を抱いたり、手を引いたりしてイエスの宿泊所にやって来て、幼子達の祝福を望んだ。使徒は、子供連れのこの母の集まりを見に出てきた時、追い払おうと努力したが、これらの女性は、あるじが子供等に手を置き祝福するまで出発を拒否した。そして、使徒が声高にこれらの母を窘めると、騒ぎを聞いたイエスは、憤然として出て来て、彼らを叱責して、「子供達をこさせなさい。止めてはならない、天の王国は、そのような者の国である。まことに、まことに、言いきかせておこう。幼子のように王国を受け入れる者でなければ、精霊的に完全に大人として成長するためには、誰も、決してそこには入れない。」
あるじは、使徒に話し終えると、母親達に勇気と希望の言葉を掛ける一方で、子供の頭に手を置き子供全員を受け入れた。
イエスは、しばしば天の大邸宅について使徒に語り、神の前進する子供は、この世で子供が肉体的に成長し、そこで精霊的に成長しなければならないということを教えた。この日にこれらの子供と母が、イェリーホの子供達が宇宙の創造者と遊んでいることにほとんど気づかなかったように、ネバドンの観察中の有識者達が、見ているような神聖な出来事は、しばしば通常の出来事のように見える。
パレスチナの女性の地位は、イエスの教えにより非常に改善された。したがって、彼の追随者が、苦心して教えられたことからそれほどまでに外れることがなかったならば、世界中がそうなったことであろうに。
神の崇拝の習慣における子供の初期の宗教教育の議論に関連して、イエスが、礼拝への衝動に、特に子供を導く影響として、美の大きな価値を使徒に銘記させたのも、イェリーホであった。あるじは、教訓と例により創造の自然環境の中で創造者を崇拝することの価値を教えた。かれは、木立ちの中で、自然界の低級の生物の間で、天なる父との親交を好んだ。かれは、創造者たる息子の星の領域の奮い立たせる光景を通して父に深い思いを馳せることを喜んだ。
自然の会堂で神を崇拝することができないとき、人は、人間の感情の最高のものが、神との精霊的な交わりへの知的な接触に関連して起こされるように、美の家、すなわち魅力的な単純さと芸術的な装飾の聖域を提供するために最善をつくすべきである。真実、美、神聖さは、真の崇拝への強力で効果的な援助である。しかし、精霊的な親交は、人の入念かつ仰々しい芸術による単なる大規模な華麗さと過剰な装飾によって押し進められない。美は、最も単純で自然らしくあるときに最も宗教的である。美の魅力を完全に欠き、元気のある歓声と奮い立たせている神聖のすべての提案が全く空である冷たくて味気ない部屋で、幼子が、公共の崇拝についての概念への最初の導入を受けろということは何と不幸なことであろうか。子供は、自然の屋外で、日々居住する家でのように、後には親に伴われて少なくとも物質的に魅力的で公的宗教の集会のための家屋で、また、芸術的に美しい家として崇拝に導かれるべきである。
かれらが、イェリーホからベサニアまで丘を旅したとき、ナサナエルは、道中のほとんどをイエスの横を歩き、そして、天の王国に関する子供の議論は、間接的に天使の任務の考察になった。ナサナエルは、あるじにこの質問をようやくした。「高僧がサッヅカイオス派であるので、しかも、サッヅカイオス派は天使を信じないので、我々は、天の聖職者に関し、人々に何を教えればよいのでしょうか。」すると、イエスは、他の事柄と合わせて言った。
「天使の軍勢は、被創造者の別の体制である。必滅の生物の物質体制とは似ても似つかないもので、宇宙有識者の異なる集団として機能する。天使は、聖書で「神の息子」と呼ばれるその被創造者の集団ではない。かれらは、天の大邸宅を進歩し続けた人間の栄光を授かった精霊でもない。天使は、直接的創造であり、繁殖はしない。天使の軍勢には、人類との精霊的な関係しかない。人は、楽園の父に向けての旅で進歩するのに応じ、ある時点で天使の状態に似た状態を縦断するが、決して天使にはならない。
「天使は、決して人が死ぬようには死なない。天使は、たまたま、ルーキフェレーンスの欺瞞に巻き込まれた一部がそうであったように、罪に巻き込まれない限り、不滅である天使は、天の精霊の奉公者であり、完全に賢くもなく、また全能でもない。しかし、忠誠な天使は全員が、本当に純粋で、神聖である。
「そして、もし精霊的な目を浄められたならば、あなたは次には、天が開かれるのを見て、そして神の天使達の上昇や下降が見えるということを、かつて私があなたに言ったことを覚えていないのか。1つの世界が他の世界との接触を保っていられるということは、天使の働きによるものであり、それゆえ、私は、この囲いに属さない他の羊を連れていると繰り返し言わなかったか。そして、これらの天使は、あなたを監視し、父にあなたの心の考えを告げたり、肉体の行為に関して報告をしに行く精霊界の諜報者ではない。彼自身の精霊があなたの中に生きるので、父にはそのような奉公は不要である。しかし、これらの天使の精霊は、宇宙の他の、しかも遠い場所での行ないに関係がある天の創造の一部を知らせ続けるために機能している。そして、天使の多くは、父の施政と息子の宇宙で機能している間、人類への奉公に配置されている。私は、これらの熾天使の多くが手を貸す精霊であると教えるとき、比喩的な言い回しでも詩的な旋律で話したのでもない。そして、そのような問題の理解に対するあなたの困難さには関係なく、このすべてが真実なのである。
これらの天使の多くは、人の救出の仕事に従事しており、それゆえ、私は、1つの魂が罪を犯すことを止め、神を求め始めることを選ぶときの熾天使の喜びについてあなたに言わなかったか。私は、悔悟する1人の罪人に天の天使の臨場でもたらす喜びについてあなたに伝えさえし、そうすることで、同様に、精神の幸福に参加し、人間の神性の進歩に関わる他の高い天の存在者達の体制の存在を示した。
「また、これらの天使は、人の精霊が、肉体の仮の小屋から解放され、そして、彼の魂が、天の中継所へと護衛されていくその方法に大いに関わりがある。天使は、人の魂が、肉体の死と精霊の住まいの新しい命に介在する未知で、不確定の期間の天の確実な案内人である。
そしてかれは、天使の働きについてナサナエルにさらに話したことであろうが、東の丘を昇っている彼を観測した友人達に、イエスがほぼベサニアに近づいていると知らされたマールサに遮られた。マールサは、すぐさま挨拶をしようと急いだ。
イエスがベサニア近くの丘の崖に差し掛かると、マールサが出迎えのために走り寄ったのは、正午の直後であった。弟ラーザロスが死んでから4日が過ぎ、かれは、日曜日の午後遅く、庭の遠くの端にある私有墓地に横たえられていた。墓の入り口の石は、この日、木曜日の朝、本来あるべき場所に戻されていた。
マールサとマリアが、ラーザロスの病気に関してイエスに伝言をしたとき、二人は、あるじがそれに関して何かをすると確信していた。彼女等には、兄弟が絶望的な病気であることが分かっており、イエスが自分達の援助に来るために教えも説教の仕事からも辞してきてくれるとは到底望むつもりはなかったが、二人は、病気を治すイエスの力を非常に信じていたので、ただ病に効く言葉を言えば、ラーザロスは、すぐに回復するであろうと考えていた。そして、使者がベサニアからフィラデルフィアへ向かった数時間後にラーザロスが死んだとき、二人は、あるじに知らせが届いたときには、すでに死亡してから数時間経過しており、遅過ぎたのであったろうと結論づけた。
しかし二人は、ベサニアに達した伝令者が火曜日の午前にもたらした知らせに、信心深い友人全員と同様に大いに当惑した。使者は、イエスが、「この病気は死に至るものではない。」と言うのを聞いたと言い張った。二人は、なぜイエスが何の知らせもくれず、助力も提供してくれないのかを理解することができなかった。
近くの村落からの多くの友人やエルサレムからの他の人々は、悲しみに傷ついた姉妹を慰めに来た。ラーザロスとその姉妹は、ベサニアの小さい村の主導的住人であった裕福で尊敬すべきユダヤ人の子女であった。3人が共に長い間イエスの情熱的な追随者であるにもかかわらず、かれらは、彼らを知るすべての者にとても尊敬されていた。かれらは、この界隈に大規模なブドウ園とオリーブ園を継承しており、自身の屋敷内に私有の埋葬墓地を都合できるという事実によって、裕福であるということがさらに証明された。両親共が、すでにこの墓に横たえられていた。
マリアは、イエスが来るという考えを捨て、深い悲しみに任せていたが、マールサは、イエスが来るであろうと、墓前の石を転がせ、入り口を封鎖したちょうどその朝でさえも来るだろうという望みにしがみついていた。それでも、隣人の少年に丘の険しい頂上からベサニアの東に至るイェリーホ街道を見張るように指示した。そしてイエスとその友人達が近づいているとマールサに知らせをもたらしたのは、この少年であった。
マールサは、イエスに会うとその膝元にひれ伏し、「あるじさま、あなたがここにいてくれていましたなら、兄弟は死ななかったでしょう。」と大声で言った。多くの恐れがマールサの心をよぎったが、何の疑問も表現せず、また、敢えてラーザロスの死に関連するあるじの行為を批判したり問い質そうとはしなかった。彼女が話し終えると、イエスは、手を伸ばしてマールサを立ち上がらせて、「ただ信仰をもちなさい。マールサ、兄弟は蘇る。」と言った。その時、マールサは、「私は、兄弟が最後の日の復活で再び立ち上がることを知っています。そして、今でも、あなたが神に求めることは何であろうと、我々の父があなたに与えられると信じております。」と答えた。
その時、真っ直ぐマールサの目を覗き込んで、イエスは言った「私が、復活であり、命である。私を信じる者は、死ぬが、それでもなおかつ生きるのである。実のところ、生きていて私を信じる者は、決して死ぬことはない。マールサ、これを信じるか。」すると、マールサは、「はい、私は長い間、あなたが救出者、生ける神の息子、その方は、この世界にまで来られるということを信じてきました。」と答えた。
イエスがマリアとの面会を求めたので、マールサは、すぐさま家に戻り、妹に囁いて、「あるじさまがここにいて、あなたを呼んでいます。」と言った。マリアは、これを聞くと、すぐに立ち上がり、急いでイエスに会いに行った。イエスは、マールサが彼を迎えた家からいくらか離れた同じ場所にいた。慰めようと一緒にいた友人達は、マリアが急に立ち上がり出かけるのを見たとき、泣くために墓にいくのだと思いマリアについて来た。
居合わせた者の多くは、イエスの不倶載天の敵であった。それ故マールサは、イエスに会いに一人で出ていかなければならなかったし、マリアに知らせに秘かに入ったのであった。マールサは、イエスに会いたいと切望しながらも、エルサレムの大集団の敵の真っ只中へのイエスの突然の到来が、引き起こすかもしれないあらゆる気まずさを避けたいと望んでいた。マリアがイエスに挨拶しに行っている間、友人達と家に残るというのがマールサの意志であったが、そうはいかなかった。皆は、マリアの後に続き不意にあるじに出くわしたのであった。
イエスの元へとマールサに導かれたマリアは、彼を見ると足元にひれ伏して、「あなたがここにいてさえくれたら、兄は死ななかったでしょう。」と叫んだ。イエスが、皆がどれほどにラーザロスの死を嘆き悲しんでいるかを見たとき、その魂は哀れみに引かれた。
会葬者達は、マリアがイエスに挨拶しに行くのを見ると、マールサとマリアが、あるじと話し、更なる慰めの言葉と父に対する強い信仰保持と神性の意志への完全な服従を熱心に進める間、少し離れた所にいた。
イエスの人間の心は、ラーザロスと遺族の姉妹への愛と、不信心かつ殺意あるこれらのユダヤ人の一部による上辺の愛情表現に対する軽蔑と侮りの間の争いに甚だしく動かされた。イエスは、そのような偽の悲しみが、自分への不倶載天の敵意に関連しているために、友と名乗るこれら数人によるラーザロスにむけての不自然で上辺の弔いの見世物に憤然とした。しかしながら、これらのユダヤ人のうちの数人は、二心のない悲しみにあった、なぜならば、かれらは、その家族の本当の友人であったので。
会葬者から離れ、イエスがマールサとマリアを慰めて少し時間を費やした後、かれは、「どこに横たえているのか。」と尋ねた。そこで、マールサは、「見に来てください。」と言うと、あるじは、嘆く2人の姉妹に黙って続きながら涙した。三人の後に続いた好意的なユダヤ人がイエスの涙を見たとき、そのうちの一人が言った。「どんなに彼を愛していたか見てみなさい。盲人の目を開いた彼が、この人が死なないようにはできなかったのか。」この時までにかれらは、庭の一番端のおよそ10メートル上の岩棚にある自然の小さい洞窟、下り勾配の家族の墓地の前に立っていた。
イエスがなぜ泣いたのかを人間の心に的確に説明することは難しい。結合した人間の感情と神性の考えの登録を利用できるが、専属調整者の心の記録されているままのこれらの感情表現の真の事由に関して、我々は、完全に確信がある訳ではない。我々は、イエスが涙したのはこのとき心をよぎる次のような多くの考えと感情からだと思いたい。
1. かれは、マールサとマリアのために偽りのない悲哀に満ちた同情心をもった。かれには、兄弟を失った姉妹に対しての深い人間の情があった。
2.ある者は誠実で、ある者は単に上辺だけの会葬者の群衆の臨場に、彼の心が混乱した。かれは、常にこれらの上辺の悲しみの表現に憤慨した。かれは、姉妹がその兄弟を愛しているのを知っており、また信者達の生存を信じた。これらの相反する感情が、彼が墓の近くに来たときなぜ呻いたかをおそらく説明しているのかもしれない。
3. イエスは、ラーザロスを人間の生活に連れ戻すことを本当に躊躇った。姉妹は、本当にラーザロスを必要としたのが、イエスは、ラーザロスが、人の息子のもつ神性の力を全て誇示する最大の対象である結果に耐えなければならないこと、イエスが熟知しているその苛酷な迫害を経験するために友人を呼び戻さなければならないことを残念に思った。
現在、我々は、興味深く教訓的な事実に関連させることが許される。この物語は、人間の事柄の中で明らかに自然で通常の出来事として繰り広げられながらも、それには若干の、非常に関心ある側面的特徴がある。使者が日曜日にイエスの元に行き、ラーザロスの病気について知らせる一方、イエスの方は、「死なない」という知らせを送り、同時に、自らがベサニアに赴き「どこに埋葬したのか。」と姉妹に尋ねさえした。このすべてが、この人生の生き様と人間の心の限られた知識にあるじが従って進んでいることを示しているらしいとしても、イエスの専属調整者が、ラーザロスの死後、この惑星のラーザロスの専属調整者の無期拘留のための指示を出し、この指示が、ラーザロスの息絶えるちょうど15分前に出されたということを、宇宙に関する記録が明らかにしている。
ラーザロスが死ぬ前にさえ、イエスの神性の心は、彼がラーザロスを死から蘇らせると知っていたのか。我々は知らない。我々は、ただここに記録であることだけを知るに過ぎない。
敵の多くは、イエスの愛情表現を嘲りたい思いで互いに言った。「この男をそれほどまでに思うのなら、何故ベサニアに来るのをこんなに遅らせたのか。皆が言うほどの者であるなら、なぜ親愛の友を救わなかったのか。愛する者達を救えないのなら、ガリラヤの見知らぬ者達を癒しても何になろうか。」そして、他の多くの方法で、かれらは、イエスの教えと働きを愚弄し軽んじた。
こうして、この木曜日の午後2時半頃、イエス自身の復活は、人間としての居住の束縛からの解放後に起こったので、ネバドンのミカエルの地球任務に関係ある全ての偉大な業、肉体化の間の偉大な神力の顕現を演じるための舞台が全て、ベサニアのこの小村に設定された。
ラーザロスの墓前に集う小さな一団は、ガブリエルの指揮の下に集合し、イエスの専属調整者の指示によりそのとき待機していた天の存在体の全系列の大合流団が、彼らの最愛の君主の命令実行にたいする期待と気構えとにわくわくしながら、すぐ近くにいることに気づかなかった。
イエスの「その石を除けなさい。」という命令の言葉で、集合する天の軍勢は、肉体の姿のラーザロスの復活劇を実行に移す用意ができていた。そのような復活の形は、モロンチアの形における必滅の創造物の復活の通常の技術をはるかに超える実行の困難を伴い、同時に、より多くの天の人格と宇宙仕組みのはるかに巨大な組織を必要とする。
墓石を転がすように指示するイエスのこの命令を聞くと、マールサとマリアは、相反する感情に満たされた。マリアは、ラーザロスが生き返らされることを望んだが、マールサは、妹とある程度の信仰を共有しながらも、ラーザロスの姿がイエスや使徒、また友人達の前に出せるようなものでないだろうという恐怖に支配されていた。マールサは、「石を転がさなければならないのですか。弟は死んで既に4日にもなりますので、今では腐敗が始まっています。」と言った。マールサは、あるじの石の除去の要求の理由に確信がなかったことからもこう言った。彼女は、おそらくイエスは、ただラーザロスを最後に1目見たかったのだろうと思った。マールサの態度は、落ち着かず定まらなかった。皆が石を転がすのを躊躇っていると、イエスが言った。「私は、最初にこの病気は死には至らないと言わなかったか。私は、約束を実現しに来なかったか。私が来てから、信じさえすれば神の栄光が見られると言わなかったか。なぜ、疑うのか。信じて従うのにどれだけ掛かるのか。」
イエスが話し終えると、使徒は、自発的な隣人の応援を得て、石をしっかり掴み墓への入り口からそれを転がしてのけた。
死神の刀の先の胆汁の滴が、3日目の終わりまでには作用し始めるというのが、ユダヤ人の共通の信仰であったので、4日目には完全に効力を発揮するということであった。かれらは、人の魂は、3日目の終わりまで死体を生き返らせようとして墓の周りに長居しているかもしれないと考えた。しかし、かれらは、そのような魂は、4日目が始まる前に、精霊の去った住まいへ行ってしまったと堅く信じた。
死者と死者の精霊の出発に関するこれらの信条と意見は、これが嘘偽りなく、「復活と命」である断言した者の直接の業による死者の生き返りの例であることを、そのときラーザロスの墓に居合わせた全ての者、その後に起ころうとしていたことを耳にするかもしれない全ての者の心の中に確実にすることに役立った。
ほぼ45人の死すべき者の仲間が墓前に立っている中で、埋葬洞穴の右下の窪みに横たえられている麻の包帯に巻かれたラーザロスの姿が微かに皆に見えた。これらの地球の被創造物が、固唾をのんで沈黙しそこに立つ間、天の存在体の広大な軍勢は、指揮官ガブリエルによって与えられる際の作業の合図に答える予定の持ち場に素早く移動した。
イエスは目を上げて言った。「父よ、私の要求を聞かれ、承諾していただき感謝しています。いつも私の言うことを聞いてくださることは分かっていますが、ここに共に立つ者のために、あなたが私をこの世界に送られたということ、また我々がしようとしていることにあなたが私と共に為されているということを彼等が知ることができるようにという理由から、私はこのように話しております。」祈り終えると、イエスは、大声で「ラーザロス、出てきなさい。」と叫んだ。
これらの人間の見物人は、じっとしていたが、広大な天の全軍勢は、創造者の言葉に服従して統一された動作でいた。地球時間のちょうど12秒で、これまで生気のないラーザロスの姿が動き始め、やがて、静止していた石棚の縁に体を起こした。その身体は、死装束で覆われ、その顔は、一片の布で覆われていた。ラーザロスが皆の前に立ち上がると—生き返ると—「解いてやり帰らせなさい。」と、イエスは言った。
マールサとマリアと使徒を除く全員が、家に逃げ帰った。かれらは、恐怖に青ざめ、驚きに圧倒された。何人かは残り、多くは、それぞれの家へと急いだ。
ラーザロスは、イエスと使徒に挨拶をして、死装束の意味と庭で目覚めた理由について尋ねた。マールサがラーザロスに彼の死、埋葬、および復活について話す間、イエスと使徒は、片脇に寄った。ラーザロスには死んで眠りについている意識がなかったので、マールサは、日曜日に死に、そのとき木曜日に生き返ったと説明しなければならなかった。
ラーザロスが墓から出て来るとき、イエスの専属調整者、そのときは、この地方宇宙の長が、そのとき待っていたラーザロスの元調整者に復活した男性の心と魂に再度住むようにとの指令を出した。
ラーザロスは、姉妹とイエスのところに行き、神に感謝をし、賛辞を捧げるためにあるじの足元に跪いた。イエスは、手を取り、ラーザロスを立ち上がらせて言った。「息子よ、君に起こったことは、より栄光の形で復活するものを除いて、この福音を信じる全ての者が経験するであろう。私は、復活したものであり、命である、と私が話した真実の生きている目撃者に、君はなるであろう。しかし今は、皆が家に入り、これらの物理的身体のために養分を取り入れよう。」
彼らが家の方へ歩いていると、ガブリエルは、天の軍勢の臨時部隊を解散させるとともに、必滅の創造物は、人の姿をした肉体の死からユランチアにおいて最初で、最後の復活を記録を作成した。
ラーザロスは、起きたことをほとんど理解することができなかった。かれは、重病であったことは分かっていたが、寝込んでしまい目を覚ましたということだけを思い出すことができた。完全に無意識であったので、かれは、墓での4日間については決して何も言えなかった。死の眠りについている者に時間は実在しない。
この大仕事の結果、多くの者はイエスを信じたが、他の者はイエスを拒絶するために頑になるだけであった。翌日の正午までに、この話は、エルサレム中に広がった。多くの男女が、ラーザロスを見に、また話しをするためにベサニアに行き、そして不安を感じ、当惑したパリサイ派は、これらの新展開にいかに対処すべきかを決定できるように急いでシネヅリオン派の会合を召集した。
死者から蘇ったこの男性の証言は、王国の福音の信者集団の信仰の教化においては役立ったが、イエスを滅ぼしその仕事を阻止するという決定を急がせることを除いては、エルサレムの宗教指導者と支配者の態度には、殆ど、あるいは何の影響も与えなかった。
翌日、金曜日の1時、シネヅリオン派は、「ナザレのイエスをどうするか。」という問いをさらに審議するために集った。2時間以上の論議と辛辣な討論の末、パリサイ派のある者が、イエスは全イスラエルにとり脅威であると主張し、裁判無しの、かつ先例を無視した死の決定をシネヅリオン派が正式に誓約をする決議を提示した。
この威厳のあるユダヤ人指導者の一団は、冒涜の罪とユダヤ人の神聖な法を無視する他の罪状によりイエスが逮捕され、告発されることを再三再四命じた。かれらは、イエスが死ななければならないとかつて断言したことはあったが、裁判に先立ってイエスの死を命じることを望んで記録にしたのはこの時が初めてであった。しかし、そのような前代未聞の行動が提案されたときシネヅリオン派の14人が一団となって脱会したことから、この決議は、採決されなかった。これらの脱会は、正式には約2週間効力はなかったが、その日シネヅリオン派を脱退したこの14人の一団が、二度と協議の席に着くことは決してなかった。その後これらの脱会が実現すると、他の5人の成員がイエスに向かって好意的な気持ちを抱いていると信じられ、仲間に追い出された。シネヅリオン派は、これらの19人の追放で満場一致に近い結束で、イエスを裁判にかけ死においやる立場にあった。
ラーザロスとその姉妹は、翌週シネヅリオン派の前に召喚された。三人の証言を聞くと、ラーザロスが、死から蘇ったということに疑いの余地はなかった。シネヅリオン派の対応では、事実上ラーザロスの復活を認めはしたが、記録では、イエスによるこれと他のすべての驚きの業は、イエスが同盟関係にあると断言されたその悪魔の王子の力の精にする決定を伝えた。
これらのユダヤ人指導者は、イエスの驚きの業の力の源が何であろうとも、即刻イエスを阻止しなければ、間もなく全ての一般人が、彼を信じると確信させられた。そして、さらには、非常に多くの信者が、イエスを救世主、イスラエルの救出者と見なしているので、ローマ当局との重大な事態が起こるだろうと。
高僧のカイアファスが幾度となく繰り返したユダヤの古い諺を最初に表現したのが、シネヅリオン派のこの同じ会合であり、それは、「共同体が崩壊するよりも1人が死ぬ方が良い。」であった。
この暗黒の金曜日の午後、かれは、シネヅリオン派の行動に関する警告を受けてはいたが、すこしも狼狽することなく、安息日の間ベサニア近くの村落ベスファゲで友人との休息を続けた。日曜日の朝早々、イエスと使徒は、事前の打ち合わせによりラーザロスの家に集合し、そしてベサニアの家族と別れ、ペラの宿営への旅に戻った。
ベサニアからペラへの道中、使徒は多くの質問をした。あるじは、死者の復活の詳細を除いては、その全てに率直に答えた。そのような問題は、使徒の理解の範囲を超えていた。したがって、これらの問題についての議論は拒否したのであった。かれらは、秘かにベサニアを経ったので、自分達だけであった。この為、イエスは、10人がすぐ先にある試練の日々に備えるであろうと考えて、多くの事について告げる機会を受け入れた。
使徒は、心を刺激され、そして祈りとそれへの答えに関連させ最近の経験を話し合いかなりの時間を費やした。かれらは全員、「本当にこの病気は死には至らない」と、イエスが、フィラデルフィアでベサニアの使者にはっきりと言った言葉を思い起こした。だが、この約束にもかかわらず、ラーザロスは実際に死んだ。その日一日、かれらは、再三、祈りに対する答えのこの質問に関する議論に戻った。
使徒の多くの質問に対するイエスの答えは、次の通りに纏められるかもしれない。
1. 祈りは、無限者に接近する努力の限りある心の表現である。祈りをすることは、したがって、知識、知恵、限りある者の属性によって制限されなければならない。同様に、それへの答えは、無限者の展望、目的、理想、特権によって条件づけられねばならない。祈りをすることとそれへの精霊的な十分な答えの受け入れの間での物質的な現象の完全な連続性の観測は、決してできない。
2.祈りが明らかに未解答であるとき、遅れは、何らかの理由で大いに遅れているのであろうが、しばしばより良い答えを示唆する。イエスが、ラーザロスの病気は本当に死には至らない、と言ったとき、ラーザロスは既に死んで11時間が経過していた。精霊的な世界の優れた見方が、より良い答え、すなわち人の単なる心の祈りと比べて人の精霊の嘆願に合う答えが案出されたとき以外は、真摯な祈りに対し、答えは否定されない。
3. 時の祈りは、精霊によって組成され、信仰で表現されるとき、それへの答えは、永遠だけに与えられることができるようにしばしば非常に広大で包含的である。限りある嘆願は、答えが、受領のための適切な容量の作成を待ち受けるために長い間延期されなければならないほどに、無限者をとても理解しているのである。信仰の祈りは、答えが、楽園だけで受けることができるように、とても広範囲にわたるかもしれない。
4. 人間の心の祈りへの答えは、往々にして、その同じ祈る心が、不死の状態に達した後にだけ受け取り、認識することができるそのような性質のものである。物質的な存在体の祈りは、そのような個人が、精霊の域に進んだときにだけ答えられる。
5. 神を知る人の祈りは、無知により非常に歪められ、迷信により非常に変形されているかもしれないので、それへの答えは、非常に好ましくないであろう。そのような時は、介在する精霊の存在は、答えが届くとき、そのような祈りを、嘆願者が自分の祈りへの答えであると全く気づかないように翻訳しなければならないのである。
6. すべての真の祈りは、精霊的な存在に差し向けられ、そのようなすべての陳情は、精霊的な面で答えられなければならないし、そのようなすべての答えは、精霊的な現実から成らなければならない。聖霊者達は、有形物といえどもその精霊的な陳情に物質的な答えを与えることはできない。物質的な存在体は、「精神で祈る」ときに限って効果的に祈ることができる。
7. 精霊の生まれであり、信仰によって養育されなければ、いかなる祈りも答えを期待することはできない。あなたの真摯な信仰は、あなたの信仰が、描くその至高の叡知とその神性の愛に従って祈るそれらの存在体をつねにやる気を起こさせるように、あなたが、実質的にその祈りの聞き手にあなたの陳情に答える完全な権利を事前に与えたことを意味する。
8. 親に思い切って請願するとき、子供は、いつもその権利内にいる。そして、親の優れた知恵が、子の祈りの答えを遅らせるか、変更するか、分けるか、超えられるか、または精霊的な上向の別の段階へと延期されるかを命じるとき、親は、いつも未熟な子供への親の義務の範囲内にいる。
9. 精霊への渇望の祈りを躊躇ってはいけない。あなたの嘆願への答えを受けるということを疑ってはいけない。これらの答えは、実際の宇宙到達のそれらの未来の精霊的な段階のあなたの成就を待ち受けて、貴方の初期の時期を失した嘆願に対して長く待ちうけている答えを認識し対応することが可能になるこの世界、あるいは他の世界で蓄積されるであろう。
10. すべての本物の精霊からの嘆願は、答えが確実である。求めよ、さらば、与えられるであろう。しかし、あなたは、時間と空間の進歩的な被創造物であるということを心すべきである。それ故、多様な祈りと嘆願への完全な答えの個人の受け入れの経験において、時間と空間の要素について絶えず考慮しなければならない。
ラーザロスは、シネヅリオン派がイエスの死を命じたという警告を受けたとき、真摯な信者の多くと好奇心の強い数多くの個人にとり大変に興味のある中心地であるベサニアの家に、イエスの磔刑の週まで留まった。ユダヤ人の支配者達は、イエスの教えのこれ以上の波及を制止すると決意し、もしラーザロスが、驚きの業のまさにその絶頂を表示する者が、生きて、そして、イエスが死から蘇らせたという事実の証明をするならば、イエスを死刑にしても無駄であるとよく判断した。すでに、ラーザロスは、彼等からの痛烈な迫害を経験していた。
したがって、ラーザロスは、ベサニアの姉妹に慌しい別れを告げ、イェリーホからヨルダンを横断して逃れ、フィラデルフィアに着くまで決して長い休息をとらなかった。ラーザロスは、アブネーをよく知っており、ここなら、邪悪なシネヅリオン派の殺意の陰謀の心配がないと感じた。
このすぐ後、マールサとマリアは、ベサニアの土地を処分して、ペライアで兄弟と合流した。その間、ラーザロスは、フィラデルフィアで教会の会計係になっていた。かれは、パウーロスとエルサレム教会との論争においてアブネーの強い支持者となり、結局、若いときにベサニアで自分を奪い去った同じ病気で67歳で死んだ。
3月6日、月曜日の夜遅く、イエスと10人の使徒は、ペラ宿営所に到達した。これは、そこでのイエス滞在の最後の週であり、イエスは、群衆に教えたり、使徒に指示したりと非常に活発であった。かれは、毎日午後は群衆に説教をし、夜は、宿営所に住む使徒と、それに弟子の中でも上級の数人の質問に答えた。
ラーザロスの復活に関する情報は、あるじの到着2日前に宿営に達しており、会衆は、待ち遠しい思いでいた。5,000人への給食以来、人々の想像力をそそるほどの何事も起きてはいなかった。そのため、イエスがこの短い1週間をペラで教え、それから、エルサレムにおける最後の週の決定的かつ悲惨な経験につながる南ペライアへの旅を計画したのは、王国の公への活動の第二の局面の真っ最中であった。
パリサイ派と主要な聖職者達は、告訴を明確にし、告発を具体化し始めた。かれらは、あるじの教えに次の根拠に基づいて反対した。
1. 居酒屋の主達と罪人達の友人である。不敬な者達を受け入れ、それらの者と食事さえする。
2. 冒涜者である。神について我が父のように語り、神と同等であると思っている。
3. 法律違反者である。安息日に病気を治し、多くの他の方法でイスラエルの神聖な法を無視する。
4. 悪魔と同盟している。驚くべき業を為し、悪魔の王子ベエルゼブブの力により見た目の奇跡を起こしているようである。
木曜日の午後、イエスは、「救済の恩恵」について群衆に話した。この説教の中で、迷える羊と失われた硬貨の話を再び語り、次には、お気に入りの放蕩息子の寓話を加えた。イエスは言った。
「人は、神を求める—真実を捜し求めるべきであると、サミュエルからヨハネまでの予言者が訓戒してきた。いつも、彼らは、『主を求めよ、お会いできる間に。』と言った。全てのそのような教えが心に取り入れられなければならない。しかし、私は、あなたが神を見つけようとする間、神が、同様にあなたを見つけようとしているということを教えに来たのである。いなくなった1頭の羊を見つけに行く間、99頭の羊を囲いに残し、その迷える羊を見つけたとき、それを肩に乗せ、優しく囲いまで運び戻した善良な羊飼いの話を、私は、何回となくしてきたではないか。そして、善良な羊飼いは、迷った羊が囲いに戻されると友人を呼び集め、失われた羊の発見を喜んでくれるように言ったのを、あなたは思い出す。私は、1人の罪人が悔い改めるなら、99人の悔悟を必要としない正しい人々にもまさる喜びが天にはあるのだともう一度言っておく。魂が失われるという事実は、天の父の関心を増加させるばかりである。私は、父の言いつけを実行するためにこの世界に来た。そして、人の息子は、本当に居酒屋の主や罪人の友であると言われてきた。
「あなたは、神の受理は、悔悟の後、そして、あなたの犠牲と悔悟の全行為の結果として起こると教えられてきたが、父は、あなたが悔悟する前にさえあなたを受け入れ、大いに喜んであなたを見つけ、息子性の王国と精霊的な進歩の囲いに連れ戻しに息子とその仲間を行かせるのであるということをはっきり告げておく。あなた方は皆、失われた羊のようなものであり、私は、そのような失われた者を探し、また、救いに来たのである。
「そして、10枚銀で装飾用の首飾りを作らせ、その1枚を失くし、明かりを点し、一生懸命に家を掃き、いかに無くなった銀を探し続けたかという婦人の話もまた覚えておくべきである。そして彼女は、なくした硬貨を見つけるなり、『ともに喜んでください。失くした銀貨が見つけましたから。』と言って、友人と隣人を呼び集めた。そして私は、父の囲いに戻る1人の罪人の上の天の天使達の集いには、常に喜びがある、と繰り返し言っておく。そして、父とその息子は、迷える者達を捜しに行き、そしてこの探索において、我々は、迷える者、すなわち救済を必要としているすべての者を探すための勤勉な努力において、援助を与えることのできる全影響力を駆使するということを、私はあなたに銘記させるために話すのである。このように、人の息子は、道に迷う羊を捜しに荒野に出かけるが、家の中で失われれた硬貨も捜すのである。羊はつい逸れ、硬貨は時という埃に覆われ、人の蓄積物によって隠される。
そして今度は、あなたに、故意に父の家を出て、異郷の地へと去り、そこで多くの苦難に陥った裕福な農夫の軽はずみな息子の話がしたい。あなたは、羊がうっかり道に迷ったのを思い起こすが、この若者は、家を計画的に出た。それは、こうであった。
ある人には2人の息子がいた。下の息子は、気楽で、呑気で、いつも座興を求め義務を怠り、一方上の息子は、真面目で、地味で、勤勉で、進んで責任を担った。さて、この2人の兄弟は、余り気が合わなかった。二人は、常に喧嘩し、口論していた。下の若者は、陽気で活発であるが、怠惰でいい加減であった。上の息子は、着実で、勤勉で、同時に自己中心で、無愛想で、自惚れが強かった。若い方の息子は、遊びは楽しんだが、仕事は避けた。上の方は、仕事に専念したが、滅多に遊ばなかった。この関係は、全く相容れないものとなり、下の息子は、父の元に行き遂に言った。『お父さん、あなたの財産のうち私がいただく分である1/3を下さり、私自身の幸運と富を求めに世間に出かけて行くことを許してください。』若者が家で、また兄とのことでいかに愁いていたかを知る父は、この要求を聞くと財産のうちから若者の割り当て分を与えた。
「青年は、数週間の内に自分の全資金を集め、遠い地へと出発したが、実入りが良く、同時に楽しいことは何も見つからず、放蕩生活に全相続分を浪費した。彼が全てを使い果たしたとき、その地では長期の飢饉が起こり、かれは、食べることにも窮した。そんな具合で、かれは、飢えに苦しみ、窮状が酷くなってきたとき、その土地の住民の一人に雇われ、この人は、豚の餌やりにとに彼を原っぱに行かせた。青年は、豚用の穀類の殻で腹を満たしたいと思うほどであったが、誰も彼には何も与えようとはしなかった。
ある日、非常に空腹であったとき、青年は、我に返って言った。『父には食べ物があり余っている使用人が大勢いるというのに、私はここ他国で豚に餌を与えながら飢えで死ぬところである。私は、立ち上がって父の元に行き、お父さん、私は天とあなたに対し罪を犯しました。最早あなたの息子と呼ばれる資格はありません。どうか、せめて使用人の一人にしてください、と言おう。』青年は、こう決めると立ち上がり父の家へと飛び出した。
さて、この父は、息子のことで非常に深く悲しんでいた。かれは、軽はずみではあるが、愉快な若者がいなくて淋しく思っていた。この父は、この息子を愛しく思い、いつもその帰還に目を配っていたので、父は、息子が自分の家に近づいた日、まだ遠くにいるのに息子を見て、哀れに思い走り寄り、情愛深い言葉を掛け抱きしめて口づけをした。このようにして二人が会ったあと、息子は、父の涙ぐんだ顔を見上げて言った。『お父さん、私は天とあなたに対し罪を犯しました。最早あなたの息子と呼ばれる資格はありません。』—しかし、若者は、大喜びの父が、この時までには駆け寄ってきた使用人達に話していたので心の思いを言い終える機会がなかった。父は、『さあ、私がとっておいた最上の着物を早く持って来なさい。そして息子にそれを着せ、指輪をさせ、また履物をとって来なさい。』
それから、幸福な父は、足を痛めて疲れきっている若者を家に案内してから使用人に呼びかけた。『肥えた子牛を引いてきて屠りなさい。食べて祝おう。死んでいたこの息子が、生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。』そこで皆は、息子の再起を祝うために父親の周りに集まった。
「この頃、皆が祝いをしていると、上の息子は、畑での一日の仕事から戻り、家の近くにくると音楽や踊りの音が耳に届いた。そして、裏口に行くと、かれは、使用人の一人を呼びこの祭り騒ぎの訳を問い質した。そこで、使用人が、『長らく行方不明であったあなたの弟が帰って来られ、父上が、無事な帰りを祝うために肥えた子牛を殺しました。父の家に戻られた弟に挨拶し、迎えることができるようにお入りください。』と言った。
「しかし、兄はこう聞くと、非常に傷つき立腹し、家に入ろうとしなかった。弟の歓迎に対する兄の憤りを聞くと、父は彼に願いに外に出た。しかし、上の息子は、父の説得に折れようとせず、答えて言った。『私は、あなたの些細な言いつけにも一度も背くことなく何か年も仕えてきましたのに、友人と楽しむために子山羊一頭もくださったことはありません。私は、何年もの間あなたのお世話をするためにここに留まってきましたが、私の忠実な働き振りを祝ってはくれませんでした。でも、遊女どもとあなたの身代を浪費したこの息子が帰ってくると、あなたは、急いで肥えた子牛を殺させ彼のために祝っています。』
この父親は、息子の両方を本当に慈しんでいたので、上の息子を説き伏せようとした。『しかし、息子よ、お前は私とずっといたし、私の持っている物は全部お前のものである。友と大はしゃぎしようと思えば、いつでも子山羊を得ることができたではないか。それにしても、弟が帰ってきたのであるから、私と共に喜び陽気にするのは、当然のことにすぎない。考えてみなさい、息子よ、あなたの弟は、いなくなっていた。かれは、生きて我々のもとに戻ってきたではないか。』」
これは、今までイエスが天の王国への入り口を探す者全てを受け入れる父の気持ちを聞き手に印象づける全ての寓話の中で最も感動的で効果的な1つであった。
イエスは、同時にこの3つの話をすることを非常に好んだ。人が、人生の道から意図せずに逸れるとき、父は、そのような迷える者を心に留めて忘れることなく、群れの本物の羊飼いである息子と迷える羊を探しに出かける、ということを教えるために、イエスは、迷える羊の話を提示した。次にかれは、神が、混迷し、さもなければ、人生での物質上の心配事や物質の蓄積によって精霊的に目がくらんでいる者達をいかに徹底的に探し求めているかということを例証するために、家の中でなくした硬貨の話をするのであった。それから、父の家と心に迷える息子をいかにものの見事に歓迎するかということを示すために、この迷える息子、帰宅する放蕩者の寓話を加えるのであった。
幾年にもわたる教えの中で、イエスは、幾度となくこの放蕩息子の話をした。この寓話と善良なサマリア人の話は、父の愛と人の隣人らしさを教えるに当たりイエスが特に好む手段であった。
ある夕方、シーモン・ゼローテースは、イエスの声明の1つについて注解して、「あるじさま、今日あなたが話された中で、この世の子供の多くは、不正の富と友達になるのに巧みであるので王国の子供よりも賢明であると今日言われたのは、どういう事でしたか。」と聞いた。イエスは答えた。
「王国に入る前、あなた方の一部は、仕事仲間への対応において非常に抜け目がなかった。不当で、度々不公平であったとしても、それでもなお、あなたは、自分の現在の利益と将来の安全のみを考慮して仕事を行ったという点において慎重で明敏だったのである。あなたは、同様に、天における将来の宝物の楽しみが確かに蓄積されると共に、王国での生活が、現在の喜びをもたらすように采配すべきである。自己のために働くとき、自分のための儲けの増大にとても勤勉であるならば、いま人の兄弟愛の使用人と神の執事なのに、王国のために魂を獲得する際に、なぜあまり勤勉さを発揮してはいないのか。
「あなた方は皆、抜け目のない、だが不当な執事を召し抱える金持ちの話から教訓を学ぶことができるのである。この執事は、利己的な利得のためにあるじの顧客を圧迫してきたばかりか、あるじの資金をも直接に無駄にし浪費した。この全てが、とうとう主人の耳に達したとき、あるじは、執事を召喚してこれらの噂の意味するところを尋ねて、即座に執務報告を提出し、あるじに関する事務を別の者に引き渡す準備をしなければならないと命じた。
そのとき、この不誠実な執事は、独り言を始めた。『「どうしようか、この執事の職を失おうとしている。土を掘るには力がないし、物乞いをするのは恥ずかしい。この執事職を辞めさせられるとき、あるじと取引きのある者達の家に歓迎されることを確実するであろう。』そこで、主人の負債者者の一人一人を呼び出し、『私の主人にどれだけの負債がありますか。』と最初の者に言った。『油100樽です』と答えた。すると、執事は、『あなたの蝋板の証書を取り、早く座り、それを50樽に書き変えなさい。』と言った。次に、もう一人の負債者に言った。『負債はどれだけですか。』『小麦100石です。』と返答した。これに対し、『あなたの証書を取り、80石と書き変えなさい。』と言った。執事は、他の多くの負債者にもこのようにした。この不正直な執事は、解雇後の自分のためにこのようにして友人を作ろうとした。後にこれを知った主人でもある雇い主は、不誠実な執事が、前途の必要性と逆境に備えようとした態度に少なくとも機敏さを示したということを認めざるをえなかった。
「そして、それは、このように、この世の息子達が、光の子供達よりも未来に備えて一層の知恵を時おり示すということである。私は、天で宝物を得ようとしていると表明するあなた方に言う。不正の富と親しくなる者達から学び、同様に、この世でのすべてが破綻するとき、永遠の居住地に嬉々として受け入れられるために正義の力で永遠の親交を結べるようにあなたの人生を導きなさい。
「私は、また、少事に忠実な者は、大事にも忠実であるが、少事に不忠実な者は、大事にも不忠実であるということを断言する。あなたが、世事において先見と保全を示していなかったとしたら、天の王国の真の富の執事の職を任されるとき、忠実で、慎重であり得ることをどうして望むことができるであろうか。あなたが、もし良い執事でなく、また忠実な銀行家でなく、他人に属するものに忠実でないらば、誰が、あなた自身の名前ですばらしい宝物をあなたに与えるほどに愚かであろうか。
「私は、誰も2人のあるじに仕えることはできないと繰り返し断言する。一方を嫌い、他方を愛するか、さもなくば、一方に親しみ、他方を疎んじるからである。人は、神と富に仕えることはできない。」
居合わせたパリサイ派は、これを聞くと、富の獲得に大変に執着しているので冷笑し、揶揄しはじめた。これらの友好的でない聞き手は、イエスを無益な議論に引き込もうとしたが、イエスは、敵との討論を拒否した。パリサイ派が、仲間内での口論し始めると、その喧しい話し声は、そこら辺で宿営している群衆の多くの目を引きつけた。そして、これらの群衆が互いに論議し始めると、イエスは睡眠のために引き下がり、天幕に行った。
会議が騒がしくなり過ぎたとき、シーモン・ペトロスは、立ち上がって責任を引き受けて言った。「諸君、同胞の皆さん、自分達でこのように論争し合うのはよくない。あるじは、話し終えました、その言葉をじっくり考えた方が良いでしょう。そして、これは、あるじが宣言した新しい教義ではない。あなた方は、金持ちの男と乞食に関するナザレの寓話を聞いたことはないのですか。洗礼者ヨハネが、富に執着し、不正な富を貪る人々への警告であるこの寓話を大喝するのを我々の一部は、聞いた。そして、この古い寓話は、我々が説く福音と一致はしないが、天の王国の新たな光を理解するそのような時まで、あなた方全員がその教訓を心に留めおく方が賢明である。ヨハネの話の筋は、次のようなものであった。
「紫の衣や立派な麻を着て、毎日陽気に華やかに暮らしているディーヴェスというある金持ちの男がいた。ラーザロスというある乞食がおり、かれは、この金持ちの男性の門前に横たわり、傷傷だらけでこの金持ちの食卓からのおこぼれで飢えを凌ごうと望んでいた。実に犬さえ来て、そのでき物を舐めるほどであった。そして、乞食が死に、天使達にアブラーハームの懐で休むために連れていかれた。それから程なく、この金持ちの男も死に、壮大な儀式と王侯のような華麗さで葬られた。金持ちがこの世を出発し、冥界で目覚め、激しい痛みに気づき、目を上げると、遠くにアブラーハームとその懐にいるラーザロスが見えた。そこで、ディーヴェスは、大声で泣き叫んだ。『父アブラーハームよ、私に慈悲をお示しください。ラーザロスをお遣わしになり、その指先を水で濡らし私の舌を冷やさせてください。私は罰で苦しみに悶えています。』すると、アブラーハームが返答した。『息子よ、お前が良いものを楽しむ一方で、ラーザロスは同様に悪に苦しんでいた生前を思い起こすべきである。だが、お前が苦しみ悶えている間、ラーザロスが慰められるので、現在、このすべては、すっかり変わっている。そればかりか、我々とお前の間には大きな谷間があり、我々はお前の方に行けないばかりか、お前は我々の方にこれない。』すると、ディーヴェスは、アブラーハームに言った。『私には5人の兄弟がおり、こんな苦しい所に来させたくありませんので、願わくば、ラーザロスを父の家に遣わせそのように報告させてください。』だが、アブラーハームは、『息子よ、彼らにはモーシェと予言者がついている、兄弟達には彼らの言うことを聞かせなさい。』と言い、そして、ディーヴェスが答えた。『いいえ、いいえ、父アブラーハーム、死者の中から一人行ってくれる方が、兄弟達は悔い改めるでしょう。』そこで、アブラーハームが言った。『モーシェと予言者の言うことを聞かないのなら、例え死人の中から蘇る者がいたとしても、兄弟達はその勧めを聞き入れはしないであろう。』」
ペトロスがナザレの兄弟愛のこの古代の喩え話を披講し終えると、群衆が静まったので、アンドレアスは、立ち上がり夜に備えて皆を解散させた。使徒と弟子の双方は、頻繁にディーヴェスとラーザロスについての寓話に関してイエスに質問をしたが、かれは、決してその評釈に応じなかった。
イエスは、神の王国の設立を宣言する使徒に、天の父が王ではないと説明するのにいつも苦労した。イエスが地球に住み、人の姿で教えていたとき、ユランチアの人々は、国政に関しては王と皇帝について大部分を知っており、ユダヤ人は、神の王国の接近を長い間考えていた。これらと他の理由により、あるじは、人の精霊的な兄弟愛を天の王国として、そしてこの精霊の兄弟愛の長を天の父と名称づけるのが最善と考えた。イエスは、決して父を王と称しなかった。使徒との気のおけない話では、かれは、自分自身を人の息子として、また、彼らの兄として言及した。かれは、すべての追随者を人類の使用人として、そして王国の福音の使者として描写した。
イエスは、天の父の人格と属性に関して使徒に系統的な授業を決してしなかった。かれは、人に父を信じることを決して求めなかった。かれは、人がそうすることを当然のことと思った。イエスは、父の実在証明の議論をすることによって決して自分を卑下しなかった。父に関する教えでは全て、自分と父が1つであること、息子を見た者は父を見たということ、息子と同様に、父は万物について知り、息子だけが、そして、息子が父を明らかにしようとする者だけが、本当に父を知っているということ、息子を知る者は父をも知るということ、そして、父は、自分達の結合した特質を明らかにし、共同の仕事を示すために彼を世界に送ったということを宣言の中心に置いた。かれは、サマリア女性にヤコブの井戸で「神は精霊である」と宣言したとき以外、父に関して他の表明を決してしなかった。
人は、その教えによって学ぶのではなく、イエスの人生の神性を観測することによって神について学ぶ。あるじの人生から、精霊的で神性である現実、真実であり永遠である真理を察知する能力の基準を表す神の概念を各自が、自分のものにすることができる。無限者が、ナザレのイエスの人生の有限の経験が、時空の人格に焦点が合わせられる場合を除き、有限の者は、無限の者の理解をすることは決して望むことはできない。
イエスは、現実の経験でのみ神を知ることができるということをよく知っていた。かれは、単なる心の教育では決して神を理解することはできない。イエスは、使徒が、決して神を完全に理解することはできないが、ちょうど人の息子を知ったように、確実に彼を知ることができるということを使徒に教えた。人は、イエスが言ったことによってではなく、イエスが何であったかを知ることによって神を知ることができる。イエスは、神の顕示そのものであった。
ヘブライ語聖書の引用の際は別として、イエスは、2つの名前だけによって神に言及した。神と父。そして、あるじが神として父に言及するとき、ユダヤ部族の神の進歩的概念を表したヤハウェという言葉ではなく、複数神(三位一体)を意味するヘブライ語を通常用いた。
イエスは、決して父を王と呼ばなかったし、また王国回復のユダヤ人の望みと来るべき王国のヨハネの宣言は、彼が提案した精霊的兄弟愛を天の王国と呼ばざるを得なかったことを大変残念に思った。1つの例外—「神は精霊である」という宣言を除いては、イエスは、楽園の第一根源と中枢との自己の直接的な関係を説明するにあたり決して神性に言及しなかった。
イエスは、神性の概念を明示するために神という語を、また神を知る経験を明示するために父という語を用いた。神を明示するために父という語を用いるとき、それは、その最大で可能な限りの意味で理解されなければならない。神という語は、定義し得ないが故に、父についての無限の概念を表し、一方、父という用語は、部分的な定義が可能であり、死を免れない存在であると同時に人間と交わることから神性の父に関する人間の概念を表すために用いることができる。
ユダヤ人にとり、エロヒームは、神の中の神であったが、ヤハウェは、イスラエルの神であった。イエスは、エロヒームの概念を受け入れ、この最高の存在体を神と呼んだ。かれは、民族的な神、ヤハウェの概念に代えて、神の父性と人間の世界的兄弟愛の考えを伝えた。かれは、神格化された民族的な父ヤハウェの概念を全人類の子の父、個々の信者の神性の父の考えに高めた。さらに、かれは、宇宙のこの神と全人類のこの父は、同一の楽園の神性であることを教えた。
イエスは、自分が人間の姿のエロヒーム(神)の顕現であると決して主張しなかった。かれは、自分がエロヒーム(神)の世界への啓示であるとは決して断言しなかった。かれは、自分に会った者が、エロヒーム(神)を見たとは決して教えなかった。しかし、かれは、自分を肉体での父の啓示であると宣言し、自分を見たものは誰でも父を見たのだとはっきり言った。かれは、神の息子として、父だけの代理をすると主張した。
実に、かれは、エロヒーム神の息子でさえあった。しかし、そのような啓示が人間に分かる限りにおいて、かれは、必滅の肉体の姿で、神の必滅の息子達に父の特質の描写に制限して顕示することを選んだ。楽園の三位一体の他の人称の特質に関しては、我々は、彼らが、肉体化した息子、ナザレのイエスの人生における個人的肖像画法で明らかにされてきた全く父のようであるという教えに満足しなければならない。
イエスは、地球での人生において天なる父の本質を明らかにはしたが、彼についてあまり教えはしなかった。実際、2つのことだけを教えた。自分の中にいる神は精霊であるということと、自身の創造物との関係のすべてのにおいて自分が父であるということ。この夜、かれは、「私は父から発現し、この世界にやって来た。再び、この世界を去り父の元に行くのである。」と宣言をしたとき、イエスは、神と自己との関係の最後の表明をしたのであった。
だが、注目しなさい。イエスは、決して「誰でも私の声を聞いた者は神を聞いた。」とは言わなかった。が、「私を見た者は父を見た。」とは言った。イエスの教えを聞くことは、神を知っていることとは同じではないが、イエスを見ることは、それ自体が、魂への父の啓示の経験というものである。宇宙の神は、遠く離れた創造を統治するが、人の心の中に住むためにその精霊を送り出すのは、天の父である。
イエスは、見えない方を物質的な被創造物に見えるようにする人間類似の精霊的なレンズである。イエスは、天の軍勢さえ敢えて完全に理解することのできない無限の属性の存在を人に知らせる肉体の姿をした人の兄である。しかし、このすべては、個々の信者の個人的経験でなければならない。精霊である神は、精霊的な経験としてのみ知ることができる。精霊の領域の神性の息子は、物質界の限りある息子に神を、父としてのみ、明らかにすることができる。人は、父として永遠なる者を知ることができる。人は、宇宙の神として、全生存体の無限なる創造者として、神を崇拝することができる。
3月11日、土曜日の午後、イエスは、ペラでの最後の説教をした。これは、天の王国についての十分かつ徹底した議論を含む公への宣教の中で注目に値する演説に属するものであった。かれは、自分が互換がきくものとして贈与任務の名称に使用した「天の王国」と「神の王国」の用語の意味と重要性に関し、使徒と弟子達の心の中の混乱に気づいていた。用語、天の王国そのものは、地球の王国とこの世の政治とのすべての関係から切り離したものを表すに足りるはずであったが、そうではなかった。ユダヤ人のこの世の王についての考えは、一世代で除去するにはその心にあまりにも深く根ざしていた。そのために、イエスは、初めのうちは、この長く養われてきた王国の概念に公然とは反対しなかった。
この安息日の午後、あるじは、天の王国についての教えをはっきりさせようとした。かれは、あらゆる観点から問題を検討し、用語が使用された多くの異なった観念を明らかにする努力をした。この報告では、以前イエスがした数多くの声明に加え、また、同日の夜の議論の中での使徒だけに与えた幾つかの所見を含んで詳述するつもりである。我々は、また、後のキリスト教会に関連して、王国の考えのその後の発展に関しても幾つかの注釈を確実にするつもりである。
イエスの説教の詳述に関し、ヘブライ語聖書を通して天の王国の二つの概念がある点に留意する必要がある。予言者達は、次のように神の王国を提示した。
1. 現時点の実現、また、
2. 未来の希望として—救世主の出現により王国が完全に実現される時。これは、洗礼者ヨハネが教えた王国の概念である。
イエスと使徒は、そもそもの初めから両方の概念を教えた。心に留めおかれるべき王国の他の2つの考えがあった。
3. 超自然の源と奇跡的な正式の開始からくる世界的、かつ超越的な王国に関する後のユダヤ人の概念。
4. 世の終わりに際し、悪に対する勝利の成就として、神の王国の設立を描くペルシア文化の教え。
地球上のイエスの出現直前に、ユダヤ人は、王国に関するこれらのすべての考えを、ユダヤ人の勝利の時代、地球の神の最高の支配である新しい世界の永遠に続く時代、全人類が、ヤハウェを崇拝する時代を設立するために救世主到来に関する黙示の概念に結びつけて混同した。天の王国のこの概念を採用するに当たり、イエスは、最も重大で、また頂点に達しているユダヤ人とペルシアの両宗教の遺産を充用することを選んだ。
それがキリスト紀元の世紀を通して理解され、しかも誤解されているように、天の王国は異なる4集団の考えを含んだ。
1. ユダヤ人の概念
2. ペルシア人の概念
3. イエスの個人の経験の概念—「人の内なる天の王国」
4. 世界に銘記させようとしたキリスト教創設者と公布者達の持つ複合的かつ混乱した概念。
イエスは、公への教えに際し、異なる時に、そして異なる状況において、「王国」に関する多くの概念を示したように見えるかもしれないが、使徒には、地球の仲間との、そして天の父との関係における個人の経験を迎え入れるものとしての王国を常に教えた。王国に関係する締め括りの言葉は、常に「人の内に王国がある」であった。
用語「天の王国」の意味に関する何世紀にもわたる混乱は、3つの要因にある。
1. イエスと使徒によるその作り直しにおける様々な進歩的な段階を経るにつれ、「王国」の考えを観測することによって引き起こされる混乱。
2.ユダヤ人から非ユダヤ人の土壌への早期のキリスト教移植と不可避に関係した混乱。
3. キリスト教が人としてのイエスを中心に組織化された宗教になったという事実に固有の混乱。王国の福音は、ますますイエスに関する宗教になった。
あるじは、天の王国が、神の父性の真実と人の兄弟愛の関連事実の二元的概念に始まらなければならないし、それに集中しなければならないことを断言した。イエスが宣言したそのような教育の受け入れは、動物的な恐怖の古い束縛から人を解放し、同時に、次のような精霊的な自由の新しい人生の付与で人間の生活を豊かにするであろう。
1. 新たな勇気と増大された精霊的な力の所有。王国の福音は、人を解放し、永遠の命へ勇気をもって望むように奮い立たせることであった。
2.福音は、すべての人への、貧乏人にさえの、新たな自信と真の安らぎに関する言葉を伝えた。
3. それは、道徳価値の新基準、人間の行為を測定するための新しい倫理的な物差しがそれ自体にあった。それは、人間社会の新しい秩序から来る理想を描いた。
4. それは、物質と比較しての精霊的なものの優位性を教えた。それは、精霊的な現実を称賛し、超人的な理想を発揚した。
5. この新しい福音は、真の生き方の目標として、精霊的な到達を示した。人間の人生は、道徳的な価値と神の威厳の新しい付与を受けた。
6. イエスは、永遠の現実が、この世での正しい努力の結果(報酬)であると教えた。地球での死を免れない人の滞在は、貴い目標の認識の結果として起こる新しい意味をもたらした。
7. 新しい福音は、人間の救済が、神の救われた息子達の限りない奉仕からくる未来の目標で成し遂げられ、実現されるために遠大な神の目的の顕示であることを断言した。
これらの教えは、イエスが教えた王国の拡大された考えを含んでいる。この重要な概念は、洗礼者ヨハネによる王国の基本的な教えの中にはほとんど含まれず、しかも混乱していた。
使徒は、王国に関してあるじの発言の真の意味を理解することができなかった。新約聖書に記されているように、イエスの教えのその後の歪みは、福音著者達の概念がイエスがほんの短い時間だけ世界を離れていたという確信でに色付けされていることにある。彼が力と栄光で王国を樹立するためにすぐに戻るだろうということ—彼が、人間の姿で自分達と共にいる間に彼らが抱いていたようなちょうどそのような考え。しかし、イエスは、王国設立をこの世界への帰還の考えと繋ぎ合わせはしなかった。何世紀もが「新時代」の登場なくして過ぎていったということは、いかなる点においてもイエスの教えと調和している。
この説教に表現される大きな努力は、天の王国の概念を神の意志を行うという考えの理想に変換する試みであった。あるじは、長い間、「王国は来る。あなたの意志が為される。」と祈ることを追随者に教えた。そして、このとき、かれは、より実際的な同等な物、つまり神の意志の代用となるように神の王国という語の使用の断念を説得しようとした。しかし、成功しなかった。
イエスは、王国、王、臣下についての考えを、天の家族、天なる父、仲間への楽しく自発的な奉仕と父なる神への崇高かつ知的な崇拝に従事する神の解放された息子達の概念に置き換えることを望んでいた。
この時点までに、使徒は、王国に対して二つの観点を得ていた。かれらは、次のように考えた。
1. 真の信者の心にある個人の、そのときの経験の問題
2. 民族的であるか、あるいは世界現象の問題。王国は未来に存在し、楽しみとする何かであるということ。
かれらは、パン生地のパン種、またはカラシナの種の成長のようにゆるやかな変化として人の心の王国の接近を見た。かれらは、民族的、世界的意味における王国の到来は、突然、かつ壮観であると信じた。イエスは、天の王国が、精霊的な生活のより高い特質にいたる個人の経験であるということ、精霊的な経験のこれらの現実が、神性の確実性と永遠の壮大さの新しくより高い段階に次第に移されるということを使徒達に伝えることに決して飽きることはなかった。
この日の午後、あるじは、次の二局面を描写して王国の二重の特質の新概念を明確に教えた。
「第一に、現世の神の王国、神の意志を為すという最高の願望、倫理的かつ道徳的な行為の良い成果をもたらす人の寡欲な愛。
「第二に、天の神の王国、死すべき運命にある信者の目標、神への愛が完全にされる状態、そこで神の意志がより神らしくされる状態。」
イエスは、信仰により、いま信者が王国に入るということを教えた。かれは、様々な講話において王国への信仰の入り口への不可欠なの2つことがあることを教えた。
1. 信仰、誠意。幼子として来ること、贈り物として息子性の付与を受けること。問わずして、かつ父の叡知への完全な信用と本物の信頼をもって父の意志を為すことを承服すること。偏見と先入観をもたずに王国に入ること。甘やかされていない子供のように心を開いてよく教えをきくこと。
2.真実への切望。正義への熱望、心の変化、神に似ることと神を見つけることへの動機の獲得。
イエスは、罪が、欠陥ある性質の子ではなく、むしろ従順でない意志に支配されることを承知した心の子であると教えた。罪に関して、かれは、神が許したということを教えた。我々が、仲間を許す行為によってそのような許しを個人的に利用できるようにするということ。肉体の兄弟を許すことにより、自身の悪行に対して神の許しの現実の受容のために自身の魂に収容能力をつくる。
使徒ヨハネが、イエスの人生と教えについての話を書き始める頃には、初期のキリスト教徒は、迫害の育成者としての神の王国の思想との多くの問題を経験したので、用語の使用を大幅に諦めた。ヨハネは、「永遠の命」について多く語っている。イエスは、それについて「命の王国」としばしば言っていた。かれはまた頻繁に、あなたの内の神の王国」として言及した。イエスは、かつて「父なる神との家族の親交」としてそのような経験について話した。イエスは、王国の代わりに多くの用語を用いようとしたがいつもうまくいかなかった。他に使用した用語の中には、神の家族、父の意志、神の友人、信者の親交、人の兄弟愛、父の羊の群れ、神の子、信仰に厚い者の親交、父への奉仕、神の解放された息子などがあった。
だが、イエスは、王国思想の使用を逃れることができなかった。王国のこの概念が、永遠の命の信仰に変化の始まりは、急速に広がり、結晶化するキリスト教会が、その社会的、かつ制度的な局面を攻略したとき、50年以上も、すなわちローマ軍によるエルサレムの破壊後までなかった。
イエスは、使徒と弟子が、信仰を通じて、筆記者とパリサイ派の一部が非常に自惚れて世界に顕示した隷属的行為の正義を超える正義を身につけなければならないということを常々彼らに印象づけようとした。
イエスは、信仰が、純真で無邪気な信念が、王国の戸への鍵であることを教え、また、一旦その戸を入ったならば、信じるすべての子供が、神の強健な息子の最大限の背丈にまで成長するために昇らなければならない正義の進歩的な段階があるということを教えた。
神の許しを受ける手段を考慮に入れるとき、王国の正義の到達が明らかにされる。信仰は、神の家族へ入るために支払う代価である。しかし、許しは、信仰を参入料として受け入れる神の行為であり、王国の信者による神の許しの受領は、明白で実際の経験を伴い、次の4段階、つまり王国の内的正義の段階がある。
1. 神の許しは、人がその仲間を許す限りにおいて実際に得られ、個人的に経験される。
2. 人は、自分を愛するようにその仲間が好きでない限り、本当には彼等を許さないであろう。
3. このように、自分を愛するように隣人を愛することは、最も高い倫理である。
4. 道徳的行為は、真の正義は、こうして、そのような愛の自然の結果となる。
したがって、王国の真の、かつ内側の宗教は、絶えず、ますます社会奉仕の実際的な手段に現れる傾向があるということが明白である。イエスは、その信者が、愛からの奉仕行為に従事せずにはいられないような生ける宗教を教えた。だが、イエスは、倫理を宗教に代置しなかった。動因としての宗教と、結果としての倫理を教えた。
どんな行為の正義も、動機によって評価されなければならない。したがって、善の最高の形態は無意識である。イエスは、道徳、あるいは倫理といったものに決して関与しなかった。かれは、人に対する外向きの、そして情愛深い奉仕としてそれ自体が非常に確かに、そして直接現れる父なる神との内向きの、そして精霊的な親交に完全に関与した。かれは、王国の宗教は、人が自分の中に含むことのできない本物の個人の経験であること、信者の家族の一員である意識は、必然的に家族行為に関する教訓の実行、つまり、兄弟愛を高め拡大する努力において人の兄弟姉妹への奉仕に通じるということを教えた。
王国の宗教は、直接的であり個人的である。その実は、その結果は、家族的で社会的である。イエスは、共同体と対比しての個人の神聖さを高めることを決して怠らなかった。しかし、かれは、人が、寡欲な奉仕によってその性格を開発する、仲間との愛する関係において自分の道徳的な本質を繰り広げる、と認めもした。
イエスは、王国は内にあるという教えにより、個人を高めることにより、真の社会正義の新しい配剤の到来をもたらし、古い社会に致命的な打撃を与えた。世界は、天の王国の福音の原理を実践することを拒否したので、この社会この新しい秩序についてほとんど知らなかった。そして、精霊的な優越性のこの王国が、地球に出現するとき、それは、単なる改善された社会的、および物質的な状況で明らかにされるのではなく、むしろ、改善された人間関係と進歩する精霊的な達成の接近時代に特有の高められ豊かにされた精霊的な価値の栄光で表されるであろう。
イエスは、決してはっきりした王国の定義を与えなかった。一時は、王国の1局面について教え、別の機会には、人の心における神の支配の兄弟愛の異なる面について議論したのであった。イエスは、この安息日の午後の説教の中で少なくとも王国の5つの局面、または時代に言及したが、それらは次の通りであった。
1. 父なる神との個々の信者の親交の精霊的な生活における個人的で内なる経験。
2. 福音の信者の拡大する兄弟愛、個々の信者の心における神の精霊の支配からくる高められた道徳と速められた倫理の社会的局面。
3. 地球と天国において優勢である目に見えない精霊的な存在体の超必滅者の兄弟愛、神の超人的王国。
4. 神の意志のよる完全な遂行の見込み、改善された精霊的な生活に関する新しい社会秩序の夜明けに向けての前進—人間の次の時代。
5. 全てが満たされている王国、地球の光と命の将来の精霊的な時代。
それ故に、我々は、イエスが、用語天の王国を使用する際に参照しているかもしれないこれらの5つの局面を確かめるためにあるじの教えをいつも考察しなければならない。徐々に変化する人の意志のこの過程により、また、このように人間の決定に影響をおよぼすことにより、ミカエルとその仲間は、人間の発展、社会の発展、またはその他の発展の全過程を同様に徐々に、しかも確実に変えている。
あるじは、この時に王国の福音の基本的な特徴を表して次の5点を強調した。
1. 個人の優越性。
2. 人の経験における決定要因としての意志。
3. 父なる神との精霊的な親交。
4. 人への愛ある奉仕の最高の満足感。
5. 人間の人格における物質的なものに対する精霊的なものの超越
この世界では、イエスの天の王国の教義についてのこれらの豪快な考えと神の理想を決して真剣に、心からまたは正直に試したことがなかった。しかし、人は、ユランチアにおける王国の考えの明らかに遅い進展に落胆すべきではない。漸進的な進化の秩序は、物質と精霊の両方の世界における突然の、予想外の終期的な変化を免れないということを心しなさい。肉体を与えられた息子としてのイエスの贈与は、世界の精霊的な生活において、まさにそのように奇妙で予期されない出来事であった。また、王国の時代の実現を探すにあたり、自身の魂にその設立をしないという致命的な過ちを犯してはいけない。
イエスは、王国の1局面が未来にあると言って、そのような出来事が、世界危機の一部として現れるかもしれないということを数多くの機会に仄めかしたのであった。そしていつかユランチアに戻ると確かに、幾度も、はっきりと約束はしたが、イエスは、これらの2つの考えを決して明確には結びつけなかったということが、記録されなければならない。かれは、地上に、そして将来、新しい王国の顕示を約束した。また、かれは、自らがいつかこの世界に戻るとも約束した。しかし、これらの2回の出来事が同義であるとは言わなかった。我々が知る限りにおいて、これらの約束は、同じ出来事を示しているかもしれないし、そうではないかもしれない。
使徒と弟子は、これらの2つの教えを最も確かに結びつけた。彼らは、期待したようには王国が具体化しなかったとき、あるじの未来の王国に関する教えを思い出し、再び来るという約束を思い起こし、これらの約束が同じ出来事に言及しているという結論に飛びついた。したがって、その完全さと力と栄光で王国樹立のために、イエスの即座の再臨の望みに生きた。そして、後続の信じる世代も、奮い立たせはするが、期待はずれの同様の望みを抱いて地球で生きた。
天の王国に関するイエスの教えを纏めたことであり、我々には王国の概念に添付されたその後のある考えを述べること、来たる時代に発展するように王国の予言的な予測に従事することが許される。
キリスト教徒の宣伝の最初の世紀を通して、天の王国についての考えは、当時急速に普及していたギリシア理想主義の概念、精霊の影としての自然なものについての考え—永遠によって映し出された時の影としての時間の中の出来事—に非常に影響された。
しかし、ユダヤ人から非ユダヤ人の土へのイエスの教えの移植を印した大きな一歩は、王国の救世主が、教会、つまりパウーロスとその後継者の活動からなる、またフィロンの考えと善と悪に関するペルシアの教義によって補足されたようにイエスの教えに基づいた社会的な、そして宗教的な組織、の贖い主になったときであった。
王国の福音の教えに表現されるイエスの思想と理想は、追随者が徐々にイエスの表明を歪めたとき、もう少しで実現をし損なうところであった。あるじの王国の概念は、大いなる2つの趨勢により著しく変更された。
1. ユダヤ人の信者は、イエスを救世主と考えることに固執した。かれらは、イエスがすぐに戻り、実際に世界規模の、そして多少なりとも物質的な王国を樹立すると信じた。
2. 非ユダヤ人のキリスト教徒は、非常に早くパウーロスの教義を受け入れ始め、それは、イエスが教会の子供の贖い主、王国の純粋に精霊的な兄弟愛という初期の概念における新しい、制度上の後継者であるという一般的な信念にますます導いた。
教会は、王国の社会的な派生物であり、全く自然で望ましくさえあった。教会の悪は、その存在ではなく、むしろイエスの王国の概念にほぼ完全に取って代わったことであった。パウーロスの組織化された教会は、イエスが宣言した天の王国の事実上の代用品になった。
しかし、疑ってはいけない、あるじが信者の心に存在すると教えたこの同じ天の王国は、まだこのキリスト教会に向けて、さらには地球の他のすべての宗教、民族、国家に向けて—すべての個人にさえも—宣言されるということを。
イエスの教える王国、個々人の正義の精霊的な理想と神との人の神性的な親交の概念は、社会化された宗教共同体の贖い主-創造者としてのイエスそのものの神秘的な概念に徐々に浸透するようになった。このように、正式の、また制度上の教会は、個々人が王国の精霊に導かれる兄弟愛の代用品となった。
教会は、イエスの人生と教えからくる必然かつ有用な社会的結果であった。悲劇は、王国の教えへのこの社会的反応が、イエスがそれを教え、そして生きたように本当の王国の精霊的な概念をあまりにも完全に置換したという事実にあった。
王国は、ユダヤ人にとってはイスラエルの共同体であった。非ユダヤ人にとっては、キリスト教会となった。イエスにとっての王国は、神の父性に対する信仰を告白し、それにより神の意志への心からの専念を宣言し、その結果、人の精霊的な兄弟愛の構成員となった個人集団であった。
あるじは、特定の社会的な結果が、王国の福音の広がりの結果として世界に現れると完全に理解していた。しかし、かれは、そのようなすべての望ましい社会現象が、この個々の信者の内面の経験からの、すなわち、この純粋に精霊的な親交とすべてのそのような信者に宿り、また起動させる神性の精霊との交わりからの無意識の、かつ必然の派生物、すなわち自然な実として現れるように意図した。
イエスは、社会的組織が、または教会が、真の精霊的な王国の進展に続くということを予見しており、またそれは、彼が使徒によるヨハネの洗礼の儀式の実施に対し決して反対しなかった理由である。かれは、真実を愛する魂は、正義を、つまり神を渇望する者は、信仰によって精霊の王国入りが許されるということを教えた。同時に、使徒は、そのような信者が、洗礼の外向きの儀礼によって弟子の社会的な組織に入ることを認められるということを教えた。
イエスの直属の追随者が、個々の信者の精霊の支配と指導による人の心の王国の設立に関わるあるじの理想の実現を彼らの部分的な失敗に気づいたとき、かれらは、王国のあるじの理想を目に見える社会的組織、キリスト教会の段階的な創設に代えることにより彼の教えの完全な喪失の防止にかかった。そして、かれらは、一貫性を維持し、王国の事実に関するあるじの教えの認識への道を開くために、代替のこの計画を達成したとき、かれらは、王国の将来を思い描いた。それが確かに設立されるやいなや、教会は、王国が、本当にキリスト教時代の頂点に、キリストの再臨時に、実際に現れるのだと教え始めた。
このように、王国は、時代の概念、将来の天恵の思想、そしていと高きものの聖者の最終的な救済の理想になった。初期の キリスト教徒(並びに、後のあまりにも多くの者)は、概して王国についてのイエスの教えで具体化された父と息子の思想を見失い、そして、教会のよく組織された社会的な親交に置き換えた。教会は、概してこのように精霊的な兄弟愛のイエスの概念と理想を効果的に置換した社会的な兄弟愛の主たるものとなった。
イエスの理想的な概念は、大幅に失敗したが、あるじの個人の生涯と教えの基礎に立ち、ギリシアとペルシアの永遠の命の概念に補われ、また世俗的な出来事を精神性に対比させたフィロンの教義によって増大され、パウーロスは、ユランチアにかつて存在した中で最も進歩的な人間社会の1つを構築するために先に進んだ。
イエスの概念は、世界の高度な宗教の中に未だに生きている。パウーロスのキリスト教会は、イエスが天の王国がそうであることを意図したもの—そして、確かにこれからそうなるもの—の社会的にされた、また人間化された影である。パウーロスとその後継者は、永遠の命の問題を個人から教会へと部分的に移し換えた。キリストは、このように王国の父の家族の個々の信者の兄であるよりも、むしろ教会の代表となった。パウーロスとその同時代人は、彼自身と個々の信者全員に関してイエスの精霊的な含意を信者集団としての教会に適用した。こうすることにより、かれらは、個々の信者の心にある神性の王国のイエスの概念に致命的な打撃を与えた。
そして何世紀もの間キリスト教会は、王国のそれらの神秘的な力と特権、つまりイエスとその精霊的な信者である同胞の間だけで行使し、経験することのできる力と特権を敢えて主張したので、相当の困難に苦しんだ。そして、このように教会の会員資格が必ずしも王国での親交を意味するという訳ではないことが、明らかになる。一方は精霊的であり、他方は主に社会的である。
遅かれ早かれ、別のより偉大な洗礼者ヨハネが、「神の王国は近い」—王国は、信者の心で支配し卓越している天なる父の意志であると宣言したイエスの高い精霊的な概念への復帰を意味する—を宣言しに、そして、目に見える地上の教会、若しくは、キリストの予想された再臨にどんな形であれ言及することなくこのすべてをしに立ち上がるはずである。イエスの実際の教えの復活が、つまりミカエルの地球滞在の事実に関わる信念についての社会哲学の体系を作成しようと行ったイエスの初期の追随者の仕事を元に戻すような言い直しが、なされなければならない。まもなく、イエスについてこの話の教えは、イエスの王国の福音の説教にもう少しで取って代わるところであった。このように歴史的宗教は、イエスが人の最高の道徳的な考えと精霊的な理想を未来—永遠の命—のために、人の最も崇高な望みと混ぜ合わせた教えを置き換えた。そして、それは、王国の福音であった。
イエスの福音が非常に多面的であったことから、イエスの教えに関する記録の学習者達が、数世紀の内に非常に多くの宗派と党派に分裂されるようになったことは、当然である。キリスト教徒のこの嘆かわしい細分化は、彼の無類の人生の神性の同一性をあるじの多様性をもつ教えを認識することへの怠慢から生じる。しかし、いつか、不信心者の前にあって、イエスの本物の信者の態度は、このように精霊的に分かれないであろう。常に、我々には知的な理解と解釈の多様性が、程度の異なる社会化さえ、あるかもしれないが、精霊的な兄弟愛の欠如は、許し難く非難すべきである。
誤ってはいけない。考える人の心には永遠に実を結ばないままでいるということを許さない不朽の性情があると、イエスの教えの中にはある。イエスが発想したような王国は、地球では大部分が失敗をした。しばらくの間、外向きの教会がそれに取って代わった。しかし、この教会は、妨害された精霊の王国の幼虫の時期であり、それは、この物質的な時代を通して、そしてあるじの教えが発展のためのより最大限の機会を得ることのできるより精霊的な配剤へと運ぶであろうということを理解すべきである。このようにして、いわゆるキリスト教会は、イエスの概念の王国が、今眠る繭になっているのである。神性の兄弟愛の王国は、まだ生きており、ついには、そして確かに、この長い潜航から出現するであろう。まるで蝶が、その変成の発展のそれほど魅力的でない生物から美しく展開する物としてついに羽化するのと同じほど確実に。
「天の王国」についての忘れ難い説教の翌々日、イエスは、自分と使徒が、途中南ペライアの多くの都市を訪問しながらエルサレムの過ぎ越しに向けてその翌日出発すると発表した。
王国についての講演と過ぎ越しに行く予定であるという発表は、イエスが、この世の王国でのユダヤ人主権の座に就くためにエルサレムまで行くのであると全ての追随者に思わせた。イエスが王国の非物質性に関して何を言っても、かれは、救世主がエルサレムに本部を置く何らかの国家主義的な政府を設立するという考えをユダヤ人の聴衆の心から完全に取り除くことはできなかった。
イエスが安息日の説教で言ったことは、追随者の大半を混乱気味にしたに過ぎなかった。ほんの僅かな者が、あるじの講話に啓発された。指導者達は、内面の王国に関する教え、「人の内にある天の王国」について何かを理解し、同時に、イエスがもう一つのことと未来の王国について話したことも分かっており、これこそが、彼がエルサレムにその時設立しに行くと彼等が思い込んだこの王国であった。かれらは、この期待に失望したとき、イエスがユダヤ人に拒絶されたとき、そして後にエルサレムが文字通り破壊されたとき、あるじが約束された王国設立のために偉大な力と威厳ある栄光でこの世界にすぐ戻ると心から思い、まだこの望みに固執していた。
ジェームスとヨハネ・ゼベダイオスの母サロメが、東洋の主権者に近づくように、使徒である2人の息子と共にイエスのところに行き、自分のどんな要求も予めイエスに承諾させようとしたのは、この日曜日の午後であった。しかし、あるじは約束しようとはせず、その代わりに、「私に何をしろと言うのですか」と彼女に尋ねた。その時、サロメは、「あるじさま、あなたが王国を築きにエルサレムに行く予定なので、一人はあなたの右側に座らせ、もう一人は、あなたの左側に座らせ息子達が光栄を浴するよう前もっての約束をお願したいのです。」と答えた。
サロメの要求を聞くと、イエスは「ご婦人、あなたには自分の尋ねていることが分かっていない。」と言った。それから、栄誉を求める2人の使徒の目を真っ直ぐに見つめて言った。「私が長い間君達を知り愛しもしてきたから、私が君達の母の家に住みさえしたから、アンドレアスがいつも私といるように君を選任してきたから、それゆえ君達は、母が秘かにこの見苦しい要求をしに私のところに来ることを承知するのか。だが、尋ねさせてくれ。君達は、私が飲みほそうとしている杯を飲みほすことができるのか。」と訊いた。そして、考える時間も取らずに、ジェームスとヨハネは、「はい、あるじさま、できます。」と答えた。イエスは、言った。「我々がエルサレムに行く理由を、君達が理解しないことは、嘆かわしい。私の王国の本質を理解しないのが悲しい。私にこの要求をする母を連れて来るということに失望している。しかし、私は、君達が心で私を愛していることを知っている。だから、君達が、本当に、私の苦い杯を飲んで、私の屈辱を共有するだろうと断言するが、私の右側と左側に座るということは私の与えるものではない。そのような名誉は、私の父に指定された者達のために予約されている。」
この時までには、誰かがペトロスと他の使徒にこの会合の内容を伝えており、かれらは、ジェームスとヨハネが皆の中から二人を抜擢させようとしていること、またそのような要求をしに秘かに母と行ったことに非常に憤慨していた。彼らが論議を始めると、イエスは皆を一斉に呼んで言った。「君達は、非ユダヤ人の支配者達がいかに臣下に威張っているか、また、偉大である者達がいかに権限を行使するかをよく理解している。しかしながら、天の王国ではそうはならない。誰であろうと君達の中で素晴らしい者をまず君達の使用人とさせなさい。最初に王国入りする者を君達の奉仕者にさせなさい。人の子は、奉仕されるためにではなく奉仕するために来た、そして、私は今、父の意志を為すために、同胞への奉仕のために命を捨てにエルサレムに行くということをきっぱりと言う。」これらの言葉を聞くと、使徒は、祈るために退いた。その晩、ペトロスの努力に応え、ジェームスとヨハネは、10人に相応しい謝罪をし、歓心を買った。
ゼベダイオスの息子等は、エルサレムでのイエスの右側と左側の場所を求めた際、最愛の師が、片側には死にかかっている泥棒、その反対側にはもう一人の罪人と一緒に1カ月足らずのうちにローマ人の十字架に掛かるとは少しも知らなかった。そして、磔刑の際その場にいた彼らの母は、使徒である息子達の栄誉をそれほどまで浅はかに求め、ペラでイエスにした愚かな要求をまざまざと思い出した。
3月13日、月曜日の午前、イエスと12人の使徒は、ペラ合宿所から最終的に撤退をし、アブネーの仲間が働いている南ペライアの街々へと向かった。かれらは、70人を訪問して2週間以上を過ごし、それから過ぎ越しのために直接エルサレムに行った。
あるじがペラを経つとき、使徒と共に宿営したほぼ1,000人にのぼる弟子が後を追った。この集団のおよそ半分は、イエスがヘシュボンに戻ろうとしているところだと知り、また彼の「費用の計算」の説教の後に、イェリーホへの路上のヨルダンの浅瀬でイエスのもとを去った。かれらは、エルサレムへと進み、他の半分は、南ペライアの町を訪問して2週間イエスについていった。
一般的にイエスの直属の追随者の大多数は、ペラの宿営が放棄されたことを理解したが、これは、あるじがエルサレムに行き、遂にダーヴィドの王座を主張するつもりであることを意味すると本当に思った。追随者の大部分は、天の王国のいかなる他の概念も決して理解することができなかった。イエスが彼等に何を教えようとも、かれらは、王国に関するのこのユダヤ人の考えを諦めようとはしなかった。
ダーヴィド・ゼベダイオスは、使徒アンドレアスの指示に基づき、3月15日、水曜日にペラの訪問者用の宿営を閉鎖した。このとき、およそ4,000人の訪問者が居住しており、これは、教師用として知られている合宿所に使徒と寄留し、イエスと12人と共に南に向かった1,000を越える人数を含んではいない。ダーヴィドは、そうすることは大いに嫌ったが、全装備を大勢の買い手に販売し、エルサレムに資金を持参し、次いでユダ・イスカリオテに金を引き渡した。
ダーヴィドは、悲惨な最後の週エルサレムにおり、磔刑後には母をベスサイダに連れ帰った。ダーヴィドは、イエスと使徒を待つ間、ベサニアのラーザロスの所に寄り、パリサイ派が、ラーザロスの復活以来、彼を虐げ、悩ましはじめた様子にひどく興奮した。アンドレアスは、使者の活動を中止するようにダーヴィドに指示した。そして、これは、初期のエルサレムの王国設立の徴候として全ての者に解釈された。ダーヴィドは、仕事をなくしたように感じるとともに、義憤で気遣いを向けている対象者が、やがてフィラデルフィアに急いで逃げたときには、自薦のラーザロスの擁護人になろうと決断するところであった。従って、復活後のいつか、それと母の死後に、かれは、マールサとマリアの不動産の処分をまず援助した後、フィラデルフィアへ行った。そして、そこで、アブネーとラーザロスとともに、かれは、アブネーの生涯の間、彼等のフィラデルフィアでの中心であった王国の彼らの大きな全関心事である財政的監督者になり、残りの人生を過ごした。
フィラデルフィアは、エルサレム破壊後の短期間にアブネーの天の王国の拠点のままであり、アンチオケは、パウーロスのキリスト教本部になった。アンチオケからのイエスの教えとイエスについてのパウーロスの解釈は、全西洋世界へと広がった。イエスの教えに関して妥協しないこれらの使者がのちにイスラム教の急騰に打ちひしがれるまで、フィラデルフィアからの天の王国に関するアブネーの解釈の伝道は、メソポタミアとアラビア中で広まった。
イエスとおよそ1,000人の追随者の一団が、ヨルダン川の、時にはベサバラと呼ばれたベサニアの浅瀬に到着したとき、イエスは、直接エルサレムには行かないのだと弟子達は理解し始めた。皆が躊躇い議論している一方で、イエスは、巨大な石に登り「費用の計算」として知られるようになったその講話をした。あるじは言った。
「これからずっと私について来ようとする者は、私の父の意志への心からの献身という代価を支払う気がなければならない。私の弟子であろうとするならば、父、母、妻、子、兄弟、姉妹を見捨る気がなければならない。今君達の誰か1人が私の弟子であろうとするならば、ちょうど人の息子が、地球で、しかも生身で父の意志を為す任務達成のためにその命を捧げようとしているように、君達も喜んで命を諦める気がなければならない。
価格通りの支払いを望まないならば、私の弟子ではあり得ない。君が先に進む前に、それぞれが座って私の弟子であることの費用を計算すべきである。君達の中の誰が、まず座って、遂行するに足りる金があるかどうか費用の算定をすることなく、見張り搭の建設を引き受けようとするであろうか。費用の計算をこのようにし損ねたならば、基礎を築いた後に、君は、始めてしまったことを終えることができないと分るかもしれない、そこで、すべての隣人が君を馬鹿にして、『見ろ、この男は、建て始めたが、その仕事を終えることができなかった。』と言う。また、他の王と戦いを交えようとするとき、どんな王が、まず座り、1万人で2万人を迎え撃つことができるかどうか考えないことがあろうか。もし見込みがなければ、その王は、講和を求めてかなり遠方であってもこの相手の王へ使者を遣わす。
「さて、そこで、君達銘々は、座って私の弟子である費用を見積もらなければならない。今後、君は、我々の後について来て、教えを聴き、また働きを見ることはできないであろう。君は、辛い迫害に直面し、この福音が大きな失望に対峙する時、福音のために有利に証言することを要求されるであろう。君であることをすべて放棄し、君が持てる物すべてを捧げる気がないならば、その時、君は、私の弟子には相応しくない。すでに君自身の心の中で自分を征服したのであるならば、人の息子が、祭司長等とサッヅカイオス派に拒絶され、嘲る不信仰な者達の手に渡されるとき、君は、やがて獲得しなければならないその表面的な勝利のためにいかなる恐怖も抱く必要はない。
「今、君は、私の弟子であるための動機を見つけるために自身を考査すべきである。名誉と栄光を求めるならば、俗物的な心でいるならば、君は、その味を失ってしまった塩のようである。そして、その塩気のために評価される物が、その味を失ったとき、何によって味が取り戻されるのであろうか。そのような調味料は役に立たない。それは、ただ廃物の中に捨てられるのが相応しい。準備されている杯を共に飲み乾す気がないならば、私は、静かに家に戻るように君にいま警告した。私は、再三、私の王国はこの世界のものではないと言ってきたが、君は私を信じようとしない。聞く耳を持つ者に、私の言うことを聞かせなさい。」
これらの言葉を言い渡した直後、イエスは、12人を導き、ヘシュボンへと出発し、そして、およそ500人が後に続いた。少し遅れて、群衆の残りの半分が、エルサレムへと進んだ。イエスの使徒は、主だった弟子と共に、これらの言葉について多く考えてみたが、それでも、自分達のかねての望みに沿って、逆境と試練の短い期間の後に王国が幾らかなりとも確かに設立されるであろうという信念に執着していた。
2週間以上も数百人の弟子の群れが後に続いているイエスと12人は、70人が勤労した全ての町を訪問し、南ペライア周辺を旅した。多くの非ユダヤ人がこの一帯に住んでおり、エルサレムの過ぎ越しには僅かの者しか上京しなかったので、王国の使者は、早速自分達の教えと説教の仕事を続けた。
イエスは、アブネーにヘシュボンで会い、アンドレアスは、70人の仕事が過ぎ越しによって中断されてはならないと指示した。イエスは、使者がエルサレムで起ころうとしていることを度外視して、その仕事を進めるべきであると忠告した。また、少なくとも女性部隊が、望んでいるのであれば、過ぎ越しにエルサレムに行くことを許諾するようにアブネーに助言した。そして、これは、アブネーが肉体のイエスを見た最後の機会であった。アブネーへのイエスの送別は、次の通りであった。「息子よ、君は、王国に忠実であるということが私には分かっている。また、君が同胞を愛し、理解できるように賢明さを授けるように、私は父にお祈りする。」
都市から都市を旅するにつれ、追随者の多くがエルサレムへ行くために逸脱したので、後に続く者達の数は、日を追うにつれイエスが過ぎ越しに向かう頃には、200人足らずに減少していった。
使徒は、イエスが過ぎ越しのためにエルサレムに行くつもりであると理解した。かれらは、イエスには死の判決が下されており、シネヅリオン派が、その居所を知る者は誰でもシネヅリオン派に通報しなければならないとイスラエル中に触れ回っていることを知っていた。それでも、かれらはこういう事態にもかかわらず、イエスが、ラーザロスに会いにベサニアに行く予定であるとフィラデルフィアで皆に知らせた時ほどには、驚き気遣ってはいなかった。激しい恐怖から静かな期待の状態へのこの態度の変化は、主としてラザロの復活に依るものであった。かれらは、イエスが、非常時に際し、その神性の力を主張し、敵に恥をかかせるかもしれないという結論に達した。この望み、あるじの精霊的至高性に対する彼等のより深遠で成熟した信仰に結びつくこの望みは、イエスが死ななければならないというシネヅリオン派のおおっぴらな宣言をものともせず、イエスに続いてエルサレムに行く準備ができている直属の追随者の示した表向きの勇気を明らかにした。
使徒の大半と弟子の多くは、イエスが死ぬことはあり得ないと信じた。イエスが「復活と命」であると信じ、イエスが不滅であり、すでに死に対して勝利を収めていると考えた。
3月29日、水曜日の夕方、南ペライアの都市の巡歴終了後、イエスと追随者は、エルサレムへの途中のリーヴィアスで露営した。シーモン・ゼローテースとシーモン・ペトロスが、自分達の居場所で100本を超える剣を納めさせることを企て、これらの武器を受け取り、外套の下に隠しもつことを承諾する者全てに配布したのは、リーヴィアスでのこの夜のことであった。シーモン・ペトロスは、あるじへの裏切りの夜、庭で自分の剣をまだ差していた。
木曜日の朝、他の者が目覚める前に、イエスは、アンドレアスを呼んで言った。「同胞を起こしなさい。皆に言うことがある。」イエスは、剣のことと、使徒のうちの誰が、これらの武器を受け取り身につけているかを知っていたが、皆にそのようなことを知っているとは決して明らかにしなかった。アンドレアスが仲間を起こし、自分達だけで集合すると、イエスが言った。「私の子等よ、君達は長い間私と共におり、そして、このときのために必要な多くを教えてきたが、私は、我々の前に横たわる苦しみと試練に対する肉体の不確実性や人の防御の脆さのいずれをも信用することのないようにいま警告したい。我々は、エルサレムに歩み寄ろうとするところであり、そこで人の子はすでに死を言い渡されたということを君達は知っているということをもう一度はっきり伝えるために, 私は、君達をここに単独に呼んだのである。私は、人の息子は、祭司長達と宗教支配者達の手に引き渡されるということ、そしてかれらは、彼を非難して、それから非ユダヤ人の手に引き渡すということを再度君達に伝えているのである。そして、彼らも人の息子を嘲り、唾を吐きかけたり、鞭で打ちさえし、その上、死に至らせるために引き渡すであろう。そして、彼らが人の息子を殺すとき、うろたえてはいけない。3日目には人の息子は立ち上がるのであるから。自分自身に気をつけて、私が前もって警告したことを思い出しなさい。」
またもや、たいへん驚愕する使徒であった。しかし、かれらは、イエスの言葉は文字通りであると考える気にならなかった。かれらは、あるじが言ったままを意味したとは理解できなかった。かれらは、本部がエルサレムにある地球の俗世間の王国への持続的な信念に目をくらまされていたので、イエスの言葉を文字通りであると受け入れることが、ただ単にできなかった—しようとしなかった。かれらは、あるじが、そのような奇妙な発表によって意味することは何であるのかとその日一日中よく考えた。しかし、誰もこの声明に関する質問を敢えてしなかった。これらのうろたえている使徒は、あるじが、自分の磔刑の予想を明らかに、直接自分達に話したという認識をあるじの死後まで気づけなかった。
朝食の直後、ある好意的なパリサイ派の者達が、イエスのところに来て次のように言ったのは、ここリーヴィアスであった。「これらの地域から急いで逃げてください。ヘロデが、ちょうどヨハネを探したように、今あなたを殺すために探していますので。かれは、人々の暴動を恐れ、あなたを殺すと決めました。我々はあなたが逃げられるようにこの警告をしに来たのです。」
そして、これは部分的に本当であった。ラーザロスの復活がヘロデを恐れさせ、警戒させ、その上シネヅリオン派が、裁判に先立ってさえ敢えてイエスの有罪判決を下したことを知ったので、ヘロデは、イエスを殺すか、さもなければ、自己の領土から追い出すと決心した。ヘロデは、死刑を強要されないことを望むほどにイエスをとても恐れていたので実のところ後者の執行を望んでいた。
イエスは、パリサイ派が言いたかったことを聞くと、答えた。「私には、ヘロデとこの王国の福音についてのヘロデの恐怖がよく分かっている。だが、誤ってはいけない。ヘロデは、人の息子がエルサレムに行き苦しみ、司祭長達の手にかかり死ぬ方をはるかに好むであろう。かれは、ヨハネの血ですでに自分の手を汚しているので、人の息子の死を引き受けることになっても心配はしていない。人の息子は、今日はペライアで説き、明日はユダヤに行き、数日後には地球での任務を果たし父のところへと昇る準備がされているとあのキツネのところに行って伝えなさい。」
次に使徒の方に向いて、イエスは言った。「昔から、予言者達は、エルサレムで死んだ。だから、人の息子が、人間の偏狭の代価として、また、宗教的な偏見と精霊的な盲目の結果として提供されるために父の家のある都へと行くことだげが相応しいのである。ああ、 エルサレム、予言者達を殺し、真実の教師達に投石をするエルサレムよ。ちょうど雌鳥がその翼の下に自分の雛を集めるように、私は、幾たびあなたの子供達を集めようとしてきたことか。だが、あなたは、そうさせようとはしない。見よ、あなたの家は荒れて見る影もなくなろうとしている。あなたは、私に何度も会いたがるであろうが、そうはならないであろう。それから、私を探そうとするが、見つからないであろう。」イエスは、話し終えると、自分の周りにいる者に向いて言った。「それでも、我々は、エルサレムに行き過ぎ越しに出席し、天の父の意志を実現するに相応しいことをしよう。」
この日イエスの後についてイェリーホに入った信者集団は、混乱してうろたえた。使徒は、王国に関するイエスの宣言に最終的な勝利の確かな響きしか認めることができなかった。かれらは、差し迫る挫折の警告を勇気をもって理解するその位置に自分たちを導くことができなかった。イエスが「3日目によみがえること」について話したとき、かれらは、ユダヤ人の宗教指導者との不快な前哨戦の直後の王国の確かな勝利を意味するとしてこの声明に飛びついた。「3日目」とは、「やがて」、または、「その後すぐに」を意味するユダヤ人の一般的表現であった。イエスが「よみがえりり」について話したとき、かれらは、「王国の勃興」について言及していると考えた。
イエスは、これらの信者に救世主として受け入れられており、しかもユダヤ人は、苦しむ救世主に関してはあまり、または何も知らないのであった。かれらは、イエスがその人生によって一度も実現されたことがない多くのことを彼の死によって達成しようとしていることを理解しなかった。使徒にエルサレム入りの力をつけたのは、ラーザロスの復活であったが、贈与のこの試練の期間にあるじを支えたのは、変容の記憶であった。
3月30日木曜日の午後遅く、およそ200人の追随者の一隊の先頭にいたイエスと使徒は、イェリーホの壁に接近していた。街の入口近くに来たとき、かれらは、青年時代から盲目であった年配の男性バーティマイオスという者のいる乞食の群集に遭遇した。この盲目の乞食は、イエスについて多くを聞いており、エルサレムで盲目のヨシアを回復させたことも全て知っていた。ベサニアに進むまで、かれは、イェリーホへのイエスの最後の訪問を知らなかった。バーティマイオスは、視力回復を訴えることなく、イエスのイェリーホ訪問は、決して二度とないと決め込んでいた。
イエスの到来に関する知らせは、イェリーホ中で先ぶれされ、何百人もの住民が、彼に会うために群がってきた。この大群衆があるじを護衛して街へ戻ったとき、群衆の踏みつける重い音を聞きつけ、バーティマイオスには、何かいつもと違うことが起こっているのが分かり、近くに立っている者達に何が起こっているのか尋ねた。すると乞食の一人が、「ナザレのイエスが通っている。」と答えた。バーティマイオスは、イエスが近いと聞くと、「イエスさま、イエスさま、私に慈悲をお示しください。」と大声で叫び始めた。そして、ますます大声で叫び続けると、イエスの近くにいる者のうち何人かがこの男のところに行き咎め、静かにするよう求めた。しかし、それは無駄であった。男は、いよいよ大声で叫ぶのであった。
盲人が大声で叫んでいるのを聞いた時、イエスは、じっと立っていた。そして、この男性を見ると、男性の友人達に、「私のところに連れてきなさい。」と言った。そこで、かれらは、バーティマイオスのところに行き、「元気を出しなさい。あるじさまが、君を呼んでいるので一緒に来なさい。」と言った。バーティマイオスが、これらの言葉を聞くと、かれは、外套を脇へ投げ捨てて、道路の真ん中に向かって跳び出して行き、その間、近くの人々は、彼をイエスの方へ誘導していた。イエスは、バーティマイオスに話し掛け、「私に何をして欲しいのですか。」と言った。すると、この盲目の男性は、「私の視力を回復させてもらいたいのです」と答えた。イエスがこの要求を聞きつけ、またその信仰が分かると、「あなたの視力は、回復するであろう。行きなさい。あなたの信仰があなたを回復させた。」と言った。すぐにかれは、視力を回復し、あるじが、翌日エルサレムに出発するまで神を賛美してイエスの近くに留まり、そして群衆の前に行き、イェリーホでいかに視力を回復したかをすべての人に発表した。
あるじの一行がイェリーホに入ったのは日没近くであり、かれは、夜そこに留まるつもりであった。イエスが税関のそばを通っていると、収税人または収税史の長ザカイオスが、たまたま居合わせており、かれは、非常にイエスに会いたいと望んだ。この収税史の長は、非常に裕福で、ガリラヤのこの予言者について多くを聞いていた。かれは、イエスが、次にイェリーホを訪れるようなことがあれば、どんな人間であるか知りたいと心に決めていた。従って、ザカイオスは、群衆を押し分けて進もうとしたが、それは強すぎて、しかも、かれは、身長が低く、人々の頭越しに見ることはできなかった。そこで収税史の長は、自分の住んでいるところから遠くない街の中心近くに来るまで群衆と後を追い続けた。かれは、群衆の中に入り込むことができないことが分かると、併せてイエスが止まることなくただ街を通り抜けて行くだけかもしれないと考え、先を走り、道路の上に覆いかぶさって広がる無花果の木に登った。ザカイオスは、この方法だとあるじが通り過ぎるときよい見通しが得られることを知っていた。そして、ザカイオスは、失望することはなかった、というのも、イエスは、通り過ぎるようとするとき、止まってザカイオスを見上げて言ったので。「急ぎなさい、ザカイオス。私は、今夜あなたの家に泊まらなければならないので下りてきなさい。」ザカイオスは、これらの驚くべき言葉を聞いたとき、木から速く下りようとして危うく落ちそうになり、そしてイエスのところに行き、あるじが家に進んで止まることを望んでいるということに大喜びであると述べた。
かれらは、すぐにザカイオスの家に行き、また、イェリーホに住む人々は、イエスが、収税史長と留まることに同意しようとすることに非常に驚いた。あるじと使徒が、ザカイオスと家の戸の前に佇んでいる時でさえ、近くに立っていたイェリーホのパリサイ派の一人は、「見よ、この男は、罪人であり、つまり自分の民族のゆすり屋であるアブラーハームの信仰を捨てた息子の家に宿を取るために行った。」と言った。イエスは、これを聞くとザカイオスを見下ろして微笑んだ。その時に、ザカイオスは、腰掛けに立って言った。「イェリーホの人々よ、聞きなさい。私は、収税史で罪人であるかもしれないが、偉大な先生が来られ私の家に滞留される。先生が入られる前に言っておきます。私は、明日から、私の全所有物の半分を貧者に与えるつもりであると。もしどんな人からでも不当に取り立てたならば、4倍にして返すつもりであると。私は、真心をもって救済を求め、神の目からみた正義を行うことを学ぶつもりです。」
ザカイオスが話すのを止めると、イエスは言った。「今日、この家には救済が起こり、あなたは、本当にアブラーハームの息子になった。」それから、自分達の周りに集まった群衆の方に言った。「私の言うことに驚いたり、私のすることに腹を立てることのないように、なぜならば、私は、人の息子は、失われたものを探し、また救うために来たのであるとずっと宣言してきたのであるから。」
かれらは、その夜ザカイオスの家に宿泊した。翌日彼らは、起き、エルサレムの過ぎ越しの道中をベサニアへの「強盗街道」を進んでいった。
イエスは、行く先々で人々の間に陽気さを広めた。かれは、恵みと真実に溢れていた。仲間は、イエスの口から発し続けられる優しい言葉に驚かされ続けた。人は、優雅さを教化することはできるが、慈悲深さは、愛で飽和した魂から発する友情の芳香である。
善は、常に敬意を強要するが、優しさに欠けると、それは、しばしば愛情をはね返す。善は、遍く優しさを伴うときにだけ魅力的である。善は、魅力的であるときにのみ効果的である。
イエスは、本当に人間を理解した。したがって、本物の慈悲を表すことができたし、心からの同情を示すことができた。しかし、滅多に哀れみにふけることはなかった。イエスの慈悲に限りはなかったが、その同情は、実際的で、個人的で、建設的であった。苦しみへの慣れは、イエスに決して無関心を起こさせなかったし、かれは、自己憐憫を増加させることなく苦悩する魂を助けることができた。
イエスは、誠に心から人々を愛したので、とても多くの人を助けることができた。かれは、実に、一人一人の男性を、一人一人の女性を、一人一人の子供を愛した。かれは、際立つ洞察力をもつ—人の感情や心に何が起こっているかを完全に知っていた—が故に、そのように本当の友人であり得た。イエスは、関心をもつ鋭い観察者であった。かれは、人間の必要性の理解の専門家であった。かれは、人間の切望の探知において聡かった。
イエスは、決して急がなかった。「通り過ぎるとき」彼には仲間を慰める時間があった。また、かれは、友人をつねに安心させた。かれは、人を惹きつける聞き手であった。かれは、決して仲間の魂のお節介な探りに関わらなかった。彼が、飢える心を慰め、渇きを覚える魂を導くとき、イエスの慈悲の享受者は、彼に告白しているとはあまり感じることなく相談しているように感じた。自分達をとても信じているのが分かったので、かれらは、イエスを限りなく信用していた。
かれは、人々に関して決して物見高くは見えなかったし、人に指示したり、管理したり、または絶えず注意しているという願望を決して表さなかった。かれは、彼との交際を楽しむ全ての者に深い自信と確固たる勇気を起こさせた。イエスが、人に好意をもって微笑むとき、その人間は、彼の多種多様の問題を解決する大いなる器量を経験した。
イエスは、非常に、また大変賢明に多くの人を愛していたので、情況が要求する際、彼らに対して厳しい規律を決して躊躇わないほどであった。かれは、自分が助けを求めることによって、頻繁に人を助けようとした。このように、かれは、興味を刺激した、つまり人間の資質にある善なるものに訴えかけた。
あるじは、自分の衣の裾に触ることによって治癒を求めた女性の甚だしい迷信に対する救済の信仰を見分けることができた。たった1人の必要性に、幼子の必要性にさえ、奉仕するためにいつでも説教を止めるか、または群衆を止め置く用意があったし、そう望んでいた。すばらしい事が起きたのは、単に人々がイエスを信じたからではなく、イエスもまた非常に彼らを信じたからである。
イエスの言動の大部分の本当に重要なことは、「通り過ぎるときに」偶然起こるように見えた。あるじの地球での活動は、それほど専門的であったり、よく計画されたり、または意図的なものではなかった。かれは、生涯を通しての旅において、自然に親切に健康を施し、幸福を振り撒いた。「彼は善行をして回った」というのは文字通り本当であった。
そして、あるじの追随者が、「通り過ぎる」ときに奉仕をすること—日々の義務に取り組むような寡欲な善行をすること—を、すべての時代に学ぶことが相応しい。
その前夜、イエスがザカイオスとその家族に王国の福音を教える一方で、皆は遅くまで起きていたので、かれらは、正午近くまでイェリーホを出発しなかった。群衆は、イエスと使徒達がその夜オリーヴ山に留まるつもりであることを知らずにエルサレムへと移動の最中、イエスの一行は、ベサニアへの上り坂の半ば辺りで昼食のために止まった。
ポンドについての寓話は、全ての弟子のためにだけ意図されたタラントについての寓話とは異なり、むしろ使徒だけに向けて話され、また主には、アーヘラオスの経験とユダヤ王国の支配権獲得のためのアーヘラオスの空しい試みに基づいていた。これは、実際の歴史上の人物に基づく数少ないあるじによる寓話の1つである。イェリーホのザカイオスの家は、アーヘラオスの凝った宮殿のほど近くにあり、アーヘラオスの水路は、皆がイェリーホから出発した道路沿いに走っていたのであるから、皆がアーヘラオスを気にとめたということは、奇妙なことではなかった。
イエスは言った。「君は、王国を受けるために人の息子がエルサレムに行くと考えているが、君は失望の運命にあると断言しておく。ある王子が王国を受領しに遠国に入ったが、彼が帰国するまえに、心でこの王子をすでに拒絶しているその領域の民等は、使節を遣わせ、『この男に我々を治めさせはしない。』といわれたある王子を覚えているか。この王の現世の支配が拒絶されたように、人の息子の精霊的な支配が拒絶されようとしている。再度、私は、我が王国がこの世のものではないと断言する。しかし、人の息子が彼の民族の精霊的な支配を授けられていたならば、彼はそのような人の魂の王国を受け入れたであろうし、人間の心のそのような統治権に君臨したことであろうに。人々は、私の精霊的な支配を拒絶しているにもかかわらず、私は、再び戻り来て、いま私が支配することを否定しているそのような精霊の王国を他のものから受けるつもりである。君は、いま人の息子が現在拒絶されるのを見るが、別の時代においては、アブラーハームの子孫が現在拒絶していることが、受け入れられ、高められるであろう。
「さて、この寓話の拒絶された貴族のように、私は、私の12人の奉仕者、特別な執事を呼び、1ポンドをそれぞれの手に与えたい。私が戻って君達の決算報告が要求されるとき、君の執事職を正当化できるように私の留守中、信託資金で勤勉に取り引きするように、との私の指示によく気を留めることを言い渡したい。
「そして、この拒絶された息子が戻らなくても、別の息子が、この王国を受け取るために送られるであろうし、それからこの息子は、執事職の君の報告を受け、君の利得を喜ぶために君達全員を呼びにやるであろう。
「そして、これらの執事が後に会計のために共に呼び集められると、最初の者が進み出て、『ご主人さま、あなたのお金でさらに10ポンドを稼ぎました。』と言うと、『でかした、 お前は、良い使用人である。この件で忠実であると分かったので10の町を支配させよう。』と言った。2番目の者が来て、『お預りしましたお金で、ご主人さま、5ポンドを稼ぎました。』と言うと、『それならば、5つの町を支配させよう。』と言った。最後の使用人が説明のために召喚され報告するまでずっとこういう具合であった。最後の使用人は、『ご主人さま、これが、あなたのお金でございます。このふくさに大切に包んでおきました。このようにしましたのも、私はあなたを恐れたからでございます。私は、あなたが置かない所で拾い上げたり、撒かない場所で収穫しようとされるのを見てきて、あなたが道理を弁えないと思ったからです。』と報告した。主人は、『この怠慢で不誠実な使用人、お前自身の言葉通りに裁こう。お前は、私が明らかに撒かない場所で収穫するというのを知っていた。ならば、この決算が求められることを知っていた。これを知っていたのなら、私が戻って来たときにそれなりの利子が得られるように、私の金を少なくとも金融業者に預けるべきであった。」と言った。
それから、この支配者は、側に立つ者達に言った。『この怠惰な使用人から金を取り上げ、10ポンドを持つ者に与えなさい。』皆が、そんな者には既に10ポンドがあることをあるじに念を押すと、「持てる者にはさらに与えられるが、持たざる者からは持てる物までも取り上げられるであろう。」と言った。
そこで使徒は、この寓話と先のタラントの寓話との意味の違いを知ろうとしたが、イエスは、彼らの多くの質問に答えて、「各人がそれらの本当の意味を探し当てながら心の中でこれらの言葉をよく考えなさい。」と言うだけであった。
後年これらの2つの寓話の意味を非常によく教えたのは、ナサナエルで、かれは、次の結論の形でイエスの教えを要約した。
能力は、人生の機会に対する実際の尺度である。人は、決して能力を超える成果に責任を負わないであろう。
忠実さは、人間の信頼度の誤りのない尺度である。また、些細な事に忠実な者は、与えられた資質に一致する全ての事柄に忠実さを示し勝ちでもある。
3. 機会が同様であるとき、あるじは、 より小さい忠実さにはより少ない報酬を与える。
4. 機会がより少ないときは、同様の忠実さに対しては、同様の報酬を与える。
イエスは、昼食を終えたとき、そして追随者である群衆が、エルサレムに向かって進んだ後に、路傍の突き出た岩の日陰で使徒の前に立ち、晴れ晴れとした威厳と優しい尊厳さで西の方を指を差して言った。「来なさい、同胞よ。我々を待ち受けるものを受けにそこへ。エルサレムへと進み続けよう。そうして、天の父が意図するすべての事を実現させるのである。」
そして、イエスと使徒は、これを、すなわち、エルサレムへの人間の姿でのあるじの最後の旅を、再開した。
西暦30年3月31日、金曜日の午後4時直後、イエスと使徒は、ベサニアに到着した。ラーザロス、その姉妹、そして友人等は、皆を待ち受けていた。そして、非常に多くの人が復活についてラザロと話すために毎日やって来たので、隣接している信者シーモンという者、ラザロの父の死以来小さい村の主導的な住民の家に滞在する手配がされているとイエスは知らされた。
その夜、イエスは、訪問者を多く迎え、ベサニアとベスファゲの一般の人は、イエスが歓迎されていると感じられるようにと最善をつくした。多くの者は、イエスが、シネヅリオン派の死の命令をものともせずユダヤの王であると宣言するために今やエルサレム入りをしていると思ったが、ベサニアの家族—ラーザロス、マールサ、マリアは、あるじが、その類いの王ではないと完全に理解していた。かれらは、これがエルサレムとベサニアへのイエスの最後の訪問であるかもしれないとぼんやりと感じた。
祭司長達は、イエスがベサニアに泊まると知らされたが、友人の間でイエスを差し押えることは試みないのが一番だと考えた。かれらは、エルサレムに来るのを待ち受けると決めた。イエスにはこのすべてが分かっていたが、厳然として冷静であった。友人等は、イエスが、これほどに落ち着き、しかも意気投合の様をかつて見たことがなかった。使徒でさえ、シネヅリオン派が全ユダヤ民族にイエスの引き渡しを要求したときのイエスの全くの無関心振りには驚いた。その夜あるじの睡眠中、使徒は、あるじを2時まで見張り、彼らの多くが剣を差していた。次の朝早々、かれらは、安息日にもかかわらず、イエスと死から蘇ったラーザロスに会いにやってきたエルサレムからの何百人もの巡礼者に目を覚まされた。
ユダヤの外部からの巡礼者、同じくユダヤの権威者達は皆、「どう思うか。イエスは祝宴にやって来るだろうか。」と尋ね続けてきた。したがって、イエスがベサニアにいると聞いたとき、それらの者は喜んだが、 祭司長達とパリサイ派は、幾らか当惑した。自分達の管轄下にイエスがいるのは喜ばしかったが、彼の大胆さには少しばかり当惑した。かれらは、先だってのイエスのベサニア訪問、ラザロの死からの蘇生を思い起こし、その上、ラーザロスは、イエスの敵への大きな問題になってきていた。
過ぎ越し祭りの6日前、安息日の後の晩、ベサニアとベスファゲ中の者が、シーモン家での公開の宴会でイエスの到着を祝うのに参加した。この夕食は、イエスとラーザロスの両方に敬意を表するものであった。それは、シネヅリオン派を無視するものであった。マールサは、料理の給仕を指示した。女性が公の宴会に出席することは、ユダヤ人の習慣に反することであったので、姉妹のメリーは、女性の見物人の中にいた。シネヅリオン派の手先の者は、出席していたが、イエスの友人達の間で捕縛することを恐れた。
イエスは、自分と同名の昔の人物ヨシュアについてシーモンと話し、また、いかにヨシュアとイスラエル人がイェリーホを経由してエルサレムに来たかを語った。崩壊するイェリーホの壁に関する伝説に言及して、イエスは、「私はそのようなレンガと石の壁など気になどしてはいない。だが、私は、すべての人への父の愛のこの説教で偏見、独善、憎しみの壁を崩壊するであろう。」と言った。
使徒全員が珍しく素面であったことを除いては、宴会は、非常に陽気で普通の様で進行していた。イエスは、殊のほか朗らかで、食卓に就く時間まで子供達と遊んでいた。
ラーザロスの妹マリアは、宴のほぼ終り近くに女性の見物集団の中から前に進み出て、イエスが主賓として寄りかかっているところに上がって、誠に稀で高価な軟膏の大きい雪花石膏の壷を開け始めた。そして、あるじの頭に塗布した後、彼女は、軟膏をあるじの足に注ぎ始め、自分の下ろした髪でそれを拭くまでは何ら常と変わることは起こらなかった。家全体が軟膏の匂いで満たされ、出席する誰もが、マリアのしたことに驚いた。ラーザロスは何も言わなかったが、数人の者が、とても高価な軟膏がこのように使用されなければならないことに憤りを示して呟いたとき、ユダ・イスカリオテは、アンドレアスが凭れているところに踏み出て言った。「この軟膏は、なぜ売られずに、しかも、その金が貧乏人が食べるめに与えられなかったのですか。君は、そのような無益を叱責するようにあるじに話すべきです。」
イエスは、彼らの考えたことを知り、言ったことを聞き、自分の側に跪いているマリアの頭に手を置き、優しい面持ちで言った。「皆さん、彼女には構わないでおきなさい。貴方達は、彼女が心で良いことをしたのがわかっていながら、なぜ彼女をこれで煩わすのですか。この軟膏が売られ、その金が貧しい人に与えられるべきであったと呟く者に、あなたには貧しい人がいつも近くにいるということ、自分にとって良いと思う時いつでも彼らに奉仕できるということを伝えたい。しかし、私は、君達といつも居る訳ではない。私は、間もなく父の元へ行く。この女性は、私の身体が埋葬されるときのために長い間この軟膏を取っておいた、そして、今、私の死を予想して塗布をするに良いと思えたのであるから、そのような彼女の履行は否定されはしない。マリアは、こうすることで、私の死と天の父への上昇に関して私が言ったことへの信仰を示すこの行為で君達全員を咎めた。この女性は、今宵してしまったことで咎められてはならない。むしろ、私は、来る時代に、この福音が世界中のどこで説かれようとも、この女性がしたことは、彼女を記念して話されるであろう、といっておく。」
ユダ・イスカリオテが、これを個人的な非難とみなし、傷ついた感情に対する復讐の機会を求めると遂に決心したのが、この叱責であった。しばしば、かれは、潜在意識でそのような考えを抱いてきたが、そのとき大胆に、覆いのない意識的な心でそのような悪い考えをもった。そして、この軟膏の値段が、1人の男性の年間当たりの収入に相当する額—5,000人のためにパンを賄うに十分な額—であったがために、他の多くの者は、イスカリオテのこの態度を助長した。しかし、マリアは、イエスを愛していた。彼女は、死ななければならないと自分達に予め警告したときのイエスの言葉を信じていたので、イエスの死の際、その身体の防腐処置のためにこの貴重な軟膏を用意しておいた。しかしながら、彼女が、気が変わり、まだ生きているうちにあるじにこれを授ける方を選んでも否定されることではなかった。
ラーザロスとマールサは、マリアがこの甘松油の壷を買うために長い間金を貯めていたことを知っており、彼女の心がそのような事を望んですることに心から賛成した。自分達は、裕福でもあり、そのような贈り物をする余裕も簡単であったので。
祭司長達は、イエスとラーザロスのためのベサニアでのこの夕食について聞くと、ラーザロスに関して何をすべきかの相談を始めた。やがて、かれらは、ラーザロスも死ななければならないと決めた。かれらは、死から蘇ったラーザロスが生きることを許すのであれば、イエスを死に追い遣っても無駄であると軽く結論を下した。
シーモンの美しい庭でのこの日曜日の朝、あるじは、自分の周りに12人の使徒を呼び集め、エルサレムに入るまえに最終的な指示を与えた。自分は父の元に戻る前におそらく多くの演説をしたり、教えたりするであろうが、使徒には、この過ぎ越しの滞在の間、エルサレムではいかなる公の仕事も差し控えるように忠告した。かれは、自分の近くに留まり、「じっと見て、祈る」ように命じた。イエスは、使徒と直属の追随者の多くが、その時でさえも、剣を隠し持ち歩いているのを知っていたが、この事実に対しては何の言及もしなかった。
この朝の指示は、カペルナム近くでの聖職受任の日からエルサレム入りの準備をしたこの日までの活動の寸評を含んだ。使徒は黙って聴いた。かれらは、質問をしなかった。
その朝早く、ダーヴィド・ゼベダイオスは、ペラ宿営の備品の販売で得た資金をユダに引き渡し、ユダは、エルサレム入りの緊急事態を予想して保管のためにこの金の大部分を主人のシーモンに手渡した。
使徒との会議の後、イエスは、ラーザロスと会話し、シネヅリオン派の執念深さに彼の人生を犠牲にすることのないように命じた。数日後、シネヅリオン派の役人がラーザロスの逮捕に行かせたとき、ラーザロスが、フィラデルフィアに逃げたのは、この訓戒への服従であった。
ある意味で、イエスの追随者は全員、切迫した危機を感じたが、あるじの常にない朗らかさと異例の上機嫌が、その由々しさを彼らに十分に察知させることを阻んだ。
ベサニアは、寺院からはおよそ3キロメートルのところにあり、イエスがエルサレムへの出発準備ができたのは、その日曜日の午後1時半であった。イエスには、ベサニアとその純真な人々への深い愛情の気持ちがあった。ナザレ、カペルナム、エルサレムは、イエスを拒絶してきたが、ベサニアは、彼を受け入れ、彼を信じていた。そして、地球贈与の最も強大な仕事、つまりラーザロスの復活を実行するのを選んだのは、ほとんどすべての男性、女性、子供等が信者であったこの小さい村であった。村人が信じるかもしれないからではなく、むしろすでに信じていたので、イエスは、ラーザロスを蘇らせた。
イエスは、午前中ずっとエルサレム入りを考えていた。これまで、かれは、救世主としての自分へのすべての公の大歓迎を抑える努力を常にしてきたが、その時は違っていた。かれは、肉体での経歴の終わりに近づいており、その死はシネヅリオン派によって発令されており、正式かつ表立った入京を選ぶならば起こるかもしれないような自由な感情表現を弟子達に許すことからは、何の危害も起こり得なかった。
イエスは、最後の努力をして民衆の指示を受けるためにも、力の最後の獲得のためにも、この表立ったエルサレム入りをするとは決めなかった。そして、かれは、人間である弟子と使徒の切望を完全に満たすためにそれをすることもなかった。イエスは、空想的な夢想家が抱くようないかなる幻も心に抱きはしなかった。彼には、この訪問の結果がどうなるかということがよく分かっていた。
あるじは、公的なエルサレム入りをすると決めて、そのような決心を実行する適切な方法を選ぶ必要性に直面していた。イエスは、いわゆる救世主の多くの多少相容れない予言の全てについて熟考したが、彼にとって踏襲するのが全く適切であるのはただ1つであるように思われた。大部分のこれらの予言的な発言は、ダーヴィドの息子であり後継者であり、外国支配の束縛から全イスラエルを救う大胆で攻撃的な現世の救出者である王について表現していた。しかし、彼の任務の精霊的な概念をより保持する人々が、救世主に時おり関連づけた1つの聖書があり、それは、イエスが、計画されたエルサレム入りの手引きとして一貫して用いることができると考えた。この聖書は、ザハリーアで見つかり、「大いに喜べ、シオンの娘よ。叫べ、エルサレムの娘よ。見よ、あなたの王が、あなたのところにやって来る。この方は、正しい方で救済をもたらす。この方は、卑賎の身なりで、ロバに乗ってやって来る。」とある。
将軍は、いつも馬に乗って都入りした。平和と友好の使命をもつ王は、いつもロバに乗った。イエスは、馬上の男としてエルサレムに入るつもりはなく、ロバに乗る人の息子として穏やかに善意をもって入ることを望んでいた。
イエスは、自分の王国は現世のものではなく、純粋に精霊的な問題であるということを使徒と弟子に銘記させるために、直接の教えを長い間試みてきた。しかし、この努力は成功しなかった。かれは、明白かつ直接的な教えで失敗したことを、そのときは、象徴的な呼びかけによって達成しようとした。従って、イエスは、正午の昼食直後にペトロスとヨハネを呼び、本道からは少し逸れたベサニアの北西に短距離で隣接する村ベスファゲに向かうように指示した後でさらに言った。「ベスファゲに行きなさい。君達が道路の交差地点に差し掛かるとき、そこにロバの子が繋がれているのが見えるであろう。ロバの子を放して連れてきなさい。もし、誰かがなぜそんなことをするのかと尋ねるならば、単に『あるじが必要としている』と言いなさい。そこで、2人の使徒が、あるじの言いつけ通りにベスファゲに行くと、往来で、しかも、母ロバの近くに繋がれている子ロバを角の家の近くで見つけた。ペトロスが子ロバを解き始めると、その持ち主が来て、なぜそのようなことをしているのか尋ねるので、ペトロスは、イエスに言われた通りに答えると、、この男は「あなたのあるじがガリラヤからのイエスであるならば、ロバの子をお与えください。」と言った。したがって、二人は、ロバの子を連れ帰った。
この時までには、数百人の巡礼者が、イエスと使徒の周りに集まってきていた。過ぎ越しへ向かう通り掛かりの訪問者達は、午前の半ばから留まっていた。一方、ダーヴィド・ゼベダイオスと元使者仲間の何人かは、エルサレムへと急いで行くことに決め、そこで、ナザレのイエスが都に凱旋するという報告を寺院周辺の訪問中の巡礼者の群れに効果的に広めた。従って、数千人の訪問者は、この大変話題となっている予言者であり、驚きの業を為す人、ある者達は救世主であると信じた人に挨拶するために先へと群らがった。エルサレムからのこの大勢は、オリーブ山の崖を通過し、都へと下り始めた直後、都に入ろうとしているイエスと群集とに遭遇した。
行列がベサニアから出発したとき、祭気分の弟子、信者、そしてガリラヤやペライアからの多くの巡礼者からなる群衆の間には、多大の熱意があった。かれらの出発の直前、数人の仲間に伴われた元の女性部隊の12人の女性が、到着し、嬉々として都に向けて移動するこの独特の行列に合流した。
かれらが出発する直前、アルフェウスの双子は、自分等の外套をロバにつけ、あるじが跨がる間ロバを掴んでいた。行列がオリーヴ山の頂上に向けて進んだとき、祭の群衆は、約束された救世主、王の息子を運ぶロバのために名誉の敷物を作るために、自分達の衣類を地面の上に放り投げ、近くの木から枝を持って来た。陽気な群衆は、エルサレムへ進み、詩篇「ホサナ、ダーヴィドの息子へ:主の名にかけて来る方には祝福がある。ホサナ、いと高きところに。天国から下りる王国に祝福があるように。」と一斉に歌った、と言うよりむしろ叫び始めた。
彼らが進行し、都と寺院の塔が完全な視野に入るオリーヴ山の崖に来るまで、イエスは、気楽で上機嫌であった。そこで、あるじは、行列を止め、そして、彼らがあるじが涙しているのを視たとき、重い沈黙が起きた。夥しい人の群れがあるじに挨拶しに都から来るのが下方に見えると、あるじは、多くの感情と涙声で言った。「ああ、エルサレム、せめてお前だけでも、平和をもたらす物を、少なくともこのお前の日に、知っていたならば、そして、とても自由に持つことができた物を知っていたならば。しかし、今、それらの栄光は、お前の目から隠されようとしている。お前は、平和の息子を拒絶し、救済の福音に背を向けようとしている。やがて、敵がおまえの周りに堀を巡らせ、四方から攻め落とす日が来るであろう。敵は1つの石の上に他の石が残されることのないまでに完全にお前を滅ぼすであろう。それもこれもお前が神性の訪れの時を知らなかったので、このすべてが降りかかるのである。お前は神の贈り物を拒絶しようとしており、すべての人は、お前を拒絶するであろう。」
あるじが話し終え、彼らが、オリーヴ山を下降し始めると、ほどなくエルサレムから来た訪問者の群れが、椰子の枝を振りホサナと叫び、さもなければ、喜びと親交を表現しながら合流してきた。あるじは、これらの群衆が自分たちに会うためにエルサレムから出て来るようにというような計画はしなかった。それは、他の者達のしたことであった。かれは、決して劇的な事を事前に計画はしなかった。
あるじを歓迎するために殺到してきた群衆と共に、多くのパリサイ派と他の敵も、またやって来た。かれらは、大衆のこの突然の、そして予期しない勃発的な歓迎に非常に狼狽させられたので、あるじを逮捕するそのような行動は、民衆のあからさまな反乱を引き起こすと恐れた。かれらは、イエスについて多く聞いてきた、しかもその多くの者が、イエスを信じている非常に多くの訪問者の態度を大いに恐れた。
エルサレムに近づくにつれ、群衆は、ますます感情を露わにするようになったので、パリサイ派の何人かが、イエスの横側に進んできて言った。「先生、あなたの弟子を叱責し、もっとそれらしく振る舞うように勧めなければなりません。」イエスは答えた。「これは、単純に、司祭長等が拒絶した平和の息子をこれらの子供が歓迎するのに適っている。彼等を止めても、代わりに路傍のこれらの石が叫ぶといけないから無駄であろう。」
パリサイ派は、寺院で開会中のシネヅリオン派に再び合流するために行列の前の方へと急いで行き、そして彼らは、仲間に報告した。「見てくれ、我々がすることはすべて役に立たない。我々は、このガリラヤ人に混乱させられている。民衆は、彼にのぼせあがっている。これらの無知な者を止めないと、全世界が彼を求めるであろう。」
大衆の熱狂性からくるこの表面的で自然発生的な興奮に結びつけられる深い意味は、本当にはなかった。喜ばしく心からのものではあったが、この歓迎は、祭騒ぎのこの群衆の心に何の本当の、または根深い信念も示してはいなかった。これらの同じ群衆は、シネヅリオン派が、かつてイエスに対し断固たる態度を取ると決めたとき、そして、かれらが、幻滅し始めたとき—イエスは、自分達のかねての期待にそって王国を設立するつもりではないと気づいたとき—この週の後半に、負けず劣らずイエスを進んで拒絶した。
しかし、都市全体は非常に掻きたてられ、皆が、「このい人は誰であるか。」と尋ねるほどであった。そこで群衆は、「これがガリラヤの予言者、ナザレのイエスである。」と答えた。
アルフェウスの双子がロバをその所有者に返す間、イエスと10人の使徒は、側近の仲間から離れ、過ぎ越しの準備を見て寺院の周辺をそぞろ歩いた。シネヅリオン派は、人々を大いに恐れ、イエスに危害を加える何の試みもしなかったが、それは、結局、イエスが群衆にこのように歓迎させることとなった理由の1つであった。これが、都入りに当たり、イエスの即座の逮捕の防止において効果的であり得た唯一の人間の手順であると、使徒は、ほとんど思わなかった。あるじは、福音を聞き、平和の息子を受け入れる機会をもう一度最後に、もし彼等が望むのであれば、エルサレムの住民に、身分の高い者や低い者、何万もの過ぎ越しの訪問者にも同様に与えることを望んでいた。
そして、夕方が近づき、群衆が食べ物探しに出掛け、イエスと側近の追随者は自分達だけになった。何と奇妙な一日であったことか。使徒は、考え込んでいたが、無言であった。かつて、イエスとの長年の付き合いにおいて、そのような日に遭遇したことは決してなかった。暫く、かれらは、金銭収納箱の側に座り、寄付をする人々を見ていた。金持ちは、受領箱にたくさん入れていたし、皆がそれぞれの財産に応じて何かを与えていた。最後に、薄着の貧しい未亡人がやって来て、2ミテ(小銅貨)を漏斗状の容器に投げ入れるのを見た。イエスはその時、使徒に未亡人への注意を促して言った。「たった今見たことをよく心に留めておきなさい。この貧しい未亡人は、他の全ての者以上に投げ入れた。他の全ての者にとっては過分の中から些細な物を贈呈物として投げ入れたが、この貧しい女性は、不足しているにもかかわらず、持っているすべてを、生活費さえ、与えた。」
宵が近づくにつれ、皆は黙って寺院の中庭を歩き回り、イエスがもう一度これらの馴染み深い光景を見渡してから、それ以前の訪問も含めた前回の何度かの訪問のときの感情を思い起こしながら、「ベサニアに休息しに上がろう」と言った。イエスは、ペトロスとヨハネと共にシーモンの家に帰ったが、他の使徒は、ベサニアとベスファゲの友人宅に宿泊した。
この日曜日の晩、イエスは、ベサニアに戻るとき使徒の前を歩いていた。かれらがシーモンの家に到着し、解散するまで、言葉は交わされなかった。王国のこれらの大使の心と魂をそのとき急に駆けめぐったそのような様々の、不可解な感情というものを、かつて12人の人間が経験したことはなかった。これらの頑強なガリラヤ人は、混乱し、当惑した。かれらは、次に何を期待してよいかを知らなかった。かれらは、非常に恐れ、あまりにも驚いた。かれらは、あるじの翌日の計画について何も知らなかったし、質問もしなかった。かれらは、各自の宿に行ったが、双子を除いてはあまり眠らなかった。それでも、かれらは、シーモンの家でのイエスを武装して見張りを続けなかった。
アンドレアスは、すっかり当惑しており、ほとんど混乱していた。かれは、人気の爆発的な賞賛のを深刻に評価をしなかったただ1人の使徒であった。かれは、群衆の高らかなホサナという叫びの意味、または重要性を考慮するには、使徒軍団の長としての責任の考えにあまりに心を奪われていた。アンドレアスは、興奮状態の間、感情に流されるかもしれないと恐れて何人かの仲間を、特にペトロス、ジェームス、ヨハネ、シーモン・ゼローテースを見守ることに忙しかった。この日とその直後の日々ずっと、アンドレアスは、徒ならぬ疑問に悩んだが、これらの危惧のいずれも使徒仲間には決して表明しなかった。かれは、剣で武装していると知っている12人のうちの一部の態度を心配はしたが、自身の弟ペトロスが、そのような武器を携行しているとは知らなかった。そして、エルサレムへの行列は、アンドレアスには比較的上滑りの印象を与えた。かれは、他の事で影響されるには事務的な責任で忙し過ぎた。
シーモン・ペトロスは、熱狂のこの人気の兆候に、初めはもう少しで夢中になるところであった。しかしその夜、皆でベサニアに戻るまでには、かれは、かなり冷静になっていた。ペトロスは、あるじが何をしているのかただ理解することができなかった。かれは、イエスが幅広い人気のこの波をある種の公式声明で補足しないことにひどく失望した。ペトロスは、彼らが寺院に到着したとき、イエスが、なぜ大衆に話さなかったのか、さもなければ、少なくとも使徒の一人に群集に演説することを許可しなかったのかを理解することができなかった。ペトロスは、偉大な説教者であり、またかれは、そのように受容性があり熱心な多くの聴衆を見逃すことを見るのは嫌であった。かれは、寺院のまさにそこにいるその群集に王国の福音を本当に説きたかった。しかしあるじは、エルサレムのこの過ぎ越しの週の間、教えたり説いたりしないようにしかと命じていた。都への壮観な行列からの反応は、シーモン・ペトロスにとって悲惨であった。かれは、夜までには落ち着きを取り戻し、言い表せないほどに悲しんだ。
この日曜日は、ジェームス・ゼベダイオスにとり当惑と深い混乱の1日であった。かれは、起きていることの意味を理解することができなかった。かれは、寺院に到着の際、あるじが、この荒々しい歓迎を許したり、人々へ一言でも発することを拒否するあるじの目的を理解できなかった。ジェームスは、エルサレムへの行列がオリーヴ山を下りるとき、取り分け、あるじを歓迎するためにどんどんやって来る何千人もの巡礼者に会ったとき、自分が目にしたものに対して意気揚々の感情と満足感、それと、寺院への到達時に起こるであろうことに対する深い恐怖感との相反する感情に酷く苦しんだ。そして、かれは、イエスがロバから下り、寺院の中庭をゆっくり歩き始めると、意気消沈し、失望感に圧倒された。ジェームスは、王国を宣言するそのような素晴らしい機会を無駄にする理由が理解できなかった。夜までには、その心は、悲惨で、ひどい不安に固く襲われていた。
ヨハネ・ゼベダイオスは、イエスがなぜこうしたのかをほぼ理解する範疇にいた。少なくとも、かれは、エルサレムへのいわゆるこの凱旋の精霊的な意味をある程度理解した。群衆が寺院へと移動しているとき、そしてヨハネが、子ロバに跨がりそこに座っているあるじを見ていたとき、かれは、イエスがかつて聖書からのザハリーアの発言の件の引用を聞いたことを思い出し、そしてそれは、穏やかな人、そして、エルサレムへとロバに乗って行く救世主の到来を記述したものであった。ヨハネは、この聖書を心の中でめくり、この日曜日の午後の行事の象徴的な意味を理解し始めた。少なくとも、自分がこの出来事を味わったり、凱旋行列の無目的な結末に過剰に気が滅入るのを防ぐに事足りるこの聖書の意味を把握した。ヨハネは、自然のうちに象徴性で考えたり感じたりする心の傾向があった。
フィリッポスは、観衆の突発的、自発的な爆発に完全に動揺していた。オリーヴ山の下りの道中、かれは、すべての示威運動の意味について何らかの落ち着いた考えに至るために自分の考えを十分に纏めることができなかった。あるじが名誉の状態にあったので、かれは、ある意味でこの挙行を楽しんだ。彼らが、寺院に達する頃には、イエスが、ことによると群衆に食べ物を与えるように自分に言いつけるかもしれないという考えにうろたえていたので、群衆から離れて悠長に歩いているイエスの振る舞いは、それは大部分の使徒をこの上なく失望させはしたが、フィリッポスには大きな安堵であった。12人の世話係にとり、大衆は時々大きな試練であった。群衆の物質的必要性に関するこれらの個人の恐怖から解かれた後、フィリッポスは、群衆に教えるための何事も為されないという失望の表現においてはペトロスと同じであった。その夜、フィリッポスは、これらの経験を熟考し始め、王国の全体の考えについて疑う気持ちになった。かれは、全てのこれらが何を意味し得るのかと正直のところ驚いたが、誰にもその疑問を表現しなかった。かれは、イエスをあまりに愛し過ぎた。かれは、あるじにすばらしい個人的な信仰を持っていた。
ナサナエルは、象徴的で予言的な局面は別として、過ぎ越しの巡礼者からの人気の支持ある助けを得るあるじの理由を理解する最短距離にいた。ナサナエルは、エルサレムへのそのような明確に示す入都なくしては、彼らが寺院に着く前に、イエスは、都に入るなりシネヅリオン派の役人に捕らえられ投獄されたことであろうと理由づけた。したがって、一度都の壁の内に入ってしまい、即座の逮捕を控えさせるほどにユダヤの指導者を強引に印象づけてしまえば、あるじが、声援する群衆をそれ以上必要としなかったことには少しも驚かなかった。ナサナエルは、あるじがこのように都入りする本当の理由を理解し、イエスのその後の行為に平静さをもって自然のうちに続き、他の使徒よりも、それほど混乱させられたり、失望はしなかった。ナサナエルは、窮状に対するイエスの機敏さと巧妙さばかりでなく、人への理解も大きく信頼していた。
マタイオスは、初め、この行列挙行に困惑した。彼もまた、王が救済を携え子ロバに乗って来たのでエルサレムが歓喜している様に言及した予言者ザハリーアの聖書の部分を思い出すまで、自分の目で見ている物が、何を意味するのかを理解しなかった。行列が都の方行に動き、次には寺院に近づいたので、マタイオスは、夢中になった。この叫び声を上げる群衆の先頭にいるあるじが、寺院に到着するとき、かれには、何か驚異的なことが起こると確信があった。パリサイ派の一人が、イエスを愚弄して「皆さん、注目。ここに来る者を見よ。ユダヤ人の王がロバに乗ってやって来る」と言った。マタイオスは、自身を強く抑制をするだけで、そのパリサイ派に手出しをしなかった。その晩のベサニアへの道中、12人の誰も、彼ほどには意気消沈していなかった。シーモン・ペトロスとシーモン・ゼローテースに次いで、かれは、最も高い神経質な緊張を経験し、夜までには、疲労困憊の状態にあった。しかし、朝までには、マタイオスは、大いに励まされた。かれは、結局は陽気な敗北者であった。
トーマスは、12人中もっともうろたえ、当惑した者であった。大抵の場合、かれは、ただずっと後に続き、光景を眺め、そのように風変わりな示威運動に参加するあるじの動機が何であるのか、正直のところ不思議に思うのであった。心の深いところでは、挙行全体を少し子供っぽく、さもなくば全く愚かであると考えた。かれは、このように振る舞うイエスを一度も見たことがなく、この日曜日の午後のその奇妙な行いを説明するのに困っていた。トーマスは、寺院に達するまでにはこの人気ある示威行動の目的は、シネヅリオン派をこの上なく怯えさせ、彼らがすぐには強引にあるじを逮捕させないようにするためであると推論した。トーマスは、ベサニアへの途中、よくよく考えたが、何も言わなかった。就寝時までには、騒然としたエルサレム入りの演出におけるあるじの巧妙さは、いくらかのユーモラスな魅力をみせ始め、かれは、この反応に非常に励まされた。
この日曜日は、シーモン・ゼローテースにとり素晴らしい日として始まった。かれは、次の数日間、エルサレムにおける素晴らしい業の光景を目にし、そして、かれは、そのことにおいて正しかったのだが、シーモンは、イエスをダーヴィドの王位に据わらせ、ユダヤ人の新国家統治の設立を夢みた。シーモンは、王国が発表されるなり、そして自らは新王国の集まりくる軍隊の最高指揮の地位にあるのを、そして国家主義者が急に活気づくのを見た。オリーヴからの下山途中、かれは、シネヅリオン派とその同調者のすべてが、当日の日没前の死さえ心に描いた。かれは、素晴らしい何かが起こりつつあると、本当に信じた。かれは、全群衆の中で最も騒がしい者であった。かれは、その日の午後5時までには静かで、押し潰され、幻滅した使徒であった。この日の衝撃の結果、かれは、根づいた抑鬱から決して完全には回復しなかった。少なくともあるじの復活のずっと後まで。
アルフェウスの双子にとって、これは、絶好の日であった。二人は、実にその日の最後まで楽しみ、寺院の周りでの穏やかな訪問の時にはいなかったので、あっけない結末の民衆の大騒ぎの大部分からは逃がれていた。二人は、その晩ベサニアに戻ったとき、塞ぎ込んだ使徒達の様子をまったく理解できなかった。双子の記憶の中で、これは、二人にとって常に地球での最も天国に近い日であった。この日は、二人の使徒としての全経歴で満足のいく最高潮の日であった。そして、この日曜日の午後の意気揚々たる記憶は、この波瀾万丈の週の悲劇の全てを通して、まさしく磔刑の時間まで支え続けた。それは、双子が発想できた最も相応しい王の入場であった。かれらは、全行その記憶を大事にした。
全使徒の中で、ユダ・イスカリオテは、エルサレムへのこの行列入場に最も悪影響を受けた。その心には、シーモン家の祝宴でのマリアの塗布に関して、前日のあるじの叱責からくる不愉快な動揺があった。ユダは、全光景にうんざりした。彼にとって、それは、子供じみた、または本当に笑止千万に見えた。この執念深い使徒は、この日曜日の午後の進行を傍観したとき、イエスは、彼にとって王というよりも道化師に見えた。かれは、全挙行に心から憤慨した。かれは、ロバや子ロバに乗ることに同意する者は誰でも軽蔑するギリシア人とローマ人と観点を共にした。凱旋行列が都に入る頃には、ユダは、そのような王国の考えを放棄する決心をするところであった。かれは、天の王国を樹立するそのような茶番じみた全ての試みを放棄することをほぼ決心した。それから、かれは、ラーザロスの復活、また他の多くの事柄を考えて、少なくとももう1日12人と残ると決めた。その上かれは、袋を運んでおり、使徒の資金を所持しており、義務を放棄しなかった。その夜のベサニアへの道中、使徒全員が、等しく意気消沈し、黙っていたので、ユダの挙動は、奇妙には見えなかった。
ユダは、サッヅカイオス派の友人の嘲笑におそろしく影響された。イエスが都の入口に着いたちょうどそのとき起こった特定の出来事ほどには、イエスと仲間の使徒を見捨てる彼の最終的な決断において、他のいかなる一要因も、彼にそれほどの強力な影響を及ぼしはしなかった。一人の著名なサッヅカイオス派(ユダの家族の友人)は、悦に入った嘲りの態度でユダのところに駆けつけてきて、背中を叩いて言った。「なぜそんな困り切った顔付きをしているのだ、よき友よ。彼がロバに乗り、エルサレムの門を通り抜ける間、ユダヤ人の王であるこのナザレのイエスを我々が歓呼するのに、元気を出して参加しろよ。」ユダは、決して迫害から尻込みをしたことはなかったが、この種の嘲笑には耐えられなかった。嘲笑のこの致命的な恐怖、自分のあるじと仲間の使徒が恥ずかしめられるひどくて恐ろしい感情の恐怖が、長らく培ってきた報復感情とが、そのとき混ざり合った。心では、聖職を授けられたこの大使は、すでに脱走者であった。あるじとの開いた亀裂のために何らかのもっともらしい言い訳を見つけることだけが、彼に残されていたのであった。
この月曜日の朝早く、事前の打ち合せにより、イエスと使徒達は、ベサニアのシーモンの自宅に集合し、短い会議の後、エルサレムに向けて出発した。寺院に向かう旅の間、12人は妙に静かであった。かれらは、前日の経験から立ち直っていなかった。かれらは、期待し、恐れ、そして、この過ぎ越し祭りの週を通して公の教えに従事しないという指示と結びついた戦術に対するあるじの急転からくるある種の疎外感に強く影響を受けていた。
この一行がオリーヴ山を下るとき、イエスは先導し、使徒は、深く考えに耽け、黙って真近かに続いて行った。ユダ・イスカリオテを除くすべての者の心の中には、最優先のただ1つの考えがあり、そしてそれは、あるじは、今日、何をするのだろうか、ということであった。ユダを夢中にさせていた1つの考えは、次の通りであった。どうしよう。イエスと仲間と共に進み続けるのか、あるいは引き下がるのか。そして、止めるのであるならば、いかに関係を切るのか。
これらの男が寺院に到着したのは、この美しい朝の9時頃であった。皆は、早速、イエスが度々教えた大きい中庭の方に行き、待ち受けていた信者達に挨拶をした後、イエスは、教壇の1つに上がり群衆に話し始めた。使徒は、近くに撤退して成り行きを待った。
膨大な商業取り引きが、寺院での崇拝における礼拝と儀式に関連して発展してきていた。様々な生贄に適した動物を提供する商売があった。崇拝者が、自身の手で供え物を提供することは許されてはいたが、この動物には、レビ族の法の意味において、また寺院の公式検査官の解釈するいかなる「傷」もあってはならないということが、依然として事実であった。多くの崇拝者は、おそらくは文句なしの動物を寺院の試験官に拒絶される屈辱を経験した。従って、生贄の動物を寺院で購入することが、より一般的となり、また、購入できる幾つかの場所が近くのオリーヴ山上にあったのだが、直接寺院の檻からこれらの動物を買うことが流行になった。徐々に、生贄用の動物すべてが、寺院の中庭で売られるこの習慣が発展した。その結果、巨大な利益が上がる広範囲の商売が生み出された。これらの利得の一部は、寺院の資金のために保留されたが、かなりの部分は、間接的に支配的な立場にある高聖職者等の家族の手に入った。
寺院のこの動物販売は繁昌した、というのは、価格はいくらか高いかもしれないが、崇拝者がそのような動物を購入すると、それ以上の料金を支払わなくてよかったし、その上、意図された生贄が本当の、または厳密な意味で傷を持つという理由では拒絶されないのを確信できるからであった。いつの頃か、法外に不当な高値の制度が、特に国家の大きな祝宴の間、一般人に対して実施された。一時は、貪欲な司祭達が、数ペニーで販売されるはずの1対の鳩を貧しい人々に1週間の労働に値する額を要求するところまでいった。「ハナンージャの息子達」は、すでに寺院の境内における市を、寺院自体の崩壊の3年前に暴徒による最終的な打倒の時まで固持したまさしくそれらの商品市場を確立し始めていた。
しかし、寺院の中庭が汚された習わしは、生贄の動物と種々の商品取り引きばかりではなかった。このとき、こともあろうに寺院の境内で行なわれた金融業と商取り引きの広範囲な制度が促進された。そして、これはすべて、次の方法で起こった。ハスモネアノス王朝時代、ユダヤ人は、自身の銀貨を鋳造しており、寺院の賦課金として1/2シェケルが要求されるようになり、また、すべての他の寺院の料金が、このユダヤ硬貨で支払われる習慣となった。この規則は、パレスチナとローマ帝国の他の行政区一円で流通している様々の通貨をこの正統的なユダヤ人造幣のシェケルに交換するということが、両替商に認可されるという必要性を生じた。女性、奴隷、未成年者を除く全てに課される寺院の人頭税は、1/2シェケルで、およそ10セント硬貨の大きさで、厚さは2倍であった。イエスの時代までには、聖職者は、寺院税の納付からも免除されていた。したがって、過ぎ越しの前の月の15日から25日まで、彼らのエルサレム到着後、ユダヤ人が寺院の適切な納付金が支払える目的のために、公認の両替商等は、パレスチナの主要な都市でそれぞれに仮小屋を立てた。この10日の期間の後、これらの両替商は、エルサレムに移動し、寺院の中庭に交換用の台の設置にとりかかった。およそ10セント相当の硬貨の交換には3セントから4セントほどの手数料の請求が許され、より高額の硬貨の交換に際しては、2倍の額の徴収が許された。同様に、これらの寺院の金融業者は、生贄用の動物の購買、そして、誓約の支払いと供え物の提供を目的とする全ての金の交換から利益を得たのであった。
寺院のこれらの両替商は、訪問の巡礼者がエルサレムに定期的に持ち込む20種類以上の金銭交換における利益のための通常の金融業務を行うだけでなく、金融業務に属する他の全種類の取り引きにも従事していた。寺院の資金とその支配者達の双方が、これらの商業活動から相当の利益を得た。一般人が貧困に苦しみ、これらの不当な課税を払い続ける一方、寺院の資金の所有が、1,000万ドルを越えることは珍しくなかった。
両替商、商人、家畜販売人等のこの騒々しい集合体の真っ只中にあって、イエスは、この月曜日の朝、天の王国の福音を教えようとした。寺院のこの冒涜に憤慨するのは、イエス一人ではなかった。一般人、特に他の地域からのユダヤ人の訪問者達も、自分達の国家的な崇拝の家に対するこの荒稼ぎの神聖冒涜に心から憤慨した。このとき、シネヅリオン派自体は、商業と物々交換のこの全ての騒めきと混乱に取り囲まれた会議所でその定期的な会合を開いた。
イエスが、講演を始めようとしていたとき、彼の注意を捕らえる2つの事が、偶然起きた。近くの両替商の交換台では、乱暴で激しい議論が、アレキサンドリアからの一人のユダヤ人の不当な価格の申し立てに関して起こっており、時を同じくして、動物の檻の1区画から別の区画に追いやられていた100頭ほどの雄の子牛の群れの喚き声で空気がつんざかれた。イエスが躊躇い、静かに、しかし考え深く商業と混乱のこの光景を見つめていると、近くに単純なガリラヤ人が、イエスがジロンで一度話しをしたことのある男性が、高慢で自称すぐれたユダヤ人達に嘲られ、小突き回されていたのを見た。そして、このすべては、イエスの魂で、奇妙な周期的な憤慨の感情の高まりを生じた。
真近かに立ち、間もなく起ころうとしていることへの参加を控えている使徒が驚いたことには、イエスは、教壇から下り、庭を突っ切り、家畜を追っている若者のところに行き、むちを取り上げ、寺院から素早く動物を追い立てた。しかし、それが全てではなかった。イエスは、寺院の中庭に集まった数千人の不思議そうな凝視の中を最も遠くの家畜の檻に大股で厳然と歩いていき、あらゆる露店の出入り口を開け、封じ込められた動物を追い払い出した。この頃には、集まった巡礼者は、衝撃を受け、騒々しい叫び声をあげて市場の方へ進み、両替商の台をひっくり返し始めた。5分もしないうちに、すべての商売は寺院から一掃された。近くのローマの歩哨達がその場に現れるまでには、すべては静かで、群衆は整然となっていた。講演者の台に戻ったイエスは、群衆に話した。「あなた方は、聖書に書かれていることをこの日に目撃した。『私の家は、万国の祈りの家と呼ばれるべきであるのに、あなた方はそれを強盗の巣窟にした』。」
しかし、次の言葉を発する前に、大群衆から称賛のホサナという叫びが突然に起こり、まもなく若者の集団が、不敬で、不当収益にかかわる商人達が神聖な寺院から追放されたことへの感謝の賛美歌を歌うためにその群衆の中から出てきた。この時までには、聖職者の幾人かは、この場に到着しており、その中の一人が「あなたはレーヴィイ族の子孫が言っていることを聞かないのか。」とイエスに言った。すると、あるじは、「『幼い子供の口から賛美が完成された』とあるのを読んだことがないのか。」と答えた。そして、残りのその日はイエスが教える間ずっと、人々により配置された見張りが、あらゆるアーチ道に警備に立ち、かれらは、空の容器といえども誰にも寺院の中庭を通って運ぶことを許そうとはしなかった。
司祭長達と筆記者達は、これらの出来事について聞くと唖然とした。あるじを恐れれば恐れるほど、かれらは、ますますあるじを滅ぼすと決心をした。しかし、かれらは、途方にくれた。かれらは、神聖を汚す不当利得者を打倒するイエスを是認してあからさまに物を言う群衆を大いに恐れたので、イエスを死に至らせる方法を知らなかった。そして、この日ずっと、寺院の中庭の静かで平穏な1日、人々は、イエスの教えを聞き、文字通りその言葉にしがみついた。
イエスのこの不意の行為は、使徒の理解を超えていた。かれらは、あるじの突然の、予想外の行動に非常に驚いたので、出来事の間中、演説者用の台の近くに雑然と集まったままでいた。かれらは、寺院のこの浄化を進めるために少しの労も決してとらなかった。もし、この壮観な出来事が、その前日、都の入口を通過する騒然とした行列の終了の、この間中ずっと群衆の騒々しい歓迎を受けて、イエスの凱旋の寺院到着時点で起こっていたならば、そのための準備ができていたことであろうが、実際は、そのように起こってしまったので、使徒は、全く参加する用意ができていなかった。
寺院のこの浄化は、宗教実践の商業化へのあるじの態度、ならびに貧者と無学な者を犠牲にした不当の、悪徳商法のあらゆる形式への嫌悪を明らかにしている。この出来事は、政治的、財政的、あるいは宗教団体の力の後ろにいる地歩を固めることができるかもしれない不正の少数者の不当かつ強慾な実践に対するある特定の人間集団の大多数を保護するための力の行使の拒否をイエスが満足して見ていなかったことをも示証明している。抜け目がなく、邪悪で腹黒い者が、自らの理想主義の理由のために、自己保護、あるいは称賛に値する人生課題の推進に気が向かないない者達を搾取したり、圧迫する目的のために組織化することを許してはいけない。
日曜日のエルサレムへの凱旋入都は、イエスの逮捕を控えさせるほどにユダヤ人の支配者達を威圧した。当日、寺院のこの壮観な浄化は、あるじの憂慮を同じく効果的に延期した。日毎に、ユダヤ人の支配者等は、イエスを滅ぼそうとますます決意を固めるようになっていたが、それでも襲撃時の遅延をもたらした2つの恐怖に心を取り乱していた。司祭長と筆記者等は、群衆が激しい怒りをぶつけてくるかもしれないことを恐れ、公然とイエスを逮捕する気がなかった。かれらは、ローマの歩哨達が、民衆の暴動を鎮めるために呼び出される可能性も恐れた。
シネヅリオン派の正午の会議では、あるじの友人は一人も、この会合に出席していなかったので、イエスは即刻滅ぼされなければならないとの満場一致の意見であった。しかし、いつ、いかように拘引されるべきかに関しては、同意に至ることができなかった。かれらは、ようやくイエスをその教えに陥れるか、さもなければ、その教示を聞く人々の目前でイエスの評判を落とすために人々の間に出かける5集団を指名することに同意した。そのため、2時頃、イエスがちょうど「息子の資格の自由」について語り始めたとき、イスラエルのこれらの長老の一団が、イエスの近くに進んできて、慣習的な態度で話の邪魔をして「いかなる権威によってこれらのことをするのか。だれがこの権威をあなたに与えたか。」とこう質問をした。
寺院の支配者とユダヤ人のシネヅリオン派の役員は、イエスに特有であった並はずれた方法で大胆に教えたり、実践する者には誰であろうとも、特に寺院の全商業を取り除く先頃の行為に関して、この質問をすることは全く妥当なことであった。これらの商人と両替商は皆、最高支配者達からの直接の認可によって営んでおり、利益の歩合は、直接寺院の財務に入ることになっていた。権限は、全ユダヤ人の中心的な言葉であったということを忘れてはいけない。予言者達は、権限を持たずに、ユダヤ教師の学校で順当に教授を受け、その後シネヅリオン派に定期的に命じられることなく、非常に大胆に教えていたので、常にもめ事を起こしていた。野心的な公の教えにおけるこの権限の欠如は、無知な傲りか、公然たる反逆のいずれかを示すと見られた。このとき、シネヅリオン派だけは、長老、または教師を任命することができ、そしてそのような儀式は、予めそのように任命された少なくとも3人の面前で行なわれなければならなかった。そのような聖職受任は、教師に「ラビ」の肩書きを与え、そのうえ「判決のために提示されるかもしれないそのような事例を締めつけたり、緩めたりすること」を裁判官として務める資格を与えた。
この午後、寺院の支配者は、その教えだけでなく、その行為にも疑問を呈するためにイエスのところに来た。イエスは、誰あろうこの男性たちが、教えのための彼の権限は、悪魔的であり、すべての強力な働きは、悪魔の王子の力によって為されたのだ、と長い間公然と教えていたことをよく知っていた。従って、あるじは、質問への彼の答えを逆に彼らに質問をすることによって始めたのであった。イエスは、「私も一つ質問がしたい、もし私に答えるならば、私もどんな権限でこれらの働きをするかを同様に言うつもりである。ヨハネの洗礼、それはどこからきたのか。ヨハネは、天から、または人から彼の承認を得たのか。」と言った。
これを聞くと、質問者は、挙げ得るすべての答えを相談するために一方に引き下がった。かれらは、群衆の前でイエスを当惑させようと考えていたが、そのとき寺院の中庭に集まった者全ての前で、今度は、非常に混乱している自分達に気づいた。それから、イエスのところに戻り、「ヨハネの洗礼に関しては、我々は答えることができない。我々は知らない。」と言った時の質問者達の敗北は、ますます明らかであった。かれらは、次のように推論したので、あるじにそのように答えたのであった。もし我々が、天国からであると言えば、何故ヨハネを信じないのかと言うであろうし、おそらく、自分はヨハネから権限を受けたと付け足すであろう。また、我々が、人からであると言えば、群衆は、大方の者が、ヨハネは予言者であると考えてているのであるから、我々に逆らうかもしれない。そこで質問者達は、イスラエルの宗教教師と指導者達は、ヨハネの任務に関する意見を述べることができない、(したくない)と告白しにイエスと人々の前に来ざるを得なかった。そして、彼らが話し終えると、イエスは、彼等を見下ろして、「私も、どんな権限でこれらのことをするかを告げるつもりはない。」と、言った。
イエスは、決して自分の権限がヨハネからのものであると訴えるつもりはなかった。ヨハネは、シネヅリオン派に一度も任命されたことはなかった。イエスの権限は、自分と父の永遠の至上権によるものであった。
敵の扱いにおいてこの方法を用いる際、イエスは、質問から身を交わすつもりはなかった。一見それは、巧みな回避のようかもしれないが、そうではなかった。イエスは、敵といえども決して不当に利用しようとは思わなかった。この外見上の回避において、かれは、自分の任務の背後にある権限に関して、パリサイ派の質問への答えを実に全ての聞き手に与えたのであった。かれらは、彼が悪魔の王子の権限で働くと主張した。イエスは、自分のすべての教えと働きが、天なる父の力と権限であると繰り返し主張した。ユダヤ人の指導者は、この受け入れを拒否した。かれらは、シネヅリオン派に一度も認可されたことがなかったので無免許の教師であることを自認するようにイエスを追い詰めようとしていた。実際に答えたように、ヨハネからの権限を主張せずに、イエスは、彼らに答えるに際して、彼を罠に嵌めようとする敵の努力は、効果的に敵自身に向けられ、居合わせた人々の目にはパリサイ派の大変な不名誉であったという含みで人々を非常に満足させた。
そして、敵にイエスを非常に恐れさせたのは、敵の扱いにおけるあるじの天性の才能であった。彼らは、その日それ以上の質問を試みなかった。さらなる話し合いのために、かれらは退いた。しかし、人々は、ユダヤ人の支配者のこれらの質問における不正直さと不誠実さの見分けに時間をかけなかった。一般人でさえ、あるじの道徳的な威厳とその敵の腹黒い偽善を見分け損ねることはなかった。しかし、寺院の浄化をすることは、イエス滅亡計画の仕上げに当たり、サッヅカイオス派をパリサイ派側につかせることとなった。そして、サッヅカイオス派は、そのときシネヅリオン派の大多数を代表していた。
難癖をつけるパリサイ派がイエスの前に黙って立っていると、かれは、見下ろして彼らに言った。「あなたがヨハネの任務を疑っており、人の息子の教えと働きに対して敵意をもって勢揃いしているので、私が寓話を話す間、耳を貸しなさい。立派で敬われていたある地主には、2人の息子がおり、かれは、大きい地所の管理に息子達の助けを望んでいたので、1人の息子に言った。『息子よ、今日はブドウ園に働きに行ってくれ。』すると、この考えのない息子は、父に『いやです。』と答えたが、後で悔やんで出掛けていった。上の息子を見つけると、同様に、『息子よ、ブドウ園に働きに行ってくれ。』と言った。すると、この偽善的で不誠実な息子は、『はい、お父さん、参ります。』と答えた。だが、父が去ってしまうと、出掛けはしなかった。これらの息子のうちどちらが本当に父の意志をしたのか訊かせてもらいたい。
人々は一斉に「最初の息子」と言った。そこでイエスは、「そうである。また、悔悟への呼び掛けを拒否しているように見えるが、取税人や娼婦達は、父の仕事をすることを拒否しながら天の父に仕えている振りをしているあなた方よりも、彼らの方が、生き方の誤りを分かるであろうし、先に神の王国に入るであろうと宣言する。ヨハネを信じたのはあなた方パリサイ派や筆記者ではなく、むしろ取税人や罪人であった。あなた方は私の教えをも信じないが、一般大衆は喜んで私の言葉を聞く。」
イエスは、個人的にパリサイ派とサッヅカイオス派を蔑ろにはしなかった。それは、彼が信用を落としめようと努力した彼等の教育と実践の体系であった。かれは、人間に対して敵意はなかったが、精霊の新しく、生きた新宗教とより古い宗教の儀式、伝統、権威との間に不可避の衝突が、ここに起こりつつあった。
この間12人の使徒は、あるじの近くに立っていたが、これらのやり取りにいかなる方法でも参加しなかった。肉体におけるイエスの終わりつつある任務のこの数日間の出来事に、12人の各々は、独特の方法で反応しており、同様にこの過ぎ越し祭りの週の間、すべての公の教えや説教を控えるというあるじの命令に従順なままでいた。
質問でイエスに絡もうとしたパリサイ派の長と筆記者達は、2人の息子の話を聞く羽目になってしまうとさらに相談するために引き下がった。そこで、あるじは、傾聴している群衆に注意をむけて、もう一つの寓話を語った。
「家の主人であった善良な人がおり、ブドウ園を設けた。その周囲に生垣をめぐらせ、ブドウ圧搾のために穴を掘り、見張りのための物見櫓を設けた。それから、他国への長旅の間、このブドウ園を小作人達に貸した。そして、実をつける季節が近づいたとき、賃貸料の受け取りのために使用人達を小作人の元に遣わせた。しかし、談合をした小作人達は、主人への収穫代金の支払いを拒否し、代わりに使用人達に襲いかかり、一人を打ち据え、別の者には石を投げ、その他の者を手ぶらで追い返した。あるじは、このすべてを聞くとこれらの性悪の小作人への対応するために他の、もっと信頼できる使用人達を行かせたが、これらの者もまた傷つけられ、辱めを受けた。主人は、次に、気に入りの使用人、執事を送ったが、小作人達は彼を殺した。かれは、それでもまだ、忍耐と寛容をもって他の多くの使用人を遣わせたが、小作人達は、誰も受け入れようとしなかった。彼らは、何人かを袋だたきにし、他の何人かを殺し、そうして主人がそのように扱われたとき、『小作人達は、使用人達には酷い扱いをするかもしれないが、愛しい我が息子にはさだめし敬意を示すであろう。』と言い、これらの恩知らずな小作人達に対処するために息子を送ると決めた。だが、これらの悔い改めない性悪の小作人達は、この息子を見ると考えた。『あれは跡取りである。さあ、殺そう。そうすれば、遺産は我々のものになるであろう。』そこで息子を掴まえ、ブドウ園から放り出した後で殺した。息子をいかように斥け殺したかを聞いたならば、ブドウ園の主人は、それらの恩知らずで性悪の小作人達に何をするであろうか。」
この寓話とイエスの質問を聞くと、人々は答えた。「それらの情けない者達を掃滅し、季節の収穫を収める他の正直な農夫達にブドウ園を貸すであろう。」と答えた。そして、話を聞いた者の一部は、この寓話がユダヤ国家とその予言者達の扱いに言及していると気づき、イエスと王国の福音への差し迫っている拒絶を悲しんで言った。「神は、我々が、これらのことをし続けることを禁じている。」
イエスは、群衆の間を進んでくるサッヅカイオス派とパリサイ派の一団を目にし、彼等が接近するまでしばらく休止して、「あなた方は、父がどのように予言者を拒絶したか、また心で人の息子を拒絶する用意ができているかをよく知っている。」と言った。そして、イエスは、次に近くに立っている司祭と長老達を探る目つきで見て言った。「あなた方は、建築師が拒絶した石、そして、それを発見した時、人々が礎石にした石の記述を聖書で一度も読まなかったのか。そこで、もう一度警告する。あなた方が、この福音を拒絶し続けるならば、やがて神の王国は取り上げられ、そして、朗報を受け取り、精霊の実を結ぶ気持ちがある民族に与えられるであろう。そして、この石に関する神秘がある。誰であろうとその上に落ちる者は、それがために粉々に砕かれはするが、救われる。しかし、この石は、誰の上に落ちようとも、塵と砕かれ、その灰は、四方八方に撒き散らされるであろう。」
パリサイ派は、これらの言葉を聞くと、イエスが自分たちと他のユダヤ人指導者に言及していることを理解した。その場でイエスを捕らえることを大いに望んだが、群衆を恐れた。しかしながら、あるじの言葉に非常に立腹したので、かれらは、退いて、いかに彼の死を成就できるかを更に相談をするほどであった。その夜、サッヅカイオス派とパリサイ派の双方は、翌日イエスを罠にかける計画において手を握り合った。
筆記者と支配者達の撤退後、イエスは、再び群衆に向かって演説し、婚礼の宴の寓話を話した。
「天の王国は、息子のために婚礼の宴を設け、『王宮での婚礼の夕食会の準備は全て整っている』と、前もって祝宴に招待された人々を呼びに使者達を差し遣わせたある王に例えられるかもしれない。さて、一度出席すると約束した人々の多くが、この時来ることを拒否した。王は、招待への拒絶を知ると、『招いた者全てに告げなさい。さあ、食事の用意ができました。牛も肥えた家畜もほふって、息子の結婚の祝賀の準備はすべて整っている。』と言って他の使用人と使者達を送った。だが、浅薄な者達は、王のこの呼び出しを軽んじ、一人は畑に、一人は窯場に、他の者達は商売に出掛けた。それでも、その他のもの達は、このように王の呼び出しを侮辱するだけには満足せず、暴動を起こし、王の使者達を襲い、不届きにも虐待し、そのうちの一部を殺しさえした。そして、王は、選ばれた客、そしてその中の事前の招待に出席すると応じていた客でさえ、最後には呼び出しを拒絶し、暴動を起こし、使者達を強襲し殺したと知ると、非常に怒った。それからこの侮辱された王は、軍隊と同盟国の軍隊の出動を命じ、これらの反抗的な殺人者達を滅ぼし、その都市を焼き尽くすように命じた。
「王は、招待を拒んだ人々を罰してしまうと、婚宴の日を更にもう一日定めて使者達に言った。『結婚式に最初に招かれた者達は、相応しくなかった。そこで、今度は、幾つかの道路や街道に別れ、都の境界を超えてさえ行き、見つけられる限りの人、見知らぬ人さえ来るように、そしてこの婚宴に出席するように命じなさい。』そこで使用人は、街道や辺鄙な場所に出かけ、善人も悪人も、富者も貧者も見つけられる限りの人々を集めたので、結婚式場は、漸く喜んで出席する客で満たされた。王は、全ての準備が整うと、客の見えるところに出てきたが、非常に驚いたことに、一人の男性が婚礼用の衣類を身に纏っていないのであった。王は、全招待客のために婚礼用衣類を十分に準備していたのでこの男性に向かい、『友よ、この祝典に婚礼の衣服を着用せず来賓室にいるというのはどうしたことか。』と言った。すると、この準備ができていていない男性は、言葉もでなかった。その時、王は使用人に言った。『私のもてなしを拒み、また、私の呼び出しを拒絶した他のすべての者達と運命を共にするために、この考えの足りない客を家から追い出しなさい。私の招待に喜んで応じる者、全員に行き渡るように用意した客用の衣類を着て私に敬意を表する者以外は、誰もここにはいさせない。』」
この寓話を話した後に、思いやりのある信者が、群衆を擦りぬけてイエスに向かってやって来たとき、イエスは群衆を解散させようとしていた。「しかし、あるじさま、私達は、これらのことを如何ようにして知るのでしょうか。王様の招待にどのように準備ができるのでしょうか。あなたが神の息子であることを知るために私達に与えられる1つの印が与えられるであろう。」、と言った。そして、自身の身体を指差し、「この寺院を破壊しなさい。そうすれば、3日のうちに、私はそれを起こすであろう。」と続けた。しかし、かれらは、彼を理解せず、解散しながら、「この寺院が建てられるのにおよそ50年に掛かったというのに、それを破壊し、3日間のうちに建てるとあの方は言われる。」と言い合った。自身の使徒さえ、この発言の意味を解しなかったが、その後、イエスの復活後に彼が言ったことを思い出した。
この午後4時頃、イエスは、使徒に合図を送り、寺院を出て夕食と睡眠のためにベサニアに行くことを望むと示した。オリーヴ山への途中、イエスは、かれらが、翌日、過ぎ越し祭りの残り週の間住まうことができる野営所を都寄りに設けるべきであると、アンドレアス、フィリッポス、トーマスに指示した。次の朝、この指示に従い、ゲスセマニの公共野営公園の見晴らしのきく山腹峡谷の間に、ベサニアのシーモンの所有する土地一画に、自分達の天幕を張った。
またもや、この月曜日の夜オリーヴ山の西の傾斜を登ったのは、ユダヤ人の静かな一集団であった。この12人の男性達は、今までになかったように、何か悲惨なことが起ころうとしていると感じ始めていた。早朝の劇的な寺院の浄化は、あるじが自己を主張し、その強力な力を示すのを見るという12人の望みを喚起する一方で、ユダヤ人当局によるイエスの教えに対する確かな拒絶を示すという点において、午後の出来事全体は、逆転劇として作用したに過ぎなかった。使徒は、持続的な緊張感に陥り、ひどい不安状態にあった。かれらは、過ぎたばかりのその日の出来事と迫り来る運命の激突との間にせめて短い数日が介在してくれればと気づいた。彼らは全員、何か物凄いことが起ころうとしていると感じたが、何を待ち受ければよいかを知らなかった。かれらは、休息のために様々なところに行きはしたが、ほとんど眠らなかった。あるじの人生における出来事が迅速にその最終的頂点に向かっているという認識が、遂にアルフェウスの双子にさえ起きた。
この火曜日の朝7時頃、イエスは、使徒、女性部隊、他の25人ほどの目だった弟子をサイモンの家で迎えた。かれは、この会合でラーザロスにペライアのフィラデルフィアに早く逃げさせることとなる指示を与えて別れを告げ、ラーザロスは、そこで後にその都に本部を置く伝道運動に関わることとなった。イエスは、高齢のサイモンにも別れを告げ、決して再び正式には述べることはなかったので、女性部隊に別れの際の助言を与えた。
この朝、イエスは、個人的に12人各自に挨拶をした。アンドレアスには、「すぐ先にある出来事で狼狽えてはいけない。同胞をしっかり掴まえ、君が意気消沈したとさとられないようにしなさい。」と言った。ペトロスには、「体の腕も鋼の武器も信用してはいけない。永遠の岩石の精霊的な基盤に自己をうち建てなさい。」と言った。ジェームスには、「外見ゆえに怯んではいけない。堅い信仰に留まりなさい。そうすれば、信じるその現実をすぐに知るであろう。」と言った。ヨハネには「穏やかでありなさい。敵をも愛しなさい。寛容でありなさい。そして、私が多くの事を君に任せてきたことを思い出しなさい。」と言った。ナサナエルには「外見で判断をしないように。すべてが消失しているように見えるとき、堅い信仰を持ち続けなさい。王国の大使としての使命に忠実でありなさい。」と言った。フィリッポスには「すぐに迫りくる出来事に冷静でありなさい。例え道を見ることができなくても、揺るぎないままでいなさい。聖職の誓いに忠誠でありなさい。」と言った。マタイオスには「君を王国に受け入れた慈悲というものを忘れないように。君の永遠の報酬を誰にもだまし取らせないように。死すべき者の自然の性癖に耐えてきたように、意志をもち、不動でいなさい。」と言った。トーマスには「それがどんなに難しくても、まさしく今は、視覚ではなく、信仰によって歩かなければならない。私は、始めた仕事を終えることができるということ、そして、私が、遂には向こうの王国で、私の忠実な全ての大使に会うということを疑ってはいけない。」と言った。アルフェウスの双子には「理解できないことに潰されてはいけない。心にある愛情に誠実であり、そして、偉人や人々の態度の変化のいずれにも信用を置いてはいけない。同胞を支援しなさい。」と言った。シーモン・ゼローテースには、「シーモン、君は失望に押し潰されるかもしれないが、君の精霊は、君が出くわすかもしれないすべてを超越するであろう。私から学び損ねたことを私の精霊が君に教える。精霊の真の現実を求め、非現実的で物質的な影に引きつけられることをやめなさい。」と言った。そして、ユダ・イスカリオテには「ユダ、私は、君を愛してきたし、君がその同胞を愛するように祈ってきた。善を行うことに飽きないように。そして、私は、滑りやすい世辞の道や毒のある嘲笑の投げ矢に注意するように警告しておきたい。」と言った。
これらの挨拶を終えると、他の使徒は、その夜皆で向かおうとしていた、そしてあるじの肉体での人生の残りの間の自分達の本部を作るゲッセマネの宿営所設立に出発するとともに、イエスは、アンドレアス、ペトロス、ジェームス、ヨハネと共にエルサレムに出発した。オリーヴ山への坂の半道程でイエスは止まり、1時間以上も4人の使徒達と雑談した。
数日間、ペトロスとジェームスは、罪の許しについてのあるじの教えに関する自分達の意見の相違を検討していた。二人は、イエスへの問題提示の同意に至り、ペトロスは、この時をあるじの助言を確保する好機として迎え入れた。それゆえサイモン・ペトロスは、「あるじさま、ジェームスと私は、罪の許しに関係するあなたの教えに一致していないのです。ジェームスは、我々が請う前にさえ、父はすでに我々を許すのだとあなたが教えていると主張します。私は、悔悟と懺悔が許しに先行しなければならないということを主張します。二人のうちどちらが正しいのですか。どうでしょう。」と切り出し、称賛と崇拝間の違いについての会話を遮った。
暫しの沈黙後、イエスは、意味深長に4人全員を見て答えた。「我が同胞よ、君達は、被創造物と創造者、人と神の間の親密で情愛深い関係の本質を理解していないので、それぞれの意見で誤っている。君達には、賢明な親が、未熟で時々間違っている子供に抱くその理解ある同情心の把握というものができていない。賢明で情愛深い両親は、平均的で普通の子供を許すことを要求されるかどうかは誠に疑わしい。愛の態度と関連した理解ある関係は、子供の悔悟と親の許しの再調整を後に必要とするようなすべてのそれらの疎遠を効果的に防いでいる。
「あらゆる父の部分が子の中に住む。父は、親子関係関係がある全ての問題において、理解の優先権と優越性を楽しむ。親は、より発達した親の円熟さ、年を取った方のより熟した経験に照らし合わせて子供の未熟さを見ることができる。地球の子と天なる父とでは、神性の親は、無限で神性の同情と愛ある理解への度量がある。神の許しは、必然である。それは、神の無限の理解において、子の誤った判断や誤りの選択に関わるすべてにおける神の完全な知識において、固有で譲渡できないものである。神の正義は、永遠に正しいので、それは絶えることなく慈悲を具体化している。
「賢者が仲間の内面の衝動を理解するとき、彼らを愛するであろう。そして、君達が兄弟を愛するとき、君達はすでに兄弟をを許したのである。人の本質を理解し、その見かけの悪行を許すこの能力は、神のようである。君が賢明な両親であるならば、これが、子供を愛し理解する態度、一時的な誤解が明らかに君を切り離してしまった時に許しさえする態度である。未熟で、父子関係の深さのより完全な理解を欠く子供は、父の完全な承認からの後ろめたい分離の感覚を頻繁に感じなければならないが、本物の父は、そのような分離を決して意識してはいない。罪は、被創造物の意識の経験である。それは、神の意識の一部ではない。
「君の仲間を許す能力の無さ、あるいは不本意さは、未熟さの尺度、つまり、大人の同情心、理解、愛を得ることへの失敗の尺度である。君は、自分の子供と仲間の内面の本質と本当の切望への自己の認識不足に正比例して、恨みを抱いたり復讐心を暖めている。愛は、命への神性の緩やかな働きであり、内なる衝動である。それは、理解に基づき、寡欲な奉仕によって育てられ、知恵で完成する。」
月曜日の夕方、筆記者、パリサイ派、サッヅカイオス派から選ばれたおよそ50人の追加の指導者とシネヅリオン派との間での協議会が行われていた。一般人の好情を掴んでいるイエスを公然と逮捕することは危険であるというのが、この会合の総意であった。また、逮捕と告発の前に、群衆の目前でイエスの信用を落とすべく決然たる努力が払われるべきであるということも、大多数の意見であった。従って、学問のある者の幾つかの班は、翌朝、寺院に参上し、イエスを難しい質問で罠にかけたり、そうでなければ、人々の前で恥をかかせる任に選定された。遂に、パリサイ派、サッヅカイオス派、ヘローデス党さえも全てが、、過ぎ越し祭りの群衆の目前でイエスの信用を落とすこの努力において連合した。
火曜日の朝、イエスが寺院の中庭に到着し教え始めた時、この目的のために予行演習をしていた学院からの若い学生班が進み出てきて、その代弁者が話かけたとき、イエスはまだわずかな言葉しか発していなかった。「あるじさま、我々は、あなたが公正な師だと知っていますし、、真実の道を宣言するということ、神だけに仕えているので誰をも恐れないということ、人々を差別する方でないということを知っています。私達は、学生にすぎません、そして、私達を煩わす問題について真実を知りたいのです。私達の困難はこれです。私達がケーサーに納税することは律法に適っていますか。渡すべきですか、そうすべきではないのでしょうか。」イエスは、彼らの偽善と小賢しさを見抜いて言った。「何故そのように私を唆せに来たのか。私に納税の金を見せなさい。そうすれば、答えてあげよう。」そこで、彼らがデナリウス銀貨を手渡すと、それを見てイエスは、「この硬貨には誰の像と表記があるか。」と言った。そこで、「ケーサーのものです。」と、答えると、「ケーサーのものはケーサーに、神のものは神に提供しなさい。」とイエスは言った。
かれがこう答えると、これらの若い筆記者とヘローデス党の共犯者達は、イエスの前から撤退し、人々は、サッヅカイオス派でさえ、これらの者達の困惑を面白がった。罠にかけようと努めた若者達でさえ、あるじの答えの予想外の明敏さに大いに驚嘆した。
前日、支配者は、教会の権限の問題で群衆の前でイエスを躓かせようとして失敗し、今度は、民間当局の議論に巻き込んで痛手を与えようとした。このとき、ピラトゥスとヘロデの二人は、エルサレムにおり、イエスの敵は、イエスが敢えてケーサーへの納税の支払いに対して忠告するならば、すぐにローマ当局に行き、扇動の嫌疑で告発することができると推測した。これに反してはっきりと納税の支払いを勧めるならば、そのような見解がユダヤ人の聴衆の国家的な自負心を大いに傷つけ、その結果、群衆の善意と好情を疎外させると、敵は、正しく目算した。
「鋳造の権利は、それと共に徴税の権利を伴う」という裁決は、非ユダヤ人の国々に分散するユダヤ人の指導のために設けられたシネヅリオン派の有名な裁決であったので、イエスの敵は、この全てにおいて破られた。イエスは、この方法で彼らの罠を避けた。質問に「いいえ」と答えていたならば、反逆を教唆することと同じであったし、「はい」と答えていたならば、当時の根強い国家主義的な感情に衝撃を与えていたことであろう。あるじは、質問を決して回避しなかった。かれは、単に二重回答をする知恵を使ったに過ぎなかった。イエスは、決して回避的ではなかったが、自分を悩ませ滅ぼそうとする者とのやりとりにおいていつも賢明であった。
イエスが教えを開始できる前に、別の集団が、今回は学識のある狡猾なサドカイ派の一団が、質問のために進み出てきた。その代表者は近づいてきて言った。「あるじさま、モーシェは、既婚の男性が子供もないままで死ぬようなことがあれば、その兄弟が、死んだ兄弟のために妻をめとり、子をもうけなければならないと言いました。さて、6人の兄弟を持つある男が子供のないまま死んだ例がありました。すぐ下の弟が兄の妻をめとりましたが、子無しですぐまた死んでしまいました。同様に、2番目の弟がその妻をめとり、また子のないまま死にました。同じように、6人全ての弟がその妻をめとり、子供のできないままで6人が皆亡くなりました。そして、全員の死後、女性自身も死んでしまいました。さて、私達が尋ねたいことはこれです。この兄弟7人全員が妻にしましたので、この女性は、復活の際、誰の妻となるのでしょうか。」
イエスは、そして人々も、そのような例は実際起こりそうにもないということから、これらのサドカイ派は、誠意をもってこの質問をしていないということが分かっていた。そのうえ、死んだ男性の兄弟が子供を儲けようとするこの習慣は、このときのユダヤ人の間では、実際上は廃れたものとなっていた。それでも、イエスは、彼らの悪戯な質問に威張ることなく答えた。かれは、「あなた方は聖書も、生ける神の力も知らないので、そのような質問に際し、皆、間違いをする。あなた方は、この世の息子が、結婚したり、縁づいたりもできるということは知っているようであるが、正しい復活で来たるべき世界に達するに相応しい者は、結婚も、縁づきもしないということは理解していないらしい。死者の中からの復活を経験する人々は、天上の天使に似ており、決して死なない。これらの復活した者は、永遠に神の息子である。かれらは、永遠の命の進展に復活する光の子供等である。そして、あなた方の父のモーシェでさえ、これを理解した、というのも、燃える柴の彼の経験に関して、『私はアブラーハームの神であり、イサクの神であり、ヤコブの神である。』と、父が言うのを聞いたのであるから。そして、私は、モーシェと共に、父が死者の神ではなく、生ける神であると宣言する。あなた方全員は、神の中に生き、再生して、人間生活をする。」
イエスがこれらの質問に答え終えると、サドカイ派は、撤退し、「本当です、本当です、あるじさま、これらの不信心なサドカイ派によく答えてくれました。」とパリサイ派の数人は、我を忘れるほどに主張するほどであった。サドカイ派は、それ以上の質問を敢えてしようとはせず、一般人は、イエスの教えの知恵に驚嘆した。
イエスは、この宗教政治の宗派が、5書、いわゆるモーシェの書のみの正当性を承認していたことから、サドカイ派との対戦においてモーシェにのみ訴えた。かれらは、予言者の教えが、教理上の教義の基礎として容認しなかった。答えるに当たりあるじは、復活の手段による必滅の被創造物の生存事実を前向きに肯定しながらも、文字通りの人体復活というパリサイ派の信念についていかなる点においても賛成して話しはしなかった。イエスが強調したかった点は、次の通りであった。父が、『私は、アブラーハームとイサクとヤコブの神である。』と、言ったことであり、彼らの神であったということではなかった。
サドカイ派は、公然の迫害が、群衆の心に最も確実にそれまで以上の同情を生み出すことを熟知しており、嘲笑によりイエスをひるませるようと考え抜いてきた。
サドカイ派の別の一団が、天使に関する紛議を醸す質問をイエスにするように指示されていたが、復活に関する質問で罠にかけようとした仲間の運命を視たとき、非常に賢明にも黙っていることにした。かれらは、質問することなく引きさがった。まる一日をこれらの紛議を醸す質問で満たし、そうすることにより、人々の前でイエスを落としめ、同時にイエスが、不穏な教えの公布のためのいかなる時間をも得ることのないように効果的に防ぐことは、事前の打ち合せで盟約しているパリサイ派、筆記者、サドカイ派、ヘローデス党の計画であった。
それからパリサイ派の中の1集団が、悩ます質問をするために前方に来て、代弁者が、イエスに合図をして言った。「あるじさま、私は法律家であります。あなたの意見では、いずれが最も偉大な戒めであるかをお尋ねしたいのです。」イエスは答えた。「1つの戒めしかなく、それは何よりも偉大であり、その戒めは次の通りである。『イスラエルよ、聞け。私達の主である神は、唯一の主である。心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、神である主を愛せよ。』これが、最初で、しかも偉大な戒めである。そして、第2の戒めは、この最初に似ている。いかにも、直接そこから発しており、『自分を愛するように隣人を愛せよ。』というものである。これらの戒めより偉大なものは他にはない。すべての法と予言者達とが、この2つの戒律に寄りかかっている。」
この律法学者は、イエスがユダヤ人宗教の最高の概念通りだけではなく、集いきた群衆の目にもまた賢明に答えたと認めた時、あるじの答を公然と称賛することを勇気の大半であると考えた。従って、「あるじさま、その通りです。心を尽くし、思いをを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、神である主を愛せよ。』これが、最初で、しかも偉大なる戒めである。そして、第2の戒めは、この最初に似ている。いかにも、直接そこから発しており、『自分を愛するように隣人を愛せよ。』あなたは、神は唯一であり、他にはいないということ、そして、心と理解と強さの全てで神を愛すること、また自らを愛するように隣人を愛することが、最初で偉大な戒めであると、よく仰っしゃいました。私達は、すべての焼いた供物と犠牲によりもこの偉大な戒めに、はるかに敬意を払うべきであるということに同意します。」と言った。律法学者がこのように慎重に答えると、イエスは、彼を見下ろして、「友よ、私は、あなたが神の王国から遠くないところにいると見受ける。」と言った。
この律法学者に「王国から遠くない」と言及したとき、イエスは、真実を語ったのであった。というのは、まさしくその夜、この律法学者は、ゲッセマネ近くのあるじの宿営所に出かけ、王国の福音の信仰を告白し、アブネーの弟子の一人ヨシアの洗礼を受けたのであった。
筆記者とパリサイ派の他の2、3の他の団体が、出席しており、質問するつもりでいたが、律法学者へのイエスの答えによって武装を解かれたのか、または、罠に嵌めることを引き受けたすべての者の敗北に阻止されたかのいずれかであった。この後、誰もイエスに敢えて公然と質問をしなかった。
それ以上の質問が出るようすもなく、正午が近づいていたので、イエスは、教えを再開せず、単にパリサイ派とその仲間に質問することで満足していた。イエスは言った。「あなた方がもう質問をしないので、私の方から1つ尋ねたい。救出者をどう思われますか。すなわち、救出者は誰の息子ですか。」短い間をおいて、筆記者の一人が、「救世主は、ダーヴィドの息子です。」と答えた。そして、イエスは、救世主がダーヴィドの息子であったかどうかに関して盛んな討論があったこと、弟子の間でさえあったことを知っていたので、さらに次の質問をした。「救出者が本当にダーヴィドの息子であるならば、あなた方が認める詩篇で、ダーヴィド自身が、精霊に鼓舞されて話し、『主は私の主に言われた。私があなたの敵をあなたの足台にするまで、私の右の座に着いていなさい。』とは、どういう訳ですか。もしダーヴィドが、自身を主と呼ぶならば、では、かれは、どうして自分の息子であり得るのでしょうか。」支配者、筆記者、祭司長等は、この質問に答えず、同様に、イエスを困らせるためのそれ以上の質問をするのを控えた。イエスのこの質問に決して答えなかったが、かれらは、あるじの死後、救世主の代わりにアブラーハームに言及するためにこの詩篇の解釈を変えることによって困難を避けようとした。他の者達は、ダーヴィドが、いわゆるこの救世主の詩篇の作者であったということを認めないことで窮地から逃れようとした。
パリサイ派は、ほんの少し前、サドカイ派が、あるじに黙らされた様子を楽しんでいた。そのときサドカイ派は、パリサイ派の失敗を喜んでいたが、そのような競争は、ほんの瞬間のことであった。かれらは、イエスの教えと行動を止める連合努力において、自分達の古くからの違いを速やかに忘れた。しかし、民衆は、これらの経験のすべてを通じてイエスの言うことを快く聞いていた。
正午頃、フィリッポスは、その日ゲッセマネ近くに設けられた新しい宿営所のための必要物資の購入をしていると、見知らぬ代表団が、アレキサンドリア、アテネ、ローマからのギリシア人の信者の団体が、無遠慮に接近し、その代弁者がこの使徒に言った。「あなた方を知る人々に指し示されて、先生、私達は、あなたのあるじさま、イエスさまに会うという願いで来たという訳です。」フィリッポスは、市場でこれらの目立つ、しかも好奇心の旺盛なギリシアの非ユダヤ人にこのように出会い、不意を打たれ、また、イエスが過ぎ越し祭りの週の間、いかなる公けの教えにも従事しないように、あれほど明白に12人全員に託していたので、この件を扱う正しい方法にいささか当惑した。かれは、これらの男性が外国の非ユダヤ人であったのにも当惑した。彼らが、ユダヤ人または近くて馴染みのある非ユダヤ人であったならば、それほどまでに著しく躊躇しなかったであろうに。彼がしたことはこうであった。かれは、ギリシア人がいたところにそのまま残るように頼んだ。フィリッポスが急いでその場を離れたので、ギリシア人達は、イエスを探しに行ったのだと思ったが、実際かれは、アンドレアスと他の使徒が昼食にきているのを知り、ヨセフの家へ急いだのであった。そして、アンドレアスを呼び出し、自分が来た目的を説明し、それから、アンドレアスに伴われ、待っているギリシア人の元に戻っていった。
フィリッポスは、物資購入もほとんど終わってたいたので、アンドレアスとともにギリシア人を連れてヨセフの家に帰り、そこで、イエスは、彼らを迎え入れた。そして、イエスが使徒とこの昼食会に集合した主だった弟子達に話す間、彼らは近くに座っていた。イエスは言った。
「私の父は、人の子への父の慈愛を示すために私をこの世界に差し向けたが、私が最初に目差して来た人々は、私を迎えることを拒否した。本当に、本当に、あなた方の多くは、自分のために私の福音を信じてきたが、アブラーハームの子孫とその指導者達は、私を拒絶しようとしているし、そうすることにより、かれらは、私を送ったあの方を拒絶しているのである。私は、この民族に救済の福音を率直に宣言してきた。精霊における歓喜と自由と、より豊かな生活を伴う息子性について話してきた。私の父は、恐怖に支配されているこれらの人の息子の間で、多くの素晴らしい働きをしてきた。しかし、本当のところ、次のように書いたとき、イェシャジャは、この民族に言及したのであった。『主よ、誰が我々の教えを信じていましたか。また、主は誰に示されましたか。』本当に、私の民族の指導者達は、彼らが見ないために自分達の目を故意にくらませ、信じもせず、救われないために心を堅くした。長年私は、彼らが、父の永遠の救済の享受者であり得るように彼らの不信心を癒そうとをしてきた。私は、全ての者が、私の期待を裏切った訳ではないことを知っている。あなたの一部は、本当に私の言葉を信じた。この部屋に、かつてのシネヅリオン派の構成員であったり、国の議会で高位にいた者達がいる、とはいえ、あなた方の一部は、彼らが、会堂からあなたを追放しないようにおおっぴらの真実の告白について逡巡している。あなた方の一部は、神の栄光よりも人の栄光を愛したがっている。しかし、私は、本当に長く近くにいる者達の何人かについてでさえ、そしてとても真近に暮らした者達の安全と忠誠を気遣っているので、私は忍耐を示さざるを得ない。
「この宴会の場に、同数のユダヤ人と非ユダヤ人が集まっていると見受け、私は、父のところに行く前に、王国の事柄について教えることのできる最初で最後のそのような集団としてあなた方に向けて言いたい。」
これらのギリシア人は、寺院でのイエスの教えの忠実な出席者であった。月曜日の夕方、ニコーデモスの家で会議を開催し、それは、その日の夜明けまで続き、そのうちの30人が王国に入ることにした。
このとき皆の前に立ったとき、イエスは、配剤の1つの終わりともう1つの始まりを知覚した。ギリシア人の方に注目して、あるじは言った。
「この福音を信じる者は、単に私を信じるのではなく、私を送られたあの方を信じるのである。私を見るとき、あなたは、単に人の息子を見ているのではなく、私を送られたあの方をも見ている。私は世の光であり、私の教えを信じる者は誰でも、暗闇には留まらないのである。もしあなた方非ユダヤ人が、私の言葉を聞くならば、あなた方は、生命の言葉を受け取り、神との息子性の真実の喜ばしい自由の中へ直ちに入る。同国の仲間達が、ユダヤ人達が、私を拒絶し、私の教えを拒否することを選んでも、私は、彼等を裁きはしない。私は、世界を裁きにきたのではなく、世界に救済を申し出にきたのであるから。にもかかわらず、私を拒絶し、私の教えの受け入れを拒否する者達は、しかるべき時機が来れば、父、そして、慈悲の贈り物と救済の真実を拒絶する者達を裁くために父に任命された者達による審判に連れてこられるであろう。あなた方全員、覚えていなさい、私は自分自身について話してはいないということを、しかし、人の子等に明らかにすべきであるという父の命令をあなた方に忠実に宣言してきたということを。そして、父が、私に世界に向かって話せと指示されたこれらの知らせは、神性の真実、恒久の慈悲、永遠の命についての教えである。
だが、わたしは、人の息子が賛美される時が来ようとしていると、ユダヤ人と非ユダヤ人の双方に断言する。あなたは、一粒の小麦が地に落ちて死ななければ、それは、一粒のままであるということをよく知っている。しかし、良い土壌で死ぬならば、それは、再び命を吹き返し多くの実をつける。身勝手に自分の命を愛しむ者は、それを失う危険に曝されている。しかし、私のため、また福音のために進んで命を捨てようとする者は、地上においてはより豊かな人生を、天においては永遠なる命を楽しむのである。本当に私について来るならば、私が父の元に行った後でさえ、あなたは、私の弟子となり、仲間の人間の誠実な召し使いになるのである。
「わたしは、私の時間が近づいていることを知っており、当惑している。私の民族が断固として王国を拒もうとしていることを察知しているが、わたしは、光の道について尋ねに今日ここに来たこれらの真実を求める非ユダヤ人を迎えて喜んでいる。それでも、私の心は、私の民族のために痛み、私の魂は、すぐ前に待ち受けているそれによって取り乱されている。私が先を見、私に起ころうとしていることを見分けるにつけ、何と言ったらいいのか。このとんでもない時間から救ってくださいと父に言おうか。いや。まさしくこの目的のためにこそ、私は、この世界に来たのである、このような時にさえ。むしろ、私は、言うし、あなた方が私に加わるように祈る。父よ、あなたの名が崇められますように。あなたの意志がなされますように。」
イエスがこのように話したとき、洗礼前に内在していた専属調整者が、イエスの前に現れ、そしてイエスが目立って一瞬止まっている間、そのとき、父の代理の強力な精霊が、ナザレのイエスに話して、「わたしは、何回もあなたの贈与において自分の名に栄光をもたらしてきた。そして、わたしは、もう一度、それに栄光をもたらすつもりである。」
ここに集うユダヤ人と非ユダヤ人は、声を聞きはしなかったが、何らかの超人的な源から通信が来る間、あるじが話すのを止めてしまったということを認識することができた。彼らは皆、彼の側にいる者同志で、「天使が彼に話した」と言い合った。
それから、イエスは、話し続けた。「この全ては私のために起こるのではなく、あなた方のために起こった。私は、父が望んで私を迎え、あなた方のために私の任務を受け入れるということを確かに知っているが、あなた方が、勇気づけられ、ちょうどすぐ先にある火のような試煉のために用意ができていることが必要である。勝利は、結局、世界を照らし、人類を解放するための我々の連合した努力に報いるということを、私が請け合う。古い秩序は、それ自体を裁きへともたらす。私は、この世界の王子を打倒した。そして、私が天の父の元に昇った後、すべての人が、すべての人に私が注ぐ精霊の光で自由になるのである。
「そして私が、もし地球で、そしてあなたの人生で持ち上げられるならば、私は、すべての人を私自身に、そして父との親交に引き寄せるということを、今あなたに断言する。あなたは、救出者がいつまでも地球にとどまると信じていたが、私は、人の息子が人に拒絶されるということ、また彼が父の元に戻るということを断言する。私は、ほんの少しの間だけあなたと共にいる。ほんの少しの時間だけ、生きた光が、この暗い世代の間にある。接近する闇と混乱があなたを襲うことのないように、この光があるうちに歩きなさい。闇の中を歩く者は、自分がどこに行くかを知らないが、光の中を歩くことを選ぶならば、本当に、あなた方は皆、神の解放された息子になるであろう。さて、我々は寺院に戻るので、あなた方は全員、私と共に来なさい。そして、私は、祭司長、筆記者、パリサイ派、サドカイ派、ヘローデス党、イスラエルの無知な支配者達に送別の言葉を伝える。」
このように話して、イエスは、エルサレムの狭い通りを先頭に立ち寺院へと戻っていった。これが、寺院での送別の訓話になるとあるじが言うのを聞き、かれらは、黙って、また深い思索でイエスの後に続いた。
この火曜日の午後2時直後、11人の使徒、アリマセアのヨセフ、30人のギリシア人と特定の他の弟子を伴ったイエスは、寺院に到着し、神聖な建物の中庭での最後の演説を始めた。この講話は、ユダヤ民族への最後の訴えとして、そして猛烈な敵や、イエスを滅ぼそうと志す者達—筆記者、パリサイ派、サドカイ派、イスラエルの主っだった指導者達—への最終的な告発として意図されていた。午前を通して、様々な集団がイエスに質問する機会があった。この午後は、誰も彼に質問をしなかった。
あるじが話し始めると、寺院の中庭は静かで整然としていた。両替商と商人達は、前日イエスと興奮した群衆に追い出されたので、敢えて寺院には再び入っていなかった。イエスは、偽教師への最後の告発と頑迷なユダヤの支配者達への最後の公然たる非難とともに、人類への慈悲を込めた公への送別の演説をそれほど速く聞くこととなったこの聴衆への講話の開始前に優しく見下ろした
「私は、あなた方と長らく共にいて、人の子等への父の愛を宣言して国中を往来し、多く者は、信仰により光を見て天の王国入りをした。この教えと説教に関連して、父は、多くの素晴らしい業を、死者の復活さえも為された。多くの病人や苦悩する者は、信じたがゆえに癒された。しかし、真実のこの宣言と病の治癒の全てが、光を見ることを拒む者、王国のこの福音の拒絶を固く決めている者達の目を開いた訳ではなかった。
「私と使徒達は、父の意志の実行と一致してあらゆる方法において、我々の同胞と平穏に暮らすために、つまりモーシェの法とイスラエルの伝統の道理に適った必要条件に適合するために、最善を尽くしてきた。我々は平和を持続的に求めてきたが、イスラエルの指導者達はそれを得ることはないであろう。神の真実と天の光を拒絶することにより、かれらは、自分たちの誤りと暗黒に加担している。平和が、光と暗闇の間、生と死の間、真実と誤りの間にあるはずがない。
「あなた方の多くは、私の教えを思い切って信じ、すでに神との息子関係の意識の喜びと自由へと入っていった。そして、私は、全ユダヤ国家に、いま私の破滅を求める他ならぬこれらの男性達にさえ、神とのこの同じ息子関係を提供したということを証言するであろう。そして、今でさえ、彼らが、父に振り向いてその慈悲を受け入れさえすれば、私の父は、これらの目をくらんだ教師と偽善の支配者達を迎えるであろう。今でも、この人々が、天国の言葉を受け入れ、人の息子を歓迎することに遅過ぎることはない。
「私の父は、長い間慈悲をもってこの民族を扱ってきた。代々、我々は、教えて警告するために予言者達を送り出し、代々、かれらは、この天与の教師達を殺してきた。そして、今度は、強情な高位の司祭と頑固な支配者達が、この同じことをし続けている。ヘロデが、ヨハネの死をもたらしたように、あなた方は、いま人の息子を滅ぼす準備をしている。
「ユダヤ人が私の父の方に向き直り、救済を求めるという見込みがある限り、アブラーハーム、イサク、ヤコブの神は、あなた方に向かって慈悲の手を一杯に伸ばし続けるであろう。しかし、あなた方が、一旦焦燥感で杯を満たしてしまうと、一旦父の慈悲を拒絶してしまうと、この国家は、自らの思いのままの状態におかれ、それは、速やかに不名誉に終わるであろう。この民族は、世界の光になるために、神を知る民族の精霊的な栄光を示すために呼ばれたが、あなたの指導者達は、すべての人間への、またすべての時代のための神の贈り物—地球のすべての被創造物のための天の父の愛の顕示—を遂に拒絶する間際にいるので、すべての時代を通じて最高の愚行を犯そうとする程に神の特権の遂行からは全く遠退いてしまった。
「そして、あなたが人に対する神のこの顕示を一度拒絶するとき、天の王国は、他の民族に、嬉々としてそれを受け入れる人々に与えられるのである。私を送った父の名において、あなたが不朽の真実の旗手として、また神性の法の管理人として世界での地位を失いかけているということを厳しく警告しておく。幼子のように、そして誠実な信仰によって、あなたが、天の王国の保安と救済に入るために真心をこめて神を求めるというあなたの意志を示すために、私は、たった今、あなたが、進み出てきて悔悟する最後の機会を申し出ているのである。
「私の父はあなたの救済のために長く働いたし、私は、あなたの間で生きて、じかに道を示すために下りてきた。多くのユダヤ人とサマリア人双方、さらには非ユダヤ人さえが、王国の福音を信じたが、最初に進み出て、天の光を受け入れるために最初であるべき人々は、神の真実の顕示—人の中に明らかにされる神と神に向かって高められる人—を信じることを断固として拒否してきた。
「この午後、私の使徒は、あなた方の前のここに黙って立っているが、あなた方は、救済への呼び掛けと、生ける神の息子としてすばらしい王国と結合するための督促に鳴り響く彼らの声をまもなく聞くであろう。そして、私は、イスラエルとその支配者達に救出と救済を申し出たということを、彼らの側にいる見えない使者達だけではなく、私の弟子と王国の福音の信者のこれらの者が、目撃するように、いま一度呼び掛ける。しかし、あなた方は皆、父の慈悲がいかに軽んじられたり、また真実の使者達がいかに拒絶されるかをみる。にもかかわらず、これらの筆記者とパリサイ派は、モーシェの席にまだ座っていると、私はあなた方に注意しておき、したがって、私は、人の王国で統治するいと高きものが、最後にはこの国を滅ぼし、これらの支配者の場所を破壊するまで、あなた方が、イスラエルのこれらの長老に協力することを命じる。あなた方は、人の息子を滅ぼす計画への結束を要求されてはいないが、イスラエルの平和に関する全てにおいては、彼等の影響を受けることになっている。これらの事柄全てにおいて、彼等が、あなた方に命じることは何でもして、法の骨子を守りなさい、だが、彼等の悪の働きを真似てはならない。覚えていなさい。これは、支配者達の罪である。かれらは、それを良いと言うが、実践をしない。あなた方は、これらの指導者が、いかにあなた方の肩にきつい重荷を負わせているか、その上、かれらは、これらの重荷を担うあなた方を助けるために1本の指といえどもそれに触れようとはしないことをよく知っている。かれらは、式典であなた方を押さえつけ、伝統によって奴隷にした。
「その上、これらの自己中心の支配者達は、人に見られるために慈善行為をして楽しむ。これらの者は、聖句箱を広くし、自分達の公務の礼服の縁を大きくする。かれらは、祝宴では主要な席を欲しがり、会堂では主だった席を要求する。かれらは、市場で称賛を貪り、すべての人にラビと呼ばれることを欲している。そして、人にこのすべての名誉を求める傍らで、秘かに未亡人の家を差し押さえ、神聖な寺院の活動からの利益を取る。これらの偽善者は、見せかけのために人前で長い祈りをし、仲間の注意を引きつけるために施し物をする。差し押さえ
「指配者を敬い、教師に敬意を表すべきではあるが、精霊的な意味合いにおいては、いかなる人をも父と呼ぶべきではない、なぜなら、あなた方の父はただ一人であり、神だけであるのだから。あなた方は、王国で、同胞に威張ろうとすべきでもない。心しなさい、私は、あなた方の中で最も偉大な者が、すべて人の奉仕者になならなければならないとあなた方に教えてきた。神の前で自分自身を高めるならば、あなた方は、確実に卑しめられる。しかし、本当に、謙遜である者は誰でも、確実に高められる。あなた方の日々の生活において、自己称賛ではなく、神の栄光を求めなさい。賢く天の父の意志に自身の意志を従属させなさい。
「私の言葉を間違えてはいけない。私は、私の破滅を今でも求めているこれらの司祭長と支配者に対して悪意を抱いてはいない。私には、私の教えを拒絶するこれらの筆記者とパリサイ派に何の悪意もない。私は、あなた方の多くが秘かに信じるということ、私の時間が来れば、あなた方が、王国への忠誠を公然と表明することが分かっている。しかし、あなた方の律法学者は、神と話すと公言し、それから、世界に父を明らかにする者を敢えて拒絶し、滅ぼすと主張する以上、いかに自分自身を正当化するのであろうか。
「忌まわしいものだ、筆記者、パリサイ派、偽善者達。たまたま自分達の教える方法で学ばないという理由で誠実な人に対して天の王国の入口を閉ざそうとしている。あなた方は、王国入りを拒絶し、同時に、他の全ての者が入ることも妨げるために力の限りを尽くし全てをする。あなた方は、救済の入口に背を向けて立ち、そこに入ろうとする者全てと戦う。
「忌まわしいものだ、偽善者である筆記者とパリサイ派達。1人の改宗者を作るために陸と海を飛び回り、それに成功すると、その者が異教徒の子であったときの倍にも悪くなるまで満足しないのであるから。
「忌まわしいものだ、貧者の持ち物を抑え、モーシェが定めると自分達が考えるとき、神に仕える人々に重い賦課金を要求する司祭長と支配者達。慈悲を示すことを拒む者達、世界に慈悲が来ることを望むことができるのか。
「忌まわしいものだ、偽の教師、盲目の案内人達。盲人が盲人を導くとき、国に何を期待きるのか。双方が破滅の穴に落ち込むであろう。
「忌まわしいものだ、誓いを立てるときに偽り隠す者達。あなた方は、人は、寺院に誓いをし、その誓いを破ることを許すが、誰であろうと寺院の黄金をさして誓う者は、その誓いを果たさなければならないと教えるので、あなた方は詐欺師である。あなた方は、全て愚かで盲目である。自分の不正直さに矛盾さえしている、なぜなら、黄金と伝えられるところでは黄金を浄める寺院とではどちらが大切なのか。あなた方は、人が祭壇に誓うならば、それは何でもないと、だが、祭壇にあるり物に誓うならば、そこで債務者として留めるられるとも教える。あなた方は、贈り物より贈り物を浄める祭壇の方が大切であるのに、又もや、真実が分からないのか。天の神の目にどうしたらそのような偽善と不正直を正当化することができるのか。
「忌まわしいものだ、ハッカ、アニス、クミンを1/10税を収めているが、時を同じくして、法律—信仰、慈悲、思慮分別—のより重味のある問題を無視する筆記者とパリサイ派と他のすべての偽善者達。理にかなった範囲で、これをしなければならないが、他方もおろそかにしてはいけない。あなた方は、誠に盲目の案内人で馬鹿な教師である。あなた方は、ブヨはこして除くが、ラクダは飲み込んでいる。
「忌まわしいものだ、筆記者、パリサイ派と偽善者達。杯と大皿の外側を清めることには几帳面であるが、強要、過剰、欺瞞の汚物が中に残されている。あなた方は、精神的に盲目である。まず杯の内側を清め、そうすればこぼれる物それ自体が外側を清める方が、どれほど良いことだとは気づかないのか。邪悪な無頼漢達、魂は、不正に染まり、殺人で満たされる一方で、モーシェの法の字句に対するあなた方の解釈に適う目的で自分の宗教を外向けに演じる。
「忌まわしいものだ、真実を拒絶し、慈悲を拒む者達。あなた方の多くが、外側は美しく見えるが中には死人の骨やあらゆる不潔な物で一杯の白く塗られた墓のようなものである。それでも、神の勧告を故意に拒絶するあなた方は、人々には、外面的に聖者のようであり公正に見えるが、内面的にはその心は偽善と不正に満ちている。
「忌まわしいものだ、国の偽の先達達。かなたに殉教の予言者達の記念碑を建設し、傍らでは予言者達が伝えてくれた者を滅ぼす陰謀をたてている。あなたは、正者の墓を飾り、先祖の時代に生きていたならば予言者達を殺しはしなかったと得意がっている。それから、そのような独善的な考えにもかかわらず、あなた方は、予言者達が話した方を、人の息子を、殺す用意をする。これらのことをする限り、あなた方は、予言者達を殺した者達の邪悪な息子達であるという自分自身の目撃者である。先へ進みなさい、そして、あなた方の非難の杯を満たすがよい。
「忌まわしいものだ、悪の子達。ヨハネは、あなた方を本当に毒蛇の子と呼んだ、そこで、私は、ヨハネがあなた方に下した判断から、あなた方は、いかにして逃がれることができるのかと尋ねる。
「しかし、今でも、私は、父の名にかけて慈悲と許しをあなた方に提供する。今でも、私は、情愛深い永遠の親交の手を差し出す。父は、賢者や予言者達を遣わした。あなた方は、ある者を迫害し、また、他の者を殺してしまった。そして、ヨハネは、人の息子の到来を宣言して現れ、多くの者が、その教えを信じると、あなた方は、ヨハネを滅ぼした。そして今度は、あなた方は、さらに罪の無い血を流す用意をしている。全地球の裁判官が、天のこれらの使者を拒絶し、迫害し、滅ぼした手段についての報告をこの民族に要求する時、罪の報いの恐ろしい日が来ることが、あなた方には分からないのか。あなた方は、最初の予言者が殺されてから拝殿と祭壇の間で殺されたザハリーアの時代に至るまでの全てのこの正義の血の説明をしなければならないということを理解しないのか。そして、あなた方が邪悪の道を進み続けるならば、この報告は、まさしくこの世代に要求されるかもしれないのである。
「エルサレムよ、あなたの元に送られた予言者達に石を投げ、教師達を殺したアブラーハームの子孫よ、今でも私は、雌鳥が翼の下に雛鶏を集めるようにあなたの子供を集めたいのに、あなた方はそれを望まない。
「そして今、私はあなた方を後にする。あなた方は、私の言葉を聞き決断した。私の福音を信じた人々は今でも、神の王国の中で安全である。私は、寺院で教えている私をあなた方はもう見ることはないということを、神の贈り物を拒絶することを選んだあなたに伝えておく。あなた方への私の仕事は完了した。見よ、私は今、私の子等と共に行き、そしてあなたの家は荒涼としたままあなたに残される。」
それから、あるじは、寺院から出発するように追随者に合図した。
ユダヤ国家の精霊的な指導者と宗教教師が、かつてイエスの教えを拒絶し、残酷な死をもたらそうと共謀をしたというその事実は、神の前に立つ個々のユダヤ人の状況に少しの影響も与えない。そして、それは、仲間の人間としてのユダヤ人に対しキリストの追随者であると称する人々に偏見を抱かせるべきではない。ユダヤ人は、国家として、社会政治集団として、平和の王子を拒絶する甚だしい犠牲を完全に払った。ユダヤ人は、ずっと以前に人類諸民族へ神性の真実を明らかにする精霊的な松明持ちであることを止めたが、これは、自身がユダヤ人の生まれであるナザレのイエスの偏狭で、無価値で、頑固な追随者であると名乗る者達が、これらの昔のユダヤ人の個々の子孫を迫害し、苦しめる有効な理由とはならない。
幾度となく、近代ユダヤ人に対するこの無分別で非キリスト的な憎しみと迫害は、イエスの時代に、彼の福音を心から受け入れ、心の底から信じたその真実のためにやがて怯むことなく死んだユダヤ人達のまさにその子孫にあたる罪のない、害のないユダヤ人の個人の苦しみへと、また死にへと追いやった。イエスの見せかけの追随者達が、天なる王国の福音の最初の殉教者として見事に命を捨てたペトロス、フィリッポス、マタイオスの、それに他のパレスチナのユダヤ人の近代の子孫を迫害し、悩ませ、殺害さえして欲しいがままにしているのを目にする観察中の天の存在者達を何という恐怖の戦慄がよぎるとは。
先祖の罪のために、完全な無知からくる悪行のために、責任の負いようのない事のために、罪の無い子孫を苦しみに追いやるということは、何とに残酷で無分別であることか。その上、敵さえ愛することを弟子に教えた方の名においてそのような邪悪な行為をするとは。イエスを拒絶し、ユダヤ人の仲間達が、彼に不名誉な死をもたらす企みの様子の描写が、イエスの人生のこの詳述において必要となったのだが、我々は、そのような歴史的な詳述の提示は、不当な憎悪を決して正当化しないし、非常に多くの者が、キリスト教徒は、何世紀もの間、個々のユダヤ人に対して維持していた心の不公平な態度を容赦もしないということをこの物語を読む全員に警告したい。王国の信者は、イエスの教えに続く人々は、イエスの拒絶と磔刑に関して有罪である者として個々のユダヤ人を不当に扱うことを止めなければならない。父とその創造者たる息子は、決してユダヤ人を愛することを止めたことがない。神は人々を差別をせず、かつ、救済は、非ユダヤ人とユダヤ人のためのものでもある。
この火曜日の夜8時、シネヅリオン派の運命的な会合が招集された。ユダヤ国家のこの最高裁は、数多くの前回の会合でイエスの死を非公式に宣告してきた。この威厳をもつ管轄団体は、何度もイエスの仕事を止めさせることを表決してはきたが、ありとあらゆる犠牲をはらっても彼を捕縛し、死に追い遣ることは、かつて一度も決議したことがなかった。シネヅリオン派が、そこで会を成立させ、公式に、しかも満場一致でイエスとラザロ両者に死刑を言い渡すことを決議したのは、西暦30年4月4日、この火曜日の丁度真夜中前のことであった。これは、ほんの数時間前、寺院でユダヤの支配者へ最後に訴えた彼への返答であり、それは、これらの同じ司祭長や悔い改めないサドカイ派とパリサイ派に対するイエスの最後の、力強い摘発に向けてのシネヅリオン派の激しい憤慨の反応を意味するものであった。神の息子への死刑宣告を下すことは、(裁判前にさえ)、そのような国としてユダヤ人の国に広げられる天の慈悲のじつに最後の申し出に対するシネヅリオン派の返事であった。
ユダヤ人は、純然たる人間の地位に従って、この後ずっとユランチアの国々の間に自分達の簡潔で短い国家生命の寿命を終えるままにされた。イスラエルは、アブラーハームとの盟約をした神のその息子を否認し、また、アブラーハームの子孫を世界への真実の光の運搬人にする計画を打ち砕いてしまった。神の盟約は、破棄され、ヘブライの国の終焉は速められた。
翌朝早く、イエスの捕縛がシネヅリオン派の役員に命じられたが、彼が、公の前で捕らえられてはならないと言う指示であった。かれらは、望ましくは、突如夜間に秘密裏に捕らえる計画を立てるように言われた。イエスが当日(水曜日)寺院での教えには戻ってこないかもしれないと理解して、彼らは、シネヅリオン派のこれらの役員に「木曜日の真夜中になる前に、ユダヤの最高法廷に彼を連れて来る」ように命じた。
寺院でのイエスの最後の講話の結びにおいて、使徒は、再度、混乱と狼狽お状態におかれていた。あるじが、ユダヤの指導者への凄じい告発を始める前、ユダは寺院に戻ってきていたので、12人全員が、寺院でのイエスのこの最後の講話の後半を聞いた。ユダ・イスカリオテが、この別れの演説での慈悲の申し出の前半を聞けなかったことは、不運である。かれは、昼食を共にしたサッヅカイオス派の親類と友人達の特定集団との会議中であったので、またイエスと使徒仲間との関係を断つ最も相応しい方法に関して相談をしていたので、ユダヤ人の支配者へのこの最後の慈悲の申し出を聞かなかった。ユダが、最終的に、また完全に福音運動を放棄し、全体の事業から手を切る決心をしたのは、ユダヤ人の指導者と支配者へのあるじの最後の告発を聞いている最中であった。それでも、かれは、12人と共に寺院を出て、共にオリーヴ山に行き、仲間の使徒とエルサレムの破壊とユダヤ国家の最後についての運命的な講話を聞き、その火曜日の夜、ゲッセマネ近くの新しい宿営所に留まった。
ユダヤ人指導者への慈悲深い訴えから突然の、そして痛烈な、ほとんど無慈悲な告発に近い叱責へのイエスの移り変わりを聞いた群衆は、唖然とし、狼狽えた。その夜、シネヅリオン派が、イエスに死の裁判をし、一方あるじが、オリーヴ山で使徒と特定の数人の弟子と座り、ユダヤ人国家の終わりを予告している間、全エルサレムは、ただ1つの質問に関する重大かつ抑えられた議論にふけっていた。「かれらは、イエスをどうするのであろうか。」
ニコーデモスの家では、王国での秘かな信者である30人以上の著名なユダヤ人が、一堂に会し、シネヅリオン派との公然たる断絶が来る際、いかなる行動をとるかを討論した。出席者全員が、あるじの逮捕を知るまさしくその時間に、あるじへの忠誠の公の承認に同意した。かれらは、その通りにした。
そのときシネヅリオン派を制御し支配したサドカイ派は、次の理由でイエスを連れ去ることを願ってやまなかった。
1. 大衆からのイエスへの増大する支援が、ローマ当局との可能な係わりによりユダヤ人の国家存立を危険に曝すことを恐れた。
2. 寺院の改革に対するイエスの熱意は、直接その収入を襲い、寺院の浄化は、彼らの財布に影響を及ぼした。
3. かれらは、社会秩序の維持に責任があると感じ、また人間の兄弟愛に関するイエスの奇妙で新しい教義の一層の普及の結果を恐れた。
パリサイ派には、イエスが殺されるのを見たいと欲する異なる動機があった。パリサイ派がイエスを恐れた理由は、
1. かれは、人々に対する伝統的な支配に効果的な対抗の位置に立った。パリサイ派は、超保守的であり、宗教教師としての既得の威信へのこれらのおそらく急進的な攻撃にひどく憤慨した。
2. パリサイ派は、イエスが、法律違反者であると、安息日と他の数多くの法的で儀式的な必要条件を全く無視したと、考えた。
3. かれらは、イエスが神を自分の父として触れたので、冒涜の罪で告発した。
4. そして、そのとき、かれらは、決別の辞の結びの部分として、この日寺院で伝えた痛烈な告発に関する最後の講話のために徹底的にイエスに立腹していた。
シネヅリオン派は、正式にイエスの死を命じ、また、その逮捕の指示を出し、イエスが裁判に連れて来られるべき罪状を明確にするために、高僧カイア ファスの家で翌朝10時に会う約束をして、この火曜日の真夜中近くに散会した。
サドカイ派の小集団は、実はイエスを暗殺で処分しようと提案したが、パリサイ派は、そのような処置の是認を全く拒否した。
これが、この波瀾万丈の日のエルサレムと人々の間での状況であり、一方天の存在体の巨大な群衆は、地球のこの由々しき光景の上にいて、最愛の君主を助ける何かを切望していたが、指揮に当たっている上官達に効果的に拘束されていたので行うことができなかった。
この火曜日の午後、イエスと使徒がゲッセマネ寺院から宿営所へと行く途中、マタイオスが寺院の工事に注意を促して言った。「あるじさま、これらの建物の様子をご覧ください。大きな石と美しい装飾を見てください。これらの建築物が破壊されることがあり得ましょうか。」オリーヴ山の方へ進みながら、イエスは言った。「君は、これらの石とこの大規模な寺院を見ている。本当に、本当に、言っておく。1つの石の上に他の石が残されることがなくなる日がやがて来るであろう。それらは、全て崩されるであろう。」神聖な寺院の破壊を表現するこれらの言葉は、あるじの後ろに続いて歩いていた彼らの好奇心を刺激した。かれらは、寺院の破壊を引き起こす世の終わり同然のいかなる出来事も急には想像できなかった。
キドローン谷に沿ってゲッセマネに向け通過していく群衆を避けるため、イエスと仲間は、オリーヴ山の西斜面の短い距離を登り、次に、公共の野営場の上の近距離に位置するゲッセマネ近くの自分達の私設の宿営所への道に続くつもりでいた。彼らが、ベサニアに通じる道へ向きを変えたとき、落日の光線に栄える寺院を見た。そして、山上に留まる間、かれらは、都に明かりが現れるのを見たり、照らされた寺院の美しさに見入った。そして、イエスと12人は、そこで、満月の柔らかい光の下に座った。あるじは、彼らと話していた。まもなく、ナサナエルが、この質問をした。「教えてください、あるじさま。これらの出来事がいつ起ころうとしているかを私達はどのように知るのでしょうか。」
ナサナエルの質問に答えて、イエスは、言った。「よし、この民族が彼らの不正行為の杯を満たした時代について、正義が我々の祖先のこの都に急襲する時について話そう。私は君達を残して行くところである。私は父の元に行く。私が去った後、多くの者が救出者だと称してやってきて多くを迷わせるので、誰にも騙されないよう注意を払いなさい。戦争や戦争の噂を聞いても、煩わされてはいけない、全てのこれらが起こりはするが、エルサレムの最後は、まだ間近ではないのであるから。飢饉や地震に混乱すべきではない。民間当局に引き渡されたり、福音のために迫害されても心配すべきではない。君達は、会堂から放り出され、私のために投獄されるであろう。その上、君達のうち何人かは殺されであろう。君が長官と支配者の前に連れて行かれるとき、それは、君の信仰証言のためであり、王国の福音への自身の不動性を示すためである。そして、裁判官の前に立つとき、前以って何を言うべきか心配しなくて良い、なぜならば、敵に答えるべき事をまさにその時、精霊が君に告げるのであるから。労苦のこれらの日々、親族さえ、人の息子を拒絶した人々の先導の下に、君を牢獄へ、そして死へと届けるであろう。しばらくは、君は、私のためにすべての人に嫌われるかもしれないが、これらの迫害でさえ、私は、君達を見捨てはしない。私の精霊は、君を見捨てない。我慢強くありなさい。この王国の福音が、遂には、すべての敵を打ち負かし、万国へと宣言されるということを疑ってはならない。」
イエスは、都を見下ろしながら、一息入れた。救世主の精霊的な概念の拒絶、期待された救出者の物質的な任務に対する持続的に、盲目的にしがみつく決断は、やがて、ユダヤ人を強力なローマ軍隊との直接的な衝突に導くということ、そしてそのような争いが、ユダヤ人の国家の最終的かつ完全な打倒をもたらし得るということが、あるじには分かっていた。彼の民族が、精霊的な贈与を拒絶し、それほどまでに慈悲深く彼を照らす天の光の受け入れを拒否するとき、その結果、かれらは、地球での精霊的な特別任務をもつ独立した民族としての自分達の運命を封じた。ユダヤ人の指導者達さえ、後には、それが、遂には彼らに破壊をもたらした不穏へと直接に導く救世主についてのこの世俗的な考えであると認めた。
エルサレムが初期の福音運動の揺りかごになろうとするところであったので、イエスは、エルサレムの破壊に関係してユダヤ民族に対する凄まじい打倒の際、その教師と説教者が、滅ぶことを望まなかった。それゆえに、かれは、追随者にこれらの指示をした。イエスは、弟子の何人かが、やがてやってくるこれらの反乱に関与し、エルサレムの没落でこうして死ぬことのないようにと大変心配した。
次に、アンドレアスが質問した。「しかし、あるじさま、聖都と寺院が破壊されることになっているならば、そして、あなたが、私達の指示のためにここにいないのであるならば、私達は、いつエルサレムを見捨てるべきでありましょうか。」イエスは言った。「私が行った後、苦悩と厳しい迫害のこれらの時にもかかわらず、都に留まることができるが、偽の予言者達の反乱後、ローマ軍に包囲されるエルサレムを遂に見るとき、君達は、都の最後が近いということを知るであろう。君達は、そのときは、山に逃げなければならない。都やその周辺にいる何かを救うために留まらせてはいけないし、外にいる者を中に入れる危険を犯させてもいけない。これらの日々は、非ユダヤ人の復讐の日になるのであるから、格段の苦難となろう。そして、君達が都を捨てた後、この反抗的な民族は、刃に倒れ、捕虜となり、万国に連れて行かれるであろう。そして、エルサレムは、非ユダヤ人に踏み荒らされるであろう。その間、誤魔化されてはならないと警告しておく。『見よ、ここに救世主がいる。』とか、『見よ、あの方だ。』とか言って誰かが来ても、それを信じてはならない、多くの偽教師が現れ、多くの者が惑わされようとしているのであるから。だが、君達は、私が予めこのすべてを告げたのであるから、騙されるべきではない。」
あるじのこれらの驚くべき予言が、途方に暮れる彼らの心にしみ込む間、使徒は、月下に黙してかなりの時間座っていた。実際に信者と弟子の集団全体が、ローマ軍の初めての出現にエルサレムから逃げ、北の方角にあるペラでの安全な避難所を見つけたのは、実にこの警告と一致していた。
イエスの追随者の多くは、この明白な警告の後にさえ、救世主の再現が、新しいエルサレムの樹立、そして世界の首都になるための都の拡大をもたらすとき、エルサレムに明らかに起こる変化について言及していると、これらの予測を解釈した。これらのユダヤ人の心では、寺院の破壊を「世の終わり」であると決めつけていた。かれらは、この新しいエルサレムが、全パレスチナを占領すると信じた。世の終わりには、「新しい天と新しい地球」の即座の出現が続くということを。そこで、「あるじさま、私達は、新しい天地が現れるとき、万物が去るということを知っていますが、このすべてを引き起こすためにあなたがいつ戻られるのかをどのように知るのでありましょうか。」とペトロスが言っても、奇妙ではなかった。
これを聞いたイエスは、しばらく深く考えてから言った。「君は、常に新しい教えを古い教えに取りつけようとするので間違える。君は、私の全ての教えを誤解するつもりでいる。自分の確立した信念に則って、福音を解釈すると言ってゆずらない。それでも、私は君を教化する。」
イエスは、やがてこの世を去るつもりではあるが、聞き手が、天の王国の仕事を完了するために必ず確かに戻るであろう、と推し測るような声明を幾度もした。彼が自分達を後に残そうとしているという確信が、追随者の間で拡大するにつれ、そしてイエスがこの世を去った後、全信者が、戻るというこれらの約束を確実なものにしようとすることは、自然なことであった。キリストの再臨の教義は、キリスト教徒の教えにこのように早く取り込まれ、弟子のその後のほとんどあらゆる世代が、この真実を心から信じ、イエスがいつか来ることを秘かに心待ちにしていた。
師であるあるじを手放すことになっているのならば、これらの最初の弟子と使徒は、戻るというこの約束をないっそう掴み、また時を移さずに、エルサレムの予測される崩壊とこの約束された再臨とを結びつけた。そして、あるじが、まさにそのような誤りを防ぐための特別の苦心をしたにもかかわらず、かれらは、オリーヴ山でのこの夜の教示の間、イエスの言葉をこのように解釈し続けた。
ペトロスの質問に対する更なる答えで、イエスは言った。「君は、なぜ 人の息子がダーヴィドの王座に着くことを求めたり、ユダヤ人の物質的な夢が実現することを期待するのか。これらの歳月、私の王国は、この世界のものではないと話してはこなかったか。君が現在見下ろしているものは、終わっているが、これは、王国の福音が全世界にむかい、そしてこの救済がすべての民族に広まる新たな始まりになるであろう。そして、王国がその実を結ぶとき、天の父が、この世界に暗黒の王子になった彼を、それからアダームを、次にはメルキゼデク、そして最近では人の息子をすでに授けたように、真実の拡大された顕示と正義の強化された示威で必ず君を訪るということを確信しなさい。私の父は、この暗く、悪である世界にさえ慈悲を明らかにし、愛を示し続けるのである。父が私に全権力と権威を授けたように、私もまた、君の運命に続き、まもなく全ての肉体に注がれる私の精霊の臨場により、王国の事柄において道案内を続行する。精霊の形で君とこのようにいることになるが、私は、肉体でこの人生を送り、神を人に顕示し、同時に人を神に導く経験を達成したこの世界にいつか戻ると約束する。私は、すぐ君のもとを去り、父が私の手に任せた仕事を始めなければならないが、充分な勇気をもちなさい、私はいつか戻ってくるのであるから。そうしているうちにも、宇宙の真実なる私の聖霊が、あなたを慰め、誘導するのである。
「あなたは、弱っている私、そして肉体の私をいま見ているが、私が戻るときは、それは力を備えており、精霊の形である。肉体の目は、肉体の人の息子を見ているが、精霊の目だけは、父に栄光を授けられ、彼自身の名前で地球に現れている人の息子を見るであろう。
「しかし、人の息子の再現の時代は、楽園の委員会にのみに知られている。天国の天使さえ、これがいつ起こるかは知らない。しかしながら、この王国の福音が全民族の救済のために全世界に広められたとき、また時期が熟したとき、君達は、父が、別の配剤の贈与を君達に送るということ、さもなければ時代を宣告するために人の息子が戻るということを理解しなければならない。
「さて、私が君に話したエルサレムの苦悩に関しては、私の言葉が成し遂げられるまでは、この時代さえ過ぎ去らないであろう。しかし、人の息子の再来に関しては、天や地の誰も、あえて話すことはできない。だが、君は、時代の成熟に関して賢明であらねばならない。君は、時代の前兆を明察するために注意深くあらねばならない。君は、イチジクがそのたおやかな枝を現わし、そして葉が芽吹くとき、夏が近いと分かる。同様に、世界が、物質志向の長い冬を越し、君が、新しい配剤の精霊的春の訪れを見分けるとき、君は、新しい夏の訪れが近づくのを知るはずある。
「しかし、神の息子の接近に関係があるこの教えの重要性は、何であるのか。君達一人一人が、人生の戦いを横たえ、死の入り口を通過するために呼ばれるとき、即座の判決に臨むということ、そして、無限の父の永遠の計画の奉仕の新たな配剤の事実に直面するということを悟らないのか。全世界が時代の終わりの事実として立ち向かわなければならないことに、君達は、個人として、自然の生命の終わりに至り、それによって、父の王国の永遠の進行の次の顕示に固有の状況と要求に直面するために進むとき、個人の経験として君達各々が、最も確かに立ち向かわなければならない。」
あるじが使徒にした全講話の中で、エルサレムの崩壊と自身の再来の二つの主題に関するこの火曜日の夜、オリーヴ山で与えられたものほど使徒の心を非常に混乱させるものは、他になかった。したがって、あるじがこの特別の機会に言ったことに関する記憶に基づく以降の記述報告には、ほとんど一致がなかった。依って、その火曜日の夜に言われた多くに関する記録が、空白のままにされたとき、多くの言い伝えが生じた。そして、カリーグラ皇帝の法廷に勤務していたセルタという者が書いた救世主に関するユダヤの黙示録は、2世紀のごく初期に丸ごとマタイオスの福音書に書き写され、その後一部が、マルコスとルカスの記録に加えられた。10人の処女の寓話が現れたのは、セルタのこれらの著作においてであった。福音の記録のいかなる部分も、かつてこの晩の教えのような混乱させる誤解を受けなかった。しかし、使徒ヨハネは、決してこのように混乱はしなかった。
これら13人の男達は、宿営所への旅を再開するに当たり、無言で、かなりの感情の緊張感があった。ユダは、とうとう仲間を捨てるという決断を確認した。ダーヴィド・ゼベダイオス、ヨハネ・マルコス、それに何人かの主な使徒が、イエスと12人を新しい宿営所に歓迎したのは時刻も遅かったが、弟子達は、眠ろうとしなかった。かれらは、エルサレムの崩壊、あるじの出発、そして世の終わりに関しさらに知りたいと思った。
20人程が焚き火の周りに集まっているとき、トーマスが、尋ねた。「あなたは父の仕事を終えに戻られようとしていますので、あなたの留守中、我々の態度はどうあるべきでしょうか。」イエスは、焚火に映える皆に目をやって答えた。
「君さえも、トーマス、私が言ってきたことを理解していない。王国との君の関係は、精霊的かつ個人的であると、君が神の息子であるという信仰-認識による精霊における個人的な経験の問題であると、私は、ずっと教えてはこなかったか。この上何を言おうか。国家の転落、帝国の急落、不信心なユダヤ人の破滅、時代の終わり、世の終わりですら、この福音を信じる者、そして永遠の王国の保証における人生を隠す者にこれらの事が何の係わりがあるというのか。神を知り福音を信じる君達は、すでに永遠の命の保証を受け取った。君の人生は、精霊で、しかも、父のために送られてきたのであるから、何も深い憂慮はあるはずがない。王国の建設者、天界の公認の民は、一時的な大変動、あるいは、この世の大災害に混乱させられることにはなっていない。君の命は、息子からの贈り物であり、それは、永遠に父の中で安全であるということを知っているのであるから、もし国々が覆り、時代が終わっても、あるいは、目に見える全てが滅んでも、この王国の福音を信じる君にとって何ということがあるものか。信仰をもって現世の人生を送り、仲間への愛ある奉仕の正義として精霊の果実をもたらしたのあるならば、君は、神との息子性における君の最初の、そして地球での冒険で切り抜けてきた同じ生存の信仰をもって、永遠の経歴における次の段階へと自信をもって楽しみにすることができる。
「人の息子のあり得る帰還に関して、ちょうど、個々の信者が、必然の、絶えず切迫した自然死を考慮して一生の仕事を進めるように、信者の各世代が、各々の仕事を進め続けるべきである。君は、神の息子として信仰により一度自分を確立しするとき、生存の保証には他の何も、重要ではない。だが、誤ってはいけない、この生存の信仰は、生ける信仰であり、人間の心で最初にそれを奮い立たせたその神霊の果実をますます明らかにする。一度天の王国の息子性を受け入れたという事は、肉体をもつ神の息子達による進歩的な精霊の結実と関係のあるそれらの真実を意識的かつ執拗な拒絶に直面しては、君を救いはしないであろう。地球での父の仕事において私と共にいた君は、人類への父の奉仕の道が好きでないと気づけば、王国を今でも見捨てることができるのである。
「個人として、そして信者の世代として私が話す寓話を聞きなさい。ある偉人がおり、他国への長旅に経つ前に任せられる全使用人を呼び、全商品を手に託した。1人に5タラントを与え、別の者には2タラント、また別の者には1タラントを与えた。名誉を与えられた執事全体にこのようにして、それぞれが持つ幾つかの能力に応じて商品を委ね、旅に出た。主人が出発してしまうと、使用人は、任せられた財産から利益を得るために仕事に取り掛かった。5タラントを受け取った者は、すぐにそれで取り引きを始め、やがて5タラントの利益を上げた。同様に、2タラントを受け取った者は、間もなくもう2タラントを得た。1人の使用人を除いては、これらの全員が、同様に主人のために利益を得た。この使用人は、一人で出掛け地面に穴を掘り主人の金をそこに隠した。ほどなく、主人が、不意に戻り、執事達に決算を求めた。主人の前に全員が召喚されたとき、5タラントを任せられた者が追加の5タラントをも持参して進み出て言った。『ご主人様、5タラントを投資のために私に与えられました。そして、私は、 私の利益としてもう5タラント差し出せますことを嬉しく存じます。』すると、主人が言った。『でかした、良い忠実な僕だ、そなたは、僅かなものに忠実であった。これからは多くのものを任せよう。ただちに主人の喜びをともに喜んでくれ。』2タラントを受け取った者が、進み出て言った。『ご主人様、私には2タラントが与えられました。ご覧ください、私は、 さらに2タラントを得ました。』そこで、主人が言った。『でかした、良い忠実な僕だ、そなたもまた僅かなものに忠実であった。これからは多くのものを任せよう。ただちに主人の喜びをともに喜んでくれ。』今度は、1タラントを受け取った者の決算の時がやってきた。この使用人は、進み出て、『ご主人様、私は、あなたを知っており、あなたは自分で働かない場所で利得を期待される抜かりのない方であると分かっておりました。それゆえ、私は、任された何にせよ危険を冒すことを恐れました。私は、あなたのタラントを安全に地中に隠しました。これが、あなたのお金がございます。』と言った。だが、主人は、言った。『そなたは、怠惰でものぐさな僕である。私が、勤勉な仲間の僕がこの日報いたそのような理に適った利益決算を要求するだろうと、自身の言葉で知っていたと認めた。だったら、私の帰還の際、私の金と利息を受け取れるように少なくとも金を金融業者の手に委ねるべきであった。』それから、この主人は、執事長に『この無益な使用人からこの1タラントを取り上げ、それを10タラントを持つ者に渡しなさい。』と言った。
「持てる者にはさらに与えられ、豊かになる。持たざる者からは持てる物までも取り上げられるであろう。あなたは永遠の王国の問題において静止していることはできない。父は、恩恵と真実に関する知識で成長することをすべての子に要求している。これらの真実を知るあなたは、精霊の果実の増加をもたらし、仲間の使用人の寡欲な奉仕への増加する献身を示さなければならない。そして覚えていなさい、私の同胞の最も小さい者の一人に奉仕する限り、あなたは、私に対してこの奉仕をしているのであるということを。
「また、今、そしてこれから先、さらには未来永劫に、あなたは、父の用向きについてもそのように取り組むべきである、私が来るまで続けなさい。任せられたことを忠実に行いなさい、そうすることにより、あなたは、死の精算のための呼び出しへの用意ができるであろう。そして、このように父の栄光と息子の満足のために生きて後、あなたは、喜びと非常に大きい楽しみをもって永続する王国の永遠の奉仕へと入るのである。」
真実は生きている。真実の聖霊は、光の子を精霊的な現実と神性の奉仕の新しい領域に導いている。君には、決まった、安全かつ名誉ある形に結晶化するために真実を与えられてはいない。君の真実の顕示は、君個人の経験によって強化されなければならず、その結果、新たな美と実際の精霊的な獲得が、あなたの精霊的な果実を目にするすべての者に明らかにされ、それによって天にいる父を讃えるように導かれるのである。真実の認識においてこのようにして成長する者、またそれによって精霊的な現実に対する神性評価の能力を高めるそれらの忠実な使用人だけが、「完全に主の喜びに加わる」ことをいつでも望むことができる。後続する世代のイエスの見せかけの追随者が、神性の真実の執事職に関して次のように言うことは、何とも残念な光景である。「ここに、あるじさま、100年、あるいは1,000年も前にあなたが私達に委ねられた真実があります。私達は何も無くしてはいません。与えてださった全てを忠実に保ちました。教えてくださったことに何の変更もしてはいません。ここに、あなたが与えてくださった真実があります。」しかし、精霊的な怠惰に関するそのような請願は、真実の実を結ばない執事をあるじの面前で正当化はしない。君の手に委ねられた真実に従って、真実のあるじは、計算を要求するであろう。
君は、来世においてこの世界での賦与と執事職の報告を求められるであろう。生まれつきの才能が、多かろうが少なかろうが、正当で慈悲深い清算に直面しなければならない。賦与が利己的な追求にだけ用いられ、それらが、人の絶えず広がる奉仕と神の崇拝において示されるような、精霊の果実の増加した収穫を得るための高い義務に何の考慮も与えられないならば、そのような利己的な執事は、自らの故意の選択の結果を受け入れなければならない。
自分の怠惰を直接支配者の所為にした1タラントのこの不誠実な使用人は、利己的な多くの必滅者に何とよく似ていたことか。人は、自身の犯した誤りに対峙するとき、他の者に、しばしばそれに最も当て嵌まらない者に責任を負わせがちであることよ。
その夜皆が眠りにつこうとしたとき、イエスは言った。「君達は、自由に受け入れてきた。だから、君達は、惜しげなく天の真実を与えなければならない、そして、この真実が、与えることで、まさに君達が、それを与えることで、増加し、救済の恵みの増加する光を示すのである。」
あるじのすべての教えのうち、自分でいつかこの世界に戻るという約束ほど、非常に誤解された事は他にない。領域の死すべき者として、マイケルが、7番目の、最後の経験をした惑星へいつか戻ることに関心を持つということは不思議ではない。今は広大な宇宙の主権を有する支配者であるナザレのイエスが、そのような特異な人生を送り、宇宙の力と権威の父の無限な贈与を遂に勝ち得た世界へ1度ならず幾度も戻ってくることを信じるということは、実に自然である。ユランチアは、永遠に宇宙主権の勝利におけるマイケルの7つの生誕球の1つになる。
イエスは、多くの機会に、また多くの個人に、この世界に戻る自分の意志を明言した。あるじがこの世の救出者として機能しないつもりだという事実に目覚めたとき、また、エルサレム打倒とユダヤ国家没落の予言を聞いたとき、追随者は、最も自然にイエスの約束の帰りをこれらの壊滅的な出来事に連想し始めた。しかし、ローマ軍が、エルサレムの壁を崩し、寺院を破壊し、ユダヤのユダヤ人を分散させ、そしてその時でさえ、あるじが、その力と栄光で自分を明らかにしようとはしなかったとき、追随者は、結局、キリストの再臨を時代の終わりと、世界の終わりとさえ、関連づけたその信仰の公式化を開始した。
父の元に昇った後、そして天と地における全権限が自分の手に置かれた後、イエスは、2つのことをすると約束した。まず世界に別の教師を、別の真実の聖霊を自分の代わりに送ると約束し、これを五旬節の日にした。次に、かれは、いつかこの世界に自らが戻ると追随者に確かに約束した。だが、かれは、肉体での贈与の経験のためのこの惑星の再訪を、いつ、どこで、どのようにするかは言わなかった。あるとき、かれは、肉体でここに生きたとき肉体の目が彼を見たのに対し、帰還(少なくとも彼のありうる訪問のうちの1つ)に関しては、精霊的な信仰の目によってのみ認められる、ということを仄めかした。
我々の多くが、イエスは、来る時代にしばしばユランチアに戻ると信じがちである。我々にはこれらの複数の訪問の明確な約束はないが、携えている幾つもの宇宙称号のうちユランチアの惑星王子という称号をもつ者が、そのような独自の称号を与えた自らが征服した世界を何度も訪れるということは、最もありえそうである。
我々は、マイケル自らが、再びユランチアに来ると断じて信じてはいるが、いつ、いかなる方法で来ることを選ぶかということに関してはまったく何の考えもない。地球への2度目の降臨は、この現代の終末の審判に関連して、司法の子の出現に関係して、あるいは関係なくして、起こるように調節されるのであろうか。かれは、いつか後のユランチア時代の終末に関連して来るのであろうか。来訪を告げることなく、しかも孤立した出来事として来るのであろうか。我々は知らない。確信するただ1つのことは、彼が戻るとき、かれは、宇宙の最高支配者として来るのであり、ベツレヘムの名もない赤子として来るのではないので、全世界がそれを知るようであるということである。しかし、あらゆる目がイエスを見て、そして精霊的な目だけが彼の臨場を明察するのであるならば、その降臨到来は、長らく延期されなければならない。
あなたは、したがって、地球へのあるじの個人の帰還をありとあらゆる設定された出来事、あるいは一段落した時代からの分離を首尾よくやるであろう。我々には1つだけ確信がある。かれは、戻ると約束した。我々はいつ、または、何に関連してこの約束を実現するのか分からない。我々が知る限り、かれは、いつでも地球に現れるかもしれないし、幾つもの時代が過ぎ、そのうえ、楽園部隊の連合する息子達による正しい判決が下されるまで来ないかもしれない。
マイケルの地球の再臨は、中間者と人間双方にとり相当に感傷的な価値のある出来事である。それ以外では、それは、中間者への差し迫った機会ではなく、死を免れない人間をこの同じイエス、我々の世界の主権を有する統治者の臨場につながる一連の宇宙の出来事の即時の把握へと必滅の人間をあまりに突然におとしいれる自然死の一般の出来事と同様に人間に対する実際的な重要性がある。光の子等は皆、イエスに会う運命にあるし、我々がイエスのところに行くか、または、まず彼が我々のところに来るかどうかは深く憂慮することではない。したがって、彼が、天であなたを歓迎する準備ができているように、いつでもイエスを地球に歓迎する準備をしておきなさい。我々は、自信を持ってイエスの栄光の出現を、度重なる降臨さえ予期するが、我々は、彼が、どのように、いつ、あるいは、何に関連して現れる予定であるのか完全に無知である。
民衆に教える仕事が急を要しないとき、水曜日ごとに労働を休むことが、イエスと使徒の習慣であった。この特定の水曜日、皆はいつもよりいくらか遅い朝食をとり、しかも宿営所には不吉な沈黙が広がっていた。この朝食の前半、言葉はほとんど話されなかった。ついに、イエスが「今日は、皆に休息を望む。我々がエルサレムに来てからのことを思い返す時間をとり、併せてすぐ先にあることに、私が率直に伝えてきたことに、思いを巡らせなさい。真実が君の人生で待っているということ、また、君は恵みで日々成長しているということを確認しなさい。」と言い渡した。
朝食後、あるじは、自分がその日休息するつもりでいるということをアンドレアスに知らせ、また使徒は、いかなる状況下においてもエルサレムの門内に決して行くべきではないということを除いては、自由に時間を過ごすことが許されることを提案した。
イエスが独りで丘に行く準備をしたとき、ダーヴィド・ゼベダイオスが近寄って話しかけた。「あなたはよくご存知です、あるじさま、パリサイ派と支配者達が、あなたを滅ぼしにかかっているということを。なのにあなたは、独りで丘に行く準備をされています。それは、愚かな行為です。ですから、どんな害も起こらないことを見届けるために備えのできた3人を差し向けるつもりです。」イエスは、充分に武装し、たくましい3人のガリラヤ人をざっと見回して、ダーヴィドに言った。「よかれと思ってしているが、人の息子が護衛する何者をも必要としていないということを理解してないのが、君の過ちである。父の意志と一致して私の命を捨てる準備ができるその時間まで、誰といえども私には手を掛けない。これらの者は、私に同伴してはいけない。私は、父と語り合うために単独で行くことを望んでいる。」
この言葉を聞き、ダーヴィドと武装した護衛達は、撤退した。しかし、イエスが独りで出発しかかると、ヨハネ・マルコスは、食物と水の入った小さな篭を携えてきて、もしイエスが、一日中いないつもりならば、気づいたときには空腹であるかもしれないと仄めかした。あるじは、ヨハネに微笑みかけて、篭に手を延ばした。
イエスがヨハネの手から昼食の篭を取ろうとしたとき、この若者は、思い切って言った。「でも、あるじさま、あなたは、祈りに向かう間、篭を下に置き、それを置いたまま行かれてしまうかもしれません。私が昼食を運んでお供をすれば、あなたはより自由に礼拝できるでしょうし、しかも私は、間違いなく黙っています。祈りのために一人になられる間、私は、質問もせず篭の側にいます。」
ヨハネは、近くの数人の聞き手を驚かせた向こう見ずのこの言葉の間、失礼を顧みず篭をしかと掴んでいた。ヨハネとイエスの両方が篭を持って立そこにっていた。やがて、あるじは、手を放し若者を見下ろしながら言った。「心から私と行きたがっているので拒まないよ。共に行って良い外出にしよう。心に浮かぶどんな質問をしても良いし、互いに慰め元気づけよう。弁当を運んで出発していいよ。疲れたときは手伝う。ついてきなさい。」
イエスは、その夕方、日没後まで宿営所に戻らなかった。あるじは、真実を渇望するこの若者と雑談し、楽園の父と語りながら、地球でのこの最後の静かな日を過ごした。この出来事は、「青年が神と丘で過ごした日」として高い所では知られるようになった。永遠に、この出来事は、被創造者への創造者の親交意欲を示す良い例となる。心の願望が誠に至高であるならば、若者でさえも宇宙の神の注意を集め、情愛深い親交を受けることができるのであり、実際、丘で、しかも丸一日、神との単独の忘れ難い歓喜の経験をすることができる。そして、ユダヤの丘でのこの水曜日のヨハネ・マルコス特異な経験は、そのようなものであった。
イエスは、率直にこの世界や次の世界のことについてヨハネとよく話した。ヨハネは、使徒の一人であるにはその年齢に達していないことを非常に残念に思うとともに、フォイニキアへの旅を除いて、イェリーホ近くのヨルダンの浅瀬での最初の説教以来、皆と後に続くことを許されてきたことに多大な感謝をイエスに表した。イエスは、差し迫る出来事に落胆しないようにとヨハネに警告し、そして必ず王国の強力な使者になって生きていくようになるのだと若者に保証した。
ヨハネ・マルコスは、イエスとの丘でのこの日の記憶にわくわくしたが、彼らが、ちょうどゲッセマネ宿営所へ戻ろうとしている時に言われたあるじの最後の訓戒を決して忘れることはなかった。「さて、ヨハネ、良い外出であった。真の休息日であったが、君に言ったことを誰にも言わないよう心しなさい。」そんな訳で、ヨハネ・マルコスは、丘でイエスと過ごしたこの日に起きたことは何も決して明らかにしなかった。
イエスの地球人生の残りの数時間、ヨハネ・マルコスは、長い間あるじを視界の外におくようなことは決してしなかった。若者は、つねに近くに隠れ、イエスが眠るときだけ眠った。
この日のヨハネ・マルコスとの外出の間、イエスは、二人の早期の幼年時代と後期の少年時代の経験を比較して多くの時間を過ごした。ヨハネの両親は、イエスの両親よりもこの世での財産をより所有していたにもかかわらず、二人の少年時代には大変似通った多くの経験があった。イエスは、ヨハネが両親や家族の他の者を理解する助けとなる多くのことを言った。若者が、どうして自分が「王国の強力な使者」になるということがあるじには分かるのかを尋ねると、イエスは言った。
「これらの特質が、家庭での君のそのような早期の躾に基づいているとき、私は、君の現在の信仰と愛に依存できるので、君が王国の福音に忠誠であると証しを立てると分かるのである。君は、両親が互いへの愛情をもつ家庭の出であるので、自惚れを強くし、有害であるほどに過剰には愛されなかった。敵対し合う両親が、君の信頼と忠誠を勝ちとろうと愛に無縁の扱いの結果として、君の人格は、歪みも受けることもなかった。君は、称賛に値する自信を保証する愛、また正常な安心感を促進するその親の愛を味わってきた。両親が愛と同時に賢明さも備えていたという点で、君は幸いであった。君を近所の遊び友達と共に会堂の学校に行かせ、富で買うことのできるほとんどの多くの甘やかしや贅沢品を差し控えるように導かせたものは、両親のもつ知恵というものであった。そして、独自の経験をさせることによって、君が、この世界でどのように生きるかを学ぶことをも奨励した。君は、我々が説教をし、ヨハネが洗礼を施した。ヨルダン川に若い友人アーモーセとやって来た。二人共、我々と一緒に来ることを望んだ。君がエルサレムに帰ったとき、両親は同意した。アーモーセの両親は拒絶した。彼の両親は、君が体験した、ちょうどこの日を楽しんでいるような祝福された経験をアーモーセに対して禁じるほどに、大変に息子を愛していた。アーモーセは、家出によって我々に合流できたであろうが、そうすることで愛を傷つけ、忠節を犠牲にしたことであろう。そのような過程が賢明であったとしても、経験、独立、自由の代償を払うには、散々たる代価となったことであろう。君の両親のような賢明な両親は、子供が君の年令に成長したとき、かれらは、独立心を開発するため、そして、爽快な気分にさせる自由を楽しむために愛を傷つけたり、忠節心を捨てる必要がないようにうまく取り計らっている。
ヨハネ、愛は、すべてに賢明な存在者達によって与えられるとき、宇宙の最高の現実であるが、人間の両親の経験で示されるように、それは、危険でしばしば多少利己的な傾向がある。結婚し、育てるべき君自身の子供を持つとき、君の愛が、知恵に悟され、知性に導かれることに留意しなさい。
「君の若い友人アーモーセは、君と同じくらいこの王国の福音を信じているが、私は、彼を完全に頼りにすることはできない。私には、アーモーセが何年か後に何をするのか定かではない。彼の早期の家庭生活は、完全に頼りになる人間を作り出すようなものではなかった。アーモーセは、尋常の、愛あるかつ賢明な家庭の躾を楽しむことができなかった使徒の一人にあまりにも似ている。君は、通常で規律のある家庭での最初の8年を過ごしたので、君の来世での全体は、幸福で信頼できるであろう。愛が行き届き、知恵に支配された家で成長したので、君は、強くてしっかりした性格を備えている。そのような幼年期の躾は、歩み始めた道をやり抜くことを私に確信させる一種の忠誠を生みだす。」
イエスとヨハネは、家庭生活のこの議論を1時間あまり続けた。あるじは、家族は、幼い子供が最初に知る得る人間、あるいは神性の関係すべてを彼に示すことから、子供が、いかにあらゆる知的、社会的、道徳的、さらには精霊的な早期の概念のために両親、そして関りのある家庭生活に完全に依存しているかについてヨハネに説明し続けた。子供は、母の世話から宇宙の最初の印象を得なければならない。かれは、天なる父に関する最初の考えを完全に地球の父に依存している。子供のその後の人生は、初期の精神的、感情的生活に合わせて家庭でのこれらの社会的かつ精霊的関係によって条件づけられ、幸せであるか不幸であるか、簡単であるか困難であるかが決まる。人間の全ての来世は、生きている最初の数年間に起こることによって非常に影響を受ける。
イエスの教えに関する福音は、父子の関係のように築かれる福音は、現代の文化的な民族の家庭生活が一層の愛と知恵を受け入れるような時まで、全世界規模の受理を勝ちとることができないというのが、我々の心からの所信である。20世紀の両親は、家庭の改善や家庭生活を高めるすばらしい知識と進展した真実をもっているにもかかわらず、またイエスの福音の承認は、家庭生活の即座の改良をもたらすとはいえ、ガリラヤのイエスの家庭やユダヤのヨハネ・マルコスの家庭のように、少年や少女が、養育されるそのように良い場所は、近代的家庭にはほんの僅かであるという事実が依然としてある。賢明な家庭生活の愛と本物の宗教への忠実な献身は、深遠の相互的な影響を及ぼす。そのような家庭生活は、宗教を強化し、本物の宗教は、常に家庭を讃える。
昔のこれらのユダヤ人家庭における多くの成長を妨げる好ましくない影響と束縛する他の特徴が、実際にはよりよく規制された近代的な家庭の多くから排除されたというのは、事実である。本当に、より自然発生的な自由と一層の個人的な自由があるが、この自由は、愛に抑制されず、忠誠に動機づけされず、賢明さからくる明敏な躾にも指示されない。我々が、子供に「天国にいる神」に祈ることを教える限り、地球の全ての父は、大変な責任を負い、家庭に住み、纏めていくのであるから、父という言葉は、成長している子供の心と心情に相応しく深く留められるようになる
使徒は、オリーヴ山を歩きまわり、共に合宿している弟子との雑談にこの日の大部分を費やしたが、午後早々になると、大変イエスの帰りを望むようになった。時間が過ぎるにつれ、かれらは、ますますイエスの身の安全を案じるようになり、表現しえないほどに彼の不在を淋しく感じた。あるじが下働きの少年だけを連れ、一人で丘に行くことが許されるべきであったかどうかについて1日中かなりの討論があった。誰も、公然とは考えを表現せず、ユダ・イスカリオテを除いては、彼らの一人として、ヨハネ・マルコスの立場を願わない者はなかった。
ナサナエルが6人ほどの使徒と同人数の弟子「至上の希求」の演説をしたのは、昼下がりの頃のことであり、その結末は、「我々の大半の悪いところは、単に不熱心であるということである。我々は、あるじが我々を愛しているようには、あるじを愛してはいない。ヨハネ・マルコスと同じくらいに、我々が皆一緒に行きたかったのであれば、かれは、確かに我々を連れていってくれたことであろう。若者があるじに接近し、篭を差し出す傍らで、我々は傍観していたが、あるじがそれを掴んだとき、若者は、放そうとはしなかった。だから、あるじは、我々をここに残し、篭と少年と全てを携えて丘へと行かれた。」
4時頃、イエスの母とベスサイダのダーヴィドの母からの知らせを携えた飛脚達が、ダーヴィド・ゼベダイオスの元に来た。ダーヴィドは、祭司長や支配者達がイエスを殺すつもりであると数日前に確信した。ダーヴィドは、彼らがあるじを滅ぼすという決心であることを知り、またイエスが自身を救うために神性の力を奮いもせず、追随者に防御のための力の行使を許しはしないとほとんど確信していた。かれは、これらの結論に至り、母にエルサレムにすぐ来るように、そしてイエスの母マリアとその家族全員を連れて来るように促す使者を急派した。
ダーヴィドの母は、息子の要請通りにし、そしてそのとき、飛脚達は、ダーヴィドの母とイエスの家族全体がエルサレムへの途中にあり、翌日遅くか、翌々日の早朝に到着するはずであるという知らせを携えて戻ってきた。ダーヴィドは、自らの率先でこうしたので、この件は自分だけに留め置くことが賢明であると考えた。イエスの家族がエルサレムに行く途中であるとは、従って誰にも告げなかった。
正午直後、アリマセアのヨセフの家でイエスに会った20人を超えるギリシア人が、宿営所に到達し、ペトロスとヨハネは、彼等との会議に数時間を過ごした。これらのギリシア人は、少なくともその一部は、アレキサンドリアでロダンの教えを受けており、王国に関する知識はかなり高度なものであった。
その夜夕方、合宿所に帰着後、イエスは、ギリシア人達を訪ねた。そして、そのような過程が、使徒と多くの主な弟子を大いに動揺することがなかったならば、かれは、ちょうど70人にしたようにこの20人のギリシア人を叙階したことであったろう。
このすべてが宿営所で起こっている一方、エルサレムでは、祭司長と長老達は、イエスが群衆への演説に戻ってこないのに驚いていた。本当に、その前日、イエスは、寺院を出る際に「私は、家を荒れ果てたままあなたのに残す。」と言った。しかし、彼がなぜ、群衆の好意的な態度において確立した大きな利点を進んで諦めようとするのかが、彼らには理解できなかった。かれらは、イエスが人々の間に騒ぎを巻き起こすと恐れたが、群衆へのあるじの最後の言葉は、「モーシェの席に座る者」達の当局にあらゆる理に適った態度で従わせるための勧告であった。しかし、それは、彼等が、同時に過ぎ越しの準備とイエスを滅ぼす計画の仕上げをする都での忙しい日であった。
イエスが毎晩ベサニアに出かける代わりに、そこに滞在するつもりでいることを知る者すべてが、その体制を用心深く秘密にしていたので、宿営所に来る人は、少なかった。
イエスとヨハネ・マルコスが宿営所を去った直後、ユダ・イスカリオテは、同胞から姿を消し、午後遅くまで戻らなかった。エルサレムに入ることを控えるというあるじの明確な要請にもかかわらず、この混乱した不満な使徒は、高僧カイアファスの家でのイエスの敵との約束を果たしに急いで出掛けた。これは、シネヅリオン派の非公式の会議であり、その朝、10時直後に設定されていた。この会議は、イエスに申し立てるべき罪の本質を議論し、また、彼らがすでに言い渡した死刑宣告に必要な市民の承認を確保する目的のためにローマ当局の前にイエスを連れて来る際に使われるべき手順を決めるために開かれた。
その前日ユダは、イエスは、善意の夢想家であり理想主義者ではあるが、イスラエルの期待される救出者ではないという結論に達したということを親類の数人と、父の家族のサッヅカイオス派の友人達に明らかにした。ユダは、見苦しいことのないように全体の運動から引き下がる何らかの方法を何としてでも見つけたいと述べた。友人達は、ユダの離脱がすばらしい出来事としてユダヤ人支配者達に歓迎され、何の褒美も過ぎるということはないとお世辞で保証した。かれらは、ユダが、シネヅリオン派から直ちに栄誉を受けると、そして善意からの、だが、「無学なガリラヤ人との不幸な付き合い」という汚名をとうとう消す状況にあると思わせた。
ユダは、あるじの強大な業が、悪魔の王子の力によって為されたと完全に信じることができた訳ではなかったのだが、イエスは、自己拡大において彼のもてる力を発揮しないであろうと、そのとき完全に確信していた。イエスがユダヤの支配者に滅ぼされると遂に確信し、かれは、敗北の動きに結びつけられるという屈辱的な考えに耐えることができなかった。かれは、見た目の失敗についての考えを拒否した。かれは、ユダは、あるじの逞しい性格と堂々として慈悲深い心の熱意を完全に理解はしていたものの、親類の1人からの部分的な示唆に、イエスは、悪意のない狂信者ではあろうが、おそらく健全な心ではなく、いつも奇妙で誤解された人に見えたのだという考えにさえ、嬉々たるものを感じていた。
そして、ユダは、イエスが、より名誉ある位置にこれまで決して割り当ててくれなかったということに、この時、今までにはなかったほどに、妙に憤慨していいる自分に気づいた。かれは、使徒の会計係である名誉をずっと評価してきたが、そのとき、自分が正しく評価されていなかったと、自分の能力が認められていなかったと感じ始めた。かれは、ペトロス、ジェームス、ヨハネが、イエスとの近い関係にいる栄誉を浴してきたということで突然の憤りに襲われており、高僧の家に行く途中のこのとき、かれは、イエスに対する背信行為のどんな考えよりも、ペトロス、ジェームス、ヨハネに仕返しすることに夢中であった。しかし、ちょうどその時、何ものにもまして新しく優位を占める考えが、ユダの意識の最も重要な位置を占有し始めた。かれは、自力で名誉を得ることにし、同時にこれで自分の人生に最大の失望をもたらした人々に仕返しすることができれば、一層良かった。かれは、混乱、誇り、自暴自棄、そして決断の凄まじい陰謀に襲われた。これで、ユダが、イエスへの裏切りの手配をするためにカイアファスの家に向かっていたのは、金のためではないということが明白であるに違いない。
カイアファスの家に近づくにつれ、ユダは、イエスと使徒仲間を見捨てるという最終的な決定に達した。このように、かれは、天の王国の目的を放棄すると決心し、最初にイエスと王国の新たな福音と自分とを同一視したとき、いつかは自分のものであると考えていたできる限りのあの名誉と栄光を手に入れると固く決心した。使徒全員が、かつてはユダとこの野心を共有したが、時の経過と共に、皆は、少なくともユダ以上に真実を称賛し、イエスを愛するようになった。
裏切り者は、従兄弟によってカイアファスとユダヤ人の支配者達に紹介され、従兄弟は、ユダが、イエスの巧妙な教えに惑わされるがままにいたという自分の誤りに気づいたので、このガリラヤ人との付き合いを公的に、また正式に放棄し、同時に、ユダヤの同胞の信頼と親交復旧を請いたいという段階に至ったと説明した。ユダの代弁者は、イエスが拘引されるならば、イスラエルの平和にとって最善であろうと、ユダが気づいたということ、またそのような誤った活動参加へのユダの悲嘆の証しとして、またモーシェの教えに今戻ろうとしている誠意の裏付けとして、イエスを穏やかに拘留でき、また、そうすることにより群衆を扇情する危険を避け、あるいは、過ぎ越しの後まで逮捕を延期する必要性を避けるための使令を受けている護衛長と手筈を整えられる者として自分をシネヅリオン派に提供しにやって来たのであると、ユダに代わって説明し続けた。
従兄弟は、話し終えるとユダを紹介し、ユダは、高僧の近くに進み出て言った。「私は、従兄弟が約束したこと全てをするつもりですが、あなたは、この働きに対して何をくれる気がありますか。」ユダは、冷酷で虚栄心の強いカイアファスの顔を襲った軽蔑や嫌悪の表情さえ見分ける風もなかった。彼の心は、あまりにも自己の栄誉と自己高揚の満足への欲情に動かされていた。
そこで、カイアファスは、「ユダ、護衛長の元に行き、今夜か明日の晩、お前のあるじを連れて来る打ち合わせをその役人として、そしてお前が、彼を我々の手まで連れてきたとき、お前はこの働きの報酬を受け取るであろう。」と言う間、かれは、裏切り者を見下ろしていた。ユダは、これを聞くと司祭長と支配者達の前から去り、イエスが逮捕される方法について寺院の護衛長との相談に出掛けていった。ユダは、イエスがそのとき宿営所を留守にしていることを知っており、その晩いつ戻るか見当もつかないので、二人は、翌晩(木曜日に)、エルサレムの人々や訪問巡礼者の皆が夜退いてから、イエスを逮捕することに同意した。
ユダは、何日もの間持つことのなかった雄渾と栄誉という考えに酔い、宿営所の仲間の元に戻っていった。かれは、イエスがいつか新王国の偉人になることを望んで徴募したのであった。かれは、予期していたそのような新しい王国は、来ないのだということに遂に気づいた。しかし、かれは、その時生き残ると信じ、そして支持したイエスと全てとを滅ぼすと確信した古い秩序における名誉と報酬の即座の実現と、期待される新しい王国での栄誉獲得の失敗からくる失望との交換において非常に賢明であったと喜んだ。意識的な目的のその最後の動機において、イエスへのユダの裏切りは、唯一の考えが、あるじと元仲間への自己の行為の結果がたとえ何であろうとも、自身の安全と賛美という利己的な脱走者の臆病な行為であった。
しかし、それはずっとそういう具合であった。ユダは、次第に心に蓄積していくこの用心深い、執念深い、利己的かつ復讐の意識、また報復と背信のこれらの悪意に満ちた邪な欲望の感情をもてあそんでいる意識に長い間、引き込まれてきた。イエスは、他の使徒を愛して信じたように、ユダを愛し信じたが、ユダは、返礼に忠誠を伴う信頼を育たり、心からの愛の経験をすることができなかった。それが、いったん完全に利己主義にこだわり、陰鬱で長く抑圧された復習に動機づけされるとき、いかに危険な野心になり得ることか。世俗の薄暗く消えゆく誘惑に視線を懲らし、神性の価値と精霊的な現実への永遠の世界への永続的な到達のより高く、より真実の業績に盲状態にされるそれらの愚かな人々の人生に対する失望は、何と圧砕するものであることよ。ユダは、心で世俗の名誉を切望し、心の底からこの欲求を愛するようになった。他の使徒は、心でこの同じ世俗の名誉を同様に切望はしたが、彼らは、心からイエスを愛し、イエスの教えた真実を愛することを学ぶために最善をつくしていた。
このとき、それに気づいてはいなかったが、ユダは、洗礼者ヨハネがヘロデに首をはねられて以来、ずっと潜在意識下のイエスの評論家であった。ユダは、心の奥深くで、イエスが、ヨハネを救わなかったという事実にいつも憤慨していた。あなたは、ユダが、イエスの追随者となる以前にヨハネの弟子であったということを忘れるべきではない。そして、ユダが、魂に憎しみの衣で横たえた人間の憤りと苦い失望のすべてのこれらの蓄積は、仲間の支援の影響から自分を一度あえて切り離すとき、同時にイエスの敵の賢いそれとない皮肉と微妙な嘲笑に自身をさらすとき、ユダには、潜在的な心にいまよく整理され、自身を飲み込むために跳び上がる用意がそのときできていた。ユダが自分の望みを高まるにまかせる度に、イエスは、それを粉々にする何かをしたり言ったりして、つねにユダの心には苦い憤りの傷跡が残った。そして、これらの傷跡が増えるにつれ、やがてその心は、しばしば傷つき、善意の、だが臆病で自己中心の人格にこの不快な経験を与えた者へのすべての本当の愛情を失った。ユダにはそれが分かっていなかったが、彼は臆病であった。従って、力あるいは栄光が、明らかに容易な範疇にあるとき、イエスが、それらを手にすることを度々拒否する動機は、イエスが臆病であるせいにすることが、ユダの日頃からの傾向であった。そして、かつては本物であっても、結局は失望、嫉妬、長く継続した憤りのために、愛がいかに実際の憎しみに変わり得るかということをすべての人間は、充分に分かっている。
遂に、司祭長と長老達は、2,3時間容易に息をすることができた。かれらは、公然とイエスを逮捕する必要はなく、過去に幾度もしたように、イエスが自分達の管区から逃れられないようにユダを裏切りの味方として確保した。
水曜日だったので、この夜は、社交の時間に当てられた。あるじは、塞ぎ込んでいる使徒を励ます努力をしたが、それは、ほとんど不可能であった。彼ら全員は、当惑させる、破壊的な出来事が切迫していると理解し始めた。かれらは、あるじが彼らの長年の波瀾万丈の、また情愛深い関係について詳しく語ったときでさえ愉快にはなれなかった。イエスは、使徒の全家族に関し注意の行き届いた質問をし、それからダーヴィド・ゼベダイオスに目を向け、最近誰かが、イエスの母や最年少の妹や自分の他の家人から便りを受けたかどうかを尋ねた。ダーヴィドは、自分の足元を見た。答えることを恐れていた。
これは、追随者を群衆の支援に注意を促すイエスの警告の時であった。かれは、繰り返し自分達を熱狂的に追い回し、次には、まったくむげに背を向け、以前に信じ、生活していた道に戻った大群衆についてのガリラヤでの自分達の経験について話した。それから、かれは、言った。「だから、寺院で我々の話を聞き、我々の教えを信じているように見える大群衆に欺かれてはいけない。これらの群衆は、真実を耳にし、心で表面的にそれを信じるが、その群衆の中の僅かの者しか、真実の言葉を生ける根と共に心に根づかせることはできない。心だけで福音を知る者や、心でそれを経験していない者には、本格的な問題の発生に際して、支援を頼ることはできない。ユダヤの支配者達が、人の息子を滅ぼす合意に達するとき、そして、こぞって襲撃するとき、激怒し、目のくらんだこれらの支配者達が、福音の真理の教師達を死に至らせる間、君達は、群衆が狼狽して逃れるか、さもなければ傍観しているのを見届けるであろう。そして、次に、逆境と迫害が君を急襲するとき、まだ真実を愛していると君が思う他の者が離散し、また数人は、福音を捨て、君を見捨てるであろう。我々に非常に近かった一部のものは、すでに見捨てると決心している。君は、今、我々に迫るその時に備えて、今日休んだ。だから、翌日、すぐ先にある数日間のために強くなれるように祈りなさい。」
宿営所の空気は、不可解な緊迫感に満たされていた。無言の使者達は、出入りしてダーヴィド・ゼベダイオスとだけ意志伝達をした。夜が過ぎる前に、ある者達は、ラーザロスがベサニアから大急ぎで逃れたことを知った。ヨハネ・マルコスは、宿営所に戻った後、1日中あるじのお供で過ごしたにもかかわらず、不気味に黙っていた。話すように説得する凡ゆる努力も、イエスが、ヨハネ・マルコスに話さないように言ったことを明確にするだけであった。
あるじの機嫌の良さと常にない愛想の良ささえ、皆を怯えさせた。彼らは全員が、不意のすさまじさと不可避の恐怖に落ちると気づく恐ろしい孤立が、確かに迫り来るのを感じた。皆は、何かの接近を漠然と感じ、しかも、その試練に直面する準備ができているとは、誰も感じなかった。あるじは一日中離留守であった。かれらは、あるじがいなくてこの上なく寂しかった。
この水曜日の夜は、あるじの死の実際の時間までの皆の精神状態の干潮時であった。翌日は、悲惨な金曜日に更に1日近づいたが、それでも、あるじは、彼らと居た。そして、かれらは、その不安な時間をより見苦しくないように過ごした。
休眠のため解散させるに当たり、これが、地球での選ばれた家族と共に眠る最後の夜であると知って、イエスがこう言ったのは、真夜中直前であった。「眠りにつきなさい、私の同胞よ。朝起きるまで君達が平穏であるように。もう1日、父の意志を為し、我々が神の息子であると知っている喜びを経験するために。」
イエスは、使徒と数人の忠誠で熱心な弟子と共に、この木曜日、肉体に具現した神の息子としての地球での最後の自由な日を過ごすことにした。この美しい暁の朝食時間の直後、あるじは、宿営所の上の少し離れた奥まった場所に皆を引き連れ、そこで多くの新たな真実を教えた。イエスは、当日夕方もまだ早い時刻、使徒に他の訓話をしたが、木曜日の午前中のこの話は、使徒とユダヤ人と非ユダヤの両方から選ばれた弟子との合同宿営集団への告別の辞であった。ユダを除く12人の使徒の全員がいた。ペトロスと使徒の数人が、ユダの不在について意見を述べ、また、彼らの一部は、イエスが、何かの用で、おそらくは過ぎ越しの祝いのための細事を調整するために街に行かせたのだと思った。ユダは、昼下がりまで、イエスが最後の晩餐を相伴するために12人をエルサレムへ引率する少し前まで、宿営所に戻らなかった。
イエスは、信頼されている50人ほどの追随者に2時間ほど話し、また、天の天国とこの世界の王国との関係について、神との息子性と地球の政府の市民性との関係における20件ほどの質問に答えるこの講話は、答えと質問とともに、現代の言語で次のように要約され、言い換えることができるかもしれない。
物質的なこの世界の王国は、法の執行や秩序維持のために物理的な力を用いることが必要であるとしばしば認めるかもしれない。天国の王国においては、本物の信者は、腕力の使用に頼らない。精霊生まれの神の息子の精霊的な兄弟関係にある天の王国は、精霊の力によってのみ広められる。この手順の違いは、信者の王国と世俗政府の王国の関係に言及しており、手に負えない、また相応しくない構成員の序列を維持したり、規律を励行するために、信者の社会集団の権利を無効にすることはない。
精霊の王国における息子性と宗教に関係のない、あるいは民間政府における市民権との間で両立しないものは何もない。ケーサーのものはケーサーに、神のものは神に返すのが信者の義務である。ケーサーが、神の特権を強奪し、そして精霊的な敬意と最高の崇拝が自分に与えられることを要求することに発展しない限り、一方は物質的で、他方は精霊的であるこれらの2つの必要条件には、相容れない何かがあるはずがない。この場合、君は、そのような誤って導かれた地上の支配者達を教化し、そしてこのようにして、彼らを天の父の認識へと導く一方で、神のみを崇拝すべきである。地上の支配者に精霊的な崇拝を与えるべきではないし、かつ地球の政府の物理的な力をもまた用いるべきではない。地上の支配者は、精霊の王国の任務を促進する仕事でいつか信者になるかもしれない。
兄弟愛と奉仕が王国の福音の礎石であるが故に、文明進歩の見地から、王国における子息性は、君達が、この世界の王国の理想的な市民になる手助けをすべきである。精霊の王国の愛の呼び掛けは、地球の王国の不信心の、戦争志向の市民の憎しみの衝動に対する効果的な破壊者であると証明すべきである。しかし、君達が、個々の信者の人生経験における精霊の実を結ぶ自然の結果であるその寡欲な社会奉仕で彼らを真近に引き寄せない限り、暗闇のこれらの物質志向の息子は、君の真実の精霊的な光を決して知らないであろう。
必滅であり物質的な人間として、君達は、実に地球の王国の住民であり、天の王国の生まれ変わった精霊の息子になったことでなおさら、良い住民であるはずである。天の王国の信仰に啓発され、精霊を解放された息子として、君達は、第3の、そして神聖な義務、つまり神を知る信者の兄弟関係への奉仕を自ら進んで引き受ける一方で、人間への義務と神への義務の二重の責任に直面している。
君達は、世俗の支配者を崇拝しなくてもよいし、精霊的な王国の推進においてこの世の力を使うべきではない。だが、君達は信者にもそうでない者にも一様に愛の奉仕の公正な活動を示さなければならない。強力な真実の精霊は、王国の福音に住まい、そしてやがて私は、この同じ精霊をすべての肉体に溢れさせるつもりである。精霊の果実は、つまり君達の誠実で愛情のこもった奉仕は、暗闇の民族を向上させる強力な社会的梃であり、この真実の聖霊は、君達の力を増大する梃台となるであろう。
不信心な民間支配者との関係において知恵を誇示し、賢明さを示しなさい。小さなくい違いの解決や、些細な誤解の調整には、思慮深さをもって専門家であることを自身が示しなさい。あらゆる可能な方法で—宇宙の支配者に対する君達の精霊的な忠誠を除く何ごとにも—穏やかにすべての人と生きるようにしなさい。常に蛇のように賢明であり、鳩のように無害でありなさい。
君達は、王国の啓発された息子となる結果、非宗教の政府の一層良い市民となるべきである。同様に、地上の政府の支配者も、天の王国のこの福音を信じる結果として、国内問題においてますます良い支配者とならなければならない。人の寡欲な奉仕態度と神への知的な崇拝は、王国の全信者をより良い世界市民にするはずであり、一方、誠実な市民性の考えと人の現世の義務への誠実な献身は、天の王国の息子性への精霊の呼び掛けにより、そのような市民が、より簡単に手が延ばされるように扶助するはずである。
地上の政府の支配者が宗教独裁者の権限を行使しようとする限り、この福音を信じる君達を待ち受けるものは、難局、迫害、死だけである。しかし、君達が世界に運ぶまさにその光、そして、君達が王国のこの福音のために死ぬまさしくその態度ですら、結局は、それら自体が、全世界を啓発し、政治と宗教に段階的な分離をもたらすであろう。王国のこの福音の不断の説教は、いつか万国に新たで、信じ難い解放、知的な自由、そして信仰の自由をもたらすであろう。
喜びと自由のこの福音を嫌う人々によるやがて来る迫害の下、君達は繁栄し、王国は成功するであろう。しかし、ほとんどの人が、王国の信者を褒め、そして高位につく多くの者が、天の王国の福音を名目上受け入れるその後の時代において、君達は、重大な危険を負うであろう。平和と繁栄の時代にさえ王国に忠実であることを学びなさい。安易に漂流している魂を救うように考案された愛ある躾としてやっかいな道へ君達を導くように君達の監督の天使達を唆してはいけない。
王国のこの福音—神との息子性の信仰による認識の最高の喜びに係合する父の意志を為すという最高の願望—を説くために任命されたということを覚えていなさい、そして、君達は、この唯一の義務への献身をそらす何も許してはならない。全人類が、君達の情愛深い精霊活動、啓蒙的な知的な親交、そして高揚的な社会奉仕の満溢から恩恵を受けられるようにしなさい。しかし、これらの人道主義の労務のうちの何も、あるいは、それらの全ても、福音公布に取って代わるべきではない。これらの強力な援助は、生ける真実の聖霊により、そして永遠の神との生ける親交の保証を与えるという個人的な認識により、王国の信者の心にもたらされるより強力で崇高な援助と変化の社会的副産物である。
真実を普及させたり、民間政府、あるいは世俗の掟の法令化によって正義を確立しようとしてはいけない。人の心を説得するために常に働くのはよいが、決して強制しようとしてはいけない。私が、肯定的な形で教えた人間の公正さのすばらしい法則を忘れてはいけない。君達が人にしてもらいたいと思う何であろうとも人にも同様にしてあげなさい。
王国の信者が、民間政府への奉仕を求められるとき、そのような信者が、公務において市民性の普通の特性を示すべきであるとはいえ、永遠の神の内在する精霊との必滅の人間の心との高められる結合の精神的啓発によって強化されてきたように、そのような政府の世間的な国民としてそのような奉公につかせなさい。不信人者が、上級の公務員の資格を得ることができるならば、君達は、自身の心の真実の根源が、精霊的な親交と社会奉仕が結合された生ける水の不足で死ななかったかどうかを真剣に問い質すべきである。神との息子性にあるという意識は、人間の人格のすべての固有の力へのそのような強い刺激の持ち主になったあらゆる男女子供の生涯全体の奉仕を速めなければならない。
君達は、受け身の神秘主義者や、面白味のない禁欲主義者であってはならない。生活必需品までも提供する架空の天祐を怠惰に信じ、夢想家や浮浪者になるべきではない。本当に、君達は、堕落した死すべき者との取り引きにおいては優しく、無知な者との交わりにおいては我慢強く、挑発の下では辛抱強くなるのである。しかし、君達はまた、正義の防衛においても勇敢で、真実の普及においても強く、王国のこの福音の説教においても、地球の果てにおいてでさえ、積極的になるのである。
王国のこの福音は、生ける真実である。私は、それがパン生地のパン種に、芥子菜の種子に似ていると君達に言ってきた。そして、今、私は、それが生けるものの種子のようであると言明し、そしてそれは、同じ生ける種子のままで留まり、世代から世代へと、絶えずそれ自体が新の発現を展開し、それぞれの連続する世代の独特の必要性と状況への新しい適合の回路で受け入れられるように成長する。私が行なってきた顕示は、生ける顕示であり、そして、それが、精霊的な成長、向上、そして適応できる開発の法則に従い各個人と各世代に適切な実を結ぶことを望んでいる。世代から世代へとこの福音は、増加する生命力を示し、精霊の力のより優れた深さを示さなければならない。それが、単に神聖な記憶、つまり私について、また我々が、現在生きている時代についての単なる伝統になることを許容されるようではいけない。
忘れてはいけない。我々は、モーシェの席を占める人々や権威に直接的な攻撃をしてこなかった。我々は、新たな光を申し出たに過ぎず、彼らは誠に勢いよくそれを拒絶した。我々は、彼らが教え、保護していると称するまさしくその真実への彼等の精霊的な背信に対する公然の非難だけで彼等を攻撃してきた。我々は、彼等が、人の息子等への王国の福音の説教を直接に妨害したときに限り、確立し、認められたこれらの指導者と衝突した。そして、今でも、彼らを襲うのは我々ではなく、我々の破滅を求める者達である。この朗報のみを説きに先へ進むために君達が任命されたということを忘れてはならない。君達は、古い道を攻撃しようとしているのではない。君達は、古い信仰の真ん中に新しい真実のパン種を巧みに入れようとしているのである。真実の聖霊に自身の仕事をさせなさい。真実を軽蔑する彼らが、君達にそれを押しつけるときにだけ論争を迎え入れなさい。だが、意図的な不信心者が攻撃するとき、君を救い浄めた真実の力強い防衛で立ち上がることを躊躇ってはいけない。
人生の変遷を通して常に互いを愛することを心しなさい。人と、たとえ不信心者とでも争うではない。悪意を抱いて君達を虐待する者達にでさえ慈悲を示しなさい。自身が、忠誠な市民、清廉な職人、賞賛に値する隣人、献身的な血族、理解ある両親、父の王国の兄弟の間柄にあって誠実な信者であることを示しなさい。私の霊は、君達の上に、今、そして世の終わりまでもともにある。
イエスが教えを締め括った時は、ほぼ1時であり、かれらは、即刻ダーヴィドとその仲間が昼食を準備してあった宿営所へと戻った。
あるじの聞き手の多くの者は、午前の演説の一部すら理解することができなかった。あるじの話を聞いた全てのうち、ギリシア人は、ほとんどを理解した。11人の使徒でさえ、未来の政治上の王国、また王国信者の後の世代への暗示にうろたえた。イエスの最も熱心な追随者の一部は、イエスの迫りくる地球任務の終わりを福音活動の長期にわたる将来へのこれらの言及に一致させることができなかった。これらのユダヤ人信者の数人は、地球の最大悲劇が起ころうとしていると感じ始めてはいたが、そのような差し迫った災害をあるじの快活で無関心な個人的な態度とも、夥しい連続する期間にわたって、また地球の多くの、連続する一時的な王国との関係を受け入れる天の王国の今後の活動について彼が繰り返し暗示した午前の講話とも一致させることができなかった
この日の正午までに、全ての使徒と弟子は、ベサニアからのラーザロスの慌ただしい逃走を知った。かれらは、イエスとその教えを撲滅するというユダヤ支配者達の恐ろしい決定を感じ始めた。
ダーヴィド・ゼベダイオスは、エルサレムでの自己の諜報部員達の活動を通して、イエスの逮捕と殺害計画の進展に関して充分な勧告を受けた。かれは、この陰謀でユダの関わりについて全てを知っていたが、他の使徒にも弟子の誰にもこの知識を決して明らかにはしなかった。昼食直後、かれは、イエスを傍らに導き、大胆に、彼の周知の有無を尋ねた—が、ついぞ質問は終えられなかった。あるじは、手を上げて、ダーヴィドを制し、「そうだよ、ダーヴィド、私には全てが分かっているし、君が知っているということも承知しているが、決して誰にも言わないように注意しなさい。ただ、最後には神の意志が勝つということを疑わないように。」と言った。
ダーヴィドとのこの会話は、アブネーが、イエスを殺す陰謀について聞いたという知らせと、アブネーが、エルサレムに出発すべきかどうかを問い合わせるフィラデルフィアからの使者の到着によって中断された。走者は、アブネーへのこの知らせを携えフィラデルフィアへと急いだ。「仕事を続けなさい。肉体の私が君から離れていっても、それは、単に、私が精霊で戻ることができるということである。君を見捨てるつもりはない。最後まで君と共にいる。」
この頃、フィリッポスは、あるじのところに来て尋ねた。「あるじさま、過ぎ越しが近づいてきていますが、どこで私達に食べる準備をさせたいのですか。」イエスは、フィリッポスの質問を聞くと、「ペトロスとヨハネを連れてきなさい、それで、私が、今夜ともに取る夕食の指示を与えよう。過ぎ越しに関しては、まずこの夕食後に考えなければならない。」と答えた。
ユダは、あるじが、これらの件でフィリッポスと話しているのを小耳にはさむと、二人の会話を立ち聞きできるようにより近くに寄った。しかし、近くに立っていたダーヴィド・ゼベダイオスが、ユダを会話に引き入れる一方で、フィリッポス、ペトロス、ヨハネは、あるじと話しをするために片側に行った。
イエスは3人に言った。「すぐエルサレムに行きなさい。そこで門を入るとき水差しを持つ男性に出会うであろう。その人は、話し掛けてくるので彼についていきなさい。その人が、ある家に君を案内するときはついて行き、『あるじが使徒等と夕食を取るはずの客室はどこですか。』とその家の親切な人に尋ねなさい。そして、このように問い合わせたとき、この家長は、家具が調度され我々のために準備のできている大きい上階の部屋を見せるであろう。」
使徒等が都に着くと、門近くで水差しを持つ者に出会い、その人の後に追いてヨハネ・マルコスの家に行き、そこでこの若者の父と会い、夕食の用意がされた上階の部屋を示された。
この全ては、あるじとヨハネ・マルコスが、二人きりで丘にいた前日の午後に了解し合った結果起きた。イエスは、妨害されることなく使徒とのこの最後の食事を取ることを確実にしたかったし、皆の集合場所をユダが予め知れば敵と自分の逮捕を手配するかもしれないと思い、ヨハネ・マルコスとのこの秘密の打ち合わせをした。このようにして、ユダは、イエスと他の使徒とともにそこに到着するまで会合場所を知らなかった。
ダーヴィド・ゼベダイオスには、ユダとのすべき事務処理が多くあり、かれは、ユダがつよく望んでいた、ペトロス、ヨハネ、フィリッポスの後をつけることを容易に妨げることができた。ユダが、食糧のために一定額をダーヴィドに与えようとしたとき、ダーヴィドは、「ユダ、現在の状況下では、実際に要する以上の金を少し私に提供する方が良くはないだろうか。」と言った。ユダは、暫く考えて、「そうだね、ダーヴィド、それが賢明だと思う。事際、エルサレムの不安な状況から見て、すべての金を手渡すのが最善だと思う。彼らは、あるじに対して陰謀を企て、私に何か起きたとしても、君は阻止されないであろう。」と答えた。
したがって、ダーヴィドは、使徒の総貯蓄の全額と領収書を受け取った。使徒達は、翌日の夕方までこの引継ぎを知らなかった。
3人の使徒が戻り、夕食が全て整ったことをイエスに知らせたときは、4時半頃であった。あるじは、すぐに12人の使徒をベサニアとエルサレムへの小道へと率いる準備をした。そして、これは、イエスの12人全員との最後の旅であった。
再び、キドローンの谷を通り抜け、ゲッセマネ公園とエルサレムを往復する群衆を避けるために、イエスと12人は、ベサニアから都へと通じる道に出るためにオリーヴ山の西の頂上を歩いた。イエスがエルサレムの崩壊を論じるために前の晩留まった場所に近づくと、かれらは、無意識のうちに止まり、黙って都を見下ろしていた。少し早めでもあり、日没後まで都を通り抜けることを望んでいなかったので、イエスは、仲間に言った。
「私が、まもなく起こるはずのことに関して話す間、座って休みなさい。同胞として君達とこれらのすべての年月を共に送ってきて、しかも天の王国に関する真実を教え、またその神秘を明らかにしてきた。そして、私の父は、地球での私の任務に関し、実に多くの見事な業を施されてきた。君達は、すべてのこの目撃者であり、神と共にいる労働者である経験の参加者である。そして君達は、私が父から与えられた仕事にやがて戻らなければならない、としばらく警告してきたことを私に証すであろう。私は、王国の仕事を続けるために君達をこの世界に残していかなければならないとはっきりと言ってきた。私がカペルナムの丘に君達を置いて行くのはこの目的のためであった。私との経験を、君達は、いま他の者と共有する準備をしなければならない。父が私をこの世に送られたように、私は、私の代理として、また私が始めた仕事を終えさせるために君達を送り出すところである。
「エルサレムの最後についての私の言葉を聞いたので、君達は、あそこの都を悲しみで見下ろしている。私は、エルサレムの崩壊で君達が死に、そのために王国の福音の公布が遅れることのないように前もって警告してきた。同様に、彼らが人の息子を捕らえにくるとき、不必要に自分を危険に晒すことのないように注意を払うように警告する。私は、行かねばならないが、ラーザロスが、神の栄光を明らかにするまで生きることができるように人の怒りから逃げるように私が指示したように、君達は、私が行ったあとこの福音を示すために残ることになっている。私が去り行くことが父の意志であるならば、君達は、神の計画を挫折する何もできはしないかもしれない。彼らが、君達をも殺すといけないので注意しなさい。福音をまもるために精霊の力によって君達の魂を勇ましくさせるが、人の息子を防御することにおいては、いかなる愚かな試みにも陥ってはならない。私は、人の手による防御を必要としない。天の軍隊は、今でも間近にいる。しかし、私は、天の父の意志を為すと決心しており、したがって、我々は、じきに我々に起ころうとしていることに身を任せなければならない。
この都が破壊されるのを見るとき、君達が、絶えず前進する天の王国におけいて、天の天においてでさえ、無限の奉仕の永遠なる生涯にすでに入っていることを忘れてはいけない。君達は、父の宇宙と私の宇宙には多くのものが住んでいるということ、そして、神が建築者である街と、生活習慣が正義と喜びである世界が光の子等を待っているということを知らなければならない。私は、ここ地球の君達へ天の王国を持って来たが、信仰によりそこに入り、真実の生ける奉仕によりそこに留まる全ての者は、確実に高い世界に上昇し、我々の父の精霊の王国で私と共に座るのだということを宣言する。だが、君達は、まず体を引き締めて私と共に始めた仕事を終了しなければならない。君達は、まず多くの苦難を潜り抜け、多くの悲しみに耐えなければならず—そして、これらの試練が今でも我々の上にあり—そして、地球での仕事を終えたとき、君達は、私が地球での父の仕事を終え、その抱擁に戻ろうとしているのと同様に、私の喜びに到達するであろう。」
あるじは話し終えると立ち上がり、彼らは、オリーヴ山を下り、都へとあるじの後に続いた。迫る暗闇の隘路に沿って進んでいる間、使徒のうち3人を除く誰も自分達の行くべき方向を知らなかった。群衆は、彼らを押していたが、その中の誰も彼らに気づかず、また神の息子が、王国の選ばれた大使とともに人間の最後の集結地点へ向かっていることを知らなかった。そしてまた、使徒達は、仲間の1人が敵の手にあるじを売る共謀にすでに身を投じたことを知らなかった。
ヨハネ・マルコスは、皆の後をつけて都に入り、彼らが門を入ったあと、彼らの到着の際、父の家に迎え入れるために別の通りへと急いだ。
この木曜日の午後、フィリッポスが、あるじに過ぎ越しが迫っていることの念押しをし、その祝賀のためのあるじの計画に関し尋ねた。フィリッポスは、翌晩の金曜日にとる過ぎ越しの晩餐を念頭においていた。過ぎ越し祝いの準備の開始は、前日の正午より遅くならないのが習慣であった。ユダヤ人は、日没をその日の始まりと見なしたので、これは、土曜日の過ぎ越しの晩餐は、金曜日の夜に、真夜中以前のいつかに食べられることを意味した。
使徒達は、したがって、1日早く過ぎ越しを祝いたいというあるじの発表の理解に全く困り果てた。かれらは、少なくともそのうちの何人かは、あるじが、金曜日の夜の過ぎ越しの晩餐前に逮捕されると知っており、そのために、この木曜日の夕方に特別な晩餐のために皆を集めているのだと考えていた。他の者は、これは、単に通常の過ぎ越しの祝いに先行する特別な機会であると思った。
使徒は、イエスが、子羊なしで過ぎ越しを祝ってきたことを知っていた。かれらは、あるじが、個人的にユダヤ式のいかなる生贄の儀式にも参加しないことを知っていた。客として何回も過越し祝いの子羊を相伴はしてきたが、常に、自分が主人役であるときは、子羊は用意されなかった。かれらは、過ぎ越しの夜であろうとも、子羊が省かれることを使徒が見ても、それほどの驚きではなかったし、またこの晩餐が、1日早く与えられることから、子羊の欠如を何とも思わなかった。
ヨハネ・マルコスの父母の歓迎の挨拶を受けた後、イエスが、マルコスの家族と話すために後に残る間、使徒はすぐ上の部屋に行った。
あるじが、この機会を12人の使徒とだけで祝いをすると予め了承されていた。そのため使用人は、一人もかしずいてはいなかった。
使徒は、ヨハネ・マルコスに上階を案内されると、そこには夕食のために完全に準備されている大きくゆとりのある部屋にパン、ワイン、水、野菜が食卓の片端に全て準備されているのを目にした。パンとワインがのった端を除き、この長い食卓は、13脚の背もたれ付きの長椅子で囲まれており、ちょうど裕福なユダヤ人家庭の過ぎ越しの祝賀に備えたようなものであった。
この上階の部屋に入ると、12人は、戸のすぐ内側に埃まみれの足を洗うための水の入った複数の水差し、盥、布巾に気づいた。そして、この役をするための使用人は一人として置かれてはいなかったので、ヨハネ・マルコスが、皆を後にしていなくなると、使徒達は、互いを見て、それぞれに誰が我々の足を洗うのであろうかと心の中で考え始めた。そして、誰もが他の者の下僕のように振る舞うのは自分ではないと同様に思った。
かれらは、そこに立ち、心中で考えを巡らせ、食卓の座席の配列を見渡し、主人役のより高い長椅子と主人役の右のこの2番目の名誉の席の反対側の食卓を囲むように配置された11席に注目した。
あるじが今にも到着することを予想したが、かれらは、着席すべきか、または、あるじが来るのを待ち受け、彼のそれぞれの場所の割り当てに頼るべきかどうかで困惑した。彼らが躊躇っている一方で、ユダは、主人役の左側の上座へと近づき、好ましい客としてそこで凭れかかるつもりであることを示した。ユダのこの行為は、すぐに、他の使徒の間で激しい論争を巻き起こした。ユダが上座を押さえるや否や、ヨハネ・ゼベダイオスがその次に好ましい席、主人役の右の席を主張した。シーモン・ペトロスは、ユダとヨハネの選択場所のこの横取りに激怒し、他の怒った使徒が見ていると、ヨハネ・ゼベダイオスが選んだ席の真逆の末席へと回りこんで自分の場所とした。他の者が上席を押さえたので、ペトロスは、最も低い席を選ぶことを考えた。ペトロスは、単に同胞の不作法な自惚れに対する抗議というよりは、イエスがやって来て末席にいる自分を見たとき、上座の方へ呼ぶび寄せ、自己に栄誉があると考える者とこのようにして置き換えるであろうという望みをもってこうしたのであった。
最上席と最末席がこのように占拠され、残る使徒のうちある者はユダの近くに、ある者はペトロスの近くへと席を埋めていった。かれらは、寝椅子に凭れ掛かり、U字形の食台の周りに次の順で座を占めた。あるじの右にヨハネ、あるじの左にユダ、シーモン・ゼローテース、マタイオス、ジェームス・ゼベダイオス、アンドレアス、双子のアルフェウス、フィリッポス、ナサナエル、トーマス、シーモン・ペトロス。
かれらは、少なくとも心では、モーシェよりも遡る祖先が、エジプトの奴隷であったときのしきたりを祝うために集った。この晩餐は、イエスとの最後の会合であり、しかも、そのような厳粛な設定の場においてさえ、使徒達は、ユダの主導のもとに今一度、名誉、優遇、個人の高揚に対する自分達の古い好みに屈する道へと導かれているのである。
あるじが戸口に現れたとき、かれらは、まだ立腹し、声に出し非難をし合っていた。あるじは、緩やかに忍び寄る自分の失望の顔色に少し躊躇った。かれは、意見をせず自分の場所に行き、皆の着席順を妨げなかった。
かれらは、そのとき晩餐への備えはできていたが、足はまだ洗われてはおらず、心は、不愉快感でいっぱいであった。皆は、あるじが到着したとき、それぞれの感情を公然と口に出すことを慎む感情抑制を持つ者の考えについては言うまでもなく、まだ互いに無礼な言葉を言い合っている最中であった。
あるじが自分の場所に着いてしばらくの間は、誰も一言も発しなかった。イエスは、皆を見回し、微笑んで緊張を和らげて言った。「私は、皆とこの過ぎ越しの食事をしたいと切に望んでいた。受難の前にもう一度皆と食事がしたかったし、私の時間が来たと分かり、今夜ともにこの晩餐をとる手配をした、というのも、我々は皆、明日に関しては、私がその意志を実行するために来た父の手に託されているのであるから。それを為すためにこの世に遣わされたことを私が果たしたとき、父から与えられる王国で共に座るまで、私は、もう君達と共に再び食べないであろう。」
ワインと水が混ぜられて後、かれらは、イエスに杯を持って来て、イエスは、サッダイオスの手からそれを受け取り感謝をする間、それを握っていた。そして、かれは、感謝をし終えたときに言った。「この杯を取り、皆でそれを分け合い、それを相伴するとき、これが我々の最後の夕食であるから、私は、再び君達と葡萄の木の実を飲むことはないということを悟りなさい。我々が再びこの様に座るときは、来たる王国においてであろう。」
イエスは、自分の時間が来たことを知っていたので、使徒にこのように話し始めた。父の元へ戻る時が来たこと、そして地球での仕事がほぼ終えたと思った。あるじは、地球で父の愛を明らかにし、その慈悲を人類に示し、そして、地上にやってきた目的を果たしたということを、天と地でのすべての力と権威の受領をさえ知っていた。同様に、かれは、ユダ・イスカリオテが、その夜敵の手に自分を売ることを完全に決心したことを知っていた。かれは、この反逆的裏切りが、ユダの仕業であるということ、だが、それはまた、ルーキフェレーンス、魔王、および暗黒の王子カリガスティアを喜ばせるということを完全に理解していた。しかし、かれは、物理的な死を達成しようとした者達も精霊的な打倒を求めた者達も恐れはしなかった。あるじには、1つの気掛かりしかなく、それは、選ばれた追随者達の安全と救済に対するものであった。そこで、父が万事をイエスの権限の下に置いたという完全な知識で、そのとき、兄弟愛の寓話を実行する支度をした。
過ぎ越しの最初の杯を口にした後、主人役が食卓から立ち上がり自分の手を洗うのが、ユダヤ人の習慣であった。後には、食事中の2度目の杯の後、客の全員が、同様に立ち上がり、それぞれの手を洗った。あるじが儀式ばった手洗いのこれらの儀式を決して遵守しないのを知っていたので、使徒は全員、この最初の杯を相伴した後、イエスが食卓から立ち上がり静かに水差し、盥、布巾の置かれている戸の近くへと進んで行ったとき何をするつもりなのか興味しんしんであった。そして、あるじが上衣を脱ぎ布巾で自分を巻き、足盥の1つに水を注ぎ始めるのを見たとき、皆の好奇心は、驚きに変わった。彼が、シーモン・ペトロスが凭れている食卓の端の空いている祝宴の末席まで進んでいき、使用人の態度で跪きシーモンの足を洗う用意をするあるじを見たときの12人の、つい先ほど互いの足を洗うことを拒否し、食卓での名誉ある場所に関し非常に見苦しい言い合いをしていたこれらの男性の驚きを想像しなさい。あるじが跪くと、12人全員がまるで1人の人間であるかのように立ち上がった。裏切り者のユダでさえ、仲間の使徒と共にこの驚愕、敬意、驚嘆の表現で立ち上がるほどに暫し自分の汚名を忘れた。
シーモン・ペトロスは、そこに立ち、あるじの上向けた顔を見下ろしていた。イエスは何も言わなかった。話す必要はなかった。イエスの態度は、単にシーモン・ペトロスの足を洗うことを意としているということを明らかにした。人間としての脆さにもかかわらず、ペトロスは、あるじが非常に好きであった。このガリラヤの漁師は、心からイエスの神性を信じ、その信仰を豊かに、また公にした最初の人間であった。そのうえ、ペトロスは、あるじの神性をその後一度も疑ったことがなかった。したがって、心の中で非常にイエスを畏敬し尊敬していたので、ペトロスの魂が、奴隷がするかのように召使の態度でイエスがそこで自分の前に跪き、足を洗おうと申し出るという考えに憤慨したことは、奇妙ではなかった。ペトロスは、やがて、あるじを記述するために自身の機知を十分に集めたとき、使徒仲間全員の心情を語った。
この甚だしい困惑の数秒後に、ペトロスは、「あるじさま、あなたは、本当に私の足を洗うつもりですか。」と言った。そこで、ペトロスの顔を見上げて、イエスが言った。「私がしようとしていることを完全に理解できないかもしれないが、この後、これらの全ての意味を知るようになるであろう。」その時、シーモン・ペトロスは、長く息を吸い、「あるじさま、私の足を決して洗わないでください。」と言った。すると、使徒の各々は、イエスの彼らに対するこのようなみすぼらしい態度を許せないというペトロスの断固たる表明に頷いて同意した。
この徒ならぬ劇的な訴えは、最初ユダ・イスカリオテの心にさえ触れた。しかし、その虚栄心の強い知性が、その光景を判断するに当たり、謙遜のこの身振りは、イエスが決してイスラエルの救出者として相応しくないということ、また自分があるじの目的を見捨てるという決定において誤りを犯さなかったということを最終的に立証するもう一つの挿話にすぎないと結論づけた。
全員が、そこで息を殺して立っていると、イエスは言った。「ペトロス、断言しておく。私が君の足を洗わなければ、私が実行しようとしていることで、君は私との何の関係もないのであると。」この宣言を聞いたとき、ペトロスは、イエスが自分の足元に跪き続けたという事実と結びつけ、自分が尊敬し、愛した人の願望に応えて、盲目的な黙認のそれらの決定の一つをした。シーモン・ペトロスは、あるじの仕事との人の今後の関係を決定する何らかの重要性が、この申し出られた奉仕行為に結びつけられているということが分かり始め、イエスに足を洗ってもらうという考えに落ち着いたばかりでなく、彼独特の、そして激しい物腰で、「あるじさま、私の足だけでなく、私の手と頭も洗ってください。」と言った。
ペトロスの足を洗い始めようと仕度をしながら、あるじは言った。「すでに清い者は、足を洗わせるだけでよい。今宵私と座る君達は、清い—しかし、全員ではない。だが、食事のために私と座る前に君達の足の埃は洗われるべきである。そのうえ、ほどなく提示する新しい命令の意味を例証するための寓話としてこの奉仕をしたいのである。」
同様に、あるじは、ユダさえ素通りせず、12人の使徒の足を洗って食卓の周りを黙って回った。12人の足を洗い終えると上衣を着て、主人としての自分の場所に戻り、うろたえている使徒をざっと見渡してからイエスが言った。
「私が君にしたことが本当に分かっているのか。私をあるじと呼び、またそれは言い得ている、私はそうなのであるから。そこで、そのあるじが君達の足を洗ったのに、君達は、互いの足を洗いたがらなかったのは、なぜなのか。同胞が互いにすることが不本意である働きというものをあるじが大いに喜んでするこの寓話から、君達は何を学ぶべきか。誠に、誠に、言っておく。下僕は主人に勝るものではない。遣わされた者が、遣わせた者に勝るものでもない。君達との人生での私の奉仕振りを君達はずっと見てきた。そのように仕える優しい勇気を持つ君達は、幸いである。しかし、何故に君達は、精霊の王国の素晴らしさの秘密が、物質界での力の行使とは違うということを学ぶのにそれほど手間取るのか。
「今宵この部屋に私が入ったとき、君達は、互いの足を洗うことを堂々と拒否することに満足しないばかりか、食卓で誰が名誉の場所を陣どるべきかに関して言い争う羽目になった。そのような栄誉は、パリサイ派やこの世界の子供が求めるが、天の王国の大使の間ではそうであってないけない。私の食卓には優先の場所などあるはずがないということを知らないのか。私は、他のものを愛するように、君達一人一人を愛しているとは思わないのか。私に最も近い場所は、人がそのような名誉を見なすようには、天の王国では、君達の位置に関して何も意味することができないことを知らないのか。君達は、非ユダヤ人の王等が、臣下の上に支配権を持ち、同時にこの権威を行使する者は、時折恩人と呼ばれるということを知っている。しかし、天の王国ではそうではない。君達の間で立派な者になりたいと思う者に年下とさせ、長になろうとする者を仕える者とさせなさい。食事の席につく者、あるいは、給仕する者、だれがより立派であるのか。食事の席につく者が、 より偉大であると一般的に見なされてはいないか。しかし、君達は、私が仕える者として君達の間にいるのを観るであろう。「私と共に父の意志を為す下僕の仲間になること望ぶならば、君達は、未来の栄光の中で父の意志に従事して、来る王国で私と共に力の座につくであろう。」
イエスが、話し終えたとき、アルフェウスの双子は、最後の晩餐の次のコースのために、パンとワイン、それにほのかに苦い野菜と乾燥果実の練り物を持ってきた。
数分間、使徒達は、黙って食べていたが、あるじの愉快な態度の影響を受け、すぐに会話に引き込まれていき、やがて、特別なこの機会のかなりの陽気さと社交の調和を妨げる異常なことはまるで起こらなかったかのように、食事は進んでいた。若干の時間が過ぎ、イエスは、2品目のこの食事の中頃で皆に目をやって言った。「私は、君達と一緒にこの晩餐をとるのをどれほど望んでいたかを告げ、その上、暗闇の悪の力が、どのように人の息子に死をもたらす共謀をしたかを知っているので、明日の夜までには、私は君達とは共にいなくなるので、この秘密の部屋で、過ぎ越しの1日前に共にこの晩餐をとると決心をしていた。私は、父の元に戻らなければならないと君達に繰り返し告げてきた。今、私の時間は来た、しかし、君達の1人が、私を敵の手へに渡す裏切りは、必要ではなかった。」
足を洗う寓話とその次のあるじの訓話により自分達の無遠慮と自信の多くがすでに奪われていたので、12人は、これを聞くと、互いに見始め、落ち着きを失った語調で「それは私ですか。」と躊躇いがちに尋ねた。そして、全員がそのように尋ねたときに、イエスは言った。「私は父のところへ行かなければならないが、その父の意志を満たすために君達の1人が反逆者になる必要はなかった。これは、全魂で真実を愛し損ねた者の心に隠された悪の結実の接近である。精霊的な失墜に先行する知的自負心は、なんと不正直であることよ。今でさえ私のパンを食べている多年にわたる我が友は、進んで私を裏切ろうとしている。いま私と共に手で料理を掬い取りながら。」
そして、イエスがこう話すと、「それは私ですか。」と、かれらは、再度尋ねた。あるじの左に座っていたユダが、「それは私ですか。」と再び尋ねると、パンを野菜の皿に浸しつつ、「君が言った。」と言ってイエスはユダに渡した。しかし、他の者は、イエスがユダに言うのを聞かなかった。イエスの右側に凭れるヨハネは、屈んであるじに尋ねた。「それは誰ですか。私達は、信用に忠実でないと判明したものが誰かを知るべきです。」しかし、主人役の左隣に座る者にパン切れを与えるのがとても自然であったので、あるじは、極く明瞭に言ったにもかかわらず、誰もこれに気づかないほどであった。イエスは、「私はすでに言った、その者にさえスープを与えた。」と答えた。しかし、ユダは、自己の行為に関連づけたあるじの言葉の意味を痛々しいほどに意識しており、裏切り者であるということを今にも同胞に同様に気づかれはしないかと恐ろしくなった。
ペトロスは、言われたことに非常に興奮し、卓上に身を乗り出し、「それが誰であるかをあるじに尋ねるか、またはあるじが君に告げたのならば、裏切り者が誰か教えてください。」とヨハネに話しかけた。
イエスは、話して私語を止めさせた。「この悪が起こってしまったことを嘆くし、真実の力が、悪の欺瞞を打ち負かすことを望んでいたが、そのような勝利は、心からの真実の愛の信仰なしには得られないのである。私は、ここで、我々の最後の晩餐でこれらの事を言いたくはなかったのだが、これらの悲しみを警告すると同時に、いま我々を襲うことに備えるように求める。私が去った後、私が、これら全ての邪悪な企みを知っていたということ、私への裏切りについて君達に警告したということを君達が思い出すことを望むので、これを伝えたのである。私は、すぐ先に迫る誘惑と試練に対して君達が強くなれるようにこの全てをしているに過ぎない。」
イエスは、こう話すとユダの方に身を乗り出して、「しようと決めた事をすぐしなさい。」と言った。ユダは、この言葉を聞くと食卓から立ち上がり、急いで部屋を出て、達成しようと決心したことを為しに夜の闇へと出かけて行った。他の使徒は、ユダがイエスに話しかけられると急いで出ていくのを見て、彼がまだ袋を携行していたので、夕食のための何か追加する物を調達に、さもなければ、あるじのためための用足しに行ったと思った。
イエスは、そのとき、ユダが反逆者になるのを妨ぐ何もできないことを知っていた。イエスは、12人と共に始めて—今では11人となった。イエスは、これらの6人の使徒を選び、ユダは最初に選んだ使徒の中におり、他のものの平和と救済のために働いてきたのと同様に、ユダを清め救うために可能な限りのことをまさにその時間までしてきた。
この晩餐は、その心暖まる挿話と宥めるやり口で、逸脱しようするユダほイエスの最後の訴えであったが、それは、無駄であった。警告は、概して最も手際よい方法で行われ、最も思いやりのある精神で伝えられるときでも、いったん愛が死んでしまうと、憎しみを強め、完全に自分自身の利己的な企てを実行するための悪の決断に点火するだけである。
かれらが、イエスに3杯目のワイン「祝福の杯」を持って来たとき、イエスは、杯を手にして長椅子から立ち上がり、それを祝福して言った。「この杯をとり飲みなさい。私の記念の杯となるであろう。これは、恩恵と真実の新しい配剤の祝福の杯である。これは、君達にとって真実の神霊の贈与と聖職活動の表象となるであろう。そして、父の永遠の王国で新たな姿で君達と共に飲むときまではこの杯を再び共に飲まないであろう。」
深遠な崇敬と完全な沈黙の中で祝福のこの杯を飲むとき、使徒は全員、ただならぬ何かが起きていると感じた。昔の過ぎ越しは、人種的奴隷制度の状態から個々人の自由への脱皮を祝った。そのとき、あるじは、隷属的な個人が、儀式主義と利己主義の束縛から生ける神の自由な信仰の息子の兄弟愛と親交の精霊的な喜びへと浮揚する新配剤の象徴として記念の晩餐を開始していた。
記念のこの新しい杯を飲み乾すと、あるじは、パンを取り感謝を捧げた後でそれを小片に千切り、回すように指示して言った。「記念のこのパンを取りそれを食べなさい。私は、命のパンであると言ってきた。そして、この命のパンは、父と息子の贈り物の結合された命である。父の言葉は、息子の中に明らかにされているように、本当に命のパンである。」彼らが、記念のパン、人間の体に具現された生ける真実の言葉の象徴を相伴したとき、全員が座った。
この記念の晩餐を設けるに当たり、あるじは、いつもの習慣通り、寓話と象徴に頼った。かれは、特定の素晴らしい精霊的な真実を教えたかったので、後継者達が、正確な解釈と明確な意味を彼の言葉に添えることを難しくするような方法で象徴を使用した。このように、彼は、後の世代が、自分の教えを結晶化したり、伝統と教義の死の連鎖によりその精霊的な意味を束縛することを防ごうとした。生涯の任務に関係する唯一の儀式、あるいは聖餐の確立において、イエスは、正確な定義に専念するよりも、むしろ彼の意味するところを示すためにかなりの苦心をした。イエスは、明確な形を確立することにより、神性親交の個人の概念を打ち壊すことを望まなかった。かれは、正式にそれを締めつけることにより、信者の精霊的な想像力を制限することも望まなかった。かれは、むしろ新たで、生きた精霊的な喜びの翼をもつ人の生まれ変わった自由な魂を解放しようとした。
この新たな記念の聖餐を設立するあるじの努力にもかかわらず、その後の時代以来、彼に続いた者達は、肉体でのその最後夜のあるじの簡単な精霊的な象徴が、厳密な解釈に縮減され、ほとんど公式の数学的な正確性の対象とされたされたという点において、彼の明示した望みが、効果的に阻止されることを確実にした。すべてのイエスの教えのうち、伝統による標準化がなされたものは、他にはなかった。
この記念の晩餐は、息子を信じる者や神を知る者がそれを共にするとき、そのようなすべての機会にあるじが、実際に臨場しているので、神の存在の意味に関して人間の幼稚な曲解のどの象徴とも関連づける必要はない。記念の晩餐は、マイケルとの信者の象徴的な会合である。人がそのように精霊を意識するようになるとき、息子は、実際に臨場しており、また、その精霊は父の生ける断片と親しく交わっているのである。
彼らがしばらく思索に耽けった後、イエスは、話しを続けた。「君達がこれらのことをする時、私が地球で君達と暮らしを共にしたことを思い起こし、かつまた、私は、この世で君達と生き続け、君達を通して奉仕し続けるということを喜びなさい。個人として、だれが最も偉大になるかに関して競うではない。同胞としての君達でありなさい。そして、王国が信者の大集団を抱えるようになるとき、君達は、同じく、そのような集団の間で偉大さを競ったり、または昇進を求めたりすることを控えるべきである」
この力強い出来事は、友人の上階の部屋で起きた。晩餐にも家屋にも聖なる形式、あるいは儀式的な奉納の何もなかった。記念の夕食は、教会の承認なくして設立された。
イエスは、こうして記念の晩餐を設立すると、使徒に言った。「これをする度に、私の記念としてそれ行いなさい。そして、私を思い出すとき、まず、肉体における私の人生を回想し、私がかつて君達と共に居たということを思い起こし、それから、信仰によって、君達全員が、いつか父の永遠の王国で私と共に夕食をとるであろうということを認識しなさい。これは、私が君達に残す新しい過ぎ越し、私の贈与の人生の記憶であり、まさに不朽の真実の言葉である。そして、君達への私の愛であり、すべての人への私の真実の聖霊の注ぎである。」
そして、かれらは、新しい記念の晩餐の発足に当たり、一斉に詩篇第118章を歌い、古いが流血のない過ぎ越しのこの祝賀を終えた。
最後の晩餐の終わりに詩篇を吟じた後、使徒達は、イエスがすぐ宿営所に戻る意向だと思っていたが、かれは皆に座るように指示した。あるじは言った。
「 巾着も財布も持たず、その上、余分な衣服も携帯しないよう助言して君達を送り出したときのことをよく覚えているであろう。そして、君達は全員、何も不足しなかったと思い出すであろう。しかし、今は、やっかいな時節に遭遇してしまった。もはや、群衆の好意を当てにすることはできない。今後、巾着を持っている者には、それを持たせなさい。この福音を宣言しに世の中に出かけるとき、最善と思われる状態で備えなさい。私は、平和をもたらすためにやって来たが、それは、しばらくは来ないであろう。
「人の息子が賛美される時が今来た。そして、父は、私の中で賛美される。友よ、私は、ほんのあと少しだけ君達といることになっている。君達はすぐ、私を捜し求めるであろうが、見つけられないであろう、なぜなら、私は、君達がいまは来られない場所に行くのであるから。しかし、私が今私の仕事を終えたように、君達が地球での仕事を終えるとき、私が今父のところへ行く準備をするように、君達は私のところに来るであろう。私は、ほんの短時間のうちに君達を後に残し、君達は、もはや地球で私には会えないが、父が私に与えられた王国に昇る時代には私に会えるであろう。」
少しの間の打ち解けた会話の後に、イエスは、立ち上がって言った。「君達にいかに進み、互いに仕え合うべきであるかを示す寓話を演じたとき、私は、新たな戒めを与えたいと言った。だから、君達を後にしようとしている今、私は、そうしたい。君達は、互いを愛すようにと、自分を愛するように隣人を愛すようにと、教える戒めをよく知っている。しかし、私は我が子等によるその心からの献身にさえも完全には満足していない。私は、信じる兄弟愛の王国の愛からくるより大きい行為を君達にさせたい。そこで、私は、この新しい戒めを君達に与える。私が君達を愛したと同じように、君達は互いに愛し合いなさいと。そして、もしこのように互いが愛し合うならば、これにより、すべての人は、君達が私の弟子であるということを知るのである。
「新たな戒めを示すとき、私は、君達の魂に少しの新たな負担も課してはいない。それどころか、新たな喜びを君達にもたらし、そして、君達が、仲間である人々へ君達の心の愛情を振り撒く喜びを知ることで新たな喜びの経験を可能にしているのである。私は、君達やその仲間である死すべき者達への愛情の贈与において外面的には悲しみに耐えているが、最高の喜びを経験しようとしている。
「私が、君達を愛したように、君達が互いに愛し合うようにと誘うとき、私は、君達の前に最高規準の真の愛情を明らかにしており、誰も、これよりすばらしい愛を得ることはできないからである。つまり、友のために自分の命を捨てるということ。そして、君達は、私の友なのである。私が君達に教えたことを自発的に実行を望みさえすれば、君達は、私の友であり続ける。君達は、私をあるじと呼んできたが、私は、君達を下僕とは呼ばない。私が君達を愛するように互いを愛し合いさえすれば、君達は、私の友になるであろうし、私は、父が私に明らかにするそれを君達にいつも話すのである。
「君達は単に私を選んだのではなく、私もまた君達を選び、私が君達と暮らし父を明らかにしたように、私は、君達が、仲間へ愛情の奉仕のその成果をもたらすために世界へ送り出すために、君達を叙階したのであった。父と私は君達と共に働くのであり、私が君達を愛したように、互いを愛するという私の戒めに従いさえすれば、君達は、神性の喜びの充満を経験するであろう。」
君達は、あるじの喜びを分かち合うならば、彼の愛を共有しなければならない。そして彼の愛を共有するということは、彼の奉仕を分かち合うことを意味する。愛のそのような経験は、この世の困難から君達を救い出しはしない。新世界を創造しはしないが、それは、確かに古い世界を新しくはする。
心に留めておきなさい。イエスが要求していることは、犠牲ではなく、忠誠である。犠牲の意識は、そのような情愛深い奉仕を最高の喜びとする心からの愛情の欠如を意味する。義務の考えは、君達が使用人気質であり、したがって、友人としての奉仕、または友人のための奉仕をする素晴らしい心の震えを逃していることを意味する。友情の衝動は、任務へのすべての信念を越え、友人への友人の奉仕を犠牲とは呼ばない。あるじは、使徒が神の息子であることを教えた。かれは、彼らを同胞と呼んできた。そして、いま使徒達を後にする前に友と呼ぶ。
それから、イエスは、再び立ち上がり使徒への教えを続けた。「私は、真の葡萄の蔓であり、私の父は、農夫である。私は葡萄の蔓であり、君達はその枝である。父は、君達がたくさんの実をつけることだけを私に要求される。葡萄の蔓は、その枝での豊饒を増すためにだけ剪定される。父は、私から出て来て結実しないすべての枝を取り除くであろう。実をつける全ての枝を、父は、さらに実をつけるようにきれいにするであろう。すでに、君達は、私が話した言葉を通して清いのであるが、清いままでいなければならない。君達は私の中に、私は君達の中に留まらなければならない。枝は、蔓から切り離されたならば死ぬであろう。枝は、蔓に留まらなくしては実をつけることができないし、君達は、私の中にいる者を除き、愛の果実をもたらすこともまたできない。覚えていなさい。私は、本当の葡萄の蔓であり、君達は、生ける枝である。私の中に生きる者は、また、私がその者の中に生き、多くの精霊の果実をもたらし、この精霊の収穫をもたらす最高の喜びの経験をするであろう。私とのこの生ける精霊的な関係を維持するならば、君達は、豊富に実をつけるであろう。私の中に留まり、また私の言葉が君達の中に住むならば、君達は、私と自由に親しく交わることができ、そこで、私の精霊が意図することを何でも尋ねることができ、父が我々の陳情を許すという保証でこの全てをすることができるように私の生ける精霊が君達に注ぐのである。このようにして父が讃えられる蔓には、多くの生ける枝があるということ、そしてあらゆる枝にたくさん実がなるということ。世界が、これらの実をつける枝—私が彼等を愛したように互いを愛し合う我が友人—を見るとき、すべての人は、君達が本当に私の弟子であることを知るであろう。
「父が私を愛されたように、私は君達を愛してきた。私が父の愛に生きるように私の愛に生きなさい。私が君達に教えた通りにするならば、私が父の言葉に従い、その愛に変わることなく留まるように、君達は、私の愛に留まるであろう。」
長い間ユダヤ人は、救世主が、ダーヴィドの祖先の「蔓から出てくる茎」であると教えていた。そして、この昔の教えの記念のために、葡萄と附随するその蔓の大きい表象が、ヘロデの寺院の入り口を飾っていた。この夜あるじが階上で自分達に話す間、使徒は皆、これらの事を思い出した。
しかし、あるじの祈りに対する言及への曲解の結果、後に大いなる憂いが、生じた。もし彼の正確な言葉が記憶されており、その後ありのままに記録されていたならば、これらの教えにさほど困難はなかったであろうに。しかし、記録されたように、信者達は、求めるものは何でも父から受け取ると考えた一種の最高の魔法を、やがてはイエスの名前における祈りと考えた。何世紀もの間、正直な魂をもつ者は、この躓きの石に向かいその信仰を破壊させ続けた。信者の世界は、祈りとは、自分の思い通りにする過程ではなく、むしろ父のやり方を取り入れる目論見であること、いかに父の意志を認識し、実行するかを知る経験であるということを理解するのにどれだけ時間が掛かるのであろうか。君の意志が、彼のものと本当に連合するとき、君は、その意志連合によって心に抱くことは何でも要請することができるし、叶えられるということはまったくもって本当である。そして、そのような意志連合は、蔓の命が生ける枝へと、そして、その枝を通して流れるように、イエスにより、またイエスを通して生じる。
神性と人類とのこの生きた繋がりがあるとき、人類が軽率に、無知に利己的な寛ぎや虚栄の成果を祈っても、神性の答えはただ1つ、精霊の実が、生きている枝の茎に一層の、そして増加の結実をもたらす以外の何もあり得ない。蔓の枝が生きているとき、そのすべての願いにはただ1つの答え、増加した葡萄の結実しかあり得ない。実際のところ、枝の唯一の存在目的は、実をつけ、葡萄をもたらす以外に何もない。真の信者もまた、精霊の実をつける目的のため、彼が神に愛されるように、人を愛するためだけに存在する。—ちょうどイエスが我々を愛したように、我々が互いを愛し合うべきであるということ。
そして、父の規律の手が蔓に置かれるとき、それは、愛をもって、枝に多く実をつけることができるようにされる。そして、賢明な農夫は、死んで実りのない枝だけを切り取る。
イエスは、使徒にさえ、祈りが、精霊に支配される王国において精霊生まれの信者の機能であると認めさせることに非常な困難を伴った。
11人が、やっと蔓と枝の訓話に関する議論をやめると、あるじは、さらに話すことを望んでいたこと、また自分の時間の短いことを知って彼らに言った。「私が君達を去った後、世界の敵意に落胆してはいけない。気の弱い信者が、背をむけ、王国の敵と手を握り合っても意気消沈してはいけない。世界が君達を嫌っても、それは君達を嫌う前にすでに私を嫌っていたと思い出さなければならない。君達がこの世界のものであるならば、世界は、君達を愛するであろうが、そうではないのであるから、世界は、君達を愛することを拒否するのである。この世界にいるが、君達の人生は、俗世間らしいものではない。私は、君達が選ばれた世界にすら別の世界の精霊を代表させるためにこの世界から君達を選んだ。しかし、私が君達に話してきた言葉をいつも覚えていなさい。使用人は、その主人より偉くはない。あえて私を迫害するというのなら、かれらは、君達をも迫害するであろう。私の言葉が不信心な者を怒らせるというのなら、君達の言葉も不敬者を怒らせるであろう。そして、かれらは、私も私を送られた方をも信じてはいないのであるから、この全てを行うであろう。そして、君達も、私の福音のために多くの事で苦しむであろう。しかし、これらの苦難に耐えるとき、私もまた、天の王国のこの福音のために君達の前で苦しんだということを思い出すべきである。
「君達を襲う人々の多くは、天国の光を知らないが、今我々を迫害する者達には、これは本当ではない。我々が真実を彼らに教えていなかったならば、かれらは、有罪宣告を受けることなく多くの奇妙なことをするかもしれないが、現在、かれらは、光を知っており、それを敢えて拒絶したので、自らの態度に何の弁解もない。私を嫌う者は、父を嫌う。そうでないはずがない。もし受け入れるならば君を救うその光は、故意にそれを拒絶するとき、必ず君を咎める。それほどに凄まじい憎しみをもって私を嫌うほどに、私がこれらの人間に一体何をしたというのだ。地上での親交と天での救済の提供以外には何もしてはいない。それにしても、君達は、聖書に『理由なくして私を嫌った。』とあるのを読んだことはないのか。
「だが、君達をこの世に放っておくつもりはない。すぐ、私が去った後、精霊の助手を君達に遣わす。真実の道を君達に教え続け、慰めさえする者が、私の代りに君達の間にいて君達とともにいるであろう。
「心を煩わせるでない。君達は神を信じている。私をも信じ続けなさい。私は、去らなければならないが、君達からは遠くないところにいる。父の宇宙には滞在する場所が多くあると、私は、すでに君達に言ってきた。これが真実でなければ、私は、それについて繰り返し話しはしなかったであろう。私は、これらの光の世界に、君達がいつか昇る父の天国の拠点へと戻っていくのである。私は、これらの場所からこの世界に来た。そして、私が天界での父の仕事に戻らねばならないその時は、真近である。
「このようにして、私が、君達より先に父の天の王国に行ったとしても、この世界の存在以前に神の人間の息子等のために用意された場所に君達が私といられるように、きっと君達を呼びに来させる。君達を後にしなければならないが、私は精霊の形で君達と共にいるであろうし、私がより大きい宇宙にいる父の元に昇ろうとしているように、君達は、結局私の宇宙にいる私の元に昇ってきたとき、私と居るようになる。そして、君達は、完全には理解できないとしても、私が君達に言ったことは本当であり、永続する。私が父のところに行き、そして君達は、今私について来ることはできないが、来る時代には確かに私に続くのである。」
イエスが座ると、トーマスが立って言った。「あるじさま、我々はあなたがどこに行かれるのか分かりません。勿論、その道が分かりません。でも、道を示してくだされば、まさしく今夜、我々は、あなたについて行きます。」
トーマスの言葉を聞いたイエスが、答えた。「トーマスよ、私がその道であり、真実であり、命である。私を通さずして、誰も父の元へは行かない。父を見つける者全てが、まず私を見つける。私を知るならば、父への道を知る。そして、共に暮らしてきて、いま私を見ているのであるから、君は私を知っている。」
しかし、この教えは、使徒の多くにとり、特にフィリッポスには深過ぎ、かれは、ナサナエルと二言三言交わした後に立ち上がって言った。「あるじさま、父をお見せください。そうすれば、あなたの仰っしゃったことが全てはっきりします。」
フィリッポスが話し終えると、イエスは言った。「フィリッポス、私は長い間君と一緒にいなかったか、それでも今だに私を知らないのか。再びしかと言っておく。私を見た者はすでに父を見た。なのに、父を見せろなどと何故言えるのか。私は父の中におり、父は私の中にいるということを信じないのか。私の話す言葉は、私のものではなく、父の言葉であるということを教えてはこなかったか。私は、父のために話すのであって、自分のためではない。私は、父の意志を為しにこの世界に来たし、それを為した。父は、私に留まり、私を通して働かれる。父が私の中に、また私が父の中にいると言うときの私を信じなさい。でなければ、私が送ったその生活そのものに基づいて—仕事に基づいて—私を信じなさい。」
あるじが喉を潤すために脇に行くと、11人は、これらの教えに関する活発な議論に入り、イエスが戻り皆に席につくよう合図すると、ペトロスは、長い自分の意見を述べ始めた。
イエスは教え続けた。「私が父の元へ行ったとき、私が君達のためにした地球での私の仕事を父が完全に受け入れた後、私自身の領域での最終的な主権を受け取った後、私は、父に伝えるつもりである。地球に私の子等を残してきて、彼らに別の教師を送ることが、私の約束に順じていますと。そうして、父が承認するとき、私はすべての肉体に真実の聖霊を注ぐのである。すでに、父の精霊は君達の心にあり、また、その日が来るとき、ちょうどいま君達に父がいるように、君達には私もいるであろう。この新しい贈り物は、生ける真実の精霊である。不信心者は、この精霊の教えを初めは聞かないであろうが、光の息子は皆、喜んで心の底から彼を受け入れるだろう。そして、ちょうど君達が私を知ったように、彼が来るとき、君達は、この精霊を知るであろうし、心にこの贈り物を受け取り、そして、彼は、君達と留まるであろう。私は、助けと導きなしには君達を置き去りにするつもりでないということが、このようにして分かるであろう。今日、私本人が、君達といることができる。そのうちに、君達が何処にいようとも、私は君達と、また私の臨場を望む他のすべての人々と共に、しかも同時にそれぞれの者と共にいるであろう。私が立ち去る方が良いとは見極めないのであるか。私が精霊の中でより良く、さらに完全にいることができるように君達を肉体のままで残すことが良いというということ。
「世界は、わずか数時間で私をもう見ないであろう。しかし、私がこの新しい教師、真実の精霊を遣わす前にさえ、君達は、心で私を知り続けるであろう。私が自ら君達と生きてきたように、私は君達の中に生きる。私は、精霊の王国での君達の個人的な経験をもって君達と1つになるであろう。そして、これが起こるとき、君達は、私が父の中にいることを、また、君達の命が父と共に私のうちに隠されている間、私が君達の中にもいるということを確かに知るであろう。私は、父を愛し、父との約束を守ってきた。君達は、私を愛してきたし、私との約束を守るであろう。父がその精霊を私に与えてくれたように、私は、私の精霊を君達に与える。そして、私が君達に与えるこの真実の聖霊は、君達を導き、慰め、遂にはすべての真実へと導くのである。
「今まさに我々を襲いくるそれらの試練に君達が耐える用意ができるようにと、私がまだ君達と居る間に、私は、これらのことを伝えているのである。そして、この新たな日が来るとき、君達には父だけでなく息子が住まうであろう。そして、1人の人間として、人の息子として、地上で、しかも君達のちょうど目の前で父と私が働いたように、天のこれらの贈り物は、ずっと他の贈り物とともに働くであろう。そして、この精霊の友は、君達の記憶に私が君達に教えたすべてを持って来るであろう。」
あるじがしばらく休止すると、ユダ・アルフェウスが、兄弟のどちらかがかつて人前でイエスに尋ねたことのある数少ない質問の1つを大胆にした。ユダは、言った。「あるじさま、あなたは友人として我々の中でいつも生きてこられました。この精霊による手段を除き、もはや我々に姿を見せないとき、どのようにあなただと知るのでしょうか。世界があなたを見ないのであれば、我々は、あなたのことをどのように確信するのでしょうか。いかように我々にあなた自身見せてくださるのですか。」
イエスは、彼らを見下ろし微笑んで言った。「幼子達よ、私は立ち去る、父へと戻っていくところである。間もなく、君達は、生きた人間としてここで見ているようには私を見なくなる。私は、すぐに、この有形の肉体を除いた、ちょうど私のような私の精霊を君達に送るつもりである。この新しい教師は、心の中で君達各自と同居する真実の精霊であり、それ故、すべての光の子供が1つになり、互いに引き合うようになる。そして、まさしくこの方法で、父と私は、君達それぞれの魂のなかに、また互いを愛し合うことにより、ちょうど私がいま君達を愛しているように、自身の経験でその愛を本物にする全ての者の心の中でも生きることができる。」
ユダ・アルフェウスは、あるじの言ったことを完全に理解したという訳ではないが、新しい教師の約束を把握し、アンドレアスの表情から、自分の質問が満足に答えられたと悟った。
イエスが信者の心に送る、すべての肉体に注ぐと約束した新たな助手は、真実の精霊である。この神性の贈与は、真実の形式でもなければ法律でもなく、いずれも、真実の形、あるいはその表現としては機能しない。新しい教師は、つまり真の精霊の基準における真の意味の意識であり保証である真実の確信である。そして、この新しい教師は、生きた、発達する真実、すなわち拡大し、展開し、適応できる真実の精霊である。
神性の真実は、精霊により明察された、しかも生きた現実である。真実は、神性の実現と神との親交意識の高い精霊的な段階にだけ存在している。人は、真実を知ることができるし、真実に生きることができる。人は、真実の成長を魂で経験し、その啓発の自由を心で楽しむことはできるが、真実を公式、規則、教義、あるいは人間の行為の知的な規範に封じ込めることはできない。人は、人間が神性の真実の公式化を請け合うとき、それは即座に死ぬ。封じ込められた真実の死後の残存物は、よくても結局は、知的に扱われ賛美された知恵の実現に終わるに過ぎない。静止の真実は、死んだ真実であり、死んだ真実のみが、学説として保持できる。生きた真実は、動的であり、人間の心で経験的な存在だけを楽しむことができる。
知性は、宇宙の心の臨場に照らされる物質的な存在から起こる。知恵は、意味の新段階に高められた知識の意識、そして知恵の援助である宇宙贈与の臨場により活動的にされた意識からなる。真実は、宇宙意識の超物質段階で機能する精霊受領者達が、そして真実の実現の後に、魂の中で生きて支配するためにその精霊起動を可能にする精霊受領者達だけが経験する精霊的な現実価値である。
宇宙洞察の本物の子は、あらゆる名言に真実の精霊を探す。神を知る個人は、神性到達の生ける真実の段階へと絶えず知恵を高める。精霊的に進歩的でない魂は、生ける真実を知恵の死ぬ段階へと、また単なる高尚な知識の領域へと引き摺っている。
黄金律は、真実の精霊の超人的な洞察が剥ぎ取られるとき、高い倫理的行為の規則にしかならない。文字通り解釈されるとき、黄金律は、仲間への大きな違反手段になるかもしれない。人は、すべての人が心中にある全てを隠すことなく話すことを願ってやまないので、知恵に対する黄金律の精霊的な洞察がなければ、自身も遺憾なく赤裸々にその心の全思考を仲間の人間に話すべきであると理由づけるかもしれない。黄金律のそのような非精霊的な解釈は、明かされない不幸や終わりのない悲しみの結果をもたらすかもしれない。
一部の人間は、人間の友愛の純粋に知的な確認として黄金律を裁量し、解釈する。他の人間は、人間の人格の穏やかな感情を心情的な満足感として、人間関係のこの表現を経験する。別の人間は、この同じ黄金律が全ての社会的な関係を判断するための尺度、社会的行為の基準であると認める。さらに他の人間は、この言葉に表現される道徳上の義務に関する最高の概念を全友愛関係と見なすので、それを偉大な道徳的教師の明確な命令であると見る。そのような道徳的な人間の人生において黄金律は、彼等の全哲学の賢明な中心であり外周になる。
神を知る真実の愛好者の信仰深い兄弟愛の王国においては、この黄金律は、信者間の接触から生まれる最高に可能な善を受ける仲間に自身を関連づけ合うことを要求して、あるじのこの命令を神の人間の息子達に見させる解釈のより高いそれらの段階において、精霊的な認識の生きた性質を引き受ける。これは、自分を愛するように隣人を愛するという真の宗教の本質である。
しかし、黄金律の最高の実現と最も正しい解釈は、そのような神性の宣言の持続し、生きた真実の精霊の意識にある。宇宙における関係の広大無辺の意味は、その精霊的な認識に、つまり必滅者の魂に宿る父の精霊への息子の精霊の行為の法解釈においてのみ明らかにされる。そして、そのような精霊に導かれた必滅者が、この黄金律の真の意味を認識するとき、好意的な宇宙における市民権の保証に満たされ、イエスが、我々皆を愛したように、皆が仲間を愛する場合に限り、精霊現実の彼等の理想は、満たされ、そしてそれは、神の愛の実現の現実である。
神のあらゆる息子の個々の必要性と能力への神性の真実の生きた柔軟性のと広大無辺の適応性のこの同じ哲学は、あるじの教えと悪への無抵抗の実践を適切に理解できる前に理解されなければならない。あるじの教えは、基本的に精霊的な表明である。彼の哲学の物質的含意さえも、精霊的なそれらの相関関係から離れては、有用的には考えられない。あるじの命令の精神は、宇宙に対するのすべての利己的な反応の無抵抗にあり、真の精霊的な価値—神性美、無限の善、永遠の真実の価値—神を知り、ますます神のようになること—の正義の積極的かつ進歩的な段階への到達と結びつく。
愛、私心の無さは、真実の精霊の先導に従い、関係性についての不断の、生きた、再度適応できる解釈に従わなければならない。それにより、愛は、愛される個人の最高の広大無辺の善の変化し続け、拡大する概念を把握しなければならない。それから愛は、宇宙の他の公民への精霊主導の人間の愛からくる成長し、生ける関係によって影響を及ぼすことができた他のすべての個人に関してこの同じ態度をとり続ける。そして、愛の全てのこの生きた適応性は、現在の悪の環境、そして神性の運命の完全の永遠の目標の両方の光の中で作用しなければならない。
そして、我々は、黄金律も無抵抗の教えも、教義、あるいは教訓として適切に理解することができないと明らかに認めなければならない。それは、ただ生きることにより、すなわち、1人の人間を他の人間への愛ある接触へ向ける真実の精霊による生きた解釈での意味の理解によってのみ把握することができる。
そして、このすべては、旧宗教と新宗教の違いを明確に示す。古い宗教は自己犠牲を教え、新しい宗教は、ただ無私を、社会奉仕と宇宙理解に結合された自己実現を教える。古い宗教は、恐怖の意識により動機づけられた。王国の新しい福音は、真実の確信、永遠かつ普遍の真実の精霊により支配される。そして、いかなる敬虔の度合い、あるいは宗派の忠誠の度合いも、生きた神の精霊生まれの息子を特徴づける自発的な、思いやりのある、心からの友情のある王国の信者の人生経験における欠落を埋め合せることはできない。伝統も形式的な崇拝体系のいずれも、仲間への正真正銘の思い遣りの不足を償うことはできない。
ペトロス、ジェームス、ヨハネ、マタイオスからの多くの質問後、あるじは、送別の訓話を続けた。「君達が遭遇しようとしていることに備えができるように、重大な誤りに躓くことのないように、私が去る前にこのすべてを話しているのである。当局は、君達を単に会堂から追い出しても満足しないであろう。神に仕えていると考えるであろう者たちが君達を殺す時間が切迫していると、私は警告する。彼等は、父を知らないが故に君達や君達が天の王国に導こうとしている者達にこのすべてをするのである。彼らは、私を受け入れることを拒否することにより父を知ることを拒否した。そして、私が君達を愛したように、君達が、互いに愛し合うという私の新しい戒めを守るならば、彼らは、君達を拒絶し、私の受け入れを拒否するのである。私の時間がいま来たように、君達の時間が来るとき、私にはすべてが分かっているということ、そして、私と福音のための君達の受難のすべてには私の精霊が君達と共にいるという知識で君達が力づけられるようにこれらについて前もって教えているのである。私は、この目的のために、そもそも最初から非常に明らかに君達に話している。人の敵は、その人自身の家庭の者であるかもしれないとさえ警告してきた。王国のこの福音は、たがうことなく個々の信者の魂にすばらしい平和をもたらしはするが、人が心から私の教えを信じ、必滅の運命にある人生を送る上での主な意図として父の意志を為す習慣を定めるまでは、それは、地球に平和をもたらさないであろう。
「今私が去るということ、私が父の元に行こうとするその時が来たことを知り、君達の誰一人として、何故去るのかを私に尋ねなかったことに驚いている。それでも、私は、各人の心ではそのような質問をしているのが分かる。私は、1人の友としてはっきりと言おう。私が離れていくということは、君達には誠に有益なことである。もし私が離れていかなければ、新しい教師は、君達の心に入ることができない。君の魂で生き、君の精霊を真実に導くためにこの精霊の師を送り出すことができる前に、私は、この必滅の肉体を剥奪し、天の自分の場所に復位されなければならない。そして、私の精霊が君に宿ると、かれは、罪と正義の違いを照らし、それらに関して君の心で賢明に判断することを可能にするであろう。
「更に言うことはたくさんあるが、君達は、今はもはや耐えられないであろう。とは言え、彼が、真実の精霊が来るとき、君が父の宇宙の多くの住まいを通り抜ける間、かれは、遂には君をすべての真実に導くのである。
「この精霊は、自分について話しはしないが、父が息子に明らかにしたことを君達に宣言し、来るものを君達に教えさえするであろう。」まさに私が父を賛美したように、かれは、私を賛美するであろう。この精霊は、私から来るのであり、君達に私の真実を明らかにする。父がこの領域に持つすべては、現在、私のものである。それゆえに、私は、この新しい教師が、私のものを取り、それを君達に明らかにすると言ったのである。
「もう少しで、君達を少しの間置いて行く。その後、君達が、再び私と会うとき、私は、すでに父の元へ行く途中であろうから、その時でさえ、君達は、私に長くは会わないであろう。
イエスが息継ぎをする間、使徒は、互いに話し始めた。「我々に言っている事は何なのか。『もう少しで、君達を置いて行く。』そして、『君達が、再び私と会うとき、私は、すでに父の元へ行く途中であろうから、長くは私に会わないであろう。』とはどういうことであろうか。我々に何を言っているのか分からない。」
イエスは、皆がこれらの質問をすることが分かっていたので言った。「私が間もなく君達とはいないであろうと、君達が再び私を見るときは、私は父の元に行く途中であると言ったとき、君達は、私が、何を意味したのかと互いに訊き合っているのか。私は、人の息子は、死ななければならないが、再び蘇るとはっきりと言った。君達は、私の言葉の意味を悟ることができないのか。君達は、最初は悲しくなるであろうが、後には、事が起きた後、これらの出来事を理解する多くの者と共に喜ぶであろう。女性というものは、苦悩の時には本当に悲しむが、一度子供を産むと、人というものが世界に生まれたという認識の喜びに自分の苦悶をすぐにを忘れる。だから、君達も私の出発を悲しむであろうが、私は、すぐ再び君達に会うし、次には、君達の悲しみは、悦びに変えられるであろうし、その上、誰も決して君達から取り上げることのできない神の救済の新しい顕示が君達に来るであろう。そして、全世界は、死の克服をもたらす際の命のこの同じ顕示に祝福されるであろう。これまで、君達は、父の名においてすべての要求をしてきた。再び私に会った後は、君達は、私の名において求めることができ、そして私は、君達の声を聞くのである。
「ここ地球において、私は、君達に諺を教え、寓話を話してきた。私は、君達が精霊においては子供に過ぎなかったので、そうした。しかし、私が父とその王国に関して明らかに話す時が近づいている。そして、父自身が、君達を愛し、より完全に自分を君達に明らかにされることを望むので、私はこうするのである。必滅者は、精霊の父を見ることができない。だから、私が、君達被創造者の目に父を見せるためにこの世界に来たのである。しかし、精霊の成長が完成するとき、その時、君達は、父自身に会うであろう。」
11人は、話を聞き終わると互いに言った。「ほら、分かり易く話されている。確実に、あるじは、神から来られた。しかし、なぜ父の元に戻らなければならないと言われるのか。」そして、イエスは、皆が未だに理解していないことが分かった。この11人の男性は、ユダヤ人の救世主の概念に関する長く抱いてきた自分達の考えから逃がれることができなかった。救世主としてイエスを信じれば信じるほど、地球の王国の栄光の物質的な勝利に関するこれらの根深い概念は、ますます厄介になるのであった。
11人への別れの訓話の結びの後、イエスは、くだけて皆と会話をし、集団として、また個人としての彼等に関する多くの経験を詳しく話した。これらのガリラヤ人は、友であり師である人が去ろうとしているということにやっと気づき始めた。そして、彼らの望みは、しばらく後に再び彼と一緒になることであるという約束にしがみつくのだが、この帰還訪問も、しばらく後のことであるということは忘れがちであった。使徒と主な弟子の多くは、短い期間(復活と上昇の短い間)で戻るこの約束とは、イエスが父へのほんの短い訪問のために立ち去り、それから王国設立のために戻ってくることを示すのだと本当に思った。そして、イエスの教えに対するそのような解釈は、彼等の先入観にとらわれた信念と切なる望みに一致するものであった。自分達の生涯の信念と願望遂行の望みがこのように一致したので、彼等が、自らの激しい切望を正当化するあるじの言葉の解釈を見つけることは難くなかった。
送別の訓話が議論され、使徒の心が落ち着き始めた後、イエスは、再び彼らに注意を促し、最後の勧告と警告の提示に掛かった。
11人が各自の席に着くと、イエスは、立って話しかけた。「肉体をもつ君達といる限り、私は、君達の中の、あるいは全世界の1個人でしかありえない。しかし、必滅者の自然の姿のこの衣服から自由にされるとき、私は、この王国の福音の君達の各人と他のすべての信者の精霊居住者として戻ることができるのである。このようにして、人の息子は、すべての本物の信者の魂の精霊的な具体化になるのである。
「私が君達の中に生き、君達を通して仕事をするために戻る時、私は、この人生を通して君達をよりよく導くことができるし、天の中の天の未来の生活において多くの住まいごとに君達を案内することができる。父の永遠の創造における人生は、怠惰と利己的な安楽さの無限の休息ではなく、むしろ恩恵、真実、栄光における絶えざる進行である。父の家の数々の拠点のそれぞれは、停止場所、次にあるもののために君に準備をさせるように考案された生涯がある。したがって、光の子等も、まさに父がすべてにおいて完全であるように、精霊的に完成される神性位地に達するまで栄光から栄光へと進み続ける。
「私が去った後、私のあとに続くならば、私の教えの精神に従い私の人生の理想—父の意志を為すこと—で生きる君達の熱心な努力を押し進めなさい。いやおうなしに私がこの世界で課されたように、肉体での私の人生を模倣しようとする代わりに、これをしなさい。
「父は私をこの世界に遣わされたが、君達の少数だけが、私を完全に受け入れることを選んだ。私は、自分の精霊をすべての肉体に注ぐつもりであるが、すべての人は、魂の案内人や相談役としてこの新しい教師を受け入れることを選ぶというわけではない。しかし、新教師を受け入れる人は、啓発され、浄められ、慰められるのである。そして、この真実の精霊は、彼らの中で永遠の命へ湧出する生ける水の泉となる。
さて、私が君達を残して行くにあたり、安らぎの言葉を伝えたい。私は平安を君達に残して行く。私の平安を君達に与える。私が与えるこれらの贈り物は、信仰心のない者達が与えるような—割り当て—ではなく、君達各人に与える。心を煩わせてはいけないし、恐れてもいけない。私は、世界に打ち勝ったのであり、君達は皆、私において信仰を通して勝利を収めるのである。私は、人の息子は殺されると警告してきたが、父の元に行く前に、ほんの少しの間ではあるが、私は戻ると約束する。そして、私は、父へと昇った後、君と共にいて、まさしくその心に留まるために新しい教師をきっと送る。そして、君が、このすべてが起こるのが分かるとき、予めすべてを知っているのであるから、うろたえず、むしろ信じなさい。私は、大きな愛情で君達を愛してきたし、君達を置き去りにはしたくはないのだが、それが父の意志である。私の時間はやって来た。
「迫害でここかしこに離散し、多くの悲しみに打ちひしがれた後でさえ、これらの真実のどれも疑ってはいけない。離散し、敵の手に人の息子を残すとき、君達が私の孤立が分かるように、私は、君達の孤立が分かるであろう。しかし、私は決して一人ではない。私は、常に父といる。そのような時にさえ、私は、君達のために祈る。君達に平和を、しかも、ふんだんにもたらすように、私は、これらすべてのことを話したのである。君達は、この世界で苦難に遭うが、元気を出しなさい。私は、この世界で勝利を収め、永遠の喜びと永遠の奉仕への道を君達に示してきた。」
イエスは、この物質界の喜びや満足の類ではなく、神の意志の実行者である仲間に安らぎを与えた。不信心な唯物論者と運命論者は、平和と魂のせいぜい2種類の安らぎの味わいしか望めない。かれらは、不可避の状態に直面し、最悪の状態に耐えることを不動の解決法と決意した禁欲主義者である。さもなければ、彼らは、決して本当には来ることのない平和に空しく憧れ、人間の胸に永遠に湧き出る望みに耽ける楽天家であるにちがいない。
地球での生活を送る上である程度の禁欲主義や楽観主義の双方は、実用的ではあるが、そのいずれも、神の息子が肉体の同胞に与える素晴らしい平和にはいささかの関係もない。マイケルが地上の子等に与える平和は、肉体でしかも他ならぬこの世界で、自らが人間生活を送るときの自身の魂を満たしたまさしくその平和である。イエスの平和は、肉体での人間生活を送る間に、いかに神の意志を完全に為すかを学ぶ勝利を実現した神を知る個人の喜びと満足感である。イエスの心の平和は、神性の父の賢明かつ思いやりのある加護の実現における人間の完全な信仰に基づいて築かれる。イエスは、地球で難題を抱え、誤って「悲しみの人」と呼ばれさえしたが、これらのすべての経験において、またそれを通じて、父の意志を達成するという完全な確信において人生の目的に進むために彼につねに力を与えたその自信からくる安らぎを味わった。
イエスは、決然とし、粘り強く、任務の遂行に完全に専念したが、無感覚に、冷淡に禁欲主義的ではなかった。かれは、人生経験の愉快な面を捜したが、盲目的で自己欺瞞の楽天主義者ではなかった。あるじは、そのすべてが自分に起ころうとしていることを知っていたし、恐れてはいなかった。追随者の各人にこの平穏を与えた後、かれは、「心を煩わせてはいけないし、恐れてもいけない。」と、一貫して言うことができた。
イエスの平和は、それゆえ、時間と永遠の中での自分の経歴が、全賢で、全てを愛し、全ての権能をもつ精霊の父の安全かつ完全な管理と保護にあると完全に信じる息子の安らぎと保証である。そして、これが、本当に、人間心の理解では測り知れないが、それは、本当に、信じる人間の心によって完全に楽しむことができる平和である。
あるじは、集団としての使徒に送れを指示し、最後の勧告を終えた。それから、一人一人に別れを告げ、送別の祝福と共にそれぞれに個人的な忠告の言葉をかけた。使徒達は、最後の晩餐を共にするために最初に座ったときのように、まだ着席しており、あるじが、食卓の周りを話しながら回って歩きそれぞれに話し掛けると、各人は立ち上がった。
ヨハネに言った。「ヨハネ、君は、仲間の中で一番若い。君は本当に私の側にいて、また私は、父が息子達に与えると同じ愛で君達皆を愛するが、君は、私の近くにいつもいるべき3人のうちの1人としてアンドレアスに任命された。この他に、君は、私の代理をしてきたし、私の地球の家族に関係ある多くの事でこれからもそのように行動し続けなければならない。そして、ヨハネ、君が、肉体をもつ私の者達を監視し続けるという全幅の自信を持って、私は、父のところへ行くのである。私の任務に関する彼らの現在の混乱が、私が肉体のままでいたならば、ちょうど私がするだろうというような思いやり、助言、援助の全てを彼等に差し伸べることをいかなる方法でも止めることのないよう心しなさい。そして、彼らが全員、光を見に来て完全に王国に入るとき、君達が皆、彼等を歓迎する間、ヨハネ、私に代わって彼らの歓迎を頼みたい。
「さて、今、地球での経歴の終わりの数時間に入るに当たり、私は、私の家族に関して伝言できるように近くにいなさい。父によって私の手に任せられた仕事に関しては、私の肉体の死を除いて今終わり、私は、この最後の杯を飲みほす用意ができている。しかし、地球の父ヨセフが残した私の責任に関しては、私の人生のあいだ気を配ってはきたが、これからは私の代わってこのすべての事柄において務めることを君に頼らなければならない。最も若く、したがって多分これらの他の使徒よりも長生きするであろうから、ヨハネ、私の代わりにこれをしてくれるように君を選んだ。
「かつて、我々は、君と君の兄弟を雷の息子達と呼んだ。我々が初めて一緒にいた頃、君は、勝気で偏狭的であったが、君が、無知で軽はずみな無信仰な人々の頭に炎を呼び下ろすように私に求めた時から、君は、かなり変わった。君は、さらに変化しなければならない。私が今夜与えた新たな戒律の使徒にならなければならない。まさに私が君を愛したように、互いに愛する方法を同胞に教えることに自分の人生を捧げなさい。」
ヨハネ・ゼベダイオスは、頬を伝う涙で上階の部屋に立ち、あるじの顔を覗き込んで言った。「そう致します、あるじさま。でも私は、同胞をさらに愛することをいかにして学ぶことができるのですか。」そこでイエスが答えた。「まず天の彼らの父をもっと愛することを学び、そして、君が本当に時間の世界と永遠の世界での彼等の幸福にさらに関心を持つようになった後、君は、同胞をもっと愛することを学ぶであろう。そして、そのようなすべての人間の関心は、理解ある思いやり、寡欲な奉仕、惜しみない許しによって育成される。誰も君の若さを侮蔑すべきではないが、年齢は、しばしば経験を意味し、人事における何事も実際の経験に代わることはできないという事実にしかるべき考慮をはらうことを君に勧める。平和的にすべての人間と、特に天の王国の兄弟愛で友人と生きるように努力しなさい。そして、ヨハネ、いつも覚えていなさい。王国を勝ちとろうと魂と競ってはいけない。」
そして、あるじは、自分の席を回りながら、ユダ・イスカリオテの場所近くでしばらく止まった。使徒達は、ユダが、これ以前に戻っていないことにむしろ驚いたし、裏切り者の空席のそばに立つイエスの悲しい相貌の意味を非常に知りたく思った。しかし、誰一人として、アンドレアスを除いては、イエスが宵に、そして夕食の間に仄めかしたように、自分達の会計係が、あるじを裏切るために出かけたなどと少しの考えさえ抱かなかった。当分の間、とても多くの事が引続き起きていたので、かれらは、自分達の中の一人が裏切るであろうというあるじの発表をすっかり忘れていた。
イエスは、そのときシーモン・ゼローテースのところに行った。シーモンは、立ち上がり、次のこの勧告を聞いた。「君は、真のアブラーハームの息子であるが、君をこの天の王国の息子にするためにどれほどの努力をしたことか。私は、君を愛しているし、君の同胞全員もそうしている。君が、私を愛しているということを、サイモン、また、王国を愛しているということを知っているが、いまだに、自分の好みによってこの王国を作ろうと決め込んでいる。私は、君がそのうちに、精霊の本質と私の福音の意味を理解し、その公布において勇敢な仕事をするということを充分承知しているが、私の出発の際、君に起こるかもしれないことを悩んでいる。私は、君が怯まないということが分かれば、喜ぶであろう。私が父の元に行った後、君が私の使徒であることをやめず、天の王国の大使として相応に振る舞うということが分かれば、私は喜ぶであろう。」
火のような愛国者が目を拭いながら、「あるじさま、私の忠誠心を心配しないでください。地球のあなたの王国の設立に人生を捧げられるように、すべてに背を向けてきましたし、怯んだりしません。今までのところあらゆる失望を乗り切ってきましたし、あなたを見捨てません。」と答えたとき、イエスは、シーモン・ゼローテースへの話しをまだ止めてはいなかった。
そこで、イエスは、シーモンの肩に手を掛けて言った。「特にこのような時に、そのように話すのを聞くのは誠に爽快である。しかしながら、親友よ、君は、自分が何について話しているかが分かっていない。一瞬たりとも、私は、君の忠誠心を、献身を疑わない。私は、君が、すべてのこれらの他の者同様に、戦いにおいて先へと向い、私のためには死を躊躇わないであろうと心得る、(彼らは全員、力強く相槌を打った)、だが、それは要求されてはいない。我が王国は、この世界のものではないと、また私の弟子は、その設立実行のために戦わないと、私は繰り返し言ったきた。私は、これを何回も言ってきたが、シーモン、君は真実に直面することを拒否している。私は、私と王国への君の忠誠ではなく、私が立ち去り、私の教える意味を把握し損ねたと、また、君の誤解を他の現実や王国での精霊的な問題の範疇へと調整しなければならないという認識に遂に目覚めるとき、君が何をするのかを案じている。」
シーモンは、さらに話したかったのだが、イエスは、手を上げてシーモンを止めて言葉を続けた。「私の使徒は、君より誠実で、正直ではないが、私の出発後、誰も君のようにはうろたえたり、がっかりはしないであろう。君が落胆している間ずっと私の霊が君と共にあり、また、これらの者は、君の同胞は、君を見捨てないであろう。父の精霊の王国での息子の関係に対応する地球での市民権の関係に関する私の教えを忘れないようにしなさい。ケーサーのものはケーサーに、神のものは神に提供することに関し君に言ったことすべてをよく考えなさい。シーモン、君の人生を捧げなさい、現世の国家権力への義務と王国の兄弟愛の精霊的な奉仕の同時的な認識に関する私の命令をいかに必滅者が満足に実現させられるかを示すことに。もし君が、真実の聖霊によって教えられるならば、現世の支配者が、神だけに属する敬意と崇拝をあえて要求しない限り、地球の市民権の必要条件と天での息子の資格の必要条件との間の衝突は、決してないであろう。
「さて、シーモン、君がこのすべてを遂に分かるとき、憂うつから回復し、大いなる力でこの福音を公布しに先へ進んだ後に、君の失望の季節の最中でさえ、私がずっと君と共にいたと、そして、まさにその終わりまで君と進み続けるのであるということを決して忘れてはいけない。君は、常に私の使徒であり、そして、精霊の目で見て、天の父の意志に君の意志をより充分に従える気持ちをもつようになると、次には、私の大使として働きに戻り、そして私が君に教えた真実の理解の鈍さを理由に、誰も、私が君に与えた権威を取り上げたりはしないであろう。そして、シーモン、剣を持って戦う者は、剣と共に滅ぶということを、一方、精霊で働く者は、今ある王国で、来る王国で、喜びと平和と永遠の命を達成するということを、私は、もう一度警告しておく。そして、手に与えらた仕事が地球で終わるとき、君は、シーモン、私と向こうの私の王国で共に座るのである。切望した王国を、君は、見るのである、だが、この人生においてではない。私を、そして私が君に明らかにしたことを信じ続けなさい。そうすれば、君は、永遠の命の贈り物を受け取るであろう。」
シーモン・ゼローテースに話し終えると、イエスは、マタイオス・レーヴィイの方に踏み出して言った。「使徒集団の基金の備えは、もはや、君の任務ではないであろう。すぐ、本当にすぐ、君達は全員、離散するであろう。君は、一人の同胞とさえ、慰めと支えの交流を楽しむことは許されないであろう。王国のこの福音を説いて前へ進んで、君は、自分の新しい仲間を見つけなければならないであろう。私は、君達の訓練中に、2人ずつ送り出したが、今は、私が君達を置いて行くこうとしている。君は、衝撃から立ち直ると、単独で、そして、奮い起こされた信仰を持つ人間は、神の息子であるというこの朗報を広めるために地の果てまでも出かけるであろう。
その時、マタイオスは「しかし、あるじさま、誰が我々を送り出し、また、我々はどうして行く先を知るのでありましょうか。アンドレアスが、道を示してくれるのでしょうか。」と言った。すると、イエスは答えた。「いや、レーヴィイ、アンドレアスは、もはや福音公布で君達を指示しないであろう。かれは、本当に、新しい教師が来るその日まで、友人であり助言者であり続けるであろう。それからは、真実の精霊が、王国拡大のために働く君達一人一人を先へと導くであろう。君達が私に続こうと最初に試みたあの日以来、多くの変化が、税関所で君達に起きた。しかし、友愛の付き合いにおいて、非ユダヤ人がユダヤ人の隣に席を占める兄弟愛の展望を見ることができる前に、より多くの変化が起こらなければならない。しかし、君が完全に満足するまで、ユダヤ人の同胞を勝ち得るために意欲をもって続けなさい。それから、力を持って非ユダヤ人の方に向かいなさい。君が確信してもよい一つの事、レーヴィイ、君は、同胞の信頼と愛情を得ている。皆、君を愛している。」(そこで、10人全員があるじの言葉の黙認を表した。)
「レーヴィイ、私は、同胞が知らない基金を補給し続ける君の心配、犠牲、労働に関する多くのことを知っているし、その袋を運んだ者は不在であるが、収税史の大使が、王国の使者達と共に私の送別会でここにいるというのが私には嬉しい。私は、君が、私の教える意味を精霊の目で明察できることを祈る。また、君の心に新しい教師が来たとき、その導きに従い、人の息子に続き、そして王国の福音を信じることを敢えてした嫌われ者の収税史のために父ができることを同胞に—全世界にさえ—見せなさい。最初から、レーヴィイ、これらの他のガリラヤ人を愛したように、私は、君を愛していた。父も息子も、人を依怙贔屓をしないということをよく知っているのであるから、君の宗教活動を通して福音の信者になる人々の中にそのようないかなる区別もすることのないように。そして、マタイオス、神は、人を差別しないということ、神の目において、王国の親交において、すべての人は平等であり、すべての信者は、神の息子であるということをすべての人に示すことにこれからの全人生を捧げなさい。。」
次に、イエスは、演説の間黙って立っているジェームス・ゼベダイオスの方に踏み出して言った。「ジェームス、君と君の弟が、王国の栄誉で昇進を求めて一度私のところ来た時、そのような栄誉は、父が与えるものであると君に言い、私の杯が飲めるかどうかを尋ねると、両名ともそうすると答えた。たとえ君が、その時できなかったとしても、また現在できないとしても、君はすぐ、まもなく通過しようとしている経験によりそのような奉仕への備えができるであろう。そのような振舞いによって、君は、あの時、同胞を怒らせた。もし彼らが、すでに完全に君を許していなくても、君が私の杯を飲むのを見るとき、かれらは、君を許すであろう。君の聖職活動が長くても短かくても、魂を平静に保ちなさい。新しい教師が来るとき、私に対する崇高な信頼、そして父の意志への完全な服従から生まれる思いやりの沈着さと同情の寛容性を君に教えさせなさい。神を知る、そして息子を信じる弟子の人間愛と神性の尊厳が結合された示威運動に人生を捧げなさい。そして、このように生きる者全ては、彼らの死に様においてでさえ福音を明らかにするであろう。君と君の兄弟ヨハネは、異なる道を行くであろう。そして、そのうちの1人は、もう1人よりずっと早くに私と共に永遠の王国で座るかもしれない。真の知恵は、勇気と同様に思慮深さを包含するということを学ぶならば、それは、君を大変助けるであろう。君のもつ積極性に伴う賢明さを学ばなければならない。私の弟子達がこの福音のために命を捨てることを躊躇わない崇高な瞬間が来るであろうが、すべての普通の情況においては、君が生きて朗報を説き続けるということは、無信仰者の激怒をなだめることは、はるかに良いであろう。君の支配下にある限り、多くの歳月の君の人生が、天の王国のために勝ち取られた魂で実り多くなるように長く地球で生きなさい。」
ジェームス・ゼベダイオスに話し終えると、あるじは、アンドレアスが、座っている食卓の端へと回り込み、自分の忠実な援助者の目を見て言った。「アンドレアス、君は、天の王国の大使の責任者代行として忠実に私を代表してきた。時々疑いをもち、またある時は危なっかしい憶病さを見せはしたが、それにしても、君は、仲間の扱いにおいて常に正しく、秀でて公正であった。君とその同胞の王国の使者としての聖職受任以来、私がこれらの選ばれた者の責任者代行として任命したこと以外、君は、集団管理において自主的に治めてきた。他のいかなる俗界の事柄において、私は、指示したり、君の決定に影響を与えるための行動をとらなかった。そして、私は、今後の集団の方向づけの全てにおいて君に指導力を備えるためにこれをした。私の宇宙において、そして宇宙の中の父の宇宙においては、我々の同胞-息子は、彼らの精霊的な関係すべてにおける個人として扱われるが、我々は、すべての集団関係において常に確かな指導力を提供する。
「さて、アンドレアス、君は、私が任命した権威により同胞の長であるが故に、また私の個人の代理として役目を果たしてきたが故に、その上、私が今去ろうとしているので、これらの現世の、管理問題に関する全責任から君を自由にする。今後、君が、精霊的な指導者として自分の手腕で勝ち得た、それ故に、同胞が腹蔵なく認識するもの以外、君は、同胞にいかなる支配権も行使することはできない。私が父の元に行った後、彼らが、明確な立法行為によるそのような支配権を君に戻さない限り、君は、この後、同胞にいかなる権威も行使することはできない。しかし、この一団の管理の代表者としての責任からのこの解放は、肉体の姿での私の出発と、君の心に生き、君を全真実に導く新しい教師を送り出すあいだ介在するはずのそれらの日々の試練の時、すぐ先にある試練の時間の間、しっかりとした、しかも情愛深い手で同胞を抱き抱える力で全てをするために君の道徳的な責任をいかなる方法においてもも軽減するものではない。私は、君達から去る準備をして、君達の中の一員としての私の臨場においてその開始と権威をもつ全ての管理責任から君を解放したい。これからは、私は、君の上に、そして君の中で精霊的な権威だけを行使する。
「もし同胞が、今まで通り君を助言者とすることを願うならば、私は、世間のことでも精霊的なことでも、誠実な福音信者の様々な団体間の平和と調和の促進のために全力を尽くすべきであると君に指示する。人生の残りを同胞の間の兄弟愛の実践面を促進することに捧げなさい。彼らがこの福音を完全に信じるようになるとき、肉体をもつ私の兄弟達に親切でありなさい。西洋のギリシア人に、東洋のアブネーへの愛のある公平な献身を示しなさい。これらは、君が新しい教師である真実の精霊の到着を待つ間、使徒達は、すぐに地球の四隅へと追いやられるが、そこで、神との息子性の救済に関する朗報を公布するために、私の直接の臨場なしにこの福音信じることを学ばなければならない厳しい試練のその時期に皆を団結させることになっている。だから、アンドレアス、人の目には立派な働きをする役目が、君には回ってこないかもしれないが、そのようなことをする人々の師であり、助言者であることで満足しなさい。君は、死ぬまで地球での自分の仕事を続け、それから永遠の王国でこの聖職活動を続けるであろう。だからこそ、何回となく、私は、この群れでない他の羊を飼っていると、すでに言っただろ。」
それからイエスは、アルフェウスの双子の方に行き、その間に立って言った。「私の幼子よ、君達は、私のあとについて来ることを選んだ3組の兄弟の1組である。6人全員が、肉親と円満に働くためによくやったが、誰も君達には及ばなかった。困難な時が、我々のすぐ前にある。君達やその同胞に起こることを全て理解することができないかもしれないが、君達が一度王国の仕事に召集されたということを決して疑ってはいけない。しばらく、扱うべき群衆はないであろうが、がっかりするでない。君達の一生の仕事が終わるとき、私は、高いところで君達を迎えるであろう。そこで、栄光の中で、君達は、自己の救済について熾天使の大勢と高い神の息子の群衆に話すであろう。人生を月並みな骨折り仕事の高揚に捧げなさい。神への特別な奉仕である期間働くために召集された後、必滅者が、いかに朗らかで勇敢に日々の以前の労働に戻ることができるかをすべての地球の人間と天の天使に示しなさい。もし、当分の間、王国の可視的な問題における君達の仕事が成就するならば、君達は、神との息子の経験の新たな啓蒙で、また高揚された認識とともに、神を知る者にとってはありふれた労働、または世俗的な労役などというものはないという認識をもってかつての作業に戻らなければならない。私と共に働いてきた君達には、万物は神聖となり、地球での全作業が父なる神にさえ奉仕となった。そして、彼らが神を待ち、待つ間に仕える者のように、元の使徒仲間の行ないを耳にするとき、彼らと喜び、日常の仕事を続けなさい。君達は、私の使徒であったし、これからもずっとそうであろう、そして、私は、来たる王国で君達を覚えている。」
そして、次に、イエスは、立っているフィリッポスの方に行った。フィリッポスは、あるじからこの言い置きを聞いた。「フィリッポス、君は、多くの愚かな質問をしてきたが、私は、その一つ一つに答えるために最善を尽くした、そして、正直ではあるが、精霊的ではない君の心に浮かぶそのような質問の最後に、いま答えよう。私が絶えず君に接して来た間ずっと、君は、『もしあるじが我々から遠ざかり、この世界に置き去りにするのならば、私は何をするのであろうか。』と自分自身に言ってきた。ああ、何と信仰薄き者よ。それでもなお、君には、同胞の多くが持てる程の信仰を持っている。君は良い執事であった、フィリッポス。君は、ほんの数回我々の期待を裏切った。そのうちの1つは、父の栄光を明らかにすることにおいてであった。君の執事役の職務は、ほとんど終わっている。 君は、するために呼ばれた仕事—王国のこの福音の説教—をすぐに、より完全にしなければならない。フィリッポス、君は、いつも示してもらいたがったが、間もなく、君は、すばらしいものを見るであろう。君は、信仰でこのすべてを見た方がはるかに良かったのであるが、君の物質的な見方でさえはるかに誠実であった。君は、生きながらに私の言葉が実現するのを見るであろう。そして、君が精霊的な洞察力に恵まれるとき、自分の仕事をしに前進し、人類が、神を捜し求め、物質的な心の目ではなく、精霊的な信仰の目で永遠の現実を探すために、人類を導く目的へと君の人生を捧げなさい。フィリッポス、覚えていなさい。君には地球での立派な任務がある。ちょうど君がそうであったように、世界にはそのような傾向のある者で満ちているのであるから。君には大きなな作業があり、それが信仰で遂行されるとき、君は、王国の私の元に来るであろうし、そして、私は、目が見ず、耳が聞かず、人間の心が受け止めなかったことを君に示して、私は、大きい喜びを感じるであろう。そうする間にも、精霊の王国の幼子のようになり、そして、精霊の王国で君を導くように、私を新しい精霊教師の精霊として容認しなさい。そして、このようにして、私が、この領域の必滅者として君と滞在する間、君のために達成できなかった多くのことをすることができるのである。そして、つねに覚えていなさい、フィリッポス、私に会った者は、父に会ったのである。」
それから、あるじは、ナサナエルのところに行った。ナサナエルが立ち上がったので、イエスは、着席するように命じ、その側に座って言った。「ナサナエル、私の使徒になって以来、君は偏見を越えて生きること、寛容の拡大に心掛けることを学んできた。しかし、君が学ぶことはまだまだ多くある。一貫した君の誠意によって悟されてきたので、君がいたことは、仲間にとって幸運であった。私が行ってしまうと、多分、君の率直さは、古くからの、また新しい同胞と仲良くしていく上での妨げとなるかもしれない。表現は、良い考えといえども聞き手の知的状態と精霊的な成長に応じて調整されなければならないということを、君は、学ぶべきである。それが、思慮深さに熱心であるとき、誠実さは、王国の仕事において最も有用である。
「同胞と共に働くことを会得するならば、君は、 より永続的なものを成し遂げるかもしれないが、君が、君のように考える者達を探索しに行くようなことがあれば、その場合、世界で単独であり、仲間の信者から完全に孤立しているときでさえ、神を知る弟子は、王国の建設者になることができると立証することに人生を捧げなさい。私は、君が最後まで忠実であることを知っており、私は、いつか、君を天にある私の王国の拡大された活動へと迎え入れるであろう。」
そこで、ナサナエルは、イエスにこう質問をした。「最初にこの王国の活動に召喚されて以来、私は、あなたの教えを聞いてまいりましたが、正直なところ、あなたが我々におっしゃる全ての完全な意味を理解できるという訳ではありません。私は、次に何を期待すればよいのかを知りませんし、大部分の同胞が、同様に当惑していると思いますが、かれらは、その混乱について明らかにすることを躊躇っております。力になっていただけますか。」ナサナエルの肩に手をかけて、イエスは言った。「友よ、君は、ユダヤ人の伝統の先入観によって大変不利な条件にあり、また、筆記者やパリサイ派の教えに沿って私の福音を解釈するる君の意固地な傾向によって非常に混乱しているのであるから、私の精霊の教えの意味を理解しようとして当惑に遭遇するのは、不思議なことではない。」
「私は、口頭で多くを教えてきて、また、君達の間で生活してきた。君の心を教化し、魂を解放するためにできる限りのことをしてきたのであるから、君は、いまこそ、私の教えと私の人生から得ることができなかったことをすべての教師のその師匠—実際の経験—の手から獲得する準備をしなければならない。そして、いま君を待ち受けているこの新しい経験のすべてにおいて、私は、君の前を行くし、真実の精霊は、君と共にいるのである。恐れるでない。君がいま理解しないということを、新しい教師が来れば、かれは、地球での君の残りの人生を通して、永遠の時を通して君に明らかにするのである。」
そして、あるじは、皆の方に向かって言った。「福音の完全な意味を理解しないことにうろたえるでない。君達は、限りある必滅の人間に過ぎず、私が君達に教えたことは、無限で、神性で、永遠である。まさに楽園の父が完全であるように、君には完全になる経験の進歩的な達成を続ける永遠の時代があるのだから、我慢強くあり、確信をもちなさい。」
そして、イエスが、トーマスの方に行くと、トーマスは、立ちあがってこう言われるのを聞いた。「トーマス、君は、しばしば信仰を欠いた。しかし、疑問の時期を過ごしたとき、一度も勇気を欠いたことがなかった。偽の予言者や見せ掛けの教師達は、君を騙さないということを私は、よく知っている。私が行った後、君の同胞は、新しい教えを見る君の批判的な態度を評価するであろう。また、君達全員が、来たる時代に地の果てまでも離散するとき、それでも君が私の大使であることを覚えていなさい。人生に精霊の果実をもたらし、ちょうど私が君を愛したように互いが愛し合う精霊生まれの男女の経験で営むように、生きた真実の顕現の実証に直面するとき、人の批判的で物質的な心が、いかに知的な懐疑の不活溌性に勝利できるかを示す立派な仕事に人生を捧げなさい。トーマス、私は、君が我々に合流したことが喜ばしい。そして、短い当惑期間の後に、私は、君が王国の仕事で先へ進むことを知っている。君の疑問が同胞を当惑させはしたが、彼らは私を一度も煩わしたことがない。私は、君を信頼しているし、地球の果てまでも君の前を行くのである。」
それから、あるじは、シーモン・ペトロスの方に行った。イエスが話すと、ペトロスは立ち上がった。「ペトロス、君は私を愛し、自分の人生をユダヤ人と非ユダヤ人に王国のこの福音の公布に捧げるであろうということが、私には分かっている。しかし、私とのそのような緊密な付き合いの歳月の間に、君が、話す前に考えるということにもっと手を貸すことができなかったことに、私は心を痛めている。君の唇へ護衛を立てることを学ぶ前に、君はどんな経験を経なければならないのか。君の軽はずみな話しに、君の僭越な自信に、我々はどれだけ難儀を被ったことか。この短所を抑えないならば、君は、自分にとってより多くの問題を起こす運命にある。同胞は、この短所にもかかわらず君を愛していることが君には分かっており、そして、君は、この欠点が君への私の愛情を決して損なわないことも理解しているはずであるが、この欠点は、君の有用性を減少し、問題の発生を止むことは決してないのである。しかし、君は、まさしくこの夜受ける経験から疑う余地なく大いなる力添えを受け取るであろう。そして、私は、シーモン・ペトロス、いま君に、同様に、ここに集う君の同胞全員に言う。今夜、君達全員は、私に迫り来る重大な危機にある。君達は、『羊飼いは打ちひしがれ、羊は国外へ離散するであろう。』と、それが、書かれていることを知っている。私がいない間、君達の一部は、私の身に起こることのために疑心に屈し、躓くという大きな危険がある。しかし、私は、少しすれば戻るということを、それから、ガリラヤに君達の前を行くということをいま約束する。」
そして、ペトロスは、イエスの肩に手を置いて言った。「もし同胞全員が、あなたが原因で疑心に屈しようとも、あなたがするかもしれない何事にも躓かないと約束します。あなたと共に参り、必要ならば、あなたのために死にます。」
ペトロスが、そこであるじの前に立ち、激しい感情に全身を震わせ、イエスへの本物の愛に溢れる状態でいると、イエスは、ペトロスの涙ぐんだ目をまっすぐに見つめて言った。「ペトロス、今宵、君が3度か4度私を否定するまでは、雄鳥が鳴かないと誠に誠に言っておく。そして、このように、君が私との平穏な付き合いで会得しなかったことを、君は、多くの問題と多くの悲しみを通して学ぶであろう。この必要な教訓をしっかり学んだ後、君は、投獄され、恐らく父の王国建設における愛ある仕事の最高の代価を支払って私について来るかもしれないが、君は、同胞を元気づけ、この福音を説くことに捧げる人生を送り続けるべきである。
「しかし、私の約束を覚えていなさい。私が、生き返るとき、父の元に行く前に、ひと時、私は、君と留まるつもりである。そして、君達が今すぐにも通過しなければならないことのために、君達それぞれを元気づけるために、今宵さえ父に懇願するのである。私は、父が私を愛している愛で君達全員を愛している。だから、君達は今後互いに愛さなければならない。ちょうど私が君達を愛したように。」
それから、賛美歌を歌うと、かれらは、オリーヴ山での野営に出発した。
イエスがエーリージャとマリア・マルコスの家からゲッセマネの野営場に11人の使徒を導いたのは、この木曜日の夜の10時頃であった。丘でのその日以来、ヨハネ・マルコスは、油断なくイエスに対する見張りを自分の仕事としていた。あるじが使徒達と共に上階の部屋にいる間、睡眠を必要としていたヨハネは、数時間の休息を得ていたが、皆が階下へいくのを聞くと、立ち上がり、すばやく麻の上衣を身に纏い、都を通り、キドローン川を渡り、ゲッセマネ公園に隣接した自分達の私用の野営へと皆の後を追った。ヨハネ・マルコスは、この夜と翌日を通してあるじのごく近くに身をおいていたので、すべてを目撃し、あるじがこの時から磔刑の時間までの間に言った多くを漏れ聞いた。
イエスと11人が野営場に戻ると、使徒は、ユダの長い不在の意味を訝り始め、自分達の1人が裏切るだろうというあるじの予測を互いに話し、そして初めて、ユダ・イスカリオテの何かがおかしいと疑った。しかし、野営場に到着し、ユダが自分達を迎えるためにそこに待っていないことに気づくまで、ユダに関する率直な評注には至らなかった。皆が、ユダがどうなったのか知るためにアンドレアスを囲むと、「どこに居るかは知らないが、ユダは我々を見捨てたのではないかと恐れる。」と、彼らの長が言った。
野営場到達のしばらくの後、イエスは言った。「同胞である友よ、君達との私の時間は今や実に短い。この時間に、そして今後、父の名において為さねばならない全ての仕事において我々を支える力を天の父に祈る間、我々だけで離れて行くことを、私は望んでいる。」
イエスは、こう言うと、オリーヴ山への短距離の道を先に立って歩き、エルサレムの全景が見える場所で聖職受任の日にしたように、大きい平たい岩の上に自分の周りに輪になって跪くように命じた。そして、かれは、皆の真ん中に立ち、柔らかい月光に讃えられ、目を上げて祈った。
「父よ、私の時間は来ました。いま息子が、あなたの栄光をあらわすように、あなたの息子の栄光をあらわしてください。私は、あなたが、私の領域のすべての被創造物への完全な権威を私に与えられたことを存じており、私は、神の信仰の息子になるすべての者に永遠の命を与ます。そして、永遠の命とは、私の被創造物が、あなたを皆の唯一の真の神、また父として知るということ、そして、あなたがこの世界に送った者を信じるということであります。父よ、私は、地球であなたを高め、私に与えられた仕事を成し遂げて参りました。私は、我々自身の創造である子等への私の贈与をほとんど終えました。私には肉体の命を捨てることのみが残っております。そして、今、ああ、父よ、この世界が存在する以前に、私があなたと共に得た栄光を私にあらわし、もう一度、あなたの右手に迎えてください。
「私は、あなたが、世界から選び私に与えた者達にあなたを明らかにしてきました。かれらは、あなたのものです—すべての生命が、あなたの手にあるように—あなたは彼らを私に与え、そして、私は、彼らの中に生き、生き方を教え、そして彼らは信じました。これらの者は、私があなたの元から来たということ、私が肉体で送る人生は、父を世界に明らかにするためであるということを学んでいます。私は、あなたが私に与えられた真実を彼らに明らかにしました。これらの者、私の友人であり大使である者は、あなたの言葉を受け入れることを心から望みました。私は、あなたの元からやって来たのであると、あなたが、私をこの世に遣わされたのであると、それに、私は、あなたの元に戻るところであると、彼らに伝えました。父よ、私はこれらの選ばれた者のために祈ります。私は、私が世界のために祈るようには彼等のためには祈りませんが、まさしく私が肉体で留まる間、この世界であなたの代理をしてきましたように、私があなたの仕事に戻った後、世界で私の代理をするために世界から選んだそれらの者のために祈ります。これらの者は私のものです。あなたが、彼らを私にくださいました。しかし、これまで私のものである全ては、常にあなたのものであり、あなたのものであった全てが、今あなたは、私のものとしました。あなたは、私の中で高揚されました。そして、私は今、私がこれらの者の中で敬われるように祈ります。私はもはやこの世にはいられません。私は、あなたが私に与えられた仕事に戻るところです。私は、私達と、人の中の私達の王国を代表させるために、これらの者を残していかなければなりません。父よ、私が、肉体での人生を明け渡す準備をする一方で、これらの者を忠実にさせておいてください。これらの者が、私の友等が、ちょうどあなたと私が1つであるように、精霊で1つにしてください。私が彼等と居られる限り、彼等を見張り誘導することができるのですが、私は、いま去ろうとしているところです。父よ、彼等を慰め元気づけるために我々が新しい教師を遣わすことができるまで、彼らの近くにいてやってください。
「あなたは、私に12人を与えられました。そして、私は、親交を持とうとしない報復の息子1人を除いては、全ての者を留めておきました。これらの者は、か弱く、脆くはありますが、私達は、彼らが信用できることを知っています。まさに私があなたを崇敬していますように、かれらは、私を愛しています。私のために苦しまなければならない間、私は、また、かれらが、天の王国における息子性の確証の喜びで満たされることを求めます。私は、あなたの言葉をこれらの者に与え、かつ真実を教えました。世界は、ちょうど私を嫌ったように、彼等を嫌うでありましょうが、世界から彼等を取り除くのではなく、世界の悪から守ることだけをお願いたします。彼らを真実で浄めてやってください。あなたの言葉は、真実です。そして、あなたが私をこの世に遣わされように、私は、これらの者を世界に送り出すところです。私が教えた真実と私が明らかにした愛をじて彼等が浄められるように、彼らを鼓舞できるように、彼等のために、私は、人間の間に生きて、あなたの仕事に私の人生を奉げてきました。父よ、私は、よく存じております、私が去った後、これらの同胞を見守るようお願する必要は少しもないということを。私が愛するように、あなたが彼等を愛していることを知ってはいますが、彼等が、息子が愛するように父が人を愛しているとさらに気づくように私はこうするのです。
「それから父よ、私は、この11人のためだけでなく、いま信じる者達、または、彼らの将来の聖職活動の言葉を通して王国の福音をこの後信じるかもしれない他の全ての者のためにも祈りたいのです。あなたが私の中におられ、わたしがあなたの中におります。私は、同様にこれらの信者が、私達の中にいることを、私達の双方の精霊が彼らに宿ることを欲するのです。私達が1つであるように私の子等が1つであり、私があなたを愛しているように、彼等が互いを愛し合うならば、すべての者が、私があなたの元から来たと信じ、私がしてきた真実と栄光の顕示を喜んで受け入れるでありましょう。私は、あなたが下された栄光をこれらの信者に示しました。あなたが精霊で私とともに暮らしたように、私は、肉体で彼らとともに暮らしました。あなたが私と1つでありましたように、私は、彼等と1つでありました、そして、新しい教師も彼等と共にあり、かつ彼等の中にいるでしょう。父は、その息子が愛するように彼等を愛するということを、そして、あなたは、私の肉体をもつ同胞が、私を愛するように彼らを愛するということを知ることができるように、私はこの全てをされました。父よ、彼らが、やがて私と栄光を共にするために、それから楽園の抱擁にあなたに加わるために進んでいけるように、これらの信者を救うために私に協力してください。私は、人間姿での時間での種蒔きからの永遠の収穫として、屈辱に耐えて私とともに仕える者達を、彼等が私の手に与えられたすべてを見ることができるように、ともに栄光の中につれていたいのです。私がこの世界を創設する前にあなたと持っていた栄光を私の地球の同胞にぜひ示したいのです。この世界はあなたのことをほとんど知りませんが、公平であられる父よ、私はあなたを知っており、これらの信者にあなたを明らかにしてきました、そして、彼らは、他の世代にあなたの名前を明らかにするでありましょう。そして、ちょうどあなたが私とおられましたように—誠に—、この世界であなたが、彼等と共におられると、私は、いま彼らに約束いたします。」
11人は、立ち上がって静かに近くの野営場に戻るまでの数分間、イエスの周りにこの円形で跪いたままでいた。
イエスは、追随者の間での団結を祈りはしたが、均一性を望んではいなかった。罪は、邪悪な惰性の死んだ層を作るが、正義は、不朽の真実の生ける現実と父と息子の神精の進歩的交わりにおける個々人の経験の創造的な精神を養う。信者である息子と神性の父との精霊的な親交において、教義上の終局性と集団意識の宗派の優越性は決してありえない。
あるじは、使徒達とのこの最後の祈りの中、父の名を世界に明らかにしたという事実について触れた。そして、それは、本当に肉体で遂行された人生を通じての神の顕示によってイエスがしたことである。天の父は、モーシェに自身を明らかにしようとしたが、かれは、父に「私はある」と言わせる以上のことを引き起こすことができなかった。そして、父自身の一層の顕示を強いたとき、「私はあるという者である。」と明らかにされるだけであった。しかし、イエスがその地球での人生を終えたとき、父の具現であるあるじが次のように言うことができるほどに、父のこの名前は、明らかにされていた。
私は、命の糧である。
私は、生きた水である。
私は、世の光である。
私は、すべての時代の願望である。
私は、永遠の救済への開いた扉である。
私は、永遠の生命の現実である。
私は、良い羊飼いである。
私は、無限の完全性への小道である。
私は、復活と生命である。
私は、永遠の生存の秘密である。
私は、道であり、真理であり、生命である。
私は、有限の子等の無限の父である。
私は、真の葡萄の木であり、あなたは、その枝である。
私は、生きた真実を知る者すべての望みである。
私は、1つの世界からもう一つの世界への生きた橋である。
私は、時間と永遠の生きたつながりである。
このようにイエスは、神という名の生ける顕示をすべての世代に拡大したのであった。神性の愛が、神の本質を明らかにするように、不朽の真実は、絶えず拡大する規模において彼の名を明らかにする。
使徒は、野営地に戻りユダがいないと分かると大いに驚いた。11人が、反逆の仲間の使徒に関する熱い議論をしてしていたが、ダーヴィド・ゼベダイオスとヨハネ・マルコスは、イエスを片側に連れて行き、彼らが数日間ユダを監視していたこと、そして彼が、イエスを敵の手に渡し、裏切るつもりであることを彼等が知っているということを明らかにした。イエスは、彼らの言うことを聞いたが、「友よ、天の父がそう望まない限り、人の息子には何事も起こり得ないのである。心を煩わせてはいけない。万事は、神の栄光と人の救済のためにともに働くであろう。」と言うだけであった。
イエスの晴れやかな態度は弱まっていった。時間の経過と共に、かれは、ますます真剣で悲しそうであった。非常に動揺した使徒は、それぞれの天幕に戻るようにあるじ自身に言われても気が進まなかった。イエスは、ダーヴィドとヨハネとの話から戻ってきて、11人全員に自分の締め括りの言葉を述べた。「友よ、休息しなさい。明日の仕事に備えなさい。心しておきなさい、我々は皆、天におられる父の意志に従うべきであると。私の平和を君達に残す。」このように話すと、それぞれの天幕へと合図を送り、皆が行くと、ペトロス、ジェームス、ヨハネに声を掛け、「君達にはしばらくの間ともにいて欲しい。」と言った。
使徒達は、文字通り疲れ果てていたので寝入った。皆は、エルサレム到着以来の睡眠不足が続いていた。別々の寝室に行く前、シーモン・ゼローテースは、皆を剣や他の武器が収納されている自分の天幕に導き、銘々に戦闘具を支給した。ナサナエル以外は皆、これらの武器を受け取り身につけた。ナサナエルは、武装拒否をして言った。「同胞よ、あるじの王国はこの現世にはないと、自分の弟子は、その設立を果たすために剣で戦うべきでないと、あるじは、繰り返し我々に言われた。私はこれを信じる。あるじの防護において、あるじが我々に剣を使わせる必要があると、私は考えない。我々は皆、あるじの強力な力を見てきたし、そう欲するならば敵から身を守ることができるということを知っている。彼が、敵に抵抗しないならば、それは、そのような進路が、父の意志を満たそうとする試みを意味しているに違いない。私は、祈るつもりではあるが、剣は振るわない。」アンドレアスは、ナサナエルの言葉を聞くと自分の剣を、シーモン・ゼローテースの手に戻した。従ってその夜皆が睡眠のために別れるときは、彼らのうちの9人が武装していた。
反逆者であるユダへの当面の憤りは、使徒の心の中で他の全てを被い隠した。あるじのユダに関する意見は、最後の祈りの中で、ユダが自分達を見捨てたという事実に彼らの目を開かせた。
8人の使徒がようやくそれぞれの天幕に行ったあと、ペトロス、ジェームス、ヨハネが、あるじの命令を受けるために待機していると、イエスは、ダーヴィド・ゼベダイオスを呼び、「最も速く、信頼できる使者を寄越してくれ。」と言った。ダーヴィドが、かつてエルサレムとベスサイダの間を夜通し走る使者の仕事に従事していたヤコブという者を連れて来ると、イエスは、この使者に向かって言った。「全速で、フィラデルフィアのアブネーの元に行って伝えなさい。『君に平和の挨拶を送ると共に、あるじが、君に伝えていうことには、彼を死においやる敵の手に渡される時間が来てしまったが、かれは蘇り、すぐに君の前に現れるということ、次に、新しい教師が君の心に生きるようになる時までは、かれが、あなたに指導をするということです。』そして、ヤコブがこの伝言をあるじの満足のいくように復誦すると、イエスは、ヤコブを送り出して「誰が何かするかもしれないと、ヤコブ、恐れるではない。目に見えない使者が、今宵君の側を走るので。」と言った。
次に、イエスは、ともに露営している訪問中のギリシア人の長の方に向き直って言った。「兄弟よ、私は、すでに警告したのであるから、これから起ころうとしていることに撹乱されてはならない。人の息子は、敵の司祭長等やユダヤ人の支配者等の唆しにより殺されるが、私は、父の元に行く前に、少しの間君と共にいるために甦るであろう。このすべてが起こるのを見るとき、神を讃え、君の同胞を元気づけなさい。」
普通の情況下にあれば、使徒は、個人的に夜の別れの挨拶を述べたであろうが、この夜はユダの突然の逃走という認識に全く心を奪われ、また、あるじの送別の祈りの常にない人となりに完全に打ち負かされていたので、かれらは、あるじの別れの挨拶を聞いて黙って立ち去るだけであった。
イエスは、その夜アンドレアスが自分の側を去るとき、「アンドレアス、君が何をすることができても、私がこの杯を飲んだ後、私が再び戻って来るまで、君の同胞を引き留めておくためにできる限りのことをしなさい。私はもう全てを話したということを理解し、同胞を元気づけなさい。君に平安があるように。」と言った。
すでに夜はすっかり更けていたので、使徒のだれも、その夜変事が起こるとは思っていなかった。皆は、朝早く起き、最悪の事態に備えられるように睡眠しようと努めた。宗教に関係しない仕事が、過ぎ越しの準備の日の正午以降決して行われることはなかったので、かれらは、祭司長等が、あるじを逮捕するのは早朝であろうと考えた。ダーヴィド・ゼベダイオスとヨハネ・マルコスだけが、まさしくその夜、イエスの敵がユダと来ていることを理解していた。
ダーヴィドは、その夜ベサニア-エルサレム街道に通じる上手の道を監視する打ち合わせをし、一方ヨハネ・マルコスは、キドローン峡谷経由でゲッセマネに至る道路沿いを見張る手配をした。ダーヴィドは、自らが課した前哨任務にたつ前に、イエスに別れを告げて言った。「あるじさま、私は、あなたとの活動で非常な喜びを経験いたしました。私の兄弟達は、あなたの使徒でありますが、私は、 果たされるべき事柄よりももっと小さい働きをしましたが、あなたが行かれてしまうと心の底から寂しく思います。」すると、イエスは、ダーヴィドに「ダーヴィド、息子よ、他のものは指示されたことをしてきたが、この仕事は、自身の心からくることを君はしてきた。そして、私は、その献身に無頓着ではいなかった。君も、また、いつか永遠の王国で私と共に仕えるであろう。」と言った。
そして、次に、ダーヴィドは、上手の小道での見張りに行く準備をしながらイエスに言った。「あるじさま、あなたは、私があなたの家族に使いを送ったことをご存じで、皆さんは、今宵イェリーホにいるという使者からの知らせを得ました。皆さんは、血なまぐさい道を夜来るのは危険でありますから、明日午前中に早くここに来られるでありましょう。」すると、イエスは、ダーヴィドを見下ろして「そのままでよい。ダーヴィド。」とだけ言った。
ダーヴィドがオリーヴ山に行ってしまうと、ヨハネ・マルコスは、小川沿いにエルサレムへ続く道路の近くで不寝番をしていた。ヨハネは、イエスの近くにいて起こっていることを知るという大きい願望がなければこの場に居続けるつもりであった。ダーヴィドが去った直後、イエスがペトロス、ジェームス、ヨハネと近くの峡谷の方に離れていくのを見掛けるとヨハネ・マルコスは、献身と好奇心が合わさった感情に負け、歩哨の役を捨てて彼等の後をつけていき、繁みに身を隠し、そこから、庭での最後の瞬間からユダと武装した番人達がイエスの逮捕に現れる直前までに起きた全てを見、立ち聞いた。
このすべてがあるじの野営場で進行中、ユダ・イスカリオテは、寺院の護衛長と会議中であり、この護衛長は、裏切り者の導きの下、イエス逮捕に出掛けるに当たり部下を召集した。
野営場周辺ですべてが穏やかで静かになると、ペトロス、ジェームス、ヨハネを連れたイエスは、以前しばしば祈りと親交に出掛けた近くの峡谷へと少しの道のりを行った。3人の使徒は、イエスが悲しいほどに圧迫されていると気づかざるを得なかった。かつて、かれらは、非常に心配事が多く悲しい様子のあるじを一度も見たことがなかった。祈りと親交の場に到着すると、イエスは、自分が祈りにいく間、石を投げれば届くほどの距離に3人に座って見るように言いつけた。そして、イエスは、俯せになると祈った。「父よ、私は、あなたの意志を為すためにこの世界にきて、そのように致しました。私は、肉体のこの命を捨てる時の来たことが分かっており、そこで怯んではいません。それどころか、この杯を飲むのがあなたの意志であると思いたいのです。ちょうど私の人生でそうしましたように、私の死があなたを喜ばせるという確信を私にお送りください。」
あるじは、しばらくの間祈りの姿勢のままでいたが、それから、使徒の方へ行きぐっすり眠っている3人を見つけた、というのも、彼らは眠くて目を覚ましていることができなかったのである。イエスは、彼らを起こして、「何ということだ。君達は、1時間も起きていることができないのか。私の魂は、甚だ悲しく、君達との交わりを切望しているのが分からないのか。」と言った。3人が微睡から覚めると、あるじは、再び離れて行き、地面に腹這い再び祈った。「父よ、この杯を避けることは可能である—あなたには万事が可能であります—ことは分かっておりますが、私は、あなたの意志をしに来ました。これは、苦杯でありますが、それがあなたの意志ならば、私は飲みます。」イエスがこのように祈ったとき、強力な天使が、イエスの側に下りてきて話しかけながら触れて力づけた。
イエスは、3人の使徒と話そうと戻ってくると、再びぐっすりと眠っている3人を見つけた。かれは、彼らを起こして言った。「君が私を見張り、共に祈るべき必要のある—誘惑に陥らないようさらに祈る必要がある—そのような時間に、私が君を置き去りにするとき、なぜ君は、寝入ってしまうのか。」
それから、あるじは、3度目に離れて行って祈った。「父よ、あなたは、私の眠っている使徒をご覧になっておられます。彼等に慈悲をお与えください。精神は本当に望んでいるのですが、肉体は虚弱であります。今、ああ、父よ、どうしても飲まずにはすまされない杯ならば、私は、進んでそれを飲みます。私の思いのままにではなく、あなたの思いのままになさってください。」そして、祈り終えても少しの間、かれは、地面にひれ伏していた。彼が、立ち上がりもう一度使徒の所に戻ってみると、3人は、またもや眠っていた。イエスは、3人を見渡し、哀れむ身振りで優しく言った。「いまは続けて眠り、休みなさい。決定の時間は終わった。人の息子が、裏切られ敵の手に渡る時が今迫っている。」かれは、彼らを揺すって起こすために手を延ばして、「起きなさい。私を裏切る者が手近にきているから、野営場に、戻ろう。そら、私の群れが分散するその時間が来た。ただし、これらの事は、私は、もうすでに話したことだ。」
イエスが追随者の間で暮らしたその歳月、彼らは、本当に、イエスの多くの神性の証を得たが、まさにこの時、イエスの人間性の新たな証を目撃しようとしているのであった。イエスの神性の全顕示の中の最大の出来事の直前、イエスの復活が、イエスの人間の本質の最大の証し、イエスの屈辱と磔刑が、今、来なければならない。
庭で祈るたびに、 その人間性は、彼の神性をゆるぎない信仰でとらえた。その人間の意志は、父の神性意志とより完全に1つになった。強力な天使が彼に話した他の言葉の中には、ちょうどすべての必滅の被創造物が、時間の存在から永遠の前進へと通過する際に物質的な分解を経験しなければならないように、父は、その息子が、生物の死の経験を潜り抜けることによって彼の地球贈与の終了を望んでいるという伝言であった。
その杯を飲みほすことは、宵の口にはそれほど難しくは思えなかったが、人間のイエスが使徒達に別れを告げ、休みにいかせると、試練は、凄まじくなった。イエスは、すべての人間の経験に共通するその自然な感情の起伏を経験し、ちょうどその時は仕事で疲れきり、長時間の精力的な作業と使徒の安全に関する苦痛を伴う心労で疲れ果てていた。必滅者は、このような時に、肉体をもつ神の息子の考えや気持ちを理解さえできない一方、我々は、大粒の汗が彼の顔を流れたので、イエスが甚だしい苦痛に耐え、計りしれない悲しみに苦しんだことが分かっている。イエスは、父が、出来事を自然の進行のままにしておくつもりであるとついに確信した。かれは、自分を救うために宇宙の最高者としての主権のいずれも使わないと完全に決心していた。
広大な宇宙の集合した軍勢は、ガブリエルとイエスの専属調整者の一時的な共同指揮権下のこの場面の上にその時いた。天のこれらの軍隊の師団長達は、イエス自身が彼らに介入を命じない限り、地球でのこれらの業務を妨げないように繰り返し警告した。
使徒との別離の経験は、イエスの人間の心にとり非常に重い負担であった。愛のこの悲しみは、彼に押し寄せてきて、自分を待ち受けていると熟知しているそのような死に直面することをより難しくした。かれは、使徒達が、いかに弱く、いかに無知であるかを実感し、そこで彼らの元を去ることを恐れた。かれは、出発の時が来たことを充分に承知はしていたが、その人間の心は、もしかして苦しみと悲しみのこのひどい状態から逃れる何らかの意に適う手段はないか探り当てたいと切に願った。そして、このように脱出を求め、失敗したときに、喜んで杯を飲むことを望んでいた。マイケルの神性の心は、12人の使徒のために自分が最善をつくしたことを知ってはいたが、イエスの人間の心は、世界に彼らを放りっぱなしにする前に、もっと多くのことをしてやれたらと願っていた。イエスの心は、押し潰されていた。かれは、本当に同胞を愛していた。かれは、肉体をもつ家族から孤立していた。選ばれた仲間の1人は、彼を裏切っていた。父ヨセフの親族は、彼を拒絶し、その結果、地球での特別な任務をもつ民族としてのその終わりを決定づけた。彼の魂は、困惑する愛と拒絶された慈悲の拷問を受けた。それは、すべてが粉砕する残酷さと恐ろしい苦悶が押し寄せてくるように思えるそれらの人間のひどい瞬間の1つであった。
イエスの人間性は、個人の孤独、公共での恥、自分の目的の失敗の見た目のこの状況に無感覚ではなかった。すべてのこれらの感情が、例えようもない重さで押し寄せてきた。この大きい悲しみの中、彼の心は、ナザレでの幼年期の日々とガリラヤでの初期の仕事へと戻っていった。この大いなる試練の時、地球での任務のそれらの楽しい情景の多くが、心に浮かんだ。そして、彼の人間の心を強くして自分を宥め、とても早く自分を裏切る反逆者に直面する準備ができたのは、ナザレ、カペルナム、ヘルモン山、そして燐くガリラヤ湖の日の出と日の入りのこれらの過去の思い出からであった。
ユダと兵士達が到着する前に、あるじは、通常の落ち着きを完全に取り戻していた。精霊は、肉体を打ち負かした。信仰は、恐れたり疑いを抱くというすべての人間の傾向に優位を占めた。人間性の完全な認識の最高の試験に直面し、無事に合格した。もう一度、人の息子は、無条件に父の意志を為すことに捧げた必滅の人間として平静に、完全な不屈の確信で敵に直面する用意ができていた。
イエスは、ペトロス、ジェームス、ヨハネをようやく起こし、彼らにそれぞれの天幕に行き、翌日の責務に備えて睡眠をとるように勧めた。しかし、3人は、このときまでにすっかり目覚めていた。かれらは、短い仮眠で活力を与えられ、その上、2人の興奮した使者が到着し、ダーヴィド・ゼベダイオスについて尋ね、面会を求め、ペトロスが彼の見張り場所を教えると、すばやく探しにいった彼らに励まされ刺激された。
8人の使徒は、熟睡していたが、横で野営していたギリシア人達は、 さらなる難事を恐れ、危険発生に備えて警報をだす歩哨をたてるほどであった。これらの2人の使者が野営に急いで出掛けると、ギリシア人の歩哨は、同国の仲間の全員を起こしていた。8人の使徒を除き、今や全野営の者達は、起こされていた。ペトロスは、仲間を招集したかったが、イエスは、かたく禁じた。あるじは、各自の天幕に戻るように穏やかに諭したが、かれらは、その勧めに従う気がしなかった。
あるじは、追随者を解散させることができないので、彼らを残してゲッセマネ公園の入り口近くにあるオリーブ圧搾機の方に歩いて下りた。3人の使徒、ギリシア人、それに野営の他の成員は、あるじをすぐに追うことを躊躇ったが、ヨハネ・マルコスは、急いでオリーブの木々の周りを通り抜け、オリーブ圧搾機の近くの小屋に身を隠した。イエスは、捕縛者達が到着したときに、使徒達の邪魔をすることなく自分が逮捕されるために野営と友人達から退いた。あるじは、ユダの裏切りの光景が、使徒達に兵士へ抵抗させたり、自分と共に逮捕されるほどの敵意を喚起させないように、彼らが、目を覚ましたり、自分の逮捕の場に居合わせることを恐れた。かれは、もし彼らが共に捕らえられるならば、自分と共に死ぬことになるかもしれないと恐れた。
イエスには、自分への死の計画が、ユダヤの支配者達の委員会にその本元があると分かっていたが、全てのそのような邪悪な企みにはルーキフェレーンス、魔王、カリガスティアの完全な承認があることもまた知っていた。そして、この領域のこれらの反逆者もまた、使徒全員が自分と共に掃滅されることを見て喜ぶことがよく分かっていた。
イエスは、一人でオリーブ圧搾機に座り、そこで裏切り者の到来を待ち受けていたが、このとき、ヨハネ・マルコスと無数の天の観察者の軍勢だけが、イエスを見ていた。
肉体でのあるじの経歴の終了に関連した多くの言い伝えや出来事の意味を誤解するという重大な危険がある。無知な使用人達と冷淡な兵士達のイエスへの残酷な扱い、不公平な裁判の執行、見せかけの宗教指導者達の冷酷な態度と、イエスが、我慢強くこのすべての苦しみと屈辱に甘受して、真に楽園の父の意志をしているという事実とが、混同されてはならない。実際に本当に、息子が誕生から死までの必滅者の経験の杯をまるごと飲み干すことは、父の意志であったが、天の父は、あるじをひどく情け容赦なく拷問に掛け、無抵抗の肉体にそれほどに恐ろしく継続的な侮辱を幾度となく加えた文明的とされている人間達の野蛮な振舞いを扇動することとはまったく無関係であった。イエスが、必滅の人生の最後の数時間を耐えることを求めれらた無慈悲で衝撃的なこれらの経験は、いかなる意味においても父の神性意志、つまり疲れきった使徒が肉体的な疲労困憊で睡眠をとる間、彼が庭で詠んだ三重の祈りに示されるように、イエスの人間性が、神に対する人間の最終的な引き渡しの時点で実行する非常に誇らしげに誓約した神性意志、の一端ではなかった。
天の父は、ちょうどすべての必滅者が、地球での肉体の生命を終えなければならないように、贈与の息子が地球での経歴を自然に終えることを望んだ。通常の男女は、特別な配剤により地球での最後の数時間、また、死に続いて起こる出来事が容易くあることを期待することはできない。従って、イエスは、自然の出来事の展開に合わせた方法で、肉体の命を横たえることを選び、そして、信じ難い屈辱と不名誉な死に向かう恐ろしい確実性にさっと押し流す非人間的な出来事の邪悪な陰謀の容赦ない手中に陥ることからの脱出を堅く拒否した。そして、この驚くべき憎悪の現れやこの先例のない残酷さの示威の全てが、凶悪な人間と邪悪な必滅者達の仕業であった。天の神は、それを望んでいなかったし、イエスの宿敵も、考えのない邪悪な必滅者達が、贈与の息子をこのように拒絶することを保証するために多くのことをしたものの、それを望んではいなかった。罪の父でさえ、磔の場面の耐えがたい惨事からは顔を逸らした。
最後の晩餐中、ユダは、あまりにも突然に食卓を離れ、まっすぐ従兄弟の家に行き、2人で一直線に寺院の護衛長のところに行った。ユダは、護衛長に兵を召集するように頼み、また自分が兵をイエスへと導く用意ができていると知らせた。ユダは、予定よりも少し早くその場に現れたが、まだ使徒と雑談をしているイエスを見つけられると期待するマルコスの家への出発に若干の遅れがあった。あるじと11人は、裏切り者と護衛が到着するたっぷり15分前にはエーリージャ・マルコスの家を出た。捕縛者達がマルコスの家に達するまでには、イエスと11人は、都の外壁をかなり離れてオリーヴ山の宿営地へと近づいていた。
ユダは、マルコスの屋敷において、そのうちの2人だけが武装している11人の男と一緒のイエスの発見のしくじりに非常に狼狽した。かれは、皆が野営を去る午後に、シーモン・ペトロスとシーモン・ゼローテースだけが剣を差しているのを偶然知った。ユダは、都がひっそりとしているときに、そして抵抗の見込みがほとんどないときに、イエスを連行したかった。裏切り者は、皆が宿営所に戻るのを待つならば、60人以上の忠実な弟子に遭遇することを恐れたし、シーモン・ゼローテースには十分な武器格納のあることも知っていた。ユダは、11人の忠誠な使徒が、自分をひどく嫌悪するかに思いを巡らし、ますます神経質になっており、皆が、自分を滅ぼそうとするであろうと恐れた。ユダは、不忠実であるだけでなく、心底からの臆病者であった。
彼らが、イエスを上階に発見できなかった時点で、ユダは、寺院に戻るように護衛長に求めた。この時までに、支配者達は、当日の真夜中までにイエスの逮捕を求めた謀反者との取り引きがあると分かっていたので、イエスの引き取りのために大祭司の家に集合し始めていた。ユダは、マルコスの家でイエスを逃したということ、そして逮捕のためにはゲッセマネに行く必要のあることを仲間に説明した。裏切り者は、60人以上の熱心な追随者がイエスと共に野営しており、全員が完全に武装していると述べ続けた。ユダヤの支配者達は、イエスは、いつも無抵抗を説いていたことをユダに念を押したが、ユダは、イエスの全追随者がそのような教えに従うことを当てにはできないと答えた。かれは、本当に自分の身を恐れていたので、敢えて40人の武装兵士の一団を要請した。ユダヤ当局は、その管轄下にそのような武力を保持しておらず、すぐにアントニアの砦に行き、この警備人員を自分達に託すようにローマ指揮官に要請した。しかし、彼らがイエスを逮捕するつもりであると知ると、かれは、要求に応じることを即座に拒否し、彼の上官を紹介した。このように、かれらは、ローマの武装歩哨兵の使役の許可を得るために1当局から別の当局へと行き、最終的にはピラト自身のもとに行く羽目になったときには1時間以上も費やしていた。彼らがピラトの家に遅く到着すると、かれは、すでに妻と私室に退いていた。かれは、その企てへの何らかの関係を躊躇った。妻が要求を承諾しないように彼に頼んでいたのでなおさらであった。しかし、総督は、ユダヤ人のシネヅリオン派の議長が出席し、そしてこの援助を直接要求する限り、ユダヤ人がいかなる間違いをしようとも後で訂正できると考え、陳情を許可するのが賢明であると考えた。
依って、ユダ・イスカリオテが11時半頃寺院を出発するときは、60人以上の者—寺院の護衛、ローマ兵、それと祭司長等と支配者の下で働く好奇心の強い使用人達—を同伴していた。。
松明と提灯を手にしたこの武装兵士と護衛が庭に接近すると、ユダは、イエスの仲間が防衛のために結集できる前に、捕縛者達が容易にイエスに手を掛けられるよう素早くイエスを識別するために隊列のかなり前に出た。ユダがあるじの敵の前にいることを選んだのには、さらに別の理由があった。ユダは、イエスの周りに集まる使徒と他のものが、すぐ後ろに迫る武装の護衛と自分とを直接関係づけないように、自分が兵士よりも先にその場に到着したように見えるであろうと考えた。ユダは、捕縛者達の来ることを警告するために取り急ぐような態度をとることを考えさえしたが、この案は、イエスが裏切り者の挨拶を挫いたことで台無しとなった。あるじは、親切にユダに話し掛けたが、ユダは裏切り者として挨拶した。
ほぼ30人の仲間の宿営者と共にいるペトロス、ジェームス、ヨハネは、丘の崖の辺りに松明を持つ揺れ動く武装隊を見るなり、これらの兵士がイエスを逮捕しに来ていることを知り、あるじが一人月明りに座っているオリーブ圧搾機の近くへと殺到していった。兵士の一団が片側に近寄ると、3人の使徒とその仲間は、その反対側に接近した。ユダが近寄ってあるじに話しかけるために大股で歩くとき、動きのない2つの集団は、あるじを挟んで並んでおり、ユダは、あるじの額に裏切りの接吻をする用意をしていた。
護衛をゲッセマネへと率いた後、単に兵士にイエスを指し示すか、せいぜい接吻で迎える約束を実行し、すぐにその場から退くことができるというのが、裏切り者の望みであった。ユダは、使徒全員が居合わせるということ、そして、使徒達が、最愛の師への彼の大胆な裏切りへの報復攻撃の集中を大いに恐れた。しかし、あるじが裏切り者としての彼に挨拶したとき、ユダは、逃げる試みもしないほどに非常に混乱していた。
イエスは、裏切り者の手が自分に届く前に、実際の裏切りからユダを救おうと最後の努力をして、傍らに寄り左側の最前列の兵士のローマ軍の隊長に「だれを探しているのか。」と言った。隊長は、「ナザレのイエス」と答えた。すると、イエスは、役人の正面にすぐ歩み寄り、すべてのこの創造の神の穏やかな威厳で立ち、「私がそれである。」と言った。この武装隊の多くの者は、イエスが寺院で教えるのを聞いたことがあり、他の者は、その甚だしい働きについて知っており、そして、イエスがこのように大胆に身分を明かすのを聞くと、前方数列の者達は、突然後退した。かれらは、イエスの穏やかで厳然とした身分の発表に驚かされた。したがって、ユダは、裏切りの計画を続ける必要はなかった。あるじは、大胆にも正体をあかし、かれらは、ユダの援助なしで彼を連行することができた。しかし、裏切り者は、この武装隊との自分の出現を説明すべく何事かをしなければならなかった。それに加えて、かれは、イエスを彼らの手に委ねるという約束に対する報償が積み上げられると自らが信じる大きな報酬と名誉に相応しくあるように、ユダヤ人の支配者達との裏切りの契約の実行を示したかった。
護衛達が、イエスを見て、その常にない声の調子に対する初めての躊躇いから持ち直したので、そして使徒と弟子が近づいていたので、ユダは、イエスのところまで歩み寄り、イエスの眉に口づけをし、「万歳、あるじさま、先生。」と言った。ユダがこのように抱擁すると、イエスは、「友よ、これをするだけでは足りないのか。口づけでも人の息子を裏切りたいのか。」と言った。
使徒と弟子は、自分達が見たことに文字通り唖然とした。暫くはだれも動かなかった。次に、イエスは、ユダの反逆の抱擁から自分を解き放ち、護衛と兵士達に歩み寄り、「だれを探しているのか。」と再び尋ねた。そこで隊長は、再度、「ナザレのイエス」と言った。イエスは、また答えて「私がそうであるとすでに言った。だから、私を探しているのなら、これらの他の者を行かせなさい。私は、あなたと一緒に行く準備ができている。」
イエスは、護衛とエルサレムに戻る準備ができており、兵士の隊長は、3人の使徒とその仲間を穏やかに行かせることを望んでいた。しかし、かれらが出発できる前に、イエスが隊長の命令を待ち受けてそこに立っていると、ローマ隊長は、そのように縛るようにと指示していないにもかかわらず、マルホスという大祭司のシリア人の護衛が、イエスに近寄りその両手を後ろで括る構えをした。ペトロスと仲間は、あるじがこの侮辱を免れないことを見ると、もはや自分たちを抑えることができなかった。ペトロスは、剣を抜き、他とともに、マルホスを襲いに突進した。しかし、兵士達が大祭司の下僕の防衛に行くことができる前に、イエスは、ペトロスに向かい制止の手を上げ厳しく言った。「ペトロス、剣を戻しなさい。剣を取る者は剣で死ぬのである。私がこの杯を飲むことが、父の意志であるということが分からないのか。私がたった今、これらのわずかな者の手から私を救い出す天使とその仲間の10隊以上の軍団に命令できるということが、君にはなおもって分からないのか。」
イエスは、こうして追随者による身体的な抵抗のこの誇示を効果的に制する一方、それは、護衛隊長の恐怖を刺激するには十分であった。その護衛隊長はそのとき、兵士の助けでイエスに荒っぽく手を掛け、すぐに彼を縛った。彼らが重い紐で手を縛ったので、イエスは、言った。「あなたはまるで強盗を差し押えるかのように私に剣と杖で相対するのか。私は、公に人々に教え、あなたと共に毎日寺院にいたが、あなたは私を連れ去る努力もしなかったではないか。」
イエスが捕縛されてしまうと、隊長は、あるじを救おうとするかもしれないと恐れ、追随者達も捕らえる命令を出したが、イエスの追随者達は、捕らえよとの隊長の命令を漏れ聞いて、峡谷へと急いで逃げ戻ったので、兵士達は間に合わなかった。ヨハネ・マルコスは、この間ずっと近くの小屋に隔離状態でいた。護衛達がイエスを連れエルサレムへ向けて出発すると、ヨハネ・マルコスは、逃げる使徒と弟子に追いつこうと小屋からそっと抜け出そうとした。しかし、出てきたところでちょうど、逃げる弟子達を追跡して戻りかかる最後の兵士の1人が、近くを通り掛かり、麻の上衣を着たこの青年を見て、後を追いかけほぼ追いついた。事実、兵士は、その上衣を掴み、ヨハネに十分近づいたが、青年は、衣類から自由になり、兵士が上衣だけを掴んでいるうちに裸で逃げた。ヨハネ・マルコスは、大急ぎで上手の道をダーヴィド・ゼベダイオスへと向かった。彼が、何があったかをダーヴィドに話すと、二人は、共に眠っている使徒の天幕に取り急いで戻り、8人全員にあるじへの裏切りと逮捕を知らせた。
8人の使徒が起こされた時刻、峡谷に逃れた者は、帰還してきており、彼らは全員、すべきことについて討論するためにオリーブ圧搾機近くに集まった。そうしているうちにも、オリーブの木の間に隠れていたシーモン・ペトロスとヨハネ・ゼベダイオスは、無謀な犯罪者を導いてでもいるように、その時イエスをエルサレムへ引き戻していた兵士、護衛、使用人の暴徒の後をすでに追い掛けていった。ヨハネは、暴徒のすぐ後をつけたが、ペトロスは、遠くから続いた。兵士の手中からの脱出後、ヨハネ・マルコスは、シーモン・ペトロスとヨハネ・ゼベダイオスの天幕で見つけた外套を身に纏った。かれは、護衛がイエスをハナンージャ、名誉退職の大祭司の家に連れるつもりであると推測した。それで、かれは、オリーブ園に沿って行き、暴徒の先回りをし、大祭司の宮殿の門への入り口附近に隠れていた。
ジェームス・ゼベダイオスは、シーモン・ペトロスとその弟ヨハネとはぐれたと気づき、あるじの逮捕を考慮して、すべきことについてとくと考えるためにオリーブ圧搾機の側で他の使徒や宿営仲間にそのとき合流した。
アンドレアスは、使徒仲間の組織管理における全責任から解き放たれていた。したがって、かれは、自分達の人生の最大危機に際して黙していた。短い非公式の議論の後、シーモン・ゼローテースは、オリーブ圧搾機の側の石垣に立ちあがり、あるじと王国目標への忠誠のための熱のこもった訴えをし、急いで暴徒の後に続き、仲間の使徒と他の弟子にイエスの救出を実行するように熱心に勧めた。シーモンが話し終えた瞬間に立ち上がり、しばしば皆に反復した無抵抗に関するイエスの教えに注意を向けさせたナサナエルの忠告がなかったならば、仲間の大半は、シーモンの攻撃的な指導力に続く気になったことであったろう。ナサナエルは、イエスが、まさしくその夜、皆に天の王国の福音の朗報を宣言して世界へ出て行く時のために、自分達の生命を保持するべきであると命じたことを彼等に思い出させた。ナサナエルは、この主張に関してあるじを逮捕から守るためにいかにペトロスと他の仲間が剣を抜き、また、イエスが、シーモン・ペトロスとその仲間の剣術使い達に鞘を納めるように命じたかをたった今話したジェームス・ゼベダイオスに勇気づけられた。マタイオスとフィリッポスも弁舌したものの、トーマスが、イエスは、ラーザロスに自らを死に晒さないように忠告したという事実に彼らの注意を促したこと、彼の友人達に自分を防衛をさせようとしない限り、また、人間の敵に対して神性の力の行使を控えることに固執しているので、あるじを救うための何事もし得ないということを指摘するまで、この議論からは確かな何も生まれなかった。トーマスは、ダーヴィド・ゼベダイオスが、一団のために広報機関と使者の本部維持のために宿営所に残るであろうと理解したうえで、各自が、身を守り、離散するように説得した。その朝2時半までには、この宿営所は、放置された。ただダーヴィドだけが、3、4人の使者と近くに留まり、他の者は、イエスがどこに連れて行かれたか、いかなる扱いを受けるのかについて確かな情報を得るために派遣されていた。
5人の使徒、ナサナエル、マタイオス、フィリッポス、双子達は、ベスファゲやベサニアに身を隠した。トーマス、アンドレアス、ジェームス、シーモン・ゼローテースは、都に隠れた。シーモン・ペトロスとヨハネ・ゼベダイオスは、共にハナンージャの家へ行った。
夜明け直後、打ち萎れ、深い絶望そのもののシーモン・ペトロスは、ゲッセマネの宿営へとさ迷い歩いて戻った。ダーヴィドは、ペトロスを使者に託し、エルサレムのニコーデモスの家にいる彼の兄弟であるアンドレアスに合流させるために行かせた。
イエスの指示通り、磔のまさしくその終わりまで、いつも近くに残り、庭園の宿営所のダーヴィドの使者達に刻一刻の情報をもたらしたのは、ヨハネ・ゼベダイオスであり、そしてその情報は、潜伏中の使徒とイエスの家族に伝達された。
誠に、羊飼いは打ちひしがれ、羊達は散り散りであった。イエスがまさしくこの状況について予め警告したと、彼らにはばく然とは分かるのであるが、あるじの突然の失踪に通常心を働かせるにはあまりにも激しい衝撃を受けた。
夜明けの後間もなく、そして、ペトロスが兄弟に合流するために送り出された直後、また、イエスの残りの家族が到着する前、ほとんど息のできないありさまで、人間イエスの弟ユダは、宿営所に到達したが、あるじがすでに逮捕されたということを知ったに過ぎなかった。そこで、母と弟妹にこの情報を伝達するためにイェリーホ街道へと急いで戻った。ダーヴィド・ゼベダイオスは、ユダに託して、ベサニアのマールサとマリアの家に集まり、そこで使者が定期的にもたらす知らせを待ち受けるようにとイエスの家族に伝言を送った。
これが、使徒、主要な弟子、およびイエスの地球の家族に関する木曜日の夜の後半と金曜日の早朝の間の状況であった。そして、すべてのこれらの集団と個人は、ダーヴィド・ゼベダイオスが、ゲッセマネ宿営所の本部からの嫁働し続けた使者活動によって互いの連絡を取り続けた。
庭からイエスを連行する前に、寺院護衛のユダヤ人の隊長と兵士一団のローマ隊長の間で、イエスをどこに連れて行くかで揉め事が起きた。寺院の護衛隊長は、カイアファス大祭司の元へ連れるように命じた。ローマ兵隊長は、元大祭司でカイアファスの義父であるハナンージャの宮殿へ連れるように指示した。そして、これは、ローマ軍は、ユダヤ人の教会法の施行に関係する全ての問題において直接ハナンージャと対応する習慣にあったからそうしたのであった。そして、ローマ隊長の命令に従った。かれらは、下検分のためにイエスをハナンージャの家に連行した。
ユダは、隊長達の言うこと全てを漏れ聞きながら、ただし言い合うこともなく彼らの近くをずっと行進した、なぜならば、ユダヤ人隊長もローマ将校も裏切り者には話しさえしなかったので—かれらは、ユダを非常に軽視した。
この頃、ヨハネ・ゼベダイオスは、いつも近くに留まるようにとのあるじの指示を思い出しながら、2人の隊長の間に沿って行進するイエスの近くへと急いだ。並んでついて来るヨハネを見て寺院の護衛指揮官は、下士官に言った。「この男を取り押さえて縛りあげよ。あいつは、こいつの追随者の一人である。」しかし、ローマ隊長は、これを聞き、ヨハネを見ると、辺りを見回し、この使徒は、自分の方に来させるように、また、危害を加えないようにとの命令を与えた。次に、ローマ隊長は、ユダヤ人隊長に言った。「この男は、反逆者でもなく臆病でもない。私は、彼に庭で出会ったが、我々に抵抗するために剣を抜きはしなかった。この男にはあるじとともに居ようと進み出て来る勇気がある。そこで、誰も手出しをするではない。ローマ法は、どんな囚人にも少なくとも友人1人を法廷に控えさせることを許している。そして、この男が、そのあるじ、すなわちこの囚人の側に立つことを妨害させてはならない。」ユダは、これを聞くと、非常に恥じ凌辱を受けたので、行進者の後方に下がり、ハナンージャの宮殿に一人で近づいた。
そして、これが、なぜヨハネ・ゼベダイオスが、この夜とその翌日イエスの辛い経験の間、その近くに留まることを許されたかを説明する。ユダヤ人は、ユダヤ人の宗教法廷でのやりとりの観察者として機能するようにローマ人の相談役に指名されたような身分であったので、何にせよヨハネに言ったり、または何らかの方法で危害を加えることを恐れた。ハナンージャの宮殿の門で寺院の護衛隊長にイエスを引き渡す際、そのローマ隊長が、下士官に「これらのユダヤ人が、ピラトの同意なしにこの囚人を殺さないのを見届るためについて行くように。彼らがこの囚人を暗殺せぬよう、同時に、友人のガリラヤ人が側にいることが許されることを確かめ、起こること全てを観察せよ。」と言ったとき、ヨハネの特権の位置は一層確実となった。ヨハネは、他の10人の使徒は、身を隠さざるをえなかったにもかかわらず、このようにして十字架でのその死の時間までイエスのごく近くにいることができた。ヨハネは、ローマの保護の下に行動しており、ユダヤ人達は、あるじの死後まで危害を加える勇気はなかった。
イエスは、ハナンージャの宮殿までずっと口を開かなかった。その逮捕の時からハナンージャの前に現われるまで、人の息子は、一言も話さなかった。
ハナンージャの代表者達は、イエスの逮捕後、すぐにハナンージャの宮殿に連れて来るように秘かにローマ兵の隊長に指示していた。元大祭司は、ユダヤ人の主要な教会の権威者として自己の威信の維持を欲していた。かれはまた、イエスを自分の家に数時間引き留めるに当たり、別の目的があり、それは、シネヅリオン派の法廷に合法的に集合させるための時間の確保のためであった。寺院の朝の生贄奉納前にシネヅリオン法廷を召集することは、合法的ではなく、この生贄は、午前3時頃に奉納された。
ハナンージャは、シネヅリオンの裁判官達が、娘婿のカイアファスの宮殿で待ちうけていることを知っていた。およそ30人のシネヅリオン派は、イエスが連行されてきたとき、裁ける態勢でいられるように真夜中までに大祭司の家に集まった。審理法廷を構成するには、23人だけを必要としたので、イエスとその教えに強硬にあからさまに反対する者達だけが集められた。
イエスは、逮捕されたゲッセマネの園から遠くないオリーヴ山のハナンージャの宮殿においておよそ3時間を過ごした。ヨハネ・ゼベダイオスは、ハナンージャの宮殿で自由であり、安全であったのは、ローマ隊長の言いつけばかりではなく、元大祭司は、自分達の母サロメの遠縁であったことから幾度も宮殿の客となり、兄ジェームスとヨハネも、 古くからの使用人によく知られていたからであった。
寺院からの収入で豊かになり、娘の夫が大祭司代理であり、またローマ当局との本人自身の関係において、ハナンージャは、誠にもって全ユダヤ社会における最も強力な個人であった。かれは、人当たりがよく、巧妙な計画者であり、陰謀者であった。かれは、イエスの処分問題における指揮を望んでいた。かれは、そのような重要な仕事を無愛想で攻撃的な義理の息子に完全に任せることを恐れた。ハナンージャは、あるじの裁判が確実にサドカイ派の指揮のもとにあることを欲した。かれは、実際にイエスの主義を信奉したシネヅリオン派のそれらの会員のほとんどが、パリサイ会員だったことが分かり、数人のパリサイ派の同情の可能性を恐れた。
あるじが、その家を訪問し、自分を迎えた際のその冷淡さと控え目な態度に気づきすぐに去って以来、ハナンージャは、数年間イエスに会ってはいなかった。ハナンージャは、この遠い昔の面識につけ込み、それにより、イエスが、自分の主張を捨ててパレスチナを去るように説得を試みようと考えた。かれは、善良な男の殺人に参加することには気が重く、また、イエスが、死ぬよりはむしろ国を去ることを選ぶかもしれないと推論した。しかし、逞しく決然たるガリラヤ人の前に立ったとき、ハナンージャは、すぐにそのような提案をすることは無益であることが分かった。イエスは、ハナンージャが記憶していたよりもはるかに厳然とし、まことに平静であった。
イエスの若かりしとき、ハナンージャは、彼に大きな関心を持ったことがあったが、そのときハナンージャの収入益は、イエスのごく最近の両替商や商人の寺院からの追放により脅かされていた。この行為は、イエスの教えによりもはるかに、元大祭司の敵意を喚起してしまった。
ハナンージャは、その広々とした謁見の間に入り、自らは大きい椅子に着席し、イエスを連れて来るように命じた。かれは、静かにあるじを検分し、少し間をおいてから言った。「あなたは、我が国の平和と秩序を妨げており、その教えに関し何かが為さられねばならないと、あなたには、分かっている。」ハナンージャが不審そうにイエスを見ると、あるじは、ハナンージャの目に見入ったが、何の返答もしなかった。再びハナンージャは、「扇動者シーモン・ゼローテースの外に弟子達の名前は、何であるか。」と、尋ねた。イエスは彼を見おろしていたが、答えなかった。
ハナンージャは、自分の質問に対するイエスの応答拒否にかなり動揺し、「私があなたに好意的であろうがなかろうが何の心配もないのか。来たるあなたの裁判問題での私の持つ決定力に何の注意も払わないのか。」と言うほどであった。これを聞いたイエスは、言った。「ハナンージャ、私の父に許されない限り、あなたが私の上にいかなる力も持ち得ないということをあなたは知っている。ある者は、無知であるが故に人の息子を滅ぼすであろう。彼らには分別がないが、あなたには、友よ、自分のしていることが分かっている。それなのに、どうして、あなたは神の光を拒絶することができるのか。」
イエスが親切に話す態度に、ハナンージャは、もう少しでうろたえるところであった。だが、かれは、心ではイエスがパレスチナを去るか、さもなければ、死ななければならないと、すでに決心していた。したがって、ハナンージャは、勇気を奮い起こして、「あなたが人々に教えようとしているのは、いったい何であるのか。何を主張しているのか。」と尋ねた。イエスは答えた。「あなたは、私が公然と世界に話したことをよく知っている。私は、ユダヤ教の会堂や寺院で何回も教えた。そこでは、すべてのユダヤ人と多くの非ユダヤ人が私の話を聞いた。私は、秘密裏には何も話してはいないのに、なぜあなたは、私の教えに関して尋ねるのか。なぜ私の話を聞いた人々を呼び出し、その人々に尋ねないのか。考えてもみよ、たとえあなた自身は、これらの教えを傍聴しなくても、エルサレム中の者が、私の話したことを聞いた。」ところが、ハナンージャが回答できる前に、近くに立っていた宮殿の執事長が、「よくも、そのような言葉で大祭司に答えるとは。」と言って、その手でイエスの顔を打った。ハナンージャは、何の叱責の言葉も口にしなかったが、イエスは、「友よ、私が何か悪いことを言ったのならば、その悪い理由を言いなさい。しかし、私が真実を話したならば、なぜ私を打つのか。」とイエスは、事務長に向かって言った。
ハナンージャは、事務長がイエスを叩いたことを残念には思ったが、その事に注意を払うには誇りが高すぎた。かれは、混乱して別の部屋にいった、1時間ほど家の従者と寺院の護衛とにイエスを任せたままで。
戻ってくるとあるじの方に上がって行き、かれは、「あなたは、救世主、イスラエルの救出者であると主張するのか。」と言った。イエスは、「ハナンージャ、あなたは、私の若い頃から私を知っている。あなたは、私が、私の父が拝命したもの以外の何も主張していないということ、また、私は、ユダヤ人と同様に非ユダヤ人のすべての人へ遣わされてきたということを知っている。」と言った。すると、ハナンージャは、「私には、あなたが、救世主であると主張したと伝えられている。それは本当であるか。」と言った。イエスは、ハナンージャを見たが、「そのように、あなたが言った。」と返答したに過ぎなかった。
この頃、イエスが何時にシネヅリオンの法廷に連れて来られるかを問い合わせるためにカイアファスの宮殿から使者達が到着した。そして、夜明けが近づきつつあったことから、ハナンージャは、寺院の護衛の保護のもと、縛られたイエスをカイアファスへ送るのが最善であると考えた。まもなく、ハナンージャ自らは、それらのあとについて行った。
護衛と兵士の一隊が、ハナンージャの宮殿の入り口に近づきつつあるとき、ヨハネ・ゼベダイオスは、ローマ兵士の隊長の横を進んでいた。ユダは、幾らかの距離をおいて後退しており、シーモン・ペトロスは、はるか遠くから後をつけた。ヨハネが、イエスと護衛と共に宮殿の中庭に入った後、ユダは、門に近づいたが、イエスとヨハネを見掛けると、あるじの正式の裁判が後で行われることを知っていたカイアファスの家の方へと進んだ。ユダが去ったすぐ後、シーモン・ペトロスが到着し、門前に立っていると、イエスが宮殿に連行されようとしているまさにそのとき、ヨハネはペトロスを見た。門番をしていた女は、ヨハネを知っていて、ペトロスを入れてくれと頼むと、女門番は快く同意した。
ペトロスは、中庭に入ると同時に、その夜は冷え冷えとしていたので炭火の方に行き暖を取ろうとした。かれは、イエスの敵のその中にいて大変場違いに感じたし、本当に、場違いであった。あるじは、ヨハネに訓戒を与えたとき近くにいるようにと指示はしなかった。ペトロスは、他の使徒達といるはずであった。そして、その使徒達は、あるじの裁判と磔のこの期間、自分達の命を危険に曝すことのないようと明確に警告されていた。
ペトロスは、宮殿の門に近づく直前に剣を捨てていたので、ハナンージャの中庭へは非武装で入った。その心は、混乱の渦中にあった。かれは、イエスが逮捕されてしまったとほとんど理解することができなかった。かれは、現実—ここハナンージャの中庭におり、この大祭司の使用人の横で暖をとっているということ—を理解することができなかった。かれは、他の使徒が何をしているかと思い、ヨハネが宮殿に入ることをなぜ許されたのか考えを心で巡らせ、ヨハネが、ペトロスを入れるよう門番に求めていたので、使用人に知られていたのでそうなったのだと結論を下した。
ペトロスを入れた直後、そして、ヨハネが火で暖まっていると、女門番は、ペトロスの方にやってきて、「あなたも、この男の弟子の一人ではないの。」と悪戯っぽく言った。さて、女召使にペトロスの宮殿の門の通過を要求したのはヨハネであったので、ペトロスは、この認識に驚くべきではなかった。しかしながら、非常に緊張した神経状態であったので弟子としてのこの指摘は、ペトロスの平静さを失わせ、まず第一に心に浮かんだ1つの考えで—命を失わずに逃げるという考えで—「私は違う」と即座に女召使の質問に答えた。
まもなく、別の使用人が、ペトロスに近づいて尋ねた。「この仲間を逮捕したとき、庭であなたを見なかったかなあ。あなたもまたあの人の追随者の一人ではないのか。」ペトロスは、そのとき完全に驚いていた。かれは、これらの咎める者から安全に逃れる方法を思いつかなかった。したがって、かれは、「私は、この男を知らないし、その追随者の一人でもない」と言って、イエスとの全ての関係を激しく否定した。
この頃、女門番は、ペトロスを傍らに引き寄せて言った。「私にはあなたがこのイエスの弟子であるとちゃんと分かっている。その追随者の一人があなたを中庭に入れるよう私に命じたばかりか、ここにいる私の姉妹が、寺院でこの男といるあなたを見たのよ。なんでこれを否定するの。」ペトロスは、女召使の追求を聞くと、数多くの悪態とののしりでイエスに関するすべての知識を否定した。「私はこの男の追随者ではない。この男を知りもしない。以前に彼のことを決して聞きもしなかった。」
中庭を歩き回る間、ペトロスは、しばらく炉端を離れた。かれは、逃げたかったが、自分に注意を引きつけると恐れた。冷たくなってきて炉端に戻ると、近くに立つ男の一人が言った。「確かに、あなたはこの男の弟子の一人である。このイエスは、ガリラヤ人であり、あなたもその話し振りで知れる。ガリラヤ人のように話しているから。」と言った。またまた、ペトロスは、あるじとのすべての関係を否定した。
ペトロスは、非常に狼狽し、火から遠ざかり、屋根つきの玄関に一人でいることで咎める者との接触から逃がれようとした。この孤立状態での1時間以上も後に、門番とその姉妹がたまたまペトロスと出会い、両者共に、イエスの追随者であることで再びからかって追求した。そして、またもやかれは、非難を否定した。かれが、イエスとのすべての関係をもう一度否定したちょうどそのとき、雄鳥が鳴いた。すると、ペトロスは、その宵に、あるじによる自分への警告の言葉を思い出した。心は重く罪の感覚に押し潰されて、彼がそこに立っていると、宮殿の門が開き、護衛達は、ペトロスの側を通り、カイアファスへの道へとイエスを導いていた。ペトロスの側を通り過ぎるとき、あるじは、かつて自信があり表面的には勇敢な使徒の顔に絶望の表情を松明の光で見た。イエスは、振り向いてペトロスを見た。生きている間っずっと、ペトロスは、そのようすを決して忘れることはなかった。必滅の人間が一度も見たことのないような哀れみと愛が混ざり合わさったたそのような一瞥が、あるじの顔にはあった。
ペトロスは、イエスと護衛達が宮殿の門を潜り抜けた後、後を追ったが、ほんの短い距離だけであった。かれは、それ以上は行けなかった。ペトロスは、道路の端に座り、さめざめと泣いた。そして、苦痛の涙を流した後、かれは、兄のアンドレアスを探そうと宿営地に向けて後戻りした。宿営地に到達すると、ダーヴィド・ゼベダイオスだけがいることが分かった。ダーヴィドは、ペトロスの弟のエルサレムでの潜伏場所をペトロスに教えるために使者を行かせた。
ペトロスの全経験は、オリーヴ山のハナンージャの宮殿の中庭で起こった。ペトロスは、大祭司カイアファスの宮殿へとイエスを追いかけてはいかなかった。都の中では家禽を飼うことは違法であったことから、ペトロスは、この全てがエルサレムの外で起こったということ、雄鳥の鳴き声によりあるじを繰り返し否定したという認識にいたった。
雄鳥の鳴き声が、ペトロスに分別をもたらすまでは、かれは、暖かさを保つために車寄せで上がったり下がったりして、使用人達の究明をいかに賢く回避し、イエスと自分とを同一視する彼らの目的を挫くかを考えるだけであった。当分の間、ペトロスは、これらの使用人にはこのように自分に質問する道徳的、あるいは法的権利もないと考えただけであり、身分が明かされ、また、ことによると逮捕と投獄から免れたと考え、返す返すも自分の方法に喜んだ。ペトロスは、雄鳥が鳴くまで自分はあるじを否定してきたということに考えがおよばなかった。かれは、イエスが自分を見るまで、王国の大使としての特権に従って行動し損ねたとは気づかなかった。
妥協と最少の抵抗の道に沿う第一歩を踏みだしてしまったペトロスにとって明らかなことは、決意した行為の進行のまま先へ進む以外なかった。間違いからの出発から方向転換し、正しく進むには、すばらしく、かつ高潔な性格が必要とされる。一度誤りの道に入るとき、あまりにもしばしば、当人自身の心は、誤りの継続を正当化する傾向がある。
ペトロスは、復活後にあるじに会うまで、そして、否定のこの悲惨な夜の経験以前のように受け入れられるのを見るまで、自分は許されることができると決して完全には思っていなかった。
祭司長カイアファスが、シネヅリオンの査問委員会を召集し、正式な裁判のためにイエスを連れて来ることを要求したのは、この金曜日の朝、3時半頃であった。シネヅリオン派は、過去3回にわたり、違法行為、冒涜、そしてイスラエルの祖先の伝統を嘲る非公式の容疑により死に値すると定め、多数決によってイエスの死を決めてきた。
これは、シネヅリオン派の定期的に招集された会議ではなく、またいつもの場所、寺院にある切り石造りの部屋ではなかった。これは約30人のシネヅリオン派の特別な審判裁判であり、大祭司の宮殿に召集された。ヨハネ・ゼベダイオスは、いわゆるこの裁判を通してイエスと共にいた。
これらの祭司長、筆記者、サドカイ派、およびパリサイ派の数人は、イエス、自分達の地位の撹乱者であり権威の挑戦者が、今は、確実に自分達の手のうちにあるとどれほど得意がったことか。かれらは、イエスが、自分達の執念深い拘束から決して生き逃びることがあってはならないと決議した。
通常、ユダヤ人は、死に値する容疑の審理の際、細心の注意で進め、目撃者の選択と裁判の全運営においてあらゆる公正さの保護手段を提供した。しかし、この時、カイアファスは、偏見のない裁判官というよりは検察官であった。
イエスは、普段の服装で後ろ手でに縛られてこの法廷に現れた。全法廷が、イエスの堂々たる風采に驚き、些さか混乱した。皆は、いまだかつてそのような囚人を見つめたこともなければ、命にかかわる裁判における男にそのような沈着さを目にしたことがなかった。
ユダヤ人の法律は、囚人に対する告発以前に、少なくとも2人の目撃者が、いかなる点においても同意しなければならないことを前提とした。ユダヤ人の法律は、特に裏切り者の証言を明確に禁じていたので、イエスに対してユダを目撃者とすることはできなかった。20人以上の偽りの目撃者が、イエスに不利な証言をするために近くにいたが、彼らの証言はあまりにも相容れないものであり、また、あまりにも明白に捏造されたものであり、シネヅリオンの会員自身がその振る舞いを非常に恥じた。イエスは、そこに立ってこれらの偽証者を優しく見ており、そして彼のまさしくその相貌は、嘘つきの目撃者達を当惑させた。このすべての誤りの証言中、あるじは、決して一言も述べなかった。かれは、彼らの多くの誣告に答えなかった。
2人の証言からあがった初めての僅かに類似する意見は、イエスが、寺院での講話の1つで「手で作られたこの寺院を破壊し、3日のうちに手を用いずに別の寺院を建てる。」と言うのを聞いたと証言した時であった。この言葉を述べらるときに、それは自身の身体を指差したという事実はあったが、イエスが確かに言ったことではなかった。
大祭司は、イエスに「これらの告発のいずれにも答えないのか。」と怒鳴りつけたが、イエスは口を開かなかった。これらの偽りの目撃者達が皆、それぞれの証言をする間、イエスはそこに黙って立っていた。嫌悪、狂信、そして破廉恥な誇張は、証言それ自体が縺れ合うほどに偽証者達の言葉の特徴を描写していた。彼らの誣告への最良の反証は、あるじの穏やかで厳然とした沈黙であった。
偽の目撃者の証言開始の直後、ハナンージャが、到着し、カイアファスの横の席を占めた。ハナンージャは、そのとき立ち上がり、寺院を破壊するというこの脅迫は、イエスに対して3件の告訴を正当化するに十分であると主張した。
1. イエスは、人々にとり危険な中傷者であったこと。不可能なことを教えた、さもなければ、欺いたということ。
2. 神聖な寺院に荒々しく手を掛けると唱道したという点において、彼が熱狂的革命者であるということ、でなければどのようにしてそれを破壊することができるのか。
3. 新しい寺院を手を使わずに建てると約束したのであるから、かれは魔法を教えたということ。
すでに、全シネヅリオン派は、イエスがユダヤ人の法律に違反したことで死に値する罪があると同意していたが、かれらは、そのとき、ピーラトゥスの囚人への死刑宣告を正当化するイエスの行為と教えに関しての告発の展開により関心をもった。かれらは、イエスを法的に死においやることができる前に、ローマ総督の同意を確保しなければならないことを知っていた。そこで、ハナンージャは、イエスがあちこちで危険な教師であると人々に見せかける線に沿って事を進めようとした。
しかし、カイアファスは、 あるじが、申し分のない落ち着きと完全な沈黙でそこに立つ光景に耐えることがもはやできなかった。カイアファスは、その囚人が話す気になるかもしれない少なくとも1つの方法を知っていると思った。依って、かれは、イエスの側まで突き進み、あるじの顔に向かって非難する指を震わせながら「生きている神の名にかけて、厳命する。お前が救出者、神の息子であるかどうかを言ってみよ。」と言った。イエスは答えた。「私はそうである。まもなく父の元に行く。そして、やがて人の息子は、力を身にまとい、もう一度天の軍勢を支配するのである。」
イエスがこれらの言葉を発するのを聞くと、大祭司は、至極立腹し、自分の外套を引き裂きながら大声で言った。「これ以上目撃者達から何を必要とするであろうか。見よ、今、君達は皆、この男の冒涜を聞いた。この法律違反者であり冒涜者である者をどうするべきであると思うか。」するとかれらは、「死に相応しい。磔にしよう。」と一斉に答えた。
イエスは、ハナンージャ、若しくはシネヅリオン派の前での贈与任務に関する一つの問題以外は、いかなる質問にも無関心を表した。神の息子であるのかと尋ねられると、即座に、明確に、そうだと答えた。
ハナンージャは、裁判がさらに続くことを、またその後のピーラトゥスへの提示のために、ローマ法とローマの機関とのイエスの繋がりに関わる罪状が明確にされることを望んでいた。過ぎ越しの準備の日であることや、正午以降に何の世俗的な仕事もすべきではないという理由のためだけではなく、ローマ人のユダヤの首都ケーサレーアにピーラトゥスが過ぎ越しの祝賀でエルサレムにいたのでいつ戻るかもしれないと恐れるが故に、評議会員達は、これらの問題を迅速な終結へと運ぶことを切望していた。
しかし、ハナンージャは、法廷の収拾に成功しなかった。イエスがあまりにも不意にカイアファスに答えた後、大祭司は、前に踏み出て、手でイエスの顔を打った。ハナンージャは、法廷の他の成員が部屋から去る際に、イエスの顔に唾を吐き、その上、多くの者が嘲るようにその顔を手の掌でぴしゃりと叩くのに、実に衝撃をうけた。そして、そのような無秩序と、そのような前代未聞の混乱のうちに、イエスのシネヅリオン派による裁判のこの最初の会期は、4時半過ぎに終わった。
偏見と伝統に目のくらんだ30人の偽りの裁判官達が、偽の目撃者とともに、大胆にも公正な宇宙の創造者を裁判にかけている。そして、これらの熱烈な告発者達は、この神-人の堂々とした沈黙と見事な態度に激怒している。彼の沈黙は、耐えるには凄まじく、その話し振りは、大胆に挑戦的である。かれは、脅しに対して冷静で、攻撃に対して怯まなかった。人は神に判断を下すが、その時ですら神-人は、それらの者を愛し、そして、できれば救うであろう。
ユダヤ人の法律は、死刑判決を下すに当たり、2回にわたる開廷を義務づけた。この2回目の開廷は、1回目の翌日に行われることになっており、その間の時間、法廷の会員は、断食と弔いをして過ごすことになっていた。しかし、イエスが死ななければならないという自分達の決定確認のために、これらの男達は、翌日まで待てなかった。わずかに1時間待った。一方イエスは、寺院の護衛とともにいる大祭司の使用人に預けられて謁見の間に残されていた。それ等の者は、あらゆる種類の侮辱を人の息子に与えることを大いに楽しんでいた。かれらは、イエスを愚弄し、唾を吐き掛け、殴打した。かれらは、彼を繰り返し棒で顔を殴り、そして、言った。「預言してみよ、おい、救出者よ。お前を打ったのは誰か。」こうして、かれらは、丸1時間、ガリラヤのこの無抵抗な男を罵り、虐待し続けた。
無知で無情な護衛兵と使用人を前にしての苦悩と愚弄の裁判のこの悲劇の時間、ヨハネ・ゼベダイオスは、隣接している部屋で孤独な恐怖で待った。最初にこれらの虐待が始まると、イエスは、うなずきの合図でヨハネに下がらなければならないと知らせた。あるじは、この使徒が部屋に留まりこれらの侮辱を目撃することを許すならば、その憤りが、非常な抗議の怒りを刺激して、おそらくはヨハネに死をもたらすであろうということをよく心得ていた。
この恐ろしい時間を通じて、イエスは一語も発しなかった。この全宇宙の神との人格関係に結合したこの優しく敏感な人間の魂にとり、このいわゆるシネヅリオン派の法廷の会員の手本により彼を虐待することに刺激をうけたこれらの無知で残酷な護衛と使用人の為すがままのこのひどい時間以上に屈辱の苦い杯はなかった。
最愛の君主が、罪に陰げる不幸なユランチアの世界において無知で見当違いの人間の意志を甘んじて受けているこの光景を天の有識者達が目撃する傍らで、人間の心は、広大な宇宙をさっと通過する憤りの身震いを想像することは到底できない。
精霊的に、あるいは知的に達成できず、侮辱し肉体的に強襲したがるように導く人の内なるこの動物的な特性は何であるのか。半文明的な人間には、知恵や精霊的な達成に優れた者に捌け口を求めようとする邪悪な野蛮さ、それ自体がまだ潜んでいる。これらの自称文明人が、無抵抗の人の息子へのこの肉体的な攻撃から動物的な喜びのある種の形を導き出す間、彼らのその邪悪な粗雑さと残忍な凶暴さを目撃しなさい。これらの侮辱、嘲り、殴打がイエスを襲う時、イエスは、防備しようとしなかったが、無防備ではなかった。イエスは、負かされてはいなかった、単に肉体的な意味では抗争していなかった。
これらは、巨大で広範囲にわたる宇宙の製作者、支持者、救世主としての長く波瀾万丈のあるじの全経歴における最も偉大な勝利の瞬間である。神を人に明らかにする生活を完全に送り、イエスはいま、人を神に示す新たで先例のないことの顕示に従事している。イエスはいま、世界に被創造物の人格の孤立に対する全ての恐怖に対する最終的な勝利を示している。人の息子は、神の息子として自己性の実現を遂に成し遂げた。イエスは、自分と父が1つあると断言することを躊躇わない。そして、その最高かつ崇高な経験の事実と真実に基づき、自分とその父が1つであるように、王国の全信者が自分と1つになるように諭す。イエスの宗教における生きた経験は、精霊的に孤立し、広大無辺に孤独な地球の必滅者達が、孤立からの恐怖と関連する無力の感情のすべての結果がもたらす人格の孤立をそれにより避けることが可能となる確かで間違いのない技法となる。天の王国の友愛の現実においては、神の信仰の息子達は、自身、つまり個人的かつ惑星の双方の孤立からの最終的な救出を見つける。神を知る信者は、宇宙規模での精霊的な社会性—完全性達成の神の定めである永遠なる実現と関連する天の市民権—の極みと壮大さをますます経験する。
イエスは、5時30分に裁判官が再び召集され、隣接する部屋に連れていかれた。そこでは、ヨハネが待っていた。ローマ兵士と寺院の護衛達は、ここでイエスを監視し、一方ピーラトゥスに提示されることになっていた罪状の明確化が、法廷で始まった。ハナンージャが、冒涜の罪は、ピーラトゥスにとり何の重要性ももたないと仲間に断言した。ユダは、この第2の法廷会議のあいだ出席していたが、何の証言もしなかった。
この法廷期間はほんの30分続き、ピーラトゥスの元に行くために閉廷したとき、かれらは、死に値するとして、次の3項目を基に、イエスの起訴状を作成した。
1. イエスは、ユダヤ国家の倒錯者であったこと。かれは、人々を騙し、かつ反逆へと扇動したこと。
2. ケーサレーアへの貢税の支払いを拒否することを人々に教えたこと。
3.新しい種類の王国の王であり、創立者であると主張することにより、皇帝に対する反逆罪を教唆したこと。
この手順全体が不規則であり、ユダヤ人の法律とは完全に逆であった。寺院を破壊して、3日間後に再建するというイエスの陳述に関して証言した者達を除いては、2人の目撃者がいかなる件でも同意することはなかった。そして、その点に関してさえ、弁護側の目撃者はなく、その上、イエスが彼の意図した意味について説明することも求められなかった。
法廷が一貫して裁くことができた唯一の点は、冒涜罪であり、それは、完全にイエス一人の証言に基づくものであった。冒涜に関してですら、かれらは、死刑宣告のための正式な票を投じなかった。
そのとき、かれらは、一人の目撃者もなく、また被告である囚人が不在のうちに同意された3件の告発を携えてピーラトゥスの前に行くために、大胆に明確化した。これがされると、パリサイ派の3人は、休暇を取った。かれらは、イエスが滅ぼされるところを見たくはあったが、目撃者なしで、しかもイエス不在での告訴を明確に述べたくはなかった。
イエスは、シネヅリオン派の法廷に再び現れることはなかった。かれらは、イエスの潔白な人生を裁く間、二度と彼の顔を見たくはなかった。イエスは、(人として) ピーラトゥスによる朗読を聞くまで、正式の罪状を知らなかった。
イエスは、ヨハネと護衛のいる部屋におり、そして、その第2の法廷会議の間、大祭司の宮殿の周囲に数人の女性が、その友人達と共に見知らぬ囚人を見にきており、その中の1人が、イエスに尋ねた。「あなたは救世主、神の息子でありますか。」すると、イエスは「私が言っても、あなたは私を信じないであろう。そして、私があなたに尋ねても、答えないだろう。」と応じた。
このシネヅリオン派の法廷が誠に不当に、また変則に命じた死刑判決の確認のために、イエスは、その朝午前6時にカイアファスの屋敷からピーラトゥスの前に現れるために率いられていった。
西暦30年4月7日、この金曜日の朝6時過ぎて間もなく、イエスは、シリアの代官の直接監督下にあるユダヤ、サマリア、イヅマイアを治めるローマ行政官であるピーラトゥスの前に連れてこられた。あるじは、縛られ、寺院の護衛にローマ総督の前に連れられ、その際シネヅリオン派法廷(主にサッヅカイオス)、ユダ・イスカリオテ、大祭司カイアファスを含むほぼ50人の告発人と使徒ヨハネが同伴した。ハナンージャは、ピーラトゥスの前に現れなかった。
ピーラトゥスは、前夜、人の息子を逮捕するためにローマ兵を差し向けるという彼の同意を得た者達が、早速にもイエスを連れて来ると知らされていたので、この早朝の訪問者の1団を迎えるために起き、準備ができていた。この裁判は、ピーラトゥスとその妻がエルサレムに立ち寄るときに本部としたアントニアの要塞の増築部分のプラエトリュウムの前で行われる段取りであった。
ピーラトゥスは、イエスの検分の多くをプラエトリュウムの広間でしたが、公判は、正面玄関へ続く外の階段で開かれた。これは、過ぎ越しのこの準備の日にパン種子が使用されるかもしれないいかなる非ユダヤ人の建物にも入ることを拒否するユダヤ人に対する譲歩であった。そのような行為は、儀式的にユダヤ人を不浄にし、それにより感謝の午後の祝宴の参加から除外されるだけでなく、過ぎ越しの夕食の相伴資格を得る前に、日没後の浄めの儀式への従属も必要とするのであった。
これらのユダヤ人は、イエスの不法の死刑をもたらす陰謀を企んだとき、気がとがめて悩まされることはまったくなかったが、それにもかかわらず、儀式上の清浄さと慣習的な規則性のすべてのこれらの問題に関して良心的であった。時間と永遠における人間の福祉に対する些細な事に細心の注意を払うとともに、神性の性質の高くて神聖な義務の認識を欠くということは、これらのユダヤ人が、ただ唯一の民族ではなかった。
ポンティウス・ピーラトゥスが、小地方のそれなりに良い総督でなかったならば、ティベリアスは、ピーラトゥスをユダヤの代官として決して10年間も留めておきはしなかったであろう。ピーラトゥスは、かなり良い管理者ではあったが、道徳的には臆病であった。かれは、ユダヤ人の総督としての任務の本質を理解する大きな度量のある男ではなかった。かれは、これらのヘブライ人が、本当の宗教、つまり進んで死ぬことを望む信仰、そして帝国中のここかしこに離散した何百万人の者が、信仰の神殿としてエルサレムに目をむけ、また世界の最高裁判所としてシネヅリオン派を尊敬しているという事実を理解することができなかった。
ピーラトゥスは、ユダヤ人を好まず、またこの根深い憎悪は、早くに現れ始めた。全てのローマの属州のうち、ユダヤほど治めるに難しい所はなかった。ピーラトゥスは、ユダヤ人の扱いに関する問題を一向に理解せず、その結果、総督としての非常に早い時期での経験において一連のほとんど致命的かつ自滅的な大失敗をしでかした。そして、ユダヤ人にそれほどまでに力を与えたのが、これらの大失敗であった。ユダヤ人がピーラトゥスの決定に影響を及ぼしたいた時にすべきことは、暴動を起こし、脅かすことであり、そうすればピーラトゥスは、即座に降伏するのであった。そして、行政長官のこの明らかな決断の無さ、あるいは道徳的な勇気の欠如は、主に彼がユダヤ人に持っていた多くの論争に関する記憶に基づくものであり、ユダヤ人がピーラトゥスをそれぞれの事例で負かしてきたであった。ユダヤ人は、ピーラトゥスが、自分等を恐れていること、ティベリアスの前にあって自分の地位を懸念していることを知っており、多くの機会に総督の大きな不利となるようにこの知識を利用した。
ピーラトゥスのユダヤ人疎外は、いくつかの不運な遭遇の結果として生じた。まず最初に、偶像崇拝の象徴としての全ての像に対するユダヤ人の根深い偏見を真剣に受け止めることができなかった。したがって、前任者の下でのローマ軍人の習慣であったように、兵士達の旗からケーサーの像を取り除くことなく、彼らのエルサレム入りを許した。ユダヤ人の大規模の代表団は、5日間ピーラトゥスを待ち、軍旗からこの像を取り除くように懇願した。かれは、その請願をにべもなく拒否し、即時の死で彼等を威嚇した。自身が懐疑論者であるピーラトゥスは、強い宗教感情をもつ者が、その宗教信念のために死ぬことを躊躇わないということを理解していなかった。したがって、これらのユダヤ人が、宮殿前に挑戦的に立ち上がり、地面に顔を下げ、死ぬ用意ができていると知らせたとき、ピーラトゥスは、うろたえた。それから、ピーラトゥスは、行う気のない脅迫をしてしまったと気づいた。ピーラトゥスは、屈伏し、エルサレムの兵士の旗から像を取り除くように命令し、その日以来、実行することを恐れつつ脅しをかけるピーラトゥスの弱点をこのようにして発見したユダヤ人指導者達の気まぐれに、多かれ少かれ服従している自分に気づいた。
ピーラトゥスは、その後この失った威信回復の決断をし、そのために、ケーサー崇拝に一般的に使用された皇帝の盾をエルサレムのヘロデの宮殿の壁に掲げさせた。ユダヤ人が抗議したとき、かれは譲らなかった。自分達の抗議に耳を傾けることを拒否したとき、ユダヤ人達は、即座にローマに訴えた。すると皇帝は、問題となっている盾を取り除くように即座に命令した。それから、ピーラトゥスは、以前よりさらに低く評価された。
ユダヤ人を著しくうとんじたもう一つは、巨大な宗教的な祭礼の期間、エルサレムへの何百万人もの訪問者のための給水支給拡大のための新水路建設費の支払いのために寺院の資金からの徴収を敢行したということであった。ユダヤ人は、シネヅリオン派だけが寺院の資金を支払うことができると信じ込み、この傲慢な支配のためにピーラトゥスを痛烈に非難して止まなかった。20件もの暴動と多くの流血が、この決定から生じた。由々しい一連の発生事件の最後は、祭壇での礼拝中に生じたガリラヤ人の大集団の虐殺に関係があった。
この動揺するローマの支配者が、ユダヤ人に対する恐怖と個人の立場の安全のためにイエスを犠牲にするとともに、寺院の器が埋められていると主張しゲリージーム山へと軍を率いた偽の救世主の提供に関連してサマリア人の不必要な虐殺の結果、最終的に免職させられたということは重要である。そして、偽の救世主が約束した通りに神聖な器物の隠されている場所を明らかにしなかったとき、この激しい暴動が勃発した。この事件の結果、シリアの総督代理は、ピーラトゥスにローマ行きを命じた。ピーラトゥスがローマに向かう途中、ティベリアスは死んだ。そして、ピーラトゥスは、ユダヤの行政長官には再任されなかった。かれは、イエスの磔に同意してしまったという痛恨から決して立ち直らなかった。ピーラトゥスは、新皇帝からの何の好意も見い出せずにローザンヌ地方に退き、後にそこで自殺をした。
ピーラトゥスの妻クラウディア・プロクラは、王国の福音のフェニキア人信者である待女の話を通してイエスの多くの話を聞いていた。ピーラトゥスの死後、クラウディアは、朗報の普及に著しく同調するようになった。
このすべてが、この悲惨な金曜日の午前に起きた多くを説明している。なぜユダヤ人が、ピーラトゥスに指図しようとしたかを—イエスを裁くためにピーラトゥスを6時に起こしたこと—また、もしイエスの死をあえて求める彼らの要求を拒否したならば、彼らは皇帝の前でピーラトゥスを反逆罪で告発すると脅かすことをなぜ躊躇わなかったかということも、理解することは容易である。
ユダヤ人の指導者達と不利に関わらなかった立派なローマの総督ならば、これらの残忍な宗教狂信者が、冤罪で潔白だと自らが宣言した男に死をもたらすこすことを一度も許しはしなかったであろう。パレスチナ統治に二流のピーラトゥスを送ったとき、ローマは、大変な大失敗、現実情勢における遠大な誤りを犯した。ティベリアスは、帝国で最善の地方管理者をユダヤ人に送ったほうが良かった。
イエスと告発者達がピーラトゥスの法廷の正面に集まったとき、ローマ総督が、現れ、集まった一行に向け、「この者にどんな罪状をもってきたのか」と尋ねた。イエスを厄介払いすることを引き受けたサドカイ派と議員達は、ピーラトゥスの前に行き、イエスに申し渡した死刑宣告の承認を求めることを決心していた。どういった明確な罪の提示のないままに。したがって、シネヅリオン派の法廷の代弁者が、ピーラトゥスに答えた。「もしこの男が悪人でなかったならば、我々は、あなたのところに彼を引き渡しはしませんでした。」
ピーラトゥスは、彼らが、イエスの有罪の協議に夜通し従事していたと知ってはいたが、イエスに対する罪状を述べたがらないのを見てとると、彼らに答えた。「お前たちは、何の明確な罪状の同意にいたっていないのだから。この男を連れて行き、自身の法により判決を下してはどうか。」
シネヅリオン派の法廷の書記は、ピーラトゥスに述べた。「誰であろうとも我々には死に追いやることは合法的ではありません、でも、我々の国に対してのこの妨害者は、言ったことやしたことのために死ぬにふさわしいのです。だからこそ、我々はこの判決確認のために参ったのです。」
回避のこの企てをもってローマ総督の前に来ることは、シネヅリオン会員達のイエスへの悪意と不機嫌さと、ピーラトゥスの公正さ、名誉、威厳に対する敬意の欠如の両方を明らかにしている。地方総督の前に現れ、公正な裁判を与える前に、しかも明確な犯罪で告発すらせず、一人の人間に対して処刑の判決を求めるこれらの臣下である市民の何という厚かましさであろう。
ピーラトゥスは、ユダヤ人の間でのイエスの働きについて幾分知っており、告発されたのはユダヤ人の教会法への違反に関係があると推測した。したがって、この事例を彼ら自身の法廷へ差し戻そうとした。またもや、ピーラトゥスは、ユダヤ人が、苦々しく妬みのある憎しみで軽蔑する自らの民族の1人にさえ死刑を宣告し、執行することに無力であることを彼らに公的に認めさせることを楽しんだ。
ピーラトゥスが、ユダヤ教の半転向者であり、後にはイエスの福音の立派な信者となった妻クラウディアからイエスとその教えに関しさらに聞いたのは、真夜中直前の、しかも、秘かなイエス逮捕の功を奏するためにローマ兵使役の許可を与えた直後の数時間前であった。
ピーラトゥスはこの公聴会を延期したかったのだが、ユダヤ人の指導者達は、この訴訟の進行を決め込んでいることがピーラトゥスには判った。これが、過ぎ越しのための準備の昼前であるばかりではなく、また、金曜日であるこの日は、ユダヤ人の休息と崇拝の安息日の準備の日でもあるということを、かれは知っていた。
これらのユダヤ人の無礼な接近の態度に非常に敏感であり、ピーラトゥスは、イエスに裁判なしで死刑を言い渡すという要求に従うことを望まなかった。したがって、囚人に対するユダヤ人側からの罪状提示を待つしばらくの間、彼らに向いて言った。「私は、この男に裁判なしでの死刑を言い渡すつもりはないし、彼に対するお前達の告発を書面で示すまで彼を調べることにも同意するつもりはない。」
大祭司と他の者は、ピーラトゥスがこうを言うのを聞くと法廷の書記に合図した。するとこの者は、イエスに対する罪状書をピーラトゥスに渡した。その罪状は次の通りであった。
「我々は、シネヅリオン派の裁判所では、この男が次に関して国家の悪人と妨害者であるが故に有罪であると宣告します。
「1. 国家を歪め、民を反乱へと撹乱させるということ。
「2. ケーサレーアへの納税の支払いを人々に禁じること。
「3. 自分をユダヤの王と称し、新しい王国の設立を教えること。」
イエスは正式に審理されもせず、これらの罪状で合法的に有罪とされたのでもなかった。最初の陳述でこれらの罪状を聞いてさえいなかったが、ピーラトゥスは、衛兵に留めおかれていたプラエトリュウムからイエスを連れて来させた。それから、イエスの聞いている前でこれらの罪状が繰り返されることを主張した。
これらの罪名を聞いたとき、イエスは、ユダヤ人の法廷ではこれらの事柄を聞かされていなかったことをよく知っていたし、またヨハネ・ゼベダイオスと告発者達もよく知っていたが、かれは、冤罪に対して何も答えなかった。ピーラトゥスが、原告に答えるようにと命じたときにさえ、イエスは、口を開かなかった。ピーラトゥスは、全進行の不公平さに非常に驚き、また、イエスの静かで見事な振る舞いに非常な感銘を受けたので、囚人を広間に連れて入り個人的に調べることに決めた。
沈黙の侮蔑ではなく、本物の哀れみと悲しげな愛情の表現で、殺気だつ告発者の前のそこで威厳をもって立ち、告発者達をじっと見つめるイエスの光景にピーラトゥスの心は乱され、その感情は、ユダヤ人を恐れ、その精神は非常に扇動された。
ピーラトゥスは、イエスとヨハネ・ゼベダイオスを私室に連れて入り、衛兵を部屋の外の廊下に立たせると、囚人には座るように求め、自らはイエスのそばに座り幾つかの質問をした。イエスに対する第1の罪状である国家の倒錯者と反逆扇動者ということを信じていないということを彼に知らせることにより、ピーラトゥスは、イエスとの話を始めた。彼は、「お前は、かつてケーサーへの捧げ物は拒絶すべきであると教えたか。」と尋ねた。イエスは、ヨハネを指し示し、「あの者に、あるいは誰か私の教えを聞いた他の者に尋ねなさい。」と言った。次に、ピーラトゥスは、捧げ物のこの問題に関してヨハネに質問し、ヨハネは、あるじの教えに関する証言をし、また、イエスとその使徒達がケーサーと寺院への税を支払ったと説明した。ピーラトゥスは、ヨハネに質問したとき、「私がお前と話したと誰にも言わないように。」と言った。ヨハネは、この事を決して明らかにしなかった。
それから、ピーラトゥスは、さらに質問するためにイエスの方に振り向いて、「今度は3番目の罪状についてだが、お前はユダヤ人の王であるか。」と訊いた。ピーラトゥスの声が誠実な問いの調子であったので、イエスは行政長官に好意を示して言った。「ピーラトゥス、自分のためにこれを尋ねているのか、それとも、他のもの達、私の告発者からのこの質問を採用しているのか。」と言った。すると、半分は憤りの調子で総督が答えた。「私はユダヤ人か。お前自身の民衆と祭司長等が、お前を引き渡して死刑を言い渡すように私に頼んだのだ。私は、彼らの罪状の正当性を問い質し、自らが、お前のしたことを調べようとしているだけである。言ってみよ、ユダヤ人の王であるとお前は言ったのか。また、新しい王国を設立しようとしたのか。」
そこで、イエスがピーラトゥスに言った。「私の王国は、この世界のものではないということが窺いしれないのか。もし私の王国がこの世界のものであるならば、きっと私の弟子達は、私がユダヤ人の手に委ねられないように戦ったであろう。あなたの前でこれらの枷にあってここに私がいることが、私の王国は精霊的な統治圏であるということ、すなわち信仰を通じ、そして愛によって神の息子になる人の兄弟愛を、全ての人に示すに足るのである。そして、この救済は、非ユダヤ人とユダヤ人のためのものである。」
「では、結局そなたは王であるのか」と、ピーラトゥスは訊いた。そこで、イエスは答えた。「そうです、私はそのような王であり、我が王国は、天にいる私の父の信仰の息子達の家族である。この目的のために、すべての人に私の父を示し、また、神の真実の証言をするためにさえ、私はこの世に生まれ出でたのであった。今ですら、真実を慈しむ者は、誰でも私の声を聞くとあなたに断言する。」
するとピーラトゥスは、半ば嘲笑し、半ば真面目に、「真実、真実とは何か—誰が知っているのであるか。」と尋ねた。
ピーラトゥスは、イエスの言葉を計り知ることができなかったし、その精霊の王国の本質も理解することができなかったが、そのとき、囚人がいささかも死に相応しいことをしなかったということが、ピーラトゥスには確かであった。ピーラトゥスさえ、面と向かいイエスを一瞥するだけで、この優しくて疲れきってはいるが、堂々とした清廉な男は、イスラエルの現世の王座に自分を着かせようと切望した荒々しく危険な革命家ではないと納得させるに十分であった。ピーラトゥスは、「賢明な者は王である」と断言したストア学派の教えに詳しかったので、自分を王と呼ぶ時にイエスの意図したことに関して少し理解したと思った。ピーラトゥスは、イエスが、危険な扇動者であるというよりも無害な夢想家、悪意のない狂信者以外の何者でもないと完全に確信した。
あるじへの質問後、ピーラトゥスは、祭司長とイエスの告発者達のところに戻って言った。「この男を調べたが、何の落ち度もない。彼に対するそなた等の告発に関して有罪であるとは思わない。私は、この男は解放されるべきであると考える。」ユダヤ人は、こう聞くと非常な怒りにかきたてれ、イエスが死ぬべきであると荒々しく叫ぶほどであった。そして、シネヅリオン会員の1人は、ピーラトゥスの側に大胆に歩み寄って言った。「この男は、民衆を撹乱します。ガリラヤに始まり、ユダヤ中に。かれは、人の仲を裂こうとする悪事を働く者であります。この邪悪者を自由にさせるならば、あなたは、それを長い間後悔するでありましょう。」
ピーラトゥスは、イエスをいかのすべきか全く考えにいたらず、ガリラヤでイエスの仕事が始まったと言うのを聞くと、かれは、事件に決断を下す責任回避を考え、その時過ぎ越しに出席するために都にいたヘロデのところにイエスを送ることにより、少なくとも思索のための時間稼ぎを考えた。ピーラトゥスは、この行為が、しばらく自分とヘロデの間に存在していた度重なる司法の問題上の誤解による何らかの苦い感情の矯正を助けるとも考えた。
ピーラトゥスは、衛兵を呼んで言った。「この男はガリラヤ人である。直ちに、ヘロデのところに連れて行け。そして、彼がこの男を調べ終えたら、判明したことを私に報告せよ。」そこで、かれらは、イエスをヘロデのところに連れて行った。
ヘロデ・アンティパスがエルサレムに立ち寄るときは、ヘロデ大王の古いマッカベーウス宮殿に住み、そのときイエスが寺院の衛兵に連行され、告発者達と増加する群衆がイエスの後をつけていったのが、先王のこの家であった。ヘロデは、イエスについて長く耳にしてきており、彼について非常に知りたかった。この金曜日の朝、人の息子が自分の前に立ったとき、邪悪なイヅマイア人は、公共建築物の1つの仕事中に事故で死んだ父に支払われるべき金銭に関する正当な決定を嘆願してセーフォリスで自分の前に出向いた先年の若者を一瞬たりとも思い出しはしなかった。かれは、イエスの仕事がガリラヤに集中していたとき、大いにイエスに関して思い煩ったが、ヘロデが知る限り、一度もイエスを見たことはなかった。ヘロデは、イエスがピーラトゥスとユダヤ人の保護下にいたので、将来どんな問題に対しても安全であると感じて、彼に会うことを願ってやまなかった。ヘロデは、イエスによる奇跡について多くを聞いており、何らかの驚きに値いする業を行うところを本当に見たいと願った。
ヘロデの前にイエスが連れて来られると、四分領太守は、イエスの堂々とした風情と穏やかな相貌の平静さに驚いた。およそ15分間、ヘロデは、イエスに質問したが、あるじは答えようとはしなかった。ヘロデは、イエスを嘲り、奇跡を演じてみろと言ったが、かれは、その多くの質問に答えもしないし、その嘲りに応じようともしなかった。
すると、ヘロデは、祭司長とサドカイ派に振り向いて、彼らの告発に耳を傾け、ピーラトゥスが聞いた全てとそれ以上の人の息子の嫌疑のかかった悪行について聞いた。最後に、イエスが話をするつもりも奇跡を演じるつもりもないと確信して、ヘロデは、しばらく彼をからかった後、イエスに王の古い紫衣を着せ、ピーラトゥスに送り返した。ユダヤにおいては、ヘロデは、イエスに対する何の司法権もないことを承知していた。それにしても、とうとうイエスがガリラヤから取り除かれるということを信じて喜び、イエスを殺す責任を持つのは、ピーラトゥスであるということを有り難く感じた。ヘロデは、洗礼者ヨハネ殺害からの呪われた恐怖から完全に立ち直ることはなかった。ヘロデは、ある時にはイエスが死から甦ったヨハネであると恐れさえした。そのとき、かれは、イエスが、率直に物を言ったり、自分の私生活を暴いたりして糾弾する熱烈な予言者とはかなり異なる種類の者であることを観測したので、その恐怖から解き放たれた。
衛兵がイエスをピーラトゥスのところに連れ戻ると、ピーラトゥスは、プラエトリュウムの正面階段に出ていった。そこには彼の判事席がすでに置かれており、ピーラトゥスは、祭司長とシネヅリオン会員とを共に呼び寄せて言った。「お前等は、民衆を堕落させ、納税を禁じ、ユダヤ人の王であると主張するという罪状でこの男を連れて来た。調べてみたがこれらの罪状に関する罪を認めることができない。実際、この男には何の罪もない。そこで、ヘロデのところに送ったが、四分領太守は、我々にこの男を送り返してきたので、同じ結論に達したに違いない。確かに、この男は、死に相応しい何もしていない。もし、それでもこの男が罰せられる必要があると思うならば、釈放する前に喜んで彼を折檻しよう。」
ちょうどユダヤ人達が、イエスの放免に対する抗議の叫びを始めようとしたとき、夥しい規模の群衆が、過ぎ越しに敬意をはらい、ピーラトゥスに囚人の放免を求める目的でプラエトリュウムへと行進して来た。しばらくの間、過ぎ越しの時に赦免するために投獄されたり、有罪となった者を数人大衆に選ばせるのが、ローマ総督の習慣であった。そして、そのとき、この群衆が、囚人の放免を求めにやってきて、イエスは、最近ずっと群衆に非常に気に入られていたことから、また、そのときイエスは、判事席の前の囚人であったので、過ぎ越しの善意の象徴としてガリラヤのこの男を解き放つことをこの1団に提案することで、自分の難局から抜け出せるかもしれないということが、ピーラトゥスの心に浮かんだ。
ピーラトゥスは、群衆が建物の階段に押し寄せて来てバーアッバスという名前を大声で呼んでいるのを聞いた。バー・アッバスは、祭司の息子で、最近、イェリーホ街道で強盗と殺人行為で逮捕された名の知れた政治運動家で殺人強盗であった。この男は、過ぎ越しの祭礼が終わり次第すぐ死ぬ宣告を受けていた。
ピーラトゥスは、立ち上がって群衆に向かってイエスが特定の罪状で彼を処刑させようとした祭司長等に連れて来られたということ、またこの男は、死に値すると、自分は考えないと説明した。ピーラトゥスは、「以上のことにより、この殺人者バーアッバスか、あるいは、ガリラヤのこのイエスのいずれの釈放を私に望むのか。」と言った。ピーラトゥスがこう話すと、祭司長とシネヅリオン派議員達は皆、「バーアッバス、バーアッバス」と声を限りに叫んだ。そして、祭司長達がイエスを殺させる気でいることを知ると、人々は、すぐにイエスの命を要求する騒ぎに参加し、バーアッバスの釈放を大声で叫んだ。
この数日前、群衆は、イエスを畏敬したのだが、現在、祭司長と支配者達に預けられており、ピーラトゥスの前で命にかかわる裁判中であると分かると、野次馬は、神の息子であると主張した者を尊敬しなかった。人民の目には、イエスが両替商と商人達を寺院から追い払ったときは、英雄でありえたのだが、敵の掌中にあり、命がけの裁判にある無抵抗の囚人であるときは、そうではなかった。
ピーラトゥスは、祭司長等が、イエスの血を求めて大声で叫ぶ一方で、悪名高い殺人者の許しのために騒ぎ立てる光景に腹が立った。祭司長等の悪意と憎しみを見て、その偏見と嫉妬を知覚した。そこで、彼らに言った。「お前たちは、どうして、最悪の犯罪が自らを比喩的にユダヤ人の王と呼ぶこの男よりも殺人者の命を選べるのか。」しかし、これはピーラトゥスが述べるには賢明な所見ではなかった。ユダヤ人は、誇り高い民族で、現在は、ローマの政治の頚木に服従してはいるが、力と栄光の見事な顕示を伴い、非ユダヤ人の束縛から自分等を救い出す救世主の来ることを期待していた。ピーラトゥスが知り得る以上に、かれらは、現在逮捕されて死に値する罪に問われている奇妙な主義を教えるこの温和な態度の教師が、「ユダヤ人の王」と呼ばれなければならない仄めかしに憤慨していた。そのような一言は、国家存在上、彼らが神聖かつ立派に保持したすべてに対する侮辱と見なし、したがって、彼らは全員、バーアッバスの釈放とイエスの死を求めて勢いのある叫び声を放つのであった。
ピーラトゥスには、イエスが告発された罪を犯していないことが分かっており、正当で勇敢な裁判官であったならば、彼を免罪し、自由にしていたことであろう。しかし、ピーラトゥスが、怒ったこれらのユダヤ人に逆らうことを恐れ、自分の義務を果たすことをためらっている間、使者が来て妻のクラウディアからの密封された伝言が彼に渡された。
ピーラトゥスは、事態進行を続ける前に、今受け取ったばかりの便りを読みたいと、自分の周りにいる者達に簡単に述べた。妻からのこの手紙を開封して読んだ。「この潔白で公正なイエスと呼ばれる人に、あなたが何の関係もないことを願っております。その人のために、私は今宵夢の中で多くの事に苦しんだのです。」クラウディアからのこの短い手紙は、ピーラトゥスを大いに動揺させ、そのために、この事件の判決を遅らせたばかりではなく、それはまた、運悪く、ユダヤ人支配者達が自由に群衆の中を歩き回ってバーアッバスの釈放を求め、イエスの磔を求めるように人々に促すかなりの時間をも与えた。
遂にピーラトゥスは、ユダヤの支配者達と恩赦を求める群衆の混合集会に「わしは、ユダヤ人の王と呼ばれる男をどうするのか。」と尋ね、もう一度自分に相対していた問題の解決に取り組んだ。すると、皆は、一斉に「磔だ、磔だ。」と叫んだ。雑多な群衆のこの要求の完全な一致が、ピーラトゥスを、不当で恐怖に支配されている裁判官を、驚かせ警戒させた。
そこでもう一度、ピーラトゥスは、「なぜこの男を磔にしたいのか。どんな悪をしでかしたのか。誰がこの男に不利な証言をするために進み出るのか。」と訊いた。しかし、ピーラトゥスがイエスの弁護をするのを聞くと、皆は、「磔だ、磔だ。」と一入大声で叫ぶばかりであった。
ピーラトゥスは、またもや、過ぎ越しの囚人釈放に関して群衆に訴えた。「もう一度尋ねる、この過ぎ越しの機会にいずれの囚人を釈放しようか。」すると、再度、群衆は、「バーアッバスを放せ。」と叫んだ。
そこでピーラトゥスは言った。「殺人者、バーアッバスを釈放するのなら、イエスはいかにするのか。」群衆は、もう一度、「磔だ、磔だ。」と一斉に叫んだ。
ピーラトゥスは、祭司長とシネヅリオン派議員の直接の指揮の下に行動している暴徒の執拗な喧騒に威嚇されていた。それでも、かれは、少なくとも群衆を静め、イエスを救うもう一つの試みを決めた。
そのすべてが、この金曜日の早朝ピーラトゥスの前で、イエスの敵だけの参加で、起きていた。イエスの多くの友人は、まだ夜のうちの彼の逮捕も、早朝の裁判についても知らないか、そうでなくとも、かれらは、イエスの教えを信じているので、死に値するとして自身が逮捕されないように潜んでいた。今あるじの死を喧しく要求する群衆の中には、イエスの不倶戴天の敵、そして容易く導かれる軽率な民衆だけがいた。
ピーラトゥスは、彼らの同情に最後の訴えをしようとした。かれは、イエスの血を求めて叫ぶこの惑わされた暴徒の騒ぎに逆らうことを恐れており、ユダヤ衛兵とローマ兵士にイエスを連れて行き、鞭打つように命令した。ローマ法は、磔で死ぬ刑を受けた者だけがこのように鞭打ちされると定められていたのであるから、これ自体が、不当で不法な手順であった。衛兵達は、この厳しい試練のためにイエスをプラエトリュウムの覆いのない中庭に連れていった。イエスの敵はこの鞭打ちを目撃はしなかったが、ピーラトゥスはした。そして、このひどい虐待が終わる前に鞭打ちを止めるように命じて、イエスを自分のところに連れて来るように指図した。処刑執行人達は、鞭打ち用の柱に縛りつけられたイエスに結び目のある鞭を打ち下ろす前に、再びイエスに紫衣を着せ、刺の王冠を編み、それを額の上に置いた。その上、まがいものの笏として手に葦を持たせると、かれらは、イエスの前に跪き、「万才、ユダヤの王様」と言って嘲った。それから唾を吐き掛け、イエスの顔を手で叩いた。そのうちの1人は、イエスをピーラトゥスに返す前に、その手から葦を取り彼の頭を叩いた。
それからピーラトゥスは、この出血し、傷ついた囚人を連れ出してきて、雑多な群衆に示しながら「男を見よ。この男に何の罪も見つけなかったと、またもや宣言する。それに、鞭打ったので釈放しようと思う。」と言った。
そこには、優しい額を突き刺す茨の王冠に古い紫色の王衣を着せられたナザレのイエスが立っていた。その顔は血みどろで、その姿は苦しみと深い悲しみで前屈していた。しかし、激しい感情的な憎しみと宗教偏見への奴隷の犠牲者であるそれらの者達の無感覚な心には何も訴えることはできない。この光景は、広大な宇宙の領域に甚だしい戦慄を走らせたが、イエスの破滅をもたらす意を決した者達の心には触れなかった。
群衆は、あるじの有り様を見る最初の衝撃から立ち直ると、前よりも大声でしかも長い間、「磔だ、磔だ、磔だ。」と叫ぶだけであった。
そして、そのとき、ピーラトゥスは、自分が思い込んでいた群衆の哀れみの気持ちに訴えることが無益であることを理解した。かれは、前進して、言った。「お前達は、この男を死なせる決心をしていると察するが、彼は死に値する何をしたのか。誰がこの男の罪状を申し立てるのか。」
そこで、大祭司自身が前に進み出て、ピーラトゥスのところに行き、立腹して申し立てた。「我々には、神聖な法があり、自らを神の息子に仕立て上げたが故に、この男は、その法により、死ぬべきであります。」ピーラトゥスは、これを聞くと、ユダヤ人ばかりではなく、妻の注意と神が地球に下りて来るというギリシア神話を思い出し、一層恐れ、イエスがことによると神の人の姿であるかもしれないという考えにそのとき震えた。ピーラトゥスは、イエスの腕をとり、さらに調べられるように建物の中に再び引き入れていきながら、平和の保持のために群衆に手を振った。ピーラトゥスは、恐怖に混乱し、迷信にうろたえ、暴徒の頑固な態度に悩んでいる最中であった。
ピーラトゥスは、恐ろしい感情に震え、イエスの側に座りながら質問した。「お前はどこから来たのか。本当は、誰なのか。これはどういうことだ、お前が神の息子であると皆が言うのは。」
しかし、全ての罪状において無実であると宣言したときにさえ、その上、法に従い死の判決を下される前に鞭打ちにかけるほどに不当であった者、人を恐れ、弱気で動揺している裁判官のそのような質問に、イエスは、はほとんど答えることができなかった。イエスは、まっすぐピーラトゥスの顔を見たが、返答はしなかった。その時、ピーラトゥスが言った。「私に話すのを拒否するのか。私にはまだお前を釈放するか、もしくは磔にする力があるとは悟らないのか。」そこで、イエスが言った。「上から許されない限り、君に私を支配する力はない。天の父が許さない限り、君は、人の息子に対し権威を行使することはできない。だが、君は、福音を知らないのであるからそれほど罪はない。私を裏切った者、また君を私のところまで届けた者、彼らにはより大きな罪がある。」
イエスとのこの最後の接見は、ピーラトゥスをすっかり怯えさせた。この道徳上の憶病者、司法上の虚弱者は、イエスへの迷信的な恐れとユダヤ人支配者への非常な畏怖の二重の重みに苦しんでいた。
ピーラトゥスは、再び群衆の前に現れて言った。「この男は、宗教犯罪者に過ぎないことは確かである。この男を連れて行き、お前達の法律によって裁くべきである。この男がお前達の習わしと衝突してきたからという理由で、なぜ私にその死の承諾を期待しなければならないのだ。」
カイアファス、大祭司が、ピーラトゥスの顔に復讐に指を震わせながら臆病なローマの裁判官に近づいて、群衆全体が聞くことのできる立腹の言葉で言ったときには、ピーラトゥスは、イエスを釈放する用意がほとんどできていた。「もしこの男を釈放するのなら、あなたはケーサーの友人ではない。また、皇帝がすべてを知るようにするつもりである。」この公の脅迫は、ピーラトゥスの手に負えなかった。自分の個人の財産に対する恐怖が、そのとき他のすべての考慮すべき事柄を覆い隠した。臆病な総督は、判事席の前にイエスを連れ出すように命じた。あるじがそれらの前にそこに立つと、ピーラトゥスは、イエスを指差して、「お前等の王を見よ。」と嘲て言った。すると、ユダヤ人達は答えた。「追い払え。磔だ。」そこで、ピーラトゥスは、たっぷりの皮肉と嫌味で「お前達の王を磔にしようか。」と言った。ユダヤ人達は、「そうだ、磔にしよう。我々には、ケーサー以外にどんな王もいない。」と答えた。ピーラトゥスは、ユダヤ人に逆らう気持がなかったので、イエスを救う何の望みもないと分かった。
そこに、人の息子として人間の姿をした神の息子が立っていた。神の息子は、告発なくして逮捕された。証拠なくして起訴された。証人なくして宣告された。評決なくして罰っせられた。そして、そのとき、何の罪も見いだせないと認めた不当な裁判官により、かれは、間もなく死の判決を下されるところであった。もしピーラトゥスが、「ユダヤ人の王」とイエスを呼ぶことにより彼らの愛国心に訴えようと考えたのであれば、彼は完全に失敗した。ユダヤ人は、少しもそのような王を期待してはいなかった。「我々には、ケーサー以外にどんな王もいない。」という祭司長とサドカイ派の宣言は、考えのない大衆にとってさえ強い衝撃であったが、たとえ暴徒があるじの主義を信奉したとしても、そのときイエスを救うには遅過ぎた。
ピーラトゥスは、騒動または暴動を恐れた。エルサレムでの過ぎ越しの際にそのような攪乱の起こる危険を冒す勇気はなかった。かれは、最近ケーサーから叱責を受けたばかりであり、もう1つ危険を冒すつもりはなかった。ピーラトゥスがバーアッバスの釈放を命じると、暴徒は歓声をあげた。それから、かれは、盥と水を注文し、群衆の前で、手を洗いながら言った。「私には、この男の流血の罪はない。お前達は、彼を死なせる決心をしているが、私は、この男に何の罪も見つけなかった。自分達で始末をするがよい。兵士がこの男を引き連れて行く。」そこで、暴徒は、「彼の血が我々と子孫にかかってもよい。」と喝采して応じた。
イエスとその告発者達がヘロデに会うために出発し始めたとき、あるじは、ヨハネの方に向いて言った。「ヨハネ、これ以上私のために何もすることはできない。私の母のところに行き、私が死ぬ前に会いに連れて来なさい。」あるじの頼みを聞くと、敵の中に放っておくことには気が重かったが、ベサニアへと急いだ。そこには、イエスの全家族が、イエスが死から甦らせたラーザロスの姉妹マールサとマリアの家で待機のために呼び寄せられていた。
午前中に何度か、使者達が、イエスの裁判の進行状態の知らせをマールサとマリアに届けて来た。しかし、殺される前に母に会うというイエスの要求を携え、到着するほんの数分前まで、イエスの家族は、ベサニアには達していなかった。ヨハネ・ゼベダイオスが、真夜中のイエスの逮捕以来起きたすべてを皆に伝えた後、イエスの母マリアは、長男に会うためにすぐにヨハネと出掛けた。マリアとヨハネが都に着くまでには、イエスは、磔にしようするローマ兵士に伴われて、すでにゴルゴサに到着していた。
イエスの母マリアが、ヨハネと息子の元へ行きかけると、妹ルースは、残りの家族と留まることを拒否した。彼女が母に同伴すると決心していたので、兄ユダは、彼女と一緒に行った。あるじの残りの家族は、ジェームスの指示のもとにベサニアに残り、ほとんど1時間毎に、ダーヴィド・ゼベダイオスの使者が、ナザレのイエス、一番年上の兄を死においやる恐ろしい出来事の進行状況に関する報告をもたらした。
ピーラトゥスの前でのイエスの公聴会が終わり、あるじを磔にするローマ兵士の拘留に任されたのは、この金曜日の朝の8時半頃であった。ローマ人がイエスを獲得するとすぐに、ユダヤ衛兵長は、部下と寺院の本部へと行進して戻った。祭司長とそのシネヅリオン会員は、衛兵のすぐ後をつけ、直接に寺院の切り石の講堂にある通常の会合場所へと向かった。ここで、彼らは、他の多くのシネヅリオン会員が、イエスに何が為されてきたかを知るために待っているのが分かった。カイアファスが、シネヅリオン派にイエスの裁判と有罪宣告に関する報告をしていると、ユダは、あるじの逮捕と死の宣告で果たした役割の報酬代金を要求するために皆の前に出向いた。
これらのユダヤ人は皆、ユダを嫌った。裏切り者を全くの軽蔑の感情だけで見た。ユダは、カイアファスの前でのイエスの公判中、それにピーラトゥスの前でのイエスの出頭の間、自己の反逆行為に関して良心の呵責を感じていた。そして、イエスへの裏切り者の働きに対する支払いとして受け取るはずの報酬に関しても幾らか幻滅を感じ始めていた。かれは、ユダヤ人当局の冷淡さと余所余所しさが気に入らないにもかかわらず、自分の臆病な行為に対して気前のよい報酬を期待していた。ユダは、シネヅリオン派全会員の前に呼び出され、立派な働きの印として相応しい名誉が与えられると共に、そこで称賛されることを予期した。したがって、高僧の使用人が、ユダの肩を叩き、講堂のすぐ外で呼び、次のように言ったときのこの利己的反逆者の格段の驚きを想像してみなさい。「ユダ、私は、イエスへの裏切りに対する支払いを任された。これがお前の報酬である。」こう言うとカイアファスの使用人は、ユダに30枚—使いものになる健康な奴隷の時価に相当—の銀の入った袋を手渡した。
ユダは、唖然として驚いた。かれは、講堂に入ろうと急いで戻ったが、門番に妨げられた。シネヅリオン派に訴えたかったのだが、彼らは、認めようとはしなかった。ユダヤ人のこれらの支配者達が、友人とあるじへの背信行為を仕向けておき、銀30枚を報酬として与えるということが、ユダには信じられなかった。ユダは、辱しめられ、幻滅を感じて完全に押し潰された。まるで、かれは、昏睡状態にあるかのように寺院から歩き去った。金の袋をポケットに、使徒の基金を入れ自分がずっと長い間運んでいたその同じポケットの奥深くに入れた。そして、かれは、磔を目撃しに行く途中の群衆の後ろについて都中を当てもなく歩き回った。
ユダは、彼らがその上にイエスを打ち付けた状態で上げる十字架の一部を遠方から見た。これを見て、かれは、寺院に急いで戻り、門番を押し退けて、気付くとまだ開会中のシネヅリオン派の前に立っていた。裏切り者は、息が切れるほどに非常に取り乱していたが、次の言葉を吃ってなんとか言うことができた。「私は、潔白な血を陥れ罪を犯した。あなたは、私を侮辱した。あなたは、私の働きの報酬として金銭—奴隷の価格—を申し出た。私は、自分がしてしまったことを悔悟している。これは、あなたの金である。私はこの罪の行為から逃がれたい。」
ユダヤ人の支配者達は、ユダの言葉を聞くと嘲り笑った。立っているユダの近くに座っていたその中の1人は、講堂を出るようにという合図をして言った。「お前のあるじは、すでにローマ人に殺された。お前の罪に対して、それが我々に何であるというのか。自分で始末をつけろ—そして、立ち去れ。」
シネヅリオン派の広間を出るとき、ユダは、袋から30枚の銀を取り出し、寺院の床一ぱいに投げた。裏切り者は、寺院を出るとき気が狂わんばかりであった。ユダは、そのとき罪の真の特質の認識を経験をしているところであった。悪行のすべての魅力、魅惑、陶酔は消え失せた。悪を働く者は、そのとき幻滅、し、失望した自分の魂の裁きの決定に1人で直面していた。罪は、犯すに当たっては魅惑的であり、冒険的であったが、そのとき、むき出しの、そして不様な事実の収穫に直面しなければならなかった。
地球における天の王国のかつてのこの大使は、見捨てられ、孤独で、そのとき、エルサレムの路上を歩いて通り抜けた。彼の絶望感は、自暴自棄であり、ほぼ絶対的であった。かれは、都を通り抜け壁の外を旅しつづけ、凄まじく幽境であるヒッノムの谷へと下り、そこで急な岩を登り、外套の帯を取り、片端を小さい木に縛り、もう片方を自分の首の回りに結び絶壁から身を投じた。恐れる手で縛った結び目は、死に至る前に解け、裏切り者の身体は、のこぎりのような岩に落ちたとき、粉々に打ち砕かれた。
逮捕時に、イエスは、人間の姿での、地球での仕事が終わるのを知っていた。かれは、自分が遂げるであろう死の種類を完全に理解しており、いわゆる裁判の詳細にはあまり関心がなかった。
シネヅリオン派の法廷の前に、イエスは、偽証する目撃者の証言に答えることを拒否した。敵あるいは味方に尋ねられるか否かに関係なく、必ず答えを引き出すたった1つの質問しかなく、それは、地球でのイエスの任務の種類と神性に関するものであった。神の息子であるかと尋ねられると、イエスは必ず答えた。かれは、好奇心が強く腹黒いヘロデの面前では話すことをきっぱりと拒否した。ピーラトゥスの前では、自分が言うことによりピーラトゥス、あるいは他の誠実な人が、真実に関してより良い知識に助けられるかもしれないと思うときにだけ話した。イエスは、豚に真珠を投げ与える無駄を使徒に教えてきた。そして、かれは、そのとき自分が教えたことを敢行したのであった。このときのイエスの行為は、人間性の我慢強い服従と結びついた神性の堂々たる沈黙と厳かな威厳を例示した。イエスは、概して自分が告発をうけた政治的な告訴に関連するどんな問題についても—総督の司法権に属すとイエスが認めるどんな問題も—ピーラトゥスと論じる気があった。
イエスは、死ぬ運命にある他のあらゆる被創造者が、そうしなければならないように、人間の出来事の自然で通常の出来事を甘んじて受けることが父の意志であると確信しており、それゆえ、社会的には近視眼的で、精霊的には盲目的である仲間の人間の陰謀の結果に影響を及ぼすために純粋に人間の力である説得力のある雄弁ささえ行使することを拒否した。イエスは、ユランチアで生きて、死んだが、人間としての初めから終わりまのその全経歴は、彼の創造と不断の支持をする全宇宙に影響をおよぼし、そして教えるように考案された光景であった。
国家—イエスの地球の父自身の民族—の滅亡の場面に目を向けながらイエスが恐ろしいほどの沈黙でそこに立つ傍らで、これらの近視眼的なユダヤ人は、あるじの死を見苦しく騒ぎ立てていた。。
イエスは、継続的で理由のない侮辱に直面して、その落ち着きを維持し、その威厳を主張することができる種類の人間の資質を身につけていた。かれは、威圧されることはなかった。最初にハナンージャの使用人に攻め立てられたとき、かれは、正式に自分に対して証言をできるかもしれない目撃者を喚問する適正さを提案するだけであった。
最初から最後まで、ピーラトゥスの前でのいわゆるイエスの裁判では、見物中の天の軍勢は、宇宙に「イエスの前のピーラトゥスの裁判」の場面の描写を広報することを抑えることができなかった。
カイアファスの前で、そしてすべての偽証が崩れてしまったとき、イエスは、祭司長の質問に答えることを躊躇わなかった。その結果、彼らが冒涜による有罪宣告を下すための根拠として望んだ彼自身の証言を提供した。
あるじは、決して自分を釈放するためのピーラトゥスの善意からではあるが、熱心さに欠ける努力に少しの関心も示さなかった。イエスは、ピーラトゥスを本当に哀み、その暗い心を啓発することに心から努力を払った。イエスは、自分に対する告発を取り下げるというユダヤ人へのローマ総督の訴えに完全に受動的であった。すべての悲しい試練を通して、かれには、単なる威厳とひけらかすことのない壮大さがあった。「ユダヤの王」であるのかと彼らが尋ねるとき、かれは、殺人者になりたがる者達へ邪な批難を投げつけようとはしなかった。彼等がイエスの拒絶を選びはしたものの、精霊的な意味においてさえ、自分が、真の国家指導力を彼らに提供する最後の者であろうということを知りつつ、ほとんど適切な説明なしにその称号を受け入れた。
イエスは、これらの裁判中ほとんど何も言わなかったが、人が、神との協力で完成することのできる人間の性格の種類をすべての必滅者に示すために、またそのような被創造者が父の意志を為すことを真に選ぶことで生きる神の活動的な息子になるとき、神が人間の生活において顕示することのできる方法を全宇宙に明らかにすることを充分に示した。
無知な必滅者に対するイエスの愛は、粗野な兵士や軽率な使用人達の嘲笑、ちょうちゃく、連打をものともしないその忍耐とみごとな落ち着きによって完全に示されている。かれは、目隠しをされ、嘲笑的に顔を叩かれ、「お前を打ったのは誰か予言してみよ。」と叫ばれても立腹すらしなかった。
イエスの群衆の前でのむち打ちの後、ピーラトゥスは、イエスを紹介して「男を見よ。」と大声で言ったとき、自分が知る以上に本当に誠実に群衆に言い渡した。恐れに支配されたローマ総督は、まさしくその瞬間に、宇宙が、そのいとしい君主が、陰欝で品位を落とした人間の臣下の嘲りや強打に晒されているこの唯一無二の場面を見つめながら、不動の姿勢で耐えているとは、実に、夢にも思わなかった。そして、ピーラトゥスが言ったとき、「神と人を見よ」が、全ネバドンに反響した。宇宙の津々浦々、夥しい数の者が、その日以来ずっとその男を見続けており、一方、ハヴォナの神、宇宙の中の宇宙の最高支配者は、そのナザレの男を時間と空間のこの地域宇宙の理想の人間の実現として受け入れる。イエスは、その無比の人生で、人に神を明らかにすることを決して止めなかった。そのとき、彼の人間の経歴の最終的なこれらの出来事とその次にくる死において、イエスは、神に人の新たで感動的な顕示をした。
イエスがピーラトゥスの前での審理の終わりにローマ兵士達に引き渡された直後、寺院の護衛兵の分隊は、あるじの追随者達を分散させるか、逮捕するためにゲッセマネへと大急ぎで向かった。しかし、それらの到着のずっと以前に、これらの追随者達は、離散していた。使徒達は、指定された隠れ場所に退いた。ギリシア人達は、エルサレムの様々な家に別々に行った。他の弟子達は、同様に姿を消していった。ダーヴィド・ゼベダイオスは、イエスの敵が戻ってくると思っていた。そのため、あるじが祈りと崇拝のためにたびたび退いた峡谷近くで5、6張りの天幕を早目に取り払った。かれは、ここに隠れ、同時に使者活動のための本部、調整所を維持するつもりであった。ダーヴィドが、宿営所を去るやいなや、寺院の衛兵達が到着した。誰もそこに居ないと分かると、かれらは、野営場を燃やすことに満足し、それから寺院に急いで戻った。シネヅリオン派は、報告を聞くと、イエスの追随者が、何の暴動も、あるいは死刑執行人の手からイエスを救ういかなる試みもないほどにすっかり怯えて鎮圧されたことに満足した。彼らは、遂に楽に息ができるようになったので散会し、それぞれに過ぎ越しの用意のため帰っていった。
一人の使者は、イエスが磔のためにピーラトゥスからローマ軍人に引き渡されるとすぐに、デヴィッドに知らせるためにゲッセマネへと急ぐと共に、5分以内に伝令走者が、それぞれにベスサイダ、ペラ、フィラデルフィア、シドーン、シェケム、ヘブロン、ダマスカス、アレキサンドリアヘと向かった。これらの使者は、ユダヤの支配者のしつこい強要でイエスがローマ人に磔にされようとしているという知らせを伝えた。
この悲劇の1日中、ダーヴィドは、あるじが墓に横たえられたという知らせが最後に発せられるまで、使徒、ギリシア人、それにベサニアのラーザロスの家に集まったイエスの地球の家族等におよそ30分毎に使者を送った。イエスが埋葬されたという知らせを携えて使者達が出発する際、ダーヴィドは、彼らに日曜日の朝静かにニコーデモスの家で報告するように指示をし、過ぎ越しの祝賀と来る安息日のために地元の伝令走者隊を解散させ、自身は、ニコーデモスの家で数日間、アンドレアスとシーモン・ペトロスと共に潜んでいようと提案した。
この風変わりな気質のダーヴィド・ゼベダイオスは、死んで、「3日目に再び蘇る」というあるじのありのままの主張を文字通り簡単に受け入れようと思ったイエスの指導的な弟子の中の唯一の人物であった。ダーヴィドは、いったんこの予言を聞くと、文字通り受け取る傾向にあり、イエスが蘇えるならば、間近にいてその知らせを直ぐに伝えられるように日曜日の早朝、ニコーデモスの家に集まるように使者達にそのとき命じた。ダーヴィドは、追随者の誰1人としてイエスがそれほど早く墓から戻ることを期待していないとすぐに気づいた。したがって、金曜日の午前、遠方の街や信者の中心地に急派された伝令走者を除いては、自分の所信と日曜日の早朝の全使者隊の機動力について何も言わなかった。
したがって、エルサレムとその全近郊に離散していたイエスのこれらの追随者は、その夜過ぎ越しを相伴し、その翌日は隔離状態のままでいた。
ピーラトゥスは、群衆の前で手を洗い、ユダヤ人支配者達の騒ぎに抵抗することを恐れ、磔にされようとしている潔白な者を引き渡す罪悪感からこのように逃げようとした後、あるじをローマ兵士に引き渡すように命令し、すぐに磔にされることになっているのだとその隊長に命令した。イエスを引き取った兵士等は、彼を執政所の中庭に連れ戻り、ヘロデが着せた衣を脱がせ、イエス自身の衣類を着せた。兵士等は、イエスを馬鹿にし、嗤笑はしたが、さらなる体罰は与えなかった。イエスはそのとき、これらのローマ兵士とだけいた。友人等は身を隠していた。敵は、それぞれの方角に行き、ヨハネ・ゼベダイオスさえ最早その側にはいなかった。
ピーラトゥスが兵士にイエスを引き渡したのは8時少し後で、磔の場面に出発したのは9時少し前であった。この間の半時間以上、イエスは、決して一言も話さなかった。大宇宙の業務活動は、実際停止していた。ガブリエルとネバドンの主な支配者達は、ここユランチアに集められるか、さもなければ、ユランチアで人の息子に起きていることに関して助言を受ける努力において大天使の宇宙報告にしっかりと聞き入っていた。
兵士がイエスとのゴルゴサへの出発準備ができる頃には、かれらは、イエスの稀なる落ち着きと並はずれた威厳、すなわち不平を伴わない沈黙に感銘を受け始めた。
磔場所へのイエスとの出発の遅れの大部分は、死を言い渡された2人の盗賊を連れて行くという最後の瞬間の隊長の決定のためであった。イエスがその朝、磔にされることになっていたときから、ローマ隊長は、これらの2人が過ぎ越しの祭礼の終わりを待つのも、イエスと共に死ぬのも同じであると考えた。
盗賊達は、用意ができるとすぐに中庭に導かれ、そこでイエスをじっと見つめた。2人のうち1人は初めてだあったが、他の1人は、寺院の中と何カ月も前にペラ宿営所の2か所でイエスが話すのをしばしば聞いたことがあった。
イエスの死とユダヤ人の過ぎ越しとには何の直接的な関係はない。あるじが、この日ユダヤ人の過ぎ越しに向けての準備の日に、また寺院での過ぎ越しの子羊の生贄を捧げる時間近くに肉体におけるその人生を捨てたのは本当である。しかし、この偶然の一致による出来事は、地球における人の息子の死が、ユダヤ人の生贄の制度との何らかの関係があるということをいかなる方法でも示してはいない。イエスは、ユダヤ人ではあったが、人の息子としてその領域の必滅者であった。あるじの差し迫る磔のこの時間までにすでに語られ、また次第に積み重ねられてきた出来事は、ほぼそのときイエスの死は、全く自然で、そして人がやってのけた出来事であるということを示すに充分である。
十字架上でのイエスの死を計画し実行したのは、人であり神ではなかった。神が、ユランチアでの人間の事象の進行を妨げることを拒否するということは、本当であるが、それが、地球で実行されたようには楽園の父は、自分の息子の死を布告したり、要求したり、また、必要とはしなかった。遅かれ早かれ、何らかの方法で、イエスがその人間の肉体の自分自身を、すなわち、具現化の肉体を投げ出さなければならなかったことは、事実であるが、2人の盗賊の間の十字架上の死でなくとも、数え切れない方法でそのような課題が実行できたのは事実である。この総ては、人の行為であり、神のものではなかった。
あるじの洗礼時点で、第7の、しかも最後の宇宙贈与の成就に必要な地球での、かつ肉体での必要な経験の技をすでに完成していた。まさしくこの時に地球でのイエスの義務が果たされた。その後にイエスが生きた全人生が、彼の死の手段でさえ、この世界と、次の世界の必滅の被創造者の幸福と高揚のための純粋にイエスの個人的な活動であった。
信仰により、必滅の運命にある者が、神の息子であるということを精霊で認識するようになるかもしれないという朗報の福音は、イエスの死に依存をしてはいない。全く、本当に、王国のこの福音全てが、あるじの死によって非常に照らされてきているが、その人生によってはなおさらにそうである。
この世で人の息子が言ったり、あるいは為したすべては、神との息子性、そして人の兄弟愛の主義を大いに美化したが、神と人とのこれらの不可欠な関係は、彼の被創造者への神の愛と神性の息子本来の慈悲に固有である。この世界での、また宇宙の中の他の宇宙の全てを通じて、人とその造物主との感動的で神々しく美しいこれらの関係は、無限の過去からずっと存在していた。かれらは、それぞれの地方宇宙に対する制限のない主権の最終的な獲得に支払わなければならない代償の一部として創造された有識者の本質と類似をこのように身につける神の創造者たる息子達のこれらの周期的な贈与の制定にいかなる点でも依存してはいない。
人と神の協同のこの超越した提示の後にそうであったように、天の父は、ユランチアにおけるイエスの生と死の以前とまさしく同じく地球の人間を非常に愛していた。ユランチアの人間としてのネバドンの神の具現のこの強力な出来事は、永遠の、無限の、そして普遍の父の属性を拡大させることはできなかった。しかし、それは、ネバドンの宇宙の他のすべての管理者と被創造者を豊かにし、啓発した。天の父は、マイケルのこの贈与により、我々をより一層愛しはしないが、他のすべての天の有識者は、そうである。そしてこれは、イエスが人に神を顕示をするばかりではなく、神に、そして、宇宙の中の宇宙の天の有識者に人の新しい顕示を同様にしたからである。
イエスは、罪のための犠牲として死ぬつもりでは毛頭ない。かれは、人類の生まれながらの道徳的な罪悪を贖おうとしているのではない。人類は、神の前にそのような何の人種的な罪の意識はない。罪悪は、純粋に個人的な罪の問題であり、そして、父の意志とその息子達の運営意志に対する周知の上の、故意の反逆の問題である。
罪と反逆は、神の楽園の息子達の基本的な贈与計画とは無関係であるとはいえ、救助計画が贈与計画の暫定的な特徴であるように、我々には見える。
イエスが無知な必滅者の残酷な手によって殺されなかったとしても、ユランチアの死すべき者のための神の救済は、全く同じく効果的であったであろう。もしあるじが地球の死すべき者に好意的に受け入れられ、肉体でのその人生の自発的放棄によってユランチアを離れていたならば、神の愛と息子の慈悲の事実—神との息子関係の事実—は、少しも効果をもたらさなかったであろう。あなた方死すべき者は、神の息子であり、そのような真実を個人的な経験で事実にするただ1つのことが要求されており、それは、あなたの精霊から生まれる信仰である。
兵士達は、2人の山賊の用意を済ませると、百人隊長の指示の下、磔場へと出発した。これらの12人の兵士担当の百人隊長は、前夜ローマ兵にゲッセマネでイエスの逮捕を指揮した同じ隊長であった。磔にされる者各自にに4人の兵士を充当するのがローマ軍隊の習慣であった。2人の山賊は、磔に連れ出される前に然るべく鞭打ちをうけたが、イエスには、さらなる体罰は与えられなかった。隊長は、有罪宣告以前にすら、イエスがもはや十分に、苦しめられたと疑う余地なく思った。
イエスと共に磔にされる2人の強盗は、バー アッバスの仲間であり、ピーラトゥスが過ぎ越しの恩赦としてバー アッバスを釈放していなかったならば、その首領と後に殺されたであろうに。イエスは、こうしてバー アッバスの代わりに磔にされた。
イエスが今しようとしていることは、つまり十字架で死に服するということは、自身の自由意志によるものである。この経験を予言してイエスは言った。「私は自分の命を進んで捨てるので、父は私を愛し支えられる。しかし、私はもう一度それを得るつもりである。誰も私からその命を取りはしない—私は自分でそれを捨てるのである。私には、それを捨てる権威があり、それを得る権威がある。私はそのような命令を父から受けた。」
兵士が執政所からゴルゴタにイエスを率いたのは、その朝9時直前であった。イエスに秘かに同情する多くの者がそれらのあとに続いたが、200人の、あるいはそれ以上のこの1団の多くは、単に磔の目撃の衝撃を楽しもうとするだけのイエスの敵か、若しくは好奇心の強い怠け者のいずれかであった。ユダヤ人の指導者の数人だけは、十字架上のイエスの死を見に出かけた。かれがピーラトゥスによってローマ兵士に引き渡されたということ、そして死の宣告を受けたということを知っており、ユダヤ人の指導者等は、寺院での会合で忙しくしており、その会合で追随者達をいかにすべきかについて議論した。
執政所の中庭を去る前、兵士は、横桁をイエスの肩に乗せた。有罪判決を受けた者に磔場まで強要して横桁を運ばせることは、習慣であった。そのような宣告を受けた者は、十字架全体ではなく、この短い方の材木だけを運んだ。3基の十字架の長い真っ直な材木の方は、兵士とその囚人到着までにはすでにゴルゴタに搬送され、しっかりと地面に立てられていた。
習慣に従い、隊長は、炭で犯罪者の名前と宣告を受けた罪名が記された小さな白板を携行して行列を率いた。百人隊長の持つ2人の泥棒名のある掲示の下には、「山賊」と一つの言葉が記されていた。目撃者全員が、宣告を受けた者がいかなる犯罪で磔にされたかが知れるように、犠牲者が横桁に釘づけされ、縦桁上に掲げられた後、この掲示が、十字架の上端に、犯罪者の頭のすぐ上に釘打ちされるのが習慣であった。イエスの十字架につけるために百人隊長が運ぶ銘は、ピーラトゥス自身が、ラテン語、ギリシア語、およびアラメーア語で次のように書いた。「ナザレのイエス—ユダヤ人の王」。
ピーラトゥスがこの銘を書くときにまだ出席していたユダヤ人当局者の何人かは、イエスを「ユダヤ人の王」と呼ぶことに対しさかんな抗議をした。しかし、ピーラトゥスは、そのような告発がイエスの非難の宣告理由に導いた罪の一部であることを彼らに思い出させた。ユダヤ人は、ピーラトゥスの意向を変えるように説き伏せることができないと分かると、少なくとも「『私はユダヤ人の王である。』と自称した。」と変更して書くように嘆願したが、ピーラトゥスは、頑固であった。かれは、書き換えようとしなかった。すべての重なる懇願に、「私が書いことは、私が書いたのだ。」と答えるだけであった。
通常、多くの人が死刑囚を見ることができるように最長の道路経由でゴルゴタに行くのが、習わしであったが、かれらは、この日、都から北に伸びるダマスカスの門への最短の経路を通過した。そして、この道に沿ってエルサレムの公式の磔場であるゴルゴタにすぐに到着した。ゴルゴタの向こうには、金持ちの別荘があり、その道路の反対側には多くの裕福なユダヤ人の墓があった。
磔は、ユダヤ人の罰の様式ではなかった。ギリシア人とローマ人の両方は、この処刑方法をフォイニキア人から学んだ。ヘロデさえ、彼のすべての残酷さでもってしても、磔には頼らなかった。ローマ人は、決してローマ国民を磔にしなかった。奴隷と従属民族だけが、この不名誉な死の様式にかけられた。エルサレムの包囲の間、ちょうどイエスの磔の40年後、ゴルゴタのすべてが、来る日も来る日も、何千もの十字架で覆われ、ユダヤ人種の花がそこで枯れた。誠に、この日の種子蒔きからの残酷な収穫。
死の行列がエルサレムの狭い通り沿いに行くと、元気で思いやりのあるイエスの言葉を聞いたことのある女性、そしてその愛ある活動の人生を知る心優しいユダヤ人女性の多くは、そのような卑劣な死へと導かれているのを見るとき、泣くのを抑えられなかった。イエスが通り過ぎるとき、これらの女性の多くは、深く悲しみ嘆いた。そして、その中の一部が、敢えてイエスの側によってついていくときでさえ、あるじは、彼らに頭を向けて言った。「エルサレムの娘達よ、私のために泣くでない。むしろ、自分のために、子供等のために泣きなさい。私の仕事は終わろうとしている—すぐに、私は父の元へ行く—だが、エルサレムへの凄まじい波瀾の歳月は、ちょうど始まっている。見よ、不妊の女と一度も子に授乳したことのない乳房は幸いだ、とあなたが言う日が接近している。その頃、あなたは、労苦の恐怖からあなたが解放されるように自分の上に丘の岩が落ちることを祈るであろう。」
磔に引き連れられる者に好意的な感情を示すことは厳しく違法であったことから、エルサレムのこれらの女性は、実に勇敢にイエスへの同情を表したのであった。野次馬は、死刑囚を冷やかし、愚弄し、嘲笑することは許されたが、少しの同情も示すことは許されなかった。イエスは、自分の友が身を隠している一方で、この暗黒の時間の同情の表現を評価はしたが、これらの心の優しい女性達が、自分のために同情を示すことにより当局の不快を招いて欲しくはなかった。このような時でさえイエスは、自分自身のことはほとんど考えず、エルサレムと全ユダヤ国家にとっての凄まじい悲劇の時代だけを考えた。
あるじは、磔への道沿いを重い足取りで歩いているとき非常に疲れきって、ほとんど消耗しきっていた。かれは、エーリージャ・マルコスの家での最後の晩餐から食物も水も取っていなかった。かれは、一瞬の睡眠をとることも許されていなかった。肉体的な苦しみと流血を伴う虐待の鞭打ちは言うまでもなく、これに加えて、引き続く聴取が、有罪宣告の時間まであった。なおその上に、極端な精神的な苦悶、深刻な精霊的な緊張、人間の甚だしい寂寞感があった。
都を出る門を通過した直後、横桁を運んでいるイエスがよろめいたとき、その体力がしばらく失われ、かれは重い荷の下敷になった。兵士は怒鳴りつけて彼を蹴ったが、イエスは立ち上がることができなかった。隊長はこれを見ると、イエスがすでに耐えてきたことを知っていて、兵士に止めるように命令した。それから、キレーネからのシーモンという通行人にイエスの肩から横桁を取るように命じ、ゴルゴタまでの残りの道を運ぶように強いた。
この男シーモンは、過ぎ越しに出席するために北アフリカのキレーネからはるばる来ていた。ローマ隊長がイエスの横桁を運べと命令したときは、他のキレーネ人と都の壁のすぐ外側に滞在しており、寺院の礼拝に行く途中であった。シーモンは、多くの友人やイエスの敵と話をして、十字架上のあるじの死の時間の間ずっと居残っていた。シーモンは、復活後とエルサレムを去る前に、王国の福音の勇敢な信者となり、また帰省してからは、家族を天の王国に導いた。2人の息子のアレクサンダーとルーフスは、アフリカでの新しい福音の非常に有能な教師となった。しかし、シーモンは、代わって重荷を運んであげたイエスと、かつて負傷した息子を助けてくれたユダヤ人の家庭教師とが同一人物であることをついぞ知らなかった。
この死の行列がゴルゴタに到着したのは、9時直後であった。ローマ兵士は、2人の山賊と人の息子をそれぞれの十字架に釘づけにする仕事に取り掛かった。
兵士は、まず横桁にあるじの両腕を縄で縛り、次に両手を木に打ちつけた。杭にこの横桁を掲げたとき、そしてしっかりと十字架の縦の材木にそれを打ちつけた後、両足を貫通するように1本の長釘で木に打ちつけた。縦桁には、適当な高さに打ち込まれた大きな掛け釘があり、それは、体重を支えるための鞍のような役割をした。十字架は高くなく、あるじの足は地面からほんの1メートル足らずのところにあった。彼には、したがって、自分が嘲られて言われているそのすべてが聞こえ、その上、そのように軽率に自分を愚弄するすべての人の表情を明らかに見ることができた。また、そこに居合わせた人々は、長引く拷問とゆっくりの死の間にイエスが言った全てを容易に聞くことができた。
磔にされる者からすべての衣服を脱がせるのが習慣であったが、ユダヤ人は、人間の裸体を公共に晒すことには大反対であったので、ローマ人はエルサレムで磔にされるすべての者に対してはつねに適当な腰布を用意した。従って、イエスの衣服が脱がされた後、かれは、十字架につけられる前にそのように装っていた。
磔は残酷で長引かせる罰を与えるために用いられ、その犠牲者は、時には数日間死なずにいた。磔に反対する著しい感情がエルサレムにあり、苦しみを減少させるために薬物を混合した葡萄酒を犠牲者に勧める目的で、常に磔場に代表を送るユダヤ人の女性の結社が存在した。しかし、イエスはこの麻痺させる葡萄酒の味見をしたとき、非常に喉が乾いていたにもかかわらず、かれは、それを飲むことを拒否した。あるじは、まさしくその終わりまで人間の意識を保つことを選んだ。かれは、死に応じることを、この残酷で無慈悲な形態にさえ応じることを、かつ完全な人間の経験への自発的な服従によってそれを征服することを望んでいた。
イエスが十字架につけられる前、2人の山賊は、すでにそれぞれの十字架にかけられており、その間ずっと、死刑執行人に悪態をつき、唾を吐き掛けていた、横桁に打ちつけられるときのイエスの唯一の言葉は、「父よ、彼等をお許しください。自分達のしている事を知らないのですから。」であった。もし慈愛深い献身というそのような考えが寡欲の奉仕のイエスの全人生の主動力でなかったならば、それほどまでに慈悲深く愛情を込めて死刑執行人のために取りなすことはできなかったであろう。生涯についての考え、動機、熱望というものは、危機に際するとき公然と明らかになるものである。
あるじが十字架に掲げられたあと、隊長は、イエスの頭上に称号を釘で留めた。それには3言語で「ナザレのイエス—ユダヤ人の王」とあった。ユダヤ人は、これを侮辱と考えて激怒した。しかし、ピーラトゥスは彼らの無礼な態度に苛立った。かれは、脅迫され、辱しめられたと感じ、些細な報復のこの方法を取った。「イエス、反逆者」と書くことができたのであった。しかし、ピーラトゥスは、エルサレムのこれらのユダヤ人は、ナザレというその名前さえもいかに嫌悪していたかをよく知っていたので、こうして彼らを辱しめることを決意した。かれは、ユダヤ人が、処刑されるガリラヤ人が、「ユダヤ人の王」と呼ばれるのを見て非常に深く傷つけられるであろうことも知っていた。
ピーラトゥスが、いかにイエスの十字架にこの銘文を取りつけるかによって自分達を嘲笑しようとしたかを知ったとき、ユダヤ人指導者の多くは、ゴルゴタへと急いで出掛けたが、ローマ兵士が警備して立っていたのでそれを敢えて取り除こうとはしなかった。これらの指導者は、称号を取り除くことができずに群衆に入り交じり、銘文に深刻な注意を払わないようにし、嘲笑と揶揄を掻き立てるために全力を尽くした。
イエスが十字架上に掲げらた直後、そして、ちょうど隊長があるじの頭上に称号を打ちつけているときに、使徒ヨハネが、イエスの母のマリア、ルース、ユダと到着した。ヨハネは、11人の使徒の中で磔を目撃する唯一の者であったが、イエスの母をその場面に連れて行き、そのすぐ後に自分の母とその友人達を連れ戻るためにエルサレムへと駈けつけたので、彼ですら、その場にはずっといなかった。
イエスは、ヨハネと弟妹といる母を見掛けると微笑んだが、何も言わなかった。あるじの磔に割り振られたた4人の兵士は、習慣通りに、イエスの着用品を、1人は履物、1人は頭布、1人は飾り紐、4人目は外套を分け合った。これで、チュニック、または膝近くまである縫い目のない衣服が残り、4片に裁断されようとするところであったが、兵士達は、それが何と珍しい衣類であるかが分かると籤で決めることにした。衣服を分け合う間、イエスは、兵士達を見下ろしており、考えの足りない群衆は、イエスを嘲った。
ローマ兵士があるじの衣服を手に入れたことは良かった。さもなければ、追随者達がこれらの衣服を手に入れていたならば、迷信的な遺品崇拝に向かったことであろう。あるじは、追随者達が、地球での彼の人生に何の物質的な物を関連づけないことを望んでいた。かれは、父の意志をすることに奉げられる高い精霊的な理想に捧げる人間の人生に関わる思い出だけを人類に残したかった。
この金曜日の朝の9時半過ぎ、イエスは、十字架に掛けられた。11時前、人の息子のこの磔の光景を目撃するために1,000人以上が集まっていた。彼が、被創造者の死に、死刑囚の最も不名誉な死にさえ面していたとき、宇宙の目に見えない軍勢は、恐ろしいこれらの時間を通して、黙って立って、創造者のこの異常な現象を見つめた。
磔の間、前後合わせて十字架の近くに立っていたのは、マリア、ルース、ユダ、ヨハネ、サロメ(ヨハネの母)、それにクロパスの妻であり、イエスの母の姉妹であるマリア、マグダラのマリア、そして、かつてセーフォリスに居住したレベッカを含む熱心な女性信者の一団であった。イエスのこれらの人々と他の友人は、彼の格段の忍耐力と不屈の精神を目撃し、その激しい受難を見つめながら、無言でいた。
通って行く多くの者は、首を振りイエスを罵倒して言った。「寺院を壊し3日間でそれを建て直す奴、自分を救ってみろ。神の息子なら、なぜ十字架から下りてこないのか。」同様に、ユダヤ人の支配者の何人かは、「他人は救ったが、自分は救えない。」と言ってイエスを嘲った。「ユダヤ人の王なら、十字架から下りろ。そうすれば、お前を信じるぞ。」と他の者達は言った。また後には、「あいつは、自分を救ってくれると神を信じた。神の息子であるとさえ言い張った—今あいつを見ろ—2人の強盗の間で磔にされているぞ。」と言って、かれらは、さらに愚弄した。2人の強盗さえも、イエスを罵り非難を浴びせた。
イエスがどんな嘲りにも応じようせず、また特別な準備の日の正午に近づきつつあったことから、からかい嘲っていた群衆の大半は、11時半までにはそれぞれの途についた。50人足らずの者は、その場に留まった。長い臨終をみとるために落ち着いて、兵士達は、そのとき昼食をとり、安価で酸っぱい葡萄酒を飲む準備をした。かれらは、葡萄酒を相伴しながら嘲笑的にイエスに乾杯した。「万才、好運を。ユダヤ人の王に。」そして、兵士達は、その嘲笑と愚弄に対するあるじの寛容性にひどく驚いた。
兵士達の飲食を見たとき、イエスは、彼等を見下ろして「喉が渇いた。」と言った。イエスが「喉が渇いた。」と言うのを聞いた護衛隊長は、自分の瓶から幾らかの葡萄酒を取り、投げ槍の先に浸した海綿の栓を刺し、からからに乾いた唇を潤すことができるようにイエスにそれを差しのべた。
イエスは、超自然の力に頼らず生きることを決意し、同様に、普通の必滅者として十字架で死ぬことを選んだ。人として生き、また、人として死ぬつもりであった—父の意志を為しつつ。
山賊の1人は、「神の息子なら、お前は、なぜお前と俺達を救わないんだ。」とイエスを罵倒した。しかし、この山賊がイエスを責めると、あるじが教えるのをしばしば聞いたもう片方の強盗は、「お前は、神さえも恐れないのか。我々は自分の行いのために当然に苦しんでいるが、この男は、不当に苦しんでいるのが分からないのか。我々は、自分の罪と魂の救済のために許しを請うた方がいいぞ。」イエスは、この強盗がこうを言うのを聞くと、顔を男の方に向けて満足げに微笑んだ。悪人は、イエスの顔が自分に向けられるのを見ると、勇気を奮いおこし、揺らめく信仰の炎を扇いで、「主よ、あなたの王国に入るとき私を思い出してください。」と言った。すると、イエスは、「 誠に、誠に、私は、今日君に言っておこう。君は、いつか楽園で私と共にいるであろう。」と言った。
あるじには、人間の死の激痛の直中にあって、信じる山賊の信仰告白を聞く時間があった。この強盗は、救済を得ようと努めるとき、救出を見つけた。これ以前に、かれは、幾度となくイエスを信じることを強いられてきたが、ただこの最後の意識の数時間にあるじの教えに全心で振り向いた。イエスが十字架上の死に直面する態度を見たとき、この盗賊は、人の息子は本当に神の息子であるという信念にもはや逆らうことができなかった。
イエスによる盗賊のこの改心と王国への受け入れの出来事の間、使徒ヨハネは、磔の場面に母とその友人を連れて来るため都に入っていたので不在であった。ルカスは、後に、改宗したローマの護衛隊長からこの話を聞いた。
使徒ヨハネは、磔に関する出来事を覚えているがままに、その出来事の2/3世紀後に伝えた。他の記録は、見聞したことから後にイエスを信じ、地球での天の王国の完全な親交へと身を投じた勤務に当たっていたローマ百人隊長の詳述に基づいた。
この若者、悔悛した山賊は、政治的な弾圧と社会的な不公正に対する効果的かつ愛国的な抗議としてそのような強盗稼業を持てはやす者達により暴力と悪行の人生へと導かれていた。そして、この種の教え、および冒険への衝動は、その他の点では善意の多くの若者達を、これらの大胆な強盗遠征に参加させた。この青年は、バー アッバスを英雄として見てきた。かれは、そのとき間違いに気づいた。そこ、自分の横の十字架の上に、かれは、本当に偉大な男、本当の英雄を見た。そこには、情熱を燃やし、道徳的な自尊心の最高理念を奮い立たせ、勇気、男らしさ、勇敢さのすべての理想を掻き立てた英雄がいた。イエスを見つめていると、愛、忠誠、真の偉大さの圧倒的な感覚が、青年の心に湧き上がった。
そして、嘲う群衆の中の他の誰かが、その魂の中で信仰の誕生を経験し、イエスの慈悲に訴えていたならば、信じている山賊に向けて示された同じ愛のこもった思いやりが受け入れられたことであっただろう。
悔いた泥棒が、いつか楽園で会うであろうというあるじの約束を聞いた直後、ヨハネが、母と10人を越える女性信者の一団を連れて都から戻ってきた。ヨハネは、イエスの母マリアの身近に場所を定め、彼女を支えた。息子ユダは、反対側に立っていた。イエスがこの光景を見下ろしたときは真昼で、かれは、母に「婦人よ、あなたの息子を見なさい。」と言った、ヨハネには、「我が息子よ、あなたの母を見なさい。」と言った。それから両者に「あなた方が、この場から離れることを望む。」と言った。したがって、ヨハネとユダは、ゴルゴタからマリアを連れ去った。ヨハネは、自分がエルサレムで滞在した場所にイエスの母を連れて行き、それから、磔の現場に急いで戻った。マリアは、過ぎ越しの後にベスサイダに戻った。そこで、彼女は、ヨハネの家で残りの人生を送った。マリアは、イエスの死後1年も生きていなかった。
マリアの出発後、他の女性達は、近くに引き下がり、十字架で息が絶えるまでイエスの側に付き添っていた。そして、あるじの体が埋葬のために引き下ろされる時まで、彼女達は、ずっと立っていた。
季節としてそのような現象には早かったが、12時直後、空は、きめ細かい砂のせいで暗くなった。エルサレムの人々は、これがアラビア砂漠からの熱風を伴う砂嵐の接近を意意味することを知っていた。1時前には、太陽が隠れるほどの暗闇となり、残りの群衆は、急いで都へと戻った。あるじがこの時間のすぐ後にその命を諦めたとき、30人足らずの人がそこに居た。13人のローマ兵士と15人ほどの信者の一団だけが。あるじが息絶える直前にその場面に戻ったイエスの弟ユダとヨハネ・ゼベダイオスの2人を除いては、これらの信者は、皆女性であった。
1時直後、イエスは、激しい砂嵐が暗黒を拡大していく中で人間の意識を失い始めた。イエスの最後の慈悲、許し、訓戒の言葉は、すでに話されていた。イエスの最後の願望—母の世話に関する—は、すでに示されていた。接近する死のこの時間、イエスの人間の心は、ヘブライの聖書、特に詩篇の多くの章句の反復に戻った。人間イエスの意識を伴った最後の考えは、現在は20番、21番、22番の詩篇として知られる詩篇の一部を心で反復することに集中した。唇はしばしば動くのだが、それほどまでに諳んじてよく知っているこれらの章句が心に浮かびくるままに言葉を発するには、彼は衰弱しきっていた。側に立つ者達にほんの数回聞かれた何らかの発声は、「主は塗布された者を救われるのを知っている。」「あなたの手は、私のすべての敵を見つけるであろう。」「私の神よ、私の神よ、何故に私を見捨てられたのですか。」というようなものであった。イエスは、父の意志に従って生きたということに一瞬たりとも些さかの疑問も抱かなかった。また、父の意志に従って肉体の命を、いま横たえようとしているということを決して疑わなかった。かれは、父が、自分を見捨てたとは感じなかった。消え去りつつある意識の中で聖書の多くの文章、中でも「私の神よ、私の神よ、何故に私を見捨てられたのですか。」で始まるこの22番の詩篇をただ諳じていたに過ぎなかった。そして、これは、側に立つ者達にはっきり聞こえるほどに発語された3種類の章句のたまたま1つであった。
二度目に、「喉が渇いた」と言って人間イエスが自分の仲間への最後の要求は、およそ1時半過ぎであり、同じ護衛隊長は、そこで、その時代一般的には酢と呼ばれた酸味の葡萄酒を浸した同じ海綿で再びその唇を潤した。
砂嵐は強さを増し、天空はますます暗くなった。兵士と小集団の信者達はまだ待機していた。兵士達は、十字架の近くに屈み、身を切るような砂から自分たちを保護するために共に群がった。ヨハネの母と他のものは、張出した岩でいくらか保護されている遠方から見ていた。あるじが遂に最後の息をひきとるとき、その十字架の足下には、ヨハネ・ゼベダイオス、イエスの弟ユダ、ルース、マグダラのマリア、かつてセーフォリス居住のレベッカがいた。
イエスが、「終わりました。父よ、あなたの手に、私の精霊を委ねます。」と大声で叫んだのは、ちょうど3時前であった。イエスがこのように言い終えたとき、頭を下げ、生命の闘いをやめた。ローマ百人隊長は、イエスがどう死んだかを見たとき、自分の胸を打ち、「これは、実に正しい者であった。本当に、神の息子であったに違いない。」と言った。そして、その時から、イエスを信じ始めた。
イエスは王らしく—彼が生きたように—死んだ。かれは、その悲惨な日を通して率直に自己の王位を認めて、状況を制していた。選ばれた使徒の安全のために備えた後、かれは、進んでその不名誉な死に向かった。問題を起こすペトロスの暴力を賢明に抑止し、自分の人間生活の終わりまでヨハネを側近くにおいた。かれは、自分の本質を殺意あるシネヅリオン派に示し、神の息子としてその最高権威の源をピーラトゥスに思い出させた。かれは、横桁を運んでゴルゴタへと出発し、人間が獲得した精霊を楽園の父へ引き渡すことにより、自己の愛ある贈与を終えた。そのような生涯—また、そのような死—の後にこそ、あるじは、誠に「終わりました。」と、言うことができた。
それが過ぎ越しと安息日の両方の準備の日であったので、ユダヤ人は、ゴルゴタでこれらの遺骸をさらすことを望まなかった。したがって、十字架から引き下ろし、日没前に犯罪者の埋葬の穴に投げ込めるようにこれらの3人の男の脚が折られ、殺されてよいか、ピーラトゥスに頼みに行った。ピーラトゥスは、この要求を聞くと、彼らの脚を折って片づけるために直ちに3人の兵士を遣わせた。
これらの兵士がゴルゴタに到着すると、命令に従い2人の泥棒にそれをしたが、兵士が非常に驚いたことには、イエスはすでに死んでいた。それでも、その死を確かめるために、兵士の一人が、槍でイエスの左側を刺した。磔の犠牲者が2日間、あるいは3日間も十字架の上で生き長らえるということは、一般的ではあったが、イエスの激しい感情の苦痛と鋭い精霊的な苦悩は、5時間と30分足らずで、肉体での人間の生命に最期をもたらした。
砂嵐の暗黒の最中、3時半頃にダーヴィド・ゼベダイオスは、あるじの死の知らせを届ける最後の使者を送った。ダーヴィドは、イエスの母とその残りの家族が止まると推測したベサニアのマールサとマリアの家に最終走者を急派した。
あるじの死後、ヨハネは、ユダに託してエーリージャ・マルコスの家へ婦人達を行かせた。そこでかれらは、安息日の終わるまで留まった。この頃までにはローマ百人隊長によく知られていたヨハネ自身は、ヨセフとニコーデモスが、イエスの遺骸を手に入れる許可をピーラトゥスから持参し、その場に到着するまでゴルゴタに残った。
このように、無数の有識者の広大な宇宙に対して終わった悲劇と悲嘆の1日は、最愛の君主の人間の肉体化の磔の衝撃的な光景にぞっとした。かれらは、人間の冷淡さと邪悪の顕示に唖然とした。
イエスの必滅の身体が、ヨセフの墓に横たわる1日半、すなわち十字架上での死とその復活の間の期間は、我々にはほとんど知られていないミカエルの地球経歴における1章である。人の息子の埋葬を述べ、その復活に関連する出来事をこの記録に組み入れることはできるが、我々は、金曜日の午後3時から日曜日の朝3時までのおよそ36時間に本当に起きた確かな多くの情報を供給することはできない。あるじの経歴におけるこの期間は、ローマ兵士に十字架から引き下ろされる直前に始まった。イエスは、その死後およそ1時間十字架上にいた。2人の山賊の片付けに手間取らなければ、もっと早くに下ろされていたであろう。
ユダヤ人の支配者達は、イエスの遺体を都の南のゲ ヒンノムの無蓋の埋葬穴に投げ入れさせる計画であった。磔の犠牲者をこのように処分するのが習慣であった。もしこの予定が実行されていたならば、あるじの遺体は、野獣に曝されていたことであろう。
そうしているうちにも、アリマセアのヨセフは、ニコーデモスに伴われてピーラトゥスの元に行き、適切な埋葬のためにイエスの遺体引き渡しを願い出た。磔にされた者の友人がそのような遺体所有の権利のためにローマ当局に賄賂を贈ることは珍しくなかった。ヨセフは、イエスの身体を個人の墓地に移行する許可の代価の支払いに必要な際に備えて、多額の金を持ってピーラトゥスの前に行った。しかし、ピーラトゥスは、このための金を取ろうとはしなかった。ピーラトゥスは、要求を聞くとヨセフがすぐにゴルゴタに赴き、あるじの遺体の即座の、かつ完全な所有を認可する命令書に署名した。そのうちに、砂嵐はかなり弱まり、シネヅリオン派を代表するユダヤ人の一団は、イエスの身体が山賊のそれらと一緒に無蓋の公共の埋葬穴に入れられることを確実にする目的でゴルゴタへと出かけていった。
ヨセフとニコーデモスがゴルゴタに到着したとき、かれらは、兵士達が、十字架からイエスの身体を下ろしており、シネヅリオン派の代表が、追随者の誰もイエスの遺体を罪人の埋葬穴への到達を防げないことを傍観しているのがわかった。ヨセフが、百人隊長にあるじの遺体を求めるピーラトゥスの命令書を提示すると、ユダヤ人達は、騒ぎたててその所有を喧しく要求した。かれらは、喚き散らし、遺体を乱暴に手に入れようとし、そしてこれを果たしたとき、百人隊長は、4人の兵士に自分の側に来るように命令するとともに、抜いた剣を手にして地面に横たわるあるじの遺体を跨いで立った。百人隊長は、激怒するユダヤ人暴徒を退けている他の兵士達に2人の泥棒を残すように命令した。状況が収まると、百人隊長は、ピーラトゥスからの許可証をユダヤ人に読み聞かせ、脇へ寄ってヨセフに「この遺体はお前が適当にしてよい。私と兵士が、誰も手出しをせぬよう待機しておるぞ。」と言った。
磔にされた者は、ユダヤ人墓地に埋葬されることはできなかった。厳しい法律が、そのような手続きに対してあった。ヨセフとニコーデモスは、この法律を知っていた。そして、ゴルゴタの北の近い距離に位置し、サマリアに通じる道路の向かいの道のヨセフの家族の新しい墓、硬い岩石を切り出した墓にイエスを埋葬すると決めた。まだ誰もこの墓には横たえられていなかった。二人は、あるじがそこに休息するのが適切であると考えた。ヨセフは、イエスが蘇ると本当に信じたが、ニコーデモスは、非常に疑わしく思った。シネヅリオン派のこれらの元成員は、多少なりともイエスへの信仰を秘密にしていたが、シネヅリオン派の仲間は、長い間、彼らが協議会から退く前からすでに疑っていた。この後二人は、エルサレム中で最も大胆に物を言うイエスの弟子であった。
ほぼ4時半過ぎ、ナザレのイエスの埋葬行列は、ゴルゴタから道の向こう側のヨセフの墓へと出発した。4人の男性がそれを運び、遺体は、麻布に包まれており、ガリラヤからの忠実な通夜の女性達がそれに続いた。イエスの形ある遺体を墓に運んだ者達は、ヨセフ、ニコーデモス、ヨハネとローマ百人隊長であった。
かれらは、ほぼ9平方メートルの墓室に遺体を運び、大急ぎで埋葬準備をした。ユダヤ人は、実際には死者を埋葬しなかった。かれらは、実際には腐敗処理を施した。ヨセフとニコーデモスは、大量のミルラとアロエを携帯してきており、これらの溶液を含ませた包帯でさっそく遺体を包んだ。腐敗処理を終えると、かれらは、顔の回りに小片の布を結びつけ、身体には麻布を巻きつけて、うやうやしくそれを墓の棚に置いた。
遺体を墓に納めた後、百人隊長は、兵士達に石戸を墓の入り口の前に転がすのを手伝うようにと合図した。兵士達は、それから盗賊の遺体と共にゲ ヒンノムに出発し、他の者は、モーシェの法に従い過ぎ越しの祝いのためにエルサレムに、悲しみのうちに戻っていった。
これは、準備の日であり、安息日は速やかに近づいていたので、イエスの埋葬はかなり大急ぎであった。男達は都に急いで帰ったが、女達は、とても暗くなるまで墓の近くに留まった。
このすべてが進行する間、女達は、全てを観察し、あるじがどこに横たえられるのかを見届けるために近くに隠れていた。そのような時に男性との交わりが許されていなかったので、女性達は、このように身を隠した。これらの女性は、イエスが埋葬のために適切に支度を整えられていたとは思わなかった。そこで、自分たちであるじの遺体を然るべく準備するためにヨセフの家に戻り、安息日の間休息し、香料と塗薬を用意し、日曜日の朝戻ることにした。この金曜日の夕方、墓に長居していた女性等は、次の通りであった。マグダラのマリア、クロパスの妻マリア、イエスの母のもう一人の姉妹であるマールサ、それにセーフォリスのレベッカ。
ダーヴィド・ゼベダイオスとアリマセアのヨセフは別として、イエスが3日目に墓から甦るはずであるということを本当に信じたり、または理解していたのは、弟子のほんのわずかであった。
イエスの追随者達が3日目に蘇る約束に無頓着であったとしても、敵は無頓着ではなかった。祭司長、パリサイ派、サドカイ派等は、イエスが死から蘇ると言う報告を受け取ったことを思い出した。
この金曜日の夜、過ぎ越しの夕食後の真夜中頃、一団のユダヤ人指導者は、カイアファスの家に集まり、死後3日目に甦るというあるじの主張に対する自分達の恐怖について語り合った。この会合は、イエスの友人達が、不正に動かすことのないように、イエスの墓の前にローマの護衛兵が配置されるようにとのシネヅリオン派の公式要求を携え、翌日早くピーラトゥスを訪問すべく数人のシネヅリオン会員を任命して終わった。この委員会の代弁者は、ピーラトゥスに言った。「閣下、我々は、この詐欺師、ナザレのイエスがまだ生きている時に、『3日後に甦る。』と言ったことを覚えています。我々は、それ故、その追随者に対し、少なくとも3日後まで、墓を安全にする指示を出されることを要求しに参りました。我々は、弟子達が夜やってきてそれを盗み去り、次には、甦ったと人々に発表しないかと大いに恐れております。これを生じさせてしまいますと、この誤りは、奴を生きらせるよりもはるかに具合が悪いでありましょう。」
ピーラトゥスは、シネヅリオン会員のこの要請を聞くと、「10人の護衛兵を与える。戻って墓を守れ。」と言った。会員達は寺院に戻り、10人の護衛兵を確保し、それから、ユダヤ人のこれら10人の衛兵と10人のローマ兵士と共に、この安息日の朝にもかかわらず、墓の前にこれらの衛兵を配置するためにヨセフの墓へと行進した。これらの男は、墓の前にもう一つの石を転がして行き、知らぬ間に妨害されるといけないのでこれらの石の周りにピーラトゥスの封印をした。ユダヤ人達は、彼らに食べ物と飲み物を運び、この20人の男は、復活の時間まで見張りに残った。
弟子と使徒は、この安息日中、隠れたままでおり、エルサレム全体では、十字架上でのイエスの死を論じ合われていた。このときエルサレムにはローマ帝国とメソポタミアのあらゆる地域からのおよそ150万人のユダヤ人が来ていた。これは、過ぎ越しの始まりの週であり、すべてのこれらの巡礼者は、この都にいてイエスの復活を知り、各自の家にその知らせを持ち帰ることになるのであった。
土曜日の夜遅く、ヨハネ・マルコスは、11人の使徒に自分の父の家に来るように秘かに呼び出しを掛けて、かれらは、ほんの夜中近くに、2晩前にあるじと最後の晩餐をとった上階の同じ部屋に集合した。
イエスの母マリアは、ユダとルースと共に、この土曜日の夕方、ちょうど日没前にベサニアに戻り家族に合流した。ダーヴィド・ゼベダイオスは、使者達が日曜日の朝早々に集合する手筈をしていたニコーデモスの家に留まった。イエスの身体のなお一層の防腐処理をするために香料を準備したガリラヤの女性達は、アリマセアのヨセフ宅に滞在した。
ヨセフの新しい墓で横たわっているはずのこの1日半の間、我々は、ナザレのイエスにまさしく何が起こったのかを説明することは完全にはできない。明らかに、同じ情況においていかなる必滅者もそうであるように、イエスは、十字架上で同様の自然な死を遂げた。我々は、彼が、「父よ、あなたの手に、私の精霊を委ねます」と言うのを聞いた。我々は、イエスの思考調整者が、イエスの人間としての存在とは別にずっと以前に専属化され、維持されていたことから、完全にそのような声明の意味を理解するわけではない。十字架上の物理的な死によってあるじの専属調整者は、いかなる点においても影響を受けることはできなかった。イエスがしばらくの間父の手に委ねたことは、大邸宅世界への人間の経験の写しの転送に備えるように、調整者が必滅者の心を精霊的にする早期の仕事の精霊の割り符であったに違いない。球体上の信仰が成長している必滅者の精霊の性質、あるいは魂に類似したイエスの経験において、何らかの精霊的な現実があったに違いない。しかし、これは、単に我々の意見である—我々は、イエスが父に何を委ねたかを本当に知らない。
我々は、あるじの肉体が、日曜日の朝の3時頃までヨセフの墓で横たわっていたのを知っているが、36時間のその間、イエスの人格の状態に関しては全く確信がない。我々は、時々大胆にもこれらのことについて我々自身に次のような幾つかの説明をした。
1.ミカエルの創造者の意識は、物理的な肉体に関連する人間の心から全体的には完全に自由であったに違いない。
2. この期間中、そして集められた天の軍勢の直接の指揮をして、イエスの元思考調整者が地球にいたことを、我々は、知っている。
3. 肉体の人生の間に確立されたナザレのその男性の身につけた精霊的主体性は、まずは思考調整者の直接努力により、後には、父の意志の決して止むことのない選択によってもたらされたように、必滅者の理想的な生活における物理的な必要性と精霊的な要求の間の彼自身の完全な調整により楽園の父の保護に委ねられていたに違いない。我々は、この精霊の現実が、復活した人格の一部になったかどうかは知らないが、そうなったと信じる。しかし、外周空間の体系化されていない領域の未だ創造されていない宇宙に関して明らかにされていない彼らの目標において、終局者のネバドン部隊の指導力を発揮するために後に解放されるイエスのこの魂の主体性が、現在「父の懐」に安息していると考える者達が、宇宙にはいる
4. 我々は、イエスの人間の、または必滅の意識が、この36時間の間、眠ったと考える。我々には、人間イエスがこの期間、宇宙で生じたことを何も知らなかったと信じる理由がある。人間の意識には、何の時間の経過もなかったようであった。生命の復活は、ちょうど同じ瞬間に、死の眠りに続いた。
これが、墓でのこの期間のイエスの状態に関して我々が記録に残せる全てである。我々は、それらの解釈の着手に全く適してはいないが、言及できるいくつかの関連事実がある。
サタニアの第一大邸宅界の復活の広間の広大な中庭では、現在ガブリエルの紋章入りで「ミカエル記念碑」として知られるすばらしい有形-モランチア構造が、いま観測できる。この記念碑は、ミカエルがこの世界から出発した直後に作成され、次の碑文がある。「ユランチアにおけるナザレのイエスの必滅の変遷を記念して。」
この期間100名を数えるサルヴィントンの最高協議会は、ユランチアにおいてガブリエル主宰の下に行政委員会が開かれたという現存する記録がある。この時期、ユヴァーサの日の老いたるものが、ネバドンの宇宙の状況に関してミカエルと連絡をとったことを示す記録もある。
あるじの遺体が墓に横たわっている間、少なくとも1件の情報が、ミカエルとサルヴィントンのイマヌエルに交わされたことが我々には分かっている。
イエスの身体が墓で休んでいる間、召集されたジェルーセムの惑星王子の組織協議会において、何らかの人格が、カリガスティアの席に座ったと信じるに足る理由がある。
エデンチアの記録は、ノーランティアデクの星座の父が、ユランチにいたということ、そしてイエスがこの墓にいる間、ミカエルから指示を受けたということを示している。
そして外見上の物理的なこの死の間、イエスの人格のすべてが眠っていたのではなく、また無意識ではなかったと示唆する他の多くの証がある。
イエスは、必滅の運命にある人間の民族的な罪を償うためや、あるいは、機嫌を損ね寛大でない神に何らかの効果的な接近法を提供するために十字架でこの死を遂げたのではなかった。人の息子は、自身を神の激しい怒りを静めたり、罪深い者に救済を得る道を切り開く犠牲として提供したのではなかったが、それにもかかわらず、償いと宥めについてのこれらの考えは誤りであるとはいえ、見落とされてはならない十字架上のイエスのこの死に伴う重要性がある。ユランチアが「十字架の世界」として他の隣接する棲息惑星の中で知れ渡ったことは、事実である。
イエスは、ユランチアにおいて肉体での完全な人間生活を送ることを望んでいた。死は、通常、人生の一部である。死は人間の劇における最後の一幕である。十字架上の死の意味の誤った解釈の迷信的な誤りを逃れる善意の努力において、あなたは、あるじの死の真の重要性と本当の意味を認識しないという重大な誤りを犯さぬように慎重でなければならない。
必滅の人間は、決して大詐欺師には属さなかった。イエスは、背教支配者の一団や球体の堕落の王子達の掌握から人を身請けをするために死んだのではなかった。天の父は、先祖の悪行のために人間の魂を要求するそのような馬鹿げた不正を決して発想はしなかった。十字架上のあるじの死は、人類の民族が神に負うこととなった債務返済の努力の犠牲でもなかった。
イエスが地球に住む以前、人はそのような神を信じることが正当だったかもしれないが、あるじが人間の仲間の間で生きて死んでからはそうではなかった。モーシェは、創造者たる神の威厳と正義を教えた。しかし、イエスは、天の父の愛と慈悲を描写した。
動物的な性癖—悪行に向かう傾向—は、遺伝であるかもしれないが、罪は、親から子供へと受け継がない。罪は、意志をもつ個々の生物による父の意志と息子の法に対する意識的かつ故意の反逆行為である。
イエスはこの1つの世界の民族のためだけでなく、1つの宇宙全体のために生きて死んだ。イエスがユランチアで生きて死ぬ以前にさえ、領域の必滅者には救済があったが、それでも、この世界に関するイエスの贈与が救済の方法を大いに照らしたことは、事実である。彼の死は、肉体における死後の人間生存の確実性を永久に明らかにするのに大いに役立った。
イエスを犠牲者、受け戻し人、または贖い主として話すことは、全く適切ではないが、救済者として言及することは全く正しい。かれは、永久に、救済(生存)の方法をより明確で確かにした。ネバドンの宇宙にある全世界の必滅者全ての救済の道をよりよく、より確かに示した。
人は、本当の、そして情愛深い父としての神の概念、イエスがかつて教えた唯一の概念を一旦理解するとき、その主な悦びが、悪行をしている臣下を見つけ、自分にほぼ等しい何らかの存在が、彼らのために苦しむこと、すなわち彼らの代わりに死ぬことを志願しない限り、それらが適切に罰せられることを見届けるもの、怒る君主、厳格で万能の支配者としての神に関するすべてのそのれら原始的概念を、一貫して、直ちに完全に捨てなければならない。身受けと償いの全構想は、それがナザレのイエスによって教えられ、例示されたような神の概念とは相容れない。神の無限の愛は、神性における何物にも勝る。
償いと犠牲の救済のこのすべての概念は、我欲に深く根を下ろしている。イエスは、仲間への奉仕が、精霊信者の兄弟愛の最高の概念であることを教えた。救済は、神の父性を信じる人々によって当然のことと思われなければならない。信者の主な関心は、個人の救済への利己的願望ではなく、むしろ愛することへの寡欲な衝動であり、したがって、イエスが必滅の人間に愛をもって仕えたように自分の仲間に仕えるべきものである。
本物の信者もまた、罪に対する将来の罰にあまり悩んではいない。本物の信者は、神からの現在の分離への心配だけである。本物の、かつ賢明な父達は、息子達を罰するかもしれないが、かれらは、愛と矯正目的のためにこのすべてをする。かれらは、怒りで罰しもしないし、報復で制裁もしない。
神が、正義が最高であると司る宇宙の厳しく合法的な君主であったとしても、潔白な被害者を罪ある犯罪者の代理をさせる子供っぽい画策に決して満足はしない。
実際には人間の経験の豊かさと救済方法の拡大に関係があるように、イエスの死の素晴らしさは、その死の事実ではなく、死の遭遇に際しての見事な態度と無類の精神である。
償いの身受けのこの全体の考えは、救済を非現実性の平面に配置する。そのような概念は、純粋に哲学的である。人間の救済は、本当である。それは、被創造者の信仰により理解され、それによって、個々の人間の経験に取り込まれる2つの現実、神の父性の事実とその相関する真実、人の兄弟愛に基づく。「ちょうどあなたが負い目のある者を許すように、あなたの負い目が許される」ということは、つまるところ、本当なのである。
イエスの十字架は、群れに相応しくない者達のためにさえ、真の羊飼いの最高度の無私の愛を描く。それは、家族の基礎の上に神と人とのすべての関係を永遠に配置する。神は父である、人はその息子である。愛は、息子への父の愛は、創造者と被創造者—悪行を働く者の苦しみと罰に満足を求める王の正義ではなく—の宇宙関係の中心的な真実になる。。
十字架は、罪人に向けてのイエスの態度が、非難でも償いでもなく、むしろ永遠の、情愛深い救済であることを永遠に示している。イエスは、彼の人生と死が、人間を善と義の生存に首尾よく引き入れるという点で本当に救世主である。その愛が人間の心にある愛の反応を目覚めさせるほどに、イエスは、非常に人を愛している。愛は、実に、伝播し易く、永遠に創造的である。十字架におけるイエスの死は、罪を許し、すべての悪行を飲み込むに十分に強く、神々しい愛を例示している。イエスは、道義—単なる法解釈上の善し悪し—よりも公正さの高い特質をこの世界に明らかにした。神の愛は、単に誤りを許すだけではない。神の愛は、それらを吸収し、実際に破壊する。愛の許しは、まったく慈悲の許しを超える。慈悲は、悪行の罪悪感を片側に押しやる。しかし、愛は、罪とそこから結果として生じるすべての弱さを永遠に破壊する。イエスは、生きる新たな方法をユランチアにもたらした。かれは、我々に悪に抵抗するのではなく、彼を通して悪を効果的に破壊する善を見つけることを教えた。イエスの許しは、容赦ではない。それは、非難からの救済である。救済は、悪事を軽視しない。それらを正す。真の愛は、妥協もせず憎しみも容赦しない。それを破壊する。イエスの愛は、単なる許しでは決して満たされない。あるじの愛は、復帰、永遠の生存を暗に意味する。人がこの永遠の復帰を意味するのであれば、救済のことを贖いとして話すことは全く妥当である。
イエスは、人に対するその個人の愛の力によって罪と悪の支配力を破壊することができた。かれは、人を解放し、それによって生活のより良い道を選ぶことができるようにした。イエスは、それ自体が未来への勝利を約束する過去からの救出を描いた。許しは、救済をこのように提供した。人間が一度完全に心に受け入れられると、神性の愛の美は、とこしえに罪の魅力と悪の力を破壊する。
イエスの受難は、磔だけに限られてはいない。実際は、ナザレのイエスは、現実の、そして激しい人間存在の十字架の上で25年以上を費やした。十字架の真の価値は、それが、彼の愛の崇高で最終的な表現、彼の慈悲の完成された顕示であったという事実にある。
何百万もの棲息界では、道徳上のもがきを諦め、信仰のための努力を捨てるように誘惑されたかもしれない何十兆もの進化する被創造者が、いま一度十字架のイエスに目をやり、次に、先に進む、人の寡欲な奉仕への献身において具現された自分の命を横たえる神の光景により奮い立った。
十字架上の死の勝利は、自分を攻める者へのイエスの態度の精神にすべて要約されている。「父よ、彼等をお許しください。自分達のしている事を知らないのですから。」と祈るとき、イエスは十字架を憎しみに対する愛の勝利と悪に対する真実の勝利を永遠の象徴とした。愛のその献身は、広大な宇宙の至るところで伝播した。弟子達は、あるじからそれを捕らえた。この奉仕において命を捨てることを求められた福音のまさしく最初の師は、人々に石で死に追いやられているとき、「この罪を彼らに負わせないでください。」と言った。
十字架は、自己の人生を仲間への奉仕に進んで捨てる者を明らかにするので、人の最善部分に最高の訴えをする。これよりすばらしい愛を何人も持つことはできない。友のためにすすんで自分の命を横たえるであろうという愛—そして、イエスには、敵のためにすすんで自分の命を横たえようとするそのような愛、これまでに地球で知られた何よりもすばらしい愛があった。
他の世界で、また同じようにユランチアで、ゴルゴタの十字架における人間イエスの死のこの荘厳な光景は、必滅者の感情を刺激するとともに、それは、天使達の最高の献身を掻き立てた。
十字架は、神聖な奉仕のその高い象徴、つまり仲間の福祉と救済への人の人生における献身である。十字架は、罪人の代りや機嫌を損ねた神の激憤を静める潔白な人の息子の犠牲の象徴ではないが、それは、地球や広大な宇宙の至るところで、自らを善人が悪人に授与し、それによって他ならぬこの愛の献身によって悪人を救う神聖な象徴として永久にある。十字架は、無欲の奉仕、心からの奉仕活動における、死、十字架上の死に至ってさえも、正しい人生の完全な贈与における最高の献身という高い形の象徴としてある。そして、イエスによる贈与の人生のこのすばらしい象徴の光景こそは、我々全員が、同様にしたいと真に奮い立たせる。
考え深い男女が、十字架に自分の人生を捧げようとするイエスを見るとき、かれらは、人生の最も厳しい苦労にさえ、まして取るに足りない迷惑行為や彼らの完全に偽りの多くの苦情に関して、不平を言うことを決して再び自分に許さないであろう。イエスの人生は、非常に輝かしく、その死は昂然としており、我々皆が、両方を共有したいという意欲に魅惑される。その若者時代から十字架上の死のこの圧倒する光景までのミカエルの全贈与には、本当に引きつける力がある。
それゆえ、神の顕示として十字架を見るとき、人は、神を厳しい正義と厳正な法執行のきびしい君主と見なしていた原始人の目や後の野蛮人の視点で見ることのないように心しなさい。むしろ、広大な宇宙の必滅の人種へのイエスの贈与における人生の任務への愛と献身の最後の顕現を十字架に見るように心にしなさい。むしろ、人間界の息子等に対し繰り広げる父の神性愛の極みを人の息子の死に見なさい。十字架は、そのような贈り物と献身の受け入れを望む者への自らの愛の献身と自発的救済贈与をこのように描写している。父が要求したものは、十字架には何もなかった—イエスがそれほどまでに進んで与えたもの、避けることを拒否したもの以外は。
イエスを認め、地球でのその贈与の意味を理解することができなくても、人は、人間イエスの受難の不幸を少なくとも理解することができる。誰も、創造者が現世の苦悩の性質や範囲を知らないと恐れることはできない。
我々は、十字架における死というものが、神への人の和解に作用するものではなく、父の永遠の愛とその息子の果てしない慈悲への人間の認識を刺激し、そして、全宇宙にこれらの普遍の真実を伝えることであるということを知っている。
金曜日の午後のイエスの埋葬直後、当時ユランチアにいたネバドン大天使長は、眠っている意志をもつ被創造者の復活協議会を招集し、イエスの復活のための可能な方法についての検討に入った。地方宇宙のこれらの集合した息子達、ミカエルの創造した者達は、自身の責任でこれをした。ガブリエルは、これらの者を召集しなかった。真夜中までには、被創造者等は、創造者の復活を容易にするための何事もできないという結論に達した。かれらは、ミカエルが、「自身の自由意志で命を横たえたので、自身の決断に応じて再びそれを始める力もある」と、教えたガブリエルの忠告を受け入れる気になった。被創造物の復活とモロンチア創造の仕事における大天使、生命運搬者、およびこれらの様々な仲間のこの協議会の延期の直後、イエスの専属調整者は、ユランチアに集合した天の軍勢の個人的な命令であることから、案じて待機している傍観者達に次のことを話した。
「あなた方の誰1人として、創造者-父の復命への補助は何もできない。領域の必滅者として、イエスは、人間の死を経験した。かれは、宇宙の君主としてはまだ生きている。あなたが観測するそれは、肉体の人生からモロンチアへの人生のナザレのイエスの必滅の変遷である。私が自分自身を彼の人格と切り離し、一時的にあなた方の統括者になったとき、このイエスのこの精霊の通過は終了した。あなたの創造者-父は、必滅の被創造者の全経験を潜り抜けることを、つまり物質界における生から自然な死とモロンチアの復活を経て、真の精霊存在の状態への復活を選んだ。あなた方は、この経験の一局面を見ようとするところであるが、それに参加することはできない。通常、あなたが被創造者のためにするそれらのことは、創造者のためにはできない。創造者たる息子は、自身が創造した息子達のどれにも似せて自分自身を与える力をもっている。彼は、観察可能な人生を捨てて、再びそれを始める力を持っている。そして、彼には、楽園の父の直接の命令ゆえにこの力があるので、私には自分が何を話しているのか承知している。」
専属調整者がこのように話すのを聞くと、皆は、つまりガブリエルから始まり最も低い天使に至るまで気がかりな期待の態度になった。かれらは、イエスの必滅の肉体を墓で見た。かれらは、最愛の君主の宇宙活動に関わる活動の証拠を見つけた。そして、そのような現象を理解することなく、かれらは、根気よく情勢を待った。
日曜日の朝、2時45分、明らかにされていない楽園の人格の7名からなる楽園の肉体化の委員が、現場に到着し、すぐに墓の周りの配置についた。3時10分前、物質活動とモロンチア活動の混合した激振が、ヨセフの新しい墓から出始めて、西暦30年4月9日、3時2分、この日曜日の朝、ナザレのイエスの復活したモロンチアの形態と人格が墓から出現した。
甦ったイエスが埋葬墓地から出てくると、およそ36年間地球で生きて働いてきた生身の肉体は、ちょうどそれが金曜日の午後、ユセフと仲間に埋葬されたように墓所にまだそのまま横たわっていた。墓の入り口の前の石も少しも乱されてはいなかった。ピーラトゥスの封印は、まだ完全であった。兵士達は、まだ警備についていた。寺院の衛兵等は、引続き任務についていた。ローマ護衛兵は、真夜中に交代していた。これらの監視人の誰も、自分達の不寝番の対象が、新しく、より高度の形態の存在でよみがえったということ、そして警備していた肉体は、救われて、復活するイエスのモロンチア人格とはいかなる関係もない今や放棄された外側の覆いであるということを疑いもしなかった。
人類にとって、人格的にかかわるすべてにおいて、物質が、モロンチアの形骸であるということ、また両者ともに連続する精霊の現実に反射された影であることを知覚するには時間が掛かる。人が、時間を永遠の移動する像として、また空間を楽園の現実の儚い影として分かるのにどれだけの時間が掛かるのであろうか。
我々が判断できる限りにおいて、この宇宙のいかなる生物も、別の宇宙からのいかなる人格も、ナザレのイエスのこのモロンチア復活には何も関係はなかった。かれは、金曜日にその領域の必滅者として命を横たえた。日曜日の朝、ノーランティアデクのサタニア系のモロンチアの者として、かれは再びそれを始めた。イエスの復活には我々の理解しないことが多くある。しかし、すでに述べてきたように、我々は、それが起きたことと、示してきたおよその時間を知っている。我々は、この必滅者の変遷、または、モロンチア復活に関する知られているすべての現象がちょうどそこで、イエスの有形の遺骸が埋葬用布で巻かれたヨセフの新しい墓で起こったということをも記録することができる。
我々は、地方宇宙の被創造物が、このモロンチアの覚醒に参加しなかったことを知っている。我々は、楽園の7名の人格が墓を囲んだと気づきはしたが、あるじの目覚めに関して彼らが何かをするところは何も見なかった。イエスが墓のすぐ上に、ガブリエルの横に現れるなり、楽園からの7名の人格は、ユヴァーサへの即座の出発の合図をした。
次の報告をすることにより、イエスの復活の概念を永遠に明らかにさせよう。
1. 彼の物質的、あるいは物理的な身体は、復活された人格の一部ではなかった。イエスが墓から出て来たとき、肉であるその身体は、乱されずにそのまま墓に残っていた。かれは、入り口の前の石を動かすことなく、ピーラトゥスの封印を剥がすことなく埋葬個所から現れた。
2. イエスは墓から精霊としても、ネバドンのミカエルとしても現れなかった。かれは、以前にユランチアの必滅の肉体に似せて具現したようには創造者たる君主の姿で現れなかった。
3. かれは、復活したモロンチアの上昇する人格として、サタニアのこの領域組織の最初の大邸世界の復活の広間から現れるそれらのモロンチアの人格にそっくり似せてヨセフのこの墓から出て来た。そして、第一大邸宅界の復活広間の広大な中庭の中心にあるミカエル記念堂の存在は、ユランチアにおけるあるじの復活は何らかの点で、ここ、大邸宅世界系の1番目で促進されたという推測へと我々を導く。
墓から蘇る際のイエスの最初の行動は、ガブリエルを迎えて、彼にイマヌエルの下で宇宙諸事の担当を続けるように命じることであり、それに兄弟の挨拶をイマヌエルに伝えるようにメルキゼデクの長に指示した。それから、自己の必滅の変遷に関してエデンチアのいと高きものに高齢者達からの認証を頼んだ。そして、集団の被創造者としてその創造者に挨拶をし、歓迎するためにここに集う7個の大邸宅世界のモロンチア集団に向けて、人間経歴後の最初の言葉を話した。モロンチアのイエスは言った。「肉体での私の人生は終わった。上昇する被創造者の人生をより完全に知り、また、楽園の父の意志をさらに顕示できるように遷移の形態でしばらくここに留まりたい。」
イエスは、話し終えると専属調整者に合図をし、そして、復活目撃のためにユランチアに集められた宇宙有識者のすべては、それぞれの宇宙任務にすぐに派遣された。
イエスは、被創造者としてユランチアに短期間生きることを選んだ人生の必要条件を紹介され、モロンチア段階の接触をそのとき始めた。モロンチア界へのこの開始は、1時間以上の地球時間を必要とし、肉体の元仲間がエルサレムからやって来て、復活の証拠であると思われるものを発見するために空の墓を不思議そうに覗いたとき、彼等との意思疎通の彼の望みによって二度遮られた。
そのとき、イエスの必滅の変遷—人の息子のモロンチア復活—は、完了した。物質と精霊間の人格中間として、あるじの経験の一過性の経験は、始まった。かれは、固有の力で自分の中でこの全てをした。いかなる人格も、彼に何の援助も与えなかった。かれは、そのとき、モロンチアのイエスとして生き、そしてこのモロンチアの人生を始め、生身の有形の肉体が墓でそこにそのままの状態で横たわっている。兵士達は、まだ歩哨中で、岩の周りの総督の封印はまだ剥がされてはいない。
3時10分過ぎに、復活したイエスがサタニアの7つの大邸宅世界から集合してきたモロンチア人格と親しく交わっているとき、大天使達—復活の天使達—の長が、ガブリエルに近づき、イエスの人間の体を求めた。大天使長は、言った。「我々は、君主ミカエルの贈与経験のモロンチア復活に参加はできないかもしれないが、彼の人間の遺骸は、即座の溶解のための我々が預かりたい。我々は、非物質化の方法を使おうと提案はしない。我々は、加速した時間の促進処理の開始を単に願う。我々は、君主のユランチアでの生と死を見ただけで十分である。天の軍勢は、宇宙の創造者と擁護者の人間の形の緩慢な腐敗の光景に耐える記憶を避け得るであろう。全ネバドンの天の有識者の名において、私は、ナザレのイエスの人間の体の保管とその即座の溶解を進める権限を我々に与えられる命令を求める。」
ガブリエルがエデンチアのいと高きものと協議すると、天の軍勢の大天使の代弁者は、思い定めたようにイエスの物理的残存物のそのような処置をとる許可が与えられた。
この要求が受諾されると、かれは、天の人格の全集団の代表の多くの軍勢と共に仲間の多くを援助に呼び出し、次に、ユランチアの中間者の助力でイエスの物理的な身体を手に入れるために赴いた。死のこの肉体は、純粋に有形創造であった。それは、文字通り物理的であった。復活のモロンチアの形が密封された墓所から逃がれることができたようには、それは墓から取り除かれることはできなかった。あるモロンチアの補助的な人格の援助により、モロンチアの形態は、ある時は、通常の事柄に無関心になれるように、精霊のようなものとして作られることができ、別の機会には、領域の必滅者のような物質的な存在に識別できたり、接触可能となることができる。
かれらは、荘厳かつ敬虔なほぼ瞬時の溶解処分をその体に施すにあたり、墓からイエスの体を移動させる準備をすると共に、二次のユランチア中間者達には、墓の入り口から石を転がすことが割り当てられた。これら2つのうちの大きい方は、まるで臼石のような巨大な円形の代物で、墓の開閉のために左右に回転できるようにのみで削り取られた岩石の溝に沿って動いた。見張りのユダヤ人の番人とローマ兵士達は、朝の薄明かりの中で、この巨大な石が、墓の入り口から見たところそれ自体が、回転し離れ始めるのを見たとき—そのような動きを説明する明白な手段はなくて—恐怖と狼狽に襲われてその場から急いで逃げた。ユダヤ人達は、それぞれの家に逃げ戻り、その後、これらの出来事を寺院にいる隊長に報告しに戻った。ローマ人等は、アントニアの要塞に逃げ、百人隊長が勤務に着くなり自分達の見たことを報告した。
ユダヤの支配者達は、反逆者ユダに賄賂を供与することによって、恐らくは意図をもってイエスを追い払う汚い取り引きを始め、今度は、この厄介な状況に直面して、持ち場を離れた衛兵への罰を考える代わりに、これらの衛兵とローマ兵士達の買収の方向に向かった。かれらは、この20人各自に纏まった金を支払い、全員に次のように言うように命じた。「我々が夜眠っている間に、弟子達が我々のところにやってきて遺骸を持ち去った。」そして、ユダヤ人の支配者達は、賄賂を受け取ったことが総督に知られるようなことになれば、ピーラトゥスの前で弁護をしてやると兵士達に固く約束をした。
キリスト教徒のイエス復活に対する信仰は、「空の墓」の事実に基づいた。墓は、いかにも空ではあったが、これが復活の真実ではない。最初の信者等が到着したとき、墓は本当に空であり、この事実が、あるじの疑う余地のない復活と関連づけられ、真実ではない信念の公式化、つまり物質的で必滅のイエスの肉体が墓から甦ったという教えへと導いた。精霊の現実と永遠の価値に関係ある真実は、見た目の事実の組み合わせによって必ずしも確立できるというわけではない。個々の事実は、物質的に本当であるかもしれないが、一群の事実の関係が、真実の精神的な結論に必ずしもつながることにはならない。
ヨセフの墓は空であった。それは、イエスの体が回復されたり、復活したからではなく、天の軍勢が、時間の遅れの介入なしに、人間の腐敗と物質崩壊の普通の、可視の過程の活動なしに、特別で固有な溶解、つまり「塵から塵へ」をそれにもたらすという彼らの要求が承諾されたからであった。
溶解のこの自然な方法が、時間の点で大いに早められた、ほとんど瞬間的になったこと以外は、イエスの必滅の遺骸は、地球のすべての人体を特徴づける基本的な崩壊と同様の自然過程を経た。
この教えが、復活するモロンチアのあるじに会い、はっきりと認識し、親交のあった領域の多くの必滅者の証言によって裏付けされているとはいえ、ミカエル復活の本当の証拠は、本質的には精霊的である。かれは、最終的にユランチアを去る前に1,000人ほどの個人の経験の一部となった。
この日曜日の朝、4時半の少し過ぎに、ガブリエルは、大天使達を呼び出し、ユランチアにおけるアダーム配剤終了である全般的な復活の開始準備をさせた。このすばらしい出来事に関わった熾天使と天使の夥しい軍勢が、適当な隊形に整列したとき、モロンチアの姿のミカエルは、ガブリエルの前に現れて言った。「私の父が自身の中に命を持つと同様に、息子にも自身の中に命を持つようにそれを与えられた。私は、まだ完全に宇宙管轄権の行使を再開したわけではないが、この自ら課した制限は、いかなる手段においても私の眠れる息子達の人生の贈与を制限はしない。惑星復活者の点呼を始めなさい。」
そこで、大天使の回路は、初めてユランチアを中心に活動した。ガブリエルと大天使の軍勢は、惑星の精霊極の場所に移動した。そして、ガブリエルが合図を与えると、ガブリエルの声は、体制の大邸宅世界の第1へと閃き、「ミカエルの委任により、ユランチア配剤の死者を甦らせよ。」と言った。すると、アダームの時代以来眠りに落ち入り、まだ裁きに移らなかったユランチアの人類の全ての生存者が、大邸宅世界の復活広間にモロンチア授与の準備を整えて現れた。そして熾天使と彼らの仲間は、瞬時に大邸宅世界への出発の準備をした。通常、かつて生残している人間の団体管理に充当されたこれらの熾天使の保護者達は、大邸宅世界の復活広間での彼らの覚醒時に出席するのであるが、イエスのモロンチア復活に関してここにはガブリエル出席の必要上、熾天使等は、その時この世界そのものにいた。
個人的な熾天使の保護者達を持つ無数の個人と人格に必要な精霊的な到達に至った無数の者達は、アダムとハヴァー時代の後の時代に大邸世界に移り、特別の、そして千年毎のユランチアの息子達の多くの復活があったにもかかわらず、これは、惑星点呼の3番目であり、同時に完全な配剤復活であった。最初は惑星王子の到着の際に起こり、2番目はアダームの時代、そして、3番目のこれは、ナザレのイエスのモロンチア復活、必滅の遷移を際立たせた。
大天使の長による惑星復活の合図が受信されたとき、人の息子の専属調整者は、自分の権威をユランチアに集められた天の軍勢に引き渡し、地方宇宙のこれらのすべての息子を各指揮官の管内に帰した。これをし終えると、かれは、ミカエルの必滅の遷移完了を登録するためにイッマーヌエルと共にサルヴィントンへと出発した。そこでユランチアでの任務を必要とされないすべての天の軍勢が、すぐに専属調整者の後を追い掛けた。しかしガブリエルは、モロンチアのイエスとユランチアに留まった。
これが、部分的かつ限られた人間の視力からは自由に、実際に起きたがままの、それらを見かけた者達により観察されたがままのイエス復活に関わる出来事の詳述である。
我々が、この日曜日の朝早々のイエスの復活時刻に近づくとき、エーリージャとマリア・マルコスの上階の部屋で眠り、あるじと共に最後の晩餐中、凭れたまさにその寝椅子で休息している10人の使徒が、その家に滞在していたことが思い出されるべきである。この日曜日の朝、トーマス以外は全てそこ集まっていた。土曜日の夜遅く、皆が最初に集合した時、トーマスは、数分間ともにいたが、イエスに起こったことについての考えと、合わせて使徒達の様子に耐えられなかった。かれは、仲間を見渡すとすぐに部屋を出ると、ベスファゲのサイモンの家に行き、そこで独り自分の問題を深く嘆く思いでいた。使徒は皆、懐疑と絶望にはさほどでもなく、恐怖、深い悲しみ、恥の点において大いに苦しんだ。
イエスのエルサレム弟子のうち際立つ12人から15人ほどは、ダーヴィド・ゼベダイオスとアリマセアのヨセフとともにニコーデモスの家に集められた。アリマセアのヨセフの家には、指導的な女性信者のうちの15人から20人ほどがいた。これらの女性だけは、ヨセフの家に住まい、安息日の数時間と安息日後の夜の間、互いに間近にいたので、墓の衛兵の監視を知らなかった。彼女達は、2番目の石が墓の正面で回転し、この両方の石がピーラトゥスの封印の下に置かれていたことも知らなかった。
この日曜日の朝、3時少し前、1日の最初の兆しが東に見えると、5人の女性は、イエスの墓へと飛び出した。特別の防腐処理用の洗浄剤を沢山用意し、また多くの麻の包帯も持っていた。イエスの死体により完全に塗布をし、新しい包帯でより慎重に包むことが彼女等の目的であった。
イエスの身体を塗布するこの任務にあたった女性は、次の通りであった。マグダラのマリア、双子アルフェウスの母マリア、ゼベダイオス兄弟の母サロメ、フーザスの妻ヨーアンナ、それに、アレキサンドリアのエズラの娘シューシャン。
軟膏を背負い5人の女性が空の墓に到着したのは、およそ3時半過ぎであった。彼女たちは、ダマスカスの門から出るとき、多少慌てふためいた状態で逃げる多くの兵士に遭遇し、このため数分間足を止めた。しかし、それ以上何も起こらない時点で再び進み始めた。
「誰が、石を転がすのを手伝ってくれるかしら。」とくる途中で言い合っていたほどなので、彼女達は、入り口から墓への石が転がされているのを見たとき、大いに驚いた。彼女達は、重荷を下ろし、恐怖と非常な驚きで互いを見始めた。皆は、恐怖に震え、そこに立っていたが、マグダラのマリアは、小さい方の石の周りを躊躇い混じりに探索し、思い切って開いている墓に入った。ヨセフのこの墓は、道の東側の丘の庭にあり、それはまた、東に面していた。この時間までには、マリアがあるじの遺骸が横たえられた場所を振り返って見て、無くなっていると見分けられるに足りる新たな日の曙光が、十分にあった。マリアは、イエスが横たえられていた石の窪みのイエスの頭が休んでいた場所にたたまれた布巾と完全な状態で横たわって巻き付けられていたが、天の軍勢が、遺骸を移動する前に石の上に置かれたままの包帯だけを見掛けた。覆いの広い布は、埋葬の窪みの足元にあった。
しばらくの間墓の入り口に居た後、 (最初に墓に入った時にははっきりとは見えなかった) マリアは、イエスの遺骸が無くなっているのが分かり、その場所にはこれらの墓用の布があるだけで、マリアは驚きと苦悶の叫びを発した。女性全員は、殊のほか神経質になっていた。都の門での恐慌状態の兵士達との出合い以来、彼女達は、緊張しており、マリアが苦悶のこの悲鳴を発したとき、皆は恐怖に打ちひしがれ、大急ぎで逃げた。彼女たちは、ずっと走りダマスカスで初めて止まった。ヨーアンナの良心は、この時までに、マリアを見捨ててしまったことに傷ついていた。彼女は、仲間を元気づけ、全員で墓に引き返した。
皆が墓に近づいていくと、怯えているマグダラの人、墓から出て来たとき待っていた姉妹が見つけられず一層恐れていたこの人は、そのとき、全員の方へ突進してきて、「あそこにいない—彼らが持っていってしまった。」と興奮して叫んだ。彼女は皆を連れ戻り、そこで、皆は墓に入り、それが空であるのを見た。
それから5人の女性全員は、入り口近くの石に腰を掛けて、状況について話し合った。イエスが復活したとは皆の心にはまだ思い浮かんでいなかった。彼女達は、安息日の間自分たちだけでいたので、遺体は、別の安息所に移されたと推測した。しかし、そのような窮地の解決策を熟考したとき、墓用の布が整然と配置されているという説明に戸惑った。それが巻きつけられていた包帯そのものが、埋葬棚の所定の位置に明らかに完全なまま残されているのでは、いかにして遺体を移動することができたのか。
この新しい日の夜明け前の数時間、これらの女性が、片側に目をやると、静かで動きのない見知らぬ人を見とめた。一瞬、皆は、再び怯えたが、マグダラのマリアは、まるでその人が庭の管理人かもしれないと思ってでもいるように、人物の方に突進して話し掛け、「あるじさまをどこに連れ去ってしまったのですか。皆は、あの方をどこに横たえたのですか。私達が行ってあの方を受け取れるよう教えてください。」と言った。見知らぬ人が答えないと、マリアは泣き始めた。その時、イエスは、彼女達に、「誰を探しているのですか。」と言った。マリアは、「私達は、ヨセフの墓に休息するために横たえられたイエスさまを捜しているのですが、おられないのです。彼らが彼をどこに連れて行ったかご存じですか。」と聞いた。その時、イエスは言った。「このイエスは、死ぬであろうが、再び甦ると、ガリラヤでさえ、あなたに言わなかったか。」これらの言葉は、女性達を驚かせたが、あるじは、非常に変化しており、彼女達は、薄明かりに背を向けているあるじにまだ気づいていなかった。そして、皆があるじの言葉をじっくり考えていると、イエスが、「マリア」と聞き覚えのある声でマグダラの女性に話し掛けた。とても馴染みのある同情と情愛のある挨拶のその言葉を聞いたとき、彼女は、それがあるじの声であることを知り、「ご主人さま、あるじさま。」と叫びながらその足元に跪こうと急いだ。そこで、他の女性は皆、栄光に輝く姿で自分達の前に立つ人があるじであると気づき、その前にすぐに跪いた。
これらの人間の目にイエスのモロンチア姿を見ることが可能にされたのは、その時イエスに同伴していたあるモロンチア人格に加えて、変容者と中間者の特別奉仕に因ってであった。
マリアがその足を抱こうとしたとき、イエスは言った。「私に触れてはいけない、マリア。あなたが知っていた肉体の私とは違うので。父の元に昇る前に、私はこの姿でひととき留まるつもりである。だが全員、いま行きなさい。そして、使徒達に—そして、ペトロスにも—言いなさい。私が甦り、あなた方は私と話したと。」
これらの女性は、驚きの衝撃から回復すると、都へと、そしてエーリージャ・マルコスの家へと急ぎ、そこで起こった全てを10人の使徒に詳しく話した。だが、使徒達は、信じようとはしなかった。最初にかれらは、女性達が幻想を見たと思ったが、マグダラのマリアが自分達へのイエスの言葉を繰り返したとき、そのうえ自分の名前を聞いたとき、ペトロスは、大急ぎで墓にたどり着き、これらのことを自分の目で確かめようと上階の部屋を飛び出していき、ヨハネは、ぴたりとその後に続いた。
女性達は、イエスとの話を他の使徒達に繰り返したが、かれらは、信じようとしなかった。また、ペトロスやヨハネのように自分達で調べようとはしなかった。
2人の使徒がゴルゴタとヨセフの墓を目指して急ぐ間、ペトロスの考えは、恐怖と希望の間を行き来した。かれは、あるじに会うことを恐れはしたが、イエスが自分への特別な知らせを送ったという話に望みが喚起された。かれは、イエスが本当に生きていると半分は説得された。かれは、3日目に甦るという約束を思い出した。このように言うのは奇妙ではあるが、磔以来、エルサレム経由で北へと急ぐこの瞬間までこの約束が心に浮かんではこなかった。ヨハネが都の外へと急いでいるとき、魂に不思議な喜びと希望の法悦がこみ上げた。かれは、女性達が本当に甦ったあるじを見たのだと半分確信した。
ペトロスよりも若いヨハネは、彼を追い抜き最初に墓に到着した。ヨハネは、入口で墓を見ており、そして、それは、ちょうどマリアがそれについて説明した通りであった。シーモン・ペトロスは、すぐに勢いよく駆け上がり、中に入り、墓用の布があまりに異様に配置されている同じ空の墓を見た。そしてペトロスが出て来たとき、ヨハネも入り、すべてを自分の目で確かめ、次に、二人は、見たり聞いたりしたことの意味を熟考するために石に腰を下ろした。そこに掛けている間、かれらは、イエスに関して聞かされたすべてを心でじっくり考えてみたが、起こったことを明確に気づくことができなかった。
ペトロスは、墓が荒されたと、敵が恐らく番人を買収して遺体を盗んだのだと、初めは示唆した。しかし、ヨハネは、遺体が盗まれたのならば、墓は、それほどまでに整然と放置されないはずだと推論し、またどうして包帯が、明らかに完全なままで置き去りにされるようなことになったのか、と疑問をもった。そして、もう一度、二人は、つぶさに墓用の布を調べるために墓に戻った。2度目に墓から出て来ると、マグダラのマリアが、戻ってきて入り口の前で泣いているのを見た。マリアは、イエスがよみがえったと信じて使徒のところへ行ったのであったが、皆が自分の報告を信じようとしなかったとき、意気消沈し、絶望的になった。彼女は、墓の近くに戻ることを切に望み、そこでイエスの懐かしい声を聞きたいと思った。
ペトロスとヨハネが行った後でマリアが長居していると、あるじが、再び現れて言った。「疑ってはいけない。自分の見たこと、聞いたことを信じる勇気を持ちなさい。使徒のもとに戻り、私が甦ったと、私が彼らのもとに現れると、そして、約束したようにやがて彼らが着く前にガリラヤに行くと、再び知らせなさい。」
マリアは、マルコスの家に急いで戻り、イエスとまた話したと使徒に言ったが、かれらは、彼女のいうことを信じようとしなかった。しかし、ペトロスとヨハネが戻ってくると、皆は、嘲笑を止め、恐怖と憂慮に満たされた。
復活したイエスは、そのとき、領域の必滅者の上昇するモロンチア経歴を体験する目的で、短い期間ユランチアで過ごす準備をしている。モロンチアの生活のこの時は、人間の肉体具現の世界で過ごされることになっているが、それは、あらゆる点で、ジェルーセムの7つの大邸宅世界の進歩的なモロンチアの人生を通過するサタニアの人間の経験に対応するであろう。
イエスに固有のこのすべての力—命の天賦—は、そして、死からの復活を可能にしたものは、彼が、王国の信者に与え、そして、自然の死の束縛から今でも復活を確実にする永遠の生命の他ならぬこの贈り物である。
領域の必滅者は、イエスが、この日曜日の朝墓から甦った時の同じ変遷の型か、モロンチアの肉体で復活の朝に甦る。これらの体に循環する血液はなく、そのような存在者は、通常の物質的な食物を摂取しない。それでも、これらのモロンチアの形態は実在する。様々な信者が、復活後のイエスを見たとき、かれらは、本当にイエスを見たのである。かれらは、幻影や幻覚症状の自己欺瞞の犠牲者ではなかった。
イエス復活に関する不変の信仰は、初期の福音教育のすべての支流団体の信仰の基本的な特徴であった。エルサレム、アレキサンドリア、アンチオケ、フィラデルフィアにおいては、すべての福音教師が、あるじの復活に対するこの絶対的な信仰において団結した。
あるじの復活を宣言するマグダラのマリアの際立つ部分を考えるにあたり、ペトロスが使徒のそれであったように、マリアは、女性団体の主要な代表者であったということが記録されなければならない。その長ではなかったが、マリアは、女性労働者の主要な教師であり公の代弁者であった。マリアは、とても慎重な女性となっていたので、ヨセフの庭の管理人であると思った男性に、彼女が話すというその大胆さは、単に墓が空であると分かり、いかにぞっとしたかを示すに過ぎない。それは、マリアの愛の深さと苦悩、熱情の豊さであり、それが、見知らぬ男性への接近をユダヤ女性に従来から禁止されていることを、しばらくの間、忘れさせた。
使徒達は、イエスが自分達を置き去りにすることを望まなかった。したがって、かれらは、甦る約束と合わせて、死ぬことに関するすべての声明を軽んじていた。それが起こったようには復活を期待していなかったし、かれらは、疑いようのない、強制的な証拠と自身の経験の絶対的な裏付けに直面するまで信じることを拒否した。
彼らが、イエスに会い話をしたという5人の女性の報告を信じることを拒否したとき、マグダラのマリアは、墓に戻り、他は、ヨセフの家に戻り、そこで自己の経験を娘と他の女性達に伝えた。女性達は、その報告を信じた。6時直後、アリマセアのヨセフの娘とイエスに会った4人の女性は、ニコーデモスの家に行き、そこでヨセフ、ニコーデモス、ダーヴィド・ゼベダイオス、それに集合していた他の男性達にこれらの出来事すべてを伝えた。ニコーデモスと他の者は、女性達の話を疑った。かれらは、イエスが死から甦ったということを疑った。かれらは、ユダヤ人が遺体を取り払ったと推測した。ヨセフとダーヴィドは、その報告を信じる気があり、その思いがとても強く、墓を点検するために急いで行くほどであり、そうして女性達が説明した通りのすべてを見つけた。また、高僧が墓用の布を取り除くために寺院の衛兵の隊長を墓に行かせたので、墓所のその有り様を見たのはこの二人が最後であった。隊長は、それら全部を麻布に包み近くの断崖に放り投げた。
ダーヴィドとヨセフは、すぐに墓からエーリージャ・マルコスの家に行き、そこで、10人の使徒と上階の部屋で会合を開いた。ヨハネ・ゼベダイオスのみが、イエスが死から甦ったと、微かにではあるが、信じる傾向にあった。ペトロスは、最初は信じたが、あるじが見つけられなかった時点で険悪な疑いに陥った。彼らは全員、ユダヤ人が遺体を取り除いたと信じようとした。ダーヴィドは、反論しようとはしなかったが、去るに当たり、「あなた方は使徒である。そして、これらのことを理解すべきである。私は、あなた方と争うつもりはない。それでも、私は、今朝、使者達に集まるように手配をしたニコーデモスの家にこれから戻り、皆が集合したところであるじの復活の告知者として、彼らを最後の任務に送るつもりである。死後3日目に甦るとあるじが言われたことを聞いたから、私は、あるじを信じる。」通信と情報のこの自薦の長は、このように悄気て心細い王国の大使達に話して、使徒達を後にした。かれは、上の部屋からの帰り、使徒の全基金入りのユダの袋をマタイオス・レーヴィイの膝に落とした。
ダーヴィドの26人中の最後の使者がニコーデモスの家に到着したのは、およそ9時半過ぎであった。ダーヴィドは、即座に広々とした中庭に皆を集めて講演をした。
「諸君、同胞よ、君達は、私とお互いの誓いに基づき私に、そしてお互いにずっと仕えてきてくれた、そして私は、かつて誤った情報を君達の手に一度も発したことがないということをあなたに注目を促す。私は、王国の有志の使者として君達を最後の任務に送り出すと同時に、君達を誓いから解放し、それによって使者軍団を解散させるところである。諸君、私は、我々の仕事を終えたと宣言する。あるじは、これ以上人間の使者を必要としない。かれは、死から甦った。死んで3日目に再び甦ると、逮捕される前に我々に言われた。私は墓を見た—それは空であった。私は、マグダラのマリアと他の4人の女性と話した。その女性達は、イエスと話した。私は、今あなた方を解散させ、君達に別れを告げ、それぞれの任務に送り出す。そして、君達が信者として運ぶ知らせは次の通りである。『イエスは甦えられた。墓は空である。』」
出席する大半の者が、これを実行しないようにダーヴィドを説得しようと努力した。しかし、かれらは、影響を及ぼすことができなかった。そこで、使者達に思い留まらせようとしたが、使者達は、疑いの言葉を意に介そうともしなかった。そして、日曜日の朝、10時直前、この26人の走者は、復活したイエスの力強い真実-事実の最初の伝令者として出発した。そして、過去に多くの任務に着いたように、この任務に、ダーヴィド・ゼベダイオスと互いへの誓いの遂行に着いた。これらの男性は、ダーヴィドを格段に信頼していた。かれらは、イエスを見た人々と話すために留まりさえせずにこの任務へと出発した。使者達は、ダーヴィドの言葉をそのとおりに信じた。彼らの大多数は、ダーヴィドの言葉を信じ、いくぶん疑った者でさえ、同様に確かに、迅速に知らせを伝えた。
使徒達、王国の精神霊的軍団は、この日上の部屋に集い、そこで恐怖を表し、疑いを明確にしたとは言え、これらの俗人は、恐れを知らない、有能な指導者のもと、あるじの人の兄弟愛の福音を社会化する初の試みをして世界と宇宙の甦った救世主を宣言するために先へ進む。そして、使者達は、白羽の矢がたてられた代表が、進んでイエスの言葉を信じたり、または目撃者の証言を受け入れようとする以前に、この多時多端の活動に従事する。
この26人は、ベサニアのラーザロスの家、南のベーシェバからダマスカスと北のシドーン、それに東のフィラデルフィアから西のアレキサンドリアへの信者の中心地のすべてにむけて派遣された。
ダーヴィドは、同胞に暇乞いをすると、母を訪ねてヨセフの家に回り、それから皆で、イエスの家族に合流するためにベサニアに向かった。かれらは、自分達の俗世の所有物を処分してしまうまで、マールサとマリアのいるベサニアに滞在し、フィラデルフィアにいる姉妹の兄弟ラーザロスに合流する二人の旅に同行した。
ヨハネ・ゼベダイオスは、この時から約1週間をかけてイエスの母マリアをベスサイダの自分の家へ連れて行った。ジェームス、イエスの一番上の弟は、家族とエルサレムに留まった。ルースは、ラーザロスの姉妹とベサニアに残った。残るイエスの家族は、ガリラヤに戻って行った。ダーヴィド・ゼベダイオスは、イエスの末の妹ルースとの結婚後、6月の初旬マールサとマリアとともにベサニアを発ってフィラデルフィアに向かった。
イエスは、モロンチア復活時から天上の精霊上昇時まで、地上の信者に見える姿で19回にわたり姿を現した。かれは、敵にも、可視の自分の姿の顕示を精霊的に役立てることのできない人々の前にも現れなかった。墓での5人の女性への出現が、最初であった。2回目も、マグダラのマリアに、墓においてであった。
3回目の出現は、この日曜日の正午頃ベサニアで起きた。正午直後、イエスの最年長の弟ジェームスは、1時間ほど前にダーヴィドの使者によってもたらされた知らせに思いを巡らせながら、マールサとマリアの復活した兄弟の空の墓の前にあるラーザロスの庭に立っていた。ジェームスは、常に一番上の兄の地球での任務を信じる傾向にあったが、長らくイエスの仕事との接触が途絶えており、しかもイエスが救世主であるという使徒の後の主張に関して容易ならぬ疑問へと流されていった。使者がもたらした知らせに、家族全体が、動転し、本当に途方にくれた。ちょうどジェームスが、ラーザロスの空の墓の前に立ったいると、マグダラのマリアが、その場に到着し、早朝数時間のヨセフの墓での経験を家族に興奮して伝えていた。話し終える前に、ダーヴィド・ ゼベダイオスとその母が到着した。ルースは、もちろん報告を信じ、ユダも、ダーヴィドとサロメと話した後で信じた。
その間、皆がジェームスを探し回り、彼を見つけ出す前に、ジェームスが墓近くの庭に立っていると、かれは、まるでだれかが肩に触れたかのような間近な存在に気づいた。彼が、振り返ると側に見なれない格好の緩やかな姿を見た。ジェームスは、話しをするには肝を潰し、逃れるにはあまりにも怯えていた。その時、見も知らぬ姿は、「ジェームス、私は君に王国の奉仕への呼び掛けに来た。同胞としっかり手を繋ぎ、私のあとについて行きなさい。」と言った。ジェームスは、自分の名前が口にされるのを聞いたとき、自分に話したのは一番年上の兄イエスであると分かった。彼らは皆、多かれ少なかれ、あるじのモロンチアの姿の認識に苦労をしたが、イエスが一度意思伝達を始めると、彼らの中の僅かの者だけが、その声を認識したり、さもなければ人を魅きつけるその人柄を確認するのに苦労をした。
ジェームスは、イエスが自分に話していると察すると、膝をつきながら、「私の父、私の兄上、」と大声で言ったが、イエスは、話しをしながらジェームスに立つように言った。それから、二人は、庭を歩き、3分ほど話した。過ぎ去った数日間の経験について語りあい、近い将来の出来事を予測をした。家に近づくとイエスは、「ではジェームス、お前達を一斉に迎えるまで。」と言った。
彼らが、ちょうどベスファゲでジェームスを探しているときに、ジェームスは、家に走り、「たった今イエスに会い話したり、話した。死んではいない。甦っている。『では、お前達を一斉に迎えるまで。』と言って私の前から消えられた。」と大声で言った。ユダが戻ったとき、ジェームスは、ほとんど話し終えていた。そこでかれは、ユダのために庭でのイエスとの邂逅の経験を再び語った。彼らは全員、イエスの復活を信じ始めた。ジェームスは、そのとき、自分はガリラヤには帰らないと発表した。ダーヴィドは、大声で言った。「あの方は単に興奮している女性達だけに見られたのではない。強い心の男達も会うようになった。私は、彼自身に会うのを期待する。」
ダーヴィドは、長い間待たなかった。イエスの地球の家族とその友人、全部で20人の前にありありと現れたイエスの人間認知への4回目の出現は、マールサとマリアの他ならぬこの家で、2時にほんの少し前に起きた。あるじは、開いている裏口に現れて言った。「君達の上に平和あれ。かつて肉体をもつ私の近くに居た者に挨拶を、それに、天の王国の私の兄弟姉妹のために親交を。どうして疑うのか。全心で真実の光について行くことを選ぶのに、なぜそれ程までに手間取るのか。来なさい、君達すべてが、父の王国の真実の精霊の親交へと。」彼らが、驚きの最初の衝撃から立ち直り、あたかも彼を抱くために近づくかに見えたとき、イエスは、皆の視覚から消え失せた。
かれらは、疑っている使徒に起きたことを告げるために都へ急行したく思ったが、ジェームスは押し止めた。ただ、マグダラのマリアだけが、ヨセフの家に戻ることを許された。ジェームスは、庭で話しを交わしたとき、イエスが言ったある事のためにこのモロンチア訪問の事実を広く発表することを禁じた。しかし、ジェームスは、この日ベサニアのラーザロスの家での甦ったあるじとのさらなる会話を決して明らかにしなかった。
人間の目による認識へのイエスの5番目のモロンチア顕現は、アリマセアのヨセフの家に集まったおよそ25人の女性信者の面前で、この同じ日曜日の午後4時15分過ぎに起きた。マグダラのマリアは、この出現のわずか数分前にヨセフの家に戻っていた。ジェームス、イエスの弟は、ベサニアでのあるじの出現に関して使徒には何も伝えないようにマリアに頼んでおいた。かれは、姉妹信者への報告を控えるようには求めていなかった。従ってマリアは、女性全員に秘密の保守を約束させてから、ベサニアでつい最近イエスの家族といた間に起きたことを詳しく話しにかかった。突然で、しかも厳かな静けさが皆を襲ったとき、マリアは、この感動的な物語のそのただなかにいた。皆は、自分達のその真ん中に復活したイエスの目に見える完全な姿を凝視した。イエスは、皆に挨拶をして、「君達に平和あれ。王国の親交には、ユダヤ人も非ユダヤ人も、金持ちも貧乏人も、自由も束縛も、男も女もない。また、君達方は、天の王国の神と共に子息性の福音を通して人類を解放する朗報を発表するために召喚されている。この福音を公布し、福音への信仰を信者に確かめて全世界に行きなさい。そして、こうする間、病人への奉仕と気が弱く恐怖に支配されている者を力づけることを忘れてはいけない。私は、いつも地の果てまでさえも、君とともにいる。」と言った。そして、イエスは、このように話すと皆の視界からいなくなり、その間女性達は、顔を伏せて黙って礼拝した。
これまでに起きているイエスの5回のモロンチア出現のうち、マグダラのマリアは、4回目撃していた。
午前の半ば頃、使者派遣の結果から、それにヨセフの家でのイエスのこの出現に関しての無意識の情報の洩れから、イエスが甦ったということ、多くの者が会ったと主張しているということが、都周辺で報告されていると、宵にユダヤの支配者達に情報が届き始めた。シネヅリオン会員達は、この噂に完全に興奮していた。ハナンージャとの慌しい相談の後、カイアファスは、その晩8時にシネヅリオン派の会議を招集した。イエスの復活に言及した者は誰でも、ユダヤの会堂から追放する措置が採択されたのは、この会議であった。彼に会ったと主張する者は誰でも、死に追いやられるべきであるとさえ提案された。しかしながら、この提案は、会議が、事実上、恐慌状態に境を接するほどの混乱に陥ったので、裁決には至らなかった。彼らは、イエスとは関係ないと敢えて考えた。彼らには、ナザレの男との本当の問題が、ちょうど始まったところだということが、明らかになろうとするところであった。
4時半過ぎ、フラーヴィオスという者の家で、あるじは、およそ40人のギリシア人信者への6回目のモロンチアの出現をした。あるじ復活の報告の議論に従事していると、戸はしっかりと閉じられているにもかかわらず、かれは、皆の真ん中に姿を現し、全員に向けて言った。「君達に平和あれ。人の息子は、地球でユダヤ人の間に現れはしたが、すべての人に仕えに来た。父の王国には、ユダヤ人も非ユダヤ人もいない。君達は皆、同胞—神の息子—である。それ故、君達が王国の大使からそれを受けたように、救済のこの福音を宣言して全世界に向けて行きなさい。そして、私は、信仰と真実の父の息子達の兄弟の関係で君達と親交する。」このように皆に託すと、かれは、去っていき、もう見えなかった。彼らは、夜ずっと家に残っていた。彼らは、思い切って出ていくには、あまりにも畏敬と恐怖に打ち負かされていた。その夜、これらのギリシア人もまた眠らなかった。これらのことを議論し、あるじが再び訪れることを望みながら寝ずにいた。この一団の中には、ユダが口づけで彼を裏切り、兵士がイエスを逮捕したときにゲッセマネにいたギリシア人の多くがいた。
イエス復活の噂と追随者への数多い出現に関する報告は、忽ちのうちに広まり、全都は高い興奮状態にある。すでに、あるじは、自分の家族、女性達、およびギリシア人達に現れ、やがては使徒の間に現れる。シネヅリオン会員達は、ユダヤの支配者達にあまりにも突然に押しつけられたこれらの新しい問題の考慮を始めるところである。イエスは、使徒達のことを非常に考えてはいるが、訪ねる前に使徒達にさらに数時間の厳粛な反省と思いやりのある考察をさせることを願っている。
エッマウスに、エルサレムのおよそ11キロメートル西に、羊飼いの2人の兄弟が暮らしていた。その羊飼い達は、生贄、儀式、祝宴に参列して、過ぎ越しの週をエルサレムで過ごした。年上のクレオーパスは、多少なりともイエスの信者であった。少なくとも、ユダヤの会堂からは追放されていた。弟のヤコブは、あるじの教えに関して聞いたことに非常に好奇心をそそられてはいたが、信徒ではなかった。
この日曜日の午後、5時には数分前に、2人の兄弟は、エルサレムからほぼ5キロメートルの道路に沿って重い足取りでエッマウスに向けて歩きながら大真面目にイエスのことを、その教え、仕事、とりわけその墓が空であるということや、ある女性がイエスと話したという噂について話していた。クレオーパスは、これらの報告を半分は信じる思いであったが、ヤコブは、おそらくは全部が誤魔化しであると言い張った。二人が、家へと向かいながらこのように口論し、議論していると、イエスのモロンチア顕現、その7回目の出現が、旅を続ける二人の横側で起きた。クレオーパスは、しばしばイエスが教えるのを聞き、数回エルサレムの信者達の家で共に食事をしたことがあった。しかし、クレオーパスは、あるじが自由に二人と話したときでさえあるじだとは気づかなかった。
短い距離を共に歩いた後で、イエスは言った。「君達に遭遇したとき、二人は何を熱心に言い交わしていたのですか。」イエスが話すと、二人は、じっと立って、悲しげな驚きでイエス見た。クレオーパスは、「あなたはエルサレムに滞在されたのに、最近起きた事を知らないということがあり得るでしょうか。」と言った。すると、あるじは、「どんな事ですか。」と尋ねた。クレオーパスは答えた。「これらの事柄に関してご存じないならば、神と全ての人々の前で言葉と行動において強力な予言者であるナザレのイエスに関する噂を聞かなかったのは、エルサレムであなたがただ一人です。主要な祭司長と我々の支配者達は、イエスをローマ軍へ引き渡して磔を要求しました。我々の多くは、非ユダヤ人のくびきからイスラエルを救い出す者が、彼であることを望んでいました。でも、それが全てではありません。磔にされてから今日が3日目であり、一部の女性達が、今朝とても早くに墓に行ってみますと、それが空であることがわかった、という申し立てに今日我々は、驚いているのです。そして、同じこれらの女性は、この男性と話したと主張するのです。イエスは、死から甦ったと主張するのです。そして、女性達がこれを男性達に報告しますと、2人の使徒が、墓に走って行き、同様にそれが空であることが分かったのです。」—ここで、ヤコブは、「でも、彼らは、イエスを見ませんでした。」と言って兄を遮った。
一緒に歩きながらイエスは、二人に言った。「君達は、真実を理解するのに何と時間の掛かることか。君達が、この男性の教えと仕事に関すること、二人で議論をしたということを私に言うのであれば、私は、これらの教えに十二分に馴染みがあるので、君達に教示できるかもしれない。君達は、彼の王国が現世のものでないこと、神の息子であるすべての人が、天の父の愛の真実のこの新しい王国において愛ある奉仕を兄弟愛の親交の精霊的な喜びに解放と自由を見つけなければならないと、このイエスがつねに教えたことを覚えてはいないのか。君達は、病人や苦しめられている者に仕え、また恐れに縛られている者や、悪の俘にされている者を解放するこの人の息子が、すべての人のためにどのように神の救済を宣言したかを思い出さないのか。君達は、ナザレのこの男性が、エルサレムに行かなければならないと、自分を殺そうとする敵に引き渡されなければならないと、また3日目に甦ると弟子に言ったことを知らないのか。このすべてを君達は伝えられていないのか。そして、ユダヤ人と非ユダヤ人に対する救済のこの日に関し、彼の中で地球のすべての家族が祝福されるということに言及する個所を聖書で一度も読んでいないのか。貧しい者の叫び声を聞き、彼を探す貧しい者の魂を救うということ、万国が、彼を祝福されている者と呼ぶであろうということ。そのような救出者は、うんざりする土地の巨大な岩石の影のようなものであるということ。かれは、腕に子羊を集め、胸で優しくそれらを運び、本当の羊飼いのように群れに餌を与えるであろうということ。かれは、精霊的に盲目な者の目を開き、絶望の虜を完全な自由と光の中へ連れだすということ。暗闇に座る全ての者は、永遠の救済の大いなる光を見るということ。心傷ついた者に包帯を巻きつけ、罪の虜になった者に自由を宣言し、また恐怖の俘にされたり、悪に束縛される者の牢を開けるということ。かれは、悲しむ者を慰め、嘆きと重苦しさの代わりに救済の喜びを与えるということ。かれは、万国の願望と正義を求める者の永続する喜びとなるということ。真実と正義のこの息子は、癒しの光と救いの力を携え世界に甦るということ、人々をその罪から救いさえするということ。迷える者を本当に探し、救うということ。弱い者を滅ぼすのではなく、正義に飢え渇く全ての者に救済を施すということ。彼を信じる者は、永遠の命を得るということ。かれは、すべての肉体に自分の精霊を注ぐということ、そしてこの真実の精霊は、それぞれの信者の中で永遠の命へと湧き出る水の井戸となるということ。君達は、この男性が、君達に届けた王国の福音がどれほどに素晴らしいかということを理解していなかったのか。どれほどに素晴らしい救済がやってきたということを悟らないのか。」
この時までには、この兄弟の住む村に近づいていた。道沿いに歩きながらイエスが二人に教え始めてからずっと、この二人の男性は、一言も話していなかった。三人は、兄弟の粗末な住いの前にすぐ到着し、そこでイエスは、道を下り二人を後にするところであったが、兄弟は、イエスに入って留まるように強いた。二人は、日暮れ近くであるということと、自分達と留まることを主張した。ようやく、イエスは同意し、そこで、三人は、家に入るとすぐに食べるために座った。兄弟は、祝福するパンをイエスに与え、イエスがそれをちぎり二人に手渡すと、二人の目は開かれ、クレオーパスは、自分達の客があるじ自身であると気づいた。そして、彼が「あるじさまだ、」と言ったときは、モロンチアのイエスは、二人の視覚から消え去った。
そこで、「道路沿いに歩きながら話されているとき、心が熱くなり、聖書の教えを私達に分かり易く理解させたのも当然だ。」と二人は、お互いに言った。
二人は、食べるために留まろうとはしなかった。二人は、モロンチアのあるじを見た。そして、家から飛び出し、甦った救世主の朗報を広げるためにエルサレムへと急いで戻った。
その晩、9時頃、あるじが10人の前に現れる直前、この二人の興奮した兄弟が、上の部屋にいる使徒達に割り込み、イエスに会って話しをしたと主張した。そして、彼らは、自分達に言われた全てや、彼が誰であるかをパンをちぎるまで見分けていなかったこと全てを伝えた。
復活の日曜日は、使徒の人生においてひどい日であった。10人は、1日のかなりを扉に閂をかけた上階の部屋で過ごした。彼らは、エルサレムから逃げだせたかもしれないが、もしかして外で見つけられ、シネヅリオン派の回し者に捕らえられることを恐れていた。トーマスは、ベスファゲで一人自分の問題に思いをめぐらせていた。彼が、仲間の使徒とともに残っていたならば、 うまくやっていけたであろうに、またより役立つ線に沿う議論を引き出す助けをしたであろうに。
ヨハネは、イエスが甦ったという考えを一日中是認した。あるじが再び甦るとそして3日目と、暗示したのは少なくとも3回であったと数え直した。異なる機会に少なくとも5回以上、ヨハネの態度は、皆に、特にジェームスとナサナエルの兄弟にかなりの影響を及ぼした。ヨハネが、一団の最年少者でなかったならば、彼らにさらに影響したことであったろう。
各自の孤立は、各人の問題と非常に関係があった。ヨハネ・マルコスは、寺院周辺の情報と都で広まっている多くの噂を彼らに知らせ続けたが、イエスが、すでに現れた異なる集団信者からの情報収集ということは、彼には思い浮かばなかった。それは、これまでダーヴィドの使者によって与えられてきた活動の種類であったが、使者達は、エルサレムから遠く離れて住む信者集団に復活を触れ回る最後の任務で全員不在であった。王国の仕事に関する日々の情報においてどれほどまでにダーヴィドの使者に依存していたかを、使徒達は、これらの年月を経て初めて理解した。
ペトロスは、この日丸一日、あるじの復活に関して特徴的、感情的に信仰と疑問の間で揺れていた。ペトロスは、まるでイエスの体がちょうど墓用の布の中から蒸発したかのように、墓のそこにあるその布の光景から逃がれることができなかった。「しかし、」ペトロスは、「甦り、女性達に自分を見せることができるならば、なぜ我々使徒には見せないのか。」と考えた。彼が、ハナンージャの中庭でその夜、彼を否定したことであり、自分が使徒の間にいたので、イエスは、多分皆のところには来ないと考えるとき、ペトロスは、悲しくなるのであった。同時に、かれは、その女性によってもたらされた「行って使徒に—そして、ペトロスに—言いなさい。」という言葉に励まされるのであった。しかし、この報告から励みを得るには、女性達が本当に復活したあるじを見て聞いたということを彼が信じなければならないということを意味した。このように、ペトロスは、8時少し過ぎまで、思い切って中庭へ出るまで、一日中信仰と疑いの間を行き来した。ペトロスは、自分があるじを否定したことにより、イエスが使徒の前に来ることを防げることのないようにと皆から立ち去ろうと考えた。
ジェームス・ゼベダイオスは、初めに、全員で墓に行くことを提唱した。神秘の真相を究明するための何かをすることを強く支持した。ジェームスの強い勧めに反応して人前に出かけることを防いだのはナサナエルであり、このとき命を過度に危険にさらさないようにとのイエスの警告を皆に思い出させることによりこうしたのであった。正午までに、ジェームスは、他の者と共に落ち着いて注意深く待機をしていた。ジェームスは、あまり口をきかなかった。かれは、イエスが自分達に姿を見せないのでひどく失望し、しかも他の集団や個人へのあるじの幾度もの出現を知らなかった。
アンドレアスは、この日多くのことに耳を傾けた。かれは、状況に甚だ当惑し、人一倍の疑いを持っていたが、少なくとも使徒仲間の指導的責任からの開放感を味わった。心を悩ます時がのしかかる前に、あるじが指導者の重荷から自分を釈放してくれたことに、かれは本当に感謝した。
この悲惨な日の長く、疲れる時間の中で、一度ならず、集団を維持する唯一の影響力は、ナサナエルの哲学的特徴の助言での頻繁な貢献であった。かれは、実に1日中、10人の中での操縦的な影響力であった。一度として、かれは、あるじの復活への信念、あるいは疑惑に関しても自己を表明することは決してなかった。しかし、時間が経つにつれ、かれは、イエスが再び甦るという約束を果たしたとますます信じる傾向にあった。
シーモン・ゼローテースは、議論に参加するには打ちひしがれ過ぎていた。かれは、壁に顔を向けて部屋の隅の寝椅子に凭れ掛かっていることが多かった。1日を通して話したは6回もなかった。彼の王国の概念は、音をたてて崩壊し、あるじの復活が実質的に状況を変えることができ得たことを認識できなかった。彼の失望は、非常に私的なものであり、復活のように途轍もない事実に直面してでさえ急には回復できないほどに切実なものであった。
記録するには奇妙なことだが、平素は無表情なフィリッポスにしては、この日の午後は口数が多かっった。午前中にはあまり口を開かなかったが、午後はずっと他の使徒に質問をした。ペトロスは、フィリッポスの質問にしばしば苛立ったが、他の者は、穏やかにその質問に対応した。イエスが本当に墓から甦ったのであるならば、その身体に磔の物的な跡形があるのかどうかを特に知りたいと願ってやまなかった。
マタイオスは非常に混乱していた。かれは、仲間の議論を聞いてはいたが、心では自分達の将来の経済問題に思いを巡らせながら大部分の時間を費やした。イエスの想定された復活にもかかわらず、ユダは、いなかった。そして、ダーヴィドは、マタイオスに気軽に基金を渡し、かれらは、信頼すべき権威ある指導者なしであった。復活に関する重大な考慮をする時間をもつ以前に、マタイオスは、すでにあるじに直接会っていた。
アルフェウスの双子は、これらの重大な議論にあまり加わらなかった。二人は、通常の奉仕でかなり忙しくしていた。フィリッポスに訊かれた質問への返答で、「復活については分からないが、母があるじと話したと言うのであるから母を信じる。」と言ったとき、二人のうちの一人は、両者の態度を示した。
トーマスは、絶望的な抑鬱の特徴的な発作の最中にいた。かれは、1日の一部を睡眠で、残りの時間を丘で歩き回って過ごした。再び仲間の使徒に再会したいという衝動を感じはしたが、一人でいる願望の方が強かった。
あるじは、多くの理由から使徒への最初のモロンチア出現を延期した。第一に、彼らが、自分の復活について耳にした後、まだ肉体の姿で共にいたときに、彼が死と復活について話したことについてよく考える時間を皆に望んでいた。皆の前に現れるに先だって、あるじは、ペトロスが彼に固有の幾つかの困難と取り組むことを望んだ。第二に、かれは、最初の出現時点でトーマスが居合わせることを望んでいた。ヨハネ・マルコスは、この日曜日の早朝ベスファゲのシーモンの家にトーマスの居場所をつきとめ、11時頃に使徒に知らせを持って来た。ナサナエルまたは他の2人の使徒が、この日のうちに迎えに行っていたならば、トーマスは、戻っていたことであろう。かれは、本当に戻りたかったのだが、その前夜の去り方が去り方であっただけに自ら戻るには自尊心が高すぎた。かれは、翌日までには非常に落ち込んでいて、回復するにほぼ1週間を要するほどであった。使徒達は、トーマスを待ち、トーマスは、同胞が自分を捜し出し、戻るように頼むことを待っていた。その結果、トーマスは、ペトロスとヨハネが、次の土曜日の夕方暗くなってからベスファゲにやって来て、彼を連れ戻るまで仲間から離れたままであった。これも、イエスが最初に使徒に姿を見せてからすぐにガリラヤに行かなかった理由でもある。かれらは、トーマスを伴わずには行こうとはしなかった。
イエスがマルコスの家の庭でシーモン・ペトロスに姿を現したのは、この日曜日の夜、8時半頃であった。これは、8回目のモロンチア顕現であった。ペトロスは、あるじを否定して以来、懐疑と罪悪感の重荷の下で生きていた。土曜日とこの日曜日のまる二日間、自分はもはや恐らく使徒ではないという恐怖と闘っていた。ユダの運命に身を震わせ、自分もまた、あるじを裏切ってしまった、と思いさえした。もちろん、もし本当に甦ったのであるならば、イエスが使徒の前に現れるのを妨げているのは自分の同席のせいかもしれないと、かれは、この午後ずっと考えていた。そして、イエスが現れたのは、打ち萎れたこの使徒が、そのような心境で、そのような魂の状態で花と潅木の中を逍遥していたペトロスにであった。
ペトロスが、ハナンージャの柱廊の玄関を通過した時、あるじの情愛深い表情を思いやったとき、また、その朝早々に空の墓から来た女性達が持たらした「「行って使徒に—そして、ペトロスに—言いなさい。」というその素晴らしい伝言に思いを巡らすとき—これらの慈悲の印を深く考えるとき、彼の信仰は、懐疑を打ち破り始め、かれは、静止し、拳を握りしめて、声高に言った。「私は、あの方が甦ったと信じる。同胞に告げに行こう。」こう言うと、正面に人の姿をした者が、突然現れ、耳慣れた声で言った。「ペトロス、敵は、君を手に入れようと願っていたが、私は君を諦めようとはしなかった。私には君が心から私との縁を切ったのではないことが分かっていた、だから、君が求める前にすら許していた。しかし、暗闇に座る人々に福音の朗報を届ける準備をする間、いま君は、自分自身と現時点の問題について考えることを止めなければならない。もはや、自分が王国から得られるものに関心をもつよりも、むしろ、差し迫っている精霊窮乏の中で生きる人々に与えることができることに汗を流すべきである。仕度をしなさい、シーモン。新しい日の戦いのために、精霊の暗黒との戦い、そして人間本来の心の中の邪悪な懐疑での藻掻きのために。」
ペトロスとモロンチアのイエスは、庭を歩き、過去、現在、未来の事について5分間ほど話した。そして、あるじは、「それでは ペトロス。君の同胞と共に君に会う時まで」と言い、見つめているペトロスの前から消え去った。
しばらくの間、ペトロスは、復活したあるじと話したということ、まだ自分は王国の大使であり得るという認識に圧倒されていた。栄光に輝くあるじが、自分に福音を説き続けるように勧めるのをたった今聞いたのであった。そして、このすべてが心の中にこみ上げる状態で、かれは、上の部屋へと、仲間の使徒のいるところへと急行し、息を切らせた興奮のまま、「あるじさまを見た。庭におられた。私は話をしたし、あの方は私を許された。」と大声で言った。
庭でイエスを見たというペトロスの主張は、仲間の使徒に深い印象を与え、そこで、アンドレアスが、立ち上がり、彼らに弟の報告にあまり影響を受けないように警告したとき、皆には疑心を捨て去る用意がほぼできていた。アンドレアスは、ペトロスが、以前本当でないものを見たことがあると仄めかした。アンドレアスは、あるじが自分達の方に水の上を歩いて来るのを見たとペトロスが主張するガリラヤ湖上での夜の幻影には直接に言及はしなかったが、この事件を思い描いているということは、居合わせる者全てに示すには充分であった。シーモン・ペトロスは、兄の仄めかしに非常に傷つき、すぐさま元気のない沈黙に陥った。双子は、とても気の毒に思い、同情の念を表わし、自分等は、彼を信じており、また二人の母もあるじを見たと重ねて主張するためにペトロスの方に行った。
その夜9時直後クレオーパスとヤコブの出発後、アルフェウスの双子は、ペトロスを慰め、ナサナエルは、アンドレアスを諌め、10人の使徒が、逮捕の恐怖に上階の部屋の全ての戸に閂をかけて集合していると、モロンチア姿のあるじが、皆の直中に突然現れて言った。「君達に平和あれ。まるで精霊でも見たかのように、私が現れるとなぜそのように怯えるのか。私は、生身で共にいる時、君達にこれらのことを話しはしなかったか。私は、殺すために祭司長と支配者達に引き渡されると、君達の一人が私を裏切ると、そして3日目に甦ると言わなかったか。女性達、クレオーパス、ヤコブの報告について、さらにはペトロスの報告についてさえ、いかなる訳での、君達全員の疑いと議論なのか。どれくらい、君達は、私の言葉を疑い、私の約束を信じるのを拒否するのであろうか。また君達は、いま実際に私を見ていて、信じてもらえるのか。今でも、君達の1人は不在である。もう一度、君達が集められるとき、 そして、人の息子が墓から甦ったと全員が確信してから、そこから、ガリラヤに向かいなさい。神を信じなさい。互いを信じなさい。そうして、天の王国の新しい奉仕に身を投じなさい。ガリラヤに向かう用意ができるまで、私は、君達と共にエルサレムに留まるつもりである。私の平和を君達に残す。」
モロンチアのイエスは、話し終えると、すぐさま皆からは見えなくなった。彼らは全員、顔を伏せ、神を称賛し、消え去ったあるじを敬った。これがあるじの9回目のモロンチア出現であった。
翌日、月曜日は、そのときユランチアにいたモロンチアの被創造物と共に費やされた。あるじのモロンチア変遷の経験における関係者として、100万人以上のモロンチア指導官や同僚が、サタニアの7大邸宅世界からの様々な序列の過渡期にある生き物とユランチアにやって来た。モロンチアのイエスは、これらのすばらしい有識者と40日間を共に過ごした。彼らに命令し、また、皆がモロンチア圏の体制を通過する間、かれは、サタニアの棲息界の生き物が横断する際、モロンチア変遷の生活を指導官達に学んだ。
この月曜日の真夜中頃、あるじのモロンチアの姿は、モロンチア進行の第二段階への変遷のために調整された。あるじが次に地球の人間の子供達に出現したとき、それは、第二段階のモロンチア存在体としてであった。あるじがモロンチア経歴における進歩とともに、モロンチア有識者とその変遷する仲間にとり、人間の目と物質的な目ではあるじを見ることが、技術的にますます難しくなった。
イエスは、4月14日、金曜日にモロンチアの第3段階への変遷を果たした。17日、月曜日、第4段階へ。22日、土曜日、第5段階へ。27日、木曜日、第6段階へ。5月2日、火曜日、第7段階へ。7日、日曜日、ジェルーセム市民へ。そして14日、日曜日にエデンチアのいと高きものの迎え入れに。
この様に、ネバドンのマイケルは、前の贈与に関連して星座の本部での滞在から超宇宙本部奉仕への、またそれを通じてさえの時空間の上向する必滅者の人生を完全に経験したので、宇宙経験の奉仕を終了した。そして、これは、ネバドンの創造者たる息子が、7回目の、そして最後の宇宙贈与を本当に終え、しかも適切に終了したのは、まさしくこれらのモロンチア経験によってであった。
人間認識へのイエスの10回目のモロンチア顕現は、4月11日、火曜日の8時少し過ぎにフィラデルフィアで起こり、そこで、かれは、アブネー、ラーザロス、70人以上の福音伝道者軍団を含む150人ほどの仲間に姿を見せた。この出現は、ダーヴィドの使者によってもたらされたイエスの磔と、つい最近の復活の報告を議論するためにアブネーに召集された特別な会堂での会合の直後に起きた。復活したラーザロスが、現在この信者集団の構成員であるが故に、イエスが甦ったという報告を信じるのは、彼らには難くはなかった。
信者の全聴衆があるじの姿が突然現れるのを見たとき、会堂での会合は、アブネーとラーザロスによって開かれたばかりで、二人は、聖壇に並んで立っていた。あるじは、アブネーとラーザロスの間に現れた場所から進み出た。そのどちらも、イエスを見てはいなかった。イエスは、一行に挨拶をしながら言った。
「君達に平和あれ。君達は皆、我々には天に1人の父がおられるということ、そして、わずかに一つの王国の福音—人が信仰によって受ける永遠の生命の贈り物に関する朗報—しかないことを知っている。君達が、福音への忠誠を喜ぶように、心で同胞に対する新しく、よりすばらしい愛を広く注ぐために真実の父に祈りなさい。私が君達を愛していたように、君達はすべての人を愛するようになっている。私が君達にしたように、君達はすべての人に仕えるようになっている。理解に基づく思いやりと兄弟らしい愛情で、ユダヤ人であろうが、非ユダヤ人であろうが、あるいは、ギリシア人であろうがローマ人であろうが、ペルシア人であろうがエチオピア人であろうが、朗報の公布に捧げられるすべての同胞と親交を持ちなさい。ヨハネは、前もって王国を宣言した。君達は、力つよく福音を説いた。ギリシア人は、すでに朗報を教えている。私は、すぐに真実の精霊をこれらの全ての魂に、私の同胞に、人生を精霊の暗闇にある仲間の啓発に私心なく捧げた者達に送ることになっている。君達は皆、光の子である。したがって、必滅者の猜疑と人間の狭量の誤解の縺れに躓いてはいけない。また、君達が、信仰の恩恵により、無信仰者を愛するために気高くされるならば、信仰のはるかかなたの家庭にいる仲間の信者である者達をも同様に愛すべきではないのか。覚えていなさい、君達が互いに愛するとき、すべての人は、君達が私の弟子であることを知るであろう。
「それから、神の父性と人の兄弟愛に関するこの福音を全ての国と民族に宣言しに行き、そして、人類の異なる民族と種族に朗報を提示する方法の選択において賢明であり続けなさい。君達は、自由にこの王国の福音を受け入れたし、自由に朗報を万国に伝えるであろう。私は君達と常に、時代の終わりまでさえも、ともにいるのであるから、悪の抵抗を恐れるではない。私の平和を君達に残す。」
「私の平和を君達に残す。」と言ったとき、あるじは、彼らの視覚から消え去った。500人を越える信者がイエスを見たガリラヤでの出現の1つを除いては、フィラデルフィアでのこの集団が、一度にイエスに会った人間の最多の数を擁していた。
翌朝早く、トーマスの感情的な回復を待ち受けて使徒達がエルサレムで待っている間にさえ、フィラデルフィアのこれらの信者は、ナザレのイエスが甦ったと宣言しに出掛けて行った。
翌日の水曜日、イエスは、間断なくモロンチア仲間との交流で時を過ごし、昼下がりの間、ノーランティアデクの星座の棲息圏のあらゆる地域体制の大邸宅世界からのモロンチア代表の訪問者を迎えた。皆は、宇宙の知性ある者達自身の序列の1つとして自分達の創造者を知って歓喜した。
トーマスは、オリーヴ山周辺の丘で単独で寂しい週を過ごした。かれは、この間シーモンの家に居た者達とヨハネ・マルコスだけを見た。2人の使徒が彼を見つけ、待合せ場所のマルコスの家に連れ戻ったのは、4月15日、土曜日の9時頃であった。翌日、トーマスは、あるじの様々な出現の話が語られるのを聞いたが、信じることを堅く拒否した。ペトロスは、彼らにあるじを見たと考えるように夢中にさせたと主張した。ナサナエルは、説き伏せようとしたが無駄であった。習慣的な疑い深さに関連した感情的な頑固さがあり、この心の状態が、皆から逃げ出してしまったという無念さに結びつく、トーマス自身さえ完全に理解しなかった孤立状況を作り出す羽目となった。かれは、仲間から引き下がり、自身の方向に行き、皆のところに戻ってからも、無意識のうちに相容れないない態度をとる傾向があった。かれは、降伏するのに時間が掛かった。かれは、譲ることが嫌いであった。それを意図することなく、かれは、自分に向けられる注意を本当に楽しんだ。かれは、彼を納得させ、変えようとするすべての仲間の努力から無意識のうちに満足感を得ていた。かれは、まる1週間、皆がいないのを淋しく感じており、皆からの持続的な注目からかなりの喜びを得た。
トーマスの片側にペトロスが、その反対側にナサナエルが座り、「自分の目であるじを見、自分の指をその釘の跡に突っ込まない限り、私は信じない。」とこの疑っている使徒がこう言ったときは、6時を少しまわっており、皆は、夕食をとっていた。こうして彼らが夕食の座に着き、戸は確実に閉じられ、閂がかけられていたが、モロンチアのあるじは、食卓の湾曲部分に突然現れ、直接トーマスの正面に立って言った。
「君達に平和あれ。全世界に出掛け、この福音を説く委託を聞くために皆が揃ったところでもう一度現れることができるように、私は、まる1週間、留まっていたのである。もう1度言う。父がこの世界に私を送られたように君達を送り出す。私が父を明らかにしたように、単に言葉ではなく、日々の生活の中で、君達は神の愛を明らかにする。君達が、人の魂を愛するためにではなく、人を愛するために、私は、君達を送り出す。神の贈り物として、信仰を通して、すでに永遠の生命を得たのであるから、君達は、日々の人生経験の中で単に天国の喜びを宣言するのではなく、神性の人生のこれらの精霊的な現実をも示すことになっている。信仰があるとき、天から力が、すなわち真実の精霊が、君達の上に来るとき、自分の光を閉じられた戸の後ろのここに隠さないであろう。君達は、神の愛と慈悲を全人類に明らかにするであろう。恐怖ゆえに君達はいま、不愉快な経験の事実から逃げるが、真実の精霊で洗礼されるとき、神の王国の永遠の生命に関する朗報を宣言する新しい経験に遭遇するために、勇敢に、嬉々として先へ進むであろう。伝統主義の威光の誤った安定から生きた経験の最高の現実に対する事実、真実、そして信仰の権威の新秩序への変遷の衝撃から立ち直るする間、君達は、こことガリラヤに留まることができる。世界への君達の任務は、私が君達の間で神を顕示する生活を送ったという事実に基づいている。君達と他のすべての人々が、神の息子であるという真実に。そして、それは、君達が人の間で送る生活—人を愛し人に仕える、まさに私が君達を愛し、君達に仕えたような実際の、そして生きる経験—に成り立つのである。信仰に君達の光を世界へと明らかにさせなさい。伝統によりくらむ目を真実の顕示に開かせなさい。無知によって生み出される偏見を君達の愛ある奉仕に効果的に破壊させなさい。理解ある同情と寡欲な献身で君達の仲間に近づくことによって、君達は、彼らを父の愛の救済の知識へと導くであろう。ユダヤ人は善を絶賛した。ギリシア人は美を高めた。インド人は献身を説く。遠くにいる行者は敬意を教える。ローマ人は忠誠を求める。「しかし、私は、弟子に生命を求める、肉体をもつ兄弟のために愛する奉仕の生活さえ。」
あるじはこう話すと、トーマスの顔をじっと見て言った。「そして、君、トーマスよ、私を見て、私の手の釘跡に指を置くことができるまで信じないと言った者は、いま私を見て、私の言葉を聞いた。私が、君もこの世を離れるときに持つ姿で甦ったので、私の手には何の釘跡も見ないが、きみは、同胞に何と言うのか。きみは、真実を認めるであろう、なぜならそれほど激しく自分の不信仰を断言した時にさえ、すでに心では信じ始めたのであるから。トーマス、君の疑念は、それがまさに崩れようとするとき、つねに最も頑として主張している。トーマス、私は、君が不信仰ではなく、信じることを命じる—そして、私は、君が信じると、全心で信じると知っている。」
これらの言葉を聞くと、トーマスは、モロンチアのあるじの前に跪き「信じます。ご主人さま、あるじさま」と大声で叫んだ。その時、イエスは、「トーマス、きみは、信じた、本当に私を見、私の声を聞いたので。来る時代の信じる者達は、肉体の目で見ず、必滅の耳でも聞かずに祝福される。」と言った。
それから、あるじの姿は、食卓の上座近くに移動し、全員に話し掛けた。「さあ、全員ガリラヤへ行きなさい。そこで、私はほどなく姿を現す。」こう言うと、皆の視覚から消え失せた。
11人の使徒は、そのとき、イエスが甦ったと完全に確信した。そして、次の朝早々に、夜明け前に、ガリラヤへと出発した。
11人の使徒が、ガリラヤへの道にあり、4月18日、旅も終わりに近づいた火曜日の夜8時半過ぎ、イエスは、アレキサンドリアでロダンと80人ほどの他の信者に姿を見せた。これは、モロンチア姿のあるじの12回目の出現であった。イエスは、ダーヴィドの使者の磔に関する報告の終わりに、これらのギリシア人とユダヤ人の前に現れた。エルサレム-アレキサンドリア間の継走の5人目であるこの使者は、その午後遅くアレキサンドリアに到着し、そして彼がロダンに報告し終えると、使者自身からのこの悲惨な言葉を伝えるためきくために信者達の招集が決められた。8時頃、この使者ブシリスのナサンは、この一行の前に来て、前走者によって伝えられたそのすべてを詳細に話した。ナサンは、これらの言葉で自分の感動的な話を終えた。「しかし、この知らせを我々に伝えるダーヴィドは、あるじが自分の死を予告する際に、再び甦ると宣言したと報告する。」ナサンが話したその時、モロンチア姿のあるじは、全員が見えるところに現れた。ナサンが座ると、イエスは言った。
「あなた方に平和あれ。父が、世界に確立させるために私を送り出したものは、民族や国家にも、または教師や伝道者のいかなる特別集団にも属さない。王国のこの福音は、双方のユダヤ人と非ユダヤ人、富者と貧者、自由な者と縛られる者、男と女、そして小さい子にさえも属する。そして、あなた方全員が、肉体で送る生活により愛と真実のこの福音を広めようとしている。あなた方は、新しくて驚異的な愛情をもってお互いを愛するべきである、ちょうど私が、あなたを愛したように。あなた方は、新しくて驚くべき献身で人類に奉仕するべきである。ちょうど私が、あなた方に仕えたように。そして、あなた方がそのように人を愛するのを見るとき、また、あなた方がいかに熱烈に人に仕えるかを見るとき、人は、あなた方が、天の王国の信仰仲間になったと見て取るであろうし、永遠の救済の発見への、あなた方の人生に見受ける真実の精霊のあとについて行くであろう。
「父が私をこの世界に送り出したように、私は、いまあなた方を同じように送り出す。あなた方は皆、暗闇に座る人々に朗報を届けるために呼ばれた。王国のこの福音は、それを信じるすべての者に属している。それは、聖職者だけの保護に委ねられることはない。追って真実の精霊が来て、あなた方をすべての真実に導くのである。だから、この福音を説いて全世界へと行きなさい、そして見なさい、私は、いつもあなた方と共にいる、時代の終わりまでさえも。」
そのように話し終えると、あるじは、皆の視覚から消え去った。その夜ずっと、これらの信者は、王国の信者として自分達の経験について詳しく語り、ロダンと仲間からの多くの話を聞き、そこに一緒に残った。そして、彼らは皆、イエスが甦ったと信じた。ダーヴィドの伝令使は、この2日後に到着し、自分の発表に対して、これらの信者が、復活に関して「はい、我々は、あの方に会ったので知っています。。かれは、我々におととい姿を現されました。」と、答えたときのダーヴィドの伝令使の驚きを想像しなさい。
使徒がエルサレムからガリラヤに向かう頃には、ユダヤの指導者達は、かなり静まっていた。イエスが王国の信者の家族にだけ現れ、また使徒は、身を隠し、いかなる公の説教もしなかったので、ユダヤの支配者達は、福音の運動が、結局は、効果的に鎮圧されたと結論を下した。指導者達は、もちろん、イエスが甦ったという噂の広まりに当惑したものの、追随者の徒党が遺体を移動したという話の繰り返しに対して、買収された衛兵達が、そのような全ての報告を効果的に妨げることを頼みとした。
この後ずっと、使徒が迫害の上げ潮によって分散するまで、ペトロスが、使徒部隊の一般に認められた代表者であった。イエスは、そのような権限をペトロスに決して与えなかったし、仲間の使徒も、そのような責任ある位置に決して正式にペトロスを選出しなかった。ペトロスは、皆の同意により、また皆の主要な伝道者であったことからも自然にそれを引き受け、またそれを維持した。この後、公の説教が使徒の主な活動となった。ガリラヤからの帰着後、ユダの代理に皆が選んだマタイアスが、会計係となった。
エルサレムに滞在した1週間、イエスの母マリアは、多くの時間をアリマセアのヨセフの家に留まっていた女性信者と過ごした。
使徒がガリラヤに出発したこの月曜日の朝早々、ヨハネ・マルコスは、皆と共に行った。都から後をつけ、皆がベサニアをはるかに過ぎたとき、かれは、送り返されはしないであろうと確信し、皆の間に大胆に近づいた。
使徒達は、ガリラヤへの途中、甦ったあるじの話をするために何度か止まり、依って、水曜日の夜、かなり遅くなるまでベスサイダには到着しなかった。全員が起きて朝食の相伴の用意をしたのは、木曜日の正午であった。
4月21日、金曜日の朝6時頃、ベスサイダの通常の上陸場所近くで舟が岸に近づくと、モロンチアのあるじは、10人の使徒の前に、13回目、ガリラヤでは初めて、姿を現した。
使徒がゼベダイオスの家で待機し、木曜日の午後と夕方を過ごした後、シーモン・ペトロスは、漁に行こうと提案した。ペトロスが釣遊びを提案すると、彼らは全員賛同した。かれらは、夜通し、網で頑張ったが不漁であった。かれらは、不漁をあまり気にしなかった、というのも、エルサレムで自分達に起こきたつい最近の出来事を話す興味深い多くの経験をしたので。しかし、陽が昇ると、かれらはベスサイダに戻ることにした。岸に近づいたとき、皆は、船着場近くの波打ち際で炎のそばに立つ何者かを見た。かれらは初め、獲物を携える自分達を歓迎するためにやって来たヨハネ・マルコスであると思ったが、岸に近づくにつれ、間違いが分かった—男性はヨハネにしては背が高過ぎた。岸の人があるじであるとは、誰の心にも浮かばなかった。なぜイエスが、先の集いの真っただ中、そして、恐怖、裏切り、死の悲惨な関係のあるエルサレムの閉じこもった環境から遠い、戸外の自然に触れる広場で皆に会いたかったのか、かれらは、完全には理解していなかった。あるじは、皆がガリラヤに行けばそこで会うであろうと告げてあり、その約束を果たそうとするところであった。
錨を下ろし、岸に行くために小舟に乗る準備をしていると、「若者よ、何か捕ったか。」と岸の男が声を掛けた。そして、皆が、「いいえ」と答えると、「右舷に網を投げ入れなさい。魚がいるであろう。」と再び言った。指示したのがイエスだとは知らなかったが、言われた通りに皆が一斉に網を投げ入れると、それは一杯で網はいっぱいで引き上げられないほどにたくさんであった。そのとき、ヨハネ・ゼベダイオスは、気がついた。かれは、重く手応えのある網を見たとき、自分達に話していたのはあるじだと悟った。この考えが心に浮かぶなり、かれは、ペトロスの方に身を乗り出し、「あるじさまだ。」と囁いた。ペトロスは、いつも軽はずみな行為と衝動的な献身の男性であった。したがって、ヨハネがこう耳に囁くと、急に立ち上がり、あるじの側に早く着くことができるように水の中へと飛び込んだ。小舟が岸に近付き、同胞は、魚の網を引っ張ってペトロスのすぐ後ろからやってきた。
この時までに、ヨハネ・マルコスは、起きており、使徒が重荷の網をもって岸に来るのを見て、迎えるために岸を駆け下りた。そして、10人ではなく11人の男達を見ると、本人とは気づかれていない方は、復活したイエスであると推測し、少し離れて驚いている10人が黙って立っていたので、若者は、あるじへと急ぎ、足元に跪いて、「ご主人さま、あるじさま」と言った。そのとき、イエスは、「君達に平和あれ」と皆を迎えたエルサレムのときのようにではなく、普通の語調でヨハネ・マルコスに話し掛けた。「さて、ヨハネ、再び君に会えて、また良い訪問ができる気楽なガリラヤにいて私は嬉しい。ヨハネ、我々と共にいて、朝食をとりなさい。」
イエスが青年と話すと、10人は、岸に魚の網を手繰り上げるのを忘れるほどに驚いた。そのとき、イエスは、「魚を引き上げ、そのうちの何匹かを朝食用に支度をしなさい。すでに火と沢山のパンもある。」
ヨハネ・マルコスは、あるじに敬意を払ったが、ペトロスは、渚で照り映えて燃えている石炭の光景にしばし衝撃を受けていた。その場面は、自分があるじを見捨てたハナンージャの中庭での真夜中の炭の炎をあまりにもまざまざと思い出させた。しかし、ペトロスは、全身を揺すり、あるじの足元に跪き、「ご主人さま、あるじさま」と叫んだ。
次に、ペトロスは網を手繰る仲間に合流した。獲物の水揚げをし終え数えてみると153匹の大物があった。再び、これをもう一つの奇跡の漁獲と呼ぶことは、誤りであった。この出来事には何の奇跡もなかった。それは、単にあるじの予備知識の実行に過ぎなかった。かれは、魚がそこにいることが分かっており、このため、網を投げ入れる場所を使徒に指示した。
イエスは、「さあ、皆来なさい、朝食に。私が皆と雑談する間、双子も座りなさい。ヨハネ・マルコスが魚の下拵えをする。」と言った。ヨハネ・マルコスは、7匹の大振りの魚を運び、それをあるじが炎にあてて、魚が出来上がると、若者は、それを10人に給仕した。そこでイエスは、パンを千切ってヨハネに手渡し、ヨハネは空腹な使徒に順番に給仕した。全員に行き渡ると、イエスは、自らが魚とパンを若者に給仕して、ヨハネ・マルコスに座るように命じた。そして、食べている間、イエスは、皆と雑談し、ガリラヤでの、そして、まさしくこの湖畔での自分達の多くの経験について詳しく話した。
これは、イエスが集団としての使徒に現れた3度目であった。イエスが、漁獲があったかを尋ねて最初に話し掛けたとき、通常近くにいるタリヘアの魚屋が、乾物用に新鮮な獲物の買い付けのためにこのように話しかけることは、ガリラヤ湖のこれらの漁師にとっての共通の経験であったので、皆は、岸に来たとき、彼が誰であるか気を回さなかった。
イエスは、10人の使徒とヨハネ・マルコスと1時間以上雑談し、それから、二人ずつ—教えのために最初に二人ずつ組ませた者同士ではない—を伴い、話しながら汀へと往きつ戻りつした。11人の全使徒がエルサレムから一緒にやって来たが、シーモン・ゼローテースは、ガリラヤに近づくにつれますます元気を失い、ベスサイダ到着時には同胞を見捨てて自分の家に戻るほどであった。
この朝、皆を残していく前に、イエスは、2人の使徒が家に行きシーモン・ゼローテースをその日のうちに連れて来るべきであると指示した。そこで、ペトロスとアンドレアスがそうした。
彼らが朝食を終えたとき、他のものが火の側に座っている間、イエスは、波打ち際で散策しようとペトロスとヨハネに合図した。一緒に歩いていると、「ヨハネ、私を愛しているか。」とイエスが尋ねた。ヨハネが、「はい、あるじさま、心から。」と答えると、あるじは言った。「では、ヨハネ、狭量を捨て、私が君を愛してきたように人を愛することを学びなさい。世界で愛が一番すばらしいものであるということを分からせることに人生を捧げなさい。それは、人が救済を求めることを推進する神の愛である。愛は、すべての精霊的な善の源、すなわち真と美の本質である。
イエスは、次にペトロスの方に向き、「ペトロス、私を愛しているか。」と尋ねた。ペトロスは、「ご主人さま、全ての魂であなたを愛しているのをあなたはご存じです。」と答えた。その時、イエスは言った。「私を愛しているならば、ペトロス、私の子羊に餌を与えなさい。弱者、貧者、若者に力を貸すことを怠ってはいけない。恐怖を持たず、贔屓もせずに福音を説きなさい。神は偏らないということをいつも覚えていなさい。私が君に仕えたように仲間に仕えなさい。私が君を許したように必滅の仲間を許しなさい。君の思索の価値と賢明な省察の力を、経験から学びなさい。」
一緒に前方に少し歩いた後、あるじは、ペトロスの方に向き、「ペトロス、本当に私を愛しているか。」と尋ねた。すると、シーモンは、「はい、ご主人さま、私が、あなたを愛しているのをあなたはご存じです。」と言った。再びイエスは、「それなら、私の羊の世話をしなさい。群れの良い、また真の羊飼いになりなさい。彼らの信用を裏切ってはいけない。敵の手による不意打ちを受けてはならない。いつも用心しなさい—目を覚まして祈りなさい。」
さらに数歩行ってから、イエスは、ペトロスに向き、「ペトロス、本当に、君は私を愛しているか。」と3度目に尋ねた。そこでペトロスは、あるじが自分を疑っているように見えてわずかに悲しみ、「ご主人さま、あなたは全てのことをご存じです、だから、私があなたを本当に、本当に愛しているのを知っておられます。」とかなりの感情を込めて言った。その時、イエスは言った。「私の羊に餌をやりなさい。群れを見捨てるでない。仲間の全ての羊飼いの模範となり、励ましとなりなさい。私が君を愛したように群れを愛し、君の幸福に私の人生を捧げたように彼らの幸福に自身を捧げなさい。そして、最期まで私のあとについてきなさい。」
ペトロスは、この最後の言葉—イエスの後に従い続けるべきであるということ—を文字通りに取った。そして、かれは、イエスに向き、ヨハネを指差して「私があなたの後に続くならば、この男には何をさせましょうか。」と尋ねた。そこで、ペトロスが自分の言葉を誤解したと分かり、イエスは言った。「ペトロス、同胞が何をするかに関して心配するな。君が去った後、私がヨハネを留めるとして、私が戻って来るときまでさえも、それが君にとって何であるというのか。君が私について来ることだけを確実にしなさい。」
この注意は、同胞の間に広まり、多くの者が考え望んでいたように、力と栄光で王国を樹立するためにイエスが戻る前に、ヨハネは死なないだろうという趣旨で、イエスの声明として受け取られた。シーモン・ゼローテースが奉仕活動に戻り、仕事に従事し続けたのは、イエスが言ったことに対するこの解釈からであった。
他の者のところに戻ると、イエスは、アンドレアスとジェームスと散策し話しに出掛けた。しばらく行くと、イエスは「アンドレアス、私を信じるか。」と、アンドレアスに言った。すると使徒の元主長は、イエスがそのような質問をするのを聞くと、じっと立ち、「はい、あるじさま、私は確かにあなたを信じます。あなたは、私がそうしているとご存じです。」と答えた。その時、イエスは言った。「アンドレアス、私を信じるならば、同胞をさらに信じなさい—ペトロスをさえ。私は、かつて君に同胞の指揮を託した。今、私が父のところに行くために君達を去るに当たり、君は、他のものを信じなければならない。厳しい迫害のために同胞が広く離散し始めるとき、肉体をもつ私の弟ジェームスが、負うには経験不足である重荷を課せられるとき、ジェームスの思いやりのある賢明な相談役になりなさい。そして、信じ続けなさい、私は君をがっかりさせはしないので。君が地球で終わるとき、君は私の元に来るであろう。」
それから、イエスはジェームスの方に向いて、「ジェームス、私を信じるか。」と尋ねた。もちろん、ジェームスは、「はい、あるじさま、心からあなたを信じています。」と答えた。その時、イエスは言った。「ジェームス、私をさらに信じるならば、同胞に対し短気でないようになるであろう。私を信じるならば、それは、君が信者の兄弟愛に親切であることを助けるであろう。君の言動の因果関係を量り知ることを学びなさい。刈り取りは植え付けに基づくことを心しなさい。精霊の平静と忍耐の育成のために祈りなさい。これらの恩恵が、生きる信仰と共に犠牲の杯を飲む時間が来るとき君を支えるであろう。しかし、決して狼狽するでない。地球での人生が終わるとき、君も私といるために来るのである。」
イエスは、次にトーマスとナサナエルと話した。「トーマス、私に仕えるか」と尋ねた。トーマスは、「はい、ご主人さま、私は今も、そしていつもあなたに仕えます。」と答えた。その時、イエスは言った。「私に仕えるならば、私が君に仕えたように、肉体をもつ私の同胞に仕えなさい。そして、愛のこの奉仕のために神に任命されてきた者として、この善行に飽きることなく堪え忍びなさい。私との地球での奉仕を終えたとき、君は私と共に栄光のうちに仕えるであろう。トーマス、疑うことをやめなければならない。信仰において、真実に関する知識において成長しなければならない。子供のように神を信じなさい、ただし、そのように子供っぽく行動することはやめなさい。勇気を持ち、信仰に強く、神の王国で強力でありなさい。」
そして、あるじは、「ナサナエル、私に仕えるか。」と言った。使徒は答えた。「はい、あるじさま、一心不乱の愛情で。」その時、イエスは言った。「では、全心で私に仕えるならば、疲れを知らない愛情をもって必ずや地球の私の同胞の幸福に専念しなさい。君の友好と助言を取り混ぜて、愛を君の哲学に加えなさい。私が君に仕えたように、仲間に仕えなさい。私が君の世話をしたように、人に誠実でありなさい。あまり批判的でないように。一部の者にあまり期待をせず、そうすることで失望の程度を少なくしなさい。そして、ここでの仕事が終わるとき、君は、上で私と共に仕えるのである。」
この後、あるじは、マタイオスとフィリッポスと話した。フィリッポスに、「フィリッポス、私に従うか。」と、言った。フィリッポスは、「はい、ご主人さま、自分の生命をもってしてもあなたに従うつもりです。」と答えた。その時、イエスは言った。「私に従いたいのであるならば、非ユダヤ人の地に入り、この福音を宣言しなさい。予言者は、従うことは犠牲よりも良いと言った。信仰で、君は王国の神を知る息子になったのである。従うためのただ1つの法がある—それは、王国の福音を宣言しに旅立たせる命令である。人を恐れるのをやめなさい。闇で苦しみ真実の光を切望する仲間に永遠の生命の朗報を説くことを恐れないようにしなさい。これ以上、フィリッポス、金と物資のために東西に奔走をしないように。君は今、ちょうど君の同胞がそうであるように、喜ばしい知らせを説くことにおいて自由である。そして、私は、君の先を行き、終わりまでも共にいるのである。」
それから、マタイオスと話し、あるじは、「マタイオス、心から私に従う気持ちがあるのか。」と尋ねた。マタイオスは、「はい、ご主人さま、私は、完全にあなたの意志を為すことに捧げています。」と答えた。その時、あるじは言った。「マタイオス、私に従うならば、王国のこの福音をすべての民族に教えに出掛けなさい。もはや君は、同胞に人生の物質的なものを手配はしないであろう。今後は、君も精霊救済の朗報を宣言することになっている。これから先、父の王国のこの福音を説く任務に従うことだけに注意を向けなさい。私が地球で父の意志を為したように、君は、神から委任された仕事を実現させるであろう。覚えていなさい、ユダヤ人と非ユダヤ人の双方は、君の同胞である。天の王国の福音の救済の真実を宣言するとき、誰をも恐れるでない。そして、私が行くところに、君はやがて来るであろう。」
それから、あるじは、アルフェウスの双子ジェームスとユダと歩いて話した。かれは、両者に、「ジェームス、ユダ、私を信じるか。」と尋ねた。双方が、「はい、あるじさま、信じます。」と答えると、あるじは言った。「私は、まもなく君達を残して行く。生身の私は、すでに君達を残して行ったことが君達には分かっている。私は、父の元に行く前の短い間だけこの姿でいる。君達は、私を信じている—君達は、私の使徒であり、つねに使徒であるだろう。私が去るとき、また君達が私と暮らすために来る前に、おそらく君達の以前の仕事に戻ったあと、私との付き合いをずっと信じて覚えていなさい。外へ働きかける仕事における変化が、君達の忠誠に影響を及ぼすようなことを許してはいけない。地球での君達の終わりまで神に対する信仰をもちなさい。君達が信仰する神の息子であるとき、領域のすべての清廉な働きは、神聖であるということを決して忘れてはいけない。神の息子がすることは何も普通ではありえない。だから、今後ずっと神のために働いているように仕事をしなさい。そして君達がこの世で終わるとき、私には、君達が私のために同様に働く他の、しかもより良い世界がある。そしてこの仕事のすべてにおいて、この世界と他の世界において、私は、君達と共に働くのであり、私の精霊は君達の中に住むのである。」
イエスがアルフェウスの双子との会話から戻ったのは、ほとんど10時であった。使徒達を後にするに当たり「では、叙階式をした山上で明日正午に君達全員に会うまで。」と言った。かれは、このように話すと、彼らの視覚から消え去った。
4月22日、土曜日正午、11人の使徒は、申し合わせによりカペルナム近くの丘の上に集合し、そしてイエスが、彼らの間に現れた。この会合は、あるじが、使徒として、また地球の父の王国の大使として彼らを俗世から引き離したまさにその山であった。そして、、あるじの14度目のモロンチア顕現であった。
このとき、11人の使徒は、あるじの周りに輪になって跪き、あるじの訓令の繰り返しを聞き、王国の特別な仕事のために初めて引き離された時のように、聖職受任式の場面の再現を見た。あるじの祈りを除く、このすべては、彼らにとり父の奉仕への以前の奉納の記憶としてあった。あるじ—モロンチアのイエス—は、そのとき祈り、それは、使徒が、以前に一度も聞いたことのないような威厳の語調と力の言葉であった。あるじは、そのとき自身の宇宙の中にあり、すべての力と権威をその手に与えられた者として宇宙の支配者達と話した。そして、11人のこれらの男性は、大使職の先の盟約に対するモロンチアの再奉納であるこの経験を決して忘れなかった。あるじは、大使達とちょうど1時間この山で過ごした。そして、慈愛深い送れを告げると、かれは、皆の視界から消え去った。
そして、まる1週間、誰もイエスを見なかった。あるじが父のところに行ってしまったかどうかを知らずに、使徒は、何をしたらよいのか全く分からなかった。かれらは、覚束ないこの状態で、ベスサイダに滞在した。あるじが自分達を訪問し、また自分達も会う機会を逃してはいけないと釣りに行くのを恐れた。この週ずっと、イエスは、地球のモロンチア生物とこの世界で自らが経験していたモロンチア変遷の事柄に忙しくしていた。
イエス出現の知らせは、ガリラヤ中に広まっており、あるじの復活についての問い合わせや、噂されているこれらの出現についての真実を探り当てるためにゼベダイオスの家に到着する信者の数は、毎日増え続けていた。ペトロスは、この週の初め、次の安息日の午後3時に海辺で公開の会合がもたれるという知らせを送った。
従って4月29日、土曜日、3時にカペルナム近郊からの500人以上の信者が、ペトロスの復活以来初めての一般のための説教を聞くためにベスサイダに集まった。この使徒は最良の状態にあり、その興味をそそる教話の終了後、聴衆のわずかな者しか、あるじの復活を疑わなかった。
ペトロスは、「我々は、ナザレのイエスが死んでいないことを断言する。墓から甦ったと宣言する。我々は、彼に会って話したと宣言する。」と言って説教を終えた。彼が、ちょうど信仰のこの宣言をし終えたとき、彼の側に、これらのすべての人々が見えるところに、モロンチア姿のあるじが現れ、馴染みのある口調で、「君達に平和あれ、私の平和を君達に残す。」と言った。このように現れそのように話すと、かれは、皆の視覚から消え去った。これは、復活したイエスの15度目のモロンチア顕現であった。
聖職受任の山でのあるじとの談合の間に、使徒達は、11人に言われたあることのために、あるじが、やがてガリラヤの信者集団の前に公然の出現をするであろうと、そしてそうした後、自分達はエルサレムに戻ることになっていたという印象を受けた。従って、翌日早々に、4月30日日曜日に、11人は、ベスサイダからエルサレムへ向かった。ヨルダンへの途中、かれらは、相当の教えと説教をしたので、5月3日水曜日の遅くまでエルサレムのマルコス邸には到着しなかった。
これはヨハネ・マルコスにとり悲しい帰省であった。家に着くわずか数時間前、父エーリージャ・マルコスは、突然脳溢血で死亡した。死者復活の確実性の考えが、悲しみの使徒達の慰めに大いに役立ちはしたものの、同時に、かれらは、大問題と失望時でさえ信頼できる支持者でありつづけた良い友人の損失を本当に悲しんだ。ヨハネ・マルコスは、できることはすべてして母を慰め、母の代弁をして、母の家で自由にするように使徒を誘った。11人は、五旬節の日の後までこの上階の部屋を自分達の本部にした。
使徒達は、ユダヤ当局に見られないようにわざわざ日暮れ以降にエルサレムに入った。エーリージャ・マルコスの葬儀に関しても公然とは現れなかった。次の日ずっと、かれらは、出来事の多いこの上の部屋に静かに引きこもっていた。
木曜日の夜、使徒は、この上の部屋で素晴らしい会合を催し、トーマス、シーモン・ゼローテース、アルフェウスの双子を除く全員が、復活した主人の新しい福音について公開の説教に旅立つと誓約した。すでに、王国の福音—神との息子性、そして人との兄弟愛—を変える第一歩、イエス復活の宣言へが始まっていた。ナサナエルは、自分達の公開の知らせの重荷のこの変更に反対したが、ペトロスの雄弁さに抵抗できなかったし、弟子達、特に女性信者の熱意に打ち勝つことができなかった。
したがって、ペトロスの活発な指揮の下に、またあるじが父の元に昇る前に、彼の悪意のない代表者達は、イエスの宗教をイエスに関する新しく、かつ変更された宗教の形に徐々に、しかも確かで巧妙な過程で開始した。
イエスの16度目のモロンチア顕現は、5月5日金曜日、ニコーデモスの中庭で、夜9時頃に起きた。この夜エルサレムの信者は、復活以来初めての集まりを試みた。この時ここに集合したのは、多くのギリシア人を含む11人の使徒、女性団体とその仲間、それに、あるじのおよそ50人の他の主な弟子達であった。この信者の一行は、突然モロンチアのあるじが、全員が見えるところに現れてすぐに指示を与え始めたときから遡って半時間以上も非公式に訪問していたのであった。イエスは言った。
「君達に平和あれ。これは信者の最も代表的な集団—使徒と弟子、男女双方—肉体からの私の解放の時以来、私が姿を見せてきた集団である。君達の間での私の滞在が、終わらなければならないと予め言ったことを君達が目撃することを、私は、いま君達に促す。私は、やがて父のところに戻らなければならないとあなたに言った。そして、祭司長とユダヤの支配者が、私を殺すためにいかにように引き渡そうとするかを、そして私が、墓から甦るということを、私は君達にはっきりと言った。では、それが起きたとき、なぜそれほどまでにこの全てに混乱させられるようなことになるのか。また、私が3日目に墓から甦ったとき、なぜそのように驚いたのか。君達は、その意味を理解せず私の言葉を聞いたので、私を信じられなかったのである。
「そして、いま君達は、心での意味の理解に失敗する傍ら、心での私の教えを聞く誤りを繰り返さないように私の言葉を注意して聞かなければならない。私は、君達の1人としての私の滞在の最初から、1つの目的は、地球の子等に天の私の父を明らかにすることであることを君達に教えた。私は、君達が神を知る経歴を経験するかもしれない神を顕示する贈与の生活をしてきた。私は、神が、天の君達の父であると明らかにしてきた。私は、君達が、地球の神の息子であると明らかにしてきた。神が君達を、その息子を愛するのは、事実である。私の言葉への信仰により、この事実は、君達の心で永遠の、そして生きる真実になる。生きた信仰によりこの上なく神を意識するようになると、そのとき君達は、宇宙の中の宇宙を昇り、そして、楽園で父なる神を探す経験を達成する子としての光と命の、永遠の命さえの精霊の生まれである。
「人間の間での君達の任務は、王国の福音—神の父性の現実と人の子息性の真実を宣言することであるということをいつでも心得ておくように諭す。救いの福音の一部だけではなく、朗報全体の真実を宣言しなさい。君達の伝えるべき主旨は、私の復活経験でにより変わってはいない。信仰による神との子息性は、まだ、王国の福音の救いの真実である。君達は、神の愛と人の奉仕を説きに出掛けるところである。世界が最も知る必要のあることは次の通りである。人は、神の息子であり、信仰を通じて実際に認識することができ、高尚にするこの真実を日々経験できる。私の贈与は、すべての人は神の子供であることをすべての人が知ることを助けるはずであるが、彼らが、直に永遠の父の生きている精霊の息子であるという救いの真実を信仰して理解しなければ、そのような知識は十分ではない。王国の福音は、父の愛と地球のその子等の奉仕に関係がある。
「君達の間ここで、君達は、私が甦ったという知識を共有するが、それは不思議ではない。私には自分の命を捨て、再びそれを拾い上げる力がある。父は、楽園の息子達にそのような力を与える。私がヨセフの新しい墓を去ったすぐ後に、君達の心は、過去の死者達が、永遠の上昇を始めたという知識にむしろそそられるはずである。ちょうど私が、君達を愛し、君達に仕えることで神の顕示をするようになったように、私は、いかに君達が、仲間に神の顕示をするかを示すために肉体での人生を送った。私は、君達と他の全ての人が、本当に神の息子であることを知ることができるように、人の息子として君達の間で生きてきた。だから、天の王国のこの福音をすべての人に説くために、すぐに全世界へ出掛けなさい。私があなたを愛したように、すべての人を愛しなさい。私が君達に仕えたように君達の仲間の必滅者に仕えなさい。君達は自由に受け入れてきた。自由に与えなさい。私が父の元に行く間、そして真実の聖霊を君達に送るまで、ここエルサレムに留まりなさい。あの方は、君達を拡大された真実に導き、私は、君達と一緒に全世界に行く。私はつねに君達と共におり、私の平和を君達に残す。」
あるじは、皆に話し終えると、その視界から消え失せた。これらの信者が分散したのは、夜明け近くであった。かれらは、本気であるじの訓戒を討議し、自分達に起こったすべてをじっくり考えて夜通しともにいた。ジェームス・ゼベダイオスと他の使徒も、ガリラヤでのモロンチアのあるじとの経験について信者達に話し、またどのように自分達の前に3回姿を見せたかを詳しく語った。
5月13日、安息日の午後4時頃、あるじは、シハーのヤコブの井戸近くでナルダとサマリア人のおよそ75人の信者の前に現れた。信者達は、この場所、イエスが命の水に関してナルダに話した場所の近くで会うのが習慣であった。この日、彼らが、報告された復活の議論をちょうど終えたとき、イエスは、彼らの前に突然現れて言った。
「君達に平和あれ。君達は、私が復活であり生命であることを知って歓喜しているが、これは、君達がまず永遠の精霊の生まれであり、その結果、信仰により永遠の命の贈り物を所有するようにならない限り、何の役にもならない。父に対する信仰の息子であるならば、君達は、決して死なない。君達は滅ばない。王国の福音は、すべての人が神の息子であることを君達に教えてきた。地球の我が子に対する天の父の愛に関するこの朗報は、全世界へ届けられなければならない。君達が、ゲリージームでもエルサレムでもないところで、精霊的に、本当に、君達のいるところで、君達のあるがままに、神を崇拝するときがやって来た。君達の魂を救うのは、君達の信仰である。救済は、息子であると信じる者すべてへの神の贈り物である。しかし、騙されてはいけない。救済は、神の無料の贈り物であり、信仰によってそれを受け入れるすべての者に贈与はされるが、それが肉体で生きるように、この精霊の生活の実を結ぶ経験は、続くのである。神の父性の教義の受け入れは、君達もまた、人の兄弟愛の真実を自由に受け入れることを意味する。人が君の兄弟であるならば、かれは、君の隣人以上であり、それは、父が、その人を自分同様に愛することを君に求めているということである。君は、自身の家族であるので、家族の愛情をもって愛するだけでなく、自分自身に仕えるように兄弟に仕えもするであろう。私の同胞であり、私にこのようにして愛され仕えてもらったのであるから、君は、このように兄弟を愛しており、仕えるであろう。だから、行きなさい。あらゆる民族、種族、国家のすべての被創造者にこの朗報を伝えに全世界へと。私の精霊が君の先を行き、私は、君達共にいつもいる。」
これらのサマリア人は、あるじのこの出現に大いに驚き、近くの町や村へと急いだ。そこで、イエスを見たと、イエスが自分達に話したという知らせを広く発表した。そして、これは、あるじの17度目のモロンチア出現であった。
あるじの18回目のモロンチア出現は、ツロでの5月16日、火曜日の晩、9時少し前であった。またもや信者の会合の終わりに皆が解散しようとしていたときに現れて、言った。
「君達に平和あれ。君達は、それによって君達とその同胞もまた必滅の死を乗り切ることが分かったので、人の息子が甦ったということを知って歓喜している。しかし、そのような生存は、君達が前もって真実探求の、そして神探索の精霊で生まれてくることに依存している。命のパンと命の水は、真実への飢えと正義への渇き—神への—を切望する人々だけに与えられる。死者が復活するという事実は、王国の福音ではない。これらの偉大な真実と宇宙の事実のすべては、朗報を信じる結果の一部であり、信仰により、事実の中に、永遠の神の永続する息子になる者達のその後の経験において、そして真実の中に迎え入れられるというこの福音にすべてが関連している。私の父は、すべての人に子息性のこの救済を宣言するために私を世に送り出された。したがって、私は、君達を子息性のこの救済の宣言のために広く送り出す。救済は、神の無料の贈り物であるが、精霊の生まれの者は、すぐに、仲間の被創造者への愛ある奉仕の際に精霊の果実を示し始めるであろう。そして、精霊生まれの、神を知る必滅者の人生でもたらされる神の精霊の果実は次の通りである。愛ある奉仕、寡欲な献身、勇敢な忠誠心、誠実な公正さ、啓発された清廉さ、不滅の望み、打ち明けることのできる信頼性、慈悲深い活動、変わることのない長所、快く許す寛容さ、永続する平和。公然たる信者が、その一生で神霊のこれらの実を結ばないならば、彼らは死んでいる。真実の精霊は、彼等の内にはいない。かれらは、生きている葡萄の木の無益な枝であり、やがて取り除かれるであろう。私の父は、たくさんの精霊の実をつけることを信仰の子に要求する。したがって、君達が実り多くなければ、かれは、君達の根の周りを掘り、また無駄な枝を切り取るであろう。神の王国で天に向かって前進するとき、君達は、ますます、精霊の実を与えなければならない。君は、子供として王国に入るかもしれないが、父は、君が、神の恵みにより、精霊的な成人期の完全な背丈に成長することを要求している。そして、君達が、この福音に関する朗報を広く万国に告げに行くとき、私は、あなたの前を行くつもりである。そして、私の真実の精霊は、君達の心の中に留まるであろう。私の平和を君達に残す。」
そこで、あるじは、彼らの視界から姿を消した。翌日、この話を携える者達は、ツロからシドーンへと、そしてアンチオケとダマスカスにさえも出かけて行った。肉体を持つとき、イエスは、これらの信者と共にいて、そして、イエスがそれらの者に教え始めたとき、彼等は、イエスを見分けるのが速かった。彼の友人達は、モロンチアの姿を見せられたとき、その姿に容易に気づくことができなかったが、これらの者は、イエスに話し掛けられると、すぐに彼だと見分けがついた。
5月18日、木曜日の朝早々、イエスは、モロンチアの人格としての地球での最後の出現をした。11人の使徒が、マリア・マルコスの家の上階の部屋で朝食の席につこうとしていると、イエスが現れて言った。
「君達に平和あれ。私が父の元に昇るまで、すべての肉体にすぐに注がれる者、そして君に天からの力を付与する真実の聖霊を君に送るまでさえも、私は、君達にここエルサレムに留まるように頼んだことであった。」シーモン・ゼローテースは、イエスを遮り、「あるじさま、次に、あなたは王国を回復され、私達は、神の栄光が地球に示されるのを見るのですか。」と尋ねた。イエスは、シーモンの質問を聞くと答えた。「シーモン、君は、まだユダヤ人の救世主と物質的王国に関する古い考えに執着している。しかし、精霊が君の上に下りた後、君は、精霊的な力を受け、やがて、王国のこの福音を説きに全世界に赴くであろう。父が私をこの世界に送られたように、私も君達を送り出す。そして、私は、君達が互いに愛し信じ合うことを願う。その愛は冷め、君達を信じることを拒否したので、ユダは、もう君達、忠誠な同胞とはともにいない。君は『人が、一人でいることは良くない。自分一人で生きているものは誰もない。』と聖書に書かれているのを読んではいないのか。また、『友を得ようとする者は、自らが打ち解けている様を示さなければならない。』ともある。私は、孤独にならないように、また孤立から悪戯や災いに陥らないように、君達を2人ずつ教えに送り出しさえしなかったか。君達もまた、私が、肉体でいたとき、私自身長い間一人きりにならないようにしていたことをよく知っている。我々の付き合いのそもそもの初めから、私は、いつも2人か3人を絶えず側に置いていたし、私が父と親交するときでさえ、非常に近くに置いていた。だから、信用しなさい、互いを信頼しなさい。そして、私は、この日、この世界に君達を置き去りにして行くのであるから、これは一層必要である。時は来た、私は、父の元に行くところである。」
話し終えると、自分と一緒に来るように全員に合図をし、オリーヴ山へと誘い、そこで、ユランチアを離れるに先だち別れを告げた。これは、オリーヴへの厳粛な道行きであった。上階の部屋を出た時からイエスがオリーヴ山で皆と立ち止まるまで、誰一人として口を開く者はいなかった。
かれは、社会からの、また、同胞からの隔離という危険性に対する厳粛な警告としてユダの喪失に言及し、裏切りの仲間の悲惨な運命を示すことが、使徒へのあるじの送別の言葉の第1部であった。あるじの所見とその後に続く何世紀もの蓄積された啓発に照らし合わせてユダの失墜の原因を簡潔に見直すことは、この時代と未来の信者にとって助けとなるかもしれない。
この悲劇を振り返るとき、我々は、ユダが、著しく孤立した人格、通常の社会的な接触から閉じ込もり、締め出した人格であるが故に失敗した、と考える。かれは、使徒に心を許したり、または自由に親しむことを強情に拒んだ。しかし、ユダの孤立した人格の型であることそれ自体は、愛を拡大し、精霊的な恩恵の中での成長に失敗しなければ、ユダにそれほどまでの悪害をもたらしはしなかったであろう。そしてこのことから、まるで悪い問題をさらに悪化させるかのように、かれは、執拗に悪意を抱いたり、復讐としてそのような心理的な敵を育くんだり、全ての失望に対し、しきりに誰かに「仕返しする」ことを総括的に導き出した。
個人の特異性と精神的な傾向のこの不幸な組み合わせは、愛、信仰、信頼によってこれらの悪を抑圧し損ねた善意の男性を滅ぼすことを企んだ。ユダが方向を誤る必要がなかったことは、トーマスとナサナエルの例によく立証されている。両者は、この同じ種類の個人の傾向の過剰発達と猜疑に苦しめられた。アンドレアスとマタイオスさえ、この方向に多々傾いていた。しかし、他のすべての男性は、時の経過と共にイエスと仲間の使徒を、より以上に、より愛するようになった。かれらは、恩恵の中で、真実の知識の中で成長した。かれらは、ますます同胞を信じるようになり、徐々に仲間を信用する能力を高めた。ユダは、同胞を信用することを頑固に拒んだ。ユダは、感情の葛藤の蓄積により自己表現における安堵を求める必要に駆り立てられるとき、12人の献納された地球の大使の1人であった天の王国の精霊的な現実の福祉と進歩に無関心であったり、実際は敵対的である精霊的でない親類や偶然に出会うそれらの知人からの助言を求めたり賢明でない慰めをいつも受けた。
ユダは、個人の性向と性格の弱さからくる次の要素のために地球での彼の苦闘に敗れた。
1. かれは、孤立型の人間であった。非常に個人主義であり、凝り固まった「閉じ込もり」と社交的でない種類の人になることを選んだ。
2. 子供のとき、人生は彼にとりあまりにも妨害がなさ過ぎた。かれは、妨害にひどく憤慨した。いつも勝つことを期待した。負けっぷりが悪かった。
3. かれは、失望遭遇に対する哲学的な手法を決して習得しなかった。かれは、人間の存在の通常の、在り来たりの特徴として受け入れる代わりに、自分のすべての個人的な困難と失望に、特に誰かを、または集団としての仲間をかならず非難した。
4. かれは、遺恨を抱く傾向にあった。いつも報復の考えを抱いた。
5. かれは、率直に事実に直面することを好まなかった。人生状況に向かう態度が不正直であった。
6. かれは、個人的な問題を手近の仲間と協議することを嫌った。かれは、自分の難局について本当の友人や本当に愛してくれる人々と話し合うことを拒否した。あるじとの交わりの歳月の間、かれは、純粋に個人的な問題で一度もあるじのところに行かなかった。
7. かれは、高潔な生活の本当の報酬が、結局は精霊的な恩賞であることを決して学ばなかった。恩賞は、肉体におけるこの短い人生の間に必ずしも分配されるわけではない。
人格の永続的な孤立の結果、悲嘆は増え、悲しみは増加し、不安は増大し、絶望は、ほとんど耐久力を超えて深まった。
この自己中心的かつ極端に個人主義の使徒は、多くの心的、感情的、精霊的な苦労をしたが、主な困難は、次の通りであった。人格的に、かれは、孤立していた。心的には、疑い深く復讐的であった。気質的には、無愛想で執念深かった。感情的には、愛がなく、容赦がなかった。社会的には、委ねることがなく、ほとんど打ち解けなかった。精神的には、横柄で利己的に野心満々になった。人生においては、自分を愛する者達を無視し、そして、死に際しては孤独であった。
そこで、これらは、全体的に見て、なぜ善意の、それでなくとも、以前の誠実なイエスの信者が、変容する人格との数年間の親密な交流後にさえ、仲間を見捨て、神聖な根拠を否認し、神聖な職業を放棄して自分の神のあるじを裏切ったかを説明する心の要因と悪の影響である。
イエスが、静かで幾らか当惑した11人の使徒とオリーヴ山の西の斜面に到着したのは、5月18日、この木曜日の朝、7時半過ぎ頃であった。山への約2/3の道のりのこの位置からは、向こうにはエルサレムを、下方にはゲッセマネを見ることができた。イエスは、そのときユランチアを去る前に、使徒への最後の別れを告げる準備をした。彼がそこで皆の前に立っていると、かれらは、指示をされることなく円形になって跪いた。そこで、あるじが言った。
「私は、君達が天からの力を授けられるまでエルサレムにいるように命じた。私は、いま君達を後にするところである。私は、父のところへ昇って行くところであり、すぐに、本当にすぐに、我々は、真実の精霊を私が滞在したこの世界に送るのである。そして、真実の精霊が来たとき、君達は、まずはエルサレムで、そして世界のもっとも遠い地域へと王国の福音の新しい宣言を始めるであろう。私が君達を愛した愛で人を愛し、ちょうど私が、君に仕えたように、君達の仲間である人間に仕えなさい。人生の精霊の果実によって、人が神の息子であるという真実、そして、すべての人が同胞であるという真実を信じることを魂に押し進めなさい。私が教えた全てと君達の中で送った生活を覚えていなさい。私の愛は、君達を囲み、私の精霊は君達と共に住み、私の平和は君に留まるのである。では。」
モロンチアのあるじは、このように話すと、皆の視界から消え去った。イエスのこのいわゆる上昇は、ユランチアでのモロンチア経歴の40日間の人間の視覚からのイエスの他の失踪とは、決して異なってはいなかった。
あるじは、ジェルーセム経由でエデンチアに行き、そこではいと嵩きものが、楽園の息子の観察の下に、モロンチア状態からナザレのイエスを解放し、上昇の精霊回路を経て、楽園の子息性とサルヴィントンの最高の主権の状態へと彼を返した。
モロンチアのイエスが、父の右手への上昇開始のために、そこでネバドンの宇宙の完了された主権の正式な確認を受けるために11人の使徒の観察から姿を消したのは、この朝の7時45分頃であった。
ヨハネ・マルコスと他の者は、ペトロスの支持を行動に移し、マリア・マルコスの家に主な弟子を召集するために出掛けた。エルサレムに住むイエスの120人の傑出の弟子が、10時30分までには、あるじの送別の言葉の報告を聞き、その上昇を知るために集まっていた。この一行の中には、イエスの母マリアがいた。彼女は、使徒達が、最近のガリラヤ滞在から戻るとき、ヨハネ・ゼベダイオスとエルサレムに戻っていた。五旬節の直後、彼女はベスサイダのサロメの家に帰った。イエスの弟ジェームスもこの会合、イエスの惑星経歴の終了後に召集されたあるじの弟子達の最初の会議に出席していた。
シーモン・ペトロスは、仲間の使徒の代弁を引き受け、あるじとの11人の最後の会合の感動的な報告をし、あるじの最後の送別とその上昇の失踪を最も感動的に描いた。それは、この世界でかつてなかったような会合であった。会合でのこの部分は、1時間足らず続いた。そして、ペトロスは、彼らが、ユダ・イスカリオテの後継者を選ぶと決め、この職務に推薦されたマタイアスとユースツスの2人のどちらにするかを決めるために、使徒達に休憩が与えられると説明した。
それから、11人の使徒は、階下に行き、そこでユダの代わりに仕える一人の使徒にいずれがなるべきかを決定するために籤を引くことに同意した。籤は、マタイアスに当たり、かれは新しい使徒であると宣言された。かれは、正当に職務に就任し会計係に使命された。しかし、マタイアスには、使徒のその後の活動において為すべきことがあまりなかった。
五旬節直後、双子は、ガリラヤの自宅に戻った。シーモン・ゼローテースは、福音を説きに出て行く前に、しばらく退いていた。トーマスは、短期間煩悶し、それから教えを再開した。ナサナエルは、次第に王国の初期の福音を宣言する代りにイエスについて説教するというペトロスと言動を異にした。この不一致は、翌月の半ばまでには富に激しくなり、ナサナエルは撤退し、アブネーとラーザロスを訪ねるためにフィラデルフィアに行った。かれは、そこに1年以上留まった後、自分がそれをの理解のままに福音を説きにメソポタミアの向こうの土地へと進んだ。
これは、本来の12人の使徒のうち6人、ペトロス、アンドレアス、ジェームス、ヨハネ、フィリッポス、マタイオスだけがエルサレムでの福音の早期の宣言舞台での立役者となった。
使徒達は、ちょうど正午頃に上階の部屋の同胞のところに戻り、マタイアスが新使徒として選ばれたと発表した。そして、ペトロスは、祈り、あるじが送ると約束した精霊の贈り物を受ける用意ができるための祈りを信者全員に呼びかけた。
1時頃、120人の信者が祈りに従事しているとき、彼らは全員、部屋での奇妙な存在に気づき始めた。同時に、これらの弟子は皆、新しく深遠な精霊的な喜び、安心感、確信の感覚を意識するようになった。精霊的な強さのこの新しい意識のあとに、王国の福音とイエスが甦ったという朗報を公に宣言するために出かけて行くという強い衝動が即座に起きた。
ペトロスは、これが、あるじが約束した真実の精霊の到来に違いないと立ち立ち上がって言明し、全員が寺院に行き、自分達の手に委ねられた朗報の公布を始めることを提案した。そこで、かれらは、ペトロスが勧めた通りにした。
これらの者は、説くべき福音は、神の父性と人の子息性であると訓練され、教えられてきたが、精霊的な恍惚感と個人の勝利感のちょうどこの瞬間に、最良の告知、つまり最高の知らせについて考え得ることが、あるじ復活の事実であった。そこでかれらは、天からの力を授けられ、人々に朗報を—イエスを通しての救済さえ—説いて行ったが、かれらは、福音それ自体の代わりに福音に関連する事実のいくつかを用いる意図しない誤りに躓いた。ペトロスは、無意識にこの誤りの口火を切り、他のもの達は、ペトロスの後に続き、新たな朗報の解釈から新宗教を作り出したパウーロスへと続いた。
王国の福音は、人の子息性-兄弟愛の結果として生じる真実と結びつく神の父性の事実である。その日から発展してきたキリスト教は、復活し、栄光に輝くキリストとの信者の親交の経験に関連した主イエス・キリストの父としての神の事実である。
精霊を注ぎ込まれたこれらの者が、あるじを滅ぼし、その教えの感化を絶とうとした力に対する勝利の気持ちを表明するこの機会に飛びついたことは奇妙ではない。このような時、イエスとの個人的な交わりを思い出したり、またあるじがまだ生きていたということ、自分達の友情が終わっていなかったっということ、まさに約束したように本当に精霊が自分達にやって来たといった確信に興奮するのは簡単であった。
これらの信者は、もう一つの世界、喜び、力、栄光の新しい生活に突然移されていると感じた。あるじは、王国は力と共に来ると教えており、そして、そのうちの何人かは、あるじが意味したことを理解し始めていると思った。
そして、このすべてを考慮に入れるとき、これらの者が、いかにして神の父性と人の兄弟愛のそれ以前の知らせの代わりに、イエスに関する新しい福音を説くようになったかを理解することは難しくない。
使徒は、40日間潜んでいた。この日はたまたまユダヤの五旬節の祭礼であり、エルサレムには世界の各所から何千人もの訪問者がいた。大勢がこの祝祭のために到着したが、大多数は、過ぎ越し以来都に滞在していた。さて、これらの怯えた使徒は、数週間の引き込もりから大胆にも寺院に姿を現わし、甦った救世主の新しい知らせをそこで説き始めた。すべての弟子は、洞察と力の何らかの新しい精霊的な付与を受けたことを同じように意識していた。
あるじがこの寺院で最後に教えたまさしくその場所で、ペトロスが立ち上がったのは、2時頃であり、2,000人以上の魂の獲得にいたったその熱の込もった訴えを開始した。あるじは行ってしまったたが、使徒達は、人々が、あるじに関するこの話にかなりの力を感じたと突如として気づいた。イエスへの自分達のかつての献身を証明し、同時に人々にそれほどまでにあるじを信じることを抑制したその公布へと、さらに彼らが導かれたことは不思議ではなかった。6人の使徒が、この会合に参加した。アンドレアス、ジェームス、ヨハネ、フィリッポス、マタイオス。かれらは、1時間半以上話し、その上ギリシア語、ヘブライ語、アラメーア語で演説し、会えば言葉を交わす程度の他の言語でさえ述べた。
ユダヤの指導者達は、使徒の大胆さに驚いたが、使徒の話を信じた者のその数の多さの理由から彼らに危害を加えることを恐れた。
4時半までには、2,000人以上の新しい信者が、シロアーの池まで使徒の後を追った。そこで、ペトロス、アンドレアス、ジェームス、ヨハネが、あるじの名においてこれらの者に洗礼を施した。彼らがこの群衆の洗礼を終わったときには、暗くなっていた。
五旬節は、洗礼の重大な祭、モーシェの掟を守る義務のない改宗者、すなわち、ヤハウェに仕えることを望むそれらの非ユダヤ人の交流を深めるための時であった。この日に洗礼を受けることは、したがって、ユダヤ人と信仰を有する非ユダヤ人の双方にとり、なお一層容易なことであった。こうすることにより、かれらは、ユダヤの信仰から決して自分たちを分離してはいなかった。このしばらく後でさえ、イエスの信者は、ユダヤ教の中の1宗派であった。彼らは全員、使徒を含み、まだユダヤの儀式体系の要件に忠実であった。
イエスは地球に住み、悪魔の子供であるという迷信から人を解放するという福音を教え、自分を神の信仰の息子の尊厳へと高めた。イエスがそれを説き、その時代に真実に生きた通りのイエスの申し送りは、その声明のその時代の人の精霊的な困難のための有効な解決策であった。そして、今や本人はこの世を去り、かれは、代わりに真実の精霊を送り、真実の精霊は、地上に現れる必滅者のあらゆる新しい集団が、人の新たで様々な精霊的な困難に対して有効な溶媒であると証明するであろうちょうどそのような個人の啓蒙と集団的な指導である福音の新たで、時代に相応しい解釈が得られように新世代ごとに、人の中に生きて、イエスの申し送りを言い換えるように考案されている。
もちろん、この精霊の最初の任務は、真実を促進し、個人的な立場でとらえることである、というのも、これが、人間解放の最高の形を構成する真実の理解であるので。次にこの精霊の目的は、信者の孤児の身の上という気持ちを打ち砕くことである。イエスは人の間にいたことがあるので、すべての信者は、真実の精霊が人の心に住まなかったとしたら寂しさを経験するであろう。
息子の精霊のこの贈与は、すべての人類への父の精霊(調整者)の普遍的なその後の贈与のためにすべての通常の人の心を効果的に準備させた。ある意味では、この真実の精霊は、宇宙なる父と創造者たる息子の両方の精霊である。
注入された真実の精霊を強く知的に意識するようになることを期待する誤りを犯してはいけない。精霊は、決して自分自身についての意識を創るのではなく、マイケル、息子についての意識だけを創るのである。イエスは、最初から、精霊が精霊自身について話さないことを教えた。したがって、真実の精霊との人の親交の証しは、この精霊の意識にあるのではなく、むしろマイケルとの人の高められた親交の経験にある。
また精霊は、人が、地球でのあるじの人生を照らしたり、再解釈をすると同時に、あるじの言葉を思い出し理解する手助けのためにやって来た。
次に、真実の精霊は、信者が、イエスの教えと彼が肉体で送ったその人生、そして神の精霊に満たされた息子達の通過していく各世代の個々の信者の間に、いま新たに再び送る人生の現実を証言するための助力にやって来た。
このように、真実の精霊が、すべての真実へと、神との永遠の、そして上昇する子息性の現実の生きている、そして成長している精霊的な意識の経験に関する拡大的な知識へと、すべての信者を真に導くために来ることが明らかになる。
イエスは、誰のためにも文字通りに後に続く企てのための模範ではなく、父の意志に従う者の顕示である生活を送った。十字架上での死とその後の復活を含む肉体におけるこの人生は、やがて、邪な1団から—不機嫌な神の非難から—このようにして買い戻すために支払われる身代金の新しい福音となった。しかしながら、福音は、大いに歪曲されるようにはなったが、イエスに関するこの新しい知らせは、王国の初期の福音に関する基本的な真実と教えの多くを伝えたという事実としてある。そして、遅かれ早かれ、神の父性のこれらの隠された真実と人の兄弟愛は、全人類の文明を効果的に変えるために浮上するであろう。
しかし、知性のこれらの誤りは、信者の精霊的な成長におけるすばらしい進歩を決して妨げなかった。真実の精霊の贈与から1カ月足らずの間に、使徒は、あるじとのほぼ4年間の個人的で、情愛深い交流以上の個々の精霊的な進歩をした。神との子息性に関する救いの福音の真実とのイエスの復活の事実のこの置換も、彼らの教えの急速な普及を何としても妨げなかった。それどころか、イエスの人物と復活についての新しい教えがイエスの意図を影で覆うことは、朗報の説教をとても容易にするかに見えた。
この頃、とても一般的に使用された言葉「精霊の洗礼」は、真実の精霊のこの贈り物の意志的な受領と神を知る魂により以前に経験された精霊的な影響のすべての拡大としてのこの新しい精霊的な力の個人の承認とを意味するにすぎなかった。
真実の精霊の贈与以来、人は精霊の三重の送りものの教育と指導をまぬかれない。父の霊である思考調整者、息子の霊である真実の精霊、精霊の精霊である聖霊による贈与。
ある意味で、人類は、宇宙の精霊の影響の七重の魅惑を二重に受けている。人間の早期の進化的な民族は、地方宇宙の母なる精霊の7名の補佐の心霊の進歩的な接触がある。人が、知性と精霊的な認識の度合の点で進歩するにつれ、やがてより高い精霊的な7つの影響が、人の上にあり、また、人の間に住むようになる。進歩する世界のこれらの7精霊は次の通りである。
1. 宇宙なる父からの贈与の精霊—思考調整者
2. 永遠なる息子の精霊の臨場—宇宙の中の宇宙の精霊の引力とすべての精霊親交の確かな回路
3. 無限なる精霊の精霊臨場—全創造の普遍的な精霊心、すべての進歩的な有識者の知的な親族的関係の精霊的源
4. 宇宙なる父と創造者たる息子の精霊—真実の精霊、一般的に宇宙の息子の精霊と見なされる。
5. 無限なる精霊の精霊と宇宙の母なる精霊—聖霊、一般に宇宙の精霊の精霊と見なされた。
6. 宇宙の母なる精霊の心霊—地方宇宙の7名の補佐の心霊。
7. 父、息子、そして精霊の精霊—楽園の思考調整者との精霊生まれの人間の魂の融合後、そしてそれに続く楽園の終局者部隊の神性と栄光の地位到達後のその領域の上向する人間の新しい名の精霊。
真実の精霊の贈与は、それゆえ、神探索の上昇の支援をするように工夫された精霊の最後の贈与を世界とその民族にもたらした。
多くの風変わりで奇妙な教えが、五旬節の日の初期の物語と関係するようになった。その後、真実の精霊つまり新しい教師が、人類と住むためにやって来たこの日の出来事は、激しい情緒本位の愚かな発生と混同されるようになった。父と息子のこの注出された精霊の主要な任務は、父の愛と息子の慈悲の真実に関して人に教えることである。これらは、人が、人格のすべての他の神の特徴よりも完全に理解することのできる神性の真実である。真実の精霊は、本来父の精霊の本質と息子の徳性の顕示に関係がある。創造者たる息子は、肉体で人に神を明らかにした。真実の精霊は、心で人に創造者たる息子を明らかにする。人が、その人生で「精霊の果実」をもたらすとき、かれは、あるじが彼自身の地球での人生で見せた特性を本当に示しているのである。地球滞在の際、イエスは、1つの人格—ナザレのイエス—としてその人生を送った。内在する「新しい教師」の精霊として、あるじは、五旬節以来、再度その生活を真実を教えられたあらゆる信者の経験において送ることができた。
人間の人生の間に起こる多くのことは、理解し難く、つまり真実が行き渡り、正義が勝利を収める宇宙というものであるという考えに調和させることは難しいのである。中傷、虚言、不正直、不義—罪—が、たびたび横行するようである。信仰は、結局、悪、罪に打ち勝つのか。勝つのである。そして、イエスの生と死は、善の真実と精霊に導かれる被創造者の信仰が、いつも擁護されるという永遠の証しである。かれらは、十字架上のイエスを「神が彼を救いに来るかどうかを見よう」と言って罵った。磔の当日は暗く見えたが、復活の朝は見事に明るかった。五旬節の日には、さらに明るく、一層喜ばしかった。悲観的な絶望の宗教は、人生の重荷からの解放を得ようとする。それらは、無限のまどろみと休息における消滅を切望する。これらは、原始の恐怖と畏怖の宗教である。イエスの宗教は、奮闘する人間性に宣言する信仰の新しい福音である。この新しい宗教は、信仰、望み、愛に基づいている。
イエスにとっての現世の人生は、最も困難で、容赦のない、痛烈な一撃であった。そして、この男性は、信仰、勇気、および父の意志をする不動の決断をもってこれらの絶望の奉仕に相対した。イエスは、すべての凄まじい現実の人生に遭遇し、それを克服した—死においてさえ。イエスは、人生からの釈放として宗教を用いなかった。イエスの宗教は、次の世界のもう一つの存在の至福の享受のためにこの人生を逃がれようとはしない。イエスの宗教は、人がいま肉体で送る生活を充実し、高めるためにもう一つの精霊的な存在の喜びと平和をもたらす。
宗教が人々への阿片剤であるならば、それは、イエスの宗教ではない。イエスは、十字架上で死を速める薬剤を飲むことを拒否し、全ての人に注がれたその精霊は、人を上へ導き、前方へ促す力強い世界的な影響である。前向きの精霊的衝動は、この世界に存在する最強の原動力である。真実を学ぶ信者は、地球において進歩的かつ積極的な魂をもつ者である。
イエスの宗教は、五旬節の日に国家の全制限と人種的な足枷を打破した。「主の精霊があるところに自由がある」というのは、とこしえに、本当である。この日に真実の精霊は、あるじからのすべての必滅者への個人の贈り物となった。この精霊は、より効果的に信者に王国の福音を説く資格を与える目的のために注がれたが、かれらは、注がれた精霊の受領の経験を彼らが無意識に定式化した新しい福音の一部と感違いをした。
真実の精霊が、すべての誠実な信者に授与されたという事実を見過ごしてはいけない。この精霊の贈り物は、使徒だけに来たのではなかった。全世界遍く、すべての正直な者がそうであったように、上の部屋に集まった120人の男女全員が、新しい教師を迎えた。この新しい教師は、人類に授けられ、そしてあらゆる魂が、真実への愛と精霊の現実を把握し、理解するための能力に応じて新しい教師を受け入れた。ついに、新の宗教は、司祭の管理と神聖なすべての階級から救われ、人の個々の魂にその真の権限を見い出す。
イエスの宗教は、最高の人格の型を構築し、その人の神聖さを宣言する点において人間の文明の最高度の型を育成する。
五旬節に真実の精霊の来ることは、急進的でも保守的でもない宗教を可能にした。それは、古いものでもなく新しいものでもない。それは、老人にも若人にも支配されるのでもない。イエスの地球での人生の事実は、時間の錨のための固定点を提供し、一方真実の精霊の贈与は、彼が生きた宗教と宣言した福音の永遠の拡大と無限の成長に備える。この精霊は、すべての真実へと導く。かれは、無限の進歩と神性展開の拡大し、成長し続ける宗教の教師である。この新しい教師は、求める信者に人の息子の人格と特質にとても神々しく包まれている真実を永久に展開し続けるであろう。
「新しい教師」の贈与に関連する顕現、そしてエルサレムに集う多様な民族や国家の人々による使徒の説教の受け入れは、イエスの宗教の普遍性を示している。王国の福音は、特定の民族、文化、または言語に結びつけられるようにはなってはいなかった。五旬節のこの日は、ユダヤ人の引き継がれたその足枷からイエスの宗教を解放するための精霊の大いなる努力の部隊となった。使徒は、すべての肉体へ注ぐこの実演の後にさえ、最初は転向者達にユダヤ教の必要条件を押しつけようと努めた。パウーロスでさえ、非ユダヤ人をこれらのユダヤ人の習慣に服従させることを拒否したので、かれは、エルサレムの同胞との間で揉めた。何らかの国家の文化に浸透されたり、確立した人種的、社会的、または経済的習慣に関わるという重大な誤りが起こるとき、いかなる啓示宗教も全世界に広がることはできない。
真実の精霊の贈与は、すべての様式、儀式、神聖な場所、およびその顕現を充分に受けた人々による特別な行動から独立していた。精霊が上の部屋に集う者達にやって来たとき、皆は、単にそこに座り、ちょうど黙祷に従事していた。精霊は、田舎でも都市同様に授けられた。使徒達は、この精霊を受けるために長年孤独な思索の目的で孤立した場所に行く必要はなかった。五旬節は、永久に、特に良い環境の概念から精霊的な経験についての考えを分離する。
その精霊的な贈与と相まっての五旬節は、永遠に、物理的な力への全ての依存からあるじの宗教を解き放つように考案された。この新しい宗教の教師達は、現在、精霊的な武器を備えている。かれらは、尽きることのない許し、無類の善意、豊かな愛で世界を征服しに出かけるのである。教師達は、善で悪を克服し、愛で憎しみを負かし、勇気と生きる信仰で恐怖を打ち破る能力がある。イエスは、自分の宗教が決して受け身でないことを既に追随者に教えた。弟子が、その慈悲の活動において、また愛の顕現においていつも活動的であり、積極的であることを。もはや、これらの信者は、ヤハウェを「軍勢の主」として見ていなかった。かれらは、そのとき、永遠の神性を「主イエス・キリストの神と父」と考えた。神が、あらゆるの個人の精霊的な父でもあるという真実をある程度まで完全には理解はしなくても、かれらには少なくとも、その進歩があった。
五旬節は、最悪の不正の直中にあっても、個人的な損害を許し、友好関係を保ち、恐るべき危険に面し平然とし、そして愛と慎みの恐れを知らない行為によって憎しみと怒りの悪に挑戦する力を必滅者に授けた。ユランチアは、その歴史における大きく破壊的な戦争の惨害を経験した。これらの恐ろしい闘いの全ての関係者は、敗北に終わった。わずかに1人の勝者がいた。一層の評判をえてこれらの敵意の闘いから出てきた者がおり、—それは、ナザレのイエスと善で悪に打ち勝つ福音であった。より良い文明の秘密は、あるじの人の兄弟愛、つまり愛の善意と相互信頼の教えに結びつけられる。
五旬節まで、宗教は、人が神を求めることだけを明らかにしてきた。五旬節以後、人はまだ神を捜し求めてはいるが、神もまた人を捜し求め、人が神を見つけるとその人間の中に住む神の精霊を送る光景が、世界の上に際立っている。
五旬節で頂点に達したイエスの教え以前、古い宗教の教義における女性にはほとんど信仰上の地位はなかった。五旬節の後、女性は、王国の兄弟関係において男性と平等に神の前に立った。精霊のこの特別な訪れを受けた120人の中には多くの女性の門人がおり、これらの天恵を男性信者と等しく共有した。もはや、男性は、祭祀活動を独占することは考えられない。パリサイ派は、「女、癩病患者、または非ユダヤ人に生まれなかった」ことを神に感謝し続けるかもしれないが、イエスの追随者の間で、女性は、性に基づくすべての宗教上の差別からは永遠に自由の身となった。五旬節は、人種的な区別、文化的な違い、社会的な役割、または性的な偏見に基づくすべての宗教的な差別を抹消した。新しい宗教のこれらの信者が、「主の精霊がいるところに自由がある」と大声で叫ぶことは驚きに値しない。
イエスの母と弟は、120人の信者の中に居り、弟子のこの共通の集団の成員として、二人もまた、注ぎ込まれた精霊を受けた。二人は、他の追随者よりも良い贈り物を受けたという訳ではなかった。何の特別な贈り物も、イエスの地球の家族に授けられはしなかった。五旬節は、神聖な家族の中での特別な聖職とすべての信仰の終わりを記した。
五旬節以前、使徒は、イエスのために多くを諦めていた。かれらは、家庭、家族、友人、財産、身分を犠牲にしていた。五旬節で、かれらは、自分自身を神に捧げ、そして父と息子は、人に自分たちを与えること—人のあいだで生きるために精霊を送ること—で応えた。自己を失い、精霊を見つけるこの経験は、感情の一つではなかった。それは、知的な自己投降と心からの献身の行為であった。
五旬節は、福音の信者の間での精霊的な統一への要請であった。精霊が、エルサレムで弟子達に下りてきたとき、同じ事が、フィラデルフィア、アレキサンドリアと真の信者の住む他のすべての場所で起きた。「おびただしい信者の間にただ1つの心と魂があった」ということは、文字通り本当であった。イエスの宗教は、世界がこれまでに知っていた最も強力に統一する影響がある。
五旬節は、個人、集団、国家、民族の独断性の減少のために設けられた。この独断の精神こそが、周期的に破壊的な戦争に陥る緊張を非常に増大するのである。人類は、精霊的な方法によってのみ統一されることができ、真実の精霊は、普遍的な世界的な影響である。
真実の精霊の到来は、人間の心を浄化し、受け手に神の意志と人の福利の人生の一つの目的へと導く。自分本位の物質的な精霊は、無私のこの新たな、精霊的な贈与に飲み込まれてきた。五旬節は、その時も現在も、歴史のイエスが、生きた経験の神性の息子になったことを示している。それが人間の人生で意識的に経験されるとき、この注ぎ込まれた精霊の喜びは、健康の強壮剤、心の刺激、魂のための絶えることのない活力である。
祈りは、五旬節当日に精霊をもたらしはしなかったが、個々の信者を特徴づける感受性の容量の決定に大いに関係があった。祈りは、神性の心を贈与の気前のよさへと動かしはしないが、誠実な祈りと真の崇拝を通して製作者との切れ目ない親交維持を忘れない人々の心と魂に注ぐことができるように、より大きくより深い通路をたびたび掘り起こす。
イエスがあまりにも急に敵に捕らえられ、直ちに2人の泥棒の間で磔にされると、その使徒と弟子は、完全に士気を挫かれた。逮捕され、縛られ、鞭打たれ、磔にされたあるじへの思いは、使徒の手に負えるものではなかった。かれらは、その教えと警告を忘れた。かれは、本当に、「神と全ての民の前で、業にも言葉にも力ある予言者」であったかもしれないが、決して彼らが望むイスラエルの王国を回復する救世主ではあり得なかった。
そして、復活は、絶望からの救出とあるじの神性への彼らの信仰に返報である。再三、かれらは、あるじに会い、話し、またあるじは、皆をオリーヴ山に連れて行き、そこで皆に別れを告げ、自分は父の元に戻るところであると告げる。かれは、力が授けられるまで—真実の精霊が来るまで—エルサレムに留まるように彼らに言った。そして、五旬節のその日にこの新しい教師が来て、かれらは、新しい力で福音を説きに直ちに出かける。かれらは、生きている主の大胆で勇敢な追随者であり、死んでうち負かされた指導者達ではない。あるじは、これらの伝道者の心に生きている。神は、彼らの心の教義ではない。神は、皆の魂の生ける存在となった。
「日々心を一つにして、絶えず寺院に集い、家ではパンをちぎる。神を賛美して、人々に好意を持たれ、喜びと真心とで食事をともにする。一同は、いっせいに精霊に満たされ、神の言葉を大胆に話した。信じた者の群れは、1つの心と思いを一つにした。そして、誰一人その持ち物を自分のものと言うことなく共有した。」
王国の福音、神の父性、人の兄弟愛を説くためにイエスが任命したこれらの男性達に一体何が起きてしまったのか。かれらには、新しい福音がある。かれらは、新しい経験に燃えている。かれらは、新しい精霊的な活力で満たされている。彼らの趣意は、キリスト復活宣言へと突如向きを変えてしまった。「ナザレのイエス、神が、偉大な働きと驚嘆の業により認められた方。神が定めた計画と神の予知とによって引き渡された方を、君達は、十字架につけて殺した。神がすべての予言者の口によって前触れしたことを、かれは、このようにして成し遂げた。このイエスを、神は甦らせた。神は、彼を主とキリストの両者にした。神の右手により高められ、父から精霊の約束を受け取り、イエスは、人が見て聞くこれを注ぎ込んだ。悔い改めなさい、罪を消し去ってもらうために。父が、人のために予め定めていたキリストを、万物の更新の時まで天に留めておかなけらばならない他ならぬイエスをさえ、遣わすために。」
王国の福音、イエスの主旨は、突然に主イエス・キリストの福音に変えられた。かれらは、そのとき、イエスの人生、死、復活の事実を宣言して、彼が着手した仕事を終えるために、この世界へのイエスの迅速な帰還の望みを説いた。このように初期の信者達の主旨は、イエスの第1回の到来の事実についての説教をすることと、第2回の再臨の希望、彼らが非常に近いと考えた出来事を教えることに関係があった。
キリストは、急速に形を成している教会の教義になろうとしていた。イエスは生きている。イエスは人のために死んだ。イエスは精霊を与えた。イエスは再来する。イエスは、彼らのすべての考えを満たし、彼らの神と他のすべての新概念を決定した。かれらは、「神はすべての人の情愛深い父である、」あらゆる個人にとってさえ、という古い主旨にはあまり関知せず、「神は主イエスの父である」という新たな教義にあまりにも夢中になり過ぎた。本当である。兄弟愛と類例のない善意の現れは、信者のこれらの初期の共同体に起きた。しかしそれは、イエスの信者の親交であり、天の父の家族の王国における兄弟の親交ではなかった。彼らの善意は、必滅の人間の兄弟愛の認識からではなく、イエスの贈与の概念から生まれる愛から生じた。それでも、かれらは、喜びに満たされ、すべての人が、イエスに関する彼らの教えに引きつけられるというような新しく、独特の人生を送った。その福音のために、かれらは、王国の福音に生きた、例証的な注釈を用いるという重大な誤りを犯したが、それさえも、人類がこれまでに知った最も偉大な宗教を意味した。
紛れもなく、新しい親交が世界に起きていた。「信じる多くの者が、使徒の教えと親交に、パンをちぎる際に、祈りに、しっかりと続いた。」かれらは、互いを兄弟、姉妹と呼び合った。かれらは、聖なる口づけで挨拶し合った。かれらは、貧者に奉仕した。それは、崇拝のみならず生きる親交であった。かれらは、法令による共同体ではなく、皆の所有物を仲間の信者と共有するという願望による共同体であった。かれらは、イエスが、自分達の世代の間に、父の王国の設立の完了のために戻っくると自信をもって待ち望んだ。世俗の財産の自然発生的なこの共有は、イエスの教えそのままの特徴ではなかった。それは、これらの男女が、イエスはその仕事を終え、王国を完成するために戻ると本当に心から、大変に自信をもって信じたがゆえに起きた。しかし、軽率な兄弟愛におけるこの善意の試みの最終結果は、破壊的で悲しみを繁殖させるものであった。何千もの熱心な信者は、その財産を売り払い、すべての資財と他の生産的資産を処分した。時の経過と共に、「等しい共有」というキリスト教徒のやせ細りの資力は、終わった。しかし世界は、終わらなかった。間もなく、アンチオケの信者は、エルサレムの信者仲間を飢えから守るための徴収に着手していた。
その頃、かれらは、その設立の様式通りの聖餐を祝った。すなわち、親睦の社交的な食事のために集い、食事の終わりに聖餐を相伴した。
まず、かれらは、イエスの名において洗礼した。それは、彼らが「父と息子と聖霊の名」において洗礼し始めるおよそ20年前であった。洗礼は、信者の親睦への承認に必要なすべてであった。かれらには、まだ組織がなかった。それは、単にイエスの兄弟関係であった。
このイエスの一派は、急速に成長しており、サドカイ派は、もう一度彼らに注意を払った。パリサイ派は、その教えのどれ一つとしてユダヤ人の法の遵守を何らかの方法で妨げないことがわかり、その状況をあまり気にはしなかった。しかし、主なユダヤ教の教師の一人ガムリエルの、「これらの男から遠ざかり、放っておきなさい。この教え、あるいは、この仕業が人間から出たものならば、それは打倒されるであろうから。しかし、もし神から出たものであるならば、それらを打倒することはできない。まかり間違えば、神と戦うことになるかもしれない。」という助言を受け入れるよう説き伏せられるまで、サドカイ派は、イエスの一派の指導者達を投獄し始めた。かれらは、ガムリエルの助言に従うと決め、そエルサレムには平穏と静けさが続き、その間に、イエスに関する新しい福音がたちまちのうちに広まった。
そして、大勢のギリシア人がアレキサンドリアからやって来るまで、エルサレムでは万事がうまくいった。ロダンの門弟の2人は、エルサレムに到着し、ギリシアの影響を受けた非ギリシア人の多くを転向させた。初期の転向者の中には、ステパノとバーバナスがいた。これらの有能なギリシア人は、ユダヤ人の視点をあまり持たなかったし、ユダヤ人の崇拝や他の儀式的習慣の流儀にそれほどまでには従わなかった。そして、イエスの同志の団体と、パリサイ派とサドカイ派との平和な関係を終結させたのが、これらのギリシア人信者の行ないであった。ステパノとそのギリシア人仲間は、イエスが教えたように説教し始め、これが、ユダヤ人の支配者達との直接の対立に至らせた。ステパノの公への説教の1つで、講演が好ましくない部分に至ると、かれらは、裁判のすべての形式をとることなく、投石によりその場で死に至らせた。
エルサレムにおけるイエスの信者のギリシア植民団の指導者ステパノは、このように早期のキリスト教会の正式組織のための新しい信仰と特定の理由の最初の犠牲者となった。信者がユダヤ人の教義の中の一派としてもはや進むことができないという認識は、この新たな危機に直面した。かれらは、自らを無信仰の者達から切り離さなければならないという同意に至り、ステパノの死から1カ月以内には、エルサレムの教会が、ペトロスの統率のもとに組織化され、イエスの弟のジェームスが、その名義上の長として任命された。
そして、ユダヤ人による新手の、容赦のない迫害が勃発し、後にアンチオケでキリスト教と呼ばれたイエスについての新宗教の活発な教師達は、イエスを宣言しに帝国の果てまでも出向いて行った。この主旨を伝えるに当たっては、パウーロスの時代以前は、主導権はギリシア人の手にあった。そして、これらの最初の宣教師達は、後の者達も、ガザとツロを通りアンチオケに、そして次には、小アジアへ、そしてマケドニアを経て、ローマ、および帝国の最果ての地へと当時のアレクサンダーの行進の通り道をたどった。
五旬節の日のペトロスの説教の結果は、王国の福音を宣言する努力において大多数の使徒の将来の方針を決め、計画を決定するようなものであった。ペトロスは、キリスト教会の本当の創始者であった。パウーロスは、キリスト教の教義を非ユダヤ人に伝え、ギリシア人信者は、それを全ローマ帝国へと届けた。
因襲に捕らわれ、祭司の支配を受けているヘブライ人は、1民族として、神の父性と人の兄弟愛についてのイエスの福音、それと復活についてのペトロスとパウーロスの宣言とキリスト(以降のキリスト教)の上昇のいずれも受け入れることを拒否したが、残りのローマ帝国は、進化するキリスト教の教えに受容的であることがわかった。西洋文明は、このとき知的であり、戦争に疲れ、すべての既存の宗教と宇宙哲学にまったく懐疑的であった。西洋世界の民族、すなわちギリシア文化の受益者には、偉大な過去の崇められた伝統があった。かれらは、哲学、芸術、文学、政治上の進展において大きな成果の遺産に目を向けることができた。しかし、これらの全業績にもかかわらず、魂を満足させる何の宗教もなかった。かれらの精霊的な切望は満たされないままであった。
キリスト教の主旨に盛り込まれたイエスの教えは、人間社会のそのような舞台に突然に押し出された。生活の新秩序は、これらの西洋民族の飢える心にこのようにして提示された。この状況は、古い宗教的実践と、新しいキリスト教化されたイエスの世界への趣意との即時の対立を意味した。そのような対立は、新旧いずれかの明らかな勝利、さもなければ、幾分の妥協をしなければならない。歴史は、闘いが妥協で終わることを示して2世代で同化することは無理であった。それは、イエスが人の魂に提示してきたような単なる精霊的な訴えではなかった。それは、宗教儀式、教育、魔術、医療、芸術、文学、法律、政府、徳義、性的な規制、複婚、そして限定された度合での奴隷制にさえ関わる明確な態度を早くも取った。キリスト教は、単に新しい宗教—全ローマ帝国と全東洋が待っていた何か—として到来したのではなく、人間社会の新秩序として到来したのであった。それは、そのような主張として、時代の社会的風紀の衝突を突如として引き起こした。イエスの理想は、ギリシアの哲学により再解釈されたり、キリスト教に社会化されるとき、西洋文明の倫理、道徳、および宗教に表現される人類の伝統にそのとき大胆に挑戦した。
最初キリスト教は、下層の社会経済階級のみを転向者とした。しかし2世紀初頭までには、最高のギリシア・ローマ文化は、キリスト教信仰のこの新しい秩序、生きる目的と生活目標のこの新概念へと変わっていった。
その生誕の地においてはほぼ失敗に終わったユダヤ人の起源のこの新しい知らせは、どのようにローマ帝国の最良の心をそれほどまでに急速に、効果的に捕らえたのか。哲学的な宗教と神秘礼拝集団に対するキリスト教の勝利は、次の理由からであった。
1. 組織。パウーロスは、立派な組織者であり、その後継者達は、パウーロスの定めた歩調を維持した。
2. キリスト教は、完全にギリシア化された。それは、ヘブライ神学の神髄はもちろん、ギリシア哲学の最良部分をも受け入れた。
3. しかし、それは、新たでおおきな理想、すなわちイエスの生命贈与の反響と全人類のための救済に関するイエスの趣意の反映を最もよく包含した。
4. キリスト教の指導者達は、支持者の半分の良い方をアンチオケの礼拝集団にうまく引き入れたようにミスラ主義との妥協をする気でいた。
5. 同様に、次とその後のキリスト教指導者の世代が、異教思想とのそのようなさらなる妥協をしたので、ローマ皇帝コンスタンティーヌさえ新しい宗教に引き入れられるほどであった。
しかし、キリスト教徒は、ギリシア化されたパウーロスのキリスト教の受け入れを異教徒に強制する一方で、異教徒の儀礼的な華やかさを取り入れたという点において、異教徒との抜け目のない取り引きをした。かれらは、ミスラ派との間よりも異教徒との間でより良い取り引きをしたのだが、その初期の征服者達との妥協においてさえ、ペルシアの神秘宗教の甚だしい不道徳、さらには多数の他の不届きな習慣を排除することに成功したという点において征服者以上であった。
賢明にも、または浅はかにも、キリスト教のこれらの初期の指導者は、イエスの考えを保持し、推進する努力において故意にイエスの理想について妥協した。かれらは、目ざましい成功を収めていた。しかし、誤ってはいけない、これらの妥協的な理想は、あるじの福音にまだ潜在しており、その理想は、やがては完全な力を世界に明らかにするであろう。
キリスト教のこの異教徒化により、古い秩序は、多くの儀式的な性質の重要でない勝利を得たが、キリスト教は、次のような優位性を獲得した。
1. 人間の品行徳義の新しく、非常に高度の調子を盛り込んだ。
2. 神の新しく、大きく拡大した概念は、世界に与えられた。
3. 不死の望みは、認められた宗教の保証の一部になった。
4. ナザレのイエスは、人の空腹の魂に与えられた。
イエスによって教えられたすばらしい真実の多くは、これらの当初の妥協においてもう少しで失われるところであったが、それらは、人の息子の人生と教えに関するパウーロスの解釈に入れ替わった異教徒化されたキリスト教のこの宗教の中にまだ眠っている。そして、キリスト教は、それが異教徒化される前にさえ、最初に完全にギリシア化された。キリスト教は、多く、非常に多く、ギリシア人に負うところがある。それは、ニカイアでとても勇敢に立ち上がり、まったく恐れることなくこの集会に挑戦したので、世界は、彼の贈与の本当の真実を失わうという危険に晒したかもしれないイエスの資質の概念を曖昧にしなかったのが、エジプト出身のギリシア人であった。このギリシア人の名前は、アサナシオスで、この信者の雄弁さと論理がなければ、アレイオスの説得は、成功していたことであろう。
キリスト教のギリシア化は、使徒パウーロスが、アテネでアレイオスパゴスの議会の前に立ち、「知られざる神」についてアテネ人に伝えたその波乱の日に本格的に始まった。そこで、アクロポリスの影で、このローマ市民は、ガリラヤのユダヤ人の土地に起源をもつ新しい宗教の自説版をこれらのギリシア人に宣言した。ギリシア哲学とイエスの教えには、多くの点で妙に似ている何かがあった。これらには、共通の目標—双方共に個人の発現を目的とした—があった。ギリシア人には、社会的、政治的発現において。イエスには、道徳的、精神的発現において。ギリシア人は、政治的な自由につながる知的な自由主義を教えた。イエスは、信仰の自由につながる精霊的な自由主義を教えた。まとめられるこれらの2つの考えは、人間の自由のために新しくて強力な憲章を構成した。それらは、人の社会的、政治的、精神的な自由の前兆となった。
キリスト教は、主に2つの事から競い合うすべての宗教に打ち勝った。
1. ギリシア人の心は、ユダヤ人からさえ新しく、良い考えを借り受けることを望んだ。
2. パウーロスとその後継者達は、自発的だが、鋭く、賢明な妥協者達であった。かれらは、熱心な神学の交換者であった。
パウーロスが、「キリストと磔にされたあの方」を説いてアテネで立ち上がったとき、ギリシア人は、精霊的に飢えていた。かれらは、質問し、興味を持ち、精霊的な真実を実際に探していた。ギリシア人がそれを迎え入れる一方で、ローマ人は、最初キリスト教と戦ったということ、そして後にローマ人に文字通りこの新しい宗教を受け入れるように強要し、それからギリシア文化の一部として修正したのが、ギリシア人であったということを、決して忘れてはいけない。
ギリシア人は美を、ユダヤ人は神聖さを崇敬したが、両民族は、真実を愛した。何世紀ものあいだ、ギリシア人は、人間のすべての問題, 宗教を除く、—社会的、経済的、政治的、哲学的—を真剣に考え、本気で議論してきた。ほとんどのギリシア人は、宗教に多く注意を払わなかった。かれらは、自身の宗教でさえそれほど真剣には受け止めなかった。何世紀もの間ユダヤ人は、宗教に心を捧げはしたが、他のこれらの分野についての考えを無視してきた。かれらは、自分達の宗教を非常に真剣に、あまりに真剣に受け止めた。イエスの趣意の内容に照らし出されているように、これらの2つの民族の何世紀もの間の考察の連合の所産は、そのとき、人間社会の新しい秩序と、ある程度は、人間の宗教的な信念と習慣の新しい秩序の推進力となった。
アレクサンダーが、ヘレニズム文明を近東の世界に広げたとき、ギリシア文化の影響は、すでに西地中海の地に浸透していた。小都市国家に生活する限り、ギリシア人は、宗教と政治を非常にうまく扱ったが、マケドニアの王が、アドリア海からインダス川まで伸ばし、ギリシアを帝国へとあえて拡大したとき、問題は始まった。ギリシアの芸術と哲学は、完全に帝国の拡大の課題に堪えたが、ギリシアの政治的支配、または宗教についてはそうではなかった。ギリシアの都市国家が、帝国へと拡大した後、度量の狭い神々は、むしろ、少々風変わりであった。ギリシア人は、古いユダヤ人の宗教のキリスト教化がギリシア人に入ってきたとき、 1柱の神、より偉大で、より優れた神を本当に捜し求めていた。
ヘレニズム帝国は、そういうものとして持ちこたえることができなかった。その文化的な支配は続いたが、それは、帝国管理のため、そしてローマの政治的な光彩を西洋から確保した後にだけ、そして、東洋から一柱の神が帝国の尊厳を備えた宗教を得た後にだけ、持ちこたえた。
キリスト後の1世紀に、ヘレニズム文化は、すでにその最高水準に達した。その後退は、始まっていた。学問は進んでいたが、光彩は減退しつつあった。キリスト教に部分的に具体化されたイエスについての考えと理想が、ギリシアの文化と学問の救難の一部になったのは、まさしくそんな時であった。
アレクサンダーは、ギリシア文明の文化的な贈り物をもって東洋に突進した。パウーロスは、イエスの福音のキリスト教版で西洋を強襲した。そして西洋の至るところ、ギリシア文化が波及するところはどこでも、ギリシア化されたキリスト教が根づいた。
イエスの趣意の東洋版は、その教えにより忠実なままであったにもかかわらず、アブネーの妥協しない態度に従い続けた。それは、ギリシア化されたものが進歩したようには決して進歩せず、結局は、イスラム運動において失われていった。
ローマ人は、政府の代わりに投票により代議政治を置いてギリシア文化を丸ごと引き継いだ。そして、やがてこの変化は、ローマが、不慣れな言語や民族、そして宗教に対してさえ新しい寛容性を西洋全体にもたらしたという点において、キリスト教を支持した。
ローマのキリスト教徒の早期の迫害の多くは、単に彼らの説教における用語「王国」の不運な用法によるものであった。ローマ人は、ありとあらゆる宗教において寛容であったが、政治抗争の趣をもつものは何に対しても非常に憤慨した。そういう訳で、主に誤解が原因であるこれらの早期の迫害が、立ち消えしたとき、宗教的な宣伝の領域は、大きく開いていた。ローマ人は、政治的支配に興味があった。芸術も宗教もあまり好まなかったが、異常なまでに両方に寛容であった。
東洋の法律は、厳しく専横的であった。ギリシアの法律は、流動的で芸術的であった。ローマ法は、荘厳で敬意を育成していた。ローマの教育は、前代未聞の、また鈍い忠誠心を養った。初期のローマ人は、政治に忠実で、崇高的に献身する個人であった。かれらは、正直で、熱心で、理想にひたむきではあったが、その名に相応しい宗教をもってはいなかった。彼らのギリシア人の教師が、パウーロスのキリスト教を受け入れるように彼らを説得することができたことは、少しも驚きではない。
これらのローマ人は、偉大な民族であった。かれらは、自らを治めたので、西洋を治めることができた。そのような他に類のない清廉さ、献身、頑強な自制心は、キリスト教の受容と成長には理想的な土壌であった。
これらのギリシア・ローマ人が、国家に政治的に尽くすのと同様に、組織的な教会に精霊的に尽くすようになることは容易であった。ローマ人は、国家の競争相手として教会を恐れるときにだけ、それと戦った。ローマは、国家の哲学、あるいは自国の文化をあまり持っていなかったことから、ギリシア文化を自身のものとして採用し、また、キリストを道徳哲学として大胆に受け入れた。キリスト教は、ローマの徳育とはなったが、そのような十把一絡げの態度で新宗教を迎え入れた人々の精霊的な成長における個々人の経験の意味での宗教ではなかった。誠に、いかにも多くの個人は、この国教すべての表面下に浸透し、自分達の魂の養分のためにギリシア化され、異教徒化されたキリスト教の潜在する真実に保持される隠された意味の真の価値を発見した。
ストア学派的である者と「自然と良心」への彼の強い働き掛けが、少なくとも知的意味において、キリストをより良く受け入れる準備だけを全てのローマ人にさせた。ローマ人は、生来的に訓練によっても法律家であり、自然法則さえも崇敬した。さてキリスト教において、彼は、神の法を自然法則で見分けた。キケローとヴェルギリウスを生み出すことができた民族は、パウーロスのギリシア化されたキリスト教において熟した。
したがって、これらのローマ化されたギリシア人は、宗教を哲学化すること、その考えを調整し、その理想を体系化すること、宗教的実践を生活の既存の趨勢に適合させることをユダヤ人とキリスト教徒の両方に強いた。そして、このすべてが、ヘブライの聖書のギリシア語への翻訳と、ギリシア語への新約聖書の後の記録によって大いに助けられた。
ギリシア人は、ユダヤ人や他の多くの民族と対照的に長い間不死を、死後のある種の生存を幾らか信じており、またこれがイエスの教えのまさに核心であったので、キリスト教が強い魅力となったことは確かであった。
ギリシア文化の継承とローマの政治の勝利は、1言語と1文化で地中海地域を1帝国に統合し、また西洋の世界を1神への用意をさせた。ユダヤ教は、この神を提供はしたが、ローマ化されたギリシア人への宗教としては受け入れられなかった。フィロンは、それらの反論を緩和する手助けをいくらかはしたが、キリスト教は、1神より一層好ましい概念を示し、ローマ化されたギリシア人は、それを容易に迎え入れた。
キリスト教徒は、ローマの政治支配の併合の後、そしてキリスト教の普及後、重要な宗教概念である一つの神をもつが、帝国をもたない自分達ことに気づいた。ギリシア・ローマ人は、偉大な帝国にいる、だが帝国崇拝と精霊統一の適切な宗教概念として仕えるための神をもたないことに気づいた。キリスト教徒は、帝国を受け入れた。帝国は、キリスト教を採用した。ローマ人は、政治支配の統一を、ギリシア人は、文化と学問の統一を、キリスト教は、宗教思想と実行の統一を提供した。
ローマは、国家主義の伝統を帝国普遍主義により克服し、歴史上初めて、少なくとも名目上は、異なる民族と国々が、1つの宗教を受け入れることを可能にした。
ストア学派の活発な教えと密儀宗派の救済保証の間の大きな論争中、キリスト教は、ローマにおいて迎えられた。キリスト教は、「非利己主義」にあたる言葉を持たない精霊的に飢えた人々に爽快な安らぎと解放する力を携えてやって来た。
キリスト教に最も優れた力を与えたものは、その信者が奉仕生活を送る態度であり、抜本的な早期の迫害の間にその信仰のために死に至る態度でさえあった。
子供に対するキリストの愛の教えは、望まれない子供、特に女児を死にさらすという蔓延的な習慣に早速終止符を打った。
キリスト教崇拝の初期の構想は、主にユダヤ教の会堂から引き継がれ、ミスラ派の儀式によって変更され、後には、多くの異教の華やかな催しが加えられた。初期のキリスト教会の中枢は、キリスト教化したギリシア人のユダヤ教への改宗者から構成されていた。
キリストの後の2世紀は、優れた宗教が西洋世界において前進する世界の全歴史上での最盛期であった。1世紀のキリスト教は、闘争と妥協により、それ自体が、定着し急速に広がる準備をしていた。キリスト教は、皇帝を採用し、その後、彼がキリスト教を採用した。これは、新しい宗教の普及にとり素晴らしい時代であった。信仰の自由があった。旅行は自在であり、思考は制約されなかった。
ギリシア化されたキリスト教を名目上受容する精霊的な刺激は、かなり進んでいた道徳的な低下を防止するか、すでに確立し、増加している人種的堕落を補正するにはあまりに遅くローマに到来した。この新宗教は、帝国のローマに文化的に必要であったので、より大きい意味における精霊的な救済の手段とならなかったことは極めて不運である。
優れた宗教といえども、国家の情勢への個人の参加不足が招いた当然の結果から、過度の家父長主義、重税と著しい虐待的徴収、レヴァント地方との金排出の不均衡な通商、狂乱的な娯楽、ローマ化、女性の退廃、奴隷制と民族の退廃、身体の疫病、そして精霊的な不毛地点近くまで制度化されようとしていた国教から偉大な帝国を救うことはできなかった。
しかしながら、アレキサンドリアでの状況は、それほど悪くなかった。初期の学校では、イエスの教えの多くを妥協のない状態に保ち続けた。パンタイノスは、クレメントを教え、その後インドでキリストを宣言するためにナサナエルに続いた。キリスト教の構築の際、イエスの理想のいくらかは犠牲にされる一方、2世紀末までには、実際にはギリシア・ローマ世界のほとんどすべてのすばらしい心が、キリスト教徒になったということが公正を期して記されるべきである。勝利は、成就に近づきつつあった。
そしてその崩壊後でさえ、このローマ帝国は、キリスト教の生存を保証するために十分に長く続いた。しかし、我々は、王国の福音が、ギリシアのキリスト教の代わりに受け入れられていたならば、ローマや世界で起こったであろうことを、しばしば億測してきた。
社会の付属物であり、政治の味方である教会は、いわゆるヨーロッパの「暗黒時代」の知性と精霊の低下を分担する運命にあった。この間に、宗教は、ますます禁欲化され、苦行化され、合法化された。精霊的な意味において、キリスト教は冬眠していた。この期間を通して、微睡みと非宗教化するこの宗教とともに、神秘主義、つまり非現実性に近く、哲学的に汎神論と同類の空想的かつ精霊的な経験の連続した流れが、存在した。
これらの暗黒で絶望的な世紀の間にまたもや宗教は、実質的に受け売り的になった。個人は、支配的な教会の権威、伝統、命令の前にもう少しで失われるところであった。そして、神の法廷で特別な影響を持つと思われ、また、それゆえに、有効に求められるならば、神々の前で人間のために仲裁することができる「聖者」の華やかな集まりの創造において新たな精霊的な脅威が起きた。
しかし、キリスト教は、暗黒時代の接近を過ごすには無力である一方、道徳的な暗闇と精霊的な淀みのこの長い期間を耐え抜く準備のために十分に社会的になり、異教徒的になった。そして、それは、西洋文明の長い夜を通して持続し、文芸の復興の際、世界において道徳的な影響としてまだ機能していた暗黒時代の通過後のキリスト教の甦りは、キリスト教の教え、人間の人格の知的、感情的、そして精霊的な特別な型に適している信条をもつ数多くの宗派をもたらす結果となった。これらの特別なキリスト教集団、または宗教家族の多くは、この発表の作成時点でまだ持続している。
キリスト教は、イエスの宗教をイエスについての宗教への意図しない変化から始まった歴史を示している。それは、経験豊かなギリシア化、異教徒化、世俗化、制度化、知性の低下、精霊的な退廃、道徳的な冬眠、消滅への恐怖、後の若返り、分裂、そしてより最近の相対的な回復をした歴史をさらに提示している。そのような経歴は、固有の活力と回復させる膨大な資力の保持を示している。そして、この同じキリスト教は、今、西洋民族の文明世界に存在し、支配のためのその過去の戦いを特徴づけたそれらの盛り沢山な危機よりもさらに不吉な存在協創に直面している。
宗教は、現在、科学的な心と実利主義的な傾向の新時代の挑戦に直面している。世俗的な傾向と精霊的な傾向とのこの巨大な争いにおいて、イエスの宗教は、ついには、勝利を収めるであろう。
20世紀は、キリスト教と他のすべての宗教が解決すべき新たな問題をもたらした。文明が、より高まるにつれ、社会を安定させ、その物質的な問題解決を容易にする人の努力の全てにおいて、「最初に天の現実を探す」義務が、ますます必要となる。
真実は、切断され、分離され、孤立し、分析され過ぎるとき、しばしば混乱が生じ、紛らわしくさえなる。生きる真実は、物質科学でも介在する芸術の閃きとしてでもなく、完全かつ生きた精霊的な現実として迎え入れられるときにだけ、真実探求者に正しく教える。
宗教は、人間にとっての神性で、永遠の目標の顕示である。宗教は、純粋に個人的で精霊的な経験であり、次のような人の他の高い思索の型とは永遠に区別されなければならない。
1. 物質的な現実の問題に対する人の論理的態度。
2. 醜さに対照をなす美に対する人の美的鑑賞
3.社会的義務と政治的義務に対する人の倫理的認識。
4. 人間道徳に関する人の感覚さえ、それ自体、宗教ではない。
宗教は、宇宙で信仰、信用、確信を呼び起こすそれらの価値を見つけるようになっている。宗教は、究極的には崇拝に至る。宗教は、魂のために心によって発見される相対的価値と対照であるそれらの最高の価値を発見する。本物の宗教経験を通じてのみ、そのような超人的な洞察が得られる。
永続的な社会的体制は、重力のない太陽系が、それを維持できないのと同様に、精霊的な現実に基づく道徳なくしては維持できない。
肉体の1つの短い人生で好奇心を満たしたり、魂に押し寄せてくるすべての潜在的な冒険を満足させないようとしてはいけない。我慢しなさい。くだらない、浅ましい冒険への無法な突入に耽ける誘惑に陥ってはいけない。活力を利用して情熱を抑えなさい。進歩的な冒険と感激的な発見の終わりのない経歴の壮大な展開を待ち受ける間、穏やかでありなさい。
人間の起源についての混乱に際して、永遠の目標を見失わないようにしなさい。イエスが、幼子達さえ愛したということ、人間の人格の素晴らしい価値を永遠に明らかにしたということを忘れないようにしなさい。
世界を見るとき、あなたが見る悪の黒点は、究極の善の白い背景に対して示されているということを思い出しなさい。悪の黒い背景に対して惨めに現れる善の白斑だけを見ているのではない。
発表し、厳然と示す非常に多くの善の真実があるとき、ただ事実であるように見えるというだけで、人は、なぜ世界の悪についてくよくよしなければならないのか。真実の精霊的な価値の美しさは、悪の現象よりも楽しくて希望を与える。
ちょうど現代科学が実験技術を追求するように、イエスは、宗教において、経験の方法を主唱して従った。我々は、精霊的な洞察の導きを通して神を見つけるのだが、美への愛、真実の追求、義務への忠誠、神性の善の崇拝を通して魂のこの洞察に接近する。しかし、これらのすべての価値のうち、愛は真の洞察への本当の指針である。取り立て
科学者は、人類を物質的な恐怖へと意図せずして陥れた。かれらは、時代の道徳的な銀行の思慮のない取りつけを始めたが、人間の経験のこの銀行には、巨大な精霊的な資源がある。人間の経験のこの銀行は、その要求に耐えることができる。思慮のない人だけが、人類の精霊的な資産に関して恐怖状態になる。唯物の非宗教的な恐怖が終わるとき、イエスの宗教は、破産していないと分かるであろう。天の王国の精霊的な銀行は、「あの方の名」でそれを引き出すすべての者に信仰、望み、道徳的な保全を払い戻すであろう。
物質主義とイエスの教えとの明らかな対立が何であろうとも、人は、来る時代に、あるじの教えが完全に勝利すると安心することができる。実際は、真の宗教は、科学とのいかなる論争にも関与し得ない。それは、物質的なものと決して関係がない。宗教それ自体は、科学者には最高に関心がある傍らで、科学には好意的ではあるもののまったく無関心である。
叡知の付帯的な解釈と宗教経験の精霊的な洞察なくしては、単なる知識の追求は、つまるところ、悲観主義と人間の絶望につながる。少しばかりの知識というものは、実に混乱させる。
この著作の時点では、物質主義の最悪の事態は終わっている。より良い理解の日は、すでに夜が明け始めている。科学世界のより高度の心は、哲学においてもはや完全に物質的ではないが、一般大衆は、以前の教えの結果として今なおその方向に傾いている。しかし、物理的な現実主義のこの時代は、人の地球の生涯のつかの間の短い話にすぎない。現代科学は、真の宗教—イエスの信者達の人生において訳されたようなイエスの教え—を手つかずのままにしてきた。科学がしたすべては、人生に対する曲解の無邪気な幻想を破壊することである。
地球上の人の人生に関しては、科学は量的経験、宗教は質的経験である。科学は、現象を、宗教は、起源、価値、および目標を扱う。物理的な現象の説明として、原因を割り当てるということは、究極についての無知を認めることであり、結局は、科学者を真っ直に最初の大きな原因—楽園の宇宙なる父—に導いているに過ぎない。
奇跡の時代から機械の時代への激しい揺れは、人を全く混乱させるものだと分かった。機械観的な誤った哲学の巧みさと手際の良さは、その機械的な論点と一致しない。唯物論者の心の諦観した機敏さは、宇宙が盲目かつ目的のないエネルギー現象であるという自身の主張を永遠に論破している。
一部のおそらく教養のある人の機械的な自然主義、そして一般人の考えのない世俗主義の双方は、ともに徹底的に物事に関心がある。かれらは、信仰、望み、および永遠の確信に欠けると同時に、すべての真の価値、精霊的な資質の是認、精霊的な満足感に乏しい。現代生活の大きな問題の1つは、人が精霊的な思索と宗教的な献身に乗り出すには、あまりにも忙しいと思うことである。
物質主義は、人を魂のぬけた自動人形へと引きずり下ろし、単に人を不粋で機械論的な宇宙の数式において助けのない場所を見つける算術記号にする。しかし、数学の大家なくして数学のこの広大な全宇宙がどこから来るのか。科学は、質量保存について詳細に述べるかもしれないが、宗教は、人の魂の保護を確実なものにする—それは、精霊的な現実と永遠の価値との人の経験に関している。
現代の物質主義的な社会学者は、共同体を調査し、それについての報告をし、人々を見つけたままに後にする。1,900年前、無学なガリラヤ人は、人間の内面の経験への精霊的な貢献としての自らの命を与えるイエスについて調査し、それから出かけて行き、全ローマ帝国をひっくり返した。
しかし、宗教指導者達が、現代人を中世のトランペットの突発音で精霊的な戦いに呼び掛けようとするとき、重大な誤りを犯している。宗教は、それ自体に新しく現代的な標語を供給しなければならない。民主主義も他の政治的な万能策も精霊的な進歩の代わりはしないであろう。誤った宗教は、現実回避を意味すかもしれないが、イエスは、その福音で必滅者を精霊的な進行の永遠の現実の入り口そのものへと導き入れた。
物質から心が「現れた」と言うことは、何も説明しない。宇宙が単に機械装置であったり、心が物質から区別されていなかったならば、我々には、観察された現象の2つの異なる解釈も決してないであろう。真、美、善の概念は、物理学や化学のどちらにも固有ではない。機械は、知ること、ましてや真実を知ること、正義を切望すること、善を慈しむことができない。
科学は、物理的であるかもしれないが、真実を識別する科学者の心は、同時に超物質的である。物質は、真実を知らず、慈悲を好みもせず、精霊的な現実を楽しむこともできない。精霊的な啓蒙に基づき、人間の経験に根づく道徳的な信念は、物理的な観測に基づく数学的な推論ほどに真実であり確かであるが、それらは別の、またより高い段階にある。
人が単なる機械であるならば、物質的な宇宙に多少なりとも一様に反応するであだろう。個性は、まして人格は、実在しないであろう。
宇宙の中の宇宙の中心の楽園の絶対なる機構の事実は、第二次根源と中枢の制限されない意志の臨場に際し、決定者達が宇宙の唯一の法則でないということを永遠に確かにする。実利主義はあるが、それは、独占的ではない。構造はあるが、それは、制限がない訳ではない。因果関係はあるが、それは、単独ではない。
結局は、物質の有限的な宇宙は、結合された心と精霊の臨場を除いては均一で因果関係的になるであろう。宇宙心の影響は、物質界にさえも絶えず自発性を注ぐ。
存在のいかなる領域の自由または独創力も、精霊的な影響と宇宙心の制御の度合いに正比例している。つまり、人間の経験において、「父の意志」をする現実性の度合に正比例している。そして、人がいったん神を見つけに飛び出すとき、それは、神がすでに人を見つけたという決定的な証明である。
真、美、善の真剣な追求は、神に通じる。あらゆる科学的な発見は、宇宙の自由と普遍性の両方の存在を示す。発見者は、発見をすることが自由である。発見されるものは、本物であり、明らかに一定不変であり、さもなければ、それは、ものとして知られるようにならなかったかもしれない。
物質志向者が、真の宗教の個人の経験からくる広大な精霊的な資源を奪うような機械論的な宇宙のそのような弱い理論にまかせることは、いかにも愚かである。事実は、真の精霊的な信仰と決して争わない。理論は、そうするかもしれない。科学、宗教的な信仰—精霊的な現実と神性価値への人間の信念—の打倒を試みるよりも、むしろ迷信の破壊に捧げるべきである。
科学は、宗教が人のために精霊的にすることを、人のために物質的にすべきである。生活の地平線を広げ、人格を拡大すべきである。真の科学は、真の宗教との永続的な不和はありえない。「科学的方法」は、物質的な冒険と物理的な業績を測定する知的な物差しに過ぎない。しかし、物質的であり完全に知的であることは、精霊的な現実と宗教的な経験の評価においては全く役に立たない。
現代の機械論者の矛盾は、以下の通りである。もしこれが、単に物質的な宇宙であり、人間がただの機械であったならば、そのような人間は、自分がそのような機械であると見分けることが全くできないであろうし、同様にそのような機械人間は、そのような物質的な宇宙の存在の事実を全く意識していないであろう。機械科学に伴う物質主義的な狼狽と絶望は、科学者の超物質的な他ならぬ洞察が、物質宇宙のこれらの誤りの、自己矛盾の概念を明確に述べる科学者の精霊が宿る心の事実を認識し損ねてしまった。
真、美、善の永遠かつ無限の楽園の価値は、時空間宇宙の現象の事実の中に隠されている。しかし、それは、これらの精霊的な価値を探知し、識別する信仰の目を精霊生まれの必滅者に要求する。
精霊的な進展の現実と価値は、「心理学的な投射」—物質的な心の美化された単なる白昼夢—ではない。そのようなものは、内在する調整者、人の心に生きる神の精霊の精霊的な予想である。そして、かすかに覗かれた「相対性」の発見を弄ぶことにより、神の永遠性と無限性の概念を妨げさせないようにしなさい。そして、自己表現への必要性に関する人のすべての要求において、調整者の表現のために、すなわち真の、またより良い自己の顕現のための備えを怠るという誤りをしてはいけない。
これが物質的な宇宙にすぎないならば、物質的な人間は、そのような排他的に物質的な存在の機械的な特徴の概念に決して到着することはできないであろう。宇宙のこの非常に機械学的な概念は、本来心の物質現象であり、そしてそれが、いかに完全に物質的に条件づけられ、機械的に制御されているように見えても、すべての心は非物質起源である。
必滅の人間の部分的に発展した精霊的な構造には、過剰に一貫性と知恵が与えられてはいない。人の自惚れは、しばしば自身の根拠を上まわっており、また自身の論理を回避している。
最も悲観的な物質主義者のまさしくその悲観主義は、それ自体で、悲観論者の宇宙が完全に物質的ではないという十分な証明である。楽天主義と悲観主義は、双方共に事実だけでなく価値に対する心の気づきによる反応である。宇宙が、本当に物質者がそう見なすものであるならば、人間の機械としての人は、それゆえ、他ならぬその事実についての全ての意識的認知が欠けているということである。精霊生まれの心の価値に対する概念の意識がなければ、宇宙物質主義の事実と宇宙活動の機械学的な現象は、人には完全に認識されていないであろう。1台の機械は、もう1台の機械の性質、あるいは価値を意識するはずがない。
科学は、物質と事実だけを認識し対処するので、人生と宇宙の機械学的哲学は、科学的であるはずがない。哲学は、必然的に超科学的である。人は、自然の物質的事実であるが、その人生は、心の制御的な属性と精霊の創造的な特性を示す点において自然の物質段階を超える現象である。
機械論者になるための真摯な努力は、知的かつ道徳的な自殺行為をする人の空しい努力の悲惨な現象を意味する。しかし、人はそれをすることができない。
宇宙が単に物質であり、人が単に機械であったならば、科学が、宇宙のこの機械化を仮定するために科学者を勇気づけはしないであろう。機械は、それ自体を測定し、分類し、評価することはできない。そのような科学的な作品は、超機械状態の何らかの実体だけにより作成されることができるであろう。
宇宙現実が1台の広大な機械にすぎないならば、人は、そのような事実を認め、そのような評価の洞察を意識するようになるために、宇宙の外にあり、しかも、それから離れていなければならない。
人が単に機械であるならば、この人間は、いかなる手段により自分が単に機械であるということを信じたり、主張したり、あるいは知るようになるのか。自身に関わる自意識評価の経験は、決して単なる機械の属性ではない。自意識と自認の機械論者は、機械主義にとり最良の答えである。物質主義が事実であるならば、自意識の強い機械技師がいるはずがないであだろうに。また、人は、不道徳な行為ができる前に、まず道徳的な人でなければならないないことも本当である。
物質主義のまさしくその主張は、そのような教義をあえて主張する心の超物質的な意識を含意する。構造は悪化するかもしれないが、それは決して進歩することはできない。機械は、考えたり、創造したり、夢見たり、切望したり、理想化したり、真実に飢えたり、また正義に渇きを覚えたりはしない。機械は、他の機械に仕えたり、それらの永遠の進行の目標として神を見つけ、神に似るための高尚な仕事を選ぶために情熱をもって人生を動機づけはしない。機械は、決して知的でも、感情的でも、美的でも、倫理的でも、道徳的でも、精神的でもない。
芸術は、人が機械学的でないと立証するが、それは、人が精霊的に不滅であると立証はしない。芸術は、必滅のモロンチア、人つまり物質の人間と、人つまり精霊的な人間との間に介在する領域である。詩は、物質の現実から精霊的な価値へと逃がれる努力である。
高度文明における芸術は、本当の宗教—精霊的かつ永遠の価値の洞察—により精霊的にされる一方で科学には人間味を添える。芸術は、現実の人間と時空間の評価を表す。宗教は、宇宙価値の神の抱擁であり、精霊的な上昇と拡大における永遠の進行を内包する。この世界の芸術は、永遠が時間の現実の影として映す神の模範の精霊的な基準に盲目になるときだけに危険である。真の芸術は、生活の物質的なものの効果的な扱いである。宗教は、人生の物質的な事実を高潔にする変化であり、それは、芸術の精霊的な評価において決してやむことはない。
自動制御装置が、自動作用の原理を発想できたと推定することがいかに愚かであることか、またそのような他の概念や仲間の自動制御装置を形成すると敢えて考えることがいかに馬鹿げていることか。
然るべき認識を科学者に提供しない限り、物質的宇宙のどんな科学的な解釈も無価値である。芸術家への認識がない限り、芸術の鑑賞は本物ではない。道徳家を含まない限り、道徳評価は価値がない。哲学者を無視するならば、哲学の認識は啓発的ではないし、宗教は、神を探し求め知ろうとしている宗教家のこの経験なくしては、また、経験を通しての宗教家の本当の経験なしには存在し得ない。同様に、わたしはあるというもの、すなわち、それを作り、絶えずそれを管理する無限の神というものから離れた宇宙の中の宇宙には意味がない。
機械論者—人文主義者—は、物流に漂流する傾向がある。理想主義者と精霊主義者は、エネルギーの流れの明らかに純粋に物質的な流れを修正するために知性と活力で櫂を扱う。
科学は、心の数理により生活をする。音楽は、感情の速度を表現する。宗教は、無限のより高く、永遠の旋律との時空間の調和における魂の精霊的律動である。宗教経験は、本当に超数学的である人間の人生における何かである。
言語において、表音文字は物質主義の構造を、表し、一方で、1,000の考え、壮大な思いつき、高尚な理想について—愛と憎しみ、気弱さと勇気について_—意味を表現す言葉が、物質と精霊の法律の両方によって定義され、人格の意志の主張によって指示され、固有の状況での贈与によって制限される範囲のなかで心の働きを表す。
宇宙は、科学者が発見したり、あるいは科学と見なすようになる法測、構造、一様性などではなく、むしろこのように宇宙現象を観察し、創造の物質的な側面の機械学的段階に固有の数学的な事実を分類する好奇心が強く、思慮のある、選択していて、創造的で、組み合わさっていて、識別力のある科学者に似ている。
科学ではなく、科学者は、エネルギーと物質の進化し前進する宇宙の現実を知覚する。芸術ではなく、芸術家は、物体存在と精霊解放とに介在する一時的なモロンチア界の存在を示威する。宗教ではなく、宗教家は、永遠の進行過程で遭遇することになっている精霊現実と神性価値の存在を立証する。
しかし、物質主義と機械主義が、多少なりとも打ち負かされた後でさえ、20世紀の世俗主義の破壊的な影響は、まだ用心をしていない何百万人の精霊的な体験を挫くであろう。
現代の世俗主義は、2つの世界的な影響によって促進されてきた。世俗主義の父は、19世紀と20世紀の心が狭く神を信じない態度のいわゆる科学—無神論の科学—であった。現代の世俗主義の母は、中世の全体主義のキリスト教会であった。世俗主義は、制度化されたキリスト教会よる西洋文明のほとんど完全な支配に対する興隆する抗議としての発端があった。
この意外な事実の時、欧米双方の生活の中心的な知的で哲学的な環境は、はっきりと世俗的—人文主義的―である。300年間、西洋の考えは、次第に非宗教化されてきた。宗教は、ますます名目上の影響、主に儀式の役目を果たすようになった。西洋文明の大多数の見せかけのキリスト教徒は、無意識に、事実上は、世俗主義者である。
西洋の民族の考えと生活を全体主義的な教会支配の萎縮させる把握から解放するためには、巨大な力、強力な影響を必要とした。世俗主義は、教会支配の拘束を断ち、いま引き続き、現代人の胸中と心の支配の神を信じない新たな形を設立すると脅かしている。専制的かつ独裁的な政治国家は、科学的な実利主義と哲学的な世俗主義の直接的な結果である。世俗主義は、組織化された教会支配から人を解放するやいなや、全体主義国家への独創性のない束縛へと売りつける。世俗主義は、政治的および経済的な奴隷制度の圧制への裏切りのためだけに人を教会の奴隷制度から解放する。
物質主義は神を否定し、世俗主義は単に人を無視する。少なくともそれが初期の態度であった。最近では、世俗主義は、 より好戦的な態度をとってきており、かつて世俗主義が抵抗した全体主義の農奴的な境遇の宗教を敢えてとった。20世紀の世俗主義は、人は神を必要としないと断言する傾向にある。しかし、用心しなさい。人間社会のこの神を信じない哲学は、不安、憎しみ、不幸、戦争、および世界的な災禍に導くだけである。
非宗教主義は、人類に平和をもたらすことは決してできない。何も人間社会において神の代理をすることはできない。しかし、よく注意しなさい。非宗教的反乱が教会の全体主義にもたらす恩恵的利益を迅速にあきらめてはならない。西洋文明は、今日、非宗教的反乱の結果、多くの自由と満足感を味わっている。世俗主義の重大な誤りは、これであった。世俗主義は、宗教権威による生活のほぼ完全な支配に対して反旗を翻す際に、そして、そのような教会の圧制からの解放に達した後に、神自身に対する反乱を、時としてはそれとなく、またある時には公然と主導し続けた。
アメリカ産業主義の驚くべき創造性と西洋文明の先例のない物質的な進展は、非宗教的な反乱に負うところがある。また、非宗教的な反乱の度が過ぎて神と真の宗教を見失ったが故に、世界大戦と国際的な不安定の予期しない結果も続いた。
現代の非宗教的な反乱からの恩恵、つまり寛容性、社会奉仕、民主的政府、市民的な自由を味わうために神への信仰を犠牲にすることは必要ではない。世俗主義者が、科学を促進し、教育を前進させるために真の宗教を組織することは必要ではない。
しかし、非宗教主義が、生活拡大におけるこれらのすべての最近の進歩の唯一の親ではない。20世紀の利得の背後には、科学と世俗主義だけではなく、認められず、承認されてもいないナザレのイエスの人生と教えによる精霊的な働きもある。
神のない、宗教のない科学的な世俗主義は、その勢いを決して調整できずに、互いに異なり他に勝ろうとする関心、民族、愛国心を調和させることができない。その並ぶもののない物質的な達成にもかかわらず、この非宗教的な人間社会は、ゆっくり崩壊している。対立からくるこの崩壊に抵抗する主な結合力は、愛国心である。そして、愛国心は、世界平和への主な障害である。
世俗主義に固有の弱点は、政治と力のために倫理と宗教を捨てるということである。人は、神の父性を無視したり否定している間、容易く人の兄弟愛を確立することはできない。
非宗教的な社会的かつ政治的な楽天主義は、幻想である。神がなければ、自由も解放も、財産も富も、平和へとは導かないであろう。
科学、教育、産業、および社会の完全な非宗教化は、ただ破壊に通じるだけである。20世紀初頭の1/3の間、ユランチアの人々は、その時までのキリスト教統治の全時代に殺された数以上の人間を殺した。そして、これは、物質主義と世俗主義の恐ろしい収穫の始まりに過ぎない。より残酷な破壊は、いまだ来ていない。
数世紀もの間流れ続けている、物質的で非宗教的な時代の不毛の時勢にさえも、真実の川である人の精霊的な遺産の価値を見落としてはならない。過去の時代の迷信的な教義から逃れる人のすべての価値ある努力において、不朽の真実を固く保持することを確実にしなさい。だが、忍耐をもちなさい。現在の迷信への背反が終わるとき、イエスの福音の真相は、新しく、より良い道を照らすために輝かしく持続するであろう。
しかし、異教徒化され、社交的にされたキリスト教は、妥協のないイエスの教えとの新しい接触を必要としている。それは、地球のあるじの生涯への新たな展望がないために萎れている。イエスの宗教の新しく、より完全な顕示は、物質的な世俗主義の帝国を征服し、機械学的な自然主義の世界支配を打倒する運命にある。ユランチアは、現在、社会的な対応、道徳の奮起、および精霊的な啓蒙の最も驚くべき魅惑的な時代のその1つのまさにその縁で揺れている。
大いに変更されてはいるが、イエスの教えは、密儀宗派の誕生の時、そして暗黒時代の無知と迷信を乗り切り、そのうえ今でも、20世紀の物質主義、機械主義、世俗主義をゆっくりと打ち負かしている。そして、大いなる試練と敗北に瀕したそのような時代は、常に偉大な顕示の時代なのである。
宗教は、新しい指導者達、単にイエスと並ぶもののないその教えにあえて頼る精霊的な男女を必要とする。キリスト教が、社会的問題や物質的問題に忙しくし続けている間、その精霊的な使命を怠り続けているならば、精霊的な復興は、人の精霊の再生にもっぱら専念するイエスの宗教のこれらの新しい教師の到来を待ち受けなければならない。そして、これらの精霊生まれの者は、世界の社会的、道徳的、経済的、政治的な再編成に必要な統率力と閃きをすばやく供給するであろう。
現代は、事実に矛盾して真、美、善のその最高の概念と調和しない宗教を受け入れることを拒否するであろう。現代の歪められ妥協したキリスト教—イエスの本当の人生と教え—の本当の、最初の基盤の再発見の時は、告げられている。
原始人は、宗教的な恐怖に捕われた迷信深い生活を送った。現代の、文化的な人間は、強い宗教的な信念の支配を受けるという考えを恐れる。思慮ある者は、つねに宗教に掴まれることを恐れてきた。強く、しかも心を動かす宗教が、自分を支配する恐れがあるとき、人は、合理化し、伝統化し、制度化しようとし、その結果、その制御を得ようとする。そのような手順によって、啓示宗教でさえ、人によって作られ、また人によって支配されるようになる。知性ある現代の男女は、それが、自分達に—そして自分達と共に—何をするかの恐れのためにイエスの宗教を回避する。すべてのそのような恐れは、根拠が十分にある。イエスの宗教は、まことに、人が、天の父の意志に関する知識を捜し求めて生きることに捧げることを要求し、生きる活力が、人の兄弟愛への寡欲な奉仕に奉げられることを要求して、その信者を支配し、変えさせる。
利己的な男女は、今までに人間に提供された最もすばらしい精霊的な宝にさえそのような代価を簡単に支払いはしないであろう。人は、利己主義の愚かで誤魔化しの探求に付帯する悲しい当て外れに十分に幻滅し始めるときにだけ、そして形式化された宗教の不毛の発見の後にだけ、心から王国の福音、ナザレのイエスの宗教に振り向く気になるのである。
世界は、より直接的な宗教を必要とする。キリスト教—20世紀の最高の宗教—でさえ単にイエスについての宗教ではなく、人が大幅に間接的に経験する宗教である。人は、受け入れた宗教教師達により完全に渡されたままに宗教を取る。世界は、もしイエスが地球に本当に住んでいるのを見たり、生命を与えるその教えを直接に知ることができさえしたら、目を覚ます経験をするであろうに。美しいものを描写する言葉は、見ることのようには感動させることができないし、信仰に関する言葉も、神の存在を知る経験のようには人の魂を奮い立たせることはできない。しかし、期待に満ちた信仰は、人の魂の望みの扉を向こうの世界の神の価値の永遠の精霊的な現実の入り口へと開いたままにするであろう。
キリスト教は、人間の欲深さ、戦争の狂気、力に対する欲望への挑戦の前に敢えてその理想を低くした。だが、イエスの宗教は、人の中にある最善なものに、動物進化のこれらのすべての遺産を超越すること、そして神の恵みにより本当の人間の運命の道徳的な高さに達することを呼びかけて、汚れなく、優れた精霊的な召集としてある。
キリスト教は、形式主義、過度の組織化、知性偏重、および他の非精霊的な傾向による緩やかな死に脅かされている。現代のキリスト教会は、イエスが、人類の後の世代の精霊的な変化に絶えず作用することを注文した活力に満ちた信者の兄弟関係にはない。
いわゆるキリスト教は、社会的で文化的運動、ならびに宗教的な信条と習慣になってしまった。現代のキリスト教の流れは、多くの古代の異教徒の沼沢池と多くの未開の沼地から排出している。古い文化の多くの分水嶺は、その唯一の源流であると考えられるガリラヤの高い台地と同様にこの現代の文化的な流れに排出している。
キリスト教は、誠にこの世界のために大きな貢献をしたが、現在最も必要とするものはイエスである。世界は、すべての人にあるじを効果的に示す精霊生まれの必滅者の経験において、イエスが再び地球で生きていることを見る必要がある。原始のキリスト教の復活について話すことは空しい。人は、自分を見つけるところから進まなければならない。現代文化は、イエスの人生の新しい顕示で精霊的に洗礼され、そしてイエスの永遠の救済の福音に関する新しい理解で明るくされなければならない。そして、このように持ち上げられるようになるとき、イエスは、すべての人を自分に引きつけるであろう。イエスの弟子は、征服者以上でなければならないし、すべての人にとり溢れんばかりの閃きの源であり、増強された生活でさえなければならない。宗教は、それが、個人の経験における神の存在の現実の発見によって精霊的になるまでは、単に高められた人道主義にすぎない。
地球でのイエスの人生の美と崇高性、人間性と神性、素朴さと特異性は、全ての時代の神学者と哲学者が、人の姿でのそのような超自然的な贈与からあえて教義を形成するか、または精霊的な束縛の神学体系を作成することを効果的に制止されなければならないというそのような衝撃的かつ魅力的な人-救済と神-啓示の絵を提示している。宇宙は、愛の精霊が物質的困難に打ち勝ち、物理的起源の事実に打ち勝つ人間をイエスにおいて形成した。
いつも心に留め置きなさい—神と人は互いを必要とすることを。双方は、宇宙の究極の神性の目標における永遠の人格の経験の完全で最終の到達に互いに必要である。
「神の王国は、あなたの中にある」は、父が、生きており愛している精霊であるという宣言の次に、イエスの表明の中でおそらく最大のものであった。
あるじのために魂を勝ちとることにおいて、それは、人とその世界を変える強制的な最初の1キロメートル、すなわち義務または慣例ではなく、むしろ愛で同胞を理解し、また人間存在のより高い、しかも神性の目標に向かう精霊的な指導にしたがって押しやるために手を伸ばすイエスの信奉者を示す無料の奉仕と自由を好む献身の2キロメートル目である。キリスト教は、今でも進んで最初の1キロメートルを行くが、少数の本物の2キロメートル走者—生きて、愛し、そして仕えることを弟子達に教えたように本当に生きて、愛するイエスの追随者と名乗る僅かな者—しかいないので、人類は、道徳的な暗闇で苦しみ躓いている。
王国に関するイエスの兄弟愛の精霊的な再生によって新しい、変容する人間社会を築く冒険への呼び掛けは、肉体の仲間として地球を歩き回った日々から人が奮起していなかったようにではなく、イエスを信じるすべての者を感動させなければならない。
神の現実を否定する社会的、あるいは政治的体制は、人間の文明の前進にどのような建設的かつ永続的方法でも貢献できない。しかし、キリスト教は、今日それが、細分され俗化されるとき、その一層の進歩に最も重大なただ一つの障害を提示する。これは、特に東洋に関して真実である。
教会主義は、天の王国の精霊的な交友において人の兄弟愛というイエスの信仰仲間のその生きた信仰、発達する精霊、および直接の経験とすぐには、また永遠に相容れない。過去に達成された伝統を保存するという賞賛に値する願望は、しばしば時代遅れの崇拝体系の防衛に通じる。古代の考えの仕組みを促進する善意の願望は、現代人の拡大し、前進する精霊的な切望を満たすように考案された新しい、適切な手段と方法の提供を効果的に阻む。同様に、20世紀のキリスト教会は、立派に、しかし真の福音—ナザレのイエスの教え—の即座の進歩に対する完全に無意識の障害として立っている。
福音のキリストに忠誠を快く与える多くの熱心な人々は、キリストの人生やその教えの精神をあまり示さず、またキリストが築いたと誤って教えてきた教会を熱狂的に擁立することが、非常に困難であるとわかる。イエスは、いわゆるキリスト教会を設立しなかったが、自分の本質と一致するあらゆる方法で、地上での生涯の仕事の最良の実在する主唱者としてそれを育てた。
もしキリスト教会が、敢えてあるじの取り組みを支持しさえすれば、何千人もの明らかに無関心な若者は、そのような精霊的な仕事に参加するために殺到し、この大いなる冒険をずっとなし遂げていくことを躊躇わないであろう。
キリスト教は、自身の標語の1つに表現される運命に深刻に直面している。「分かれ争う家は、立っていられない。」非キリスト教世界は、分派したキリスト教世界に決して降伏しないであろう。生きているイエスは、キリスト教のありうる統一の唯一の希望である。真の教会—イエスの同胞—は、見えない、精霊的な、そして必ずしも均一性によってではなく、統一によって特徴づけられる。均一性は、機械学的な自然の物質界の目印である。精霊的な統一は、生きているイエスとの信仰統一の産物である。見える教会は、神の王国の不可視の、精霊的な兄弟関係の進展を長く妨げることを拒否しなければならない。そして、この兄弟関係は、組織化された社会的な体制とは対照的に生体となるように運命づけられている。それは、そのような社会的な組織を利用するであろうが、それらによって取って代わられてはならない。
しかし、20世紀のキリスト教でさえ侮ってはいけない。それは、多くの時代の多くの民族の神を知る人間の道徳的な複合的洞察の所産であり、そしてそれは、本当に、善に対する地球の最も優れた力の1つであり、それゆえに、その固有の、後天性の欠陥にもかかわらず、誰もそれを軽視すべきではない。キリスト教は、いまだに強力な道徳感情で反応する人の心を何とかして動かしている。
しかし、商業と政治における教会の係わり合いには、弁解の余地はない。そのような邪悪な提携は、あるじへの極悪の裏切りである。そして、真実の本物の愛好者は、この強力な制度化された教会が、しばしば平気で新生の信仰を窒息させたり、正統でない衣類でたまたま現れた真実運搬者達を迫害してきたことを長らく覚えているであろう。
人が世界に崇拝のそのような様式を好んでこなかったとしたならば、そのような教会は、残存しなかったということは、残念なほどに本当である。精霊的に怠惰な多くの人間が、儀式的かつ神聖な伝統をもつ古代の、権威ある宗教を切望する。人間の進化と精霊的な進展は、すべての人が、宗教権威を不要とするにはとても十分ではない。そして、王国の目に見えない兄弟関係は、人が本当に神の精霊に導かれる息子になることを望みさえすれば、様々な社会的、気質的な階級のこれらの家族集団を容易に包むかもしれない。しかし、イエスのこの兄弟関係においては、宗派の対立も集団の怨みも、さらには道徳的な優越性と精霊的な確実性の主張の場所はどこにもない。
キリスト教のこれらの様々な分類は、西洋文明の様々な民族の間で信者志望の多数の異なる種類に役立つかもしれないが、東洋の民族にイエスの福音を伝達しようとするとき、キリスト教世界のそのような分割は、深刻な弱点を提示する。これらの民族は、ますますイエスについての宗教となっているキリスト教から、やや違った、いくらか離れたイエスの宗教があるということをまだ理解していない。
ユランチアの大きな希望は、現代の自称の追随者の多くの家族を愛の奉仕において精霊的に結びつけるイエスの救いの知らせの新しく、拡大された提示によるイエスの新しい顕示の可能性にある。
いかに生活設計と性格発達に従事するかを若者に教える仕事により多く注意を向けようとするならば、非宗教的な教育さえ、このすばらしい精霊的な復興を助けることができる。全ての教育目的は、人生の最高の目的、堂々とし、均衡のとれた人格開発を促進することでなければならない。道徳的な規律の教育が、多大の自己満足の代わりにかなり必要である。そのような基盤に、宗教は、その精霊的な誘因を人間生活の拡大と質向上に、さらには永遠なる人生の保安と強化にとってさえ貢献するかもしれない。
キリスト教は、即席に作られた宗教であり、したがって、それは、低速ギアで作動しなければならない。高速ギアの精霊的な作動は、イエスの真の宗教の新しい啓示とより一般的な受け入れを待たなければならない。しかし、磔にされた大工の平凡な弟子達が、300年でローマ世界を征服し、次には、ローマを打倒した野蛮人に勝利し続けたそれらの教えを広めたことを見るにつけても、キリスト教とは、強力な宗教である。この同じキリスト教は、ヘブライの神学とギリシアの哲学の全体の流れを征服した—吸収し、高めた。そして、次には、このキリスト教の宗教が、神秘と異教の過剰投与の結果1,000年以上もの昏睡状態になったとき、それ自体を復活し、実質的に全西洋世界を再奪取した。キリスト教は、イエスの教えを不滅にする教えを十分に含んでいる。
キリスト教がより多くのイエスの教えを把握することができさえすれば、現代人の新しく、ますます複雑な問題の解決の援助に当たり、それは、さらに多くのことができるであろうに。
全世界の心に、西洋文明の社会制度、産業生活、道徳的な規範の一部として同一視されるようになってきたことから、キリスト教は、大きな悪条件の下で損なわれている。このように、キリスト教は、理想主義のない科学、主義のない政治、仕事のない富、抑制のない娯楽、人格を持たない知識、良心のない権力、道徳のない産業を黙認している罪の意識にぐらつく社会を無意識のうちに後援してきたように見える。
現代のキリスト教の希望とは、キリスト教が、西洋文明の社会制度と産業政策の後援をやめ、同時にキリスト教が、非常に勇敢に賞揚する十字架の前に恐れ入って額づき、そこで必滅者がこれまでに聞くことができる最も偉大な真実—神の父性と人の兄弟愛に関する生きた福音—をナザレのイエスから新たに学ぶということである。
イエスは、神に対する崇高で真心を込めた信仰を持っていた。かれは、人間生活の浮沈を経験したが、信仰上で神の加護と導きへの確実性を決して疑わなかった。彼の信仰は、神の臨場、内在する調整者の活動の洞察からの当然の結果であった。その信仰は、伝統的でもなく、単に知的でもなかった。それは、完全に個人的であり、純粋に精霊的であった。
人間イエスは、神を真実で、美しく善であると同時に、神聖、正当、かつ偉大であると見た。神性のこれらのすべての属性を心の中で「天なる神の意志」として焦点を合わせた。イエスの神は、全く同時に「イスラエルの聖なるもの」と「天の生きていて情愛深い父」であった。父としての神に対するイエスの概念は、独自のものではなかったが、神の新しい顕示を遂げることにより、そしてあらゆる必滅の創造物は、愛のこの父の子、神の息子であると宣言することによりその考えを高尚な経験へと大きく向上させた。
イエスは、宇宙との戦いや、敵対的で罪深い世界との死闘に藻掻く人間がするように、神に対する信仰に執着しなかった。かれは、単なる困難の真っ只中の安らぎとして、または危機に直面している絶望の中の慰めとして信仰に向かわなかった。信仰は、不快な現実と生活の悲しみのための単なる幻影的な埋め合わせではなかった。人間生活のすべての当然の困難や現世の矛盾に直面するとき、かれは、神への最高かつ疑う余地のない信頼からの平静さを経験し、また、信仰により、天の父のまさしくその臨場で生きる途方もない喜びを感じた。そして、勝利を収めたこの信仰は、実際の精霊到達の生きた経験であった。人間の経験の価値に対するイエスの大きな貢献は、彼が、天の父についてのそれほど多くの新しい考えを明らかにしたということではなく、むしろ、とても壮大に、人間的に神への生きた信仰の新しくより高い型を示したということであった。いまだかつてこの宇宙の全世界において、人間のだれ一人の人生においても、神が、ナザレのイエスの人間の経験におけるようにそのような生ける現実になったものはこれまでになかった。
ユランチアでのあるじの人生において、局部的創造のこの世界と他のすべての世界は、新しくてより高度の型の宗教、すなわち宇宙なる父との個人の精霊的な関係に基づく、そして個人の本物の経験の最高権威によって完全に有効にされる宗教を発見する。イエスのこの生ける信仰は、知的な沈思以上のもであり、それは、神秘的な冥想ではなかった。
神学は、信仰を固定し、定式化し、定義し、教義化するかもしれないが、イエスの信仰の人間の人生においては、個人的で、生きており、独創的で、自発的かつ純粋に精神的であった。この信仰は、伝統への畏敬でもなく、イエスが神聖な教義として保持した知的な信念でもなく、むしろ自分の中に確実に抱いていた崇高な経験であり、深遠な信念であった。かれの信仰は、まったく本物であり、すべてを包含しており、精霊的なあらゆる疑いも一掃し、また闘争的なあらゆる願望を事実上粉々にした。何も、この熱心で、崇高で、ひるまない信仰の精霊的な停泊からイエスを引き離すことはできなかった。明白な敗北に直面し、または失望や切迫する絶望の苦しみにさえ、かれは、恐れることなく、精霊的な無敵を完全に意識して神性の臨場に冷静に臨んだ。イエスは、断固たる信仰をもつ爽快な保証を味わい、人生の試練の状況の各々ににおいて、父の意志に疑わない忠誠心を絶えず示した。そして、この見事な信仰は、不名誉な死の残酷かつ破壊的な脅威にさえ勇敢であった。
宗教的な才能において、強い精霊的な信仰は、多くの場合、直接に破壊的な狂信へと、宗教的な自我の誇張へつながるが、イエはそうではなかった。かれは、この精霊的な高揚が、神との個人の経験のまったく無意識で、自然発生的な魂の表現であったので、かれは、その驚異的な信仰と精霊到達による実際の人生において不利に影響を受けなかった。
イエスのすべて燃え尽き、不屈である精霊的な信仰は、決して狂信的にはならなかった、というのも、それは、実用的で、通常の社会的、経済的かつ道徳的な生活状況に比例している価値に関し、均衡の良くとれた知的判断をもって当たり、決して逃げようとはしなかったから。人の息子は、見事に統一された人間の人格であった。かれは、神性の生命を完全に授けらた存在体であった。かれは、地球で一人格として機能する結合的な人間そして神性の存在体としてまもた、みごとに調和していた。あるじは、常に、魂の信仰と豊かな経験に基づく賢明な評価に調和させたのであった。個人の信仰、精霊的な望み、道徳的な献身は、鋭い現実の認識と人間すべての忠誠心—個人の名誉、家族愛、宗教的な義務、社会的義務、および経済上の必要性—神性さとの調和したつながりの無比の宗教統一において常に相関していた。
イエスの信仰は、神の王国に見つけられるものとしてすべての精霊価値を心に描いた。それゆえに、かれは、「最初に、天国の王国を探しなさい。」と言った。イエスは、王国の進歩的かつ理想の親交における「神の意志」の到達と実現を見た。彼が弟子に教えた祈りのまさしくその核心は、「あなたの王国は来る、あなたの意志は為される」ということであった。このように王国が神の意志から成ると考え、かれは、驚くばかりの無私無欲と限りない熱意でその大義実現に専念した。しかし、彼のすべての激しい任務と桁外れの人生を通じて、熱狂者の狂暴性も宗教的な自己中心主義者の上滑りな内容の無さも決して現れなかった。
あるじの全人生は、一貫してこの生きた信仰、この崇高な宗教経験に影響を受けた。この精霊的な態度は、完全に彼の考えと感情、信じることと祈り、教えと説教を支配した。息子の個人のこの信頼は、天の父の導きと保護の確信と安心感にある。精霊の現実である深遠な贈り物を彼の独特な人生に与えた。それでも、神性との緊密な関係のこの非常に深い意識にもかかわらず、このガリラヤ人、神のガリラヤ人は、良き師と呼び掛けられると、即座に「なぜ私を良いと呼ぶのか。」と応えた。我々は、そのように見事な無私無欲に直面すると、宇宙なる父がいかに、それほどまでにイエスに自分を完全に顕示し、イエスを通して自分を領域の必滅者に明らかにすることが可能であるかを理解し始める。
領域の人間としてのイエスは、すべての捧げ物の最たる物、つまり神の意志を為すという厳然たる奉仕への献身と情熱を神に提示した。イエスは、完全に父の意志の観点から、つねに一貫して宗教を解釈した。人が、あるじの経歴を研究するとき、祈りや宗教生活の他のどの特徴に関しも、彼が教えたことよりも、彼がしたことに注目しなさい。イエスは、決して、宗教義務として祈らなかった。イエスにとっての祈りは、精霊的な態度の真摯な表現、魂の忠誠の宣言、個人の献身的愛の詳述、感謝の祈りの表現、感情的な緊張の回避、対立の防止、思考過程の高揚、願望の高尚化、道徳的な決断の擁護、思考の強化、より高い意向への鼓舞、衝動の神聖化、視点の明確化、信仰の宣言、意志の超越的な付託、確信の崇高な表明、勇気の顕示、発見の宣言、至上の献身の告白、献身の確認、困難調整の手段、そして、利己主義、悪、罪に向かう人間の全性向に抵抗するための結合された魂の力の勢いの流動化であった。かれは、父の意志を為すまさにそのような祈りのこもった奉献の人生を送り、まさにそのような人生を勝利のうちに終わらせた。並ぶもののないその宗教生活の秘密は、神存在のこの意識であった。そして、かれは、悟性の祈りと偽りのない崇拝—神とのうち壊されることのない親交—そして、それは、魅惑するもの、声、直感、あるいは異常な宗教実践によるものではなく、神存在のこの意識によって遂げられた。
地球のイエスの人生において宗教は、生きた経験、精霊的な崇敬から実践的な正義への、直接かつ個人的な活動であった。イエスの信仰は、神性の精霊の卓越した実を結んだ。彼の信仰は、子供のそれのように未熟ではく、軽信に基づくものではないが、様々な意味で、疑いを知らない子供の心の信頼に酷似していた。かれは、子供が親を信じるように神を深く信じた。かれは、宇宙に対する深遠な信頼—まるで子供が、その親を中心とする環境に抱くような信頼を持っていた。宇宙の根本的な善に対するイエスの心からの信仰は、その地球環境の安全の点に対しての子供の信頼に非常に似通っていた。子供が俗世の親に寄り掛かるように、イエスは、天の父に頼り、その熱い信仰は、天の父の加護の確かさを決して一瞬も疑わなかった。かれは、恐怖、疑問、懐疑に由々しく妨害されなかった。不信仰が、イエスの人生における自由で独自の表現を抑制することはなかった。かれは、成熟した人間のたくましく、賢明な勇気、そして信じる子供の誠実で心を許す楽天主義とを抱き合わせてもっていた。彼の信仰は、恐怖を欠くほどの信頼の高さにまで成長した。
イエスの信仰は、子供の信頼の純粋さに達した。彼の信仰は、絶対かつ疑わないものであったので、仲間との接触の魅力に、そして宇宙の不思議に反応するものであった。神への依存の彼の感覚は、非常に徹底しており、自信があったので、それは、絶対的な個人の確信の喜びと保証をもたらした。彼の宗教経験に、躊躇の素振りはなかった。成熟した人間のこの巨大な知性の中にある子供の信仰は、宗教意識に関連するすべての問題において最高に支配した。彼がかつて「幼子のようにならない限り、王国には入らないであろう」と言ったことは、奇妙ではない。イエスの信仰は、無邪気ではあったが、それは、すこしも子供じみたものではなかった。
イエスは、弟子にイエス自身を信じることを要求しないが、むしろ共に信じるために、神の愛の現実を信じ、そして天の父との息子性の保証の確信を十分の自信をもって受け入れることを求めた。あるじは、すべての追随者が、彼の卓越した信仰を完全に共有するべきであるということを望んでいる。イエスは、単に彼が信じたことを信じるだけではなく、彼が信じたように信じることを最も感動的に追随者に喚起した。これが、イエスの1つの至上要求「私に続きなさい」の完全な意味である。
イエスの地球での人生は、1つの重要な目的—父の意志を為し、信心深く、信仰にそって人間生活を送ること—に捧げられた。子供のそれのように、イエスの信仰は、信じて疑わないものであったが、全く図々しさのないものであった。かれは、たくましく男らしい決断をし、勇敢に様々の期待はずれに向かって、断固として驚異的な困難を乗り越え、怯むことなく義務の厳しい要求に直面した。イエスが信じたことやイエスが信じたように信じるということには、強い意志と不断の信頼を必要とした。
父の意志への献身と、人への奉仕へのイエスの献身は、実に人間の決意や決断力それ以上のものであった。それは、愛のそのような無条件の贈与への全心からの自己の奉献であった。マイケルの主権事実がいかに遠大であっても、人間イエスを人々から連れ去ってはならない。あるじは、人間として、同時に神として天上に昇った。あるじは人間に属し、人間はあるじに属している。奮闘している必滅者から人間イエスを連れ去るくらいに曲解されるようでは、その宗教そのものは、何と不運であることか。キリストの人間性あるいはその神性に対する議論において、ナザレのイエスが、信仰によって、神の意志を知り、神の意志を為すことを達成した信心深い人であったという救いの真実を曖昧にさせてはならない。イエスは、これまでにユランチアで生活したことがある真に最も信仰の厚い人であった。
神学の伝統と19世紀の宗教教義の中で、イエスの埋葬からの人間イエスの比喩的な復活を目撃するための時は熟している。ナザレのイエスは、栄光を受けたキリストのすばらしい概念のためにさえ、もはや犠牲にされてはならない。もしこの顕示によって、人の息子が、伝統的な神学の墓から取り戻され、イエスの名をもつ教会、そして他のすべての宗教に生きているイエスとして提示されるようであれば、何という卓越した奉仕であることか。キリスト教信者の親交は、父の意志を為すことや人の寡欲な奉仕への宗教的な献身のあるじの実生活の実例に、「後に続く」ことを可能にするような信仰の、そして生きる習慣のそのような調整を躊躇わないであろう。自称キリスト教徒は、自惚れの強さの露呈や、社会的な体面や利己的な経済不均衡の自給自足の、中途半端な親交を恐れるのか。もしガリラヤのイエスが、個人の宗教生活の理想として必滅の人間の心と魂で復帰するならば、組織的なキリスト教は、伝統的な教会の権威の可能な危険性、さらには打倒を恐れるのか。本当に、もしイエスの生きた宗教が、イエスに関する神学の宗教に突然代わるならば、誠に、キリスト教の文明の社会的な再調整、経済変化、道徳的な回復と宗教的な修正は、抜本的であり、画期的であろう。
「イエスに続く」ことは、個人的にその宗教信仰を共有し、人への寡欲の奉仕のあるじの人生の精神に参加することを意味する。人間の生活で最も重要なものの1つは、イエスが何を信じたかを知り、彼の理想を見い出し、彼の高い人生目的への到達を目差して努力することである。全ての人間の知識の最大の価値であるそれは、イエスの宗教人生と彼がそれをどう生きたかについて知ることである。
一般人は、快くイエスに耳を傾けたし、もしそのような真実が、再び世界に向けて宣言されるならば、かれらは、奉献された宗教的な動機づけの誠実な人間生活の提示に再度応じるであろう。彼が人々の中の一人、控え目な俗人であったので、彼らは快く耳を傾けた。世界の最も偉大な宗教の教師は、実に俗人であった。
肉体のイエスの外面的な人生を文字通り模倣することが、王国の信者の狙いであってはならず、むしろその信仰を共有することである。彼が神を信じたように神を信じ、彼が人を信じたように人を信じること。イエスは、神の父性も人の兄弟愛のいずれについても決して議論しなかった。かれは、一方の生ける実例であり、他方の奥深い実証であった。
ちょうど人が、人間の意識から神性の認識へ進まなければならないように、イエスは、人の本質から神の本質の意識へと昇っていった。あるじは、彼の人間の知性の信仰と内なる調整者の行為の結合の成就により人間から神性へのこの大いなる上昇を果たした。神格の全体性への到達の事実認識(完全に人類の現実をずっと意識している間) は、進歩的な神性化の信仰意識の7段階を伴った。進歩的な自己実現のこれらの段階は、あるじの贈与経験において次の驚くべき出来事により区分された。
1. 思考調整者の到着
2. 12歳頃にエルサレムで現れたイッマーヌエルの使者
3. 洗礼に付随する徴候
4. 変容の山における経験
5. モロンチア復活
6. 精霊上昇
7. 彼の宇宙の無制限の主権を授ける楽園の父の最終的な抱擁。
いつの日か、キリスト教会の改革は、我々の信仰の作者と完成者であるイエスの純粋な宗教の教えに戻ることができるほどに深く根を下ろすかもしれない。人は、イエスについての宗教を説くことはできるが、必然的に、イエスの宗教生活を送らなければならない。五旬節の熱狂の中、ペトロスは、新しい宗教、復活と栄光のキリストの宗教を意図せずに開始した。使徒パウーロスは、後にこの新しい福音をキリスト教、自身の神学の観点を具体化し、ダマスカス街道でのイエスに接した自身の個人の経験を描写している宗教へと変えた。王国の福音は、ガリラヤのイエスの個人の宗教的な経験に基づいている。キリスト教は、ほとんど使徒パウーロスの個人の宗教的な経験だけに基づいている。新約聖書のほぼ全体は、イエスの意味深く訴えかける信仰生活の描写ではなく、パウーロスの宗教経験に関する議論とその個人の宗教的な信念の描写に注がれている。この論述の唯一注目に値する例外は、マタイオス、マルコス、ルカスからのある部分は別として、ヘブライ人への手紙とジェームスの使徒書簡である。ペトロスでさえ、その文書の中で、あるじとの個人の宗教生活に一度だけ振り向いたに過ぎない。新約聖書は、素晴らしいキリスト教の記録であるが、それは、ただ貧弱にイエス的である。
肉体のイエスの人生は、原始の畏敬と人間の崇敬の初期の考えから最終的に父とのイエスの同一性の意識のその高度で発揚された状態に到着するまでの長年の個人の精霊的な親交の宗教的な成長を描いている。そして、このように、イエスは、1つの短い人生において、人が、地球に始まり、そして通常は前-楽園経歴の連続する段階の精霊の訓練所においてその長い滞在の終わりにのみ到達する宗教的な精霊的な進行のその経験を踏破した。イエスは、個人の宗教経験の信仰の確信に対する純粋に人間的な認識から自身の神性の明確な実現の高尚な精霊の高さへ、そして宇宙の管理における宇宙なる父との近密な関係の意識へと進歩した。彼に良き師と呼び掛けた者に、かれは、「なぜ私を良いと呼ぶのか。神以外に良い者はいない」と即座に自然に言わせた人間的な依存の控え目な状態から「あなた方のうちの誰が私を有罪と宣告するのか。」 と彼に叫ばせた神性到達のその高尚な意識へと進歩した。そして、人間から神性へのこの進歩する上昇は、もっぱら人間の到達であった。こうして、神性に達したとき、イエスは、まだ同じ人間イエス、人の息子ならびに神の息子であった。
マルコス、マタイオス、ルカスは、神性意志を確かめ、その意志を為すために見事な努力で携わる人間イエスの絵について何かを保持している。ヨハネは、イエスが、完全な神格の意識で地球上を歩きながら勝利を収めた彼の絵を提示する。あるじの人生を研究した者達の重大な誤りは、一部の者が、完全な人間としてイエスを思いついたり、他の者が、単に神性として考えてきたということである。その全経験の中で、今でもそうであるように、イエスは、実に人間であり神であった。
しかし、最も重大な間違いは、人間イエスが宗教があると認められる一方で、およそ1夜のうちに神性イエス(キリスト)が、宗教になるということであった。パウーロスのキリスト教は、神性のキリストの崇拝を確かにはしたが、それは、個人の信仰の果敢さと内在する調整者の英雄的資質によって神性と1つになるために人間性の低い段階から昇り、こうして、すべての死すべき者が人間性から神性まで昇れるように新しい生ける道となったガリラヤの奮闘している勇敢な人間イエスをほぼ完全に見失った。精神性の全段階と全世界における人間は、最も低い精霊段階から最も高い神性価値へと、すべての個人の宗教経験の始めから終わりへと進歩するうちに、イエスの個人の人生に自らを元気づけ奮起させるものを発見するかもしれない。
新約聖書を著わす時点で、著者達は、上昇したキリストの神格を最も深く信じたばかりでなく、かれらは、天の王国を完成するためのキリストの地球への即座の帰りをひたむきに心から信じていた。あるじの即座の帰還に対するこの強い信仰は、あるじの純粋に人間としての経験と属性を描いたそれらの言及を記録から省略する傾向と非常に関係があった。キリスト教の全体の運動は、ナザレのイエスの人間の絵から復活したキリスト、栄光に輝く、間もなく戻りくる主イエス・キリストの高揚へと遠く離れていく傾向があった。
イエスは、神の意志を行動に起こし、人間の兄弟愛に仕えることで個人の経験の宗教を創立した。パウーロスは、栄光に輝くイエスが崇拝の対象になり、兄弟愛が神性のキリストの仲間の信者から成る宗教を設立した。イエスの贈与において、これらの2つの概念は、彼の神性-人間の人生に潜在的であり、そしてそれは、追随者が、イエスの地球人生で分かち難く結びつけられたように、また最初の王国の福音にとてもすばらしく提示されたように、あるじの人間と神性双方の本質に適切な認識を与えたかもしれない統一された宗教を創立できなかったことは、誠に遺憾なことである。
彼が世界で最も一心不乱で、献身的な宗教家であったということを覚えてさえいるならば、人は、イエスの強い表明のいくつかに衝撃も受けず、撹乱もされないであろう。かれは、完全に奉げた人間、父の意志を為すことに素直に打ち込んだ必滅の人間であった。彼の明らかに厳しい発言の多くは、追随者への命令というよりは、個人の信仰告白であり、献身の誓約であった。そして、一つの短い人生で人間の心の征服におけるそのような並はずれた進歩をもたらすことができたのは、まさにこの目的一筋の、寡欲な献身であった。彼の宣言の多くは、すべての追随者に要求したというよりは、むしろ自分自身に要求した告白として考えられるべきである。王国の大義への献身において、イエスは背水の陣を敷いた。かれは、すべての愛着を父の意志を為すために犠牲にした。
イエスは、彼らが、通常、誠実で敬虔であったので貧者を祝福した。イエスは、彼らが、通常、奔放で無宗教であったので、富者を非難した。かれは、それと同時に無宗教な貧者を非難し、奉献し、信心深い富者を褒めたのであった。
イエスは、人が世界で満足するようにに導いた。かれは、禁制の奴隷状態から彼らを救い出し、世界が基本的に悪でないことを教えた。イエスは、地球の人生から逃げることを切望しなかった。かれは、肉体での生活の間、父の意志を受け入れてもらえるような形でする業を習得した。かれは、現実世界のまさにその真ん中で理想的な宗教生活に達した。イエスは、人類に悲観的なパウーロスの視点を共有しなかった。あるじは、人を神の息子と見なし、生存を選んだ人々のために壮大で永遠の未来を予見した。かれは、道徳的な懐疑論者ではなかった。かれは、人を否定的にではなく肯定的に見た。かれは、ほとんどの人が邪悪であるというよりも、むしろ弱いと、堕落しているというよりも、むしろ取り乱していると見た。しかし、その状況がいかようであろうとも、人は皆、神の子であり、自分の同胞であった。
かれは、時間と永遠において自身を重んじることを人に教えた。イエスが人に置いたこの高い評価のために、人類への不断の奉仕に自身を捧げることを望んだ。そして、それは、黄金律を彼の宗教における不可欠な要因にしたこの限りある者の無限の価値であった。イエスが持つこの並はずれた信仰に高揚されない人間がある得るであろうか。
イエスは、社会の前進に対する何の規則も提供しなかった。彼の任務は、宗教的な任務であり、宗教は、排他的に個々の経験である。社会の最高度の到達に対する究極の目標は、決して神の父性の認識に基づくイエスの人間の兄弟愛を超えることを望むことはできない。すべての社会的到達の理想は、この神性の王国の接近においてのみ実現できる。
個人の、精霊的な宗教経験は、人間のたいていの困難に有効な解決策である。それは、すべての人間の問題の効果的な選別者であり、査定者であり、調整者である。宗教は、人間の問題を取り除いたり、破壊しないが、それらを分解し、吸収し、照らし、超えたりする。真の宗教は、すべての人間の必要条件に効を奏する調整のために人格を統一をする。信仰—内在する神性の存在の積極的な導き—は、神を知る人間が、宇宙なる第一原因をそれとして認識する知的な論理とこの第一原因が、かれ、つまりイエスの福音の天の父、人間救済の人格の神、であると断言する魂の明確なそれらの主張との間に存在する大きな隔たりに橋渡しをすることを間違いなく可能にする。
普遍的な現実には3要素だけがある。事実、考え、関係。宗教的な意識は、これらの現実を科学、哲学、真実として確認する。哲学は、これらの活動を理由、知恵、信仰—物理的な現実、知的な現実、精霊的な現実—として見る傾向にある。我々は、これらの現実を事物、意味、価値として呼ぶ習慣がある。
現実の進歩的な理解は、神接近と同じである。神の探求、現実との自己同一性の意識は、自己完成—自己全体、自己統合—の経験に相当する。全現実を経験することは、神の完全な実現、神を知る経験の究極状態である。
人間の生涯の完全な要約は、人は事実によって教育され、知恵によって気高くされ、そして宗教信仰によって救われる—正当化される—という知識である。
物理的な確実性は、科学の理論にある。道徳的な確実性は、哲学の知恵に、精霊的な確実性は、本物の宗教上の経験の真実に。
人の心は、それが完全に物質的ではないので、精霊的な洞察の高い段階と神性価値の対応する範囲を達成することができる。人の心には、精霊の核—神性臨場の調整者—がある。人間の心に宿るこの精霊の3つの別個の証がある。
1. 人道的な親交—愛。純粋に動物の心は、自己保護のために社交的であるかもしれないが、精霊-内在の識者だけが、利己的ではなく愛他的で無条件に情愛深い。
2.、宇宙の解釈—知恵。精霊-内在の心だけが、宇宙は、個人にとり好意的であるということが理解できる。
3. 生活の精霊的な評価—崇拝。精霊-内在の人間だけが、神性臨場を認識し、この神性臨場に、またはこの神性臨場と共に最大限の経験を達成しようとすることができる。
人間の心は、真の価値を創造しない。人間の経験は、宇宙洞察を与えない。人間の心が、洞察、道徳的な価値の認識、および精霊的な意味の認識に関してできるすべては、発見し、解釈し、選択することである。
宇宙の道徳的な価値は、人間の心の3つの基本的判断、または選択で知的な所有物になる。
1. 自己判断—道徳的選択。
2. 社会的判断—倫理的選択。
3. 神の判断—宗教的選択。
このように、すべての人間の進歩は、結合している顕示的な進化の方法に作用されているように見える。
人の中に神性愛好者が住まない限り、人は利他的に、精霊的に愛せないであろう。心に通訳者が住まない限り、人は、宇宙の統一性に本当に気づくことができない。人は、評価者が共に住まない限り、ともすれば道徳的な価値を評価し、精霊的な意味を認めることができないであろう。そして、この恋人は、無限の愛のまさしくその源から来る。この通訳者は、宇宙統合の一部である。この評価者は、神性の、そして永遠の現実のすべての絶対価値の中枢と根源の子供である。
宗教的な意味をもつ道徳的な評価—精神的な洞察—は、善と悪、真実と誤り、物質的と精霊的、人間と神性、時間と永遠の間における個人の選択を暗示する。人間の生存は、この精霊価値の選別者—内住する通訳者と統一者—により選択されたそれらの価値を選ぶことに、人間の意志が奉献することに大いに依存している。個人の宗教的な経験は、二相、人間の心における発見と内住する神霊による顕示からなる。過度の洗練を通して、あるいは見せかけの宗教家の無宗教的な行為の結果、人は、あるいは人の1世代でさえ、内住する神を発見する彼らの努力を中断することを選ぶかもしれない。かれらは、進歩せず、神性の顕示には到達できないかもしれない。しかし、内住する思考調整者の存在と影響ゆえに、精霊的な非進行のそのような態度は、長く持続できない。
内住する神性の現実のこの奥深い経験は、自然科学の粗野な物質主義的な技術を永遠に超える。人は、精霊的な喜びを顕微鏡の下に置くことはできない。人は、愛を秤に掛けられない。人は、道徳的な価値を測定することはできない。精霊的な崇拝の質を見積もることも、人は、できない。
ヘブライ人には、道徳崇高の宗教があった。ギリシア人は、美の宗教を発展させた。パウーロスとその相談相手達は、信仰、希望、慈善の宗教を創立した。イエスは、愛の宗教、人間の兄弟愛の奉仕におけるこの愛を共有することからくる喜びと満足を伴う父の愛への安心感、を明らかにし、例証した。
人は、熟考の道徳的な選択の度に、新たな神性の魂の侵入をすぐに経験する。道徳的な選択は、外的状況への内面の反応の動機として宗教を構成する。しかし、そのような本当の宗教は、まったく主観的な経験ではない。それは、総合的な客観性—宇宙とその創作者に対する意味ある知的な反応に携わっている個人の主観性の全体を意味する。
愛し、愛される絶妙かつ並外れの経験は、純粋に主観的であるがゆえに、単なる精神性の幻想ではない。人間と関係している唯一の真に神性であり、客観的現実、つまり思考調整者は、排他的に主観的な現象として人間の観察に明らかに機能する。最高度の客観的な現実、神との人の接触は、神を知り、崇拝し、神の息子の関係に気づくという純粋に主観的な経験である。
真の宗教的な崇拝は、自己欺瞞の空しい独白ではない。崇拝は、神のように本物であるもの、また現実のまさにその源であるものとの個人の親交である。人は、 崇拝によってより良くあることを切望し、その結果ついには最善に到達する。
真、美、善の理想化と試みの奉仕は、本物の宗教経験—精霊的な現実—の代用品ではない。心理学と理想主義は、宗教的な現実に相当しない。人間の知力の投影は、いかにも誤った神々—人の姿の神々—を考案するかもしれないが、本物の神-意識には、そのような起源はない。神-意識は、内住する精霊に常駐している。人間の宗教制度の多くは、人間の知識人の定式化から来るが、神-意識は、必ずしも宗教的な奴隷制度のこれらの異様な体制の一部であるというわけではない。
神は、人の理想主義の単なる発明ではない。神は、すべてのそのような超動物の洞察と価値のまさにその根源である。神は、真、美、善の人間の概念を統一するために定式化される仮説ではない。かれは、これらの宇宙の顕現の全てが引き出される愛の人格である。人間界の真、美、善は、楽園の現実に向かって昇る必滅者の経験の増大する精神性によって統一される。真、美、善の統一は、神を知る人格の精霊的な経験で実現され得るだけである。
道徳は、個人の神-意識、つまり調整者の内面存在の個人の認識、の重要な先在的な土壌であるが、そのような道徳は、宗教経験の源や精霊的な洞察の結果ではない。道徳の本質は、超動物的ではあるが精霊以下である。道徳は、義務の認識、善と悪の存在の認識に等しい。道徳的な範囲は、モロンチアが、人格到達の物質界と精神界の間で機能するように、動物と人間の心の型の間に入る。
進化の心は、法律、道徳、倫理を発見することができる。しかし、贈与された精霊、内住する調整者は、進化する人間の心に、立法者、つまり真実の、美しく善である全ての父なる源を明らかにする。そして、そのような照らされた人には、宗教があり、長くて冒険的な神捜索を始めるために精霊的に備えができている。
道徳は、必ずしも精霊的であるわけではない。真の宗教が、すべての道徳的な価値を高める、それらをより重要にするとはいえ、それは、完全に純粋に人間的であるかもしれない。宗教を伴わない道徳は、究極の善を明らかにすることができず、またそれ自身の道徳的な価値の存続に備えることさえできない。宗教は、道徳が認め、承認するすべての強化、賛美、および確実な存続に備える。
宗教は、科学、芸術、哲学、倫理、道徳を越えるが、それらから独立はしていない。それらはすべてが、個人的で社会的な人間の経験において相互に永続的に関係している。宗教は、必滅者の本質における人の最高の経験であるが、限りある言語は、神学が、本当の宗教経験を適切に表現することをどこまでも不可能にする。
宗教的な洞察は、敗北をより高い願望と新しい決断に変える力を備えてる。愛は、人が宇宙上昇で利用できる最高の動機づけである。しかし、真、美、善が剥ぎ取られた愛は、単なる感情、哲学的な歪み、精神的な幻想、精霊的な欺瞞である。愛は、モロンチアと精霊進行の連続した段階で常に再定義されなければならない。
芸術は、物質的な環境の美の欠如から逃れる人の試みから生じる。それは、モロンチア段階に向かう意思表示である。科学は、物質宇宙の見た目の謎を解く人の努力である。哲学は、人間の経験統一への人の試みである。宗教は、人の崇高な意思表示、究極現実への見事な到達、神を見つけて、神に似る決断である。
宗教的な経験の領域において、精霊的な可能性は、潜在的な現実である。人の前向きの精霊的な衝動は、精神の幻想ではない。人が宇宙を空想化する全ては、事実ではないかもしれないが、多くが、非常に多くが、真実である。
一部の人の人生は、低水準に下がるには立派すぎていて堂々としたものである。動物は、その環境に適応しなければならないが、宗教的な者は、その環境を超え、このようにして、神性の愛のこの洞察を通して、現在の物質的世界の限界を超える。愛のこの概念は、真、美、善を見つけるその超動物の努力を人の魂に生み出す。そして、それらを見つけるとき、かれは、抱擁され、栄光に輝く。かれは、それらに生きる願望に、正義をする願望に身を焦がすのである。
落胆してはいけない。人間の進化は、まだ進行中であり、世界への神の顕示は、イエスの中に、そしてイエスを通してなされ、失敗しない。
現代人にとっての大きな挑戦は、人間の心に住む神性訓戒者とのより良い意思疏通を達成することである。肉体での人の最大の冒険は、全心の努力で精霊意識の境界地に到達—神性臨場との接触—のために胎児の魂意識の薄暗い領域を通り抜け自意識の境界を進める釣り合いの良くとれた、正気の努力にある。そのような経験は、神を知る宗教経験の先在の真実の勢いのよい確証経験の神-意識を構成する。そのような精神意識は、神との子息性の現実性に関する知識に相当する。そうでなくても、子息性の保証は、信仰の経験である。
そして、神-意識は、宇宙との自己の統合、そして精霊的な現実のその最高の段階に等しい。いかなる価値も、その精霊の内容だけが不滅である。人間の経験における真実で、美しくて、良いものさえ死なないかもしれない。もし人が生き残ることを選ばないならば、生き残る調整者は、愛から生まれ、奉仕で養成されたそれらの現実を保持するのである。そして、これらのすべては、宇宙なる父の一部である。父は、生ける愛であり、そして、父のこの生命が、その息子達にある。そして、父の精霊は、その息子達の息子達—必滅の人間—にある。何と言っても、父についての考えは、依然として神に関する最も高い人間の概念である。