本セクションは、大天使ガブリエルの権威によって活動する小銀河団の後援を受けています。
我々は、ユランチアに先立つ事柄とその初期の歴史に関し、ジェルーセムの公文書からのそれに関する記録抜粋に当たり、現在の時間の慣用法— 1年が365と1/4日の今現在の閏年のある暦—に則って計算するように指示を受けている。総じて記録にはあるが、正確な年は付されないであろう。我々は、これらの歴史的事実を提示するより良い方法として最も近い概数を用いるつもりである。
百万年も2百万年も前の出来事に言及するに当たり、西暦20世紀初頭の何十年間から遡りその年数を設定するつもりである。我々は、このようにして数千、数百万、および数十億年の時代にさえ起きているものとして、これらの遥かに遠い出来事について描写するつもりである。
ユランチアの起源は、あなた方の太陽にあり、その太陽は、アンドロノヴァー星雲のさまざまな所産の一つである。かつては、ネバドンの局部宇宙の物理力と物質成分の一部分として組織化されていた。このすばらしい星雲自体は、大昔にオーヴォントンの超宇宙空間の宇中全域の激烈に強化された力に起源があった。
この詳説の始まりの時点、楽園の力の組織者の第一主幹達は、長らく後にアンドロノヴァー星雲として組織化された空間エネルギーの全管理をしていた。
987,000,000,000年前、ユヴァーサから長旅をしてきたオーヴォントン系列の力の準組織者であり、代理検査官でもあった811,307号は、オーヴォントンの当時の東寄り部分にあるの定区域の空間条件が、事象の具体化の開始に好ましいと高齢者達に報告した。
900,000,000,000年前、ユヴァーサの公文書は、ユヴァーサの均衡審議会が、検査官811,307号があらかじめ指定していた根源力の組織者1名と部下のその領域への派遣の権限を超宇宙政府に許可証を発行したと証明している。オーヴォントン当局は、将来存在可能なこの宇宙についての公文書の最初の発見者に、高齢者達からの新しい物質的創造の組織化の命令実行を依頼した。
この許可証の記録は、根源力の組織者と部下が、引き延ばされていた活動に、次にオーヴォントンの新しい物理的創造の出現の際終わるであろう活動に従事するために東寄りのその空間領域への長旅にユヴァーサからすでに出発していたことを意味する。
875,000,000,000年前、巨大なアンドロノヴァー星雲番号876,926が正式に着手された。空間のこの広大な旋風にやがては成長していく増大するエネルギー回転の開始に必要としたのは、根源力の組織者と連絡係の部下の出席だけであった。根源力の活発な組織者は、そのような星雲回転の開始後に回転盤の平面に対して直角に容易に退き、またその時点からエネルギーに固有の特性は、そのような新しい物理的体系の進歩的で規則的な回転を確実にするのである。
物語は、ここで超宇宙の人格の機能へと向きを変える。実際には物語は、この時点—オーヴォントンの超宇宙の力の管理官や物理制御官の行動のために空間エネルギー状態の準備をし終え、ちょうど楽園の根源力の組織者が退く準備をしている頃—にその始まりがある。
すべての進化をともなう物質創造は、円形の、そしてガス状の星雲から生じ、そのような第一星雲すべては、初期のガス状態においてはずっと円形である。星雲は、年を重ねるにつれ通常螺旋状になり、太陽形成における星雲の機能が、その過程を辿るとき、しばしば星団として終わり、または、様々な意味であなた方自身の小さな太陽系に類似しながら異なる方法で異なる数の惑星、衛星、および、 物体のより小さい集団に囲まれる巨大な太陽として終わる。
800,000,000,000年前、アンドロノヴァー創造が、オーヴォントンの壮大な第一星雲の1つとして設定された。近くの宇宙天文学者達は、この空間現象をみてそれほど注意を払わなかった。隣接する創造物についての見積りの重力は、空間の具体化がアンドロノヴァー領域で起きていることを示してはいたのだが、それがすべてであった。
700,000,000,000年前、アンドロノヴァー系は、途方もない広がりを呈しつつあり、補助の物理制御官が、急速に発展していたこの新しい物質的体系のパワーセンターへの補助と供給協力をするるために9つの周囲の物質創造へと派遣された。大昔に、その後の創造に遺贈される物質すべてが、この巨大な空間の輪の境界内に抱きかかえられ、この輪は、ずっと渦巻きつづけ、その最大の直径に達した後には、凝集し収縮し続けながらますます速く渦巻き続けた。
600,000,000,000年前、アンドロノヴァーのエネルギー可動期間の最高潮に達した。星雲はその質量の極点を確保した。このとき、それはいくらか平らにされた球体のような、回転楕円形の巨大な円形のガス状の雲であった。これは、不均一の質量形成と異なる回転速度の初期の過程であった。重力と他の影響が、空間ガスを有機体への変換作用を始めるところであった。
巨大な星雲は、今や、徐々に螺旋形を帯び、遠方の宇宙の天文学者にさえはっきりと見え始めた。これが、大抵の星雲の自然史である。これらの第二次空間星雲は、太陽を払いのけ、宇宙建設の仕事に取り掛かる前に、通常は螺旋状の現象として観測される。
その遥か彼方の時代の真近の星の研究者達は、アンドロノヴァー星雲のこの変化を観測したとき、20世紀の天文学者が望遠鏡を宇宙に向け隣接する外部空間の現代の螺旋状の星雲を見るときとまさしく同じものを見たのである。
最大質量にいたる頃、ガス含有の重力制御が弱り始め、源となる質量の反対側に生じた2本の巨大で明確に分かる腕として流出しながら、ガス漏出段階が、続いて起こった。この莫大な中心核の急速な回転は、すぐにこれらの2つの突出したガスの流れに螺旋の外観を与えた。突出しているこれらの腕の部分の冷却とその後の凝縮は、次第に節くれだった様相を呈した。より濃い部分は、母なる渦の重力把握の中にしかと抱かれている間、星雲のガス状の雲の真ん中の空間で渦を巻く自然の物体の広大な組織と従属組織であった。
にもかかわらず、星雲は収縮を始め、回転速度の増加は、さらなる重力制御の減少をもたらした。すぐに、外側のガス状の領域は、変則的輪廓の回路を空間へと出て行き、それぞれの巡回を果たすために核の領域へと戻りつつ、実際には星雲の核の直接包囲からの脱出を始めた。しかし、これは星雲進行の一時的段階に過ぎなかった。絶えず増大する渦の速度は、独立する回路を、空間へと巨大な太陽を突き放すところであった。
これが、大昔のアンドロノヴァー時代に起こったことである。エネルギーの渦は、その膨張最大点に達するまでますます拡大し、その後収縮が始まると、やがては遠心性の重要な段階に達し巨大な分裂が始まるまでは、 さらなる速度で渦を巻いた。
500,000,000,000年前に、最初のアンドロノヴァーの太陽が誕生した。この燃えている筋は、母なる重力の把握から逃がれ、創造の宇宙における単独の冒険で空間へと突き抜けた。その軌道は、その脱出路により決定された。そのような若い太陽は、空間の星としてそれぞれの長くて極めて多事な行路に乗り出す。最後の星雲の核を除くオーヴォントンの太陽の圧倒的多数には、類似の誕生があった。これらの逃れ行く太陽は、異なる発展期間とその後の宇宙活動を経ていく。
400,000,000,000年前、アンドロノヴァー星雲の回収期間が始まった。近くの、 より小さい太陽の多くは、母なる核のゆるやかな拡大と一層の凝縮の結果奪回された。すぐに、星雲凝縮の終末過程、つまりエネルギーと物体のこれらの莫大な空間集合の最終的な隔離に常に先行する期間が開始された。
楽園の創造者たる息子ネバドンのマイケルが、宇宙建設の自身の冒険場所としてこの分解している星雲を選んだのが、この時代の辛うじて100万年後であった。サルヴィントンの建築世界と100の星座本部の惑星集団が、時を移さずして始められた。これらの特別に創造された世界の一団を完成するのにおよそ100万年を要した。局部恒星系本部の惑星は、その時から始まり約50億年前までに延長されておよんで構成された。
300,000,000,000年前、アンドロノヴァーの太陽の軌道は、すでに確立され、星雲系は、相対的な物理的安定性の過渡期を潜り抜けていた。おおよそこの頃、マイケルの職員は、サルヴィントンに到着しており、またオーヴォントンのユヴァーサ政府は、ネバドンの局部宇宙に物理的なものを認識した。
200,000,000,000年前、アンドロノヴァーの中央の塊、または核物体に巨大な熱の発生と共に収縮と凝縮の進行がみられた。相対的空間が、中央の母たる太陽の輪の近くの領域にさえ現れた。外側の領域は、さらに安定してきて、一層まとまっていった。複数の新生の太陽の周囲を回るいくつかの惑星は、生命の注入に適するほどまでに冷えた。ネバドンの最古の棲息惑星は、これらの時代から始まる。
ネバドンの完成された宇宙機構が、まず機能し始めると、マイケルの創造が、棲息界と人間の進歩的上昇の宇宙としてユヴァーサに登録される。
100,000,000,000年前に、星雲の凝縮緊張の最高点に達した。最大の熱緊張点に達した。引力と熱との争いのこの重要な段階は、長らく続くが、遅かれ早かれ熱が引力との戦いに勝ち、そうして太陽分散の壮観な期間が始まる。そしてこれが、空間星雲の第二次活動の終わりを記す。
星雲の第一期は円形である。第二期は螺旋形。第三期は、最初の太陽分散期であり、第四期は、第2次と最後の太陽分散周期を含み、母核が、球状星団として、あるいは最後の太陽系の中央として機能する単一の太陽として終える。
75,000,000,000年前、この星雲は、その太陽家族期の最高点に達した。これが、最初の期間の太陽損失の頂点であった。以来、これらの太陽の大多数が、惑星、衛星、暗い島、彗星、流星、および宇宙の塵雲の大規模な体系を所有している。
50,000,000,000年前、この最初の太陽分散期が終了した。星雲は、速くもその存在の第三周期を終えようとしており、その間に、87万6,926の太陽系の起源となった。
25,000,000,000年前に星雲の命の第三周期の完了があり、この親星雲から得られる広範囲の星系との相対的安定化がもたらされた。しかし、物理的収縮と増大された熱産出過程は、星雲残骸の中心の物質内で持続した。
10,000,000,000年前、アンドロノヴァーの第四周期が始まった。核質量の最高温度に達した。極めて重大な凝縮時点に差し迫っていた。元の母核は、それ自身の内部の熱凝縮緊張と、それに遊離された太陽系の取り囲む群れの増加する重力-潮汐の牽引力が結合された圧迫下で振動していた。2番目の星雲の太陽周期を開始する核爆発が切迫していた。星雲存在の第四周期が始まろうとするところであった。
8,000,000,000年前、すさまじい末期の爆発が始まった。そのような宇宙の変動時点では外側の体系だけが安全である。そして、これが星雲終焉の始まりであった。この最後の太陽の吐き出しは、およそ20億年にわたって広がった。
7,000,000,000年前、アンドロノヴァーの最終的崩壊の絶頂がみられた。これが、 より大きい最後の太陽の誕生期間であり、局部的な物理的撹乱の頂点であった。
6,000,000,000年前、あなた方の太陽の、つまりアンドロノヴァーの2番目の太陽家族の最後から56番目の最終の崩壊と誕生が、記された。星雲核のこの最後の爆発は、それらの大半が孤立する球体である13万6,702個の太陽を生んだ。アンドロノヴァー星雲に起源を持つ太陽と太陽系の総数は101万3,628個であった。太陽系の太陽の数は101万3,572個である。
巨大なアンドロノヴァー星雲は、 今はもう存在しないものの、空間のこの母なる雲から生まれた多くの太陽とそれらの惑星家族の中に生存し続ける。この壮大な星雲の最後の核の残骸は、やや赤い輝きでまだ燃えており、いま強大な光の君主の2世代のこの立派な生みの親の周囲を公転する165の世界のその残る惑星家族へ緩やかな光と熱を発し続けている。
5,000,000,000年前、あなたの太陽は、近くで循環する空間物質の大部分を、すなわち自身の誕生に伴い少し前に起きた変動の残骸を、それ自体に集めて燃えている比較的に孤立した球体であった。
今日、あなたの太陽は、それなりの安定性に達成したが、その11年半の太陽黒点の周期は、若い時代には変光星であったということを示している。あなたの太陽の初期においては、収縮、そしてその結果として生じる温度のゆるやかな上昇が、その表面に猛烈な大振動を起こした。これらの巨大な隆起は、異なる明るさの1循環を完成するために3日半を要した。この可変状態、この周期的脈動は、あなたの太陽をまもなく遭遇しようとする外側のある影響に対して非常に敏感にさせた。
このようにしてあなたの世界が属する太陽系モンマチア、あなたの太陽の惑星家族の名前であるモンマチアに固有な起源のために局部空間の舞台が、設定されたのであった。オーヴォントンの惑星系の1パーセント足らずが、同様の起源があった。
4,500,000,000年前、巨大なアンゴナ系が、この孤立する太陽付近に接近し始めた。この大体系の中心は、固く非常に帯電された、しかも引きつける物凄い力を所有する暗く巨大な空間であった。
アンゴナが太陽により近く接近するにつれ、ガス物質の流れは、太陽の脈動間の最大の拡大瞬間において、巨大な太陽の舌として空間に射出された。これらの燃えるようなガス状の舌は、初めは必ず太陽へと退くのであるが、アンゴナが近づくにつれて巨大な訪問者の引きつける力が非常に大きくなるので、ガス状の舌はあちこちで物体独自の本体を、つまり太陽の隕石を形成するために外側の部分が分離すると共に、すぐに自身の楕円軌道で太陽の周りを回転し始めた。
アンゴナ系が近づくにつれ、太陽の噴出はますます増大した。周辺空間で独自の循環体となるために物質がますます太陽から引き出された。この状態は、アンゴナが太陽へのその最短距離に接近するまでのほぼ50万年間展開した。そうすると、その周期的内部変動の1つと関連し、太陽に部分的分裂が起きた。反対側から、しかも同時に物体から莫大な量の物質が吐き出された。アンゴナ側から、夥しい一筋の太陽のガスが引き出された。両端はかなり尖り、中央は隆起し、太陽の直接の引力支配からは永久に離れた。
太陽からこのようにして分離されたこの大きい一筋の太陽ガスは、次には太陽系の12の惑星へと発展していった。アンゴナ系が遠く離れた空間へ後退するとき、流星と宇宙塵の多くが、非常に多くが、次に、太陽の引力に奪回されはしたものの、太陽の反対側からのガスの跳ね返りの射出は、太陽系のこの巨大な先祖の噴出との潮流の一致してその後太陽系の流星と宇宙塵とに凝縮していった。
アンゴナは、小惑星と流星として今は太陽の周りを循環している大量の物質と太陽系の惑星の先祖的物質との引き離しに成功はしたが、それ自体のためにはこの太陽物質を確保しなかった。来訪中の体系は、太陽物質の何かを実際に奪うほど充分近くには来なかったが、現在の太陽系を含む全物質を介入している空間へと引きつけるには十分の近さで揺れ動いた。
土星と木星が、より大規模で膨らんでいる中央部分から形成される一方で、内側の5個と外側の5個の惑星は、アンゴナが太陽からの分離に成功したところの巨大な引力の脹らみのあまり重量感のない先細りの部分で冷却し凝縮する核からすぐに小形へと組成していった。それらの衛星の幾つかの後退する動きが明らかにしているように、木星と土星の強烈な引力は、アンゴナから奪われた物質の大部分をすぐに引き付けた。
過熱された太陽ガスの巨大な一筋の真ん中から生じた木星と土星は、非常に加熱された多量の太陽物質を含んでいるのでまぶしく輝き、莫大な熱の量を放った。個々の空間の物体としてのそれぞれの形成後の短期間、それらは実際には二次的太陽であった。太陽系の惑星の中で最大のこれらの2個は、完全な凝縮、あるいは、固体化の点までにはいまだ冷え切っていないので今日までガス状態のままでいる。
他の10個の惑星のガス収縮の核は、すぐ固体化の段階に達したので、近くの空間で循環する流星物質を引き付ける量を増やし始めた。太陽系の世界にはこのように二重の起源があった。大量の流星の引き付けによるガス凝縮の核が後に増大した。確かに流星をまだ捕らえ続けているが、はるかに減少した数でそうしている。
惑星は、太陽の母体の赤道面における太陽の周りでは揺れない。もし、太陽の回転によって払いのけられていたならばそうなるはずである。むしろ、アンゴナの太陽の噴出面を運行する。噴出は、太陽の赤道の面に対しかなりの角度で存続した。
アンゴナが、少しも太陽の固まりを捕らえることができない一方で、あなたの太陽は、来訪中の体系の循環している空間物質の幾らかをその変化する惑星家族に加えた。惑星のその従属、分家家族は、アンゴナの激しい引力領域のせいで、暗い巨大なものからかなりの距離の軌道を追いかけた。そして、太陽系の先祖の質量の押出しの直後、そして、アンゴナがまだ太陽の周辺にいる間、太陽の近くのアンゴナ系の3つの主要な惑星が、大規模な太陽系の先祖にとても近い状態で揺れ動いたので、太陽の牽引力によって増大されたその重力の牽引力は、アンゴナの引力掌握の平均を失なわせ、また、天の放浪者のこれらの3支流を永久に取り外すに充分であった。
その太陽から生じた太陽系の物質のすべては、軌道の揺れの均一方向に寄与し、これらの3個の他宇宙空間体の割り込みがなかったならば、すべての太陽系の物質は、まだ軌道運動の同じ方向を維持しているであろう。実際のところ、3個のアンゴナ従属体の衝撃が、後退運動の結果として起こる様相で現れつつある太陽系に新しい、しかも外側に向かう力を注いだ。いかなる天文体系の後退運動も、常に偶然であり、常に他宇宙空間体の衝突の衝撃の結果現れる。そのような衝突は、常に後退運動を起こすとは限らないが、異なる発生源の質量を含む包含する体系を除いては、いかなる後退運動も、決して起こらないのである。
太陽の吐き出し減少の期間が、太陽系の誕生のあとに続いた。漸減的に、さらに50万年間、太陽は、周囲の空間への物質流出量を減少させていった。しかし、不安定な軌道の初期、周囲の物体が太陽へのそれぞれの最短距離に接近したそのとき、もとの太陽は、この流星物質の大きい部分を取り戻すことができた。
太陽に最も近い惑星が、潮汐摩擦によってそれぞれの回転を減速させた最初の惑星であった。そのような引力の影響は、つねにユランチア側に面して回転している水星と月が例証しているように惑星の1方の半球が常に太陽か、 またはより大きい物体に向いたままで軸回転がやむまで、ますます遅い回転を惑星にもたらし、惑星の軸をなす回転速度におけるブレーキとして機能する一方で惑星の軌道の安定化に貢献している。
地球は、月と地球の潮汐摩擦が同等になると、必ず同じ半球を月に向けて回り、1日とひと月は、およそ47日間の長さで等しくなるであろう。軌道がそのような安定性に達すると、もはや地球から月を遠くに追い散らすことなく惑星に向けて徐々に衛星を引きつけ、潮汐摩擦は逆の動作に入るであろう。そうして、月が地球のおよそ17,700キロメートルの範囲にまで近づくその遠い未来において、後者の引力行為が月を崩壊させるであろうし、この潮汐の引力からくる爆発が月を小さい粒子へと砕くであろうし、またこの粒子は土星の物体に類似するものとして世界の周りに集合するかもしれないし、あるいは流星として徐々に地球へと引きつけられるかもしれない。
宇宙空間体の規模と密度が同様であるならば、衝突は起こるかもしれない。しかし、同様の密度の2つの宇宙空間体の大きさが比較的不均等であるならば、そして小さい方が大きい方に次第に接近するならば、その軌道の半径が大きい方の本体の半径の2倍半よりも少なくなるとき、小さい方の本体の分裂が起こるであろう。宇宙空間の巨大な物体間の衝突は実に希であるが、小物体のこれらの引力-潮汐の爆発は、ごく当たり前である。
流星は、近くの、そしてより大きい空間物体の潮汐引力により分裂が生じた大きい物体の破片であるが故に群がって起こる。土星の輪は、分裂させられた衛星の断片である。木星の月の1つは、いま危険にも潮の分裂可能区域近くに接近しており、数百万年以内には、惑星に奪われるか、または引力潮汐の分裂を被るであろう。ずっと昔の太陽系の5番目の惑星は、引力-潮汐の分裂可能区域に入るまで、木星へより近く定期的に接近をしながら不規則な軌道を旋回し、素早く破片となり、今日の小惑星の群がりとなった。
4,000,000,000年前、数十億年間規模を増大し続けた月を除き、今日観測されるのとほとんど同じ木星と土星系がみられた。事実、太陽系の惑星と衛星のすべては、流星捕捉が続いた結果としてまだ増大している。
3,500,000,000年前、他の10個の惑星の凝縮核が充分形成され、小さ目の衛星のいくつかは、 後に今日のより大きい月を作るために結合したが、たいていの月の中心は完全であった。この時代は惑星設立時代と見なされることもある。
3,000,000,000年前、太陽系は今日のように機能していた。宇宙の流星が驚異的割合で惑星とそれらの衛星に流出し続けにつれ、その構成部分の大きさは成長し続けた。
およそこの頃、あなたの太陽系は、ネバドンの物理登録簿に登録され、その名前モンマチアが与えらた。
2,500,000,000年前、惑星の規模は非常に成長していた。ユランチアは、現在のおよそ1/10の塊のよく発達した球体であり、流星付着によりさらに急速に成長していた。
この途方もない活動のすべては、ユランチア系列における進化的世界形成上の正常部分であり、時間の世界の生物の冒険に備えてそのような空間世界の物理的発展の始まりのための舞台設定に向けての天体の下準備を構成している。
小分裂と凝縮でできた物体が、初期の太陽系の空間領域には充満しており、そのような空間体は、防護燃焼環境の欠落ゆえに直接ユランチアの表面に衝突した。これらの絶え間ない衝突は、惑星の表面に多少なりとも熱を保ち、これが、引力の強められた作用と共に球体が大きくなるにつれて、次第に鉄のようなより重い要素がますます惑星の中心に向かって徐々に定着するように誘発する影響作用をはじめた。
2,000,000,000年前、地球は紛れもなく月を引き離し始めた。始終、惑星は、その衛星よりも大きかったのであるが、巨大な宇宙空間体が地球に捕らえられたこの頃までには大きさにおいてそれほどの違いはなかった。ユランチアはその時、現在の規模のおよそ1/5であり、加熱された内部と冷却中の外部の間での元素抗争の結果として現れ始めた原始の大気を保持するに充分な大きさになった。
確かな火山活動は、これらの時期にまで遡る。地球内部の熱は、放射性の、もしくは流星により空間から重い成分がもたらされたますます深い埋没により増大し続けた。これらの放射性要素に関する研究は、ユランチアの表面が10億年以上であることを明らかにするであろう。ラジウム時計は、惑星の年齢を科学的に見積るには最も信頼できる時計ではあるが、精査に利用できる放射性物質は、全て地球の表面から得られており、したがってユランチアのこれらの要素の比較的最近の入手を意味しており、惑星の年齢にかんするそのような見積りのすべては、短か過ぎるのである。
1,500,000,000年前、月がその現在の質量になりつつあったとき、地球はその現在の大きさの2/3であった。月を上回る地球の急速な規模の増大が、もともとその衛星にあった少量の大気の緩やかな略奪開始を可能にした。
火山活動は、今やその盛りである。地球全体は、紛れもない火の地獄、より重い金属が中心に向かって引き寄せられる前のその初期の溶融状態に似た表面である。これが火山時代である。にもかかわらず、地殻、主として比較的軽い花崗岩構成は、徐々に形成されている。いつか生命を支えられる惑星のための舞台準備がなされている。
現在幾らかの水蒸気、一酸化炭素、二酸化炭素、および水素塩化物を含んで原始の惑星の大気はゆっくり発展しているが、遊離窒素も遊離酸素も少ししかないか、あるいは全くない。火山時代の世界の大気は奇妙な光景を提示する。列挙された気体に加え、空気帯が発達するにつれ、それは多くの火山ガスに満ち、重い流星雨の燃焼生成物に満ち、惑星の表面上に絶えず突進している。そのような流星燃焼は、大気中の酸素をほとんど空にし続け、流星爆撃は、今なお夥しい頻度である。
まもなく、大気はさらに落ち着き、惑星の熱い岩だらけの表面への雨の蓄積をし始めるには十分に冷えた。何千年もの間、ユランチアは、広大で切れ目のない1枚の蒸気の毛布におおわれていた。これらの時代、太陽は地球の表面には決して光彩を放たなかった。
大気の多量の炭素が、惑星の表面層に豊富にある様々な金属の炭酸塩形成のために取り出された。後に、これらの炭素ガスの多量が早期の多産植物に消費された。
継続する溶岩流と到来する流星は、その後の時代においてさえ空気中の酸素のほぼ完全な使い果たしを続けた。間もなく原始の海洋に出現する初期の堆積物でさえも、有色の石も貝も含んでいない。そして、この海洋出現から長い間、大気には遊離酸素は実際にはなく、また後に海草と他の植物の型により生成されるまでは、目立つほどの量は生じなかった。
火山期の原始の惑星の大気は、流星群の衝突時の衝撃に対しほとんど保護がない。固体としての何百万個もの流星は、惑星の殻を潰すためにそのような空気帯に入り込むことができる。しかし流星は、時が経つにつれ、後の時代の酸素を豊かにしている大気の絶えず強い摩擦の盾に抵抗するに足りる小さな規模に減少していることが分かる。
1,000,000,000年前が、ユランチア歴史の実際の始まりの時期である。惑星は、ほぼその現在の規模に達した。そして、およそこの頃、ネバドンの物理的登録簿に記載され、その名前ユランチアが与えられた。
大気は、絶え間のない降水とともに地殻の冷却を容易にした。火山活動は、初期に内部の熱の圧力と外部の収縮を同等にした。火山が急速に減少する一方で、地震は、この時代の地殻の外部の冷却と調整工程をもたらせた。
ユランチアの実際の地質歴史は、最初の海洋形成をもたらすに十分な地殻冷却に始まる。冷却中の地表における水蒸気の凝縮は、一度始まると、それが実際に完了するまで続いた。海洋は、この期間の終わりまでには惑星全体を覆い平均1.5キロメートル以上の深さで世界中にひろがった。その当時、潮汐は、ほぼ今観測されているような活動振りであったが、この原始の海洋は塩辛くはなかった。それは実際には世界を覆う淡水であった。その頃塩素の大部分は、様々な金属と抱合していたが、水素と一体でこの水を微かに酸性にするには十分であった。
この久遠の時代の始まりにおけるユランチアは、水に閉ざされた惑星と見なされるべきである。後には、 深く、したがって、より濃い溶岩流が現在の太平洋の下部に姿を現し、水で覆われた表面のこの部分はかなり沈下した。最初の大陸の広大な土地は、徐々に厚くなる地殻均衡の補填的調整における世界海洋から現れた。
950,000,000年前、ユランチアは、1つの大きな陸の広がりと大きな水域体、太平洋の絵を提示する。火山はまだ広範囲にわたっており、地震は頻繁かつ激しいものである。流星は、地球を砲撃し続けるが、頻度と規模ともに減少している。大気は澄んできているが、二酸化炭素量は多いままである。地殻は徐々に安定している。
ユランチアが、惑星管理のためにサタニア体系に割り当てられ、ノーランティアデクの生命記録に登録されたのは、ほぼこの頃であった。そしてマイケルが、後に人間贈与の途方もない仕事に従事し、それらの経験によってユランチアが、「十字架の世界」としてそれ以来周辺に知られるようなる惑星になるよう運命づけられた小さく重要でない球体への行政からの承認が始ったのである。
900,000,000年前、惑星を調べ、生命実験拠点のための適合性について報告をするためにジェルーセムから派遣された最初のサタニア偵察隊のユランチア到着が見られた。この委員会は、生命搬送者、ラノナンデクの息子達、メルキゼデク、熾天使、それに他の惑星組織と管理の初期に関係のある天の生命の他の体制を含む24人の構成員で組織されていた。
この委員会は、入念な惑星調査をした後ジェルーセムに戻り、体系主権者にユランチアが生命実験記録に記載されるようにと推奨をそえて報告した。あなたの世界は、それに応じて、10番目の惑星としてジェルーセムに登録され、また生命搬送者は、生命の移植と植え付け命令とを携えてのかれらの次の到着時に物理的、化学的、電気的起動の新型の開始が許されると知らされた。
やがて、惑星占有のための計画案が、ジェルーセムで12人の混合委員会により完成され、エデンチアで70人の惑星委員会により承認された。生命搬送者の顧問官が提案したこれらの計画は、最終的にサルヴィントンで受理された。その直後、ネバドン放送は、生命搬送者が、ネバドンの生命型に属するサタニア型を拡大し、改良するように考案されたサタニア実験第60号を実施する舞台はユランチアであろうとの発表を伝えた。
ユランチアは、全ネバドン向けの宇宙放送で初めて認識された直後、宇宙での正式な位置を得た。その後すぐ、超宇宙の大小の区域の本部の惑星に関する記録に付された。そしてユランチアの名は、この時代終了以前にユヴァーサの惑星の生命登録に見られたのであった。
この時代全体は頻繁かつ激しい嵐によって特徴づけられた。地球の初期の地殻は、絶え間なく変化する状態にあった。表面冷却と夥しい溶岩流とが、交互に起こった。この世界の表面のいずれにもこの惑星の初期の地殻は、何も見つけられない。あまりにも頻繁にすべてが、深い発生源から押出されてくる溶岩と混ざり、また初期の世界の海洋のその後の堆積物と混合された。
カナダの北東部のハドソン湾周辺ほどには世界の表面のどこにも、これらの古代の海洋岩石の出現以前の改変された残骸は、見られないであろう。この大規模な花崗岩隆起は、前海洋時代に属する石で構成されている。これらの岩石層は、加熱され、曲げられ、撚り合わされ、揉み上げられ、再三これらの歪曲敵変形の経験をしてきた。
無化石層状になった石の巨大な層は、海洋時代の間にこの古代の海洋底部に堆積した。(石灰岩は、化学物質降下の結果、形成し得る。古い石灰岩のすべてが、海洋生物の堆積作用で生じたものではなかった。)これらの古代のいずれの岩石形成にも生命の形跡は見つけられないであろう。何かのはずみで、水の時代の後の堆積が、これらのより古い前生命層に混ざらない限り、何の化石も含んではいない。
地球の早期の地殻は非常に不安定であったが、山は形成過程にはなかった。惑星は、形成される間引力の圧縮の下で収縮した。山は、収縮する球体が冷却していく地殻崩壊の結果ではない。雨、重力、および浸食作用の結果として後に現れる。
この時代の大陸の広大な土地は、地球のおよそ10パーセントを覆うまでに拡大した。激しい地震は、大陸の広大な土地が水面よりかなり上に現れるまで始まらなかった。それは、一度始まると、長い間頻度と激しさを増大した。地震は、何百万年もの間には減少したが、ユランチアには1日平均いまだに15個ある。
850,000,000年前、地殻の安定化の最初の真の時代が始まった。より重い金属の大部分は、地球の中心に向かって定着した。前の時代のような大規模の陥没は、冷却する地殻には終わった。陸の押出しとより重い海底とのより良い均衡が確立された。地殻下の溶岩の土台の流れは、ほぼ世界規模となり、これが、冷却、収縮、および表面移行による変動を釣り合わせ、安定させた。
火山爆発と地震との頻度と激しさは減少し続けた。大気は火山ガスと水蒸気を取り除いていたが、二酸化炭素の割合はまだ高かった。
また空気中と地球での電気障害も減少していた。溶岩流は、地殻をいろいろ変化させ、一定の空間エネルギーから惑星をよりよく絶縁する成分混合物をその表面にもたらした。そして、磁極作用で明らかであるように、このすべてが、地球のエネルギー管理を容易にし、その流れを整えるために多くのことをしたのである。
800,000,000年前、最初の大いなる陸地時代、より一層の大陸出現の時代、がみられた。
地球の水圏の凝縮以来、まずは世界の海洋へと、次には太平洋へと、この後者の水域は、当時地球の表面の9/10を覆っていたと想像されるはずである。海に落下する流星は海洋底部に蓄積したし、概して、流星とは重い物質で構成されている。陸に落下するそれらは、主に酸化し、次に浸食で摩滅し、海盆へと押し流されていった。海洋底部は、このようにしてますます重くなり、これに加えて16キロメートルの深さの所では水自体の重さがあった。
太平洋の増大する押圧力は、大陸の広大な土地のさらなる押し上げに作用した。ヨーロッパとアフリカは、現在オーストラリア、北米と南米、南極大陸と呼ばれているそれらの主要部と共に太平洋の深層部からの上昇を始め、一方太平洋の海底は、さらなる埋め合わせの沈下調整をしていた。この期間の終わりまでには、地表の1/3が陸をなしており一つの大陸本体であった。
陸地の隆起のこの増大と共に惑星の気候の違いが生じた。陸の隆起、宇宙雲、および海洋の影響は、気候変動の主要な要素である。アジアの陸地の屋台骨は、陸の最大出現時点で約14.5キロメートルの高さに達した。非常に高く隆起した領域上方に漂う空気中に多量の湿気が含まれていたとしたならば、巨大な氷の層ができていたことであろう。氷河期は、実際に起きたずっと以前に至っていたことであろう。非常に多くの陸が、水上に再び現れるには何億年もかかった。
750,000,000年前、広大な土地の最初の割れ目は、南北の大幅な響割れとして始まり、後に海洋水が入り、グリーンランドを含む南米と北米大陸の西への漂流への道を準備した。長い東西分裂は、ヨーロッパからアフリカを切り離し、アジア大陸からオーストラリアへの陸地、太平洋諸島、それに南極大陸を断ち切った。
700,000,000年前、ユランチアは、生命擁立に適した状態の成熟期に近づきつつあった。大陸の漂流は続いた。海洋は、浅い水域を提供する長い指のような海としてますます陸に入り込み、海洋生命の生息地に非常に適した湾を保護していた。
650,000,000年前、広大な陸地のさらなる分離と、その結果としての大陸間の海のさらなる拡大がみられた。そのうえ、これらの水は、急速にユランチアの生命に不可欠な塩度の度合いに達していた。
後に何層にもわたる非常に保存状態の良い石の層に見られるように、時が引き継がれ、時代がたつにつれ、ユランチア生命の記録を堆積していったのは、これらの海とその後の海であった。昔のこれらの内海は、真に進化の揺りかごであった。
[元来のユランチア部隊の一員であり、いまは居留観察者である生命搬送者による提示]
全サタニアには、生命変化の惑星であるユランチアに類似した61個だけの世界がある。棲息世界の大部分は、確立された方法で人々が住んでいる。そのような球体では、生命搬送者への生命移植計画における余地は、ほとんど与えられていない。しかし、おおよそ10個の世界のうちの1つは、10進惑星として指定され、生命搬送者の特別な登録に割り当てられる。また、そのような惑星では、宇宙の生き物の標準型を変更したり、または、ことによると改良する努力において一定の生命実験が許されている。
600,000,000年前、ジェルーセムから派遣された生命搬送者の委員会は、ユランチアに到着し、サタニア系の606番の世界への生命送出前の物理的状態の研究を始めた。これは、サタニアにけるネバドン生命型を開始する606番目の我々の経験であり、局部宇宙の基本的かつ標準的生命設計において変化させたり、改変を始める60番目の機会となるのであった。
生命搬送者は、球体が進化の循環開始のために熟すまで生命に着手することはできないということが明らかされるべきである。また我々は、惑星の物理的進歩が、生命開発を支え、それに備えないかぎり、その急速な開発をすすめることはできない。
サタニア生命搬送者は、塩化ナトリウムの生命の型を計画した。それゆえ海洋水域が、適当な塩度になるまでそれを配置する方向への何の方法も取れなかった。原形質のユランチア型は、適切な塩の溶液の中でのみ機能できる。すべての先祖の生命—植物と動物—は、塩溶液生息地で発展した。また、非常に組織化された陸棲動物は、この同じ不可欠の塩の溶液が、この「塩水の奥行き」の生きるあらゆる小細胞を自由に水浴びさせ、文字通り潜水させ体内の血液流を循環しなかったならば、住み続けることはできなかった。
あなたの原始の先祖は、塩辛い海洋の中を自由に円運動をした。今日、この同じ海洋性の塩辛い溶液は、最初の生きた細胞の原形質の最初の反応を刺激した塩水に匹敵する必要不可欠な要素のすべてが、惑星で機能するために各細胞を化学液体に浸してあなたの体内を自由に循環している。
しかしこの時代が始まると共に、ユランチアは、あらゆる方法で海洋生命の初期の型の支援に好ましい状態に向かい発展している。地球とその隣接する領域での物理的状態は、展開する物理的環境へ最も良く順応するそのような生物の型、我々が定めていたような型、を確立する後の試みのために舞台—地球的、空間的環境の両面—をゆっくりと、しかも確実に準備しているのである。
次に生命搬送者のサタニア委員会は、広大な大陸に余分の内海や保護された湾をもたらす更なる粉壊を待ち受ける方を選び、実際に生命を移植する前にジェルーセムに戻った。
生命が海洋に起源をもつ惑星での生命移植に理想的な条件は、多くの内海により、すなわち浅い水域や保護された安全な湾の大規模な海岸線によりもたらされる。そして、地球の水域のまさしくそのような分布が急速に展開していた。これらの古代の内海は、めったに800キロメートル、あるいは900キロメートルの深さではなかったし、日光は、900キロメートル以上もの海洋水を突き通ることができる。
原始植物は、陸にその方法を見つけた後の時代の温暖で安定した気候のそのような海岸から来ていた。そこでは、大気中の高濃度の炭素が、陸に住む新たな多様な生物に迅速で豊かな成長のための機会を提供した。その時、この大気は、植物の成長には理想的であったが、いかなる動物も、ましてや人間は、地表での生活ができないほどの非常に高濃度の二酸化炭素を含んでいた。
太陽総放射のおよそ20億分の1が、惑星の大気を通して地球に漏れる。もし北アメリカに降りかかる光が、1キロワット時あたり2円の割合で支払われるならば、年間の照明請求書は、8,000兆円を上回るであろう。シカゴの日光に対する請求書は、1日あたり100万円を大幅に上回るであろう。その上に、他の形式のエネルギー—あなたの大気に達する太陽の貢献は光だけではない—を太陽から受け取っているということに気づくべきである。莫大な太陽エネルギーは、人間の視野の認識範囲の上下双方以上の波長をユランチアに注いでいる。
地球の大気は、スペクトルの極端紫外線の太陽放射線のほとんどを通過させない。これらの短い波長の大部分は、地表からおよそ16キロメートルの範囲にまたがり、さらに上空へ16キロメートル伸びるオゾン層に吸収される。この領域を透過するオゾンは、地表に行き渡る状態では、2.5センチメートルのほんの1/10の層を作るであろう。それにしても、この比較的小さく明らかに瑣末、些細なオゾンが、日光に存在するこれらの危険で破壊的である過剰な紫外線からユランチア住民を保護している。しかし、このオゾン層がほんの少し厚かったならば、いま地表に達し、またビタミンに最も不可欠である中の1つにとって始祖的である非常に重要かつ健康を与える紫外線が奪われるであろう。
いまだに、あまり想像的でない人間の一部の機械論者は、物質的創造と人間の進化を偶然と見なすと主張する。ユランチア中間者は、偶然の機会の法則とは相容れないと考えており、また、物質的な創造において紛れもなく知的な目的の存在を示していると主張して5万の物理学的、化学的事実を集めた。また、物質宇宙の計画、創造、維持における心の臨場を立証し続ける物理学と化学の領域外の10万以上の発見についての目録には、前述のすべてを含んではいない。
あなたの太陽は、死をもたらす光線の実質上の洪水を流出させているのであるが、ユランチアにおけるあなたの快い生活は、この特有のオゾン層の作用に似た40以上の明らかに偶然の保護的作用の「思いがけない」影響によるものである。
熱というものは、もし夜の大気の「覆い」の効果がなければ、人工的設備を除いては生命の維持は不可能なまでに放射により急速に失われるであろう。
地球大気圏の下層の8キロメートルまたは10キロメートルの距離には対流圏がある。これは気象現象をもたらす風と気流の領域である。これより上の領域には、内電離層があり、その上には成層圏がある。地表から上昇するにつれ、温度は、10キロメートルから13キロメートルまで着実に下がり、そこではおよそ摂氏−50度を記録する。さらに上の65キロメートルにおいてはこの摂氏−48度から−50度の範囲内にあり変化はない。この一定温度の領域は、成層圏である。65キロメートルから72キロメートルの高さでは、温度は上昇し始め、この増加は、オーロラ現象の高さにおいては摂氏650度に達し、酸素をイオン化するのはこの猛烈な熱である。しかし、そのような高度の大気の温度は、地表の熱計算とはとても比較できない。総大気の半分は、最初の5キロメートルにあるということを心に留めおきなさい。地球の大気圏の高さは、最高度にあるオーロラの吹流し—およそ640キロメートル—により示されている。
まさに地球の熱帯ハリケーンがそうであるように、オーロラ現象は、太陽黒点に、すなわち太陽の赤道の上下で反対方向に渦巻く太陽の旋風に直接に関係がある。赤道の上、または、赤道の下に起こる時、そのような空中擾乱は反対方向に渦巻く。
光周波数を変更する太陽黒点の力は、これらの太陽の嵐の中心が巨大な磁石として機能することを示している。そのような磁場は、太陽黒点の噴火口から空間を地球圏外の大気圏へと充電された粒子を放出することができ、そこでは、それらのイオン化作用がそれほどまでに壮観なオーロラ現象を起こす。したがって、太陽黒点がその最盛期に—あるいは直後に—一般的には赤道上に位置するときに、最大のオーロラ現象が起こるのである。
磁針でさえも、日が昇るにつれわずかに東に、また日が落ちるにつれわずかに西に回るのであるから、太陽の影響力に敏感である。これは毎日起こるが、太陽黒点の周期の最高点にある間の方位磁石のこの変化は、2倍の大きさである。方位磁石の日毎のこのずれは、日光によって生じる上層大気の増加するイオン化に呼応しているのである。
超成層圏の帯電された導電領域の異なる2つのレベルの存在は、長波と短波の無線放送の長距離伝送を説明しているのである。放送は、これらの外部電離圏でときおり猛威を奮うすさまじい嵐によりたまに妨害される。
宇宙具体化の初期、空間層は広大な水素雲を、はるかな空間の多くの領域を特徴付けているちょうどそのような天体の塵の塊を、点在させた。当初は、灼熱の太陽が分解し、放射エネルギーとして分散する組織された物質の多くが、初期に出現する空間にあるこれらの水素雲に積み重ねられた。ある珍しい条件のもとでの原子分裂は、より大きい水素物質の核心でも起こる。そして、原子形成と原子融解のこれらの現象すべてには、非常に加熱された星雲でのように、最高潮の放射エネルギーの短区間光線の発生が伴う。これらの様々の放射に伴う型は、ユランチアには知られていない空間エネルギーの型である。
宇宙空間のこの短い光線エネルギー装填は、組織化された空間領域に存在する放射エネルギーの他のすべての型よりも400倍も大きい規模である。短い空間光線の出力は、灼熱の星雲、緊張状態の電界、外部空間からくるか、または広大な水素の塵の雲から来るか否かに関係なく、温度、引力、および電子圧力の変動と突然の緊張変化により質的、量的に変更される。
宇宙光線の起源におけるこれらの不測事態は、変更された円から極端な楕円へとさまざまである循環物質の軌道のみならず、宇宙での多くの出来事によっても決定される。また電子スピンは、時としてより大きな物質行動のものとは逆方向であることから、物理的状況は、同じ物理領域においてさえも大いに変更されるかもしれない。
巨大な水素雲は、発展するエネルギーと変容する物質の各面を抱く紛れもない宇宙化学実験室である。巨大なエネルギー活動が、頻繁に重なり、故に広範囲にわたって混合する夥しい連星周縁のガスの中で起こる。しかし、途方もない、広範囲におよぶこれらの空間エネルギー活動のいずれも、組織化された生命—生物と存在体の細胞質—の現象に対してほとんど影響を及ぼさない。空間のこれらのエネルギー条件は、生命確立に不可欠の環境に深く係わりがあるが、それらは放射エネルギーのより長い光線の幾つかのようには、細胞質の継承要素のその後の変更には有効ではない。生命搬送者の注入された生命は、この驚くべき宇宙エネルギーの短い光線の洪水のすべてに十分に耐えられる。
生命搬送者が、実際にユランチアで生命確立を始める以前、これらの欠くことのできない宇宙条件のすべてが、好ましい状態に発展しなければならなかった。
我々が生命搬送者と呼ばれることが、あなたに混乱のもたらしてはならない。我々は、惑星に生命を運ぶことができるが、ユランチアには何の生命も連れては来なかった。ユランチアの生命は、その惑星に独自で、そこの生まれなのである。この天体は、生命変更の世界である。我々は、他ならぬこの惑星でここに現れる全生命をまとめあげた。全サタニアの他のいかなる世界にも、ネバドンにさえ、ユランチアの生命体にそっくりなものはない。
550,000,000年前、生命搬送者軍団はユランチアに戻った。我々は、精神力と超物質的な力との共助のうちに結団し、この世界独自の生命の型を起こし、領域の居心地の良い水域にそれらを配置した。カリガスティア、惑星王子の時代までの全惑星の生命は、(惑星外の人格は別として)我々の独自で、同一の、しかも同時の3個の海中生物の移植にその起源があった。これらの3個の生命移植は、次のように指定された。中央、つまりユーラシアとアフリカの生命移植、東、つまりオーストララシア生命移植、西、つまりグリーンランドとアメリカ大陸を含む生命移植。
500,000,000年前、原始の海洋植物の生命が、ユランチアにしかと確立された。グリーンランドと北極の陸地は、北米と南米と共に、その長くて緩慢な西への移動を始めていた。アフリカは、それ自体と母なる本体の間に東西を貫くトラフ地中海盆地を作り出しわずかに南に移動した。南極大陸、オーストラリア、そして太平洋の島々からなる陸地は、南と東に分裂し、その時代以来遠くへと移動した。
我々は、分裂した広大な大陸の東西分裂の中央の海にある保護された熱帯性の湾に原始の海洋生物の型を植えつけた。3種類の海洋生物移植をするに当たっての我々の目的は、後に陸が分離するときそれぞれの巨大な陸地が、この生命をそれと共に、その暖水の海に運ぶことを保証することであった。我々は、陸出現の後の時代において大きい海洋が、これらの移動する広大な大陸を切り離すことを見越していた。
大陸移動が続いた。地球の中心は、平方センチ当たりおよそ3,500トンの圧力を受け、膨大な重力圧縮のせいで鋼鉄のように高密度で堅くなった。内深部は、非常に熱いままで、今でも熱い。温度は、中心が太陽の表面温度をわずかに上まわるまで表面から内に向かって上昇している。
地球質量の外側の1,600キロメートルは、主として異なる岩石から成る。下部は、より濃密で重い金属成分がある。世界は、初期の前-大気時代を通じてほぼ液体の溶融状態の非常に加熱された状態であったために、より重い金属が内部に深く沈んでいた。今日表面近くで見つけられる物は、古代の火山の染み出た物、後の、しかも大規模な溶岩流、それと最近の流星の堆積物を示している。
地球の外殻は、およそ65キロメートルの厚さであった。惑星の移動する圧力を均等化し、その結果地殻を安定する傾向を有する強い圧力下に押えられている、しかも、常に諸所へと流れがちである溶融状態の溶岩の可動層からなるこの外殻は、玄武岩の異なる厚みの溶融状態の海に支えられており、また直接横たえられている。
この大陸は、現代でさえ結晶化されていないこの座布団のような溶融状態の玄武岩の海に浮かび続けている。この保護的状態がなければ、より激しい地震が世界を文字通り粉微塵に震動させるであろう。地震は、固い外殻を滑らせたり、移動させたりして引き起こされるのであって、火山によるものではない。
地殻の溶岩層は、冷却されると花崗岩を形成する。ユランチアの平均密度は、水の密度の5倍半強である。花崗岩の密度は、水の密度の3倍弱である。地球の中心は、水の12倍の密度である。
海底は、陸塊よりも密度が高く、これが、大陸を水上にとどめているのである。海底が海面上に押し上げられると、主に玄武岩、つまり陸塊の花崗岩よりもかなり重い溶岩の型から成っているとわかる。さらに進んで、もし大陸が、海底より軽くなければ、引力は、陸に海洋の縁を引き上げるであろうが、そのような現象は観察可能ではない。
海洋の重さも、海底の圧力増加の一要因である。下部の、だが比較的重い海底、加えて横たわる水の重さは、 より高さのある、だがはるかに軽い大陸の重量に近似している。しかしすべての大陸は、海洋に潜り込む傾向にある。海底面における大陸の圧力は、1平方センチ当たりりおよそ1,400キログラムである。すなわち、これは海底から5,000メートルの高さの大陸質量の圧力となるであろう。海洋床の水圧は、1平方センチ当たりほんの350キログラムほどである。どちらかと言えば、これらの圧力差が、大陸を海底に向けて滑らせる傾向にある。
生命出現以前の海洋底の沈下は、その側圧が、下に横たわる半粘着性の溶岩床うえから陸の東西と南端を周囲の太平洋の水域へと滑べり落とすほどの高さにまで単一の広大な陸地を押し上げてしまった。これが、それほどまでに完全に大陸の圧力を補填したので、この古代のアジア大陸の東岸に幅広い亀裂は起こらなかったが、その東海岸は、以来ずっと水中の墓へと滑り込む険悪な状態で海洋深層に隣接する絶壁上にある。
450,000,000年前、植物から動物のへの変遷が生じた。この変化は、分離していく大陸の大規模な海岸線の保護された熱帯性の湾と潟の浅い水域で起こった。そのすべてが本来の生命様式に固有であったこの発展は、徐々に起きた。前原始の植物型の生命と後の動物と明確に定義された有機体の間には、過渡的多くの段階があった。今日でさえも過渡期の粘液糸状菌は持続しており、植物、または動物としてそれらを分類することはほとんどできない。
植物の進化は、動物に遡ることができ、また最も簡単な有機体から最も複雑で高度な有機体へと徐々に導く段階的に進む一連の植物と動物が見つけられてはきたが、あなたは、そのような連結、動物界の大区画におけるつながりも、あるいは人類出現以前の最高度の動物の型と人類の原始人とのつながりも見いだすことはできないであろう。これらのいわゆる「失われた鎖の環」はいつまでも欠けたままであろう。決して存在しなかったという簡単な理由から。
時代から時代へと動物の新種は急進的に起こる。それらは、小さい変化のゆるやかな蓄積の結果としては発展しない。充分に達した、また新種の生命として現れ、しかも突然に出現するのである。
新種の、また多様な生物の種の突然の出現は、完全に生物的であり、全く自然である。これらの遺伝子変異に関しては、超自然なものはない。
動物は、適当な海洋の塩度で進化し、また塩辛い水が、海の生物の動物の体内を循環するのは比較的に簡単であった。しかし海洋が収縮し、塩の割合が大いに増加したとき、これらの同じ動物は、ちょうど淡水に生きることを習得したそれらの有機体が、塩の保護の巧妙な業によって適度の塩化ナトリウムを体液に維持する能力を取得したように、体液の塩辛さを減少させる能力を進化させた。
岩石に閉じ込められた海洋生物の研究は、これらの原始有機体の早期の調整的もがきを明らかにしている。植物と動物は、決してこれらの調整のための試みをやめない。環境は、いつも変化しており、生物は、つねに果てしない変動への順応努力しているのである。
生命の全新種の生理的装備と生体構造は、物理法則の行動に対応しているが、その後に続く心の贈与は、生まれながらの脳の容量に一致する心と精神の副官の恵与である。心は、物理的進化でない一方で、純粋に物理的、進化的発展によって供給される脳の容量に完全に依存するのである。
すべての生物が、ほぼ無限の周期の利得と損失、調整と再調整を経て時代によって前進したり後退したりする。宇宙統一を成し遂げるものは存続し、一方この目標に達しないものは消滅する。
生命の黎明期、すなわち原生代期、世界の地殻を成す広大な岩石体系群は、地表の多くの場所に今は現れていない。それが、後世の全堆積から出現するとき植物と初期の原始動物の化石の残骸だけが見つかるであろう。これらのより古い水中堆積岩のいくつかは、その後の層に混合わさり、それらは、時として植物の早期のいくつかの型の化石残骸をもたらし、一方では、早期の海洋動物のより原始の型のいくつかが、 時折最上層に見つけられるかもしれない。動植物の双方の初期の海中生物の化石を含有するこれらの最古の重なり合う多くの場所の岩石層が、じかに古い画一的な石を土台の上に見つかるかもしれない。
この時代の化石は、藻、珊瑚のような植物、原始の原生動物、および海綿のような変遷的有機体をもたらす。しかし、早期岩石層におけるそのような化石の欠如が、必ずしも、それらの堆積時点で生き物がほかの場所に存在していなかったと立証するというわけではない。生命は、これらの早期の時代を通して疎らであり、しかも地球の表面で緩やかに進んだに過ぎない。
この往時の岩石は、現在地球の表面、あるいは現在の陸地の約1/8以上の表層のごく近くにある。この遷移の石の平均の厚み、つまり最古の層の岩石層は、およそ2.5キロメートルである。ある場所においては、これらの古代の岩石構造は、6.5キロメートルもの厚さであるが、この時代の結果とみなされていた層の多くはその後の時代に属する。
北アメリカにおいてはこの古代の、そして化石を宿す原始の石の層は、カナダの東、中央、そして北の領域の表面上にある。この岩石の東西に断続する尾根が、ペンシルヴェニアと古代のアディロンダック山地からミシガン、ウィスコンシン、ミネソタの西方へと広がって存在する。他の尾根は、ニューファンドランドからアラバマへ、それとアラスカからメキシコへと走る。
この時代の岩石が、世界中のあちこちで露出しているが、いくつかの層に存在するこれらの化石を宿す原始の岩石は、太古の時代の隆起と表面変動が分かるスペリオル湖やコロラド川のグランドキャニオン周辺の物ほどには容易には分からない。
地殻の中で最古の化石を宿しているこの石の層は、地震と初期の火山の隆起の結果揉まれて折り重なり異様に捻じれてしまった。この時代の溶岩流は、惑星の表面近くに多量の鉄、銅、および鉛をもたらした。
そのような活動は、ウィスコンシンの聖クロイ渓谷ほどにありありと見られるような場所は地球にはあまりない。この領域の陸地での連続する127回の溶岩流、その後の水没、その結果としての岩石堆積が、生じた。上部の岩石の堆積と断続的溶岩流の多くは、今日存在せず、またこの構造の下部は、土中深くに埋められているにもかかわらず、過去の時代を示すこれらの層のうちおよそ65か70が、現在露出していて目に触れる。
陸地の大部分が、海面近くにあったこれらの早期においては、多くの連続する潜水と浮揚が起こった。地殻は、ちょうどその後の比較的安定化の時期に入っていた。早期の大陸移動のうねり、隆起、沈下は、遠大な陸地の周期的浸水の頻発をもたらした。
原始の海洋生物のこの時代、大規模な大陸の海岸の領域が、海下に数メートルから1キロメートル近くまで沈んだ。より古い砂岩と礫岩の多くが、この古代の岸の沈殿作用による堆積を呈している。この早期の地層に属する堆積岩は、生命の起源をはるかに超える時代、世界的な海洋の初期の出現に遡るそれらの層の上に直接横たわっている。
有機炭素の存在を示し、次の石炭紀、または石炭時代に地球に蔓延した植物の型の先祖の存在を証明するこれらの変遷をみせる岩石の堆積物の上部層のいくつかには、小量の泥板岩、または暗色の石盤が含まれている。これらの岩石層における銅の多くは、浸水により生じる。幾らかは、古い岩石のひびに見つけられ、古代の保護された海岸線の湿地帯の停滞した水の濃縮物である。北米とヨーロッパの鉄山は、 部分的に、古い無成層岩や、生命形成の過渡期のこれらの後の成層岩の中に横たわる堆積物や露出物の中にある。
この時代は、世界の全水域での生命の普及を示している。海洋生物は、ユランチアで確かにうち建てられていった。浅く広範な内海の下部においては、大量で豊富な植物が繁茂しつつあり、一方海岸線の水域においては、単純な動物生態の型が蔓延しつつある。
この話のすべてが、世界記録の広大な「石の本」の化石のページの中でありありと語られている。 人が解釈の技を取得しさえすれば、この巨大な生物地質学の記録のページは、絶えず真実を告げている。古代のこれらの海底の多くは、現在、陸上高く持ち上げられており、長い年月を積み重ねてできた堆積は、それらの初期の時代の生命の闘争物語を知らせている。あなたの詩人が言ったように、「我々が踏みつける埃はかつて生きていた」というのは、文字通り本当である。
[現在この惑星に居住するユランチア生命搬送者軍団の一団員による提示]
我々は、ユランチアの歴史は、およそ10億年前に始まり、5回の主要時期を経て広がっていると判断している。
1. 前生命時代は、惑星がその現在の規模に達する時代から生命確立の時代までの初期の4億5千万年間におよぶ。地球の研究者達は、この期間を始生代と指定した。
2. 生命黎明期は、次の1億5千万年間におよぶ。この時代は、 先行する前生命、または激変期と、次のより高度な海洋生命の時代とに介在する。この時代は、原生代として地球の研究者達に知られている。
3. 海洋生物時代は、次の2億5千万年にわたり、古原生代として最もよく知られている。
4. 初期の陸性生物期は、次の1億年にわたり、中原生代として知られている。
5. 哺乳類の時代は最後の5千万年間を占めている。この最近の時代は新原生代として知られる。
海洋生物時代は、このようにあなたの惑星の歴史の1/4にわたっている。それは6回の長い期間に細分されるかもしれない。それぞれが、地質学と生物学の両分野において、明確に定義された一定の開発によって特徴づけられている。
海底、大規模な大陸棚、および岸近くの浅い海盆多くは、この時代の始まりとともに豊富な植物に覆われていく。動物生態のより単純で原始の型が、早くも先行する植物有機体から発達し、初期の動物の有機体は、多くの内海が原始の海洋生物で満たされるまで、様々な広大な土地の大規模な海岸線に沿って徐々に前進していた。初期のこれらの有機体のごく僅かしか殻をもっていなかったので、化石としては多くは残っていない。しかしながら、後の時代に非常に整然と貯蔵された生命記録の保存のその偉大な「石の本」の初章のために舞台は設定されるのである。
北米大陸は、化石を宿す全海洋生物時代の堆積が驚くほどに豊かである。まさしく最初で最古の層は、惑星進化のこれらの2段階を明確に隔離する大規模な浸食堆積により前期の後の層から切り離されている。
生命は、地球の表面におけるこの期間の比較的静かな曙まで様々な内海と海岸線に閉じ込められている。陸の有機体のいかなる型もいまだ発展していない。原始の海洋動物は、定着し、次の進化的発達に備える。先行する変遷の終結期に向かって出現した単細胞動物は、動物生態のこの初期段階の典型的生存者である。
400,000,000年前、海洋生物は、すなわち植物と動物の両者は、全世界にそこそこに分布している。世界気候は、わずかに暖かくなり、より安定してくる。様々な大陸の海岸、特に北米と南米の海岸では全域にわたる浸水がある。新しい海洋が現れ、古い水域は大いに広がっている。
植物は今初めて陸の上に這い出て、ほどなく非海洋生息地への適合に向けてかなりの進歩をする。
突然に、しかも段階的変化の始祖がなく、最初の多重細胞動物が出現した。三葉虫が発展し、長らく海に君臨した。これは海洋生命の見地から三葉虫の時代である。
この時代区分の後半において、北米とヨーロッパの大部分が海から現れた。地殻は一時的に安定していた。山々、すなわちかなりの高海抜の陸地が、大西洋と太平洋岸に沿って西インド諸島に、そして南ヨーロッパにおいて隆起した。全カリブ海領域は、高く隆起した。
390,000,000年前、陸はまだ隆起していた。これらの時期に横たえられた石の層が、アメリカの東西の地域と西ヨーロッパで見つかるかもしれない、しかも、これらは、三葉虫の化石を含む最古の岩石である。これらの化石を抱く岩石が堆積する陸地へと突出する長い指のような湾が、数多くあった。
太平洋は、数百万年の間に南北のアメリカ大陸に侵入し始めた。陸の縦割れ、または大陸のゆっくりした動きもまた1要因ではあったものの、陸の沈没は、主に地殻調整によるものであった。
380,000,000年前、アジアは小康状態となり、他の全大陸は短命の出現を経験していた。しかし、この時代が進むにつれ、新たに現れようとしている大西洋は、隣接するすべての海岸線に大規模に食い込んでいった。北大西洋、あるいは北極海が、そのとき南の湾の水域に繋がれた。この南の海が、アパラチア山脈の渓谷に入ったとき、その波は、アルプス山脈と同じ高さの東の山々に砕けたのだが、大陸は、概して景勝に欠けるまったく面白味のない低地であった。
これらの時代の沈殿物の堆積は、4種類である。
1.礫岩—海岸線近くでの堆積物。
2. 砂岩—浅瀬ではあるが泥が定着するのを妨げるに十分なところでの堆積物。
3.泥板岩—より深くより静かな水中での堆積物。
4.石灰岩—深水の中の三葉虫の殻の堆積物を含有。
これらの時期の三葉虫の化石は、 ある顕著な変化に伴う基本的なある一様性を示している。生命の起源の3つの移植から進化する初期の動物は独特であった。西半球に現れるものは、ユーラシアの一群、オーストラレーシア、またはオーストラリア-南極の型とは僅かに異なっていた。
370,000,000年前、北米と南米の大幅な、ほぼ完全な浸水が起こり、次にアフリカとオーストラリアの沈没が続いた。北米のある地域だけが、カンブリア紀のこれらの浅海の上にとどまっていた。500万年後、海は、陸の隆起により後退していた。そして、陸の沈没と隆起のこれらの現象のすべてが、何百万年間もかけて飛躍的でもなくゆっくりと営まれていた。
三葉虫の化石を宿すこの時代の層が、中央アジアを除く全大陸のあちこちに露出している。多くの地域においてこれらの岩石は水平であるが、山では圧力と褶曲から傾いたり歪んだりしている。そのような圧力は、これらの堆積物の本来の特徴を多くの場所で変えてしまった。砂岩は、石英に、泥板岩は石盤に、一方、石灰岩は大理石に変えられた。
360,000,000年前、陸は、まだ上昇しているところであった。北米と南米は、かなり隆起していた。深く水没したウェールズの部分を除き、西欧とイギリス諸島が出現していた。これらの時代、大きな氷床はなかった。出現しつつあるヨーロッパ、アフリカ、中国、およびオーストラリアのこれらの層に関わる氷河の想定上の堆積は、孤立した山の氷河であるか、後に生じる氷河の残骸の移動によるものである。世界気候は、大陸性ではなく海洋性であった。南海は、当時は現在よりも暖かく、北方へと北アメリカの極地にまでおよんだ。メキシコ湾流は、北アメリカ中央部へと勢いよく進路をとり、東方へ偏向しグリーンランドの海岸を洗いかつ暖め、今は氷の外套であるその大陸を紛れもない熱帯の楽園にした。
海洋生物は、世界中で非常に似通っており、海草、単細胞生物、単純な海綿、三葉虫、それに他の甲殻類—小エビ、カニ、大エビから成った。3,000種類の腕足類の各種は、この期間の終わりに出現し、そのうちの200種類だけが生き残った。これらの動物は、事実上は変化せず現在に至った初期の生物の種類を代表している。
にもかかわらず、三葉虫は支配的な生物であった。それらは、性別のある動物で多くの形態で存在した。拙劣な泳者で、後に出現する敵の攻撃を受ける際には自己防衛目的で丸まり、緩慢に水に浮くか、海底づたいに這った。5センチメートルから30センチメートルの長さにまで成長し、4種の異なる群れに進化した。肉食性、草食性、雑食性、それに「泥を食する物」。主に無機物を食する最後の群れの能力—それができた最後の複細胞動物—が、それらの大幅な増加と長い生存を説明している。
これが、地球の地質学者にはカンブリア紀と称される5千万年を有する長期の世界歴史の中の終わりにあるユランチアの生物地質の絵であった。
これらの時代の陸の隆起と沈下の特徴ある周期的現象には、火山活動も少ししか、あるいは全然なく、すべてが緩やかであり華々しくはなかった。これらの連続する陸の隆起と降下を通してアジアの母なる大陸は、他の陸地と完全に歴史を共有したというわけではなかった。それは、まず一方向へ、次には他方へと浸り、特にその早期の歴史においては多くの浸水を経験したものの、他の大陸で発見されるかもしれない画一的岩石の堆積物を提示してはいない。近世においては、アジアがすべての広大な陸の中で最も安定している。
350,000,000年前、中央アジアを除く全大陸の長い洪水期間の始まりがあった。陸地は繰り返し水に覆われていた。沿岸の高地だけが、浅くはあるが広範囲におよぶこれらの振動する内海の上に依然としてあった。陸隆起の総量は、現在よりも15パーセントも大であり、3回にわたる大きな氾濫が、この期間を特徴づけたが、それが終わる以前に大陸は再び隆起した。カリブ海域は、かなり上昇した。この期間ヨーロッパでの火山活動は、絶え間なく続く一方で、陸の変動は、少なくあまり目立つ動きはない。
340,000,000年前、アジアとオーストラリアを除く別の大規模な陸の沈下が起こった。世界の海洋の水域は、全般的に混ぜ合った。これは、その時代の石の多くが石灰を分泌する藻類により横たえられている石灰岩の時代であった。
南北のアメリカ大陸とヨーロッパの大部分が、数百万年後に水から現れ始めた。西半球では、太平洋の腕に似たような部分だけがメキシコと現在のロッキー山脈の領域に留まったが、この時代の終り近くには大西洋と太平洋の海岸は再び沈み始めた。
330,000,000年前、陸の大半が再び水の上にあり、世界中で比的較静かな時間の1区分の幕開けとなる。地球の静けさのこの支配に対する唯一の例外は、東ケンタッキーにある北米の大火山の爆発、世界に知られる個々の火山活動の中で最大である爆発の一つ、であった。この火山灰は、1,300平方キロメートルを5メートルから6メートルの深さに覆った。
320,000,000年前、この期間の3番目の大きな洪水が起こった。この氾濫水域は、南北アメリカとヨーロッパ全域で多方面により広がりつつ先の大洪水で水没した陸のすべてを浸した。東北部のアメリカと西ヨーロッパは、水面下3,000メートルから4,500メートルであった。
310,000,000年前、北アメリカの南部を除く世界の陸は、再び相当に隆起した。メキシコが出現し、その結果、以来ずっとその存在を維持してきたメキシコ湾を生み出した。
この期間の生命は、進化し続ける。世界は、また静かで比較的平和である。気候は、温暖で一様な状態にある。陸の植物は、海岸かより遠くへ遠くへと移動している。これらの時代のわずかな植物化石しか見つけられないが、生命の型はよく進化している。
基礎的変化、つまり植物から動物へのそのような変遷の多くは、先に起こっていたが、これは、個々の動物の生命体の進化の大いなる時代であった。海洋動物は、脊椎動物段階より下のすべての生命の型が進化し、これらの期間に横たえられた岩石のなかの化石に典型としてあった。しかし、これらの動物すべてが海洋生物であった。海岸沿いに穴を堀る幾つかの虫の型を除いては、陸生動物はまだ現れていなかったし、陸上植物もまだ大陸に広がってはいなかった。呼吸をする生き物の存在を可能にするには、あまりに多量の二酸化炭素がまだ空気中にあった。本来、より原始の特定の動物を除くすべての動物は、それぞれの存在のために必要な植物に直接的、または間接的に依存している。
三葉虫は、いまだ顕著であった。これらの小動物は、何万という形態で存在し、現代の甲殻類の先祖であった。いくつかの三葉虫には、25個から4,000個の小さい穴があった。目が退化かをしたものもあった。この期間の終わりに際し、三葉虫は、無脊椎動物の他の幾つかの型と海の支配を共にした。しかし、それらは次の期間の初めには全滅した。
石灰を蓄積する藻類は、広範囲にわたっていた。何千ものサンゴの初期の先祖の種が存在した。環形動物は、豊富であり、その後絶滅した多種多様のクラゲの多くがいた。後の珊瑚と海綿の型が、進化した。頭類動物は、かなり進化し、またそれらは、近代の真珠のようなオーム貝、蛸、コウイカ、およびイカとして生き残った。
多くの甲殻動物の種類がいたが、それらの甲殻は、当時その後の時代ほどには防衛目的にはあまり必要ではなかった。腹足類は、古代の海の水域に存在しており、一枚貝のアクキ貝、タマキビガイや、カタツムリを含んだ。二枚貝の腹足類は、何百万年を経て当時のままで伝わってきたもので、イガイ類、蛤、牡蛎、帆立貝がある。弁状の殻をもつ生物も進化し、これらの腕足類は、今日の状態で古代の水域に住んでいた。それらは、弁膜のちょうつがい、刻み目、また他の種類の保護的手段さえ備えていた。
こうして、地球の地質学者にオルドビス紀として知られる海洋生命の2番目の長い期間の進化物語を終わる。
300,000,000年前、別の長い期間の陸の浸水が始まった。古代シルル紀の海の南方と北方の侵食は、ヨーロッパと北米の大部分を飲み込もうとしていた。陸は、海上から大いに持ち上がってはいなかったので、海岸線ではそれほどの堆積はあまり起こらなかった。海には石灰の殻に覆われた生物が多く、海底へのこれらの殻の落下は、非常に厚い石灰岩層を徐々に築き上げていった。これが、広範囲にわたる最初の石灰石の堆積物であり、実質的にヨーロッパと北米の全てを覆っているが、地球の表面では幾つかの場所に見られるだけである。この古代の岩石層の厚みの平均は、およそ300メートルであるが、それ以来、この堆積物の多くは、傾斜、隆起、断層で大いに変形され、またそのうちの多くが、石英、泥板岩、大理石へと変えられていった。
火山岩、あるいは、溶岩は、南欧と東メイン州の大火山とケベック州の溶岩流を除いては、この期間の石の層では見受けられてはいない。火山活動は、主に過去であった。これは、かなりの水による堆積の最高点であった。山は、少しも、あるいは全く形成されていなかった。
290,000,000年前、海は、大陸からかなり後退しており、大陸周辺の海底は沈んでいた。陸は、再び水没するまであまり変化はなかった。全大陸の山の初期運動が開始しており、これらの地殻隆起の中で最大なものは、アイルランドからスコットランドを貫きスピッツベルゲンへと広がるアジアのヒマラヤ山脈とカレドニア山脈であった。
発見されるガス、石油、亜鉛、鉛の多くは、この時代の堆積物にある。膨大な植物と動物の集積から得られるガスおよび石油は、その前の陸の浸水時に遡り、一方鉱物埋蔵物は、緩慢な水域の沈殿を表す。岩塩堆積物の多くは、この期間に属する。
三葉虫は、急速に減退し、舞台の中央は、 より大きい軟体動物、あるいは頭足類に占拠された。これらの動物は、体長5メートル、直径30センチメートルに成長し海のあるじとなった。この種の動物は、突然に現れ、海の生物支配を我が物とした。
この時代の大火山活動は、ヨーロッパ地域にあった。現在地中海のトラフの周辺や、特にイギリス諸島の近辺で起きているような激しく大規模な火山噴火は、何百万年も起こらなかった。イギリス諸島地域へのこの溶岩流が今日、溶岩と岩石とが交互するおよそ8,000メートルの層の厚さで現れている。これらの岩石は、浅い海底に広がる間欠溶岩流によって横たえられ、その結果、岩石の堆積物を点在させ、このすべてが次には高く海上に持ち上げられた。激しい地震は、北ヨーロッパに、とりわけスコットランドに発生した。
海洋気候は、温和で一定に留まり、暖かい海は、極地の陸海岸を洗った。腕足類と他の海洋生物の化石は、北極にまでおよぶ堆積物中に見つけかるかもしれない。腹足類、腕足類、海綿、岩礁を作るサンゴは、増加し続けた。
この時代の末期には、シルル紀の海の第二の接近で南北の海洋のもう一つの混合を経験する。頭足類は、海洋生物を支配しており、一方では頭足類に関連する生物の型が次第に発達し分化する。
280,000,000年前、主にシルル紀第二の洪水から大陸が出現した。現在流れているナイアガラの滝の上部は、岩石の層であることからこの浸水による岩石の堆積物は、北アメリカではナイアガラ石灰岩として知られている。この岩石層は、東の山々からミシシッピー流域へと広がり、それより西にはないが、南には存在する。平均の厚みがおよそ200メートルのこの一連のナイアガラいくつかの層は、カナダ、南米の一部、オーストラリア、そしてヨーロッパの大部分に広がっている。多くの地域においては礫岩、泥板岩、および岩塩の堆積が、ナイアガラ沈殿物の上にじかに横たわっているのがみられるかもしれない。これは二次的沈下の蓄積である。この塩は、交互に海に開かれたり断ち切られたりした、そしてこのために溶液の中の塩と他の物体との堆積に蒸発が生じた大きな潟に定着した。いくつかの地域でのこれらの岩塩層は、20メートル以上の厚みである。
気候は、安定的で温和であり、海洋の化石は北極地域に横たわっている。だが、この時代の終わりまでには海は、過度に塩辛く、生物の生残はほとんどないほどである。
シルル紀最後の浸水の終わりに向かい、ウミユリ石灰岩の堆積物によって証明されているように棘皮動物—石のユリ—の大幅な増加がある。三葉虫は、ほぼ消滅してしまい、軟体動物が海の君主を続ける。サンゴ礁形成は増大する。この時代より有利な場所で原始の水サソリが最初に進化する。その直後、突然に本来のサソリ—空気を呼吸する本物—が姿を現す。
これらの展開が、2,500万年にまたがりシルル紀として地球の研究者達に知られている第三の海洋生命期が終える。
海は、陸と水との長年のもがきにおいて長いあいだ比較的に勝利を収めてきたのであるが、陸の勝利の時期は、すぐ先にある。大陸移動は、それほど進んではいなかったとはいえ、やはり、時には実際に世界の陸のすべてが、細長い地峡と狭い陸の橋とでつながっている。
シルル紀の最後の洪水からの陸の出現とともに、世界発展と生命の進化における重要な期間は、終わるのである。それは地球の新時代の夜明けである。前期のむき出しで魅力のない風景は、繁茂する緑の草木を装うようになり、最初の壮大な森林がまもなく現れるのである。
この時代の海洋生物は、初期の種類の分離の結果、非常に多様であったが、のちにはすべての異なるこれらの型の自由な混合と結びつきがあった。腕足類は、早くその頂点に達し、節足動物が引き継ぎ、そして蔓脚類が初めて登場した。しかし、何にもまして最大の出来事は、魚科の突然の出現であった。これは、魚類の時代、つまり脊椎型の動物によって特徴づけられる世界歴史上のその期間になった。
270,000,000年前、大陸はすべて水の上であった。何百万年もの間、かつて陸は、それほど水面上にはなかった。それは、全世界史上で最大の陸出現時代の1つであった。
5百万年後、北米と南米、ヨーロッパ、アフリカ、北アジア、およびオーストラリアの陸地は、一時的に浸水し、北アメリカでの浸水は、ある時期はほとんど完全であり、また石灰岩層は、150メートルから1,500メートルの厚さにいたった。これらの様々なデボン紀の海は、最初は一方向へと、それから別方向へと広がったので、北米の、巨大な北極の内海は、北カリフォルニアから太平洋へと出口を見つけた。
260,000,000年前、北アメリカは、この陸の浸水時代の終わりにかけて太平洋、大西洋、北極、メキシコ湾に同時につながり、局部的に海に覆われた。デボン紀の最初の洪水の後期における堆積は、平均しておよそ300メートルの厚みである。これらの時代を特徴づけるサンゴ礁は、内海は透明で浅かったことを示している。サンゴのそのような堆積は、ケンタッキー州のルーイヴィル近くのオハイオ川の岸に露出しており、200種以上を包含するおよそ30メートルの厚さである。これらのサンゴ層は、カナダ、北欧から北極地域へとまたがっている。
これらの浸水に続き、海岸線の多くがかなり隆起したので、早期の堆積物は、泥か泥板岩で覆われた。デボン紀の堆積の1つを特徴づける赤い砂岩層もまた存在し、この赤い層は、南米、北米、ヨーロッパ、ロシア、中国、アフリカ、およびオーストラリアで発見され、地球の表面の大部分に広がっている。そのような赤い堆積は、乾燥、あるいは半乾燥状態を示唆しているが、この時代の気候はまだ温和で安定的であった。
シンシナティ島の南東の陸は、この全期間ずっと水のかなり上にあった。しかし、イギリス諸島を含むヨーロッパの大半は、水没した。ウェールズ、ドイツ、およびヨーロッパの他の場所では、デボン紀の岩石は6,000メートルの厚さである。
250,000,000年前、人類出現以前の全進化において最も重要な段階の1つである脊椎動物の魚科の出現がみられた。
節足動物または甲殻類は、最初の脊椎動物の先祖であった。魚科の先祖は、2つの変化した節足動物の先祖であった。一方は、長い体に頭と尾がついていたが、もう一方は背骨なし、顎なしの魚類出現以前のものであった。しかし、これらの初期の型は、魚、つまり動物界の最初の脊椎動物が北から突然姿を現すと、すぐに滅ぼされた。
最大の本物の魚の多くは、この時代に属しており、歯を有する種類の幾つかは、およそ8メートルから10メートルの長さである。現代の鮫は、これらの古代の魚の生き残りである。肺魚と装甲魚は、その進化の頂点に達し、魚類は、この時代終了前に淡水と塩水の両方に順応していた。
魚の歯と骨格の実際の骨の地層は、この期間の終わりに向けて横たえられた堆積中に発見されるかもしれない。また、太平洋の多くの保護された湾が、その地域の陸へと広がったことから、カリフォルニアの海岸に沿って豊富な化石層がある。
陸の新植物が、急速に地球にはびこった。これまで水際を除く陸には、わずかな植物しか成長しなかった。今、突然にして、豊富なシダ類が現れ、そして世界の全域で急速にもち上がる陸の表面に広がった。すぐに太さ60センチメートル、高さ12メートルの樹木の種類が、出現し、後にはこれらの初期の種類に葉が発達したものの、未発達の枝葉しかなかった。より小さ目の多くの植物が存在したが、それ以前に姿をみせる細菌が、これらを破壊するのが一般的であったことから、それらの化石は見つかっていない。
陸が隆起すると、北アメリカは、グリーンランドに達する地峡でヨーロッパと接するようになった。今日、グリーンランドは、その氷の外套の下に早期のこれらの陸の植物の名残りを抱き込んでいる。
240,000,000年前、ヨーロッパと南北のアメリカ大陸の双方の陸の上部が沈み始めた。この沈下は、デボン紀の最後の、また最小規模の洪水の様相を呈した。北極海は、再び北アメリカの大半を覆って南行し、南太平洋は、インドの大部分を覆う一方で、大西洋は、ヨーロッパと西アジアのかなりの部分を水浸しにした。この洪水は、緩慢に起こり、後退するのも同様に緩慢であった。ハドソン川西岸に沿うキャッツキル山脈は、北アメリカの表層に見られるこの時代の地質学上の最大の記念碑の1つである。
230,000,000年前、海はそれぞれの後退を続行していた。北アメリカの大部分は水上にあり、大火山活動は、セントローレンス地域に起こった。モントリオールにあるマウント ロイヤルは、これらの火山の1つが浸食した頸状部である。この時代全体の堆積物は、サスクエハナ川が、重なり合うこれらの層を露出する谷を切断した4,000メートルを越える厚みに達した北アメリカのアパラチア山脈に明示されている。
大陸の隆起は続き、大気には酸素が増えていた。地球は、高さ30メートルのシダの広大な森林や、当時の特有の樹木、そのような木々には葉はついていなかったので、何の音も、葉のサラサラいう音さえも聞かれない静かな森林に覆われていた。
このようにして海洋生命の進化の最長の期間の1つ、魚類の時代は、終わりに近づいていた。世界の歴史上のこの期間は、およそ5千万年続いた。それは、デボン紀として地球の研究者に知られるようになった。
前の時代の魚の出現が、海洋生物の発展の頂点を記す。この時点から先は、陸の生物の進化がますます重要になる。そして、この期間、最初の陸生動物出現のための舞台がほぼ理想的に始まる。
220,000,000年前、大半の北アメリカを含む大陸の陸面積の多くが、水上にあった。陸には豊潤な植物がはびこっていた。これがまさにシダの時代であった。二酸化炭素は、大気中にまだ存在したが、減少段階にあった。
北アメリカの中央部は、やがて水浸しにされ、2つの大きい内海を創出した。大西洋と太平洋岸の双方の高地は、現在の海岸線を越える場所に位置を定めた。それらの異なる型の生物を混ぜ合わせつつ、これらの2つの海はやがて結合し、またこれらの海洋動物群の結合が、海洋生物における急速で世界的規模の衰退の始まりとその後の陸の生物の時代の始まりを記した。
210,000,000年前 、北極海の暖水が、北アメリカとヨーロッパのほとんどを覆った。南極の水域は、南米とオーストラリアを水浸しにし、アフリカとアジアのいずれも高く隆起した。
海がそれぞれの最大の高さにあったとき、突如として新たな進化が起きた。いきなり最初の陸生動物が現れた。多種の陸上、または水中で生活のできる動物がいた。これらの空気を吸う両生類が、節足動物から発達し、その浮き袋が肺へと進化した。
塩辛い海水からカタツムリ、サソリ、カエルが陸上に這い出てきた。今日カエルは、いまだに水中で卵を産み、その子供は幼魚、オタマジャクシとして存在する。この期間は、カエルの時代と呼ぶに適していた。
その直後、まず昆虫が現れ、やがてクモ、サソリ、ゴキブリ、コオロギ、バッタと共に世界の大陸に広がった。トンボの羽の幅は、75センチメートルあった。1,000種類のゴキブリが進化し、ある種は10センチメートルの長さに成長した。
2集団の棘皮動物は、特に進化し、事実上この時代の案内役の化石である。また、殻摂食の大鮫も高度に進化し、500万年以上も海洋を支配した。気候は、まだ温和で安定していた。海洋生物は、ほとんど変わらなかった。淡水魚が進化し、三葉虫は絶、滅に近づきつつあった。サンゴは、稀少で、ウミユリにより多くの石灰岩が作られていた。きめの細かい建築用の石灰岩は、この時代に横たえられた。
多くの内海の水域は、多くの海洋種の進歩と進化を妨げるほどに石灰と他の鉱物を含んでいた。海は、所々に亜鉛と鉛を含み大規模な石の堆積の結果、徐々に澄んでいった。
砂岩、泥板岩、石灰岩から成るこの早期の石炭紀の堆積物は、150メートルから600メートルの厚さである。最古の層は、多量の砂利と盆地の沈殿物とともに陸海の動植物両者の化石をもたらす。使用可能な石炭は、これらのより古い層にはほとんど見つけられない。ヨーロッパ中のこれらの堆積物は、北アメリカに横たわるそれらと非常に似通っている。
北アメリカの陸地が、この時代の終わりに向かい隆起し始めた。短い中断があり、海は、その以前の基盤のおよそ半分を覆い戻した。これは短期の洪水であり、陸の大部分はすぐに水面上に出た。南アメリカは、アフリカ経由でまだヨーロッパにつながっていた。
この時代、ヴォージュ山脈、黒い森、ウラル山脈の始まりをみた。他の、そしてより古い山の残根が、英国とヨーロッパ全体にわたってある。
200,000,000年前、石炭紀のじつに活動的な段階が始まった。この時代に先立つ2千万年の間に初期の石炭の堆積物が横たえられつつあったが、今や、より大規模な石炭形成活動が進行していた。実際の石炭形成時代は、2,500万年をやや上回った。
陸地は、海底活動によりもたらされる海面の高さの変化に応じ、周期的に上昇や下降をみた。沿岸の湿地帯の豊富な植物に関わるこの地殻の不安定—陸の安定と隆起—が、この期間が石炭紀として知られることとなった大規模な石炭堆積物の生産に貢献した。気候は、世界中でまだ温和であった。
石炭層は、泥板岩、石および礫岩と交替する。合衆国の中央と東のこれらの石炭層は、12メートルから15メートルの厚みの違いがある。しかし、これらの堆積の多くが、その後の陸の隆起の間に流失された。北アメリカとヨーロッパのいくつかの地域においては、石炭を抱える層の厚さは、5,400メートルである。
現在の石炭層の下の粘土の中で成長した状態のままの木の根の存在が、石炭が今ちょうど見つけられるところに形成されたことを示している。石炭は、この昔の沼沢地と湿地帯に成長している繁茂する植物が、水で保存され圧力で変更された残骸物である。石炭層は、しばしばガスと油の双方を保持している。泥炭層が、過去の植物成長物の残骸物が、適切な気圧と熱を被るならば、一種の石炭に変換されるであろう。無煙炭は、他の石炭よりもさらに気圧と熱がかけられたものである。
数回にわたる陸地の沈下と隆起を示す様々な層の中の石炭層は、北米ではイリノイ州の10層、ペンシルバニア州の20層、アラバマ州の35層からカナダの75層までさまざまである。淡水と塩水の化石双方ともに石炭層で見られる。
アンデス山脈と南の始祖的ロッキー山脈の両方が上昇しており、この時代を通じて北米と南米の山々は、活動的であった。巨大な大西洋と太平洋の高い沿岸の領域は、沈み始め、ついには、両方の海の海岸線がほぼ現在の位置にまで下がるほどに非常に浸食し水没した。この浸水の堆積物は、その厚みが平均約300メートルである
190,000,000年前、石炭紀の北米の海は、西方向への、現在のロッキー山脈地帯を越え北カリフォルニアを経て太平洋へのはけ口をともなう延長があった。これらの海岸振動時代の沿岸地帯の隆起や沈下に伴い、石炭は、アメリカとヨーロッパ大陸中に、層の上に層をと、横たえ続けた。
180,000,000年前、石炭紀の終わりがきた。石炭は、この期間に世界中—ヨーロッパ、インド、中国、北アフリカ、アメリカ大陸—に形成された。。石炭形成期の終わり、北アメリカのミシシッピー渓谷の東が隆起し、この区域の大部分は、以来ずっと海上にある。この陸の隆起期間は、アパラチア山脈領域と西部の双方に存在する北米の現代の山々の始まりを示す。火山は、アラスカとカリフォルニアにおいて、それにヨーロッパとアジアの山を形成している領域において活動中であった。東アメリカと西ヨーロッパにはグリーンランド大陸がつながっていた。
陸の隆起が、前の時代の海洋気候を変え、そのために、それほど温和ではなくより変化する大陸気候の始まりに取り交わりつつあった。
これらの時代の植物は胞子をつけ、風がそれらを遠く広く散らすことができた。石炭紀の木の幹は、一般的に直径2メートル、高さ40メートル近くであった。現代のシダ類は、じつにこれらの過去の時代の遺物である。
一般的には、これらが淡水有機体のための進化の時代であった。前の海洋生物には、ほとんど変化は起こらなかった。しかし、この期間の主な特徴は、カエルとそれらの多くのいとこ関係にあるものの突然の出現であった。石炭時代の生物の特徴は、シダとカエルであった。
この期間は、海洋生物の重要な進化の発展の終わりと、その後に続く陸生動物へと導く過渡期の始まりを告げる。
この時代は、深刻な生命窮迫の1つであった。何千もの海洋種が滅び、陸には生物はまだほとんど確立されていなかった。これは、生物の苦難の時、生命が地球の表面と海洋の深層から危うく消え失せる時代であった。長い海洋生物時代の終わり近くには、地球の生き物の10万種以上があった。この変遷期の終わりには500種足らずが生き残った。
この新時代の特異性は、ありふれた事と既存するものの影響—海の制限条件と途方もない陸の隆起の増大—との異常な組み合わせによるものほどには、地殻の冷却あるいは長い火山活動の欠如によるものではなかった。前の時代の温和な海洋気候は失せつつあり、より厳しい大陸型の気象が、急速に発達していた。
170,000,000年前、進化上の大なる変化と調整が、全地球上で起きていた。海底の沈下と同時に、陸は世界中で隆起していた。孤立した山の尾根が現れた。北米東部は、海上高くにあった。西部はゆっくり上昇していた。大陸は、大小の塩湖と狭い海峡によって海につながる多数の内海で覆われていた。この移行期間の地層の厚みは、300メートルから2,000メートルと異なっている。
地殻は、この陸の隆起の間に広範囲にわたり折り重なった。これが、非常に長い間アフリカと南米、それに北アメリカとヨーロッパをつないでいた大陸を含む特定の地峡の消滅を除く、大陸の出現の時であった。
内陸の湖と海は、世界中で乾燥していった。孤立した山の氷河や氷特定地域の氷河が、とくに南半球に現れ、また多くの地域において地域的氷形成による氷河堆積物は、上層部や後期の珊瑚堆積物のなかに見られるかもしれない。地球の高地の多くは、乾燥し不毛となってしまった。
これらの気候変化の時代を通じて陸の植物に大きな変化が起こった。まず種子植物が、現れ、次に増加する陸動物集団に良い食物供給をもたらした。昆虫は急激な変化をした。静止段階は、冬期と干魃期の仮死状態の負担に対応して進化した。
陸生動物の中ではカエルが前の時代にその絶頂時に達し、また急速に減退したが、その生残の理由は、はるか遠くの、非常に困難なこれらの時期の干上がる水溜りや池でさえ長く生きることができたからであった。この減退するカエルの時代に、アフリカでは、カエルの爬虫類への進化の第一歩が、踏み出された。陸地はまだ接続されていたので、この前-爬虫類の生き物、呼吸者は、全世界に広がった。大気は、この時までに非常に変化していたので見事に動物の呼吸を支える役目を果たした。北アメリカが、一時孤立し、ヨーロッパ、アジア、そして南米から切り離されたのはこれらの前-爬虫類のカエル到来の直後であった。
海洋水のゆるやかな冷却が、海洋生物の破滅に大きく関わった。その時代の海洋動物は、3ヶ所の都合のよい隠れ場所—現在のメキシコ湾域、インドのガンジス川湾、および地中海海底のシチリア湾—に一時的に避難した。そして、海洋の新種が、逆境に生まれ、後に再び海を満たしに行ったのが、これらの3地域からであった。
160,000,000年前、陸は、主に陸生動物集団を支えるために適合する植物で覆われており、大気は、動物の呼吸作用に望ましくなっていた。こうして、惑星進化の次の時代のより急速に進化し、高度に分化された生物の先祖として機能する資格を与えられたそのような生存価値を有するものを除く生命のすべての型を排除するという生物にとっての逆境、海洋生物縮少と試練の一区切りの時代が終わる。
二畳紀として地球の研究者に知られているこの期間の生物の苦難の終わりが、惑星歴史の四分の一、2億5千万年間にわたる長い古生代の終わりもまた告げている。
ユランチアの生命の広大な海洋育児室は、その目的を果たした。陸が、生命擁立に不適当であった長い時代の間、大気がより高度の陸生動物を支えるための充分な酸素を含有する以前に、海は、母となり領域の初期の生物を養育した。陸での第2の進化段階の始まりとともに、いま海の生物のための重要性は次第に減少している。
[ユランチア配置の最初の軍団の一つに属していたネバドンのある生命搬送者による提示]
独占的海洋生命の時代は終わった。陸の隆起、地殻の冷却と海洋の冷却、狭められた海とその結果からくる深まりが、北方地方での大幅な陸の増大と共に、赤道地帯からはるかに遠い全領域での世界的気候の変化が大いに作用し合った。
前の時代の最終期は、実にカエルの時代であったが、陸の脊椎動物のこれらの先祖は、極端に減少した数が生き残り、もはや優勢的ではなかった。ほんのわずかな型が、その前の時代の生物の苦難において厳しい試練を生き抜いた。胞子をつける植物さえほとんど絶滅していた。
この期間の浸食作用の堆積物は、ほとんどが礫岩、頁岩、砂岩であった。アメリカとヨーロッパのすべてのこれらの沈澱物の中の石膏と赤い層は、両大陸の気候が乾燥していたことを示している。これらの乾燥地帯は、周囲の高地における激しく周期的な集中豪雨による大侵食に晒された。
これらの層にはわずかな化石しか見られないが、陸の爬虫類が砂岩の多くに残した足跡は、観測されるかもしれない。多くの領域で、この期間の300メートルもある赤い砂岩の堆積物には一つの化石も含有されていない。陸生動物の生命は、アフリカの特定地域でのみ続いていた。
これらの堆積物は、1,000メートルから3,000メートルのさまざまな厚みで、太平洋海岸では5,500メートルにさえわたる。溶岩は、後にこれらの層の多くに押し込められた。ハドソン川のパリセーズ岩壁は、玄武岩質溶岩の押出しにより、これらの三畳紀層の間に形成された。火山活動は、世界の異なる地域で大規模であった。
この期間の堆積物は、ヨーロッパ、特にドイツとロシアで見られるかもしれない。イギリスでは、新しい赤砂岩が、この時代に属する。石灰岩は、の侵入の結果南アルプスに海横たわっていて、現在は、それらの領域の苦岩石の独特の壁、峰、および柱として見られるかもしれない。この層は、アフリカとオーストラリア中に見られる。カッラーラ大理石は、石灰岩の変性したようなものからきているのである。大陸のその部分が沈んだままで、よって先行する時代と後に続く時代に水か海洋の堆積だけを連続的に提示するので、南米の南の地域では、この期間の何も見つけられないであろう。
150,000,000年前、世界歴史の初期の陸の生物の時代が始まった。全般的に、生物にとって事はうまく運ばなかったが、激しく敵意のある海中生物時代の終わりよりはましであった。
この時代が始まると、北米の東と中央の地域、南米の北半分、ヨーロッパの大部分、および全アジアが、水面のかなり上にある。北アメリカは、初めて地理的に分離するのだが、ベーリング海峡の陸の橋がやがて再出現するとその大陸をアジアにつなげることになるので長いことではない。
大西洋と太平洋の海岸に平行しつつ、遠大なトラフが北アメリカで発達した。片側は、3キロメートル以上徐々に沈みながら、大いなる東コネチカット断層が出現した。これらの北米のトラフの多くは、後に浸食堆積で埋まった。山岳地域の淡水や塩水の湖底の多くもまたそうであった。その後、これらの埋められた陸の窪みは、地下で起こる溶岩流によって大いに持ち上げられた。多くの地域の石化された森林は、この時代に属する。
通常は大陸の沈み込みの期間は水面上にある太平洋岸は、カリフォルニア南部、それに当時は現在の太平洋に存在した一つの大きい島を除いて、降下した。この古代のカリフォルニア海は、海洋生物が豊富であり、米国中西部地域の古い海の底をつないで東方へ広がった。
140,000,000年前、突如として、しかも前の時代にアフリカで発達した2つの前-爬虫類の先祖のかすかな兆候だけを伴い、すべて羽毛でおおわれた形態で爬虫類が現れた。それらは、やがて、わに類、鱗をもつ爬虫類、最後には海蛇と飛ぶ爬虫類をもたらし急速に進化した。それらの過渡期の先祖は素早く姿を消した。
急速に進化するこれらの爬虫類の恐竜が、たちまちこの時代の帝王となった。それらは、後に最大40トンの体重を制御するのに450グラムにも満たない重さの脳を持つ産卵生物であり、その小さい脳をもっていることで、すべての動物とは区別される。しかし、早期の爬虫類は、小さ目で肉食性で、カンガルーのように後足で歩行した。それらは、空洞の鳥の骨を持ち、後には後足に3本の指だけを発達させ、また、それらの足跡の化石の多くは、巨大な鳥のものと間違えられてきた。その後、草食性の恐竜が進化した。それらは、四本足歩行で、この群れの中の1団が、防護器官を発達した。
数百万年後、最初の哺乳動物が出現した。無胎盤で、即時の失敗に終わった。何も生き残らなかった。これは、哺乳類の型を改良する実験的努力であったが、ユランチアにおいては成功しなかった。
この期間の海洋生命は、貧弱であったが、海の新しい侵入に応じて急速に向上し、そして再び浅い水域の大規模な海岸線を作り出した。ヨーロッパとアジアの周辺はより浅い水嵩であったので最も豊かな化石層が、これらの大陸のあちこちに見られる。今日、この時代の生物を研究したいならば、ヒマラヤ、シベリアや地中海地方、並びにインド、南太平洋の盆地の島々を調べるとよい。海中生物の際立つ特徴は、多くの美しいアンモナイトの存在であり、世界中にその化石の跡が見られる
130,000,000年前、海は、それほど変わっていなかった。シベリアと北米は、ベーリング海峡の陸地の橋でつながっていた。豊かで独特の海中生物が、カリフォルニアの太平洋岸に現れ、そこでは1,000種以上のアンモナイトが、 頭足類の高度の型から進化した。この期間の生物の変化は、過渡的であり緩やかであったにもかかわらず、いかにも革命的であった。
この期間は、2,500万年間にまたがり三畳紀として知られている。
120,000,000年前、爬虫類時代の新段階が始まった。この期間の大きな出来事は、恐竜の発展と衰退であった。陸生動物の生態は、大きさの点でその最大の発達に達し、実際にはこの時代の終わりまでに地球上から滅失した。恐竜は、体長60センチメートル未満から23メートル近くの巨大な非肉食性のものまでのあらゆる大きさで進化した。大きさにおいてはかつていかなる生物も匹敵したことはなかった。
最大の恐竜は、北米の西側で始まった。これらの巨大な爬虫類は、全ロッキー山脈、北米の全大西洋岸、西ヨーロッパ、南アフリカ、インドに埋まっているが、オーストラリアにはない。
こうしたがっしりとした重い生き物は、大きくなるにつれあまり活動的ではなく丈夫でもなくなった。しかし、それらは夥しい量の食物を必要とし、しかも、あまりにも陸に蔓延したので文字通り餓死し絶滅に至った。それらは状況に対処する知力を欠いていた。
このときまでには、長い間隆起していた北米の東部の大半は平らになり大西洋へと洗い流されていたので、海岸は、現在より数百キロメートルも遠くへと伸びていた。大陸の西の部分はまだ上にあったが、これらの地域でさえ後には北海と、ダコタのブラック・ヒル地域の東方へと至る太平洋の両方に攻め入られた。
これは、コロラド州、モンタナ州、ワイオミング州のいわゆるモリソン層の豊富な淡水化石に示されるように、多くの内陸湖によって特徴づけられる淡水時代であった。一体となった塩と淡水の堆積物の厚みは、600メートルから1,500メートルとさまざまである。しかし、これらの層にあまり石灰岩は存在していない。
はるか北米まで伸びる同じ極地の海は、やがて現れてくるアンデス山脈を除く南米のすべてを同様に覆った。中国とロシアのほとんどが水浸しになったが、水の侵入はヨーロッパで最も大であった。南ドイツの石版用の美しい石が横たえられたのはこの潜水の時代であり、昔の昆虫の最も優美な翼の化石のなどの層は、さも昨日の物のように保存されている。
この時代の植物相は、前の時代のものに非常に似ていた。シダは存続したが、現在の種類のような針葉樹と松がより多くなった。幾らかの石炭が、北部の地中海の海岸沿いではまだ形成されていた。
海の復帰が 気象を改善した。珊瑚がヨーロッパの水域に広まったということが、気候がまだ温和で安定的であったことを証明するが、珊瑚は、ゆっくり冷えている極海には決して二度と現れなかった。これらの時代の海の生物は、特にヨーロッパの水域においては、大いに改良し発達した。珊瑚とウミユリ双方共に、これまでよりも大きい数で一時的に現れたが、海洋の無脊椎動物の中で優勢であったのは、平均の大きさが7センチメートルから10センチメートル1種類は直径2.5メートルに達したものの、におよぶアンモナイトであった。海綿動物がいたるところにおり、また甲イカとカキの双方が進化し続けた。
110,000,000年前、海洋生物の可能性は、広がり続けていた。ウニは、この時代の際だつ変異の1つであった。カニ、大エビ、および現代の型の甲殻類が成熟した。チョウザメ型が、最初に現れ魚類に著しい変化が起きたが、陸の爬虫類の子孫である獰猛な海蛇は、まだ全ての海に横行しており、魚類全体の絶滅兆候を呈していた。
群を抜いて、これは、恐竜時代であり続けた。それらは海の侵食に先立つ時代の維持のために、2種類が水に入っていくほどまでに陸に氾濫していた。これらの海蛇は、進化の点では退化を呈している。いくつかの新種が前進している間、ある種は静止状態であり、また、他の種は元の状態へと逆に引き寄せられている。これが、これらの爬虫類の2つの型が陸を捨てたときに起きたことである。
海蛇は、その巨大な体の保護ができるほどの脳の大きさをもっていなかったので、時の経過とともに非常に不活溌になるほどの大きさにまで成長したので遂には滅びることとなった。これらの巨大な魚竜類の大多数は、10メートル以上の長さ、時には15メートルの長さになったという事実にもかかわらず、脳の重さは、60グラム足らずであった。海洋の鰐類も陸の爬虫類の型からの逆戻りであったが、海蛇とは異なり、これらの動物は、産卵のために常に陸に戻った。
2種類の恐竜が自己保存の空しい試みで水に移住した直後、他の2つの型は、陸上生活の激しい競争によって空へと追い立てられた。これらの飛ぶ翼竜は、その後の時代の本物の鳥の先祖ではなかった。それらは、空洞の骨の跳躍する恐竜から発展し、蝙蝠のような形の翼は、広げると6メートルから8メートルあった。これらの古代の飛ぶ爬虫類は、3メートルの長さに成長し、現代の蛇に非常に似た分離できる顎があった。これらの飛ぶ爬虫類は、当座は成功しているかに見えたが、航空操縦者としての生残を可能にする線に沿っての進化に失敗した。それらは、生存しない鳥の祖先の種を代表する。
この時代、最初に北米に出現した亀が、増大した。先祖は、北の地峡を経てアジアから来た。
1億年前、爬虫類の時代は、終わりに近づきつつあった。恐竜は、そのような巨体を養うに足る食物調達の知力を欠く、その途方もない質量に似合わず、愚か同然の動物であった。したがって、これらの動きののろい陸の爬虫類の死は増え続けた。進化は、今後、物のかさではなく、脳の成長に従うであろうし、脳の発達が、動物の進化と惑星の進歩の次の各時代を特徴づけるであろう。
爬虫類の絶頂と衰退の始まりを包含するこの時代は、およそ2千5百万年にわたり、ジュラ紀として知られている。
重要な白亜紀は、海で白亜を多産する有孔虫の支配にその名の由来がある。この期間ユランチアは、爬虫類の長い支配の終わり近くに至り、陸に顕花植物と鳥類を目撃する。また、これは、途方もない地殻変動と同時に生じる広範囲の溶岩流、および、頻繁な火山活動を伴う大陸の西と南寄りへの移動終了期でもあった。
前の地質時代の終わり近くには、まだ山頂はなかったが、広大な陸地の大部分は水上にあった。しかし、大陸の移動が続くにつれ、それは太平洋の深い底で最初の大きい障害にあった。地質学上の力は、アラスカからメキシコを経てホーン岬に延びる広大な南北の山脈全体の形成を促進した。
この時代は、このように地史上の現代の山の形成段階となる。この時代に先立っては、山頂はほとんどなく、幅広のもち上げられたにすぎない陸の尾根があった。その時、太平洋岸の一帯は、隆起し始めていたが、それは、現在の海岸線の数百キロメートル西に位置していた。金を含む水晶層は、この時代の溶岩流の産物であるシエラ山脈が、形成し始めていた。北米の東部地域においては、大西洋の圧力もまた、陸の隆起に一役を買っていた。
100,000,000年前、北米大陸とヨーロッパの一部は水面のかなり上にあった。アメリカ大陸の歪みは続き、南米のアンデス山脈の変形と北米西部の平野に緩やかな隆起をもたらした。メキシコの大半は、海下に沈み、南大西洋は、南米東海岸を浸し、最終的には現在の海岸線に達した。当時、大西洋とインド洋は、ほぼ現今の状態であった。
95,000,000年前、アメリカとヨーロッパの大陸は再び沈み始めた。大陸の2番目に大きい浸水を起こし、南方の海は、北米への侵入を開始し、北極海をつないで徐々に北方へと伸びていった。最終的にこの海が引くと、大陸をほぼ現在の状態にしていた。この大掛かりの浸水が始まる前、東アパラチア山脈の高地は、ほぼ水の位置にまで完全に侵食されていった。現在陶器製造に使用される多色の純粘土層は、その平均の厚みがおよそ600メートルであり、この時代に大西洋岸の地域に横たえられた。
火山の大活動は、アルプス山脈の南と現在のカリフォルニア海岸地域の山に沿って起こった。何百万年もにわたる地殻変動が、メキシコで起きた。大変化は、ヨーロッパ、ロシア、日本、南米の南部でも起こった。気候は、ますます変化に富んできた。
90,000,000年前、被子植物は、初期の白亜紀のこれらの海から現れ、すぐ大陸に蔓延した。これらの陸の植物は、イチジクの木、モクレン、ユリノキと共に突然出現した。この直後、イチジクやパンの木、それに椰子の木がヨーロッパ、および北米西部の平野を覆った。新しい陸生動物は何も現れなかった。
85,000,000年前、ベーリング海峡は閉じ、北海の冷たい水域を遮断した。その時点まで、大西洋とメキシコ湾水域の海洋生物と太平洋の海洋生物は、今は均一的になっている2つの水域の温度のばらつきが原因で大いに異なっていた。
この期間は、白亜と緑砂泥灰土の堆積物にちなんで名づけられた。粗悪な石炭、あるいは亜炭と共に、白亜、頁岩、砂岩、少量の石灰石から成るこの時代の堆積は多彩であり、多くの地域では油も含んでいる。これらの層は、ある場所においては60メートルから北米西部とヨーロッパの多くの地方においては3,000メートルとその厚みが異なる、。これらの堆積物は、ロッキー山脈の東の境界沿いの山麓の丘陵地帯に観測できるかもしれない。
世界中でこれらの層には白亜が浸透し、また、これらの多孔性の未完成の石の層は、逆さになった露頭で水を捕らえ地球の現在の乾燥地域の大部分の給水を提供するためにそれを下方へと搬送している。
80,000,000年前、地殻に大きな乱れが生じた。大陸移動の西への進出が停止状態になり、辺境の広大な陸地の緩やかな弾みからくる巨大なエネルギーは、北米と南米双方の太平洋の海岸線を上向きに歪め、アジアの太平洋岸に沿って重大な反作用による変化を起こした。現今の山脈となるこの環太平洋の陸の隆起は、4万キロメートル以上の長さである。その誕生に伴う隆起は、生物のユランチア出現以来の表面の最大の歪みであった。溶岩流は、地面の上下双方において大規模かつ広範囲にわたった。
75,000,000年前の大陸移動は終わりを示す。アラスカからホーン岬までの長い太平洋岸の山脈は、完成したが、まだ峰々はわずかしかなかった。
大陸移動停止の際の背面への突きは、北米西部平野の隆起を継続したが、東部では、大西洋岸地域の擦り減ったアパラチア山脈にはあまり傾きはなく、あるいは全然なく、真っ直ぐ上に突出していた。
70,000,000年前、最大の隆起に関わる地殻の歪みが、ロッキー山脈地域に起きた。ブリティッシュ・コロンビアの地表の24キロメートルの大きい岩石の断片は、突き上げ断層であった。ここではカンブリア紀の岩石が、白亜紀層の上で斜めに押し出されている。カナダ国境近くのロッキー山脈の東斜面には、別の壮観な突き上げがあった。ここでは、当時少し前に起きた白亜紀の堆積物の上に押し出された生命出現以前の石の層が、見つけられるかもしれない。
これは、多数の小さい孤立する火山円錐丘に隆起をもたらす世界中での火山活動時代であった。海中火山が、海面下のヒマラヤ領域に発生した。シベリアを含むアジアの他の大部分もまだ水面下にあった。
65,000,000年前、史上最大の溶岩流の1つが起こった。これらの沈澱物層と先行する溶岩流は、アメリカ全土、南北両アフリカ、オーストラリア、および一部のヨーロッパに見つけられる。
陸生動物にあまり変化はなかったのだが、より大きい大陸出現、特に北米出現により急速に増えた。北米は、ヨーロッパのほとんどが水面下にあったので、これらの時代の陸の動物の進化にとっての重大地域であった。
気候はまだ暖かく安定していた。北極地域は、北米の中央部と南部の現在の気候と非常に似た天候に恵まれていた。
大いなる植物進化が進行していた。陸生植物の中では、被子植物が優勢であり、ブナ、樺、樫、クルミ、スズカケノキ、カエデ、および現代の椰子を含む多くの今日の木が、まず出現した。果実、草、穀類は豊富であり、これらの種子をつける植物に植物界があるように、人の先祖には動物界があった。—種子性植物は、人間自身の出現を除く進化上での重要性においてひけをとらなかった。突然に、しかも前段階的変化なくして、顕花植物の大植生が変異した。そして、この新植物相はすぐに全世界を覆った。
60,000,000年前、陸の爬虫類は減少の途にあったが、恐竜は陸の王者として続いており、今や、小さ目の跳躍するカンガルー種による敏捷で活発な肉食性の恐竜が首位である。しかし、草食の新型の恐竜が、それ以前のある時点で現れており、その急速な増加は、陸生植物の草の種類の出現に起因した。これらの草食性の新恐竜の1つの型は、2本の角とケープのような肩に出縁のある真の四足獣であった。直径6メートルの陸型の亀が現れ、現代のワニと現代の型の本来の蛇も出現した。海洋生物の魚や他の種類の間にも大変化が起きていた。
歩いて渡ったり泳いだりする初期の鳥出現以前の生物は、空中で上首尾というわけではなかった。飛ぶ恐竜もそうではなかった。それらは、短命な種であり、ほどなく絶滅するところであった。それらもまた、体の大きさに比してあまりにも小さ過ぎる脳の中身であったので、恐竜の悲運、滅亡の対象であった。大気を航行できる動物を生産するこの2度目の試みは、この時代と前の時代の哺乳動物生産の失敗に終わった試み同様にしくじった。
55,000,000年前、本来の1番目の鳥、すべての鳥類の先祖である小さい鳩のような生物の突然の出現により進化の行進が印づけられた。これは、地球での3番目の型の飛ぶ生物であり、それは、同時代の飛ぶ恐竜からでもなく、歯をもつ初期の陸の鳥の型からきたのでもなく、直接爬虫類のような集団から生じた。そけでこれは、爬虫類の減退時代と同様に鳥の時代として知られるようになる。
長い白亜紀が終わりに近づきつつあり、その終わりが、海の大陸侵入の終わりを印す。これは殊に北米に当てはまり、そこでは、まさに24回の大洪水が起きた。その後小さ目の浸水があったが、これらのいずれも、これと前の時代の大規模で長期にわたる海洋の侵入には比べものにはならない。陸と海の支配のこれらの交互する期間は、百万年の周期で起きた。海洋床と大陸の地面の高さのこの隆起と沈下に関連する長年の律動があった。これらの同じ規則的地殻運動は、地球の歴史を通じ今後ずっと、頻度と範囲を減少させながらも続くであろう。
この期間はまた、大陸の終わりとユランチアの現代の山々の形成を目の当たりにする。だが、大陸塊の圧迫と長年の移動の阻止された勢いは、山岳形成における唯一の影響ではない。山脈の位置を決定する主要かつ基本的要素は、低地、あるいはトラフであり、それは、前の時代の陸の浸食や海底移動からの比較的軽い堆積物で埋められた。陸のより軽量の地域は、厚さ4,500メートルから6,000メートルに達することもあり、いかなる原因であろうとも地殻が圧力をうけるとき、地殻における、または地殻の下の活動からくる競ったり相反する力や圧力を補整的に調整するためにこれらのより軽い領域が、最初に潰れ折り重なり持ち上がる。ときとして陸のこれらの押し上げは、折り重なることなく起こる。しかし、ロッキー山脈の隆起に関しては、地下と地表双方における様々な層の巨大な押し付け圧とが相まった大仕掛けの折り重なりと傾きが起きた。
世界最古の山岳は、アジア、グリーンランド、北ヨーロッパの東西の古い山系の中に位置している。中間の時代の山岳は環太平洋群に、またほぼ同時期に生まれた2番目に古いヨーロッパの東西山系とにある。この巨大な隆起は、ヨーロッパから西インド諸島の高原に広がる長さ1.6万キロメートルほどである。ロッキー山脈系には最も若い山があり、そこでは、長い間、陸の盛り上がりは、より高い陸のいくつかは島として残りはしたものの、相次いで海に覆われるばかりであった。中間時代の山の形成に続き、本来の山の台地は持ち上げられ、次に、この台地は、自然の要素が結合された巧妙さで現在のロッキー山脈へと切り分けられる運命にあった。
現在の北米のロッキー山脈地帯は、陸の最初の隆起の高度ではない。その高度は、浸食によって平らにされ、次に再隆起して以来の長きにわたるものであった。現在の山脈の東側は、再度隆起した最初の連なりの名残りである。パイクスピークとロングスピークは、この山の2世代、あるいはそれ以上の生涯に及ぶ活動の顕著な例である。これらの2つの山は、前の何回かの洪水の間、水上に頭をとどめていた。
これは、地質学上、生物学上においても陸上と水面下での重大、かつ活発な時代であった。珊瑚とウミユリは減少したが、ウニは増加した。前の時代の優勢な顔役であったアンモナイトもまた急速に衰退した。陸上では、巨大なアカスギを含めて松と他の現代の樹木が、シダの森林に大きくとって替わった。有胎盤哺乳動物は、まだこの時代の終わりまでに進化はしていないが、生物学上の舞台が、その後の哺乳類の型の初期の始祖出現のために完全に備えられている。
初期の陸の動物出現から人類とその傍系種の直接の先祖のより最近の時代へと延長しながらの世界発展の長い時代は、このように終わるのである。これが、つまり5千万年にわたる白亜紀が、1億年の期間にまたがる中生代として知られる陸の生物の前哺乳類時代に終わりをもたらすのである。
[サタニアに配属され現在ユランチアで機能しているネバドンの生命搬送者による]
哺乳動物の時代は、有胎盤哺乳類の起源から最終氷期までの5千万年足らずに跨る。
この新生代の間の世界の景観は、魅力的な様—起伏ある丘、広大な渓谷、幅の広い川、巨大な森林—を呈した。。この時代パナマ地峡は、2回上下した。ベーリング海峡の地峡も同様に3回上下した。動物の型は、数多く、かつ多様であった。木には鳥が群がり、世界全体が、進化する動物種の優越性への絶え間ない闘争にもかかわらず、動物の楽園であった。
5千万年のこの5つの期間に蓄積された堆積物は、哺乳類の継続的支配の化石記録を有し、人間自身の実際の登場時代へとまっすぐに導いていく。
50,000,000年前、世界の陸地は、ごく一般的に水面上に、あるいはわずかに水没しているだけであった。この期間の形成と堆積物は、陸と海の双方であるが、主には陸である。陸は、かなりの期間、徐々に隆起したが、同時に、下方と海への押し流しがあった。
この時代の早期に、北米において、哺乳動物の胎盤型が突然現れ、それまでで最も重要な進化上の発展をなした。無胎盤哺乳動物の古い系列は存在したが、この新型は、恐竜の衰退時まで子孫が存続した以前からの爬虫類の先祖から直接、しかも突然生じた。有胎盤哺乳動物の父親は小さく、非常に活発で、肉食性の跳躍型の恐竜であった。
哺乳類の根本的本能が、これらの原始の哺乳類の型に現れ始めた。哺乳動物は、他の全ての動物の形態よりも夥しい生存利点を持っており次のようなことができる。
1. 比較的にしっかり成長し、よく発達した子孫を産む。
2. 情愛深い関心をもって子に食物を与え、育て、保護する。
3. 自己永続化において優れた知力を駆使する。
4. 敵から逃れる際に一層の機敏さを用いる。
5.環境の調整と適合に優れた知脳を用いる。
45,000,000年前、大陸の中心は、極めて広範囲にわたる海岸線の沈没を伴って隆起した。哺乳類の生命は、急速に発展していた。小さい爬虫類、産卵型の哺乳動物は栄え、後のカンガルーの先祖はオーストラリアを歩き回った。間もなく、小さい馬、足の速いサイ、鼻のあるバク、原始のブタ、リス、キツネザル、フクロネズミ、それに猿のような動物のいくつかの部族が存在した。それらのすべてが小さく、原始的であり、山岳地帯の森林の中に住むのに最も適していた。大きい駝鳥ような陸上の鳥は、3メートルの高さに発達し、23潦33センチメートル大の卵を産んだ。これらは、非常に知能の高い、かつては人間を空中輸送した巨大な乗用の鳥の先祖であった。
新生代前半の哺乳類は、陸上、水中、そして、木上に住んでいた。1対から11対までの乳房があり、すべてが相当量の毛で覆われていた。一連の二揃いの歯を発達させ、体に比べ比較的大きい脳を所有していた。しかし、それら全ての中には、現代の型は全然存在しなかった。
40,000,000年前、北半球の陸の部分が隆起を始め、溶岩流、歪曲、湖の形成、および浸食を含む新しく大規模な陸の堆積物と地球の他の活動がこれに続いた。
この時代の後半にヨーロッパのほとんどが水没した。わずかな陸の上昇の後、大陸は湖と湾に囲まれていた。海の島のように水上にあったアルプス山脈、カルパティア山脈、アペニン山脈、およびピレネー山脈高地が地中海をつないで当時北方に広げられたように、北極海は、ウラル川の窪みを通り抜け南に走った。パナマ地峡は水上にあった。大西洋と太平洋は切り離された。北米はアジアとはベーリング海峡の地峡で、ヨーロッパとはグリーンランドとアイスランド経由で繋がった。北緯地域の地球の輪は、ウラル海峡によってのみ壊された。その海峡は北極海を拡大された地中海とつないでいた。
多量の有孔虫石灰岩がヨーロッパの水域に堆積された。今日、この同じ石が、アルプスの3000メートル、ヒマラヤの4800メートル、チベットの6000メートルの高さに隆起している。この期間の石灰岩の堆積物は、アフリカとオーストラリアの海岸沿い、南米の西海岸、それに、西インド諸島周辺に見つけられる。
いわゆるこの始新世の期間中、哺乳類と他の同族の動物の進化はあまり、あるいは、全然中断されることなく続行した。北米は、当時、オーストラリアを除く全大陸と陸続きであり、世界には様々な型の原始の哺乳動物相がはばをきかせていた。
より進歩的な哺乳動物の形態がこれらの時代の間に進化し、この期間は有胎盤哺乳類の一層の、しかも、急速な発展によって特徴付けられた。
初期の有胎盤哺乳類は、肉食性の先祖に源を発するが、すぐ草食の種類が発達し、やがては雑食性の哺乳類も出現した。前の時代に現れた現代の植物と樹木の大部分を含む現代の陸の植物相である被子植物が、急速に増加する哺乳動物の主要な食物であった。
35,000,000年前、有胎盤哺乳類の世界優位の時代の始まりを呈する。南の地峡は、再度当時の巨大な南極大陸を南米、南アフリカとオーストラリアに接続して広範囲にわたっていた。高緯度での陸の集塊化にもかかわらず、世界の気候は、熱帯の海の拡大のために依然として比較的温和なままであり、また陸は、氷河を形成するほどには十分に隆起しなかった。大規模な溶岩流が、グリーンランドとアイスランドに起こり、これらの層の間にいくらかの石炭が堆積された。
惑星の動物相に著しい変化が生じていた。海の生物は、かなりの変化を経験していた。海の生物の現代の系列の大部分が存在しており、有孔虫は、引き続き重要な役割を果たした。昆虫は、前の時代のものに非常に類似していた。コロラドのフローリッサントの化石層は、これらの昔の時代の後期に属する。現存する昆虫類のほとんどはこの時代に遡るが、当時存在した多くが、化石は残存しているものの、今は絶滅している。
これは、陸においては支配的に哺乳類の刷新と拡大の時代であった。より早期の、 より原始の哺乳類の100種以上が、この時代終了前に消滅していた。小さい脳をもつ大型哺乳類でさえもすぐに滅びた。脳と機敏さが、動物生存の進化においては防護具と体の大きさとに取って替わった。恐竜類は減少状態にあり、哺乳類は、残りの爬虫類の先祖を速やかに完全に滅ぼしながらゆっくりと地球の支配を担っていた。
恐竜の消滅に伴い、トカゲ類の様々な分科においては別の、しかも大きい変化が起こった。初期の爬虫類の生き残りの顔ぶれは、亀、蛇、鰐であり、人間の初期の先祖で唯一残っている集団の代表である貴ぶべきカエルもその生き残りである。
様々な哺乳動物の集団は、今は絶滅した特異な動物に源を発する。この肉食性生物は、猫と海豹との雑種のなにかであった。それは陸上、もしくは水中で生きることができ、知能が高く、非常に活動的であった。ヨーロッパでは、犬類の先祖が進化し、やがて多種の小型犬をもたらした。ほぼ同時に、ビーバー、リス、地リス、ネズミ、およびウサギを含む物を噛る齧歯動物が現れ、すぐ、注目に値する型の生物となり、以来この種類での変化はあまりない。この時代の後の堆積物は、先祖の型での犬、猫、アライグマ、およびイタチの化石を有している。
30,000,000年前、現代の型の哺乳動物が出現し始めた。哺乳動物は、旧来山地型であり、大半を丘で生活していた。突然、爪を持つ肉食性とは区別されるものとして草食性の平原型、あるいは有蹄型の進化が始まった。これらの草食動物は、この時代終了前に滅ぶ5本の爪と44本の歯を持つ未分化型の先祖に端を発した。3本指の段階を超えての足指の発達は、この時代にはなかった。
際立つ進化の例である馬は、その発達が後の氷河期までに完全に終了したというわけではないが、これらの期間、北米とヨーロッパの両方で生きた。この時代の終わりにサイの種類が現れたのだが、それは、のちにその最大の発展をした。豚、ペッカリー、およびカバの多くの種の先祖になる小さな豚のような生物も発達した。ラクダとラマは、この期の中盤に北米にその起源をとり、西部の平原に繁殖した。後にラマが南米、ラクダがヨーロッパへと移動し、少数のラクダは氷河期まで生き残りはしたものの、すぐ双方とも北米で絶滅した。
およそこの頃注目に値するものが北米の西側に現れた。古代のキツネザルの初期の先祖が最初に出現した。この科を本来のキツネザルと見なすことはできないが、それらの到来が、本来のキツネザルが後に出現する系列の体制を印づけた。
海へ向かった前の時代の陸の蛇のように、今度は、有胎盤哺乳動物の全部族が陸を放棄し住居をその海に取った。そして、以来ずっと海に留まり、現代のクジラ、イルカ、ネズミイルカ、アザラシ、アシカをもたらした。
惑星の鳥の生物は、発達し続けたが、進化の重要な変化はあまりなかった。鴎、鷺、フラミンゴ、ハゲタカ、鷹、鷲、梟、鶉、および駝鳥を含む、現代の鳥の大部分が存在した。
千万年におよぶこの漸新世の終期までには海洋生物や陸生動物と共に、植物が、極めて大がかりな進化をし、多くがほとんど今日のようであった。次にかなりの分化が起こったが、ほとんどの生き物の先祖の型が、その時生存していた。
陸の隆起と海の分離はゆっくり世界の気象を変えており、徐々にそれを冷やしていたが、気候は、まだ温和であった。セコイアと木蓮はグリーンランドに成育したが、亜熱帯植物は南方に移動し始めていた。この期の終わりまでには、これらの温暖気候の植物と木は、主として北半球地方から姿を消しており、より多くの頑丈な植物や落葉樹がそれらに取って替わった。
草の種類は非常に増加し、多くの哺乳類の種の歯は、現代の牧草型に順じるよう徐々に様変わりをした。
25,000,000年前、長い間の陸の隆起時代に続くわずかな陸の潜水があった。ロッキー山脈地帯は、高く持ち上がった状態にあり、浸食の堆積物質は、低地を東へと延びていった。シエラ山脈はかなり再隆起した。実際、それは以来ずっと上昇している。カリフォルニア地域の6.5キロメートルの巨大な垂直断層はこの時から始まる。
20,000,000年前は、実に哺乳動物の最盛期であった。ベーリング海峡の地峡が上がり、4本牙のマストドン、短足の犀、および多種類の猫科を含む多くの動物の群れがアジアから北米に渡った。
最初の鹿が現れ、北米では、まもなく反芻動物—鹿, 牛, 駱駝, バッファロー, および幾つかの犀の種類—が、繁殖したが、高さ2メートル近くの巨大な豚は絶滅した。
大きい脳だけでなく巨体を有するこの時代とその次の時代の巨大な象が、やがてオーストラリアを除く全世界を占領した。その時ばかりは、それを維持できるに十分な大きさの能を持つ巨大な動物によって世界が支配された。大きく優れた質の脳を所有していなかったならば、これらの時代の非常に知能の高い動物に阻まれ、象の大きさのいかなる動物も生き残れなかったであろう。象には、知能と適合においてただ馬だけがほぼ同等であり、人間のみが、それらに勝るのである。それでも、この時代の始まりに現存した50種の象のうち2種類だけが生き残った。
15,000,000年前、ユーラシアの山岳地域は上昇しており、これらの地域では幾らかの火山活動があったが、西半球の溶岩流に匹敵するようなものではなかった。この不安定状態が、世界中に訪れていた。
ジブラルタル海峡が閉じ、山頂と高地が島としてこの古代の海上に現れ、スペインは、古い地峡によってアフリカに接続されたが、地中海は、フランスに達する細長い水路経由で大西洋へと流入した。後にこれらヨーロッパの海は、後退し始めた。そのまた後に、地中海は、インド洋につなげられ、この時代の終末にはスエズ地域が隆起し、地中海は、一時内陸の塩海になった。
アイスランド地峡は水没し、北極水域は大西洋の水域と混ざり合わさった。北米の大西洋岸は急速に冷えたが、太平洋岸は現在よりも暖かいままであった。今日のように大きな海流は、役目を果たしており、また気候にも影響を与えた。
哺乳動物は、発展し続けた。馬の巨大な群れは、北米の西の平野でラクダに合流した。実に、これは馬と象の時代であった。馬の脳は、動物性で象の脳に次ぐものであるが、それは1点において明らかに劣っている。怯えると馬は、強い逃走癖を決して完全に克服しないという理由において。馬は象がもつ感情制御力を欠くが、象は大きさと機敏さの無さから大いに不利な立場にある。この期間、動物は、象と馬の両者に似た進化をしたが、間もなく急速に増加する猫科に滅ぼされた。
ユランチアがいわゆる「馬のない時代」に入るつつあるとき、人は、しばらく立ち止まり、この動物が人間の先祖にとっての意味を熟考すべきである。人は最初に、食料のために、それから旅のために、後には農業と戦争において馬を利用した。馬は、長い間人類に役立ち、人間の文明の発展において重要な役割を演じた。
この期間の生物の発展は、その後の人の出現のための舞台設定に向けて貢献した。中央アジアでは、共通の先祖を持つ原始の猿とゴリラの両方の本来の型が、進化し、現在は消滅している。しかし、これらのいずれの種も、後に人類の先祖になる生物種には関係していない。
犬の種類は、いくつかの群れ、とりわけ狼と狐に代表された。猫の種類は、豹と大きな剣歯をもつ虎に代表され、後者は最初に北米で進化した。現代の猫と犬の種類が世界中で数を増やした。イタチ、テン、カワウソ、アライグマは、北半球で繁殖し発展した。
鳥は、わずかの変化しかしなかったものの、進化し続けた。爬虫類は、現代の型—蛇、わに、および亀—と同様であった。
こうして世界の歴史の誠に波瀾万丈の、また興味深い期間の終わりに近づいた。この象と馬の時代は、中新世として知られている。
これは北米、ヨーロッパ、それにアジアの氷河期前の陸の上昇期である。陸は地形上大いに変更された。山脈が生まれ、流れはその進路を変え、孤立する火山が世界中で爆発した。
10,000,000年前、大陸の低地での広範囲にわたる局部的な陸の堆積物時代が始まり、これらの堆積の大部分は後に移動した。このときイギリスの一部、ベルギー、フランスをふくむヨーロッパの大半は、まだ水中にあり、地中海は、北アフリカの大部分を覆っていた。北米では大規模の堆積が、山麓、湖中、広大な陸の盆地で起きた。平均60メートルほどのこれらの堆積は、多少着色しており、化石は稀である。2つの大きな淡水湖が北米の西部にあった。シエラ山脈は隆起しつつあった。シャスタ、フッド、レーニアは、それぞれの山の経歴に入っていた。しかし、北米は、後の氷河期まで大西洋の降下に向けてのその忍び寄りを開始しなかった。
短い間に世界の全陸地は、オーストラリアを除き再び繋合され、世界規模の最後の大掛かりな動物移動があった。北米は南米、アジア双方につなげられ、そこでは動物の自由な往来があった。アジア産のナマケモノ、アルマジロ、カモシカ、クマが北米に入り、北米のラクダは中国に行った。サイは、オーストラリアと南米を除く全世界に移動したが、この時代の終わりまでには西半球で滅びていた。
概して前の時代の動物は、引続き進化し拡散していった。猫科が動物の生態を支配し、海の生物はほぼ行き詰まっていた。馬の多くはまだ3つ指であったが、現代の型が登場しつつあった。ラマとキリンのような駱駝が、牧草地帯の馬と入り交じった。今とちょうど同じ長さの首を持つキリンがアフリカに現れた。南米では、ナマケモノ、アルマジロ、アリクイ、そして原始の猿の南米型が発展した。大陸の最終的隔離前、それらの大規模な動物、マストドンが、オーストラリアを除く至る場所に移動した。
5,000,000年前、馬は現在のように進化し、北米から全世界に移動した。しかし、赤色人種到着のずっと以前に、馬はその出身大陸において絶滅してしまった。
気候は徐々に涼しくなっていた。陸の植物は、ゆっくり南方に移動していた。北の地峡への動物の移動を初めて止めたのは、北部地方での寒冷化であった。これらの北米の地橋は、後に落ちた。その直後、アフリカと南米との陸の接続部は遂に水中に没し、西半球は今日のように隔離された。この時から、異なる生物の型の展開が東半球と西半球で始まった。
ほぼ1000万年持続したこの時代は、このようにして終わりに近づいたが、人間の先祖は、いまだに出現していなかった。これが、通常は、鮮新世として示される時代である。
前期の終了までには北米の北東部と北欧の陸が、広範囲にわたる規模で高く隆起し、北米では広大な地域が9千メートル以上上昇した。かつての温和な気候は、これらの北方領域を覆っており、北極水域は、すべてが蒸発できる状態にあり、それらは皆、ほぼ氷河期の最終まで不凍結のままであった。
これらの陸の隆起と同時に海流が変わり、季節風がその方向を変えた。これらの情況は、やがて北の高地を越えるかなりの空気の飽和状態の移動によりほぼ一定の降水量を形成した。雪が、隆起しそのために冷えたこれらの領域に降り、それが6百メートルの深さに達するまで続いた。雪が最も深い領域は、高度と相まってその後の氷河の圧流の中心点を決定した。氷河期は、この過度の降水量が、固体だが、這う氷と化したこの巨大な雪のマントでこれらの北の高地を覆い続ける限り持続した。
この期間の巨大な氷床のすべては、今日見ある山岳地帯にではなく、隆起した高地に位置していた。氷河の氷の半分が北米に、1/4がユーラシアに、そして1/4が他の場所に、主に南極大陸にあった。アフリカは、氷にはあまり影響されなかったが、オーストラリアは、ほとんどが南極の氷の毛布に覆われていた。
この世界の北の領域は、個々の氷床活動に関わる何十回もの前進と後退はあったものの、6回におよぶ、しかも明らかな氷の侵入を経験した。北米の氷は2個所の、後には3個所の中心地に集まった。グリーンランドは覆われ、アイスランドは氷流れの下に完全に埋められた。氷は、南英海岸を除くヨーロッパでは、個々別々の時代にイギリス諸島を覆い、西ヨーロッパからフランスへと広がっていった。
2,000,000年前、北米の最初の氷河が、南への進行を始めた。氷河期は、目下進行中であり、この氷河は、北の圧力の中心からの前進におよそ百万年を費やした。中央の氷床は、遠くはカンザスまで南へと広がった。東側と西側の氷の中心は、当時それ程大規模ではなかった。
1,500,00年前、最初の巨大な氷河が北方に後退していた。そうしているうちにも、膨大な量の雪が、グリーンランドと北米の北東部に降り続けており、やがてこの東側の氷の固まりが南へと流れ始めた。これが2度目の氷の侵入であった。
この最初の2度の氷の侵入は、ユーラシアでは大規模ではなかった。これらの初期の氷河期に、北米は、マストドン、毛深いマンモス、馬、駱駝、鹿、ジャコウ牛、バッファロー、地上生のナマケモノ、巨大なビーバー、剣歯虎、象の大きさのナマケモノ、それに犬猫類の多くの種が繁殖した。しかし、それらは、氷河期の寒冷化によりこの時から急速に減少した。こうした動物の大部分は、氷河期の終わりに向かい北米において消滅した。
氷から遠い世界の水陸の生物にはあまり変化はなかった。氷の侵入の間、気候は、現在とほぼ同程度に温和であった。ことによると少し暖かめであった。氷河は、途方もない領域を覆って広がりはしたものの、結局は局地的現象であった。沿岸の気候は、氷河の無活動の時期と巨大な氷山の時期、つまりメイン州の海岸沖から大西洋へと滑り落ち、ピュージェット湾から太平洋へとすり抜け、またノルウェーのフィヨルドから北海へと轟音を立てていった巨大な氷山のそのような時期とは大いに異なった。
この氷河期の大きな出来事は、原始人の進化であった。黎明の哺乳動物が、アジアへ移住した北米のキツネザルの古い型の子孫の中に、インドのわずか西方の、現在は水中にある陸地に突然現れた。これらの小動物は、たいていは後足歩行であり、体の大きさ、また他の動物の脳と比較して割に大きい脳を所有していた。この生物体系の70世代目に、新たなより高度の動物集団が突如として分化した。3番目の極めて重要な変異の霊長類が、確固たる地歩を固めるや否や、これらの新たな中間哺乳類—その先祖のほぼ2倍背格好で、しかも知力に比例して増大した脳を持つ—が、突然現れた。(この同じ時に、中間哺乳類の系統の中での退化が、類人猿の祖先の起始となった。ヒト科は、その時代から今日に至るまで、進歩的発展により進んできており、一方真猿類は静止のまま、あるいは実際には退歩してきた。)
1,000,000年前、ユランチアは棲息界として登録された。進化している霊長類の集団の変異が、突然2人の原始人、実際の人類の先祖をもたらした。
この出来事は、3番目の氷河前進のほぼ開始時期に起きた。それゆえ初期の人間の先祖が、刺激的で元活気づけるような、しかも困難な環境に生育したのがわかるかもしれない。これらのユランチアの原住民、つまりエスキモーは、唯一の生存者であり、今でも極寒の北の気候の中に住むのを好む。
人間は、氷河期末近くまで西半球には存在しなかった。それらは、間氷期に地中海周辺を西側へと通過し、やがてヨーロッパ大陸を覆った。前進し後退する後の氷河時代にこれらの領域に人が住んでいたことを示す熱帯と北極の両方の動物の残骸が入り混ざって、西欧の洞窟の中に人骨が見つけられるかもしれない。
他の活動は、氷河期のあいだ進行中であったが、氷の活動が、北半球の他のすべての現象に影を投げかける。地球の他のいかなる活動も地形に関するそのような特徴的形跡を残してはいない。特有の岩石や表面の亀裂、すなわち窪み、湖、置換された石、および岩粉などは、他の何の自然現象には見られないのである。氷はまた、穏やかな膨らみ、つまり氷堆丘として知られる表面起伏を引き起こす。氷河は、進みつつ、川を動かし地球の全表面を変える。氷河だけが、隠しきれない標積物—底堆石、側堆石、末端堆石—を背後に残す。これらの標積物、特に底堆石は、北米の東海岸から北と西方向へと達しており、またヨーロッパとシベリアで見られる。
750,000年前、4番目の氷床、すなわち北米の中央と東の氷原の結合が、その南への道をかなり進んでいた。その最高期には、ミシシッピー川を80キロメートル西にずらせイリノイ州南部に達し、東部では遠くはオハイオ川と中央ペンシルヴァニアにまで南へと広げていった。
アジアではシベリアの氷床がその最南の侵入を果たし、一方ヨーロッパでは前進中の氷が、アルプス山脈の山の障害物のほんの少し手前で止まった。
500,000年前、人間の進化過程は、5番目の氷の前進期に拍車がかかった。突然、しかも1世代で原住の人間の集団から有色の6人種に変異した。これは、惑星王子の到来を印しもするので、二重に重要な時代である。
前進する5番目の氷河が、北米では3つの氷のすべての中心による結合的侵入から構成された。しかしながら東側の突出部は、セントローレンス川の谷間の下方のほんの短い距離を伸ばし、西側の氷床は、南への進出をほとんどしなかった。しかし、中央の突出部は、南に延びアイオワ州の大部分を覆った。ヨーロッパでの氷のこの侵入は、前のものほど大規模ではなかった。
250,000年前、6番目の最後の氷河作用が始まった。これは、北の高原地方がわずかに沈み始めたという事実にもかかわらず、北の氷原での最大の雪の堆積時代であった。
3面の大きな氷床が1つの巨大な氷塊へと合体し、西方の山々すべてがこの氷河活動に加わった。北米での全ての氷の侵入ではこれが最大であった。氷は、その圧力の中心から2千4百キロメートル以上南に移動し、北米は最低温度を経験した。
200,000年前、最後の氷河の前進中、ユランチアの事象の進行と関係深い出来事—ルーキフェレーンスの反逆—が起きた。
150,00年前、6番目の最後の氷河は、西の氷床がわずかにカナダの境界を越え、中央の氷床がカンザス州、ミズーリ州、イリノイ州へ到来し、東の氷床が南に進み、ペンシルヴァニア州とオハイオ州の大部分を覆い、南の延長線上の最遠地点に達した。
これが、今日の大小の湖を切り出した多くの舌、と言うか氷の耳たぶを放った氷河である。北米の五大湖の水系は、その後退時に形成された。ユランチアの地質学者は、この様々な発展段階をじつに正確に推論したし、これらの水域が、まず最初にミシシッピー渓谷へ、次にハドソ渓谷へと東方へ、最後に北の経路でセントローレンスへと異なる時代に実際に注ぎ込んだのを正しく推量した。五大湖の水系が、現在のナイアガラ水路に沿って注ぎ始めて以来3万7千年である。
100,000年前、広大な極地の氷床は、最後の氷河の後退期に形成し始め、氷の堆積の中心は、かなり北方に移動した。そしてもう1度氷河の時代が起こる可能性は、来るべき陸の上昇、あるいは海流の変更にかかわらず、極地が氷で覆われ続けている限りほとんどないのである。
この最後の氷河は、10万年間の前進であり、その北への後退を終了するには同様の時間の長さを必要とした。温暖地方においては5万年以上氷とは無関係である。
厳しい氷河期は、多くの種を破壊し数多の他種を根本的に変えた。多くが、前進したり後退する氷がもたらしたあちこちへの必然の移動により痛ましほどに篩いに掛けられた。氷河を追って陸上のあちらこちらに行った動物は、クマ、バッファロー、トナカイ、ジャコウ牛、マンモス、マストドンであった。
マンモスは広々とした大草原を求めたが、マストドンは森林の保護された周辺を好んだ。マンモスは、比較的後の時代までメキシコからカナダに移動した。シベリアの種類は、毛に覆わるようになった。マストドンは、白人が後にバッファローを全滅させたように、多くが赤色人種に撲滅されるまで北米に居続けた。
北米では最後の氷河作用の間、馬、バク、ラマ、剣歯虎が消滅し始めた。それらに代わり、ナマケモノ、アルマジロ、カピバラが、南米から上って来た。
生物の強制的移動は、前進する氷を前に植物と動物の途轍もない混合へと導き、また動植物の両方の多くの北極種は、最終的な氷の侵入の後退とともに、特定の山頂高くにとり残され、氷河による絶滅から逃がれるための旅をした。それゆえ、これらの動植物が、今日ヨーロッパのアルプス山脈上や北米のアパラチア山脈上でさえ見られるかもしれない。
氷河期は、2百万年の長さのいわゆる更新世と呼ばれる最後の地質完成期である。
35,000年前、惑星の極地におけるものを除いては、巨大な氷河期の終了を印す。この年代は、物質の息子、物質の娘の到着、またアダームの配剤期の始まり、つまり概略的に当てはまる完新世、または氷河期後代の始まりに接近している点も特筆される。
この物語は、哺乳動物の始まりから氷の後退まで、それに続く歴史的時代にまで広がるおよそ5千万年にわたる。これは、最後—現在—の地質学の期間であり、地球の研究者には新生代、または近世の時代として知られている。
[居留生命搬送者に後援による]
およそ百万年前、人類の直接の先祖が、有胎盤哺乳類であるキツネザル型の初期集団に由来する連続3回の、しかも突然の変異によって出現した。この初期のキツネザルの優勢要因は、西の、または後のアメリカの進化している生物の原形質に由来した。しかし、この系統は、人間の祖先の直系確立前に、アフリカで進化した中心的生物の着床からの貢献により補強された。東側の生物集団は、人類の実際の生産にはほとんど寄与していない。
その子孫が現在まで生き残ってきた人類の祖先に関係がある初期のキツネザルは、当時、ユーラシアと北アフリカに住んでおり、テナガザルとサルの仲間とは直接には関係がなかった。それらは、ずっと以前に消滅した両者の共通の先祖に由来するが、いずれも近代の型のキツネザルの子孫ではなかった。
これらの初期のキツネザルの西半球での進化中、人類の哺乳類の直系祖先の確立は、南西アジアにおいて、主要な生物の着床の元の領域で、ただし東の領域の境界で行われた。北米型キツネザルは、数百万年前ベーリング地峡を西へと移動し、そして南西寄りにアジアの海岸沿いにゆっくりと進んだ。これらの移動部族は、ついには当時拡大された地中海とインド半島にある隆起中の山岳地帯に横たわる健康によい地方に到達した。人類の祖先は、インドの西のこれらの土地で他の、好ましい種と結合し、こうして人類の祖先を確立した。
時の経過とともにインドの山の南西の海岸は、徐々に水中に沈み、この領域の生物を完全に隔離した。北への道を除きいては、このメソポタミア、またはペルシア半島へ接近する、またはそこから逃れる道もなく、それは、氷河の南への侵入により繰り返し断ち切られた。このキツネザル型の哺乳動物の優れた子孫から2種の群れが、現代の類人猿と現代の人類の種族が出現したのは、ほぼ天国のような当時のこの領域においてであった。
百万年余り前、メソポタミアの最初の哺乳類、北米のキツネザル型の有胎盤哺乳類の直系子孫が、突然現れた。それらは、身長1メートル足らずの活発な小さい生き物であった。常に後足歩行ではなかったが、容易に直立でいることができた。毛深くて、敏捷であり、猿のような格好でしゃべるが、類人猿とは異なり、肉食性であった。非常に役立つ握ることのできる足の親指だけでなく、原始の対向性の親指をもっていた。人類出現以前の種族は、これ以降足の親指の握力を次第に失いはしたが、引続き対向の親指を進化させた。後の猿類は掴むことのできる足の親指を保有したが、決して人間の型の親指を進化させたのではなかった。
これらの黎明期の哺乳動物は、3、4歳にして完全な成長にいたり、平均しておよそ20年の可能な寿命があった。子供は、時おり双子がいたが、原則として一匹ずつ生まれた。
この新種の顔ぶれは、以前地球に存在したどんな動物よりも体格に比して大きい脳を持っていた。それらは、非常に好奇心が強く、いかなる活動の成功時にもかなり意気揚々として、後に原始人に特徴的であった多くの感情を経験し、多くの本能をもちあわせていた。飢餓と性欲が高度に発達し、また粗雑な求愛と相手選びの形態において確かな性行為の相手の選択が明らかであった。恥と後悔に近似する謙遜の感覚を持ち、血縁関係の防御においては猛然と戦い、家族の繋がりにおいてはとても情け深かった。非常に情愛深く、いじらしいほどに仲間に忠誠であったが、情況がそれらを切り離したとしたならば、新しい相手を選んだであったろう。
それらは、身長が低く、森林生息地の危険性に気づく鋭い知力をもっていたことから並はずれた恐怖を持つようになり、それが、地面生活の多くの危険性排除のために高い梢に粗雑な避難所をつくるといった賢明な予防措置に導き、生存にこのうえなく貢献したのであった。人類の恐怖の傾向の始まりは、具体的にはその時代に遡る。
これらの黎明の哺乳類は、これまでに示してきた以上の部族精神を発達させた。誠にきわめて社交的であるにもかかわらず、ありきたりの生活の通常行為において多少なりとも妨害されると非常に好戦的であり、怒りの感情を十分に刺激されると激しい気性を呈した。しかしながらその喧嘩早い性質は、良い結果をもたらした。優れた集団は、劣る隣人を襲うことをためらわず、その結果、種は、選択的生存により次第に改良された。彼らは、まもなくこの領域のより小さい生物の生活を支配し、そして極めてわずかの初期の非肉食性の猿に似た部族が生き残った。
こうした攻撃的な小動物が繁殖し、千年以上も体格と一般的知能を絶えず向上させながらメソポタミア半島全域に広がった。次の画期的な進展—ユランチアの人間の進化における突然の先祖の分化の次なる重大な一歩—があったのは、この新部族がキツネザルの先祖の最高度の型から生まれてちょうど70世代後であった。
黎明の哺乳動物の歴史の初期、これらの敏捷な生物の中の優れた夫婦の梢の住まいで雌雄1匹ずつの双子が生まれた。その先祖に比べ、誠に均整の取れた小さい生き物であった。体毛はほとんどなかったが、暖かく安定した気候の中に生きていたので、これは障害ではなかった。
子供達は、背丈が1.2メートルを超えるほどに育った。長めの脚と短かめの腕を持ち両親よりもあらゆる面で大きかった。ほぼ完全に向かい合う親指をもち、現在の人間の親指のようにほとんどの様々な仕事によく適合していた。また後の人類が歩くに似つかわしいような足をもち、直立歩行をした。
その脳は、人間のものより劣り小さくはあったが、その先祖のものよりもはるかに優れ、比較してはるかに大きかった。双子は、早くから優れた知能を示し、全黎明哺乳動物の部族の代表として認められ、実際に原始の社会的組織の型と原始的経済上の分業を始めた。このきょうだいは、交尾をし、やがて全員が1.2メートル以上で、あらゆる点で先祖の種よりも優れた自分たちに非常に似た21人の子供の集団社会を経験した。この新集団は、中期哺乳動物の核を形成した。
この新しく優れた集団の構成員が増大すると、争い、間断のない争い、が起きた。ひどい争いが終わったとき、先存の、先祖にあたる黎明哺乳動物の種族は、一匹も生存しなかった。少数だが、より強力で知能の高い種の分派が、その先祖を犠牲にして生き残った。
そして今、およそ1万5千年間、(600世代)、この生物は、世界のこの地域の恐怖となった。先の時代の大きく獰猛な動物のすべてが滅亡した。これらの領域生まれの大きい獣類は、肉食性ではなく、猫科に属するライオンや虎のより大きい種は、まだ地球の表面のこの格別に保護された一隅には侵入していなかった。それ故、これらの中間哺乳動物は、しだいに勇敢になり、創造の全体を支配した。
中期哺乳動物は、先祖の種と比較しあらゆる面で改善されていた。見込める寿命でさえおよそ25年であり、より長かった。人間の基礎的特徴が、多くこの新種に現れた。これらの中期哺乳動物は、先祖によって示された生来の傾向に加えてある種の反発的状況において嫌悪感を表すことができた。それらは、明確な貯蔵本能をも所有していた。後の利用のために食物を隠し、攻防の手段に適する滑らかな丸い小石と丸い石をとても上手に収集する習性があった。
これらの中期哺乳動物は、競争して梢の住まいと多くの横穴をもつ地下の避難所の両方の建造において示されるように明らかな建造性向をもつ最初の動物であった。樹上と地下の両方の住まいでの身の安全に備えた哺乳動物の最初の種であった。昼間は地面で暮らし、夜は梢で眠り、住まいの場所としての木をほとんど捨てた。
数的な自然増加が、時の経過につれ最終的には容易ならない食物競争と性の対立関係をもたらし、もう少しで全体種を滅ぶするほどの一連の共倒れの闘争に至った。これらの戦いは、生残が100匹足らずの1集団に追い込まれるまで続いた。しかし、平和はもう一度行き渡り、この一つの生存種族は、新たにその梢の寝所をつくり、もう一度正常かつ半平和的な生活を再開した。
人類出現以前の先祖が、いかなる僅差で時々絶滅を免れたかは人にはとても分からない。全人類の先祖のカエルが、ある時5センチメートル短く跳んでいたならば、進化の全過程は、著しく変えられていたことであろう。キツネザルに似た黎明哺乳類の直接の母は、新しくより高等の哺乳類の系列の父親を生む前に、間一髪で少なくとも5回は死から逃れた。しかし間一髪の中の間一髪の危機からの脱出は、霊長類の双子の未来の母が眠っていた木を、稲妻が襲った時であった。これらの中期の哺乳動物の両親双方が、痛烈に衝撃を受けひどい火傷を負った。7匹の子供のうち3匹が、空からのこの電光で死んだ。進化のこれらの動物は、相当に迷信深かった。梢の棲家が襲われたこの一対は、実は中期哺乳類のより進歩的な集団の指導者であった。そして、その一対の例に倣い、より知能の優れた家族をもつ部族の半分以上が、この場所から3キロメートル以上離れたところに移動し、梢の新しい住まいと地面の新避難所—突然の危機に際しての一時的避難所—の工事にとりかかった。
この一対は、つまり多難の老練者たちは、家の完成直後、人類出現以前の進化で重大な次の段階をもつ霊長類の新種の1番目であり、それまでに世界に生まれた最も興味深く重要な動物の双子の誇らしい両親となった。
これらの霊長類の双子の誕生と同時代に、別の一対—中期哺乳類の異様に知能の遅れた雌雄、知的にも肉体的にも劣る一対—もまた双子を生んだ。これらの双子は、つまり雄と雌は、征服には無頓着であった。食物入手だけに関心をもち、肉を食べようとしなかったので、やがて獲物探しへの興味を失った。これらの発達の遅い双子が、現代の類人猿の種族の始祖となった。これらの子孫は、温和な気候と熱帯の果実のあるより暖かい南の領域を探し、初期のテナガザルやサルの型と交尾し、その結果大いに劣化したそれらの分派を除く物達は、そこで当時のまま存続した。
したがって人とサルは、中期哺乳動物、つまり劣勢の対は、猿、ヒヒ、チンパンジー、およびゴリラの現代の型を産むように運命づけられ、優勢の対は、進化の上昇線を人自身へと続けるように運命づけられた2組の双子の同時誕生とその後の隔離が生じた種族から出現したということにだけ関係があるということが容易にわかるかもしれない。
現代の人間と猿は、同じ両親からではなく、同じから種族と種に端を発した。人の祖先は、この中期哺乳動物の種族の淘汰された生存者のうちの優れた系統の流れをくんでいるのに反して、現代の類人猿(キツネザル、テナガザル、サル、および他の猿のような生物の存在以前の型を除く)は、この中期哺乳動物集団の最も劣った一対の、部族の最後の激しい闘争の間2週間以上も地下の食物格納の避難場所に身を隠して生き残り、すなわち、戦争行為終了後にやっと現れた一対の、子孫である。
中期哺乳動物の種族の主だった2匹に、1匹の雄と1匹の雌の優れた双子の誕生に戻ろう。これらの動物の赤ん坊は、珍しい系列のものであった。体毛は両親よりもまだ少なく、まだ幼いときには垂直に歩くと言い張った。その先祖は、ずっと後足歩行を身につけてきたが、この霊長類の双子は、始めから直立した。身長は1.5メートル余りに達し、頭は種族の他のものと比較して太めになった。合図や音の手段での早くから相互伝達を身につけたが、仲間にはこれらの新しい表象を決して理解させることはできなかった。
2匹は、14歳ほどのときに種族から逃がれ、自らの家族を育て、霊長類の新種を樹立するために西へ行った。この新生物は、人間の部族そのものの直系かつ現下の動物の先祖であったのでまことに適切に霊長類と命名されている。
こうして霊長類は、知能が劣りしかも近縁である種族が、半島の先端部と東の海岸線で生活をする一方で、当時南海に突出していたメソポタミア半島の西海岸地域を占めることとなった。
霊長類は、中期哺乳動物の先祖よりもより人間に近く動物からは遠かった。この新種の骨格の比率は、原始の人類のものに非常に似通っていた。人間型の四肢は完全に発達し、歩くことができ、後の時代のどの人間の子孫と同様に走ることさえできた。霊長類は、初期の先祖同様非常に恐怖に陥り易かったので夜は安全対策として梢に頼り続けはしたものの、木の生活はおおむね見限った。より一層の手の使用は、本来備わっている知能発達のための多くのことをしたが、まだ本当に人間と呼ぶほどの心を持ってはいなかった。
霊長類は、感情的な性向において先祖とはあまり異なっておらず、その性向のすべてが人間の傾向をより一層示していた。10歳で成熟し、およそ40年の自然の寿命を持つ、真にすばらしく優れた動物であった。もし自然な死を遂げたならば、すなわち、それほど長い間生きたかもしれないが、自然死を遂げる動物は、その初期の時代ほとんどいなかった。生存のための戦いはいかにも激し過ぎた。
そして今、霊長類は、およそ9百世代の進化の後に、黎明の哺乳動物の起源からおよそ2万1千年にわたり、突如として2個体の注目すべき生物、最初の真の人間を生んだ。
こうして北米のキツネザルの型に端を発し、中期哺乳動物に起源を与え、代わってこれらの中期哺乳動物が原始の人類のじかの先祖となる優れた霊長類を生み出したものこそが、黎明哺乳類であった。霊長類は、人種の進化における最後の重大な繋がりであったが、これらの並はずれた種族のうちの一個体として5千年足らずのうちに消えたのであった。
西暦1934年から最初の2人の人間の誕生までは正確には99万3,419年である。
注目に値いするこれらの2個体の生物は、真の人間であった。それらは、先祖の多くのように、現代の人類と変わらない完全な足をもち、完全な人間の親指をもっていた。それらは、足の親指の握る機能を欠く、完全に欠く、木登りするものではなく、歩行者であり走者であった。それらは、危険に際し梢に追い立てられると時は、まるで現代の人間が登るように登った。枝から枝へ移動するチンパンジーかゴリラのようにではなく、クマのように木の幹に登ったのであった。
これらの最初の人間(そして、その子孫)は、12歳で完全に成育し、およそ75年間の可能な寿命があった。
新たな多くの感情が、人間のこれらの双子に早く現れた。物と他の生き物の両方への感心を経験し、少なからぬ虚栄を示した。しかし感情の発達で最も顕著な進歩は、本当に一連の人間の新たな感情、一連の信心深さ、畏敬を抱くこと、崇敬、謙遜、さらに原始の謝意の形態さえの突然の出現であった。恐怖は、自然現象への無知と合わさった恐怖は、まさに原始の宗教を生みだそうとするところである。
これらの原始人は、そのような人間の気持ちばかりではなく、高度に発達した多くの感情も初歩的な型で持っていた。また、著しい嫉妬の気持ちに影響されやすく、適度に哀れみ、恥、および非難を知り、また愛、憎しみ、報復を鋭く意識した。
これらの最初の2人の人間—双子—は、霊長類の両親にとりかなりの試練であった。双子は、非常に好奇心が強く、大胆であったので、8歳前に、幾度となくもう少しで命を失うところであった。実情は、12歳までにかなりの傷跡を残した。
二人は、非常に早い時期に口頭でのやりとりを身につけた。10歳までには、およそ50程の考えに関するより一層の身振りと言葉の伝達法を編み出し、先祖の粗雑な伝達技術を大いに改良し、広げた。しかし一生懸命試みても、自分達の新しい合図と表象のほんの幾つかしか両親に教えることができなかった。
二人は、9歳ごろのある晴れた日、川を下って旅をし、重要な相談をした。ユランチアに配属の私自分を含む天の知者のそれぞれが、この真昼の会合でのやり取りの一観察者として臨場していた。二人は、この重大な日に一緒に、それに互いのために生きるという理解に達し、しかも、これが、遂に劣る動物の仲間から逃れ、北へと旅をする決意に至るそのような一連の合意の最初であった。それによって、自分達が人類を樹立するとは少しも知らずに。
我々は全員、年少の2人の未開人が、計画していたことに危惧しながらも、2人の心の働きを制御することにおいては無力であった。我々は、任意に2人の決定に影響を及ぼすことはしなかった—できなかった。しかし我々生命搬送者は、惑星機能の許される範囲内で、関係者と共に全員で、人間の双子を北へ、そして毛深くて部分的に木で生活する者達からは離れたところへ導く企てをたてた。その後双子は、自らの賢明な選択理由に基づいて移住し、また我々の監督上のために、霊長類の劣る近縁生物との混合による生物上の劣化の可能性から逃がれ人里離れた地域へと北に移動したのであった。
二人は、故郷の森からの出発直前、テナガザルの襲撃により母を失った。母は、知能はなかったが、我が子に対しての高度の哺乳類にふさわしい愛情を持ってして、素晴らしい1組を救う試みにおいて恐れることなく自分の命を犠牲にした。彼女は、父親が援軍と到着し、侵略者を完全に敗走に追いやるまで阻止したので、その犠牲も徒労に帰すことはなかった。
この若い一組が人類樹立のために仲間を見捨てた直後、その霊長類の父は、愁いに沈んだ—悲嘆に暮れた。残りの我が子らが、食物を持ってきても食べることを拒んだ。才気に溢れる我が子がいなくなると、普通の仲間の間での生きがいは、あるようには思えなかった。そこで森の中へとさ迷い入り、敵対的なテナガザルに殴られて死んだ。
我々は、すなわちユランチアの生命搬送者は、初めて惑星の水域に生物の原形質を仕掛けたその日以来ずっと注意深く待機して長い不寝番をして来ており、実に利口意志に基づく最初の生き物の出現は、当然のことながら、我々に大きな喜びと最高の満足をもたらした。
我々は、惑星到着時点からユランチア配属の7名の心-精霊の補佐のはたらきを観察し、双子が、精神的に発達するのを見てきた。惑星生物の長い進化的発展を通じて、これらの止むことのない心の奉仕者達は、徐々にまさった動物の引続き拡充していく脳容量とのかかわり合いにおける自分たちの増加する能力をつねに示してきた。
最初は、直観の霊のみが、本能的で反射的な振舞いで原始の動物の生活において機能することができた。理解の霊は、高度の型の分化とともに、自然発生的な考えの贈り物をそのような生き物に与えることができた。後に我々は、勇気の霊が稼働中であるのを観測した。進化する動物は、じつに保護的自意識の粗野な型を発達させた。我々は、哺乳類の集団の出現に続き、知識の霊それ自体が、さらに現われるのを視た。そして、より高等な哺乳動物の進化が、助言の霊の機能をもたらし、助言の霊の機能が群集心理の発育と、原始社会の発展の始まりを結果としてもたらした。
我々は、ますます黎明期哺乳類、中期哺乳類、および霊長類へと最初の5名の補佐の増大された働きを観測した。だが残る2名、最高の心の奉仕者は、ユランチア型の進化の心に作用することは一度もできなかった。
ある日—双子が10歳の頃—崇拝の霊が、双子の女子の心に、そして、すぐその後に男子の心に最初の接触をしたときの我々の喜びを想像してみなさい。我々は、人間の心に酷似する何かが頂点に近づきつつあることを知った。二人は、およそ1年後、とうとう深い考えと意味深い決意から家を離れ北へ旅することを決め、知恵の霊が、そのときユランチアでの働きに取り掛かったので、二人は、ただちに人間の心に気づいた。
7名の心-精霊の補佐の動員の即座の、新しい命令があった。我々は、期待に満ちていた。長く待たされていた時間の接近を感じた。我々は、ユランチアに進化する意志をもつ被創造者が進化のためのいつ果てるともなく続く努力の実現の敷居にいるのを知った。
我々は長い間待つ必要はなかった。正午に、双子の逃走日の翌日、宇宙回路の信号の初の試験的閃光が、ユランチア用の惑星の受信の的に現れた。我々は皆、もちろん、すばらしい出来事が迫っているという認識でざわめいた。しかしこの世界は、生物実験基地であったので、我々には、惑星の知的生命体の認識が我々にどのように知らされるのか見当もつかなかった。しかし、我々は、長く気をもむことはなかった。最初の惑星回路設立のネバドン大天使が、双子の駆け落ち後の3日目に、おなじく生命搬送者軍団の出発前に、到着した。
それは、我々小集団が宇宙通信の惑星の極の周りに集まり、惑星の新設された心の回路に関するサルヴィントンからの最初の伝達を受け取ったユランチアでの多時な日であった。大天使軍団の団長が口述したこの最初の伝達は次の通りであった。
「ユランチアの生命搬送者へ―挨拶を!我々は、意志尊厳の心の存在のユランチアでの現れをネバドン本部へ登録することを祝して、サルヴィントン、エデンチア、ジェルーセムにとって大いなる喜びの保証を伝える。劣性の先祖から北方へと逃れ、自分達の子を隔離するという双子の意味深い決定は、注目されていた。これは、心—人間の型の心—のユランチアでの最初の決定である。そして、この初の認識伝達が送られる通信回路が、自動的に確立される。」
エデンチアのいと高きものからの挨拶に続いて、我々が確立した生物の型の妨害を禁じる居留の生命搬送者への指示を含めてこの新回路で届いた。我々は、人間の進歩の事態に干渉しないようにとの指示をうけた。生命搬送者が、惑星進化計画の自然の成り行きを任意に、無意識に妨げると決して推論すべきではない。我々そうはしないのであるから。しかし、我々は、これまでのところ環境操作を許され、特別な方法で生物原形質を保護してきていたのだが、この並はずれた、だが完全に自然な助力は、中止されようとしていたのであった。
そして、ルーキフェレーンスのすばらしい通達を終わるやいなや、サタニア体制の主権者のいと高きものが、惑星化に入った。生命搬送者は、そのとき自分達の団長の歓迎の言葉を聞き、ジェルーセムへの帰還許可を受けた。ルーキフェレーンスからのこの通達は、生命搬送者のユランチアにおける仕事の公式承認を含んでおり、サタニア体制に確立されたようにネバドンの生物の型を改良する我々のいかなる努力に対する今後全ての批判から我々を放免した。
サルヴィントン、エデンチア、ジェルーセムからのこれらの通達は、生命搬送者の惑星での長年の指揮の終了を正式に印した。我々は、7名の心-精霊の補佐と熟練した物理制御者だけの補助で長い間勤務していた。そして、いま意志、すなわち礼拝することと上昇することを選ぶ力が、惑星の進化する生物出現時に現れたので、我々の仕事の終了を知り、我々の集団は、出発の準備をした。ユランチアは生物改良世界であることから、上級の生命搬送者を2名、補佐を12名残す許可が与えられ、私は、この集団の1名として選ばれ、以来ずっとユランチアに滞在している。
ネバドンの宇宙における人間の居住の惑星としてユランチアが正式に認証されたのは、993,408年前(西暦1934年から)に過ぎない。生物の進化は、再度人間の意志の威厳の水準に達した。人間はサタニアの惑星606号に到着した。
[ユランチア居住のネバドンの生命搬送者の後援による]
ユランチアは、最初の2人の人間—双子—が11歳のとき、また実際の人間の二世代目の長子の両親になる前に、棲息界として登録された。サルヴィントンからの大天使の伝達、この時には惑星の正式な認識である伝達は、次の言葉で閉じられた。
「人の心がサタニアの606号に現れ、新人種のこの両親はアンドンとフォンタと呼ばれるものとする。すべての大天使は、宇宙なる父の内在する個人的な精霊の贈り物が、これらの生物に直ちに与えられるようにと祈った。」
アンドンとは、「人間の完全性への渇望を示す父に似た最初の被創造物」を意味するネバドン名である。フォンタとは、「人間の完全性への渇望を示す息子に似た最初の被創造物」を意味する。アンドンとフォンタは、思考調整者との融合時点で授与されるまで決してこれらの名前を知らなかった。二人は、人間としてのユランチアでの滞在中、互いにソンタ-アンと、ソンタ-エンで呼び合った。ソンタ-アンは、「母に愛されている」を意味し、ソンタ-エンは、「父に愛されている」を表す。二人は自らにこれらの名前をつけ、その意味は互いへの敬意と愛情を表明する。
この素晴らしい1組は、全人類の事実上の両親、二人の直接の多くの子孫よりもあらゆる点で優れており、また直接的にも、根本的にも関係の薄いすべての始祖とは異なっていた。
この最初の一組の人間の両親は、戦いで最初に投石したり、棍棒使用を習得した部族の平均的な者達とは、その中でより知性ある構成員ではあったが、見かけ上あまり違いはなかった。その両親は、鋭い針のような石、火打ち石、および骨も利用した。
アンドンは、まだ両親との同居中、棍棒の先にとがった火打ち石を固定させるために動物の腱で結びつけ、そして、絶えず探検旅行のすべてに同伴した冒険好きで好奇心の強い女きょうだいとわが身の2つの命を救う際に少なくとも10回以上もそのような武器が役立った。
アンドンとフォンタの霊長類種族から逃げ去るるという決断は、知能の発育の遅い類人猿のいとこ達との前かがみの交配をする後の多くの子孫を特徴づける劣位の知性をはるかに超える心の質を意味する。しかし、単なる動物であるよりもそれ以上の何かであるというあいまいな感覚は、人格を有するためであり、内在する思考調整者の臨場により増大された。
アンドンとフォンタは、北へむけて逃れると決めてから一時恐怖に、特に父と肉親を不機嫌にする恐怖に圧倒された。敵意のある親類に襲われることを心に描き、すでに嫉妬している種族民の手による死の可能性を認識した。子供のときの双子は、時間の大部分を互いを仲間として過ごしたので、霊長類の動物のいとこには決してそれほど好かれてはいなかった。また、二人は、別個の、しかも優れた木の家をつくり種族における地位の改善もしなかった。
二人が、ある夜激しい嵐のためにずっと目覚めていた後に恐怖を感じ優しく互いに抱き合いながら、部族の生息地と梢の家から逃げると最終的に、しかも完全に決心したのが、梢のこの新しい家であった。
二人は、すでにおよそ北へ半日の道程に粗雑な梢の避難所を用意していた。これは、棲家のある森林から離れた初日のための二人の秘密の、安全な隠れ場所であった。双子は二人共、夜間地面にいることへの霊長類の極端な恐怖を持っていたにもかかわらず、日暮れ直前に北への難儀な旅へと出発した。二人にとってこの夜間旅行を企てることは、満月であったとしても、並々ならぬ勇気を要したが、種族や親類に気づかれたり、追跡されそうにはないと正確に結論をだした。そうして、二人は、夜中12時直後に以前から用意していた待ち合わせ場所に到着した。
二人は、北に向けての旅で露出した火打ち石の堆積を発見し、様々な用途のために適当な形の石を探し今後の予備品として収集した。アンドンは、一定の目的に合うようにこれらの火打ち石を削ぎ落とそうとしている時に火花を発する石の性質を発見し、火を起こす考えを抱いた。しかし、気候がまだ爽やかであり、炎の必要がほとんどなかったので、その考えは、その時点で心にしかと入り込まなかった。
だが、秋の太陽は空で低くなりつつあり、また北へ旅するにつれ、夜はどんどん冷えていった。二人は、すでに暖とりのために動物の皮を利用せざるをえなかった。アンドンは、家を離れてから1ヶ月足らずのうちに火打ち石で火を起こせると思うと、連れ合いに知らせた。二人は、2カ月間点火のために火打ち石の利用を試みたが、失敗ばかりであった。この一組は、毎日火打ち石を打って木を燃やそうとした。とうとうある夕方の日の入り頃に、フォンタが、置き去りにされた鳥の巣を手に入れるために近くの木に登るという考えたとき、その技の秘密が明かされた。巣は乾燥し非常に燃え易く、このためそれに火花が落ちるなり、大きな炎でパッと燃え上がった。二人は、非常に驚き、その成功に瞳目し、もう少しで炎を失うところであったが、適当な燃料をつぎ足しそれを救い、その後、全人類の両親による最初の薪探しが始まった。
これは、短いが、多事多端な二人の生涯での最も喜ばしい1瞬間であった。気候に挑んだ結果、いつまでも南の地の動物の親類から独立できる発見をしたとばく然と気づき、一晩中火が燃えるのを見ながら起きていた。二人は、3日間の休息と火を楽しんだ後旅を続けた。
アンドンの霊長類の先祖は、稲妻にもたらされた火をしばしば補充したが、地球の生物は、かつて意のままに火を起こす方法を持っていなかった。しかし、双子が、鳥の巣と同様、乾いた苔と他の材料で火が焚きつけられるということを学ぶまでには長らくかかった。
双子の家からの出発の夜から二人の最初の子供が生まれるまでにはほぼ2年間あった。その子をソンタドと名づけた。ソンタドは、出生時に保護用の覆いに巻かれたユランチアで生まれた最初の生き物であった。人類というものが始まり、より純粋に動物の型に対照して知的な種類の心の前進的発達を特徴づけるであろうますます弱化した幼児を適切に世話をする本能というものが、この新たな進化と共に表面化した。
アンドンとフォンタには全部で19人の子供がおり、およそ50人の孫と6人の曽孫とのつながりを楽しんで生きた。家族は、4戸の隣接する岩石の住まい、または半ば洞窟に定住し、そのうちの3戸は、アンドンの子供達が考案した火打ち石の道具で柔らかい石灰岩を掘削した廊下で相互に連結されていた。
これらの初期のアンドン人種は、大いに目立つ排他的気風を表していた。集団での狩りをし、決して住居の範囲からあまり遠くには離れなかった。彼らは、孤立している特有な集団の生きものであり、したがって離れ離れになることを避けるべきであると気づいていたようであった。親密な親族関係のこの感情は、確かに精霊補佐の高められた心の働き掛けによるものであった。
アンドンとフォンタは、脈々と一族の養育と向上のために働いた。二人は、地震で張り出した岩石の落下で死亡する42歳まで生きた。子供5人、孫11人がともに死に、ほぼ20人の子孫が重傷に苦しんだ。
両親の死に際し、ソンタドは、重傷の足にもかかわらず直ちに一族の指揮を引き受け、自分の長姉でもある妻に有能な助力を得た。二人の最初の仕事は、死んだ両親、兄弟姉妹、それに子供を実際に葬るために石を転がすことであった。必要以上の意味をこの埋葬行為に添えるべきではない。死後の生存に関する彼らの考えは、主に空想的で多彩な夢の国から導かれ、非常にあいまいで不明確であった。
アンドンとフォンタのこの家族は、20世代目まで団結を維持した。食糧競争と社会的摩擦が結びついたとき、分散の始まりをもたらした。
原始人—アンドン人種—は、黒い目をもち、黄色と赤のかかった混血の浅黒い顔色であった。メラニンは、すべての人間の皮膚に見られる発色物質である。それが、本来のアンドン族の皮膚の色素である。これらの初期のアンドン人は、全体的な外貌と肌の色において現存する人間の他の型よりも今日のエスキモー人に最も類似していた。アンドン人種は、防寒に対し動物の皮を使用する最初の生き物であり、現代人よりも体毛は少なかった。
この古代人の動物の先祖の部族生活は、数多くの社会的な規則の始まりの前兆となり、また社会組織と一族の新しい分業には、拡大していく感情と増大された脳の力での即座の発展があった。彼らは甚だしく模倣的であったが、遊びの本能はわずかに発達されただけで、ユーモアに対する感覚はほぼ完全に欠けていた。原始人は、時おり微笑んだが、決して豪快な笑いには耽けなかった。ユーモアは、後のアダーム人種の遺産であった。これらの古代人は、進化する多くの後の人間ほどには痛みにあまり敏感ではなく、不快な状況にもそれほど早い反応はなかった。出産は、フォンタと直接の子孫にとり痛ましい、または悩ましい試練ではなかった。
それらは素晴らしい部族であった。男は、連れ合いと子の安全のために勇ましく戦うのであった。女は、愛情深く子に専念した。しかし、愛国心は、完全に直系一族に限られた。家族に非常に忠誠であった。子供を守るためには一も二もなく死ぬのであったが、子孫のために世界をより良い場所にしようとする考えを持つことはできなかった。これらのユランチア原住民には、宗教誕生に不可欠のすべての感情がすでにあったが、利他主義は、人間の心に今なお生まれてはいなかった。
これらの古代人は、仲間への感動的な愛情を持ち、また確かな、粗っぽくはあるが、本物の友情という考えを持っていた。後の時代に、これらの原始人の一人が、劣性部族との止むことなく繰り返される戦闘中、仲間の手負いの戦士を守り、救おうと片手で果敢に戦うのはよく見掛ける光景であった。その後の進化的発達の最も高潔で極めて人間的な特色の多くは、これらの原始民族に感動するほどに予示されていた。
本来のアンドン一族は、ソンタドの直系に男性子孫が現れず、27世代目、つまり一族の支配者になるつもりの2人が最高位をかけて競い合うその時まで連綿たる指導者の地位を持続した。
アンドン一族の大規模な分散以前、通じ合うための充分発達した言語が、早期の努力により発展した。この言語は、発展し続け、活発で休むことのないこれらの好奇心の強い人々によって環境への新しい考案と適合のためにほとんど毎日のように追加がなされた。これが、後の有色人種の出現までの古代人の仲間のユランチア界での言語となった。
時の流れと共にアンドン一族の数が増え、拡大する家族同士の接触が、摩擦と誤解を生み出した。ただ2つの事だけ、つまり食物入手のための狩猟と隣接する部族からの実際の、または想定される何らかの不当行為や侮辱に対して恨みを晴らすための戦い、が、これらの民族の心を占めるようになった。
内輪もめは増加し、部族の戦いは勃発し、またより有能な、より進んだ集団の最良要素間のただならぬ損失が、続いた。これらの損失のいくつかは修復できなかった。能力と知能の最も価値ある種族のいくつかは、世界から永遠に失われた。この早期の種族とその原始文明は、この絶え間ない一族の抗争による消滅の危機に脅かされた。
そのような原始の生き物に長い間の平和共存を促すことは、不可能である。人は、闘争的動物の子孫であり、無教育な人々は、密接に関係しているとき互いを苛立たせるし、怒らせる。生命搬送者は、進化する生物のこの性向を知っており、それに応じて少なくとも3つの、しばしば6つの異なる別個の人種へと進化する人間の最終的分離のための対策をとる。
初期のアンドン人種は、いはるか遠くアジアへは進出せず、また最初にアフリカに入りはしなかった。当時の地形が、この人種を北に向かわせ、ゆっくり前進する第3期の氷河に妨げられるまでは、彼らは、更に北へ北へと旅をした。
アンドンとフォンタの子孫は、この大規模な氷床が、フランスとイギリス諸島に達する前にヨーロッパを越え西へと前進し、北海の当時の暖かい水域に通じる大河沿いに1,000個以上もの個別の集落を設立した。
アンドン族は、フランスでの初期の川沿いの住人であった。何万年もの間ソンム川沿いに住んでいた。今日とまったく同じように当時海に流れ込んでいたソンム川は、氷河で変えられることのなかった1本の川である。それゆえ、アンドンの子孫に関係するたいそう多くの証拠が、なぜこの流域沿い見つけられるのかを説明している。
ユランチアのこれらの原住民は、非常時には木に赴きはしたものの、木の居住者ではなかった。それらは、良い眺めを提供したり、荒れ模様の天候から保護してくれる川沿いの張出した崖の避難所や山腹の洞窟を常用した。それらは、このようにしてあまり煙に困ることなく炎に安らぎを味わうことができた。後の時代の氷床が更に南に下がり、その子孫を洞窟へと追いやりはしたものの、これらの原住民は、実際には洞窟居住者ではなかった。彼等は、森のはずれ近くや小川の側での野営を好んだ。
彼らは、かなり早くから部分的に保護された住まいを隠すことに著しく賢明であり、睡眠のための石室、ドーム型の石の小屋を築く際にかなりの技術を示し、夜にはここに這い入った。そのような小屋への入り口は、屋根の石が最終的に所定の場所に置かれる前にこの目的のために小屋の内側に置かれていた大きい石を転がして入り口を塞いだ。
アンドン族は、恐れを知らない狩り上手で、野生の実や特定の木の実を除いては、専ら肉食であった。子孫は、アンドンが石の斧を発明していたように早くに棒や銛投げを発見し、うまく利用した。ついに道具を作成する心は、器具を使用する手と一体化して機能しており、またこれらの古代人は、火打ち石の道具作成に非常に巧みとなった。彼らは、現代人が金、プラチナ、ダイヤモンドを求めて地の果てまでも旅するように火打ち石を求めて遠く広く移動した。
アンドン部族は、後退している子孫が、火を起こす様々な方法を再三発見はしたものの50万年間で到達しなかった知能の段階を他の多くの点ではっきりと示した。
一族の文化的、精神的状態は、アンドン族分散が延長されるにつれ約1万年間オナガーの時代にいたるまで衰退し、オナガーは、これらの部族の指揮を引き受け、平和をもたらし、初めて「人と動物への息吹を与えるもの」への崇拝に皆を導いた
アンドンの哲学は最も混乱していた。彼は、火の偶然的発見から得られる大きな安らぎを理由に火の崇拝者になることはほぼ免れなかった。しかしながら、判断力は、アンドンを彼自身の発見からより優れた、神々しい熱と光の源としての太陽へと導いたが、それはあまりにも遠過ぎたので太陽崇拝者にはならなかった。
アンドン族は、早くも天候に現れる自然力—雷、稲妻、雨、雪、霰、氷—への恐怖を生じた。しかし飢餓は、初期時代に繰り返し起こる強い衝動であり、アンドン族は、主に動物を食したので、やがては動物崇拝の型を発展させた。アンドンにとって食用としてのより大きい動物が、 創造力と耐久力を象徴であった。時どきこれらの特定の大きいさまざまな動物を崇拝対象として指定することが、習慣になった。特定の動物が人気のある間、洞窟の壁にその動物の粗雑な輪郭線が描かれ、後に芸術上の継続的進歩が見られると、そのような動物の神が、様々な装飾品に刻まれた。
アンドン民族は、非常に早くから部族崇拝の動物の肉を食べることを差し控える習慣をうち立てた。やがて、若者の心により適度の印象を与えるために、尊ばれた動物種の中の1個体の周りで崇拝の儀式が執り行われた。この原始の儀式は、さらに後に、子孫によるより入念な生贄の儀式へと進展した。これが、崇拝の一部としての生贄の起源である。この考えは、ヘブライの儀式でモーシェにより念入りなものとされ、根本的には「流血」による罪の償いの主義として使徒パウーロスにより順守された。
食糧が、これらの原始の人間の生活で極めて重要なものであったということが、オナガー、彼らの偉大な教師によりこれらの素朴な人々に教えられた祈りの中に示されている。この祈りは次の通りであった。
「ああ、生命の息吹よ、この日に、我々に日々の糧をお与えください。氷の呪いから森の敵から我々を救い出し、慈悲をもって偉大なる彼方へと受け入れてください。」
オナガーは、メソポタミア南部の地から北部に至る旅の道が西部に折れる滞在場所である現在のカスピ海地方のオーバンと呼ばれる集落、古代の地中海北岸に本拠地を維持した。オナガーは、自身の1神の新原理と、自身が偉大なる彼方と呼んだ来世の概念を広げるためにオーバンから遠く離れた集落に教師らを派遣した。オナガーのこれらの使者は、世界最初の宣教師であった。また、最初に肉を料理する、つまり食物の調理に欠かさず火を使用する最初の人間でもあった。棒の先、また熱い石の上でも肉を料理した。後には火で大きな切れ端を炙ったが、その子孫は、ほぼ完全に生肉生活へと戻った。
オナガーは98万3,323年前に(西暦1934から)生まれ、69歳まで生きた。前惑星王子時代のこのすぐれた知性と精神の指導者の業績に関する記録は、これらの原始民族からの本物の社会への組織化についての感激的な詳述である。オナガーは、効果的な部族政府を設けた。そのようなのものは、何千年もにわたる後続の世代によって達せられることはなかった。再び、惑星王子の到着まで、そのような高い精神文明は、地球にはなかった。これらの純真な人々は、原始ではあるが本物の宗教があったが、その後それは、もはや劣化していく子孫のものではなかった。
アンドンとフォンタの両人は、子孫の多くと同様に思考調整者を受けていたが、それは、調整者と後見熾天使が大勢でユランチアに到来するオナガーの時代までなかった。まことに、これは、原始人の黄金時代であった。
アンドンとフォンタ、人類のすばらしい始祖達は、惑星王子のユランチア到着宣言時点で承認され、やがてジェルーセムの公民の身分で大邸界の養成課程からやって来た。二人は、いまだかつてユランチアに戻ることは許されたことはなかったが、樹立した民族の歴史を認識している。二人は、カリガスティアの裏切りに深く悲しみ、アダームの失敗に嘆いたが、マイケルが、その最終贈与のための劇場として二人の世界を選定したという発表を受けたとき殊の外歓喜した。
ジェルーセムでのアンドンとフォンタの両人は、それぞれの思考調整者と融合し、またソンタドを含む二人の子供の幾人かも同様にそうしたが、二人の直属の子孫の大半でさえ、聖霊との融合を実現したに過ぎなかった。
ジェルーセム到着直後、アンドンとフォンタは、ユランチアからの時間の巡礼者を天球へ歓迎するモロンチア人格と共に働くために第一大邸宅界へ帰還する許可を体制主権者から受けた。彼等は、この業務に無期限に割り当てられた。これらの啓示に関する挨拶をユランチアに送ろうとしたが、この要求は、賢明にも否定された。
これが、ユランチアの全歴史、すなわちその発展、葛藤、死、全人類のたぐい稀なる両親の永遠の生存に関わる話のうちの最も雄々しく、非常に興味深い章の詳説である。
[ユランチア居住の生命搬送者による提示]
これは、約百万年前のアンドンとフォンタの時代から惑星王子の時代を経て氷河期終了時までのユランチアの進化する人間についての話である。
人類の年齢は、およそ百万年であり、その話の前半は、ざっとユランチアの前惑星王子の時代に相当する。人類の歴史の後半は、惑星王子の到着と6種類の着色人種の出現時点に始まり、一般的に旧石器時代と見なされる期間に至るまでに相当する。
原始人は、地球でのその進化上の姿をほぼ百万年前に現し、活発な経験をした。猿のような劣性部族と入り交じるという危険から本能的に逃げようとした。しかし、チベットの不毛の地の標高、つまり海抜9,000メートルのせいで東方へ移住できなかったし、また当時は東方へと拡大しインド洋に達した地中海のために西にも南にも行くことができなかった。そして、北に行くと前進する氷に遭遇した。だがより知能的集団は、更なる移動で氷に妨げられたときでさえ、また分散部族が、ますます敵意を抱くようになったときでさえ、木に住む知性の劣る毛深いいとこの中で生きるために南部に行く考えなど決して抱かなかった。
多くの宗教的感情が、この地理的状況—右には山、左には水、前には氷—に閉じ込められた環境の中で人間の最初期の無力感から芽生えた。しかし、これらの進歩的アンドン族は、木に住む劣性の親族へ戻ろうとはしなかった。
アンドン族は、人間でない親類の習慣とは対照的に森林を避けた。森林での人は、つねに劣化した。人間の進化は、戸外と 高緯度地方で進歩をなしてきた。広々とした土地での寒さと飢餓は、活動、発明、困難な状況に対処できる特質を刺激する。アンドン部族が、厳しい北方気候での苦境と窮乏の中で現在の人間の先駆者達を発展させている一方で、進歩の遅いいとこ達は、初期の共通の起源である南部の地の熱帯林を楽しんでいた。
これらの出来事は、3番目の氷河期、地質学者の見積もりでは1番目に起きた。最初の2本の氷河は、北ヨーロッパでは大規模ではなかった。
イギリスは、氷河期の大半はフランスと陸続きであり、一方アフリカは、後にシチリアの地峡によってヨーロッパにつながった。アンドン族移動時には、西はイギリスからヨーロッパへ、東はアジアからジャワへの続く陸路があった。しかし、オーストラリアは、再び隔絶され、それが、さらに独自の固有な動物群の進化を際立たせた。
950,000年前、アンドンとフォンタの子孫は、遠く東と西とに移住した。ヨーロッパを通り越し西へはフランスとイギリスに行った。後の時代には、ごく最近それらの骨—いわゆるジャワ原人—が見つかった東方のジャワまで進出し、それからはタスマニア州へと旅を続けた。
西に行く集団は、知能の遅れた動物のいとこ達と自由に混ざる東に行かう共通の先祖の出である者ほどには発達の遅れた群れとあまり混濁することはなかった。これらの進歩的でない個人は、南方に漂って行き、やがて劣性部族と交雑した。後に、増加するそれらの雑種の子孫は、北に戻り急速に拡大するアンドン民族と交雑し、そのような不幸な結合が、優れた血統を確実に悪化させた。原始定住の少数者しか、息吹を与えるものへの崇拝を持続しなくなった。この初期の黎明の文明は絶滅に瀕していた。
ユランチアはずっとこのようであった。前途多望な文明は、続けざまに劣化していき、優者に劣者との自由な生殖を許す愚かさによって最終的には消滅された。
900,000数年前、アンドンとフォンタの工芸とオナガーの文化は、地球上から消え失せつつあった。文化、宗教、火打ち石加工さえもどん底期にあった。
この時代は、非常に多くの劣性の雑種集団が、南フランスからイギリスに到着していた時期であった。これらの部族は、森林に住む猿のような生物と大規模にに入り交じっていたので、まず人間ではなかった。それらは、何の宗教も持ってはいなかったが、粗雑な火打ち石加工者であり、火を起こせる程度の知性があった。
ヨーロッパではいくらか優れ、子だくさんの民族が、彼らに続き、その子孫はすぐ、北の氷河地帯から南のアルプス山脈と地中海へと全大陸に広がった。これらの部族は、いわゆるハイデルベルグ人種である。
この長い文化退廃期間中、イギリスのフォックスホール民族とインドの北西のバドナン部族とが、アンドン族の幾つか伝統とオナガーの一定の文化の名残りを固守し続けた。
フォックスホール民族は、最遠の西にあってアンドン文化の多くを引き継いだ。また自分達の火打ち石加工に関する知識を維持し、それを子孫、つまり古代のエスキモーの先祖に伝えた。
フォックスホール民族の残骸物が、イギリスで発見された最後の物であり、アンドン族が、それらの領域に住むじつに最初の人間であった。その時、地峡はまだイギリスとフランスをつないでいた。そして、アンドンの子孫の大半の初期集落が、その初期の時代の川や海岸沿いに位置していたので、それらは、現在イギリス海峡と北海の水域下にあるが、まだイギリス海岸の水上にはまだ3個所や4個所はある。
フォックスホール民族のより知的で精神的な多くの者は、人種的優越性を維持し、またその原始の宗教習慣を永続させた。これらの人々は、後にその後の血統群体と混ざりながら、後の氷の災害後にイギリスから西に旅し現代のエスキモーとして生き残った。
西のフォックスホール民族の外に、東ではもう一つの苦闘する文化の中心が存続した。この集団は、北西インドの高地の麓にある丘のバドナン族、すなわちアンドンの3代目の孫の部族の間にあった。これらの人々は、決して人間の生贄を実践しなかったアンドンの唯一の子孫であった。
この高地のバドナン族は、森林に囲まれ、流れが横切り、獲物の豊富な広大な台地に居住していた。チベットの多少のいとこのように、粗雑な石の小屋、山腹の洞窟、半地下の通路などに住んでいた。
北の部族の氷への恐怖が、ますます増大する一方で、生まれ故郷の近くに住まう者達は、殊の外水を恐れるようになった。彼らは、アラビア半島が徐々に海洋に沈んでいくのを目撃し、また、それは何度か現れたが、これらの原始民族の伝統は、海の危険と周期的な水没の恐怖を近くにして生じた。そして、川の洪水の経験と合わさったこの恐怖が、彼らが、住むに安全な場所として高地を求める理由を説明している。
人間と人類出現以前の様々な集団の変遷の型により近く迫る化石が、地球上のいかなる場所よりもバドナン民族の東、つまり北インドのシヴァリクの丘において見つけられかもしれない。
850,000年前、優れたバドナン部族は、劣性で動物のような隣人に対する絶滅戦争を始めた。これらの紛争地の大半の動物集団は、滅ぼされるかまたは南方の森林へと退けられた。劣性者に対するこの絶滅作戦は、その時代の丘の部族にわずかな改良をもたらした。この改良されたバドナンの血統の混血子孫が、明らかに新しい民族—ネアンデルタール人種として活動舞台に現れた。
ネアンデルタール人は、優れた戦士であり、広範囲に旅をした。それらは、徐々に北西インドの高地の中心から西のフランス、東の中国へと、それに北アフリカへさえ広がっていった。進化する有色人種の移動時代までのおよそ50万年間世界を支配した。
800,000年前、獲物は豊富であった。象やカバはもとより多くの鹿の種類がヨーロッパ中を移動した。牛は豊富であった。馬とオオカミがいたる所にいた。ネアンデルタール人は、見事な狩人であったし、フランスの部族は、最も上手い狩人に妻にしたい女性の選択を与える習慣を最初に採用した。
トナカイは、その角と骨が様々に利用され、食物、衣服、また道具として役目を果たしたので、ネアンデルタール民族にとり非常に有用であった。文化はほとんどなかったが、もう少しでアンドン時代の水準に達するところまで火打ち石での仕事を大いに改良した。木製の柄に取り付けられた大きい火打ち石が、再度用いられ、斧やつるはしとして役立った。
750,000年前4番目の氷床は、かなり南への途中にあった。ネアンデルタール人は、改良された道具で北の川を覆う氷に穴をあけ、かくしてこれらの穴に近づいた魚を槍で突くことができた。これらの部族は、このときヨーロッパでの最も広範囲にわたる侵入をした氷を前に始終後退した。
この時代のシベリアの氷河は、古代人に南への移動を強いて、生まれた土地へと戻し、南方へと進んでいた。しかし人類は、大いに分化してしまったので、非進歩的な類人猿の親類とのさらなる接触の危険性を大幅に減少した。
700,000年前、4番目の、ヨーロッパで最大の氷河が後退しつつあった。人と動物は北に戻りつつあった。気候は涼しく湿気があり、原始人は再びヨーロッパと西アジアで栄えた。森林は、つい最近まで氷河に覆われていた陸上を徐々に北へと広がっていった。
哺乳類の生活は、大氷河による変化はあまりなかった。これらの動物は、氷とアルプス山脈の間に横たわる細長いその地帯にとどまり、氷河の後退時に全ヨーロッパに再び急速に広がった。まっすぐな牙のある象、広い鼻をもつサイ、ハイエナ、アフリカライオンが、シチリアの地橋を越えてアフリカから到着し、これらの新しい動物は、実質的に剣歯虎とカバを絶滅させた。
650,000年前、継続的温和な気候をみた。間氷期の半ばまでには非常に暖かくなり、アルプス山脈に氷と雪はほとんどなかった。
600,000年前、氷は、その後退当時の最北端の地点に達し、数千年の間休止をした後、その5番目の南へと行程を再開した。しかし、気候変動は、5万年の間ほとんどなかった。ヨーロッパの人と動物に変化はあまりなかった。前の期間のわずかな乾燥は減少し、山岳氷河は、渓谷を遠くへ下っていった。
550,000年前、前進する氷河は、再び人と動物を南に押しやった。しかし今回人間には、アジアへと北東に延び、氷床と当時は地中海の延長である大いに拡大された黒海の間に横たわる帯状の幅の広い陸に十分な空間があった。
この4番目と5番目の氷河時代、ネアンデルタール人の粗野な文化の一層の普及がみられた。しかし、ユランチアにおける新しく変更された知的生命体の型を産する試みはまるで失敗しているかのように見えるほどに実際の進歩はあまりなかった。これらの原始民族は、狩りと戦いをし、一定期間、一定方向への改善をしたものの、全体的には優れたアンドンの先祖と比較し着実に退歩しながらおよそ25万年間さまよい続けた。
精神的には無知蒙昧のこれらの時代に、迷信深い人類の文化は、その最低水準に至った。ネアンデルタール人には、恥ずべき迷信以外実際には何の宗教もなかった。それらは、極端に雲を、とりわけ霞と霧を恐れた。自然の力への恐怖の原始宗教が徐々にあ発達し、動物崇拝は、獲物の豊富さと合わせ、道具の改良とともに衰え、これらの人々が、食糧に関しての不安を軽減して生活できるようになり、狩りの報酬としての性交は、狩猟技術改良に大いに貢献した。恐怖へのこの新宗教は、これらの自然的構成要素に潜む目に見えない力を宥める試みに、後には、不可視で未知の物理的力を静めるために人間の犠牲に導導いた。人間生贄のこの恐ろしい習慣は、ユランチアのより遅れている民族により20世紀まで永続してきた。
この初期のネアンデルタール人を太陽崇拝者とはとても呼べなかった。彼らは、むしろ暗闇の恐怖に生きた。日暮れに対し死の恐怖があった。少し月が照る限りはなんとかできたが、無月期には次第に恐怖状態になり、月を再び光り輝かせるために男らしさと女らしさの最良の個体を犠牲にし始めた。彼等は、太陽は定期的に戻るものであると早くに習得していたが、仲間の部族民を犠牲にしたので月は戻るにすぎないと推測した。犠牲の対象と目的は、民族が進化するにつれ次第に変化したが、宗教儀式の一部としての人間の生贄奉納は長く持続した。
500,000年前、インド北西部の高地のバドナン部族は、別の重大な民族闘争に陥った。この冷酷な交戦状態は、100年以上も猛威を振るい、長い戦いの終了時、100家族ほどしか残らなかった。しかし、これらの生存者は、アンドンとフォンタの当時の生きていた全子孫の中では、最も知的で、好ましい者達であった。
そしてこの時、これらの高地のバドナン族の中に新しく一風変わった出来事が起きた。当時その高地の北東部地域に住む男女が、著しく知能の高い子供の家族を突然つくり始めた。これが、サンギクの家族、ユランチアの6有色人種のすべての先祖であった。
サンギクのこれらの子供は、19人は仲間に勝って利口であるばかりか、日光への露出で様々な色に変わる他とは異なる傾向を示した。19人の子供うち、赤色は5人、橙色は2人、黄色は4人、緑色は2人、青色は4人、藍色は2人であった。子供の成長につれこれらの色はより著しくなり、これらの若者が後に仲間の部族民と交雑したとき、その子等は皆、サンギクの親の皮膚の色をもつ傾向にあった。
我々が、当時の惑星王子到着に注意を促し、ユランチアのサンギクの6人種を個別に考察するために、私は、いま年代を追っての物語を中断する。
進化する平均的惑星には、6種類の有色人種は、1つずつ出現する。赤色人間がまず進化し、彼は、つぎの有色人種が出現するまで長らく世界を放浪する。ユランチアにおいて全有色人種の同時の、しかも1家族における出現は、とても珍しかった。
ユランチアにおける初期のアンドン族の出現は、サタニアにとっても何か新しいことであった。局部恒星系の他の世界においては、意志を持つ被創造物のそのような人種に進化的人種の皮膚の色の展開はもたらされなかった。
1. 赤色人間。これらの民族は、多くの点でアンドンとフォンタよりも優れた人類の優れた見本であった。それらは、最も知的な集団であり、部族の文明と政府を発展させるサンギクの最初の子供等であった。それらはずっと一夫一婦主義であった。その混合された子孫さえ滅多に複数の婚を実践しなかった。
赤色人間は、同族であるアジアの黄色の同胞との間に深刻で長期にわたる紛争があった。初期の弓矢の発明で助けを得たが、あいにく内部抗争の傾向を先祖から強く引き継いでおり、黄色部族は、アジア大陸から退却させてしまうほどに赤色人間を弱体化させた。
8万5千年前、比較的純血の赤色人種の残党は、ひとまとめに北米を横断し、その後まもなくベーリング地峡が沈み、その結果彼等を隔離してしまった。一人の赤色人種も二度とアジアには戻らなかった。だが、シベリア、中国、中央アジア、インド、およびヨーロッパの中に他の有色人種と混合された多くの血統を後に残した。
赤色人種は、アメリカにわたったとき自らの起源の数多くの教えと伝統を携えていった。直系の先祖は、惑星王子の世界本部における後の活動に関する連絡を取っていた。しかし、赤色人種は、アメリカ大陸到着後まもなくこれらの教えを見失い始め、知的で精神的文化におけるかなりの衰退をみた。これらの人々は、またもやすぐに同士間の戦いに猛然と陥ったので、これらの部族戦争が、この残りの比較的純血の赤色人種に迅速な絶滅をもたらすかに見えるほどであった。
赤色人種は、およそ6万5千年前、オナモナロントンが、赤色人種の先導者として、また精神の救出者として現れたとき、この大幅な後退の理由から消える運命にあるように見えた。オナモナロントンは、アメリカの赤色人種間に一時的な平和をもたらし、「偉大なる霊」の崇拝を蘇らせた。オナモナロントンは、96歳まで生き、カリフォルニアの巨大なアカスギの木々の中に自分の本部を維持した。ブラックフット族のその後の子孫の多くが、現代にまで続いた。
オナモナロントンの教えは、時の経過とともに漠然とした伝統になった。血なまぐさい戦争は再開され、この偉大な教師時代後、ほかの先導者は、自分たちに全体に平和をもたらすことはできなかった。ますますより知性ある血統が、部族間の戦いで死んだ。さもなければ、すばらしい文明がこれらの有能で知的な赤色人種により北米大陸に築かれていたことであろう。
中国からアメリカに渡ってから北の赤色人種は、後に白人に発見されるまで二度と他の世界の影響に(エスキモーを除く)接することはなかった。赤色人種が、後のアダーム系との混合による向上の機会からほぼ完全に外れたのは、いかにも不運であった。実のところ、赤色人種は、白人を統治できなかったし、進んで仕えようとはしなかった。そのような状況においては、2つの人種が混合されないならば、いずれかが消え失せる運命にある。
2. 橙色人種。この人種の傑出した特性は、構築すること、何でも、全てを形成すること、どの部族が最大の山を造ることができるかを見るためだけに巨大な石の山を積み上げさえするという風変わりな衝動であった。橙色人種は、進歩的民族ではなかったが、王子の学校から多くの利益を得るために指示を求めてそこに代表を送った。
地中海が西に退くと、まず最初に海岸線を南にアフリカへと向かったのが橙色人種であった。しかしそれらは、アフリカには決して有利な足場を確保せず、後に到着した緑色人種に絶滅された。
この民族は、その最期に先んじて文化的、精神的地盤の多くを喪失した。しかし、それらの本部が、およそ30万年前ハルマゲドンにあったとき、皆の世話をしたポーシュンタの、すなわちこの不運な人種の主導者の賢明な統率力の結果、生活向上の大復活があった。
橙色人種と緑色人種間での最後の大きな闘争が、エジプトのナイル渓谷の下流地域で起きた。この長期戦は、100年間ほど繰り広げられ、その終わりには、ほんのわずかの橙色人種が、生き残った。疲れ切ったこれらの人々は、緑色人種と後に到着した藍色人種に吸収された。しかし、人種としての橙色人種は、10万年ほど前に消滅した。
3. 黄色人種。原始の黄色部族は、狩りを捨て、定住の共同体を確立し、農業に基づく家庭生活を発達させた最初の部族であった。知的には赤色人種にいくらか劣っていたが、部族文明の促進において社会的に、集合的に、全サンギク民族よりも優れていることを示した。様々な部族が、比較的に平和に共存することを会得する友愛精神を発達させたので、黄色人種は、次第にアジアに拡大して行くにつれ赤色人種を自分達の前に追いやることができた。
黄色人種は、世界の精神本部の影響から遠のいて旅をし、いつしかカリガスティア背信に続く大きな暗黒へと陥った。しかし、およそ10万年前、シングラントンが、これらの部族の指揮を引き受け、「一なる真実」の崇拝を宣言すると、この民族間に輝かしい一時代が生まれた。
多くの黄色人種の生存は、種族間の平和に起因している。シングラントンの時世から現代中国の時代まで、黄色人種は、ユランチアの最も平和な国家の中に数えられてきた。この人種は、後に取り込まれたアダームス系の小さくはあるが、強力な遺産を得た。
4. 緑色人種。緑色人種は、それほど有能ではない原始人集団の一つであり、異なる方向での大規模な移動により大いに弱められた。分散以前これらの部族は、およそ35万年前、ファンタヅの統率の下にかなりの文化の回復を経験した。
緑色人種は、主要な3集団に分裂した。北の部族は、黄色人種と青色人種に征服され、奴隷にされ、吸収された。東の集団は、その頃のインディアン民族と合併し、生存者は、それらの中でいまだに存続している。南の民族は、アフリカに入り、そこで自分達と同程度に劣る橙色人種のいとこ達を滅ぼした。
多くの統率者は、各自が巨大な種族の血統を伝えもっていたので、2,4メートルから2,7メートルの背丈であり、両集団が、この戦いでは多くの点で互角であった。緑色人種のこれらの巨漢の種族は、主にこの南方の、つまりエジプト人の国に閉じ込められた。
打ち勝った緑色人種の残党は、その後、人種分裂の核心である本来のサンギク人種から発達し、移住する最後の有色民族の藍色人種に吸収された。
5. 青色人種。青色人種は偉大な民族であった。早くに槍を発明し、その後多くの現代文明の芸術の基礎をもたらした。青色人種は、赤色人種の知能と黄色人種の魂と感情に相当するものを有していた。アダームの子孫は、後の存続する全有色人種よりも青色人種を好んだ。
初期の青色人種は、カリガスティア王子の職員である教師の説得にすぐさま反応し、反逆的な指導者達のその後の誤った教えに大きく撹乱された。それらは、原始の他の人種のようにカリガスティアの裏切りからうまれた騒動を完全に回復したわけでは決してなく、内部抗争の傾向に対しても完全に克服したわけではなかった。
カリガスティアの失墜からおよそ500年後、広範囲におよぶ学習復活と原始的宗教—それでも本物で有益である—が、現れた。オーランドフが、青色人種の中の偉大な教師となり「最高なる酋長」という名の下に多くの部族を真の神の崇拝へと引き戻した。アダーム系の混血者によりはなはだしく高められる後の時代までは、これが、青色人種にとっての最大の進歩であった。
青色人種は、最近までヨーロッパに生残していたので、ヨーロッパ人の旧石器時代についての研究と探検が、これらの古代の青色人種の道具、骨、および工芸品を掘り出すのに大きく係わりがある。ユランチアのいわゆる白色人種は、最初に黄色と赤色のわずかな混合により変更され、後に紫色人種のかなりの部分を吸収することで大きく向上されたこれらの青色人種の子孫である。
6. 藍色人種。全サンギク民族のなかで赤色人種が、最も高度であったように、黒色人種は、最も進歩的でなかった。黒色人種は、高地の自分達の家からの最後の移住者達であった。アフリカに旅をし、その大陸を占有し、代々奴隷として強制的に連れ去られた時を除き、以来ずっとそこに留まった。
藍色民族は、アフリカに孤立し、赤色人種同様アダーム系の注入から得られたであろう人種向上を少ししか、あるいは全然受けなかった。藍色人種は、アフリカに離れており、すばらしい精神の目覚めを経験したオーヴォノンの時代まであまり向上しなかった。オーヴォノンによりはっきりと示された「神の中の神」を後にほぼ完全に忘れている間も、知られざるものへの崇拝願望を完全には失わなかった。少なくとも、崇拝の形態を数千年前まで維持した。
これらの藍色人種は、その後進性にもかかわらず、地球の他の人種同様に天の力の前にはまったく同じ立場にある。
様々な人種間での激しい戦いの時代ではあったが、惑星王子の本部近くでは、ルーキフェレーンスの反逆勃発によるこの政権の深刻な分裂時までそれほど立派な世界人種の文化上の征服も達成されてはいなかったものの、より進んだ、より最近の教えを受けた集団が、かなり睦まじく一緒に生活していた。
これらの異なる民族は皆、時おり文化的、精神的復活を経験した。マンサンツは、惑星王子後の偉大な教師であった。しかし、全体の人種に著しく影響をおよぼし、刺激を与えた傑出のそれらの指導者と教師にだけ言及する。時の経過につれ、多くの、 あまり優秀ではない教師が、異なる地域に現れた。彼らは、全体としては、文化的開化の全壊阻止につなげる感化力の総体的結果に大いなる貢献をした。特にカリガスティアの反逆とアダームの到着の間の長く暗い時代に。
空間世界における3種の有色人種、あるいは6種の有色人種の発展計画のための望ましくて満足できる理由が多くある。ユランチアの死すべき者は、これらの理由の全てを感謝する立場に完全にはいないかもしれないが、我々は次への注意を促したい。
1. 多様性は、幅広い自然淘汰の働く機会を欠くことはできない。優れた血統の格差的生存。
2.これらの異なる人種が優れた遺伝要素の携行者であるとき、さまざまの民族との交配からのより強く、 より良い人種は、いくらでもある。そのような結合している民族が、優れたアダーム系との徹底的混合によりその後効果的に高められていたならば、ユランチアの人種は、初期のそのような融合による恩恵を受けていたことであろう。ユランチアでのそのような実験の試みは、現在の人種状況のもとでは非常に悲惨なものであろう。
3. 競争は、人種の多様性により健康的に刺激される。
4. 人間の寛容と利他主義の開発には、各人種内の人種とその集団の状況差が不可欠である。
5. 人類の均質性は、進化する世界の民族が比較的高い精神開発の水準に到達するまでは望ましくない。
サンギク族の有色の子孫が増え始め、隣接する領土への拡大の機会を摸索しているとき、5番目の、地質学上は3番目の氷河の南側の移動は、ヨーロッパとアジアへむけてかなりの前進をした。早期のこれらの有色人種は、その起源である氷河時代の厳しさと苦難により法外に試練を受けた。この氷河は、アジアでは大規模であり、東アジアへの移動は、何千年もの間断ち切られるほどであった。アラビア隆起の結果としての地中海のその後の後退まで、それらは、アフリカに達することはできなかった。
その結果、異なる人種間で初期に生じた独特ではあるが自然な反感にもかかわらず、これらのサンギク人種が、山麓の丘陵地帯に広がり、多少なりとも入り混じったのは、およそ10万年間であった。
インドは、惑星王子の時代とアダーム時代の間にかつて地球上で見られる最も国際的集団の発祥地となった。しかし、この混合が、緑、橙、藍色の人種を非常に多く含むことになったのは不運であった。これらの二次的サンギク民族は、南方の地での生活が容易で好ましいと分かり、その多くが後にアフリカにわたった。一次的サンギク民族は、つまり優れた人種は、熱帯地方を避け、赤色人種はアジアへと北東に行き、それに黄色人種が密接に続き、一方青色人種はヨーロッパへと北西に移動した。
赤色人種は、インドの高地を迂回し、アジア北東部すべてを占有し、後退する氷のすぐ後について一足早く北東に移住し始めた。黄色部族は、アジアから北アメリカへと追い出されたが、その後をしっかりと付いていった。
赤色人種のうちの比較的純系の生存者がアジアを見限ったとき11部族が存在し、それらは7,000人強の男女、および子供等であった。これらの部族は、複数人種の祖先をもつ3小集団を引き連れており、そのうちの最大の混交は、橙色と青色人種の組み合わせであった。この3集団は、赤色人種と全面的に親しくしたわけではなく、早くにメキシコや中米へと南に旅をし、後にそこで黄色と赤色との混血の小集団が加わった。これらの民族のすべては、姻戚関係を結び、純系の赤色人種よりも非戦闘的で、新しい融合的人種を樹立した。この合併した人種は、5,000年のうちにそれぞれにメキシコ、中米、南米の文明を確立し、3集団に分散した。南米へ派生したものは、アダームの血とのかすかな接触を経験した。
初期の赤色人種と黄色人種は、アジアにおいてある程度混ざり合い、この組み合わせからの子孫が、東へ、そして南の海岸に沿って旅をし、やがて急速に増加する黄色い人種に半島や近くの島へと追いやられてしまった。これらの子孫は、現代の褐色人種である。
黄色人種は、東アジア中央領域を占有し続けた。6有色人種のすべてが、かなりの数で生き残った。黄色人種は、時おり民族戦争をしたが、赤色、緑色、橙色人種がしたような絶え間のない、残忍な撲滅戦争を持続しなかった。これらの3人種は、とうとう他人種の敵に絶滅される前に、実質的には自滅した。
ヨーロッパにおける5番目の氷河は、遠く南に広がることはなかったので、北西へと移住する道が、これらのサンギク民族に部分的に開かれた。青色人種は、氷の後退の際、他の人種集団のいくつかと共に、アンドン部族の古道に沿って西へ移住した。青色人種は、大陸の大半を占領し、間断のないうねりでヨーロッパに侵入した。
青色人種は、まもなく初期の、共通の先祖であるアンドンのネアンデルタールの子孫にヨーロッパで遭遇した。この昔のヨーロッパのネアンデルタール人は、氷河によって南へと東へと追いやられ、その結果、侵入してくるサンギク部族のいとこに速やかに遭遇し吸収する位置にいた。
サンギク部族は、一般的に、また最初は、アンドン系の初期の平原住民の劣化した子孫よりも知能が高く、あらゆる点ではるかに優れていた。サンギク部族のネアンデルタール民族との混交は、 旧来の人種の直接的改良のきっかけとなった。この注入こそが、ネアンデルタール民族にあの著しい改良をもたらした、知性を増す部族の間断のないうねりとなって東からヨーロッパへ押し寄せたサンギクの、とりわけ青色人種の血統であった。
次の間氷期、この新ネアンデルタール人種は、イギリスからインドへと広がっていった。昔のペルシア半島に残された青色人種の生存者は、後に一定の他の人種と、主には黄色人種と混合した。こうしてできた、後にはアダームの紫色人種によりいくらか高められた混合人種は、現代のアラブ人の浅黒い遊牧民的部族として持続してきた。
現代人の中のサンギクの祖先の見分けにおける全努力は、アダーム系の血統のその後の混合によるその後の種族改良を考慮に入れなければならない。
優れた人種は、北方、または温和な気候を求めていき、一方、緑色人種、橙色人種、藍色人種は、インド洋から西方に後退する地中海とを切り離した最近隆起した地橋を渡り、相次いでアフリカへと引き寄せられていった。
人種起源の中心地から移住するサンギク民族の最後の者達は、藍色人種であった。緑色人種が、エジプトで橙色人種を抹殺しようとして自らを大いに弱めていた頃、パレスチナから海岸沿いに南への黒色人種の大移動が始まった。後のエジプト侵略の際、これらの肉体的に強い藍色人種は、ただ数の力だけで緑色人種を絶滅させた。これらの藍色人種は、橙色人種の残りとかなりの緑色人種の系統を吸収し、一定の藍色部族は、この人種的合併によりかなり改良された。
エジプトは、まず橙色人種、それから緑色人種、続いて藍色(黒色)人種、さらに後には、藍色、青色、改質された緑色の雑種の人種に支配されたようである。しかし、アダームが到着するずっと前に、ヨーロッパの青色人種とアラビアの混合人種が、藍色人種をエジプトから、そしてアフリカ大陸の遠く南に追い出した。
サンギク族移動の終わりが近づくにつれ、緑色と橙色の人種はいなくなり、赤色人種は北アメリカ、黄色人種は東アジア、青色人種はヨーロッパを保持し、藍色人種はアフリカに引き寄せられていた。インドは、二次サンギク人種の血をもつものを宿し、また、褐色人種(赤色と黄色の混合)は、アジア海岸沖の島々を制する。かなり優れた素質を持つ混交人種は、南米高地を占有している。より純血のアンドン系は、ヨーロッパの極北地域、アイスランド、グリーンランド、それに北米の北東部に住んでいる。
最遠の氷河の進出期間、最西端のアンドン部族は、海に追い込まれるほどの目にあった。アンドン部族は、長年イギリスの現今の島の南側の細長い土地で生活した。そして6番目の最後の氷河が遂に姿をみせたとき、海に連れていくように追い立てたのがこれらの繰り返しの氷河についての言い伝えであった。アンドン部族は、最初の海洋冒険家であった。それらは、小舟を造り、恐ろしい氷の侵入のないことを望み、新しい陸地捜しに取り掛かった。そして、ある者はアイスランド、他の者はグリーンランドに達したが、圧倒的多数は、大海原で飢餓と渇きで死んだ。
8万年余り前、赤色人種の北米の北西進入直後、北の海の氷結、それにグリーンランドにおける局部的氷原の前進が、ユランチア原住民のこれらのエスキモーの子孫をより良い土地、新しい家探しへと追い立てた。そして、子孫達は、当時北米の北東部の陸からグリーンランドを分離していた狭い海峡を無事に横断してこれに成功した。それらは、赤色人種のアラスカ到着からおよそ2,100年後に大陸に達した。青色人種混血の一部が、次に西に旅し、後のエスキモーと混合し、この結合は、エスキモー部族にとりわずかに有益であった。
およそ5,000年前、インディアン部族と孤立するエスキモー集団との遭遇の機会が、ハドソン湾の南東の海岸であった。2つの部族は、互いの意思伝達に困難を感じたものの、すぐに姻戚関係をもち、これらのエスキモーは、その結果、最終的には数の多い赤色人種に吸収された。そして、これが、北米赤色人種にとっての他の人間の血統との接触、つまり白人が、たまたま大西洋海岸に初めて着陸した約1,000年前まで、の最後であった。
これらの早期の時代の苦闘は、度胸、勇気、武勇さえの特徴がある。我々は皆、あなた方の初期の先祖の立派で飾らない特性の非常に多くが、後の時代の人種では失われたことを遺憾に思う。我々は、前進する文明の多くの改良点の真価を評価する傍らで、あなたの初期の先祖のもつ、しばしば壮大さと崇高さに近似した、すばらしい粘り強さとずば抜けた献身の欠如を淋しく思う。
[ユランチア居住の生命搬送者による提示]
基礎的進化の物質生命—心以前の生命—は、主たる物理的管理者と生命搬送者の活発な奉仕と関連する熟練の7精霊の生命分与活動の明確化である。調和して働くこの三重の創造性機能を受けた結果、生物体の心のための物理的容量—外的環境刺激と、後には、内的刺激への、生物体の心自体からくる影響への知的な反応のための物質的仕組み—には発展がある。
その時、生命の増殖と進化には異なる3段階がある。
1. 物理的エネルギーの領域—心の可能性の増殖。
2. 精神の補佐の心の働き—精神の可能性に影響を与えている。
3. 死すべき者への精神贈与—思考調整者贈与において最高点に達する。
生物体の環境への反応における機械的で教育不可能な段階は、物的管理者の領域である。補佐の心-精神は、適応性があり、あるいは非機械的で教育可能な心の型— 経験から習得できる有機体のそれらの反応の仕組み—を作動させ、規制する。そして、精神補佐が、このようにして心の可能性を操るように、生命搬送者も、進化過程の環境状況に人間の意志—神を知る能力と神崇拝を選ぶ力—出現のまさしくその時点まで少なからぬ任意の調整を行うのである。
生命搬送者、物理的管理者、精神補佐の統合的機能こそが、棲息界での生物進化の過程を条件づけるのである。そして、これが、—ユランチア、または他所において—進化が、なぜ常に意図的であり、決して偶然でないかという理由である。
生命搬送者には、ごくわずかの被創造物の型しか持っていない人格変容の可能性が贈与されている。局部宇宙のこれらの息子達は、存在体の多様な3局面で機能することができる。彼らは、通常は中自分たちの出自である中間相の息子として自らの義務をはたす。しかし生命搬送者は、そのような存在舞台において物理的エネルギーと物質粒子の加工者として電気化学の領域で機能することは到底できなかった。
生命搬送者は、次の3段階での機能が可能であり、機能する。
1. 電気化学の物理的段階
2. 準モロンチア存在体の通常の中間相
3. 高度な半精神段階
生命搬送者は、生命着床準備にかかわる際、またそのような仕事のための場所選択後に、生命搬送者変成の大天使委員会を召集する。この集団は、物的管理者とその仲間を含むさまざまな人格の10系列から成り、ガブリエルの命令と日の老いたるものの許可のもとにこの立場で行動する大天使長が、取り仕切る。これらの存在体が適切に回路化されると、かれらは、電気化学の物理段階で意志がすぐさま機能できるのと同様に、生命搬送者においてそのような変更をもたらすことができる。
生命伝播に関わる超物質力は、生命の型が決定され、また正式に物質組織が完成されると、直ちに活動的になり、生命が存在にいたる。その上、生命搬送者が、人格存在の正常な中間相に戻ると、新型の生きものを構成する—創造する—ための全能力を取り去られているにもかかわらず、生きている編成単位を巧みに操り、進化する有機体をその状態の中で巧みに扱うことができる。
生物進化が一定の進路をたどり、人間の型の自由意志が、最高度の発達をしている生物に現れると、生命搬送者は、惑星を去るか、放棄の誓約をしなければならない。すなわち、生物進化過程への更なる影響およぼす試みすべてを差し控えると誓約しなければならない。そして、進化したばかりの意志をもつ被創造者の育成を任される者達への未来の助言者として惑星に残ることを選択する生命搬送者が、そのような誓いを自発的に立てると、系統君主の権威とガブリエルの許可を得て、宵の明星の議長により12名からなる委員会が召集される。これらの生命搬送者は、そこで直ちに、人格存在の第3相—存在体の準精神段階—に変成される。私は、アンドンとフォンタの時代以来ずっとユランチアでこの3番目の相で機能している。
我々は、宇宙が命と光に落ち着く時を、我々が完全に精神的でありうる存在体の第4段階というものを待ち望んでいるのだが、いかなる方法でこの魅力ある進歩的状態に達し得るのかは我々には一度として明らかにされたことはない。
地球創造の海草から君臨への人間上昇の物語は、実に生物の葛藤と心の生存の冒険物語である。人間の原始の先祖は、古代の内海の広大な海岸線の停滞し、かつ温水の湾や潟の海底にある文字通り、粘液であり、軟泥であり、生命搬送者達は、ユランチアの他ならぬその水中に独立する3つの生命を樹立したのであった。
動物に似たどっちつかずの有機体をもたらした画期的な変化に登場した初期の海洋植物のほんのわずかな種が、今日現存している。海綿類は、野菜からゆるやかな変遷を経て動物が生ずるまでのそれらの有機体である初期中間型の中の生存体の1つである。これらの早期の変遷型は、現代の海綿類とは同じではないが、酷似していた。真の境界線の有機体—植物でも動物でもない—であったが、最終的には真の動物の生命の型の進化に導いた。
細菌は、つまり極めて原始的性質の単純な植物は、生命の黎明以来ほとんど変化していない。その寄生行動においてはある程度の退歩さえ示している。葉緑素形成能力を失い、多かれ少なかれ寄生的になった植物である菌類の多くもまた、進化において後退の動向を呈している。病気を引き起こす細菌とその補助的ウイルス体の大半が、実際には変節の寄生菌類のこの群れに属する。広大な全植物界は、介在する時代の間、細菌が子孫である先祖から進化してきた。
動物生態の中の高等原生動物の型は、すぐ現れ、しかも突然であった。そして、これらの遠い昔から典型的な単細胞動物の有機体であるアメーバは、あまり変更のないまま続いて来た。アメーバは、生物進化において最後の、最大の達成であったときのように、今日、楽しんでいる。植物界にとっての細菌である物が、動物創造にとってのこの極小生物とその原生動物のいとこ達にあたるのである。それらは、その後の発達の失敗とともに、生命分化における第一の初期進化段階の生存を代表している。
初期の単細胞動物の型は、間もなく、まずヴォルヴォックスの形態で、やがてヒドラと海月の種類に似た形で集団で結びついた。なお後になって、ヒトデ、海ユリ、ウニ、ナマコ、ムカデ、昆虫、クモ、甲殻類、それに密接に関係づけられたミミズとヒルの集団が進化し、これにすぐ軟体動物—カキ、蛸、およびカタツムリ—が、続いた。何百もにおよぶ種類が介在し滅びていった。長い、長い戦いを乗り切った物に限って言及した。そのような非進歩的被検物は、後に出現する魚科と共に、今日、初期の下等動物の固定型、つまり進歩しなかった生命の系譜の支系を代表する。
こうして、最初の脊椎動物、魚科出現の舞台準備が整った。この魚科から、2個体の独自の変形物、カエルとサンショウオが発生した。そして、やがては人間自身に至る動物生態における進歩的分化を始めたのが、カエルなのであった。
カエルは生存する人類先祖の最初期の1つであり、遠い昔と全く同じように今日生存しているものの進歩もなかった。カエルは、現在地球上に生活する黎明期の人種の唯一の祖先である。人類には、カエルとエスキモーの間に生残する祖先は何もない。
カエルは、実質的には消滅しているが、滅びる前に全鳥類と数々の哺乳動物系列をもたらした重要な動物群の爬虫類を生み出した。
おそらく人間出現以前の全発展の中の唯一最大の飛躍は、爬虫類が鳥になった時に果たされた。今日の鳥の型—鷲、アヒル、鳩、駝鳥—は、全て大昔の巨大な爬虫類の系統であった。
カエル科の子孫である爬虫類世界は、現存する4門に代表される。そのいとこのワニや亀を伴う蛇やトカゲの非進歩的な2門。鳥科の部分的に進歩的1門。それに、4門目が、哺乳動物の先祖と人類の直系子孫。しかし、長らく軌道を逸脱はしているものの、一時的な爬虫類のその巨大な質量は、象とマストドンに蘇り、一方その独特の形状は、跳ねるカンガルーに永続した。
魚類を最後に、14門だけがユランチアに出現し、鳥類と哺乳動物以来新種は、進化しなかった。
胎盤の哺乳動物が突然生じたのは、肉食性の習慣にもかかわらず比較的大きい脳を持つ敏捷な小爬虫類の恐竜からであった。これらの哺乳動物は、急速に進化し、しかも多くの異なる種類で、現代の普通種をもたらしたばかりでなく、鯨や海豹のような海洋型へと、そして蝙蝠族のような空中操縦者へと進化していった。
人間は、主として古代の東西の保護された海の西側の生命着床に遡る高等哺乳動物からこうして進化した。東と中央の生物集団は、早くから動物存在の原人の水準到達に向かい順調に進歩していた。しかし、東側の生命定置の中心は、人間の可能性を取り戻す力を永遠に奪い取られた細菌原形質のその最高の型の度重なる、しかも取り返しのつかない損失を受けて、時代の経過につれ原人の満足できる知的状態水準に至ることができなかった。
この東側の集団における進化に向けての心の可能性の質は、他の2者には断然劣っていたので、生命搬送者は、進化する生命のこれらの原人の下等種族を、上司の同意を得てさらに制限するように環境を操作した。これらの劣る生物集団の除去は、どう見ても偶然のようであったが、現実には全く意図的であった。
知能の進化的展開の後半、人類のキツネザルの先祖は、他の領域でよりも北アメリカにおいてはるかに進歩した。ゆえのそれらは、西側の生命着床の活躍舞台からベーリングの地峡へと、そしてアジア南西の沿岸を下がり移住へと導かれ、そこで、発展し、中央の生命集団の一定種族の付加による恩恵を受け続けた。その結果、人は、種族的には東と中央の特定の生命から、地域的には中近東の中心部で進化した。
ユランチアに植えつけられた生命は、かくのごとく人間自身がまず現れ、その多事な惑星での経歴を始める氷河期まで進化した。また、地球氷河期のこの原始人の出現は、ただの偶然ではなかった。それは計画的であった。氷河時代の苦難と気候上の厳しさは、途方もない生存贈与と頑丈な人間の型の所産の促進目的においてあらゆる点で適合した。
現代人の心に、初期の進化過程での明らかに珍妙で異様な多くの出来事を説明することはとてもできない。意味深長な計画が、外観上奇妙なこれらの生き物の進化のすべてに作用はしていたが、一度工程が始まってしまうと、我々には任意に生命の型の開発を妨げることは許されていない。
生命搬送者は、可能な限りの天然資源を用い、また生命実験の進展過程を高めるありとあらゆる思いがけない情況を利用するかもしれないが、植物進化、あるいは動物進化のいずれをも無意識に干渉したり、その行為や過程を任意に操ることは我々には許されてはいない。
ユランチアの死すべき者には、1匹のカエルの可能性として有した原始のカエルの発達により進化してきたこと、そしてこの上昇する遺伝子が、ある特定場面において辛うじて消滅を逃がれたということを知らされてきた。だがこの際、人類の発達が、事故により終結されたと推論してはいけない。我々は、多くの様々な型に導かれていたはずの少なくとも1,000種の異なる、しかも遠隔地にいた生命の変異種族の原人進化をまさしくその瞬間観測し、促進していたのである。前の2つの遺伝的性質は保持のための我々の全努力にもかかわらず滅びてしまっており、この特有の先祖のカエルは、我々の3番目の選択を意味した。
子を持つ前のアンドンとフォンタの損失でさえも、人間の進化を遅らせたであろうが、それを防ぐことはできなかったであろう。その後のアンドンとフォンタの出現後と動物の生命からの人間の変異する可能性が尽きる前に、ある種の人間の進化の型が達成され得る少なくとも好ましい7,000の種族の発達があった。そして、これらのより良い群体の多くが、次には拡大する人類の様々な支系によって同化された。
物質の息子と娘が、すなわち生物学上の改良に努めるもの達が、惑星到着のずっと以前、進化する動物種からの人間の可能性は使い果たされていた。動物のこの生物状態は、補佐精神起動の3相の現象により生命搬送者に明らかにされ、それは、原人個人の変異体の可能性の起始となるすべての動物の可能性の枯渇に同時に、自動的に起こる。
ユランチアの人類は、いまいる人間種族と一緒に人間進化のその問題を解決しなければならない。原人からはこれ以上の人種は、これから先発展することはないであろう。しかし、この事実は、まだ人種に内在する進化の可能性を育成する知能が、人間発達のはるかに高い水準にいたる可能性を排除するものではない。我々生命搬送者が、人間の意志の登場前に生命遺伝子を育くみ、保護にむけてしていることを、人は、そのような出来事の後や、我々の進化への活発な参加からの発退役後に、人間自らのためにしなければならない。概して、人の進化の運命は、自身の手中にあり、科学的知性は遅かれ早かれ、抑制されない自然淘汰と偶然的生存の無作為の働きに取って代わらなければならない。
進化の育成にかかわる議論関して、あなたは、先の長い未来に、いつか生命搬送者の軍団に配属されるかもしれないとき、生命の管理と移植の計画と手法において数多くの十分な申し出での機会をえたり、可能な改良を何でもするということを指摘しても間違いではなかろう。忍耐して待ちなさい。もし名案が、あなたにあるならば、もし宇宙のあらゆる領域の管理のためのより良い方法が、あなたの心に豊富にあるならば、あなたは、確かに来る時代に同僚と管理者仲間にそれらを提示する機会をもつことになるであろう。
ユランチアは、生命実験世界として我々に割り当てられたという事実を見落としてはいけない。我々は、この惑星で、ネバドン生命の型からのサタニアへの適合性の60回目の変更と、可能な改良を試みたし、また記録には、頻繁かつ有益な生命標準型の変更を成したとある。具体的に言うと、我々は、いつまでもずっと全ネバドンに役立つ少なくとも生命変更にかかわる28の機能に関してユランチアで良い結果を出し、満足のいくように明示してきた。
いかなる世界での生命の確立というものは、試されなかったり、知られていなかった何かを試みるという意味の実験には基づいていない。生命の進化は、これまで進歩的で、特異で、可変的な方法であったが、決して出鱈目で抑制のない、しかも完全に行き当たりばったりの実験的なものではない。
人間の生命の多くの特徴は、人間存在の現象が知的に計画されているということ、生物進化が単なる宇宙の偶然ではないという多くの証拠を示している。細胞は、活発な細胞が傷つけられると、傷の回復を容易にする特定物質の分泌をすぐに始められるように隣接する正常な細胞を刺激し活性化するためにある化学物質を合成する能力をもつ。同時に、これらの正常で、しかも損なわれていない細胞は増殖し始める。つまり事故により破壊されてしまったかもしれない同種のいかなる細胞も、交換のために実際に新細胞創生にとりかかる。
傷の回復と細胞増殖に関するこの化学作用と反応は、10万以上の相と性質を有する可能な化学反応と生物的影響の対応策の生命搬送者による選択を示している。最終的にユランチアの生命実験に対するこの対応策におさまる前に、生命搬送者による50万以上もの明確な実験が、実験室で行なわれた。
これらの癒しの化学物質についてさらに知る時、ユランチアの科学者は、疾病治療においてより効果をあげるであろうし、特定の深刻な病気の抑制に関し間接的にさらに知るであろう。
生命がユランチアに確立されて以来、生命搬送者は、別のサタニア界で導入されてきたようにこの治療方法を改良してきており、ゆえにさらなる鎮痛と関連づけられた正常な細胞の増殖能力をよりよく抑制する。
ユランチアの生命実験には多くの独自の特徴があるが、顕著な2つの出来事は、6有色人種の進化に先立つアンドン人種の出現と、1家族内でのサンギク変異体の後の同時出現であった。ユランチアは、サタニアにおいて6有色人種が同じ人間家族から出た最初の世界である。それらは、通常、現人の動物群体の中の単独変異から様々な種族として起こり、だいたい1人種ごとに地上に現れ、赤色人種に始まり、その色を藍色に譲り渡しつづけ、その後長期にわたり他の人種が出現する。
進展のもう一つの際立つ変異は、惑星王子の遅い到着であった。王子は、原則として意志の進展とほとんど時を同じくして惑星に現れる。もしそのような計画が実行されていたならば、カリガスティアは、6つのサンギク人種の同時の出現でもあるおよそ50万年後どころではなく、アンドンとフォンタの生存期間中にさえユランチアに来ていたかもしれない。
惑星王子は、普通の棲息界においてアンドンとフォンタの出現時に、時にはその後に生命搬送者の要求を認めていたことであろう。しかし、ユランチアが生命変更惑星に指定されていたことから、事前合意によってメルキゼデクの観察者、数にして12名、、が、相談役として、また惑星王子のその後の到着までの惑星の監督者として生命搬送者へ向けられた。これらのメルキゼデクは、アンドンとフォンタが人間の心に思考調整者を宿らせる決断をしたときにやって来た。
サタニアの生命の型を改良するという生命搬送者のユランチアでの努力が、明らかに無用な多くの変遷生命の型の生産を必然的にもたらした。しかし、既に蓄積された利得は、ユランチアの標準的生命設計の変更を正当化するに足りるのである。
我々の意志は、ユランチアの進化的生命における意志の早期の顕現をもたらすということであり、我々はそれに成功した。意志は、大抵は有色人種が長い間生活するまで現れず、通常、まず赤色人種の優れた型の中に現れる。着色人種出現以前に人間型の意志が現れたのは、サタニアではあなたの世界が唯一の惑星である。
にもかかわらず、我々は、最終的に人類の哺乳類の先祖をもたらした遺産要素のその組み合わせと関連性に備える努力において、数百も数千もの他の、また多少なりとも無用の遺産要素の組み合わせと営みを可能にする必要性に突き当たる。一見したところでは奇妙な我々の努力からのこの副産物の多くが、人が惑星の過去を研究していくとき、その注視に出合うのは確かであり、また、私は、これらのうちのあるものは人間の限りある見地にはどれほどか不可解であるに違いないとよく理解できるのである。
ユランチアの知能の優れた生命を変更する我々の特別な努力が、我々の統制し切れない悲惨な堕落—カリガスティアの裏切りとアダームの不履行—により不利な立場に追いやられたということは生命搬送者にとっての後悔の源であった。
この生物の冒険全体を通じての我々の最大の失望は、そのような広範囲にわたる予想外の規模での寄生虫細菌の前葉緑素段階へのある原始植物の逆戻りから生じた。植物進化におけるこの偶発性は、高等哺乳動物に、特に傷つき易い人類に多くの苦痛をともなう病気を引き起こした。この当惑する状況に直面したとき、アダームの生命原形質のその後の混合が、結果として生じる混合人種への抵抗力を補強するほどまでに、それが実際に植物型の有機体に引き起こされたすべての病気に免疫をもたらすであろうということが分かっていたので、我々は、伴う困難を若干軽視した。しかし、我々の望みは、アダームの不履行の不幸のために失望の運命へと追いつめられた。
ユランチアと呼ばれるこの小世界を含む宇宙の中の宇宙は、単に我々の賛同を得ないばかりか、我々の都合にそぐわない、ましてや我々の気まぐれな考えや好奇心を満足させるような扱いをしてはいない。宇宙管理を担う賢明で全能の存在体は、疑う余地もなく、自らが何をしているかを確かに知っている。したがって、叡知の統治、力の支配、進歩の前進との我慢強い待機と心からの協力を得ることは、生命搬送者に適しており、人間の心に相応しい。
もちろん、ユランチアにおけるマイケルの授与といったような苦難への報酬はある。しかし、この惑星の後の天の監督は、そのような考のすべてのはともかくとして、人類進化の究極的勝利において、また我々の本来の計画と生命の型の最終的擁護において全面的な確信を表明する。
移動物体の正確な位置と速度を、同時に正確に測定することは不可能である。いずれの測定のいかなる試みも、必然的に他方に変化をもたらす。同じ類いの矛盾がは、原形質の化学分析に着手するとき人に対峙する。化学者は、死んだ原形質の成分を明らかにはできるが、生きた原形質の物理的組織も運動性能のいずれも見分けられない。科学者は、常に生命の秘密により近づくであろうが、それを分析するために原形質を殺さなければならないという理由だけでは、決してそれを見つけないであろう。死んだ原形質は、生きた原形質と同じ重さであるが、同じではない。
生物と存在体には、適合の本来の贈与がある。あらゆる植物、または動物細胞には、つまりあらゆる生物—物質的、あるいは精神的—には、環境調整、生物的適合、および増大された生命実現における絶えず増大する完全性到達への飽くことのない渇望がある。すべての生き物のこの果てしない努力は、その内部の完全性のための生まれながらの努力の存在を証明している。
植物進化における一番重要な一歩は、葉緑素を作る能力の開発であり、第2の進歩は、胞子の複雑な種子への進化であった。胞子は、再生因子として最も効率的であるが、種子に固有の多様性と多能性の発展性に欠けている。
最も実用的で複雑な出来事の1つは、高等動物の型の発展において酸素を運ぶものと二酸化炭素除去の二役を演じる循環血球中の鉄の能力開発にあった。そして赤血球のこの性能は、いかにして進化している有機体が、その機能を異なる、あるいは変化する環境に適合させることができるかを例証している。高等動物は、人を含み、生体細胞に酸素を運ぶと同時に、効率的に二酸化炭素を取り除く赤血球中の鉄の作用で自らの組織に酸素を送る。しかし、同じ目的に適うように他の金属を用いることができる。コウイカはこの機能に銅を使い、ホヤ貝はバナジウムを利用する。
そのような生物の調整の継続が、 ユランチアの高等哺乳動物の歯の進化で例証される。人間の遠い先祖においては36本に達し、次に、原始人とその身内においては32本に向かって順応性ある再調整を始めた。今、人類はゆっくりと28本へと引き寄せられている。発展過程は今もなお活発であり、この惑星で順応的に進行中である。
生物の多くの外見上は神秘的な調整は、純粋に化学的であり、完全に物理的である。いかなる人間の血流中には、いかなる瞬間にも12の内分泌腺のホルモン生産との間に1,500万以上の化学反応の可能性がある。
下等植物の型は、物理的、化学的、電気的環境に全く敏感である。しかし生命の階級が上がるにつれ、7名の補佐の精霊の心の援助活動は、個々に作用するようになり、心は、ますます柔軟に創造的に統一され、優性になる。空気や水、そして陸に適合させる動物の能力は、超自然の贈与ではないが、超物質的調整である。
物理学と化学だけが、初期の海の原始時代の原形質から人間がいかに進化したかを説明できるのではない。学ぶ能力、すなわち記憶と環境への分別ある反応は、心の贈与である。物理法則は、訓練に対応せず、不変で、一定している。化学反応は、教育による変更はなく、一貫しており、信頼できる。無条件絶対の存在は別として、電気的、化学的反応は、予測できる。しかし、心は、経験から恩恵を受けることができ、刺激の反復を受けて行動への反応習性から学ぶことができる。
無知脳の有機体は、環境刺激に反応するのであるが、心に反応的な有機体は、環境自体を調整したり巧みな扱いができる。
人格の進歩する心が、精神的感受性に対しての生まれながらのある種の受容能力を持ち、それゆえ精神的進歩と到達の可能性を有しているように、その神経系に関連する物質的頭脳は、心の援助への対応のための生まれながらの受容能力を持っている。知力的、社会的、道徳的、そして精神的進化は、7名の補佐の精霊と、その超物質的提携者の心の援助に依存している。
7名の補佐の心霊は、局部宇宙にいる低知能生存物の心への多才な奉仕者である。この心の種類は、局部宇宙の本部から、またはそれにつながる世界から働き掛けられるが、劣る心の機能への体系首都からの影響力のある指示がある。
進化的世界では、じつに多大にこの7名の補佐の心霊の仕事を頼みとしている。しかしながら、彼らは心の奉仕者であり、生命搬送者の領域である物理的発展には関係がない。にもかかわらず、命をうけ、そして次々に明かされ、かつ固有である生命搬送者の統治の自然進行とのこれらの精神贈与の完全な統合は、心の現象において、自然の手と自然過程の働きを除いては、人間の識別不能性に原因があるとはいえ、人は、物質と関係のある心の自然な反応に繋がる事柄すべてを説明する際、時おりいくらか当惑をみせる。そして、あなたは、もしユランチアが本来の計画通りに運んでいるならば、心の現象において注意を引くようなことは更に見ることはなかったであろう。
7名の補佐の精神は、統一体であるよりも回路体であり、通常世界においては局部宇宙内で他の準機能で接続されている。生命実験惑星においては、しかしながら、それらは比較的孤立している。そして下級補佐は、生命の型のもつ独自の性質のため、ユランチアでは生命贈与のより画一された型との場合よりも進化的有機体との関わりにおいてはるかに面倒なことを経験した。
一方、7名の補佐の精神は、平均的進化世界ではユランチアにおけるよりもはるかに動物発達の前進段階に合わせている。補佐は、ネバドンの宇宙全体において機能してきたすべてのなかでは、ただ一つの例外を除いては、ユランチア有機体の進化する心との接触において最大の困難を経験した。この世界では、多くの型の境を接する現象—機械的教育不可能性と非機械的教育可能性の生物反応の混迷的組み合わせ—が展開された。
7名の補佐の精神は、生物体の環境反応の純粋に機械的な型とは接しない。生物のそのような知能以前の反応は、純粋に力の中心者、物的管理者、それに仲間のエネルギー領域に属している。
経験から学ぶ能力の可能性の取得は、補佐の精神の機能の開始を特徴づけ、補佐らは、人間の進化段階において原始的で目に見えない生存物の最も下等な心から最高の型にまで働きかける。彼らは、他の点では、多少なりとも物質環境への神秘的な振舞いと理解不充分な迅速な心の反応の源であり、様式である。これらの忠実で、常に信頼できる影響は、動物の心が、人間の精神感受性の水準に達する前の予備的奉仕を長く進めなければならない。
補佐は、6相目の水準へと、すなわち崇拝の精神へと体験的心の進化において機能する。この段階では、奉仕における不可避の重複—上級者が、高度の進化段階へのその後の到達を期待して下級者との連携のために手を差し出す現象—が、起こる。さらに、精神の付加的奉仕は、7番目と最後の補佐、すなわち知恵の精神の行動に伴う。個人は、精神世界の援助活動中、決して精神協力の突然の変化を経験することはない。これらの変化は、常に緩やかで相互的である。
物理的(電気化学的)領域と環境刺激への心的反応が、常に識別されるべきであり、次には、それは皆、精神的活動からは切り離され、現象として認識されなければならない。物理的、心的、精神的重力の範囲は、その親密な相互関係にもかかわらず、宇宙現実の異なる領域である。
時間と空間は、不可分に連結している。本質的な関連性がある。ある空間条件にあるとき、時間の遅れは必然である。
生命発達における進化上の変化をもたらすに当たり非常に多くの時間消費が、混乱をもたらすならば、私は、生命現象というものは、惑星が可能にする物理的変化以上には生命過程を調節することはできないのであると言いたい。我々は、自然で物理的な惑星の進化を待たなければならない。我々は、地質の進化に何の支配も絶対に揮えない。物理的状態が許すならば、我々は、100万年のかなりの少年数で、生命進化の完成の手筈ができたであろう。しかし、我々は皆、楽園の崇高なる支配者の管轄下にあり、また時間は楽園には実在しない。
時間測定のための個人の物差しは、その人の生命の長さである。すべての被創造物は、従って時間に条件付けられており、それ故、進化を延々と続く過程であるように見なすのである。進化は、寿命が一時的な存在により制限されない我々のようなものにとっては、長引く出来事のようなものには思えない。これらの事は、時間の実在しない楽園では、全て無限なるものの心と永遠なるものの行為に存在する。
心の進化は、物理的状態の緩慢な発達の助けを受け、また、それにより進行を妨げられているように、精神的発達も、心の拡大に依存し、また知能発達の遅れにより絶えず遅延されている。しかし、これは、精神的進化が教育、文化、または知恵に依存していると意味するものではない。魂は、心的文化にはそうではないかもしれないが、知的能力や願望—生存の選択と絶えず増大する完全性達成、つまり天で父の意志をなすということへの決心—には関係がある。生存は、知識と知恵の所有を拠り所としてはいないかもしれないが、発達は、間違いなくそうである。
心は、宇宙進化の実験室においていつも物質に対して優位であり、精神は、心と関連する。これらの異なる贈与の同調と調整の不履行が、遅れを引き起こすかもしれないが、個人が本当に神を知り、また神を求め神のようになる願望をもつならば、生存は、不利な時間的条件にかかわらず保証される。物理的状態は、心を妨げるかもしれないし、つむじ曲がりな心は、精神的到達を遅らせるかもしれないが、これらのいずれの障害も、全魂のこもった意志選択を打ち破ることはできない。
物理的条件が整うとき、突然の心的発達があるかもしれない。心の状態が好ましい状況にあるとき、突然の精神的変化が起こるかもしれない。精神的価値が、適切な認識を受けるとき、そのとき宇宙の意味が認識できるようになり、人格は、ますます時間の不利な条件から解かれるし、空間の制限を免れる。
[ユランチア在住のネバドンの生命搬送者による後援]
ラノナンデクの息子の平均的世界への到来というものは、意志が、つまり永遠の生存への道を選ぶ能力が、原始人の心で発達したことを意味する。しかし、惑星王子が、ユランチアに到着したのは人間の意志が出現してからおよそ50万年後であった。
およそ50万年前、カリガスティア、すなわち惑星王子が、6有色、つまりサンギク人種と時を同じくしてユランチアに到着した。王子の到着時点、地球には50万の原始人がおり、ヨーロッパ、アジア、アフリカに散在していた。メソポタミアに設立された王子の本部は、世界の個体群のほぼ中心にあった。
カリガスティアは、ラノナンデクの息子の二次系列の9,344番であった。局部宇宙の行政一般を、後代には、特にサタニアの局部恒星系の管理の経験があった。
カリガスティアは、サタニアでのルーキフェレーンスの統治に先立ち、生命搬送者の相談相手のジェルーセムの協議会に所属していた。ルーキフェレーンスは、カリガスティアを直属部下の位置に登用し、カリガスティアは、名誉と信用の連続的課題5つを無難にこなした。
惑星王子としてのカリガスティアは、非常に早くから任務を得ようとしたが、再三再四、星座委員会の承認を求める王子の要請が上がってきても星座の父の賛成を得られないのであった。カリガスティアは、惑星支配者として特に10番目の世界か、生命変更世界に送られることを願って止まないようであった。その嘆願は、最終的にユランチアに割り当てられるまで何度か却下されていた。
カリガスティアは、ある種の落ち着きの無さに加え、小事において既定の秩序と意見を異にする傾向もかかわらず、出自でありすみかである宇宙の福利への忠誠と献身の人も羨む経歴を携えジェルーセムから世界統制の責任ある任務へと出発した。
私は、頭の切れるカリガスティアが、恒星の首都を出発したときジェルーセムにいた。50万年前の多事多端なその日のカリガスティアほどには、より豊かな予備体験で、あるいはより良い見通しで、かつて世界統制の経歴に乗り出した惑星王子は、誰もいなかった。1つの事が確かである。私は、その出来事を局部宇宙の放送で流すにあたり、決してこの高潔なラノナンデクが、惑星保護の神聖な依託をそれほどまでにすぐに裏切り、宇宙の息子の資格の気高い体制の立派な名前をひどく汚すであろうなどという考えを一瞬たりとも、いささかなりとも抱いてはいなかった。実際に私は、ユランチアは、そのように経験豊富で、輝かしく、世界の政務で舵を取る独創的知性を持つことになっていたことから、全サタニアで最も幸いな5個か6個の惑星の中にあると考えていた。その時私は、カリガスティアが、狡猾にも自惚れに陥るとは了知していなかった。その時私は、人格の奢りの微妙さを完全に理解していなかった。
ユランチアの惑星王子は、単独では任務に送られず、補佐と行政助手の通常部隊を伴った。
この一団の頭は、ダリガスティア、惑星王子の次席補佐であった。ダリガスティアは、二次ラノナンデクの息子でもあり、その系列の319,407番であった。カリガスティアの仲間としての配置時点では補佐としての地位を占めた。
惑星の部下は、人類の関心を向上し、福利を促進するために任命された数多くの天使の協力者と多数の他の天の存在者から構成されていた。しかし全ての中で最も興味ある集団は、あなたの立場からは、王子の部下の、時としてカリガスティアの100名と呼ばれた有体構成員であった。
再度肉体の姿になった王子の100名の部下は、ユランチア冒険着手に志願したジェルーセムの上昇市民78万5,000名以上からカリガスティアによって選ばれた。選出された各100名は、異なる惑星から来ており、ユランチアからは1名もいなかった。
ジェルーセムのこれらの志願者は、熾天使の輸送により直接に系列首都からユランチアへと連れて来られ、それらは、到着の際、惑星特別奉仕のための二面性の人格の型が与えられるようになるまで文字通り生身の体と、しかも系列の生命回路にも合わせた天使のままでいた。
この100名のジェルーセム市民到着以前、監督に当たっていたユランチア在住の2名の生命搬送者は、自分達の計画を完了していたので、アンドンとフォンタの群体から選ばれた生存者100人の原形質を王子の部下である有体成員のための具体的な体内への移植許可をジェルーセムとエデンチアに陳情した。その要求はジェルーセムで承認され、エデンチアで許可された。
従って、特異な人種のうちの最良種族の生存者を代表して、アンドンとフォンタの子孫であるそれぞれ50人の男女が、生命搬送者により選ばれた。人種前進へのこれらのアンドン族の貢献者は、一人か二人の例外はあるものの、互いに見知らぬ者同士であった。それらは、思考調整者の指示と天使の指導との調整に広範囲に離れた場所から王子の惑星本部の入口に集められた。ここで、人間100人の被験者は、非常に熟練したアヴァロンからの志願委員の手に渡され、志願委員は、これらのアンドンの子孫の生命原形質の一部の物質抽出を指示した。この生ける物質は、王子の部下である100名のジェルーセム構成員のために作出された実際の肉体に移された。その間、系列の首都に到着したばかりのこれらの市民は、天使の輸送中、睡眠状態にされていた。
これらの取り扱いは、カリガスティアの100名に特別な肉体の字義通りの創造と共に、数多くの伝説の由来を与え、そのうちの多くは、その後アダムとハヴァーの惑星の導入に関する後の言い伝えと混乱されるようになった。
熾天使によるジェルーセム100名の志願者輸送の到着時から領域の三重の存在体が目覚めるまでの全体の人物化執行業務には、まるまる10日間掛かった。
惑星王子の本部は、その頃のペルシャ湾域に、後のメソポタミアに対応する地区に位置していた。
当時のメソポタミアの気候と景観は、あらゆる点で王子の部下とその補佐の取り組みに都合がよく、優勢的であった状態とはときおり非常に異なっていた。原始のユランチアが、文化と文明での最初の一定の進歩を確実に引き起こすように考案された自然環境の一部としてそのような有利な気候を持つことが必要であった。当時の1つの大きな任務は、狩人から牧夫へと、やがて平和を愛好し、家に住む農夫へと進化するであろうという望みをもって人を変えることであった。
ユランチアの惑星王子の本部は、若くて発達的球体におけるそのような拠点の典型であった。王子の入植地の中核は、12メートルの高さの壁に囲まれた、非常に単純な、しかし美しい都市であった。この世界の文化の中心は、ダリガスティアを称えダラマティアと名づけられた。
市には細分化地域の中心にある有体部下からなる10の委員会の本部用大邸宅と合わせて10区域が、設置されていた。市の真ん中には目に見えない父の寺があった。王子と仲間の行政本部は、寺のごく周辺近くにまとめられた12個の会議所に設置された。
ダラマティアの建造物は、2階建ての協議会本部、それと小さくとも3階建てのすべての者の父の中央の寺を除き、すべてが1階建てであった。
市の建築材料は、初期の時代の最優良事例—レンガ—を代表していた。ごく少量の石、または木が使用された。周囲の民族間での住宅と村の建築様式は、ダラマティアの実例によって大いに改良された。
王子の本部近くには、人間の全有色人種と全階層が住んでいた。王子の学校の最初の学生達が募集されたのは、これらの近隣の部族からであった。ダラマティアの最初の学校は、粗末であったが、その原始の時代の男女のためにできるすべてを提供した。
王子の有体の部下は、絶えず周囲の部族から優れた個人を集め、これらの学生を訓練し奮い立たせた後、教師や指導者としてそれぞれの民族の元に送り返した。
王子の部下の到着は、感慨深い印象を与えた。情報が広まるにはおおよそ1,000年を要したが、ユランチアの新たな一時逗留者の100名の教えと行為によりメソポタミア本部近くの部族等は、大いに影響を受けた。王子の部下のこれらの構成員が、超人としてユランチアで再度人格化された時、その後の神話の多くが、これらの初期の時代の誤り伝えられた伝説から生まれた。
そのような外惑星の教師の望ましい影響への重大な障害は、死すべき者が教師達を神と見なす傾向にあるということであるが、カリガスティア100名—50名の男と50名の女—は、地球出現の手法は別として、超自然の方法にも超人的操作にも頼らなかった。
有体の部下は、それでもなお超人的であった。部下達は、並はずれた三重の存在としてユランチアでの任務にとりかかった。
1. 彼らは有体で、1人類の実際の生命原形質、ユランチアのアンドン系の生命原形質を体内に持っていたので、相対的には人間であった。
王子の部下のこれらの100名は、男女同数に、またかつての人間の状態に応じて分けられた。この集団の各自が、何らかの新種の肉体的存在の共同の親になることができたのだが、一定条件のもとでのみ親としての手段に訴えるように慎重に指示されていた。特別な惑星の事業から引退前に後継者を作ることは、惑星王子の有体の部下にとっての習わしである。これは、通常、惑星のアダムとハヴァーの到着時か、または、その直後である。
したがって、これらの特別の存在体には、性交により生み出される物質的生物が何型であるかに関し、あまり、あるいは全く見当がつかなかった。だから、彼等は断じて知らなかった。世界のための仕事の実行においてそのような一歩を踏み出す前に、全体制は、反逆により覆され、後に親の役目を果たす者達は、系列の生命の流れからは隔離されてしまった。
肉体化したカリガスティアの部下は、皮膚の色と言語の面でアンドン民族に従った。彼らは、次のような違いを除き領域の死すべき者がするように食物を摂取した。この集団の再形成された体は、完全に非肉食で満たされた。これは、果実と木の実に富む温暖地域に住居を決定するという考慮すべき事項の1つであった。非肉食の生活習慣は、カリガスティア100名の時代に遡る。それゆえ、この文化的風習は、かつて肉食のみであった進化的人種に起源をもつ周辺の多くの部族の食習慣に影響を与えるまでに至る所に広まった。
2. 100名は、高度で特別の目に属する特異な男女としてユランチアで再編成された有形ではあったが超人的存在体であった。
この集団は、ジェルーセムで暫定的市民権を享受する一方で、各自の思考調整者とはまだ融合されていなかった。この集団は、下降してくる息子の身分系列と連係しての惑星事業に志願し受け入れられたときに調整者とは分離された。しかし、これらのジェルーセム系は、超人的存在—上昇的成長の魂を有したもの—であった。その魂は、肉体での人間生活の間、胎児の状態である。モロンチア生命に生まれ(復活し)、次のモロンチア世界を経て成長経験をする。カリガスティア100名の魂は、こうして7大邸宅世界の進歩的経験によりジェルーセムの公民の地位へと進んでいった。
部下は、指示に従い有性生殖に従事はしなかったが、個人の構造をきめ細く観察すると同時に、あらゆる想像可能な知力(心)とモロンチア(魂)の連携の相を慎重に探求した。ダン系集団の2番と7番が偶然モロンチアの自我(推定では、無性で非物質的)の付随的現象を発見したのは、壁完成のずっと前のダラマティア滞在の33年目であった。この冒険の結果は、第一中間被創造者の1番目であると判明した。この新存在体は、惑星の部下と天の仲間には完全に可視であったが、様々な人間部族の男女には見えなかった。全有体部下は、惑星王子の権限を拠りどころとし、先駆者のダン系1組の指示に従い、相似する存在体の生産を引き受け、すべてが成功した。王子の部下は、こうして遂には、第一中間者5万名の初代の軍団を生み出したのであった。
中間型の被創造者は、世界本部の業務続行に当たり功績を挙げた。それらは人間には不可視であったが、原始のダラマティア一時逗留者には、これらの見えない半霊について教えられており、長い間、半霊は、進化的必滅者にとり精神界のすべてを意味した。
3. カリガスティア100名は、個人としては不滅であるか、もしくは死ななかった。恒星系の生命の流れのための解毒性の補足物が、彼等の物質の型を循環していた。そして、反逆経験により生命回路との接触が絶たれることがなかったならば、その後の神の息子の到着まで、あるいは中断されていたハヴォーナと楽園への旅の再開のためにそのうち解放されるまで無期限に生き続けたことであったろうに。
サタニア生命回路のこれらの解毒性の補足物は、カリガスティアの到着時点、ノーランティアデクのいと高きものが、ユランチアに送ったエデンチアの低木の命の木の実から得られた。この木は、ダラマティア時代、見えざる父の寺の中央の中庭に生えており、それは、王子の有体の、さもなければ必滅の部下が無期限に生き続けることを可能にする命の木の実であった。
この類希な食物は、進化的人種には何の価値もない一方で、カリガスティア100名にとり、また関連する変化したアンドン族の100人にも、継続的生命を与えるにはかなり満足のいくものであった。
生命搬送者は、100人のアンドン族が王子の部下に人間の生殖細胞質を与えたときに、恒星系回路の補足を人間の体に導入したということが説明されるべきである。このように100人のアンドン族は、物理的な死に果敢に抵抗して、いく世紀も部下と共に生き続けることが可能となった。
結局、アンドン族の100人は、新しい優者の型への自らの貢献に気づき、一方アンドン部族のこれらの同じ100人の子供は、王子の有体の部下の個人的な付き添いとして本部に置かれた。
100人は、構成員が10人ずつの10の自治協議会へと編成された。これらの10協議会のうち2つかそれ以上の合同会議の開催時、そのような連絡集会ではダリガスティアが議長を務めた。これらの10部門は次のように構成された。
1. 食糧と物資の福祉協議会。この部門はアングが議長を務めた。この有能な部隊は、人類の食糧、水、衣類、物質的進歩を助長した。井戸掘り、泉の管理、潅漑を教えた。それらは、標高の高い地帯や北の地からの者達に衣服用の皮の取り扱いの改良された方法を教え、後には芸術と科学の教師が、機織りを紹介した。
食料保存方法での大きな前進があった。食糧は料理、乾燥、燻しにより保存された。その結果、それは、最も初期の財産となった。人間は、周期的に世界を破壊した飢饉の危険に備えることを教えられた。
2. 動物の家畜化と利用のための委員会。この協議会は、人間の荷物や自身の輸送のため、食糧供給のため、また後には土地耕作に役立つ最適の動物を選択し、飼育する任務を専門とした。この有能な部隊は、ボンが導いた。
今は絶滅した有用な動物の幾つかの型が、家畜として今日に続いてきた幾つかの動物と共に飼い馴らされた。人は、長い間犬と共に暮らしてきたし、また青色人種は、すでに象の飼いならしに成功していた。雌牛は、慎重な飼育により相当に改良されたので貴重な食料源となった。バターとチーズは、人間の食生活のありふれた物となった。人は、荷物運びに雄牛の利用を教えられたが、馬は、後の時代まで家畜化されなかった。この部隊の成員は、まず牽引を容易にするための車輪の使用を人間に教えた。
通信や、援助を求める目的で長旅に伴われた伝書鳩が最初に使われたのは、これらの時代であった。ボンの一団は、乗客用の鳥として大きなファンドルの訓練に成功していたが、それらは3万年以上前に絶滅した。
3. 食肉動物の退治に関する顧問。古代人にとり特定動物を飼いならそうとするだけでは十分ではなく、敵対動物界の残りよる破壊から自身を防御する方法もまた学ばなければならなかった。ダンが、この集団の団長を務めた。
古代都市の壁の目的は、敵対的人間による急襲のみならず、獰猛な獣類からの防御であった。無壁での、また森林での生活者達は、樹上の居住、石の小屋、夜の焚き火の維持に依存していた。したがって、これらの教師が、人間の住居改善について多くの時間を生徒に教えることに専念したということは、誠に自然であった。改良された手法を用い、罠を使用し、動物征服においてすばらしい進歩が見られた。
4. 知識の普及と維持のための教授陣。この集団は、初期の時代の純粋に教育的企画をまとめたり、指示した。ファドが、議長を務めた。ファドの教育方式は、改善された労働方法の指導をともなう仕事の監督にあった。ファドは、初めてのアルファベットを考案し、書記法を導入した。このアルファベットは、25文字であった。初期の民族は、筆記具として樹皮、粘土の平板、石板、獣皮を叩いて作った羊皮紙の種類、それに蜂の巣から作られた木のような粗雑な材料を利用した。カリガスティア離反直後に壊されたダラマティアの文庫は、200万以上の別個の記録を蔵し、「ファドの家」として知られていた。
青色人種は、アルファベットを書くことを特に好み、その方面で最もすばらしい進歩をなした。赤色人種は、絵を描くことを好み、黄色人種は、いつの間にか言葉と考えの表現のために、現在使用しているものに酷似した記号の使用へと辿り着いた。しかし、アルファベットとさらに多くのものが、その後反逆に付随する混乱の間に世界から失われた。カリガスティアの背信は、最低でも計り知れないほどの年月の間、世界共通語への世界の望みを粉々にした。
5. 産業と交易委員会。この協議会は、部族内での産業を伸ばし、様々な平和集団の間での交易を促進することに従事した。その指導者は、ノドであった。原始の製造のあらゆる形式が、この部隊によって促進された。それらは、原始人の空想を魅惑する多くの新しい生活必需品を提供し、生活標準の引き上げに直接貢献した。それらは、科学と技術協議会が生産した改良された塩での交易を大きく広げた。
最初の商業貸し出しが実践されたのは、ダラマティアの教習所で教育されたこれらの英明な部隊であった。中央の掛け売り取引所から、実際の物々物交換に代わる象徴になる物を手に入れた。世界は、何百年、何千年もの間これらの商法を改善しなかった。
6. 啓示宗教団体。この機関は、機能が沈滞気味であった。ユランチア文明は、文字通り必要性の金床と恐怖の金槌の間から形作られた。しかしこの部隊は、離脱という大変動に付帯した後の混乱で自らの仕事が中断される前に、生物の恐怖(幽霊崇拝)の代わりに創造者への恐怖に置き換える試みにおけるかなりの進歩をみた。この協議会の議長は、ハプであった。
王子のどの部下も進化を複雑にするような顕示の提示をしようとはしなかった。進化の勢いは、損耗の頂点の後にはじめて顕示を呈した。しかしハプは、礼拝形式の確立のために市民の願望に道を譲った。ハプの部隊は、崇拝の7つの聖歌をダラマティア族に供与し、日々の称賛句をも与え、最終的には「父の祈り」を教えた。それは次の通りであった。
「すべてのものの父よ、その息子を尊敬します、私達を好意をもって見てください。あなたは別として、全ての恐怖からお救いください。我々が、神性の教師に喜びをもたらし、また、いつまでも我々に真実を口にさせてください。暴力と怒りからお救いください。年長者への、また隣人の所有するものへの敬意をお与えください。我々の心を喜ばせるためにこの季節に青々とした牧草地と実り多産の群れをお与えください。約束の精神高揚者の到来を早めるために祈り、また向こうの世界で他のものがするようにこの世であなたの意志を行ないます。」
王子の部下は、人種改良に向けては自然の手段や通常の方法に限られてはいるものの、生物進化の到達の際には、進歩的発達の目標としてアダームからの新しい人種の贈り物の約束を示した。
7. 健康と生命の保護者。この協議会は、公衆衛生の導入と原始の衛生促進に関係しており、ルツが率いた。
その構成員は、後の時代の混乱中に失われたものを、20世紀まで決して再発見されることのなかったものを多く教えた。彼らは、加熱調理、すなわち沸かすことと焼くことが、病気を避ける方法であることを人類に教えた。またそのような調理が、幼児死亡率を大いに減少させ、早目の離乳を容易にした。
ルツの健康保護者の初期の教えの多くは、曲げられたり、また大いに変化はしたものの、モーシェの時代まで地球部族の間に持続した。
多くの病気の真の原因は、肉眼で見るには小さ過ぎたり、また皆が、迷信深い心配から炎を保持したので、無知な民族の中で衛生を促進する行く手には大きな障害があった。廃物を燃やすように説得するのに何千年をも要した。そうしているうちにも、かれらは、腐りかけた廃棄物を埋めるように促された。この時代の衛生上の大きな進歩は、健康を与え病気を破壊する日光の特性に関する知識に基づいていた。
水浴びは王子到着以前、もっぱら宗教儀式であった。健康習慣として身体を洗うように原始人を説得することは、じつに困難であった。ルツは、最終的にはすべての父の崇拝において1週間に1度、禊の一部として水での洗浄儀式を昼の祈祷に盛り込むことを宗教教師に促した。
健康の保護者は、個人の友情の印として、また集団の忠誠の象徴としての唾液のやりとり、あるいは血を飲む代わりに握手の導入もしようとした。しかし、これらの原始民族は、上の指導者の教えの有無を言わせぬ圧力下にないとき、健康を壊したり病気を繁殖させるかつての無知と迷信の習慣への逆戻りに手間取ってはいなかった。
8. 芸術と科学の惑星協議会。この部隊は、原始人の産業技術を改善し、美の概念を高めるために多くのことをした。指導者は、メクであった。
技術と科学は、世界中で衰微期にあったが、物理学と化学の基礎がダラマティアにより教えられた。焼き物は高度であり、装飾的芸術は、すべて改良されており、人間の美の理想は、大いに高められた。しかし音楽は、紫色人種の到着まであまり進歩しなかった。
これらの原始人は、教師の繰り返しの要請にもかかわらず、蒸気動力の実験を承諾しなかった。原始人は、閉じ込められた蒸気の爆発力への大きな恐怖にけっして打ち勝つことはなかった。かれらにとって1片の赤熱の金属は、恐怖をあたえる物体ではあったが、かれらは、最終的には金属と火を扱う仕事に同意した。
メクは、アンドン人種の文化を進めたり、青色人種の芸術を改良するために多くをした。青色人種のアンドンの血統との混合は、芸術的に才能豊かな型を産出し、それらの多くが、優れた彫刻家になった。彼らは石、あるいは大理石での作業はしなかったが、焼いて固められた粘土作品が、ダラマティアの庭を飾った。
すばらしい進歩が、家庭内の技術に見られたが、その大部分が長く暗い反逆の時代で失われ、現代までついぞ再発見されていない。
9. 高度な部族関係の統括者。これは人間社会を国家の水準にまで引き上げる仕事を委ねられた部隊であった。首長は、ツツであった。
これらの指導者は、部族間の結婚をもたらすことに非常に貢献した。かれらは、知り合う最大の機会と、熟考のうえでの求愛と結婚を促進した。極めて軍事的な出陣の踊りが精錬され、価値ある社会的目的に役立った。多くの競合の遊びが導入されたが、これらの古代人たちは、真剣な人々であった。ユーモアは、初期の部族にあまり彩を添えなかった。ほんのわずかの習慣しか、その後の惑星反乱による崩壊から存続しなかった。
ツツと仲間は、平和的な集団交際を促進し、戦争を規制し宥め、部族間の関係を調整し、部族政府を改善するために働いた。より高度の文化が、ダラマティア付近で発展し、これらの改善された社会的なつながりは、より離れた部族に影響を与えるのに非常に有効であった。しかし、王子の本部で普及していく文明様式は、ちょうど20世紀の南アフリカのケープタウンの社会が、北の小型のブッシュマンの粗野な文化とはまるで異なるように、他の場所で発達する野蛮な社会とはまったく異なっていた。
10. 部族協調と民族協力の最高裁判所。この最高協議会は、ヴァンに導かれ、人間社会の諸事、人事の管理を委託された残る9つの特別委員会すべての控訴裁判所であった。この協議会は、他の部隊に明確に割り当てられない地球の全ての問題に関して任されている広く機能するものであった。この選ばれた部隊は、ユランチアの最高裁の機能の引き受けが認められる以前に、エデンチアの星座の父にすでに承認されていた。
世界文化の度合いは、その人間の社会的遺産によって測定され、文化の発展速度は、全体的にその住民が新しく進歩的な考えを理解する能力によって測定される。
伝統への隷属は、過去と現在を感傷的につなぐことで安定性と協力を産みはするが、同じように自発性を窒息させ、人格の創造力を奴隷にする。全世界は、伝統に縛られた社会習慣の行き詰まりに状態にあり、そんなときカリガスティアの100名が到着し、その時代の社会集団内での個々の自発性の新しい福音宣言を始めた。しかしこの漸進的支配は、すぐさま中断されたので、人種は、習慣への隷属から完全に解放されることはなかった。風潮は、いまだにユランチアを過度に支配している。
カリガスティアの100名—サタニア大邸宅界の卒業生—は、ジェルーセムの芸術と文化を熟知はしていたが、そのような知識は、原始の人間が居住する粗野な惑星においてはほぼ無価値である。これらの賢明な存在体は、その時代の原始民族の突然の変化、あるいは全体的に向上させることを引き受けるほど愚かではなかった。彼らは、人類の遅い進化をよく理解し、また賢明にも地球上での人の生活様式を修正するいかなる過激な試みも控えた。
各10の惑星委員会は、委託された重要な事業を進めるためにゆっくりと自然に着手した。彼らの計画は、周囲の部族の最もすぐれた心の持ち主を社会向上のための特使として人々の元へ送り返すことにあった。
外部への特使は、その民族の具体的な要求がなければ決してその人々のもとには送られなかった。あてがわれた部族かまたは人種の向上と前進のために働く者達は、通常その部族か人種の出身者であった。100名は、優れた人種の習慣や慣習を別の部族に強要しようとはしなかった。彼らは、いつも各人種の長い年月に試された慣習の向上と進歩のために根気よく働いていた。ユランチアの単純な人々は、新たでより良い習慣との交換ではなく、より高い文化と優れた心との接触による向上のために彼らの社会風習をダラマティアに携えて来た。その過程は、ゆっくりであったが非常に効を奏した。
ダラマティアの教師達は、純粋に生物進化の自然淘汰に意識的な社会淘汰を加えようとした。人間社会を錯乱させはしなかったが、その正常で自然な発展を著しく加速した。その動機は、進化による前進であり、顕示による革命ではなかった。人類は、もてる小さな宗教と道徳の習得に長い間過ごしてしてきており、超人達は、過度の指導や啓発をもって進歩の遅い人種の向上に着手するときにいつも結果として生じる混乱と驚愕により人類からこれらのわずかな進歩を奪い取らないほどの分別はもっていた。
キリスト教の宣教師達が、息子と娘は、両親の全生涯を通じてその支配と指示の下に居続けるべきであると考えるアフリカの中心部に入るとき、これらの子供は、21歳に到達してしまえば親の抑制のすべてから解放されるべきであるという教えによりこの習慣を、1世代で、押し退けようとするならば、すべての権威の混乱と崩壊を引き起こすだけである。
王子の本部は、この上なく美しく、その時代の原始人を畏れさせるほどの設計であったが、まったく質素なものであった。畜産導入から最終的には農業開発を奨励することが、これらの移入された教師の動機であったことから建物は特に大きくはなかった。都市の壁内の土地の条件は、およそ2万の人口扶養のための牧畜と園芸に備えるには十分であった。
10棟の協議会大邸宅は、崇拝のため中央の寺の内装と統轄している超人から成る集団に属するじつに美しい芸術作品であった。住宅用の建物は、整然さと清潔さの模範であったが、後に発達した物と比較してすべてが実に質素で全体に原始的であった。この文化の中心拠点においては、本来ユランチアに属しない方法は何用いられなかった。
王子の有体の部下は、世界の社交の中心地と教育本部に滞在している学生の観察者を奮い立たせ、関心を引くように設計された家として維持された質素で模範的な住まいを統轄した。
家族生活の明確な秩序と比較的定まった場所での1住居1家族の生活は、このダラマティアの時代に遡り、また主には100名とその教え子の実例と教えの結果である。社会単位としての家庭は、ダラマティアの超人的な男女が、人間に孫とその孫の子供を愛した、かれらのための計画を立てるように導くまで決して成功しなかった。未開人は、子供を愛してはいるが、文明人は、その孫をも愛する。
王子の部下は父母と共に暮らした。事実、それらには子供はいいなかったが、ダラマティアの50の家庭の型は、アンドン人種とサンギク人種の優れた家族から集められ保護された子供が、500人に満たないということは決してなかった。これらの子供の多くが孤児であった。子供達は、これらの超人の両親の躾と教育に恵まれた。次に、それらは、王子の学校(13歳から15歳まで在学)在学の3年後に、結婚の資格ができ、また王子の特使とそれぞれの人種の困窮している部族へ各自の任務の準備ができていた。
ファドは、生徒が行動によって学び、日々の有用な作業により進んで行く実業学校として運営されるダラマティアの教育計画を実践にうつした。この教育計画は、人格形成に関する思考と感情を無視はしなかったが、手工訓練を第一とした。個別的、また集合的教授方式であった。男性、女性、それに共に行動する二名の男女が、生徒に教えた。この集団教育の半分は、男女別学で、残る半分は共学であった。学生は、個人的には技術が教えられ、集団、学級単位で交流した。生徒は、同世代との協同作業はもとより、若い集団、年長集団、大人と親しくつきあう訓練をうけた。また、家族集団、遊びの小集団、学校の授業のような繋がりにも慣れ親しんだ。
のちに出自の人種と働くためにメソポタミアで訓練中の学生には、西インド高地からのアンドン人種がおり、赤色人種と青色人種の代表も共にいた。さらに後には、小数の黄色人種が受け入れられた。
ハプは、道徳律を初期の人種に示した。この掟は、「父の道」として知られ、次の7つの戒めから成った。
1. すべてのものの父以外いかなる神も恐れたり、仕えたるすべきではない。
2. 父の息子、つまり世界の支配者に背いたり、超人的仲間を軽視すべきではない。
3. 人民の裁判官に呼び出された場合、嘘をつくべきではない。
4. 男、女、または子供を殺すべきではない。
5. 隣人の物品、または牛を盗むべきではない。
6. 友人の妻に触れるべきではない。
7. 両親、もしくは部族の年長者を軽視すべきではない。
これが、およそ30万年にわたるダラマティアの法であった。この法が記された石の多くが、今やメソポタミアとペルシア沿岸沖の海に横たわっている。挨拶と食事時の感謝の祈りにそれを用いて、週の毎曜日にこれらの戒めの1つを心に留め置くことが習慣となった。
この時代の時間計測は、陰暦であり、この時期は、28日間で計算されていた。昼と夜を除いては、古代人が知る唯一の時間日数計算は、それであった。1週7曜は、ダラマティアの教師達により導入され、7は28の1/4であるという事実から生まれた。超宇宙におけるこの数字7の意味は、共通の時間計算に精神的促し導入の機会を確かに教師達に提供した。しかし、1週間の天然的由来は何もない。
都市周辺地域は、160キロメートルの区域内にすっかり定着した。王子の学校の何百人もの卒業生が、直接都市を囲んで畜産に従事し、別な方法では、王子の部下と人間の多くの助力者からの指示を実行した。少数の者は、農業と園芸に従事していた。
人類は、想定上の罪の刑罰として農業労役を託されたわけではなかった。「顔に汗して、畑の実りを得る」ということは、人が反逆者カリガスティアの統率下のルーキフェレーンスの反逆の愚行に参加したために申し渡された罰の判決ではなかった。土壌耕作は、進化的世界の前進文明の確立に固有であり、この指令は、30万年間、つまりユランチア到着時から、カリガスティアが反逆者ルーキフェレーンスと運命を共にした悲惨な時代まで、の惑星王子と部下の全教育の中心であった。土を扱う仕事は呪いではない。むしろすべての人間の活動の中でこのように最も人間らしさを味わうことが許される者すべてへの最高の天恵である。
ダラマティアは、反逆勃発時およそ6,000人の居住人口であった。この数字は、通常の学生を含むが、常時1,000人を越す訪問者と観察者はその数に入らない。あなたは、それでもその遠い時代の驚異的進歩についてほとんど、あるいは少しの考えにもおよぶことはできない。実際には、当時人間の獲得した素晴らしいもののすべてが、カリガスティアの欺瞞と扇動の破局に続いた恐ろしい混乱と絶望的な精神の暗黒によって破壊された。
我々は、カリガスティアの長い経歴を振り返るにあたり、疑問を呈したかもしれない行為にただ1つの傑出的特徴を見い出す。カリガスティアは、極端な個人主義者であった。抗議するほとんどすべての当事者に共鳴する傾向があり、言外の批判を穏やかに表現する人々に同情的であった。我々は、権力下にあっては落ち着きがなく、つまりすべての指揮形態にいささか憤慨するというこの初期の彼の傾向の現れを見破る。彼は、上役の助言でわずかに憤慨し、より上の権威下にあっては幾分反抗的であったのだが、それでもなお試練到来の際は、いつでも宇宙の支配者達に忠誠であり、星座の父の命令に従順であった。ユランチアの恥ずべき裏切りの時まで、かつて彼にはいかなる本格的な欠点も見られなかった。
ルーキフェレーンスとカリガスティアの両者は、批判的傾向、自惚れの微妙な発達、関連した自尊感情に伴う過大視に関し忍耐強く教えられ、愛をもって警告されていたことが言及されるべきである。しかし、援助しようとしたこれらの試みのすべては、根拠なき非難として、また個人の自由の不当な干渉であると曲解された。カリガスティアとルーキフェレーンスの両者は、二人の歪められた考えと誤った計画を、友好的な助言者達が、非常に不埒な動機にのっとって支配を始め、行動していると判断した。両者は、変化していく自身の利己主義により利他的な助言者達を批判した。
惑星の文明は、カリガスティア王子の到着からおよそ30万年間かなり自然なさまで進歩した。ユランチアは、生命変更の球体であること以外は、そして、それ故に進化的変動の夥しい不規則性と変事が起こり易いその惑星経歴において、ルーキフェレーンス反逆と同時発生のカリガスティア裏切りの時まで非常に良好に進歩した。その後の全歴史は、この破滅的失態により、また惑星任務を果たせなかったアダームとハヴァーの後の失敗により明確に変更されてしまった。
ユランチアの王子は、ルーキフェレーンスの反逆時点で暗闇に入り、その結果、惑星の長い混乱を引き起こした。その後、彼の最高権威は、星座支配者達と他の宇宙当局の協調的活動機能により剥奪された。ユランチアの王子は、アダームの惑星滞在時へと孤立しているユランチアの必然的変化を共に経て、また新しい紫色人種—アダームとハヴァーの子孫—の生命の注入により必滅の人種を向上させる計画の失敗に何かをもたらした。
人間社会の諸事を妨害する堕落した王子の権力は、アブラハムの時代のマルキゼデクのマキヴェンタの肉体化により途方もなく縮小された。この反逆の王子は、肉体におけるマイケルの生存中、最終的にはユランチアでのすべての権威を奪い取られた。
ユランチアの人的悪魔の教義は、反逆の、かつ不正のカリガスティアの惑星の存在に何らかの基礎はあったにもかかわらず、自由で自然な正常な人間の心の選択に反して、その心に影響を及ぼし得る「悪魔」といったような教えは、完全に虚構であった。カリガスティアもダリガスティアも、ユランチアのマイケルの贈与の以前にさえ、人間の意志に反して何も必滅者にまたは通常の個人に圧迫や、強要はできなかった。人の自由意志は、道徳問題における最高のものであり、内在する思考調整者は、人間自身の意志選択に反して一つの考え、あるいはただ一つの行為を強制することを拒否する。
かつての臣下に害を及ぼすすべての力を剥奪された領域この反逆者は、いまユヴァーサの高齢者達によるルーキフェレーンスの反逆に参加したすべての者に対する最後の判決を待ち受けている。
[ネバドンのメルキゼデクによる提示]
ユランチアの人間生活に関する問題は、過去の特定の画期的な時代に関する知識、とりわけ惑星の反逆の発生と結末に関する知識なくして理解することは不可能である。この激変は、生物進化の進度を由々しく妨げはしなかったが、社会的発展と精神開発の過程を著しく変更した。惑星の超物質的歴史全体は、この破壊的な不幸な出来事により大いに影響を受けた。
サタン、つまりルーキフェレーンスの助手が、ある定期視察をしたとき、カリガスティアは、ユランチアを30万年にわたり担当していた。惑星到着時のサタンの外観は、決して邪悪な威光をもつ風刺画に似てはいなかった。卓越し優れた明敏さをもつラノナンデクの息子であったし、今でも、そうである。「しかし、驚くには及ばない。サタン自身が、光の輝かしい被創造者なのであるから。」
サタンは、この視察中にルーキフェレーンスのカリガスティアに「自由の宣言」を提案し、王子は、今我々が知っているように、反逆発表に際し、惑星を裏切ることに同意した。忠誠な宇宙の人格は、この計画的な裏切りに対し、独特の蔑の目でカリガスティア王子を見ている。創造者の息子は、次のように言ったとき、この軽蔑をはっきりと口にした。「あなたは、あなたの指導者のルーキフェレーンスのようである。そして、罰当たりなことに彼の邪悪行為を永続化させた。ルーキフェレーンスは、真実に生きることなく最初から自己賛美の歪曲者であった。」
局部宇宙の全管理業務におけるいかなる高い信用も、新たな棲息世界の進化的人間の福祉と指導への責任を担う惑星王子に頼るということほどには神聖にはみなされなかった。悪のすべての型のうち信頼への背信と全面的な信頼を置く友人への不実ほど人格的信望にとり有害なものはない。カリガスティアは、この意図的な罪を犯すことにより、以来決してその心の均衡を取り戻すことができないまでに人格を完全に歪めた。
多くの罪の見方があるが、宇宙の哲学的観点からの罪とは、宇宙現実に故意に抵抗する人格の態度である。誤りは、誤解か現実の歪曲と見なされる。悪は、宇宙現実の部分的実現、もしくは宇宙現実への適応不全である。しかし、罪とは、神性現実への意図的抵抗—精神的進歩に逆らう意識的選択—であり、一方邪悪とは、認識された現実に対する公然の、しかも持続する反抗的態度であり、それほどまでに高い個性崩壊の度合は、宇宙現実からの逸脱の境界線にいることを意味する。
誤りは知性の鋭敏さの欠落を示唆する。悪は知恵の欠如、罪は絶望的な精神の貧困さ、しかし、邪悪は、消えゆく人格制御を暗示する。
罪が、幾度となく選択されたり頻繁に繰り返されていくと、それは習慣となるかもしれない。常習的罪人は、容易に邪悪になり得る、つまり宇宙とその神性現実のすべてに対し根っからの反逆者になり得る。ありとあらゆる種類の罪が許されるかもしれないが、我々は、邪悪になりきった者がその悪行に対し心から悲しみを経験したり、その罪への許しを受け入れるかどうかを疑う。
サタンの視察直後、惑星の執行部が、ユランチアで大事を現実化に近づきつつある時、カリガスティアは、ある日、北大陸の真冬、同僚のダリガスティアと長い会議をし、後者は、そののち特別会議のためにユランチアの10の緊急協議会を召集した。この集会は、カリガスティア王子がユランチアの絶対主権者であると宣言しようとしているという声明で開始され、声明は、惑星政府の再編成と行政官庁のその後の官職再配分をそのままにして、全職務と全職権を受託者としてのダリガスティアの手に譲り渡すことにより全行政集団が退くことを要求した。
度肝を抜くようなこの要求提示後に、調整機能をもつ最高協議会の議長であるヴァンは、熟達した要請をした。この著名な管理者で有能な法学者は、カリガスティアの提案の方向性を惑星反逆に近い行為であると決めつけて、サタニアの体系君主であるルーキフェレーンスに上訴が取り上げられるまでは会議出席者にすべての参加を控えるように求めた。そこで、全部下の支持を得た。上訴は、それに応じてジェルーセムに回され、直ちにユランチアの最高主権者としてカリガスティアを指名し、かれの命令への絶対無条件の忠誠を要求する指令が戻ってきた。 高潔なヴァンが、ダリガスティア、カリガスティア、それにルーキフェレーンスがネバドンの宇宙主権の侮辱罪を負うとして3名の正式起訴のために7時間におよぶ忘れがたい演説をしたのは、この驚くべき通達に答えてのことであった。そうして、エデンチアのいと高きものに支援と承認を求めた。
その間にも、受送信回路は危機に陥った。ユランチアは孤立状態であった。惑星の天の生命のあらゆる集団は、突然に何の前触れもなく、外部からのすべての忠告と助言から全く切断されてしまった。
ダリガスティアは、カリガスティアが「ユランチアの神であり、すべての上で最高」であると正式に宣言した。全員の前でのこの宣言で問題は明確にされた。各集団は、それぞれに分かれ、最終的には惑星のあらゆる超人的人格の運命を決定することになる審議や討議に入った。
熾天使や智天使、および他の天の存在体が、この痛烈な闘争、この長くて罪深い相剋の決定にかかわった。その孤立時点でユランチアにたまたま居合わせた熾天使やその仲間のような多くの超人的集団は、ここに引き止められ、罪と正義—ルーキフェレーンスの道と見えない父の意志—のどちらかを選択を強いられた。
7年以上もこの闘争は続いた。関係しているあらゆる人格が、最終的な決定を下すまでは、エデンチア当局は、干渉、あるいは介入をしなかったし、しようともしなかった。ヴァンとその忠誠な仲間は、長引く不安と堪え難い未決定に対する擁護も、解放もその時まで受けることはなかった。
メルキゼデク協議会は、サタニアの首都ジェルーセムにおける反逆勃発を放送した。非常時勤務のメルキゼデク達は、すぐにジェルーセムに派遣され、ガブリエルは、その権威が問題にされた創造者たる息子の代表として務めることを申し出た。この放送により、サタニア系の反逆事実についての体制は孤立し、その姉妹系列から隔離された。サタニア本部の「天の戦い」があり、それは局部体制のあらゆる惑星へと広がった。
ユランチアでは、100名の有体部下の中の40名が(ヴァンを含む)、暴動参加を拒否した。部下の人間の同僚(変更されたものとそうでないもの)の多くもまた、マイケルとその宇宙政府の勇敢で高潔な擁護者であった。熾天使と智天使の中に凄まじい人格の損失があった。惑星に配属された行政熾天使と変遷熾天使のほぼ半数が、ルーキフェレーンスの主張を支持しその指導者とダリガスティアに加わった。4万119名の第一中間生物が、カリガスティアと手を握り合ったが、残りの存在体は、依託に対し忠実なままでいた。
反逆の王子は、自分の企ての実行のために不実な中間生物と反逆心のある人格の他集団を先導し、皆を編成した。一方ヴァンは、忠誠な中間者と他の忠実な集団を集め、惑星の部下と置き去りにされた他の天の人格救済のための重要な戦いを始めた。
忠臣者達は、この紛争中ダラマティアから数キロメートル東の無壁で、防備不十分な居留地に住んでいたが、用心深く絶えず気を配る忠実な中間生物が、その住居を昼夜警備されており、また彼らは、非常に貴重な生命の木を所持していた。
反逆勃発に際し、忠誠な智天使と熾天使は、生命の木の保護を引き受け、3名の忠実な中間者の助けを借りて、忠誠な40名の部下と変更された人間の仲間に限ってこのエネルギー植物の果実と葉の摂取を許可した。これらの部下の中には変更されたアンドン族の仲間が56名おり、不忠な部下のアンドン族の16人の従者は、主人の反逆参加を拒否した。
ヴァンは、カリガスティア反逆の極めて重大な7年間に人間、中間者、天使からなる忠誠な軍隊の援助に全霊を捧げた。宇宙政府に忠誠で、有能なヴァンのそのような揺るぎない態度からくる精神的洞察力と倫理上の堅実さは、明確な考え、賢明な論法、論理的判断、偽りのない動機、寡欲な目的、知性ある忠誠心、経験上の記憶、訓練された性格、そして楽園の父の意志を為すことへの自身の人格の絶対的献身の産物であった。
この待機の7年間は、心の探索と魂の鍛錬の時期であった。宇宙情勢のそのような危機は、精神的選択要因としての強い心の影響を示す。教育、訓練、および経験は、進化する道徳的な生 物すべての重大な決断の大部分の要因である。しかしながら、内在する霊にとり、楽園の父の意志と道への忠誠心からの素晴らしい行為のために完全に奉げている生物の意志に力を与えることができるように人間の人格の意思決定力と直接に接触することは、全く可能なことなのである。これが、まさにアマドンの、ヴァンの仲間の変更された人間の経験の上で起こったことである。
アマドンは、ルーキフェレーンス反逆においてずば抜けた人間の英雄である。アンドンとフォンタのこの男の子孫は、王子の部下に生命原形質を寄付した100人中の1人であり、その事件以来、仲間と人間の補佐としてヴァンに配属されてきた。アマドンは、長く耐え難い戦い中ずっと上司を支持することを選んだ。彼とその忠誠な仲間が、7年の紛争中、頭の切れるカリガスティアの欺瞞の教えのすべてに不屈の精神で抵抗する一方で、進化的人種のこの子供が、ダリガスティアの詭弁に動じることなく立っている光景は、奮い立たせるものであった。
宇宙情勢における最大限の知力と広大な経験をもって、カリガスティアは、身を誤った—罪に奉じた。アマドンは、最小限の知力で宇宙経験には全く欠ける状態で、宇宙業務と仲間への忠誠において忠実であった。ヴァンは、堂々たる、しかも効を奏する知的決断と精神洞察力との結合において心と精神の両方を活用し、その結果、達成し得る最上位の人格実現の経験的段階を達成した。心と精神が完全に結合されるとき、超人的価値の創造が、モロンチア現実の創造でさえも、可能である。
これらの悲惨な時代の動揺する出来事の物語に終わりはない。しかし、ついに最後の人格の最終的決定が下され、その時、しかもその時限り、エデンチアのいと高きものが、ユランチアの権威奪取のために非常勤のメルキゼデク達と共に到着したのであった。ジェルーセムでのカリガスティアの概観的治世記録は抹消され、惑星回復の保護観察時代が、始まった。
最後の点呼の際、王子の部下の有体の成員達は、次のように列をなしているのに気づいた。ヴァンとその全調整役員は、忠誠を通していた。アングと食料協議組織の3名の成員は、生き残った。家畜委員会は皆、畜産顧問全員と同様、反逆へと掃き集められた。ファドと教育学部の成員5名は、救われた。ノヅと産業と交易委員会の全員は、カリガスティアに加わった。ハプと啓示宗教の全協会は、ヴァンとその高潔な一団にずっと忠誠であった。ルツと全健康委員会は、身を誤った。芸術と科学協議会は、その団体に忠実であったが、部族政府のツツと代理委員会は皆、道をはずした。こうして、100名のうちの40名は救われ、後にジェルーセムに移され、そこで楽園への旅を再開した。
反逆に参加した惑星の部下の60名は、指導者としてノヅを選んだ。皆は、謀反を起こす王子のために専心誠意働いていたが、すぐに生命の体系回路の維持が剥奪されたと気づいた。皆は、自分達が死すべき存在の状態に下げられていたという事実に目覚めた。それらは、本当に超人的であるが、同時に有形で、死ぬべき運命にあった。ダリガスティアは、人数を増やそうとして、本来の60名と変更されたアンドン系の44名の仲間は、遅かれ早かれ死滅を被る運命にあることを熟知していたので、緊急有性生殖方策を命じた。ダラマティアの破綻後、不忠な部下は、北と東に移動した。その子孫は、ノヅ族として、またその居住地域は、長い間「ノヅの土地」として知られていた。
反逆により取り残され、やがて地球の息子や娘と結婚するこれらの並はずれた超人的男性と超人的女性達の存在は、神が、死すべき者と配偶するために下りて来るという伝統的な物語の始まりとなった。こうして、反乱後日の事実に基づくものではあるが、無数の神話伝説が、始まり、それは、後にノヅ民族とその子孫とのこれらのつながりに加わった先祖である様々な民族の民話と伝統に場所を見つけた。
精神的な支えを剥奪された部下の反逆者達は、最終的には、自然死を遂げた。そして、人類のその後の偶像崇拝の多くは、カリガスティアの時代のこれらの高く崇めらた者達の記憶を永続させる願望から芽生えた。
100名の部下は、ユランチアに来たとき、各自の思考調整者から一時的に分離された。メルキゼデクが到着するや否や、忠誠な人格は、(ヴァンを除く)、ジェルーセムに返され、待機している調整者と再結合された。我々は60名の反逆者の部下の結末を知らない。それらの調整者は、ジェルーセムにまだいる。事態は、ルーキフェレーンスの反乱全体が最終的に裁かれ、全関係者の運命が決定されるまで違うことなく現状のままであろう。
カリガスティアやダリガスティアのような頭の切れる信頼を受けている者が身を誤る—裏切りの罪を犯す—と考えることは、天使や中間者のような者にとり非常に難しいことであった。罪を犯した者達—彼らは、故意に、あるいは予め考えて反逆を始めなかった—は、上司に欺かれ、信じていた指導者に惑わされた。原始の心をもつ進化する人間の支持を得ることは同様に容易かった。
ジェルーセムのルーキフェレーンスの反逆の犠牲者であったすべての人間、そして超人的な者達の圧倒的多数と誤り導かれた様々な惑星が、以来長い間心から自分達の愚かさを悔やんできた。だから我々は、最終的に高齢者達が、つい最近始めたばかりのサタニア反逆問題の裁決終了にあたる際、そのようなすべての誠実な悔悟者が、何らかの方法で名誉を回復し、宇宙業務のある局面に復帰されるであろうと信じている。
反逆扇動のおよそ50年後、ダラマティアとその領域に大混乱が続いた。徹底的、基本的な世界全体の再編成が試みられた。革命は、文化の前進と人種改良方策としての進化と取ってかわった。文化的状態に突然の進歩が、優れた部分的に訓練されたダラマティアとその近くの短期逗留者の間で現れたが、この新たで基本的方法が遠隔地の民族に試みられると、言葉では表現し得ない混乱と人種的大混乱という即座の結果が生じた。自由は、半ば進化した当時の原始人により放埓へとすばやく変えられた。
反乱直後、扇動の部下全体は、時期尚早に教えられた自由主義の結果都市の壁を包囲していた半野蛮人の大群に対し精力的に都市防衛にかかわった。そして、誤った方向に導かれ、間違ったことを教えられたダラマティアの辺境部族は、美しい本部が南の海中に没する何年も前に、すでに見事な都市に半野蛮的攻撃で押し寄せ、脱退部下とその仲間を北方へと追い立てた。
個人の解放と集団の自由に関する考えに基づく即座の人間社会再建のためのカリガスティアの企みは、迅速かつ、ほぼ完全な失敗であると分かった。この大変動が世界を混乱よりもひどい錯乱状態にしたままの社会は、早速もとの古い生物水準に下落し、カリガスティアの企て開始時の前進状態からはそれほどかけ離れていないところから前進への戦いが、再び始まった。
ダラマティアに高波が、反乱から162年後に押し寄せ、惑星本部は海下に沈み、しかもこの陸地は、素晴らしい時代の気高い文化のほとんど全ての名残りが抹消されるまで二度と浮上はしなかった。
それは、世界最初の首都が吸い込まれると、ユランチアのサンギク人種の最低の型だけを、すなわちノグ、つまり光と火の偽の神に捧げられる神殿としてすでに父の寺を変換してしまった裏切り者達だけを匿った。
ヴァンの追随者は、かつてバドナン系の初期の前任者全員が、サンギク部族誕生時代の直前に、無意識に人類の福祉のために尽くしたことがあったように、早くにインドの西の高地に退却し、混乱した低地の人種による攻撃を免れ、撤退した場所からの世界の再建計画を立てた。
ヴァンは、メルキゼデク接待者の到着以前、人事の事務処理を各4名からなる10の委員会、王子の体制に全く相等しい集団の手に委ねた。先輩の居住の生命搬送者達は、40名のこの協議会の一時的な指揮を引き受けた。この40名は、7年間待機して機能した。アマドン系の同様の集団は、39名の忠誠な部下がジェルーセムへの帰還時にこれらの責任を担った。
アマドンのその名前によって知られるようになったこれらのアマドン部族は、アマドンが属した144人の忠誠なアンドン系からの派生集団であった。この集団は、39人の男性と105人の女性から成った。56というこの数字は、不滅状態であり、すべて(アマドンを除く)が、部下のうちの忠誠な成員と共に移動させられた。この高潔な一団の残りは、ヴァンとアマドンの指揮下にあって、各自のこの世での終わりまで地上での活動を続けた。それ等は、数を増やし、反乱後の長い暗い時代を経て指導力を世界に提供し続けた生物上のパン種であった。
ヴァンは、惑星で機能するすべての超人的人格の名義上の首脳として留まり、アダームの時代までユランチアに残された。ヴァンとアマドンは、15万年以上メルキゼデクが専門とする生命の奉仕とともに生命の木の手法に支えられた。
ユランチアの業務は、長い間12名のメルキゼデクからなる惑星の接待役の協議会に取り仕切られており、ノーランティアデクのいと高きもののである星座の先輩の支配者の命令により承認された。メルキゼデクの接待役に関連するものは、次のもの達を含む顧問協議会であった。堕落した王子の忠誠な補佐うちの1名、居住する生命搬送者2名、見習訓練中の三位一体化された息子、篤志の師なる息子、アヴァロンの光輝く宵の明星(周期的に)、熾天使と智天使の長たる者達、隣接する2惑星からの顧問、下位の天使の活動の長官、それに中間的被創造物の最高司令官であるヴァン。ユランチアは、こうしてアダームの到着まで治められ管理された。勇敢で忠誠なヴァンに、久しくユランチア業務を管理した惑星の接待役の協議会の位置が割り当てられたということは、不思議ではない。
ユランチアの12名のメルキゼデク接待役は、勇敢な働きをした。それらは、文明の遺物を保存し、ヴァンは、自分達の惑星の方針を忠実に実行にし移した。ヴァンは、反乱後の1,000年のうちに進化した350以上の集団を広く世界に点在させた。この文明の前哨部隊は、サンギク人種とわずかに混合された子孫、特に青色人種、およびノヅ系との忠誠なアンドン系の子孫がおもであった。
地球の生物学上の将来性にとって数多くの良い血統は、猛烈な反乱の妨げもかかわらず存在した。ヴァンとアマドンは、メルキゼデク接待役の指揮の下に、物質の息子と物質の娘のユランチア派遣を保証するために、人の物理的進化を最高点に到達するまですすめて、人類の自然な進化を促進する仕事を続けた。
ヴァンとアマドンは、アダームとハヴァーの地球到着直後まで留まっていた。両者は、その数年後、ジェルーセムに転任され、ヴァンは、待機していた調整者とそこで再結合された。ヴァンは、楽園完成と集合中の人間の終局部隊の明かされていない長い長い小道へ進めという命令を待ち受ける間、ユランチアのために今は働いている。
星座の父は、ルーキフェレーンスがユランチアでカリガスティアを支えた後に、ヴァンがエデンチアのいと高きものに訴えると、ヴァンの主張のあらゆる点で彼を支える即座の決定を送ったということが記載されるべきである。この答申は、送信中に惑星の通信回路が断ち切られたのでヴァンには届かなかった。ユランチアの孤立以来ずっとエネルギー伝達装置に詰まっていたこの実際の裁定が発見されたのは、つい最近のことであった。この裁定の発表は、この発見がなければ、ユランチア中間者の調査の結果としてユランチアの星座巡回への復興を待ち受けていたことであろう。エネルギー伝達装置は、情報の受信や送信はできるが、伝達の開始はできないので、惑星間の通信のこの外見上の偶然は、可能なのであった。
サタニアの正当な記録の上でのヴァンの形式上の地位は、エデンチアの父のこの裁定がジェルーセムで記録されるまで、実際には、しかも最終的には定まっていなかった。
光に対する被創造物の意図的かつ永続的な個人の(求心性の)結末は、必然でも個別でもあり、また神性にとっての、そしてその被創造者個人にとっての関心事である。魂を滅ぼす邪悪のそのような収穫は、邪悪な意志をもつ被創造者の内面を刈り取るものである。
しかし、罪の外側からの影響においてはそうではない。受容した罪の非個人的(遠心性の)結末、そのような出来事の範囲内で機能必然でもあり、集合的でもある。
地球の業務は、惑星執行部崩壊後の5万年までには、人類が、カリガスティア到着時点の35万年前の総体的進化状態にはとうてい達し得ないほどに非常に混乱し、停滞していた。ある点での進歩は見られていた。他の方面では、多くの地盤が失われていた。
罪のその影響は、決して純粋に局部的ではない。宇宙の管理部門は生物体である。1人格の苦況は、ある程度まではすべてによって共有されなければならない。罪というものは、人が現実に向かいあう態度であることから、ありとあらゆる宇宙の価値水準にその固有の負の収穫を提示するように運命づけられている。しかし、誤った考え、悪行、または罪深い計画の全体の結果は、実際の履行段階でのみ知る。宇宙の法に対する違反は、心に真剣にかかわることなく、または精神的な経験を害することなく、物質領域には致命的であるかもしれない。罪は、それが全人間の態度であるときにだけ、心の選択や魂の望みを意味するときにだけ、人格生存への致命的結果をともなう。
悪と罪は、物質的、社会的領域においてそれぞれの結果をもたらし、また、時として宇宙現実のある段階の精神的進歩を遅らせさえするかもしれないが、ある者の罪が、他者の人格生存にかかわる神性権利の実現を奪うことは決してない。永遠の生存は、心の決定と個人自身の魂の選択によってのみ危険に曝されるのである。
ユランチアにおける罪は、生物進化を遅らせることはほとんどなかったが、人類からアダームの遺産の全恩恵を奪う働きをするのである。罪は、知能の発達、道徳的成長、社会的進歩、および集団の精神的到達を途方もなく遅らせる。しかしそれは、個人が、神を知り、心から神の意志をすることを選ぶ精神上の最高の成就を妨げたりはしない。
カリガスティアは、反逆し、アダームとハヴァーは、履行をしなかったが、その後ユランチアに生まれる必滅者の誰とても、これらの大失敗のせいで個人の精神的経験で苦しむことはなかった。カリガスティアの反逆以来、ユランチアに生まれるすべての必滅者は、いくらか時間的に罰せられてきたが、そのような魂の将来的幸福が永遠に危険に晒されたことはかつて一度もない。誰も他人の罪のために極めて重要な精神的剥奪を受けはしない。罪は、管理的、知的、社会的領域におけるその広範囲の影響にもかかわらず、道徳上の自責、あるいは精神的結果において全く個人的である。
我々は、そのような破局を可能にする知恵の測定ができない一方で、宇宙全体で反映されるときこれらの局部的混乱の有効な結果についていつでも明察することができる。
ルーキフェレーンスの反逆には、サタニアの様々な世界における多くの勇敢な存在者が抵抗した。だがサルヴィントンの記録は、扇動の上げ潮におけるアマドンの栄光的拒絶において、またヴァンへの揺るぎない献身において、全組織の傑出者としてアマドンを描いている—ヴァンとアマドンは、目に見えない父とその息子マイケルの主権への忠誠において不動状態で並んで立った。
私は、これらの重大な出来事の時点、エデンチアに配置されており、試験的かつ初めてのアンドン部族の血統からのかつての半野蛮人の信じ難い確固たるもの、並外れた献身、見事な忠誠心を日毎に告げるサルヴィントン放送をよく調べたときの経験した陽気さをいまだに覚えている。
すべての下位の天の存在体からの長い7年間のサタニア反乱に関する第一の問合せは、エデンチアからサルヴィントンへと、さらにはユヴァーサにまで変わることなくずっと、「ユランチアのアマドンはどうした。まだ固守しているのか。」であった。
もしルーキフェレーンスの反逆が、局部体制とその堕落の世界を不利な状態にしたのならば、もしこの息子とその惑わされた仲間の喪失が、一時的にノーランティアデクの星座の進歩を妨げたのならば、その不忠な上司が、揮ったそれほどに途方もなく不利な圧力に直面し、宇宙の管理と行政のより高い概念のためにしっかりと立ち上がるこの一人の自然児の奮い立たせる業績と、断固たるその143人の彼の仲間の一群の広範囲にわたる提示の効果を比較せよ。そして、きみを安心させてあげよう。これは、かつてルーキフェレーンスの反逆のすべての悪と悲しみの全体的結果を十二分に上回るほどに、すでにネバドンの宇宙とオーヴォントンの超宇宙により多くの益をもたらしたのである。
そして、このすべてが、楽園に人間の終局部隊を集結するために、また必滅の運命にある者—堅固なアマドンのような必滅の運命にある者—の上向きの前進の多くは平凡な粘土から未来の神秘的な使用人のこの広大な集団編成のために、父のもつ宇宙の英知ある計画の美しく感動的、かつ素晴らしく壮大な照明なのである。
[ネバドンのメルキゼデクによる提示]
これは、不完全ではあるが、真の文明が、動物生活も同然の状況から長い時代を経てより高度な人間の間で発達する後の時代へと長い長い前進のための人類の戦いの物語の始まりである。
文明は、人種的習得である。それは、生物学的に固有ではない。したがって、若者の後の各世代が新たにその教育を受けなければならないと共に、すべての子供は一定の文化の環境の中で育てられなければならない。優れた文明—科学、哲学、宗教上—の特徴は、世代から世代へと直接的継承によっては伝えられない。これらの文化的業績は、賢明な社会的遺産の保存によってのみ保護される。
共同的秩序の社会的発展は、ダラマティア教師により始められ、人類は、30万年の間、集団行動の考えに基づいて育まれた。この初期の社会的な教えの恩恵を受けたのは、特に青色人種で、赤色人種はある程度まで、黒色人種はとりわけ少なかった。ユランチアでは黄色人種と白色人種が、時代がさがるにつれ最も高度な社会的発展を示してきた。
人は、緊密にまとめられるとき、しばしば互いを好きになることを学ぶが、原始人は、自然に兄弟のような精神的感情や仲間との社会的接触願望に満ち溢れたりはしなかった。むしろ、初期の種族は、「力を合わせるところには、強さがある」ということを不運な経験によって身につけた。そして、いまユランチアにおける人の兄弟愛の即座の実現を邪魔をするものは、自然な兄弟愛のこの欠落なのである。
連合は、早くから生存の代償となった。連れのない者は、いかなる攻撃にも確実に報復をする集団に属する証拠となる部族の目印を有していなければ、無力であった。カイーンの時代においてさえ、集団結社の何らかの印なしで単独で外へ行くということは命にかかわることであった。文明は、暴力死に対する人の保険となったが、その保険料は、社会の数々の法的要求への服従によって支払われる。
原始社会は、こうして相互の必要性を基に、また、つながりからくる高められた安全性の上に設立された。そして人間社会は、この孤立に対する恐怖の結果、また不承不承気の協力によって果てしなく続く周期で発展してきた。
原始人は、集団というものは、個々の群れの単なる和よりも非常に大きく強いということを早くから学んだ。一致団結して働く100人の人間は、巨大な石を動かすことができる。20人のよく訓練された擁護者は、怒りの群衆を制止することができる。そうして社会は生まれた。単なる数の繋がりではなく、むしろ知能の協力者の組織化の結果として。しかし、協力は、人の本来の特質ではない。人は、まず恐怖を経験し、後に困難遭遇に際し、また永遠の想定された危険防止において、それが、最も有益であると気づくので協力することを学ぶ。
このようにして早くから原始社会へと結団した民族は、仲間に対する防衛のみならず自然への攻撃にも成功していた。それらの者にはより大きい生存の可能性があった。したがって、ユランチでは文明が、その多くの妨げにもかかわらず着実に進行した。そして人の多くの失態が、これまでのところ文明を停止させたり破壊していないのは、単に群衆での生存価値増大の理由に過ぎない。
現代的文化社会というものがかなり最近の現象であるということは、オーストラリアの原住民やアフリカのブッシュマン、およびピグミー族を特徴づけるような原始的社会状況の今日までの存続により明確に示されている。原始民族すべてにとても特徴的であった初期の集団的対立、個人的な疑惑、そして非社交的習性のようなものが、これらの進歩の遅い民族の中に観察できるかもしれない。社会性のない古代民族のこれらのみすぼらしい生存者が、人の生まれながらの個人主義的傾向というものは、より強力で権力を持つ組織や社会的進展とは首尾よく競争はできないという事実を雄弁に証言している。惑星王子の有体の部下と社会改善に努めるアダーム部族集団の後の働きの連合教育がなかったならば、60キロメートル、あるいは80キロメートルごとに異なる方言を話すこれらの遅れた、しかも疑い深い反社会的部族が、人は、いまどのような世界に住んでいるかを例証できるかもしれない。
現代の言い回し「自然にかえる」とは、無知の妄想、かつての偽りの「最盛期」実在への信仰である。最盛期の伝説の唯一の土台は、ダラマティアとエデンの歴史的事実である。しかしこの改善された社会は、ユートピアの夢の実現からは遠かった。
文明社会は、孤立に対する嫌悪に打ち勝つ人の早期の努力の結果である。しかし、これは必ずしも相互の愛情を意味するわけではないし、ある原始集団の現在の不穏状態は、初期の部族が何を経て来たかをよく例証している。しかし、文明の個人は、互いに衝突するかもしれないし、文明それ自体が、矛盾だらけの奮闘や藻掻きの塊に見えるかもしれないが、それこそが、真剣な努力の証であり、致命的な澱みの単調さなどではない。
知能の水準が、文化の進行速度に相当の貢献をしてきた一方で、社会は、本質的には個人の生活様式における危険要素を減少させるように考案されており、人生での痛みを減らし、快楽要素増大に成功したのと同程度の速さで進歩してきた。その結果、社会全体が、自己保持か、それとも自己満足かによる行き先—滅亡か生存—へとゆっくりと押している。自己保持は、社会に源を発するが、過度の自己満足は、文明を破壊する。
社会は、自己永続、自己保持、自己満足に関係があるが、人間の自己実現は、多くの文化的集団の当面の目標となるにふさわしい。
本来の人の集団本能は、現在ユランチアにあるような社会的組織の発達を説明するには不充分である。この生まれながらの集団傾向は、人間社会の根底にあるが、人の社交性の多くは、取得によるものである。初期の人間の繋がりに導く2つの大きな影響は、飢餓と性欲であった。これらの本能的衝動は、動物界と共通するものである。人間を一堂に集め、結合に駆り立てる他の2つの感情は、虚栄と恐怖、より詳しくは幽霊に対しての恐怖であった。
歴史は、人の長年の食糧への藻掻きの記録に他ならない。原始人は、空腹時にのみ考えた。食料貯蓄は、人の最初の自制、自己訓練であった。飢餓は、社会の発展につれ相互の繋がりのための唯一の誘因ではなくなった。他の種類の数多くの飢餓が、つまり様々な必要性の認識の全てが、人類の繋がりをより近い関係に導いた。しかし今日社会は、人間が必要とする物の異常増加で釣り合いが取れなくなっている。20世紀の西洋文明は、甚だしい贅沢の重荷と人間の願望や切望の法外な増加の下に飽き飽きして呻いている。現代社会は、その広範囲にわたる相互の連携と非常に複雑な相互依存の最も危険な局面の1つの重圧に耐えている。
飢餓、虚栄、幽霊への恐怖は、社会的圧力の中で継続していたが、性の満足感は、一時的であり発作的であった。原始の男女を家庭維持の重荷を担うことに駆り立てたのは、性欲だけではなかった。初期の家庭は、常習的な満足感を奪われた男性の性欲不穏状態、そして女性のもつより高度のすべての動物の雌と幾分か共通している母性愛に基づくものであった。無力な赤ん坊の存在が、初期の男女の活動の分化を決定した。女性は、土地耕作のできる定住の住み家を維持しなければならなかった。そして、最も早い時代から、女性の居る場所が、つねに家庭と見なされてきた。
女性は、このようにして発展する社会の枠組にとり早くに不可欠となった。一瞬の性のためというよりは、むしろ食糧必要量の結果であった。女性は、自己維持に不可欠な協力者であった。女性は、食料供給者、荷物運搬用動物、それに乱暴な憤りをもつことなく相当の虐待に耐える相手であったし、これらの望ましい特色のすべてに加え、常に居合わせる性欲を満たす手段であった。
文明における永続する価値のほとんどすべてが、家族にその基礎がある。家族は、男女が、子供に平和の追求を教えると共に、反目の解決法の習得に成功した最初の平和集団であった。
進化における結婚の機能は、民族生存のための保険であり、単なる個人の幸福実現ではない。自己維持と自己永続は、家庭の現実の目標である。自己満足感は、性的繋がりを保証する動機を除き、付帯的であって不可欠ではない。自然は生存を要求するが、文明の技術は、結婚の喜びと家族生活の満足感を増加させ続ける。
虚栄心が、自惚れ、野心、体面を隠すために拡大されるならば、我々は、これらの傾向がいかに人間の繋がりの成立に貢献するかということばかりではなく、そのような感情は、誇示のための聴衆なくしては空しいものであるがゆえに、人をいかに結合するかをも見分けるかもしれない。虚栄心は、やがて自己を表に出し、かつ満足させるかもしれない社会舞台を必要とする他の感情、衝動と結びついた。この一群の感情は、すべての芸術、儀式、および遊戯的試合と競争の始まりをもたらした。
虚栄心は、活発に社会誕生の一役を担った。しかし、この顕示の時点で、自惚れの強い世代の邪な試みは、非常に分化された文明全体の複雑な構造を水浸しにし、水中に沈める脅威を与える。快楽への欲望は、飢餓への欲望に取って代わった。自己維持ための社会の正当な目的は、急速に人々を底辺に移し、自己満足の形態を脅かしている。自己維持は、社会を築く。勝手な自己満足は、必ず文明を破壊する。
原始的欲望は、最初の社会を生み出したが、幽霊への恐怖はそれを結合し、またその存在に人間以外の局面を与えた。一般的恐怖である肉体的苦痛、満たされない飢餓、または何らかのこの世の災難への恐怖の源は、生理的であった。しかし幽霊への恐怖は、新たで壮絶な恐怖の種類であった。
おそらく人間社会の発展におけるで最大唯一の要因は、幽霊の夢であった。ほとんどの夢は、原始の心を大いに狼狽させたが、幽霊の夢は、霊界のあいまいで見えない架空の危険に対し、互いの保護のために心からの、しかも真剣な付き合いにおいてこれらの迷信深い夢みる者達を互いの腕の中に駆り立てて、実際に古代人を恐れさせた。幽霊の夢は、最も早く動物と人間の心の型に現れた違いの中の1つであった。動物は、死後の生存を心に描かない。
この幽霊要素を除き、すべての社会は、基本的な必要性と生物的衝動に基づいていた。しかし、幽霊への恐怖、すなわち手を差し延べかつ個人の基本的な必要性から離れる恐怖、また集団を維持のための戦いをはるかに超越する恐怖は、文明に新たな要因をもたらした。死者の霊への畏怖の念は、新の、驚くべき恐怖の形態、すなわち恐るべきかつ迫力のある恐怖を明らかにし、それは、初期の緩やかな社会的秩序を刺激することで徹底的に訓練されより制御された古代の原始集団へと導いた。そのうちの幾つかはまだ存続しているこの愚かな迷信は、非現実的で超自然の迷信から生じる恐怖を介し、人間の心を「知恵の始まりである主への恐怖」の後の発見に備えさせた。進化からの根拠のない恐怖は、神性に対し顕示によりもたらされた畏敬に取って代わるように考案されている。幽霊への恐怖の初期の信仰は、強力な社会的結合となり、人類は、大昔からずっと多少なりとも精神性の到達を追及しつづけてきた。
飢餓と愛は、人を一堂に会するように駆り立てた。虚栄と幽霊への恐怖は、人を団結させた。しかし、平和を促進している顕示の影響なくしてこれらの感情だけでは、人間の相互関係からくる疑念や苛立ちの重圧に耐えることはできない。社会の重圧は、超人側からの助けがなければ、一定の限界に達すると壊れ、これらの社会可動への影響そのもの—飢餓、愛、虚栄、および恐怖—は、戦争と流血への人類の突入を企てる。
人類の平和性向は、天賦の才ではない。それは、啓示宗教の教えから、進歩的人種の蓄積された経験から、殊のほかイエスの教え、つまり平和の王子から導き出されたものである。
現代の社会慣行のすべてが、未開の始祖の原始習慣の発展から生じている。今日のしきたりは、変更され拡大された昨日の習慣である。個人にとっての習癖は、集団にとっての習慣である。集団の習慣は、習俗、あるいは部族の伝統—大衆のしきたり—へと発展する。現代の人間社会の慣例のすべてが、これらの初期の始まりからそれぞれの劣る起源がある。
慣習は、大衆存在条件にたいする集団生活の調整努力に始まったということを心に留め置かねばならない。慣習は、人間の最初の社会制度であった。これらの部族の反応のすべてが、快楽と力の教授を摸索すると同時に痛みや屈辱を避ける努力から生まれた。習俗の起源は、言語の起源と同様、つねに無意識で意図的ではなく、それゆえに常に謎に包まれている。
幽霊への恐怖は、原始人を超自然なものを思い描くように追い立て、その結果、次には代々引き続く社会の慣習や風習を犯すことなく維持する倫理と宗教の強い社会的影響への地盤を確実に築いた。早くに築き具体化した慣習のうちの1つは、死者は、それによって一生を終えた自らの風習に嫉妬するという信念であった。従って、生存中自分達が敬った生活規則を大胆にも軽率な侮蔑で扱う生活している人間に恐ろしい罰を下すのであった。黄色人種の先祖への現在の崇敬にこのすべてが最も良く例証されている。その後の進化する原始宗教は、慣習を安定させるに当たり幽霊への恐怖を大いに補強したのだが、前進する文明は、いよいよ恐怖による束縛と迷信による奴隷状態から人類を解放しつづけた。
古代人は、ダラマティア教師が解放し自由にする以前、慣習に伴う儀式の無力な犠牲者として束縛されていた。原始の野蛮人には、絶え間のない儀式により制限が設けられた。すべては、朝の目覚め時から夜の洞窟での眠りにつく瞬間まで全くその通りに—部族の習俗に従って—しなければならなかった。古代人は、慣用専制への奴隷であった。古代人の生活は、自由であったり自発的であったり、または独自なものは何もなかった。より高度の精神的、道徳的、社会生活に向けての自然の進歩もなかった。
原始人は、習慣にしかと捉えられた。未開人は、慣例への紛れもない奴隷であった。しかし新たな思考方法や改善された生活方法を始める勇気をもつ型の者から変種が、時々現れた。にもかかわらず原始人の惰性は、急速すぎる前進的文明の破滅的な適応障害への突然すぎる加速に対しての安全な生物的歯止めとなる。
だがこれらの習慣は、純然たる弊害ではない。習慣の進化は続くべきである。急進的革命による完全な変化を企てるということは、文明の継続にとり破滅に等しいのである。習慣は、文明をつなぐ連続性の糸であった。人類の歴史の通り道には、捨て去られた習慣と廃れた社会的習慣の残物が撒き散らされている。しかし、いかなる文明も、より優れ、より適した習慣の取入れをしない限り、その習慣を捨てて持ちこたえていくことはなかった。
社会の存続は、主にはその慣習の発展次第である。習慣の発展過程は、試しの願望から生じる。新しい考えが提唱され、—結果として競争が起こる。進歩する文明は、進歩的な考えを迎え入れて続いている。時間と状況は、遂には存続のためにより適合する集団を選び出す。だがこれは、人間の社会構造における個々別々の孤立する変化が より良いものであるということを意味するのではない。そうではない。大いにそうではない。何しろユランチ文明の前進のための長い戦いにおいて非常に多くの退歩があったのであるから。
陸は社会の舞台である。人は役者である。そして、人は、常に陸の状況に適合するように行動を合わせなければならない。慣習の進歩は、常に陸地に対する人間の割合に依存している。これは、この認識の困難性にもかかわらず、その通りである。人の陸の技術は、または維持方法、加えてその生活基準は、習俗、慣習の総称に等しい。そして、人生における要求への人の調整の和は、文化面の文明に相等しいのである。
最も初期の人間の文化は、東半球の川沿いに起こり、文明の前進には大きな4段階の歩みがあった。それらは次の通りであった。
収集段階。食物への抑えがたい欲望、つまり飢餓は、産業組織の最初の形式、つまり原始の食糧採集の列をもたらした。陸での食物収集のそのような飢餓行進の列は、時には15キロメートルの長さにもなるのであった。これが、原始の遊牧民的文化の舞台であり、現在アフリカのブッシュマンが辿っている生活様式である。
2. 狩猟段階。武器用の道具発明は、人が狩人になり、その結果、食物への奴隷状態からかなりの自由の獲得を可能にした。本格的な戦闘でひどく傷を負ったある考え深いアンドン人は、腱質で先を縛った長い棒を腕に、拳には固い火打ち石一個を使用する考えに至った。多くの部族が、独自のこの種類の発見をし、これらの様々な槌の様式が、大いなる人間の文明の前進の1つを意味した。現今、幾つかのオーストラリアの土着民にはこの段階を超えての進歩はあまりなかった。
青色人種は、熟練の狩人と罠で獣をとる猟師となった。川に柵を設け、夥しい数の魚を捕らえ、過剰分は冬用に乾燥させた。罠と落とし穴の多くの巧妙な方法が、獲物捕獲に用いられたが、より原始の人種は、大き目の動物の猟はしなかった。
3. 遊牧段階。文明のこの局面は、動物の家畜化により可能にされた。アラブ人とアフリカ原住民は、最近の遊牧民族に属する。
遊牧生活は、食物奴隷からの更なる不安を除去した。人は、資本の利子で、すなわち群れの増加による生活を学んだ。そして、これが、文化と進歩のための更なる余暇を提供した。
前遊牧社会は、異性協力の社会であったが、畜産の普及が、女性を社会的な奴隷制の深みに陥れた。古くは、男が動物性の食料の確保、女が植物性の食料の調達をするのが務めであった。したがって、男が暮らしのための遊牧時代に入ると、女の威厳は大いに低下した。女は、生活に必要な野菜生産のためにまだこつこつ働かなければならないが、男は、ただ豊かにある動物性食物の調達に群れのところに行きさえすれば良いのである。その結果、男は女にあまり依存しなくなった。女性の地位は、遊牧時代全体を通して着実に衰えた。この時代の終わりまでには、群れの動物が、働き、子を産むことを期待されるように、女性は、作業をし、子を生むことを任され、かろうじて動物を越える存在となった。遊牧時代の男達は、家畜に対して大きな愛を持っていた。だから余計に、妻へのより深い愛情を育くまなかったということは残念なことであった。
4. 農業段階。この時代は、植物栽培化によってもたらされ、それは、物質文明の最高度の型を意味する。カリガスティアとアダームはともに、園芸と農業を教えようと努力した。アダームとハヴァーは、羊飼いではなく園芸家であり、当時、園芸は高度な文化であった。植物の育成は全人類に高尚化する影響を及ぼす。
農業は、世界における陸地と人間の割合を4倍強にした。それは、前の文化段階の遊牧従事と結合できるかもしれない。3段階が重なり合うとき、男は狩りをし、女は土を耕す。
牧夫と土の耕作者の間には常に摩擦がある。猟師と牧夫は、戦闘的で好戦的であった。農業家は、 ずっと平和主義型である。動物とのつながりは苦闘と勢力を示唆する。植物とのつながりは忍耐、平穏、および平和を植えつける。農業と産業は平和の活動である。しかし双方の弱点は、世界の社会的活動として興奮と冒険に欠けることである。
人間社会は、狩猟段階から牧夫のそれを経て領土的農業舞台へと発展した。そして、この段階的文明の各舞台では、次第に遊牧が少くなった。人はますます家に住み始めた。
そしてその結果、いま産業は、更なる都市化と市民階級の非農業集団の増加を伴い農業を補っている。しかし、もしその指導者達が、最高度の社会の発展でさえも、健全な農業基盤につねに依拠する必要があると見分けないならば、産業時代の存続を望むことはできない。
人は、土からの生き物、自然の子である。いくら真剣に土地から逃れようとしても、帰するところ失敗は確かである。「人は塵であり、塵に戻る」は、文字通り全人類にり当てはまる。人の基本的葛藤は、過去に、現在に、そして未来にわたり陸にある。原始人の最初の社会的つながりは、これらの陸の苦闘に勝つ目的のためのものであった。陸地と人間の比率は、すべての社会文明の根底にある。
人の知力は、芸術と科学によって土地からの収穫を増加させた。同時に、子孫の自然増加は、いくらか抑えられ、その結果、文化面の文明の建設のための暮らしと自由時間が与えられた。
人間社会は、人口が直接陸の技術に合致し、与えられた生活水準に反比例して変化しなければならないと定める法によって支配される。これらの初期の時代を通じて、現在もさることながら、人と陸に関する需要と供給の法則が、双方の算定価格を決定した。人の需要は、豊富な土地—占有されていない領域—の時代ずっと大であり、したがって、人命の価値は、非常に強調された。故に、人命損失は、いっそう恐るべきものであった。土地不足とそれに伴う人口過剰の間、人命は、わりあいに軽んじられ、その結果、戦争、飢饉、および疫病にはそれほど関心がもたれなかった。
土地の生産高が減少するか、または人口が増加すると、避けられない苦闘が再び始まる。すると人間性の最悪の特徴が表面化する。土地生産高の改良、機械技術の拡大、人口減少の全ては、人間性のより良い測面の開発を促進する傾向がある。
開拓段階の社会は、未だ熟練さていない人類の側面を開発する。美術と真の科学の進歩は、陸地対人間の比率をわずかに下まわる農業人口と産業人口によって支えられるとき、精神文化と共に、すべてが、より大きな生活密集地で最もよく栄えてきた。都市は、常に善、悪いずれかに対し住民の力を増加させる。
家族の規模は、いつも生活標準の影響を受けてきた。家族は、確立した状態か、ゆるやかな消滅点に至るほどまでに標準が高ければ高いほどより小さいのである。
生活水準は、大昔からずっと存続する集団の単なる量とは対照的に質を決定してきた。地方階級の生活水準が、社会の新たな階級制度、すなわち新しい慣習をもたらす。人は、生活水準が複雑になり過ぎたり、極めて贅沢になり過ぎると、急速に自滅的になる。階級制は、高密度の人口がもたらした激しい競争の強い社会的圧力の直接的結果である。
初期の人種は、しばしば人口制限のために考案された習わしに頼った。すべての原始部族は、奇形や病弱な子供を殺した。女の嬰児は、妻の買い入れ時代以前は、頻繁に殺された。子供は、出生時に時々絞め殺されたが、好まれた方法は遺棄であった。多子出産は、呪術か背信のいずれかによるものと信じられていたことから、双子の父は、通常一児を殺すことを要求した。原則としては、しかしながら、同性の双子は容認された。双子に関するこれらの禁忌は、かつてほとんど世界共通であったが、決してアンドン系の慣習の一部ではなかった。これらの民族は、通常双子を好運の前兆と見なした。
多くの人種が、妊娠中絶技術を習得し、この習慣は、未婚者の出産禁忌体制後、ごく普通のことであった。未婚の少女がその子を殺すことは、長い間の習慣であったが、より文明的である集団の間では、これらの私生児は、その少女の母が後見人となった。多くの原始の氏族は、事実上、妊娠中絶と嬰児殺しの二つの習慣により絶滅した。しかし慣習の命令にもかかわらず、一度授乳されればその後では、ほんのわずかな子供しか殺されなかった—母性愛はとても強い。
20世紀においてでさえ、この原始の人口抑制の名残りを固持している。母が、3人か4人以上の子供を育てることを拒否する部族がオーストラリアにある。つい先頃、ある人食い部族は、5番目の子供が生まれる度に食した。マダガスカルでは、いくつかの部族は、今でも縁起の悪い日に生まれる子供すべてを殺しており、全乳児のおよそ25パーセントの死の結果をもたらしている。
人口過剰は、世界的観点からは決して過去の重大問題ではなかったが、もし戦争が減少し、科学が人間の病気を一層抑えるならば、それは、近い将来、重大問題になるかもしれない。そのような時、世界の指導者達の英知に大きな試練が、到来するであろう。ユランチアの支配者達は、超常的な集団と莫大に増加する普通以下の集団の両極端の代わりに平均的、あるいは安定した人間の生殖を助長するための洞察と勇気を持ち合わせるであろうか。健常な人間が育成されるべきである。健常な人間は、文明の大黒柱であり、突然変異の人種の特殊な才能の源である。普通以下の人間は、社会の調整の下に保たれるべきである。正常以下の人間は、動物よりも高い知能を要するのだが、より高度の人類の型にとっては紛れもなく奴隷状態であるそのような低い要求しかしない産業の低い段階の機能において必要とされる以上に生殖されるべきではない。
[かつてユランチアに配置されていたメルキゼデクによる提示]
人は、情緒的にユーモア、芸術、宗教の真価を認める能力において動物の祖先を超越する。社会的には、工具製作者、伝達者、制度建設者であるという点でその優位性を示す。
人間が長く社会集団を維持するとき、そのような集合体は、いつでも制度化に頂点をなす一定の活動方向の創始ということになる。人の制度のたいていが、集団保全の強化のために何かを与えるとともに労力節約であることが分かっている。
文明化した人間は、設立された制度の特徴、安定性、および継続性に大いなる誇りをもつが、人間のすべての制度が、禁忌により保護され、宗教により威厳が加えられるとき、それは、単に過去の蓄積された慣習である。そのような遺産は伝統となり、伝統は、ついには慣例に変わる。
開発過剰というものは、過去、または現在において人格の影が薄くなり、自発性が弱まるという点において間違いなく個人の価値を下げるにもかかわらず、人間のすべての制度は、何らかの社会的要求を果たす。人は、前進する文明のこれらの創造による支配を容認するよりも、むしろ制度を制御すべきである。
人間の制度には3つの一般的種類がある。
1. 自己維持の制度。これらの制度は、食物飢餓から生まれる習慣と自己保存のその関連本能を包含する。それらは、産業、財産、利得のための戦争、および全社会の規定機構を含んでいる。遅かれ早かれ、恐怖の本能が、禁忌、しきたり、および宗教的制裁によるこれらの生き残りの制度の確立を促進する。しかし、恐怖、無知、迷信は、人間の全制度の初期の起源とその後の開発において際立つ役割を演じた。
2. 自己永続化の制度。これらは、性への渇望、母性本能、および人種のより高等の哀れみの感情から成長する社会の体制である。それらは、家庭と学校、家族生活、教育、倫理、宗教の社会的保護手段を含む。それらは、結婚習慣、防衛のための戦争、住宅建設を含む。
3. 自己満足の制度。これらは、虚栄の傾向と自尊心の感情から芽生える習わしである。それらは、衣服や装身具を身につける習慣、社会的慣習、栄光のための戦争、踊り、娯楽、遊び、および他の官能の満足感を取り入れる。しかし、文明は、自己満足の独特の制度を一度も発展させたことはない。
社会の習わしであるこれらの3制度は、深く相互に関連し、一方が他方へと相互に依存している。ユランチアでは、それらは、一つの社会構造として機能する複雑な組織を呈している。
原始産業は、飢饉の恐怖に備えての保険として徐々に発達した。その存在の初期に人は、特定の動物から収穫の間に不足の日々に備えて食物を蓄える貴重な経験を学ぶようになった。
平均的部族の境涯は、早期の倹約と原始産業の夜明け前、貧困と本当の苦しみのものであった。古代人は、食物のために動物世界全体と競争しなければならなかった。競争の比重は、人間を野獣の地位へと引き下げる。貧困は、天然のままの、暴君的状況である。富は、自然の贈り物ではない。それは、労働、知識、および編制から生じる。
原始人が付き合いの利点に気づくのに時間は掛からななかった。付き合いは、組織化へと導き、組織化の最初の結果は、時間と材料の即座の節約を伴う分業であった。労働のこの専門化は、圧力への適合—抵抗減少の道を追求すること—によって生じた。原始の野蛮人は、決していかなる本当の仕事も朗らかに、または快くもしなかった。原始人の適合性は、必要性からの強制によるものであった。
原始人は、重労働を嫌い重大な危機に直面しない限り急ごうとはしなかった。労働の時間的要素、与えられた課題を制限時間内にする考えは、完全に現代の概念である。古代人は、決して焦ることはなかった。それは、生来怠惰な古代の人種を産業の道へ駆り立てる存在のための激しい軋轢と絶えず前進する生活水準の二重の要求であった。
労働、工夫による努力は、人と獣を区別し、獣の奮闘振りは大部分は本能的である。労働への必要性は、人の至上の天恵である。王子の部下は皆働いた。部下は、ユランチアにおける力仕事を高尚にするために多くのことをした。アダームは園丁であった。万物の創造者であり、擁護者であったヘブライ人の神は働いた。ヘブライ人は、産業を最高に重んじる最初の部族であった。「働かざる者食うべからず」と命じる最初の民族であった。しかし世界の宗教の多くは、初期の怠惰の理想に戻った。ジュピターは、酒盛り騒ぎをする者であり、仏陀は、内省的余暇の愛好家になった。
サンギク部族は、熱帯地方から遠のいて居住していたとき、かなり勤勉であった。しかし怠惰な魔術の熱愛者と仕事の唱道者—先見の明を発揮した者達—の間には、長い、長い苦闘があった。
人間の最初の洞察力は、火、水、食物の維持に向けられた。しかし原始人は、生まれつきの賭博者であった。つねに無駄に何かを手に入れたがっていたし、初期にはしばしば、我慢強い習慣から生じる成功は、まじないのせいだと考えられた。魔術は、洞察、自制、および産業の前になかなか譲歩しなかった。
原始社会の分業は、まずは自然に、次いで社会に、つまり情況によって決定された。労働における初期の専門化の順序は、次の通りであった。
1. 専門化は性に基づいた。女性の仕事は、子供といることを選ぶことから来ている。女性は、男性がそうするよりも自然に赤ん坊を愛する。女性は、したがって日常の仕事の働き手となり、一方男性は、猟師と戦士になり、集中的仕事と休息の時間を際立たせた。
禁制は、大昔からずっと女性を厳しく自身の領域に閉じ込めてきた。男性は、決まりきった骨折り仕事を女性に任せ、 この上なく利己的により快い仕事を選んできた。男性は、女性の仕事をすることをずっと恥じてきたが、女性は、決して男性の仕事をすることに少しの嫌気も示したことがない。しかし、記録するには奇妙ではあるが、男女は、家を建てたり内装に当たってはいつもともに働いてきた。
2. 年齢と病気による変更。これらの違いが、次の分業を決定した。老人と身体障害者は、道具と兵器を作る仕事に配置された。のちには潅漑作業に割り当てられた。
3. 宗教に基づく分化。祈祷師は、肉体的労役から免除された最初の人間であった。それらは、職業階級の先駆けであった。鍛冶屋は、魔術師としての祈祷師達の向こうを張る小集団であった。金属を扱う仕事上の技能が、人々を恐れさせた。「錫の鍛冶屋」と「黒鉄の鍛冶屋」は、白魔術と黒魔術の初期の信仰に起源を与えた。この信仰は、後に善と悪の幽霊、すなわち善と悪の霊の迷信にかかわることとなった。
鍛冶屋は、特権を享受する最初の非宗教集団であった。戦争の間は中立者と見なされ、この特別な余暇は、それらが一階級として原始社会の政治家になることにつながった。しかし、鍛冶屋はそのひどい特権乱用のため一般的に嫌われるようになり、祈祷師は、時を移さず自分達の競争相手への憎しみを培った。宗教(迷信)が、科学と宗教間のこの最初の競争で勝った。村から追放された鍛冶屋は、その後入植地周辺に初めての宿屋を、簡易宿泊所を整備した。
4. 主人と奴隷。労働の次の分化は、征服者と被征服者の関係から生じ、それは、人間の奴隷制度の始まりを意味した。
5. 分化は、さまざまの肉体的、精神的資性に基づいた。なお一層の分業が、人間の生来の違いにさらに有利に働いた。すべての人間が、平等に生まれるというわけではない。
産業の初期の専門家は、火打ち石の細工師と石工であった。次に、鍛冶屋が出現した。続いて、集団の専門化が、展開した。家族と一族の全体が、ある種類の労働に専従した。最も初期の祭司の階級制度の起源の1つは、部族の祈祷師は別として、専門の刀工家族の迷信的高揚によるものであった。
産業における最初の集団の専門家は、岩塩輸出者と陶工であった。女性は質素な焼き物を、男性は見栄えのよい物を作った。縫い物と機織りは、いくつかの部族間では女性が、他の部族では男性が従事した。
初期の商人は女性であった。それらは、兼業として商いをし、密偵として雇われた。やがて、通商が拡大するにつれ、女性は、仲介者—請負人夫として活動した。次に、用役のための手数料、すなわち利益を請求する商人階級が現れた。集団の物々交換の増大が、商業へと発展した。また熟練労働者の交換が、商品交換の後に続いた。
ちょうどだ捕による結婚が、契約結婚の後に続いたように、急襲による強奪が、物々交換交易の後に続いた。初期の穏やかな物々交換の習慣と、 現代の交換方法による後の交易との間には長い海賊行為期間が介在した。
最初の物々交換は、中立地点に商品を置いていた武装商人により行われた。女性が、最初の市場を支えた。彼女らが最初の商人であり、これは、それらが重荷の運搬人であったからである。男性は戦士であった。非常に早くから商売用の売り台が、つまり商人の兵器が互いに届かないように充分な広さの壁が開発された。
呪物が、穏やかな物々交換のための商品貯蔵所の上に見張り番として用いられた。そのような市場の地域は、窃盗に対して安全であった。物々交換、あるいは購買を除いては何も持ち去られなかった。商品は、呪物の見張り番のお陰でいつも安全であった。初期の商人は、自身の部族の中では周到に正直であったが、遠隔のよそ者を誤魔化すのは差し支えはないとみなした。初期のヘブライ人でさえ異教徒との取り引きにおいては別の倫理規定を認めた。
穏やかな物々交換は、以前には神聖な市場で武装をせず長い間続いた。市が開かれるこれらの同じ広場は、最初の神聖な場所となり、いくつかの国においては、後に「のがれの町」として知られた。いかなる逃亡者であろうとも市場に到着すると攻撃に対して無事であった。
最初の被重量測定物は、小麦や他の穀類であった。最初交換媒体は魚かヤギであった。その後牛が、物々交換の単位になった。
現代の筆記は、初期の通商記録から始まった。人の最初の文献は、商売振興文書、つまり塩の広告であった。初期の戦争の多くは、火打ち石、塩、および金属などの自然の埋蔵物をめぐって争われた。部族の最初の正式盟約は、種族間での塩の堆積物の所有に関するものであった。この盟約の場は、友好的、和平的考えの交換や様々な部族との交流の機会を提供した。
筆記は、「表象が彫り刻まれた棒」結ばれた紐、絵による記録、象形文字、および貝殻玉の帯、の段階をへて、初期の記号によるアルファベットへと進歩した。情報発信は、原始の発煙信号から電報、電話、および無線通信はもとより走者、動物の乗り手、鉄道、飛行機へと発展した。
新しい知識とより良い方法が、古代の交易者により棲息界中に伝えられた。冒険に連動した商業は、探検と発見をもたらした。これらすべてが、輸送手段を生み出した。商業は、文化の融合を促進することですばらしい文明の推進者であった。
資本とは、未来の利益のための現在の放棄として適用された労働である。貯蓄は、維持と生存のための保険の形態を意味する。食糧貯蔵は、自制を育むとともに資本と労働の最初の問題を引き起こした。食料を持つ者が、強盗からそれを保護することができたならば、食料を持たない者より明確な利点があった。
初期の銀行家は、部族の勇敢な男性であった。彼は、一族の宝物を保管し、一方族全体は、来襲に際し彼の小屋を守った。こうして、個人の資本と集団の富の蓄積は、すぐに軍事組織へとつながった。当初そのような警戒は、よその侵略者に対して財産を守るように考案されていたが、後に隣接部族の財産と富急襲開始により実践的軍事組織の維持が習慣となった。
資本蓄積につながる基本的衝動は、
1. 飢餓—見通しに関連。食料貯蓄と保存は、十分な見通しを持ち、その結果将来の必要性に備える者達にとっての力と安らぎを意味した。食料貯蔵は、飢饉と災害に対する適切な保険であった。原始の慣習全体は、実際には人が現在を未来に従属させる助けとなるように工夫されていた。
2. 家族愛—必需品をあてがう望み。資本は、今日の欲望の圧力にもかかわらず、未来の要求に対して保証する財産の蓄えを表す。この将来の必要性の一部は、人の子孫と関係があるかもしれない。
3. 虚栄—財の蓄積誇示を切望すること。余分な衣類は、卓越性の最初の象徴の1つであった。収集の虚栄は、早くから人の自尊心を引きつけた。
4. 地位—社会的、政治的名声を購入する熱意。すなわち何らかの特別の仕事の功績による特権階級への加盟、または金銭支払いによりあからさまに特権階級に加盟する商品化した貴族階級が、早くから出現した。
5. 力—主人であることへの渇望。富の貸し付け、年あたり100パーセントの古代の貸出利率が、隷属化の手段として維持された。金貸しは、債務者からなる常備軍を創設し、自身を王に仕立てた。奴隷は、蓄積財産の最初の形態の一つであり、また往時の債務による奴隷制度は死後の肉体管理にさえも及んだ。
6. 死者の幽霊への恐怖—保護に課される祭司への謝礼。人は、自分の財産を使用して来世での前進を容易にするために早くから死のに備えての贈物を祭司に与え始めた。その結果、祭司は金持ちになった。それらは古代の資本家の中で最たるものであった。
7. 性の衝動—1人以上の妻を買う願望。人の商取引の最初の型は、女性交換であった。それは、長い間、馬の取り引きに先んじた。しかし、性の奴隷の物々交換は、決して社会を前進させなかった。そのような取り引きは、同時に家族生活の発展を妨げ、優れた民族の生物学的適性を汚染したので人種的不名誉であったし、今もそうである。
8. 自己満足の数多くの形式。ある者達は、それが、力を与えるという理由から富を追求した。他の者は、安楽の意味から財産のためにこつこつ働いた。古代人(それに後のある者達)は、自分の財源を贅沢品に浪費する傾向にあった。酔わせる物と薬物は、原始民族の好奇心をそそった。
人は、文明の発展につれ蓄えのために新たな誘因を身につけた。新たな欲望が、急速に本来の食物飢餓に追加された。貧困は、非常に嫌われ、死ぬと富者だけが直接天国に行くと考えられるようにまでなった。財産は、もったいぶった宴を張ることが、人の不名誉を一掃するほどまでに非常に高く評価されるようになった。
富の累積は、早くに社会的区別の象徴になった。ある部族の個人は、ある休日にそれを焼き尽くすか、または仲間の部族民にそれを分配することにより印象を与えるためにだけに長年財産を蓄積するのであった。これが、彼等を偉大な人物にした。現代人でさえ気前のよいクリスマスの贈り物の配分を楽しみ、その上金持ちは、博愛と学習のための大きな公共団体に寄付をする。人の方法は異なるが、気質は全く変わらないままである。
それでも多くの富める古代人が、財産を切望する者達に殺される恐怖を理由に自分の財産の多くを分配したと記録することは公正というものである。裕福な者は、富に対する軽蔑を示すために何十人もの奴隷を当たり前のように犠牲にした。
資本は、人を解放する傾向があったが、社会的、産業的組織を大いに複雑にした。不正な資本家による資本の乱用は、それが現代の産業社会の基礎であるという事実を無効にするものではない。現代人は、資本と発明を通じ、かつて地球に先行したいかなる世代よりも高度の自由を味わっている。これは、事実として記録されるのであって、無分別で利己的な管理人による資本の多くの誤用を弁護しているのではない。
産業、統制、宗教、軍事上の4区分を伴う原始社会は、火、動物、奴隷、財産により生まれた。
火を起すことが、一つの跳躍で人を動物から永久に切り離した。それは、人間の基礎的発明、または発見である。火は、すべての動物がそれを恐れているとき、人が夜地面にいることを可能にした。火は夕暮れの社交を奨励した。それは寒さと野獣から守るだけではなく幽霊に対する防衛手段としてもまた用いられた。それは、初めは、熱よりも光のために使用された。多くの進歩の遅れた部族は、夜通し火が燃えていないと眠ることを拒否する。
火は、人が燃えている石炭を自身から奪うことなく隣人に与えることを可能にし、損失なく愛他的である最初の方法を提供することですばらしい文明化への促進者であった。母か長女に管理された家庭の火は、注意深さと頼みになることを必要としたことから最初の教育者であった。初期の家は、建築物ではなかったが、家族は、火の周り、炉端に集った。息子が、新しい家を築くと、家族の囲炉裏から燃えさしを持って行った。
火の発見者アンドンは、それを崇拝の対象として扱うことを避けたが、子孫の多くは、炎を迷信の対象、あるいは霊と見なした。彼らは、廃物を燃やそうとはしなかったので火の衛生上の利点を得なかった。火を恐れた原始人は、香を散りばめ常に火の機嫌をとろうとした。古代人は決して火に唾を吐こうとはしなかったし、人と燃える火の間も通り過ぎようとはしなかった。初期の人類は、打を打ち出しに用いられる黄鉄鉱と火打ち石さえ神聖に保った。
消火は、罪であった。もし小屋が火事になったとしても、それは燃えるに任せた。寺社の火事は、神聖であり、毎年または何らかの災難の後には新しい火を焚きつけるのが習慣であったことを除いては決して消火は許されなかった。女性は、家庭の火の管理人であったので祭司に選ばれた。
火が神からどのように伝えられたかにまつわる初期の神話が、稲妻によって引き起こされる火の観測から生じた。これらの超自然起源の考えは、そのまま火の崇拝につながり、火の崇拝は、モーシェの時代まで続けられた習慣、「火を通り抜ける」習慣へとつながった。火を通り抜ける考えは、さらに死後に持続する。火の神話は、初期には強力な結束であり、いまだにパルシー教徒の象徴主義に存続している。
火は、料理に導き、「なま物を食する者」が嘲笑用語となった。また料理は、食物消化に必要な極めて重要なエネルギー消費量を減少させたので、古代人は、社会的文化のために幾らかの体力を残すと同時に、畜産は、食料保証に必要な努力の軽減により社会活動のための時間を提供した。
火が、金属加工への扉を開き、その後の蒸気動力の発見と現代の電力使用へ導いたということに思いを馳せるべきである。
まず初めに、動物界全体が、人の敵であった。人間は、獣類から自らを防御することを修得しなければならなかった。まず最初、人は、動物を食したが、後には飼いならし、また役立たせることを会得した。
動物の飼い馴らしは、偶然に生じた。未開人は、アメリカインディアンがバッファローを狩猟したように、群れを追ったのであった。群れを取り囲むことにより動物の管理ができ、その結果、食物の必要性に応じて動物を殺すことができた。その後、さく囲いが組まれ、群れ全体が捕獲されたのであった。
ある種の動物を飼いならすのは容易であったが、多くの動物は、象のように監禁状態では生殖しないのであった。さらに後には、ある種の動物は、人の臨場におとなしく従うということ、また監禁状態で生殖しそうであるということが判明した。このような恣意的選択の飼育による動物の飼い慣らしが、ダラマティアの時代からずっと素晴らしい進歩をなしてきた芸術により促進された。
犬は、飼いならされた最初の動物であり、ある犬が、1日中猟師について回り実際に一緒に家に帰ったときに飼いならしの困難な経験が始まった。犬は、長い間、食物、狩猟、輸送、および仲間として用いられた。初め犬は、唸るだけであったが、後には吠えることを学んだ。犬の鋭い嗅覚は、霊を見ることができるという考えにつながり、その結果、犬の盲目的崇拝が生まれた。番犬の利用が、一族全体が夜眠ることをまず可能にした。やがて有形の敵同様に霊から家を守るのに番犬を使うことが習慣となった。犬は、人や野獣が接近すると吠えたが、霊が近くにいるときは唸った。今でも多くの者が、夜の犬の唸り声は死を予示するといまだに信じている。
男性が、狩人であったとき、女性に対してかなり親切であったが、動物の家畜化の後、カリガスティア混乱と相まって多くの部族が、女性を恥知らずに扱った。あまりにも女性全体を動物のように扱い過ぎた。男性の女性に対する残忍な扱いは、人間の歴史の最も暗い章の1つを構成している。
原始人は、仲間を奴隷にすることを決して躊躇わなかった。女性が、最初の奴隷、家族の奴隷であった。遊牧民は、劣る性的相手として女性をとりこにした。この種類の性の奴隷制度が、男性の女性への依存を直接的に減少させた。
奴隷化の多くは、つい最近まで征服者の宗教の受け入れを拒否した軍事上の捕虜であった。捕虜は、初期の頃食われるか、死ぬまで拷問に掛けられるか、霊の生贄にされるか、互いに戦わされるか、またはとりこにされた。奴隷制度は、虐殺と人食い習慣からの進歩であった。
奴隷化は、戦争捕虜への慈悲深い待遇における大いなる前進であった。征服者の虚栄心を満足させるために王だけが救われ、男女、および子供の大量虐殺のアイーの待ち伏せは、いわゆる文明的民族も行った野蛮な虐殺の正確な絵である。バシャンの王オーグへの襲撃は、同様に残忍でかつ効果的であった。ヘブライ人は、戦利品として全財産を奪い、敵を「残らず壊滅した。」それらは、「全ての男の絶滅」の罰を加えると脅し、すべての都市に貢ぎ物を納めさせた。しかし現代部族の多くは、つまりあまり部族的利己主義でない者達が、優れた捕虜の採用を実践し始めてから久しい。
アメリカの赤色人種のような狩人は、人を奴隷にしなかった。捕虜をわがものとして取り入れるか、または殺した。遊牧民の間での奴隷制度は、わずかな労働者しか必要としなかったので一般的ではなかった。牧夫は、戦争ですべての男性捕虜を殺し、女性と子供のみを奴隷として認めることが習慣となった。モーシェの律法は、これらの女性捕虜を妻にする明確な指示を有した。ヘブライ人は、満足がいかなければ追い払うことができたが、そのような拒絶された配偶者を奴隷として売ることはできず、—少なくともそれは文明における1つの進歩であった。ヘブライ人の社会的基準は粗雑であったが、周囲の部族のものよりはるかに上であった。
牧夫は、最初の資本家であった。動物の群れは資本を意味し、牧夫達はその利息—自然な増加—に頼って生活した。そして、奴隷か女性のいずれかを保つのにことにこの富を用いることには気が進まなかった。しかし、後には、男性を捕虜にし耕作を強いた。これが、初期の農奴制—土地に配属された人間—の始まりである。アフリカ人には地を耕すことを容易に教えることができた。したがって、彼等は大奴隷種族となった。
奴隷制度は、人間の文明の不可欠な一環を成した。それは、社会が混乱状態と怠惰から秩序と文明度の高い活動へわたる架け橋であった。それは、進歩が遅く怠惰な者が働き、その結果、優者の社会向上のための富と余暇活動の提供を強いた。
奴隷制度は、人に原始社会の統制機構の創案を強いた。それが、政府の始まりをもたらした。奴隷制度は、強い規制を必要としたし、また領主が、奴隷を管理できなかったことから実際にはヨーロッパの中世に姿を消した。古代の遅れた部族には、現代のオーストラリアの原住民のように奴隷は決していなかった。
実のところ、奴隷制度は非道ではあったが、それは、人が産業を学ぶ抑圧の学校であった。最終的に奴隷は、いやいやながらも創設に一役買ったより高度の社会の恩恵を共有した。奴隷制度は、最も憂慮すべき全ての破壊的社会悪として文化と社会成就の体制を創設するが、やがて陰険に内部から社会を襲うのである。
現代の機械の発明が、奴隷を時代遅れにした。奴隷制度は、複婚のように割りに合わないので終わろうとしている。しかし、かなりの数の奴隷を突然に解放するのは、つねに悲惨であるのは明らかであった。段階的解放は、結果として問題は少ない。
今日人は、社会機構上の奴隷ではないが、数千もの者が、自身の野心を負債に隷属させている。不本意な奴隷制度は、産業の変更された奴隷待遇の新しい、しかも改良された形態に譲歩した。
社会の理想は、普遍的自由であるが、怠惰は決して許容されるべきではない。すべての健常者は、少なくとも自活できる仕事量こなすことを強いられるべきである。
現代社会は逆の状態にある。奴隷制度はほとんど失せた。飼い馴らされた動物は消え去ろうとしている。文明は、動力のために火—無機の世界—へと記憶を遡っている。人は、凶暴性から火、動物、奴隷制度を経由して来た。今日人は、奴隷の助力と動物の応援を放棄し、元素状態で存在する自然の宝庫から富と権力の新たな秘密と源をもぎ取ろうと努めながら記憶を遡っている。
原始社会は、実質的には共同であり、原始人は、現代の共産主義の原理に基づいていなかった。これらの早期の共産主義は、単なる空論でもなく社会的な教えでもなかった。それは、簡単な実践上の自動調整であった。共産主義は、貧窮と欠乏を避けた。物乞いと売春は、これらの古代の部族間ではあまり知でられていなかった。
原始の共産主義は、人を特に均一にせず、平凡さを高めもしなかったが、不活発と怠惰に報い、それが産業を抑え、向上心を叩きのめしたのであった。共産主義は、原始社会の発展に不可欠の足場であったが、強い人間の4つの傾向に反したのでより高い社会秩序の発展に屈した。
1.家族。人は、資産の蓄積を切望するだけではない。資本財を子孫に遺贈することを望む。しかし、人の資本は、初期の共同社会では即消費されるか、彼の臨終に集団内で分配された。何の資産継承もなく—相続税は100パーセントであった。後の資産蓄積と資産継承慣習は、独特の社会的進歩であった。これは、資本の誤用に伴うその後の甚だしい悪習にもかかわらず本当である。
2. 宗教上の傾向。原始人は、また次の世界での生活開始のための土台としての資産を貯えたいと思った。この動機は、かなり長い間、なぜ身の回り品を人と共に埋める習慣があったかを説明している。古代人は、富める者だけが、即座の喜びと威厳を手にして死を乗り切ると信じた。啓示宗教の教師、とりわけキリスト教の教師が、貧乏人は、金持ちと同等に救済を受けることができるとまず最初に公布した。
3. 自由と余暇に関する願望。初期の社会進化におけるの個人所得の集団内での配分は、実際には奴隷の形態であった。働く者が、怠け者の奴隷にされた。これは、共産主義の自滅的弱点であった。先を考えない者は、常習的に倹約する者に依存した。現代においてさえも将来への備えを怠る者は、自らの面倒を国家に(つましい納税者)に依存している。その上、いかなる資産も持たない者は、未だに自分達を養う人々を期待する。
4. 保全と権力への衝動。共産主義は、部族のやる気のない怠け者と部族への奴隷状態から逃がれようとしてさまざまの口実に訴える進歩的で成功した個人の欺瞞的実践により遂に崩壊した。しかし最初すべての蓄積は、秘密であった。原始時代の危険性は、表向きの資本の蓄積を阻んだ。後においてさえも、あまりに多くの富を蓄えることは最も危険であった。王は、金持ちの財産没収をねらって何らかの罪を確実にでっちあげるのであった。そして富者が死ぬと、葬儀は、家族が公益、または王のために多額の寄贈をするまで差し止められた。
最も初期における女性は、共同体の資産であり、母は、家族で優位を占めた。初期の首長は、すべての土地を所有し、全女性の所有者であった。結婚は、部族の支配者の同意を必要とした。女性は、共産主義の終わりとともに個人的に所有され、しかも父親が、徐々に家庭の支配を担った。このように家庭には、その始まりがあり、また一般的な複婚の習慣は、一夫一婦制へと徐々に取って代わった。(複婚制は、結婚における女性の隷属要素の遺物である。一夫一婦制は、男性1人と女性1人が、家庭樹立、子育て、相互の修養、および自己改善の見事な事業における比類のない結合の、奴隷のない、理想である。)
道具と兵器を含むすべての資産は、初めは部族共通の所有物であった。私財は、最初は直接に触れた全ての物から成った。見知らぬ者が茶碗で飲んだ場合、茶碗は、それからはその人間の物であった。次には、血が流されたいかなる場所も、その負傷者かその集団の財産となった。
私財は、所有者の人格の何らかの部分に負うものであると考えられていたので、元々、このようにして尊敬された。資産の公明正大さは、安全にこの迷信の型に基礎を置いていた。私物の警備のために警察を必要とはしなかった。人は、他の部族の物品を盗用することに躊躇いはなかったが、集団内での盗みはなかった。資産との関係は死をもって終わらなかった。早い時期から個人の所有物は、燃やされ、次に死者が埋葬され、その後に、残された家族、または部族に引き継がれた。
装飾用の身の回り品は、お守りを身につけることから始まった。虚栄、加えて幽霊への恐怖は、古代人が、好みのお守り、つまり必要性を超えて評価されるそのような所有物を取り除く試みすべてに抵抗させた。
眠りのための空間は、人の最初の所有物の1つであった。その後、族長が、家の敷地を割り当てた。族長は、部族のために全ての土地を任され保持した。やがて、火の場所が所有権を与えた。また、さらに後には、井戸は、それを取り囲む土地の所有を確立した。
個人の最初の所有物の中には泉と井戸があった。呪物の慣行全体が、泉、井戸、木、作物、蜂蜜の警備に利用された。呪物への信仰喪失に続いて法が、個人の所有物の保護のために発達した。しかし、狩猟法、狩りの権利が、長らく土地の法に先行した。アメリカの赤色人種は、決して個人の土地所有権というものを理解しなかった。白人の物の見方を理解することができなかった。
私財には早くから家族の印が付され、これが、初期の家紋の起こりである。土地はまた、霊の見張りの下に置くことができた。祭司は、一区画の土地を「清め」、それは、次にそこで直ちに魔力禁制の保護下に置かれるのであった。所有者は、そこから「祭司の肩書き」を持つと言われた。ヘブライ人は、家族の道標を大いに重んじた。「隣人の地境を移す者は呪われる。」これらの目印の石には祭司の頭文字があった。木さえも、頭文字を付せられると私財になった。
初期においては、作物だけが私有であったが、継続的農作については所有権が与えられた。農業は、このように土地私有の起源であった。終身保有権のみが、まず個人に与えられ、死に際し、土地は部族に戻った。部族から個人に認可された最初の土地の権利は、墓所—家族用の埋葬地—であった。土地は、後の時代になるとそれを取り囲んだ者に属した。しかし、都市は、通常公共の牧草と包囲攻撃の際の使用のための一定の土地を留保した。これらの「共有地」は、初期の共同所有権の形式の名残りを表わしている。
国が、課税の権利を有し、次第に個人への所有地を割り当てた。地主は、権利を保証され賃貸料の取り立てができ、土地は、収入源—資本—となった。土地は、最終的に販売、譲渡、抵当、および差し押さえで実際に交渉可能になった。
私有権は、より一層の自由と安定性をもたらした。しかし土地私有権には、公共の管理と指揮が機能しないときに限って社会的認可が与えられ、やがて奴隷、農奴、および土地を持たない階級が、あとに続いた。だが改良された機械が、徐々に人を奴隷状態の労役から解放している。
資産権は絶対的なものではない。それは、純粋に社会的である。しかしながら、政府、法、秩序、市民権、社会的特権、慣習、平和、および幸福のすべては、現代の民族がそれらを享受しているように、資産の私有権を中心に発達した。
現在の社会秩序が必ずしも正しいというわけではないが、—神性でも、神聖でもない—人類は、徐々に修正することでうまく事を運ぶであろう。あなたが持っている物は、先祖の知るいかなる制度よりも大いに良いのである。社会秩序の変更に際しては、改善を確実にしなさい。祖先が捨てた常套手段を試すことを納得してはならない。前進せよ、後退ではなく。発展を続けよ。退歩してはならぬ。
[ネバドンのメルキゼデクによる提示]
人間は、暮らしを立てる問題を部分的に解決するや否や、人間関係を統制する課題に突き当たった。産業発達は、法、秩序、および社会的調整を要した。私財は政府を必要とした。
抗争は、世界進化において自然である。平和は、ある種の社会の統制的体制によってのみ保証される。社会的規制は、社会的組織と切り離すことはできない。結合は、何らかの権限の制御を含意する。政府は、部族、一族、家族、および個人の反目の調整を余儀なくさせる。
政府は、無意識の発達である。それは、試行錯誤で進化する。それには、生存価値がある。それゆえ伝承的となる。無秩序は、悲惨さを増大した。それ故、政治が、すなわち匹敵する法と秩序が、徐々に台頭したし、もしくは台頭しつつある。存在のためのな紛争への強要は、文字通り文明進歩の道づたいに人類を駆り立てた。
戦争は、進化する人間の自然な状態であり遺産である。平和は、文明促進を測定する社会的基準である。人は、前進する人種の部分的社会化の前には、きわめて個人主義で、非常に疑り深く、信じられないほどに短気であった。暴力は、自然の法則であり、敵愾心は、子供の無意識な自然反応であり、一方戦争とは、これらの同じ活動が、集団的に続行されれるものに過ぎない。そして文明組織が、何処であろうと何時であろうと前進する社会の複雑な状態からの重圧を感じ始めると、人間の相互作用からくる苛立ちに対し、これらの初期の方法である暴力による調整のための即座の、かつ破滅的な逆戻りが、つねに存在する。
戦争は、誤解と苛立ちへの動物的反応である。平和は、そのような問題や困難のすべての文明的解決策に伴う。サンギク部族、後の劣化したアダーム系とノヅ系は皆、ともに好戦的であった。アンドン系では黄金律が早くから教えられ、また今日でさえ、そのエスキモーの子孫は、その律に従って生活している。習慣は、それらの中に強く存在しており、彼等には暴力的反目はない。
アンドンは、各自が、木を罵り棒で叩くつことで争いを解決することを自分の子供達に教えた。最初に棒の折れた者が、勝者であった。後日のアンドン人は、論争の当時者が、互いをからかったり嘲ったりするその間に、聴衆が、その拍手で勝者を決める公開の催し物を開き争いに決着をつけたものであった。
しかし、戦争のような現象は、社会が、実際に十分に、平和な年月を経験し、軍事的実践を容認する程度にまで発展するまではあり得なかった。他ならぬ戦争の概念は、何らかの組織を意味する。
個人の苛立ちは、社会集団の台頭と共に集団内に沈められるようになり、これが、種族間の平和を犠牲にした種族内の平穏を促進した。平和は、このようにいつもまず最初に外集団、つまりよそ者を嫌う集団内、または部族内で享受された。古代人は、よそ者の血を流すことを美徳と見なした。
にもかかわらず、初めはこれさえうまくいかなかった。初期の首長達が誤解を解こうとするとき、部族の石合戦を少なくとも年に1度は、許可する必要があると分かった。一族は、2班に分かれ、1日がかりの戦をするのであった。そしてこれは、楽しみ以外の何ものでもなかった。全員が実に戦いを楽しんだ。
人は動物から進化した人間であり、すべての動物は好戦的であるが故に戦闘は続く。初期の戦争原因には、次のようなものがあった。
1. 飢餓、それが食料襲撃に導いた。土地不足が常に戦争を引き起こし、初期の平和部族は、これらの争いの間に事実上撲滅された。
2. 女性不足—家事の手伝い不足を取り除くための試み。女性掠奪は、常に戦争を引き起こしてきた。
3. 虚栄—部族の武勇を示す願望。優勢な集団は、劣勢民族にその生活様式を押しつけるために戦うのであった。
4. 奴隷—労働階層補充の必要性
5. 周辺部族が、仲間の部族民に死をもたらしたと思われる確信とき、報復は、一族のとり戦争の動機であった。悲しみは、頭部が家に持ち帰られるまで続いた。報復戦争は、比較的現代に至るまでうけが良かった。
6. 娯楽—戦争は、初期において青年に娯楽と見なされていた。戦争を起こすに足る名目が生じなければ、隣接部族は、休日のつもりで略奪に着手するために、すなわち偽の戦いを楽しむために、やや友好的な戦いに出掛けるのが習わしであった。
7. 宗教—宗派へ改宗させる願望。原始宗教すべてが、戦争を是認した。つい最近、宗教は、戦争に難色を示し始めた。あいにく初期の司祭職は、通常は武力と同盟を結んだ。長い間の最大の和平工作の1つは、政教分離の試みであった。
昔の部族は、常に神の言いつけで、首長、または祈祷師の命令により戦争をした。ヘブライ人は、そのような「戦いの神」を信じた。ミディアン系の襲撃物語は、古代の部族戦争における非人道的残虐行為の典型的な詳説である。この襲撃は、すべての男性の虐殺と、すべての男子児童とすべての非処女の女性のその後の殺害を伴う20万年前の部族の首長の慣習に栄誉を授けたのであろう。そして、このすべてが、「イスラエルの主なる神という名」において実行された。
これは、社会進化—民族問題の自然な解決—の物語である。地球での自身の運命を解決する人間。そのような残虐行為は、責任を神にかぶせる人の傾向にもかかわらず、神による扇動はない。
軍事上の寛容さは、人類にはなかなか生まれてこなかった。一人の女性、デボラが、ヘブライ人を統治したときでさえ、同じ大規模の残酷さが続いた。軍司令官は、「陣営の者はみな剣の刃に倒れ、残された者は1人もいなかった。」という結果を異教徒にもたらした。
毒の兵器が、民族歴史上のごく早期に使用された。あらゆる種類の切除が、慣行された。シャウールは、ダーヴィドが娘ミカールのために支払うべき結婚持参金としてペリシテ人100人の包皮を臆せず要求した。
初期の戦争は、部族間での全体としての争いであったが、後代後においては、異なる部族の2人の個人に揉め事があると、両方の部族が戦う代わりに、2人の論争者が決闘をした。また2つの軍隊が、ダーヴィドとゴリアテの事例のように双方から選ばれた代表者間での闘いの結果にすべてを賭けるのが習慣となった。
戦争の最初の改良点は、捕虜にすることであった。次に女性は、戦争行為から免除され、間もなく非戦闘員の認識が生まれた。やがて軍事階級と常備軍が、戦闘の増加と複雑さとに足並をそろえるために発達した。そのような戦士は、初め女性との交際を禁止され、また女性は、常に兵士に食べ物を供給し、看護をし、兵士を戦闘に追い立てたりしてきたものの、とうの昔に戦うのはやめていた。
宣戦布告の習慣は、大いなる進歩を意味する。そのような戦うという意志宣言は、公正感到着の前兆となったし、しかも「文明的な」交戦規則のゆるやかな発展が、これに続いた。ごく早期に、信仰の場所近くでは戦わない、さらに後には、特定の祝日には戦わないという習慣が生まれ、次には、庇護権の一般的認識が生じ、政治亡命者は、保護を受けた。
こうして戦争は、原始人の狩猟から「文明」諸国の若干の秩序正しい体系へと徐々に進化したのであった。しかし、社会への反目的態度から親善のそれへの移行は、ゆっくりでしかない。
過去におけるすさまじい戦争というものは、1万年では自然には起こらないであろう社会変化をもたらしたり、新しい考えの採択といったものを容易にしたのであった。これらのある種の戦争利点のために支払われる惨憺たる代価は、社会が一時的に未開状態に戻されるということであった。文明上の理由は、放棄されなければならなかった。戦争は強力な、非常に高価で最も危険な薬である。それは、しばしばある種の社会不安に効くが、時として患者を殺し、社会を破壊する。
不断の国防の必要性が、多くの新たで高度な社会適応を生み出す。今日社会は、当初は完全に軍事的であった多くの有用な革新の恩恵を受けており、軍事教練の初期形態のその1つであったダンスは、戦争に恩恵を受けてさえいる。
戦争が過去の文明に社会的価値を持っていた理由は、それが、
1. 規律を課し、協力を強要した。
2. 不屈の精神と勇気を重んじた。
3. 愛国心を育て結束させた。
4. 力がなく適さない民族を滅ぼした。
5. 原始人の平等の幻想を解消し、社会を選択的に階層化した。
戦争には、 ある種の進化と淘汰的価値があったが、奴隷制度と同様に、それはいつか、ゆるやかに進む文明として放棄されなければならない。昔の戦争は、旅と文化交流を促進した。現代の輸送機関と通信の方法は、これらの目的に一層役立っている。昔の戦争は国を強化したが、現代の戦いは、教化された文化を崩壊する。古代の戦争は、劣性民族の大量殺害をもたらした。現代の紛争の最終結果は、最良の人間の群体の選択的破壊である。初期の戦争は、組織と効率性を助長したが、現在、これらは近代産業の照準となった。戦争は、過去の時代に文明を押し進める社会的発酵体であった。いまこの結果は、野心と発明がよりよく成し遂げる。古代の戦争は、戦さの神の概念を後押したが、現代人は、神は愛であると教えられてきた。戦争は、過去において多くの貴重な目的を果たし、文明形成において不可欠の足場であったが、いまは急速に、文明上の破綻—いかなる方法にてもその祈りに付帯する惨たる損失に釣り合う社会的利益配当の生産不能—をきたしている。
かつて医師は、多くの病気の治療として流血を信じていたが、その後これらの大半の疾患に対するより良い療法を発見してきた。そこで国際戦争の流血もまた、国の害悪除去ためのより良い方法の発見に必ずとって代わらなければならない。
ユランチアの国々は、既に国家主義の軍国主義と産業主義との巨大な戦いを始めてしまい、様々な意味でこの葛藤は、牧夫である狩人と農夫との間での長年の戦いに類似している。しかし、産業主義が軍国主義を打ち負かすそうとするならば、それにつき纏う危険を避けなければならない。ユランチアに芽生え始めた産業の危険の原因は次の通りである。
1. 物質主義への強い動向、精神の盲目性
2. 富と権力の崇拝、価値の歪み
3. 贅沢の悪習、文化の未熟さ
4. 増加する怠惰の危険性、奉仕への無感覚
5. 望ましからぬ人種的軟弱性の増大、生物学上の劣化
6. 標準化された産業奴隷制度の脅威、個性の停滞。労働は高尚にし、苦役は感覚を失わせる。
軍国主義は独裁的で残酷—野蛮—である。それは、征服者間での社会的組織を促進はするが、敗戦者を崩壊させる。産業主義は、さらに文明化され、独創力を増進し個人主義を奨励するように維持されるべきである。社会は、あらゆる可能な方法を尽くして独創性を育成すべきである。
戦争を賛美する誤りを犯してはいけない。むしろそれが、社会のためにしてきたことを見分けたうえで、人が、文明の前進を続けるためにその代用品が提供しなければならないものをより正確に心に描けるようにしなさい。人は、そのような適切な代用品が用意されなければ、戦争が長く続くことを確信するのである。
人は、平和が物質繁栄に最善であると完全に、かつ繰り返し確信するまでは、また社会が、人類の自己保存反応がもつ絶えず蓄積する感情と活力の解放のために考案された集合的原動力を定期的に緩めさせるその固有の傾向を満たすために賢明に平和的代用品を備えるまでは、決して平和を正常な生活状態として受け入れないであろう。
だが過ぎ去っても、戦争は、傲慢な個人主義者の人種が、高度に集中する権威—最高責任者—に服従を強いられる経験的訓練場として支持されるべきである。古風な戦争は、統率力のために本質的に偉大な者達を選んだが、現代の戦争はもはやこれをしない。指導者を見い出すために社会は今、平和の獲得、すなわち産業、科学、および社会的な達成に取り掛からなければならない。
群れは、最たる原始的社会においてすべてである。子供でさえもその共有財産である。進化する家族が、子育てにおいて群れに取って代わった一方で、新興の一族と部族は、群れを社会単位とみなした。
性欲と母性愛が、家族を確立する。しかし真の政府は、秀逸な家族集団が形成するようになるまで出現しない。指導者の地位は、遊牧集団の家族形成以前には非公式に選ばれた個人に与えられた。この原始段階を超えての進歩は、アフリカのブッシュマンには決してなかった。彼らには、群れの中に頭という者がいない。
家族は、血縁者の集合体である一族の中で結びついた。これらは次に、部族、地域共同体へと発展していった。戦争と外部の圧力が、親族関係の一族に部族組織を押しつけたが、この早期の原始集団をある程度の内部の平和状態に結合させていたのは、商業と交易であった。
ユランチアの平和は、幻想的平和計画に関する感傷的詭弁の全てによるよりも、国際的な貿易組織によりさらに促進されるであろう。貿易関係は、より良い輸送のみならず、言語の発展により、また改良された通信方法により容易にされてきた。
共通語の欠如が、常に平和集団の発展の妨げとなっていたが、貨幣が、現代貿易の世界共通語となってきた。現代社会は、主に産業市場により結合している。利得追求の動機は、役立つという願望により増大させられるとき強力な教化をする者である。
初期における各部族は、増加する恐怖と疑念の同心円に囲まれていた。従って、かつては見知らぬ者を殺す慣習が、後には、奴隷にすることになった。友情という昔の考えは、一族への受け入れを意味した。そして、一族の成員は、死を生き残る—最も初期の永遠なる命の概念の1つ—と信じられていた。
縁組の儀式は、互いの血を飲むことで成立した。いくつかの集団では、血を飲む代りに唾液が交換され、これが古代の社交上の口づけの習慣の始まりである。すべての結合の儀式は、結婚であれ縁組であれ、常に祝宴によって終結された。
後の時代には赤葡萄酒で薄められた血が、用いられ、やがて縁組儀式の固めには葡萄酒だけが飲まれ、それは、杯に触れることで示され、飲物を飲み込んで行われた。ヘブライ人は、この縁組儀式の改変形態を採用した。そのアラブ人の先祖は、部族出身者の生殖器に候補者の手が置かれている間に誓いを立てる方法を用いた。ヘブライ人は、受け入れたよそ者を親切に、そして兄弟のように採り扱った。「共に住む見知らぬ者を自分達の間に生まれた者とし、また自分を愛するように愛すべきである。」
「客への親好」は、一時的な歓待関係であった。1枚の皿が、訪問客の出立の際に半分に割られ、片方の破片は後に到着するかもしれない第三者への相応しい紹介役となるように去りゆく友人に与えられたのであった。客は、その旅と冒険について語ることで自分の費用を払うことが慣習であった。語り部は、昔甚だ人気があったので、徐々に慣習として狩猟と収穫のいずれの季節にも語り部の職務を禁じた。
最初の平和条約は「血の同盟」であった。戦争中の2部族の平和使節が接触し、敬意を表し、次に血が出るまで皮膚を刺すのであった。その上で互いの血を舐め平和を宣言するのであった。
最も初期の平和使節は、かつての敵の性的満足のためにかつての敵の選んだ少女を連れて来る男性代表団から成った。非常に名誉ある部族は、献上する少女を伴い答礼訪問をしたものであった。そのうえで、平和がしかと確立されるのであった。やがて首長達の家族間での結婚が認められた。
初めての平和集団は、家族、次に一族、部族、やがて民族になり、ついにはそれが、現代の領土的国家になった。ユランチアの諸国が、未だに巨額を軍備に費やしているという事実にもかかわらず、現代の平和集団が、長い間血の結びつきを超え国々を容認するために拡大させてきたという事実が最高の励みになっている。
一族は部族内の血族集団であり、その存在は次のような一定の共通利益によった。
1. 共通の先祖へ起源を遡ること
2. 共通の宗教上の崇敬物への忠誠
3. 同じ方言を話すこと
4. 共通の居住地域を共有すること
5. 同じ敵を恐れること
6. 共通の軍事経験を持つこと
初期の政府は一族の大雑把な同盟であり、一族の頭は常に部族の首長に従属した。土着のオーストラリア人は、部族形態の政府をもつことはなかった。
通常、一族の平和な首長は母系により統治した。部族戦争の首長は、父系を確立した。部族の首長と初期の王の法廷は、一族の頭達から成った。その頭達は、1年に何度かは王の面前に招待されるのが通例であった。これは、王が彼等を見、彼等のより良い協力の保証を可能にした。一族は、地方自治における価値ある目的に役立ったが、大きくかつ強い国の発展を大いに遅らせた。
あらゆる人間の制度には始めがあり、民政は、結婚、産業、宗教と同程度に漸進的発展の産物である。初期の一族と原始部族から20世紀の2/3を特徴づける社会と文民統制の型へと去来する人間の政府の継続的体系が徐々に展開した。
政府の基盤は、小刻みな家族単位の現れとともに一族の組織、つまり血族の集まりに確立された。最初の実際の政府機関は、年長者の協議会であった。この統制集団は、何らかの敏腕振りを示した老人で構成された。知恵と経験は、早くに野蛮な人間にさえ評価され、年長者の支配が長期に続いた。この寡頭政治時代の治世は、徐々に家長的な考えに変わっていった。
初期の年長者の協議会には、行政、立法、司法のすべての政府の機能の可能性が備わっていた。協議会が、最新の慣習を解釈するとき、それは法廷であった。社会慣習の新様式を確立するとき、それは議会であった。そのような法令と立法が励行されたという点で、それは行政者であった。協議会の議長は、部族の後の首長の前触れの1つであった。
幾つかの部族には女性の協議会があり、時々多くの部族に女性の支配者がいた。赤色人種のある部族は、「7人協議会」の満場一致の規則に従うことでオナマナーロントンの教えを維持した。
人類にとり、平和と戦争のいずれも討論会による実行はなし得ないということを学ぶことは、困難であった。原始の「会話」はめったに役に立たなかった。人類は、一族の首脳の一団に命じられた軍隊は、強い1個人に導かれる軍隊に対して見込みのないことを早くに学んだ。戦争は、常に国王の擁立者であった。
最初のうち戦争の首長は、軍務のためだけに選ばれ、平和時にはより社会性義務があり、何らかの権威の放棄したのであった。しかし首長は、戦争から戦争へと統治し続ける傾向にあり、徐々に平和時にもくい込むようになった。首長は、しばしば戦争と戦争の間が長過ぎることのないように取り計らった。初期の戦争支配者達は、平和を好まなかった。
首長の中には、後の時代の軍役以外の理由から非凡な風貌、あるいは傑出した個人的能力の理由から選ばれた。赤色人種には、2組の首長—酋長つまり平和首長と世襲の戦争首長—がいた。平和の支配者は、裁判官と教師であった。
初期のいくつかの共同体は、しばしば首長を務める祈祷師が統治した。1人の男性が祭司、医師、および最高行政官を務めたのであった。初期の王族の紋章は、実にしばしば司祭の衣服の表象、または記章であった。
政府の行政府は、これらの段階を経て徐々に生まれたのであった。一族と部族の協議会は、諮問の権能と後に登場する立法と司法の部門へと続いた。アフリカにおいては今日、これらすべての原始政府の形態が、様々な部族の中に実際に存在する。
効果的な国家統治は、完全な行政権を持つ首長の到来とともにようやくやってきた。人は、効を奏する政府は、考えを提供することではなく、人格に力を授与することによってのみ得られということに気づいた。
支配者の地位は、家族のもつ権力、あるいは富の考えから生まれた。父系の弱い王が本物の王になると、時として「民の父」と呼ばれた。後世には、王は英雄から出現すると考えられた。さらに後の支配の地位は、神に由来する王の信仰により世襲性となった。
世襲制王位は、以前には非常な大混乱をもたらしていた王の死と後継者選びの間の無政府状態を回避した。家族には、血のつながる長がおり、一族には、生まれながらの選ばれた指導者がいた。部族や後の国家には生まれながらの指導者が存在せず、これが、首長と王の世襲制に至る更なる理由であった。王族と貴族の考え方もまた、一族の「名前所有権」の慣習に基づいた。
王位継承は、王の血統が、カリガスティア王子の肉体をもつ部下の時代にまで遡ると考えられていたので、やがては超自然と見なされるに至った。したがって、王は、盲目的崇拝対象の人格となり、過度に恐れられた。宮廷慣用に向けての特別話法形態が導入された。ごく近代でさえ、王の接触が病いを治すと信じられており、ユランチアの幾つかの民族は、未だに自分達の支配者は神の起源を持つと見なしている。
初期の盲目的崇拝対象の王は、しばしば隔離されていた。王というものは、祝祭日を除いては目にするには神聖過ぎると考えられた。通常は、王の役を演じる代理人が選ばれ、これが首相の起こりである。最初の内閣の委員の一人は、食物管理者であった。間もなく他の役員があとに続いた。支配者は、すぐに商業と宗教の任を負う代表を任命した。そして内閣の発展が、行政当局の非人格化に向かう直接的第一歩であった。初期の王のこれらの補佐が、容認された貴族となり、また王の妻は、時の経過につれより尊敬される女性としての女王の位を得た。
あくどい支配者は、毒の発見により巨大な力を得た。初期の宮廷呪術は極悪非道であった。王の敵は即刻死んだ。しかし最も専制である暴君さえいくつかの制限を受けることがあった。少なくとも絶えず付きまとう暗殺の不安に縛られた。祈祷師、まじない師、そして祭司は、王にとり常に強力な制動力であった。次に、地主、すなわち貴族は、抑制する影響を揮った。そして時折、一族と部族が簡単に奮い立ち、専制君主と暴君を打倒するのであった。専制支配者は、死刑宣告を受けると自殺の選択肢が与えられそれは、特定情況下の古代社会の風潮の起源となった
親族関係が、最初の社会的集団を決定した。付き合いが、親族関係にある一族を拡大した。結婚が、集団拡大での次の段階であり、その結果として起こる複雑な部族が、最初の実際の政治団体であった。社会発展における次なる進歩は、宗教宗派と政治的同好会の発展であった。これらは、まず秘密結社として現れ、本来は完全に宗教に関するものであった。それらは、その後、統制的となった。初めは、男性の同好会であった。後には女性団体が現れた。やがて、社会政治的なもの、宗教神秘主義的なものの2種類に分割されるようになった。
これらの社会結社の秘密には次のような多くの理由があった。
1. 何らかの禁忌違反がもとで支配者の不快を被る恐怖
2. 少数派の宗教儀式の実践のため
3. 大切な「精神」、もしくは商いの秘密を守る目的のため
4. 何らかの特別な厄除けか、呪術の楽しみのため
これらの結社の秘密こそが、全会員に部族内の他者を支配する神秘の力を与えた。秘密主義は、虚栄の心をも引きつける。創始者達は、その時代の社会の一流人であった。創設後、少年達は男達と狩りをした。それまでは、女達と共に野菜を採集していたのだが。思春期の試練にしくじり、このように女や子供と共に男の住まいの外に留まることを強いられるということは、女々しいと考えられ、最高の屈辱、部族の不名誉であった。そのうえ、非入会者には結婚は認められなかった。
原始の人間は、非常に早くから思春期の若者に性の抑制を教えた。教育、および鍛練は、男性の秘密結社に任され、思春期から結婚までの間、両親から少年を連れ去るのが習慣となった。またこれらの同好会の主な機能の1つは、思春期の青年を管理したうえで私生児を未然に防ぐことであった。
これらの男性同好会が、他の部族の女性の利用のためにその部族に金を支払ったとき、商業的売春が始まった。しかし、初期の集団には目立った性的放縦さはなかった。
通常、思春期通過儀礼は5年の期間にわたった。これらの儀式の一部は、多くの苦行と苦痛の切断であった。包皮切除が、秘密友愛会の一つへの入会儀式としてまず実行された。部族印が、思春期通過の一部として身体に刻まれた。入れ墨は、会員資格の烙印そういうものとして始まった。そのような拷問は、多くの窮乏と合わせて、これらの若者を強健にするために、人生の現実とその必然的苦難を強く認識させるために考案された。この目的は、後に現れる体育競技と肉体競技によって一層達成される。
そんなことよりも、秘密結社は、思春期の道徳心向上を目的とした。思春期の儀式の主な目的の1つは、他の男性の妻をそっとして置かなければならないということを少年に認識させることであった。
青年は、通常数年にわたる厳しい教練と訓練に続いて、また結婚の直前に短期間の余暇と自由のために解き放たれ、その後結婚のため、そして部族の禁制に対し生涯の従属のために帰還した。この古代の習慣は、「放蕩の限りを尽くす」という愚かな概念として現代まで続いてきた。
後の多くの部族は、女性の秘密同好会の構成を是認した。その目的は、思春期の少女が、妻であること、母であることへの準備のためであった。少女は、入会すると結婚資格が得られ、「花嫁のショー」への、すなわち当時の世に出る会への出席が許された。結婚に反対に誓約した女性集団が、早くに結成された。
やがて未婚男性集団と無所属の女性集団が、それぞれの組織を形成した時、秘密をもたな同好会が成立した。これらの結社が、事実上最初の学校であった。そして男女の同好会が、しばしばお互いを悩ます一方で、幾つかの高度な部族は、ダラマティアの教師との接触後、男女のための寄宿学校を設けて男女共学を試みた。
秘密結社は、主にそれぞれの儀式の神秘的特長が、排他的社会的階級の設立に一役買った。当初これらの会の構成員は、哀悼の儀式—先祖崇拝—から物見高い者達を脅かして追い払うために覆面をしていた。その後、この儀式は、幽霊が現れたと一般に言われる降霊術の会へと発展していった。「新生」の古代社会は、合図を用い、その上特別な秘密の隠語を使った。また、特定の食物と飲み物を摂取しないことを誓った。夜の警察として活動し、とにかく社会的活動において広範囲に機能した。
すべての秘密結社は、誓いを強制し、信頼を強制し、秘密の保持を教えた。これらの命令は暴徒を畏れさせ、規制した。また、自警結社としても機能し、その結果、死刑を実行した。部族交戦中は、彼らが最初の密偵であり、平和時には、最初の秘密警察であった。何よりも良いことには、彼らは、平気で悪事を働く王を不安な状態で座に着かせた。それらを相殺するために、王は自身の秘密警察を育成した。
これらの結社が、最初の政党を生み出した。最初の政党政治は、「弱さ」対「強さ」であった。古代における政権交代は、内戦後にのみ続く、つまり弱者が強くなったという充分な裏付け後にはじめて起きた。
これらの結社は、負債取り立てのために商人に、また税金徴収のために支配者に雇われた。十分の一税である最も初期の形態の1つであり、狩りか戦利品の1/10の課税は、長い間の葛藤であった。税は、元来、王の家の維持のために徴収されたのだが、寺の礼拝式の支援のための供え物として隠蔽して徴収する方が容易いことが分かった。
これらの秘密結社は、程なく最初の慈善団体になり、後には初期の宗教結社—教会の前身—に発展していった。最終的にこれらのうちの幾つかは、種族間の結社、つまり国家間の最初の友愛会となった。
人間の心身の不同は、社会階級の誕生を保証する。唯一社会階層のない世界は、最も原始的であり、最も高度である。黎明の文明は、まだ社会的地位の分化を始めてはいないが、一方光と生命に定着した世界は、進化の全中間的段階の特徴である人類のこれらの分化を大幅に削除してきた。
社会が未開状態から蛮行へと移動すると、その人間の構成要素は、次の一般的な理由から階級別に分類されるようになる傾向があった。
1. 自然的—接触、親類関係、結婚。最初の社会的区別は、性、年齢、および血筋—首長との親族関係に基づいた。
2. 個人的—能力、忍耐力、技能、および不屈の精神の認識。まもなく言語の熟達、知識、および一般的知性が後に続いた。
3. 機会—戦争と移住が、人間集団の分離をもたらした。奴隷制度が、自由と拘束の最初のおおざっぱな区分を社会にもたらす一方で、征服による勝者と敗者の関係が、階級の発展に強く影響を与えた。
4. 経済的—貧富。富と奴隷の所有は、社会の1階級の誕生基盤であった。
5. 地理的—階級は、都市、あるいは地方での定住の結果生じた。都市と田舎が、互いに異なる視点と反応で個々に牧夫-農家と交易者-企業家の分化の要因であった。
6. 社会的—階級は、異集団の社会的価値に人気のある評価にそって徐々に形成されてきた。この種の最も早い区分の中では、聖職者-教師、支配者-戦士、資本家-交易者、一般労働者、奴隷の間での区分があった。賃金労働者は、時には資本家階級に加わることを選ぶことができたが、奴隷は、決して資本家にはなれなかった。
7. 職業的—人々は、職業が増えるにつれ階級制度と同業組合を樹立する傾向にあった。労働者は3集団に分かれた。祈祷師、次は熟練労働者、それに熟練を要しない労働者を含む職業階級。
8. 宗教的—初期の宗派同好会は、一族と部族の中での自らの階級を生み出し、そして聖職者の敬虔さと神秘主義が、別々の社会集団として彼らを永続させてきた。
9. 人種的—ある国、または領土単位の中での2つ、あるいはそれ以上の人種の存在が、通常皮膚の色による階級制度を生む。インドの本来の排他的社会制度は、初期のエジプトにあったような皮膚の色に基づくものであった。
10. 年齢—若さと成熟。部族の中で少年は、父親が生きている限り父親の管理下にあり、一方少女は、結婚するまで母親の手元に置かれていた。
柔軟性があり変わり易い社会階級は、進化する文明に不可欠であるが、社会の安定の強化は、階級が排他的社会制度になるとき、社会層が石化するときに個人の自発性の減弱により得られる。社会階級制度は、人が、産業に居場所を見つける問題を解決はするが、それはまた急に個人の開発を抑え、実際には社会的協力を妨げる。
社会における階級は、一度自然に形成されると、人が、次に掲げるような漸進的文明に属する生物、知力、そして精神の源の知的操作を介して徐々に進化の消滅にいたるまで持続するであろう。
1. 部族集団の生物学的改造—劣る人間種族の選択的除去。これは、人間の多くの不同を根絶する傾向にある。
2. そのような生物学上の改良から増加した知能の教育的訓練
3. 人間の親族関係と兄弟愛の感情への宗教的高まり
社会の多くの改善は、文化的進歩のこれらの加速要因である知的で、賢明で、我慢強い巧みな操作により早速に効果をもたらすであろうが、これらの措置は、何千年も遠い未来においてのみ真の実を結ぶことができる。宗教は、混沌から文明を引き上げる強力な梃ではあるものの、健全で正常な世襲に基礎を置く健全で正常な心の支点を別にしては無力である。
自然は、ただ生命とそれが生きる世界というものの他には何の権利も人に与えない。もし非武装の人間が、原始の森林の中で空腹な虎に直面したならばいかなることが起こりうるかということを考えて推論できるように、自然は、生きる権利さえ与えない。社会から人への主な贈り物は、安全性である。
社会は、その権利を徐々に確立し、現在ではそれらは、つぎの通りである。
1. 食糧供給の保証
2. 軍事防衛—備えによる安全保障
3. 国内の保安—個人的暴力と社会的混乱の防止
4. 性の抑制—結婚、家族制度
5. 財産—所有する権利
6. 個人競争と集団競争の助長
7. 若者の教育と訓練のための対策
8. 通商貿易の促進—産業新興
9. 労働条件と報酬の改善
10. これらの他の社会的活動のすべてが、精神的に動機づけられることによって高められるように、永久的な宗教実践の自由の保証。
権利というものが、起源が分からないほどに古いとき、それはしばしば自然権と呼ばれる。しかし、人権は実のところ自然ではない。それは完全に社会的である。それは、競争の規則—変化し続ける人間の競争の現象を支配している関係についての公認の調整—以外の何ものでもなく相対的であり変化しつづけてている。
一時代に正しいと見なされるかもしれないことが、他の時代ではそうではないかもしれない。数多くの欠陥物や退化物の存続は、20世紀文明を妨ぐための何らかの自然権があるのではなく、単にその時代の社会、つまり社会慣習が命じているのである。
人権は、中世のヨーロッパにおいては、ほとんど認識されなかった。当時すべての者は、他の誰かに属し、権利は、国家あるいは教会によって与えられる単なる特権か恩恵にすぎなかった。この誤りに対する反乱は、すべての者は平等に生まれるという信念に導いたが故に負けず劣らず誤った。
弱者と劣者は、常に等しい権利のために戦ってきた。弱者と劣者は、国家が、自分達の必需品の供給を強者と優者に強制し、その他の点では、自身の無関心と怠惰の自然な結果である欠陥を償うことをあまりにも頻繁に常に主張してきた。
しかしながら、この平等観念は、文明の子である。それは自然の中には見つけられない。文化そのものでさえも、人間生来の不同を非常に不平等なその能力によって決定的に示している。自然であると考えられている平等の突然かつ進化的でない実現は、文明人をすばやく原始時代の粗雑な慣例へと後戻りさせるであろう。社会は、等しい権利をすべての者に提供はできないが、それぞれの異なる権利を公平に運用すると約束はできる。社会のすべき事は、自然の子供が、人間の幸福の3構成要素すべてを、つまり公正で平和な機会を享受し、自己維持の追求をし、参加する一方で、ある程度の自己満足を得る機会をあたえることである。
自然の正義は、人為的理論である。それは現実のものではない。正義は、現実には純粋に理論的であり、完全に作り事である。自然は、1種類の正義—結果と原因との必然的一致だけを提供する。
人間が思い描いている正義は、人が権利を得ることであり、それ故、漸進的発展の内容を意味してきた。正義の概念は、おそらく霊を授けられた心においては先天的であろうが、それは、充分発達して空間世界の生活へ突然に現れることはない。
原始人は、すべての現象を人のせいにした。死についていえば、未開人は何が人を殺したかではなく、誰が殺したかを問うた。偶発的殺人は、したがって認められなかったし、犯罪に対する罰に関し犯罪者の動機は、完全に無視された。判断は、受けた負傷に応じて下された。
世論は、最も初期の原始社会において直接的に作用した。法の役人は必要ではなかった。原始生活においては個人の何の情報機密もなかった。一人の人間の行為に対する責任は、隣人にあり、それ故その個人の問題に首を突っ込む権利もあった。社会は、集団の構成員が、各個人の行動に興味を持ち、一定の規制力を持つべきであるという理論で統制された。
非常に早くから、幽霊が、祈祷師と聖職者を通して正義を行なうと信じられた。これが、この位階の者たちを最初の犯罪看破者や法の役人に選んだ。犯罪を見つける初期の方法は、毒、火、痛みの試練を実施することであった。これらの残酷な試練は、粗雑な裁定方法以外の何物でもなかった。必ずしも公正に論争に決着をつけたというわけではない。例えば、毒が投与され嘔吐すれば、被告は潔白であった。
これらの試練の1つ、夫婦間の有罪吟味の記録が、旧約聖書にはある。もし男性が、妻は不誠実であると疑い、司祭の元に連れて行き疑いを主張したならば、聖職者は、聖なる水と寺の床の塵から成る混合物を調合した。脅しの呪いを含む相応の儀式の後、被告の妻はむかつくような一服を飲まされた。有罪ならば、「呪いを引き起こす水は、体内に入り苦くなり、腹は膨らみ、太腿は腐り、そして女は人々の間で責められるであろう。」いかなる女性であろうとも、万が一不潔な一服を痛飲でき、肉体の病の兆候を示さなかったならば、嫉妬深い夫の告発は、取り下げられた。
ほとんど全ての進化する部族は、犯罪看破のこれらの残虐な方法をある時期に実践された。果たし合いは、厳しい試練による近代裁判の遺物である。
ヘブライ人と他の半文明部族が、3,000年前に司法制度のそのような原始の方法を慣行したということには驚かされはしないが、そのような野蛮な異風を聖典の紙面にその後維持しようという考えにこの上なく驚かされる。反省的思考が、いかなる神の存在体も、夫婦間の不貞の看破とその判定に関し人間にそのような不公平な指示を与えはしなかったということをはっきりさせるべきである。
社会は、早くから報復への仕返しの態度を取り入れた。目には目を、命には命を。進化する部族はみな、流血復讐のこの権利を認めた。復讐は原始生活の目的になったが、宗教は以来、これらの初期の部族の習慣を大いに変えてきた。啓示宗教の教師達は、常に「『復讐は我がものである』と主は言われる。」と宣明してきた。初期の復讐のための殺しは、不文律を口実とする現代の殺人とは全く異なっていた。
自殺は、一般的報復方法であった。ある者は、生存中に仇を討つことができなかったならば、幽霊として戻り敵に復讐を加えることができるという信仰を抱きながら死んでいった。この信仰は非常に一般的であったことから、通常、敵の戸口の階段での自殺の脅迫は、相手を承服させるには十分であった。原始人は、命をそれほど大切にしなかった。些細なことのための自殺が多く見られたが、ダラマティアの教えは、この習慣を大いに減少させたし、同時により近代においては、余暇、安らぎ、宗教、および哲学が、生活をより心地良く、より望ましくするために結合されてきた。絶食示威は、しかしながら、この昔の報復方法の現代版である。
進んだ部族の最も早期の法の策定の1つは、血で血を洗う争いを部族問題として取り入れることと関係があった。しかし奇妙な話だが、男性は、その時でさえ、全額支払ったという条件で罰せられることなく妻を殺すことができた。しかしながら、現代のエスキモー人は、未だに犯罪に対する罪を、殺人でさえ、不当な扱いを受けた家族による判決と執行に任せている。
もう一つの前進は、禁制違反のための罰金の賦課、刑罰対策であった。これらの罰金は、最初の公共収入を構成した。また、「殺人報酬」への支払いの習慣は、流血の復讐の代替として台頭した。通常、そのような金銭による賠償は、女性か家畜で支払われた。実際の罰金、つまり通貨での償いが、犯罪のための罰として課せられるまでには長らくかかった。また、処罰への考えは本質的には補償であったので、人間の生命を含むすべてが、最終的には、損害賠償として支払い得る代価を持つようになった。ヘブライ人は、まず殺人謝礼金を支払う習慣を撤廃した。モーシェは、「死にあたいする罪を犯す殺人者の命に対して仇を取るな。」「殺人者は、必ず処刑されるのである。」と教えた。
このようにまずは家族、それから一族、後には部族が、処罰を与えた。真の司法の執行は、報復を個人や血縁集団から取りあげ、社会集団、国家の手に預けることから始まった。
生きたまま焼く刑罰は、かつて一般的な習わしであった。それは、ハンムラピとモーシェを含む多くの古代支配者によって認められた。後者は、多くの犯罪、特に深刻な性に関するものは火刑に処されるべきであると指図するほどであった。もし「司祭の娘」、または、他の指導的立場の娘が公共の売春に走ったならば、「その女を焼く」のがヘブライの習慣であった。
反逆罪—「裏切り」、あるいは部族の仲間を裏切ること—は、最初の極刑であった。家畜の窃盗は、全般的に即決の死によって罰せられ、最近でさえ馬の窃盗は、同様に罰せられてきている。しかし時の経過とともに、刑罰の厳しさは、過去のその確実性と迅速性ほどには犯罪への有益な抑止力でないことが判明した。
集団の憤りは、社会が罪を罰することができないとき、私的制裁法として、通常それ自体が主張をする。保護区対策が、この突然の集団の怒りから逃がれる方法であった。私的制裁と決闘は、国家への私的補償措置の引き渡しに対する個人の不本意を表している。
いつ夜が昼に変わるかを夜明け時に的確に指し示すことが、難しいのと同様に、慣習と法の間に厳格な区別をすることは困難である。慣習は、作られつつある法と警察の規則である。未定義の慣習は、長らく確立されていると、明確な法、具体的な規則、および明確な社会的なしきたりにと具体化する傾向にある。
法は、初めはつねに否定的で禁制的である。それは、前進的文明においてはますます積極的になり指令的になる。初期社会は、すべての他のものに「殺してはならない」という命令を課すことにより個人に生活する権利を与え、禁制的に運用した。個人への権利あるいは自由のすべての付与は、すべての他者の自由刑にかかわっており、これが、禁制により、すなわち原始の法により功を奏する。原始社会は、その組織そのものが完全に否定的であり、また初期の司法行政は、禁制の励行にあったがゆえに、禁制の全体構想は、本来否定的である。しかし、そもそもこれらの法は、異教徒との扱いにおいて異なる倫理規定を持つヘブライ人に例証されるように、仲間の部族民に限って適用された。
宣誓は、より正直に証言をする目的でダラマティアの時代に始まった。そのような誓いは、自らに呪いをかけることから成っていた。以前は、いかなる個人も出身集団に不利な証言をしないのであった。
犯罪は、部族慣習への攻撃であり、罪は、幽霊の強要から利を得た禁忌への違反であり、犯罪と罪の分離失敗による長い間の混乱があった。
自己利益は殺害の禁制を確立し、社会は伝統的な慣習としてそれを神聖化し、一方宗教は、道徳律として習慣を尊いものとし、こうして3つの全てが、人間の生活をより安全で神聖にすることにおいて作用し合った。宗教の拘束が初期になかったならば、社会は纏まることはできなかったであろう。迷信は、長い進化の時代の道徳的で社会的な警察力であった。古代人は皆、昔の法、すなわち禁忌は神によって先祖に与えられたのだと断言した。
法は、人間の長い経験の成文化された記録、民意の具体化であり合法化であった。慣習は、後の支配者の心が成文法を定式化するに至る蓄積された経験の素材であった。古代の裁判官には、何の法もなかった。裁判官は、判決を言い渡すとき、あっさりと「それがしきたりである。」と言った。
法廷決定における先例の参考は、変化する社会状況への成文法を適合させる裁判官の努力を示している。これは、伝統継続の印象深さと相まって変化する社会情勢への進歩的な適合性に備える。
所有物争いは、次のように様々に処理された。
1. 係争物を破壊により。
2. 力により—当事者が、勝負がつくまで戦った。
3. 仲裁により—第三者が決定した。
4. 年長者への上告により—後には法廷へ。
最初の法廷は、殴り合いの対決を取り締まった。裁判官は、単に仲裁者か審判者であった。双方は、同意した規則に従って戦うことを保証した。それぞれの関係者は、法廷闘争に際し費用支払と裁判で負けた際の罰金の支払いのために裁判官に金を預けた。「力は、やはり正義であった。」その後言葉での闘いが、肉体の殴り合いに取って代わった。
原始の正義に対する全体的考えは、争いを処理して治安紊乱と個人の暴力を防ぐところまでには公正ではなかった。しかし、原始人は、現在不正と見なされるようなことにあまり憤慨しなかった。力を持つ者が、利己的にそれを使用することは当然とされた。にもかかわらず、いかなる文明の状態も、その法廷の徹底性と公平性により、またその裁判官の高潔さにより非常に正確に決まるかもしれない。
政府の発展における大きな苦闘は、権力の集中に関係していた。宇宙の管理者たちは、よく統一された行政、立法、司法部門の間での適切な力の均衡が保たれるとき、民間政府の代表的な型が、棲息界の進化する民族を最もよく統制するということを経験から学んできた。
原始の権威は、強さに、つまり体力に基づき、一方理想的な政府は、指導者が能力に基づく代議制である。しかし、未開時代には、代議政治が有効に機能するには専ら戦争が起こり過ぎた。独裁者は、権威の分割と命令の一元性との長い藻掻きにおいて勝った。早期の、しかも拡散した原始協議会の年長者の力は、絶対君主という形で徐々に集結された。年長者集団は、本物の王達の出現後、準立法顧問機関に固執した。その後、同格の立法府が出現し、最終的には、立法府から分離した裁定の最高裁判所が設置された。
王は、慣習、すなわち本来の法、あるいは不文律の執行者であった。王はその後、立法の制定、世論の具体化を実施した。世論の表現としての大衆議会の出現は遅れたが、大きな社会的進歩があった。
初期の王は、慣習—伝統、あるいは世論—に大いに制限を受けた。ユランチアのいくつかの国家は、近代においては政府の文書基盤にこれらの慣習を盛り込んだ。
自由の権利が、ユランチアの死すべき者達には与えられている。自らの統治機構を創出すべきである。死すべき者達は、憲章か、あるいは市民の権力と行政手続きの憲法を採用すべきである。これをし終えてから最高行政官として最も有能でふさわしい仲間を選出すべきである。立法部門の代表に関しては、そのような神聖な責任を実現するために知的でかつ道徳的に適任である者だけを選出すべきである。高等裁判所や最高裁判所の裁判官としては、生まれながらの能力に恵まれた者、また十分な経験をもつ賢明な者だけが選ばれるべきである。
人が、自分の自由を維持したければ、自由の憲章を決めた後に、次の事項を防ぐために賢明で、知的で、しかも恐れを知らない解釈を備えなければならない。
1. 行政、または立法による保証がない権力の奪取
2. 無知で迷信深い扇動者達の策謀
3. 科学的進歩の遅れ
4. 凡人支配の膠着状態
5. 悪質な少数派による支配
6. 野心満々かつ賢い独り善がりの独裁者による管理
7. 恐慌による悲惨な混乱
8. 無節操な者による搾取
9. 国による市民への奴隷状態の課税
10. 社会的、経済的公正の不履行
11. 政教の結合
12. 個人の自由の喪失
これらは、進化的世界における代議政治の原動力により統治者として行動する合憲的裁判所の目的であり狙いである。
ユランチアで政府を完成させる人類の葛藤は、行政系統の完成し、変化し続ける現在の必要性に適合させ、政府内での権力の分配を改善し、次に実に賢明である行政指導者を選ぶことに関係がある。神聖かつ理想的な政府の形態があり、そのようなものは明らかにはできないが、各惑星の男女が、時間と空間宇宙の中でゆっくりと、しかも苦心して発見しなければならない。
[ネバドンのメルキゼデクによる提示]
国家は、文明の有益な進化である。それは、戦争の破壊行為と苦難からの社会の純益に相当する。政治的手腕でさえ、もがく部族と国家間の勢力争いを調整するための単に蓄積された技術に過ぎない。
現代国家は、集団権力のための長い戦いで生き残った制度である。優れた権力は、徐々に普及し、それは、国のために生きて死ぬ国民に絶対的義務についての道徳的な神話とともに現実の産物—国家—を生み出した。だが国家は、神の創生によるものではない。それは、知的な人間の意志に基づく活動でうまれたのでもなかった。それは、純粋に進化的制度であり、その始まりは、完全に自然発生的であった。
国家は、社会的規制の領土的組織体であり、最強かつ最も効率的な永続的国家は、その民が共通の言語、慣習、および制度を持つ1つの国からなる。
初期の国家は、小さく、すべてが征服の結果であった。それは、自発的連合から始まったのではない。多くが、穏やかな牧夫や定住農業者を打ち負かし、奴隷にするために襲いかかる征服的遊牧民により樹立された。征服から生ずるそのような国家は、必然的に階層化された。階級は必然であり、階級闘争はずっと淘汰的であった。
アメリカの北の赤色部族は、真の国家の地位に達したことがなかった。かれらは、決して部族間のゆるい同盟、非常に原始的な国家形態を超えての進歩にいたらなかった。イロクイ同盟が、最もそれらしいものであったが、この6つの民族集団は、国家としては決して機能せず、また現代の国民生活にある程度不可欠なものの欠如のために生き残ることができなかった。それらは、
1. 私有財産の獲得と継承
2. 都市に加えて、農業、および産業
3. 有用な家畜
4. 実際的な家族編成。これらの赤色人種は、母系家族と甥への継承に執着した。
5. 明確な領土
6. 強い執行指導者
7. 捕虜の奴隷化—捕虜を受け入れるか、殺戮した。
8. 決定的な征服
赤色人種は民主的であり過ぎた。良い政府があったが、それは失敗した。かれらは、ギリシア人とローマ人の政治的手法を追求していた白人のより高度な文明に時期尚早に遭遇しなかったならば、最終的には国家を発展させていたことであろう。
ローマの国家は、次の事柄に基づいて成功した。
1. 父系家族
2. 農業と動物の家畜化
3. 人口の集中—都市
4. 私有の財産と土地
5. 奴隷制度—身分階級
6. 虚弱で逆行的民族の征服と再編成
7. 道路を備えた明確な領土
8. 1個人としての強い支配者達
ローマ文明における大きな弱点、そして帝国の最終的破綻の一要因は、21歳の少年解放のための思い込みの自由と思い込みの進歩的対策と、そして自身が選ぶ男性と結婚するか、または土地を離れ外へ行くことで不道徳になる少女の無条件での放免であった。社会への害は、これらの改革自体にあったのではなく、むしろ突然の、しかも大々的なそれらの導入方法にあった。ローマの崩壊は、国家が内部変質に伴う急速過ぎる拡大を経験するときに何が起こるかが予期できるということを示している。
未発達の国家は、領土を優先させ、血の絆の衰退により可能となり、また通常そのような部族同盟は、征服による強い絆が結ばれた。すべての些細な争いと集団の不和を超える主権は、真の国家の特徴であるが、それでも、多くの階級とカースト制度は、前の時代の一族と部族の生存者として後の国家組織に固執する。その後の、また複数のより大きい領土国家は、複数の小さな同族集団、つまり家族から国家権力への貴重な変化を証明する部族政府との間には長く痛烈な戦いがあった。後には多くの一族は、交易と他の産業団体から生じた。
国家統合の失敗は、例えば中世ヨーロッパの封建制度といった国政術の「国家誕生前の状態」への退歩をもたらす。領土的国家は、暗黒時代に崩壊し、小さい城の集団への逆戻り、すなわち発達段階の一族や部族の再現があった。同様の半国家が、今でもアジアとアフリカに存在するが、それらの全てが進化的逆行というわけではない。多くは、未来の国家の未発達の核である。
民主主義は、理想である間は文明の生産物であって進化ではない。ゆっくり進みなさい。慎重に選びなさい。次のような民主主義の危険が存在するのであるから。
1. 凡庸の称賛
2. 卑しく無知な支配者の選択
3. 社会発展の基本的事実の認識ができないこと
4. 無教育で怠惰な過半数に任せる国民参政権の危険性
5. 世論への隷属。大多数がいつも正しいという訳ではない
世論、つまり一般的意見は社会を常に遅らせてきた。にもかかわらず、それは、社会の発展を遅らせているあいだ文明を維持しているので有用である。民意の教育は、文明を加速する唯一安全で真の方法である。武力は臨時措置にすぎないし、文化の発展は、弾丸が投票用紙に屈するときますます加速するであろう。民意は、すなわち慣習は、社会の進化と国家の発展の基軸であり基本的エネルギーではあるが、国家的価値であるためには表現において非暴力的でなければならない。
社会の進歩の指標は、世論が、非暴力的表現力により個人の振舞いと政府の規制を制御できる度合いにより直接に決定される。世論が、真に文明度の高い政府は、個人の特権力を纏うとき到来した。普通選挙は、常に正しく物事を決めないかもしれないが、それは、間違いを犯すとしても正しいやり方を示している。進化は、最上の完成域にすぐに達するものではなく、むしろ比較的、しかも前進的な実践的調整をつくり出す。
実用的、かつ効率的代議政体の発展への10段階、または局面があり、これらは次の通りである。
1. 人間の自由。奴隷制度、農奴制、およびすべての人間の束縛形態は消失しなければならない。
2. 心の自由。自由というものは、自由な民が教育を授けられない限り—理知的に考え賢明に計画することが教えられない限り—通常、利益よりも危害を加える。
3. 法の支配。自由は、認められた基本法に沿った立法制定と人間の支配者の意志と気まぐれな思い付きとが置き換えられて初めて自由を享受できる。
4. 言論の自由。代議政体は、人間の大望と意見のためのすべての表現形式の自由なしには到底考えられない。
5. 財産の安全性。いかなる政府も、何らかの型での私有財産の享受の権利が提供できなければ、長らく持ち堪えることはできない。人は、自己の財産を用い、管理し、与え、売り、賃貸し、遺贈する権利を切望する。
6. 陳情の権利。代議政体は、市民が思うところを聞いてもらえるという権利を前提とする。陳情の特権は、自由な市民に本来備わっているものである。
7. 統治する権利。聞いてもらえるだけでは十分ではない。陳情の力は、政府の実際の管理へと進歩しなければならない。
8. 国民参政権。代議政体は、理知的、効率的、かつ普通選挙民を前提とする。そのような政府の特徴は、それを構成する人々の特徴と力量に応じて決定されるであろう。選挙権は、文明が進むにつれ男女に共通であり、有効に修正され、再編成され、さもなくば変更されるであろう。
9. 公僕の管理。いかなる民間政府も、市民が、役人や公務員を導き監督する賢明な方法をもち、しかも用いない限り役に立ち、かつ効を奏しはしないであろう。
10. 知的、かつ鍛えられた代議制。民主主義の生存は、代議政体の成功に依存している。そしてそれは、専門的に訓練され、知的に有能で、社会的には忠誠で、道徳的には適任の個人のみを官公庁に選出の実践を条件とする。人民のための人民による人民の政府は、そのような対策によってのみ持続され得るのである。
政府の行政上の、または管理上の形態は、市民生活の進歩の基礎—自由、安全、教育、および社会の連携—を提供しているのであればあまり重要ではない。社会発展の進路を決定するのは、国家が何であるかということではなく、それが何をするかということである。つまるところ、いかなる国家も、選ばれた指導者が例示するその国民の道徳的価値を超えることはできない。無知と利己主義は、最高の政府の形態にさえも確実な破綻をももたらすであろう。
国家の利己主義は、非常に残念なことではあるが、社会の存続には不可欠であった。神の選民主義は、部族結合と国家建設において直接現代に至るまで主な要因であった。しかし、いかなる国家も、あらゆる不寛容の型を習熟するまでは、理想の機能水準に到達することはできない。それは、いつまでも人間の進歩に反目している。また不寛容は、科学、商業、遊び、および宗教の連携によって闘うことが最も好ましい。
理想国家は、3つの強力で調和して働く機能の影響の下で役割を果たす。
1. 人間の兄弟愛の実現に由来する愛の忠誠
2. 賢明な理想に基づく知的な愛国心
3. 惑星の事実、必要性、および目標の点からの宇宙洞察
理想国家の法の数は少なく、否定的禁制から高度の自制による個人の自由の積極的な進歩の時代へと消え去った。優れた国家は、国民に労働を強要するばかりではなく、進む機械時代がもたらす労苦解放からますます増える余暇の有利かつ向上的活用へと誘う。余暇は、消費ばかりではなく生産もしなければならない。
いかなる社会も、怠惰を容認したり貧困を甘んじて受けるときあまり進歩はなかった。しかし、貧困と依存は、不完全かつ堕落した群体の再生が、制限なく自由に支持され許されるならば、決して根絶はできない。
道徳的社会は、その公民の自尊心を保護し、あらゆる正常な個人に自己実現のための適切な機会を提供することを目的とすべきである。そのような社会的達成の計画は、最高の文化社会の体制をもたらすであろう。社会の発展は、最小限の取り締まり規制を行使する政府の管理によって奨励されるべきである。極少の行政支配にあるとき、その国家は、最も良く統一される。
国家の地位の理想は、発展により、市民意識のゆっくりとした成長により、すなわち社会奉仕の義務と特権の認識により達成されなければならない。人は、政治の猟官主義者の行政終了後にまず義務として政府の負担を負い、しかし後にはそのような奉仕を特権として、すなわち最もすばらしい名誉として追求する。いかなる段階の文明状況も、国家の地位の責任を進んで引き受けるその市民の力量によって忠実に映しだされる。
都市と州を治める真の共和国の機能は、ちょうど人々の経済と商業のつながりの他のすべての形態のように、専門家が指揮し、管理する。
政治的奉仕は、進歩した国家においては市民の最高の献身として尊重される。最も賢明で最も気高い市民の最大の抱負は、市民の認識を獲得することであり、つまり政府への信用ある地位に選出されるか、または任命されることであり、またそのような政府は、公務員や非政府組織の尽力に対して最も高い認識の名誉を与える。次には、哲学者、教育者、科学者、実業家、および軍国主義者の順に名誉が与えられる。両親には、その子等の優秀さにより正正当に報酬が与えられ、また純然たる宗教的指導者は、精神の王国の大使であることから真の報酬を別の世界において受け取る。
経済、社会、そして政府は、踏み留まるつもりであるならば発展しなければならない。進化的世界の静止状態は、腐敗を暗示しており、進化の流れと共に前進する制度のみが持続する。
拡大する文明の進歩的計画は次のような事項を取り入れる。
1. 個人の自由の保護
2. 家庭の擁護
3. 経済安定の促進
4. 疾病予防
5. 教育の義務
6. 就職の義務
7. 有益な余暇活用
8. 不運な者への配慮
9. 人種の向上
10. 科学と芸術の促進
11. 哲学の促進—知恵
12. 宇宙的洞察の拡大—精神性
文明の術策におけるこの進歩は、人間と神の最も高い目標への人間の努力の実現化—人間の兄弟愛の社会的達成と神-意識の個人の威信—へと導き、それは、すべての個人が天の父の意志を為すという最高の願望に明らかにされるようになる。
本物の兄弟愛の現れは、すべての人間が喜んで互いの重荷を負う社会秩序に到達したことを意味する。すべての人間は、黄金律の実施を実際に望んでいる。しかし、弱者あるいは悪人のいずれかが、まず第一に真、美、善の奉仕への献身に燃えている者を不公平かつ不道徳の利用のために虎視眈々と狙うとき、そのような理想的社会は実現され得ない。そのような状況においては、ただ1つの針路が現実的である。「黄金律の統治者」は、平和偏向者の搾取をねらうか、または前進する文明の破壊を試みるかもしれない文化の遅れた仲間に対して相応な防衛維持をしながら自分達の理想に沿って生きる進歩的社会を樹立できるのである。
理想主義は、各世代の理想主義者が、人類のより下劣な秩序による皆殺しを可能にするならば、発展的惑星における存続はありえない。ここに、理想主義の大きな試練がある。高度な社会は、自己中心的利得、もしくは国家拡大目的のために他民族への攻撃作戦においてこの軍事力を用いる誘惑に屈することなく、好戦的隣人の全攻撃に対し社会を安全にする軍備維持ができるのか。国家の生存は、軍備を要求すると同時に、ただ宗教の理想主義が、攻撃準備の堕落を防ぐことができる。愛、すなわち兄弟愛だけが、強者の弱者圧迫を防ぐことができる。
競争は社会の進歩に不可欠であるが、野放図な競争は暴力の原因となる。競争は、産業自体の生存を決定するとともに、現在社会においては個人の居場所を産業において決定するので、ゆっくりと戦争にとって代わっている。 (殺人と戦争は、慣習以前はそれぞれの事情において異なる。殺人は初期の社会以来禁止されてきており、一方戦争は、未だに人類全体として一度も禁止されたことがない。)
理想国家は、個人の争いから暴力を取り除くに十分の社会的行為を規制し、個人の自発性の不平等を防ぐことを引き受ける。ここに国家にとっての重大な問題がある。いかにして平和と静けさを産業に保証し国力を支えるために税を支払い、同時に課税が産業を不利な立場に立たせることを防ぎ、国家が寄生的、あるいは専制的になることを妨ぐことができるか。
どんな初期世界のすみからすみまで競争は、進歩的文明に不可欠である。人の進歩するにつれ、協力はますます効を奏してくる。協力は、高度な文明においては競争よりも効率的である。古代人は競争に刺激される。初期の進化は、生物学的に適合する生存によって特徴づけられるが、後の文明は、理に適った協力、人の気持ちが理解できる友愛、それに精神の兄弟愛によって促進される。
本当に、産業における競争は甚だしく無駄であり、まったく効果がないが、そのような調整が、個人の基本的特権のいずれかのわずかな廃棄さえ引き起こすようなことがあれば、この経済の無駄な動きを排除する何の試みも黙認されるべきではない。
現代の利潤が動機づけの経済は、利潤動機が奉仕の動機により増大させられなければ絶望的である。偏狭的私利に基づく容赦のない競争は、ついには維持しようとする事柄さえも損ずるものである。排他的、かつ私利的な利潤動機の目的は、キリスト教の理想とは矛盾する—イエスの教えにはるかに矛盾するものである。
経済における利潤動機は、宗教における恐怖が、愛に関係するように奉仕の動機に関係がある。しかし、利潤動機は、突然に破壊されても取り除かれてもいけない。それは、さもなくば不精な人間を懸命に働かせておく。しかしながら、この社会的エネルギーを喚起する者の目的は、いつまでも利己的である必要はない。
経済活動の利潤動機は、完全にあさましく、社会の高度な秩序にまったくふさわしくない。にもかかわらず、それは、文明の初期段階の間ずっと欠くことのできない要素である。利潤動機は、人が経済努力と社会奉仕のための非営利目的の優れた型—超越的な衝動、すなわち最上級の英知、興味をそそる兄弟愛、精神到達の卓越性—を堅く自分のものにするまでは取り除かれてはならない。
持続する国家は、文化に基礎があり、理想が主役であり、奉仕が動機となっている。教育目的は、技術習得、知恵の追求、自己実現、および精神的価値の達成であるべきである。
理想的国家における教育は、全生涯を通じて続き、また哲学は、時としてその市民の主な趣味となる。そのような共和国の国民は、人間関係の意味、現実の意味、価値の高潔さ、生活目標、および宇宙の運命の栄光に関する洞察強化として知恵を追求する。
ユランチア人は新しくより高い文化社会の洞察力を得るべきである。教育は、純粋に利益に動機づけられた経済体系の消滅時に価値の新段階へと飛躍するであろう。教育は、あまりにも長い間、地方主義的、軍国主義的、自我称賛、成功追求であり過ぎた。それは、ついには、世界的、理想主義的、自己実現的、宇宙理解に至らねばならない。
教育は最近、聖職者の管理から弁護士と実業家の管理へと移った。最終的にそれは、哲学者と科学者に明け渡されなければならない。教師は、哲学つまり知恵への探求が、主要な教育上の追求になり得るように自由な身、真の指導者でなければならない。
教育は、生涯の主たる活動である。それは、人類が、人間の知恵の上昇段階を徐々に経験できるように生涯を通じて続かなければならない。それらは次の通りである。
1. 事象に関する知識
2. 意味の具現化
3. 価値の正しい認識
4. 仕事の尊さ—義務
5. 目標への動機—道徳
6. 奉仕の愛—性格
7. 宇宙的洞察—精神的認識
次いで、多くの者が、これらの達成により人間の心の達成の究極点、つまり神-意識に昇るであろう。
人間のいかなる政府の唯一神聖な特性は、国家機能の行政、立法、司法の3領域への分割である。宇宙は、そのような機能と権威の分離計画に基づいて管理される。効果的な社会的規制、すなわち民間政府のこの神の概念は別として、増大された自制と増加された社会奉仕の目標に向かって市民が進歩しているのであるならば、一民族が、いかような国家形態を選ぶということはあまり重要ではない。民族の知力の鋭さ、経済の知恵、社会の賢明さ、および道徳持久力は、国家に忠実にすべて反映される。
国家の発展は、段階から段階への進歩を必要とする。それらは、
1. 行政、立法、司法3部門の政府の創設
2. 社会、政治、宗教活動の自由
3. 奴隷制度と人間束縛のすべての形態の撤廃
4. 税の徴収を調整する市民の能力
5. 普遍的教育体制—揺りかごから墓場までの幅のある学習
6. 地方と中央政府間の適切な調整
7. 科学の助長と疾病の克服
8. 家庭、学校、教会における性の平等と男女の連携機能の正当な認識、そして産業と政府機関における女性の専門的業務
9. 機械発明とその後の機械時代の支配による奴隷制度の除去
10. 方言の征服—世界共通語の勝利
11. 戦争の終結—国際法廷の定期的に退職する議長達から自動的に補充された惑星の最高裁判所が主宰する大陸法廷による国家間、人種間の不和の国際審決。世界裁判所は権威がある。常設国際司法裁判所は助言を与える—倫理的。
12. 知恵の追求への世界的人気—哲学の高揚。世界宗教の発展、それは光と生命に定着の初期段階に入る惑星の入り口の前兆となるであろう
これらは、進歩的政府の前提条件と理想的国家の特徴である。ユランチアは、これらの高められた理想の実現からはかけ離れてはいるが、文明度の高い人種が一つの始まりを作った。—人類は、 より高い進化の運命に向かって進行中である。
[ネバドンのメルキゼデクによる後援]
私にはエーデンチアのいと高きものの承認とラナフォーゲの許可が与えられており、サタニア系に属するそれほど遠くない惑星に住む最高度の人類の社会的、道徳的、政治的生活の何らかについて語る権限が委任されている。
この惑星は、ルーキフェレーンスの反逆参加のせいで孤立にいたった全サタニア界の中でほとんどユランチアのような歴史を経験した。体系の支配者が他の惑星問題についての叙述を承諾するということは、とても珍しいことであることから、2球体の類似性こそが、この類希な発表の許可が与えられたかを間違いなく説明しているというものである。
この惑星は、ルーキフェレーンスの反逆との関連においてその惑星王子の不忠により、ユランチアのように惑わされた。この惑星は、アダームがユランチアに来た直後に物質の息子を受け、以来、行政長官の息子は、その必滅の人種に贈与されることはなかったことから、その球体は隔離されたままでこの息子もまた違約した。
これらの惑星のすべての不利な条件にもかかわらず、非常に優れた文明が、ほぼオーストラリア大の孤立している大陸で発展している。この国の人口はおよそ1億4千万である。その民族は、いわゆるユランチアの白色人種よりも紫色人種の割合をわずかに多く持つ主には青色と黄色の混合民族である。これらの異なる民族は、まだ完全に混合されているというわけではないが、まずまずは親しくつき合い、非常に社交的である。現在、この大陸の平均寿命は、惑星上のいかなる他民族よりも15パーセント高い90歳である。
この国の産業構造は、大陸固有の地形に由来する大きな利点を享受している。1年に8カ月大雨の降る高い山々は、まさに国の真ん中に位置している。この自然の配置は、水力利用に有利に働き、より乾燥した大陸の西地区の潅漑を大いに容易にする。
これらの国民は、自活しており、すなわち周辺の国々からいつまでも何も取り込むことなく生きることができる。天然資源は十分であり科学技術により生活必需品の欠乏を補う方法を学んできた。活発な国内通商に恵まれているが、あまり進歩的ではない隣国のありきたりの敵意のせいで対外貿易はほとんどない。
一般的にこの大陸国家は、惑星の発展的方向に進んだ。部族段階から強烈な支配者と王の出現までには何千年もかかった。多くの異なる政府の体制—不成功の共和国、共同国家、それに独裁者等—による絶対的君主が続いたが、不断の夥しさで去来した。この発展は、政治的動乱期の国の強力な独裁的三執政の一人が心変わりをしたおよそ500年前まで続いた。他の支配者のうちの1人が、 つまり残る2人の下位の者が、独裁者の権力を空け渡すという条件で退位することを自発的に申し出た。こうして大陸の主権は、一支配者の手に託された。統一された国家が、100年以上も強い君主政治の下に進歩し、この間に見事な自由憲章が発展した。
その後の君主制から代議政治形態への変遷はゆるやかであり、王は単なる社会的、あるいは感傷的な表看板として残存し、男系子孫が尽きるとやがて消えていった。現在の共和国は、今では200年間存続しており、その間これから叙述されようとしている国政術に向けての継続的進歩があり、過去10年の産業と政治の分野における最後の開発があった。
この大陸国家には、現在、国の中心に位置する首都に代議政体がある。中央政府は、比較的自由な100州の強い連邦から成る。これらの州は、10年間任期の州知事と立法者を選出し、再選資格は誰にもない。州の裁判官たちは、知事により無期の任命を受け、市民10万人当たり1人の代表から成る各立法府によって承認される。
都市の規模に応じて異なる5つの形態が、都市政府にはあるが、どの都市も100万人以上の住民は認められていない。これらの市の統治の基本構想は、概して非常に簡単で、直接的で、経済的である。最高の種類の市民のは、市のわずかな管理職を熱心に求めている。
連邦政府は、等位の3部門を採用している。行政、立法、司法。連邦最高行政者は、6年毎に一般の地域選挙によって選ばれる。彼は、各州知事の同意を得た少なくとも75の州議会の誓願を除いては再選の資格はなく、その時でも1任期限りである。連邦最高行政者は、生存する全ての元最高責任者で構成される「最高閣議」の助言を受ける。
立法部門は3議会を採り入れている。
1. 上院は、経済機能に従い、産業、専門職業、農業、そして他の労働者集団が、投票し選出する。
2. 下院は、産業に、あるいは専門職業に属しない社会、政治、哲学集団を包含する一定の社会組織によって選出される。会費を納めているすべての市民は、両分野の代表選挙に参加するが、上院に関する選挙か、下院に関するかにより異なって区分けされる。
3. 3番目の議院—元老—公務員の老練者たちを採用し、またそれぞれ最高行政者たち、地域(準連邦)行政者たち、最高裁判長の指名をうけた、くわえて他の立法院いずれかの議長たちの指名をうけた多くの著名な人々を採り入れている。この集団は100人に限られており、その構成員は、長老自身の多数派に選ばれる。会員資格は、無期であり、欠員ができると指名された中から最大得票者が正式に選出される。この機関の目的は、純粋に諮問的であるが、それは世論への強力な監視官であり、また政府の全部門に強い影響力を揮う。
連邦行政の実に多くが、10の地方分権(準連邦)機関により運営され、各機関は10州の団体からなる。これらの地方区分は、立法上、司法上のいずれの機能も持たず、完全に行政的であり、管理的である。10人の地方行政官は、連邦最高行政者の直接の任命をうけ、任期は、最高行政者の任期—6年—と同じである。連邦最高裁判所は、この10人の地方行政者の指名を承認する。この10人は再任されないかもしれないが、退職行政者は、自動的にその後任の近い仲間となり、顧問となる。これらの地方行政官は、別な方法においてそれぞれ自身の事務官を選ぶ。
この国は、2つの主要な裁判機関により裁かれる—法律法廷と社会経済法廷。法律法廷は、次の3段階において機能する。
1. 市や地方管轄の簡易裁判所の決定は、州の高等裁判所に上告できるかもしれない。
2. 州の最高裁の決定は、連邦政府、あるいは市民の権利と自由の危険を伴わないすべての問題において最終的なものである。地方行政官には、いかなる訴訟も即座に連邦最高裁の審判にかける権限が与えられている。
3. 連邦最高裁判所—国の論争裁決のための高等法廷と州立裁判所からの上告訴訟。この最高裁判所は、どこかの州立裁判所に2年、あるいはそれ以上勤務し、そして最高閣議と立法議会の3番目の議院の大多数の承認と最高行政者によってこの高い位置に任命された41歳以上、75歳未満の12人の男性で構成される。この最高司法機関の全決定は、少なくとも2/3の票決で成る。
社会経済法廷の機能は、次の3分割である。
1. 家庭と社会体制の立法と行政部門に関する親のための法廷
2. 教育法廷—州と地方の学校組織と係わりをもち、教育行政機構の行政と立法部門と結びつく司法機関
3. 産業法廷—経済上のすべての誤解調停のために完全な権限を与えられた司法裁判所
連邦最高裁判所は、中央政府の第3の立法部門、すなわち老齢の政治家の議院の3/4の票を除き、社会経済問題には判決を下さない。その他の点では、親法廷、教育法廷、産業の高等法廷のすべての決定が最終的である。
この大陸では2家族が、同じ屋根の下に生活することは違法である。しかも集団居住は禁止されているので、長屋形式の建物の大部分は取り壊されてきた。しかし未婚者達は、まだ同好会、ホテル、その他の集団用居住施設に住んでいる。許可される最小家屋の敷地は、4,500平方メートルの土地を用意しなければならない。家の目的に使用される土地とその他の不動産は、最小家屋の敷地割当ての10倍までが無課税である。
この民族の家庭生活は、前世紀の間に大いに向上した。両親の、すなわち父母双方は、子供育成のための親の学校に出席する義務がある。10日に1回は—2週間毎に、というのも1週間は5日であるから—口頭教授のために近くの集会所に行き、田舎の小集落に住まう農業者でさえも通信手段をもってこの任務を進める。
各家族の平均子供数は5人であり、子供は、両親の完全な管理下にあるか、片親もしくは両親死去の場合は、親のための法廷により任命された保護者管理下にある。完全な孤児の後見役を与えられるということは、いかなる家族にとっても非常な名誉であるとみなされる。親たちの間での競争試験があり、孤児は、最良の親の資格を示した家庭に与えられる。
これらの民族は、家庭をその文明の基本的機関と見なす。子供の教育と性格指導の最も大切な部分は、その両親と家庭での保証が期待されており、父は、母の子供の教養への心配りと同相当の専心している。
すべての性教育は、両親、または法的後見者が、家庭において管理する。道徳教育は、教師が、学校の作業場で休息時に教えるが、宗教指導についてはそうではなく、宗教は、家庭生活の不可欠部分とみなされていることから両親の独占的特権であると判断されている。宗教教育は、純粋に哲学寺院においてのみ公的に与えられ、この民族の間ではユランチアの教会が展開してきたような完全に宗教的団体のようなものは展開しなかった。彼らの哲学での宗教とは、神を知り、奉仕を通じて仲間に対する愛を表す努力であるが、これは、この惑星の他の国々の典型的宗教事情ではない。宗教は、これらの民族間では完全に家族の問題であるので、宗教上の集会は、何の公共の場もないのである。政治的には、教会と国家は、ユランチア人がよく言うように完全に別々であるが、宗教と哲学には奇妙な重なりがある。
20年前まで、両親から適切に教育を受けたかどうか子供を定期的に調べるために各家族を訪問する精神的な教等師 (ユランチアの牧師に匹敵する)は、政府の指揮下にあった。これらの精神面の助言者と試験官は、現在、新たに作成された精神向上財団法人、つまり自発的出資の後援のもとにある団体の指示下にある。この団体は、ことによると天の行政長官の息子の到着後までさらなる発展はないかもしれない。
子供は、市民の最初の義務が開始する15歳になるまで法的にはそのまま親の支配下にある。その後、両親への義務が減少されるそのような年齢層に対し、似通った公的儀式のように、連続して5年毎に5回の実施され、一方では、市民の、また社会的な新しい責任が課される選挙権は20歳で与えられ、親の同意なしの婚姻の権利は25歳まで与えられず、また子は、30歳に達すると家を出なければならない。
婚姻と離婚法は、国中画一である。20歳前の結婚—民間参政権賦与の年齢—は認められていない。婚姻許可は、通告1年後に、その上、花嫁と花婿の両人が、結婚生活の責任に関し親の学校で正規に教授を受けたということを示す証明書を提示後に初めて与えられる。
離婚規定はいくらか緩いが、親の法廷が発行する離別の判決は、申請登録から1年後まで取得できないかもしれない。また、この惑星の1年は、ユランチアよりもかなり長い。現在の離婚率は、簡単な離婚法にもかかわらず、ユランチアの進んだ人種の離婚率の1/10に過ぎない。
この国の教育制度は、大学教育前の5歳から18歳までの生徒が通う義務であり、しかも男女共学である。これらの学校はユランチアのものとは大いに異なる。教室はなく、1度に1つの学習だけがなされ、全ての生徒は、最初の3年が過ぎるとが低学年を教える補助教員になる。本は、学校の作業場と農場に起こる問題解決に役立つ情報確保のためだけに使用される。この大陸で使用される家具の多くと機械発明の多く—これは発明と機械化の偉大な時代である—は、これらの作業場で生産される。隣り合う各作業場は、学生が必要な参考図書を閲覧を必要とするかもしれない実用的図書館である。農業と園芸もまた、地元のそれぞれの学校に隣接する大規模な農場において全教育期間にわたって教えられる。
頭の働きの鈍い者は、農業と畜産だけを学び、普通以下のすべての者は、否定されている親になることを未然に防ぐために性別に隔離される特別な管理集落に生涯収容される。これらの抑制策は、75年間実施されてきている。引き渡し命令は、親のための法廷によって言い渡される。
誰もが、毎年1カ月の休暇を取る。大学進学前の学校は10年間であり、1年のうち9カ月間実施され、休暇は両親か友人と旅行をしながら過ごす。この旅行は、成人教育計画の一部であり、生涯を通じて続けられ、費用を賄うための基金は、老齢保険に採り入れられているものと同じ方法によって蓄積される
学期の1/4は、遊戯に—運動競技に—あてられている。生徒は、これらの競技で地方から、州と地域を経て全国試合へと進む。同様に、弁論大会と音楽大会、もちろん科学と哲学におけるものも、下層の社会区分から国家の名誉のための競争まで学生の注意を占有している。
学校管理は、学校関係者が、3番目の、すなわち立法顧問部門として機能し、相関3部門をもつ中央政府の摸写である。この大陸の教育主要目的は、すべての生徒を自活する国民にすることである。
すべての子供は、大学前の16歳で学制を卒業するが、熟練した職人である。その後、成人学校か大学のいずれかで書物の研究と特別知識の探求が始まる。才気あふれる学生が、予定より早く仕事を終了すると、 自身の考案による何らかの得意の研究課題にとりくむ時間と手法の特典が与えられる。全体の教育制度は、個人を適切に訓練するよう考案されている。
この国民の間での産業状況は、その理想からはかけ離れている。労使は、今なおそれぞれの問題を抱えてはいるが、双方が真剣な協力計画に合わせ少し変化してきている。労働者は、この特有の大陸でますます全産業事業の株主になっている。全知的労働者は、徐々に小資本家になっている。
社会的対立は減少しており、また親善精神が速やかに拡大している。毎年2パーセントの奴隷解放によるこの調整が、徐々に発効されて以来、深刻な経済問題は、奴隷制度撤廃(100年以上前)以来起こっていない。文句なく精神的、道徳的、それに体力検査に合格した奴隷には市民権が与えられた。これらの優れた奴隷の多くは、戦争捕虜か、戦争捕虜の子供等であった。およそ50年前、人々は、劣る最後の奴隷を追放し、さらに最近では、堕落し悪質な階級の数を減少させる課題に本気で取り組んでいる。
これらの人々は最近、産業に関する意見の相違の調整と経済上の弊害の修正のための新たな方法、つまりそのような問題解決の古い方法に改善を印した新たな方法を発達させた。個人、または産業上の不一致のいずれかの調整手段としての暴力は、非合法化された。賃金、利益、および他の経済問題は、厳しく規制されておらず、産業立法府におおむね制御されているが、産業から起こるすべての論争は、産業法廷で全般的に統制される。
産業法廷は、ほんの30年に過ぎないが、非常に満足のいく機能をしている。最新の進展は、今後産業法廷が、3部門に当てはまるような法的補償の承認を確立する。
1. 投資資本の法的利率
2. 産業活動技能に対する妥当な俸給
3. 労働に対する合法で公正な賃金
これらは、まずは契約に合致させるか、または減少収益に直面する際は、一時的減少に比例して分担するものとする。そして、これらの固定負担金を超える全収益は、その後配当と見なされ、全3区分:資本、技術、労働に割り当てられるものとする。
地方行政官は、10年毎に合法的な日々の有給労役を調整し、決定する。産業は現在、労働4日と遊戯1日の週5日で作動している。これらの人々は、学生同様、就業1日当たり6時間、10ヶ月ある1年のうち9カ月働く。通常、休暇は旅行に費やされ、最近では新輸送方法が開発されたので、国全体が旅行をする傾向にある。気候は、1年におよそ8カ月旅行に向いており、人々はその機会をできるだけ利用している。
200年前、産業にとっての利益目的は、完全に優位であったが、今日、それは他の、また一層高い推進力により急速に置き換えられている。この大陸における競争は、猛烈ではあるが、その多くが産業から遊戯、技能、科学的達成、および知的到達へと移行された。それは、社会奉仕と政府への忠誠心において最も活発である。この民族の間では、社会奉仕が、急速に待望の主目的になっている。この大陸の最も金のある者は、1日あたり6時間自分の機械工場の事務所で働き、次に本人が、社会奉仕のための資格を得ようと公職者の学校の地方分校へと取り急ぐのである。
この大陸での労働は、名誉なことであり、体の丈夫な19歳以上の者は皆、家庭や農場、広く認められた産業、または一時的失業者が受け入れられる公的な仕事、さもなければ鉱山の強制労働部隊で働く。
これらの国民はまた、新しい型の社会的嫌悪—怠惰と過分な富の両者への嫌悪—を心に抱き始めている。人々は、ゆっくりと、しかも確実に、自分達の機械を征服している。かつて、彼らもまた、政治上の自由と、続いて経済自由のために戦った。彼らは、現在、自己実現に専念できる自分の力で勝ち得た余暇に感謝し始めると共に、双方の楽しみを自分のものとしている。
この国家は、自尊心を打ち砕く慈善行為の型を老後を保証する堂々たる政府の保険と置き換える決然たる努力をしている。この国家はすべての子供に教育を、すべての成年に仕事を提供する。それ故に、虚弱者や老齢者の保護のためにそのような保険制度を首尾よく実行できるのである。
この国民のすべては、70歳まで仕事に残る権利を与える許可証を州の労働委員から手に入れない限り有給の職業からは65歳で退かなければならない。この年齢制限は、公務員、あるいは哲学者には適用されない。身体的障害者、あるいは永久的不具者は、地方政府の年金審議官が連署して裁判所の命令により、何歳ででも退職表に載せられる。
老齢年金のための基金は4財源から引き出される。
1. 連邦政府は、この目的のため毎月1日分の所得を徴収する。この国では皆が働く。
2. 遺産—多くの裕福な市民がこの目的のために財源を残す。
3. 国の鉱山での強制作業収入。徴集された労働者が自らを支え、自身の退職負担金を積み立てておき、自己労働からの超過収入のすべてがこの年金基金に回される。
4. 天然資源からの収入。大陸のすべての自然的財産は、社会の信託金として連邦政府によって保持され、そこからの収入は、疾病防止、天才教育、および公職者育成学校の特に有望な個人の経費といった社会目的に利用される。天然資源からの収入の半分は、老齢年金基金に回される。
国家と地方の保険計理財団が、保護的保険の多くを供給するとはいえ、老齢年金は、連邦政府が、地方の10部門をつうじて独自に管理する。
これらの政府資金は、長い間正当に管理されてきた。裁判所が与えた最も重い刑罰には、反逆罪と殺人に国民の信頼への裏切りが加えられている。社会的不実、政治的不実は、今、すべての犯罪で最も凶悪であると見なされている。
連邦政府は、老齢年金管理と天才と創造的な独創性を助長することにおいてのみ温情主義的である。州政府は、それよりもわずかに個々の住民に寄りそっており、地方自治体は、はるかに温情主義的であるか、または社会主義的である。市(または、それの何らかの亜区分)は、健康、衛生、建築物規制、美化、給水、照明、暖房、娯楽、音楽、および意思の疎通のような事柄に携わる。
全産業での第1の配慮は、健康にむけられている。物理的福利にかかわる特定の局面は、産業と一般社会の特権と見なされるが、個人と家族の健康問題は、個人的な関心だけの問題である。薬に関しては、他のすべての純粋に個人的問題と同様に、政府の干渉はさらにいっそう控える計画である。
市には課税する権力はなく、借金することもできない。市は、州の公庫から一人当たりの支給金を受けるとともに、社会主義的企業収益と様々な商業活動の認可からそのような収入を補わなければならない。
市の境界を大いに広げ実用的にする高速輸送機関は、市の管理下にある。市の消防署は、防火と保険基金に支えられており、市あるいは国における全建築物は耐火性であり、75年以上存続している。
市により任命された保安官はいない。警察は、州政府が維持する。この部門は、ほぼ全体的に25歳から50歳の間の未婚男性からに募集される。大部分の州が、かなり重い独身税を査定しており、それは州警察に加わるすべての者に支払われる。平均的州の警察は、現在、50年前のそれの1/10の規模に過ぎない。
経済や他の状態は、大陸の異なる区域で大いに異なり、比較的自由で主権をもつ100州の課税の仕組みに均一性はほとんど無いか、あるいは無い。全ての州には連邦の最高裁の同意がある場合を除いては、変更不可能な10の基本的な憲法条項があり、これらの条項の1つには町にあろうと田舎にあろうと免除されている家屋の敷地以外は、いかなる資産にも1年当たりその価値の1パーセントを越える税の徴収を禁じている。
連邦政府は、借金をすことはできないし、いかなる州も戦争目的を除いては金の借り入れには3/4の住民投票を要する。連邦政府は、負債を被ることができないので、戦争の際には防衛国民会議が、人と物資のみならず必要に応じ、州に金銭を課する権限が与えられている。しかし、負債は25年以上に及んではならない。
連邦政府を支える収入は、以下の5源泉から得られる。
1.輸入税。 すべての輸入は、惑星のいかなる他の国の水準よりもはるかに高いこの大陸での生活水準を保護するように設計された関税対象である。産業議会の両院は、2立法府の共同被任命者である経済問題最高行政者の推薦を承認した後に最高産業法廷においてこれらの関税を設定する。産業上院は、労働者に、下院は、資本家により選出される。
2. 印税。 連邦政府は、すべての型の才能—芸術家、作者、および科学者—を援助し、またそれらの特許を保護し、地方の10個所の実験室での発明と独自の創造を奨励している。代わりに政府は、機械、書籍、芸術作品、植物、または動物に属するか否かに関係なく、そのようなすべての発明と創造からの収益の半分を受ける。
3. 相続税。 連邦政府は、地所の規模、および他の条件によって決まる1パーセントから50パーセントにおよぶ累進相続税を徴収する。
4. 軍用設備。 政府は、商業や娯楽目的使用のための陸海軍設備の賃貸により相当額を稼いでいる。
5. 天然資源。 天然資源からの収入は、連邦国家の憲章に特定目的で完全に必要としなければ国庫に転じられる。
連邦政府の予算割当額は、国民防衛協議会において査定される戦争基金を除き、上院の立法府で起案され、下院の同意をうけ、最高行政者が承認し、最終的に100人の連邦予算委員会によって有効とされる。この会の委員は、州知事に指名され、24年間務める州議会により6年毎に1/4が選出される。この機関は、6年毎にその構成員の中の一人を3/4の得票により選んで会長とし、その結果、彼は、連邦基金の統括者兼管理者になる。
5歳から18歳にかけての基本的義務教育計画に加え、次のような特別学校が維持されている。
1. 公職者育成学校。 これらの学校は3分野に分かれる。国立、地方、および州。官公庁は、4部門に分類される。国民への責任の第一部門は、主に国家の管理に属し、この団体の全公務員は、地域と国の双方の施政学校の卒業生でなければならない。個人は、地域の10の公職者の学校のうちのいずれかを卒業し、第2部門の政治、選挙、または任命による職を受けるかもしれない。その地位は、地域の管理と州政府においての責任に関係がある。第3部門は、州の責任を盛り込み、当該職員は、施政の学位だけが必須となる。そのような職は、完全に任命によるもので第4と最後の部門の公務員は、施政の学位を保持する必要はない。それらの職は、助手職、秘書職、それに政府の管理能力をもって機能する様々な学術的職業により取り扱われる技術的責任の低い身分である。
下級裁判所と州立裁判所の裁判官は、州立の施政学校の学位を持つ。社会、教育、産業問題の司法の裁判官は、地域の公職者学校の学位を保持する。連邦最高裁の裁判官は、これらの全ての施政学校からの学位を保持しなければならない。
2. 哲学の学校。 これらの学校は、哲学の寺院と協力し、公の機能として大なり小なり宗教に関係がある。
3. 科学機関。 これらの専門学校は、教育制度よりもむしろ産業と同位であり、15部門下において管理される。
4. 職業訓練学校。 これらの特別機関は、様々な学術的職業のための技術的訓練を与え、総数12機関である。
5. 陸軍と海軍学校。全国本部の近くと沿岸の25の軍事施設は、18歳から30歳までの軍事訓練を志願する市民向けに維持されている。これらの学校へに25歳以前の入学は、親の同意を必要とする。
官公庁の志願者全員は、州、地域、または連邦の公職者の学校卒業生に限られ、この国の進歩的指導者達は、普通選挙案の重大な弱点を発見し、およそ50年前に次の特徴を取り入れた投票方法修正のための憲法条項を作成した。
1. 20歳以上のすべての男女は、1票を有する。この年齢に達すると、全国民が2つの投票集団の会員資格を得なければならない。まず、経済上の役割—産業、専門職、農業、あるいは通商—に従って加わる。政治、哲学的、社会的傾向に応じて2番目の集団に入る。その結果、全労働者が、何らかの経済会員集団に属し、そしてこれらの同業組合は、非経済協会のように、三権分立を持つ国の政府とほぼ同様に規制されている。これらの集団における登録は、12年間変更できない。
2. 社会に多大に尽力した個人、あるいは政府用役において並はずれた賢明さを示した個人は、5年足らずの頻度ではなく、そのような9票の特別投票権を超えることなく、州知事か地方行政官の指名、また地域の最高協議会の権限で与えられた追加の投票権を持つかもしれない。いかなる複数投票権者の最大選挙権は、10票である。科学者、発明者、教師、哲学者、および精神指導者もまた、拡大された政治権力を与えられて同様に認識され栄誉を受けている。特別大学から学位が与えられるのとほぼ同様に、州と地方の最高協議会から都市のこれらの高度の特権が、与えられ、その受益者は、他の学位に加えてそのような都市認識の表象を個人的業績表に添付することを誇りに思っている。
3. 鉱山での強制作業を言い渡された個人、また税金財源による公務員のすべては、そのような奉仕期間、選挙権を奪われる。これは65歳で年金をもらって退職する老人には適用されない。
4. 5年間対象のうちの1年当たりに支払われる平均税を反映する選挙権には5区分がある。重納税者には5票までの追加票が許される。この付与は他のすべての認定からは独立しているが、何人といえども決して11票以上を投じることはできない。
5. この特権計画が採用されたとき、地域別投票方法は、経済体制や機能体制を優先して放棄された。すべての市民は現在、それぞれの住居にかかわらず産業、社会、あるいは専門職集団の構成員として投票する。したがって、選挙母体は、政府への信用と責任ある地位に最適な人員だけを選出する団結し、統一し、その上知的である集団で構成されている。機能的または集団選挙のこの体制には1つの例外がある。6年毎の連邦最高行政者の選挙は、全国的な投票によるし、いかなる市民も1票を越えての投票はない。
こうして選挙は、最高行政者の選挙を除き、市民の経済的、専門的、そして知的な社会集団ごとに行使される。理想国家は、有機的であり、自由で知的なあらゆる市民集団とは、より大きい政府の有機体内での生命維持に必要、かつ機能する器官を意味する。
政治学校は、障害があったり、欠陥があったり、無関心であったり、または罪を犯した個人の選挙権剥奪をみすえて州の法廷に訴訟を起こす権限を有する。国民は、国の50パーセントの者が劣るか、または欠陥がありながら投票権を持つとき、そのような国は消える運命にあると知っている。凡人による支配はいかなる国の滅亡をも告げると信じている。投票は義務であり、票を投じない者すべての対しては重い罰金が課される。
この民族の犯罪、精神異常、堕落への対応方法は、ある意味では心地よいものであるが、他方では、疑いもなく、ほとんどのユランチア人にとって衝撃的なものである。通常の犯罪者と欠陥者は、性別に異なる農業居住地に収容され、十二分に自活している。裁判所は、より深刻な常習犯と不治の狂人に毒ガス室での死刑を言い渡す。殺人を別とする、政府の信頼への裏切りを含む頻繁な犯罪もまた、死刑を伴い、正義の天罰は、確かで迅速である。
これらの国民は、法の否定的時代から積極的時代へと移っている。最近では、殺人可能者や重罪人に拘留地での終身服役の判決申し渡しによる犯罪防止を試みるところまで行った。そのような受刑者は、その後今まで以上に正常になったことを示すならば、仮釈放されるか、または赦免されるかもしれない。この大陸での殺人率は、他の国々の1パーセントに過ぎない。
犯罪者と欠陥者の繁殖防止の努力は、100年以上も前に始められ、すでに喜ばしい結果をもたらした。精神異常者のための刑務所も病院もない。理由の1つは、ユランチアで見られるこれらの集団のほんの10パーセント程に過ぎないからである。
連邦軍事学校の卒業生は、能力と経験に応じて防衛国民会議の総裁により、7階級の「文明の守護者」として任命されるかもしれない。親の最高裁判所、教育最高裁判所、産業最高裁判所により指名されたこの会は、25の協議会から成り連邦の最高裁判所により承認され、連携軍事の参謀長により統轄された。そのような構成員は70歳まで仕える。
そのような任命された役員が探求する過程は、4年の長さであり、必ず何らかの貿易、あるいは職業への精通に関連している。軍事訓練は、この関連する産業学校、科学学校、または職業学校での教育なしには決して与えられない。軍事訓練終了後の個人は、特別な学校で同様に4年の課程の長さの教育の半分を、4年の課程の間に、既に受けたことになる。職業軍人階級の創設は、こうして技術上、あるいは職業訓練の前半を確実なものする一方で、多くの男性が、自らを支えられるようににこの機会を提供することにより回避している。
平時の兵役は純粋に自発的であり、全兵役部門における入隊は4年間である。その間、すべての者が軍略習熟に加え専門とする何らかの研究を続行する。音楽における訓練は、中央の軍事学校と大陸周辺に分布する25の訓練所の主要な活動の1つである。産業の不景気が続くあいだ、何千人もの失業者は、自動的に陸海における大陸軍事防衛を築き上げることに活用される。
これらの国民は、周辺地域の民族の侵入に対する防衛としての強力な戦時編成を維持しているが、この軍事手段を100年以上も攻撃的戦争というものに用いていないということが、立派なこととして記録されてもよい。これらの国民は、侵略に戦力を用いる誘惑に屈することなく文明を力強く防御することができる程度にまで文明的になった。内戦は、大陸連合国の設立以来一つもないが、これらの国民は、ここ2世紀の間に9回の激しい防衛闘争に召集されてきており、そのうちの3戦は、強力な世界列強同盟に対してであった。この国は、敵意を抱く隣国による攻撃に対し適切な防衛維持はしているものの、政治家、科学者、および哲学者の訓練や養成によりはるかに注意を向けている。
世界と平和状態にあるとき、すべての可動防衛機構は、完全に貿易、商業、娯楽に利用される。戦争が布告されると、国全体が動員される。軍の支払いは、戦争期間中すべての産業で調達し、総軍事省の長官たちが、最高行政内閣の成員となる。
この類稀なる民族の社会と政府は、あらゆる点でユランチア国のものよりも優れているが、他の大陸では(この惑星には11ヶ国ある)、政府は、ユランチアのより高度な国々に明らかに劣っていると述べられるべきである。
この優れた政府は、ちょうど今、劣性民族との使節関係の確立を計画しており、周辺国への宣教師派遣について提唱する偉大な宗教指導者が、初めて生まれた。我々は、非常に多くの他のものが、他民族に優れた文化と宗教の強制を試みたときに犯した誤りをかれらが、繰り返そうとしていることを恐れる。この大陸の高度の文化をもつ国が、ただ単に外へ出向き、近隣民族の中の最も優れた者を連れ帰り、それ等を教育後に未開の同胞に文化の特使として送り返すならば、この世界で何とも素晴らしいことができるであろう。もちろん、行政長官の息子が、この高度な国にすぐ来るならば、この世界ですばらしい事が急速に起こり得る。
隣接の惑星事情に関するこの詳説は、ユランチアの文明を前進させ、政府の発展を増大させる意図をもって特別な許可でなされている。ユランチア人に興味を起こさせ好奇心をそそるさらに多くを語ることはできるが、この発表は、我々の許される限界に及んでいる。
ユランチア人は、しかしながら、サタニア系の自分達の姉妹球体は、天なる息子の権威ある任務、あるいは贈与任務のいずれにも拠らないということに気づくべきである。ユランチアの様々な民族は、大陸国家が、その惑星の仲間から切り離すような文化の不均衡により互いを切り離すようにはならない。
真実の聖霊からの注入は、贈与世界の人類の幸福の偉業を実現するために精神的な基礎を用意する。ユランチアは、したがって、法、機構、象徴、しきたり、および言語とともに惑星政府のより即座の実現に備えており—そのすべてが、法の下での世界平和確立へ向けて非常に勢いよく貢献でき、精神的努力の真の時代の夜明けのいつかへと導くことができた。そして、そのような時代は、光と生命の理想郷の時代への惑星の敷居である。
[ネバドンのメルキゼデクによる提示]
カリガスティアの失脚の結果から文化の退廃と精神の貧困、また必然の社会的混乱は、ユランチア民族の物理的、あるいは生物的情勢にそれほどの影響はなかった。生物進化は、カリガスティアとダリガスティアの離反の結果として非常に早く生じた文化と道徳的退行にまったく関係なく速やかに続いた。およそ4万年前、任務中の生命搬送者が、ユランチアの発展過程は、純粋に生物学の見地からのその頂点に近づきつつあることに気づいたとき、惑星の歴史の瞬間がやって来た。メルキゼデクの受信者は、この意見に同意して、生物上の改善に努めるもの達、つまり物質の息子と娘のユランチア実況見分への派遣をエーデンチアのいと高きものに陳情する生命搬送者とともにすることに直ちに同意した。
この要求は、カリガスティアの失脚とジェルーセムの一時的権威の明け渡し以来、エーデンチアのいと高きものが、ユランチアの諸事に対して直接管轄を行使してきたことから、エーデンチアのいと高きものに申し入れされた。
タバマンチア、つまり一連の少数の、または実験的世界の君主的監督官は、惑星査察のために到来し、人種の進歩状況を調査した後、ユランチアに物質の息子が下付されることを正式に推薦した。この査察時点から100年間足らずで、局部恒星系の物質の息子と娘であるアダームとハヴァーが、到着し、反逆による停滞と精神的孤立の隔離状態にある惑星の混乱した問題解決に努める厄介な任務に着手した。
平均的惑星への物質の息子の到着は、偉大な発明、物質的進歩、および知的啓発の時代への接近を前触れする。アダーム時代の後、ほとんどの世界は、素晴らしい科学時代にあるものの、ユランチアではそうではない。この惑星には物理的に適合する人種が住んでいたが、部族は野蛮と道徳的停滞の深層の中で苦しんだ。
反逆後の1万年以内に王子の行政のほぼすべての進歩は、拭い去られてしまった。世界の人種は、この道を誤った息子がユランチアに来なかったとした時に比べ、暮らし向きはあまり良くなかった。ダラマティアの伝統と惑星王子の文化の持続性は、ノヅ系とアマドン系の間にだけ存在した。
産業と通商のダラマティア委員会の以前の議長であり最初の指導者であるノヅにその名が由来するノヅ系は、王子の部下の反逆勢力の子孫であった。アマドン系は、ヴァンとアマドンに忠誠であり続けることを選んだアンドン系の子孫であった。「アマドン系」は、人種的用語であるよりも文化と宗教的な意味がある。人種の上から考察すると、アマドン系は本質的にはアンドン系であった。「ノヅ系」は、文化的、人種的表現の双方である。ノヅ系自身が、ユランチアの8番目の人種を構成したからである。
従来からの敵意が、ノヅ系とアマドン系に介在した。この確執は、これら2集団の子孫が何らかの共通事業に従事しようとするとき常に表面化した。その後でさえ、2集団にとり共にエーデンの情勢にかかわって平穏に働くことはきわめて困難であった。
ダラマティアの滅亡直後、ノヅの信奉者は、3大集団に分離するようになった。中央集団は、ペルシャ湾源流近くの元の家のすぐ近くに残った。東方集団は、ユーフラテス渓谷のすぐ東のエラーム高地の領域に移動した。西方集団は、地中海北東部のシリアの沿岸と隣接する地域に場所を定めた。
ノヅ系は、サンギク人種と自由に混交し、有能な子孫を後に残した。反逆的ダラマティアの子孫の幾らかは、後にメソポタミアの北の土地でヴァンとその忠誠な信奉者に合流した。ノヅ系は、ここヴァン湖地方と南カスピ海地帯においてアマドン系と交際し混ざり合い、そして「昔の勇士」の中に数えられた。
アダームとハヴァーの到着前、これらの集団—ノヅ系とアマドン系—は、地球で最も前進し、文化的に進んだ人種であった。
タバマンチアの査察に先立つおよそ100年間、高地に位置する世界の倫理と文化の本部からヴァンとその仲間は、約束された神の息子、人種的改善に努めるもの、真実の教師、そして反逆者カリガスティアに代わる相応しい後継者の到来について説き続けていた。世界の当時の住民の大部分は、まずそのような予知に関心を示さなかったが、ヴァンとアマドンに直接接触していた人々は、そのような教えを真剣に受け止め、約束された息子の実際の受け入れ計画を立て始めた。
ヴァンは、最も身近な仲間にジェルーセムの物質の息子の話をした。ヴァンがユランチアに来る以前に知っていたことを。ヴァンは、アダームの息子達は、いつもは素朴ではあるが魅力的な園の家に住んでいるということを知っており、アダームとハヴァー到着の83年前に、二人の到来の布告とともに受け入れのために園の家の準備に専念することを提案した。
ヴァンとアマドンは、高地の本部と遠くに点在する61集落から約束された—少なくとも期待されている—息子のために準備のためのこの任務に、厳粛な集会で、打ち込む3,000人を越える労働者部隊を編成した。
ヴァンは、志願者を100組に分割し、それぞれに隊長一人と連絡係としての側近要員を務める副官一名を配置し、自分の副官としてはアマドンを留め置いた。これらの委員全員は、真剣に準備作業に取り掛かり、園の位置選定委員会は、理想的な場所を求めて出発した。
カリガスティアとダリガスティアは、悪事のために力の多くを剥奪されてしまったもかかわらず、楽園準備の仕事を阻み、妨害するために可能な限りのことをした。しかしそれらの邪悪な企みは、事業を進めるために非常に精力的に働くおよそ1万の忠誠な中間的被創造者の忠実な活動によりおおむね相殺された。
園の位置選定委員会は、およそ3年間不在であった。委員会は、実行し得る3個所に関する見通しの明るい報告をした。1番目はペルシャ湾の中にある島であった。2番目は、後に2番目の園として占有された川の場所。3番目は、地中海の東岸から西側へ突出している長く狭い半島—島のような。
委員会は、3番目に選ばれたものをほぼ満場一致で支持した。この場所が選ばれ、世界の文化本部の移転に、生命の木を含むこの地中海の半島への移転に2年掛かった。ヴァンとその仲が到着したとき、半島居住者のただ一つの集団を除く全員が、穏やかに立ち退いた。
この地中海の半島は、爽やかな気候と一定した気温であった。この安定した天候は、取り囲む山とこの地域が実際には内海の島であったという事実にあった。周囲の高地におびただしく雨を浴びせたが、エーデンそのものには滅多に降らなかった。しかし夜毎、大規模な人工用水路から園の植物を生き生きさせるために「霧が上昇するのであった。」
この陸の海岸線はかなり持ち上げられており、本土と接続する頸状部は、最狭地点においてはほんの43キロメートルであった。園に給水する大河は、半島の高い土地から下降し、その頸状部を経て本土へと、そしてそこからメソポタミアの低地を横断し先の海へと東に流れた。大河は、エーデン半島沿岸の丘陵に源をもつ4支流によって供給され、「エーデンから出た」川の「4つの頭状のもの」で、後には2番目の園を取り囲む川の支流と混同されるようになった。
園を囲む山々は、あまり注目はされなかったものの、貴石と金属が豊富であった。園芸賛美と農業高揚が支配的な考えであった。
園にと選定れた場所は、おそらく全世界のその種の最も美しい場所であり、気候は理想的であった。そのような植物発現の楽園に完全に適する場所はその場所以外どこにもなかった。この集合場所にユランチアの文明の最良部分が集合しつつあった。エーデンの外とその向こうの世界は、暗黒、無知、野蛮状態にあった。エーデンは、ユランチアで唯一明るい場所であった。それは、自然の理想の素晴らしさであり、間もなくこの上なく美しい、しかも完成された風景の栄光の詩となった。
物質の息子、生物上の改善に努めるもの達が、進化的世界に逗留し始めたとき、かれ等の居住場所は、星座の首都であるエーデンチアの花の美と植物の壮大さの特徴的であったことからしばしばエーデンの園と呼ばれた。ヴァンは、これらの習慣を熟知しており、そこで全半島が、園に明け渡されるように準備をした。牧草地と畜産は、隣接する本土に計画された。動物生態については、唯一鳥と様々な飼い慣らされた種類が公園で見られた。ヴァンの指示は、エーデンは庭園をめざしているということ、庭園のみであるということであった。いかなる動物も、その区域内では一度も屠殺されなかった。建設の全歳月に渡り、園の労働者が食したすべての肉は、監視下で本土において養われた群れから持って来られた。
最初の仕事は、半島の頸状部を横切るするレンガ壁の建設であった。これが完成されると、本物の風景美化と住宅建設に妨害なく取り掛かることができた。
動物園は、主壁のすぐ外側に小さ目の壁の建設造成がされた。あらゆる種類の野生動物に占拠されているその間の狭まった場所は、敵対攻撃に対する付加的防御として役立った。中央の領域を占有する川とその隣接する牧草地にあるこの異色の動物園は、壮大な12区域で組織化され、これらの動物集団の間の壁を巡らせた道は、園の12宇の出入口へと続いた。
園の準備には勤労奉仕者のみが用いられた。決して一人の雇い人も使われなかった。食物のために園を耕作し、動物の群れの世話をした。また近くの信者からの食物寄附も受け取った。この偉大な事業は、世界の混乱状態の困難にもかかわらず、騒然としたこれらの時勢において完成へと漕ぎ着けた。
しかしながら、ヴァンは、待ち望まれる息子と娘が後どのくらいで来るかを知らずにいて、万一の二人の到着の遅れに際しては、若い世代もまた事業続行のために訓練されると示唆をしたとき、大きな失望をもたらした。これは、ヴァン側の信念不足の自認のように見え、かなりの問題を生じ、多くの脱走の原因となった。しかし、ヴァンは、その間に職場放棄者の代わりにより若い奉仕者で埋め合わせ、準備計画にそって邁進した。
エーデンの半島中央に宇宙なる父の見事な石の寺院、園の神聖な神殿があった。北には管理本部が設立された。南には、労働者とその家族のための家が建てられていた。西には、待ち望まれる息子の計画された教育制度の学校用地が用意され、一方、「エーデンの東」には約束された息子とその直系子孫のために意図された住居が建てられた。エーデンの建築計画は、100万の人間のための家と豊富な土地を用意した。
園は、アダームの到着時点ではほんの1/4仕上がっていたが、何千キロメートルもの用水路と1万9千キロメートル以上の舗装された小道や道路があった。僅かに5千を越えるレンガ造りの建築物があり、樹木や植物は数え切れないほどであった。公園の中で一塊りを成する最多の家屋数は、7軒であった。園の構造は簡単ではあったが、この上なく芸術的であった。道路と小道はりっぱに造られ、風景は絶美であった。
園の衛生設備は、それ以前にユランチアで試みられてきたものよりもはるかに先んじていた。エーデンの飲料水は、その純度を保つように設計された公衆衛生規則の厳しい遵守により安全に保たれた。初期の多くの問題は、これらの規則の無視から生じたが、ヴァンは、園の給水に何も落ちることを許さない重要性を次第に仲間に力説した。
エーデン人種は、その後の下水処理設備の設置までにすべての廃棄物、または腐敗しかかった物質の埋葬を几帳面に実践した。アマドンの検査官は、毎日巡回して可能な病気の原因を入念に調べた。ユランチア人は、19世紀後期と20世紀まで人間の病気予防の重要性への喚起を起こさなかった。覆われたレンガ導管の廃棄設備は、壁の下を流れ、園の外側の壁、つまりより低い壁のおよそ1.5キロメートル先のエーデン川へ注ぎこむように、アダーム政権中断以前に、構築された。
アダームの到着までに世界のその区域の植物の大部分がエーデンで育っていた。既に、果実、穀類、木の実の多くが大いに改良されていた。現代の野菜と穀類の多くが最初にここで栽培されたが、食料用の植物の何十品種もが、その後世界から消え失せた。
園のおよそ5パーセントは、高度の人工栽培、15パーセントが部分的耕作、残りは、アダームの考えに沿って公園を仕上げるのが最良と考えられ、迫りくるアダームの到着までほぼ自然な状態で残された。
こうして約束されたアダームとその配偶者受け入れのための用意が、エーデンの園でもなされたのであった。また、この園は、完全な運営と通常の管理下にあったとしたならば、世界にとって価値あるものとなったことであろう。アダームとハヴァーは、自分達の個人的住居の備え付けの多くを変更はしたものの、エーデンの基本計画にはとても満足した。
装飾の仕事が終えるか終えないかのうちにアダームが到着したが、その場所は、すでに植物の美の珠玉であった。そしてアダームのエーデンでの初期の滞在中、園全体は、新しい外観を呈し、新たな美と壮大の調和で装った。ユランチアは、この後にも先にもそのように美しく十分に備えた園芸と農業を発揮したことはなかった。
ヴァンは、長らく警備されていた生命の木を園の寺院の中央に植えた。その葉は「民を癒す」ためのものであり、その実はヴァンを地球でずいぶん長い間支えてきた。ヴァンは、アダームとハヴァーも、一旦ユランチアに姿を現した後ではその生命維持のためにエーデンチアのこの贈り物に依存していることを熟知していた。
体系首都の物質の息子等は、自らの生命維持のために生命の木を必要とはしない。惑星での再人格化においてのみ、物質の息子等は肉体の不死のためにこの付属物に依存している。
「善悪に関する知識の木」は、言葉のあや、つまり人間の幾多の経験にあてはまる象徴的名称であるかもしれないが、「生命の木」は神話でなかった。それは本当であり、長らくユランチアに存在していた。 エーデンチアのいと高きものが、ユランチアの惑星王子をカリガスティアの委員として、また100人のジェルーセム市民を王子の管理職員として承認したとき、彼らはエーデンチアの低木をメルキゼデクに託し、惑星に発送し、この植物は、ユランチアで生命の木として成長した。この知力をもたない生命の型は、星座本部圏に起源があり、またハヴォナ圏のみならず局部と超宇宙の本部の世界でも見つけられるような生命体であり、体系首都では見つけられない。この超植物は、動物生存の老化作用要素への対抗手段である特定の空間活力を蓄積した。生命の木の実は、摂取されると神秘的に宇宙の生命拡大力を放ち、超化学物質の蓄電池に似ていた。
この栄養物の型は、ユランチアにおける通常の進化の存在体には全く役に立たなかったが、特に有形化した100人のカリガスティアの部下と王子の部下に生命原形質を寄与した100人の変更されたアンドン系には役立った。また王子の部下は、代わりに、さもなければ死を免れない存在を無期拡大するために生命の木の実を利用することを可能にする命のその補足物の保有者にされた。
王子の支配時代、父の寺院の中央の円形の中庭の地面からこの木は生えていた。それは、反逆突発の際、一時的な野営地でヴァンとその仲間により樹芯から再度育成された。後にこのエーデンチア低木は、高地の退却先に持って行かれ、そこで15万年以上ヴァンとアマドンの二人に役立った。
ヴァンと仲間は、アダームとハヴァーのためにエーデンの園の用意をし、エーデンチアの木を園に移植し、そこでもう一度、父のための別の寺院の中央の円形の中庭で育った。アダームとハヴァーは、二重の肉体生活形態の維持のために定期的にその果物を摂取した。
物質の息子の計画が脱線したとき、アダームと家族は、園からの木の芯の持ち運びを許されなかった。ノヅ系がエーデンに侵入した際、彼らは「木の実を摂取すれば神」のようになると告げられた。非常に驚いたことに、それは監視されていなかった。長年にわたり自由にその果物を食べたが、彼等には何の役にもたたなかった。彼らは、皆領域の物質の死すべき者であった。それらは、この果実を補助として働く資性を欠いていた。それらは、生命の木から恩恵を得ることができないことに激怒するようになり、そのうえ内部戦争の1つに関連して寺院と木はともに火事で破壊された。園が後に水没するまでは石垣だけが立っていた。これが、父の2番目に滅んだ寺院であった。
そして、現在、ユランチアのすべての生物は、生と死の自然の流れを取らなけらばならないのである。アダーム、ハヴァー、その子供、その子供の子供すべてが、それぞれの仲間と共に時の流れの中に滅びてしまい、大邸宅世界の復活は、肉体の死に続く局部宇宙の上昇計画の支配を受けることとなった。
最初の園がアダームから空け渡されると、それは、多様にノヅ系、クティーテース系、およびスンティーテース系に占領された。後にそれは、アダーム系との協力に反対した北部出身のノヅ系の居住地域となった。アダームが園を後にしてからおよそ4,000年間、半島にはこれらの下級のノヅ系があふれ、周囲の火山の激しい活動とアフリカとシチリア間の陸橋の潜水とに関係して、地中海の東の海底は、エーデン半島全体を伴い水面下に沈んだ。この広大な沈没に付随し、東地中海の海岸が大いに持ち上げられた。そしてこれは、ユランチアが育んだ最も美しい自然の創造の最後であった。半島全体を完全に水没させるには数百年を要することから沈没は突然ではなかった。
我々は、園のこの消滅をいかなる点においても神の計画の失敗の結果、あるいはアダームとハヴァーの誤りの結果であると見なすことはできない。エーデンの水没を自然発生とはほど遠いとは見なさないが、園の沈没は、紫色人種が世界民族回復の仕事を引き受けるための予備人員集合の時期に起こるように調整されたように我々には思える。
メルキゼデクは、アダームの家族が50万に達するまで人種向上と人種混合の事業に着手しないよう助言した。園がアダーム系の永久的生息地であることは決して意図されていなかった。彼等は、新生活の全世界への使者になるところであった。地球の貧窮民族への寡欲な恵与のために動員されるところであった。
メルキゼデクからアダーム与えられた指示は、アダームが、人種の、大陸の、そして地区の本部を確立し、また直系の息子と娘を統率するようになるということを暗示しており、一方アダームとハヴァーは、生物学上の向上、知力の向上、および道徳回復の世界規模の活動の助言者、また取り纏め役としてこれらの様々な世界首都の間で自分達の時間を区切るようになっていた。
[ソロニア、熾天使の「園の声」による提示]
アダームとハヴァーは、西暦1934年から遡る3万7,848年前にユランチアに到着した。二人が到着したのは、園が花盛りの季節の半ばであった。正午しかも発表もなく、生物の改善に努めるもののユランチアへの輸送を任されたジェルーセム要員に同伴された二名の熾天使輸送係が、宇宙なる父の寺院近くの回転惑星の表面にゆっくりと着いた。アダームとハヴァーの再度の肉体化のすべての仕事が、新たに建設されたこの神殿の境内の中で進められた。世界の新統治者としての披露のために二元的な人間の姿に再現されるまで二人の到着から10日が経過した。二人は同時に意識を取り戻した。物質の息子等と娘等はいつも共に役目を果たすのである。二人の本質的重要性は、何時でも何処でも決して切り離されることなく仕えることがである。二人は対で働くように予定されており、めったに単独では機能しない。
ユランチアに到着の惑星のアダームとハヴァーは、双方共に1万4,311番であるジェルーセムの物質の息子の年長部隊に属する隊員であった。二人は、物理的には3番目の組に属し、およそ2メートル半の身長であった。
アダームは、ユランチア行きに選ばれた時、ジェルーセムの試験と実験の物理実験室で仲間と共に働いていた。彼らは、1万5,000年以上も生形体に適用される実験エネルギー部門の管理者であった。このずっと以前には、ジェルーセムの新規到着者のための公民学校の教師であった。そしてこのすべてが、ユランチアにおける彼等のその後の行為の叙述に関し覚えておかれるべきである。
ユランチアにおけるアダームの冒険任務のための志願者要請が発表されると、物質の息子と娘の年長部隊全体が志願した。メルキゼデクの試験官は、ラナフォーゲとエーデンチアのいと高きものの承認と共に、ユランチアの生物上の改善に努めるものとして機能するために最終的にアダームとハヴァーを選出した。
アダームとハヴァーは、ルーキフェレーンスの反逆期間、ミカエルに忠実であり続けた。にもかかわらず、二人は、尋問と指令のために体系君主とその内閣全体に召喚された。ユランチア問題の詳細は、すっかり提示され、二人は、そのような紛争で疲弊した世界の支配者の責務を引き受けるに当たり、果たされるべき計画について徹底的に指示を受けた。二人は、ともにエーデンチアのいと高きものとサルヴィントンのミカエルへの忠誠の宣誓をした。そして二人は、その行政機関が、配属先の世界の支配から手を引くのが適当であると思われるまで、メルキゼデク受信者のユランチア部隊に従属すると見なすよう順当に助言を受けた。
ジェルーセムのこの1組の男女は、サタニアの首都と他の場所に100名の子—50名の息子と50名の娘—進行途中の落とし穴を逃がれ、両親のユランチアに向けての出発時点において、宇宙の信頼に対し忠実な執事として全員が就役していたすばらしい被創造者達を後に残した。そして、これらの娘と息子の全員が、物質の息子の美しい寺での贈与承認の最後の儀式に伴う送別授与式に参列していた。これらの子供等は、属する系列の非物質化本部にむけて両親に同伴し、両親が、熾天使の輸送のための準備に先立つ人格の意識中断状態のうちに眠りに入るとき、一番最後に両親への別れとその道中の安全を述べた。子供等は、まもなく両親が目に見えるサタニア系の惑星606号の代表者、実際には唯一の支配者となることを喜びながら家族の待合せ場所でしばらくともに時を過ごした。
アダームとハヴァーは、こうして、市民が、拍手喝采し成功を願う中でジェルーセムを後にしたのであった。二人は、ユランチアで遭遇するあらゆる義務と危険に対し適切に装備し、充分に指導を受け新たな責務へと旅立っていった。
アダームとハヴァーはジェルーセムで眠りにつき、二人を歓迎するために集まった、大観衆のいるユランチアの父の寺院で目覚めたとき、以前よく耳にしていた二人、ヴァンとその忠実な仲間アマドンに直接向かい合っていた。新庭園の家で最初に二人を歓迎したのは、カリガスティア脱退のこの2人の英雄であった。
エーデンの言葉は、アマドンの話すアンドン方言であった。ヴァンとアマドンは、24文字の新アルファベットの作成によりこの言語を著しく改良し、またエーデン文化が世界中に広まるにつれ、それが、ユランチアの言葉になるのを見たいと願っていた。アダームとハヴァーは、ジェルーセム出発前にこの人間の方言を完全に習得していたので、アンドンのこの息子は、自分の世界の地位の高い支配者が同じ言葉で演説するのを聞いた。
その当日、走者が、遠近から集められた伝書鳩の集合場所へと「鳥を放て。約束された息子が来られたと知らせを運ばせよ。」大急ぎで叫んでいると、エーデン中に大きな興奮と喜びがあった。毎年のように何百もの信者の集落は、まさしくそのような特別の機会のためにこれらの自家飼育の鳩の供給を忠実に続けてきた。
アダームの到着の知らせが広まると、近隣の何千人もの部族民がヴァンとアマドンの教えを受け入れる一方で、巡礼者は、何カ月も何カ月も、アダームとハヴァーを歓迎するため、また見えない父に敬意を表するためにエーデンへと繰り出してきた。
目覚めの直後、アダームとハヴァーは、寺の北部にある大きい堤での正式の歓迎会へ案内された。この自然の丘は、拡大され、世界の新支配者の就任のために用意されていた。ここで正午に、ユランチア歓迎委員会は、サタニア系のこの息子と娘を歓迎した。アマドンはこの委員会の議長であった。委員会は、サンギクの6人種の各代表を含む12人の構成員;中間者の臨時の主任、ノヅ系の忠誠な娘であり広報担当であるアナン、園の設計者かつ建築者の息子であり、また故人となった父の計画実行者であるノア、そして在住の2名の生命搬送者から成った。
次の活動は、年輩のメルキゼデク、ユランチアの財産管理の協議会長が、アダームとハヴァーに対して惑星後見義務を実施することであった。物質の息子と娘は、ノーランティアデクのいと高きものとネバドンのミカエルとに忠誠の誓いを立て、ヴァンは、アダームとハヴァーが、ユランチアの支配者であると宣言した。その結果、ヴァンは、メルキゼデク受信者の働きの効力により15万年以上維持してきた名義上の権威を放棄した。
この時、つまり世界支配者への正式の就任時に、王らしい礼服が、アダームとハヴァーに授けられた。ダラマティアの全ての芸術が世界から失われていた訳ではなかった。エーデンの時代、機織りはまだ営まれていた。
その時大天使の宣言が聞こえ、加えてガブリエルの放送の声が、ユランチアの2度目の裁決点呼と、サタニア606号の恩寵と慈悲の2度目の配剤の対象である眠れる生存者たちの復活を命じた。王子の統治は終わり、アダームの時代、つまり3度目の惑星時代は、簡易で雄大な場面の中で開始する。ユランチアの新支配者達は、惑星で権力を持つ前任者の協力不足で引き起こされた世界的混乱にもかかわらず、見たところ好ましい状態の下で治世に着手する。
そして今、アダームとハヴァーは、正式の就任後、自分達の惑星の孤立に痛々しいほどに気づくようになった。馴染みのある放送は全く静寂で、惑星外の通信回路は、すべて休止していた。アダームとハヴァーのジェルーセムの仲間は、自分たちが初期の経験をしている間に、定着した惑星王子と経験豊富な部下が、自分たちのための受けいれの準備ができており、協力ができるそのような円滑に動いている世界に行った経験があった。しかし、ユランチアでは、反逆がすべてを変えてしまった。惑星王子は、ここでは非常に目立ち、また悪を働く力の大部分を刈り取られたにもかかわらず、それでもなおアダームとハヴァーの任務を難しくし、またある程度危険に晒すことができたのであった。その夜、満月の輝く下で翌日の計画を明確にしながら庭園の中を歩いたのは、ジェルーセムの真剣で、しかも幻滅を感じている息子と娘であった。
アダームとハヴァーの初日は、孤立したユランチア、カリガスティアの裏切りで混乱した惑星でかくして終わった。二人は、かなり夜遅くまで、地球での初めての夜、歩いて、そして話した。—それは、誠に孤独であった。
アダームの地球での2日目は、惑星の受信者と顧問機関との会議に費やされた。アダームとハヴァーは、メルキゼデク、それにその仲間からカリガスティア反逆の細部と世界進歩のその大変動の結果に関しさらに学んだ。それは、つまり世界情勢にかかわるこの長い不始末の詳説は、概して期待外れの話であった。二人は、社会進化の過程を加速するカリガスティアの企みの完全な崩壊に関するすべての事実を知った。かれらは、惑星の前進を果たすために神の発展計画を独自に試みる愚かさを完全に認識する結果となった。このようにして、悲しくはあるが、得るところの多い日—ユランチアでの2日目が、終わった。
3日目は、庭園の実況検分にあてられた。アダームとハヴァーは、乗客用の大きい鳥—ファンドル—から世界一美しい場所の上空で運ばれている間、茫漠たる庭園を見下ろした。この検分の日は、エーデンの美と壮大さをもつこの庭園を世に送り出すために尽力したすべての者を称えるとても大きな宴会で終わった。そして再び、息子とその連れ合いは、庭園の中を歩き、3日目の夜遅くまで、自分達の問題の計り知れなさについて語った。
4日目、アダームとハヴァーは、園に集合した者に演説をした。二人は、就任の丘から世界回復のための計画について話し、また罪と反逆の結果堕落したユランチアの社会文化を低い水準から救うための方法をあらまし説明した。これは、すばらしい日であり、また世界情勢の新しい管理責任を負うために選ばれていた男女からなる委員会のための祝宴で閉じられた。注目しなさい。男性のみならず女性もこの集団にはおり、そのようなことは、ダラマティアの時代以来、地球に起こった初めてであったということを。ハヴァーが、つまり女性が、男性と世界情勢に関し名誉と責任を分かち合うところを見ることは驚くべき革新であった。地球での4日目は、このようにして終わった。
5日目は、一時的な政府組織、メルキゼデク受信者のユランチア出発時まで機能することになる行政部の組織に専念した。
6日目は、人と動物の非常に数多くの型の検分に当てられた。アダームとハヴァーは、エーデンの東部の壁に沿って惑星の動物の生態を見たり一日中案内をうけ、そのようなさまざまな生物が生息する混乱状態の世界に秩序をもたらすためにしなければならないことにより良い理解にいたった。
この小旅行に同行した者達は、アダームが見せられた何千匹もの動物の性質と機能をいかに完全に理解したかを目撃し大いに驚かされた。アダームは、動物を一瞥した瞬間に、その種類と行動形態を指摘するのであった。アダームは、一目で即座に、すべての動物の起源、特徴、機能を叙述して名前を与えることができた。この検分巡りでアダームを案内した者達は、世界の新支配者が全サタニアの最も熟練した解剖学者の一人であるということを知らなかった。そのうえハヴァーも、負けず劣らず熟練していた。アダームは、人間の目で見るには小さ過ぎる多数の生き物について説明をし仲間を驚かせた。
地球滞在の6日目が終わると、アダームとハヴァーは、「エーデンの東」の二人の新居で初めて休息した。ユランチア冒険の最初の6日間は非常に忙しく、二人は、すべての活動からの自由なまる1日を大喜びで楽しみにしていた。
しかし情況は、別な状態に決定づけた。アダームがユランチアの動物生活について非常に理知的に、徹底的に論じて過ぎ去ったばかりのその日の経験は、その見事な就任演説とその魅力ある態度と合わせて、庭園居住者の心を勝ちとり、知力を圧倒したので、かれらは、新たに到着したジェルーセムの息子と娘を支配者として心から受け入れる気になったばかりではなく、大多数の者は、神として二人に平伏し崇拝せんばかりであった。
その夜、すなわち6日目の夜、アダームとハヴァーが微睡んでいると、奇妙なことがエーデンの中央部にある父の寺の付近で起こっていた。そこで、興奮状態の熱心な何百人もの男女が、まろやかな月の光の下で何時間も指導者達の熱情的な請願を聴いた。指導者達は、好意はもっていたが、新支配者の友愛的、民主的な気取りのない態度をどうしても理解できなかった。そして夜明のかなり前、世界情勢に関わる新たで、臨時の管理者達は、アダームとその相方は、全体的に穏やかで、控え目であり過ぎるという実質的には一致した結論に達した。皆は、神が肉体の姿で地球に降りて来られたと、つまりアダームとハヴァーはほんとうは神であると、でなくとも敬虔な崇拝に値するほどの地位に近接していると決め込んだ。
地球でのアダームとハヴァーの最初の6日間は、世界の善人達でさえも不用意のその心には全く手に余るものであった。皆の頭は渦巻いていた。皆は、敬意をもって崇拝し、また謙虚の服従でひれ伏すことができるように高貴なその一組の男女を正午に父の寺まで招来するという提案に心を奪われていた。園の居住者達は、この全てに実に真剣であった。
ヴァンは異議を申し立てた。アマドンは、アダームとハヴァーと共に夜通し残る名誉の護衛の任にあり不在であった。ヴァンの抗議は一蹴された。ヴァンは、同じ様に穏やかであり過ぎ、控え目であり過ぎると、ヴァン自身は神からそれほどかけ離れてはいない、でなければ何故それほど長い間地球に住んでいたのか、また、アダームの到来のようなすばらしい出来事を引き起こしたのかと言われた。そして、興奮気味のエーデン人が、崇拝のためにヴァンを差し押さえ山に連れていこうとしたとき、ヴァンは群衆の波を泳ぎ出て中間者達と話し合いができ、大急ぎでその指導者をアダームのところへ向かわせた。
アダームとハヴァーがこれらの善意の、しかし見当違いの人間の驚異的な申し出の知らせを聞いたのは、地球での7日目の夜明け近くであった。それから、乗客用の鳥が二人を寺に連れ行くために迅速に飛んでいるときでさえ、そのようなことができた中間者たちは、アダームとハヴァーを父の寺に輸送した。アダームが、神の息子の身分に関する序列に関し長々説明をし、また父だけが、それに父が指名する者だけが崇拝されてもよいのだと、地球のこれらの心に明らかにしたのは、この7日目の朝早くであった。アダームは、いかなる名誉も受け入れ、すべての敬意を受けいれるだろうが、礼拝は決して受けないということを明らかにした。
それは重要な日であった。アダームとハヴァーは、ちょうど正午前、使者である熾天使が、世界の支配者たちの就任に関わるジェルーセムの承認を携えて到着する時刻、群衆から離れ父の寺を指差して言った。「父の目に見えない臨場である物質的象徴の場所にいま行き、我々皆を創られ、我々を生き続けさせるあの方に頭を下げて崇拝しなさい。そして、神以外の何者をも迷って二度崇拝しないというこの行ないを誠実な誓約としなさい。」皆は、アダームの指示通りにした。人々が寺の周りでひれ伏す一方で、物質の息子と娘は、二人だけで山上に立ち頭を垂れていた。
これが、安息日の伝統の由来であった。エーデンにおいてはいつも、7日目が寺での真昼の集会に当てられた。長い間、この日を自己修養にささげるのが習慣であった。午前は肉体の改善に当てられ、真昼は霊的崇拝、午後は心の育成に向けられ、一方、夕方は社交上の悦びに費やされた。これは、決してエーデンの法ではなかったが、それは、地球を支配するアダームの管理の間ずっと習慣としてあった。
メルキゼデク受信者たちは、アダームの到着後のおよそ7年間、任務に着いたままでいたが、遂にアダームに世界情勢の管理を譲りジェルーセムに戻るときがやって来た。
受信者たちの送別は1日掛かりで、晩には個々のメルキゼデクが、アダームとハヴァーに別れの助言と応援を伝えた。アダームは、顧問達に共に地球に残るよう何度か要請してきたが、陳情はいつも拒否された。物質の息子が、世界の問題処理に対して完全な責任を負わなければならない時が来た。そこで真夜中に、サタニアの熾天使の輸送は、ジェルーセムに向け14人の生命体と惑星を出発、つまり12人のメルキゼデクの出発とヴァンとアマドンの返還の同時に進行した。
ユランチアでは当分の間すべてが完全に順調であり、やがてはアダームが、エーデン文明の小刻みな進展の助長をするために何らかの開発計画が、可能であるらしく見えた。アダームは、メルキゼデクの意見に従って、外の世界との貿易関係を築く考えをもって製造技術を促進し始めた。エーデンが混乱に陥ったときには100を越す原始の製造工場が生産過程にあり、周辺部族との大規模な貿易関係が確立されていた。
アダームとハヴァーは、長い間、漸進的文明の発達にむけ専門的な貢献に備えて世界の改善方法を教えられてきた。しかし今二人は、未開人、野蛮人、半文明人の世界での法や秩序の設立というような緊急課題に直面していた。園に結集した地球の人口の最上部は別として、ここかしこで、わずかの集団しか、アダーム文化の受け入れ準備は、できていなかった。
アダームは、世界政府樹立のために英雄的、かつ決然たる努力をしたが、事あるごとに頑固な抵抗があった。アダームは、すでにエーデン全体で集団経営体制に着手し、これらの全集団をエーデン連盟の連邦制にした。しかし、問題が、重大な問題が、アダームが園外に赴きこれらの考えを遠隔地の部族に適用しようとした際、結果として起こった。アダームの仲間が、園外で働き始めたその瞬間、カリガスティアとダリガスティアの直接の、しかも巧みに計画された妨害にあった。堕落した王子は、世界の支配者としては既に退位させられていたが、惑星からは除去されてはいなかった。まだ地球におり、人間社会再建のためのアダームの全計画に、少なくともある程度、抵抗することができた。アダームは、カリガスティアについて警告しようとしたが、大敵は、人間の目には見えず、その仕事は非常に困難であった。
エーデン系の中にさえ、カリガスティアの人格の放逸な自由の教えに傾くという混乱した心をもつ者がいた。そして、アダームに多くの苦労をもたらした。常に、秩序正しい前進と実質的な開発のための慎重な計画を覆していた。アダームは、自分の迅速な社会化に関する予定を取り下げざるを得なかった。彼は、ヴァンの組織方法に頼ってエーデンの者を100人単位の一団に分割し、それぞれに団長をつけ、それに10人単位の集団を担当する副官を配する方法を最後の拠り所とした。
アダームとハヴァーは、君主政治の代わりに代議政治を制定するようになるが、どんな政府も全地球上ではその名に相応しくないことがわかった。アダームは、当面のところは、代議政治設立への全ての努力をやめ、エーデン政権が崩壊する前に、強い個人がアダームの名で統治している園外に100か所ほどの貿易と社会的な中心地の確立に成功した。これらの中心地の大部分は、ヴァンとアマドンによりあらかじめ組織化されていた。
1部族から他の部族への大使の派遣は、アダームの時代から始まった。これは、政治の発展における大きい前進であった。
アダーム家の敷地は1,300ヘクタールをわずかに越える広さを有した。直接にこの敷地をの周りでは、30万人以上の純系子孫のための対策が、講じられていた。しかし、計画された建築物の最初の1個だけが建設されたに過ぎなかった。アダームの家族の規模が、これらの初期の設備よりも大きくなる前に、エーデンの全計画が中断され、園を立ち退いた。
アダームソンは、ユランチアの紫色人種の長子で、その後には妹と、アダームとハヴァーの2番目の息子のハヴァーソンが生まれた。ハヴァーは、メルキゼデクが去る以前に5人の子—3人の息子と2人の娘—の母であった。次の2人は双子であった。彼女は、不履行前に、63人の子供、32人の娘と31人の息子を生んだ。アダームとハヴァーが園を離れるとき、その家族は、純系子孫4世代から成る1,647人を数えた。二人には、地球の人間の血筋との親から生まれた2人の子供以外に園を出た後42人の子供がいた。これは、アダームの血統のノヅ系と進化する人種に関しては含まれていない。
アダームの子供は、1歳で母乳をやめる際、動物からの乳を取らなかった。ハヴァーは、多種多様の木の実の液汁と多くの果汁とを利用できたし、またこれらの食物の化学的属性やエネルギーについてよく知っていたので、子供の育成のために歯が生えるまで適当にそれらを混合した。
エーデンのすぐ隣のアダーム地区の外では料理が一般的にされていたが、アダームの家庭では料理はしなかった。熟して食べ頃の食物—果実、木の実、穀類—を採集した。1日に1度、真昼直後に食べた。また、アダームとハヴァーは、生命の木の援助と併せて、一定の空間放散物から直に「光とエネルギー」を吸収した。
アダームとハヴァーの体は光輝を発したが、仲間の習慣に合わせていつも衣服を身につけた。二人は、日中はあまり着なかったが、夕暮れには夜間用の巻き布を身につけた。敬虔で神聖であると思われている人々の頭を取り巻く伝統的な光輪の起源は、アダームとハヴァーの時代にまでさかのぼる。彼らの体からの光の発散は、主に衣服で覆い隠されたので、頭からの放射の輝きだけが認識できた。アダームソンの子孫は、このように常に精神的開発において並はずれていると信じられる自分達個人についての考えを絵にした。
アダームとハヴァーは、およそ80キロメートルの距離にわたって、お互いに、また子供との意思疏通ができた。この思考のやりとりは、脳構造のすぐそばに位置する精巧な気体室からもたらされた。この仕組みによって、思考の振幅を送受することができた。しかし、この力は悪からくる不和と分裂へ心を引き渡したときに即座に停止された。
アダームの子供は、16歳になるまで独自の学校に通い、年少者は年長者に教えられた。年下の者達は30分毎に、年上の者達は1時間毎に活動を変えた。アダームとハヴァーの子供達の純然に楽しげで陽気な活動で遊んでいる姿は、ユランチアでは確かに新しい光景であった。現代人の遊びとユーモアは、主にアダーム系から得ている。アダーム系は皆、鋭いユーモア感覚ばかりでなく音楽への大いなる理解もあった。
婚約の平均的年齢は18歳であり、そこで若者たちは、婚姻責任の承諾に備え、2年の教育課程に入った。20歳で結婚の資格があった。そして結婚後に、それぞれの生涯の仕事、あるいは、そのための特別な準備を始めた。
兄弟と姉妹との結婚を認めるという、おそらくは神の系統を汲むいくつかの後の国々の王室の習慣は、アダームの子孫の伝統—配偶すること、(互いに必要であることから)—を端緒としている。園の一世代と二世代の結婚式は、ずっとアダームとハヴァーがとりおこなった。
アダームの子供達は、西側の学校での4年間の修学を除いては、「エーデンの東」で生活し働いた。ジェルーセムの学校の方式に従い16歳まで知的に訓練された。16歳から20歳までは、下の学年の教師としての役目も果たしながら、園のもう一方の端にあるユランチアの学校で教育を受けた。
園の西側の学制の全体的目標は社会化であった。午前中の休み時間は、実用的な園芸と農業に、午後の休み時間は、競技的遊戯に当てられた。夜は社交と個人的親交性の育成に使われた。宗教的、性教育は、家庭の領域、すなわち両親の義務と見なされた。
これらの学校での教育は、次のような教授に関係した。
1. 肉体の健康と維持
2. 黄金律、社交の基準
3. 集団の権利と共同体の義務に対する個人の権利の関係
4. 地球上の多様な人種の歴史と文化
5. 進化し向上する世界貿易の方法
6. 相反する義務と感情の調整
7. 肉体的な戦いに代わる遊び、ユーモア、競争の教化
学校、事実上は園のあらゆる活動は、常に訪問者に公開されていた。非武装の観察者が、自由にエーデンに短期訪問することが許された。ユランチア人は、園に滞在するためには「養子」にならなければならなかった。ユランチア人は、アダーム贈与の計画と目的に関する教授を受け、この任務を順守する意志を示した上で、アダームの社会的な規則と宇宙なる父の精神主権への忠誠をの宣言した。
園の法は、ダラマティアの古い規範に基づいており、7項目の見出しで公表された。
1. 健康と衛生の法
2. 園の社会的規制
3. 貿易と商業の規約
4. 公平な試合と競技の法則
5. 家庭生活の法律
6. 黄金律の民法
7. 最高の道徳規則を表す7戒律
エーデンの道徳律は、ダラマティアの7戒律とはそれほど違ってはいなかった。しかしアダーム系は、これらの戒律に多くの追加理由を教えた。例えば、殺人に対する勧告に関しては、人間生活を破壊しない追加理由として思考調整者の宿りが提示された。「誰であろうと人の血を流す者は、人によって血を流されるであろう、神は人を神のかたちに造られたのであるから。」
エーデンの一般大衆の礼拝時間は正午であった。日没は家族崇拝の時間であった。アダームは、効果的な祈りは完全に個人的なものでなければならないということを、「魂の願望」でなければならないということを教え、型にはまった祈りの採用を阻むために最善をつくした。しかしエーデン人は、ダラマティア時代から伝えられてきた祈りと形式を用い続けた。アダームはまた、宗教儀式での血の生贄を陸の産物の果実の供え物に置き換える努力をしたが、園の分裂以前進歩はほとんどなかった。
アダームは、性の平等を民族に教える努力をした。ハヴァーが夫の傍らで働く様子は、園の居住者全員に感慨深い印象を与えた。アダームは、女性は、男性と同等に、新しい存在体を形成するために結合するそれらの生命要因に貢献するということを確実に皆に教えた。それ故、人類は、すべての生殖が「父の腰」に宿ると決め込んだ。彼らは母は単に胎児を育み、新生児に授乳するために用意されたものと見なした。
アダームは、同時代人が理解できるすべてを、だが相対的にそれほど多くはない全てを教えた。にもかかわらず、地球部族のより知力ある者は、紫色人種の優れた子供との結婚が許されるその時をしきりに待つのであった。ユランチアは、もし人種を向上するこの偉大な計画を断行していたならばどんなにか違った世界になっていたことであろう。そのままであってさえ、途方もない利益が、進化的民族が偶然に手にしたこの持ち込まれた人種の少量の血液から生じたのであった。
アダームは、このようにして自分が滞在した世界の福祉と向上のために働いたのであった。しかし、より良い方法でこれらの混合した、雑種の民族を導くことは、難しい仕事であった。
6日間にわたるユランチア創造の物語は、アダームとハヴァーが、園の初期の調査でちょうど6日間を過ごしたという言い伝えに基づく。この状況は、元々ダラマティア人によって導入されたその週の間に神聖に近い承認を与えた。アダームが、園の視察で6日間を過ごし、組織化のために予備的計画を策定することは前もって決められてはいなかった。それは、日毎に解決された。この機会に述べられる事実には、崇拝のために7日目を選ぶということは、完全に付帯的であった。
6日間にわたる世界創造の伝説は、結果論であり、実際には、3万年以上も後のことであった。この物語の1つの特徴、太陽と月の突然の出現は、長い間太陽と月の両方を覆い隠していた微小な物体からなる宇宙の濃い雲からの世界の突然の出現の伝統に根差したものかもしれない。
アダームの肋骨からハヴァーを創造する話は、アダーム達の到着と、45万年以上も前に惑星王子の有体の部下の到着に関する生命物質の置換に繋がる天界の手術との混乱した要約である。
世界民族の大半は、アダームとハヴァーが、ユランチア到着に当たり自分達のために肉体の型を作り出したという伝統に影響されてきた。人が粘土から作り出されたという信仰は、東半球においてはほとんど一般的であった。この伝統は、フィリピン諸島からアフリカまで世界中に辿ることができる。多くの集団が、漸進的創造—進化における初期信仰の場に特別な創造に関わる何らかの形式により粘土からの人の起源のこの物語を受け入れた。
人間は、ダラマティアとエーデンの影響から離れ、ゆるやかな人類上昇への思考体系の傾向がみられた。進化の事実は、現代の発見ではない。古代人は、人間進歩の遅いが進歩する特質を理解した。初期のギリシア人は、メソポタミアへの近さにもかかわらず、これについての明確な考えを持っていた。地球の様々な人種は、発展に関する概念で、悲しいことに、混乱するようになったが、にもかかわらず、原始部族の多くは、自分達が様々な動物の子孫であることを信じていたし、教えもした。原始民族は、「トーテム的な象徴」のためにそうだと考えられている自分達の祖先の動物を選択する習慣を作った。ある北米インディアン部族は、自分達はビーヴァーとコヨーテに源があると信じた。アフリカの複数の部族は、自分達の起源はハイエナであると、マレー部族は、キツネザルから、ニューギニアの集団はオウムからであると教えている。
バビロニア人は、アダーム系の文明の名残りとの直の接触ゆえに、人間創造の話を拡大し、尾ひれをつけた。自分達は、直接神から降りてきたと教えた。バビロニア人は、実に粘土からの創造の教義さえも相容れない人種の貴族的起源に固執した。
創造にかかわる旧約聖書の報告は、モーシェの時代からずっと後に始まる。モーシェは、そのような歪められた話をヘブライ人に決して教えなかった。だが、イスラエルの主なる神と自らが呼んだ創造者、宇宙なる父を崇拝する自分の訴えを増大させることをこのように望み、イスラエル人に単純かつ凝縮された創造の物語を与えた。
モーシェは、初期の教えにおいてアダームの時代に戻ることをあまり賢明には試みなかったし、ヘブライ人の最高の教師であったので、アダームの物語は、創造の物語に深く関連づけられるようになった。前アダーム文明を認識する初期の伝統というものは、アダーム時代以前の人間社会の諸事にかんする参照の根絶を意図した後の編集者達が、カインが妻をめとった「ノヅの土地」へのカインの移住の証拠となる引用の除去をし忘れたという事実により明確に示されている。
ヘブライ人は、パレスチナ到達後の長い間、一般的な用法としての文字をもっていなかった。かれらは、高度のクレテ文明からの政治難民であった近隣のペリシテ人からアルファベットの使用を学んだ。ヘブライ人は、紀元前およそ900年まであまり書いたことがなく、またそのような後の時代まで文字をもたなかったので、いくつかの異なる創造物語があったが、バビロニア人の監禁後は、メソポタミア変更版をより受け入れる傾向にあった。
モーシェに関するユダヤ人の伝統が具体化されるようになり、ユダヤ人は、モーシェが、アダームへと戻るアブラーハームの家系をたどる努力をしたことから、アダームが全人類の最初の人であると決め込んだ。ヤハウェは、創造者であり、アダームが最初の男性であると思われたので、アダームを作る直前に、世界を作ったに違いない。それから、アダームの6日間の伝統が物語へと織り込まれ、モーシェの地球滞在後の約1,000年のその結果、6日間創造の伝統は、それ以降モーシェに当てはめられた。
ユダヤ人祭司達は、エルサレムに戻ったときには、自分達の物語のなかの事の始まりをすでに書き終えていた。やがて、祭司達は、この詳述は、最近発見されたモーシェが書いた創造の物語であると公言した。しかし紀元前500年頃の当時のヘブライ人は、これらの文章が神の顕示であるとは考えなかった。後の民衆が神話と見なしたようにヘブライ人もそう見た。
モーシェの教えであると考えられたこの偽の文献は、エジプトのギリシア人王プトレマイオスの注意を引くこととなり、かれは、アレキサンドリアの自分の新しい書斎のために70人の学者からなる委員会にギリシア語に翻訳させた。こうしてこの報告は、ヘブライ宗教とキリスト教の「神聖な経典」のその後の収集の一部になった文書の中にその場所を見つけた。そのような概念は、これらの神学体系による認証を経て長い間、多くの西洋民族の哲学に深く影響を及ぼした。
キリスト教の教師は、命令による人類創造の信仰を永続させ、そしてこのすべてが、過去のユートピア的至福の最盛期の仮説構成と、非ユートピアの社会状態について説明する人や超人間の堕落の理論構成へと直接導いた。人生と宇宙における人の居場所に関するこれらの見通しは、かつての惑星の特定の管理者達の誤りのために人類に怒りを発散させた執念深い神を含意すると同時に、進行よりもむしろ後退への信念に基づく叙述であったがゆえに、せいぜいよく見ても落胆させるものであった。
「最盛期」は神話であるが、エーデンは事実であり、園の文明は実際に転覆された。アダームとハヴァーは、117年間園で生き続け、ハヴァーのいらだちとアダームの判断の誤りにより定められた道から大胆にも逸脱しようとした時、直ちに自分たちには災難を、ユランチア全体の開発上の進行には破滅的妨害を招いた。
[ソロニア、熾天使の「園の声」による報告]
アダームは、100年以上のユランチアでの努力の後、園外にたいして進歩を見ることができなかった。世界は、全体的にはあまり向上しているように見えなかった。人種改良の実現は、ずっと先に思え、状況は絶望的に見えたので、当初の計画にはなかった救援のための何かを要求しているようであった。少なくともそれがしばしば心に浮かんだことであり、アダームは、自分の考えを何度もイブに述べた。アダームとその配偶者は、忠誠であったが、自分達の種類からは孤立しており、二人の世界の嘆かわしい窮状にひどく悩まされていた。
実験的な、反逆に焼き焦がされた、そして孤立したユランチアにおけるアダームの任務は、手強い仕事であった。物質の息子と娘は、早くに惑星の課題の困難さと複雑さに気づき始めた。それにもかかわらず、二人は、勇敢に多種多様の問題解決の職務に着手した。しかし二人は、人間の遺伝的性質の中から欠陥や退化を排除するすべての重要な仕事に本気でとりかかったとき、かなり当惑した。二人は、窮地からの逃げ道を見い出すことができず、その上、ジェルーセムやエーデンチアのいずれの上司にも相談できなかった。二人は、ここに孤立し、日々何らかの新たで複雑なもつれに、中には解決不可能な問題に、突き当たった。
通常の状態の下での惑星のアダームとハヴァーの初仕事は、人種の協調と混合であったであろう。しかし、ユランチアでは、生物学的には適合しながらも、知能が遅れ、欠陥のある遺伝的性質が、一度も人種から取り除かれたことはなかったので、そのような企ては、ほとんど絶望的に見えた。
アダームとハヴァーは、気づいてみると、人間の兄弟愛宣言に対し完全に用意のできていない球体に、すなわち底知れない精神的暗闇で手探りしている、また前の行政任務の失敗でより悪い混乱に苦しめられている世界にいた。心と品行は、低水準にあり、二人は、宗教統一をもたらす任務に取り掛かる代わりに、住民を最も簡単な型の宗教的信仰に転換させる仕事すべてを新たに始めなければならなかった。二人は、採用に適した1言語を発見する代わりに、何百もの地域方言の世界規模の混乱に直面した。惑星の仕事に携わる一人のアダームといえども、いままでに難しい世界に配置はされなかった。障害は克服しがたく、問題は生物が解決できる域を超えているように思えた。
二人は孤立状態にあり、重くのしかかる途方もない孤独感は、メルキゼデク受信者の初期の出立によりますます高められた。二人は、唯一間接的に、天使の体制の手段により惑星から離れた者と連絡をとることができた。二人の勇気は、徐々に弱まり、精神は萎れ、そして二人の信仰は、時折、鈍りがちであった。
これが、二人に立ちふさがる課題に思いを巡らしたときの高潔な二人の狼狽についての本当の状況である。二人は、惑星の自分達の任務実行にかかわる甚大な課題にはっきりと気づいた。
アダームとハヴァーがユランチアの嘆かわしい窮境に対峙したような非常に困難で、見たところ絶望的な課題に直面したものは、おそらくネバドンの物質の息子の誰一人としていなかった。しかし二人が、 より明敏で我慢強かったならば、いつかは成功していたことであろう。両人ともに、特にハヴァーが、要するにせっかちであり過ぎた。二人は、腰を落ち着けて長い、長い耐久試験に身をきめる気がなかった。二人は、いくつかの即座の結果を期待し、また得もしたのだが、このようにして手にした結果は、両人と二人の世界にとって最も悲惨であると証明した。
カリガスティアは、頻繁に園を訪ね、アダームとハヴァーと会議を多くの開いたが、二人は、頑固としてカリガスティアの妥協と手っ取り早い冒険の全提案を拒んだ。そのような意味ありげな提案に対し有効な免疫を生じるに足る反逆の結末が、二人の前にあった。アダームの年若い子供達でさえも、ダリガスティアの申し入れに影響されなかった。もちろんカリガスティアもその仲間も、アダームの子供の個々の意志に反して影響を及ぼしたり、ましてや悪いことをするように説得する力はなかった。
それでも、カリガスティア、ユランチアの名義上の惑星王子は、誤ったとはいえやはり局部宇宙の高位の息子であるということが、思い起こされねばならない。彼は、最終的にはクリストス・ミカエルのユランチアでの時代まで退陣させられなかった。
だが、堕落の王子は、執拗で意思が強かった。王子は、やがて、アダームへの働きかけを諦め、ハヴァーへの陰険な側面攻撃の試みを決めた。その邪悪者は、成功への唯一の望みは、自分の以前の有体の部下仲間の子孫であるノヅ系集団の上層部に属する適当なもの達の巧みな雇用にあると結論を下した。そして、紫色人種の母を罠にかける計画が、それに応じて立てられた。
アダームの計画に不利に作用したり、あるいは自分達の惑星への信頼を危険にさらすようなことはハヴァーの意志からは最もほど遠いことであった。メルキゼデク達は、女性というものは、先見の明をもって遠い未来の効果のための計画を立てるというよりも、むしろ即座の結果を見る傾向を知っていたので、出発前に、特に惑星における孤立状態をおびやかしている独特な危険性に関して、特にハヴァーに仲間の傍から決してはぐれないように、つまり互いの仕事を促進するいかなる個人的、あるいは秘密の方法も決して試みることのないように警告しておいた。ハヴァーは、100年以上も几帳面にこれらの指示を実行しており、セラパタチアという名のノヅ系の特定の指導者と楽しんでいたますます個人的で秘密の訪問に、少しの危険も伴うとは思いつきもしなかった。全ての出来事は、全く徐々に、自然に展開したので、ハヴァーは不意を打たれた。
園の居住者は、エーデンの早い時期からずっとノヅ系と接触していた。彼らは、カリガスティアの部下の不履行の成員のこれらの混血子孫から大いなる重要な援助や協力を受けたのだが、今かれらを通してエーデンの体制が、その完全な堕落と最終的な滅亡を迎えようとしていた。
セラパタチアが、父の死に合い、ノヅ系部族の西方の、つまりシリアの連合の指導者のところに来たとき、アダームは、地球での最初の100年間をちょうど終えたところであった。セラパタチアは、茶色味を帯びた男性で、遠い昔の青色人種の女性の際立った心の一人と交合したダラマティア健康委員会のかつての長の才気あふれる子孫であった。この血統は、時代を通して西ノヅ系部族の中で権威を保持し、時代を通してずっと多大の影響を振るっていた。
セラパタチアは園に幾度か訪問れ、アダームの動機の正当性に深く感動するようになった。そして、シリアのノヅ系の指揮を引き受けて間もなく、かれは、アダームとハヴァーの楽園の仕事と連携関係を築く意志を告げた。セラパタチアの民の大半がこの計画に加わり、また隣接する最も強力で知力あるすべての部族が、ほぼそっくり世界改善のための計画支援に向かったという知らせにアダームは、励まされた。それは、明らかに激励であった。アダームとハヴァーは、このすばらしい出来事の直後、自分た達の家でセラパタチアとその新要員をもてなした。
セラパタチアは、アダームの全副官の中で最も有能で腕のたつ1人になった。その活動全てにおいてひたすら正直で、徹底的に誠実であった。後にさえも、かれは、奸知に長けたカリガスティアの状況手段として利用されということに気づかなかった。
やがて、セラパタチアは、部族関係のエーデン委員会の副議長になり、また部族を説得して園の大義に加入させる仕事のより活発な実行のための多くの計画が立てられた。
アダームとハヴァー—特にハヴァー—と多く談合をし、法式改善のための多くの計画について話し合った。ある日のハヴァーとの話し合いの最中、大勢の紫色人種の補充を待ち受けている間、もし助力を必要としている部族がすぐさま前進するために何かができたならば、非常に役立つであろうということが、セラパタチアの心に浮かんだ。セラパタチアは、もしノヅ系が、最も進歩的で協力的な人種として紫色血統に幾分かの起源をもつ一人の指導者を自分達にもたらせることができるならば、これらの民族をより密接に園に結びつける強力な繋がりを構成するであろうにということを強く主張した。そして園で育てられ教育されるこの子供は、その父の民に見事な影響を揮うであろうから、このすべてが、世界の利益になると冷静に、正直に考えられた。
セラパタチアは、全ての提案に完全に正直であり、全く誠実であったと重ねて強調されるべきである。かれは、カリガスティアとダリガスティアの術中に陥っているとは一度たりとも決して疑わなかった。セラパタチアは、混乱したユランチアの民族の世界規模の向上を試みる前に紫色人種の強い増援部隊の確立計画にひたすら忠誠であった。しかしこれは、達成するには何百年をも要するものであり、セラパタチアは、せっかちであった。セラパタチアは、何らかの即座の結果を見たがった—自分の生きている間に何かを。セラパタチアは、アダームが、世界向上にむけてあまり達成のないことにしばしばがっかりしているとハヴァーに明らかにした。
これらの計画は、5年余の間に秘かに熟した。ついに、計画は、ハヴァーが、友好的なノヅ系の近接植民地の最も才気溢れる意欲的な指導者であるカノーとの秘密会議実施の同意にまでこぎつけたした。カノーは、アダームの体制に非常に共感した。事実、カノーは、園との友好関係に好意を示したそれらの隣接するノヅ系の誠実な精神的指導者であった。
秋の宵の薄明かりの中、アダームの家からあまり遠くないところで運命的な出会いがあった。ハヴァーは、素敵で熱心なカノーに一度も会ったことがなかった—カノーは、王子の部下である遠い祖先の優れた体格と傑出した知力が生存したそのすばらしい見本であった。カノーはまた、セラパタチア計画の正義を徹底的に信じていた。(複数の仲間との交合は、園外においての一般的習慣であった。)
ハヴァーは、世辞、熱意、それに相当の個人的な説得に促され、その時その場で、世界救済の自身の小計画をより大きく、より遠大な神の計画に加えるために大いに議論された事業に着手することに同意した。何が起こるかハヴァーが完全に気づく前に、運命の一歩が踏み出された。それは行われた。
惑星に降りてきた天界の存在体は、ざわめいていた。アダームは、何かがおかしいと気づき、ハヴァーに共に園に来るよう求めた。そしてその時初めて、アダームは、2方向に同時に作動して世界改善を早めるために長らく育まれてきた計画の全容を聞いた。セラパタチア計画の実行にともなうの神の計画の遂行。
物質の息子と娘が月明りの園でこのようにして語り合っていると、「園の声」は、不服従に対して二人を窘めた。その声は、エーデンの1組の男女へ、園の盟約を逸脱し、メルキゼデクの指示に背き、宇宙の主権者への二人の委託にたいする誓いの不履行であると告知する他ならぬ私自身のものであった。
ハヴァーは、善と悪の実行参加に同意してしまった。善は神の計画の遂行である。罪は神の意志への意図的違反である。悪は、宇宙の不調和と惑星の混乱を招く計画の不適合と手法の誤用である。
園の1組が命の木の実を摂取する度に、大天使監守者は、善悪を一つにするカリガスティアの提案に屈することのないように注意してきた。二人は、「善悪を混合するその日に、あなた達は、確実に領域の死すべき者となるであろう。確実に死ぬであろう。」と訓戒されていた。
ハヴァーは、運命的な密会の機会にこの度重なる警告をカノーにしたのだが、カノーは、そのような説諭の重要性も意味も分からずに、善の動機と真の意図をもつ男女は、どのような悪事も働けないということを、彼女は、確かに死にはせず、どちらかといえば、世界を祝福し、安定させるために成長するであろう子孫の中に新たに生きるであるということをハヴァーに断言するのであった。
神の計画を変更するこの計画は、まったくの誠意をもって、また世界の繁栄に関して最高度の動機のみで考えられ実行されたものではあるが、それは、正義の目的達成のためには誤った方法であり、正しい道、つまり神の計画から逸脱したがゆえに、悪であった。
本当に、ハヴァーは、カノーが見た目に美しいと感じ、「人間の諸事に関する新たで増加された知識と、アダーム系気質の理解への補足としての速められた人間性への理解」に関して、彼女の誘惑者が、約束した全てを体得した。
私は、わたしの任務が悲しい情況下になったその夜、紫色人種の父母と園で話した。私は、母なるハヴァーを不履行へと導いた詳しい説明をすべて完全に聞き、即座の状況に関する忠告と助言を双方に与えた。二人は、この忠告の幾つかに従い、幾つかは無視した。この会議は、「園でアダームとハヴァーに呼びかけ、『どこにいるのか』と尋ねる主なる神」としてあなたの記録にある。それは、自然か、または精神的かいずれにせよ、珍しく並はずれたすべてを直接に神の個人的介入のせいにする後の世代の習わしであった。
ハヴァーの幻滅は、実に痛ましいものであった。アダムは、全体の状況を明察し、ひどく失望し、悄然となりはしたものの、過ちを犯している相手へのあわれみと同情だけを心に抱いた。
ハヴァーの過失の明くる日、アダームは、園の西の学校の校長であり才気あふれるノヅ系の女性ラオッタを探し出したのは、計画的にハヴァーと同じ愚行を犯したという失敗の認識に絶望しているときであった。しかし、誤解してはいけない。アダームは、欺かれはしなかった。かれは、自分がまさに何をしようとしているかを知っていた。 かれは、ハヴァーの運命を共有することを意図的に選んだ。アダームは、超人間的愛情をもって配偶者を愛しており、彼女のいないユランチアでの孤独な監視の可能性についての考えは、我慢できないものであった。
ハヴァーに起こったことを知ると、激怒している園の激住民は、御しがたくなった。皆は、近くのノヅ系集落に宣戦布告をした。皆は、さっとエーデンの出入り口からこれらの用意のない人々に襲い掛かり完全に—男も、女も、または子供も容赦なく—滅ぼした。そして、未だ生まれていないカインの父カノーも死んだ。
セラパタチアは、起こってしまった事態の認識に際し驚愕に襲われ、恐怖と後悔にいてもたってもいられなかった。翌日、セラパタチアは、大河に身を投じた。
アダームの子供等は、父が30日間寂しくさ迷っている間、取り乱した母を慰めようとした。その最後の日に、判断は、明らかであった。アダームは家に戻り、自分達の今後の行動計画を立て始めた。
誤った両親の愚かさの結果は、たびたびその無垢な子供等と共有された。アダームとハヴァーのまっすぐで高潔な息子と娘等は、あまりに突然に、あまりにも無慈悲にのしかかる信じ難い悲劇により不可解な悲しみで圧倒された。これらうち年長の者達は、悲劇の日々の悲痛と沈痛から50年間立ち直ることはなく、特に父が家をあけ、取り乱した母が、父の居場所も存亡も全く知らないその30日間の恐怖からは。
その同じ30日間は、ハヴァーにとっても長い悲しみと苦しみの年月であった。この高貴な魂は、その耐えがたい心の苦しみと精神の悲しみの影響から決して完全に回復したわけではなかった。ハヴァーの記憶の中では、その後の喪失と物質的苦境のいかなる様相も、孤独で耐え難い不安なつらい昼と恐ろしい夜との比較すら始まらなかった。ハヴァーは、セラパタチアの向こう見ずの行為を知り、その配偶者が悲しんで自滅したのか、または自分の過失に対する報いで世界から取り除かれたのかを知らなかった。そこでアダームが戻ったとき、ハヴァーは、長く難しい骨の折れる奉仕での生涯の協力関係が決して消されることのない喜びと謝意の満足感を経験した。
アダームは、時間は過ぎたが、ハヴァーの不履行の70日後まで、すなわちメルキゼデクの受信者がユランチアに戻り、世界情勢での司法権を担うときまで、自分達の違法行為の本質が定かではなかった。間もなく、自分達が失敗したことを知った。
だが、まださらに多くの問題が起ころうとしていた。エーデン近くのノヅ系集落全滅の情報は、セラパタチアの地元の北の部族に届くのに時間は掛からず、やがて大軍勢が園への進撃のために集合していた。そしてこれは、これらの敵対行為は、エウフラーテス渓谷における第二の園へのアダームとその追随者の移住後にずっと続いたがゆえに、アダーム系とノヅ系間での長く苦い戦争の始まりであった。激しく長引く「その男性と女性の間の、また彼の子孫と彼女の子孫の間の敵意」があった。
アダームは、ノヅ系が進行中であると知るとメルキゼデク系の助言を求めたが、彼等は、助言を拒否し、アダームに最善だと考えることをするようにと、またどのように決定しようともできるだけの友好的な協力を約束すると言うだけであった。メルキゼデク系は、アダームとハヴァーの個人的計画の妨げを禁じられていた。
アダームは、自分とハヴァーが失敗したのを知った。未だ自分達の個人的立場も将来の運命についても何も知らなかったが、メルキゼデクの受信者達の臨場が、アダームにそれを伝えていた。アダームは、その指導者に従うと誓約した1,200 人ほどの追随者と徹夜の会議を開き、翌日の正午、これらの巡礼者達は、新しい家を求めてエーデンから旅立った。アダームは、戦争を好まず、従って相対することなくノヅ系に最初の園を残すことを選んだ。
エーデンの一団は、園から出て3日目にジェルーセムからの熾天使の輸送団の到着により止められた。アダームとハヴァーは、初めて、その子供達がどうなるのかを知らされた。輸送団がそばに控えている傍らで、選択の自由(20歳)の年令に達した子供等には、両親と共にユランチアに残るか、またはノーランティアデクのいと高きものの被保護者になるかの選択肢が与えられた。 2/3は、エーデンチアに行くことを選んだ。およそ1/3は、両親と共に残ることを選んだ。選択の自由の年令前の子供は、全員エーデンチアに連れて行かれた。だれも、違反者の道の困難さを実感せずには、この物質の息子と娘とその子供の悲しい別れを視ることはできなかった。アダームとハヴァーの子らは、現在エーデンチアにいる。我々は、その子等にいかなる処分がなされるのかは知らない。
旅続行の準備をする悲しい悲しい一団であった。更なる悲劇的な何があり得たであろうか。そのように高い望みで世界に来て、それほど幸先よく迎えられ、次には、エーデンから恥辱のうちに出て行き、まさに新しい居所を見つけようとする前に子供達の3/4以上を失うとは。
アダームとハヴァーがその違反の本質について知らされ、その運命に関する忠告を受けたのは、エーデンの一隊が足止めをされている間であった。ガブリエルは、裁きの発表のために現れた。そして、これが決定であった。ユランチアでの惑星のアダームとハヴァーは、不履行の宣告を受けた。二人は、この棲息界の支配者としての信託統治の盟約に違反した。
罪の意識に意気消沈する一方で、アダームとハヴァーは、サルヴィントンの裁判官達が、「宇宙政府の侮辱」のすべての告発から二人を赦免したという発表に大いに励まされた。二人は反逆の罪には問われなかった。
エーデンの1組は、死すべき者の地位へと自らを貶めてしまったということ、自らの未来のために世界民族の将来に目を向け、今後はユランチアの男と女として身を処さなければならないということが、告げられた。
教官達は、アダームとハヴァーがジェルーセムを去るかなり前に、神の計画からの重大な離脱の結末について二人に完全に説明しておいた。私は、二人のユランチア到着の前後にわたり、直接にしかも繰り返し確実に伴う必滅の肉体の地位への引き下げが確実な結果、すなわち確かな刑罰であり、それは、二人の惑星の任務実行における不履行を伴うということを警告しておいた。しかし、息子の身分における物質的序列の不死の地位に対する理解は、アダームとハヴァーの不履行に伴う結末に対する明確な理解に不可欠である。
1. アダームとハヴァーは、ジェルーセムの仲間のように、聖霊の心-重力回路との知的な繋がりを介して不死の状態を維持した。この重大な維持が、精神的な離接により破られると、その結果、被創造者の精神的水準にかかわらず、不死状態は無くなる。物理的溶解に続く必滅の状態は、アダームとハヴァーの知力上の不履行からの必然の結果であった。
2. この世界の必滅の姿をした個人化されたユランチアの物質の息子と娘は、二元的循環系の維持、一つは物理的な自然から得られるもの、他方は生命の木の実に蓄えられている超エネルギーから得られるものの維持によりいっそう依存していた。いつも大天使監守者は、委託の不履行は、身分の左遷に至るということをアダームとハヴァーに訓戒してきた。そして、このエネルギー源の入手は、その不履行後に否定された。
カリガスティアは、アダームとハヴァーの陥れに成功はしたものの、宇宙政府に対する公然たる反逆に二人を導く目的は達成しなかった。二人がしたことは本当に悪であったが、決して真実への侮辱罪を犯してはいなかった。二人共、故意に宇宙なる父と創造者の息子の公正な支配に対する反逆に参加したのではなかった。
アダームとハヴァーは、物質の息子の高い地位から必滅の人間の卑しい身分にまで落ちた。しかし、それは人間の堕落ではなかった。アダームの不履行の即座の結末にもかかわらず、人類は高揚されてきた。ユランチアの民に紫色人種を与える神の計画は失敗に終わったが、必滅の人種は、アダームとその子孫がユランチアの人種にした限られた寄与から途方もなく利益を得てきた。
「人間の堕落」はなかった。人類の歴史は1つの漸進的発展であり、アダーム贈与は、世界の民族に以前の生体条件以上の大いなる改良をもたらしたのであった。ユランチアのより優れた血統は、現在、別々の4起源から得られる遺産因子、アンドン系、サンギク系、ノヅ系、アダーム系を包含する。
アダームは、人類への呪いの原因と見なされるべきではない。神の計画を進めることにおいて失敗し、神との盟約に違反をし、配偶者と間違いなく生物状態に地位を落とされはしたものの、人類に対する二人の貢献は、このすべてにもかかわらず、ユランチアの文明を前進させる多くのことをした。
あなたの世界でのアダームの任務の結果の見積もりに際して、正義が、この惑星の状況認識を要求する。アダームは、かれの美しい配偶者とジェルーセムからこの暗く、混乱した惑星に移送されてきたとき、ほとんど絶望的な課題と直面した。だが、もしメルキゼデクとその仲間の助言により導かれていたならば、もう少し我慢強くあったならば、二人は、やがては成功していたことであろうに。だがハヴァーは、個人の自由の狡猾な宣伝と惑星的行動の自由に耳を傾けた。ハヴァーは、物質の息子の序列の生命原形質の実験に導かれ、この実験では、尚早にもこの生命を混合されるにまかせた。この混合は、かつて惑星王子の部下に配属された生殖存在体とすでに混合されていた生命搬送者の最初の計画に基づいた当時の混合の原形質とであった。
楽園への上昇において、確立された、しかも神の計画を手っ取り早い方法で、完全性の道、完全性への道、そして永遠の完全性のための道の改善のために、個人的な創案、あるいは他の手段で回避しようと性急に試みることでは、決して、何も得られはしない。
大体において、多分ネバドンのいかなる惑星における最悪の期待外れの知恵の失敗は、けっしてなかった。しかしこれらの過失が、進化的宇宙の諸事に起こるのは驚くべきことではない。我々は巨大な創造の一部であり、すべてが完全に働かないということは不思議ではない。我々の宇宙は、完全に創造されなかった。完全性は、我々の起源ではなく、我々の永遠の目標である。
もしこれが機械的な宇宙であったならば、もし第一の偉大なる根源と中枢が、力ばかりで人格をもたなかったならば、もし全創造が、不可変のエネルギー動作に特徴づけられる法則により支配される広大な物質集合体であったならば、完全性は、そこで宇宙状態の不完全性にもかかわらず、手に入るかもしれない。何の不一致もないであろう。何の摩擦もないであろう。しかし、我々は、比較的完全性と不完全性の発展的宇宙において不一致と誤解が可能であるということを歓喜する。なぜならば、それによって宇宙における事実と人格の行為を証明されるのであるから。そして、もし我々の創造が人格により支配される実在というものであるならば、そのとき人格の生存、前進、および達成の可能性を保証され得る。我々は、人格の成長、経験、および冒険に自信を持ち得る。何という栄光ある宇宙であることか。単に機械的であったり、消極的に完全であるのではなく、個人的で、進歩的であるという点において。
[熾天使の「園の声」ソロニアによる提示]
アダームが反対者のいないノヅ系に最初の園を残すことを決心したとき、彼とその追随者達は、エーデンの民にはそのような海洋冒険に適する船がなかったので、西へ行くことができなかった。かれらは、北へは向かえなかった。北方のノヅ系が、既にエーデンに向けて進行していた。かれらは、南へ行くことを恐れた。その領域の丘には敵意を抱く部族が横行していた。唯一開かれた道は東であったので、チグリス川とユーフラテス川の間の当時の心地よい領域に向け東方へ旅をした。そして、後に残された多くの者は、その後新しい谷間の家のアダーム系に合流するために東方へと旅をした。
カインとサンサの二人は、アダームの一団がメソポタミアの川の合間の目的地へ到着する前に生まれた。サンサの生みの親であるラオッタは、娘を分娩する際に死亡した。ハヴァーは、非常に苦しみはしたものの優れた強さのお陰で生き残った。ハヴァーは、ラオッタの子供サンサを胸に抱きよせ、その子はカインと共に育てた。サンサは、成長し立派な能力をもつ女性となった。北方の青色人種の長であるサーガンの妻となり、その時代の北方の青色人種の進歩に貢献した。
アダームの一団は、ユーフラテス川到達にまる1年近くを要した。それが氾濫していると分かり、かれらは、第2の園となる川にはさまれた陸へ向かう前に、流れの西の平野でおよそ6週間野営した。
第二の園のその土地の居住者たちは、エーデンの園の王と高僧が、進行中であるという知らせが届くと、東方の山々に急いで逃げた。到着したアダームは、必要とする地域すべてが空であるのが分かった。そしてここで、この新しい場所で、アダームとその応援者らは、新しい家々を建設し、文化と宗教の新しい中心地を確立するための仕事に取り掛かった。
アダームは、この用地は、ヴァンとアマドンから申し入れのあった園用に可能な場所として委員会に選択するために選定されていた最初の3個所のうちの1個所として知っていた。2本の川自体は、当時の優れた自然の防御で、ユーフラテス川とチグリス川は、第二の園のすこし北の離れたところで近接していたので、川の合間と南において、領域保護のために延長する90キロメートルの防御壁の建設が、可能であった。
新しいエーデンに住みつくようになると、粗雑な生活方法の採用が必要になった。土地は、まるで呪われてしまったということが誠しやかであった。自然はもう一度その本来の進路を取りつつあった。今、アダーム系は、不整備の土地で生き抜くこと、そして自然の敵意と必滅の身の生活の適合性の無さに直面する人生の現実に対処することをを強いられた。第一の園は、一部分が自分達のために整備されていたことがわかったが、第二の園は、自らの手による労働と「自らの顔の汗」で作り出さなければならなかった。
アダームとハヴァーには、カイン出生後2年足らずのうちに2番目の園での最初の子供ハーベルが生まれた。ハーベルは、12歳に達すると牧夫になると決めた。カインは、農業に従事することを選んだ。
ところで、その頃は、手近にある物を司祭職にあるものに奉納するのが、通例であった。牧夫は群れからの動物、農夫は畑からの産物を持参した。そして、この習慣に従って、カインとハーベルは、同様に司祭に対する定期的な奉納をした。2人の少年は、それぞれの職業の優劣を幾度も論じ合ってきており、しかもハーベルは、動物の生贄に対して示される好みに素早く気づいた。カインは、最初のエーデンの伝統に、すなわち畑の産物へのかつての好みを甲斐もなく訴えた。しかしこのハーベルは、認めることなく、わだかまりをもって兄をののしった。
アダームは、第一のエーデンでの日々、いかにも動物の犠牲の捧げ物を阻止しようとしていたので、カインには論争上、正当な先例があった。しかしながら、第二のエーデンの宗教生活を組織化することは難しかった。アダームは、建築、防衛、および農業の仕事に関連する無数の詳細を荷なっていた。精神的に非常に落ち込んでいたアダームは、第一の園でこれらの役目を果たしてきたノヅ系出身者達に崇拝と教育の組織化を任せた。そして職務を行なうノヅ系の司祭達は、まことに短時間のうちに前アダーム時代の基準と規則に戻っていくのであった。
2少年の間は仲良くやっていったことがなく、この犠牲問題が、2人の間の増加していく憎しみをさらに助長した。ハーベルは、自分はアダームとハヴァーの両人の息子であることを知っており、カインにアダームがカインの父でないということを痛感させるさせることを決して怠らなかった。カインは、その父が後に青色人種と赤色人種との、そして土着のアンドン系との混合されたノヅ系人種の者であったので純粋な紫色人種ではなかった。そしてこのすべてが、カインの本来持っている好戦の遺伝性と合わせ、弟への絶えず増加する憎しみを養っていった。
両者間の緊張に最終的に決着がつけられたのは、ある日、怒りのあまり弟を襲い殺してしまうほどにハーベルの嘲りがけんか早い兄カインを激怒させたときであり、少年は、各々に18歳と20歳であった。
ハーベルの振る舞いに対する観察は、人格開発の要素としての環境と教育の価値を明らかにする。ハーベルは、理想的継承を受けていたし、しかも遺伝は、全人格の根底に横たわっているのである。しかし劣る環境の影響が、実際にはこのすばらしい継承を中和した。ハーベルは、特に若い数年間、その好ましくない環境から大いに影響を受けた。もし25歳か30歳まで生きていたならば、全く違った人間になっていたであろうに。そのずば抜けた継承が、その時に示されたことであろうに。良い環境は、性格上の劣悪な遺伝の不利な条件に克服のために多く寄与はできないが、悪い環境は、少なくとも人生の若い数年間に素晴らしい継承を事実上損ない得る。良い社会的環境と適切な教育は、良い継承を最大限に活用するための不可欠の土壌と大気である。
ハーベルの死は、その犬たちが、主人なしで群れを家に連れ戻ったとき両親の知るところとなった。カインは、アダームとハヴァーにとり、ぞっとする自分達の愚かさの名残りであったので、二人は、園を出るという彼の決定を奨励した。
メソポタミアでのカインの生活は、不履行のそのような独特の成り行きで象徴的であったことから正確には満足なものではなかった。それは、仲間が不親切であったということではなかったが、それにしても、仲間からくる自分の存在への潜在的憤りに気づいていない訳ではなかった。しかし、カインは、部族印を施していなかったので、たまたま出会うかもしれない最初の近隣部族民に殺されるであろうということを知っていた。カインは、恐怖、並びに何らかの自責の念で後悔した。思考調整者が一度も宿ったことのないカインは、ずっと家族の規律に反抗的で、また父親の宗教にも軽蔑的であった。しかしカインはただちに、母のハヴァーのところに行き、精神的な助けと指導を求めた。そして、誠実に神の助けを探し求めたとき、調整者が宿った。カインに内在し気を配るこの調整者は、カインは、アダーム系の大いに恐れられた部族に属するのだという明確な優性の利をカインに与えた。
それでカインは、第2のエーデンの東のノヅの地へと出発した。カインは、父の民の1集団の中で最高指導者になり、ある程度まで、セレパタチアの予測を実現させた。かれは、その生涯を通じて、ノヅ系のこの分隊とアダーム系の間での平和を促進したのであるから。カインは、遠縁のいとこレモーナと結婚し、二人の最初の息子ハノウクは、エラーム系ノヅの頭となった。何百年もの間、エラーム系とアダーム系は、平和状態を保った。
不履行の結果は、第二の園の時の経過につれ、ますます明らかになった。アダームとハヴァーは、エーデンチアに強制送還された子供はもちろん、自分達のかつての美しく平和な家庭をこの上なくなつかしく思った。この立派な男女が、領域の通常の人間へと身分を落とすところを観測するのは本当に哀れであった。しかし二人は、気品と勇気をもって権威を失った生活状態に耐えた。
アダームは、民間管理や教育法式、それに宗教心において子供と仲間の訓練に大抵の時間を賢明に費やした。この先見がなかったならば、アダームの死に際し大混乱が勃発したことであろう。実のところ、アダームの死は、その民の問題処理にあまり差はなかった。しかし、アダームとハヴァーは、亡くなるずっと以前に、我が子と追随者が、エーデンでの栄光の日々を徐々に忘れていくようになったと気づいた。エーデンの壮大さを忘れるということは、大多数の追随者にとっては良いことであった。皆は、それほど恵まれてはいない環境への過度の不満を経験しそうにはなかった。
アダーム系の民間支配者は、最初の園の息子達からの世襲性によった。アダームの最初の息子アダームソン(アダームの息子のアダーム))は、第2エーデンの北部の紫色人種の第二次中心地を設立した。アダームの2番目の息子ハヴァーソンは、見事な支配者になり管理者になった。父の卓越した助力者であった。ハヴァーソンは、アダームほど長生きはせず、その長男ジャンサドが、アダーム系部族の頭としてアダームの後継者になった。
宗教支配者または司祭職は、セス、つまりアダームとハヴァーの第二の園で生まれたうちの生き残った最年上の息子から始まった。セスは、アダームのユランチア到着の129年後に生まれた。セスは、父親の民の精神状態を向上する仕事に没頭するようになり、第二の園の新司祭の長となった。その息子エノスは、崇拝の新手順を設定し、その孫息子ケーナンは、遠近の周辺部族に対する対外伝道業務を実施した。
セス系の司祭職は、宗教、健康、教育を抱きかかえる三重の仕事であった。この系列の司祭は、宗教儀式を司り、医師として衛生検査官としての役目を果たし、それに園の学校で教師として務めるための訓練を受けた。
アダームの一隊は、第一の園からの何百もの植物や穀類の種子と球茎を川合いの土地へと持ち運んだ。また大規模な群れと全家畜の型の中から幾つかずつを連れて来た。このために、周囲の部族よりもかなりの利点があった。アダームの一隊は、最初の園以前の文化から多くの利益を享受した。
アダームとその家族は、第一の園を出る時まで常に果実、穀類、木の実で生活していた。メソポタミアへの途中、初めて香草や野菜を摂取した。肉食は早くから第二の園へ導入されたが、アダームとハヴァーは、通常の食生活の一部としては決して肉を食べなかった。またアダームソン、ハヴァーソン、それに第一の園の第一世代の他の子供も肉食者にはならなかった。
アダーム系は、周囲の民族よりも文化面の業績と知的開発においてかなり優れていた。3番目のアルファベットを作成し、そうでなくても近代美術、近代科学、および近代文学の前駆である多くの基礎を築いた。ここティーグリス川とユーフラテス川の間の土地においては、書、金属加工、陶器作成、機織りの芸術を維持し、何千年ものあいだ抜きんでるもののない建築の型を生み出した。
紫色民族の家庭生活は、当時理想的であった。子供等は、農業、技能、畜産の訓練課程を受け、さもなければ、セス系の三重の義務の実践のために、つまり司祭、医者、そして教師になるための教育を受けた。
セス系の司祭職について考えるとき、健康と宗教に関わる高潔で高貴なそれらの教師、すなわち真のそれらの教育者と、後の部族や周囲の諸国に属する品位が低下し、営利目的の司祭と混同してはならない。セス系の神と宇宙の宗教概念は、高度であり、当時としては比較的正確であり、健康対策は、優れており、教育方式は以来一度もそれを上回ったことがない。
アダームとハヴァーは、ユランチアに登場する9番目の人類である紫色人種の祖であった。アダームとその子孫は青い目をしており、また、紫色民族は、色白で明るい髪の色—黄色、赤、および茶色—を特長とした。
ハヴァーは、出産時の痛みに苦しまなかった。進化する初期の人種も苦しまなかった。進化する人間とノヅ系との結合による、また後にはアダーム系との結合による混血種族のみが出産の激しい痛みに苦しんだ。
アダームとハヴァーは、ジェルーセムの同胞と同じく食物と光の両方で存続する、ユランチアでは明かされていないある超物質的エネルギーにより補われる二重の栄養摂取からエネルギーを得た。ユランチアの子孫は、エネルギー摂取と光の循環の親の資性を引き継がなかった。それらには、ただ一つの循環、血液維持の人間の型があった。それらは長命ではあるが、寿命は後継の各世代毎に人間の標準寿命に向けて引き寄せられたにもかかわらず、意図的に必滅とされていた。
アダームとハヴァーとその子供の第一世代は、動物の肉を食用とはしなかった。それらは、完全に「木の実」を食べていた。第一世代の後、アダームの子孫は皆、乳製品を摂取し始めたが、彼らの多くが肉をとらない食習慣を守った。また、それらが後に結合した南方部族の多くが、非肉食人であった。やがて、これらの菜食部族の大部分は、東に移動し、現在インドの民族に混合され生き残った。
アダームとハヴァーの肉体的、精神的双方の視覚は、現代人のものよりもはるかに優れていた。二人の特殊な感覚は、実に鋭く、中間者と天使の軍勢、メルキゼデク、それに高潔な後継者との打ち合わせに何度か来た堕落したカリガスティア王子を見ることができた。二人は、不履行後の100年以上にわたりこれらの天の存在体を見る能力を保有した。これらの特種感覚は、その子供達にはあまり鋭敏には備わっておらず、続く世代毎に減少する傾向にあった。
アダーム系の子供全員には、疑う余地のないな生存能力があったので、通常、調整者が内在していた。これらの優れた子孫は、進化する子供達ほどには容易に恐れなかった。あなた方の先祖は、人種の肉体的向上のための初期の失敗によりアダームの生命原形質のほんの少ししか受けとらなかったので、あまりに多くの恐怖が、ユランチアの現代の種族には存続している。
物質の息子とその子孫の体細胞は、この惑星生まれの、進化する生き物のそれよりもはるかに病気への抵抗力がある。土着種族の体細胞は、病気を発生させる微細で極微のその領域の生きた有機体と同種である。これらの事実が、なぜユランチア民族が多くの身体障害に耐えるための科学的努力により多くのことをしなければならないかを説明している。あなた方の種族が、より多くのアダーム系の生命をもっていたならば、あなた方は、より多くの病気への抵抗力をもっていたであろうに。
アダームは、ユーフラテス川の第二の園に定住するようになってから、自分の死後、この世界の利益のためにできるだけ多くの自分の生命原形質を残すことにした。それに伴って、ハヴァーが、種族改善の12人委員会の会長になり、アダームが死ぬ前にこの委員会は、ユランチアで最高の型の1,682人の女性を選び、この女性たちは、アダーム系の生命原形質で受精した。112人を除くその子供たちは皆成人し、世界は、1,570人の優れた男女の追加によりこうして恩恵をうけた。これらの候補の母は、周囲の全部族から選ばれ地球の人種の大部分を代表してはいたものの、大部分は、ノヅ系の最高の血統から選ばれ、彼らは初期の強力なアンド系人種の始まりをなした。これらの子供は、それぞれの母の部族の環境のなかで生まれ育てられた。
第2エーデンの設立後まもなく、アダームとハヴァーの後悔は、受け入れ可能であると、その上、ふたりは、世界の死すべき者の宿命に耐えるよう運命づけられはしたものの、確かにユランチアの眠れる生存者の身分に属する資格ができるであろうと正式に知らされた。かれらは、メルキゼデク系が、感動的に二人に宣言した回生と更生に関するこの福音をすっかり信じた。二人の違反は、意識的かつ故意の反逆の罪ではなく、判断上の誤りであった。
アダームとハヴァーは、ジェルーセムの市民として、思考調整者を有していなかったし、第一の園のユランチアで機能したときも調整者を内在してはいなかった。しかし、必滅の地位への零落直後、かれらは、それぞれの中に新しい存在を意識するようになり、真摯な悔悟に連結した人間の状態が、調整者内住を可能にしたという認識に目覚めた。アダームとハヴァーの残りの人生を通じて大いに元気づけたのは、調整者が内在するというこの知識であった。ふたりは、サタニアの物質の息子としての自分たちの失敗を熟知しつつ、上向する宇宙の息子として楽園進行がまだ開かれていることも知っていた。
アダームは、惑星への到着と同時に起きた天啓的復活に関して知っており、彼とその仲間は、息子の身分の次の序列の到来と関連して再人格化されると信じていた。アダームは、この宇宙の主権者ミカエルが、ユランチアにそれほど早く現れることを知らなかった。到着する次の息子は、アヴォナルの序列のものであることを期待していた。たとえそうだとしても、アダームとハヴァーには、理解するには難しい何かと同様に、これまでにミカエルから受けた唯一の親書を熟考するということは、いつでも安らぎであった。この通信は、友情と安らぎの他の表現に加えて次の通りであった。「私はあなた方の不履行の情況を考慮してみた。父の意志に常に忠誠であるというあなた方の心の願望を思い出してみた。もし私の領域の副次的息子等が、その時以前にあなたを呼びにやらないようであれば、私が、ユランチアに行くとき、人間のまどろみの死からあなた方を呼ぶであろう。」
これは、アダームとハヴァーには大きな謎であった。この通信にある可能で、特別な復活の隠された約束の理解はでき、その上、そのような可能性は、二人を大いに励ましはしたものの、ミカエルの個人的なユランチア登場に関する復活の時まで二人を休ませるかもしれないという暗示の意味の理解はできなかった。エーデンの1組は、いつか神の息子が来るということをいつも宣言し、自分達の愛するもの達に自分達の失態と悲しみの世界は、ことによるとこの宇宙の支配者が、楽園の贈与の息子として機能することを選ぶ領域であるかもしれないという信念を、少なくとも切望を伝えた。それは信じるには良過ぎる話であったが、アダームは、騒乱のユランチアが結局は、サタニア体系の中の全ネバドンの中で羨まれる唯一の惑星、最も幸運な世界であると判明するかもしれないという考えをいだいた。
アダームは530年間生きた。死因はいわゆる老齢によるものであった。その肉体的機能が単に尽き果てた。崩壊の進行が、回復の進行を次第に追いつき、そして当然の終わりが来た。ハヴァーは、その19年前に衰弱した心臓のために死んだ。二人は、集団居住地の壁が完成した直後に、ふたりの計画にそって建てられていた神を礼拝する寺の中心にともに埋められた。またこれが、有名で敬虔な男性たち、女性たちを崇拝の場所の床下に埋葬する習慣の始まりであった。
メルキゼデクの指示に基づくユランチアの超物質的政府は、継続したにもかかわらず、進化的人種との直接の身体的接触は、切断されてしまった。宇宙政府の肉体をもつ代行者たちは、惑星王子の有体の部下の到着の遠い時代からヴァンとアマドンの時代を通してのアダームとハヴァーの到着まで惑星に配置されていた。しかし、アダームの不履行で、45万年以上の期間におよぶこの政権は終わった。精神的領域では、天使の助力者は、思考調整者と協力して個人救助のためにともに勇ましく働き奮闘し続けた。しかし、アブラーハームの時代の、地球の死すべき者には、広範囲におよぶ世界福祉のための包括的何の計画も、神の息子の力、忍耐、および権威を携え、不幸なユランチアの一層の向上と精神再生の土台づくりをしたメルキゼデクのマキヴェンタの到着まで公表されることはなかった。
不運は、しかしながら、ユランチアの唯一の当たり籤ではなかった。この惑星はまた、ネバドンの地方宇宙の中で最も好運な惑星であった。ほかならぬこの暗黒の背景が、ネバドンのミカエルに訴えなければならないほどに、愛情深い人格を明らかにする活躍の舞台として天の父のこの世界を選んだために、もし先祖の失態とその初期の世界の支配者達の誤りが、この惑星を望みのない混乱状態に陥れる、すなわち悪と罪によりますます混乱させるのであれば、ユランチアの民は、それをすべて幸運と思うべきである。それは、ユランチアが、そのもつれた事態を整理するために創造者たる息子を必要としたわけではない。むしろ、ユランチアの悪と罪が、楽園の父の無比の愛、慈悲、忍耐を顕にするより衝撃的な背景を創造者たる息子に提供したということである。
アダームとハヴァーは、いつか二人が、大邸宅世界での、つまりユランチアでの紫色人種の物質的肉体で任務につくまえのとても身近であった世界での、生活再開のために死の眠りから目覚めるであろうというメルキゼデクの約束を強く信じて、死の眠りについた。
二人は、死すべき者の領域の無意識の眠りに長くは休んではいなかった。アダームの死から3日目、敬虔な埋葬の2日後、エーデンチアのいと高きもののからの支持を受け、ミカエルの代理であるサルヴィントンの日々の和合のものの意見と一致したラナフォーゲの命令が、ユランチアにおけるアダームの不履行時代の優れた生存者の特別点検を指示する命令がガブリエルの手に託された。そして、アダームとハヴァーは、ユランチア系列の第26番目の特別な復活についてのこの命令に基づき、第一の園の経験の際の1,316人の仲間と共にサタニアの大邸宅世界の復活の大広間で人格化され、再構成された。他の多くの忠誠な魂は、アダームの到着時点ですでに移動されており、この到着時に、眠っている生存者と資格を与えられた生ける上向者の両者への天啓裁定があった。
アダームとハヴァーは、ジェルーセムでもう一度市民権を獲得するまで、もう一度出身惑星の居住者になるように、だが今度は宇宙人格の異なる序列の一員として、進歩的な上昇の世界をすばやく通過した。彼らは永久公民—神の息子—としてジェルーセムを発った。彼らは上向する公民—人の息子—として戻った。それらの者は、すぐに体系首都ユランチアの服務に配属され、現在のユランチアの顧問と規制機関を構成する24人の相談役の中の会員資格が後に与えられた。
ユランチアでの惑星のアダームとハヴァーの物語、つまり試練、悲劇、そして勝利の物語、少なくとも善意から出た、しかし欺かれた物質の息子と娘にとっての個人の勝利の物語、また疑いなく、最終的には、二人の世界と反逆が漂い、悪に悩まされた住民の究極的勝利の物語は、こうして終わる。すべてが要約されるとき、アダームとハヴァーは、速やかな文明に強力な貢献をし、人類の生物上の進歩を加速させた。彼らは地球に重要な文化を残したが、そのような高度な文明は、アダームの遺伝上の早期の希釈化と最終的沈潜に直面して生き残ることは不可能であった。文明を作るのは人である。文明は人を作らない。
[熾天使の「園の声」ソロニアによる提示]
ネバドンのほとんどの棲息界は、領域の必滅者と天使の系列のものとの中間の生活機能段階にある特有な存在の1集団、あるいは複数集団にとっての棲家である。故に、それらは、中間被創造者と呼ばれる。中間被創造者は、時の偶然であるかに見えるが、それらは、非常に広範囲に存在し、また援助者としてとても貴重であるので、我々は皆、我々の一体となった惑星援助活動の不可欠の体系の1つとしてずっと前に彼らを受け入れてきた。
ユランチアでは、異なる中間者の2系列、ダラマティアの時代に遡って出現した第一の、または年輩の部隊、それに起源がアダムの時代に始まる第二の、あるいは若い集団が、機能する。
第一中間者には、ユランチアの物質と精神の相互の繋がりにその起源がある。我々は、他の世界や体系上の同様の被創造物の存在を知っているが、それらは異なる方法によって出現した。
発展的惑星での神の息子の連続的贈与は、領域の精神的組織における著しい変化を引き起こし、また時折じつに理解し難い状態を引き起こすほどに惑星における精神的、かつ物質的媒体の相互の働きをそのように変更ということをいつもよく心に留めおくことは、当を得ている。カリガスティア王子の部下の100人の有体成員の身位は、まさにそのような特有な相互の繋がりを例証している。彼らは、ジェルーセムの上向するモロンチア公民として生殖上の特権をもたない超物質的生物であった。彼らは、ユランチアの惑星の下降する援助活動者として、(後に彼らの何人かがそうしたように)、物質の子孫を産み出すことができる物質の性的生きものであった。我々は、これらの100人が、超物質的段階で親の役割においていかに機能できたかということを満足に説明できないことだが、それが、まさに起こったことである。肉体的な部下の男性隊員と女性隊員の超物質的(無性の)結合は、第一中間者の長子の出現をもたらした。
人間と天使の階層の中間にいるこの系列の生物は、王子の本部の仕事を続ける際に非常に役に立つとすぐに分かり、その結果、肉体的な部下の各1組は、同様の存在を産する許可が与えられた。この努力は、50人の中間被創造者の最初の集団をもたらした。
惑星王子は、この特有な集団の仕事を観測した1年後、中間者の再生産を制限なしで認可した。この計画は、作る力が続く限り実行され、5万人の最初の部隊が、結果的に生み出された。
各中間者の増殖の間には半年の期間が介在し、1組毎にそのような1,000の存在体が生まれてしまうと、それ以上はもう望めなかった。何故この力が、1,000番目の子が生まれると消耗するかという理由について何の説明も可能ではない。さらなる実験も、失敗以外の何ものももたらさなかった。
これらの生物は、王子の行政の諜報部隊を構成した。遠く広くにおよんでこれらの生物は、世界の人種を研究し観測し、惑星本部から遠く離れた人間社会に影響をおよぼす仕事のうえで王子とその部下のために計り知れない他の活動をした。
この体制は、4/5をわずかに上回る数の第一中間者を陥れた惑星反逆の悲惨な日まで続いた。忠誠な部隊は、ヴァンの肩書きだけの指揮の下にアダムの時代まで機能し、メルキゼデクの受信者の活動に入った。
これは、ユランチアの中間的被創造者の起源、資質、および機能の物語であるとともに、2系列間の親族関係—第一次と第二次—が、惑星の反逆時代からアダームの時代までのカリガスティア王子の有体の部下の反逆成員からの血統を突き止めるために、この時点で第一中間者の話を中断する必要がある。第二の園の初期に中間被創造者の第二次系列のための祖先の半分を提供したのは、この系統であった。
王子の有体の部下は、アンドン部族の中の選ばれた血統の者と自分達の中の特種系列の結合した特性を具体化する子をもうける計画参加の目的で性別のある生物としてつくられ、しかも、このすべてが、その後のアダム出現を予想してのことであった。生命搬送者は、王子の部下のこれらの子孫とアダームとハヴァーの第一世代の子孫とを結合する人間の新たな型を計画した。その結果、彼らは、人間社会の教師兼支配者になることを望む惑星の生物の新系列を思い描きながら計画をたて、導入した。そのような存在体は、公民統治のためではなく、社会統治のために考案された。しかしこの企画は、ほぼ完全に失敗に終わり、我々は、なんと温和な一流の指導者と比類のない文化がユランチアからこの程度にまで奪われたかを決して知ることはないであろう。というのも、肉体をもつ部下が後に生殖されたとき、それは、反逆の後であったし、また、体系の生命回路とのそれらの関係が奪われた後であったから。
多くの変事が、ユランチアでの反逆後の時代に見られた。偉大な文明—ダラマティア文化—が崩壊していくところであった。「ネフィリム(ノヅ系)がその頃地上におり、そして神々の息子らが人間の娘のところに行き、娘らに子供らができたとき、その子供らは『昔の勇士』、『名のある者達』であった。」遠い時代の進化する人間は、部下と初期のその子孫をとても「神の息子」ではないと見なした。その身長さえ伝統的に誇張されるようになった。そうして、これが、地球に降りてきて、そこで人間の娘と古代の英雄の人種を生み出した神にまつわる全世界のほとんどの民話の起源である。そして、このすべての伝説が、第二の園のアダーム系の後に出現する人種混合とさらに混乱するようになった。
王子の有体の100人の部下は、アンドン系の人間の生殖細胞質をもっていたので、もし有性生殖に従事したならば、その子孫が他のアンドン系の両親の子にすっかり似るということが当然に期待されたであろう。しかし、部下の60人の反逆者が、つまりノヅの追随者が、実際に有性生殖に従事してみると、その子供等は、アンドンとサンギクの両民族とはほとんどあらゆる点ではるかに優れていると分かった。この予期しない長所は、肉体上、知力上の特色だけではなく、精神的能力にも特性を示した。
ノヅ系最初の世代のもつ突然変異によるこれらの特色は、アンドン系の生殖細胞質の化学構成要素と遺伝要素の配置において生じたある変化によるものであった。これらの変化は、サタニア系の強力な生命維持回路の部下の体内の存在によって引き起こされた。これらの生命回路は、ネバドンの生命の定められた発現からのサタニアの標準化された特殊の型にさらに似せてユランチアの特殊化された型の染色体を再編成する元を引き起こした。体系の生命回路の活動によるこの生殖細胞質変化の方法は、ユランチアの科学者が、植物と動物の生殖細胞質をX線使用により変更するその手順と異なりはしない。
ノヅ系民族には、その結果、アバロンの外科医たちが、アンドン系の寄与者の体内から肉体をもつ部下へと移した生命原形質に生じる独特で予期しないある変更が起きたのであった。
代わりに、100人のアンドンの生殖細胞質寄与者は、生命の木の有機補足物の所有者にされ、故にサタニアの生命回路が、同様に彼らの体内に注ぎ込んだということが思い出されるであろう。反逆についていった44人の変更されたアンドン系もまた、仲間内で結合し、ノヅ民族のより良い血統に大きく貢献した。
変更されたアンドン系の生殖細胞質を有するこれらの2集団は、ノヅ系の祖先、すなわちユランチアに現れる8番目の人種となる。そして、ユランチアのこの新しい人間の生命の特徴は、これが予期しない開発の1つであったということを除いては、生命変更世界として発達するこの惑星を活かして本来の計画作業の別の局面を示している。
純系のノヅ系は、すばらしい人種であったが、徐々に地球の進化する民族と入り交じり、間もなく大きな劣化が発生した。その平均寿命は、反逆の1万年後には進化的人種のものと大差はなかった。
考古学者が、ノヅ系の後のスメール人の子孫の粘土板記録を掘り起こすと、数千年も遡るスメール王の一覧表を発見する。そして、これらの記録をさらに遡ると、個々の王の治世は25年か30年から150年、あるいはそれ以上の長さに及ぶ。より昔の王のこの長きにわたる治世を早期のノヅ系支配者の幾人(王子の部下の直接の子孫)かは、後の後継者より長く生き、また王朝をダラマティアへと引き延ばす努力をも指し示している。
また、そのような個人の長命記録は、時間としての月数や年数の混乱によるものである。これは、聖書のアブラーハームの系譜と中国人の初期の記録においてもみられるかもしれない。後に取り入れられた350日を越える1年と、28日間の1ヶ月、あるいは季節との混乱には、そのように長い人間の寿命の伝統に原因がある。900「年」以上も生きた一人の人間の記録がある。この期間は、70年にはたりないことを表し、そのような人生は、非常に長いと見なされ、そのような寿命としての「70年」は、後に示された。
ひと月28日の時間計算は、アダームの時代のずっと後まで続いた。しかしおよそ7,000年前、エジプト人が、暦の改正に取り掛かったとき、365日単位の年を導入し、高度の正確さでそれをした。
ダラマティアの沈水後、ノヅ系は北へ東へと移動し、やがて、その人種の、また文化の本部としての新都市ディルムンを創設した。また、ノヅの死からおよそ5万年後、指導者達は、王子の部下の子孫が、ディルムンの新都市に隣接する土地に最低限の暮らしの糧を見つけることができないほどに多くなり過ぎたると、その上、境界に隣接するアンドン部族とサンギク部族との人種間の結婚に至ってしまうと、人種的統一保護のために何かがなされるべきであると思いついた。というわけで、部族の協議会が召集され、よくよくの審議の後、ノヅの子孫のバブロットの案が承認された。
バブロットは、当時の占領地の中央に人種賛美のための尊大な寺の建設を提案した。この寺は、今までに一度も見たことがないような最大の塔を持つことになっていた。それは、過ぎ去った偉大さへの途方もない記念物であった。ディルムンにこの記念物を建設することを願う多くの者がいたが、他のものは、最初の首都ダラマティアの水没の言い伝えを思い起こし、そのような大構造物は海の危険からは安全な距離に設置されるべきであると主張した。
バブロットは、新建築物はノヅの文化と文明の未来の中心地の核になるべきであると立案した。その助言が、最終的には主流となり、その案に応じて工事が始められた。新都市は、塔の企画者と建築者にちなんでバブロットと命名されることになった。この場所は、後にバブロッドとして、最終的にはバベルとして知られるようになった。
しかし、ノヅ系は、この仕事の計画と目的に関して感情的にまだいくらか分裂していた。建設計画、あるいは完成後の建物の使用法のいずれに関しても指導者達の間に全体的同意はなかった。4年半の作業の後、塔建設のための目的と動機に関し、かなりの論争が生じた。論争は、辛辣になりすべての作業が止まるほどであった。食糧運搬者達が、不和に関する情報を広め、多くの部族が、建築用地に集合し始めた。塔建設の目的に関わる3件の異なる意見が提出された。
1. ほぼ半分の最大派閥は、ノヅ系の歴史と人種優越性の記念としての塔の建設を望んでいた。かれらは、それが、未来の全世代の賛美を要求する立派で印象的な構造物であるべきだと考えた。
2. 次に大きい派閥は、ディルムン文化を記念するために設計される塔を望んだ。かれらは、バブロットが商業、芸術、製造の大きな中心地になることを予知した。
3. 最小かつ少数派は、 塔の建設は、カリガスティア反逆参加における先祖の愚かさを償う機会を提示すると考えた。それ等は、塔が、すべての者の父の崇拝に捧げられるべきであるということ、新都市全体の目的は、ダラマティアにとって代わるべきであるということ—周囲の未開人のために文化と宗教の中心として機能すること—を主張した。
宗教集団は、即座に否決された。大多数は、先祖が反逆の罪を犯したという教育を拒絶した。彼らは、そのような人種的恥辱に憤慨した。論争に対する3つの見地の1つを処分し、討論で他の2つに決着がつけられず、それらは戦い始めた。宗教家、つまり非戦闘員は、南の自分達の家に逃げ帰ったが、その間に仲間達はほぼ全滅するまで戦った。
およそ1万2,000年前、2度目のバベルの塔の建設の試みがあった。アンド系(ノヅ系とアダーム系)の混合人種は、最初の構造物の廃虚跡に新しい寺を建てることを企てたが、事業への十分な支援がなかった。それは、それ自体の尊大な重みで倒壊した。この領域は長らくバベルの土地として知られていた。
ノヅ系の分散は、バベルの塔を巡る内紛の即座の結果であった。この内乱は、 より純血のノヅ系の数を大いに減少させ、偉大な前アダーム文明の確立におおくの面で重大な失敗の原因であった。この後ずっとノヅ系文化は、アダーム系の注入による向上をみるまで12万年以上衰退しつづけた。しかし、アダムの時でさえ、ノヅ系は依然として有能な民族であった。園の建築者には、その混合型の子孫の多くがいたし、ヴァンの集団の統率者の数人は、ノヅ系であった。アダームの最も有能な心の部下の何人かが、この人種の者であった。
大きいノヅ系中心地の4か所のうちの3か所が、バブロット紛争直後に設立された。
1. 西方の者、すなわちシリアのノヅ系 。国家主義的というか、人種的回顧者の残党は、北方へと旅をし、後のノヅ系中心地をメソポタミアの北西に設立するためにアンドン系と結合した。これは、分散していくノヅ系の最大集団であり、後のアッシリア人の血統の出現に非常に貢献した。
2. 東方のあるいは、エラームのノヅ系。文化と商業の擁護者は、大人数で東向へとエーラムに移住し、部族は、そこで混血のサンギク部族と結合した。3万年から4万年前のエーラム系は、気質においては概ねサンギク族になっていたとはいえ、周囲の未開人よりも優れた文明を維持し続けた。
第二の園の設立後、この近くのノヅ系の居留地を「ノヅの土地」として暗に示すのが通例であった。そして、神の息子(アダーム系)が、このノヅ系集団とアダーム系の間の長い間の相対的に平和の期間、人間(ノヅ系)の娘と結婚するのがますます習慣になったので、2つの人種は、大いに混ぜ合わさった。
3. 中央の、もしくは前スメール人のノヅ系。チグリス川とユーフラテス川の河口の小集団は、一層の人種的全体性を維持した。彼らは、何千年も存続し、結局、有史時代のスメール民族を起こすためにアダーム系と混ざったノヅ系祖先を提供するに至った。
このすべてが、スメール族がいかにメソポタミアの活動舞台に突然に、しかも神秘的に登場したかを説明する。調査員等は、ダラマティアの沈水後の20万年前に起源を持つスメール人の始まりにまでこれらの部族をたどり、追い求めることは決してできないであろう。これらの古代部族は、世界の他の場所に起源の痕跡がなく、寺院、金属加工、農業、動物、陶器、機織り、商法、民法、宗教儀式、それに古い書記体系を擁し、完全に熟し優れた文化を携え、文明の地平線に突然に立ち上がる。彼らは、ディルムンに端を発する独特の書記体系を採用していたので、ダラマティアのアルファベットを歴史時代の始めのずっと以前に失っていた。スメール語は、実際には世界からなくなっていたが、セム語ではなかった。それは、いわゆるアーリア人の言葉と多くの共通点があった。
スメール人によって残された入念な記録が、ディルムンの初期の都市の近くのペルシャ湾に位置した驚くべき集落場所について説明している。エジプト人は、この古代の栄光都市をディルマトと呼んだが、アダーム系と混血化した後のスメール人は、1番目と2番目のノヅ人の都市の両方をダラマティアと混同し、3都市すべてをディルムンと呼んだ。そして、考古学者等は、この地上の楽園を「神が最初に文明的かつ洗練された生活で人類を祝福されたところ」と告げているこれらの古代スメール人の粘土板を既に見つけた。そして、ディルムン、人と神の楽園に関して記述するこれらの平板は、いま多くの博物館の埃だらけの棚で静かに休息している。
スメール人は、第一と第二のエーデンをよく知っていたが、アダーム系との大規模な雑婚にもかかわらず、園の北の住人を外国民族と見なし続けた。スメール人のより古代のノヅ系文化に対する誇りは、かれらが、ディルムンの都の壮大で楽園的伝統を好み、もっと後のこれらの栄光の場面を無視する方向へと導いた。
4. 北のノヅ系とアダーム系—ヴァン系。この集団は、バブロット紛争前に生まれた。この最北端のノヅ系は、ヴァンとアマドンの統率力のためにノヅとその後継者等の統率力を見捨てた者達の子孫であった。
ヴァンの初期の仲間の数人は、その後今もなおその名をもつ湖の岸に定住し、それらの伝統はこの地方で発展した。アララトは、ヘブライ人にとってのシナイとほぼ同じ意味を持って後のヴァン系にとって神聖なる山となった。1万年前、アッシリア人のヴァン系先祖は、神が、アララト山でヴァンに七戒の道徳律を与えたと教えた。彼らは、ヴァンとその仲間のアマドンが山で崇拝しているときにこの惑星から生きた状態で連れて行かれると堅く信じた。
アララト山は、北メソポタミアの神聖な山であり、これらの古代の伝統の多くは、バビロニアの洪水の話に関連して得られたももであり、アララト山とその領域が、後にノアと全世界の洪水のユダヤ人の物語の中に織り込まれたということは驚きではない。
アダームソンは、紀元前3万5千年頃、文明の中心地の設置のために昔のヴァン系の一番東の端にある定住地の一か所を訪ねた。
二次中間者のノヅ系の来歴を図表にすると、二次中間者は、ユランチアの紫色人種の長子の孫であるアダームソンの孫でもあるので、この物語は、かれらの祖先の半分であるアダーム系を考慮すべきである。
アダームソンは、父母と共に地球に残ることを選んだアダームとハヴァーの子供の集団の中にいた。さて、アダームのこの長男は、たびたび北の高地の自分達家の話をヴァンとアマドンから聞いており、第二の園の創立後いつかは若々しい夢のこの土地を探しに行くと決心した。
アダームソンは、このとき120歳であり、第一の園の32人の純系の子の父親であった。かれは、両親と共に残り第二の園の設立を助けたかったのだが、いと高きものの被後見者になることにしたアダーム系の他の子供と共にエーデンチアに行くことを選択した我が子全員と連れ合いの損失に大いに困惑した。
アダームソンは、ユランチアの両親を見捨てようとはせず、苦難あるいは危険から逃げることには気が向かなかったが、第二の園の交友関係は満足とはほど遠いものと感じた。彼は、防衛と建設の初期の活動を進めるために多くのことをしたが、最も早い好機に北に向けて発つと決めた。その出発は、全く快いものであったが、アダームとハヴァーは、長男を失うことを、つまり未知の、敵意に満ちた世界に向かわせて永久に戻ってこないことを恐れて非常に悲しんだ。
27人の仲間が、幼年期の空想のこれらの人々の探索に向かうアダームソンに北方へと従った。アダームソンの一行は、3年余りで冒険の目標対象を見つけ、またアダームソンは、これらの人々の中に王子の部下の最後の純系子孫であるという20歳の見事な美しい女性を発見した。この女性ラッタは、自分の先祖は全員が、王子の堕落した2人の部下の子孫であると言った。生きている兄弟、あるいは姉妹はいないので、彼女が種族の最後のものであった。ラッタは、結婚しないとほぼ決めていて、子を残さずに死ぬ決心をしていたが、堂々たるアダームソンに心を奪われた。そしてラッタは、エーデンの話を聞くと、ヴァンとアマドンの予測がいかに現実に起こり、また園の不履行の詳説を聞くにつれても、ただ一つの考えに—アダームの継承者であるこの息子と結婚すること—に夢中になった。この考えはまた、アダームソンの心のなかで急速に大きくなった。3カ月余りで、二人は結婚した。
アダームソンとラッタの家族には67人の子供がいた。かれらは、世界の指導者の大系列の誕生源となったが、それ以上の何かをした。二人は、本当に超人的であったことが思い出されるべきである。特有な種類の子供が、4人ごとに両人に生まれた。多くの場合不可視であった。世界の歴史においてそのような事は決して起こらなかった。ラッタは、大いにうろたえた—迷信的でさえあった—が、アダームソンは、第一中間者の存在をよく知っており、何か同様のことが目の前で起こっているのだと結論づけた。奇妙に振る舞う2番目の子が生まれたとき、1人が男で、もう片方が女であったので二人に性交をもたせることにした。これが、中間者の第二次序列の起源である。100年以内に、つまりこの現象終止前には、およそ2,000人が生まれた。
アダームソンは、396年間生きた。何度も、父と母を訪問しに戻った。アダームソンは、7年毎にラッタと第二の園へと南に旅し、その間、中間者は、民の生活振りについてアダームソンに知らせ続けた。アダームソンは、その生涯で真実と正義のために新たで独立した世界の中心地を築き上げることに大いなる貢献をした。
アダームソンとラッタには、意のままになる素晴らしい助力者であるこの部隊がおり、この部隊は、高度な真実の伝播と精神的で、知的で、物理的な生活のより高い水準の普及を手伝うために二人の長命の生涯の間中、共に働いた。そして、世界向上におけるこの努力の結果は、決してその後の退歩で完全におおい隠されるようにはならなかった。
アダームソン系は、アダームソンとラッタの時代からおよそ7,000年間、高い文化を維持した。後にそれらは、隣接するノヅ系とアンドン系と混合するようになり、また「昔の勇士」の中にも含まれていた。そして、その時代の前進のいくつかは、後にヨーロッパ文明になった文化的な可能性の潜在的部分になって存続した。
この文明の中心地は、カスピ海南端の東の領域に、すなわちコペトダグ山脈近くに位置した。トルキスタン山麓の少し上の丘陵地帯には、紫色人種のかつてのアダームソン系本部の名残りがあった。コペトダグ連山下方の山麓の丘に横たわる古代の狭い肥沃地帯に位置するこの場所には、アダームソンの子孫の異なる4集団が、個々に育んだ4文化が様々な時代に相次いで起こった。地中海の西へとギリシアや島々に移動したのが、これらの中の2番目の集団であった。アダームソンの残る子孫は、北方と西方に移動し、最後のアンド系のうねりの混合群体と共にメソポタミアからヨーロッパに入り、インドのアンド系アーリア人の侵略者の数のうちにも入っている。
第一中間者が超人に近い起源を持つ一方で、第二次系列は、上級部隊の血統である共通の先祖をもつ人間化された子孫と結合した純アダーム系の子孫である。
アダームソンの子供の中の第二中間者には、ほんの16人の特有の先祖がいた。他とは異なるこれらの子供は、性別上は等分であてり、一対の男女は、それぞれに性交や非性交関係を織り交ぜた手段により、第二中間者を70日ごとに一人産むことができた。その時以前にはそのような現象は、決して地球では可能ではなかったし、それ以来ずっと起こってはいない。
これらの16人の子供は、(その特性を除いては)領域の死すべき者として生活し死んでいったが、電気により活力を与えられた子孫は、必滅の肉体の限界を受けることなく生き続ける。
8組はそれぞれに、最終的には248人の中間者を産み、その結果、独自の二次部隊—数にして1,984人—が、誕生したのであった。第二中間者の下位の8集団がある。それらはA-B-Cの1番、2番、3番、D-E-Fの1番、2番などと名づけられた。
アダームの不履行後、第一中間者は、メルキゼデク受信の仕事に戻り、一方第二集団は、アダームソンのその死までかれの中枢に帰属した。33人のこれらの第二中間者、すなわち、アダームソンの死の際のその組織の長たちは、こうして第一部隊との連携をもたらすために全体制をメルキゼデクの業務へと移り替わろうと努めた。しかし、これを達成できずに、かれらは、仲間を見捨て、こぞって惑星の受信者の仕事に乗り換えた。
アダームソンの死後、第二中間者の残党は、一風変わった、未組織の、連結性のないユランチアの勢力となった。かれらは、その時からメルキゼデクのマキヴェンタの時代まで、不規則で組織的でない生活を送った。かれらは、部分的にこのメルキゼデクに抑えられたはしたものの、依然としてキリスト・ミカエルの時代まで多くの危害を引き起こした。また、キリストの地球滞在中、かれらは全員、将来に関して最終的決定を下した。その時、忠誠な大多数は、第一中間者の指導の下に入った。
第一中間者の大多数は、ルーキフェレーンス反逆時点で罪に陥った。惑星反逆による惨状が列挙されたとき、他の損失の中には、当初の5万のうち、4万119がカリガスティアの分離に参加していたと分かった。
第二中間者の当初の数は1,984人で、このうち873人は、ミカエルの規則に同調せずに、五旬節の日にユランチアの惑星判決に関連して正式に拘禁された。誰も、これらの堕落した被創造物の未来を予測することはできない。
反逆的中間者の両集団は、現在、体系反逆事件の最終判決を待つ間拘禁されている。しかし、彼らは、現在の惑星統治開始前に地球で多くの奇妙なことをした。
不忠実なこれらの中間者は、ある情況下においては人間の目に自分たちを明らかにすることができ、背教の第二中間者の指導者であるベエルゼブブの仲間については特にこれが当てはまった。しかし、これらの特異な被創造者をキリストの死と復活の時まで同じく地球にいた反逆的な一部の智天使や熾天使と混同してはいけない。昔の著者の一部は、これらの反逆的中間被創造者を悪霊や悪魔として、また背教の熾天使を邪悪な天使として呼んだ。
いかなる世界においても悪霊は、楽園の贈与の息子の人生以降どの人間の心にも取り憑くことはできない。しかし、ユランチアでのキリスト・ミカエルの時代以前—全ての者への思考調整者の訪れや全人類へのあるじの霊の注ぎ以前—これらの反逆的中間者は、ある種の劣った人間の心に実際に影響を及ぼしたり、その行動を支配することができた。これは、忠誠な中間的被創造者が、ユランチアの終局目標の待機部隊の人間の心に接触する有能な保護者として機能するときとほとんど同じようなやり方で成し遂げたように、調整者は、超人の知力あるものとの接触時期のそのような時に、事実上、人格から分離されるのである。
それは単なる比喩ではない。「そして、人々は、いろいろな病いに苦しむ者、悪霊にとりつかれた者、気がふれた者達をその方のもとに連れて来た。」と記録が述べている。イエスは、その時代や世代に生きた人々の心では大いに混乱していたものの、狂気と悪霊憑依との違いを知り、また見分けた。
五旬節前でさえ、いかなる反逆的精神といえども、通常の人間の心を牛耳ることはできなかったし、その日以後、劣った人間の弱い心でさえそのような可能性とは無関係である。真実の聖霊の到着以来、想定的である悪魔退散は、ヒステリー、狂気、および精神薄弱性と悪霊憑依の信仰との混乱の問題であった。しかし、ミカエルの贈与が、悪霊憑依の可能性からユランチアのすべての人間の心を自由にしたからといって、そのようなものは、過去の時代の現実のようではなかったと想像してはならない。
反逆的中間者の全集団は、現在のところエーデンチアのいと高きものの命令により捕らえられている。もはや、彼らは、悪さを企んでこの世界を俳徊することはない。全類への真実の聖霊からの注入が、思考調整者の臨場のいかんを問わず、最もか弱い人間の心にさえ二度と侵入するいかなる類の、またはいかなる記述の不忠実な霊にも永久に不可能にした。五旬節の日以来、悪霊憑依のような事は二度とありえないのである。
この世界の最後の裁決で、ミカエルが時間の世界の眠っている生存者を移動させたとき、中間的被創造者は、惑星での精神と準精神的労働における援助のために残された。現在それらは、両方の体制を抱えており、1万992名を有する単一部隊として機能する。現在のところ各体制の古参成員が、ユランチアの連合中間者を交替で管理している。この体制は、五旬節直後の1集団への合併以来とられている。
年輩、あるいは第一体制の成員は、一般的には番号で知られている。彼らは、しばしば1-2-3 の1番目、4-5-6 の1番目などという名が与えられる。ユランチアでは、アダーム系の中間者は、第一中間者の番号名称と自分達を区別するためにアルファベット順に呼ばれる。
両系列は、栄養とエネルギー摂取の点では非物質的存在であるが、人間の多くの特色を帯び、あなた方の崇拝はもとよりあなた方のユーモアを楽しみもし理解もできる。彼らは、死すべき者に愛着を感じるとき、人間の仕事、休息、遊びの精神に足を踏み入れる。しかし、中間者は眠りもしないし、生殖力も持たない。ある意味で二次集団は、しばしば「彼」や「彼女」と言われて、男らしさと女らしさに沿って区別される。しばしば彼らは、ともにそのような1組で働いている。
中間者は、人間ではなく天使でもないが、第二中間者は、本質的には天使より人間に近いのである。かれらは、ある意味であなた方の人種であり、従って人間との接触において非常に理解があり共感的である。熾天使にとり、かれらは、人類の様々な人種のためのその仕事において、また様々な人種とのその仕事において非常に重要であり、両系列は、個人的後見人として人間に尽くす熾天使に不可欠である。
ユランチアの連合中間者は、天賦の資質と取得した技能に基づき、惑星の熾天使との活動のために次の集団に組織化される。
1. 中間使者。この集団は名前をもつ。小部隊であり、迅速で信頼できる個人的通信活動において進化的世界でかなり役に立つ。
2. 惑星歩哨。中間者は、空間世界の後見者であり、歩哨である。彼らは、領域の超自然の存在体にとり重要な数多くの意思疎通の現象と型のすべてに関し重大な観察者の義務を果たす。彼らは惑星の目に見えない精神領域を巡回する。
3. 接触する人格。中間的被創造者は、通常、物質界の死すべき存在体との接触において、すなわちこれらの通信がとられたそのような対象との接触において用いられる。それらは、精神的、また物質的段階のそのような繋がりにおいて不可欠要因である。
4. 進歩的補佐。これらは、中間的被創造者の中でより精神的であり、惑星上での特別集団で機能する熾天使の様々な体制の補佐として振り分けられる。
中間者は、下層部の人間のいとこ達と上層部の熾天使とのその接触能力において大いに異なる。例えば、第一中間者が、物質媒介者と直に接触することはきわめて難しい。彼らは、天使の型の存在にかなり近く、それゆえ通常は惑星に居住する精神根源力との働きに配属される。彼らが、天界の訪問者と学生の身分の一時逗留者のための仲間として、また案内役として務めるのに反して、二次被創造者は、専ら領域の物質的存在の活動に配属される。
1,111人の忠誠な第二中間者は、地球での重要な任務に従事している。第一の仲間と比べると明らかに物質的である。それらは、人間の創造力の範囲のまさに外側に存在しており、人間が「物質的なもの」と呼ぶものとの意のままの物理的接触のための適応に対し十分な許容度を備えている。これらの特異な被創造者は、領域の獣類を除くことなく、時間と空間の事物の上に、 ある明確な力を持っている。
天使の行為とみなされるより物質的現象の多くは、二次中間被創造者が、行ってきた。イエスの福音の初期の教師が、当時の無知な宗教指導者に投獄されたとき、実際の「主の天使」は、「夜陰に乗じ、牢獄の戸を開け、それらを連れ出した。」しかし、ヘロデの命令によるジェームスの殺害後のペトロスの救出の場合、天使の行為とみなされる働きをしたのは、二次中間者であった。
今日のそれらの主要な仕事は、終局目標の惑星待機部隊を構成する男女への人目につかない個人的なつながりに関わるものである。この発表が一部分である連続の顕示を可能にする命令を与える結果となるそれらの陳情をついに惑星の天の監督に開始させるユランチアの人格と情況の調整をもたらしたのは、一部の第一部隊が巧みに援助したこの二次集団の仕事であった。しかし、中間的被創造者は、「精神的特質」の一般的名称で行われる浅ましい行動に関りのないことが明らかにされるべきである。現在のところ、全員が立派な地位にあるユランチアの中間者は、いわゆる「霊媒能力」の現象に結びつかない。通常、中間者は、時折必要とする身体的活動、もしくは物質界との他の接触を人間の感覚が知覚するようには、人間が目撃することは許さない。
中間者は、必滅の被創造者と天使の軍勢のような進化する上向者とは対照的に、全宇宙の世界の様々な体制に見られる永久的住民の最初の集団と見なされるかもしれない。楽園上昇の各所でそのような恒久公民に遭遇する。
中間者は、惑星活動に配属される天界の存在体の様々な体制とは異なり、棲息界に住んでいる。熾天使は、往き来するが、中間被創造者は、惑星の土着でありつつ奉仕者であるにもかかわらず、滞在しており、これからも滞在するにもかかわらず、熾天使の軍勢の変化する政権を調和し接続する1継続的体制を提供する。
中間者は、ユランチアの実際の公民としてこの球体の運命に親族関係の関心を持っている。それらは、土着の惑星の進歩のために粘り強く働く断固たる結社である。それらの決意は、それらの体制に関する標語によって示されている。「連合中間者が引き受けることを、連合中間者が行なう。」
エネルギー回路を横断する能力が、どの中間者にも惑星からの出発を実行可能にするとはいえ、かれらは、そのうちにある宇宙当局による解除の前には惑星を去らないと個々に宣誓した。中間者は、惑星に落ち着いた光と命の時代までつなぎ留められる。1-2-3の1番目を除いては、どの忠誠な中間的被創造者もユランチアから離れたことがない。
1-2-3の1番目、すなわち第一体制の最年長者は、五旬節の直後に惑星の当面の義務から解除された。この高潔な中間者は、ヴァンとアマドンとともに悲劇的な惑星の反逆の時代に断固として立ちあがり、その恐れをしらない指導力は、その体制の死傷者を減じる助けになっていた。かれは、五旬節後にユランチアの総督として一度すでに役目を果たし、現在のところ24人の相談役の一員としてジェルーセムで働いている。
中間者は、惑星に縛られてはいるが、死すべき者が、遠方からの旅人と話し、その結果惑星の遠く離れた場所について学ぶのと同じく、宇宙の遠い場所について学ぶために天界の旅行者と会話をするのである。したがって、この体系と宇宙、さらにはオーヴォントン、およびその姉妹の創作物にさえ詳しくなり、また、生物存在の高水準での公民権にたいして準備をする。
中間者は、完全に発達した存在に—未熟からの成長、あるいは発達への一区切りの経験もせず—生み出されるが、決して知恵と経験の成長をやめない。それ等は、人間のように、進化する被創造物であり、正真正銘の進化達成の文化をもつ。ユランチアの中間部隊の中には多くのすばらしい心と強力な精神がある。
ユランチアの文明は、より大きい局面においてユランチアの人間とユランチアの中間者との共同産物であり、これは、2つの文化水準の現在の差異、つまり光と命の時代以前には補正されないであろう差異にもかかわらず本当である。
不滅の惑星の公民の産物である中間者の文化は、人間の文明を悩ませるそれらの一時的な変遷に比較的免疫がある。人間の世代は忘れる。中間者部隊は覚えており、その記憶はあなたの棲息界の伝統の宝庫である。惑星の文化は、こうして去ることなくその惑星に残り、そして適切な情況においては、そのような過去の出来事の貴重な思い出は、提供可能となる。まさにイエスの人生の話や教えが、ユランチアの中間者によって肉体のいとこに与えられてきたように。
中間者は、アダームとハヴァーの死の際に登場したユランチアの物質と精神問題間の格差を補正する妙を心得た奉仕者である。それらは、あなたの兄と同様に、ユランチアの光と命の定着状態に到達するための長い戦いにおける仲間である。連合中間者は、反逆試練済みの部隊であり、この世界が時代の目標に達するまで、事実上、地球に平和が君臨し、本当に人の心に善意があるその遠い日まで、惑星進化に本分を忠実に実行するであろう。
我々は、これらの中間者が、大事な任務を果たしたが故に、かれらは、領域の精神的営みの真の不可欠部分であると結論を下した。そして、反逆が、惑星業務を破壊しなかったところでは、かれらは、さらに大きく熾天使の役に立っているのである。
高度の精霊、天使の大群、および中間者の組織全体は、進化する人間の進歩的上向と完全性到達のための楽園計画の促進に専念した。宇宙の崇高な機能の中の1つ—人に神を連れて降りて来る見事な生存計画、そして神に、そして奉仕と神性到達の永遠へと人を運んで上がる—人間と中間者も同様に上がる—提携関係の崇高な種類。
[ネバドンの大天使による提示]
およそ3万年の間、第二エーデンは、文明の揺りかごであった。ここメソポタミアでは、アダーム系民族は、その子孫を地の果てにまで送り出し、その後は、ノヅ系とサンギク部族と混合し、アンド系として知られていた。有史時代の事業を開始し、ユランチアでの文化的進歩を途方もなく加速させたそれらの男女は、この領域から出かけていった。
この論文は、紀元前およそ3万5千年のアダームの不履行の直後に始まり、紀元前1万5千年頃のノヅ系とサンギク人種との融合へと及び、またアンド族の形成にいたる、そして紀元前2千年頃のメソポタミアの故国からのその最終的な消滅に至る紫色人種の惑星の歴史を説明する。
人類の心と道徳は、アダームの到着時、低水準にあったが、肉体的進化は、カリガスティアの反逆の緊急事態による影響をまったく受けない状態で前進してきた。アダームの人種の生物的状態への貢献は、仕事上の部分的な失敗にもかかわらず、ユランチアの人類を桁外れに向上させた。
アダームとハヴァーは、人類の社会的、道徳的、知的進歩にもまた多大に貢献した。その子等の存在が、文明を大いに速めた。しかし、3万5千年前、世界は全体的にそれほど文化がなかった。ある種の文明の中心地は、あちらこちらに存在したが、ほとんどのユランチアは、蛮行に無気力であった。人種的、文化的分布は、次の通りであった。
1. 紫色人種—アダーム系とアダームソン系。アダーム系文化の重要な中心地は、チグリス川とユーフラテス川の三角地帯に位置する2番目の園にあった。これが、実に西洋の、そしてインドの文明の揺りかごであった。紫色人種の二次の、または北の中心地は、コペトダぐ山脈近くのカスピ海南岸の東に位置する本部にあった。すべての人種を速やかに刺激した文化と生命原形質が、これらの2か所の中心地から周辺地域に広がった。
2. 前スメール人と他のノヅ系。メソポタミアにもまた、河口近くにダラマティア時代の古代文化の面影があった。この集団は、何千年もの時の経過と共に、北のアダーム系と完全に混合されるようになったものの、決して自分達のノヅ系の伝統を完全に失うことはなかった。レヴァント地方に住みついた他の様々なノヅ系集団は、たいていが後に拡大していく紫色人種に吸収されていった。
3. アンドン系は、アダームソン本部の北と東にかなり代表的な5か所か6ヶ所の集落を維持した。それらの孤立集団は、ユーラシア全体、特に山岳地帯に存続する一方で、トルキスタン全体にも点在した。これらの原住民は、アイスランドやグリーンランドと同じくユーラシア大陸の北部地方をまだ保持していたものの、ずっと以前にヨーロッパ平野からは青色人種に、またさらに遠いアジアの流域からは拡大する黄色人種に追い出されていた。
4. 赤色人種は、アダーム到着前の5万年にアジアから追い出された後にアメリカ大陸を占拠した。
5. 黄赤色人種。中国民族は、東アジア支配をしっかり確立した。最高度の集落は、チベットと境を接する現代の中国の北西に位置した。
6. 青赤色人種。青色人種は、ヨーロッパ全体に点在したが、その文化のより優れた中心地は、地中海盆地の当時の肥よくな谷と北西のヨーロッパに位置した。ネアンデルタールの吸収が、その文化を大いに遅らせたが、その他の点ではユーラシアの進化する全民族の中で、最も攻撃的で、大胆で、探索的であった。
7. 前ドラヴィダ系のインド。インドの人種の複雑な混合—地上のあらゆる人種、特に緑色人種、橙色人種、および黒色人種を有する—が、辺ぴな領域のものよりわずかに上の文化を維持した。
8. サハラ文明。藍色人種の優れた集団は、いまは大きなサハラ砂漠に最も進歩的な集落をもっていた。この藍色-黒色集団は、消えた橙色人種と緑色人種の血族を大規模に携えていた。
9. 地中海盆地。インドの外で最も高度に混合された人種は、現在は地中海盆地にあたる場所を占拠した。北からの青色人種と南からのサハラ人は、ここで東からのノヅ系とアダーム系に遭遇し入り交じった。
これが、およそ2万5千年前の紫色人種の巨大な拡大の始まりに先立つ世界状況であった。未来文明の望みは、メソポタミアの二本の川の間の第二の園にあった。ここ南西アジアでは、すばらしい文明の可能性が、つまりダラマティアの時代とエーデンの時代から救われてきた考えと理想を世界に普及する可能性があった。
アダームとハヴァーは、限られた、ただし有能な子孫を残したので、ユランチアの天の観察者は、過ちを犯す物質の息子と娘のこれらの子孫がどう振る舞うか成り行きを心配そうに待った。
アダームの息子等は、何千年もの間、南では潅漑と治水問題を解決し、北では防御施設を完成させ、そして第一のエーデンの栄光の伝統の保存を試みながら、メソポタミア河川に沿って働いた。
第二の園での統率力に発揮された武勇は、ユランチアの歴史の驚くべき、しかも奮い立たせる叙事詩の1つを構成する。これらのすばらしいもの達は、決してアダーム系任務の目的を完全に見失いことなく、その結果、選り抜きの息子と娘を地球の人種への特使として、絶え間なく快く送りだす傍ら、果敢に周囲の劣る部族の影響を退けた。時々、この拡大は、生国の文化を枯渇させてはいたが、これらの優れた民族は、いつでも回復するのであった。
アダーム系の文明、社会、文化情勢は、ユランチアの進化する人種の一般水準よりはるかに上であった。ヴァンとアマドン、およびアダームソンの古い集落地の中にだけ多少なりとも匹敵する文明があった。しかし第二エーデンの文明は、人工的構造であり、—いまだ進化はしておらず—したがって、自然の進化段階に達するまで低下する運命にあった。
アダームは、重要な知的かつ精神的文化を残して去ったが、あらゆる文明は、創意の結実を保証するには、利用可能な天然資源、固有の特質、それに適度の余暇活動に制限されているので、機械的な器具での進歩はあまりなかった。紫色人種の文明は、アダームの存在と第一エーデンの伝統に基づいていた。アダームの死後、またこれらの伝統が、何千年もの時の経過とともに薄れて行くにつれ、アダーム系の文化水準は、周辺民族の状況と自然に進化する紫色人種の文化的能力との相互の均衡状態に達するまで悪化の一途をたどった。
にもかかわらずアダーム系は、紀元前1万9千年頃、450万人を数える現実の国家であり、すでに何百万人もの子孫を周辺民族に流出していた。
紫色人種は、エーデンの数千年間の平和の伝統を保持し、それが、この人種の領土征服における長い遅れを説明している。彼らは、人口圧迫に悩むと、より多くの領土獲得のための戦争の代わりに、他の人種への教師として余剰住民を派遣した。これらの初期の移動の文化的効果は、永続的ではなかったが、アダーム系の教師、商人、および探検家の吸収は、周囲の民族に生物学上の活性化となった。
アダーム系の一部は、当初ナイル川渓谷へと西に旅をした。他の者は、アジアへと東方に入り込んだが、これらは少数派であった。後日の大規模な移動は、広くは北方へと、そこからまた西部へ向けてであった。それは、主としてゆるやかな、しかし断え間のない北方への押し進みであり、かなりの数が、北進し、それからカスピ海周辺をヨーロッパへと西に道をとった。
およそ2万5千年前、よりアダーム系分子をもつ多くの者は、北方の長旅にあった。かれらは、北方に入り込むとトルキスタンの占領時代までには、徹底的に他の人種と、特にノヅ系と混合されるようになるまで、ますますアダームの血を失っていった。ほんのわずかの純粋な紫色民族は、遠くヨーロッパかアジアに浸透していった。
紀元前およそ3万年から1万年まで、画期的な人種的混合がアジア南西の至るところで行われていた。トルキスタンの高地住民は、雄々しく活発な民族であった。ヴァンの時代の文化の多くが、インドの北西に存続した。初期のアンドン系の最も優れた者達が、これらの定着地の北にはまだ存続していた。そして、優れた文化と特質をもつこれらの両人種は、北方に移動するアダーム系に吸収された。この融合は、多くの新しい考えの採用へと導いた。それは、文明の進歩を容易にし、芸術、科学、および社会文化の全局面を大きく前進させた。
紀元前1万5千年頃のアダーム系の初期の移動期間が終わると、アダームの子孫は、すでに世界の他のどこよりも、メソポタミアよりさえも、ヨーロッパと中央アジアに多くいた。ヨーロッパの青色人種が主に侵入していた。現在ロシアとトルキスタンと呼ばれる地帯は、ノヅ系、アンドン系、そして赤色と黄色のサンギク系と混じり合ったアダーム系の優れた大集団が、その南の一続きを占領した。南欧と地中海周辺は、アンドン系とサンギク系民族—橙色、緑色、藍色—の混血人種、それにわずかなアダームの血統との混血人種が占領していた。小アジアと中央東ヨーロッパの土地は、アンドン系の部族が、圧倒的に保持した。
ほぼこの時期にメソポタミアからの到着により大いに教化された混合有色人種は、エジプトでの主流であり、ユーフラテス渓谷の消失しつつある文化を引き継ぐ用意があった。黒人民族は、赤色人種のようにアフリカのさらに南に移動しており、実際には孤立していた。
サハラ文明は、干魃と地中海盆地の洪水で中断されていた。青色人種は、まだ高度の文化を発展させてはいなかった。アンドン系は、いままでどおり北極と中央アジア地域に点在していた。緑色人種、橙色人種はそういうものとして絶滅していた。藍色人種は、アフリカを南に移動しており、そこでその遅い、しかし長く続く人種的劣化が始まった。
インドの民族は、進歩のない文明で停滞状態にあった。黄色人種は、中央アジアのその占有地を統合しつつあった。茶色人種は、太平洋の程遠からぬ島々での自らの文明をまだ起こしてはいなかった。
大規模な気候変化に関連したこれらの人種分布は、ユランチア文明のアンド系時代の開始に向けての世界の舞台を設定した。早期のこれらの移動は、 紀元前2万5千年から1万5千年の1万年間におよんだ。後の、またはアンド系の移動は、紀元前およそ1万5千年から6千年におよんだ。
初期の高まりとしてのアダーム系のユーラシア通過には、相当の時間がかかったことから、その文化は、主として移動中に喪失された。後のアンド系のみが、メソポタミアからいかなる遠距離であってもエーデン文化の保持に十分の速度で移動した。
アンド系人種は、主に純系の紫色人種とノヅ系と、加えて進化する民族との混合であった。アンド系は、一般に、現代の人種よりもアダーム系の血統をはるかに大きい割合で持つと考えられるべきである。概して、アンド系という語は、その人種的継承が1/8から1/6が紫色人種であるそれらの民族を指すのに用いられる。近代のユランチア人は、北方の白色人種でさえ、アダームのこの血統の割合は非常に少ない。
最も初期のアンド系民族は、2万5千年以上も前にメソポタミアに隣接する領域に起源をもち、アダーム系とノヅ系の混合からなっていた。第二の園は、消滅しつつある紫色人種色の血統の同心円によって囲まれ、またアンド系人種が生まれたのは、この人種の坩堝の円周外辺であった。移動してくるアダーム系とノヅ系が、後に当時のトルキスタンの肥沃な領域に入ってくると、やがて優れた居住民と混合し、結果として生じる人種混合は、北方のアンド系型を拡大していった。
アンド系は、純系の紫色人種の時代以来、ユランチアに現れた最も多才な人間の系統であった。それらは、アダーム系とノヅ系人種の生き残りの最高の型の大部分を、後には、一部の黄色、青色、緑色人種の最良種族を包含した。
これらの初期のアンド系は、アーリア人ではなかった。前アーリア人であった。白人ではなく、前白人であった。西洋民族でも東洋民族でもなかった。しかし、多国の混合体であるいわゆる白色人種にコーカソイドと呼ばれてきた一般化された同種が与えられたのは、アンド系の遺産によるものである。
紫色人種のより純粋な種族は、平和探究のアダーム系の伝統を維持してきており、それは、初期の人種移動が、なぜより穏やかな移動の性質を帯びていたかを説明している。しかし、アダーム系が、この頃までには好撃的な人種であったノヅ系の血統と結合するにつれ、そのアンド系子孫は、その時代にとしては、ユランチアで最も巧みで賢明な軍国主義者となった。そのときから、メソポタミア人の動きは、性質上はますます軍事的になり、実際の征服にますます似通ってきた。
アンド系は、冒険好きであった。流浪気質をもっていた。サンギク系かアンドン系の血統のいずれかの増加は、彼等を安定化させる傾向にあった。それにしても、後の子孫は、世界を一周し、最後の遠く離れた大陸を発見するまで決して止まることはなかった。
第二の園の文化は、2万年間持続はしたものの、それは、セース系の聖職と、輝かしい時代を開始したアモサドの指導力の刷新時である紀元前1万5千年頃まで着実な衰退を経験した。後にユーラシア中に広まった文明の巨大なうねりが、アダーム系と周辺のノヅ系との大規模な結合の結果としてアンド系を形成する園の大いなる復興の後にすぐさま続いた。
これらのアンド系は、ユーラシアと北アフリカ中に新たな前進を開始した。アンド系文化は、メソポタミアから新疆まで優勢であり、また、ヨーロッパに向けての規則的な移動は、メソポタミアからの新たな到着により絶えず埋め合わせがなされた。しかし、アダームの混血子孫の末期の移動の始まり近くまでアンド系を適切なメソポタミアの人種として言及するのはあまり正しくはない。この頃までには第二の園の人種さえそれほどまでに混合されるようになったので、もはやそれらをアダーム系であると考えることはできなかった。
トルキスタンの文明は、絶えずメソポタミアからの新参者、特に後のアンド系騎兵により復興され活気づけられたのであった。いわゆるアーリア人の母国語が、トルキスタン高地において形成しつつあった。それは、アダームソン系と後のアンド系の言語とその領域のアンドン系の方言の混合であった。現代の多くの言語は、ヨーロッパ、インド、そしてメソポタミア平原の北部の広域を征服したこれらの中央アジア部族のこの初期の言葉から派生している。この古代言語は、西洋の言語にアーリア語と呼ばれる類似性のすべてを与えた。
紀元前1万2千年までには世界のアンド系の3/4の群体は、ヨーロッパの北と東に居住しており、またメソポタミアからの後の、同時に最後の大移動に際、この最後的移住のうねりの65パーセントがヨーロッパに入った。
アンド系はヨーロッパのみならず中国北部とインドにも移住し、一方、多くの集団が、宣教師、教師、および商人として世界の果てまでも進出した。彼らは、サハラ砂漠のサンギク系民族の北の集団にかなり貢献した。しかし、かつてほんの数人の教師と商人しか、ナイルの源流より奥のアフリカの南には入り込んでいない。混血のアンド系とエジプト人は、後に赤道のかなり南の東西双方のアフリカ海岸に沿って南下したが、マダガスカルには達しなかった。
アンド系は、いわゆるドラヴィダ系、後のインドのアーリア系の征服者であった。中央アジアでのそれらの存在は、ツラーニ系の先祖を大いに向上させた。この人種の多くは、新疆とチベットの二地域を経て中国に旅し、望ましい特性を後の中国の血統に加えた。小集団は、沿岸航路で中国南部にあまり入ることはなかったが、時おり日本、台湾、東インド諸国、それに中国の南へと進んでいった。
この人種の132人は、日本から何艘もの小舟の一団で旅立ち、ついには南米に達し、アンデス山脈の原住民との結婚で後のインカ族の支配者の祖先をもたらした。かれらは、途中で見つけた多くの島々に滞在しながらゆっくりと太平洋を横断した。ポリネシア諸島は、当時現在より数も多く、大きくもあり、これらのアンド系の船乗りは、自分達の後に続く者達と共に移動過程において、生物学上、先住集団を変更した。文明繁栄の多くの中心地は、アンド系浸入の結果、今は水没しているこれらの地域で生じた。イースター島は、長らくこれらの失われた集団の中の宗教上の、そして管理上の中心の1つであった。しかし、ずっと昔太平洋を航行したアンド系のうち、この132人の他にアメリカ大陸の本土に到達した者はいなかった。
アンド系の移動性の征服は、紀元前8千年から6千年までのその最終的分散へと続いた。かれらは、メソポタミアから流出するあいだに周囲の民族を著しく強化する一方、自国の生物学上の資力を連続的に減少させた。またかれらは、旅をしたあらゆる国に笑い、芸術、冒険、音楽、および製造面で寄与した。それらは、巧みな動物飼育者であり、農業専門家であった。少なくともその存在は、当面のあいだ従来の人種の信仰と道徳習慣をたいていの場合改良した。メソポタミアの文化もまたヨーロッパ、インド、中国、北アフリカ、および太平洋の諸島へと静かに広がった。
アンド系の最後の3回のうねりは、紀元前8千年から6千年の間にメソポタミアから注ぎ出た。この3回の文化のうねりは、東の丘陵部族の圧力と西の平原住民の迷惑行為によるメソポタミアからの追い出しを強いられたものであった。ユーフラテス渓谷と隣接領域の住民は、複数方向の最終的大移動に旅立った。
65パーセントは、新たに出現しつつある白色人種—青色人種と初期のアンド系の混合—を征服し、併合しカスピ海経由でヨーロッパに入った。
セース系聖職者の大集団を含む10パーセントは、エーラム高原を通り抜けイラン高原とトルキスタンへと東方に移動した。この子孫の多くは、アーリア人の同胞と共に北のその領域からインドへと追いやられた。
メソポタミア人の10パーセントは、北の長旅へと東に向きを変え、新疆に入り、そこでアンド系黄色居住民と混ざり合った。この人種的結合の有能な子孫の多くは、後に中国に入り、北方区域の黄色人種の即座の改良に非常に貢献した。
これらの早く逃亡するアンド系の10パーセントは、アラビアを経てエジプトに入った。
アンド系の5パーセントは、すなわち隣接する劣った部族民との雑婚を免れたチグリスとユーフラテス河口辺りの海岸地区の非常に優れた文化を持つ者達は、故郷を後にすることを拒否した。この集団は、ノヅ系とアダーム系の多くの優れた血族の生存を意味した。
周辺地域のサンギク系人種と小アジアのアンドン系との混合のその子孫は、かなり後の時代に北と東の侵略者に戦いを挑むためにそこに居たが、アンド系は、紀元前6千年までにこの地域からほぼ立ち退いた。
第二の園の文化時代は、周辺の劣った血統の高まる浸透により終結された。文明は、ナイルと地中海諸島へと西に移動し、その根源が、メソポタミアで劣化したずっと後にそこで繁栄し続けた。劣性民族のこの野放しの流入が、能力ある残りの血族を追い出した北方の未開人による全メソポタミアの後の征服のための道に備えた。後年においてさえ、文化をもつ残者達は、これらの無知で粗野な侵略者の存在にあいかわらず憤慨していた。
川の居住者は、特定の季節に土手からあふれる川に慣れていた。周期的な洪水は、彼らの生活での年中行事であった。しかし新たな危険が、北へ進行する地質変化の結果、メソポタミア渓谷を脅かした。
地中海の東岸周辺の山脈、それにメソポタミアの北西と北東の山脈は、第一のエーデン浸水後の数千年間隆起し続けた。高地のこの隆起は、紀元前5千年頃に大幅に加速され、これが、北部の山々の大いに増加する降雪と合わせて毎春ユーフラテス渓谷全体に空前の洪水を引き起こした。この春の洪水は、ますますひどくなったので、流域住民は、とどのつまり東部の高地へと追いやられた。数多くの都市は、ほぼ1千年間のこれらの大規模な大洪水のために事実上見捨てられた。
バビロン捕囚の身のヘブライの聖職者等は、ほぼ5千年後、ユダヤ民族をアダームにまで遡遡ろうとしているとき、話の全貌を知る上での大きな困難にたどり着いた。そして、そのうちの1人は、努力を断念し、ノアの洪水時に全世界がその邪悪さに溺れるがままにするほうが、ノアの3人の生き残りの息子の一人に遡るにはアブラハムが良い位置にいるという考えに至った。
地球の表面全体を水が覆うときの言い伝えは、世界共通である。多くの人種が、過去のいつの時代にか世界規模の洪水の話を心に抱く。聖書の中のノア、箱舟、および洪水の物語は、バビロン捕囚の間のヘブライの司祭職の作り事である。世界規模の洪水は、ユランチアに生命が確立されて以来一度もなかった。唯一度、地球の表面が完全に水で覆われたのは、陸が現れ始める前の始生代であった。
だが、ノアは本当に暮らしていた。ノアは、ウルク近くの川に定住地アラームのブドウ作り者であった。ノアは、川の増水日数を毎年記録していた。かれは、家屋はすべて、船の形の木製にし、洪水の季節の接近時には毎晩家族の動物を船積みにするようにと提言して渓谷を上下して大いに嘲笑された。毎年、隣接する川の集落に行き、これこれの日数のうちに洪水が来ると警告するのであった。とうとう異常に激しい降雨で年間の大水が非常に増し、突然の水嵩が、村全体を破壊する年が来た。ノアとその肉親だけが、自分達の屋形船の中で救われた。
これらの洪水は、アンド系文明の崩壊を徹底的なものにした。第二の園は、この大洪水期の終わりとともに無かった。南のスメール人の間にだけかつての栄光の何らかの形跡が残った。
この残物が、つまり最古の文明の1つが、これらのメソポタミア地域と、その北東と北西に見掛けられる。しかし、ダラマティア時代の一層古い痕跡が、ペルシャ湾の水域下に存在し、また第一のエーデンが、地中海東端の下に沈んで横たわっている。
アンド系の最後の分散が、メソポタミア文明の生物学上の屋台骨を折ってしまうと、この優れた人種のごく少数は、故国の河口近くに留まった。これらは、スメール人であり、その文化は、特質性においては全くノヅ系であったが、血統上では紀元前6千年までには大きくアンド系となり、またかれらは、ダラマティアの古代の伝統に執着した。沿岸領域のこれらのスメール人は、それでもなお、メソポタミアの最後のアンド系であった。しかし、メソポタミアの人種は、この時代の墓で見つけられる頭蓋骨の型に証明されるようにこの時代までには既に徹底的に混合されていた。
シューシャンが、大いに繁栄したのは洪水時代の間であった。最初の、つまり低い都市は、水浸しになったので、第二の、すなわち高い場所の町は、当時の独特の美術工芸の本部として低い都市を継承した。ウルは、洪水の後の減少と共に、陶器産業の中心地となった。川の堆積物が陸をその現在の境界に築き上げてしまったウルは、およそ7千年前にはペルシャ湾にあった。これらの集落では、仕事をうまく制御し、河口を広げたりしたので洪水にはそれほど苦しまなかった。
ユーフラテス川とチグリス渓谷の穏やかな穀物裁培者は、長い間、トルキスタンとイラン高原の未開人の襲撃に悩まされていた。しかし今や、高地の牧草地の増大する干魃が、ユーフラテス渓谷の一斉の侵略をもたらした。そしてこの侵入は、飼いならした多くの馬を所有していた周辺の牧夫と猟師にとっては、 より一層深刻であった。かれらが、軍事の上で南の豊かな隣人よりも格段に有利であったのは、馬を所有していたからであった。彼らは、ヨーロッパ、西アジア、北アフリカ中に分散した文化の最終的なうねりを押し流し、短期間で全メソポタミアを蹂躪した。
メソポタミアの征服者は、トルキスタンの北の混血人種に属するより優れたアンド系血族、いくらかのアダームソン系の血統をふくむアンド系の多くの血を有していた。それほど高度ではないが、より活発なこれらの北からの部族は、すぐにまた積極的にメソポタミア文明の残留物を吸収し、やがて歴史の年譜の始めにユーフラテス渓谷の中で見つけられたそれらの混血民族へと発展していった。彼らは、渓谷部族の手工芸やスメール人の多くの文化を取り入れ、メソポタミアの一時的な文明における多くの局面をすぐに蘇らせた。彼らは3番目のバベルの塔を建設しようとさえし、後に自国の名称にその語を採用した。
北東からのこれらの未開の騎兵が、ユーフラテス渓谷全体に侵略してきたとき、彼らは、ペルシャ湾の河口周辺に住むアンド系生存者を征服しなかった。これらのスメール人は、優れた知性、性能の良い兵器、それに相互に繋がる溜池の潅漑計画への付属物である大規模な軍用の運河体系のお蔭で自分たちを防御することができた。彼らは、一様の集団宗教をもっていたので団結的民族であった。北西の隣人達が、孤立する都市国家へと散り散りになったずっと後でも、民族的かつ国家の姿勢をこのようにして維持することができた。これらの都市集団のただ一つとして団結したこのスメール人を打ち負かすことはできなかった。
北からの侵略者は、やがて有能な教師と管理者としてのこれらの平和愛好のスメール人を信用し、重んじるようになった。スメール人は、美術と産業の教師として、商業の指導者として、また市民の指導者として北や西のエジプトから東のインドまですべての民族に大いに尊敬され、求められた。
初期スメール人の同盟の崩壊後、後の都市国家は、セース系司祭の背教の子孫に統治された。これらの司祭は、隣接する都市を征服したときに限り、自分たちを王と呼んだ。後の都市の王たちは、神の嫉妬のせいでサーゴーン時代以前には強力な同盟を果たしえなかった。各都市は、その市の神が他のすべての神よりも優れていると信じており、それゆえ共通の一指導者への従属を拒んだ。
都市の司祭による弱い統治の長い時代の終端は、自分が王であると宣言し、メソポタミア全体と隣接地帯の征服に取り掛かったキシュの司祭のサーゴーンが、終わらせた。当分は、これが、それぞれの市の神と儀式的習慣が各都市にあったことから、司祭統治の、司祭支配の都市国家を終わらせることとなった。
このキシュ同盟の崩壊後、主権のための長く続く絶え間ない戦争が、これらの谷の都市間で起きた。統治者の支配権は、スメール、アッカド、キシュ、ウルク、ウル、シューシャンの間をさまざまに移動した。
紀元前2,500年頃、スメール人は、北のスーツ人とグーツ人の手厳しい逆転を被った。洪水除けの土手に造られたスメールの首都ラガシュは陥落した。ウルクは、アッカド陥落後の30年間持ち堪えた。スメール人は、ハンムラピ支配の樹立までには北方のセム族の階層に吸収されるようになり、メソポタミアのアンド系は、歴史のページを通過した。
遊牧民は、紀元前2,500年から2,000年にかけ大西洋から太平洋で暴れ回っていた。ネーリーティー人は、アンドン系とアンド系人種の混血であるメソポタミア人の子孫のカスピ海集団の最後の湧出を構成した。その後の気候変化が、メソポタミア破滅をねらった未開人の失敗に決着をもたらした。
これが、アダームの時代後の紫色人種とチグリス川とユーフラテス川の間のそれらの祖国の運命の話である。それらの古代文明は、優れた民族の移住と劣った隣人の移住の結果、最終的に滅びた。しかし未開の騎兵が、渓谷を征服するずっと以前、園の文化の多くは、ユランチアの20世紀文明をもたらす発酵体を生産し、アジア、アフリカ、ヨーロッパに広まっていた。
[ネバドンの大天使による提示]
アジアは、人類の祖国である。この大陸の南の半島でアンドンとフォンタが生まれた。現在のアフガニスタンの高地ではその子孫のバドナンが、50万年以上持続した原始文化の中心地を樹立した。サンギク民族は、ここ人類のこの東の中心においてアンドン血族から分化し、アジアは、それらの最初の家であり、猟場であり、戦場であった。南西アジアは、ダラマティア系、ノヅ系、アダーム系、およびアンド系の継続的文明を目の当たりにし、これらの領域から現代文明の可能性が世界に広まった。
ユーラシアの中心には、紀元前2千年頃までの2万5千年以上の間、減少的でありつつ圧倒的にアンド系がいた。トルキスタンの低地にいたアンド系は、内陸湖周辺でヨーロッパへと西に向きを変え、一方この領域の高地からは東方へと侵入した。東トルキスタン(新疆)と、より小範囲で、チベットは、メソポタミアのこれらの民族が、黄色人種の北方地帯へと山々を通って行く際の古代の出入口であった。アンド系のインドへの浸入は、トルキスタン高地からパンジャブへと、そしてイランの牧草地からバルチスタンを通って進んだ。これらの初期の移動は、決して征服ではなかった。むしろ西インドと中国へのアンド系部族の絶え間のない漂流であった。
混血アンド系文化の中心は、およそ1万5千年間、新疆のタリム川の盆地と、アンド系とアンドン系が大規模に混合した地であるチベットの高原地帯の南で存続した。タリム渓谷は、真のアンド系文化の最東端の前哨地であった。ここで、かれらは、入植地を建設し、東の進歩的な中国人と北のアンドン系との交易関係を始めた。タリム地域は、当時沃地であった。降雨量は豊富であった。東にあるゴビ砂漠は、牧夫が徐々に農業に着手した広々たる草原であった。この文明は、雨をもたらす風が南東に向きを変えたとき滅びたが、それは、その時代メソポタミアそのものに匹敵した。
紀元前8千年までには中央アジアの高原地帯の緩慢に拡大する乾燥が、アンド系を川沿いの低地や海岸へと追いやり始めた。この拡大する干魃は、ナイル川、ユーフラテス川、インダス川、黄河の渓谷にそれらを移動させるだけではなく、アンド系文明における新発展をも引き起こした。人間の新階層である通商者が、大勢登場し始めた。
気候条件が、移動中のアンド系に狩猟を無益なものにしたとき、彼らは、牧夫になることで昔の人種の進化過程に従わなかった。商業と都市生活が登場した。より高度に文明的な部族が、エジプトからメソポタミアとトルキスタン経由で中国とインドの川へと製造と商業にゆだねる都市に集合し始めた。アドニアは、現在のアシュ アバドの都市近くに位置しており、中央アジアの大商業都市になった。石、金属、木、および陶器の商業が、陸と水上の両方で急速に進展した。
だが、絶えず拡大する干魃は、徐々にカスピ海の南と東の地からのアンド系の大移動を引き起こした。移動の潮流は、北方から南方に向きを変え始め、またバビロニア人の騎兵は、メソポタミアへと突入し始めた。
中央アジアでの拡大する乾燥は、人口を減少させ、これらの人々をより非戦闘的にする一層の影響を与えた。そして北への雨量の減少が、遊牧民的アンドン系を南方への移動を強いるとき、アンド系のトルキスタンからの途方もない大移動があった。これが、レヴァント地方とインドへのいわゆるアーリア人の最後の移動である。あらゆるアジア民族と大半の太平洋の島の民族が、これらの優れた人種によってある程度改良される間、それは、アダームの混血子孫の長い分散の最高潮に達した。
こうして彼らは、東半球中に分散したが、アンド系は、アンドン系のこの大規模な南方への移動が、中央アジアのアンド系をほとんど消滅点にまで薄めるほどのものだあったので、メソポタミアとトルキスタンの故国を奪われた。
クリストス後の20世紀においてでさえもこれらの領域で時折見られる金髪の型に目撃されるように、アンド系の血筋の痕跡が、ツラーニ民族とチベット民族の間にはある。初期の中国の年譜には、黄河にある平和的集落の北部の赤毛の遊牧民の存在を記録があり、そこにはまだ、昔のタリム盆地における金髪のアンド系と黒髪のモンゴル型双方の存在を忠実に記録する絵が残っている。
中央アジアのアンド系の消えた軍才の最後の徴候があったのは、ジンギスカンの下にモンゴル人がアジア大陸の大部分を征服し始めた西暦1,200年であった。かつてのアンド系同様、これらの戦士は、「天の唯一の神」の存在を賛美した。その帝国の早期の崩壊が、長いあいだ西洋と東洋間の文化的交流を遅らせ、アジアにおける一神教の概念の発展は、大きく不利になった。
インドは、アンド系侵入で最後の血族を加え、ユランチアの全人種が混合された唯一の場所である。インドの北西の高地にサンギク人種が出現し、ユランチアに今までに存在する最も異種の混血を残しながら、その初期に例外なくそれぞれの構成員がインド亜大陸に入り込んだ。古代インドは、移動する人種のための集水溝としての役割を果たした。ガンジス川とインダス川の三角州のほとんどが、ここ5万年の作用によるものであり、半島の麓は、かつては現在よりもいくらか狭かった。
インドでの最も初期の混血は、移動してくる赤色人種や黄色人種との土着のアンドン系の交合であった。この集団は、非常に多くの橙色人種のみならず、絶滅した東の緑色民族の大部分を吸収することにより後には弱められ、青色民族との限られた混合を通してわずかに改良されたが、数多くの藍色人種の同化作用を経て殊の他苦しんだ。しかし、インドのいわゆる原住民は、これらの初期の人々をほとんど代表していない。それらは、むしろ最も劣る者達で、南方と東方の外れにあり、初期のアンド系、あるいは後に出現するアーリア人のいとこのいずれによっても、決して完全に吸収されたわけではなかった。
インド西部の人々は、紀元前2万年までに既にアダームの血筋を帯びるようになり、ユランチアの歴史上いかなる1民族もそれほどまでに多くの異民族を結合しなかった。しかし、二次的サンギクの血族が支配的であったというのは不幸であり、青色人種と赤色人種の双方が、遠い昔のこの人種的坩堝からそれほど大きく外れているというのは、本当の災難であった。一層多くの第一サンギク血族は、さらなる文明の高揚に向けて多大に貢献したことであったろう。赤色人種は、発達するにつれ、アメリカ大陸で自らを滅ぼしていき、青色人種は、ヨーロッパで息抜きをしていた。アダームの初期の子孫(それに後の大部分のもの)は、インド、アフリカ、または他の場所のいかんにかかわらず皮膚の黒い有色民族との混合願望をあまり示さなかった。
紀元前1万5千年頃、増大する人口過剰が、トルキスタンとイラン全域において最初の実に大規模なアンド系のインドに向けての移動を引き起こした。15世紀以上の間に、これらの優れた民族は、バルチスタン高地へと殺到し、インダスとガンジスの渓谷中に広がり、南方にゆっくりデッカン高原へと移動した。北西からのこのアンド系の圧迫は、多くの劣者を南方と東方のビルマや中国南部へと追い立てたはしたが、侵略者を人種喪失から救うには十分ではなかった。
ユーラシア覇権達成のインドの失敗は、主に地形の問題であった。北からの人口圧迫は、南方の人々の大半を四方を海に囲まれたデッカン高原の減少しつつある領土へと押しのけたに過ぎなかった。劣者達は、移出のための隣接領地があれば四方八方に殺到し、優者の血統は、より高度の文明に達していたことであったであろうに。
そんなわけで、これらの初期のアンド系征服者は、異人種間の婚姻に関する堅い拘束の体制により独自性の維持と人種的飲み込みの潮流をせき止める必死の試みをした。とは言うものの、アンド系は、紀元前1万年までには消え始め、同時に民族集団全体は、この吸収によって著しく改良された。
人種混合は、文化の汎用性を助け、進歩的文明に向かうので通常有利ではあるが、そのような成果は、劣る人種的血統が支配的であるとき短命であろう。多言語文化は、優れた血統が劣者より安全な係数で生殖する場合にだけ持続できる。優者の減少的生殖につれての劣者の無制限の増殖は、間違いなく文化的な文明の自滅である。
アンド系の征服者が、実際の3倍の数であったならば、あるいは最も望ましくない橙色と緑色と藍色の混血の1/3が、追い出されるか、滅ぼされるかしていたならば、インドは、その結果、世界の文化的な文明の代表的中心の1つになり、トルキスタンへと、そしてそこからヨーロッパへと北方に流入したメソポタミアのその後のうねりを疑う余地なくさらに引き付けたことであったろう。
インドのアンド系征服者の土着の血統との混合が、最終的にはドラヴィダ族と呼ばれてきた混血民族をもたらした。初期の純粋なドラヴィダ族は、文化の業績面においてかなりの力量があり、それは、アンド系の遺産が次第に減衰するにつれ絶え間なく弱められていった。これが、およそ1万2千年前に芽生え始めたインド文明を運命づけたものである。しかし、この少量のアダムの血液の注入は、社会的発展において著しく加速させた。この混成の血統は、直ちにその時の地球で最も他面的な文明を生んだ。
ドラヴィダ族のアンド系は、インドを征服後まもなくメソポタミアとの人種的かつ文化的接点を失ったが、後の海上交通路と隊商路線の開始が、これらの接点を回復させた。そしてインドは、ここ1万年間いかなる時も、山の障壁が西の交流を大いに助けはしたものの、西のメソポタミアと東の中国と全く連絡を取っていなかったわけではなかった。
ドラヴィダ族支配の初期に始まるインド民族の優れた文化と宗教の傾向は、一つには、非常に多くのセース系司祭がインドに入った、すなわち初期のアンド系と後のアーリア人の二つの侵入という事実による。インドの宗教歴史をよぎる一神教の糸は、このように第二の園でのアダーム系の教えに由来する。
100人のセース系司祭の仲間が、早くも紀元前1万6千年にインドに入り、もう少しでその多言語民族の西半分の宗教征服を達成するところであった。しかし、彼れらの宗教は持続しなかった。それらの楽園三位一体の教義は、5千年のうちに火の神の三位一体の表象に陥った。
しかしインド住民の宗教状況は、アンド系移動の終わりまでの7千年間以上もの間、全体としては世界のそれをはるかに上回るものであった。インドは、この時期、世界の主な文化、宗教、哲学、そして商業の文明を形成しようとしていた。この運命は、南の民族によるアンド系の完全な消滅を除いては、たぶん実現されていたことであろう。
ドラヴィダ族の文化の中心は、川の流域、主にはインダス川とガンジス川、それに東部ガートを海へと貫流する3本の大河に沿うデッカン高原にあった。西部ガートの海岸沿いの集落は、スメールとの海運関係での卓越さのおかげであった。
ドラヴィダ族は、都市建設、陸路と海路双方における大規模な輸出入業に従事した一番最初の民族のなかにいた。紀元前7千年までにはラクダの行列が、遠方のメソポタミアへの定期的な旅をしていた。ドラヴィダ族の海運業は、アラビア海を横断しペルシャ湾のスメールの都市へと海岸沿いに活発であり、ベンガル湾水域ははるか遠くの東インド諸島へと乗り出していた。アルファベットは、書く芸術と共に、これらの船乗りや商人によってスメールから取り込まれた。
これらの通商関係は、さらなる世界的文化の多様化に大いに貢献し、都市生活の多くの趣やさらには贅沢品の早期の出現をもたらした。後に現れるアーリア人がインドに入った際、かれらは、サンギク人種の中に覆い隠された自分達のアンド系のいとこ達をドラヴィダ族のなかに見分けはしなかったが、かなり高度な文明は見つけた。ドラヴィダ族は、生物学上の限界にもかかわらず、優れた文明を樹立した。それは、全インドによく拡散され、現代までデッカン高原で生残してきた。
アンド系の2度目のインドへの浸入は、紀元前3千年の中頃のおよそ500年に渡るアーリア人の侵略であった。この移動は、アンド系のトルキスタンの故国からの最終的脱出を記した。
初期のアーリア人の中心地は、インドの北半分に、とりわけ北西に点在した。これらの侵略者は、そのうちの少人数が、後にヒマラヤ地方を除く全半島を侵略した南のドラヴィダ族による吸収に対し無防備にしたことで、決してその国の征服を終えることなく、その後この怠りが、自らの破滅を迎えた。
アーリア人は、北方地域を除きインドでは人種上の影響をあまり与えかった。デッカン高原でのそれらの影響は、人種上よりも文化や宗教上であった。北インドでのいわゆるアーリアの血液のより重要な持続性は、彼らのこの領域での相当数の存在のみならず、後の征服者、商人、および宣教師によっても補強されたが故でもあった。紀元前1世紀まで、プンジャブへのアーリア人の血液の間断のない浸透があり、ヘレニズム民族の軍事行動に伴う最後の流入があった
アーリア人とドラヴィダ族は、ガンジス平原で最終的には高度の文化を産むために混ざり合い、この中心地は、北東から来る、すなわち中国から来る血統要素により後に補強された。
インドでは、アーリア人の半民主的組織から専制的、君主的政府の形態まで多くの社会的組織の型が、時によって栄えた。しかし最も特徴ある社会形態は、人種の独自性を永続させる努力においてアーリア人によって設けられたすばらしい社会階級制の持続性であった。この精巧な階級制度は、現在まで維持されてきた。
主要な4階級のうち1番目を除く全階級は、アーリア人征服者の下位の臣下との人種的融合を避けるために空しい努力のうちに確立された。しかし最高の階級、教師兼司祭は、セース系に端を発する。彼らの教えは、その秀抜な先輩のものとは大いに異なるものの、クリストス後の20世紀の婆羅門階級は、第二の園の司祭の文化的に直系の子孫である。
アーリア人は、インドに入る際、第二の園の続く宗教伝統の中に保持されてきたように自分達の神の概念を携えて来た。しかし、婆羅門司祭は、アーリア人の人種抹消後に、デッカン人の劣る宗教との突然の接触によって確立された異教徒の勢いに決して耐えることができなかった。したがって、人口の圧倒的多数が、劣った宗教の迷信の隷属に陥った。それが、インドが、初期に兆候を示していた高度の文明を産むことができなかった理由であった。
紀元前6世紀の精神の目覚めは、イスラム教徒の侵略以前に廃れてしまいインドでは存続しなかった。だがいつの日にか、偉大なガウタマが、生ける神の探求において全インドを導くために蘇るかもしれないし、世界は、次に進歩的でない精神洞察力の麻痺させる影響の元でとても長い昏睡状態にある様々な民族の文化的可能性の結実を観測するであろう。
文化は、生物基盤を拠り所としているが、階級制度だけではアーリアの文化を永続させることはできなかった。なぜならば、宗教は、真の宗教は、人を人間の兄弟愛に基づく優れた文明を確立するように駆り立てるそのより高いエネルギーに不可欠の源であるがゆえに。
インドについての話は、アンド系の征服についての、そして昔の進化的民族の終局的消滅につてであり、東アジアの物語は、より適切には第一サンギク民族の、特に赤色人種および黄色人種についてである。これらの2つの人種は、ヨーロッパの青色人種をそれほどまでに遅らせたネアンデルタール血族とのその混合を大きく免れ、その結果、第一サンギク型の優れた可能性を保持した
初期のネアンデルタール人は、ユーラシア全域に広がり、東隻は、質が落とされた動物種族でさらに汚染されていた。これらの人間以下の型は、東アジアへのサンギクの移動を非常に長い間妨げた同じ氷床である5度目の氷河により南に押しやられた。赤色人種は、インドの高地周辺を北東に移動したとき、これらの人間以下の型のいないアジアの北東部を見つけた。赤色人種の部族組織は、いかなる他の民族のそれよりも早く形成され、中央アジアのサンギクの中心から最初に移動したもの達であった。劣性のネアンデルタール血族は、後に移動する黄色部族に滅ぼされるか、または本土から撃退された。しかし赤色人種は、黄色部族到着前のおよそ10万年間東アジアで最高の状態で支配していた。
黄色人種の本隊は、30万年以上も遠い昔、沿岸の移住者として南から中国に入った。千年毎により内陸に侵入したものの、比較的近世まで移動するチベット人の同胞との接触はなかった。
拡大する人口的圧迫は、黄色人種が赤色人種の猟場へと押し入り始める北方への移動の原因となった。自然の人種的反目に結びつけられたこの侵害は、増大する敵意に達し、その結果、より遠方のアジアの沃地の決定的な奪い合いが始まった。
赤色人種と黄色人種間のこの長年の争いの物語が、ユランチアの歴史の叙事詩である。この優れた両人種が、20万年以上にわたり苦い不断の戦争をした。赤色人種の襲撃隊は、初期の戦で黄色人種の集落に破壊を拡大しつつおおむね成功していた。しかし黄色人種は、戦術面で利発な生徒であり、早くから同胞と穏やかに暮らす著しい能力を明らかにした。中国人は、団結力には強さがあることを1番先に学んだ者達であった。赤色部族は、血なまぐさい争いを続け、やがてからえらは、北方への容赦ない行進を続けた執拗な中国人による繰り返しの敗北に苦しみ始めた。
10万年前、多数派を占める赤色人種の部族は、最後の氷河の後退している氷へと追い詰められており、ベーリング地峡の上の東への陸路が通行可能になると人を寄せつけないアジア大陸の沿岸をすぐに見捨てた。最後の純血の赤色人種がアジアを出発してから8万5千年であるが、長い戦いは、勝利を得た黄色人種にその遺伝子の痕跡を残した。北方中国民族は、アンドン系シベリア人と共に赤色人種の血統の多くを同化し、それによりかなりの恩恵を受けた。
北米インディアンは、アジアの故国を取り上げられていたことから、アダム到来以前のおよそ5万年間アダームとハヴァーのアンド系子孫とさえ決して接触しなかった。純血の赤色人種の血族は、アンド系移動時代に遊動民族、つまり少しばかり農業を営む猟師として北米中に広がっていた。これらの人種と文化的集団は、アメリカ大陸到着から西暦の最初の1千年末まで、ヨーロッパの白色人種に発見される時まで、ほぼ完全に孤立したままであった。北部の赤色民族にとり、その時までは最も白人に近くみえたのがエスキモー人であった。
赤色人種と黄色人種は、アンド系の影響は別として、高度の文明に到達した唯一の人間の血統である。最古のアメリカ原住民の文化は、カリフォルニアのオナモナロントンの核心であったが、これは、紀元前3万5千年までにはすっかり姿を消してしまっていた。支配的には赤色人種の、しかし黄色人種、橙色人種、青色人種のかなりの混血の人種による最近の、 より永続的文明が、メキシコ、中央アメリカ、それに南米の山々に築かれていた。
アンド系の血の痕跡は、ペルーに達したにもかかわらず、これらの文明は、サンギクの進化の結果であった。西半球の民族は、北米のエスキモーと南米の幾つかのポリネシア系アンド人を除いては、クリストス後の最初の1千年の終わりまで世界のその他の国々との接触はなかった。アダームの100万人の純系子孫は、ユランチアの人種の改良のためのメルキゼデクの本来の計画では、アメリカ大陸の赤色人種の向上に赴くべきであるということが取り決められいた。
拡大しつつある中国人は、赤色人種を北米の方へと追いやったしばらくの後、東部アジアの流域から、北はシベリアへ、西はやがてそこでかれらが、アンド系の優れた文化に接触することになるトルキスタンへとアンドン系を片づけた。
インドと中国の文化が、ビルマとインドシナ半島で混合し溶け合い、それらの領域の継続的文明を生み出した。失われた緑色人種は、世界の他のどこでよりもここで多くの割合で存続した。
多くの異なる人種が、太平洋の島々に居住した。一般的には、緑色人種と藍色人種の血の高い割合をもつ民族が、南方の、またより広範囲にわたる島々に居住した。アンドン系が、そして後には黄色人種と赤色人種との血統の高い割合を有する人種が、北方の島々を保持した。日本民族の祖先は、紀元前1万2千年まで、つまり強力な北方の中国部族が、南の沿岸沿いの猛襲により追い払うときまで、本土からの追い出しを被らなかった。その最終的な大移動は、人口圧迫というよりむしろ彼らが、神的人物と見なすようになった指揮官の主導権によるものであった。
黄色人種の勝利の部族は、インドやレヴァント地方の民族と同じく、海岸沿いと川の上流に最も初期の中心地を建設した。後年、増加する洪水と移動する川の流れが、低地都市を支えることができなくなるにつれ、沿岸集落は、貧弱に暮らした。
2万年前、中国人の祖先は、12か所の原始の文化と学問の強力な中心地を、特に黄河と揚子江沿いに築き上げた。さて、これらの中心地は、新疆とチベットからの優れた混合民族の定常の流入により補強され始めた。チベットからの揚子江渓谷への移動は、北ほど大規模ではなく、またチベットの中心地もタリム盆地のものほど高度ではなかった。しかし二つの動きは、一定量のアンド系の血を川の集落へと東方へ運んだ。
古代の黄色人種の優秀さは、4大要因によるものであった。
1. 遺伝的。赤色人種と黄色人種の両方は、ヨーロッパの青色人種のいとこと異なり低下した人間血統との混合からおおむね逃がれてきた。優れた赤色人種とアンド系血族の少数により既に強化された北方の中国人は、アンド系の血のかなりの流入による利益を間もなく得るところであった。南方の中国人は、この点に関しそれほどうまくはいかず、緑色人種の吸収に長らく苦しみ、一方では、後にドラヴィダ族-アンド系の侵略によりインドの外へ押しやられた劣性民族の群れの潜入により更に弱められていった。今日の中国において北方人種と南方人種の間には明確な違いがある。
2. 社会的。黄色人種は、早くに自分たちの間で平和の価値を学んだ。内部の平和の可能性が、何百万人の間での文明普及を保証するほどの人口増加に貢献した。ユランチアで最も高度の大規模文明が、紀元前2万5千年から5千年まで中国の中央と北部に存在した。黄色人種は、最初に民族的連帯意識達したもの達—大規模な文化的、社会的、政治的文明に到達した最初の人種—であった。
紀元前1万5千年の中国人は、攻撃的な軍国主義者であった。かれらは、過去への過剰崇敬によって弱められてはおらず、共通語を話す、1,200万足らずの小規模集団を形成した。かれらは、この時代に、本当の国家を、歴史の上での政治的結合の時代のよりもはるかに結合した均質の国家を築き上げた。
3. 精神的。中国人は、アンド系移動時代、地球のより精神的民族に属していた。シングラントンが宣言した一つの真理の崇拝への長い間の順守が、かれらを他の人種の大半よりも進歩させ続けた。進歩的で高度な宗教の刺激は、多くの場合、文化的開発における決定的要因である。中国は、インドが衰退していくにつれ、真実が、最高の神格として奉安される活気づける宗教の激励の下に前進した。
この真理の崇拝は、研究への挑発と、自然の法と人類の可能性への恐れ知らずの探検であった。中国人は、6千年前でさえまだ鋭敏な学生であり、その真実の追求において積極果敢であった。
4. 地理的。中国は、西の山々と東の太平洋に守られている。ただ北だけが攻撃を受けやすかったが、北部は、赤色人種の時代からアンド系の後の子孫の到来までいかなる攻撃的人種にも占領されなかった。
しかし、黄色人種は、もし山の防壁と後の精神的文化の衰退がなければ、トルキスタンからのアンド系移動の大部分を確かに自分達に引き付け、疑いなく世界文明を素早く支配したことであったろう。
およそ1万5千年前、アンド系は、かなりの数で、Ti Taoの峠を横断し黄河渓谷の上流に広がり、甘粛の中国人集落の間にいた。やがて、彼らは、湖南へと東方に侵入し、そこに最も進歩的な集落が定着した。西からのこの浸透は、アンドン系とアンド系とのおよそ半分半分であった。
黄河沿いの文化の北の中心地は、揚子江の南方の定住地よりもいつも進歩的であった。黄河沿いの定住地は、これらの優れた人間のほんのわずかな数の到着後、数千年の間に徐々に揚子江の村落の先頭に出て、以来ずっと維持されている南の同胞よりも高い位置を樹立した。
それは、非常に多くのアンド系がいたからという訳ではなく、またその文化がとても優れていたという訳でもなく、彼らとの合併がより多才な血統を生み出したからであった。北部の中国人は、生来の優れた心を穏やかに刺激するに足るアンド系の気質を受けたが、北方白色人種にかなり特徴的な止むことのない探検への好奇心で自分達を奮いたたせるには十分ではなかった。アンド系継承遺産のこのより限定的注入は、サンギク型の生まれながらの安定性にとってはあまり気掛かりなものではなかった。
アンド系の後日のうねりは、メソポタミアのある種の文化的進歩を携えて来た。これは、西からの最後の移動の波で特に本当である。彼らは、北部の中国人の経済的、また教育的実践を大いに改良した。黄色人種の宗教文化への影響は、長続きしなかったが、後の子孫は、その後の精神の覚醒に非常に貢献した。しかしエーデンとダラマティアの美に関するアンド系の伝統は、中国伝統に大きく影響を及ぼした。初期の中国の伝説は、「神の国」を西に置いている。
中国民族は、トルキスタンにおける気候変化と後日のアンド系移民の到着の紀元前1万年後まで、都市の建設に取り掛かったり製造に従事しなかった。この新しい血の注入は、優れた中国人の血統の潜在的体質のより一層の、かつ急速な開発を刺激したほどには、黄色人種の文明に多くを補足しなかった。河南からShensiまで高度な文明の可能性は、実を結ぼうとしていた。金属加工とすべての製造技術は、この時代にまで遡る。
初期の中国人とメソポタミア人の時間の計算法、天文学、政府の行政の類似性は、遠く離れたこの2か所の中心地間の商業関係によるものであった。中国の商人は、スメール人の時代にさえトルキスタンからメソポタミアへと陸路を旅した。またこの交流は一方的ではなかった。ガンジスの平原民族がそうであったように、ユーフラテス民族も、それによって相当に恩恵を被った。しかし、紀元前第三千年紀の気候変化と遊牧民の侵入が、中央アジアの隊商路を横断する交易量を大いに減少させた。
赤色人種が戦争に非常に苦しんでいる間、中国人の間での国の開発が、自身のアジア征服の徹底によって遅れたと言うことは必ずしも間違ってはいない。彼らには人種的連帯意識の大きな可能性があったが、絶えずつきまとう外部からの侵略の危険性への間断のない駆動的刺激が欠けていたが故に、それは適切に展開しなかった。
古代の軍事国家は、東アジアの征服終了と共に次第に崩壊した。過去の戦争は忘れられた。赤色人種との勇壮な戦いのうち、弓を操る民族との古代の争いのおぼろげな伝説だけが存続した。中国人は早くから農業従事に移り、それが、さらに穏やかな性向を助長し、一方で農業における人対土地の比率をかなり下回る人口が、国の拡大する平和にますます貢献した。
過去の業績への意識、(現在ではいくらか減少)、徹底的なまでに農業的な民族の保守主義、またよく開発された家族生活は、先祖崇拝の誕生、過去の人間への崇拝を非常に尊ぶ習慣への到達、に匹敵した。非常に類似した態度は、ヨーロッパの白色人種の間でギリシャ・ローマ文明の崩壊後500年ほど広く行き渡った。
シングラントンに教えられた「一つの真理」の信仰、そして崇拝は、決して完全に廃れなかった。しかし時の経過につれ、新しくより高い真実の探究は、既に樹立された敬いへの気運の高まりにより影を帯びるようになった。ゆっくりと黄色人種の特質は、未知の探究から知ることの保存に転換されるようになった。これが、最も急速に進歩する世界文明の停滞の原因である。
黄色人種の政治的統一は、紀元前4千年から紀元前5百年の間に達成されたが、揚子江と黄河の中心地の文化的結合は、すでにもたらされていた。後の部族集団のこの政治的統一に争いはあったものの、戦争に対する社会の意見は低いままであった。先祖崇拝、増加する方言、何千年にもわたる軍事活動への無要求は、この民族を極端に平和的にした。
黄色人種は、先進的国家の早期発展の希望への実現の失敗にもかかわらず、文明の芸術実現において、特に農業と園芸面において徐々に前進した。ShensiとHonanにおいて農業専門家たちが直面した水力問題では、解決のための集団協力を要した。そのような潅漑と土壌保持の困難が、少なからず農耕集団の間の結果として生じる平和促進への相互依存の発達の一要因となった。
やがて、学校の設立と共に筆記の発展が、これまでにない無類の度合での知識の普及に寄与した。しかし、早くからの印刷の登場にもかかわらず、表意文字の書記体系の扱いにくい特徴が、知識階級を数の上で制限した。そして他の何よりも、社会の画一化と宗教哲学の教義化の進行が、速やかに続いた。先祖崇敬の宗教的発展は、自然崇拝にかかわる迷信の洪水によりさらに複雑になったものの、神の真の概念のなかなかに消えない痕跡が、Shang-tiの皇室の崇拝において持続された。
先祖崇敬の大いなる弱点は、過去を振り返る哲学、退嬰主義を促進するということである。過去から知恵を拾い集めることがいかに賢明であろうとも、過去を他にはない真実の源と見なすのは愚かである。真実は、相対的であり広がっている。それは、人間の各世代に—それぞれの人間の生涯においてさえ—新しい表現に達し、いつでも現在に生きている。
先祖崇敬における素晴らしい強さは、そのような姿勢が家族に位置づける価値である。中国文化の驚くべき安定性と持続性は、家族に与えられた最高の位置の結果である。なぜなら、文明は、家族の有効な機能に直接依存しているのでのあるから。そして、中国では家族が、他のわずかな民族が取り組んだ社会的な重要性に、宗教の意味にさえ到達した。
先祖崇拝の増大する儀式により強要された孝行と家族忠誠は、優れた家族関係と永続的家族集団の確立を保証した。そのすべてが、文明保存において次のような要因を助長した。
1. 財産と富の保護
2. 2世代以上の経験を共有すること
3. 過去の芸術と科学における効果的な子供の教育
4. 強い義務感の開発、道徳の高揚、倫理的感受性の増大
アンド系の到来に始まる中国文明の形成期は、紀元前6世紀の倫理的、道徳的、それにいくらか宗教的な大いなる目覚めへと延びている。また中国の伝統は、進化的過去のかすんだ記録を保持する。母から父への家族の変遷、農業の確立、建築術の進歩、産業の創設—これらの全てが逐次語られていく。そして、この物語は、野蛮な段階からの優れた民族の堂々たる上昇の絵を、他のいかなる同様の報告よりもはるかに優れた精度で示す。彼らは、この時代、原始農業社会から、都市、製造物、金属加工、商業交換、政府、筆記、数学、芸術、科学、および印刷術を有するより高度の社会的組織へと移行した。
黄色人種の古代文明も、同じく何世紀もずっと続いてきた。中国文化における最初の重要な進歩以来およそ4万年がたち、多くの退歩がありはしたものの、ハンの息子達の文明が、全ての文明の中でも20世紀までの継続的発展の破れていない絵の提示に最も接近している。白色人種の機械的、宗教的発展は、上位のものであるが、家族の忠誠、集団倫理、または個人道徳において決して中国人を凌いだことがない。
この古代文化は、人間の幸福に非常に貢献した。その業績に祝福され何百万人もの人間が生きて、死んだ。このすばらしい文明は、何世紀ものあいだ過去の栄誉に寄りかかっているが、それは、人間生活の死を免れない存在の崇高な目標を新たに思い描くために今でさえ再び目を覚ましている。終わることのない進歩への緩まない闘いをもう一度始める。
[ネバドンの大天使による提示]
ヨーロッパの青色人種は すばらしい文化的な文明を自ら達成することはなかったものの、紫色人種と彼らのアンド系後継者の時代以降、アダーム系と混合されたその種族が後のアンド系侵略者と混合されると、ユランチアに現れた積極果敢な文明到達のための最も強力な血統の1つをもたらした生物上の基礎を提供した。
現代の白人民族は、サンギク民族、つまり幾らかの赤色人種と黄色人種とだが特に青色人種と混合されるようになったアダームの血統の生き残りの種族を取り込んでいる。全ての白色人種と、そしてさらに多くに初期のノヅ系血族には、最初のアンドン系の血統が、かなりの割合である。
最後のアンド系が、ユーフラテス渓谷に追いやられる前、その同胞の多くは、冒険家、教師、交易者、および戦士としてヨーロッパに入った。地中海地溝は、紫色人種の初期ジブラルタル地峡とシチリアの陸橋により保護されていた。ごく早期の人間の何らかの海商がこれらの内陸湖で樹立され、北からの青色人種と南からのサハラ砂住民は、そこで、東からのノヅ系とアダーム系に遭遇した。
ノヅ系は、地中海の東部の地溝で最大規模の文化の1つを設立し、これらの中心地からいくらか南ヨーロッパへと、しかしとりわけ北アフリカへと浸透していった。横幅のある頭のノヅ系-アンドン系のシリア人は、ゆっくり上昇しているナイル川デルタ地帯での定住に因み、かなり早くから焼き物と農業を展開した。かれらは、また、羊、ヤギ、牛、および他の家畜を取り入れ、またシリアは当時その産業の中心地であったので大いに改良された金属加工法を取り込んだ。
エジプトは、ナイル渓谷に芸術と文化をもたらし、それを豊かにしたメソポタミア人の絶え間ない流入を3万年以上受け入れてきた。しかし、エジプトは、多くのサハラ民族の入来が、ナイル川沿いの早期の文明を大いに悪化させたことから、およそ1万5千年前にその最低文化水準に至った。
しかし、初期、アダーム系の西への移動を妨げるものはあまりなかった。サハラは、牧夫と農業家が、一面に広がる開かれた牧草地であった。サハラ砂漠のこれらの住民は、決して製造に従事することがなく、都市建設者でもなかった。それらは、絶滅した緑色人種、それに橙色人種の大規模な遺伝子をもつ藍色と黒色の集団であった。しかしかれらは、陸の隆起と水分の多い変動する風が、この繁栄し平和な文明の残余物を分散させる前に、紫色人種の極めて限られた量の遺産を受け取った。
アダムの血は、ほとんどの人類と共有されたが、ある者達は、他の者以上に確保した。インドの混血人種とアフリカのより黒い民族は、アダーム系にとり魅力を感じるものではなかった。かれらは、アメリカ大陸に遠く隔たっていなければ、赤色人種と自由に交際していたであろうし、黄色人種に好感をもったであろうが、黄色人種は、遠いアジアにあり接近は同様に困難であった。したがって、かれらは、冒険かまたは利他主義に心が動かされると、またはユーフラテス渓谷を追い出されると、ごく自然にヨーロッパの青色人種との交合を選んだ。
当時ヨーロッパで優位であった青色人種は、早期の移動中のアダーム系が嫌悪感を催す何の宗教習慣ももってはおらず、紫色人種と青色人種間には、かなりの性的誘因力があった。最良の青色人種は、アダーム系との結婚を許されることは高い誉れであると考えた。青色人種の全男性は、アダーム系の女性の愛情を勝ち取るために巧みで芸術的になる覇気を抱いたし、またアダーム系の注目を受けることは、優れた青色女性にとっての最高の熱望であった。
エーデンの移動する息子らは、ネアンデルタールの群体の生きながらえている種族を情け容赦なく撲滅する一方で、自分達の文化的な実践を活気づけて、青色人種のより高度の型と徐々に結合した。劣性血族の除去と一体とされたこの人種混合の手法は、十数集団のより雄々しく進歩的な青色人種を生み出し、そのうちの1集団は、クロマニョン人と命名された。
初期のメソポタミア文化の高まりは、これらと他の理由によりより好ましい移動経路という些細ではない理由を含め、ほぼ例外なくヨーロッパへと前進した。そして、現代ヨーロッパ文明の先例を決定づけたのが、これらの情況であった。
紫色人種の初期のヨーロッパへの拡大は、ある種のかなり突然の気候と地質の変化によって急に遮られた。北の氷原の後退とともに、西からの水を孕んだ風は、向きを北に変え、サハラの広漠とした牧草地帯は、徐々に不毛の砂漠に転じた。この干魃は、巨大なサハラ高原の背の低い、黒髪の、黒目だが長頭の居住者を分散させた。
より純粋な藍色の集団は、中央アフリカの森林へと南方に移動し、以来そこにずっと留まっている。さらに混血した集団は、3方向に広がった。西に向かう優れた部族は、スペインへ、そこからヨーロッパの隣接地域に移動し、長髪で暗褐色の後の地中海種族の核を形成した。サハラ高原の東へ向かった最も進歩的でない分隊は、アラビアへ、そして北メソポタミアとインドを通過し遠くセイロンに渡った。支配的集団は、北と東からナイル渓谷とパレスチナへと移動した。
これが、デカン高原からイラン、メソポタミア、加えて地中海の両岸沿いに点在する現代の民族間にある程度の親族関係を呈しているこの二次サンギクの下層である。
アフリカでのこれらの気候変化の同時期、イギリスは、大陸から分離し、デンマークは、海から隆起し、一方西の地中海盆地を保護しているジブラルタル地峡は、地震の結果崩れ、すぐに大西洋の水面の位置にまでこの内陸湖を上げた。シチリアの陸橋は、やがて水中に沈み、地中海の一続きの海を作り出し、また大西洋にそれを接続した。自然のこの大災害は、全世界史において何十もの人間の定住地に洪水をもたらし、最大の生命損失を引き起こした。
地中海盆地のこの抱き込みは、ただちにアダーム系の西部移動を抑え、サハラ住民の大きな流入は、増加人口の捌け口をエーデンの北と東に求めた。アダムの子孫は、チグリスとユーフラテス渓谷から北方への旅の最中、山岳の障害と当時は広域にわたっていたカスピ海に出くわした。アダーム系は、トルキスタン中に点在する自分達の定住地の周りで何世代にもわたり猟をし、群れを追い、土を耕した。この立派な民族は、ゆっくりとその領土をヨーロッパへと拡大していった。しかしアダーム系は、この領域が、ほぼ完全にメソポタミアと接触をしていなかったことから、東からヨーロッパ入りし、そのときアジアの文化より何千年も遅れた青色人種の文化を知った。
青色人種の古代文化の中心地は、ヨーロッパのすべての川沿いに定められていたが、ソンム川だけが、現在、前氷河期時代に流れた同じ水路を流れている。
我々は、青色人種がヨーロッパ大陸に充満しているように話してはいるが、そこには数十もの人種の型があった。ヨーロッパの青色人種は、3万5千年前にさえすでに、赤色人種と黄色人種の二つの血統を有する非常に混合された民族であったが、かれらは、一方大西洋沿岸地帯と現代のロシアの領域においてはかなりの量のアンドン系の血を吸収し、また南ではサハラ砂漠の民族に接触していた。だが多くの人種的集団を列挙する試みは無益であろう。
アダーム系以後のこの初期のヨーロッパ文明は、アダーム系の独創的な創造力と青色人種の活力と芸術との特異な混合であった。青色人種は、相当の活力をもつ人種であったが、アダーム系の文化的で精神的な状態を大いに低下させた。余りにも多くのものが、少女達をだましたり、堕落させたりする傾向にあり、後者にとりクロマニヨン族に自分達の宗教を認識させることは非常に難しかった。ヨーロッパの宗教は、1万年の間インドやエジプトでの発展に比べ不振であった。
青色人種は、何をするにもとても正直であり、混血のアダーム系の性的非行とは全く無関係であった。かれらは、純潔を尊重し、戦争が男性不足を生じたときに限って一夫多妻を実践した。
クロマニョン人は、勇敢で明敏な人種であった。それ等は、子供文化の効率的組織を維持した。両親は、これらの仕事に参加し、年上の子供等が全面的に用いられた。それぞれの子供は、洞窟の手入れ、芸術、火打ち石作成において注意深く訓練された。初期に女性は、家庭内の技術と天然農業に熟練しており、一方男性は、狩猟に長けており勇敢な戦士であった。
青色人種は、猟師であり、漁夫であり、食物採集者であった。専門の船大工であった。石斧を作り、木を切り倒し、一部は地面の下に、それに獣皮の屋根を付けた丸木小屋を組み立てた。シベリアにはまだ同様の小屋を建てる民族がいる。南方のクロマニヨン人は、一般に洞窟や岩穴に住んでいた。
夜の警備に立つ歩哨が、冬の厳しい間、洞窟の入り口で凍死することは珍しくなかった。かれらは、勇気があったが、何よりも芸術家であった。アダーム系混血者は、突然独創的な想像力に拍車をかけた。青色人種の芸術の頂点は、より黒い肌の人種がアフリカからスペイン経由で北に来る前のおよそ1万5千年前であった。
アルプスの森林は、1万5千年前、大規模に広がっていた。ヨーロッパの狩人は、世界の満足な猟場を乾燥と不毛の砂漠に変えた同じ気候の威圧により川の流域へ、また海岸へと追いやられていた。ヨーロッパの巨大な広々とした放牧地は、雨を伴う風が北に向きを変えると、森林に覆われるようになった。この大々的かつ比較的突然の気候変更は、ヨーロッパの人種を広々とした空間の狩人から牧夫へと、また多少は漁夫と土地耕作者への転職に追い立てた。
これらの変化は、文化的進歩をもたらしつつあった生物学上の退歩に至った。優れた部族は、先の狩猟時代より高度の型の戦争捕虜と結婚し、劣ると思われる者達を一貫して滅ぼしてしまった。しかし、かれらは、集落を確立し、農業と商業に従事し始めると、凡庸な捕虜の多くを奴隷としてその命を救うようになった。そして、全体のクロマニヨン型を後に大いに劣化させたのがこれらの奴隷の子孫であった。文化的この退歩は、メソポタミア人の最終かつ大挙の侵攻が、ヨーロッパを一掃し、すばやくクロマニヨン型と文化を併合し、白色人種の文明を開始する東からの新鮮な起動力を受けるまで続いた。
アンド系が一定の流れでヨーロッパに流入する間、7度の主な侵攻があり、最後の到来者は、馬に乗り3度のうねりでやってきた。一部は、エーゲ海の島々やドナウ川渓谷を経てヨーロッパに入ったが、さらに初期のより純血の種族の大半は、ヴォルガ川とドン川の牧草地を越えた北方経路で北西のヨーロッパにわたった
アンドン系の大群は、3度目と4度目の侵攻の合間にロシアの幾つもの川とバルト海経由でシベリアから来て、北からヨーロッパに入った。それらは、すぐに北アンド系部族に同化された。
より純血な紫色人種の初期の拡大化は、その後の半ば軍隊的で征服好みのアンド系子孫のものよりはるかに平和的であった。アダーム系は平和を好んだ。ノヅ系は好戦的であった。これらの群体の結合は、後にサンギク人種と混合したように、実際の軍事上の征服をした攻撃的なアンド系を生み出した。
ただし馬が、アンド系の西洋における支配を決定した漸進的要素であった。馬は、分散していくアンド系にこれまでに存在しない移動の利点を与え、アンド系騎兵の最後の集団が、全ヨーロッパを侵略し、カスピ海周辺でのすばやい進行を可能にした。アンド系の前のすべてのうねりは、非常にゆっくり動いたので、メソポタミアから長い距離でも崩壊しがちであった。しかし、これらの後のうねりは、急速に動いたので、密着した集団としてヨーロッパに達することができ、まだある程度の高い文化を保持していた。
中国とユーフラテス川地域の外の全生息界では、馬を巧みに乗りこなすアンド系騎手が、紀元前6千年と7千年に出現すると、1万年にもわたる非常に限られた文化的進歩しかなかった。アンド系騎手は、青色人種の最良の者達を吸収し、最悪を撲滅しつつロシアの原野を横断し西部に移動するにつれ、1つの民族に混合されていった。これらが、いわゆる北方人種の先祖、スカンジナビア、ドイツ、そして、アングロサクソン民族の祖先であった。
それは、ほどなく優れた青色人種の種族が、北ヨーロッパ中でアンド系によって完全に吸収されるときであった。昔のアンドン系は、ただラプランド (そして、ある程度ブルターニュ) において独自性の外見さえ保持した。
北ヨーロッパ部族は、メソポタミアからロシアの南のトルキスタン領域経由の移住者の一定の流れによって絶え間なく補強され向上されており、またアンド系騎兵の最後のうねりは、ヨーロッパを一掃したときには、アンド系を受け継いだ者が、世界の全ての他の国々で見られるよりもその領域にすでに多くいた。
北アンド系の軍本部は、3千年のあいだデンマークにあった。この主要地点から、連続的な征服の波が押し進み、メソポタミアの征服者と被征服民族との最終の混合を目の当たりにする何世紀かが過ぎるにつれ、それが、アンド系を徐々に減少させ、白人をますます増大させていった。
青色人種が、北で吸収され、ついには南に進出した白人の騎兵侵略者に屈する一方で、前進する混血の白人部族は、クロマニヨンの頑固で長引く抵抗にあったが、優れた知力と増大し続ける生物供給源が、より平凡な人種の絶滅を容易にした。
白人と青色人種との決定的な戦いが、ソンムの谷間で争われた。ここで、最良の青色人種は、南方に移動するアンド系と激しく争い、これらのクロマニヨン人は、白人侵略者の優れた軍事戦略に屈する前の500年以上に渡り、首尾よく自分達の領土を防御した。最後のソンムの戦で勝利を収めた北の軍隊の指揮官トールは、北の白人部族の英雄になり、後にその一部の者により神として崇敬された。
最も長く存続した青色人種の要塞は、南フランスにあったが、軍事上の最後の強大な抵抗勢力は、ソンム沿いで打ち負かされた。その後の征服は、商業の浸透と川沿いの人口的圧迫、それに劣者の容赦ない根絶を伴う優者との連続的結婚によって進行した。
アンド系年長者の部族協議会が、劣性の捕虜が不適任であると宣告すると、その捕虜は、シャーマンの司祭に委ねられ、その聖職者は、捕虜を川に連れていき入念な儀式、「極楽」—致死水没—開始の儀式を施した。このようにしてヨーロッパの白人侵略者は、自分達の集団にすぐに吸収されていない遭遇する全民族を皆殺しにし、その結果青色人種は終わり—しかもすぐに—を告げた。
クロマニヨンの青色人種は、現代のヨーロッパ人種の生物学上の礎を構成したが、その後の、しかも故国の精悍な征服者に吸収された形でのみ生き残った。青色人種は、ヨーロッパの白色人種の多くの逞しい特徴と体力に貢献したが、混血のヨーロッパ民族のユーモアと想像力は、アンド系に由来している。北方の白色人種をもたらすこのアンド系と青色人種の結合は、アンド系文明の即座の喪失、過渡的特徴の遅れをもたらした。ついに、これらの北の野蛮人の潜在的優越性が現れ、現代のヨーロッパ文明となった。
発展する白色人種は、紀元前5千年までには北ドイツを含む北フランス、イギリス諸島などの北ヨーロッパの全てにおいて優位であった。中央ヨーロッパは、しばらくのあいだ青色人種と丸い頭のアンドン系に支配された。後者は、主にドナウ川渓谷に場所を定め、決して完全にはアンド系にとって代わられなかった。
文化は、アンド系の最後の移動期からユーフラテス渓谷において衰退し、当面の文明の中心は、ナイル渓谷に転じた。エジプトは、地球上で最も高度な集団の本部としてメソポタミアの継承者になった。
ナイル渓谷は、メソポタミア渓谷が洪水に苦しみだす少し前に洪水に苦しみ始めたが、はるかによく事を運んだ。この初期の妨げは、継続的アンド系移民の流れによってより大きく埋め合わされたので、エジプト文化は、ユーフラテス川地域に由来はするとはいえ、前進するかに見えた。しかしエジプトには異なる7集団の人間が、メソポタミアの洪水期の紀元前5千年にはいた。1集団を除くすべてが、メソポタミアから来た。
エジプトは、ユーフラテス渓谷からの最後の大移動の際、最も巧みな芸術家と職人の多くを幸いにも獲得した。これらのアンド系職人は、川の生活やその洪水、潅漑、および渇水期に精通していたので、まるで家にいるかのようであった。保護されたナイル渓谷の位置を楽しんだ。そこでは、ユーフラテス川沿いよりも敵の急襲や攻撃を受けにくかった。彼らは、エジプト人の金属加工技能に大いに拍車をかけた。ここで、アンド系職人は、黒海地域の代わりにシナイ山から来る鉄鉱石を扱った。
エジプト人は、非常に早くに自分達の地域の神を国家神の複雑な体系へと組み込んだ。大規模な神学を開発し、また同様に大規模だがやっかいな聖職を有した。異なる数人の指導者が、セース系の初期の宗教の教えの残余を蘇らせようとしたが、これらの努力は短命であった。アンド系は、エジプトで最初の石の営造物を建設した。最初で最も優美な石のピラミッドは、アンド系の建築の天才インホテップにより首相としての役目を果たしている間に建設された。前の営造物は、レンガを材料として建築されており、世界の異なる地方で多くの石の営造物が建設されていたが、これは、エジプトで最初であった。しかし建築術は、この偉大な建築家の時代から着実に下り坂となった。
この輝かしい文化の時代は、ナイル沿いの内部戦争によって遮られ、やがて国は、メソポタミアがそうであったように、人を寄せつけないアラビアからの劣性部族と南からの黒人部族に侵略された。その結果、社会の進歩は、500年以上に渡り着実に衰退した。
メソポタミアでの文化の衰退期間中、東地中海の島々ではしばらくの間優れた文明が持続した。
紀元前1万2千年頃、アンド系の優れた部族は、クレタ島にわたった。これは、そのような優れた集団が、実に早くに定住した唯一の島であり、それは、これらの水夫の子孫が隣接する小島に拡大するおよそ2千年前であった。この集団は、北部ノヅ系のヴァン系分隊と結婚した細い頭と、小柄のアンド系であった。それらは皆1.8メートル以下の背丈であり、本土からより大きく、しかも劣る仲間に文字通り追い出されていた。クレタ島へのこれらの移住者は、織物、金属、陶器、建材用の石の扱いに高度な技術を有していた。かれらは、文字を書き、牧夫と農業家として生き続けた。
アダムソンの上背のある子孫の集団は、クレタ島定住の約2千年後、メソポタミアの北の高地の家からほぼまっすぐにやって来て、ギリシアへと北の島々に向かった。これらのギリシア人の祖先は、アダームソンとラッタの直系子孫のサートにより西方へと率いられた。
最終的にギリシアに住みついた集団は、アダームソン系の第2文明の終わりを構成した375人の選ばれた優者から成った。アダームソンのこれらの後の息子等は、新生の白色人種の当時の最も価値ある血統を有した。第一のエーデン時代以来、それらは、高い知力の系列のものであり、肉体的に最も美しい者であった。
やがてギリシアとエーゲ海諸島の地域は、商業、芸術、文化の西洋の中心地としてメソポタミアとエジプトに続いた。しかし、エジプトでそうであったように、実際にエーゲ海世界の人文科学のすべては、アダームソン系ギリシア人の先駆者の文化を除いては、メソポタミアから得られた。これらの後者の芸術と特質の全ては、アダームとハヴァーの最初の息子であるアダームソンとカリガスティア王子の純ノヅ系の部下の直系子孫の娘である彼の並はずれた2番目の妻の子孫の直接遺産である。ギリシア人が、かれらは、神と超人的存在からの直接子孫であるという神話の伝統を持っていたのも無理からぬことである。
エーゲ海地域は、それぞれが先行するものよりはあまり精神的ではない明確な文化の5つの舞台を経験した。やがて、最後の輝かしい芸術時代は、ギリシア人の後の世代に取り込まれていた急増中の平凡なドナウの奴隷の子孫の重みの下で崩壊した。
カインの子孫の母信仰が、その最高の人気に達したのがクレタ島におけるこの時代であった。この信仰は、「偉大な母」の崇拝においてハヴァーを賛美した。ハヴァーの偶像がいたる所にあった。何千もの公の神殿が、クレタ島と小アジア中に建設された。そして、この母信仰は、イエスの地球の母マリアの賛美と崇拝を装って後に初期のキリスト教を組み入れるようになるクリストスの時代まで存続した。
紀元前6.5千年頃までにはアンド系の精神的遺産にかなりの衰退があった。アダームの子孫は、広域に渡り分散し、実際にはより昔のより人数の多い民族に吸収された。アンド系文明のこの退廃は、宗教規範の消滅と共に嘆かわしい状態にある世界の精神的に窮迫している民族を置き去りにした。
紀元前5千年までには、アダムの子孫の最も純血な3種族が、スメール、北ヨーロッパ、ギリシアにいた。全メソポタミアは、アラビアから浸透してきた混血で皮膚の黒い人種の流入によりゆっくりと悪化していった。これらの劣性民族の到来が、アンド系の生物学的、かつ文化的残留物の海外への分散の一因となった。より大胆な民族は、肥沃な三日月地帯のあちこちから島へと西側へ殺到した。これらの移住者は、穀類と野菜の両方を栽培し、また家畜も連れて行った。
進歩的なメソポタミアの強力な軍勢が、紀元前およそ5千年、ユーフラテス渓谷を立ち退きキプロス島に定住した。この文明は、約2千年後に北からの野蛮な群衆により一掃された。
別の大移民が、後のカーヘドン跡近くの地中海に定住した。また大勢のアンド系は、北アフリカからスペインに入り、後にはこれに先立ってエーゲ海諸島からイタリアに来た同胞とスイスで入り混じった。
エジプトが、文化的衰退の点でメソポタミアに続くと、より優れた進歩的家族の多くは、クレタに逃がれ、その結果すでに進歩したこの文明を大いに増強させた。そして、エジプトからの劣った集団が到着し、クレタの文明を脅かした後、より洗練された家族が、ギリシアへと西に移った。
ギリシア人は、偉大な教師と芸術家であっただけではなく、世界の最も偉大な貿易業者と植民地開拓者であった。ギリシア人は、自分達の芸術と商業をついには吸い込んだ劣等者の殺到に屈する前に、西へ多くの文化の前哨地設立に成功したので、初期のギリシア文明における進歩の大多数は、南ヨーロッパの後の民族に固持され、またこれらのアダームソン系の混血子孫の多くが、隣接する本土の部族に組み込まれるようになった。
ユーフラテス渓谷のアンド系民族は、ヨーロッパへと北に移動し青色人種と接触し、また地中海地方へと西に移動し、サハラ砂漠の住民と南の青色人種と入り交じった生存者と混合した。白色人種のこの2つの支流は、長い間これらの中央地帯に生息していた初期のアンドン系の頭の広い山の生存者により過去にもまた現在にも、広く分離されていた。
アンドンのこれらの子孫は、ヨーロッパの中央と南東のほとんどの山岳地帯に分散していた。かれらは、小アジアからの到来者に加勢を得て、そして、かなりの数でその領域を占拠した。古代のヒッタイト人は、直接アンドン系の血統に始まった。その白い肌と広い頭は、その人種の典型であった。この種族は、アブラーハムの祖先に流れており、アンド系から文化と宗教を得る傍ら、まったく異なる言語を話したその後のアブラーハムのユダヤ人子孫の独特の容貌に多く寄与した。かれらの言語は、明確にアンドン系であった。
イタリア、スイス、南欧の湖上に杭、もしくは丸太の埠頭を組み立てた家屋に住んでいた部族は、アフリカ人、エーゲ海の民、とりわけ、ドナウの移動する民の広がる縁であった。
ドナウの民は、バルカン半島経由でヨーロッパ入りをし、ドナウ渓谷まわりでゆっくり北方へ移動していたアンドン系の農夫と牧夫であった。かれらは、谷に住むことを好み、陶器を作り土地を耕した。ドナウの民の最も北寄りの定住地は、ベルギーのリエージュにあった。これらの部族は、その文化の中心地と基点から遠くに移動したとき、急速に劣化した。最良の陶器は、初期の定住地の産物である。
ドナウの民は、クレタ島からの宣教師の仕事の結果として母崇拝者になった。これらの部族は、後に小アジア海岸から船で来て、同じように母崇拝者であったアンドン系の船員集団と混合した。石造りの小屋で死者を火葬にすることは、母崇拝者にとっての習慣であったことから、母崇拝と死者の火葬の宗教儀式を実践する頭の広い白色人種の混血型が、中央ヨーロッパの大半に定住した。
アンド系移動の終わりにかけてのヨーロッパにおける人種の混合は、次の3種類の白色人種にまとめられるようになった。
1. 北方白色人種。このいわゆる北方人種は、主として青色人種とアンド系から成るが、わずかな量のサンギクの赤色と黄色と共に、かなりの量のアンドン系血液も含んだ。その結果、北白色人種は、これらの4つの最も望ましい人間の血統を有した。しかし、最大の継承は、青色人種から来ていた。早期の典型的北方人種は、長い頭で、背が高く金髪である。しかしこの人種は、とうの昔に白人の支流のすべてに徹底的に混合されるようになった。
攻め入る北方人種に遭遇するヨーロッパの原始文化は、青色人種と混合した後退的ドナウの民のものであった。北方人種とデンマーク人の文化と、ドナウの民とアンドン系の文化は、今日のドイツの2種類の人種集団の存在でみせているように、ライン川で出合い混合された。
北方人種は、バルト海沿岸からの琥珀貿易を続け、ドナウ渓谷の幅の広い頭を持つ人々との大々的な商業をブレンナー峠経由で確立した。ドナウの民とのこの長期にわたる接触が、これらの北部の人々を母崇拝に導き、死者の火葬は、数千年もの間スカンジナビア全体でほぼ一般的であった。ヨーロッパ中で埋葬は行われはしたものの、なぜ初期の白色人種の遺骨が見つけられないかを—石や粘土の骨壷の中には灰だけ—これが説明している。これらの白人は、居住施設も造り、洞窟には決して住んでいなかった。これに先だつクロマニョン型は、洞窟や岩穴のしっかりと封をされたところによく保存されているにも かかわらず、白人の初期の文化に関する形跡が、なぜ僅かしかないかをも、これが説明している。まるで、ある日北ヨーロッパで退化しているドナウの民と青色人種の原始の文化が存在し、明くる日、非常に優れた白人の文化が突然現れたかのようである。
2. 中央部の白色人種。この集団は、青色人種、黄色人種、およびアンド系の種族を含んでいるが、それは支配的にアンドン系である。これらの人々は、広い頭で、浅黒く、がっしりとした体格である。かれらは、アジアに広い基盤を横たえ、頂点が東フランスを貫通する楔のように、北方人種と地中海の人種の間に押しやられている。
ほぼ2万年間、アンド系は、アンドン系に中央アジアの北部へとさらに遠く押しやられてきた。紀元前3千年までには、増大する乾燥状態が、これらのアンドン系をトルキスタンへと追い立てていた。南方へのこのアンドン系の前進は、カスピ海と黒海周辺で分裂し、1千年以上続き、バルカン諸国とウクライナの双方を経てヨーロッパに浸透した。この侵略は、残るアダームソンの子孫の集団を含み、侵入期間の後半にセース系聖職者の子孫の多くと同様に相当数のイランのアンド系を連れてきた。
アンドン系の西部への猛攻は、紀元前2,500年までにヨーロッパに達した。そしてこのトルキスタンの丘の野蛮人による全メソポタミア、小アジア、ドナウ川盆地のこの侵略は、その時までの文化に最も重大かつ永続的な退行をもたらした。これらの侵略者は、特徴的にそれ以来アルプス人種のままで残ってきた中央ヨーロッパ人の特徴を確実にアンドン系化させた。
3. 南方の白色人種。この褐色の地中海人種は、北の白色人種よりは少な目のアンドン系の特徴をもつと同時に、アンド系と青色人種の混合から成った。またこの集団は、サハラ砂漠の住民を通してのかなりの量の二次サンギクの血液を取り込んだ。後代になると、白色人種のこの南の集団は、東地中海からの強いアンド系分子によって生気を吹き込まれた。
地中海沿岸地帯は、しかしながら、紀元前2,500年の遊牧民の大々的な侵入時代までアンド系に浸透されるようにはならなかった。陸上交通と貿易は、大人数の遊牧民が、東地中海地方に侵入する数世紀の間、ほぼ中断された。陸路の旅のこの障害が、海上交通と貿易の大いなる拡大をもたらした。地中海生まれの商業は、およそ4,500年前に盛んであった。そして、海上交通のこの発展が、地中海盆地全体の沿岸地域の中でのアンド系子孫の突然の拡大をもたらした。
これらの人種混合は、最も強く混合された南ヨーロッパ人種のための基盤を据えた。そして、この時以来、この人種は、一層の混合を、とりわけアラビアの青色-黄色-アンド系民族との混合を経験した。事実上、この地中海の人種は、実際には別々の型のように識別できなくなるほどに周囲の民族と自由に混合されているが、その仲間は、一般的には、背が低く、頭が長く、黒髪である。
アンド系は、北で戦争と婚姻を経て、青色人種を全滅させたが、青色人種は、南ではかなりの数で生き残った。バスク人とベルベル人は、この人種の2支流の生存を意味するが、これらの民族さえ完全にサハラ砂漠の住民と混合された。
これが、紀元前3千年頃の中央ヨーロッパで示された人種混合の絵である。一部のアダームの不履行にもかかわらず、より高度の型が混合したのであった。
これらは、来たる青銅器時代に重なり合う新石器時代の期間であった。青銅器時代は、スカンジナビアでは母崇拝と結びついていた。新石器時代は、南フランスとスペインでは太陽崇拝に結びついていた。これは、円形の、屋根のない太陽寺院の建築の時代であった。ヨーロッパの白色人種は、太陽への象徴として大きな石を楽しんで配置して活気に満ちた建築者であり、その後代の子孫もストーンヘンジでほとんど同じようにした。太陽崇拝の人気は、これが、南ヨーロッパの長い農業期間であったことを示す。
この比較的最近の太陽崇拝時代の迷信は、今でもブルターニュの習俗の中に存続している。これらのブルトン人は、1,500年以上キリスト教化されているが、悪の眼差しを避けるために新石器時代の魔除けを今もなお継続している。彼らは、稲妻から身を守るために煙突にまだ雷石を保っている。ブルトン人はスカンジナビアの北方人種と決して交わらなかった。ブルトン人は、西ヨーロッパの最初のアンドン系住民の生存者であり、地中海の群体と交わった。
だが大胆にも、白人民族を北方人種、アルプス人種、および地中海人種として分類することは誤りである。そのような分類を容認するには、あまりに多くの混合があり過ぎた。かなり明確な白色人種のそのような分類区分が、一時的にあったが、以来、広範囲の混合が起こり、いかなる明確さをもってしても、これらの区分を特定することは、もはや可能ではない。古代社会集団は、現在の北米居住民のように、紀元前3,000年においてさえ1人種だけではなかった。
5千年間のこのヨーロッパ文化は、成長し続け、ある程度まで混合し続けた。しかし、言語の壁が、異なる西洋諸国の完全な交換を阻んだ。この文化は、前の世紀に北アメリカの全世界の住民と調和するためのその最良の機会を経験している。そして、その大陸の未来は、 維持されている社会的文化の水準にばかりではなく、その現在の、また将来の人々に入ることが許されている人種的要素の質により決定されるであろう。
[ネバドンの大天使による提示]
人類の基本的生物進化は、カリガスティアとアダームの任務に示された世界改善のための計画の失敗にもかかわらず、人間の進歩と人種の発展の段階において民族を前進させ続けた。進化は、遅らせることはできるが、それを止めることはできない。
紫色人種の勢力は、計画したよりも少数ではあるが、その以前の全存在のほぼ百万年に渡る人類の進歩をはるかに超えたアダームの時代以来の文明の進歩を生み出した。
文明の揺りかごは、アダームの時代のおよそ3万5千年後に、ナイル渓谷の東部からわずかに北へとアラビア北部を越え、メソポタミアまわりでトルキスタンへ伸びる南西アジアにあった。また、気候は、その領域の文明確立における決定的要素であった。
彼らのヨーロッパ入りを拡大された地中海で妨げ、トルキスタンへの北と東の移動の流れを逸らし、アダーム系の初期の移動を終了させたのが、北アフリカと西アジアにおける気候と地質の大々的な変化であった。これらの土地の隆起の完了と関連する気候変化の時期、すなわち紀元前1万5千年頃までには、文明は、アジアの東の山々により、またヨーロッパの西に広がる森林によりいまだに閉じ込められたアンド系の文化の発酵と生物学的蓄えを除いては、世界的規模で行き詰まっていた。
気候の展開が、いま他の総ての努力が成し得なかったことを達成しようとしており、すなわちユーラシア人が、牧畜や農耕のより高度な求め(職業)のために狩猟の放棄を強制していた。進化は、遅いかもしれないが、それは非常に効果的である。
早期の農業家は、一般的に奴隷をよく使役していたことから、農夫は、かつて猟師と牧夫の両者に軽蔑された。土地耕作は、長い間、卑しいこととしてみなされた。それゆえに、土を扱う労働という考えは、呪いであるのだが、すべての天恵の中でそれは最もすばらしいのである。カインとハーベルの時代においてでさえ、遊牧生活の生贄は、農業の捧げ物より高い評価があった。
人は、通常、牧夫時代を変遷し猟師から農夫になり、これは、アンド系の間でもそうであったが、気候の必然性からくる進化上の強制は、しばしば全部族を直接に猟師から成功する農夫へと移らせる。しかし狩猟から農業への速やかなこの移行現象は、紫色群体と高度の人種混合のあったそれらの領域にのみ起こった。
進化的民族(とりわけ中国人)は、偶然に湿った種子、または故人への食物として墓に置かれた種子の発芽の観測を経験し、種子を撒くことや作物を育てることを学んだ。アンド系は、アジアの南西地域の至る所で、肥よくな川底と、また隣接する平野沿いに第二の園の境界内での農耕と園芸を主要な仕事としていた先祖から引き継いだ改良農業技術を実施していた。
アダームの子孫は、何千年間も、園で改良された通りの小麦と大麦をメソポタミア上流の境界の高地の至る所で育てていた。アダームとアダームソンの子孫は、ここで出会い、取り引きをし、交流した。
食習慣でそれほどまでにかなりの人類を雑食性にしたのが、生活条件でのこれらの強制的変化であった。そして、小麦、米、野菜と家畜の肉との摂取の組み合わせが、これらの古代民族の健康と活力に大きな前進を印した。
文化の発展は、文明の道具の開発に基づいた。そして、未開状態からの向上で人が利用した道具は、人力を課せられたより高度の仕事の遂行のために自由にするという程度にまで効を奏した。
社会に芽生え始めた文化と始まりつつある進歩の現代の情勢の真っ只中に今生きている人は、つまり、社会と文明についての考えに割く時間をもたない人は、初期の祖先には、考え深い反省や社会的な考えに当て得る暇もほとんどなかったという事実を見過ごしてはならない。
人間の文明における最初の4つの大いなる進歩は:
1. 火の扱いに慣れること
2. 動物の家畜化
3. 捕虜の奴隷化
4. 私財
火、すなわち最初の重要な発見は、科学世界の扉を徐々に開錠はしたものの、この点については原始人にとってはほとんど価値はなかった。原始人は、ありふれた現象についての説明として自然的要因を認めることを拒んだ。
火がどこから来たかと尋ねられると、アンドンと火打ち石についての簡単な話は、やがて何人かのプロメテウスが、天からそれをいかにして盗んだかという伝説とすり替えられた。古代人は、個人の理解の範疇にではなく、すべての自然現象に超自然的説明を求めた。そして多くの現代人が、これをし続けている。いわゆる自然現象の非人格化は、長い時を必要とし、それはまだ完成されていない。しかし、率直で、正直で、恐れを知らない真の理由への探究は、現代科学を生んだ。それは、占星術を天文学へ、錬金術を化学へ、魔術を薬へと変えた。
前機械時代に自分でそれをせずに仕事を成し遂げることができた唯一の方法は、動物の使用であった。動物の家畜化は、人に生きた道具を、農業、輸送の両方のための道を用意する道具の賢明な使用法を与えた。そして、人は、これらの動物がいなければ、その原始の生活状態からその後の文明水準に上昇できなかったかもしれない。
家畜化に最も適した動物の大半は、アジアで、特に中央から南西の領域で見かけられた。これが、文明が世界の他の場所よりもその地方でより速く進歩した1つの理由であった。動物の多くは、前に二度飼いならされていたし、アンド系の時代にもう一度飼いならされた。しかし犬は、大昔に青色人種に採り入れられてからずっと漁師と共にいた。
トルキスタンのアンド系が、大規模に馬を飼いならす最初の民族であり、そしてこれが、なぜその文化が非常に長く優勢であるかというもう一つの理由である。メソポタミア、トルキスタン、および中国の農夫は、紀元前5,000年までには羊、ヤギ、雌牛、ラクダ、馬、家禽、および象を育成し始めた。かれらは、役畜として雄牛、ラクダ、馬、および野牛を使った。人は、ある時には自身が荷物運搬用動物であった。青色人種のある支配者は、かつてその植民地に10万人の荷物運搬者人を抱えていた。
奴隷制度と土地の個人所有権が、農業とともに到来した。奴隷制度は、主人の生活水準を上げ、社会的な文化により多くの余暇を提供した。
未開人は、自然の奴隷であるが、科学文明は、増大する自由をゆっくりと人類に授与している。人は、動物、火、風、水、電気、および未知のエネルギー源を通して根気強く不断の苦労への必要性から自身を解放してきたし、これからも続けるであろう。実りある機械の発明により生じた一過性の問題にもかかわらず、そのような機械発明から得られる最大利益は計り知れない。文明は、人が考え、計画し、事をするに当たりより新しく、より良い方法を想像する余裕をもつまでは、決して栄えることはできず、ましてや確立されることはない。
人は、まず単に避難所を占有した。つまり、岩棚の下に、または洞窟の中に住んでいた。次に、木や石のような自然素材を家族用の小屋の作成に適合させた。最後に、住宅建築の創造的段階に入った。すなわち、煉瓦や他の建材の製造を習得した。
トルキスタンの高地民族は、アメリカの開拓移住者の初期の丸太小屋によく似た木造の家を建てる最も現代的な最初の人種であった。平原の至るところで人間の住居は、煉瓦で、後には焼かれた煉瓦で造られた。
昔の川の人種は、地面に円形に高い棒を立てて小屋を造った。葦を横に絡ませた小屋の骨組みを造り、上端で一纏めにし、創作物全体は、逆さにした篭に似せてあった。この構造物は、日光で乾燥され、そこで粘土を塗ることができ、風雨に耐えられる非常に実用的な住居を作られるのであった。
独自に始まった篭編みについてのその後のいろいろの思いつきは、これらの初期の小屋からであった。1集団での陶器を作る思いつきは、これらの骨組みに湿った粘土を塗りつける効果の観測から生まれた。陶器を焼くことで堅くする習慣は、これらの粘土で覆われた原始の小屋の1つが偶然燃えたときに発見された。往時の芸術は、しばしば初期の民族の日常生活での偶然の出来事から得られた。少なくとも、これは人類の進化過程についてもアダームの到着までほぼ当てはまっていた。
陶器は、ほぼ50万年前に王子の部下により最初に導入されていたものの、土器の作成は、実際には15万年以上も中断していた。湾岸沿いの前スメール人のノヅ系だけが、土器を作成し続けた。陶器作成の芸術は、アダームの時代に蘇った。この芸術の普及は、アフリカ、アラビア、中央アジアの砂漠地帯の拡大と同時であり、それは、技術向上の連続する高まりの中でメソポタミアから東半球へと広がった。
陶器もしくは他の芸術の工程により、いつもアンド系時代のこれらの文明を辿ることができるというわけではない。人間の進化の平坦な過程は、ダラマティアとエーデンの両体制により途方もなく複雑になった。後の壷と道具の方が、より純血なアンド系民族の早期の製品よりも粗悪であるということがしばしばある。
紀元前1万2千年頃に始まるトルキスタンの豊かで広々とした草原の狩り場と放牧地の気候の破壊は、それらの領域の人々が新形式の産業と粗雑な製造に頼らざるを得なくした。一部は、飼い慣らされた動物の群れの飼育に転じたり、他のものは、農業者か水生食物の採集者になったりしたが、より高度のアンド系識者の型は、通商と製造に従事することを選んだ。一産業の発展に専心することが、部族全体の慣習になりさえした。ナイル渓谷からヒンヅークシュ山脈まで、それにガンジス川から黄河まで、優れた部族の主要な家業は、交易を兼業とする土の耕作になった。
通商と原材料からの様々な商品製造の増加は、文化と文明の芸術を拡大に非常に影響があった初期の、幾分平和的共同体を生み出す直接的な助けとなっていた。大規模な世界貿易時代に先立つ社会的共同体は、部族—拡大された家族集団—であった。通商は、異なる人間の種類を仲間意識へと至らせ、その結果、文化間のより迅速な交雑受精をもたらした。
およそ1万2千年前、独立都市の時代が明けていた。これらの原始の交易と製造都市は、つねに農業と牧畜地帯に囲まれていた。産業が、生活水準の向上により促進されたことは本当である一方で、初期の都市生活の改良に関し誤解があってはならない。初期の人種は、あまり清楚ではなく、原始の平均的地域社会は、単なる土と廃物の蓄積の結果、25年ごとに30センチメートルから60センチメートル上昇した。焼かれていない泥を固めた小屋は長続きせず、またその古い廃墟の上に新住居を造るのが習慣であったことから、昔のこれらの特定の都市は、周囲の地面より非常に速く上昇した。
広範囲の金属利用は、初期の産業と通商の都市におけるこの時代の特徴であった。人は、紀元前9,000年以前のトルキスタンの青銅文化をすでに見つけ、アンド系は、早くから鉄、金、および銅の扱いを身につけた。しかし状況は、高度な文明の中心地からの遠くにおいては、非常に異なっていた。石器時代、青銅時代、および鉄器時代のような明確な時代区分はなかった。3時代全てが、同時に異なる場所に存在した。
金は、人が探した最初の金属であった。当初、それは、扱いが簡単で単に装飾品として用いられた。銅が、その次に用いられたが、より固い青銅を作るために錫と混合されるまでは大規模ではなかった。トルキスタンのアダームソン系の1人が、トルキスタン高地の銅山にたまたま錫堆積物に並列してあったことから青銅を作るための銅と錫を混ぜる発見をした。
天然のままの製造と初期産業の台頭に伴い、商業は急速に文化的文明の普及に最も強い影響を与えた。陸と海とによる流通経路の開拓が、文明の融合と同様に、大いに旅と文化の混合を容易にした。馬は、紀元前5千年まで、文明的または半文明的である土地の至るところで一般的に用いられていた。後の人種は、飼い慣らされた馬だけでなく、様々な種類の荷車や戦車も持っていた。車輪は、とうの昔に使用されていたが、今や相当に整備された車輌が、交易と戦争で一般的に採用されるようにった。
旅商人や放浪する探検家が、他のすべての併合的影響よりも、はるかに歴史的文明を前進させたのであった。後の宗教により助成される軍事的征服、植民地化、および伝道活動もまた、文化普及の要因であった。しかしこれらは、総て急速に発展する技術産業と科学産業によって加速された通商関係に次ぐものであった。
人類へのアダームの血統注入は、文明の速度を速めるだけでなく、やがてユーラシアと北アフリカが、急速に増加するアンド系の混血子孫に占領されるという結果により冒険と探検への彼らの性癖を大いに刺激した。
人類の混合人種は、歴史上の時代の夜明けになると全ユーラシア、北アフリカ、太平洋の諸島に広がった。今日のこれらの人種は、ユランチアの基本的な5種類の人種の血統の混合と再混合から生まれた。
ユランチアのそれぞれの人種は、一定の物理的特性によって識別された。アダーム系とノヅ系は長い頭であった。アンドン系は広い頭であった。サンギク人種は、ふつうの頭の大きさで、黄色人種と青色人種は、広い頭の傾向にあった。青色人種が、アンドン系と混合すると明らかに広い頭であった。準サンギク人種は、普通か、長い頭であった。
これらの頭蓋骨の寸法は、人種の起源を解読するのに実用的であるが、概して骸骨の方がはるかに信頼できる。ユランチア人種の初期の進化には、本来異なる5つの骨組みの型があった。
1. アンドン系、ユランチア原住民
2. 第一サンギク系、赤色人種、黄色人種、青色人種
3. 二次サンギク系、橙色人種、緑色人種、藍色人種
4. ノヅ系、ダラマティア系子孫
5. アダーム系、紫色人種
継続的混合は、これらの5大の人種集団が大規模に混ざり合うと、サンギク系の遺伝的優勢によってアンドン系の型をぼかす傾向があった。ラップ人とエスキモー人は、アンドン系とサンギク系青色人種の混合である。それらの骨格構造は、土着のアンドン型の存続に最も近い。しかし、アダーム系とノヅ系は、他の人種とそれほどまでに混合されるようになったので、単に一般化された白色人種の系列としてのみ見つけられる。
したがって、ここ2万年にわたる人骨が掘り出されるとき、一般的に言って、本来の5つの型を区別することは、明らかに不可能であろう。そのような骨格構造の研究は、現在人類は、およそ3分割されるということが明らかになるであろう。
1. 白色人種—ノヅ系とアダーム系血統の混合であるアンド系、さらに一次と(いくらかの)二次サンギクによる混合と、かなりのアンドン系との掛け合わせによってさらに変更された。西洋の白色人種は、一部のインド人とトゥラン民族と共にこの集団に含まれる。この区分の統一因子は、アンド系遺産の比率がより大きいか、 より少ないかである。
2. モンゴル人—第一サンギク型、最初の赤色、黄色、青色人種を含む。中国人とアメリカ原住民は、この集団に属する。ヨーロッパでは、モンゴル人型は、二次サンギクとアンドン系の混血によって、さらにはアンド系注入によって変更された。マレー人と他のインドネシア民族は、高い割合の二次サンギクの血液を有するもののこの種別に含まれている。
3. ネグロイド—二次サンギク型、それは、最初は橙色、緑色、藍色の人種を含んだ。これは、黒人が最も良い例証の型であり、アフリカ、インド、インドネシアの二次サンギク系が居住したどこにでも見つけられるであろう。
北部中国には、多少の白色人種系の混合とモンゴル系の型がある。レヴァント地方では、白色人種系とネグロイドが混合した。インドでは、南米でそうであるように、全3種類の型が相当する。そして、生残する3種類の型の骨格の特徴は、いまだに存続しており、現代人類のその後の祖先の識別を助ける。
生物進化と文化的文明は、必ずしも関連していない。いかなる時代の生物進化も、文化の退廃のその真っ只中で妨害されずに続くかもしれない。しかし長期に渡る人間の歴史が概観されるとき、進化と文化は、最終的には原因と結果として関連づけられるようになるということに気づくであろう。進化は、文化の不在において進むかもしれないが、文化的文明は、先行する人種的進行の適切な背景なしでは繁栄しない。アダームとハヴァーは、人間社会の進歩に馴染まない何の文明技術も導入しなかったが、アダームの遺伝子をもつ者達は、生来備わっている人種の能力を高め、経済開発と産業発展を加速した。アダームの贈与は、人種の脳の力を向上させ、その結果、自然的発展過程を大いに早めた。
人類は、農業、動物の家畜化、それに改良された建築物によって生きるための絶え間ない苦闘の最悪状態から徐々に脱出し、生活の過程を有利にするあらゆるものを探し回り始めた。これは、ますますの、しかも常に高い物質的安らぎの水準のための努力の始まりであった。人は、製造と産業を通して必滅の人生の快楽の中味を徐々に増大させている。
にもかかわらず、文化的社会は、すべての人が自由な構成員であり、完全な平等をもって生まれてくる引き継がれた特権のすばらしくかつ慈悲深い同好会ではない。それは、むしろ、その子供とまたその孫がその後の時代に生き、かつ前進するかもしれない世界をより良い場所にするために努力するそれらの労働者のうちの高潔な者だけを構成員として認める地球の労働者の高められ、絶えず前進する同業組合なのである。文明のこの同業組合は、高価な入場料を取り立て、厳格で厳しい規律を強要し、すべての反対者と非協調者に重刑を課し、一方では共通する危険と人種的危難に対し強化された防衛手段を除いては、わずかな個人的認可または特権を与える。
社会的な繋がりは、人間が有益であるということを学んだ生存保険の形態である。したがって、ほとんどの個人は、社会がこの機能強化された集団保護の見返りにその構成員から取り立てる自己犠牲や個人の自由の削減を保険料として支払うことを望むのである。要するに、現代社会の仕組みは、人類の早期の経験を特徴づけたひどい反社会的状態への逆戻りに対する幾分かの保証と保護を提供するように設計された試行錯誤の保険案である。
社会は、その結果、制度を介しての公民の自由、資本と発明を介しての経済的自由、文化を介しての社会的自由、警察の取り締まりを介しての暴力からの自由を保証するための協力的枠組となる。
力は、権利を作り上げないかもしれないが、それは、次の各世代の一般的に認識された権利を行使する。政府の主要任務は、権利の定義、階級差の正当かつ公平な調整、法規則の下における機会均等の行使である。あらゆる人間の権利は、社会的な義務に関連づけられる。集団の特権は、集団への奉仕のために厳しく要求する保険料の完全な支払いを失することなく請求する保険の仕組みである。そして、性欲への傾向の規制を含めて集団の権利は、個人の権利と同様に保護されなければならない。
集団規則を前提とする自由は、社会発展の正当な目標である。無制限の自由は、不安定で気紛れな人間の心の空しく非現実的な夢である。
生物進化が上向きに進行する一方で、文化の発展の多くが、ユーフラテス渓谷から波のように伝播し、その波は、やがてアダームの純血の全後代のもの達が旅立ち、アジアとヨーロッパの文明を豊かにするまで時の経過と共に逐次弱まっていった。人種は、完全に混合されたというわけではないが、その文明は、かなりの程度まで混合した。文化は、ゆっくりと世界中に広まった。そして、今日この文明は、文化の新たな源も存在せず、文明発展の鈍い進行を鼓舞したり刺激する一人のアンド系もいないのであるから、維持と育成がなされなければならない。
ユランチアで現在進展しつつある文明は、次の要因から始まり、また現在それに基づいている。
1. 自然情況。物質文明の特徴と範囲は、利用可能な天然資源に大きく決定される。気候、天候、および数多くの物理状態は、文化の発展要因である。
アンド系時代の始まりには、大規模で肥沃の広々とした狩猟地域が、世界にはたった2個所しかなかった。1つは、北アメリカにあり、そこにはアメリカ原住民が一面に広がっていた。他方は、トルキスタンの北にあり、アンド系黄色人種が、部分的に陣取っていた。南西アジアでの優れた文化の発展における決定的要因は、人種と気候であった。アンド系は、偉大な民族であったものの、その文明の進路決定の決定的要因は、イラン、トルキスタン、新疆での増大する乾燥であり、それが、生産性の落ちていく肥沃な土地から生計を捻りとる新たで高度な方法の発明と導入をかれらに強いた。
大陸の形状と他の土地配列の状況は、平和か戦争かの決定に非常に影響を及ぼす。ユランチア人は、北アメリカの民族が享受されたような—事実上、四方を広大な海洋に保護されている—連続的かつ邪魔のない発展の好機にはあまり恵まれなかった。
2. 資本財。文化は、貧困状況のもとでは決して発展しない。余暇は、文明進歩に不可欠である。個人の道徳的、精神的価値の特徴は、物質的な富を欠いても得られるかもしれないが、文化的文明は、大望に結合される余暇を促進するその物質的繁栄条件からしか得られない。
ユランチアにおける原始時代の生活は、真剣かつ地味なものであった。人類が、熱帯の健康的な気候に向かって絶えず漂流する傾向にあったのは、この絶え間ない戦いと果てしない労苦から逃げることであった。暖かい区域での居住が、生存のための激しい戦いからの何らかの和らぎを与えたが、こうして容易さを求めた人種と部族は、文明の前進のために労せずして得た余暇をほとんど活用しなかった。社会的進歩は、知的な労役により減少された努力と短縮された労働日数で土地からの暮らしをもぎとる方法を身につけるというそれらの人種の考えや計画から必然的にもたらされ、その結果、もらって当然の、しかも有益な余暇の幅を味わうことができた。
3. 科学知識。文明の物質的局面は、科学的資料の蓄積を常に待ち受けなければならない。人が、弓矢の発見と効力のための動物の活用から始まり、風と水を役立てる方法を学び、次に蒸気と電気の使用するようになるまでには長い時間がかかった。しかし文明の道具は、ゆっくりと改善された。機織り、陶器、動物の家畜化、金属加工、書くことと印刷の時代が続いた。
知識は、力である。発明は、つねに世界規模の文化発展の促進に先行する。科学と発明は、とりわけ印刷機から恩恵を得て、しかも、これらのすべての文化的、発明的活動の相互作用が、文化の振興速度に途方もないほどに拍車をかけた。
科学は、人に数学の新言語を話すことを教え、厳格な精度に沿っての考えを教え込む。科学は、また誤りの除去により哲学を安定させるが、それは、同時に迷信の破壊により宗教を清める。
4. 人的資源。人力は、文明の普及に不可欠である。すべての条件が同じ場合、多くの人々は、小規模の人種の文明を支配するであろう。それ故に、一定程度にまで数を増やさないということは、国家の運命の完全な実現を阻むが、一層の人口増加には、自滅的な時点がやってくる。人間対陸の通常比率の最適条件を超える数の増加は、生活水準の低下か、あるいは平和的進入か軍事征服、すなわち、力ずくの占領による領土境界の即座の拡大を意味する。
人は、時おり戦争の破壊行為に衝撃を受けるが、社会と道徳発展の十分な機会を生むためには多くの死すべき者を生産する必要性を認めるべきである。惑星のそのような出産率には、人口過剰の深刻な問題が、すぐに生じる。ほとんどの棲息世界は小さい。ユランチアは、平均的であり、恐らくわずかに小型であろう。国の人口の最上の安定化は、文化を高め、戦争を防ぐ。そして増大をいつ止めるかを知ることが、賢明な国というものである。
だが、最も豊かな天然堆積物と最も高度な機械設備をもつ大陸は、もしその人々の知力が下降線をたどるなら、あまり進歩しないであろう。知識は教育によって得られるが、真の文化に不可欠である分別は、本質的に知的な男女による経験を通じてのみ保証され得る。そのような民族は、経験から学ぶことができる。それらは真に賢明になれるかもしれない。
5. 物質資源の有効性。天然資源、科学知識、資本財、人間の可能性の利用において発揮される知恵にかなり依存している。早期の文明における主な要因は、賢明で社会的に優れた者が奮った力であった。原始人は、優れた同時代人に文明を文字通り押しつけられた。十分に組織化された優れた少数が、主にこの世界を統治した。
力は、正義を引き起こさないかもしれないが、力は、今存在すること、そして歴史にあったことを作る。最近、ユランチアは、進んで力と正義の倫理を討論する社会状況に達した。
6. 言語の有効性。文明の普及は、言語を待たなければならない。存続し進歩する言語は、文明的な考えと計画の拡大を保証する。初期における重要な進歩は、言語が果たした。現代は、進化する考えの表現を容易にするすばらしい言語の一層の発達が必要である。
言語は、団体組織、つまり地域の各団体が、それぞれの言葉の交換体系を発展させることで発達した。。言語は、身振り、合図、叫び、擬声音、抑揚、および口調を通してその後のアルファベットの発声へと進歩した。言語は、人の最もすばらしく、そして実用的な思考の道具であるが、社会集団が幾らかの余暇を取得するまでは決して栄えなかった。言語をもてあそぶ傾向は、新しい言葉—俗語—を生み出す。多数の者が、俗語を取り入れるならば、慣用が、それを言語の構成要素にする。方言の起源は、家族集団内での「幼児語」が欲しいままにされることで例証されている。
言語の違いは、常に平和拡大への大きな障害であった。方言の克服は、人種全体、1大陸、または全世界に渡る文化普及に先行しなければならない。世界共通語は、平和を促進し、文化を保証し、幸福を増大させる。世界の言語が、少数に減少するときでさえ、主要な文化的民族による支配は、世界的な平和と繁栄の達成に強い影響を及ぼす。
ユランチアでは国際的言語を生み出すことに向けての進歩は、あまりみられないが、国際間の商業上の交易の確立によって多くのことが達成された。これらの国際関係のすべてが、言語、貿易、芸術、科学、競技、または宗教にかかわるか否かに関係なく、育成されなければならない。
7. 機械装置の有効性。文明の進歩は、道具、機械、および流通経路の開発と所有に直接的に関わりがある。改良された道具、精巧で効率的な機械は、前進する文明の舞台で競い合う集団の生存を左右する。
初期において、耕作に適用された唯一の労力は、人力であった。雄牛を人の代わりに用いることは、人を無職へと放り投げるのであるがゆえに長い間の葛藤であった。後に、機械が、人に取り替わるようになり、その上、人力をより重要な課題達成のために自由にすることから、そうしたあらゆる進歩が、直接社会の進歩に寄与している。
知恵に導かれる科学は、人にとっての偉大な社会解放者になるかもしれない。機械時代は、省力化への新型機械の速すぎる発明の結果起こる突然の大勢の雇用損失失業から生まれる過渡期における困難さに対し、首尾のよい適応のための賢明な方法と十分な技術を発明するには知的水準が低過ぎる国に限り悲惨であるとはっきりと示すことができる。
8. 文明の先駆者の人格。社会的遺産は、人が、すべての先んじる者や文化と知識全体に何かを貢献した者の成果の上に立つことを可能にする。次世代への文化の松明を伝えるこの仕事において、家庭は、常に基盤的制度になるであろう。複雑で非常に組織化された社会においては遊びと社会生活が、次にくるし、最後に等しく不可欠な状態で学校がくる。
昆虫は、生活—実に非常に限られ、しかも完全に本能的な生存—にむけて十分に教えられ備えができて生まれてくる。人間の乳児は、教育なしで生まれる。それ故に、人は、若い世代の教育指導を制御することにより文明の進化過程を大きく変更する力を持っている。
文明推進と文化の進歩に及ぼす20世紀最大の影響は、世界旅行の著しい増加と伝達方法の比類なき改良である。しかし、教育改善は、拡大する社会構造と歩調を揃えてこなかった。倫理に対する現代の認識も、より純粋に知的で科学的な線に沿う成長に一致して開発されてはいない。そして現代文明は、精神的発達と家族制度の保護に行き詰まっている。
9. 人種の理想。1世代の理想は、次世代の子孫のための運命の方向を切り開く。社会指導者の質は、文明が前進するか後退するかを決定するであろう。1世代の家庭、教会、学校は、後続世代の特徴的傾向を運命づける。人種、もしくは国の道徳的、かつ精神的勢いは、その文明の文化的速度を大きく決定する。
理想は、社会の流れの源泉を高める。たとえどのような圧力手法、あるいは方向制御が駆使されようとも、いかなる流れもその水源より高くは上がらない。文化的文明の最たる物質的側面の駆動力は、最少に物質的な社会的成就にある。知性は文明の仕組みを制御するかもしれないし、知恵がそれを導くかもしれないが、精神的理想は、人間文化を1つの水準から別の水準へと真に向上させ、前進させるエネルギーである。
生活は、最初存在のための苦闘であった。現在は生活水準のため。次にそれは、思索の特質、つまり人間の来るべき地球の目標のためとなるであろう。
10. 専門家の連携。文明は、早期の分業により、またその後の専門化の必然的結果により大いに進められてきた。文明は、現在、専門家の有効な連携に依存している。社会が拡大するとき、様々な専門家を引き寄せる何らかの方法を見つけなければならない。
社会、芸術、技術、それに産業の専門家は、技能や器用さを増やし続けるであろう。そして能力のこの多様化と雇用の不同性は、もし連携と協力の効果的方法が開発されなければ、ついには人間社会を弱め崩壊させるであろう。しかし、そのような創作力と専門化を可能にする知性は、急速な発明力の成長や加速度的文化の拡大から生じるすべての問題に対し、適切な制御と調整手段の工夫において完全に有能であるべきである。
11. 場所を見つける装置。社会開発の次の時代は、絶えず増加し拡大する専門化のより良く、より効果的な協力と連携が取り入れられるであろう。そして、個人を適切な雇用に方向づけるための何らかの方法が、労働の多様化につれ工夫されなければならない。機械は、ユランチアの文明的民族の間の失業の唯一の原因ではない。経済の複雑さと産業の、そして職業専門化の恒常的な伸びが、作業配置の問題に拍車をかける。
仕事に向けて人を訓練するだけでは、十分ではない。場所発見の効率的方法もまた、複雑な社会にはなくてはならない。国民は、生計を立てるための非常に専門化された技術訓練を受ける前に、専門職で一時的に失業した際、1つ、あるいはそれ以上の当たり前の労働、つまり有用とされる職業を仕込まれるべきである。どんな文明も、長年にわたる大人数の失業者階級の抱え込みを乗り切ることはできない。国庫援助の受け入れは、そのうちに国民の中の最良者達さえ歪め、やる気をなくさせるようになるであろう。健康な市民への個人の慈善行為でさえも、長々と延長されると有害となる。
そのような高度に分化された社会は、昔の民族の共同的、封建的な古代の習わしには馴染まないであろう。多くの一般業務は、本当に許容でき、しかも有益に社会化されるが、非常に訓練され、極端に専門化された人間は、何らかの知的な協力方法により管理できるのが最善である。近代化された連携と友愛的規制の方が、より古く、 より原始の共産主義的方法、あるいは力に基づく独裁的規制的機関よりも長続きする協力を生むであろう。
12. 協力する意欲。人間社会の進歩への大きな妨害の1つは、より大きく、より社会に適合した人間集団と、反社会的傾向の1個人は言うまでもなく、より小さく、相容れない反社会的な人間の結社との間での利害と繁栄の葛藤である。
どの国家文明も、その教育方法と宗教理想が、知的な愛国心と国家への献身の気高い型を発奮させない限り、長くは続かない。万国は、この種の知的な愛国心と文化的連帯意識なくしては、偏狭的妬みや局所的利己心の結果、崩壊しがちである。
世界的文明の維持は、いかに平和と友愛のうちに共存すべきかを学ぶ人間によって決まる。産業文明は、効果的連携がなければ、極端な専門化の危機に脅かされる。単調さ、狭さ、および不信と嫉妬を引き起こす傾向。
13. 敏腕で賢明な始動力。文明においては、熱心で敏腕であり重荷を担う精神の多くに、非常に多くに左右される。大きな荷物を持ち上げるには、一緒に—全員同時に—持ち上げない限り、10人は、一人以上に価値があるわけではない。そのような共同作業—社会的協力—は、指導力で決まる。過去と現在の文化的文明は、賢明で進歩的な指導者との市民の知的協力に基づいてきた。文明は、人が、より高い水準に進化するまで、賢明で主導的な指導力を頼り続けるであろう。
高度の文明は、物質的富、知性の卓越さ、道徳的価値、社会の巧妙さ、および宇宙洞察の賢明な相関関係から生まれる。
14. 社会的変化。社会は神性団体ではない。それは、段階的発展現象である。前進する文明は、その指導者が、その時代の科学開発の対応に不可欠な社会組織におけるそれらの変更に遅鈍であるときに常に遅れる。とは言うものの、ただ古いという理由だけで物事を軽蔑してはいけないし、ただ珍奇で新しいという理由だけで無条件に考えというものを迎え入れるべきでもない。
人は、社会の仕組みを試すことを恐れるべきではない。文化の調整における冒険は、社会的発展の歴史に完全に詳しい人々によって常に調整されるべきである。また、これらの革新者は、社会的、あるいは経済的角度から検討した実験領域において実際に経験をした人々の見識による助言を常に受けるべきである。大きい社会的、あるいは経済的変化も決して突然に試みるべきではない。人間のすべての調整の型—物理的、社会的、または経済的—には時間が、不可欠である。道徳的、そして精神的調整だけが、即座に可能であり、これらでさえも、物質的、社会的影響の完全な成就のための時間の経過を必要とする。人種の理想は、文明が1段階から別の段階へ推移する重要な期間の主要な支えと保証である。
15. 過渡期の挫折防止。社会とは、何世代にもわたる試行錯誤の所産である。それは、惑星情勢における動物から人間の高さへの人類の長年の上昇の連続的段階における選択的調整と再調整を乗り切ったものである。重大な危険は、どの文明にとっても—いかなる瞬間においても—確立された過去の方法から新しくより良い、しかし未経験の未来の方法への変遷時期の挫折の脅威である。
指導力は、進歩にとり不可欠である。知恵、洞察、先見は、国の存続に不可欠である。文明は、指導力が消失し始めるまで実は決して危険にさらされない。そして、そのような賢明な指導の数量は、決して人口の1パーセントを超えたことがない。
またそれは、文明が急速に広がりつつある20世紀文化に到達したそれらの強力な影響を開始することができたその場所に登った進化の梯子の横木によるものであった。人は、これらの基礎への固守だけで続けられた開発と確かな生存に備えつつ現代文明の維持を望むことができる。
これが、地球の民族が文明を確立しようとアダームの時代以来奮闘した長い、長い戦いの要旨である。現代の文化は、この精力的な発展の最終結果である。1世代が、非常に速くその先輩の業績から恩恵を受けられず、印刷発見の前、進歩は比較的遅かった。しかし、現在人間社会は、文明が戦った全時代の蓄積された勢いの下で前方に突入している。
[ネバドンの大天使による提示]
結婚—交合—は、両性愛から生じる。結婚は、そのような両性愛への人の反応的適合であるが、家族生活は、そのようなすべての進化と適応調整から生まれる総体的結果である。結婚は持続する。それは、生物進化に固有ではないが、すべての社会進化の基礎であり、したがって、何らかの形での存続は確かである。結婚は、家庭を人類に与え、また家庭は、長く困難な進化的全葛藤の有終の美である。
宗教、社会、教育機関の総ては、文化的文明の存続に不可欠であり、家族は、最上の文明化をするものである。子供は、その家族と隣人から人生の基礎の大半を学ぶ。
昔の人間には豊かな社会文明はなかったが、もてるものは忠実に有効に次世代に伝えていった。過去のこれらの文明の大部分は、家庭が、効果的に機能していたので他の制度上の最小限の影響で発展し続けたと気づくべきである。今日人類は、社会的、文化的遺産を所有しており、それは、賢明に効果的に後の世代に伝えられなければならない。教育機関としての家族が、維持されなければならない。
性欲は、男女間の個性の大きな隔たりにもかかわらず、種の繁殖のために一緒になることを保証するに足りるのである。この本能は、後に愛、献身、夫婦間の忠誠心と呼ばれる多くのことを人間が経験をするずっと以前に効果的に作用した。交合は、生まれながらの性癖であり、結婚は、その社会的進化の影響である。
性の関心と願望は、原始民族においては支配的激情ではなかった。原始民族は、単にそれらを当然のことと思った。生殖経験のすべては、想像的な潤飾とは無関係であった。全ての性の激情を飲み込むような高度の文明民族は、主には人種混合に起因しており、特に進化する資質が、ノヅ系とアダーム系の連想的想像力と美の認識に刺激された場所においては。 しかし、進化する人種は、より鋭い性の意識と、 より強い性交衝動の資質が、このようにして速めて、そそる獣欲に対し十分な自制をもたらし得ないほどにこのアンド系の遺産を限定的量において吸収した。進化する人種の中では、赤色人種が最も高度の性の慣例を持っていた。
結婚に関する性の規制は、次の事柄を示す。
1. 文明の相対的進行。文明は、性が、有用な媒介と慣習に従って満たされることをますます要求した。
2. どの民族であれアンド系の血統の量。そのような集団の間での性は、肉体的、感情的性質の双方における最高と最低の両方を表現するようになった。
サンギク人種には平均的獣欲があったが、異性の美や肉体的な魅力にあまり興味や評価を示さなかった。いわゆる性的魅力は、現代の原始の人種にさえほとんど欠けていると言ってもよいほどである。これらの混ざり気のない民族は、明確な性交本能をもつが、社会規制を必要とする重大な問題を生じさせるには性的誘因は不十分である。
性交本能は、人間の肉体上の支配的原動力の1つである。それは、個人の喜びの名の下に、責任からの個人的な安らぎと個人の自由のずっと上に民族の幸福と永続性を利己的な者にだまして置かせる1つの効果的感情である。
制度としての結婚は、その始まりの初期から現代に至るまで自己永続のための生物的傾向からくる社会的発展を描写している。進化する人類の永続は、この人種的交合衝動、大まかに性的魅力と呼ばれる衝動の存在により確実にされる。この大いなる生物的衝動は、あらゆる種類の関連する本能、感情、および慣用—物理的、知的、道徳的、社会的—のための衝動の中心部になる。
食物供給は、未開人の間では人を駆り立てる動機であるが、文明が豊富な食物を保証するとき、性的衝動は、しばしば支配的衝動となり、したがって社会的規制を必要とする。動物では本能の周期性が、交尾の傾向を食い止めるが、人間は、多大に自制心のある生き物なので性欲は完全に周期的ではない。それゆえ社会が、個人に自制を強いることが必要になってくるのである。
拘束され甘やかされるとき、いかなる人間の感情あるいは衝動も、この強力な性衝動ほどに多くの害と悲しみを引き起こし得るであろうか。この衝動を抑え社会規則への知的服従が、文明の現実性に対する最高の試験である。自制は、ますますの自制は、前進する人類への絶え間なく増大する要求である。秘密、不誠実、および偽善は、性の問題をあいまいにするかもしれないが、解決法を提供しないし、倫理を進歩させもしない。
結婚進化の物語は、単純に社会、宗教、そして市民制約の圧力による性の抑制の歴史である。自然は、個人を見分けるとは言いがたい。いわゆる倫理の認識もしない。それは、単に、しかも排他的に種の生殖に関心がある。自然は、有無を言わせず生殖を強く求めるが、必然的な問題を無頓着に社会の解決するがままにし、その結果、進化的人類にずっとつきまとう重大問題を生じさせる。この社会的葛藤は、基本的本能と進化する倫理との終わりのない戦争の中にある。
初期の人類は、性関係の規制は、あるかなしかの状態であった。この性の認可の理由から売春も存在しなかった。今日、ピグミー族と他の後退的集団は、何の結婚制度もない。これらの民族の研究は、原始人類が踏襲した簡単な性交習慣を明らかにする。しかし、すべての古代民族について、常に各時代の社会習慣の道徳的基準を考慮にいれて研究され、判断されるべきである。
自由恋愛は、しかしながら、甚だしい野蛮の階級より上では決して受けがよくなかった。社会集団が形成し始めるとすぐに、結婚の慣例と規制が発達し始めた。交合は、このようにしてほぼ完全な性の認可の状態から比較的完全な20世紀の性の制限基準へと数多の変遷を経て進歩してきた。
道徳的慣習と制限的禁忌は、部族発達の初期段階においては非常に粗雑であったが、男女は切り離していた。—これは、静寂、秩序、勤勉を促し—そして、結婚と家庭の長い進化が始まった。衣服と装飾、および宗教習慣に関わる性別による習慣は、性の特権の範囲を定義し、その結果ついには悪、犯罪、罪の概念を産むことになる初期の禁忌に起源があった。しかし、それは、重要な、特に五月祭にすべての性の規制を中断する長い間の習慣であった。
女性は、昔から男性よりも制限的禁忌を受けてきた。早期の道徳慣習は、未婚女性に男性同様の性の自由を認めたが、妻にはいつでも夫に忠実であることが要求されてきた。原始の結婚は、男性の性の特権をあまり抑えはしなかったが、妻には更なる性の許容への禁止を課した。既婚女性は、常に自分たちを1種類として区別し髪型、衣服、ベール、隔離、装飾、および輪などの何らかの印を身につけてきた。
結婚は、男性の絶え間ない衝動からくる繁殖—自己増殖—への常に存在する生物的緊張に対する社会有機体の制度上の対応である。交合は、普遍的に自然であり、また社会が単純なものから複雑なものに発達するにつれ、交合のための社会慣習に対応する進化、すなわち結婚制度が生まれた。結婚は、社会的発展が、社会慣習段階へと進む所ではどこでも発展的制度となるであろう。
結婚には、常に異なる2つの領域があったし、これからもずっとそうであろう。慣習、つまり交合の外面的様相を規定する法、さもなければ男女の秘密の、個人的な関係。個人は、いつも、社会に強いられた性の規制に対し反抗してきた。これが、この長年の性問題の原因である。自己維持は、個人的ではあるが、集団に維持されている。自己永続化は、社会的であるが、個人の推進力に保証されている。
社会慣習は、尊重されているときすべての人種間で示されたように性の衝動を抑制し制御する十分な力がある。結婚の基準は、常に道徳慣習のその時の力と民間政府の機能の全体性の真の指標であった。しかし、初期の性と交合慣習は、矛盾と粗雑な規則の固まりであった。両親、子供、親類、社会のすべてが、結婚の規則に相反する関心を持っていた。しかし、このすべてにもかかわらず、結婚を自然に高め実践したそれらの人種が、 より高い段階に発展し、より多くの数で生き残った。
原始時代の婚姻は、社会的地位への報酬であった。妻の所有は傑出の印であった。未開人は、自分の婚礼の日を責任と男らしさへの門出を記すものと考えた。ある時代には、結婚は、社会的義務と見なされた。他の時代には宗教義務として。さらに別の時代には市民を国家に供給する政治上の必要条件として。
初期の部族の多くは、結婚のための資格として盗みの快挙を求めた。後の民族は、運動競技、競合遊戯をそのような急襲と置き換えた。これらの競技の勝者には一等賞—婚期に至った花嫁の選択—が与えられた。首狩り族の間では、若者は、少なくとも1つの首を所有、頭蓋骨は時々購入可能であったが、するまで、結婚を許されなかった。妻の購入の衰退につれ、多くの黒人集団内にいまだに存続している習慣である謎解きの競い合いによって勝者が妻を得た。
文明の進歩と共に幾つかの部族では、結婚のための男性の忍耐力有無の厳しい試験を女性の手に委ねた。彼女等は、その結果、自分で選んだ男性に便宜を図ることができた。結婚のためのこれらの試験は、猟や戦いの技能、それに家族扶養能力を含んだ。花婿は、少なくとも1年間花嫁の家族に入り、そこで暮らし、働き、その妻にふさわしいと立証することが求められた。
妻の資格は、きつい仕事をし子供を生む能力であった。一定の期間内に一定の農作業を実行しなければならなかった。もし結婚前に子供を生んだならば、彼女は、なおさら貴重であった。彼女の繁殖力は、こうして確信された。
古代民族が不名誉と見なした、あるいは罪とさえ見なした事実が、すなわち結婚しないことが、子供の結婚の起源について説明している。人は結婚しなければならないのであるから、早いほどよい。また、未婚者は霊界に入ることができないというのが一般的信仰であり、これが、出生時の、時には出生以前にさえ、子供の結婚への一層の誘因であった。古代人は、死者さえ結婚しなければならないと信じた。最初の仲人は、死んだ個人のための結婚を取り決めるために雇われた。1人の親が、死んだ息子と他の家族の死んだ娘との結婚を実行するためにこれらの仲人を手配するのであった。
後の民族の間では、思春期が結婚の一般的年令であったが、これは、文明の進歩に正比例して進んだ。社会発展の初期、男性と女性双方の風変わりな、しかも独身の階級が生じた。それらは、大かれ少なかれ通常の性の衝動を欠く個人によって始められ維持された。
多くの部族は、夫に与えられる直前に支配的集団の構成員達に花嫁との性関係を持たせた。これらの各男性は、少女に贈り物を与えるのが常で、またこれが結婚祝いの品を与える習慣の起こりであった。いくつかの集団内では、若い女性は、花嫁披露の広間での彼女の性のサービスに対し報酬として受け取られる贈り物から成る持参金の収得を期待した。
幾つかの部族では、若い二人の結婚が許されれば、双方が愚かな親になると考えたことから、若者を寡婦や年上の女性と結婚させ、その後男やもめとなったとき、若い女性との結婚を許し、こうして双方の両親が愚か者にならない手段を取った。他の部族は、同年齢層との結合を制限した。近親相姦禁忌の考えが、まず一定年齢層への結婚制限の起始となった。(インドでは、今でも結婚に何の年齢制限もない。)
ある道徳的慣習の下のやもめ暮らしは、配偶者と共に霊の世界にわたるはずであったので未亡人は殺されるか、または夫の墓での自殺を許され、大いに恐れられていた。生き残った未亡人は、ほぼ間違いなく夫の死の責任を問われた。いくつかの部族では未亡人を生きながらに焼いた。未亡人が生き続けるならば、再婚は一般に認められていないので、その人生は、悲しみの連続であり、耐え難い社会的制限があった。
今は不道徳であると見なされる多くの習慣が、昔は奨励された。原始の妻は、他の女性との夫の情事を大きな誇りとした。少女の貞操は、結婚への大いなる妨げであった。結婚前の子供の出産は、男性がかならず多産な伴侶を持つことにしていたので、少女の妻としての好ましさを高めさせた。
多くの原始部族は、女性が妊娠するまで、つまり通常の結婚式が執り行われるまで試験的結婚を認めた。他の集団の間では、最初の子供が生まれるまで結婚式は挙行されなかった。妻は、不妊であったならば両親に引き取られなければならず、結婚は破棄された。社会習慣は、すべての夫婦に子供がいることを要求した。
これらの原始の試験的結婚は、認可には似ても似つかないものであった。それらは、単に生殖能力の真剣な試みであった。婚約関係にある個人は、繁殖力が確認されるとすぐに永久に結婚した。現代の男女が、完全に結婚生活に満足させられない場合には便利な離婚という考えを内心にもって結婚するとき、実際には試験的結婚の1つの型に、しかもそれほど文明的ではない先祖の正直な冒険の状態のはるか下の型に入っているのである。
結婚は、昔から財産と宗教の両方に密接に結びつけられてきた。財産は結婚の安定剤であった。宗教は道を説くもの。
原始の結婚は、投資、つまり経済投機であった。それは、媚びの問題であるよりも仕事上の問題であった。古代人は、集団の利益と福祉のために結婚した。それ故、結婚は、集団、両親、年長者によって計画され手配された。財産慣習が、結婚制度を安定させることに効果的であったことが、初期の部族間での結婚が、多くの現代の民族間でよりもより長かったという事実によって示されている。
文明が進み、私有財産が社会習慣の中で一層の承認を得てくると、窃盗が大犯罪となった。姦通は、窃盗の種類、夫の財産権の侵害として認識された。それは、したがって初期の掟や道徳的慣習で明確に言及されてはいない。女性は父の財産として人生を始め、父はその権利をその夫に移し、すべての合法化された性の関係が、これらの先在の財産権から生まれた。旧約聖書は、財産形式の一つとして女性を扱う。コーランは、女性の劣性を教える。男性は妻を友人、あるいは客に与える権利をもち、この習慣は、いまだに一部の民族の間で通用している。
現代の性の嫉妬は、先天的なものではない。それは、進化する慣習の生産物である。原始人は妻に嫉妬しなかった。ただ自分の財産の警備に当たっていた。夫より妻に厳しい性の責任を負わせる理由は、彼女の不貞が、世襲と遺産に関わったからであった。私生児は、ごく初期の文明の進歩において不評判を招いた。最初は女性だけが密通のために罰せられた。やがて、道徳的慣習がその相手の制裁を命じ、傷つけられた夫、もしくは庇護者の父は、長い時代にわたり男性の侵害者を殺す完全な権利をもった。現代民族は、これらの道徳的慣習を実行し続けており、それが不文律の下でのいわゆる名誉のための犯罪を許容している。
貞節のための禁忌には財産慣習の局面としてその起源があり、初めは既婚婦人に適用され、未婚の少女には適用されなかった。後年には、貞節は求婚者よりも父から要求された。処女は、父にとり商業資産であり、彼女にはより高い値がついた。貞操への要求がより高くなるにつれ、将来の夫のために貞節な花嫁を適切に育てる功労を認識し花嫁の費用をその父親に支払うのが習慣であった。女性の貞操というこの考えは、一度始められるとその処女性を保証するために、少女を文字通り檻に入れるまでに、実際に長年投獄することが習慣になるまでに人種を牛耳た。その結果、より最近の基準と処女性の吟味が、自動的に売春階級を生みだした。これらの女性は、拒絶された花嫁、花婿の母に処女でないと見なされた女性達であった。
非常に早くから未開人は、人種混合が子の質を改良することを観察した。それは、同系交配がいつも悪かったというわけではないが、異系交配が比較的いつも良かったということであった。したがって、慣習は、近親内での性関係の制限を具体化する傾向にあった。異系交配は、進化的変化と前進のために選択の機会を大いに増加させるということが認められた。異系交配された個人は、 より万能であり、敵意に満ちる世界で生き残るより優れた能力を持っていた。同系交配者は、その慣習と共に徐々に姿を消した。すべては、緩慢な発展であった。未開人は、意識的にそのような問題について推論しなかった。しかし後の前進する民族はそれをし、また一般的な弱点が、時々過度の同系交配から生じるという観察もした。
優れた血統の同系交配が、時々強い部族を築き上げる結果をもたらす一方で、遺伝的欠陥のある同系交配の悪い結果の劇的な事例は、より力強く人の心に印象づけ、その結果、前進的慣習は、近親間でのすべての結婚に対する禁忌をますます定式化した。
長い間、宗教は、異系結婚に対し有効な障害であった。多くの宗教の教えは、異宗教の間の結婚を禁じた。通常女性は、内部結婚の習慣を好んだ。男性は外部結婚を。財産は、いつも結婚に影響を及ぼしてきており、時として、一族の中で財産を保存する努力のために女性が父の部族の中から夫を選ぶことを強制する慣習が起こった。この種の措置は、いとこ同志の結婚の多大な増加に至った。内部結婚は、技術の秘密を保持する努力のためにも実践された。熟練した労働者は、工芸に関する知識を家族内に保とうとした。
優れた集団は、隔離される度にいつも血族交合に戻った。ノヅ系は、15万年以上にわたり内部結婚の多い集団の1つであった。後の内部結婚慣習は、当初は必然的に、交合がきょうだい間であった紫色人種の伝統に大いに影響された。きょうだい同志の結婚は、早期のエジプト、シリア、メソポタミア、それにかつてアンド系に占領された土地全体において共通であった。エジプト人は、王の血を純粋に保つ目的できょうだい間の結婚を長く順守した。アブラハムの時代以前、メソポタミア人の間では、いとこ同志の結婚が義務的であった。いとこは、いとこと先に結婚する権利を持っていた。アブラハム自身は、片親が異なるきょうだいと結婚したが、そのような結合は、ユダヤ人の後の慣習の下では許されなかった。
きょうだいである妻が、もう一人の妻、あるいは複数の他の妻を横柄に支配したので、複数妻帯の慣習による兄弟姉妹同士の結婚からの最初の離脱が生じた。いくつかの部族慣習は、死者の兄弟の未亡人との結婚を禁じたが、生存中の兄弟が、死んだ兄弟のために子供を儲けることを求めた。いかなる度合の内部結婚に対しても何の生物本能も存在しない。そのような制限は、完全に禁忌の問題である。
外部結婚は、男性の好みの理由により最終的に優位を占めた。外部から妻を得ることは、姻戚からのより大きな自由を保証した。親しさは侮りを生む。したがって、個々の選択要素が交合を支配し始めると、部族外から相手を選ぶことが習わしとなった。
多くの部族が最終的に一族内での結婚を禁じた。他の部族は、一定の社会階級内の交合へと制限した。自分自身のトーテムの女性との結婚に対する禁忌が、隣接する部族から女性を盗む習慣に弾みをかけた。結婚は、後には親族関係よりも住居地域に従って規制された。現代の外部結婚慣習への内部結婚の進化には、多くの段階があった。庶民の中で禁忌が内部結婚にのしかかった後でさえ、首長と王には、王の血を濃く純粋に保つために近い親類のものとの結婚が許された。通常、慣習は、性の問題に関しては統治者に一定の許可を容認した。
後のアンド系民族の存在は、サンギク人種の部族外での交合願望の高まりと大いに関係があった。しかし近隣集団が、比較的平和で共存し始めるまで外部結合が優勢になることは可能ではなかった。
外部結婚それ自体は、平和促進剤であった。部族間の結婚は、戦争を少なくした。外部結婚は、部族を連携と軍事同盟に導いた。それは、強さを提供したので優位になった。それは国家の構築者であった。外部結婚は、また通商関係の拡大により大いに支持された。冒険と探検は、交合領域の拡大に貢献し、かつ人種的な文化の交雑受精を大きく容易にした。
結婚の人種的慣習の、その他の点で不可解な矛盾は、外部部族から妻を盗んだり買ったりに付随するこの外部結婚習慣に大きく起因している。内部結婚を尊重したこれらの禁忌は、社会的であり生物的ではないことは、親族関係の結婚に関する禁忌によく例証されている。これらの禁忌は、少しの血族関係もないことを示す姻戚関係の多くの度合いを網羅する。
今日、世界に純血人種は存在しない。早期の、しかも最初の進化的有色民族は、世界に存続する代表的2人種である黄色人種と黒色人種しかいない。これらの2人種さえ、絶滅した有色民族と多く混合されている。いわゆる白色人種は、主に古代の青色人種の血を引くが、それは、アメリカ大陸の赤色人種とほとんど同じように他の人種と多かれ少なかれ混合されている。
有色サンギクの6人種のうち、半分は一次的で、残りの半分は二次的であった。一次的人種—青色、赤色、黄色—は、あらゆる点で3種類の二次的民族よりも優れていたが、そのより良い血統が、これらの二次的人種に吸収されていたならば、一次的民族を相当に高めていたであろう多くの望ましい特色があったということを忘れてはならない。
近代の人種の異種交配は、大部分が関係する人種のはなはだしく劣る血統の間にあるので、現代の偏見が、「混血児」、「合いの子」、および「雑種」に対して生まれる。また同人種の退歩の血統同士が結婚すると不満足な子孫を設ける。
もしユランチアの現代の人種が、低下し、反社会的で精神薄弱の落ちこぼれている者達の最低層の災いから解放されることができるならば、限定的人種の合併に対してさほど異論はないであろう。またそのような人種混合が、いくつかの人種の最高の型の間で行われることができるならば、ましてや異論はないであろう。
優れた、しかも異なる血統の交配は、新たで、 かつより力強い血族創造の秘訣である。そしてこれは、植物、動物、人類に該当する。交配は、活力を増大させ、繁殖力を増加させる。様々な民族の平均的、あるいは優れた層の人種混合は、北米合衆国の現在の住民で示されるように創造的な可能性を大いに高める。そのような交配が、下層間で、つまり劣層間で行われるとき、創造性は、南インドの現代の民族に示されているように減少する。
人種混合は、新たな特性の突発的出現に大いに貢献するし、また、そのような交配が、優れた血族の結合であるならば、これらの新たな特性は、優れた特徴になり得るであろう。
現代の人種が、劣り退化する血族で詰め込まれ過ぎている限り、大規模での人種の混合は、最大の弊害をもたらすであろうが、そのような試みへの反論の大半は、生物学的問題によりも、むしろ社会的、文化的偏見に向けられている。雑種は、劣性血統の中でさえ、しばしばその先祖よりも改良されたものである。交配は、優性遺伝子の役割で種の改良に寄与する。人種の混合は、雑種に存在する望ましい優性遺伝子の数多くの可能性を増加させる。
より多くの人種交配が、何千年間に起きた以上に過去100年間にユランチアで起きている。人間の血統の異種交配から生じるひどい不調和の危険性は、大いに誇張されてきた。「混血児」の主要な問題は、社会の偏見が原因である。
白人とポリネシア民族を混合するピトケアンの実験は、白人とポリネシアの女性が、かなり良い人種的血族であったことから、結果的にかなり良かった。白色人種、赤色人種、黄色人種の最も優れた型の間での雑交は、たちまち多くの新しくて生物学的に効果的な特性を生み出すであろう。これらの3民族は、第一サンギク人種に属する。白色人種と黒色人種の混合は、それらの即座の結果においてあまり望ましくないし、社会的、人種的偏見が、黒白混血児は好ましくはないと仕向けるほどに反対すべきものではない。物理的に、そのような黒と白の雑種は、他の幾つかの点でのわずかな劣性にもかかわらず、人類の素晴らしい見本である。
第一のサンギク人種が、二次サンギク人種と融合するとき、後者は、前者を犠牲にしてかなり改良される。そして、小規模での—長い期間に及ぶ—第一人種による二次集団向上へのそのような犠牲的貢献に対し深刻な異論はほとんどあり得ない。二次サンギクは、生物学的に考慮されるとき、ある点では第一人種よりも優れていた。
煎じ詰めれば、人類の本当の危険は、そう考えられている人種的雑交におけるよりも様々の文明民族の劣性で退化した血統の無制限な繁殖にある。
[ユランチアに配置された主熾天使による提示]
これは初期の結婚制度の始まりについての物語である。それは、群れのだらしなくふしだらな交合から多くの変化と適合にいたるまで、さらには、1対の交合、すなわち最高度の社会体制の家庭を確立するための1人の男性と1人の女性の結合のの実現に最終的に至る結婚基準の出現まで着実に進歩した。
結婚は何度も危険にさらされてきたし、また結婚慣習は、保護のために資産と宗教の両方を重度に利用してきた。しかし、結婚とその結果生じる家族をいつまでも保護する真の効力は、男女が最も原始的な野蛮人か最も教養ある必滅者であるとにかかわらず、お互いがいなくては確実に生きないという単純、かつ生まれながらの生物的事実である。
利己的な人間が動物よりも何か良いものへと誘い込むのは、必滅性の衝動のためである。利己主義の、また自己満足の性的関係は、自己否定に対するある種の結果を必然的に伴い、利他的義務と人種に利益をもたらす家庭での数多くの引責を保証する。この点において性は、野蛮人への認識されていない、しかも疑われていない文明剤である。というのも、この同じ性衝動は、自動的に、また的確に人に考えるように強いるし、ついには愛するように導くのであるから。
結婚は、両性交の身体的事実に起因する多くの人間関係を規制し制御するように考案された社会の仕組みである。そのような制度として結婚は、2方向に機能する。
1.個人の性的関係の規制において。
2. 家系、遺産、継承、社会秩序の規制においてこれが、より古く、しかも本来のその機能であること。
結婚から生じる家族は、それ自体が財産慣習と同様に結婚制度を安定させるものである。結婚の安定性における他の強力な要因は、誇り、虚栄、騎士道、義務、宗教信念である。しかし、結婚というものは、天で承認されたり否認されたりするかもしれないが、天国では決して執り行われない。人間の家族は、疑いようもなく人間の制度、段階的発展である。結婚は、社会の慣行であり、教会の領域ではない。宗教は、確かにそれに強く影響を及ぼすべきではあるが、専らそれを制御したり規制することを引き受けるべきではない。
原始の結婚は、主として産業的であった。現代においてさえ、しばしばそれは、社会的であるか商務的である。アンド系血族の混合の影響を経験し、また前進する文明の慣習の結果、結婚は、次第に相互的、恋愛的、親的、詩的、慈愛的、倫理的で理想主義的になりつつある。しかしながら、選択、そしていわゆる恋愛は、原始の交合においては最小限であった。早期における夫と妻は、あまり一緒にいなかった。それほど頻繁に一緒に食事さえしなかった。しかし、古代人の間では、個人的な愛情は、性的誘因には強く連結されなかった。大体は、一緒に暮らし一緒に働いているのでお互いが好きになった。
原始の結婚は、常に少年と少女の両親によって計画された。この習慣と自由な選択の間の変遷段階は、結婚仲立ち人か仲人に取って代わられた。これらの仲人は、最初は床屋であった。後には司祭であった。結婚は、元来集団に関する事柄であった。次には、家族の問題に。一個人の冒険になったのはほんの最近である。
魅力ではなく強制が、原始の結婚への接近法であった。初期において女性には性に対してよそよそしさはなっかったが、慣習による性への劣等性を繰り返し教え込まれたに過ぎなかった。強奪が通商に先行したように、分捕りによる結婚が、契約による結婚に先行した。一部の女性は、部族の年配の男性の支配から逃げるために分捕りを黙認するのであった。女性らは、別の部族からの同年令の人の手に落ちることを好んだ。この疑似の駆け落ちは、力ずくで取る方法とその後の魅力による求愛の間の変遷段階であった。
初期の結婚式の型は、模擬の逃亡、かつては一般的習慣であった一種の駆け落ちの下稽古であった。その後、捕獲のまねごとが、通常の結婚式の一部になった。現代の少女の「捕獲」への見せかけの抵抗、すなわち結婚に対して控え目になることは、すべて昔の習慣の遺風である。数ある習慣の中で、敷居の上を花嫁を抱えて越すことは、妻の窃盗時代からの多くの古代の習慣の名残りである。
結婚において自分の思い通りにする完全な自由は女性に対して長い間否定されたが、より知力の優れた女性は、賢明に機知を駆使しこの制限をいつも回避することができた。男性は、通常求愛での先導をしてきたが、いつもそうとは限らなかった。女性が時々正式に、内密でも結婚を主導する。そして文明が進歩してくると、女性は、求愛と結婚のすべての局面において増加する役割を担ってきた。
結婚前の求婚の高まる愛、恋愛、および個人的な選択は、アンド系の世界人類への貢献である。異性間の関係は、順調に発展している。多くの進歩的民族は、徐々に性的誘因のいくらか理想化された概念をより古い有用性や所有権の動機の代わりに用いている。性の衝動と愛情の気持ちが、終生の伴侶の選択において冷ややかな打算と入れ替わり始めつつある。
婚約は、そもそも結婚に相当した。そして初期の民族の間での性的関係は、婚約期間中、常套的であった。近代において、宗教は、婚約から結婚の間の性の禁止を確立した。
古代人は、愛と約束を信用しなかった。古代人は、いつまでも続く結婚は、何らかの具体的な保障、財産によって保証されなければならないと考えた。このため妻の買値は、夫が離婚か放棄する際に損失が決定的になる没収金か預け入れ金と見なされた。花嫁の買値がいったん支払われると、多くの部族は、夫の焼き印を入れることを許可した。アフリカ人は今でも妻を買う。アフリカ人は、愛する妻、または白人の妻は費用を要しないので猫にたとえる。
花嫁のお披露目は、妻としてより高い代価をもたらす考えで公衆に見せるために娘を正装させ飾らせる機会であった。彼女らは、動物として売られなかった—そのような妻は、後の部族間では、譲渡可能ではなかった。花嫁購入が、いつも単に冷酷な金の取り引きであったというわけではない。奉公は、妻の購入金額に同等であった。それ以外では、望ましい男性が、妻の代価を支払うことができないならば、その男性は、少女の父が息子として養子にすることができ、それから結婚することができた。また、貧しい男性が妻を探し求め、強欲な父親に要求された価格に応じることができないならば、年長者が、しばしばその要求に変更をもたらすよう父親に圧力をかけるか、または駆け落ちがあったかもしれない。
父親は、文明が進歩するにつれ娘を売ることを好まなかったらしく、花嫁の買値を受け入れ続ける一方で、ほぼ購入代価に等しい高価な贈物をその夫婦に与える習慣を始めた。これらの贈物は、後に花嫁のための支払いが廃止されると花嫁の持参金になった。
持参金という考えは、花嫁の独立の印象を与えるために奴隷的妻と財産的伴侶の時代からの遠くへの退去を示唆する目的であった。男性は、持参金の全額返済なきして持参金妻と離婚することができなかった。いくつかの部族間では、花嫁、花婿双方の親は、夫婦の一方が他方から去る場合に没収されるべき相互積み立て、すなわち事実上の結婚債券を設定した。子供は、購入から持参金への変遷期間においては、妻が買われたならば父に属した。でなければ、らは、妻の家族のものであった。
結婚式は、単に2個人の決定の頂点ではなく、結婚が元々地域社会の問題であったという事実から発展した。対になるということは、個人的機能と同様に集団の関心事であった。
魔法、儀式、および式典は、古代人の全生活を取り巻き、結婚も例外ではなかった。結婚は、文明が進むとより真剣に考慮されるようになり、結婚式は、ますます見栄を張るようになった。初期における結婚は、今日そうであるように、財産への関心が要因であり、それゆえ法的儀式を必要とし、一方、その後の子の社会的地位は、最大限の公表を要求した。原始人は、何の記録も持たなかった。したがって、結婚式は、多くの人々の目撃を必要としなければならなかった。
当初結婚式は、婚約のようであり、単に共に暮らす意志の公示であった。その後、それは、一堂に集まる正式の食事から成った。いくつかの部族間では、両親は、単に娘を夫の元へ連れていった。他の事例では、唯一の儀式は、親の間での正式の贈答品交換で、その後、花嫁の父が、花婿に娘を与えるのであった。多くのレバント民族の間では、結婚は性的関係によって成り立ったので、すべての儀式を省くのが習慣であった。赤色人種は、より入念な結婚式の祝賀を生み出した人種であった。
子なしは大いに嫌がられ、不妊は霊の策謀のせいにされたので、多産を保証する努力は、結婚とある種の魔力か宗教儀式の提携にもつながった。そして、幸福で多産の結婚を保証するこの努力では多くのまじないが用いられた。占星術師さえ、婚約の当事者の生まれた星を確かめる相談にあずかった。人間の生贄は、かつて裕福な人々の間でのすべての結婚式の通常の形態であった。
吉日が求められ、木曜日は最良と見なされ、満月で祝う結婚式が殊の外幸先が良いと考えられた。穀物を新婚夫婦に投げるのは、中近東の多くの民族の慣習であった。これは、多産を保証するはずの呪術的儀式であった。東洋の一部の民族は、この目的に米を用いた。
火と水は、亡霊と悪霊に抵抗する最善策であると常に考えられた。したがって亡霊と霊が手がかりを失うようにと、偽りの婚礼の日を決め、次にその催しを突然に延期するのが、長い間のしきたりであった。
新婚夫婦への嘲戯と新婚旅行者への悪ふざけはすべて、霊が見ると惨めで居心地が悪く見えた方がよいと考え、嫉妬の喚起を避けるようにと考えられたはるか昔の名残りである。花嫁のベールの着用は、亡霊が花嫁と気づかないように花嫁を変装させたり、またそうでなければ、嫉妬深く羨望的な霊の凝視からその美を隠すことが必要であると考えられた時代の遺風である。花嫁の足は、儀式直前に決して地面に触れてはいけない。20世紀においてさえ、キリスト教の道徳慣習の下では、乗り物到着の場所から教会の祭壇へ絨毯を敷き伸べるのが今でも習慣である。
結婚式の最古の型の1つは、結合による受精を保証するために司祭に初夜の寝床を祝福させることであった。これは、あらゆる正式の結婚儀式の確立のずっと以前に行われた。結婚慣習の発展におけるこの期間、結婚式の客は、夜、列を作って寝室を通ることが期待され、その結果、結婚成就の法的な目撃者となった。
運の要素、結婚前のあらゆる試みにもかかわらず、一部の結婚はまずい結果になるということが、結婚失敗に対し原始人に保険による保護を求めさせた。司祭と魔術へと導いた。そしてこの動きが、直接現代の教会結婚式になった。しかし長い間結婚は、一般的には契約する両親の—後にはその当事者の—決定で成ると認識された。一方ここ500年間は、教会と国家が、結婚の権限を担ってきたし、今はその公表を引き受ける。
初期の結婚の歴史における未婚女性は、部族の男性に属した。その後、女性には、1度にただ1人の夫がいた。1度に1人の男性のこの習慣が、群れの乱交からの決別の第一歩であった。女性にはただ1人の男性が許されるのに反し、その夫は、そのような一時的な関係を自由自在に断ち切ることができた。しかし、これらの大まかに規制された関係は、群れでの生活とは対照的に対での生活に向かう第一歩であった。結婚のこの発展段階における子供は、通常母親に属した。
交合進化における次の段階は、集団結婚であった。結婚のこの地域的局面は、結婚慣習がまだ対の関係を永続的にするまでには強くなかったという理由から、家族生活の展開に介入しなければならなかった。兄弟姉妹の結婚は、この分類に属した。1家族の5人兄弟は、他の家族の5人姉妹と結婚したのであった。集団婚のゆるい型は、世界中で徐々に様々な形式に発展していった。集団結合は、トーテム慣習により大幅に規制された。性と結婚の規則は、より多くの子供の生存の保証により部族自体の生存を奨励することから、家族生活は、ゆっくりと、しかも確実に発展した。
集団婚は、より高度な部族の間での多婚制—一夫多妻と一妻多夫—の実践が始まる前に徐々に崩壊した。しかし、一妻多夫は、通常女王と金持ちの女性に限られており、決して一般的ではなかった。その上、それは、通例内輪の事であり、1人の妻に数人の兄弟であった。カースト制度と経済制限が、時々数人の男性が共に1人の妻に甘んじることを余儀なくした。その時でさえ、女性は、他の者達を共同子孫の「おじ」として柔軟に許容され、1人とだけ結婚するのであった。
一人の男性が「兄弟のために子を作る」目的で、死んだ兄弟の未亡人と付き合うというユダヤ人の習慣は、古代世界において半分以上の習慣であった。これは、結婚が個々の関係よりむしろ家族の問題であった頃の名残りであった。
一夫多妻制度は、異なる時代に4種類の妻を承認した。
1. 公式の、もしくは法的な妻
2. 愛情に基づく妻と認可による妻
3. 内妻、契約上の妻
4. 奴隷の妻
すべての妻が対等の位置にあり、すべての子供が平等である真の一夫多妻は、誠に稀である。重婚においても、通常家庭は、伴侶の身分の本妻が支配した。彼女だけが儀式としての結婚式を行ない、また妻の身分の者との特別な取り決めがない限り、購入された配偶者、または持参金付きの配偶者の子供だけが、財産相続ができた。
妻は、必ず愛の妻であったというわけではない。初期においては、彼女は、通常そうではなかった。人類がかなり進歩するまで、特に、進化する部族であるノヅ系とアダーム系との混合後まで、愛の妻、または恋人は、登場しなかった。
禁制の妻—法的に妻の身分である者—が、内妻の慣習を考案した。男性は、これらの慣習の下では1人の妻しか持たないかもしれないが、数多くの妾との性的関係を維持することができた。内縁関係は、一夫一婦制への足掛かりであり、公然の一夫多妻からの最初の脱皮であった。ユダヤ人、ローマ人、中国人の妾は、まさに頻繁に妻の小間使いであった。その後、法的な妻は、ユダヤ人の間でそうであったように、夫に生まれてくるすべての子供の母として見られた。
妊娠中や授乳中の妻との性行為に関する昔の禁は、一夫多妻を大いに助長する傾向にあった。原始の女性は、困難な仕事に加え頻繁な出産のために非常に早く年老いた。(加重な負担をうけたそのような妻は、妊娠していないとき毎月1週間隔離されるという事実のお蔭でどうにか生きた。)そのような妻は、しばしば子作りに疲れるようになり、2番目の、もっと若い妻、出産と家事の両方で助けることができる者を娶るよう夫に要求するのであった。新しい妻は、したがって、通常、 年上の配偶者達に喜んで迎え入れられた。性の妬みに匹敵する何も存在しなかった。
妻の数は、男性の扶養能力によってのみ制限された。裕福で有能な者は、多くの子供を望み、その上幼児死亡率が非常に高かったので、大家族を編成するための妻の集合体を必要とした。これらの複数妻の多くは、単なる労働者、奴隷的妻であった。
人間の習慣は、進展し、しかも非常にゆっくりと。ハーレムの目的は、王位擁立のための強い、しかも数多くの親族の一団を確立することであった。ある支配者は、かつてハーレムをもつべきではないと、1人の妻に満足すべきであると確信していた。そこで、即座に自分のハーレムを始末してしまった。不満な妻達は、各自の家に戻り、感情を害した親類達は、怒りでその支配者を急襲しその場で殺した。
一夫一婦制は、独り占めである。それは、この望ましい状況に到達する人々には良いが、それほど幸いでない者達には生物上の苦労をかける傾向がある。しかし、一夫一婦制は、個人への影響には全く関係なく、明らかに子供にとっては最善である。
最も初期の一夫一婦制は、環境の力、つまり貧困によるものであった。一夫一婦制は、文化的、社会的であり、人工的かつ不自然であり、換言すれば、進化する者にとり不自然である。それは、より純粋なノヅ系とアダーム系にとっては完全に自然であったし、すべての進歩した人種にとっては大きな文化的価値があった。
カルデア部族は、妻が、配偶者に2番目の妻、または妾を取らないように結婚前の誓約を課す権利を認めた。ギリシア人とローマ人は、双方共に一夫一婦制の結婚を支持した。先祖崇拝は、結婚を聖礼典と見なすキリスト教徒の誤りのように、いつも一夫一婦制を促進してきた。生活水準の上昇でさえ一貫して複数の妻に不利に作用した。ユランチアへのミカエルの到来までには、実際に文明世界のすべてが、理論上の一夫一婦制の水準に達した。しかし、この消極的な一夫一婦制は、真の2人1組の結婚習慣の人類の実践開始を意味するものではなかった。
つまるところ、ある種の独占的な性的関係である一夫一婦の理想的な結婚目標を追求する一方で、社会は、最善を尽くしその要求に協力し、入ろうとしてさえ、この新たで改善された社会秩序に場所を見つけられない不幸な男女らの望ましくない状況を見落としてはいけない。社会的競争の場において相手を獲得できないことは、現在の慣習が課した打ち勝ちがたい困難か非常に多くの制限のためであるかもしれない。実に、一夫一婦制は、それに当てはまる者には理想的であるが、孤独な生活の寒さの中に取り残された者には必然的に大きな苦難をもたらす。
進化的文明の展開する慣習の下では、常に、わずかしか持たない少数の不運な者は、大多数の者が、進めるように苦しまなければならなかった。しかし、恵まれている大多数は、上向きの社会的発展の最高度の慣習に関わる是認にしたがって生物的衝動全ての満足感を与える理想的な性の相手の階級において会員資格を獲得し損ねた代償を払わなければならないそれほど幸運でない仲間を常に親切心と思いやりをもって見るべきである。
一夫一婦制は、つねに人間の性の発展の理想主義的な目標であったし、現在も、またこれからもずっとそうであろう。この真の対の結婚についての理想は、必然的に自制を伴い、したがって婚約関係にある片方か両方が、人間の美徳すべてのその頂点を欠くという理由からしばしば失敗するのである。
一夫一婦制は、純粋に生物進化と区別された社会文明の進歩を測定する物差しである。一夫一婦制は、必ずしも生物的でも自然的であるというわけではないが、社会文明の即座の維持と一層の進歩に不可欠である、それは、感情の繊細さ、徳行洗練、また一夫多妻では全く不可能である精神の成長に貢献する。女性は、始終夫の愛情を求める競争を余儀無くなくされるとき、理想的な母には決してなることはできない。
対の結婚は、親の幸福、児童福祉、および親の幸せに最善である熟知と効果的な協力を奨励し育成する。粗野な威圧で始まった結婚は、徐々に自己修養、自制、自己表現、自己永続化のすばらしい制度へと発展している。
結婚慣習の初期発展における結婚は、随意に終わらせることができる締まりのない結合であり、子供はいつも母に従った。母子の絆は、本能的であり、慣習の発達段階に関係なく機能してきた。
未開人の間では結婚のおよそ半分だけが、満足な結果を示した。別離の原因として最も多いのは不妊であり、それは通常、妻の精にされた。また、子供のない妻は、精神界では蛇になると信じられた。離婚は、より原始の慣習の下では、ただ男性に限られた選択であり、この規範は、いくつかの民族間では20世紀まで持続してきた。
慣習の発展につれ、ある部族は、2つの形式の結婚を展開した。離婚を認める普通の結婚、それに離別を許さない聖職者による結婚。妻の買い入れと妻の持参金の開始、すなわち結婚の失敗に対する財産罰則の導入が、離別の減少に大きくかかわった。そして、現代の多くの結合は、実にこの古来の財産要因が安定をもたらしているのである。
共同体の状況と財産の恩恵の社会的圧力は、つねに結婚に関する禁忌と慣習の維持において影響を及ぼす。結婚は、大昔からずっと個々の選択—新しい自由—が、最も大きく役割を演じる民族の中で広範囲におよぶ不満に険悪に悩まされてはいるものの、着実に前進をしてきており、現代世界の中で進歩の基盤に立っている。突然に加速している社会発展を受けて、より進歩的な人種間ではこれらの調整の大変動が起こる一方で、それほど進歩のない民族の間での結婚は、成功し、昔の慣習の手引きの下にゆっくりと向上し続けている。
昔の長い伝統の財産目的のための結婚において理想的な、だが極端に個人主義的愛の動機に対する新たで突然の代替が、結婚制度を一時的に不安定にすることを余儀なくした。男性の結婚の動機は、常に実際の結婚道徳をはるかに超えており、19世紀と20世紀における西洋の結婚の理想は、突然に身勝手さをはるかに追い越し、人種の性の衝動をただ部分的に制御してきた。いかなる社会での多くの未婚者の存在が、慣習の一時的な機能停止、または変遷を示している。
結婚の真の試練は、時代を通じてずっと、すべての家族生活に不可避である継続的親密さであった。過保護で甘やかされた、虚栄と自我のあらゆる我儘と完全な満足を期待するよう教育された2人の若者というものは、結婚と家庭の確立—控え目な態度、歩み寄り、深い愛情の一生続く協調関係と子供の育成への無私の献身—において大きな成功をほとんど望めない。
求婚に至る高度の想像と空想的な恋愛の始まりには、現代の西洋民族の間での増加する離婚傾向に大きく原因があり、そのうちのすべてが、女性個人の大きな自由と増加された経済的自由によりさら複雑になった。自制欠落からの、あるいは通常の性格適合の失敗からの容易な離婚は、人間が、ごく最近、しかも個人的な苦悩と人種的な苦しみの結果抜け出した粗野な社会段階へと直接に逆戻りするだけである。
しかし、離婚は、社会秩序が結婚前の指導を適切に提供しない限り、社会が子供と若者の適切な教育ができない限り、そして、賢明でない未熟な若者の理想主義が結婚への入り口の決定に基づく限り、長く蔓延のままであろう。社会集団が若者のための結婚準備の提供が不十分である限り、離婚は、進化する慣習の急速な成長の時代の中で依然として悪状況を防ぐ社会的な安全弁としての程度まで機能しなければならない。
古代人は、一部の現代人とほぼ同程度に結婚を真剣に考えた。現代の軽率で失敗の結婚の多くは、恋愛資格のある若い男女の古代の習わしの改善されたものであるとはあまり思われない。現代社会の大きな矛盾は、愛と結婚双方の徹底的な検討に難色を示しつつ、愛を称賛し、結婚を理想化することである。
ついには家庭にいたる結婚は、実に人間の最も気高い慣例であるが、それは本質的に人間的である。それは、決して聖礼典と呼ばれるべきではなかった。セス系の司祭者は、結婚を宗教儀式化した。しかしエーデン後の何千年もの間、男女の結合は、純粋に社会的、また一般市民の制度として続いた。
人間関係の神の関係への例えは、最も不運である。結婚と家庭の関係における夫と妻の結合は、進化の世界の必滅者の物質的機能である。実に、誠に、多くの精神的進歩は、夫と妻の誠実な人間的努力の結果生じるかもしれないが、これは、結婚が必ず神聖であることを意味しない。精神的進歩は、人間の努力の他の目的達成のための手段への誠実な適用の結果として伴う。
結婚は、調整者と人間との関係に正確には比較できないし、クリストス・ミカエルとその人間の同胞の友愛とも比較できない。そのような関係は、ほとんどいかなる点においても夫と妻の関係に匹敵しない。これらの関係についての人間の誤解が、結婚の現状にとても多くの混乱を起こしたということはこの上もなく不幸である。
また必滅者の一定の集団が、結婚を神の行為により完成されるものとして考えたということも不幸である。そのような信念は、婚約当事者の情況、もしくは願望にかかわらず、解消できない結婚状態の概念に直接導く。しかし、結婚解消その事実自体が、神は、そのような結合への結合当事者ではないということを示している。神が何か2つの物や人を一度結合させたことがあるとするならば、それらは、神がその別離を命じるそのような時まで、そのように接合されたままでいるであろう。しかし誰が、人間の慣例である結婚と、本質的にも起源においても全く人間のものとは著しく異なる宇宙の監督が、承認するかもしれない結び付きと対比してあえて裁くであろうか。
しかしながら天の領域における結婚の理想はある。神の物質の息子と娘は、それぞれの局部恒星系の首都において男女の夫婦の絆での結び付きと産んで育てる目的のための理想の高さを描くのである。つまるところ必滅の人間の理想的結婚は、人間的に神聖である。
結婚は常に存在し、今もなおこの世の理想に関する人の最高の夢である。この美しい夢は、滅多にそっくりそのままは実現されないが、人間の幸福のために 進歩する人類をよりすばらしい邁進へと引き寄せ、輝かしい理想として続いている。だが、若い男女には、家族生活内のつながりの厳しい要求に飛び込む前に結婚の現実についての何かが教えられるべきである。若者らしい理想化は、ある程度の結婚前の幻滅でいくらか緩和されるべきである。
結婚に関する若者らしい理想化は、しかしながら、阻止されるべきではない。そのような夢は、家族生活の将来の目標の視覚化である。結婚とその後の家族生活の実用的かつ平凡な要求実現への無感覚さを引き起こさせないとの条件で、この態度は、刺激的でありしかも役立っている。
結婚の理想は、近代においてすばらしい進歩をなした。女性は、いくつかの民族の中では配偶者と実際に等しい権利を享受している。少なくとも、概念では、家族は、性における貞節によって子育てのための忠実な協力関係になりつつある。しかしこのより新い結婚の解釈でさえ、全人格と個性の互いの占有に極端に向きを変える必要はない。結婚は個人主義的理想であるだけではない。それは、現在の慣習の下に存在し機能する男女の進化する社会的な連携関係、すなわち禁忌により制限され、社会の法と規則により執行される連携関係である。
過去の世代の慣習の遅々とした進化において非常に長い間拒否されてきた権利である女性の特権の早まった増強が、突然に社会的組織に問題を押しつけることにより、家庭制度は、現在、重大な試練を受けているにもかかわらず、20世紀の結婚は、過去の時代のものと比較すると高い位置を占めている。
[ユランチアに配置された主熾天使による提示]
物質的必要性が結婚生活を基盤づけ、性への渇望がそれを飾り、宗教がそれを認可し高め、国家がそれを要求し規制し、一方後の時代においては、進化する愛は、最も役に立ち荘厳な文明の機関、つまり家庭の先祖として創造者としての結婚を正当化し、賛美し始めている。また家庭を築くということは、すべての教育的努力の中心であり核心であるべきである。
対をなすことは、純粋に、異なる自己満足の度合と結びつく自己永続化の行為である。結婚、つまり家庭建設は、主に自己維持の問題であり、それは社会の発展を含意する。社会自体は、家族単位の集合構造である。個人は、惑星要素としては極めて一時的である。家族だけが、社会的発展において継続的媒体である。家族とは、文化と知識の川が1世代から次世代へと流れる水路である。
家庭は、基本的に社会的機関である。結婚は、自己満足の要素は主に付帯的であり、自己維持における協力と自己永続化における連携関係から生じる。にもかかわらず、家庭は、人間存在に不可欠の3機能すべてを迎え入れるが、生命の増殖は、それを人間の基本的機関にし、性は、他のすべての社会活動からそれを隔離する。
結婚は、性関係に基づいてはいなかった。それに付随して起こった。結婚は、妻、子供、そして家庭の責任に妨げられることなく性欲をほしいままにした原始男性には必要とされなかった。
女性は、子供への肉体的、感情的な愛着のために男性との協力に依存しており、これが、結婚の避難保護へと彼女を促している。しかし、直接の何の生物的衝動も男性を結婚に導かなかった—ましてや、その中に抑えてもいなかった。男性にとり結婚を興味をそそるものにしたのは、愛ではなく、そんなことよりも飢餓が、女性とその子供が共有する原始の避難所に最初に引き付けたのであった。
結婚は、性関係からくる義務への意識的認識によってさえもたらされなかった。原始人は、性への耽溺とその結果の子供の誕生との関係を少しも理解しなかった。かつては処女が、妊娠できると一般に信じられた。初期に未開人は、赤子が霊の世界で作られるという考えを抱いた。妊娠は、女性に霊、進化する亡霊が入り込んだ結果であると信じられた。食習慣と悪意のこもった目つきも、処女、あるいは未婚女性の妊娠の原因となりうると信じられ、後の考え方では、命の始まりを呼吸と日光に関連づけた。
多くの初期の民族は、亡霊を海に結びつけた。したがって、処女は、大いに水浴び慣習を制限された。若い女性は、性関係を持つよりも満潮の海での水浴びをはるかに恐れた。奇形児や未熟児は、不注意な水浴びの結果、あるいは邪悪な霊の働き経由で女性の身体に届いた動物の子と見なされた。野蛮人は、言うまでもなく、そのような子を出生時に絞め殺すことを何とも思わなかった。
教化への第一歩は、性関係は、孕ませる亡霊が女性に入る道を開くという考えとともに到来した。人は、以来、父母が子を作る生命遺産の要因への等しい貢献者であると気づいた。しかし、20世紀においてさえ多くの両親は、今だに人間の生命の起源に関し多かれ少なかれ子供を無知の状況に閉じ込める努力をしている。
ある単純な種類のいくつかの家族は、再生機能が母子関係を伴うという事実によって保証された。母性愛は、本能的である。それは、結婚とは違い慣習で起こらなかった。全哺乳類の母性愛は、局部宇宙の補佐の心・精神の固有の贈与であり、種の無力な幼年時代の長さに常に直接に正比例する強さと献身の中にある。
母と子の関係は、自然で、強く、本能的であり、またそれ故にそれは、原始の女性に多くの奇妙な状況への服従と言うに言えない辛苦への我慢を強いるものである。この抑えきれない母性愛は、男性とのすべての抗争においていつもそのような甚だしい不利な立場に女性を立たせてきた。にもかかわらず、人類の母性本能は、圧倒的ではない。それは野心、身勝手さ、宗教的信念によって阻まれるかもしれない。
母と子の関係は、結婚でも家庭でもないが、それは、その二つが生じるところの核であった。交配の進化過程における大きな進歩は、これらの一時的連携関係が、結果としてできる子を育てるに足る長さが続くときに生じ、それが、家事というものであった。
初期の対の男女らの反目にもかかわらず、関係の弛みにもかかわらず、存続の機会は、これらの男女の連携関係により大いに向上した。1人の男性と1人の女性が協同するとき、家族や子はさておき、男性2人、あるいは女性2人のいずれよりもほとんどの点で優れている。性のこの組み合わせは、生存を高め、しかも人間社会のまさに始まりであった。性による分業は、また安らぎに寄与し幸福を増大させた。
女性の周期性の出血や出産時の出血は、子供の創造者としての血を(魂の台座としてさえ)暗示し、人間関係の血の絆についての概念が始まった。初期におけるすべての子孫は、確かな遺伝質の唯一の部分である女系に加えられた。
原始の家族は、母と子の本能的な生物上の血の絆から生じたので必然的に母の家族であった。そして、多くの部族が長らくこの仕組みを持続した。母-家族は、群れの中での集団結婚の段階から後の改善された多婚と単婚の家族生活への唯一可能な変遷であった。母-家族は、自然で、生物学的であった。父-家族は社会的、経済的、政治的である。その他の点では進歩的なイロコイ族が、決して本物の国家にならなかった主な理由の1つは、北米の赤色人種間の母-家族の持続である。
母-家族の慣習の下での妻の母は、家庭で最高の権威を享受したと言ってもいいほどであった。妻の兄弟とその息子は、家族管理において夫以上に活発であった。父親は、しばしば自身の子供に因んで改名された。
最も初期の人種は、要するに子供は母から来ると見なし、父親はあまり認められなかった。子供は、付き合い交わることで父親に似ると、または母親は、彼らの父親に似ることを望んだのでこの様にして「印された」と信じた。後に母-家族から父-家族への変化が生じると、父親は、子供をすべて自分の手柄にし、妊婦への禁忌の多くが、その後その夫にまで延長された。将来の父は、出産時が近づくと仕事をやめ、分娩に際しては3日から8日間何もせず妻とともに寝た。妻は、翌日起き重労働に従事するかもしれないが、夫は、祝賀を受けるために床に留まった。全ては、子に対する父の権利の確立のために設計された初期の慣習の一部であった。
最初は、男性が妻の身内の方に行くのが習慣であったが、後代になると、男性が、花嫁の代価を支払うか、または労働で支払ったあとで妻と子を自分の身内の方に引き取ることができた。母-家族から父-家族への変遷は、等しい親類関係の他のものは承認されているが、その他の点では無意味なある種のいとこ同士の結婚の禁止について説明している。
狩人の慣習の流れとともに、牧畜が、主要な食糧供給調整を人に提供すると、母-家族は、速やかな終わりに至った。それは、単に新たな父-家族とうまく競争できずに失敗に終わった。母方の男の親族に宿る力は、夫-父の集結力には匹敵することができなかった。女性には、出産と継続的権威と家庭内の拡大する力の行使の複数の課題は無理であった。接近しつつある妻の盗み取りとその後の妻の購入が、母-家族の流れを急がせた。
母-家族から父-家族への驚くべき変化は、かつて人類によって実行された最も根本的で全面的な180度の方向転換調整の1つである。この変化は、早速より大きな社会的な表現をもたらし、家族の冒険を増大させた。
母性本能が女性を結婚に導いたかもしれないが、慣習の影響に加え女性を結婚生活に留めおいたのは、男性の上回る強さであった。牧歌的生活には、慣習の新体系、家長型の家族生活を作り出す傾向があった。また牧夫と初期の農業慣習下における家族統一の基礎は、疑問の余地のない、しかも独断的な父の権威であった。すべての社会は、国家であろうが、または家族であろうが、家長体制の専制権威の段階を通過した。
旧約聖書時代に婦人に払われた乏しい礼儀が、牧夫の慣習の本当の反映である。「主は私の羊飼いである」という諺に見られるように、ヘブライの家長は、皆牧夫であった。
だが、男性の女性に対する過去の時代の低い評価の責めは、男性ばかりにではなく同じく女性自身にもあった。女性は、非常時に機能しなかったが故に、原始時代に社会的認識を得なかった。女性は、華々しい英雄でも危機の英雄でもなかった。母性は、生存闘争において明白な障害であった。母性愛は、部族防衛において女性を不利な立場に立たせた。
原始女性は、また無意識のうちに男性のけんか好きと男らしさへの称賛と喝采で自らの依存心を作り出した。戦士のこの精神的高揚は、男性の自我を高め、一方では負けす劣らず女性の自我を低下させ、さらに依存させた。軍服は、今だに女性の感情を強く喚起する。
より進化した人種間では、女性は、男性ほどには大きくも強くもない。女性は、したがって弱ければ弱いほど、ますます抜かりがなくなり、早くから性の魅力の利用を学んだ。彼女は、わずかに深遠さでは劣るが、男性よりも注意深く保守的になった。男性は、戦場と狩りでは女性より優位であったが、家庭では、通常、女性が、最も原始の人々さえ打ち負かした。
牧夫は、生計のために群れに目を向けたが、女性は、その牧畜時代にわたっててなお植物性食物を提供しなければならなかった。原始人は、土を回避した。それは、いかにも平和であり過ぎ冒険的でなさ過ぎた。また、女性の方が、より上手に植物を育てられるというのが昔の迷信でもあった。彼女たちは母であったから。今日の多くの後退的部族では、男性は肉を、女性は野菜を調理し、また、オーストラリアの原始部族の前進中、女性は、決して獲物を襲わず、男性も屈んで根を掘ることはなかった。
女性は、いつも働いていなければならなかった。少なくとも現代まで女性は、真の生産者であった。通常、男性は、より簡単な道を選んできており、この不平等は、人類の歴史全体において存続した。家族の所有物を運び、子供の世話をし、このように戦い、もしくは狩猟のために男性の手を自由にしておき、女性は、いつも重荷を支える者であった。
女性の最初の解放は、男性が土地を耕すことを承諾したときに、その時までは女性の仕事と見なされてきたことをすることに同意したときに訪れた。男性捕虜がもはや殺されず農業専門家として俘にされたとき、それは大いなる前進であった。これが、家事と育児に多くの時間を充てられるようになり、女性の解放をもたらした。
幼少児童への乳の供給がきっかけで乳児の早期の離乳となり、このため母親によるより多くの出産へと、時おり一時的な不毛をこのようにして救い、一方では牛乳と山羊乳の使用が、幼児死亡率を大いに減少させた。牧畜社会の段階では、母親は、赤ん坊が4、5歳になるまで授乳していた。
原始の戦争の減少が、性に基づく分業からくる相互の不一致を大いに小さくした。しかし男性が、見張りの務めを果たす一方で、女性は、まだ実際の仕事をしなければならなかった。昼夜にかかわらず無防備のままでいられる野営地も村もなかったが、この作業でさえ犬の家畜化により軽減された。一般的に言って、農業の到来が、女性の威信と社会的地位を高めた。少なくともその時までには男性自身が、農業者に変わったのは真実であった。そして、男性が、本気で土耕作に取り組むやいなや、次世代へとずっと連続していく農耕方法における大いなる改良が結果として起こった。男性が、狩りと戦いで組織の価値を学び、これらの方法を産業に取り入れ、またその後女性の仕事の多くを引き継ぐとき、その労働のずさんな方式を大いに改善した。
一般的に言って、どの時代においても女性の地位は、社会的慣行としての進化過程の結婚の正しい評価基準であり、一方、結婚の進化それ自体が、人間文明の進歩を表すかなり正確な測定基準である。
女性の地位は、つねに社会の矛盾であった。女性は、つねに男性の抜け目のない操縦者であった。つねに彼女自身の関心と自身の前進のために男性のより強い性の衝動に乗じてきた。彼女は、自分の性の魅力を微妙に利用することで、無気力な奴隷の身分で縛りつけられている時でさえ、しばしば男性に支配力を奮うことができた。
初期の女性は、男性にとっての友人、恋人、愛人、仲間ではなく、むしろ一財産、使用人または奴隷であり、後には経済上の仲間、遊び道具、子を産む者であった。それにもかかわらず、適切で満足できる性の関係は、いつも女性による選択と協力の要素を伴い、知性ある女性は、一種の性としてのその社会的地位の枠を越え、いつも直接の、個人的な地位へのかなりの影響を与えてきた。しかし、女性が束縛を緩和する努力において始終抜け目なさに頼ることを余儀なくされたという事実は、男性の不信と疑いを正す役には立たなかった。
男女には互いの理解において大きな困難があった。無知ゆえの疑念とぞっとするような魅力の混ざり合ったな奇妙な交錯の目で、時としては嫌疑や軽蔑をもって、見る男性は、女性を理解することは難しいとわかった。部族的、人種的伝統の多くは、ハヴァー、パンドーラ、または他の代表的女性のせいにする。これらの物語は、女性が男性に悪をもたらしたと見えるように常に歪められた。そして、このすべてが、一度限りの女性の普遍的な不信用を表している。独身聖職者への支持を引き合いに出す理由の中には女性の卑しさがあった。そう考えられていた大方の魔女が女性であるという事実が、昔の女性の評判を改善しなかった。
男性は、長い間、女性を風変わりに、異常でさえあると見なしていた。女性には魂がないとさえ信じた。したがって、女性は、名前さえ否定された。初期においては、女性との最初の性の関係への恐怖が存在した。したがって聖職者が、処女との最初の性交を持つのが習慣となった。女性の影さえ危険であると考えられた。
出産は、かつて一般的に、女性を危険で汚くすると見られた。そして、多くの部族の慣習が、母親は、子の誕生後に大規模なお祓いを受けなければならないと定めた。出産を控えた母親は、夫がお産に参加した集団以外の間では、一人にされ遠ざけられた。古代人は、家で子供を生ませるのを避けさえした。最終的には陣痛の間、老女が母親に付き添うことが許され、この習慣が、助産業をもたらした。陣痛の間、出産を容易にする努力から何十もの愚かなことが言われ、行われた。亡霊の干渉を防ぐために新生児に聖水をまき散らすのが習慣であった。
出産は純血部族の間では、比較的容易くほんの2時間か3時間しか掛からなかった。混血人種の間ではそれほど簡単ではない。もし女性が、出産時に、特に双子の出産で死亡したならば、霊との姦通罪を犯していると信じられた。その後、より高度の部族は、出産における死を天の意志として見た。そのような母親は、尊い理由で死んだと見なされた。
自分の衣服関しての女性のいわゆるしとやかさと肌の露出は、月経期間に気づかれることへの過度の恐れから起きた。このように看破されることは、嘆かわしい罪、禁忌違反であった。昔の慣習の下では、すべての女性は、青春から出産期の終わりにかけて月ごとにまる1週間家族と社会からの隔離を果たすことを免れなかった。女性が触れるもの全てが、座ったり、または横たわったものすべてが、「汚された」。悪霊を体から追い払う目的で月経後の度に容赦なく少女を殴打することが、長い間の習慣であった。しかし女性は、出産年齢を超えると、通常前よりも権利や恩恵が多く与えられ、もっと思いやりをもって扱われた。このすべてから見て、女性が、軽蔑されたことは奇妙ではなかった。ギリシア人でさえ生理中の女性を3大汚染の原因の1つとみなした。残る2つは、豚肉とにんにく。
これらの昔の概念がいかにに愚かであろうとも、酷使された女性に、少なくとも若いときに、もてなしの休息と有益な思索のために1カ月あたり1週間を与えたので、これらの昔の概念は幾らかの善を施した。したがって女性らは、残りの時間を男性仲間との対応に知恵を磨くことができた。また女性のこの隔離は、過剰の性の不節制から男性を守り、それによる人口制限と自制の増進に間接的に貢献した。
大いなる進歩が、自在に妻を殺す権利を男性が否定したときにあった。女性が、結婚祝いの品を所有することができたとき、同様に、急進的進歩があった。女性は、その後財産を所有し、管理し、処分さえする法的権利を獲得したものの、教会または国家のいずれかで役職に就く権利は、長らく奪われていた。女性は、キリスト後の20世紀までずっと、また20世紀にも、つねに多かれ少なかれ財産として扱われてきた。男性支配下における隔離から世界的規模の自由をまだ獲得していない。先進的民族の間でさえ、女性を守る男性の試みは、いつも無言の優越性の主張である。
にもかかわらず、原始の女性は、より最近に解放された同胞姉妹が常としたようには自らを哀れみはしなかった。原始の女性らは、煎じつめると相当に幸福で、満足していた。より良い、あるいは異なる生存の型を敢えて思い描かなかった。
女性は、自己繁殖において男性と同等であるが、自己維持の協力関係においては明らかな不利な条件で働いており、この強いられた母性の不利な条件は、漸進的文明の進んだ慣習によって、それに男性のこれまで培ってきた増大する公正さの感覚によってのみ償うことができる。
社会の発展につれ、性慣習の違反の結果に女性がより苦しんだので、女性の間での性の基準は、より高くなった。男性の性の基準は、文明が要求するその公正さについての純然たる自覚の結果としての嫌々ながらの改善をしているに過ぎない。自然は、公正さについて何も知ず—女性だけを出産の激痛で苦しめている。
性の平等に対する現代の考えは、美しく展開する文明にふさわしいが、それは、自然の中には見つけられない。男性は、力が正しいとき女性に権力を振るう。女性は、一層の正義、平和、公正が普及するとき、徐々に奴隷制度と薄暗がりから台頭してくる。一般に女性の社会的地位は、どの国、またはどの時代の軍国主義の程度に反比例して変化してきた。
男性は、意識的にも、意図的にも女性の権利を理解しないながらもその後徐々に、渋々それらを女性に返した。このすべてが、社会的発展に関する無意識の、無計画な話であった。付加された権利を楽しむ時が本当にやってくると、女性は、全く男性の意識的な態度にかかわらず、すべてを得た。ゆっくりと、しかし確実に、慣習は、文明の持続的発展の一部である社会的調整に備えるために変化する。進歩的慣習は、さらにより良い女性の待遇を徐々に提供した。女性に残酷さを固持したそれらの部族は、生残しなかったのである。
アダーム系とノヅ系は、女性へのさらなる認識を許容し、また移動していくアンド系に影響をうけたたそれらの集団は、女性の社会的地位に関するエーデンの教えに影響を受ける傾向にあった。
初期の中国人とギリシア人は、周囲の大部分の民族よりも女性を望ましく扱った。しかしヘブライ人は、女性を殊の外信用しなかった。西洋において、キリスト教は、男性には厳しい性の義務を押しつけにより慣習を進歩させはしたものの、女性は、キリスト教に帰属するようになるパウーロスの教義の下で苦しい登坂を経験した。女性の地位は、イスラム教において女性にともなう独特の権利の剥奪の下ではほとんで絶望的であり、他のいくつかの東洋宗教の教えの下ではさらにひどい状態で暮らしている。
宗教ではなく、科学が、現実には女性を解放した。家での幽閉から女性を主に解放したのは、近代的工場であった。男性の肉体的能力は、もはや新しい維持機構における不可欠要素にはならなかった。科学が、生活状態をすっかり変えたので、男性の力はもはや女性の力にそれほど勝るものではなかった。
これらの変化が、家庭での奴隷状態からの女性解放に貢献し、現在ではある程度の個人の自由と男性とほとんど等しい性の決断を味わう女性のそのような地位の改善をもたらした。かつて、女性の価値は、その食物生産能力にあったが、発明と富が、その中で機能する新しい世界—優雅さと魅力の領域—の創造を可能にした。産業は、かくして女性の社会的、経済的解放のためのその無意識の、意図しない戦いを勝ちとった。そして、進化は、再度、啓示が達成しなかったことを成し得たのであった。
女性の社会的地位を支配する不公平な慣習に対する賢明な民族の反応は、その極端さにおいて誠に振り子のようであった。工業化の進んだ人種の間では、女性は、ほとんどすべての権利を受け、兵役などの多くの義務の免除を享受した。生存に向けての葛藤のあらゆる軽減は、女性の解放を高め、彼女は、一夫一婦制へのあらゆる進歩から直接的に恩恵を受けた。弱者は、いつも段階的社会の発展において慣習のあらゆる調整における不均衡な利得を受ける。
1対の理想的結婚において女性は、最終的には認識、威厳、独立、平等、教育を獲得した。しかし女性は、新たで前例のないすべてのこの成就に値いすると証明するのであろうか。現代女性は、社会的解放のこの大きな成就に怠惰、無関心、不妊、不貞で反応するのであろうか。今日、20世紀において女性は、世界での自身の長い間の存在の決定的な試練を受けようとしている。
女性は、人種の繁殖において男性の同等の相手であり、それ故、展開する人種の進化においても同様に重要である。したがって、進化は、いよいよ女性の権利の実現に向けて努力をしてきた。しかし、女性の権利は、決して男性の権利ではない。男性が女性の権利で栄えることができないのと同様に、女性は、男性の権利で栄えることはできない。
それぞれの性は、自身の特有の生存活動範囲があり、その活動範囲内での自身の権利を同時に持っている。女性が、男性の権利のすべてを楽しむことを文字通り切望するならば、その結果、遅かれ早かれ薄情で無感動な競争が、多くの女性が現在享受している騎士道的精神や心遣いと確かに取って代わるであろう。
文明は、男女間の行動の溝を決して取り除くことはできない。時代から時代へと慣習は変化するが、本能は、決して変わらない。生まれながらの母性愛は、解放された女性が、産業において男性の容易ならない競争相手になることを決して許さないであろう。それぞれの性は、生物上の相違による、また精神的な相違による自身の領域でつねに最高でいるであろう。
男女はそれぞれに、たとえ時として重なることはあるとしても、自身の特別な活動範囲を常に持つであろう。男性と女性は、等しい条件でただ単に社会的に競争するであろう。
生殖の衝動は、自己永続のために絶えず男女を結びつけるが、それだけでは相互協力でともにいること—家庭の設立—を保証はしない。
人間の効を奏するあらゆる慣例は、作業の実用的調和に適応した個人的関心の反目を有しており、家事も例外ではない。結婚、すなわち家庭建設の基礎は、しばしば自然と社会の接触を特徴づけるその対立を伴う協力の最高の現れである。衝突は必然である。交配は先天的である。それは自然である。しかし、結婚は生物的ではない。それは社会的である。情熱は、男女が一緒になることを保証しはするが、弱い親の本能と社会慣習が、二人を結合している。
実際に見てみると、男性と女性は、親しく打ち解けた関係で生きる同じ種の明確な2つの別種である。それぞれの観点と生活への全体の反応は、本質的には異なる。完全かつ実際の相互理解はまったくできない。男女間の完全な理解には到達できない。
女性は、男性よりも洞察力があるように思えるが、いくらか論理的でないようにも見える。女性は、しかしながら、つねに道徳的基準の担い手であり、人類の精神的指導者であった。揺りかごを揺する手は、まだ将来の目標と親しくしている。
懸念するどころではなく、男女間の気質、反応、立場、考え方の違い、個別的にも集合的にも、人類にとって非常に有益であると見なすべきである。宇宙の生物の多くの系列は、人格顕示の二元的局面で創造される。この違いは、必滅者、物質の息子、中間ソナイターの間では男性、女性と呼ばれている。熾天使、智天使、モロンチア同伴者の間では、積極的、挑戦的、または消極的、後退的であると称されてきた。そのような双対関係は、楽園のハヴォーナ体系の特定の三位一体の団体が、そうでさえあるように、汎用性を大いに拡大し、固有の限界を克服している。
男と女は、人間の経歴においてはもとよりモロンチア的にも精神的にも互いを必要とする。男女間の観点の違いは、最初の人生を超えてまでも、また局部と超宇宙の上向の全体においてさえ持続している。そして、ハヴォーナにおいてでさえ、かつては男であり女であった巡礼者達が、楽園上昇においていまだに互いを補佐しているであろう。終局部隊においてさえ、被創造者は、決して人間が男性、女性と呼ぶ人格の傾向を抹消するほどには変化しないであろう。つねに人類の基本的なこの2種類は、互いに引きつけ、刺激し、励まし助け合うであろう。つねにかれらは、複雑な宇宙問題の解決と多種多様の宇宙の困難の克服において互いに依存するようになるであろう。
男女は、決して完全な相互理解を望むことができるというわけではないが、互いに効果的に相補的であり、協力は、個人的にはしばしば多少は対立するものの、社会を維持し、再生させることができる。結婚は、性の差を解決するように考案された制度であり、一方で文明の継続に効を奏し人種の再現を保証する。
結婚は、社会構造上の基盤である家庭建設と家庭維持にそのまま通じるので、すべての人間慣習の母親である。家族は、自己保全方法に重大に繋がっている。それは、文明の慣習下における人種永続化の唯一の望みであるが、同時に最も効果的に、 自己欲求に対して一定の満足の形を提供する。家族は、男女の生物的関係の発展と夫と妻の社会的関係とを結合する人間の純粋に最大の達成である。
性的結合は、本能的であり、子供は、その自然の結果であり、家族は、このように自然の成り行きで生まれる。人種、あるいは国家の家族が、そうであるようにその社会もそうである。家族が良ければ、社会も同様に良い。ユダヤ民族と中国民族のすばらしい文化の安定性は、その家族集団の強さにある。
女性の子供への本能的愛と配慮は、結婚と原始の家族生活の促進において、女性を関心をもつ当事者にさせた。男性は、 その後の慣習と社会的因習の圧力により家庭建設を強いられたに過ぎない。男性は、その性行為が、彼に生物上の因果関係を押しつけないが故に、結婚と家庭の確立に興味をもつまでには時間が掛かった。
性的繋がりは自然であるが、結婚は社会的であり、いつも慣習に規制されてきた。慣習(宗教的、道徳的、倫理的)は、財産、自尊心、騎士道精神と相まって、結婚と家族の制度を安定させる。慣習が変化するたびに家庭-結婚の安定性に変動がうまれる。結婚は今、財産の段階から個人の時代へと通過している。以前、男性は、自分の所持品であったので女性を保護し、同じ理由で女性は従った。この制度は、その長所のいかんを問わず、安定性を提供した。今や女性は、もはや財産とは見なされず、新慣習が、結婚-家庭のしきたりを安定させるよう設計され登場しつつある。
1. 宗教の新しい役割—親の経験は、不可欠であるという教え、宇宙市民を生殖する考え、生殖の特権、—息子を父に与えること—に対する拡大的理解。
2. 科学の新しい役割—生殖は、ますます自発的、すなわち人間の掌中の対象になりつつある。理解の欠如が、古代においてはそれゆえに望んでもいない子供の出現を確実にした。
3. 快楽心への新作用—これが、人種生存への新要素を導き入れる。古代人は、望まれていない子供を死にさらした。現代人は、産むことを拒む。
4. 親の本能の高揚。今や各世代は、人種の生殖の流れから親の本能、子供、つまり次世代の予期される両親の生殖の保証が不十分であるとき、そういった個人を排除する傾向にある。
しかし、制度としての家庭は、つまり、1人の男性と1人の女性の間の協力関係は、明確にはダラマティアの時代から、およそ50万年前から始まる。アンドンとその直系子孫がずっと前に廃止した一夫一婦制の慣行。家族生活は、しかしながらノヅ系と後のアダーム系時代以前のものほどには自慢するものではなかった。アダームとハヴァーは、全人類に永久的影響を及ぼした。世界歴史において初めて、男女が、園において協力的に働いているのが観測されたのであるから。園芸者としての家族全体のエーデン的理想は、ユランチアでの新しい考え方であった。
初期の家族は、1つの居住施設に全員が住みながら、奴隷を含む関係する労働集団を包含した。結婚と家族生活が、いつも同じであるという訳ではなかったが、必然的に密接に関係してきた。女性は、ずっと個別の家族を欲し、最終的には意のままにした。
子への愛は、ほとんど普遍的であり、紛れもない生存価値がある。古代人は、子供の幸福に関する母の関心を常に犠牲にした。エスキモーの母は、今でも赤ん坊を洗う代わりに舐めさえする。しかし原始の母は、子供がまだ幼いときに食物を与え面倒をみるだけであった。子供が成長すると、動物のようにすぐに見捨てた。持続的で絶え間のない人間のつながりは、生物的愛情だけでは決して確立されたことがない。動物は自分の子供を愛している。人間—文明人—は、自分の子供の子供を愛している。文明が高ければ高いほど、子供の前進と成功における両親の喜びはより大きい。したがって、名前への自負心の認識が生まれる。
古代民族の間の大家族は、必ずしも情愛に満ちていたというわけではなかった。多くの子供が望まれたのは、次の理由からであった。
1. 労働者として貴重であった。
2. 老齢保険であった。
3. 娘は売りやすかった。
4. 家族の誇りが、名前の広がりを必要とした。
5. 息子は保護と防衛を提供した。
6. 亡霊への恐怖が、単独でいることへの畏怖を生んだ。
7. ある種の宗教は子を必要とした。
先祖崇拝者は、息子を持てないことを永遠に時を超えて最大の災難と見なす。それ等は、死後の饗宴で、息子が式の司祭を勤めるために、つまり亡霊の前進のために霊界を通して必要な犠牲を提供するために、息子を持つことを他の何よりも望んでいる。
子供の躾は、古代の未開人の間では非常に早くから始められた。また子供は、動物にとってそうであったように、反抗は不履行、あるいは死を意味するということを自覚した。現代の反抗の大きな一因をなしているのは、愚かな行為の当然の結果から文明が子供を防護をしていることである。
エスキモーの子供は、生まれつき温順な小さな動物であり、ほんのわずかの躾と矯正でよく育つ。赤色人種と黄色人種の両方の子供は、ほとんど等しく扱い易い。しかしアンド系の遺伝を有する人種の子供は、それほど穏やかではない。これらのより想像的で大胆な若者は、 より多くの指導と躾を必要とする。子供の育成に関する現代の問題は、次の事柄によってますます困難になっている。
1. 大きな度合の人種混合。
2. 不自然の、しかも浅薄な教育。
3. 両親を模倣することでの子供の教養会得の不能性—家族の場面から両親がほとんどの時間欠けている。
家族についての昔の考えは、生物的であり、つまり両親は、子供の存在の創造者であるという認識に起因した。家族生活の前進的理想は、親の幾つかの権利を与える代わりに子供を世界にもたらし、人間の存在の最高の責任を伴うという概念に通じている。
文明は、両親をすべての義務を引き受ける者、子供をすべての権利を持つ者と見なしている。子供の両親への敬意は、親の生殖上の恩義に含まれる認識にではなく、子供が、人生の戦いに勝つ支援の際に愛情深く示される世話、躾、情愛の結果として自然に生まれてくる。本物の親は、賢明な子供が認識し感謝するようになる連続的な奉仕と援助に従事している。
結婚制度は、現在の産業と都市の時代において新経済に沿って進化している。家族生活は、ますます費用が嵩むようになり、同時にかつては資産であった子供は、経済負担になってしまった。しかし文明のに1世代の高まる意欲に掛かっている。そして親の責任を国、または教会へ移行させるいかなる試みも、文明の福祉と前進にとっては自滅的であると判明するであろう。
結婚とは、子供と結果として生じた家族生活と共に人間性における最高の可能性への刺激であり、同時に人間の人格のこれらの速められた属性の表現に理想的な手段を提供する。家族は、人類の生物上の永続化に備える。家庭は、血を分けた兄弟関係の倫理が成長する子供に理解されるかもしれないところの自然で社会的な活躍の舞台である。家族は、両親と子供が、すべての人間の間における兄弟愛の実現にこの上なく不可欠である我慢強さ、利他性、寛容、忍耐についての教えを学ぶ基礎的な友愛単位である。
文明的人種が、 より広くアンド系の家族協議会の習慣に戻るならば、人間社会は、大いに改善されるであろう。アンド系は、家長的、あるいは独裁的形式の家族政府を維持しなかった。非常に親密で付き合いやすく、自由で率直に家族にかかわるあらゆる提案や規則について議論した。すべてのそれぞれの家族統率の中で理想的に友愛的であった。理想的な家族では子としての、また親としての愛情は、双方とも兄弟愛の献身により増大する。
家族生活は、真の道徳の祖、義務への忠誠意識の原型である。家族生活内の強制的関係は、他の、しかもさまざまの個性への必然的調整の抑え難い衝動を経験し、人格を安定させ、その成長を促進する。本物の家族—良い家族—は、創造者のその子供への態度というものを親である生殖者に明らかにするのはなおさらのことであり、同時に、そのような本物の両親は、宇宙のすべての子供の楽園の親からの愛を向上的開示の長い連続の1番目の開示を我が子らに描き示している。
家族生活に対する大きな脅威は、現代の快楽の狂気である自己満足の脅迫的な高まりである。結婚への主要誘因は、以前は経済上のものであった。性の誘引力は二次的であった。結婚は、自己維持の上に築かれ、自己永続化につながり、そして付随的に自己満足の最も望ましい型の1つを提供した。それは、生きるための3大誘因のすべてを有する人間社会の唯一の制度である。
元々、財産は、自己維持の基本的慣例であり、一方結婚は、自己永続化の独特な慣例として機能した。周期的な性の耽溺と並び、食物による充足感、遊び、笑いは、自己満足の手段であったが、進化する慣習が、自己満足のいかなる別個の制度の設置に失敗したことは、一つの事実としてある。そしてそれは、人間のすべての制度にこの快楽追求がすっかり染み込んでいる愉快な楽しみの専門的技術を進化させる失敗によるものである。財産の蓄積は、自己満足のすべての形式を増大するための手段になっているが、結婚は、単に喜びの方法としてしばしば見られる。そして、この耽溺、つまりこの広く行き渡った快楽の狂喜が、現在、家族、つまり家族生活の進化的な社会制度に押しならされてきたという最大の脅威の構成要素となっている。
紫色人種は、新しく、しかも単に不完全に認識された特性を人類の経験に取り入れた—笑いの感覚に結びつけられた遊びの本能。それは、適度にサンギク系とアンドン系にはあったが、アダーム系は、この原始的性向を喜びの可能性、新しくて美化された自己満足の形式に高めた。基本的な自己満足の型は、飢餓の緩和は別として、性的満足であり、この官能的な喜びの型は、サンギク系とアンド系の混合により途方もなく高められた。
アンド系以後の人種の不安、好奇心、冒険、および快楽放棄の特徴の取り合わせには実際の危険がある。魂の飢餓は、物理的な喜びに満足はできない。家庭への愛と子供への愛は、浅はかな快楽追求によって増大はされない。あなたは、芸術、色、音、韻律、音楽、および身体の飾りの供給源を使い果たすが、その結果、魂の向上、または精神の育成をこのようにして望むことはできない。虚栄と流行は、家庭構築と子供の育成で役目を果たすことはできない。高慢と競争は、続く世代の生存の中味を高めるには無力である。
前進する天の存在体すべてが、逆戻りの管理者の休息と活動を享受している。健全な気分転換を手に入れ、また向上させる遊びに従事するすべての努力は、健全である。爽快な睡眠、休息、気晴らし、単調さからくる退屈を防ぐすべての楽しみには価値がある。対戦競技、物語、食物の味の良ささえ自己満足の型として役立つことができる。(食物の味わいに塩を用いるときは止まって、人が、およそ100万年間、単に食物を灰に浸すことだけで塩が得られたということを考えなさい。)
人に楽しませなさい。無数の方法で人類に喜びを見つけさせなさい。進化的人類に正当な自己満足の型、つまり長い上向きの生物学上の闘いの成果を探検させなさい。人は、現代のいくつかの喜びと楽しみを得るに値する。しかし運命の目標によく目を向けなさい。楽しみは、自己維持の制度となった財産崩壊につながるならば、実に自滅的であり、そして自己満足が、もし結婚の崩壊、家族生活の退廃、家庭—人間の進化の最高の習得と文明生存の唯一の望みである家庭—の破壊を引き起こすならば、自己満足は、誠に致命的な犠牲を払ったのである。
[ユランチアに配置された主熾天使による提示]
原始宗教には、道徳的関連性や精神的的影響は別として、生物的起源、進化的自然的発展があった。高度の動物には、恐怖はあるが幻想はなく、したがって何の宗教もない。人間は恐怖心から、また幻想によって原始宗教を作り出す。
人類進化における崇拝の原始の表現は、人の心が、宗教と呼ばれるに足る現在と将来の人生のより複雑な概念を定式化することができるずっと以前に現れる。初期の宗教は、本質的には完全に観念的であり、もっぱら関連する情況に基づいた。崇拝目的は、要するに示唆的であった。手近な自然のもの、または原始の単純な心のユランチア人の当たり前の経験に大きく迫る自然のものから成った。
宗教が一旦自然崇拝を超えて発展すると、それは、精神起源の根底を確保はしたが、それでもなお、つねに社会的環境に条件づけられた。自然崇拝が展開するにつれ、人間の概念は、超人間界での分業を思い描いた。湖、樹木、滝、雨、および他の何百もの通常の地象には、自然の霊があった。
しばしば人間は、自分を含む地上の総てを礼拝した。また、空や、地下の想像可能なほぼ総てのものを敬った。原始人は、すべての力の徴候を恐れた。自分が理解できないあらゆる自然現象を崇めた。嵐、洪水、地震、地滑り、火山、火、熱、寒さなどの強力な自然の力への観察は、人の拡大する心に大いに感銘させた。人生での不可解な事柄は、今だに「神の行為」とか「大神の神秘的摂理」と呼ばれている。
進歩する人間が崇拝した最初の対象は、石であった。今日南インドのカテーリ部族は、北インドの多数の部族がするように今でも石を崇めている。ヤコブは、石を尊んでいたので、その上で眠った。それを塗布さえした。ラーケルは、自分の天幕の中に多くの神聖な石を隠し持った。
古代人は、石が、耕作地または牧草地の表面にまったく突然に現れる様を理由に通常ではないとしてまず強い印象をうけた。人は、浸食、あるいは土をひっくり返す結果のいずれも考えに入れなかった。初期の民族は、石の動物との頻繁な類似に大いに感心した。文明人の注意は、動物の顔や人の顔にさえ非常に類似している山の中の数多くの形象に引き付けられる。しかし、原始の人間がうけた最も深遠な影響は、目の辺りにした壮大に燃えながら大気に突進する流星のような石によってであった。流星は、古代人にとり凄じいものであり、古代人は、そのように赤々と燃え上がる筋は、地球への霊のその通り道に印されると容易に信じた。人が、そのような現象を、特にその後に隕石を発見したような時に、崇拝へと導かれたのは不思議ではない。そしてこれが、他のすべての石へのさらなる崇敬となった。ベンガルでは多くの者が、西暦1880年に地球に落下した隕石を崇拝している。
古代のすべての氏族と部族には、それぞれの神聖な石があり、現代民族のほとんどが、ある種の石—自分の宝石—への崇拝の度合いを明白に示している。インドでは5個の一塊まりの石が崇敬された。ギリシアでは、30個の塊であった。赤色人種の中では、通常それは石の円であった。ローマ人は、木星を呼び出すとき、いつも石を空中に投げた。インドでは、今日に至るまで目撃者として石を使用することができる。いくつかの地域では、法の護符として石が用いられているかもしれないし、その威光により犯罪者を法廷に引っ張りだすことができる。しかし単純な者は、敬虔な儀式の対象と神とをいつも見極めるというわけではない。そのような盲目的崇拝物は、しばしば真の崇拝対象の単なる象徴である。
古代人は、石の穴に独特の敬意を抱いた。そのような多孔性の岩石は、病気の治癒に著しく効果があると考えられた。石を運ぶために耳に穴を開けられはしなかったが、石は、穴を開けておくために耳にはめられていた。現代でさえ、迷信深い人々は、硬貨に穴を作る。アフリカでは、原住民は、迷信の対象の石のことで騒ぎ立てる。事実石は、進歩の遅い部族や民族間ではいまだに迷信的崇拝で保持されている。石の崇拝は、今でも世界中で広範囲にわたっている。墓石は、死んだ同胞の亡霊や霊への信仰に関連して石に彫られた形象や偶像の名残りの象徴である。
丘の崇拝は石の崇拝に続き、崇拝されるべき最初の丘は大きい石の構造であった。それは、やがて神が山に居住したと信じる習慣となり、故に、土地の高い盛り上がりは、この補足的理由から崇拝された。時の経過とともに、幾つかの山々は特定の神に関連づけられ、その結果、神聖になった。無知で迷信深い原住民は、善霊と神格の発展的後の概念で同一視される山とは対照的に、洞窟は、その悪霊と、そして魔物と共に、地下の世界に通じると信じた。
植物は、そこから得られ酔わせる液体がもとで最初は恐れられ、その後崇拝された。原始人は、陶酔は人を神にすると信じた。そのような経験に関し何か珍しく神聖なものがあると考えられた。現代でさえ、アルコールは、「スピリッツ」として知られている。
古代人は、発芽する種子を恐れと迷信深い畏敬をもって見た。使徒パウーロスが、発芽する種子から深遠な精神的教訓を引き出したり、宗教上の信念を意味しようとした最初の者ではなかった。
木の崇拝宗派が、最古の宗教集団の中にある。初期の全ての結婚は、木の下で執り行われ、女性が、子供を欲するとき森林の中で頑丈な樫を愛情を込めて抱いているのが時々見かけられるのであった。多くの植物と樹木は、実際の、または架空の薬効の理由で尊ばれた。未開人は、すべての化学作用による効果を超自然力の直接の働きによるものと信じた。
樹木の霊に関する考えは、異なる部族と人種間で大きく変わる。いくつかの木には優しい霊が宿った。他の木には人を欺くような、または残酷なものが隠れた。フィンランド人は、ほとんどの木には親切な霊が居住すると信じた。スイス人は、油断のならない霊が入っていると信じ、長い間木に疑いの目を向けた。インドと東ロシアの住民は、木の霊を残酷であると見なす。パタゴニア人は、初期のセム族のように未だに樹木を崇拝する。ヘブライ人は、樹木崇拝の中止後もずっと様々な神を木立ちの中で崇拝し続けた。中国を除き、かつては生命の木の一般的信仰が、存在した。
木製の占い棒によって地面の下の水、あるいは貴金属を検出することができるという信仰は、古代の樹木信仰の名残りである。メイポール、クリスマスツリー、それに木をコツコツと叩く縁起をかつぐ習慣は、木の崇拝と後日の木の信仰のいくつかの古代の習慣を永続化している。
自然崇拝のこれらの最も初期の型の多くは、後の進展的崇拝方法と混合されるようになったが、最も初期の心の補佐が、活動していた崇拝の型は、人類の新たに目覚める宗教の本質が、精神的影響の刺激に十分に反応をするようになるずっと以前に機能していた。
原始人には、より高度の動物に対して一風変わった感情と仲間意識があった。先祖は、動物と同居し、結婚さえした。初期における南アジアでは、人間の魂は、動物の型で地球に戻ると信じられた。この信仰は、動物崇拝のより早期の習慣の遺風であった。
古代人は、その力と抜け目のなさに対して動物を崇めた。古代人は、ある生き物の鋭い臭覚と遠見の利く目は、霊の誘導を示すと考えた。動物はすべて、ある人種、あるいは別の人種によって同時に、あるいは違った時に崇拝された。そのような崇拝の対象の中には、半分は人間で半分は動物と見なされたケンタウロスや人魚などの生き物があった。
ヘブライ人は、ヒズキーヤ王の時代まで蛇を崇拝していたし、またはヒンズー教徒は、いまだにイエヘビと親しい関係を保っている。中国人の竜の崇拝は、蛇信仰の名残りである。蛇の知恵は、ギリシアの薬の象徴であり、いまだに現代の医師に用いられている。蛇使いの技術は、蛇愛好宗派の巫女の時代から伝えられ、毎日蛇に咬まれた結果免疫ができ、実際、本物の毒液中毒者になり、この毒なしでは暮らしていくことができなかった。
昆虫や他の動物崇拝は、黄金律—してもらいたいと思うことを他にも(あらゆる生命の型にも)施すこと—の後の曲解により促進された。かつて古代人は、風という風は、鳥の翼により生じると信じ、したがって翼があるすべての生物を恐れもし、崇拝もしていた。初期のスカンジナビア人は、いろいろな食は、太陽か月の一部をむさぼり食ったオオカミが引き起こしたと考えた。ヒンズー教徒は、しばしば馬の頭をもつヴィシュヌを表現する。動物の象徴は、多くの場合忘れられた神か、または消え去った信仰を意味する。子羊は、進化的宗教の初期に典型的な生贄動物となり、鳩は平和と愛の象徴となった。
宗教における象徴物は、その象徴が本来の信心深い理念を置き換えるか、または置き換えないという程度において良いかもしれないし、または悪いかもしれない。また、象徴主義は、有形物が直接、かつ実際に崇拝される直接的偶像崇拝と混乱されてはならない。
人類は、土、空気、水、および火を崇めてきた。原始民族は、湧き水を尊び、川を崇めた。洗礼は、バビロンで宗教儀式になり、ギリシア人は、年に一度の儀式的沐浴を習慣的に行なった。古代人は、容易く泡立つ湧き水、ほとばしり出る泉、流れる水、激しい急流に霊が住んでいたと想像した。今でも、モンゴルでは影響力のある川の信仰が栄えている。動く水、は、霊の生気と超自然力の信仰でこれらの単純な心を鮮やかに刻みつけた。時に、溺れる者は、ある種の川の神を怒らせるのを恐れ、救助を拒絶されるのであった。
多くの事柄や行事が、異なる時代の異なる民族への宗教的刺激として働いた。虹は、まだインドの丘陵部族の多くが崇拝している。インドとアフリカの両国では、虹は、巨大な天の蛇であると考えられている。ヘブライ人とキリスト教徒は、それを「約束の虹」と見なす。同様に、世界の一部で慈悲深いと見なされる感化力は、他の地域では悪意があると見なされるかもしれない。東風は、雨をもたらすので南米では神である。インドでは、埃をもたらし、干魃を招くので、悪魔である。古代のベドゥイン族は、自然の霊が砂の渦を引き起こすと信じ、モーシェの時代にさえ、自然の霊への信仰は、ヘブライの神学における火、水、空気の天使としてそれらの永続化を保証するほどに強いものであった。
雲、雨、霰はすべて、数多くの原始部族と初期の自然崇拝集団に恐れられ、崇拝されてきた。暴風は、雷と稲妻とともに古代人を畏怖させた。古代人は、雷を立腹している神の声と見なすほどにこれらの自然の撹乱を強く刻印されれた。火の崇拝と稲妻への恐怖は、結びつけられ、初期の多くの集団の間で広まった。
火は、原始の恐怖にかられた必滅者の心では魔法と混同されていた。魔術の信者は、魔術の常套手段の実践において1件の偶然の肯定的な結果を生き生きと思い出しはするものの、20件の否定的な結果、つまり徹底的な失敗は無頓着に忘れてしまう。火の崇敬は、ペルシアでその頂点に達し、そこでは長い間持続した。いくつかの部族は、神自身として火を崇拝した。他は、自分達の敬う神の浄化し清める霊の燃える象徴としてそれを崇敬した。巫女は、神聖な炎を見守る務めを任され、20世紀においては蝋燭が、多くの礼拝儀式の一部としてまだ燃えている。
岩石、丘陵、樹木、動物の崇拝は、自然要因への恐れを伴う崇敬を経て太陽、月、星の神聖視へと自然に展開した。星は、インドや他の場所においては、肉体の生活からこの世を去ってしまった偉人の栄光の魂と見なされた。カルデア人の星の崇拝者は、自分たちが空の父と地球の母の子であると考えた。
月の崇拝は太陽崇拝に先んじた。月の崇拝は、狩猟時代がその絶頂であったが、太陽崇拝は、その後の農耕時代の主要な宗教儀式になった。太陽崇拝は、最初にインドで広範囲に定着し、そこでは最も長く続いた。ペルシアでの太陽崇拝は、後のミトラ教をもたらした。多くの民族の間では、太陽は、自分達の王の先祖と見なされた。カルデア人は、「宇宙の7個の円」の真ん中に太陽を置く。後の文明は、週の最初の日にその名前を与えて太陽を重んじた。
太陽神は、気に入りの人種の救済者として授けられたと時々考えられた天命の処女から生まれた息子の神秘的な父であると考えられた。これらの超自然の幼児は、通常、並はずれた方法で救われるべく特定の神聖な川に流され、その後、成長し奇跡を行なう人物やその民族の救出者となるのであった。
人間は、地上と天上のその他のすべてを崇拝し、そのような敬愛で自身を敬うことをためらわなかった。単純な未開人は、獣類、人間、神の間の区別を明確にしない。
古代人は、一風変わった人々をすべて超人とみなし、そのような人物を恐れるあまり敬虔な畏怖の念をもった。文字通りそういう者達をある程度崇拝していた。双子を持つことさえ非常に幸運であるか、または非常に不運であると見なされた。精神異常者、癲癇患者、精神薄弱者は、そのような異常な人物には神が宿ると信じる通常の精神の仲間にしばしば崇拝された。聖職者、王、予言者は、崇拝された。ずっと昔の聖なる男性は、神に霊感をうけたと見られた。
部族の長は、死ぬと祭られた。その後、優れた魂は、この世を去ると聖列に加えられた。助けをかりない進化は、賛美され、高められ、進化した死んだ人間の霊より上には決して神を高めることはなかった。初期の進化的宗教は、それ自身の神を創造する。神は、顕示の過程において宗教を定式化する。進化的宗教は、その神を必滅の人間の形に、またそれに似せて創造する。啓示的宗教は、必滅の人間を神の形に、またそれに似せて進化させ変えようとする。
起源が人間であると考えられていた亡霊の神は、自然崇拝がすべての神—神の位置に上げられた自然の霊—を進化させたのであるから自然神とは区別されるべきである。自然信仰は、後に登場する亡霊信仰と共に展開し続け、それぞれが、もう一方へ影響を与えた。多くの宗教体系は、自然神、および亡霊神である神の二元的概念を有した。いくつかの神学では、これらの概念は、稲妻の主でもある亡霊の英雄トールに例証されるように紛らわしくからみ合っている。
人間による人間の崇拝は、時の支配者が、臣下からのそのような崇敬を命じ、そのような要求を正当化して神の子孫であると主張したときその頂点に達した。
自然崇拝は、原始の男女の心で自然に、しかも自発的に起こったように思えるかもしれないし、実際そうであった。しかし、これらの同じ原始の心の中では6番目の補佐の精霊が、人間進化のこの段階の導く影響力としてずっと活動していた。この精霊は、その最初の顕現がいかに原始的であろうとも、絶えず人類の崇拝意欲を刺激していた。崇拝の精霊は、動物的恐怖が信心深さの表現を動機づけたにもかかわらず、また、その早期の習慣が自然の対象物を中心に置いたにもかかわらず、人間の崇拝への衝動に明確な起源を与えた。
人は、考えではなく感情が、すべての進化的発展における影響を誘導し支配しているということに気づかなければならない。原始の心には、恐れ、回避、名誉、崇拝の間に違いはほとんどない。
崇拝意欲が知恵により諭され導かれるとき—瞑想的、経験的な考え—それは、そのとき真の宗教現象へと前進し始める。7番目の補佐の精霊が、つまり英知の精霊が、効果的な活動を成し遂げるとき、人間は、そのとき崇拝において自然や自然物から本来の神に、万物の永遠の創造者に向き直り始める。
[ネバドンの輝かしい宵の明星による提示]
先行する、原始の崇拝衝動からの宗教の進化は、顕示に依存してはいない。宇宙の精霊贈与の6番目と7番目の心の補佐の指示の影響下にある人間の心の正常な機能は、そのような発達を保証するにはまったく十分である。
宗教発生前の自然の力に対する人間の最も早期の恐怖は、自然が人格化され、霊化され、遂には人間の意識で神格化されるようになったとき、徐々に宗教になった。したがって、原始の型の宗教は、そのような心が超自然の概念を受け入れるやいなや、進化する動物の心の心理的慣性からの自然な生物的結果であった。
自然崇拝の衝動は別として、初期の進化的宗教には、人間の偶然という経験—いわゆる運、通常の出来事—にその発端があった。原始人は、食糧の狩人であった。狩りの結果は、そもそもどうしても様々であるし、これが、人間が幸運と不運の解釈をする自らの経験に確かな起源を与える。不幸は、絶えず不安定に悩まされる生活の崖っぷちに住む男女の人生での大きな要因であった。
未開人の限られた知的展望は、偶然というものに意識を集中するので、運が人生において恒常的要因となる。原始のユランチア人は、生活水準のためにではなく生存のために藻掻いた。偶然が、重要な役割を果たす危険な生活を送った。未知の、見えない災難への絶え間ない恐怖は、あらゆる楽しみを効果的におおい隠す絶望の雲としてこれらの未開人の上にしだれ掛かった。未開人は、不運を持たらす何かをすることに対する絶え間ない恐怖の中に生きた。迷信深い未開人は、いつも一続きの幸運を恐れた。そのような幸運を確実な災難の前触れとして見た。
この絶えず付きまとう不運への恐怖は、無力にさせた。目的もなく暮らしていて好運に遭遇する—無償で何かを得る—かもしれないならば、なぜ、一所懸命に働き不運の報いを受ける—何かの代償に何も得ない—のか。軽率な人は、幸運は忘れる—それを当然のことと思う—が、不運は痛々しいほどに覚えている。
古代人は、不確実性と偶然—不運—の恐怖にハラハラしながら生きた。人生は、興奮させる偶然の遊技であった。生存は、賭けであった。部分的に文明度の高い人々は、まだ偶然を信じ、長引く賭けに走る傾向を示すというのも驚くに値しない。原始人は、2つの強力な関心事の間を行き来した。無償で何かを得る情熱と何かの代償に何も得ない懸念。そしてこの生存の賭けは、初期の未開人心にとり主要な関心であり、最高の魅力であった。
後の牧夫は、偶然と運について同じ見方をしたが、それより後の農業従事者は、人が、あまり、もしくは全然支配できない多くの事柄に作物が直接影響を及ぼされると次第に意識した。農夫は、自分が、暑さと寒さだけでなく、干魃、洪水、霰、嵐、病害虫、および害虫の犠牲者であることがわかった。これらの自然の影響の総てが、個々の繁栄に影響するとき、それらは幸運、もしくは不運と見なされた。
偶然と運に関するこの概念は、すべての古代民族の哲学を強烈に普及した。それは、近代においてさえソロモンの知恵の中で言及されている。「私は戻ってみて、そして、競争は足の早い人のためではなく、戦いは勇士のものではなく、またパンは知恵ある人のものではなく、また富は悟りのある人のものではなく、愛顧は技量のある人のものではないことが分かった。しかも、運命と偶然はそれらの人々全員に降り掛かる。人は自分の運命を知らないが故に、悪い網にかかった魚のように、罠にかかった鳥のように、人の子らもまた、災いの時が突然自分達を襲うと、罠にかかってしまう。」
不安は、未開人の心の自然な状態であった。男女が、過度の不安に陥ると、単純に遠い昔の先祖の自然な状態に戻る。そして、不安が実際に苦痛になると、それは、活動を抑制し、必ず進化上の変化と生物的適合を始める。痛みと苦しみは、漸進的進化に不可欠である。
生活のための葛藤は、非常に苦痛であり、一部の進歩の遅い部族は、今だに遠吠えし、それぞれの新たな日の出を悲しみさえするほどである。原始人は、止むことなく「だれが私を苦しめているのか」と尋ねた。自分の災いに物質的原因を見つけず、精神的説明に落ち着いた。神秘なものへの恐怖、見えないものへの畏敬、未知の畏怖から生まれる宗教もまた、そうであった。自然の恐怖は、その結果、偶然のせいで、そして神秘のせいで、まず、生存のための戦いにおける要因となった。
原始の心は、論理的であったが、知的連携に対する考えはあまりなかった。未開の心は、無教育で、完全に素朴であった。1つの出来事が別の出来事に続いて起こったならば、未開人は、それらが原因と結果であると考えた。文明人が迷信とすることに対して、未開人は、単に無知であった。人類は、目的と結果の間に必ずしも何の関係もないことを学ぶのに時間がかかった。人間は、生存への反応は行為と行為の結果の間に現れると分かり始めたばかりである。未開人は、すべての実体のない、また抽象的なものを擬人化しようと努め、その結果、自然と偶然の両方が亡霊—霊—として、後には神として擬人化されるようになる。
人は当然のことながら自分にとり最善であるもの、即座の、または先での利益になるものを信じる傾向にある。私利が論理を大きく曖昧にする。未開人の心と文明人の心の相違は、その中味よりも性質、質よりもむしろ程度の問題である。
しかし、理解し難しいものを超自然の原因にし続けるのは、知的で困難な仕事のすべての形式を避ける怠惰で便利な方法に他ならない。運は、単にいかなる時代の人間生存の説明し難いものを覆うために作られた用語である。それは、人が見抜くことはできない、もしくは、そうしたくないそれらの現象を意味する。偶然は、人が無知であり過ぎるか、または原因を割り出すには怠惰であり過ぎるということを示す言葉である。人は、好奇心や想像力が貧困であるときにだけ、人種が自発性と冒険を欠くときにだけ、自然の出来事を事故、あるいは不運と見なす。生活の現象の探求は、遅かれ早かれ機会、運、およびいわゆる事故への人の思考体系を壊し、従って、すべての効果が、明確な原因に先導される宇宙の法と秩序を代替する。このようにして、生存の恐怖は、生活の喜びに取り替えられるのである。
未開人は、すべての自然は生きている、何かに所有されていると見なした。文明人は、自分の邪魔をしたり、突き当たるそれらの無生物を蹴ったり呪ったりする。原始人は、決して何かを偶然とはみなさなかった。いつも、すべてが意図的であった。原始人にとっての運命の領域、すなわち運の作用、つまり霊界は、原始社会と同じく末組織的で場当たり的であった。運は、霊界の奇妙で気まぐれな態度と見なされた。後には神々の滑稽として。
しかし、すべての宗教は、霊魂信仰から発達しなかった。超自然にかかわる他の概念は、霊魂信仰と同時性であり、これらの信仰はまた崇拝へとつながっていった。自然主義は宗教ではない—それは宗教の子である。
進化する人間にとっての死は、最高の衝撃、偶然と神秘の最も理解しにくい組み合わせであった。命の尊厳ではなく死の衝撃が、恐怖を奮い立たせ、その結果、事実上宗教を育成した。死は、未開民族の間では大抵が暴力によるもので、ゆえに暴力を伴わない死は、ますます神秘的になった。人生の自然で予想された終わりとしての死は、原始の人々の意識には明確ではなく、人がその必然性に気づくには何世代も要した。
古代人は、命を事実として受け入れたが、死はある種の訪問と見なした。すべての人種は、死なない人々の伝説、死に対する初期の態度の名残りの伝統を持っている。既に人間の心には、ぼんやりとした組織化されていない精神界が、すなわち人生におけるすべての不可解なものが来る領域が、存在しており、この長い解明されない現象の一覧表に死が追加された。
人間のすべての病気と自然な死は、最初は霊の影響によると信じられた。現在でさえ、幾つかの文化的人種は、病気が「敵」によって作られたと見なし、効果的回復を宗教儀式に頼る。後の、 しかもさらに複雑な神学体系は、まだ死を精神界の作用のせいにしており、その総てが、原罪や人間の堕落としての教義へと導いた。
人間の弱さの認識にくわえて自然の強大な力の前に、病と死の災いに対峙して、未開人に超物質界に助けを求めるよう駆り立てる無力さの認識があり、未開人は、それを人生の神秘的な変化の根源としてばく然と心に描いた。
人間の人格の超物質段階の概念は、日々の生活の出来事やくわえて亡霊の夢からの純粋に偶発性の関係、想像、生まれた。部族の数人が死んだ首長の夢を同時に見ることは、かつての首長が何らかの手段で本当に戻ったという説得力のある証の構成要素をなすようであった。汗にまみれ、震え、叫び声を上げてそのような夢から目覚める未開人にとっては、総てがまさに現実であった。
夢に基づく未来の存在への信仰は、いつも見えないものを見えるものの点から想像する傾向について説明する。やがて、この夢-亡霊-未来-生活の新概念は、生物の自衛本能に関連づいた死の恐怖への対策を効果的に始めた。
古代人はまた、息を吐き出すと雲のように見えるところ、特に寒い気候において、自分の死を非常に危惧した。命である息は、生きる者と死ぬ者を区別する一現象と見なされた。息が体を離れることができることを知っており、そして睡眠中にいろいろな奇妙なことをする夢は、人間に関して何か実体のないものがあると納得させた。人間の魂の最も原始の考えは、つまり亡霊は、息-夢の思考体系からきている。
結局未開人は—体と息—の二つとして自らを想像した。息から体を差し引いたものは霊、すなわち亡霊に相当した。非常に明確な人間の起源を持ちながら、亡霊または霊は、超人的に見なされた。そして実体のない霊の存在へのこの信仰が、尋常ではない、並はずれた、稀な、不可解なものの発生について説明しているように思われた。
死後の生存についての原始の教義が、必ずしも不死の信仰であったわけではない。20以上を数えることができなかった生き物は、とても無限と永遠を想像することができなかった。むしろ繰り返し起こる霊魂の化身を考えに入れた。
橙色人種は、輪廻と転生を特に信じる傾向にあった。この転生の考えは、先祖との子孫の遺伝的、そして特徴類似点の観察に源を発した。祖父母と他の先祖にちなんで子供に名付ける習慣は、転生の信仰に起因した。後のいくつかの人種は、人は3回から7回死ぬと信じた。この信仰(大邸宅世界に関するアダームの教えからの残留物)と、他の多くの啓示宗教の残余物は、20世紀の未開人のまったく不条理な主義に見い出せる。
古代人は、地獄について、あるいは今後の罰についての考えを抱かなかった。未開人は、来世をまるでこの世と同様に、すべての凶は差し引いて見た。後に、良い亡霊と悪い亡霊のための別々の運命—天国と地獄—が考え出された。しかし多くの原始の人種は、人間は、この世を離れるときのまま来世に入ると信じたので、年をとったり老いぼれたりする考えを有り難く思わなかった。年老いた者達は、虚弱になり過ぎる前に殺されることをとても好んだ。
ほとんど総ての集団には、亡霊の魂の運命に関し異なる考えがあった。ギリシア人は、弱い人間には弱い魂が宿っているに違いないと信じた。それで、そのような無気力な魂の受理のための適当な場所としてハデスを考案した。またこれらの頑強でない雛形には、短めの影があると信じられていた。初期のアンド系は、亡霊は先祖の故国に戻ると考えた。中国人とエジプト人は、かつて魂と体は一緒に残ると信じた。エジプト人の間ではこれが、念入りな墓の建造と肉体保存の努力に繋がった。現代の民族でさえ死者の腐敗を阻止ようとする。ヘブライ人は、個人に似た幽霊が地下の冥土に降りると想像した。それは、生者のこの世には戻ることはできなかった。ヘブライ人は、魂の発展の教義においてそのような重要な前進をした。
人の非物質的部分は、亡霊、霊、黄泉の住人、幽霊、妖怪、また後には魂とさまざまに呼ばれてきた。魂は、初めは夢の中の自分であった。それは、接触に反応しないことを除いては、あらゆる点で人間自身にそっくりであった。夢の中の自分の信仰は、すべての有生物、そして無生物には人間と同様に魂があるという概念に直接導いた。この概念は、長らく、自然-霊の信仰を永続させる傾向があった。エスキモー人は、いまだに自然のすべてに霊が宿ると考えている。
亡霊の魂は、聞いたり見たりできるが、触われなかった。徐々に、人種の夢の中の生活は、死が、この進化する霊の世界の活動を非常に進展し拡大したので、死は、最終的には「亡霊をあきらめる」と見なされるほどであった。動物の少し上の部族を除く原始部族のすべては、魂についての何らかの概念を生み出した。魂のこの迷信深い概念は、文明が進むと打ち壊され、人は、神を知る人間の心とその内在する神霊、すなわち思考調整者との共同創造として魂に関する自分の新しい考えについて顕示と個人的な宗教経験に完全に依存している。
通常、初期の必滅者は、内在する霊と進化的本質の魂の概念とを識別しなかった。未開人は、亡霊の魂が肉体の生まれであるのか、それとも体の所有者の外的媒体であるのかに関し非常に混乱していた。当惑の中での道理に基づく考えの欠如は魂、亡霊、および霊についての未開人の視点の甚だしい矛盾について説明する。
香水を花と関連づけるように、魂は、体と関連づけて考えられた。古代人は、次のように魂が様々な方法で体を離れることができると信じた。
1. 通常の、しかも一時的な失神
2. 睡眠、自然な夢
3. 病気と事故に関連する昏睡と無意識
4. 死、永久の出発
未開人は、くしゃみを魂の体からの不成功の脱出のとみなした。体は、目覚めていたり用心をしているとき、魂が試みる脱出を阻むことができた。後にくしゃみは、通常「神があなたを祝福しますように。」などのような何らかの宗教表現が添えられた。
進化の初期における睡眠は、亡霊の魂は体を離れていることができるということを立証すると見なされ、話し掛けるか、または睡眠者の名前を叫ぶことによって呼び戻すことができると信じられた。魂は、その他の無意識の形でにおいてはずっと遠くにある、恐らく永遠に逃げようとしていると考えられた—差し迫る死。夢は、睡眠の間、一時的に体を離れる魂の経験と見なされた。未開人は、夢は目覚めている経験のどの部分とも同等に現実であると信じる。古代人は、魂が、体に戻る時間があるようにと、徐々に睡眠者を起こすことを常とした。
人は、大昔から夜間の幻影を恐れ、ヘブライ人も例外ではなかった。ヘブライ人は、この考えに対するモーシェの指示にもかかわらず、本当に、神が夢で話すと信じた。そして通常の夢は、精神界の人格が、物質的存在者と意志疎通を図ろうとするとき用いる方法ではないので、モーシェは、正しかったのである。
古代人は、魂が、動物に入ることができると、無生物にさえ入ることができると信じた。これは、ついにはオオカミ人間の動物との同一化の考えとなった。人は、日中は法に従うかもしれないが、寝入ると、その魂は、夜中にうろつき回るために狼、あるいは他の動物に入ることができた。
原始人は、魂を息に関連づけ、その特徴は、その息によって伝えるか、または移すことができるかもしれないと考えた。勇敢な首長は、新生児に息を吹きかけ、それによって勇気を分け与えるのであった。初期のキリスト教徒の間では、志願者に息を吹きかけて聖霊を授ける儀式を伴った。詩篇作者は言った。「主の言葉によって天は作られ、天の万象もすべて、御口のいぶきによって。」長男は、瀕死の父の最後の息を捕らえようとするのが長い間の習慣であった。
後には影が、息と等しく恐れられようになった。水面に映る自分の姿もまた、時々二重の自己の証拠と見なされ、鏡は、迷信的な畏敬をもって見られた。多くの文明的な人々が、死に際しては今でも、鏡を壁に向ける。いくつかの進歩の遅い部族は、まだ絵、素描、模型、または形象の作成は、体から魂のすべてか、一部を取り除くと信じている。したがって、そのようなことは禁じられている。
魂は、息と同一視されると一般に考えられたが、様々な民族が、頭、髪、心臓、肝臓、血液、および脂肪の中にその居場所を定められた。「地面からアベルの血が叫んでいる」というのは、血液中の亡霊の臨場のかつての信仰の表現である。セム族は、魂が、肉体の脂肪内に住んでいると教え、また、多くの者の間では、獣脂を食べることは禁物であった。首狩りは、敵の魂の捕獲方法であった。近代において目は、魂の窓と見なされてきた。
3つか4つの魂の教義を持つ者達は、1つの魂の損失は不快、2つは病気、3つは死を意味すると信じた。1つの魂は息、1つは頭、1つは髪、1つは心に居住した。病人は、さ迷っている自分の魂を取り戻す望みをもって戸外をぶらつくようにとの助言を受けた。最も偉大な祈祷師は、死者の病む魂を新しい物、すなわち「新生」との交換をすると信じられた。
バドナンの子供等は2つの魂、つまり息と影の信仰を発展させた。初期のノヅ系の人種は、人間は2人、つまり魂と体からなると見なした。人間存在のこの哲学は、後にギリシア人の見解に反映された。ギリシア人自身は、3つの魂を信じた。胃に住む植物的なもの、心の動物的なもの、頭の知性的なもの。エスキモー人は、人には3つの部分があると信じる。体、魂、それに名前。
人は、自然環境を引き継ぎ、社会環境を獲得し、亡霊環境を想像した。国家は自然環境への、家は社会環境への、教会は架空の亡霊環境への人の反応である。
人類の歴史上の非常に早い時期、亡霊と霊の架空世界の現実が一般に信じられ、新しく想像されたこの霊の世界は、原始社会で威力となった。全人類の精神生活と道徳生活は、人間の思考と行動におけるこの新要因の出現によって永久に変更された。
幻想の、そして無知のこの大前提への人間の恐怖は、原始民族のその後の迷信と宗教のすべてを押し固めた。これは、顕示のときまで人の唯一の宗教であり、今日、世界の人種の多くには、この粗雑な発展の宗教しかない。
進化が進むにつれ、幸運は、良い霊と、また不運は悪い霊と関連づけられるようになった。変化する環境への強制的順応の不快感は、不運すなわち霊の亡霊の不満と見なされた。原始人は、生まれながらの崇拝衝動と偶然性の誤解からゆっくりと宗教を進化させた。文明人は、これらの偶然の発生に打ち勝つために保険計画を提供する。現代科学は、架空の霊と奇妙な神の代わりに数学的計算と共に保険数理士を置く。
通過する各世代は、その祖先の愚かな迷信に微笑みかけ、一方良識ある後世の方では、一層の微笑の原因を与える考えと崇拝の誤りを抱き続けている。
しかし、ついに原始人の心は、生来の生物的衝動のすべてを超えた考えで頭が一杯であった。ついに人は、物質的な刺激への反応よりも何かに基づいて生きる芸術を発展させようとしていた。原始の哲学的人生の方針が、始まりつつあった。超自然の生活水準が、登場しようとするところであった。というのも、もし霊の亡霊が、怒って凶を、喜んで幸運を与えるのであるならば、人間の行為は、しかるべく規制されなければならないのであるから。善悪の概念が、ついに発展した。そしてこの総てが、地上でのいかなる顕示のずっと以前のことであった。
これらの概念の登場で、絶えず不満な霊を宥める長く無駄な苦闘が、つまり進化的宗教の恐怖への、すなわち、墓、寺、犠牲、および聖職への人間の長く無駄な努力への奴隷的束縛が、開始した。それは、支払うにはつらく醜悪な代償であったが、人がその相対的な善悪の自然な意識を達成したので、かかったすべての価値はあった。人間の倫理が、誕生したのであった。
未開人は、保険の必要性を感じ、したがって魔法の保険措置に向け恐怖、迷信、畏怖、および聖職者への贈り物への重くのしかかる保険料を進んで支払った。原始宗教は、単に森林の危険に対する保険料の支払いであった。文明人は、産業の偶発事故や現代生活様式の緊急事態に対する有形の支払いをする。
現代社会は、それを経済学の領域に置いて、聖職者と宗教の領域からは保険事業を取り除いている。宗教は、ますますあの世での生活の保証に対するそれ自体を懸念をしている。現代人は、少なくとも考える人々は、もはや運を支配するために無駄な保険料を支払わない。宗教は、不運に対する保険案としてのその前の機能と比べて、より高い哲学的水準に徐々に昇っている。
しかし、これらの古代宗教の考えは、人が諦観的なったり、絶望して悲観的になることを防ぐことができなかった。かれらは、それが、少なくとも運命に何か影響を及ぼすることができると信じていた。亡霊恐怖の宗教は、自らの行為を規制しなければならないということ、人間の運命を掌握する超物質界があるということを人間に印象づけた。
現代の文明的人種は、運と生存に関するあるきたりの不平等にの説明としての亡霊の恐怖からちょうど脱出しつつある。人類は、不運に関する亡霊-霊の説明の束縛からの解放を獲得しつつある。しかし人は、人生の浮沈に関わる霊が原因とする誤った教義をあきらめつつある一方で、人間のすべての不平等を政治上の不適合、社会的不正、および産業競争のせいにすることを命じるほとんど同様に当てにならない教育を受け入れることに驚くべき意欲を示す。しかし、いかにそれら自体は良かろうが、新しい法律、拡大する博愛、さらなる産業の再編成は、出生の事実と生活の偶然の出来事を修正はしないであろう。自然の法則に沿っての事実の理解と賢明な操作だけが、人が欲するものを得、欲しないものを避けることを可能にするであろう。科学的活動に導く科学的知識が、いわゆる予想外の病気のための唯一の解毒剤である。
産業、戦争、奴隷制度、および民間政府は、自然環境における人の社会的発展に対応して生まれた。宗教は、実体のない亡霊界の非現実的な環境への人間の対応として同様に生まれた。宗教は、自己維持の段階的発達であり、元々、概念的には誤っており全く不合理であったにもかかわらず、功を奏してきた。
原始宗教は、超自然の起源である本物の精神の力、つまり思考調整者の贈与にむけて、理由のない恐怖の強くすさまじい力によって人間の心の土壌に備えた。そして神性調整者は、以来ずっと、神-恐怖を神-愛に変えるために働いている。進化は遅いかもしれないが、それは違うことなく効力がある。
[ネバドンの宵の明星による提示]
亡霊信仰は、不運な危険の埋合わせとして発展した。その原始の宗教的慣習は、不運への不安と死者への過度の恐怖からの自然の成り行きであった。初期のこれらの宗教のいずれも神性の認識、または超人崇敬とはあまり関係がなかった。亡霊を避けるか、追放するか、あるいは威圧するように考案されており、儀式は、ほとんど否定的であった。亡霊信仰は、災害に対する保険以外の何ものでもなかった。それは、より上の、また将来に向けての利益のための投資とは関係なかった。
人には、亡霊信仰との長く苦々しい奮闘があった。人間の歴史の中で、亡霊-霊の恐怖への悲惨な奴隷状態のこの絵ほどにあわれみを起こさせるものはない。人類は、他ならないこの恐怖の誕生に伴い宗教発展の改善に取りかかった。人間の想像は、自己という岸から出港し、本当の神性、本物の神の概念に到着するまで再び錨を見つけないであろう。
死は、その肉体からのもう一つの亡霊の解放を意味したので恐れられた。古代人は、死を避けるために、つまり新たな亡霊と闘うという問題回避のために最善をつくした。古代人は、亡霊に死の場面からの退去を促すことを、死の世界への旅立ちを、常に切望していた。亡霊は、死に際してのその出現と自国への出発の間の想定上の移行期間に最も恐れられた。
未開人は、亡霊は超自然の力をもつと信じたが、超自然の知力を持っているとは想像だにしなかった。亡霊をごまかしたり欺いたりするために多くのいたずらと策略の努力がめぐらされた。文明人は、外向きの敬虔の顕現が、何らかの方法で全知の神さえも欺くという望みを依然として非常に信じている。
原始人は、それがしばしば死の前触れであることを観察したが故に病気を恐れた。部族の祈祷師が苦しむ者の治療ができなければ、病人は通常、家族の小屋から小さ目の小屋に移されるか、一人で死ぬように戸外に置き去りにされた。死が生じた家は、通常、壊された。さもなければ、それはいつも避けられ、この恐怖は、頑丈な住まいを人に造らせなかった。またそれは、永続的な村や市の設立に不利に作用した。
未開人は、一族の一人が死ぬと、夜通し寝ずに話した。死体の近くで寝入るならば死ぬと恐れた。死体からの接触伝染は、死者への恐怖を具体化し、そこである時期にはすべての民族が、死者との接触後の個人を洗う入念な禊を採り入れた。古代人は、死体に光を与えなければならないと信じた。遺体が暗闇に放置されることは決して許されなかった。蝋燭は、20世紀におけるいまでも処刑室で点されるし、また人は、死者の夜伽をする。いわゆる文明人は、その人生哲学から死体への恐怖をまだ完全に排除したというわけではない。
このすべての恐怖にもかかわらず、人はそれでも亡霊を欺こうとした。死体は、死の小屋が壊されずともその穴から取り出され、決して扉口からではなかった。これらの手段は、亡霊を混乱させ、その滞在を阻み、またその帰還阻止のために行われた。また会葬者は、葬儀から亡霊がついて来ないように異なる道を戻っていった。亡霊が墓から戻らないことを保証するために後戻りや何十もの他の策が慣行された。男女は、亡霊を誤魔化すためにしばしば衣服を交換した。喪服は、生存者が変装するために、後には死者への敬意を表すために、こうして亡霊を宥めるために考えられた。
宗教における亡霊鎮静への消極的な取り組みは、長い間霊の強制と懇願の肯定的取り組みに先行した。人間の崇拝の最初の行為は、崇敬ではなく防衛事象であった。現代人は、火災保険をかけるのが賢明であると考える。同じく未開人は、亡霊の災難に対し保険の備えが賢明であると考えた。この保護確保への努力が、亡霊信仰の方法と儀式を構成した。
亡霊の最大の願望は、邪魔をされずに死の世界に進めるようにすばやく「横たえられること」だと、かつて考えられた。亡霊を横たえる儀式において生者の行為のいかなる遂行上の誤り、あるいは手ぬかりも、亡霊界へのその進行を確実に遅らせた。これは、亡霊を不快にさせていると信じられ、また怒らせた亡霊は、災難、不運、不幸の源だと考えられた。
葬儀は、亡霊の魂が、その将来の家に向けての出発を促す人の努力に始まり、弔辞は、元々新たな亡霊にそこに到着する方法を知らせるように考案された。亡霊の旅に備え、墓の中か、その近くに食物と衣服が置かれるのが習慣であった。未開人は、「亡霊を横たえる」には—墓の周辺からそれを離れさせるために—3日間から1年を要すると信じた。エスキモーは、霊は3日間肉体に留まると今なお信じている。
亡霊が家に引き付けられないように、沈黙もしくは喪が、死後に執り行なわれた。苦行—傷—は、哀悼の共通の形式であった。多くの進んだ教師がこれを止めようとしたが、失敗した。断食や自己否定の他の形態は、死の世界への実際の出発前の潜伏中の移行期間、生者の不快感を楽しむ亡霊にとり快いと考えられた。
長く頻繁な服喪の無活動期間は、文明前進への大きな障害の1つであった。非生産的で無益なこの服喪に毎年何週間、何カ月間もが文字通り無駄に費やされた。専門の会葬者が葬儀の際に雇われたという事実は、服喪が、悲しみの証しではなく、儀式であったことを示唆する。現代人は敬意を表して、また死別を理由に死者を悼むかもしれないが、古代人は恐怖ゆえにこれをした。
死者の名前は決して口にされなかった。事実上、それらは言語からしばしば払いのけられた。これらの名前は禁止され、またこのようにして言語は絶えず貧困に陥った。これが、結局、「人が決して言及しない名前、あるいは日」などの象徴的話法や比喩的表現の増加を引き起こした。
古代人は、亡霊の追い払いの苦心のあまり、生涯を通じて望んだかもしれないもの全てを亡霊に提供した。亡霊は、妻と使用人を欲した。裕福な未開人は、己の死に際しては少なくとも1人の奴隷妻が生きたまま埋葬されることを要求した。後には未亡人が夫の墓で自殺することが習慣になった。子供が死ぬと、大人の亡霊が子供の亡霊に伴い、世話ができるように母、おば、または祖母がしばしば絞殺された。通常は自らの命を諦めた人々が、このように積極的にそうした。実際、自らの命を諦めた人々が習慣に違反して生きたとしたならば、亡霊の怒りに対する恐怖は、原始人が楽しんだそのような数少ない喜びを人生から剥ぎ取ったことであったろう。
死んだ長に同伴させるために多くの臣下を殺すのが通例であった。主人が死ぬと奴隷は、亡霊界で仕えるようにと殺された。ボルネオ人は、いまだに特使の仲間を提供している。奴隷は、死んだ主人との亡霊の旅をするために槍で殺される。被殺害者の亡霊は、その殺害者の亡霊を奴隷に従えることを喜ぶと信じられた。この考えが、首狩りへの動機を人に与えた。
亡霊は、建前としては食物のにおいを楽しんだ。葬儀の宴での食物の供え物は、かつては世界共通であった。原始の食前の祈りの方法は、霊鎮静の目的で魔法の式文を呟きながら食物を少量炎の中に投げることであった。
死者は、生存中に所有した道具や兵器の亡霊を活用すると考えられた。品物を壊すことは「それを殺す」ことであり、亡霊界での仕事のためにこのようにしてその亡霊を解き放つ。財産の犠牲もまた燃やすか、埋めるかによってなされた。古代の葬儀の廃棄物は、甚だしいものであった。後の人種は、これらの死の生贄に本物の物品や人々の代わりに紙の模型を作ったり、絵を用いた。一族の遺産が、財産の焼却と埋蔵とに取って代わったとき、それは、文明における大いなる進歩であった。イロコイ族は、葬儀の無駄に多くの改革をもたらした。そして財産のこの保護が、かれらを北部の赤色人種の間で最も強力な集団にになることを可能にした。現代人は、亡霊を恐れてはいないと考えているが、習慣は、根強く、いまだに多くの地球の富が、埋葬や死の儀式に消費されている。
前進する亡霊信仰は、普通の亡霊と高等な霊との、つまり前進する神との連結をしたので、先祖崇拝を必然的なものにした。初期の神は、単に称賛された亡くなった人間であった。
先祖崇拝は、本来、崇拝というよりも恐怖であったが、そのような信仰は、確かに亡霊の恐怖と崇拝の一層の普及に貢献した。初期の先祖亡霊信仰の信者は、悪意ある亡霊が、そのような時に自分の肉体に入らないように欠伸することさえ恐れた。
子供を養子にする習慣は、ある人が、死後の魂の平和と前進のために捧げものを確実にするためであった。未開人は、仲間の亡霊の恐怖に生き、死後の自身の亡霊の安全通交のための計画を立てて余暇を過ごした。
ほとんどの部族が、少なくとも年に1度、すべての魂の祭礼を設けた。ローマ人は、毎年、亡霊の12回の祭礼とそれに付随する儀式を開いた。1年の半分は、これらの古代の信仰に関連するある種の儀式に捧げられた。1人のローマ皇帝は、祭礼の日数を1年あたり135日にまで減少させることで、これらの習慣を改革しようとした。
亡霊信仰は、継続的に進化した。亡霊が、生存の不完全な段階からより高い段階へと通過すると想像されたように、信仰も、つまるところ霊の、さらには神の、崇拝にさえ発展した。しかし、より高度の霊へのさまざまな信仰には関係なく、すべての部族と人種は、一度は亡霊を信じた。
亡霊恐怖は、すべての世界宗教の根源であった。そして長い間、多くの部族が、1種類の亡霊への古い信仰に執着した。かれ等は、亡霊が、嬉しいときには人に良運があり、腹を立てているときには悪運があると教えた。
亡霊恐怖の信仰が広がるにつれ、より高等の霊の型、すなわち、いかなる個々の人間とも明確には識別できない霊の認識が生まれた。それらは、亡霊界の領域を越え、霊界のより上の領域に進んだ卒業した亡霊、あるいは栄光を与えられた亡霊であった。
霊の亡霊に関する2種類の概念は、世界中で緩やかではあるが確かな進歩をした。この新しい2つの心霊術は、部族から部族へと広まる必要はなかった。それは独自に世界中に生まれた。考えのもつ力は、影響を及ぼすことに関しては、拡充する進化の心に、その真実、または妥当性にあるのではなく、むしろその敏速で簡単な適用性の鮮明さと普遍性にある。
人の想像力は、さらに後には善と悪の超自然の媒体の概念を思い描いた。幾つかの亡霊は、決して善霊の段階に進化しなかった。亡霊恐怖の初期の単一心霊主義は、徐々に二元的な精神主義へと、俗事に関わる不可視の支配の新概念へと発展していった。ついに好運と悪運には、それぞれの管理者がいると想像された。そして2種類のうち、悪運をもたらす一団は、より活発で多数であると信じられた。
善霊と悪霊の教義が最終的に熟すと、それは、全宗教の信仰の中で最も広くゆきわたり、持続した。この二元性は、人が、好運と悪運双方についての説明を可能にし、その行動においてある程度一貫した超人間の存在を同時に信じているので、かなりの宗教哲学的進歩を意味した。霊が、善か悪かのいずれかであることを見込むことができた。霊は、原始のほとんどの宗教を特徴づける単一心霊術の初期の亡霊がそうであると想像されていたようには、完全に気性が激しいと考えていたわけではなかった。とうとう人は、行動において一貫した超人間の影響力を想像することができ、そして、これは、宗教発展の歴史全体と人間の哲学の拡大において最も重要な真実発見の1つであった。
進化的宗教は、しかしながら、二元的心霊主義の概念に対して惨たる代償を支払った。そして、人の初期の哲学は、2種類の霊を事実として仮定することにより、つまり片方を善とし、もう一方を悪とすることによってのみ精神不変性と現世の繁栄の変化との折り合いをつけることができた。そして、この信仰は、人が機会の可変性と不可変の超人間の力の概念との折り合いをつけることを可能にすると同時に、この教義は、以来ずっと、宗教家の宇宙統一についての想像を難くしてきた。進化的宗教の神々は、一般に暗黒の力に妨害されてきた。
この悲劇のすべては、これらの考えが、人の原始の心に定着しつつあるとき、悪い、あるいは不協和な霊は、世界中に実際には無いという事実にある。そのような不幸な状況は、カリガスティア反逆の後まで展開せず、しかも五旬節までしか持続しなかった。20世紀においてさえ、宇宙の等位としての善と悪の概念は、実に人間の哲学に生きている。世界宗教の大半は、遠い昔の新興の亡霊信仰のこの文化の痣をいまだに持っている。
原始人は、霊と亡霊は無制限に近い権利を持つが、何の義務も持たないと考えた。人は、種々の義務を持つが、何の権利も持たないと霊は見なしていると考えられた。霊は、人が、霊的義務の履行に絶えず失敗するので人を蔑んでいると信じられた。亡霊は、人間の問題に不干渉であることへの代償として連続的奉仕を課すというのが、人類の一般的信仰であり、最小の不幸でさえ亡霊の行為とされた。初期の人間は、神による何らかの名誉を見落としてはいないかと非常に恐れ、知っているすべての霊に生贄を捧げた後に、念のために「未知の神々」にもう1度捧げた。
さて単なる亡霊信仰には、より進歩し、比較的複雑な霊-亡霊信仰、つまり人の原始的想像力の進化に伴うより高度の礼拝と崇拝の実践が続いた。宗教儀式は、精神の発展と進歩とに足並みをそろえなければならない。拡大的信仰は、超自然存在体への信仰に関連して実践される自己維持の芸術、つまり精神環境への自己調整にすぎない。産業と軍事組織は、自然環境と社会環境への順応であった。そして男女の愛の需要に応えるために結婚が生まれたように、宗教組織もより高い精神力と自然を超越したものへの信仰に対応して発展したのであった。宗教は、機会の謎に対する人の幻想への調整を意味する。霊への恐怖とその後の崇拝は、不幸に対する保険として、つまり繁栄方策として採用された。
未開人は、自分達のすべきことをするものとして、人間に要求するものはあまりないものとして善霊を想像する。上機嫌の状態に置かれていなければならないのは悪い亡霊と霊である。従って、原始の民族は、優しい霊によりも意地の悪い亡霊に注意を向けた。
人間の繁栄は、悪霊の嫉妬に特に挑発的であると考えられ、そして悪霊の報復方法は、人の媒体と邪視の方法による逆襲であった。霊の回避に関わる信仰の局面は、邪視の策謀に大いにに関係があった。それに対する恐怖は、ほとんど世界的となった。美しい女性は、邪視からの保護のためにベールで覆った。後には、美しいと思われたい多くの女性は、この習慣を採り入れた。悪霊へのこの恐怖の理由から、子供には日が暮れてからの外出はめったに許されず、また、初期の祈りにはいつも「邪視より救い出し給え」という祈願を盛り込んでいた。
コーランには全章が邪視と魔法の呪縛に振り当てられた章があり、ユダヤ人はそれらを完全に信じた。全男根崇拝は、邪視に対する防衛として発展した。生殖器官は、それを無力にできる唯一の呪物であると考えられた。邪視は、子供の胎児期の斑点、つまり母の押印に関わる最初の迷信を生み、またその信仰は、ひところ、ほぼ普遍的であった。
嫉妬は、深く根ざした人間の習性である。それゆえに原始人は、それを初期の神のせいにしたのであった。そして、人は、一度亡霊で誤魔化しを実践していたことから、すぐに霊を誤魔化し始めた。人は、「もし霊が、我々の美と繁栄に嫉妬するならば、我々は自分達を傷つけ自らの成功をけなすつもりである」といった。初期の謙遜は、それゆえ自我の卑しめではなく、むしろ嫉妬する霊の裏をかくことであり、騙すことであった。
人間の繁栄への霊の嫉妬を止めるために採用された方法は、幸運な、あるいは非常に好きである、物や人に対し悪罵を積み重ねることであった。自分自身、もしくは家族に関する世辞めいた一言を軽視する習慣には、このようにその起源があり、それは、結局、教化された謙遜、抑制、礼儀へと発展していった。同じ動機を踏まえて、醜く見られることが流行となった。美は、霊の嫉妬をそそった。それは、罪深い人間の誇りの前兆であった。未開人は、醜い名前を捜し求めた。信仰のこの特徴は、芸術振興への大いなる障害であり、それは、長い間、世界をくすんだ、醜い状態にし続けた。
霊信仰下の人生は、いくらよく見ても賭け事であり、つまり霊の支配の結果であった。人の未来は、霊に影響を及ぼすことに利用されるかもしれないことを除いては、努力でも、産業でも、才能の結果でもなかった。生々世々、次から次に人種が、この超-亡霊教義の改良に務めてきたが、どの世代もまだあえて完全にそれを拒絶したことがない。
霊の意図と意志が、前兆、お告げ、兆候の手段によって研究された。そしてこれらの霊の知らせは、易、占い、魔術、神明裁判、および占星術によって解釈された。信仰全体は、この偽装贈賄で霊を宥め、満足させ、厄介払いをするように考案された策であった。
その結果、次のような新たで、拡大された世界哲学が生まれた。
1. 義務—霊に好感を抱かせるために、少なくとも中立にさせるためにすべき事柄
2. 権利—霊が積極的に人の利益をもたらすように考えられた適正な行動と儀式
3. 真実—霊への正しい理解と態度、この故に生と死に対する態度
古代人が将来を知ろうと努めたのは、単なる好奇心からではなかった。古代人は、不運から身をかわしたがった。占いは、単に問題を避ける試みであった。この期間、夢は、予言と見なされたが、並外れたことはすべてが前兆であると考えられた。そして今日でさえ、文明的人種は、昔の前進する亡霊信仰の印、兆候、また他の迷信深い名残りへの信仰に苦しめられている。人は、人生の進化の段階を非常に緩やかに、痛々しいほどに昇るそれらの方法を捨て去るのにまことに遅々としている。
宗教儀式は、人が亡霊だけを信じるときは、より個人的で、つまりあまり組織的ではなかったが、より高度の霊の認識には、かれらを扱う際の「霊的なより高度の方法」の採用を必要とした。霊を宥める手法の改良や入念な計画のこの試みは、直接霊に対しての防衛措置につながった。人は、地球の生活に作用する制御の及ばない力の前には誠に無力であると感じ、また人間の劣等感というものが、ある種の補整的調整を見い出す試みへと、つまり対宇宙への人間の一方的な戦いにおける不均等をならすための何らかの方法へと追い込んだ。
亡霊の活動に影響を及ぼす人の努力は、その信仰の初期においては、宥めの範囲内、すなわち、不運を贈賄で追い払う試み、にとどめられていた。亡霊信仰の発達は、悪霊はもとより善霊の概念へと進歩するにつれ、これらの儀式は、より積極的な類の試みに、つまり幸運を得る努力に向き直っていった。もはや人の宗教は、完全に消極的ではなく、幸運を得る努力以上のことをした。人はまもなく、それによって霊の協力を余儀なくさせ得る計画について工夫し始めた。もはや宗教家は、自身が捻り出す霊の幻影の絶えざる要求の前に無防備に立ってはいない。未開人は、それにより霊の活動を強制したり、その援助を強要できるかもしれない武器を発明し始めている。
人の防衛における最初の努力が、亡霊に対して向けられた。生者は、時代の経過とともに死者に抵抗する方法を工夫し始めた。亡霊を脅かしたり追い払うための多くの手法が開発されており、また、その中の手法は、次のように引用できる。
1. 頭を切り落とし、墓に肉体をしばりつけること
2. 死者の家に投石すること
3.去勢、または死体の脚を折ること
4. 石の下への埋葬、近代の墓石の起源の1つ
5. 火葬、つまり亡霊問題を防ぐための後の創案
6. 肉体を海中に投げること
7. 野生動物にさせるための死体の野ざらし
亡霊は、雑音に妨害されると怯えると考えられた。叫び声、鈴、太鼓は、生者からそれらを追い払った。そして古代のこれらの方法は、死者のための「通夜」で今なおとり行なわれている。悪臭に満ちた調合物は、歓迎されない霊を追放するのに利用された。見るも恐ろしい霊の姿は、自らが視たときに急いで逃れるように作られた。犬は、亡霊の接近を感知でき、遠吠えにより警告を与え、雄鶏は、霊が近いと鳴くと信じられたのであった。風向計としての雄鶏の使用は、この迷信の永続化である。
水は、亡霊に対する最良の防衛と見なされた。聖水は、聖職者が自分の足を洗った水は、他のすべての型よりも優れていた。火と水は共に、亡霊に対し通行不能の障害物になると信じられた。ローマ人は、水を携え死体の周りを3周した。20世紀において肉体には聖なる水が振り掛けられ、墓地での手洗いは、いまだにユダヤ人の儀式である。洗礼は、後の水の儀式の機能であった。原始の水浴びは、宗教儀式であった。入浴は、ごく最近、衛生上の習慣になった。
しかし人は、亡霊威圧を止めなかった。宗教儀式と他の習慣とを介し、すぐに霊の活動の威圧を試みていた。悪魔払いは、他の霊を抑えるか、または追放するために1つの霊を利用することであり、またこれらの戦術は、亡霊と霊を脅かすために活用された。もし強力な男性が、 より弱いものを負かすことができるのであれば、強い霊が、劣る亡霊を確かに支配すできるのであるから、善悪の力に関わる二元的-霊主義の概念は、ある媒体と別の媒体とを戦わせようと試みる十分な機会を人に提供した。原始の呪いは、低位の霊を畏怖させるように目論まれた威圧的習慣であった。その後、この習慣は、敵への呪いの宣言へと拡大した。
霊と半神半人は、より古代の慣習採用に立ち戻ることにより望ましい活動を余儀なくされると長い間信じられた。現代人は、同じ行動において有罪である。あなた方は、共通の、そして日常の言語で互いに話し掛けるが、祈りに際しては、別の世代のより古い型の、いわゆる厳粛な型に頼っている。
またこの教義は、神殿売春などの性の特質をもつ多くの宗教儀式の逆戻りについて説明している。原始の習慣へのこれらの逆戻りは、多くの災難に対する確たる保護であると考えられた。そして、これらの単純な心の民族と共に、そのようなすべての業績は、現代人が乱交と称する事とは全く無関係であった。
儀式上の誓約の習慣が、次に起こり、すぐに宗教上の誓約と神聖な誓いが続いた。これらの誓いの大部分には苦行と自傷が伴った。後には、断食と祈りが。自己否定は、のちには確実に強制的であると見なされた。これは、性の抑圧問題において特に本当であった。原始人は、早くに宗教習慣における明らかな厳格さ、つまり不本意の霊が、そのような全ての苦しみと剥奪に向かって都合良く反応することを強要できる儀式としての苦行と自己否定の効果への信仰、を作り上げていた。
現代人は、もはや霊への強要を公然とは試みないが、まだ神との駆け引きの傾向をはっきりと表わしている。かれは、いまだに誓い、木をトントン叩き、十字を切り、それに喀痰の後に何らかの使い古された句が続く。かつてそれは、魔術の常套手段であった。
社会的組織の信仰の型は、道徳的感情と宗教的忠誠心の保存と刺激のための象徴を提供したので持続した。信仰は、「古い家族」の伝統から生まれ設立された制度として永続化した。すべての家族には、ある種の信仰がある。奮い立たせるあらゆる理想は、永続するある種の象徴をしっかり掴む—生存を保証し、自己実現を増大させる文化の現れの何らかの方法を探し—また、信仰が、感情を育て満足させることによりこの目的を実現する。
文明の黎明期以来、あらゆる社会文化の訴求的な動き、または宗教の前進は、儀式、象徴的儀式を開発してきた。この儀式が、無意識の成長であればあるほど、それは、その愛好家を強くつかんできた。カルトは、感情を維持し、情感を満たしはしたものの、いつも社会の改造と精神的進歩への最大の障害であった。
信仰は、常に社会的進歩を遅らせてきたにもかかわらず、道徳基準と精神的理想において非常に多くの現代の信者は、何の適切な象徴ももたない—相互支援の信仰がない—ということは、残念なことである。しかし、宗教信仰は、製造できるはずがない。 それは成長しなければならない。そして、それらの儀式が、権威により人為的に標準化されない限り、同じ宗教信仰集団は、2つとないであろう。
初期のキリスト教派は、今までに思いついた、あるいは考え出したいかなる儀式の中でも最も効果的で、魅力的で、永続的であったが、その価値の多くは、本来の根底にある教義の非常に多くの破壊により科学的時代に打ち砕かれてきた。キリスト教信仰は、多くの当初の考えの損失により無気力にされてきた。
過去において、信仰に弾力性があり、拡張性があるとき、真実は、急速に成長してきており、思う存分に拡大した。豊富な真実と調整可能な信仰は、社会発展の速度を促した。無意味な信仰が、哲学に取って代わり理性をとりこにしようとするとき、宗教を腐敗させる。 本物の信仰が、成長する。
欠点や障害のいかんを問わず、あらゆる新たな真実の啓示は、新信仰をもたらし、そしてイエスの宗教の再陳述さえも新しく、しかも適切な象徴を開発しなければならない。現代人は、新たな拡大する考え、理想、および忠誠のための何らかの適切な象徴を見つけなければならない。この高められた象徴は、活発で、精神的な宗教経験から生まれなければならない。そして、より高い文明のこのより高い象徴は、神の父性の概念に基づいており、人の兄弟愛の強力な理想が、充満していなければならない。
昔の信仰は、自己中心的であった。新しい信仰は、適用された愛の産物でなければならない。新しい信仰は、古い信仰のように感情を育て、情感を満たし、忠誠を促進しなければならない。しかしそれは、より以上のことをしなければならない。それは、精神的進歩を容易にし、宇宙の意味を高め、倫理的価値を増大させ、社会開発を奨励し、個人の宗教生活の高度の型を促さなければならない。新しい信仰は、一時の、そして永遠の—社会的、そして精神的—双方の生存の最高目標を提供しなければならない。
どの信仰も、家庭の生物的、社会的、宗教的意味に基づかない限り、社会文明と個人の精神的到達の向上へとは続かないし、貢献できない。存続している信仰は、絶え間ない変化が存在するとき永続的であるものを象徴しなければならない。それは、変わり続ける社会変化の流れを統一するものを賛美しなければならない。それは、真意を認識し、美しい関係を高め、真の高潔さの善なる価値を賛美しなければならない。
しかし、新たで満足のいく象徴を見い出す際の大きな困難は、現代人というものが、1集団として科学的な態度に執着し、迷信を控え、無知を嫌いつつ、一方では皆が個人として、神秘を切望し、未知を尊ぶことにある。いかなる信仰も、何らかの巧妙な神秘を具体化し、何らかの価値ある達成しえないものを仄めかすことなくして、生き残ることはできない。さらに新象徴は、単に集団にとって意義深いばかりでなく、個人にとっても意味がある。いかなる実用的象徴の型も、個人が自発性をもって実行することができ、また仲間と共に楽しむことができるものでなければならない。新信仰が、静的ではなく動的であるならば、それは、本当に、人類の進歩に価値のある何かに、一時的、かつ精神的双方の何かに役立つかもしれない。
しかし、信仰—儀式、旗印、または目標の象徴—というものは、複雑であり過ぎると機能しないであろう。そして、献身への要求、すなわち忠誠への反応があるに違いない。効を奏するあらゆる宗教は、相応しい象徴霊を誤りなく開発するし、またその信者は、そのような儀式を社会的、道徳的、精神的進歩の総てを妨げたり、遅らせるだけの締めつけたり、醜くしたり、鎮圧する型にはまった儀式への具体化を防ぐことが賢明であろう。いかなる信仰も、道徳的発展を遅らせ、精神的進歩の助成を怠るならば、生き残ることはできない。信仰とは、個人の精神的経験—真の宗教—である生きた、しかも活発な肉体がその周りで育つところの骨格構造である。
[ネバドンの輝かしい宵の明星による提示]
霊は、無生物、動物、もしくは人間に入り込むという概念は、宗教の進化の始まり以来持ち堪えてきたのであるから、非常に古く、しかも敬うべき信念である。憑依のこの教義は、呪物崇拝に他ならない。未開人は、必ずしも呪物を崇拝しない。かれは、非常に論理的に崇拝するし、そこに居住の霊を崇敬する。
最初呪物の霊は、死者の亡霊であると信じられた。その後、高等な霊が呪物に住むと考えられた。呪物信仰は、最終的には亡霊、魂、霊、それに悪霊憑依の原始的考えのすべてを取り入れた。
原始人は、つねに何か並はずれたものを呪物化したいと思った。ゆえに多くの物に起源の機会を与えた。人は、病気にかかり、何かが起こり、そして回復する。多くの薬の評判と疾患治療の偶然の方法についても同じことが、当てはまる。夢と結びつく物は、呪物へと変えられ易かった。山ではなく火山が、呪物になった。星ではなく彗星が。原始人は、流星と隕石を地球訪問の特別な霊の到着を示唆するものと見なした。
最初の呪物は、奇妙な印のある小石であって、人は、以来「神聖な石」をずっと捜し求めた。一連のビーズは、かつて神聖な石の収集物、一揃いの護符であった。多くの部族には、呪物の石があったが、カーバ神殿とスクーンの石のようにわずかしか存続しなかった。火と水もまた、初期の呪物の中にあり、火の崇拝は、聖水の信仰と共にまだ存続している。
木の呪物は、後の発展であったが、いくつかの部族の間では根強い自然崇拝は、ある種の自然の霊が、内在する護符の信仰へと導いた。植物と果実が、呪物になるとき、それらは、食物としては禁忌であった。りんごは、この範疇に入る最初のものであった。レバント民族は、決してそれを食べなかった。
動物が人肉を食べれば、それは、呪物になった。このように犬は、パルシー教徒の神聖な動物になった。呪物が動物であれば、亡霊は、永久にそこに居住し、呪物は、生まれ変わりに影響を及ぼすかもしれない。未開人は様々に動物を羨んだ。かれらは、動物よりも優れているとは感じず、しばしば自分達の好きな獣に因んで名付けた。
動物が呪物になると、呪物の動物の肉を食べることが結果として禁制になった。類人猿や猿は、人に似ていることから、早くから呪物的動物となった。またその後、蛇、鳥、豚が、同様に見なされた。排泄物が非常に尊重された間、牛乳は禁制であり、乳牛は、ひところ呪物であった。蛇は、悪霊の代弁者であると考えられパレスチナにおいてユダヤ人同様と、特にフェニキア人に崇拝された。多くの現代人でさえ爬虫類の魔力を信じる。アラビアからインド経由の赤色人種のモキ部族の蛇舞踊へと、蛇は、ずっと崇拝されてきた。
週のうちの特定の曜日は呪物であった。金曜日は、随分長らく不運な日、13は、不吉な数と見なされてきた。幸運な数の3と7は、後の啓示から来た。4は、原始人の幸運な数であり、早期の方位磁石の4方位の認識から得られた。家畜、あるいは他の所有物を数えることは、不運と信じられた。古代人は、人口調査、「人に付番すること」に常に反対した。
原始人は、性行為からの必要以上の呪物を作らなかった。生殖機能には、ほんのわずかな配慮しかなかった。未開人は、自然な心であり、卑猥でも淫乱でもなかった。
唾液は、強力な呪物であった。人に唾を吐きかけることにより悪魔を追い払うことができた。年長者か目上の者に唾を掛けることは、最高の挨拶であった。人体部分は、特に髪と爪が、可能な呪物として見られた。首長の長く伸びた爪は、非常に尊重され、その切り取り部分は、強力な呪物であった。頭蓋骨の呪物信仰は、後の首狩りの多くを説明する。臍の緒は、非常に大切な呪物であった。今日でさえ、アフリカではそう見なされる。人類の最初の玩具は、保存された臍の緒であった。しばしばそうであったように、それは、真珠がちりばめられ人の最初の首飾りであった。
猫背と不具の子供は、呪物と見なされた。精神異常者は、気がふれていると信じられた。原始人は、才能と狂気を見分けることができなかった。痴人は、死ぬまで打たれるか、または呪物人物として崇拝された。ヒステリーは、魔術で受けのよい信仰をますます確かなものにした。てんかん患者は、しばしば聖職者と薬師であった。酩酊は、霊占有の型と見られた。未開人が馬鹿騒ぎをするとき、自己の行為への責任を拒否する目的で髪に木の葉を入れる。毒や酔わせるものは、迷信の対象になった。それらは、取り付かれていると考えられた。
多くの人々が、天才は賢明な霊に取り憑かれている崇拝対象の人物として見た。これらの才能ある人間は、利己的な利害促進のための詐欺や誤魔化しに頼るようになった。呪物である人物は、人間以上のものであると考えられた。かれは、神性であり、誤りさえしないのであった。したがって、首長、王、聖職者、予言者、および教会支配者は、徐々に大きな力を振るい、限りない権力を行使したのであった。
亡霊は、生存中に所有していた物に宿るのが、それ自身の好みだと考えられた。この信仰は、現代の多くの遺物の効力について説明している。古代人は、常に指導者の骨を崇敬したし、聖者や英雄の骨格の遺骸は、いまだに迷信的畏怖で多くの者に尊重されている。今日でさえ、偉人の墓への聖地巡りが行なわれている。
遺物信仰は、古代の呪物信仰の副産物である。現代宗教の遺物は、未開人の神仏を合理化する試みを表しており、こうして、それを現代の宗教体系の威厳と体面の場所に高めている。呪物や魔法を信じることは、異教的であるが、遺物と奇跡を受け入れることは、一応は問題ない。
囲炉裏—暖炉—は、多かれ少なかれ、崇拝対象物、つまり神聖な場所になった。神社と寺院は、死者がそこに埋葬されたことから、最初に崇拝対象の場所となった。ヘブライ人の崇拝対象の小屋は、モーシェにより強力な呪物が隠される場所へと、その後神の掟の既存概念へと高められた。しかしイスラエル人は、石の祭壇へのケナーンの独特の信仰を決して放棄しなかった。「石の柱として立てたこの石は、神の家となる。」イスラエル人は、神の霊が、現実には呪物であるそのような石の祭壇に住んでいると本当に信じた。
最も初期の形象は、傑出した死者の風貌と思い出を保つために作られた。それは、実際には記念碑であった。偶像は、呪物の手の込んだものであった。原始人は、奉納の儀式は、霊を形象に入らせると信じた。同様に、ある物体が祝福されると、それはお守りになった。
モーシェは、古代のダラマティアの道徳律に2番目の戒律を追加してヘブライ人の間での呪物崇拝を抑える努力をした。呪物として奉納されるようになるかもしれないいかなる種類の形象も作るべきではないと慎重に指示した。モーシェは、「彫像を作ってはいけない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、または地の下の水の中にあるものでも似せて作ってはいけない。」とそれを簡単にした。この戒律が、ユダヤ人の間での芸術を非常に遅らせると共に呪物崇拝を低くしたのであった。しかし、モーシェは、昔の呪物を突如除くことには分別をもっていたので、戦争用の祭壇と宗教聖堂を兼ね備えた箱にある法典の横に一定の遺物を置くことを承諾した。
言葉は、徐々に呪物に、殊のほか神の言葉と見なされるものになった。このようにして宗教聖典の多くは、人の精神上の想像力を閉じ込める呪物的牢獄になった。呪物に対するモーシェの努力そのものが、最高の呪物になった。その戒律は、後に芸術を無意味にし、美の楽しみと憧れの妨げのために用いられた。
はるか昔、権威の呪物の言葉は、恐怖をかきたてる教義、人を奴隷化する全暴君の最も残忍なもの、であった。教義的呪物は、偏狭、狂言、迷信、狭量、および最も極悪野蛮な残酷性の本性を現すように必滅の人間を導くであろう。知恵と真実への現代の重視は、 呪物作りの傾向から思考と推論のより高い段階への最近の回避に他ならない。様々な宗教家が聖典として保持している収集された呪物の文章に関しては、書物の内容が本当であると信じるばかりでなく、あらゆる真実もまた書物に含まれていると信じられている。これらの聖典の1つが、たまたま地球は平坦であると述べると、ほかの点で健全である男女は、長い世代に渡り、惑星が丸いという肯定的な証拠の受け入れを拒否するであろう。
目に偶然に一節を発見させるためにこれらの聖典を開き、重要な人生決定、または計画を決定するかもしれない一節に従う習慣は、完全な呪物に他ならない。「聖なる書」に誓いを立てるか、または何らかの最高の尊敬対象に誓うことは、洗練された呪物の型である。
だがそれは、未開人の首長の爪を切り取る呪物の恐怖から、篩いに掛けられた何世紀もの道徳の知恵を、煎じ詰めれば、少なくともそれらが「聖典」として組み立てられる時と出来事に至るまでを反映する手紙、法、伝説、寓話、神話、詩、および年代記の優れた収集の敬愛へと前進する真の段階的進歩を呈している。
言葉が呪物になるには、感化されたと考えられなければならないし、また神々しく奮い立たせると信じられている文章の祈りは、直接教会の権威の確立に導き、一方で民間の型の進化は、国家の権威の実現へと導いた。
呪物崇拝は、最も初期の神聖な石への信仰から偶像崇拝、人食いの習慣、自然崇拝を経てトーテム信仰まで原始のすべての呪物信仰を経験した。
トーテム信仰は、社会的慣例と宗教行事の組み合わせである。本来生物上の起源と考えられている崇敬動物への敬意は、食糧供給を保証すると考えられた。トーテムは、同時にその集団とかれらの神の象徴であった。そのような神は、一族の権化であった。トーテム崇拝は、その他の点で個人の宗教の社会化未遂の1局面であった。トーテムは、最終的には現代の様々な民族の旗、または国家の表象へと発展していった。
お守り袋、つまり薬袋は、幽霊がしみ込んだ品物の立派な詰め合わせを収納する小袋であり、昔の祈祷師は、自分の袋、つまり自分の力の象徴を決して地面に触れさせなかった。20世紀の文明的民族は、自分達の旗が、つまり国家意識の象徴が、同様に決して地面に触れないように注意する。
聖職者にふさわしい、また王にふさわしい職務の記章は、いつかは呪物と見なされ、国家至高の呪物は、一族から部族、領主から封建君主、トーテムから旗へと数多くの発展段階を経た。呪物的王は、「神権」によって統治し、他の多くの政府の型を得た。集合的に「世論」と呼ばれるとき、人は、民主主義の呪物というもの、つまり共通の考えの高揚や崇拝もまた作りあげた。分離して取り上げられるとき、1人の意見は、あまり価値があるとは見なされないが、多くの人が、民主主義としてまとめて機能するとき、この同じ平凡な判断は、正義の最高権威や正しい規準であると考えられる。
文明人は、科学を通じて現実の環境問題に着手する。未開人は、魔術によって実体のない亡霊環境の現実問題を解決しようとした。魔術とは、不可解さを際限なく説明する憶測上の霊の環境を巧みに操る方法であった。それは、霊の任意の協力を得る芸術であり、呪物、もしくは他の、しかもより強力な霊の効用を通じて霊の不本意な援助を強制する芸術であった。
魔術、妖術、および占いの目的は二面的であった。
1. 招来の見通しを得るため
2. 好都合に環境に影響を及ぼすため
科学の目的は、魔術のそれらと同じである。人類は、魔術から科学へと、思索と理由によってではなく、むしろ長い経験を経て徐々に、しかも苦しみながら進歩している。人は、誤りに始まり、誤りの中で前進し、ついには真実の敷居に到達し、徐々に真実へと立ち戻っている。人は、科学的方法の到来でのみ前に向いてきた。だが原始人は、試みるか、または死ななければならなかった。
初期の迷信の魅力は、後の科学的好奇心の母であった。これらの原始の迷信には進歩的な活力に満ちた感情—恐怖に加えて好奇心—があった。昔の魔術には進歩的な駆動力があった。これらの迷信は、惑星の環境を知ることと制御するという人間の願望の出現を意味した。
未開人は、自然死の概念が理解できなかったので、魔術は、非常に強く未開人を掴まえた。後の原罪の考えは、自然死を説明する点において人種の魔術の支配力を弱めることに大きく役立った。1つの自然死に対し、かつては疑われた10人の潔白な人々が殺されるということは少しも珍しいことではなかった。これが、なぜ古代民族が、もっと速く増加しなかったかという1つの理由であり、いくつかのアフリカ部族にとってはいまだに事実である。告発された個人は、死に直面しているときでさえ、通常罪を自供した。
魔術は、未開人にとって自然なものである。毛髪、あるいは指の爪を切る魔術の駆使により実際に敵を殺すことができると信じる。蛇に咬まれて死ぬことは、魔術師の魔術のせいにされた。魔術との戦いにおける苦労は、恐怖が死をもたらすことがあるという事実から起こる。原始の民族は、魔術を非常に恐れたので実際に魔術に殺されるほどであり、また、そのような結果が、この誤った信仰を立証するに十分であった。失敗の場合には、何らかのもっともらしい説明がいつもあった。欠陥のある魔術の特効薬は、さらなる魔術であった。
体に結び付くものは何でも呪物になり得たので、最も初期の魔術は、毛髪と爪に関係があった。体の排泄物にともなう秘密は、敵が、体からの何かを手に入れ、害をもたらす魔術にそれを用いるかもしれないという恐怖から生まれた。したがって、体のすべての排泄物は、入念に埋められた。唾液が、有害な魔術に使用されるという恐怖から公共で唾を吐くことは慎まれた。唾は、いつでも覆われた。残りものの食べ物、衣服、装飾品さえ魔術の器具になり得た。未開人は、食事の残り物を決して食台に置き去りにしなかった。このすべては、そのような習慣の衛生の重要性に対する判断からではなく、敵が、魔術の儀式でこれらのものを使用するかもしれないという恐怖から行われた。
魔術の護符は、さまざまなものから作られた。人肉、虎の鉤爪、鰐の歯、植物の種子、蛇の毒液、人間の毛髪。死者の骨は、非常に魔術的であった。足跡の塵埃さえ魔術に用いることができた。古代人は、愛の護符の大いなる信者であった。血液と肉体の他の分泌物は、愛の魔術の影響を保証することができた。
形象物は、魔術に効果があると考えられた。ひと形が作られ、そしてそれが、虐待されたり、もしくは良く待遇されると、実在の人物に同じ効果をもたらすと信じられた。迷信深い人々は、購買をするに当たり売り手の気持ちを柔らかくするために少し固い木を噛むのであった。
黒牛の乳は、非常に魔術的であった。黒猫も然りであった。杖、もしくは棒は、太鼓、鈴、および結び目と共に魔術的であった。古代の総ての物体が、魔法の護符であった。新の文明の、またはより高い文明の習慣は、誤って信じられた悪の魔術的性質のために好意を示されなかった。文章、印刷、絵画は、長らくそのように見なされた。
原始人は、名前、特に神の名前は、敬意をもって扱われなければならないと信じた。名前は、実体として、物理的な個性とは全く別の感化力と見なされた。それは、魂と影と同様に尊重された。名前は、借金のかたにされた。人は、借金の支払い義務が果たすまで自分の名前を使用することはできなかった。現在では人は、書き付けに自分の名を記す。個人の名前は、やがて魔術において重要になった。未開人は、2つの名前をもった。重要な方は、通常時の使用には神聖過ぎると見なされた。故に、2つ目の、というか日常用の名前—あだ名—があった。人は、本名を決して見知らぬ人には名乗らなかった。人は、普通でないいかなる自然の経験にも自分の名前を変えた。時折、それは、病気の治療か、または不運を押し止める努力であった。未開人は、部族長から買うことにより新しい名前を得ることができた。人は、今でも肩書きや地位に投資する。しかしアフリカのブッシュマンのような最たる原始部族の中では個々人の名前は存在しない。
魔術は、棒、「薬」の儀式、そして化身を介して実践され、実行者は、衣服を着けずにするのが通例であった。原始の魔術師の中で女性は、数の上で男性にまさっていた。魔術において「薬」は、処置ではなく神秘を意味する。未開人は、決して自分自身を治療しなかった。魔術の専門家の忠告以外には決して薬を使用しなかった。20世紀のブードゥー教の医師は、昔の魔術師の典型である。
魔術には公的局面と私的局面の両方があった。祈祷師、シャーマン、もしくは聖職者が執り行なう魔術は、全部族の利益のためであると考えられた。魔女、魔術師、男の魔法使いは、個人用の魔術を、つまりある個人の敵に悪を持たらす強制的方法として用いられた個人的で利己的な魔術を施した。二元的心霊術の概念は、つまり善と悪の霊は、その後の白魔術、黒魔術の信仰をもたらした。また魔術は、宗教の発展につれ自身の宗派外で行動する霊に当てはめる用語であり、またより昔の亡霊信仰に言及した。
言葉の組み合わせは、すなわち詠唱と呪文の儀式は、非常に魔術的であった。いくつかの初期の呪文は、最終的には祈りに発展した。やがて模倣呪術が行なわれた。祈りが実行された。魔術舞踊は、劇的な祈りに過ぎなかった。祈りは、犠牲の関連要素として徐々に魔術に取ってかわった。
身振りは、 言語行動よりも古く、より神聖で魔術的であったし、また物真似には強い不思議な力があると信じられた。赤色人種は、構成員の1人が捕らえられる野牛の役を演じ、差し迫っている狩りの成功を保証する野牛踊りをしばしば演じた。五月祭の性の祭礼は、単なる模倣呪術、植物界にある性の情熱への暗示的魔術であった。人形は、まず魔法のお守りとして不妊の妻に用いられた。
魔術は、最終的には科学時代の実を結ぶ進化的宗教の枝分かれであった。占星術の信仰は、天文学の発達につながった。賢者の石の信仰は、金属への精通に繋げ、一方、魔術の数字の信仰は、数学を樹立した。
だが魔除けに満ちた世界は、すべての個人的野心と主導権を打破するために多くのことをした。余分な労働、あるいは勤勉さの成果は魔法の力によると見られた。ある者の畑に隣人より多くの穀物が実るならば、この人物は、首長の前に引き摺られ、怠惰な隣人の畑からこの余分な穀物を引き付ける行為で告発されるかもしれなかった。誠に未開時代においては、多くを知るということは、危険であった。いつでも黒魔術師として処刑される可能性があった。
徐々に科学は、人生から賭博的要素を取り除いている。しかし現代の教育方法が失敗するならば、魔術への原始信仰へのほぼ即座の逆戻りがあるだろう。これらの迷信は、いわゆる文明的な多くの人々の心にまだ纏わりついている。言語は、人種が長い間魔術の迷信に染まってきたということを証言する多くの化石、つまり、呪文で縛られた、星回りの悪い、乗り移り、霊感、 神隠し、巧妙さ、魂を奪う、びっくり仰天した、驚くというような言葉を含んでいる。また知力ある人間が、いまなお幸運、邪眼、占星術を信じている。
古代の魔術は、その頃には不可欠の、しかし今はもはや役に立たない現代科学の繭であった。そこで無知な迷信の幻は、科学概念が生まれ得るまで人の原始の心を撹拌した。今日、ユランチアは、この知的発展の中間地帯にある。世界の半分が、頻りに真実の光と科学的発見の事実を知ろうとしており、もう一方は、古代の迷信と希薄に変装している魔術だけの腕のなかで苦しんでいる。
[ネバドンの輝かしい宵の明星による提示]
原始人は、霊に恩義があると、つまり贖いの必要性があると考えた。未開人の観点からは、霊は、正義の立場からさらに多くの不運を自分達にもたらしたかもしれないのだとみなした。時の経過と共に、この概念は、罪と救済の教理へと発展した。魂は、喪失状態で世界に入ると—原罪—と見なされた。魂は、受け戻されなければならない。身代わりが、用意されなければならない。首狩り人は、頭蓋骨崇拝信仰の実践に加え、自身の命の替え玉を、身代わりを提供することができた。
未開人は、霊が、人間の災い、苦しみ、屈辱を見て最高の満足感を得るという考えにとりつかれていた。最初に人は、作為の罪のみを関心をもったが、後には不作為の罪に対処するようになった。そして、その後の生贄の体系のすべては、これらの2つの考えの周りで成長した。この新儀式は、生贄の宥めの儀式の遵守と関係があった。原始人は、神に気に入られるために何か特別なことをしなければならないと信じた。高度な文明だけが、一貫して冷静で慈善の神を見分ける。宥めは、将来の幸福への投資よりむしろ即座の不運に対する保険であった。そして回避、悪魔払い、強制、宥めの儀式はすべて、互いに併合する。
禁忌のしきたりは、不運をはぐらかすための人の努力、何かの回避により亡霊の怒りを阻む人の努力であった。禁忌は、最初は非宗教的であったが、初期には亡霊、あるいは霊の制裁を習得し、こうして補強されると、それは、立法者や団体の作り手となった。禁忌は、儀式基準の源であり、原始の自制の原型である。それは、最も初期の社会的規制であり、長い間唯一無二であった。それは、まだ社会規制構造の基本単位である。
未開人の心でこれらの禁止があつめた敬意は、それらを執行すると思われる力への恐怖と全く相等しかった。禁忌はまず、偶然の不運の経験がもとで起きた。その後、禁忌は、首長やシャーマンにより—亡霊により、神によってさえも導かれると考えられた呪術師—により提案された。霊報復への恐怖は、未開人の心では非常に大きく、禁制を破ってしまったとき、時として恐怖で死ぬほどであり、この劇的な出来事が、生存者の心に禁忌の保持を途方もなく強くする。
最も初期の禁止の中には女性の処分と他の財産処分に制限があった。宗教は、禁忌の進化においてより大きい役割を演じ始めるにつれ、禁止令下にある品目は、不浄であると、後には神聖でないと見なされた。ヘブライ人の記録は、清廉なものと不浄なもの、聖なるものと邪悪なるものに多く言及しているが、これらの線に沿った信仰は、他の多くの民族のものよりもずっと厄介ではなく、広範囲におよばなかった。
ダラマティアとエーデンの7条の戒律は、ヘブライ人の10の命令と同じく明確な禁忌であり、総てが、最古の禁止がそうであったように否定形で表現された。しかし、これらのより新しい掟は、何千もの以前の現在の禁忌を代理をしたという点で、実に救済であった。そして後のこれらの戒律は、これ以上に、何かを服従と交換に確実に約束した。
初期の禁忌とされる食物は、物神崇拝とトーテム信仰が端緒であった。。豚は、ヒンズー教徒にとっての牛のように、フェニキア人にとって神聖であった。エジプト人の豚肉の禁制は、ヘブライ人とイスラム教徒の信仰によって永続化された。禁制食物の変異形は、妊婦が特定の食物について考え過ぎると、生まれてくるその子供は、その食物の反映であるという信仰であった。そのような食品は、子供にとり禁忌となるのであった。
喫食方法は、やがて禁忌となり、昔と今の食事作法が始まった。カースト制度と社会階層は、昔の禁止の遺留である。禁忌は、社会の組織化において極めて効率的ではあったが、ひどく耐え難い負担であった。否定的な禁制は、有用で建設的な規則を維持するばかりでなく、陳腐で、時代遅れの、無益な禁忌をも維持した。
しかしながら、広範囲の、しかも多種多様のこれらの禁忌を除外し、原始人に関する批評に参加する文明的社会というものは、ないであろうし、禁忌は、原始宗教の支えとなる制裁がなかったならば決して持続はしなかったであろう。人間進化における不可欠要素の多くは、非常に高価であり、努力、犠牲、自己犠牲においては莫大な費用が掛かったが、これらの自制の業績は、人が文明の上向いのはしごを登る本物の横木であった。
偶然の恐怖と不運の畏怖は、これらの災難に対する想定される保険であるとように、文字通り人を原始宗教の創案へと追い込んだ。宗教は、魔術と亡霊から霊と物神を経て禁忌へと発展した。あらゆる原始部族には、それぞれの禁断の実の木が、文字通りリンゴが、しかし比喩的にはいろいろな種類の禁忌を重くぶらさげる1,000種の枝があった。そして禁制の木は、絶えず「してはならない。」と言った。
未開の心が、善霊と悪霊の両方を描くまでに発展し、また禁忌が、進化的宗教の厳粛な制裁を受けたとき、舞台は、罪の新概念の登場に向けてすっかり準備された。罪の考えは、啓示宗教のその登場以前に広く世界に確立された。自然な死は、原始の心にとり罪の概念によってのみ論理的になった。罪は禁忌への違反であり、死は罪への刑罰であった。
罪は、儀式的であり、理性的ではなかった。行為であり、考えではなかった。そして、罪のこの全概念は、ディルムンの長引く伝統と地球の小楽園の時代までに育成された。アダムとエーデンの園の伝統もまた、人種黎明のかつての「最盛期」の夢に中味を添えた。そしてこのすべては、思考体系で後に表現される考え、つまり人は特別な創造にその起源があり、自分の経歴を完全に開始し、そして禁忌への違反—罪—が、人を後のひどい苦況に落しためたという考えを固めた。
禁忌への常習的違反は、悪になった。原始の法は、悪を犯罪にした。宗教は、それを罪にした。初期の部族間での禁忌への違反は、犯罪と罪の結合したものであった。共同体の災難は、必ず部族の罪に対する罰と見なされた。見た目に明らかな邪悪な者の繁栄は、繁栄と正義は相伴うと信じる者達に大変な心配をもたらすしたので、禁制違反者への罰のために地獄を考案する必要があった。今後の罰のこれらの場所の数は、1ヶ所から5ヶ所と異なった。
告白と許しの考えは、原始宗教に早くから登場した。人は翌週に犯すつもりの罪を公開の会合において許しを求めるのであった。告白は、単に赦免の儀式、しか 冒涜の公示、つまり「不浄、不浄」の叫びの儀式であった。つぎには、浄化の儀式的枠組のすべてが続いた。すべての古代民族が、これらの無意味な儀式を慣行した。初期部族の多くの明らかに衛生的慣習は、主に儀式的であった。
断念は、宗教発展の次の段階として到来した。食を断つことは、一般的習慣であった。それは、やがて肉体的快楽の、特に性的種類の多くの型に先んずる習慣となった。断食の儀式は、多くの古代宗教に深く根づいており、事実上、すべての現代の神学的思索体系へと伝承してきた。
未開人が、死者とともに財産を焼却したり埋葬する荒廃的習慣から立ち直ろうとしている頃、つまり人種の経済構造の形をなし始めている頃、この新しい断念の信仰教義が現れ、何万もの熱心な魂が、自ら貧困を求め始めた。財産は、精神的障害と見なされた。物質所有からくる精神の危険性に及ぶこれらの概念は、フィロンとパウーロスの時代に広範囲に受け入れられ、以来、ヨーロッパ哲学に著しく影響を及ぼした。
貧困は、多くの宗教、とりわけキリスト教に関する書物や教えに盛り込まれるようになった苦行の儀式のほんの一部であった。苦行は、しばしばこの愚かな断念の儀式の否定の型である。しかしこのすべてが、未開人に自制を教え、またそれは、社会発展における価値ある前進であった。自己否定と自制は、初期の進化的宗教からの2大社会的利得であった。自制は、新しい人生哲学を人に与えた。それは、利己的満足の分子を増加させる試みの代わりに個人的要求の分母を低減することにより、人生の分数を増大させる芸術を人間に教えた。
自己訓練のこれらの昔の考えは、鞭打ちや肉体的拷問の様々な種類を取り入れた。母信仰の聖職者は、自らが去勢を甘受し手本を示し、肉体的な苦しみの美徳を教えることに特に活発であった。ヘブライ人、ヒンズー教徒、仏教徒は、肉体的屈辱のこの教義の熱心な信者であった。
人間は、古代ずっと神の自制の原簿上に余分な貸し方記入においてこれらの方法を探求した。自己否定と苦行の誓いをたてることは、かつては何らかの情緒の緊張下における慣習であった。これらの誓いは、そのうちに、神との契約の型をとり、その意味で、神が、肉体のこの難行と屈辱の代償に何か明確なことをするはずだと考えられたがゆえに、真の進化の過程を意味した。誓いは、否定的でもあり、肯定的でもある。今日この有害で極端な自然の誓約が、インドの特定集団の間に最もよく観測される。
断念と屈辱の信仰が、性的満足に注意を向けたのは尤もなことであった。禁欲信仰は、戦争従事に先立つ兵士の間の儀式として生まれた。それは、後日、「聖者」の慣習になった。この信仰は、密通よりも単なる小悪であるという理由から結婚を黙認した。世界の重要な宗教の多くが、この古代信仰に著しく影響を受けてきたが、キリスト教が、何にもまして最も影響を受けてきた。使徒パウーロスは、この宗派の熱愛者であり、その個人的視点は、パウーロスがキリスト教神学に結びつけた教えに反映されている。「男が女に触れないのは良いことである。」「すべての人が私のようであればよいのに。」「私は、それ故、未婚者と未亡人に、私のようにしていさえすれば良い、と言う。」パウーロスは、そのような教えは、イエスの福音の一部でないことをよく知っていたし、これに関してのパウーロスの承認が、「私は命令によって話すのではなく、許可でこれを話す」というその声明によって例証されている。しかしこの信仰は、パウーロスを女性軽蔑へと導いた。一番残念なことは、パウーロスの個人的な意見が、重要な世界宗教の教えに長い間影響を及ぼしているということである。天幕造りの教師の忠告が文字通り、しかも広く順守されるならば、人類は、突然の、不名誉な終わりに至ったことであろう。その上、古代の禁欲礼賛との宗教のかかわり合いは、結婚と家庭との戦い、社会の本物の基礎と人間の進歩の基本的制度に直接通じる。そのような総ての信仰が、様々な民族の多くの宗教における独身司祭の形成を育んだということは驚きに当たらない。
人は、いつの日か認可なくして自由を、暴食癖なくして栄養を、放蕩なくして快楽を享受する方法を学ぶべきである。自制は、人間の極端な自己否定であるよりも行動上の規制のためのより良い手段である。イエスもまた、決してこれらの無理な見解を追随者に教えなかった。
信仰心の一部としての生贄には、他の多くの信心深い儀式と同様に、単純かつただ唯一の源を持たなかった。権威に頭を下げたり、神秘の存在の前に信心深い敬愛でひれ伏す傾向は、その主の前の犬のへつらいに見られる。それは、崇拝の衝動から生贄行為への一歩に過ぎない。原始人は、自分が被った痛みにより生贄の値打ちを測った。最初に生贄に対する考え方が、宗教儀式に加わったとき、痛みを生じない捧げものは検討されなかった。最初の生贄は、毛を引き抜いたり、肉を切ったり切断したり、歯を叩き落したり、指を切除するような行為であった。生贄のこれらの粗野な考え方は、文明が進むにつれ自己犠牲、禁欲、断食、剥奪の儀式への段階へと、そして肉体の悲しみ、苦しみ、苦行を経る後のキリスト教義の清めへと高められた。
宗教発展の初期、生贄に関する2つの概念が存在した。感謝の気持の態度を意味する寄贈の生贄、そして贖いの考えを取り入れた負債の生贄の考え。その後、代替の概念が展開した。
さらにその後、人は、神への伝言持参人として機能するかもしれないいかなる自然をも生贄であると思いついた。それは、神の鼻孔に甘い味としてあるかもしれない。これが、生贄の馳走に発展し、その内にますます入念に飾り立てるようになる生贄儀式の香や他の美的特徴をもたらした。
和解と宥めの生贄の儀式は、宗教が発展するにつれ回避、慰め、悪魔払いのより古い方法を差し換えた。
生贄の最も初期の考えは、先祖の霊に課せられる敵意のない査定の考えであった。償いの考えは、後にようやく展開した。人が人種の進化の起源の概念から逃がれるにつれ、つまり惑星王子時代の伝統とアダームの滞在が時とともに知れ渡るにつれ、罪と原罪の概念が、広範囲におよび、ゆえに偶発的、個人的な罪の生贄が、人種的な罪の償いに関する生贄の原理へと発展した。生贄の償いは、未知の神の憤りと嫉妬さえ覆い隠す総合保険手段であった。
多くのとても感情を害し易い霊と意地汚い神に囲まれた原始人は、すべての聖職者、儀式、それに精神的負債から救い出す全生涯を通じての生贄を必要とするそのような多くの債権者である神と直面した。原罪の、または人間の罪の教義は、生まれるすべての人を霊の力に対して由々しい負債を作らせた。
寄贈と賄賂は人に与えられる。しかし、神に供されるとき、それらは神聖に作られたとか、捧げられたとか描写されるか、または生贄と呼ばれる。断念は、宥めの消極的な形であった。生贄は、積極的な型になった。宥めの行為は、称賛、賛美、世辞、それに持てなしさえ盛り込んでいた。それは、神の崇拝の現代の形式を構成している昔の宥めの信仰の積極的なこれらの習慣の名残りである。崇拝の現代の型は、単にこれらの古代の生贄の積極的な宥めの手法の儀式化である。
動物の生贄は、現代種族にとってよりも原始人にとってはるかに意味深かった。これらの未開人は、動物を自分達の実際の、近い親類と見なした。人は、時の経過につれ作業用動物の贈呈をやめて生贄奉納において明敏になった。人は、当初は家畜を含むすべてのものの最上のものを生贄にした。
あるエジプトの支配者が次のような生贄をしたと述べたとき、それは、空威張りではなかった。11万3,433人の奴隷、49万3,386頭の牛、88隻の船、2,756個の黄金の形象、33万1,702本の蜂蜜と油、22万8,380本の葡萄酒、68万714羽のガチョウ、674万4,428本のパン、574万352袋の硬貨。このために彼は、骨折って働く臣下に痛ましいほどに税をかけねばならなかった。
純然たる必要性が、神がその魂を味わった後、最終的に生贄の物質部分を食べるようにこれらの半未開人を追い立てた。この習慣は、古代の神聖な食事の、現代用語での聖餐式の見せかけによる大義名分を見つけた。
初期の人食い習慣に対する現代の考え方は、完全に誤っている。それは、早期社会の慣習の一部であった。人食い習慣は、伝統的に現代文明にとっては身の毛もよだつものであるが、それは、原始社会の社会構造と宗教構造の一部であった。集団の利益が、人食い習慣の実践を決定した。それは、迷信と無知への奴隷状態ゆえに必要性の催促にそって成長し、持続した。それは、社会、経済、宗教、そして軍事上の習慣であった。
古代人は、人食い人種であった。古代人は、人肉を味わい、それゆえに霊と原始の神に食物の贈り物としてそれを捧げた。亡霊霊は、単に変性した人間であり、また食物は、人間の最大の必要物でる理由から、食物は、ひいては同様に霊の最大の必要物であったに違いない。
人食い習慣は、かつて進化的人種の間ではほとんど普遍的であった。サンギク系は、すべて人食いであったが、元々アンドン系はそうではなく、ノヅ系もアダーム系もそうではなかった。アンド系も、進化的人種との甚だしい混合が始まるまでそうではなかった。
人肉嗜好は、進む。飢餓、友情、報復、または宗教儀式で始まると、人肉を食することは、習慣的食人に移行する。人食いは、滅多にこれが基本的理由ではないものの、食料不足を経験して起こった。しかしながらエスキモーと初期のアンドン系は、飢饉の時を除いては、滅多に人食いはしなかった。赤色人種は、特に中米では、人食い人種であった。出産で失われる体力を更新する目的で自身の子供を殺して食べるのが、かつて原始の母にとっての一般的習慣であり、クイーンズランド州では、最初の子供は、今もなお頻繁にこのようにして殺され、むさぼり食われる。近代における人食いの習慣は、多くのアフリカ部族による戦争手段として、隣人を恐れさせる一種の恐怖として用いられてきた。
一定の人食い習慣は、一度は優勢の血統の退化から生じたが、それは、進化的人種の中ではほとんど一般的であった。人食いは、人間が、敵への激しく苦々しい感情を経験すると一度に起こった。人肉を食することは、報復の厳粛な儀式の一部になった。敵の亡霊は、破壊され得るか、または食べる人と融合できると信じられた。男性の魔法使いは、人肉を食することによりその力を得るということが、かつては広範囲におよぶ信仰であった。
ある人食い集団は、自身の部族の者、部族団結を強くすると考えられた擬似霊の同系交配だけを消費するのであった。しかし、彼らは、その強さを盗用する考えで報復のためにも敵を食べた。その身体が、食べられたならばそれは友人、または仲間の部族民の魂にとり名誉であると考えられ、一方で敵をむさぼり食うことは、敵への罰以外の何物でもなかった。未開人の心は、一貫性への何の見せかけもしなかった。
いくつかの部族の間では、老いた両親が、その子供に食べられようとしたのであった。近親者を食べることは、他の部族では控えるのが慣習であった、それらの体は売られるか、他人のものと交換された。殺戮の目的で肥育された女性と子供のかなりの取引きがあった。病気、もしくは戦争が、人口を抑え切れないときは、余剰人数は、あっさり食された。
人食い習慣は、次の影響のために徐々に消えつつある。
1. それは、共同儀式、仲間の部族民に死刑を課す共同責任の肩代りになることがあった。流血の罪悪感は、全員が、すなわち社会が参加するとき犯罪でなくなる。アジアの人食い習慣の最後は、処刑された犯罪者を食するこれであった。
2. それは、非常に早く宗教儀式になったが、亡霊への恐怖の増大が、人食い習慣の減少に常に作用したというわけではかった。
3. 最終的にはそれは、体の一部分あるいは器官、つまり魂もしくは霊の部分を有すると考えられるそれらの部分だけが食べられるという程度にまで進歩した。飲血が一般的になり、薬に体の「食べられる」部分を混合することが慣習であった。
4. それは、男性に限られるようになった。女性が、人肉を食べることは禁じられた。
5. 次には首長、聖職者、およびシャーマンに限られた。
6. その後、 それは、より高度の部族の間では禁制になった。人食いの禁制は、ダラマティアに始まり、ゆっくりと世界に広がった。かつては埋葬された体を掘り起こしそれを食べるのが一般的な習慣であったので、ノヅ系は、人食い習慣に対抗する方法として火葬を奨励した。
7. 人間の生贄は、死者の人食い習慣に弔鐘を鳴らした。人肉は、優れた人間、つまり首長の食物になり、ついにはさらに優れた霊のために取り置かれた。その結果人間の生贄の供え物が、最も劣る部族を除いては、人食い習慣を有効に終わらせた。人食いは、人間の生贄が完全に確立されて禁制となった。人肉は、神のためだけの食物であった。人は、わずかな儀式的小片、聖餐しか食べることができなかった。
最終的には動物が、生贄目的の一般的用途になり、またより後退した部族の間でさえも犬を食べることが、人食いを大いに減少させた。犬は、飼い馴らした最初の動物であり、食物としてもそれ自体高い評価で保持された。
人間の生贄は、人食い習慣の間接的結果でもあり、その解決策でもあった。決してこれらの死の生贄を食することが習慣ではないとき、霊世界への霊の護衛の提供はまた人食いの減少へと導いた。アンドン系、ノヅ系、アダーム系は、人食い習慣に最も耽けってはいない者であったが、いかなる人種も何らかの型における、またはいつかの時点において人間の生贄の習慣と完全に無関係ではなかった。
人間の生贄は、事実上普遍的特性である。それは、中国人、ヒンズー教徒、エジプト人、ヘブライ人、メソポタミア人、ギリシア人、ローマ人、および他の多くの民族の宗教慣習に存続し、アフリカやオーストラリアの進歩の遅い部族の間で最近に至ってまでも存続した。後のアメリカ先住民には、人食い習慣からの新生する文明があり、したがって、人間の生贄に浸った。特に中米と南米において。動物をその代用にし、通常時の人間の生贄を最初に断念したのはカルデア人であった。およそ2,000年前、心の優しい日本の天皇は、人間の生贄の代わりをする埴輪を導入したが、北ヨーロッパでこれらの生贄が立ち消えになるのは、1,000年足らずも前のことである。人間の生贄は、進歩の遅いある部族においては一種の宗教的あるいは儀式的な志願者による自殺がまだ続けられている。あるシャーマンは、以前ある部族の非常に尊敬される一老人の生贄を命じた。人々は、反抗した。従おうとしなかった。するとこの老人は、自分の息子をシャーマンに殺させた。古代人は、この習慣を信じ切っていた。
古代の、昔ながらの宗教習慣と前進的文明の正反対の要求の間の心を引き裂く争いの例証となる記録上のイフサーと一人娘のヘブライの物語より悲惨で哀れな経験はない。この善意の男性は、一般の習慣通り愚かな誓いをし、敵への勝利に対しある代償を支払うことに同意し、「戦いの神」と掛け合ってしまった。この代償とは、この男性が、自宅に帰り着くと、迎えに最初に家から出て来た者を生贄にするというものであった。イフサーは、信頼できる奴隷の一人が、迎えを務めるものと思っていたのだが、自分の娘の、しかも一粒種が、喜んで自分の帰宅を迎えるために出て来たのであった。そのため、そんな後の時代でさえも、しかも一応は文明的民族の間においてさえ、この美しい乙女は、その運命を悲しむ2カ月後に、実際にその父により、また仲間の部族民の賛意をもって人間の生贄として捧げられた。このすべてが、人間の生贄奉納に対するモーシェの厳しい裁定にもかかわらず為されたのであった。しかし男女は、愚かで不必要な誓いをたてることに耽け、また、老人は、そのようなすべての誓約を非常に神聖であると信じられた。
昔はいかなる重要な建築が新たに開始されるときも、「礎の生贄」として人間を殺すのが通例であった。これが、営造物を監視し、保護するための亡霊の霊を提供した。中国人は、鐘の鋳造の準備に際し、風習上少なくとも少女1人が、鐘の音を良くする目的のために生贄に命じられた。選ばれた少女は、溶融した金属の中に生きながらに投じられた。
重要な壁に生きた奴隷を組み入れることが多くの集団の長い間の習慣であった。北ヨーロッパ部族は、後代に新しい建物の壁に生きている人間を葬るこの習慣の替わりに通行人の影を壁の中に置き換えた。中国人は、建設中に死亡したそれらの労働者を壁の中に葬った。
パレスチナの小領土の王は、イェリーホの城壁の構築に当たり、「長子アビラムでその地盤を築き、最年少の息子セグブでその門を組み立てた。」そのような時代にさえ、この父は、その都の門の土台の穴に2人の息子を生きたまま置いたばかりでなく、その行為も「主の言葉の通りに」したと記録されている。モーシェは、これらの礎の生贄を禁じたが、イスラエル人は、モーシェの死後すぐにこの生贄に戻った。新建築物の礎石に小さな装身具と形見の品を埋蔵する20世紀の儀式は、原始の礎の生贄の名残りである。
霊に初物の果実を捧げるのは、多くの民族の長い間の慣習であった。現在では大なり小なり象徴的であるこれらのしきたりは、人間の生贄に関わる早期の儀式すべての遺物である。生贄として長子を捧げる考えは、古代人、特にそれを諦めた最後の者であるフェニキア人の間で普及していた。かつては生贄に際して「命には命」と言われていた。今死に際しては「塵から塵へ」と言う。
息子イサクを生贄にと強いたアブラーハームの姿は、文化的感受性には衝撃を与えるが、当時の人間には新しくも奇妙でもない考えであった。父親にとり長子の息子を生贄にすることは、大きな情緒的圧迫下での長い間の一般的習慣であった。並はずれの、または珍しい何かが起こるとき、人間の生贄を提供するのが必要であるという世界規模での深遠な信仰がかつて存在したことから多くの民族には、この話に類似する言い伝えがある。
モーシェは、代わりとして受け戻しの開始により人間の生贄を打ち切らせようとした。民が軽率で愚かな誓いからの最悪な結果の回避を可能にする系統的な計画を立てた。聖職者に支払うべき制定された料金に従い、土地、財産、および子供を身請けすることができた。長子の生贄をやめたそれらの集団は、残虐行為を続けたあまり進歩的でない隣人よりもかなりの利点をすぐに得た。そのような多くの後進的部族は、この息子損失により大いに弱体化したばかりでなく、指導者継承さえもしばしば中断した。
一時的な子供の生贄の自然の産物は、長子保護のために家の側柱に血を塗りつける習慣であった。これは、1年の神聖な祝宴の1つと絡めてしばしば行われ、しかもこの儀式は、かつてメキシコからエジプトまでの世界のほとんどで行なわれていた。
ほとんどの集団が、子供殺害の儀式をやめた後でさえ、遠く荒野に、または水上の小舟の中に幼児を独り置き去りにするのが習慣であった。もし子供が生き残ったならば、神が、サーゴーン、モーシェ、キーロス、ロームルスの伝統のように、子供の保護に介入したと考えられた。間もなく、長子の息子を成長させ、死の代わりに追放し、神聖であるとして、または生贄として捧げる習慣が到来した。これが、植民地化の起源であった。ローマ人は、植民地化の計画におけるこの習慣を固く守った。
原始崇拝と独特の性のだらしなさとの多くの結びつきは、人間の生贄とにその起源があった。女性は、昔首狩り人に出会ったならば、性的降伏により自分の生命を救うことができたのであった。その後、生贄として神に奉納される少女は、寺の神聖な性の奉仕のために身体を捧げることで、自分の生命の救いを選ぶことができた。この方法で自分の買い戻しの金を得ることができた。古代人は、このようにして自分の命の贖いに従事する女性と性関係を持つことを極めて高揚的であるとみなした。それは、神聖な少女と付き合う宗教儀式であり、さらに、この儀式全体は、平凡な性的満足感への無難な口実を提供した。これは、少女達とその相手の双方が、自らに実践する微かな自己欺瞞の種であった。慣習は、文明の段階的進歩において常に遅れをとり、その結果、進化的人種の初期の、 しかもより野蛮な性の慣習を是認した。
寺の売春は、ついには南ヨーロッパとアジア全体に広まった。寺の売春婦から得た金は、すべての民族の間で神聖—神への気高い進物—であると考えられた。最高の型の女性が、寺の性市場に群がり、その収益をすべての神聖な奉仕と公的利益の仕事の捧げた。上流階級の女性の多くは、寺での暫定的な性の接客業により結婚持参金を集め、ほとんどの男性が、そのような女性を妻に持つことを好んだ。
犠牲の贖いと寺の売春は、実際には人間の生贄の変形であった。次いで娘達の見せかけの生贄が、登場した。この儀式は、流血と生涯純血の誓いからなり、昔の寺の売春への道徳的反応であった。最近では、処女達は、神聖な寺の火の番の仕事に専念した。
人間は、ついには体のある部分の提供は、 昔の、しかも純然たる人間の生贄の代理でありうるという考えを思いついた。また、肉体切断は、受け入れのできる代替えであると考えられた。毛髪、爪、血液、そして指さえもが、生贄にされた。後の、またほとんどの古代の一般的儀式は、部分的な生贄の宗教慣習の結果であった。それは、純粋に生贄的であり、それに対する衛生上の考えはなかった。男性は割礼を施された。女性は耳に穴を開けられた。
その後切断の代わりに指をまとめて縛ることが、習慣になった。頭を剃り髪を切るのは、同じく信仰心の型であった。去勢行為は、当初は人間の生贄の考え方への変形であった。鼻と唇に穴を開けることは、今でもアフリカで実行されており、入れ墨は、初期の残酷に体に傷跡を残すことからの芸術的発展である。
生贄の習慣は、ついには進歩的教育の結果、契約の考えに後押しされた。神は、とうとう人間との本当の契約に入ると考えられた。そしてこれは、宗教の安定化における重要な一歩であった。法、つまり契約が、運、恐怖、迷信に取って代わる。
人は、神についての概念において、宇宙の管理者が、信頼できると心に描かれる段階に達するまでは、決して神との契約締結を夢にみることさえできなかった。神に関する人の初期の考えは、非常に擬人化したものであったがゆえに、人間自身が、比較的信頼でき、道徳的であり、倫理的になるまでは、信頼できる神を想像することができなかった。
ところが、神と契約をする考え方が、ついに遂に到着した。進化的人間は、あえて神との取り引きをするというそのような道徳上の尊厳をついに習得した。したがって、生贄奉納は、徐々に人の神との哲学的取り引きの目標へと発展した。このすべてが、不運から守る新たな手段、もしくは繁栄のより明確な購買のためのむしろ高められた新たな方法を意味した。これらの初期の生贄は、神への無料の贈り物、自発的な報恩の、あるいは感謝の捧げ物であったという間違った考えを抱いてはいけない。それらは、真の崇拝表現ではなかった。
原始の祈りの型は、霊との取り引き、神との議論に他ならなかった。それは、懇願と説得が、 より具体的で高価な何かに置き換えられる一種の物々交換であった。人種の開発途上の通商は、商業の霊に熱心に説き聞かせ、物々交換の抜け目なさを展開した。今、これらの特色は、人の崇拝方法に現れ始めた。そしてある者は、他者より優れた商人であったように、ある者は、他者より優れた祈り人と見なされた。公明正大な者の祈りは、重んじられた。公明正大な者は、神にあらゆる儀式の義務を完全に放出し、すべての負債を霊に支払う者であった。
初期の祈りは、崇拝とは言いがたかった。それは、健康、富、命のための取り引きの陳情であった。祈りは、あらゆる点において時代の経過における変化があまりなかった。それらは、いまだに本から読まれており、堅苦しく朗唱され、回転礼拝器に定置するために、そして木に掛けるために完全に書き出され、そこでは、吹く風が、人自らの呼吸の消費の手間を省くであろう。
人間の生贄は、ユランチアの儀式の発展過程において人食いの流血の領域からより高度の、より象徴的な段階へと進んだ。初期の生贄儀式は、後の聖餐式を作り出した。最近では、聖職者だけが、人食い的生贄を少量摂取し、あるいは人間の血を摂取し、その後は、全員が、動物の代用品を食するのであった。身代金、贖い、および契約のこれらの初期の考えは、近代の聖餐式に発展していった。そして、このすべての儀式の発展が、強力な社交的影響を揮った。
神の母信仰に関し、最終的にはケーキと葡萄酒の聖餐式が、人間の昔の生贄の肉と血の代わりにメキシコと他の場所において用いられた。ヘブライ人は、長い間過ぎ越しの祭式の一部としてこの儀式を執り行ない、また聖餐式の後のキリスト教徒版が、その起源を取ったのはこの儀式からであった。
古代の社会的同胞愛は、血液飲酒の儀礼に基づいた。初期のユダヤ人の友愛関係は、血液の生贄的行為に基づくものであった。パウーロスは、「永遠の契約の血」に基づき新しいキリストの信仰の建設に取り掛かった。かれは、血と生贄に関する教えで不必要にキリスト教を苦しめたかもしれないが、人間、あるいは動物の生贄による贖いの主義をきっぱりと終わらせた。その神学上の妥協は、顕示さえも進化の段階的調整に応じなければならないということを示唆している。パウーロスの言うところによれば、クリストスは最後の、そして全て十分な人間の生贄になった。神性の審判者は、いま完全に、永遠に満足している。
そのため、生贄の信仰は、長い時代の後に聖餐式の信仰に発展していった。したがって現代宗教の聖餐式は、人間の生贄の衝撃的なそれらの初期の儀式と、加えてそれよりも以前の人食儀式の合法的後継者である。多くの者が、まだ救済を血に頼っているが、それは少なくとも比喩的、象徴的、神秘的になった。
古代人は、生贄を介して神に気に入られる意識に到達したに過ぎない。現代人は、救済への自意識を得る新方法を発達させなければならない。罪の意識は、人間の心に持続するが、そこから救済の思考形態は、古臭く時代遅れになった。精神面での必要性の現実は、持続しているが、知的面での進歩は、心と魂のための平和と安らぎを保証する昔の方法を破壊してしまった。
罪は、神格への意図的背信と再定義されなければならない。背信には度合いがある。優柔不断の不完全な忠誠心。分割された矛盾の忠誠心。死につつある無関心の忠誠心。そして、神を信じないた理想へ強い愛着に示される死の忠誠心。
罪の感覚や自覚は、社会習慣への違反の意識である。必ずしも罪ではない。神格への意識的背信の不在に真の罪はない。
罪意識に対する認識の可能性は、人類にとっての優れた特徴の印である。それは、人を手法として印さず、むしろ潜在的偉大さと絶えず上昇する栄光の被創造物として際立たせる。そのような無価値の感覚は、人間の心を道徳的高潔さ、宇宙洞察、精神的生活の堂々たる段階に移す信仰征服にすぐに、しかも確実に導くべき最初の刺激である。人間存在のすべての意味は、束の間から永遠へと変えられ、すべての価値は、人間から神へと高められる。
罪の告白は、背信の断固たる拒否であるが、それは、決してそのような背信の時間-空間の因果関係を緩和しない。だが、告白—罪の本質の偽りのない認識—は、宗教上の成長と精神上の進歩に不可欠である。
神格による罪の許しは、意識的反逆の結果としてのそのような関係の消滅についての人間の意識の期間の後の忠誠関係の回復である。許しは、求められる必要はなく、被創造者と創造者との忠誠関係の再構築意識として受け取られるだけある。そして、神のすべての忠誠な息子は、幸福であり、奉仕を愛し、楽園上向において絶えず進歩している。
[ネバドンの輝かしい宵の明星による提示]
宗教的行事の発展は、懐柔、回避、悪魔払い、強制、和解、宥めから生贄、償い、贖いへと進歩した。宗教儀式の方法は、原始の集団礼拝の型から呪物を経て魔術と奇跡へと通じた。そして、儀式が、人のいよいよ複雑な超物質領域の概念に対応しより複雑になるにつれ、それは、必然的に祈祷師、シャーマン、聖職者に支配された。
原始人の前進する概念における霊界は、ついには並の人間には反応しないと見なされた。人間の中の並み外れた者だけが、神からの注目を得ることができた。並はずれた男性か女性だけが、霊に聞かれるのであった。宗教は、このようにして新たな局面、徐々に間接的になる段階に入った。祈祷師、シャーマン、または聖職者は、常に宗教家と崇拝対象の間に入るのである。そして今日、組織化されたほとんどのユランチアの宗教的信仰体系が、この段階的発展の位置を通過している。
進化的宗教は、単純かつ全能の恐怖、すなわち未知なもの、説明のつかないもの、不可解なものに立ち向かうとき人間の心に押し寄せる恐怖というものから生じる。宗教は、やがては深く素朴な全能の愛、つまり人間が、宇宙の息子のために宇宙なる父の限りない愛情の概念に目覚めるとき、人間の魂全体に否応なく襲う愛の実感を得る。しかし、宗教発展の発端と達成の間には、仲介者、通訳者、斡旋者として人と神の間に立ちはだかるシャーマンが長年介在している。
シャーマンは、進化的宗教の全しきたりに対応する第一位の祈祷師であり、儀式上の呪物者であり、中心的人物であった。多くの集団の間においては、シャーマンが、戦争主導者より高地位を占めるとき国家の教会支配の始まりを印した。シャーマンは、時には聖職者として、また聖職者-王としてさえ機能した。幾つかの後の部族には、初期のシャーマン-祈祷師(予言者)と後に出現するシャーマン-聖職者の両方がいた。また多くの場合、シャーマンの職務は、世襲性になった。
昔は異常なものは何でも神霊憑依に帰されたがゆえに、精神上の、あるいは物理上のいかなる衝撃的異常も、祈祷師である資格構成要素となった。これらの男性の多くは、癲癇患者で、女性の多くは、ヒステリー患者であり、これらの2つの型は、霊や悪魔の憑依のみならず、古代の霊感も原因になった。これらの最も初期の聖職者の多くは、以来、妄想に支配されている階級のものであった。
シャーマンの大多数は、小事においては誤魔化しを働いたかもしれないが、自身の神霊憑依の事実を信じた。自らが恍惚状態、もしくは強硬症の発作に投じ得る女性は、強力な女性シャーマンになった。その後、そのような女性は、予言者や霊媒者になった。カタレプシーの恍惚状態は、通常、死者の亡霊との、言うところの意思疎通を伴った。また、多くの女性シャーマンは、職業的踊り手でもあった。
しかし、すべてのシャーマンが自己欺瞞に陥ってはいなかった。多くの者は、抜け目のない有能な詐欺師であった。この職業が発展するにつれ、初心者には、祈祷師としての資格を得るための10年間の辛苦と自己否定の見習い期間の勤めが求められた。シャーマンは、職業上の衣服形態を開発し、謎めいた行為に影響をおよぼした。かれらは、部族民に感銘を与えたり、煙に巻くようなある肉体状態を引き起こすために頻繁に薬物を使った。まやかしの芸当は、庶民には超自然と見なされ、腹話術は、最初は抜け目のない聖職者が用いた。昔のシャーマンの多くは、知らず知らずのうちに催眠術を見い出した。他のものは、自分のへそを長く見つめることで自己催眠を誘発した。
多くの者が、これらの仕掛けと誤魔化しに助けを求める一方で、一階級としてのシャーマンの評判は、要するに見かけの業績に針路を保った。シャーマンは、引き受けた仕事に失敗し、もっともらしい言い訳を提供できなければ、降格されるか、または殺された。その結果、正直なシャーマンは、早々に消え失せ、抜け目のない役者だけが生き残った。
老人と強者の手から部族業務の独占的な指示を奪い、それを抜け目のない利口で、先見の明のある者の手に預けたのは、シャーマンであった。
霊の呼び出しは、古代語で行われる現代の教会儀式に匹敵する非常に正確かつ高度に複雑な手順であった。人類は、非常に早くから超人間に助けを、つまりお告げを求めた。そして人は、シャーマンが、実際にそのようなお告げを受けると信じた。シャーマンは、その仕事において大いなる暗示の力を利用すると共に、そのほとんどが必ず否定的な暗示であった。つい最近、積極的な暗示方法が、採られてきた。シャーマンは、その職業の発展初期において雨を降らせたり、病気を治したり、犯罪を見破るようなことを専門にし始めた。病気の治療は、しかしながら、シャーマン的祈祷師の主要な機能ではなかった。それは、むしろ、生活の危険を知り、調整することであった。
宗教的であり非宗教的でもある古代の黒魔術は、聖職者、予言者、シャーマン、あるいは祈祷師のいずれかによって執り行われるとき、白魔術と呼ばれた。黒魔術の実践者は、妖術師、魔術師、奇術師、魔女、魔法使い、巫術師、交霊術師、占い師と呼ばれた。時の経過と共に、超自然との接触と言われるそのようなものすべては、妖術かシャーマンの術として分類された。
魔術は、早期の、不規則で認識されていない霊が執り行う魔力を迎え入れた。シャーマンの術は、通常の霊によって行われる奇跡と、部族の認識する神による奇跡とに関係があった。、魔女は、後代になると悪魔と結びつくようになり、その結果、比較的最近の異教に対する不寛容の多くの提示のための舞台が、設定された。魔術は、多くの原始部族の間の宗教であった。
シャーマンは、霊の意志を示す機会の任務において偉大な信者であった。シャーマンは、決定に至るために頻繁にさいころを投げた。さいころを投げる現代のこの傾向の名残りは、多くの勝負事ばかりではなく、周知のものを「声に出して数える」押韻においても例証している。かつて、数えられない人は、死ななければならなかった。今は、何かの子供の遊びの中の鬼にすぎない。原始人にとり重大な仕事であったそれは、現代の子供の気晴らしとして存続してきた。
祈祷師は、「桑の木の先のサラサラという音を聞くと、あなたは奮起する」というような符号や前兆を大いに信用した。シャーマンは、人種の歴史の非常に早くから星に興味を向けた。原始の占星術は、世界の信仰と習慣であった。夢の解釈もまた広範囲に及んだ。死者の霊と意思疎通を図ることができると公言する気まぐれな女性シャーマンの出現が、このすべての後に続いた。
古代の起源ではあるが、雨ごい祈祷師、あるいは気象シャーマンが、時代を通じて持続してきた。ひどい干魃は、初期の農業専門家にとり死を意味した。気象調整は、古代魔術の目標であった。文明人は、今だに天気を会話の共通話題にしている。昔の民族は皆、雨ごい祈祷師としてのシャーマンの力を信じはしたもの、失敗の際は、失敗の原因となるもっともらしい弁解が提示できなければ、シャーマンを殺すのが通例であった。
ケーサー一家は、再三再四、占星術師を追放したが、術師たちの占星能力が、一般的に信じられていたがゆえに、術師等は常に戻ってくるのであった。かれらを排斥できず、西洋の教会と国家の指導者は、キリスト後の16世紀においてでさえ占星術の後援者であった。何千人もの一応は知的な人々が、人は幸運な星か不運な星の支配の下に生まれるかもしれないと、天体の並置は、様々な地球の冒険の結果を割り出すとまだ信じている。占い師は、信じやすい者達に今もなお贔屓にされている。
ギリシア人は、神託の効力を信じ、中国人は、悪魔に対する保護として魔術を用い、シャーマンは、インドで栄え、しかも中央アジアで今なお公然と持続している。それは、ごく最近世界の至る所で断念された習慣である。
やがて、真の予言者と教師が、シャーマンを糾弾し暴露する行動を開始した。そのような予言者は、姿を消しつつある赤色人種の中にさえ、過去の100年のうちに、すなわち1808年の日食を予測し、白人の悪を糾弾したショーニー族のテンスクワタワがいた。様々な部族と人種の中に、また進化の歴史の長い時代を経て多くの真実の教師が現れた。そして、かれらは、一般教育に反対し、科学的進歩を阻もうとする古今のシャーマンあるいは聖職者にも、挑戦しつづけそうである。
いろいろな意味で、しかも遠回りの方法により昔のシャーマンは、神の声と神意の管理人として自らの名声を確立した。シャーマンは、新生児に水を振りかけ名前を与えた。男性に割礼を施した。かれらは、すべての埋葬式で主人役を務め、霊界への死者の安全な到着時期を発表をした。
シャーマン的聖職者と祈祷師は、多くの場合、表面上は霊に納める各種料金の増大により非常に裕福になった。往々にして、シャーマンは、部族の実にすべての物質的な富を蓄積するのであった。裕福な男性の死に際しては、シャーマンと公共企業体、もしくは慈善事業の間で等しくその男性の財産を分割するのが通例であった。この習慣は、チベットのいくつかの地域で今なお行われており、そこでは男性人口の半分が、非生産者のこの階級に属している。
シャーマンは、きちんとした身なりをし、通常、複数の妻をもっていた。部族の全規制からは免除されており、最初の貴族であった。とかく低品位の心と道徳をもっていた。かれらは、魔女とか妖術師と呼ぶことで競争相手を抑え、また、たびたび非常に影響と力をもつ立場に上がったので、主要人物や王に支配力を振るうことができた。
原始人は、シャーマンを必要悪と見なした。かれは、シャーマンを恐れはしたが、好きではなかった。古代人は、知識を尊敬した。知恵を敬い、知恵に報いた。シャーマンは、ほとんどが誤魔化しであったものの、シャーマンへの尊敬が、人種発展における知恵重視をよく例証している。
古代人は、自己と物質環境は、亡霊の気まぐれと霊の空想に直接対応していると見なしており、古代人の宗教がもっぱら物質問題に関係があったということは、奇妙ではない。現代人は、物質問題に直接取り組む。かれは、物体は、心の知的操作によく反応すると気づいている。原始人は、同様に、物理的領域の生命とエネルギーを変更し制御することを望んだ。宇宙についてのその限られた理解が、亡霊、霊、神は、人生と物質の詳細な管理に直接に、しかも時をうつさず関係しているという思考体系に導いたので、論理的にかれは、その努力をこれらの超人的媒体の恩恵と支援を得ることに向けた。
そう考えると、古代の礼拝体系における不可解さと不合理の多くが理解できる。礼拝儀式は、自分がいると気づいた物質界を制御する原始人の試みであった。その努力の多くが、延命と健康保証の目的に向けられた。すべての病気と死自体は、元々霊現象と見なされていたことから、シャーマンが、祈祷師と聖職者として機能するとともに医師として外科医として働いたということは必然的であった。
原始の心は、事実不足により不利な立場に立たされるかもしれないが、それは、やはり理にかなっている。考え深い人が病気と死を観察する際、これらの災いの原因の確定に取りかかり、そしてその理解に基づき、シャーマンと科学者は、苦悩をもたらすものについて次の理論を提出した。
1. 亡霊—霊の直接影響。初期の病気と死に関する進んだ仮説は、霊が、魂を肉体から誘い出し病を引き起こすということであった。それが戻らなければ、死が続いた。古代人は、病気を引き起こす意地の悪い亡霊の働きを恐れ、病気中の個人は、食物も水もなしでしばしば見捨てられるというほどであった。これらの思考体系の誤った土台にもかかわらず、古代人は、事実上苦しむ個人を隔離し、伝染病の普及を防いだ。
2. 暴力—明白な原因。いくつかの事故と死の原因は、識別し易く、亡霊行為の範疇から早くに除去された。戦争、動物との格闘、および他の容易に特定可能な媒体の伴う死と負傷は、自然発生と考えられた。しかし、遅い回復、さらには自然の」原因である傷の感染に対して霊が原因であると長い間信じられた。いかなる観察可能な自然の作用因子も発見できなければ、霊の亡霊が、やはり、病気と死の原因であると考えられた。
今日、アフリカや他の場所で非暴力の死が発生する度に誰かを殺す原始的民族が見つけることができる。祈祷師が、有罪の関係者を指し示す。出産時に母が死ぬならば、その子供は、即刻絞め殺される—命には命を。
3. 魔術—敵の影響。多くの病は、魔力すなわち邪視の行為、指し示す魔術の弓によって引き起こされると考えられた。かつてだれかを指差すことは、実にに危険なことであった。それは、今なお無作法とされている。古代人は、不明な病気と死の場合、正式の検死を行ない、体を解剖し、死因として何らかの発見に落ち着くのであった。さもなければ、死は、魔法のせいにされ、その結果その責任を負うべき魔女の処刑を必要とした。これらの古代の検死官は、誤ってそう考えられていた多くの魔女の命を救った。部族民が、自身の魔術の報いとして死ぬと信じられたある集団の中では、そのような出来事においては誰も告発されなかった。
4. 罪—禁制違反に対する罰。比較的最近、病は、個人的もしくは人種的な罪に対する罰であると信じられてきた。発展のこの段階を横ぎる民族の間で一般的な理論は、人は、禁忌に違反しない限り苦しめられないということである。病気と苦しみを「皆の中の全能の神の矢」として見なすことは、そのような信念の典型である。カルデア人は、苦しみの原因として星も見たが、中国人とメソポタミア人は、病気を邪悪な悪魔の行為の結果と長い間見なした。神の怒りの結果としての病気のこの理論は、世評では文明化したとされる多くのユランチア集団の中ではまだ一般的である。
5. 自然原因。人類は、エネルギー、物体、生命の物理的領域における物質の神秘の原因と結果の相互関係を知るまでに非常に時間がかかった。古代ギリシア人は、アダムソンの教えの伝統を保存し、すべての病気が、自然の原因の結果であると認める最初の者達の中にいた。次々に明らかになる科学的時代は、徐々に、しかも確かに、病気と死についての人の古い理論を破壊している。熱は、超自然疾患の範疇から取り除かれるべき人間の最初の病気の1つであり、次第に科学の時代は、非常に長い間人間の心を封じ込めていた無知の足枷を壊した。老齢と伝染への理解は、人間の災いと苦しみの個人の凶行者としての亡霊、霊、神に関する人の恐怖を徐々に取り除いている。
進化は、その目的を的確に達成する。それは、神の概念のための足場である知られざるものへのその迷信深い恐怖と見えざるものへの畏怖を人に吹き込む。そして進化のこの同じ手段は、調和して働く顕示の行動により神格についての高度な理解の誕生をみたので、次にその目的を果たした足場を容赦なく抹消するそれらの思考の勢いを的確に発動する。
古代人の生活全体は、予防的であった。その宗教は、少なからず疾患予防の手段であった。そして、その理論における誤りにかかわらず、それらを実行に移すことに熱心であった。自分達の治療法に無限の確信を持ち、またそれ自体が強力な療法である。
古代のシャーマンのうちの愚かな1人の司式の下での回復のために求められる信仰は、結局は、非科学的な病気治療に従事する後の幾人かの後継者の手による回復の経験に必要であるそれと大したに違いはなかった。
より原始の部族は、病人を大いに恐れ、長い間注意深く回避されたし、恥ずべきことに無視された。シャーマンの術の発展が、疾患治療に同意した聖職者と祈祷師を生みだしたとき、人道主義に大きな進歩があった。その後、一族全体が病室に群がり、病気をもたらす亡霊にわめき立て、シャーマンを助けることが、通例になった。女性は、診断をするシャーマンで、一方男性は、治療を施すということは珍しくなかった。通常の疾病診断の方法は、動物の内臓を調べることであった。
病気は、詠唱、喚き、手を置くこと、患者への息の吹きかけ、それと他の多くの方法により治療がなされた。後の時代には寺での睡眠が、睡眠期間中に回復が起こると思われる方策が、広まった。やがて祈祷師は、寺での眠りに関連して実際の外科的処置を試みた。当初の手術の中には、頭痛の霊を逃がすために頭蓋骨を穿孔することがあった。シャーマンは、骨折や脱臼の治療や腫れ物や膿瘍の切開術を修得した。女性のシャーマンは、産婆術に熟練してきた。
体の感染部分、または傷ついた部分に何かをこすったり、護符を投げ捨てたり、また、建て前上の療法を経験することが、共通の治療法であった。誰かがたまたま捨てられた護符を拾うならば、すぐに感染するか傷をうけると信じられた。薬草や他の本物の薬が導入されるまでには長くかかった。揉療治は、まじないに関連して開発され、現代人の塗布薬を擦り込む努力と同じく、霊を体からこすり出すことが始まった。流血と共に患部を茶碗状にしたり、吸い出したりすることは、病気の原因の霊を取り除く価値があると考えられた。
水は、効能ある物神であり、多くの病気の治療に用いられた。長い間、霊が引き起こす病は、発汗によって排除できると信じられた。蒸気浴は、高評であった。天然温泉は、原始の療養地となった。原始人は、痛みが加熱で和らぐと発見した。日光、新鮮な動物の器官、熱い粘土や石を使用し、またこれらの方法の多くが、依然として使われている。霊に影響を及ぼす努力においては、リズムが用いられた。トムトムが一般的であった。
病は、一部の人々の間では霊と動物との邪悪な共謀によって引き起こされると考えられた。これが、あらゆる動物によって引き起こされる病気に対する有益な植物療法が、存在するという意識が生まれた。赤色人種は、全てにきく植物による療法理論にことのほか専念した。赤色人種は、植物が引き抜かれたときに残される根の穴にいつも1滴の血を垂らす。
断食、食事療法、および誘導刺激薬が、療治手段としてしばしば用いられた。明らかに不思議である人間の分泌物は、重んじられた。血液と尿は、最も初期の薬の中にあり、間もなく根と様々な塩により補足された。シャーマンは、ひどい匂いといやな味の薬で病の霊を体外に追いやることができると信じた。身を清浄にすることが早くからの日常治療となり、生のココアとキニーネに対する価値観が、最も早期の医薬品発見にあった。
ギリシア人は、病人治療の実に合理的な方法を進化させた最初の人々であった。ギリシア人とエジプト人の両者は、ユーフラテス渓谷から医学上の知識を得た。油とワインは、傷を治すための最も初期の薬であった。ヒマシ油と阿片は、シュメール人によって使用された。これらの古代の、しかも効果的な秘密の療法の多くは、広く知られるようになると効力をなくした。秘密は、効を奏する詐欺と迷信の実践に常に不可欠である。事実と真実だけが、十分な理解の光を招き、科学的研究の証明と啓発に喜んだ。
儀式の最重要点は、その実行の完全性である。それは、未開人の間では正確な細心さで実行されなければならない。式典は、宗教儀式が正しく実行された時にのみ霊の上に無視できない力をとらえる。儀式が不完全であるならば、それは神の怒りと恨みを喚起するだけである。したがって、人の緩慢な進化の心は、儀式の方法というものは、その効力に決定的な要素であると思いついたことから、初期のシャーマンが、遅かれ早かれ儀式の注意深い実行に導くよう訓練される聖職へと進化するのは必然的であった。したがって、止むことのない儀式は、何万年ものあいだ社会を妨げ、文明を冒涜し、すなわち人生のあらゆる行為、あらゆる人種的企てに堪え難い重荷であった。
儀式は、習慣を神聖化する手段である。儀式は、神話を創作し永続させるとともに社会的、宗教的習慣の維持にも貢献する。一方、儀式自体は、神話により父となった。しばしば儀式は、最初は社会的であり、後には経済的、最終的には宗教儀式の尊厳と威厳をもたらす。祈り、踊り、および演劇に例証されるように、儀式は、実際面では個人的、もしくは集団的—あるいは両方—であるかもしれない。
言葉は、アーメンやセラといった用語の使用のように儀式の一部分になる。罵り、冒涜は、かつての聖なる名前の儀式的な反復の悪用例である。聖なる神殿への巡礼の旅は、非常に古い儀式である。宗教儀式は、次に清め、浄化、神聖化の入念な式典へと変わった。原始部族の秘密結社の開始式は、実際は粗雑な宗教儀礼であった。昔の不可解な集団の崇拝方法は、長きにわたり蓄積された宗教儀式のただ1つの長い動作であった。儀式は、社会的儀式と宗教崇拝、祈りを含む礼拝、歌、共鳴しながら読むこと、それに他の個人と団体の精神的献身の現代の型へと発展した。
聖職者は、シャーマンに始まり、神官、占い師、歌い手、踊り手、気象操作人、宗教上の遺物の監視者、寺の管理人、事件の予言者を経て、宗教崇拝の実際の指導者へと発展した。ついにその職務は、世襲性にり、継続する聖職者階級が生まれた。
生まれながらの才能、あるいは特別な好みによる聖職者の専門化が、宗教の発展とともに始まった。ある者は歌い手に、他のものは祈り手に、さらに他のものは生贄を捧げる信仰家になった。後に演説者—伝道者—が、登場した。これらの聖職者は、宗教が、制度化されるようになると、「天国のかぎを握る」と主張した。
聖職者は、古代の言葉で宗教儀式を行い、また自身の信心と権威を高めるために参拝者を種々の魔力の手の動きで当惑させることにより、いつも平民に印象づけたり、畏れさせようとした。このすべてにおける重大な危険は、儀式が、宗教の代用品になる傾向があるということである。
聖職集団は、科学的発展を遅らせ精神的進歩を妨げる多くのことをしたものの、文明の安定化とある種の文化の高揚に貢献した。しかし、多くの現代の聖職者は、興味を神学—神を定義する試み—に向けてしまい、神崇拝の儀式の指導者としての機能をやめてしまった。
聖職者は、人種の重荷であったということは否定されないが、真の宗教指導者は、より高度の、より優れた現実への道を指し示すことにおいて非常に貴重であった。
[ネバドンのメルキゼデクによる提示]
宗教の媒体としての祈りは、以前の非宗教の独白と対話の表現から進化した。原始人の自意識到達とともに、他者意識の回避不能な当然の結果、つまり社会的反応と神認識の二元的な可能性が生じた。
最も初期の祈りの形は、神への話し掛けではなかった。その表現は、人が、ある重要な請け負い事に着手する時、友人に「幸運を祈って」と言うのに非常に似ていた。原始人は、魔法のとりこになった。運は、幸運も不運も、生活の諸事に足を踏み入れた。運の請願は、初めは独白—ちょうど、魔法提供者が声に出して考える類—であった。運を信じるこれらの者は、次に、友人や家族の協力を求め、やがて家族、または部族全体を含む何らかの形の儀式が、実行されるのであった。
亡霊と霊の概念が発展すると、請願の呼びかけは、超人に向けられるようになり、また神への意識と共に、そのような表現は、本物の祈りの水準に達した。この例証としては、あるオーストラリア部族間での原始宗教の祈りは、霊と超人的個性への信仰に先立つものであった。
インドのトダ族は今、ちょうど初期の民族が、宗教意識の時代以前にしたように、特に誰にも祈らないこの習慣を守っている。しかしながらこれは、トダ族の間の退化する宗教のこの原始の水準への逆戻りを意味している。トダ族の酪農夫である聖職者の現代の儀式は、これらの非人称的な祈りが、いかなる社会的、道徳的、もしくは精神的価値の保護、または充実に何の貢献もしていないがゆえに、宗教儀式を意味していない。
宗教以前の祈りは、メラネシア人のマナ慣習の一部であり、アフリカのピグミー族のウーダ信仰であり、北米インディアンのマニトゥーの迷信であった。アフリカのバガンダ族は、ごく最近、マナの祈りから浮上して来たところであった。この早期の進化の混乱では、人は、神—地域の、そして国家の—呪物、守札、亡霊、支配者、そして世間一般の人に祈る。
初期の進化的宗教の機能は、緩やかに形成しつつある欠くことのできない社会的、道徳的、精神的価値を保護し高める。宗教のこの使命は、人類によって意識的には順守されてはいないが、祈りの機能によって主に達成されている。祈りの習慣は、意図はされてはいないものの、それでもなお、より高い価値のこの保護を保証する(実現する) いかなる集団の努力、個人的かつ集合的、を示している。宗教上のすべての祭日は、祈りの保護がなければ速やかにただの休日へ戻るであろう。
最も重要なものが祈りである宗教とその媒体は、社会の一般的認識、つまり集団の承認のあるそれらの価値とのみ同盟している。したがって、原始人が、野卑な感情を満足させたり、または純然たる利己的野心を達成しようとしたとき、宗教の安らぎと祈りの援助が奪われた。もし個人が何か非社会的なものを達成しようとするならば、かれは、非宗教的魔術の援助、つまり妖術師の助けを求めることを強いられ、その結果、祈りの援助が奪われた。祈りは、したがって非常に早くから社会的発展、道徳的進歩、および精神的到達の強力な促進者になった。
しかしながら原始の心は、論理的でも、一貫してもいなかった。原始人は、物質的なものは、祈りの範疇に入らないとは理解していなかった。これらの単純な人間は、食物、避難所、雨、獲物、および他の有形財が社会福祉を高めると結論づけ、したがって、これらの物理的な恩恵のために祈り始めた。これは、祈りの歪曲となったが、それは、社会的、倫理的行動による物質目標の実現のための努力を奨励した。祈りのそのような悪用は、一民族の精神的価値の質を落とす傍ら、それでもなお直接的に経済、社会、倫理の慣習を高めた。
祈りは、最も原始の型の心における独白にすぎない。それは、初期の対話になり、急速に集団崇拝の水準に展開する。祈りは、原始宗教の魔術以前の呪文は、人間の心が、情け深い力の現実、あるいは社会的価値を高め、道徳的な理想を増大させることができる存在体の現実を認識するその段階、さらにはこれらの影響は、超人的であり、自意識の強い人間とその仲間の死すべき者の自我とは全く異なるということに気づくその水準に高めたということを意味する。それゆえ真の祈りというものは、宗教活動の媒体が人格として心に描かれるまで出現しない。
祈りは、精霊信仰とはあまり関係はないが、そのような信仰は、新興の宗教感情に平行して存在するかもしれない。幾度となく宗教と精霊信仰には、完全に別々の起源があった。
すべての祈りは、恐怖への原始の束縛を免れなかったそれらの死すべき者の場合、不健全な罪悪感、現実の、または想像上の罪への根拠のない慣習へと導くかもしれないという真の危険がある。しかし現代において、多くの者は、不徳、あるいは罪深さを企てるこの有害な思案へと導く祈りに時間を費やしそうにはない。祈りの歪みと悪用に伴う危険は、無知、迷信、結晶化、活力喪失、物質主義、狂信にある。
最初の祈りは、単に言葉での願望、心からの願望表現であった。次に祈りは、霊協力を達成する手段になった。次いで、有益なすべての価値の保護における宗教を補助するより高い機能に達した。
祈りと魔術の双方は、ユランチアの環境への人の適合反応の結果生まれた。しかし祈りと魔術には、この一般化された関係は別として、あまり共通点がない。祈りは、つねに祈る自我による積極的行為を示してきた。それは、つねに心的であり、時に精神的であった。魔術は、通常、操る者、つまり魔術の実行者の自我への影響をともなわずに、現実を操る試みを意味した。魔術と祈りは、各個別の起源にもかかわらず、後のそれらの発達段階においてしばしば相関的であった。魔力は、時として決まり文句から儀式と呪文を経て真の祈りの入り口への目標の上昇により高まった。祈りは、時として非常に物質的になり、ユランチアの問題解決に不可欠な努力を避けるための疑似魔術の手段に陥ってしまった。
人は、祈りは神を強制できないと分かると、次に、祈りはより一層の請願、恩恵の追求にいたった。しかし、最も真実の祈りは、実際には人とその造物主との親交である。
人が神の意志を為すという自身の捧げられた意志の代わりに物質所有物の捧げ物を用いようという点でいかなる宗教においても生贄の考えの出現が真の祈りのより高い効力を絶えず失わせる。
宗教から人格神が剥奪されるとき、その祈りは、神学と哲学の段階へと変わる。宗教の最高度の神の概念が、汎神論的な理想主義のような非人格神格の概念であるとき、それは、神秘的親交の特定の形式の基盤を提供してはいるものの、人格的かつ優れた存在との人の親交をいつも支持する本物の祈りの力にとって致命的であると分かるのである。
祈りは、人種進化の初期においては、現在にあってでさえも、実に平均的人間のその日その日の経験における自身と自身の潜在意識との交流現象である。しかし、知的に注意深く、そして精神的に進歩している個人には、人間の心の意識を超えた深層との多かれ少なかれ接触を成し遂げる領域、つまり内在する思考調整者の領域での祈りの領域もまたある。さらに、宇宙の超自然力がその受理と認識に関する真の祈り、そして、すべての人間的そして、知的な交流とは完全に異なる真の祈りには、明確に精神的局面がある。
祈りは、進化する人間の心の宗教感情の発展に大いに貢献する。それは、人格の孤立を防ぐ作用をする重大な影響力である。
祈りはまた、倫理的優秀性のより高度の宗教、つまり顕示の宗教の経験的価値の一部をも形成する人種的進化の自然の宗教に関連づけられる1手段を呈している。
子供は、最初に言語使用を学ぶとき、誰一人として聞く者がいなくても、考え事を口に出し、言葉で考えを表現する傾向がある。子供は、創造性に富んだ想像力の夜明けと共に、想像上の仲間と話す傾向をはっきり示す。このように、芽生え始めた自我は、架空の第2の自我との親交を保持しようとする。この方法により子供は、この第2の自我が、独白を口頭の考えと願望表現とに答える疑似対話へ変換することを早くから身につける。大人の考えの多くは、心の中で会話形式で進められる。
初期で原始の祈りの形式は、現代のトダ族の反魔術的朗唱、特に誰にも向けることのない祈りに非常に似ていた。しかしそのような祈りの方法は、第2の自我の考えの登場により、意思伝達の対話型へと発展する傾向にある。第2の自我の概念は、そのうちに、神の威厳の優れた状態へと高められ、そして宗教の媒体としての祈りが現れた。この原始の祈りの型は、多くの局面と長い時代の間に知的かつ真に倫理的な祈りの段階到達に先行して発展する運命にある。
祈る必滅者の後続の世代が、自己の分身が思い描かれるに、それは、亡霊、呪物、精霊から、多神教の神、ついには唯一なる神、すなわち祈っている自我の最高の理想と最も崇高な大望を具体化する神性体へと進化する。その結果、祈りは、祈る人々の最高の価値と理想の保護における宗教の最も強力な媒体として機能する。祈りは、第2の自我を宿す瞬間から神性と天なる父の概念の登場まで営みを常に社会に適合させ、道徳的にし、精神的にしている。
信仰の簡単な祈りは、原始宗教の第2の自己の架空の象徴との古代の会話が、無限なるものの精霊との親交段階へと、またすべての知的創造の永遠の神と楽園の父の真実の意識段階へと高められてきた人間の経験における強力な進化をはっきり表している。
倫理的な祈りは、祈りの経験における超自我であるもののすべてはさておき、人の自我を向上させ、よりよい生活とより高度の達成のために自己を強めるすばらしい方法があるということが思い起こされるべきである。祈りは、人間の自我が助けのために両方向を見るように仕向ける。つまり必滅者の経験の潜在意識の貯蔵所への物質的援助の方向と、物質的領域と精霊との、つまり謎の訓戒者との接触の超意識の境界への鼓舞と導きの方向。
祈りは今までもずっと、そしてこれからもずっと人間の二重の経験、精神的方法と互いに結びついた心理学の手順、になるであろう。また祈りのこれらの2つの機能を完全に切り離すことは決してできない。
賢明な祈りは、外在的かつ個人的な神だけではなく、内在的、かつ非人格の神、すなわち内在する調整者も認識しなければならない。人は、祈るとき、楽園にいる宇宙なる父の概念を理解する努力をすべきであるのは当然である。しかし、もっとも実用的な目的のためのより効果的な方法は、ちょうど原始の心が習慣としていたように、またこの第2の自我の考えが、単なる創作から調整者の実際の臨場において人が面と向かって、言うなれば、人に内在し、生ける神の、つまり宇宙なる父のまさに存在と本質である真の、本物の、そして神の第2の自我と話すことができるように神の内在する人間の真実へと発展したということを認識するために、すぐ近くの第2の自我の概念に逆戻りすることであろう。
どんな祈りも、嘆願者が仲間よりも利己的な利益を求めるとき倫理的ではあり得ない。利己的で物質主義的な祈りは、無私で神性の愛に基づく倫理的宗教とは相容れない。そのようなすべての非倫理的な祈りは、原始の疑似魔術の段階に逆戻りし、進歩する文明と啓発された宗教に値しない。利己的な祈りは、愛情に満ちた正義に基づくすべての倫理の精神に背いている。
祈りは、決して行為の代用品になるように悪用されてはならない。すべての倫理的な祈りは、行動への刺激であり、自己超越-到達の理想主義的目標へ向けての進歩的努力への指針である。
すべての祈りにおいて公正であれ。神に依怙贔屓を、神の他の子供、あなたの友人、隣人、さらには敵よりも自分を愛することを期待してはならない。しかし、自然の、あるいは進化的宗教の祈りは、後の啓示的宗教のようには、当初は倫理的ではない。すべての祈りは、個人的であろうと共同的であろうと、自己本位であるか、または利他的であるかもしれない。すなわち祈りは、自己あるいは他者に集中されるかもしれない。祈りが祈る者のため、または、仲間のために何も求めないとき、そのような魂の態度は、真の崇拝段階に向かって行く傾向にある。自己本位な祈りは、告白と請願を伴い、しばしば物質的恩恵の要求にある。許しに対処したり、より一層の自制のための知恵を求めるとき、祈りは、いくらか倫理的である。
前進する科学的発見が、人は、法と秩序の物理的宇宙の中に生きるということを示すにつれ、非利己的な祈りの型が、強化したり癒す一方で、物質主義的祈りは、失望と幻滅をもたらす。個人、あるいは人種の幼年期は、原始的、利己的、物質的祈りによって特徴づけられる。そのようなすべての誓願は、ある程度までは、そのような祈りに対する答えに至る有力な努力と人力へと変わることなく導くという点において効果を示す。信仰の真の祈りは、そのような請願が精神的認識に値しなくとも生きる方法の増大に常に貢献する。しかし精霊的に高度な人は、そのような祈りに関する原始的、あるいは未熟な心を落胆させようとする試みに大いなる警戒を払うべきである。
心に留めておきなさい。祈りは神を変えなくとも、それは、信じ、しかも自信に満ちた期待をもって祈る者に大きく、永続する変化を頻繁にもたらす。祈りは、進化する人種の男女の大いなる心の平穏、朗らかさ、静けさ、勇気、自制、および公正な考えの原型である。
祈りは、先祖崇拝においては先祖の理想の教化に導びく。しかし神崇拝の特徴としての祈りは、神の理念の教化に導びくのであり、そのような他の全ての営みを超越する。祈りの第2の自己の概念が、崇高で神聖になると、人の理想も単なる人間から崇高で神聖な段階へとそれに応じて高められ、また、そのようなすべての祈りの成果は、人間の性格と人格の奥深い統一の高揚である。
だが、祈りは、常に個人的でなければならないというわけではない。集団または集会礼拝は、その影響が非常に社会に役立つという点で非常に効果的である。集団が、道徳強化と精神高揚のために共同体の祈りに従事するとき、そのような献身は、集団を構成する個人に作用している。全員が、参加により善良になる。そのような一意専心の祈りは、市全体あるいは国全体でさえ援助することができる。告白、悔悟、祈りは、個人、都市、国、および全人種を強力な改革努力と勇敢な功績に至る勇ましい行為に導いてきた。
あなたが、ある友人への批評の癖に打ち勝つことを本当に望むならば、そのような態度の最速かつ最も確かな変化の達成方法は、あなたの人生で毎日その人のために祈る習慣をうち立てることである。しかし、そのような祈りの社会的影響は、主に2つの条件に依存している。
1. 祈られる人は、祈られているということを知るべきである。
2. 祈る人は、祈られている人との親密な社会的接触をもつべきである。
あらゆる宗教は、祈りの手法により、遅かれ早かれ、制度化されるようになるのである。やがて祈りは、聖職者、聖なる書、崇拝行事、儀式などのように、助けとなるもの、他の明らかに有害なものの数多くの二次的媒体を伴うようになる。
しかしより精霊的に大いに啓蒙された心は、微弱な精霊的洞察力の起動のために宗教的な象徴を切望する知力に恵まれない者に我慢強くあり、寛容でなけらばならない。強者は、弱者を軽蔑の目で見てはならない。宗教的な象徴をもたず神を意識する者は、形式や儀式を伴わない神格を崇拝し、真、美、善を敬うことを難しいと感じる者達のもつ仁慈深い奉仕の宗教的象徴を否定してはならない。祈りに満ちた崇拝においては、ほとんどの死すべき者は、それぞれの一意専心の対象-目標を思い描いている。
祈りは、個人の精神力の意志と行動、それに領域の物質統括者と連係しない限り人の物理的環境に何の直接的効果も与えることはできない。祈りの請願範囲には非常に明確な限界があると同時に、そのような限界は、祈る者の信仰に等しくは当てはまらない。
祈りは、実際の、また器質性疾患治療のための方法ではないが、それは、はち切れぬばかりの健康の享受と、また精神的、感情的、神経的な数多くの病の療法に途方もなく貢献してきた。そして、実際の細菌性疾患においてでさえも、祈りは、他の治療のための手順の効力に幾度となく拍車をかけてきた。祈りは、多くの怒りっぽく不平を言う病人を忍耐の手本に変え、他のすべての人間の苦しむ者にとっての霊感へと変化させてきた。
信仰の誠実な祈りは、祈りの効力に関する科学的疑念と神の源からの助けと導きを求める遍在的衝動とを和解に至らしめることがどんなに困難であろうとも、個人的な幸福、個々の自制、社会的調和、道徳的進歩、および精神的到達の促進に強大な力であったということを決して忘れてはいけない。
祈りは、純粋に人間の習慣としてでさえ、つまり人の第2の自己との対話は、人間の心の無意識の領域に格納され保存されている人間性の予備動力の実現への最も有効な接近方法を構成している。祈りは、その宗教的意味合いとその精神的意義は別として、しっかりした心理的習わしである。ほとんどの人が、それなりに難境にあるならば、何らかの方法で何らかの助けの源に祈るということが、人間の経験の現実である。
問題の解決を神に頼むほどに怠惰であってはならないが、自身が堅く心に決め、勇敢に目前にある問題に取り組む一方で、導き支えるための知恵と精神的な強さを神に求めることを決して躊躇ってはならない。
祈りは、宗教文明の進歩と維持に不可欠の要素であり、祈る人々が、科学的事実、哲学的分別、知的誠実さ、精霊的信仰に照らしてそうするならば、社会の一層の高揚と精神的意味を与えるために現在でも偉大な貢献をする。イエスが弟子に教えたように祈りなさい—正直に、非利己的に、公正に、しかも疑わずに。
しかし、祈る者の個人の精神的経験における祈りの効力は、決してそのような崇拝者の知的な理解、哲学的な鋭い洞察力、社会水準、文化状況、または人間の他の技能によっては決まらない。信仰の祈りの心理上、精神上の付随事情は、即座で、個人的で、経験的である。被創造者が、他の俗世の全業績にかかわらず、造物主と通じ合うことができ、創造者の現実と、つまり内在する思考調整者と接触するその領域の敷居に非常に効果的に、しかも即座に接近できる手法は他にはない。
神存在い関する意識の教化方法としての神秘主義は、要するに賞賛には値するが、そのような習慣が、社会的孤立につながり、宗教的狂信に至るとき、そのような習慣は、ほぼ避難に値する。要するにあまりに頻繁に、興奮しきった神秘主義者が神の霊感として評価するそれは、神秘主義者自身の深い心の反乱である。その内在する調整者との人間の心の接触は、熱心な思索によってしばしば推進される一方で、同胞への心からの、また情愛深い奉仕によってより頻繁に助長される。
宗教の過去の時代の偉大な教師と予言者は、極端な神秘主義者ではなかった。かれらは、仲間の人間への無欲な活動により神に最もよく尽くした神を知る男女であった。イエスは、思索と祈りのために短い期間しばしば使徒達を連れ出しはしたが、ほとんどの場合、彼らを大衆との接触活動につかせていた。人の魂は、精神の滋養物と同様に精神的運動を必要とする。
宗教的歓喜は、健全な先行する事柄から生じるときは差し支えないが、しばしばそのような経験は、意味深い精霊的な特徴の顕現であるよりも純粋に感情の影響の結果である。信仰心の厚い人々は、あらゆる鮮明な心理的予感と激しい感情経験を神の顕示あるいは精霊的な意思疎通として見なしてはならない。本物の精霊的歓喜は、通常、外向きの深い静けさとほぼ完全な感情抑制を伴う。しかし、真の予言的洞察力は、超心理的予感である。そのような訪れは、疑似幻覚症状ではなく、また昏睡に類似した歓喜でもない。
人間の心は、潜在意識の高まり、もしくは超意識の刺激に敏感であるとき、霊感と呼ばれるものに対応して演じるかもしれない。いずれの場合も、意識の内容のそのような増大は、個人には多少なりとも異質に思われる。抑えきれない神秘的な熱意と激しい宗教的歓喜は、霊感の資格証明、いわゆる神の資格証明ではない。
神秘、歓喜、そして霊感に関するこれらのすべての奇妙な宗教経験の実地試験は、これらの現象が個人に起こるかどうかを観測することである。
1. より良い、一層の身体の健康を味わうこと
2. 精神生活においてより効率的に実質的に機能すること
3. より完全に、嬉々として宗教経験を社会に適合させること
4. 人間の平凡な生活の当たり前の義務を忠実に果たすとともに、より完全に日々の生活を精神的にすること
5. 真、美、善への愛を高め、それを評価すること
6. 現在認識される社会的、道徳的、倫理的、精神的価値を維持すること
7. 精神的洞察力—神-意識—を増代させること
だが祈りには、これらの例外的宗教経験との真の繋がりはない。祈りが過度に審美的になると、すなわち専ら楽園神性に美しく幸せに耽ける状態になると、それは、その社交的影響の多くを失い、その信者の神秘主義と孤立につながる傾向がある。集団の祈り、つまり共同体の精進により修正され、防げられる個人的な過剰な祈りに関連づけられるある種の危険がある。
原始人は、神についての何らかの明確な概念をもつずっと以前に祈る自身に気づいていたので、実に自然発生的な祈りの局面がある。原始人は、2つの異なる状況における祈りを習慣としていた。差し迫った必要にある時、かれは助けを求めようとする衝動を経験した。かれは、喜びにあるとき、喜びの衝動的表現にふけった。
祈りは、魔術の進化ではない。両者は、それぞれ独自に起こった。魔術は、神格を状況に調整する試みであった。祈りは、神格の意志に人格を調整する努力である。真の祈りは、道徳的、宗教的である。魔術は、いずれでもでない。
祈りは、確立された風習になるかもしれない。他のものが祈るので多くのものが祈る。他のものは、さらに自己の定期的嘆願を申し出なければ何か恐ろしいことが起こるかもしれないと恐れるので祈る。
祈りは、一部の個人にとり謝意の穏やかな表現である。他のものにとっては、称賛の集団表現、すなわち社会的専心である。真の祈りは、生物の精神的本質と創造者の霊のあらゆる場所への臨場との誠実かつ信頼の意思疎通であるとはいえ、他者の宗教の摸倣が時としてある。
祈りは神-意識の自然発生的な表現か、もしくは神学の常套手段の無意味な暗唱であるかもしれない。それは、神を知る魂の有頂天の称賛、もしくは恐怖に苦しめられる人間の奴隷的従順であるかもしれない。祈りは、時に精神的渇望の哀れな表現であり、時に敬虔な句のあからさまな叫びである。祈りは、楽しげな称賛か許しへの謙虚な請願であるかもしれない。
祈りは、不可能なものへの子供じみた嘆願、もしくは道徳的な成長と精神的な力のための分別のある懇願であるかもしれない。請願は、日々の糧のためかもしれず、または神を見つけその意志をするための心からの切望を具体化するかもしれない。それは、完全に利己的な要求か、あるいは寡欲な兄弟愛の実現に向けての本当の、しかも崇高な意志表示であるかもしれない。
祈りは、復讐への憤りの叫びか、1人の敵への慈悲による仲裁であるかもしれない。それは、神を変える希望の表現か、自我を変える力強い方法であるかもしれない。それは、おそらくは厳しい裁判官の前の迷える罪人のへつらいの嘆願か、生きており慈悲深い天なる神の解放された息子の楽しい表現であるかもしれない。
現代人は、純粋に個人的な方法で神と話し合うという考えに当惑する。多くのものが、習慣的な祈りを放棄した。異常な苦難の下で—非常時に—祈るだけである。人は、神への話しかけを恐れるべきではないが、精霊的な子供だけが、神を説得することを引き受けたり、または敢えて神を変えようとしたであろう。
しかしながら、真の祈りは、現実に到達する。どんな鳥も、広げた翼の力を用いない限り、気流が上昇するときにさえ、高く昇ることはできない。祈りは、宇宙の上昇する精神面の流れの利用による進歩の方法であるがゆえに人を高めるのである。
本物の祈りは、精神的発達に加え、態度を修正し、神性との親交から来る満足感をもたらす。それは、神-意識の自然発生的な迸りである。
神は、真実の一層の顕示、美への高められた感謝、善の増大された概念を人に与えて人の祈りに答える。祈りは、主観的意志表示であるが、人間の経験の精神的段階において強力な客観的現実と接する。それは、人間が、超人的価値に向けて意味ある手を差し伸べることである。それは、最も強力な精神的発達の刺激である。
言葉は、祈りとは無関係である。それは、単に精神的な懇願の川がたまたま流れるかもしれない知的な水路である。祈りの言葉の価値は、純粋に個人的専心における自己への提示であり、集団的専心における社会への提示である。神は、言葉にではなく魂の態度に答える。
祈りは、闘争からの逃避手段ではなく、むしろまさに目前の対立をからの成長への刺激である。事物のためにではなく、価値のためにだけ祈りなさい。満足のためにではなく、成長のために。
人は、有効な祈りに従事するつもりならば、有力な請願の規則を心に留めておくべきである。
1. 人は、宇宙現実の問題に真摯に勇敢に立ち向かうことにより力強い祈り手としての資格を得なければならない。ひとは、宇宙的持久力を持たなければならない。
2. 人は、人間の可能性を人間段階での整のために正当に使い果たしたのであろう。人は勤勉であったにちがいない。
3. 人は、心の願望すべてと魂の渇望すべてを精霊的な成長を変換的な受容に明け渡さなければならない。人は、意味の充実と価値の向上を経験したのであろう。
4. 人は、心から神の意志の選択をしなければならない。優柔不断の膠着状態を取り除かなければならない。
5. 人は、父の意志を認識しそれを行動に移すことを選ぶだけでなく、実際の父の意志をなすことへの無条件の献身、また活力に満ちた専心をもたらした。
6. 人の祈りは、楽園上昇—神の完全性の到達—において行きあたる人間特有の問題を解決する神の叡智へのみ導かれるであろう。
7. また人には、信仰—生ける信仰—がなければならない。
[ユランチアの中間者の首長による提示]
人間には、組織的顕示がユランチアに為されるずっと以前から進化の経験の一部としての自然な起源をもつ宗教があった。しかし自然の起源のこの宗教は、本質的には人の超動物的資質の産物であった。進化的宗教は、未開人、野蛮人、文明人の間で機能し、それらに触れる次にかかげる活動影響を与え、人類の経験上の経歴の数千年にわたりゆっくりと生まれた。
1. 崇拝の補佐官—現実認識に対する動物意識における超動物可能性の出現。これは、神格への根本的な人間の本能と呼ばれるかもしれない。
2. 知恵の補佐官—神格現実のより高度の表現経路における、また絶えず広がる神格現実の概念に向けてその崇敬を方向づける敬虔な心における顕現。
3. 聖霊—これは、初期の超心の贈与であり、すべての誠実な人間の人格にかならず現れる。崇拝-切望と知恵-欲求の心へのこの働き掛けは、神学の概念において、そして実際の、また事実上の人間生活としての双方において人間生存の公理を得る能力を創造する。
この神性的な3つの働きにおける等位の調和した機能は、完全に十分に進化的宗教の発展を開始し、遂行する。これらの影響は、後に思考調整者、熾天使、真実の聖霊によって増大され、そのすべてが、宗教発達の速度を速める。これらの媒体は、長らくユランチアで機能しており、この惑星が棲息球体のままで残る限り、ここで継続するであろう。これらの神性媒体の可能性の多くには、表現の機会がまだ一度もない。来る時代に人間の宗教の上昇につれ、これらの神性媒体の可能性の多くは、段階ごとに、モロンチアの価値と精霊の真実で明らかにされるであろう。
宗教の発展は、初期の恐怖と亡霊から、まずは霊を威圧し、次にはおだてるというそれらの努力を含む多くの連続的発展段階をたどってきた。部族の呪物崇拝は、トーテムと部族神へと変わった。魔術の決まり文句は、現代の祈りになった。割礼、最初は犠牲は、衛生処置になった。
宗教は、人種の野蛮な幼年期に自然崇拝から亡霊崇拝を経て呪物崇拝へと進歩した。文明の夜明けとともに人類は、 より神秘的、また象徴的信仰を信奉し、一方現在は、人類は、成熟するにつれ、真の宗教への感謝、真実自体の顕示の始まりにさえ迫りつつある。
宗教は、精神的信念と環境への心の生物的反応として起こる。それは、人種の中で滅びるか、あるいは変化する最後のものである。いつの時代においても、宗教は、神秘なものへの社会の適応である。社会機関としてそれは、儀式、表象、教団、経典、祭壇、神社、寺院を取り入れる。聖水、遺物、呪物、護符、衣服、鐘、太鼓、および聖職は、すべての宗教に共通である。そして純粋に進化した宗教が、魔術、あるいは妖術のいずれからも縁を切ることは完全に不可能である。
神秘と力は、昔から宗教上の感情と恐怖を刺激してきており、情感は、それらの発達における強力な条件要素として機能してきた。いつも恐怖は、宗教上の基本的刺激である。恐怖は、進化的宗教の神を創り出し、原始の信者の宗教儀式を動機づける。恐怖は、文明が進むにつれ、崇敬、称賛、敬意、共感により変更され、次には後悔と悔悟によってさらに変化される。
アジアの1民族は、「神は大いなる恐怖である」と教えた。それは、純粋に進化的宗教の産物である。宗教生活の最高度の型の顕示であるイエスは、「神は愛である。」と宣言した。
宗教は、人間の全慣行の最も厳格で揺るぎないものであるが、それは、社会の変遷に遅々とした順応をする。進化的宗教は、最終的には変化するしきたりを反映し、さらに啓示宗教の影響を受けるかもしれない。宗教(崇拝)は、ゆっくりと確実に、しかし不承不承に、英知—経験的分別に方向づけられ、神の啓示に灯される知識—の先例に倣うのである。
宗教は、しきたりに執着する。それは、古色蒼然とし、建て前上は神聖である。石器は、この理由だけで青銅と鉄の時代へと長い間存続した。この声明「もし、私に石の祭壇を作るならば、切り出された石でそれを建てないであろう。というのも、それを作る際に道具を使用するならばそれを汚すので。」が、記録にある。今日でさえ、ヒンズー教徒は、原始の火錐棒を使用して祭壇に火をともす。進化的宗教の過程では、目新しさは、常に神聖冒涜と見なされてきた。聖餐は、新しく製造された食物から作られるのではなく、最も原始の食品から作られなければならない。「焼かれた肉とパン種を入れないパンに苦菜を添えて出した。」社会的慣習のすべての型は、法的手順さえ古い型に執着している。
現代人が、反道徳的であるとみなされるかもしれない異なる宗教の経典の非常に多くの提示に驚くとき、去来する世代は、先祖が神聖不可侵だと考えたことを排除することを恐れてきたということを立ち止まって考えるべきである。1世代が、卑猥と見なすかもしれない多くのものを、前の世代は、受け入れられた慣習の一部であると、承認された宗教儀式とさえ考えた。新たに提示された理由と昔の、ただし咎むべき習慣との折り合いをつけるために、すなわち古代の、時代遅れの習慣の教義の永久化の正当性に相応しい理論を見つけるために、かなりの宗教的な論争が、決して終わることのない試みによって引き起こされてきた。
しかし、宗教的発展のあまりに突然の加速の試みは、愚か以外のなにものでもない。人種または国家は、その現在の進化状況、加えて適合性へのその賢明さとかなり一貫し両立し得るものだけをいかなる進歩的宗教からも同化することができるのである。社会、気候、政治、経済の状況のすべては、宗教発展の過程と進歩の決定において影響力がある。社会道徳は、宗教、すなわち進化的宗教により決定はされない。むしろ、宗教の型は、人種の道徳により決定づけられる。
人類の種族は、奇妙で新しい宗教を表面的に受け入れるだけである。実際には自分達の慣習と信じる古い様式にそれを適合させる。これは、ニュージーランドの部族の聖職者達が、名目上はキリスト教を受け入れた後に、この同一部族は、神の選ばれた民になり、無規律な性関係や昔の非難されるべき夥しい他の習慣を欲しいままにすることを許されると指示する趣旨でガブリエルから直接の顕示の受理を公言した例によく説明されている。そして、間髪を入れず新興のキリスト教徒は皆、この新しく、あまり厳しくないキリスト教の異説へと宗旨変えをした。
ある時期宗教は、すべての相入れない、また矛盾する振舞いを是認してきたし、現在は不道徳、または罪深いとされる全てをかつては実際に承認してきた。経験では教えられない、また、理性の助けを受けない良心というものは、決して人間の品行に対しての安全で的確な指針ではなかったし、なり得ない。良心は、人間の魂に話し掛ける神の声ではない。それは、単に人間存在にかかわる現在のいかなる段階の道徳的かつ倫理的慣習の中味の総体的結果である。それは、いかなる情況においても人間的に発想される理想的反応の表現にほかならない。
人間の宗教についての研究は、化石を有する過去の時代の社会層の調査である。擬人化の神の慣習は、そのような神を最初に想像した人間の倫理の正直な反映である。古代宗教と神話は、ずっと以前に知られぬままに失われた民族の信仰と伝統を忠実に描いている。これらの昔の集団礼拝の習慣は、 より新しい経済習慣と社会発展に平行して存続し、もちろん甚だしく矛盾しているようである。集団礼拝の名残りは、過去の人種的宗教の実態を提示している。常に集団礼拝というものは、真実を発見するものではなく、形成されるものであり、むしろその教義を広めるためのものであると心にとめておきなさい。
宗教は、主に儀式、行事、祝賀、式典、および教義の問題であった。通常、しつこく離間をするその誤り、つまり神の選民という妄想に染まるようになった。呪文、霊感、顕示、宥め、悔悟、償い、仲裁、生贄、祈り、告白、崇拝、死後の生存、正餐、儀式、身代金、救済、身受け、盟約、不浄、清め、お告げ、原罪の宗教の主要な概念—は皆、原始的亡霊恐怖の初期に遡る。
原始宗教は、死後の存在へと延長された物質的存在のための葛藤に他ならない。そのような教義の順守は、想像亡上の霊-霊世界の領域への自己維持葛藤の延長を意味した。だが進化的宗教を批判をする気になるとき、用心しなさい。心にとめておきなさい、それは起こったことである。それは史実である。さらに、どんな考えの力も、その確実性、あるいは真実にはあるのではなく、むしろその人間の訴えの鮮明さにあるということを思い起こしなさい。
進化的宗教は、変更つまり修正には備えない。科学と異なり、それは、それ自体の進歩的な是正を提供しない。その信奉者は、それが真理であると信じるがゆえに、発展的宗教は、尊敬される。「聖徒に一度伝えられた信仰」は、理論上は、最終的かつ絶対確実でなければならない。真の進歩は、教団自体を変更するか、または破壊することは確かであり、教団は、発展に抵抗する。したがって、見直しは、つねに行わざるをえない。
2つの影響のみが、自然の宗教の教義を変更し、高めることができる。ゆっくりと前進する慣習の圧力と画期的な顕示の周期的な照明。また進歩が遅いということは、不思議ではない。大昔には、進歩的であること、または独創的であることは、魔術師として殺されることを意味した。集団礼拝は、世代の時代と長年の周期でゆっくりと進む。しかし、それは前へと進む。亡霊への進化的信仰は、最終的にはその起源の迷信を打ち壊す啓示の哲学のための地盤を築いた。
宗教は、多様な方法で社会の発展を妨げてきたが、宗教なくしては永続的道徳も倫理も、つまり価値ある文明はなかったであろう。宗教は、多くの非宗教文化の母体となった。彫刻は偶像作成、建築は寺院建造、詩歌は呪文、音楽は崇拝の詠唱、演劇は霊誘導のための演技、舞踊は季節の礼拝行事を端緒とした。
しかし、宗教は、文明の発展と維持に不可欠であったという事実に注意を促す一方で、自然宗教は、その他の点では育成し維持した文明そのものを無力にし、不利な立場に立たせる多くのこともしたということが記録されるべきである。宗教は、産業活動と経済開発を妨げた。それは労働を無駄にし、資本を浪費した。家族にとっていつも有用であったわけではない。宗教は、適切に平和と善意を養育してこなかった。時々教育を無視し科学を遅らせた。それは、死の世界の偽りの裕福のために人生を過度に貧弱にした。進化的宗教、つまり人間の宗教は、これらの総てと、多くの誤り、不手際、大失敗を犯してきた。とは言うものの、それは、文化的倫理、文明度の高い道徳、社会的一貫性を維持し、後の啓示的宗教は、これらの多くの進化上の短所の補正を可能にした。
進化的宗教は、人の最も高価な、だが比較にならないほど効果的な制度である。人間の宗教は、進化的文明に照らし合わせるだけでの正当化はできない。人は、動物進化の向上の結果でなければ、宗教発展のそのような過程に、正当性はないであろう。
宗教は資本の蓄積を容易にした。それは、ある種の仕事を育てた。聖職者の余暇は、芸術と知識を促進した。人種は、つまるところ、倫理手法におけるこれらの早期のすべての誤りの結果、多くを獲得した。シャーマンは、正直であろうと不正直であろうと、ひどく高くつくが、それだけの価値はあったということであった。学術的職業と科学自体は、寄生的な聖職から浮上してきた。宗教は、文明を育て、社会の継続を援助した。それは、かつてない道徳的警察力であった。宗教は、知恵を可能にした人間の規律と自制を供与した。宗教は、怠惰で苦しんでいる人類を知能のもつ惰性のその自然な状態から理性と知恵のより高い段階に向け前方へ、上方へと無慈悲に押しやる進化の有効な鞭である。
動物向上のこの神聖な遺産つまり進化的宗教は、啓示宗教の継続的検閲により、また本物の科学の燃えさかる炉により精製され、高尚にされ続けなければならない。
顕示は、進化的であるが、いつも前進的である。世界歴史を通じて、宗教の啓示は、絶えず広がり連続してより啓蒙的である。顕示の使命は、連続する進化的宗教を選別し、検閲することである。しかし顕示が、進化的宗教を高め増進することであるならば、神のそのような訪問は、それが、提示される時代の考えと反応からはあまりにも掛け離れた教えを描かなければならないのである。かくして、顕示は、進化との接触を常に保たなければならず、実際保っているのである。つねに顕示の宗教は、人の受容性の容量によって制限されなければならない。
外見上のつながり、あるいは起源にかかわらず、顕示の宗教は、最終的価値の何らかの神格における、また死後の人格の独自性の生存の何らかの概念における信仰よって常に特徴づけられる。
進化的宗教は、論理的ではなく、感傷的である。それは、仮定上の亡霊-霊世界への信仰への人の反応である—未知の認識と未知への恐怖により興奮している人間の信念-反射。天啓的宗教は、真の精神世界により提出される。それは、宇宙なる神格を信じ、宇宙なる神格へ頼る人間の渇望にむけての超知力の宇宙の応答である。進化的宗教は、真実探究における人類の回り道の手探りを描写している。天啓的宗教は、まさしくその真実そのものである。
多くの宗教啓示の出来事があるが、画期的な意義のあるものは、5個にすぎない。これらは、次の通りであった。
1. ダラマティアの教え。第一根源と中心者の真の概念は、まず、カリガスティア王子の肉体をもつ100名の部下によりユランチアで広められた。神格のこの拡大的顕示は、惑星の分離と教育体制の途絶により突然に打ち切られるまで30万年以上も継続したダラマティアの顕示の影響は、。ヴァンの仕事を除き、事実上、全世界から失われた。ノヅ系でさえアダームの到着までこの真実を忘れていた。100名の教えを受け入れた全体の中では、赤色人種が、最も長くその教えを保持したものの、偉大なる霊についての考えは、キリスト教との接触がそれを大いに明らかにさせ強化したときアメリカ原住民の宗教においては朦朧たる概念であった。
2. エーデンの教え。アダームとハヴァーは、再び進化的民族にすべての者の父の概念を言葉で描写した。第一のエーデンの途絶は、アダームの顕示が、そもそも完全に始まる前にその顕示の進路を絶った。しかし、アダームの中断された教えは、セース系の聖職者により続行され、また、これらの真理のいくつかは、世界で完全に失われるということは決してなかった。レヴァントの宗教発展の全傾向は、セース系の教えにより変更された。しかし人類は、紀元前2,500年までには、エーデン時代に促進された顕示を大きく見失ってしまった。
3. シャレイムのメルキゼデク。この緊急時のネバドンの息子は、ユランチアにおける真実の3番目の顕示を開始した。その教えの基本的指針は、信頼と信仰であった。神の全能の善行への信頼を教え、信仰とは、人がそれによって神の恩恵を得た行為であると宣言した。シャレイムのメルキゼデクの教えは、徐々に様々な進化的宗教の思考体系と混合し、キリスト後の最初の1千年の初めに、ユランチアに存在するそれらの神学体系へと発展していった。
4. ナザレスのイエス。クリストス・ミカエルは、ユランチアに宇宙なる父としての神の概念を4度目の提示をし、この教えは、以来ずっと広く存続してきた。彼の教えの本質は、愛と奉仕であり、つまり被創造の息子が、父である神の愛情に満ちた奉仕の認識とそれへの応答に与える愛情深い崇拝であり、そしてそのような被創造の息子が、父である神に同様に仕えるこの奉仕において悦ばしい認識のうちに同胞に与える自由意志の奉仕である。
5. ユランチアの論文 。そのうちの一つがこれであるところの幾つかの論文は、ユランチアの死すべき者への最新の真実提示となる。これらの論文は、宇宙の単一人格の仕事ではなく、多くの存在体による複合提示であることからこれまでの全ての顕示とは異なっている。しかしながら、どの顕示も、宇宙なる父の達成以外に完全ではあり得ない。他のすべての天の援助は、部分的、一時的でしかなく、実際には時空間の局部的状況に適合している。このような是認は、ことによると全顕示の直接の力と権限を減じるかもしれないが、ユランチアの人種への最新の真実顕示のその後の影響と権威を弱める危険を犯してさえも、そのような率直な声明を出すことが望ましいときが、その時が、ユランチアに来たのである。
進化的宗教において神は、人の姿に似せて受け止められている。天啓的宗教においては、人は、神の息子である—神性の有限の姿で造られさえする—ことを教えられる。顕示に関する教えと進化の産物から成り立つ統合的信仰における神の概念は、次のような混合である。
1.進化的集団礼拝の前存在の考え
2. 啓示宗教の崇高な理想
3. 人類の偉大な宗教指導者、予言者、教師の個人的観点
最もすばらしい宗教時代は、何らかに傑出している人格の人生と教えによって始められてきた。指導力は、歴史上の価値ある道徳的運動の大部分に源を発してきた。そして人は、その教えを犠牲にしてさえも、指導者の人格を崇敬するために、その指導者が公言した真実を見失ってさえも、常に指導者を崇拝傾向にある。これには理由がないわけではない。進化的人間の心には上からくる、彼方からくる助けを求める本能的な切望がある。この渇望は、惑星王子と後の物質の息子の地球への出現を予期するように考案されている。ユランチアでは、人間は、これらの超人的指導者と支配者を奪われてきており、したがって、絶えず超自然の起源と驚くべき経歴に関係ある伝説をもつ人間の指導者を包み込むことによりこの損失を補おうとするのである。
多くの人種は、自分達の指導者は処女から生まれると考えてきた。指導者達の経歴は、驚くべき出来事が気前よく散りばめられており、それぞれの集団は、指導者の帰還を常に期待している。中央アジアでは部族民は、今なおまだジンギスカンの帰還を期待している。チベット、中国とインドでは、それは、仏陀である。イスラム教では、モハッマドである。アメリカ原住民の間では、ヘスナニン・オナモナーロントンであった。一般論として、ヘブライ人には、それは、物質的な支配者としてのアダームの帰還であった。バビロンでの神メロダクは、神の息子の考え、つまり人と神との接合のアダーム伝説の永続化であった。地球へのアダームの出現後、いわゆる神の息子は、世界の人種の間において共通であった。
しかし、明らかにされた真実の梃子は、いわゆる神の息子に向けしばしば抱かれた迷信深い畏敬にかかわらず、これらの教師は、人類の倫理、哲学、宗教の進歩にむけて委ねるこの世の人格の支点であったという事実は残る。
ユランチアの100万年の人間の歴史上、オナガーからグル・ナナクまで何百人もの宗教指導者がいた。この間宗教上の真実と精神的信仰の潮流には干満があり、ユランチアの宗教のそれぞれの復興は、過去において、 ある宗教指導者の人生と教えに結びついてきた。近世の教師達について考える際、アダーム後のユランチアの主要な7つの宗教時代に分類することが有用であると分かるかもしれない。
1. セース系期間。アモサドの統率力の下で刷新されたセース系聖職者は、アダーム後の偉大な教師になった。それらは、アンド系の土地全体に渡って機能し、その影響は、ギリシア人、シュメール人、ヒンズー教徒の中で最も長く持続した。ヒンズー教徒の間では、ヒンズー信仰の婆羅門として現在に続いてきた。セース系とその信奉者は、アダームが明らかにした三位一体の概念を決して完全には失うことはなかった。
2. メルキゼデク宣教師時代。ユランチアの宗教は、西暦紀元前2,000年ごろ、シャレイムで生活し、教えたメルキゼデクのマキヴェンタに任命された教師達の努力によって少なからず刷新された。これらの宣教師は、神との好意的関係の代価としての信仰を宣言し、すぐに出現するいかなる宗教の非生産的、それでもなお彼らの教えは、後の真実の教師がユランチアの宗教を造ることになっていた地盤を形成した。
3. メルキゼデク後の時代。アメネモペとイフナトンは、ともにこの時代に教えたが、メルキゼデク後の時代の傑出した宗教的天才は、レヴァント人のベドウィン一団の指導者であり、かつヘブライ宗教の創設者—モーシェであった。モーシェは、一神教を教えた。モーシェ曰く。「聞け、イスラエルよ、我々の神である主はお一人である。」「主が、神である。あの方の他に神はいない。」モーシェは、民の間での亡霊礼拝の名残りを、その施術者に対する死刑を定めさえして、根絶しようとした。モーシェの一神教は、その後継者達により品位が低下されたが、後の時代にはモーシェの教えの多くに立ち戻った。モーシェの偉大さは、その知恵と明敏さにある。他の人間は、神に関するより大きな、重要な、概念を持ってはいたが、そのような高度の信仰を多くの人々に取り入れさせることに成功した者は、かつて一人としていなかった。
4. 紀元前6世紀。多くの人が、この世紀に真実の宣言のために立ち上がり、今までユランチアで目撃された宗教開眼の最もすばらしい世紀の中の1つであった。これらの多くの人の中に、釈迦牟尼、孔子、老子、ゾロアストレス、ジャイナ教の教師等が、記録されるべきである。釈迦牟尼の教えは、アジアで広範囲におよんでおり、釈迦牟尼は、何百万もの人々により仏陀として崇敬されている。中国道徳にとっての孔子は、ギリシア哲学にとってのプラトンに当たり、また二つの教えには、宗教上の多少の間接的影響があったが、厳密に言うと、二つの教えとも宗教教師ではなかった。老子は、孔子が人道に、あるいはプラトンが理想主義に思い描いた以上に「道」に神を思い描いた。ゾロアスターは、二元的な精神主義の一般的概念、善霊と悪霊、に非常に影響を受けると同時に、永遠の神格と暗闇に対する光の最終的勝利の考えを確実に高めた。
5. 紀元後1世紀。宗教教師としてナザレスのイエスは、洗礼者ヨハネが設立した教団に働きかけ始め、断食と形式から離れ得るかぎり前進させた。イエスは別として、タルススのパウーロスとアレクサンドリアのフィロンは、この時代の最も偉大な教師であった。二人の宗教概念は、キリストの名を示すその信仰の発展において主要な役割を果たした。
6. キリスト後の6世紀。モハッマドは、彼の時代の多くの教義よりも優れた宗教を設立した。モハッマドの教義は、外国人の信仰の社会的要求に対する、また自身の民の宗教生活の一貫性のなさに対する抗議であった。
7. キリスト後の15世紀。この期間は、2回の宗教運動を経験した。西洋でのキリスト教統一の中断と東洋における新宗教の統合。ヨーロッパでは、制度化されたキリスト教が、統一とは共生できない一層の成長をなすほどの不撓不屈の度合にまで達した。東洋では、イスラム教、ヒンズー教、仏教の結合された教えが、ナナクとその追随者によりアジアで最高度の宗教の1つであるシーク教に統合された。
ユランチアの将来は、疑いなく宗教心理—神の父性とすべての被創造物の友愛—の教師の出現によって特徴づけられるであろう。しかし、これらの将来の予言者の熱心かつ誠実な努力は、宗教間の障壁の強化には少なく、また、サタニアのユランチアを特徴づけている違いのある知的な神学の多くの追随者の間での精神的崇拝の宗教的兄弟愛の拡大に向けて導かれることが願わしい。
20世紀のユランチアの宗教は、人の崇拝衝動における社会的発展について興味ある研究を提示する。多くの信仰は、亡霊信仰の時代以来、ほとんど進歩していない。アフリカのピグミー族は、一部の者は、わずかに精霊の領域を信じてはいるものの、集団としての何の宗教的な反応も持たない。ピグミー族は、原始人が、宗教発展の開始時にいたところに今日いるのである。原始宗教の基本的思考体系は、死後の生存にあった。人格神崇拝の考えは、高度な漸進的発展を、顕示の第一段階をさえ示している。ダヤク族は、最も原始の宗教習慣だけを発展させた。比較的最近のエスキモーとアメリカ原住民は、神の非常に貧弱な概念をもっていた。それらは、亡霊を信じ、死後のある種の生存に関して不明確な考えを持っていた。現代のオーストラリア原住民には、亡霊への恐怖、暗闇への畏怖、先祖への粗野な尊敬しかない。ズールー族は、ただ亡霊への恐怖と犠牲の宗教を展開させている。多くのアフリカ部族は、キリスト教徒とイスラム教徒の伝道の仕事を除いては、宗教発展の呪物段階をまだ超えてはいない。しかし、幾つかの集団は、長い間、かつてのトラーケ人のように、一神教の考えを固持していたし、トラーケ人もまた不死を信じた。
これらの論文の文字化の時代の世界に見られる様々な神学体系へ調和させたり、融合させる一方で、ユランチアでは、進歩的、かつ、啓示的宗教は、並行して前進している。これらの宗教、20世紀のユランチアの宗教は、次のように列挙されるかもしれない。
1. ヒンズー教—最古のもの
2. ヘブライ宗教
3. 仏教
4. 儒教の教え
5. 道教の思想体系
6. ゾロアスター教
7.神道
8. ジャイナ教
9. キリスト教
10. イスラム教
11.シーク教—最新のもの
最も高度な古代宗教は、ユダヤ教とヒンズー教で、それぞれが宗教の発展過程で東洋と西洋において大いに影響を及ぼした。ヒンズー教徒とヘブライ人の双方が、自分達の宗教が鼓舞され、浮き彫りにされると信じ、他のすべての宗教は、一つの真実の信仰の退廃的な型であると信じた。
インドは、ヒンズー教徒、シーク教徒、イスラム教徒、ジャイナ教徒の間で分割され、それぞれが、着想のままに神、人間、宇宙について思い描いた。中国は、道教と儒教の教えに従っている。神道は、日本で崇敬されている。
国際的、つまり異人種間のすばらしい信仰は、ヘブライ教、仏教、キリスト教、イスラム教である。仏教は、チベットと中国経由でスリランカとミャンマーから日本へと伸びる。仏教は、キリスト教だけがもつ民族慣習への適応性に匹敵するそれをみせた。
ヘブライの宗教は、多神教から一神教への哲学的変遷を成就する。それは、進化の宗教と顕示の宗教との進化の絆である。ヘブライ人は、真っ直ぐに顕示の神へとむかう初期の進化の神々に従う唯一の西方の人々であった。しかしこの真実は、宇宙の創造者と結合した人種的神格の複合された考えを再度教えたイザヤの時代まで決して広く受け入れられるようにはならなかった。「万軍の主よ、イスラエルの神よ、あなたは神であられる、他ならぬあなたお一人。あなたは天地をお作りになった。」西洋の文明の生存の望みは、かつて卓越したヘブライの善の概念と高度なギリシャの美の概念にあった。
キリスト教は、ユダヤ教の神学に基づき、ゾロアスターの特定の教えとギリシア哲学の混成作用でさらに変更され、そして主にフィロン、ペトロス、パウーロスの3人の個人が系統立てたキリストの生涯と教えに関する宗教である。パウーロスの時代からずっと進化の多くの段階を経験し、徹底的に西洋化され、多くの非ヨーロッパ民族は、見知らぬ人々のための不思議な神の不思議な顕示としてとても自然にキリスト教を見ている。
イスラム教は、北アフリカ、レバント地方、それに南東アジアの宗教文化の結合である。イスラム教を一神教にしたのは、後のキリスト教の教えを伴うユダヤの神学であった。モハメッドの追随者は、三位一体の先進の教えにつまずいた。かれらは、三神格と一神格の主義を理解することができなかった。進化の心にとって、突然に高度の顕示的真実を受け入れることはつねに難しい。人は、進化の生物であり、主として進化的方法によって宗教を得なければならない。
先祖崇拝は、かつて宗教発展上、明確な前進をしたが、この原始の概念が、仏教とヒンズー教などのように比較的に高度に進んだ中国、日本、インドで存続したことは驚くべきことであり、悔やまれることである。西洋では、先祖崇拝は、国家神への崇敬と人種的英雄に対する尊敬へと発展した。20世紀においては、英雄を尊敬するこの国家主義的宗教は、西洋の多くの人種と国を特徴づける様々な急進的かつ国家主義的世俗主義に現れた。また、この同じ態度の多くが、英語圏の民族の素晴らしい大学や、より大きい産業共同体で見うけられる。これらの概念は、宗教は、「良い人生の共有された探索」に過ぎないという考えとそれほど違いはない。「国家宗教」は、初期のローマ皇帝崇拝への、それに神道—皇族崇拝国家—への逆戻りに過ぎない。
宗教は、決して科学的事実にはなり得ない。哲学は、科学的根拠に基づくかもしれないが、宗教は、進化的もしくは天啓的のままであるか、または世界で今日そうであるように、両者の可能な組み合わせのままである。
新宗教を考案することはできない。それは、進化するか、または突然明らかにされる。すべての新宗教は、単に古い思考体系の進化的表現、すなわち新しい適合と調整を進めている。古いものは消滅しない。それは、シーク教が、ヒンズー教、仏教、イスラム教、および他の現代の集団礼拝の土壌と形式から芽生え、開花さえしたのと同様に、新しいものに同化吸収される。原始宗教は、非常に民主的であった。未開人は、借貸が迅速であった。啓示宗教にだけ、神学上の専制で偏狭な我執が現れた。
ユランチアの多くの宗教はすべて、人を神にもたらし、人に父の実現をもたらすほどに良いものである。いかなる宗教家集団も、自らの教義を真実なるものと考えることは誤りである。そのような態度は、信仰の確実性よりも一層の神学の傲慢を反映している。他のすべての信仰にある最善の真実を有利に研究し、吸収できなかったユランチアの宗教はない。宗教家は、延々と続く迷信や古臭い儀式の最悪なものを公然と非難するよりも、隣人の精神的な生ける信仰の最善なものを借りる方がむしろ良いであろう。
これらのすべての宗教は、同一の精霊的統率への人の可変の知的反応の結果として生じた。宗教は、決して信条、教義、儀式の均一性に達することを望むことはできない—これらは知的である。しかし、真の崇拝は、精神的であり、また人は、精神面において皆平等であるが故に、すべて者の父への真の崇拝における統一を実現することができるし、いつかはそうなるであろう。
原始宗教は、主に物質的価値意識であったが、本物の宗教は、重要で最高の価値の奉仕への自己の献身であるがゆえに、文明は、宗教価値を高める。宗教の進化するにつれ倫理は、道徳の哲学になり、道徳は、最高の意味と価値の基準—神性かつ精神的理想—により自己鍛錬になる。こうして、宗教は、自然でこの上なく素晴らしい献身、すなわち愛の忠誠心の生活経験になる。
宗教の質は、次のようなもので示される。
1. 価値の度合い—忠誠心
2. 意味の深さ—最高価値の理想主義的認識への個人の感作性
3. 精進の強さ—神性価値への献身の度合い
4.宇宙のこの道における理想的な精霊的な生活における人格の足枷のない進歩、つまり、神との息子関係の実現と宇宙における果てしない進歩的な市民権
宗教の意味は、子供が、全能に関する考えを両親から神へと移すとき、自意識の中で進歩する。そのような子供の宗教経験全体は、親子関係を支配したのが、恐怖であるか愛であるかにより大きく左右される。奴隷は、主人への恐怖を神-愛の概念に移すことで常に大きな苦労を経験してきた。文明、科学、および先進的宗教は、自然現象への畏怖から生まれる恐怖から人類を救い出さなければならない。同様により高い啓発は、神格との親交において教育を受けた死すべき者を仲介者へのすべての依存から救い出すであろう。
人間と目に見えるものから、神と目に見えないものへの宗教的崇拝の転移において偶像崇拝躊躇のこれらの中間段階は、不可避であるが、これらの段階は、内在する神霊の容易にする奉仕の意識によって短くされるであろう。とは言っても人は、神格の概念にばかりではなく、選んで尊敬する英雄の品性によっても深く影響を受けてきた。神性の、そして復活したキリストを崇拝するようになった人々がその男性—果敢で勇ましい英雄ヨシュア・ベン・ヨセフを見過ごすとはこの上なく不幸なことである。
現代人は、宗教への自意識は十分にあるが、急速な社会的変化と空前の科学開発が、敬虔的習慣を混乱させ、否定する。考える男女は、宗教の再定義を欲し、またこの要求は、宗教のそれ自体の再評価を強いるであろう。
現代人は、2,000年間で為されてきた以上に1世代における人間の価値感のさらなる再調整の課題に直面している。そして、このすべてが、宗教は、考える手法と同様に生活する方法であるがゆえに、宗教にたいする社会的な態度に影響を及ぼす。
真の宗教は、永遠の基礎であり、同時に、すべての永続的文明の導きの星でなければならない。
[ネバドンのメルキゼデクによる提示]
メルキゼデク体制は、局部宇宙世界で驚くべき活動分野に従事していることから非常時の息子として広く知られている。あらゆる並はずれた問題が起こるとき、あるいは何か異常なことが企てられるとき、たびたび任務に応じるのはメルキゼデクである。メルキゼデクの息子が、非常時や宇宙の拡散的段階において機能する能力、人格顕現の物理的段階においてさえも機能する能力は、メルキゼデクの息子の体制に固有である。生命搬送者だけが、幾らかの度合いで人格機能のこの変成範囲を共有する。
宇宙の息子関係のメルキゼデク体系は、ユランチアにおいて極めて活動的である。12名軍団は、生命搬送者と共同して仕えた。後の12名軍団は、カリガスティアの分離直後に、あなたの世界のための受託者になり、アダームとハヴァーの時代まで権力に居つづけた。これらの12名のメルキゼデクは、アダームとハヴァーの不履行の際ユランチアに戻り、その後ナザレのイエスが、人の息子として名義上のユランチアの惑星の王子になるその日まで惑星の受託者として続いた。
顕示された真実は、アダームのユランチアにおける任務の失敗に続く何千年もの間消滅の危機に脅かされた。人類は、知的に進歩をしたものの、精神的に徐々に不利な立場に陥っていた。紀元前3,000年頃、神の概念は、人の心の中でひどく霞むようになった。
12名のメルキゼデクの受託者は、それらの惑星でのミカエルのまじかに迫る贈与については認識していたが、いつ起こるかについては知らなかった。それゆえに、かれらは、厳粛な協議会を召集し、ユランチアにおいて真実の光を維持するために何らかの対策を講じるようエデンチアのいと高きものに要請した。この嘆願は、「サタニア606号における事務管理は、完全にメルキゼデクの管理者に託されている」という指令で退けられた。受託者等はそこで、父メルキゼデクに援助を求めたが、ただ「喪失と不確実性から惑星の称号を救うであろう」もの、すなわち、「贈与の息子の到着まで、」自身の選択手段で真実を守り続けるべきであるという言葉だけを受け取った。
すっかり機略を失ってしまったので、惑星受託者の12名中の一名であるメルキゼデクのマキヴェンタは、ネバドンの全歴史でかつて6回だけ為されたことを、つまり領域の一時的な人間として地球で人格化すること、世界奉仕の緊急時の息子として自分自身を与えようと申し出た。サルヴィントン当局は、この冒険のための許可を与えたので、後にパレスチナのシャレイムの都市になるところでメルキゼデクのマキヴェンタの実際の肉体化が、なされた。このメルキゼデクの息子の具体化の全執行は、生命搬送者、物質制御長、およびユランチア居住の他の天の人格との協力で惑星の受託者により成し遂げられた。
マキヴェンタがユランチアの人類に授与されたのはイエス生誕の1,973年前のことであった。その到来は、華々しいものではなかった。その具体化は、人間に目撃されなかった。その多事多端な日に、シュメール出身のカルデア人牧夫であるアムドンの天幕に入ったマキヴェンタを最初に見たのは、人間であった。マキヴェンタの任務の宣言は、この羊飼いへの「私はメルキゼデク、エル・エリョンの聖職者、いと高きもの、唯一のものであり唯一の神である。」と簡単な声明に具体的に表現されていた。
牧夫は、驚きから覚め、この見知らぬ者に盛んに多くの質問をした後に、メルキゼデクを夕食に招待し、そしてこれは、長い宇宙経験において、マキヴェンタが、物質でできた食物を伴食した、すなわち有形の生き物としての94年の生活のなかで自身を支える滋養を摂取した最初であった。
その夜、二人が星の下で徹底的に話し合っていると、メルキゼデクは、腕を一振りし、アムドンの方に向き直り、「エル・エリョン、いと高きものは、天空の星の、それに我々が住むまさしくこの地球の神々しい創造者であり、天国の最高の神でもある。」と言って、神の現実についての真実顕示の任務を開始した。
数年内にメルキゼデクは、シャレイムの後の共同体の核を形成する生徒、弟子、信者の一団を自分の周りに集めた。まもなく、エル・エリョンの聖職者、いと高きもの、それにシャレイムの賢人としてパレスチナ中で知られた。いくつかの周囲の部族の中では、しばしばシャレイムのシークとして、または王として言及された。シャレイムとは、メルキゼデク失踪後にイェブースの都市となり、続いてジェルーセムと呼ばれる場所であった。
容姿の面でメルキゼデクは、身長1.83メートルほどの堂々たる風采をして、当時のノヅ系とシュメール人の混合民族に似ていた。かれは、カルデア語の他に6言語を話した。かれは、楽園の三位一体のサタニアの象徴である3同心円の紋章を胸につけている以外は、カナン人の聖職者とほぼ同様の装いをしていた。追随者達は、かれの任務の間、3同心円のこの記章を非常に神聖と見なされるようになり、敢えてそれを使用せず、しかも数世代の経過とともにすぐに忘れられた。
マキヴェンタは、領域の人間の風習が消えた後も生きたが、決して結婚せず、地球に子孫を残すこともできなかった。人間の男性に類似しているのだが、どの人類の生命原形質も包含しなかったこと以外は、彼の身体は、現実には、カリガスティア王子の部下の具体化された100人の用いられたる特別に組み立てられた体に類似するものであった。また、ユランチアには利用可能な生命の木もなかった。マキヴェンタが地球にもう少し長く留まっていたならば、その物理的構造は、徐々に低下化していたことであろう。実のところ、マキヴェンタは、その有形の肉体が崩壊し始めるずっと前に94年間でその贈与の任務を終えた。
この肉体を与えられたメルキゼデクは、時間の監視者と肉体の良き指導者としての超人の人格に内在する思考調整者を受け入れた。こうして人間の肉体に似せて地球に現れたとき、ユランチアの問題へ、後の神の息子ミカエルの人間の心でそれほどまで勇敢に父のこの精霊が機能することを可能にした肉体化の息子に宿る方法へのその経験と実地指導を獲得した。そして、これは、ユランチアで2つの心で機能した唯一の思考調整者であるが、2つの心は神らしくもあり人間らしくもあった。
マキヴェンタは、人間の姿での期間、惑星の管理者軍団の仲間11名との十分な接触はあったが、天の人格の体系とは連絡はとれなかった。マキヴェンタは、メルキゼデク受託者は別として、人間との接触がなく、同様に超人の有識者との接触もなかった。
10年の時の流れと共に、メルキゼデクは、第2エーデンの初期のセース系聖職者が、開発した昔の体系を模範としてシャレイムに学校を創設した。後の転向者であるアブラーハームが導入した10分の1税制の考えさえも、古代セース系の長く続く伝統方法に由来した。
メルキゼデクは、1神、普遍の神の概念を教えたが、エル・エリョン—いと高きもの—と彼自身が、命名したノーランティアデクの星座の父とこの教えの関連づけを人々に許した。メルキゼデクは、ルーキフェーレンスの状態とイェルーセムの情勢に関してはほぼ沈黙でいた。ラナフォーゲ、系統主権者は、ミカエルの贈与終了後までユランチアにはほとんど無関係であった。シャレイムの学生の大多数にとり、エデンチアは天国であり、いと高きものは神であった。
大半の人々は、メルキゼデクが、贈与の記章として採用した3同心円の象徴を人間、天使、神の3つの王国を表すと解釈した。そして彼らは、その信念を持ち続けることを許された。メルキゼデクの追随者のごく少数しか、この3円が、神性の保守と指示に関る楽園三位一体の無限、永遠、普遍の象徴であることを決して知らなかった。アブラーハームでさえも、この表象を3名のいと高きものが1名として機能するように指令されて以来、エデンチアの3名のいと高きものを表していると、むしろ考えた。メルキゼデクは、自分の記章に象徴された三位一体の概念の程度まで教え、通常、それをノーランティアデクの星座の3名のヴォロンダデク支配者に関連づけた。
メルキゼデクは、一般の追随者にエデンチアのいと高きもの—ユランチアの神々—の支配者の地位についての事実を越えての教えを提示をしようとはしなかった。しかしメルキゼデクは、何人かには局部宇宙の管理と組織を含む高度な真実を教えると同時に、才気あふれる弟子ケニーテ族のノーダンと熱心な学生の一団には超宇宙の真実とハヴォーナの真実さえも教えた。
メルキゼデクが30年以上ともに暮らしたカートロー家族は、これらのより高度の真実の多くを理解し、長い間、傑出した子孫モーシェの時代にまでも家族内で永続させ、その結果、メルキゼデクの時代の強い伝統を持つモーシェは、母方の他の関係筋を介してはもとより父方にもこれを伝えた。
メルキゼデクは、追随者には、受けて、理解する能力があると全てを教えた。多くの現代宗教の天地、人間、神、天使に関する考えさえも、メルキゼデクのこれらの教えからかけ離れてはいない。だが、この偉大な師は、すべてを一神、宇宙神、天の創造者、神性の父の教理に従属させた。この教えは、崇拝への人の注意を喚起し、この同じ宇宙なる父の息子としてのミカエルの後の出現のための道を準備する目的のために強調された。
メルキゼデクは、自分が来たようにいつか未来に神の別の息子が現身となって来ると、しかし女性から生まれるということを教えた。そしてそれが、後の多数の教師が、「メルキゼデク体制の後いつまでも」イエスが聖職者、または牧師であると考えた理由である。
その結果、メルキゼデクは、一神の楽園の息子そのものの贈与のための道を準備させ、世界の風潮である一神論の舞台を整えた。かれは、すべての父としてとても生き生きと描き、また、個人の信仰の簡単な条件に基づいて人を受け入れる神としてアブラーハームに提示した。またミカエルは、地球に出現したとき、メルキゼデクが楽園の父に関して教えていたことをすべて確認した。
シャレイム崇拝の儀式は、非常に簡単であった。メルキゼデク教会の粘土板の名簿に署名するか、印をつけたすべての者は、次のような思考体系の暗記に専心し、その体系を受け入れた。
1. 私は、エル・エリョン、いと高きもの、唯一の宇宙の父であり万物の創造者を信じる。
2. 私は、生贄や焼いた供物ではなく、私の信仰に恩恵を授けるメルキゼデクのいと高きものとの盟約を受け入れる。
3. 私は、メルキゼデクの7つの戒律に従い、すべての人にいと高きものとのこの盟約に関する朗報を告げることを約束する。
そして、それが、シャレイム居留地の教義の全容であった。だが、信仰についてのそのような短く簡単な宣言でさえも、当時の人にはあまりに高度であった。彼らは、単に無償で—信仰により—神の好意を得るという考えを理解することができなかった。彼らは、神に債務をおって生まれたとあまりに深く信じた。彼らは、あまりに長く、あまりに真剣に犠牲になり、聖職者へ贈り物をしたので、救済つまり神の恩恵は、メルキゼデクの盟約を信じるすべての者への無償の贈り物であるという良い知らせが理解できなかった。これに反しアブラーハームは、実に熱意をもたずに信じたが、それさえも「正しさと認められた」。
メルキゼデクが広めた7つの戒律は、古代のダラマティア憲法に沿う模範とされ、第一と第二のエーデンで教えられた7つの戒律に大変類似していた。シャレイム宗教のこの戒律は、次の通りであった。
1. 天地の創造者のいと高きもの以外の神に仕えてはいけない。
2.永遠の救済の唯一の必要条件は、信仰であるということを疑ってはいけない。
3. 偽の目撃者になってはいけない。
4. 殺してはいけない。
5. 盗んではいけない。
6. 不義を犯してはいけない。
7. 両親と年長者を蔑んではいけない。
居留地内でのいかなる犠牲も認められてはいないが、メルキゼデクは、昔からの習慣を突然根絶することがいかに困難であるかを熟知しており、昔の血肉の生贄に因んで、パンとワインの聖礼典の代用品を人々に適宜に、賢明に提供した。「メルキゼデク、シャレイムの王は、パンとワインを出した」と記録にある。しかしこの用心深い刷新さえ完全に成功していたというわけではない。様々な部族はみな、生贄と焼いた供物を提供する場所であるシャレイムの町外れにある予備の中心的場所を維持した。アブラーハームさえケドルラオメルに対する勝利後、この野蛮な習慣の助けをかりた。かれは、従来の犠牲を捧げるまではあまり簡単には気持ちが安ぐことはなかった。メルキゼデクは、追随者の宗教習慣から、アブラーハームの宗教習慣からさえ生贄へのこの性癖の完全な根絶に成功することは決してなかった。
メルキゼデクは、イエスのように贈与の任務遂行に厳しく励んだ。かれは、慣習の改革、世界の習慣の変更、高度な衛生習慣、または科学的事実すら普及をしようとはしなかった。メルキゼデクは2つの課題の達成のために来た。神の真実を地球に生き続けさせ、その宇宙なる父の楽園の息子の人間としてのその後の贈与のための道を準備するために。
メルキゼデクは、シャレイムにおいて基本の啓示的な真実を94年間教え、またこの時期アブラーハームは、シャレイム学校に3回にわたって通った。アブラーハームは、メルキゼデクの最も才気あふれる生徒と主だった支持者の中の一人になり、最終的にはシャレイムの教えの転向者になった。
「神の選民」について話すことは誤りであるかもしれないが、選ばれた個人としてのアブラーハームに言及することは、誤りではない。メルキゼデクは、複数の神への一般的信仰と区別される一神の真実を生かし続ける責任をアブラーハームに課した。
マキヴェンタの活動場所としてのパレスチナの選択は、幾分かは指導者の可能性を有するある人間家族との接触を確立する願望に基づいていた。メルキゼデクの肉体化の時点でアブラーハームの家族のようにシャレイムの教義を受ける準備が整った多くの家族が、地球にはいた。等しく、赤色人種、黄色人種、それに西や北のアンド系子孫の間に授けられた家族がいた。しかし、こ場合も、地中海の東岸部ほどにはミカエルのその後の地球出現に適する場所は、これらのどこにもなかった。メルキゼデクのパレスチナにおける任務とヘブライ民族の間へのミカエルのとその後の出現が、地形により、つまりパレスチナが世界の当時の既存の貿易、旅行、および文明に関し中心に位置したという事実によって少なからず決定した。
メルキゼデク受託者は、ここしばらくの間アブラーハームの先祖を観察し続けてきており、知性、自発性、聡明さ、誠意によって特徴づけられる特定の世代の子孫に自信をもって期待した。アブラーハームの父であるテラの子供は、すべての面でこれらの期待を満たした。それは、エジプト、中国、インドよりはむしろシャレイムにおいて、もしくは北の部族の間において、マキヴェンタの出現に関係したテラの多才なこれらの子供との接触のこの可能性であった。
テラとその家族全体は、カルデアで伝道されていたシャレイム宗教への不熱心な改宗者であった。彼らは、ウルでシャレイムの教義を公布したフェニキア人教師であるオヴィディウスの説教を通してメルキゼデクについて学んだ。家族は、直接シャレイムに行くつもりでウルを去ったが、メルキゼデクを見ていないアブラーハームの兄弟ナホーは、乗り気ではなく、皆にハランに留まるように説得した。またかれらが、携えてきた家族の守護神のすべてを進んで破棄するまでにはパレスチナ到着後から長い時間があった。家族にとりシャレイムの神のためにメソポタミアの多くの神をあきらめるには時間が掛かった。
アブラーハームの父テラの死の数週間後、メルキゼデクは、アブラーハームとナホーの二人にぬむけて学生の一人であるヒッタイト人のヤーラムを遣わせた。招待状は、「シャレイムに招待します。永遠なる創造者の真実についてに我々の教えを聞き、あなた方兄弟2人の賢明な子孫で全世界は祝福されるでしょう。」ところでナホーは、完全にはメルキゼデクの福音を受け入れていなかった。ナホーは、後に残り、自分の名をもつ強い都市国家を築きあげた。しかし、アブラーハームの甥ロートは、おじと一緒にシャレイムに行くと決めた。
シャレイムに到着すると、アブラーハームとロートは、北の侵略者の多くの不意打ちから身を守ることができる都近くの起伏のある要塞を選んだ。このとき、ヘティテ人、アッシリア人、ペリシテ人、および他の集団は、絶えずパレスチナの中央と南部の部族を襲っていた。アブラーハームとロートは、丘の砦からシャレイムへの頻繁な巡礼の旅をした。
シャレイムに落ち着いて間もなくアブラーハームとロートは、当時パレスチナに干魃があり、まとまった食料を手に入れるためにナイル渓谷に旅をした。エジプトでの短い滞在の間、アブラーハームは、エジプトの王位に就いている遠縁に当たる者に出会い、そして、この王のために非常に成功を収めた2軍隊遠征の指揮官として役目を果たした。アブラーハームは、ナイル滞在の後半妻のサラと宮廷に住み、エジプトを去るにあたっては軍事行動の戦利品の分け前が与えられた。
アブラーハームにとり、エジプト王室からの名誉をはねつけ、マキヴェンタの後援するより精神的な仕事に戻るには大きな決断を必要とした。しかしメルキゼデクは、エジプトにおいてさえ敬われ、ファラオに全容が提示されると、かれは、シャレイムの大儀への誓いの実行に戻ることをアブラーハームに強く促した。
アブラーハームには王者の野心があり、エジプトからの帰途、全ケナーアンの地を征服し、その国民をシャレイムの支配下に入れる計画をロートに示した。ロートは、商取り引きの方に心を傾けた。したがって、後日の意見の不一致の後、かれは、商業と畜産に従事するためにソドムに行った。ロートは、軍人と牧夫のいずれのの生活も好きではなかった。
家族とシャレイムに戻るとアブラーハームは、軍事計画を完成し始めた。かれは、やがてシャレイム領土の民間支配者として認められ、その統率下に近隣の7部族をまとめた。まことに、周辺部族をより早くシャレイムの真実の知識に至らせるために旅立ち、かれらを剣で近隣種族を集めるための熱意をもつアブラーハームを拘束するということは、メルキゼデクにとり実に大きな困難を伴った。
メルキゼデクは、すべての周辺部族との平和な関係を維持した。かれは、軍国主義的ではなく、また往復の際にもいずれの軍隊にも決して攻撃されることはなかった。アブラーハームは、後に実践するようなシャレイムのための防衛方針を定式化するべきであることを完全に望んでいたが、かれは、生徒の征服のための野心的な計画に同意しようとはしなかった。それで、友好的関係の断絶が生じた。アブラーハームは、軍事本部設立のためにヘブロンに移動した。
アブラーハームには、著名なメルキゼデクとの密接な関係ゆえに周辺の下級の王よりかなりの利点があった。王らは皆、メルキゼデクを敬い、アブラーハームを過度に恐れた。アブラーハームはこの恐怖を知っており、隣人を攻撃する好機を待ち受けるだけであった。そしてこの口実は、これらの支配者の幾人かが、ソドムに住む甥のロートの財産を大胆にも襲おうとしたとき成立した。これを聞いた連合部族の長であるアブラーハームは、敵を襲った。自身の318人の護衛は、このとき戦闘に従事した4,000人以上の軍隊を統率した。
メルキゼデクは、アブラーハームの戦争宣言を知ると思いとどまらせるために出発したが、勝利して戻りくる元弟子に遭遇したに過ぎなかった。アブラーハームは、シャレイムの神が敵に対する勝利をもたらしたと主張し、また戦利品の10分の1をシャレイムの宝物蔵に与えると強く主張した。残りの90パーセントは自分の首都ヘブロンへと持ち去った。
シッディムのこの戦いの後、アブラーハームは、11部族の第2の連合の指導者になり、メルキゼデクに10分の1税を納めるだけでなく、周辺の他のすべてのものが同様にすることを確実にした。セドムの王とのアブラーハームの外交取り引きは、アブラーハームが広く恐れられていたことと合わせてセドムの王や他のものが、ヘブロン軍事同盟者に合流する結果をもたらした。アブラーハームは、パレスチナに強力な国家を設立する道に向かっていた。
アブラーハームは 全ケナーアンの征服を心に描いていた。メルキゼデクが、その企てを認可しないであろうという事実により決断が弱められたに過ぎなかった。しかし、アブラーハームは、企てに乗り出す意を決しようとしたとき、この提案された王国の支配者として後任の息子が一人もいないということに悩み始めた。アブラーハームは、メルキゼデクとの別の会議を手配した。そしてシャレイムの聖職者、神の目に見える息子が、天の王国の精神的概念を優先し、物質的征服と一時的支配の計画を捨てるようにアブラーハームを説得したのは、この会見であった。
メルキゼデクは、エモール族連合と戦うことの無益の苦労についてアブラーハームに説明したが、進歩の遅い一族達は、自らの愚かな習慣により確実に死に追いつめられており、数世代のうちには大いに増加するアブラーハームの子孫が、たやすく打ち勝つことができるまでに、それ等は非常に弱くなるであろうということを等しく明確にした。
メルキゼデクは、アブラーハームとシャレイムにおいて正式契約をした。アブラーハームに言った。「さあ、空に目をむけ、できるのならば星を数えてみなさい。あなたの子孫はあのようにとても数多いのである。」そこでアブラーハームは、メルキゼデクを信じた。「そして、これを彼の義として認められた。」メルキゼデクは、続けてアブラーハームの子孫のエジプト滞在後のケナーアン将来の占領について話した。
メルキゼデクのアブラーハームとのこの盟約は、神がユランチア人の神性と人類の間でのすべてをすることに同意する重大な協定を表している。人は、神の約束を信じ、神の指示に従うことに同意するだけである。それまでは、働き—生贄と供え物—だけが、救済を保証できると信じられてきた。。今、メルキゼデクが、信仰によってもたらされる救済、つまり神の恩恵という福音を再びユランチアにもたらした。しかし、神への簡単な信仰のこの福音は高度であり過ぎた。後に、セムの部族民は、昔の生贄と罪と流血の償いに戻る方を望んだ。
この盟約樹立後、メルキゼデクの約束に従いアブラーハームの息子イシャークが生まれるのにはさほど時間が掛からなかった。イシャークの出生後、アブラーハームは、メルキゼデクとの盟約に関しそれを書面にさせるためにシャレイムに向かい、非常に厳粛な態度でこれに臨んだ。自分の名前をアブラームからアブラーハームに変えたのが、この公の、そして正式の盟約受諾のときであった。
メルキゼデクが義務化したことは一度もなかったが、シャレイム信者の大半は、割礼を慣行した。アブラーハームは、割礼に対し常に強く反対してきたので、この機会にシャレイム盟約批准の象徴としてこの儀式を正式に荘厳にすることにより受け入れることに決めた。
マムレーの平原で天の存在体が、アブラーハームに姿を現したのは、アブラーハームが、メルキゼデクのより大きい計画のために個人の望みを実際に、公に放棄をした後であった。セドムとゴモラの自然な滅亡に関連する後に捏造された物語とのその関連性にもかかわらず、これが事実の様子であった。そして、その頃の出来事に関するこれらの伝説は、ごく最近でさえも道徳と倫理の発達がいかに遅れていたかを示している。
厳粛な盟約成就におけるアブラーハームとメルキゼデクの間の和解は完全であった。アブラーハームは、再度シャレイム集落の民事と軍事の指揮を引き受け、その絶頂時には10万人の常時の10分の1税支払い者が、メルキゼデクの組合名簿に記載されていたアブラーハームは、シャレイムの寺院を大いに改修し、新しい学校全体に天幕を提供した。10分の1税制度の拡大だけではなく、学校業務を運営の多くの改善方法も設定し、その上に、宗教的宣伝活動の面のより良い取り扱いに大いに貢献した。また、牧畜の改善とシャレイムの酪農事業の再編成に大きな効果をもたらした。アブラーハームは、その時代の人としては抜け目のない有能な実業家、裕福な人であった。過度に敬虔ではなかったが、とことん誠実であり、またメルキゼデクのマキヴェンタを信じていた。
メルキゼデクは、数年間自分の生徒に教え、特にエジプト、メソポタミアへ、小アジアの周辺の全部族に入り込むシャレイム宣教師の訓練を続けた。そして数十年の時が流れるにつれ、これらの教師は、マキヴェンタの神への信念と信仰を携え、シャレイムからより遠くへと旅をした。
ヴァン湖岸に群がるアダムソンの子孫は、シャレイム教団のヘティテ人教師にとり意欲的な聞き手であった。教師達は、かつてのアンド系のこの中心地から、遠く離れたヨーロッパとアジアの両地域に派遣された。シャレイムの宣教師達は、全ヨーロッパに、イギリス諸島にさえ進出した。1集団は、フェロー諸島の住民経由でアイスランドのアンドン系へ行ったが、別集団は、中国を横断し、東方の島の日本人に達した。東半球の部族を啓発するためにシャレイム、メソポタミア、ヴァン湖から危険を冒した男女の人生と経験は、人類の年譜の英雄の章を提示している。
しかし職務は、とても重大で、しかも部族は、非常に逆行的であったことから、結果は、曖昧かつ不明確であった。シャレイムの福音は、1世代から次世代へとあちらこちらに足場を見つけたが、全部族あるいは全人種からの一神の考えへの継続的な忠誠は、パレスチナを除き、決して獲得できなかった。イエス到来よりずっと以前に、初期のシャレイム宣教師の教えは、昔の、より一般的な迷信と思考体系に一様に潜航するようになった。メルキゼデクの本来の福音は、偉大な母、太陽、および他の古代の集団礼拝の思考体系にほぼ完全に吸収されていた。
今日、印刷技術の便宜を味わう者は、これらの初期の時代に真実を永続させることがいかに困難であるかをあまり理解していない。1世代から次世代までに新しい教義を見失うことは、いかに容易であったことか。新教義は、常に宗教教育と不思議な習慣の古い躯幹部に吸収される傾向があった。新顕示は、いつも古い進化的思考体系から悪影響を受ける。
マキヴェンタがユランチアでその非常時の贈与を終わらせることを決めたのは、セドムとゴモラの滅亡直後であった。生身の姿での滞在を終えるというメルキゼデクの決定は、数多くの条件の影響をうけたが、その主要なものは、周辺部族、さらには直接の仲間がメルキゼデクを神人と見なす、すなわち超自然の存在、実際にそうであったのだが、と見る傾向が強まっていた。しかし、彼らは極度に、しかも非常に迷信深い恐怖でメルキゼデクを崇敬し始めていた。これらの理由に加えて、メルキゼデクは、自分を信奉する者の心に地球での自身の活動舞台に唯一無二の神の真実が強く確立されることを保証する十分な時間を、アブラーハームが死ぬ前に、残したかった。と言うわけで、ある夜マキヴェンタは、人間の仲間に就寝の挨拶をした後、シャレイムの自分の天幕に退いた。そして皆が朝呼びに行くと、仲間がすでに連れ去っていたので彼はそこにはいなかった。
メルキゼデクが突然に姿を消したときは、アブラーハームにとっての重大な試練であった。メルキゼデクは、到着の際のように自分がそのうちに去らなければならないことを信奉者に十分に警告していたのであったが、皆は素晴らしい指導者の損失に諦めがつかなかった。当時の伝統は、モーシェがヘブライ人の奴隷をエジプトから率いた際にうちたてたにもかかわらず、シャレイムで確立された偉大な組織は、危うく姿を消すところであった。
メルキゼデクの損失は、アブラーハームの心に決して完全に克服されない悲しみを生んだ。アブラーハームは、物質的王国をうち建てる野心をあきらめたとき、ヘブロンを捨てた。そして、今、アブラーハームは、精神的王国の建設で仲間の損失に合うとシャレイムを出発し、自分の興味に基づいて暮らすためにゲラルへと南に行った。
アブラーハームは、メルキゼデクの失踪直後、恐がりやすく臆病になった。アブラーハームは、ゲラル到着の際自分の正体を差し控えたので、アビメレクは、アブラーハームの妻を連れていった。(アブラーハームは、サラとの結婚直後、ある夜、才気あふれる我が妻を獲得するために自分を殺害する陰謀を立ち聞きした。この不安が、その他の点においては勇敢かつ大胆な指導者にとっての恐怖となった。誰かがサラを得るために秘かに自分を殺すであろうということを終生ずっと恐れていた。そしてこれが、3回にわたって別の機会にこの勇士が、本当の臆病振りを呈した理由を説明している。)
にもかかわらず、アブラーハームは、長い間メルキゼデクの後継者としての任務を思いとどまろうとはしなかった。やがてペリシテ人とアビメレクの人々を改宗させ、彼等と条約を結び、それがまた、彼等の迷信の多くにより、特に長男の生贄の習慣によってアブラーハームは汚されるようになった。こうしてアブラーハームは、パレスチナで再び最高実力者になった。すべての集団に敬われ、すべての王に称賛された。かれは、周囲の全部族の精神的指導者であり、その影響は彼の死後しばらく続いた。人生の終わりの数年間、アブラーハームはもう一度、初期の活動の現場であり、またメルキゼデクと共同で働いた場所ヘブロンへ戻った。アブラーハームの最後の行為は、自身の民の女性を息子イシャークの妻として確保するために、メソポタミアの境界の兄弟ナホーの都市に信用のできる使用人を送ることであった。長い間、いとこと結婚するのがアブラーハームの民の慣習であった。アブラーハームは、シャレイムの消滅した学校でメルキゼデクから学んだ神への信仰に確信を持って死んでいった。
次の世代にとってメルキゼデクの話を理解することは難しかった。500年のうちには多くの者が、物語全体を神話と見なした。イシャークは、父の教えをかなりよく保持し、シャレイムの居留地からの福音を助長したが、ヤコブにはこれらの伝統の意味は理解しにくかった。ヨセフは、メルキゼデクの強い信者で、主にはこのために兄弟達には夢想家と見なされた。エジプトにおけるヨセフの栄誉は、主に曾祖父アブラーハームの記憶によるものであった。ヨセフにはエジプト軍の軍の指揮にとの申し出があったが、メルキゼデクの伝統とアブラーハームとイシャークの後の教えの強い信者であったことから、天の王国の前進のためにさらに働くことができると信じ、民間管理者としての役目を果たすことを選んだ。
メルキゼデクの教えは、完全かつ十分なものであったが、後のヘブライの聖職者にとり当時の記録は、不可能で空想的であったらしいとはいえ、多くの者が、これらのやりとりの幾つかについては、少なくともバビロンでの旧約聖書の記録の総括編集の時代までは理解していた。
アブラーハームと神との対話として旧約聖書の記録が記述することは、実際にはアブラーハームとメルキゼデクとの会談であった。後の筆記者は、メルキゼデクを神の同意語とみなした。アブラーハームとサラの「主の天使」との数多くの接触に関する記録は、二人のメルキゼデクとの頻繁な会話について言及している。
事実からの多くの転換も包含し、バビロン捕囚の間のヘブライ人聖職者によるこれらの記録の編集時点の故意の、あるいは故意ではない変更を含んではいるものの、イシャーク、ヤコブ、ヨセフのヘブライの物語は、アブラーハームに関するそれらの物語よりもはるかに信頼できる。ケツーラは、アブラーハームの妻ではなく、ハーガールと同じく単に妾であった。アブラーハームの所有地のすべては、イシャーク、妻の身分のサラの息子のものになった。アブラーハームは、記録が示しているほどの年ではなく、妻ははるかに若かった。これらの年齢は、その後に申し立てられるイシャークの奇跡的出生に備えて故意に変更された。
ユダヤ人の国家的自尊心は、バビロン捕囚により途方もなく押圧された。国家の劣勢への反発において、全く正反対の国家的、人種的自己中心へ移り変わり、すべての人種の上に神の選民として自分たちを高める目的で自らの伝統を歪め、正道からそれた。そのような訳で、彼らは、他のすべての人々の上に、メルキゼデク自身の上にさえも、アブラーハームと国家の他の指導者を高める目的のために自分達のすべての記録を慎重に編集した。ヘブライ人の筆記者は、それ故に、アブラーハームに大変な名誉をもたらしたと考えるシッディム戦の後のアブラーハームとメルキゼデクの出会いの物語だけを保存し、見つけ得るこれらの重要な時代に関するあらゆる記録を処分した。
またその結果、メルキゼデクを見失うことで、約束された贈与の息子の精神的任務に関しこの緊急時の息子の教えをも見失った。マキヴェンタの予言通り生身の姿でミカエルが地上に現れたとき、かれを見分けたり受け入れることができる、あるいは進んでする子孫は、ほとんどないまでに完全にこの任務の本質を見失った。
しかし、ヘブライ書の著者の一人は、メルキゼデクの任務を理解した。「このメルキゼデクも、いと高きものの聖職者もまた平和の王であった。父はなく、母はなく、系図はなく、生涯の初めも命の終わりもなく、しかし神の息子のようであって、絶えず、聖職者でいる。」と記述されているので。この著者は、イエスは、「メルキゼデクの命令への永遠の聖職者」であったと確言し、ミカエルの後の贈与の予示の例としてメルキゼデクを明示した。この比較は概して好都合ではなかったが、キリストが、世界贈与の時点で「12名のメルキゼデク受託者の命令」のユランチアの暫定的称号を受け取ったのは、文字通り本当であった。
マキヴェンタの肉体化の数年間、ユランチアのメルキゼデク受託者は、11名で機能した。マキヴェンタが、非常時の息子としての任務を終えたと考えたとき、この事実を11名の仲間に信号を送ると、彼らはすぐに、彼が肉体から解放され安全に元のメルキゼデクの状態に戻る手段を整えた。また、シャレイムからの失踪後の3日目、マキヴェンタは、ユランチア配置の11名の仲間の間に現れ、サタニア606号の惑星受託者の1名として中断されている自分の生涯の仕事を再開した。
マキヴェンタは、それを始めたのと同じくらい突然に、出し抜けに生身の人間の生物としての贈与をを終えた。その出現にも出発にも何の異例の発表、あるいは実演も伴わなかった。マキヴェンタのユランチアへの出現は、復活点呼にも惑星の配剤の結末にも記されなかった。マキヴェンタの贈与は、非常時のものであった。しかしマキヴェンタは、父メルキゼデクが正式に発表するまで、それと非常時の贈与が、ネバドンの主要な経営者であるサルヴィントンのガブリエルの承認を受けたと知らされるまで人間の肉体での滞在を終えなかった。
メルキゼデクのマキヴェンタは、肉体時代の自分の教えを信じた人間の子孫の事情に大きな関心を持ち続けた。しかしながら、ケニーテ人と結婚するアブラーハームからイシャークの子孫は、シャレイムの教えの明確な概念を長い間抱き続けた唯一の血統であった。
この同じメルキゼデクは、続く19世紀に渡って多くの予言者と占い師と共働し続け、このように、例として地球へのミカエルの出現の予定の時までシャレイムの真実を生かし続ける努力をした。
マキヴェンタは、ユランチアのミカエルの勝利の時代まで惑星の受託者として続いた。次に、かれは、24名の管理者の1名としてジェルーセムにおけるユランチア奉仕に配属され、ユランチアの惑星王子の代理の称号を携えて、つい最近創造者の息子のジェルーセムの個人的大使の地位に登用された。ユランチアが棲息惑星のままである限り、メルキゼデクのマキヴェンタは、息子の身分に関する命令義務に完全に返されるというわけではないが、時間の観点から言えば、いつまでも惑星聖職者であるキリスト・ミカエルの代理をするというのが我々の信じるところである。
彼の贈与は、ユランチアの非常時のものであり、マキヴェンタの将来がいかなるものかは、記録には現れていない。ネバドンのメルキゼデク軍団は、その集団の1つの永久的損失を被ってしまうということになるかもしれない。エデンチアのいと高きものが言い渡し、その後ユヴァーサの高齢者達が承認した最近の判決は、この贈与のメルキゼデクが、堕落した惑星王子カリガスティアに代わる運命にあることを強く示している。我々の憶説が、この点で正しいならば、ユランチアに再び本人自らが現れ、何らかの変更された方法で廃位の惑星王子の役割を再開するか、さもなくば、メルキゼデクのマキヴェンタは、現在、実際にユランチアの惑星王子の肩書きを保持するキリスト・ミカエルを代理する惑星王子の代理として機能するために地球に登場することが全く可能である。我々にはマキヴェンタの運命が何であるかに関し、て決して明確ではないが、それにもかかわらず、つい最近起こった出来事は、前述の憶説がおそらく真実からは遠くないことを強く示している。
我々は、ユランチアにおけるかれの勝利によりミカエルが、いかにカリガスティアとアダーム両者の後継者になったかをよく理解している。いかにして平和の惑星王子と第二のアダームになったかを。我々は今、このメルキゼデクへのユランチアの惑星王子の代理の肩書きの贈呈を眺めている。彼はまた、ユランチアの代理の物質の息子に選ばれるのであろうか。または、予期しない空前の出来事が、すなわちアダームとハヴァーの惑星への、またはユランチアの第二のアダームの代理権力を行使する肩書きをもつミカエルの代表としての彼らの特定の子孫へのそのうちの帰還の可能性があるのか。
権威ある息子と三位一体の教師たる息子の両方の将来の出現の確実性に関連したこれらのすべての思惑は、創造者の息子のいつの日かの帰還の明白な約束に関して、ユランチアを将来が不安定な惑星にし、ネバドンの全宇宙の中で最も興味深く、好奇心をそそる球体の1つにしている。後のいつの世にか、ユランチアが光と生命の時代に近づくとき、ルーキフェーレンスの反逆とカリガスティア脱退問題が、最終的に裁かれた後に、われわれが、行政長官の息子か、または三位一体の教師たる息子はもちろん、同時にマキヴェンタ、アダーム、ハヴァー、キリスト・ミカエルのユランチア臨場を目撃することは、全く可能なのである。
ユランチア管理者であるジェルーセム軍団、つまり24名の相談役のマキヴェンタの在籍は、ユランチアの死すべき者に宇宙計画の前進と上昇に、楽園の終成者軍団にさえずっとついていく運命にあるという信念の保証に十分な証拠であるというのが、長い間の我々の系列に関しての意見である。我々は、アダームとハヴァーが、ユランチアが光と生命に定着してしまうとき、楽園の冒険において地球の仲間に同伴する運命にあるということを知っている。
この同じメルキゼデクのマキヴェンタ、シャレイムのかつての賢人は、1,000年もたたない間気づかれずに100年間ユランチアに存在し、惑星の居住総督として務めた。そして、惑星の業務を指示する現体制が続くとすれば、彼は1,000年あまりのうちに、同じ地位で戻ることになるであろう。
これは、不規則で風変わりなあなた方の世界の今後の経験において重要な役割を果たすように運命づけられているかもしれないユランチアの歴史と人格に関連づけられるようになるメルキゼデクのマキヴェンタについての、これまでのすべての存在体の中の最も類まれなものについての話である。
[ネバドンのメルキゼデクによる提示]
シャレイム宗教の初期の教師は、アフリカとユーラシアの最果ての地の部族へと入り、神の恩恵を永遠に獲得する唯一の代償として一柱の宇宙なる神への人の信仰と信頼についてのマキヴェンタの福音をつねに説いた。アブラーハームとのメルキゼデクの盟約は、シャレイムと他の中心地へと伝えられた初期のすべての伝道のための原型であった。ユランチアには、全東半球にわたりメルキゼデクの教えを伝えたこれらの堂々たる男女よりも熱心で活動的な宣教師は、どの宗教にもいなかった。これらの宣教師は、多くの民族と人種から募集され、主に原地の転向者を媒体として自己の教えを広げた。宣教師らは、世界の異なる地域に訓練所を設け、シャレイム宗教を原住民に教え、次にはこれらの生徒に、自身の人民の間で教師として機能する権限を与えた。
メルキゼデクの時代、インドは、近年北と西からきたアンド系のアーリア民族の侵略者の政治上、また宗教上の支配下にあった国際的な国であった。このとき、アーリア人は、半島の北部と西部だけに広範囲に浸透していた。これらのヴェーダ系の新来者は、多くの部族の神を共に連れて来ていた。その宗教の崇拝形式は、まだ父が司祭、母が女司祭として機能するその早期のアンド系先祖の儀式習慣に密接に従っており、家族の囲炉裏は、祭壇としての利用が続いていた。
ヴェーダの集団礼拝は、その頃広がりゆく崇拝儀式を徐々に支配していた教師-聖職者の婆羅門階級の指導に基づく成長と変化の過程にあった。アーリア人のかつての33柱の神の合併は、シャレイム宣教師がインドの北部に進出したとき、すでに進行中であった。
アーリア人の多神教は、部族ごとに祀る神を持つ部族単位への分離によるその早期の一神教の退化を呈した。当初の一神教のこの退化とアンド系メソポタミアの三位一体の考えは、紀元前2千年の初頭における再統合の過程にあった。多くの神は、天空の神ヅヤウスのピター、大気の嵐のように激しい支配者インドラ、3頭の炎の神アグニの三位一体、つまり地球の支配者であり、初期の三位一体の概念の痕跡的な象徴の指導力の下、神の集団へと組織化された。
確かな単一神教の発展は、進化する一神教への道を開いていた。最古の神アグニは、すべての神殿の父-首長としてしばしば高められた。たまにプラヤパティと呼ばれたり梵天と称される神格-父の原理は、婆羅門聖職者が後にシャレイム教師と交えた神学上の一戦に覆い隠された。婆羅門は、ヴェーダの神の集団全体を動かすエネルギー-神性の原理として発想された。
シャレイム宣教師は、メルキゼデクの一神、天のいと高きものについて説いた。この描写は、全ての神の本源としての父-梵天の進展的な概念に完全に不調和であったというわけではないが、シャレイム教義は、儀式偏重主義ではなく、ゆえに婆羅門聖職に関する教義、伝統、教えに直接的に応えるものではなかった。婆羅門聖職者は、信仰による救済についてのシャレイムを教え、つまり、儀礼的な行動や生け贄の儀式を切り離した神の恩恵を決して受け入れようとはしなかった。
神への信頼と信仰を通しての救済に関するメルキゼデクの福音の拒絶は、インドにとっての重大な転機であった。シャレイム宣教師は、古代のすべてのヴェーダ神信仰の損失の大きな原因となったが、ヴェーダの教えの聖職者である指導者達は、1神と単純な1信仰であるメルキゼデクの教えの受諾を拒否した。
婆羅門は、シャレイム教師への対抗目的で当時の聖典を選択し、また後に改訂されるこの編集が、最古の聖典の中の1つであるリグ・ヴェーダとして現代に至った。婆羅門が、その頃の崇拝の儀式を結晶化、形式化、固定化、民族の犠牲を求めるにつれ、第2、第3、第4のヴェーダが続いた。その最良部の取り上げるならば、これらの著述は、概念の美しさと洞察の真実において類似する特徴をもつ他のいかなる著述にも匹敵するものである。かし、この優れた宗教が、南インドの何千もの迷信、集団礼拝、および儀式で汚染されるようになると、それは、次第に必滅の人間によりかつて開発された神学の最も多彩な体系へと変化していった。ヴェーダについての考査は、これまでに考えられる神に関する一部の最高の、一部の最低の概念を明らかにするであろう。
シャレイム宣教師は、ドラヴィダ人のデッカン高原に南へ進出していくと、二次サンギク民族の台頭に直面するアーリア人が、人種の独自性の損失防止ための方策である拡大するカースト制度に直面した。婆羅門聖職者階級は、この制度の本質そのものであったので、この社会組織は、シャレイム教師の前進を大いに遅らせた。アーリア人種の防衛に失敗はしたものの、この階級制度は、婆羅門の永続に成功し、引続き、その婆羅門は、インドにおいて現在に至るまで宗教上の主導権を維持してきた。
それでアーリア人の礼拝集団は、より高い真実の拒絶を通してヴェーダの教えの弱めることで、デッカン高原からの拡大する侵入をうけた。婆羅門階級は、人種的な絶滅と宗教の消滅潮流を止める必死の努力において、他の何よりも自分たちを高めようとした。神格への生贄それ自体が、きわめて効果的であるということ、そしてそれが、力においてきわめて強要的であるということを教えた。かれらは、宇宙の2つの基本の神の原理のうちの1つが婆羅門であり、他方が婆羅門聖職であると公言した。神に属する栄誉を自分たちに委託するために大胆にも神々よりも自分たちを高めた聖職者は、他のユランチア民族の中にはいなかった。ところが、聖職者は、途方もなく思い上がった主張をしたことから、不安定な体制は、周囲のそれほど高度でない文明から流入してくる質を落とす礼拝集団の前にして崩れた。巨大なヴェーダの聖職自体は、自身の利己的かつ賢明でない図々しさが全インドにもたらした慣性と悲観の黒い洪水にもがき、その下に沈んだ。
自己に対する過度の集中は、確かに、人間、野獣、または雑草としての連続的化身の無限の輪における自己の非進化の恐怖へと導いた。そして、新生の一神教に発展したかもしれないものにしかと結びつけられたかもしれない悪影響を及ぼすすべての信仰のうち、デッカン高原から来たこの輪廻の信仰—魂の生まれ変わりの教理—ほど無意味なものはなかった。繰り返される輪廻のうんざりさせる単調な循環のこの信仰は、初期のヴェーダ信仰の一部であった死に際してのその救出と精神的前進を見つけるかねての望みを窮する死すべき者から奪い去った。
哲学的に衰弱させるこの教えの後には、全創造の大霊である婆羅門との絶対的結合からくる普遍的な休息と平和に浸りきり、自己からの永遠の脱出の教理の考案が、すぐに続いた。死すべき者の願望と人間の野心は、事実上奪い去られ、実際に破壊された。2,000年以上の間、インドのより良い心の者は、すべての欲望から逃れようとして、その結果、実際には多くのヒンドゥー民族の魂を束縛した後の集団礼拝と教えの入り口への扉を大きく開いた。全文明の中のヴェーダのアーリア人は、シャレイム福音の拒絶のために最も苛酷な代償を払った。
階級制度だけではアーリア人の宗教-文化体制を永続させることはできず、またデッカン高原の粗悪な宗教が北部に充満すると、失意と絶望の時代が展開した。命を取らない礼拝集団がうまれたのは、これらの暗い日々のことであり、それは、以来ずっと持続している。新しい礼拝集団の多くは、達成可能な救済は、助力なしの人間各自の努力によってのみ起こり得ると主張し、実のところは無神論であった。しかし、この不幸なすべての哲学の大半には、メルキゼデクの教えと、さらにはアダームの教えの名残りさえ辿ることができる。
これらはヒンドゥー信仰、すなわち婆羅門とウパニシャッドの後の経典の編集時代であった。婆羅門教の司祭職は、一柱の神との個人的な信仰経験を貫く個人的宗教の教えを拒絶し、またデッカン高原からの品性を落とし弱体化させる集団礼拝そして教義の氾濫で、すなわち擬人化と転生で汚染されるようになったことから、汚損する信仰に対して激しい反応を経験した。真の現実を求めて見つける断固たる努力があった。婆羅門教徒は、インド人の神格の概念の非擬人化に着手したが、そうするに当たり神の概念を非人格化するという悲しむべき誤りを犯し、また、楽園なる父の崇高で精神的な理想ではなく、あらゆるものを含む絶対者についての距離のある、しかも最終的には極めて抽象的な考えに終わった。
その努力において婆羅門階層は、メルキゼデクの一神を拒絶し、今度は結局は婆羅門、その不幸な日から20世紀までインドにおける精神生活を無力にし、横たえさせたままにしていた非個人的で無力な婆羅門についての仮説、不明瞭で実体のない哲学上の自己に終わった。
仏教がインドで発祥したのは、ウパニシャッドの執筆時代のことであった。しかし、その1,000年の成功にもかかわらず、それは、後のヒンドゥー教に対抗できなかった。より高度の道徳にもかかわらず、神についてのその早期の描写は、ヒンドゥー教のそれよりもはるかに明確ではなく、それが、より劣性の、人格の神を提供した。仏教は、宇宙の最高神としてのアラーの明確な概念をもつ好戦的なイスラム教の猛攻撃の前に北インドで最終的に崩れた。
婆羅門教の最高段階は、とても宗教とは言えなかったが、実にそれは、人間の心が哲学と形而上の領域における最も崇高な広がりの1つであった。究極の現実を発見し始めてからは、インド人の心は、宗教に不可欠の二元的概念、すなわち、宇宙の全生物の宇宙なる父の存在、加えて父が完全であるように完全であれと命じた永遠なる父に到達しようとする他ならぬこれらの生物の宇宙における上昇経験の事実、を除く神学のほとんどあらゆる局面に考えを巡らすまで止むことはなかった。
婆羅門の概念において当時の心は、広く普及する何らかの絶対者についての考えをしっかりと掴んだ。というのも、この公理は、創造的なエネルギーと宇宙反応として同一視していたので。婆羅門は、すべての定義を超えていると、すべての有限の属性の連鎖的な否定によってのみ理解することができると思われた。それは、確実に存在への、絶対的、さらには無限の信仰であったが、この概念は、主として人格属性に欠けており、したがって個々の宗教家による経験が可能ではなかった。
婆羅門-ナーラーヤナは、絶対者、無限のそれはある、潜在的な宇宙の根本的かつ創造的な力、静止状態で存在し全ての永遠を通じ可能性のある普遍なる自己、として生みだされた。当時の哲学者が、神の概念における次なる前進を果たすことができ、婆羅門を結合的で想像的であるものとして、つまり創造され進展する存在による近づきやすい人格として受け入れることができていたならば、そのような教えは、神の総体機能の最初の5段階を包含したことであろうから、ユランチアで最も高度な神の描写になっていたかもしれないし、事によると残る2段階を思い描いていたかもしれない。
生物の全存在の要約の全体としての宇宙の一大霊の特定の局面における概念は、インドの哲学者を崇高なる者の真実へと導いたが、彼らが、婆羅門-ナーラーヤナの理論的な一神教の目標到達への何らかの理に適う、あるいは合理的な個人の方法を発展させることができなかったので、この真実は全く役に立たなかった。
連続性の因果関係についての業の原則は、崇高者の神格臨場におけるすべての時空間の行為の影響統合の真実に、再び、非常に近いのである。しかしこの原則は、決して個々の宗教家による神格への個人の調和の到達に対して備えることはなく、ただ宇宙の大霊によるすべての人格の最終的な取り込みのためだけに備えた。
婆羅門教の哲学は、内在する思考調整者の認識にもまた非常に接近したものの、結果的に真実の誤解を通して歪められた。宇宙なるもののこの宿り以外に人間の個性はないという信仰によって完全に損なわれてこなかったとしたならば、魂は婆羅門の宿りであるという教えは、先進的宗教の序開きとなっていたであろうに。
インドの神学者は、大霊との自己の魂の融合の教義において、つまり、何か人間らしいもの、何か新しく独特であるもの、何か人の意志と神の意志の結合から生まれるもののために備えなかった。婆羅門への魂の復帰の教えは、密接に宇宙なる父の胸への調整者の復帰の真実に平行してはいるが、生き残る調整者、すなわち人間の人格のモロンチア対応者とは何か異なるものがある。そして、この重要な概念が、婆羅門哲学には致命的にも欠如していた。
婆羅門哲学は、宇宙の事実の多くに近づき、幾多の宇宙の真理に迫ったが、あまりにも頻繁に絶対的、超越的、有限的のような現実のいくつかの段階の見分けができない誤りに陥った。それは、絶対段階における有限-錯覚が、有限段階の絶対的実在であるかもしれないことを考慮に入れることを怠ってきた。また、それは、進化する生物の神との限られた経験から楽園の父との永遠なる息子の限りのない経験への全段階で個人的に接触可能な宇宙なる父の不可欠の人格への何の考慮もしなかった。
インドでの何世紀かの経過につれ、庶民は、メルキゼデク宣教師の教えにより変わり、後の婆羅門聖職により具体化されたヴェーダの古代儀式に多少なりとも立ち返った。世界の宗教のなかで最古の、しかも最も国際的なこれは、仏教とジャイナ教に呼応し、また後に登場するイスラム教とキリスト教の影響に一層の変化を被った。しかし、イエスの教えの到着時までには、すでに西方化し過ぎ、それは、「白人の宗教」になってしまい、それ故ヒンドゥー教徒の心には奇妙で無縁となった。
ヒンドゥー教神学は、現在のところ、神格と神性について下降する4段階を描く。
1. 婆羅門、絶対的なもの、無限のもの、それはある。
2. 三神一体、ヒンドゥー教の究極の三位一体。このつながりにおいて、第1の構成者である梵天は、婆羅門—無限—からの自己創造であると考えられた梵天は、汎神論的無限なるものとの近接する同一性がなければ、宇宙なる父の概念の基礎を構成することができた。梵天は、運命とも同一視されている。
第2と第3の構成者、シヴァとヴィシュヌへの崇拝は、キリスト後の最初の1,000年の間に起こった。シヴァは、生と死の主、肥沃の神、破壊の支配者である。ヴィシュヌは、定期的に人間の姿に化身するという信仰のために非常に人気がある。このようにして、ヴィシュヌは、インド人の創造力の中で現実となり、生きている。シヴァとヴィシュヌはそれぞれに、一部の人々によりすべての上に最高であると見なされている。
3. ヴェーダの神とヴェーダの後の神。アグニ、インドラ、ソマのようなアーリア人の古代の神の多くが、三神一体の3名の構成者の補助として持続してきた。多数の付加的な神が、ヴェーダ系インドの初期からずっと生まれてきており、これらは、またヒンドゥーの神々へ取り込まれてきた。
4. 半神半人、。人、半神、英雄、幽霊、悪霊、妖精、怪物、鬼、後の礼拝集団の聖人。
ヒンドゥー教は、長らくインドの人々に生気を与えられないでいたが、他方では許容性のある宗教であった。その大きな強みは、ユランチアに出現する最も順応性のある、また明確な形のない宗教であるという事実にある。それは、ほとんど無制限の変化が可能であり、また知的な婆羅門についての高尚かつ半一神教的思索から、卑しく意気消沈の無知な信者階級の途方もない物神崇拝と原始の礼拝集団の習慣への柔軟性のある異例の調整範囲を持っている。
ヒンドゥー教は、それが本質的にはインドの基本的社会機構の不可欠部分であるが故に存続してきた。それには、妨害されたり、破壊可能な大きな階層がない。それは、人々の生活様式に組成されている。それは、変化する状況に対し他のすべての礼拝集団を凌ぐ適応性があり、また他の多くの宗教にも、ヴィシュヌの再来であると主張される釈迦牟尼仏陀とキリスト自身に対してさえも許容性のある受容態度を見せている。
今日、インドは、イエスの福音—神の父権と全人類の息子性とそれに伴う兄弟関係、そしてそれは、愛ある援助と社会奉仕において個人的に実現されるもの—の描写のための大きな必要がある。インドには哲学的な枠組みが実在し、礼拝集団の構造が存在している。唯一必要とされるのものは、マイケルの生命の贈与を白人の宗教にする傾向にあった西洋の教義と教理が取り除かれた状態の人の息子の本来の福音に描写されている動的な愛の生気を吹き込む火花である。
シャレイム宣教師は、アジアを通過し、いと高き神と信仰による救済の教理を広げつつ、横切っていく様々な国の哲学上、宗教上の考えを多く吸収した。しかし、メルキゼデクとその後継者達に任命された教師達は、その責任を怠らなかった。ユーラシア大陸の総ての民族に浸透し、また中国に到着したのは紀元前の第2千年紀の中頃であった。シー フチュにおいては、シャレイム人が、100年以上の間、その本部を維持し、そこで黄色人種の全領域で教える中国人教師を養成した。
今日その名をもつものより大いに異なる宗教である道教の型が中国で最も早期に生まれたのは、この教育の必然的結果であった。初期の、あるいは原始の道教は、次の要因の複合物であった。
1. シングラントンの残存する教え。天帝、すなわち天の神の概念に存続した。シングラントンの時代の中国の人々は、実際には一神教になった。後に天の霊、宇宙の支配者として知られる一つの真理への崇拝に全力を注いだ。知らぬ間にその後の世紀に多くの下位の神と霊がそれらの宗教に入り込みはしたものの、黄色人種は、神格のこの初期の概念を決して完全に失ったというわけではなかった。
2. 人間の信仰に応え賛意を人類に授与するいと高き創造者の神格のシャレイム宗教。しかし、メルキゼデク宣教師が、黄色人種の地に進入する頃には、彼らの本来の知らせが、マキヴェンタの時代のシャレイムの単純な教理からかなり変えられたというのは、あまりに本当である。
3. すべての悪から逃がれる願望に結びつけられたインド哲学者の婆羅門絶対者の概念。シャレイム宗教の東方への普及における恐らく最大異質の影響は、ヴェーダ信仰のインド人教師によって発揮された。その教師達は、シャレイムの救世者の考えへに婆羅門—絶対者—に関する概念を注入した。
この複合信仰は、宗教-哲学的な思考に潜在的影響として黄色人種と茶色人種の領土中に広がった。日本においてこの原始-道教は、神道として知られており、パレスチナのシャレイムからははるか遠方のこの国では、国民は、人類によって神という名前が忘れられないように地球に住んだマキヴェンタ・メルキゼデクの肉体化について学んだ。
中国におけるこれらの信仰のすべては、後に先祖崇拝の絶えず成長集団礼拝と区別がつかず、混同された。しかし、シングラントンの時代以来の中国人は、聖職者の政略の無力な奴隷に陥ることは決してなかった。黄色人種は、他の人種が恐れたほどには死者の幽霊を恐れさえせず、神への無気力の恐怖からある程度の自由を獲得する最初の者であったことから、野蛮な束縛から秩序正しい文明へと最初に浮上する人々であった。中国は、聖職者からの早期の解放を超える進歩がなく敗北した。ほぼ同様に悲惨な誤りに、つまり先祖崇拝に陥った。
だが、シャレイム人は、無駄骨を折ることはなかった。6世紀の中国の偉大な哲学者等が彼らの教えを確立したのは、シャレイム人の福音を土台にしてのことであった。老子と孔子の時代の道徳的状況と精神的感情は、シャレイム宣教師の初期の教えから育った。
マイケルの到着のおよそ600年前、はるか以前に肉体を離れたメルキゼデクは、地球での自分の教えの純粋さが、古いユランチアの信仰への一般的な吸収により過度に危険にさらされていると思った。マイケルの先触れとしての自分の任務は、しばらくの間失敗の危険にさらされているかのようであった。紀元前6世紀に、ユランチアは、惑星の監督者さえすべてを理解していない精神的作用の異例の調整を介し多面的な宗教上の真実の最も珍しい提示を目のあたりにした。シャレイム福音は、人間の教師数人の働きにより言い換えられ、新しい生命を与えられ、次には、それが提示されたままに、多くが、この論文の時代へと持続した。
この特異な世紀の精神的進歩は、文明世界全体にわたる偉大な宗教、道徳、哲学の教師によって特徴づけられた。中国において傑出の2人の教師は、老子と孔子であった。
老子が、道とは、全創造の第一原因なるものであると宣言したとき、直接シャレイム伝統の概念を踏まえていた。老子は、精神的に洞察力の優れた人であった。老子は、「人の永遠の定められた目標は、道との、崇高なる神と宇宙なる王との永続的結合」であると教えた。根本的因果関係についての老子の理解は、最も明敏であった。次のように著した。「和合は、絶対道から起こり、和合から宇宙の二元性が現れ、そしてそのような二元性から三位一体が誕生し、また、三位一体は、すべての現実の第一根源である。」「総ての現実は、常に宇宙の可能性と現実の間の均衡をとっており、そして、これらは、神性の霊により永遠に調和を保たれている。」
老子はまた、善をもって悪に報いる最も初期の教理の提示の一つをした。「善は善をきたすが、本当に良い者には、悪もまた善をきたす。」
かれは、創造者への被創造者の帰還を教え、死は、被創造者のこの人格の帰宅に似ているが、宇宙の可能性からの人格の出現としての生活について描写した。老子の真の信仰の概念は、独特であり、彼もまたそれを「小さい子供の態度」にたとえた。
神の永遠の目的に関する老子の理解は明確であり、「絶対神格は戦わずしていつも勝利を得ている。人類に強いることはなく常に人類の真の願望に応じる準備ができている。神の意志は、忍耐において永遠であり、その表現の必然性において永遠である。」と言った。また、本物の宗教家については、受け取るよりも与えることがより喜ばしいという真実を言い表した。「善人は、それが、真実の実現であるので自分のために真実を繋ぎ止めようとはせず、むしろこれらの富を仲間に授与しようとする。絶対神の意志は、常にためになり、決して破壊しない。本物の信者の目的は、強要することではなく常に行動することである。」
無抵抗の教えと行為と強制の間の区別は、後に「何も見ず、何もせず、何も考えない」という信仰に曲解された。しかし老子は、そのような誤りを決して教えなかったにもかかわらず、その無抵抗の提示は、中国民族の平和贔屓のさらなる発展要因であった。
だが、20世紀のユランチアの人気のある道教は、それを明らかにした通りの真実を教えた昔の哲学者の高尚な情操と宇宙概念との共通点はあまりない。その真実とは、絶対神に対するその信仰は、世界を作り変えるその神性エネルギーの源であるということ、そして、それにより道、つまり永遠なる神格と宇宙の絶対の創造者との精神的結合へと人が上昇するということ。
孔子(孔夫子)は、6世紀の中国の老子より若い同世代人であった。孔子は、黄色人種の長い歴史のより良い道徳的伝統を自身の教理の基盤とし、シャレイム宣教師の依然として残っている伝統にいくらかの影響を受けた。その主要な仕事は、古代の哲学者の名言の編集にあった。生存中は拒絶された教師であったが、その文章と教えは、以来ずっと、中国と日本においてかなりの影響を及ぼした。孔子は、魔法に代わる道徳を導入した点でシャーマンのための新たな一歩を示した。しかし、かれは、あまりにも立派に構築し過ぎた。社会体制から新しい呪物を作り出し、また、まだこの著述時点での中国人に敬われている先祖の行いに対する敬意を確立した。
道徳についての孔子の説教は、地道は、天道の歪んだ影であるという理論、この世の文明の真の型は、天の永遠の秩序の正反射であるという理論で述べられた。儒教における神に関する潜在的概念は、天の道、つまり宇宙の型に置かれた重点にほぼ完全に入っていた。
東洋においてはごく一部を除いて、老子の教えが失われたが、孔子の著作は、以来ずっと、ユランチアのほとんど3分の1の文化の道徳的な骨組みの基礎を構成してきた。孔子の教訓は、過去の最良のものを永続させつつ、大いに崇められたそれらの成就をもたらしたまさしくその中国人の究明精神にいくらか反目していた。秦の始皇帝の帝国の努力と墨子の教えの双方は、これらの教理の影響において不戦勝に終わった。墨子は、倫理的義務に関してではなく、神の愛に関して築かれるる兄弟愛を宣言した。かれは、新しい真実のために古代の探究を再燃させようとしたが、その教えは、孔子の弟子達の強健な反対の前に失敗した。
多くの他の精神的、道徳的教師と同様、孔子と老子の両者は、道教への信仰の衰退と堕落と、そしてインドからの仏教宣教師の到来との間に介在する中国の精神的に暗い時代の彼らの追随者に最終的には神聖視された。精神的に退廃の世紀に黄色人種の宗教は、悪魔、竜、および悪霊すべて、人間の啓発的でない心からの戻りくる恐怖を予示するすべて、が群がるなかで哀れな神学へと堕落した。そして先進的な宗教により一度は人間社会の先頭にあった中国は、その後、個々の人間だけではなく、時空間の進化の惑星における文化と社会の進歩を特徴づける錯綜し複雑な文明も、真の進歩に不可欠であるその神-意識の真の進行軌道における一時的な進歩の失敗のゆえに後退した。
中国の老子と孔子の同時期の人が、もう一人の真実の偉大な教師がインドに現れた。釈迦は、紀元前6世紀にネパールのインド北部地域で生まれた。その信奉者達は、ゴータマは、途方もなく裕福な支配者の息子であると後に明らかにさせたが、実は、かれは、黙認により南ヒマラヤ山脈の人里離れた小さな山間の谷を統治した下級指揮官の継承者と目された人であった。
ゴータマは、6年間の無駄なヨーガの修行後、その理論を仏教哲学へとまとめた。シッダッタは、高まりを見せる階級制度への決然の、だが効果のない戦いをした。この若い予言者である王子には、当時の人々の心を動かすような高潔な誠意と類稀な無私の姿勢が備わっていた。かれは、肉体的苦悩と個人の苦痛の経験による救済を求める修行をおとしめた。かれは、自分の福音を世界中に伝えるよう追随者に熱心に説いた。
インドの混乱と極端な集団礼拝の実践の真っただ中、ゴータマのより健全で節度ある教えは、爽やかな安堵をもたらした。神、聖職者、犠牲を非難はしたものの、彼もまた一宇宙的の人格に気づけなかった。ゴータマは、もちろん、個々の人間の魂の存在を信じることなく、霊魂輪廻の古くからの信仰に対して勇敢な戦いをした。かれは、人が大いなる宇宙において安心し、くつろいだ気分になるように人を恐怖から救い出すための堂々たる努力はしたが、上昇する死すべき者の真の、崇高な家—楽園—への道、そして永遠の存在の広がりゆく奉仕へ人々を導くことができなかった。
ゴータマは、真の予言者であったし、もし隠者ゴダヅの指示に心を留めていたならば、信仰による救済に関するシャレイム福音の復活の閃きにより全インドを喚起させていたかもしれない。ゴダヅは、メルキゼデク宣教師の伝統を一度も失ったことのない家族の子孫の出であった。
ゴータマは、ワーラーナシーに自分の学校を設立し、一人の生徒のバウタンが、自分の教師にアブラーハームとのメルキゼデクの盟約に関しシャレイム宣教師の伝統について伝えたのはその2年目の年であった。シッダールタには宇宙なる父のまことに明確な概念はなかったものの、信仰による救済への前進姿勢をとった—単純な信仰。かれは、追随者の前でそのように表明し、それからインドの人々に「無償の救済の吉報。すべての者、身分の高い者と低い者は、正義と公正への信仰により至福に達することができるということ」を宣言する60人ずつの学生集団の派遣を開始した。
ゴータマの妻は夫の福音を信じ、尼僧会の創設者でもあった。息子は、彼の後継者になり、その集団礼拝を大いに広げた。息子は、信仰による救済の新しい考えについて理解したが、単なる信仰による神の恩恵のシャレイム福音に関しては後年に心が揺らぎ、また老年のその辞世の言葉は、「自身の救済を実現せよ」ということであった。
ゴータマの普遍的救済に関する福音は、最良の状態で公布されたときは、犠牲、拷問、儀式、聖職者に束縛されることなく、その時代にしては革新的、かつ驚くべきな教理であった。そして驚いたことには、それは、シャレイム福音の復活状態に近づいた。何百万もの絶望的な魂に救援をもたらし、後の世紀のその奇怪なこじつけにもかかわらず、それは、何百万人もの人間の望みとしてまだ存続している。
シッダールタは、彼の名のつく近代の礼拝集団の間で生き延びた真実よりもはるかに多くの真実を教えた。現代の仏教は、キリスト教がナザレのイエスの教えでないのと同様に釈迦の教えではない。
仏教徒になるには、人は単に加護を暗唱することによって信仰を公表した。「私は仏陀に避難する。私は教理に避難する。私は同胞愛に避難する。」
仏教は、神話ではなく歴史的人物に起源を取った。ゴータマの信奉者は、ゴータマを主人、あるいは師を意味するサスタと呼んだ。かれは、自分自身とその教えのいずれに対しても超人的主張をしなかったが、弟子達は、悟りに達した者、仏陀と早くから呼び始めた。後には、釈迦牟尼仏陀と。
ゴータマの最初の福音は、四諦に基づいた。
1. 苦諦
2. 集諦
3. 滅諦
4. 道諦
苦しみとそこからの逃避の教理に密接につながるものは、八正道、すなわち、正見、正思惟、正葉、正業、正命、正精進、正念、正定の哲学であった。ゴータマの狙いは、苦しみからの逃避におけるすべての努力、願望、愛情を破壊する試みではなかった。むしろ、俗世の目標と物質的な目的に向けてのすべての望みと切望を完全に押え込む無用さを人間の心に描かせるよう考案された教えであった。それは、人間の仲間の愛は、回避されるべきであるというよりはむしろ、真の信者は、この物質界を超越した永遠の未来の現実を見るべきであるということであった。
ゴータマの説教の道徳的戒律は、全部で5条であった。
1. 殺さない。
2. 盗まない。
3. 不貞をはたらかない。
4. 嘘をつかない。
5. 酒を飲まない。
いくつかの付加の、あるいは補助的戒律があり、その遵守は信者にとり任意であった。
シッダールタは、人間の人格の不死をほとんど信じなかった。その哲学は、一種の機能的連続性を提供したに過ぎなかった。涅槃の教理に何を盛り込むかを決して明確には定義しなかった。生活で理論的に経験できるという事実は、完全な全滅の状態としては見られないということを示すであろう。それは、人を物質界に束縛するすべての足枷が壊される最高の悟りと崇高な至福の状態を含意した。人間の生活の願望からくる自由と肉体化の再度の経験というすべての危険からの救出があった。
ゴータマの当初の教えによると、神の助けは別として、救済は、人間の努力により達成される。救済する信仰あるいは超自然の力への祈りの余地はない。ゴータマは、インドの迷信を最小にする試みにおいて人に魔術的救済のあからさまな要求を回避させる努力をした。この努力において、かれは、その後継者らが、彼の教えを曲解し、すべての人間の到達への努力は嫌気のさす、また苦痛を与えると宣言する可能性を広げたままにした。その追随者らは、最高の幸福は、価値ある目標の知的で意欲的な追求に関連しているということ、またそのような成果が、宇宙的自己実現で本当の進歩を構成するという事実を見落とした。
シッダールタの教えの大いなる真実は、絶対正義の宇宙を表明するものであった。かれは、これまでに人が創案した無神の最良の哲学を教えた。それは、理想的な人間至上主義であり、その上、迷信、魔術儀式、幽霊あるいは悪霊の恐怖へのすべての根拠を最も効果的に取り除いた。
本来の仏教の福音の大きな弱点は、寡欲な社会奉仕の宗教を生産しなかったということである。仏教の兄弟愛は、長い間、信者の友愛ではなく、むしろ師と門弟の共同体であった。ゴータマは金の受け取りを禁じ、それによって階級性傾向への促進を防ごうとした。ゴータマ自身は、非常に社会的であった。その人生は、まことに、その説教よりもはるかにすばらしかった。
仏教は、仏陀、悟りに達した者への信仰による救済を提供したから繁栄した。それは、東アジア全体で見つけうる他のいかなる宗教体制よりも最もメルキゼデクの真実を代表していた。しかし、仏教は、低い階級君主のアソーカが、自己保護の意味で擁護するまで宗教としては広まらず、エジプトのイフナトンに続いてアソーカ王は、メルキゼデクとマイケルの間にいた最も顕著な民間支配者の一人であった。アソーカ王は、仏教宣教師の宣伝活動により偉大なインド帝国を樹立した。25年の1期間、全世界の最遠の辺境地帯に1万7千人以上の宣教師を養成して送り出した。1世代で、仏教を半分の世界の優位な宗教にした。それは、やがて、チベット、カシミール、セイロン、ビルマ、ジャワ、タイ、韓国、中国、および日本で確立されるようになった。そして、一般的に言って、それは、それが取って代わったり、高められたものよりも大いに優れた宗教であった。
インドのその故国から全アジアへの仏教の普及は、誠実な宗教家の精神的献身と伝道持続の感動的な物語の中の一つである。ゴータマの福音教師は、全アジア大陸における使命を果たし、全民族に信仰の趣旨を持たらすに当たり、陸路の隊商道路の危険に勇敢に立ち向かうばかりでなく、シナ海の危険にも直面した。しかし、この仏教は、もはやゴータマの容易な教理ではなかった。それは、ゴータマを神にする奇跡を加えた福音であった。そして、仏教が、インドのその高地の故郷から遠くへ広まれば広まるほど、ゴータマの教えとはますます異なり、ますます取って代わった宗教のようになった。
後に、仏教は、中国では道教、日本では神道、チベットではキリスト教の影響を相当にうけた。1,000年後、仏教は、インドでは、単に萎み、絶えた。それは、婆羅門化され、後には情けなくイスラム教に明け渡され、一方、東洋の残りのほぼ全体にわたり、それは、釈迦が決して承認しようとしなかった儀式へと衰退した。
シッダールタの教えの南方の原理主義は、セイロン、ビルマ、およびインドシナ半島で存続した。これは、初期の、つまりは反社会的教理にしがみつく小乗仏教の分派である。
しかし、インドでの崩壊前にさえ、ゴータマ信奉者の中国人と北部インドの集団は、小乗仏教、または「小道」に固執する南の純粋主義者とは対照的に救済への「大道」の大乗仏教の教えの動きを始めた。これらの大乗仏教は、仏教の教理に固有の社会的制限からは解き放たれ、以来ずっとこの北方仏教は、中国と日本で発展し続けた。
それが支持者の最高の道徳的な価値の多くの保存に成功していることからり、仏教は、今日、生きており、発達する宗教である。それは、平静と自制の促進、平穏と幸福の増大、悲しみと哀悼の防止のために多くのことをする。この哲学を信じる人々は、信じない多くの者よりもより良い生活を送る。
仏教、ヒンドゥー教、道教、キリスト教に結合されるメルキゼデクの教えの最も奇妙な関連性が、チベットに見られるかもしれない。仏教の伝道師が、チベットに入ったとき、初期のキリスト教宣教師が、ヨーロッパの北方部族の中で見つけたそれと非常に似た原始の野蛮の状態に遭遇した。
これらの単純なチベット人は、自分達の古代の魔術と護符を完全には諦めなかった。現代のチベットの儀式の宗教上の行事についての考査は、鈴、読経、線香、行列、念珠、像、護符、絵画、聖水、派手な礼服、複雑な合唱をとりいれた入念な儀式を行う剃髪の聖職者の大きくなり過ぎた兄弟愛を明らかにする。彼らには、柔軟性のない教義、明確な主義、神秘的儀式、および特別な断食がある。その階層は、僧、尼僧、修道院長、それにダライ・ラマを包含している。かれらは、天使、聖者、聖母と神に祈る。かれらは、告白を慣行し、地獄、浄罪を信じる。その僧院は大規模で、大聖堂は壮麗である。かれらは、神聖な儀式の無限の際限のない反復を続け、またそのような儀式が救済を与えると信じている。祈りは輪転に固定されており、そしてかれらは、その回転と共に誓願が効果をもたらすようになると信じる。とても多くの宗教からのこれほど多くの遵守は、現代の他の民族の間に見い出すことはできない。そして、そのような度重なる礼拝式が、過度に厄介で耐えられないほど重荷となるのは必然である。
チベット人は、イエスの福音の簡単な教えを除いては、すべての主な世界宗教の何かを持っている。神との息子関係、人との兄弟愛、および永遠の宇宙の中の絶えず上昇する市民の資格。
仏教は、キリスト後の第1千年紀に中国に入り、それは、黄色人種の宗教習慣によく収まった。彼らが持っていた先祖崇拝において、かれらは、死者に長い間祈った。今また、彼らは、死者達に祈ることができた。仏教は、すぐ、自壊する道教の残存する儀式主義的習慣と混合した。寺院でのその崇拝と明確な宗教儀式とのこの新しい合成宗教は、やがて中国、韓国、日本の諸国民に一般的に受け入れられる集団礼拝となった。
ゴータマの追随者が、彼を神の存在にするために礼拝集団の伝統と教えを正道から逸らす後まで、仏教が、世界に広げられなかったということは、ある意味で不幸ではあるが、それでもなお、数多くの奇跡で装飾された彼の人生のこの神話は、仏教思想の北方の、すなわち大乗福音の聴取者に非常に魅力的であると分かった。
後の追随者の幾人かは、釈迦牟尼仏陀の霊は、生ける仏陀として定期的に地球に戻ると教え、その結果、仏陀の像、寺院、儀式、および「生ける仏陀」の替え玉の無期の永続化をもたらした。このようにして、ついには抗議を表明するインドの偉大な宗教家は、ゴータマが大変不敵に戦ったもの、そして大変勇敢に糾弾した行事的慣習や儀式的な呪文に束縛された。
仏教哲学における大きな進歩は、全真実の関連性の理解から成った。仏教徒は、この仮説手段を通して自身の経典と他の多くのものとの違いはもとより自身の宗教の経典の中の意見の相違の折り合いをつけたり、また関連させることができた。小さい真実は小さい心のために、大きい心は大きい真実のためのものであるということが教えられた。
この哲学もまた、仏陀(神性)の特質がすべての人間に宿るということ、人間は、自身の努力で、この内部の神性の実現に達することができるということを保持した。そしてこの教えは、かつてユランチアの宗教により作られた内在する調整者の真実の最も明確な提示の1つである。
シッダールタの本来の福音の大きな限界は、かれの追随者が解釈したように、自己を客観的現実から分離する手法によって人間の本質のすべての制限から人間の自己の完全な解放を試みたということであった。宇宙の自己実現は、宇宙現実との、そして空間により制限され時間により条件づけられるエネルギー、心、精神の限りある宇宙との同一化によって生まれる。
しかし、仏教の儀式と外向きの遵守は、それが旅をした土地のそれらで著しく汚染されたが、この退廃は、この考えと信仰の体系を抱いていた偉大な思想家の哲学的人生においては、時として事実に当てはまらなかった。2千年以上も、アジアの優れた人々の多くは、絶対的真実と絶対者の真実を確かめるという問題に集中している。
絶対者についての高度の概念の発展は、多くの思考回路を経て、また遠回りの論理的思考の道筋により成し遂げられた。無限についてのこの主義の上向きの登攀は、ヘブライ神学における神の概念ほどには明確に定義されなかった。それにもかかわらず、仏教徒の心が宇宙の第一根源を思い描く道に達し、留まり、通過する一定の広い段階があった。
1. ゴータマの伝説。概念の根底には、インドの予言者である王子のシッダールタの生涯と教えについての史実があった。この伝説は、何百年もにわたり、しかもアジアの広い土地を横断する間に悟りに達した者としてのゴータマの構想状態を上回る程度にまで神話へと成長した。そして、さらなる特性を呈し始めた。
2. 多くの仏陀。もしゴータマがインドの諸国民に来たのであれば、次には、遠い過去と遠い将来において、疑いようもなく、全人類は、真実の他の教師達に祝福されていたに違いないと結論づけられた。これは、多くの仏陀が存在するという教え、無制限で無限の数、誰もが仏陀になることを望むことさえできるという—仏陀の神性に達すること—教えをもたらした。
3. 絶対の仏陀。仏陀の数が無限に近づくまでには、当時の人々にとりこの扱いにくい概念を再統一する必要に迫られた。それに対応して、総ての仏陀は、多少のより高い本質の顕現、無限の、絶対の存在である永遠なるもの、すべての現実の若干の絶対源以外の何ものでもないということが、教えられ始めた。ここから、仏教の神の概念は、その最高の型では、釈迦の人間の身体から分離するようになり、それを皮紐につないできた擬人的制限から解き放す。永遠なる仏陀のこの終局的な概念は、絶対者として、時として無限の私はある、としてさえ十分に同一視することができる。
絶対神のこの考えは、決してアジア民族の大きな支持を受けていない傍らで、これらの国々の識者が、彼らの哲学を統一し、彼らの宇宙を調和させることを可能にした。仏陀絶対の概念は、時に疑似個人的であり、時に完全に非個人的で—無限の創造の力でさえ—ある。そのような概念は、哲学には有用であるが、宗教発展には重要ではない。擬人観のヤハウェでさえ、仏教か婆羅門教の無限に隔たった絶対よりも大きい宗教価値がある。
時として絶対者は、無限の私はあるの中にあるとさえ考えられた。しかし、これらの推測は、神への信仰が、神の恩恵と永遠の生存を保証するという約束の言葉を聞くこと、シャレイムの単純な福音を聞くことを切望する空腹の大衆への冷え冷えとした安らぎであった。
仏教の宇宙論の大きな弱点は、2要素であった。インドと中国の多くの迷信によるその汚染、そしてまず悟りに達した者、次には永遠なる仏陀としてのゴータマのその昇華。ちょうどキリスト教が、多くの誤った人間の哲学の併合に苦しんだように、同様に仏教は、その人間の生まれつきの痣をもつ。しかしゴータマの教えは、過去2,500年間発展し続けた。悟りに達した仏教徒にとっての仏陀の概念は、開眼のキリスト教徒にとってのエホバの概念が、ホレーブの悪霊と同じではないのと同様に、ゴータマの人間の人格ではない。古い命名法の感傷的な保持と相まった専門用語の不足は、宗教的概念の進化の性格な意味の把握に関する怠慢をしばしば引き起こす。
神の概念は、絶対者に比しての、徐々に仏教に現れ始めた。その源は、小道と大道の信奉者のこの分化の初期に遡ってある。神と絶対の二元的概念が最終的に熟したのは、仏教の後者の分割の中であった。一歩一歩、世紀ごとに、神の概念は、日本の良忍、法然上人、親鸞の教えと相まって発展し、またこの概念は、阿弥陀仏陀への信仰において最終的に実を結んだ。
魂は、死の経験に際し、涅槃、すなわち存在の究極に入る前に楽園での滞在を楽しむことを選ぶかもしれないということが、これらの信者に教えられた。この新たな救済は、神の慈悲と西の楽園の神である阿弥陀の愛に満ちた保護への信仰とによって達成されると広布される。阿弥陀の信奉者は、その哲学において、すべての有限の人間の理解力を超えてある無限の真理にしがみついている。彼らの宗教において、本物の信仰をもち純粋な心をもって阿弥陀の名を呼び求める者は、1人として楽園の崇高な幸せの到達に失敗することのないとても世界を愛し、すべてに慈悲深い阿弥陀の信仰にすがりついている。
仏教の大きな強味は、その支持者がすべての宗教からの真理を自由に選ぶことができることである。そのような選択の自由は、ユランチアの信仰をあまり特徴づけてこなかった。この点で、日本の真宗は、世界一進歩的な宗教集団の1つになった。それは、ゴータマの追随者の古代の伝道の精神を蘇らせ、教師を他の民族に送り始めた。ありとあらゆる源から真実を充当するこの意欲こそが、20世紀前半、宗教信者の間に現れる称賛に値する傾向である。
仏教自体は、20世紀の復興を経験している。キリスト教との接触において仏教の社会的局面は大いに高められた。学ぶという願望は、僧聖職者の兄弟愛の心で再燃し、またこの宗教を通じての教育の普及は、確かに宗教発展に新たな進歩をもたらすであろう。
アジアの大半は、この著述の時点において仏教にその望みを置いている。過去の暗黒時代を果敢に生き続けてきたこの崇高な信仰は、かつてインドの弟子達が偉大な師の新たな真実の宣言を聞いたように広がった宇宙現実の真実をもう一度受け入れるのであろうか。この古代の信仰は、もう一度、非常に長い間求めてきた神と絶対者の新概念の提示を活気づける刺激に反応するのであろうか。
全ユランチアは、19世紀の蓄積された教理と主義の進化的起源をもつ宗教との接触に妨げられないマイケルの高尚な主旨の宣言を待ちうけている。仏教、キリスト教、ヒンドゥー教への、すべての信仰の民族にまでも、イエスに関する福音ではなく、イエスの福音の生きた、精霊的な現実の提示のための時を告げている。
[ネバドンのメルキゼデクによる提示]
インドが、東アジアの宗教と哲学の多くを生み出したように、レヴァント地方も西洋世界の信仰の故国であった。シャレイム宣教師は、どこにおいてもメルキゼデクのマキヴェンタの福音の朗報を広布しながらパレスチナ、メソポタミア、エジプト、イラン、アラビアを経て南西アジア全体に広がっていった。これらの国のいくつかでは、それらの教えは実を結んだ。他の国々では異なる好評を得た。失敗は、時には彼等の知恵不足であり、時には情況に対しし切れなかったからであった。
メソポタミアの宗教は、紀元前2,000年までには、セース人の教えをまさに失うところであり、主に2集団の侵略者、じわじわと西方の砂漠からのベドゥインのセム族の侵入、また北方から下りてきた未開騎馬人の原始信仰の影響下にあった。
週の7日目を祝う初期のアダーム系民族の慣習は、決して完全にメソポタミアで消滅したわけではなかった。メルキゼデク時代における7日目は、不運中の不運と見なされたに過ぎない。それは、禁忌に支配されていた。不吉な7日目に旅にでたり、料理をしたり、または火を起こすことは不法であった。ユダヤ人は、目にしたバビロニアの7日目の遵守、すなわち安息日に関係づけるメソポタミアの禁忌の多くをパレスチナに持ち帰った。
シャレイムの教師は、メソポタミア宗教に磨きをかけ、また向上させるために多くのことをしたとはいえ、様々な民族を一神の永続続認識に至らせることには成功しなかった。そのような教えは、150年以上のあいだ主流となり、そして徐々に多神の昔の信仰に取って代わられた。
シャレイムの教師は、メソポタミアの神の数を大いに減少させ、ひところは主要な神をベル、シャマスク、ナブ、アヌ、エーア、メロダク、シンの7神にまで減らした。その新しい教えの最盛期に、かれらは、他の総てのもの、つまりバビロニアの3神の上に地と海と空の神々であるベル、エーア、アヌの3神の地位を上げた。さらに他の3組が、アンド系とシュメール人の三位一体の教えを連想させる、またメルキゼデクの3円の記章でシャレイムの信仰に基づくすべてが、異なる場所で成長した。
シャレイムの教師らは、決して神の母であり性的繁殖力の霊であるイシュタールの人気に完全に打ち勝つことはできなかった。かれらは、この女神への崇拝の改善のために多くのことをしたが、バビロニア人とその隣人は、性崇拝の偽装の型から一度も完全に脱却したことがなかった。すべての女性が、少なくとも若い頃一度は見知らぬ人を受け入れることが、全メソポタミアでの一般的習慣になっていた。これは、イシュタールが必要とする献身であると考えられ、また繁殖力は、主にこの性の犠牲に依存していると信じられていた。
メルキゼデクの教えの早期の進歩は、キシュにある学校の指導者であるナボダドが、寺での蔓延的売春慣習への集中攻撃をすると決めるまで極めて満足できるものであった。だが、シャレイムの宣教師達は、この社会改革をもたらすことができず、精霊的かつ哲学的なより重要な教えのすべては、この失敗による挫折のなかで敗北に終わった。
シャレイム福音のこの敗北の後には、パレスチナにはアシュトレースとして、エジプトにはアセト、ギリシアにはアフロディーテ、北方部族にはアスターテとして既に侵入していたイシュタールの宗教儀式の拡大が、すぐに続いた。そして、バビロニア人の司祭者が星の観測へと新たに向き直ったのは、イシュタールの崇拝のこの復活との関連においてであった。占星術は、広範囲におよぶメソポタミアのその最後の復興を経験し、易断が流行となり、また司祭は、何世紀もの間ますます堕落していった。
メルキゼデクは、すべての父であり造物主である一神についての教えと信仰経験のみによる神の恩恵の福音ただ一つの説教について追随者に警告を与えてきた。しかし、過度の試み、すなわち突然の革命による鈍い発展に取って代わる試みは、多くの場合しばしば新しい真実の教師の誤りであった。メソポタミアのメルキゼデク宣教師は、道徳的水準を人々にとってあまりにも高く設定した。あまりに多くを試みた結果、その高潔な大儀は敗北した。かれらは、明確な福音を説くために、つまり宇宙なる父の現実の真実を広布するために任命されたが、慣習改革という明らかに価値ある動機に巻き込まれるようになり、その結果、重大な任務は、脇道に逸れ、事実上、挫折し忘却された。
キシュのシャレイム本部は、1世代で終わりを告げ、また一神信仰の宣伝活動は、実質的には全メソポタミアで消滅した。しかし、シャレイムの学校の残存者は、持続した。あちらこちらに点在する小集団が、一創造者の自分達の信仰を存続し、メソポタミアの司祭の偶像崇拝と不道徳性と闘った。
彼らの教えが拒絶された後の時期に、シャレイム宣教師たちは、旧約聖書の多くの詩篇を書いた石に書き、その石を後のヘブライの聖職者たちが、監禁中に見つけ、次にユダヤ人の著述とされる賛美歌の収集の中にそれらを取り入れられた。バビロンからのこれらの美しい詩篇は、ベルメロダークの寺院では書かれなかった。それらは、初期のシャレイム宣教師の子孫の仕事であったし、またバビロニア人司祭の魔術の集塊に対し著しい対照をなしている。ヨブ記は、キシュのシャレイム学校やメソポタミア全体に至る相当に優れた教えの反映である。
メソポタミアの宗教文化の多くは、アメネモペとイフナトンの働きによりエジプト経由でヘブライ文学と礼拝式へと至った。エジプト人は、初期のアンド系メソポタミア人から得られる社会的義務に基づく教えをよく保持し、しかもこの教えは、ユーフラテス渓谷を占領した後のバビロニア人により大規模に失われた。
メルキゼデクの本来の教えは、エジプトでその最も深い根をおろし、そこからヨーロッパへと広まった。ナイル渓谷の進化的宗教は、ノヅ系、アダーム系、後のアンド系民族の優れた血統の到来により周期的に補強された。エジプト人の民生長官の多くは、時にシュメール人であった。エジプトは、インドが、このころ最大規模混合の世界の人種を有していたように、ユランチアに存在する徹底的に混合された宗教哲学の型を育成し、またそれは、ナイル渓谷から世界の多くの地域に広がった。ユダヤ人は、天地創造に関する考えの多くをバビロニア人から受け入れたが、神の摂理の概念はエジプト人から得ていた。
エジプトがメソポタミアよりも一層好意的にシャレイムの教えに受容を示したのは、哲学的、もしくは宗教であるよりも、むしろ政治的で道徳的風潮であった。エジプトの各部族の指導者は、王位への道を戦った後、部族の神を最初の神格と他のすべての神の創造者であると宣言することにより自らの王朝を永続させようとした。このようにしてエジプト人は、超越的神の考えに、つまり普遍的創造者の神格についての後の教理に対する踏み台に徐々に慣れてきた。一神教の考えは、何世紀もの間エジプトで前後に揺らいだ。一神の信仰は、常に前進してきたが、発展的多神教の概念を圧することは決して完全にはできなかった。
長い間、エジプト民族は、自然神を崇拝していた。とりわけ雄牛を崇拝する部族、ライオンを崇拝する別の部族、雄羊を崇拝する3番目の部族という具合いに40の部族が、独自の神をもった。それより以前には、アメリカ原住民によく似てトーテム部族であった。
そのうちエジプト人は、煉瓦の貯蔵所に埋められた死体は腐敗する一方で、ソーダを染み込ませた砂の作用により煉瓦のない墓に置かれたものは保存される—防腐処置が施される—ことに気づいた。この観測は、死者を防腐処理する後の習慣につながる実験に導いた。エジプト人は、肉体の保存が来世への人の通路を容易にすると信じた。個人は、肉体の腐敗後の遠い未来において正確に確認されることができるように、棺には像を彫り、墓には死体と共に埋葬用の像を収納した。これらの埋葬像の作成は、エジプト芸術における大きな改良に導いた。
何世紀もの間、エジプト人は、肉体の保護と死後の快い生存としての墓を信じた。魔術習慣の後の発展は、揺りかごから墓場まで人生に重荷になる一方で、人々を墓の宗教から最も有効に救い出した。聖職者は、「人が冥界で心を持ち去られる」からの保護であると信じられたまじないの内容を棺に記すのであった。まもなく、これらの魔術の本文のさまざまの組み合わせが、死者の書として収集され保存された。ナイル渓谷の魔術的儀式は、その当時の儀式ではあまり達しない程度の良心と性格の領域に早くから関わるようになった。次には、これらの倫理的で道徳的な理想が、入念な墓よりも、救済のための頼りとされた。
これらの時代の迷信は、エジプトにその起源を持ち、そこからアラビアとメソポタミアに広まった治療物質としての唾の効き目の一般信仰によく例示されている。若い神セットは、ホルスの伝説的な戦いで目を失ったが、セットの敗北後に、賢明な神トスが傷に唾を吐きかけこの目を治した。
エジプト人は、長い間、夜空のきらめく星は、立派な死者の魂の生存を表すと信じた。かれらは、他の生存者は太陽に吸収されると考えた。ある期間、太陽崇拝は、先祖崇拝の種類となった。巨大ピラミッドの入り口への傾斜のある通路は、王の魂が墓から出るとき、恒星の静止し、固定された星座に、つまり王の想定上の住まいに、まっすぐに行くことができるように北極星を直接指し示した。
太陽の傾斜光線が、雲の隙間から地球に向かって貫いているのが観測されるとき、王と他の公正な魂が昇ることのできる天の階段の降下を示すと信じられた。「ペピ王は母のもとに昇るために彼の輝きを自分の足下の階段として掛けた。」
メルキゼデクが肉体で現れたとき、エジプト人は、周辺民族の宗教よりはるかに高度のものを持っていた。肉体から離脱した魂は、魔術の唱え文句で適切に武装させられるならば、妨害する悪霊を回避し、またオシリスの判決の間へ進み、そこで、もし「殺人、強盗、虚偽、密通、窃盗、身勝手さ」がなければ、それは、至福の領域に認められるのであった。もしこの魂が、秤にかけられ、欠けていると分かるならば、地獄に、貪食婦に送られるのであった。これは、周辺民族の多くの信仰との比較において比較的高度な来世の概念であった。
地球での肉体における人の人生の罪に対する死後の判決に関する概念は、エジプトからヘブライ神学に継続された。判決という言葉は、ヘブライ詩篇の書全体のなかでただ一度だけ現れ、その特別の詩篇は、エジプト人によって書かれた。
エジプト文化と宗教は、主にアンド系のメソポタミアに由来し、ヘブライ人とギリシア人を介しておおむねその後の文明に伝わったとはいえ、エジプト人の多くの、じつに多くの社会的で倫理的な理想主義が、純粋に進化的発展としてナイル渓谷で起きた。アンド系出来の多くの真実と文化の移入にもかかわらず、エジプトにおいては純粋に人間の発展としての道徳的文化が、マイケルの贈与以前の他のいかなる外接地域における同様の自然手段による発展よりもさらに発展した。
道徳的進化は、完全には顕示に依存していない。高い道徳概念は、人間の自己の経験から導きだすことさえできる。神の魂が内に宿ることから、人は、精神的価値さえ進化させ、人格の経験的生活から宇宙洞察を導き出すことができる。良心と性格のそのような自然の進化は、古代の第2エーデンから、後にはシャレイムのメルキゼデクの本部からの真実の教師の周期的到着によっても高められた。
シャレイム福音がエジプトに浸透する何千年も以前に、その道徳指導者達は、正義、公正、貪欲の回避を教えた。ヘブライ経典が著される3,000年前、エジプト人の処世訓は、次の通りであった。「正義を基準とする者は地歩を固めている。その人はその道に従って歩く。」彼らは、優しさ、節度、思慮深さを教えた。この時代の偉大な教師の一人の教えは、次の通りであった。「正しいことをし、すべての者を公正に扱いなさい。」この時代のエジプトの三つ組は、真実-司法-正義であった。ユランチアの純粋に人間的なすべての宗教のなかで、ナイル渓谷のこのかつての人道主義の社会的理想と道徳的な崇高さ壮大さを凌ぐものは、一つもなかった。
シャレイム宗教の存続する教理は、これらの進化する倫理的考えと道徳的理想の土壌に栄えた。善と悪の概念は、「命は平和を好む者に与えられ、死は罪ある者に。」と信じる民族の心にすぐ反応した。「平和を好む者は愛されることをする者である。罪ある者は嫌われることをする者である。」何世紀ものあいだ、ナイル渓谷の住民は、そもそも正邪—善悪—の後の概念を受け入れる以前にこれらの台頭しつつある倫理的、社会的基準によって生活していた。
エジプトは、知的で道徳的であったが、それほど精神的ではなかった。6,000年間に、エジプト人の間に出現した偉大な予言者は、4人だけであった。エジプト人は、アメネモペにはしばらくの間従った。彼らは、オフバンを殺害した。イフナトンを受け入れはしたが、熱心さを欠いての短い1世代の間であった。モーシェを拒絶した。アブラーハームにとり、後にはヨセフにとり、シャレイムの一神の教えのためにエジプト中に大きな影響を与え易くしたのは、この場合もやはり、宗教情況よりもむしろ政治的情況であった。しかし、最初にエジプトに入ったとき、かれらは、メソポタミア移民の変更された道徳基準と混合されたこの非常に進化した倫理的文化に遭遇した。初期のナイル渓谷のこれらの教師は、神の命令、神の声として最初に良心を宣言する最初の者であった。
そのうちに、多くの者に「人の息子」と呼ばれ、他からはアメネモペと呼ばれる一人の師がエジプトで育った。この予言者は、善と悪の間で良心を裁定のその最頂点へ高め、罪に対する処罰を教え、太陽神を求めることを通して救済を宣言した。
アメネモペは、富と財産は神の贈り物であることを教え、この概念は、後に登場するヘブライ哲学に徹底的に影響を与えた。この高潔な教師は、神-意識がすべての行為の決定要素であると信じた。神臨場の、また神への認識の中で刻一刻送られるべきであると信じた。この賢人の教えは、旧約聖書が書物になるずっと以前、ヘブライ語に翻訳され、その後その民族の聖典となった。この善人の主要な説教は、政府の責任ある地位における正直さと誠実さを自分の息子に教えることに関係があり、とうの昔のこれらの気高い心情は、現代のいかなる政治家をも礼遇するであろう。
ナイル渓谷のこの賢人は、「富は自分たちに翼をつけ、飛び去る」—地球のすべてのものは儚い、ということを教えた。この賢人の重要な祈りは「恐怖から救われる」ということであった。彼は、すべての者に「人の言葉」から「神の行為」 へ向き直るように勧めた。現に、彼は教えた。人は申し入れるが、神は処分する。ヘブライ語に翻訳されたこの賢人の教えは、旧約聖書の箴言に関する哲学を決定した。その教えは、ギリシア語に翻訳され、その後のすべてのギリシャ宗教哲学に影響を与えた。フィロン、後のアレクサンドリアの哲学者は、知恵の書を一冊所持していた。
アメネモペは、進化の倫理と顕示の道徳を保護するために機能し、その著述においてヘブライ人とギリシア人にそれらを伝えた。かれは、この時代の最も偉大な宗教教師ではなかったが、西洋文明の発展におけるその後の極めて重要な2つのつながりの思想—西洋の信仰の極致はヘブライ人の間で発展し、そしてギリシア人がヨーロッパのその最大の高さへと純粋な哲学的思想を発展させた—に着色したという点で最も影響力があった。
ヘブライの箴言の第15章、第17章、第20章、それに第22章の17節、第24章の22節まではアメネモペの知恵の書からほぼ逐語的に収められている。ヘブライ書の最初の詩篇は、アメネモペによって書かれており、イフナトンの教えの核心である。
王室の一人の女性が、エジプト人のシャレイム医師の影響で、メルキゼデクの教えを支持すると、アメネモペの教えは、徐々にエジプト人の心の中で手を緩めつつあった。この女性は、唯一なる神のこの主義を受け入れるようにとエジプトのファラオである息子のイフナトンを説き伏せた。
肉体のメルキゼデクの失踪以来、イフナトンのようにシャレイムの啓示的宗教について驚くべき明確な概念を有した人間は、その時まで誰一人としていなかった。ある点で、この若いエジプト王は、人間の歴史で最も注目すべき人々の一人である。イフナトンは、精神的な落ち込みが増大するメソポタミアのこの時代、エジプトにおける一なる神のエル・エリョンの教理を生かし続け、マイケルのその後の顕示の宗教背景に必要であった一神教の哲学的な伝統をこうして維持した。他にも理由はあるが、幼子イエスは、エジプトに連れられ、そこでイフナトンの数人の精神的後継者が、イエスを見、ユランチアへのイエスの神からの任務のある局面をある程度理解したのはこの功績を認めてのことであった。
メルキゼデクとイエスの間における最も偉大な人柄のモーシェは、ヘブライ人種とエジプト王室からの世界への同時の贈り物であった。そして、もしイフナトンにモーシェの多才さと能力があったならば、驚くべき宗教的指導力に釣り合う政治的才能を明示していたならば、エジプトは、間もなくその時代の偉大な一神教の国になっていたことであろう。また、もしこれが、起こっていたならば、イエスは、人間としてのその生涯の大部分をエジプトで過ごしたかもしれないということがかろうじて可能である。
歴史上どの王も、決してこの並はずれたイフナトンのように全国民を多神教から一神教へと整然と向きを変えさせなかった。最も驚くべき決断で、この若い支配者は、過去と決別し、自分の名を変え、自分の首都を捨て、まったく新しい都市を建設し、全国民のために新しい芸術と文学を創造した。しかし、この若い支配者は、あまりに速く進んだ。彼が死んでしまうと、立ちゆかないないほどあまりに多く建てた。一方、この若い支配者は、その国民の物質的な安定性と繁栄を提供ができず、その後の逆境と圧迫が続々とエジプト人に押し寄せたとき、そのすべてが、都合悪く彼の宗教上の教えに反発した。
驚くばかりの明確な見通しと目的への並はずれた一途さをもつこの男性に、モーシェの政治上の明敏さがあったならば、西洋世界の宗教発展と真実啓示の歴史全体を変えていたことであろう。モーシェは、その生涯のうちに、通常は不審を抱いていた聖職者の活動に歯止めをかけることができたが、権力から若い王が去るやいなや、彼らは、秘密で礼拝集団を維持し、行動に移した。聖職者達は、エジプトのその後のすべての問題をこの王の治世の間の一神教の体制に結びつけることにためっらてはいなかった。
イフナトンは、とても賢明に太陽神を装って一神教を確立しようとした。すべての神を太陽崇拝に吸収することにより宇宙なる父の崇拝に近づくというこの決定は、シャレイム医師の助言によるものであった。イフナトンは、神格の父性と母性に関して当時存在したアトン信仰の一般化された教理を取り込み、人と神の間の親密で敬虔な関係を認識する宗教を創出した。
イフナトンは、賢明にも太陽神アトンの外向きの崇拝を維持したが、自分の仲間をアトンの創造者とすべてのものの崇高なる父への偽装崇拝へと導いた。この若い教師-王は、多作の作家であり、聖職者が権力に返り咲くと完全に破棄された「唯一なる神」と題される31章からなる本を説明する作者であった。また、イフナトンは、137篇の賛美歌を著わし、そのうちの12篇は、ヘブライ人の著述によるものとされ、現在旧約聖書の詩篇に保存されている。
日常生活におけるイフナトンの宗教の最高の言葉は、「正しさ」であり、またイフナトンは、国家の倫理のみならず国際倫理をも迎え入れるために正しい行ないをする概念を急速に広げた。これは、驚くべき個人の敬虔さをもつ1つの世代であり、神を求め、神を知るというより知的な男女の中の本物の切望によって特徴づけられた。当時、社会的地位、または、富は、法的観点から言うと、いかなるエジプト人にも何の利点も与えなかった。エジプトの家族生活は、道徳的文化を保存し、補強するために多くのことをし、またパレスチナでのユダヤ人の後のずば抜けた家族生活のひらめきであった。
イフナトンの福音の致命的弱点は、その最もすばらしい真実、つまりアトンは、エジプトの創造者であるばかりではなく、「人類と獣類の世界全体の、またこのエジプトの地の外のすべての異郷の地の、シリアとクシュの創造者でさえある。アトンは、それぞれの場所にすべてをはめ込んで、彼らの必要なものをすべてを提供する。」という教えであった。神格のこれらの概念は、高度で、高揚するものであったが、国家主義的ではなかった。宗教におけるそのような国際的感情は、戦場でのエジプト軍隊の士気を高めはしなかったものの、若い王とその新宗教に向けて使用する有効な兵器を聖職者に提供した。アトンは、後のヘブライ人のものよりはるかに高度の神についての概念を持っていたが、それは、国の建設者の目的を果たすには高度過ぎた。
一神の理想は、イフナトンの死に弱体化したが、多くの集団の心に存続した。イフナトンの娘婿は、自分の名前をツタンハモンと変え、聖職者と協力し古い神々の崇拝へと戻った。首都は、テーバーイスに戻リ、聖職者は、土地で富を肥し、最終的には全エジプトの1/7を所有した。やがて、大胆にも聖職者のこの同じ体制の一人が、王冠を奪取した。
だが、聖職者は完全に一神教の波に打ち勝つことができたというわけではなかった。かれらは、だんだんと自分達の神を止むええず結合し、ハイフン結びつけていった。ますます神の家族は縮小した。イフナトンは、創造者たる神を天の燃えるような円盤に関連づけ、若い改良者が亡くなったずっと後にもこの考えは、人の心の中で、聖職者の心の中でさえも、燃え続けた。一神教の概念は、エジプトや世界の人々の心から決して消えなかった。それは、イフナトンが、全エジプトによる崇拝のためにとても熱心に宣言した1神のその同じ神性の父をもつ創造者の到着までも存続した。
イフナトンの教理の弱点は、教育を受けたエジプト人だけがその教えを完全に理解できるというそれほどに高度な宗教を提案したという事実にあった。農業労働者の一連は、イフナトンの福音を現実には決して理解せず、したがって聖職者とともにアセトとその配偶者、つまり闇と邪悪の神のセットの手による残酷な死から奇跡的に復活したとされるオシリスの昔の崇拝に戻る状態にあった。
すべての人への不死の教えは、エジプト人には高度過ぎた。復活は、王と金持ちだけに約束された。彼らは、それゆえ裁きの日に備え、非常に念入りに自分達の肉体に防腐処置を施し保存した。しかし、イフナトンが教える救済と復活の民主主義は、やがてはエジプト人が後に物の言えない動物の生存を信じるというまでに広がった。
人民へ一神崇拝を押しつけるこのエジプト人支配者の努力は失敗するかに見えたが、その働きの影響は、何世紀ものあいだ、パレスチナとギリシアに存続したということ、そしてその結果、エジプトは、結合されたナイルの進化的文化とユーフラテス川の天啓的宗教を西洋のその後の全民族への伝道剤になったということが記されるべきである。
ナイル渓谷におけるこの長い道徳的発達と精神的成長時代の栄光は、ヘブライ人の国民生活が始まる頃に急速に過ぎ去り、これらのベドゥインは、エジプト滞在の結果としてこの教えを携え、彼等の人種的宗教においてイフナトンの教理の多くを永続させた。
数人のメルキゼデク宣教師は、パレスチナからメソポタミア経由でイラン大高原へと進んだ。シャレイム教師は、500年以上、イランにおいて前進し、支配者の交替が悲惨な迫害を早めているとき、国全体は、シャレイムの集団礼拝の一神の教えを実際に終わらせるメルキゼデク宗教へと揺れていた。道徳復興のあの偉大な世紀に、つまり紀元前6世紀にゾロアスターがシャレイム福音の残り火を蘇生させるために出現したとき、アブラーハームの盟約の教理は、ペルシアで実質的に消滅した。
新宗教のこの創設者は、男性的で冒険好きな若者であり、メソポタミアのウールへの最初の巡礼の旅においてカリガスティアとルーキフェーレンスの反逆の伝統について—他の多くの伝統に加えて—知った。そのすべてが、彼の宗教の素質に強く訴えた。それに合わせて、かれは、ウールでの夢の結果、人民の宗教改造に取り掛かるために北の故郷に戻ることにした。かれは、正義の神についてのヘブライ風の考え方、神性モーシェの概念を取り込んだ。最高の神についての考えは、彼の心の中では明確であり、かれは、他のすべての神をメソポタミアで聞いたことのある悪魔の位置に付した。伝統ウールに残存したていたので、かれは、主たる7精霊の話を知っており、したがって、アフーラマーズダをその長にした七柱の最高神の華やかな1群を創り出した。彼は、これらの従属的な神々を正なる法、善なる思考、高潔なる政府、聖なる品性、健康、不死の理想化に関連づけた。
この新宗教は、行動の1つ—仕事—であり、祈りや儀式ではなかった。その神は、最高の知恵をもつ者であり、文明の後援者であった。それは、悪、無活動、後退とあえて戦う好戦的な宗教哲学であった。
ゾロアスターは、火の崇拝を教えなかったが、普遍的で最高の支配である純粋で賢明な聖霊の象徴として炎を利用しようとした。(残念なほどに本当であるが、後の追随者は、この象徴的な火を崇敬もし崇拝もした。)最終的に、この新宗教は、イラン人の王子の転向後武力によって広げられた。そしてゾロアスターは、「光の主の真実」を信じたそれのために、戦いで勇ましく死んだ。
拝火教は、主たる七精霊に関するダラマティアとエーデンの教えを永続させる唯一のユランチア教義である。三位一体概念の発展に失する一方で、それは、ある方法で神の7重の概念に近づいた。本来の拝火教は、純粋な二元性でなかった。初期の教えは、たしかに悪を善と等位において描写したものの、それは、確実に永遠の、究極の善の現実に水没した。この思考体系は、後になりやっと、善と悪は同じ条件で争うという支持を得たのであった。
ヘブライ経典に記録される天国と地獄、それに悪魔についてのユダヤ人の伝統は、ルーキフェーレンスとカリガスティアの存続する伝統に基づく一方で、ユダヤ人が、ペルシア人の政治的、文化的支配下にあった時期のゾロアスター教徒に主に由来していた。ゾロアスターは、エジプト人のように、「裁きの日」を教えたが、この出来事を世の終わりに関連づけた。
ペルシアで拝火教を引き継いだ宗教ですら、著しくその影響を受けた。イラン人の聖職者達が、ゾロアスターの教えを崩壊しようとしたとき、かれらは、ミースラの古代の崇拝を復活させた。そして、ミースラ教は、レヴァントと地中海地域に蔓延し、しばらくはユダヤ教とキリスト教双方と同時代に存在した。ゾロアスターの教えは、その結果、連続して重要な3宗教の注目を引いた。ユダヤ教とキリスト教、それらを通してのイスラム教。
ゾロアスターの高い教えや堂々たる詩篇は、ゾロアスターが決して身を落とさなかった詭弁への信条をもつことに結びつけて、死者に関し大きな恐怖をもつパルシー教徒によるゾロアスターの福音の現代のこじつけとはほど遠いのである。
この偉人は、暗くされた世界にいる人に永遠の命へと導く光の道を示すためにほんのかすかに燃える間、シャレイムの光が完全に、そして最後に消されないように守るために紀元前6世紀に登場したその特異集団の1人であった。
一神のメルキゼデクの教えは、比較的最近アラビア砂漠で確立されるようになった。シャレイム宣教師は、過度の組織化に関するマキヴェンタの指示に対する誤解からギリシアでそうであったようにアラビアにおいても失敗した。しかし、かれらは、軍事力、あるいは民間への強制で福音を広げる全努力に対するマキヴェンタの訓戒の解釈においてはこのようには妨げられなかった。
メルキゼデクの教えは、中国、あるいはローマにおいてさえ、シャレイムそれ自体にとても近いこの砂漠地域ほどには完全に失敗しなかった。東洋と西洋の民族の大半がそれぞれに仏教徒とキリスト教徒になったずっと後、アラビア砂漠は、数千年間もそうであったように当然の報いが続いた。それぞれの部族は、その昔の物神を崇拝し、また個々の家族の多くは、家庭ごとの神をもっていた。長い間、バビロニア人のイシュタール、ヘブライ人のヤハウェ、イランのアフーラ、そして、主イエス・キリストのキリスト教徒の父の間での戦いが続いた。1つの概念は、他のものに決して完全に置き換えらることはできない。
アラビア中のあちこちに漠然とした一神の考えにすがる家族と一族がいた。そのような集団は、メルキゼデク、アブラーハーム、モーシェ、ゾロアスターの伝統を大事にした。イエスの福音に反応していたかもしれない多数の中心地が存在したが、砂漠の地のキリスト教使節団は、地中海の国々で宣教師として機能した妥協者や革新者に比べると厳格で頑固な集団であった。イエスの追随者が、より真剣に「全世界に進み、福音を説けよ」という彼の命令を受け止めていたならば、またその説教においてもっと丁重あったならば、自身が考案する社会的必要条件の厳しさが控え目であったならば、それならば多くの国々が、その中のアラビアが、大工の息子の簡単な福音を喜んで受け入れていたことであろうに。
重要なレヴァント人の一神教が、アラビアに定着しなかったという事実にもかかわらず、この砂漠の国は、その社会要求にあまり厳しくはないものの、それでもなお、一神教である信仰を生み出すことができた。
砂漠の原始的で組織的でない信仰に関する部族、人種、あるいは国家の特徴のただ1つの要因があり、それは、ほとんど総てのアラビア部族が、メッカのある寺院の特定の黒い石の呪物に進んで表す独特の、一般的な敬意であった。共通の接触と崇敬のこの点が、次にはイスラム宗教の確立へと導いた。ユダヤ人のセム族にとっての火山の霊のヤハウェは、彼らのアラビアのいとこにとってのカーバ神殿の石になった。
イスラム教の強みは、唯一無二の神としてのアラーの明快かつ明確な提示である。その弱さは、女性の地位の低下とともに、その普及と軍事力との関連。しかし、それは、すべての者の唯一の宇宙の神格の提示「見えないものと見えるものを知っている方、彼は、慈悲深く情け深い。」をしっかりと保ってきた。「本当のところ、神はすべての人への善に満ちている。」「そして、私が病気であるときに、私を癒すのは彼である。」「3人もの人が同時に話そうとも、いつでも神は4人目として出席している、」というのも彼は、「最初でも最後でもなく、また見られるものでも隠れるものでも」ないではないか。
[ネバドンのメルキゼデクによる提示]
人間は、神格の概念を思い描くに当たり、まずすべての神を含み、次には部族の神にすべての外国の神を従属させ、やがて最後に、最終かつ最高の価値の一柱の神以外の全てを除外する。ユダヤ人は、思い描くすべての神をイスラエルの自分達の主なる神のより高尚な概念に統合した。同様にヒンズー教徒は、リグヴェーダに描かれている「神々の一精神性」 へと自分達の多種多様の神を結合させ、一方、メソポタミアの住民は、自分達の神々をベルメロダクのより集中された概念に縮小させた。一神教のこれらの考えは、メルキゼデクのマキヴェンタが、パレスチナのシャレイムに登場してから間もなく世界中で円熟した。だがメルキゼデクの神格についての概念は、包括、従属、および排斥の進化的哲学のそれとは異なっていた。それは、それ専ら創造力に基づいて形成され、メソポタミア、インド、エジプトの最高度の神の概念にすぐに影響を及ぼした。
シャレイム宗教は、ケニーテ人と他の幾つかのケナーアン部族による伝統として崇敬された。これは、メルキゼデクの肉体化の目的の1つであった。つまり1神の宗教は、その1神の息子の地球での贈与への道に備えるように育成されるべきであるということ。マイケルは、かれが現れることができる民族、つまり宇宙なる父を信じる民族が存在するまで、ユランチアにはとても来ることはできなかった。
シャレイム宗教は、教義としてパレスチナのケニーテ人のあいだで持続し、この宗教は、後にヘブライ人に採用されたように、まずは、エジプト人の道徳指導に影響された。その後、バビロニアの神学思想によって。そしてついには、善と悪のイラン人の概念によって。ヘブライ宗教は、実際アブラーハームとマキヴェンタ・メルキゼデクの間の盟約に基づいており、進化的には多くの独自の環境状況の結果であるが、文化的にはレヴァント地方の宗教、道徳、哲学から自由に借りてきた。エジプト、メソポタミア、イランの道徳や宗教的考えの多くが、西洋民族に伝えられたのはヘブライ宗教を通してのことである。
初期のセム族は、すべてを霊が宿るものと見なした。動物と植物界の霊があり、年毎の霊や子孫の主人があり、火、水、空気の霊があり、恐れられ崇められるべき紛れもない霊の殿堂があった。そして、宇宙の創造者に関するメルキゼデクの教えは、これらの従属的霊を、または自然神への信仰を決して完全に破壊したというわけではなかった。
多神教から単一神教を経て一神教へのヘブライ人の進歩は、不屈で連続した概念的発展ではなかった。神性の概念の進化において多くの退歩を経験したが、どの時代にもセム族信者の異集団のあいだには神についての種々の考えが存在した。時々、数々の用語が神の概念に適用され、また、混乱を防ぐためにこれらの様々な神格の称号は、ユダヤ教の神学の発展に関係があるように定義されるであろう。
1.ヤハウェは、南パレスチナ部族の神であり、その部族は、神のこの概念をシナイ火山のホレーブ山に関連づけた。ヤハウェは、セム部族とその民族が注目し、崇拝を要求をした何百、何千もの自然神の中の単なる1神であった。
2. エル・エリョン。メルキゼデクのシャレイム滞在後の数世紀の間、メルキゼデクの神の教理は、様々な異説を持ち続けたが、一般に、用語エル・エリョン、天のいと高き神の名によって表現された。アブラーハームのすぐ次の子孫を含む多くのセム族は、ヤハウェとエル・エリョンの双方をさまざまな時期に崇拝した。
3. エル・シャッダイ。エル シャッダイが何を意味するのかについての説明は難しい。神についてのこの考えは、アメネモペの知恵の書の教えから派生し、アトンに関するイフナトンの教理により変更され、エル・エリョンの概念に表現されるメルキゼデクの教えによってさらに影響を受けた混成物であった。しかし、エル シャッダイの概念がヘブライの心に浸透すると、それは、すっかり砂漠のヤハウェ信仰に彩色されるようになった。
この時代の宗教の支配観念の1つは、神の摂理に関するエジプト人の概念は、すなわち物質的繁栄は、エル シャッダイへの奉仕に対する報酬であるという教えであった。
4. エル。用語に関するすべてのこの混乱と概念の不明瞭さの真ん中にあって多くの敬虔な信者は、神性のすべての発展的考えのすべてを心から崇拝しようと努力し、この合成神をエルと呼ぶ習慣が行き渡った。そして、この用語は、さらにベドゥインの他の自然神を包含した。
5. エロヒーム。長い間キシュとウールにはアダームとメルキゼデク時代の伝統に基づいて設立された3柱の中の1柱の神の概念を教えたシュメール系カルデア人集団が、存続した。この教理はエジプトへと届き、そこにおいてこの三位一体は、エロヒーム、または、単数でエロアーの名で崇拝されていた。エジプトの哲学集団とヘブライ系のアレクサンドリアの後の教師達は、多元的な神のこの統一を教え、また、脱出時のモーシェの顧問の多くが、この三位一体を信じた。しかし、三位一体のエロヒームの概念は、バビロニア人の政治的影響を受けるまで決してヘブライ神学の実部にはならなかった。
6. 種々様々の名前。セム族は、神の名を口に出すことを嫌がり、したがって、その時々に次のような数多くの称号に頼った。神の霊、主、主の天使、全能者、聖なるもの、いと高きもの、アドーナイ、高齢者達、イスラエルの主なる神、天地の創造者、キーリオス、ヤー、万軍の主、天の父。
イェホヴァは、ヘブライの長い存在においてようやく展開したヤハウェの完成された概念を表すために近代において使われてきた用語である。しかし、イェホヴァという名前は、イエスの時代から1,500年後まで慣例とはならなかった。
紀元前およそ2,000年まで、シナイ山は、火山として断続的に活動しており、この地帯でのイスラエル人の滞在時まで、時おり爆発が起きていた。火と煙は、この火山噴火に関連した雷のような爆発音とともに、すべてが、周辺地域のベドゥインを感銘させ、恐れさせもし、またヤハウェを大いに恐れさせる結果となった。ホレーブ山のこの霊は、後にヘブライ人のセム族の神になり、ヘブライ人のセム族は、ついには、この神が他のすべての神の上にあって最高であると信じた。
ケナーアン人は、長い間ヤハウェを崇敬し、またケニーテ人の多くは多かれ少なかれエル・エリョン、シャレイム宗教の超越的な神を信じたが、ケナーアン人の大多数は、漠然と昔の部族神の崇拝を固守した。かれらは、惑星的とは言えないまでも国際的な神のために、決して自分達の国家の神を進んで捨てようとはしなかった。ケナーアン人は、普遍的な神に関心がなく、したがって、これらの部族は、ヤハウェと、それにベドゥイン牧夫のシナイ火山の霊の概念を象徴する銀色と金色の子牛を含む部族神を崇拝し続けた。
シリア人は、自分達の神を崇拝しつつ、ヘブライ人のヤハウェも信じた。というのは、シリア人の予言者が、シリア人の王に次のように言ったからであった。「かれらの神は丘の神です。だから、我々よりも強かったのです。しかしながら、平野でかれらと戦うならば、私達の方がきっと強いでしょう。」
人が文化的に進むにつれ、より重要でない神は、最高の神の次にされる。偉大なジュッピターは、単に感嘆だけとして持続する。一神教信者は、彼らの従属的な神を霊、悪霊、運命の三女神、ネレイス、妖精、ブラウニー、小人、バンシー、および邪眼として守っている。ヘブライ人は、単一神教を経験し、長い間ヤハウェ以外の神々の存在を信じたが、これらの外国神は、ますますヤハウェに従属するものであると考えた。彼らは、アモル人の神であるケモシュの実在を認めたが、彼はヤハウェに従属すると主張した。
ヤハウェについての考えは、神についての人間のすべての理論の最も大規模な発展を経た。その進歩的発展は、アジアでの仏陀の概念の変化にのみ比較することができる。アジアでの仏陀の概念は、ヤハウェの概念が最終的に宇宙なる父の考えにつながるように、最後には宇宙の絶対者の概念に導いた。しかし、歴史的事実の問題として、ユダヤ人がホレーブ山の部族神から後の時代の愛情に満ち慈悲深い創造者の父へと神への視点をこのように変えたにもかかわらず、かれらは、神の名前を変えなかったということが理解されるべきである。彼らは常に神のこの発展する概念を、ヤハウェと呼び続けた。
東洋のセム族は、肥沃な半月地域の東の領域に侵入したよく組織化され、よく統率された馬の乗り手であり、バビロニア人と結合した。ウル近くのカルデア人は、東方のセム族のなかで最も高度であった。フェニキア人は、地中海沿岸に位置するパレスチナの西の区域を保持する優秀でよく組織化された混血セム族集団であった。セム族は、世界の9人種のほとんど総てからの遺伝的要素を有するユランチア民族のなかでも最も混合した者達の中にあった。
アラビアのセム族は、再三北の約束の地へと、「乳と蜜のあふれた」土地へと血路を開いたが、しばしばより組織化され高度に文明化した北のセム族とヘティテ人に排除された。後に、これらの流浪のベドゥイン族は、異常に苛酷な飢饉の間、エジプトの公共事業の契約労働者として大量にエジプトに入ったが、結果的には、ナイル渓谷の普通の、虐げられた労働者の厳しい日々の労役において奴隷状態の苦い経験をしたに過ぎなかった。
セム族のある部族が、独自の信仰のためにイスラエルの、後のヘブライ人、ユダヤ人、および「神の選民」の子孫が召集されたのは、メルキゼデクのマキヴェンタ とアブラーハームの時代の直後であった。アブラーハームは、全ヘブライ人の人種上の父ではなかった。かれは、エジプトで捕虜になった総てのベドゥインのセム族の先祖でさえなかった。いかにも、エジプトから来た彼の子孫は後のユダヤ人の母体を形成はしたものの、イスラエルの一族に取り入れられるようになった男女の圧倒的多数は、エジプトに一度も滞在したことはなかった。彼らは、アブラーハームの子孫とそのセム族の仲間がエジプトから北アラビア経由で旅をしたようにモーシェの統率力に従うことを選んだ単なる遊牧民の仲間であった。
いと高きものであるエル・エリョンに関するメルキゼデクの教えと信仰を通じての神の恩恵の盟約は、まもなくヘブライ国家を形成するセム系民族のエジプト人の奴隷時代までには大部分が忘れられていた。しかし、これらのアラビア遊牧民は、捕らわれのこの期間を通して自らの人種の神としてのヤハウェへの残存する伝統的信仰を維持した。
ヤハウェは、100以上の個々のアラビア部族に崇拝されており、また、ヘブライ人の奴隷捕虜の中の庶民の宗教は、ヘブライ人とエジプト人の混合の血統を含むエジプトのより教育された階級の中に固執したメルキゼデクのエル エリョンの概念の色合いを除いては、魔術と犠牲の古いヤハウェの儀式の修正版であった。
至上の創造者についてのヘブライの概念と理想の進化の始まりは、偉大な指導者、教師、またまとめ役であるモーシェのセム族のエジプトからの出発に遡る。モーシェの母は、エジプト王室の出であった。父は、政府とベドゥインの捕虜の間のセム人の連絡員であった。モーシェには、その結果、優れた人種の源から得られる特質があった。祖先は大いに混合されたので、いかなる1つの人種集団に類別することは不可能である。モーシェは、この混合型でなかったならば、その指導力の下にエジプトからアラビア砂漠へと逃れたそれらのベドゥイン系のセム族と徐々に結びつくようになる雑多な大群の管理を可能にしたその異例の多才と順応性を決して見せなかったであろう。
ナイル王国の文化の誘惑にもかかわらず、モーシェは、父の民と運命を共にすることを選んだ。この偉大なまとめ役が、父の民のきたるべく解放のための計画を立てているとき、ベドゥインの捕虜には宗教の名に相応しいものはほとんどなかった。それらは事実上、真の神の概念をもたず、世界に望みももっていなかった。
これまで指導者は誰一人として、見放され、うちひしがれ、悄然とした無知な人間集団を改革し高めることを引き受けなかった。しかしこれらの奴隷は、遺伝的傾向に隠れた発展の可能性を持ち、しかも、解放のための反乱と攻撃の日に備えて有能な組織者軍団の構成のためにモーシェの指導をうけてきた教育のある十分な数の指導者がいた。これらの優れた者達は、自国の民の監督者として雇われた。かれらは、エジプトの支配者らへのモーシェの尽力により何らかの教育を受けていた。
モーシェは、仲間のセム族の自由のために外交交渉努力を払った。モーシェとその兄は、彼らがアラビア砂漠へ向けてナイル渓谷を平和的に去る許可をえるためにエジプト王との協定締結に入った。エジプトでの長年の奉仕の印にささやかな金品の支払いを受け取ることになった。ヘブライ人側は、ファラオとの友好関係を維持し、エジプトに対しいかなる同盟にも参加しない契約を結んだ。しかし、王は後に、自分の間者が、ベドゥインの奴隷の間に不忠実を発見したという口実を理由にこの条約を無効にしようと決めた。王は、ベドゥインの奴隷は、砂漠に入り、エジプトに背いて遊牧民を組織化するための自由を求めていると主張した。
だが、モーシェは落胆しなかった。好機の到来を待ち、そして、1年足らずで、エジプト兵力が、リビアの南からの強い襲撃とギリシア海軍の北からの侵入の同時の猛攻撃に対し全力で抵抗している隙に、この大胆な組織者は、目覚ましい夜間の脱出でエジプトから同胞を連れ出した。自由のためのこの突進は、慎重に計画され巧みに実行された。ファラオと全滅した少人数のエジプト集団が激しく追跡したにもかかわらず、彼らには多くの戦利品がもたらされ、戦利品の全ては、先祖の砂漠の家に向けて行進する間に前進する逃亡奴隷の集団の略奪品は増大し、かれらは成功した。
モーシェの教えの進化と高揚は、全世界のほぼ半分に影響を及ぼしてきており、20世紀においてでさえもまだそうである。モーシェがより高度なエジプトの宗教哲学を理解する一方、ベドゥインの奴隷は、そのような教えをあまり知らなかったものの、先祖がヤハウェと呼んだホレーブ山の神を決して完全に忘れたことはなかった。
王の血筋の女性と捕虜の部族の男性の間の異例の結合に対する説明は、信仰の共通性であり、モーシェは、父母の双方からメルキゼデクのマキヴェンタの教えについて聞いていた。モーシェの舅は、ケニーテ人のエル・エリョンの崇拝者であったが、この解放者の両親は、エル・シャッダイの信者であった。モーシェは、その結果、エル・シャッダイ教徒として教育され、舅の影響で、エル・エリョン教徒になった。エジプト脱出後シナイ山周辺でのヘブライ人の露営の頃までには、モーシェは、神格(自分のすべてのかつての信仰に由来する) の新しくて拡大した概念を明確の述べ、そして賢明にも自分達の昔の部族神ヤハウェの拡張された概念として民に宣言することを決めた 。
モーシェは、エル エリョンについての考えをこれらのベドゥインに教えようと努力をしていたのだが、皆はこの教理を決して完全には理解しないであろうとエジプトを去る前に確信するようになった。したがって、意図的に自分達の砂漠の部族神をかれの追随者の唯一無二の神として妥協的に採用することとした。モーシェは、他の民族と国には他の神がいるかもしれないとは明確には教えなかったが、決然として、ヤハウェは、すべてを越えて上に位置するということを、特にヘブライ人に主張した。しかし、かれは、ベドゥイン部族の黄金色の子牛にずっと象徴されてきた古代の用語ヤハウェの名の下に、神に関する新しくより高度の自分の考えをこれらの無知な奴隷に提示しようとしている厄介な困難にいつも悩んでいた。
ヤハウェが逃亡するヘブライ人の神であったという事実は、シナイの聖なる山の前になぜそれほど長い間滞在したのか、また、モーシェがホレーブの神であるヤハウェの名にかけて公表した十戒をなぜそこで受けたかを説明している。シナイの前でのこの長い滞在中、新しく進化するヘブライ人の崇拝の宗教儀式がさらに仕上げられた。
その麓での信仰深い滞在の3週目にホレーブの激しい爆発が無かったならば、モーシェには、いくらか進んだ儀式的崇拝の確立と追随者を四半世紀の間維持することにおいてそもそも成功していたとは思えない。「ヤハウェの山は火に焼きつくされ、煙は炉の煙のように昇り、山全体は激しく揺れた。」この大災害を目にしたことで、彼らの神が、「強力で、凄まじく、むさぼり食う炎、恐ろしく全能で」あるという教えでモーシェが同胞を印象づけることができたということは驚きではない。
モーシェは、ヤハウェが、選民としてヘブライ人を特定したイスラエルの主なる神であると宣言した。モーシェは、新しい国を建設しつつあり、ヤハウェが厳しい現場監督、「嫉妬する神」であると追随者に伝え、宗教についての自分の教えを賢明に全国的にした。しかし、かれが、ヤハウェは、「すべての肉なるもののすべての精神の神」であると教えたとき、また「とこしえの神はあなたがたの避難所であり、下には永遠の腕がある。」と言ったとき、かれは、神格の概念を拡大しようとしたのであった。モーシェは、ヤハウェは契約を守る神であることを教えた。また、神は「あなた方を見捨てず、滅ぼしもせず、あなた方の先祖との盟約を忘れない。なぜなら、主はあなた方を愛しており、あなた方の先祖に誓った約束を忘れないから。」と教えた
「真実で不正のない神、その道は公正で正しい」と神を提示したとき、モーシェは、ヤハウェを最高の神格の高位に掲げる雄々しい努力をした。それでいて、この気高い教えにもかかわらず、追随者の有限の理解力の理由から、人の姿での神であり、発作的に怒り、復讐し、厳しさをもつものとして、さらには執念深くて人の行為に容易に影響されるものとして神を語る必要があった。
モーシェの教えの下に、この部族の自然神ヤハウェは、荒野を通り抜け、放浪の身にあるその民の後を追い、やがてはそこで、すべての民族の神として思い描かれるイスラエルの主なる神となった。ユダヤ人を奴隷にしたバビロンでの後の監禁が、万国の神の一神教の役割を引き受けるヤハウェの発展概念を遂に自由にした。
ヘブライ人の宗教歴史の最も特異で驚くべき特徴は、ホレーブ山の原始の神から歴代の精神的指導者の教えを経て、愛と慈悲深い創造者なる父のすばらしい概念を宣言したイザヤのもつ神格教理に表現される高水準の発展への神に関するこの連続的進化に関係がある。
モーシェは、軍の指導者、社会の組織者、宗教の教師の並はずれた結合体であった。かれは、マキヴェンタとイエスの時代の間の最も重要な個人の世界的な教師であり指導者であった。モーシェは、イスラエルに記録には残されていない多くの改革を取り入れようとした。一生の間に、モーシェは、1国家のその後の誕生と1人種の恒久化のための地盤を築くとともに、いわゆるヘブライ人の多言語の群衆を奴隷の身分、そして文明から隔絶した流浪の身分から導いた。
脱出の時代ヘブライ人には何の文字言語もなかったが故に、モーシェの偉大な働きに関わる記録はあまり無い。その時代とモーシェの行為についての記録は、偉大な実力者の死の1,000年以上も後に現存する伝統からきている。
エジプト人と周辺地域のレヴァント部族の宗教にモーシェが与えた進歩の多くは、メルキゼデクの時代のケニーテ人の伝統によるものであった。アブラーハームとその同時代人へのマキヴェンタの教えがなければ、ヘブライ人は、絶望的にエジプトから暗闇に出て来たことであろう。モーシェと舅のイスロは、メルキゼデク時代の伝統の名残りを収集し、エジプト人の学習に接合されたこれらの教えは、イスラエル人の改善された宗教と儀式の創造においてモーシェを導いた。モーシェはまとめ役であった。彼は、エジプトとパレスチナの宗教としきたりの最良のものを選択し、これらの習慣をメルキゼデクの教えの伝統に結びつけ、ヘブライの崇拝の儀式的体系を組織化した。
モーシェは、神の摂理の信者であった。かれは、ナイル川の超自然の支配と自然の他の要素に関するエジプトの教理に徹底的に染まるようになった。神に関する立派な洞察力を持ってはいたが、皆が神に従うならば「神はあなたを愛し、あなたを祝福し、あなたを増やす」とヘブライ人に教えたとき、モーシェは、全く真剣であった。神はあなたの子宮から生まれるもの、地の産物—穀物、ブドウ酒、油、家畜—を増やすであろう。「あなたは、すべての国々の民の中で最も栄え、あなたの神、主は、あなたからすべての病を取り除き、エジプトの悪疫の何一つとてあなたにもたらしはしないであろう。」とさらに言った。「富を得る力をあなたに与えるのはあの方なのであるから、あなたの神、主を心に据えなさい。」「あなたは多くの国に貸すが、あなたが借りることはない。あなたは多くの国々を支配するが、彼らがあなたを支配することはない。」
しかし、モーシェのこのすばらしい心が、無知で文盲のヘブライ人の理解力にエル エリョン、いと高きもののこの高尚な概念を適合させようとするのを見ることは痛ましいことであった。かれは、集まった指導者達に雷のような声を出して、「あなたの神、主はお一人である。他には神はいない。」と言った。入り交じる群衆には「すべての神々のうちあなたの神のような方はいるか」と言い放った。モーシェは、「主がホレーブで火の中からあなた方に話しかけた日に、あなた方は何の姿も見なかった。」と言明し、呪物と偶像崇拝に立ち向かう勇敢で一部功を奏する立場を取った。また、いかなる種類の像の作成も禁じた。
モーシェは、民が神の正義に恐れて畏敬する方を好み、ヤハウェの慈悲の広布を躊躇した。「あなたの神である主は、神々の中の神であり、主の中の主であり、偉大な神、人間をものともしない力があり、恐ろしい神である。"」と言った。「あなたが背くとき、神はあなたを殺す。あなたが従うとき、神は、あなたを癒すし、命を与える。」と宣言したとき、荒れ狂う一族を抑えようとした。しかしモーシェは、「すべての戒律を守りすべての定めに従う」という条件つきでのみ神の選民になるということをこれらの部族に教えた。
ヘブライ人は、これらの初期において神の慈悲についてあまり教えられなかった。彼らは、「全能者。力に輝き、敵を打ち砕く主は、戦さ人、戦闘の神。」としての神を知っていた。「あなたの神である主は、あなたを救い出すために陣営の中を歩まれる。」イスラエル人は、自分達を愛する神を考えに入れたが、「ファラオの心を堅くし、」「自分達の敵を呪う」ものとしても考えた。
モーシェは、普遍的で慈悲深い神格の一瞬の片鱗をイスラエルの子らに示す一方、概して、ヤハウェについての日常のありふれた概念は、周辺の小部族民のものに比べそれ程良いものではなかった。それらの神の概念は、原始的で、粗雑で、擬人化したものであった。モーシェがこの世を去ると、これらのベドゥイン部族は、すばやくホレーブと砂漠の半野蛮的な昔の神の観念に戻った。モーシェが時々指導者達に提示した拡大されより高尚な神の洞察力は、すぐ失われ、一方大部分の人々は、彼らの物神である黄金色の子牛の崇拝、つまりパレスチナの牧夫のヤハウェの象徴の方に向いた。
モーシェがヘブライ人の采配をヨシュアに引き継いだとき、かれは、アブラーハーム、ナホー、ロート、それに関連する他の部族の何千人もの傍系子孫を既に集めており、それらを自立型の、また部分的に自己規制する牧歌的戦士の国へと強く駆り立てた。
モーシェの死後、ヤハウェの崇高な概念は、急速に低下した。ヨシュアとイスラエルの指導者等は、すべてに賢明で慈悲深く、全能の神のモーシェの伝統を抱き続けたが、一般大衆は、急速に昔の砂漠のヤハウェの観念に戻っていった。そして、神格の概念のこの後方への漂流は、様々な部族の族長、いわゆる裁判官の継続的支配の下で徐々に継続した。
モーシェの並はずれた個性の魅力は、神のますます拡大した概念の内意をその追随者の心に生かし続けた。しかし、かれらは、一旦パレスチナの沃地に達すると急速に遊牧的牧夫から定着の、物静かな農夫へと変化した。そして生活習慣のこの発展と宗教の観点の変化は、神ヤハウェの本質に関する概念の特徴のほぼ完全な変化を要求した。ヘブライ人は、厳格で、粗雑で、厳しくて、雷のようなシナイの砂漠神の変化の開始する時代の間に、愛、正義、慈悲の神の後に登場する概念にもう少しでモーシェの気高い教えを見失うところであった。彼らは一神教のすべての概念を失うところであった。ユランチアの精神的発展において重大な輪として役立つ者になる、他ならないすべての父の息子の肉体化の時まで1神のメルキゼデクの教えを保護する集団になる機会を失うところであった。
ヨシュアは、必死に部族民の心に崇高なヤハウェの概念を固定させようとし、「私はモーシェといたように、あなたと共にいよう。私はあなたを見放さず、見捨てもしない。」と宣言するに至った。ヨシュアは、信じない民に、すなわち古い土着の宗教を容易に信じようとするものの信仰と正義の宗教と共に進んでいこうとしない民に、厳しい福音を説く必要があると考えた。ヨシュアの教えの主旨は、「ヤハウェは聖なる神である。 妬む神である。あなたの背きも罪も許さない。」となった。この時代の最高の概念は、「力、判断、義の神」としてのヤハウェを描いた。
しかし、この暗い時代にさえ、モーシェの神格の概念を宣言する孤独な教師が、時として現れるのであった。「あなた方邪悪な子らは主に仕えることはできない。主は聖なる神であるので。」「人は神の前に正しくありえようか。人はその造り主の前に清くありえようか。」「あなたは神の深さを見抜くことができようか。全能者の極致を見つけることができようか。見よ、神は偉大であり、私達には知ることができない。触れはするが、私達は全能者を見つけることはできない。」
ヘブライ人は、族長と聖職者の統率の下に漫然とパレスチナに定着するようになった。しかしかれらは、すぐ砂漠の未開の思考体系にむけて押し戻され、あまり高度ではないケナーアン人の宗教習慣によって質が落とされるようになった。それらは、偶像崇拝的で放縦となり、また神格に関する考えは、特定の生き残っているシャレイム集団によって維持されたエジプトやメソポタミアの神の概念よりはるかに劣り、その概念は、詩篇の幾つかに、またヨブ記と呼ばれるものに記録されている。
詩篇は、20人あるいはそれ以上の著者の作業である。多くがエジプト人とメソポタミアの教師によって書かれた。レヴァント人が、自然神を崇拝していたこれらの時代、まだ、かなりの数のエル エリョン、いと高きものの至上性を信じる者がいた。
宗教のいかなる著作も詩篇ほどには神への献身と心を揺さぶる考えの豊かさはない。そして、他には一つの著作もそのように広範囲の時間を網羅していないことを念頭に置き、もし称賛と礼拝の一つ一つの詩篇の源と年代を検討することができるならば、それは非常に役立つであろうに。この詩篇は、レヴァント地方全体にわたりシャレイム宗教の信者に受け入れられた神の異なる概念に関する記録であり、アメネモペからイザヤまでの全期間を包含する。詩篇では、神は、部族神の粗雑な考え方からヤハウェが情愛深い支配者であり慈悲深い父として描写される後のヘブライ人の大いに拡大された理想までの概念の全段階において描写されている。
このように考察されるとき、詩篇のこの一群は、20世紀に至るまで人によってかつて組み立てられた信心の言葉の最も貴重で有用な取り合わせを構成している。この賛美歌著作の信心深い精神は、世界の他のすべての聖典の精神を超えている。
ヨブ記に提示されている神格の斑模様の絵は、およそ300年に及ぶ20人以上のメソポタミアの宗教教師達の産物であった。そしてメソポタミア人の信仰のこの編集物に見られる神性についての高い概念を読むとき、人は、真の神の考えがパレスチナの暗い時代に順守されたのは、ハルダイアのウルの近辺であったということに気づくであろう。
神の叡知と全てへの浸透性は、パレスチナにおいてはよく理解されたが、その愛と慈悲は、そうではなかった。これらの時代のヤハウェは、「敵の魂を支配するために悪霊を送る。」かれは、自身の従順な子らを繁栄させ、その間すべての他のものを呪い、恐ろしい判断を加える。「かれは狡猾な者の企みをうちこわす。かれは、知恵ある者を彼ら自身の悪知恵を使って捕らえる。」
ウルにいるときだけ、表明者は、「彼が神に祈ると受け入れられ、喜んで顔を見る。神は人に神の義を報いるので。」と神の慈悲を大声で訴えた。このようにウルから、信仰による救済、神の恩恵が、説かれた。「神は、懺悔する者に寛大であり、『黄泉の穴に下って落ちないように彼を救い出せ。私はすでに身の代金を得た。』もし誰かが、『私は罪を犯し、正しいことを曲げた。そして、それは私の利益にならなかった。』というならば、黄泉の穴に落ちないように彼の魂を救い出され、彼は命の光を見る。」と言われる。メルキゼデクの時代以来、レヴァント人の世界は、ウルの予言者でありシャレイム信者らの、すなわちメソポタミアのかつてのメルキゼデクの居留地の生存者らの聖職者であるエリーフーのこの並はずれた教えほどには、人間救済のためのそのような鳴り響く励ましの言葉を聞いていなかった。
そして、このようにメソポタミアにおけるシャレイム宣教師の生存者達は、ヘブライ民族の分裂期間、決して止むことのないイスラエルの教師達のその歴代の最初の出現まで、すべての者の宇宙なる父、創造者なる父の理想の実現、つまりヤハウェの概念の進化の頂上を極めるまで、概念の上に概念をうち建てて、真実の光を堅持したのであった。
[ネバドンのメルキゼデクによる提示]
ヘブライ人の精神的指導者達は、それまでに他の誰も首尾よくしたことのなかったことをした。—哲学者だけが理解できる神格の抽象概念に変換することなく神の概念を非擬人化した。一般民衆さえ父としてのヤハウェの、個人でなければ、少なくとも人種の、しっかりした概念を評価することができた。
神の人格の概念は、明らかにメルキゼデクの時代にシャレイムで教えられた一方、エジプト脱出時には曖昧で霞んでおり、精霊的な指導者の教えに応じて代々引き続いてヘブライ人の心の中で徐々に進化するだけであった。ヤハウェの人格への理解は、その漸進的発展において多くの他の神の属性のそれよりもはるかに継続的であった。モーシェからマラキエまで、ヘブライ人の心の中にほとんど完全な神の人格の概念について成長があり、この概念は、天の父に関するイエスの教えにより次第に高められ賛美された。
パレスチナの周辺民族の敵対的な圧力は、ヘブライの族長たちに部族組織を中央集権政府へと連合しない限り、生き残ることは望めないということを早々と教えた。そして行政権のこの集中化は、サムエルに教師として改革者として機能するより良い機会を提供した。
サムエルは、崇拝形式の一部としてメルキゼデクの真理の維持に固執した歴代のシャレイム教師から生まれた。この教師は、雄々しく意志の堅い人物であった。全イスラエル人をモーシェ時代のヤハウェの崇拝に引き戻すことに取り掛かった際、遭遇したほとんど全面的な反対にかれを耐させたのは、並はずれた決断と相まったその強い献身だけであった。その時でさえ、サムエルの成功は部分的であった。かれは、ヤハウェのより高度の概念への活動にむけて、ブライ人の知的な半分だけを取り戻した。残る半分は、国の部族神の崇拝とヤハウェの劣性の概念を持続した。
サムエルは、粗野だが有能な型の人物であり、仲間と共に出かけ1日のうちにバアールの史跡の20個ほどを倒すことができた実践的改革者であった。彼のなした進歩は、衝動からの純然たる抑え難い力によるものであった。かれは、ほとんど説教をせず、それほど教えず、ひたすらに行動した。ある日、サムエルはバアールの聖職者を愚弄していた。次にはとりこの王をずたずたに切った。かれは、ひたむきに1神を信じており、「地の柱はあるじのものであり、その上に世界を据えられた。」天地の創造者としての明確な1神、の概念を持っていた。
しかし、神格概念の発展へのサムエルの大いなる貢献は、ヤハウェは不変であり、つまり永久に誤りのない完全性と神性の同じ具体化であるという明確で断固たる宣言であった。この時代のヤハウェは、嫉妬深く気まぐれであり、あれこれしてしまったことを後悔する発作的な神であると考えられていた。だが今、ヘブライ人は、エジプトから威勢よく繰り出して以来初めて、「イスラエルの力である方は偽ることも悔いることもない。この方は人間ではないので悔いることがない。」という驚くべき言葉を聞いた。神との関係における安定性は宣言された。サムエルは、アブラーハームとのメルキゼデクの契約を改めて表明し、イスラエルの主なる神は、すべての真実、安定性、不変性の源であると宣言した。ヘブライ人は、つねに人間、超人、未知の起源の崇高な霊として神を見てきた。しかし今、創造者たる完全性の変らない神として高められたホレーブのかつての霊を聞いた。サムエルは、人間の心の変化の状態と人間存在の変動を超えた高さに昇る進展的神の概念を促進していた。サムエルの教えの下、ヘブライの神は、部族神の種類の考え方から全能かつ不変の創造者と全創造の監督者へと上昇を始めていた。
サムエルは、また神の誠実さについての話、すなわち契約保守の信頼性を新たに説いた。サムエルは、「主は民を見捨てないだろう。」「私達と永遠の契約を立てられ、このすべては備えられ、また守られる。」と言った。そこで、パレスチナのありとあらゆる所で、崇高なヤハウェの崇拝に戻ることを告げた。「あなたは大いなる方です。主よ、神よ、あなたのような方は他になく、あなたの他に神はいないのですから。」と、いつもこの活気に満ちた教師は広布した。
その時までヘブライ人は、ヤハウェの恩恵を主に物質的繁栄の点から見ていた。それは、イスラエルにとり大きな衝撃であり、「主は富ませ、貧しくする。低くし、また高くする。貧しい者を塵から起こし、乞食を引き揚げ王子の中に座らせ、栄光の位を継がせる。」とサムエルが大胆に主張したとき、危うくその命を失うところであった。モーシェ以来、謙虚である者やそれほど恵まれない者へのとても励みになる約束は宣言されておらず、貧乏人の中の絶望する何千もの者が、精神的状態を改善できるという望みを持ち始めた。
しかしサムエルは、部族神の概念をはるかに超える進歩をしなかった。すべての人間を創ったヤハウェを宣言したものの、主としてヘブライ人、神の選民で頭が一杯であった。にもかかわらず、モーシェの時代のように、もう一度、神についての概念は、聖なる真っ直な神を描いた。「主のように聖なる方はありません。「だれをこの聖なる主の神と比較することができるでしょうか。」
この白髪まじりの年老いた指導者は、時の経過とともに神の理解において進歩した。かれは、「主は知識の神であり、行動は神によって測られる。」「主は地球の終わりを判断され、慈悲ある者に慈悲を示され、真っ直な者とまた真っ直におられる。」と言明したのであるから。慈悲深い者だけに限られているとはいえ、ここには慈悲の夜明けさえある。その後逆境に際し、かれは、民に「主の手に今、陥ることにしよう。主の慈悲はすばらしいので。」「多くを救うか、僅かしか救わないかのいかなる制限も主にはない。」と熱心に説いてさらに一歩進んだ。
ヤハウェの特徴についての概念のこの緩やかな展開は、サムエルの後継者の活動の下で続いた。後継者らは、契約保守の神としてのヤハウェの提示を試みたが、サムエルが設定した速度を少しも維持しなかった。サムエルが後に発想したようには神の慈悲の考えを開発しなかった。ヤハウェがすべての上にあるという考え「王国はあなたのものです。主よ、そして、あなたはすべてのものの上に崇められる方です。」の維持にもかかわらず、他の神々の認識に向かう一定の押し戻しがあった。
この時代の基調は神の力であった。この時代の予言者は、ヘブライの王座の王を育成するように考案された宗教を唱道した。「主よ、偉大さと力と栄光と勝利と尊厳はあなたのものです。御手には勢いと力があり、すべてが偉大にされ力づけられるのです。」そして、これが、サムエルとその次の後継者達の時代の間の神の概念の進捗状況であった。
紀元前10世紀のヘブライ国家は2つの王国に分割された。これらの政治的な分割の双方において、多くの真実の教師は、すでに定着し、その上悲惨にも分離戦争後も続いた精神退廃の反動的な流れをせき止めようと努力をした。しかし、ヘブライの宗教を進めるこれらの努力は、正義のための断固とし恐れ知らずのかの戦士エーリージャが自分の教えを始めるまで成功しなかった。エーリージャはサムエルの時代に保持されたものに匹敵する神の概念を北の王国に回復した。エーリージャには、神の高度な概念を提示する機会がほとんどなかった。エーリージャは、その前にサムエルがそうであったように、バアールの祭壇を打倒したり邪神の偶像を壊し、忙しく立ち回った。そして、偶像崇拝の君主の敵対をものともせず改革を進めた。エーリージャの課題はサムエルが直面していたものよりさらに巨大で難しかった。
エーリージャが召されると、忠実な仲間であるエリーシャは、彼の仕事を始め、ほとんど知られていないミジュカージャのかけがえのない援助で、真実の光が、パレスチナで消えないようにした。
だが、これらは神格の概念の進歩の時代ではなかった。ヘブライ人は、いまだモーシェの理想にさえ上ってはいなかった。エーリージャとエリーシャの時代は、より上の階級を崇高なヤハウェの崇拝に戻すに至り、サムエルがそれを残したほぼその位置への宇宙の創造者の思考体系の回復を目撃した。
ヤハウェの信者とバアールの信奉者の間の延々と続く論争は、宗教的信念の違いというよりは、むしろ社会経済上の思想の衝突であった。
パレスチナ住民は、土地の個人所有権に対する考え方に異があった。南の、つまり放浪のアラビア部族(ヤハウェの信者)は、譲渡できないものと—神の贈り物と見なした。土地というものは、販売したり抵当に入れることができないと考えた。ヤハウェは、「『土地は売られてはならない。私のものであるから。』と言われた。」
北のより定着したケナーアン人(バアール人)は、自由に土地を売買し抵当に入れた。バアールという言葉は、所有者を意味する。バアールの集団礼拝は、主要な2つの教理に基づいた。第一に、資産の交換、契約、契約の合法化—土地を売買する権利。第二に、バアールは、雨を送ると考えられた—彼は肥沃の神であった。豊作は、バアールの愛顧によって決まった。集団礼拝は、主に土地、その所有権と産出力に対する関心であった。
一般的にバアール人は、家、土地、奴隷を所有していた。貴族的地主で、都市に住んでいた。各バアール人は、聖地、聖職者、「聖女」すなわち礼拝式用の売春婦を所有していた。
ケナーアン人とヘブライ人によって示される社会的、経済的、道徳的、宗教的な態度の苦々しい対立は、土地へのこの基本的な違いから発展した。この社会経済上の論争は、エーリージャの時代まで明確な宗教問題にはならなかった。この攻撃的な予言者の時代から、この問題は、厳密に宗教路線上で—ヤハウェ対バアール—で論じ合って決着がつけられ、そしてそれは、ヤハウェの勝利とその後の一神教に向かう流れに終わった。
エーリージャは、ヤハウェ-バアール論議を土地問題からヘブライ人の宗教局面とケナーアン人の思考形態へと転じた。アハーブが、彼らの土地を手に入れるために陰謀でナボスを殺害したとき、エーリージャは、昔の土地慣習から道徳の問題にし、バアール人に対し活発な作戦行動を開始した。これは、都市による支配に対する田舎の人々の戦いでもあった。ヤハウェが、エロヒームになったのは主としてエーリージャの下でのことであった。この予言者は、農地の改革者として始まり、神を高めることによって終わった。バアールは、数多くあり、ヤハウェは、一つであり—一神教が多神教を破った。
部族神—非常に長い間、犠牲と儀式の役目を果たしてきた神、つまり初期のヘブライ人のヤハウェ—の自身の民の間でさえ犯罪と不道徳を罰する神への変遷における大きな一歩は、アーモーセにより進められた。アーモーセは、北方部族の犯罪行為、酩酊、抑圧、および不道徳を公然と非難するために南の丘陵地帯から現れた。モーシェの時代以来、パレスチナではそのような感動的な真実は、明確には示されていなかった。
アーモーセは、単なる修復人でも改革者でもなかった。アーモーセは、神格の新概念の発見者であった。アーモーセは、先人達により発表されてきた神について多くを宣言し、いわゆる神の選民の間で罪を是認する神性者への信仰を勇敢にも攻撃した。メルキゼデクの時代以来人間は初めて、国家の正義と道徳の二重の基準の告発を耳にした。その歴史上ヘブライ人は、自分達の神ヤハウェは他のいかなる人々の間で許さないように、自分達の生活での犯罪や罪を許さないということを初めて耳にした。アーモーセは、サムエルとエーリージャの厳しく公正な神を思い描いたが、悪行への罰におよぶとき、他のいかなる国と同じくヘブライ人も同様に判断する神もまた見た。これは、「神の選民」の自己本位教理への直接攻撃であり、その頃の多くのヘブライ人は、それに対してひどく憤慨した。
アーモーセは言った。「山を造り、風を造り出された方、7つの星とオリオン座を造られた方、死の影を朝に変え、昼を暗い夜にする方を探しなさい。」生半可な宗教心の、時勢に便乗した、時に不道徳である仲間を糾弾する際に、変らないヤハウェの厳然たる正義を描こうとして、悪人に言及して次のように言った。「彼らが黄泉に入り込んでも、私はそこから彼らを引き出す。彼らが天に登っても、そこから、私は彼らを引き降ろす。」「彼らが敵のとりことして行っても、私は正義の剣に命じ、そこで彼らを殺す。」咎めと非難で彼らを指さし、「私は、必ずあなたのしたことを決して忘れない。」「そして、小麦が篩いに掛けられるように、私は万国の間でイスラエルの家を篩いにかける。」とヤハウェに誓って宣言したとき、アーモーセは、さらに聞き手を驚かせた。
アーモーセは、ヤハウェを「万国の神」であると宣言し、イスラエル人にむけて、儀式が正義の代理をしてはならないと警告した。そして石打ちで死ぬ前に、この勇敢な師は、崇高なヤハウェの教理を救うために真実の気運を十分に広げておいた。アーモーセは、メルキゼデクの顕示のさらなる進展を保証していた。
ホゼイアは、愛の神のモーシェの概念の復活によりアーモーセと正義の普遍的な神の教理に従った。ホゼイアは、犠牲による許しではなく、悔悟による許しを説いた。愛ある優しさと神の慈悲の福音を宣言し、「私はあなたと永遠に契りを結ぶ。実に、正義と公義と慈愛と慈悲をもって契りを結ぶ。私は誠実さをもって契りを結びさえする。私は思う存分に彼らを愛する。私の怒りは離れ去ったからである。」と言った。
ホゼイアは、神に言い及んで「私は彼らを懲らしめようと思う」とアーモーセの道徳的警告を忠実に続けた。しかし、アーモーセが、「私は、私の民でない者に『私の民である』と言う。すると彼らは、『あなたは私達の神です。』と言おう。」と言うと、イスラエル人は、それを反逆に近い残酷さと見なした。アーモーセは、「私は彼らの背信を許し、喜んで愛する。私の怒りは離れ去ったからである。」と言い、悔悟と許しを説き続けた。常にホゼイアは、望みと許しを宣言した。その伝言の要旨はいつも次の通りであった。「私は私の民に慈悲をかける。あなたは私の他に神を知らない。私の他には救い主はいないのであるから。」
アーモーセは、ヘブライ人は神の選民とされているので、ヤハウェは、彼らの犯罪と罪を容赦するという認識へのヘブライ人の国民としての良心を奮い起こし、その一方でホゼイアは、イザヤとその仲間が、とても絶妙に歌った神の同情と慈愛の後の慈悲深い和音の初めの音符を鳴らした。
ある者は、北の一族の中の個人の罪と国家の犯罪に対する罰での威喝を示し、他のものは、南の王国の違反の報いに対する凶変を予測した時代があった。最初のイザヤの登場を促したのは、ヘブライ国家の良心とこの自覚の喚起の後であった。
イザヤは、神の不変の本質、無限の叡知、不変で完全な信頼性を説き続けた。イスラエルの神を次のように提示した。「私はまた、公正を測り縄とし、正義をおもりとする。」「主は、あなたの痛み、恐怖、人に負わされた苛酷な労役のつらい束縛を除かれる。」「あなたの耳は後ろから『これが道である。これに歩め。』と言われるのを聞くであろう。「見よ、神が私の救いである。主は私の強さであり歌であるので、私は頼りとし恐れない。」「『 さあ、来たれ、論じ合おう。』主は言われる。『あなたの罪が緋のように赤くとも、雪のように白くなる。たとえ紅のように赤いとしても、羊の毛のようになる。』」
恐怖におののき精神が渇望しているヘブライ人に、この予言者は言った。「起きて光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているから。」「神である主の霊が、私の上にある。従順な者に良い知らせを説くために私に油を注がれたので。心の傷ついた者を癒すために、捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げるために私を遣わされた。」「私は主にあって大いに楽しみ、私の魂は神にあって喜ぶ。主が私に救いの衣を着せ、正義の外套をまとわせてくださったから。」「彼らが苦しむときは主も苦しまれ、ご自身の天使が彼らを救った。その愛とあわれみで、主は彼らを贖われた。」
魂を満足させるかれの福音を支持し文飾したミイカとオバヅヤが、このイザヤに続いた。そして、この2人の勇敢な使者は、ヘブライ人の聖職者に支配されている儀式を大胆に糾弾し、恐れることなく全体の犠牲的制度を攻撃した。
ミイカは「報酬のために裁く支配者と、代金のために教える聖職者と、金のために占う予言者」を糾弾した。かれは、「しかし、あらゆる者は、自身のつるの下に座り、誰も彼を脅かす者はいない。人はみな生き、各自が自分の理解する神に従うのであるから。」と言い、迷信と牧師の行いからの自由な1日というものについて教えた。
ミイカの伝言の要旨は、いつも次の通りであった。「丸焼けの生贄を持って神の前に行くべきであろうか。主は1,000頭の雄羊、幾万の油を喜ばれるであろうか。私の犯した罪のために私の長子を、私の魂の罪のために私の身体の果実を、捧げるべきであろうか。人よ、あの方は私に見せられた。何が良いことかを。主はあなたに何を求めているのか。それはただ公義を行ない、慈悲を愛し、へりくだって神と共に歩むくことではないか。そして、それは素晴らしい時代であった。本当に、2,500年以上も前にそのような解放する知らせを必滅の人間が聞き、また、ある者達は信じさえした感動的な時代であった。聖職者の強情な抵抗がなかったならば、これらの教師はヘブライの崇拝儀式の血なまぐさい全体の儀式を打倒していたことであろう。
数人の教師が、イザヤの福音を詳しく述べ続ける一方、イレミアスにはヤハウェ、ヘブライ人の神の国際化の次の大胆な前進が残っていた。
イレミアスは、ヤハウェは、ヘブライ人の他の国との軍事闘争に味方していないと大胆に宣言した。ヤハウェは、地球すべての、万国の、全民族の神であると断言した。イレミアスの教えは、イスラエルの神の国際化のうねりの最高潮であった。最後にそして永遠に、この大胆な伝道者は、ヤハウェが万国の神であるということ、エジプト人のためのオシリスも、バビロニア人のためのベルも、アッシリア人のためのアッシュールも、またはペリシテ人のためのダゴンもいないということを宣言したのであった。ヘブライ人の宗教は、このようにほぼこの頃に、またそれに引き続いて、世界の中の一神教のその復興において次の事柄を共有した。ついに、ヤハウェの概念は、惑星の神格水準へ、そしてさらには宇宙の威厳に昇った。しかし、イレミアスの仲間の多くにとっては、ヘブライ国家は別としてヤハウェを思い描くことは難しいとわかった。
またイレミアスは、イザヤが描写した公正で情愛深い神について説いた。「げに、私は永遠の愛をもってあなたを愛した。それゆえ、私は慈愛で導いてきた。」「主は人の子を進んで苦しめようとは思っておられないから。」
この大胆不敵の予言者は言った。「公正であるのは主であり、おもんばかりは大きく、み業は力がある。御目は、人の行いの方法と成果に応じてあらゆる者に与えるために、人のすべての息子のすべての道に開いている。」しかし、エルサレムの攻囲戦の際、彼が次のように言ったとき、それは冒涜的な反逆罪であると考えられた。「さて、私はこれらすべての土地をバビロンの王、私の使用人のネブカドネザルの手に与えた。」そして、イレミアスが都市の降伏について忠告したとき、聖職者と民間支配者は、彼を陰欝な地下牢の泥まみれの穴に投げ込んだ。
メソポタミアにおけるヘブライ国家の破壊と彼らの監禁は、もし聖職の決定行為がなかったならば、神学の拡大にむけての大きな利益について立証していたことであろう。その国家はバビロンの軍隊の前に崩壊し、国家主義的なヤハウェは、精霊的な指導者の国際的な説教に苦しんだ。国家神の損失に対しての憤りこそが、ユダヤ人聖職者が、すべての国の国際化された神についての新しく、拡大された考えにおいてさえ神の選民としてのユダヤ人復興の努力において、それほどまでにヘブライの歴史上の寓話の発明と奇跡的な出来事の作りごとをさせた。
イスラエルの祖先と歴史に名誉と栄光を反映するためにこれらの伝説を常に歪めたにもかかわらず、彼らが借用したカルデアの物語の道徳的風潮と精神的な意味を絶えず改良したことには注意するべきであるが、捕らわれの身の間のユダヤ人は、バビロニアの伝統と伝説に大変な影響を受けた。
これらのヘブライの聖職者と筆記者の心の中にはただ一つの考えがあり、それは、ユダヤ国家の再建とヘブライの伝統の賛美と人種の歴史の高揚であった。これらの聖職者が、誤った考えを西洋世界のそのような大部分に結びつけたという事実のへの憤りがあるならば、彼らは故意にこれをしなかったということが、心に留め置かれるべきである。彼らは、閃きで書いているとは主張しなかった。神聖な本を書いているとは明言しなかった。彼らは、単に捕らわれの身の仲間の弱まる勇気を奮い立たせるために工夫された教科書を作成していた。紛れもなく、同国人の国家精神と士気を高めることを目的としていた。後の人間には、絶対確実な教えとされる手引書へのこれらと他の文章の組み立て作業が残った。
ユダヤの司祭職は、監禁以降にこれらの文章の自由な使用をしたが、彼らの仲間の捕虜への影響は、若くて不屈の予言者、正義、愛、公正、慈悲の最初のイザヤの神への完全な転向者である2番目のイザヤの存在によって大いに妨げられた。また、イザヤは、イレミアスと共にヤハウェが万国の神になったと信じた。かれは、人と自分達を捕らえる者達の中にも一様に転向者を作った神の本質についてのこれらの理論をきわめて効果的に説教した。この若い伝道者は、自分の教えを記録に残し、美と雄大さに対する純然たる敬意は先のイザヤの文章の中への編入に導いたものの、敵意を抱き容赦のない聖職者らは、その教えを彼とのすべての繋がりから切ろうとした。その結果、その名前の本に第2のイザヤの文章の第40章から第55章までを含んでいると見分かるかもしれない。
マキヴェンタからイエスの時代まで予言者、あるいは宗教教師一人として、捕らわれの身の時代に第二のイザヤが広布した神のその高い概念に到達しなかった。この精神指導者が公言した神は、小さい、擬人化の、また人工の神ではなかった。「見よ、主は島々をごく小さいものとして取り上げられる。」「天が地よりも高いように、私の道はあなた方の道よりも高く、私の考えはあなた方の考えよりも高い。」
ついにメルキゼデクのマキヴェンタは、必滅の人間に本物の神を広布する人間の教師らを見た。第一のイザヤ同様、この指導者は、宇宙的創造と擁護の神について説教した。「私が地を造り、その上に人間を置いた。みだりに造ったのではなく、人を住まわせるためにそれを造った。」「私こそ初めであり、終わりである。私の他に神はいない。」イスラエルの主である神の代わりに、この新予言者は、「天は散り失せ、地は古びるかもしれないが、私の正義はとこしえに、そして、私の救いは代々に続く。」「恐れるな。私はあなたと共にいる。たじろぐな。私はあなたの神だから。」「私—正義の神、救い主—の他に神はいない」と言った。
以来何千という人を慰めてきたように、ユダヤ人の捕虜は、そのような言葉を聞いて慰められた。「このように主は言われる。『私があなたを造り、私があなたを贖う。私があなたの名を呼んだ。あなたは私のもの。』」「あなたが水の中を過ぎるときも、私の目にはあなたは大切であるので私はあなたと共にいる。」「女が自分の乳飲み子を忘れられようか、そうして、息子を哀れまないであろうか。さよう、彼女は忘れるかもしれない。しかし、私は私の子らを忘れない。見よ、私は両の掌に子らを刻んだのであるから。私は私の手の影にそれらを覆いさえした。」「悪者にはおのれの道を、不法者にはその計りごとを捨てさせ、そこで主に、私たちの神に、戻らせなさい。そうすれば、主は慈悲をかけられる。主はふんだんに許してくださるから。」
シャレイムの神のこの新顕示の福音を再び聞きなさい。「主は羊飼いのようにその群れを飼う。御腕に子羊を引き寄せ懐に抱く。疲れた者には力を与え、力のない者には強さをつける。主を待ち望む者は新しく力を得る。それらは鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない」
このイザヤは、崇高なヤハウェの拡大する概念の福音を広範囲にわたって宣伝活動をした。イザヤは、主なる神を宇宙の創造者として叙述した雄弁さでモーシェと競った。宇宙なる父の無限の特性の描写において詩的であった。天の父についてそれ以上の美しい発表はされたことがなかった。詩篇のように、イザヤの文章は、ユランチアへのマイケルの到着以前の必滅者が初めてきく神の精霊的な概念の最も崇高で真の提示の一つである。神のその描写を聞きなさい。「私は永遠の住まいに住む高く高邁なものである。」「私こそ初めであり、終わりである。私の他に神はいない。」「主の御手が短かくて救えないのではない。その耳が遠くて聞こえないのではない。」この温和な、だが、命令する予言者が、神格の不変性、神の誠実さの説教に固執するとき、それはユダヤ民族の新教理であった。かれは、「神は忘れないであろう、見捨てないであろう。」と宣言した。
この大胆な教師は、人は非常に密接に神と関係があるとはっきりと示して言った。「私の名で呼ばれるすべての者は、私の栄光のために私が創造した。そして彼らは私の栄誉を述べ伝えるであろう。私、この私は、私自身のために彼らの背きの罪を拭い去るのであり、私はもう彼らの罪を思い出さない。」
宇宙なる父の神性を見事に宣言し、その父に言いおよんで「天は私の王座、地は私の足台である。」という一方、国家の神の概念を粉砕するこの偉大なヘブライ人に耳を傾けなさい。イザヤの神は、それでもなお、神聖で、厳然とし、正当で、不可解であった。砂漠のベドゥイン族の立腹し、執念深く、そして嫉妬するヤハウェの概念というものは、ほとんど消え失せてしまった。最高の、そして決して人の視点を失わない普遍的なヤハウェの新概念が、人間の心に現れた。神の正義の実現は、原始の魔術、生物的恐怖の破壊を始めた。ついに人は、法と秩序の宇宙へと、そして信頼でき、最終的な属性のある普遍的な神に導かれている。
崇高な神のこの伝道者は、愛の神を広布することを決してやめなかった。「私は高く聖なる場所に住まい、また、深く悔いており遜る者と住む。」そして、同時代人にさらなる安らぎの言葉をこの偉大な師は伝えた。「主は絶えずあなたを導き、あなたの魂を満たされる。あなたは潤された園のようになり、水の枯れない泉のようになる。敵が洪水のように来ようとも、主の霊が敵に対して防衛をもたらすであろう。」そして、人類祝福のためにもう一度メルキゼデクの恐怖を打ちこわす福音とシャレイム信頼を育む宗教は光輝いた。
明敏で勇敢なイザヤは、威厳と普遍的全能の崇高なヤハウェの、つまり愛の神、宇宙の支配者、全人類の慈愛深い父の気品に溢れた荘厳な描写によって国家主義的なヤハウェを効果的に影を落とした。多事多難のそれらの時代以来、西洋における最も高い神の概念は、普遍の正義、神の慈悲、永遠の正義を包含した。この偉大な教師は、全能の創造者をずば抜けた言語と無類の優美さですべてを愛する父として描いた。
捕らわれの身のこの予言者は、同国人とバビロンの川のそばで聴いている多くの国の人々に説いた。そして、この第2のイザヤは、約束された救世主の任務について多くの誤った、また人種的に利己主義の概念に歯止めをかけるために多くのことをした。だが、この努力において完全な成功を収めることはできなかった。聖職者達が、誤認された愛国心を打ち立てる仕事に専心しなかったならば、二人のイザヤの教えは、約束された救世主の認識と受け入れのための道を準備したことであったろう。
ヘブライ人の経験の記録を神聖な歴史とし、残りの世界の出来事を冒涜的な歴史として見る習慣は、歴史の解釈に関して人間の心に存在する混乱に大きな原因がある。そしてこの困難は、ユダヤ人の世俗史の無さから起こる。バビロニアへ追放された聖職者は、ヘブライ人とのいわゆる神の奇跡的な関係のの新しい記録を、つまり旧約聖書に描かれているそのものをイスラエルの神聖な歴史として準備した後に、ヘブライの出来事についての既存の記録を慎重に、そして完全に破棄した。—「イスラエルの列王紀の行ない」と「ジェフーダの列王紀の行ない」のような本と共に他のいくつかのヘブライ歴史についての多少なりとも正確な記録。
我々は、徹底した破壊的圧力と世俗史の不可避的強制が、いかにして、捕虜の身にあり外国支配の身にあったユダヤ人を非常に恐れさせ、自らの歴史の完全な書き直しと作り書きを試みたかを理解するために、その国家の複雑な経験の記録について手短かに調査すべきである。ユダヤ人は、神学ではない適切な人生哲学の展開に失敗したということが思い起こすべきである。ユダヤ人は、罪に対する恐ろしい罰に加え正義のための神の報酬に関する彼らの最初の、しかもエジプト人の概念と取り組んだ。ヨブの劇的な事件は、この誤った哲学に対するある種の抗議であった。伝道の書の率直な悲観主義は、摂理へのこれらの過度の楽観的な見方への世慣れた反応であった。
しかし、500年の外国支配者の過剰な専制支配は、我慢強く長い間苦しんできたユダヤ人にとってさえ酷なものであった。予言者と聖職者は叫び始めた。「いつまでですか、主よ、いつまでですか。」正直なユダヤ人が経典を詳しく調べるにつれ、その混乱は、 さらにひどくなった。昔の予言者は、神は「神の選民」を保護し、救うということを約束した。アーモーセは、国家の正義の基準を再確立しない限り、神はイスラエルを捨てるであろうと脅かした。申命記の筆記者は、大いなる選択—善と悪、祝福と呪いの間の選択—を描いた。第一のイザヤは、慈善心に富む王である救世人について説教した。イレミアスは、内面的な正義—心の平板に書かれた契約—の時代を広布した。第二のイザヤは、犠牲と贖いによる救済について話した。イェゼケイルは、奉仕と献身を通じての救済を広布し、エズラは法の順守による繁栄を約束した。しかし、このすべてにもかかわらず、彼らは束縛のうちに生き長らえ、救済は延期された。それからダニエルは、差し迫る「危機」の劇的な事件—重要な偶像の強打と正義の永続する治世の即時の設立、つまり救世主の王国を提示した。
この誤った希望のすべては、やがて楽園の神の息子が人間の姿で—人の息子として肉体を与えられ—彼らのところに来たとき、ユダヤの指導者が、非常に混乱し、楽園の神の息子の任務と活動を認識し、また受け入れることができない程度にまで人種的失望と挫折の段階へと導いた。
すべての現代宗教は、人間の歴史の特定の時代の画期的な出来事に奇跡的な解釈を与える試みにおいて深刻な失敗をしてしまった。神は、神意の父の介入の手を人事の流れに幾度も突き出してきたのは事実であるが、神学上の教義と宗教上の迷信を人間のこの歴史の流れにおける奇跡的働きによる超自然の堆積作用の現れと見なすのは誤りである。「いと高きものが人間の国を支配する」という事実は、世俗の歴史をいわゆる神聖な歴史に変換するのではない。
新約聖書の作者らと後のキリスト教徒の筆者らは、ユダヤの予言者を理想化する彼らの善意からの試みによってヘブライ歴史の歪みをさらに複雑にした。その結果、ヘブライ歴史は、ユダヤ人著者とキリスト教徒の著者の両者に惨めに利用された。世俗のヘブライ歴史は、徹底的に教義化された。それは、神聖な歴史の創作に変換され、いわゆるキリスト教国家の道徳的概念と宗教の教えに動きがとれないほどに深く依存するようになった。
ヘブライの歴史における最高時の手短かな詳述は、ユダヤ人の聖職者が、バビロンにおいて彼らの民のありふれた世俗史を架空の、神聖な歴史に返したことに関して記録の事実がいかにして変えられたかを例証するであろう。
イスラエル人の12部族は、決して存在せず—ほんの3部族か4部族がパレスチナに住みついた。ヘブライ国家は、いわゆるイスラエル人とケナーアン人の同盟の結果として生まれた。「イスラエル人は、ケナーアン人の間に住んでいた。彼らの娘を妻にめとり、自分達の娘をケナーアン人の息子に与えた。」これらの事柄に関する聖職者の記録は、ヘブライ人がケナーアン人を排撃したと躊躇なく言明してはいるものの、ヘブライ人は、決してそうしなかった。
イスラエル人的意識は、エフライェムの丘陵地帯に起源があった。後のユダヤ人の意識は、ジェフーダの南方の一族に始まった。ユダヤ人は、(ジェフーダ人)は、常に北方のイスラエル人(エフライェム人)の記録を中傷し、汚点をつけようとした。
尊大なヘブライの歴史は、アンモン人が、ヨルダンの東の仲間の部族民—ギラード人—への攻撃に抵抗するために、シャウールの北の一族の結集から始まった。シャウールが、1軍隊3,000人余りで敵を破ると、丘の部族が、彼を王に導いたのは、この功績であった。この話を書き直したとき、追放された聖職者らは、シャウールの軍隊を33万人にまで増やし、戦いに参加する部族の表に「ジェフーダ」を追加した。
アンモン人の敗北直後、シャウールは、自分の軍による普通選挙で王にされた。聖職者も予言者もだれ一人この出来事に参加しなかった。しかし聖職者は、後にシャウールは、神の指示に従い予言者サムエルによって王冠を授けられたと記録に組み入れた。これは、ジェフーダ人へのダーヴィドの王政のために「神性の子孫」を打ち立てるためにそうしたのであった。
ユダヤ歴史のすべての歪みの中で最大なものは、ダーヴィドと関係していた。シャウールのアンモン人に対する勝利 (彼がヤハウェに帰した) の後、ペリシテ人は、警戒をするようになり、北方部族への攻撃を始めた。ダーヴィドとシャウールは、断じて同意できなかった。600人を連れるダーヴィドは、ペリシテと同盟をし、沿岸をエスドラエロンへと進軍した。ガテでは、ペリシテ人が、ダーヴィドに戦場を出るよう命じた。彼らは、ダーヴィドがシャウールに寝返るかもしれないと恐れた。ダーヴィドは退却した。ペリシテ人は、シャウールを攻撃し、破った。ダーヴィドがイスラエルに忠誠であったならば、彼らはこうすることはできなかったであろう。ダーヴィドの軍隊は、ほとんどが社会に適応できない者や正義からの逃亡者からなる数か国語が分かる造反者の寄せ集めであった。
ペリシテ人によるギルボーアでのシャウールの悲惨な敗北は、周囲のケナーアン人の目には神の中間でのヤハウェを最低の位置へいたらせた。通常、シャウールの敗北は、ヤハウェからの背教のせいにされたであったろうが、今回、ジェフーダ人の編者らは、それを儀式の誤りのせいにした。彼らは、ダーヴィドの王政のための背景としてシャウールとサムエルの伝統を必要とした。
ダーヴィドと寡兵は、ヘブロンの非ヘブライの都市に本部を設定した。やがて、ダーヴィドの同国人が、ジェフーダの新王国の王であると宣言した。ジェフーダは、ほとんど非ヘブライ分子—ケニーテ人、カーレーブ人、イェブース人、および他のケナーアン人—で成り立っていた。それらは、遊牧民—牧夫—であったので、ヘブライの土地所有の考えに徹していた。彼らは、砂漠部族の思考形態を保持した。
旧約聖書見られるように、ダーヴィドを王にしたてる異なる2話の物語は、神聖な歴史と冒涜的な歴史の間の違いをよく例証している。彼の近い追随者ら(彼の軍隊)が、いかにして彼を王にしたかに関する非宗教的な物語の一部は、神の指示により予言者サムエルが、どのようにして同胞からダーヴィドを選び、またヘブライ人の王に聖別し、そしてシャウールの後継者であると示すために正式に、しかも入念かつ厳粛な儀式によって進めたかが、神聖な歴史について長々と散文的な報告を後に準備した聖職者らにより不注意に記録に残された。
聖職者らは、イスラエルへの神の奇跡的対処に関する架空の物語を用意した後、既に記録にある明白でありのままの声明を幾度となく完全に削除し損ねた。
ダーヴィドは、まずシャウールの娘と、次に富裕のエドム人ナバールの未亡人と、その次にはゲシュールの王であるタルマイェの娘と結婚することで政治的に自分を確立しようとした。彼は、ヘティテ人の妻バテシカは言うまでもなく、イェブスの女性の中から6人の妻をめとった。
ダーヴィドは、エフライェム人のイスラエルの消え失せる北の王国の遺産と伝統の後継者としてジェフーダの神の王国の作り話を築き上げるためにそのような方法と人々を駆使した。ジェフーダのダーヴィドの国際的部族は、ユダヤ人であるよりも非ユダヤ教徒であった。それにもかかわらず、エフライェムの圧迫された年長者らが、南下してきて「油を注いでイスラエルの王とした。」軍事的脅威の後、ダーヴィドは次に、イェブース人と協定を結び、イェブース(エルサレム)に連合王国の首都を設置した。そこは、ジェフーダとイスラエルの中程の強い壁で囲まれた都市であった。ペリシテ人は興奮し、すぐにダーヴィドを攻撃した。激戦の後、それらは破られ、そしてもう一度、ヤハウェは、「万軍の神、主」として確立された。
しかし、ダーヴィドの軍隊の大半は、非ヘブライ人であったので、ヤハウェは、やむなくこの栄光の幾らかをケナーアン人の神と共有しなければならない。したがって、あなたの記録(ジェフーダ人の編者に見過ごされた)では、この密告者の申し立てが登場する。「ヤハウェは私の前で私の敵を破られた。それ故、ダーヴィドは、その場所の名をバアールペラティムと呼んだ。」そして、ダーヴィドの兵隊の80パーセントがバアール人であったので、彼らはこうした。
ダーヴィドは、ギボンの民がエフライェム人と平和条約を結んでいたケナーアンの都市ギボンをシャウールが攻撃したと指摘し、ギルボーアでのシャウールの敗北について説明した。このために、ヤハウェは、シャウールを見捨てた。シャウールの時代にさえ、ダーヴィドは、ペリシテ人からケイーラのケナーアンの市を防御し、次には、ケナーアン都市に自分の首都を置いた。ダーヴィドは、ケナーアン人との妥協政策を守る際、絞首刑のためにシャウールの7人の子孫をギボン人に引き渡した。
ペリシテ人の敗北後、ダーヴィドは、「ヤハウェの箱舟」を手に入れ、それをエルサレムに持って来て、ヤハウェを王国公式の崇拝とした。次には、近隣部族—エドム人、モアブ人、アンモン人人、およびシリア人—に重い租税を課した。
ダーヴィドの不正な政治機構は、ヘブライの慣習に違反して北の土地の個人所有を始め、やがて、以前はペリシテ人によって集められた隊商関税の管理を獲得した。そしてその時、ウリーヤの殺人により一連の残虐行為は、頂点に達した。すべての司法控訴は、エルサレムで判決が下された。もはや、「年長者」は、正義を行なうことができなかった。反乱が勃発したのは当然であった。今日、アビシャロームは、扇動者と呼ばれるかもしれない。その母はケナーアン人であった。バスシェバの息子ソロモンの外に王座への競争者が6人いた。
ダーヴィドの死後、シェロモーは、すべて北部勢力の政治機構を粛清したが、父の政治体制の圧制と課税のすべてを続けた。シェロモーは、その贅沢な宮中と、入念な建築計画によって国を潰した。レバノンの家、ファラオの娘の宮殿、ヤハウェの寺院、王の宮殿、他にも多くの都市の壁の修復があった。シェロモーは、シリア人の船員に動かされ、全世界との取り引きをする巨大なヘブライ海軍を創設した。ハレムの妻妾の数は、およそ1,000人に達した。
この頃までにはシーロのヤハウェの寺院は、信用を落とし、国全体の崇拝は、豪華な王立礼拝堂のイェブスに中心が置かれた。北方の王国は、いくらかなりともエロヒームの崇拝に戻った。かれらは、後にジェフーダを隷属させ、南の王国に貢ぎ物を課したファラオの好意的な態度を楽しんだ。
浮き沈み—イスラエルとジェフーダ間の戦争—があった。4年に渡る内戦と3代の王朝の後にイスラエルは、土地の取り引きを始めた都市の専制君主の支配に下った。オムリ王でさえ、シェメールの地所の買い取りを試みた。しかし、シャルマネセルIII世が、地中海沿岸を支配すると決めたとき、終わりは速く近づいた。エフライェムのアハブ王は、他の10集団を集め、クアルクアルで抵抗した。戦いは引き分けであった。アッシリア人は阻止されたが、同盟国は大量に殺された。この大戦は、旧約聖書では言及さえされていない。
アハブ王がナボテから土地を買おうとしたとき、新たな問題が始まった。アハブのフェニキア人の妻は、ナボテが「エロヒーム、そして王」の名を冒涜したという告発でその土地没収の指示書にアハブの名を偽造した。ナボテとその息子らは、即座に処刑された。積極的なエーリージャは、アハブをナボテ家族の殺人の理由で非難して場面に登場した。エーリージャ、予言者の中で最も偉大な者の1人は、このように、バアーリムの土地販売の態度に対して、都市が国を支配する試みに対して、古い土地慣習の防御者として教え始めた。しかし、地方地主のエヒューが、サマリアでバアールの予言者(不動産業者)を滅ぼすためにジプシーの指揮官イェホナーダーブと兵力を合流するまで、改革は成功しなかった。
イェホアシュと息子のヤラベアムが敵からイスラエルを救い出すと新生活が見えた。しかしこの時までサマリアでは、昔日のダーヴィド王朝の略奪に匹敵する悪漢貴族が統治した。政府と教会は手を携えて進んでいた。言論の自由を抑圧する企ては、エーリージャ、アーモーセ、ホゼイアをそれぞれの秘密の執筆開始に導き、これがユダヤ人の、そしてキリスト教徒の聖書の本当の始まりであった。
イスラエルの王が、エジプトの王と共謀し、アッシリアに以後の進貢を拒否するまで、北方の王国は、歴史から消え失せなかった。その後、3年間の包囲攻撃のあとに北方王国の完全な分散が続いた。エフライェム(イスラエル)は、このようにして消失した。ジェフーダ—ユダヤ人、「イスラエルの残者達」は、—イザヤが、「家に家を連ね畑に畑を寄せて」と言ったようにわずかの者の手に土地の集中を始めた。やがてエルサレムには、バアールの寺が、ヤハウェの寺院の横にあった。 この恐怖の治世は、少年王ヨアシュによる一神教の反乱によって終わった。その王は、35年間ヤハウェのための改革運動をした。
次の王のアマツジャは、税の支払いに抵抗するエドム人とエドム人の隣人で苦労をした。彼は、著しい勝利の後に北の隣人の攻撃に移り、同様に著しく敗北した。次に、田舎の民衆が、反乱を起こした。彼らは、王を暗殺し、16歳のその息子を王座に据えた。これが、イザヤにはウッズィーヤと呼ばれたアザーヤであった。ウッズィーヤの後、事態はますます悪化し、ジェフーダは、アッシリア王へ進貢することで100年間存在した。第一のイザヤは、エルサレムは、ヤハウェの都市であるので決して滅びないと言った。しかしイレミアスは、その没落宣言を躊躇わなかった。
ジェフーダの破滅の本当の原因は、少年王マナッセスの支配下で機能する堕落し、富める政治家の一味によってもたらされた。変化する経済は、個人の土地の取り引きがヤハウェの思考形態に反するバアールの崇拝の復帰の一助となった。アッシリアの破滅とエジプトの主導権は、一時は、ジェフーダに救出をもたらし、田舎の民が、主導権を引き継いだ。ヨシアの下で、彼らは堕落した政治家のエルサレムの一味を撲滅した。
だがこの時代は、ヨシアが、バビロンに対するアッシリアの援助のためにエジプトから海岸を北上し、大胆にもネコの強力な軍隊を迎撃したとき、悲惨な終わりに至った。彼は破壊され、ジェフーダはエジプトへの貢ぎ物を課された。バアールの政党は、エルサレムの政権を取り戻し、こうしてエジプトの本当の束縛が始まった。それからバアーリムの政治家が、法廷と聖職の両方を制する期間が続いた。バアールの崇拝は、土壌の肥沃に関係があるばかりでなく、財産権に関わる経済的、かつ社会的制度であった。
ネブカドネザルによるネコの打倒で、ジェフーダは、バビロンの支配下に入り、10年間の猶予が与えられたが、すぐに造反した。ネブカドネザルが、それらに対して前進したとき、ジェフーダ人は、奴隷を釈放するというような、ヤハウェに影響を及ぼすための世直しに取り掛かった。バビロニアの軍隊が、一時的に撤退すると、ヘブライ人は、改革の魔法が自分達を救ったと喜んだ。イレミアスが、差し迫る破滅について皆に伝えたのはこの間であり、やがて、ネブカドネザルが戻ったのは、この時代であった。
そうしてジェフーダの終わりが突然やって来た。都市は破壊され、人々はバビロンに連れ去られた。ヤハウェ対バアールの戦いは、捕らわれの身に終わった。監禁は、イスラエルの残存者に衝撃を与え一神教へ向かわせた。
バビロンでのユダヤ人は、独自の社会習慣と経済習慣をもっており、パレスチナにおいては小集団として存在することはできないと、また、自分達の観念形態を行き渡らせようとするならば、異教徒を改宗させなければならないという結論に至った。その結果、神の意図についての新概念—ユダヤ人はヤハウェの選ばれた僕にならなければならないという考え—を起こした。旧約聖書のユダヤ宗教は、バビロンでの捕らわれの身の間に実際に発展した。
不死の教理もまたバビロンで形成した。ユダヤ人は、来世についての考えが、社会正義の福音への重要性を損なうと考えた。今、初めて、神学は、社会学と経済学を置き換えた。宗教は、政治、社会、経済とますます切り離されるために人間の思考と行為の体系としての形を取りつつあった。
ユダヤ民族についての事実も、神聖な歴史と見なされてきたものの多くが、普通の不敬な歴史の記録にすぎないと判明するのである。ユダヤ教は、キリスト教の成長土壌であったが、ユダヤ人は奇跡的な民族ではなかった。
彼らの指導者達は、イスラエル人は、特別な甘やかしや神の恩恵の独占のためではなく、総ての国に1神の真実を届ける特別な活動のための神の選民であるとかれらに教えた。そして、彼らがこの運命を実現させるならば、すべての民族の精神的指導者になるということ、そして、来たる救世主が平和の王子として彼らの上に、そして全世界に君臨するとユダヤ人に約束した。
ユダヤ人は、ペルシア人に解放されると、パレスチナに戻ったが、聖職者が支配する法、犠牲、および儀式の法典の束縛に陥る結果となった。そして、ヘブライ部族が、犠牲と苦行の儀式のためにモーシェの送別の演説で提示された神の素晴らしい物語を拒絶したように、ヘブライ国家のこれらの生存者は、増加している聖職の規則、規制、および儀式のために第二のイザヤの素晴らしい概念を拒絶した。
国家の自己中心主義、約束の誤った救世主への間違った信仰、そして、聖職階級の増大する束縛と圧制が、精神的指導者 (ダニエル、エゼキエル、ハガイ、およびマラキを除く)の声をいつまでも黙らせた。そして、その日からバプテスマのヨハネの時代まで、全イスラエルが、拡大する精神的退歩を経験した。しかし、ユダヤ人は、宇宙なる父の概念を決して失わなかった。彼らは、キリストの20世紀後までもこの神格概念に従い続けた。
モーシェからバプテスマのヨハネまで、絶えず破廉恥な支配者を咎め、商業にはしる聖職者を糾弾し、無遠慮な定規を叱責して、崇高なヤハウェ、イスラエルの主の神の崇拝を固く守るように人々に勧めつつ、世代から世代への光の一神教の松明を渡す忠実な教師が連綿と続いた。
一国としてのユダヤ人は、ついには主体性を失ったものの、一柱の、かつ普遍の神への誠実な信念のヘブライ宗教は、拡散する亡命者の心の中に生き続けている。そしてこの宗教は、その信奉者の最高価値を維持するために有効に機能してきたがゆえに存続する。ユダヤ宗教は、一民族の理想を保存こそしたが、真実の分野における進歩を促し、創造的な哲学上の発見を奨励できなかった。ユダヤ宗教には多くの欠点があり—それは、哲学に欠け、ほとんど美的特質を欠いていた—が、道徳的価値を保持し、ゆえに持続した。他の神の概念と比べるとき、崇高なヤハウェは、明快で、生き生きとし、個人的で道徳的であった。
ユダヤ人は、わずかな民族がしたように、正義、知恵、真実、および正義を好んだが、これらの神の特質、ことに民族を知的な把握解と精神的認識に関する貢献は一番少なかった。ヘブライの神学は、発展を拒否したとはいえ、それは他の2つの世界宗教、キリスト教とイスラム教の発展において重要な役割を演じた。
ユダヤ宗教は、その組織ゆえに持続した。宗教は、孤立した私人の個人的習慣として存続することは難しい。これは、常に宗教指導者の誤りであった。それらは、制度化された宗教の弊害を目にし、集団機能の手法を破壊しようとする。すべての儀式を破壊する代わりに、それを改革する方がよいであろう。この点において、イェゼケイルは、同時代人よりも賢明であった。個人の道徳的責任を主張するに当たりそれらに加わりはしたものの、勝り、浄められた儀式の忠実な遵守の確立にも着手した。
その結果、イスラエルのその後の教師は、ユランチアで功を奏する宗教の発展史上において最大の功績を成し遂げた。突然に爆発するシナイ火山の嫉妬深く残酷な霊神である野蛮な悪霊ヤハウェの原始的概念のゆるやかではあるが、連続する変化から、万物の創造者であり、全人類の愛に満ちた慈悲深い父である後の者達にとっての崇高なヤハウェの高揚され崇高な概念。神についてのこのヘブライの概念は、その息子、ネバドンのマイケルの直接の教えと人生の手本によりそれがさらに拡大され、じつに絶妙に増幅されるその時まで、宇宙なる父に関する人間の最も高い視覚化であった。
[ネバドンのメルキゼデクによる提示]
メルキゼデクの教えは、多くの経路に沿ってヨーロッパに入ったが、主にそれらは、完全にギリシャ化され、西洋哲学に組み込まれ、後にはキリスト教化されエジプト経由で到来した。西洋世界の理想は、基本的にはソクラテス的であり、シュウルなその後の宗教哲学は、発展する西洋哲学と西洋宗教との接触により変更され、妥協されるとイエスの宗教哲学となり、そのすべてがキリスト教会に至った。
シャレイム宣教師は、長い間ヨーロッパにおいて活動を続け、周期的に起こる礼拝集団と儀式集団の多くに徐々に吸収されるようになり、た。その中で最も純粋な型においてシャレイムの教えを維持したキニコス人について言及されなければならない。神に対する信頼と信仰のこれらの伝道者は、後に新たに形成するキリスト教に組み入れられ、キリスト後の1世紀のローマ支配のヨーロッパでまだ機能していた。
シャレイム教理の多くは、西洋の軍事闘争で幾度となく戦ったユダヤ人の傭兵によりヨーロッパに広げられた。古代におけるユダヤ人は、神学の特性と、同じく軍の武勇さで有名であった。
ギリシア哲学、ユダヤ神学、およびキリスト教倫理の基本的教理は、基本的に初期のメルキゼデクの教えの結果であった。
崇拝のための排他的な会衆の組織を禁じ、食物、衣類、避難所以外は祭祀のための料金を決して受領せず、聖職者として決して機能しないという約束を要求したマキヴェンタにより強要される誓約がなければ、シャレイム宣教師は、ギリシア人の間にかなりの宗教構造を打ち建てていたかもしれない。メルキゼデクの教師が、初期のギリシャに入り込んだとき、依然としてアダムソンの伝統とアンド系の時代を促進する民族を見つけたが、これらの教えは、ギリシア沿岸に連れて来られた劣る奴隷の群れの考え方と信条で大いに質を落としていた。この不純物混入は、血なまぐさい儀式と共に、下層階級が死刑囚の処刑から儀式を作りさえする粗野なアニミズムへの逆戻りをした。
シャレイム教師の早期の影響は、南ヨーロッパと東洋からのいわゆるアーリア人の侵入によってもう少しで破壊されるところであった。これらのギリシャの侵略者は、アーリア人の仲間がインドに伝えたものに類似する擬人化された神の概念を携えて来た。この導入が、神々と女神達のギリシア家族の発展を開始した。この新宗教は、幾分かは入来するギリシャの野蛮人の礼拝集団に基づいたが、それはギリシアの昔の住民の神話をも共有した。
古代ギリシャのギリシア人は、主に母信仰に支配される地中海世界を発見し、人-神、ジャウス-ゼウス、単一神教的セム族の中のヤハウェのようになった、従属の神の全神殿の主神をこれらの人々に強要した。そして、ギリシア人は、運命の総支配の維持以外、やがてはゼウスの概念の真の一神教を達成していたことであろう。究極の価値の神自身は、運命の決定者であり宿命の創造者でなければならない。
宗教発展におけるこれらの要因の結果として、やがてオリンパス山の暢気な神々、神性よりも人間的な神々への、知的なギリシア人が決してあまり真剣に評価しなかった神々への一般信仰の発展があった。知的なギリシア人は、また自身の創造のこれらの神性をそれほど愛しもせず、それほど恐れもしなかった。ゼウスと半人半神のゼウスの家族に愛国的、人種的感情をもってはいたものの、あまり敬いもせず、崇拝もしなかった。
ギリシア人は、初期のシャレイム教師の聖職者の反活動を染み込ませるほどに、かつていかなる重要な聖職もギリシアには起こらなかった。神の形象の作成さえ崇拝の問題であるよりも芸術の仕事になった。
オリンポスの神々は、人間の典型的な擬人化を例証する。しかしギリシア神話は、倫理的であるよりも美学的であった。ギリシア宗教は、神性集団に治められる宇宙を描いた点で有用であった。しかしギリシアの道徳、倫理、哲学は、やがて、神の概念をはるかに超えて進み、知的成長と精神的成長の間のこの不均衡は、インドでそうであったと判明したようにギリシアにとっても同じく危険であった。
軽く見なされ中味のない宗教というものは、特にその型を促進し、熱愛者の心を恐怖と畏敬で満たす司祭階級がいないとき、持続することはできない。オリンポスの宗教は、救済を約束せず、その信者の精神的な渇きも和らげなかった。それゆえに、死ぬ運命にあったのである。それは、オリンポスの宗教開始の1,000年以内に危うく消失するところであり、またギリシア人は、オリンパスの神々がより良い心に対する支配を失ったことから国家的宗教なしであった。
これが、紀元前6世紀に東洋人とレヴァント人が精神的意識の復活と一神教の認識への新しい目覚めを経験したときの状況であった。しかし西洋は、この新しい開発に参加しなかった。ヨーロッパも北アフリカも、この宗教復興に広範囲に参加しなかった。ギリシア人は、しかしながら、見事な知的向上に従事していたのであった。ギリシア人は、恐怖を習得し始めており、もはや宗教を恐怖への矯正手段として求めていなかったが、本物の宗教が、魂の飢餓、精神の不穏、道徳的な絶望の療法であるとは知覚しなかった。かれらは、深い考え—哲学と形而上学—で魂の慰めを捜し求めた。彼らは、自己保存—救済—の熟考から自己実現と自己理解の方に向いた。
筋道の通った考えを介してギリシア人は、生存に対する信念の代わりとして用いられる安全のその意識への到達を試みたのだが、完全に失敗した。ギリシャ民族の上層階級のより知的な者だけがこの新しい教えを把握することができた。前の世代の普通の奴隷の子孫は、この新しい代用宗教の受け入れに対し何の容量もなかった。
哲学者は、ほとんどが皆、大まかに「宇宙の有識者」、「神の考え」、「偉大な根源」のシャレイム教理の背景をなす信念を抱いたにもかかわらず、すべての崇拝の型を侮蔑した。ギリシアの哲学者らが、神性と有限性を越える者を認める限り、彼らは実のところ一神教であった。哲学者らは、オリンポスの神と女神の全星雲を僅かに認めた。
5世紀と6世紀のギリシア詩人は、とりわけピンダロスは、ギリシア宗教の改革を試みた。詩人らは、その理想を高めはしたが、宗教家であるよりも芸術家であった。彼らは、究極の価値を強化し保護する手段の発展に失敗した。
クセノファーネスは、1神を教えたが、その神の概念は、必滅の人間にとっての個人的な父であるには汎神論的過ぎた。アナクサゴラスは、第一原因を、最初の心を認識したということを除いては、機械技師であった。ソクラーテスとその後継者であるプラトンとアリストテレスは、美徳は知識であると、善は魂の健全さであると教えた。罪を犯すよりも不当な処置に苦しむ方がましであると、悪に悪を報いるのは間違いであると、また、神は賢明で良いと教えた。3人の基本的美徳は次の通りであった。知恵、勇気、節制、正義。
ギリシャとヘブライ民族の宗教哲学の発展は、文化的進歩の形成における制度としての教会の機能の対照的な実例を提供する。パレスチナでは、人間の思考は、とても聖職者に管理された、聖典に指示されていたので、哲学と美意識が、完全に宗教と道徳の中に沈められた。ギリシアにおいては聖職者と「神聖な経典」のほぼ完全な欠如が、人間の心を自由にし、束縛しない状態にし、思考の深さに驚異的な発展をもたらした。しかし、個人的経験としての宗教は、宇宙の自然と現実への知的な徹底的調査についていけなかった。
ギリシアでは、考えることは信じることに支配された。パレスチナでは、考えることは信じることに制約された。キリスト教の長所の多くは、ヘブライ道徳とギリシア思想の双方から重度に取り入れたことによる。
パレスチナでは、宗教教義は、さらなる成長を危険にさらすほどに結晶化された。ギリシアでは、人間の思考は、非常に抽象的となり、神の概念は、婆羅門哲学者の人格をもたない無限とは異なり汎神論的考察の霧状の気体へと消散した。
だがこれらの時代の普通の人々は、自己実現のギリシア哲学も抽象的な神も理解することができず、それほど関心もなかった。むしろかれらは、自分達の祈りを聞くことのできる個人的な神に加え、救済の約束を切望した。かれらは、哲学者を追放し、シャレイム礼拝集団の残存者を迫害し、(両方の教義は非常に混合されていた)当時地中海の国々に広がっていた神秘礼拝集団の愚行へのその激しい突入に向けて準備をするようになった。エレイシスの謎は、オリンポスの殿堂、豊穣崇拝のギリシア版の中で成長した。ディオニソスの自然崇拝は栄えた。最良の礼拝集団は、オルペウスの同胞関係であり、その道徳についての説教と救済の約束は、多くの者の興味をそそった。
全ギリシアが、救済を手に入れるこれらの新方式に、つまり、感情的で火のようなこれらの儀式にかかわるようになった。実に短い時間で芸術的哲学のそのような高さに達する国は、かつてどこもなかった。実質的に神性なくして、また完全に人間救済の約束を欠いたそのような倫理的に高度な体制を創造したものは、いままでに誰もいなかった。この同じギリシア民族が、神秘礼拝集団の気ちがいじみた騒動に飛び込んだときほどには、知的停滞、道徳的腐敗、精神的貧困のそのような深層に速く、深く、また乱暴に突入した国はかつてなかった。
宗教は、長い間哲学的擁立なしで続いているが、多くの哲学は、それとして、宗教との何らかの関連性なしでは長く持続しなかった。行動には概念が関係するように宗教には哲学が関係している。しかし、理想的な人間の条件は、知恵、信仰、経験の結合的な働きにより哲学、宗教、科学が、意味のある統一に結合されることである。
家族神崇拝以前の宗教の型から軍神であるマールスへの部族崇拝が生まれ、ラテン民族の後の宗教がギリシア人と婆羅門の、あるいは他のいくつかの民族のより精神的宗教の知的体系であるよりも政治上の遵守であったということは、自然なことであった。
紀元前6世紀、メルキゼデクの福音の一神教のすばらしい復興において、シャレイム宣教師の少数しか、イタリアには突き進むことはなく、またそうした者達でも、急速に広がりつつあるエトルリア人の司祭職達ときら星のように並ぶその新しい神々と寺院との影響に打ち勝つことができず、そのすべてが、ローマ国教へと組織化されるようになった。ラテン部族のこの宗教は、ギリシア人のそれのように瑣末でもなく、腐敗してもなく、ヘブライ人のそれのように厳格でもなく、専制的でもなかった。それは、大体が単なる型、誓い、禁忌の遵守から成った。
ローマ宗教は、ギリシアからの大規模な文化導入によって大いに影響をうけた。結局、オリンポスの神々のほとんどは、ラテン系の殿堂に移され組み入れられた。ギリシア人は、長く家庭の炉の火を崇めた。ヘスティアは、囲炉裏の処女神であった。ヴェスタはローマの家の女神であった。ゼウスは、ユーピテルとなり、アフロディテはヴィーナスに、その他の多くのオリンポスの神性に至るまで。
ローマの若者の宗教的な始動、は、国家奉仕への厳粛な奉献の行事であった。市民権への宣誓と承認は、実際は宗教的な儀式であった。ラテン民族は、寺院、祭壇、神殿を維持し、危機に際しては神託を伺うのであった。彼らは、英雄の骨を、後にはキリスト教聖者のものを保存した。
偽りの宗教的愛国心のこの形式的かつ感情的でないな型は、ちょうど、ギリシア人の高度に知的で芸術的な崇拝が、神秘礼拝集団の熱烈で深く感情的な崇拝に屈服したように、失敗する運命にあった。これらの荒廃的礼拝集団の最大のものは、神の母宗派の神秘宗教であり、その本部は、当時ローマの、現在は聖ペトロス教会の同じ場所にあった。
新興のローマ国家は、政治的には勝ったものの、一方エジプト、ギリシア、レヴァント地方の集団礼拝、儀式、神秘、神の概念により征服された。これらの輸入された集団礼拝は、純粋に、政治的、また市民の理由のために神秘礼拝儀式を破壊し、以前の政治的な宗教を復活させる英雄的で、いくらか好結果の努力をしたオーガストゥスの時代までローマの国中に栄え続けた。
国教聖職者の1人が、1神の教理を広げるシャレイム教師の初期の試みについてオーガストゥスに伝えた。この考えは、彼が、多くの寺院を建設し、そこに美しい装飾作品を多く備え、国の聖職層を再編成し、国教を再建させ、自らを高僧代表に任命し、皇帝として、自身が崇高な神であると躊躇うことなく宣言した。
オーガストゥスのこの新宗教は、ユダヤ人の故国パレスチナを除き、かれの生存中繁栄し実践された。公式のローマ礼拝集団は、全員が奇跡的な出生と超人的な他の属性を申し立てる40人以上の自己昇進を果たした元人間の神の名簿を持つまで、人間の神のこの時代は続いた。
野蛮で無意味な宗教儀式を捨て、ギリシア人の哲学との接触で変更され汚染されてきたメルキゼデクの具体化する福音崇拝の型に戻るようローマ人に勧めるキニコス人の熱心な説教者集団により減少するシャレイム信者集団の最後の抵抗が明示された。減少するシャレイム信者集団の最後の抵抗は、キニコス人の熱心な説教者集団により明示され、説教者集団は、ローマ人に野蛮で無意味な宗教儀式を捨て、ギリシア人の哲学との接触で変更され汚染されてきたメルキゼデクの具体化する福音崇拝の型に戻るように勧めた。しかし、一般庶民はキニコス人を拒絶した。かれらは、個人の救済の望みを与えるだけでなく、気晴らし、刺激、娯楽への願望をも満足させる神秘の儀式にどっぷり漬かることを好んだ。
ギリシア・ローマの世界の人々の大半は、原始的家族と国教を失い、またギリシア哲学の意味を理解できず、あるいは、理解をしたがらず、エジプトとレヴァント地方からの壮観で感情的な神秘礼拝集団に目を向けた。一般大衆は救済の約束—当分の間の宗教の安らぎと死後の不死への望みの保証—を切望した。
最も人気のあった3つの神秘礼拝集団は、
1. キベレのフリギアの礼拝集団とフリギアの息子アッティス。
2. オシリスとその母アセトのエジプトの礼拝集団。
3. 罪深い人類の救世主と贖い主としてのミースラ崇拝のイランの礼拝集団。
フリギアとエジプトの神秘宗教は、その神の息子(それぞれにアッティスとオシリス)が、死を経験し、神の力により復活したということを、さらに、神秘集団に適切に入会し、神の死との復活をうやうやしく祝うものすべてが、それによって神性と不死の分配にあずかる者になるであろうということを、教えた。
フリギアの儀式は、堂々とはしていたが、堕落的であった。血なまぐさい行事は、レヴァント人の神秘がどれほどに低下し原始的になったかを示している。宗教の最大の聖日は、アッティスの自らに課した死を記念する魔の金曜日、「血の日」であった。祭りは、アッティスの犠牲と死の祝賀の3日後にその復活を祝して喜びに変わった。
アセトとオシリスの崇拝儀式は、フリギア礼拝集団のものよりも洗練され印象的であった。このエジプトの儀式は、死んで復活したナイルの古い神の伝説を中心に構築され、その考え方は、植物の成長停止の毎年の繰り返し、それに続く植物すべての春の復活の観測によるものであった。神性認識の「熱意」を導くとされるこれらの神秘礼拝集団の遵守の狂乱と儀式の行き過ぎは、往々にしてとても不快なものであった。
フリギアとエジプトの神秘は、最終的には、神秘礼拝集団、すなわちミースラ崇拝のすべての中で最もすばらしいものの前に屈した。ミースラ礼拝集団は、幅広い人間性に訴え、その先行した両方に徐々に取って代わった。ミースラ教は、レヴァント地方で編成されるローマ軍団の普及によりローマ帝国に広がり、軍団が行く先々に携えたのでこの宗教は流行した。また、この新しい宗教儀式は、以前の神秘礼拝集団をかなり改良したものであった。
ミースラの礼拝集団は、イランで起こり、ゾロアスターの追随者の過激な敵対にもかかわらず、長くその故国に存続した。しかし、ミースラ教がローマに達するまでには、それは、ゾロアスターの教えの多くの吸収によって大いに改良されるようになった。ゾロアスターの宗教が後に出現するキリスト教への影響を及ぼしたのは、主としてミースラ礼拝集団を通してであった。
ミースラ礼拝集団は、大きな岩を起源とし、雄々しい功業に従事し、矢で射た岩から水を勢いよく流出させる好戦的な神を描写した。1人の男が特別に組み立てられた舟で逃れる洪水があり、またミースラが、天上に昇る前に太陽神と祝う最後の晩餐があった。この太陽神、または、ソル・インウイクトスは、拝火教のアフラ・マズダー神の概念の退化であった。ミースラは、暗黒の神との戦いにおける太陽神の生き残りの勝者として発想された。そして架空の神聖な雄牛の殺しが認められ、ミースラは、天の神々の間の人類のための仲裁者の身分に高められ不滅にされた。
この礼拝集団の支持者らは、洞窟や他の秘密の場所で崇拝し、賛美歌を詠唱し、魔法を呟き、生贄の動物の肉を食し、その血を飲んだ。かれらは、毎週、太陽神の日に特別な儀式と、12月25日のすべてのミースラの年中行事の中でも最も入念な遵守と併せて1日に3度、崇拝した。聖餐に参加することは、永遠の寿命、すなわち死後即座にミースラの胸へ向かうこと、そこに裁きの日まで至福のうちに留まると信じられた。天国のミースラの鍵は、判決日に信心深い者達の歓迎のために楽園の門を開錠する。そこで、洗礼を受けていない活ける者と死者のすべては、ミースラの地球復帰の際、全滅させられる。人が死ぬと、裁きのためにミースラの前に行き、世の終わりにミースラ最後の審判に直面するために墓からすべての死者を呼び出すということが教えられた。邪悪な者は、炎によって破壊され、公正な者は、ミースラと共に永遠に君臨する。
最初それは、男性のためだけの宗教であり、信者が引き続き加入できる7つの異なる序列があった。後に、信者の妻と娘が、偉大な母の寺院に認められた。その寺院は、ミースラ寺院に隣接していた。女性の集団礼拝は、ミースラの儀式とキベレーのフリギア集団礼拝、アッティスの母の混合儀式であった。
神秘礼拝集団とキリスト教の到来以前、北部アフリカとヨーロッパの文明的な国々における個人的宗教は、ほとんど独立団体としては発達しなかった。むしろ、家族、都市国家、政治的、そして帝国のものであった。古代ギリシャのギリシア人は、崇拝の集権制を発展したことがなかった。儀式は地域的であった。彼らには、聖職がおらず、何の「神聖な本」もなかった。ほぼローマ人と同じように、その宗教組織は、高度の道徳的で精神的価値の保存のための強力で精力的な働きを欠いていた。宗教の制度化においては、通常その精神的特色が損なわれたというのは本当であるが、いかなる宗教もこれまでのところ、大なり小なり、何らかの度合いの制度的組織の援助なくしては残存しなかったというのも事実である。
西洋の宗教は、その結果、懐疑論者、キニコス人、エピクーロス人、ストア哲学者の時代まで、だが、何よりも重要なことは、ミースラ教とキリスト教のパウーロスの新宗教の間のすばらしい論争の時代まで、無気力になっていた。
ミースラ教とキリスト教会は、キリスト後の3世紀に、儀式における外観と特徴において非常に類似していた。崇拝のためのそのような場所の大部分が、地下であり、双方ともに罪に呪われた人類に救済をもたらす救世主の受難について様々に表現する背景の祭壇を有した。
寺に入る際、聖水に指を浸すことが、ミースラ崇拝者の常の慣行であった。ひところ双方の宗教に属した者が、いくつかの地区にいたことから、人々は、ローマ周辺のキリスト教会の大半にこの習慣を持ち込んだ。二つの宗教は洗礼を採用し、サクラメントのパンとワインの相伴した。ミースラ教とキリスト教間の1つの大きな違いは、ミースラとイエスの特徴は別として、一方は軍国主義を奨励し、他方は超平和的であったということである。ミースラ教の他宗教(後のキリスト教を除く)への寛容性が、その最終的破滅の原因となった。しかし、2宗教間の争いにおける決定的要因は、キリスト教の完全な親交への女性の是認であった。
名目上のキリスト教は、結局は西洋を支配した。ギリシア哲学は倫理意識の概念を提供した。ミースラ教は、崇拝遵守の儀式を、キリスト教それ自体は、倫理的価値と社会的価値の保護のための方法を。
創造者たる息子は、怒れる神と和解させるためではなく、むしろ全人類が、父の愛の認知へ、神との息子の関係の実現の勝利へたどり着くために死すべき者の姿で転生し、ユランチアの人類に自分を授与したのであった。ついには、償いの教義の偉大な提唱者でさえこの真実の何かを理解した。なぜならば、かれは、「神はキリストにおいて世界を自分自身に和解させる」と断言したので。
キリスト教の起源と普及を扱うことは、この論文の範囲ではない。それは、ナザレのイエスという人物、人間の姿に転生したネバドンの息子マイケル、ユランチアにおいてはキリストとして知られている聖油で清められた者の周りに組織されると言えば十分である。キリスト教は、このガリラヤ人の追随者によりレヴァント地方と西洋中に広げられ、彼らの伝道の熱意は、熱心なアジアの同時代人、つまり仏教の教師のものに限らず、傑出した先輩のもの、つまりセース人やシャレイム人のものに匹敵した。
ユランチアの信仰体系としてのキリスト教は、次のような教え、影響、信仰、礼拝集団、個人的な個々の考え方の合成で生じた。
1. メルキゼデクの教え。その教えは、ここ4,000年間で起こった西洋と東洋の全ての宗教における基本要素である。
2. 摂理と最高のヤハウェ双方へのヘブライの道徳、倫理、神学、信仰の体系。
3. すでにユダヤ教とミースラ教に刻みつけた宇宙の善と悪との間の戦いに関するゾロアスター教の概念。ミースラ教とキリスト教間の戦いの長期的接触のために、イランの予言者の教義は、イエスの教えのギリシャ版とラテン版の教義、信条、および宇宙論の神学的、哲学的な型と構造の決定における重要な要因となった。
4. フリギア集団礼拝における偉大な母の崇拝だけではなく、神秘集団礼拝、特にミースラ教。地球への到来が差し迫るこの出来事を天使から知らされていたほんの一握りの羊飼いが目撃するはずであったユランチアにおけるイエスの出生の伝説でさえ、イランの救世主であり英雄である奇跡的なミースラの出生のローマ版で損なわれることとなった。地球への到来が差し迫るこの出来事を天使によって知らされていたほんの一握りの羊飼いによって目撃されるはずであったユランチアにおけるイエス誕生に関する伝説さえ、イランの救世主であり英雄であるミースラの奇跡的誕生のローマ版で損なわれることとなった。
5. 人間ヨシュア・ベン・ヨセフの人生の歴史的事実、神の息子、栄光を与えられたキリストとしてのナザレのイエスの現実。
6. タルススのパウーロスの個人的観点。ミースラ教はパウーロスの青春時代のタルススの優位な宗教であったということが、記録されるべきである。パウーロスは、転向させた者達への自分の善意の手紙が、さらに後のキリスト教徒にいつか「神の言葉」と見なされることをあまり夢想していなかった。そのような善意ある教師が、後の後継者によるその文章での使用責任を問われるべきではない。
7. アレキサンドリアとアンチオケからギリシアを経由しシラクサとローマまでのヘレニズム民族の哲学的思考。ギリシア人の哲学は、現在の他のいかなる宗教体系よりもパウーロスのキリスト教版と調和しており、西洋でのキリスト教の上首尾で重要な要素となった。ギリシア哲学は、パウーロスの神学に加え、今もなおヨーロッパ倫理の基礎を形成している。
イエスの本来の教えが、西洋に入り込むとそれは西洋化され、それが西洋化される一方で、人間のすべての人種と民族にとっての潜在的に普遍的な魅力を失い始めた。キリスト教は、今日、白色人種の社会的、経済的、そして政治的な慣習によく適合する宗教になった。それは、その教えの道に真摯に続こうとする個人にイエスに関する美しい宗教をいまだに立派に描写してはいるものの、久しくイエスの宗教であることをやめている。それは、キリストとしてのイエス、神からメシアの聖油を注がれたものを賛美してきたが、大いにあるじの個人の福音を忘れてきた。神の父たることとすべての人の普遍的な兄弟愛。
これがユランチアでのメルキゼデクのマキヴェンタに関する教えの長い物語である。この非常時のネバドンの息子は、自分をユランチアに授与し、「エル・エリョンの聖職者、いと高き神」に関する教えがすべての人種と民族に入り込んだその時以来およそ4,000年である。マキヴェンタは、異例の贈与の目的の達成に功を奏した。マイケルがユランチアに現れる用意をすると、神の概念が、つまり空間の渦巻く惑星で自分達の好奇心をそそる束の間の生活を送りながら宇宙なる父の様々なの子供の生き生きとし、精神的な経験の中で今もなお新たに燃えているという神の同じ概念が、男女の心の中に存在した。
[ネバドンのメルキゼデクによる提示]
宗教に関係のない社会団体とのつながりが一番薄いとき、宗教は、最高の社会的奉仕を果たす。過去に、社会改革は、主に道徳的領域に閉じ込められていたので、宗教は、経済体系、また政治体系における大規模な変化へのその姿勢を調整する必要はなかった。宗教の主要問題は、政治文化と経済文化の既存の社会的秩序の中での悪を善と置き換える努力であった。宗教は、その結果、間接的に文明の現存する型の維持を助成するために社会の確立された秩序を永続させる傾向にあった。
しかしながら宗教は、新しい社会秩序の創造、あるいは古いものの保存に直接に関わるべきではない。本物の宗教は、社会的進化手段としての暴力に対抗はするが、それは、その使用を適応させ、新しい経済状況と文化的要求にその機関を合わせる社会の知的な努力を妨害しないのである。
宗教は、時折起こる過去の世紀の社会改革をたしかに承認したが、20世紀においては、大規模で継続的社会再建への調整に直面することが必然的に求められている。生活のための環境が、非常に急速に変わるので制度上の変更が大きく加速されなければならず、宗教は、それに応じて、この新たで変わり続ける社会秩序へのその適合を速めざるをえない。
機械の発明と知識の普及は、文明を変えている。文化的災いを避けようとするならば、ある種の経済調整と社会変化は、必須である。この新しく、また接近しつつある社会秩序は、1,000年の間、完全には落ち着かないであろう。人類は、変化、調整、再調整の過程に調和させなければならない。するようにならなければならない。人類は、新たで、惑星の隠された運命に向かって前進中である。
宗教は、これらの変化し続ける状況と果てしない経済調整の中にあって動的に機能する道徳の安定性と精霊的な発達へと力強く誘うものにならなければならない。
ユランチア社会は、過去の時代のように落ち着くことを決して望むことができない。社会という船は、確立した伝統の保護された湾から出港し、進化の目標の公海でのその航行を開始した。人間の魂は、世界歴史上かつてなかったほどに、道徳のその図を慎重に注意深く精査し、宗教指導の範囲を労を惜しまず観測する必要がある。社会的影響としての宗教の至上の使命は、文明の1局面から他局面へ、文化の1段階から別段階への変遷のこの危険な時代の間、人類の理想を安定させることである。
宗教には果たすべき何の新しい義務もないが、新たで、急速に変化している人間の状況のすべてにおいて賢明な導き手として、経験豊富な相談役として機能することが、緊急に要求されている。社会は、 より機械的で、より密集し、より複雑で、より批判的に相互依存するようになっている。宗教は、新しくて親密な相互の繋がりが、互いを後退させたり、破壊をもたらせたりすることのないように機能しなければならない。宗教は、前進の発酵体が、文明の文化的な味を破壊するのを防ぐ宇宙の塩として機能しなければならない。これらの新しい社会的関係と経済的激変は、宗教の働きによってのみ持続する兄弟愛を結果として生むことができる。
神を信じない人道主義は、人間的見地からは気高い意思表示ではあるが、真の宗教は、他集団の必要性と受難に対して1つの社会集団の感応性を永続的に増大させることができる唯一の力である。社会の上層部は、過去においては無力な下層部の苦悩と抑圧に耳を貸すことなく、制度的宗教は、受け身のままでいることができたが、現代においては、これらの下層社会は、もはや、それほど哀れなほどに無知でもなく、政治的に無力でもない。
宗教は、社会再建と経済再編成の非宗教的な活動に組織的にかかわるようになってはいけない。しかしそれは、その道徳的な指令と精霊的な指針、つまり人間の生活と超越的な生存のその進歩的哲学、の明確で活発な再度の声明により、文明におけるすべてのこれらの進歩と力強く足並みを揃えなければならない。宗教の精神は、永遠であるが、その表現形式は、人間の言語の辞書が改訂されるたびに言い換えられなければならない。
残念なことに、組織的な宗教は、多少なりとも再建の引き受けに運命づけられている社会組織と経済体制の構成部分になっており、の間近に迫った世界規模の社会再建と経済再編成においてひらめきを提供したり、指導力を与えたりすることはできない。個人的な精神経験の真の宗教のみが、文明の現在の危機に役立ち、しかも創造的に機能することができる。
制度的宗教は今、悪循環の膠着状態に捕らわれている。それは、まずそれ自体の再建なしには社会の再建はできない。そしてあまりにも確立された体制の不可欠部分であるが故に、社会が根本的に再建されるまでは、それ自体を再建することはできない。
宗教家は社会、産業、政治における団体、党派、または組織としてではなく個人として機能しなければならない。そういうものとして機能するつもりの宗教団体は、宗教活動は別として、たちまちのうちに政党、経済団体、または社会制度になる。宗教の集団主義は、その努力を宗教大義の推進に制限しなければならない。
宗教が、より一層の宇宙的洞察力を与え、この上なく神を愛し、天の王国で兄弟としてすべてのものを愛する心からの願望をもって生まれるあの優れた社会的な知恵を贈与する範囲を除いては、宗教家が、社会再建の課題において無宗教家以上に価値があるわけではない。理想的な社会体制は、その中で人が自らを愛するようにすべての人が隣人を愛することである。
制度化された教会は、過去においては、確立した政治と経済体制を賛美することによって社会に奉仕するように見えたが、生き残るつもりであるならば、そのような活動は、すぐにやめなければならない。その唯一の適切な態度は、非暴力の教え、つまり暴力革命に代わる平和的な発展の教義—地球の平和とすべての人の善意—にある。
現代宗教は、それ自体があまりにも徹底的に伝統化され、教義化され、制度化されることを許容したばかりに、急速に移行している社会変化に向けその姿勢を調整することが困難である。生きた経験の宗教は、これらのすべての社会的発展と経済の大変動を凌ぐことにおいて道徳的な安定装置、社会的な指針、精神の水先案内人としてその只中で常に機能する。真の宗教は、価値ある文化と神を知り神のようになる努力をする経験で生まれる知恵とを1時代から別の時代へと引き継ぐ。
初期のキリスト教は、行政とのもつれあい、社会的公約、および経済協力から完全に自由であった。制度化されたキリスト教は、後になってやっと西洋文明の政治的、社会的構造の構成部分になった。
天の王国は、社会秩序も経済秩序もない。それは、専ら神を知る個人の精霊的な兄弟関係である。そのような兄弟関係は、それ自体に政治的、経済的な目ざましい影響によりもたらされる新たで驚くべき社会現象であるということは正しい。
宗教家は、社会の苦悩に冷淡ではなく、行政の不正に無頓着ではなく、経済的考えを隔離せず、暴政に無感覚でもない。宗教は、個々の市民を精神的にし、理想的にするのであるから社会再建に直接影響を及ぼす。市民が様々な社会的、道徳的、経済的、政治集団の積極的で有力な構成員になるにつれ、文化上の文明は、これらの個々の宗教家の態度により間接的に、影響をうけている。
高度の文化的な文明の達成は、まず市民の理想的な型を、次に理想的で適切な社会機構を要求し、それによってそのような市民がそのような高度な人間社会の経済と政治制度を制御できる社会機構を要求する。
過度に誤った感情のため、教会は、恵まれなかったり不幸な人々の面倒を長い間してきた。これはすべて良かったのだが、この同じ感情は、文明の進歩を途方もなく遅らせた人種的に退化した血統の賢明でない永続化に導いた。
多くの個々の社会の再建者は、組織化された宗教を激しく拒否すると同時に、結局は、社会改革の伝播において熱心に宗教的なのである。したがって、個人的であり多少認識されていない宗教動機が、社会復興の今日の計画においてかなりの役割を演じているということである。
この認識されず無意識のすべての宗教活動の型の最大の弱点は、公然の宗教批評から利益を得ることができず、その結果、自己修正の有利な水準に到達できない。宗教は、建設的批判により鍛練され、哲学により増幅され、科学により精練され、忠実な親交によって助長されない限り成長しないというのは、事実である。
戦時にそれぞれの対立国家がその宗教を軍事宣伝に悪用するときのように宗教が歪められ、誤った目的追求に悪用されるという重大な危険は、つねに存在する。愛のない熱意は、宗教にとりいつも有害であり、一方、迫害は、宗教活動を何らかの社会的あるいは神学的原動力達成に転換する。
宗教は、次の事柄だけにより世俗の不道徳な同盟から無関係であり続けることができる。
1. 批判的に修正的哲学
2. すべての社会、経済、政治同盟からの自由
3. 創造的で、励みとなり、しかも愛を拡げる仲間
4. 精神的洞察の進歩的高揚と宇宙の価値観の鑑賞
5. 科学的な心構えの補填による狂信の防止
集団としての宗教家は、決して宗教以外の何事にも携わってはいけない。たとえそのような宗教家が、一個人の国民として、何らかの社会的、経済的、または政治的復興運動の際だつ指導者になるかもしれないとしても。
宗教の働きは、難しいが、望ましいこれらのすべての社会奉仕の前進において成功達成に向かわせるような個々の市民の宇宙的忠誠心を作り出し、支え、奮い立たせることである。
真の宗教は、宗教家が社会的に心が惹かれるなるようにし、人間の親交への洞察力を生み出す。しかし、宗教集団の形式化は、集団の組織促進のためのまさしくその価値を何度も破壊する。人間の友情と神の宗教は、それぞれでの成長が均等化され調和するならば、相互に助けになり著しく啓発的である。宗教はすべての集団協会—家族、学校、同好会—に新しい意味をつけ加える。それは、遊びに新しい価値を与え、すべての真の笑いを高める。
社会的統率力は、精神的洞察によって変えられる。宗教は、すべての集合的運動から真の目的を見失うことを防ぐ。宗教は、生き生きとし増大する信仰がある限り、子供と同じ様に家族生活のすばらしい統括者である。家族生活は、子供なしで送ることはできない。宗教なしで暮らすことはできるが、そのような不利な条件は、この親密な人間のつながりの困難さを途方もなく拡大させる。20世紀初期の数十年間、家族生活は、個人的な宗教経験の次に、古い宗教的な忠誠心から浮上しつつある新しい意味と価値への移行の結果として生じる退廃に最も苦しむのである。
真の宗教は、平凡な日々の生活の現実に動的に面と向かって生きる重要手段である。しかし、もし宗教が、個々の性格開発を刺激し、人格の統合を拡大させることであるならば、それは、標準化されてはならない。価値ある魅力として経験と奉仕の評価を刺激するつもりであるならば、それが、枠にはめられてはならない。宗教が最高の忠誠を促進することであるならば、それが、形式化されてはならない。
たとえ文明の社会的、経済的成長が、いかに激変を伴うことがあろうとも、真、美、善の行使が、広がる個人の経験を助成するならば、宗教は、本物であり価値がある。というのも、これこそが、崇高なる現実の真の精神的概念であるが故に。そしてこれは、愛と崇拝を介し人との親交と神との息子関係に重要になる。
煎じ詰めれば、行為を決定し個人の実績を支配するのは、人が知っていることよりむしろ信じていることである。純粋に事実に基づく知識は、感情的に動かされない限り、並の人間にほんのわずかしか影響を及ぼしはしない。しかし、人生における精霊的活力との接触、そしてその放出による超自然的段階での人間の全経験を統一している宗教の活性化、は、超感情的である。
心理学的に不安定である20世紀おいて、すなわち、経済的激変、道徳的な逆流、そして科学時代のサイクロンに似た変遷の社会的な引き潮の真っ只中において、何千という男女が人間として混乱した。それらは、気を揉み、落ち着きがなく、恐れ、不確かで、動揺している。世界歴史においてかつてなかったほどに正常な宗教の慰めと安定を必要としている。空前の科学の功績と機械の発展にもかかわらず、精神的停滞と哲学的混沌がある。
寡欲で情愛深い社会奉仕に関するその動機を失わない限り、宗教が、ますます私的な問題—個人的な経験—になる危険性はない。宗教は、多くの二次的影響に苦しんできた。市街化と機械化と共に、文化の突然の混合、教義の混合、教会権威の縮小、家族生活の変化。
人の最も重大な精霊的な危機は、部分的な進歩、未完の成長の苦境、つまり、愛の天啓的宗教をすぐに理解することなく、恐怖への進化的宗教を見捨てること、にある。現代科学は、特に心理学は、主に恐怖、迷信、感情に依存するそれらの宗教だけを弱めた。
変遷には常に混乱が伴い、競合する3つの宗教哲学の間での大きな闘いが終わるまで、宗教世界に静寂はほぼないであろう。
1. 多くの宗教の精神的な信仰、(神意による神格への)信仰。
2. 多くの哲学の人道主義的、理想主義的信条。
3. 多くの科学の機械的そしてと自然主義的概念。
宇宙の現実へのこれらの部分的な3つの接近は、結局、楽園の三位一体からの精霊、心、エネルギーの三位一体の存在を描写する、そして崇高なるものの神格の中に時-空間の一体化を図る宗教、哲学、宇宙の啓示的な提示により和解的にならなければならない。
宗教は、全く個人的な精神経験—父としての神を知ること—である一方で、この経験の自然の結果—兄弟として人を知ること—は、他の自己に対する自己の調整を要し、それは、宗教人生の社会的、あるいは集団的局面を伴う。宗教は、まずは内面的、または個人的な適合であり、次には社会奉仕か集団適合の問題となる。人の集合性の事実は、宗教集団が生まれることを必然的に決定する。これらの宗教集団に起こることは、優れた指導者によるところが大である。原始社会においては、宗教集団は、いつも経済、または政治集団と非常に異なるわけではない。宗教は、絶えず道徳の保護機能と社会の安定装置であった。多くの現代の社会主義者や人道主義者の相反する教えにもかかわらず、これは、今なお真実である。
常に肝に銘じておきなさい。真の宗教は、あなたの父を神として、また人を兄弟として知ることである。宗教は、罰への恐れ、あるいは神秘主義の将来的報酬への魔術的約束の卑屈な信仰ではない。
イエスの宗教は、人類を動かすこれまでで最も動的影響を持つものである。イエスは、伝統を打ち砕き、教義を破壊し、時間と永遠におけるその最高度の理想—天の父のように完全になること—の成就に向け人類に呼びかけた。と。
宗教には、宗教集団—天の王国の精霊的な会員の社会組織—が、他のすべての集団と切り離されるようになるまで機能する好機はあまりない。。
人間の全体的堕落の教義は、希望を与える性質の、刺激を与えるような価値の社会的影響を生じるために、宗教の可能性の多くを破壊した。イエスは、すべての人間は神の子供であると宣言したとき、人の威厳を回復しようとした。
信者を精神的にすることにおいて効果的であるいかなる信仰も、そのような宗教家の社会生活に強力な影響を持っているのは確かである。宗教経験は、精神に導かれた死すべき者の日常生活において絶えず「御霊の実」をもたらす。
人は、信仰を共有するのとちょうど同じ程度に確かに、いつかは共通の目標を創造するある種の宗教集団を生み出す。いつか宗教家は、心理的な意見と神学上の思考体系に基づいてそう試みるよりも、むしろ集い、理想と目的の統一に基づいて実際に協力をするであろう。教義よりむしろ目標が、宗教家を統一すべきである。本物の宗教は、個人的かつ精神的な経験の問題であり、それぞれ個々の宗教家が、その精神的経験の認識について自身のしかも個人的解釈を持たなければならないということは避けられない。「信仰」という言葉に死すべき者の一部の集団が、一般の宗教的な態度として同意できてきたことに信条の定式化のためによりも、むしろ神との個人の関係に意味をもたせよう。「信仰を持っていますか。では、自分自身にそれを持ちなさい。」
信仰は、望む事象を確信し、見ていない事実を確認することであると宣言する新約聖書の定義に示されている理想の価値の把握にだけ関心がある。
原始人は、宗教信念を言葉で表す努力をほとんどしなかった。かれの宗教は、考え抜くよりも、むしろ踊り抜いた。現代人は、多くの教義を考え抜き、信仰の多くの試練を作りあげた。未来の宗教家は、自らの宗教に生き、心からの人間の兄弟愛の奉仕に捧げなければならない。人は、そろそろ個人の宗教的な経験を的に、しかも高尚にして「言葉にするには深過ぎる状態の気持ち」によってのみ気づ、言い表す時である。
イエスは、追随者に定期的に集まり、共通の信念を表示する言葉の形を復唱を要求しなかった。イエスは、皆が実際に何かをするために—ユランチアでの贈与の人生に関する共同の追悼晩餐を相伴するために—集まるべきであると定めただけである。
キリスト教徒が、精神的な指導者の最高の理想としてキリストを紹介して、特定の国家的、または人種的啓発に貢献した神を知る者達の歴史的な指導力の拒絶を神を意識している男女にあえて要求するとき、キリスト教徒にとっての何という誤りであることか。
宗派心は、制度的宗教の病であり、教条主義は、精神性の奴隷状態である。宗教なしで教会を持つよりは、教会なしで宗教を持つ方がはるかに良い。20世紀の宗教の混乱は、それ自体、精霊的な退廃を示さない。混乱は、破壊前に限らず、成長前にもある。
宗教の社会化には真の目的がある。宗教的な忠誠を劇的に表現することが、集団の宗教活動の目的である。真、美、善の魅力を拡大すること。最高価値の魅力を促進すること。寡欲な親交的な奉仕を強化すること。家族生活の可能性を賛美すること。宗教教育を促進すること。賢明な助言と精霊的な指導を提供すること。そして、集団崇拝を奨励すること。すべての生きている宗教が、人間の友情を奨励し、道徳性を保護し、地域の福祉を促進し、永遠の救済のそれぞれの伝達内容の不可欠な福音の普及を容易にする。
しかし宗教が制度化されるようになると、善のためのその力は縮小されるが、悪のための可能性ははなはだ増大する。形式化された宗教の危険性は次の通りである。信念の固定化と感情の結晶化。世俗化の高まりに伴う特権の蓄積。真実を標準化し、化石化する傾向。宗教の神への奉仕から教会の奉仕への転換。聖職者の代わりに管理者になる指導者の傾向。派閥と競争の分隊を形成する傾向。圧制的な教会権威の確立。「選ばれた人々」の貴族的な態度の創造。神聖さに対する誤った、誇張された考えの育成。宗教の慣例化と崇拝の石化。現在の要求を無視する一方での過去を傾慕する性向。 宗教の最新解釈の不履行。世俗団体の機能とのもつれ。それは、宗教階級の弊害的差別を引き起こす。それは、正教の偏狭的裁判官になる。それは、大胆な若者の関心をとらえず、永遠の救済の福音に関する救いの伝達内容を徐々に失う。
形式的な宗教は、王国の建設者として高められた奉仕に解き放つ代わりに個人的な精神活動において人を拘束する。
教会や他のすべての宗教集団は、すべての世俗的活動から離れているべきであり、宗教は、同時に人間の組織の社会連携を妨げたり遅らせてはならない。人生は、大きな価値や意義に向かって成長し続けなければならない。人は、自身の哲学の改革と自身の宗教の明確化を進めなければならない。
政治学は、社会科学から学ぶ技術により、また宗教生活から得られた洞察と動機により経済学と産業の再構成を達成しなければならない。宗教は、すべての社会的な再建において、並外れた目標に安定させる忠誠心を、つまり即座の、しかも一時的な目的を超えたその上に安定させる目標を提供する。急速に変化している環境の混乱の只中にあって、必滅の人間は、広範囲にわたる宇宙的展望の維持を必要とする。
宗教は、人を地球の表面で勇敢に、嬉々として生活するように奮い立たせる。それは、忍耐と情熱を、熱意に洞察を、力と共感を、そして理想とエネルギーを接合する。
人は、神の主権の存在に思いを巡らせ、神の意味と精神的価値の現実について考えない限り、決して賢明に世俗の問題について決めることはできないし、個人的関心の身勝手さを超えることはできない。
経済的相互依存と社会的友愛が、究極的には兄弟愛をもたらすであろう。人は生まれながらにして夢想家であるが、宗教が、やがて熱狂的な反応の誘発にははるかに少ない危険性で人を動かすことができるように科学が酔いをさましているのである。経済上の必要性は人を現実に拘束し、個人的宗教経験は、この同じ人を絶えず広がり進歩している宇宙市民の永遠の現実に真正面から向かわせるのである。
[ネバドンのメルキゼデクによる提示]
活力に満ちた宗教生活の経験は、平凡な個人を理想主義的な能力の人格に変える。宗教は、各々の個人の進歩の促進を通じて、全員の進歩に助力し、また、個々人の進歩は、全員の業績に寄り増大する。
精霊的な成長は、他の宗教家との親密な交際により互いに促進される。愛は、宗教の成長—主観的満足感に代わる客観的な魅力—に対する地盤をもたらす。まだそのうえに、最高の主観的満足をもたらす。宗教は、平凡な日々の生活の退屈でつらい仕事を高尚にする。
宗教は、意味の発展と価値の向上を引き起こすとともに、純粋に個人的評価が絶対的なものの水準に登用されるとき、悪が結果として必ず生じる。子供というものは、喜びの内容に基づいて経験を評価する。成熟度は、個人的な喜びに代わる高い意味に比例しており、さらに忠誠は、様々な生活状況と宇宙関係の最高概念に比例している。
一部の人々は、成長するには忙し過ぎ、したがって精霊の固着という深刻な危険性にある。異なる年齢の連続的な文化において、そして進歩する文明の通過段階において、意味の成長のための準備が、なければならない。成長の主要な抑制剤は、偏見と無知である。
宗教経験をのばす機会をすべての成長している子供に与えなさい。既成の大人の経験を押しつけてはいけない。心しなさい。年ごとの確立された教育制度を通しての進歩が、必ずしも知的な進歩、ましてや精霊的な成長を意味するというわけではない。語彙の拡大は、人格形成をを意味しない。成長は、実際は単なる産物により示されるのではなく、むしろ進歩により示される。教育上の本物の成長は、理想の高揚、価値への増加する感謝、価値の新しい意味、最高の価値への増大された忠誠心により示される。
子供は、大人の関係者の誠実さだけにいつまでも感動する。教訓あるいは手本でさえ、永続的影響力はない。誠実な人々は、成長する人々であり、成長は、印象的で奮い立たせている現実である。今日、誠実に生きなさい、—成長しなさい、そうすれば、明日は、それ自体に対応するであろう。オタマジャクシがカエルになる最速方法は、それぞれの瞬間をオタマジャクシとして誠実に生きることである。
宗教的な成長に不可欠の土壌は、自己実現、生来の傾向の調整、好奇心の行動化と理にかなった冒険の楽しみ、満足感の経験、注意と認識に対する恐怖刺激の機能、驚きの魅力、誘惑と微小さ、つまり謙遜の通常の意識の進歩的な生活を前提としている。成長もまた自己批判—良心が伴う個性の発見—に基づいている。なぜならば、良心は、実際に自身の価値-習慣、個人的理想による自身の批判であるから。
宗教経験は、肉体の健康、遺伝的気質、および社会環境により著しく影響を受ける。しかし、これらの世俗的状況は、天の父の意志の実行に専念する人間による内面の精霊的な進歩を妨げない。特に妨げられていなければ機能する成長と自己実現に向かう何らかの生来の衝動は、すべての通常の死すべき者にある。組成分のこの授与の精霊的な成長の可能性を育成する確かな方法は、最高価値への心からの傾倒の態度を維持することである。
宗教は、授けたり、受け取ったり、貸与したり、学んだり、または失ったりはできない。それは、究極的価値への増大する探究に比例して成長する個人的経験である。宇宙成長は、こうして意味の蓄積と絶えず広がる価値の上昇に伴う。しかし高潔さ自体は、常に無意識の成長である。
思考と行為の宗教上の習慣は、精霊的な成長の無駄のない理法に寄与している。人は、精霊的刺激への好ましい反応、一種の精霊的条件反射に向けての宗教的素因を開発することができる。宗教の成長を奨励する習慣は、神の価値への感性、他者が送る宗教生活の認識、宇宙の意味についての反射的思索、信心深い問題解決、仲間との精霊的人生の共有、利己主義の回避、神の慈悲への甘えの拒否、神の前にいるような生活を取り入れた。宗教成長の要素は、意図的であるかもしれないが、成長自体は常に無意識である。
宗教的な成長の無意識の特徴は、しかしながら、人間の知性の想定された潜在意識の領域で機能する活動であることを意味する。むしろ、それは、人間の心の意識を超える段階の創造的活動を意味する。宗教上の無意識の成長の現実についての認識経験は、超意識の機能的存在の1つの確証である。
精霊の発達は、最初に、真の精霊力と生きた精霊的なつながりの維持、第2には、連続する精霊的な結実に基づく。つまり、人の精霊の後援者から受け取られたその奉仕を仲間にもたらすこと。精霊的進歩は、完全性への飢餓の自意識、つまり神を知り神に似る願望、天の父の意志を成すという心からの目標に結びつけられた精霊的貧困の知的認識に基づいている。
精霊の成長は、まず必要性への目覚めであり、次に意味の認識、次いで価値の発見である。真の精霊的な発達の証しは、愛に動機づけられ、寡欲な活動に駆動され、神性の完全理想の心からの崇拝に支配される人間の人格の表示にある。そしてこの全体の経験は、単なる神学の信念とは対照的に宗教の現実の構成要素となる。
宗教は、それが宇宙への啓発され賢明な精霊的な反応方法になるその経験段階に進むことができる。そのような栄光ある宗教は、人格の3段階で機能することができる。知性、モロンチア、精霊、すなわち心に、進展する魂の中に、そして内在する霊と共に。
精霊性は、同時に神への人の近さの指標となり、仲間の人間への有用性の基準になる。精霊性は、物事に美を発見し、意味に真実を認識し、価値に善を発見する能力を高める。精霊の発達は、容量に従って決定されており、それゆえ直接的に愛の利己的資質の除去に比例している。
実際の精霊的な状態は、神格達成、つまり調整者同調の標準である。精霊性の最終的達成は、現実への最大限の到達、神類似への最大限到達に等しい。永遠の命は、無限の価値を求めての終わりなき探索である。
人間の自己実現の目標は、物質的ではなく、精霊的でなければならない。求めて努力する価値がある唯一の現実は、神聖で、精霊的で、永遠である。必滅の人間は、物理的な喜びの享受と人間の愛情の満足感を得る資格がある。人間は、人間関係とこの世の団体組織への忠誠によって恩恵を受けている。しかし、これらは、空間を超え、時間を負かし、神の完全性と終局者の奉仕の永遠の目標を実現しなければならない不滅の人格を形成する永遠の地盤ではない。
イエスは、神を知る死すべき者の奥深い確実性を描写して、「神を知る王国の信者には、すべての地球のものが砕けようとも、どういうことがあろうか。」とこう言った。一時的保護は脆いが、精霊的な保証は動じない。人間の災難、身勝手さ、残酷さ、憎しみ、悪意、嫉妬の最高潮が、人間の魂を打ち砕くとき、人は、完全に難攻不落の内面の1つの砦、精霊の拠り所があるという保証で休息することができる。少なくともこれは、内在する永遠の神の霊への魂の維持に捧じるすべての人間に当てはまる。
そのような精霊的な到達後、段階的な成長、もしくは特定の危機により確保されるか否かにかかわらず、価値の新基準の発展と同様に人格の新たな方向づけが生じる。そのような霊生まれの個人は、自分の最も野心が消滅し、最も熾烈な望みが砕ける間、冷静に傍観できるように人生において再び意欲を起こす。人は、そのような破局が、人のこの世の創造を破壊する大災害に向けて宇宙到達の新たな、より崇高な段階のより立派で永続的な現実の育成に向け直す以外の何物でもないことを明らかに知っている。
宗教は、静的で至福な心の平穏に達するための手法ではない。それは、魂を動的奉仕のために備えるための刺激である。それは、神を愛し人に仕えることを好む忠誠的尽力における自己の全体性の動員である。宗教は、最高の目標、永遠の恩賞への到達に不可欠のいかなる代償をも支払う。見事に崇高である宗教的な忠誠には、神聖にされた完全性がある。そして、この忠誠心は、社会的に有効であり、精霊的に進歩的である。
宗教家には神という言葉は、最高の現実への接近と神性価値の認識を意味する象徴になる。人間の好き嫌いというものは、善悪を決定しない。道徳的価値は、願望遂行、または感情的落胆からは芽生えない。
人は、価値の熟考に際し、価値であるものと価値を持つものとの区別をしなければならない。愉快な活動と、その有意義な統合と人間の経験のますます高い段階における高められた認識との間の関係に気づかなければならない。
意味とは、経験が価値に加える何かである。それは、価値の鑑賞的意識である。孤立した純粋に利己的な喜びは、意味の事実上の切り下げ、つまりは相対的な悪に近い無意味な楽しみを意味するかもしれない。現実が重要であり、精神的に関連しているとき、すなわちそのような関係が心によって認識され、評価されるとき、価値は、経験的である。
価値は、静的であるはずがない。現実は、変化、成長を意味する。成長、すなわち意味の拡大と価値の高揚のない変化は、無価値である—潜在的悪である。宇宙適合の資質が大きければ大きいほど、いかなる経験の持つ意味合いは、より大きい。価値は概念的幻想ではない。それは、実在するが、常に関連性の事実に依存する。価値は、常に現実でもあり潜在的でもある—が、過去にそうあったことではなく、今そうであり、将来そうなることである。
現実性と可能性の関連は、成長に、すなわち価値の経験の実現に等しい。しかし成長は、単なる進歩ではない。進歩は、常に重要であるが、成長なくしては相対的に無価値である。人間の生涯の最高価値は、価値の成長に、意味における進歩に、そしてこの2つの経験の宇宙相互関係の実現にある。そして、そのような経験は神-意識に同等である。そのような死すべき者は、超自然ではないが、正確には超人的になっている。不滅の魂は、進化している。
人間は成長をもたらすことはできないが、好ましい状態を供給することはできる。成長は、物理的、知的、または精神的であろうともいつも、無意識である。愛は、このように成長する。それは、作成したり、製造したり、または購入することはできない。それは、成長しなければならない。進化は、成長の宇宙的方法である。社会的発展は、立法による保証はできないし、道徳的成長は、改良された行政による保証はない。人は機械を製造するかもしれないが、その真の価値は、人間の文化と個人的認識から得られなければならない。成長への人の唯一の貢献は、人格のもつ総力の動員—生きた信仰—である。
宗教生活は、献身的な生活であり、献身的な生活は、創造的な生活、つまり独自の、自然の生活である。新しい宗教洞察は、 古く、その上劣る反応形態に成り代わる新たでより良い反応習慣を選び始める闘争から起こる。新しい意味は、闘争の中にだけ現れるのである。闘争は、優れた意味に内包されるより高い価値の支持を拒絶するときに限って持続する。
宗教上の混乱は、不可避である。何らかの成長は、心的闘争と精神的動揺なしにはあり得ない。哲学的生活水準の組織は、哲学的な心の領域のかなりの動揺を伴う。忠誠は、闘いなくしてはすばらしいもの、善なるもの、真実なるもの、高潔なもののために発揮はされない。努力は、精神的洞察の明確化と宇宙洞察の増進に付随する。人知は、この世の生活から非精神的活力により引き離されることを拒絶する。懶惰な動物の心は、宇宙問題解決との苦闘に必要とされる努力に反抗する。
にもかかわらず、宗教生活の重大問題は、愛の支配による人格の魂の力を統一する課題にある。健康、精神的効率、および幸福は、肉体組織、心の組織、精神体系の統一から生まれる。人間は、健康と健全さについては多くを理解しているものの、幸福については、実際のところほとんど気づいていない。最高度の幸福は、精神の進歩に固く結びついている。精神的な成長は、永久の喜び、すべての理解を超える平和をもたらす。
物質的な生活においては、感覚がものの存在について伝える。心は、意味の現実を発見する。しかし、精神的経験は、個人に人生の本物の価値を明らかにする。人間生活のこれらの高度の段階は、神の崇高な愛と人の寡欲な愛で獲得される。もし人が仲間を愛しているならば、仲間の価値を見出したのに違いない。イエスはそのような高い価値を人に置いたが故に、人をとても愛していた。人は、付き合う仲間の動機の発見により最もよく価値を発見することができる。誰かがあなたを苛立たせるならば、つまり憤りの気持ちを起こさせるならば、あなたは、相手の観点について、そのような好ましくない行為の理由について、好意的に明察を試みるべきである。一度隣人を理解するならば、人は寛容になり、この寛容は友情へと育ち、愛へと実を結ぶであろう。
洞窟居住時代の原始の先祖の一人の絵—猛然と正面を見て脚を広げ、棍棒を持ち上げ、憎悪と恨みを吸い込んで、低く、見てくれの悪い、不潔で怒鳴って立っている不格好な男—を思い浮かべつてみなさい。そのような絵は、人類の中の神の威厳についてほとんど表現していない。しかし、我々に絵の拡大をさせてもらいたい。この生き生きとしている人間の正面には、剣歯虎が、うずくまっている。男の後ろには1人の女と2人の子供。人は、すぐにそのような絵に人類のすばらしく高貴な多くの始まりを表していると認めるが、人間は、両方の絵において同じである。しかしながら、第2の点描の中で、人は広がる地平線で優遇されている。人は、そこにこの進化する人間の動機について明察する。人は、男を理解するがゆえに、男の態度が賞賛に値するものになる。仲間の動機を推し測ることができさえするならば、人は、どれほどよく理解するであろうか。仲間を知ることができさえすれば、いつかは、彼らと恋に落ちるであろうに。
人は、意志の単なる行為により心から仲間を愛することはできない。愛は、隣人の動機と感情の徹底的な理解からだけ生まれるのである。それは、実際には今日すべての人を愛することは、毎日もう一人の人間を愛することを学ぶほどにはそれほど重要ではない。もし毎日あるいは毎週、あなたが、もう一人の仲間の理解を勝ちとり、これがあなたの能力の限界であるならば、あなたは、確かに社会的に付き合いをしているし、本当に自分の人格を精霊化している。愛が、感染性であり、人間の献身が、知的で賢明であるとき、愛は、憎しみよりもより伝染性である。しかし、本物の、寡欲な愛だけが、本当に移り易いのである。各々の人間が、動的な愛情の中心になることができさえすれば、愛のこの良性のウイルスは、すぐさま、全文明が愛に囲まれ、それが、人間の兄弟愛の実現であるほどまでに人類の感傷的な情感の流れを瀰漫させるであろうに。
苛立ちの哲学的な時代の主義や礼拝集団の間を混乱して転々としている失われた魂、神学的意味ではなく方向的な意味での失われた魂が、世界に満ちている。じつにわずかの者しか、宗教権威に代わる生きた哲学を導入する方法を学んでこなかった。(社会化された宗教の象徴は、成長のための媒介として軽蔑されるものではない、たとえ河川敷が、川ではないとしても。)
宗教成長の前進は、停滞から闘争を経て調整不安定からためらいのない信仰、宇宙意識の混乱から人格の統一、一時的な目的から永遠の目的、恐怖の束縛から神の息子の自由へと導く。
崇高な理想への忠誠表明—神-意識の心的、感情的、精神的認識、—は、自然でゆるやかな成長であるかもしれないし、あるいは危機の場合のように、ある転機で時々経験されるかもしれないということが明らかにされるべきである。使徒パウーロスは、ダマスカス街道でのあの多事多端な日にそのような突然の、しかも華々しい改心を経験した。釈迦は、ただ一人座り、究極真実の神秘を見抜こうとした夜、同様の経験をした。他の者達にも似た経験があり、多くの本物の信者は、突然の転向はなく、精神上の進歩をした。
いわゆる宗教転向に関連する壮観な現象の大半は、本質的には完全に心理的であるが、時として起源が、精神的でもある経験も生じるのである。精神的な起動が、精霊到達への心的に上向きのどの段階においても全く総体的であるとき、神の考えに対する忠誠の人間の動機づけが成就するとき、次には、内在する精霊の突然の下方への把握が、信じる人間の超意識的な心の集中され神聖にされた目的に連動させるために頻繁に起こる。そしてそれは、純粋に心理的なかかわり合いを超えた要因の転換を構成する統一された知的で精霊的な現象のそのような経験である。
だが、感情だけでは誤った転向である。人には、感情はもちろん信仰がなければならない。そのような心的意欲が部分的であるという範囲で、またそのような人間の忠誠心の動機に限って言えば不完全であるという範囲で、転向経験は、実に知力を要する感情的で、精神的な混合された現実であろう。
もし人が、別な方法で統一された知的な人生において理論上の潜在意識の心を実際的な作業仮説として認めたいと思うならば、人は、一貫するために、同様の、呼応する知的な上昇活動の領域を、つまり内在する精霊の実体、すなわち思考調整者との即座の接触圏を超意識の段階として仮定すべきである。すべてのこの心的推測の大きな危険は、空想と他のいわゆる神秘的な経験が、突飛な夢とともに人間の心への神の伝達と見なされるかもしれないということである。神の存在体は、過去に、恍惚状態や病的な空想の理由からではなく、こういったすべての現象にもかかわらず、自分たちを神を知る特定の人々に明らかにしてきた。
転向志向とは対照的に、思考調整者との接触可能なモロンチア圏へのより良い接近は、生ける信仰と誠実な崇拝、つまり心からの寡欲な祈りを介してであろう。要するに、人心の無意識の段階の記憶の過剰な突き上げのあまりに多くが、神の顕示と精霊の導きに間違えられてきた。
習慣的な宗教的夢想の習慣には重大な危険が伴う。神秘主義は、時として本物の精神的親交の方法ではあったが、現実回避の方法になるかもしれない。忙しい人生の場面からの短い後退の季節は、深刻に危険ではないかもしれないが、人格の長引く孤立は、最も望ましくない。空想意識の恍惚的状態は、間違っても決して宗教経験として修めるべきではない。
神秘的な状態の特徴は、比較的受動的な知性に作用している焦点の真に迫る孤立したものによる意識の拡散である。このすべてが、霊接触圏、つまり超意識圏への方向よりも、むしろ潜在意識への方向に意識を引きつけている。多くの神秘主義者は、異常な心的徴候段階にまで心の分裂を押し進めてしまった。
より健康な精神的思索の態度が、内省的崇拝と感謝の祈りに見られる。現身のイエスの人生の後年に起きたような思考調整者との直接の親交は、これらのいわゆる神秘主義的経験と混同されるべきではない。神秘主義の親交開始に貢献する要素は、そのような心的状態の危険を暗示している。神秘的状態は、次のようなものに支持されている。肉体的疲労、断食、心的分離、感慨深い美的経験、強烈な性衝動、恐怖、懸念、激怒、荒々しい踊り。そのような初期の準備の結果として起こる内容の多くは、潜在意識の心の中にその起源がある。
神秘現象のための状態は、好ましかったかもしれないが、ナザレのイエスは、決して楽園の父との親交のためにそのような方法に頼らなかったということが明確に理解されるべきである。イエスには、潜在意識の迷いも超意識の幻想もなかった。
進化的宗教と天啓的宗教は、方法において著しく異なるかもしれないが、動機には、かなりの類似性がある。宗教は、人生の特定機能ではない。むしろ、それは、生活様式である。真の宗教とは、宗教家が自身と全人類にとり最高の価値があると判断する何らかの現実への心からの献身である。全宗教の傑出している特性は次の通りである。最高価値への疑問を持たない忠誠心と心からの献身。最高価値へのこの宗教的敵な傾倒は子供へのおそらく無宗教の母の関係や支持された主張への無宗教家の熱い忠誠心に示されている。
宗教家の受け入れた最高価値は、下劣であるか、もしくは誤りでさえあるかもしれないが、それでもなお、それは宗教的である。宗教は、崇高であると保持される価値が、真に本物の精神的価値の宇宙の現実であるというまさしくその点において本物である。
宗教的な衝動への人間の反応の特徴は、気高さ雄大さの性質を包含する。誠実な宗教家は、宇宙の市民権を意識し、超人的な力の源との接触に気づいている。かれは、神の息子の優れた、また高められた親交に属する保証で興奮し、活気づけられる。自尊の意識は、宇宙の最高目的を—最高目標—を求める探索の刺激に増強されるようになった。
自己は、高められた自己管理能力を課し、感情の対立を少なくし、人間の生活を本当に住む価値のあるものにするすべてを取り囲む動機づけの興味をそそる意欲に降伏した。人間の限界に対する病的認識は、最高の宇宙と超宇宙の目標に到達するための道徳的決断と精神的願望に関連した人間の短所の生まれながらの意識に変えられる。そして超人間の目標到達のためのこの激しい努力は、増大する忍耐、慎み、不屈の精神寛容によって絶えず特徴付けられる。
だが真の宗教は、生き生きとした愛、すなわち奉仕の生活である。純粋に世俗的で、取るに足らない多くのものからの宗教家の分離は、決して社会的孤立にはつながらないし、またそれは、ユーモアを解する感覚を無効にすべきではない。本物の宗教は、人間の生活から何も取り去らず、それどころか、人生のすべてに新しい意味を加えさえするのである。それは、新しい型の熱意、情熱、勇気を生む。人間の忠誠心に関わる当然の社会的義務への精神的洞察と忠実な献身による支配がないならば、それは、この上なく危険な改革運動者の精神を生み出しさえするかもしれない。
宗教生活の最も驚くべき特徴の1つは、活力に満ちた崇高な平和、すべての人間の理解を越える平和、すべての疑念と混乱の欠如を予示する宇宙の平静さである。精神安定のそのような段階は、失望に対して免疫がある。そのような宗教家は、使徒パウーロスに似ている。パウーロスは、「私は確信する。死も生も、天使も支配者も、権威者も、現在あるものも、将来のものも、高いものも深いものも、その他どんなものも神の愛から私達を切り離すことはできない。」と言った。
崇高なるもの現実を理解する宗教家、そして究極なるものの目標を追求する宗教家の意識の中に住まう勝利の栄光の実現と結びつく安心感がある。
進化的宗教でさえ、本物の経験であるが故に、忠誠と壮大さにこのすべてがある。しかし天啓的宗教は、本物であるうえに、卓絶している。拡大された精神的洞察力の新たな忠誠心は、新たな愛と献身の段階、奉仕と親交の段階を作り出す。このすべての高められた社会的展望が、神の父権と人の兄弟愛の拡大した意識を生み出すのである。
進化的宗教と啓示的宗教の特質上の違いは、純粋に経験的な人間の知恵に加えられる神の叡智の新たな特性である。しかし、神の叡智と宇宙洞察のさらなる贈与のその後の受け取るの能力を発達させるのは、人間の宗教における、また人間の宗教との経験である。
ユランチアの並みの死すべき者は、ナザレのイエスが生身で滞在中に取得した性格の高度の完全性に達することを望むことはできないとはいえ、すべての必滅の信者にとり、完成されたイエスの人格の線に沿った強く、かつ統合された人格を開発することは断然可能である。あるじの人格の唯一無二の特徴は、その完全性というよりは、むしろその釣り合い、その絶妙、かつ均整のとれた統合であった。最も効果的なイエスの紹介は、告発人の前に立つあるじに向かい身振りで示し、「この男を見よ」と言った者の例に倣うことにある。
イエスの不断の思いやりは、人の心に触れたが、その人柄のもつ勇敢な力は、その信奉者を驚かせた。イエスは、じつに誠実であった。けっして偽善者などではなかった。てらいというものには無関係であった。いつも非常に爽快なまでに偽りがなかった。決して見せかけに身を屈せず、決して偽りに頼らなかった。真実を教え、教えた通りに生きさえした。イエスは、真実であった。そのような誠意が、時折苦しめたが、かれは、その世代に救済の真実の宣言をせざるをえなかった。イエスは無条件にすべての真実に忠実であった。
にもかかわらず、あるじは、とても道理をわきまえており、とても親しみやすかった。かれは、すべての活動においてとても実用的であり、同時に、すべての計画が、そのような神聖化された常識に特徴づけられた。奇抜で、異常で、風変わりな風潮のすべてとは全く関係がなかった。決して気紛れでも、酔狂でも、理性を失ってもいなかった。その教えと行為すべてに、常に並みはずれの礼儀正しさで対応する絶妙の判別があった。
人の息子は、いつもとても落ち着きのある人格であった。敵でさえも彼に対する健全な敬意を維持した。彼らは、人の息子の存在を恐れさえした。イエスは恐れなかった。神の熱意に満ち満ちていたが、決して狂信的にはならなかった。感情的に活溌であったが、決して軽はずみではなかった。想像的であったが、いつも実用的であった。ありのままに人生の現実に直面したが、決して無味乾燥でも退屈でもなかった。勇敢であったが、決して無謀ではなく、慎重あったが、決して臆病ではなかった。同情的であったが、感傷的ではなく、類い希であったが、風変わりではなかった。敬虔であったが、聖人ぶらなかった。また、それほどまでに完全に統合的であったので、とても落ち着いていた。
イエスの独創性は、息苦しくなかった。伝統に縛られもせず、狭い慣例への奴隷化により妨げられもしなかった。かれは、疑いのない自信で話し、絶対権威で教えた。しかし、そのずば抜けた独創性は、イエスの前任者や同時代人の教えの真実の珠玉を見落とさなかった。その教えの最も独創的なものは、恐怖と犠牲に代わる愛と慈悲の強調にあった。
イエスの展望は非常に広大であった。福音をすべての民族に説くように追随者に強く勧めた。かれは、すべての偏狭さとは無関係であった。その思いやりのある心は、全人類を、宇宙をさえ抱擁した。そのいざないは、いつでも「望む者は誰でも来させなさい。」であった。
イエスについて「彼は神に頼っていた」というのは、本当であった。かれは、人の中にいる人間として、天の父を最も崇高に信じた。幼子がこの世の親を信じるように父を信じた。その信仰は、完全であるが、決して押しつけがましくなかった。いかに自然が残酷に見えようとも、自然がいかに人の幸福に無関心に見えようとも、決してイエスの信仰は、揺るがなかった。かれは、失望に平気であり迫害に動じなかった。外見上の失敗に心を動かされることはなかった。
かれは、兄弟として人を愛しており、同時に人はいかに生まれながらの資性や身につけた特質において異なるかを認識した。「彼は良い働きをして回った。」
イエスは、著しく快活な人であったが、盲目的で無分別な楽天家ではなかった。不断の勧告の言葉は、「しっかりしなさい。」であった。神に対する揺るぎない確信と人に対する確固たる自信から、この自信の態度を維持することができた。人を愛し信じたので、いつもすべての人に感動的なまでに思いやりがあった。その上、いつも自分の信念に誠実であり、父の意志をなすことへの献身的愛情で堂々と毅然としていた。
あるじは、いつも寛大であった。「受けるよりは与えるほうが幸いである。」と言うことに決して飽きることはなかった。曰く「ただで受けたのであるから、ただで与えるがよい。」しかしながら、その限りない寛大さのすべてにもかかわらず、決して無駄がなく、贅沢でもなかった。あるじは、救済を受けるということを信じなければならないと教えた。「求める者のすべては、得る。」
あるじは、率直であったが、つねに親切であった。「もし無かったならば、私はそう言いおいていただろう。」と言った。隠し立てがなく、いつも好意的であった。罪人に対する愛と罪への憎しみに対し率直であった。しかも、かれは、すべてのこの驚くべき率直さの中にあって、確かに正しかった。
イエスは、時々人間の悲しみの杯を深々と飲んだにもかかわらず、一貫して陽気であった。生活の現実に不敵に直面したが、それでもなお王国の福音に対する熱意に満たされていた。しかし、イエスは、自分の熱意を抑えた。熱意は、決してイエスを抑えなかった。自身を無条件に「父の用向き」に捧げた。この神の熱意は、精神的でない同胞にはイエスが横にいると思わせるが、見物中の宇宙は、イエスを健全さの手本とし、精神的生活の高水準への人間の崇高な献身の型として評価した。そして、その制御された熱意は、伝染的であった。仲間は、イエスの神性の楽天主義を分け合うことを強く求めた。
ガリラヤのこの男性は、悲しみの人ではなかった。喜びの人であった。「喜んだ上にも喜びなさい。」といつも言った。しかし、職務が求めるときに、彼は、「死の影の谷」を勇敢に歩き抜けることをいとわなかった。喜ばしい人であり、同時に、謙虚な人であった。
その勇気は、その忍耐と全く等しかった。早まって行動を強いられるとき「私の時はまだ来ていない。」と返答するのであった。決して急がなかった。その落着きは気高いものであった。ただし、悪には度々憤慨し、罪には我慢できなかった。かれは、しばしば地球の我が子らの幸福に反目するものに抵抗するよう激しく動かされた。しかし、罪に対するイエスの憤りは、決して罪人への怒りにはつながらなかった。
その勇気は立派であったが、決して無鉄砲ではなかった。その合言葉は「恐れるではない。」であった。その果敢さは高邁であり、その勇気はしばしば英雄的であった。しかしその勇気は、思慮深さにつなげられ、判断力に制御されていた。それは、盲目的憶測の無謀さではなく、信頼からくる勇気であった。かれは、誠に勇敢であるが、向こう見ずではなかった。
あるじは、崇敬の模範であった。その青春時代の祈りにおいてでさえ、「天にまします神よ、御名が崇められますように。」と始めた。仲間の不完全な崇拝さえも重んじた。しかし、これが、宗教伝統を攻撃をしたり、または人間の信念の誤りの強襲を思いとどまらせたりはしなかった。本物の神聖さに向けて敬虔であり、なおかつ、「あなたの中のだれが私に罪があると責めるのか。」と言って、仲間に妥当に訴えることができた。
イエスは、善であったがゆえに偉大であったが、それでもなお幼子らと親しく交じわった。個人的生活において優しく、でしゃばらず、しかも宇宙の完成された人間であった。その仲間は、自発的にあるじと呼んだ。
イエスは、完全に統合された人間の人格であった。そして、ガリラヤでしたように、かれは、今日、死すべき者の経験を統合し、人間の努力を調整し続けている。イエスは、人生を統合し、人柄を高尚にし、経験を簡素化する。人間の心を向上させ、変えさせ、変貌させるために人間の心に入る。「誰でもキリスト・イエスにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去っている。視よ、すべてがが新しくなっている。」というのは文字通り本当である。
[ネバドンのメルキゼデクによる提示]
宗教は、人間の経験として、進化する未開人の恐怖への原始の奴隷状態から永遠の神との息子関係をこの上なく意識する文明的な人間の崇高で素晴らしい信仰の自由におよんでいる。
宗教は、漸進的社会進化の高度な倫理と道徳の原型である。しかし、宗教は、そのように、宗教の外向きで、社会的である顕現が、人間社会の倫理的かつ道徳的な勢いに強く影響を受けるが、単に道徳的活動ではない。宗教は、絶えず人の進化的本質を感化するものであるが、その進化への鍵ではない。
宗教は、人格の確信である信仰は、不信心な物質的な心に生まれる表面的に絶望の矛盾した理論につねに打ち勝ことができる。「世界に生まれるすべての人を照らす誠の光」という真実の、正真正銘の内側の声が本当にある。そして、この精神の導きは、人間の良心の倫理的鼓舞とは異なっている。宗教上の保証の感覚は、感情的な感覚以上のものである。宗教的な保証は、心の理性、哲学の理論さえ超える。宗教は、信頼、信用、保証である。
真の宗教は、論じられたり、自然な裏付けにより実証できる哲学的信念の体系でもなく、神秘主義の空想的な愛好家だけが楽しむことのできるたとえようもない素晴らしく神秘的な経験でもない。宗教は、推論の産物ではないが、宗教の観点から見ると、それは全く道理に適っている。宗教は、人間の哲学理論からは得られないが、人間の経験として、それは全く論理的である。宗教は、進化の起源のある道徳的行為者の意識にある神格の経験である。それは、時間における永遠の現実の真の経験、まだ肉体にある間の精霊的な満足感の認識を例示する。
思考調整者は、自己表現を得る何の特別手段をもたない。宗教感情の受理または表現のための神秘的宗教の何の機能もない。これらの経験は、人間の自然に定められた心の仕組みを通して可能にされる。そしてそこに、絶えず続く宿りの物質的な心との直接対話に関しての調整者の困難に関して1つの説明がある。
神性の霊は、必滅の人間と気持ち、あるいは感情で接触するのではなく、最も高く最も精神的にされた思考領域において接触する。神の方向へ人を導くのは、人の気持ちではなく、考えである。神性は、心の目だけで知覚されるかもしれない。しかし本当に神について明察し、内在する調整者を聞くのは、純粋な心である。「神聖さがなければ、誰も主を見ることはできない。」そのようなすべての内側の、そして精神的親交は、精神的洞察と呼ばれる。 そのような宗教経験は、調整者と真実の聖霊が、神の進化の息子の考え、理想、洞察、および精神的邁進の最中に機能するにつれ、調整者と真実の聖霊の結合操作により人の心に印象づけられた結果として生じる。
宗教は、視覚や感情によってではなく、むしろ信頼と洞察により生きており、また繁栄する。それは、新事実の発見や独特の経験の発見にあるのではなく、むしろ、すでに人類によく知られている事実に関し、新たで精神的な意味の発見にある。最高度の宗教経験は、信念、伝統、権威の事前行為に依存していない。宗教は、崇高な気持ちの子でもなく、純粋に神秘主義的な感情の子のいずれでもない。それは、むしろ、人間の心に住む精神の影響力との徹底的に深く、また精神的親交の実経験であり、そのような経験が、心理学の観点から定義可能である限り、それは、そのような純粋に個人的な経験の現実として神を信じる現実を体験する単なる経験である。
宗教は、物質宇宙論の合理的空論の産物ではないが、それは、やはり人の心の経験で起こる完全に合理的洞察の創造である。宗教は、神秘的な瞑想からでも、孤立した黙想から生まれたのでもないにもかかわらず、それはつねに多少なりとも神秘的であり、いつも必ず定義できるものではなく、まったく知的な理由と哲学的な論理では説明できない。神秘主義の思索、あるいは、孤立の沈思から生じるものではない。真の宗教の兆しは、人の道徳意識の領域に源を発し、人の精神的洞察、すなわち神を渇望する人間の心の中の神を明らかにする思考調整者の存在の結果として生じる人間の人格のその機能の成長で明らかにするのである。
信仰は、道徳的な洞察を価値の良心的な識別と結合し、そして義務への先在的な進化の義務感は、真の宗教の原型を完成する。結局、宗教の経験は、神に対する確かな意識と信じる人格の疑いの余地のない生存保証につながる。
このように、宗教的な切望と精霊的な衝動は、単に人に神を信じたくさせるだけのような性質ではないということ、むしろ、神を信じるべきであるという信念に人が深く感動するというそのような本質と力のあるものであるということがわかるかもしれない。顕示の照明の結果として生じる進化の義務と責務の感覚は、ついに心のその位置に、そして神を信じない権利はないと結論する魂の態その態度にいたるという人の道徳的な本質にそのような深い印象を与える。啓発され規律あるそのような個人の高度で超哲学的な知恵は、神を疑ったり、神の善を信用しないということは、人間の心と魂の中の最も真実で最も奥深いもの—神性の調整者—に虚偽であると証明することであると、彼らに最終的には指示している。
宗教についての事実は、分別ある平均的人間の宗教経験の中に全体的にある。そしてこれは、宗教が、科学的または心理的であるとさえ見なされ得る唯一の意味である。顕示が顕示であるという証明は、人間の経験のこの同じ事実である。顕示は、明らかに異なる自然の科学と宗教の神学を一貫して論理的な宇宙哲学、つまり科学と宗教双方の整合された、完全な説明、こうして、無限が、その意志と計画をいかに物質、心、精霊に働きかけるかを知ることを切望する人間の経験における人間の心のそれらの質問に答える心の調和と精神の満足感をこのように創造するということ、をよく統合するのである。
推論は、科学の方法である。信仰は、宗教の方法である。論理は、哲学の試みの手段である。顕示は、心の仲介により物質と精神の現実の理解とその関係の理解における和合獲得のための方法を提供することによりモロンチア的観点の欠如を補う。そして、真の顕示は、決して科学を不自然にしたり、宗教を理に適わなくしたり、または哲学を不合理にはしない。
科学研究を通しての推論は、自然を介して第一原因なるものに導くかもしれないが、科学の第一原因なるものを救済の神に変えるには信仰を必要とする。そして顕示は、そのような信仰、そのような精神的洞察の確証のためにさらに必要である。
人間の生存を助長する神を信じる2つの根本的理由がある。
1. 人間の経験、個人の確信、つまり内在する思考調整者により何とかして著した望みと信頼。
2. 真実の顕示、真実の聖霊の直接的な個人の活動によるものであるか、神の息子の世界贈与によるものであるか、あるいは文章の顕示を通してであるかどうかにかかわらない。
科学は、第一原因なるものの仮説におけるその理由探索を終わらせる。宗教は、それが救済の神を確信するまで信仰のその飛行を止めない。科学の識別研究は、絶対者の現実と存在を論理的に示す。宗教は人格生存を助長する神の存在と現実を率直に信じる。形而上学が、完全に失敗すること、また哲学でさえ部分的に失敗することを顕示はなす。すなわち、それは、科学のこの第一原因なるものと宗教の救済の神が一つであり全く同じ神であることを確認する。
推論は科学の証明、信仰は宗教の証明、論理は哲学の証明であるが、顕示は、人間の経験によってのみ証明される。科学は知識をもたらす。宗教は幸福をもたらす。哲学は統一をもたらす。顕示は、この三位一体の宇宙現実への接近の経験上の調和を確認する。
自然に対する熟考は、自然の神、運動の神を明らかにできるに過ぎない。自然は、物質、運動、生気—生命—だけを示す。物体とエネルギーは、ある条件のもとでは、生命の形で明らかにされ、自然の生き物は、現象としてこのように比較的連続しているが、生命は、個体にとっては完全に一時的である。自然は、人間の人格生存における論理的信念のための根拠を提供しない。自然の中に神を見つける信仰家は、既に、そして最初に、自身の魂にこの同じ人格神を見つけたのである。
信仰は、魂に神を明らかにする。顕示、つまり進化の世界のモロンチア洞察の代替は、信仰が、人の魂に示す同じ神を自然の中に見ることを可能にする。このように顕示は、物質と精霊の間の、被創造者と創造者の、人間と神の間の隔たりにさえうまく橋を架ける。
自然に対する熟考は、知的な指導の方向、生きた監督の方向にさえ、論理的に指し示すが、それは、どんな満足的方法においても人格神を明らかにはしない。その半面、自然は、宗教上の神の仕業と見なされることから宇宙を排除する何も明らかにはしない。自然だけを通して神を見つけることはできないが、人が別の方法で神を見つけるや否や、自然の研究は、宇宙の、より高度の、より精神的な解釈と完全に一致するようになる。
画期的な現象としての顕示は、周期的である。それは、個人的な人間の経験として連続している。これらの3つの超-必滅の贈与が、崇高なるものの奉仕として人間の経験に基づく進化に統合されるとともに、神性は、父の授与としての調整者の、息子の真実の聖霊としての、宇宙の霊の聖霊としての人間の人格で機能する。
真の宗教は、現実に関する、すなわち道徳的意識の信仰の子に関する洞察であり、独断主義のいかなる団体への単なる知的同意ではない。真の宗教は、「霊自らが、我々の精神とともに、我々は神の子供であるということを証言する」という経験から成る。 宗教は、神学上の命題から成るのではなく、精神の洞察と魂の信頼の崇高さから成る。
人の最も深い本質—神性の調整者—というものは、人の中に正義への飢餓と渇き、神の完全性へのある種の渇望を創造する。宗教は、神到達へのこの内面的衝動の認識の信仰行為である。そして、このようにして、救済手段として意識するようになる、すなわち真実であり善であると見るようになるそれらの全ての価値の生存手段として意識するようになるその魂の信用と保証がもたらされる。
宗教の認識は、決して高度の学識、あるいは賢明な論理次第ではない。それは、精霊的な洞察であり、それこそが、世界の最も偉大な宗教教師の数人が、予言者さえもが、時として世界の英知をほとんど備えていなかった理由である。信仰は、学のある者にも無学な者にも同じように持てるのである。
宗教は、常にそれ自身の評論家と裁判官でなければならない。それは、決して外部から観測はできず、ましてや理解されることはできない。人の人格神の唯一の保証は、人自らの精神的なものへの信仰について、および精神的なものの経験に関する人自身の洞察で成る。同様の経験を持つ人の仲間のすべてには、神の人格、あるいは現実についての 何の議論も必要ではなく、一方、神にこのように確信のない他のすべての人々にはいかなる可能な議論もつねに実際に説得力をもつわけではない。
心理学は、確かに社会環境への宗教反応の現象の研究を試みるかもしれないが、それは、決して宗教の真の、また内面の動機と作業に入り込むことを望むことはできない。神学だけが、すなわち、信仰の範囲と顕示の方法だけが、自然についてのいかなる類の知的説明と宗教経験の内容をも提供できるのである。
宗教は、非常に重要であるので、学習欠如においても持続する。それは、誤った宇宙論や哲学論によるその汚染にもかかわらず生きている。形而上学の混乱さえも乗り切っている。宗教のすべての歴史的な波乱において、またそれを通して、人間の進歩と生存に不可欠であるもの、倫理に基づく良心と道徳的な意識が、常に持続している。
信仰-洞察、または精霊的直観は、人への父の授与である思考調整者と関連した宇宙心の贈り物である。精霊の理性、魂の知力は、聖霊の贈り物、創造的精霊の人への贈り物である。精霊的哲学、精霊の現実の英知は、真実の聖霊の贈り物、人の子への贈与の息子の結合的な贈り物である。そして、これらの精霊の贈り物の調整と相互提携は、人に可能な運命における精霊的人格を構成する。
それは、原始の、胎性の形で、肉体の自然死を生き残る調整者所有の、この同じ精霊の人格である。人間の経験と関連した精霊起源のこの複合実体は、物質と精霊のそのような一時的協力関係が、不可欠な動作の休止によって分離するとき、神の息子により提供される生きる道により心と物質の物質的自己の分離を乗り切ることが(調整者保護で)可能にされる。
人の魂は、宗教を通じてそれ自体を明らかにし、また、人間の人格が、知力を要する苦しい状況や社会的に極めて困難なある種の状況への反応を促す独特の方法によってその新生の性質の潜在的な神性を示す。本物の精神的信仰は、(真の道徳的意識)は、次のような点で明らかにされる。それは、
1. 生来の、しかも不利な動物的傾向にもかかわらず、倫理と道徳の進歩をもたらす。
2. 苦い失望と大敗の目前においてでさえも神の善における崇高な信用を産む。
3. 自然のもたらす不幸と物理的災難にもかかわらず、強い勇気と自信を来たす。
4. 不可解な疾病や深刻な肉体的苦痛にもかかわらず、説明し難い落ち着きや持久する平静さを示す。
5. 虐待や最悪の不正をものともせず、神秘的な落ち着きや人格の沈着さを維持する。
6. 人間の福祉への外観上は無分別な運命の残酷な行為と自然の力の見た目に明らかな全くの無関心にもかかわらず、究極の勝利における神々しい信頼を維持する。
7. 論理のすべての正反対の実証にもかかわらず、神へのゆるぎない信仰を固持し、他のすべての知的な詭弁に首尾よく耐える。
8. 誤った科学の人を惑わす教えと不安定な哲学の説得力のある妄想に関係なく、魂生存への勇敢な信仰を示し続ける。
9. 現代の複雑で部分的な文明の圧倒的過重負担の如何にかかわらず、生きて、しかも勝利を収める。
10. 人間の利己主義、社会的対立、産業的などん欲さ、政治的な不調整にもかかわらず、利他主義の継続的生存に貢献する。
11. 断固として悪と罪の面倒な存在に関係なく、宇宙の統一と神性の導きに対する崇高な信念に固執する。
12. 万難を排しての神の崇拝が続く。恐れずに「たとえ神が私を殺されようとも、私は神に仕える。」と宣言する。
次に我々は、人間は、3現象から神の霊、あるいは自身の中に住まう霊がいるということを最初に個人的経験—信仰により、第2には顕示—個人的で人種的な—第3に、実際の、骨の折れる人間の本当の生活状況に直面し、前記の12項の霊のような行動に関する説明に例証される人間の物質環境に対するそのようなじつに並はずれて不自然な反応の驚くべき展示により、知るのである。その上他にまだある。
それは、人間性のこの上ない贈与、宗教経験の個人的所有と精神的現実を人に確信させる資格を与える宗教領域におけるそのような重大かつ力強い行動である。
人の世界は、一般的に起源について、物理的起源についてさえ無知であるので、時々宇宙について教育をすることは賢明であるように見えた。これが、いつも将来に問題を起こしてきた。顕示の法は、労せずして得た知識、あるいは時期尚早の知識の分与の禁止によって我々を大いに妨げる。啓示宗教の一部として提示されるいかなる宇宙も、非常に短い時間で大きくなるように運命づけられている。従って、そのような顕示の将来の学生は、そこに提示された関連宇宙の表面上での誤りを発見するので、顕示が包蔵するかもしれない本物の宗教の真実のあらゆる要素を捨てるよう心がそそられる。
人類は、真実の顕示に参加する我々は上司の指示によって非常に厳しく制限されているということを理解すべきである。我々には次の1,000年の間の科学的発見を見越してものを言う自由はない。啓示者は、顕示命令の一部を形成する指示に基づき行動しなければならない。我々は、現在、あるいはいかなる未来にもこの困難を克服する何の方法も見ない。我々は、この一連の天啓提示の歴史的事実と宗教真理が、来る時代の記録に耐えるであろうが、短い年数内に物理科学に関する我々の声明の多くが、更なる科学の発達と新発見の結果、改正を必要としているということを十分に承知している。我々は、今でもこれらの新たな情勢を見通してはいるものの、我々が、人間が発見していないそのような事実を天啓の記録に収録することは禁じられている。顕示は、必ずしも奮い立たせられるというわけではないということを明確にしなさい。これらの顕示の宇宙論は、奮い立たせられない。それは、現代の知識の調整と選別のための我々への許可による制限がある。神性の、または精神の洞察は、贈り物であるが、人間の英知は進化しなければならない。
真実は、常に顕示である。内在する調整者の働きの結果として現れるときは、自動顕示である。他のある天の媒体、集団、または人格の機能を介して提示されるときは、新時代をもたらす顕示である。
宗教は、論じ詰めると、その実によって、すなわちそれ自身に固有な長所と神の素晴らしさを示す方法と範囲に準じて判断することである。
顕示は、不変的に精霊的な現象ではあるが、真実は、単に相対的に鼓舞されるかもしれない。宇宙論に関する声明は、決して奮い立たせられないが、次のような方法により少なくとも一時的に知識をはっきりさせる点においてそのような顕示には計り知れない価値がある。
1. 誤りの正式の除去による混乱の減少により。
2. 知られていたり、まもなく知られようとしている事実と観測の調整により。
3. 遠い昔の画期的な出来事に関する重要な具体例についての失われた知識の回復。
4.得た知識の欠けている重大な隙間を埋める情報の供給。
5. 付随する顕示に含まれる精霊的な教えを照らすための方法で宇宙情報を提示すること。
顕示は、精神習得の真実から進化の誤りを分類し、ふるいわける必要な仕事において多くの時が、それによって節約される一手段である。
科学は事実を扱う。宗教は、価値にしか関心がない。心は、啓発された哲学を通し事実と価値の双方に意味を結合させる努力をし、その結果、完全な現実の概念に到着する。科学は知識の領域であり、哲学は知恵の分野であり、宗教は、信仰経験の範囲であることを心しなさい。しかし宗教は、それにもかかわらず、顕現の2つの姿を提示する。
1. 進化的宗教。原始的崇拝の経験、心の派生物である宗教。
2. 啓示宗教。精霊派生物である宇宙への姿勢。永遠の現実の保存、人格の生存、およびこのすべてを可能にした宇宙の神格の目的への最終的到達の保証とそれへの信仰。遅かれ早かれ、進化的宗教は、顕示の精神的な拡大を受ける運命にあるということは、宇宙の計画の一部である。
科学と宗教の両者は、論理的推論のための一般的に受け入れられたある一定の基本要素の仮定から始める。また同様に、哲学も、3項目の現実の仮定にその経歴を始めなければならない。
1. 物体。
2. 人間の超物質の局面、精神または、さらには内在する霊の局面。
3.人間の心、つまり相互通信のための装置と、精神と物体間の、つまり物質的なものと精神的なものの相互のつながり。
科学者は事実を組み立て、哲学者は考えを調整するが、予言者は理想を高める。感覚と感情は、宗教の不変の付随物であるが、宗教ではない。宗教は、経験の感覚であるかもしれないが、それはけっして感覚の経験ではない。論理(合理化)も感情(感覚)も、双方ともにすべてが個人の心の状態と生まれつきの傾向次第である現実への精神的な洞察の助長における信仰の適用にさまざまに関連づけられるかもしれないが、本質的には宗教経験の一部ではない。
進化的宗教は、進化する人間のうちにある崇拝の特徴を創造し育成する任を負う地域宇宙の心の補佐の授与の熱心な働きである。そのような原始の宗教は、直接には倫理と道徳、人間の本分の知覚に関係がある。そのような宗教は、良心の保証に基づいており、比較的倫理的な文明の安定化という結果になる。
個人的に啓示される宗教は、楽園の三位一体の3者の人格を代理する贈与の霊の後援をうけており、真実の拡大に特に関係がある。進化的宗教は、個人の義務についての考えを個人によくよく理解させる。啓示的宗教は、愛することに、黄金律により一層の重点を置いている。
進化した宗教は、まったく信仰に基づく。顕示には、神性と現実の真理についてのその拡大的提示の付加的保証があり、また発展的な信仰と顕示の真実の実践的な取組みの結果に蓄積する実際の経験のさらなる貴重な証言がある。人間の信仰と神性の真実のそのような機能的統合は、モロンチア人格の実際の習得に向けてかなり進歩している人格所有を成している。
進化的宗教は、信仰の保証と良心の確認のみを提供する。天啓的宗教は、顕示の現実における生活経験の真実に加え、信仰の保証を提供する。宗教における第3段目、または宗教経験の3段階目は、モロンチア状態、すなわちモタのより確固たる把握に関係がある。モロンチア進行においては、啓示された宗教の真実が次第に拡充される。人は、最高価値の真実、神性の善、普遍的関係、永遠の現実、および究極の運命の真実をますます多く知るであろう。
モロンチア進行の間中、真実の保証は、次第に信仰の保証に取って代わる。人が最終的に実際の精神世界に召集されると、次には信仰と真実の代わりに、あるいは、むしろ人格保証のこれらの前の方法と連動し、重ねられ、純粋な精神洞察の保証が作用する。
啓示宗教のモロンチア段階は、生存経験と関係があり、大きそのその衝動は、精神の完全性の達成である。また、さらなる倫理的奉仕へ駆り立てる呼び出しに関連づけられる崇拝へのより高い衝動が存在する。モロンチア洞察は、七重なるもの、崇高なるもの、さらには究極なるものの絶えず広がる意識を伴う。
物質段階におけるその最も早い始まりから完全な精神状態の到達の時間まで宗教経験すべてを通じ、調整者は崇高なるものの存在の個人的現実認識への鍵である。そして、また、この同じ調整者は、究極なるものの超越的な到達において人の信仰の秘密を保持する。実存の神の本質をもつ調整者に結合された進化する人間の経験的人格は、最高の存在の潜在的完成を構成し、本質的に超越的な人格の超有限の発生のための基礎である。
道徳は理路整然たる知識に基づき、知恵により増大され、信仰によって是認された決定を有するであろう。そのような選択は徳性の行為であり、道徳的人格の、つまり、モロンチア人格の、そして、いつかは真の精神の地位の先駆者の存在を示す。
進化的知識の型は、原形質の記憶物質の蓄積に他ならない。これは、生物意識の最も原始の型である。分別は、繋がりと組み替えの過程における原形質の記憶から定式化される思考を迎え入れ、そして、そのような現象は、単なる動物の心から人間の心を識別している。動物には知識があるが、人だけが見識能力を持っている。真実は、父と息子の霊、思考調整者、真実の聖霊のそのような心への贈与により見識を備える個人にとり接近しやすくなる。
キリスト・ミカエルは、ユランチアに授与されると、洗礼の時まで進化的宗教支配の下で生きた。かれは、その瞬間から磔刑を含むその時まで、進化的であり啓示的である宗教の複合の指導により自分の仕事を進めた。キリスト・ミカエルは、その復活の朝から昇天まで、物質の世界から精神の世界への必滅の人間の変遷のモロンチア生活の多局面を横断した。昇天後、マイケルは、崇高さの経験、つまり崇高なるものの実現の習得者になった。また、崇高なるものの現実を経験する無制限な能力をもつネバドンにおける1人であるので、マイケルは直ちに、地域宇宙において、それと地域宇宙への至高の主権の地位に達した。
人について言えば、内在する調整者とのいずれ起こる融合と結果として起こる単一性—人間の人格統合と神の本質—は、人を、崇高なるものの生きた部分になる可能性を秘めて構成し、崇高なるものへの。そして崇高なるものとの宇宙奉仕の終局に向けて無限の追求である永遠の生得権をそのようなかつての死すべき者に保証する。
顕示は、時間の進行によって空間でそのような素晴らしくて興味をそそる冒険を始めるために、思考-決定への知識の組織化によって始めるべきであるということを人に教え、次に、冷静な考えをますます実用的ではあるが、それでもなお、天上の理想に変えるその尊い仕事において粘り強く努力するよう知恵に命じる。それらの概念は、思考としては道理に適っており、理想としては論理的であり、調整者は、それらをあえて結合させ、精霊化させ、人間の実際の補足物になるそのような交流が、有限の心において可能であるように概念を与え、楽園の真実—普遍の真実—の時空間の顕現である息子の真実の聖霊の活動においてこのように準備をさせる。思考決定、論理的な理想、および神性の真実の連携は、公正な人格の、つまり、絶えず広がり、ますます精神的なモロンチア世界の現実への人間の入場のための前提条件の所有を構成する。
イエスの教えは、完全に、そして同時に、一時の平静さ、知的な確実性、道徳的啓発、哲学的安定性、道徳上の感受性、神-意識、および個人生存の明確な保証を提供できるように、知識、知恵、信仰、真実、愛の調和のとれた協調を完全に取り込んだ最初のユランチア宗教を設立した。イエスの信仰は、次の事柄を提供したので、人間救済の究極への、人間の宇宙到達の究極への道を指し示した。
1. 霊である神との息子関係の個人的認識による物質の足枷からの救済。
2. 知的な束縛からの救済。人は真実を知るものであり、真実は人を解放するものである。
3. 精神的盲目からの救済、死すべき者の友愛についての人間の認識、および、すべての宇宙生物の兄弟愛のモロンチア認識。精霊的な現実の奉仕-発見と精霊的な価値の善の活動-顕示。
4. 宇宙の精霊段階の到達を経験し、ハヴォーナの調和と楽園の完全性の最後の認識、最終的な実現を通しての自己の不完全さからの救済。
5. 自己からの救済、崇高なるものの心の宇宙水準到達を経験し、他のすべての自意識ある存在者の達成したものとの協調による自意識の限界からの救出。
6. 時間からの救済、神-認識と神-奉仕における終わりのない進歩をする永遠の生命の成就。
7. 有限からの救済、それによって被創造物が、半絶対半有限の後終局者の段階における究極なるものの超越的な発見を試みる崇高なるものの中での、また崇高なるものを介しての神との完成された単一性。
そのような七重の救済は、宇宙なる父の究極の経験の実現の完全性と真秀性に同等である。そして、可能性として、このすべてが、人間の宗教経験の信仰の現実の中にある。イエスの信仰が、究極を超える現実によってさえ育てられ、しかも啓示的であったが故に、かくあり得るのである。イエスの信仰は、時間と空間の進化する宇宙の中での顕現において宇宙の絶対が可能である限りにおいて宇宙の絶対の状態に接近した。
イエスの信仰の充当により、人間は、いつかは永遠の現実を先取りすることができる。イエスは、人間の経験において終局なる父を発見し、そして生身の人間生活の兄弟等は、父発見のこの同じ経験に沿ってイエスに続くことができる。イエスが、あるがままに、父とのこの経験において達したように、人は、あるがままに同じ満足に達することさえできる。新しい可能性は、マイケルの終端の贈与の結果としてネバドンの宇宙の中で顕在化され、このうちの1つは、すべてのものの父に通じる永遠の進路の新たな照明であり、その進路は、物質の血肉の人間でさえも空間の惑星での最初の人生において横断することができる。イエスは、人が、ただ尋ねるだけで得られる父が命じた神性の遺産を手にすることができる新しくて、生きる道であったし、道である。イエスには、人類の、さらには神のような人類の信仰経験の始めと終わりの両方が豊富に示されている。
思考は、行動のための理論的計画にすぎないが、積極的な決定は、確認された行動計画である。固定観念、確認なしで受け入れられる行動計画である。宗教の個人的な哲学の構築素材は、個人の内面と環境経験の両方に由来する。一個人の時間と空間の社会的地位、経済状態、教育を受ける機会、道徳的風潮、制度上の影響、政治的な展開、人種的傾向、および宗教の教えのすべてが、宗教の個人的哲学の定式化における要素になる。生来の気質と知的な好みさえ宗教哲学の型を著しく決定する。職業、結婚と親族すべてが、その人の個人の生活水準の進化に影響を及ぼす。
宗教の哲学は、思考と実験的な生活が、仲間を模倣する傾向により修正されように両者の基本的な成長から進化する。哲学の結論の堅実さは、意味に対する敏感さと評価の精度に関連する鋭く、正直で、識別する思考に依存している。道徳的に臆病な者は、高度の哲学的思考を決して実現しない。それは、新しい経験段階に侵入し、知的な生活の未知の領域の探検を試みる勇気を必要とする。
やがて、価値の新体系が生まれる。原則と基準の新しい定式化が成し遂げられる。習慣と理想は再構築される。人格の神についての何らかの考えに達すると、その関係の概念の拡大が次に続く。
生活の宗教的な哲学と非宗教的な哲学との大きな違いは、認識される価値と性質と段階に、そして忠誠の対象とにある。宗教的な哲学の進化には4つの段階がある。そのような経験は、単に一致するようになる、すなわち伝統と権威への服従を断念するようになる、かもしれない。または、それは、わずかな達成(日々の生活を安定させるに十分な)で満たされるかもしれないし、したがって、早くにそのような付加的段階での制止状態になる。そのような人間は、現状に甘んじることを信条としている。3分の1の集団は、論理的知力の段階に進むが、文化への奴隷状態の結果として停滞する。文化的束縛の容赦のない把握の中に非常に確実に保持される巨大な知力を凝視するということは誠に哀れである。誤ってそう呼ばれる科学、の物質的な拘束と文化的な束縛を交換する人々を観測することは、等しく哀れである。哲学の第4段階は、すべての従来の、因習的な不利な条件から自由を得て、考えて、行動して、正直に、忠誠をつくして、恐れることなく真に生きることである。
いかなる宗教哲学のためにでも厳密な吟味は、物質界と精神界双方の現実を見分けるか否かを試すことと、同時に、知的努力と社会的奉仕におけるそれらの統合を認識することにある。健全な宗教哲学は、神のものをカエサルのものと混同させない。それは、純粋な驚きための美的集団礼拝を宗教の代用品としても認めない。
哲学は、主に良心のおとぎ話であったその原始宗教を宇宙現実の上昇価値の生活経験に変えるのである。
信念は、生活を動機づけ生活様式を形成するとき、信仰の水準に達したのである。真実として教えを容認することは、信仰ではない。それは単なる意見である。確実性も、確信のいずれも信仰ではない。精神状態は、実際に生活様式を支配する時に限って信仰段階に達する。信仰は、個人の本物の宗教経験の生きた特質である。人は真実を信じ、美を賞賛し、善を崇敬するが、それらを崇拝はしてはいない。救済の信仰のそのような態度は、擬人化された、無限にそれ以上のものであるこれらの全てである神にだけ集中している。
信念は、常に制限的で、結合的である。信仰は、拡大的で、解放的である。信念は固定し、信仰は解放する。しかし、生きている信仰は、尊い信念のつながり以上のものである。それは、哲学の高められた体系以上のものである。それは、精神的な意味、神の理想、最高価値に関心をもつ生活経験である。それは、神を知り人に仕えることである。信念は、集団の所有物になるかもしれないが、信仰は、個人的でなくてはならない。神学上の信念は、集団に示されることはできるが、信仰は、個々の宗教家の心の中にだけ起こり得る。
それが現実を否定し、その信奉者に想定上の知識を与えようとするとき、その信頼を歪めてきた。それが、知的な高潔さに対する裏切りを助長し、最高価値と神の理想への忠誠を過小評価するとき、信仰は反逆者である。信仰は、人間生活の問題解決の義務を決して避けはしない。生きている信仰は、偏狭、迫害、または不寛容を育成してはいない。
信仰は、創造的な創作力を拘束せず、科学的調査の発見に対する不合理な偏見も保持してはいない。信仰は、宗教に命を与え、宗教家に黄金律を勇ましく実践し生活するすることを強制する。信仰の熱意は知識によって存在し、その真剣な努力は、雄大な平和への序曲である。
それが、進化的宗教に先行することにより創設され、促進された倫理義務の任務要求を認めることができないならば、宗教の見せかけの顕示は、本物だとは見なされることはできない。顕示は、すべての事前の顕示の道徳的責務を一斉に、しかも絶えず拡大するとともに、進化する宗教の倫理的な範囲をつねに拡大する。
あなたが、人の原始の宗教に(または原始人の宗教に)あえて批判的判断を下すとき、彼らの良心の啓発と状態に従って彼らの宗教経験を評価することを忘れてはならない。もう一つの宗教を自身の知識と真実の標準で判断するという誤りを犯してはならない。
真の宗教は、倫理的かつ道徳的最高の概念、すなわち生命の最大の価値と宇宙の深遠現実に関する最高の解釈、を構成するモロンチア現実を信じないということは間違いであるということを人に有無を言わさぬほどに諭す魂の中の崇高で深遠な確信である。そして、そのような宗教は、単に精霊的な意識の最も高い命令に知的な忠誠を与える経験である。
美の追求は、それが倫理的である限り、道徳概念を豊かにするという範囲においてのみ、宗教の一部である。芸術は、高い精霊的な動機づけに由来した目的で満たされるときにだけ宗教的である。
文明人の啓示された精霊的な意識は、生活の真実することと同様に、人間の繰り返される生活状況に反応する良くて正しい方法の発見を懸念するほどには、何らかの特定の知的な信念、または生活の一つの特定の型に関係しない。道徳的な意識とは、人が、日々の行為の管理と指導を順守すべきであるということを要求する倫理的で現れつつあるモロンチア価値に関する人間の認識と意識に適用される名前に過ぎない。
宗教が不完全であると認めはするが、その性質と機能の少なくとも2つの実用的顕示がある。
1. 宗教の精霊的衝動と哲学的圧力は、人が倫理的価値の評価を仲間の問題へと直接外に投入—宗教の倫理的反応—させる傾向にある。
2. 宗教は、人間の心のために倫理的価値の先行する概念に基づき、それに由来する信仰により、また精神的価値の重畳された概念と調整された神性現実の精神的にされた意識を創造する。宗教は、それによって人間の諸事の検閲、すなわち、道徳的な信用と現実における自信の形、時間の強化された現実と永遠のより永続的な現実になる。
信仰は、継続続的な現実の道徳的意識と精神的概念との間の関係となる。宗教は、救済手段、すなわち進歩的なモロンチア変容による、また、それを介しての一時的かつ自然な世界の物質的制限から永遠かつ精神的な世界の崇高な現実への人の逃げ道になる。
知力ある人間は、自分は自然の子、物質的宇宙の一部であることを知っている。かれは、同様にエネルギー宇宙の数理段階の運動と緊張における個々の人格の無生存を明察している。また、人は、物理的原因と結果の検査を通して精霊的な現実を認めることができない。
人間は、自分が概念的宇宙の一部であることもまた意識しているものの、概念は、人間の一生を超えて続くかもしれないが、理解している人格の個人の生存を示す概念に固有のものは何もない。そして、論理と理由の可能性の枯渇は、論法家や理論家に人格生存の不朽の真実を決して明らかにしないであろう。
法則の物質段階は、因果関係の連続性、つまり先行する行動に対する影響の果てしない反応に備える。心の段階は、概念の連続性の永続化、すなわち先在的な概念からの概念上の可能性の絶え間ない流れを示す。しかし、宇宙のこれらの段階のいずれも、不完全さの事態からの、宇宙の一時的な現実である耐え難い不安な状態、限られた生命活力の枯渇に際して抹消される運命の現世の人格からの脱出方法を好奇心の旺盛な人間に明らかにはしない。
人が、宇宙における死を免れない状態に固有の足枷をいつでも壊すことができるのは、精霊的な洞察に導くモロンチアの道を経るしかない。エネルギーと心は、楽園と神格へと導くが、エネルギー授与も人の心の贈与も直接そのような楽園の神格から生じてきてはいない。精神的感覚においてだけ、人は神の子である。これは、人には現在楽園の父が授けられ、内在しているという精神的感覚にかぎられているという理由で真実である。人類は、宗教経験の方法による以外は、また真の信仰の実践による以外は神性を決して発見することはできない。神の真実の信仰による受け入れは、人に物質的限界の制限された境界から逃れることを可能にし、死が存在する物質領域から永遠の生命がある精神的領域への安全な行いを成し遂げる理に適った望みを与える。
宗教の目的は、神への好奇心を満たしはしないが、むしろ知的な恒久性と哲学的な保証を提供し、人間と神性を、不完全なるものと完全なるものを、人と神を混合することにより人間の生活を安定させ豊かにする。理想についての人の概念に現実が与えられるのは、宗教的な経験によってである。
神性の科学的あるいは論理的証明も決してあるはずがない。理性だけで宗教経験の価値と長所を決して確認することはできない。しかし、それは、つねに真実ままである。神の意志を為そうとする者は誰でも、精神的価値の正当性を理解する。これが、宗教経験の現実の証拠を人間の段階で提供できる最も近い接近法である。そのような信仰は、物質界の機械の一群からの、それと知的な世界の不完全性の誤りの歪みからの唯一の逃げ道を提供する。それは、個々の人格の継続的な生存に関する人間の考えの行き詰まり対し発見された唯一の解決策である。それは、現実の完成への、そして愛、法、統一、および進歩的な神性達成の宇宙創造における生命の永遠性への唯一の旅券である。
宗教は、人間の理想主義的孤立、あるいは精神的孤独の感覚を効果的に治療する。それは、信者を神の息子として新たで意味のある宇宙の国民として解放する。宗教は、魂の中で認識できる正義のひらめきに続くとき、それによって自分を無限者の計画と永遠なるものの目的と同一視している。そのような解放された魂は、すぐにこの新宇宙、自分の宇宙でくつろぎを感じ始める。
信仰のそのような変化を経験するとき、人は、もう数学的宇宙の奴隷の部分ではなく、むしろ宇宙の父の解放された意志の息子である。もはや、そのような解放された息子は、こ現世の生活の終了の容赦ない運命と一人で戦ってはいない。もはや、人は、絶望的に不利な見込みですべての自然と戦うというわけではない。もはや、人は、おそらく見込みのない幻影を信頼したり、空想的な誤りに信仰を託した麻痺の恐怖にたじろがされはしない。
今は、むしろ、神の息子は、存在の部分的な影に対する現実の勝利の戦いにともに徴募されるのである。ついに、すべての生き物は、ほとんど無限の宇宙の神と神性のすべての軍勢が、生命の永遠と神性の状態に達する崇高な闘いにおいて自分達に味方しているという事実を意識するようになる。そのような信仰で解放された息子は、永遠の最高の力と神性の人格の側について時間の戦いに確かに参加した。かれらの進路の星でさえ、今、かれらのための戦いをしている。ついに、ついに、神の視点から、かれらは、宇宙を見つめ、そしてすべては、感覚的な孤立の不確実さから永遠の精霊的な前進の保証に変えられる。時間それ自体さえ、楽園現実が空間の動くよろいかぶとに投げかける永遠の影にしかならないのである。
[ネバドンのメルキゼデクによる提示]
信じない実利主義者にとり、人間は単に進化の偶然である。生存への彼の望みは、人間の想像力の作りごとに結びつけられる。人間の恐怖、愛、切望、および信念は、物体のある種の生気、生命のない原子の偶発的並置の反応にすぎない。エネルギーの表示も信頼の表現も、かれを墓の向こうに運ぶことはできない。人間の最高の献身的労務と感動を与える天賦の才能は、死により、つまり永遠の忘却の長くて孤独な夜と魂の消滅により消される運命にある。無名の絶望は、人間存在のこの世の太陽の下で生きることや、こつこつ働くことに対する人の唯一の報酬である。人生の毎日は、美しく、気高く、高潔で、善である人間の願望におけるすべてに対し最悪の侮辱となった物質の敵対的できびしい宇宙が定めた冷酷な運命の操作をゆっくり、しかも確実にきびしくする。
しかし、それは、人の終わりと永遠の目標ではない。そのような展望は、精霊的な暗闇で迷ってしまったり、複雑な学習の混乱と歪みによって目をくらまされた物質的な哲学の機械的な詭弁に直面して勇敢に闘い続けるあるさすらいの魂により発せられる絶望の叫びに過ぎない。そして、暗黒のこのすべての破滅と絶望のこのすべての運命は、神の最も謙虚で学問のない地上における子供の側の1つの勇敢な信仰の伸びによって永遠に追い払われる。
この救済の信仰は、人間の価値がその経験において物質的なものから精神的なものへと、人間から神へと、時間から永遠へと移すかもしれないということに人の道徳的意識が気づくとき、人間の心にその誕生をみる。
思考調整者の働きは、人間の原始的かつ進化的な義務感を顕示の永遠の現実における高く、より確かなその信仰への移行の説明を構成する。人の心には最高の到達への信仰の道を理解するための能力を保証するために、完全性への飢餓がなければならない。誰でも神の意志を為すことを選ぶならば、その人は、真実の道を知るのである。「人間のことは愛するために知らなければならないが、神のことは知るために愛さなければならない」というのは文字通り真実である。だが、正直な疑問と真剣な質問は、罪ではない。そのような態度は、完全性への到達に向けての前進の旅の遅れを招くだけである。子供のような信用は、天への上昇のための王国への人の入場を確保はするが、進歩は、十分に成長した人間の強健で自信に満ちた信仰の活発な運動に完全に依存している。
科学の根拠は、時間の観察可能な事実に基づく。宗教の信仰は、永遠のための精霊の予定に基づいて論争する。真の知恵は、知識と理由が我々にできないことを、宗教洞察と精神的変化を介して信仰を成就させるように我々に訓戒する。
反逆によってもたらされた孤立がもとで、ユランチアにおける真実の顕示は、あまりにも頻繁に部分的で一時的な宇宙の声明と混同されてきた。真実は、世代から世代へと変わらぬままであるが、物質界に関連する教えは日々、年々異なる。不朽の真実が、偶然物質界に関して時代遅れの考えと共に見つけかるからといって軽視されるべきではない。人は、科学を知れば知るほど確信が持てない。宗教を持てば持つほどより確信する。
科学の確実性は、完全に識者から生じる。宗教の確信は、全人格の他ならぬその礎から発する。科学は心の理解を求める。宗教は、肉体、心、および精神の忠誠と献身を求める。
神は、すべてが本物であり絶対であるので、何の証明の具体的な兆候や奇跡と言われる何の実証も提供できない。いつも我々は、神を信じるので神を知り、神への我々の信仰は、完全に神の無限の現実の神性顕現への我々の個人の参加に基づいている。
内在する調整者は、神、かの調整者の神性との源交わりによってのみ十分に満たされ得る広範囲にわたる好奇心とともに、完全性への本物の、くまなく入り込む渇望を人間の魂の中に絶えず喚起している。人の飢えた魂は、生きている神の個人的実現よりも小さいものは何であろうとも満たされることを拒否する。高度の完全な道徳的な人格であろうとも、神は、我々の乏しく有限の概念においては決して小さいものではあり得ない。
仲間の人生にそれを発見するとき、観察する心と識別する魂は、宗教を知る。宗教は何の定義も必要としない。我々は皆、その社会的、知的、道徳的、精神的な実を知っている。そして、これは、宗教が人類の特性であるという事実からすべて生じる。それは、文化の寵児ではない。宗教の人の認識は、まだ人間的であり、したがって、無知による束縛、迷信による奴隷状態、世故にたけた誤魔化し、誤った哲学の欺きに陥りやすいということは、本当である。
本物の宗教的な確信の典型的な特色の1つは、その確認の絶対性とその態度の揺るぎの無さにもかかわらず、その表現の精霊は、自己主張、または利己的高揚のほんのわずかな印象を決して伝えないように、非常に落ち着き和らげられている。宗教経験の知恵は、それが人間に由来しており、かつ調整者の派生物であるという双方においていささか矛盾をはらんでいる。宗教的な力は、個人の人格の特権の産物ではなく、むしろ人のその崇高な協力関係と永遠に続くすべての知恵の源の働きである。このように、本物の、純粋な宗教の言葉と行為は、啓発されたすべての人間にとって有無を言わせぬほどに信頼できるようになるのである。
宗教経験の要因を特定し、分析することは難しいが、そのような宗教実践者が、あたかも神の面前ですでに生きており、生き続けているところを観察することは難しくない。信者は、まるで不死というものが既に彼らの掌中にあるかのようにこの世での生活に反応する。そのような死すべき者の人生には、世界の知恵だけを吸収した者達を仲間のそれらから永遠に分離する有効な独創性と表現の自発性がある。宗教家は、時の世事の流れの固有の波乱に伴う悩ましい性急さと痛みをあたえる緊張からの効果的な解放の中で生きているように見える。宗教家は、生理学、心理学、および社会学の法則では説明されない人格の安定化と性格の平静さを示している。
時間は知識獲得における不変の要素である。成長の重要な要因、つまり宗教経験の全局面における明確な進歩があるとはいえ、宗教は、その授与をすぐに利用可能にする。知識は、永遠の探索である。人は、絶えず学んでいるが、決して絶対の真実についての完全な知識に達することはできない。ただ知識だけでは、決して絶対の確実性ではありえず、近似の可能性を増やすだけである。しかし、精霊的な照度の宗教的な魂は知っており、しかも、いま知っているのである。それでいてこの重大で積極的な確信は、そのような健全な心の宗教家に進歩の遅い科学の進展に物質的な終わりに結びついている人間の知恵の進歩の変動に対するより少しの関心を持たせるようには導かない
科学の発見でさえ、それらが解明され、関連づけられるまでは、つまり、それらの関連事実が、心の思考の流れの回路を通して実際に意味をもつようになるまでは、人間の経験の意識においては実際には本当でない。必滅の人間は、その物理的環境を心の水準からさえ、その心理的な印象の見解からさえ見る。それは、したがって、人間が高度、に統一された解釈を宇宙に関して置かなくてはならず、それから、自分の科学のこのエネルギー統一を自分の宗教経験の精霊的な統一と同一視しようとしなければならないということは、奇妙ではない。心は統一である。人間の意識は、心の段階で生活し、授与の心の目を通して宇宙の現実を知覚する。心の観点は、現実の根源、第一根源と中枢の実存的な統一をもたらせはしないであろうが、それは、崇高なる者の中に、また崇高なる者としてエネルギー、心、精神の経験的統合を人に描くことができるし、いつかするであろう。しかし、そのような心が、物質的なもの、知的な意味、と精神的価値にしかと気づかない限り、心は、現実の多様性のこの統一に決して成功することはできない。機能的な現実の3結合体の調和だけでは統一があり、また統一においてのみ、宇宙の恒久性と一貫性の実現からの人格の満足感がある。
人間の経験における統一は、哲学を介して最もよく見つかる。哲学的思考の本体は、物質的事実に基づかなければならないが、真の哲学の力の魂とエネルギーは、人間の精霊的な洞察である。
進化的人間は、激務を自然には楽しまない。人生経験における発達する宗教経験の駆り立てる要求と抑え切れない衝動と歩調を合わせるということは、精神的成長、知力の拡大、事実の拡大、および社会奉仕における絶え間ない活動を意味する。非常に活動的な人格から離れた真の宗教はない。したがって、人のさらなる怠惰は、型にはまった宗教の教理と教義の誤った避難所への退却に訴える手段として巧妙な自己欺瞞の型により真の宗教の活動の厳しさからしばしば逃れようとするのである。しかし、本物の宗教は生きている。宗教概念の知的な結晶化は、精神的な死に相当するものである。人は考えなくして宗教を想像することはできないが、一度宗教が思考のみに下げられるようになると、それは、もはや宗教ではない。それは、単に人間の哲学の種類になってしまったのである。
また一方、生活からの苛々させる要求、必要なものから逃れる方法として宗教についての感傷的な思考を使う不安定であまり統制のとれていない他の魂の型がある。特定の優柔不断で臆病な人間が、進化的な生活の絶え間ない圧力から逃れようとするとき、宗教は、人間がそれを考えて、最も近い避難所、脱出の最善方法を提示するようである。しかし、それこそが、人に立派にさらには勇ましく、人生の波乱に直面させる準備をさせる宗教の任務である。宗教は、進化的人間の最高の授与、人が辛抱し、「見えないあの方を見ているようにと忍び抜くこと」を可能にする唯一のものである。神秘主義は、しかしながら、しばしば人間社会と商業の開かれた活躍の舞台において生きた宗教生活のより健全な活動を楽しまないそれらの人間に取り入れられる生活からのある種の後退である。本当の宗教は行動しなければならない。人は、実際にそれを持つとき、というよりは宗教が、本当に人の所有を許されるとき、行為は、宗教の結果になるであろう。宗教は、単なる思考、あるいは行動を伴わない感情には決して満足しないであろう。
我々には、宗教は、しばしば分別なく、反宗教的にさえ行動するという事実が分からない訳ではないが、それは、行動する。宗教的信念の逸脱は、残忍な迫害につながったが、宗教は、いつでも、またずっと何かをする。それは、動的なのである。
知的欠陥、あるいは教育の欠如というものは、精神的な性質のそのような窮迫している環境が、宗教から科学的知識の世界との哲学的接触のその主要な回路を奪うので、不可避に宗教上のより高い達成を不利な立場に立たせる。宗教の知的要因は重要であるが、それらの発達過剰は、同様に、時として非常に妨げであり、厄介である。宗教は、絶えず逆説的な必要性に苦しまなければならない。すべての考えの精霊的な有益性を減じるとともに、思考の有効利用の必要性。
宗教的な推測は、不可避であるが、常に弊害である。推測は、つねにその対象を裏切る。憶測は、宗教を何か物質的なもの、または人道主義的なものに変える傾向があり、その結果、直接的に、論理的思考の明瞭さを妨げる一方で、それは、この世界、つまり対照的に不滅に立っていなければならないまさしくその世界、の機能としての宗教を間接的に登場させている。したがって、宗教は、常に矛盾をはらむものと位置づけられる。宇宙の物質的段階と精神的段階との経験的関係—モロンチアのモタ、すなわち、真実洞察力と統一認識のための超哲学の感性—の欠如から生じる矛盾。
肉体的意識は、つまり人間の感情は、直接に物質的動作、利己的行為に通じる。宗教的な洞察は、精神的な動機は、直接宗教的な行動、つまり社会奉仕と利他的慈善心の寡欲な行為に通じている。
宗教的な願望は、神性現実の飢餓的探索である。宗教経験は、神発見の意識の認識である。人間は、神を見つけると、さほど啓発されていない仲間との愛情に満ちた奉仕の接触を求めるように、神を見つけたことを明らかにするということではなく、むしろ仲間を元気づけ高めるために自分の魂の中で永遠の善の噴出の溢れ出させるように駆り立てられるほどの発見にたとえようもない勝利の動揺が、その人間の魂の中で経験される。本物の宗教は、さらなる社会奉仕につながる。
科学、知識は、事実の意識につながる。宗教、経験は、価値の意識につながる。哲学、知恵は、調和の意識につながる。顕示(モロンチア感性の代替)は、真の現実の意識につながる。事実、価値、および真の現実の意識の調整は、まさしくその人格生存の可能性に対する信念と共に人格現実の認識、すなわち最高の存在を構成する。
知識は、人の配置、社会層と階級制の開始へとつながる。宗教は人への奉仕へと、その結果、倫理と利他主義の創出へとつながる。知恵は、考えと人の仲間の双方に関わるより高度でより良い親交につながる。顕示は人を解放し、永遠の冒険へと旅立たせる。
科学は人を分類する。宗教は、自分を愛するように人を愛する。知恵は、異なる人々を公平に扱う。しかし、顕示は、人を称揚し、神との協力関係の可能性を明らかにする。
科学は、文化に基づくきょうだい関係を創造するためにむだに努力している。宗教は、精神の兄弟関係の存在に至らせる。哲学は、知恵の兄弟関係のために励む。顕示は、永遠の兄弟関係を、楽園の終局者軍団を描く。
知識は、人格の事実に誇りをもたらす。知恵は、人格の意味に関する意識である。宗教は、人格の価値認識の経験である。顕示は、人格生存の保証である。
科学は、無限の宇宙の区分された部分を特定し、分析し分類しようとする。宗教は、全体の考え、全体の宇宙を把握する。哲学は、全体に関する精霊的洞察の概念で科学の物質部分の識別を試みる。そこで哲学は、この試みに失敗する、顕示は、宇宙円が普遍で、永遠で、絶対で、かつ無限であることを主張して成功する。無限の私はあるのこの宇宙は、それ故、終わりがなく、限りがなく、すべてを包括している—時間を超越し、空間がなく、無特質である。そして、我々は、無限の私はあるもまた、ネバドンのマイケルの父と人間救済の神であると証言する。
科学は、事実として神性を示す。哲学は、絶対者の考えを提示する。宗教は、情愛深い精神的人格として神を思い描く。顕示は神性の事実の統一性、絶対者の考え、神の精神的人格を確認し、さらに、我々の父としてのこの概念—存在の普遍的事実、心の永久不変の考え、命の無限の精神—を提示する。
知識の追求は、科学を構成する。知恵の探求は哲学である。神への愛は宗教である。真実への渇望は顕示である。しかし、現実の感覚を宇宙に対する人の精神的洞察に帰属させるのは内在する思考調整者である。
科学において、考えはその認識表現に先行する。宗教においては、認識経験は考えの表現に先行する。信じる進化的意志と賢明な理知、宗教的洞察、および顕示—信じる意志—の成果の間には、の間にはまったく大きな違いがある。
進化において、宗教は、しばしば人が神の概念を創り出すことに人を導く。顕示は、神の進化している人間の現象を示すが、キリスト・マイケルの地球人生に、我々は、自らを人に明らかにする神の現象を視る。進化は、神を人間のようにする傾向がある。顕示は、人を神のようにする傾向がある。
科学は第一原因に、宗教は最高の人格に、哲学は統合に満たされるだけです。顕示は、これらの3つが1つであり、また、すべては良いということを肯定する。永遠に真実であるものは、宇宙の善であり、空間の悪の時間的幻想ではない。すべての人格の精神的経験においては、本当のものは良いものであり、良いものは本当であるということは常に誠である。
人の心の中の思考調整者の臨場の理由から、他のいかなる心、人間、あるいは超人の心を知る意識が確かであることと同様に、神の心を知っているということは不思議ではない。他のいかなる人間、あるいは超人の心を知る意識が確かであることと同様に、人の心の中の思考調整者の臨場の理由から神の心を知るということは不思議ではない。宗教と社会意識にはこれが共通している。それは、他者の心の意識に基づいている。人が他者の考えを自分のものとして受け入れることができる方法は、人が「キリストにあった同じ心をあなたの中にも抱かせる」ことができる同じ方法である。
人間の経験とは何か。それは、活動的かつ探求的な自己と他の活動的で外的な現実の間の単なるあらゆる相互作用である。経験の量は、概念の深さに加えて、外部の現実の認知全体により測定される。経験の運動は、期待に満ちた想像力に加え、触れた現実の外部の性質の感覚の発見の鋭さに相等しい。経験の事実は、自意識に加えて、他の存在—他の客観的な実在性、他の客観的な心性、そして他の客観的な精霊性—に見つけられる。
人間は、自分が世界または宇宙において単独ではないということをとても早くに意識するようになる。自我の環境における他の客観的心性の自然なのびのびとした自意識には、発達がある。信仰は、この自然な経験を宗教へ、すなわち他の客観的心性の現実—源、自然、運命—としての神に対する認識を解釈する。しかし、神に関するそのような知識は、ずっと、そして常に個人的な経験の現実である。神が人格でないならば、かれは、人間の人格の本当の宗教経験の生きた一部になることはできないであろう。
人間の宗教的経験に存在する誤りの要素は、宇宙なる父の精神的概念を汚染する物質主義の内容に正比例する。宇宙の中の人間の前-精神の進行は、神の本質と純粋で本当の精神の現実に関わるこれらの誤った考えを自分から剥奪することにある。神格は、精霊以上であるが、精霊的接近は、上昇する人間にとり唯一接近可能である。
祈りは、いかにも宗教経験の一部ではあるが、それは、現代宗教によって不当に強調され、より不可欠の崇拝親交に対しては非常に無視されてきた。黙想に耽ける心の力は、崇拝によって深められ広げられる。祈りは、人生を豊かにするかもしれないが、崇拝は目標を照らし出す。
啓示宗教は、人間生活の統一的要素である。顕示は、歴史を統一し、地質学、天文学、物理学、化学、生物学、社会学、および心理学を調整する。精神的経験は、人の宇宙の真の魂である。
信念の事実の確立は、信じられるものの事実を確立することには相当しないとはいえ、それでもなお、人格状態への単純な生活の進化的前進は、まず第一に人格の可能性の存在事実を示すのである。そして、時間の宇宙において可能性は、つねに実際のものの上に最高である。進化する宇宙において、可能性とは、存在することであり、存在することは、神格の目的ある命令の展開である。
この同じ目的がある崇高性は、原始の動物的な恐怖が、神への深まる崇敬へと宇宙への増加する畏敬へと止むことなく変えられるとき、心の観念化の進化において示される。原始人には、信仰より宗教的な恐怖があり、この臆病な恐怖が、精神の現実で生きる信仰に表せられるとき、心に現実に存在するものの上にある精神の可能性の崇高性が、示される。
人は、進化的宗教を心理学的に考察することはできるが、個人的な経験である精神的起源の宗教は、心理学的に考察することはできない。人間の道徳は、価値を認識するかもしれないが、宗教だけがそのような価値を保存し、高め、精神的にすることができる。しかし、そのような作用にもかかわらず、宗教は、感情的に強く訴えられる道徳以上の何かである。愛が義務にあり、息子関係が隷属にあり、本質が物質にあるように、宗教は、道徳にある。道徳は、全能の統制者、仕えられる神格を明らかにする。宗教は、すべての者を愛する父、崇拝され愛される神を明らかにする。これは、宗教の精霊的な可能性が、進化の道徳性の実際の義務、の上に優位であるからである。
宗教的な恐怖に対する哲学における除去と科学の安定した進展は、誤った神々の死に拍車をかける。そして、人工神のこれらの犠牲者は、しばらくの間、精霊的な洞察力を曖昧にするかもしれないが、かれらは、非常に長いあいだ永遠の愛の生きている神を見えなくしたその無知と迷信をついには破壊する。被創造者と創造者との関係は、生活経験、正確な定義に制約されない動的信仰である。人生の一時期を孤立させ、それを宗教と呼ぶことは、人生を崩壊させ宗教を歪めることである。そして、これがまさに、崇拝の神が、すべての忠誠もしくは何も要求しない理由である。
原始人の神々は、原始人自身の影に過ぎなかったのかもしれない。生きている神は、中断が全空間の創造の神の影を構成する神性の光である。
哲学的な到達をなした宗教家には、現実、価値、段階の成就、高められた過程、変容、時空間の究極性、理想化、エネルギーの人格化、重力の本質、人間の投射、自己の理想化、自然の隆起、善への傾向、進化の推進、または高揚的仮説以上の何かの個人的救済の人格神に対する信仰がある。宗教家は、愛の神を信じる。愛は、宗教の本質と優れた文明の源泉である。
信仰は、個人的な宗教経験において可能性の哲学的な神を確実性の救済の神に変える。懐疑は、神学の理論に挑戦するかもしれないが、個人の経験の信頼性に対する自信は、信仰になったその信念の真実を確信する。
神に関する確信には、賢明な論理的思考を通して達し得るかもしれないが、個人は信仰により、個人的経験でのみ神を知るようになる。生活に関係する多くに、可能性は、考慮されなければならないが、宇宙現実に触れるとき、そのような意味と価値が生きた信仰に接近されるとき、確実性が経験できるかもしれない。神に関するこの知識が、知的論理に全く裏打ちされていないがゆえに、そのような確信を否定する信じない人に質問されるときでさえ、神を知る魂は、恐れずに「私は知っている」と言う。信者は、そのようなあらゆる不信を抱く人に、「私が知らないとどうして知っているのか。」と返答するだけである。
理由は、つねに信仰を疑うことができるが、信仰は、つねに理由の双方を補うことができる。理知は、強い確信に、精霊的な経験にさえ変わることができる可能性を作り出す。神は、最初の真実であり最後の事実である。したがって全ては、神に起源があり、存在するすべての事実は、神に関連して存在する。神は、絶対的真実である。人は、真実として神を知るかもしれないが、神を理解するためには—説明するためには、宇宙の中の宇宙の事実を探らなければならない。神の真実の経験と神の事実に関する無知の間の巨大な隔たりは、生ける信仰によってのみ橋を架けることができる。科学的根拠だけで無限の真実と宇宙の事実の調和を実現することはできない。
信念は、疑問を追い払い、恐怖に耐えることができないかもしれないが、信仰は、積極的で、かつ生きているので、いつも疑いに対して勝ち誇っている。否定より積極が、誤りより真実、理論より経験、時間と空間の孤立している事実より精神的な現実が、有利である。この精神的確実性の説得力のある証拠は、そのような信者が、すなわち信仰を持つ者が、この本物の精神的経験の結果として与える精神の社会的実りにある。イエス曰く、「私があなたを愛したように仲間を愛するならば、あなたが私の弟子であることをすべての人が知るであろう。」
神は、科学にとっては可能性、心理学には好ましさ、哲学には可能性、宗教には確実性、つまり宗教経験の現実性である。科学的根拠は、確率の神を見つけることができない哲学が、確信の神を見つけることのできるその宗教信仰を非常に重んじなければならないことを要求する。人の知的かつ哲学的な贈り物が、後退すればするほどより劣性の知性から出現したということ、最後にはすべての考えと感覚が全く欠けた原始の生活に起源を取るという仮定に固執する限りは、科学も、信じ易さの理由で宗教経験を無視すべきではない。
進化の事実は、神を知る死すべき者の宗教生活の精神的な経験の確実性の現実についての真実に対して配列されてはならない。知的な人間は、子供のように推論することをやめるべきであり、また、成人の一貫した論理、つまり事実の観測に沿った真実の概念を許容する論理の使用を試みるべきである。それぞれの繰り返される宇宙現象に直面し、科学的な実利主義は、明らかに高いものを明らかに低いものへと言及することによりその現在の反論の支えに固執するとき行き詰まってしまった。一貫性は、目的がある創造者の活動の認識を要求する。
生物進化は事実である。目的のある、あるいは漸進的な進化は、進化の絶えず上昇する業績のそれ以外は相容れない現象を一貫させようとする真実である。いかなる科学者でも、選んだ科学における進歩が高ければ高いほど、かれは、崇高なる心の支配の宇宙の真実を優先してますます物質主義的な事実の理論を捨て去るであろう。物質主義は、人間の生活を軽んじる。イエスの福音は、すべての死すべき者をすばらしく向上させ、神々しく高める。人間の存在が、上方への人間の差し伸べと神性の、そして救済の下方への差し伸べの出合いの現実認識の興味をそそり、魅惑的な経験にあると視覚化されなければならない。
自立自存である宇宙なる父もまた、明白である。宇宙なる父は、すべての理性ある死すべき者の中に実際に生きている。しかし、人は、神を知らない限り、神に関して確信できるはずがない。息子関係は、父性を確実にする唯一の経験である。宇宙は、いたる所で変化を被っている。変化する宇宙は、従属的宇宙である。そのような創造は、最終的でもなく、絶対的でもあり得ない。有限的宇宙は、究極なるものと絶対者に完全に依存している。宇宙と神は同じではない。一方は原因、他方は影響である。原因は絶対であり、無限であり、永遠であり、不変である。影響は、時-空間的で超自然的であるが、常に変化しており、いつも成長している。
神は、自らによってもたらされた宇宙にける唯一無二の事実である。かれは、物と存在体の系列、計画、目的の秘密である。遍く変わる宇宙は、絶対に変らない法、すなわち不変の神の習慣により管理され、安定している。神の事実、神の法は、不変である。神の真実、宇宙との神の関係は、絶えず進化している宇宙に十分適応できる相対的顕示である。
神なしで宗教を作り上げようとする者は、木なしで果物を集めようとする者、両親なしで子供を作る者に似ている。原因なくして結果は得られない。私はあるだけが原因がない。宗教経験の事実は、神を意味し、個人的な経験のそのような神は、人格神性でなければならない。人は、化学公式に祈ったり、数学的な方程式に懇願したり、仮説を崇拝したり、公理を信用したり、過程と親しく交わったり、抽象性に仕えたり、または法と情愛深い交わりを持つことはできない。
本当の、多くの明らかに宗教的な形質は、非宗教的な根から起こり得る。人は、理知的に神を否定し、なおかつ道徳的には善であり忠誠であり、孝行であり、正直で、理想主義的でさえあり得る。人は、基本的な精神的本質に多くの純粋に人道主義的なの枝を接ぎ木し、このように明らかに、神を否定した宗教のために論点を示すかもしれないが、そのような経験は、生存価値、神を知ることと神に向かっての上昇に欠けている。そのような人間の経験においては、社会的な、精神的ではない、果実だけが、まさに現れようとしている。接ぎ木は、生きている滋養物は、心と精神双方の神性の本来の授与の根から得られる事実にもかかわらず、果実の種類を決定する。
宗教の知的な目印は確実性である。哲学的特徴は一貫性である。社会的果実は愛と奉仕である。
神を知る個人は、現代の迷信、伝統、物質主義傾向の迷宮において神を見つける行く手を塞ぐ困難が分からなかったり、障害に気づかなかったりする者ではない。神を知る個人は、これらの全障害に遭遇し、それらを打ち負かし、生きた信仰で乗り越え、それらをものともせず精神的な経験の高地に達した。しかし、神に関し信念をもつ多くの者達が、神を信じることに反論を組み立て困難を拡大する人々の多様性と利口さゆえに、そのような確実な気持ちを強く主張することを恐れるということは本当である。あら探しをしたり、質問をしたり、異議を唱えたりすることに、大した知性の深さは必要としない。しかし、これらの質問に答え、これらの困難を解決するには心の冴えを要する。信仰の確実性は、そのようなすべての上滑りの論点を扱うには最も優れた方法である。
科学、哲学、あるいは社会学が、真の宗教の予言者と大胆にも独断的に競うようになるならば、神を知る者は、そのような不当な教条主義に対して、個人の精神的経験の確実性のそのより明敏な教条主義で、「私は、私はあるの息子であるので、自分が経験したことを知っている。」と応じるべきである。信仰をもつ者の個人的経験が、独断的な考えの挑戦を受けるならば、経験可能な父のこの信仰生まれの息子は、挑戦する余地のないその教義で、宇宙なる父との実際の息子関係の声明で答弁することができる。
無条件の現実だけが、絶対的なものだけが、一貫して独断的であることを敢行できた。独断的であることを当然と思う者達が、一貫しようとするならば、遅かれ早かれエネルギーの絶対者、真実の宇宙そして愛の無限者の腕の中へと追いやられるはずである。
宇宙現実への非宗教の接近が、その立証されなかった状態を根拠に信仰の確実性にあえて挑戦するならば、精神の経験者は、同様にそれらが同様に立証されないということを根拠に科学の事実と哲学の思考体系の独断的の挑戦に訴えることができる。それらは、同様に、科学者あるいは哲学者の意識における経験である。
我々にはすべての宇宙経験の中で、全臨場の最も不可避なもの、全事実の最も本当であるもの、全真実の最も生き生きしているもの、すべての友の最も情愛深いもの、すべての価値で最も神性であるものの神について最も確信する権利がある。
宗教の現実と有効性の最高の証しは、人間の経験の事実にある。すなわち、生来自己保存の強い本能を授けられ、死後の生存を切望する生来恐がりで疑い深い人間は、信仰が神として呼ばれるその力と人の維持と方向への現在と将来の最も深い関心を完全に信じることを望んでいるということ。これが、すべての宗教の1つの中心真実である。この見守りと世話と最終的救済の代償に力または人が必要とするものに関して人に課するものに関し、2つの宗教は、一致しないのである。実のところ、すべての宗教は皆、多少意見を異にする。
進化の段階におけるいかなる宗教の状態に関しても、それは、その道徳的な判断と倫理基準によって最も良く判断されるかもしれない。いかなる宗教の型も高ければ高いほど、それはさらに奨励し、絶えず向上する社会的道徳と倫理的文化により奨励される。我々は、付随するその文明状態によって宗教を判断することはできない。我々は、その宗教の純粋さと気高さで文明の真の本質を評価するほうがよい。世界で最も注目に値する宗教教師の多くは、実質的には無学であった。世界の知恵は、永遠の現実に対する救済信仰の運動には必要ではない。
様々の時代の宗教の違いは、完全に、現実の人の理解力における違いと、道徳的価値、倫理的関係、精神現実の異なる認識しだいである。
倫理学は、内部の精霊的かつ宗教的な発達のそれ以外は観察不可能な進歩を忠実に映す外部の社会的、あるいは人種的な鏡である。人は、いつも自分が最善と知る観点から、最も深い考えや最も高い理想で神のことを考えた。歴史的宗教でさえ常に認識されたその最高価値からその神の概念を作成していた。あらゆる知力ある被創造物は、自分が知る最も良く最も高いものに神という名を与える。
宗教は、理由と知的表現の段階まで引き下げるとき、常に大胆にもそれ自身の倫理的文化と道徳的進歩の基準により判断される文明と発展的進歩を批評した。
個人的宗教は、人間道徳の発展に先行するが、残念ながら、その制度的宗教は、ゆっくりと変化する人類の慣習に不変的に後れを取ってきたと記録されている。組織化された宗教は、保守的に遅いことが判明した。予言者は、通常、宗教発展において人々を導いてきた。神学者は、通常、人々を制止してきた、宗教は、内面的または個人の経験の問題であり、人種の知的な進化に先立って決してあまり発達することはできない。
しかし、宗教は、決していわゆる奇跡への訴えによって高められはしない。奇跡の探索は、魔法の原始宗教への立ち戻りである。本物の宗教は、真偽の疑わしい奇跡とは無関係で、決して啓示的宗教は、奇跡を権威の証拠として指し示さない。宗教は、これまでに、またいつも個人的経験に深く根ざしている。最も高度の宗教、イエスの人生は、まさにそのような個人の経験であった。肉体の短い人生の間、神を求め、完全に神を見つける泌滅の人間。同じ人間の経験において人を求め、無限の至高の完全な魂の完全な満足感を見つける神が現れる間に。そして、それが、ネバドンの宇宙における最も高く、しかも明らかにされている宗教である。—ナザレのイエスの地上での人生。
[ネバドンのメルキゼデクによる提示]
人の真の宗教的反応のすべては、初期の聖職活動の崇拝の補佐の後援をうけ、知恵の補佐の検閲をうける。人の最初の超心の授与は、宇宙の創造霊の聖霊における人格の回路のそれである。そして、神性の息子の贈与あるいは調整者の宇宙の贈与のずっと以前に、この影響は、人の倫理、宗教、精神性の視点を拡大するために機能する。楽園の息子の贈与のその後、解放された真実の精霊は、宗教的真理を知覚する人間の能力拡大に強力な貢献をする。進化が、棲息界に迫るとき、思考調整者は、ますます人間の宗教洞察のより高度の型の発達に参加する。思考調整者は、有限生物が、限りのない神格、つまり宇宙なるの父の確実性と神性とを信仰を通じて一瞥するかもしれない宇宙の窓である。
人類の宗教的傾向は、生まれながらのものである。それらは、あまねく提示され、明らかに自然の起源をもつ。原始宗教は、その起源において常に進化的である。自然な宗教経験が進歩し続けるにつれ、真実の周期的な顕示は、惑星進化の、それ以外は遅い運動を時々中断する。
ユランチアにおいては、今日、4種類の宗教がある。
1. 自然的、あるいは進化的宗教。
2. 超自然的、あるいは天啓的宗教。
3. 実用的、あるいは現在の宗教、自然宗教と超自然宗教の混合の異なる度合。
4. 哲学的宗教、人工的、あるいは哲学的に考え抜かれた神学原理と理由を確立された宗教。
社会的あるいは人種的集団の間での宗教経験の統一は、個人に宿る神の断片の同じ本質に由来する。他の人間の幸福への寡欲な関心に起源を与えたのが、この神性である。しかし、人格は、固有—似ている2人の人間はいない—であるので、2人の人間が、それぞれの心の中に住まう神性の精神の導きと衝動を同様には解釈できないということが必然的に成り立つ。人間の集団は、精神和合を経験できるが、決して哲学的な一様性に達することはできない。そして、宗教的考えと経験の解釈のこの多様性は、20世紀の神学者と哲学者が宗教の500以上の異なる定義を定式化したという事実により示される。実際は、あらゆる人間が、自身の内に住む神の霊から発している神性の衝動の彼自身の経験にもとづく解釈の条件で宗教を定義し、それ故、そのような解釈は、固有であり、他のすべての人間の宗教哲学とは完全に異るはずである。
1人の人間が、仲間の人間の宗教哲学と完全な意見の一致をみるとき、その現象は、これらの人間には2人の哲学の宗教解釈の類似性に関係のある事柄に影響している類似した宗教経験があったことを示している。
あなたの宗教が個人的経験の問題である一方、あなたの宗教生活が、自己中心的—束縛状態、利己的、非社交的—になることを防ぐことのできる最後まで、非常に多くの他の宗教経験に関する知識、(他の、また多種多様な人間の多様な解釈)に晒されるべきであるということが最も重要である。
合理主義は、宗教が、まずは何かに対する原始的信念であり、次に価値追求が続くと仮定するとき、それは間違いである。宗教とはそもそも価値の追求であり、そしてそこで、解説的な信念の体系を考案する。人が、宗教的な価値—目標—に同意することは、信念—解釈—に同意するよりもはるかに簡単である。そして、これは、何百もの対立する信念—信条—に対する確信を維持する混乱させる現象を示す一方で、宗教が、いかに価値と目標に同意することができるかを説明している。またこれは、ある特定の人が、信仰の多くを断念するか、変えることに直面して、いかに自分の宗教経験を維持できているかを説明している。宗教は、信仰の革命的変化にもかかわらず、持続する。神学は、宗教を形成しない。神学哲学を生むのは、宗教である。
宗教家が、多くの誤った事を信じたということは、宗教を無効にはしない、というのは、宗教は、価値認識に基づいて築かれ、個人の宗教経験の信念により確認されるのであるから。宗教は、次に経験と宗教的な考えに基づく。神学、つまり宗教哲学は、その経験を解釈する正直な試みである。そのような解説的な信念は、善悪または真実と誤りの混成であるかもしれない。
精霊価値の認識の実現は、超概念的経験である。我々が、神-意識と言うことに決めた「感覚」、「感じ」、「直観」、または「経験」を示すために使用可能な言葉は、人間のいかなる言語にもない。人に住まう神の霊は、人格的ではないが—調整者は、人格的である—が、この訓戒者は、価値を提示し、神格の味を滲ませる。そして、それは、最も高くかつ無限の意味において人格的である。神が少なくとも人格的でないならば、神は、意識するはずはなく、また、もし意識がないならば、人間より下位であろう。
宗教は、人間の心で機能的であり、人間の意識においてそのの登場前に経験において実現されてきた。子供は、その誕生経験のおよそ9カ月前に存在している。だが宗教の「誕生」は突然ではない。それは、むしろ緩やかな出現である。にもかかわらず、遅かれ早かれ、「誕生の日」はある。人は、「再び生まれる」—精霊から生まれる—ことをしない限り、天の王国には入らない。多くの精神的誕生には、多くの身体的誕生が、「激しい陣痛」と「出産」の他の異常によって特徴づけられるのと同様に、精神の多くの苦悶が伴ない、心理的動揺を印した。何の宗教的な発展も、意識的な努力と積極的かつ個々の決断なしでは起こらないが、他の精霊的な誕生は、精霊的な経験の強化を伴う最高価値の認識の自然で正常な成長である。宗教は、決して受け身の経験、つまり否定的態度ではない。「宗教の誕生」と呼ばれるものは、精神的葛藤、感情的抑圧、および気質上の動揺の結果として人生後半に起こる宗教的な出来事を特徴づけるいわゆる転換経験と直接には関係していない。
しかし、情愛深い天の父の子である意識のもとに育った両親にそのように育てられた人々は、精霊的な危機、感情の動揺を経て神との親交のそのような意識にはじめて達することができる人間の仲間を不信の目で見るべきではない。
啓示的宗教の種子が発芽する人の心の進化の土壌は、非常に早く社会的意識に起源を与える道徳的本質である。子供の道徳的な性格の最初の刺激は、性、罪の意識、または個人的な誇りには関係なく、むしろ正義、公正さへの鼓舞、そして親切さへの衝動—仲間への助けとなる活動—と関係がある。そして、そのような初期の道徳的な目覚めが養育されるとき、多少とも闘争、隆起、および危機のない宗教人生のゆるやかな進化が起こる。
あらゆる人間は、利己的衝動と愛他的衝動の間のある種の矛盾を非常に早い時期に経験し、そして、何度となく、そのような道徳的矛盾を解決する課題において超人的な助けを捜し求める結果として、神-意識の最初の経験が、達成されるかもしれない。
子供の心理は、生来積極的であり、否定的ではない。とても多くの死すべき者が、否定的であるのはそのように訓練されたからである。子供が積極的であると言われるとき、それは、思考調整者到着の前兆となる心の力である道徳的衝動に言い及んでいるのである。
普通の子供の心は、間違った教えがない場合、宗教意識の出現において、否定的に罪と罪悪感の意識から離れるよりも、むしろ肯定的に道徳的正義と社会的活動の方へ進む。矛盾が、宗教経験の発達においてあるかもしれないし、ないかもしれないが、必然的決心、努力、人間の意志の機能は、常にある。
道徳的な選択は、通常、多少の道徳的矛盾を伴う。そして子供の心の中のまさにこの最初の葛藤は、利己主義の衝動と利他主義の推進力の間にある。思考調整者は、利己主義的動機の人格的価値を無視はしないが、人間の幸福の目標と天の王国の喜びに導きつつわずかな優先を利他的な推進力に置くために働く。
道徳的行為者が、利己的衝動に直面し、寡欲であることを選ぶとき、それは原始的宗教経験である。動物は、そのような選択をすることはできない。そのような決定は、人間らしく、かつ宗教的である。それは、神-意識の事実を迎え入れ、社会奉仕の推進力、人の兄弟愛の基礎を示す。心が、自由選択の行為により正しい道徳判断を下すとき、そのような決定は、宗教経験を構成する。
だが、道徳的適応力を十分に獲得し、その結果、利他的奉仕を選べるようになる以前に、その子供は、強くよく統一された利己的本質を開発してしまっている。そして、「より高い」本質と「より低い」本質の間の、つまり、「罪の老人」と恩恵の「新の本質」との間の闘いの理論を引き起こすのは、この事実に基づく状況である。通常の子供は、人生の非常に早い時期に「受け取るよりも、与えることがより尊ばれる」ということを学び始める。
人は、利己主義からくる衝動を自己—自分自身—と見なす傾向がある。対照的に、かれは、何らかの影響で利他的な意志を自分の外側—神—と見なす傾向がある。実にそのような判断は正しい、なぜならば、すべてのそのような自己のためではない欲求は、実際には内在する思考調整者の導きにそれらの起源があり、しかも、この調整者は神の断片である。精霊訓戒者の推進力は、衝動が利他的であると、つまり仲間の生物に注意が払われると、人間の意識で理解される。少なくともこれは、子供の心の早期の基本的な経験である。成長過程にある子供が個性統一を達成できないとき、利他的な衝動は、過度に発達するかもしれないほどに自己の幸福への重大な傷をもたらす。見当違いの良心は、多くの葛藤、憂慮、悲しみと人間の際限のない不幸の原因となり得る。
霊、夢、そして多様なすべての他の迷信に対する信念が、原始宗教の進化の起源の一翼を担う一方で、人は、団結の一族の精神、あるいは部族の精神の影響を見落とすべきではない。集団関係にあっては、初期の人間の心の道徳的本質にある利己的-利他的な対立への挑戦を提した正確な社会的状況が、示された。霊に対する思考体系にもかかわらず、原始オーストラリア人は、まだ宗教を一族に焦点を合わせている。やがて、そのような宗教概念は、最初は動物として、後には超人間として、あるいは神として人格化する傾向がある。アフリカのブッシュマン(その信仰はトーテムでさえない)のような劣った人種さえ、私利と集団利益の間、つまり世俗的価値と神聖な価値の間の違いの認識をする。しかし、社会的集団は、宗教経験の起点ではない。人の初期の宗教へのこれらのすべての原始の貢献の影響にかかわらず、真の宗教衝動は、寡欲である意志を動かす本物の精神臨場感にその起源があるという事実は依然としてある。
後の宗教は、自然の驚異と神秘、つまり無人格的なマナに対する原始の信念に前もって示されている。しかし、遅かれ早かれ、進化的宗教は、個人が社会集団の利益のために何らかの個人的犠牲を払うべきである、つまり他の人々をより幸福でより良くする何かをするべきであることを要求する。最終的に、宗教は、神と人への奉仕になる運命にある。
宗教は、人の環境を変えるように考案されているが、今日人間の中に見られる宗教の多くが、これをするには無力になってしまった。環境は、宗教をあまりにも頻繁に征服してきた。
あらゆる時代の宗教において、最も勝る経験は、神学教義、あるいは哲学的理論に関する考えではなく、道徳的価値と社会的意味に関する感覚であることを覚えていなさい。宗教は、魔術の要素が道徳の概念に取り替えられるとともに、順調に進化する。
個人の宗教的な態度が一族の集団反応になったそれによって、人間は、マナ、魔法、自然崇拝、霊の恐怖、動物崇拝の迷信を通して様々な儀式へと進化した。次いでこれらの儀式は、部族の思考体系へと集中され、また結晶化されるようになり、ついには、これらの恐怖と信仰は、神へと人格化されるようになった。だが、この宗教的進化のすべてにおいて、道徳的要素は、決して完全に欠落していたわけではなかった。人の中の神の推進力はずっと強力であった。そして、これらの強力な影響—1人の人間と他方の神性—は、時代の波乱を通して宗教の生存を保証したにもかかわらず、宗教は1,000の破壊傾向と敵意に満ちた反目によってしばしば絶滅に瀕した。
社会的な行事と宗教的集会の特徴的な相違は、宗教に関係ないものに比べ、宗教的なものは、親交の空気が一面に広がる。このように、人間の交流は、神との親交感を生み、また、これが集団崇拝の始まりである。一般の食事に加わることは、社会的交わりの最も初期の型であり、初期の宗教は、崇拝者が、公式の犠牲の若干の部分を食さなければならないと定めた。キリスト教においてでさえ、主の晩餐は、親交のこの方法を実行し続けている。親交の環境は、内在する精神訓戒者の利他的衝動との利己的自我の葛藤における壮快で励みとなる停戦期間を提供する。これは、真の崇拝—人の兄弟愛の出現に至る神の臨場の実践の前奏曲である。
原始人は、神との親交が中断されたと感じると、償いの努力において好意的な関係を回復するためにある種の犠牲に頼った。正義への飢餓と渇きは、真実の発見に通じており、また、真実は、理想を増大させ、これが宗教家個人に新しい問題を生じさせる。というのも、我々の能力は、等差数列だけにより高められる間、我々の理想は、等比数列により成長する傾向があるのであるから。
罪の感覚(原罪の意識ではない)は、中断された精神的親交か、または人の道徳理想の低下から来る。そのような窮地からの救出は、人の最高度の道徳的理想が必ず神の意志と同義であるというわけではないという認識から起こり得る。人は、最も高い理想を叶えることを望むことはできないが、神を見つけ、ますます神に似てくる目的に誠実であることはできる。
イエスは、犠牲と償いの儀式のすべてを一掃した。イエスは、人は神の子であると宣言し、すべてのこの虚偽の罪の基盤と宇宙における孤立感を破壊した。被創造者-創造者の関係は、子-親の基盤に置かれた。神は、必滅の息子と娘の情愛深い父になる。そのような親密な家族関係の合法的な部分ではない総ての儀式は、永久に廃除される。
父なる神は、実際の美徳、あるいは値打ちではなく、子供の動機の認識—被創造者の目的と意図—に基づいて我が子を扱う。その関係は、親-子の交流の1つであり、神の愛によって動かされる。
早期の進化の心は、主として感情的な恐怖に由来する社会的義務と道徳的義務感に起源を与える。より積極的な社会奉仕への衝動と利他主義の理想主義は、人間の心に宿る神性の霊の直接の推進力から得られる。
他に利することへのこの考えと理想—隣人の利益のための自我に何かを拒む衝動—は、最初は非常に制限されている。原始人は、自分にとても近い者だけを、自分を友好的に扱う人々だけを隣人と見なす。宗教文明が進むにつれ、人の隣人は、一族、部族、国を包含する概念に広がる。次いで、イエスが、隣人を人類全体の外延に、我々の敵を愛するべきであるという範囲にまで拡大した。そして、この教えは、すべての通常の人間の内面に道徳的である—正しい—と告げる何かがある。この理想を最少に実践する者でさえ、それが理論上正しいと認める。
すべての人は、寡欲で、利他的でありたいという人間のこの普遍的衝動を認める。人道主義者は、この衝動を物質心の自然な働きのせいにする。宗教家は、人間の心の本当に寡欲な刺激が、思考調整者の内側の精神の導きに対応するということをより正確に認める。
我意と、自己以外の意志との間のこれらの初期の不一致に関する人の解釈は、必ずしも信頼できるわけではない。かなりよく統一された人格だけが、自我渇望と芽生え始めた社会的意識からくる多様な争いを仲裁することができる。自己には、隣人と同じ様に権利がある。自己も隣人も、個人の注意と奉仕を独占しない。この問題解決に対する怠慢は、人間の有罪感の最も初期の型に起源を与える。
人間の幸福は、統一し監督する人格の統合された意志により、自己という自己本位の願望とより高い自己(神性の精神)の利他的な衝動は、調整され、融和しているときにだけ、成し遂げられる。進化的人間の心は、感情的な衝動の自然な拡大と、精神的洞察—本物の宗教的な反映—に基づく寡欲な衝動の道徳的成長との争いを仲裁する複雑な問題に常に対峙している。
自己と他の自己の最大多数のために等しい利益を確保する試みは、必ずしも時空間の枠組で満足に解決されるという訳ではない問題を提示する。永遠の寿命が与えられるならば、そのような敵意を解決することはできるが、短い人間の1つの寿命では、それらは解決できない。イエスは、そのような矛盾を次のように言及した。「誰でも自分の命を救おうとする者はそれを失い、王国のために自分の命を失う者はそれを見つけるであろう。」
理想の追求—神のようである努力—は、死の前と後の絶え間ない努力である。死後の人生は、根本的に人間生活と何ら変わりはない。我々がこの良い人生で行なうすべてが直接来世の向上に貢献する。真の宗教は、高貴な性格のすべての美徳が自然死の入り口を通過する結果として与えるのだとはかない望みを持つことを奨励することによって道徳的怠惰と精神的怠惰を促進してはいない。真の宗教は、人生で与えられた期間の間の進歩する人の努力を過小評価しない。あらゆる人間の前進は、不滅の生存経験の最初の舞台の質の向上への直接的貢献である。
人は、利他的衝動のすべては単に群れの自然本能の発達であると教えられるとき、それは、人の理想主義にとって致命的である。しかし、魂からのこれらのより高度の衝動が人間の心に宿る精神力から発すると学ぶとき、人は、高められ、活気づけられる。
それは、永遠で神性である何かが自分の内に住まい奮闘していると人がいったん完全に気づくと、自分自身の外へ、また自分自身より高く持ち上げる。そこで、それは、我々の理想への超人的な起源の生ける信仰が、我々の信念を確証するということ、我々は神の息子であり、我々の利他的信念、人の兄弟愛の気持ちを本物にするということである。
人間は、精神的領域において自由意志がある。必滅の人間は、全能の神の不動の支配の無力な奴隷でもなければ、宇宙の機構的決定の絶望的運命の犠牲者でもない。誠にもって、人は、自身の永遠の運命の建築家なのである。
しかし、人は圧力によって救われないし、気高くはされない。精神の成長は、発達する魂の内から生じる。圧力は、性格を変形するかもしれないが、それは決して成長を促進しない。教育的な圧力でさえ、悲惨な経験防止において助成するかもしれないという点で否定的に役立っているだけである。精神的成長は、すべての外圧が最小限であるところで最大である。「主の霊のあるところに自由がある。」人は、家庭、共同体、教会、および国家の圧力が最少であるときに最もよく成長する。しかし、これは、進歩的社会には家、社会組織、教会、および国家のためのいかなる場所もないという意味に解釈されてはいけない。
社会的宗教集団の一員が、そのような集団の要望に従うとき、かれは、信仰の真実の個人的解釈と宗教経験の事実に関する完全な表明において、信仰の自由を楽しむことが奨励されるべきである。宗教集団の安全性は、神学上の統一ではなく、精神的和合によって決まる。宗教団体は、「自由思想家」になることはなく、自由思想の自由を楽しむことができなければならない。いかなる教会対しても、生きている神を崇拝し、人の兄弟愛を正当であると確認し、すべての教義的圧力をその構成員から取り除くというすばらしい望みがある。
神学とは、人間精神の働きと反応の研究である。それは、その個人の表現における心理学と、そしてその系統的な描写における哲学に多少なりとも常に結合されなければならないので、決して科学にはなり得ない。神学は、常に自身の宗教についての研究である。他者の宗教についての研究は、心理学である。
人間が、外側から自分の宇宙の研究と考査に接近するとき、様々な自然科学を生み出す。内側から自分と宇宙について研究に接近するとき、神学と形而上学に起源をあたえる。哲学の後の方法は、まず物質と存在体の宇宙に接近する発見と教えのこれらの2つの正反対の手段の間に現れることが運命づけられている多くの食い違いを調和させる努力において発達する。
宗教は、精神的観点、すなわち人間の経験の内面性の自覚と関係がある。人間の精神的本質は、自身に宇宙を裏返しにする機会を提供する。したがって、専ら人格経験の内面性から見られる全創造が現実には精神的であるように見えるというのは本当である。
人が、体の感覚と対応する心の知覚の物質的授与を通して宇宙を分析的に調べるとき、宇宙は機械的であり、エネルギー物質的であるように見える。現実を研究するのそのような手法は、宇宙を裏返しにすることにある。
論理的で一貫した宇宙の哲学的概念は、物質主義または精神主義のいずれの基礎条件に基づいても確立することはできない、というのも、思考のこれらの双方の型は、広く適用されると、宇宙を歪曲して見ることを強要されるとき、前者は、宇宙を内を外にして接触し、後者は、宇宙の自然を外を内にして認識、意識しているからである。それから、決して、科学、あるいは宗教のいずれかは、それ自体では、つまり孤立しては、人間の哲学の指導と神性顕示の照明なくしては普遍の真実と関係についての十分な理解を得ることを望むことはできない。
人間の内面的霊は、その表現と自己実現のために心の仕組みと方法に頼らなければならない。同様に、人の物質的現実の外側の経験は、経験する人格の心の意識に基づかなければならない。したがって、精神的で物質的人間の経験、内面的で外面的人間の経験は、いつも心の機能で相互に関連づけられ、それらの意識的な実現に関し心の働きによって調整される。人の経験は、その心においては物質である。人は、魂で精神的現実を経験するが、心でこの経験を意識するようになる。知性は、人間の経験全体の調和者であり、絶えず付きまとう条件をつける者であり、資格を与える者である。エネルギーをもつ物と精神価値の両方が、意識の心の媒体によるそれらの解釈により着色される。
人にとって科学と宗教間でのより調和のとれた連携へ到達する際の難しさは、物や存在体のモロンチア界の介入領域についての完全な無知に起因している。地域宇宙は、3つの角度、3段階の現実顕現:物質、モロンチア、および精神から成る。モロンチアの接近角度は、自然科学の発見と宗教の精神の機能の間でのすべての分岐を抹消する。理性は、科学についての理解の方法である。信仰は、宗教の洞察方法である。モタは、モロンチア段階の方法である。モタは、不完全な成長の補正を始めている超物質の感性であり、その本質には知識-理性が、またその核心には信仰-洞察がある。モタは、物質的人物では到達できない分岐する現実知覚の哲学を超えての和解である。それは、ある程度、肉体の物質生活を乗り切った経験に基づいている。しかし多くの人間は、広く切り離された科学と宗教の領域間で相互作用を調停する何らかの方法を持つ好ましさを認めた。そして、形而上学は、このよく認識された溝にかける人の無駄な試みの結果生まれたものである。しかし、人間の形而上学は、啓発するよりも混乱させると判明した。形而上学は、モロンチアのモタの不在を補おうとする人の善意ではあるが、空しい努力を表している。
形而上学は、失敗を立証した。モタを人は、知覚することができない。顕示は、物質界におけるモタの真実感度の欠如を補うことができる唯一の方法である。顕示は、進化する球体で理性により発展した形而上学の混乱を厳然と明らかにする。
科学は、物理的環境、すなわちエネルギーと物質の世界に関し人間の試みた研究である。宗教は、精神価値の宇宙との人の経験である。哲学は、広く切り離されたこれらの概念の発見を宇宙に向けての道理に適い統一された態度のような何かに組織化し、関連させるために人の心の努力で展開されてきた。顕示により明確にされる哲学は、モタの欠如やモタ—形而上学—のための人の理由の代わり崩壊と失敗に際し、受け入れられるように機能する。
原始人は、エネルギー段階と精神段階を見分けなかった。最初に意志から数学の切り離しを試みたのは、紫色人種とそのアンド系の後継者であった。文化的な人間は、ますます、無生物と生物を区別した最も初期のギリシア人とシュメール人の足跡に続いた。そして文明の進歩につれ、哲学は、精神概念とエネルギー概念の間の絶えず広がる深い割れ目に橋渡しをしなければならないであろう。しかし、空間の時間には、これらの分岐は、崇高なるものに一致してある。
科学は、常に理由に基づかなければならないが、想像力と推測は、その境界の拡張に役立つ。理由は、安定した影響と役立つ小間使いであるが、宗教は、永久に信仰に依存している。そして自然の世界と精霊的な世界、つまり誤って科学と宗教と呼ばれている双方の現象のまぎらわしい解釈が、常に存在したし、これからもあるであろう。
人間は、科学の不完全な把握、宗教に対するおぼろげな理解、形而上学の失敗に終わった試みから、哲学の公式化を試みた。現代人は、物質と精神の世界の間のすべて重要で不可欠な形而上学の関係の機能停止がなければ、つまり、身体と精神の間のモロンチアの深い割れ目の橋架けのための形而上学の破綻がなければ、自身と自身の宇宙にふさわしく魅力的な哲学を実際に造るであろう。必滅の人間には、モロンチアの心と物質の概念が欠けている。そして、顕示は、人が、宇宙の論理的哲学を構成するために、そしてその宇宙における自分の確かで落ち着いた場所について満足のいく理解にいたるために緊急に必要とする概念的基本資料におけるこの欠陥の埋め合わせのための唯一の方法である。
顕示は、モロンチアの深い割れ目の架橋に関する進化的人間の唯一の望みである。モタによる助けを受けない信仰と理性は、論理的宇宙を着想し、組み立てることはできない。モタの洞察がなければ、必滅の人間は、物質界の現象の善、愛、真についての明察はできない。
人間についての哲学が重く物質の世界界に傾くとき、それは、合理主義的あるいは自然主義的になる。哲学が、特に精霊的な段階に傾くとき、それは理想主義的になるか、神秘主義的にさえなる。哲学が不幸にも形而上学に傾くとき、それは絶えず懐疑的になり、混乱するようになる。過去においては、大部分の人の知識と知的な評価は、認識のこれらの3つの歪曲の1つに陥った。哲学は、線形論理における現実の拡大解釈をする勇気がない。それは、現実の楕円形の対称性とすべての関係概念の重要な歪を決して考慮に入れ損なってはいけない。
必滅の人間の達成し得る最高度の哲学は、科学の理由、宗教の信仰、顕示によって与えられる真実の洞察に論理的に基づかなければならない。この統合により人間は、適切な形而上学を構築できなかったことに対し、またモタを理解することができないことに対し若干の埋め合わせができる。
科学は理由に支えられ、宗教は信仰に支えられる。信仰は、理性に基づきはしないが道理に適っている。論理から独立してはいるが、それは健全な論理により促進される。信仰は、理想的な哲学によってでさえ育成されることはできない。実に、それは、科学とともに、そのような哲学の源そのものである。信仰は、つまり人間の宗教的な洞察は、確実に、顕示によってのみ教授され得るし、霊である神の精神的な調整者臨場の人間の個人的経験によってのみ確実に高めることができる。
真の救済は、物質識別からモロンチア結合の領域を経て精神相関の高度の宇宙状態への人間の心の神性進化の方法である。そして、物質的かつ直感的な本能が、地球の進化で論じられた知識の登場に先行するように、精霊的な直感的な洞察の顕現もまた、天の進化の崇高な計画、つまり束の間の人間の可能性を永遠の人間、つまり楽園の終局者の現実性と神性へ変える仕組みにおけるモロンチアと精霊の理性と経験の後の登場の前兆となる。
だが、上昇する人間は、神経験のために内面と楽園に向けて手を差し伸べる一方で、物質宇宙のエネルギー理解のために外側と空間に向けて同様に手を差し伸べている。科学の進行は、人の地球上の生活に限られてはいない。宇宙と超宇宙への人の上昇経験は、少なからず、エネルギー変化と物質変化の研究になる。神は精霊であるが、神格は統一であり、神格の統一は、宇宙なる父と永遠なる息子の精神的価値を包含するだけではなく、宇宙の統制者と楽園の小島のエネルギー事実をも認識しており、その上、宇宙現実のこの二局面は、連帯動作主の心の関係に完全に関連しており、現れつつある崇高なるものの神格の限りある段階において統一される。
経験的哲学の媒介による科学的な態度と宗教洞察の結合は、人の長い楽園上昇経験の一部である。数学の近似性と洞察の確実性は、崇高なるものの最大限の達成に届かないすべての段階における心の論理の調和させる機能をいつも必要とする。
しかし、論理は、人格の科学的局面と宗教的局面の双方が、心からそれが達するかもしれない結論のいかんにかかわらず、それが導くかもしれない場合はいつでも真実に続くことを心から願ってやまない支配される真実でない限り、科学の発見と宗教の洞察の調和において決して成功はできない。
論理は、哲学の方法、つまり、その表現法である。真の科学の領域内では、理由は、つねに本物の論理に従う。真の宗教の領域内では、内面の基本的観点からは、そのような信仰は、内側を望く科学的接近の観点からはかなり根拠のないように見えるかもしれないが、信仰は、常に論理的である。外側から内側を見ると、宇宙は、物質的に見えるかもしれない。内側から外を見ると、同じ宇宙は、完全に精神的であるように見える。理性は、物質的意識から生じ、信仰は、精神的意識から生じるが、論理は、顕示により強化される哲学の媒介で内部と外部へ向かう見解の双方を確認し、その結果、科学と宗教の両方の安定化に作用するかもしれない。このように、哲学の理論との共通の接触を通して、科学と宗教は互いにますます寛容になり、次第に懐疑的でなくなるかもしれない。
開発途上の科学と宗教の双方が必要とするものは、進化状態における不完全さに対するよりすばらしい意識である探究的かつ批判を恐れない自己批判である。科学と宗教双方の教師は、しばしば、まったく自信があり過ぎ、かつ独断的である。科学と宗教は、それぞれの事実についてのみ自己批判的であり得る。事実の段階からの出発のその瞬間、理性は退位するか、さもなければ誤った論理の一方へと暗転する。
真実—宇宙関係、宇宙の事実、精神的価値の理解—は、真実の精霊の働きを通して獲得し、また顕示によって最も良く批評することができる。しかし顕示は、科学も宗教ももたらしはしない。その機能は、現実の真実で科学と宗教の両方を調整することである。常に、顕示がないときは、またはその受け入れ、あるいは把握の不成功に当たっては、形而上学は、真実の顕示のため、あるいはモロンチア人格のモタのための人間の単なる代用品であるので、必滅の人間は、形而上学の空しい意思表示に頼ってきた。
物質界の科学は、人が物理的環境を制御し、ある程度支配できるようにする。精神的経験の宗教は、人が科学時代の文明の複雑さの中で共存することを可能にする親交衝動の源である。形而上学は、いや、より確かに顕示は、科学と宗教双方の発見のために共通の合流の場を提供し、別々ではあるが、互いに依存する思索の領域を科学の安定性と宗教の確実性の均衡の良い哲学に論理的に関連させる人間の試みを可能にする。
人間の置かれた状況においては、何も絶対に立証されることはできない。科学と宗教の双方は、仮定に基づいている。モロンチア段階では、科学と宗教双方の仮定は、モタの論理で部分的な証拠が可能である。最大の状態の精神段階においては、限りある証明の必要性は、現実の、実際の経験と前に徐々に消え失せる。しかしその時でさえ、多くは、立証されないまま有限を超えている。
人間の考えのすべての境界は、立証されてはいないが、人の心の贈り物の構成する現実の感度により受け入れられるある種の前提に基づいている。科学は、物質、運動、生命の3つの現実を仮定することにより論理的思考のその誇る経歴を始める。宗教は、心、精霊、宇宙—崇高なるもの—の3つの現実の仮定で始める。
科学は、数学の、つまりエネルギーと物質の思考領域と空間における時間の領域になる。宗教は、有限で一時的精神とだけではなく、永遠で至高の精神に関係すると提案する。宇宙知覚のこれらの2つの極端な領域は、ただモタにおける長い経験を通してのみ、起源、機能、関係、現実、運命の類似した解釈をもたらすことができる。エネルギーと精霊の分岐の最大の調和は、主たる七精霊の回路にある。その最初の統一は、崇高なるものの神格に。その最終的統一は、第一根源と中枢の無限に、すなわち私はあるに。
理由は、エネルギーと物質の物質界における、またその世界との経験に関する意識の結論を認識する行為である。信仰は、精神的意識—人間の他の証明が果たし得ない何か—の正当性を認識する行為である。論理は、信仰と理性の統一の真実探究の総合的進行であり、死すべき者の心の構成する授与、事象、意味、価値の生得の認識に基づいて築かれる。
精霊的な現実の真の証しが思考調整者の臨場にはあるが、この臨場の真実は、外界に提示可能なものではなく、内在する神をこのように経験するものだけに明白である。調整者の意識は、真実の知的な受け入れ、善の超心の認知、人格の愛することへの動機に基づいている。
科学は、物質界を発見し、宗教は、それに価値を見極め、哲学は、宗教的、精神的な概念で科学的、物質的な観点を調整すると共に、その意味を解釈しようと努力する。しかし歴史は、科学と宗教が、決して完全に同意しないかもしれない分野である。
科学と哲学の双方は、それぞれの理由と論理によって神の確率を呈するかもしれないとはいえ、精神に導かれる個人的な宗教経験だけがそのような崇高で、人格的な神格の確実性を確言することができる。生ける真実のそのような具体化の方法によって神の可能性の哲学的仮説は宗教的な現実となる。
神の確実性の経験に関する混乱は、別々の個人による、また異なる人種によるその経験の異なる解釈と関係から生じるる。神の経験は、完全に有効であるかもしれないが、神に関する論説は、知的かつ哲学的で、互いに異なりしばしば紛らわしく誤っている。
善良で高潔な男性は、この上なく妻を愛しているかもしれないが、夫婦愛の心理について完全に納得のいくように筆記試験に合格はできない。配偶者に愛を持たない別の男性は、最も満足するようにそのような試験に合格するかもしれない。最愛の者の本質に対しての恋人の洞察の欠点は、いささかもその愛の現実、あるいは誠意を取り消しにはしない。
人が本当に神を信じる—信仰により神を知り神を愛する—ならば、科学の疑いの仄めかし、論理のあら捜し、哲学の公理、または神なしで宗教をつくる善意の者達の賢明な提案によってそのような経験の現実が、多少なりとも減じられたり、損なわれるようなことを許してはならない。
神を知る宗教家の確実性は、疑う唯物論者の不確実さにより妨害されてはならない。むしろ、不信心者の不確実さが、経験ある信者の深遠な信仰とゆるぎないい確実性により激しく疑問が呈されるべきである。
哲学は、科学と宗教双方にとり最大に役に立つために、物質主義と汎神論双方の両極端を避けるべきである。ただ人格の現実を認識する哲学のみ—変化における恒久性—が、人への道徳的な価値であり得る、つまり、物性物理学と精神的宗教の理論との間の繋ぎとして役立つことができる。顕示は、進化する哲学の弱さに対する補償である。
神学は、宗教の知的な内容を扱い、形而上学(顕示)は哲学的な局面を扱う。宗教経験は、宗教の精神的内容である。宗教の知的な内容からくる神話の突飛な考えや心理的幻想にもかかわらず、誤った形而上学と自己欺瞞の方法、宗教の哲学的内容に関する政治上的な歪曲と社会経済の悪用、個人の宗教の精霊的経験は、依然として本物で有効のままである。
宗教は、単に考えだけではなく感じること、行動すること、生きることに関係がある。考えることは、 物質生活に一層密接に関係があり、理性と科学の事実により完全にではなく支配され、そして精霊の領域に向けその非物質的な到達においては真実により支配されるべきである。人の神学がいかに非現実的であり、かつ間違いであろうとも、人の宗教は、完全に信憑性があり、永遠に本当であるかもしれない。
仏教は、この信仰が、展開するにつれ神不在のままでとどまりはしなかったが、その元の様式において、ユランチアのすべての進化的歴史に起きた神のいない最良の宗教の1つである。信仰を伴わない宗教は、矛盾というものである。神をもたない宗教は、哲学的矛盾であり、知的な不条理というものである。
自然宗教の不思議で神話的生まれは、後の啓示的宗教の現実と真実、そしてイエスの宗教の完全な救済の福音を無効にはしない。イエスの人生と教えは、魔法の迷信、神話の幻想、伝統的な教条主義の束縛を宗教から最終的に剥ぎ取った。しかし、この初期の魔法と神話は、超物質の価値と存在体の存在と現実を仮定することによって、後の、優れた宗教の下地をつくった。
宗教経験は、純粋に精神的な主観的現象であり、そのような経験は宇宙における目的現実の最も高い領域に向けての積極的で生きた信仰態度を包含する。宗教哲学の理想は、無条件に人に宇宙の中の宇宙の無限の父に対する絶対的愛に依存させるそのような信仰-信用である。そのような本物の宗教経験は、理想主義的な願望の哲学の対象化をはるかに越える。それは実は救済を当然のこととし、楽園の父の意志を知り行動に移すことにのみ関心を持つ。そのような宗教の目印は、次の通りである。崇高なる神への信仰、永遠の生存の望み、愛、特に人間の仲間への愛。
神学が宗教を克服するとき、宗教は死ぬ。それは、人生になる代わりに主義になる。神学の使命は、単に個人の精神的経験の自意識を容易にすることである。神学は、宗教の経験に基づく主張を定義し、明確にし、解義し、正当化する宗教的な努力を構成し、最後の分析において、生きた信仰だけによって有効にできる。宇宙のより高度の哲学においては、知恵は、理性と同じように、信仰に同盟するようになる。理性、知恵、信仰は、人間の最高度の到達である。理由は、人を事実の世界に、すなわち事象の世界に導く。知恵は、真実の世界に、関連性に導く。信仰は、神性、精神的経験の世界に先導する。
理性が機能し、完全な哲学の限界に知恵で続く限り、信仰は、快く理性をもたらす。次に、それは、あえて真実の唯一の仲間との限りなく果てしない宇宙旅行に飛び立つ。
科学(知識)は、理性は有効であるという、宇宙は理解されることができるという固有の(精霊の補佐)に基づいている。哲学(統一的理解)は、知恵は有効であるということ、物質的宇宙は精神的宇宙に調整できるという生来の(知恵の精神)仮定に基づいている。宗教(個人の精神的経験の真実)は、信仰は有効であるということ、神は知ることができ、また達することができるという固有(思考調整者)の仮定に基づいている。
人間の一生の現実の完全な実現は、理性、知恵、信仰のこれらの仮定を信じていたいという進歩的意欲にある。そのような人生は、真実に動機づけされ、愛に支配されるものである。そして、これらは、存在が物質的に示されることができない客観的な宇宙現実の理想である。
理由が、一度善と悪を認識すると、それは知恵を示す。知恵が善と悪、真実と誤りのいずれかを選ぶとき、それは精神の先導を示す。このようにして、心、魂、精神が、密接に結合され、機能上、相互に関係づけられる。理由は、事実に基づく知識に対処する。知恵は哲学と顕示に対処する。信仰は生き生きとした精神的経験にに対処する。人は真実を通し、美に達し、精神的な愛によって善に向かって昇る。
信仰は、単に神性の神秘主義的感情に向けてではなく、神を知ることに導く。信仰は、その感情的結果から影響を受け過ぎてはならない。心の宗教は、感情の満足と同様に、知ることと信じることの経験である。
精神的内容に比例する宗教経験には現実があり、またそのような現実は、理由、科学、哲学、知恵、および人間の他のすべての業績を超越している。そのような経験の確信は、難攻不落である。宗教生活の論理は明白である。そのような知識の確実性は超人的である。その満足感は見事に神性であり、勇気は不屈であり、献身は疑いがなく、忠誠は最高であり、将来の目標は決定的—永遠で、究極で、普遍的—である。
[ネバドンのメルキゼデクによる提示]
啓示的宗教の三位一体の概念は、進化的宗教の3結合体の信念と混同されてはならない。3結合体についての考えは、多くの示唆的関係から生じたが、主としては指の3つの関節からきたものである。というのも、丸椅子の3本の足は、椅子を安定させることのできる最少の数であったからであり、3支点は、天幕を維持することができた。さらに、原始人は、長い間、3以上数えることができなかった。
過去と現在、昼夜、寒暖、男女などの特定の自然の対句は別として、人は、一般的に3結合体で考える傾向がある。昨日、今日、明日。日の出、正午、日没。父親、母親、子供。万歳三唱は勝者に送られる。死者は3日目に埋葬され、幽霊は、水の3つの沐浴で宥められる。
人間の経験のこれらの自然の関係の結果として、3結合体は、宗教にその姿を見せ、そしてこれは、ずっと以前、神格の楽園の三位一体、あるいはそれらの代表のどれでも人類に明らかにされていた。後に、ペルシア人、ヒンズー教徒、ギリシア人、エジプト人、バビロニア人、ローマ人、スカンジナビア人には皆、3結合体の神がいたが、これらは、本当の三位一体ではなかった。3結合体の神にはすべて自然な起源があり、また、ユランチアの聡明な民族のほとんどに、しばしば現れた。時おり、進化的3結合体の概念は、啓示された三位一体の概念と混同されるようになった。これらの例において、1つと他を区別することはしばしば不可能である。
楽園の三位一体の理解へつながるユランチアの最初の顕示は、50万年前のカリガスティア王子の部下によってなされた。この最も初期の三位一体概念は、惑星反逆後、不安定な時代に世界から消えた。
三位一体の2番目の提示は、第一と第二の園でアダームとハヴァーによってなされた。これらの教えは、およそ3万5千年後にメルキゼデクのマキヴェンタの時代にさえ全く抹消されてはいなかった。なぜならセース人の三位一体概念は、メソポタミアとエジプトの2個所に、しかも特定すると、よりインドにおいて存続し、それは、そこでアグニ、3つの頭をもつベーダの炎の神の中に存続した。
三位一体の3番目の提示は、メルキゼデクのマキヴェンタによってなされ、この教理は、シャレイムの賢人が胸当てにつけていた3同心円により象徴された。しかし、マキヴェンタは、パレスチナのベドゥイン族に宇宙なる父、永遠なる息子、無限なる精霊について教えることは非常に難しいとわかった。弟子のほとんどは、三位一体が、ノーランティアデクの3名のいと高きものから成ると考えた。少数の者は、三位一体を体制君主、星座の父、また地域宇宙の創造者たる神格として想像した。それでも少数の者達は、父、息子、精霊の楽園の関連性をわずかに理解したに過ぎなかった。
三位一体に関するメルキゼデクの教えは、シャレイム宣教師の活動を通してユーラシアと北アフリカの多くの中で徐々に広がった。二つの概念がある程度まで混合し融合するとき、後のアンド系とメルキゼデク時代以後の3結合体と三位一体の見分けは、大抵の場合難しい。
三位一体の概念は、存在、知性、喜びとしてヒンズー教徒の間に根づいた。(後のインドの概念は、婆羅門、シーヴァとヴィシュヌであった。)初期の三位一体の描写は、セース人司祭によってインドに持たらされたが、後の三位一体の考えは、シャレイム宣教師によって取り込まれ、インド出身の識者によりこれらの主義を進化の3結合体概念で倍加させることを通してを発展した。
仏教徒の信仰は、三位一体主義の本質の2つの教義を開発した。以前のものは、教師、法、同胞関係であった。それは、釈迦による提示であった。後の考えは、仏陀の信奉者の北部集団の間で発達し、崇高なる君主、聖霊、肉体化の救世主を含んだ。
ヒンズー教徒と仏教徒のこれらの考えは、本当の三位一体主義の公理、すなわち一神教の神の三段構えの顕現の考えであった。真の三位一体概念は、3人の別々の神の集まりであるだけではない。
ヘブライ人は、メルキゼデクの時代のケニ人の伝統から三位一体を知ってはいたものの、一神への、ヤハウェへの一神教信者の熱意は、イエス出現時までにはそのようなすべての教えをおおい隠してしまったので、エロヒーム教理は、ユダヤ教の神学から実質的に根絶されてしまった。ヘブライの心は、三位一体主義の概念と唯一の君主、イスラエルの神への一神教の思考体系と折り合いをつけることができなかった。
イスラム信仰の信奉者は、同様に三位一体の考えを理解しなかった。多神教に阻まれるとき、三位一体を許容することは、新興の一神教にとり常に難しい。三位一体の考えは、安定した一神教の伝統を教義上の順応性に結合させておくそれらの宗教を最もよく把握する。偉大な一神教信者であるヘブライ人とイスラム教徒は、多神教の3柱の神、そして神格と人格の三位一体の顕現に存在する1神格の崇拝である三位一体の崇拝との区別に困難を感じた。偉大な一神教信者であるヘブライ人とイスラム教徒は、3柱の神、多神教の崇拝と三位一体の崇拝、神格と人格の三位一体の顕現に存在する1つの神性の崇拝を区別することに困難を感じた。
イエスは、楽園の三位一体の人格に関する真実を使徒に教えたが、使徒は、イエスが、比喩的に、また象徴的に話したと考えた。ヘブライの一神教で育てられた使徒には、ヤハウェの支配的概念に相反するようないかなる思考体系も受け入れることは困難であった。また、初期のキリスト教徒は、三位一体の概念に対しヘブライの偏見を引き継いだ。
キリスト教の最初の三位一体は、アンチオケで公布され、神、その言葉、その叡智から成っていた。パウーロスは、父、息子、精霊の楽園の三位一体について知っていたが、それについての説教は滅多にせず、新たにできている教会宛てのほんの幾つかの手紙でそれに言及をした。その時でさえ、パウーロスは、仲間の使徒達と同様に、イエス、地域宇宙の創造者たる息子を神性の第二の人格、すなわち楽園の永遠の息子と混同した。
キリスト後の1世紀終盤近くに認められ始めた三位一体のキリスト教の概念は、宇宙なる父、ネバドンの創造者たる息子、サルヴィントンの神性の聖職者—地域宇宙の母なる霊と創造者たる息子の配偶者—から成った。
イエスの時代以来、楽園三位一体の事実上の同一性は、(それが特に明らかにされた幾人かの個人以外は、)これらの啓示的公開の提示までユランチアでは知られていなかった。しかし、三位一体のキリスト教の概念は、事実上誤ちを犯したが、それは、精神的な関係に関しては実際に本当であった。この概念は、単にその哲学の含みと宇宙の因果関係においてのみ困惑を経験した。神格の第二の人格、三位一体の第2構成員が、かつてユランチアに住んだということを信じることは、宇宙的考え方をする多くの者にとっては困難なことであった。またこれは、精神面において本当であるが、現実には、それは事実ではない。マイケルの創造者等は、永遠なる息子の神性を完全に具体化するが、絶対的人格ではない。
一神教は、多神教の矛盾に対する哲学的抗議として起こった。それは、まず、超自然的な活動の部門細分化をもつ神殿組織を通して、それから多くの神の上の1柱の神の単一神教の高揚を通して、ついには最終的な価値の唯一なる神のみを通して発達した。
三位一体主義は、無関係な宇宙重要性の非擬人化された単独の神格の単一性を考えることができないことに対する経験の抗議から起こる。十分な時間があれば、哲学は、純粋な一神教の神格概念から人格的特性を取る傾向があり、その結果、無関係な神についてのこの考えを汎神論的な絶対の位置にまで下げる。他の人格存在体や統一された人格存在体とは質的に関係を持たない神の人格の本質を理解することは、つねに難しいことであった。神格の人格は、そのような神格が、他の、そして対等の人格を持つ神格に関して存在するにということを要求する。
人の心は、三位一体概念の認識により時-空間の創造における愛と法の相互関係の何かをつかむことを望むことができる。人は、精神的な信仰により神の愛への洞察を得るが、この精神的信仰は、間もなく物質界の定められた法には何の影響も持たないと気づく。楽園の父としての神への人の信仰の堅さの如何にかかわらず、彼は、拡大している宇宙の眺望が、普遍の法として楽園の神格の現実を認めるということ、つまりかれは、楽園から外へ延びている、そしてその神格統一が事実であり、現実であり、永遠の不可分性の楽園三位一体である永遠の人格3者である創造者たる息子と創造者たる娘の進化する地域宇宙さえ曇らせる三位一体の主権を認識するということを要求する。
この同一の楽園三位一体は、本当の実体—人格ではないが、それにもかかわらず、真実の、絶対の現実—である。人格ではないが、それにもかかわらず、共存する人格—父、息子、そして精霊の人格—と一致する。 三位一体は、楽園の神格3者の結合からなる神格の現実である。三位一体の性質、特性、機能は、楽園神格3者の属性の単純な合計ではない。三位一体の機能は、何か独特で、独創的であり、父、息子、精霊の属性の分析から全く予測できないものである。
例えば:あるじは、地上にあるとき、正義が決して個人的行為ではないということを追随者に訓戒した。それは常に集団機能である。人格として、神々も、裁かない。しかし、集合的な全体として、楽園の三位一体としてまさしくこの機能を実行する。
父、息子、聖霊の三位一体の連合の概念上の把握は、特定の他の三重の関係のさらなる提示のために人間の心に準備をさせる。神学上の根拠は、楽園の三位一体の概念で完全に満たされるかもしれないが、哲学的、そして宇宙論的根拠は、第一根源と中枢の他の3結合の関連性、すなわち無限者が、宇宙顕示—原動力、エネルギー、力、原因、反応、可能性、現実性、重力、緊張、型、原則、および統一の神の関係—の父ではない様々な受容能力において機能するそれらの3結合体の認識を要求する。
人類は、時として神格の3名の三位一体の理解をしてきたが、一貫性は、人間の知力が、7絶対すべてと特定の関係があると認めることを要求している。しかし、楽園の三位一体にとって真実であるそのようなものすべてが、必ずしも3結合体にも真実であるというわけではない。3結合体とは、三位一体以外の何かであるので。特定の機能的な局面において、3結合体は、三位一体に類似しているかもしれないが、それは、決して本質的には三位一体に相応しない。
必滅の人間は、広がる眺望とユランチアに関する概念を拡大して長い時代を通過しており、またその宇宙哲学は、人間の思考の知的な活動領域の拡大と足並みを揃えるために進化において加速しなければならない。人間の宇宙意識が広がるにつれ、人は、その物性物理学、知的哲学、および精神的洞察に見い出す総ての相関性に気づく。さらに、宇宙統一に対するこのすべての信念において、人は、すべての存在の多様性に認める。神格の不変性に関するすべての概念にもかかわらず、人は、不断の変化と経験の成長をする宇宙に住んでいると認める。人は、精神的な価値の存続の認識にかかわらず、原動力、エネルギー、力の数学と前数学を考慮に入れなければならない。
何らかの方法で、無限の永遠の充満は、進化している宇宙の時間-成長、そしてそれらの宇宙の経験的な住民の不完全さと一致しなければならない。何らかの方法で、全無限に関する概念は、人間の識者とモロンチア魂が、究極的価値と精霊化する重要性に関するこの概念を理解できるように区分され、明示されなければならない。
理性が宇宙現実の一神教的統一を要求する傍ら、有限の経験は、複数の絶対者の、そして宇宙関係における各連携の仮定を必要とする。調和した存在なくしては、絶対の関係の多様性の出現の可能性はなく、差異、可変、変更、減衰、限定、または減少の見込みもない。
これらの論文においては、全体の現実(無限)は、それが7絶対者に存在していると提示されてきた。
1. 宇宙なる父
2. 永遠なる息子
3. 無限の精霊
4. 楽園の小島
5. 神格絶対者
6. 宇宙の絶対者
7. 無条件絶対者
永遠なる息子にとっての父である第一根源と中枢は、楽園の小島にとっての型である。かれは、息子においては無条件の人格であるが、神格絶対者においては可能にされる人格である。父は、楽園-ハヴォーナで明らかにされるエネルギーであると同時に、無条件絶対では隠されたエネルギーである。無限なるものは、宇宙の絶対者の補正の、だが包み隠された活動で永遠に機能し、結合活動者の絶えざる行為でつねに明らかにされる。このように父は、6名の調和した絶対者に関連しており、このように、7名全てが、永遠の終わりのない循環全体に渡って無限の円を取り囲むのである。
絶対関係の3結合体は回避不能であるらしい。人格は、他のすべての段階はもちろん絶対段階での人格の繋がりを追求する。そして楽園の3人格の繋がりは、第一の3結合体、すなわち父、息子、精霊の人格結合を永遠化する。これらの3人格が、人格として連合的な機能のために結合する時、かれらは、機能的統一の3結合体、三位一体—有機的実体—ではないが、それでもなお三段構えの集合体の機能的合意をそれによって構成する。
楽園の三位一体は、3結合体ではない。それは機能的合意ではない。むしろ、それは分裂してはおらず、分割できない神格である。父、息子、精霊(人格として)は、三位一体が、それぞれの分裂していない神かくであるがゆえに、楽園三位一体との関係を継続することができる。父、息子、精霊は、3人格としての機能的結合であることから、最初の3結合体とのそのような人格関係を維持しない。三位一体だけとして—分裂していない神格として—かれらは、人格集合体の3結合体との外部の関係を全体的に支える。
このように楽園の三位一体は、絶対の関係の間において独特な立場にあり、いくつかの実存的な3結合体があるが、実存的な三位一体は一つしかない。3結合体は実体ではない。それは、有機的であるよりもむしろ機能的である。その構成員は、協力的であるよりもむしろ仲間である。3結合体の構成要素は、実体であるかもしれないが、3結合体自体は、連合というものである。
しかしながら、三位一体と3結合体の間には1つの比較する点がある。双方ともに構成要員の認識できる全属性以外の何かである機能に行きつく。しかし、機能的な見地からこのように相当する一方、その他の点では双方ともに、明確な関係を示さない。それらは、構造への機能の関係として大雑把に関連がある。しかし、3結合体連合の機能は、三位一体体制、あるいは実体の機能ではない。
それにもかかわらず、3結合体は、本当である。かれらは、非常に本物である。現実のすべては、3結合体において機能的にされ、そして宇宙なる父は、3結合体を通じて無限のあるじの機能への直接の個人的調整を行使するのである。
7つの3結合体の説明を試みるにあたり、注意は、宇宙なる父がそれぞれの第一構成員であるという事実に向けられる。宇宙なる父は、今いて、過去にもいて、またずっといるであろう。宇宙なる父の第一根源、絶対的中枢、第一原因、宇宙の統制者、無限の活力者、最初の統一、無条件の擁護者、神格の第一人格、宇宙の根本の型、および無限の本質。宇宙なる父は、絶対者の人格的原因である。絶対者の中の絶対者である。
7つの3結合体の本質と意味は、次のように示すことができるかもしれない。
第一3結合体—人格-目的の3結合体。これは、神格の3人格の集団である。
1. 宇宙なる父
2. 永遠なる息子
3. 無限の霊
これは、愛、慈悲、奉仕、の三重の結合—永遠の楽園の3人格の目的をもつ人格の繋がり—である。。これは、神々しく兄弟らしく、被創造物を愛し、父親らしく振る舞い、そして、上昇を促進する繋がりである。この第一の3結合体の神性人格は、人格を遺贈し、精神を与え、心を授ける神である。
これは無限の意志の3結合体である。それは、永遠の現在を通して、また時間の過去-現在-未来の流れの全てにおいて行動する。この繋がりは、無限の意志をもたらし、それによって人格の神格が、進化する宇宙の被創造物への自己天啓になる仕組みを提供する。
第二の3結合体—力の型の3結合体。最小の物質組織から最大の物質組織まで、それは、小究極子、燃える星、または渦巻く星雲、中央、あるいは超宇宙でさえあることにかかわらず、いつも3結合体の機能に由来するこの物理的な型—宇宙構成—である。
1. 父-息子
2. 楽園の小島
3. 連合活動者
エネルギーは、第三根源と中枢の宇宙代行者により組織される。エネルギーは、楽園の型、絶対の具体化に基づいて作成される。しかし、この絶え間ない操作のすべての後に、その結合が、無限の精霊、結合活動者の誕生に伴うハヴォーナの同時の出現における楽園の型を最初に起動させた父-息子の存在がある。
宗教経験において、被創造者は、愛である神に接触するが、そのような精神的洞察は、楽園である事実の宇宙の型の知的認識を決しておおい隠してはいけない。楽園の人格は、神性の愛の無視できない力によってすべての被創造者の自由意志の崇敬を得て、そのような精神生まれのすべての人格を神の終局者の息子の果てしない奉仕からの天上の喜びに導く。第二の3結合体は、これらの事象が展開する空間舞台の建築家である。それは、宇宙構成の型を決定する。
愛は、第一の3結合体の神性を特徴づけるかもしれないが、型は第2の3結合体の星雲の顕示である。第一の3結合体が進化宇宙に関係するものが、第二の3結合体が発展する宇宙に関係している。型と人格は、第一根源と中枢の行為の2つの巨大な顕示である。そして、いかに理解し難くとも、それでもなお、力の型と情愛深い人格は、一つであり同じ宇宙の現実である。楽園の小島と永遠なる息子は、宇宙なる父の根源力の測り知れない自然の調和はしているものの正反対の顕示である。
第三の3結合体—精霊-進化の3結合体。精霊的な顕現の全体のその始まりと終わりがこの繋がりにある。次なるものを有して。
1. 宇宙なる父
2. 息子-精霊。
3. 神格絶対者
精霊の可能性から楽園の精霊まで、すべての精霊は、父の純粋な精霊本質のこの三位一体の繋がりに、息子-精霊の活動的な精神的価値に、そして、神格絶対者の無制限な精神の可能性において現実表現を見い出す。。精神の実存的価値は、この3結合体にそれぞれの原始の起源、完全な顕現、最終的な目標を持っている。
父は、精神に先立って存在する。息子-精霊は、活発な創造的な精神として機能する。神格絶対者は、精神をすべて包含し、霊を超えてさえも存在している。
第四の3結合体—エネルギー無限の3結合体。この3結合体の中で、空間からモノタまでの総てのエネルギー現実の始まりと終結末を永遠化する。この集団は、次を包含する。
1.父-精霊
2.楽園の小島
3. 無条件絶対
楽園は、宇宙の原動力-エネルギー起動の中心—第一根源と中枢の宇宙の位置、無条件の絶対の宇宙の焦点、および総エネルギーの源—である。この3結合体の中に実存的に存在しているのは、壮大な宇宙と主たる宇宙が部分的な顕現に過ぎない宇宙無限のエネルギーの可能性である。
第四の3結合体は、絶対的に宇宙エネルギーの基本単位を支配し、変化している宇宙を管理し、安定させる準絶対的能力の経験の神格における出現に正比例して無条件の絶対の握りから開放する。
この3結合体は、原始力とエネルギーである。無条件絶対者の無限の可能性は、楽園の小島の絶対的物質の周りに集中しており、無条件のそれ以外は、静的休止の想像もおよばない揺れを発散している。そして、無限宇宙の楽園の物質の中心の絶え間ない鼓動は、無限の活性者、第一根源と中枢の測り難い型と探り当てられない計画と調和して脈打っている。
第四の3結合体—反応無限の3結合体。この繋がりは次から成る。
1. 宇宙なる父
2. 宇宙の絶対
3. 無条件絶対
この集団は、非神格現実の領域内で実現可能であるすべての機能的な無限の実現の永遠化をもたらす。この3結合体は、他の3結合体の意志、原因、緊張、そして型の行動と臨場への無制限の反応能力を明らかにする。
第六の3結合体—宇宙的に関連している神格の3結合体。この集団は次から成る。
1. 宇宙なる父
2. 神格絶対者
3. 宇宙の絶対者
これは、宇宙の中の神格、すなわち神格の超越と連携した神格の内在、の関係である。これは、神性化された現実の領域の外にあるそれらの現実に向けての無限の段階における神性の最後の援助活動である。
第七の3結合体—無限の統一の3結合体。これは、時と永遠における、現実と永遠の調和の統一における機能上明白な無限の統一である。この集団は次から成る。
1. 宇宙なる父
2. 結合活動者
3. 宇宙の絶対者
結合活動者は、有限から超自然までの顕現の全段階における顕在化されたすべての現実の異なる機能的な局面をあまねく統合する。宇宙絶対は、活動的-意志の、また原因となる神格現実の限りない可能性から無条件絶対の理解不可能な領域における静的、反応的、非神格の無限の可能性までのすべての不完全な現実の異なる局面において固有の差異を完全に補正する。
結合活動者と宇宙絶対者は、この3結合体において機能するように、神格に、そして非神格の臨場に対し同様に反応し、またこの関係においてどの点から見ても私はあるからは概念的に見分けのつかない第一根源と中枢もまた同様に反応する。
これらの近似は、3結合体の概念を解明するには十分である。人は、3結合体の究極段階を知ることなく、最初の7組を完全に理解することはできない。これ以上の詳述の試みが賢明であるとは考えないが、我々は、第一根源と中枢の15組の3結合体の繋がりがあると述べることができ、そのうちの8組は、これらの論文では明かされていない。こ明かされていないれらの繋がりは、至高の経験的段階を超えてある現実、実在、および可能性に関係がある。
3結合体は、無限の機能的なはずみ車、つまり無限の七絶対者の独自性の統一である。7絶対者への無限の多様化にもかかわらず、機能的な無限の統一を経験することは、父-私はあるを可能にする3結合体の実存的な存在である。第一根源と中枢は、統一されるすべての3結合体の構成員である。万物は、彼にあるすべて事物は、それぞれの無条件の始まり、永遠の存在、無限の運命があり、「万物は彼にあって成り立っている。」
これらの繋がりは、父-私はあるの無限を増大することはできないとはいえ、それらは、実にその現実の準無限と準-絶対の顕示を可能にするように見える。七つの3結合体は、多様性を拡大し、新たな深さを永遠化し、新価値を神格化し、新価値を明らかにし、新たな意味を浮き彫りにする。そして、時と空間における、また永遠の宇宙におけるこれらのすべての様々な顕現は、 私はあるの最初の無限の仮定的停滞で存在する。
構成上は父を含まない特定の3結合体の関係があるが、それらは、真の3結合体ではなく父の3結合体とは常に区別される。それらは、準3結合体、調和の3結合体、3名組みとさまざまに呼ばれている。それらは、3結合体の存在の結果である。これらの繋がりのうち2組は次のように構成される。
現実の3人組。この3人組は3名の絶対実存の相互関係で成る。
1. 永遠なる息子
2. 楽園の小島
3. 結合活動者
永遠なる息子は、精神現実の絶対者、つまり絶対人格である。楽園小島は、宇宙現実の絶対、つまり絶対の型である。結合活動者は、心の現実の絶対者、精神の絶対現実の調和、そして人格と力の実存的な神格の統合である。この3結合体の繋がりは、顕在化された現実の総和の調和—精神の、宇宙の、または心の現実—に終わる。それは実際には無条件である。
可能性の3人組。この3人組は、可能性の3絶対者の繋がりにある。
1. 神格絶対者
2. 宇宙の絶対者
3. 無条件絶対者
すべての潜在的エネルギーの—精霊の、心の、宇宙の—現実の無限の貯蔵所は、このように、相互に繋がっているのである。この繋がりは、すべての潜在的エネルギー現実の統合をもたらす。それは可能性において無限である。
3結合体が、主として無限の機能的な統一に関係があり、三人組も、ちょうど同じように経験的神格の宇宙の実現に関与している。3結合体は間接的に関係があるが、三人組は、経験的神性に直接的に関係がある。—崇高の、究極の、絶対の経験的神格。彼らは、崇高なるものの新興の力-人格の統合に現れる。そして、空間の時間の生物にとって崇高なるものは、私はあるの統一の顕示である。
[ネバドンのメルキゼデクによる提示]
宇宙の有識者の高位集団にとってさえ、無限は、ただ部分的に理解できるのであり、また、現実の終局性は、相対的に理解できるに過ぎない。人間の心は、本当であると言われるすべての起源と未来の目標の永遠-神秘を理解しようとするとき、一つの絶対的原因によって生み出され、また、無限の多様化のこの宇宙循環によって機能し、未来の目標の何らかの絶対、かつ無限の可能性をずっと求めているほとんど無限の楕円として永遠-無限を発想することにより問題への助けとして近づくかもしれない。
人間の知性が、現実全体の概念を理解つかもうとするとき、そのような有限の心は、無限の現実と直面する。現実全体は、無限であり、したがって概念的容量において準無限であるいかなる心によっても、決して完全に理解されることはない。
人間の心は、永遠生存の十分な概念をほとんど形成できないし、また、そのような理解なくしては現実全体の我々の概念さえ描くことは不可能である。それでもやはり、我々の概念は、人間の心の理解の段階への翻訳-変更中に、深刻な曲解を免れないことを百も承知をしているが、我々は、そのような提示を試みるのである。
宇宙の哲学者は、宇宙なる父が、無限の、永遠の、そして絶対の私はあるとして機能している無限における絶対第一の原因であると断定する。
この概念は、意味の重大な歪みと価値の誤解をもたらすほどに、人間の経験上の理解からは甚だかけ離れていることから、提示に付随する多くの危険的要素が、無限の私はあるに関するこの考えの人間の知力にはある。にもかかわらず、私はあるの哲学的概念は、有限存在体に絶対の起源と無限の目標の部分的な理解への企てた接近に何らかの根拠を提供する。しかし、すべての人格的意味と価値において神格の第一人格と同義である私はあるのこの概念は、現実の創始と結実を明らかにする我々のすべての試みにおいて、すべての人格の宇宙なる父と同義であるということを明確にさせなさい。しかし、私はあるのこの公理は、宇宙の現実の非神格化の領域においてはそれほど明確に特定可能ではない。
私はあるは無限者である。私はあるは無限でもある。連続的、かつ時間的観点から、すべての現実は、過去の無限の永遠におけるその孤独な存在が、有限の生物の最初の哲学的仮な仮定でなければならない無限の私はあるにその起源がある。私はあるの概念は、無条件の無限、つまりこれまでにすべてが無限の永遠でありえたすべての未分化の現実を暗示している。
私はあるは、実存的な概念として神格化も非神格化もされておらず、現実性でも可能性でもなく、人格的でも非人格的でもなく、また静的でも動的でもない。私はあるということを述べる以外、何の限定も無限者に適用されることはできない。私はあるに関する哲学的な仮定は、無条件絶対者のそれよりもいくらか理解し難い宇宙概念である。
有限の心には始まりとういうものが、単純になければならないのだが、現実には決して本当の始まりはなく、依然として現実が無限に明らかにする特定の起源の関係がある。前現実の、根本の永遠の状況は、次のように考えられるかもしれない。一種の無限に遠く、仮定的、過去-永遠の瞬間に、私はあるは、ものして、またものとしてではない双方として、つまり原因と結果の双方として、意志と応答の双方として考えることができる。この永遠の仮定的な瞬間に、すべての無限を通して何の区別もない。無限は、無限によって満たされる。無限者は無限を含む。これは永遠の静止の瞬間である。現実は、それぞれの可能性の中にまだ包含されており、可能性は、まだ私はあるの無限の中に現れていない。しかし、この推測された状況でさえ、我々は自己-意志の可能性の存在を前提条件としなければならない。
宇宙の父に対する人の理解は、個人的経験であるということをずっと覚えていなさい。神は、あなたの精神の父として、あなたに、そして他のすべての死すべき者にとって理解できる。しかし、あなたの宇宙なる父に対する経験の、かつ信心深い概念は、第一根源と中枢、つまり私はある、の無限に対するあなたの哲学的公理よりも常に下でなければならない。父について話すとき、我々は、彼の創造である高等と下等の両方の生き物が理解できるような神を指しているが、宇宙生物には理解できない神格についてさらに多くのことがここにある。あなたの父であり私の父である神は、我々が、実際の経験の現実としての人格に知覚する無限者のその局面であるが、私はあるは、我々が、いつも第一根源と中枢について知り得ないと感じるすべての我々の仮説のままである。そして、その仮説でさえ、おそらくは本来の現実の底知れない無限にははるかに及ばないのである。
しかし、宇宙の中の宇宙は、その無数の居住する人格集団とともに、広大で複雑な有機体であるが、第一根源と中枢は、その意図的な命令に応じて現実になった宇宙と人格よりもはるかに複雑である。あなたが主たる宇宙の大きさの畏敬の中に立つとき、この思いもよらない創造でさえ無限者の部分的顕示でしかないと考えるために立ち止まって注意を払いなさい。
無限は、人間の理解の経験段階からは本当に掛け離れてはいるが、ユランチアのこの時代にさえ無限についてのあなたの概念は拡大しており、それは、将来の永遠へと伸び続けるあなたの無限の経歴の中で成長し続けるであろう。無条件の無限は、有限の生物には無意味であるが、無限は、自己制限ができ、宇宙生存のすべての段階に現実表現が可能である。そして、無限者がすべての宇宙人格に向ける顔は、父の顔、愛の宇宙の父である。
現実の起源を考慮する際、すべての絶対現実は、永遠からあり、またその存在の始まりは無しであるということを心に留め置きなさい。我々は、3神格の実存的人格、楽園の小島、そして3絶対者を絶対の現実によって言及する。我々は、人間にかれらの連続した起源を提示する際に時間宇宙の言語を用いるにもかかわらず、これらの7現実は、対等に永遠である。
現実の起源の年代順の描写に続き際、「最初の」意志表現と「最初の」波及的反応の仮定された理論的な瞬間が、私はあるの中になければならない。現実の起源と発生を描写する我々の試みにおいて、この段階は、無限からの無限なる者の自己分化として着想されるかもしれないが、この二元的関係の公理は、つねに私はあるの無限者の永遠の連続についての認識によって三位一体概念に拡大されなければならない。
私はあるのこの自己変化は、神格化現実と非神格化現実、潜在的かつ実際の現実、それにほとんどそのようには分類できない他の特定の現実の多重分化に達する。理論上の一元的な私はあるのこの分化は、同じ私はある—前可能性、前現実性、前人格性、一神の前現実性—の中に起こる同時の関係によって永遠に統合される。前現実性は、無限ではあるが、第一根源と中枢の臨場における絶対として、また、宇宙なる父の限りない愛における人格として明らかにされる。
これらの内部の変化により、私はあるは、7重の自己関係のための基礎を確立している。単独の私はあるの哲学的(時間の)概念と渦渡的(時間の)概念は、三位一体としての私はあるを七重としての私はあるへと、いま拡大されることができる。この七重の—あるいは7局面の—性質は、無限の七絶対者とからめて最も良く示されるかもしれない。
1. 宇宙なる父。永遠なる息子の父としての私はある。これは現実の第一の人格関係である。息子の絶対の人格は、神の父性の事実を絶対にし、すべての人格の潜在的息子権を設立する。この関係は、無限者の人格を確立し、最初の息子の人格におけるその精神的顕示を達成する。私はあるのこの局面は、我々の父を崇拝するかもしれない生身の人間によってさえ精神的な段階において部分的に経験可能である。
2. 宇宙統制者。永遠の楽園の源である私はある。これは、現実の第一の非個人的な関係、本来の非精神的つながりである。宇宙なる父は、愛としての神である。宇宙統制者は型としての神である。この関係は、形態—構成—の可能性を確立し、非個人的、また非精神的な関係の主な型—すべての摸写が作られる中心的な型—を決定する。
3. 宇宙なる創造者。永遠なる息子とともにいるものとしての私はある。父と息子のこの結合(楽園の臨場における)は、創造的周期を始動し、そして、それは、結合している人格と永遠の宇宙の出現において完成される。有限である人間の観点から、現実は、ハヴォーナ創造の永遠の出現に伴うその真の始まりがある。神格のこの創造的活動は、実際のすべての段階に明らかにされる本質的には父-息子の統一である活動の神により、また活動の神を通してある。したがって、神の創造性は、統一によって絶えず特徴づけられ、また、この統一は、父-息子の二重性と父-息子-聖霊の三位一体の絶対同一性の外への表現である。
4. 無限の支持者。自己結合の私はある。これは、現実の静止と可能性の根本的なつながりである。この関係ではすべての特性と無特性は補填される。私はあるのこの局面は、宇宙なる絶対者—神格と無条件絶対者の統一者—として最もよく理解されている。
5. 無限の可能性。自己特性の私はある。これは、3重の自己表現と自己顕示が達成された私はあるの永遠の意志の自己制限を証明している無限の基準である。私はあるのこの局面は、通常、神格絶対者として理解されている。
6. 無限の可能性。静的に反応している私はある。これは、無限の母体、すべての将来の宇宙拡大のための可能性である。私はあるのこの局面は、恐らく無条件絶対者の超重力存在として発想するのが最も良い。
7. 無限の宇宙なるもの。私はあるとしての私はある。これは、停滞の、もしくは無限の自己関係、つまり無限-現実の永遠の事実と現実-無限の宇宙の真実である。この関係が人格として認識できる限り、それは、全人格の—絶対の人格のさえ—神性の父の中の宇宙に明らかにされる。この関係が非個人的に表現できる限り、それは、宇宙なる父の面前で純粋なエネルギーと精神の絶対的結合として宇宙による接触がある。この関係が絶対的なものとして考えられる限り、それは、第一根源と中枢の優越性で明らかにされる。彼において、空間の生物から楽園の住民までの皆は、生き、動き、存在している。そして、これは、主たる宇宙にとって真実であるように、微小の非妥協的態度にとっても同様で、今そうであり、かつてそうであり、やがてはそうなるものについても同じである。
私はあるの中の主要な関係は、無限の七絶対者として永遠化する。しかし、我々は、連続した物語によって現実の起源と無限分化を描くかもしれないが、実際すべての7絶対者は、無条件に、かつ対等に永遠である。人間の心にとり自分達の始まりを想像することは必要であるかもしれないが、つねにこの概念は、7絶対者には始まりがないという認識により影が薄くされなければならない。かれらは、永遠であり、いつもそういうものであった。7絶対者は、現実の前提である。かれらは、これらの論文で次のように説明された。
1. 第一根源と中枢。神格の第一人格、そして第一の非神格の型、神、宇宙なる父、創造者、統制者、および支持者。宇宙の愛、永遠の精神、無限のエネルギー。すべての可能性の可能性とすべての現実の源。すべての静止の安定性とすべての変化の活力。型の源と人格の父。集合的に、すべての7絶対者は、無限に同等であるが、宇宙なる父自身が、実際には無限である。
2. 第二根源と中枢。神格の第二人格、永遠の、第一の息子。私はあるの絶対人格現実と「私はあるの人格」の認識-顕示のための基礎。いかなる人格も、その永遠なる息子を介する以外には宇宙なる父に達することを望むことはできない。人格もまたすべての人格のためのこの絶対のひな型の行動と援助を切り離しては、存在の精神水準に達し得ない。第二根源と中枢においては、人格は絶対であるが、精霊は無条件である。
3. 楽園の根源と中枢。第2の非神格の型、楽園の永遠の小島。「私はあるの力」の実現-顕示の根拠と宇宙を通した重力支配の確立のための基盤。すべての現実化され、非精霊の、非人格の、無意志の現実に関し、楽園は、型の絶対的存在である。ちょうど精霊エネルギーが母-息子の絶対人格を通して宇宙なる父と関係があるように、すべての宇宙エネルギーは、楽園の小島の絶対の型を通して第一根源と中枢の重力支配において把握される。楽園は空間にはない。空間は楽園に比例して存在し、運動の持続は、楽園との関係を通して決定される。永遠の小島はまったく静止している。他のすべての組織化されたり組織化しているエネルギーは、永遠の運動の中にある。すべての空間では、無条件絶対の存在だけが平穏であり、無条件は、楽園と対等である。楽園は空間の中心に存在し、無条件はそれに充満し、すべての相対的存在がこの領域内に存在する。
4. 第三根源と中枢。神格の第三人格、結合活動者。楽園の宇宙エネルギーと永遠なる息子の精霊エネルギーの無限の統合者。意志の動機と根源力の仕組みの完全なまとめ役。すべての現実の、また、現実化しつつある現実の統一者。無限なる精霊は、同時に無限の操縦者として機能するとともに、その様々な子供の世話を通して、空間のエネルギーに楽園の型を絶えず織り込み、永遠なる息子の慈悲を顕示する。この同一の結合活動者、つまりこの活動の神は、父-息子の限りない計画と目的の完全な表現である。同時に結合活動者自身は、心の源、それに広範囲の宇宙の生物に知力を授ける働きをする。
5. 神格絶対者。宇宙の現実、すべての神格の可能性の全体の原因となる可能性、潜在的に個人の可能性。神性絶対者は、無条件の、絶対の、また非神格の現実の目的ある指定者である。神性絶対者は、絶対の条件者と条件者の絶対化をする者である—目標始動者。
6. 無条件絶対者。静的、反作用的、休止的。私はあるの非顕示の宇宙の無限性。非神格化の現実全体と非人格のすべての可能性の究極性。空間は、無特性の機能を制限するが、無特性の臨場には限界がない、すなわち無限である。主たる宇宙には概念上の外周があるが、無特性の臨場は無限である。永遠でさえもこの非神格絶対者の果てしない静止を使い果たすことはできない。
7. 宇宙なる絶対者。神格化と非神格化の統一。絶対と相対の相互関連体。宇宙なる絶対者(静的、潜在的、連合的)は、絶えず存在するものと未完のものの間の緊張を埋め合わせる。
無限の七絶対者は、現実の始まりを構成する。人間の心がそれに注目するであろうという点で、第一根源と中枢は、すべての絶対的なもに先立つように見えるであろう。しかし、そのような公理は、いかに役立とうとも、息子、精霊、3絶対者、および楽園小島の永遠共存により無効にされる。
絶対者が、私はある-第一根源と中枢の顕現であるということは真実である。これらの絶対者には決して始まりがないが、第一根源と中枢との調和した永遠であるということは事実である。永遠における絶対的なものの関係は、時間の言葉と空間の概念の型における矛盾を巻込むことなくして、必ずしも提示することができるというわけではない。しかし、無限の七絶対者の起源に関するいかなる混乱にも関係なく、すべての現実は、その永遠存在と無限関係に基づくことは、事実でもあり真実でもある。
宇宙の哲学者は、すべての現実の第一の源として私はあるの永遠の存在を仮定する。それに伴ってかれらは、第一の自己関係—無限の7局面—への私はあるの自己分割を前提とする、仮定する。そして、同時にこの想定は、3番目の前提—無限の七絶対者の永遠の出現と私はあるとこれらの7絶対者の7局面の二重性のつながりの永遠化—である。
私はあるの自己顕示は、このようにして静的自己から自己分割と自己関係を経て絶対関係、すなわち自己からの派生の絶対者との関係へと進む。二重性は、その結果、無限の七絶対者と私はあるの自己分割の局面である七重の無限との永遠のつながりにおいて存在するようになる。7絶対者として宇宙を不滅にするこれらの二元的関係は、全宇宙現実のために基本的土台を永遠化する。
統一は、二重性を生み出すということ、二重性は、三重性を生み出ということ、そして三重性は、万物の永遠の先祖であるということは、以前述べられた。いかにも、重大な3種類の根本的関係があり、それらは次の通りである。
1. 統一関係。その統一として私はあるの中に存在する関係は、3重として、そして、7重の自己分化として考えられる。
2. 二重関係。7重としての私はあると無限の七絶対者の間に存在する関係。
3. 三重関係。これらは無限の七絶対者の機能的なつながりである。
三重関係は、絶対なるものの相互関係の必然性から二重性の土台に起こる。そのような三重性は、すべての現実の可能性を不滅にする。それらは、神格化された現実と非神格化された現実を包含する。
私はあるは、統一として絶対的無限である。二重性は、現実の土台を永遠化する。三重性は、宇宙の機能としての無限の実現をもたらす。
前-実存は、7絶対者に実存するようになり、実存は三重性、すなわち絶対者の基本的なつながりにおいて機能的になる。三重性の永遠化と同時に、宇宙舞台が、設定され—可能性は存在し、現実は臨場しており—そして永遠の充満は、宇宙エネルギーの多様化、楽園の精霊の広がり、そして人格の贈与と同時に心の授与を目撃する。その長所によって、これらの神格と楽園の派生物のすべては、生物段階における経験において、そして超生物段階の他の方法により統合される。
私はあるの最初の多様性が、生来の、かつ自己の内なる意志によるものでなければならないのと同様に、有限現実の普及は、楽園の神格の意志行為にあり、機能的な三重性の反応的な調整にあるとされなければならない。
有限の神格化の前に、現実多様化のすべては、絶対段階で起こったように見えるかもしれない。しかし、有限現実を広める意志行為は、絶対性の制限を暗示し、かつ関連性の様子を意味する。
我々はこの物語を連続するものとして提示し、絶対不変の直接の派生物として有限の歴史の様子を描く間、超絶的なもののが、有限であるすべてに先行し、または引き継ぐものの双方が心に留め置かれるべきである。超絶的な究極なるものは、有限に関しては原因でもあり、成就でもある。
有限の可能性は、無限者に固有であるが、可能性と必然性への確率変容は、三重性のつながり全てを起動させている第一根源と中枢の独立的自存の自由意志に起因していなければならない。父の意志の無限性だけが、究極をもたらすか、または有限を作り存在の絶対段階を条件づけることができた。
相対的かつ限定された現実の出現とともに、無限の高さから有限の領域への下方向きの堂々たる一掃、すなわち、つねに無限の源に相応したそれらの高い目標を求め、楽園と神格への内向きへの永遠にゆれる現実の新周期—成長周期—が生まれる。
これらの想像もつかないやり取りは宇宙史の始まりを記す、つまり、時間それ自体の生まれることを記す。有限の始まりは、被創造物にとっては、現実の起源である。被創造物の心によりみられるように、有限なるものに先立ってはいかなる現実性も考えられない。この新たに現れている有限の現実は、本来の2局面に存在している。
1. 第一の最大限、この上なく完全な現実、宇宙と被創造物のハヴォーナの型。
2. 第二の最大限、この上なく完成された現実、被創造物と創造の超宇宙の型。
これらは、その結果、2つの最初の顕現である。本質的に、完全であり、進化的に完成されたもの。2者は、永遠の関係において対等であるが、時間の範囲内においては、一見異なっている。時間の要素は、成長するものにとり成長を意味する。二次的有限体は成長する。したがって、成長しているそれらは、時の領域においては必ず不完全に見える。しかし、楽園のこちら側においては非常に重要であるこれらの違いは、永遠においては実在しない。
我々は第一の最大限を完全なもの、また第二の最大限を完成されたものとして話すが、さらにもう一つの型がある。第一次と第二次間の3結合体化と他の関係は、第三の最大限—いまだ完全でも、また完成もされていないが、両方の先祖の要素と同等である事象、意味、価値—の出現をもたらす。
有限生存の発布全体は、機能的な無限の絶対的つながりにおける可能性から現実への移転を表す。有限の創造的実現への多くの影響のうち、次のようなことが挙げられるかもしれない。
神格反応、経験的な至高の3段階の出現。ハヴォーナの個人の精霊の至高の現実性、将来の壮大な宇宙における個人の力の至高への可能性、そして、未来の主たる宇宙における至高の何らかの段階における心の経験的行為の何らかの未知の機能の可能性。
2. 宇宙の反応は、超宇宙空間の段階の構造上の計画の起動を必要とし、この進化は、7超宇宙の物理的組織化を通してまだ進行している。
3. 有限現実普及への被創造物の波及は、ハヴォーナの永遠の住民のような、そして完成された存在体と7超宇宙からの完成された進化の上昇者のような系列を登場させた。しかし、進化的(時間-創造的)経験として完全性に到達するということは、出発点としての完全性以外の何かを含意する。そうして、進化の創造における不完全が起こる。そして、これは、潜在的悪の起源である。不適合、不調和、闘争、このすべては、物理的宇宙から個人の生物までの進化の成長に固有である。
4.進化の時間のずれにおける固有の欠点への神性の対応は、その活動により完成しているものが、完全なものと完成されたものの両方に一体化される7重の神の埋め合わせの存在に明らかにされる。この時間のずれは、時間においては創造である進化と切り離すことはできない。それが故に、もちろん他の理由からも、崇高なるものの全能の力は、七重の神の神性の成功に基づいている。この時間のずれは、被創造物の人格が最大の発展の到達における神格の共同者になることを可能にすることによって神の創造への被創造物の参加を可能にする。必滅の被創造物の物質的な心さえ、このように不滅の魂の二重化における神性思考調整者の協力者になる。七重の神も、不完全の上昇前の制限を補填すると同時に、本来備わっている完全性の経験の制限の補償方法も提供する。
超自然なるものは準無限であり準絶対であるにもかかわらず、超有限であり超生物である。超自然なるものは、超価値なものを有限の最大価値に関連づける統合段階として発展する。被創造物の見地からは、超自然なるものは有限の結果としてもたらされたように見え、永遠なるものの観点からは、有限の予想においてもたされ、また、それを有限の「前-反響」と考えた者達がいる。
超自然なるものは必ずしも無進化であるというわけではないが、有限者の意味においては超進化的である。いずれも非経験的ではないが、それは、被創造物にとり重要なものとして、超経験である。恐らくそのような矛盾して見える最高の実例は、完全性の中央宇宙である。それは決して絶対ではない—楽園の小島だけが、「実現されている」点において真に絶対である。どちらも、7超宇宙である有限進化の創造ではない。ハヴォーナは永遠であるが、非成長の宇宙であるという意味において不変ではない。それは、決して実際には創造されなかった被創造物(ハヴォーナの住民)が生息する、なぜなら彼らは、永遠に存在するので。ハヴォーナは、厳密に有限でもなく、まだ絶対でもない何かをこのように例示する。ハヴォーナは、さらに絶対の楽園と有限創造の間において緩衝器の役割りを果たし、またさらに超自然なるものの機能を例証する。しかし、ハヴォーナ自身は、超自然なるものでない—それはハヴォーナである。
崇高なるものは、有限と関連しており、究極なるものは、超自然なるものと同一視される。我々は、このように崇高なるものと究極なるものを比較するが、それらは度合だけではなく何かで異なっている。違いは、特質の問題でもある。究極なるものは、超自然段階に写し出される超-崇高なるもの以上の何かである。究極なるものは、そのすべてであり、しかもそれ以上である。究極なるものは、それ以前は無条件のものの新段階である新しい神格現実の結果である。
超自然なるものの段階に関連づけられるそれらの現実の中には次のようなものがある。
1. 究極なるものの神格の存在
2. 主たる宇宙の概念
3. 主たる宇宙の建築家
4. 楽園の根源力に関する2系列の組織者
5. 空間潜在力の特定の変更
6. 精霊の特定の価値
7. 心の特定の意味
8. 準絶対有限の資質と現実
9. 全能、全知、遍在
10. 空間
我々が現在住んでいる宇宙は有限で、超自然で、かつ絶対の段階に存在すると考えることができる。これは、人格による演技とエネルギー変化の無限の劇作が演じられる宇宙の舞台である。
そして、これらの多種多様の現実の全ては、いくつかの三重性によって絶対的に、主たる宇宙の建築家によって機能的に、また主たる7精霊、すなわち七重の神の準崇高なまとめ役によって相対的に統一される。
七重の神は、最大かつ準最大の状態の双方の被創造物に宇宙なる父の人格と神性顕示を表すが、精霊である神の神性の精霊活動の顕現に属さない第一根源と中枢の他の七重の関係がある。
過去の永遠における絶対なる者の根源力、神性の精霊、および神の人格は、自立自存の自己-意志の根本的な自己-意志に応じてかすかに動いた。この宇宙時代に、我々は皆、すべてのこれらの現実の無限の可能性の準絶対的顕現の広範囲の宇宙全景のすばらしい波及を目撃している。そして、第一根源と中枢の最初の現実の継続的な多様化が、時代時代を経て前方へと外部へと、引き続き、遠く、想像もつかない絶対無限の広がりに続くかもしれないということは、全く可能である。
[ネバドンのメルキゼデクによる提示]
上昇する死すべき者は、宇宙現実の起源と顕示への神格の関係についての何かを知るだけでは十分ではない。死すべき者は、自分自身と実存的かつ経験的現実間の、つまり潜在的かつ実際の現実の、多数の段階に存在する関係についても何かを理解するべきである。人の地球での位置付け、その宇宙洞察、その精神的な方向付けのすべては、宇宙現実のより良い理解と相互のつながり、統合、統一の方法によって強化される。
現在の壮大な宇宙と現れつつある主たる宇宙は、それはそれで機能的な活動のいくつかの段階にある現実の多くの形式と局面で作り上げられる。これらの多種多様の存在するものと潜伏するものは、以前にこれらの論文に示されてきており、それらは今、概念上の便宜のために次の範疇に集められる。
1. 不完全な無限者。これは、壮大な宇宙の上昇している被創造者の現況、すなわちユランチアの必滅の現況である。この段階は、惑星の人間から未来の目標到達者までの、だがそれを含まない、被創造の存在を包含する。それは、初期の物理的な始まりから光と命の定着までの、だがそれを含まない、宇宙に関係する。この段階は、時空間における現在の創造的活動の周辺を構成する。光と命の壮大な宇宙到達を目撃し、また最初の宇宙段階における発展的成長の何らかの新系列の出現を確かに目撃する現在の宇宙の時代の閉鎖ために、それは、楽園から外側に移動しているように見える。
2. 最大の無限者。これは、未来の目標に到達したすべての経験的被創造者の現在の状況—現在の宇宙年令の範囲内で明らかにされる未来の目標—である。宇宙でさえ、精神的にも物理的にも最大限の状態に到達し得る。しかし、「最大」という語は、それ自体が相対語である—何に関連して最大であるのか。そして、現在の宇宙時代の最大限、表面上、であるそれは、来る時代においての本当の始まりであるに過ぎないかもしれない。ハヴォーナのいくつかの局面は、最大限の段階であるように見える。
3. 超自然なもの。この超有限段階 (先行的に)は、有限進行に続く。それは、有限の始まりの前有限の起源と、全ての見た目の有限の結末、あるいは未来の目標の後有限の重要性を意味する。楽園-ハヴォーナの多くは、超自然なるものの段階にあるように見える。
4. 究極なもの。この段階は、主なる宇宙の意味をもつものを包含し、完成された主たる宇宙の未来の目標段階に影響を与える。楽園-ハヴォーナ (特に父の世界の回路) は、多くの点で究極の意味をもつ。
5. 共同絶対なもの。この段階は、創造的な表現の超-主たる宇宙の領域での経験的な投射を意味する。
6. 絶対なもの。この段階は、7実存絶対者の永遠の存在を意味する。また、それは、結合しやすい経験的到達のいくらかの度合にかかわるかもしれないが、だとすれば、我々は、恐らく人格の接触の可能性を通してはその方法を理解しない。
7. 無限。この段階は、前実存的であり、後経験的である。無限の無特質の統一は、すべての始まり以前とすべての未来の目標後の想定的現実である。
現実のこれらの段階は、現在の宇宙時代と人間の見解のための便利な妥協の象徴化である。人間以外の見解からの、また宇宙の他の時代の見地から現実を見るいくつかの他の方法がある。したがって、これに添えて提示される概念は、完全に相対的である、つまり、次のように条件付きにされたり、限定されるという意味で相対的であるということが認識されるべきである。
1. 人間の言語の限界
2. 人間の心の限界
3. 7超宇宙の限られた発展
4. 楽園への人間上昇に関係しない超宇宙開発の6つの主要な目的についてのあなたの不案内さ。
5.部分的な永遠の観点さえつかめないあなたの不能さ。
6. 単に7超宇宙の進化の展開の現代に関するだけではなく、全宇宙時代に関する宇宙進化と未来の目標について表現できないこと。
7. いかなる創造物も、前-実存的、あるいは後-経験的なもの—始まりの前と未来の目標後に横たわるもの—が、本当に意味するということを把握できないこと。
現実の成長は、一連の宇宙時代の情況に条件づけられる。中央宇宙は、ハヴォーナ時代に何の進化的変化もなかったが、超宇宙時代の現在に、それは、進化的超宇宙との連携により誘発されるある種の漸進的変化を被っている。現在進化している7超宇宙は、いつか光と命の定着状態に達するであろう、すなわち、現在の宇宙時代にむけての成長限界に達するであろう。しかし、疑う余地もなく、次の時代には、最初の外部空間段階の時代には、超宇宙を現代の未来の目標制限から自由にするであろう。充満は、絶えず完成の上に重ねられている。
これらは、事物、意味、価値の宇宙規模の成長と現実の絶えず上昇する段階におけるかれらの統合の宇宙規模の成長についての統一概念を提示しようとする際に、我々が遭遇する制限のいくつかである。
有限現実の第一の局面、あるいは精霊-起源の局面は、被創造物段階では完全な人格として、宇宙段階ではハヴォーナの完全な創造として直接現れる。経験的神性でさえこのようにハヴォーナの崇高なる神の精霊に表現される。しかし、有限の二次的、進化的な時間と物質を条件とする局面は、単に成長と到達の結果として宇宙的に統合するようになる。結局、すべての二次か、完成しつつある無限者は、第一次の完全性のものと等しい段階に達することになるのであるが、そのような未来の目標は、中央の創造では本来的にはない時間の遅れ、超宇宙の本質的特徴を前提としている。(我々は、第三の無限者の存在を知ってはいるが、その統合方法は、まだ明かされていない。)
この超宇宙の時間的ずれは、すなわち完全性到達へのこの障害は、進化的成長における創造物の参加に備えている。それは、このように創造物が、その同一の創造物の発展において創造者との連携を可能にする。そして、これらの展開する成長期間、不完全なるものは七重の神の活動を介して完全なるものに関わる。
七重の神は、空間の進化的宇宙における楽園の神性による時間の障壁の認識を意味する。物質的生存人格というものが、楽園からいかに隔たり、空間的に深く起源があろうとも、七重の神は、不完全で、苦闘し、進化しているそのような被創造物への愛と慈悲深い真実、美、善の働きに従事してそこにいるとわかるであろう。七重の神性の聖職活動は、永遠なる息子を通して内部に向かい楽園の父へと、高齢者達を通して外に向かって宇宙の父—創造者たる息子—へと達する。
人格的であり、精神の進行により上昇する人間は、七重の神格の個人的で精神的な神性を見つける。しかし、人格の進行に関わらない七重の他の局面がある。この神格の組分けに関係する神性の局面は、現在のところ、主たる七精霊と連合結合者との連携で統合しているが、彼らは、崇高なものの出現しつつある人格で永遠に統一される運命にある。七重の神性の他局面は、現在の宇宙時代にさまざまに統合してされているが、すべては、同様に崇高なるものに統一される運命にある。七重者は、全局面において、現在の壮大な宇宙の機能的な現実の相対的統一の源である。
七重の神が、機能的に有限の進化を調整するように、崇高なるものも、やがては未来の目標到達を統合する。崇高なるものは、壮大な宇宙発展の神格の頂点—精霊の核の周りの物理的進化と、そして包囲し、旋回している物理的進化の領域のうえの精霊の核の最終的優勢—である。そして、このすべてが人格からの指令に基づいて起こる。最高の意味における楽園の人格、宇宙の意味における創造者の人格、人間の意味における人間の人格、頂点を極める、あるいは経験的総合的意味における崇高な人格。
崇高なものの概念は、精霊的な人、進化の力、力-人格統合—精霊の人格との進化の力の統一、また、精霊の人格によるその支配—の異なる認識に譲らなければならない。
精霊は、要するに、楽園からハヴォーナを経て来る。エネルギー - 物質は、外見上は空間の深層で進化し、神の創造者たる息子と連携して無限なる精霊の子供により力として組織化される。そしてこのすべてが、経験的である。それは、創造者の神性と進化する被創造物をさえ含む広範囲の生きている存在体にかかわる時間と空間における出来事である。壮大な宇宙における創造者の神性からの支配力は、時-空間の創造の進化的定着化と固定化を取り囲むために緩やかに広げており、これは、七重の神の経験的な力の開花である。それは、宇宙なる父の調整者の贈与から楽園の息子の命の贈与までの時間と空間における神性到達の全域を包み込む。これが、獲得された力、示された力、経験的力である。それは、楽園の神格の永遠の力、計り知れない力、実存的な力と対照を成している。
七重の神の神性到達から生ずるこの経験的な力それ自身は、進化的創造の成し遂げられた経験的支配の全能の力としての統合—統括—により神性の密接した特質を表す。そして、この全能の力は、次には、ハヴォーナ臨場の崇高なる神の精霊人格と一体となっているハヴォーナ界の外郭地帯の水先案内の領域における精霊-人格を見つける。こうして経験的な神格は、精霊臨場と中央の創造の場に居住する神性人格を時空間の力の所産に注ぎ込むことにより長い進化の戦いを完結させる。
こうして、崇高なるものは、結局はこれらの特質に精霊の人格を注ぎ込みながら、時間と空間で進化しているすべての包括に至るのである。創造物は、人間でさえ、この厳然たる営みにおける人格の関係者であるので、そこで、彼らは、確かに、そのような進化する神格の真の子供として崇高なるものを知り、崇高なるものを認識する能力を獲得するのである。
ネバドンのマイケルは、楽園の父の楽園の完全性を共有するので、楽園の父のようなものである。このように、人間は、崇高なるものの進化的完全性を共有するので、進化する人間は、いつかは、経験的な崇高なるものとの親族関係に達するのである。
崇高なる神は経験的である。したがって、崇高なる神は、完全に経験可能である。7絶対者の実存的な現実は、経験の手段による知覚はできない。祈り-崇拝の態度における有限の被創造物の人格だけが、父、息子、精霊の人格現実を理解することができるのである。
崇高なるものの完成された力-人格統合の範囲内では関連することのできた幾つかの三人組みの絶対性のすべては、関連させられるであろうし、進化のこの厳然たる人格は、すべての有限の人格によって経験上達成することができ、理解できるであろう。上昇者が、精霊存在体の仮定された第7段階に到達するとき、そこで絶対性の新しい意味-価値の実現を経験し、三人組みの無限のそういうものとして、経験可能である崇高なるものにおいて準絶対的な段階で明らかにされる。しかし、最大の発展のこれらの段階への到達は、おそらく光と命の壮大な宇宙全体の協調的定着を待ち受けるであろう。
準絶対有限の建築者は、計画を執行する。崇高な創造者は、それを存在に至らせる。崇高なるものは、それが、やがては崇高な創造者によって創造されるように、それが、主たる建築者によって空間の時代に予測されるように、その豊かさを極点まで高めるであろう。
現在の宇宙時代の間、主たる宇宙の管理調整は、主たる宇宙の建築者の機能である。だが、現在の宇宙時代終了時の全能の崇高なるものの出現は、進化する有限者が、経験的な未来の目標の第一段階に達したということを意味する。この出来事は、確かに、最初の経験的な三位一体—崇高な創造者、崇高なるもの、そして主たる宇宙の建築者の結合—の完成された機能につながるであろう。この三位一体は、主たる創造の一層の進化的統合に作用するよう目標づけられている。
楽園の三位一体は、真に無限の1つであり、この本来の三位一体を有しない三位一体というものはあり得ない。しかし、最初の三位一体は、絶対神格の独占的なつながりの必然性である。準絶対的なものは、この第一のつながりとは無関係であった。後に登場の、経験的な三位一体は、被創造物の人格の貢献をさえ受け入れる。確かにこれは、そこでの崇高な創造者の顔ぶれの間の主たる創造者の息子のそこでのほかならぬ臨場が、そしてこの三位一体のつながりの中で実際の、正真正銘の、創造物経験のそこからの同時の臨場を意味する三位一体の究極についての真実である。
最初の経験的三位一体は、究極の結果の集団達成に備える。集団のつながりは、個々の能力を見込む、また、超えさえすることが可能にされる。またこれは、有限段階を超えてさえ本当である。来る時代には、つまり7超宇宙の光と命に定着後には、終局者の部隊は、三位一体の究極者に指示されるように、また崇高なるものの中で力-人格に統一されるように、疑いなく楽園神格の目的を広めていくであろう。
過去と未来の永遠のすべての巨大な宇宙情勢を通して、我々は、宇宙なる父の理解可能な要素の拡大を見つける。私はあるとして、我々は、完全な無限のその浸透性を哲学的に仮定するが、いかなる被創造物もそのような仮定を経験的に包含することはできない。宇宙が拡大し、また、重力と愛が、時間-組織化の空間へ届くにつれ、我々は、第一根源と中枢についてますます多くを理解することができる。我々は、重力の作用が、無特質絶対者の空間臨場に浸透しているのを観測するし、精霊の被創造物が、神格絶対者の神性臨場の中で発展し拡大しているのを探知する。宇宙と空間の進化の双方が、崇高なるものとして有限神格段階において心と経験により統一しており、究極の三位一体なるものとして先験的段階で調整している。
楽園の三位一体は、確かに究極段階の意味において統合するが、自己-特性の絶対的なものとしてのこの点において機能する。経験的三位一体の究極なるものは、先験的なものとして先験的段階を統合調整する。永遠の未来において、この経験の三位一体は、統一を増大させることで、究極なる神格のもたらしつつある臨場をより起動させるであろう。
三位一体の究極なるものは、主たる創造を調整する運命にあるが、究極な神は、主たる宇宙全体の方向づけの先験的な力-人格化である。究極なるものの完成された存在に至ることは、主たる創造の完成を含意し、またこの先験的な神格の完全な出現を暗示する。
我々は、究極なるものの完全な出現により何が変化するのかは知らない。しかし、現在、崇高なるものが、ハヴォーナに精神的に人格的に存在しているように、究極なるものもまた、準絶対有限と超人格に存在している。あなたは、究極なるものの有資格の代表の現在の行方や機能について知らされてはいないが、その存在については知らされてきた。
究極なる神格の出現に伴う行政の影響はともかくとして、その先験的神性の人格的価値は、この神格段階の実現における関係者であるすべての人格により経験可能になるであろう。有限の超越は、究極の到達へのみ通じ得る。究極なる神は、時と空間を超越して存在しているが、それでもなお絶対的なものとの機能的の関係の固有の能力にもかかわらず、準絶対的である。
究極なるものは、まさに崇高なるものが、進化的-経験的現実の頂点であるように先験的現実の頂点である。そして、これらの2者の経験的神格の実際の出現が、第2の経験的三位一体のための基礎を築く。これが、三位一体絶対者、崇高な神の統合、究極な神、そして明らかにされていない宇宙目標の完成者である。そして、この三位一体には、可能性の絶対、—神格、宇宙、無条件、—を動かす理論上の可能性がある。しかし、この三位一体絶対者の完成された形成は、全ての主たる宇宙の進化、つまりハヴォーナから4番目の、そして一番はずれの空間段階までの進化、の完了後にだけ起こる。
これらの経験的三位一体は、経験的神性の人格特質とだけではなく、それぞれが到達した神格統一を特徴づけるすべての人格以外の特質ともまた相関関係にあることが明らかにされるべきである。この発表は、主として宇宙の統一の人格的局面に対処するものであるが、それでもなお、現在崇高なるものの進化との関係において進行中の力-人格統合に例証されているように、宇宙の中の宇宙の非人格的な局面も同様に、統一を経る運命にあるということは本当である。崇高なるものの精霊-人格的特質は、全能なるものの力の特権からは不可分であり、双方ともに崇高なるものの心の未知の可能性によって補足される。人としての究極の神もまた、究極なる神格の人格以外の局面から離れては考えることはできない。また絶対段階における神格と無特質絶対者は、宇宙なる絶対者のいるところでは不可分であり区別がつかない。
三位一体は、それ自体で人格ではないが、人格に背きもしていない。むしろ、三位一体は、それを取り囲み、集合的な意味において、それを非人格的機能において関連させる。その時、三位一体は、常に神格現実であり、決して人格現実ではない。1つの三位一体の人格的局面は、その個々の成員に固有であり、彼らは、個々人として、その三位一体ではない。それらは、単に集合体として三位一体である。それが三位一体というものである。しかし、常に、三位一体は、すべての包含された神格である。三位一体は神格の統一である。
3絶対者—神格絶対者、宇宙絶対者、無特質絶対者—は、すべてが神格ではないので、三位一体ではない。神格化したものだけが三位一体になることができる。他のすべてのつながりは、三統一か三人組みである。
ほぼ究極的ではあるだろうが、主たる宇宙の現在の可能性は、決して絶対ではなく、我々は、準絶対宇宙の域内の絶対の意味-価値の完全な顕示を達成することは不可能であると考える。したがって、我々は、3絶対者の限りない可能性の完全な表現の着想を試みるに当たり、または、神格絶対者の現在の非個人的な段階における神絶対者の経験的人格化の視覚化の試みにおいてさえかなりの苦労に遭遇する。
主たる宇宙の空間-舞台は、崇高なるものの実現化のために、三位一体の究極なるものの形成と完全な機能のために、究極な神の実現化のために、並びに、三位一体絶対者の開始のためにさえ適切であるように思える。しかし、この第2の経験的な三位一体の完全な機能に関する我々の概念は、大きく広がる宇宙を超えてさえ何かを意味しているように思える。
我々が、宇宙-無限—主たる宇宙を超えての何らかの無限の宇宙—を仮定するならば、また我々が、絶対者三位一体の最終的な成果が、行動のそのような超究極的な段階において生じると考えるならば、三位一体絶対者の完成された機能が、無限の創造における最終的表現を達成し、また、すべての可能性の絶対的な実現を完成するという推測が、そこで可能となる。現実の絶えず拡大する断片の統合とつながりは、このように関連する断片の中で、すべての現実の包含と比例した状態の絶対性に接近するであろう。
換言して:その名が暗示するように、三位一体絶対者は、総合機能においていかにも絶対である。我々は、絶対機能が、どのように条件つきであるか、限られ、その他の点では制限された基盤を踏まえて総体的表現を実現することができるかを知らない。したがって、そのような全体機能は、無条件である (可能性を秘めている)と仮定しなければならない。また、我々は、量的関係に関しあまり確信はないが、無条件であるものは、少なくとも質的見地からも無制限であるように見える。
しかしながら、これについて我々は確信している。実存的な楽園の三位一体は、無限であり、経験的な三位一体の究極なるものは、準無限である一方で、三位一体絶対者の分類は、それほど容易ではない。起源と形成上は経験的ではあるが、それは、可能性の実存的な絶対者にたしかに影響を与える。
人間の心が、そのような遠く、超人的な概念を把握しようとすることはほとんど有益ではない一方で、我々は、三位一体の絶対者の永遠の活動が、可能性に関する絶対者の何らかの経験化に至ると考えられるかもしれないと提唱する。これは、宇宙絶対者、さもなければ無特質絶対者に関する合理的な結論であるように思われる。少なくとも我々は、宇宙絶対者は、静的で、潜在的であるだけでなく、総合的神格に関するそれらの言葉の意味においても関連していると承知している。しかし、神性と人格の考え得る価値に関して、これらの推測される出来事は、神格絶対者—3番目と最終の経験的神性—の人格化と絶対者の神の人格完成に固有であるそれらの超人格の価値とそれらの究極人格の意味の登場を含意する。
無限の現実の統合についての概念形成における幾つかの困難は、全てのそのような考えは、宇宙発展の最終的段階、すなわち、それが、これまでにそうあり得た何らかの経験的実現を包含するという事実に本来備わっている。そして、量的無限が、つねに最終に、完全に実現され得たということは想像もつかない。つねに経験的発展の量が、決して使い果たすことのできない3名の可能性絶対者の探査されていない可能性がなければならない。永遠自体は、絶対ではあるが、絶対を越えるものではない。
最終的統合についての一時的な概念は、無特質の永遠の結実からは不可分であり、したがって、想像し得るいかなる未来にも実際には実現不可能である。
未来の目標は、楽園の三位一体を構成する神性の意志行為により打ち立てられる。未来の目標は、絶対性が、すべての未来の発展の可能性を含む3つの重要な可能性の巨大さで確立される。未来の目標は、宇宙目標の完成者の働きによっておそらく完成され、この働きは、絶対者の三位一体の中の崇高なるものと究極なるものとにおそらく関連しているであろう。どんな経験的な未来の目標も、経験している被創造物により少なくとも部分的に理解できる。しかし、無限の実存段階におよぶ未来の目標は、とても理解し難い。最終段階の未来の目標は、神格絶対者を伴うような実存的-経験的到達である。しかし、神格絶対者は、宇宙絶対者の力で無特質絶対者との永遠関係に立つ。そして、可能性において経験的であるこれらの3 名の絶対者は、限りがなく、時間を超越し、空間を超越し、広大無辺で、測り知れないが故に、—誠に無限であるが故に—実際は実存的、またそれ以上である。
しかしながら、目標到達の見込みのなさは、そのような仮定的未来の目標に関する哲学的な理論づけを阻みはしない。到達し得る絶対的な神としての神格絶対者の実現は、実際には実現不可能であるかもしれない。にもかかわらず、そのような最終的結実は、理論上の可能性のままである。何らかの思いもよらない宇宙-無限における無特質絶対者のかかわり合いは、終わりのない永遠の未来の結実においては計り知れないほどに遠く隔たっているかもしれないが、そのような仮説は、それでもなお、有効である。必滅者、モロンチア体、精霊、終局者、超越者には、宇宙自体と現実の他のすべての段階とともに、価値の上で絶対である潜在的に最終的な未来の目標が確かにある。しかし我々は、いかなる存在体、あるいは宇宙も、完全にそのような未来の目標の全局面に到達するということに疑いを抱いている。
あなたが父をいかほどに理解するようになろうとも、あなたの心は、つねに父-私はあるの明かされていない無限により、すなわち永遠のすべての周期を通して常に測りしれない、また理解し難い探査されていない巨大さにより、いつも驚愕するであろう。あなたが、神にどれだけ到達しようとも、いつも神に関するさらに多くのことが残るであろう。残された多くのことに気づきさえしないであろう。そして我々は、それが、有限存在の領域にあるように、これは先験的段階で同じように本当であると信じる。神への探究は無限なのである。
神に至るそのような無能さは、最終的な意味において決して宇宙の被創造物を落胆させるものではない。実際、あなたは、七重、崇高なるもの、および究極なるものの神格段階に達することができるし、達するのである。そしてそれは、永遠存在のそれぞれの絶対状態における永遠なる息子と連合活動者にとっての父たる神が意味するものが、あなたにとって意味するものである。神の無限は、被創造物を悩ませるものであるどころか、上昇人格には、すべての無限の未来を通して、永遠でさえも使い果たせない、また終了させられない人格開発と神格のつながりの可能性が自分の前にあるという最高の保証でなければならない。
壮大な宇宙の有限被創造物にとっての主たる宇宙の概念は、ほとんどで無限であるように思えるが、確かに、そこからの準絶対の建築家は、将来へのその関連性に、また私はあるの中に想像できない展開に気づく。空間自体でさえ、究極の状態、すなわち中央空間の静かな区域の相対的な絶対性の中の特定状態だけである。
主たる宇宙全体の最終的完成の想像し難いほど遠い将来の永遠の瞬間に、間違いなく、我々は皆、その全歴史を単なる始まりとして、すなわち、単純に未知の無限におけるより一層すばらしく、 より魅惑的な変化に向けて特定の有限で先験的な地盤の創造として振り返るであろう。そのような将来の永遠の瞬間に、主たる宇宙は、まだ若々しく見えるであろう。誠に、それは、けっして終わりない永遠の無限ない可能性に直面していつも若いであろう。
無限の未来の目標到達に至りそうもないということは、そのような未来の目標に関する考えを少しも妨げないし、もし3つの絶対的可能性が、完全に実現されることができるならば、我々は、現実全体の最終的統合を思い描くことは可能であるだろうということを躊躇わずに言う。この発展上の実現は、その統合が、私はあるの潜在性を構成する3つの可能性、つまり無特質の絶対者、宇宙の絶対者、神格絶対者の完成された実現に基づいている。この潜在性は、永遠の停止した現実、つまり全未来の出来事の停止状態の可能性、およびそれ以上のものを含む。
そのような不測の事態は、控え目に言ってもとても起こりそうもない。それにもかかわらず、我々は、3つの三位一体の機構、人格、つながりにおける父-私はあるの7つの絶対的局面の再結合の理論上の可能性を感知すると信じる。そして、これが、実存的状態の楽園の三位一体と、経験的な特質と起源をもつやがて現れてくる2つの三位一体とを包含する三重の三位一体の概念へと我々を向かい合わせる。
三位一体中の三位一体の本質を人間の心に描くことは困難である。永遠実現の理論上の無限に表されているように、それは、経験的無限の全体に現実の要約である。三位一体中の三位一体において、経験的な無限は、実存的な無限とともに同一性に至り、また双方は、前-経験、すなわち、前-経験の私はあるの中の一名としてある。三位一体中の三位一体は、15の3統一と対応する三人組みに含意されるすべての最終的表現である。実存的であるか、または経験的であるかということにかかわらず、最終的状態は、相対的存在体にとって理解することは難しい。したがって、それらは、関連性としていつも提示されなければならない。
三位一体中の三位一体は、幾つかの位相に存在する。それは、人間段階をはるかに超える存在体の想像を揺るがす可能性、確率、および必然性を含んでいる。その含意は3統一にあり、3統一は、煎じ詰めると、計り知れないが故に、おそらく天の哲学者には疑われていないという含みがある。
三位一体中の三位一体を描くことができる多くの方法がある。我々は、以下の通りの3段階の概念の提示を選択する。
1. 3つの三位一体の段階
2. 経験的な神格の段階
3. 私はあるの段階
これらは、増進的統一の段階である。実際に三位一体中の三位一体は、第1段階であり、第2および第3段階は、第1段階の統一-派生物である。
第一段階:つながりのこの初期段階における3つの三位一体の機能は、識別可能ではあるが、完全に一致した神格人格の集まりであると信じられる。
1. 楽園の三位一体、3人の楽園神格のつながり—父、息子、精霊。楽園の三位一体とは、三重の機能を含意するということが銘記されるべきである—絶対的機能、先験的機能、(究極の三位一体)、および有限的機能(崇高な三位一体)。楽園の三位一体は、いつもこれらのありとあらゆるものである。
2. 究極の三位一体。これは、崇高なる創造者、崇高な神、主たる宇宙の建築者の神格のつながりである。これが、この三位一体の神性面の適切な提示であるのだが、この三位一体には、とはいえ、神性局面と完全に調整しているような他の局面があるということが記録されるべきである。
3. 絶対三位一体。これは、すべての神性価値に関わりのある崇高な神、究極な神、それに宇宙目標の完成者の集まりである。この三位一体の集まりの他のある局面は、広がる宇宙の中における神性以外の価値に関係がある。しかし、これらは、経験的神格の力と人格的局面が経験的な統合の進行中のちょうどそのとき、神性局面と統合している。
三位一体中の三位一体におけるこれらの3組の三位一体のつながりは、現実の可能で無限の統合に向けて準備をする。この集まりは、原因、中間、最終を含んでいる。開始者、実現者、完成者。始まり、生存、未来の目標。父-息子の協力関係は、息子-精霊、次には精霊-崇高なるもの、それから崇高なるもの-究極なるものと究極なるもの-絶対なるもの、さらには絶対なるものと父-無限なるもの—現実の周期の完成になった。同様に、神性と人格にそれほど直接に関係していない他の局面においては、第一の偉大なる根源と中枢は、自己存在の絶対性から自己顕示の永遠を経て、自己実現の最終段階へと—実存の絶対から経験の最終段階へと—自己実現をする。
第2段階:3組の三位一体の調整は、これらの三位一体の起源に関係する経験的神格の連合的結合に必然的に関わっている。この第2段階の性質は、時おり次のように提示されてきた。
1. 最高なるもの。これは、楽園神格の創造者-創造的な子供との経験的連結における楽園の三位一体の統一の神格の結果である。崇高なるものは、有限進化の第一段階の完成の神格具体化である。
2. 究極なるもの。これは、第2の三位一体の結果的統一、つまり先験的、かつ準絶対の神格の有限人格化の結果である。究極なるものは、多くの特性の可変にみなされた統一にあり、それに関する人間の概念は、管理指導をし、人格的に経験可能であり、少なくとも、緊張して統一している究極のそれらの局面を含むことが賢明ではあろうが、終結的神格には他の多くの非啓示の局面がある。究極なるものと崇高なるものは類似するが、それらは同じではなく、また究極なるものは単に崇高なるものの拡大でもない。
3.絶対者。三位一体中の三位一体の第2段階の第3構成員の特徴に関しては多くの理論がある。絶対者の神は、三位一体絶対者の最終的な機能の人格の結果として疑う余地なくこのつながりにかかわっているが、それでも神格絶対者は、永遠状態の実存的な現実である。
この第3構成員に関する概念上の困難は、そのような構成員の資格は、実際にはただ一名の絶対者を含意するという事実にはつきものである。理論上は、そのような出来事が起こり得るならば、我々は、一者としての3絶対者の経験的統一を目撃するであろう。また、我々は1絶対者が、無限の中に、実存的にいるということを教えられる。それが、この第3構成員が誰であり得るのかについては少しも明確ではないが、それは、何らかの想像できない連携と宇宙顕現の形式における神格絶対者、宇宙絶対者、および無特質絶対者から成るかもしれないと、しばばしば仮定される。確かに、三位一体中の三位一体は、3絶対者の完全な統一がなければ完全な機能にほとんど達することができず、また、3絶対者は、ほとんどすべての無限の可能性の完全な実現がなければ統一できない。
この概念は、静的で潜在的であるばかりではなく、結合したものとしても宇宙を思い描くならば、もし三位一体中の三位一体の第3構成員が、宇宙絶対者と考えられるならば、それは、おそらく真実の最小の歪みを意味するであろう。しかし、我々は、まだ神格全体の機能に関わる創造的で発展的局面との関係を把握してはいない。
三位一体中の三位一体の完成された概念の形成は難しくはあるが、限定的概念を形成することはそれほど難しくはない。三位一体中の三位一体の第2段階が、本質的には人格的であると考えられるならば、これらの経験的な神格にとっての先祖の人格の三位一体の結合である人格の結果としての崇高な神、究極な神それに絶対者の神の結合の仮定は、まったく可能になる。我々は、これらの3名の経験的神格が、第一段階を構成する彼らの先祖であり、また原因である三位一体の拡大する統合の直接結果として第2段階で確かに統一するであろうという見解を敢えて言う。
第1段階は3つの三位一体から成る。第2段階は、経験的に発展し、経験的に終結し、経験的に実存する神格の人格の人格のつながりとして存在している。三位一体中の完全な三位一体の理解における概念的ないかなる困難にかかわらず、第2段階のこれらの3人の神性の人格的なつながりは、究極なるものを介して活動し、崇高なるものの初期の創造的な委任に応じて行動する神格絶対者によるこの第2段階で顕在化された威儀仙の神性化の現象において我々自身の宇宙時代に明らかになった。
第3段階:三位一体中の三位一体の第2段階の無特質の仮説においては、今あり、かつてあった、あるいは無限の全体にあり得るあらゆる種類の現実のあらゆる局面の相関関係が含まれる。崇高なるものは、精霊だけではなく、心と、力と経験でもある。究極なるものは、神格絶対者、宇宙絶対者、無特質絶対者の一体の結合された概念において、すべての現実実現の絶対的最終の状態を含むとともに、このすべてであり、これ以上なのである。
崇高なるもの、究極なるもの、完全な絶対者の結合においては、私はあるにより最初に細分化され、無限の七絶対者の出現にいたる無限のそれらの局面の機能的な再組み立てをもたらし得るであろう。宇宙の哲学者らは、これを最も起こりそうにない確率であると考えるが、それでも、我々は、この質問をしばしばする。もし三位一体中の三位一体の第2段階が、三位一体の統一を実現することができるならば、では何が、そのような神格統一の結果として生じるのであろうか。我々には分からないが、我々は、それが、経験的に達成し得るものとして私はあるの実現に直接通じるであろうと確信している。人格的存在の見地から、それは、知り得ない私はあるが父-無限として経験可能になったことを意味したかもしれない。これらの絶対未来の目標が無人格見地から意味するかもしれないものは、別の事柄と。永遠だけが、もしかすると、はっきりさせることができるかもしれないものである。しかし、人格の創造物としてこれらのとても起こりそうにない不測の事態を見るように、我々は、すべての人格の最終的な未来の目標は、これらの同一の人格の宇宙なる父を最終的に知ることであるということを推論する。
我々が、哲学的に私はあるを過去の永遠において思い描くように、私はあるは、単独であり、なにもその横にはない。心待ちにして未来の永遠を考えるとき、私はあるがひょっとして実存的であるとして変化することができるとは考えないが、膨大な経験の差を予測しがちである。私はあるについてのそのような概念は、完全な自己実現を意味する—私はあるの自己顕示における意志に基づく参加者になった、また、絶対的父の最終的な息子である無限全体の絶対意志の部分として永遠に留まる人格者の無限の銀河を含む。
我々は、三位一体中の三位一体の概念において限りない現実の可能な経験的統一を仮定し、また、この総てが、はるか彼方の永遠の全くの遠隔で起こるかもしれないと時々理論上想定する。しかし、すべての過去、また未来の宇宙時代であったように、まさしくこの時代に実際の、かつ現在の無限の統一が、それにもかかわらず、存在する。そのような統一は、楽園の三位一体で実存する。経験的現実としての無限統一は、想像を絶するほどに遠くにあるが、無限の無特質の統一は、宇宙存在の現在の瞬間を、いま支配しており、すべての現実の分岐を絶対である実存的威厳で結合させている。
有限の被創造物が、完成された永遠の最終的段階における無限の統一の想像を試みるとき、それらの有限生存に固有な知性の限界に直面する。時間、空間、経験は、被創造物の概念にとって障害である。にもかかわらず、時間なくして、空間から離れ、そして経験を除いては、いかなる被創造物も、宇宙現実の限定的理解にさえ到達し得ないであろう。時間の意識なくして、いかなる進化的創造物も、系列の関係を知覚できないであろう。空間の知覚なくして、いかなる創造物も、同時性の関係を測り得ないであろう。経験なくして、いかなる進化的創造物も、存在することさえできないであろう。無限の七絶対者のみは、ほんとうに経験を越え、またこれらさえ、特定の局面において経験的であり得る場合がある。
時間、空間、経験は、相対的な現実知覚への人の最大の援助であるにもかかわらず、完全な現実知覚への最も侮りがたい障害である。人間と他の多くの宇宙被創造物は、空間で実現され、時間で成果を進化すると可能性を考えることが必要であると分かるが、この全過程は、楽園と永遠で実際には起こらない時間-空間現象である。絶対段階においては、時間も空間もない。すべての可能性は、現実として知覚され、そこにあるかもしれない。
全現実の統一の概念は、この宇宙時代であろうとも、あるいは、いかなる他の宇宙時代であろうとも、基本的に二要素である。実存的であり、経験的である。そのような統一が、三位一体中の三位一体において経験的な実現の過程にあるが、この三重の三位一体の明らかな実現の度合いは、宇宙の中の制限の消滅と現実の不完全に正比例している。しかし、現実の総統合は、無特性に、永遠に、その上実存的に楽園の三位一体の中に臨場しており、そこでは、まさしくこの宇宙の瞬間に、無限の現実が確実に統一される。
経験的かつ実存的観点によって生じる矛盾は、回避不能であり、楽園の三位一体と三位一体の中の三位一体それぞれは、死すべき者が、時間-空間の関連性としてのみ知覚できる永遠関係にあるという事実にもとづいている。三位一体の中の三位一体の段階的経験の実現についての人間の概念—時間の観点—は、これは既に現実化—永遠性からの観点—であるという付加的仮定によって補われなければならない。しかし、どのようにこれらの2つの観点は、折り合いさせ得るのか。我々は、楽園の三位一体は、無限の実存的統一であるということ、また三位一体の経験的三位一体の実際の存在と完了された顕現を認められないということは、一つには次のような相互的な歪みのせいであるという真実の受け入れを有限の人間に勧める。
1. 人間の限られた観点、無特質の永遠の概念をつかむことができないこと。
2. 人間の不完全な状態、経験の絶対段階からの遠さ。
3. 人間の一生の目的、人類が経験の手段により進化するようになっており、したがって、生まれながらに、また本質的に、構成的に、経験に頼らなければならないという事実。絶対者だけが実存的であり、かつ経験的であり得る。
楽園の三位一体の中の宇宙なる父は、三位一体の中の三位一体の私はあるであり、無限としての父を経験できないということは、有限の限界のせいである。実存的で、孤独で、達成し得ない前-三位一体の私はあるの概念と三位一体の経験的な後-三位一体と到達し得る私はあるの仮定とは、全く同一の仮説である。いかなる実際の変化も無限には起こらなかった。明らかなすべての発展は、現実受け入れと宇宙への感謝に向けての高まる能力によるものである。
私はあるは、詰まるところ、全実存前と全経験後に、存在しなければならない。これらの考えが、人間の心で永遠と無限の矛盾をはっきりさせはしないかもしれないと同時に、それらは、そのような有限識者が、これらの決して終わらない問題に、すなわちサルヴィントンと、後には終局者として、広く開けた宇宙におけるあなたの永遠の経歴の途方もない未来に渡り、あなたが、好奇心をそそり続けるであろういう問題に、少なくとも新たに取り組むように刺激すべきである。
遅かれ早かれ、すべての宇宙人格は、永遠の最終的探求は、無限の終わりなき探検、すなわち第一根源と中枢の絶対性への発見の果てしない航海、であると気づき始める。遅かれ早かれ、我々は皆、全創造物の成長は、父識別に比例している。神の意志を生きるということは、無限それ自体の無限の可能性への永遠の通行証であるという理解に我々は到達する。人間は、無限の探求における成功は、父に似ることへの達成に正比例しているということ、またこの宇宙時代において父の現実は、神性の特質の中で明らかにされるということにいつか、気づくであろう。そして、神性のこれらの特質は、神のように生きる経験において宇宙の創造物により直接に充当され、また、神のように生きるということは、実際に神の意志に基づいて生きることを意味する。
物質の、進化の、有限の被創造者にとり、父の意志に基づいて生きる生活は、直接に人格の活動領域における精霊の崇高性への到達に導き、そのような被創造者を父-無限の理解へとさらに一歩連れて行く。そのような父との生活は、真実に基づき、美に敏感で、善により支配されるものである。神を知るそのような人は、これらのすべての生活の特質が、宇宙の知恵、自己実現、神-発見、および父崇拝の絶えず上昇する段階において進化する人格に統一されると同時に、内面的には崇拝により照らされ、外面的には全人格の宇宙の兄弟愛の心からの奉仕に、つまり慈悲に溢れ愛に動機づけられる奉仕活動に専念している。
[ネバドンのメルキゼデクによる提示]
宇宙なる父は、自らは楽園に、宇宙の真ん中に居住しているものの、神秘訓戒者として彼らに宿っているので、時の無数の子供の心のなかで空間の世界に実際に臨場している。永遠なる父は、自己の惑星の必滅の息子達と一つであり、同時に最も遠くに隔たっており、かつ最も親密に関わっている。
調整者は、人の魂に具現した父の愛の現実である。調整者は、必滅者の心の中に閉じ込められる人間の永遠の経歴への実際の約束である。調整者は、人の完成された終局者の人格の本質であり、それは、一歩一歩、かれが、実際に楽園の父の神性臨場に達するまで、次から次へと宇宙の上昇を通して父の意志の生活を成し遂げる神性手段を習得するにつれ、いつかは味わうことのできる終局者の完成された人格の本質である。
神は、まさに自分が完全であるように、完全であることを人間に命じ、このようにして定められた崇高な目標の達成において人間の経験上の共同者になるように調整者として下ったのであった。人の心に宿る神の断片は、人がこの神性の調整者との関連において宇宙なる父を見つけることができるという絶対的、かつ無条件の保証であり、それは、肉体の時代にさえ神から人間に息子の資格を与えにやって来た。
創造者の息子を見た人間は、誰でも宇宙なる父を見たのであり、神性の調整者が内在する人間には楽園の父が内在するのである。意識的にせよ無意識的にせよ、内在する調整者の導きに続く死すべき者のすべては、神の意志に従って生きている。調整者臨場の意識は、神臨場の意識である。人の進化の魂との調整者の永遠の融合は、神格の宇宙での仲間としての神との永遠の結合の事実経験である。
神に似ること、楽園に到達すること、そしてそこで神性の贈り物である無限の源を崇拝するために神格の本当の人の前にありたいというその抑え難い思慕と絶えざる切望を人の心の中に引き起こすのは調整者である。調整者は、実際に必滅の息子を楽園の父に連結し、また父により近く引きつけていく生ける存在である。調整者は、人が、神からの移動によりもたらす距離、そして永遠なる父の普遍性と対照をなす人の一面性の度合いにより引き起こされる宇宙の非常な緊張の我々の補償的均等化である。
調整者は、そのような人間の選択によって、ついには神と人とのこの一時的結合を完成することができ、終わることのない宇宙奉仕への新系列を実際に顕在化する有限生物の心の中に閉じ込められている無限存在体の絶対的本質である。調整者は、神は人の父であるという真実を事実化する宇宙の神性現実である。調整者は、常に、しかも的確に神の方角に魂を向けている人の絶対確実な宇宙の羅針盤である。
進化する世界では、意志をもつ創造物は、存在の一般的な発達上の3段階を通過する。訓戒者は、調整者の到着から比較的に完全な成長の間、つまりユランチアでのおよそ20歳まで、ときおり思考変更者と称される。この時から、およそ40年間、明察時代の到達まで、神秘訓戒者は、思考調整者と呼ばれる。明察力への到達から肉体からの救出まで、それらは、しばしば思考管理者と呼ばれる。必滅者の人生のこれらの三局面には、心の複製と魂進化における調整者のの進歩3段階とはいかなる関係もない。
思考調整者は最初の神格の根本的要素をもっているので、誰も厳然とその特質と起源について論じるつもりはないかもしれない。私は、ただサルヴィントンの伝統とユヴァーサの信念を伝えることができるだけである。我々がどのように壮大な宇宙の至る所でこれらの神秘訓戒者らとその関連する実体に注意するかを説明することができるだけである。
思考調整者の贈与の形態に関するさまざまの意見はあるが、それらの起源に関するそのような違いは何も存在しない。全員が、思考調整者は、宇宙なる父、すなわち第一根源と中枢から直接生じるということに同意している。それらは作り出された存在体ではない。思考調整者は、無限の神の実際の臨場を構成する破片化された実体である。彼らの多くの明かされていない仲間と共に、調整者は、薄められても、混ざってもいない神格、無条件の、弱力化されていない神格の部分である。調整者は、神から来ており、我々が認め得る限り、彼らは神である。
我々は、第一根源と中枢の絶対性は別として、調整者の別々の存在開始時に関して知らない。調整者の番号についても知らない。我々は、思考調整者が、人間の心に宿るために時間の惑星に到着するまで、かれらの経歴に関してはわずかしか知らないが、それ以後は、それらの三位一体の目標達成まで、そしてその目標成就を含むそれらの宇宙進行を多少なりとも知っている。ある人間の上昇者との融合による人格到達、宇宙なる父の決定による人格到達、または思考調整者の既知の任務からの解放。
我々は、知らないのだが、調整者は、宇宙の拡大につれ、調整者融合候補者数の増加につれ、絶えず個別化されていると思っている。しかし、調整者に数字上の我々の割り当ての試みは、等しく間違っているかもしれない。神自身のように、推測できない神の本質のこれらの断片は、実存的には無限であるかもしれない。
思考調整者の始まりの方法は、宇宙なる父の非顕示の機能の1つである。我々には、第一根源と中枢の他の絶対の仲間のだれにも父の断片の生産にはどう考えても何の関係もないと信じるありとあらゆる理由がある。調整者は単に、また永遠に神の贈り物である。それらは神の本質をもつ、神から来ており、また神のようである。
融合の被創造者との関係において、かれらは、神は霊であるという宣言を大いに確認する高邁な愛と精神的な活動を明らかする。しかし、ユランチアの必滅者にはこれまで明らかにされたことのないこの人知の及ばない活動とは別に起こる多くのことがある。我々は、宇宙なる父が、時間の世界の被創造者の人格の一部であるために自分自身を与えるとき、何が、本当に生じるかを完全に理解するというわけでもない。また、楽園終局者の上昇経過は、まだ人と神のこの崇高な共同者関係に固有の完全な可能性を明らかにはしていない。煎じ詰めれば、父の断片は、絶対としての神への到達の可能性を包含する被創造者の目標への絶対の神の贈り物であるに違いない。
宇宙なる父が、前人格の神格を断片化するように、無限なる精霊は、打ち続く精霊融合で生き残っている死すべき者の進化の魂と実際に融合し、宿るために心以前の自身の精霊部分を個別化する。しかし、永遠なる息子の特質は、このように断片化が可能ではない。第一の息子の精霊は、拡散しているか、または個々に人格的である。息子-融合された被創造者は、永遠なる息子の創造者の息子からの精霊の個別化された贈与と結合される。
調整者は、未経験の実体として個別化され、全員が、解放されるか、融合されるか、または専属訓戒者になるように運命づけられている。これらの区分けを完全に理解するというわけではないが、我々は、思考調整者の7系列があると理解している。我々は、次のように異なる系列についてしばしば言及する。
1. 未経験調整者、永遠の生存の進化的候補者の心において、それぞれの初期の課題に携わるものたち。神秘訓戒者は、神の特質において永遠に一定である。神性球から最初に出かけるとき、それらも経験的特質において一定である。その後の経験的分化は、宇宙の活動における実際の経験の結果である。
2. 上級調整者、最終的融合が、時間の被創造者の同一性と、第三根源と中枢の局部宇宙の顕現の人格化された精霊部分との間に生じる世界において1期あるいは、それ以上の期間奉仕したものたち。
3. 最高調整者、進化的世界において時間の冒険に携わったにもかかわらず、その人間共同者が何らかの理由で永遠の生存を拒んだが故に、後に他の発展する世界において他の必滅者に冒険を割り当てられたそれらの訓戒者。最高調整者は、未経験の訓戒者ほど神性ではないが、より多くの経験があり、人間の心においてそれほど経験豊富ではない調整者ができなかったことをすることができる。
4. 消滅調整者。ここに神秘訓戒者の経歴に続く我々の努力に中断が生じる。我々には確信のない4番目の奉仕段階がある。メルキゼデクは、4番目の段階の調整者は、課題から離れ宇宙の中の宇宙に留まると教える。単独使者は、調整者は、父自身との爽やかなつながりの一区切りを楽しんで、第一根源と中枢と共にいると信じる傾向にある。そして、調整者が、主たる宇宙であちこと移動し、同時に遍在する父と一体となって共にいることができるということは十分にあり得る。
5. 解放調整者、進化する球体の死すべき者への時間の奉仕から永遠に解放されたそれらの神秘訓戒者。我々は、彼等の機能が何たるかを知らない。
6. 融合調整者—終局者—超宇宙の上昇している被創造者と一体となったものたち、すなわち終局者の楽園部隊の時間の上昇者の永遠の共同者たち。通常、思考調整者は、時間の上昇する死すべき者と共に融合し、そのような生き残りの人間との上行球への出入りが記録される。それらは、上昇の存在体の進路をたどる。調整者は、上昇する進化の魂との融合時点で、宇宙の絶対実存の段階から上昇する人格との機能的なつながりの有限経験的段階へと移行するようである。実存的神性の特質の全てを保持するとともに、融合された調整者は、生き残った上昇する必滅者の経歴に固く繋がるようになる。
7. 人格化調整者、具現化された楽園の息子と共に奉仕したものたち、合わせて、人間に内在する間、並々ならぬ働きをしたものの、その対象が生存を拒絶した多くのものたち。我々には、そのような調整者が、超宇宙における任務のために高齢者達からの推薦に基づき人格化されると信じる根拠がある。
これらの神の神秘的な断片を分類できる多くの方法がある。宇宙任務による、個々の人間の内在における成功の度合、または融合に対しての人間候補者の人種的祖先にさえよる分類。
全宇宙活動は、神秘訓戒者の7超宇宙のすべての奉仕からの派遣、管理、指示、そして神性球の神聖な球体の中心からの帰還に置かれているようである。私が知る限り、調整者と父の他の存在者しか、その球体にはいなかった。おそらく、明らかにはされていない多数の前人格的実体が、故郷の球体として神性球を調整者と共有するようである。我々は、仲間のこれらの実体が何らかの方法で神秘訓戒者の現在と将来の活動に関連づけられるかもしれないと推測する。しかし、我々は実のところは知らない。
思考調整者が、父の元に戻る際は、想定される基点の領域、すなわち神性球に帰る。そして、おそらくこの経験の一部として、この秘密の球体に位置すると報告される父の神性の特殊化された顕現との接触のみならず父の楽園人格との実際の接触がある。
我々は、楽園の秘密の7球体の全てについて何かを知ってはいるが、神性球についてよりも他の球体について知っている。高い精霊系列の存在体は、神性の3つの命令だけを受ける。それらは次の通りである。
1. 常に年長者と上司の経験と資性に対し適切な敬意を示すこと。
2. 常に年少者と部下の限界と無経験に思いやりがあること。
3. 決して神性球の岸に着陸を試みないこと。
私は、神性球に行っても、私には全く無駄であろうとしばしば考えた。私は、例えば人格化調整者を除いては、おそらく、何の居住者も見ることはできないであろうし、また私は、他の場所で彼らに会った。私は、神性球には私にとって真の価値あるものや利益となるものは何も無いと、自分の成長と発達に不可欠なものは何も無いと、しかと確信しており、さもなければ、私がそこに行くことを禁じられるはずはない。
我々は、調整者の特質や起源について何も神性球からは知ることができないが故に、無数の異なる情報源からの収集を強いられるが、そのような知識が有益となるには、この蓄積された情報を収集し、分類し、相関させる必要である。
思考調整者が示す勇気と知恵は、彼らが、相当な幅と広さの修練を耐え忍んできたということを示唆する。かれらは人格ではないので、この修練は、神性球の教育機関で与えらなければならない。固有の人格化調整者は、確かに神性球の調整者養成所の構成員である。そして、我々は、宇宙の領域の人種と民族に七重の贈与の完了のためにマイケル系列の楽園の最初の息子の現在の人格化調整者が、この中心的管理部隊を取り仕切っているということを知っているのである。
我々は、無人格化調整者に関し本当にほとんど知らない。我々は、人格化の系列しか接触も通信も行なわない。これらは、神性球で洗礼をうけ、数によらず前々から名前によって知られている。人格化調整者は、永久に、神性球に住所が定められている。その神聖な球体が、それらの故郷である。彼らは、宇宙なる父の意志だけによってその住まいから出かけて行く。ほんのわずかなものが局部宇宙の領域で見掛けられるが、より多数は中央宇宙にいる。
思考調整者が神であると言うことは、単に起源の本質を認めるだけである。神性のそのような純粋さは、永遠無限の楽園の父の宇宙存在の絶対的本質をもつそのような断片に含まれ得る神格の全属性の本質的可能性を迎え入れるということは、大いにあり得る。
調整者の実際の源は、無限でなければならず、進化の人間の不滅の魂との融合の前に、調整者の現実は、絶対性に接しなければならない。神格的な意味において、調整者は、宇宙的な意味の絶対的なものではないが、それらは、断片化した特質の可能性の範囲内においておそらく真の絶対的なものであろう。それらは、特質に関してではなく、普遍性に関して限りがある。それらは、広範さにおいては制限されるが、意味、価値、および事実においては絶対である。だからこそ、我々は、父の制限的絶対の断片として神性の贈り物と時々命名する。
どの調整者も、未だかつて楽園の父に不忠実であったことはない。人格の低い創造物の系列は、時々不忠実な仲間を相手に苦労するかもしれないが、調整者には、決してそういうことはない。それらは、被創造者の活動と宇宙機能の崇高な球体において最高であり、絶対確実である。
無人格化の調整者は、人格化調整者だけに見える。私の系列は、つまり単独使者は、鼓舞された三位一体の精霊同様に、精霊の反応的現象手段によって調整者の存在を探知することができる。そして、熾天使でさえも時々、訓戒者のの人の物質的な心への臨場との想定されたつながりの精霊の光度を明察することができる。しかし、例え調整者の特質が、進化世界から上昇する人間の融合された人格と一体となって知覚できるとしても、調整者が人格化されない限り、我々の中の誰も、実際に調整者の本当の存在を裁量することはできない。調整者の普遍的不可視性は、かれらの高い、独自の神性起源と特質を強く示唆している。
特徴ある光、つまり精霊の明度があり、それは、この神性存在を伴い、また思考調整者と一般的に関連するようになった。ネバドンの宇宙では、楽園のこの明度は、「種火」として広範囲に知られている。ユヴァーサでは、これは、「命の光」と呼ばれる。ユランチアでは、この現象は、時々その「世界に入るすべての人を照らす真の光」と呼ばれてきた。
宇宙なる父に到達したすべての存在体には、人格化思考調整者が見える。実体、精霊、人格、および精霊顕現の他のすべての存在と合わせて全段階の調整者は、楽園の神格に始まる、また壮大な宇宙の主要な政府を統轄するそれらの崇高なる創造者の人格により常に識別できる。
あなたは、調整者の内在の真の重要性を確かに理解することができるのか。あなたは、有限の必滅の創造物に内在し、融合する絶対と無限の神格、すなわち宇宙なる父の絶対的断片を持つことが、何を意味するのか本当に推し測ることができるのか。必滅の人間が、全宇宙の実存的原因の実際の断片と融合するとき、いかなる制限もそのような先例のない、想像もおよばない共同者関係の目標に決して置かれることはできない。永遠には、人は、客観的な神格の無限だけではなく、この同じ神の主観的断片の果てしない可能性も発見していくであろう。常に、調整者は、必滅の人間の人格に神の驚異を顕示しているであろうし、また、この崇高な顕示には決して終わりがない。というのも調整者は、神の出であり、必滅の人間にとっての神であるがゆえに。
あなたが認識するように、それは、本当に心の主要な活動であるので、進化の人間は、心を精霊と物質の間の宇宙的仲介として見る傾向がある。故に、人間が、思考調整者には心があると知覚することは、かなり難しい。なぜならば、調整者は、前人格であるばかりではなく、すべてのエネルギーと精霊相違にも先立つ現実の絶対段階における神の断片であるので。エネルギーと精神分化への一元的段階においては、調停される何の相違もないので、心の何らかの仲介機能は、あるはずがなかった。
調整者は、計画し、働き、愛することができるので、心に相応する個性の力を持たなければならない。かれらは、互い、つまり最初の、または未経験の団体より上の訓戒者のすべての形と伝え合う無制限の能力を備えもつ。我々は、、それらの相互通信の性質と趣旨に関しては知らないので、ほとんど明らかにすることはできない。そして我々は、調整者が何らかの方法で心を持たれなければ、決して人格化できないということも、さらに知っている。
思考調整者の関心は、宇宙なる父と永遠なる息子の心ばえに似ている—そのような心ばえは、結合活動者の心に原型をとる。
調整者に仮定される心の型は、おそらく第一根源と中枢から同様に始まる前人格の実体の多数の他の系列の心の贈り物と同様であるに違いない。これらの系列の多くが、ユランチアでは明らかにされていなかったが、それらは皆、心髄の特性を明らかにする。起源とする神格のこれらの個別化が、多数の進化の型の死を免れない存在体と、またそのような神格の断片との融合のための可能性を既に開拓した限られた数の非進化型の存在体とさえ統一されることも可能である。
思考調整者が、生残している人間の進化している不滅のモロンチア魂に融合されるとき、上昇する人間が、宇宙進歩の精霊水準に達するまでは、調整者の心は、被創造者の心から離れて確認され得るだけである。
上昇経験の終局者段階への到達において、第6段階のこれらの精霊は、そのような上昇する人格の神性と人間の局面との連結の役目を以前に果たした人間と調整者の心の特定の局面の結合を表す何らかの心の要因を変えるようにみえる。この経験的な心の特性は、おそらく「崇高化」し、次には、進化的神格—崇高なるもの—の経験的授与を増やすであろう。
思考調整者は、被創造者の経験に遭遇するとき、精霊影響の存在と導きを明らかにする。調整者は、本当に精霊、純粋な精霊であるが、精霊以上である。我々は、これまで満足に神秘訓戒者を分類することができなかった。それらについて確かに言えるすべては、それらが、本当に神に似ているということである。
調整者は、人の永遠の可能性である。人は、調整者の人格可能性である。あなたの個々の調整者は、あなたの一時的同一性を永遠化することを願ってあなたの精霊化に向けて取り組んでいる。調整者は、精霊の父に対する美しい、そして自己を与える愛で満ちている。調整者は、あなたを本当に、そして神々しく愛している。彼らは、人の心に閉じ込められた精霊の望みの捕虜である。調整者は、孤独が終わるかもしれないという、かれらが、物理的な衣服と時間の衣装の制限からあなたと自由になれるかもしれないという、あなたの必滅の心の神性到達を切望している。
楽園へのあなたの道は、精霊到達への道であり、調整者の特質は、宇宙なる父の精霊の特質顕示を忠実に繰り広げるであろう。楽園上昇の向うに、そして永遠の経歴の後終局者の段階において、調整者は、おそらく精霊活動より他の以前の人間のかつての共同者と接触するかもしれないが、楽園上昇と終局者の経歴は、神を知り、精霊化している人間と神-顕示の調整者の精霊的な活動との共同者関係である。
我々は、思考調整者が精霊である、純粋な精霊である、おそらく絶対的精霊であるということを知っている。しかしまた、調整者は、占有的に精霊の現実であるに違いない。推測される心髄に加え、純粋なエネルギーの要素も存在している。あなたが、神は、純粋なエネルギーと純粋な精霊の源であるということを思い出するならば、神の断片は、両方であると知覚することはそれほど難しくないであろう。調整者が、楽園小島の瞬間的で、普遍の重力回路の空間を通るということは、事実である。
神秘訓戒者が、宇宙の中の宇宙の物理回路とこのようにつながっているということは、誠に説明のつかない事である。しかし、それは、かれらが、物理重力回路を通って壮大な宇宙の全体をよぎるということは事実として残る。神秘訓戒者が、外部空間段階を射通しさえするということは、全く可能である。かれらは、これらの領域に確かに、壮大な宇宙の境界をも超えた結合活動者の心の回路を横断できるとはいうものの、私の人格の系列は、楽園の重力の臨場に続いてこれらの領域に入ることができ、我々は、外部空間の未知の領域での調整者臨場を決して見つける確信はなかった。
にもかかわらず、調整者が物理-重力回路を利用するとき、かれらは、物質創造のようにはそれに服従しない。調整者は、重力の結果として起こるものではなく、重力の原型の断片である。それらは、重力出現に仮定的に先立つ存在の宇宙段階で断片化した。
思考調整者には、その贈与の時から人間対象者の自然な死による神性球への出発の解放の日まで何の息抜きもない。そして、対象者が自然の死の入り口を潜り抜けない思考調整者は、この一時的休止期間さえ経験しない。思考調整者は、エネルギー摂取を必要としない。それらは、エネルギー、すなわち最高の、最も神性な系列のエネルギーなのである。
思考調整者は人格ではないが、それらは本当の実体である。それらは実際に、かつ完全に人格化されており、人間に宿ってはいるものの、決して人格化されない。思考調整者は、真の人格ではない。それらは、真の現実、宇宙の中の宇宙で知られる最も純粋な系列の現実である—それらは神性臨場である。人格ではないが、父のこれらの驚異の断片は、一般的には存在体として、また時として、死すべき者への現在の活動の精神的局面から見た精神実体として呼ばれる。
思考調整者が、意志の特権と選択の力を持つ人格でないならば、では、どのようにして必滅の対象を選択し、進化の世界のこれらの被創造者に宿ることが出きるのか。これは容易い質問ではあるが、おそらく宇宙の中の宇宙のいかなる存在体もこれまでに正確な答えを見つけなかった。私の人格の系列、すなわち単独使者でさえ人格的でない実体における意志、選択、愛の恩恵を完全には理解していない。
我々は、思考調整者は、前人格の全段階において選択の意志力を持たなければならないと、しばしば推測してきた。思考調整者は、人間に宿ることを志願し、人の永遠の経歴の計画を立て、情況に応じて適合し、変更し、そして、これらの活動は、本物の意志を内包している。思考調整者は、死すべき者に対する愛情を持ち、宇宙の危機に際し機能し、人間の選択に応じ決定的に行動するために待機しており、かたこれらはすべて、高度な意志の反応である。人間の意志の領域に関心をもたないすべての状況において、かれらは、あらゆる意味において意志、つまり最大限の決定に相当する力の行使を意味する行為を明白に示している。
では、もし意志があるならば、思考調整者は、なぜ人間の意志に補助的であるのか。我々は、調整者意志は、特質においては絶対であるが、顕現においては前人格であるからだと信じる。人間の意志は、宇宙現実の人格段階で機能し、全宇宙にわたり、非人格—無人格、準人格、および前人格—は、常に、意志と実存の人格の行為に応じるのである。
被創造の存在体と無人格的エネルギーの宇宙全体にわたり、我々は、人格から離れて顕示された意志、決意、選択、愛を観測しない。調整者と他の同様の実体を除いては、我々は、非個人的な現実と関連して機能する人格のこれらの属性を目撃しない。調整者を準人格と示すのは正しくないであろうし、そのような実体を超人格と暗に指すのも妥当ではなかろうが、前人格の存在体と称することは全く許されるであろう。
神性のこれらの断片は、我々の系列には神性の贈り物として知られている。我々は、調整者の起源は神性であるということ、宇宙なる父が、事実上は無限である領域全体におけるいかなる、あるいは全ての物質的被創造者との直接的、かつ無制限の意志疏通、また、まったく楽園の息子の人格のその臨場から、あるいは、無限なる精霊の人格の間接的な活動を通して起こるこの全ての可能性を留保する見込みのある証明と実証を構成するということを認識している。
神秘訓戒者の主人役であることを喜ばない被存在体はないが、終局者の目標に向かう意志をもつ進化的被創造者以外には、いかなる存在体の系列もこのようには内在しない。
[オーヴォントンの単独使者による提示]
思考調整者の人類への使命は、時間と空間の必滅の創造物に宇宙なる父を提示すること、宇宙なる父であることである。それが神の贈り物の基本的な仕事である。思考調整者の使命は、人間の心を高め、人の不滅の魂を楽園の完全性に関わる神性の高さと精霊段階へと移すことでもある。そして、一時的創造物である人間の性質を永遠の終局者の神の性質にこのように変える経験において、調整者は、他のいかなる宇宙手段によっても複製不可能の完全な調整者と完成された創造物との永遠の結合になる存在体の独自の型を生み出す。
宇宙全体の何も、非無実存段階における経験事実を擦り替えることはできない。無限の神は、満ちており、完全であり、悪と被創造者の経験を除く万物をいつものように無限に含んでいる。神は曲がったことはできない。絶対確実である。神は、自分が決して個人的に経験したことがないことを経験的に知ることはできない。神の前知識は実存的である。それ故、父の精霊は、有限の死すべき者と共に上昇経歴のあらゆる本物の経験に関係するために楽園から降りる。実存的な神が、真実と事実に合致して経験的な父になり得るのは、そのような方法だけによってである。永遠の神の無限は、有限経験への可能性を包含する。そしてそれは、人間の生活変化の経験を実際に共有する調整者断片の活動において本当に現実となる
調整者は、人間奉仕のために神性球から派遣されるとき、実存的な神性の資質においては、相等しいのであるが、進化の創造物の中で、またそれとの以前の接触に比例した経験の性質においては異なる。我々は、調整者の任務の基準について説明することはできないが、われわれは、これらの神性の贈り物が、被内住人格への適合の永遠の合理性の何らかの賢明で効果的な方針に基づいて与えられると推測する。我々は、より経験豊富な調整者が、しばしば人間のより高い型の心の内在者であることを観測している。人間の遺産は、したがって、選択と任務の決定にかなりの要因があるに違いない。
我々は、確信はないが、全思考調整者は、志願者であると堅く信じる。しかし、志願する前に、思考調整者は、内在の候補者に関する完全な資料を手にしている。祖先の天使の草案と映し出された日常生活の型は、地方宇宙の首都から超宇宙の本部へと内部におよぶ反射方法により神性球の調整者の予備部隊へと楽園経由で送られる。この予測は、人間候補者の遺伝的前例ばかりではなく、見込のある知的授与と精神的能力の推定にもおよんでいる。調整者は、詳細に完全に知らされた本質のその心に宿ることを志願する。
志願する調整者は、人間候補者の3つの資格に特に興味を持っている。
1. 知的能力。心は正常であるのか。知力の可能性、知性の能力とは、何なのか。個人は、本物の意志の被創造者へと成長できるのか。英知には機能する機会はあるのか。
2. 精霊の認識。敬虔的発展の見込み、宗教本質の誕生と成長。魂の可能性、つまり起こり得る精霊の受容能力とは、何なのか。
3. 結合された知力と精霊的な力。人間の性格の強さを産み、生存価値の不滅の魂のある種の進化に貢献できるようにこれらの2つの授与がことによると関連し、結合されるかもしれない度合い。
これらの事実を目前にして、訓戒者は、任務に自由に志願するというのが我々の意見である。恐らく複数の調整者が、志願する。多分、人格化された統轄系列は、人間候補の個性の精霊化と永遠化の仕事に最適なものを調整者を志願するこの集団から選択する。(調整者の任務と奉仕において創造物の性別は重要ではない。)
おそらく調整者の志願と実際の派遣の短い介在時間は、人格接近と心の精霊化のために最も効果的な進め方について任命された調整者を指導するにあたり、待機中の人間の心の働く型が用いられる人格化訓戒者の神性球の学校で費やされる。この心の型は、超宇宙の反射の奉仕によって供給される資料の組み合わせで定式化される。少なくともこれが我々の理解するところである。すなわち、これは、単独使者の長い宇宙経歴の中で多くの人格化調整者との接触により入手される情報集約の結果としての我々の見解である。
いったん調整者が実際に神性球から派遣されると、その瞬間と選ばれた対象の心に登場する間には、実際には何の時間も介在しない。神性球からユランチアまでの調整者の平均通過時間は117時間42分と7秒である。実質的に、この時間すべては、ユヴァーサにおける登録に占有される。
調整者は、人格についての予測が神性球に取り継がれるや否や奉仕を願い出るが、人間対象者が、それぞれの最初の道徳的人格決意をするまでは実際には配属されない。人間の子供の最初の道徳的選択は、第7の心の補佐に自動的に示され、地方宇宙の創造霊を経て、神性球へこの情報を直ちに送り出す超宇宙管轄の主たる精霊の出席のもとに結合活動者の宇宙規模の心重力回路へと即座に登録する。調整者は、平均的にちょうど6回目の誕生日前に、ユランチアの人間の対象者に達する。現代の人々は、5年10カ月と4日間におよぶ。すなわち、地上生活の2,134日目。
調整者は、人間の心が、内在する補佐の心-霊の活動により順当に用意され、聖霊により回路に載せられるまでは、人間の心に侵入することはできない。そして、それは、調整者の受け入れに向けて人間の心をこのように相応しくすることをすべての7名の補佐の調和的機能に要求する。創造物は、善と悪の道徳的選択の新生価値の間において選択能力を示すことより崇拝活動を示し、知恵の働きを表わさなければならない。
このようにして人間の心の舞台は、調整者の受け入れに備えるが、概して彼らは、真実の精霊が、これらの異なる精霊活動の精神的調整者として機能しているそれらの世界上であること以外は、当該の心に宿るために直ぐには現れない。贈与の息子のこの精霊が臨場するならば、調整者は、第7の補佐の心-霊が機能し始めて、宇宙の母なる精霊へ信号を送る瞬間に確実にくる。それは、そのような人間の知力への先行する活動の関連する6名の補佐の可能な調整を成就した。その結果、神性調整者は、五旬節の日以来ユランチアでは道徳的な地位のすべての通常のな心に一般的に授与されているのである。
真実の精霊を贈与された心でさえも、調整者は、道徳的な決定の現象前には、人間の知力に任意に侵入できない。しかし、そのような道徳的決定がなされると、この精霊の助手は、神性球からの直接の管轄権を担う。神性調整者とその人間の対象の間には、機能する何の仲介者も、他の介入的権威者も、あるいは力も存在しない。神と人は、直接に関連がある。
進化の世界の住民に真実の精霊を注ぐ時代以前に、調整者の贈与は、多くの精霊の影響と人格態度で決定されるようである。我々は、そのような贈与を定めている法律を完全には理解していない。我々は、そのような進化している心に宿ることを申し出た調整者の放出をまさに何が決定するのかを理解はしていない。しかし、我々は、真実の精霊の贈与の前にそのような心への調整者の到着に関連しているらしい数々の影響と状況を観察するのである。そして、それらは次の通りである。
1. 個人的な熾天使の後見者の任務。もし調整者が予め必滅者に宿っていなかったならば、個人的な後見者の任務は、直ちに調整者をもたらす。調整者の活動と個人的な熾天使の後見者の活動の相互間には何らかの非常に明確な、しかし、未知の関係が存在する。
2.知的な業績と精霊的な達成の第3回路への到達。私は、そのような事柄に関する地方宇宙の人格にそれほどの達成がはっきり示されることができる前にさえ、調整者が第3回路の克服の人間の心に到着するのを観測した。
3. 精霊の驚くべき重要性に対する最高の決定の場合。惑星の個人的な危機におけるそのような人間の行動は、通常、待機中の調整者の即座の到着が伴う。
4. 兄弟愛の精霊。精神的な回路への到達や個人的な後見者の任務のいかんを問わず—危機決定に類似するような何かがない場合でも—前進する人間が、仲間への愛に支配され、肉体の同胞への寡欲な活動に奉げられるようになるとき、待機中の調整者は、そのような人間奉仕者の心に宿るために例外なく下りる。
5. 神の意志を為す意思表示。我々は、空間世界の多くの死すべき者が、調整者を受けるために準備が明らかに整っていると観察しているにもかかわらず、訓戒者は、まだ現れない。我々は、そのような創造物が、日々を生き、そして、ほぼ無意識に、天の父の意志を為す仕事を始めるという決定に間もなく静かに、到達するのを見続ける。そして、我々は、思考調整者の即座の派遣を観察する。
6. 崇高なるものの影響。調整者が、必滅の居住者の進化する魂と融合しない世界において、我々は、調整者が、完全に我々の理解を超える影響に応じて時おり与えられるのを観察する。我々は、そのような贈与が、崇高なるものに始まる何らかの宇宙反射的な行為により決定されると推測する。我々は、これらの調整者が、なぜこれらの進化する人間の心の特定の型との融合ができなかったり、または、しなかったりするのかについては知らない。そのような扱いは、我々には一度も示されたことがなかった。
我々が知る限り、調整者は、宇宙の中の宇宙の独立した働く部門として組織化され、明かに、神性球から直接に管理される。それらは7超宇宙にわたって同型であり、神秘訓戒者の同じ型が、全地方宇宙で勤めを果たしている。我々は、人種を通し、天の配剤について、そして世界と組織と宇宙へ広がる連続的組織にかかわる数多くの一連の調整者がいるということを観測から知っている。これは、しかしながら、それらが、壮大な宇宙の至るところで互換性を持って機能するので、神のこれらの贈り物の動向をおさえることは、きわめて難しいのである。
調整者に関する完全な記録は、(神性球の外の)7超宇宙の本部にしかない。上昇する各創造物に宿る各調整者の数と系列についてはは、楽園当局が、超宇宙の本部に報告し、そこから関係する地方宇宙の本部に伝えられ、特定の惑星に中継される。しかし、地方宇宙の記録は、思考調整者の完全な番号を明らかにしない。ネバドンの記録は高齢者達の代表により指命される地方宇宙での任務番号だけを網羅している。調整者の完全な番号の本当の重要性は神性球だけで知られている。
人間の対象者は、それぞれの調整者の番号によってしばしば知られている。必滅者は、調整者融合の後まで本当の宇宙名を受けないし、その結合は、目標後見者による新しい被創造物への新しい名前の贈与によって示される
我々には、オーヴォントンに思考調整者に関する記録があるが、それに、彼らと彼らの行政関係に対し全く何の権威も持ってはいないが、我々は、地方宇宙の個々の世界と神性球上の神の贈り物の中央宿舎との間には非常に緊密な行政関係があると堅く信じる。我々は、楽園の贈与の息子の登場に続き、進化の世界は、人格化調整者を調整者の惑星監督としてそれに割り当てるということを知っている。
地方宇宙の査察官は、惑星調査を行う際、ちょうど査察官が、熾天使の責任者と進化する世界の行政に配属された存在体の他の系列の指導者に命令を届けるように、つねに思考調整者の惑星の責任者に話し掛けることに注目することは興味深い。つい先頃、ユランチアは、ネバドンの宇宙の生命-実験の全惑星の主権を有する監督タバメンチアによるそのような定期的な点検を受けた。そして超人間の人格の様々な責任者への訓戒と告発に加え、サルヴィントンかユヴァーサ、または神性球の惑星に位置するのかどうかは我々は全く知らないが、記録は、タバメンチアは、調整者の責任者に次のような承認も届けるということも明らかにしている。タバメンチアは言った。
「さて、私よりはるかに優れるあなたがたのところに、私は、一連の実験的惑星に一時的な権威で配置されるものとして来ました。私は、この不規則な球体での奉仕を申し出た天の奉仕活動者のこの立派な集団の神秘訓戒者に対し、賛美と深い敬意を表しに来ました。危機がいかに困難であろうとも、あなたがたは決して怯まない。ネバドンの記録にも、またオーヴォントンの委員会の前でも、一人の神性調整者に対する起訴は、かつて提示されたことはなかった。あなた方は、その信託に忠実であった。あなた方はこの上なく誠実であった。あなた方は、この混乱した惑星で働くすべての者の誤りを訂正し、短所の補正の手伝いをしてきた。あなた方は驚くべき方々であり、この遅れている領域の魂の善の後見者である。あなた方が、篤志の活動者として明らかに私の管轄下にいる間にさえも、私はあなた方に敬意を表します。私は、あなた方の申し分ない利他性、奉仕への理解、公平な献身を認識し、あなた方にお辞儀をします。あなたは方は、この争いで疲弊し、悲しみに打ちひしがれ、病に苦しむ世界の死を免れない住民への神のような奉仕者の名に値する。私は、あなた方を尊敬する。私はあなた方を崇拝すると言ってもいいくらいです。」
多くの一連の証拠の結果、我々は、調整者が徹底的に組織化されていると、どこか遠くの中心源から、おそらくは神性球からのこれらの神性の贈り物である非常に知的で効果的で指示的な行政が存在すると信じる。我々は、調整者が、神性球から世界に来ることを知っているし、確かに、それらは、その対象者の死に際しそこに帰って行く。一連の
高い精霊の系列の間に、行政機構を発見することは、きわめて難しい。私の人格の系列は、明確な任務に従事する間、広範囲の宇宙の関連者として連合して機能する多くの他の人格的かつ非人格的な準-神格集団とともに確かに無意識に参画している。我々は、前人格化の実体の多数の系列の存在に一様に気づいている人格化された創造物の唯一の集団(人格化調整者は別として)であるが故に、我々は、このように奉仕しているのではないかと推測する。
我々は、第一根源と中枢の前人格の神性の断片である調整者の存在に気づいている。我々は、楽園三位一体の超人格表現である三位一体の啓示的精霊の存在を感じる。我々は、同様に、ある種の明かされていない系列の精霊の存在が、永遠なる息子と無限なる精霊から湧き出てくるのを感知する。我々は、あなたにはまだ顕示されていない他の実体に全く反応していないわけではない
ネバドンのメルキゼデクは、これらの様々な影響が、進化の崇高なるものの進化する神格に入り込むように、単独使者が、これらの様々な影響の調整者の人格であるということを教える。我々は、時の不可解な現象の多くの経験的統一の関係者であるかもしれないということは極めて可能であるが、我々はこのように機能をすることに意識的確信はない。
他の神格の断片とのありうる連携は別として、調整者は、人間の心における自分の活動範囲において全く単独である。父が、壮大な宇宙全体においてすべての直接的な個人の力と権威の行使を明らかに辞めたかもしれないが、楽園の神格の崇高なる創造者の子供のための放棄のこの行為にもかかわらず、父は、共同的に楽園の息子の精霊的な引力で、自分自身に全創造の被創造者を引き寄せるためにそのように行動できる目的で進化する創造物の心と魂への臨場のために議論の余地のない権利を抗しがたく確保したという事実を神秘訓戒者は、雄弁に示す。楽園の神性の崇高なる創造者の子供のための放棄のこの行為にもかかわらず、父は、壮大な宇宙全体においてすべての直接の個人的な力と権威の行使を明らかに断念したかもしれないが、神秘訓戒者は、父は確かに、共同的に楽園の息子の精霊の引力と全創造の被創造者を自分に引き寄せるためにそのように行動するかもしれない目的で進化する創造物の心と魂への臨場するために議論の余地のない権利を永久に留保してきたという事実を雄弁に示す。あなたの楽園の贈与の息子は、まだユランチアに滞在中、「私が引き上げられるときは、すべての人を引き寄せるであろう」と言った。我々は、楽園の息子のこの精霊の引く力とそれぞれの創造的な仲間を認識し理解はしているが、人間の心のなかで非常に勇敢に生き、かつ働いているこれらの神秘訓戒者のなかで、そしてそれを通しての全英知の父の機能の手段を完全に理解しているわけではない。
宇宙の中の宇宙の仕事に従属的ではなく、同等でもなく、または、明らかに関連してもいない一方で、人の子供の心で独自に行動はするが、これらの神秘的臨場は、内在する創造物を神性の理想に向けて絶えず駆り立てる、つまり将来とより良い人生の目的と目標に向けて上へと誘う。これらの神秘訓戒者は、オーヴォントンで高齢者達の主権の安定化において不思議なほどに貢献するとともに、ネバドンの宇宙の中でマイケルの精霊的統治の確立においても、絶えず補佐をしている。調整者は、神の意志であり、神の崇高なる創造者の子供もまたその同じ意志を人格的に具体化することから、調整者の行為と宇宙支配者の主権が互いに依存するということは避けられない。明らかに無関係ではあるが、父の臨場である調整者とネバドンのマイケルの父の主権は、同じ神性のさまざまの顕現であるに違いない。
思考調整者は、他のありとあらゆる精霊の臨場に全く関係なく行き来するように見える。彼らは、他の精霊のすべての影響の働きを支配し、管理するそれらとは全く切り離した宇宙の法則に基づいて機能するようである。しかし、そのような見かけの独立に関係なく、長期の観測は、補佐の心-霊、聖霊、真実の精霊、および他の影響を含む他のすべての精神活動との完全な協働と相まって人間の心において機能するということを疑いなく明らかにする。
世界が反乱により隔離するとき、惑星がすべての外側の回路化された交信から切り離されるとき、個人的使者は別として、カリガスティア動乱後のユランチアのように、直接の惑星間、あるいは宇宙の通信の唯一の可能性が依然としてあり、そして、それは球体の調整者の連携を通してである。世界、または、宇宙で何が起こっても、調整者は、決して直接関係がない。惑星の隔離は、地方宇宙、超宇宙、または中央宇宙のいかなる場所との通信をする調整者とかれらの能力に決して影響をあたえない。そして、これが、目標の予備部隊の崇高で独立的な調整者との接触が隔離された世界でよく頻繁におこる理由である。惑星孤立の不利な条件を回避手段としてそのような方法に訴える。近年、大天使の回路はユランチアで機能したが、通信手段は、主に大天使部隊自体の活動に限られている。
我々は、理解に全く途方に暮れる遠く離れた宇宙の多くの精霊的な現象を認識している。我々は、周りで起こるすべてにまだ通じるものではない。そして、私は、この計り知れない仕事の多くが、重力使者と特定の型の神秘訓戒者によってもたらされると思っている。私は、調整者が、単独に人間の心の改造に専心しているとは信じない。私は、人格化訓戒者と明らかにされていない前人格の他の系列が、領域の創造物との宇宙なる父の直接で説明のつかない接触を代表していると確信している。
調整者が、ユランチアで生活するような複合的存在体に宿ることを志願するとき、かれらは、難しい任務を受け入れている。かれらは、然るに、あなたの心に存在し、領域の精霊の有識者の訓戒をそこで受け、次に、精霊のこれらの通達事項を物質の心に再度伝えるか、あるいは、言い換えを引き受けるための任務を担ったのである。それらは楽園上昇に不可欠である。
思考調整者は、あなたの現在の人生で役立てることができないこと、婚約関係にある人間にうまく伝えることができないそれらの真実を、適切な協力を与えることへの被創造物の無能さ、または失敗がもとで、対象である人間の経験において入力し損ねたそれらの事柄を今まさに軌道から軌道へと運んでいるように、かれは、存在の次の段階での活用のために忠実に保持するであろう。
あなたが当てにできる一つのこと。調整者は、自分が世話に専念している何も決して失わないであろう。我々は、これらの精霊助力者が、履行を怠るということを決して知らない。地方宇宙の息子の型を例外とせず、天使と他の高い型の精霊体は、時として悪を容認することがあるかもしれないが、神性の道から逸脱することがあるかもしれないが、調整者は、決してためらわない。彼らは、絶対に信頼できるし、これはすべての7集団に等しく本当である。
あなたの調整者は、あなたの存在、つまり神とのあなたの永遠の息子性の事前の贈与の新しい、次の系列の可能性である。あなたの意志の同意により、そして同意に基づいて、調整者には、創造物の物質の心の動向を新生のモロンチアの魂の動機と目的の変換行為に従属させる力を持っている。
神秘訓戒者は、思考助力者ではない。彼らは思考調整者である。彼らは、調整と精霊化により、新しい世界とあなたの未来の経歴の新しい名前により、構築目的に向けての物質の心で働く。彼らの任務は、この世ではなく、主に来世に関係する。それらは地球の助力者ではなく、天の助力者と呼ばれる。彼らは、人間の経歴を容易くすることに関心はない。むしろ、かれらは、決意が刺激され、増やされるように、あなたの人生をそれなりに困難で険しくする際に関与している。すばらしい思考調整者の臨場は、生活の容易さや精力的な考えからの自由を与えはしないが、神性のそのような贈り物は、心の崇高な平穏と精神のじつに見事な静けさを与えるはずである。
あなたの一時的で変化し続ける喜びと悲しみの感情は、主には、あなたの内部の精神的傾向と外部の物質的環境への純粋に人間的、そして、物質的な反応にある。したがって、利己的な慰めと人間らしい安らぎを調整者に期待してはいけない。あなたに永遠の冒険の準備をさせることが、あなたの生存を保証することが調整者の仕事である。あなたの混乱した気持ちを静めたり、あるいは傷ついた誇りに役立つことが、神秘訓戒者の使命ではない。それは、調整者の注意を引き、時間を占拠する長い上昇経歴のためのあなたの魂の準備である。
私には、調整者があなたの心の中で、そして魂のためにまさに何をするのかあなたに説明できるのか疑わしい。神性の訓戒者と人間の心の宇宙的繋がりにおいて実際に起こっていることを完全に認識しているかどうか私には分からない。我々にとり、すべては、計画や目的に関してではなく、実際の達成方法に関し、幾分か謎である。そして、これこそが、我々が人間へのこれらの崇高な贈り物の適切な名前を見つける際、そのような困難に直面する理由である。
思考調整者は、あなたの恐怖の気持ちを愛と自信の確信に変えることを希望している。しかし、彼らは、機械的に、また任意にそのようなことを行なうことはできない。それはあなたの仕事である。恐怖の足枷からあなたを救い出すという決定を実行するに当たり、あなたは、調整者が、照明を高めたり、進める精霊の梃をその後適用するかもしれない精神の支点を文字通り供給する。
人種の高度と低度の性向の間に、つまり本当に正しいものと、悪であるものの間に (単にあなたが正悪と呼ぶものではなくて)、鋭くてはっきりした衝突が起こるとき、あなたは、調整者は、そのような経験において何らかの明確で積極的な態度で常に参加するであろうということを当てにすることができる。そのような調整者の活動は、人間の共同者には無意識であるかもしれないという事実は、その価値と現実を少しも損なわない。
あなたには、将来の目標の個人的な後見者がおり、そして生存を達成できなければ、その守護天使は、信託の忠実な実行に関し立証のための審判を受けなければならない。しかし、彼らの対象が生残し損なった場合、思考調整者は、このように審査にはかけられない。我々は皆、天使はことによると活動において完成に達しないかもしれないが、思考調整者は、楽園の完全の方法で働いていることを知っている。かれらの活動は、神性球の外のいかなるものによる批判の可能性を超える非の打ち所のない方法によって特徴づけられる。あなたには、完全な案内人がいる。したがって、完全性の目標は、必ず達成できるのである。
崇高で完全な調整者にとりユランチアの死すべき者といったような物質的生物の心に実際に存在するために自分自身を提供するということ、つまり地球の動物起源の存在体との試験的結合を本当に成就するということは、実に神性の謙遜の極致である。
調整者は、世界の住民の以前の状態がどうであれ、全ての人間への神性の息子の贈与に続き、また真実の精霊の贈与の後に、意志ある全ての標準的創造物の心に住むことを望んでそのような世界に繰り出すのである。楽園贈与の息子の任務完了に続き、これらの訓戒者は、本当に「あなたの中の天国の王国」になる。調整者は、人間の邪悪のまさしくその中でさえ人間の心で共存しなければならないということは、文字通り本当なのであることから、父は、神性の贈り物の恵与を通して、罪と悪への可能な最接近をする。内在する調整者は、全く浅ましく、利己的なそれらの考えに特に苦しめられる。かれらは、美しく神性であるもへの不敬に苦しめられており、人の愚かな動物的恐怖と子供じみた懸念の多くに自分達の仕事が実質的に阻まれている。
神秘訓戒者は、確かに宇宙なる父の贈与、宇宙のあちこちでの神の姿の反映である。偉大な教師は、人間は、心の精霊で一新されるべきであると、神のように、正義と真実の完成から誕生する新たな人間になると、かつてかれらに諭した。調整者は、神性の印、神の臨場である。「神の姿」とは、身体的類似性にも物質的創造物の拘束的制限にも言及するのではなく、むしろ、宇宙の謙虚な被創造者への思考調整者の崇高な贈与における宇宙なる父の精霊存在の贈り物に言及しているのである。
思考調整者は、精霊的到達の源泉であり、あなたの中の神の性格の望みである。思考調整者は、生存のための力、特権、可能性であり、単なる動物の創造物とあなたを完全に永遠に区別する。彼は、外部の、また物理的刺激とは対照的に高度の真に内部の精神的思考の刺激であり、それは、物体の神経-エネルギーの働きに沿って心に達する。
将来の経歴のこれらの忠実な管理人は、つねに精霊的な対応物としてあらゆる心の創造を絶えず複製する。あなたが、本当に生存世界における復活を(精神的にだけ)目指すように、彼らは、ゆっくりと、確実にあなたを作り直している。そして、これらの絶妙の精霊改造のすべては、あなたの進化している不滅の魂、すなわちモロンチアの自己が現れている現実で保持されている。これらの現実は、実際にそこにある。にもかかわらず、調整者は、かれらを意識の光に示すためにこれらの複製の創造を十分に高めることはあまりできない。
また、あなたが人間の親であるように、調整者は、神性のあなたの真の親、あなたのより高く前進的自己、より良いモロンチアと将来の精神的な自己である。そして、あなたの存続を宣告し、あなたの忠実な共同者—神、調整者—との永遠の繋ぎにおいてあなたを新世界へと、また決して終わらない生存へと上に移行する時、裁判官と検閲官が見分けるのは、この進化しているモロンチア魂なのである。
調整者は、あなたの進化する不滅の魂の永遠の原型、神性の源である。調整者は、人に精霊的経歴と将来の経歴を考慮にいれた物質生活と現在の生活への精通へと導こうとする絶え間ない衝動である。訓戒者は、不滅の望みに自由を奪われた者、永遠の進行の泉である。彼らは、多少直接的な回路で対象との通信をどれほど楽しんでいることか。彼らが、象徴や他の間接的方法を不要とすることができ、直接に人間の共同者の知力に情報を伝えることができるとき、どれ程までに歓喜していることか。
あなた方人間は、無限に近い展望、つまり気分を浮き立たせる奉仕、無類の冒険、崇高な不確実性、そして果てしない達成の機会の決して終わらない、広がり続ける球体の無限の展開を始めた。雲が頭上に集まるとき、あなたの信仰は、内在する調整者の臨場の事実を認めるべきであり、その結果、あなたは、人間の不確実性の霧の先にサタニアの大邸宅世界の招いている高さに永遠の正義の太陽の澄んだ輝きをのぞき見ることができるであろう。
[オーヴォントンの単独使者による提示]
思考調整者は、宇宙経歴の子供であり、実際に、未経験の調整者は、人間が成長し向上している間に経験しなければならない。人間の子供の人格は、進化的な一生のための闘いに向けて発展するように、調整者も上昇する命の次の活動範囲の予行において大きくなるのである。子供が、幼年期の社会生活や遊びの世界を通してかれの大人の活動に向けて適応性のある多才さを習得するように、内在する調整者は、モロンチア経歴と関係のあるそれらの活動のための人間の予備計画と予行の効力により宇宙人生の次の舞台のための技術を獲得する。人間の存在は、増加した責任と来世のより大きい機会に備える際、調整者により効果的に活用される演習期間を構成する。しかし、あなたの中で暮らしている間、調整者の努力は、現世の一生と惑星の一生の問題にはそれほど関わりはない。今日、思考調整者は、人間の進化する心における宇宙経歴の現実について、いわば、予行演習をしている。
かれらが、神性球から送り出される前に、未経験の調整者の訓練と発展のための包括的で入念な計画がなければならないが、我々はそれに関してあまり多くを本当に知らない。かれらが、人間とのつながりの新たな任務に乗り出す前に、内在経験のある調整者を再訓練するための大規模な体制もまた疑いなく存在するのであるが、我々は、実は知らない。
私は、訓戒者の内在する人間が生存に失敗する度に、つまり調整者が神性球に戻るとき、訓練の延長の過程に従事すると人格化調整者から告げられた。この延長訓練は、人間に宿る経験によって可能にされ、訓練については、その調整者が、時間の進化の世界へ送り返される前に、それはいつも与えられる。
宇宙には実際の生活経験の代用品は何もない。形成されたばかりの思考調整者の神性の完全性は、いかなる方法においてもこの神秘訓戒者に経験豊富な援助能力を授けはしない。経験は、生活から不可分である。神性の贈り物は、実際の生活から確保する必要性から免除できない唯一である。したがって、崇高なるものの現在の球体内で生きており機能するすべての存在と同じように、思考調整者は、経験をしなければならない。それらは、下方から一層高い集団へと、未経験からより経験豊富な集団へと進化しなければならない。
調整者は、人間の心で確かな発達上の経歴を経験する。永遠に自分達のものである到達の現実を獲得する。調整者は、物質的人種とのありとあらゆる接触の結果、特定の人間対象者の生存、あるいは非生残にかかわらず、次第に調整者としての技能と能力を取得する。調整者もまた、生存能力の不滅の魂の進化を促進することにおいて、人間の心の平等の共同者である。
調整者進化の第一段階は、死を免れないものの生残する魂との融合によって達せら到達される。このように、あなたが、ありのままに人から神への内側の、そして上向きの進化している間、 調整者は、神から人への外面の、そして下向きの進化をしている。であるからこそ、神性と人間のこの結合の完成品は、永遠に、人の息子と神の息子になるのである。
あなたは、経験に関して調整者の分類—未経験で、高度で、最高—について知らされてきた。あなたは、特定の機能的な分類—独立的な調整者—も認めるべきである。独立的な調整者とは次のようなものである。
1.調整者が、人間の対象に貸与されるだけの世界の型において、あるいは、人間が、生存をしそこなった実際の融合惑星上において一時的な居住者として志をもつ創造物の進化する人生においてある種の必要な経験を持つもの。そのような訓戒者は、高度の調整者か最高の調整者である。
2.第3の精霊回路に到達し、個人的な熾天使の保護者を割当てられた人間の精霊的な力の均衡を得たもの。
3. 最高の決断をしたもの、すなわち厳粛で誠実な婚約的関係に入った調整者をもつ対象者をもつもの。調整者は、あらかじめ、実際の融合の時間に目を向け、結合を事実の出来事とみなす。
4. 人間上昇の進化的世界で目標予備部隊の1つに召集された対象者をもつもの。
5.人間の睡眠の間のいつか、、指定先の世界の精霊の管理に関連する連携、接触、再登録、または人間圏の外からの他の奉仕の何らかの功績を果たすために一時的に人間の幽閉の心から離れているもの。
6. 惑星の精霊的な業務に不可欠の何らかの宇宙の目標への実施が委ねられた精霊人格の物質共同者であった一部の人間の経験における危機の際に役目を果たしたもの。
独行的調整者は、その多くの功績が、結合している人間対象者の内外両面において示されているように、直接内在する人間の人格には含まれないすべての事柄において際立つ意志の度合をもつと思われる。そのような調整者は、領域の数々の活動に参加するが、より頻繁に、自身が選ぶ地球の棲家の気づかれない内在者として機能している。
間違いなく、これらの高度のより経験豊かな調整者の型は、他の領域の調整者達と意思の疏通をはかることができる。しかし、独行的調整者が、このように相互に通じる間、時として、危機の時代の惑星間の問題において機能するということはことは知られているが、互いの仕事のうえだけで、そして滞在する領域の調整者の活動に不可欠の保存資料の維持の目的のためだけにそうするのである。
最高の、独行的である調整者は、人体を意にままに離れることができる。内在者は、人間の生命の有機的部分でも生物的部分でもない。内在者は、その上での神性の重ね合わせである。調整者は、本来の生命計画において備えられはしたが、それらは、物質的存在に不可欠ではない。それにもかかわらず、一度自分達の内在に着手すると、彼らは、滅多に、一時的にさえ、人間の棲家を去ることはないと記録されるべきである。
超独行的調整者は、委ねられた課題の克服を達成したもの達であり、ひたすらに物質生活手段、あるいは人間の魂の移動を待ち受けている。
神秘訓戒者の詳細な仕事の特徴は、つながりの、あるいは融合の調整者であるかにより、それぞれの任務の性質において異なる。一部の調整者は、その対象者の束の間の生涯のために単に貸与されるだけである。他のものは、それらの対象者が生き残るならば、永遠の融合の許可をもつ人格候補者として用いられる。また、異なる体制と異なる宇宙だけでなく、異なる惑星の型の間のかれらの仕事におけるわずかな変化もある。しかし、それらの作業は、概して、天の存在体の作られたどの命令のどの任務よりも著しく均一している。
特定の原始世界(第1直列群)では、調整者は、経験的訓練として、主に自己修養と進歩的発展として、創造物の心に宿る。原始人が決断の深みに到る初期に、しかし、新生の精神性のより高い水準に達するために自制と性格獲得の丘の向こうの道徳的な高さを昇ることを比較的に選ばない初期に、未経験の調整者は、通常、そのような世界に送られる。 (しかしながら、調整者融合に失敗する多くのもの達は、精霊-融合の上昇者として生残するのである。)調整者は、原始の心との一時的なつながりにおいて貴重な訓練を受け、素晴らしい経験をし、その後、他の世界上の優れた者の利益のためにこの経験を活用することができる。そもそも生存価値のあるものは、広い全宇宙において何も失われない。
別の世界の型では(第2直列群)、調整者は、単に人間に貸与される。ここでは、訓戒者は、決してそのような内在を介しての融合人格に達することはできないが、人間の生涯の間に、ユランチアの人間に与えることができるよりもはるかに、人間の対象者に大きな力添えを提供する。調整者は、より高い精霊的到達のためのひな型として、必滅の創造物に一生の寿命の期間ここで貸し与えられる。調整者は自然死の後には戻らない。これらの生残の人間は、精霊融合で永遠の命に達する。
たとえばユランチアのような世界では(第3直列群)、神性の贈り物との本当の婚約的関係、生と死の契約がある。もしあなたが生残するならば、永遠の結合、永遠の融合、人と調整者の一つの存在製作があることになっている。
この一連の世界の3個の脳をもつ人間の中では、束の間の生活の間、調整者は、1個や2個の脳をもつ型の中で、それぞれの対象者とのさらに一層の実際の接触ができる。しかし、死後の経歴においては、3個の脳の型は、ちょうど1個の脳の型と2個の脳の民族—ユランチの人種—のように進行する。
2個の脳の世界においては、楽園贈与の息子の滞在の後、未経験の調整者は、疑いなく生存能力を持つ人々には滅多に割り当てられない。そのような世界では、生存の可能性をもつ知的な男女に宿るすべての調整者は、実際には高度、または最高の型に属するというのが我々の信念である。
ユランチアの早期の進化する人種の多くには、3つの存在集団があった。かれらは、断然動物的であり、調整者受け入れの容量を全く欠くほどのもの達がいた。道徳的責任の時代に達したとき、調整者の疑う余地のない能力を示し、即座に彼らを受けいれたもの達がいた。境界線の位置を占めた3番目の階級があった。彼らには調整者受理の容量はあったのだが、訓戒者は、個人の嘆願に際しやっと心に宿ることができたのである。
多くの未経験の調整者は、実際には不適任の媒体や劣る先祖による廃嫡により生存資格を取り上げられるそれらのもの達と共に、進化する心に連絡する際の貴重な予備経験のために役立ち、その結果、どこか他の世界のより高い心の型へのその後の任務により優れた資格を得た。
人間の間の知的な相互通信の高度の形は、内在する調整者によって大いに促進される。動物は共感をもつが、互いに概念を伝えない。感情を表すことはできるが、考えと理想は表明できない。動物起源の人間もまた、思考調整者が贈与されるまで高い型の知的関係、あるいは仲間との精神的な交わりを経験しない。にもかかわらず、そのような進化の生きものが言語行動を発展するとき、かれらは、調整者を受ける本道を歩んでいる。
動物は、粗雑な方法で互いに伝達し合うが、そのような原始的接触にはほとんど人格はない。調整者は人格ではない。それらは前人格の存在である。しかし、彼らは人格の源の出であり、その臨場は、人間の人格の質的徴候を増大させる。特に、調整者に以前に経験をしたならば、これは本当である。
調整者の型は、人間の人格表現に関する可能性と非常に関係がある。時代を通して、ユランチアの偉大で知的で精神的指導者の多くは、内在する調整者の優越性と以前の経験のため、主に自分達の影響力を奮ってきた。
内在する調整者は、昔の原始人の子孫を変えたり、人間らしくすることにおいて、少なからず他の精霊的な影響と協力した。ユランチアの住民の心に宿る調整者が引っ込められるならば、世界は、ゆっくりと原始時代の人間の多くの場面と習慣に戻ることであろう。神性訓戒者は、前進的文明の真の可能性の1つである。
ユヴァーサの記録によると、ユランチアで1つの心に宿る1名の思考調整者が、以前オーヴォントンにおいては15の心に住んでいたことに気づいた。我々は、この訓戒者が他の超宇宙で同様の経験をしたかどうかについては知らないが、私はそうではないかと推測する。これは、驚くべき調整者であり、この現代のユランチアにおいて最も役に立つ大きな力の1つである。生き残ることを拒否したという点で他のもの達が失ったものを、この人間は、(そして、あなたの世界全体も)獲得する。生存資格のないもの達からは調整者が現在持っているその経験さえ取り上げられ、一方、生存の見込みのある者には懶惰な逃亡者に属した前-経験の調整者でさえ与えられるであろう。
ある意味で、調整者は、真、美、善の領域におけるある程度の惑星融合を助成しているかもしれない。だが、同じ惑星で調整者に2度の内在経験が与えられることは滅多にない。現在、以前この世界にいたことのある調整者は、誰もユランチアで勤務していない。我々にはユヴァーサの文書保管所にそれらの番号と記録があるので、私は、自分の話していることを理解している。
創造的な想像力の自由だが制御された回路を自由に心が流れるとき、最高の、独行的な調整者は、しばしば精霊の重要な要素を人間の心に貢献することができる。そのようなときに、そして時おり睡眠の間、調整者は、精神的な流動を捕らえ、抑え、流れに留まり、次には思考の進行を転ずることができる。このすべてが、超意識のより高い奥底で深い精霊的な変化をもたらすために行われる。こうして、心の勢いと活力は、現在と未来の精霊水準の接触傾向のための階調に完全に調整される。
絶えず内に宿る潜在的人格の知恵、真実、善、および美を部分的に意識できるようになるために、時として心を啓発したり、つまり、絶えずあなたの中で話しかける神性の声を聞くことは、可能である。
しかし、不安定で急速に変化するあなたの精神的態度は、しばしば調整者の計画を妨害し、仕事を中断する結果となる。調整者の仕事は、必滅の人種の生来の本質に妨げられるばかりではなく、この活動は、あなた自身の前もって考えられた意見や解決された考え、また積年の偏見によっても大いに遅れを引き起こす。これらの障害のために、幾度となく、調整者の未完成の創造だけが、意識に現れるし、また概念の混同は、回避不能である。したがって、精神的状態を精査するにあたっては、安全性は、完全にそれがどうであったかということを無視し、確実に、しかも基本的にそうであることのために、一つ一つの考えと経験の即座の認識だけにある。
人生の重大問題は、神秘訓戒者の神性臨場により開始される精霊の強い衝動からくる要求に対しての先祖の生活習慣の調整である。誰も宇宙と超宇宙の経歴において二君に仕えることはできないが、今ユランチアで送る人生においては、誰もが必然的に二君に仕えなければならない。人は、ただ一人の主に精霊の忠誠を尽くしつつ、人間の現世の打ち続く妥協術には巧みにならなければならない。そして、これが、非常に多くの者がつまずき、しくじる理由、つまり進化の闘いの圧力にうんざりし、屈する理由である。
脳の授与の継承的遺産と電気化学の総括的管理の継承的遺産の双方ともに、効率的な調整者の活動範囲を区切るために働くが、継承的障害 (正常な心の)は、最終的な精霊的業績をけっして妨げない。遺伝は、人格征服の速度を妨害するかもしれないが、上昇冒険の最終的達成を妨げない。調整者に協力しようとするならば、神性の贈り物は、遅かれ早かれ、不滅のモロンチア魂を進化させ、その魂との融合後、地方宇宙の主権を有する主たる息子に、そして最終的には楽園の調整者の父に新しい創造物を提示するであろう。
調整者は決して失敗しない。生存価値のあるものは何も失われない。意志をもつあらゆる生物のあらゆる重要な価値の生存は、人格の意味の発見、あるいは人格の評価の生存、非生存の如何にかかわらず、確かである。そういうことであり、必滅の創造物は、生存を拒絶するかもしれない。それでも、人生経験は無駄ではない。永遠の調整者は、そのような外見上の失敗の人生の価値ある特徴を他の世界へ持ち越し、そこでこれらの生残の意味と価値を人間の心のより高い型に、すなわち生存能力の一つを与える。価値ある経験は、決して無駄には起こらない。本当の意味また本当の価値は、決して消滅しない。
融合候補に関して言うと、もし神秘訓戒者が人間である仲間に見捨てられるならば、人間の共同者が上昇経歴の追求を断るならば、自然な死により(あるいはそれに先立って)、調整者が放免されるとき、調整者は、その非生存創造物の心で進化した生存価値のすべてを運び去る。調整者が、人間対象者の非生残という理由で繰り返し融合人格達成に失敗するならば、そして、この訓戒者が後に人格化されるならば、身につけた内在経験の総てとこれらの修得された人間の心の全ては、そのような新たな人格化調整者の実際の所有物、すなわち、すべての未来に渡って享受され利用される恩恵となるであろう。この系列の人格化調整者は、創造物であるかれの前のすべての宿主の生き残りの特徴すべての複合組み立てである。
長い宇宙経験をもつ調整者が、贈与任務に際し神性の息子に宿ることを申し出るとき、かれらは、人格到達がこの奉仕を通しては決してを達成できないことを知っている。だが、しばしば精霊の父は、これらの志願者に人格を与え、かれらをその系列の責任者に定める。これらは、神性球で権威をもち光栄に浴している人格である。そして、それらの独自の本質は、人間内在の複数の経験のモザイク風の人間性と、楽園の贈与の息子の最後の内在経験に属する人間の神性についての精霊的な記述もまた具体化する。
肉体のヨシュア・ベン・ヨセフが、人間生活を送ったときに、彼を一歩一歩誘導したほかならぬその訓戒者ネバドンのマイケルの人格化調整者により、あなたの地方宇宙における調整者の活動は、指示される。この並はずれた調整者は、その信頼に誠に忠実であり、この勇敢な訓戒者は、常に父の完全な意志の道を選ぶ際に楽園息子の人間の心を先導し、賢明に人間性を導いたのであった。この調整者は、以前アブラハムの時代にメルキゼデクのマキヴェンタと共に働きこの内在経験前とこれらの贈与経験の間の相当な功績の双方に係わったことであった。
この調整者は、イエスの人間の心—人生の繰り返し状況のそのれぞれで、「私の意志ではなく、あなたの意志、がなされますように。」と言って、父の意志に完全な献身を維持したその心—で誠に勝利を収めたのであった。そのような決定的な奉献は、人間性の制限から神性到達の終局への本当の確実な手段を意味する。
この同じ調整者は、現在、かれの強力な人格の計り知れない本質にヨシュア・ベン・ヨセフの洗礼前の人間性を反映している。それが、人間の経験で達成し得る精霊的な価値を完全に使い果たす人生を送ったように、これは、全ユランチア人の最も偉大な者が、当たり前の人生の質素な情況から作り出された永遠で生きた価値についての永遠で生きた転写を包含する。
調整者に委ねられた永久的価値のすべては、永遠の生存を保証する。ある例では、訓戒者は、将来内在する人間の心の贈与のためにこれらの財産を保持する。他の例や、人格化の場合においては、生残の、かつ保存されたこれらの現実は、主たる宇宙の建築者の働きにおける今後の活用のために委託される。
調整者の断片ではない父の断片が、人格化可能であるか否かについては我々が述べることはできないが、人格は、宇宙なる父の主権的、自由意志の贈与であるとあなたには知らされてきた。我々の知る限り、父の断片の調整者の型は、人格的存在への奉仕-活動を通しての人格的属性の習得のみで人格に達する。これらの人格化調整者は、神性球の故郷におり、そこで彼らは、自分達の前人格の仲間に教えたり指示を与える。
人格化思考調整者は、拘束されず、割り当てられない、主権をもつ安定装置者であり、広範囲の宇宙の中の宇宙の補整者である。かれらは、創造者と創造物経験を結合する—実存的であり、経験的である。かれらは、時間と永遠の結合体である。かれらは、宇宙管理において前人格と人格を結びつける。
人格化調整者は、主たる宇宙の建築者のすべてに賢明で強力な経営陣である。彼らは、宇宙なる父の全活動—人格的、前人格的、超人格的活動—の人格的な主体である。彼らは、究極の神の領域、先験的な準絶対の球体全域の、絶対の神の段階にさえ、驚異的なもの、普通でないもの、予期しないものをもたらす人格的な奉仕者である。
かれらは、人格の全ての既知関係を自分達の存在の中に迎え入れる宇宙の唯一の存在である。彼らは全人格である—人格前の存在であり、人格であり、人格後の存在である。彼らは、永遠の過去、永遠の現在、および永遠の未来の場合のように宇宙なる父の人格を授ける。
父は、無限と絶対の系列の実存的な人格を永遠なる息子に贈与したものの、実存的な前人格調整者に授与される人格化調整者の型の経験的な人格を自身の活動のために留保することを選んだ。それらは双方共に、このようにして、究極なるもの、崇高なるもの-究極なるもの、さらに崇高-絶対の段階への準絶対の領域における先験的活動の将来の永遠の超人格へと運命づけられる。
人格化調整者は、概して宇宙ではめったに見かけられない。時折、彼らは、高齢者達に助言を求め、また、時々、七重の創造者なる息子の人格化調整者は、ヴォロンダデクの支配者達との打ち合わせのために星座の本部世界に来る。
ヴォロンダデクのユランチア観察者—つい先頃あなたの世界の非常時の摂政を担ったいと高きものの管理人—が、居住している総督の面前でその権限を主張したとき、自身が選んだ全構成員とユランチアの非常時の管理を始めた。彼はすぐに、それぞれの惑星の義務をすべての仲間と補佐に割り当てた。しかし、かれは、摂政を担うとすぐに自分の面前に現れた3人格化調整者は選ばなかった。彼は、かれらが、前の摂政の時に神性の臨場を明らかにしなかったので、このように現れるということさえ知らなかった。いと高きものの摂政は、これらの志願の人格化調整者のために活動を割り当てたり、義務を明示したりはしなかった。それにもかかわらず、これらの無限の人格の3存在体は、その時ユランチアで働いていた多数の天の存在体の中で最も活発であった。
人格化調整者は、宇宙人格の多数の系列のための広範囲にわたる仕事を実行するが、我々は、これらの活動を調整者-内在の進化的創造物と討論することを許諾されていない。これらの驚異的な人間の神性は、壮大な全宇宙の最も注目に値する人格の中におり、誰もそれらの将来の任務が何であるかを敢えて予測はしない。
[オーヴォントンの単独使者による提示 ]
不完全な存在体への自由の授与は、必然的な悲劇を伴い、そして、それは、優しい交わりにおいて、広く、愛を込めてこれらの受難を共有することは、親である完全な神格の本質である。
宇宙の情勢に精通する範囲において、私は、思考調整者に対する愛情と献身を全創造において偽りなく神性である愛と見なす。人種への彼らの働きにおける息子の愛は、見事であるが、個人への調整者の献身は、感動的に崇高で、つまり神々しく父のようである。楽園の父は、自分の個々の創造物との個人的な接触のこの形を独占的的な創造者の特権として明らかに確保した。そして、非常に魅力的に進化する惑星の子供に宿るこれらの非人格の実体の驚異的活動に匹敵するものは、宇宙の中の全宇宙には何もない。
調整者は、人間の物質的な脳に生きていると考えられるべきではない。それらは、領域の物理的生物の有機的部分ではない。思考調整者は、物理的な単一器官の境界の中に存在するというよりも、むしろより適切には人間の必滅の心に宿ると見なすことができる。認識されていない調整者は、人間の対象と、特に超意識における精霊との心の敬虔な接触のそれらの崇高な経験の間、間接的に、絶えず情報交換をしている。
進化する死すべき者が、より良い理解を成し遂げ、また人の精霊的な幸福を助成する任務に心から忠実である人間に内在する寡欲で素晴らしい調整者の仕事への全面的認識をするという助けが、私にとって可能であったらと望んでいる。これらの訓戒者は、人の心の精神的な幸福を促進する仕事に切に忠実である。これらの訓戒者は、人の心のより高い段階への有能な奉仕者である。それらは、人間の知力の精霊的可能性の賢明で経験豊富な操縦者である。これらの天の助手は、あなたを安全に内部へと、また上向きへと幸福の天の港に案内する並外れた任務に専心している。これらの疲れを知らない労働者は、あなたの永続する人生における神性の真実の勝利の今後の人格化に奉げられる。彼らは、遠方の、永遠の岸で完全の神の港に向け人の進化している魂を上手に誘導しながら、悪の浅瀬から神を意識している人間の心を遠くへと水先案内をする注意深い労働者である。調整者は、愛に満ちた指導者、すなわち、あなたの短い地球の経歴の暗くて不確かな迷路を通して安全で確かな案内人である。彼らは進歩的完全性の道において対象者を絶えず前方に駆り立てる忍耐強い教師である。彼らは、創造物の性格の崇高な価値のための慎重な管理人である。あなたが、調整者をさらに愛し、より完全に協力し、より愛情を込めて大事にできたら、と願う。
神性内住者は、終わることのない生存の次の段階に対するあなたの精霊的な準備に主に関心をもつとはいえ、あなたの束の間の福祉と地球での真の業績にも深く興味を持っている。喜んであなたの健康、幸福、繁栄に貢献する。かれらは、永遠の進歩のあなたの将来の生活に有害ではない惑星の進歩のすべての問題におけるあなたの成功に無関心ではない。
調整者は、ちょうどこれらが、現世のあなたの重要な選択と重大な精霊の決定のための決断において影響がある範囲にまで、またあなたの魂の生存と永遠の進歩の問題解決における要素であるが故に、あなたの日常の行ない、それに、あなたの生活の多方面の細部にわたり、興味を持ち、関心をもっている。調整者は、純粋に現世の福利に関しては消極的ではあるが、あなたの永遠の未来のすべての事柄に関して神々しく積極的である。
調整者は、すべての災害と精神状態を完全には破壊しないあらゆる病の間中、あなたと共にいる。しかし、地球の礼拝堂として役立てなければならない神からのこの驚異の贈り物である物理的な肉体を、知りつつ冒涜するか、でなければ、故意に汚すということは、いかに不親切であることか。全ての物理的毒は、人間の心を高める調整者の努力をとてつもなく遅らせており、また、恐怖、怒り、羨望、妬み、疑い、不寛容の心の毒は、進化している魂の精霊的な進歩をとてつもなく同様に妨げている。
今日、あなたは調整者の求愛期間を通過しつつある。もしあなたが、永遠の結合において心と魂のを求める神の精霊により、あなたに置かれている信頼に誠実であることを立証しさえするならば、そこで最も経験豊かな人格でさえも、融合の相手—必滅の人間と神性調整者—を別々の主体性として決して隔離も見分けもできない程に完璧で最終的である存在のモロンチアの同一性、その崇高な調和、その宇宙連携、その神性の同調、その天の融合、主体性の決して終わることのない混合が、最終的に起こる。
思考調整者が人間の心に宿るとき、かれらは、自分自身と神性球の人格化調整者により判断され、予め定められるように模範となる経歴、ユランチアの人格化調整者に公認された模範となる経歴、理想的な人生を持ってくる。このように、彼らは、対象である人間の知的で精霊的な成長のための確かで、予め定められた計画で仕事を始めるが、一人の人間も、この計画に応じる義務はない。あなた方すべては、運命の対象ではあるが、神性のこの運命を受け入れなければならないと定められてはいない。あなたには思考調整者の予定計画のいかなる部分、または全体を拒絶する完全な自由がある。それは、人格の方向づけにさらなる影響を及ぼすことができる最後まで、あなたが喜んで、そして知的に認可するかもしれないようなそのような心の変化をもたらし、そのような精霊的調整をすることが彼らの任務である。しかし、いかなる状況下でもこれらの神性訓戒者は、決してあなたを利用したり、あなたの選択と決定において独断的には影響を及ぼさない。調整者はあなたの人格の主権を尊重する。かれらは、いつもあなたの意志に補助的である。
調整者は、粘り強く、巧妙で、仕事の方法に申し分はないが、自分の宿主役の意志の自己性に決して背かない。人間は、その意志に対して決して神性訓戒者により精霊化されないであろう。生存は、時間の創造物が望まなければならない神の贈り物である。詰まるところ、調整者が、あなたに代わってすることにおいてせいこうした何事も、記録は、変化があなたの協力の同意で成し遂げられたということを示すであろう。あなたは、上昇経歴の途方もない変化の段階ごとの到達において調整者との自発的な共同者となっていることであろう。
調整者は、そういうものとしてあなたの考えを制御しようとはしないが、むしろそれを精霊化し、永遠化しようと努力している。天使も調整者も、人間の思考力に直接的な影響を及ぼすことに専心してはいない。それは、あなたの唯一の人格特権である。調整者は、あなたの思考過程を改善し、変更し、調整し、調和することに打ち込む。しかし、特に、さらに正確にいうと、かれらは、あなたの経歴の精霊的な類似物、つまり生存目的のためにモロンチアの写し、の確立する仕事に捧げられるのである。
調整者は、人間の心のより高い段階の領域で働き、そした人間の知力のあらゆる概念のモロンチア複製を絶えず追求している。従って、人間の心に影響を与え、集中する2つの現実がある。1つは、生命運搬者の本来の計画から発展さする人間自身、他方は、神性球の高い世界からの不滅の実体、つまり神からの内在する贈り物。しかし、人間の自己もまた人格の自己である。それには、人格がある。
人格の創造物としてのあなたには心と意志がある。前人格の創造物としての調整者には、前-心と前-意志がある。あなたが見解の一致をみるという調整者の心に完全にかなうならば、そこであなたの心は1つになり、調整者の心の補強を受ける。その後、あなたの意志が、この新しい心、または結合した心の決定の実行を命じて、実施するならば、調整者の前人格の意志は、あなたの決定を通して人格表現に達し、その特定の企画に関する限り、あなたと調整者は一つである。あなたの心は、神性同調に到達し、調整者の意志は、人格表現を実現したのである。
この同一性が実現されるまで、あなたは、生活に関するモロンチアの系列に精神的に近づいている。モロンチア心とは、さまざまに物質的であり精霊的である本質の中味と総体を意味する用語である。モロンチア知性は、したがって、一つの意志により支配される地方宇宙の二元的な心を意味する。そして、人間について言えば、これは、起源が人間である意志、つまり人間の心と神の心ばえと一体になることを通じて神性になる意志というものである。
調整者は、長い間の神聖で荘厳の遊戯をしている。調整者は、空間における時間の最高の冒険の1つに携わっている。そして、彼らが、永遠の世界におけるそれぞれのより大きい課題を遂行し続けて、あなたの協力が、時間の世界の短い闘いにおいて彼らの支援を受け入れようとするとき、彼らはいかほどに幸福であることか。しかし、あなたの調整者が、あなたとの意志の疎通を試みるとき、通常、通信は人間の心のエネルギーの流れの物質的電流で失われる。ほんの時折、あなたは神の声の反響を、ほのかで遠方の反響を捕らえているに過ぎない。
人間の人生を通して、あなたを導き、あなたの生存をもたらす企てにおけるあなたの調整者の成功は、あなたの決定、決断、不動の信頼ほどには、あなたの信念の理論に依存してはいない。人格成長のこれらのすべての動きは、あなたが調整者と協することを助けるので、あなたの前進に役立つ強力な影響になる。かれらは、あなたが抵抗するのをやめる手伝いをする。思考調整者は、人間が、完全到達の上昇する道に沿って進められる計画に成功するか、または失敗するかのちょうどその範囲において、地球の仕事に成功するか、または明らかに失敗する。生存の秘密は、神のようであるたいという人間の最高の願望と、その抑えがたい願望の最終的達成に不可欠のありとあらゆることをしたり、ありとあらゆるものになったりする関連する意欲にかかっている。
我々は、調整者の成功あるいは不成功について話すとき、人間生存の観点から話している。調整者は決して失敗しない。それらは、神の本質をもち、常にそれぞれの仕事において意気揚揚と出現する。
私は、とても多くのあなた方が、永遠の重要性のより不可欠の現実を、つまり、あなたとあなたの調整者間のより調和して働く同意の発展に関わる成果そのものを、ほとんど完全に見落とす一方で、生活のほんの些細なことにそそれほどにまで時間と考えを費やしていると述べざるせざるをえない。人間の存在の大きな目標は、内住する調整者の神格に適合させることである。人間の人生の大きな達成は、あなたの心の中で待ち、そして働いている神の精霊の永遠の目的への真の、そして理解ある献身の達成である。しかし、永遠の目標を実現する献身的かつ確固たる努力は、気軽で楽しげな人生、また地球における成功の、しかも立派な経歴と完全に両立する。思考調整者との協力は、苦行、偽りの敬虔さ、または偽善的で仰々しい卑下を伴わない。理想的な人生は、恐ろしい不安の存在よりも、むしろ愛のこもった奉仕をである。
当惑、困惑状態、時々の落胆と動転でさえ、内住する調整者の導きに対する抵抗を必ずしも意味するというわけではない。そのような態度は、時として神性訓戒者との積極的な協力不足を意味するかもしれないし、それは、それ故に、精霊的な進歩をいくらか遅らせるかもしれないが、そのような知的、感情的障害は、神を知る魂の確かな生存を少なくとも妨げはしない。無知だけでは、決して生存を阻むことはできない。混乱状態の疑いも恐ろしい不確実性もそうすることはできない。調整者の先導への意識的な抵抗だけが、進化する不滅の魂の生存を妨げるのである。
あなたは、調整者との協力を特に意識的方法と見なしてはならない。そうではないのであるから。しかし、あなたの動機と決定、あなたの忠実な決断と最高の願望は、本物かつ有効な協力を構成する。あなたは次の行為によって調整者との調和を意識的に増やすことができる。
1. 神性の導きに応じることを選ぶこと。心から真、美、善の最高の意識に人生を基礎をおき、次に、知恵、崇拝、信仰、愛を通して神性のこれらの質を調和すること。
2. 神を愛し、神に似ることを望むこと—神の父性の真の認識と神々しい親への情愛深い崇拝。
3. 人間を愛し、心から尽くすことを望むこと—仲間である人間一人一人への知的で賢明な愛情に結合する人間の兄弟愛の心からの認識。
4. 宇宙市民権の喜びの承認—崇高なるものに対するあなたの進歩的な義務への正直な認識、進化の人間と進化している神格の相互依存の認識。これは、宇宙道徳の誕生と宇宙における義務の夜明けの実現である。
調整者は、時間と空間の主回路に入る宇宙通信の連続する流れを受け入れることができる。それらは、宇宙の精霊の通信とエネルギーとの完全な接触である。しかし、これらの強力な内住者は、性質の共通性の欠如と反応的認識欠如のために、人間対象者の心に知恵と真実のこの富の多くについて伝えることができない。
思考調整者は、あなたのモロンチア魂を進化させるためにあなたの心を精霊化する恒常的な努力に携わっている。しかし、あなた自身は、この内部の活動をほとんど意識していない。あなたは、自身の物質的知性の所産と魂と調整者の結合的活動のそれを見分けることが全くできない。
心の考え、結論、および他の絵のある突然の提示は、時として、調整者の直接的、間接的な業である。しかし、はるかに頻繁に、それらは、潜在的な、精神的な段階に集まる考え、つまり進化する動物の心の回路に固有の正常かつ通常の精神機能の自然で日常的な発生の考えの意識への突然の、出現である。(これらの潜在的放射と対照的は対照的に、調整者の顕示は、超意識の領域を通って現れる。)
調整者の保護に、意識の確かな段階を越えた向こうの心のすべての問題を任せよ。そのうちに、この世界でにおいてではなくても、大邸宅世界で、かれらは、それぞれの執事的職務について良い報告をし、最終的には、調整者の世話と維持に委ねられたそれらの意味と価値を引き出すであろう。彼らは、あなたが生き残るならば、人間の心のあらゆる価値ある宝を復活させる。
人間と神性の間には、人と神の間には、広大な深淵が存在する。ユランチアの人種は、電気的に化学的に大きく制御されており、一般的習性は、極めて動物的であり、通常の反応においては感情的であり、そのため、訓戒者にとり彼らを誘導し、指示することがきわめて難しくなる。あなたには勇敢な決定と献身的協力にとても欠けており、内住する調整者が、直接人間の心と通じ合うことは不可能に近いと感じるほどである。進化している人間の魂に新たな真実の微光をひらめかせることができるとわかるときでさえ、この精霊の顕示は、狂言的な発作を早めたり、あるいは結果として惨めに至らさせるある種の他の知的な激変を引き起こすほどにしばしば生物の目をくらます。多くの新興宗教と奇妙な「主義」は、思考調整者に関する中止され、不完全で、誤解され、歪められた情報から生じた。
何千年もの間、エルサレムの記録によると、各世代において、より少ない人間が、独立的調整者と問題なく機能できて生きてきた。これは、ただならぬ絵であり、サタニアの監督している人格は、ユランチア人種のより高度の精霊の型を促進し、保存するように設計された手段の開始を提唱するあなたのより即座の惑星の何人かの監督の提案に賛意を表する。
調整者の任務と影響を一般的に良心と呼ばれるものと混合したり混同してはいけない。それらは、直接には関係がない。良心は、人間の、そして純粋に精神の反応である。それは、蔑ろにされるものではないが、とても魂への神の声ではない。もしそのような声が聞かれるならば、それはいかにも調整者の声であるだろう。良心は、適切には、正しくすることをあなたに訓戒する。しかし、調整者は、その上で本当に正しいものをあなたに伝えようと努力する。すなわち、あなたが、訓戒者の先導を知覚できるとき、知覚できるものを。
人の夢の経験、つまりまとまりのない眠りの心の混乱し、途切れ途切れの行列である夢は、人の心の互いに異なる要因を調和させ、関連づけるために、調整者の失敗の十分な証拠を提示している。調整者は、一度の生涯でも、人間と神性のような考えのそれほどに似てはいない、しかも、多様な2つの型を任意に調整し、同調させることは簡単にはできない。彼らが、そうするとき、時々してきたように、そのような魂は、死の経験をする必要がなく直接大邸宅世界に移される。
調整者は、完全に目が冴えている意識の間に作られ、その結果、超心の領域に、つまり人間と神性の相互関係の連結領域に入り込む内住の人格がかねて決定と選択によって完全に承認したその意志それのみを、まどろみの期間に達成しようと試みる。
人間の宿主が眠る間、調整者は、物質的な心のより高い段階における自分達の創造を登録しようするし、また、あなたの奇怪な夢の幾つかは、調整者の効果的な接触の失敗を示している。夢の人生の不条理は、言外の感情の圧力を証明するだけでなく、調整者により提示される精霊的概念の表現の酷い歪みの証言ともなる。あなた自身の情熱、衝動と他の生来の傾向は、自分自身を絵に形を変え、内住者が、無意識の睡眠の間、精神の記録に載せる努力をしている神性の申し送りを言外の願望に置き換える。
夢の人生の内容を調整者に関して仮定することは非常に危険である。調整者は、睡眠のあいだ働いてはいるが、あなたの通常の夢の経験は純粋に生理的、心理的現象である。同様に、人間の良心の表明の幾分なりとも、連続的かつ意識的な受け入れから調整者の概念の登録の分化を試みることは危険である。これらは、個々の識別と個人の決定で解決されなければならない問題である。しかし人間は、人間の心の反応を神の威厳の世界へと高めることで大失敗するよりは、それを純粋に人間の経験であると信じることにより調整者の表現を拒絶することにおいて失敗する方が良いであろう。覚えていなさい、思考調整者の影響は、完全ではないが、だいたいにおいて超意識の経験である。
あなたは、精神の回路を昇るにつれ、時々直接的に、しかし、しばしば間接的に、調整者と様々に、しかもますます通じ合うのである。しかし、人間の心で起こるあらゆる新概念が、調整者の口述であるという考えを抱くのは危険である。大抵、あなたの系列の存在体の場合、あなたが調整者の声と受け入れるものは、現実には、あなた自身の知性の放射である。これは、危険な領域であり、あらゆる人間は、生来の人間の知恵と超人的な洞察に従って、自分自身でこれらの問題に決着をつけなければならない。
この意志疎通がなされている人間の調整者は、調整者の内面臨場のいかなる外向きの発現に対して、主にこの人間のほとんど完全な無関心のためにそのような広い活動範囲を味わう。人間が全体の手順に関し意識的にまったく無関心でいるということは、実に幸いである。人間は、その時代と世代の非常に経験豊富な調整者の1名を持つにもかかわらず、人間の心の中のこの万能の調整者の臨場に関する現象へのその受け身の反応、それに不活性の関心事は、将来の目標の保護者による稀で思いがけない反応であると断言される。そして、このすべてが、好ましい、すなわち、健康、効率、および平静の見地からのより高度の行為の範囲の調整者、そして人間の共同者の両者にとり好ましい連携的影響を構成している。
物質界における人格実現の全体は、人間の可能性の7つの精神回路の連続した克服の範囲内にある。第7回路へ入ることは、真の人間の人格機能の始まりを印す。最初の回路の完成は、必滅の存在体の相対的な成熟を意味する。宇宙規模の成長の7つの回路の縦断は、調整者との融合に等しくはないが、これらの回路に熟達するということは、調整者融合に先立つそれらの段階到達を印している。
調整者は、7回路の到達—人間のかなりの成熟への到達—においてあなたの対等の共同者である。調整者は、7番目から1番目の回路まであなたと共に昇りはするものの、人間の心の積極的協力から全く独立している最高の地位と自主的活動へ進歩している。
精神の回路は、全く知的でもなく、完全にモロンチア的でもない。それらは人格の状態、心の到達、魂の成長、および調整者との同調と関係がある。これらの段階の成功の横断は、単にある1局面からではなく、全人格の円滑的機能を要求する。部分的成長は、全体の本当の成熟に等しくはない。部分は真に自己全体の—全自己の—物質的、知的、精霊的な拡大に比例して成長する。
知的本質の展開が、精霊的本質のそれよりも速く進むとき、そのような状況は、思考調整者との意志の疎通を難しくも危険にもする。同様に、過度の精霊的展開は、神性内住者の精霊の導きの狂信的で異常な解釈を生じる傾向がある。精霊的な容量不足は、より高度の超意識における精霊の真実の居住者をそのような物質的知性に伝播することを非常に難しくする。そのような存在体の真の福祉に対する現世の最小限の危険あるいは危機を伴い、—肉体的、精神的、精霊的な力が、発展の三位一体の調和にあるとき—最大限の光と真実が、清白な習慣の、安定した神経エネルギー、そして均衡のとれた化学物質の機能をもつ肉体に住まう完全な平静の心に与えられる。人は、そのような均衡的成長によって惑星進行の回路を一つずつ、7番目から1番目まで昇るのである。
調整者は、つねにあなたの近くにおり、あなたのものであるが、別の存在としてあなたに直接話すことは滅多にできない。あなたの知的決定、道徳的選択、精霊的な発展は、回路ごとにあなたの心で機能するために調整者の能力に拍車をかけている。あなたは、それによって、回路ごとに調整者との繋がりと心の同調の低い段階から昇り、その結果、調整者は、この神を求める心-魂の進化的意識に溌剌さと確信を増大させることで目標の絵画化の登録がますます可能になる。
あなたのあらゆる決定が、調整者の機能を妨げたり、容易にする。同様に、他ならぬこれらの決定は、人間の達成の回路においてあなたの前進を決定するのである。決定の優越性、それとの危機の関係は、その回路形成の影響と大いに関係があるというのは本当である。それでも、決定の数、頻繁な繰り返し、持続的反復は、そのような反応の習慣性にとっても不可欠である。
これらの段階が人格的であるという理由から人間の進行の7段階を正確に定義することは難しい。それらは、各個人にとり変化しており、明らかにそれぞれの人間の成長容量に従って決定される。宇宙進化のこれらの段階の克服は、3つ方法で映し出される。
1. 調整者同調。精霊化している心は、回路到達に比例して調整者臨場に近づく。
2. 魂の進化。モロンチア魂の出現は、回路への熟達の程度と深さを示す。
3. 人格現実。自己現実の程度は、回路征服により直接に決定される。人格は、人間存在の7番目から最初の段階へと昇るにつれてより本物になる。
回路が縦断されるにつれ、物質進化の子供は、不滅の可能性の成熟した人間に成長する。第7回路者の胎児の本質の影の現実は、地方宇宙市民の現れつつあるモロンチアの本質のより明確な発現に移行している。
人間の成長の7段階、すなわち精神回路を正確に定義することは不可能であるが、最小限の、そして最大限の成熟実現のこれらの段階を示すことは許されている。
第7回路。人間が、精霊的な個性到達のために人格的選択、個人の決定、道徳的責任、および容量の力を発現させるとき、この段階に入る。これは、知恵の精霊の指示に基づく7名の補助の心-精霊の結合的機能、聖霊の影響における必滅の創造物の回路接続、そして、ユランチアにおいては、人間の心の思考調整者の受け入れと共に、真実の聖霊の1番目の機能を意味する。第7回路へ入ることは、必滅の創造物を地方宇宙の真に潜在的な国民にする。
第3回路。調整者の働きは、人間の上昇者が第3回路に達し、将来の目標の個人的な熾天使の保護者を迎えた後、はるかに効果的である。調整者と熾天使の保護者間では努力の上での明らかな協調はないのだが、それにもかかわらず、熾天使の個人的な付添人の課題の後の宇宙的達成と精霊的開発のすべての局面における紛れもない改善は、観測されることになっている。第3回路に達すると、調整者は、人間の残りの寿命の間、人の心をモロンチア化し、残りの回路を作ろうと努力するし、また、自然の死が類稀れな共同関係を取り消す前に神性-人間のつながりの最終段階を成し遂げようと努力する。
第1回路。調整者は、あなたが、進歩的な人間の達成の最初と最終的な回路に達するまで、通常、直接に、すぐにあなたと話すことはできない。この段階は、物質的肉体の衣服から、進化しているモロンチア魂の解放の前に、人間の経験における心-調整者関係の最高に可能な実現を表す。心、感情、および宇宙洞察に関しては、第1の精神回路のこの達成は、人間の経験における物質的な心と精神調整者の最も可能な接近である。
恐らく必滅者の前進のこれらの精神的回路は、宇宙段階—現れている崇高なるものとの進化する魂の初期の関係のモロンチア意識への進歩的な接近の意味の実際の把握と価値の認識—と命名されるほうがよいであろう。そして、宇宙回路の意味について物質的な心に完全に説明することをいつまでも不可能にするのが、まさしくこの関係である。これらの回路到達は、神-意識だけに比較的関連している。7番目か6番目の回路者は、2番目か1番目の回路者とほとんど同様に本当に神-知ること—息子関係意識—ができるのだが、そのような下側の回路の存在体は、崇高なるものとの経験的な関係について、宇宙市民権について断然意識していない。もしかれらが、自然の死以前にそのような達成に失敗するならば、これらの宇宙回路の到達は、大邸宅世界での上昇者の経験の一部になるであろう。
信仰の動機づけは、神との人の息子性の完全な認識を経験的にするが、行動は、決定の完遂は、崇高なるものの宇宙現実に伴う進歩的な関係の意識の進化の達成に不可欠である。信仰は、精霊世界での可能性を現実性に変えるが、可能性は、選択-経験の実現によってのみ、またその実現を通してのみ崇高の有限領域で現実になる。しかし、神の意志を為すことを選ぶということは、人格行動における物質的決定に精霊的信仰を結びつけ、その結果、神-飢餓の人間的、物質的なてこの作用のより効果的な機能に神性の、そして精霊の支点を供給する。物質的な力と精霊的な力のそのような賢明な協調は、崇高の宇宙実現と楽園神性のモロンチア理解の両方を大いに増大させる。
宇宙回路の支配は、モロンチア魂の量的成長、最高の意味の理解に関連がある。しかし、この不滅の魂の質的状況は、人間は、永遠なる神の息子であるという楽園の潜在的事実-価値の生きた信仰の把握に完全に依存している。したがって、7番目の回路者は、ちょうど1番目、もしくは2番目の回路者のように宇宙規模の成長の一層の量的実現に達するために大邸宅世界に進むのである。
宇宙回路到達と実際の精霊的宗教経験の間には、間接的な関係があるにすぎない。そのような到達は、相互的であり、したがって、互いに有益である。純粋に精霊的な発展は、惑星の物質的繁栄にほとんど無関係であるかもしれないが、回路到達は、常に人間の成功と死を免れない達成の可能性を増大させる。
第7回路から第3回路までは、モロンチア段階への経験のさらなる導入前に人間の心を物質的生活手段の現実へのその依存から引き離す任務にある7名の心精霊の補佐の増大され、統一された働きが起こる。第3回路から先における補佐の影響は、次第に減少する。
第7回路は、人格経験として最高に純粋に動物的段階から自意識の最も低い実際の接近のモロンチア段階におよぶ人間経験を受け入れる。第一の宇宙回路の支配は、前モロンチアの人間の成熟の達成を際立たせ、心-精霊の補佐の結合的活動の終了が、人間の人格における心の活動の独占的影響であることを示している。第1回路の向こうで、心は、進化のモロンチア段階の知性に、宇宙心と地方宇宙の創造霊の超補佐の授与が結合された活動に、ますます類似してくる。
調整者の個々の経歴のすばらしい時代は、次の通りである。最初に、人間の対象が、第3代精神回路を突破し、そうして、訓戒者の自主的活動と機能の増加した範囲を保証するとき。(内住者がまだ独立的でなかったならば)。次には、人間の共同者が、第一精神回路に達し、その結果、少なくともある程度、互いの通信が、可能にされるとき。そして、最後に、双方が最終的に永遠に融合されるとき。
7つの宇宙回路の達成は、調整者融合に等しくはない。彼らの回路に達したユランチアで生活する多くの人間がいる。しかし、融合は、それが思考調整者に居住しているように、神の意志との死すべき者の意志の最終的かつ完全な同調への到達によるさらに他のよりすばらしく、より高尚な精霊的達成が前提である。
人間が宇宙的達成の回路を成就したとき、さらにまた、人間の意志の最終的選択が、進化的かつ物理的な生命の間、調整者にモロンチア魂との人間の自己性のつながりの完成を可能にさせると、それから、魂と調整者のそのような完成された連携を独自に大邸宅世界へと進み、調整者とモロンチア魂の即座の融合に備えるユヴァーサからの命令が発せられる。物理的生命の間のこの融合は、即座に物質的肉体を消費する。そのような光景を目撃するかもしれない人間は、移動している人間が「炎の戦車で」姿を消すのを観測するだけであろう。
ユランチアからその対象を移したほとんどの調整者は、極めて経験豊富であり、他の球体の多数の死すべき者の前の内住者として記録していた。思い出しなさい。調整者は、貸し出しの系列の惑星で貴重な内住経験を獲得するということを。調整者は、生残に失敗するそれらの人間の対象者において高度な仕事のために経験を積むだけということにはならない。
人間との融合の後、調整者は、あなたの将来の目標と経験を共有する。彼らはあなた方である。モロンチア魂と対応する調整者の融合の後、一方のすべての経験とすべての価値は、ついには他方の所有となるので、二者は実は1つの実体である。ある意味では、この新存在は、永遠の未来はもとより永遠の過去のものである。かつて生残する魂の中の人間的であった全てと調整者の中の経験上は神性である全てが、新しく絶えず上昇する宇宙人格の実際の所有物になる。しかし、各宇宙段階では、調整者は、新しい創造物にその段階の重要で価値ある特性だけを授けることができる。神性訓戒者との絶対の一致、調整者の授与の完全な枯渇は、常にこれらの神性の贈り物の源である宇宙なる父、精霊の父、の最終的な到達後に永遠において達成し得るだけである。
進化している魂と神性の調整者が最終的に永遠に融合されると、各々は、他方の経験しうる資質のすべてを得る。この調和された人格は、かつては先祖の人間の心に保持され、次にはモロンチア魂の中にすんでいた生存した経験的記憶のすべてを保持しており、それらに加えて、この潜在的終局者は、過去にわたり必滅の居住の間、調整者のすべての経験的記憶を盛り込む。しかし、調整者にとり神性訓戒者が際限のない過去からもたらすす意味と価値を人格の共同者に常に徹底的に与えるるということは、際限のない未来を必要とするであろう。
しかし、圧倒的多数のユランチア人の場合、調整者は、我慢強く死の救出の到来を待ち受けなければならない。あなたの生活の物質系列からのほとんど完全なエネルギーの型と化学の力の支配から現れつつある魂の解放を待ち受けなければならない。あなたがあなたの調整者との接触で陥る主要な困難は、この非常に固有の物質的特質にある。実にわずかの人間が、真の思想家である。あなたは精霊的に神性調整者との好ましい連結のところまで自分の心を発展させたり訓練しない。人間の心の耳は、調整者が慈悲の父の愛の普遍的な放送からの様々な情報を翻訳する精霊的請願にほとんど耳を傾けない。調整者には、あなたの物理的本質に固有の化学的、電気的力にあまりに完全に支配されている動物の心のこれらの奮い立たせる精霊の導きを登録することはほとんど不可能であることがわかる。
調整者は、人間の心に接触することを喜ぶ。しかし、彼らは、動物性の抵抗を切り抜けられず、直接にあなたと通じ合うことができない長年の静かな滞在期間中、我慢強くなければならない。思考調整者が、奉仕の度合で高く昇れば昇るほど、彼らは、より効率的になる。しかし、あなたが大邸宅世界で実際に心と心を合わせて思考調整者を識別するときに彼らが挨拶するようには、思考調整者は、肉体のあなたには決して完全で、同情的で、表現豊かな同じ愛情で応じることはできない。
必滅の命の間、物質の肉体と心は、調整者からあなたを引き離し、自由な意思の伝達を妨げる。死後、永遠の融合の後、あなたと調整者は1つであり—あなたは別の存在として区別可能ではない—だから、あなたがそれを理解したようには意志の疎通の何の必要性もない。
調整者の声が、あなたの中にずっとある間、あなた方のほとんどは、生涯の間にそれを滅多に聞かないであろう。到達の第3と第2回路の下の人間は、最高の願望の瞬間や最高の状況、そして最高決定後を除いては、めったに調整者のじかの声を聞かない。
未来の目標予備兵の人間の心と惑星監督との接触の工作と断絶の間では、時として内住する調整者は、人間の共同者に申し送りをすることが可能になるように場所を定める。つい近頃、ユランチアにおいて、そのような申し送りが、独立的調整者により将来の目標の予備軍団の一員である人間の仲間へ送られた。この申し送りは、次の言葉で紹介された。「さて、私の熱心な献身の対象への負傷あるいは危険を与えることなく、また、は私のために、過剰な懲罰を与えたり、阻止する意図なしに、彼に対する私の請願を記録しなさい。」それから、美しく感動的で魅力的な訓戒が続いた。とりわけ、調整者は、嘆願した。「かれが、より誠実に真剣な協力をし、より快活に私が委せた課題に耐え、より忠実に私の取り決めの案を行動に移し、より我慢強く私の選択の試みを経験し、より粘り強く、より陽気に私が選ぶ道を踏んで通り、より謙虚に私の絶え間ない努力の結果生じるかもしれない信用を受ける—このようにして私の訓戒を私が内住する者に送る。彼に、私は、最高の献身と神性の愛情を授ける。そして、さらに私は、私のいとしい対象にまさに最後まで、地球の最後の苦闘が終わるまで、知恵と力の機能を発揮すると言いなさい。私は私の人格の信頼に誠実である。また、私は、彼に私を失望させることのないように、私の我慢強く激しい葛藤の報酬を奪うことのないように、生き延びることを勧める。我々の人格達成は、人間の意志にかかっている。回路ごとに、私は我慢強くこの人間の心を昇ってきて、私の系列の主任の承認を満たしているという証言をする。回路ごとに、私は裁きに近づいている。私は、未来の目標の点呼を喜び、憂慮せず待ち受ける。私は、高齢者達の裁きにすべてを提出する用意ができている。」
[オーヴォントンの単独使者による提示 ]
人間の心の神性調整者の臨場は、科学または哲学のいずれかが、人間人格の進化する魂の満足な理解に達することを永遠に不可能にする。モロンチア魂は、単に宇宙の子であり、宇宙洞察と精神的な発見を通してのみ真に知られることができる。
魂と内住する精霊についての概念は、ユランチアにとって新しくはない。それは惑星の思考体系の様々な方式に頻繁に登場した。西洋の信仰の幾つかはもとより東洋の多くの信仰もまた、人が遺伝において人間であるのみならず遺産において神性であるということを認識してきた。神格の外部遍在に加え内部臨場は、長い間、多くのユランチア宗教の一部をなしてきた。人は、人間性の範囲内で成長している何か、この世の人生の短い間を越えて持続する運命にある何か重大なものがあると、長い間信じてきた。
人が、進化する魂は、神性の霊により創られたと気づく前には、魂は、異なる身体的的な器官—目、肝臓、腎臓、心臓、後には脳—に住んでいると考えられていた。未開人は、魂を血液、息、影、それに水の中の自身の反映に関連づけた。
アトマンの概念において、ヒンズー教教師は、調整者の本質と臨場の真価の認識に実際に近づいたのだが、進化的、かつ潜在的に不滅の魂の共同臨場の識別はできなかった。しかしながら、中国人は、陽と陰、魂と精霊の人間の2局面を認識した。エジプト人と多くのアフリカ種族は、2つの要素、カー、バーを信じた。精霊だけは前存在であり、魂は、通常、前存在であるとは信じられてはいなかった。
ナイル渓谷の住民は、好まれた各個人には、出生時に、もしくはその後に、彼らがカーと呼んだ守りの精霊を授与されたと信じた。彼らは、この守護霊が生涯にわたって人間の対象と共にあり、その人間より先に未来の場所へと向かうと教えた。アメンホテプ三世の生誕が描かれているルクソールの寺院の壁には、幼い王子がナイル神の腕に描かれ、王子の近くには外見上は王子に似た別の子供がおり、それは、エジプト人がカーと呼んだその実体の象徴である、この彫刻は、紀元前15世紀に完成された。
カーは、対応する人間の魂をこの世の生活のより良い軌道へと誘導することを、さらに具体的に言えば、人間の対象の今後の運勢に影響することを望む優れた精霊の感化を与えるものであると考えられた。この時代には一人のエジプト人が死ぬと、その人のカーが、三途の川の反対側でその人を待っていると予想された。最初は、王だけにカーがいると思われたが、やがて、すべての公正な人にはカーがいると信じられた。一人のエジプトの支配者が、自分の心の中のカーについて「私はその話を無視しなかった。その先導に違反することを恐れた。それによって、私は大いに成功した。それが私にさせてくれたお蔭で私は、このように成功した。私はその先導により特徴づけられた。」と言った。多くの者が、カーは「神からのお告げを伝えるもので皆の中に」いると信じた。彼らが「あなたの中の神の好意で喜びに満ちた心で永遠に過ごすことになっている」と信じた。
ユランチアの進化的人間のあらゆる人種には、魂の概念に相当する言葉がある。多くの原始民族は、魂が人間の目を通して世界の外を見ると信じた。この為、かれらは、邪眼の悪意を憶病にもとても恐れたのであった。彼らは、長い間、「人の霊は主の明かりである。」と信じてきた。リグヴェーダは、「私の心は私の核心と話す」と伝える。
調整者の仕事は、本質的には精霊的であるが、必然的に、知的な基盤においてすべての仕事をしなければならない。心とは、精霊訓戒者が、内住する人格の協力に従いモロンチア魂を発展させなければならない人間の土壌である。
宇宙の中の宇宙のいくつかの心の段階には、宇宙統一がある。知的な自己には、星雲が、宇宙空間の宇宙エネルギーに起源があるのとほぼ同様に、宇宙の心にその起源がある。知的自己の人間の(したがって、個人的)段階において、精霊進化の可能性は、そのような人間の自己の絶対価値の実体-点の創造的な存在と共に人間の人格の精霊の贈り物のために優位になる。しかし、物質の心のそのような精霊の支配は、2つの経験を条件とする。この心は、7名の心-精霊の補佐の活動を通して発展してきたに違いなく、物質的(人格的)自己は、モロンチアの自己、すなわち進化の、潜在的に不滅の魂を創り出し、育てるに当たっては内住調整者との協力を選択しなければならない。
物質の心は、人間の人格が、生きているか、自意識が強いか、決定をするか、神を選ぶのか、または神を見捨てるか、自分自身を永遠化するのか、もしくは滅ぼす領域なのである。
物質的進化は、あなたに生命の機械、すなわちあなたの身体を提供した。父自身は、あなたに、宇宙で知られている最も純粋な精霊現実を、つまりあなたの思考調整者を授けた。しかし、あなたの手には、あなた自身の決定を条件とする心が与えられており、あなたが生きるか、死ぬかは心によるのである。そして、それは、この心の中で、またこの心をもってあなたが調整者に似ること、そして、神に似ることが達成できる道徳的判断をさせるのである。
人間の心は、物質的な生涯の間、使用目的のために人間に貸与される一時的な知性の組織であり、人間がこの心を使用する間、かれらは、永遠の存在の可能性を順応するか、またはそれを拒絶している。手にしている宇宙現実のなかであなたの意志の支配下にあるのは、心だけであり、また魂—モロンチア自己—は、人間の自己がしているこの世の決定の収穫を忠実に描写するであろう。人間の意識は、電気化学的構造上に穏やかに寄りかかり、精霊-モロンチア エネルギー構造下に微妙に触れている。これらの2構造のいずれをも、人間はかつて、その必滅の人生において完全に意識してはいない。したがって、人間は、心で働かなければならず、それを意識している。またそれは、心が生存を保証することを理解することではなく、むしろ心が、生存保証の理解を望むことである。それは、心が似ることが、精霊の自己性を構成するのではなく、むしろ心が似るように努力することが、精霊の自己性を構成するのである。それは、人が神を意識することではなく、むしろ神を慕うことが人に宇宙上昇をもたらす。あなたが今日何者であるかということではなく、むしろあなたが日毎に、また永遠になろうとしていることが重要なのである。
心とは、人間の意志が破壊の不協和音を演奏することができる宇宙の楽器、あるいはこの同じ人間の意志が、神識別とその後の永遠の生存の絶妙の旋律を生み出すことができる宇宙の楽器である。人に授与される調整者は、要するに、悪に動じず、しかも、罪を犯すことができないが、人の心は、道理に反する罪深い企みや人間の身勝手な意志によって歪み、歪曲され、邪悪にそして醜くなることがある。同様に、この心は、髪を知る人間の精霊に照らし出される意志に従って、気高く、美しく、本当で、善に—本当に素晴らしく—されることができる。
進化する心は、宇宙の知性の二つの極端なもの—完全に機械化されたものと完全に精霊化されたもの—に現れるときにだけ、完全に安定し、信頼できるのである。純粋な機械的支配と真の精霊の特質の間には、その安定性と平静が、人格の選択と精霊識別に依存している進化し上昇する心の巨大な集団が介在する。
だが人は、消極的にも、従属的にも調整者に自分の意志を引き渡しはしない。むしろ、そのような導きが、人間の自然な心の願望や衝動と意識的に異なるとき、積極的に、肯定的に、また協力的に調整者の導きに従うことを選ぶのである。調整者は、巧みに扱いはするが、意志に反して人の心を決して支配はしない。調整者にとっては人間の意志が主権を有する。そして、調整者は、進化する人間の知性のほとんど無限の活動領域において思考の調整と人格変化の精霊的な目標達成に向けて努める間、人間の意志をそのように見なし、重んじる。
心はあなたの船であり、調整者はあなたの水先案内人であり、人間の意志は船長である。人間の船の主は、神の水先案内人が上昇する魂を永遠の生存のモロンチア港へと誘導すると信じる知恵がなければならない。身勝手さ、怠惰、罪深さだけが、人の意志に、そのような情愛深い水先案内人の導きを拒絶させ、ついには拒絶された慈悲の悪の浅瀬や抱き込んだ罪の岩礁で人間の前途を難破させることができるのである。あなたの同意で、この誠実な水先案内人は、神性の心のまさしくその源へと、そしてその向こう側へと、さらには調整者の楽園の父へとあなたを運ぶであろう。
宇宙の知性ある心の機能を通して、心全体は、知的機能部分に優位である。心は、要するに機能的な統一体である。したがって、心は、たとえ見当違いの自己の賢明でない行動と選択に、妨げられて邪魔されようとも、この構成統一体を必ず明らかにする。そして、心のこの統一は、つねに意志の尊厳と上昇特権をもつ自己とのその連合の全段階における魂の調整を追求する。
人間の物質的な心は、内住する思考調整者が、永続的な価値と神性の意味の宇宙の特徴—究極の目標と終わることのない経歴、潜在的終局者の生残している魂—の精霊の型を織り混ぜるモロンチアの織物を携行する宇宙の織機である。
人間の人格は、物質的な肉体の生命による機能的な関係で結合された心と精霊とが連動される。そのような心と精霊のこの機能的関係は、心と魂の特質あるいは属性の何らかの組み合わせをもたらすのではなく、むしろ潜在的に永遠の持続性にある完全に新しく、独創的かつ独自の宇宙の価値、つまり魂をもたらす。
そのような不滅の魂の進化的創造には2つではなく3つの要因がある。モロンチアの人間の魂のこれらの3つの先行要素は次の通りである。
1. 人間の心とその心に先行し、しかも、それに加えて影響を及ぼす宇宙の影響すべて
2. 人間の人生に関連するすべての精神的影響と要素と共に絶対的精神性のそのような断片に固有であるこの人間の心とすべての可能性に宿る神性精霊
3. 物質の心と神性精霊間の関係、それは、そのような関係に貢献している要因のいずれにも見い出せない価値を暗示し、意味をもつ。この独特の関係にある現実は、物質的でも精霊的でもなくモロンチア的でもない。それは魂である。
中間被創造者は、長い間、人のこの進化する魂を、下級であるかまたは物質的な心と、上級であるかまたは宇宙の心と対比して中間-心と呼んできた。この中間-心は、物質界と精霊界の間の領域に存在しているので、本当にモロンチア現象である。そのようなモロンチア進化の可能性は、心の2つの宇宙的衝動に固有である。神を知り、創造者の神性に至ろうとする被創造者の有限の心の衝動と人間を知り、被創造者の経験に至ろうとする創造者の無限の心の衝動。
進化する不滅の魂のこの崇高なやりとりは、人間の心が、第一に人格的であり、第二に超動物の現実に接触しているがゆえに可能にされる。それは、道徳的判断のできる徳性の進化を保証する宇宙の恩恵である超物質の贈り物を所有し、その結果、関連する精神的活動と内住する思考調整者との真実かつ創造的な接触をもたらす。
人間の心のそのような接触の精霊化の必然の結果は、全創造の他ならぬ神の実際の断片—神秘訓戒者—の総括的管理下にある宇宙の精霊的根源力と関係して働く神を知ることを切望する人間の意志で占められている補助の心の結合の子孫である魂の段階的な誕生である。そして、その結果、自己の物質的で必滅の現実は、物理的な生命機械の一過性の限界を超え、自己の連続性のための進化媒体、すなわちモロンチアの魂と不滅の魂において新しい表現と新しい同一性に到達する。
人間の心の誤りと行為の過失は、それが一度創造物の同意によって内住する調整者によって開始されてしまうとそのようなモロンチア現象を妨げることはできないものの、魂の発展を著しく遅らせるかもしれない。しかし、人間の意志は、人間の死の前のいかなる時点でもそのような選択を無効とし、生存を拒絶する権限が与えられている。生き残りの後でさえ、上昇する人間は、永遠の命を拒絶するほうを選ぶこの特権を依然と保持している。いつでも調整者との融合前、進化し上昇している創造物は、楽園の父の意志を放棄するほうを選択できる。調整者との融合は、上昇する人間が、父の意志を為すことを永遠に、遠慮なく選択をしたという事実を際立たせている。
生身の人生の間、進化している魂は、人の心の超物質的決定を補強する力を与えられる。超物質である魂は、人間の経験の物質的段階においてそれ自体の機能はしない。調整者のような神格の何らかの精霊の共同なくしては、この準精霊の魂も、モロンチア段階を上回る機能することはできない。この物質の心は、関連する機能のそのようなモロンチア魂に自由に、また進んでそのような権威を委託しない限り、魂は、人間の心との物質的関係から死、または移動が離すまで最終的決定をしない。生涯を通して、人間の意志、決定-選択の人格の力は、物質的な心の回路に居住している。この自己は、この世の人間の成長が進むにつれ、選択の極めて貴重な力に従って、新生のモロンチア-魂の実体とますます一体感を連動させる。死後と大邸宅世界復活の後、人間の人格は、モロンチア自己と完全に連動される。魂は、このように、人格同一性の将来のモロンチア媒体の胎児である。
この不滅の魂は、最初は本質的に完全にモロンチアであるが、それは、神格の精霊との融合、つまり通常はそのような創造的現象を起こした宇宙なる父と同じ精霊との融合の価値の真の精霊段階へと常に昇るようなそのような発展の能力を備えている。
人間の心と神性調整者の両者は、進化している魂の臨場と異なる本質を—調整者は完全に、心は部分的に—意識している。魂は、それ自身の発展的成長に比例して、ますます心と関連する自己性として調整者の意識するようになる。魂は、人間の心と神霊の両方の特質をいくぶん帯びているが、その働きの意味が精霊の真価と調整しようとする心の機能の促進を通して、精霊の支配と神の支配の拡大の方へ持続的に進化する。
人間の経歴は、つまり魂の進化は、保護観察ではなくむしろ教育である。最高価値の生存を信じることが、宗教の核心である。本物の宗教経験は、宇宙の現実の実現として、最高の価値と宇宙的意味の結合にある。
心は量、現実、意味を知っている。しかし、質—価値—は感じられるものである。魂が感じるものは、心と関連する魂との相互的創造であり、心は知り、その魂は現実化する。
真、美、善により神-意識の価値-認識として人の進化するモロンチア魂が浸透するようになる限り、そのような結果として生じる存在は、破壊できなくなる。人の進化している魂に永遠の価値の生存がないならば、人間の生活には意味がなく、人生自体は悲惨な幻想である。しかし、それは永遠に真実である。時間で始めることは確かに永遠に終わるであろう—終わる価値があるならば。
認識とは、個人の記憶の型に外界から受け取られた感覚的印象をはめ込む知的過程である。理解とは、これらの認識された感覚的印象と関連するそれらの記憶の型が、法則の動的な網状組織に統合されるか、または体系づけられたということを意味する。
意味とは、認識と理解の組み合わせから引き出される。意味は完全に知覚の世界には、または物質の世界には実在しない。意味と価値は、人間の経験の内側あるいは超物質界で認められるだけである。
本当の文明の進歩のすべては、人類のこの内側の世界で生まれる。真に創造的であるのは内面の人生である。文明は、いかなる世代であろうともその若者の大多数が、その関心と精力を知覚の、または外界の物質追求に向けるとき、ほとんど進歩することはできない。
内面世界と外面世界には、異なる価値がある。いかなる文明も、その3/4の若者が物質主義的職業に就き、外面世界の感覚の活動の追求に専念するとき、危険にさらされている。文明は、若者が、倫理学、社会学、優生学、哲学、美術、宗教、宇宙学への興味をなおざりにするとき、危険にさらされている。
あなたは、それが、人間の経験の精霊の領域に影響を与えるように、より良く、より永続する文明を建設することに貢献する効を奏する支配的な型と関連するそれらのより高い概念を超意識の心のより高い段階においてのみ見つけることができる。人格は、本来創造的であるが、個人の内面生活においてのみこのように機能する。
雪の結晶は、常に六角形であるが、2つとして決して同じではない。子供は型に従うが、2人として、双子の場合でさえ、全く同じではない。人格は型に従うが、常に他とは異なる。
幸せと喜びは、内面生活に起源がある。あなたは一人きりで本当の喜びを経験することはできない。孤独の生活は、幸福にとっては致命的である。家族や国でさえ、それを他と共有するならば一層生活を楽しむであろう。
あなたは、外界—環境—を完全には制御できない。あなたの人格が先行する因果関係の法則の足枷からそれほどまでに大幅に解放されるので、内面世界の創造性こそがあなたの方向づけに最も支配されている。意志の有限の主権は、人格に関連づけられている。
人のこの内面生活が誠に創造的であるので、この創造性が自然発生的であり、その上完全に場当たり的であるか、あるいは制御され、指示され、その上建設的になるかどうかの選択責任は、各人の肩にかかっている。機能する舞台が、偏見、憎しみ、恐怖、憤り、報復、偏狭にすでに心が奪われているとき、創作への想像力はいかにして価値ある子供を生み出すことができるのか。
考えは、外界の刺激に起源があるかもしれないが、理想は、内界の創造の領域だけで生まれる。今日、世界の国々は、過剰の考えを持つ人に導かれているが、かれらは、理想においては極貧である。それが、貧困、離婚、戦争、人種的憎悪についての説明である。
これは問題である。自由意志の人間に内なる心の創造性の力が与えられているならば、我々は、自由意志の創造性が自由意志の崩壊性の可能性を迎え入れると認めなければならない。そして、創造性が破壊性に向けられるとき、あなたは、悪と罪の荒廃—圧迫、戦争、破壊—と直面している。悪は、創造性に対しての崩壊と最終的な絶滅に向かう傾向の妨害である。内面生活の創造的機能を妨げるという点で、すべての闘争は、邪悪である—それは、人格における内戦の一種である。
内面的創造性は、人格統合と自己統一を通じて性格の品位を高めることに貢献する。それは永遠に真実である。過去は不変である。未来だけは、内側の自己の現在の創造性の活動によって変わることができる。
神の意志を為すことは、内面生活を神—内面の意味-価値のそのような創造物の生活を可能にしたまさしくその神—と共有するという創造物の意欲の提示に他ならない。共有は、神—神性—に似た行為である。神は、すべてを永遠なる息子と無限なる精霊と共有するが、彼らは、次に、すべての物を宇宙の神性の息子と精霊の娘と共有する。
神を摸倣することは、完全性への鍵である。神の意志を為すことは、生存の秘密であり、生存における完全性である。
人間は神の中に生き、同じように神は、人間の中に生きることを決意した。人が神を信頼するように、神は同じように—最初に—自分の一部が人といることを確信した。人間の意志を前提として人の内に生き、人の中に宿ることを同意した。
この人生における平和、死からの生存、来世における完全性、永遠における奉仕—これらはすべて、(精霊的に)いま、創造物の人格が、父の意志に創造物の意志が従うことに同意する—選ぶ—とき、達成される。そして、父は、すでに、神自身の断片が、創造物の人格の意志に従うことを選んだのであった。
創造物のそのような選択は、意志の降伏ではない。それは、意志の奉献 、意志の拡大、意志の賛美、意志の完成である。また、そのような選択は、創造物の意志を世俗の重要性の段階から創造物の息子の人格が精霊の父の人格と親しく交わる高い段階へと高める。
たとえ一時代が、創造物の息子が、実は楽園の神の実際の臨場にたつかもかもしれない前に過ぎなければならないとしても、父の意志のこの選択は、人間による精霊の父の精霊的な発見である。この選択は、「あなたの意志が為されるということが、私の意志である。」という創造物の肯定的な確認ほどには、「私の意志ではなく、あなたの意志が為される」という創造物の意志の否定ではない。そして、この選択がなされるならば、遅かれ早かれ神-選択の息子は、内在する神の断片との結合(融合) —人の意志と神の意志の永遠の別の協調関係の誕生—を見い出すであろし、一方、この同じ完成に近づいている息子は、創造的属性が表現の各自の意志に基づく相互関係に永遠に参加している人の人格とその造物主の2つの人格の崇拝と親交における崇高な人格的満足を見い出すであろう。。
人間の世俗的問題の多くは、人間の宇宙との二つの関係から芽生える。人は自然の一部である—自然の中に存在する—なおかつ、自然を超えることができる。人は有限であるが、無限の火花が内住している。そのような二重状況は、可能性を悪に提供するだけではなく、大きな不確定要素と大いなる不安をはらむ多くの社会的、道徳的状況をも引き起こす。
自然の征服をもたらし、自らを超越することを求める勇気というものは、自負の誘惑に屈するかもしれない勇気である。自己を超えることができる人間は、自意識を神聖視する誘惑に屈するかもしれない。人間の窮地は、 人が自然に束縛され、同時に独自の自由—精霊的な選択と行動の自由—をもつという二重の事実にある。物質的段階では、人は、自然に副次的あることに気づくが、精霊的段階では、自然、そして一時的かつ有限な全てのものに対して勝利を収めている。そのような矛盾は、誘惑、潜在的悪、決断上の誤りから切り離せないものであり、また、自己が誇り高くなったり、横柄になるとき、罪が展開するかもしれない。
罪の問題は、有限の世界においては独立的存在ではない。有限性の事実は、邪悪でも罪深くもない。有限の世界は、無限の創造者によって作られた—それは、その神性の息子の業である—したがって、それは良いはずである。悪と罪に起源を与えることは、有限の誤用と歪みと堕落である。
精霊は、心を支配することができる。同様に心は、エネルギーを制御することができる。しかし、心は、原因と結果の物理的領域の数学段階に固有である変成の可能性のそれ自身の知的操作を通してだけエネルギー制御ができる。被創造物の心は、本来エネルギーを制御しない。それは神性特権である。しかし、被創造物の心は、物理宇宙のエネルギーの秘密の熟練者者になる限りにおいてエネルギーを操ることができるし、そうする。
人が物理的現実の修正を願うとき、それが自分自身かその環境であることにかかわらず、人は、物質を制し、エネルギーを導く方法と手段を発見するまでに功を奏する。助けを受けない心は、自身の物理的な仕組を除いては、物質的な何物にも影響を及ぼすことができない。しかし、肉体の仕組みの知的な活用を通して、この心が、ますます制御することができ、宇宙におけるその物理的段階を支配することさえできるその活用により、心は、他の仕組みを、エネルギー関係と生命関係さえも創造することができる。
科学は事実の源であり、心は事実なしで作動はできない。それらは、人生経験が知恵の建設においてセメントで結合される建築用ブロックである。人は、事実なしで神に対する愛を見つけることができ、愛なしで神の法を発見することができるが、人は、神の法と神の愛を見つけ、進化している宇宙哲学において経験的にこれらを統一するまでは、第一根源と中枢の全包括的な自然に属する無限の対称性、崇高な調和、絶妙の充実さを決して評価し始めることができない。
物質的知識の拡大は、思考の意味と理想の価値へのより優れた知的評価を可能にする。人間は、自分の内面の経験において真実を発見することはできるが、真実にの個人の発見を日常生活の冷酷なまでに実用的な要求に適用するための事実に関する明確な知識を必要とする。
人間は、一時的で有限なすべての事に完全に卓越した精神力をもつ一方で、動きがとれないほどに自然に縛られる自分自身を眺めるとき不安定な気持ちに悩ませられるということはもっともなことである。ただ宗教上の確信—生きている信仰—だけが、人をそのような難しく、面倒な問題の真ん中で支えることができる。
人の必滅の本質を脅かしたり、精霊的清廉さを危険にさらす全ての危険の中では、誇りというものが最も大きなものである。勇気は勇しいが、自惚れは虚栄が強く自滅的である。理に適った自信を遺憾に思うことはない。自身を超える人の能力こそが、動物界と人を区別する一つのものである。
誇りは、個人、集団、人種、または国家に見られるか否かに関係なく、欺きであり、陶酔であり、罪の養育である。「おごれる者久しからず」ということは文字通り本当である。
保障の不確実性は、楽園冒険の本質である—時間の、そして心の不確実性、展開する楽園上昇の事象に関する不確実性。精霊と永遠における安全性、すなわち、宇宙なる父の神性の思いやりと無限の愛における創造物の息子の無条件の信頼における安全性。宇宙の未経験な公民としての不確実性。全能の、全賢の、そしてすべてを愛する父の宇宙の大邸宅を上昇する息子としての保障。
あなたの魂への調整者の誠実な呼び出しである遠くからの木魂に心を留めるようにあなたに訓戒してもよいであろうか。内住する調整者は、止まることができないし、あなたの経歴の時間の中での戦いを実質的には変更さえできない。調整者は、あなたが労苦のこ現世で旅をする間、人生の苦難を減少させることはできない。それが、あなたの惑星で住んでいるように、人生であなたが生きるために戦う間、神性内住者は、ただ我慢することしかできない。だが、あなたは、ただ望みさえすれば—あなたが働き、気を揉みつつ、戦い、骨折りながらも—勇敢な調整者があなたと共に、またあなたのために戦うことを許す。あなたが、あなたの現在の物質界の平凡な問題とのすべての上りの闘いであるこの難しい真の動機の絵、最終的目標の絵、そして、その永遠の目的の絵を絶えずもたらすことを調整者に許しさえすれば、あなたはとても慰められ奮起させられ、とてもに魅了され、好奇心をそそられることができる。
奮闘を要する物質的なこれらのすべての努力の精霊的な類似体をあなたに見せる任務において調整者を支援してはどうか。あなたが創造物の生活の一時的な困難と取り組んでいる間、あなたはなぜ、調整者に宇宙の力の精霊の真実であなたを強くさせないのか。あなたが過ぎ行く時間の問題を当惑してじっと見つめる間、あなたはなぜ調整者に宇宙の人生の永遠の前途からくる明確な見通しであなたを元気づけさせてはどうか。あなたが時間の不利な条件の中でこつこつと働き、人生旅行を悩ます不確実性の迷路でもがく間、あなたはなぜ、宇宙の視点に啓発され、奮い立たせられることを拒むのか。たとえあなたの足は現世の努力の物質的進路を踏み均さなければならないとしても、あなたはなぜ調整者にあなたの考えの精霊化を許してはどうか。
ユランチアのより高等の人類は複雑に混合される。それらは、異なる起源をもつ多くの人種と民族の混合である。この合成の特質は、訓戒者が、生涯を通じて効果的に働くことをきわめて難しくし、死後確実に、調整者と保護者である熾天使の両者の問題を増やす。私はつい先頃サルヴィントンにいて、人間の対象に役立つ難しさの軽減について、将来の目標の保護者の正式声明を聞いた。この熾天使は言った。
「私の困難の多くは、私の対象の2つの特質、動物的怠惰に相対する野心の衝動、の果てしない対立が原因であった。劣性人種の本能に妨げられた優れた民族の理想。原始的遺産の衝動に敵対される偉大な心の高い目的。時間の創造物の近視に歯止めをかけられる先を見ている訓戒者の長期的視点。物質的性質の願望と切望に変更される上昇する存在体の進歩的計画。進化する人種の化学エネルギーの必要性に取り消される宇宙の知性の閃き。動物の感情の妨害をうける天使の意欲。本能の傾向に無効にされる知力の養成。人種の蓄積された傾向に妨害される個人の経験。最悪の者達の偏流に暗くされる最善の者達の目標。凡庸の引力に中和される才能の飛翔。悪しき者達の不活発さに遅らされる善き者達の進歩。悪の存在に汚される美の芸術。病気の衰弱に中和される健康の回復力。恐れの毒に汚染される信仰の泉。悲しみの海に苦しめられる喜びの泉。実現の苦さに幻滅させられる期待の喜び。死の悲しみに常に脅かされる生きる喜び。そのような惑星でのそのような人生であることよ。だがこの魂は、思考調整者の絶えず存在する助けと意欲のために、かなりの程度の幸福と成功を成し遂げ、大邸宅界の審判の大広間に今でも上昇した。」
[オーヴォントンの単独使者による提示 ]
進化的惑星は、人類起源の領域、つまり上昇していく必滅者の経歴の最初の世界である。ユランチアが、あなたの出発地点である。ここであなたとあなたの神性の思考調整者が、一時的和合により結ばれる。あなたには完璧な案内者が賦与されている。それゆえ、もしあなたが、真剣に時の競走をし、信仰の最終目標を得るならば、何世紀もの時の報奨というものはあなたのものとなるであろう。あなたは、内住するあなたの調整者と永久に和合されるであろう。次には、あなたの現在の必滅状態へのほんの入り口にすぎない真の生活、すなわち上昇する生活が始まるであろう。次には、あなたの前に展開する永遠において終局者としての高揚の、前進的な使命が始まるであろう。そして、これらの引き続く時と進化の成長の全段階を通して、絶対に不変であるあなたの一部分があり、それこそが、人格―変化の存在における不変性―である。
人格の定義を試みることは差し出たことではあるが、それについて知られているもののいくつかの列挙は、参考になるかもしれない。
1.人格とは、実は宇宙なる父自らにより、あるいは父の代理を務める結合活動者により授けられるその特性である。
2.それは、心または精霊を含むいかなる生きたエネルギー体系にも与えられるかもしれない。
3.それは、完全に先行する因果関係の枷を条件とするものではない。ある程度創造的であるか、または協同創造的である。
4. それは、進化する物質創造物に授けられるとき、精霊が、心の沈思を経てエネルギー体系の把握に努めさせる。
5.人格は、同一性を欠くと同時に、いかなる生けるエネルギー体系の同一性をも統合できるのである。
6.それは、重力への質的、量的反応を示す3種類のエネルギーと対比して、人格回路に対し質的反応のみを示す。
7.人格は、変化に臨んで不変である。
8.それは、神への贈り物にすることができる-神の意志を為すことへの自由意志の献身。
9.それは、道徳により特徴づけられる-他の人間との関係の相対性の認識。それは、行為の水準を明察し、選択的にそれを区別する。
10.人格は、無類、絶対的に無類である:時と空間において無類である。それは、永遠において、楽園において無類である。それは授けられるとき、比類がなく—複製はない。存在のどの瞬間においても特異である。それは、神との関係において無類である—神は、人格体の差別待遇をしないが、それらを一まとめにもしない。なぜなら、それらは加えうるものではない—関連可能ではあるが、合計不可能である。
11.人格は、直接に他の人格存在に反応する。
12.それは、精霊に追加されうる1つのものであり、それゆえ息子との関係における父の卓越を例証している。 (心は精霊に加えられる必要はない。)
13.人格は、生残する魂の中で自己同一性をもって必滅の死を生き残るかもしれない。調整者と人格は、不変である。双方の (魂の中の)関係は、変化、すなわち継続的進化以外の何物でもない。そして、この変化(成長)が止むならば、魂は止むであろう。
14.人格は、無類に時を意識し、これは、心または精霊の時間認識以外の何かである。
人格は、普遍なる父が、潜在的に永遠の贈与として被創造物に与える。そのような神性贈り物は、下等の生物から最上の準絶対まで、さらには絶対の境界にまでの連続する宇宙段階で機能するよう意図されている。 人格はそれゆえ、宇宙の3平面上、あるいは宇宙の3段階において機能する。
1.位置状況。 人格は、地域宇宙、中央宇宙、そして中央宇宙において平等に、かつ効果的に機能する。
2.意味状況。 人格は、有限、準絶対に、そして絶対に接触さえして、効果的に能力を発揮する。
3.価値状況。人格は、物質、モロンチア、精霊の進歩的領域において経験的に認識できる。
人格には、広大無辺で次元的機能をもつ領域がある。有限の人格の次元には3種類があり、およそ次の通りに機能的である:
1. 「長さ」は、方向と進行の性質を表す—空間経由と時間に準じた動き—進化。
2. 「深さ」は、有機体の衝動と態度、つまり自己実現の異なる水準と環境に対する反応の一般的現象を擁している。
3. 「幅」は、調整、提携、自我組織の領域を擁する。
ユランチアの人間に授けられた人格の型には、7様相の自己表現あるいは人間-実現の可能性がある。これらの次元的現象は、有限段階での3様相、準絶対段階の3様相、絶対段階の1様相として実現可能である。下位の絶対段階では、この7番目の、あるいは全体の様相は、人格の事実として経験可能である。この最高の次元は、集合可能な絶対的なものであり、無限ではないが、絶対的なものの準無限の浸透において次元的に潜在的である。
人格の有限的次元は、宇宙の長さ、深さ、幅に関係がある。長さは意味を、深さは価値を意味し、幅は洞察力を擁する—宇宙現実に関わる挑戦不可能な意識を経験する能力。
物質段階のこれらの有限的次元のすべては、モランチア段階において大いに高められ、またある新たな次元の価値は実現可能である。モランチア段階のこれらのすべての拡大された次元の経験は、モタの影響を通して、そしてモランチアの数学の貢献によっても、最高の、または人格の次元で見事に表現されている。
もし有限の創造物が、次元的段階と精霊的段階は経験的な人格実現において調整されていないということを思い出すならば、人間の人格学習において自らが経験した多くの問題は避けられることができるであろう。
生命は、まさに有機体(自己性)とその環境の間に起こる作用である。人格は、この有機体-環境の関連性に同一性の価値と連続性の意味を与える。このように、それは、完全な状況における要因として機能することから、刺激-反応の現象が単なる機械的作用でないということが分かるであろう。その構造は、本来受動的であるということは、つねに本当である。有機体は本質的に能動的。
物理的生命は、有機体の中においてというよりは、むしろ有機体と環境の間で行われる作用である。そして、そのようなあらゆる作用は、そのような環境への反応の有機体の形態を創造し、確立する傾向がある。すべてのそのような指示的形態は、目標選択において非常に影響力がある。
それは、自己と環境が意味ある接触を行うという心の仲介によってである。環境(衝動への反応)とそのような重要な接触をする有機体の能力と自発的意志は、全人格の態度を意味している。
人格は、孤立しては十分に機能できない。人は、生まれながらにして社会的創造物である。かれは、帰属意識の渇望に支配されている。「人は、自分のためだけに暮らしてはいない」というのは文字通り本当である。
しかし生きており、機能している創造物全体の意味としての人格の概念は、関係の集積よりはるかに多くを意味する。それは、現実のすべての要因、ならびに関係の調整の統一を意味する。関係は、2個の対象間に存在するが、3個以上の対象では体系が生じ、そのような体系は拡大した、あるいは複雑な関係以上のものである。この区別は重大である、なぜならば、個人である構成員は、宇宙体系においては、全体に関して、また全体の個性を介しての関連を除いては、互いに結びつけられないのであるから。
人間の有機体におけるその部分の総和は、自己性—個性—を構成するが、そのような過程は、人格とは何の関わりもなく、それは、宇宙の現実に関連するこれらの全要素を統合するものである
集合体において部品は加えられる。体系において、部分は整えられる。体系は、組織のために重要である—位置的価値。良い体系においては、すべての要素が普遍の位置にある。悪い体系においては、何かが欠けているか置き換えられている—乱れている。人間の体系においては、すべての活動を統一し、そうすることにより同一性と創造性の質を明らかにするのは、人格である。
自己性の研究において次のことを念頭に置くことは役に立つであろう。
1.物理的体系は下位であるということ。
2.知的体系は同位であるということ。
3.人格は上位であるということ。
4.内在する精霊の根源力は、潜在的に指示的であるということ。
自己性に関するすべての概念において命という事実がまずあり、あとにその評価または解釈がくるということが認識されるべきである。人間の子供は、まず生き、次に自分の生きるということについて考える。宇宙の営みにおいては、洞察が先見に先行する。
神が人間になることについての宇宙事実は、永遠にすべての意味を変え、また人間の人格のすべての価値を改めた。言葉の真の意味において愛は、人間または神、または人間と神性であるにせよ、全人格の相互間の考慮を暗示する。自己の内なる部分は、多方面—考えること、感じること、望むこと—において機能するかもしれないが、全人格の連携された属性だけが、知的活動において集中する。そして人間が、心から、そして利他的に他の存在体を、人間または神性を愛するとき、これらの力のすべてが、人間の心の精霊的な贈り物と関連しているのである。
現実の人間の全概念は、人間の人格の現実性の仮定に基づいている。超人的な現実の全概念は、ある種の関連する精霊の実体と神性の宇宙の現実との、またその中における人間の人格の経験に基づいている。人格を除く人間の経験における非精霊的なすべては、目的を達するための手段である。必滅の人間の他の人格体—人間または神性—とのすべての真の関係は、それ自体が目的である。そして、神格の人格とのそのような親交は、宇宙上昇の永遠の目的である。
人格を有するということは、人格の自己性と自意識の統一が超物質界の授与であるがゆえに、人間を精霊的存在体であると見極める。人間の物質主義者が、超物質界の存在を否定できるという他ならぬ事実それ自体が、人間の心の精霊統合と宇宙的意識の存在を立証し、またその働きを示す。
物質と思考の間には広大無辺の割れ目があり、しかもこの割れ目は、物質的な心と精霊的な愛の間で計り知れないほどにより大きいのである。意識は、自意識は言うまでもなく、電子の機械的結合のいかなる理論、あるいはエネルギーの物質現象によっても説明し得ないのである。
心が、現実をその元素分析にまで追求するとき、物質は、物質感覚に消え失せるが、心にはまだ現実として留まるかもしれない。精霊的洞察が、物質の消滅の後に留まり、また元素分析までその現実を追求するとき、現実は、心に消えせるが、精霊の洞察は、宇宙の現実と精霊本質の崇高の価値をまだ知覚することができる。したがって科学は、哲学に譲歩し、同時に哲学は、本物の精霊的な経験に内在する結論に屈しなければならない。思考は、知恵に屈し、知恵は、啓発された内省的な崇拝に残される。
科学において人間の自己は、物質界を観察する。哲学は、物質界のこの観察についての観察である。宗教、すなわち真の精霊的経験は、時間と空間のエネルギー物質のすべてのこの相対的統合の観察に関する観察の宇宙現実の経験的認識である。排他的な唯物主義に関して宇宙の哲学を築くということは、物質である全ての物は、人間の意識の経験において本当であるとまず最初に考えられるという事実を無視することである。観察者は、観察される物であるはずがない。価値評価は、評価されるものをそれなりに超越することを要求する。
やがて、思考は知恵につながり、知恵は崇拝につながる。永遠においては、崇拝は知恵に導き、知恵は思考の最終性に終わる。
進化する自己統合の可能性は、その構成する要因の質に備わっている:基本的なエネルギー、支配的な細胞組織、基礎的な化学の間接的支配、崇高的な考え、至高的な動機、至高の目標、楽園贈与の神性の精霊—人の精霊的本質の自意識の秘密。
宇宙進化の目的は、増加する精霊の優勢、すなわち思考調整者の教育と先導への意志に基づく行動による人格統合を達成することである。人格は、人間の、そして超人の双方は、「支配の進化」すなわち人格自体とその環境の支配の拡大と呼ばれるかもしれない宇宙の固有の特性により特徴づけられる。
上昇するかつての人間の人格は、自己への、そしてその宇宙における意志に基づく一層の支配の大きな2段階を経験する。
1. 宇宙問題解決とそれに伴う宇宙の支配とともに同一性の拡大と実現の技術により自己実現を増大する前終局者の経験、または神-探求の経験。
2.神-類似の神性段階にいまだ達していない神-探求の知力ある者たちへ崇高なるものの経験の示現を通して、自己実現の創造的な拡大の前終局者の経験、または神-顕示の経験。
下降する人格は、崇高者、究極者、絶対神格者の神性意志を確かめ、かつ実行するための拡大した能力を捜し求めて、様々な宇宙冒険を通じて類似の経験を達成する。
物質的自己(人間同一性の自我-実体)は、物質生命体の連続する機能における物理的生活の間、つまり、ユランチアで生命という名を与えられたエネルギーと知性の不均衡の連続的存在に依存している。しかし、死の経験を超えることができる自己性、生存価値の自己性は、一時的な生命体—物質の肉体—からモロンチアの魂のより永続的かつ不滅の本質への、そして魂が精霊現実と融合されるようになり、ついには精霊現実の状態に達するそれらの段階へと越えて進化する人格の同一性の位置を潜在的移動を行うことによってしか発展されないのである。物質的関連性からモロンチア連動性へのこの実際の移行は、人間創造物の神-探索の率直な、粘りのある、不動の決定によりもたらされる。
ユランチア人は、1種類の死だけを、生命エネルギーの物理的停止を一般的に認識する。しかし人格生存に関しては、実際には3種類がある。
精霊的な(魂の)死。もし、人間が最終的に生存を拒絶するような場合、調整者と生存の熾天使の共同意見において精霊的に破綻しモロンチア的に破産したと言われたとき、そのような共同の助言がユヴァーサに記録されたとき、そして、検閲官とその思慮深い同僚が、これらの結果を確かめた後、オーヴォントンの支配者達は、そこで内在する監視官の即刻解除を発令するのである。しかし、調整者のこの解除は、その調整者に見捨てられた個人に関係している個人の、あるいは集団の熾天使の任務には少しも影響を及ぼさない。この種の死は、肉体と心の仕組みに関わる生けるエネルギーの一時的な継続の如何にかかわらず、その意義においては確定的である。宇宙の見地から、この必滅者はすでに死んでいる。継続する生命は、単に宇宙エネルギーの物質的な勢いの持続を示唆するに過ぎない。
2.知力な(心の)死。知力の異常のためや、もしくは脳の構造の部分的破壊のせいでより高位の補佐の不可欠の奉仕活動の回路が崩壊するとき、それに、もしこれらの状況が収拾不能のある限界点を通り過ぎるならば、内住の調整者は、ディヴィニントンへの出発のためにすぐ放たれる。宇宙記録上は、意志行動の不可欠の心の回路がいつ破壊されようとも、人間の人格は、死を遂げたと考えられる。そしてまた、これは、物体の生きる作用の継続的な機能にかかわりなく、死である。意志ある心を欠く肉体は、もはや人間ではないが、それ以前に人間の意志を選択したそのような個人の魂は、生き残るかもしれない。
3.物理的な(肉体と心の)死。死が人間に追いつくとき、調整者は、知力ある作用として機能することを止めるまで、つまりかなりの脳エネルギーが、生命のそのリズミカルな不可欠な脈拍を止めるおおよそその時まで、心の砦に留まっている。この解散後、調整者は、ちょうど何年も前にされた参入と同じように形式ばらずに消え失せる心から離れ、ユヴァーサ経由でディヴィニントンへと進む。
死後、物質の肉体は、元来た元素の世界に戻るが、生存する人格の二つの非物質要素は持続して、先在の思考調整者は、人間の経歴の記憶の写しとともに、ディヴィニントンへと進む。そして、守護天使の保護のもとに、死んだ人間の不滅のモロンチア魂もそこに留まる。魂のこれらの局面と形、かつては動的、しかし、今は静的な同一性のこれらの型は、モロンチア界での再人格化に不可欠である。そして、それは、生き残っている人格を組み立て直す、すなわちモロンチアの目覚めの時点であなたを再度意識させる思考調整者と魂の再結合である。
集団の管理者は、熾天使の個人的保護者をもたないもの達のために、忠実に、効率的に同一性の保護と人格復活の同じ奉仕を施す。熾天使は、人格の再構築に不可欠である。
死に際し、思考調整者は、同一性ではなく、人格を一時的に失う。人間の対象は、人格ではなく、同一性を一時的に失う。大邸宅界においては、両者とも永遠の顕現で再結合する。離れた思考調整者は、決して以前の内住の存在体として地球には戻らない。人格は、決して人間の意志なくしては現れない。そして、調整者離脱の人間は、決して死後に作動中の同一性を明らかにしたり、またはいかなる方法においても地球の生きている存在体と交信しない。そのような調整者離脱の魂は、死の長いか短い眠りの間、完全に、絶対に無意識である。生存達成の後まで、他の人格との交信に従事するいかなる類の人格あるいは能力の表明はない。大邸宅界に行くもの達は、最愛のもの達に通信することは許されていない。現在の天の配剤期間、そのような交信禁止が、全宇宙にわたっての方針である。
物質的、知的、あるいは精霊的な性質の終わりが起こるとき、調整者は、人間の宿主に別れを告げ、ディヴィニントンに出発する。地方宇宙と超宇宙の本部から両政府の監督者との反応的な接触がとられ、監視官が、時の領域への進入記録の際と同じ番号により登録から外される。
宇宙検閲官は、被内住の心の精霊的価値とモロンチアの意味に関わる調整者の複写に具体的に表明されているように、完全には理解されない何らかの方法で、人間の人生の概略を手に入れることができる。検閲官は、死んだ人間の生存する性格と精霊的な性質の調整者版を専有でき、そして、この資料のすべてが、熾天使の記録と共に、関係する個人の判決時に提出可能である。この情報も、惑星制度の正式な解雇の前に、大邸宅界に進む人間の解散の際、特定の上昇者たちがモロンチア経歴をすぐに始めることを可能にする超宇宙の命令を確認することにもまた使用される。
肉体の死に続いて、生者の中から移される個人を除く、開放された調整者は、ただちにディヴィニントンの故郷の球体に行く。生残する人間の実際の再出現を待ち受ける間にその世界に起きることの詳細は、主には、その人間が、自身の個人の権利で大邸宅世界に昇るのか、または惑星時代の眠っている生存者の配剤上の召還を待ち受けるかによるのである。
もしその人間の仲間が配剤の終わりに再人格化される一集団に属するならば、その調整者は、以前の奉仕機構の大邸宅世界に直ちに戻りはしないが、選択により、次の一時的な任務の1つに着手するであろう:
1.明きらかにされていない奉仕のために消えた監視官の階層に召集される。
2.一定期間、楽園体制の観測に配属される。
3. ディヴィニントンの多くの職業訓練校の1つに登録される。
4. 楽園界の父の回路を構成する他の神聖な6球体の1つに学生の観察者としてしばらく配置される。
5. 人格化された調整者の使者の奉仕に配置される。
6. 無経験の集団に属する監視官の養成をするディヴィニントンの学校の準講師になる。
7.人間の共同者が生存を拒絶したかもしれないと信じるに足る理由がある場合、奉仕が可能な世界の一集団に配属される。
死があなたを襲うとき、もしあなたが第3の回路、またはより上の領域に達しており、その結果、専任守護天使の任務に配置されていたならば、また調整者により提出された生存者に関する要約の最終的な写しが守護天使に無条件に承認されるならば、—熾天使と調整者の両者が、人間の生活記録と推薦のあらゆる項目で基本的に合意するならば、—ユヴァーサの宇宙の検閲官とその反射提携者がこの資料を確認し、曖昧な表現または留保もなくそうするならば、その場合には、日の老いたるものは、サルヴィントンへの通信回路のうえの段階の任務を素早く送り出し、高い地位の告示を発信し、そしてこのように解放されたネバドンの主権者の裁決機関は、大邸宅世界の復活の大広間へ生残している魂の即時の通過を命じるであろう。
人間の個人が滞りなく生き残るならば、私が教えられているように、調整者は、ディヴィニントンにおいて登録し、楽園にいる宇宙なる父へと進行し、すぐに戻り、超宇宙の任務と地方宇宙の任務にある人格化された調整者に迎え入れられ、ディヴィニントンの人格化された監視長の認知を受け、それから、すぐに、「同一性移行の実現」に移り、そして、将来の目標の守護天使により映し出された形で地球の人間の生存する魂の受け入れのために用意された実際の人格の形における第3期に、そして大邸宅世界にそこから、召還される。
自己性とは、物質的、モロンチア的、あるいは精霊的であろうと宇宙の現実である。人格体の現実性とは、父自体または様々の宇宙機関を介しての宇宙なる父の贈与である。存在体が人格的であると言うことは、宇宙有機体の中のそのような存在の相対的な個人化を認識することである。生きている宇宙は、ほとんど無限に統合された実際の集合体であり、そのすべてが全体の目標に相対的に従っている。だが個人的であるそれらのもの達は、目標の受諾か、または拒絶の実際の選択により授与されたのである。
父から来るそれは、父のように永遠であり、これは、神の実際の断片である神性の思考調整者についても同じように、神が、自身の自由意志の選択により与える人格についてもまさに同じである。人の人格は永遠であるが、同一性に関しては条件つきの永遠の現実である。父の意志に応えて出現した人格は、神格の目標を達成するであろうが、人は、そのような目標到達の際に出席するかどうかを選ばなければならない。そのような選択がない場合は、人格は、直接経験の神格を達成し、そして崇高なるものの一部となる。その周期は、予め決められてはいるものの、人の参加は任意で、私的で、経験的である。
人間の同一性は、宇宙の一時的な時間-人生の様相である。人格が継続的な宇宙現象になることを選ぶ限り、それは現実である。これは、人とエネルギー体系の本質的相違である。エネルギー体系は続かなければならず、何の選択肢もない。しかし、人には、自身の目標を決定するすべてに関係している。調整者は、正に楽園への道であるが、人は自らの決定、すなわち自らの自由意志の選択により、その道を追求しなければならない。
人間には、物質的な意味だけで同一性を備えている。自己のそのような特質は、知性のエネルギー体系において機能するように、物質の心により表現される。人には同一性があると言われるとき、人間の人格の意志による行為と選択に服従してきた心の回路を有しているとみなされる。しかし、これは、ちょうど人間の胎児が人生の一時的な寄生的段階であるように、物質的な、かつ純粋に一時的な顕現である。宇宙的観点から、人間は、生まれて、生き、時間の相対的な瞬間に、死ぬ。人間は永続しない。しかし、人間の人格は、それ自身の選択、一時的な物質的-知的体系から人格顕現のための新しい手段として、思考調整者と関連して作成されるより高いモロンチア-魂体系への同一性のその席を移す力、を備えている。
それは、人の最大の機会と最高の宇宙責任を構成するという選択の他ならぬこの力、自由意志をもつ生物の宇宙の勲章である。未来の終局者の永遠の目標は、人間の意志の完全性に頼る。神性調整者は、永遠の人格のために人間の自由意志の誠実さにそ頼るのである。宇宙なる父は、新しい上昇の息子の実現のために、人間の選択の忠実さにこそ頼るのである。崇高なるものは、経験的進化の現実のために決心-行動の不動さと知恵にこそ頼るのである。
人格成長の宇宙回路は、最終的には到達されなければならないとはいえ、もし、自らの誤りではなく、時間の不意の出来事や物質的生活の不利な条件が、出身惑星におけるあなたのこれらの段階に熟達するのを妨げるならば、あなたの意志と願望に生存価値があるならば、見習い期間の延長の命令が出される。あなたには、自分自身を証明するためのさらなる時間が与えられるであろう。
もし大邸宅世界に人間の同一性を進める適否に疑問があるならば、宇宙政府は、その個体の個人的な利益のために変わることなく統治する。それらは、新生のモロンチアの意図と精霊的な目的の観測を続ける一方で、そのような魂をためらうことなく過渡期の存在体の状態に進める。このように、神性の正義は、成果を確信しており、神性の慈悲は、その奉仕活動を広げるためのさらなる機会が与えられる。
オーヴォントンとネバドンの政府は、人間の再人格化に向けての宇宙計画の詳細な活動において完璧であることを主張はしないが、忍耐、寛容、理解、慈悲深い思いやりの明示を主張し、実際にそうするのである。我々は、ある進化世界の一人の苦闘している人間から上昇経歴を追求する永遠の喜びを奪う危険を求めるよりは、むしろ体系的反乱の危険を引き受けるほうがよい。
これは、人間が最初の拒絶直面し、2度目の機会があるということを意味するわけでは毛頭ない。だが、それは、意志をもつすべての生物は、1つの確実な、自己を意識した、そして最後の選択をするための1つの真の機会を経験するということを意味するのである。宇宙の卓越した裁判官達は、最終的に、しかも完全にまだ永遠の選択をしていないいかなる人格状態も奪わない。人の魂には、その真の意図と目的を明らかにする完全かつ十分な機会が与えられなければならないし、与えられる。
より精霊的で、宇宙的に高度である人間が死ぬと、かれらは、すぐに大邸宅界に進む。一般にこの対策は、個人的な熾天使の保護者を割り当てられたそれらのもの達の場合に機能する。他の人間は、自分達の事態の裁定終了のそのようなときまで引き止められるかもしれない、そして、大邸宅世界に進むかもしれないし、あるいは現在の惑星の分配の終わりに一まとめに再個人化される仮眠中の生存者集団に振り分けられるかもしれない。
まさに死に際してあなたに起こること、つまり離脱していく調整者とは異なる生存していくあなたについて説明する私の努力を妨げる2つの困難がある。その1つは、物理的な、およびモロンチアの領域の間の境界点での業務に関する十分な説明をあなたの理解の水準に伝える不可能さにある。他方は、ユランチアの統治する天の当局による真実の啓示者として私の職権に負わされた制限によりもたらされている。提示できるかもしれない多くのおもしろい事項があるのだが、私は、あなたの直接の惑星の監督者の忠告によりそれらを差し控える。しかし、許可された範疇において、これだけは言うことができる:
本物の何か、人間の進化に関する何か、神秘訓戒者へ添える何か、つまり死を生き残る何かがある。この新たに現れている実体は魂であり、それは、あなたの物理的な身体と物質的な心の双方の死を生き残っている。この実体は、人間のあなたと神性のあなたとの、つまり調整者とのつながりから生まれる結合の努力からの共同の子供である。人間と神性を発端とするこの子供は、地球起源の生残要素を構成する。それは、モロンチアの自己、つまり不滅の魂である。
存続する意味と生残する価値のこの子供は、死から再人格化の期間はまったく無意識であり、待機のこの期間中、熾天使の高い目標の保護者の保護にある。死に続いて、あなたは、サタニアの大邸宅世界においてモロンチアの新しい意識に達するまで、意識的な存在としては機能しないであろう。
人間の人格と関連する機能的な同一性は、死に際し、生命の運動の停止により途絶される。人間の人格は、その構成部分を移行する間、機能的な同一性に関してはそれらに依存している。生命の停止は、心の贈与のために脳の物理的形態を破壊し、心の途絶は、人間の意識を終了する。その創造物の意識は、再び同じ人間の人格が、生きたエネルギーとの関係において機能できるように宇宙の状況が準備されるまでその後再び現れることはできない。
出身世界から大邸宅世界への生残する人間の移動中、かれらが、3期目の人格再構築を経験するか、または集団復活時点で上昇するかどうかに関わらず、人格構造に関する記録は、大天使により自らの特殊活動世界において忠実に保持される。これらの存在は、 (守護熾天使が魂のそれであるようには)人格の管理者ではないが、それにもかかわらず、人格のあらゆる識別可能な要素が人間生存のこれらの頼れる受託者の管理で有効に保護されているということは、本当である。死と生存の間に介在するとき、人間の人格の正確な所在に関し、我々は知らない。
再人格化を可能にする状況は、地方宇宙の惑星を受け入れているモロンチア復活の大広間にもたらされる。ここ生命-構築のこれらの公式の間において、監督当局は、睡眠中の生存者の再意識化を可能にする宇宙エネルギー—モロンチアの、心の、および精霊の—のその関係を提供する。以前の物質的人格の構成部分の再構築が必要とするものは:
1. 新たな生存者が非精霊の現実との接触ができ、またその中で宇宙心のモロンチア類形が巡回できる適切な形の構成、すなわちモロンチアのエネルギー形態。
2. 待機中のモロンチア創造物への調整者の復活。調整者は、あなたの上昇する同一性の永遠の管理者である。あなたの監視官は、他者ではなくあなた自身が、あなたの人格の覚醒のために創造されるモロンチアの形を占有するという絶対的保証である。また調整者は、生存するあなたの自己にとっての楽園案内の役割を再度開始するためにあなたの人格再構築に居合わせるであろう。
3.再人格化のこれらの前提条件が集められたとき、まどろみ中の不滅の魂のもつ可能性の熾天使の管理者は、この進化の子供を待機中の調整者との永遠の提携にゆだねるとともに、待機中のモロンチアに心-体の形をもつ多数の宇宙人格の助けを借りてこのモロンチアの実体を用いる。そして、これで再人格化、記憶、洞察、および意識—絶対的個人—の再構築を完了する。
再人格化の事実は、覚醒の人間の自己による新たに隔離された宇宙心の回路に取り込まれたモロンチア段階の掌握にある。人格の現象は、宇宙環境に対する自己性反応の同一性の持続に不可欠である。そして、これは、心の媒体によってだけもたらすことができる。自己性は、自己のすべての構成要素における連続的変化にもかかわらず、持続する。物理的生活において、変化はゆるやかである。死において、また再人格化において、変化は突然である。すべての自己性(人格)の真の現実は、その構成部分の絶えない変化の効力により宇宙状況に敏感に機能することができる。停滞は、避け得ない死に終わる。人生とは、変らない人格の安定性により統一される人生の要素の無限の変化である。
ジェルーセムの大邸宅世界でこのように目が覚めるとき、あなたは、非常に変えられているから、精霊的な変化が非常に大きいから、最初の世界でのあなたの古い生命と新世界でのあなたの新しい生命とを完全につなぐあなたの思考調整者と運命保護者がいなかったならば、あなたは、新しいモロンチア意識を前の同一性の蘇る記憶に関連づけることに最初は苦労をするであろう。個人の自己性の連続性にもかかわらず、人間生活の多くが最初は、あいまいかつ朦朧とした夢であるかに思えるであろう。しかし、時は、人間の多くの関係を明らかにするであろう。
思考調整者は、思い出し、あなたの宇宙経歴の一部であり、要点であるそれらの記憶と経験のみをあなたのために繰り返すであろう。調整者が、人間の心の何かの進化の提携者としてずっときたのであれば、これらの価値ある経験は、調整者の永遠の意識の中に生き残るであろう。しかし、精霊的な意味もモロンチアの価値もどちらも持っていないので、あなたの過去の生活とその思い出の多くは、物質の脳とともに滅ぶであろう。物質的経験の多くは、モロンチア段階へとあなたに橋を架けたので、もはや宇宙においては目的を果たさない以前の足場として去るであろう。しかし、人格と、それに人格間の関係は、決して足場ではない。人格関係についての人間の記憶は、宇宙的価値を持っているし、持続するであろう。あなたは、大邸宅世界において、短いが興味をそそるユランチアの生活における以前の仲間を知るであろうし、それ以上に思い出すであろうし、以前の仲間に知られるであろうし、それ以上に思い出されるであろう。
人間の本当の人格は、ちょうど蝶が毛虫の段階から現れて来るように、かつて物質の肉体に覆い隠されたものから離れて初めて明らかにされ、大邸宅世界に現れるであろう。地方宇宙におけるモロンチア経歴は、最初のモロンチア段階の魂の存在から最終的なモロンチア段階の進歩的な精神性までの人格構造の連続的上昇と関係がある。
地方宇宙経歴のためにあなたのモロンチア人格の類型に関してあなたに教授することは難しい。あなたには人格顕示性のモロンチアの類型が授けられるであろうし、これらは、結局のところ、あなたの理解を超える衣服である。そのような形態は、ことごとく真実であるが、あなたが現在理解している物質系列のエネルギーの類型ではないのである。しかしながら、人間の生誕の惑星においてあなたの物質の肉体のように、それらは、地方の宇宙世界において同じ目的を果たすのである。
ある程度まで、物質的な肉体-形態の見た目は、人格同一性の特徴に敏感に反応している。肉体は、限られた範囲内において人格に固有の本質の何かを反映する。モロンチアの形態がそうするのは、なおさらである。物理的生活において、人間は、内面的には魅力がなくても、外面的には美しいかもしれない。人格形態は、モロンチアの生活においては、またますますそのより高い段階においては、直接的に内面的個人の本質により異なるであろう。より高い精霊段階において、外見と内的本質は、完成な識別に近づき始め、そしてそれは、より高い精霊段階においてますます完全になる。
上昇する人間には、モロンチアの状態においては、オーヴォントンの熟練の精霊からのネバドンの用の宇宙心の贈与が授けられる。人間の知力は、そのようなものとして滅びてしまった、つまり、創造的精霊の心の未分化の回路からは離れた局地化された宇宙の実体としての存在を止めてしまった。しかし、人間の心の意味と価値は滅びはしなかった。心のある局面は、生残する魂の中で続いている。元の人間の心のある経験的価値は、調整者により保持されている。肉体で生きたありのままの人間の生活記録が、上昇する人間の最終評価に関係する数多くの存在体、つまり熾天使から宇宙検閲官までの、それに加えておそらくはそれを越えた究極者までの幅広い圏内の存在体の中に現存する登録簿と共に、地方宇宙に存在する。
創造物の意志は、心なくしては存在し得ないが、それは、物質的知性の喪失にもかかわらず、存続はするのである。生存直後の間、上昇する人間は、人間生活から引き継がれる性格類型により、またモロンチア モタの新たに現れている機能により、大きく導かれる。そして、マンソニアへのこれらの案内役は、モロンチア生活の前段階とモロンチアの意志の出現に先立ち、上昇する人格の成熟した意志表現として適正に機能を発揮する。
地方宇宙の経歴においては、人間の存在に関わる7名の心-精霊の補佐に匹敵して影響を及ぼすものはない。モロンチア心は、この宇宙心が、地方宇宙の知性の創造的な源—神性活動者—により変更され、変換されてきたように、宇宙心との直接の接触により進化しなければならない。
人間の心は、死の前に、調整者臨場からは自我を自覚して独立している。補佐の心は、それが作動可能にするための関連する物質的-エネルギーの類型だけを必要とする。しかし、物質的-心の構造が奪われるとき、モロンチアの魂は、超補佐であるので、調整者なしでは自意識を保持しない。しかしながら、この進化する魂は、その以前の関連する補佐の心の決定に由来する継続的な特徴を備え、またこの特徴は、その様式が、帰還した調整者によりエネルギー化されるとき、活発な記憶となる。
記憶の持続は、最初の自己性の同一性の保持を証明している。人格の連続と拡大の自意識を完成することは重要である。調整者なしで昇るそれらの人間は、人間の記憶の再構成のために熾天使の提携者の指示に依存している。さもなければ、精霊-融合の人間のモロンチア魂に制限はない。記憶の型は魂で持続するが、この型は、継続的記憶としてすぐに自己-実現可能になるように前の調整者の臨場を要求する。かつての存在の意味と価値についての記憶意識を再探索し、再学習するために、つまり回復するためには、調整者なくしては、かなりの時間を必要とする。
生存に値する魂は、自己性の同一性のかつての台座である物質的知性の質的量的活動と質的量的動機の双方を忠実に反映する。真、美、善を選ぶに当たり、人間の心は、知恵の精霊の誘導に基づき統一される心精霊の7名の補佐の指導の下に、その前モロンチアの宇宙経歴を始める。その後、前モロンチアの7回路の到達後、補佐の心へのモロンチア心の贈与の上乗せが、地方宇宙発展の前精霊の経歴、あるいはモロンチア経歴に着手する。
自分の出身惑星を去るとき、創造物は、補佐の奉仕活動を後に残して、もっぱらモロンチア知性に依存するようになるだけである。地方宇宙を去るとき、上昇者は、モロンチア段階を超えており、精霊の存在段階に達したのである。そして、この新たに現れている精霊の実体は、オーヴォントンの宇宙心の直接の奉仕活動に慣れるようになる。
思考調整者の融合は、以前には単に潜在的であった人格に永遠の現実性を与える。このうちの新贈与物については言及されてよいかもしれない:神格の質の固定、過去-永遠の経験と記憶、不死性、および資格のある潜在的絶対性の局面。
あなたは、当面の形態のあなたのこの世の針路を進むとき、より良い世界の岸で目を覚ますことになっており、やがては、あなたの忠実な調整者と永遠の抱擁で結合するであろう。この融合は、神と人間を1つにする謎、つまり有限の創造物進化の謎を構成するが、それは永遠に真実である。融合は、アセンディントンの神聖な球体の秘密であり、創造物は、神格の精霊との融合を経験したもの達を除いては、時間の創造物の同一性が、永遠に楽園の神格の精霊と1つになるとき、結合される実際の価値の本物の意味を理解することはできないのである。
上昇者が自らの地方体系内で居住する間、調整者との融合は、通常成立する。それは、自然の死の超越として出身惑星において起こるかもしれない。それは、大邸宅世界いずれか1つにおいても、または体系の本部において起こるかもしれない。それは、星座滞在の時まで遅れさえするかもしれない。または、特例で、上昇者が地方宇宙首都に着くまで、それは成就されないかもしれない。
調整者との融合がもたらされると、そのような人格の永遠の経歴には将来の何の危険もあるはずはない。天の存在体は、長い経験を通して試されるが、人間は、進化世界およびモロンチア世界における比較的短くかつ集中的な試験を経験する。
超宇宙からの命令が、人間性が、永遠の経歴のために最終的かつ取り消し不能の選択をしたと言明されるまで、調整者との溶融は決して起こらない。これは、一つになることの認可であり、それが発行されとなると、その認可は、融合された人格が、遂には地方宇宙の境界を去り、いつか超宇宙本部への前進のための決済の権限を設定し、時間の巡礼者は、この場所から、遠い未来においてハヴォーナの中央宇宙と神格冒険への長い飛行のために第二熾天使に包み込まれるであろう。
自己性は、進化世界においては物質的である。宇宙にあっては、物であり、またそういうものとして物質存在の法則の支配を受ける。それは時間にあっては事実であり、その変化に対応する。生存決定は、ここで明確に述べなければならない。モロンチア状態において、自己は新しくてより永続的な宇宙現実になり、またその継続的な成長は、宇宙の心と精霊の回路へのその増大する調和に基づいている。生存決定が今、確認されている。自己が精霊的な段階に達するとき、それは宇宙の安定した価値となり、この新しい価値は、生存決定がなされたという事実に基づいており、この事実は思考調整者との永遠の融合により目撃された。そして、創造物、は、真の宇宙の価値の状態に至り、最高の宇宙価値—神—探求へ向けての潜在能力で自由になるのである。
そのような融合された存在体は、その宇宙反応において二重性である。それらは、かならずしも熾天使と違わない個々のモロンチアの個人であり、また楽園終局者の系列の可能性を秘めた存在体でもある。
融合された個人は、本当に1人格であり、1存在体であるが、その一体性は、宇宙のいかなる知性による分析のすべての試みをも不可能にする。それから、そのうちのどの機関も、一方を他方から離して人間または調整者を見分けることができなかった地方宇宙の裁決機関の最も低いものから最も高いものの通過後、あなたは、最終的にはネバドンの君主、つまりあなたの地方宇宙の父の前に連れて行かれるであろう。そこで、あなたの人生の事実を可能にした時間のこの宇宙の創造的な父性である他ならぬ存在体の手から、やがては宇宙なる父を求めるあなたの超宇宙経歴が始められる権利を与えるその信任状があなたに与えられるであろう。
勝利を収めた調整者が、人類に対するすばらしい奉仕により人格を勝ち得たのか、それとも果敢な人間が、調整者相似を得るための誠実な努力で不死を獲得したのか。どちらでもない。かれらは、つねに役に立ち、誠実かつ有能であると分かる者、すなわちさらなる成長と進歩の候補者、である上昇する究極者の人格の無類の系列に属する1構成員の進化をともに勝ち得たのである。かれらは、ハヴォーナの7つの回路を通過し、そして地球を起源とするかつての魂が、楽園の父の実際の人格の敬謙な承認を受けるまでは、つねに上へと向かい、決して堂々たる上昇を止めないのである。
思考調整者は、このすべての壮麗な上昇を通して、上昇する人間にとっての未来の、しかも完全な精霊の安定化のための神の誓約である。一方、人間の自由意志の存在は、永遠の回路を神性の、無限の本質の解放に向けて調整者に提供するであろう。今、これらの2つの同一性が1つになるのである。時間、あるいは永遠のどんな出来事も、人と調整者を切り離すことはできない。それらは、不可分、つまり永遠に融合されている。
調整者-融合世界においては、神秘訓戒者の目標は、上昇する人間—楽園の終局者部隊—のものと同じである。そして、調整者も人間も、他方の完全な協力と誠実な助けなくしてはその独特の目標に達することはできない。この並はずれた連携は、この宇宙時代のすべての宇宙現象の中の最も心を奪う、しかも驚きに値する1つである。
調整者融合時から上昇者の地位は、進化する創造物のそれである。人間の部分は、人格を教授する最初であり、したがって、人格認識に関するすべての問題で調整者の上位に立つ。この融合された存在体の楽園本部は、ディヴィニントンではなく、アセンディントンであり、神と人間のこの特異な組み合わせは、ずっと終局者部隊まで上昇する人間として位置づけられる。
調整者がいったん上昇する人間と融合すると、その調整者の数は、超宇宙の記録から削除される。ディヴィニントンの記録に何が起こるかを私は知らないが、その調整者の登録簿は、終局者部隊の代理隊長であるグランドファンダの中庭の秘密の回路に移されると憶測する。
調整者融合で、宇宙なる父は、物質創造物への自分の贈り物の約束を完了した。宇宙なる父は、約束を果たし、人類への永遠の神性贈与の計画を実現した。現在、このように事実化された神との崇高な連携関係に固有である無限の可能性を実現し、行動にうつす人間の試みが始まる。
生残している人間の現在知られている目標は、終局者の楽園部隊である。またこれは、人間の伴侶との永遠の結合で加わえられるすべての思考調整者のための目標方向でもある。現在のところ、楽園の終局者は、多くの取り組みで壮大な宇宙全体で働いているが、7超宇宙が光と生命で安定した後、また有限の神がいまこの崇高なる神格を囲む神秘からついに出て来たとき、かれらには、遠い未来に実行するための他の、そしてさらに崇高な任務につくであろうと我々は皆、推測する。
あなたには、ある程度中央宇宙、超宇宙と地方宇宙の組織と要員について教えられてきた。あなたには、現在これらの広範囲の創造を指示する様々ないくつかの人格の性格と起源について何かが伝えられてきた。最初の宇宙空間において、壮大な宇宙の周辺のはるか向こうの広大な銀河宇宙が、組織の過程にあるともあなたには知らされてきた。これらの物語の中で、崇高なる存在体が、外部空間の現在は地図にないこれらの領域においてかれの非啓示の自第三機能を明らかにすることになっているということが、暗に示されもした。また、楽園部隊の終局者が、崇高者の経験の子供であるともあなたには伝えられた。
我々は、調整者融合の人間が、宇宙の外部空間の最初の段階の行政において何らかの方法で、その終局者の仲間と共に機能するように方向づけられていると、信じる。我々は、そのうちに、これらの巨大な銀河が、生息宇宙になるであろうということを少しも疑わない。そして、我々は、性質が、被創造物と創造者の混合する宇宙的結果である楽園の終局者を行政者の中に見つけられると、等しく確信している。
何という冒険。何という恋愛。崇高者の子供ら、すなわち人格化され人間化されたこれらの調整者、すなわち調整者化され永遠化たこれらの人間、すなわち第一根源と中枢の本質の知られている最も高い顕現と宇宙なる父を理解することができ、またその父に到達可能である知的生命の最も低い形態の本質とのこれらの神秘的な組み合わせ、および永遠のつながりにより治められるはずの巨大な創造。我々は、そのような併合の存在体、創造者と被創造物のそのような提携関係が、最初の空間段階のこれらの未来の宇宙全体に生まれるかもしれないりと知的生命のあらゆる形の素晴らしい統治者、無双の行政者、理解ある、しかも思いやりのある責任者になるであろうと想像する。
確かである、あなた方人間は、地球の、動物の起源のものであるということは。あなたの枠組みは、実に粉塵である。しかし、あなたが実際にそうするならば、あなたがもし本当に望むならば、確実に時の遺産はあなたのものであり、いつかは真の自身—経験の崇高なる神性の子供らとすべての人格の楽園の父からの神性の息子ら—の性格で宇宙の至る所で奉仕するであろう。
[オーヴォントンの単独使者による提示]
我々は、時間の活動精霊と空間の使者軍勢の物語を提示し終えたので、個々の死すべき者への活動に捧げられる熾天使である守護天使についての考察に至る。精霊的な進行の大々的な生存計画のすべてが、個々の死すべき者のための高揚と完全性のために提供された。ユランチアの過去の時代において、これらの目標の守護者は、認識されていた唯一の天使集団であった。いかにも、惑星熾天使は、生き残る者達に仕えるために送られた奉仕する精霊である。付き添うこれらの熾天使は、過去と現在のすべてのすばらしい出来事において必滅の人間の精霊的な助手として機能してきた。非常に多くの啓示で「言葉が天使によって語られた。」天の訓令の多くが、「天使の活動を通じて受け取られた。」
熾天使は、天の伝統的な天使である。それらは、あなたのとても近くにあり、あなたのために多くのことを行う奉仕をする精霊である。熾天使は、人知の最も初期からずっとユランチアで活動してきた。
守護天使に関する教えは、神話ではない。ある人間集団には、個人付き天使が実際にいる。イエスが天の王国の子供について話したのは、この事実を認識してであった。「これらの小さい者の一人をも軽んじぬよう気をつけなさい。あなたがたに言うが、彼らの御使いたちは、私の父の精霊の臨場を仰いでいるのである。」
当初、熾天使は、別々のユランチアの人種に明確に割り当てられた。だが、マイケルの贈与以来、それらは、人知、精霊性、将来の目標に従って割り当てられている。知力の上で、人類は、3階級に分類される。
1. 普通以下の関心をもつ者—通常の意志の力を発揮しない者。平均並みの決定をしない者。この階級は、神を理解することができない者達を含む。それらには、神格への知的崇拝のための容量が欠如している。ユランチアの普通以下の存在体には、その存在体の世話をしたり、その球体での生活の苦闘において正義と慈悲が拡大されるということを見届けるために割り当てられる天使童子の1大隊と共に熾天使の1軍団がある。
2. 人間の心の平均的、普通の型。熾天使の活動の見地から、ほとんどの男女は、人間の進歩と精霊的成長の回路の形成における各状態に応じて7階級に分類される。
3. 普通以上の関心をもつ者—精霊的達成の立派な決定と疑う余地のない潜在性。内住する調整者との接触を多少なりとも楽しむ男女。将来の目標に向かう様々な予備兵団の構成員。人間がたまたまどのような層に居ようとも、もしそのような個人が、将来の目標のいくつかの予備部隊いずれかに入団するようになれば、すぐにその場で、個人付きの熾天使が配属され、その人間は、その時から地球での経歴が終わるまで守護天使の連続の活動と止むことのない世話を味わうであろう。どんな人間でも最高の決定をするとき、調整者との本当の婚約関係にあるとき、個人付きの守護者はすぐに、その魂に配属される。
いわゆる通常の存在体への活動において、熾天使の任務は、知性と精霊性の回路の人間の到達に従って与えられる。あなたは、第7回路において人間の衣服であるあなたの心で着手し、自己理解、自己克服、自制に関する仕事の内部へ旅する。そしてあなたは、内住する調整者との部分的接触と親交の第一の、あるいは内面の回路に達するまで(自然死が、あなたの経歴を終わらせないで、あなたの苦闘を大邸宅世界へ移さないならば)回路ごとに、進んでいく。
最初の回路すなわち第7回路の人間には、1,000人の人間の世話と後見を任される補助の天使童子の1団とともに1名の守護天使がいる。第6回路には、天使童子の1団とともに1組みの熾天使が、1集団が500人のこれらの上昇をする人間を誘導するために配属される。第5回路に達すると、人間は、およそ100人の集団に分けられ、天使童子の1団とともに1組みの守護熾天使が配属される。第4回路の到達に際し、必滅の存在体は、10人ずつに集められ、再度、天使童子の1団の支援を受ける1組の熾天使に任される。
人間の心が動物の名残りの不活発さを打ち破り、人間の知性とこれまで培ってきた精霊性の回路に達するとき、一名の個人付きの天使は(現実には2名)、完全に、しかも専属的にこの上昇する人間に尽くす。その結果、人間のこれらの魂は、絶えず臨場する、またますます手際のよい内住する思考調整者に加え、第3回路を終え、第2回路を越え、第1回路に達するという魂の全努力において将来の目標の個人付きの守護者の専心的援助を受ける。
熾天使は、3つの成就の1つ、あるいは、それ以上の実現をした人間の魂のつながりに割り当てられるそのような時まで目標の守護者として知られていない。神のようになるという最高の決定をしたか、第3回路に入ったか、または将来の目標の予備部隊の1つに召集されたという3つの成就。
将来の目標の守護者は、人種の進化につれ征服しなければならない回路に達する一番最初の存在体に割り当てられる。ユランチアにおいて個人付きの守護者を確保した最初の人間は、遠い昔の赤色人種の賢明な男性ラントウォクであった。
天使のすべての任務は、志願する1集団からの熾天使に委ねられ、これらの指名は、常に人間の必要性に基づき、また天使の組の状態—熾天使の経験、技能と知恵を考慮に入れて—に関係している。長期に渡る勤務の熾天使だけは、つまり経験豊富で試された型は、将来の目標のための守護者として選任される。多くの守護者が、非調整者の融合集団であるそれらの世界で、非常に貴重な経験を積んだ。調整者のように、熾天使は、一度の生涯のためにこれらの存在体に付き添い、そして新任務のために解放される。ユランチアの多くの守護者は、他の世界においてこれまでのこれ以前の実際的経験をしてきた。
人間が生き残れないとき、それぞれの個人付き、あるいは集団の守護者は、繰り返し同じ惑星で同程度の資格をもって仕えるかもしれない。熾天使は、個々の世界との感傷的な関心を育み、またとても密接に、親しく交わってきた必滅の創造物の特定の人種と型に対して特別な愛情を抱いてきた。
天使は、それぞれの人間の仲間に対しいつまでも続く愛情を育む。そして、あなたは、熾天使を想像できさえするならば、それらに対する暖かい愛情を育むであろうに。あなたは、物質的肉体を剥奪され、精霊の型が与えられ、人格の多くの属性において天使にとても近くなるであろう。かれらは、あなたの感情の大部分を共有し、さらに若干のものを経験する。彼らの理解にはいくらか難しいあなたを動かす唯一の感情は、ユランチアの平均的住民の精神生活におけるおおきく膨れる動物的恐怖の遺産である。天使には、あなたが、なぜ自身のより高い知力、また信仰さえもそれほどまでに恐怖に支配されるのか、つまり畏怖と懸念の軽はずみな狼狽に完全に混乱させられるのか、を理解することは実に困難なことなのである。
あらゆる熾天使は、個別の名前をもつものの、世界奉仕への任務記録にはしばしばそれぞれの惑星番号にて表されている。宇宙本部においては、名前と番号によって登録される。この接触による意思疎通に用いられる人間の対象の目標守護者は、ネバドン熾天使軍の182,314番の37軍勢6軍団384部隊126大隊17隊3群である。ユランチアとこの人間の対象へのこの熾天使の惑星の現在の任務番号は364万1,852である。
熾天使は、個人付き守護の活動における目標守護者としての天使の任務において常に奉仕を志願する。訪問を受けるこの都市では、最近ある人間が、将来の目標の予備部隊への入隊が認められ、そのような人間すべては、守護天使に個人的に付き添われることから、資格のある100名以上の熾天使が、任務を得ようとした。惑星の管理者は、12名の経験豊富な個人を選び、次いで彼らがその生涯を通じてこの人間を案内するに最適であると選んだ熾天使を任命した。すなわち、かれらは、同等に資格のある熾天使の特定の一組を選んだ。この熾天使の一組のうちの一名が、いつも任務に就くのである。
熾天使の任務には休みはないかもしれないが、天使の組のいずれかは、付き添いの全責務から免除されることができる。天使童子と同様、熾天使は、通常一組で仕えるが、それほど高度でない仲間とは異なり時おり単独で働く。実際、人間とのすべての接触において個人として機能することができる。両天使は、宇宙のより高度の回路での情報伝達と奉仕のためだけに必要とされる。
熾天使の一組が守護の任務を受け入れると、彼らは、その人間の残りの人生の間役目を果たす。補体(2名の天使の1名)は請け負い仕事の記録係になる。これらの補充の熾天使は、進化的世界の人間の記録係の天使である。記録は、いつも熾天使の守護者に対応する天使童子(天使童子とサノビム)の組によってつけられるが、これらの記録は、いつも熾天使の1人が引き受ける。
守護者は、休息と宇宙回路の生命エネルギーの再充電の目的のために自身の補体に定期的に交代してもらい、留守中は対応する天使童子が、記録係として機能し、それは、補足の熾天使が同様に不在にする際も同じである。
目標守護者が、人間の対象のためにする最も重要なことの1つは、進化する物質的な創造物の心と魂に宿り、囲み、それに影響を与える無人格的精霊の幾多の影響の個人的調整をもたらすことである。人間は人格であり、無人格の精霊と前人格の実体が非常に物質的であり、別々に人格的であるそのような心に直接に接触することはきわめて難しい。守護をしている天使の活動におけるこれらの影響のすべては、多少なりとも統一され、進化する人間の人格の拡大している道徳的本質によりほぼはっきりと感知できる。
特に、この熾天使の守護者は、物理的管理者の領域と心-精霊の補佐から神性聖職者の聖霊へと、それに楽園の第三根源と中枢の遍在精霊の臨場にまでおよぶ無限の精霊の様々な代理者との影響を相関させることができるし、そうするのである。このようにして無限の精霊のこれらの広大な活動を統一し、より個人的にした後で、熾天使は、次に連合活動者のこの統合影響を父と息子の精霊臨場との相互的関連づけを引き受ける。
調整者は父の臨場である。真実の精霊は息子の臨場である。これらの神の授与は、守護者熾天使の活動による人間の精霊的経験の下方段階で統一され、調整される。天使の奉仕者は、必滅の創造物への働き掛けにおける父の愛と息子の慈悲の結合において巧みなのである。
なぜ熾天使の守護者が、結局は、物理的な死とモロンチア復活のその間の人間の生存者心の型、記憶の手法、魂の現実の個人的管理者になるかという理由がここに明らかにされる。無限の精霊の奉仕している子供だけが、このように宇宙の1段階から、 他の、しかもより高い段階へのこの変遷期を通して人間のために機能することができた。あなたが、最終の遷移の微睡みについているときでさえ、つまり、時間から永遠への通過の際、高い超熾天使は、創造物の自己性の管理者と人格の全体性の保証として同じようにあなたと通過を共にする。
精霊的段階において熾天使は、人格の、さもなければ非個人の、そして前人格である多くの宇宙の活動をする。彼らは調整者である。知性の段階においては、それらは、心とモロンチアを相関させる者である。それらは、通訳者である。そして、物理的段階においてかれらは、主たる物理管理者との連携をして、また中間的被創造者の協力的活動を通して地球の環境を操作する。
これは付き添いの熾天使の多種多様の、しかも複雑な機能の詳説である。しかし、人類の宇宙段階のわずかに上に創造されたそのような従属的天使の人格は、いかにそのような困難で複雑なことをするのか。我々は、本当には知らないが、この驚異的な活動は、時間と空間の進化的宇宙の実現化する神格である崇高なるものの認識されていないし、明かされていない働きによって容易にされる何らかの秘密に付された方法にあると推測する。崇高なるものの中に、また全体にわたる進歩的な生存の全領域のいたるところで、熾天使は継続する人間進歩の主要部分である。
守護者熾天使は、人間の心に源を与える同じ源から、創造的精霊から湧き出るものの、心ではない。熾天使は、心を刺激する者である。熾天使は絶えず、人間の心の回路に至らせる決定の促進に努めている。彼らは、これを調整者のように魂の内側から、また魂を通じて操作するのではなく、むしろ外部から内部へと人間の社会的、倫理的、道徳的環境を介してする。熾天使は、宇宙なる父の神性調整者の魅力ではないが、無限の聖霊の活動の個人的代理として機能するのである。
調整者の指導を受ける人間は、熾天使の指導にも従順である。調整者は、人の永遠の本質の心髄である。熾天使は、人の進化する本質の教師である—この人生における人間の心、次の人生におけるモロンチア魂。大邸宅界では、あなたは、熾天使の教官に気付き知ってはいるが、最初の人生において人は、通常、彼らに気づいていない。
熾天使は、新しくて進歩的な経験の道へ人間の人格の足どりを誘導することにより人の教師として機能する。熾天使の導きを受け入れるということは、安楽の生活に達することをそれほどまでに意味しない。あなたは、この導きに続くにあたり、またあなたが勇気を持っていれば、道徳的選択と精霊的進展のの起伏の多い丘に遭遇し、越えて行くことは確実である。
崇拝の衝動は、調整者の導きに補強されたより高い心の補佐の精霊の促しに主に源を発している。しかし、神を意識する人間が、そのようにしばしば経験する祈りの衝動は、熾天使の影響の結果として頻繁に起こる。守護の熾天使は、そのような生存候補者が、内住する調整者の臨場の強化された認識が得られるように、そして、その結果、神性臨場の精霊的な任務とのさらなる協力を可能にする終わりまで人間上昇者の宇宙洞察を増大させる目的で、人間の環境を絶えず操作している。
内住する調整者と取り巻く熾天使の間での意志伝達が明らかにない一方で、かれらは、つねに完全な調和と絶妙の一致で働いているようである。守護者は、調整者が最小に活動的であるときに最も活動的であるが、不思議なことにそれぞれの活動は、何らかの方法で関連がある。そのような見事な協力は、とても偶然でも、付帯的でもあるはずがない。
守護熾天使の奉仕している人格、内住する調整者の神の臨場、聖霊の回路経由の行為、真実の精霊の息子-意識は、人間の人格において、またそれへの精霊的活動の重要な統にすべて神々しく関連している。異なる起源と異なる段階の出身ではあるが、これらの天の影響は、包んだり、進化している崇高なるものの臨場にすべて統合されている。
天使は、人間の心の尊厳を侵さない。人間の意志を操らない。内住する調整者と直接的に接触もしない。目標の守護者は、あなたの人格の尊厳と呼応し、あらゆる可能な方法であなたに影響を及ぼす。どんなことがあってもこれらの天使は、人間の意志の自由な行為を妨げはしない。天使も宇宙人格のいかなる他の系列も、人間の選択の特権を抑えたり、弱めたりする力、あるいは権限をもたない。
天使は、とてもあなたの近くにいて、かれらが、比喩的に「あなたの故意の狭量と頑固さに涙する。」ほど感慨深さをもってあなたに関心がある。熾天使は物理的な涙を流さない。それらには、物理的な肉体がない。翼もない。しかし、熾天使は、精霊の感情をもち、また、どこか人間の感情に匹敵する精霊の本質の気持ちと感情を経験する。
熾天使は、あなたの直接の訴えからは全く独立してあなたのために行動する。彼らは上司の命令を実行し、またこのようにして、あなたの一時の気紛れや気分の変化にかかわらず機能する。これは、あなたが、かれらの任務をより簡単にしたり、 より難しくすることができるということよりも、むしろ天使は、あなたの訴え、あるいはあなたの祈りに直接関心がないということを意味しないのである。
肉体の生活において、天使の知力は、人にとって直接に利用はできない。かれらは、大君主でも監督でもない。単に守護者である。熾天使は、あなたを護衛する。かれらは、直接あなたに影響を及ぼそうとはしない。あなたは、自身の進路を計画しなければならないが、これらの天使は、その後、あなたが選んだ進路を最大限に活用するように行動する。かれらは、(通常)任意に人間の人生の通常の事柄に干渉しない。しかし、これらの守護者が、何らかの並でない功績を実行するようにとの上司から指示を受けるとき、あなたは、これらの者がこれらの命令を実行するいくつかの方法を見つけることが確実であると安心するかもしれない。したがって、彼らは、緊急時を除いては、その時でも、通常は上司の直接命令以外には人間劇の絵には押し入らない。かれらは、長い間あなたについて来る存在であり、将来の仕事と人格のつながりへの手引きをこのように受けている。
熾天使は、ある情況下の人間に奉仕するとき、物質的活動者として機能できるのであるが、この適応力におけるそれらの行為は、非常にまれなことである。それらは、実際に人類と接触さえするために中間的被創造者と物理管理者の助けを借りて、人間のために広範囲にわたる活動において機能できるのだが、そのような出来事はたいへんに珍しい。危険を伴う状況が、人間の進化の連鎖における極めて重要な関連に生じ、それに対して熾天使の守護者が、自発的に、適切に行動してきたものの、大抵の場合、物質界の状況は、熾天使の活動により不変に進行する。
肉体での生活期間の熾天使の活動についての何かを話してきたので、私は、かれらの人間の仲間の臨終の時点の目標の守護者の行為に関してあなたに知らせる努力をするつもりである。あなたの死に際し、あなたの記録、自己性の詳述、人間の魂のモロンチア実体—人間の心と神性調整者の活動により共に進化された—は、立ち去る調整者と人格の実在により代表される継続的な存在の自己性以外は、目標守護者によってあなたの将来の存在、あなたを構成する全てに関連する他のすべての価値と共に、本物のあなたに誠実に保存される。
熾天使が調整者の臨場と結びつく精霊の明度である人間の心の種火が消滅するその瞬間、付き添いの天使は、直接に命令を与える天使に、次には隊、大隊、部隊、軍団、軍勢の集団に報告する。そして、時間と空間の最終的な冒険のために順当に登録された後に、そのような天使は、この宇宙上昇候補者の熾天使の軍隊を統率する宵の明星(または、ガブリエル直属の他の中尉)に報告するために熾天使の惑星長官による証明を受ける。そのような目標の守護者は、最も高い組織単位の指揮官からの許可を受けると、最初の大邸宅界まで進み、そこで意識をとり戻しつつある以前の肉体の被後見人を待ち受ける。
人間の魂が、個人付きの天使の任命を受けた後に生存を達成できない場合、付き添いの熾天使は、そこで予め報告された通りに自分の補体の完全な記録を証言するために地方宇宙の本部へと進まなければならない。次に、彼女は、自分の対象の生存失敗に関する咎めから放免されるために大天使の法廷の前に行く。それから、彼女は、上昇可能な別の人間に、または熾天使の活動の他のある分割に割り当てられるために再び世界に戻る。
しかし、天使は、個人的、および集団的保護の奉仕は別として、多くの方法で進化する創造物に働き掛ける。自分の対象がすぐには大邸宅界に行かない個人付きの守護者は、天の配剤の判断の点呼を待ち受けてそこに安閑として滞在しない。それらは、宇宙全体で多数の奉仕任務に再選任される。
守護熾天使は、不在の調整者が、そのような不滅の宇宙の存在体の自己性であるように、必滅の人間の眠っている魂の生存価値の管理受託者である。これらの2者が、モロンチアの型と関連して大邸宅界の復活広間で協力するとき、人間上昇者の人格の構成要素の再組み立てが起こる。
調整者は、あなたを見分ける。守護熾天使は、あなたを再人格化し、それから、あなたの地球時代の誠実な訓戒者にあなたを再び差し出すであろう。
それにしても、惑星の時代が終わるとき、人間の達成の下方の回路のそれらのものが集められるとき、大邸宅球の復活広間で彼らを組み立て直すのは、彼らの集団の守護者である。あなたの記録でさえ述べている。「彼は、大いなる声で天使をつかわし、地の果てから果てに至るまでその選民を呼び集めるであろう。」
正義の手法は、個人付きのまたは集団の守護者が、すべての非生存の人格のために天啓点呼に応じることを求める。そのような非生存者の調整者は戻らず、そして名簿が読み上げられるとき、熾天使は返答するが、調整者は答えない。これは、「不当の復活」、言い換えれば創造物の存在体の休止への正式認識を意味する。正義のこの点呼は、いつもすぐに、慈悲の点呼、眠っている生存者の復活の後にくる。しかし、これらは生存価値の最高の、しかも、すべてを知る裁判官だけに重要な事柄である。そのような裁定問題は我々には本当に関係がない。
集団の守護者は、くる時代くる時代に惑星で奉仕し、そのうちに何千人もの眠っている生存者の微睡みの魂の管理人になるかもしれない。それらは、復活対処が大邸宅界に起こるので、与えられた体系で多くの異なる世界においてそのように奉仕ができる。
ルーキフェレーンスの反逆で身を誤ったサタニア系の個人付きの、また集団のすべての守護者は、多くのものたちは自己の愚かさを真摯に悔いたにもかかわらず、反逆の最終的判決までジェルーセムに拘留されることになっている。すでに宇宙検閲官は、これらの反抗的で不誠実な守護者から彼らの魂の全局面を任意に取り除き、篤志の第二熾天使の後見の保護のためにこれらのモロンチア現実を預けた。
誠にそれは、上昇する人間の経歴上の本当の新時代、大邸宅界の岸でのこの最初の目覚めである。初めて、長らく愛し、つねに臨場する地球時代の天使の仲間に、そこで実際に会うために。また地球であなたの心にとても長く内住した神性訓戒者の自己性と臨場を本当に、そこで意識するために。そのような経験は、栄光の目覚め、本当の復活を構成する。
モロンチア球においては、付き添いの熾天使(2名いる)は、あなたの公然の仲間である。これらの天使は、あなたが、過渡期の世界における経歴を前進する間、モロンチアと精霊状態の習得にあたりあなたをあらゆる可能な方法で補助しながら、あなたと交わるだけでなく、大邸宅界で維持される進化する熾天使のために公開学校での勉強によって向上する機会をかれらも利用する。
人類は、天使の系列のより単純な型よりもほんの少し低く創造された。したがって、モロンチア生活のあなたの最初の課題は、肉体の絆からのあなたの解放後にあなたが人格意識に達するとき、待ち受けている差し迫った仕事における熾天使の助手としてであろう。
大邸宅界を去る前には、すべての人間は、永続する熾天使の仲間か守護者をもつであろう。そして、あなたがモロンチア球を昇る間、最終的には思考調整者とのあなたの永遠の結合の命令を目撃し確信するのは、熾天使の守護者である。一緒に、それらは、時間の世界から肉体の子供としてあなたの人格の自己性を打ち立ててきた。また、成熟したモロンチアのあなたの地位到達に際し、彼らは、ジェルーセムと関連する体制の進歩と文化の世界中をあなたに同伴する。その後、かれらは、あなたとエデンチアと高度な社会化のその70の球体に行き、その後、メルキゼデクへとあなたを案内し、宇宙本部世界の素晴らしい経歴の間ずっとあなたに続くであろう。そして、あなたが、メルキゼデクの知恵と文化を学び終えるとき、彼らは、あなたをサルヴィントンに連れ行き、そこで、あなたは全ネバドンの君主と対面するであろう。そして、長いハヴォーナ飛行に向けてあなたが最終的に第二熾天使を包むまで留まっているこれらの熾天使の案内者は、依然として超宇宙の小規模領域と大規模領域を経てユヴァーサの受け入れの世界へとあなたに同行する。
人間の経歴の間の配属の目標守護者の数名は、ハヴォーナを通して上昇する巡礼者の進路をたどる。他のものは、長年の人間の仲間に一時的な別れを告げ、次に、これらの人間が、中央宇宙の回路を通過する間、これらの目標守護者は、熾天使球の回路に達する。そして、守護者達は、人間の仲間が、楽園の岸で時間の最後の過渡期の睡眠から永遠の新経験へ目覚めを待ちうけているであろう。そのような上昇する熾天使は、その後終局者部隊と熾天使の終了部隊の互いに異なる奉仕に入る。
人と天使は、永遠の奉仕において再結合するか、あるいはしないかもしれないが、その任務が熾天使をいずこへ連れていこうとも、熾天使はつねに進化的世界の先の被後見人、つまり時間の世界の上昇する人間と連絡をする。人間の起源の領域での親密なつながりと慈愛深い絆は決して忘れられることはなく、完全に断ち切られるというわけではない。永遠の時代に、人と天使は、時間の経歴において協力したように神の奉仕においても協力するであろう。
熾天使にとり楽園の神性に至る最も確かな方法は、首尾よく進化を伴う起源の魂を楽園の入り口に案内することである。したがって、目標守護者の任務は、最も高く重んじられる熾天使の義務である。
目標守護者のみが、主要な、あるいは人間の、終局者部隊に召集され、そのような組は、自己性の同一性の最高の冒険に従事してきた。2つの存在は、終局者部隊への受け入れに先立ち熾天使界の精霊的な2つの統一を成し遂げた。この経験で、全宇宙機能において非常に補充的である2天使の本質は、楽園の父の非調整者の断片の受け入れ、またそれとの融合のための新しい受け入れ能力に影響を与えて二つが一つの究極の精霊へと達する。こうして、時間のあなたの愛ある一部の熾天使の仲間は、永遠においてはあなたの終局者の仲間、つまり崇高なるものの子供と楽園の父の完成された息子になるのである。
[ユランチア駐留の熾天使の長官による提示]
いと高きものは、多くの天の部隊と機関を通して、だが主に熾天使の活動を通して人の王国で統治する。
今日正午におけるユランチアの上の惑星の天使、守護者、およびその他の点呼は、5億123万4,619組の熾天使であった。200名の熾天使の軍勢—5億9,719万6,800組の熾天使、または11億9,439万3,600名の個々の天使が、私の指揮下に配属された。しかしながら登録は、10億246万9,238名の個人を記す。したがって、1億9,192万4,362名の天使が輸送任務、使者の任務、および死の任務でこの世界にはいなかったということになる。(ユランチアにあっては、熾天使と天使童子は、ほぼ同数であり、同じように組織されている。)
熾天使とその関連する天使童子は、惑星、特に反逆によって孤立した世界の超人間の政府の細部と多くの関係がある。中間者に巧みに補助される天使は、居住する総督とすべての仲間と部下の委任を実行する超物質の実際の奉仕活動者としてユランチアで機能する。一階級としての熾天使は、個人の、および集団の保護の任務以外の多くの任務に従事している。
ユランチアは体系、星座、宇宙支配者からの適切で効果的な指揮がないわけではない。しかし、惑星政府は、全ネバドンにおいてさえ、サタニア系における他のどの世界のそれとも異なっている。あなたの統轄計画におけるこの独自性は、いくつかの変わった情況によるものである。
1. ユランチアの生命変化の状態
2. ルーキフェレーンスの反逆の緊急事態。
3. アダームの不履行による途絶
4. ユランチアが、宇宙君主の贈与世界の1つであったという事実から生じる変則。ネバドンのマイケルは、ユランチアの惑星王子である。
5. 24名の惑星監督の特別機能。
6. 大天使回路の惑星上の位置。
7. 代理権力を行使する惑星王子として人間の姿をしたかつてのメルキゼデクのマキヴェンタのより最近の指名。
ユランチアの最初の主権は、サタニア系の主権者による委託で維持された。それは、彼によってメルキゼデクと生命運搬者の共同委員会への代表として最初に派遣され、またこの集団は、定期的に任命された惑星王子の到着までユランチアにおいて機能した。カリガスティア王子の破綻後、ルーキフェレーンスの反逆時点、ユランチアには、肉体におけるマイケルの贈与の終了時、つまりマイケルが日々の和合のものによりユランチアの惑星王子に任命される時まで、地方宇宙とその行政部との確実で定着した関係はなかった。そのような宣言は、保証的かつ原則的にあなたの世界状態を永遠に定着させたが、実際には君主たる創造者の息子は、ユランチア政府と他のすべての隔離する惑星の体制を代理する権威をもつ元ユランチア人24名のジェルーセム委員会の設立を除いて、惑星の個人的管理の行為をしなかった。この協議会の1つは現在、居住する総督としてユランチアに常駐している。
惑星王子としてのマイケルの代理をする代行権威者は、最近、メルキゼデクのマキヴェンタを訪ねたが、地方宇宙のこの息子は、居住する総督の連続した政権の現在の惑星体制を変更へのほんのわずかの行動も起こさなかった。
代理惑星王子がその肩書き上の責任を担うために到着しない限り、何の著しい変更も現在の天の配剤期間にユランチア政府でなされるという見込みはほとんどない。我々の一定の仲間は、24名の相談役のうちの総督の役割りを果たす1名をユランチアに送るという計画が、いつか近い将来、ユランチアの主権代理人の命令によるメルキゼデクのマキヴェンタの正式到着により入れ替えられると思っている。代理の惑星王子としてメルキゼデクのマキヴェンタは、間違いなくルーキフェレーンスの反逆の最終裁決まで、おそらくは、遠い未来の光と生命への惑星の定着へと進み続けるであろう。
一部のものは、マキヴェンタは、現配剤の終了までユランチア情勢の個人的な指示をするようにはならないと信じている。他のものは、マイケルがまだ肉体でいるときに約束したようにユランチアにいつか戻るまで代理人王子としては来ないかもしれないと信じている。この語り手を含むさらに他のものは、どんな日でも、何時でもメルキゼデクの出現を期待している。
あなたの世界におけるマイケルの贈与の時代以来、ユランチアの一般的管理は、24名の元ユランチア人のジェルーセムに関する特別集団に委ねられてきた。我々は、この委員会の会員資格については知らないが、このようにして任命されたもの全員がサタニア系の崇高なるものの拡大主権への貢献者であることを観測してきた。彼らは、本来ユランチアで機能するとき、皆実際の指導者であり、これらの指導力(マキヴェンタ メルキゼデクを除く)は、大邸宅界の経験でさらに増大され、ジェルーセム市民の養成によって補完された。会員は、ラナフォーゲの内閣により24名に推薦され、エデンチアのいと高きものに指示され、ジェルーセムの配属監視員に承認され、マイケルの命令に基づきサルヴィントンのガブリエルにより任命される。一時的な被任命者は、特別な監督のこの委員会の常任委員と同様に完全に機能する。
惑星監督のこの委員会は、マイケルがここで最終贈与を経験したという事実から生じるこの世界での、それらの活動管理に特に関係があった。惑星監督らは、人間贈与の初めから終わりまでイエスに伴った同じ存在である特定の輝かしい宵の明星の連携活動によりマイケルとの親密で即座の接触が保たれる。
現代においてあなた方には「洗礼者」として知られているヨハネという人は、ジェルーセムでの開会中のこの協議会の議長である。しかし、この協議会の職権上の責任者は、サルヴィントンの副検査官、つまりオーヴォントンの最高行政官の直接的で個人的な代表であるサタニアの配属監視員である。
元ユランチア人のこの同じ委員会の会員も、体系の36の他の反逆の結果孤立した世界の顧問監督として務める。会員は、まだ多少ノーラティアデクの星座の父の総括的管理下にあるこれらの惑星の問題に関する詳細で共感的情報に通じており、体系君主であるラナフォーゲと非常に価値ある奉仕を実行する。これらの24名の相談役は、個々の孤立する惑星に、特にユランチアに個人として頻繁な旅行をする。
他の孤立した各々の世界は、その以前の住民の類似した、しかも異なる規模の委員会から忠告を受けるが、これらの他の委員会は、24名のユランチア集団より下位である。後者の委員会の構成員は、サタニアの各孤立世界における人間の進歩のあらゆる局面にこのように活発に興味を持っているが、なかでも特にユランチアの必滅の人種の福祉と前進に対する関心がる。というのも、ユランチア以外は、惑星のどの情勢にもすぐに、しかも直接には監督しないし、それらの権威はここでさえも人間生存に関するある一定の領域を除いては完全なものではないがゆえに。
誰も、これらの24名のユランチアの相談役がどれほどの期間宇宙活動の定期的な活動からは離れた現在の状態で継続するのかを知らない。彼らは、天の配剤の終わり、マキヴェンタ メルキゼデクによる完全な権限の執行、ルーキフェレーンスの反逆の最終的裁決、またはその最終的贈与の世界におけるマイケルの再現などのような惑星の状態の結果として起こる何らかの変化まで間違いなくそれぞれの現在の資格で奉仕をし続けるであろう。ユランチアの現在住の総督は、サタニア系が星座回路に返されると、すぐにマキヴェンタを除くすべてが楽園上昇のために解放されるかもしれないという意見の傾向にある。しかし、他の意見もまた通用している。
ユランチア時間の100年毎に24名の惑星監督のジェルーセム部隊は、行政代表としての役割を果たすために、あなたの世界での滞在に仲間の一人を指名する。これらの報告の準備期間中に、19番目に仕えていたものが20番目に引き継がれ、この執行官は交替した。惑星の現監督の名前は、人間は、並はずれた同胞と超人的な上司を崇拝する、神聖視さえする傾向にあるので、明かされていない。
駐留総督は、24名のジェルーセム相談役の代表としての立場を除いては、世界情勢の取り扱いにおいて個人的な何の実実上の権威も持ってはいない。かれは、超人の行政進行係として務め、尊敬される長官でありユランチアで機能する広く認識された天の存在体の指導者である。結合した中間者が、一連の総督を本当に自分達の惑星の父として見る一方、天使の軍勢の全系列は、最初の1-2-3 の出発以来、24名中の相談役の一名を自分達の調整する監督と見なす。
総督は、その惑星についての実際の、かつ個人的な権威を備えていないが、関係するすべての人格に最終的なものとして受け入れられる多くの判決と決定を毎日言い渡す。かれは、厳密な支配者であるよりもはるかに父親らしい助言者である。ある意味で、惑星王子であるかのように機能するが、その統治は、物質の息子のそれにかなり密接に似ている。
ユランチア政府は、取り決めに従って復帰の総督が、惑星王子の体制君主の内閣の一時的な成員としてジェルーセムの協議会において代表を務める。マキヴェンタは、代理王子と称された時、サタニアの惑星王子の協議会ですぐに役割を引き受けると期待されていたが、これまでのところ、この方向に向けての何の素振りも見せてはいない。
ユランチアの超物質政府は、地方宇宙のより高い段階とのあまり緊密な有機的な関係を維持しない。ある意味で、居住総督は、マイケルとガブリエルを直接代表している24名の相談役に代わって行動するのであるから、サルヴィントンならびにジェルーセムを代表している。そして、惑星の総督はジェルーセム公民であるので体制君主の広報担当官として機能することができる。ヴォロンダデクの息子、すなわちエデンチアの観察者は、星座当局は、直接的に代理を務める。
ユランチアの主権は、惑星当局の以前の任意の押収がもとで、惑星反逆の直後にノーラティアデク政府によりさらに複雑になる。エデンチアのいと高きものの観察者であり、マイケルによる直接行動がない場合、惑星の主権の受託者であるヴォロンダデクの息子は、ユランチアにまだ居住している。現在のいと高き観察者(そして、かつての評議委員)は、ユランチアにこうして奉仕する23番目である。
いまだにエデンチアのいと高きものの管理下、ルーキフェレーンスの反逆時点での問題に対し手にした司法権下にある惑星問題に関係する特定の集団がある。これらの事態における権威は、ヴォロンダデクの息子、つまり惑星の監督との非常に緊密な顧問関係を維持するノーラティアデクの観察者により行使される。人種委員達は、ユランチアで非常に活発であり、様々な集団の長官らは、顧問監督として務める居住しているヴォロンダデク観察者に非公式に配属されている。
政府の実際の、一定の純粋に精霊的な事柄を除く危機に際しての最高の長官は、現在観察任務のエデンチアのこのヴォロンダデクの息子である。(これらの全く精霊的な問題とある種の純粋に個人的な問題における最高権威は、最近ユランチアで確立されたその系列の師団司令部に配属されている指令大天使に帰属しているようである。)
深刻な惑星の危機に際しては、いと高き観察者は、自らの裁量判断において、惑星政府を占拠するための権限が与えられ、そして、それはユランチアの歴史において33回起こったと記録にある。こうした時にいと高き観察者は、大天使の分割的組織だけを除く惑星に居住するすべての奉仕活動者と管理者に絶対的権威を行使し、いと高き摂政として機能する。
人間の王国の問題で星座支配者の優れた知恵を差しはさむいと高きものは、随時、棲息界の問題に立ち入ることができるので、ヴォロンダデク摂政は、反逆孤立の惑星に特有という訳ではない。
ユランチアの実際の統治を説明することは誠に難しい。例えば立法、行政、司法といった宇宙組織の線に沿った形式的な政府は存在しない。24名の相談役が、惑星政府の立法府に最も近いものである。総督は、暫定的で、助言的な最高責任者であり、拒否権はいと高き観察者にある。そして、惑星には、絶対的に権威をもつ司法権力者はいない—ただ調停委員会のみ。
熾天使と中間者にかかわる大多数の問題は、相互同意の上で、総督により決定される。しかし、24名の相談役の命令表明の場合を除き、総督の裁定はすべて、調停委員会、惑星の機能のために構成される地方自治体、さらにはサタニアの体制君主への控訴対象である。
惑星王子の有体部下とアダームの息子と娘の物質的体制の不在は、熾天使の特別な奉仕活動により、また中間被創造者の異例の奉仕によって部分的に埋め合わされた。惑星王子の不在は、大天使、いと高き観察者、および総督の三位一体の存在により効果的に補填される。
このむしろ大まかに組織され、幾分か個人的に統治された惑星政府は、大天使の時間節約の援助と絶えず用意のできている回路のお陰で予想以上に効果的であり、その回路は、惑星の非常事態と行政上の困難時にかなり頻繁に利用されている。厳密な意味で、惑星は、ノーラティアデク回路においていまだに精霊的に隔離されているが、非常時にはこの不利な条件は、大天使回路の利用により現在は回避することができる。惑星の孤立は、1,900年前に真実の精霊からすべての人間に注がれて以来、もちろん個々の人間にとってそれほどの関心事ではない。
ユランチア上の行政の日々は、諮問会議で始まり、それには総督、大天使の惑星長官、いと高き観察者、監督している超熾天使、生命運搬者の長官、そして宇宙の神性に近い息子達の中からの招待客、またはその惑星にたまたま逗留しているかもしれない学生訪問者の中からの招待客が参加する。
総督の直轄行政内閣は、12名の熾天使、惑星の進歩と安定に関する超人の直接の統括者として機能する特別な天使の12集団の代理長官から成る。
真実の精霊の流出と同時に、最初の総督のユランチア到着の際、総督には特別熾天使の12軍団、つまり、すぐにある特別な惑星奉仕に配属された熾天使球の卒業生が、随伴していた。これらの高位の天使は、惑星監視の熟練の熾天使として知られており、いと高き観察者の総括的管理は別として、駐留総督の直接指揮下にある。
これらの天使の12集団は、駐留総督の一般監督下で機能しながら、12名の熾天使協議会、すなわち各集団の代理長官から指示を受ける。この協議会は、また駐留総督の有志内閣として役目を果たす。
熾天使の惑星長官として私は、熾天使長官のこの協議会の議長を務め、またカリガスティア分離に際して履行を怠った惑星の天使軍勢の以前の長官の後継者としてユランチアで役目を果たす第一系列の志願超熾天使である。
熟練の熾天使の惑星監視の12部隊は、ユランチアにおいて次のように機能する。
1. 現時代の天使。これらは現時代の天使、すなわち天啓集団である。これらの天の奉仕活動者は、問題が起こる時代のモザイクに適合するようになっており、各世代の問題に関わる監視と指示を任せられている。ユランチアで役目を果たしている画期的な天使の現在の部隊は、天の現配剤の期間中に惑星に配置された3番目の集団である。
2. 前進的天使。これらの熾天使には、連続する社会の時代の進化を起こす課題が、委ねられている。それらは、進化の被創造物に固有の進歩的な性向の開発を促進する。それらは、事態が本来あるべきようにするために絶え間なく働く。現在任務についている集団は、惑星に割り当てられる2番目である。
3. 宗教的な守護者。これらは、「教会の天使」であり、今そうであり、今までそうであった事に対し熱心な競争者である。彼らは、一時代から他の時代へ倫理的価値の安全輸送のために生存してきたその理想維持のために努力をする。かれらは、天使の進歩に逆らう手詰めであり、ずっと一世代から他の世代へと古い、しかも手渡している不滅の価値の様式を新しい、従ってそれほど安定していない思考と素行の型へ変換しようとずっと摸索している。これらの天使は、精霊的な形を求めて闘うが、極端な派閥の起源や自称宗教家の無意味な論争の的となる分裂ではない。現在ユランチアで機能している部隊は、このように5番目に働いている。
4. 国民生活の天使。これらは、「トランペットの天使」、ユランチアの国民生活の政治遂行の責任者である。国際関係の総括的管理において現在機能中の集団は、この惑星の4番目の軍団である。「いと高きものは、人の王国で統治する」のは、特にこの熾天使の分隊の奉仕活動を介してである。
5. 人種の天使。政治上の縺れや宗教上の組み分けにかかわることなく時間の進化的人種の保護のために働くそれらのもの達。ユランチアには、現代の人々に混ざり合い、結合してきた9人種の残りがいる。これらの熾天使は、人種委員会の奉仕活動に密接に関連があり、ユランチアの現在の集団は、五旬節の日のすぐ後に惑星に配属された最初の部隊である。
6. 未来の天使。これらは、計画の天使であり、新たに前進する天の配剤のより良い事態の実現のために未来の時代と計画を予測する。彼らは、連続する時代の建築家である。今この惑星にいる集団は、現在の配剤の始まり以来このように機能している。
7. 啓蒙の天使。ユランチアは、現在、惑星での教育助成に捧げられる熾天使の3番目の部隊の支援を受けている。これらの天使は、個人、家族、集団、学校、共同体、国家、および人種全体に関係して精神的、道徳的訓練に専念している。
8. 健康の天使。これらは、健康促進と疾病防止を主な活動とするそれらの人間の媒体に配置される熾天使の奉仕活動者である。現部隊は、この配剤期間に勤務する6番目の集団である。
9. 家庭の熾天使。ユランチアは、現在、家庭、つまり文明の基本的な制度の維持と前進に専念する天使の奉仕活動者の5番目の集団の勤労を享受している。
10. 産業の天使。この熾天使集団は、ユランチア民族の間の産業開発の促進と経済状態の改善に関係がある。この部隊は、マイケルの贈与以来7回交代されてきた。
11. 気分転換の天使。これらは、遊び、ユーモア、および休息の価値を育てる熾天使である。彼らは、これまでに人間の休養のための気晴らしを高め、このように人間の余暇のより有益な利用を促進しようとする。現部隊は、ユランチアで奉仕活動をするその系列の3番目の集団である。
12. 超人の奉仕活動の天使。これらは、天使の中の天使、すなわち惑星における他のすべての超人の奉仕活動に、一時的、または永久的に、配属される熾天使である。この部隊は、現配剤の始まり以来勤務してきた。
熟練の熾天使のこれらの集団が、惑星の方策、あるいは手段の問題で意見が一致しないとき、かれらの違いは、通常総督によって調整されるが、そのすべての裁決は、不一致に関わる問題の性質と重大さに従い上訴の対象である。
これらの天使集団のいずれも、自分の任務の領域での直接の、あるいは任意の支配はしない。かれらは、行動に伴うそれぞれの領域の問題を完全に制御できるというわけではないが、それらが配属されている人間の活動範囲に有利に影響を及ぼすために惑星状況を操ることができるし、状況を関連づけることもできるし、そうする。
惑星監視の熟練の熾天使は、自分達の任務遂行のために多くの媒体を利用する。それらは、概念の情報収集所、心の焦点者、および事業推奨者として機能する。人間の心に新たで、より高い概念を吹き込むことはできないが、人間の知性の中に既に現れた何らかのより高い理想を強めるためにしばしば行動する。
にもかかわらず、積極的行為のこれらの多くの方法は別として、熟練の熾天使は、重大な危険に対し、将来の目標の予備部隊の動員、訓練、そして維持を通して惑星の進歩を保証する。これらの予備兵の主要な機能は、進化的前進の機能停止から守ることである。それらは、天の勢力が意表の出来事に対して立てた対策である。これらの予備兵は、災難に対する保証である。
将来の目標の予備部隊は、世界問題情勢に関わる超人の行政の特別奉仕に認められた地上の男女で構成されている。この部隊は、進化世界における時間の子供への慈悲と知恵の奉仕行為を援助するためにその領域の精霊指導者によって選ばれる各世代の男女で構成されている。それは、彼らが、そのような責任を担うことに有能で、信頼できるようになるや否や、意志をもつ人間のこの連結活用を始めることは、上昇計画の問題に関する一般的慣習である。従って、男女が十分な精神能力、十分な道徳状態、および必要な精霊性を伴い、時の行動の舞台上に現れるや否や、男女は、人間の連絡係として、つまり人間の助力者として惑星の人格の適切な天の集団に直ちに割り当てられる。
人間が、惑星の将来の目標の庇護者として選ばれるとき、世界の行政者が、遂行中の計画において極めて重要な個人になるとき、その時、熾天使の惑星の長官は、熾天使部隊への一時的配属を確認し、これらの人間の予備兵と共に役目を果たすように目標の個人付きの守保護者を任命する。総ての予備兵には自己を自覚する調整者がおり、予備兵の大多数は、知的な業績と精霊的な達成のより高い宇宙回路で機能する。
領域の人間は、次の理由から棲息界の将来の目標の予備部隊の奉仕のために選ばれる。
1. 世界情勢の様々な活動に起こり得る数々の緊急任務のために秘かに稽古をつけられるための特別な能力。
2. 人間の認識や報酬なしで奉仕する意欲と相まった何らかの特別な社会的、経済的、政治的、精霊的、または他の動機への心からの献身。
3. 並はずれた多能の思考調整者の占有と惑星の困難に対処し、差し迫る世界緊急事態と闘うことの前ユランチアのあり得る経験。
天界存在体の惑星奉仕の各分隊は、将来の目標の身分をもつこれらの死すべき者の連携部隊の権利をもつ。平均的棲息世界は、将来の目標の個別の70の部隊を抱えもち、それは、世界情勢の超人的な現在の方法に緊密に関係がある。ユランチアには、将来の目標の12団の予備部隊には、それぞれに熾天使の監視の惑星の1集団がある。
将来の目標のユランチア予備兵の12集団は、地球の多数のきわめて重要な位置のために予行演習をしてきており、惑星の起こりうる非常時に行動する準備を整えている状態に保たれている球体の人間住民で構成されている。この複合部隊は、現在、962人から成る。最小部隊は41人、最大部隊は172人を数える。20人足らずの接触する人格は別として、この独特の集団の団員は、ある一定の惑星の危機で考えられる機能に対する自分達の準備に全く気づいていない。これらの人間の予備兵は、選ばれた兵団にそれぞれに配属され、同様に、かれらは、思考調整者と熾天使の守護者奉仕活動の結合的手法により心の奥で訓練され、予行演習を受けた。しばしば多数の他の天の人格が、この無意識の訓練に参加し、そして、このような特別な準備において中間者は、貴重で不可欠の奉仕を実行する。
多くの世界においてより、よく適合している二次中間被創造者は、調整者の宿りの心への巧みな浸透を通して特定の好ましく形成された人間の調整者との程度の異なる接触に達することができる。(そして、これらの顕示が、ユランチアにおいて英語で具体化されたということは、まさしく宇宙調整のそのような思いがけない組み合わせによってであった。)進化世界のそのような潜在的接触の人間は、多数の予備部隊に動員され、そしてある程度は、精霊的な文明が進められ、いと高きものが、人の王国で統治することができるということは、将来を視野に入れた人格のこれらの小集団を介してである。将来の目標のこれらの予備兵団の男女は、こうして、中間被創造者の介在する奉仕活動を通して調整者との様々な度合いの接触をする。しかし、これらの同じ死すべき者達は、これらの予備の人格が進化的文化の崩壊、あるいは、生ける真実の光の消滅防止のためにまれな社会的非常時と精霊的なそれらの緊急事態で機能するという点を除いては、その仲間にはほとんど知られていない。ユランチアでは、将来の目標のこれらの予備兵は、滅多に人間の歴史書において明るく照らされてはいない。
予備兵は、無意識に重要な惑星情報の保存者として務める。しばしば瀕死の予備兵の心からより若い後継者への特定の重大な情報を移行が、二名の思考調整者の連携によって行われる。これらの予備兵団に関し、調整者は、疑う余地なく我々には知られていない他の多くの方法で機能している。
ユランチアにおいて将来の目標の予備分隊には、永久的な頭はいないものの、その支配をしている組織を構成する自身の常設の協議会がある。これらには、司法協議会、歴史協議会、政治的主権に関する協議会、それに他の多くの協議会がある。折に触れ、部隊組織に関し、全予備部隊の名義上(人間)の長官が、特定の機能のためにこれらの常設協議会によって任命された。そのような予備兵の最高者の任期は、手元の何らかの特定課題の成就に制限されており、通常はせいぜい2、3時間である。
ユランチア予備部隊は、アダーム系とアンド系時代に最大数の団員がおり、紫の血統の希釈と共に減退し、そして五旬節の頃にその低点に至り、その時以来予備部隊の構成員数は着実に増加してきた。
(ユランチアの宇宙を意識している公民である宇宙予備部隊は、宇宙公民的洞察が、彼らの地球の住まい範囲をはるかに越える現在1,000人以上の人間がいるが、私は、生きている人間のこの他とは異なる集団の機能の本当の性質を明らかにすることを禁じられている。)
ユランチアの死すべき者は、宇宙放棄、あるいは惑星孤児の気持ちを生む地方宇宙のいくつかの回路から自分達の世界の精霊の部分的な的孤立を許すべきではない。世界問題と人間の将来の目標に対する非常に明確で有効な超人の監視は、この惑星において作動している。
だが、あなたには、せいぜい、理想的な惑星政府についての貧弱な考えしか持つことができないというのは本当である。惑星王子の初期の時代から、ユランチアは、世界と人種の発展の神性計画の失敗に苦しんできた。サタニアの忠誠的な棲息世界は、ユランチアのようには治められない。それでも、あなたの惑星政府は、他の孤立世界と比較してそれほど劣ってはいない。1つか2つの世界だけがより悪いと言われるかもしれないし、そして幾つかはわずかに良いかもしれないが、大多数はあなたと同等である。
地方宇宙の誰も、惑星行政の未解決状態がいつ終わるのかを分かってはいないらしい。ネバドンのメルキゼデクは、マイケルのユランチアへの2度目の個人の到着まで惑星の政府と行政にはほとんど変化が起こらないという意見に傾いている。疑う余地なく、今のところは、以前にそうでなかったならば、大改革が惑星管理にもたらされるであろう。しかし、世界行政のそのような変更の本質に関しては、誰も、推測さえできるようには見えない。ネバドンの宇宙の棲息界のすべての歴史にはそのような出来事についての先例は何もない。ユランチアの将来の政府に関して、理解しにくい多くのものの中で際立つものは、回路の惑星と大天使の師団司令部の位置である。
あなたの孤立世界は、宇宙の評議会に忘れられてはいない。ユランチアは、罪により烙印を押されたり、反逆により神性の世話から閉じ込められた宇宙孤児ではない。彼らは皆、ユヴァーサからサルヴィントンへ、そしてジェルーセムへと下へ、ハヴォーナと楽園においてでさえ我々がここにいることを知っている。そして、不忠の惑星王子が一度もその球体を裏切ったことがなかったかのように、ユランチアに居住のあなた方人間は、愛情を込めて可愛がられ、同じように誠実に見守られている。「父自身があなたを愛している」ということは永遠に本当である。
[ユランチア駐留の熾天使の長官による提示]
父たる神との息子性は、すばらしい関係である。崇高なる神との達成は、地位への前提条件である—人は、何かであり何かをしなければならない。
考えるための宇宙の枠組みを形成するためにすべての、高い、または低い、心の生来の能力がなければ、部分的で、不完全で、進化的知力は、主たる宇宙においては無力であろう、つまり最初の理論的思考形態を形成することができないであろう。もし心が結論を測り得ないならば、真の起源に達し得ないならば、そのような心は、心で作り上げられたこれらの結論の枠の中で論理的思考の手段を持つことができるように絶えず結論を仮定し、起源を作り上げるであろう。被創造物の思考のための宇宙のそのような枠は、合理的な知的操作に不可欠ではあるが、それらは、例外なく、大なり小なり誤っている。
宇宙の概念上の枠組みは、相対的にのみ本当である。それらは、やがては宇宙についての拡充的な理解の拡大に譲らなければならない実用的な足場である。真、美、善、道徳、倫理、義務、愛、神性、起源、存在、目的、将来の目標、時間、空間、それに神格さえも、相対的にのみ本当である。神は、はるかに父以上のものであるが、父は、人の神に対する最高の概念である。それでもなお、創造者-被創造者の関係の父-息子の描写は、オーヴォントン、ハヴォーナ、楽園において達成される神格について超必滅のそれらの概念によって増大されるであろう。人は人間の宇宙の枠内で考えなければならないが、それは、思考が起こり得る他の、そしてより高い枠を思い描くことができないということを意味するわけではない。
宇宙の中の宇宙に対する人間の理解を容易にするために、宇宙現実の多様な段階は、有限的、準絶対的、しかも絶対的なものとして呼ばれてきた。これらのうち、絶対の段階だけが、無条件に永遠であり、真に実存的である。準絶対なものと有限なものは、無限の起源の、かつ根本的な現実の派生の、変更の、制限の、そして希釈のものである。
有限のものの領域は、神の永遠の目的によって存在している。上級にしろ下級にしろ、有限の創造物は、宇宙経済における有限のものの領域の必要性に関して、理論を提起できるかもしれないし、そうしてきたが、最後の分析においては、神がそう望んだが故に、それは存在している。宇宙についての説明はできないし、有限の創造物は、先祖の存在体、つまり創造者、または親の以前の行為と先在的な意志に求めずして個々の存在に対して合理的な理由を提供することもできない。
実存的見地から、全銀河に新たな何も起こり得ない、というのも私はあるに固有の無限の完成は、七絶対者に永遠に存在しており、三結合体に機能的に関連しており、3名組に転送の上で関連しているがゆえに。しかし、無限が、これらの絶対的な関係にこのように実存的に存在するという事実は、宇宙の新しい経験を実現することをいかなる場合も不可能にはしない。有限の創造物の観点から、無限は、可能であるものの多くを、現在の現実よりもむしろ将来の可能性の系列にある多くを含んでいる。
価値は、宇宙現実に特有の要素である。我々は、無限で神性な何かの価値が、一体全体いかに増大できるかを理解してはいない。しかし我々は、無限の神格の関係さえ増大させられないとしても、意味が変更されることができると気づく。経験的宇宙にとっては、神性の価値さえ、現実の意味の拡大的理解による現実として増大される。
経験の全段階における宇宙創造と進化の全構想は、明らかに実在への可能性の転換の問題である。この変化は、空間の可能性、心の可能性、および精霊の可能性の領域と等しく関係がある。
宇宙の可能性が、実在へともたらされる明白な方法は、それによって段階から段階へと異なり、準絶対の有限的かつ経験的進化における経験的進化である。実存的な無限は、全包括性において実に無条件であり、このすべての包括性そのものは、必然的に、進化する有限経験のために可能性さえ包含しなければならない。そして、そのような経験による成長の可能性は、崇高なるものの上に、また崇高なるものの中に影響を与えている3名組関の係を介して宇宙現実になる。
絶対の宇宙は、概念的には限りがない。この第一の現実の範囲と本質を定義することは、無限性に制限を設け、永遠の純粋な概念を減じることである。無限-永遠、永遠-無限についての考えは、広がりにおいては無限であり、事実においては絶対である。ユランチアの過去、現在、または未来の言葉に無限の現実、あるいは現実の無限を言い表すための適切な言葉がない。人は、つまり無限の宇宙の中の有限の創造物は、実に自分の理解の能力を超える限りない、広大無辺の、決して始まりのない、決して終わりのない存在に対する歪められた考えと弱力化した概念に満足しなければならない。
心は、まずそのような現実の統一を壊そうとするすることなく絶対の概念の理解をすることを決して望むことはできない。心はすべての相違の統一であるが、心は、そのような相違の不在そのものにおいて、洞察に満ちた概念の定式化を試みる何の基盤も見つけない。
無限の根本的静止は、理解への人間の試みに先立つ細分化を要する。これらの論文で私はある—被創造物の心の最高の基礎条件—として表現されてきた無限には統一がある。しかし、創造物は、この統一というものが、いかに二重性、三重性になるのか、また、絶対の統一性にありながらも多様性であるのかということを決して理解することができない。人は、神の複数個人化と平行して三位一体の専心された神格を止まって熟考するとき、類似した問題に遭遇する。
この概念が1つの言葉として表現される原因は、無限からの人の距離に他ならない。無限は、一方では統一であるが、他方では、終わりも限界もない多様性である。無限は、有限の知力によって観測されるとき、生物哲学と有限形而上学に見られる最大の逆説である。人の精霊的な本質は、無限である父への崇拝経験に達しはするが、人の知的な理解能力は崇高なるものの最大の概念に消耗される。崇高なるものを超えて、概念は、ますます名称である。それらは、いよいよ現実の真の意味を失う。それらは、ますます超有限に向けての創造物の有限的理解の投影になる。
絶対段階の1つの基本的な概念は、三相の基礎的な公理を含む。
1. 本来のもの。第一根源と中枢、すなわち、すべての現実が起源を取る私はあるの源の顕現についての無条件の概念。
2. 実在のもの。現実の3絶対者の結合、すなわち、第二根源と中枢、第三根源と中枢、楽園の根源と中枢。永遠なる息子、無限の精霊、および楽園の小島のこの3名組は、第一根源と中枢の独創性の実際の顕示を構成する。
3. 可能性のあるもの。可能性の3絶対の結合、すなわち神格、無条件者、そして宇宙絶対者。実存的な可能性のこの3名組は、第一根源と中枢の独創性の潜在的顕示を構成する。
本来のもの、実際のもの、可能性のあるものの相互提携は、全宇宙成長の可能性となる無限の中に緊張をもたらす。そして、成長は、七重なるもの、崇高なるもの、究極なるものの本質である。
神格絶対者、宇宙絶対のもの、無条件絶対のもののつながりにおいて、現実は新興的である一方、潜在性は絶対的である。第二根源と中枢、第三根源と中枢、楽園の根源と中枢のつながりにおいて可能性は絶対であり、現実は新興的である。第一根源と中枢の独創性において、我々は、現実性か潜在性が存在するとも突発的であるとも言うことができない—父は存在する。
時間の視点からは、実際のものは、あったし、ある。可能性のあるものは、なりつつあり、いずれなる。本来のもののは存在する。永遠の観点からは、本来のもの、実際のもの、可能性のあるものの違いは、このように明らかではない。これらの三位一体の特質は、楽園-永遠段階においてはそれほど識別されない。永遠においては、すべてはある—時間と空間においては、総ては、まだ明らかにされていない。
創造物の観点から、現実は実質である、可能性は能力である。現実は、真ん中に存在しており、そこから周辺無限に拡大する。可能性は、無限の外周から内部に至り、万物の中心で一点に集まる。独創性は、可能性から実際のものへの、そして既存の実際のもののに可能性をもたせる現実変化の周期の二元的運動を最初に引き起こし、次に均衡をとるということである。
可能性の3絶対者は、純粋に永遠の宇宙段階において機能しており、それゆえに、準絶対的段階においてはそのように決して機能しない。現実の下降段階における可能性の3名組は、究極なるものとともに、また崇高なるものに顕れる。可能性は、何らかの準絶対段階の部分的には時間-顕在化に失敗するかもしれないが、総体的には決してそうではない。神の意志は最終的には、常に個人に関係するというわけではなく、必ず全体性に関係があり広く行き渡る。
宇宙に実在するものが、その中心を持つことは、現実の3名組においてである。精霊であろうと、心であろうと、またはエネルギーであろうと全ては、息子、精霊、楽園のこのつながりに集まる。精霊の息子の人格は、全宇宙の全人格のための支配的なひな型である。楽園の小島の本質は、ハヴォーナが完全であり、超宇宙が完成しつつある顕示の支配的ひな型である。連合活動者は、精霊段階の意志の目的と動機との宇宙エネルギーの心の起動、精霊の目的の概念化、そして物質段階の数学的な原因と結果の全く同時に結合である。息子、精霊、楽園は、崇高なものに条件づけられ、限定される点において有限宇宙の中で、また、それに向かって、究極なるものの中で、また、それに向かって機能する。
現実性(神格の)は、人が楽園上昇において求めるものである。可能性(人間の神格の)は、人がその探索において発展させるものである。本来のものは、人の実際のもの、人の可能なもの、人の永遠のものの共存と統合を可能にするものである。
宇宙の最終的原動力は、可能性から現実性への現実の継続的な移動に関係がある。理論的には、この変化には終結があるかもしれないが、事実上、可能性のあるものと実際のものの双方が、本来のもの(私はある)の回路にあり、その上、この識別が、宇宙の発達上の信仰をに制限を置くことを永遠に不可能にしているのでそのようなことは不可能である。私はあるの可能性の現実性は、絶対であり、また私はあるの実際のものの可能性も絶対であるから、私はあると同一視されるものは何であれ前進への終結を決して見つけることはできない。実際ののものは、つねに今まではどうにもならない可能性の実現の新たな方法ををいつも切り開く—あらゆる人間の決定は、人間の経験において新現実を実現するだけではなく、人間の成長のための新能力をも切り開く—であろう。人は、あらゆる子供の中に生きており、モロンチア前進者は、神を知る成熟した人間に居住している。
成長における静止は、成長のための基礎—絶対可能性—が無条件であるが故に、また成長のための可能性—絶対的可能性—が無制限であるが故に、決して宇宙全体に生じることはできない。実際的な視点から、宇宙の哲学者達は、終わりというようなものはないという結論に達した。
制限的視点からは、誠に、多くの終わり、活動の多くの終了があるが、より高い宇宙段階のより大きい視点からは、最後はなく、単に局面から別の局面への移行があるに過ぎない。主たる宇宙の主要な年代は、いくつかの宇宙時代、ハヴォーナ、超宇宙、および外の宇宙時代に関係がある。しかし、連続関係のこれらの基本的な境界でさえ、永遠の果てしない幹線道路上の相対的な目印以上のはずがない。
崇高なるものの真、美、善の最終的な、洞察は、真、美、善の概念段階を越えてある究極の神格のそれらの準絶対の本質を進歩している創造物に開けることができるだけである。
崇高なる神の起源についてのいかなる考慮すべき事柄も、崇高なるものは神格に由来するとともに三位一体は起源の神格であるので、楽園の三位一体から始めなければならない。崇高なるものの成長についてのいかなる考慮も、すべての絶対の現実性とすべての無限の可能性(第一根源と中枢とに関連した)を包含するがゆえに、実存的な3名組を考慮しければならない。そして、進化的な崇高なものは、存在の有限段階の中に、またその上における実在のものへの可能性の変化—変形—の頂点を極める、そして人格的に意志中心である。実際の、可能の、2つの3名組、は、宇宙における成長の相互関係の全体を含んでいる。
崇高なるものの源は、楽園三位一体にある—永遠の、実際の、そして、分割されていない神格—にある。崇高なるものは、まず第一に精霊人格であり、この精霊人格は、三位一体に由来する。しかし、崇高なるものは、第二に成長—進化的成長—の神格であり、この成長は、2集団の実際の、可能の3名組に由来する。
無限の3名組は、有限段階で機能できるということを理解するのが難しいならば、まさしくその無限が、有限の可能性を本来含まなければならないと考えるために立ち止まりなさい。無限は、最も低く最も適切な有限存在から最も高く、しかも無条件に絶対の現実へおよぶ万物を含む。
無限が有限を含むということを理解することは、この無限が実際には有限に一体どのように表れるかを理解するほどには難しくない。しかし、人間に宿る思考調整者は、絶対の神(絶対として)さえ実は意志をもつ宇宙の創造物のすべての最低で最小のものとさえ実際直接に接触することができるという永遠の証明の1つである。
実際のものと可能性のあるものをまとめて取り囲む3名組は、崇高なるものとともに有限段階上で明らかである。そのような顕現の方法は、直接的、かつ間接的である。3名組関係が、崇高なるものに直接にもたらす限りにおいては直接的であり、準絶対の終結段階を経て引き出される限りは間接的である。
完全な有限現実である最高の現実は、外空間の無条件の可能性と万物の中心の無条件の実在の間の活動的成長過程にある。有限領域は、こうして、楽園の準絶対媒体と時間の崇高なる創造者人格の協力で事実化される。すばらしい潜在の3絶対の絶対の可能性を完成する行為は、主たる宇宙の建築者達とその先験的な仲間達との準絶対機能である。そして、これらの展開が、完成の特定の点に達したとき、崇高なる創造者の人格は、進化する宇宙を現実存在へと運び込む長年の課題に従事するために楽園から現れる。
崇高性の成長は3名組に由来する。三位一体からの崇高なものの精霊の人物。しかし、全能者の力の特権は、七重の神の神格成功に基づいており、高なる神の精霊の人との全能の崇高者の力の特権の結合接続は、この進化の神格における結合要因としての崇高なるものの心を贈与する連合活動者の奉仕活動の効力により起こる。
崇高なるもののは、その人格的、精霊的本質の現実に関しては楽園三位一体の存在と行動に絶対的に依存している。崇高のものの成長が、3名組関係の問題である一方で、崇高なる神の精霊人格は、崇高なものの進化的成長が、次第に展開する完全かつ無限の安定性の絶対的中心-源としてずっと留まる楽園の三位一体に依存しており、またそれに起源がある。
三位一体の機能は、崇高性の機能段階を含め総て (全体)の段階で機能しているので、その機能は、崇高なものの機能に関連している。しかし、ハヴォーナの時代が超宇宙の時代に代わる間、即座の創造者として三位一体の認識できる行為は、楽園の神格の子供の創造的な行為に取って代わる。
現実の3名組は、後ハヴォーナ時代に直接機能し続ける。楽園の引力は、物質的存在の基本単位を把握し、永遠なる息子の精霊引力は、精霊存在の基本的価値に直接作用し、また連合活動者の心の引力は、知的な存在のすべての重大な意味を的確に掴む。
にもかかわらず、創造的な活動の各時期が、未知の空間を進むとき、それは、中央の定置—楽園の絶対の小島と無限の神格のそこでの常駐—の創造的な力と神性の人格による直接行動からより遠くへと取り除かれた状態で機能し存在する。宇宙存在の これらの連続する段階は、したがって、無限の3絶対のもの可能性の中で、発展にますます依存するようになる。
崇高なるもののは、永遠なる息子、無限の精霊、あるいは楽園の小島の無人格の現実では明らかに表されない宇宙奉仕活動のための可能性を迎え入れる。この表明は、これらの3つの基本的な現実の絶対性を考慮にいれつつも、崇高なるものの成長は、神格と楽園のこれらの現実に基づくだけでなく、神格、宇宙、無条件絶対者の中でも発展に関与している。
崇高なるものは、進化する宇宙の創造者と被創造物が神のようになることを成し遂げるためだけに育つだけではなく、この有限の神格は、壮大な宇宙の有限の可能性に向けての被創造物と創造者の支配の結果としての成長をも経験する。崇高なものの運動は二重的である。集中的に楽園と神格へ向け、また広範囲に可能性の絶対の無限に向けて。
現在の宇宙時代のこの二元的運動は、壮大な宇宙の下降したり上昇する人格に明らかにされる。崇高なる創造者の人格とすべての彼らの神性の仲間は、崇高なるものの外側への拡散運動の外部を反映し、一方7超宇宙からの上昇する巡礼者は、崇高性の内側への集結傾向を示している。
常に、有限の神格は、楽園とそこから神格に向かう内側への、そして無限と楽園の絶対に向かう外側への絶対者の方へ、二元的な相関関係を追求している。創造者なる息子において人格化し、力の統括者において力を発展させる楽園-創造の神格の強力な爆発は、可能性の領域への崇高性の広大な外へのうねりを意味し、一方、壮大な宇宙の上昇する創造物の果てしない行列は、楽園神格との統一に向かう崇高性の強力な内へのうねりを目撃する。
人間は、不可視の動きが可視のものに対するその効果を観測することによって時として識別できるということを習得してきた。そして、宇宙の我々は、そのような進化の効果の観察をすることにより、壮大な宇宙の人格と型に崇高性の変化と傾向を見つけることを、ずっと以前に学んだ。
確かではないものの、我々は、崇高なものが、楽園の神格の有限反映として外部空間への永遠の進行に従事していると信じる。しかし、外部空間の3絶対の可能性の特定としてこの崇高なるものは、つねに楽園の一貫性を捜し求めている。これらの二元的運動が、現在組織化されている宇宙における基本的な活動の大部分を説明しているように思える。
崇高なものの神格に、父-私はあるは、地位の無限性、存在の永遠精、本質の絶対性に固有の制限からの比較的完全な解放を成し遂げた。しかし、崇高な神は、宇宙機能の経験的限定をうけるようになったことだけで、全ての実存経験から開放された。したがって、経験のための能力に達する際に、有限の神も、経験のための必要性を被るようになる。永遠からの解放を成し遂げる際、全能なるものは、時間の障壁に遭遇する。そして、崇高なるものは、存在の部分性と本質の不完全性の結果として成長と発達を知ることができるに過ぎない。
このすべてが、努力面での有限進歩、忍耐面での創造物達成、信仰面での人格開発に基づいた父の計画通りでなければならない。このようにして、崇高なものの経験-進化を定め、父は、有限の創造物が、宇宙に存在することを、また経験の進行により、そのうちに崇高性が神格に達することを可能にしてきた。
7絶対者の無条件の価値を除く崇高なものと、さらには究極なるものを含むすべての現実は、相対的である。崇高性の事実は、楽園の力、息子の人格、結合的行動に基づくが、崇高なものの成長は、神格絶対、無特性絶対者と宇宙絶対にかかわる。そして、この統合し、統一する神格—崇高の神—は、楽園の父、第一根源と中枢の不可解な本質の無限の統一による壮大な宇宙に斜めに落とす影の人格化である。
有限段階で直接作用するという程度まで、3名組は、絶対的実際のものと絶対的可能なものの本質である有限の特定の宇宙総和と神格焦点化である崇高なるものに影響を与える。
楽園の三位一体は、絶対的必然性であると考えられた。主たる七精霊は、明らかに三位一体の必然性である。崇高なものの力-心-精霊-人格の実現化は、進化上の必然性であるに違いない。
崇高なる神は、特性のない無限において回避不能であったようには思えないが、すべての関連段階にいるように思える。崇高なる神は、自らの神格本質における現実知覚のこの方法の結果を有効に統一する進化的経験の不可欠の集中者であり、要約者であり、抱擁者である。このすべてを、彼は、崇高なる神の必然の実現化の現れ、すなわち超経験と超有限の顕現に貢献する目的のためにしているようである。
崇高なるものは、源、機能、将来の目標への考慮なくして、すなわち源を発する三位一体、活動の宇宙、即座の目標の三位一体の究極なるものへの関係真価を十分に認めることはできない。
崇高なものは、進化的経験の総括の過程により、有限と準絶対を結びつけ、連合活動者の心のように、人格の息子の神性の精霊性と楽園の型の不変のエネルギーと統合し、また宇宙の絶対の臨場のように神格の起動を無限性の反応と統一する。そして、この統一は、森羅万象の第一の父の原因と根源の型の原点の統一の看破されていない働きの顕示であるに違いない。
[ユランチアに一時的に滞在する強力な使者による後援]
もし人が、創造者—かれの直接の監督者—が、神性であるとともに有限でもあると、また、時間と空間の神が、進化し非絶対の神格であると気づくならば、そこで俗世の不平等の矛盾は、宗教上の深刻な逆説ではなくなるであろう。もはや、信仰は、社会的に剥奪状態にある不運な犠牲者への自制的な忍従を促すだけに役目を果たすことはないと同時に、幸運な者達への社会的な独り善がりの促進に悪用されないであろう。
ハヴォーナのこの上なく完全な球体を見るとき、それらが、完全かつ無限の、その上絶対の創造者により作られたと信じることが妥当でもあり、論理的でもある。だが、ユランチアの混乱、不完全さ、不公平を見るとき、その同じ理由と論理が、どんな正直者でも強要しなければ、あなたの世界が準絶対の、前無限の、ほぼ不完全な創造者によって作られ、かつ管理されていたと結論づけることを余儀なくさせるであろう。
経験的成長は生物-創造者の協力関係—神と人のつながり—を意味する。。成長は、経験的神格の目印である。ハヴォーナは、成長したのではなかった。ハヴォーナはあり、常にあった。それはその源である永遠に続く神のように実存的である。しかし、成長は、壮大な宇宙を特徴づけている。
全能の崇高なものは、生きており、かつ進化している力と人格の神格である。その現在の領域、壮大な宇宙は、力と人格の発達するの領域でもある。その目標は完全性であるが、その現在の経験は成長と不完全状態の要素を包含する。
崇高なるものは、一次的に精霊人格として中央宇宙において機能する。二次的には、全能の神、力の人格として壮大な宇宙の中において。主たる宇宙における崇高なものの三次的機能は、現在は、潜在的であり、単に心の未知の可能性として存在している。だれも、崇高なるもののこの3番目の展開が明らかにするものがまさに何であるかを知らない。あるものは、崇高なるものは、超宇宙が光と命に定着するとき、外側の宇宙の超全能者として力を拡大しつつ、壮大な宇宙の全能の、そして経験的君主としてユヴァーサから機能するようになると信じる。他のものは、崇高なるものの3段階目が、神格顕現の第3段階にかかわると推測する。だが、我々のだれも本当には知らない。
あらゆる進化している創造物の人格の経験は、全能の崇高なるものの経験の段階である。超宇宙のあらゆる物理的部分の知的な征服は、全能の崇高なるものの成長的支配の一部である。力と人格の創造的統合は、崇高な心の創造的衝動の一部であり、崇高なるものの統一の進化的成長のまさしくその本質である。
崇高なものの力と人格特質の結合は、崇高な心の機能である。そして、全能の崇高なるものの完成された進化は、1つの統一された人格の神格—神性の特質の緩く調整されたつながりのどれにおいてでもなく—になるであろう。より広い観点から、崇高なものから離れた全能、全能から離れた崇高なものは存在しないであろう。
崇高なものの物理的な力の可能性は、進化の時代を通して崇高な力の7統括者に授けられ、また心の可能性は、主たる七精霊に置かれる。有限の心は、無限の精霊の機能である。宇宙の心は、主たる七精霊の奉仕活動である。崇高な心は、壮大な宇宙の調整において、また七重の神の顕示と達成との機能的なつながりにおける実現化の過程にある。
時-空間の心、宇宙の心は、7つの超宇宙においては異なって機能しているが、それは、崇高なるものの何らかの未知の関連した方法によって調整される。壮大な宇宙の全能の支配は、専ら物理的かつ精霊的とは限らない。7超宇宙においては、それは、主に物質的で精霊的であるが、知的、精霊的のいずれでもある崇高なものの現在の現象もまたある。
我々は、この進化する神格のいかなる他の局面に比べ崇高性の心についてあまり知らない。それは、壮大な宇宙にわたって疑いなく活発であり、広大な大きさである主たる宇宙の機能の潜在的運命をもつと思われている。ところが、我々は次のことについて知っている。体格は完全な成長に達するかもしれない、また、精霊は発達の完全性を実現するかもしれないのに対して、心は、進歩を決してやめない—それは、終わりのない進歩の経験的方法である。崇高なものは、経験的神格であり、それゆえ心の成就の完成を決して果たすことはない。
全能者の宇宙力存在の現れは、進化的超宇宙の高位の創造者と支配者の宇宙活動の舞台へ同時に登場する。
崇高な神は、楽園の三位一体からの自分の精霊と人格の特質を引き出しているが、かれは、創造者の息子、日の老いたるもの、主たる精霊の行為において力の実現化をしており、また、その全体的活動は、7超宇宙へと、またその中での全能の君主として高まる力の源である。
無特性の楽園の神格は、時間と空間の進化的創造物には不可解である。永遠と無限は、時-空間の創造物が理解しえない神格現実の段階を暗示する。神格の無限性と君主の絶対性は、楽園の三位一体に固有であり、三位一体は、幾分か人間の理解を越える現実である。時-空間の創造物は、宇宙関係を把握し、神格の意味する価値を理解するために起源、関連性、将来の目標をもたなければならない。それ故、楽園の神格は、神格の余分な外楽園の人格化を減らし、さもなければ限定し、こうして、崇高な創造者とその仲間を存在に導く。両者は、進化の世界での贈与の息子の地球の人生において、生命の光が、その最も遠方の、そして美しい表情を見つけるまでそれをその楽園の源からより遠くに常に運ぶ。
そして、これが、7重の神の起源であり、人間は、この連続する段階において次の順序で遭遇する。
1. 創造者の息子(そして、創造的精霊)
2. 日の老いたるもの
3. 主たる七精霊
4. 崇高なるもの
5. 結合活動者
6. 永遠なる息子
7. 宇宙なる父
最初の3段階は、崇高な創造者である。最後の3段階は、楽園の神格である。崇高なものは、楽園三位一体の経験的な精霊人格化として、また楽園神格の創造者の子のもつ進化的全能の力の経験に基づく焦点としてずっと介入する。崇高なるものは、7超宇宙への、そして現在の宇宙時代の神格の最大の顕示である。
人間の論理方法により、七重の神の最初の3段階の連携行為の経験上の再統一が、楽園の神格の段階に相当すると推論されるかもしれないが、そうではない。楽園の神格は、実存的神格である。崇高な創造者は、力と人格との神格統一においては、経験的神格の新しい力の可能性を構成し、かつ表現している。経験的起源のこの力の可能性は、三位一体起源—崇高なるもの—の経験的な神格との必然の、不可避の結合を見つける。
崇高な神は、楽園の三位一体ではなく、機能的な活動が彼の進化しているその全能の力を実際に統合するそれらの超宇宙の創造者のうちの一人でもなく、またその全員でもない。崇高な神は、三位一体に起源をとる一方で、七重の神の最初の3段階の連携機能を通じてのみ、力の人格として進化の創造物に明らかになる。全能の崇高なものは、ちょうど永遠において連合活動者が、宇宙なる父と永遠なる息子の意志により突然にもたらされるように、今、時間と空間において崇高な創造者の人格活動を介して事実化している。七重の神の最初の3段階のこれらの存在体は、全能の崇高なものの力の他ならぬその本質と源である。したがって、これらの存在体は、常に全能の崇高なものの行政行為に加わり、支えなければならない。
楽園の神格は、壮大な全宇宙の重力回路において直接に行動するだけではなく、様々の媒体との他の顕現を通しても機能する。例えば、
1. 第三根源と中枢の心の焦点化。エネルギーと精霊の有限領域は、結合活動者の心の臨場により文字通り結合される。これは、超宇宙の反映の精霊を通しての地方宇宙の創造的精霊から壮大な宇宙の主たる精霊に至るまで真実である。これらの様々な知性の焦点から発する心の回路は、創造物選択の宇宙の活動領域を表す。心は、被創造物と創造者が非常に容易に操ることのできる柔軟な現実である。それは、物質と精霊をつなぐ重要な連結である。第三根源と中枢の心の贈与は、崇高な神の精霊人格と進化の全能者の経験的な力とを統一する。
2. 第二根源と中枢の人格顕示。結合活動者の心の臨場は、神性の精霊をエネルギーの型と統一する。永遠の息子と楽園の息子の贈与の具現化は、創造者の神性の本質を被創造物の進化する本質と統一する、実際に融合する。崇高なものは、創造者、被創造者の両方である。かれが、それである可能性は、永遠の息子とその同位の息子と下位の息子の贈与活動において明らかにされる。マイケルの息子達とアヴォナルの息子達の贈与の体系は、進化の世界での実際の被創造物の生命生活により我が物となった本物の被創造物の本質によってその神性の本質を実際に増大させる。神格が人間のようになるとき、この関係に固有なことは、人間が神性になることができるという可能性である。
3. 第一根源と中枢の内住する臨場。心は、精霊の原因作用とエネルギー反応を統合する。贈与活動は、神性下降と創造物上昇を統合する。そして、宇宙なる父の内住する断片は、進化する創造物を実際に楽園の神と統合する。人格の夥しい系列に宿る父のそのような多くの臨場があり、必滅の人間におけるこれらの神の神性の断片は、思考調整者である。人間にとっての神秘訓戒者は、崇高なるものにとっての楽園三位一体である。調整者は、絶対的基盤であり、絶対の基盤上に、自由意志の選択は、人の場合は終局者の本質、崇高な神の場合は神格の本質である神性現実を進化させることができる。
楽園の息子関係の系列の創造物の贈与は、神性の息子が、宇宙の創造物の実際の本質の獲得によって人格の質を高めることを可能にするが、そのような贈与は、絶えず創造物自体に神格到達の楽園の道を示す。宇宙なる父の調整者の贈与は、かたい意志をもつ創造物の人格を父が自身に引きつけることを可能にする。そして有限宇宙のすべてのこれらの関係において、結合活動者は、これらの活動がおこるその効力による心の奉仕活動の遍在の源である。
進化が、空間の旋回する惑星で展開する間、また、それらが、ついにすべての進化の崇高なものの人格の発現にいたる間、楽園の神格は、これらと他の多くの方法において時間の進化に参加する。
崇高な全体性の統一は、有限部分の進歩的な統一に依存している。崇高なものの実現化は、至高の要因—宇宙の創造者、創造物、知性あるもの、エネルギー—の他ならぬこれらの統一の結果であり、産物である。
崇高なものの主権がその時間の発展中にあるその期間、崇高なものの全能の力は、七重の神の神格活動に依存しており、一方、崇高なるもの、そして結合活動者と合わせてその第一の人格、すなわち主たる七精霊との間には特に緊密な関係があるように思える。結合活動者としての無限の精霊は、進化する神格の不完全を補填する多くの方法で機能し、崇高なものとの非常に緊密な関係を継続する。関係のこの近さは、主たる精霊のすべてにより幾分かは共有され、特に主たる第7精霊によって共有され、かれは、崇高なものを代弁する。崇高なものを、この主たる精霊は、知っている—崇個人的接触がある。
創造の超宇宙計画の早期事業において、主たる精霊は、49名の反映の精霊の共同創造において、出自の三位一体と結びつき、そして同時に、崇高なるものは、楽園の三位一体と楽園神格の創造的な子供の連合活動の頂点を究めるものとして創造的に機能した。威儀仙は出現し、以来ずっと、崇高な心の宇宙臨場を局地化して、一方主たる精霊は、宇宙の心の広範囲の奉仕活動のための源-中心として続く。
しかし、主たる精霊は、反映の精霊の監督を続ける。第七の主たる精霊は、(中央宇宙からのオーヴォントンの監督全般において)ユヴァーサにいる7名の反映の精霊と個人的接触中であり、(またそれを支配する。)かれの相互間-内部の超宇宙支配と行政において、かれは、各々の超宇宙首都にある彼自身の型の反映の精霊と反射の精霊との意識的な接触中である。
これらの主たる精霊は、崇高性の主権の支持者と増補者であるだけではなく、代わりに崇高なものの創造的目的の影響を受ける。通常、主たる精霊の総体的な創造は、類似-物質の系列(力の統括者)の創造に属するが、その個々の創造は、精霊の系列(超熾天使など)の創造である。しかし、主たる精霊が、崇高なるものの意志と目的に対応して第七回路の精霊を全体的にでもたらしたとき、この創造的行為の子らが、物質あるいは類似-物質ではなく、精霊的であるという点である。
それが超宇宙の主たる精霊との場合、これらの超創造の三位一体の支配者—日の老いたるもの—との場合と同じである。時間と空間における三位一体の正義-判断の化身は、崇高なもののもつ起動している全能の力のための領域の支点であり、時間と空間の領域における三位一体主権の進化に向けて七重の焦点として役立っている。楽園と進化する世界の中間の視点から、これらの三位一体-起源の主権者達は、両方向を見て、知り、そして調整している。
だが、地方宇宙は、宇宙的に総計されるとき、崇高なものが経験において、そしてそれによって神格進化を成し遂げている実際の基礎を構成する心の実験、星雲の冒険、神格の展開、人格進行がその中でなされる真の実験室である。
地方宇宙においては創造者さえ進化する。結合活動者の臨場は、生き生きとした力の焦点から宇宙なる母精霊の神性人格の状態へと進化する。創造者の息子は、実存的な楽園神格の本質から崇高な主権の経験的本質へと進化する。地方宇宙は、真の進化の出発点、つまりなろうとしている自分自身の共同創作者になる自由意志の選択が授与された真の不完全な人格の産卵所である。
進化の世界への贈与において権威ある息子達は、物質の人間性の最高の精霊価値と経験に基づく統一において楽園の神格を表す本質をついには獲得する。そして、これらと他の贈与を通して、創造者マイケルは、実際の地方宇宙の子らの本質と宇宙観点を同様に獲得する。そのような主たる創造者の息子は、準崇高な経験の終了に接近している。そして、地方宇宙の主権が、割り当てられた創造の精霊を受け入れるために拡大されるとき、それは、進化する壮大な宇宙の現在の可能性の中で至高の限界に近づくためであると言えるかもしれない。
贈与の息子が、神を見つける人のために新しい方法を明かす時、かれらは、は神格到達のこれらの道を創造しているのではない。かれらは、むしろ、崇高なものの臨場を通して楽園の父の人格へと導く進行のための永遠の幹線道路を照らしているのである。
地方宇宙は、神から最遠にいるもの達、そして、それゆえ宇宙の最大限の精霊的上昇を経験することができる、つまり自分自身の共同創造の経験的参加の最大限を成し遂げることができるもの達の出発点である。これらの同じ地方宇宙は、下降する人格のために経験の最大可能な深さを同様に提供し、かれらは、進化する創造物にとり楽園上昇が重要であるのと同じくそれらにとり重要な何かをそれによって達成する。
人間は、この神格の集団が、実現化する崇高なものになるのと同様に、七重の神の完全な機能にとって必要であるように見える。崇高なものの全能の力の進化に等しく必要である宇宙の人格の他の多くの系列があるが、この描写は、人間の啓発のために提示されており、それゆえ必滅の人間と関係のある七重の神の進化において作用しているそれらの要因に主に制限されている。
あなたは、崇高なるものへの七重の神の関係を教えられてきており、今あなたは、七重者が、統括者ならびに壮大な宇宙の創造者を受け入れるということに気づくべきである。壮大な宇宙のこれらの七重の統括者は、次を抱擁する。
1.主たる物理の制御者
2. 崇高な力の中心者
3. 崇高な力の統括者
4. 全能の崇高なるもの
5. 活動の神—無限の精霊
6. 楽園の小島
7. 楽園の根源—宇宙なる父
これらの7集団は、機能上、七重の神からは不可分であり、この神格のつながりの物理的な制御段階を構成する。
エネルギーと精霊の分岐(永遠なる息子と楽園の小島との結合臨場に端を発している)は、主たる七精霊が、総体的な創造の最初の行為に連合して従事する際、超宇宙の意味に象徴された。この出来事は、崇高な力の7統括者の登場を目撃した。これに付随し主たる精霊の精霊の回路は、対照的に力の統括者の監督の物理活動から区別され、すぐに宇宙の心が、物質と精神を調整する新たな要因として現れた。
全能の崇高なるものは、壮大な宇宙の物理的な力の支配者として進化している。現在の宇宙時代においては、物理的な力のこの可能性は、崇高な力の7統括者の中心に置かれているようであり、かれらは、力の中心の固定された位置で、そして物理的な制御者の移動臨場を通して作動する。
時間の宇宙は、完全ではない。それは、将来の目標である。完全のための戦いは、知的で精霊的な段階だけではなく、エネルギーと質量の物理的段階にも関係する。光と生命の7超宇宙の定着は、物理的な安定性の到達を前提とする。そして、物質的な均衡の最終的な達成が、全能者の物理的な支配の完成された進化を意味すると推測される。
宇宙建築の初期においては楽園の創造者でさえ、主に物質的均衡に関心がある。地方宇宙の型は、力の中心の活動の結果としてばかりではなく、創造の精霊の空間臨場のためにも具体化する。そして、地方宇宙建設のこれらの初期に渡り、創造者の息子は、物質的支配のわずかに理解されている特性を示し、地方宇宙の総体的平衡が確立されるまでは自分の首都惑星を去らない。
詰まるところ、すべてのエネルギーは心に対応し、物理的支配者は、楽園の型の活性体である心の神の子供である。力の統括者の知性は、物質的支配をもたらす仕事に絶え間なく専念している。エネルギーの関係と質量の動きに対する物理的支配のための統括者らの闘いは、活動のそれぞれの永久的領域を構成するエネルギーと質量への有限の勝利を成し遂げるまで決して止むことはない。
時間と空間の精霊の闘いは、(人格の)心の仲介により、物質への精霊の支配の進化に関係がある。宇宙の物理的な(無人格の)進化は、精霊の支配に従う心の均衡概念との調和に宇宙エネルギーをもってくることに関係がある。壮大な宇宙全体の全面的進化は、エネルギーを制御している心と精霊が連携している知性との人格統一の問題であり、崇高なものの全能の力の完全な出現で明らかにされるであろう。
活動的な均衡状態に到る困難さは、発展中の宇宙の事実に固有である。物理的創造の確立した回路は、新しいエネルギーと新しい質量の登場により絶えず危うくされている。発展する宇宙は、不安定の宇宙である。故に、宇宙全体のいかなる部分も、7超宇宙の物質的完成を目撃する然るべき時期まで、本当の安定性を見つけることはできない。
光と生命の安定した宇宙には、予想外の物理的な大きく重要な出来事は起こらない。物質的創造の比較的完全な支配は、成し遂げられた。それでも、進化している宇宙への安定した宇宙の関係の問題は、宇宙の力の統括者の技術に挑戦し続ける。しかし、壮大な宇宙が進化の表現の頂点に接近するに従い、これらの問題は、新たな創造的活動の縮小とともに徐々に消え失せるであろう。
進化の超宇宙におけるエネルギー - 物質は、人格を除いては、支配的であり、そこで、心の仲介による精霊が、支配のために奮闘している。進化の宇宙の目標は、心によるエネルギー-物質の征服、心と精霊との調和、そして人格の創造的、かつ統一的臨場の効力よるこのすべてである。ここのように人格に関係して、物理的体系は従属的となり、心の体系は調和するようになり、また精霊の体系は指示するようになる。
力と人格のこの結合は、神格段階で、また崇高なものの中、それに、崇高なものとして表われる。しかし、精霊支配の実際の進化は、壮大な宇宙の創造者と創造物の自由意志の行為に基づく成長である。
絶対段階においてエネルギーと精霊は、一つである。しかし、瞬間の離脱が、そのような絶対段階からなされると、違いが現れ、そして、エネルギーと精霊が楽園から空間へ移るにつれ、二者間の深淵は、地方宇宙において全く異なるようになるまで拡大する。それらはもはや同じではなく、似てもいないし、それに、心は、相互に関係づけて介入しなければならない。
支配者人格の活動が、エネルギーを方向づけができるということは、心の活動に対するエネルギーの反応性を明らかにする。これらの同じ制御する実体の活動が、質量を安定することができるということは、心の臨場が形成する系列に対して質量の反応性を示す。また、意志をもつ人格における精霊自体がエネルギー-物質の支配に対する心を通して努力できるということは、すべての有限創造の潜在的統一を明らかにする。
すべての根源力と人格の相互依存が、宇宙の中の宇宙の至るところにある。創造者の息子と創造の精霊は、宇宙の組織において力の集中所と物理的統括者の協力的機能に依存する。力の崇高な統括者は、主たる精霊の支配なくしては不完全である。人間の場合、物理的生命の仕組みは、(個人)の心の命令に、幾分明敏である。他ならないこの心は、引き続き、目的がある精霊の導きに支配されるようになり、そのような進化的発展の結果は、崇高なものの新たな子供、つまり宇宙現実の幾つかの種類の新しい人格統一の産出である。
そして、それには部分があるように、それには全体がある。崇高なものの精霊人格は、神格の完成を遂げること、また三位一体のつながりの目標を達成することを全能者の進化の力を必要とする。時間と空間の人格は努力を払うが、この努力の最高点と達成は、全能の崇高なるものの行為である。全体の成長は、このように部分の集合的な成長の総体であるが、等しく、部分の進化は、全体の目的がある成長の分かれた反映であるということになる。
楽園において、モノタと精霊は、一体—名前以外では区別がつかない—としてある。ハヴォーナにおいて、物質と精霊は、区別がつくほどに異なるが、同時に、本質的に調和している。7超宇宙においては、しかしながら、大きな相違がある。宇宙エネルギーと神性の精霊の間には広い隔たりがある。したがって、物理的な型と精霊の目的と調和させ、やがては統一することにおいて心の活動のより大きな経験的可能性がある。空間の時間の中で展開する宇宙においては、神格のますますの減衰、解決されるべきより難しい問題、それらの解決の経験を得るより大きい機会がある。そして、この全体の超宇宙状況は、宇宙経験の可能性が、生物と創造者に—崇高なる神格にさえ—同じく利用可能となる進化的存在物のより大きい活動領域を生む。
絶対段階では実存的である精神の支配は、有限段階と7つの超宇宙において進化的経験になる。そして、必滅の人間から崇高なるものまで、この経験は、すべてによって一様に共有される。その達成において、すべては、努力し、個人的に努力する。その将来の目標において、すべては、参加し、個人的に参加する。
壮大な宇宙は、物理的雄大さの物質的創造、精霊の極致、知的な高潔さだけでなく、それはまた、素晴らしくて、明敏な生物でもある。活気に満ちた宇宙の膨大な創造の仕組みを通して脈動する実際の生命がある。宇宙の物理的現実は、崇高なる全能者の知覚できる現実を象徴している。この物質的、かつ生きている有機体には、ちょうど人体に神経感覚経路の網目が縦走しているように、知性回路が透過している。この物理的宇宙は、ちょうど人体が吸収可能な栄養のエネルギー生成物の循環分配によって給養され活力が与えられているように、物質的創造を効果的に起動するエネルギー通路によって浸透される。広大な宇宙は、人間の仕組みの精巧な化学的制御装置と比較されるかもしれないすばらしい支配の調整的集中所を欠いているわけではない。しかし、あなたが力の集中所の造りについて何かを知ってさえいたならば、我々は、類推法によって、物理的宇宙についてあなたにもっと話すことができるのであるが。
壮大な宇宙もまた、人間が生命維持のために太陽エネルギーに目をむけるのと全く同様に、空間の物質的活動と宇宙の動きを継続するために楽園の下からの変わることのないエネルギー放射に依存している。
心は、それによってかれらが、自己性と人格を自意識するようになるかもしれない死すべき者に与えられてきた。そして、心は、—崇高なる心さえ—宇宙のこの現れつつある人格の精霊がずっとエネルギー-物質の支配を求めて努力するそれによって全有限体に贈与されてきた。
人間は、壮大な宇宙が、永遠なる息子の広範囲にわたる精霊-重力の把握すなわち時間と空間の有限宇宙にある全創造の永遠の精霊的価値の超物質宇宙の結合に応じるように、精霊の導きに応じる。
人間は、完全で不滅の宇宙現実との永続する自己同一化—内住する思考調整者との融合—ができる。同様に、崇高なものは、最初の神格、楽園の三位一体の絶対的安定性に永久に依存する。
楽園の完全性のための人間の衝動、つまり神-到達のための人間の努力は、不滅の魂の進化によってのみ解決可能な生きている宇宙において本物の神格緊張を引き起こす。これが、一必滅創造物の経験において起こることである。しかし、壮大な宇宙のすべての被創造物とすべての創造者が、神-到達と神性-完成のために同様に努力するとき、万物の進化している神、つまり崇高なるものの精霊の人格との全能の力の崇高な統合においてのみ解決を見い出せる深遠な宇宙の緊張が、構築されている。
[ユランチアに一時的に滞在する強力な使者による後援]
我々が宇宙のいかなる持ち場でその存在を送ろうとも、神の意志をするという程度にまで、崇高なものの全能の可能性は、その程度にまで、もう一歩現実的になる。神の意志は、3絶対者に可能性を秘め、永遠なる息子に人格化され、宇宙の活動のために無限の精霊に結合され、そして楽園の永続する型に永遠化されているように、第一根源と中枢の目的である。そして、神崇高な神は、神の全意志の最も高い有限顕現になっている。
すべての壮大な宇宙人達が、神の意志の完全な生活を相対的に達成するならば、そこで、時-空間の創造は、光と生命に落ち着き、次には全能者が、つまり崇高性の神性の可能性が、崇高な神の神性人格の出現で事実になるであろうに。
進化する心が、宇宙心の回路に調和するようになるとき、進化する宇宙が、中央宇宙の型に従って安定するようになるとき、前進する精霊が、主たる精霊の結合した奉仕活動に接触するとき、上昇する人間の人格が、内住する調整者の神性の先導に最終的に調子を合わせるとき、それから崇高なものの現実性は、宇宙においてもう1度現実となった。そのとき、崇高性の神性は、宇宙実現に向かってもう一歩前進した。
壮大な宇宙の部分と個人は、崇高なものの進化すべての反射として進化し、一方、崇高なものは、壮大な宇宙の全進化の総合的累計である。人間の観点からは、双方が、進化的、かつ経験的相互作用である。
崇高なものは、物理的調和の美、知的な意味の真実、精霊的価値の善である。崇高なものは、真の成功の甘味と永遠と続く達成の喜びである。崇高なものは、壮大な宇宙の大霊、有限宇宙の意識、有限現実の完成、そして創造者-被創造者の経験の人格化である。全将来の永遠を通して崇高な神は、神格の三位一体関係における意志の経験の現実を表明するであろう。
神は、崇高な創造者の人々において、父の探求においてそこに上昇することができる楽園-到達能力をもつ創造物をそこで創造し、進化させるために楽園から時空間の領域へ降りてきた。神を顕示する降下する創造物の宇宙行列と神を探す上昇創造物は、崇高なものの神格進化の天啓であり、降下者と上昇者の双方は、理解の相互関係性、永遠の、宇宙の兄弟愛の発見を成し遂げる。崇高なるものは、こうして、完全な創造者の因由と完成する被創造者の反応の経験の有限的統合になる。
壮大な宇宙は、完全な統一の可能性を含み、そして、常にそれを求めており、これは、この宇宙存在が、絶対の統一性である楽園の三位一体の創造的な行為と力の委任から生じる。有限宇宙を眺めるにあたり、他ならぬこの三位一体の統一は、宇宙が三位一体の同一化の最大の段階に到達するとき、崇高なもののの現実がますます明らかになる彼において表される。
創造者の意志と被創造者の意志は、質的に異なるものの、創造者と被創造者は、宇宙の完全性達成において協働できるがゆえに経験的にも似通っている。人は、神と連係して働くことができ、その結果、永遠の終局者の共同創造をすることができる。神は、自分の息子の肉体化における人間性としてさえ働くことができる。その結果、息子たちは、生物経験の崇高性を達成する。
崇高なるものにおいて、創造者と被創造者は、その意志が1神性人格を表現している1神格で結ばれている。そして、ちょうどネバドンの主たる息子の最高意志が、現在、神格と人間性の意志の組み合わせ以上の何かであるように、崇高なもののこの意志は、被創造者、もしくは創造者のいずれかの意志以上の何かである。楽園の完全性と時空間経験の結合は、現実の神格段階の新しい意味の価値をもたらす。
崇高なものの進化する神性の本質は、壮大な宇宙における全被創造者と全創造者の無比の経験の忠実な描写になる。崇高なものにおいて、創造性と被創造性が一体となってある。かれらは、完全さの探求と不完全さの足枷からの解放において永遠の経路を追求するにつれ、すべての有限創造をにつきまとう多様々な問題解決に付帯する変化からくるその経験により、永遠に結合される。
真、美、善は、精霊の奉仕活動、楽園の壮大さ、息子の慈悲、そして崇高なものの経験において相互に関係する。神格のこれらの概念は、概念的経験における有限最大限を意味するがゆえに、崇高なる神は、真、美、善である。神格のこれらの三位一体の特質の不変の源は超有限段階にあるが、創造物は、超-真実、超-美、超-善としてのそのような源を思いつくことができるに過ぎない。
1創造者であるマイケルは、地上の我が子のために創造者の神性愛を明らかにした。そして人は、この神性の愛情に気づき、受け入れ、生身のかれらの同胞にこの愛をしめすことを切望できる。そのような創造物の愛情は、崇高なものに対する愛の本物の反映である。
崇高なものは、釣り合いよく包括的である。第一根源と中枢は、すばらしい3絶対者に可能であり、つまり楽園において、息子において、精霊において現実である。しかし、崇高なものは、現実でもあり、また可能性でもある、つまり人格の崇高性と全能の力の存在であり、被創造者の努力と創造者の目的に等しく反応的である。宇宙への自主行動と宇宙全体への自己反応的であり、そして同時に、最高の創造者と最高の被創造者である。崇高なものは、現実でもあり、また可能性でもある。崇高性の神格は、全ての有限体の全体をこのように表現している。
崇高なものは時間における神である。時間における創造物の成長の秘密は、崇高なものに属する。また、不完全な現在の克服と完成しつつある未来の成就もまた崇高なものに属する。そして、すべての有限成長の最終的果実は、人格の統一的、創造的臨場の力で精霊による心を介しての制御される力である。すべてのこの成長の頂点到達の結果は、崇高なるものである。
人間にとって、存在は成長に相当する。そして、それは本当に、より大きい宇宙の意味においてでさえ、精霊主導の存在のためであることが、経験的成長—地位の昇格—をもたらすらようである。しかしながら、我々は、現在の宇宙時代に生物存在を特徴づける現在の成長が崇高なものの機能であるということを長い間、保持してきた。我々は、この種類の成長が崇高なものの成長の時代に特有であり、それが崇高なものの成長の完成に終わるであろうということを等しく考えるする。
創造物-三位一体化の息子の地位を考慮しなさい。かれらは、現宇宙時代に生まれ暮らしている。心と精霊の授与とともに彼らには、人格がある。彼らには経験とその記憶があるが、上昇者のようには成長しない。これらの創造物-三位一体化の息子は、現在の宇宙時代にいるが、本当は次の宇宙時代—崇高なものの成長の完成に続く時代—にいるということが、我々の信念と理解である。それゆえに、かれらは、不完全さとそれに伴う成長のかれの現状に関して崇高なものの中にはいない。このように、彼らは、現在の宇宙時代の成長には不参加であり、次の宇宙時代に向けての予備に控えている。
三位一体に抱かれている私自身の系列は、つまり強力な使者達は、現在の宇宙時代の成長には不参加である。ある意味では、我々は、実際に三位一体の駐留の息子のように前の宇宙時代の状態にある。1つのことが確かである。我々の状態は、三位一体の抱擁により固定されており、成長は、もはや経験によってもたらされない。
これは、終局者にも、崇高なものの成長過程の関係者であるいかなる他の進化的、かつ経験的系列にも当てはまらない。楽園到達と終局者の地位を切望するかもしれないユランチアに現在生活するあなた方必滅者は、あなたが崇高なものにあり、また崇高なものに属しており、それゆえ崇高なものの成長周期の関係者であるということを、そのような将来の目標はただ実現可能であるということを理解しなければならない。
崇高なものの成長には、いつか終わりが来るであろう。崇高なものの状態は、完成(エネルギー-精霊の意味における)を実現するであろう。また、崇高なものの進化のこの終端は、崇高性の一部として創造物進化の結末もまた示すであろう。どういった成長が外部空間宇宙を特徴づけるのか、我々は知らない。しかし、それが、7超宇宙の進化の現代に見られる何かとは非常に異なるものであると、我々は強く確信している。それは、疑う余地なく、外部-空間者に崇高性の成長のこの奪取を補償するための壮大な宇宙の進化的公民の機能になるであろう。
崇高なるものは、現宇宙時代の完成に際し実存するように、壮大な宇宙の経験の主権者として機能するであろう。外部-空間者—次の宇宙時代の公民—は、後超宇宙の成長の可能性、つまり全能の崇高なものの主権を前提とする進化的到達のための能力を持つであろう。したがって、現在の宇宙時代の力-人格統合への創造物参加を除く。
したがって、それが、現在の宇宙の生物-創造の進化の成長を可能にするので、崇高なものの不完全さは美徳と考えられているかもしれない。空虚には、経験的に満たされ得るのでその美徳がある。
有限の哲学において最も好奇心をそそる問題の1つが、これである。崇高なるものは、壮大な宇宙の進化に対応して実現するのか、または、この有限の宇宙は、崇高なもののゆるやかな実現化に対応して次第に進化するのか。もしくは、自らの進化のために相互に依存しているということ、各々が他方の成長の口火を切り、進化の互恵にあるということが可能であるのか。次の事に関して我々は確信している。創造物と宇宙、上と下は、崇高なるものの中で進化しており、またかれらは、進化して、この宇宙時代のすべての有限活動の統一された全体に現れている。そして、すべての人格にとっての崇高な神格の全能の力の発展は、崇高なるものの出現である。
崇高なるもの、崇高な神、全能の崇高なものとさまざまに呼ばれる宇宙の現実は、登場しつつあるすべての有限現実の局面の複雑で普遍的統合である。永遠のエネルギー、神性の精霊、そして宇宙の心の広範囲の多様化は、有限の最大の成就の神格段階において自己実現をしたすべての有限成長の全体である崇高なものの進化において有限の頂点に到達する。
崇高なものは、時間の世界の素晴らしい人格の劇、心の調停を介してのエネルギー-物質の精霊征服の劇が、起こる空間の銀河の全景に結晶化する3名組の創造的な無限がそれを介して流れる神性回路である。。
イエス曰く、「私は生ける道である」と。イエスは、実に自己意識の物質的段階から神-意識の精霊の段階への生ける道である。また、ちょうどイエスが自身から神への上昇のこの生ける道であるように、崇高な者は、有限意識から意識の超越への、準絶対性の洞察にさえ向かう生ける道である。
この宇宙進行軌道の縦断の満足感を個人的に経験したのであるから、あなたの創造者の息子は、実際に人間性から神性への、ヨシュア・ベン・ヨセフ、つまり人の息子の本物の人間性から無限の神の息子ネバドンのマイケルの楽園の神格への、実際にそのような生きている回路になることができる。同様に、崇高なるものは、有限の限界の超越への宇宙接近として機能することができる、というのも、かれは、全創造物の進化、進行、精霊化の実際の具象化であり個人の典型的な例であるがゆえに。楽園から降下する人格の壮大で素晴らしい宇宙経験でさえ、時間の巡礼者の上昇経験の全体に補完的である崇高なるものの経験のその部分である。
必滅の人間は、類似的以上に神をひな型にして作られている。物理的見地から、この表明はほとんど正しくないが、特定の宇宙の可能性に関しては、それは事実である。進化の到達の同じ劇の何かが、人類において起こるように、宇宙の宇宙の中においてさらに大規模に展開しているのである。人は、意志の人格は、調整者と、つまり無人格の実体と連結して、崇高なものの有限的可能性の前で創造的になり、その結果は不滅の魂の開花である。宇宙における時間と空間の創造者の人格は、楽園の三位一体の無個人的な精霊との連結で機能し、それによって神格現実の新しい力の可能性を生み出すようになる。
創造物である必滅の人間は、神格である崇高なるものにそっくりではないが、人間の進化は、いくつかの点で崇高なものの成長に類似している。人は物質から自身の決意の固さ、力、固執により精霊的なものに向け意識的に成長する。また、思考調整者が精霊の段階からモロンチア魂の段階に届くための新方法を見いだすにつれて、かれも成長する。そして、いったん魂が生まれると、それはそういうものとして成長し始める。
これは、いくらか崇高なるものが拡充する様式に似ている。その主権は、崇高な創造者の人格の行為と業績の内と外で発展する。それは、壮大な宇宙の支配者としてのかれの力の威厳の進化である。かれの神格の本質は、楽園三位一体の存在前の統一に同様に依存している。しかし、崇高な神の進化にはさらに別の局面がある。かれは、単に創造者によって進化し、三位一体から来たのではない。自己進化と自己起源でもある。崇高な神自身は、自分自身の神性実現の意志をもつ創造的な参加者である。人間のモロンチア魂は、同様にそれ自身の不滅化の意志の、共同創造的な共同者である。
父は、楽園のエネルギーの操作にあたり、またこれを崇高なものに対して反応をする結合活動者と協働する。父は、やがて崇高なものの主権に達する創造者の人格の産出において永遠なる息子と協力して働く。父は、崇高なものの完成された進化がその主権を担う資格を得るそのような時まで壮大な宇宙の支配者として機能するための三位一体人格の創造において息子と精霊とともに働く。父は、崇高なものの進化の促進においてこれらの、また他の多くの方法において神格と無神格の同格者と協調するが、かれも、これらの問題で単独で機能する。そしてかれの単独機能は、思考調整者とその関係する実体の奉仕活動で最も良く明らかにされるであろう。
神格は、三位一体においては統一的で実存的であり、崇高なものにおいては経験的であり、また死すべき者においては調整者の融合において創造物に実現化されている。必滅の人間への思考調整者の臨場は、宇宙の不可欠の統一を明らかにする。なぜなら、宇宙人格の最も低い可能性のある型である人間は、自分の中で最も高く、永遠の現実の、つまりすべての人格の最初の父さえの、実際の断片を含んでいるのであるから。
崇高なるものは、楽園の三位一体との連結により、その上その三位一体の創造者と行政者の子供の神格の活躍の結果において進化する。人の不滅の魂は、楽園の父の神性臨場との関連により、また、人間の心の人格決定に従いそれ自身の永遠の目標を展開させる。崇高な神にとり三位一体に当たるものが、進化する人にとっての調整者である。
現在の宇宙時代において、時間と空間の創造的媒体が、活動の有限的可能性が使い果たさしてしまうそのような場合を除き、崇高なるものは、創造者としては直接には機能できないらしい。宇宙歴史上これまでのところ一度を除き、これは起こったことがない。宇宙反射の問題に関する有限の活動の可能性が、消耗してしまうと、その時、崇高なものの機能は、すべての先行する創造者の活動の創造的な頂点を究めるものとして機能をしたのである。我々は、先行する創造者性が、創造的活動の適切な周期を完了したときはいつでも、崇高なるものが、今後長年頂点を究めるものとして再び機能すると信じている。
崇高なるものは、人間を創造はしなかったが、人間は、文字通り崇高なものの可能性から創出されたし、まさにその生命はそこに基づいていたのであった。崇高なるものは、人を進化させもしない。それでも、崇高なものは、自身の進化の本質そのものである。有限の見地から我々は、崇高なものの内在の中に実は生き、動き、本質を有している。
崇高なものは、明らかに最初の原因を開始することはできないが、すべての宇宙の成長触媒であるらしく、一見したところ、すべての経験的-進化的存在体の目標に関しては全体性の頂点を提供する運命にあるらしい。父は有限宇宙の概念をもたらす。創造者の息子は、時間と空間においてこの考えを創造の精霊の同意と協力で事実化する。崇高なものは、完全な有限性を頂点に至らせ、準絶対の目標とのその関係を樹立する。
状態の完全性と存在体の神格のための生物創造の絶え間ない闘いを見るにつれ、我々は、これらの果てしない努力が、神の自己実現のための崇高なものの絶えない闘いを表すと信じざるを得ない。崇高な神は、有限の神格であり、その言葉の完全な意味における有限性の問題に対処しなければならない。空間の進化における時間の変化との我々の闘いは、可能性の最も外側の境界へと広がりつつある進化的本質である活動球体の中での自己の現実と主権の完成を成し遂げるその努力の反映である。
壮大な宇宙全体に渡り、崇高なものは、表現のために奮闘する。かれの神性の進化は、幾分か存在するあらゆる人格の知恵-働きに基づいている。人間が永遠の生存を選ぶとき、かれは、将来の目標を共同創作している。そして、有限の神は、この上昇する人間の人生において人格自己実現の増大された程度と経験の主権の拡大を見つける。しかし、生物が、永遠の経歴を拒絶するならば、この生物の選択に依存した崇高なもののその部分は、避けられない遅れ、つまり代わりの、または対応する経験によって埋め合わせられなければならない剥奪を経験する。非生存者の人格について言えば、それは、創造の大霊に吸収され、崇高なものの神格の一部になる。
神は、保護と自己実現のために人間の手にさえ自分の神性部分を与えるほどに信じ、愛情に満ちている。父の本質、つまり調整者の臨場は、死すべき者の選択のいかんを問わず不滅である。そのような心得違いをしている自己統一の可能性を秘める人格は、崇高性の神格の要素として持続しているにもかかわらず、崇高なものの子は、すなわち進化している自己は滅ぼされ得る。
人間の人格は、生物の個体性を本当に破壊することができ、そのような宇宙的自殺の人生において価値のあったすべては存続するものの、これらの特色は、個々の生物としては持続しないであろう。宇宙の創造物の中に、崇高なものは、決してその特定の人物としてではなく、表現を再び見つける。非上昇者の独特の人格は、1滴の水が海に戻るように崇高なものに戻って行く。
有限の人格部分のいかなる単独活動も、崇高全体性の最終的登場にとっては比較的無関係ではあるが、それでもなお全体は、様々な部分の総体的行為に依存している。個々の人間の人格は、崇高性の全体に直面する際は微々たるものであるが、それぞれの人間の人格は、有限の置き換えられない意味-価値を表す。一度表現された人格は、その生ける人格の継続的存在を除き、決して同一の表現を再度見つけることはない。
そのようにして、我々が自己表現のために努力するとき、崇高なものは、神格表現のために我々の中で、そして我々と共に努力している。我々が父を見つけるとき、崇高なものも、万物の楽園の創造者を再度見つけた。我々が、自己実現の問題を克服するように、経験の神も、時間と空間の宇宙において全能の崇高性を達成するのである。
人類は宇宙において苦もなく上昇することはなく、崇高なものも意図的、かつ知的活動なくしては進化しない。創造物は、単なる受動性によって完全性には達しないし、崇高性の精霊も有限創造への絶えない奉仕活動なくして全能者の力を具体化できない。
崇高なものとの人の一時的関係は、宇宙道徳、つまり義務への宇宙的感性、それに義務の受理である。これは、相対的な善と悪に対する世俗感覚を超える道徳である。それは、経験の神格に対する経験的義務の自己意識をする創造物の認識に直接に基づく道徳である。必滅の人間と他のすべての有限の創造物は、崇高なもののもつエネルギー、心、精霊の生きた可能性から創造される。調整者-人間の上昇者は、終局者の不滅かつ神性の品性の創造のために崇高なものを元手とする。調整者が、人間の意志の同意で、神の上昇する息子の永遠の本質の型を編むのは、崇高なもののまさしくその現実からである。
人間の人格の精霊化と永遠化における調整者の向上の進化は、直接に崇高なものの主権の拡大を生み出す。人間の進化におけるそのような業績は、同時に、崇高なものの進化の実現における業績である。創造物は、崇高なものなくしては進化できないということは真実であるが、崇高なものの進化は、全創造物の完成された進化から独立しては決して完全に達することができないということもまた、おそらく本当であろう。ここに自己を意識する人格の重大な宇宙責任がある。その崇高な神格は、ある意味で、人間の意志の選択しだいである。また、創造物の進化と崇高なものの相互の進行は、宇宙反射力の計り知れない仕組みについて日の老いたる者に忠実に、そして完全に示される。
必滅の人間に与えられてきた大きな挑戦はこれである。あなたは、宇宙の経験可能な価値の意味を自分自身の進化している自己性に人格化すると決めるであろうか。あるいは、生存を拒絶することにより、あなたは、有限の神の進化への創造物の貢献をいつかまた自分の方法で試みる他の生きものの活動を待ち受けている休眠状態の崇高性のこれらの秘密を許すであろうか。しかし、それはあなたのものではなく、崇高なものに対する貢献になるであろう。
この宇宙時代の大きな闘い—そのすべてによる実現のための追求は、まだ表現されていない—は、可能性と現実性の間にある。必滅の人間が、楽園の冒険を続けるならば、かれは、時間の動きについて行き、そしてそれは、永遠の流れの中の流水のように流れる。必滅の人間が永遠の経歴を拒絶するならば、かれは、有限宇宙における出来事の流れに逆らって動いている。機械的な創造は、楽園の父の展開する目的に従って厳然と進むが、意志の創造は、永遠の冒険への人格参加の役割を受け入れるか、または拒絶する選択がある。必滅の人間は、人間存在の最高価値を破壊することはできないが、かれは、自身の個人の経験においてこれらの価値の進化をじつに確かに防止することはできる。人間の自己は、こうして楽園上昇に参加することを拒否するという程度まで、まさしくその程度にまで、崇高なものは壮大な宇宙での神性表現の達成において遅れるのである。
人間を保つことに、楽園の父の調整者の臨場のみならず、崇高なものの未来に属する極小片の将来の目標の支配力もまた、必滅の人間に与えられてきた。なぜなら、人が、人間の将来の目標に達する時、同じく崇高なものは、神格段階の将来の目標を達成するからである。
こうして、それが、かつて我々各人を待ち受けたように、決定が、あなた方各人を待ち受ける。有限の心の決定にそれほどまでに依存している時間の神を、あなたは失望させるのであろうか。動物的な後退の怠惰さにより宇宙の崇高な人格を失望させるのであろうか。あなたは、各々の創造物にそれ程までに依存しているすべての創造物は、偉大な兄弟を失望させるのであろうか。宇宙経歴—楽園の父の神性発見と崇高性の神の追求への、崇高性の神の進化における神性の参加—の魅惑的な展望があなたの前に横たわるとき、あなたは自分自身が、まだ実現されていないものの領域に移ることを許すことができるのか。
神の贈り物—現実の神の贈与—は、神自身からの分離ではない。神は、創造を自から遠ざけはしないが、楽園を旋回する創造においては緊張を設定した。神は、まず人を慈しみ、不死の可能性—永遠の現実—を与える。そして、人が神を愛するように、人は実際には永遠になる。そして神秘はここにある。人が愛を通してより密接に神に近づけば近づくほど、その人の現実—現実性—は、 より大きい。人が神から引き下がれば引き下がるほど、かれは、ますます非現実—存在の停止—に接近する。人がその意志を父の意志を為すことに奉げるとき、持てるすべてを神に与えるとき、そこで、神は、人をいま以上にこしらえるのである。
偉大な崇高なものは、壮大な宇宙の宇宙大霊である。彼において宇宙の質と量は、その神格の反映を見つけるのである。崇高なものの神格の本質は、進化する宇宙を通してすべての創造物-創造者の本質の巨大さ全体モザイク合成物である。そして、崇高なものは、進化する宇宙の目的を包含する創造的な意志を表している現実化する神格でもある。
有限の知的、潜在的に個人である自己は、第三根源と中枢から現れ、崇高なものにおいて有限の時空間の神格統合を成し遂げる。創造者の意志に従うとき、創造物は、その人格を埋もれさせたり、明け渡したりしない。有限の神の実現化における個々の人格参加者は、そのように機能することでそれぞれの意志の個性を失うことはない。むしろ神格のこの大冒険への参加により次第に増大されるような人格である。人は、神格とのそのような統一によりその進化する自己を至高のまさにその敷居へと高め、豊かにし、精霊化し、統一する。
人の進化している不滅の魂、物質の心と調整者の共同創造は、そのように楽園に昇り、その後、終局性の部隊に召集されると、終局者の超越として知られている経験方法により永遠なる息子の精霊-重力回路と何らかの新方法で提携するようになる。そのような終局者は、このように崇高の神の人格として経験的認識の条件に適う候補者になる。そして、終局者の部隊の明かされていない将来の課題におけるこれらの人間の知力が精霊存在体の7段階目に達するとき、そのような二元的な心は、三位一体になるであろう。これらの2つの調和する心、人間と神性は、その時の実現化された崇高なるものの経験の心と一体となり賛美されるようになるであろう。
ちょうど宇宙なる父が、イエスの地球の人生において明らかにされたように、永遠の未来において、崇高な神は、上昇する人間の精霊化された心、つまり不滅の魂において実現化される—創造的に表現され、精霊的に描写される—であろう。
人は、崇高なものと結合したり、自己の人格の自己性を埋もれさせたりはしないが、すべての人の経験からくる宇宙の影響は、このように、崇高なものの神性経験をする一部を形成する。「行為は我々のもの、結果は神のものである。」
それが、宇宙の上昇段階を通り抜ける間、進歩している人格は、実現化された現実の跡を残す。心、精霊、またはエネルギーであることにかかわらず、時間と空間の拡大する創造は、それらの領域で人格の進行によって変更される。人が行動するとき崇高なものは反応するし、またこのやりとりは、進行事実を構成する。
エネルギー、心、精霊の大回路は、決して上昇する人格の永久的所有物ではない。これらの奉仕活動は、永遠に崇高性の一部のままである。人間の経験において、人間の知力は、補佐の心-精霊の律動的な脈動の中に住まい、この奉仕活動の回路接続により生産される活動舞台の中でその決定に作用する。免れぬ死に際し、人間の自己は、補佐回路と永久的に分離される。これらの補佐は、決して1つの人格から別の人格までの経験を伝えているようには見えないが、七重の神から崇高な神に決定-活動の無個人的な影響を伝えることができるし、そうする。(少なくとも、これは崇拝と知恵の補佐に当てはまる。)
したがって、精霊の回路の場合もそうである。人は宇宙における自身の上昇においてこれを利用するが、自身の永遠の人格の一部としては決してそれを所有していない。しかし、精霊の奉仕活動のこれらの回路は、真実の精霊、聖霊、または精霊の超宇宙臨場にかかわらず、上昇する人格に現れつつある価値に対し受容性があり、反応しており、またこれらの価値は、七重者を経て崇高なものに忠実に伝えられる。
聖霊と真実の精霊のような精霊的影響は、地方宇宙の奉仕活動あるが、それらの指導は、特定の局部的創造の地理的制限にまったく限定されない。自身の起源の地方宇宙の境界を通り越すとき、上昇する人間は、物質とモロンチアの世界の哲学的迷宮をそれほどまでに止むことなく教え誘導してきており、上昇のあらゆる危機に際し、「これが道である。」とずっと言い、楽園の巡礼者をつねに案内してきた真実の精霊の奉仕活動を完全に奪われるという訳ではない。あなたが、登場しつつある崇高なるものの精霊の奉仕活動を通して地方宇宙の領域を去るとき、また、超宇宙反射の準備により、あなたは、まだ神の楽園の贈与の息子の元気づける指示的な精霊に楽園上昇において誘導されていることであろう。
いかにして宇宙奉仕活動のこれらの様々な回路は、進化的経験の意味、価値、および事実を崇高なものに印象づけるのか。我々は、必ずしも確かではないが、時間と空間のこれらの回路の即座の贈与者である楽園起源の崇高な創造者を通して、この印象づけが起こると信じる。知力の物理的段階へのそれらの奉仕活動において、7名の補佐の心-精霊の心-経験の集積は、神性聖職者の地方宇宙経験の一部であり、この創造の精霊を通して、かれらは、おそらく崇高性の心に登録を見い出すであろう。同様に、真実の精霊と聖霊との人間の経験は、おそらく同様の方法により崇高性の人格に登録されるであろう。
人と調整者の経験でさえ崇高な神の神格における反響を見つけなければならない。なぜならば、調整者が経験するとき、かれらは崇高なものに似ており、必滅の人間の進化している魂は、崇高なものの中でそのような経験の潜在的な可能性から創造されるのである。
この様に全創造の種々の経験は、崇高性の進化の一部になる。創造物は父に向けての上昇につれ単に有限の質と量を利用するだけである。そのような利用の無人格的な結果は、活発な宇宙、つまり崇高な人格の一部分のままである。
人自身が個人財産として共に携えて行くものは、楽園上昇における壮大な宇宙の心と精霊の回路を用いた経験からの個性の結果である。人が決めるとき、そして活動中にこの決定を極点まで高めるとき、人は経験し、またこの経験の意味と価値は、有限から最終までの全段階における自分の永遠の性格の一部である。宇宙的規模での道徳的かつ神性的な精霊の性格は、真剣な崇拝に照らされ、知的な愛に賛美され、兄弟らしい奉仕において達成される人格決定からくる創造物の資本蓄積を意味する。
進化している崇高なものは、宇宙の中の宇宙との限られた経験接触より多くのものを成し遂げるために、最後には有限創造物のいつでも無能さを補うであろう。創造物は、楽園の父に至ることはできるが、進化する心は、有限であるが故に、無限の、そして絶対の父を本当に理解することはできない。だが、全創造物は、崇高なものを経験し、また崇高なものの一部分であるが故に、全創造物が、最終段階の有限存在に達し、全宇宙開発が実際の神性臨場としてそれらの崇高な神の到達を可能にした後、それ故、総合経験との接触は、そのような接触の事実に含まれる。時間の有限は、それ自体の中に永遠の種子を包含している。そして、我々は、進化の充実が宇宙成長の能力の疲労困憊を経験するとき、完全な有限は、究極なるものとして父の探索において永遠の経歴の準絶対の局面に乗り出すということを教えられる。
我々は宇宙に崇高なものを探し求めるが、探し出せない。「動き静止するあの方は、万物の内外におられる。神秘に包まれ見分けのつかないあの方は、遠方に、しかも近くにおられる。」全能の崇高なものは、「未だ形をなさない形のもの、未だ創造されていない形」である。崇高なものは、あなたの宇宙の家庭であり、あなたがかれを見つけるとき、それは家に帰るようなものであろう。崇高なものはあなたの経験の親であり、人間の経験の場合のように、神性の親の経験において成長した。全能の崇高なものは、創造者のようであるように創造物のようであるのであなたを知っている。
あなたが、神を見つけることを本当に望むならば、崇高なものの意識を心に留めおかずにはいられないはずである。神があなたの神性の父であるように、崇高なものはあなたの神性の母であり、あなたはその母の中で宇宙の創造物として一生を通じて養育される。「崇高なものはなんと普遍的であることか—四方八方におられる。創造の無限の事象は、一生崇高なものの臨場を頼みとしており、なにも拒否はされない。」
ネバドンにとりマイケルに当たるものが、有限の宇宙にとっての崇高なものである。崇高なものの神格は、父の愛が全創造物に外に向きに注ぎ出る重要な大通りであり、愛である父への探索において有限の創造物が内部に向け通って行く重要な大通りである。思考調整者は、崇高なものと関係がある。原本質と神格において思考調整者は、父に似ているが、空間宇宙における時間の相互作用を経験するとき、思考調整者は、崇高なもののようになる。
創造物が創造者の意志をするほうを選ぶ行為は、宇宙的価値であり、調和の明かされていないが、遍在する力、おそらく崇高なるものの絶えず拡大する活動機能によって直ちに反応を受ける宇宙的意味を持っている。
進化している人間のモロンチア魂は、実際には宇宙なる父の調整者の活動の息子と崇高なるもの、つまり宇宙なる母の宇宙的反応の子供である。母の影響は、発達する魂の地方宇宙の幼年期に渡り人間の人格を支配する。神格の両親の影響は、調整者融合の後と超宇宙経歴の間、より等しくなるものの、時間の創造物が、永遠の中央宇宙を通過し始めると、父の本質は、ますます明らかになり、宇宙なる父の認識と終局者の部隊への入隊と同時にその山場に達する。
終局者到達の経験において、またそれを通して、上昇する自己の経験の母の特質は、永遠なる息子の精霊臨場と無限の精霊の心の臨場との接触と注入に大いに影響を受けるようになる。そして、壮大な宇宙における終局者の活動領域にわたり、崇高なものの潜在的な母性の可能性の新しい目覚め、経験上の意味の新しい認識と上昇経歴全体の経験上の価値の新統合が現れる。崇高なものの母の継承が、父の調整者の継承との有限の共時性に達するまで、自己のこの実現は、第6段階の終局者の宇宙経歴に続くようである。壮大な宇宙機能のこの興味をそそる期間は、上昇し完成された人間の継続的な成人の経歴を意味する。
第6段階の存在体の完成に際し、また第7の最終段階への精霊の地位の入場に際し、豊かにする経験、熟する知恵、また神格実現の前進する時代が、おそらく起こるであろう。終局者の本質において、これは、精霊の自己実現、つまり有限の可能性の限界内での上昇する人間-本質と神性の調整者-本質との連携完成のための心の争いの完全達成におそらく等しいであろう。そのような素晴らしい宇宙自己は、創造された、創造中の、あるいは進化中の万物の有限者の行政に関するいかなる活動もしくは仕事における宇宙と人格の父母の両者を代表する資格をもつ宇宙自己は、こうして、母なる崇高なものの永遠の宇宙の子供はもとより楽園の父の終局者の永遠の息子になる。
魂を発展させている人間すべてが、文字通り父たる神と崇高なるものである母たる神の進化する息子である。しかし、必滅の人間が、神性遺産の魂を意識するようになるそのような時まで、神格の親類関係のこの保証は、実現される信仰でなければならない。人間の人生経験は、崇高なるものの宇宙贈与と宇宙なる父の宇宙臨場(そのいずれも人格ではない)が、時間のモロンチア魂と宇宙の目標と永遠の奉仕の人間-神性終局者の性格を進化させている宇宙の繭である。
人間は、神が人間の存在において最も素晴らしい経験であるということをあまりにも頻繁に忘れる。他の経験は、その本質と内容に制限されるが、神の経験は、創造物の理解能力の制限は別として、何の制限もなく、他ならないこの経験それ自体が、能力を拡大している。を捜し求めるとき、人はすべてを捜し求めているのである。神を見つけるとき、人はすべてを見つけたのである。神の探究は、贈与されるための新たで、 よりすばらしい愛の驚くべき発見を伴う惜しみない愛の贈与である。
すべての真の愛は神からであり、自身が仲間にこの愛を与えるとき人は神の愛情を受けている。愛は動的である。それは決して捕らえられない。それは生き生きとしており、自由であり、感動的であり、つねに動いている。人は、決して父の愛を占領したり、心の中にそれを閉じ込めたりはできない。かれが、次にはこの愛を仲間に贈与するときにその人間の人格を通過することによってのみ、父の愛は、必滅者にとって真実になり得る。愛の大回路は、父から息子を経て兄弟へと、そこから崇高なものへと至る。父の愛は、内住する調整者の奉仕活動により人間の人格に現れる。そのような神を知る息子は、宇宙の同胞にこの愛を顕にし、然も、この兄弟愛は、崇高なものの愛の本質である。
経験を通す以外に崇高なものへの接近はなく、現在の創造時代においては崇高性への創造物の接近は3通りしかない。
楽園の公民は、永遠の小島からハヴォーナへ降下し、そこで楽園-ハヴォーナ現実の差異の観察を通して、それに、主たる精霊から創造者の息子におよぶ崇高な創造者の人格の多様な活動についての探索発見により崇高性理解のための能力を修得する。
崇高な創造者の進化する宇宙から上がってくる時空間の上昇者は、楽園の三位一体の統一の増大している認識に備えハヴォーナ通過において崇高なものに接近する。
ハヴォーナ出身者は、楽園からの下降する巡礼者と7超宇宙からの上昇する巡礼者との接触により崇高なものへの理解力を身につける。ハヴォーナ出身者は、本質的には永遠の小島の公民と進化の宇宙の公民の基本的に異なる観点を調和させるため立場にある。
進化する創造物にとり、宇宙なる父に向けての7つの素晴らしい接近手段があり、これらの楽園上昇のそれぞれが、主たる7精霊の1つの神性を通過する。そして、そのような接近の一つ一つは、創造物が、その主たる精霊の本質の超宇宙の反映における奉仕の結果として生じる経験の感受性の拡大により可能になる。これらの7つの経験全体は、崇高な神の現実と現実性についての創造物の意識に関する現在の既知の範囲を構成する。
人が有限の神を見つけることを妨げているのは、人の自身の限界だけではない。それはまた、宇宙の不完全さでもある。全創造物—過去、現在、未来—の不完全ささえ崇高なものを近づき難くする。神類似の神性段階に達したいかなる個人も、父たる神を見つけることができるが、そのはるかに遠くの時までは、すなわち全創造物が、完全性の宇宙規模の達成を通して、同時に崇高な神を見つける時まで、崇高な神は、いかなる1創造物にも人格的には決して発見されないであろう。
あなたが、父、息子、聖霊を見つけることができるように、また、そのうちそうするようには人格的に崇高な神を見つけることができないという事実にもかかわらず、楽園上昇、およびその後の宇宙経歴は、あなたの意識に宇宙存在の認識と全経験の神による宇宙活動を徐々に創造するであろう。人間の経験において崇高なものが実現可能であるという点において精霊の果実は、崇高なものの実体である。
崇高なものの人のそのうちの到達は、楽園神格の精霊との融合の結果として生じる。ユランチア人の場合、この精霊は、宇宙なる父の調整者の臨場である。そして、神秘訓戒者は、父からきており、また父に似てはいるが、我々は、そのような神性の贈り物でさえ、有限創造物に無限の神の本質を明らかにする不可能な課題の達成ができるということを疑う。我々は、調整者が将来の第7段階の終局者に明らかにすることは、崇高な神の神性と本質であろうと推測する。また、絶対存在体にとっての無限の顕示であろうものが有限の創造物にとってのこの顕示であろう。
崇高なものは、無限ではないが、おそらく有限の創造物がいつか本当に理解できる無限のすべてを抱擁している。崇高なものを、またそれを越えて理解するということは有限以上である。
すべての経験的創造は、運命のそれぞれの実現化において互いに依存している。実存的な現実のみが、自己充足的であり自存している。ハヴォーナと7超宇宙は、最大の有限到達を果たすために互いを必要とする。同様に、それらはいつか、有限超越のための外部空間の未来宇宙に依存するであろう。
人間の上昇者は、父を見つけることができる。全宇宙における経験状況にかかわりなく,神は、実存的で、したがって現実である。しかし、一人の上昇者も、すべての上昇者が、同時にこの発見に参加する資格を得るその最大の宇宙円熟度に達してしまうまでは、決して崇高なものを見つけないであろう。
父は分け隔てをしない。かれは、宇宙の個人として上昇する息子達を扱う。崇高なものも同様に分け隔てをしない。経験的な子らを一宇宙総体として扱う。
人は、自分の心に父を発見できるが、他のすべての人の心に崇高なものを捜し求めなければならないであろう。そして、全創造物が、崇高なものの愛を完全に顕示するとき、その時すべての創造物にとっての宇宙現実になる。言い換えると、それは、単に宇宙が光と命の中に定着されるということである。
すべての人格による完成された自己実現への到達と、さらに宇宙全体の完成された均衡への到達は、崇高なのものへの到達に等しく、不完全な存在の限界からすべての有限現実の解放を目撃する。すべての有限の可能性のそのような枯渇は、崇高なものの完成された到達をもたらし、さもなければ、崇高なるもの自身の完成された進化の実現として定義できるかもしれない。
人は、地震が岩石に割れ目を入れるように突然に崇高なものを見つけるのではなく、川が、音もなく土の下をすり減らすように、ゆっくりと、根気よく見つけるのである。
あなたが父を見つけるとき、あなたは、精霊の上昇についての大いなる原因を宇宙で見つけるであろう。崇高なものを見つけるとき、あなたは、楽園進行の経歴の見事な結果を発見するであろう。
しかし宇宙の旅において神を知る人間は誰も、孤独ではあり得ない。なぜならば、かれは、横断しているまさしくその道が崇高なものの存在であるとともに、父が一歩ごとに自分の横を歩いていることを知っているのであるから。
すべての有限可能性の完成された実現は、すべての進化的経験の実現の成就に相当する。これは、宇宙における全能神格の臨場としての崇高なのものの最終的出現を示す。我々は、崇高なものは、この発展段階において、現在の宇宙時代の頂点において、永遠なる息子のように別々に人格化され、楽園の小島のように具体的に力を与えられ、結合活動者のように完全に統一されるであろうと、そしてこの全てが崇高性の有限の可能性の限界内で達成されたということを信じる。
これは崇高なものの未来についての完全に適切な概念であるが、我々は、この概念に固有の一定の問題に注意を向けたい。
1. 崇高なものの無条件の監督者は、完成された進化に先立つどの段階においてもほとんど神格化できなかったが、依然として、これらの同じ監督者は、今なお制限つきで光と命の定着する宇宙に関する崇高性の主権を行使する。
2. 崇高性は、完全な宇宙状態の現実を成し遂げるまでは、三位一体の究極なるものにおいてほとんど機能することができなかったが、三位一体の究極なるものは、今なお限定的現実であり、また、あなたは、究極なるものの条件付きの代理の存在について知らされてきた。
3. 崇高なものは、宇宙創造物にとり完全には実感のあるものではないが、楽園の宇宙なる父から地方宇宙の創造者の息子と創造の精霊までの七重の神格にとっては実に真実であるということを推論する多くの理由がある。
時間が超越された時間と結合する有限の上限において、曖昧で混ざり合う何らかの連続するものがあるかもしれない。崇高なものは、これらの超時間の段階への自らの宇宙臨場を予測し、そしてこの未来の予測される不完全者の親密性として作成された段階へ映し出すことにより今後の進化を限られた度合で予期することができるかもしれない。そのような現象は、すべての永遠を通じ人間の未来宇宙における到達の紛れもない予測である思考調整者による内住の人間の経験の場合のように、有限が超有限と接触するところではどこであろうとも観測されるかもしれない。
楽園の終局者部隊に入隊を認められるとき、人間上昇者は、楽園三位一体に誓いを立て、また忠誠のこの誓いを立てる際、すべての有限創造物の人格が理解しているように三位一体である崇高な神への永遠の信義を誓約する。その後、終局者の仲間が、進化する宇宙全体で機能するとき、地方宇宙における光と命の定着の多事の時まで、かれらは、単に楽園起源の命令に従う義務がある。これらの完成された創造の新政府組織は、崇高なものの新生の主権を反映し始め、我々は、外側の終局者の仲間が、そのような新政府の司法上の権威をそのとき承認するのを観測する。崇高な神が、終局者の進化の部隊の統一者として進化しているように見えるが、究極なる三位一体の一員として崇高なものによりこれらの7部隊の永遠の目標に指示が与えられるということは大いにあり得るのである。
崇高なるものは、宇宙顕現のための超有限の3つの可能性を有する。
1. 最初の経験的三位一体における準絶対提携。
2. 第2次経験的三位一体における絶対関係。
3. 三位一体の三位一体における共同無限の参加、我々には、しかしながら、これが本当に意味することについては満足できる何の概念もない。
これは、崇高なものの未来についての一般に受け入れられた仮説の1つであるが、光と命の状態のその到達の後に、現在の壮大な宇宙に対する崇高なものの関係には多くの推測もある。
超宇宙の現在の目標は、あるがままのように、またそれらの可能性の範囲内でそうなるように、ハヴォーナでさえもそうであるように、完全になることである。この完全性は、物理的達成と精霊的達成に、行政上、政治上、友愛上の進展にさえ、関係がある。それは、来る時代に、不調和、不調整、不適応に向けての可能性が最終的には超宇宙で枯渇すると信じられている。人格の臨場のにおいて、精霊が心の支配を実現する一方で、エネルギー回路は、完全な均衡状態にあり、また心への完全な従属をしているであろう。
このはるかに遠い時代に、崇高なものの精霊人格と全能なるものの達成された力は、調和的発展を遂げるであろうということ、そして崇高な心にあり、しかも崇高な心によって統一されているように、双方が、崇高なるもの、つまり宇宙における成就された現実—全創造物により観測可能になる、全創造物の知性により反応を受ける、すべての精霊の実体に調整される、そしてすべての宇宙人格により経験される現実の崇高なるものとして具体化されるであろう現実—として具体化されるであろう。
この概念は、壮大な宇宙の中の崇高なものの実際の主権を含意する。全体として、現在の三位一体の管理者は、その代理者として継続しそうではあるが、我々は、7超宇宙の間での現在の境界が徐々になくなるであろうと、また壮大なすべての宇宙が、完成された全体として機能するであろうと信じる。
その時、崇高なものは、個人的にはオーヴォントンの本部であるユヴァーサに居住している場合があるかもしれないし、そこから時間の創造の行政を指示するが、これは誠に推測にすぎない。しかしながら、神格臨場の偏在性は、おそらく宇宙の中の宇宙に浸透し続けるであろうが、確かに、崇高なるものの人格は、確実に何らかの特定地域に接触可能になるであろう。我々は、崇高なものにとりその時代の超宇宙公民の関係がどうなるかは知らないが、ハヴォーナ出身者と楽園の三位一体との現在の関係のようなものかもしれない。
未来の時代の完成された壮大な宇宙は、現在あるものからは大いに異なるであろう。空間の銀河組織の緊張をともなう冒険、時間の不確実な世界における命の植え付け、混沌からの調和、可能性からの美、意味からの真実、および価値からの善の発展は、過ぎ去る。時間の宇宙は、有限の将来の目標の実現を達成し終えるであろう。恐らくしばらくの間、休息、すなわち進化する完全性に向けての長年の争いからの緩和があるだろう。しかし、長い間ではない。確かに、確実に、冷酷に、究極の神の現れつつある神格の謎は、ちょうど奮闘している進化の祖先が、かつて崇高な神への探索によって挑戦を受けたように定着した宇宙の完成された公民市民に挑戦するであろう。宇宙の将来の目標の幕は、被創造物経験の究極に明らかにされる新たで、より高い段階で宇宙なる父への到達を追求する魅惑的な準絶対探索の類のない壮大さを明らかにするために開くであろう。
[ユランチアに一時的に滞在している強力な使者による後援]
神のいくつかの本質に関し次の事が言えるかもしれない。
1. 父は自存の自己である。
2.息子は共存の自己である。
3. 精霊は結合存在の自己である
4. 崇高なものは進化的経験の自己である。
5. 七重者は自己分配の神性である。
6. 究極なるものは先験的経験の自己である。
7. 絶対者は実存的経験の自己である。
七重者の神は、崇高なものの進化的到達に不可欠である一方、崇高なものもまた究極なるものの来るべき出現に不可欠である。そして、崇高なものと究極なるものの二重の臨場は、準絶対で派生の神格の基本的な連結を成す、なぜならば、かれらは、将来の目標達成において互いに補足し合う。ともに両者は、主たる宇宙のすべての創造的成長の開始と終了をつなぐ経験の橋を構成する。
創造的成長は、終わりがない、つまり果てしないが、常に満足のいくものであるが、宇宙の成長、宇宙探検と神到達の新冒険への起動準備行為としてとても効果的に役目を果たす一時的目標到達のそれらの人格-満足の瞬間に常に中断される。
数学の領域は、質的限界に悩まされるが、それは、有限の心に無限について熟考する概念うえの基礎を提供する。数には、有限の心の理解力においてさえ量的制限はない。思いつく数がいかに大きくても、あなたはもう一つ加えられる数を常に思い描くことができる。また、あなたは、それが無限には不十分であるということが理解できる。なぜならば、この加算を幾度繰り返そうが、常にさらにもう一つ付け加えることができのであるから。
それと同時に、無限の連続は、いかなる点においてもこの合計(より適切に、小計) は、特定の時と状況における特定の人に目標到達の甘さの豊かさを提供する。しかし、遅かれ早かれこの同じ人は、新たでより大きい目標を渇望し、熱望し始め、また、成長のそのような冒険は、いつまでも、然るべき時と永遠の周期においてずっと現れ続けるであろう。
各連続する宇宙時代は、宇宙成長の次の時代の控の間であり、各宇宙時代は、すべての前の舞台のために直接的目標を提供する。ハヴォーナは、それ自体で、完全だが、完全性を制限された創造である。進化する超宇宙へと外に拡大するハヴォーナの完全性は、宇宙の目標のみならず、進化前の存在の限界から解放をも見い出す。
宇宙との神格の関係についてすべての可能な理解に達することは、人の宇宙への方向付けに役に立つ。絶対的神格は、本質的には永遠であるが、神々は、永遠における経験として時間に関係づけられる。進化する宇宙においては、永遠は、一時的恒久性—永遠に続く現在—である。
必滅の創造物の人格は、父の意志を為す選択をする手段により内住する精霊との自己同一化により永遠化できるかもしれない。意志のそのような奉献は、目的の永遠-現実の実現に等しい。これは、創造物の目的が瞬間の連続に関し固定されたということ、言い替えれば、瞬間の連続は、創造物の目的に何の変化も見ないであろうということを意味する。100万、あるいは10億の瞬間による差は生じない。数字は、創造物の目的に関して意味をもたない。こうして、創造物の選択、さらに神の選択は、神の子らと楽園なる父の永遠の奉仕において神の精霊と人の本質との決して終わることのない統一の永遠の現実に至るのである。
いかなる特定の知性にも成熟度と時間の意識の単位の間に直接的な関係がある。時間の単位は、1日、1年、またはより長い期間であり得るが、必然的に、それは、意識する自己が、生活情況を評価し、また思考している知性が束の間の生活事実を測定し評価する判断基準である。
経験、知恵、判断は、人間の経験において時間の単位の伸張には付きものである。人間の心が過去へと後方に思いを馳せるとき、それは、それを現状に応用する目的のために過去の経験を評価している。心が未来へと手を伸ばすとき、それは、ありうる行動の将来の意味の評価を試みている。こうして経験と知恵の両者を考慮に入れた後、人間は、現在における判断決定を発揮し、過去と未来でこうして生まれる行動計画は、存在へと至る。
発展途上の自己の成熟段階において、過去と未来は、現在の真の意味を照らすために合わせられる。自己が成熟すると、それは、経験のためにより遠く過去へと至り、同時にその知恵の予測は、より深く未知の未来へと入り込もうとする。そして想像している自己が、この範囲をさらに過去と未来の両方に広げるにつれ、判断もまた瞬間的な現在に次第に依存しなくなるのである。このように、決定-行動は、過去と未来の意味の側面を獲得し始める間、動いている現在の足枷から逃れ始めるのである。
時間の単位の短い必滅者は、忍耐というものに悩まされる。真の成熟度は、真の理解から生ずる慎みにより忍耐を超越する。
成熟するようになるということは、より熱烈に現在に生きることであり、同時に現在の限界から逃れることである。過去の経験に基づく成熟の計画は、未来の価値を高めるような方法で現在実現しつつある。
未熟な時間の単位は、現在へではない—過去- 未来—へではないその本当の関係の現在との縁を切るためにそのような方法で意味と価値を現在の瞬間へと集結する。成熟の時間の単位は、自己が出来事全体に関する洞察を獲得し始めるために、均衡化された過去-現在-未来の等位関係を明らかにするために、広げられた地平線の全景展望から時間の風景を見始め、恐らく、始まりのない、終わりのない永遠の連続を、つまり時間と呼ばれる断片を推し測り始める。
無限と絶対の段階における現在の瞬間は、すべての未来のみならずすべての過去をもまた含む。私はあるは、私はいた、それに、私はいるであろうをも意味する。そして、これは永遠性と永遠の我々の最高の概念を意味する。
絶対と永遠の段階において可能な現実は、ちょうど実際の現実と同じほどに意味がある。有限段階上、そして時間に束縛を受ける創造物にだけそのような広大な違いがあるらしい。絶対としての神にとっては、永遠の決定をした上昇する人間は、既に楽園の終局者である。しかし、宇宙なる父は、内住する思考調整者を通して、認識においてこのように限られてはおらず、それどころか、動物のような生活段階から神のような生活段階への創造物上昇の問題に関わるあらゆる俗世の闘いについてまた知ることもできるし、加わることもできる。
神格の偏在が、神性遍在の崇高性と混同されてはならない。崇高なもの、究極なるもの、絶対なるものは、彼の時空の遍在、宇宙の、絶対の臨場との時空間の普遍と時空間超越の遍在を補填し、調和し、統一されるということが、宇宙なる父の意志である。神性の遍在は、あまりにも頻繁に空間に関連づけられるかもしれないが、あなたは、必ずしも時間に条件づけられるという訳ではないということを心すべきである。
人間とモロンチア上昇者としてあなたは、七重の神の奉仕活動を通して次第に神について感知する。ハヴォーナを通してあなたは崇高な神を発見する。楽園においては、あなたは、人格として神を見つけ、次にあなたは終局者として、究極なるものとしての神をやがて知ろうとするであろう。終局者であることは、究極なるものに達した後に追求するわずかに一針路だけがあるらしく、また、それは、絶対なるものの探求を始めるのであろう。最高の、究極の上昇の終わりに父なる神に遭遇したのであるから、どんな終局者も、神格絶対到達の不確実さに妨害されることはないであろう。そのような終局者は、神発見に成功するとしても、同じ神を、より無限に、そして普遍に近い段階に現れる楽園の父を発見していると、疑うことなく信じるであろう。疑いようもなく絶対不変の神への到達は、人格の終局なる父はもとより宇宙の最初の親も明らかにするのであろう。
崇高な神は、神格の時空間遍在の実証ではないかもしれないが、文字通り神の遍在の顕現ではある。創造者の精霊臨場と創造の物質的顕現の間には、至る所での発生—進化する神格の宇宙出現—の広大な領域が存在する。
崇高な神が時間と空間の宇宙の直接支配をずっと担うならば、我々はそのような神格行政は、究極なるものの間接的支配下で機能すると確信している。そのような出来事において、究極の神は、全能の崇高なものの行政機能に関する超時間と超空間の間接的支配をする先験的全能(全知全能)として時間の宇宙に登場し始めるであろう。
人間の心は、ちょうど我々がするように、つぎの質問をするかもしれない。壮大な宇宙の行政権への崇高な神の進化が、究極の神の増大された顕現を伴なうならば、外部空間の仮定的宇宙における究極の神の対応的出現が、同様の、また高められた絶対の神が伴うのであろうか。だが、我々は実際には知らない。
空間は関連する点の体系であるが、時間は瞬間の連続であることから、神格は、遍在のみにより有限概念に時間-空間の顕現を統一することができた。あなたは、結局のところ、分析により時間を、統合により空間を知覚する。あなたは人格の統合洞察によりこれら2つの異なる概念を組み合わせ関連づける。すべての動物世界の中で人だけがこの時-空間の知覚力を所有している。動物にとり動きは、意味を持つが、動きは、人格の地位の創造物だけに価値を示す。
物事は時間に条件づけられるが、真実は時間を超越している。あなたは、真実を知れば知るほどより真実であり、過去を理解することができればできるほどより未来を理解できる。
真実は、揺るがし得ず—すべての一時的な変化から永久に免除されており、決して死んではおらず、正式でありものの、常に活気にあふれ順応性があり—輝くばかりに生き生きとしている。しかし、真実が事実に結びつくようになると、次には、時間も空間もその意味を制約し、その価値を関連づける。事実に結びつけられた真実のそのような現実は、概念となり、結果的に、宇宙の相対的現実の領域にそれに応じて分類される。
有限で一時的創造物の事実に基づく経験との創造者の絶対かつ不朽の真実のつながりは、崇高なものの新たで出現しつつある価値をもたらす。崇高なものの概念は、有限で、変わり続ける下界との神性で、不変の天界の連携に不可欠である。
空間は、すべての非絶対的なものの中で最も絶対に近くなる。空間は明らかに、絶対に究極である。我々が物質段階の空間の理解における本当の難しさは、物体が空間にある一方、空間もまたこれらの同じ物体に存在しているという事実にある。絶対である空間については多くの局面があるが、それは、空間が絶対であると意味する訳ではない。
あなたが、空間は、ある意味では全ての物体の属性であると推測するならば、それは、結局は、空間関係の理解に役立つかもしれない。したがって、肉体が空間を移動するとき、それは、肉体とともにそのすべての属性を、そのような運動体において、またそれ自身の空間さえも運ぶ。
現実のすべての型は物質段階の空間を占めるが、精霊の型は、空間に関連して存在するに過ぎない。それらは、空間を占有せず、置換せず、それを包蔵もしない。しかし我々にとって、空間の主な謎は、一つの考えの型に属する。我々は、心の領域に入るとき、多くの謎に遭遇する。考えの型—現実—は空間を占めるのか。考えの型が空間を含まないと確信してはいるものの、我々には実際には分からない。それにしても、非物質的なものは、常に非空間的であると仮定することが確実とは言いがたい。
神学上の問題と必滅の人間の形而上学の板挟みの多くは、神格の人格についての人の配置の誤りと下位の神格への、そして進化する神格への無限と絶対の属性の結果として生じる課題によるものである。あなたは、本当に真の第一原因があるが、多くの対等かつ従属的原因、すなわち等位の、副次の原因も双方あるということを忘れてはいけない。
第一原因と第二原因間の極めて重要な違いは、第一原因が、いかなる先行原因からのいかなる要素の継承とは無関係である独自の効果をもたらすということである。第二原因は、常に他の先行する原因からの継承を示す影響を与える。
無条件絶対者に固有の純粋に静止した可能性は、楽園三位一体の活動によって生み出される神格絶対のそれらの原因に反応する。宇宙なる絶対者の臨場に際し、これらの原因となる含浸の静的可能性は、変化をもたらすある種の、先験的媒体の影響に、そこから積極的で反応し易くなる。媒体の活動は、発展に向けての真の宇宙の可能性、つまり実現された成長に向けての能力へのこれらの起動された可能性の変化に至る。壮大な宇宙の創造者と支配者が宇宙進化の決して終わらない演劇を成立させるのは、そのような熟した可能性である。
原因は、実存を除き、その基本的構成は三重である。それは、この宇宙時代と7超宇宙の有限段階に関係して作動しているように、次のように考えられるかもしれない。
1. 静止した可能性の起動。無特性絶対者における、また無条件絶対者に、加えて、楽園三位一体の意志の命令に作用する神格絶対の活動による宇宙の絶対における将来の目標の構築。
2. 宇宙能力の実現化。これは隔離され定義された計画への未分化の可能性の変換にかかわる。これは、神格の崇高性と先験的段階の多種多様の媒体の行為である。主たる宇宙全体の将来の必要性を完全に見越してそのような行為がある。それは、主たる宇宙の建築者達は、宇宙の神格概念の紛れもない具体化として存在するという可能性の隔離に関係している。彼らの計画は、最後に主たる宇宙についての概念上の外周により空間的には限られているようであるが、計画としてその他の点では、時間、あるいは空間によって条件づけられてはいない。
3. 宇宙現実の創造と進化。可能性を生産する神格の崇高性の臨場が可能性を創り出すと、を宇宙に用意ができると、崇高な創造者は、経験的現実へ熟した可能性を長期に渡り変化をもたらすために宇宙に働きかける。主たる宇宙の中での可能性のある現実の全実現化は、発展のための究極の能力により制限され、また出現の最終舞台において時空間に条件づけられている。楽園から出向く創造者の息子は、実際には、宇宙的意味合いにおいては変化させる創造者である。しかし、これは決して創造者としての創造者の息子ついての人の概念を無効にするものではない。有限の観点からは、創造者の息子は確かに、創造できるし、そうする。
神格の全能性は、できないことをする力を意味しない。時空間の枠内において、そして人間の理解の知的基準点からは、無限の神でさえ正方形の円を作成はできないし、本質的によい悪を産出することはできない。神は、神らしくないことを行なえない。哲学用語のそのような矛盾は、非実在に相当する物であり、このようにしては何も創造されないことを意味する。人格の特徴は、同時に神らしくあり、また神らしくないということはあり得ない。両立性は、神性の力に本質的である。そして、このすべてが、全能が本質をもつものをつくるだけでなく、万物の本質に起源をも与えるという事実に由来する。
始まりにおいては父はすべてをするが、無限の意志と命令に対応して永遠の全景が展開するとき、創造物は、人間さえも、将来の目標完了の実現化における神の協力者になるということがいよいよ明らかになる。そして、これは生身の人生においてさえ真実である。人と神が協力関係に入るとき、いかなる制限もそのような協力関係の将来の可能性に置き換えられることはできない。人が、宇宙なる父は永遠の進行における自分の協力者であると気づくとき、内住する父の臨場と融合するとき、精神的には、かれは、時間の枷を壊し、すでに宇宙なる父を求める永遠の進行を始めたのである。
人間の意識は、事実から意味へと、そして価値へと進む。創造者の意識は、思考-価値から言葉の意味を経て、行動の事実へと進む。常に、神は、実存の無限に固有の絶対の統一性の行き詰まり状態を壊すために行動しなければならないのである。常に、神格は、すべての準神格の創造がそのために努力する原型の宇宙、完全な人格、最初の真実、美、善を提供しなければならない。常に、神は、後に神を見つけるかもしれない人間を最初に見つけるはずである。常に、宇宙の息子の資格とそれに伴う宇宙の兄弟愛が存在する以前に宇宙なる父がいるはずである。
神は本当に全能であるが、万物を造出しない—為されるすべてを神自身が為すのではない。全能は、全能の崇高なものの力の可能性と崇高なるものを包含しているが、崇高な神の意志行為は、無限の神の個人的行為ではない。
最初の神格の万物造出を提唱することは、行動をともにする創造的な仲間の他の様々な系列の無数の軍勢は言うまでもなく、100万近くの楽園の創造者の息子から権利を剥奪するに等しいであろう。全宇宙においてただ一つ自存の原因がある。他のすべての原因は、この1つの偉大なる第一根源と中枢の派生物である。そして、この哲学のいずれも、広大な宇宙に散在する無数の神格の子の自由意思に何の暴力も振るうものではない。
局部的枠内で、意志は自存の原因として機能するように見えるかもしれないが、それは、絶えず独自の、本来の、そして絶対の第一原因との関係を確立する継承要素を示している。
すべての意志は相対的である。発生の意味の観点からは、父-私はあるだけが、意志の究極性を持っている。絶対の意味の観点からは、父、息子、精霊のみが、時間に無条件の、空間に無制限の意志の特権を示す。必滅の人間は、自由意志、選択力に恵まれており、またそのような選択は絶対ではないものの、それは、有限段階においてどちらかといえば最終的であり、選択する人格の将来の目標に関係がある。
絶対的なものに満たないいかなる段階の意志も、選択力を行使する他ならぬその人格で構成する限界にぶつかる。人は、選択可能である範囲を超えて選ぶことはできない。例えば、人間以上になることを選べることは別にして、人間以外であることは選べない。かれは、宇宙上昇の航海乗り出す方を選ぶことはできるが、これは、人間の選択と神性の意志が偶々この点で一致するからである。そして、息子が望み、父が願望することは、確かに起こるであろう。
人間生活において、選択のある振る舞いの進路は、絶えず開閉しており、選択が可能である間、人間の人格は、これらの多くの行動方針のいずれかを絶えず決定している。俗世の意志は、時間に結び付けられており、また、それは、表現の機会を見つけるために時間の経過を待たなければならない。精霊的意志が、時間の枷からの解放を経験し始め、時間の連続からの部分的脱出を成しとげ、そしてそれは、精霊的意志が、神の意志で自己確認しているからである。
意志は、選択行為は、より高くより重要な選択に応じて実現された宇宙の枠内で機能しなければならない。人間の意志の全ての範囲は、1つを除いては厳密には有限にとって制限的である。人が神を見つけ、神に似ることを選ぶとき、そのような選択は、超有限である。ただ永遠だけは、この選択が、超準絶対であるかどうかを明らかにできる。
神格の全能を認識することは、宇宙公民の経験における安全性の確保を楽しむこと、つまり、楽園への長い道のりにおける安全の保障を持つことである。しかし、万物造出の虚偽を受け入れるということは、汎心論の途方もない間違いを迎え入れることである。
壮大な宇宙において、創造者の意志と創造物の意志の機能は、限界内において、主たる建築者達により確立された可能性に従って働く。これらの最大限度のこの約束事は、しかしながら、これらの境界内において、創造物の意志の主権を少しも弱めない。究極の予知もまた—すべての有限の選択のための十分なゆとり—有限意志の廃止を構成しない。成熟し明敏な人間は、最も正確に一部の若い仲間の決定を予測できるかもしれないが、この事前情報は、その決定そのものの自由と真正さから何も奪わない。神は、未熟な意志の活動範囲を賢明に制限したが、それにもかかわらず、これらの明確な限界内の未熟な意志こそが真の意志である。
すべての過去、現在、未来の選択の崇高の相関関係でさえ、そのような選択の確実性を無効にしない。それは、むしろ、宇宙の運命づけられた趨勢を示し、また全現実の経験実現化の貢献部分になるかもしれない、もしくは、ならないかもしれない意志をもつもの達の予知を示唆する。
有限の選択の際の誤りは、時間の拘束と制限である。それは、ただ時間の中に、そして崇高なるものの進化している臨場に限って存在することができる。そのような誤った選択は、時間的に可能であり、また、(崇高なものの不完全さの外に)現実との自由意志の接触による宇宙進行を楽しむために未熟な生物に授けられなければならないあ一定の範囲の選択を暗示している。
時間に条件づけられた空間における罪は、有限の意志の一時的解放を—認可さえも—明確に示している。罪は、宇宙公民の最高の義務と任務を認めることができない一方で、人格の比較的に自主の意志の解放に幻惑される未熟さを描写する。
有限の領域での不正行為は、神未確認の全ての自己性の一時的現実を明らかにする。創造物は、単に神に確認されるようになる程度まで、宇宙において本当に本物になるのである。有限の人格は、自己創造ではないが、超宇宙の選択領域においては、それは将来の運命を自ら決定する。
生命の授与は、物質-エネルギー・システムの永続、自己普及、そして自己適応を可能にする。人格の贈与は、生物に自己決定、自己進化、神格の融合精霊との自己同一化のさらなる特権を与える。
人格より下位の生き物は、最初に物理的制御者として、次には補佐の心-精霊としてエネルギー物質を動かす心を示す。人格贈与は、父から来ており、生物系への選択の独特の特権を与える。しかし、人格には現実識別の意志の選択を行使する特権があり、そして、これが本当の自由の選択であるならば、そこで、進化する人格は、自己を混乱させ、自己を妨害し、自滅的になる可能性のある選択もまた持たなければならない。進化している人格が、有限意志の行使において本当に自由であるならば、宇宙自滅の可能性を避けることはできない。
それゆえ、存在の下級段階に渡って人格選択の範囲を狭くすることで増大された安全性がある。選択は、宇宙を昇るにつれますます自由になる。選択は、上昇する人格が、地位の神格、宇宙の目的への奉納の崇高さ、宇宙の知恵の到達成就、そして神の意志と神への道との自己同一化の終局性を達成するとき、やがては神性の自由に近づく。
時空間の創造において、自由意志は、抑制で、つまり制限で束縛される。物質生命の進化は、最初は機械的であり、次には心により稼働され、そして(人格の贈与の後)、それは精霊に導かれるようになるかもしれない。棲息界の生物進化は、生命運搬者の最初の物理的生命着床の可能性によって物理的に制限される。
人間は機械、生ける機械装置である。その根底は、本当にエネルギーの物質界にある。多くの人間の反応は、本質的には機械的である。人生の大部分は、機械のようなものである。しかし、人(機械装置)は、実に機械以上のものである。人には心が授けられ精霊が住んでいる。そして、その物質的生活全体においてその生存の化学的、電気的仕組みから決して逃げることはできないが、内住する思考調整者の精霊的な衝動の実行に人間の心を奉げる過程を経ることにより、ますます物理的生命の機械を経験からくる行為指示型の知恵に従属させる方法を学ぶことができる。
精霊は、意志の機能を自由にし、身体的な機能は、それに制限をかける。不完全な選択は、不制御の身体的機能、いない同一化して精霊は、危険で不安定である。機械的支配は、進歩を犠牲にして安定性を保証する。精霊の同盟は、選択を物理的段階から解放すると同時に、増大された宇宙洞察とさらなる宇宙理解により生み出される神の安定性を保証する。
人生の機械装置の枷からの解放を達成する際の創造物を取り巻く大きな危険は、かれは、精霊との仕事上の円滑な関係をもたらすことにより安定性のこの損失を埋め合せる。創造物の選択は、 機械の安定性から比較的解放されるとき、より偉大な精霊同一化の如何にかかわらず一層の自己解放を試みるかもしれない。
生物進化の決定的原則は、原始人にとり、克己の何か大きい特質をもって棲息界に登場することを不可能にする。したがって、同様に進化を目標としたある同じ創造的な下絵は、時間と空間、飢餓と恐怖、そのような無教育な創造物の準精霊の選択範囲を制限するそれらの外部的抑制を提供する。また、人の心が、ますます難しい障害を首尾よく乗り越えるにつれ、この同じ創造的な下絵は、言い換えれば、痛々しく得た経験上の知恵の人種的な遺産の緩やかな蓄積にも備えてきた。減少する外部の抑制と増大する内部の抑制の間の調整維持のために。
進展、つまり人間の文化的進歩の緩慢さは、進歩の危険な速度を遅らせるために非常に効果的に機能するその歯止め—物質的惰力—の効果を立証する。したがって、時間自体は、さもなければ致命的結果を人間の行動に対する次に取り囲む障害からの時期尚早の逃避から保護し、分配するのである。文化が過度に早く進む時のために、物質的達成が、崇拝知恵の進化を上まわるとき、そのときこそ、文明は、それ自体に後退の種子を含んでいるのである。そして、経験上の知恵の迅速な拡大によって支えられない限り、そのような人間社会は、高度ではあるが時期尚早の段階の到達からは退くであろうし、知恵の空白期間の「暗黒時代」は、自己解放と自制の間の不均衡の容赦ない回復を証明するであろう。
カリガスティアの重大な不正は、進歩的な人間の解放の時間の調速機の迂回—障害阻止不要の破壊、バリアを制止する必要のない破壊、それらの時代の人間の心が、経験上優位に立つことがなかった障害—であった。
時間と空間の部分的な短縮をもたらすことのできるその心が、他ならぬこの行為により克服された抑制の障害の代わりに効果的に役立つことのできる知恵の種子を保有するそれ自体を立証する。
ルーキフェレーンスは、同様に地域体制における時期尚早のある種の特権到達への抑制において機能する時間の調速機を同様に混乱させようとした。光と生命に定着した1地域の体制というものは、まさしくその領域の定着時代以前に崩壊的、破壊的である多くの方法の活動を可能にするそれらの観点と洞察を経験上実現した。
人が恐怖の枷を払いのけるにつれ、機械で陸と海に架橋をし、記録で世代と世紀に橋を架けるにつれ、かれは、人間の広がり行く知恵の道徳上の命令に従って新しく、しかも自発的に想定された抑制をそれぞれの超えた抑制に代入しなければならない。これらの自主規制は、人間文明のすべての要因で最も強力で、最も希薄なもの—正義の概念と兄弟愛の理想の概念—の双方である。思い切って仲間を愛するとき、人は、慈悲の抑制する衣に相応しい自らに資格を与えさえしてそして、自身に与えられるその扱いを仲間に与えることを選ぶとき、神がかれらに与えるであろうと想像するその扱いの程度にまで精霊的な兄弟愛の始まりを達成する。
自動的な宇宙の反応は、何らかの形において、安定しており、宇宙で継続している。神を知りその意志をすることを望む、つまり精霊の洞察力を持つ人格は、神のように安定しており永遠に存在する。宇宙での人の大冒険は、機械的静止の安定性から精霊的原動力の神格への人間の心の通過にあり、「あなたの意志がなされることが私の意志である」と宣言するそれぞれの人生の立場における自身の人格決定の力と恒久性によるこの変化を成し遂げる。
時間と空間は、主たる宇宙の結合された仕組みである。時間と空間は、それによって有限の創造物が無限者と宇宙での共存が可能にされる工夫である。有限の創造物は、時間と空間により絶対段階から効果的に分離される。しかし、それなくしてはいかなる人間も存在できないこれらの分離媒体は、有限の行為の範囲を制限するために直接機能する。かれらななしで創造物は行動できなかったが、さりとて、かれらにより、あらゆる創造物の行為は、確実に制限されるのである。
より高度の心によりもたらされる仕組みは、創造的な源を解放するが、すべての下位の有識者の行為をある程不変に制限する。宇宙の創造物にとってこの制限は、宇宙の機構として明らかになる。人には束縛のない自由な意志はない。選択の範囲には限界があるが、この選択の半径内では、その意志は、相対的に非常に優れている。
人間の人格の生命構造、つまり人体は、超人間の創造的な下絵の産物である。したがって、人自身は決してそれを完全に制御することはできない。上昇する人間が、融合された調整者との連携において、人格表現のための仕組みを自己創造するときに限り、完成された仕組みの支配を達成するのである。
壮大な宇宙は、機械的であると同時に有機的である、つまり機械的であり、生きている。崇高な心により稼働され、崇高な精霊と調整し、崇高なるものとしての力と人格の統一の最上段階における発見表現の生ける仕組みである。しかし、有限創造の仕組みを否定することは、事実を否定し、現実を無視することである。
仕組みは、心の産物であり、宇宙の可能性に働きかけ、またその中で作用している創造的な心である。仕組みは、創造者の考えの固定的結晶化であり、結晶化に与える意志の概念に誠実に常に機能する。しかし、いかなる仕組みの目的もその機能にではなく、その原点にある。
これらの仕組みは、神格の活動を制限すると考えられるべきではない。むしろ他ならぬこれらの仕組みにおいて、神格が、永遠の表現の1局面を達成したというのは本当である。宇宙の基本的仕組みは、第一根源と中枢の絶対の意志に応じて生まれたのであり、したがって、かれらは、無限者の計画との完全な調和で永遠に機能するであろう。実に、仕組みは、他ならぬその計画の無意志の型なのである。
我々は、楽園の仕組みが、どのように永遠なる息子の人格に関連している何かを理解している。これは、結合活動者の機能である。そして、我々には、無条件の理論的な仕組みと神格絶対者の可能性に関して宇宙なる絶対者の働きに関する見解がある。しかし、我々は、進化している崇高なものの神格と究極なるものの神格に関して、ある無人格の局面が、実はそれぞれの意志の対応者と結合されていると観測するし、そしてこのように、型と人との新しい関係が進化している。
過去の永遠において父と息子は、無限の精霊の表現の統一に結合を見出した。もし、未来の永遠において、時間と空間の地方宇宙の創造者の息子と創造の精霊が、外部空間の領域で創造的統一に達するならば、それらの統一は、それぞれの神性本質の結合的表現として何を創造するのであろうか。それは、我々が、究極なる神格、つまり新型の超宇宙行政者のこれまで非啓示の顕現を目撃するということであろう。そのような存在は、人格の創造者、無人格の創造の精霊、必滅の創造物の経験、神性聖職者の進歩的人格化の統一であるので人格の独自の特権を迎え入れるであろう。そのような存在は、人格と無人格の現実を迎え入れるという点で究極であり得るかもしれないが、同時にそれらは、創造者と創造物の経験を結合するであろう。外部空間創造のこれらの仮定される機能をする三位一体のそのような第三者の属性が何であろうとも、かれらは、無限の精霊が、宇宙なる父と永遠なる息子にする関係を彼らの創造者たる父と創造の母に対する同じ関係についての何かを維持するであろう。
崇高な神は、すべての宇宙経験の人格化、すべての有限進化の集中化、すべての創造物現実の最大化、宇宙に関する知恵の成就、時間の星雲の調和的美の具体化、宇宙の心の意味の真実、精霊の最高の価値の善である。そして、崇高な神は、ちょうど、今、楽園の三位一体の絶対段階において実存的に統合されているように、永遠の未来において、これらのさまざまな有限の多様性を経験上意味深長な1つの全体に組成するであろう。
神意は、神が我々のために万物についてあらかじめ決めたということを意味しない。それは、宇宙専制も同然であり、神はそれができないほどに我々を愛している。人には、相対的選択力がある。神の愛は、人の子を過保護にし、甘やかすような近視眼的愛情でもない。
父、息子、精霊は、—三位一体としての—全能の崇高なものではないが、全能の崇高性は、それらをなくしては明らかにし得るはずがない。全能の成長は、現実の絶対者に集中され、可能性の絶対者に基づく。しかし、全能の崇高なものの機能は、楽園の三位一体の機能に関連している。
崇高なるものに、宇宙活動の全局面が、この経験的神格の人格により部分的に再結合されているようである。したがって、我々は、三位一体を一柱の神と見ることを望むし、また現在知られている、しかも組織化された壮大な宇宙にこの概念を制限するならば、我々は、進化している崇高なるものが楽園の三位一体の部分的肖像画であるとということを発見する。その上、我々は、この崇高な神格が、壮大な宇宙の有限物質、心、精霊の人格統合として進化しているということにさらに気づく。
神には属性があり、三位一体には機能があり、そして、三位一体のように神意には、宇宙の中の宇宙の人格以外の調整の合成物である機能が、すなわち、全能者の力でにおいて七重者の統合する進化段階から神格の崇高性の先験的領域まで広がる機能がある。
神は、子供としてそれぞれの創造物を愛しており、その愛は、すべての時間と永遠にわたりそれぞれの創造物を覆う。神意は、全体に関わって機能し、そのような機能が全体に関連があり、どんな創造物の機能にも対応する。いかなる存在に関する神意の介入も、何らかの全体の進化の成長についてはその存在体の機能の重要性を暗示している。そのような全体は、全人種、全国家、全惑星、またはより高度の全体でさえあるかもしれない。それは、人としての創造物の重要性ではなく、神意の介入を引き起こす創造物の機能の重要性である。
それにもかかわらず、人としての父は、全く神の意志に基づき、神の叡知と協和し、神の愛に動機づけられるように宇宙の出来事の流れの中にいつでも父親らしい手を差し挟む。
しかしながら、人が神意と呼ぶものは、あまりにしばしば人自身の想像、機会の状況の偶然の並列、の産物である。しかし、宇宙存在の有限の領域には、真の、現れつつある神意、空間のエネルギーの本当の、実現しつつある相関関係、時間の動き、知性の思考、性格に関する理想、精霊の本質の願望、進化する人格の目的ある意志行為がある。物質の領域の状況は、崇高なものと究極なるものの連動する臨場において最終的な有限統合を得る。
壮大な宇宙の仕組みが、心の調整を通して最終的な精度の点にまでに仕上げられにつれ、また創造物の心が、完成された統合を通して精霊と共に神格到達の完全性に昇るにつれ、そして、崇高なものが、すべてのこれらの宇宙現象の実際の統一者として現れるにつれ、神意もますます認識できるようになるのである。
時おり進化の世界で広まっている驚くほどに偶然の状況のいくつかは、崇高なものの徐々に現れる臨場のため、すなわち、今後の宇宙活動の前触れのためかもしれない。人間が神意であると呼ぶもののほとんどが、そうではない。そのような問題についての人間の判断は、生活情況の真の意味対して先見の明のある洞察力の欠如により、非常に障害となる。人間が幸運と呼ぶものは、本当は不運であるかもしれない。不相応な余暇と値しない富を与える幸運の女神の微笑は、人間の最大の苦悩であるかもしれない。一部の苦しんでいる人間に苦難を積み上げる片意地な運命の明らかな残酷さは、実は未熟な人格の軟鉄を真の個性の鍛えられた鋼に変形する焼き戻しの炎であるかもしれない。
進化する宇宙には神意があり、それは、進化する宇宙の目的に気づく能力に達したというまさにその程度にまで創造物により発見される得る。宇宙の目的を明察する完全な能力は、創造物の進化の成就に等しく、さもなければ、不完全な宇宙の現状の範囲内で崇高なものの到達として別の方法で表現されるかもしれない。
父の愛は、他のすべての個人の行為あるいは反応に関係なく個人の胸の中で直接働く。関係は、個人的である—人と神。神格の無人格 (全能の崇高なものと楽園の三位一体)は、部分にではなく、全体に配慮する臨場。崇高性の調整の神意は、宇宙の連続部分が、有限の将来の目標到達において進歩するにつれ、ますます明らかになる。崇高なものは、体系、星座、宇宙、超宇宙が、光と生命に定着するにつれ、発散するすべての重要な相関者として次第に現れ、一方、究極なるものは、万物の先験的統一者として徐々に現れる。
進化の世界の始めまりにおいて、物質系列の自然の出来事と人間の個人的願望は、しばしば対立しているように見える。進化する世界で起こる多くは、必滅の人間にとりかなり理解し難い—自然の法則は、人間の理解において真実で、美しく、善であるすべてにしばしば明らかに残酷であり、無情であり、無関心である。しかし、人類が惑星の進行において進歩するとき、我々は、この視点が、次の要因によって変更されることを目にする。
1. 人の拡大する洞察力—かれが生きる世界についての増大する理解。時間の物質的事実、思考に関する重要な考え、精霊的な洞察の価値ある理想を理解するための拡大する能力。物質的性質の物差しだけで測定する限り、人は、時間と空間に統一を見つけることは決して望めない。
2. 人の拡大する支配—物質界の法則に関する知識、精霊存在の目的、そしてこれらの2つの現実の哲学的調整の可能性に関する段階的な蓄積。人は、未開人は、自然の力の猛攻撃の前に無力であり、自身の内面の恐怖の残酷な支配の前に卑屈であった。半文明人は、自然の領域の秘密の倉庫を開錠し始めており、その科学は、ゆっくりではあるが有効に自身の迷信を破壊しており、同時に、哲学の意味と真の精霊的経験の価値の理解のために新たで、拡大した事実を根底におく基礎を提供する。人は、文化的であるものは、そのうちに、その惑星の物理的力の相対的支配を達成するであろう。その胸の内の神への愛は、同胞への愛として効果的に流出されるであろうし、同時に、人間生活の価値は、人間の可能性の限界に近づいているであろう。
3.人の宇宙統合—人間の洞察力の増進、くわえて人間の経験の業績の増加は、人に崇高性の統一的臨場—楽園の三位一体と崇高なるもの—とのより厳密なさらなる調和をもたらす。。そして、これは、長い間光と生命に定着した世界での崇高なものの主権を確立することである。そのような高度に進んだ惑星は、実に調和の詩、つまり宇宙の真実の追求を通して獲得した善からくる美の絵である。そして、もしそのようなことが惑星に起こり得るならば、それらも、有限の成長にむけての可能性の枯渇を示す定着にいたるときに、より大きなことが、壮大な宇宙の体系とより大規模な部隊に起こり得る。
この進化した系列の惑星において神意は、現実になり、生活情況は相互に関連してはいるものの、これは、単に人がその世界の物質的問題を支配するようになったからではない。それは、人が宇宙の趨勢に従って生き始めたからでもある。人は、宇宙なる父の到達への崇高性の経路に続く。
神の王国は人の胸中にあり、この王国が、世界のあらゆる個人の胸中で現実となるとき、そのとき神の法則は、その惑星で現実となったのである。そして、これは崇高なるものの獲得した主権である。
時間の領域において神意に気づくには、人は、完全性実現の課題を達成しなければならない。しかし人は、万物が善、あるいは悪であることにかかわらず、すべてのものの父を求める自らの探索において神を知る人間の前進のために共に働いているという宇宙事実を熟考するにつれ、今でも、その永遠の意味におけるこの神意を前もって味わうことができる。
神意は、人が物質段階から精霊段階へと上に達するにつれ、ますます認識できるようになる。完成された精霊的洞察の達成は、上昇する人格にそれ以前は混沌であったものに調和を探知することを可能にする。モロンチアのモタさえこの方向の真の進歩に至る。
神意は、幾分かは、不完全な宇宙に表される不完全な崇高なものの婉曲的支配であり、それは、したがって次の通りであるに違いない。
1. 部分的である—崇高なるものの実現化の不完全性故に、そして、
2. 予測不可能である—創造物の態度における変動の結果、それは、段階により常に異なり、その結果、崇高なものにおける明らかに可変な相互的対応を引き起こすが故に。
人が、生活情況への神の介入を祈願するとき、しばしば、祈りのへ答えは、生活に対する自身の変えられた態度である。しかし、神意は気紛れではなく、空想的でも、魔力でもない。それは、有限宇宙の強力な主権者の緩慢で確かな出現であり、進化する創造物はその宇宙進行においてその主権者の厳然たる臨場を時おり探知する。摂理は、永遠の目標、すなわちまず崇高なもの、そして究極なるものと、ことによると絶対者の中の目標に向けての空間の銀河と時間の人格の確実で確かな行進である。そして、無限の中に、我々は、同じ摂理があると信じるし、そして、これが、宇宙に宇宙の中の宇宙の全景にこのように動機づけしている楽園の三位一体の意志であり、行動であり、目的である。
[ユランチアに一時的に滞在する強力な使者による後援]
ネバドンの宵の明星の長官は、すなわち私は、ネバドンのマイケルである宇宙なる君主の7贈与の物語を明らかにする任務にあるガブリエルによりユランチアに配属されたもので、名前はギャヴァーリアである。この発表に当たり、その任務に課された制限を厳守するつもりである。
贈与の特質は、宇宙なる父の楽園の息子に固有である。自分達の下位の生物の生活経験に近づくという願望において、楽園の息子の様々な系列は、楽園の両親の神の性質を反映している。時間と空間からのグランドファンダと最初の巡礼者の上昇期間に、楽園三位一体の永遠なる息子は、ハヴォーナの7回路に自分を7度与えてこの贈与の実践で先頭に立った。そして、永遠なる息子は、マイケルの息子とアヴォナルの息子という代表者達を介して空間の地方宇宙に自分を贈与し続ける。
永遠なる息子が計画された地方宇宙に創造者の息子を贈与するとき、その創造者の息子は、彼の7つの創造物の贈与が、首尾よく成就され、そして管轄の超宇宙の日の老いたるものに保証されるまで、新たな創造の完全主権を握らないという永遠の三位一体への厳粛な誓いを含むその新宇宙の完成、支配、平静さへの完全な責任を負う。この義務は、宇宙の組織と創造に従事するために楽園から出かけることを志願するそれぞれのマイケルの息子が引き受ける。
これらの創造物の肉体化の目的は、そのような創造者が賢明で、同情的で、廉直で、しかも理解ある主権者になることを可能にする。これらの神性の息子は、当然公正であるのだが、連続するこれらの贈与経験の結果として、理解をもって慈悲深くなる。息子達は当然慈悲深いのであるが、これらの経験が、新たで付加的方法でそれらを慈悲深くする。これらの贈与は、神性の正義と公正な判断によって地方宇宙を統治する崇高な任務のための教育と訓練における最終的段階である。
これらの贈与により影響を受けたり利益を得る宇宙有識者の異なる系列はもちろん、様々な世界、体系、星座に多数の付帯的利益が生まれるが、それでも、贈与は、そもそも創造者の息子自身の個人的な訓練と宇宙教育を終了するように計画されている。これらの贈与は、地方宇宙の賢明、公正、かつ効率的管理に不可欠ではないが、様々な生命の型と知的ではあるが不完全なその無数の生物に満ち溢れているそのような創造における偏りのない、慈悲深い、しかも理解ある管理に絶対に必要である。
マイケルの息子らは、かれらが創造したさまざまの系列や存在体に対する十分かつ公正な共感をもって宇宙組織の仕事を始める。息子らは、これらの総ての異なる創造物に多大の慈悲を持ち、誤りの、そして利己的な創造の泥濘にもがく者達を哀れみさえする。しかし、公正と正義のそのような贈与は、日の老いたるものの評価においては十分ではないであろう。超宇宙のこれらの三位一体の支配者は、それらの存在の環境において、またまさに生物自身として実際の経験を通して自身の生物の視点を本当に習得するまで、創造者の息子が、宇宙君主として決して認知しないであろう。この方法で、そのような息子らは、知力の優れた理解ある支配者になる。かれらは、自身が宇宙の権限で支配し、行使する様々な集団を知るようになる。生きた経験により、かれらは、経験上の生物の存在から生じる実際的な慈悲、公正な判断、忍耐を収得する。
ネバドンの地方宇宙は、自身の贈与の奉仕を完了した創造者の息子が現在統治されている。かれは、進化し完成しつつあるその宇宙の広大な全領域を公正で慈悲深い崇高性で統治している。ネバドンのマイケルは、時間と空間の宇宙の永遠なる息子の611,121回目の贈与であり、およそ4千億年前にあなたの地方宇宙の組織化を始めた。マイケルは、10億年前、ユランチアがその現在の型をとりつつあったその頃に最初の贈与冒険に備えた。その贈与は、およそ1億5,000万年の間隔で起きており、最後の贈与は、1,900年前にユランチアでなされた。私は今、これらの贈与の性質と特徴を私の任務の許す限り詳細に述べよう。
召集されたネバドン宇宙の複数の管理者と長官達が、明かされてはいない任務でマイケルが不在の間、兄イマヌエルが、まもなく、ネバドンで権限を引き受けるとの発表を聞かされたのは、およそ10億年前のサルヴィントンでの厳粛な出来事であった。星座の父への送別の放送を除き、この対応に関し他には何の発表もされなかった。数ある指示の中で、「そして、この期間、私は楽園の父の言いつけを果たしに行く間、イマヌエルの世話と保護の下にあなた方を置く。」とマイケルは言った。
この送辞の放送後、マイケルは、単独で来たことを除いてはちょうど以前何度となくユヴァーサ、あるいは楽園に向け出発準備をした時のようにサルヴィントンの派遣専用場所に現れた。次の言葉で出発の声明を締めくくった。「ほんの短い間、あなたを置いて行く。あなた方の多くが共に行くことを望んでいるということを知っているが、私の行くところへあなた方は来ることはできない。私がしようとしていることはあなた方にはできない。私は楽園の神格の意志をしに行き、任務を終え、この経験をしたとき、あなた方の中の自分の場所に戻るつもりである。」このように話し終えネバドンのマイケルは、集合した全員の視界から消え、標準時間で20年間、二度と現れなかった。全サルヴィントンで神性聖職者とイマヌエルだけが、起こりつつあることを知っており、日々の和合のものは、宇宙の最高責任者のガブリエル、すなわち輝く明星とだけ自分の秘密を共有した。
サルヴィントンの全住民と星座本部と体系本部の世界に住む者達は、創造者の息子の任務と所在について何らかの知らせを受けることを望み、宇宙情報のために各受信拠点周辺に集合した。マイケル出発後の3日目まで、何の重要な報告も受けられなかった。この日、一通信がメルキゼデク圏、すなわちネバドンのその系列本部からサルヴィントンに届けられ、この並はずれた、しかも以前には決して聞かれたことのない業務が記録された。「本日正午、見馴れないメルキゼデクの息子が、我々に属してはいないが、完全に我々の系列のような者が、この世界の受信専用場に現れた。かれは、メルキゼデクのこの新たな息子が、我々の系列に受け入れられ、ネバドンのメルキゼデクの非常時の勤務に配属されるよう指示をする日の老いたるものからの、加えてサルヴィントンのイマヌエルの同意を得た信任状をユヴァーサから携え、我々の長官宛ての命令を提示した単独の全天使を一名伴った。そして、それはその通りに命令され、それは為された。」
これが、最初のマイケルの贈与に関するサルヴィントンの記録に現れるすべてに関するものである。それ以上は、ユランチア時間の100年後まで、マイケルの帰還の事実と宇宙業務の指揮についての通告なしの事実が記録されるまで、何も現れていない。しかし、不慣れな記録、その時代の非常時の軍団のこの他とは異なるメルキゼデクの息子の勤務についての詳説が、メルキゼデク界に見つけられる。この記録は、現在父メルキゼデクの自宅の前景を占める簡素な寺院に保持されており、宇宙非常時の24件の任務に関するこの一時的なメルキゼデクの息子の勤務についての物語を包括している。そして、私がつい最近見直したこの記録は、次のように終わる。
この日の正午、事前の発表はなく、わずか3名の同胞の立ち会いで、我々の系列のこの訪問中の息子は、来た時のように単独の全天使に伴われ、我々の世界からいなくなった。そして、この記録は、この訪問者が、メルキゼデクとして生き、メルキゼデクの姿でメルキゼデクとして働いたという証明で現在閉じられており、また、我々の系列の非常時の息子としてその義務を忠実に果たした。非常時の息子は、その無比の知恵、崇高の愛、本分への見事な献身により我々の愛と崇敬を得て、全世界の同意を得て、メルキゼデクの長官となった。かれは、我々を愛し、理解し、我と共に役目を果たしたし、また、我々は、いつまでも、彼の忠実で熱心なメルキゼデクの仲間である。これゆえに、我々の世界のこの見知らぬ者は、いま、永遠にメルキゼデクの本質をもつ宇宙の公使となった。」
これが、マイケルの最初の贈与について私があなたに伝えることを許された全てである。我々は、もちろん、10億年前にとても不可思議にメルキゼデクとともに尽くしたこの見知らぬメルキゼデクが、最初の贈与の任務での肉体化したマイケル以外の何者でもないことを完全に理解している。記録は、この無類で腕利きのメルキゼデクがマイケルであったとは明確に述べてはいないが、彼であったと一般に信じられている。おそらく、その事実についての実際の記述は、ソナリントンに関する記録の外には見つけることはできないし、その秘密の世界についての記録は、我々に公開されてはいない。肉体化と贈与の神秘は、神性の息子のこの神聖な世界にだけ完全に知られている。我々は皆、マイケル贈与の事実を知っているが、それらがいかに行われているかについては理解していない。我々は、宇宙の支配者、メルキゼデクの創造者が、そのように突然に、しかも不思議なことに彼らのうちの1名として加えられ、100年間メルキゼデクの息子として彼らの間で生きて、働くことができるかについては知らない。だが、それは起きた。
マイケルのメルキゼデク贈与後のほぼ1億千万年の間、星座37の体制11において問題が生じ始めたとき、ネバドンの宇宙においては全てが順調に進んでいた。この問題は、ラノナンデクの息子、すなわち体制君主の誤解により生じ、そしてそれは、星座の父が裁き、日々の忠誠なるもの、つまりその星座への楽園の相談役が承認したが、異議を申し立てをしている体制君主は、その裁定に完全には甘んじてはいなかった。100年以上の不満の後、体制君主は、かつてネバドンの宇宙で扇動した創造者の息子の主権に対し最も広範囲の、しかも悲惨な反逆の一つへと、すなわち、かなり以前にユヴァーサの日の老いたるものの行動により裁決され終結された反逆へとその仲間を導いた。
この反逆心のある体制君主ルテンチアは、ネバドン標準時間の20年以上自分の本部惑星に君臨した。そこでいと高きものは、ユヴァーサからの承認でルテンチアの隔離を命じ、また棲息界の不和で引き裂かれ混乱したその体制の方向づけを引き受けるために新しい体制君主の指名をサルヴィントンの支配者に依頼した。
同時に、サルヴィントンでのこの要請の受理とともに、マイケルは、「楽園の父の言いつけを実行する」目的のために宇宙本部を留守にするという意向の二度目の希な宣言を始めた。「しかるべき時機が来れば戻る」と約束し、楽園の兄であるイマヌエル、日々の和合のものに全権を託した。
それからマイケルは、メルキゼデクの贈与に関わる出発時点で観測された同じ方法で再び本部圏から離れた。この説明のない暇乞いの3日後、新入りの、知られていない1構成員は、ネバドンの第一ラノナンデクの息子達の予備兵団に現れた。この新しい息子は、新主権者の任命を待つ体制君主の代理として完全な権限をもち、退位させられたルテンチアの後継者として星座37、体制11に配属を命ずるイマヌエルの認証を受け、ユヴァーサの日の老いたるものからの信任状を持つ単独の第三天使に伴われ、通告なく正午に現れた。
宇宙時間の17年間以上、この馴染みのない、知られていない一時的な支配者は、賢明に困難を処理し、混乱し、風紀の乱れたこの地方体制の政を執った。どの体制君主も、切に愛されたり、広く敬服されたり、また尊重されることは、決してなかった。正義と慈悲とを持って、この新任の支配者は、労を惜しまず全ての臣下の世話をしつつ、不穏な体制の治安を回復し、反逆的な前任者にさえ、その無分別をイマヌエルに謝りさえすれば、体制の権力を共有する恩恵を申し出さえした。しかし、ルテンチアは、この新しい、見知らぬ体制君主が、つい最近自分が拒んだ他ならぬその宇宙支配者であるマイケルそのものであることをよく承知していたので、これらの慈悲の申し出を拒絶した。しかし、何百万人もの誤って導かれ、欺かれた追随者は、パロニア体制の救世君主としてその時代に知られていたこの新支配者の許しを受け入れた。
次に、職を追われたルテンチアの永続的後継者として宇宙当局が新たに任命した体制君主が到着する重大な日がやって来て、全パロニアが、ネバドンがそれまでに知る最も高潔で最も親切な体系支配者の出発を悲しんだ。体系支配者は、すべての体系で慕われ、ラノナンデクの息子の全集団の団員に崇敬された。体系支配者の出発は、儀式張らないものであった。体系本部を去るに当たり、すばらしい祝賀の手配がされた。道を誤ったその前任者でさえこの伝言を送った。「総てにおけるあなたの流儀は、なんと正当で公正であることよ。私は楽園支配に対し拒絶を続けるが、あなたが正当で慈悲深い行政者であることを認めずにはいられない。」
次いで、反逆体制のこの一時的な支配者は、行政上の短期滞在の惑星から離れ、その後3日目に、マイケルは、サルヴィントンに現れ、ネバドン宇宙の指導を再開した。すぐに、マイケルの主権と権限に関わる躍進的管轄権について、ユヴァーサの第三の宣言が、続いた。最初の宣言は、マイケルのネバドン到着時点に、2番目はメルキゼデク贈与の完了直後に発表され、今、3番目が、2番目の任務、つまりラノナンデクの任務終了に際し続く。
サルヴィントンの最高協議会は、星座61、体制87、惑星217における生命運搬者からの物質の息子の援助派遣要求につての検討をちょうど終えたところであった。現在この惑星は、別の体系君主が、道をはずした棲息界の一体系に位置しており、全ネバドンでそのような反逆は、その時までに2度目であった。
マイケルの要求に応じて、この惑星の生命運搬者の陳情に対する処分は、イマヌエルと彼の報告と考察の提出を待って延期された。これは不規則な手順であったし、私は、我々全員がいかに何か珍しいものを予期していたかをよく覚えており、我々は、長らく気を揉むことはなかった。マイケルは、宇宙の指揮をイマヌエルに託し、一方ガブリエルに天の勢力を任せ、このように自分の行政責任を整理し、宇宙の母なる精霊に別れを告げ、前の2件の出来事のようにサルヴィントンの派遣専用場から姿を消した。
そして、予想されていたかもしれないように、第61星座、第87体系の本部世界に、単独の第二熾天使に伴われ、ユヴァーサの日の老いたるものに信任され、サルヴィントンのイマヌエルに認証された見知らぬ物質の息子が、その後3日目に発表なしに、現れた。すぐに、代理体制君主は、この新入りの、謎の物質の息子を第217世界の代理惑星王子に任命し、この指名は直ちに第61星座のいと高きものに承認された。
こうして、この類まれな物質の息子は、惑星時間でまる1世代のために単独で働き、外の宇宙との何の直接的通信のない窮地にたつ体系に位置する分離と反逆の隔離された世界における難しい経歴を始めた。この非常時の物質の息子は、不履行の惑星王子とその全部下に悔悟と教化をもたらし、地方宇宙に確立したように楽園支配への惑星の忠誠的奉仕の回復を目撃した。やがて、物質の息子と娘が再生され回復された世界に到着し、また目に見える惑星の支配者として正式に任命されたとき、一時的、あるいは非常時の惑星王子は、正式の休暇をとり、ある日の正午に姿を消した。その後3日目に、マイケルは、サルヴィントン自分のいつもの場所に現れ、まもなく宇宙放送は、ネバドンでのマイケルの主権の一層の前進を発表する日の老いたるものの4回目の宣言を伝えた。
私は、この物質の息子が、忍耐、不屈、技能でこの混乱状態の惑星において苦しい状況に対処したことを語る許可がないことを残念に思う。この孤立した世界の開発は、全ネバドンの救済年代記で最も美しく感動的な一章である。この任務終了までには、何らかの最愛の支配者が、下位の系列の知力ある存在体の型に似せてたび重なるこれらの贈与に従事することを選んだ理由に関して全ネバドンに明白となった。
メルキゼデクの息子として、それからラノナンデクの息子として、次には、物質の息子としてのマイケルの贈与のすべては、 相等しく謎めいており、説明しかねる。マイケルは、各事例において突如として、そして、完全に贈与集団の開発された個人として現れた。そのような肉体化の神秘は、ソナリントンの神聖な圏に関する記録の側近集団に近づく手段を持つ者達を除いては決して知られないであろう。
いまだかつて、孤立と反逆の世界の惑星王子としてのこの驚くべき贈与以来、ネバドンのいずれの物質の息子、または物質の娘も、各自の課題に対する不満、あるいは、その惑星任務の困難の粗探しの気持ちを持ったことはなかった。物質の息子達は、ちょうど、自分達が試され吟味されたように、宇宙の創造者の息子が、「すべての点において試され、吟味された。」者である理解ある君主と同情的な友人をもっているということをいつまでも知っている。
宇宙起源のすべての天の知力ある者達の間に、奉仕と忠誠の拡大する時代が、これらの任務の一つ一つの後に続き、後の各贈与時代が、宇宙行政のすべての方法と政府のすべての手法による進歩と改善で特徴づけられていた。この贈与以来、かつて、どの物質の息子、または娘もマイケルに反逆して意図的に参加することはなかった。かれらは、マイケルを意識して拒絶するにはあまりにも献身的に愛し尊敬している。より高度の反逆的人格の型が、詐欺と詭弁だけによりその後のアダーム一家を惑わしたのであった。
マイケルがネバドンの政府をイマヌエルとガブリエルの手に委ねたのは、ユヴァーサの千年毎の定期的な1つの点呼の終わりであった。もちろん、そのような行動の後の過去に起こったことを思い出し、贈与の4番目の任務に際しては、我々は全員、マイケルの出発に備え、またマイケルがまもなくサルヴィントンへの派遣専用場へと出向き視界からいなくなったので、長らく待たされもしなかった。
この贈与失踪後の3日目に、我々は、ユヴァーサへの宇宙放送においてネバドンの熾天使の本部からのこの重要な報道項目に注目をした。「単独の超熾天使とサルヴィントンのガブリエルに伴われた未知の熾天使の発表なしの到着を報告する。この未登録の熾天使は、ネバドンの系列にふさわしい資格を得て、またサルヴィントンのイマヌエルに公認されたユヴァーサの日の老いたるものの信任状を得ている。この熾天使は、地方宇宙の天使の最高系列にふさわしい成績を収め、すでに教育相談役の部隊に割り当てられた。」
熾天使の贈与の間、マイケルは、宇宙標準年の40年以上、サルヴィントンを留守にしていた。この間マイケルは、あなたが個人秘書と命名するかもしれない熾天使の教育相談役として22個の異なる世界で機能する26名の異なる熟練の教師に配属された。マイケルの最後の、または最終の課題は、相談役と助力者としてネバドン宇宙の星座3、体制84の世界462における三位一体の教師たる息子の贈与任務であった。
決して、この課題の7年にわたり、三位一体の教師たる息子は、自分の熾天使の仲間の正体に関し、完全に納得してはいなかった。実に、その期間のすべての熾天使は、独特な関心と精査で見られていた。我々は全員、愛すべき君主が熾天使に変装し、その宇宙にいるということを十分に知っていたが、その正体を決して確信することはできなかった。決して、かれは、この三位一体の師としての息子の贈与任務への配属の時まで明確には正体を特定されることはなかった。しかし、最高の熾天使は、我々のうちの誰もが、知らずに創造物贈与の任務上の宇宙の君主をもてなしていたということのないようにこの時代を通していつも特別な配慮で見られていた。したがって、天使に関しては、創造者と支配者は、「すべての点において熾天使の人格に似せて試され、吟味されてきた」ということは、永遠に真実となった。
これらの連続した贈与が、いよいよ宇宙生命の下級の型の性質を帯びるにつれ、ガブリエルは、ますますこれらの肉体化の冒険の仲間になり、贈与されたマイケルと代理の宇宙支配者イマヌエルと連携して機能した。
さて、マイケルは、自分の創造した宇宙の息子の3系列、メルキゼデク系、ラノナンデク系、物質の息子系の贈与の経験をした。次に、マイケルは、時空間の進化の人間である意志をもつ創造物の最も低い型の上昇経歴の様々な局面に注目を向ける前に、最高の熾天使として天使の生命に似せて人格化して降りる。
ユランチアで計算されるような時間で3億年をわずかに越える昔、我々は、イマヌエルへの宇宙権威の譲渡のもう一つを目撃し、マイケルの出発準備を観察した。この出来事は、目的地がオーヴォントンの超宇宙本部のユヴァーサであると発表したという点において前のものとは異なっていた。やがて我々の君主は、出発したが、超宇宙の放送は、日の老いたるものの宮廷へのマイケルの到着に決して言及しなかった。サルヴィントンからの彼の出発直後、ユヴァーサの放送で次の重要な発表があった。「本日、サルヴィントンのイマヌエルに公認され、ネバドンのガブリエルに伴われた人間起源である未発表で無番号の上昇巡礼者が、ネバドンの宇宙から到着した。この未確認の存在は、真の精霊の身分を提示し、我々の親交に受け入れられた。」
今日ユヴァーサを訪問するようなことがあれば、あなたは、エヴェントヅがそこへ滞在した時代についての話しを詳しく聞くことであろうし、時間と空間のこの特定、かつ無名の巡礼者は、ユヴァーサにおいてその名で知られている。また、この上昇する人間(少なくとも正確に類似する上昇する人間の精霊段階のずば抜けた人格)は、オーヴォントン標準時間の11年をユヴァーサで生き、機能した。この存在者は、課題を受け入れ、オーヴォントンの様々な地方宇宙からの仲間と同様に精霊の人間の義務を果たした。「すべての点で、ちょうど仲間と同じように吟味され、試された。」そして、あらゆる機会に、上司の信用と信頼に応え、同時に仲間の精霊の敬意と変わらぬ賛美を意のままにした。
我々は、この高ぶらず無番号の巡礼の精霊が、我々の地方宇宙の贈与された支配者以外の何者でもないということを、ガブリエルの臨場により熟知しており、サルヴィントンにおいてこの精霊の巡礼者の経歴をこの上ない関心をもって後をつけた。人間進化の1段階の役割で肉体化されるマイケルのこの初登場は、全ネバドンを震えさせ魅了した出来事であった。そのような事を聞いてはいたが、今、我々はそれらを凝視した。マイケルは十分に進化し、完全に訓練された精霊の人間としてユヴァーサに現れ、またそういうものとして上昇する人間集団のハヴォーナ到達時までその経歴を続けた。そこで彼は、日の老いたるものと対話をするとすぐに、ガブリエルとともに、ユヴァーサに突然の、儀式張らない別れをし、その後まもなくサルヴィントンの自分のいつものところに現れた。
マイケルが、最も高いメルキゼデクから時間と空間の進化の世界の肉体の人間までの宇宙人格の様々な系列に似せて肉体化するためにたぶん出掛けていくであろうということが遂に我々に分かったのは、この贈与のわずかに完了直前であった。この頃、メルキゼデクの大学は、肉体の人間としてのマイケルの肉体化のそのうちの可能性を教え始め、またそのような解釈し難い贈与の考え得る方法に関する多くの憶測が生まれた。そのマイケルは、地方宇宙と超宇宙の全行程における生物進行の計画全体に新たで、さらなる興味を与える上昇する人間の役を本人自らが演じた。
依然として、これらの連続する贈与の方法は、謎のままであった。ガブリエルでさえ、それによってこの楽園の息子と宇宙の創造者が、意のままに、人格を請け、彼自身の従属の生物の一人として生活を送ることができる方法を理解できないということを告白している。
全サルヴィントンが、差し迫る贈与の準備に慣れている今となって、マイケルは、本部惑星の一時逗留者を招集し、初めて、肉体化の残りの部分を明らかにし、星座5号の本部惑星のいと高き父の宮廷においてモロンチアの人間の経歴を担う目的で自分は間もなくサルヴィントンを離れるのだと発表した。次いで、我々は、どこかの進化の世界でマイケルの第7の、最終的な贈与が人間の姿でなされるであろうという発表を初めて聞いた。
マイケルは、第6の贈与のためにサルヴィントンを去る前、集められたその圏の住民に講演し、単独の熾天使とネバドンの輝く明星に伴われ皆の見ている中を出発した。宇宙の統治は、再びイマヌエルに任せられたが、行政責任のより幅広い配分があった。
マイケルは、上昇する身分の完全なモロンチアの人間として星座5号の本部に現れた。私は、この無番号のモロンチアの人間の経歴の詳細を明らかにすることを禁じられていることを残念に思う、というのも、それがユランチアでの劇的かつ悲惨な滞在を除外しなくとも、マイケルの贈与経験の中で最も並はずれて驚くべき時代の1つであったので。しかし、この依頼の受諾に当たり、私に課されている多くの制限の中で禁じられている一つは、エンダンツムのモロンチアの人間としてのマイケルのこの素晴らしい経歴の詳細を展開することである。
マイケルがこのモロンチア贈与から戻ってきたとき、我々の創造者は、仲間の創造物になったということ、宇宙君主は、自分の領域の創造された知力の最低の型の友人であり、同情的な助手でさえあったということが我々全員には明白であった。我々は、これ以前、それが徐々に明らかになりつつあったので、宇宙行政における創造物の観点についてのこの進歩的な習得に気づいたのだが、モロンチアの人間贈与の成就後、ユランチアにおける大工の息子の生活からの帰還後はより明らかになった。
我々には予めモロンチア贈与からのマイケルの解放についてガブリエルから知らされており、それに応じて、我々は、サルヴィントンでの相応しい歓迎会の手配をした。何百万もの存在体が、ネバドンの星座本部界から集められ、またサルヴィントンに隣接する世界の逗留者の大部分が、マイケルがその宇宙の統治者の地位にもどることを歓迎するために集められた。我々の多くの歓迎の挨拶と彼の創造物にきわめて興味を持つ君主に対する感謝の表現に応じて、「私は単に父の仕事に携わっていたに過ぎない。私は単に自分達の創造物を愛し、理解することを切望する楽園の息子の喜ぶことをしているに過ぎない。」と、マイケルは答えるだけであった。
だが、その日から人の息子としてユランチア冒険に乗り出すその時間まで、全ネバドンは、マイケルの滞在の星座全体の物質界から集合した仲間のようにすべての点で試され、進化的上昇のモロンチアの人間の贈与の肉体化としてエンダンツムで機能するとともに、自分達の主権支配者の多くの功績について議論し続けた。
何万年もの間我々は全員、マイケルの7番目の最後の贈与を楽しみにしていた。ガブリエルは、この終わりの贈与が人間の姿で為されることを教えてくれていたのだが、我々は、この最高点に達する冒険の時間、場所、方法についてはまったく知らなかった。
マイケルが最後の贈与の舞台にユランチアを選んだという公示が、アダームとハヴァーの不履行について我々が知った直後に発表された。その結果、3万5千年以上の間、あなたの世界は、全宇宙の協議会において非常に目立つ位置を占めた。ユランチア贈与にはいかなる段階に関わる秘密(肉体化の謎は別として)もなかった。初めから終わりまで、最高の宇宙君主としてサルヴィントンへのマイケルの最終の、勝利の帰還まで、小さいが、大いに栄誉を与えられたあなたの世界で発生したすべてについての宇宙への全面的な公表があった。
我々は、これが方法であろうと思う一方、その出来事自体が起こるまで、マイケルが、領域の無力な幼児として地球に現れるということを決して知らなかった。それ以前、マイケルは、贈与選択の人格集団に属する完全に発達した個人としていつも現れており、ベツレヘムの赤ん坊が、ユランチアで生まれたと言うサルヴィントンからの放送は、興奮させる発表であった。
そのとき、我々は、我々の創造者であり、友人である者が、その全経歴で最も心許ない方法を取っていると、明らかに自分の位置と権威を無力な幼児として危険にさらしていると分かったばかりではなく、この最終の、人間の贈与における経験は、ネバドンの宇宙の当然、かつ最高の主権者として彼を永遠に王座につけるであろうということも理解した。地球時間の3分の1世紀の間、この地方宇宙の全域の全ての目がユランチアに集中した。すべての有識者が、最後の贈与が進行中であると認識し、また、サタニアでのルーキフェレーンスの反逆とユランチアでのカリガスティアの不満を我々が長い間知っていたので、我々の支配者が、人間の肉体の低い型と外見でユランチアで肉体化に身をおとすときに起こるであろう苦闘の激しさを、我々はよく理解していた。
ユダヤ人の赤ん坊ヨシュア・ベン・ヨセフは、この特定の赤子が楽園の神性の息子であり、この地方宇宙の万物の創造者であるネバドンのマイケルの肉体化であったということを除いては、以前に、そしてそれ以来、ちょうど他のすべての赤子のように懐妊され、世界に生まれてきた。そして、イエスの人間の型の中の、そうでなければ、世界の自然の起源の、神格の肉体化のこの謎は、永久に未解決のままであろう。永遠においてさえ、あなたは、創造物の型と外見における創造者の肉体化の手法と方法を決して知ることはないであろう。それは、ソナリントンの秘密であり、そのような謎は、贈与経験を経たそれらの神性の息子に限られた財産である。
地球の特定の賢者達は、マイケルの迫りくる到着を知っていた。1世界の他の世界との接触により、精霊的な洞察をもつこれらの賢者には、ユランチアにおけるマイケルの到来しつつある贈与について分かっていた。また、熾天使は、中間の創造物を通して、指導者がアーヅノンであるハルダイアの聖職者集団に告知した。これらの聖人は、新生の子供を訪ねた。イエスの出生に関連した唯一の超自然の出来事は、第一の園でのかつてのアダームとハヴァー付きの熾天使によるアーヅノンとその仲間へのこの告知であった。
イエスの人間の両親は、その時代のその世代の普通の人々であり、また、この肉体を与えられた神の息子は、このようにして女性から生まれ、その人種と年令の子供の普通の方法で育てられた。
ユランチアにおけるマイケルの滞在の話、あなたの世界での創造者の息子の人間贈与の物語は、この語りの部分の範囲と目的を超える内容である。
マイケルは、ユランチアでの最後の、好結果の贈与の後、日の老いたるものにネバドンの主権支配者として受け入れられたばかりではなく、自身の創造である地方宇宙の確立された管理者として宇宙なる父にも認められた。サルヴィントンへの帰還と同時に、このマイケル、人の息子と永遠なる息子は、ネバドンの定められた支配者であると宣言された。マイケルの主権の8番目の宣言は、ユヴァーサから来ており、同時に、宇宙の唯一の首長である神と人のこの結合をし、サルヴィントン配属の日々の和合のものに楽園に引き下がる意志表明を指示する宇宙なる父と永遠なる息子の共同声明が楽園から来ていた。星座本部の日の忠実なるものは、いと高きものの協議会から退くように命じられた。しかし、マイケルは、助言と協力からの三位一体の撤退に同意しようとしなかった。マイケルは、皆をサルヴィントンに集め、いつまでもネバドンの勤務に残ることを個人的に要請した。皆は、楽園において自分達の管理者の要請に応じたいという願望を表明し、その後まもなく、ネバドンのマイケルの宮廷に永久に配属された中央宇宙のこれらの息子を楽園から分離する命令が出された。
マイケルの贈与経歴を終了し、彼自身の創造の宇宙における最高権威の最終的な確立に効果をもたらすには、ユランチア時間でおよそ10億年を要した。マイケルは、創造者として生まれ、管理者にと教育され、経営者にと訓練されたものの、自分の主権に関しては経験によって得なければならなかった。その結果、あなたの小世界は、マイケルが、自身の作である宇宙の無制限の支配と監督が与えられる前に、あらゆる楽園の創造者の息子に要求される経験を終了した活動領域としてネバドン中で知られるようになった。地方宇宙を昇るとき、あなたは、マイケルの以前の贈与に関する人格の理想についてさらに学ぶであろう。
創造物の贈与を成就するに当たり、マイケルは、自身の主権を確立するだけでなく、崇高な神の進化する主権をも増大させていた。これらの贈与の過程において創造者の息子は、創造物の人格の様々な本質の下降する探検に従事するばかりではなく、楽園の神格のさまざまに多様化された意志の顕示もまた達成し、その合成的な統一は、崇高な創造者により明らかにされているように崇高なるものの意志の天啓である。
神格のこれらの様々な意志の局面は、主たる7精霊の異なる本質に永遠に人格化され、マイケルのそれぞれの贈与は、これらの神格顕現の1つの特異の天啓であった。マイケルは、メルキゼデク贈与の際には、父、息子、精霊の統合した意志を、ラノナンデクの贈与の際には父と息子の意志を明らかにした。アダームの贈与の際には、父と精霊の意志を、熾天使の贈与の際には、息子と精霊の意志を顕示した。ユヴァーサの人間贈与の際には、結合活動者の意志を、モロンチアの人間贈与の際には、永遠なる息子の意志を描写した。また、ユランチアの物質贈与の際には、宇宙なる父の意志を生き、人間の血肉としてさえ生きた。
これらの7つの贈与の完了は、マイケルの最高主権を自由にし、ネバドンでの崇高なものの主権のための可能性をも創造した。贈与のいずれにおいてもマイケルは、崇高な神を明らかにはしなかったものの、7つの贈与全体は、崇高なるもののネバドンの新顕示である。
マイケルは、神から人への下降経験において、顕示の部分的な可能性から有限の活動の至高性と準絶対の機能のための可能性の解放への上昇を付随的に経験していた。創造者の息子マイケルは、時空の創造者であるが、七重の主たる息子マイケルは、三位一体の究極なるものを構成する神格部隊の1員である。
三位一体の七重の主たる精霊を明らかにする経験を経て、創造者の息子は、崇高なものの意志を明らかにする経験をした。崇高性の意志の啓示者として機能する際、マイケルは、他のすべての主たる息子とともに永遠に崇高なものと自分を同一視した。この宇宙時代に、マイケルは、崇高なものを明らかにし、崇高性の主権の実現化に参加する。しかし、我々は、次の宇宙時代にマイケルが、外部空間の宇宙に向けて、またその中で、最初の経験の三位一体において崇高なるものと協力しているであろうと信じる。
ユランチアは、全ネバドンの心情的神殿、1千万の棲息界の主要な世界、キリスト・マイケルの人間の家、全ネバドンの君主、領域へのメルキゼデクの聖職者、体制救世主、アダームの贖い主、熾天使の仲間、上昇精霊の仲間、モロンチアの前進者、人間の肉体の人の息子、ユランチアの惑星王子である。そして、この同じイエスが、いつか最後の贈与の世界に戻ると約束したと述べるとき、あなたの記録は、真実を告げている。
[ キリスト・マイケルの7つ贈与を描写するこの論文は、人間の姿でのマイケルの地上出現時までのユランチアの歴史を描いており、数々の人格の後援による一連の提示の63番目である。これらの論文は、マンツーチアのメルキゼデクの指揮下に行動する12名のネバドン委員会から認可を受けた。我々は、ユランチア時間の西暦1935年に我々の上司に認可された方法によりこれらの物語を英語で文字にした。]