本セクションは、オルヴォントン神の権威によって活動する超銀河団の中心天体であるウヴェルサの後援を受けています
宇宙なる父は、すべての創造の神、すべての事物の第一根源と中枢である。神を、まず最初に創造者として、次に制御者として、最後に無限の支持者として考えなさい。予言者が、「ただ、あなただけが神です。あなたのほかには誰もいない。あなたは、すべての軍勢と共に天と、天の中の天を創られた。あなたはそれらを保護し制します。神の息子達により宇宙は作られた。創造者は、光を衣のようにまとい、天を幕のように広げておられます。」と言ったとき、宇宙なる父に関する真実が人間にわかり始めた。宇宙なる父—多くの神の代わりに唯一の神—という概念だけが、神格創造者と無限の制御者としての父を人間に理解させることを可能にする。
神を知り、神の愛情を受け、その代わりに神を愛することのできる存在体である多くの異なる型の知力ある創造物が、いつかは住むようにと無数の惑星系が作られた。宇宙の中の宇宙は、神の作品であり、さまざまの創造物の居住域である。「神は天を創られ、地を形づくられた。神は宇宙を設けられ、この世界を無駄には創られなかった。人が住めるようにとそれを形づくられた。」
開けた世界は全て、全創造の永遠の製作者であり無限の擁護者である宇宙なる父を認識し、崇拝している。宇宙という宇宙の意志をもつ創造物は、長い、長い楽園の旅に、つまり父なる神に到達する永遠の冒険への魅惑的な苦闘に乗り出す。時の子供の超越的目標は、永遠の神を見つけること、神性の本質を理解すること、宇宙なる父を認識することである。神を知る創造物には、ただ一つの至高の大望、つまり、燃えつくすような唯一の願望があり、それは、神が人格の楽園の完全性において、また、正義の崇高性の宇宙領域においてそうであるように、創造物がそれぞれの球体において神のようになるというものである。永遠に居住する宇宙なる父から「完全でありなさい、私が完全であるように。」という至上命令が発せられた。愛と慈悲をもって、楽園の使者は、各時代、各宇宙を経てユランチアの人類のような動物起源の下級の創造物にさえこの神性の奨励を伝えた。
神の完全性到達に向け懸命に努力するというこのすばらしい、かつ普遍的な命令は、全ての苦闘している被創造者の創造の最初の義務であり、最高の大望であるべきである。神性完全性への到達のこの可能性は、すべての人の永遠の、精霊的進歩の最終的、かつ、明白な目標である。
ユランチアの人間は、無限という意味において完全であるということはとても望めないが、この惑星で開始するように、無限の神が人間のために用意した崇高かつ神性である目標を達成することは、人間にとってまったく可能である。そして、人間がこの目標を達成するとき、自己実現と心的到達に関係するすべてにおいて、神自身が無限と永遠の領域にいるように神性完全性の球体で同程度に十分に備わっているであろう。そのような完全性は、物質的な意味においては普遍的でなく、知的把握においては無制限でなく、または精霊的経験においては最終的ではないかもしれないが、それは意志の神性、人格動機の完全性、および神-意識のすべての有限局面において最終的であり、完全である。
これこそが、「私が完全であるように、あなたも完全でありなさい」という神の命令の真の意味であり、それは、精霊的価値の、そして真の宇宙的意味のより高い段階到達にむけての長く、魅惑的な戦いにおいて常に人間を前方へ促し、内部に差し招く。宇宙の神を探し求めるこの高尚な捜索は、時間と空間の全世界の住民の最高の冒険である。
父なる神が宇宙全体に知れわたるすべての名前の中でも、第一根源と宇宙の中枢として指し示すそれらのものに最も頻繁に遭遇する。第一の父は、異なる宇宙において、また同じ宇宙の異なる領域において様々な名称で知られている。被創造者が創造者につける名前は、大いに被創造者の創造者についての概念に依存する。第一根源、そして、宇宙の中枢は、決して名称によってではなく、本質によってのみ明らかにされてきた。我々が、自分達はこの創造者の子供であると信じるならば、やがては彼を父と呼ぶのは、ごく当然のことである。しかし、これは我々自身が選ぶ名前であり、そしてそれは、第一根源と中枢との我々の個人的な関係の認識からくるのである。
宇宙なる父は、宇宙の知力ある、意志をもつ創造物にいかなる形態の恣意的認識、形式的崇拝、あるいは、隷属的礼拝も決して課してはいない。時間と空間世界の進化する住民は、自らが--自身の心の中で--宇宙なる父を認識し、愛し、自発的に崇拝しなければならない。創造者は、物質の被創造者のもつ精霊的自由意志の恭順を強制すること、あるいは強要することを拒む。父の意志を為すという人間の意志からの愛に満ちた献身は、人から神への最高級の贈り物である。事実、被創造者の意志からのそのような献身は、楽園の父への唯一可能な真の価値をもつ贈り物になる。神のうちに、人は生き、動き、存在する。父の意志に従うというこの選択を除いては、人が神に贈ることができるものは何もなく、宇宙の知力ある意志をもつ被創造者がもたらすそのような決意は、創造者たる父の愛支配の本質へのまことに満足のいく真の崇拝の現実をもたらす。
あなたが、一たび真に神意識をするようになったとき、つまり威厳ある創造者に本当に気づき、神性制御者の内住する臨場実現を経験し始めた後、あなたは、次に自らの啓発に従い、また神性の息子が神を明らかにする様式と方式に従うとき、第一の偉大なる根源と中枢というあなたの概念を適切に表現する宇宙なる父のための名前を見つけるであろう。そして、創造者は、関係性の精神の意味するところはすべて同様であるが、ある特定領域の創造物の心の中における創造者の崇拝の程度、崇拝の深さを表示する各名称、言葉や記号においては異なる名称により、異なる世界と様々な宇宙において数多くの名称で知られるようになる。
宇宙なる父は、宇宙の中の宇宙の中心近くにおいて一般的には、第一根源を意味すると見なされるかもしれない名前で知られている。より外側の空間宇宙においては、宇宙なる父を指して使われる用語が、しばしば宇宙の中心を意味する。父は、さらに外側の星の創造においてはあなたの地方宇宙の本部世界と同じように第一創造の根源と神性中枢として知られている。近くの1星座においては、神は、宇宙の父と呼ばれる。別の星座においては、無限の支持者、東では、神性制御者。また、光の父、光の贈り物、全能者とも呼称されてきた。
神は、楽園の息子が贈与の生活を送ったそれらの世界においては個人的関係、優しい愛情、そして父親のように温かい献身を示唆する何らかの名前で一般的に知られている。あなたの星座本部においては、神は宇宙なる父と呼ばれ、あなたの地方宇宙の棲息界に属する異なる惑星においては、父の中の父、楽園の父、ハヴォーナの父、そして精霊なる父として知られている。楽園の息子たちの贈与の顕示を通じて神を知る者達は、ついには被創造者と創造者の連携の感動的な関係の感情的な心の力に従い、また、「我々の父」として神に言及する。
性をもつ創造物の惑星においては、要するに、親の感情的衝動がその知力ある存在体の心にもともと備わっている世界においては、父という用語は、永遠なる神の非常に表現的であり、適切な名称になる。最も一般的に承認されているその方は、あなたの惑星ユランチアにおいては神という名前でよく知られている。その方に与えられている名前はあまり重要ではない。重要なことは、あなたが、神を知り神に似るということを切望するべきであるということである。あなたの昔の予言者たちは、心からその方を「永久の神」と呼び、「永遠に生息する」ものとして言及した。
神は精霊世界における第一の現実である。神は心の世界の真理の源である。神は物質領域のいたるところですべてを覆っている。被創造のすべての知能の持ち主にとって、の神は、人格であり、宇宙の宇宙にとっては、永遠の現実の第一根源と中枢である。神は、人間のようではなく、また機械のようでもない。第一の父は、普遍的精霊、永遠の真理、無限の現実、そして父の人格である。
永遠なる神は、理想化された現実、あるいは人格化された宇宙とは比べものにならないものである。神は、単なる人の崇高的願望や人間の客観化された探求ではない。神は、単なる概念や正義の可能性の力でもない。宇宙なる父は、自然と同義語でもなければ、擬人化された自然法でもない。神は、超越的現実であり、単なる人の最高価値の伝統的概念ではない。神は精霊的な意味の心理的一点集中化ではないし、「人間の最も高貴な仕事」でもない。神は、人の心の中のこれらの概念のいくつか、あるいは、すべてであるかもしれないが、神は、それ以上なのである。神は、地球上の精霊的な平和を享受する者、そして、死後の人格生存の経験を切望する者全てにとっての救いの人格であり、情愛深い父である。
神存在の現実は、神性臨場の内住する、つまり、人間の滅びる心に住むために、また、永遠の生存の不滅の魂の進化を助けるために楽園から送られた精霊の訓戒者人間の経験において明示される。人間の心の中のこの神性調整者の臨場は、3回の経験現象によって明らかにされる。神存在の現実は、神性臨場の内住する、つまり人間の経験において明示される。
1. 神を知るための知的可能性――神-意識。
2. 神を見つけようとする精霊的衝動――神-探求。
3. 神に似るという人格的渇望――父の意志を為すという心からの願望。
神の存在は、科学実験により、あるいは、論理的推理である純粋理性により立証されることは決してできない。神は、人間の経験領域においてのみ認識されることができる。にもかかわらず、神の現実の真の概念は、論理に適い、哲学には妥当であり、宗教には不可欠であり、また人格生存のいかなる望みにも必須である。
神を知る者達は、神の臨場の事実を経験してきた。神を知るそのような人間は、1人の人間が他者に提供することのできる生きた神の存在の唯一の確証を個人的な経験において保持する。神の存在は、人間の心の神-意識と、人間の知力に宿り、宇宙なる父の無料の贈り物として人に授与される思考調整者の神-臨場との間の接触以外のすべての実証の可能性をはるかにに超える。
理論的には、あなたは神を創造者とみなすかもしれないし、神は楽園と完全性の中央宇宙の直接の創造者である。ただし、時間と空間の全宇宙は、創造者たる息子達の楽園部隊によって創造され、組織化される。宇宙なる父は、ネバドンの地方宇宙の人格的創造者ではない。あなたが住んでいる宇宙は、宇宙なる父の息子マイケルの創造である。父は自らは進化する宇宙を創造はしないものの、進化する宇宙の普遍的関係の多くにおいて、また、物理エネルギー、心的エネルギー、精霊エネルギーの特定の顕示においては進化する宇宙を制御する。父なる神は、楽園宇宙の直接の創造者であり、永遠なる息子との関係においては、他のすべての宇宙の人格的創造者たちの創造者である。
第一根源と中枢は、宇宙の中の物質的宇宙における物理的制御者として楽園の永遠の小島の型において機能し、永遠の神は、この絶対重力の中心を経て、中央宇宙において、また宇宙の中の宇宙全体において等しく物理段階の宇宙的総括的管理を行使する。神は、心としては、無限なる精霊の神格において機能する。精霊としては、永遠なる息子の人格において、そして、永遠なる息子の神性の子供の人格において明示する。等位の人格と楽園の絶対者との第一根源と中枢のこの相互関係は、すべての創造を通じ、そのすべての段階において宇宙なる父の直接の個人的行為を少しも排除しない。創造者たる父は、断片化された精霊の臨場を通し被創造者の子らと創造された宇宙との直接的接触を維持する。
「神は精霊である。」神は精霊の普遍的臨場である。宇宙なる父は無限の精霊的現実である。宇宙なる父は、「主権の、永遠の、不滅の、不可視の、唯一の、真の神である。」あなたは、「神の子」ではあるが、「神の姿に似せて」造られると言われている事を理由に父は形や体格の上であなたがた自身に似ていると考えるべきではない。――あなたには神の永遠の臨場の中央の住まいから派遣される神秘の訓戒者が内住している。精霊の存在体は、人間の目には見えないにもかかわらず、実在する。精霊の存在体には肉体も血液もないのであるのだが。
昔の予言者いわく。「見よ、神が私の側を通り過ぎても、私には見えない。また、神が進んでいっても私には気づけない。」我々は、絶えず神の作品を観測したり、その威厳ある行為の物質証拠を大いに意識しているかもしれないが、神性の可視の顕現をめったに見つめることはできないかもしれない。人間に内住する代表として派遣された精霊の臨場を見ることさえないかもしれない。
宇宙なる父は、物質的に不利な条件の、また限られた精霊的贈与の下級の創造物から隠れているので目に見えないのではない。状況はむしろ次の通りである。「あなたは私の顔を見ることはできない。いかなる人も私を見て、なお生きていることはできないのであるから。」精霊の神を眺め、現世の生活を維持できる人間は誰もいないであろう。精霊存在体の下級集団による、あるいは物質的人格のいかなる体制による神性人格の臨場の栄光と精霊的な輝きへの接近は不可能である。父の個人的臨場の精霊的光輝は、「人間が近づくことができない光」、人間が見たことのない、あるいは見ることのできない」ものである。しかし、精霊的にされた心の信仰の視力により神を識別するためには肉体の目で神を見る必要はないのである。
宇宙なる父の精霊の本質は、共存する自己、つまり、楽園の永遠なる息子と完全に分け合っている。父と息子の両者は、同じように普遍かつ永遠の精霊を人格の連合等位者、すなわち無限の精霊と完全に、しかも率直に共有する。神の精霊は、それ自身において絶対である。息子においては、それはすべて無条件であり、精霊においては、普遍であり、それら自身のすべてにおいて無限である。
神は普遍的精霊である。神は普遍的人格である。有限創造の有する崇高的人格の現実は精霊である。人格的宇宙の究極の現実は准絶対精霊である。ただ無限性の段階だけが絶対であり、ただそのような段階だけに、物質、心、精霊間の一体化の完了状態がある。
宇宙における父なる神は、潜在的に、物質、心、精霊の総括的管理者である。神は、広範囲の人格回路によってのみ意志をもつ創造物の広大なその創造の人格に直接的に対処するが、(楽園の外においては)断片化された実体、つまり、宇宙に広まる神の意志の臨場においてのみ接触可能である。時間の人間の心に宿り、その場で、生存する創造物の不滅の魂の進化を促すこの楽園の精霊は、宇宙なる父の本質と神性を有する。しかし、進化するそのような創造物の心は、地方宇宙において始まり、天で父の意志に従うという創造物の選択の必然の結果であるところの精霊到達のためのそれらの変革達成による神性の完成に至らなければならない。
人間の内的経験において、心は物質に結びつけられている。物質に繋がるそのような心は、人間の死を生き延びることはできない。のである。人間の心の物質への関連性から精霊統一へのこの進化は、不滅の魂のモロンチア現実への人間の心の潜在的に精霊である局面の変換という結果に至る。物質に従属的な人間の心は、ますます物質的になり、その結果いずれ起こる人格の消滅を被る。精霊に譲られる心は、次第に精霊的になり、生残し誘導している神性の精霊との一体感に達するために、そして、この方法で人格存在の生存と永遠性に達するためにますます精霊的に、崇高的になるよう運命づけられている。
私は永遠のものからきており、宇宙なる父のいる場所に繰り返し戻っていった。私は、第一根源と中枢の実在と人格、すなわち、永遠なる宇宙なる父を知っている。私は、偉大なる神は絶対であり、永遠であり、無限であると同時に、善であり、神性であり、優しいことも知っている。私は「神は精霊である」それに、「神は愛である」という素晴らしい宣言の事実を知っている。そして、これらの2つの特質は、永遠なる息子において宇宙に徹底的に明らかにされるのである。
神の無限の完全性は、永遠に神を神秘にするそのようなものである。そして、神の測りがたい神秘のすべてのうち最もすばらしいものは、人間の心の中の神性内住の現象である。宇宙なる父が時間の創造物と逗留する態度は、宇宙のすべての神秘の中で最も核心を突くものである。人の心における神性臨場は、神秘中の神秘である。
人間の物理的肉体は「神の寺院」である。最高権威の創造者たる息子達は、生息界の被創造物の近くに来て、「すべての人々を息子達に引きつける」にもかかわらず、意識の「戸に立ち、」「たたき」、そして、「心の戸を開く」すべての者達に入ることを喜ぶが、創造者たる息子と必滅の創造物の間にはこの親密な個人的親交があるものの、それにしても、人間は、実際に自分たちの中に住む神自身からの何かをもつ。人間の肉体はその寺院である。
あなたがここで終わるとき、地球での一時的な形であなたの過程を終えたとき、肉体でのあなたの試練が終わったとき、必滅の仮小屋を構成する塵が、「それが来た地球に戻り」、その後、それは明らかにされ、内住する「精霊は、それを与えた神に戻る」のである。この惑星の道徳的存在体の中に、神性の部分であり、小包である神の断片が、滞在する。所得権はまだあなたのものではないが、あなたが人間存在を乗り切るならば、計画上、それはあなたと1つであるよう意図されている。
我々は、絶えず神のこの神秘に直面している。我々は、神の無限の善、果てしない慈悲、無比の知恵、すばらしい性格の終わりなき真実の全容のさらなる展開に困惑する。
神性の神秘は、有限と無限、一時性と永遠性、時空の被創造物と宇宙なる創造者、物質と精霊、人間の不完全性と楽園の神格の完全性との間に存在する固有の違いにある。普遍的の愛の神は、神性の真、美、善の資質を精霊的に把握するその創造物個人の能力を満たし得るまで自分の創造物のあらゆるものに自分自身を確実に顕示する。
宇宙なる父は、宇宙の中の宇宙のあらゆる球体とあらゆる世界のすべての精霊存在体とすべての必滅の創造物に、そのような精霊存在体により、また、そのような必滅の創造物により識別され、理解されることのできる情けがあり神性である自己のすべてを明らかにする。神は、精霊的でろうと物質的であろうと人格をの差別をしない。宇宙のいかなる子供がいついかなるときでも楽しみとする神性臨場は、そのような創造物が超物質世界の精霊現実を受け入れ識別するための能力によってのみ制限される。
神は、人間の精霊的経験における現実としての神秘ではない。しかし、精霊世界の現実が、物質体制の物理的な心へ明らかにされようとするとき、神秘、すなわち神を知る人間の信仰に基づく把握だけが時間と空間の物質界の進化する人間による永遠の神の識別、有限による無限の認識である哲学的な謎を実現することができるほどの非常に微妙かつ深遠な神秘は、現れる。
神の大きさ、無限性に神の人格をあいまいにさせたり、またはおおい隠させたりしてはいけない。「耳を植えつけた方が、聞かないということがあろうか。目を作った方が、見ないということがあろうか。」宇宙なる父は神性人格の偉大さである。神はすべての創造にわたり人格の起源と目標である。神は無限的かつ人格的である。神は無限の人格である。無限である神は、物質的で有限な存在体の完全な理解の及ばないところに永遠に神を置くにもかかわらず、父は、真に人格なのである。
神は、人間の心で解釈される人格をはるかに超える人格である。神は超人格のあらゆる概念をはるかに超えるものである。しかし、存在現実に関する最大概念が人格についての考えと理想にある物質創造物の心と神性人格のそのような不可解な概念について議論するということは、全く空しいことである。物質的創造物がもつ宇宙なる創造者についての最高可能な概念は、神性人格の高遠な思考の精霊的理想に包含されている。したがって、あなたには、神は人格についての人間の概念をはるかに超えるものでなければならないと分かるとしても、同時に、宇宙なる父が永遠の、無限の、善の、そして、美しい人格には及ばない何かであるはずがないことも同様によく分かるのである。
神は自分の創造物のいずれからも隠れてはいない。神には、ただ単に「どんな物質的創造物も接近することができない光の中に住んでいる」ので、とても多くの存在体の系列にとっては近づきにくい。神性人格の広大さと壮大さは、進化する人間の未完の心での把握を超えている。神は「手のくぼみで水域を測り、手の幅で宇宙を測る。地をおおう天蓋の上にすわり、天を垂れ幕のように伸ばし、そして、住まうためにそれらを宇宙のように広げる方は神である。」「目を高く上げ、だれがこれらのすべてを創造したか、だれが数えて、それらの世界を持ち出し、その名をもって呼び出すかを視なさい。」まさに、「神の目に見えないものは、創造物において部分的に理解される」ということは本当である。今日、あなたがそうであるように、あなたは、神の息子とその多数の従属物の顕示と奉仕を始めとして種々様々の創造を通して目に見えない製作者について明察しなければならない。
物質的人間は、神の人格を見ることはできないが、神が人格であるという保障を喜ぶべきである。宇宙なる父は、その進化の遅い住民の精霊の永遠の発展に備えるほどに世界を愛したということ、神は「我が子らが大好きである。」と描写する真実を、信仰により受け入れなさい。神は、完全で、永遠の、愛ある、そして、無限である創造者の人格を成す超人間と神性のそれらの属性の何も欠いてはいない。
局部創造において(超宇宙の人事を除く)神は、生息界の父と地方宇宙の君主である楽園の創造者たる息子は別として局部創造における神は、何の人格、あるいは住まい(超宇宙の人事を除く)、の顕現もしない。もし創造物の信仰が完全であるならば、創造物は、創造者たる息子を見たとき、宇宙なる父を見たということを確かに知るであろうに。創造物は、父を捜し求めるにあたり息子は別として尋ねることも見ることも期待しないであろう。人間は、精霊の完全な変容を成し遂げ、実際に楽園に到達するまでは簡単に神を見ることはできない。
楽園の創造者たる息子の本質は、第一の偉大なる根源と中枢のもつ無限の本質の普遍的絶対性のなかのすべての無限界可能性を取り囲んでいるわけではないが、宇宙なる父は創造者たる息子の中にあらゆる方法において神々しく臨場している。父とその息子たちは1 つである。マイケルの系列のこれらの楽園の息子は、完全な人格であり、輝く明けの明星の人格から進行中の動物進化の最も低い人間までのすべての地方宇宙人格のための模範でさえある。
神がいないならば、またその偉大かつ中心的人格がなかったならば、宇宙の中の広大な宇宙のすべてにわたり人格は存在しないであろう。神は人格なのである。
神は永遠の力、威厳ある存在、並外れた理想であり、栄光の精霊であるが、神はこれらのすべてであり、無限にそれ以上であるにもかかわらず、それでもなお、本当に、しかも不滅に完全な創造者たる人格、すなわち、「知り、知られる」ことができるもの、「愛し、愛される」ことができるもの、そして我々を助けることができるものである。また他の人間が知られてきたように、あなたは神の友人として知られることができる。神は真の精霊であり、精霊の現実である。
我々が宇宙なる父が宇宙全体に明らかにされるのを見るとき、無数の創造物に宿る宇宙なる父について明察するとき、宇宙なる父の君主の息子の人格に彼を視るとき、神性臨場を随所に、近くに、そして遠くに知覚し続けるとき、我々は、神の人格の優位性を疑ったり、疑問視しないようにしよう。宇宙なる父は、これらのすべての広範囲の分布にもかかわらず、真の人格のままであり、不滅に宇宙の中の宇宙に点在する創造物の無数の部隊との個人的接触を保つのである。
宇宙なる父の人格についての考えは、主に顕示を経て人類に届いた神についての拡大されたより真実の概念である。理性、知恵、宗教的経験はすべて、神の人格を推論し、含意するが、かならずしも正当であるとそれを証明するわけではない。内住する思考調整者さえ前人格なのである。いかなる宗教の真理と円熟も、神の無限の人格のその概念に、また、神格の絶対統一のその把握に正比例している。人格の神格は、それゆえ、宗教が最初に神の統一の概念を定式化してしまうと、宗教の完全な発達規準となる。
原始宗教には多くの人格神がおり、それらは人間の姿に似せて作り上げられた。顕示は、第一根源の科学的公理においてはまったく可能であり、宇宙なる統一の哲学的な考えにわずかに暫定的に示されるにすぎない神の人格概念の正当性を肯定する。何人も人格接近によってのみ神の統一を理解しだすことができる。第一根源と中枢の人格を否定することは、人に哲学上の2つの窮地の選択のみを残す。唯物論、または汎神論。
人格の概念は、神格についての熟考の際、実物性についての考えを取り除かなければれならない。肉体は、人間あるいは神のいずれの人格にも不可欠ではない。実物性の誤りは、人間の哲学の両極点に示されている。唯物論においては、人間は死で肉体を失うので、人格としては消滅する。汎神論においては、神には肉体がなく、それ故に人ではない。前進する人格の超人間の型は、心と精霊の統一において機能する。
人格は単に神の属性ではない。それは、むしろ完全な表現の永遠性と普遍性に示されている連携された無限の本質と統一された神の意志の全体性を表す。人格は、崇高的意味において、宇宙の中の宇宙への神の顕示である。
永遠であり、普遍的であり、絶対であり、無限である神は、知識が増したり、知恵が増大したりするのではない。神は、有限の人間が憶測したり、把握するかもしれないような経験は積まないが、神自身の永遠の人格の域内において、進化する世界の有限創造物による新経験の習得に幾つかの点において匹敵し、また、比較できる自己実現のそれらの連続的拡大を味わうのである。
もし宇宙なる父が、神性の援助によって精霊的に完全な世界へ高く上昇しようとする広い宇宙の中の不完全なすべての魂の人格の苦闘に直接に関係するという事実がなかったならば、無限の神の絶対的完全性は、無限の神を無条件の終局性の完全さのもつ極度の限界に苦しめさせるであろう。宇宙の宇宙の中のあらゆる精霊存在とあらゆる必滅のこの前進的経験は、自己実現における果てしない神性回路の絶えず広がる父の神性意識の一部である。
「あなたのすべての苦悩に、神は苦しめられる。」「あなたのすべての勝利に、神はあなたの中で、そしてあなたと共に勝ち誇る。」というのは文字通り本当である。前人格の神性の精霊は、あなたの本当の部分である。楽園の小島は、宇宙の中の宇宙のすべての物理的変化に応じる。永遠なる息子は、全創造の全精霊の推進力を包含する。連合活動者は、広がる宇宙のすべての心の表現を成就する。宇宙なる父は、神性意識に満ち溢れ、時間と空間の全進化の創造のあらゆる実体、存在体、および人格の広がる心と上昇する精霊の進歩的戦いのすべての個々の経験を実現する。そして、「我々は皆、神のうちに生き、動き、存在している」のであるから、このすべてが文字通り真実である。
人間の人格は、創造者の神性人格により投げかけられる時空の姿と影である。そして、どんな現実も適切にその影の考査により理解することはできない。影は真の物質で説明されるべきである。
神は、科学にとっての原因、哲学にとっての考え、宗教にとっての人格であり、情愛深い天の父でさえある。神は、科学者にとっては最初の力であり、哲学者にとっては統一についての仮説であり、宗教家にとっては精霊の生きた経験である。宇宙なる父の人格という人のもつ不適切な概念は、宇宙における人の精霊的進歩によってのみ改善でき、時間と空間の巡礼者が最終的に楽園の生ける神の神性抱擁に達する場合にのみ、真に適切になるであろう。
神は、科学にとっての原因、哲学にとっての考え、宗教にとっての人格であり、情愛深い天の父でさえある。神は、科学者にとっては最初の力であり、哲学者にとっては統一についての仮説であり、宗教家にとっては精霊の生きた経験である。宇宙なる父の人格という人のもつ不適切な概念は、宇宙における人の精霊的進歩によってのみ改善でき、時間と空間の巡礼者が最終的に楽園の生ける神の神性抱擁に達する場合にのみ、真に適切になるであろう。
人間の心に宿る前人格の神性の精霊は、ほかならぬその存在において、その実際の存在の有効な裏づけを保持するが、神性人格の概念は、本物の人格的宗教経験の精霊的洞察によってのみ理解し得る。人間あるいは神性いずれの個人も、その人格の外面的反応、あるいは物質的臨場とはまったく別に、知られたり理解されたりるかもしれない。
ある程度の道徳的類似性と精霊的調和が、二者間の親交に必要不可欠である。愛ある人格は愛のないものにまず自分を明らかにすることはできない。神性人格を知ることに接近するためにさえ、人の人格贈与のすべては、努力に完全に奉げられなければならない。浮き腰の、部分的な献身は効を奏しないであろう。
人は、より完全に自らを理解し、また仲間の人格的価値を評価すればするほど、起源の人格をより知ることを切望するし、またそのような神を知る人間が、よりひたむきに努力すればするほど必死に起源の人格のようになろうとするのである。あなたは神に関する意見について議論することはできるが、神との、および神の中における経験は、人間のすべての論争や単なる知的論理の上に、またそれらを超えて存在しているのである。神を知る人間は、信じない者を納得させるためにではなく、信じる者の啓発と相互の満足のために精霊的経験について述べる。
宇宙を知ることができると、また、それがよく分かると決めてかかるすることは、宇宙は心で作られ、人格で制御されると決めてかかることである。人間の心は、人間的であるか、あるいは超人的であるとにかかわらず、他の心の心的現象を知覚できるに過ぎない。人の人格が宇宙を経験することができるならば、その宇宙の中に隠されている神性の心と実際の人格がどこかに存在するのである。
神は精霊である—精霊人格。人間もまた精霊である—潜在的精霊人格。ナザレのイェススは、人間としての経験において精霊人格のこの可能性の完全な実現を果たした。したがって、父の意志を成し遂げるというイェススの生涯は、神の人格の最も真実の、しかも理想の顕示になる。宇宙なる父の人格は、実際の宗教経験においてのみ把握可能であるが、我々は、イェススの地球での人生における実に人間的な経験のなかにそのような神の人格の実現と顕示の完全な実証により触発される。
「生きている神」について語ったとき、イェススは人格の神格--天の父に言及した。神格の人格の概念は、親交を促す。それは知性ある崇拝を奨励する。それは清々とした信頼を促進する。相互作用は、親交にではなく、非人格物間にありうる。父と息子との、すなわち神と人間のあいだのような親交関係は、両者が人格でないならば味わえない。この人格的親交は、ちょうど思考調整者のような非人格的実体の臨場によりはなはだしく容易にされるかもしれないが、ただ人格のみが、互いに親しく交わることができるのである。
人間は、1滴の水が海洋との合一にたどりつくかもしれないようには神との統一を達成はしない。人間は、進歩的、相互的、精霊的な親交により、つまり、人格神との人格交流により、すなわち、神性の意志への心からの、また知的な適合により神性統一を達する。そのような高尚な関係は人格間にのみ存在し得る。
真理についての概念は、人格からは離れて受け入れられるかもしれないし、美についての概念は、人格なくして存在し得るかもしれないが、神性の善についての概念は、人格との関連においてのみ理解できる。人格だけが愛し、愛されることができるのである。美と真理が情愛深い父である人格神の属性でないならば、これらでさえ生存の望みから遊離するであろう。
我々には、神がいかに根本的、不変、全能、完全であり、同時に変わり続け、しかも法により限られているらしい宇宙に、すなわち、相対的な欠点のある発展している宇宙に囲まれることができるかを完全には理解できない。しかし、我々自身と環境双方の一定の変化にもかかわらず、我々は皆、人格の同一性と意志の統一を維持するので、自身の個人的な経験を通じてそのような真実を知ることができる。
宇宙の究極の現実は、数学、論理、または哲学によってではなく、人格的な神の神性意志への前進的適合における個人的経験によってのみ理解され得る。科学も、哲学も、神学も、神の人格の正当性を立証することはできない。天の父の信仰の息子の人格的経験だけが、神の人格の実際の精霊的実現化をもたらし得るのである。
宇宙人格のより高い概念は、同一性、自意識、我意、および、自己顕示のための可能性を含意する。そして、これらの特性は、楽園の神格の人格関係に存在するようなさらに他の相等しい人格との親交を含意する。加えて、これらの関係の絶対的統一は、非常に完全であるので、神性は不可分性、単一性によって知られるようになる。「主なる神は唯一である。」人格の不可分性は、神が人間の心の中に生きるように自分の精霊を贈与することを妨げない。人間の父の人格の不可分性は、人間の息子と娘の生殖を阻まない。
統一性の概念に関連するこの不可分性の概念は、神格の究極性による時と空間の双方の超越を含意する。したがって、空間も時間も絶対であったり、または無限であるはずがない。第一根源と中枢こそが、資格も制限も無しで、すべての心、すべての事柄、すべての精霊を超えて無限大なのである。
楽園の三位一体の事実は、いかなる点においても神性統一の真理に背かない。楽園神格の3人格は、すべての宇宙現実への反応のおいて、そしてすべての創造物関係において、1つとしてある。これらの永遠の3人格のいずれも、神格の不可分性の真実に背かない。私は、これらの宇宙問題が我々にどう現れるかを人間の心に明らかにするための私の自由になる何の適切な言語もないということを百も承知している。しかし、あなたは落胆すべきではない。これらの事態すべてが、楽園存在体の私の集団に属する高い人格にさえ完全に明確であるというわけではない。神格に属するこれらの深遠な真理は、あなたの心が人間の楽園への長い上昇の連続する時代の間に次第に精霊的にされるようになるにつれ、ますます明らかになるということをずっと心に留めておきなさい。
[ネバドンの地方宇宙の境界を越えた業務と関係がある来るべきこの顕示のそれらの部分を監督するために第7超宇宙の本部であるユヴァーサの日の老いたるものによって配属された天の人格の1集団の1員である神性顧問による提示。私は、いかなる生息界のそのような目的のための利用可能な最高の情報源を代表するので神の性質と属性を描写するそれらの論文を主催するために任命されている。私は、全7超宇宙において神性制御者として勤め、長い間、万物の楽園の中心に住んできた。私は、滞在中、宇宙なる父の即座の人格的臨場に最高の喜びに恵まれた。私は、挑戦され得ない権威をもって父の本質と属性の現実と真実を描く。私は、自分が何を言っているか分かっているつもりである。]
人がもつ神に関する最高に可能な概念が、最初の、かつ、無限の人格に関する人間の考えと理想の中に受け入れられている限り、神格の特質を構成する神性の特定の特徴を研究することは許されており、その上有用であることが分かるかもしれない。神の性質は、ネバドンのマイケルがその多種多様な教えと肉体でのこの世の見事な人生において繰り広げられた父の顕示に最もよく理解できる。人は、もし自分を神の子供と見なし、また、真の精霊の父として楽園創造者を敬うならば、神の性質というものを理解し得るのである。
神の性質は崇高な考えの顕示における研究が可能であり、神性の特質は崇高な理想の描写として思い描くことができるが、最も啓蒙的、かつ、精霊的に教化する神性の全顕示は、神性についての完全な意識への到達前後双方のナザレのイェススの宗教人生の理解にある。マイケルの甦生の生涯が人への神の顕示の背景とみなされるならば、我々は、宇宙なる父の人格の本質と特質についての人間の概念のなお一層の照射と統一に貢献するかもしれない神性に関する一定の考えと理想を人間の言語記号に置き換える試みができるのである。
我々は、神に関する人間の概念の拡大と精霊化への我々の全努力において、人心の能力の限界に途方もなく妨げられている。我々は、人間の有限かつ必滅の心に神性価値を描写し、精霊的な意味を提示する我々の努力において言語の制限により、また例証、あるいは、比較の目的に利用できる資料不足により、任務の実行においてもまた極めて不利な立場におかれている。神に関する人間の概念を拡大する我々の全努力は、人間の心には宇宙なる父から与えられた調整者が宿り、創造者たる息子の真実の精霊が満ちているという事実を除いてはほぼ役に立たないであろう。したがって、神の概念の拡大における援助のために人間の心の中でのこれらの神性の精霊の臨場を頼みとし、私は、人心への神の性質の一層の描写を試みるために自分への命令実行を喜んで引き受ける。
「無限者に触れても、我々は彼を見つけることはできない。神性の足跡は知られていない。」「神の理解は無限であり、偉大さは測りしれない。」目をくらます父の臨場の光は、劣る生き物にとっては、父は明らかに「深い暗闇に住む」そのようなものである。父の考えと計画は不可解であるばかりではなく、「神は無数の、すばらしく驚くべきことをする。」「神は、偉大である。我々には神を理解できないし、その年数を測り知ることもできない。」「本当に、神は地球に住むのであろうか。見よ、天 (宇宙)と、天の中の天(宇宙の中の宇宙)は、神を含むことができない。」「なんと、その裁きは窮めがたくその道は測りがたいことか。」
「無限の父であり、忠実な創造者でもある唯一の神のみがいる。」「神性創造者は、魂の源と目標である宇宙の処分者でもある。彼は崇高なる魂、第一の心と、全創造の無制限の精霊である。」「偉大な制御者は間違いを犯さない。彼は威厳と栄光できらびやかである。」「創造者たる神は完全に恐怖と敵意を欠いている。彼は不死であり、永遠であり、自立自存であり、神性であり、物惜しみをしない。」「なんと純粋かつ美しく、なんと深く測り難い万物の崇高な祖先であることよ。」「無限者は、自分を人に伝える点において最も素晴らしい。彼は、初めであり終わりである。すなわち、善であり完全であるあらゆる目標の父である。」「神には何もできないことはない。永遠の創造者は、原因の原因である。」
その永遠、かつ、普遍の人格のすばらしい顕現の無限性にもかかわらず、父は、無限と永遠の双方を無条件に意識している。同様に、自分の完全さと力を知りつくしている。自身の完全で、適切で、徹底的な評価を経験する父は、神性の同位者たちは別として、宇宙で唯一の存在である。
父は、主たる宇宙の様々な区域において時々変化するように、自分への異なる要求に絶え間なく、確実に応える。偉大な神は自分を知っており、理解している。つまり、完全性からくる自分の第一属性のすべてを際限なく意識している。神は宇宙の異変ではない。宇宙の実験者でもない。宇宙なる君主は冒険に入るかもしれない。正座の父は実験するかもしれない。体制の長達は練習するかもしれない。しかし、宇宙なる父は始まりから終わりを見、その神性の計画と永遠の目的は、広大な領域のあらゆる宇宙の中のあらゆる世界と体制と星座に自分のすべての仲間のすべての実験とすべての冒険を実際に擁し、理解する。
神にとり新たなものは何もなく、宇宙の驚くべき何の出来事もない。神は永遠の回路に居住する。神の日々には、初まりも、終わりもない。神には、過去も、現在も、あるいは未来もない。すべての時がいつなんどきでも存在している。神はすばらしさであり、唯一の私はあるである.
宇宙なる父は、そのすべての属性において絶対に、無制限に無限である。そして、この事実は、それ自体、有限の物質存在体と低く創造された他の知力あるものとのすべての直接的人格的意思疎通から自分を自動的に断つ。
そしてこの全てが、まず最初は、神性的には完全であるものの、しばしば惑星の人種のまさにその肉体の性質を共にする、すなわち、あなた方の中の1人になり、そして、あなた方とともにいる神の楽園の息子の人格に定められてきたような多種多様の創造物との接触と意思疎通のためにそのような取り決めを必要とする。このように、言ってみれば、互換性を持って神の息子と人の息子と呼ばれたマイケルの贈与で起こったように神が人間になる。そして、第2には、無限の精霊の人格が、つまり、低い起源の物質存在体に近づき、さまざまな形でそれらの世話し、奉仕しする熾天使の部隊と他の天の知性的存在体の様々な系列がある。そして、第3には、予告なしに、また説明もなく送られる偉大な神自身の実際の贈り物がユランチアの人間のようなものに宿るために送られる非人格の神秘の訓戒者、つまり思考調整者がある。思考調整者たちは、無限の豊富さにおいて、神-意識のための能力、あるいはそのための可能性を持つそれらの人間の謙虚な心を美しく飾り、また心に宿るために栄光の高さから降りてくる。
これらの方法で、また多くの他の方法で、あなたに知られていない方法で、まったく有限の理解を越えて、 楽園の父は、創造物の子らの有限の心により近づくことができるように、自身の無限性を愛をもって、快く軽減させ、さもなければ修正し、和らげ、薄めるのである。こうして、減少的に絶対である一連の人格分布をへて、無限の父が、広範囲の宇宙の多くの領域のさまざまの知力者との密接な接触を楽しむことが可能にされる。
無限の父は、その無限性、永遠性、首位性の事実と現実からいささかも減じることなくこのすべてをしてきたし、今しているし、し続けていくであろう。そして、それらの理解の困難さ、包まれている神秘、または、ユランチアにすむそのような創造物に完全に理解される不可能性にもかかわらず、これらの事柄は絶対に真実である。
第一の父は、その計画においては無限であり、その目的においては永遠であるが故に、いかなる有限存在体にとっても神のこれらの計画と目的を十分に把握したり理解することは、本質的に不可能である。人間は、宇宙進行のその連続段階における創造物上昇計画の出仕事と関連して明らかにされるように、時折、あちらこちらに父の目的をちらりと見ることができるに過ぎない。人は無限の意味を取り込むことはできないのであるが、無限の父は、全宇宙のすべての子供のすべての有限性を最も確実に完全に理解し、愛情を込めて抱擁する。
父は楽園のより高い存在体とともに神性と永遠を共有するのであるが、無限性とその後の普遍の首位性が、楽園の三位一体の等位の仲間を除く誰とでも完全に共有されるかどうかを我々は疑問とする。人格の無限性は、人格のすべての有限状態を必然的に抱擁しなければならない。したがって、「神のうちに、我々は生き、動き、存在している」と宣言する教えは真実—文字通りの真実—である。必滅の人間に宿る宇宙なる父の純粋な神性のその断片は、父の父である第一の偉大な根源と中枢の無限の一部である。
あなたの昔の予言者たちさえ、宇宙なる父の永遠の、決して始まらない、決して終わらない循環的性質を理解していた。神は、文字通り、永遠に自分の宇宙の中の宇宙に臨場している。神は、現時点においてすべての絶対の威厳と永遠の偉大さに居住する。「父は自分のうちに命を持たれ、そして、この命は永遠の命である。」永遠の全時代にわたり、「すべてのものに命を与える」父であった。神性の高潔さにおいては無限の完全性がある。「私は主である。私は変わらない。」宇宙の中の宇宙についての我々の知識は、神は光の父であるというだけではなく、惑星間の問題処理においても「可変性とか変化の影とかもない」ということである。神は「始まりから終わりというものを宣言する。」神は言う、「私の助言は有効のままである。私は、私の望むすべてをする」「私の息子へ意図した永遠の目的にそって。」第一根源と中枢の計画と目的は、それゆえ、神自身に似ている。永遠で、完全で、いつまでも、不変である。
父の命令には完成の終局性と充満の完全性がある。「神が何をなされても、それは永遠になるであろう。それには何も加えられず、何かを取りさられることはない。」宇宙なる父は、賢明で完全な本来の目的を悔いない。神の計画は不動であり、勧告は不変であり、御業は神性で決して誤らない。「神の目には、1,000年も昨日のように過ぎ去り、夜回りのひとときのようです。」神性の完全性と永遠性の規模は、どこまでも人間の限定される心の完全な把握を超えるものである。
不変の神の反応は、神の永遠の目的の実行においては、創造された知力あるものの変化する態度や移行する心に従って変わるように見えるかもしれない。すなわち、その反応は明らかに、しかも表面的に異なるかもしれない。だが表面下と外へ向かうすべての顕現の下に、永遠の神の不変の目的、永遠の計画は依然として存在している。
完全性とは、宇宙の外側においては、必然的に相関的用語であるには違いないが、中央宇宙において、特に楽園においては、完全性は薄められてはいない。ある局面においては、それは絶対である。三位一体顕現は、神性の完全性の提示を変えはするが、それを減衰はさせない。
神の最初の完全性は、想定された正義で成るのではなく、むしろ、神性の本質に固有の善の完全性で成る。神は最終であり、完成しており、完全である。神の公正な性格の美と完全性に欠けるものは何もない。空間世界における生きた存在物の全計画は、意志を持つすべての創造物を父の楽園の完全性を共有する高い経験目標へと向上させる神性の目的を中心に置いている。神は自己中心的でも自己内蔵的でもない。神は、自分を宇宙の中の広大な宇宙のすべての自己を意識する創造物への贈与を決してやめない。
神は、自身の経験として自ら個人的に不完全さを知ることはできないが、永遠に無限に完全であり、すべての楽園の創造者たる息子に属する進化的宇宙において戦っている全創造物の不完全さの全経験意識を共有するのである。完全性の神の人格的かつ解放的接触は、心を覆い、道徳的な認識の宇宙水準に昇ったそれらのすべての人間の本質を回路化させる。この様にして、宇宙なる父は、神性臨場の接触を通してさらに、実際に宇宙全体のあらゆる道徳的存在体の発展的経歴における未熟さと不完全さの経験に参加する。
人間の限界、すなわち潜在的悪は、神性の一部ではないが、悪との人間の経験と悪にとってのすべての人間関係は、絶対に違うことなく時間の子供--楽園から出かけさせるあらゆる創造者たる息子によって創造された、あるいは進化させられた道徳的責任を負う創造物--における神の広げ続ける自己実現の一部である。
神は義である。したがって、神は正しい。「主は自身のすべての道において正しい。」「『私がしたすべてのことは、故なくしてはしなかった』と主は言われる。」「主の裁きはまことであり、ことごとく正しい。」「なぜなら、我々の神である主には、悪行がなく、えこひいきをせず、贈り物を取らないので」、創造物の行為と実績は宇宙なる父の正義に影響を及ぼすことはできない。
我々が神の賢明な自然の法則と公正な精霊的命令の運用の正当な結果を避け得るようにと、神の不変な法令を変更するといった神に対するそのような幼稚な訴えをするということはなんと空しいことか。「だまされてはいけない。神は侮られはしない。人は何を蒔こうともそれを収穫することになる。」悪行の報いを受ける正義においてさえ、この神性正義はいつも慈悲と融合される。無限の英知は、与えられたいかなる状況にも配分される正義と慈悲の割合を測定する永遠の仲裁者である。神の政府に対する悪行と周到な反逆に対する最大の罰(現実には必然の結果)は、その政府の個々の対象としての存在の損失である。全霊を傾けた罪の最終結果は絶滅である。詰まるところ、そのような罪を確認された個人は、悪の抱擁を通じて完全に非現実的になることにより自らを滅ぼしてしまった。そのような創造物の事実上の消滅は、しかしながら、その宇宙における正義の現行の制定された秩序が完全に順守されるまでいつも遅延されるのである。
存在停止は、通常、その領域、あるいは複数の領域の天啓あるいは新紀元の判決時に宣告される。ユランチアなどのそのような世界においては、それは惑星の天啓の終わりに来る。存在停止は、惑星協議会から創造者たる息子の裁判所を経て日の老いたるものの裁決法廷におよぶ所轄のすべての裁判所の調整機能によってこうしたときに宣告できる。停止命令は、悪事を働く者の居住球体に始まる起訴に対する突き崩されることのない立証後に超宇宙の上級裁判所で起こる。そして、次に、絶滅の宣告が天において確定されてしまうと、処刑は、超宇宙の本部に住まい、そこから機能するそれらの裁判官の直接行為による。
この判決が最終的に確定されると、罪を確認された存在体は、即座に、まるで存在していなかったかのようになる。そのような運命からは何の復活もない。それは永続であり、永遠である。同一性の生けるエネルギー要素は、そこから一度現れた宇宙の可能性への時間の変化と空間の変容により分解される。不正者の人格に関しては、永遠の生が保証されるそれらの選択と最終的決断をする創造物の失敗により生命を継続する媒体が剥奪される。関連する心による罪の継続的抱擁が完全な不正との自己意識に至り、次に生命が停止すると、すなわち宇宙溶解が起こると、そのような孤立している人格は、創造の大霊に吸収され、崇高なるものの進化的経験の一部になる。それは人格としては決しては二度と現れない。その同一性は、まるでそれが存在しなかったかのようになる。調整者-内住の人格の場合、経験的精霊価値は、継続する調整者の現実の中に生き残る。
現実の実際の段階間のいかなる宇宙競争においても、より高段階の人格が、ついには低段階の人格に打ち勝つのである。宇宙論争のこの必然の結果は、資質の点における神性は、意志をもついかなる創造物の現実、あるいは、現実性の度合いに等しいという事実に固有である。弱められた悪、完全な誤り、意図的な罪、和らげられない不正は、本質的に、自動的に自滅する。そのような宇宙非現実性の態度は、公正な裁決のための宇宙裁判所の正義決定の、また公平性認定の手順まで一時的な慈悲寛容のおかげで宇宙の中で生き残ることができる。
地方宇宙の創造者たる息子の支配は、創造と精霊化の支配である。これらの息子たちは、人間の前進上昇の楽園計画の効果的実行に、反抗者と誤った思索家の更生に献身するが、そのような優しい努力すべてが、最終的に、そして永久に拒絶されるとき、解散の最終的裁決は、日の老いたるものの管轄下で働く根源力により実行される。
慈悲とは、単に知識の完全性と生まれながらの弱点についての完全な認識と有限である創造物の環境上の不利な条件から脱するその知恵によって和らげられるところの正義である。「我々の神は、憐れみ深く、情け深く、辛抱強く、慈悲に溢れている。」したがって、「主を呼び求める者は誰でも救われる。」「というのも、主はふんだんに許して下さるから。」「主の慈悲は、永遠に変わらない。」その通りである。「主の慈悲は、永遠に続く。」「私は主であり、地上に慈愛と公義と正義を行なうものであり、というのも私がこれらのことをまことに楽しむからである。」「私は人の子らを進んで苦しめたり、悲しませたりはしない、」なぜなら、私は、「慈悲の父でありすべての安らぎの神」であるから。
神は、本来親切で、おのずから情け深く、果てしなく慈悲深い。神の情けを引き起こすために決して父に何の影響ももたらす必要はない。創造物の要求が、父の思いやりの慈悲と救いの恩寵の完全な流れを全面的に保証するに足りるのである。わが子に関しすべてを知っているので、神にとって許すことは簡単である。人は隣人を理解すれば理解するほど、隣人を許し、愛しさえすることがより容易くなるであろう。
無限の知恵の認識だけが、公正な神が、同時に、しかも与えられたいかなる宇宙状況においても、正義と慈悲への聖職活動を可能にする。天なる父は、宇宙の子供への対立的態度に決して苦しめられはしない。神は決して抗争態度の犠牲者ではない。神の全知性は、完全に、同時に、また等しくそのすべての神性属性の要求とその永遠の性質の無限の資質を満たすというその宇宙的行為選択における神の自由意志を変わらずに導く。
慈悲は善と愛の自然で必然の子である。情愛深い父の善の性質は、宇宙の子供のあらゆる集団の各構成員への賢明な慈悲の聖職活動を差し控えることはできない。永遠の正義と神の慈悲ともに、人間の経験で公正と呼ばれるものを構成する.
神性の慈悲は、宇宙段階の完全性と不完全性の間の調整のための公正手段を表す。慈悲は、進化する有限の状況に適合する崇高性の正義、すなわち、時の子供の最も高い関心と宇宙福祉を満たすために修正される永遠の正義である。慈悲は、正義が精霊の従属存在体に、また、進化的宇宙の物質的創造物に公正に適用されるように、正義への違反ではなく、むしろ最高の正義の要求への理解ある解釈である。慈悲は、それが神性の英知によりまとめられているように、そして宇宙なる父と全関連創造者の無限に賢明な心と至上の自由意志により決定されているように、時間と空間の創造に属する多方面の有識者に賢明に、しかも愛情を込めて報いられた楽園の三位一体の正義である。
「神は愛である。」したがって、宇宙問題に対する神の個人に向けられた態度のみが、神性の愛情反応である。父はその生命を我々に授与するほどに我々を十分に愛している。「神は悪人の上にも、善人の上にも太陽を昇らせ、公正な者の上にも不公正な者の上にも雨を降らせる。」
神は、「父自身はあなたを愛しているがゆえに」自分の息子の犠牲、あるいは従属創造物の嘆願のために愛する我が子らに煽てられると考えるのは間違いである。神が人の心に宿るように素晴らしい調整者を送るということは、この父親らしい愛情への反応である。神の愛は普遍である。「望む者は誰でも来ることができる。」神は「すべての人が真理を悟るに至りことで救われるよう」望んでいるのである。神は「だれも滅ぶことを望んではいない」。
創造者たちは、神の法への愚かな違反の悲惨な結果から人間を救おうとしたまさに最初のものたちである。神の愛は、本来、父親らしい愛情である。したがって、神は、時として「我々自身の利益のため、その清きにあずからせるために我々を懲らしめるのである。」あなたの激越の試練の間でさえ、「我々のすべての苦悩において、神はともに苦しめられる。」ということを覚えていなさい。
神は、神性らしく罪人に親切である。反逆者が正義に戻ると、「我々の神は、十二分に許してくださるから」反逆者は慈悲深く受け入れられる。「私は、私自身のためにあなたの背きの罪をぬぐい去るものであり、私はあなたの罪を思い出すつもりはない。」「我々が神の息子と呼ばれるためには、いかに大きな愛を父から賜ったかをよく考えてみなさい。」
つまるところ、神の善の最大の証と神を愛する最高の理由は、父の内在の贈り物である—あなた方両者が永遠に1つになる時間をそれほど我慢強く待ち受ける調整者。あなたは、探索によって神を見つけることはできないが、内住の精霊の先導に従うならば、一歩一歩、誕生から死まで、宇宙から宇宙へ、そして時代ごとに、あなたが最終的に宇宙なる父の楽園の人格の臨場に立つまで誤ることなく導かれるであろう。
人間の性質の限界とあなたの物質創造の不利な条件が神を見ることを不可能にするという理由で、人が神を崇拝しないということは何と理屈に合わないことであるか。人と神の間には、横切られなければならない巨大な隔たり(物理的空間)がある。同様に、架け渡されなければならない精霊的分化の遠大な溝が存在している。だが、神の楽園の個人的臨場から人を物理的に精霊的に切り離すすべてにもかかわらず、神があなたの中に住まうという厳粛な事実というものを止まって、よく考えなさい。神は、自身の方法で既に溝に橋を架けた。神は、あなたが永遠の宇宙経歴を追求する間、自分自身を、つまり精霊を、あなたの中に生き、あなたと共にこつこつ働くために送り出した。
私は、劣る生物の向上的聖職活動にかくも偉大で、同時に、愛情深く専念するものを崇拝することは容易で、快いと思う。私は、当然のことながら、創造において、また、その収拾においてとても強力であるもの、にもかかわらず、善においては完全であり、我々を絶えず覆う慈愛においてとても忠実であるものが好きである。私は、もし神がそれほど偉大で強力でないとしても、神が善で慈悲深くある限り同じ程度に愛すると考える。我々は皆、神の驚くべき属性を認めてというより神の性質ゆえに父を愛している。
創造者たる息子とその配下の行政官が空間宇宙の発展に固有であるさまざまの時間の困難ととても雄々しく戦っているのを観察するとき、私は宇宙のこれらの下級支配者に大きく深遠な愛情を抱いていることに気づく。やはり、私は、領域の人間を含む我々は皆、これらの人格が我々を本当に愛していることを明察するので、宇宙なる父と他のすべての存在体を愛していると考える。愛する経験は、大部分は、愛される経験への直接的応答である。神が崇高性、究極性、および絶対性のすべての属性を剥奪されたとしても、神は私を愛しているということを知っているがゆえに、私は、神をこの上なく愛し続けるであろう。
父の愛は、現在と永遠の時代の無限の回路にわたりずっと我々についてくる。あなたが、神の情愛深い本質を熟考する間、それにはただ1つの道理に適い自然な人格反応がある。あなたはますます製作者が好きになるであろう。あなたは、子供が地球の親に与えるそれに類似する愛情を神にもたらすであろう。なぜならば、実の父、真の父としての地球の父は、我が子を愛しているし、宇宙なる父も、同様に、創造された息子と娘を愛し、その福祉をとこしえに追い求めているのであるから。
だが神の愛は、知的で明敏な親の愛情である。神性愛は、神性の英知と、宇宙なる父の完全な性質の中の他のすべての無限の特性との統一的関係において機能する。神は愛であるが、愛は神ではない。人間への神性愛の最大の顕現は思考調整者の贈与に見られるが、あなたへの父の愛の最大の顕示は、地上で理想の精霊的生活を送った点で神の息子マイケルの贈与の生涯に見られる。それぞれの人間の魂への神の愛を個性化するのは、調整者である。
私は、時に、宇宙の子供への天の父の神性愛を仕方なく人間の言語記号での愛の使用に頼って描くことに痛みのようなものを感じる。この用語は、敬意と献身の関係についての人の最高概念を含みはするものの、生ける神の宇宙創造物への比類なき愛情を指し示すには全くふさわしくない人間関係の大半にまことに頻繁に使用される。私が楽園なる父の神性愛の本質と絶妙に素晴らしい意味を人の心に伝える何らかの崇高で限定的な用語を利用できないということは、いかにも残念なことである。
人が人格神の愛を見失うとき、神の王国は単に善の王国となる。神性の無限の統一にもかかわらず、愛は創造物との神の人格的な関係の支配的特性である。
我々は、物理宇宙において神性美を見、知的世界において永遠の真理を見分けるかもしれないが、神の善は人格的な宗教経験の精霊的世界にのみ見つけられる。宗教は、その真の本質に関しては、神の善への信仰に基づく信頼である。神は、偉大であり、絶対でありうるし、哲学的には何となく知的で個人的でさえあるかもしれないが、宗教的には、神も道徳的でなければならない。神は善のはずである。人は、偉大な神を恐れているかもしれないが、善の神だけを信じ、愛している。神のこの善は、神の人格の一部であり、その完全な顕示は信じる神の息子の人格的宗教経験にのみ現れる。
宗教は、精霊の超世界というものは、人間世界の基本的な必要性を認識し、かつそれに敏感であるということを含意する。進化的宗教は倫理的になるかもしれないが、啓示的宗教のみが真に、そして、精霊的に道徳的になる。神は王者の道徳に支配される神格であるという昔の概念は、人間の経験においてこれ以上穏やかで美しいものはない睦まじい親子関係の家族道徳の愛情にみちて感動させるその段階へとイェススによって向上された。
「神の善の豊かさは、誤れる者を悔悟に導く。」「あらゆる良い贈り物とあらゆる完全な贈り物は、光の父から下ってくる。」「神は善である。神は人の魂の永遠の避難所である。」「主たる神は慈悲深く、恵み深い。神は、我慢強く、善と真実に溢れている。」「主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。神を信じる者は幸いである。」「主は、情け深く、思いやりに満ち溢れている。主は救済の神である。」「主は、失意の者を癒し、魂の傷を包む。主は人の全能の恩人である。」
王兼裁判官としての神の概念は、高い道徳基準を助長し、法を重んじる民族を集団として創造したものの、時間と永遠における個人の状態に関しては、個々の信者を不安定の嘆かわしい位置に放置した。後のヘブライ人の予言者は、神はイスラエルの父であると宣言した。イェススはそれぞれの人間の父として神を明らかにした。神に関する人間の概念全体には、イェススの生涯によって超越的に光が当てられている。無私は、親の愛に固有である。神は父のようにではなく、父として愛する。神はあらゆる宇宙人格の楽園の父である。
正義は、神が宇宙の道徳律の源であることを含意する。真理は顕示者としての、教師としての神を示す。しかし、愛は、愛情を与え、愛情を切望する、すなわち、親と子に介在するような理解ある親交を求める。正義は神性の考えであるかもしれないが、愛は父の態度である。神の正義は、天の父の無私無欲な愛とは和解しえないという誤った仮定は、神性の性質における統一の欠如を前提とし、神の統一と自由な意志というものの両方への哲学上の襲撃である贖罪主義の労作に直接的に導く。
その精霊が地上の子らに宿る慈愛深い天の父は、分割された人格ではないし、—正義の人格と慈悲の人格—父の恩恵、または許しを保証するための仲介も必要としない。
神は決して激怒せず、復讐心がなく、立腹もしない。英知はしばしば神の愛を抑えるというのは本当であり、正義は神の拒絶された慈悲を条件とする。正義に関わる神の愛は、罪への匹敵する憎しみとして示されざるを得ない。父は矛盾した人格ではない。神性の統一は完全である。楽園の三位一体には、神と等位である永遠の同一性にもかかわらず、絶対統一がある。
神は罪人を愛し、罪を嫌う。そのような意見は、哲学的には正しいが、神は超越している人格であり、人々は他の人々を愛し、嫌うことしかできない。罪は人ではない。神は、人格現実 (潜在的に永遠の) であるが故に罪人を愛するが、罪に対しては何の人格的態度もとらない、なぜなら罪は精霊的現実ではないのであるから。それは人格的ではない。したがって、神の正義だけが、その存在を認識する。神の愛は罪人を救う。神の法は罪を滅ぼす。もし罪人が最終的に罪と自分とを完全に結びつけるならば、同様に人間のその同じ心が、内住する精霊調整者と自分とを完全に結びつけるかもしれないように、神性のこの態度は、明らかに変わるであろう。そのような罪で確認された人間は、次に、完全に事実上精霊的ではなくなるであろうし、(したがって、人格的に非現実的)、いずれ起こる存在体の絶滅を経験するであろう。非現実性は、創造物の性質の不完全性さえも、ますます本物の、ますます精霊的な宇宙にいつまでも存在することはできない。
人格の世界に直面すると、神は情愛深い人格であると分かる。精霊的な世界に直面すると、神は人格的愛である。宗教経験においては、双方である。愛は神の意志を見分ける。神の善は、神性の自由な決意の底部で休息している--愛し、慈悲を示し、忍耐を表し、許しを執行する普遍的傾向。
すべての有限の知識と創造物の理解は相対的である。高い発信元から収集される情報と知性でさえ、相対的に完全で、局部的に正確で、人格的に真実であるにすぎない。
物理的事実は、かなり一定しているが、真理は宇宙の哲学に生きており自在性のある要素である。進化する人格は、意思疎通においてただ部分的に賢明であり、相対的に真実である。進化する人格は、それらの人格的経験が拡大する限りにおいてのみ確かでありうる。明らかに一箇所で完全に本当であるかもしれないものは、創造の別の区分で相対的に本当であるかもしれない。
神性の真理、究極的真理は、一様で普遍的であるが、様々な球体出身の数多の個人が言うように精霊的なものについての話というものは、時として知識の完全性における、またその経験の長さと範囲におけると同様に、個人的経験の充実においてもこの関連性のために細部において異なるかもしれない。第一の偉大な根源と中枢の法と布告、思考と態度は、永遠に、無限に、普遍的に真実ではあるものの、同時に、あらゆる宇宙、体制、世界、および創造された知性への適用とまた、それらに対する調整は、無限の精霊の、そして他のすべての天の関連人格の地域計画と手順との調和のみならず、それらがそれぞれの属する宇宙で機能するように創造者たる息子の計画と方法に従う。
物質主義の誤った科学は、人間の判決が宇宙の中の浮浪者になることを宣告するであろう。そのような部分的知識は、潜在的に邪悪である。それは善と悪の両者で構成される知識である。真理は、それが十分であり、かつ対称であるがゆえに美しい。人は、真理を捜し求めるとき、神性的に真実であるものを追求しているのである。
哲学者は、抽象概念の誤りに、つまり現実の1局面に関心の焦点を合わせ、次にそのような孤立の局面を全体の真理であると断言する実践に導かれるとき最も重大な誤りを犯す。賢明な哲学者は、すべての宇宙現象の後ろに、また前存在にある創造的な意匠を常に探すであろう。創造者の考えは、不変的に創造的行為に先行する。
知的自意識は、哲学的なその概念の一貫性だけでなく、遍在する真実の精霊の誤りのない反応によってもより明確に、確実に真実の美を、その精霊的資質を発見することができる。真理が実践可能であるが故に、幸福は真理の認識から起こる。真理は生きることができる。現実のものではない誤りは経験において成し遂げられないが故に、失望と悲しみは誤りに伴う。神性の真実は、その精霊的特色により最もよく知られる。
止むことのない探求は、統一のため、つまり神性統一のためである。広範囲の物理的宇宙は、楽園の小島を中心にまとまる。知的的宇宙は心の神、連合活動者を中心にまとまる。精霊的宇宙は、永遠なる息子の人格に緊密に結びついている。しかし、時間と空間の孤立している人間は、内住する思考調整者と宇宙なる父との直接的関係を通して父なる神に統一する。人の調整者は神の断片であり、永久に神の統一を捜し求める。それは第一根源と中枢の楽園の神とともに、またその中にしっかりと結びついている。
園の神と、またその中にまとまる。最高の美の認識は現実の発見と統合である。永遠の真理における神性の善の認識、つまり、それは、究極の美である。人間の芸術の魅力でさえその統一の調和に含まれる。
ヘブライ宗教の大変な間違いは、神の善を科学の実際の事実と芸術の魅力的な美に関連づけないことであった。文明の進歩とともに、宗教が神の善を偏重し、真実を除外し、美を無視しがちといった同様の賢明でない方向を追求し続けたので、ある種の人間、孤立された善に関する抽象的、分離的概念から目を背けるという強い傾向を展開した。20世紀の多くの人間の献身と忠誠を保持し損ねる近代宗教の過度に抑圧され孤立した道徳は、もしそれが、科学、哲学、および精霊的経験のそれぞれの真理に、そして物理的創造の美しさ、知的芸術の魅力、および本物の性格達成の壮大さに等しく配慮をするならば、それ自体を回復するであろう。
この時代の宗教上の挑戦は、拡大され、絶妙に統合された広大無辺の真実、宇宙の美、神性の善の近代的概念から新たで魅力的な哲学を思い切って構成するそれらの洞察力のある将来を見つめる男女に向けたものである。そのような新たで公正な道徳的構想は、人間の心の良いものすべてを引きつけ、かつ人間の魂の最も良いものに挑戦するであろう。真、美、善は、神性の現実であり、人が精霊的な生活段階を昇るにつれ、永遠のもののこれらの最高の資質は、愛である神においてますます連携され、統一されるようになる。
すべての真理—物質的、哲学的、または精霊的—は、美しく善である。すべての真の美—物質的芸術、または精霊的対称—は、真実であり、善である。すべての本物の善は、—個人的道徳、社会的公正さ、または神性の聖職活動にかかわらず—等しく真実であり、美しい。健康、健全さ、および幸福が人間の経験において混合されるとき、それは、真、美、善の統合である。そのような効率的な生活段階は、エネルギー体系、思想体系、および精霊体系の統一を経て生じる。
真理は緊密に結びついており、美は魅力的であり、善は安定している。そして、真実であるこれらの価値が人格経験で調整されるとき、結果は、英知に条件づけられ、忠誠に制限される高水準の愛である。全宇宙教育の真の目的は、広がる経験のより大きい現実との世界の孤立している子供のより良い連携に作用することである。現実は、人間の段階においては有限であり、より高く神性である段階においては無限で永遠である。
[ユヴァーサの日の老いたるものの権威により活動する一神性顧問による提示]
神はいたる所にいる。宇宙なる父は永遠の回路を統治する。宇宙なる父は、ちょうどこれらの息子を通して生命を与えるように、楽園の創造者たる息子の人格の中にあって地方宇宙で統治する。「神が我々に永遠の命を賜り、そして、この生命はその息子のうちにある。」これらの創造者たる息子は、時間の領域の中における、そして、発展する空間宇宙の渦巻く惑星の子らへの、自身の人格表現である。
高度に人格化された神の息子は、低位の創造された知力あるものにより明確に認識され、しかも、無限の、それゆえ、あまり認識できない父の不可視性をこうして補うのである。宇宙なる父の楽園の創造者たる息子は、その他の点では不可視である、すなわち、永遠の回路において、また、楽園の神格の人格において固有の絶対性と無限性ゆえに不可視である存在体の顕示である。
創造者であることは、ほとんど神の属性ではない。それは、むしろ神の行為の性質の集合性である。創造者であることのこの普遍的機能は、それが第一根源と中枢の無限であり、神性である現実のすべての連携属性により条件づけられるように、また制御されるように永遠に明かにされる。我々は、神性の何か1つの特性を他のものに先立つと見なすことができるかどうか心から疑うが、もしこういう事情であるならば、神格の創造者であることの本質は、他のすべての本質、活動、および属性に優先するであろうに。そして、神格の創造者であることは、神の父権の普遍的真理に至る。
いたる所に、そして同時に存在するという宇宙なる父の能力は、要するにその遍在の性質ということになる。神しか、同時に2箇所に、無数の場所にいることはできない。神は同時に、「上は天、下は地に」いる。詩編作者が詠嘆したように、「私は、あなたの御霊から何処へいけましょう。あなたの御前から逃げられましょうか」
「『私は、遠くはもとより手近にいる神である』と、主は言う。『私は天地を満たしはしないか。』」宇宙なる父は、絶えず、広範囲の創造のすべての部分とすべての中心にいる。宇宙なる父は、「すべてを満たし、すべてに満ち満ちている方の豊かさ、」そして、「すべてのものの中に働く方の豊かさ」であり、さらには、その人格の概念は、「天(宇宙) と天の中のと天 (宇宙の中の宇宙)も、神を含むことができない」ほどである。神はすべてであり、すべての中にいるということは文字通り本当である。しかし、それさえ神のすべてではない。無限者は、最終的には無限においてのみ明らかにすることができる。原因は、決して結果の分析によって完全に理解され得るというものではない。生ける神は、束縛のない自由意志の創造的行為の結果として生まれた創造の全体よりも測り知れないほどに偉大である。神は、宇宙全体にわたり明らかにされるが、宇宙は、決して神の無限全体を収容したり、取り囲んだりは決してできない。
父の臨場は、絶えず主たる宇宙を巡回する。「神が行き巡るのは天の端からであり、その巡回はその終わりまである。また、その巡回の光から隠されるものは何もない。」
創造物が神に存在するだけではなく、神もまた創造物に生きる。「我々は、神が我我の中に生きているので我々は神の中に住んでいるのを知っている。神は自らの御霊を我々に賜れた。楽園の父からのこの贈り物は、人の切っても切れない友である。」「その方は遍在し、すべてに浸透している神である。」「不朽の父の御霊は、すべての人間の子の心に隠されている。」「まさしく友が自身の心の中に住まうその間に、人は友というものを捜し求めに行き巡る。」「真の神は、遠くにはいない。神は我々の一部である。その御霊は我々の内から話しをする。」「父は子供の内に生きる。神はいつも我々と共にいる。神は永遠の目標へ誘導している御霊である。」
「あなたは神から出ている」なぜなら「愛に住む人は神に住んでおり、神はその人のうちにいる。」とまさしく人類について言われてきた。あなたは、たとえ悪行においてさえ、神の内住の贈り物を苦しめるのである。なぜなら、思考調整者は、人間のその幽閉の心との邪悪な考えの結果に直面せざるをえないのであるから。
神の遍在は、実際には神の無限の性質の一部分である。空間は神格への何の障害も設けない。神は、完全に、しかも、制限なくして、楽園と中央宇宙だけに識別可能に臨場している。神は、ハヴォーナを包囲する創造においてこのようにして、観察可能に臨場しているのではない。神は、時間と空間の宇宙の等位の創造者と支配者の主権と神性特権の認識において直接的、実際の、臨場を限ったのであるから。したがって、神性臨場の概念は、永遠なる息子、無限の精霊、楽園の小島の臨場回路を擁するさまざまの顕現様式と伝送路の双方を許容しなければならない。また、宇宙なる父の臨場と永遠の等位者と媒体の作用とを見分けることも常に可能というわけではない。等位者と媒体は宇宙なる父の変らない目的の無限の全要件を完全に実現させるのであるから。人格回路と調整者についてはそうではない。ここでは、神は特異に、直接的に、排他的に活動する。
宇宙の制御者は、質量に一致し、この臨場に対する物理的要求に応え、また、万物が神に密着し、神の中にあって成り立つようにする全創造の固有の性質のために常に、また同じ度合いにおいて、宇宙の各部において楽園の小島の重力回路に可能性を秘めて臨場する。同様に、第一根源と中枢は、永遠の未来の創造されていない宇宙の集積所である無条件絶対に潜在的に臨場している。神は、こうして、過去、現在、未来の物理的宇宙を潜在的に瀰漫させる。彼は、いわゆる物質的創造の結合の原初の基盤である。この非精霊神格の可能性は、宇宙活動の舞台への専属媒体の中のどれか一つの説明し難い侵入による物理的生存段階を通じあちこちで顕在化する。
神の心の臨場は、結合の活動者と、すなわち無限の精霊の絶対心と相関関係があるが、それは、有限の創造においては、楽園の熟練の精霊の宇宙心の随所における作用においてよく明察される。ちょうど第一根源と中枢が結合の活動者の心の回路に潜在的に存在しているように、第一根源と中枢は宇宙なる絶対者の緊張感に潜在的に臨場している。しかし、人間の系列の心は、発展する宇宙の神性の聖職活動者である結合の活動者の娘の贈与である。
宇宙なる父の遍在の精霊は、永遠なる息子の普遍的精霊の臨場と神格絶対の永遠の神性可能性の作用と調整される。しかし、創造物の子供の心情においては、永遠なる息子とその楽園の息子の精霊的営みも、無限の精霊の心の贈与も神の内住する断片である思考調整者の直接行動を取り除くようには見えない。
惑星、体制、星座、あるいは宇宙における神の臨場に関しては、いかなる創造上の構成単位におけるそのような臨場の度合いが、崇高なるものの発展的臨場の度合いの尺度である。それは、体制と惑星自体にまで及ぶ広大な宇宙組織側による全体の神の認識と神への忠誠全体で決定される。したがって、いくつかの惑星が、(または、体制でさえ)、深く精神の暗闇に突っ込んでしまったとき、それらがある意味において隔離されるか、または、より大きい創造単位との交わりから部分的に孤立され、神の貴重な臨場のこれらの局面を保存し、保護する望みが時としてある。そしてこのすべてが、それがユランチアで作用するように、強情で邪な謀反の少数派の離反行為からの孤立の因果関係から、自らを、できる限り救うための世界の多数派の精霊的防護の反応である。
父が、すべての自分の息子--すべての人格--を親らしく回路化する一方で、息子らへの影響は、神格の第二人格と第三人格からのそれらの起源の遠さにより制限され、しかも、息子らの目標到達がそのような段階に近づくにつれ増大する。創造物の心における神の臨場の事実は、神秘の訓戒者などの父の断片の内住の是非により決定されるが、髪の有効な臨場は、これらの内住調整者の滞在している心による協力にふさわしい度合いにより決定される。
父の臨場のばらつきは、神の可変性によるものではない。父は、侮辱を受けたがゆえに隠遁に身をおくのではない。父の愛情は創造物の悪行を理由に遠ざけられはしない。その子供らは、選択力(自己に関係して)が授与されたので、むしろ、その選択の行使において、直接自身の心と魂における父の神性の影響の度合いと限界を決定する。父は、制限も贔屓もせずに自分自身を自由に我々に贈与した。父は、人々、惑星、体制、または宇宙を差別するものではない。時間の領域において、父は、七重の神の機能の楽園の人格にだけ、有限宇宙の等位創造者に異なる名誉を贈る。
全宇宙が、「全能にして主なる神は君臨する。」ということを知っている。この世界と他の世界の問題は、神により監督される。「神は天の軍勢と地に住むものの中にあって自分の意のままにあしらう。」「神によらない力はない」というのは永遠に真実である。
神性と矛盾しない領内においては、「神には、全てが可能である」というのは文字通り真実である。民族、惑星、および宇宙の延々と続く進化の過程は、調和して秩序よく、また、神のすべてに賢明な計画を保ちつつ、宇宙の創造者と行政者の完全な支配下にあり、宇宙なる父の永遠の目的に合致して展開する。ただ1人の立法者しかいない。宇宙なる父は、空間において世界を支え、永遠の回路の無限の円周において宇宙を回す。
その全能性は、特に物質的宇宙に行き渡っているように、すべての神性属性の中で最もよく理解されている。精霊的でない現象として見るならば、神はエネルギーである。物理的事実のこの表明は、第一根源と中枢が全空間の普遍的な物理現象の第一原因であるという不可解な真実に基づいている。この神の営みから、すべての物理的エネルギーと他の物質的兆候が引き出される。光、すなわち、熱を伴わない光は、神格の非精霊的顕現の一つである。そして、まだ、ユランチアにおいては実際には知られていない非精霊のエネルギーの別の型がある。それはまだ認識されてはいない。
神はすべての力を制御する。神は「稲光のために道」を作った。すべてのエネルギーの回路を定めた。すべての型のエネルギーと物質の顕現の時間と方法を命じた。そして、これらのすべてのことが、いつまでも神の永遠の把握を、--楽園の下を中心とした重力支配を、--持続する。永遠の神の光とエネルギーは、その結果、雄大な回路の、すなわち、宇宙の中の宇宙を構成する星の大群の終わりのない、だが、整然たる列の周りを絶えず揺れ動く。すべての創造は、万物と生物の楽園-人格の中心を永遠に回る。
父の全能は、物質、心、精霊の3種類のエネルギーが、区別のつかないほどとても父に近いところ--万物の根源--にある絶対段階の遍在支配に関係がある。楽園のモノタでも楽園の精霊でもない創造物の心は、宇宙の父には直接反応しない。神は、不完全の心に適応する--思考調整者を通してユランチアの人間と共に。
宇宙なる父は、一時的な原始の力でも、移動する力でも、変動するエネルギーでもない。父の力と英知は、宇宙のありとあらゆる緊急事態に対処するよう完全に適している。人間の経験に非常事態が発生するとき、父はそれらについてすべて見通しており、したがって、宇宙の問題に離れた態度で反応するのではなく、むしろ永遠の知恵の命令と一致して、また、無限の判断の命令と調和して反応する。外観はどうであれ、神の力は宇宙の中で盲目の力として機能してはいない。
非常時の決定がなされたと、自然法が中断されたと、誤った適合が認識されたと、そして、状況を正す努力がなされたと見える状況が起こる。だが、そうではない。神についてのそのような概念は、あなたの観点の限られた範囲に、あなたの理解の有限性に、およびあなたの概観の限局される範囲にそのような概念の起源がある。神についてのそのような誤解は、あなたが、領域のより高い法の存在、父の性格の偉大さ、その属性の無限性、およびその自由な意志性の事実に関して享受する甚だしい無知によるものである。
神の精霊が内住する空間宇宙のあちこちに散在する惑星創造物は、数と体制においてほとんど無限で、知力は非常に異なり、心には限界があり、また時々粗野であり、それらの構想は縮小され、局所化されるので、父の無限の属性について適切に表現し、同時にこれらの創造された知力あるものにとり少しも理解できない法律の一般化を構築することはほとんど不可能である。したがって、創造物であるあなたにとって、全能の創造者の行為の多くは、任意で、離れた、しかもしばしば無情で冷酷に思える。しかし、再度私は、これが本当でないことをあなたに断言する。神の行いはすべて、目的をもち、理に適ったおり、賢明で、親切であり、また、常に特定のもの、特定の人種、特定の惑星に対しての全体の幸福に対して永遠に思いやりがあるわけではない。特定の宇宙に対してでさえも。しかし、それらは、最も低いものから最も高いものまでの関係するすべての福祉と最善のためである。部分的繁栄は、新紀元においては、たまに全体的繁栄とは異なって見えるかもしれない。永遠の循環においては、そのような明白な違いは実在しない。
我々は全員が、神の家族の一員であり、そのために、時として家族規律を共有しなければならない。我々を妨害し、混乱させる神の行為の多くは、すべての知恵の決定と最終決定の結果である。すべての知恵の決定と最終決定は、結合の活動者が無限の心の絶対確実な意志の選択を実行するために、すなわち、人格の見渡し、構想、および気遣いが広大かつ広範囲にわたるすべての創造の最高かつ永遠の福祉を迎え入れる完全な人格の決定を実施するために権限を与える。
その結果、それは、あなたの繋がりのない、部分的で、有限で、粗野の、そして、非常に実利主義的観点と、あなたの性質に固有の限界が、あなたには押しつぶすそのような残酷さを孕んでいるように見える、そして、あなたの仲間の創造物の安らぎと福祉への、惑星の幸福と個人の繁栄へのそのような全くの無関心によって特徴付けられるように思える神性行為の多くの英知と思いやりをあなたが、見たり、理解したり、あるいは、知ることができないそのような不利な条件の構成要素となる。あなたが神の動機を誤解し、目的を曲解しているということ、それは、人間の視覚の限界のためであり、それは、あなたの限界的理解と制限的理解のためである。しかし、進化の世界においては宇宙なる父の人格的行為ではない多くのことが起こる。
神性の全能は、神の人格の他の属性と完全に調整されている。通常、神の力は、その宇宙の精霊的な顕現が3種類の状態か状況によって制限されているに過ぎない。
1. 神の性質による、特にその無限の愛による、真と美と善による。
2. 神の意志による、慈悲の聖職活動と宇宙の人格との父親らしい関係による。
3. 神の法による、永遠の楽園の三位一体の公正と正義による。
神は力においては限りなく、性質においては神性で、意志においては確定的で、属性においては無限で、英知においては永遠で、現実においては絶対である。しかし、宇宙なる父のこれらのすべての特性は、神格に統一されており、楽園の三位一体と三位一体の永遠なる息子に普遍的に明示されている。そうでなければ、楽園とハヴォーナの中央の宇宙の外においては、神に属するすべては、究極の究極にいたる臨場によって条件づけられ、また、神格、普遍、無条件の実存的3絶対者よって調整される。神の臨場は、それが神の意志というものであるのでこのように制限される。
「神はすべてを知っている。」神性の心は、すべての創造の考えを承知しており、それに精通している。出来事に関しての知識は普遍的で、完全である。神から出て行く神性の存在体は神の一部である。また、「雲のつりあいをとる」神は、また「完全な知識をもつ。」「主の目はどこにでもある。」取るに足りない雀について「そのうちの一羽も私の父が知らずして地に落ちることはない、」そして、また、「あなたの頭の毛までも数えられている。」「神は星の数を教える、それらのすべてをそれぞれの名前で呼ぶ。」とあなたの偉大な教師は言った。
宇宙なる父は、すべての宇宙で唯一実際に空間の星と惑星の数を知る人格である。あらゆる宇宙のすべての世界は絶えず神の意識の中にある。また、神は言う。「私は民の悩みを確かに見、民の叫びを聞き、そして、それらの痛みを知っている。」「主は天から見られるので。主は人のすべての息子を見る。その住まいの場所から、地に住むすべてのものに目を注がれる。」すべての創造物の子は、心から言うかもしれない。「神は私が行く道を知っており、私を試されたあと、私は金のように出て来るであろう。」「神は我々の座るのも立つのも知っている。神ははるか彼方で我々の考えを分かっており、我々のすべてのやり方に詳しい。」「我々が共にしなければならない方の目には万事が裸であり、露にあらわにされている。」そして、「神はあなたの成り立ちを知っている」と理解するのは、すべての人間にとっての本当の安らぎのはずである。神は、あなたが塵であることを知っている。」イェススは、生きている神について話し、「あなたの父は、あなたが尋ねる前にさえ、あなたが何を必要としているかを知っている。」と、言った。
神にはすべてのことを知る無限の力がある。神の意識は宇宙全般にわたる。神の人格回路は、すべての人格を取り囲み、下位の創造物に関する知識でさえ、間接的には神性なる息子の下降する系列を通し、直接的には内住の思考調整者を通して補われる。その上、無限の精霊は、絶えずいたる所に臨場する。
我々は、神が罪に基づく事件をあらかじめ知ることを選ぶか否かについては全体的には確信していない。しかし、もし神が我が子らの自由意志ををあらかじめ知るとしても、そのような先見は子らの自由を少しも無効にはしない。1つの事が確かである。神は決して驚かない。
全能は、することができないことを、神らしくない行為をする力を含意しない。また全知は、知ることができないことを知ることを含意しない。しかし、そのような声明を有限の心に分かりやすくすることは、ほとんどできない。創造物は、創造者の意志の範囲と限界をほとんど理解することができない。
宇宙創造の際のその宇宙への自分自身の連続的贈与は、神格の主たる人格に住み、休息し続けるとき、力の可能性、あるいは知恵の蓄えを決して減少させない。父は、楽園の息子への、下位的創造への、およびそのさまざまの創造物への自分自身の無制限の贈与の結果として原始力、知恵、愛の可能性において、自身の所有物の何かを決して減少させたりはしなかったし、その栄光ある人格のいかなる属性も奪われはしなかった。
あらゆる新しい宇宙の創造は、重力の新たな調整を必要とする。しかし、たとえ創造が、物質的創造が制限なくして存在するために、無期限に、永遠に、無限にさえ続いたとしても、やがて、楽園の小島において休息する力の支配と調整は、そのような無限の宇宙の統制、支配、調整に依然として等しいと、また適切であると分かるであろう。また、広大な宇宙への限りない原始力と力のこの贈与後に、無限者には同程度の原始力とエネルギーが加えられるであろう。無条件絶対者は、まだ減少されているであろう。神は、まるで原始力、エネルギー、力が、幾つもの宇宙への贈与のために一度も注ぎ出されたことがないかのようにまだ同じ無限の可能性を所有するであろう。
英知についてもそうである。心が領域の考えに自由に行き渡るという事実は、決して神性の英知からの中心的根源を貧困にするものではない。宇宙の数が増えるにつれ、領域の存在体の数は、理解の限界範囲にまで増え、もし心が、上位と下位の状況にあるこれらの存在体に果てしなく贈与され続けると、まだ神の中央人格は、同じ永遠の、無限の、そして、すべてに賢明な心を抱き続けるであろう。
あなたの世界と他の世界の男性と女性に内住するために精霊の使者を送り込むという事実は、神性かつ全能の精霊人格として作用する神の能力を少したりとも減じるものではない。そして、神が送り出すことができ、送り出すかもしれないそのような精霊訓戒者の範囲あるいは数にはもちろん何の限界もない。創造物へ自分を差し出すこの付与は、神に贈与されたこれらの人間のための進歩的で連続的生命の限りない、ほとんど考えも及ばない未来の可能性を創造する。そして、聖職の役目を果たすこれらの精霊の存在体としてのこの惜しみない自分自身の分配は、全賢、全知、全能の父の人格に休息する真実と知識の知恵と完全性を少しも減少させるものではない。
時間の人間には未来がある、ところが、神は永遠に居住する。私は、神格のまさに住居近くの出身であるけれども、あえて神性の多くの属性の無限に関する理解を完全に話すことはできない。唯一心の無限だけが、存在の無限と動作の永遠を完全に理解することができる。
人間には天の父の無限をとても知ることはできない。有限の心はそのような絶対真理、あるいは事実を通して考えることができない。しかし、この同じ有限の人間は、実際にそのような無限の父の愛の完全で非減少の衝撃を感じる--文字通り経験する--ことができる。経験の質が無制限であり、そのような経験量は、人間の精霊的感受性の潜在力により、また、代わりに父を愛する関連能力により厳密に制限されるが、とはいえ、そのような愛には本当に経験が可能である。
無限の資質についての有限の評価は、人間が神の姿に作られている--無限の断片が人間の内側に生きている—という事実のために、創造物の論理的には限られた能力をはるかに超える。したがって、人の神への最も近くて最も親愛な接近は、愛により、また愛を通してである。神は愛であるが故に。そして、そのような特異な関係のすべてが、宇宙社会学の実際の経験、創造者-創造物間の関係である。—父-子の間の愛情。
宇宙なる父は、後ハヴォーナ創造との接触において、直接通達により自身の無限の力と最終的権威を行使するのではなく、むしろ息子と息子らの下位の人格を通して行使する。神は自分の自由意志でのこのすべてをする。そして、もし機会が生じるならば、もしそれが神性の心の選択になるならば、委任されるありとあらゆる力は、直接に方向づけられることができるであろう。しかし、原則として、そのような行為は、神性の信頼を満たすことを委任された人格の失敗の結果行われるに過ぎない。こうしたときに、そのような時や不履行に直面の際に、また、神性の力と可能性の保留の限界内において、父は、独自に、しかも、自身の選択による命令に合致して行動する。そして、その選択は常に変わることのない完全性と無限の英知のひとつである。
父は息子を介し統治する。父の広大な領域の進化する球体の目標を方向づける惑星王子に終わる連綿と下方に続く支配者の系統が、宇宙組織全体にはある。次のように主張するのは単なる詩的表現ではない。「地とそれに満ちているものとは主のものである。」「神は王を廃し、王を立てる。」「いと高きものは人の王国を支配する。」
宇宙なる父は、人の心の問題においていつも意のままにできるわけではない。しかし、惑星の行政と目標において、神性の計画は広がっている。英知と愛の永遠の目的は勝利を収める。
イェススは言った。「それらを私に与えてくださった私の父は、すべてにまさるのである。そして、だれも私の父の手からそれらをむしり取ることはできない。」あなたが、神の無限に近い創造の多種多様の働きを垣間見たり、その驚異的広大さを眺めるとき、あなたは神の卓越性の概念にためらうかもしれないが、万物の楽園の中心に永遠にしっかりと王位につく、また、すべての知的な存在体の慈悲深い父としての神の受け入れにあなたは失敗すべきではない。「すべての上に、また、すべての中にいる唯一の神、すべての父」しかおらず、「そして、その方は万物よりも先にあり、万物はその方にあって成り立っている。」
生命の不確実性と生存の有為転変は、いかなる方法によっても神の普遍の主権の概念に矛盾することはない。すべての進化の創造物の生命は、ある必然性に悩まされる。次のことを考えなさい。
1. 勇気--強い性格--は、望ましいか。ならば、人は苦難に立ち向かうこと、そして、失望に反応することを必要とする環境で育てられなければならない。
2. 利他主義--仲間への奉仕—は、望ましいか。ならば、人生経験は社会的不平等の状況に遭遇に備えなければならない。
3. 望み--信用の壮大さ--は、望ましいか。ならば、人間の生存は絶えず不安感と再発する不確実性に直面しなければならない。
4. 信仰--最高の主張による人間の思考--は望ましいか。ならば、常に、人の心が信じることができるよりも少なく知るその厄介な立場にいる心自身を見つけなければならない。
5. 真実の愛とそれが導くところはどこへでも行く意欲は望ましいか。ならば、人はいつも誤りがあり、虚偽が可能である世界に成長しなければならない。
6. 理想主義—神性の迫りくる概念--は、望ましいか。ならば、人は相対的な善と美の環境において、つまり、より良いものへの抑えきれない努力を刺激する環境において奮闘しなければならない。
7. 忠誠心--最も高い義務に対しての専念--は望ましいか。ならば、人は裏切りと放棄の可能性の真っ只中で存続しなければならない。義務に対する専念の果敢さは言外の不履行の危険性の中にある。
8. 無私--無私無欲の精神--は、望ましいか。ならば、人間は認識と名誉のために不可避の自己の絶え間のない怒号に直面して生きなければならない。人は、見捨てる何らの自己生命がないならば、活発に神性生命を選ぶことはできないであろう。もし対比により善を高め、また、識別するための何の潜在的悪がないならば、人は、決して正義を掴むことはできないであろう。
9. 喜び--幸福の満足感--は、望ましいか。それならば、人は痛みの代替物と苦しみの公算が、遍在の、経験上の可能性としてある世界に住まなければならない。
宇宙全体にわたり、あらゆる部隊が全体の一部と見なされる。部分の生存は、全体の計画と目的との協力に、つまり父の神性意志をするという心からの願望と完全な意欲に依存している。誤り(賢明でない判断の可能性)のない唯一の進化世界は、知性に自由のない世界であろう。ハヴォーナ宇宙には完全な住民のいる10億の完全な世界があるが、進化する人間が、自由であるならば、誤りを犯しやすいに違いない。自由で未経験な知性は、最初は一様に賢明であるはずがない。誤った判断(邪悪)の可能性は、人間の意志が周到な背徳判断を意識的に是認したり、故意に迎え入れるときにのみ、罪になる。
真、美、善の完全な鑑賞眼は、神性宇宙の完全性に本来備わっている。ハヴォーナ世界の住民は、刺激のための選択としての相対的価値水準の可能性を必要としない。そのような完全な存在体は、すべての対照的かつ思考を強いる道徳的状況にないとき、善を識別し、選ぶことができる。しかし、そのようなすべての完全な存在体は、特性と精霊的状態に関しては、存在事実の理由から彼らは今そうあるのである。それらの存在体は、自身に固有の状態の範囲内においてのみ経験的に前進をもたらした。必滅の人間は、自身の信仰と望みにより上昇候補としての自身の地位さえ獲得する。人間の心が把握し、人間の魂が獲得するところの神性であるすべてのものは、体験的到達である。それは、個人的な経験の現実であり、それゆえ、ハヴォーナの間違いのない人格の内在する善と正義とは対照的に、独自の所有物である。
ハヴォーナの創造物は、生来勇敢であるが、人間の意味する勇敢ではない。それらは、本質的に親切で思いやりがあるが、人間的にはとても愛他的ではない。それらは、快い未来を期待しているが、進化する不確実な球体の信じて疑わない人間の洗練された手段においては前途有望ではない。ハヴォーナの創造物は、宇宙の安定性を信じるが、それによって動物の状態から楽園の入り口へと登るその救いとなる信仰には全く不案内な者たちである。それらは、真実が好きであるが、その魂を救っている資質については何も知らない。それらは、理想主義者であるが、そのように生まれたのである。それらは、そのような恍惚をそう快な選択によっては全く知りえるないのである。ハヴォーナの創造物は忠誠であるが、不履行への誘惑に直面して、義務への心からの、また理にかなった献身からの身震いを一度も経験したことがなかった。寡欲であるが、好戦的な自己の堂々たる征服によるそのような経験段階に決して達しなかった。それらは、喜びを味わいはするが、痛みの可能性からの快楽逃避の甘味を理解はしない。
宇宙なる父は、神性の無私無欲、つまり完璧な寛大さゆえに、権威をあきらめ、力を委譲するが、依然として首位である。普遍の領域の情況の強力な梃の上に宇宙なる父の手がのっている。宇宙なる父は、すべての最終的決定を留保してきたし、また、広げられ、渦巻き、絶えず旋回している創造の福祉と目標に対し挑戦し難い権威をもって自己の永遠の目的である拒否のための全能の笏を的確に行使する。
神の主権には制限がない。それはすべての創造の根本的事実である。宇宙は必然的なものではなかった。宇宙は偶然でもなく、独立的存在でもない。宇宙は、創造の作業結果であり、したがって、完全に創造者の意志に従属している。神の意志は、神性真理、生ける愛である。したがって、完成しつつある進化的宇宙の創造は、善--神性への接近により、潜在的悪--神性からの遠さによって特徴づけられる。
すべての宗教哲学は、遅かれ早かれ、統一された普遍的規則の、一神の概念に到る。宇宙の原因が、宇宙の結果より低いはずがない。宇宙生命の流れと宇宙心の源は、それらの顕現の段階を超えているに違いない。人間の心は、あくまでも下方の存在系列の観点からは説明することはできない。人の心は、本当に、思考と目的ある意志のより高い系列の現実を認めることによってのみ真に理解されることができる。必滅の存在体としての人間は、宇宙なる父の現実が認められない限り説明しがたい。
機械学的な哲学者は、普遍的で主権の意志についての考えを、つまり、深く畏敬する宇宙法の綿密な仕上げにおけるその活動のまさにその主権の意志についての考えを拒絶することを公言する。機械論者が自動で自明であるそのような法を着想するとき、何と意図されない敬意を払っていることか。
内住する思考調整者の概念を除いては、神を人間化するということは大きな失態であるが、それでさえ第一の偉大な根源と中枢についての考えを完全に機械化するほどには愚かではない。
楽園の父は苦しむか。私は知らない。人間がするように、創造者たる息子は、間違いなく苦しむことができるし、時として苦しむ。永遠なる息子と無限の精霊は、変更された意味に悩む。私は、宇宙なる父は苦しむと考えるものの、どのようにかは理解できない。おそらくは、人格回路を通じて、または、思考調整者と宇宙なる父の永遠の性質の他の贈与の人格を通して。宇宙なる父は、「あなたのすべての苦悩に、私は苦しめられる。」と人類について言った。宇宙なる父は父親らしく、同情的な理解を確かに経験する。宇宙なる父は本当に苦しむかもしれないが、私はその本質を理解はしない。
宇宙の中の宇宙の無限と永遠の支配者は、力、型、エネルギー、過程、原型、原理、臨場、それに理想化された現実である。しかし、彼は、それ以上である。彼は人格的である。彼は主権の意志を行使し、神性の自意識を経験し、創造的な心の命令を実行し、永遠の目的実現の満足感を追求し、自分の宇宙の子供らへの父の愛と情愛を表す。そして、父のこれらのすべての、より人格的な特色は、あなたの創造者たる息子であるマイケルの贈与の生涯において、肉体を与えられユランチアにいた間に、明らかにされたようにそれらを観測することでより解釈することができる。
父なる神は人を愛している。息子なる神は人に仕える。精霊なる神は、精霊なる神の恩寵の聖職活動を通しての息子なる神に定められた方法により宇宙の子供らを父なる神を見つけるための上昇し続ける冒険へと奮い立たせる。
[宇宙なる父の顕示の提示に割り当てられた神性顧問である私は、神格属性についてのこの声明を推進してきた。]
宇宙なる父には、宇宙の中の宇宙の物質的、知的、精霊霊的な現象に属する永遠の目的があり、その目的は、ずっと自身が実行に移している。神は、自由で至上の自らの意志で宇宙を創造し、すべてに賢明で永遠の自らの目的に従ってそれらを創造した。楽園の神格と最高位のその仲間を除く誰かが、神の永遠の目的に関し深く知っているかどうかは疑わしい。楽園の喜びに満ちた公民でさえ、神格の永遠の目的の性質に関する非常にさまざまの意見を保持する。
ハヴォーナの完全な中央宇宙を創造する目的が純粋に神性の満足であったと推論するすることは、容易いことである。ハヴォーナは、他のすべての宇宙のための原型創造として、また時間の巡礼者のための教養学校として楽園への途中で役立つかもしれない。しかしながら、そのような崇高的創造は、主として、完全で無限の創造者の喜びと満足のために存在しなければならない。
進化的人間の完成を目指すという、また、それらの楽園到達と終局者部隊到達後に、明かされていない今後の活動に向けてのさらなる訓練の提供するという驚くべき計画は、現在のところ、7超宇宙とそれらの多くの再区分領域の主要な関心事の1つであるらしい。しかし、時間と空間の人間を精霊的にし、訓練するためのこの上昇計画は、決して宇宙有識の限定的業務ではない。たしかに、時間を占領し、天の部隊のエネルギーを取りつける他の多くの魅力ある活動が存在するのである。
長い間、ユランチアの住民は神の摂理を誤解してきた。あなたの世界には神の働きの摂理があるが、それは多くの人間がそれを発想してきた子供じみた、気まぐれの、そして、物質的な聖職活動ではない。神の摂理は、神の名誉のためと宇宙の子供の精霊的前進のために、宇宙法に従い、絶えず働く天の存在体と神性の精霊の連動活動で成る。
あなたは、あなたが、神の人の扱いの概念において宇宙の合言葉が進歩であると認めるその段階へと進むことができないのか。長い時代を通じて、人類は、その現在の位置に達するように戦ってきた。これら何千年の間、大神は進歩的発展の計画を成し遂げてきた。2つの考えは、実際のところ対立してはおらず、単に人の誤った概念にすぎない。神の摂理は決して人間の真の進歩の、一時的、または精霊的のいずれでも、相反して配置してはいない。摂理は、崇高の立法者の不変かつ完全な性質と常に一致している。
「神は誠実であり、」「神のすべての戒律は正しい。」「神の誠実さはまさしくその空に確立される。」「主よ、とこしえに、あなたの言葉は天において定まっている。あなたの誠実さは世々に至ります。「あなたは地を据えたので、地は固く立っています。」「神は誠実な創造者である。」
父が自分の目的を支え、自分の創造物を維持するために用いるかもしれない原始力と人格には制限がない。「永遠の神は、我々の避難所であり、永遠の腕が下にある。」「いと高きものの隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。」「視よ、我々を守る方は眠ることもなくまどろむこともない。」「我々は、万事が神を愛するものたちにとって益となるように共に働くということを知っている、」「というのも、主の目は義人たちに注がれ、主の耳はそれらの祈りに傾けられているから。」
神は「自分の力ある言葉をもって万物」を保っている。そして、新世界が生まれるとき、神が「息子を送られ、そして世界が創られます。」神は創造するだけではなく、「それらを皆、守ります。」神は、物質であるものすべてと精霊であるものすべてを絶えず支える。宇宙は永遠に安定している。見かけの不安定性のただ中に安定性がある。星明りの領域のエネルギー変動と物理的大変動の真っ只中には内在する秩序と安全性がある。
宇宙なる父は、宇宙の管理から引き下がらなかった。宇宙なる父は、不活発な神格ではない。神がすべての創造の現在の支持者を退くならば、宇宙崩壊が即刻生じるであろう。神がいなければ、現実というようなものはないであろう。今この瞬間に、過去のかけ離れた時代と永遠の未来におけるように、神は、支え続ける。神性の手の届く範囲は、永遠の回路の周りで拡大している。宇宙は、動くだけ動いて後は動けなくなってしまう時計のようには巻かれない。万物は絶えず新たにされている。父はエネルギー、光、生命を絶えず注ぎ出している。神の業は文字通りであり、同時に精霊的である。「神は北を虚空に張り、地を何にもない上に掛けられる。」
私の系列の存在体は、究極の調和をつかみ、宇宙管理の通常業務において遠大かつ深遠な調整を見つけ出すことができる。人間の心には支離滅裂で場当たりに見える多くが、私の理解するところでは、秩序があり建設的に見える。しかし、私が完全には理解しない非常に多くのことが宇宙には起きている。私は、長い間、地方宇宙と超宇宙の認識された原始力、エネルギー、心、モロンチア、精霊、人格に多少なりとも精通した学生である。私は、どのようにしてこれらの媒体と人格が機能するかについて全面的な理解があり、壮大な宇宙の信任された精霊有識者の作業に深く通じている。宇宙現象に関する自己の知識にもかかわらず、私は完全に推測することができるというわけではない宇宙の反応に絶えず直面している。私は、私が満足に説明できない原始力、エネルギー、識者、精霊の相互関係からの明らかに思いがけない企みに絶えず遭遇している。
私には、宇宙なる父、永遠なる息子、無限の精霊、それにかなりの程度まで楽園の小島の機能に直接起因する全現象の働きをはっきりと辿ったり、分析するだけの完全な能力がある。私の当惑は、それらの神秘的な等位者、可能性の3絶対者の履行であるらしい遭遇によってもたらされる。これらの絶対者は、物質に取って代わり、心を超え、精霊を付加して起こるように思える。私は、無条件絶対者、神格絶対、宇宙なる絶対者の臨場と履行によるものとするこれらの複雑な相互作用を理解できないことに絶えず混乱し、しばしば当惑している。
これらの絶対者が、広く宇宙において完全には明らかにはされない臨場、空間の潜在性からくる現象において、また他の超究極の機能において、崇高の調整と究極の価値を伴う複雑な現実状況でなされる要求に力、概念、または精霊の基本原理が、まさにどのように応じるかに関し、物理学者、哲学者、または宗教家にとってさえ確信ある予測を不可能にさせる臨場であるに違いない。
また、宇宙の出来事全体の織物の基礎となるように思える時間と空間の宇宙における有機的な統一がある。進化する崇高なるものの、この生きた臨場は、映し出された不完全のこの内在性は、不可解にも時々、見た目には関係のない宇宙の出来事の驚くほどに偶然の連携であるらしいものに呈する。これは摂理の働きであるに違いない--崇高なるものと結合の活動者の領域。
私は、物理的、精神的、道徳的、精霊的な現象のそのような多彩で表面上は絶望的に混乱状態の寄せ集めを引き起こす宇宙活動の全局面の調整と相互関係に関わる広範囲の、一般的には認知できないこの制御が、神の栄光と人と天使の利益のために実に間違いなくなんとか解決をもたらすと信じる傾向にある。
だが、より大きい意味においては、宇宙の見かけ上の「出来事」は、確かに、絶対者の永遠の操作における無限者の時-空の冒険の限界ある劇的事件の一部である。
自然とは、狭い意味において神の物理的傾向である。神の行為、または活動は、地方宇宙、星座、体制、または惑星の実験計画と進化様式により制限され一時的に変更される。神は、大きく広がる主たる宇宙全体において明確で安定した不変の法に従って活動する。しかし、神は、有限者の進化的展開上の企画の局部的目的、ねらい、計画に従って各宇宙、星座、体制、惑星、人格の調整し、均衡のとれた行為に貢献するよう自分の活動の形態を変更する。
したがって、人がそれを理解するとき、自然は、不変の神格の基礎となる土台と基本的背景とその不変の法則を提示し、地方宇宙、星座、体制、それに惑星の原始力と人格により開始され運営されてきた局部の計画、目的、様式、および状況の機能ために変動し、また、それを通じて激動を経験した。例えば: それは、神の法がネバドンで定められたように、この地方宇宙の創造者たる息子と創造者の精霊により確立される計画によって変更される。そして、これらの法則の運用は、このすべてに加え、あなたの惑星に居住しており、あなたのサタニアのすぐ隣の惑星の体制に属する特定の存在体の誤り、不履行、および暴動によりなお一層影響されてきた。
自然は、時間空間における宇宙の2要素からくる。1番目は楽園の神格の不変性、完全性、公正さ、2番目は、実験計画、行政の失態、暴徒の誤り、開発の不備、および最高位から最下位までの楽園以外の英知の不完全さ。したがって、自然は、永遠の回路から均一、不変、雄大、かつ驚くべき糸を運んでいる。しかし、各宇宙、各惑星、そして個々の生命において、この自然は変更され、制限され、おそらくは、進化する体制と宇宙の創造物の行為、誤り、また不忠により損なわれる。そこで、自然は、常に変化する傾向にあり、加えて気まぐれであり、下は安定しているとはいえ、地方宇宙の操作手順に従って異なっている。
自然は、未完の宇宙の不完全さ、悪、および罪により割られる楽園の完成である。この商は、それゆえ完全なものと部分のものの双方、永遠なものと一時的なものの双方を表現している。継続する進化は、楽園の完全性の内容の増大により、また相対的現実の悪、誤り、不調和の内容の減少により自然を変更する。
神は、自然の中には、あるいは、いかなる自然の力のいずれにも臨場していない。なぜなら、自然現象は、神の普遍的法則の楽園基盤への進歩的発展の不完全さと、時として、暴動を好む反逆の結果の付加であるがゆえに。自然は、ユランチアのような世界に現れるとき、すべてに賢明で無限である神の適切な表現、すなわち真の表示、忠実な描写であるはずがない。
あなたの世界において自然は、地方宇宙の進化計画による完全性からくる法の必要条件である。神が充満させている自然は、制限され、条件づけられたているのであるが故に、また、普遍的で、したがって、神性である力の局面があるので、自然を崇拝するというのはなんという茶番劇であることか。自然もまた、秩序然たる進化における宇宙実験の進歩、増大、前進からの未完の、不備の、不完全な効果の現われである。
自然界の明らかな欠陥は、神の特質における何か相当するそのような欠陥を示してはいない。むしろ、そのような観測される不完全さは、単に絶えず移動する無限の映画化の一巻の展示における必然の停止瞬間にすぎない。それは、物質の人間の有限の心にとり時間と空間において神性現実のはかない一瞥を捕らえることを可能にする完全性連続の他ならぬこれらの欠陥的中断である。人間は、単に自然の目を通して、モロンチアモタによる、あるいは、時間の世界のその補正代用品である顕示の助けを受けない人間の視力により現象を見ることに固執するので、人の進化する心にとり、神性の物質的顕現は、欠陥があるようである。
自然の一部ではあるものの時間においては自身の醜さをもたらした無数の創造物の反逆、不正行為、誤った考えにより自然は損なわれ、その美しい顔には傷跡を残され、その容貌はひからびている。いや、自然は神でない。自然は崇拝の対象ではない。
人は、あまりにも長い間、自分に似たものとして神を考えてきた。神は、決して宇宙の中の宇宙の人間に、あるいはいかなる他の存在体にも嫉妬しないし、過去においてもしなかったし、未来においてもしないであろう。創造者たる息子が、人に惑星創造の傑作になることを、全地球の支配者となることを意図したということを知っているので、人が自身のより劣性の情熱に支配される様子、木、石、金、および利己的野心の偶像を崇拝する光景、--これらの見苦しい場面は、神とその息子たちが、決して人に嫉妬するのではなく、人に対して一途に心を配るよう喚起する。
永遠の神には、これらの人間の感情という意味における、また人がそのような反応を理解するような怒りと憤怒は不可能である。これらの感情は卑怯で、卑劣である。それらは、人間らしいと呼ばれるにはほとんどふさわしくなく、まして神性ではない。そして、そのような態度は、宇宙なる父の完全な性質と恵み深い特徴とは全く無関係である。
ユランチアの人間が神を理解するにあたっての苦労の非常に多くは、ルーキフェレーンスの反逆とカリガスティアの裏切りの広範囲におよぶ影響のためである。罪によって隔離されていない世界においては、進化する民族は、宇宙なる父についてはるかに良い考えを策定することができる。それらは、概念の混乱、ひずみ、およびこじつけにあまり苦しまない。
神は、自分がしたこと、今すること、もしくはこれからすることに何も悔いることはない。神はすべてに賢明であり、全能である。人の知恵は、人間の経験からくる試練と誤りから生まれる。神の知恵というものは、宇宙に向けての無限の洞察力の無条件の完全性にあり、この神性の先見は創造的な自由意志を効果的に方向づける。
宇宙なる父は、決してその後の悲しみ、あるいは後悔を引き起こす何事もしないが、中心から離れた宇宙の創造者の人格により計画し、作る意志をもつ創造物は、自らの不幸な選択により、時として創造者の両親の人格の中の神性の悲しみの感情に見舞われる。しかし、父は、間違いをしたり、痛恨の念を抱いたりせず、悲しみも経験しないものの、父の愛情をもつ存在体であり、そして、子らが宇宙の精霊的到達計画と人間の宇宙上昇方針によってそれほどまでに自由に与えられてきた援助により到達可能な精霊段階に達し得ないとき、父の心は違うことなく悲嘆にくれるのである。
父の無限の善は、時間の有限の心のを解を超えている。したがって、相対的善の全局面の効果的提示のために非絶対的悪(罪ではない)との対比が常になければならない。神性の善の完全性は、ただ空間の動きにおける時間と物質との関係における相対的不完全性との対照的関係があるという理由だけで、人間の洞察の不完全さによって明察が可能である。
神の特徴は、無限に超人的である。したがって、神性のそのような性質は、人の有限の心により信仰把握が可能である前にさえ、神性の息子として人格化されなければならない。
外側、向こう側、過去、未来をもたない神は、宇宙の中の宇宙全体において唯一の静止し、自己充足的で、不変の存在である。神は、目的あるエネルギー(創造的精霊)であり、絶対意志であり、また独立的存在で普遍的である。
神は、独立的存在であり、絶対的に独立している。神のまさにその同一性が、変化に相反している。「私、主は、変化しない。」神は不変である。しかし、あなたは、あなたが楽園の地位を獲得するまでは、神が、いかようにして単純さから複雑さへ、同一性から変化へ、静止から運動へ、無限性から有限性へ、神性から人間性へ、統一から二重性と三重性へと通過するかを理解し始めることさえできない。そして、神は、神性の不変性は不動性を含意しないので、このようにして、自身の絶対性の顕現を変更することができる。神には意志がある--神は意志である。
神は絶対的な自己決定の存在である。自らが課したそれらのものは別として、宇宙への神の反応には何の限界もなく、神の自由意志の行為は、ただ神の永遠の性質を本質的に特徴づけるそれらの神性のそれらの資質と完全な属性によってのみ条件づけられる。したがって、神は、究極的善の存在体と加えて、創造的無限性の自由意志として宇宙に関わりをもつ。
父絶対は、中央の、そして、完全な宇宙の創造者と他のすべての創造者の父である。神は、人と他の存在体と人格、善、および幾多の他の特徴を、共有するが、意志の無限性は神独りのものである。神の創造的行為は、ただその永遠の性質の感情により、またその無限の知恵の指示により制限される。神は、無限に完全であるそれだけを、したがって、中央宇宙の崇高な完全性だけを個人的に選ぶ。そして、創造者たる息子が自身の神性を、自身の絶対性の局面さえも、完全に共有するものの、父の意志の無限性を方向づける知恵のその最終的状態により全体で制限されるというわけではない。したがって、息子関係にあるマイケルの系列においては、創造的自由意志は、もし絶対ではなくても、なおさら活発になり、完全に神性であり、ほとんど究極である。父は無限で永遠であるが、父の意志の自己規制の可能性を否定するということは、結局は、父の意志の絶対性のまさしくこの概念の否定に到るということである。
神の絶対性は、全7段階の宇宙現実を全体に普及する。そして、この絶対的性質全体が、創造者の宇宙生物家族との創造者の関係に条件づけられる。精度は、宇宙の中の宇宙において三位一体の正義を特徴づけるかもしれないが、宇宙の神は、時間の創造物との広大なすべての家族関係においては、神性感情により支配される。総じて--永遠に--無限の神は父である。それにより彼が適切に知られているかもしれないすべての可能な称号の中で、私は、宇宙なる父として全創造物の神を描くように指示を受けてきた。
父なる神における自由意志の実行は、力により支配されるのではなく、唯一知力により導かれるのでもない。神性人格は、精霊の中にあり、愛として自身を宇宙に現れると定義される。したがって、第一根源と中枢は、宇宙の創造物の人格とのすべての個人的関係においては、常に、変わることなく情愛深い父である。神とは、用語の最高の意味合いでの父である。神は、神性愛の完全な理想主義に永遠に動機づけられており、またその穏やかな性質は、その最も強い表現と愛し愛されることにおいて最もすばらしい満足感であることがわかる。
神は、科学においては、第一原因である。宗教おいては、普遍で情愛深い父である。哲学においては、存在のためにいかなる他の存在体に頼ることなく、万物に、そして、他のすべての存在体に存在の現実を慈悲深く付与する自分だけで存在するものである。しかし、科学の第一原因と哲学の自立自存の統一が、慈悲と善に満ち、地上の子供らの永遠の生存に作用すると誓約した宗教の神であったということを示すには、顕示を要する。
我々は、無限性の概念を切望するが、神の経験-考えを、すなわち、神格の最高概念の人格と神性要素のいつでも、どこでもを理解する我々の能力を崇拝する。
地球における人間の勝利の人生の意識は、人間の限界の凄まじい光景に直面するとき、存在に関するそれぞれの再発する出来事に、常に変わらない宣言により、あえて挑戦する創造物その信仰から生まれる。私がこれをできないとしても、それをすることができ、そして、いずれそれをするものが、宇宙の中の宇宙の父絶対の一部であるものが、私の中に生きる。そして、それは「世界に、あなたの信仰にさえ打ち勝つ勝利」である。
宗教的伝統は、過去の時代の神を知る人間の経験の不完全に保存された記録であるが、そのような記録は、宗教生活への指針としては、または、宇宙なる父に関する真の情報源としては信用できない。そのような古代の信念は、原始人は神話作者であったという事実によっていつも変更されてきた。
ユランチアにおける神の性質に関する混乱の最大原因の1つは、楽園三位一体の人格間において、また楽園神格と地方宇宙の創造者と行政者間において明らかに見分けられないあなたの複数の神聖本から生じる。部分的な理解を特徴づける過去の摂理の間、あなたの司祭と予言者たちは、惑星王子、体制君主、惑星の父、創造者たる息子、超宇宙の支配者、崇高なるもの、および宇宙なる父を明らかに区別できなかった。あなたの記録では、例えば、生命運搬者や天使の様々な系列などの下位の人格に関する伝達内容の多くが神自身から来ると示された。ユランチア人の宗教的考えは、神格の提携的人格を宇宙なる父自身と未だに混同しているので、1つの名称にすべてが盛り込まれている。
ユランチアの人々は、神に関する原始の概念の影響に悩み続ける。嵐の中を暴れまわる神々。激怒に地を揺るがし、憤怒に人を打ち倒すもの。飢饉や洪水時に不快の判決を負わせるもの--これらは原始宗教の神々である。それらは、宇宙に住み、宇宙を統治する神ではない。そのような概念は、人が、宇宙はそのような架空の神々の気まぐれの先導と支配下にあると想像した現代の遺物である。しかし、人間は、崇高なる創造者と崇高なる制御者の施政方針と指揮に関わる限りは、自分が比較法の領域に生きていると気づき始めている。
憤る神を静めるという、気分を害した主をなだめるという、犠牲と苦痛を経て、また、血を流すことによってでさえ神格の好意を得るという野蛮な考えは、全く幼稚で原始の宗教を、科学と真理の啓発された時代に値しない哲学を表す。そのような進行は、宇宙において仕え、また、支配する天の存在体と神性支配者にとっては全く厭わしいものである。罪なき血が神の恩恵を得るために、または、架空の神性の怒りをかわすために流さなければならないと信じ、保持し、または教えることは、神への侮辱である。
ヘブライ人は、「血を流すことなくして、罪の許しはあり得ない。」と信じた。人間の生贄を禁じ、無邪気なベドゥインの自分の追随者の原始の心に動物の儀式上の生贄に置き換えたとき、モーシェは明確な前進をしたにもかかわらず、ヘブライ人は、神々は血の光景によるしか宥められないという古い、異教の考えからの開放を見い出しはいなかった。
楽園の息子のあなたの世界における贈与は、惑星の最終時代の状況に固有であった。それは不可避であり、神の恩恵を勝ち取る目的のためには必要とされなかった。また、この贈与は、たまたま宇宙の経験的主権を獲得する長い冒険における創造者の息子の個人的最終行為であった。なんという神の無限の特徴への茶番であることか。そのすべての厳格な冷淡さと冷酷さにおける父親らしい心が創造物の不運と悲しみによりほとんど手つかずであったので、神が、潔白な息子がカルヴァリーの十字架上にて血を流し死んでいくのを見るまでは、神の深い慈悲が来ようとしなかったとは。
だが、ユランチア住民は、これらの古代の誤りと宇宙なる父の性質に関する異教の迷信からの解放を見つけるはずである。神についての真実の顕示は起こりつつあり、人類は、人の息子として、そして、神の息子としてユランチアに滞在した創造者たる息子によりそれほどまで壮大に描写された性格と属性の美の素晴らしの中に宇宙なる父を知るように運命づけられている。
[ユヴァーサの神性顧問による提示]
もし人間の有限の心が、宇宙なる父のように、なぜそれほどまでに偉大でそれほどまでに壮大な神が、個々の人間と親しくつきあうために自分の永遠の住まいから無限の完全状態で下りることができるのかを理解できないならば、そのような有限の知性あるものは、生ける神の実際の断片が、ユランチアの正常な心の、しかも道徳的に意識しているすべての人間の知力ある者たちの中に宿るという事実の真理に神性の連帯感の確かさに基づかなければならない。内住する思考調整者は、楽園の父の永遠の神格の一部である。人は、神を見つけ、交わりを試みるためにこの精霊現実の臨場に対しての魂沈思の自身の内面経験より遠くに行く必要はない。
神は、6絶対等位者の実存的現実の全体に自身の永遠の性質の無限性を分配してきたが、前人格の断片の媒体を介し、随時、創造のいかなる部分、あるいは局面、もしくは種類との直接の人格的接触をするかもしれない。そしてまた、永遠の神は、神性創造者に授与する人格の特権と宇宙の中の宇宙の生物を自分に留保し、その間に、これらのすべての人格的存在体との直接の、親らしい接触を人格回路を経て維持する特権をさらに留保した。
無限の父への有限生物の接近不能は、父のよそよそしさのに中にではなく、被創造体の有限性と物質的な制限に内在的である。宇宙存在の最高の人格と被創造の有識者の下位集団の間の精霊的差の大きさは考えも及ばないほどである。知力ある下位の系列のもの達にとり父自身の臨場へと即座に輸送されることが可能であるならば、それらは、そこにいたことを分からないであろうに。かれらが、そこにいたとしても自分たちが今いるのと同じ様に宇宙なる父の臨場に気づかないのであろう。人間が、一貫して、しかも可能性の領域内において、宇宙なる父の楽園臨場へと安全な行為を求めることができる前に、人間の前方には長い長い道がある。人は、熟練の7精霊のどれか一名にでも会える精霊的な考え方をもたらす次元に達し得る前に精霊的に何回も移動されなければならない。
我々の父は隠れてはいない。気まぐれの隠遁にはない。父は、宇宙の領域の子らに自らを明らかにする終わりなき努力において神性英知の供給源を結集した。理解し、愛し、あるいは接近可能な創造されたすべての存在体のつながりにあこがれさせる愛の威厳と関連のある無限の壮大と名状しがたい寛大さというものがある。それは、したがって、あなたに固有の、あなたの有限人格と物質的存在から不可分である限界、すなわち、その中において人間上昇の旅の目標を達成し、万物の中央にいる父の面前に立つことができる時間と場所を、そして情況を決定する限界である。
父の楽園臨場への接近は、精霊進行における最高の有限段階の到達を待ち受けなければならないが、あなたは、あなたの内なる魂と精霊化する自己とに非常に親密に関連づけられている父の贈与の精霊との即座の親交の絶えることのない可能性の認識を喜ぶべきである。
時間と空間の領域の人間たちは、生まれながらの能力と知的贈与において大いに異なるかもしれないし、社会的前進と道徳的進歩に好ましい環境をことのほか楽しむかもしれないし、または、文明技術における文化と想定された前進へのほとんどすべての人間の援助の不足に苦しむかもしれない。しかし、上昇経歴における精霊的進歩のための可能性はすべての者に対して等しい。精霊的洞察と宇宙的意味の増加する段階は、進化世界における様々の物質的環境のそのようなすべての社会道徳の差異とはまったく無関係に達せられる。
いかにユランチアの人間が、知的、社会的、経済的機会と贈与において、また道徳的機会と贈与においてさえ異なるかもしれないとしても、それらの精霊的贈与は一様であり、特異ではないということを忘れてはいけない。ユランチアの人間は皆、父からの贈り物である同じ神性臨場を享受し、神性起源のこの内住する精霊との親密な人格的親交を求めるために、皆が等しく特権をもち、同時に、皆がこれらの神秘訓戒者の一様の精霊的指導の受け入れを選ぶことができる。
もし人間が心から精霊的に動機づけられ、無条件に父の意志を為すことに捧げるならば、人間は、内住し、神性である調整者に確かに、しかも有効により授けられていることから、ますます神のようになる進歩的経験を手段として神を見つける目的に向け神を知るという崇高的意識と生残の崇高的保証を必ずその個人の経験において具体化する。
人には、生残の思考調整者が精霊的に内住している。もしそのような人間の心が、誠実に、精霊的に動機づけられるならば、もしそのような人間の魂が、神を知り、神のようになることを望むならば、父の意志を為す事を誠実に欲するならば、人間生活における剥奪の好ましからざる影響も、神により動機づけられたそのような魂が楽園の入り口へとしっかりと昇れないようにする干渉可能な活発な力も存在はしはしない。
父は、すべての創造物に自分との人格的な交わりを望んでいる。生存状態と精霊的性質がそのような到達を可能にするそれらのすべての者たちを受ける場所を楽園に持っている。したがって、今、そして永遠に、あなたの哲学に慣れなさい。あなた達各人にとり、そして、我々全員にとり、神は近づきやすく、父は到達可能であり、道は開けている。神性愛の力と神性の行政手段すべてが、宇宙なる父の楽園臨場へのあらゆる宇宙のあらゆる価値ある知性あるものの前進を容易にする努力において連動している。
広大な時間が神の到達に関与するという事実は、無限の臨場と人格をいささかも非現実的にするものではない。あなたの上昇は、超宇宙回路の一部であり、あなたはそれを幾度となく振り回すが、あなたは、精霊的にも地位的にも、ずっと内部に揺れ動くことを期待することができる。あなたは球体から球体へと、外側の回路から常に内側の中心近くへと、移されることを当てにでき、そしていつか、神性の、かつ中央の臨場に立ち、また彼と、比喩的に言えば、顔をあわせるということを疑ってはいけない。それは実際の、そして、文字通りの精霊的段階の到達問題である。そして、これらの精霊的段階は、神秘訓戒者が内住してきた者、そして、その後永遠にその思考調整者と融合した誰によっても達成できる。
父は精霊的に隠れてはいないが、創造物の非常に多くが、それら自身の強情な決心の靄に自らを隠してきたし、また、自身の屈折した方法の選択により、そして偏狭な心と精神的でない性質からの自己主張の沈溺により、とりあえず精霊と息子の精霊の接触から自分たちを切り離してきた。
人間は、神に徐々に近づき、また選択の力が残っている限り繰り返し神の意志を放棄するかもしれない。人の最終的な破滅は、父の意志を選ぶ力を失ってしまうまでは封印されない。我が子らの要求と請願に対して父の心の閉鎖は、決してない。ただ父の子らが、神性の意志を為す願望--神を知り、父に似るようになること--をついに、しかも永遠に失うとき、父の接近への心を永遠に閉じてしまうのである。同じく、人の永遠の目標は、調整者融合が、そのような上昇者が父の意志を生きるために最終的、かつ取り消せない選択をしたと宇宙に宣言するとき保証される。
偉大な神は、人に直接に接触し、その人の中に生きて住むために自分の一部を与える。神は人と共に永遠の冒険に乗り出した。もしあなたの中の、またあなたの周りの精霊的な力の先導に従うならば、空間の進化の世界から上昇する創造物の宇宙目標としてのあなたは必ず情愛深い神により設定された高い目標を達成することができる。
無限の物理的臨場は、物質的宇宙の現実である。神格の心の臨場は、個々の知的経験の深さと進化の人格段階によって決定されなければならない。神性の精霊的臨場は、必然的に宇宙において異ならなければならない。それは、感受性のための精霊的能力により、また神性意志を為すことへの創造物の意志の奉献の度合いにより決定される。
神は、すべての精霊生まれの息子の中に生きている。楽園の息子は、神の臨場に、「父の右手」にいつも近づくことができ、創造物のすべての人格が「父の懐」に接近できる。これはいつでも、どこでも、またいかに接触したのか、または、宇宙なる父との人格的、自意識の接触と親交を伴う、中央の住まいにおいて、もしくは、楽園の神聖な球体中の1球体としてある他の指定された場所において、人格回路について言及している。
神性臨場は、しかしながら、あなたが試みる内住する神秘訓戒者、つまり楽園の思考調整者との親交ほどには自然の中のどこにでも、あるいは神を知る人間の人生においてさえ完全かつ確かには発見することはできない。宇宙なる父の精霊があなた自身の心の中に住むとき、はるかかなたの空に神を夢みるとは何という誤りであることか。
あなたが、調整者の精霊的な導きとの調和において進歩するにつれ、あなたを取り囲み、あなたに影響を与える、だがあなたの中の総体部分として機能しないそれらの他の精霊的影響の臨場と変貌する力をより完全に明察することを望むことができるのは、この神の断片があなたに宿るからである。あなたが内住する調整者との間近で親密な接触を知的に意識していないという事実は、そのような高遠な経験を少しも覆しはしない。神性調整者との兄弟関係の証は、完全に個々の信者の人生経験においてもたらされる精霊の産物の性質と範囲にある。「あなたは、その実によって、それらを見分けるであろう。」
貧弱に精霊化された者にとり、人間の物質の心にとり、楽園の調整者のような神性の存在体の精霊活動の際立つ意識を経験することは、きわめて難しい。また、心と調整者の結合的創造の魂が、次第に実在化するにつれ、神秘訓戒者の臨場を経験し、精霊の導きと他の超物質活動を認識することができる魂の意識の新局面もまた発展する。
調整者親交の全体的経験とは、関連する1つの道徳状況、精神的動機、精霊的経験である。そのような達成の自己認識は、主に、単独的ではないとはいえ、魂の意識の領域に制限されてはいるものの、その証は、間近に迫りつつあり、そのようなすべての内側の精霊接触者の人生における精霊の果実の顕現において豊富である。
宇宙的見地からは、楽園の神性は、1つであり、ユランチアに居住するそのような存在体との精霊的関係においては、異なる別々の3者である。神の間には、個人的的要望、親交、および他の親密な関係の問題において違いがある。最も高い意味においては、我々は宇宙なる父を、しかも宇宙なる父だけを崇拝している。確かに、我々は、父が創造者たる息子に表されているように、父を崇拝することができ、また崇拝するが、直接的、あるいは間接的に、礼拝され崇められるのは父である。
あらゆる種類の嘆願は、永遠なる息子と息子の精霊的組織の領域に属する。祈り、すべての公式伝達、宇宙なる父の礼拝と崇拝を除くすべては、地方宇宙に関する事柄である。通常、それらは創造者たる息子の管轄領域を超えては進まない。しかし、崇拝は、父の人格回路の機能により間違いなく創造者の人格に回路化され、送り出される。加えて、我々は、調整者内住の一創造物のそのような崇敬の伝達は、父の精霊臨場により容易にされると信じる。そのような信念を具体化するための驚くべき量の証拠があるし、父の断片のすべての系列には、宇宙なる父の臨場にそれぞれの対象からの正真正銘の礼拝を伝えるための権限が与えられているということを私は承知している。また、調整者は、神との意思疎通のための前人格の直接回路もまた確かに利用するし、同様に永遠なる息子の精霊重力回路を利用することができる。
崇拝はそれ自身のためである。祈りは自己利益の要素、もしくは創造物利益の要素を具体化する。それは、崇拝と祈りの間の大きな違いである。真の崇拝には自己要求の要素、もしくは個人的利益の他の要素は絶対にない。我々は、神がそうであると我々が理解するもののためにただ単に神を崇拝する。崇拝は崇拝者に何も求めず、何も期待しない。我々はそのような崇敬から引き出すかもしれない何かのために父を崇拝をしてはいない。我々は、父の優れた人格の認識への自然で自然発生的な反応として、そして愛すべき性質と崇拝できる属性のためにそのような献身をし、そのような崇拝をする。
自己利益の要素が崇拝に侵入するやいなや、すなわちその瞬間の信仰心は、崇拝から祈りへと変わり、より適切に永遠なる息子か創造者たる息子の人格へと導かれるはずである。しかし、実際の宗教経験においては、祈りが真の崇拝の一部として父なる神に向けるべきではない理由は何もない。
あなたが、日常生活の実用的諸問題を扱うとき、あなたは第三根源と中枢に起源をもつ精霊人格の掌中にある。あなたは結合活動者の媒体に協力している。そして、それは次の通りである。あなたは神を崇拝している。そして、息子に祈り、息子と心を通い合わせている。また、あなたの世界とあなたの宇宙全体で活動している無限の精霊の有識者に関連して地球に滞在している詳細を練り上げている。
地方宇宙の目標の指揮をとる創造者、あるいは君主たる息子は、楽園の宇宙なる父と永遠なる息子の両者の立場に立つ。これらの宇宙の息子は、父の名において、崇拝の礼拝を受け、それぞれ各自の創造を通じて嘆願する自分達の対象の請願に耳を傾ける。地方宇宙の子供にとり、すべての実用的意図と目的の点からは、マイケル系の息子は神である。マイケル系の息子は、宇宙なる父と永遠なる息子の地方宇宙への人格化である。無限の精霊は、宇宙なる精霊、楽園の創造者たる息子の管理的、かつ、創造的な仲間を通してこれらの領域の子供との個人的なつながりを維持する。
誠実な崇拝とは、進化する魂の支配下への、また、関連する思考調整者の神性的方向づけにしたがっての人間人格の全力動員を暗示する。物質的限界の心は、決して真実の崇拝の真の意味を高く意識できるようにはならない。人の崇拝経験の真実の認識は、主として不滅の魂の発展状態により決定される。魂の精霊的成長は、完全に知的自意識とは無関係に起こる。
崇拝経験は、婚約的関係にある調整者が人間の魂の―神を探し求める人間の心と神が顕示する不滅の調整者の共同的創造の、--名状しがたい切望と言語を絶する願望を神性の父に伝える崇高な試みにある。したがって、崇拝は、関連する精霊精神の指導の下に、宇宙なる父の信仰の息子として神と意思疎通するために、物質の心がその精霊化する自己の試みに同意する行為である。人間の心は、崇拝に同意する。不滅の魂は崇拝を切望し、開始する。神性の調整者臨場は、人間の心と進化する不滅の魂のためにそのような崇拝を導く。最終的には、真の崇拝は、宇宙の4段階において実現される一つの経験になる。知的、モロンチア的、精霊的、人格的段階--心、魂、精霊の意識、およびそれらの人格における統一。
進化的宗教道徳は、恐怖の原動力によって神探索を進める。顕示の宗教は、人間が神のようになることを切望するので愛の神を捜し求めるよう魅惑する。しかし、宗教は、単に「絶対依存」と「生存保証」の受身の感情ではない。それは人類奉仕を前提とする神性到達の生活と動的経験である。
真の宗教に基づく大いなる、しかも即時の奉仕とは、人間の経験における持続する和合の構築、永続する平和と深遠な保証の構築である。初期の人類の場合、多神教でさえ、神格の発展的概念の相対的統一である。多神教は、進行中の一神教である。遅かれ早かれ、神は、価値の現実、意味の本質、真実の生命として理解されるよう運命づけられている。
神は運命の決定者であるだけではない。神は人の永遠の目標である。すべての非宗教の人間の活動は、自己への歪んだ奉仕へと宇宙を曲げようとする。真に敬虔な個人は、宇宙と自己を同一視ししようとし、次には同胞の宇宙家族の奉仕にこの統一された自己の活動を捧げようとする。
哲学と芸術の領域は、人間の自己の非宗教的活動と宗教的活動の間に介在する。物質志向の人間は、芸術と哲学を通して、永遠的意味の精霊的現実と宇宙の価値の沈思へと説き伏せられる。
すべての宗教は、神格崇拝と人間救済の何らかの教義を教える。仏教は、苦難からの救済を、果てしない平和を約束する。ユダヤ教は、困難からの救済を、正義を前提とする繁栄を約束する。ギリシア宗教は、不調和、すなわち醜さからの救済を、美の実現による救済を約束した。キリスト教は罪、高潔からの救済を約束する。イスラム教は、ユダヤ教とキリスト教の厳しい道徳的規準からの救出を用意する。イェススの宗教は、自己からの救済、時間における、そして永遠における創造物孤立の悪からの救出である。
ヘブライ人は善に基づいて宗教を築いた。ギリシア人は美に基づいて。両宗教は、真実を求めた。イェススは愛の神を明らかにし、愛は真、美、善のすべてを抱擁する。
ゾロアスター教徒には、道徳の宗教があった。ヒンズー教徒には形而上学の宗教が。儒者には倫理の宗教が。イエスは奉仕の宗教生活を送った。これらのすべての宗教には、イェススの宗教への有効な試みがあるという点において価値がある。宗教は、善であり、美であり、人間の経験において真実であるというすべての精霊的な統一の現実になるように目標づけられている。
ギリシャの宗教には、「あなた自身を知る」という標語があった。ヘブライ人は「あなたの神を知る」に教えの中心を置いた。キリスト教徒は「主イエス・キリストに関する知識」を目的とする福音を説く。イェススは「神を知ること、そして息子としての自分を知る」という朗報を宣言した。宗教目的に関するこれらの異なる概念は、様々な人生状況における個人の態度を決定し、崇拝の深さと個人的な祈りの習慣の本質を予示する。いかなる宗教の精霊的状態もその祈りの本質により決定できるかもしれない。
半人間と嫉妬深い神の概念は、多神教と崇高な一神教との間の必然的変遷である。発揚された神人同形論は、純粋に進化する宗教の最高到達段階である。キリスト教は、神人同形論の概念を人間の理想から賛美されたキリストの人格の超越的、かつ神性的概念へと高めた。これは、人間がかつて発想し得る最高の神人同形論である。
神に関するキリスト教概念は、別々の3つの教えを結合する試みである。
1. ヘブライの概念――道徳的価値の擁護者としての神、公正な神。
2. ギリシアの概念――統一者としての神、英知の神。
3. イェススの概念――生きている友、情愛深い父、神性の臨場としての神。
したがって、キリスト教の混成的神学理論が、一貫性の達成において重大な困難に遭遇することは明白であるに違いない。この困難は初期のキリスト教の教義は、一般に人の異なる人々の個人的宗教経験に基づいたという事実によりさらに深刻化される。アレキサンドリアのフィロン、ナザレのイェスス、タルススのパウーロス。
イェススの信仰生活の研究においては前向きにイエスを見なさい。イェススの正義を基点としての罪のなさではなく、その情愛深い奉仕を考えなさい。イェススは、ヘブライの概念における天の父をすべての個人の父、罪人の父でさえある生き生きとし、創造物を愛するより高い情愛の神へと明らかにされる受け身の愛を高めた。
道徳には、自意識の原因にその起源がある。それは超動物的であるにもかかわらず、完全に進化的である。人間の進化は、その展開において調整者の贈与に先立つ、また真実の精霊からの流出に先立つすべての天与のものを迎え入れる。しかし、道徳段階の到達は、人間生活の真の戦いから人を救出しはしない。人の物理的環境は、生存競争を伴う。社会的環境は倫理的調整を要する。道徳的状況は、最高の理由の領域における選択を必要とする。精霊的経験(神を認識)は、人が神を見つけ、神に似るように心から努力することを要求する。
宗教は、科学の事実、社会の義務、哲学の仮定、または道徳の暗示している義務を土台としていない。宗教は、生活状況への人間の反応の独立した領域であり、後必滅である人間発展の全段階において絶えず提示される。宗教は、価値の実現と宇宙共同体の享受の全4段階を浸透させるかもしれない。物理的あるいは物質的自己保存の段階。社会的あるいは感情的連帯の段階。道徳的あるいは義務的理由の段階。神性崇拝による宇宙親交の意識の精霊的段階。
事実を追求する科学者は、神を第一原因、原始力の神として心に描く。情緒的な芸術家は、神を美、美意識の神の理想と考える。論理展開の哲学者は、時おり普遍的統一の神として、汎神論的な神格としてさえ断定する傾向にある。信仰をもつ宗教家は、生存を助成する神、天の父、愛の神である父を信じる。
道徳的行為は、常に進化した宗教の先行事象であり、啓示宗教の一部でさえあるが、決して全体的宗教経験ではない。社会奉仕は、道徳的思考と宗教生活の結果である。道徳は、宗教経験のより高い精霊的段階へと生物学的には導かない。抽象的美の礼拝は、神の崇拝ではないし、性質の高揚も統一の崇敬も神の崇拝ではない。
進化的宗教は、人を調整者の贈与と真実の精霊の到来を含む啓示宗教に対する感受性の段階へと高めた科学、芸術、哲学の母である。一方は進化的で生物的であり、他方は啓示的で周期的である宗教の異なる特質にもかかわらず、人間存在の進化の絵は、宗教に始まり、宗教に終わる。したがって、宗教は人にとり普通であり当然であるが、任意でもある。人は意志に反して宗教的である必要はない。
本質的には精霊的である宗教経験は、物質の心により完全に理解されることはとうていできない。それゆえに、神学の機能、宗教の心理学がある。人間の神の認識に関する不可欠の教義は、有限の理解における逆説を生み出す。神性内在の、すなわち、すべての個人の中の神と、またその一部である神の概念と、神の超越についての考え、つまり、宇宙の中の宇宙の神性支配を調和させるということは、人間の論理と限りある理由にとってはほとんど不可能である。神格のこれらの不可欠の概念は、知的な崇拝を正当化し、人格生存の望みを有効にするために人格神の超越の概念の信仰による把握において、またその神の断片の内住臨場の実現において統一されなければならない。宗教の困難さと矛盾は、宗教の現実が人間の知的理解のための能力を完全に超えているという事実に固有である。
必滅の人間は、地球における一時的滞在時代にさえ宗教経験からの3つのすばらしい満足感を保証する。
1. 知的上は、必滅の人間は、より統一された人間の意識の満足感を我がものとする。
2. 哲学上は、道徳的価値の自身の理想の具体化を味わう。
3. 精霊的には、神性親交の経験において、つまり真の崇拝の精霊的満足感において成長する。
神-意識は、領域の進化する人間によって経験されるとき、異なる3要素で、現実実現の特異な3段階で構成されなければならない。まず、心の意識がある--神についての考えの理解。次ぎに、魂の意識が続く--神の理想の実現。最後に、精霊意識が発達し始める--神の精霊現実の実現。神性実現のこれらの要素の統一により、いかに不完全であろうとも、人間の人格は、神の人格認識をもって全意識段階を常に覆っている。このすべては、終局者の部隊に達したそれらの人間においては、いつかは、神の至高性の実現に導くであろうし、次には、神の究極性の認識を、すなわち楽園の父の准絶対の超意識の何らかの局面の認識を、もたらすかもしれない。
神-意識の経験は、何世代にもわたり同じ状態のままであるが、人間の知識のそれぞれの前進的新紀元とともに哲学的概念と神についての神学上の定義は、変化しなければならない。神-知っていること、宗教意識とは、宇宙現実であるが、宗教経験がどのように有効で(本当で)あっても、それ自体が知的批評と合理的な哲学的解釈にかけられることを望んでいなければならない。それは、人間の経験全体で離れたものになろうとしてはいけない。
人格の永遠の生存は、人間の心の選択に完全に依存している。その決心が不滅の魂の生存の可能性を決定する。心が神を信じ、魂が神を知るとき、また、育てる調整者に伴い、それらが皆、神を望むとき、次に生存が保証される。知性の限界、教育の削減、文化の剥奪、あいにくの社会的状況の窮迫、教育的、文化的、社会的利点の不運な欠如から生じる人間の道徳基準の劣等性でさえ、そのような不幸で人間的には不利な立場にある、だが信じている個人における神性の精霊の臨場を無効にすることはできない。神秘訓戒者の内在は、不滅の魂の成長と生存の潜在能力を開始し、また不滅の魂の成長と生存の潜在能力の可能性を保証する。
人間の両親の子孫をもうける能力は、教育的、文化的、社会的、または経済的状態に基づいてはいない。自然な状態の親の要素の結合は、子孫を開始するに十分である。もしそのような精霊を授けられた個人が、神を探し求め、神のようになることを真摯に望むならば、すなわち、天の父の意志を為すことを正直に選ぶならば、善悪を見極め、神を崇拝する能力を持つ人間の心は、神性調整者と共に、生存資質をもつ不滅の魂の生産を開始し、促進するその人間に必要とされるものはそれだけである。
宇宙なる父は人格の神である。宇宙人格の領域は、人格状態の最も低い必滅かつ物質の創造物から創造者の威厳と神性状態の最も高い人格まで、宇宙なる父のその中心と周囲にある。父なる神は、あらゆる人格の贈与者であり保存管理者である。楽園の父は、同様に、神性の意志を為すことを心から選ぶすべての有限の人格、神を愛し、神に似ることを切望する者達の目標である。
人格は宇宙の未解決の神秘の1つである。我々は、人格の様々な系列と段階の構成に入る要素に関わる適切な概念を形成することができるが、完全に人格自体の真の性質を理解するというわけではない。我々は、人間人格の媒体を構成する多数の要素を知覚するが、要素がひとまとめにされるとき、そのような有限人格の性質と意味を完全に理解するというわけではない。
人格は、最小限の自意識から最大限の神-意識にまで及ぶ心の資性を持つすべての創造物に潜在的である。しかし、ただ心の資性だけが人格ではないのではなく、精霊も、身体エネルギーも人格ではない。人格は、父なる神により関連し、連携している物質、心、精霊のエネルぎーのこれらの生ける体制に単独に贈与された宇宙現実における資質と価値である。人格は進歩的達成でもない。人格は、物質的、あるいは精霊的であるかもしれないが、人格があるか、または人格がないかのいずれかである。楽園の父の直接行為による以外は、人格的であること以外には人格的段階には決して達しない。
人格の贈与は、宇宙なる父の単独機能である、すなわち、父が比較的に創造的である意識とその自由意志のその制御の属性を授ける生活エネルギー系の人格化である。父なる神から離れては何の人格もないし、父なる神を除いては何の人格も存在しない。人間人格の絶対調整者の核と同様に、人間の自我の基本的な属性は、宇宙なる父の贈与であり、宇宙の聖職活動の独占的に人格的領域で行動する。
前人格状態の調整者は、人間の数多くの型に宿り、それゆえ、これらの同じ存在体が究極の精霊到達の可能性をもつモロンチア創造物として人格化するために死を乗り切ることができることを保証する。なぜならば、人格資性のそのような創造物の心に人格の父の前人格贈与である永遠の神の精霊の断片が宿ると、この有限人格は、神性と永遠の可能性を有し、また究極者へと同種の目標を目指し、絶対者の認識を模索さえする。
神性人格のための能力は、前人格調整者に備わっている。人間人格のための能力は、人間の宇宙心の資性に潜在的である。しかし、必滅の人間の経験上の人格は、自意識の、(比較的に)、自己決断の、自己創造的な人格として経験の海にこのようにして送り出される必滅の創造物の物質生活手段が、宇宙なる父の解放する神性を帯びるまでは、動的で機能的な現実として観察可能ではない。物質の自己は、本当に、無条件に個人的である。
物質の自己には、人格と同一性、一時の同一性がある。前人格の精霊調整者には、同一性、永遠の同一性がある。したがって、この物質的人格とこの精霊人格は、不滅の精神の生き残っている同一性を生み出すほどにそれらの創造的属性を結合させることができる。
その結果、不滅の魂の成長に備えた後、そして、先行する原因への絶対依存の足枷から人の内なる自己を解放した後、父は脇へ寄る。今や、人間は、少なくとも永遠の目標に関連して、原因への反応の足枷から解放され、また、対策が、不滅の自己、すなわち魂の成長のために施されたので、後は、創造を決意し、あるいは選択するだけで生残し、永遠である自己の創造を抑制するのは人間である。選択する人間の人格の永遠の目標に関し、すべての広い宇宙の中の宇宙の何の他の存在体、創造者、あるいは媒体も、人間の自由意志が領域内において作動するとき、人間の自由意志の絶対主権に少したりとも干渉することはできない。永遠の生存に関係し、神は、物質の、必滅の意志の主権を宣言し、しかも、その宣言は絶対である。
創造物人格の贈与は、先行原因への奴隷的反応からのそれなりの解放を与え、また進化的であるか、またはそうでない、すべてのそのような道徳的存在体の人格は、宇宙なる父の人格に中心が置かれている。それらは、永遠の神の広大で包括的家族の軌道と兄弟回路を構成する存在体のその同族関係によって宇宙なる父の楽園臨場に向けてて引かれる。すべての人格には神性の自然の同族関係がある。
宇宙の中の宇宙の人格回路は宇宙なる父を中心に置き、楽園の父は、全段階にある自意識生存の全人格を人格的に意識し個人的な接触をもつ。そして、すべての創造のこの人格意識は、思考調整者の任務の如何にかかわらず臨場する。
すべての重力が楽園の小島の中に、すべての心が結合の活動者に、そしてすべての精霊が永遠なる息子に回路化されるように、同じくすべての人格も宇宙なる父の人格的臨場に回路化され、そして、この回路は最初の、永遠の人格へのすべての人格の崇拝を的確に伝える。
調整者内住ではないそれらの人格に関して:選択-自由の属性はまた、宇宙なる父によっても与えられ、そのような人格は神性愛の大なる回路、宇宙なる父の人格回路に同様に抱かれる。神はすべての真の人格の君主的選択に備える。人格的創造物はだれも永遠の冒険に強制させられない。永遠の入り口は、自由意志の神からの自由意志による息子の自由意志による選択に対応してのみ開く。
そして、これは生きている神の時間の子供との関係を提示する私の努力を表す。そして、結局、私は、神はあなたの宇宙の父であると、あなたがたは皆、神の惑星の子供であると、改めて表明する以外には何も役立つことはできない。
[これは、ユヴァーサの神性顧問による宇宙なる父の一続きの物語を提示する5番目と最後である。]
永遠なる息子は、宇宙なる父の「最初の」人格の、かつ絶対の概念の完全で、しかも最終的表現である。従って、いつでも、どんなふうにでも父が個人的かつ絶対的に自分自身を表現し、ずっとそうであり、今そうであり、またいつもそうであろう生ける、かつ神性の言葉である永遠なる息子を介してそうする。この永遠なる息子は、永遠の、宇宙なる父と共同し、万物の中心に居住しており、また、すぐに個人的な存在をおおい隠す。
我々は、神の「最初の」考えについて話し、人間の知力の思考経路への接近手段の獲得目的のために永遠なる息子のありえない時間の起源について仄めかす。言語のそのような歪は、時間で限られた必滅の創造物の心との接触-妥協に我々の最善の努力を表す。連続した感覚では、宇宙なる父には最初の考えが一度もあり得ようがなく、永遠なる息子にも、始まりはあり得ない。しかし、私には、考えに関するそのような記号により時間で限られた人間の心に永遠の現実を描くことを、また、そのような連続性の時間の概念により永遠の関係を指定することが指示された。
永遠なる息子は、神性現実、無条件の精霊、および絶対人格に関する楽園の父の普遍で無限の概念の精霊的人格化されたものである。こうして、息子は宇宙なる父の創造者たる独自性の神性顕示を構成するのである。息子の完全な人格は、父が実際に精霊的であるもの、意志のあるもの、目的のあるものの人格のすべての意味と価値の永遠かつ普遍の源であるということを明らかにする。
我々は、時間の有限の心に楽園の三位一体の永遠かつ無限の存在体の関係についての何らかの連続した概念を構成できるようにする努力において、「父の最初の人格的、普遍的、無限の概念」に言及するとき概念のそのような立場を利用する。私には神格の永遠の関係のいかなる適切な考えも人間の心に伝えることは不可能である。それゆえ、私は、時間のその後の時代においてこれらの永遠の存在体の関係に関するある種の考えについて有限の心に何かを提供するであろうそのような用語を使うのである。我々は、息子が父から生じたと信じる。我々には、両者が無条件に永遠であると教えられる。したがって、どんな時間の創造物にも、父から来ており、なおかつ協調的に父自身と共に永遠である息子のこの神秘を完全に理解できるというわけではないことは明らかである。
永遠なる息子は、神の最初の、しかも、ひとり子である。永遠なる息子は、息子なる神、神格の第二人格と万物の副創造者である。父が第一の偉大な根源と中枢であるように、永遠なる息子は第二の偉大な根源と中枢である。
永遠なる息子は、宇宙の中の宇宙の精霊政府の精霊的中心と神性行政者である。宇宙なる父は、まず創造者であり、次に制御者である。永遠なる息子は、まず共同創造者であり、次に精霊行政者である。「神は精霊であり、」息子はその精霊の人格的顕示である。第一根源と中枢は、意志絶対である。第二根源と中枢は、人格絶対である。
宇宙なる父は、息子との、あるいは息子の調整活動との関連の場合を除いては、創造者として人格的には決して機能しない。新約聖書の著者が記述の際に永遠なる息子に言及していたならば、真実を発声していたであろうに。「初めに言があった。言は神とともにあった。言は神であった。すべてのものは神によってできた。できたもののうち、一つとして神によらないものはなかった。」
永遠なる息子がユランチアに現れると、人間の姿のこの神性存在体と親しくした者たちは、「始めからおられ、我々が聞き、我々が自身の目で見、我々が見つめた、我々の手でさわった方、まさに命の言葉」として永遠なる息子について仄めかした。この世の祈りの1つに示されているように、この贈与の息子は、ちょうど最初の息子がしたように、まさしく偽りなく、父からきている。「父よ、この世が造られる前に私がみそばで持っていた栄光でみ前に私を輝かせてください。」
永遠なる息子は、異なる宇宙で様々の名称で知られている。中央宇宙においては、等位の根源、共同創造者、准絶対として知られている。ユヴァーサ、つまり超宇宙の本部において、我々は等位の精霊中枢として、また永遠の精霊行政官として息子を指名する。サルヴィントンにおいては、あなたの地方宇宙の本部の上においては、この息子は第二の永遠の根源と中枢として記録されている。メルキゼデクは息子の中の息子として永遠なる息子について話す。あなたの生息球体の体制においてではなくあなたの世界においては、この最初の息子は、ユランチアの人類に自分自身を贈与した等位の創造者たる息子、すなわちネバドンのマイケルと混同されてきた。
楽園の息子のうちのいずれかは、適切に神の息子と呼ばれるかもしれないが、我々は、力と完全性の中央宇宙の宇宙なる父との共同創造者であり、無限の神格から生じる他のすべての神性の息子の共同創造者であるこの最初の息子、つまり第二根源と中枢のために名称「永遠なる息子」を留保することを常としている。
永遠なる息子は、宇宙なる父として同様に不変で、大いに信頼できる。永遠なる息子はまた、同様に父としても、本当に無制限の精霊と同様に精霊的である。息子は、宇宙なる父よりも親しみやすさにおいてあなたに一歩近いことから低い起源のあなたにとってはより個人的であると思われるであろう。
永遠なる息子は神の永遠の言葉である。永遠なる息子は、完全に父に似ている。事実上、永遠なる息子は、宇宙の中の宇宙に人格的に顕示している父なる神である。それゆえ、永遠なる息子とすべての等位の創造者たる息子にあてはまったし、今もそうであり、永遠にそうであろう。「息子を見たものは、父を見たのである。」
息子は、性質上は、完全に精霊的父のようである。我々は、宇宙なる父を崇拝しており、実際に、息子なる神と精霊を同時に崇拝している。息子なる神は、父なる神のように神々しく真実で性質の点では永遠である。
息子には父の無限かつ超越的なすべての正義があるだけではなく、息子もまた、父の特徴のすべての神聖さに反映的である。息子は父の完全性を共有し、神性の完全性に達する不完全の創造物の精霊的努力においてすべての不完全の創造物を支援する責任を共に分け合う。
永遠なる息子には、父の神性のすべての特質と精霊性のすべての属性がある。息子は、人格と精霊における神の絶対性に充満しており、これらの資質は宇宙の中の宇宙の精霊政府の個人的管理において明らかにする。
神は、実に、普遍的な精霊である。神は精霊である。そして、父のこの精霊の性質は、永遠なる息子の神格に焦点化され、人格化される。息子においては、すべての精霊的特性が、第一根源と中枢の普遍性からの分化により明らかに大々的に高められる。そして、父が息子とその精霊の性質を共有するように、両者は、同時に神性の精霊を結合の活動者、すなわち無限の精霊と同等に十分に、控えることなく、共有するのである。
息子が普遍的な価値の排他的に精霊的な美の実現により専念するように見えることを除いては、父と息子は、真実の愛と創造において、また美の創造において相等しい。
私は、神性の善に関し、父と息子の間の何の違いも見分けない。父は、父として宇宙の我が子らを愛している。永遠なる息子は、父が見るように、また兄弟が見るように、すべての創造物を見る。
息子は、三位一体の公正と正義を共有するが、父の愛と慈悲の無限の人格化はこれらの神性の特徴を卓越している。息子は、宇宙への神性愛の顕示である。神が愛であるように、息子は慈悲である。息子は父ほど愛することはできないが、父と同様の第一創造者であるばかりではなく、その同じ父の永遠なる息子であり、その結果、宇宙なる父の他のすべての息子の息子としての経験を共有するので1つの付加的方法で慈悲を創造物に示すことができる。
永遠なる息子は、すべての創造への大いなる慈悲の聖職活動である。慈悲は、息子の精霊的特性の本質である。永遠なる息子の命令は、第二根源と中枢の精霊回路を越えて出て行くとき、慈悲の音色に合わせられる。
あなたが、永遠なる息子の愛を理解するためには、まず、その神性の源を、すなわち愛である父を知覚し、次に、無限の精霊と聖職活動をする人格のほとんど限界をもたない部隊の広範囲の聖職活動におけるこの無限の愛情の展開を凝視しなければならない。
永遠なる息子の聖職活動は、宇宙の中の宇宙への愛の神の顕示に注がれた。この神性の息子は、低い創造物を愛し、時間の悪事を働く者に慈悲を示すように優しい父を説得しようとする卑しい仕事には従事していない。空間の物質界の低い創造物に慈悲を示すように宇宙なる父に求めるものとして永遠なる息子を心に描くことはいかに的外れであることか。神に関わるそのような概念は粗野で、異様である。むしろ、あなたは、神の息子のすべての慈悲深い奉仕が、父の心からくる普遍的な愛と無限の同情の直接的顕示であると気づくべきである。父の愛は、息子の慈悲の真の、かつ永遠の源である。
神は愛であり、息子は慈悲である。慈悲は適用された愛、永遠なる息子の人格における父の活動中の愛である。この普遍的な息子の愛は同様に普遍的である。愛が性の惑星で理解されるように、神の愛は父の愛により類似しており、一方、永遠なる息子の愛はむしろ母の愛情に似ている。そのような図解は、実に粗野ではあるが、私は、父の愛と息子の愛の間には、神性の中身ではなく、表現の質と方法に違いがあるという考えを人間の心に伝えることを希望してそれらを用いる。
永遠なる息子は、宇宙現実の精霊段階を動機づける。息子の精霊的な力はすべての宇宙現実に関連して絶対である。永遠なる息子は、すべての未分化の精霊エネルギーの相互関係の、また精霊の引力の絶対把握によりすべての顕在化された精霊現実の完全な管理を行使する。すべての純粋な非断片化の精霊、そして、すべての精霊的存在体と価値は、楽園の第一の息子の無限の引き寄せの力に対応する。そして、永遠の未来が無限の宇宙の外観を目撃するならば、最初の息子の精霊引力と精霊力がそのような無限の創造の精霊的支配と有効な管理には完全に適切であることが分かるであろう。
息子は精霊的領域においてのみ全能である。宇宙管理の恒久的経済においては、機能上の無駄で不必要な反復には決して遭遇しない。神格は、宇宙聖職活動の無用の複製はしない。
最初の息子の遍在は、宇宙の中の宇宙の精霊的な統一を構成する。すべての創造の精霊的結合は、永遠なる息子の神性の精霊の随所の活発な臨場に基づく。我々が、父の精霊的臨場を想像するとき、永遠なる息子の精霊的臨場とそれを区別することは難しいとわかる。父の精霊は、永遠に息子の精霊の中に居住している。
父は精霊的に遍在していなければならないが、そのような遍在は永遠なる息子の精霊の随所の活動とは切り離せないようである。しかしながら、我々は、精霊の二重性質を帯びる父息子臨場のすべての状況において息子の精霊が父の精霊と協調していると信じる。
父は、人格との接触に際しては、人格回路内において行なう。父は、精霊的創造との個人的かつ感知可能の接触において、神格全体からくる断片に現れ、また、何処でも、いつでも宇宙に現れるこれらの父の断片は、孤独で、特異で、唯一の機能をもつ。息子の精霊は、すべてのそのような状況において宇宙なる父の断片化している臨場の性霊的機能と協調している。
精霊的に、永遠なる息子は、遍在している。永遠なる息子の精霊は、間違いなく、あなたとともに、また、あなたの周りにいるのであるが、神秘訓戒者のようにはあなたの内部や一部分ではない。内住する父の断片は、徐々に神性の態度へと人間の心を調整する。するとすぐ、そのような上昇する心は、ますます第二根源と中枢の全能の精霊重力回路の精霊的な引き寄せの力に反応する。
最初の息子は、一般的に、そして、精霊的に自意識が強い。息子は、英知の面においては、父の完全な同輩である。知識、すなわち全知の分野においては、我々は、第一根源と第二中枢を見分けることができない。父のように、息子はすべてを知っている。息子は、いかなる宇宙の出来事にも決して驚かない。息子は始めから終わりを理解する。
父と息子は、実際に宇宙の中の宇宙におけるすべての精霊と精霊化された存在体の数と居所を知っている。息子は、自身の遍在の精霊の美徳によるものすべてを知るばかりではなく、父と、そして、結合の活動者と同等に崇高なるものの広大な反射的悟性を完全に認識している。その悟性は、7超宇宙のすべての世界において蒸散する万物にいつも気づいているそして、楽園の息子が全知である方法が他にもある。
愛情に満ち、慈悲深く、努めを果たす精霊的人格としての永遠なる息子は、宇宙なる父と完全に、無限に同等であり、一方、下位の領域の上昇する存在体とのそれらのすべての慈悲深く優しい人格の接触においては、時間の進化の世界に自身を繁く授与する地方宇宙の楽園の息子のように、まさに親切で、思いやりがあり、我慢強く辛抱強い。
永遠なる息子の属性についてさらに長々と論じることは、不要である。例外には言及した上で、息子なる神の属性を理解し、正しく評価するために父なる神の精霊的属性を研究することのみが必要である。
永遠なる息子は、物理的領域で個人的には機能せず、被創造の存在体への心の聖職活動の段階においても結合の活動者を介する以外には機能しない。しかし、これらの資格取得は、精霊的な全知、遍在、全能のすべての神性の属性の十分かつ自由な行使において他の点ではいかなる方法でも永遠の息子を制限しない。
永遠なる息子は、神格絶対の無限に固有である精霊の可能性を人格的には浸透させないが、これらの可能性が現実となるとき、息子の精霊重力回路の全能の把握内にやってくる。
永遠なる息子は、このように人格の共同創造者であるが、いかなる存在体にも人格を人格は宇宙なる父の単独的贈り物である。永遠なる息子は、父から人格を引き出しているが、父なくしては人格を与えない。息子は巨大な精霊部隊に起源を与えるが、そのような派生は人格ではない。息子が人格を作成するとき、息子は父との、もしくは、そのような関係で父の代理をするかもしれない結合創造者との連動においてそうする。授与せず、決して、自身が単独では、人格存在体を創造はしない。しかしながら、活動作関するこの制限は、人格以外の現実のいずれか、あるいはすべての型の現実を作成する能力を息子から奪うものではない。
永遠なる息子は、創造者の特権の伝播において制限されている。父は、最初の息子を永遠化する際、その後創造的な特質を所有するさらなる息子を産み出す神性行為において父に加わる力と特権を最初の息子に授与し、両者は、これをしてきたし、今そうしている。しかし、これらの等位の息子が生み出されたとき、創造者としての特権は明らかにそれ以上は伝えられない。永遠なる息子は、創造者としての力を最初の、または、直接の人格化だけに伝える。したがって、父と息子が創造者たる息子を人格化するために結合するとき、両者は自分達の目的を達成する。しかし、地方宇宙の最高位の息子の中に、創造者たる息子の創造的特質の非常に限られた反映に見えるということにもかかわらず、こうして生み出された創造者たる息子は、決して創造者としての特権をその後に創造するかもしれない様々な息子の系列に移したり、委任したりはしない。
永遠なる息子は、無限の、かつ、単独に人格的存在体として、自分の本質を断片化することができない、すなわち、宇宙なる父と無限の精霊がするように他の実体、あるいは、人格に自我の人格化された部分を分配したり、与えたりすることができない。しかし、息子は、すべての創造に浴びせるために無制限な精霊として自分自身を与え、また、絶えずすべての精霊人格と精霊的な現実を自分に引きつけることができる。
常に覚えていなさい、永遠なる息子はすべての創造への精霊の父の人格的描写であるということを。息子は、人格であり、神格の意味において人格以外の何ものでもない。そのような神性の、かつ、絶対の人格は、崩壊したり、または断片化することができない。父なる神と精霊なる神は、実に人格的であるが、両者は、そのような神人格であることに加え、他のすべてでもある。
永遠なる息子は、個人的に思考調整者の贈与に参加はできないものの、永遠の過去に宇宙なる父と協議をし、父が思考調整者の贈与の企画をするにあたり、「我々自身のかたちに似るように人を造ろう。」と提案したとき、計画に賛成し、終わりなき協力を誓った。そして、父の精霊の断片があなたの中に住んでいるように、息子の精霊臨場もあなたを包み、またこれら2者は、いつまでもあなたの精霊的前進のために1者として働く。
永遠なる息子は、精霊であり、また心を持つが、人間が理解できるところの心や精霊ではない。人間は、心を有限段階、宇宙段階、物質段階、および人格的段階において理解する。また、人は、准人格(動物)段階において機能している生命体の心の現象を観測するが、人にとってそれが超物質存在体と関連づけられるときや、他を受け入れない精霊人格の一部として心の本質を理解することは、難しい。しかしながら、心は、存在の精霊段階に言及する際や、知性の精霊機能を意味するために用いられる際、異なって定義されなければならない。直接に精霊と結びついているその種類の心というものは、精霊と物質を調整するその心にも、物質にだけ結びついているその心にも匹敵してはいない。
精霊はつねに、意識し、注意をはらい、また独自性の様々な局面をもっている。何らかの局面における心がなければ、精霊存在体の友愛に何の精霊的意識もないであろう。心に相等する物、知ったり、知られる能力が、神格には元々ある。神格は、人格的、前人格的、超人格、あるいは、非人格的であるかもしれないが、神格は、決して愚かではない、つまり、同様の実体、存在体、または人格と少なくとも意志の疎通を図る能力を備えている。
宇宙のいかなる他の心とは異なる永遠なる息子の心は、父のそれに似ており、またそれは、父の心とともに宇宙と結合の創造者のさまざまの、そして、広範囲の心にとっての先祖である。父と息子の心は、つまり第三根源と中枢の絶対心を起源とするその知性は、思考調整者の前心に最も良く明らかである。というのは、父のこれらの断片は、結合の活動者の心の回路の完全に外にあるが、前心の何らかの型を持っているので。それらは、それらが知られているように知っている。それらは人間の考えの相当物をもつ。
永遠なる息子はまったく精霊的である。人はほとんど完全に物質的である。したがって、永遠なる息子の精霊人格に、楽園を包囲する精霊の7球体に、そして、楽園の息子の非人格的創造の本質に非常に関連する多くは、ネバドンの地方宇宙のモロンチア上昇のあなたの完成に続く精霊状態の到達を待ち受けなければならないであろう。そして、次に、あなたが超宇宙を通過しハヴォーナに移る間、「精霊の心」--精霊的洞察を授けられ始める間、精霊により隠されたこれらの神秘の多くがはっきりするであろう。
永遠なる息子は、三位一体化の方法により、永遠なる息子の無条件の人格の足かせから逃げた宇宙なる父からのその無限の人格があり、また、その無限の人格の徳により父は、以来ずっと創造者と創造物の絶えず広がる宇宙へ無限の豊富さで自分を贈与し続けてきた。息子は絶対の人格である。神は父の人格である--人格の源、人格の贈与者、人格の要因。あらゆる人格的存在体は、ちょうど最初の息子が永遠に楽園の父からその人格を得ているように宇宙なる父から人格を得る。
楽園の息子の人格は、絶対であり純粋に精霊的であり、また、この絶対人格は、まずは結合の活動者への父の人格の贈与の神性かつ永遠の型であり、次には広範囲の宇宙全体の無数の創造物への人格の贈与の型である。
永遠なる息子は、実に慈悲深い聖職活動、神性の精霊、精霊的力、そして真の人格である。息子は、宇宙へ顕示がなされる神の精霊的で人格的な本質である--非人格で、超神性、非精霊的かつ純粋な可能性であるそのすべてが取り去られた第一根源と中枢の要点。しかし、生き生きとした美の描写と永遠なる息子の崇高な人格の壮大さを人間の心に伝えるのは不可能である。宇宙なる父を覆い隠す傾向のあるものすべてが、永遠なる息子の概念的認識を阻むほぼ同様の影響を及ぼす。あなたは、楽園への到達を待ち受けなければならない。その際、私がなぜ有限の心の理解へのこの絶対人格の特質を描くことができなかったかを理解するであろう。
永遠なる息子は、人格の独自性、性質、および他の属性に関し、宇宙なる父の最大限の同等者、完全な補体、永遠の対応者である。神が宇宙なる父であるという同じ意味において、息子は宇宙なる母である。そして、我々は高きも低きも皆、宇宙の家族を構成する。
息子の特質の真価を認めるには、あなたは、父の神性の特質の顕示を研究すべきである。両者は、永遠に、不可分に一つである。両者は、実際には知性の下方の系列により神性人格としては見分けがつけられない。その起源が神格自身の創造的行為であるもの達による別々の認識はそれほど難しくはない。中央宇宙と楽園における誕生の存在体は、父と息子を宇宙制御の人格的統一としてだけではなく、宇宙行政の明確な領域で機能する別々の2個の人格としてもまた認識する。
人格としてのあなたは、宇宙なる父と永遠なる息子を、実際にそうであるので、別々の個人として思い描くかもしれない。しかし、宇宙行政においては、宇宙なる父と永遠なる息子は、非常にからみ合い、相互に関係がであるので、両者を見分けることがいつも可能であるというわけではない。宇宙の諸事万端において、父と息子が混乱させる相互関係に遭遇するとき、両者の働きを隔離しようとすることが、いつも有利であるというわけではない。神は、考えを開始するものであり、息子は、表現豊かな言葉であると単に思い起こしなさい。この不可分性は、それぞれの地方宇宙においては、1000万の生息界の創造物に対して父と息子の両者を代表する創造者の息子の神性に人格化される。
永遠なる息子は無限であるが、楽園の息子の人格を通し、また無限の精霊の忍耐強い聖職活動を通して接近が可能である。楽園の息子の贈与の奉仕と無限の精霊の創造物の情愛深い聖職活動がなければ、物質起源の存在体は、永遠なる息子への到達をほとんど望むことはできない。そして、それは等しく真実である。これらの天の媒体の助けと指導で、神意識の人間は、確かに楽園に到達し、そのうちに息子の中のこの厳然たる息子の人格臨場に立つであろう。
永遠なる息子は、人間の人格到達の原型であるとはいえ、、父があなたの人間の人格の実際の贈与者であり、無限の精霊はあなたの人間の心の絶対源であることから、あなたには、父と精霊の両者の現実を把握することが、より簡単であることがわかる。しかし、あなたが精霊的進行の楽園への道を昇るにつれ、永遠なる息子の人格はあなたにとり次第に真実となるであろうし、永遠なる息子の無限に性霊的な心の現実は、前進的に精霊化しているあなたの心にますます認識できるようになるであろう。
永遠なる息子の概念は、あなたの物質的、あるいはその後のモロンチア心の中で決して光り輝くことはできないのである。あなたが精霊化し、あなたの精霊上昇が始まるまでは、永遠なる息子の人格に関しての理解は、ユランチアにおいて人格の中に生き、また人格として、かつて肉体を与えられ、人間の中で一個の人間として生きた楽園起源の創造者たる息子の人格についての概念の鮮明さを等しくすることは始まらないのである。
その人格が人には分かりやすい創造者の息子は、あなたの地方宇宙経験の全体にわたり、専らより精霊的なもの、にもかかわらず人格的なものである永遠なる息子の完全な意味を理解できないあなたの無能さを補わなければならない。あなたがオーヴォントンとハヴォーナを経て進歩するとき、つまり、あなたの地方宇宙の創造者たる息子の生き生きとした絵と深い思い出をあなたの背後に残すとき、この物質とモロンチア経験の通過は、あなたが楽園方向に進行するにつれ、その現実と近さがつねに拡大する楽園の永遠なる息子に対する絶えず拡大する概念と増大する理解によって償われるであろう。
永遠なる息子は壮大かつ栄光の人格である。そのような無限の存在体の人格の現実を把握することは、必滅の、かつ物質の心の力を超えているとはいえ、疑ってはいけない、永遠なる息子が人格であるということを。私は、自分が何を言っているか分かっているつもりである。私は、ほとんど数え切れないほどこの永遠なる息子の神性臨場に立ち、そして、優しい言いつけを実行に移すために宇宙を旅してきた。
[楽園の永遠なる息子を描写するこの声明を定式化するために割り当てられた神性顧問による書。]
最初の息子は、さまざまな生物集団を有する発展的宇宙現象において父の永遠の目的が徐々に展開とともにその精霊的局面の実行につねに関係している。我々は完全にこの永遠の計画を理解するというわけではないが、楽園の息子は確かに理解しているのである。
息子は、等位の息子と従属の息子に自分が持てる限りのすべてを与えようとしている点において父に似ている。息子は、それに加えて連合の幹部である無限の精霊への自らの惜しみない贈与においても父の自己分配的な性質を分け与える。
第二根源と中枢は、精霊現実の擁護者としてすべての物質的な物を甚だ雄大に支えている楽園の小島の永遠的均衡役である。このようにして第一根源と中枢は、中央の小島の見事な有形美様式において、また永遠なる息子の崇高な人格の性霊的価値において永遠に明らかにされているのである
永遠なる息子は、精霊現実と精霊存在体の事実上の広大なる創造の擁護者である。精霊世界は、息子の習慣、すなわち個人的行為であり、また精霊の本質の非個人的現実は、いつも絶対なる息子の完全な人格の意志と目的によく対応している。
息子は、しかしながら、すべての精霊人格の行為に対し個人的には責任はない。人格的創造物の意志は、比較的自由であり、ゆえにそのような意志的存在体の活動を決定する。したがって、自由意志の精霊世界は、ちょうどユランチアの自然が、忠実に楽園と神格の完全性と不変性を顕示してはいないように、いつも忠実に永遠なる息子の特質を代表しているというわけではない。だが、たとえ人間の、あるいは天使の自由意志行為を特徴づけるようとも、精霊の全現実の宇宙重力制御に対する息子の永遠の把握は、絶対に続くのである。
神の内在性、遍在、全能、全知に関して教えられたすべてのことが、精霊的領域における息子に関して等しく事実である。全創造の純粋かつ普遍的な精霊重力は、つまりこの排他的に精霊的である回路は、直接に楽園の第二根源と中枢の人格へと戻る。楽園の第二根源と中枢の人格は、真の全精霊価値の遍在し、的確である精霊的把握の制御と操作を取り仕切る。その結果、永遠なる息子は、絶対的精霊主権を行使する。永遠なる息子は、文字通り全現実と精霊化された全価値を、まるで自分の手のくぼみにでもあるように保持する。精霊の普遍的重力の制御は、精霊の普遍的主権なのである。
精霊的事柄へのこの重力制御は、時間と空間とは関係なく機能する。したがって、精霊エネルギーは、伝播において衰えてはいないのである。精霊重力は決して時間の遅れを被ることなく、空間的削減を受けない。それは、その伝播の距離の二乗に基づく減少はない。純粋な精霊力回路は物質的創造の質量による停滞はない。また、純粋な精霊エネルギーによる時間と空間のこの超越は、息子の絶対性に固有である。それは第三根源と中枢の抗重力の根源力介入によるものではない。
精霊現実は、それらの質的価値、すなわち、精霊本質の実際の度合いにより精霊重力の中心からの牽引力に対応する。精霊の現実 (質)は、物質(量)の組織化されたエネルギーが物理重力に反応するように精霊重力に反応する。精霊的価値と精霊根源力は実在する。人格の観点から、精霊は創造の魂である。物質は実態のない物体である。
精霊重力の反応と変動は、一個人の、あるいは一世界の精霊価値の中身、つまり質的精霊状態につねに忠実である。この牽引力は、いかなる宇宙状況、または惑星状態にある精霊相互間の、精霊内部の価値に即座に反応する。精霊的現実が宇宙において実現する度に、この変化は、精霊重力の直接、かつ瞬時の再調整を必要とする。そのような新精霊は、実際には第二根源と中枢の一部であり、必滅の人間は、たしかに精霊化の存在体になるのと同様に、精霊の息子、すなわち精霊重力の中枢と根源に達するであろう。
息子の精霊的牽引力は、息子関係の多くの楽園系列において本来それほどまでには備わっていない。なぜなら、より少ない創造単位において機能する精霊的誘引のそれらの地方体制が、絶対精霊重力回路内に存在するからである。精霊重力のそのような準絶対の焦点化は、時間と空間の創造者人格の神性の一部であり、崇高なるものの現れつつある経験的な総括的管理と関連している。
精霊-重力の牽引力とそれへの反応は、宇宙全体で作動するばかりではなく、個人や個体群の間でさえ作動する。いかなる世界、人種、国家、または個人の信心深い集団の精霊人格と精霊化人格の間には精霊的結束がある。同様の好みと切望をもつ精霊的傾向の人格間には、精霊の性質の強い魅力がある。気心が合うという表現は、完全に比喩というわけではない。
楽園の物質重力と同様に、永遠なる息子の精霊的重力は絶対である。罪と反逆は、地方宇宙回路の操作を妨げるかもしれないが、何ものも永遠なる息子の精霊重力を中断させることはできない。ルーキフェレーンスの反逆は、生息世界のあなたの体制とユランチアに多くの変化を引き起こしたが、我々は、あなたの惑星の結果として生じた精霊の隔離が、永遠なる息子の遍在精霊、あるいは精霊重力の関連回路のいずれかの臨場と機能に少しも影響を及ぼさないという観測はしていない。
壮大な宇宙の精霊重力回路のすべての反応は予測できる。我々は、永遠なる息子の遍在精霊の全行動と反応を認識するし、またそれらが信頼に足りると知っている。ちょうど人間が有限の物理重力の働きを試算するように、我々は、馴染み深い法に従い精霊重力を測定することができる。すべての精霊的なもの、存在体、および人格に対する息子の変わらない精霊反応があり、また、この反応は、すべてのそのような精霊価値の現実の度合い(現実の質的度合い)と一致している。
しかしながら永遠なる息子の精霊的臨場の非常に信頼でき、予測可能のこの機能に平行して、それらの反応の中にはあまり予測できない現象が起こる。そのような現象は、恐らくは出現する精霊的可能性の領域内における神格絶対者の調整的活動を示している。我々は、永遠なる息子の精霊臨場は、厳然かつ無限の人格作用であるということを知っているものの、神格絶対者の推測された性能に関係する反応をまず人格だとは見なさない。
人格の見地からの、また人格による見地からの永遠なる息子と神格絶対者は、次のような方法で関係づけられるようである。永遠なる息子は、実際の精霊的価値の領域を支配しているが、神格絶対者は、潜在的精霊価値の広大な領域に浸透するようである。精霊の性質の全実際値は、永遠なる息子の重力把握に宿りの場を見つけるが、もし可能性があるならば、次には、明らかに神格絶対者の臨場に宿るのである。
精霊は、神格絶対者の可能性から出現するようである。進化する精霊は、崇高者と究極者の経験的かつ不完全な把握において相互関係を見い出す。精霊は、結局は、永遠なる息子の精霊的重力の絶対把握に最終的目標を見つける。これは、経験的精霊の周期であるらしいが、実存的精霊は、第二根源と中枢の無限に固有である。
楽園における最初の息子の臨場と人格的活動は、精霊的意味において深遠かつ絶対である。我々は、楽園から外へとハヴォーナを経て7超宇宙の領域を通過するにつれ、永遠なる息子の個人的活動を次第に発見できなくなる。後ハヴォーナ宇宙においては、永遠なる息子の存在は、楽園の息子に人格化され、崇高者と究極者の経験的現実により条件づけられ、神格絶対者の精霊の無制限な可能性と調整される。
中央宇宙においては、最初の息子の個人的活動は、永遠的創造の絶妙な精霊的調和のなかに認識できる。ハヴォーナは、驚異的に完全であるので、この原型宇宙の精霊的状態とエネルギー状態は、完全かつ永久の均衡にある。
息子は、超宇宙において人格的に臨場したり、居住したりはしない。これらの創造においては、息子は超人格表現だけを維持する。息子のこれらの精霊顕現は、人格的ではない。それらは宇宙なる父の人格回路の中にはいない。我々は、それらを超人格と名づける以外に何の用語も知らない。また、息子のこれらの精霊は有限存在体である。それらは准絶対でも絶対でもない。
排他的に精霊的かつ超人格である超宇宙の永遠なる息子の行政は、創造物人格には認識できない。それにもかかわらず、息子の人格作用のすべてに浸透している全精霊的衝動は、日の老いたるものの領域の全区域の活動のすべての局面で現われる。しかしながら、地方宇宙においては、我々は、永遠なる息子が楽園の息子の人格に個人的に提示するのを観測する。ここで、無限の息子は、等位の創造者たる息子の堂々たる軍団の人格に精霊的、かつ創造的に機能する。
地方宇宙上昇における時間の人間は、永遠なる息子の個人的代表としての創造者たる息子を頼みとする。しかし、人間が超宇宙訓練型の上昇を始めると、時間の巡礼者は永遠なる息子が奮い立たせている精霊の崇高な臨場を次第に探知し、精霊的活力化のこの聖職活動の取り入れによる恩恵を得ることができる。上昇者は、ハヴォーナにおいて最初の息子のすべてに浸透している精霊の情愛深い抱擁をより意識するようになる。人間の上昇全体のどの段階においても、永遠なる息子の精霊は、時間の巡礼者の心、または魂に決して宿りはしないが、その善行は時間の前進している子らの福利と精霊的安全性につねに近く関係している。
永遠なる息子の精霊的重力の牽引は、生存する人間の魂の楽園上昇のための内在する鍵を構成する。本物の精霊価値のすべてと誠実な精霊化されたすべての個人は、永遠なる息子の精霊的重力の誤りのない把握に保持される。人間の心は、例えば、物質的構造としてその経歴を開始し、やがては、ほとんど完成させた精霊臨場として終局者部隊に集合され、物質的重力にあまり左右されなくなり、またこれにつれて、この全経験中に精霊重力の内部へ引く衝動にさらに対応するようになる。精霊重力回路は、文字通り人の魂を楽園方向に引くのである。
精霊重力回路とは、人間の意識段階から実際の神格意識までの信心深い人間の心の本物の祈りを伝えるための基本経路である。あなたの陳情の真の精霊的価値を表すそれは、精霊重力の宇宙回路に突然に掴まれ、そして、すぐに、しかも同時に、関係するすべての神性人格に移るであろう。各々が、その個人の範囲に属するものに専念するであろう。したがって、あなたの実践的宗教経験においては、あなたが自身の地方宇宙の創造者たる息子、あるいは永遠なる息子を想像するか否かに関係なく、あなたの懇願の申し入れに際しては、それは重要ではない。
精霊重力回路の識別操作は、もしかすると物質的人体の神経回路の作用と比べられるかもしれない。知覚は内部へと神経経路全体を移動する。知覚の一部は、下方の自動脊椎中枢により引き止められ、かつ対処される。他の知覚部分は、脳の下部のそれほどには自動ではないものの習慣的に訓練された中枢に至り、そして最も大切で重要な着信は、これらの従属中枢を素早く通り過ぎ、すぐに、人間の意識の最も高い段階に登録される。
だが、精霊的世界の見事な技法は、よりはるかに完全であることか。あなたがそれを一度表現するならば、もし何かが、精霊の崇高価値に満ちているあなたの意識に起こるならば、宇宙のどんな力も、直接に全創造の絶対精霊の人格へのそのひらめきを妨げることはできないのである。
逆に、あなたの懇願が純粋に物質的であり、完全に自己中心的であるならば、そのような価値のない祈りは、永遠なる息子の精霊回路に場所を見つけ得るための何の計画も存在しない。「精霊により言葉に置き換えられて」いないいかなる陳情内容も、宇宙の精霊回路にはいかなる場所も見つけることができない。そのような完全に利己的で物質的な要求は、倒れて死ぬ。それらの要求は、真の精霊価値の回路を昇らない。そのような言葉は、「音が鳴る真鍮とリンリンと鳴るシンバル」のようなものである。
それは動機づける考え、精霊的な内容であり、それは人間の懇願を有効にするのである。言葉は無価値である。
永遠なる息子は、意志をもつ創造物の創造、進化、上昇のための普遍的計画であるところの神性の前進計画の功を奏する実行における父との永遠のつながりにある。そして、神性の誠実さにおいて、息子は父の永遠の同輩である。
父とその息子は、永遠の完全性への時間の物質存在体を前進させるためのこの巨大な到達計画の定式化と実行において1つである。空間の上昇する魂たちの精霊的高揚のためのこの課題は、父と息子の共同創造であり、無限の精霊との協力において、神性の目的の連合的遂行に関与している。
完全性到達のこの神性計画は、驚くほどに関連はしているものの、3つの特異的な宇宙冒険事業を推進する。
1. 進歩的到達のための計画。これは、宇宙なる父の進化的上昇の計画である、つまり永遠なる息子が、「我々自身の姿に似せて人を造ろう」という父の提案に同意し、率直に受け入れられた設計図。時間の創造物を高めるためのこの対策は、父の思考調整者の贈与と人格の特権との物質的創造物の贈与を伴う。
2. 贈与計画。次の普遍的計画は、永遠なる息子とその等位の息子の父-顕示の偉大なる事業である。これは、永遠なる息子の提案であり、また進化する創造への神の息子の贈与を伴い、そこで、全宇宙の創造物に父の愛と息子の慈悲を人格化し、事実化すること、すなわち肉体化し現実のものとするのである。楽園の息子は、贈与計画に備わる、また、愛のこの奉仕の暫定的な特徴として、誤り導かれた創造物の意志が精霊的危機に置かれてきたところのその機能回復者として行動する。いつでも、どこでも、到達計画の機能における遅れは発生し、もし反逆が、おそらく、この事業を台なしにしたり、または複雑にするならば、次に、贈与計画に関する非常時の対策が直ちに、活発になるのである。楽園の息子は、回収者として誓約し、またいつでも機能するために、つまり、反逆のほかならぬその領域に行くこと、そして、そこで球体の精霊的状態を回復するために、待機している。等位の創造者たる息子は、主権獲得の経験的贈与の経歴に関してユランチアにおいてそのような武勇の貢献をしたのであった。
3. 慈悲の聖職活動計画。到達計画と贈与計画が練られ公表されると、無限の精霊は、自ら、しかも単独で、慈悲の聖職活動の驚異的かつ普遍的事業を考案し操業した。これは、到達の請け負い事業と贈与の請け負い事業の双方の実用的かつ効果的操作に非常に重要な奉仕であり、第三根源と中枢の精霊的人格すべてが、神格の第三人格の性質の非常に多くの部分である慈悲の聖職活動の精霊を分かち合っている。無限の精霊は、創造においてばかりではなく行政においてもまた、実際に、しかも文字通りに父と息子の合同行政者として機能する。
永遠なる息子は、創造物上昇の父の普遍的計画の個人的受託者、つまり神性の管理人である。「私が完全であるように、あなたも完全でありなさい、」と普遍的な命令を発布し、父は、この途方もない事業の履行を永遠なる息子に託した。また、永遠なる息子は、無限の精霊である神性等位者とのこの崇高的事業業の育成を共にする。このようにして、神格は、創造、制御、進化、顕示、および聖職活動の作業において効果的に協同するのである。そして、もし必要ならば、回復と更生においても。
永遠なる息子は、全創造への宇宙なる父のその驚異的指令の散布に無条件で参加した。「ハヴォーナの父が完全であるように、あなたも完全でありなさい。」という指令。その勧誘命令は、その後ずっと、全生存計画と永遠なる息子の贈与事業とその等位であり協働する息子の広大な家族を動機づけてきた。また、他ならぬこれらの贈与において、神の息子は、すべての進化的創造物への「道、真理、命」になった。
永遠なる息子は、父が、前人格の思考調整者の贈り物を通して連絡するようには直接には人間との接触はできないが、人いるところで、時には、人間自身としてあることが可能になるまで、神性の息子であることの一連の下降段階により創造された人格に近づくのである。
永遠なる息子の純粋に個人的な特性の断片化は不可能である。永遠なる息子は、精霊的作用として、または、人格としての他には決して仕えない。息子には、父-調整者がそこに関与するが、永遠なる息子が贈与の方法によるこの制限の代償するという意味においては、創造物経験の一部になることは不可能であることがわかる。断片化された実体の経験が宇宙なる父にとって意味するものと同じように、楽園の息子の肉体化における経験が永遠なる息子にとっても同じ意味をもつ。
永遠なる息子は、人間の心に宿る思考調整者である神性意志として人に達することはないが、息子のネバドンのマイケルの神性人格がナザレのイェススの人間の性質に具体化されたときに、ユランチアの人間に達した。神の楽園の息子は、創造された人格の経験を共有するために、そのような創造物のまさしくその性質を仮定し、実際の創造物自体としてそれらの神性人格に肉体を与えなければならないのである。肉体化、つまりソナリントンの秘密は、さもなければ人格絶対のすべてを取り囲む足枷からの息子の逃避手段である。
大昔、永遠なる息子は、時間の上昇する巡礼者を含むハヴォーナのすべての住民と巡礼者の啓発と前進のために中央の創造のそれぞれの回路に自分自身を与えた。永遠なる息子は、これらの7 贈与のどれも、上昇者あるいはハヴォーナ出身者としては機能しなかったのである。永遠なる息子は自分自身として存在した。永遠なる息子の経験は特異であった。それは、人間とも、あるいは他の巡礼者とも一緒ではなく、または人間として、あるいは他の巡礼者としてではなかったが、超人格的意味において結合しやすい何らかの方法であった。
永遠なる息子は、ハヴォーナの内側の回路と楽園の岸とに介在する眠りというものも経験しなかった。永遠なる息子にとり人格の意識を中断させるということは、全精霊的重力が自分に集中しているので、絶対の存在体である彼には可能ではない。そして、これらの贈与の時代、精霊的な輝きの中央の楽園の場所は、薄暗くはなく、普遍の精霊重力の息子の把握は低下してはいなかった。
ハヴォーナにおける永遠なる息子の贈与は、人間の想像力の範囲内を超えるものである。それらは超越的であった。永遠なる息子は、その時、またその後、すべてのハヴォーナの経験に加えたが、我々は、彼が自身の実存的本質の想定された経験上の能力に加えたかどうかを知らない。それは、楽園の息子の贈与の神秘に含まれる。しかしながら、我々は、永遠なる息子がこれらの贈与任務において取得したものは何であろうとも以来ずっと維持していると信じるのである。だが、我々は、それが何であるかを知らない。
神格の第二人格の贈与の理解における我々の苦労が何であろうとも、我々は、永遠なる息子の一名の息子のハヴォーナ贈与を理解するし、その息子は、文字通り中央の宇宙回路を通過し、上昇者の神格到達の準備を構成するそれらの経験を実際に共有した。これが、上昇する巡礼者の回路から回路へと人生経験をした、つまりハヴォーナに達するすべての人間の最初の者であるグランドファンダの時代に巡礼者と共に個人的に各回路を旅をした最初のマイケル、長子の創造者たる息子である。
ほかに何を顕示したとしても、この最初のマイケルが、ハヴォーナの創造物へ最初の母たる息子の超越的贈与をしたのであった。その後永久にハヴォーナ回路を作る冒険において努力する時間の各巡礼者は、永遠なる息子が、ハヴォーナへの漸進的到達の7回路における時空の巡礼者の経験に参加するために楽園の力と栄光を7回放棄したという確かな知識にその後永久に励まされ、力強くされたというほどまでに具体的である。
永遠なる息子は、時間と空間の宇宙全体における贈与の聖職活動においてすべての神の息子にとっての模範的ひらめきである。等位の創造者たる息子と准権威ある息子はすべて、息子資格のあるの他の明らかにされていない系列と共に、創造物の生命の様々な系列と創造物自体として自分たちを与えるこの素晴らしい意欲をともにする。したがって、精霊において、また起源の事実と同様に性質の類似ゆえに、空間世界への神のそれぞれの息子の贈与において、これらの贈与において、これらの贈与をへて、それにこれらの贈与により、永遠なる息子が、宇宙の意志を持つ創造物に自身を贈与してきたということが事実になる。
精霊と性質に関して、すべての属性に関しないまでも、それぞれの楽園の息子は、最初の息子の神々しく完全な描写である。楽園の息子を見たものは誰でも神の永遠なる息子を見たということは、文字通り本当である。
神の複数の息子に関する知識不足は、ユランチアにおける大混乱の源である。この無知は、「神の息子らが喜びを宣言し、明けの明星のすべてが一緒に歌ったとき、」というこれらの神性人格の秘密会議に関する記録のそのような声明に直面し続けている。領域標準時の1千年毎に、神性の息子の様々な系列は、定期的秘密会議のために集合する。
永遠なる息子は、創造全体において機能するように、下降する神の息子の全系列を実にふんだんに特色づける慈悲と奉仕の属性の人格的源である。すべての無限の属性ではないまでも、すべての神性の性質を、永遠なる息子は、自身の神性の特徴を明らかにするために永遠の小島から宇宙の中の宇宙へと出かける楽園の息子に絶えず伝えるのである。
最初の永遠なる息子は、宇宙なる父の「第一番目」に完成された無限の考えの子-人格である。宇宙なる父と永遠なる息子が、新たで、初の、同一の、特異で絶対の人格の考えを共同で考案する度に、まさしくその瞬間に、この創造的着想は、新らしい、最初の創造者たる息子の存在体と人格の中に完全かつ最終的に人格化される。精霊の性質、神性の英知、および等位の創造力において、これらの創造者たる息子は、潜在的に父なる神と息子なる神に対等である。
創造者なる息子は、楽園から時間の宇宙に出向き、そして、制御的、創造的である第三根源と中枢の媒体と協力して地方宇宙の進歩的発展の組織化を終了する。これらの息子は、物質、心、精霊の主要かつ普遍的制御に配属されないし、または、携わってもいない。したがって、それらは、第一根源と中枢と、それに等位の絶対者のもつ前存在、優先性と首位性により創造的行為において制限されるのである。これらの息子は、みずからが生み出すものだけを管理することができる。絶対的行政は、存在の優先順位に備わっており、臨場の永遠性になくてはならないものである。父は、宇宙において第一のままである。
創造者たる息子が父と息子により人格化されるように、息子と精霊により個人化される権威の息子もそうである。これらは、創造物肉体化の経験において、時間と空間の創造における生存の裁判官として役目を果たす権利を獲得する息子である。
父、息子、精霊はまた、人間と神性のすべての人格の、崇高な教師として壮大な宇宙に分布する万能の三位一体の教師たる息子を人格化するために結合する。そして、ユランチアの人間には伝えられていない数多くの楽園の息子の他の系列がある。
最初の母たる息子と、全創造にわたり拡散しているこれらの楽園の息子の部隊の間には直接かつ専属の回路がある。その機能が絶対に近い精霊的関係でそれらを結びつける精霊的類似の特質に固有の回路。息子間のこの回路は、精霊重力の普遍的回路とは似ても似つかず、精霊重力の普遍的回路はまた、第二根源と中枢の人格に中心を置く。楽園の神格の人格に起源をもつ神の息子のすべては、永遠の母たる息子との直接、かつ耐えることのないの交信をする。そして、そのような交信は瞬時に起こっている。それは、時として空間により条件づけられるが、時間からは独立している。
永遠なる息子は、楽園の息子の全系列に属する状況、考え、および多様な活動に関し常に完全な知識があるばかりではなく、永遠の中心の一次的創造における全創造物の心に存在する、また等位の創造者たる息子の時間の二次的創造の心に存在する精霊的価値を伴うすべてに関してもまた常に完ぺきな知識がある。
永遠なる息子は、宇宙なる父の精霊と人格に属する完全で、専属の、普遍的かつ最終的顕示である。父に関する全知識、また関係ある情報は、永遠なる息子と楽園の息子から来なければならない。永遠なる息子は、永遠に存在しており、また完全に、しかも精霊上の制限なしで父と1つでいる。両者は神性人格においては、等位である。精霊的性質においては等しい。神性においては同じである。
神の特質は、本質的に息子の人格面において改善されるというこは全くありえない。なぜなら、神性の父は、無限に完全であるが、その特質と人格は、非人格の、また非精霊の除去により、被創造の存在体への顕示のために増幅される。第一根源と中枢は、はるかに人格以上のものであるが、第一根源と中枢の父の人格の全精霊資質は、精霊的に永遠なる息子の絶対人格に臨場している。
第一の息子とその息子は、すべての創造への父の精霊的かつ人格的性質の普遍的顕示に従事している。中央宇宙、超宇宙、地方宇宙か、あるいは生息惑星において宇宙なる父を人と天使に顕示するのは、楽園の息子である。永遠なる息子とその息子は、創造物接近路を宇宙なる父に明らかにする。高い起源の我々でさえ、永遠なる息子と永遠なる息子の息子における特質と人格の顕示を研究する際、ずっとはるかに父を完全に理解する。
父は、永遠なる息子の神性の息子を介してのみ人格としてあなたのところに降りてくる。そして、この同じ生きた道によってあなたは父に達する。あなたは、神性の息子のこの集団の指導により父の元へと昇る。そして、これは、他ならぬあなたの人格が宇宙なる父の直接贈与であるにもかかわらず、真実のままで続く。
永遠なる息子の広範囲にわたる精霊的行政のこれらの広範囲の全活動において、息子は、父が本当に、実際に人格であるように、人格であるということを忘れてはいけない。実に、かつての人間の系列の存在体にとり、宇宙なる父よりも永遠なる息子に、より簡単に接近するであろう。ハヴォーナ回路を通る時間の巡礼者の進行において、あなたは、父について明察する用意ができるずっと前に息子に達する力が十分にあるであろう。
あなたは、かつては地球の人の息子、今はあなたの地方宇宙の高揚された君主--人の息子と神の息子--であるあなた自身の創造者たる息子による愛の奉仕においてなされる神性のこれらの属性の顕示について熟考する際、慈悲ある永遠なる息子の性格と慈悲深い性質の多くを理解すべきである。
[楽園の永遠なる息子について表現するこの声明を練る任務を受けた神性顧問により書き綴られた]
宇宙なる父の「最初の」無限で絶対的な考えが、その神性表現に適した完全で適切なそのような言葉を永遠なる息子に見つける永遠にまで遡ると、相互表現と総合作用の自在で無限の行為者のための思考-神と言葉-神の両者の絶大な願望が、あとに続くのである。
父と息子の双方は、永遠性の夜明けにおいて、相互依存を、つまり両者の永遠かつ絶対単一性を際限なく認識するようになる。これにより、両者は神性連携の無限かつ永遠の契約を結ぶのである。この終わりなき盟約は、永遠の全回路にわたる結合的概念の遂行にむけて結ばれる。そして、この永遠の出来事以来、父と息子はこの神性結合を続ける。
我々は現在、神性の第三人格である無限の精霊の永遠の起源と向き合っている。父なる神と息子なる神が同一、かつ無限の活動をともに思いつくまさにその瞬間、--絶対的考え、つまり計画の実行--まさしくその瞬間に、無限の精霊は、存在へと成熟して飛び立つのである。
こうして神格起源の系列を語るに際し、私は、単純にあなたがそれらの神格関係について考えることができるようにするのである。事実上は、3者すべてが永遠に存在しているのである。それらは実存的である。それらには、時代の始まりも終わりもない。等位で、崇高で、究極で、絶対であり、無限である。3者は今存在しており、常に存在してきており、未来にも存在する。また、それらは明瞭に個性化されているが、永遠に関連する3人格、つまり父なる神、息子なる神、精霊なる神である。
永遠の過去において、つまり無限の精霊の人格化にあたり、神性の人格回路は完ぺきで完全になる。活動の神は実在し、驚異の創造劇—普遍的冒険—永遠の時代の神性の全景—のための広大な舞台空間が、準備されている。
無限の精霊の第1幕は、神性の両親、父-父、および母-息子の点検と認識である。彼、つまり精霊は、無条件にその両方を確認する。精霊は、結合された性質と機能はもとよりそれらの別々の人格と無限の属性を完全に認識している。次に、第一人格と第二人格との平等性にもかかわらず神格の第三人格は、卓越した意欲と鼓舞する自発性をもって、父なる神への永遠の忠誠心を誓約し、息子なる神への永続する依存を認める。
永遠の回路というものは、この相互作用に備わっており、またそれぞれの人格独立と3者すべての行政連合の互いの認識において設立される。楽園の三位一体は実在する。宇宙空間の舞台は、永遠なる息子の人格を介し、また、父-息子創造者連携の現実遂行のための行政体である活動の神の実行により、宇宙なる父の創造的展開目的の多様かつ果てしない全景が設けられている。
活動の神は機能し、死の丸天井は賑わっている。10億の完全な球体が突如として出現する。この仮定的永遠の瞬間に先立ち、楽園に固有の空間エネルギーは実在し、潜在的に作用可能であるが、それらには、存在の現実性はない。その間断のない牽引力への物質的現実の反応手段を除いては、物理的重力も測定し得ない。永久に遠方であるこの(想定上の)瞬間に、物質宇宙はないが、まさにその瞬間10億の世界が具体化し、楽園の永遠の把握においてそれらを保持するに十分かつ適切な重力が明らかに見られる。
今、神の創造を通して第2のエネルギーの型が放たれると、この流出する精霊は、永遠なる息子の精霊的重力によって即座に捉まれる。こうして、二要素からなる重力に取り巻かれる宇宙は、無限のエネルギーの接触をうけ、神性の精霊に浸される。このようにして、命の土壌が、無限の精霊の関連する知力の回路において明らかにされる心の意識のために準備されるのである。
神の主要な創造全体に拡散された潜在的存在のこれらの種子に、父は働きかけ、創造物の人格が現れる。次に、楽園神格の臨場は、すべての組織化された空間を満たし、万事万物を楽園方向に引き寄せ始める。
無限の精霊は、父と息子の結合概念と連合意志に従い自身により、自身とともに、しかも自身の中にこの中央宇宙を創造し、同時にハヴォーナ世界の誕生を永遠化する。第三人格は、まさしくその結合創造により神格化し、その結果、永久に連合創造者になる。
これらは、父と息子の両者の結合提携者と専属行政官、つまり第三根源と中枢の活動による、また、その中における父と息子の創造的展開の壮大かつ凄まじい時代である。これらの輝かしい時代に関するいかなる記録も存在していない。我々にはこれらの強力な相互活動を具体化する無限の精霊からのわずかな開示しかなく、無限の精霊は、中央宇宙とそれに加えて関係するすべてが、人格と意識的臨場の達成と同時に永遠化されたという事実を確かめるにすぎない。
要するに、無限の精霊は、自分が永遠であるので、中央宇宙も永遠であるということを明らかにしている。そして、これは宇宙の中の宇宙の歴史の従来の出発点である。万物の中心にあり、極めて見事に機能する広大な宇宙を結晶化した創造的エネルギーと行政上の知恵のこの驚くべき出現に先立ついかなる出来事、または相互作用に関しても絶対に何も知られてはいないし、何の記録も存在しない。この出来事を超え、永遠性の不可解な相互作用と無限の深層が横たわる—絶対的神秘。
このようにして我々は、時間的限定の、空間的条件の必滅の人間の心へ降りてくる解釈として第三根源と中枢の続いて起こる起源を描写する。人の心には、宇宙歴史の視覚化のための出発点がなければならないし、私は永遠に関する歴史的概念へのこの接近方法を提供するように指示されてきた。物質的な心にとり、一貫性は第一原因を必要とする。それゆえ、我々は、宇宙なる父を全創造の第一根源として、また絶対的中枢として仮定し、同時に息子と精霊は、宇宙歴史の全局面において、また創造的活動のすべての領域において父と共に永遠であるということを全創造物に教授する。そして、我々は、いかなる意味においても楽園の小島の現実と永遠性を、そして、無条件の絶対、宇宙の絶対、神格絶対の現実と永遠性を軽視することなくこれをする。
それは、時間の子供の物質的心の範囲で永遠の父を想像するには十分である。我々は、どの子もまず親子の立場の関係を習得することにより、次に、家族全体を包括的に捉えるためにこの概念を拡大することにより最もよく自分自身を現実に関連づけるということを知っている。続いてその子の成長している心は、家族関係の概念に、次に、宇宙、超宇宙のそれらに、宇宙の中の宇宙のそれらにさえと適応することができるであろう。
結合創造者は、永遠から来ており、宇宙なる父と永遠なる息子と完全に、しかも無条件に1つである。無限の精霊は、楽園の父の性質だけではなく、最初の息子の性質も完全に反映する。
第三根源と中枢は、数多くの名称により知られている。普遍なる精霊、崇高なる案内者、連合創造者、神性行政者、無限の心、精霊の精霊、楽園の母なる精霊、連合活動者、最終調整者、遍在の精霊、絶対知性者、神性の活動。ユランチアにおいては、時々宇宙心と混同される。
神は精霊であるので、神格の第三人格を無限の精霊と命名することは全くもって適切である。しかし、基本的な現実を問題として、また精霊とともに心を問題に根ざした基礎条件として見誤る傾向のある物質の創造物には、第三根源と中枢が、無限の現実、宇宙の主催者、または人格等位者と呼ばれるならば、第三根源と中枢をよりよく理解できるであろう。
神性の宇宙顕示としての無限の精霊は、不可解であり、完全に人間の理解を超えている。あなたが、精霊の絶対性を理解するには、宇宙なる父の無限を熟考し、最初の息子の永遠に畏敬の念を抱いてさえいれば十分なのである。
実に、無限の精霊の人格は神秘であるが、父と息子の人格の神秘ほどではない。父の性質の全側面のうち連合創造者は最もきわだって自身の無限を明らかにする。主たる宇宙が最終的には無限へと広がったとしても、連合活動者の精霊臨場、エネルギー制御、心の可能性、際限のないそのような創造需要にこたえるには適切であることがわかるであろう。
無限の精霊は、あらゆる方法で宇宙なる父の完全性、正義、愛を共有しているものの、永遠なる息子の慈悲の属性方向に傾いており、こうして、壮大な宇宙への楽園の神格の慈悲の聖職活動者になる。ずっと--遍くかつ永遠に--精霊は、慈悲の聖職活動者である。なぜなら、神性の息子が神の愛を明らかにするように、神性の精霊も神の慈悲を表現するのであるから。
すべての善は父に起源を取るのであるから、精霊が父以上に善の多くを持ち得るということは可能ではないが、精霊の行為において、我々はそのような善をよりよく理解することができる。父の実意と息子の忠誠は、無限の精霊の人格の情愛深い聖職活動と絶えざる奉仕により球体の精霊存在体と物質的創造物にとって極めて現実的にされる。
連合創造者は、父の考えの美と真実の全特徴を引き継ぐ。神性のこれらの崇高的特色は、宇宙の心のほぼ崇高段階において第三根源と中枢の無条件で無限の心の、果てしなく、しかも永遠の知恵に従属して調整される。
永遠なる息子が、宇宙なる父の「第一」絶対と無限の考えの言語表現であるのと同様に、連合活動者は、思考-言語の絶対結合である父-息子の人格の連携による結合された行動のための「第一」の完成された創造的概念、あるいは計画の完全な実行である。第三根源と中枢は、同時に、中心的、あるいは厳命的創造を永遠に続け、また、宇宙間にはこの主要な創造だけが永遠に存在している。
第三根源は、その人格化以来個人的にはそれ以上は宇宙創造に参加しない。宇宙なる父は、ありとあらゆるものを永遠なる息子に委任する。同様に、永遠なる息子は、あらゆる可能な権威と力を連合創造者に授ける。
永遠なる息子と連合創造者は、創造されたてきたあらゆる後ハヴォーナ宇宙を提携者として、また、等位の人格を通じて計画し、築いてきた。精霊は、息子が最初の、かつ主要な創造において父と維持する関係を、その後の全創造において息子と同じ個人的関係を、維持する。
永遠なる息子の創造者たる息子と無限の精霊の創造の精霊は、あなたとあなたの宇宙を創造した。父がそれらが組織したものを忠実に維持し続ける間、それぞれの製作の創造物への聖職活動はもちろん、進め支えるそれら自身の仕事が、この宇宙の息子とこの宇宙の精霊に譲り渡される。
無限の精霊は、時間と空間の全世界における真実を愛するすべての魂を引きつける共同事業実行のためのすべてを愛する父とすべての慈悲深い息子の有能な動作主である。永遠なる息子が宇宙の創造物のための完全性到達の父の計画を受け入れたまさしくその瞬間に、つまり、上昇事業が父と息子の計画となったその瞬間に、無限の精霊が結合の、しかも永遠の目的実行のための父と息子の結合の管理者になった。その際、無限の精霊は、父と息子に神性臨場と精霊人格の自分のすべての資源を誓約した。無限の精霊は、生存意志をもつ創造物を楽園の完全性の神性の高さへの発揚計画にすべてを捧げた。
無限の精霊は、宇宙なる父と永遠なる息子の完全で、独占的で、普遍的な顕示である。父-息子連携に関する知識のすべては、無限の精霊、つまり神性の思考-言語の結合の共同代表を通して得られなければならない。
永遠なる息子は、宇宙なる父への接近の唯一の手段であり、無限の精霊は永遠なる息子に達する唯一の方法である。ただ精霊の辛抱強い聖職活動によってのみ時間の上昇の存在体には息子の発見が可能なのである。
上昇する巡礼者が達到達すべき万物の中心にいる楽園神格の中の第一番目は、無限の精霊である。第三人格は、第二人格と第一人格をおおい隠しており、したがって、息子とその父への提示のための候補者全員にいつも最初に提示されなければならない。
そして、他の多くの方法で、精霊は父と息子を等しく代表し、同様に両者に仕えているのである。
息子の言葉が、神の考えを解釈し、そして「肉体となった」とき、共同創造者の結合された本質の情愛深い慈悲を示す精霊的宇宙は、楽園重力が万物をまとめて保持する物理的宇宙に似ている。しかし、この有形無形の全創造を通して、無限の精霊とその精霊の子らが神性両親の聡明な子供らの協力的な工夫と作成に向けての神性の両親の相まった慈悲、忍耐、永続的な愛情を明らかにする広大な舞台がある。心への永遠の聖職活動は、精霊の神性格の本質である。そして、連合活動者のすべての精霊の子は、聖職活動へのこの願望を、すなわち奉仕へのこの神性的衝動を分かち合う。
神は愛であり、息子は慈悲であり、精霊は聖職活動である--すべての知力ある創造物への神性愛と無限の慈悲の聖職活動。精霊は、父の愛と息子の慈悲の人格化である。父と息子は、精霊のなかに、普遍的奉仕のために永遠に結合しているのである。精霊とは、創造物創造に適用された愛、すなわち父の愛と息子の愛の結合された愛である。
無限の精霊は、ユランチアにおいては遍在的影響、普遍的臨場として知られているが、ハヴォーナにおいては、あなたは、無限の精霊を実際の聖職活動の個人的臨場として知るであろう。楽園精霊の聖職活動は、ここでは、時間と空間の世界の創造された存在体に奉仕する各等位の精霊と各下位の人格にとっては模範的で奮い立たせる原型である。無限の精霊は、神性のこの宇宙において永遠なる息子の7個の超自然的出現に本格的に参加した。同様に、無限の精霊は、最初の息子ミカエルとともに、ハヴォーナの回路の7贈与に参加し、その結果、天のこれらの完全な回路を横断する時間の巡礼者全員に同情的でしかも、理解ある精霊の聖職活動者になったのである。
神の創造者たる息子が予定されている地方宇宙への義務を負う創造者としての責任を受け入れるとき、無限の精霊の人格は、創造的な冒険の任務に出向く際、この息子ミカエルの精力的な聖職活動者として公約する。我々は、特に個々の創造の娘を通じて、地方宇宙の母たる精霊を通じて、無限の精霊がますます高い段階の精霊的到達への物質の創造物の上昇促進の課題に専念したことを知るのである。創造物の聖職活動のこのすべての仕事が、これらの地方宇宙の創造者たる息子の目的との完全な調和と、またこれらの地方宇宙の創造者たる息子の人格との密接な結合において行われる。
神の息子が父の人格の宇宙への愛を明らかにする大事業に従事しているように、無限の精霊も、各宇宙のすべての子供の個々の心への父と息子の結合された愛を顕にする果てしない聖職活動に捧げるのである。これらの局部的創造において精霊は、特定の神の息子のようには(一部の息子のようには)人類のもとに人体に似た姿で下りては来ないが、無限の精霊とその等位の精霊は、天使としてあなたの側に立ち、あなたの地上生活の劣性の道案内をするために出現するまで、自身が下降する、つまり一連の驚くべき神性希釈を嬉々として耐えるのである。
無限の精霊は、他ならぬこの減少的手順により、また人格として、実際に、動物起源の球体のあらゆる存在体にはなはだしく接近するのである。精霊は、万物の中心の神性の第三人格として自分の存在を全く無効にすることなくこのすべてを為すのである。
連合創造者は、本当に、しかも、永遠に、偉大な聖職活動の人格、つまり普遍的慈悲の聖職活動者である。精霊の聖職活動を理解するには、精霊が父の果てしない愛と息子の永遠の慈悲の結合的描写であるという真実を熟考しなさい。しかしながら、精霊の聖職活動は、もっぱら永遠なる息子と宇宙なる父の表現に制限されはしない。また、無限の精霊は、自身の名前と権利において領域の創造物への聖職活動の力もまた持っている。第三人格は、神の威厳をもち、また、自身のために慈悲の普遍的聖職活動を与える。
人はこの無限の精霊の下方系列の創造物家族への愛と不断の聖職活動をさらに学ぶにつれ、宇宙なる父と永遠なる息子のこの結合活動の卓越して性質と無比の性格をいっそう賞賛し、崇める。この精霊は、実に、「主の目はいつも正しい者の上にあり、」 「その耳はいつもそれらの祈りに傾けられている。」
無限の精霊の優れた属性は遍在である。宇宙と神性の心の臨場と同様であるすべてに広がるこの精霊は、宇宙の中のすべての宇宙に遍く臨場している。神性の第二人格と第三人格の双方は、全世界に常に臨場するそれらの精霊に代表される。
父は無限であり、それゆえに意志によってのみ制限される。父は、調整者の贈与と人格の回路化において単独に行動するが、精霊の力と知力ある存在体との接触においては、無限の精霊と永遠なる息子の精霊と人格を利用する。父は、等しく随意に息子と、または連合活動者と精霊的に臨場する。父は、息子とともに、また精霊のなかに臨場する。父は、まずいたる所に確実に臨場し、また我々は、これらのさまざまではあるが、関連する力、影響、臨場により、またこれらを通じて、またこれらの中の幾つか、そしてありとあらゆるものを通して彼の存在について明察する。
あなたの聖典では楽園の無限の精霊とあなたの地方宇宙の創造の精霊両者を指定するために神の精霊という用語が互換性を持って使用されているようである。聖霊は、楽園の無限の精霊のこの創造の娘の精霊的回路である。聖霊は、それぞれの地方宇宙に固有の回路であり、精霊的その創造領域内に限られている。だが、無限の精霊は遍在している。
多くの精霊的影響があり、それらすべてが1つである。思考調整者の仕事でさえ、他のすべての影響から独立しているにもかかわらず、無限の精霊と地方宇宙の母なる精霊の精霊的聖職活動の結合的影響と不変的に呼応している。これらの精霊的臨場は、ユランチア出身者の生活に作用しており、隔離はできない。あなたの心とあなたの魂では、これらの精霊的臨場は、多様な起源にもかかわらず、1精霊として機能する。そして、この結合した精霊的職務が経験されるとき、それはあなたにとっては崇高者の影響として働く。崇高者は「あなたを失敗から守り、天のあなたの父の前に非の打ちどころのない状態のあなたを紹介することができる。」
無限の精霊は連合活動者であることをずっと覚えていなさい。父と息子の両者が、無限の精霊なかで、また無限の精霊を通して機能している。無限の精霊は、自分として臨場するだけでなく、父として息子として、また父-息子として臨場する。無限の精霊の精霊臨場は、この認識において、また多くの付加的理由により、しばしば「神の精霊」と呼ばれる。
それは、また神の精霊としてすべての聖職活動の精霊的なつながりに言及することと一致するであろう、というのも、そのようなつながりは、真に父なる神、息子なる神、精霊、七重の神の結合であるので。--崇高なる神の精霊でさえも。
第三根源と中枢の幅広い贈与と広範囲にわたる分配をあいまいにしたり、あるいは別なふうに、人格の事実を損ねてはいけない。無限の精霊は、宇宙臨場、永遠の活動、宇宙力、聖なる影響、そして普遍的な心である。無限の精霊は、これらのすべてであり、大いにそれ以上であるが、また、真の、神性人格でもある。
無限の精霊は、完全かつ、非の打ちどころのない人格、つまり神性に等しい、しかも宇宙なる父と永遠なる息子の等位者である。連合創造者は、父と息子同様に宇宙のより高度の有識者にとり実在し、目に見える。実にそれ以上である、とういうのもすべての上昇者が息子を通して父に近づく前に達しなければならないものが精霊なのであるから。
無限の精霊、つまり神性の第三人格は、あなたが人格に結びつけるすべての属性を持っている。精霊は絶対心を与えられている。「精霊は、すべてのものを、神の深みまでも探査する。」精霊は、心を授かるばかりではなく、意志をも授かっている。精霊の天資の贈与に関する記録がある。「しかし、これらのすべてのひとつの同じ精霊の働きであるすべてのこれらのものは、御霊の思いのままに各自に分け与えられるのである。」
“御霊の愛」は事実であり、御霊の悲しみもまたそうである。それ故、「神の御霊を悲しませてはいけない。」我々が楽園の神格として、または、地方宇宙の創造の精霊として無限の精霊を見ようと、我々には、連合創造者が第三根源と中枢であるばかりではなく、神性人格でもあるということがわかる。また、この神性の人格は、人として宇宙に反応する。精霊はあなたに話し掛ける、「耳あるものは精霊の言うことを聞くがよい。」と。「精霊自体があなたのためにとりなしてくださる。」精霊は、被創造物に直接の、個人的な影響を及ぼす。「神の精霊に導かれる数だけ、彼らは神の息子である。」
我々は宇宙の中の宇宙の遠く離れた世界への無限の精霊の聖職活動の現象を目にするとは言え、第三根源と中枢に起源を取る明かされてはいない多種多様の存在体の大群内やそれを通して行動しているこの同じ調整している神格を想像するとは言え、精霊の遍在を認めるとは言え、我々はそれでもなお、この同じ第三根源と中枢は人格であり、万象の、万物の、全宇宙の連合創造者であることを確言している。
父、息子、精霊は、宇宙行政において完全に永遠に相互に関連している。それぞれが全創造への個人的聖職活動に従事しているが、3者すべてが、永遠に3者を1つにする創造と管理の勤めにおいて神々しく、また完全に連動している.
父と息子は、無限の精霊の中に互いに臨場しており、常に、しかも無条件の完全化にいる。なぜなら、精霊は、父のようであり、息子のようであり、また父と息子が永遠に1つであるように父と息子のようでもあるから。
[無限の精霊の性質とその働きを描写するために日の老いたるものに任命されたユヴァーサの神性顧問によるユランチアでの提示]
奇妙なことが、楽園において宇宙なる父と永遠なる息子が自らの人格化のために結合するときに起きた。連合活動者が絶対心と調整され、また、エネルギー操作の特異な特権を授けられた無制限の精神性として人格化するということを何もこの永遠状況においては予示しないのである。その出現が、集中化した完全性の束縛から、人格絶対の枷からの父の解放を終了する。そして、この解放は、後に発展する宇宙の物質的創造物にさえ聖職活動をする精霊として仕えるよく適合する存在体を創造するために連合創造者の驚くべき力で明らかにされる。
父は愛と意志において、精霊的な考えと目的において無限である。父は宇宙の擁護者である。息子は、英知と真実において、精霊的表現と解釈において無限である。息子は宇宙の顕示者である。楽園は、根源力賦与の可能性において無限であり、それは、エネルギー支配能力において宇宙の安定装置である。連合活動者は、統合の特異な特権、つまり既存の全宇宙エネルギー、実際の全宇宙の精霊、および真の全宇宙識者を調和させる無限の能力をもつ。第三根源と中枢は、宇宙なる父の神性計画と永遠の目的からくる種々のエネルギーと様々な創造の宇宙の統一者である。
無限の精霊、連合創造者は、普遍の、神性の聖職活動者である。精霊は、安定し不変であり高潔である楽園の三位一体の正義と調和においてさえ、絶えず息子の慈悲と父の愛を施す。精霊の影響と人格は、つねにあなたに近いのである。その人格はあなたを本当に知っており、本当に理解している。
連合活動者の媒体は、宇宙の至るところで絶えず全空間の根源力とエネルギーを操る。第一中枢と根源のように、第三根源と中枢は、精霊の領域と物質の領域の双方に応じる。連合活動者は、万物、意味、価値、すなわちエネルギー、心、精霊—を有する神の一体性の顕示である。
無限の精霊は全空間に行き渡る。無限の精霊は永遠の回路に宿る。また、精霊は、父と息子のように、完全であり、不変である—絶対である。
第三根源と中枢は、多くの名称で知られ、そのすべてが関係を示唆し機能を認識している。精霊なる神としての第三根源と中枢は、息子なる神と父なる神の人格等位であり神性同等である。無限の精霊としては、遍在の精霊的影響である。宇宙の操縦者としては、力制御の創造物と空間の宇宙根源力の活性者の先祖である。連合活動者としては、共同代表者であり父息子の連携執行者である。絶対なる心としては、宇宙全体にわたる知力の賦与の源である。活動の神としては、動き、変化、関係の明かな先祖である。
第三根源と中枢のいくつかの属性は、父からきており、また、いくつかは息子からきているが、他の属性—第三根源と中枢が、楽園の絶対性の永遠の事実と調和し認識して機能し続けることを永遠化する父‑息子の協力関係の仮定にたよる以外にはとても説明し得ない属性—は、父あるいは息子のいずれの臨場にも積極的に、または直接的にも観測されてはいない。連合創造者は、神格の第一と第二人格に関しての結合されたかつ無限の概念の豊かさを具体化する。
あなたが、父を最初の創造者として、息子を精霊的行政者として心に描くとき、第三根源と中枢を宇宙の調整者として、無制限の協力をする聖職活動者と考えるべきである。連合活動者は、実際の全現実の相関者である。連合活動者は、父の考えと息子の言葉の神格収納庫であり、行為においては永遠に中央の小島の物質的絶対性に敬意を払う。楽園の三位一体は、宇宙の進歩上の系列を定め、神の摂理は連合創造者と進化している崇高なるものの領域である。どんな実際の、または、顕在化している現実も第三根源と中枢との最後の関係から逃がれることはできない。
宇宙なる父は前エネルギー、前精霊、前人格の領域を統括する。永遠なる息子は、精霊的活動範囲を支配している。楽園の小島の臨場は、物理エネルギーと物質化している力の分野を統一する。連合活動者は、息子を代表する無限の精霊としての作用だけではなく、楽園の根源力とエネルギーの普遍の操縦者としての作用もしており、こうして、普遍かつ絶対の心を生み出す。連合活動者は、積極的かつ異る個性として壮大な宇宙全体で機能し、特に精霊的価値、物理的エネルギー関係、および心の真の意味のより高度の球体において機能する。殊に、エネルギーと精霊が関連し、相互作用するところならどこでも、いつでも、機能する。連合活動者は、心をもってすべての反応に支配力を振るい、精霊的世界において大力を行使し、エネルギーと物質に強力な力を揮う。第三根源はいつも第一根源と中枢の性質を表現している。
時おり遍在精霊と呼ばれる第三根源と中枢は、完全に、しかも制限なくして第一根源と中枢の遍在を共有する。独特の、そして、非常に個人的な態度で、心の神は宇宙なる父と永遠なる息子の全知を共有する。精霊の知識は深遠かつ、完全である。連合創造者は、宇宙なる父の全能性のある局面を示すが、単に心の領域においてのみ実際に全能である。神性の第三人格は、心の領域の知力の中心であり宇宙行政者である。この点において、彼は絶対である。—神性の第三人格の主権は無条件である。
連合活動者は、父‑息子の連携に動機づけられているようであるが、自己の全活動は、父‑楽園関係を認識しているように見える。時に、また、ある機能においては、経験的な神格—崇高なる神と究極なる神—の進化の不備を補っているようである。
ここに、無限の神秘がある。無限者は、息子の中に、また楽園として同時に自身の無限を明らかにし、それから、神と等しい存在体へと一躍神性の中に存在するようにり、息子の精霊的な性質に反映的であり、楽園の型を動かすことができ、主権に従属し、しかも、多くの方法で明らかに活動において最も万能である。活動におけるそのような見かけ上の優位性は、第三根源と中枢の物理的重力にさえも優れた属性に明らかにされる—楽園の小島の普遍の顕現。
無限の精霊は、エネルギーと物理的なもののこの超管理に加え、その精霊的聖職活動において非常にすばらしく顕示される忍耐、慈悲、愛のそれらの属性に絶妙に与えられている。精霊は、愛を施し、正義を越えて慈悲に至ることにおいてこの上なく有能である。精霊なる神は、最初の永遠なる息子のすべての崇高な思いやりと慈悲深い愛情がある。あなたの出身宇宙は、正義の金床と苦しみの槌の間の外に鍛造されている。しかし、槌を振るうもの達は、慈悲の子供、すなわち無限の精霊の精霊の子らである。
神は三重の意味において精霊である。神自らが精霊である。神は、精霊としてその息子に制限なく現れる。連合活動者の中に、心と同盟する精霊として。そして、これらの精霊的現実に加え、我々は、経験的精霊現象の段階を見分けていると思う。—崇高なるもの、究極なる神格、神格絶対の精霊たち。
無限の精霊は、息子が宇宙なる父を補足するものであるのとまったく同様に、永遠なる息子を補足するものである。永遠なる息子は、父の精霊化された人格化である。無限の精霊は、永遠なる息子と宇宙なる父の人格化された精霊化である。
ユランチアの人々を楽園の神格に直接連結している精霊的根源力の多くの自由な線と超物質力の源がある。思考調整者の宇宙なる父との直接のつながりと、永遠なる息子の精霊的重力の衝動の広範囲の影響と、連合創造者の精霊的臨場とが存在する。息子の精霊、それに精霊の精霊の間には機能の違いがある。聖職活動における第三人格は、心に加えて精霊として、または、精霊として単独で機能するかもしれない。
これらの楽園臨場に加え、ユランチア生まれの者達は、上向きと内向きの真の目的と正直な心をいつも神性の理想と至上の完全性に向けて導く無限的に情愛深い人格の大群を有し、地方宇宙と超宇宙からの精霊的影響と活動から利益を得る。
永遠なる息子の普遍的精霊の臨場を、我々は知る—紛れもなくそれを認識することができる。無限の精霊、神性の第三人格の臨場を、人間でさえ知るかもしれない。なぜなら、物質の創造物は、人類のさまざまの人種への地方宇宙贈与の聖霊として機能するこの神性の作用の恩恵を実際に経験することができるのであるから。また、人間は調整者を、つまり宇宙なる父の無人格的臨場をいくらか意識するようになることができる。人の高揚と神性化のために働くこれらの精霊は皆、調和し完全な協力において作動する。これらの精霊は、人間の上昇と完全性到達計画の精霊的操作において1つとしてある。
楽園の小島は、物理重力の源であり実体である。また、それは、重力が最も現実的であり、宇宙の中の物理的宇宙全体において永遠に信頼できるものの1つであることをあなたに知らせるには十分のはずである。重力は、父と息子が共同的に提供する根源力とエネルギーにより変更されたり、無効にされる以外には、変更されたり、無効にされたりはできない。根源力とエネルギーは、第三根源と中枢の人格に委ねられ、また機能上関係づけられている。
無限の精霊には、特異で驚くべき力がある—抗重力。この力は、機能上(観察可能なほどに)父あるいは息子のいずれにも臨場はしていない。第三根源に備わっている物質重力の牽引力に耐えるこの能力は、宇宙関係のある局面への連合活動者の人格的反応に明らかである。そして、この特異な属性は、無限の精霊のある種のより高い人格に伝えられることができる。
抗重力は局所構造体の範囲内において重力を無効にすることができる。それは、同等の根源力臨場行使によりそれをするのである。単に物質重力と関連して作動するのであり、心の活動ではない。回転儀の重力抵抗現象は、抗重力効果の満足のゆく例証ではあるが、抗重力の原因を例証する価値はない。
連合活動者は、根源力を超えエネルギーを中和できる力をさらに見せている。そのような力は、具体化するまでのエネルギーを減速により、また、あなたには未知の他の手段により作動する。
結合創造者は、エネルギーでもなく、エネルギー源でもなく、エネルギーの目標でもない。エネルギーの操縦者である。連合創造者は、行動である—動き、変化、変更、調整、安定化、および均衡である。楽園の直接的、または、間接的制御の影響下にあるエネルギーは、第三根源と中枢の、またその多様の政府機関の行為への自然な反応によるものである。
第三根源と中枢の力制御の創造物は、宇宙の中の宇宙に広がっている。物理制御者、力の指揮官、力の中枢、および物理エネルギーの規制と安定化に関係のある活動の神の他の代表たち。物理的機能のこれらの特異な創造物にはすべて、たとえば抗重力などの壮大な宇宙の物質とエネルギーの物理的平衡を確立する努力において利用する力の制御の異なる属性がある。
神のこれらの全物質的活動は、その機能を楽園の小島に関連づけているらしく、また、力の媒体のすべては、真に永遠の小島の絶対性に配慮し、依存さえしている。しかし、連合活動者は、楽園のために、あるいはそれに応えての行動をすることはない。連合活動者は、人格的に、父と息子のために行動する。楽園は人格でない。第三根源と中枢の非個人の行動、無人格の行動、また別な方法で人格的ではない行動は、すべて連合活動者自身の意志行為である。それらは何かの、あるいは誰かの反射、誘導、あるいは、影響ではない。
楽園は無限の原型である。活動の神はその原型の活性剤である。楽園は無限に属する物質的支点である。第三根源と中枢の媒体は、物質的段階を動機づけ、物理的創造の仕組みに自然発生性を注ぐ知性のてこである。
物理的かつ精霊的属性とは異なる第三根源と中枢の知的な性質がある。そのような性質は、ほとんど接触可能ではないが、関連はしている—人格的にではないが知的に。それは、心の機能段階における第三人格の物理的属性と精霊的性格との区別は可能であるが、この性質は物理的、もしくは精霊的顕現の如何にかかわらず人格識別には決して機能しない。
絶対心は第三人格の心である。それは精霊なる神の人格とは不可分である。心は、機能する存在体においては、エネルギーから、あるいは精霊から、もしくは両者から切り離されない。心はエネルギーには備わっていない。エネルギーは、心をよく受けいれ、心によく反応する。心はエネルギーに重ね合わせることができるが、意識は純粋に物質的段階には備わっていない。心は、精霊が本質的に意識し特定しているので、純粋な精霊に追加される必要はない。精霊は、いつも知的で、何らかの方法で心をもっている。それは、この心、もしくはその心であるかもしれない。それは、前心もしくは超心であるかもしれない。精霊心でさえあるかもしれないが、それは、考えることと知ることに同等なことをする。精霊の洞察は、卓越しており、続発しており、理論的に心の意識に先行する。
連合創造者は、心の領域に、すなわち普遍的知性の領域においてのみ絶対である。第三根源と中枢の心は無限である。それは宇宙の中の宇宙の活発かつ機能している心の回路を完全に超えている。7超宇宙の心の賦与は熟練の7精霊、つまり連合創造者の第一人格に起源がある。これらの熟練の精霊は、宇宙心として壮大な宇宙に心を配し、また、宇宙心のオーヴォントン型に属するネバドン異型が、あなたの地方宇宙に瀰漫する。
無限の心は、時間を無視し、究極の心は時間を超え、宇宙の心は時間により条件づけられる。空間に関してもそうである。無限の心は、空間から独立しているが、心の無限段階から補助段階へと下降が生じるにつれ、知性はますます空間の事実と限界を考慮しなければならない。
宇宙の根源力は、ちょうど宇宙心が精霊に応じるように、心に応じる。精霊は神性的目的であり、精霊の心は行動に際しては神性的目的である。エネルギーは物であり、心は意味であり、精霊は価値である。時間と空間においてさえ、心は、永遠において親族関係を連想させるエネルギーと精霊とのそれらの相対的関係を確立する。
心は、精霊の価値を知性の意味に変質させる。意志には有形無形の二領域において心の意味に実を結ばせる力がある。楽園上昇は、精霊、心、およびエネルギーに相対かつ特異な成長をもたらす。人格は、経験的人格のこれらの要素の統一者である。
第三根源と中枢は、心に関しては無限である。宇宙が無限へと成長するならば、それでも、心の可能性は、適正な心と知性の他の前提条件に限りない数の創造物を授与するために適切であるだろう。
創造される心の領域において等位と下位の仲間と共に下す第三人格の裁決は、至上である。創造物の心の領域は、第三根源と中枢の唯一の起源である。第三根源と中枢は、心の贈与者である。父の断片でさえ、無限の精霊の心の働きと精霊的機能により道が父の断片のために適切に準備されるまで人の心に宿ることが不可能であるとわかる。
心の独自の特徴は、広範囲のそのような生命に授与され得るということである。創造提携者、かつ被創造提携者を介して、第三根源と中枢はすべての球体上のすべての心に奉仕する。第三根源と中枢は、地方宇宙の補佐を通して、そして、物理制御者の媒体を通して聖職活動をし、最も原始の型の生き物の最も低い非経験の実体にさえ聖職活動をする。また、心の傾向は、いつも心-精霊の、もしくは、心-エネルギーの聖職活動である。
神格の第三人格は心の源であるがゆえに、意志をもつ進化的創造物が、無限の精霊の理解しやすい概念を形成することは永遠なる息子か宇宙なる父のいずれかにかについてそうするよりも容易であるということがわかるのは、至極当然である。連合創造者の現実は、人間の心の存在そのものにおいて完全には明らかにされない。連合創造者は、宇宙心の先祖であり、それが第三根源と中枢の創造の娘により地方宇宙に与えられると、人の心は、その宇宙心の人格化された回路、すなわち無人格の部分である。
第三人格が心の源であるからと言って、心の全現象が神であると大胆に考えてはいけない。人間の知性は、動物種属の物質的起源に根づいている。宇宙の知性が神の真の顕示ではないのは、物理的性質が楽園の美と調和の真の顕示ではないのと同じである。自然には完全性があるが、自然は完全ではない。連合創造者は心の源であるが、心は連合創造者ではない。
心は、ユランチアにおいて、思考完全性の本質とあなたの未熟な人間性の進化する精神との間の妥協である。実に、あなたの知的進化のための計画というものは、高尚な完全性の1つであるが、あなたは、肉体の寺院で機能するとき、その神の目標にははるかに遠いのである。心は真に神性起源であり、それには神性の目標があるが、あなたの必滅の心はまだ神性尊厳のものではない。
しばしば、何度も、あなたは自分の心を不誠実に傷つけ、不正に焦がす。あなたは心を動物の恐怖にさらし、無用な不安によって歪めている。したがって、心の源は神性であるが、あなたが承知するとおり、心は、あなたの上昇世界においてほとんど大きな賞賛の対象になることはできない。ましてや、敬拝の、または崇拝の対象には。未熟で不活発な人間の知識に関する熟考は、謙遜の反応にだけ導くべきである。
第三根源と中枢、すなわち普遍的知性は、 全創造においてあらゆる心を、あらゆる知性を人格的に意識しており、広範囲の宇宙における心の賦与を受けたこれらのすべての身体的、モロンチア的、精霊的な創造物との個人的で完全な接触を維持する。心のこれらの全活動は、第三根源と中枢において局地化する心-重力の絶対回路において把握されており、無限の精霊の個人的意識の一部である。
父がすべての人格を自分に引きつけるのや、息子がすべての精霊的現実を引きつけるのにとてもによく似て、連合活動者もまたすべての心への引きつける力を駆使する。連合活動者は、無条件に宇宙の心の回路を支配し制御する。真の、本物の知的価値のすべては、神性の思考と完全な理念のすべては、心のこの絶対回路に的確に引き込まれる。
心の重力は、有形無形の重力とは無関係に作動することができるが、後者の2重力が、何処でも何時でも作用するときはいつも機能する。3重力のすべてが関わりあうとき、個性重力は物質的な生物を抱くかもしれない—物理的であるか、モロンチア的であるか、有限であるか、または准絶対である。しかし、この事実にもかかわらず、心の賦与は、非個人的な存在体にさえ、個性の全面的欠如にもかかわらず、考える資格を与え意識を授ける。
人間の、または神性の、不滅の、または潜在的に不滅である人格尊厳の自我は、しかしながら、精霊、心、または物質に起源をとらない。それは宇宙なる父の贈与である。また、精霊、心、および物質的重力の相互作用は、人格重力の登場への前提条件でもない。父の回路は、精霊重力に無反応である心-重力の存在体を擁しているかもしれないし、物質重力に無反応である心精霊の存在体であるかもしれない。人格重力の操作は、つねに宇宙なる父の意志行為である。
心は、純粋に物質的存在体に関連づけられるエネルギーであり、また純粋に精霊人格に関連づけられるエネルギーであるが、人間を含む人格の無数の系列には、エネルギーと精霊の双方に関連づけられる心がある。創造物の心の精霊的局面は、永遠なる息子の精霊-重力の牽引力に絶えず反応する。物質的機能は、物質宇宙の重力衝動に応じる。
宇宙心は、エネルギーか精霊のどちらかに関連づけられていなければ、物質回路の、あるいは精霊回路のいずれの重力需要にも応じない。純粋な心は、連合活動者の普遍的重力把持にのみ応じる。純粋な心は、無限の心と近縁であり、無限の心(精霊とエネルギーの絶対者の理論上の等位)は明らかにそれ自体が法である。
精霊エネルギーの分岐が大であればあるほど、観察可能な心の機能はより大である。エネルギーと精霊の多様性が小であればあるほど、観察可能な心の機能はより小である。宇宙心の最大機能は、空間の時間宇宙にある。ここでは、心は、エネルギーと精霊間の中間帯で機能するように思えるが、これは、心より高い段階には当てはまらない。楽園においては、エネルギーと精霊は本質的には1つである。
心-重力回路は信頼できる。それは、楽園の神格の第三人格から発するが、観察可能な心の全機能を予測できるというわけではない。その機能が予測できない何らかのあまり理解されてはいない臨場が、周知の全創造を通して心のこの回路に平行する。我々は、この予測不可能性は、いくぶんは宇宙なる絶対者の機能に起因していると信じる。我々は、この機能が何であるかを知らない。我々は、それを作動するものを推測することができるだけである。創造物とのその関係に関し、我々は推測するしかない。
有限の心にある予測不可能性のある局面は、崇高なるものの不備のためであるかもしれないし、また、ことによるとその中で連合活動者と宇宙なる絶対者が接しているかもしれない渺茫たる活動区域がある。心に関し知られてはいない多くがあるが、我々はそれについて確信している。無限の精霊は、全創造物への創造者の心の完全な表現である。崇高なるものは、全創造物の心の創造者への進化的表現である。
連合活動者は、そのような方法で全段階の宇宙現実を調整できるので、精神的、物質的、精霊的の同時認識を可能にする。これは、宇宙反射力の現象、すなわち、すべてのことが超宇宙の至るところで発生するとき、すべてのことを見、聞き、感じ、そして知るという、また、反射力により、任意の必要な場所において、全情報と知識を焦点化するというその特異かつ不可解な力である。反射力の活動は、7超宇宙の各本部世界に完全に示される。それもまた、超宇宙の全領域内と地方宇宙の区域内全体において作用している。反射性は楽園で最終的に集中化される。
反射力の現象は、超宇宙の本部世界に駐留する反射人格の驚くべき性能において明らかにされるように、全創造に見られる存在の全局面の最も複雑な相互関係を表す。精霊の線は、息子に、物理エネルギーは楽園に、心は第三根源にさかのぼることができる。しかし、宇宙反射力の並はずれた現象には、宇宙の支配者たちが、遠くの状況について瞬時に、同時に、それらの出来事を知ることができるようにするために3者すべての特異で例外的な統一がある。
我々は反射力の方法の多くを理解するのであるが、我々を困惑させる実に多くの局面がある。我々は、連合活動者が心の回路の宇宙の中心であり、連合活動者が宇宙心の先祖であり、宇宙心が第三根源と中枢の絶対心の重力の支配下で作動するということを知っている。我々はさらに、宇宙心の回路が周知の全存在の知的段階に影響を及ぼすことを知っている。宇宙心の回路は、宇宙空間の報告を含んでおり、ちょうど同じくらい確かに、それらは熟練の7精霊に焦点を合わせ、第三根源と中枢に集中する。
有限の宇宙心と神性の絶対心との関係は、崇高者の経験的な心に発展しているようである。我々はこの経験的な心が時間の始まりに無限の精霊により崇高者に贈与されるということを教えられたし、また、我々は崇高なる心の活動を仮定することによってのみ反射現象のある種の特徴が説明されることができると推測する。崇高者が反射に関係がないならば、我々は、宇宙にあるこの意識の複雑な相互作用と的確な操作の説明にとまどうのである。
反射が、経験的有限の限界内においては全知に見え、加えて、崇高なるものの臨場意識の出現を表すかもしれない。この仮定が本当であるならば、その局面のいずれかにおける反射の利用は、崇高者の意識との部分的接触に同じである。
無限の精霊は、その力と特権の多くを等位の人格と下位の人格、および媒体に伝えるための完全な力を持っている。
無限の精霊の最初の神性創造行為は、三位一体からは離れて機能するが、父と息子とのいくつかの明らかにされていない関連において宇宙への無限の精霊の分布者である楽園の熟練の7精霊の存在において人格化した。
第三根源と中枢の直接代行者は超宇宙本部にはいない。これらの7つの創造それぞれが、超宇宙の首都に位置する反射の7精霊を通して活動する楽園の熟練の精霊のなかの1名に依存している。
無限の精霊の次の、そして後に続く創造行為は、創造の精霊の生産において時々明らかにされる。宇宙なる父と永遠なる息子が創造者たる息子の親になるときはいつも、無限の精霊はすべてのその後の宇宙経験においてその創造者たる息子の親しい仲間となる地方宇宙の創造の精霊の祖先になる。
永遠なる息子と創造者たる息子との区別が必要であるのと同様に、無限の精霊と創造の精霊との区別が必要である。全創造にとっての無限の精霊は、地方宇宙にとっての創造の精霊である。
第三根源と中枢は、物理的、モロンチア的、精霊的性質のある一定の回路の監督とともに、壮大な宇宙において聖職活動の精霊、使者、教師、裁判官、助手、助言者の大群により代行される。これらすべての存在体は、厳密な用語の意味においては人格ではない。有限創造物の多種多様の人格は、次のように特徴づけられる。
1. 主観的自意識。
2. 父の人格回路への客観的反応。
創造者人格と創造物人格というものがあり、基本的なこれらの2つの型に加え、無限の精霊にとっては人格的であるが、被創造の存在体にとっては無条件に人格的ではない第三根源と中枢の人格というものがある。これらの第三根源の人格は父の人格回路の一部ではない。第一根源の人格と第三根源の人格は互いに接触可能である。すべての人格は接触可能である。
父は、自身の人格の自由意志によって人格を与える。なぜそうするのかに関しては我々は推測するしかない。いかようにそうするかについて我々は知らない。また、我々は、第三根源がなぜ父でない人格を贈与するのか分からないが、この無限の精霊は、永遠なる息子との創造上の結合において、およびあなたには未知である数多くの方法において、自分自身のためにするのである。また、無限の精霊は、第一根源人格の贈与において父の代理を行なうことができる。
第三根源人格の多数の型がある。無限の精霊は、例えば特定の力の指揮官というような父の人格回路に含まれていない数多くの集団に第三根源の人格を授与する。同様に、無限の精霊は、父の回路化された創造物との関係おいて自分達だけで一類である創造の精霊のような存在体の多集団を人格として扱う。
第一根源と第三中枢の人格の双方は、人格の概念に関連するすべてと、それ以上のものが与えられる。双方は、記憶、理由、判断、創造的想像、思考の関連性、決定、選択、人間には全く未知の知性の付加的な数多くの力を迎え入れる心を持つ。ほとんど例外なくあなたに明らかにされる系列は、型と、紛れもない人格を持っている。それらは実在の存在体である。それらの大多数は、精霊存在体に関する全系列に確認できる。
あなたでさえも、現在の有形の目の限られた洞察力から開放され、精霊的なものの現実への拡大された感度を備えたモロンチアの型を賦与されるや否や、あなたの下方系列の精霊的な仲間に会うことができるであろう。
それがこれらの物語で明らかにされるとき、第三根源と中枢の機能的な家族は、大きな3集団に分類される。
I. 崇高なる精霊。次の系列を擁するものは、とりわけ、合成起源の1集団は次の通りである。
1. 楽園の熟練の7精霊。
2. 超宇宙の反射精霊。
3. 地方宇宙の創造の精霊。
II. 力の指揮官。組織化された空間全体で機能する制御創造物の1集団。
III. 無限の精霊の人格 。この名称は、無限の精霊の人格の一部は意志を持つ創造物のように特異ではあるが、これらの存在体が第三根源の人格であるということを必ずしも含意するわけではない。通常、それらは3主要区分に分類される。
1. 無限の精霊のより高度の人格。
2. 空間の使者の部隊。
3. 時間の聖職活動の精霊。
これらの集団は、楽園や中央の、または、居住宇宙や、超宇宙において奉仕の勤めをし、そのうえ、地方宇宙において、星座、体制、および惑星に対してさえ機能する命令を擁する。
神性と無限の精霊の広大な家族の精霊人格は、永遠に、時間と空間の進化世界のすべての知的創造物への神の愛と息子の慈悲の聖職活動の奉仕に捧げられる。これらの精霊存在体は、それにより人間が混沌から栄光へと登る生きた梯子を構成するのである。
[無限の精霊の性質と働きを描くよう日の老いたるものに委託されたユヴァーサの神性顧問によりユランチアで明らかにされた]
永遠の神格に属する楽園の三位一体は、父が人格絶対性から回避することを容易にする。三位一体は、神の無限の人格意志の限りない表現を神格の絶対性と完全に関連づける。永遠なる息子と神性起源の様々な息子は、連合活動者とその宇宙の子らと共に、さもなければ第一性、完全性、不変性、永遠性、普遍性、絶対性、および無限性にもともと備わっている制限から父の解放に効果的に備える。
楽園の三位一体は、有効に神格の永遠的本質の十分な表現と完全な顕示に備える。三位一体の定置の息子は、同様に神の正義の十分かつ完全な顕示を提供する。三位一体は神格の統一であり、この統一は永遠に父なる神、息子なる神、精霊なる神の最初の、そして、等位の3共存人格がなす神性単一性の絶対的基盤によるものである。
我々は、永遠の回路の現状況から後方へと無限の過去を振るかえると、宇宙情勢にある不可避な必然性しか発見することができなくて、それは楽園の三位一体なのである。私は、三位一体は必然であったと考える。私が、過去、現在、および未来を見るとき、宇宙の中の宇宙すべての中に他には何も必然と考えられものはない。現在の主たる宇宙は、回顧あるいは見込みの点から、三位一体なしには考えられない。楽園の三位一体が与えられると、我々は、万事をなす代替方法を、または複数の方法さえ仮定することができるが、父と息子と精霊の三位一体がなければ、いかに無限者が神格の絶対単一性に直面して三重かつ等位の人格化を達成できたかを発想することはできない。他の何の概念も、神格の三重の人格化に固有の意志解放の充実性と相まった神格統一性に固有である絶対性の完全性の三位一体基準には達しないのである。
父は、永遠に遡り、意味深い自己分配の方針を開始させたようである。委託したり、または授与したりが不可能であると明らかに分かるそれらの力とその権威だけの執行を自身に留保させる何かが宇宙なる父の無私無欲で、情愛深く、愛すべき性質に備わっている。
宇宙なる父は、いかなる他の創造者、または被創造物に贈与可能である自分のあらゆる部分をずっと投げ出してきた。委任できるあらゆる力とすべての権威を永遠なる息子と息子らの関連有識者に委託してきた。宇宙なる父は、移転可能である行政上の自治の全特権を、各宇宙に、実際に君主たる息子に移した。地方宇宙業務においては、宇宙なる父は最初の、そして、中央宇宙における永遠なる息子のように各君主の創造者たる息子を同等に完全で、有能で、権威あるものにした。宇宙なる父は、あらゆる方法で、あらゆる時代に、あらゆる場所において、そしてすべての人へ、また中央にある自分の住まう宇宙を除くあらゆる宇宙において自身のすべてと自身の属性のすべてを、つまり自分自身を投げ出すことができるすべてを品格と尊厳を持って与えてきた、すなわち実際に贈与してきた。
神性の人格は自己中心的ではない。人格の自己分配と共有は神性の自由意志の自己性を特徴づける。創造物は他の人格創造物とのつながりを切望する。創造者は、宇宙の子らと神性を共有する気にさせられる。無限の人格は、宇宙なる父として明らかにされる。宇宙なる父は、存在体の現実と自己均等を等位の2人格と、すなわち永遠なる息子と連合活動者と共有する。
我々は、父の人格と神性属性に関する知識のためにいつも永遠なる息子の顕示に依存するであろう。なぜなら、父は、創造の連合行為が成立するとき、神格の第三人格が人格存在として現われるとき、そして、神性の両親の結合された概念を実行されるとき、無条件の人格としては存在しなくなった。連合活動者の出現と創造の中央部の具体化とともに、ある永遠の変化が起きた。神は絶対人格としての自分自身を永遠なる息子に与えた。かくして、両者は無限の精霊に永遠の結合の「連合人格」を与え、父は「無限の人格」を一人子の息子に授与するのである。
有限の心の概念を超えたこれらの理由、また他の理由から、神の無限の父-人格を理解することは、遍く永遠なる息子の中に明らかにされ、また、無限の精霊の中に、息子とともに、遍く活発であるということを除いては、人間の創造物にとりきわめて難しい。
神の楽園の息子は進化世界を訪れ、時として人間の姿で住みさえするので、また、これらの贈与は、人間が実際に神性人格の性質と特徴について何かを知ることを可能にするので、そのために惑星界の創造物は、父と息子と精霊に関する確実で信頼できる情報のためにこれらの楽園の息子の贈与に頼らなければならない。
父は、三位一体化の手段により息子である無条件の精霊人格の自分自身を投げ出すが、そうする際に、まさしくこの息子の父を自分で構成し、その後に創造された、結果的に生じた、または他の人格化された知力ある意志の創造物のすべての型の神性の父になる無制限な能力の所有者となる。絶対の、かつ、無条件の人格としての父は、息子としてのみ、また息子とだけ共に機能することができるが、人格の父としては、異なる段階の意志を持つ知力ある人格の創造物のさまざまの部隊に授与し続け、いつまでも、宇宙の子らのこの広大な家族との人格的な情愛深い関係を維持する。
父が自身を息子の人格に完全に贈与した後、そしてこの自己贈与の活動が完成し完全であるときに、永遠の協同者は、父-息子の結合においてこのように実在する無限の力と性質からさらにまた自分たちのような他の存在体を構成するそれらの質と属性を共同して与える。そして、この結合人格は、すなわち無限の精霊は、神格の実存的人格化を終了する。
息子は神の父性に不可欠である。精霊は第二人格と第三人格の仲間にとって不可欠である。3者の人格は社会的最小集団であるが、これは連合活動者の必然性を信じる多くの理由の中では最小である。
第一根源と中枢は、無限の父‑人格、つまり無制限の根源人格である。永遠なる息子は、無条件の人格絶対者であり、つまり神性の存在体であり、それは、いつでも、また永遠にわたり神の人格の性質の完全な顕示としてある。無限の精霊は、結合人格、すなわち絶え間なくと続く父-息子連合からくる人格の特異な結果である。
第一根源と中枢の人格は、永遠なる息子の絶対人格を差し引いた無限の人格である。第三根源と中枢の人格は、解放された父-人格と絶対の息子-人格の結合の超付加的結果である。
宇宙なる父、永遠なる息子、そして無限の精霊は特異な人格である。誰も複製ではない。それぞれが原型である。すべては結合している。
永遠なる息子のみが人格の神性関係の豊かさを、すなわち、父との息子関係と精霊への父性に関する、また父-先祖と精霊-仲間の双方との神性平等に関する両方の意識を経験する。父は、同等である息子を持つ経験を知っているが、何の先祖の前例も知らない。永遠なる息子には、子息の経験、つまり人格祖先の認識があり、同時に、息子は無限の精霊の共同の親であることを意識している。無限の精霊は、二重の人格起源をもつが、等位の神人格の親ではない。精霊とともに、神格の人格化の実存的周期は完成する。第三根源と中枢の第一人格は、経験的であり、数えて7名である。
私は楽園の三位一体の起源である。私は統一された神としての三位一体を知っている。私は、父、息子、および精霊がそれぞれの明確な人格能力で存在し行動するということもまた知っている。私は、彼らが個人的に、加えて集合的に行動するばかりではないということを、また、様々な組分けにおける自分達の性能を調整をもするので最終的には単数と複数の異なる7個の能力において機能するということを明確に知っている。そして、これらの7つのつながりが、そのような神性結合連携のための可能性を使い果たすので、宇宙の現実は、価値、意味、人格の7個の変化で現れるということは、必然である。
唯一の神格が存在するにもかかわらず、神格の神性の確かで神聖な3人格化がある。神性調整者の人への賦与に関し、父は言った。「我々自身のかたちに似るように人を造ろう。」3根源と中枢の存在と働きを明確に示したユランチア出身者の著作物において繰り返し複数神格の行為と活動にかんしてのこの言及がある。
我々は、息子と精霊が父との三位一体関係において同じ、しかも平等の間柄を持続すると教えられている。息子と精霊は、永遠に、そして神格として、確かにそうするのであるが、時間において、そして人格として確かに、まことにさまざまの種類の関係を明らかにする。楽園から宇宙を眺めると、これらの関係は非常に類似しているように見えるが、空間の領域から見ると、それらは、全く異なるように見える。
神性の息子は、誠に「神の言葉」であるが、精霊の子らは実に「神の行為」である。神は、息子を通して話し、無限の精霊を通して、また息子と共に行動し、一方、全宇宙活動においては、賞賛され、神々しく敬われる共通の父への賛美と愛をもって同等の2名の兄弟として働く、息子と精霊は、すばらしく兄弟のようである。
父、息子、精霊は、本質的には間違いなく等しく存在面においては等位であるが、それぞれの宇宙業績には紛れもない違いがあり、単独行動に際しては、神格の各人格は絶対性の面において明らかに制約がある。
宇宙なる父は、息子と精霊を構成する人格、力、属性の自己意志による放棄に先立ち、哲学的に考えると、無条件の、絶対の、そして、無限の神格であったように思える。だが、息子をもたないそのような理論上の第一根源と中枢は、いかなる意味においても宇宙なる父とは考えることができるはずがない。父性は息子なくしては実存しない。その上、父は、総体的意味合いにおいて変わることなく離れた瞬間で単独に存在したに違いない。しかし、父には、そのような孤独な存在は決してなかった。息子と精霊は双方ともに、父と永遠に共存している。第一根源と中枢は、常に、最初の息子の永遠の父であったし、いつまでもそうであり、また息子とともに、無限の精霊の永遠の始祖である。
我々は、父が絶対父性と絶対意志を除く絶対性のすべての直接顕現を投げ出してきたことをよく見た。我々は、意志というものが父の不可分の属性であるかどうかを知らない。我々は、父が意志を捨てないということを観測できるだけである。意志のそのような無限性は、永遠に第一根源と中枢に備わっていたに違いない。
永遠なる息子への人格の絶対性を贈与する際に、宇宙なる父は、人格絶対の足枷から逃れるが、そうすることにより、人格絶対として単独に行動することをいつまでも不可能にする一歩を進める。共存神格—結合活動者—の最終的人格化とともに、神格の絶対的機能全体に関わる神性3人格の三位一体の重大な相互依存が続いて起こる。
神は、宇宙の中の宇宙におけるすべての人格の父-絶対である。父は、行動の自由において個人的に絶対であるが、作られた、作成中の、まだ作られていない時間と空間の宇宙においては、楽園の三位一体における場合を除き、父は、総合神としての絶対性は認識可能ではない。
第一根源と中枢は、驚異的宇宙におけるハヴォーナの外で次のように機能する。
1. 創造者として、孫息子である創造者の息子を通して。
2. 制御者として、楽園の引力中心を通して。
3. 精霊として、永遠なる息子を通して。
4. 心として、連合創造者を通して。
5. 父として、自身の人格回路を通して全創造物との親たる接触を維持する。
6. 人格として、他にない自身の断片による創造を通して直接に行動する—思考調整者による人間内において。
7. 総合神として、楽園の三位一体内だけで機能する。
宇宙なる父による司法に関わるこれらすべての棄権や委任は、完全に自発的であり、自らが担うものである。全能の父は、宇宙における権威のこれらの制限を意図的に担っている。
永遠なる息子は、神断片の贈与と他の前人格活動以外にはすべての精霊の観点において父と1者として機能しているようである。息子は、物質創造物の知的活動とも、物質宇宙のエネルギー活動とも密接には同一視されない。絶対状態にあるとき、息子は人格として精霊宇宙の領域においてのみ機能する。
無限の精霊は、自身の全操作において驚くばかりに普遍的で信じ難いほどに万能である。無限の精霊は、心の、事象の、精霊の領域で機能する。連合活動者は、父-息子のつながりを代表するが、自分自身としても機能する。連合活動者は、物理的重力、精霊的重力、または人格回路に直接的には関係しないが、多かれ少なかれ他のすべての宇宙活動に参加する。無限の精霊は、実存的かつ絶対的重力の3制御に明らかに依存しているが、3超制御を行使しているようである。この三重の賦与は、第一の根源力とエネルギーの顕現さえ、絶対性の超究極のまさにその境界線にまで外観上は中和する多くの方法において用いられる。これらの超制御は、ある状況においては、絶対的に宇宙現実の第一顕現さえも超える。
すべての絶対的つながりの中で、楽園の三位一体(最初の3結合体)は、人格的神格の他にはないつながりとして特異である。神は、単に神と、また、神を知ることができる者達に関連してのみ神として機能するが、楽園の三位一体においてのみ、また宇宙全体との関連においてのみ絶対神として機能する。
永遠の神格は完全に統一される。にもかかわらず、神格の3者の完全に人格化された人格がいる。楽園の三位一体は、第一根源と中枢、その永遠の等位者たち、未分離の神格の宇宙機能における全神性統一の性格特性と無限の力にある多様性すべての同時表現を可能にする。
三位一体は、人格に反して機能するのではなく、非人格能力において機能する無限の人格のつながりである。例証は粗雑であるが、父、息子、孫息子が、非人格であったとしても、それでもなお、それぞれの人格的意志に従属する共同の実体を形成可能である。
楽園の三位一体は事実である。それは父、息子、精霊の神格結合として存在する。さらに、父、息子、もしくは精霊、もしくは、そのうちの任意の2者は、この同一の楽園の三位一体と関連して機能することができる。父、息子、精霊は3神格としてではなく、非三位一体手法において協調して取り組むことができる。それらは人格として、選択により、協調して取り組むことができるが、それは三位一体ではない。
無限の精霊がすることは連合活動者の機能であるということをいつも覚えていなさい。父と息子の両者は、連合活動者の中、連合活動者を通して、また連合活動者として機能している。しかし、三位一体の神秘の解明を試みても無駄であろう。1者としての、また1者の中の3者、そして、2者としての、また2者のために行動する1者。
三位一体は、宇宙の諸事に密接につながっているので、孤立したどんな宇宙の出来事、あるいは人格関係の全体性でも説明しようとする我々の試みにおいて考慮されなくてはならない。三位一体は宇宙の全段階において機能しており、人間は有限段階に限られている。それゆえに人は、三位一体としての三位一体の有限概念に満足しているに違いない。
肉体の人間としてあなたは、あなた個人の啓発に従い、また心と魂の反応と調和して、三位一体を見るべきである。あなたは絶対性についてほとんど知ることはできないが、あなたが楽園方向へと昇るとき、三位一体の崇高性と究極性の連続する顕示と予期せぬ発見に対する驚きを何度も経験するであろう。
人格神には属性があるが、三位一体について属性があると語ることは全く辻褄が合わない。神性存在体のこのつながりは、司法行政、全体傾向、調整的活動、および宇宙総括的管理といったような機能を持っているとより適切に見なされるかもしれない。これらの機能は、人格価値のすべての生きている現実に関する限り、積極的に崇高で、究極で、(神格の制限内で)絶対である。
楽園の三位一体の機能は、父の明らかな神性賦与に加えた息子と精霊の人格的存在に特異な専門化されたそれらの属性の単なる総和ではない。楽園神格3者の三位一体の連携は、普遍的な顕示、活動、管理のための新たな意味、価値、力、および能力の発展、究極化、神格化をもたらす。生きた連携、人間家族、社会集団、または楽園の三位一体は、単なる算術加算による増大するのではない。集団の可能性というものは、つねに構成個人の属性の単純な合計をはるかに超えるものである。
三位一体は、三位一体として過去、現在、未来の宇宙全体に向け特異な姿勢を維持する。また、三位一体の機能は、三位一体の宇宙に対する姿勢に最もよく関連しているとおもわれる。そのような姿勢は、同時であり、いかなる孤立状況、または出来事に関しても多様であるかもしれない。
1. 有限者への姿勢。三位一体の最大の自己制限は有限者へのその姿勢である。三位一体は人格ではなく、崇高なるものも三位一体の唯一の人格化ではないが、崇高者は、有限創造物が理解することのできる三位一体の力-人格の焦点化への直近進入路である。したがって、有限者に関係する三位一体は、時折、崇高性の三位一体として語られる。
2. 准絶対に対する姿勢。楽園の三位一体は、有限以上ではあるが絶対以下であるそれらの存在段階に注目しており、この関係性は時として究極者の三位一体と呼ばれる。究極者と崇高者のいずれも完全に楽園の三位一体を代表はしていないが、限定的意味において、またそれぞれの段階に向け、々が経験上の-力の開発の前人格時代において三位一体を代表しているようである。
3. 楽園の三位一体の絶対資性は、絶対生存と関連しており、最後は総合神格の働きに至る。
三位一体の無限者は、第一根源と中枢の3結合体の関係全体の調整活動を伴っており—神格化と同様に非神格化も—したがって、人格にとり把握することは非常に難しい。無限としての三位一体についての考慮において、7形態の3結合体を無視してはいけない。その結果、理解のための一定の困難は避けられるかもしれないし、特定の矛盾は部分的に解明されるかもしれない。
だが、私は、楽園の三位一体に関わる全体の真実と永遠の意義、それに無限の完全性の3存在の終わることのない相互関係の性質を人間の有限の心に意のままに伝えられる言葉をもたない。
すべての法律は第一根源と中枢に起源をとる。第一根源と中枢は法である。精霊的な法は第二根源と中枢に帰属している。法の顕示、すなわち神性法令の発布と解釈は、第三根源と中枢の機能である。法の適用、すなわち正義は、楽園の三位一体の範囲内にあり、三位一体の特定の息子らにより行使される。
正義は、楽園の三位一体の普遍的主権に固有であるが、善、慈悲、真実は、三位一体を構成する神格のその結合である神性人格の宇宙聖職活動である。正義は、父、息子、または精霊の姿勢ではない。正義は愛、慈悲、聖職活動のこれらの人格からの三位一体の姿勢である。楽園の神格のだれも司法を育成はしない。正義は決して個人的姿勢ではない。それは、いつも複数機能である。
証拠は、公正さの基盤(慈悲との調和における正義)は、第三根源と中枢の人格により、すべての領域への、全創造に属する知的存在体の心への父と息子の共同代理により提供される。
審判は、つまり無限の精霊の人格により提出される証拠に従った正義の最終適用は、三位一体の定置の息子の、つまり父、息子、精霊の三位一体の性質を共にする存在体の仕事である。
三位一体の息子のこの集団は、次の人格を擁する。
1. 崇高性の三位一体化の秘密。
2. 日の永遠なるもの。
3. 日の老いたるもの。
4. 日の完全なるもの。
5. 日の若きもの
6. 日の結合なるもの。
7. 日の誠実なるもの。
8. 英知の遂行者。
9. 神性顧問。
10. 普遍的検閲官。
我々は、私がたまたま普遍的検閲官であるこの集団の第10系列に属しており、三位一体として機能する3名の楽園神格の子供である。これらの系列は、普遍的意味における三位一体の姿勢を代表してはいない。それらは行政判断—正義—の領域においてのみ神格のこの集合的姿勢を表す。特に、それらは割り当てられた明確な仕事のために三位一体により考案され、人格化されたそれらの機能においてのみ三位一体を代理する。
日の老いたるものとその三位一体起源の提携者たちは、崇高に公正である正当な判断を7超宇宙に提供する。中央宇宙においては、そのような機能は理論上のみで存在する。そこでは、公正さは完全に自明であり、ハヴォーナの完全性は不調和への全可能性を排除する。
正義は、公正さについての集団思考である。慈悲は、その個人的表現である。慈悲は、愛の姿勢である。精度は、法の運用を特徴づける。神性の判断は、いつも三位一体の正義に合致し、いつも神の神性愛を満たす公正さの魂である。完全に感知され、完全に理解されるとき、三位一体の公正な正義と宇宙なる父の慈悲深い愛は一致する。しかし、人は、そのような神性正義を完全に理解していない。したがって、人が見るように、父の人格、息子の人格、精霊の人格は、三位一体においては時間の経験的宇宙における愛と法の調和的聖職活動において調整されるのである。
神格の第一人格、第二人格、第三人格は、互いに等しく、かつ1体である。「我々の主たる神は唯一の神である。」永遠の神格の神性三位一体にには、目的の完全性と実行の同一性がある。父、息子、連合創造者は、偽りなく、神々しく一体である。真実について書かれている。「私が最初であり、最後であり、私以外に神は存在しない。」
すべての事柄が有限段階において人間に現れるとき楽園の三位一体は、崇高なるもののように、全惑星、全宇宙、全超宇宙、壮大な全宇宙といった全体のみに関係している。この全体性への姿勢は、三位一体が神格の総体であることと他の多くの理由のために存在する。
崇高なるもののは、有限宇宙で機能する三位一体以下の何かであり、三位一体以外の何かである。しかし、ある限界内と不完全な力-人格化の現時代において、この進化の神格は、崇高性の三位一体の態度をまさに反映するようである。父、息子、精霊は、崇高なるものとは個人的には機能しないが、現在の宇宙時代においては、三位一体として協力する。我々は、彼らが究極者との同様の関係を維持するということを理解している。我々は、しばしば崇高なる神が最終的に進化したとき、楽園の神格と神崇高者との個人的関係について推測するのであるが、実のところは分からない。
我々は、崇高性の総括的管理が完全に予測できるとは考えない。さらに、この予測不可能性は、ある開発上の不備、疑いなく崇高者の不備と楽園の三位一体への有限反応の不備の耳印によって特徴づけられているようである。
人間の心は、すぐに、多くのものごと—壊滅的な物理的事象、凄まじい事故、恐ろしい災害、つらい病、世界的規模の惨劇—を考えることができ、またそのような災難は、崇高なるものによるあり得る機能の未知の操縦に関わるものどうかを質問することができる。率直に言って、我々は知らない。我々には実際のところ確信がない。しかし、我々は、時間の経過に従い、これらの困難で、多少神秘的な状況すべてが宇宙の福祉と進歩のためにいつもよい結果をうむということを観測する。存在の情況と説明し難い生活変化はすべて、崇高者の機能と三位一体の総括的管理により高い価値の重要な原型へと織り込まれているのかもしれない。
神の息子としてのあなたは、父なる神の全行為に個人の愛の態度について明察することができる。しかし、あなたは、空間の進化世界において楽園の三位一体の宇宙活動のうち幾つが個々の人間の利益を増すのかをいつも理解できるというわけではないであろう。永遠性の進展において、三位一体の行為は要するに同じく重要であり、行き届いていると明らかにされるであろうが、それらは時間の創造物においていつもそのように現れるというわけではない。
楽園の三位一体に関する多くの真実と事実は、有限を超える機能を認識することによりただ部分的に理解できるに過ぎない。
究極者の三位一体の機能についての議論は勧められないが、究極なる神が理想化するものにより理解される三位一体顕現であることが明らかにされるかもしれない。我々は、主たる宇宙の統一が究極者の究極化の行為であり、おそらくは、楽園の三位一体の准絶対総括的管理の、全てではないが、ある局面の反射であると信じがちである。究極者は、崇高者がこのようにして有限と関連して三位一体を部分的に表すという意味においてのみ准絶対と関連する三位一体の適切な顕現である。
宇宙なる父、永遠なる息子、無限の精霊は、ある意味では総合神の構成要素人格である。楽園の三位一体と三位一体の絶対機能の統一は、総合神格の機能に達する。そして、神格のそのような完成は、有限者と准絶対者の両者を超える。
楽園神格の一者たりとも、潜在的、共同的に、3者すべてが行なうすべての神格を実際に充填したりはしない。無限の3者は、総合神格の前人格と実存的可能性を動かすに必要とされる最小存在体の数であるように思える--神格絶対者。
我々は、人格としての宇宙なる父、永遠なる息子、それに無限の精霊を知っているが、個人的には神格絶対者を知らない。私は父なる神を愛し、崇拝している。私は神格絶対を敬い称える。
私は、ある存在体集団が、終局者がいつかは神格絶対の子供になると教えた宇宙にかつて逗留した。しかし、私は終局者の未来をおおい隠す謎へのこの回答を受け入れる気がしない。
終局者部隊は、神の意志に適う完全性に達した時間と空間のそれらの人間を、他の者達も、擁する。創造物として、創造物の能力の限界内で、それらの者たちは最大限に真に神を知っている。全創造物の父としての神をこのようにして見つけたこれらの終局者は、いつかは超有限の父を求める探索を始めなければならない。しかし、この探索は、准絶対の性質をもつ楽園の父の究極的属性と特徴の把握を伴う。永遠性はそのような到達が可能であるかどうかを明らかにするが、我々は、終局者が神性のこの究極を実際に把握するとしても、おそらく絶対神格の超究極段階に達することはできないであろうと確信する。
終局者たちが、神格絶対に部分的に達するということはあるかもしれないが、もし達したとしてもまだ永遠の中の永遠においては宇宙なる絶対者の問題は、上昇し、進歩する終局者の興味をそそり、それらを当惑させ、困惑させ、それらに挑戦し続けるであろう。というのも我々は、宇宙なる絶対者の宇宙的関係は、物質宇宙とその精霊的行政の継続的拡大につれ、成長する傾向があるということに気づいている。
ただ無限だけが、父-無限を明らかにすることができる。
[ユヴァーサに居住の日の老いたるものからの権威により行動する宇宙検閲官による提示]
楽園は、宇宙の中の宇宙の永遠の中心であり、宇宙なる父、永遠なる息子、無限の精霊、神性の等位者とそれらの仲間の居所である。この中央の小島は、すべての主たる宇宙の中の宇宙現実の最も巨大な組織化された本体である。楽園は精霊の住まいばかりではなく物質の球体でもある。宇宙なる父の全知的創造体は、物質からなる住まいに居を定めている。それゆえに、絶対制御の中心もまた、文字通り物質的であらねばならない。そして再度、精神的なものと精霊的存在体が事実であるということが反復されなければならない。
楽園の物質的美は、その物理的成熟の壮大さにある。神の小島の壮大さは、その居住者のずば抜けた知的達成と心の進化で示される。中央の小島の栄光は、精霊の神性人格の無限の賦与に示される—生命の光。しかし、精霊的な美の奥行きとこのすばらしい奇観の組み合わせは、物質創造生物の有限の心の理解力を完全に超えるものである。神性の住まいの栄光と精霊的壮麗さは人間には理解できない。楽園は永遠から来ている。光と生命のこの中心的小島の起源に関する記録も慣例もない。
楽園は、普遍的領域の行政における多くの目的に適うが、被創造の存在体には、主として神の居住地域として存在する。宇宙なる父の人格的臨場は、このほぼ円形の、しかし球体ではない神格の住まいの上面のまさにその中心に居住している。宇宙なる父のこの楽園臨場は、直接に永遠なる息子の個人的臨場に囲まれ、両者は、無限の精霊の言葉では表されない栄光に包まれている。
神は住んでおり、ずっと住んできており、そして、永久にこの同じ中央の、永遠の住まいに住むであろう。我々はいつもそこに神を見つけてきたし、いつも見つけるであろう。宇宙なる父は、宇宙的には局地化され、精霊的には人格化され、地理的には宇宙の中の宇宙のこの中心に居住している。
我々は皆、宇宙なる父を探し求めるための直接針路を知っている。あなたは、その悠遠さゆえに、また介在する宇宙の広大さゆえに、神の住居に関し多くを理解することはできないが、ちょうどユランチアで地理的に、確かに位置するニューヨーク、ロンドン、ローマ、あるいはシンガポールの都市の位置を確実に、完全に知っているように、これらの途方もない広がりの意味を理解することのできるものたちは、神の位置と住居を知っている。あなたが、船、地図、羅針盤を備えた理に適った航海士であったならば、容易にこれらの都市を見つけることができるであろう。同様に、あなたが通行のための時間と方法を持ち、殊に資格が与えられ、必要とする手引きがあるならば、ついに宇宙なる父の精霊的栄光の中央の輝きの前に立つまで星のきらめく領域を経て内側へと常に旅を続け、宇宙から宇宙、回路から回路へと水先案内ができるであろうに。旅行のすべての必需品が備えられ、万物の中心に神の個人的臨場を見つけるのはあなた自身の惑星の遠方の都市を見つけるのと同程度に可能である。あなたがこれらの場所を訪れなかったということが、それらの現実、あるいは実際の臨場を少しも覆すことにはならない。わずかばかりの宇宙創造物だけが、楽園で神を見つけたということが、万物の中心における存在の現実、あるいは精霊的人格の実在のいずれかを覆すということはいささかもないのである。
父は、いつもこの中央位置に見つけられる。父が移動したとなれば、宇宙に大混乱がもたらされるるであろう。なぜなら、宇宙の引力線が最果ての創造からこの居住地域に集まるのであるから。我々が内に向かい父へと旅するに従い、宇宙を通って人格回路をさかのぼろうと、または上昇する人格についていこうとも、我々が下の楽園へと物質引力の線をたどろうと、または宇宙根源力の押し寄せてくる周期の後をつけようとも、永遠なる息子へと精霊的引力の線をたどろうとも、神の楽園の息子の内部へ向かう行進に従がおうとも、我々が心の回路をたどろうとも、無限の精霊から生じる何兆もの天の存在体の後をつけようとも、—これらの観測のどれかによって、またはそれらのすべてにより、我々は直接父の臨場へと、父の中央の住まいへと導かれるのである。ここに、神は、個人的に、文字通り、実際に臨場している。そして、生命、エネルギー、人格が、無限の存在から全宇宙へと洪水の勢いで流れるのである。
あなたは、天文的位置から、つまりあなたの星体系の空間位置からさえ認識できる物質的宇宙のおびただしさを一瞥し始めているので、そのような物凄い物質宇宙には適切でふさわしい首都、すなわち物質領域と生き物のこのすべての広大かつ広範囲の創造の威厳と無限の広がりをもつ普遍的支配者の本部がなければならないということが、あなたには明白となるはずである。
楽園の形状は空間の生息本体とは異なる。球体ではない。それは、南北の直径が東西の直径よりも1/6長く、確実に楕円形である。中央の小島は基本的には平坦であり、上表面から下表面までの距離は東西の直径の1/10である。
その静止状態と小島の北端の力-エネルギーのより大きい外への圧力を理解したうえでのこれらの寸法の違いが、主たる宇宙の絶対方向の確立を可能にする。
中央の小島は、地理的に3つの活動領域に分割される。
1. 上方の楽園
2. 周囲の楽園辺縁
3. 下方の楽園
我々は、人格活動に専念しているその面を上方とし、また反対面を下方として楽園のその表面について話す。楽園周辺は、厳密には人格的、または非人格でない活動に備える。三位一体は、人格面を、つまり上方面を支配し、無条件絶対者は、下方面を、つまり非人格面を支配しているようである。我々は、無条件絶対をほとんど人としては想像しないが、楽園下方に局地化されたこの絶対者の機能的な空間臨場については考える。
永遠の小島は、単一の具体化の形で成っている—現実の定常系。楽園のこの実際の物質は、宇宙の中の広い宇宙の他のすべての場所では見つけられない空間の潜在性の均一組織である。それは異なる宇宙において多くの名前を受け、ネバドンのメルキゼデク系は、以来、長い間、それをアブソリュータムと命名した。この楽園の物質源は、死んでも生きてもいない。それは第一根源と中枢からの非精霊の最初の表現である。それは楽園であり、楽園に複製はないのである。
我々には、第一根源と中枢は、無限性の限界からの自己解放の手段の一部として、すなわち、準無限の創造を、時間-空間の創造をさえ可能にする方法として、楽園の宇宙現実のためのすべての絶対可能性を集結してきたように見える。しかし、宇宙の中の宇宙がこれらの質を明らかにするというだけで、楽園がかならずしも制限される時間-空間であるということにはならない。楽園は、時間なくして存在しており、空間に位置も持たない。
空間は、おおむね外観上では下方楽園の真下に源を発している。時間は、上方楽園の真上に。中央の小島の公民は、事象の非時系列を完全に意識しているが、あなたが理解している時間は、楽園存在の特徴ではない。動きは、楽園には備わってはいない。それは意志である。しかし、距離の概念には、それが楽園で相対的位置に適合されるとき、絶対的距離にさえ、誠に多くの意味がある。楽園は無空間である。故に、その領域は絶対的であり、よって、人間の心の概念を超え様々な意味において実用的である。
上方楽園には、神臨場、最聖域圏、聖域圏の壮大な3 つ活動圏がある。直接に神格の存在を囲む広大な領域は、最聖域圏としてかたわらに置かれ、崇拝、三位一体化、高い精霊的到達の機能のために用いられる。この領域には物質構造化もないし純粋に知的創造もない。それらは、そこには存在し得ないのである。私にとり、人間の心に楽園の最聖の球体に関する神性と美をともなう壮大さを描くことを引き受けるということは無益である。この領域は、完全に精霊的であり、あなたは、ほぼ完全に物質的である。純粋に精霊的現実は、物質的存在体にとり、明らかに実在しないのである。
最聖の領域における物理的具体化はないとはいえ、聖地の領域には、また楽園周辺の歴史を思い起こさせる領域には、なおさらにあなたの肉体時代の豊富な記念品がある。
聖地は、つまり中心から離れた領域、または居住領域は、7つの同心区域に分割される。楽園は、父の永遠の住居であるので時として「父の家」と呼ばれ、これらの7区域はしばしば「父の楽園大邸宅」と称される。その内側、または第1区域は、楽園公民とたまたま楽園に居住しているかもしれないハヴォーナ出身者がにより占有される。次の、または第二区域は、時間と空間の7超宇宙出身者の住居区域である。進化的発展の宇宙の出身である精霊存在体と上昇する創造物の楽園の家であるこの第二区域は、広大な7区分へと部分的に細分されている。これらの各区域は、もっぱら単一超宇宙の人格の福祉と前進に捧げられるが、これらの活動部門は、現在の7超宇宙の必要条件を大いに越えている。
楽園の7区分のそれぞれは、10億の栄光ある各労働集団の宿泊本部のための単位へと細分されている。千のこれらの単位が1分隊を構成する。10万の分隊が1会衆に相当する。 1千万の会衆が1議会を構成する。10億の議会が1大単位を作る。そしてこの上昇系は、第二大単位、第三大単位などを経て、第七大単位へと続く。そして、7個の大単位は、主たる単位を構成し、7個の主たる単位は、上級単位を構成する。上昇系は、こうして7個のまとまりで上級、超上級、天界、超天界を経て最高単位へと広がる。しかし、これさえも利用可能な全空間を活用するというわけではない。楽園におけるこの驚異的な数の住宅の名称は、あなたの概念を超えた数、聖地の割り当てられた領域の1パーセントをはるかに下回って占めている。内部に向かって進むもの達のための、楽園上昇を始めないもの達のためにさえ、永遠の未来の時代にまで上る余裕がまだ沢山あるのである。
中央の小島は、突然に崖状で終わるが、その規模は非常に巨大であるので、この終端角度はいかなる外接領域内においてもあまり識別はできない。周辺楽園の表面は、精霊人格の様々な集団の降着や派遣用に一部占領されている。未充満の空間帯は、外面にほぼ接触するので、楽園へと運命づけられているすべての人格輸送は、これらの領域に到着する。上方でも、下方でもない楽園は、超熾天使、または空間通過者の他の型が接近し易い。
主たる7精霊は、息子の輝く球体とハヴォーナ世界の内側の回路間の空間において楽園周辺を周る精霊の7球体において個人的な権力と権威の座を持つが、楽園周辺の根源力-焦点の本部を保守する。ここで、緩やかに循環している崇高な力の7統括者の臨場は、7超宇宙に向かう一定の楽園エネルギーのために7個の閃光局の位置を示す。
ここ周辺楽園には、時間と空間の地方宇宙に捧げられる創造者たる息子に割り当てられている歴史的かつ予言的な展示の領域がある。現在、打ち立てられたり、または蓄えられているちょうど7兆の歴史上のこれらの保留区域があるが、その配置は、このように割り当てられた周辺領域のその部分の、一まとめにしてもほんの4パーセント程度を占めるに過ぎない。我々は、創造のためのこれらの広大な保留区域が、そのうちに現在知られている生息の、7超宇宙の境界を超えて設定されると推断する。
既存の宇宙の使用目的のために指定された楽園の一部は、ほんの1パーセントから4パーセントしか占めておらず、一方、これらの活動に割当てられる領域は、少なくともそのような目的に実際に必要であるその100万倍である。楽園は、ほぼ無限の創造活動に対応に足りる十分の大きさなのである。
だが、楽園の栄光を思い描こうとするそれ以上の試みはあなたにとって徒労であろう。あなたは、待たなければならず、待っている間にも昇らなければならない。なぜなら、実に、「宇宙なる父が時間と空間の世界の肉体生活を乗り切る者達のために用意をした事を、まだ目は見ておらず、耳は聞いておらず、人間の心の中にも入っていかなかった。」のであるから。
下方楽園に関しては、我々は明らかにされていることだけを知っている。人格はそこには滞在しない。それは、精霊の知力ある者の活動には何の関わりもなく、神格絶対もそこでは機能しない。我々には、すべての物理エネルギーと宇宙根源力の回路が、下方楽園にそれらの起源を持つということ、また、それが次のように構成されているとが知らされている。
1. 下方楽園の中央部分にある三位一体の位置する真下は、未知で明らかにはされていない無限の区域である。
2. この区域は名のない領域に直接に囲まれている。
3. 下面の外側縁を占拠している主には空間の潜在性と力-エネルギーに関係する地域がある。この巨大な根源力の楕円形の中心の活動は、いかなる3結合体の周知の機能によっても識別可能ではないが、空間の根源力-補填はこの領域に局地化されている。この中心は、3同心の楕円形から成り立っている。最深部は、楽園自体の力-エネルギー活動の中心である。最外部は、ことによると無条件絶対の機能と同一視されるかもしれないが、我々は、中間区域の空間的機能については定かではない。
この根源力の中心の内層は、その振動が物理空間の最外部の境界への流れを方向づける巨大な心臓として機能するようである。それは力‑エネルギーを方向づけ、変更はするものの、それを追い出すことはほとんどしない。この第一根源力にある現実の圧力-臨場は、楽園中心の北端においては南の領域におけるよりも確実に大きい。これは一様に記録されている相違である。空間の主根源力は、根源力-エネルギーのこの基本形状の拡散に関する何らかの未知の循環系の操作を経て南で流入し、北で流出するようである。また、東西圧力には時として著しい違いがある。この区域から発する根源力は、観察可能な物理引力に対応しないが、つねに楽園引力に対応している。
根源力の中間区域の中心は、この領域を直接に取り囲む。この中間区域は、3周波活動を経て膨張し収縮することを除いては静的であるように見える。これらの中の最少の振動は、東-西方向に、次は南-北方向にあり、最大の振れは、あらゆる方向にあり、つまり一般化された拡大と収縮がある。この中間区域の機能は、実に一度も確認されたことはないが、それは根源力の中心の内と外の区域間での相互的な調整と関わりがあるにちがいない。中間層は、主たる宇宙空間の連続段階を切り離している中間区域すなわち静寂区域の制御機構であると多くのものに信じられているが、何の証拠も顕示もこれを裏づけてはいない。この推論は、この中間領域が主たる宇宙の非瀰漫の宇宙機構の働きに関連する何らかの方法であるという知識に由来する。
外側の区域は、空間の未確認の可能性をもつ3同心の楕円帯の中で最大であり最も活発である。この領域は、想像外の活動場所、すなわち、全外宇宙の巨大かつ推測不可能な領域を一面に覆う7超宇宙とそれを越える最も外側の境界のあらゆる方向へと宇宙を進む放出の主要回路点である。この空間存在は、三位一体として機能するとき、何らかの明かされていない方法で無限の神格の意志と命令に間接的に対応するようであるが、完全に非個人的である。これは、無条件絶対の空間存在の中央の焦点化、つまり楽園の中心であると信じられている。
根源力のすべての形状とエネルギーの全局面は、回路化されているようである。それらは宇宙全体で循環し、一定の経路で戻る。しかし、無条件絶対者の作動区域の放射に際しては、外向きであるか、または内向きであり、すなわち決して同時に両方ではない。この外側区域は、長年の周期の巨大部分で脈動する。ユランチア時間の10億年間余り、この中心の空間力は外向きである。また次にそれは、同様の期間内向きになるであろう。そして、この中心の空間-根源力の顕現は普遍的である。それらは瀰漫可能な全空間において広がっている。
すべての物理的力、エネルギー、物質は一つである。すべての根源力-エネルギーは、そもそも下方楽園から来ており、やがてはその空間回路の完成後にそこへ戻るであろう。宇宙の中の宇宙の現在の現象状況にあるエネルギーと物質の組織はすべてが、下方楽園から来たのではない。空間は、物質と前物質のいくつかの形状の母体である。楽園の根源力の中心の外側区域は、空間-エネルギーであるが、空間はそこに源をとってははいない。空間は、根源力でも、エネルギーでも、力でもない。この区域の振れは、空間の呼吸を説明するが、この区域の内向と外向の局面は、連動し、拡大-収縮空間の20億年周期に同調している。
我々は、空間呼吸の実際の仕組みを知らない。我々は、ただすべての空間が交互に縮小し、また広がるということを単に観測するに過ぎない。この呼吸は、瀰漫的空間の水平伸張と、楽園の上下の巨大空間の貯留層に存在する非瀰漫的空間の垂直伸張の両方に影響する。これらの空間貯留層の容積概観の想像を試みる際、あなたは、砂時計を思い浮かべるかもしれない。
瀰漫空間の水平伸張の宇宙が拡大する間、非瀰慢空間の垂直伸張の貯留層は収縮し、また逆も起こる。下方楽園の真下には瀰漫と非瀰慢の空間の合流がある。二つの型の空間は、宇宙の収縮と拡大において瀰慢可能な空間を非瀰慢可能にし、また同様に逆の変化がもたらされる変形する調整回路を経て流れる。
非瀰慢空間とは、瀰漫空間に存在すると知られているそれらの根源力、エネルギー、力、臨場に満たされないことを意味する。我々は、垂直(貯留層)空間が、常に水平(宇宙)空間の釣り合いとして機能するようになっているかどうかは知らない。我々は、瀰漫空間に関し創造的な意図があるかどうかは知らない。我々は、空間貯留層に関し実際のところほとんど知らず、単に、それが存在しているということ、また、宇宙の中の宇宙の空間-拡大-収縮を相殺しているらしいということを知るに過ぎない。
空間呼吸の周期は、ユランチア時間の10億年間余りにわたり各段階ごとに広がる。次には収縮する。瀰漫空間は、いま、拡大段階の中間点に近づきつつあり、同時に、瀰漫空間は、収縮段階の中間点に接近しており、そして、我々には両空間拡大の最外部の限界が、理論上、今楽園からほぼ等距離にあると知らされている。非瀰漫空間の貯留層は、今、宇宙の瀰漫空間が周囲の楽園から外空間の第4段階へと、またそれを超えたところまで上方楽園の上と下方楽園の下に垂直に広がっているのである。
空間貯留層は、ユランチア時間の10億年間は収縮し、同時に、主たる宇宙とすべての水平空間の根源力の活動は拡大する。したがって、拡大収縮全周期を完了するには、ユランチア時間の20億年強を要する。
空間は、楽園のどの表面上にも存在してはいない。もし人が、直接楽園の上面から「見上げる」ならば、ただ非瀰漫空間が出ていくのを、あるいは入ってくるのを、ちょうど今入ってくるのを、見るであろうに。空間は楽園には触れていない。静かな中ほどの区域だけが中央の小島に接触している。
楽園は、瀰漫と非瀰漫の空間の間に存在する比較的静かな区域にある実際には動かない核である。これらの区域は、地理的に、楽園の相対的広がりであるように見えるが、おそらくは何らかの動きがそれらにはある。我々は、それらに関しほとんど知らないが、空間減少された運動のこれらの区域が、瀰漫空間と非瀰漫空間を引き離すのを観測するのである。瀰漫空間の段階の間にはかつて同様の区域があったが、これらは現在、さほど静かではない。
全空間の垂直断面は、水平の腕が瀰漫の(宇宙)空間を表し、また非瀰漫(貯留層)空間を表すマルタ十字架にわずかに似ている。4本の腕の間の区域は、中央空間地域が瀰漫と非瀰漫の空間を引き離すように、多少それぞれを引き離すであろう。これらの無活動の中央空間領域は、楽園からはますます遠い距離においていよいよ大きくなり、ついには、全空間の境界を包含し、また空間貯蔵と広げられた空間の全水平延長の両方を完全に封入する。
空間は、無条件絶対内において準絶対的状態でもなく、無条件絶対の臨場でもなく、また、究極者の機能でもない。それは楽園の贈与であり、また壮大な宇宙の空間とすべての外側領域の空間は、無条件絶対の最初の空間の潜在性が実際に瀰漫していると信じられている。この瀰漫空間は、楽園周辺近くから第4空間段階を通して水平に外側へと、また主たる宇宙の周辺を越えて広がるのであるが、いかにはるかに越えてかは分からない。
あなたが、楽園の上下の両表面に対し直角に位置する有限ではあるが、想像できないほどに大きなV字形、その先が周囲の楽園にほぼ接するほどのV字形の面というものを思い描き、次に、楽園の周りの楕円回転におけるこの面を思い浮かべるならば、その回転が、おおまかに瀰漫空間の容量を説明するであろう。
宇宙のある特定位置からは水平空間の上側と下側に限界がある。もし誰かが、オーヴォントンの平面に直角に、または上か下にも、遠くに十分に動くことができるならば、瀰漫空間の上限と下限が、やがては巡り合うであろう。主たる宇宙の知られている広さの中では、これらの限界は楽園からさらに大きく離れますます遠くへと引き離される。空間は厚くされ、それは創造の平面、つまり宇宙よりもいささか速く厚くされる。
例えば最初の宇宙段階から7超宇宙を切り離すものなどの空間面の間の比較的静かな領域には、静止状態の空間活動の巨大な楕円の区域がある。これらの区域は、整然たる列で楽園の周囲を回る広大な銀河を切り離す。あなたは、明かされてはいない宇宙が今形成しつつある最初の宇宙段階を、楽園の周りで揺れ動き、上方と下方が静止の中間区域と接し、そして、内側と外側が比較的静かな空間区域と接する銀河の大行進として想像することができる。
一空間段階は、その結果、相対的静止に四方を囲まれる楕円の運動領域として機能する。動きと静止けさのそのような関係は、宇宙根源力と突発エネルギーが永遠に楽園の小島を周回する間、あとに続く運動への減少抵抗の空間の曲がった進路を構成する。
主たる宇宙のこの交互する区画は、銀河の時計回りと反時計回りの交互の流れと関連して、破壊的、分散的な活動と思えるほどの引力圧の強調を防ぐように設計された物理引力の安定化の要素である。そのような手はずは、反引力の影響を与えており、ともすれば危険な速度への歯止めとして機能する。
引力に不可避の引く力は、全空間のあらゆる宇宙のすべての世界を引きつける。引力は楽園の物理的臨場の全能的把握である。引力は、永遠なる神すなわち、万物であり、万物を満たし、その中に万物がある神の宇宙の物理的装飾を構成するきらめく星、灼熱の太陽、回転する球体が結ばれている全能のより糸である。
物質絶対引力の中心と焦点は、ハヴォーナを包囲する暗い引力本体に補足され、上下の空間貯留層に平衡化される楽園の小島である。下方楽園の既知のすべてのエマナチオンは、主たる宇宙の楕円空間段階の無限の回路において中央の引力牽引力に不変的に的確に応じる。知られているあらゆる型の宇宙現実には、時代による湾曲、すなわち周期の傾向、おおきい楕円の揺れがある。
空間は引力に無反応であるが、引力の均衡をとる。空間の衝撃緩和がなければ、爆発作用は周囲の空間体をぐいと動かすことであろう。瀰漫空間は、また物理的引力、あるいは線引力への反引力影響を及ぼす。空間は、実際にはそのような引力作用を遅らせることはできないが、中和することはできる。絶対引力は楽園引力である。局部の、または線の引力は、エネルギーあるいは物質の電気段階に関係がある。それは、中央宇宙、超宇宙、外宇宙の適切な具体化が行われた場所のどこであろうとも作動する。
宇宙根源力、物理エネルギー、宇宙の力、および様々な具体化のおびただしい型は、楽園引力への、完全に明確ではないとはいえ、一般的な3段階を明らかにする。
1. 前引力段階(根源力)。これは宇宙根源力の前エネルギーの型への空間の潜在性の個体化における第一歩である。この状態は、時として純粋なエネルギーまたは分離と呼ばれる本源の根源力-補填の概念に類似している。
2. 引力段階(エネルギー)。空間の根源力-補填のこの変化は、楽園の根源力組織者の行動により生み出される。それは、楽園引力の牽引力に反応するエネルギー体系の登場を示唆する。この突発エネルギーは、本来なら中立であるが、結果としておこるさらなる変形は、いわゆる負と正の特性を示すであろう。我々はこれらの段階を究極と命名する。
3. 後引力段階(宇宙の力)。この段階において、エネルギー-物質は線形引力の制御への対応を明らかにする。中央宇宙におけるこれらの物理的体系は、ツリアータとして知られている三重の組織である。それらは、時間と空間の創造の強大な力の母体系である。超宇宙の物理体系は、宇宙力指揮官とその仲間により結集される。これらの物質的組織は、構成的には二元であり、引力(グラヴィタ)として知られている。ハヴォーナを包囲する暗い引力体は、ツリアータでもグラヴィタでもなく、その引き抜く力は、物理引力の二つの、線的そして絶対的型を明らかにする。
空間の潜在性は、引力のいかなる型の相互作用の影響下にもない。楽園のこの第一賦与は、現実の実際段階ではないが、すべての相対的かつ機能的な非精霊現実にとっての原型である。—根源力‑エネルギーの全顕示、力と物質の組織。空間の潜在性は、定義するには難しい用語である。それが空間にとっての先祖であるものということを意味するのではない。その意味は、空間内に実在する潜在性と可能性についての考えを伝えるべきである。それは、楽園からきており、無条件絶対の空間臨場を構成するそれらすべての絶対的影響と可能性を包含することを大まかに思い描くことができる。
楽園は、宇宙の中の宇宙の全エネルギー物質の絶対的源と永遠の焦点である。無条件絶対者は、その根源と起源として楽園を持つ顕示者、調整者、集積所である。無条件絶対者の宇宙臨場は、引力拡大の潜在的無限性、つまり楽園臨場の弾性的緊張の概念に相当しているように思われる。この概念は、すべてが楽園に向かって内部に引き込まれるという事実を理解する際に我々を支援する。例証は粗雑であるものの、それにしても有用である。また、それは、引力がなぜ物質に垂直な面において常に優先的に行動するかを説明し、楽園とその周囲の創造に関する異なる寸法の現象的意味を説明する。
楽園は、それが第一起源の領域と目標の最終目的地であるという点において全精霊人格に固有である。地方宇宙の下級の全精霊存在体が、即座に楽園に運命づけられてはいないというのは本当であるが、それでも楽園は、全超物質人格が望む目標である。
楽園は、無限の地理的中心である。それは、宇宙創造の一部ではない、永遠のハヴォーナ宇宙の実際の部分でさえない。我々は、よく神性宇宙に属すると中央の小島に触れるが、それは実際にはそうではない。楽園は永遠かつ唯一の存在である。
過去の永遠において宇宙なる父は、永遠なる息子の存在における精霊自身の無限の人格の表現に際し、同時に、楽園として非人格的自己の無限の可能性を明らかにした。非人格と非精霊の楽園は、最初の息子を永遠化した父の意志と行為への必然的反響のであったように見える。こうして、父は、実際の2局面—人格的かつ非人格的、つまり精霊的かつ非精霊的—における現実を映し出した。2局面の間の緊張は、父と息子による活動への意志を前提にして、連合活動者と物質界と精霊存在体の中央宇宙に存在させた。
現実が人格と非人格 (永遠なる息子と楽園)へと分化されるとき、何らかの形で条件づけられない限り非人格の「神格」であるものと呼ぶのは全く適切ではない。神の行為のエネルギーと物質的影響をとても神格と呼ぶことはできない。神格は、神格でない多くを引き起こすことができるが、楽園は神格ではない。それは、人間がそのような用語を理解することができるようには意識してはいない。
楽園は、いかなる存在体、あるいは生きるものにとっての先祖ではない。それは創造者ではない。人格と心-精霊関係は、伝えられるが、様式は伝えられない。様式は決して反映ではない。それらは複製である--再現。楽園は様式の中で絶対である。ハヴォーナは、現実には、これらの可能性の展示である。
神の住居は、中央にあり永遠であり、栄光的で理想的である。神の家はすべての宇宙本部世界のための麗しい様式である。そして、神の直接的宿りの中央宇宙は、それらの理想、組織、および究極目的におけるすべての宇宙のための様式である。
楽園は、すべての人格活動の普遍的本部であり、力-空間とエネルギー顕現の根源-中枢である。すでにあった、現在ある、あるいは、まだないすべてが、永遠なるの神のこの中央のとどまる場所からすでに来た、いま来ている、あるいは、来るであろう。楽園はすべての創造の中心と、すべてのエネルギーの源と、すべての人格の第一の起源の場所である。
要するに、人間にとり永遠なる楽園についての最も重要なものは、宇宙なる父のこの完全な住まいが、神の必滅かつ物質の息子の不滅の魂、すなわち時間と空間の進化世界の上昇する創造物の現実であり、はるかに遠い目標であるという事実である。父の意志を為す経歴を抱く神を知るすべての人間は、神性追求と完全性到達の長い長い楽園の道に既に乗り出した。数え切れないほどの多くが現在そうするように、空間の下級の球体から昇り終えたそのような動物起源の存在体が楽園の神々の前に立つときこそ、そのような達成が、至高の限界に近似する精霊的変化の現実を表すのである。
[ユヴァーサの日の老いたるものにより機能するようにこのようにして任命される英知の完成者による提示]
宇宙なる父の広範囲にわたる創造のその広大さというものは、有限の想像力の把握を完全に越えるものてある。主たる宇宙の膨大さは私が属する系列存在体のもつ概念をさえたじろがせる。しかし、人間の心に宇宙の計画と配列に関し多くのことを教えることは可能なのである。あなたはそれらの物理的組織と驚異の管理について何かを知ることができる。あなたは、時間の7超宇宙と永遠の中央宇宙に生息する様々な集団の知力ある存在体に関し多くを学ぶことができる。
原則として、つまり、永遠の可能性に関し、我々は、発想する宇宙なる父が実際に無限であるがゆえに無限であると物質的創造を思い描くものの、物質的全創造を研究し観測するとき、それは、あなたの有限心には比較的限りがなく、実際には無限であるが、いかなる時点においても制限されるということを知っている。
我々は、自然界の法則の研究により、また星の世界の観測により、無限の創造者は宇宙表現の最終的状態においてまだ顕示されていないと、無限者の宇宙可能性の多くが、まだ自己充足的で非顕示であると思い描く。創造された存在にとり、主たる宇宙は、ほとんど無限であるように見えるかもしれないが、それは完成からは程遠い。物質的創造には物理的限界がまだあり、永遠の目的の経験的顕示は今もなお進行中なのである。
宇宙の中の宇宙は、無限の平面、広大な立方体ではなく、際限のない円でもない。それには、確かに、大きさがある。物理編成と管理の法則は、根源力-エネルギーと物質-力の全体の広大な集合が結局空間単位として、組織化され連携している全体として機能すると最終的に立証する。物質創造の観察可能な行動が、確たる限界をもつ物理的宇宙の証拠を意味する。基本的エネルギーのあらゆる形態が楽園引力の不断の、かつ絶対的牽引力に服従的な主たる宇宙の空間段階の湾曲経路を常に動き周るという我々には周知の事実により円形の、区切られた宇宙の決定的証拠が得られる。
主たる宇宙の連続的空間段階は、満ちた空間、—組織化され、部分的生息であるか、あるいははこれから組織化され、生息されていく全体的創造—の大区域を成す。もし主たる宇宙が、運動、相対的な静止圏との交替、に対し減少された抵抗の一連の楕円空間段階になかったならば、我々は、宇宙エネルギーの一部は無限の圏内に、つまり痕跡のない空間へと直線道に発射するところを観測されると想像する。しかし、我々は、このような動きの根源力、エネルギー、または物質を決して見ていない。それらは、つねに巨大空間の回路の軌跡においていつも前方へ揺れ動いて、渦巻いている。
主たる宇宙は、楽園から満たされた空間の水平方向の延長線上を経由し外側へ進み、個の同心楕円、中央の小島を包囲する空間段階に実在する。
1. 中央宇宙――ハヴォーナ
2. 七超宇宙
3. 第一外空間段階
4. 第二外空間段階
5. 第三外空間段階
6. Missing line
ハヴォーナ(中央の宇宙)は、時間のにおける創造ではない。それは永遠の存在である。この始まりのない終わりのない宇宙は、億の崇高な完全性の世界から成り、また巨大な暗い引力体に囲まれている。ハヴォーナの中心には、その個の衛星に囲まれて静止し完全に固定された楽園の小島がある。中央宇宙の縁周りの暗い引力体に属する包囲している巨大な質量のために、この中央宇宙の質量含有は、壮大な宇宙の全7区分の知られている全質量をはるかに上回っている。
楽園-ハヴォーナ体制、永遠の小島を取り囲んでいる永遠の宇宙は、主たる宇宙の完璧かつ永遠の中心部分を構成する。全7超宇宙と外空間の全領域は、楽園の衛星とハヴォーナ世界の中央の巨大な集合体の周辺に確立された軌道を回転する。
超宇宙は、第一の物理的組織ではない。星雲の一群を分割する境界はどこにもないし、地方宇宙、すなわち主要な創造単位を横切ってもしてはいない。各超宇宙は、組織化され、部分的に生息化している後ハヴォーナ創造のおよそが群がる単なる地理的空間であり、またそれぞれが、抱かれる地方宇宙の数において、また取り囲まれる空間においてほぼ等しい。あなたの地方宇宙であるネバドンは、第7超宇宙であるオーヴォントンにおける新創造の中のつである。
壮大宇宙は、現在の組織化され生息化された創造である。それは、主要な創造の永遠の圏域は言うまでもなくおよそ兆の生息惑星の集合進化の可能性をもつ超宇宙から成る。しかし、この仮の見積りは建築の行政世界を勘定にはいれず、組織されていない宇宙の中心から離れた集団を含んでもいない。壮大な宇宙の現在の辺縁、つまり、その不ぞろいで未完成の周辺は、天文区画全体の途方もなく不安定な状態ととももに、超宇宙でさえまだ未完成であることを我々の星の学習者に示唆している。我々が内側から、神性の中心から外側へとある一方向に移動すると、やがて、壮大な宇宙の外側の境界に至る。そして、それは、あなたの地方宇宙がその多事多端の存在体のいるこの外側の境界の近くに、つまりそのようなすばらしい創造のはるかかなたの一隅にある。
外空間段階。空間生息の超宇宙からの途方もない距離のはるか外側の空間に、組み立てつつある巨大かつ信じられないほどに膨大な根源力回路と具体化しつつあるエネルギーがある。超宇宙のエネルギー回路とこの巨大な外帯の根源力活動の間に、幅は異なるが、平均しておよそ万光年の比較的静かな空間帯がある。これらの空間帯には、星屑がない—宇宙の霧。これらの現象に関わる我々の学習者は、超宇宙を包囲する相対的静けさのこの圏内に存在する空間-根源力の正確な状態に関して疑問をもっている。しかし、現在の壮大な宇宙の周辺を約5万光年超えるところに、我々は、2,500万光年以上の間に体積と強度を増やす信じ難いエネルギー活動圏の始まりを観測する。エネルギー化をする原子力のこれらの巨大な輪は、最初の外空間に、すなわち、既知の、組織化され生息化されている創造全体を包囲する宇宙活動の連続する圏に位置している。
ユヴァーサの物理学者が、最初の外側の宇宙段階の5,000万光年を越える一番はずれの現象範囲を、根源力の初期の形跡を発見したので、今でもこれらの領域を超えて、大きな活動が行なわれている。これらの活動は確かに主たる宇宙の第宇宙段階の物質的創造の組織の前兆となる。
中央宇宙は永遠の創造である。超宇宙は時間の創造である。外宇宙の段階は、創造の究極性をもたらし、発展するように確かに方向づけられている。そして、無限者が決して完全な表現に達し得ないことを持続する無限のもの達がいる。だからこそ、それらの者たちは、番目と一番はずれの空間段階を超える、つまり追加の、明かされていない創造、無限の絶えず広がる、尽きることのない可能な宇宙を仮定するのである。理論上、創造者の無限性あるいは創造の潜在的無限性のいずれかを制限する方法を知らないが、それが存在し、管理されるように、我々は、主たる宇宙を限界のあるものとして、空間により確実に境界を定められ、またその外側縁に隣接しているものと見なしている。
ユランチアの天文学者達は、ますます効果を発揮する望遠鏡を通して外部空間の神秘的な広がりを覗き込み、そこでほとんど無数の物質宇宙の驚くべき発展を凝視するとき、主たる宇宙の建築者の不可解な計画の強力な働きを見つめていると気づくべきである。たしかに、我々には、今これらの外側の領域に独特の広大なエネルギーの顕現にわたってあちらこちらに楽園人格のある影響の臨場を示唆する証拠があるが、より大きい観点からは、7超宇宙の外側の境界を越えて広がる空間地域は、一般に、非特異絶対の領域を構成すると認識されている。
人間の肉眼は、オーヴォントンの超宇宙の境界外にあるつかつの星雲だけを見ることができるが、あなたの望遠鏡は形成過程にあるこれら何百万もの物理的宇宙をそっくりそのまま明らかにする。現代の望遠鏡による探査で目に触れる星の世界の大半が、オーヴォントンにあるが、写真技術により、より大きな望遠鏡が、壮大な宇宙の縁をはるかに超えて外空間領域に入り込み、そこには、数えきれない宇宙が組織過程にある。また、あなたの現在の機器の範囲を超えて他の何百万もの宇宙がさらにある。
遠くない将来、新しい望遠鏡は、不思議そうに覗き込むユランチアの天文学者らに遠くの外空間の広がりにある少なくとも億7,500万の新銀河を明らかにするであろう。同時に、これらのより強力な望遠鏡は、以前は外空間にあると信じられた多くの島状の宇宙が、実はオーヴォントンの巨大な体系の一部であることを明らかにするであろう。超宇宙はまだ発達しつつある。それぞれの周辺は徐々に広がりつつある。新星雲は絶えず安定化し、組織化されている。そして、ユランチアの天文学者が超巨大と見なすいくつかの星雲は、実際にはオーヴォントンの縁にあり、我々と共に旅しているのである。
ユヴァーサの星の学習者らは、壮大な宇宙が、外側の幾つもの宇宙の同心輪としての生息物のいる現在の創造を完全に包囲する一連の星明りと惑星群の先祖に囲まれるているのを観測する。ユヴァーサの物理学者らは、これら外側の、また地図にない領域のエネルギーと物質は全超宇宙に迎え入れられる総質量と総エネルギー充足の何倍にも等しいと見込む。我々には、これら外宇宙段階における宇宙根源力の変化が楽園根源力の組織者の機能であると知らされている。我々は、また、これらの根源力が現在のところ壮大な宇宙を動かすそれらの物理エネルギーにとっての源であることを知っている。しかしながら、オーヴォントンの力の指揮官は、これらはるか遠方の領域とは無関係であり、エネルギー運動は、組織化され、かつ居住の創造に属する力の回路にはここではっきりとは関係づけられてはいないのである。
我々は、外空間の途方もないこれらの現象の意味をほとんど知らない。未来のより大きい創造は、構成過程にある。我々は、その広大さを観測することができ、その範囲について明察し、その堂々たる大きさを理解することはできるが、これらの領域に関しユランチアの天文学者が知る以上には知らない。我々が知る限り、人間の系列のどんな存在体も、天使や他の精霊の創造物なども、星雲、太陽、および惑星のこの外側の輪には存在していない。この遠方の領域は、超宇宙の政府の司法権と管理を超えている。
新しい型の創造が進行中であると、すなわち、宇宙の一系列が集まる終局者部隊軍団の今後の活動の現場になるように定められているとオーヴォントン中で信じられている。そして、我々の憶説が正しいならば、無限の未来は、無限の過去が、あなたの先達や前任者のために持っていた魅了する同じ光景をあなた方すべてのために有するかもしれない。
すべての根源力-エネルギーの型—物質、心、または精霊の型—は、我々が引力と呼ぶその普遍的臨場の引力の握りに同じように支配される。人格もまた引力に敏感である—父の専属回路に。しかし、この回路は父に限られている。父は他の回路から除かれない。宇宙なる父は主たる宇宙の中の4個のすべての絶対-引力回路にわたり無限であり、かつ行動する。
1. 宇宙なる父の人格引力
2. 永遠なる息子の精霊引力
3. 連合活動者の心の引力
4. 楽園の小島の宇宙引力
これらの回路は、楽園下方の根源力の中心には関連していない。それらは根源力回路やエネルギー回路ではなく力の回路でもない。絶対臨場回路であり、神と同じように時間と空間から独立している。
この点に関し、引力研究者の一団による最近の数千年間のユヴァーサでのある観測を記録することは興味深い。この専門集団の労働者らは、主たる宇宙の異なる引力体系に関し以下の結論に到達した。
1. 物理的引力。それらは、壮大な宇宙の物理-引力全体の潜在的可能性の総和の見積りを定式化した上で、この発見と、現在作用している絶対引力の臨場の推定合計とを苦労しつつ比較した。これらの計算は、壮大な宇宙の総引力の動きが、宇宙物質の基本的な物理装置の引力反応に基づいて計算された楽園の推定の引力牽引力の非常に小さい部分であることを示した。これらの調査員は、中央宇宙と周辺の7超宇宙が現時点においては楽園絶対-引力把握の能動的機能の約5パーセントだけを利用しているという驚くべき結論に至る。言い換えれば、今や、この全体理論において算出される楽園の小島の活発な宇宙-引力活動の約95パーセントは、現在の組織化された宇宙の縁を超える物質的体系の制御に従事している。これらの計算はすべて、絶対引力について触れている。線引力は、単に実際の楽園引力を知ることによる計算が可能である双方向の現象である。
2. 精霊的引力。対比の判断と計算の同じ方法により、これらの研究者は、精霊引力の現在の反応容量を探求し、単独の使者と他の精霊人格の協力で、第二根源と中枢の活発な精霊引力の総和に達した。そして、価値研究者達が、現在の活発な精霊引力の総合量のために仮定するという壮大な宇宙の中の精霊引力の実際の、かつ機能的臨場に関してほぼ同じ価値を見つけることに注意することは最も有益である。言い換えれば、現時点で、全体のこの理論に実際に計算される永遠なる息子の精霊引力全体は、壮大な宇宙の中で機能しており観察可能である。これらの発見が信頼できるならば、我々は、今外空間で展開する宇宙が、現在は完全に非精霊的であると結論を下せるかもしれない。そして、これが本当であるならば、それは、物理的臨場の事実の知識は別として、精霊-賦与の存在体がなぜこれらの広大なエネルギー顕現についての情報をあまり、もしくは全然保持していないのかを十分に説明するであろう。
3. 心の引力。比較計算のこれらの同じ原則により、専門家たちは心-引力臨場と反応に関する問題に取り組んできた。力の監督者とその仲間に見られる心の型は、心-引力の見積りのための基礎単位に到る努力における不穏な要素であると判明するが、試算のための心の単位は、精神構造に関する3個の物質的な型と3個の精霊的な型を平均化することによりなされた。全体性に関するこの理論に一致した心-引力の機能ために第三根源と中枢の現在の容量に関する見積りを妨害するものはあまりない。発見は、この場合、身体と精霊引力の見積りほどには決定的でないとはいえ、比較して考えると、非常に有益であり、興味さえそそる。これらの調査員は、連合活動者の知的な素描への心-引力反応のおよそパーセントが既存の壮大な宇宙に起源を取ると推論する。これは、心の活動がいま外宇宙全体で進行中の観察可能な身体的活動にかかわるという可能性を示すであろう。この見積りは、少しも正確ではないかもしれないが、根源力の知力ある組織者は、現在のところ、壮大な宇宙の現在の外側の限界を超えた空間段階における宇宙発展を指揮していると、原則的に、我々の信念に合致している。この仮定された知性の本質が何であろうとも、それは精霊-引力には明らかに反応的ではない。
だがこれらのすべての計算は、たかだか想定された法に基づいて見積もられたものである。我々は、それらがかなり信頼できるものであると思う。いくつかの精霊存在体が外宇宙にいるとしても、それらの集合的臨場はそのような莫大な測定値にかかわる計算に著しくは影響を及ぼさないであろう。
人格引力は計算不可能である。我々は、回路を認めるものの、それに反応する質的、または量的な現実を測定することはできない。
宇宙エネルギーの全構成単位は、基礎的回転にあり、普遍的軌道の周りで揺れ動くとともに、それぞれの任務の実行に従事している。空間にある宇宙とそれぞれの構成体系および世界はすべて、回転球体であり、主たる宇宙空間段階の無限の回路に沿って動いている。主たる宇宙全体においては、ハヴォーナのまさにその中心を除き、すなわち、引力の中心である楽園の永遠の小島を除いては、静止しているものは絶対にない。
非特異絶対は、機能上空間に制限されているが、我々は、絶対の動きへの関わりについてあまり確信はない。動きはそこに固有であるのか。我々は知らない。我々は、動きが本来空間に備わっていないということを知っている。空間の動きさえ空間に起源をもたない。しかし、我々は、非特異、無条件の動きへの関わりについてあまり確信はない。だれが、あるいは何が、実際には現在の7超宇宙の境界を超えて今進行中の根源力-エネルギーの巨大な活動に関与しているのか。動きの起源に関し、我々には、次のような意見がある。
1. 我々は、連合活動者が空間で動きを開始すると考える。
2. 連合活動者が空間の動きを起こしているのであるならば、我々はそれを立証できない。
3. 宇宙の絶対者は、初動を始めないものの、動きによって発せられる緊張のすべてを均等化し、制御する。
外宇宙においては、根源力組織者が、いま星の進化過程にある巨大な宇宙の輪の生産に明らかに関与しているが、それほどまでに機能する能力は、非特異絶対の空間臨場の何らかの変更により可能にされてきたに違いない。
空間は、人間の観点からは、何でもない—消極的。それは、単に何か積極的なものと非空間的関連においてのみ存在している。しかしながら、空間は、実在する。それは動きを有し、動きを条件とする。それは動きさえする。空間の動きは、大まかに次のように分類できるかもしれない。
1. 第一の動き—空間呼吸、空間自体の動き。
2. 第二の動き—連続する空間段階の交互の方向性の揺れ。
3. 相対的な動き—それらが楽園を基点として評価されないという意味において相対的。第一の、そして、第二の動きは絶対的なもの、動かない楽園と関連した動きである。
4. 他のすべての動きを調整するように設計された補填的または関連する運動。
あなたの太陽とその関連惑星の現在の関係は、空間の相対的、かつ絶対的な多くの動きを明らかにするとともに、あなたが空間で比較的静止している間、あなたの計算が外空間へと進むにつれ、周囲の星の集まりと趨勢が、絶えず増加する速度で外への飛行に従事していると天文観察者へ印象を伝える傾向がある。しかし、そうではない。あなたは、すべての瀰漫空間の物理的創造の外向きの、均一的な現在の拡大を認識できていない。あなた自身の局部的創造(ネバドン)は、外への普遍的拡大のこの動きに参加する。7超宇宙全体が、主たる宇宙の外側の領域に伴う20億年の周期の空間呼吸に参加している。
宇宙が、拡大し収縮するとき、瀰漫空間の質量は、交互に、楽園引力に対し動き、また楽園引力の牽引力と共に動く。創造の物質エネルギー量を動かす際の仕事は、力-エネルギーの仕事量ではなく、空間の仕事量である。
あなたの宇宙速度の分光学的見積りは、かなり信頼できるとはいえ、あなたの超宇宙に属する星の世界とその仲間の超宇宙に適用されるとき、外空間の領域に関するそのような計算は、まったく当てにならない。スペクトル線は、標準周波から紫色に向かい迫りくる星により置き換えられる。同様に、これらの線は後退している星によって赤に向かって置き換えられる。多大の影響が、遠隔の宇宙の退出速度が100万光年の距離の増加ごとに秒あたり100マイル以上の速度で増加するかのように介入している。この計算方法によると、一層強力な望遠鏡の完成後には、これらのはるかに遠い体系は、宇宙のこの部分から秒あたり万マイル以上の信じられない速さで飛行しているかのようであろう。しかし、この外見上の退去の速度は本当ではない。それは、観測角度と他の時-空間の歪を含む数多くの誤りの要因から生じるのである。
超宇宙領域の隣接区域にある外空間の広大な宇宙は、壮大な宇宙のそれとは反対方向に回転しているらしいので、そのような歪の中で最大のものが生まれる。すなわち、これらの無数の星雲と付随する太陽、および球体は、現在、主要な創造の周りを時計回りに回転している。超宇宙は、反時計回りの方向に楽園の回りを回る。銀河の番目の外宇宙が、超宇宙のように楽園の周囲を反時計回りに循環しているように見える。そして、ユヴァーサの天文観察者は、時計回りの性質をもつ方向づけの傾向を見せ始めているはるか遠方の空間の番目の外帯における回転運動に関する証拠を発見すると考えている。
宇宙の連続的空間行列のこれらの交互の方向は、根源力の調整と空間緊張の均等化からなる宇宙の絶対者の主たる宇宙引力の方法内に何らかの関係がありうる。動きは、空間と同様に引力の補完、あるいは平衡である。
空間と同じく、時間は、同じ意味ではなく、間接的意味においてのみ、楽園の贈与である。心は本質的に連続性に気づいているので、時間は、動きの効力により生じる。実際的見地から、動きは時間に不可欠であるが、楽園-ハヴォーナの標準日が任意にそのように認識されていることを除いては、動きに基づく普遍的な何の時間の単位もない。空間呼吸全体は、時間の源としてその局所価値を打ち砕く。
空間は、楽園に起源をとるものの無限ではない。絶対的ではない。というのも、それは非特異絶対者により瀰漫しているので。我々は、空間の絶対的限界を知らないが、絶対段階の時間は永遠であることは知っている。
時間と空間は、単に時間-空間創造においてのみ、すなわち7超宇宙においてのみ切り離すことはできない。一過性の空間(時間のない空間)は、理論的に存在するが、唯一真に一過性である場所は、楽園領域である。無空間時間(空間のない時間)は、楽園段階で機能する心に存在している。
楽園に衝突する比較的動かない中央空間領域と非瀰漫から瀰漫を分離する空間は、時間から永遠までの遷移圏であり、それゆえ楽園公民に至ろうとしているとき、この通過の間に楽園巡礼者が無意識になる必要がある。時間-意識の訪問者は、このようにして眠らないで楽園に行くことができるが、時間の創造物のままでいる。
時間との関係は、空間での動きなしには存在しないが、時間の意識は存在する。連続性は動きがないときにさえ時間を意識化できる。人の心は、心の本来の本質ゆえに時間への束縛であるよりも空間への束縛である。肉体での地球生活の時代にさえ、人の心は厳密には空間への束縛であるが、創造的人間の想像には、相対的に時間に束縛されていない。しかし、時間自体は、本質的には心の特性ではない。
異なる時間認識の3段階がある。
1. 心で知覚される時間—持続時間の系列、動き、および感覚の意識。
2. 精霊に知覚される時間—神へ向かう動きへの洞察と増加する神性段階への上昇運動の認識。
3. 人格は、現実に関する洞察と、加えて臨場の意識と持続時間の認識からの独特の時間の感覚を創る。
精霊的でない動物は、過去だけを知り、現在に生息する。精霊-内住の人間には、先見(洞察)の力がある。精霊-内住の人間は、未来を想像するかもしれない。前向きで進歩的な態度だけが人格的に現実である。静的倫理と伝統的な道徳は、わずかに超動物である。禁欲主義も上位の自己実現ではない。倫理と道徳は、活動的で進歩的であるとき、宇宙現実は生き生きとして真に人間らしくなる。
人間の人格は、単に時間-空間-事象と共に進まない。人間の人格はまた、そのような事象の宇宙原因として機能することができるのである。
宇宙は非静止である。安定性は、慣性の結果ではなく、むしろ均衡のとれたエネルギー、協力的な心、協調的なモロンチア、精霊の総括的管理、および人格統一の成果である。安定性は、完全に、そして常に神性に比例している。
主たる宇宙の物理的制御にの目的で、宇宙なる父は、楽園の小島を通して優先と首位を執行する。神は、永遠なる息子の人格における宇宙の精霊的行政に関し絶対である。父と息子は、心の領域に関し、連合活動者において協調的に機能する。
第三根源と中枢は、宇宙心のその把握の絶対性による、また、本来の普遍的な物理的、精霊的引力の補足物の行使による均衡維持において支援し、結合された物理的で精霊的なエネルギーと組織の調整を支援する。物質的なものと精霊的なものの間の連携が起こるときはいつでも、どこでも、そのような心の現象は、無限の精霊の行為である。心だけが、物理的根源力と物質段階に属するエネルギーを精霊段階の精霊的な力と存在体とを相互に交わらせることができる。
宇宙現象についての全熟考において、あなたは、物理的、知的、かつ精霊的なエネルギーの相互関係を考慮に入れるということ、当然の考慮が、人格によるそれらの統一に伴う予期されない現象のために、そして、経験的な神格と絶対者の動作と反応から生じる予測できない現象のためになされるということを確実にしなさい。
宇宙は、量に関するあるいは引力測定の意味においてのみ大いに予測可能である。第一の物理的根源力でさえ、線引力に反応しないし、究極の宇宙の現実のより高い心の意味と真の精霊の価値をもたない。質的に、宇宙は原始力の、また物質的、心的か、それとも精霊的な新しいつながりに関し十分に予測可能である。エネルギー、または根源力の重要な観察に従うとき、そのような多くの組み合わせは、部分的に予測できるようになる。物質、心、および精霊が、創造物の人格によって統一されるとき、我々は、そのような自由意志の存在体の決定を完全に予測できるというわけではない。
原初の根源力、初期の精霊、他の非人格の究極の全局面は、特定の比較的安定した、だが未知の法に従って反応するようであり、限局性の、孤立状況の現象に遭遇する際にしばしば混乱している遂行の自由裁量と反応の順応性により特徴づけられる。これらの発現する宇宙の現状によって明らかにされる反応のこの予測できない自由に関する説明は何であるのか。原初の根源力の1単位の働き、心の未確認段階の反応、または外空間の領域における製作中の広大な前宇宙の現象に属すか否かに関係なく、これらの未知の、不可解な予測できないことは、おそらく究極者の活動と宇宙の全創造者の機能に先行する絶対者の臨場-遂行を明らかにする。
我々は実際には知らないが、そのような驚くべき多様性とそのような意味深い連携が、絶対の臨場と遂行を指し示しすということ、そして、明らかに一貫した原因に直面の際のそのような対応の多様性が、即座の、状況的因果関係ばかりではなく、主たる宇宙全体の中の他のすべての関連する原因にも絶対者の反応を明らかにすると憶測する。
個人には、それぞれの将来の目標の保護者がいる。惑星、体系、星座、宇宙、および超宇宙にはそれぞれが、その領域の利益のために働くそれぞれの支配者がいる。ハヴォーナと、また壮大な宇宙でさえ、そのような重い責任が委ねられるもの達により監視されている。しかし、誰が、楽園から4番目の、そして、最外部の空間段階までを全体として主たる宇宙を育て、その基本的な必要物の面倒を見るのか。実存的にはそのような過度の懸念は、おそらく楽園三位一体に起因しているが、経験的観点からは、後ハヴォーナ宇宙の外観は次に依存している。
1. 可能性における絶対
2. 方向への究極者
3. 進化的調和における崇高者
4. 特定支配者の出現前の行政における主たる宇宙の建築者
非特性絶対はすべての空間を瀰漫させる。我々は、神格と宇宙の絶対者の正確な状態に関し完全に明らかであるというわけではないが、神格と非特性絶対がどこで機能しようとも、後者の機能を理解している。神格絶対は、普遍的に臨場するかもしれないが、ほとんど空間臨場をしていないかもしれない。究極者は、第4の空間段階の外周縁への空間臨場をする、あるいは、いつかそうするであろう。我々は、究極者が主たる宇宙の外周を超えて空間存在をもつであろうということは疑うが、この限界の中で、究極者は次第に3絶対者の可能性への創造的な組織を統合している。
すべての時間と空間にわたり、また宇宙摂理の機能に同等である変えられない、しかも非個人的である類の法が、全現実にも作用している。慈悲は、個人に対する神の愛の態度を特づける。公平さは、全体に向けての神の態度を動機づける。神の意志は、部分—いかなる1人格の心—に必ずしも行き渡るというわけではないが、神の意志は実際に全体を、宇宙の中の宇宙を統治する。
神が全存在体を扱うすべてにおいて、本来、神の法は、気まぐれでないということは、本当である。限られた想像力と限りある見解をもつあなたにとっては、神の行為は独裁的で恣意的であるとしばしば思えるはずである。神の法は、単に神の習慣、神なりの繰り返のやり方である。神はいつも上手に全てのことをする。あなたは、単に、それが与えられた状況でその特定のことをする最良の方法であるがゆえに、神が、繰り返し、同じことを同様にするのを観測する。最良の道は正しい道であり、したがって、無限の知恵はその正確で完全な方法でそれをするようにいつも命令する。あなたは、自然は、神格の排他的な行為ではないということもまた覚えているべきである。他の影響は、人間が自然と呼ぶそれらの現象に臨場している。
いかなる類の劣化に耐えたり、または、劣った道において純粋にいかなる個人的行為の実行をつねに容認することは、神性にとってはいとわしい。しかしながら、もしいかなる局面の神性においても、いかなる状況の窮地においても、究極の知恵の進路が異なる行為の要求を示すかもしれないいかなる場合でも、—もし完全性への要求が、何らかの理由で反応の別の方法を、すなわちより良いものを必要とするかもしれないならば、直ちにその場で、すべてに賢明な神が、より良く、より適切なその方法で機能するということが明らかにされるべきである。それは、低級の法の反転ではなく、より高い法の表現である。
神は、自身の自発的行為反復の慢性への習慣に拘束される奴隷ではない。無限者の法の中には何の不一致もない。それらはすべて、絶対確実な本質に属する完全な物である。それらはすべて、完璧な決定を表す疑いのない行為である。法は、無限の、そして、完全かつ神性の心の変らない反応である。この見かけの同一性にもかかわらず、神の行為はすべて意志である。神には、「可変性もなければ変化の影もない」。しかし、宇宙なる父について言うことができるこのすべてを宇宙なる父のすべての下位の有識者あるいは進化する創造物について等しい確実性をもって言うことはできない。
神は不変であるがゆえに、あなたは、すべての普通の情況において、同一かつ通常の方法での神の同じ行為を頼みとすることができる。神は、すべての創造事象と存在体のための安定性確保である。彼は神である。それゆえ、変化しない。
行為のこの不変と動作の一様性のすべては、偉大な神が自身の完全性と無限への無力な奴隷でないがゆえに、人格的で、意識的で、非常に意志的である。神は自らの-行為の自動根源力ではない。神は卑屈な法-束縛の力ではない。神は数学の方程式でも化学式でもない。神は自由意志の、そして、第一の人格である。神は宇宙なる父であり、つまり人格で溢れるほどに満たされた存在体であり、すべての創造物の普遍の泉である。
神の意志は、神を探求する物質の必滅者の心に一様には行き渡らないが、時間枠が最初の人生全体を迎え入れる瞬間を越えて拡大されるならば、神の意志は、精霊に導かれた神の子らの人生において結ばれる精霊の果実の中でますます認識できるようになる。次に、人間の生命がモロンチア経験を盛り込むためにさらに拡大されるならば、人間の人格と宇宙なる父の人格との関係を経験している神性の喜びを味わい始めた時間の創造物の精霊化行為において、ますます輝く神性の意志が観測される。
神の父の地位と人の兄弟の間柄は、人格の段階における部分と全体の矛盾を提示する。神は天の家族の個々の子として各個人を愛する。なおかつ、神は、こうして、それぞれの個人を愛している。神は人々を差別する方ではないし、神の愛の普遍性は、全体の関係を、宇宙の兄弟を生み出す。
父の愛は、宇宙なる父の他に類のない子供、無限における複製なしの子供、すべての永遠において意志をもつ置き換えられない創造物として、各人格を絶対的に個人化する。父の愛は、天の家族の一人一人を照らし、すべてものの父の友愛の回路外にある非個人的な段階に対し、それぞれの人格存在体の独特な本質をはっきりと浮かび上がらせて神の子の一人一人を賛美する。神の愛は、意志をもつ各創造物の超越的価値を際立たせて描く、すなわち、宇宙なる父が、時間と空間の何らかの進化世界における人類の夜明けの中の人間の未開部族の中にいる品位ある意志の最も低い人格までの一人一人の子供に置いた高い価値を明らかにする。
個人への神の他ならぬこの愛が、神性家族、つまり楽園の父の自由意志の子の普遍的な兄弟を生む。そして、この兄弟が、つまり普遍的であることが、全体の関係というものである。兄弟は、普遍的であるとき、それぞれの関係ではなく、すべての関係を明らかにする。兄弟とは、全体の現実であり、したがって、部分の質に対照して全体の質を明らかにする。
兄弟は、普遍的生活におけるあらゆる人格との関係事実を構成する。何人も、他の人々との関係の結果として来るかもしれない利益、あるいは刑罰から逃がれることはできない。部分は、全体よりも幾分か利益を得たり、あるいはは苦しんだりする。それぞれの人間の良い努力はすべての人のためになる。それぞれの人間の誤り、あるいは悪は、すべての人の苦難を増大させる。部分が動くように、全体も動く。全体が進歩するように、部分も進歩する。部分と全体の相対的速度が、部分が全体の慣性により遅らせるか、または宇宙の兄弟の勢いにより進展させるかどうかを決定する。
神が、居住本部をもつ非常に人格的自意識の強い存在体であり、同時にそのような広大な宇宙の中に人格的に臨場し、ほとんど無限の数のそのような存在体と人格的に接触するということは神秘である。そのような現象は人間の理解を超える神秘であるということが、あなたの信仰をいささかなりとも減じるべきではない。神の無限の大きさ、永遠の広大さ、無比の特徴の壮大さと栄光であなたを威圧させたり、または、動揺せたり、落胆させてはいけない。父はあなた方の誰からもそれほど遠くないところにいるのであるから。神はあなたの中に住まい、また我々は皆、神の中に、文字通り動き、実際に生き、本当に存在している。
楽園の父は、神性の創造者と非創造の子供を通して機能するが、あなたとの最も親密な内面的接触をよろこび、とても崇高で、とても非常に人格的でありがゆえに、私の理解が及ばないほどである。—人間の魂との、そして、その実際の内住する人間の心との父の断片のその神秘的親交。あなたは、神のこれらの贈り物について自分がすることを知っているので、父が神性の仲間だけではなく、時間の進化する人間の子供との親密な接触にいるということもまた知っている。父は本当に楽園に住むが、神々しい臨場もまた人の心に住んでいる。
父は確かに楽園に留まりはするが、その神性臨場もまた人間の心の中に住んでいる。息子の精霊が、すべての人間に注がれてはいるにしても、息子が、かつて人間の姿で貴方と共に生きていたとしても、熾天使が、あなたを守り導くとしても、第二と第三根源の中枢のこれらの神性存在体の誰とても、あなたを本物かつ神性である自己に、永遠でさえある自己にするためにあなたの中に自分の一部を与えた父と同じほどにあなたに完全に近づいたり、理解することをほんとうに望むことができようか。
「神は精霊である」が、楽園はそうではない。物質的宇宙は、つねにそこですべての精霊的活動が営まれる活躍の舞台である。精霊存在体と精霊上昇者は、物質的現実の物理的球体に生きて働く。
宇宙根源力の贈与は、宇宙引力の領域は、楽園の小島の機能である。最初の全原始力-エネルギーは、楽園に始まり、明かされてはいない宇宙の形成のための物質は、現在、瀰漫された空間の根源力-補填を構成する超引力臨場の型の中にある主たる宇宙全体を循環する。
遠隔宇宙における根源力の変容が何であろうとも、それは、永遠の小島の終わることのない、遍在の、絶えることない牽引力の影響下に旅を続け、従順に、本来的に宇宙の永遠の空間軌道の周りを永久に揺れ続けている。物理エネルギーは、普遍的な法に対してのその服従において真実かつ不変な一現実である。創造物の意志の領域にのみ神性の道と最初の計画からの逸脱があった。力とエネルギーは、楽園の中央の小島の安定性、不変性、永遠性の宇宙の証拠である。
精霊の贈与と人格の精霊化は、精霊引力の領域は、永遠なる息子の領域である。全精霊的現実をつねに自分に引きつけている息子のこの精霊引力は、楽園の小島の全能の物質的把握とまったく同様に本当であり、絶対である。しかし、物質志向の人間は、魂の精霊的洞察だけで明察される精霊的本質の等しく真実であり強力である操作よりも物理的本質の物質顕現に当然ながらより慣れ親しんでいる。
宇宙のいかなる人格の心がいっそう精霊的に—神のように—なるにつれ、それは物質的引力にあまり反応的でなくなる。物理的-引力反応により測定される現実は、精霊内容の質により決定される現実の正反対である。物理的-引力の働きは、非精霊エネルギーの量的決定者である。精霊的-引力の働きは、神性の生きたエネルギーの質的基準である。
身体創造にとっての楽園が、そして、精霊的宇宙にとっての永遠なる息子が、心の領域—物質の、モロンチアの、そして精霊の、存在体と人格の知的な宇宙--にとっての連合活動者である。
連合活動者は、物質的現実と精霊的現実の双方に反応し、したがって、本質的に、すべての知的な存在体、創造の有形無形双方の局面の統一を代表するかもしれない存在体にとっての普遍的聖職活動者になる。知力の賦与、心の現象における物質的なものと精霊的なものへの活動は、連合活動者の専属領域である。連合活動者は、こうして精霊的な心の連携者、モロンチアの心の本質、時間の進化的創造物の物質的な心の本質になる。
心は、創造物人格にとり精霊現実が経験になる手法である。帰するところ、人間ですらの心の統一の可能性、すなわち、物、思考、価値を調整する能力は、超物質である。
人間の心にとり、7段階の相対的宇宙現実を理解することはほとんど不可能であるが、人間の知力は、有限現実の3機能段階の意味の多くを理解できるはずである。
1. 物質。動きにより変更され、心により条件づけられていることを除いては、線引力の影響下にある組織化されたエネルギー。
2. 心。物質的引力をまったく受けることがなく、また精霊により変更されると寸部たがわず解放されるようになる組織化された意識。
3. 精霊。最高の人格的現実。真の精霊は、物理的引力に支配されはしないが、いずれは、人格尊厳のすべての発展的エネルギー体系を動機づけの影響を与える。
すべての人格の生活目標は、精霊である。物質的顕現は相対的であり、宇宙心は、これらの普遍的な反対物の間に入ってくる。心の贈与と精霊の援助は、神格の仲間の人格の、つまり無限の精霊と永遠なる息子の仕事である。総神格の現実は、心ではなく、人格により統一される精霊-心—心-精霊である。それにもかかわらず、精霊的領域と物質的領域双方の絶対的なものは、宇宙なる父の人格に収束する。
物理的、心的、精霊的3エネルギーは、楽園において調和している。精霊が、心の仲介を経て、支配を求めて努力している人格の中を除いては、進化宇宙においてエネルギー-物質は、優位である。精霊は、神が精霊であるので、すべての創造物の人格経験の基本的現実である。精霊は不変であり、そのために、すべての人格関係において、それは心と物質の両方を超える。心と物質は進歩的到達の経験上の変化するものである。
宇宙発展における物質は、神性啓発の精霊光輝の臨場における心の哲学的な影になるが、これは物質-エネルギーの現実を無効にはしない。心、物質、精霊は、どちらも本物であるが、それらは、神性到達における人格には等しい価値はない。神性への意識は、進歩的な精霊経験である。
精霊化された人格(宇宙の中の父、個々の創造物の中の精霊の潜在的人格の断片)の輝きが明るければ明るいほど、その物質的投資への介入する心により投げかけられる影はますます大きい。時間の世界においては、人の肉体は、心あるいは精霊とまったく同様に本物であるが、死においては、心(同一性)と精霊の両方は生き残るが、肉体は生き残らない。宇宙の現実は、人格経験においては実在しない場合がある。したがって、あなたのギリシア的表現—より現実的な精霊の実体の影としての物質—には、哲学的な意味がある。
精霊は、宇宙における人格の基本的現実であり、人格は、精霊的現実との全進捗経験の基本である。宇宙前進のあらゆる連続段階上の人格経験の全局面には、人格の現実を魅惑する発見の手がかりが溢れている。人の本当の目標は、新の、また精霊的目標の創造にあり、次いで非物質価値のそのような崇高的目標からくる宇宙誘惑への応答にある。
愛は、人格間の有益なつながりの秘訣である。あなたは、一度の接触から人を本当に知ることはできない。音楽は数学的リズムの型ではあるが、あなたは数学的演繹法で音楽を鑑賞的に知ることはできない。電話加入者に割り当てられる番号は、いかなる方法でも加入者の人格を識別したり、その加入者の性格に関する何も表しはしない。
数学は、物質科学は、宇宙の物質局面の知的な議論に不可欠であるが、そのような知識は必ずしも真実の、 より高い実現、もしくは精霊的現実の人格的評価の一部であるというわけではない。生命の領域だけではなく、物理エネルギーの世界においてさえ、つ以上の合計物は、しばしば、そのような結合の予測可能な付加的結果以上の何かである。数学の科学全体、哲学の全領域、最高の物理学または化学は、個のガス状酸素原子との個のガス状水素原子の結合が、新たな質的に超添加物質—液体水—をもたらすであろうということを予測できなかったし、知り得なかった。この生理化学現象に関し理解する知識は、唯物論的哲学と機械学的宇宙の開発を防ぐべきであった。
技術的分析は、人、あるいは物ができ得ることを明らかにはしない。例えば、水は、消火に有効に用いられる。水が火を消すのは、日常体験の事実であるが、水のいかなる分析もそのような性質を明らかにするすることができない。分析は、水が水素と酸素で構成されるということを究明する。これらの要素に関する一層の研究は、酸素が燃焼の真の担い手であり、水素はそれ自体が、自在に燃えるということを明らかにする。
あなたの宗教は、恐怖への奴隷状態と迷信の束縛から生じているので現実となるのである。あなたの哲学は、教義と伝統から解放を得ようと苦心する。あなたの科学は、抽象化への束縛、数学への奴隷状態、および機械学的唯物論への部分的盲目からの救出のために戦うとともに、真実と誤りの間の長年の争いを繰り広げている。
人間には、精霊の核がある。心は、神性精霊の核周辺に存在する物質的環境で機能する人格エネルギー体系である。人格的な心と精霊とのそのような生きた関係は、永遠の人格の宇宙の可能性を構成する。自己概念が、中心的精霊の核の支配的な力を完全に置換し、その結果、人格同一性の宇宙計画を混乱させると、その後に深刻な問題、持続する失望、重大な敗北、または不可避の死に道を開くことになる。
[日の老いたるものの権威で行動する英知の遂行者による提示]
楽園の中央の小島とハヴォーナの惑星の最深部の回路間には、特別な球体のより小さい3個の回路が位置している。一番内側の回路は宇宙なる父の秘密の7球体から成る。第二集団は永遠なる息子の7個の発光世界で構成される。最外部には、無限の精霊の7個の巨大な球体、主たる7精霊の行政本部の世界がある。
父、息子、精霊のこれら3個の7世界回路は、比類なき壮大さと想像もつかない光輝の球体である。それらの物質的または物理的な構造すらもあなたには明らかにされていない系列のものである。それぞれの回路は物質の点においてはさまざまであり、息子の物理的組成の点において似通う7世界を除いては、回路はそれぞれに異なっている。21個すべてが、巨大な球体であり、7集団のそれぞれが異なって永遠化される。我々が知る限り、それらは常にあった。楽園のように、それらは永遠である。それらの起源に関する記録も言い伝えも存在していない。
永遠の小島に近接し、楽園の周囲を循環する宇宙なる父の秘密の7球体は、永遠の神格の中央で輝く精霊的光輝を高度に反射しており、神々しい栄光のこの光を楽園中に、ハヴォーナの7個の回路にさえ発散している。
精霊光輝の非人格エネルギーは、永遠なる息子の神聖な7世界に起源をもつようである。どんな人格的存在体もこれら輝く7領域のいずれにも滞在してはいけない。輝く7領域は、精霊的栄光で全楽園とハヴォーナを照らし、精霊の純粋な栄光を7超宇宙へと送る。2番目の回路のこれらの光輝く球体は、同様に、楽園と回路化された7中央宇宙の10億の世界へとそれらの光(熱のない光)を放つ。
無限の精霊の7世界には、7超宇宙の将来の目標を統括し、時間と空間のこれらの創造へと神格の第三人格の精霊的照射をする主たる7精霊がいる。そして、楽園の小島ではなく、全ハヴォーナが、これらの精霊化の影響を浴している。
父の世界は、父-被賦与人格すべてのために究極状態にあるものの、これがその唯一の機能ではない。人格的存在体と実体を除く多くの存在体と実体は、これらの世界に滞在する。父の回路と精霊の回路の各世界には、異なる型の永久公民がいるが、我々は、息子の世界には人格存在体以外のある一定の型が生息していると考える。父の断片はディヴィニントン出身者の中にある。永久公民の他の系列は、あなたには非啓示である。
これらの報告では明らかにされていない楽園の21個の衛星は、中央宇宙と超宇宙の両所において多くの目的を果たす。あなたは、これらの球体の生命についてほんの少ししか理解できないのであるから、自然に関する、または機能に関する一貫した視点らしきものは望めない。あなたに非啓示の何千もの活動が進行し続けている。これらの21個の球体が、主な宇宙の機能の可能性を包括している。これらの報告は、壮大な宇宙の—むしろ壮大な宇宙の7区分のーつの—現在の宇宙時代に関係するある限られた活動のつかの間の片鱗を提供するに過ぎない。
父の神聖な生命球体の回路は、宇宙の中の宇宙における人格に固有の唯一の秘密をもつ。楽園のこれらの衛星は、3個の回路の最深部は、中央宇宙の人格に関する唯一の禁制領域である。下方楽園と息子の世界は、同様に人格には閉ざされているが、それらのいずれの領域も何らかの方法で直接人格には関係しない。
父の楽園の世界は、三位一体の定置の息子の最高の系列、すなわち崇高性の三位一体化の秘密により指揮されている。これらの世界について、私にはほとんど言うことができない。それらの種々様々の活動について、私はあまり言うことを許されていないのである。そのような情報は、そこで機能し、またそこから先へ進むそれらの存在体だけに関係がある。そして、私はこれらの特別な6個の世界にいくらか馴染みはあるものの、ディヴィニントンに一度も到着したことはない。その世界は私には完全に禁じられている。
これらの世界に関する秘密の理由の1つは、これらの神聖な球体のそれぞれが、楽園の三位一体を構成する神格の専門化された代理、または顕現を味わうからである。人格ではなく、その特定の球体に居住する、またはそこに受け入れられる知力あるそれらの特定集団にのみ感謝され理解され得る神格の独自の臨場。崇高性の三位一体化の秘密は、神格の分化された、また非人格的なこれらの臨場のための人格媒体である。また、崇高性の秘密は、尊くかつ厄介な仕事を壮麗に授かり、しかも驚くほどに適合している高度に人格的な存在体である。
1. ディヴィニントン。独自の意味において、この世界は、「父の胸」、宇宙なる父の人格-親交球体であり、そこには父の神性の特別な顕現がある。ディヴィニントンは、思考調整者の楽園の集合場所であるが、それは、多数の他の実体、人格、それに宇宙なる父に起源を取る他の存在体の本拠地である。永遠なる息子のほかに多くの人格は、宇宙なる父の孤立の行為による直接起源のものである。宇宙なる父の断片とそれらの人格、および直接的かつ唯一の起源の他の存在体だけが、この住まいで親しく交わり、機能する。
ディヴィニントンの秘密は、思考調整者の贈与と任務の秘密を含んでいる。その本質、起源、および進化世界の下級生物とのそれらの接触手段は、この楽園球体の秘密である。驚くべきこれらの相互作用は、残る我々には人格的には関係がなく、したがって、神格は、我々の完全な理解からはこのすばらしく、神性である活動のある種の特徴を差し控えるのが適切であると判断する。我々が神性活動のこの局面に接触する限りにおいて、これらの取り扱いに関する完全な知識が我々には許されているものの、この偉大な贈与の詳細については完全に知らされるというわけではない。
この球体はまた、他のすべての型の父の断片、重力の使者、あなたには明かされていない他の存在体部隊のもつ本質、目的、活動に関わる秘密を保持する。私には知らされていないディヴィニントンに属するそれらの真実が、もし私に明らかにされようなこよがあれば、現在の私の仕事において私をただ単に混乱し、妨げることになるであろうし、さらには私の存在体の系列に関する概念上の能力を恐らく超えることになるであろう。
2. ソナリントン。この球体は「息子のふところ」、永遠なる息子の個人的な受け入れの世界である。それは、上昇し下降する神の息子が完全に信任され、最終的に承認されるときの、またその後のかれらの楽園本部である。この世界は、永遠なる息子の、その等位の、かつ仲間の息子のすべての息子たちにとっての楽園の家である。宇宙経由楽園への人間の精霊的前進の上昇計画には関係がないので人間には明らかにされていないこの崇高な住まいに属する神性の息子の数多くの系列がある。
ソナリントンの秘密は、神性の息子の肉体化の秘密を包含する。1,900年前にあなたの世界に起きたように、神の息子が人の息子になるのは、つまり文字通り女性から生まれるのは、それは、宇宙の神秘である。それは絶えず宇宙の中で起きており、神性の息子に関わるソナリントンの秘密である。調整者は父なる神の神秘である。神性の息子の肉体化は息子なる神の神秘である。それは、この独自の経験をした者達を除いては誰にも侵入されない領域であるソナリントンの7区分目に封じ込められた秘密である。あなたの上昇経歴と関係があるそれらの肉体化の局面だけがあなたには知らされてきた。あなたには明かされていない宇宙奉仕の任務にある非啓示の型に属する楽園の息子の肉体化の謎には他の多くの局面がある。そして、さらにソナリントンの他の神秘がある。
3. スプリントン。この世界は「精霊のふところ」、つまり独占的に無限の精霊を表す高位の存在体の楽園の家である。主たる7精霊とすべての宇宙からのその子孫の一部がここに集まる。永遠性の楽園水準に至る時間の創造物を向上させる計画に関連のない宇宙のさまざまな活動に割り当てられた非啓示の精霊の人格の系列の数多くがこの天の住まいにもまた見られるかもしれない。
スプリントンの秘密は、奥深い反射の神秘を伴う。我々は、さらに詳しく、それが7超宇宙の本部世界で作用しているように、広大かつ普遍的反射の現象についてあなたに告げるのであるが、我々は、完全にそれを理解するというわけではないので、この現象について決して完全に説明するわけではない。我々は、実に、実に多く理解はしているが、多くの基本的詳細については謎のままでいる。反射は、精霊なる神の秘密である。あなたは、人間生存の上昇の枠組みと関連する反射機能について指導を受けてきており、またそのように機能するのであるが、反射は宇宙業務の他の多数の局面の通常運用にある不可欠の特徴でもある。無限の精霊のこの賦与は、情報収集と情報流布以外の回路で利用される。それに加えてスプリントンに関する他の秘密がある。
4. ヴァイスジェリントン。この惑星は、「父と息子のふところ」であり、父と息子の行為による起源を取るある非啓示の存在体の秘密球体である。これは、7超宇宙において作用する異なる多くの手段のためにその起源が複雑である複合先祖をもつ数多くの栄光的存在体の楽園の家でもある。ユランチアの必滅する者にはその正体が明らかにされていない多くの存在体の集団が、この世界に集まる。
ヴァイスジェリントンの秘密は、三位一体化の秘密を含み、三位一体化は、三位一体を代表する、すなわち神の代理人として機能する権威の秘密を構成する。三位一体を代理をする権威は、楽園の三位一体化のうちの2者、または3者全員により三位一体化され、創造され、結果的に生じた、または永遠化された啓示、非啓示のそれらの存在体にのみに帰属する。その種類のすべてのものが自由に受けられる神格抱擁の道をそのような創造物が昇るかもしれないとはいえ、栄光の創造物のある種の型の三位一体化の活動により生み出される人格は、その三位一体化に動員される概念的な可能性しか表わさない。
三位一体化されない存在体は、2者あるいは3者の創造者よる、または、ある創造物による三位一体化の手段を完全に理解するわけではない。ヴァイスジェリントンのこれらの秘密はいつもあなたに禁じられているので、あなたが、はるかかなたの栄光の経歴の未来においてそのような冒険を試み引き継がない限り決してそのような現象を完全に理解はしないであろう。しかし、三位一体起源の高い存在体である私にとっては、ヴァイスジェリントンの全区分は開かれている。私は、私の起源と将来の目標の秘密を完全に理解しており、同様に、完全に、そして神聖に保護している。
ユランチア人には知らされていない三位一体化の他の型と局面がまだあり、これらの経験は、それらの人格的局面において、ヴァイスジェリントンの秘密の区分で正規に保護されている。
5. ソリタリントン。この世界は、「父と精霊のふところ」であり、宇宙なる父と無限の精霊の連合行為における起源の非啓示の存在体、つまり、それらの精霊継承に加えた父の特徴を帯びる存在体からなる見事な部隊の出会いの場所である。
これは、単独の使者と超天使の他の人格の家でもある。あなたはこれらの存在体についてあまり知らない。ユランチアには非啓示のおびただしい数の系列がある。それらが第5世界に住所を定めているので、父は、必ずしも単独の使者またはその超天使の仲間の創造に何か関係があったというわけではないが、この宇宙時代には実にそれらの機能と関係しているのである。現在の宇宙時代に、これは、また宇宙の力の監督者の階級球体なのでもある。
必滅の人間には未知の存在体であるが、ソリタリントンを楽園の自身の球体として見る精霊人格の数々の追加系列がある。宇宙活動の全区分と全段階は、楽園の神性の将来の目標への人間上昇の援助に関する領域と同じように精霊活動者に完全に提供されるということが記憶されるべきである。
ソリタリントンの秘密。三位一体化のある種の秘密以外に、この世界は第三中枢と根源の一部のより高度の子孫との無限の精霊の人格的関係の秘密を保持する。ソリタリントンには、父の、息子の、そして精霊者の精霊との、また三位一体の三重の精霊との、および崇高者、究極者、崇高者-究極者との非顕示の多数の系列の親密な関係の謎がある。
6. セラフィントン。この球体は、「息子と精霊のふところ」であり、息子と精霊により創造された非啓示の存在体の広大な部隊の故郷たる世界である。これは、超熾天使、第二熾天使、および熾天使を含む天使部隊のすべての活動系列の目標球体でもある。また中央の、そして、中心から遠く離れた宇宙においては、「救済を受け継ぐべき者達へ奉仕する精霊」ではない多くのずば抜けた精霊の系列が仕えている。宇宙活動のすべての段階と領域におけるこれらの全精霊労働者は、セラフィントンを楽園の故郷とみなしている。
セラフィントンの秘密は、三重の謎、唯一私が言及できるもの—熾天使の輸送の謎—にかかわる。熾天使と提携関係にある精霊存在体の様々な系列が、それぞれの精霊の型の中に非物質の人格の全系列を包み込む能力、そして、惑星間の長い旅にそれらの人格を運び去る能力は、セラフィントンの神聖な区分に閉じ込められた神秘である。輸送熾天使はこの神秘を理解するが、それを我々の他の者達に伝えないし、あるいは恐らくは伝えることができない。セラフィントンの他の神秘は、いまだ人間には明らかにされていない精霊奉仕者の型の人格的経験に属する。そして、我々は、あなたがそのような生存物の近い系列をほぼ理解することができるので、そのような密接に関係づけられた存在体の秘密について議論するのを控える。そして、そのような現象に関する我々の部分的な知識さえ提示することは、信用の裏切りに等しいであろう。
7. アセンディントン。この特異な世界は「父、息子、精霊のふところ」、つまり、空間の上昇する創造物の出会いの場所、楽園への途中にハヴォーナ宇宙を通り抜けて行く時間の巡礼者の受容球体である。アセンディントンは、時間と空間の上昇する魂が楽園状態に達するまでの実際の楽園の家である。あなた方人間は、自分のハヴォーナ「休暇」の大部分をアセンディントンで過ごすであろう。アセンディントンとは、地方と超宇宙の上昇中に逆戻りの監督が果たしたものが、ハヴォーナ生活の間のあなたに果たすものであろう。ここで、あなたは人間の想像力の把握を超える何千もの活動に従事するであろう。そして、神へ向かう上昇以前のあらゆる進歩のように、人間であるあなた自身は、ここであなたの神性の自己との新しい関係に入っていくのである。
アセンディントンの秘密は、性格と自己同一性に精霊的かつ潜在的に不滅の相当物を物質的かつ必滅の心の中にゆるやかで確実な構築をする神秘を含む。この現象は、宇宙の最も理解し難い神秘の1つを成す—必滅かつ物質的な創造物の心の中の不滅の魂の発展。
あなたは、この神秘的な展開をアセンディントンに達するまでは決して完全には理解しないであろう。そして、それこそが、不思議そうなあなたの凝視にアセンディントのすべてのが開かれる理由にほかならない。1/7のアセンディントンが私には禁じられている—あなたの存在の型の独自の経験と所有である、(または、所有であろう)まさしくこの秘密に関わるその領域。この経験は、人間であるあなたの存在系列に属する。人格に関する私の系列は、直接そのような執行には関係しない。したがって、それは私には禁じられており、あなたにはやがて明らかされる。しかし、あなたに明らかにされた後でさえ、それは、何らかの理由で永遠にあなたの秘密としてある。あなたは、我々に、そして他のいかなる存在の系列にもそれを明らかにはしない。我々は、神性調整者と人間が起源である不滅の魂との永遠の融合に関して知っているが、上昇する終局者は、まさしくこの経験を絶対現実のものとして知っている。
さまざまの精霊的存在体の系列のこれらのふるさとの世界は、巨大かつ驚異的球体であり、その優れた美とみごとな栄光において楽園に等しい。それらは、宇宙の定住所としての役目を果たす集合場所の世界、すなわち再会場所の球体である。終局者としてのあなたは、楽園に住所を定めるが、アセンディントンは、あなたが外空間での奉仕に入るときでさえいつもあなたの自宅になるであろう。あなたは、全永遠を通じアセンディントンを感傷的な思い出と彷彿させる回想の我が家と見なすであろう。あなたが、第7段階の精霊的存在体になると、あなたはことによると楽園での自らの在留身分をあきらめるであろう。
もし外側の宇宙が製作中であるならば、もし上昇の可能性をもつ時間の創造物が外側の宇宙に居住するならば、我々は、未来のこれらの子供らもまたアセンディントンを楽園の自分達の家のある世界と見なす運命にあると察する。
アセンディントンは、楽園到着者としてのあなたの点検に無条件に開かれるであろう唯一神聖な球体である。ヴァイスジェリントンは、私の精査に完全に無条件に開かれている唯一神聖な球体である。その秘密は、私の起源に、そしてこの宇宙時代に関係があるのだが、私は、ヴァイスジェリントンを我が家とは見なさない。三位一体起源の存在体と三位一体化の存在体は同じではないのである。
三位一体起源の存在体は、父の世界を完全に共有するというわけではない。三位一体起源の存在体には、楽園の小島においていと聖なる球体に隣接する自分達の唯一の家がある。彼らは、アセンディントン、すなわち「父-息子-精霊のふところ」にしばしば現れ、そこで低い空間世界から来た自分達の同胞と親しく交わる。
あなたは、創造者たる息子が父-息子起源であることから、ヴァイスジェリントンをそれらの家と見なしているであろうと考えるかもしれないが、この宇宙時代の七重の神の機能の場合はそうではない。というのも、楽園のごく近くにあるこれらの事柄に対し理解をしようとすとき、あなたは、確実に多くの困難に遭遇し、同様の多くの当惑させられる問題がある。あなたには、これらの質問を首尾よく解決することができない。あなたはほとんど知らない。あなたが、父の世界についてより知っているとしても、それらに関し全てを知るまでには、あなたは、より多くの困難に遭遇するだけであろう。これらの秘密世界のどれかの地位が、起源の本質により得られるのは勿論、奉仕によっても得られし、また連続する宇宙時代が、これらの一部の人格集団の再配分をするかもしれない。
内部回路の世界は、実際の居住球体であるというよりも、実は友愛の、あるいは地位の世界である。人間は、1つを除いては父の世界のそれぞれにおいて何らかの身分に達するであろう。例えば:あなた方人間は、ハヴォーナに達するとアセンディントンへの許可が与えられ、そこではとても歓迎されるのであるが、神聖な他の6個の世界への訪問は許可されない。楽園訓練の終了後と終局者部隊への入隊後、あなたは上昇者であることはもちろんのこと神の息子でもある—それ以上でさえある—のでソナリントンへの許可が与えられる。しかし、神性の息子の肉体化の秘密の領域であるソナリントンの1/7は常に留まっており、あなたにとって精査は自由にはならないであろう。それらの秘密は神の上昇の息子には決して明らかにされないであろう。
あなたは、最後にはアセンディントンへの完全な許可とディヴィニントンを除く父の他の球体への限定的な許可を得るであろう。しかし、あなたが終局者になった後さらに5個の秘密の球体への着陸許可が与えられるときにさえ、そのような世界の全領域の訪問が許されるわけではない。また、あなたは繰り返し「父の右手」に確実に立つであろうが、ディヴィニントンの岸、すなわち「父のふところ」に着陸することは許可されないであろう。思考調整者の世界におけるあなたの臨場の必要性は、全永遠を通し決して起こらないであろう。
精霊の生命のためのこれらの待ち合わせの世界は、完全に我々の経験の領域外にあるこれらの球体の各段階への入場交渉に応じないようにと我々に求められるまでに禁じられた場所である。あなたは、宇宙なる父が神格として完全であるように創造物として完全になれるが、宇宙人格に関する他の全系列の経験的な秘密のすべてを知ることはできない。創造者が創造物との人格の経験上の秘密をもつとき、創造者は永遠にその秘密を守る。
すべてのこれらの秘密は、おそらく崇高性の三位一体化の秘密の集合体に知られている。これらの存在体は、それらの特別な世界集団にだけ完全に知られている。それらは他の系列にはほとんど理解されていない。楽園到達後、あなたは、アセンディントンを導く10名の崇高性の秘密を知り、熱愛するようになるであろう。アセンディントンほどには完全ではないが、あなたは、ディヴィニントンを除く父の他の世界における崇高性の10名の秘密の部分的な理解にも至るであろう。
崇高性の三位一体化の秘密は、その名前が示唆しているように崇高者と関係がある。それらは、同様に究極者と未来の崇高者-究極者に関係づけられている。崇高性のこれらの秘密は、崇高者の秘密であり究極者の秘密でもあり、崇高者-究極者の秘密でさえある。
永遠なる息子の7個の発光球体は、純粋-精霊の生命の7つの局面の世界である。これらの輝く天体は、楽園とハヴォーナの三重光の源であり、その影響力は、完全にではないが、中央の宇宙に大部分が閉じ込められている。
人格は、これらの楽園の衛星には存在していない。したがって、これらの純粋‑精霊の住まいに関して必滅かつ物質的な人格に提示できるものはあまりない。これらの世界は、永遠なる息子の存在体の非人格の生命に満ちあふれるということを我々は教わる。これらの実体が外宇宙の映し出された新恒星の活動のために組み立てられていると我々は察する。各楽園周期(およそ20億年のユランチア時間)が、永遠なる息子の秘密の世界におけるこれらの系列のさらなる予備軍の創造がみられると、楽園の哲学者は主張する。
私が知る限り、永遠なる息子のどの球体にも人格はいたことがない。私は、楽園出入りの長い経験全体においてこれらの世界へ一度も選任されたことがない。永遠なる息子により共同で創造された人格でさえこれらの世界には行かない。我々は、非人格の精霊のすべての型—起源にはかかわらず—は、これらの精霊の家に許されると察する。私は、人格であり、また精霊の型をもつが故に、それへの訪問を許可されたとしても、おそらく、そのような世界は私には空で、しかも寂びれたものであろう。精霊の高位の人格は、無意味な好奇心、まったく役に立たない冒険を満足させる傾向にはない。実りのない、あるいは現実性のない課題への関心を起こさせるには、好奇心をそそり意味のある冒険がありすぎる。
ハヴォーナの内回路と永遠なる息子の輝く球体の間には、無限の精霊の7天体、すなわち、無限の精霊の子孫と栄光を受けて創造された人格の三位一体化の息子と、それと宇宙活動の様々な分野の多くの事業の能力ある運営陣に関係する他の型の非啓示の存在体とが住む世界が旋回している。
主たる7精霊は、無限の精霊の最高かつ究極の代表者である。主たる7精霊は、楽園周辺に自分達の個人的本部を、つまり力の集中点を維持するものの、壮大な宇宙の管理と方向に関する全業務は、無限の精霊のこれら7個の特別な行政球体において、または、そこから行われる。主たる7精霊は、実際には、宇宙の中の宇宙の心-精霊の平衡輪、すなわち、中央に位置するすべてを抱擁し、すべてを取り囲み、すべてを調整している力である。
主たる精霊は、これらの特別な7球体から壮大な宇宙にある宇宙-心の回路を均等化し安定させるために働く。主たる精霊は、壮大な宇宙の至るところでの神格の異なる精霊的態度と臨場にもまた関係がある。物理的反応は一定で、不変で、つねに瞬時に起こり、しかも自動である。しかし、経験的で精霊的な臨場は、領域の個人の心のなかの精霊的感受性の内的状況、あるいは状態に従っている。
物理的権威、臨場、および機能は、大小にかかわらず全宇宙において不変である。精霊的臨場、または反応における異なる要素は、意志を持つ創造物によるその認識と受容における変動的な差である。とはいえ、絶対的かつ実存的な神格の精霊的臨にまったく影響されることなく、同時に、准絶対的かつ経験的な神格の機能は、そのような有限の被創造物の決定、選択、意志-態度により、—個人、惑星、体制、星座、または宇宙の忠誠と献身により—確かに、じかに影響を受ける。しかし、神性のこの精霊的臨場は風変わりでも奇妙でもない。その経験的差異は、人格的創造物の自由意志の賦与に本来備わっているのである。
精霊的臨場差異の決定者は、あなた自身の情愛と心に存在しており、あなた自身の選択方法、あなたの心の決定、およびあなた自身の意志の決断にある。この差異は、宇宙なる父が指名した存在体が、この選択の自由を実行するであろう知的人格の存在体の自由意志の反応に固有である。そして、神格はつねに創造物の選択のこの差異ある条件と要求に応え、また満たすことにおいて精霊の浮き沈みに忠実である。つまり、神格は、時には臨場への心からの願望に対応して一層の臨場を与え、また時には、創造物が神々しく与えられた選択の自らの自由の行使において逆行して決めるような場面から引き下がることにおいても忠実である。その結果、神性の精霊は、領域の創造物の選択に謙虚に従順になるのである。
主たる7精霊の執行部の住まいは、実際には7超宇宙と外宇宙の関連区分の楽園本部にある。主たる精霊各自が1超宇宙を取り仕切り、これらの7世界のそれぞれは単独に主たる1精霊に割り当てられる。文字通り、7超宇宙の准楽園行政の全局面にあるものはこれらの行政世界に備えられているのである。父の球体あるいは息子の球体のようには除外的ではなく、在留身分は出身者とそこに働く者たちに制限され、これらの7個の行政惑星は、そこへの訪問を望み、通過の必要手段を命令できるすべての者たちにいつも開かれているのである。
これらの行政世界は、私にとり楽園の外にある最も興味を起こさせ好奇心をそそられる場所である。広い宇宙の他のいかなる場所においても、とても多くの異なる生きものの系列にかかわり、とても多くの異なる段階における操作、つまり物質的であると同時に、知的、精霊的でもある職業に関係するそのような多様な活動を観測することはできない。私が任務から一定期間開放されるとき、楽園、または、ハヴォーナにたまたま居合わせていたならば、私は、そこでそのような活動、献身、忠誠、知恵、および効率の有様で私の心を奮い立たせるためにいつも主たる7精霊のこれらの繁忙の世界の一つに赴く。私は、宇宙現実の全7段階における人格の実績のそのような驚くべき相互関係をどこにも観測することはできない。また、私は、自分の仕事の仕方をよく知る者たちやそれをすることをいとも徹底的に楽しむ者たちの活動にいつも刺激されるのである。
[このように機能するためにユヴァーサの日の老いたるものに任命される英知の遂行者による提示]
完全かつ神性な宇宙は、全創造の中心を占める。それは時間と空間の広大な創造が周回する永遠の核心である。楽園はすばらしい永遠の宇宙のまさにその中心において不動状態で休息する絶対的安定性をもつ巨大な中心をなす小島である。この中央惑星群は、ハヴォーナと呼ばれネバドンの地方宇宙からはるか遠くにある。それは、途方もなく大きく信じられないような質量で、想像も及ばない美とずば抜けた壮大さの10億の球体から成るが、この広大な創造の真の大きさは実に人間の心による理解、把握を超えるものである。
これは世界に定着し、完全で確立された唯一無二の集合体である。これは完全に創造された完全な宇宙である。それは進化的発展ではない。これは、すさまじい進化の実験、すなわち創造者たる息子の大胆な冒険を構成する宇宙のその無限の行進がその周りを旋回する完全性の永遠の中核である。創造者たる息子は、形態宇宙、すなわち神性の完全性、崇高の終局性、究極の現実、および永遠の完全性の理想を時間内において模写し、空間において複製することを切望するのである。
楽園周辺から7超宇宙の内側の境界までには次の7空間の状態と動きがある。
1. 楽園に衝突している静かな中央空間帯。
2. 3個の楽園回路と7個のハヴォーナ回路の時計回りの行進。
3. 中央宇宙の黒ずんだ重力体からハヴォーナ回路を分離しているやや静かな空間。
4. 黒ずんだ重力本の内側と反時計回りの帯状。
5. 黒ずんだ重力体の2空間経路を分割する第2の固有空間帯。
6. 楽園の周りを時計回りをする黒ずんだ重力体の外側の帯状。
7. 第3空間帯—やや静かな区域—7超宇宙の最奥部の回路から黒ずんだ重力体の外側の帯状を分離している。
10億のハヴォーナ世界は、楽園の衛星の3回路を直接に取り囲む7個の同心回路に配置されている。ハヴォーナの最奥部の回路には3,500万以上の、最外部には、比例する数が介在する2億4,500万以上の世界がある。回路は、それぞれに異なる。だが全回路は、完全に均衡がとれ、見事に組織されており、またそれぞれには、無限の精霊の特殊化された表現、つまり回路の7精霊のうちの1精霊が、全体に充満している。他の機能に加え、この無人格の精霊は、各回路にわたる天の業務執行を調整している。
ハヴォーナの惑星回路は、重なり合ってはいない。それらの世界は、規則的に線行列で相互に続いている。広大な一平面の中央宇宙は、同心の安定した10個の構成単位を有する静止した楽園の小島の周りに渦巻いている。—楽園球体の3回路とハヴォーナ世界の7回路。物理的に見てハヴォーナと楽園回路は、すべてが一つのしかも同じ体制である。その分離は、機能上と行政上の認識による隔離である。
楽園においては時間は考慮されない。一連の出来事の順序は、中央の小島に土着するもの達の概念に固有のものである。しかし、時間は、ハヴォーナ回路とそこに滞在する天の起源を持つものと地球の起源を持つ両方の数多くの存在体に密接に関係している。それぞれのハヴォーナ世界には、その回路で決定されるそれ自身の現地時間がある。任意の回路のすべての世界には、楽園の周りを一様に揺れ動くので同じ長さの年があり、また、これらの惑星の年の長さは、一番はずれから最も奥深い回路へと減少している。
ハヴォーナ-回路時間の他には、無限の精霊の楽園の7衛星で決定され送り出される楽園-ハヴォーナの標準日と他の時間の記号表示がある。楽園-ハヴォーナの標準日は、ハヴォーナ回路の1番目の、すなわち内側の惑星の住みかが楽園の小島を1回転し終えるのに要する時間の長さに基づく。その速さは、黒ずんだ重力体と巨大な楽園間のそれらの状態ゆえに途方もないものであるが、これらの球体のその回路一回り完了にはおよそ1,000年を要する。あなたの目が「夜の見張りがひとときに過ぎないように、神との1,000年は1日のようである。」という文に目を留めるとき、あなたは知らず知らずのうちに真実を読んだのである。楽園-ハヴォーナの1日は、現在のユランチア暦の閏年の1,000年にわずか7分3秒と1/8足りないのである。
この楽園-ハヴォーナの1日は、たとえそれぞれが自身の内部時間の標準を維持するとはいえ、7超宇宙のための標準時測定なのである。
ハヴォーナ世界の第7ベルトをはるかに超えるこの広大な中央宇宙のはずれには、信じられない数の巨大な黒ずんだ重力体が渦を巻いている。これら多数の黒ずんだ密集体は、多くの点で他の空間体とはまったく異なっている。型においてでさえ非常に異なる。これらの黒ずんだ重力体は、光を反射せず吸収もしない。それらは物理的エネルギー光に反応せず、近くの時間と空間の生息宇宙の視界からさえ隠すほどにハヴォーナを完全に取り囲みおおい隠すのである。
黒ずんだ重力体の巨大なベルトは、特異な空間の割り込みによる2個の等しい楕円回路に分割される。内側のベルトは、反時計回りに回転する。外側は時計回りに回転する。黒ずんだ本体の並はずれた固まりと相待ったこれらの交互に入れ替わる動きの方向は、中央宇宙に物理的に均衡化し、完全に安定化された創造を与えるほどにハヴォーナ重力の線を効果的に均等化している。
黒ずんだ重力本体の内側の進行は、配列的には管状の3個の円形群である。この回路の断面は、ほぼ均等の密度の3同心円を見せている。黒ずんだ重力体の外側の回路は、内側の回路よりも1万倍高く垂直に配列されている。外側回路の上下の直径は横の直径の5万倍である。
重力本体のこれらの2回路間の空間は、広い全宇宙の他の場所には見られないような特異なものである。この区域の特徴は、巨大な上下性の波動であり、未知の系列の物凄いエネルギー活動が行き渡っている。
我々の意見では、外部空間段階の将来の進展を特徴づける中央宇宙の黒ずんだ重力体のようなものは何もない。我々は、見事な重力-均衡体のこれらの交互進行というものが主たる宇宙においては特異であると見なすのである。
精霊存在体は星雲の空間には住んでいない。それらは空気世界に生息してはいない。それらは、人間が生活しているものと同じ物質的種類の実際の球体に住所を定めている。ハヴォーナ世界は、言葉本来の意味の物質は7超宇宙の惑星の物質構成とは異なるものの、現実であり事実なのである。
ハヴォーナの物理的現実には、空間の進化的宇宙には主流の任意の系列とは根本的に異なるエネルギー系列がある。ハヴォーナエネルギーは三重である。エネルギーのつの型は正と負の相に存在するが、超宇宙にあるエネルギー‑物質の構成単位は、二重のエネルギー充足を有する。中央宇宙の創造は三重である(三位一体)。 (直接的に)地方宇宙の創造は、創造者たる息子と創造の精霊による二重である。
ハヴォーナの物質は、ちょうど1,000の基本的な化学要素の組織とハヴォーナエネルギーの7個の型の均衡のとれた機能から構成される。これらの基本的な各エネルギーは7相の励起を発現するので、ハヴォーナ出身者は49種の異なる感覚刺激に応じる。言い換えれば、純粋に物理的見地から、中央宇宙の出身者には専門化している49種の感覚の型がある。モロンチア感覚は70種であり、反作用反応のより高い精霊的系列は、70種から210種までの異なる型の存在体に反応する。
中央宇宙のどの物理的存在体もユランチア出身者には見えないであろう。それらの遠い世界の物理的刺激も、あなたの感覚の総器官での反応を刺激しないであろう。ハヴォーナへのユランチアの人間の輸送が可能であるならば、人間は、そこでは聴覚障害、盲目、それに他の全ての感覚反応が完全に無能となるであろう。人間は、すべての環境刺激とそれへの反応を奪われた自意識をもつ限りある存在体として機能するしかないのである。
ユランチアなどの世界では知られていない中央の創造に生じる多数の物理的現象と精霊的反応がある。三重創造の基本的組織は、時間と空間の創造された宇宙の二重構造のそれとは全く異なっている。
すべての自然の法則は、進化的創造の二元的エネルギー体制には似ても似つかない状態で調整される。中央宇宙全体は、完全かつ均整のとれた管理の三重方式に基づいて組織化される。すべての宇宙現実とすべての精霊的原始力の間での完全な均衡が、楽園-ハヴォーナ体制全体を通して維持されている。楽園は、物質的創造の絶対的把握でこの中央宇宙の物理エネルギーを完全に管理し維持する。永遠なる息子は、すべてを抱擁している自身の精霊的把握の一部として、ハヴォーナに宿るすべての精霊的身分を最も完全に支える。楽園においては、実験的なものはなく、また楽園-ハヴォーナ体制は創造的な完全性の一構成単位である。
永遠なる息子の宇宙の精霊的重力は、中央宇宙のいたるところで驚くほどに活発である。精霊価値と精霊的人格のすべては、絶えず神の住まいに向かって内側へと引き込まれる。この神方向の衝動は、激しく、しかも不可避的である。神到達の大望は、精霊重力が、遠く離れた宇宙のなかでよりも強いというのではなく、ハヴォーナに達したそれらの存在体がより完全に精霊的にされ、したがって、永遠なる息子による宇宙の精霊-重力の牽引力の絶えず臨場する行動により反応するので、中央宇宙ではより強いのである。
同様に無限の精霊は、知的価値のすべてを楽園方向に引きつける。無限の精霊の心の重力は、全中央宇宙にわたって永遠なる息子の精霊重力との繋がりにおいて機能し、これらは共に、神を見つけ、神格を獲得し、楽園に達し、そして、神を知るという結合された衝動を成している。
ハヴォーナは精霊的に完全であり、肉体的に安定した宇宙である。中央宇宙の管理と均衡のとれた安定性は完全のようである。すべての物理的もしくは精霊的であるものは、完全に予測可能であるが、心の現象と人格の意志はそうではない。たしかに我々は、罪は発生不可能であると考え得ると推察はするものの、これはハヴォーナ出身の自由意志の創造物が神格の意志に背いて有罪であったことがなかったいという理由に基づいてである。これらの崇高な存在体は、永遠にわたりずっと日の永遠なるものにつねに忠誠である。罪は、巡礼者としてハヴォーナに入ったいかなる創造物にも見られなかった。中央のハヴォーナ宇宙で創造されたり、またはそこへ認められた人格集団のいかなる創造物による不正行為の事例は一度もなかった。時間の宇宙における方法と選択手段が非常に完ぺきであり神性であるがゆえに、ハヴォーナの記録には決して過失は生じなかった。いかなる誤りも犯されなかった。上昇の魂が時期尚早に中央宇宙に認められたことはかつてないのである。
中央宇宙の政府に関しては何もない。ハヴォーナは非常にすばらしく完全であるので、知的な政府の体制は必要とされない。定期的に設定される法廷はなく、立法府もない。ハヴォーナは行政指示のみを必要とする。真の政府の理想の高さはここに見られるかもしれない。
そのような知力ある完璧なもの達、また、完璧に近いもの達の間に政府の必要性はない。それらのもの達は、ずっと以前に超宇宙の最高裁判所の精査を通過した進化する創造物が組み入れられた自然な完全性の存在体であるので規則の必要はない。
ハヴォーナの行政は無意識的ではないが、驚異的に完璧であり神々しく効率的である。それは、主として惑星であり居住している日の永遠なるものに帰属しており、それぞれのハヴォーナ球体はこれらの三位一体起源の人格の中の1名により導かれている。日の永遠なるものは、創造者ではなく完全な行政者である。
日の永遠なるものは、最高の技能で教え、まるで絶対性のような知恵の極致で惑星の子供を導く。中央宇宙の10億の球体は、楽園とハヴォーナへの高度の人格訓練のための世界を構成し、さらには、時間の進化の世界からの上昇する創造物のための最終的実験場としての役割を果たす。創造物の上昇のための宇宙なる父のすばらしい計画の実行において、時間の巡礼者は、外側の、すなわち第7回路の受け入れ世界に導かれて到着し、増加された訓練と拡大された経験後、次第に内部へと、惑星ごとに、回路ごとに、最終的に神格に達し、楽園での居住を成就するまで前進する。
現在のところ、7回路の球体は、すべての崇高な栄光を維持しているとはいえ、全惑星の可能性のわずか1パーセントほどが人間の上昇に関する父の宇宙計画を促進する仕事に利用される。これらの巨大な世界の領域の1パーセントのうちのほぼ1/10は、終局者部隊の、すなわち、しばしばハヴォーナ世界に滞在し活動する永遠に光と生命に落ち着いている存在体の生活と活動に捧げられている。これらの高揚された存在体には楽園に自らの住居がある。
ハヴォーナの球体の惑星構造は、進化する世界や空間体制の構造とは完全に異なっている。生息界としてのそのような巨大な球体を利用するに都合の良いところは、雄大な全宇宙のいずれにもない。巨大な黒ずんだ重力体の均衡効果に結びつけられたツリアータの物理的組成は、物理的根源力を実に申し分なく均等化し、またこの驚異的創造の様々な見所の絶妙な均衡化を可能にしている。また、反重力は、これらの巨大世界の物質的機能と精霊的活動の組織に利用される。
ハヴォーナ球体の建築、照明、加熱は、生物学的また芸術的装飾と同様に、人間の想像力がもつ最大可能な広がりをはるかに越えるものである。あなたには、ハヴォーナに関して多くについて話すことはできない。その美と壮大さを理解するためには、あなたがそれを見なければならない。それにしても、これらの完全な世界には本当の河川や湖沼がある。
精霊的に、これらの世界は理想的に整備されている。それらは中央宇宙において機能する異なる存在体の数々の系列を接待する自己の目的にぴたりと適合している。多様の活動は、はるかに人間の理解を超えるこれらの美しい世界で行われ。
ハヴォーナ世界には基本的な7個の型の生き物と存在体があり、それぞれの基本的な型は3つの異なる相で存在している。各3相は、70の大分類に、各大分類は1,000の小分類、さらに他の細分等に分割される。これらの基本的な生命集団は次のように分類されるかもしれない。
1. 物質的
2.モロンチア的
3.精霊的
4. 准絶対的
5. 究極的
6. 共同絶対的
7. 絶対的
腐敗と死は、ハヴォーナ世界の生命環の一部ではない。下級の生き物は、中央宇宙において肉体の変化を経験する。下級の生き物は、たしかに型と外観を変えるが、腐敗と細胞死の過程により分解するのではない。
ハヴォーナ出身者は皆、楽園三位一体の子である。彼らは、創造物の両親をもたず、存在体を生殖しない。我々は、中央宇宙のこれらの民、つまり決して創造されなかった存在体の創造について描くことはできない。ハヴォーナ創造に関する全物語は、人間が理解するような時間あるいは空間とのいかなる関係も持たない永遠の事実に時間-間隔をもたらす試みである。しかし、我々は人間の哲学に起点を認めなければならない。人間の段階をはるかに超える人格でさえ「始まり」の概念を必要とする。それでもなお、楽園-ハヴォーナ体制は永遠である。
ハヴォーナ出身者は、他の永久公民の系列がそれぞれの出生球体に住まうという同じ意味で中央宇宙の10億の球体に生活している。息子の資格をもつ物質的系列が、超宇宙の10億台の地方体制の物質的、知的、精霊的な経済を維持するように、ハヴォーナ出身者は、より大きい意味で同じく中央宇宙の10億の世界に生活し機能するのである。あなたは、ことによると神性宇宙の物理的現実について説明するために「物質」という言葉が拡大できるという意味においてこれらのハヴォーナ存在体を物質的創造物と見なすかもしれない。
ハヴォーナ在来の、またそれ自体が重要性を持つ生命が存在する。ハヴォーナ出身者は、多くの方法で楽園下降者への、また超宇宙上昇者への奉仕活動をするが、中央宇宙の中で特異な生活を送り、楽園、または超宇宙のいずれかからは全く離れた相対的な意味を持つ生涯を送っている。
進化世界の信仰の息子の崇拝が、宇宙なる父の愛の満足感に応えるように、ハヴォーナ創造物の高揚された敬愛は、神々しい美と真実の完全な理想を満たす。必滅の人間が、神の意志を為すことを目指すとき、中央宇宙のこれらの存在体は楽園三位一体の理想を満足させるために生きている。それらは、本質そのものにおいて神の意志なのである。人は神の善に歓喜し、ハヴォーナ出身者は神性の美に狂喜し、一方あなた方双方は生ける真実の自由の活動を味わうのである。
ハヴォーナ出身者には、現在の目標と将来の明らかにはされていない二つの任意の目標がある。そして、中央宇宙には特有の土着創造物の進行、楽園への上昇と超宇宙への浸透のいずれも伴なうことのない進行がある。ハヴォーナのより高い身分へのこの進行は次のように示されるかもしれない。
1. 1番目から7番目の回路までの外向きへの経験的進行
2. 7番目から1番目の回路までの内向きへの進行
3. 回路内の進行—任意回路の世界の中での進行
ハヴォーナ出身者に加え中央宇宙の居住民は、様々な宇宙集団のための数多くの階級の原型的存在体を含む—創造全体のそれぞれの種類の、またそれぞれの種類への助言者、指導者、および教師。全宇宙における存在体すべてが、ハヴォーナの10億の中の1世界に生きる原型的創造物の1系列に沿って創り出される。時間の必滅者でさえ天のこれらの原型的球体の外部回路における創造物の生活での目標と理想を持っている。
次には、宇宙なる父に到達し行き来が許され、特別職任務で宇宙のあちこちに配置される存在体がある。また、到達の候補者、つまり物理的には中央宇宙に達したものの楽園居住の主張ができるほどの精霊的進歩に達していないもの達があらゆるハヴォーナ世界に見られるであろう。
ハヴォーナ世界においては、中央宇宙の知的かつ精霊的な問題の細部を処理する多数の人格、つまり優雅さと栄光を具えた存在体が、無限の精霊を代表している。神性完全のこれらの世界において多数の人格は、この広大な創造における通常行為に備わっている仕事をし、併せて、空間の暗い世界から栄光へと登っていった膨大な数の上昇の創造物の教育、訓練、および奉仕活動の様々な任務を果たして進む。
創造物の完全性到達に関する上昇計画には決して直接的には関連のない楽園-ハヴォーナ体制出身の多数の集団がある。だからこそ、それらは人類に提示された人格分類からは省略されているのである。ここには超人的存在体の主な集団と直接あなたの生存経験に関連する系列のみが、提示されている。
ハヴォーナは、神性認識と最高の意味、究極の価値、絶対現実の拡大された評価のより高い段階到達への努力において低い回路からより高い回路へと進もうとする全相の知力ある存在体の生命に満ちている。
あなたは、ユランチアにおいて初期の短く激しい物質的存在の生涯で試練をくぐり抜ける。あなたは、大邸宅世界で、そのうえあなたの体制、星座、地方宇宙を経て、上昇のモロンチア段階を通過する。あなたは、超宇宙の訓練世界においては真の精霊の進行のさまざまな段階を経て、やがてハヴォーナ通過に向けての用意ができる。ハヴォーナの7回路におけるあなたの到達は、知的であり、精霊的で経験的である。そして、各世界のこれらの各回路において達成されるべき明確な任務がある。
中央宇宙の神性世界における生活は、非常に豊かであり完全であり、被創造の存在体が経験し得るいかなるものも人間の概念を完全に超えるほどである。この永遠の創造の社会的、経済的活動は、ユランチアのような進化世界に生息する物質的創造物の職業とは完全に異なる。ハヴォーナの思考法さえユランチアでの思考過程とは異なるのである。
中央宇宙の規定は、適切に本質的に自然である。行動規範は任意ではない。ハヴォーナのあらゆる要件における公正さの理由と正義の規則は、明らかである。結合されるとこれらの2要素は、ユランチアの公平性に匹敵するものに等しい。あなたは、ハヴォーナに到着するとそれらが為されるべき方法で事に当たることを自然に楽しむであろう。
知的存在体は、まず中央宇宙に達するとハヴォーナの第7回路の先導的世界に受け入れられ住所が定まる。新到着者は、精霊的に進歩し超宇宙の主たる精霊の同一性理解に至ると第6回路に移される。 (人間の心における進歩の円が明示するのは、中央宇宙におけるこれらの割り振りからである。)上昇者が崇高性の実現に達し、それに従って神格への冒険の準備ができると、第5回路に連れられる。無限の精霊に達すると第4回路に移される。永遠なる息子の到達の後で第3回路に移動される。そして、上昇者が宇宙なる父を認識すると、世界の第2回路の滞在へと向かい、そこでは楽園の多集団とさらになじみ深くなる。ハヴォーナの第1回路への到着は、時間の候補者の楽園奉仕への承認を意味する。創造物上昇の期間と本質によっては、時間の候補者は、無期限に、精霊の進歩的到達の内部回路に滞在するであろう。上昇する巡礼者は、この内部回路から楽園住居と終局者部隊への入隊へと内側に進んで行く。
上昇の巡礼者としてのハヴォーナでの滞在期間、あなたは自身の任務回路の世界の間を自由に訪ねることができるであろう。あなたはかつて移動したそれらの回路の惑星に戻ることを許されるであろう。そして、このすべてが、滞在するもの達にはハヴォーナの輪に超熾天使化される必要性なく可能である。時間の巡礼者は、「達成された」空間を移動するための準備ができるが、「非達成」の空間を通り抜けるためには定められた方法に頼らなければならない。巡礼者は、輸送超熾天使の援助なしにはハヴォーナを去ったり、割り当てられた自分の回路を超えて進んで行くことはできない。
この広大な中央部の創造には爽快な独創性がある。物質の物理的組織と知的存在体と他の生物の基礎的系列の基本構成は別として、ハヴォーナ世界間に共通するところは何もない。これら1つ1つの惑星が、最初の、特異で限定的な創造である。各惑星は、無比の、見事でしかも完全な製作物である。また、人格のこの多様性は、惑星生活の物理的、知的、精霊的局面のすべての特徴にまでおよぶ。これらの10億の完全性の球体のそれぞれが、居住している日の永遠なるものの計画により開発され、潤色されてきた。だからこそ、2つとして似たものはないのである。
あなたがハヴォーナの最後の回路を横断し、ハヴォーナの最後の世界を訪問するまでには、冒険の強壮剤と好奇心による刺激は、あなたの経歴から消えうせるであろう。次には、衝動、永遠からの前進衝動は、その前触れと、つまり時間の冒険的魅力と取って代わるであろう。
単調さは、創造的な想像力の未熟さと精霊的贈与との知的調整の不活発さを暗示している。上昇する人間が、これらの楽園のような世界の探検を始めるまでには、感情的、知的かつ社会的、もし霊精霊的でなくても、円熟さを既に獲得していたいたのである。
あなたの驚きは、あなたがハヴォーナの回路から回路へと進むにつれ、夢にも思わない変化に気づくばかりではなく、各回路内の惑星から惑星への前進につれ言葉では表せなくなるであろう。これら10億の研究世界のそれぞれが、紛れもない驚きの大学である。継続する驚き、つまり果てしない驚きは、これらの回路を横断し、これらの巨大な球体を周遊するもの達の経験である。単調さは、ハヴォーナ経歴の一部ではない。
冒険への愛、好奇心、および単調さへの畏怖—進化する人間性に固有のこれらの特色—は、地球におけるあなたの短い滞在中、あなたを拗らせたり、悩ませるためにそこに投入されたのではなく、むしろ、死とは、冒険での無限の経歴、期待に満ちた永遠の生命、発見の永遠の旅の始まりに過ぎないということをあなたに示唆するためである。
好奇心—調査の精神、発見の衝動、探検の意欲—は、空間の進化する創造物の生まれながらの、加えて神性の、贈与の一部である。これらの自然の衝動は、ただ挫折したり抑圧されるためにあなたに与えられたのではなかった。たしかに、これらの野心的衝動は、地球でのあなたの短い生涯を通じて頻繁に抑制されなければならないし、失望はしばしば経験されなければならないが、これらの野心的衝動は、来る長い時代には完全に認識され、華々しく満足がいくことになっている。
7回路化されたハヴォーナの活動範囲は巨大である。一般的に、それらは次のように記述できるかもしれない。
1. ハヴォーナの
2. 楽園の
3. 上昇-有限の――崇高者-究極者の進化の
多くの超究極的活動が、現在の宇宙時代のハヴォーナで行われ、准絶対の明かされてはいない多くの事柄と心と精霊機能の他の局面にかかわっている。中央宇宙は、被創造物の心の理解を超えて数多くの方法で機能しているのであるから、私には明らかにされていない多くの目的を果たすということは可能である。それでもなお、私は、この完全な創造がいかに必要性に役立っているかを、そして宇宙知性に関する7系列の満足に貢献するかを描写しようと努力するのである。
1. 宇宙なる父—第1根源と中枢。父なる神は、主要な創造の完全性から親の崇高的満足を導き出す。父なる神はほぼ平等の段階における愛満喫の経験を楽しむ。完全な創造者は、完全な創造物の崇拝に神らしく満足している。
ハヴォーナは、父に達成からの崇高的満足感を与える。ハヴォーナにおける完全性の実現は、無限拡大への永遠の衝動からくる時間-空間の遅れを補う。
父は、ハヴォーナからの神性美の返報を楽しむ。すべての発展する宇宙のための絶妙な調和の完全な型の提供が、神の心を満たす。
我々の神は、それが宇宙の中の宇宙のすべての人格への精霊現実のふさわしい顕示であるが故に、完全な喜びをもって中央宇宙を見守る。
宇宙の神は、時間と空間におけるその後の宇宙の全拡大のための永遠の力の核としてハヴォーナと楽園を重んじている。
永遠の父は、終わりのない満足で、時間の上昇候補者たちのための、すなわち創造者-父の永遠の家を実現する空間の必滅の孫たちのためのふさわしく魅惑的な目標としてハヴォーナ創造を見る。そして、神は神格と神性家族の永遠の家としての楽園-ハヴォーナ宇宙を楽しむ。
2. 永遠なる息子—第2根源と中枢。中央の見事な創造は、永遠なる息子に、神性の家族—父、息子、および精霊—の連携有効性の永遠の証拠を提供する。それは、宇宙なる父への絶対的信頼に向けての精霊的かつ物質的な基盤である。
ハヴォーナは、精霊力の絶えず広がる実現にむかっての無限に近い基盤を永遠なる息子に提供する。中央宇宙は、提携者である楽園の息子の指導のために贈与活動の精神と方法を安全に確かに示すことができる活躍の舞台を永遠なる息子に与えた。
ハヴォーナは、宇宙の中の宇宙の永遠なる息子の精霊-重力制御のための現実の基盤である。この宇宙は、親の欲求、つまり精霊再現の満足感を息子に与える。
ハヴォーナ世界とその完全な住民は、息子は父の言葉であるという最初の、しかも永遠に最終の実証である。その結果、父を無限に補うものとしての息子の意識は、完全に満足させられる。
そしてこの宇宙は、宇宙なる父と永遠なる息子の間の平等的同胞の相互作用実現のための機会を提供し、これが、それぞれの無限の人格の恒久的証明になる。
3. 無限の精霊—第3根源と中枢。ハヴォーナ宇宙は、結合の活動者、つまり統合された父-息子の無限の代表である無限の精霊の証を提供する。無限の精霊は、ハヴォーナにおいてこの神性達成との絶対共存の満足感を味わいながら創造的活動として機能する複合的満足感を引き出す。
無限の精霊は、潜在的慈悲活動者として役目を果たす能力と意欲を示すことができる活躍の舞台をハヴォーナにおいて見い出した。精霊は、この完全な創造において進化する宇宙における活動冒険のために習熟をめざす。
この完ぺきな創造は、神性の両親と共に宇宙行政に参加するための—提携者-創造者の子として宇宙統治のために、それによって、創造者たる息子の創造者たる息子の提携者として地方宇宙の共同行政のために準備し—無限の精霊に機会を与えた。
ハヴォーナ世界は、宇宙心をもつ創造者の心の実験室であり、現存するあらゆる創造物の心への奉仕活動者である。心は、それぞれのハヴォーナ世界で異なり、精霊的かつ物質的な全創造物の知力のための形態として役目を果たす。
これらの完全な世界は、楽園社会へと運命づけられた存在体すべてのための心の大学院である。この完全な世界は、信頼でき助言のできる人格に対して心への奉仕活動の方法を試す多くの機会を精霊に与えた。
ハヴォーナは、空間宇宙における広範囲の、そして、寡欲な仕事に対する無限の精霊への補償である。ハヴォーナは、時間と空間の不屈の心の奉仕活動者にとっての最適の家であり静養所である。
4. 崇高なるもの—経験的神格の進化的統一。ハヴォーナ創造は、崇高なるものの精霊的現実を永遠に、完全に証明するものである。この完全な創造は、時間と空間の経験的宇宙における楽園の神格の有限的反映の力-人格統合開始前の崇高なる神の完全かつ釣り合いのとれた精霊の性質の顕示である。
全能者の力の可能性は、ハヴォーナにおいて崇高者の精霊的本質と統一される。この中央の創造は、崇高者の未来-永遠の統一の例示である。
ハヴォーナは、崇高者の普遍の可能性の完全形態である。この宇宙は、未来に完成される崇高者の描写であり、究極者の可能性を暗示するものである。
ハヴォーナは、崇高かつ完全な自制を備えた意志をもつ生ける創造物として存在する精霊価値の最終的状態を示す。やがては精霊に相当して存在する心;無限の可能性がある知性の現実と統一。
5. 等位の創造者たる息子。ハヴォーナは、楽園のマイケルが宇宙創造におけるその後の冒険に備える教育的訓練の場である。神性であり完全であるこの創造は、あらゆる創造者たる息子の形態である。創造者たる息子は、自身の宇宙がこれらの楽園-ハヴォーナ段階の完全性へついには到達するように努力する。
創造者たる息子は、ハヴォーナの創造物を自身の必滅の子らと精霊存在体のために人格-類型の可能性として用いる。マイケルと楽園の他の息子は、楽園とハヴォーナを時間の子供の神性目標として見ている。
創造者たる息子らは、中央の創造が、地方宇宙を安定させ統一させる宇宙の不可欠の総括的管理といった類の真の源であるということを知っている。創造者たる息子らは、崇高者と究極者の遍在する影響の個人的臨場がハヴォーナにはあるということを知っている。
ハヴォーナと楽園は、マイケルの息子の創造力の源である。ここには、宇宙創造においてマイケルの息子に協力する存在体が住んでいる。楽園からは、宇宙の母なる精霊、すなわち地方宇宙の共同創造者が来るのである。
楽園の息子は、中央の創造を神性の両親の家—自分たちの家—と見なす。それは、楽園の息子らが時々帰りを楽しむ場所である。
6. 等位の奉仕活動の娘。宇宙の母なる精霊、地方宇宙の共同創造者は、ハヴォーナ世界において回路の精霊と密接に関係して前人格の訓練を保証する。中央宇宙の中での地方宇宙の精霊の娘は、父の意志に従属している間中、楽園の息子との協力方法について正式に訓練をうけた。
精霊と精霊の娘は、ハヴォーナ世界において精霊と物質の知力者の全集団のための心の類型を見つけるし、またこの中央宇宙は、宇宙の母なる精霊が創造者たる息子と共に後援する創造物の未来の目標である。
宇宙の母たる創造者は、自身の起源の場所と無限の母なる精霊の家として、すなわち無限の心の人格臨場の住まいとして楽園とハヴォーナを思い起こす。
この中央宇宙からは、宇宙の神格活動者が意志を持つ生ける創造物を創造する作業における創造者たる息子への補足として採用する創造者資格の個人的特権の贈与もまた来る。
そして最後に、無限の母なる精霊の娘なる精霊は、自分達の楽園の家には帰りそうにもないことから、ハヴォーナで崇高なるものと親しく交わり、楽園の威儀仙に人格化された普遍的な反射現象から大満足を得る。
7. 上昇経歴の進化する必滅者たち。ハヴォーナは、人間のすべての型の類型人格の家であり、時間の創造に固有ではないすべての超人間の人格の家である。
これらの世界は、想像し得る最高の現実の水準における真の精霊価値到達に向かうすべての人間の衝動への刺激を供給する。ハヴォーナは、上昇するすべての人間の前楽園の訓練目標である。ここにおいて、人間は前楽園神格—崇高なるもの—に到達する。ハヴォーナは、楽園と神到達への入り口としてあらゆる意志の創造物の前に立つ。
終局者にとり、楽園は家であり、ハヴォーナは作業場であり遊び場である。そして、すべての神を知る人間は、終局者であることを切望する。
中央宇宙は、人間の確立された目標であるだけではなく、宇宙なる父の無限性を探検する経験における宇宙の、しかも明かされてはいない冒険に出発するように、そのうちに終局者の永遠の経歴を始める場所である。
ハヴォーナは、超有限の段階において神の発見を試みる宇宙の巡礼者を目撃するかもしれない未来の宇宙時代においてでさえ疑いなく准絶対の重要性と機能し続けるであろう。ハヴォーナは、准絶対存在体のための訓練用宇宙としての役目が果たせる。それは、おそらく、7超宇宙が、外部空間の小学校卒業生のための中等学校として機能するとき、教養学校となるであろう。そして、我々は、永遠のハヴォーナの可能性が本当に無限であるという、中央宇宙が、創造された存在体のすべての過去、現在、または、将来の型の経験的訓練用の宇宙として永遠に役目が果たせるという意見に傾きがちである。
[このように機能するためにユヴァーサの日の老いたるものに任命される英知の遂行者による提示]
宇宙なる父—父として—に関する限り、宇宙は実際には存在しない。宇宙なる父は人格に対応する。宇宙なる父は人格の父である。永遠なる息子と 無限の精霊—創造者たる提携者として—に関する限り、宇宙は、創造者たる息子と創造の精霊の共同統治の下に局所化されており、個別である。楽園の三位 一体に関する限り、ハヴォーナの外側にはただ7個の生息宇宙すなわち後-ハヴォーナ空間の第一段階の回路に対する司法権を保持する7超宇宙がある。主たる 7精霊は、中央の小島から放射状にその影響を広げ、こうして1個の巨大輪の広大な創造を構成する。輪の中心部は楽園の永遠の小島であり、輪の7個の歯止めは 主たる7精霊の放射であり、輪の縁は壮大な宇宙の外部領域である。
超宇宙組織と政府の七重の計画が、宇宙創造具体化の初期に立てられた。後-ハヴォーナの最初の創造は、巨大な7区分にされ、そして超宇宙政府の本部世界が設計され構築された。現在の行政計画は、ほぼ永遠といえるほどにずっと存在してきており、7超宇宙の支配者たちは、正当に日の老いたるものと 呼ばれる。
私は、これらの領域全体において稼動する超宇宙に関する広大な知識のうち、あなたに多くを告げることは望めないものの、稼動が可能である物理的な力かつ精霊的な力の両者のための知的管理の方法がこの領域全体はあり、普遍的な重力臨場は、厳然たる力と完全な調和で機能している。まず超宇宙領域の身体的構造と物質的組織についての考えを得ることが、重要である。なぜならば、あなたは、次に、超宇宙領域の精霊の政府のためと、これらの7超宇宙 のあちこちに散在する無数の生息惑星に暮らす意志を持つ創造物の知的進歩のために用意された驚異的組織の意味の理解に備えることができるのであるか ら。
ユランチアおよび宇宙は、どの実用的な点から見ても、あなたの短い年で100万年、あるいは10億年にわたる世代の記録、観測、および記憶の限られた範囲において新空間への1つの長くて未知の突入の冒険を経験している。しかし、ユヴァーサに関する記録により、より古い観測に従い、我々の系列のよ り広範囲の経験と予測に調和し、そしてこれらの、また他の発見に基づく結論から、我々は、宇宙が規則的で、よく理解され、完全に制御された行列に従事 しており、第一の偉大な根源と中枢とその居住宇宙の周りを厳然たる壮大さで揺れ動いているということを知っている。
我々は、7超宇宙が、巨大な楕円、巨大で細長い円を横断するということをずっと以前に発見した。あなたの太陽系と時間の他の世界は、図表と方位磁石 なしで、未知の空間に向こう見ずに突入はしていない。あなたの体系が属する地方宇宙は、中央宇宙を包囲する途方もない揺れの周りの明確で十分に理解されている反時計回りの軌道を進んでいる。この宇宙の通り道は、図によく表されており、あなたの太陽系を構成する惑星の軌道がユランチアの天文学者に知られているのと同程度に、超宇宙の星の観察者に徹底的に知られている。
ユランチアは地方宇宙にあり、そして超宇宙は完全に組織化されてはおらず、また、あなたの地方宇宙は、数多くの部分的に完成された物理的創造に近接してい る。あなたは、比較的最近の宇宙の1つに属している。しかしあなたは、今日図表にない空間に荒々しく突入したり、未知の領域に盲目的に揺れ動いたりはしていな い。あなたは超宇宙の空間段階の規則的で予定された通り道を辿っている。あなたは、今、あなたの惑星体系、またはそれの先行したものがとっくの昔に移動した 全く同じ空間を通過しているのである。そして、いつか遠い将来において、あなたの体系、またはそれに後続するものが、今あなたがとても迅速に突入 している同じ空間を再び移動するであろう。
この時代において、そしてユランチアにおいて方向づけされるように、第一超宇宙は、東の方向にあり、ほとんど真北に、偉大な根源と中枢の楽園住居とハヴォーナの中央宇宙へとほぼ正反対に揺れている。この位置は、西に対応するもので、永遠の小島への時間の球体の最短の物理的接近を表す。超宇宙第二 は、第三が、既に南方への突入に通じる湾曲に入り現在空間の大通路の最北部分を保持する間、北にあり、西向きの揺れの準備をしている。第四は、南方への比較的直線方向、つまり偉大な中枢への反対に今接近しつつある漸進地域にある。第五は、 東方への揺れのほんの直前の南方への直線方向を続ける間、中枢の中の中枢のその反対位置をほぼ離れ、第六は、南の湾曲部の大半を、つまり、そこからあなた の超宇宙がほぼ通り過ぎた部分を占拠する。
ネバドンのあなたの地方宇宙は、つい近ごろ(我々が時間を計算するように)超宇宙の空間段階の南東の湾曲を曲がり、第一超宇宙と第六超宇宙の間で揺れ 続けているオーヴォントン、つまり第7超宇宙に属している。今日、ユランチアが属する太陽系は、南湾曲の周りの揺れを10億年も過ぎているので、あなた は、今ちょうど南東の湾曲を超えて進んでおり、長く、比較的直線方向の北の通路経由で迅速に動いている。数えきれない年月の間、オーヴォントンはこのほぼ 直線の北方方向を進むであろう。
ユランチアは、あなたの地方宇宙の境界域からははるかに外側の体系に属している。あなたの地方宇宙は、現在のところオーヴォントン周辺を横 断している。あなたの地方宇宙を超えてまだ他に体系があるのだが、偉大な根源と中枢に比較的近接して大円の周りで揺れているそれらの物理的体系からは遠く離 れている。
宇宙なる父だけが、空間の生息界の位置と実際の数を知っている。宇宙なる父は、それらすべてを名前と番号で呼 ぶ。いくつかの地方宇宙には他よりも知的生命に適したさらに多くの世界があるので、私は、生息の、あるいは生息可能の惑星の概数しか伝えられない。計画された地方宇宙のすべても組織化されてはこなかった。したがって、私が提示する見積りは、広大な物質的創造の何らかの考えを提供する目的 のためだけである。
壮大な宇宙には7超宇宙があり、それらはおおよそ次のように構成されている。
1. 体系。超政府の基本単位は、居住の、または居住に適したおよそ1,000個の世界から成る。照りつける太陽、寒い世界、灼熱の太陽に近過ぎる惑星、そして、生物居住に適さない他の球体は、この一団には含まれていない。これらの1,000個の世界は、生命維持に適する体系と呼ばれてはいるものの、これらの世界のうち比較的若い体系の小数世界にだけ、生息が生じているかもしれない。各生息惑星は惑星王子に統括され、各地方体系はその本部として建築球体を持ち、体系君主に統治される。
2. 星座。100個の体系(およそ10万の生息惑星)が、星座を作る。各星座は、建築本部球体を持ち、3名のヴォロンダデクの息子、すなわちいと高きものに統括される。また、各星座には、観測に当たる日の忠誠なるもの、楽園の三位一体の大使がいる。
3. 地方宇宙。100個の星座(およそ1,000個の生息に適した惑星)が、地方宇宙を構成する。各地方宇宙は、雄大な建築本部世界を持ちミカエルの系列 の等位の神の創造者たる息子の1名に統治されている。各宇宙は、日々の和合のものの臨場に、すなわち楽園の三位一体の代表者に祝福されている。
4. 小領域。100個の地方宇宙(およそ10億の生息可能な惑星)が、超宇宙政府の小領域を構成する。それには素晴らしい本部世界があり、そこから、その支配者 つまり日の若きものが小領域の業務を担当する。3名の日の若きもの、崇高なる三位一体の人格は、それぞれの小領域の本部にいる。
5. 主要領域。100個の小領域(およそ1,000億の生息可能な世界)が、主要な1領域を作る。それぞれの主要な領域にはみごとな本部が備わっており3名の日の完全なるもの、崇高なる三位一体の人格に統括される。
6. 超宇宙。10個の主要区分(およそ1兆の生息可能な惑星)が、超宇宙を構成する。各超宇宙は、巨大で燦然たる本部世界があり3名の日の老いたるものに統治される。
7. 壮大宇宙。7超宇宙は、おおよそ7兆の生息可能な世界と、建築球体と、ハヴォーナの生息可能な10億の球体から成る組織化された壮大な現在の宇宙を作る。超宇宙は、楽園から主たる7精霊により間接的に、そして反射的に統治され管理されている。ハヴォーナの10億の世界は、日の永遠なるものに直接的に統括される。そのうちの1名は、完全な各球体を統括する崇高なる三位一体の人格。
楽園-ハヴォーナを除く宇宙組織計画は、次の構成単位を前提とする。
超宇宙. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 7
主要な領域. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .70
小領域. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 7,000
地方宇宙. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 700,000
星座. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .70,000,000
地方体系. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 7,000,000,000
居住可能な惑星. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 7,000,000,000,000
7超宇宙のそれぞれは、およそ以下の通りに構成される:
1体系が取り囲む数、およそ. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 1,000個の世界
1星座(100台の体系) . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 100,000個の世界
1宇宙(100の星座) . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .10,000,000個の世界
1小領域(100の宇宙) . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 1,000,000,000個の世界
1主要領域(100の小領域) ) . . . . . . . . . . . . . . . . 100,000,000,000個の世界
1超宇宙(10の主要な領域) ) . . . . . . . . . . . . . . .1,000,000,000,000個の世界
他の組織が物質的存在から一時的に消え去る一方で新しい体系が絶えず発展しているので、そのような見積りのすべてはせいぜい近似でしかない。
ユランチアにおいて肉眼で見える星の領域のほとんどすべてが、壮大な宇宙の第7区分、つまりオーヴォントンの超宇宙に属している。広大な銀河系は、あなたの地方宇宙の縁を大きく超えあるオーヴォントンの中心核である。無数の個々の惑星とともに、太陽、空間の暗い島、二重星、球状星団、 星雲、渦巻状の、そして他の星雲のこの巨大集合体は、進化する生息宇宙のおよそ1/7の細長い円形の、時計のような形をなしている。
ユランチアの天文位置から広大な銀河に近い体系の断面図を通して見るとき、あなたは、オーヴォントンの球体が、膨大な細長い平面状で、厚みをはるかに上回る幅と、幅をはるかに上回る長さで移動しているのを観測する。
いわゆる銀河の観測は、天上を一方向に見るとき、オーヴォントンの星の密度の相対的増加を明らかにする。とはいえ、どちらの側においても密度は減少する。星と他の球体の数は、我々の物質の超宇宙の主要な平面から離れたところでは減少する。この領域の最大密度の本体を通過して眺める観測角度が好都合であるとき、あなたは、居住宇宙と万物の中心方向を見ているのである。
オーヴォントンの主要な10区分のうち、8区分がユランチアの天文学者たちにより大まかに確認されてきた。他の2区分は、あなたがこれらの現象を内 側から見ることを強いられているので、見分けが難しい。あなたが空間のはるか遠くの位置からオーヴォントンの超宇宙を見ることができるならば、すぐに第7銀河の主要な10個の領域に気づくであろうに。
あなたの小領域の回転の中心は、遠く射手座の巨大で高密度の恒星雲に位置し、その周りであなたの地方宇宙とその関連する全創造が動いており、射手座の広大な小銀河系の反対側から巨大な星の渦巻きの中に現れる恒星雲の2つの大きな趨勢が観測できる。
あなたの太陽とその関連惑星が属する物理的体系の核は、かつてのアンヅラノウヴァー星雲の中心である。このかつての渦巻星雲は、あなたの太陽系 の誕生に伴う事象、そして隣接する大星雲の近接近により引き起こされる事象に関係する重力分裂によりわずかに歪められる。至近、危機一髪の衝突が、アンヅ ラノウヴァーをいくらか球形の集合体に変えはしたが、太陽の二方向前進とその関連物理集団を完全に破壊はしなかった。中心からほぼ中間の星流よりに位置す るあなたの太陽系は、現在、この歪んだ渦巻きの腕の中の1つのかなり中央の位置を占めている。
射手座の領域とオーヴォントンにある他のすべての領域は、ユヴァーサの周りを回転しており、また次に掲げるような複数の回転運動により生み出される幻影と相対的な歪みが、ユランチアの星観察者の何らかの混乱を生じている。
1. その太陽の周りのユランチアの公転。
2. かつてのアンヅラノウヴァー星雲の核の周りのあなたの太陽系の回路。
3. ネバドンの星雲の回転-重力からなる中心の周りのアンヅラノウヴァーの恒星群とその関連する一団の自転。
4. ネバドンの局部星雲とその小領域の射手座の中心周辺のその関連創造の揺れ。
5. それらの主要な領域周辺の、射手座を含む100小領域の回転。
6. 主要10領域の渦、オーヴォントンのユヴァーサ本部周辺のいわゆる星流。
7. 楽園とハヴォーナ周辺のオーヴォントンと関連する6超宇宙の動き、すなわち超宇宙空間段階の反時計回りの前進。
これらの複数の動きは、いくつかの系列からのものである。あなたの惑星と太陽系の空間軌道は、最初からあり起源において固有である。オーヴォン トンの反時計回りの絶対的動きもまた最初からあり、主たる宇宙の建築計画において固有である。中間の動きは、一部は超宇宙への物質-エネルギーの構成区分に由来しており、一部は楽園根源力の組織者による知的かつ目的ある活動により生み出される複合起源のものである。
地方宇宙は、ハヴォーナに接近するにつれより近づく。回路数はさらに増え、層ごとに増加した重ね合わせがある。しかし、永遠の中心から遠くなればなるほど体系、層、回路、および宇宙は、ますます少なくなるのである。
創造と宇宙構成は、絶えず無限の創造者とその提携者の支配下にある一方、現象全体は、規定の技法に基づき根源力、エネルギー、物質の重力法則に従い進展する。しかし、空間宇宙の根源力-補填に関連した神秘めいた何かがある。我々は、終局子の段階から先への物質的創造の組織化をかなり理解はしているものの、終局子の宇宙の祖先を完全に理解しているわけではない。我々は、祖である根源力が、いつまでも楽園の正確かつ巨大な輪郭の中に広がる空間全体を揺れ動いているので、この祖の根源力には楽園起源があると確信している。楽園重力へ非反応であるが、明らかに下方楽園の中心の内外で周回している空間のこの根源力-補填、すなわちすべての物質化の祖は、常に下方楽園の臨場に対応している。
楽園根源力の組織者は、空間の潜在力を基本的な力に、そしてこの前物質の可能性を物理的現実の1次と2次エネルギーの発現に変える。このエネルギーが重力-反応段階に達すると、力の監督者とその超宇宙政権の仲間が、その場に現れ、時空の宇宙の様々の力の回路とエネルギー経路を定着させるために設計された果てしない操作を始める。このように物質は空間に現れ、宇宙組織化の開始のための舞台も設定されるのである。
このエネルギー分割は、ネバドンの物理学者による解決が一度もなされたことのない現象である。生ける力の監督者は、空間-エネルギーの扱いにおいて 有能ではあるものの、とても巧みに、また知的に操るエネルギーの起源に関する概念をいささかも持っていないので、楽園根源力の組織者の相対的な近づき難さがそれらにとっての主たる困難さである。
楽園根源力の組織者は星雲創始者である。楽園根源力の組織者は、いったん始動すると瀰漫している根源力が、いずれ出現する宇宙物質の究極子の構成単位のために動員されるまで決して止められたり、または限られることはできないすさまじい根源力の旋風を空間臨場のまわりに起こすことができる。その結 果、渦巻星雲と他の星雲、直接-起源の太陽とそれらの様々な体系の母たる回転輪がもたらされる。外空間には宇宙の主たる発展の局面である異なる10の星雲の型が見られ、これらの広大なエネルギー推進力は、7超宇宙におけるそれらのものが持っていた同じ起源を持っていた。
星雲は、その星と惑星の子孫の大きさにおいて、また結果として起こる数と総合質量において大いに異なる。オーヴォントンの境界のわずかに北にあり、それでも超宇宙空間段階内にある太陽を形成している星雲は、既におよそ4万の太陽に起源を与え、母なる推進力はまだ太陽を払いのけており、その大部分はあなたの太陽の大きさの何倍もある。外空間のより大きい星雲の一部は、1億もの太陽の起源になりつつある。
いくつかの地方宇宙が単一星雲の産物から組織化されはしたが、星雲は、小領域や地方宇宙などの行政単位のいずれにも直接的に関連はしていない。各地方宇宙は、星雲との関係に関わらず正確に超宇宙の総エネルギー補填の1/100,000を抱えている。というのも、エネルギーは星雲により組織化されるのではなく—普遍的に分配されている。
渦巻星雲のすべてが、太陽形成に従事するわけではない。渦巻星雲の一部は、その分離された星雲の多くの子孫の制御を維持しており、また星雲の渦巻の出現は、太陽が密集する星雲の腕から立ち去るが、さまざまの経路で戻ってくるという事実によって引き起こされる。その結果、ある点でそれらを観測することは簡単ではあるが、星雲の腕からはさらに遠く離れている異なる帰還経路に広く点在すると、それらを見る事は難しくなる。生息の超宇宙の外にあるアンドロメダは、非常に活発であるが、太陽-形成の活発な星雲は、現在オーヴォントンには多くはない。このはるかに遠い星雲は肉眼で見えるし、あなたがそれを眺めるとき、見ている光は、およそ100万年前に遠方のそれらの太陽を去ったのだということを改めて考えなさい。
銀河系は、元渦巻星雲と他の星雲のおびただしい数からなり、多くがまだそれぞれの元の形状のままでいる。しかし、内部の大変動と外部の誘引力の結果として、そのような歪みと再配列に耐えてき たこれらの途方もない集合体は、マゼラン星雲のような灼熱の太陽の巨大な発光体として出現させるほどであった。オーヴォントンの外縁近くを占拠しているのは、球形型の星団である。
オーヴォントンの広大な星団は、銀河系の外部の空間地域において観察可能な別々の星雲に匹敵する物体の個々の集合体と見なされるべきである。しかしながら、空間のいわゆる星雲の多くがガス物質だけから成る。このガス状の星雲エネルギーの可能性は、信じられないほどに膨大であり、その可能性の一部分は、近くの太陽に奪われ、太陽放射として空間に再び送り出される。
超宇宙の太陽と惑星に包含されている塊の大半が、星雲の渦から起こる。ほとんどの超宇宙質量は、力の監督者の直接行動により(建築球体の建設の際のように)組織化されるのではない。絶えず変わる物質量は空間において発生するのではあるが。
起源に関していえば、太陽、惑星、および他の球体の大部分は、次の10集団中の1つに類別できる。
1. 同心収縮輪。全ての星雲が渦巻状ではない。途方もない星雲が、二重星系に分かれるか、または渦巻きとして発展する代わりに、複数-輪の形成による凝縮を 起こす。長期にわたり、そのような星雲は、包囲し、輪を生じる物質形成の多数のとてつもない一群に囲まれる巨大な中央の太陽として現れる。
2. 渦巻状の星は、非常に加熱されたガスの非常に大きな渦本体に投げ出されたそれらの太陽を抱きかかえる。それらは輪としてではなく、右巻きと左巻きの列状で投げ出される。渦巻状の星は、渦巻以外の星雲の起源もあるのである。
3. 重力-爆発惑星。太陽が、渦状星雲または棒状星雲から生まれるとき、往々にしてかなりの距離に放り出される。そのような太陽は高度にガス状であり、いくらか冷え凝縮した後に何らかの物質の膨大な質量、巨大な太陽、または空間の暗い島の近くでたまたま揺れるかもしれない。そのような接近は、衝突を引き起こすには十分な近さにはないかもしれないが、大きい物体の重力の引きが、小さい方の潮のひきつけを始め、その結果、激しく揺さぶられた太陽の反対側に同時に起こる一連の潮の大変動を開始する。これらの爆発噴火は、その絶頂において爆発中の太陽の重力-取り戻しの域を超えて映し出されるかもしれない一連の異なる規模の物質集合を発生させ、その結果、この出来事に関わる2体のうちの1体の自身の円周軌道に安定するようになる。後に、物質のより大きい集合体は、結合し徐々に小さい方の塊を引きつける。このようにより小さい体系固体惑星の多くが生み出される。あなた自身の太陽系には、まさしくそのような起源があったのである。
4. 遠心惑星の娘。巨大な太陽は、ある発展段階にあるとき、またその回転の度合いが大きく加速するとき、親に当たる太陽の周りを回り続ける小さい世界のその後の形成のために組み立てられる大量の物質を振り払い始める。
5. 重力-欠乏球体。個々の星の大きさには限界がある。太陽がこの限界に達するとき、それは、回転の度合いが減速しない限り分裂する運命にある。太陽分裂が起こり、この種の新しい二重星が生まれる。多数の小惑星が、この巨大な分裂の副産物として引き続き形成されるかもしれない。
6. 拘縮星。より小さい体系においては、外側の最大の惑星は、時々その隣接世界を引きつけ、一方で太陽に近いそれらの惑星は、自身の末期の突入を始め る。あなたの太陽系で、そのような終わりは、内側の4個の惑星が太陽に捉えられることを意味するであろうし、一方、大惑星、つまり木星は、残る世界を得ることによりさらに拡大されるであろう。太陽系のそのような終わりは、2個の隣接するが不均衡の太陽つまり二重星構成の1つの型の生産をもたらすであろう。そのような大変動は、超宇宙の星の集合体の縁を除いては稀である。
7. 累積球体。小惑星は、空間を循環する広大な量の物質からゆっくりと蓄積するかもしれない。それらは、隕石増大と小規模の衝突により成長する。ある空間領域においては、状況が、そのような型の惑星誕生を有利にする。何と多くの生息界がそのような起源を持っていることか。
密集した暗い島々のいくつかは、空間での変形エネルギー増大の直接的結果である。これらの暗い島の他の一団は、空間を循環する膨大な量の冷たい物質、すなわち単なる断片と隕石の蓄積で生まれた。物質のそのような集合体は、一度も熱かったことはなく、密度を除いては成分の点で非常にユランチアに 似通っている。
8. 燃え尽きた太陽。空間のいくつかの暗い島は、すべての利用可能な空間エネルギーが放出されてしまった燃え尽きた孤立の太陽である。物質の組織化された構成単位は、完全な凝縮、つまり事実上の完全な圧密に接近する。そして、それは、長きにわたり非常に圧縮された物質の巨大密集体が空間の回路で再補充されること、その結果、衝突あるいは新しい命を吹き込む宇宙のなにかの出来事に続く宇宙機能の新周期に備えることを必要とする。
9. 衝突球体。より厚い群がりの領域においては、衝突は珍しくはない。そのような天文の再調整には、凄まじいエネルギー変化と物質変化が伴う。死の太陽をもたらす衝突は、広範囲のエネルギー変動の引き起こしに特に影響力がある。衝突の残骸は、人間の居住地にふさわしい惑星本体のその後の形成のため にしばしば物質の核を構成する。
10. 建築世界。これは、例えばあなたの地方宇宙の本部であるサルヴィントンや我々の超宇宙政府の所在地であるユヴァーサなどの何らかの特別な目的の計画と仕様に従って造られる世界である。
進化中の太陽や、分離中の惑星のための他の多くの方法があるが、前述の手順は星の体系と惑星群の大多数が生み出される方法を示している。星の変化と惑星の進化にかかわるすべての様々な方法についての説明を引き受けるということは、太陽構成と惑星の起源についてのおよそ100の異なる様式の叙述を必要とするであろう。あなたの星の研究者が、天上を走査するとき星の進化の全様式を暗示する現象を観測するが、広大な物質的創造の最重要の生息惑星として役目を果たすそれらの小さい、非発光物質の集塵形成の証拠はめったに発見しないであろう。
空間の様々な球体は、起源に関係なく次の主要部分に類別される。
1. 太陽—空間の星。
2. 空間の暗い島。
3. 空間の小天体—彗星、隕石、および微小惑星体。
4. 惑星、生息世界を含む。
5. 建築球体—注文によりできた世界。
建築球体は例外としてすべての空間本体には、進化の起源がある。神格の命令により生み出されたのではないという意味における進化、神の創造的行為が、創造され、そして結果的に生じた多くの神格の有識者の操作を通して時-空の方法により繰り広げられてきたという意味における進化。
太陽。これらは様々な存在の各段階すべてにある空間の星である。一部は、進化している単独の宇宙体系である。その他は、二重星、すなわち 収縮しているまたは消滅している惑星系である。空間の星は少なくとも1,000の異なる状態と段階に存在する。あなたは熱を伴う光を放つ太陽に馴染みがあ る。しかし、熱をもつことなく光り輝く太陽も存在するのである。
普通の太陽が、何兆年もの間熱と光を配り続けるであろうということを各物質単位の有する膨大なエネルギーの蓄えがよく例証している。目に見えないこれらの物質粒子に蓄えられた実際のエネルギーは、ほとんど想像を絶している。このエネルギーは、燃えるような太陽の内部に広がるすさまじい熱の圧力と関連エネルギーの活動にさらされると、光としてほぼ完全に利用可能になる。さらに他の状況が、これらの太陽が確立された空間回路における太陽の方向に来る空間エネルギーの多くを変えたり、送りだしたりすることを可能にする。物理的エネルギーの多くの局面と物質の多くの型が、太陽のエネルギー発生体に引きつけられ、次にはその発電作用により分散される。このように、エネルギー流通の局所の加速体として、自動の力-制御局として機能して役目を果たす。
オーヴォントンの超宇宙は、10兆以上の燃えるような太陽に照らされ、暖められる。これらの太陽は、観察可能なあなたの天文体系の星である。2兆以 上もが、ユランチアから見るにはあまりにも遠方過ぎるし小さ過ぎるのである。しかし、主たる宇宙には、あなたの世界の海水をコップで量るのと同程度の多くの太陽がある。
空間の暗い島々。これらは、死んだ太陽と光と熱を欠く物質からなる他の大集合体である。暗い島々は、時として巨大な質量であり宇宙均衡とエネルギー操作において強力な影響を及ぼす。これらの大きい塊のうちのいくつかの密度は、信じ難いほどである。そして、この大質量の凝縮は、これらの暗い島々が、隣接する大きい体系を効果的な綱状に保持し強力な転輪として機能することを可能にする。これらの暗い島々は、多くの星座の重力均衡を維持する。さもなければ近くの太陽で速やかに破壊に至るであろう多くの物理的体系が、これらの守りの暗い島々の重力把握にしっかりと保持される。我々が正確にそれらの場所を見つけられるのは、この機能のためである。我々は、発光体の重力牽引力を測定してきたし、従ってその進路において安定している任意の体系を保持するためにとても効果的に機能する空間の暗い島々の正確な大きさと位置について計算することができる。
小空間体。空間において循環し進化する物質の隕石と他の小粒子は、エネルギーと物質素材の巨大な集合体を構成する。
多くの彗星は、徐々に中央の支配的な太陽に押さえられる太陽のコマの確立されていない荒れた子孫である。また、彗星には、他の数多くの起源があ る。彗星の尾は、非常に拡大されたそのガスの電気反応のために、また太陽から発する光と他のエネルギーの実際の圧力のために、引きつける物体または太陽の反対方向を指し示す。この現象は光の現実とその関連エネルギーの確証の1つとなる。それは、光に重さがあるということを明示する。光は単なる仮定のエーテ ル波ではなく、本物の物質である。
惑星。これらは、太陽またはある他の空間体の周りの軌道を進むより大きい物質集合体である。その大きさは、微惑星からガス状、液状、または、固体の巨大な球体まである。浮遊する空間物質の集合により形成された冷たい世界は、近くの太陽とたまたま適切な関係にあるとき知力ある住人を育むのにより理想的な惑星である。死んだ太陽は、原則として、生命に適さわない。死んだ太陽は、生きて燃えているような太陽からは通常あまりにも遠く、あまりにも巨大であり過ぎる。表面の引力は猛烈である。
あなたの超宇宙には、40個の冷えた惑星のうち1個としてあなたの系列の存在体の居住には適していない。もちろん、過熱状態の太陽と極寒の外郭にある 世界は、より高度の生命を育むには不向きである。あなたの太陽系の中では、現在のところ3惑星だけが、生命の育みに適している。ユランチアは、大きさ、密度、および位置などの多くの点で人間の居住には理想的である。
物理-エネルギー反応の法則は、基本的に普遍的であるが、地方からの影響は個々の惑星上と地方体系に広がる物理的条件に大きく関係している。創造物 の生命と現在の他の出現にみるすべてのほぼ無限の多様性は、空間の無数の世界を特徴づける。しかしながら、任意の体系に関連する世界の一集団には、知的な生命の宇宙形態もあり、幾つかの点の類似性もある。同じ物理的回路に属し、また宇宙の円の周りで無限の揺れにあって互いに密接に続くそれらの惑星体系の間には物理的な関係がある。
各超宇宙政府は、その空間区分の進化的宇宙の中心の近くで統治するが、別仕立ての世界を占拠しそこには公認の人格が住んでいる。これらの本部世界は、建築球体、すなわち空間にあるそれぞれの特別な目的のために特に構成された球体である。これらの球体は、近くの太陽の光を共有するとともに個々に照らされ加熱されている。それぞれは、球体の表面近くのエネルギー循環による熱の供給を受けるが、楽園の衛星のように熱のない光を発する太陽もある。これらの本部世界は、各超宇宙の天体の中心近くに位置するさらに大きい1体系に属する。
時間は、超宇宙の本部において標準化される。オーヴォントンの超宇宙の標準日は、ユランチア時間のおよそ30日間に等しく、オーヴォントンの1年は100標準日に等しい。ユヴァーサのこの1年は、第7超宇宙における標準であり、ユランチア時間の3,000日に22分不足しており、あなたの年数の約8 1/5年である。
7超宇宙の本部世界は、楽園の本質と威風、すなわち完全性の中枢様式を帯びている。実際には、本部世界すべてが、楽園のようである。それらは、確かに天の住まいであるし、ジェルーセムから中央の小島までの物理的規模、モロンチアの美、および精霊の栄光は増大しているのである。また、これらの本部世界の全衛星が建築球体である。
様々な本部世界には、有形無形の創造のあらゆる局面が与えられている。物質の、モロンチアの、精霊の全種類の存在体が、宇宙のこれらの待ち合わせの世界の家にいる。創造物が、物質的領域から精霊的領域へと通過して宇宙を昇るとき、自身の存在の前段階への敬意とその楽しみを決して失わ ないのである。
ジェルーセム、サタニアのあなたの地方体系の本部は、7個の変遷文化の世界をもち、これらの世界は、モロンチア拘留のための7大邸宅世界、つまり死後の人間の最初の住居がある7個の衛星に包囲されている。天国という用語がユランチアで使用されたとき、それは、時として第1大邸宅世界が第1の天国などと第7まで命名されてこれらの7個の大邸宅世界を意味してきた。
エデンチア、ノーラティアデクのあなたの星座本部には交流文化と訓練のための70個の衛星があり、上昇者は、ジェルーセムの訓練体制での人格の可動化、統一、および具現化の成就にあたりそこに滞在する。
サルヴィントン、ネバドンの首都であるあなたの地方宇宙は、それぞれが49個の球体からなる10個の大学集団に囲まれている。ここにおいて、人は、自分の星座段階における社会化の後に精霊的になるのである。
Uマイナー第3、あなたの小領域の本部エンサは、上昇者の生命のより高度の物理的研究の7個の球体に囲まれている。
Uメイジャー第5、あなたの主要領域の本部スプランドンは、超宇宙の前進する知的訓練の70個の球体に囲まれている。
ユヴァーサ、あなたの超宇宙であるオーヴォントンの本部は、上昇する意志をもつ創造物のための高度な精霊的訓練のより高度の大学にじかに囲まれている。驚異のこれら7個の各球体群は、時間の巡礼者がハヴォーナへの長い飛行準備に向けて再教育され再検討されるための宇宙訓練と精霊文化に従事するための何千もの完備された団体と組織を有する70個の特化された世界を有する。到着しつつある時間の巡礼者は、これらの関連世界にいつも受け入れられるが、出発しつつある卒業生はいつも直接にユヴァーサの岸からハヴォーナへ派遣される。
ユヴァーサは、およそ1兆の居住の、または居住可能な世界のための精霊活動の、そして行政の本部である。オーヴォントン首都の栄光、威風、および完全性は、時間-空間創造の驚きのいずれをも凌ぐ。
もし映し出された全地方宇宙と構成部分が構築されたならば、7超宇宙には5,000億に満たない建築世界があるであろう。
超宇宙の球体本部は、構成する地方宇宙へのエネルギーの方向づけの中心として機能し、様々な領域のための効果的な力-エネルギーの調整者として機能できるように構築されている。超宇宙の球体本部は、組織化された空間を循環する物理的エネルギーの調整と制御への強力な影響を発揮する。
一層の調節機能が、この明確な目的のために構成される生ける実体、また半生物の知力ある実体である超宇宙の力の中心と物理制御者により実行される。これらの力の中心と制御者は理解が困難である。下級の系列は、意志的ではなく、意向をもたず選択をすることもなく、その機能は、非常に知的ではあるものの高度に専門化された組織においては明らかに自動的であり固有のものである。超宇宙の力の中心と物理制御者は、グラヴィタ領域を包括する30の エネルギー体系の指示と部分的制御を担っている。ユヴァーサの力の中心に管理された物理-エネルギー回路は、超宇宙の包囲終了に9億6,800万年余りを要する。
進化するエネルギーには実体がある。重さは、回転速度、質量、および反重力により、常に相対的であるとはいえ、それには重さがある。物質の質量は、エネルギー速度を遅らせる傾向がある。また随所に呈するエネルギー速度は、通過中の質量に起こる遅延を差し引き、超宇宙の活発なエネルギー制御者の制御的機能と近くの非常に加熱されたか、大いに補填された本体の物理的影響をつけ加えた初期の贈与の速度である。
物質とエネルギー間の均衡維持のための宇宙的計画は、より少ない物質単位の永遠的作成と非作成を必要とする。宇宙の力の監督者には、変化するエネルギーの量を凝縮したり留め置いたり、または拡大したり解放する能力がある。
遅延の影響に十分な持続時間が与えられ、次の2要因がなければ、重力は、結局はすべてのエネルギーを物質に変換するであろう。物質は、第一には、エネルギー制御者の反重力の影響から、第2には、組織化された物質は、非常に熱い星に見つけられるある条件下や凝縮物質の非常に通電された冷たい本体近くの空間のある独特の条件下においては崩壊する傾向の理由で。
質量が凝集され過ぎるようになったり、エネルギーの均衡を損ねる、つまり物理的な力の回路を使い果たす恐れがあるとき、エネルギーを物質化し過ぎる重力自体の助長傾向が、空間の死の巨人の間での衝突の発生に敗れ、その結果、すぐさま重力の累積収集物を完全に消散しない限り、物理的制御者が介入する。物質の巨大な質量は、これらの衝突により突然稀有な型のエネルギーに変換され、普遍的均衡のための戦いが新たに始まる。やがて、より大きい物理的体系は安定化し、物理的に定着するようになり、超宇宙の均衡のとれた確立された回路へと振られる。この出来事の後、そのような確立された体系にはこれ以上の衝突 あるいは他の破壊的激変も起こらないであろう。
過剰エネルギー時代には、電気の発現に伴われた力の撹乱と熱の変動がある。過少エネルギー時代には、物質が集まり、凝縮したり、また、より微妙に釣り合った回路における制御がきかなくなる傾向があり、循環エネルギーとより具体的に安定した物質間の均衡を素早く復活させる結果に起こる潮の、あるいは衝突の調整を伴う。灼熱の太陽と空間の暗い島々のそのようなありうる動きを予測したり、別の方法で理解することは、天の星観察者の任務の1つである。
我々は、宇宙均衡を統治する法の大部分を認識し、宇宙の安定性に関し多くを予測できる。実際に、我々の予測は信頼できるが、我々はいつ でもエネルギー制御と物質反応についての我々の知る法則に完全には従わないある種の力に直面する。すべての物理的現象予測は、我々が宇宙において楽園から外側へと進む につれ、ますます難しくなる。我々が、楽園の支配者の個人的行政境界を越えるとき、近くの天文体系の物理的現象にだけ関係のある観測で確立された基準と得られた経験に基づく計算能力のなさに直面する。7超宇宙の領域においてでさえ、我々は、我々の全領域に瀰漫し、 外空間の領域全体に統一され均衡して広がる根源力とエネルギー反応の真っただ中に住んでいる。
我々が、遠くに行けば行くほど間違いなく絶対者と経験的神格の計り知れない臨場-挙行の特徴である変動的かつ予測し難い現象により確実に遭遇する。これらの現象は、万物の多少の普遍の総括的管理を暗示しているはずである。
オーヴォントンの超宇宙は、どうやら今ねじが止まりつつあるらしい。外宇宙は他に例を見ない今後の活動のためにねじを巻いているかのようである。中央のハヴォーナ宇宙は永遠に安定している。重力と、熱(冷たさ)の不在が、物質を組織しまとめている。熱と反重力は、物質を混乱させエネルギーを散らす。生きている力の監督者と力の組織者は、宇宙の作成、非作成、再作成である無限の変貌への特別な制御と知的な指示の秘密である。星雲は分散し、太陽は焼き尽くされ、体系は消え失せ、惑星は滅ぶかもしれないが、宇宙は衰弱しない。
楽園の普遍的回路は、実際に7超宇宙の領域全体に行き渡る。これらの臨場回路は次の通りである。宇宙なる父の人格重力、永遠なる息子の精霊的重力、連合活動者の心の重力、および永遠の小島の物質的重力。
楽園の普遍的回路に加え、また絶対者と経験的神格の臨場-実行に加え、超宇宙空間段階内においてはただ2つのエネルギー-回路区分、あるいは力の分離だけが機能する。超宇宙回路と地方宇宙回路。
超宇宙回路:
1. 楽園の主たる7精霊のうちの1つの統一的知性回路。そのような宇宙-心の回路は、単一の超宇宙に制限される。
2. 各超宇宙における7反射精霊の反射的-貢献回路。
3. 神秘訓戒者の秘密の回路、ディヴィニントン経由にて楽園の宇宙なる父に何らかの形で相互に関連して。
4. 自身の楽園なる息子との永遠なる息子の親交回路。
5. 無限の精霊の瞬間的臨場。
6. 楽園の放送、ハヴォーナの空間報告。
7. 力の中心と物理制御者のエネルギー回路。
地方宇宙回路:
1. 楽園の息子の贈与の精霊、贈与世界の慰安者。真実の精霊、ユランチアのミカエルの精霊。
2. 神性活動者の回路、地方宇宙の母なる精霊、あなたの世界の聖霊。
3. 地方宇宙の諜報-奉仕活動の回路、心-精霊の補佐のさまざまに機能している臨場を含む。
その個々の結合された回路が超宇宙のものとは区別がつかなくなるほどに地方宇宙におけるそのような精霊的調和が発展すると、すなわち、そのような機能の独自性と奉仕活動の一体性が確かに行き渡ると、地方宇宙は、すぐに超創造の完成統合の精霊的同盟者への仲間入りの資格が出来、すぐに光と生命の定着回路に向かって方向を変えるのである。日の老いたるものの協議会入会のための必要条件、超宇宙同盟者の構成員資格は次の通りである。
1. 物理的安定性。地方宇宙の星と惑星は平衡状態でなければならない。周辺の星の変成期間は終了しなければならない。宇宙は明確な進路上を進んでいなければならない。その軌道は安全に、最終的に定まらなければならない。
2. 精霊的忠誠心。そのような地方宇宙の問題を統括する神の君主たる息子への普遍的な認識と忠誠がなければならない。地方宇宙全体の個々の惑星、体系、星座との円満な協力態勢が生まれなければならない。
あなたの地方宇宙は、超宇宙の定着した物理的系列に属していると見なされてさえおらず、ましてや、超政府の認識された精霊的な家族の構成員資格を保持しているとは見なされてはいない。ネバドンにはいまだユヴァーサに代表がおらず、私が直接ユヴァーサからユランチアに来たように、超宇宙政府の我々は、時として緊急に特別任務でその世界に派遣される。我々は、難しい問題解決においてあなたの監督者と支配者にすべての可能な力を貸す。我々は、あなたの宇宙 が超宇宙家族の関連創造への完全な承認を得られることを願ってやまない。
超宇宙の本部は、時空の領域の高度の精霊的政府の中枢である。三位一体の協議会に起源をもつ超政府の行政府は、楽園権威の座に就き、無限の精霊の7 個の特別な世界、つまり楽園の一番はずれの衛星に配置されている7最高幹部を通して超宇宙を管理する最高監督の任にある主たる7精霊のうちの1名の直接的指揮を受ける。
超宇宙本部は、反射精霊と反射像の補佐の居所である。これらの驚異の存在体は、この中途の位置から途方もない各反射操作を行い、上の中央宇宙と下の地方宇宙への活動奉仕をする。
各超宇宙は、3名の日の老いたるもの、つまり超政府の共同最高幹部に統治される。その行政府における超宇宙政府の職員は、異なる7集団から成る。
1. 日の老いたるもの
2. 英知の遂行者
3. 神性顧問
4. 宇宙検閲官
5. 強力な使者
6. 権威の高いものたち
7. 名前と番号を持たないものたち
3名の日の老いたるものは、30億の神性顧問が関連する10億の英知の遂行者を有する部隊の直接的補佐をうける。宇宙の10億の検閲官は、各超宇宙行政に所属している。これらの3集団は、等位の三位一体の人格であり、楽園の三位一体に直接に神々しい起源がある。
残る3系列は、つまり強力な使者、権威高きものたち、名前と番号を持たないものたちは、栄光の上昇する人間である。これらの系列の1番目は、上昇訓練を 経て上って来てグランドファンダの時代にハヴォーナを通過した。楽園到達後、それらは、終局者部隊に召集され、楽園三位一体に迎え入れられ、次に、日の老いたるものの崇高な勤労に割り当てられた。これらの3系列は、二重の起源であるが、 今は三位一体の勤労に従事している1階級として、つまり功績の三位一体化の息子として知られている。超宇宙政府の行政機関は、進化世界からの栄光を浴し、完全にされた子らを含むようにこのように拡大されたのである。
超宇宙の等位の協議会は、先に名づけられた7行政集団と次のような領域支配者と局所監督者からなる:
1. 日の完全なるもの—超宇宙の主要領域の支配者
2. 日の若きもの—超宇宙の小領域の指揮官
3. 日の和合なるもの—地方宇宙の支配者への楽園助言者
4. 日の誠実なるもの—星座政府のいと高きものの支配者への楽園顧問
5. 超宇宙本部でたまたま勤務中であるかもしれない三位一体の教師たる息子
6. 超宇宙本部にたまたまいるかもしれない日の永遠なるもの
7. 反射像の7補佐— 7反射精霊の広報担当官と7反射精霊を通しての楽園の主たる7精霊の代表
反射像の補佐は、超宇宙政府で有力であるが、個々の能力においては現在のところ完全に活発ではない存在体の多集団の代表としても機能する。この集団は次の通りである。崇高なるものの超宇宙人格の進展的顕現、崇高なるものの無条件の監督者、究極者の条件付きの代理、威儀仙の連絡係である無名の反射するもの、および永遠なる息子の超人格精霊の代表。
必ず非創造物の全集団の代表を超宇宙の本部世界に見つけることはほぼ可能である。超宇宙の所定の奉仕活動は、強力な第二熾天使と無限の精霊の広大な家族の他の構成員により果たされる。普遍的生活のあらゆる球体の知力あるものは、超宇宙の行政、制御、奉仕活動、執行判断の驚異のそれぞれの中心の仕事において効果的勤労、賢明な行政、愛の奉仕活動、および正しい判断に結びついている。
超宇宙はいかなる種類の大使の代理も留め置かない。それらは完全に互いから孤立している。それらは主たる7精霊により維持される楽園の広報機関を通じてしか互いの事情を知らない。宇宙の創造の他の区域で何が生じているかに関わらず、それらの支配者は自身の超宇宙の福利のために神性の英知の協議組織で働いている。超宇宙のこの孤立は、それらの協調が進化している経験的崇高なるものの人格-主権のより完全な事実化により達成されるそのような時まで持続するであろう。
完全性の独裁政治の代表と進化の民主主義の代表が面と向かい会うのはユヴァーサのような世界においてである。超政府の行政部門は完全性の領域で始まる。立法部門は進化的宇宙の開花を端緒としている。
超宇宙の審議会は、本部世界に限られている。この立法上の、または、顧問の機関は、7議会から成り、超宇宙協議会に認められたどの地方宇宙も1名の出身代表者を各7議会に選出する。これらの代表は、ハヴォーナへの輸送を許されたユヴァーサに滞在中のオーヴォントン上昇の巡礼者の卒業生の中からそのような地方宇宙の高等協議会により選ばれる。勤労平均期間は、超宇宙標準時のおよそ100年である。
私は、いまだかつてオーヴォントン幹部とユヴァーサ審議会との意見の相違を知らない。超政府の行政部門が、実行することさえためらった提案を通過した審議会というものは、我々の超宇宙の歴史においてこれまでのところまだない。最も完全な調和と労働協定がいつも行き渡ってきた。このすべてが、進化の存在体は、完全な起源の人格と神性とを調和する資格を与える完成された知恵の高さに本当に達することができるという事実を証明する。超宇宙本部における審議会の臨場は、宇宙なる父と永遠なる息子に関する広大な進化の概念全体からの知恵を明らかにし、また究極の勝利を予示する。
我々がユヴァーサ政府の行政と審議会と言えば、あなたは、ユランチアの民間政府のある種の型との類推から我々が3番目の、または司法機関を持たなければならないと推論するかもしれないし、我々はそうする。しかし、それには別個の要員はいない。我々の法廷は以下のように構成される。状況の性質と重大さに応じて、日の老いたるもの、英知の遂行者、または神性顧問が議長を務める。個人、惑星、体系、星座、または宇宙にとっての証拠、または反証は、検閲官により提示され解釈される。時間と進化の惑星の子供の防衛は、強力な使者、地方宇宙と体系への超宇宙政府の公式監視員により提供される。より高度の政府の態度は権威高きものたちにより描写されている。また通常、評決は、審議 会から選ばれた理解ある人格集団と名前と番号を持たないものたちとの同数で成る規模の異なる委員会によりまとめられる。
日の老いたるものの法廷は、全構成宇宙の精霊的な裁決のための高等再審裁判所である。地方宇宙の君主たる息子は、自身の領域において最高である。地方宇宙の君主たる息子は、意志の創造物の消滅にかかわる事柄を除き、日の老いたるものによる協議または裁決のために自発的に案件を提出する限り超政府に従属する。裁きの命令は、地方宇宙に源を発するが、意志の創造物の消滅に絡む判決は、つねに超宇宙本部においてまとめられ、そこから執行される。地方宇宙の息子は人間の生存を命じることができるが、ただ日の老いたるものだけが永遠の生と死の問題に執行裁決を下すことができる。
日の老いたるもの、またはその准共同者が、裁判、つまり証拠提出を必要としない全てにおいて判決を言い渡し、また、これらの判決はいつも満場一致である。我々は、ここで完全性の協議組織を論じている。これらの最高の、最上級の裁決機関の判決には意見の相違も少数派意見もない。
超政府は、まれにある種の例外はあるものの各領域の万事万物を管轄する。日の老いたるものの意見と関与する超宇宙の将来の目的を統括する楽園からの主たる精霊の意見の一致を示すので、超宇宙当局の裁定と決定は上告できない。
主要領域は、超宇宙のおよそ1∕10を構成し、100の小領域と1万の地方宇宙、およそ1,000億の居住に適した世界から成る。これらの主要領域は、3名の日の完全なるもの、崇高なる三位一体の人格に統治されている。
日の完全なるものの法廷は、領域での精霊的な判断を下さないことを除いては、日の老いたるもののそれのように構成されているのである。これらの主要領域の政府の仕事は、主として広範囲の創造の知力の状態と関係がある。主要領域は、日の老いたるものの法廷に報告に向けてすぐさま領域の精霊的行政に、あ るいは楽園支配者の人間-上昇計画の完遂に関係しない型通りの行政上の性質に重要な超宇宙の問題すべてを留めおき、免じ、表にする。主要な領域の政府職員は、超宇宙のそれとは異ならない。
ユヴァーサの壮大な衛星がハヴォーナへのあなたの最終的な精霊的準備に取り組むように、Uメイジャー第5の70個の衛星も、超宇宙におけるあなたの知力の訓練と発達に全力を尽くすのである。弛みなく働く賢明 な存在体が、時間の必滅者を全オーヴォントンから永遠の経歴へと一層の進歩にむけて準備させるために集められる。上昇する人間のこの訓練の大部分が70個の研究世界で行われる。
小領域の政府は3名の日の若きものにより統括される。その行政は、主に構成する地方宇宙行政の物理的制御、統一、安定化、および日常的調整に関係がある。各小領域は、100の地方宇宙、1万の星座、100万の体系、またはおよそ10億個におよぶ居住に適した世界を有する。
小領域の本部世界は、熟練した物理制御者の壮大な集合場所である。これらの本部世界は、超宇宙の入り口にあたる最初の学校を構成し、宇宙の中の宇宙に関係する物理と管理に関する知識のための訓練の中心である7個の教育球体に囲まれている。
小領域政府の行政者は、主要領域支配者の直接的支配権下にある。日の若きものは、三位一体の観察者、そして助言者として地方宇宙の本部球体に配置される日の和合なるものから、また星座の本部において同様にいと高きものの協議会に所属する日の誠実なるものから超宇宙に上がってくるすべての観測報告を受け取るし、すべての推薦を調整する。そのような報告すべてが、主要領域の日の完全なるものに伝えられ、続いて日の老いたるものの法廷に回される。こうして三位一体政権は、地方宇宙の星座から超宇宙本部に広がってある。地方体系本部には三位一体の代表はいない。
7超宇宙の発展において繰り広げられつつある主要目的が、7件ある。超宇宙発展における各主要目的は、7超宇宙のそれぞれに唯一最大限に現れるであろうし、各超宇宙には特別な機能と独自の本質がある。
あなたの地方宇宙が属するオーヴォントン、つまり第7超宇宙は、主には領域の人間にへの慈悲深い奉仕活動からの著しく、しかも惜しみない贈与により知られている。正義は、慈悲により和らげられるとき行き渡り、力は、忍耐により条件づけられるとき支配する様式で知られており、一方時間の犠牲は、永遠の安定化を惜しげなく保証される。オーヴォントンは愛と慈悲の宇宙の実証である。
しかしながら、オーヴォントンにおいて展開している進化の目的の本質についての我々の概念の説明はとても難しいものであるが、我々は、この超創造に関し宇宙発展の特異な6個の目的が、6個の関連した超創造に表されるように全体の意味に相関的にここにあると感じると言うことを提唱できるかもしれない。そして、我々は、この理由から、崇高なる神の進化され完成された人格化が、全能主権の全経験に基づく威厳において完成された7超宇宙を遠い将来にユヴァーサから統治すると時々推測してきた。
オーヴォントンは本質的に特異であり、目標においては個別であるように、6個の関連する各超宇宙も同様である。しかしながら、オーヴォントンで起きている多くは、あなたには明らかにされないし、オーヴォントンの生命のこれらの非啓示の特徴の多くは、他のいくつかの超宇宙において大部分が完全に現れるはずである。超宇宙発展の7個の目標が、全7超宇宙で達成されようとしているが、超創造のそれぞれは、これらの目標の中の唯一つに最もよく現れるであろう。これらの超宇宙目標に関しさらに理解するためには、あなたが理解していない多くが明らかにされなければならないであろうし、その場合でも、あなたは、少ししか理解しないであろう。この報告全体は、あなたの世界と地方体系の一部分である膨大な創造の一瞥の提示にすぎない。
あなたの世界はユランチアと呼ばれ、それはサタニアの惑星群、または体系の606番である。この体系には、現在のところ、619の生息世界があり、200以上の追加惑星は、いつか将来に生息世界になることに向けて発展している。
サタニアにはジェルーセムと呼ばれる本部世界があり、それはノーラティアデクの星座体系24番である。あなたの星座であるノーラティアデクは、100の地方体系から成り、エデンチアと呼ばれる本部世界を持っている。ノーラティアデクは、ネバドンの宇宙の中の70番である。ネバドンの地方宇宙は、100の星座から成り、サルヴィントンとして知られる首都を持つ。ネバドンの宇宙は、小領域エンサの84番である。
エンサの小領域は100の地方宇宙から成り、Uマイナー第3と呼ばれる首都を持つ。この小領域はスプランドンの主要領域の3番である。スプランドンは100の小領域から成り、Uメイジャー第5と呼ばれる本部世界を持つ。それはオーヴォントンの超宇宙の5番目の主要領域、すなわち壮大な宇宙区分7番目である。あなたは、このようにして宇宙の中の宇宙の組織と行政の計画において自分の惑星の場所を定めることができる。
壮大な宇宙のあなたの世界であるユランチアの番号は、5兆3,424億8,233万7,666番である。それはユヴァーサと楽園の登録番号であり、生息一覧のあなたの番号である。私は物理-球体の登録番号を知っているが、それは、それほどまでに並はずれた大きさであるので人間の心に実用的な意味を持ちはしない。
あなたの惑星は、途方もない宇宙の一部分である。あなたは、ほとんど無限大の家族に属しているが、あなたの球体は、まるで全存在のなかの唯一の生息界と同程度に的確に治められ同程度に愛情を込めて育てられているのである。
[ユヴァーサ出身の宇宙検閲官による提示]
楽園の主たる7精霊は無限の精霊の第一人格である。無限の精霊は、自己複製のこの七重の創造的行為において神格の3人格の実際の存在に数理的固有である結合の可能性を使い切った。より多くの主たる精霊を産することが可能であったならば、創出されていたことであろうが、3名の神格には、ちょうど7つの、そしてたった7つの結合しやすい可能性が ある。そして、これが、宇宙がなぜ7つの壮大な部分で操作されるのか、なぜ第七がその組織と行政においておおむね基本的であるかを説明しているのである。
主たる7精霊は、その結果、次の類似する7つに起源があり、そこからそれぞれの個々の特性を得る:
1. 宇宙なる父
2. 永遠なる息子
3. 無限の精霊
4. 父と息子
5. 父と精霊
6. 息子と精霊
7. 父、息子、精霊
我々は、主たる精霊の創造における父と息子の機能に関してあまり知らない。明らかに、それらは無限の精霊の個人的行為により存在にいたったのではあるが、我々は父と息子の両者がそれらの起源に参加したということを明確に教示されてきた。
楽園のこれらの7精霊は、精霊の特徴と資性において一つであるが、他のすべての側面における独自性は極めて異なっており、超宇宙における各機能の成果は、個々の違いが紛れもなく認識できるというそのようなものである。壮大な宇宙の全7区分の後計画は—外空間の7相関区分で さえも—崇高的かつ究極的指揮のこれらの主たる7精霊の別の精霊的多様性により条件づけられてきた。
主たる精霊には多くの機能があるが、現在のところ、その特定分野は、7超宇宙の中央の指揮である。各主たる精霊は、巨大な力-焦点の本部を維 持し、本部は、直接指揮の超宇宙の反対側に、また、専門化しているその力の制御と部分エネルギー分配の楽園の中心にいつも位置を維持しつつ楽園の周辺を回っている。超宇宙のうちのいずれか1つの放射状の境界線も、監督している主たる精霊の楽園本部に実際に集まるのである。
連合創造者、無限の精霊は、三位一体の分割されない神格の人格化の完成に必要である。この三重神格の人格化は、本質的に個々の、そして結合しやすい表現の可能性において七重である。したがって、知的で潜在的に精霊的な存在体が生息する宇宙創成のその後の計画は、父、息子、および精霊を適正に表現する主たる7精霊の人格化を不可避にした。我々は神の三重の人格化を絶対必然性として話すようになり、加えて主たる7精霊の到来を準絶対的必然性 と見なすようになった。
主たる7精霊は、三重の神格をほとんどあらわにしていないが、それらは、七重の神格の永遠の描写、つまり3人格が絶えず存在する神格の活発で結合しやすい機能であ る。これらの7精霊により、これらの7精霊の中に、またこれらの7精霊を介して、宇宙なる父、永遠なる息子、あるいは無限の精霊、またはどの2者関係もそういうものとして機能することができる。父、息子、精霊がともに行動するとき、それらは三位一体としてではなく、主たる精霊第七号を通して機能できるし、機能する。主たる精霊は、三位一体ではなく、集合体ではなく、一つの、そして幾つ かの、ありとあらゆる可能な神格機能を、個々に、集合的に表す。主たる精霊第七号は、楽園三位一体に関しては個人的に非機能的であり、また、これこ そが、崇高なるもののために個人的に機能することができる理由である。
主たる7精霊が、個人的権力と超宇宙権威の個々の政権の座を空け、楽園神格の三位一体の前で連合活動者の周りに集合するとき、発展する宇宙への、またその中の分割されない神格—三位一体—の機能的な力、英知、および権威をすぐさま集合的に代表しているのである。神格の第一の七重の表現のそのような楽園統合は、崇高性と終局性の中の永遠の神格三者の属性と態度のすべてを実際に抱擁しており、文字通り取り囲んでいる。たちどころに、主たる7精霊は、主たる宇宙での崇高者-究極者の機能領域を事実上すべての実用的な趣旨および目的を包含する。
これらの7精霊は、我々が理解できる限りでは、神格の3名の永遠の人格の神性活動に関係している。我々は、絶対者の永遠の3局面の機能的臨場との何の直接的関連の徴候も発見しない。主たる精霊は、結合するとき、動作の有限領域として大まかに考えられるかもしれない点において楽園の神格の代理をする。それは、究極であるもの、しかし、絶対でないものを多く包含するかもしれない。
永遠で最初の息子が、絶えず増加する神格の息子の人格を通して明らかにされるのと同様に、無限で神性の精霊も、主たる7精霊とその関連する精霊集団の経路で明らかにされる。中心圏の真ん中では無限の精霊には近づきやすいが、楽園に達するもの全員が、無限の精霊の人格と分化された臨場をすぐに識別できるというわけではない。しかし、中央宇宙に達するもの全員は、到着したばかりの宇宙の巡礼者がくる超宇宙を統治する主たる7精霊の1名とすぐに親しく交わることができるし、また交わったりする。
楽園なる父は、楽園なる父と息子が無限の精霊を通してのみ連合的に行動する一方で、宇宙の中の宇宙へはただ息子を介してのみ話す。無限の精霊は、楽園とハヴォーナの外においては、主たる7精霊の音声によってのみ話す。
無限の精霊は、楽園-ハヴォーナ体系内に人格臨場の影響を及ぼす。他の場所では、無限の精霊の個人的精霊臨場は、主たる7精霊の1者により、また1者を通して行使される。したがって、いかなる世界における、あるいは個人の中の第三根源と中枢の超宇宙の精霊の臨場は、その創造区分の監督上の主たる精霊の特異な本質により条件づけられるのである。逆に、精霊根源力と知性の結合線は、主たる7精霊を経て神格の第三人格へと内部に進む。
主たる7精霊は、第3根源と中枢の崇高-究極の属性を与えられている。各々が個別にこの授与を分かち合うとはいえ、主たる7精霊は、共同的に行動するときにのみ全能、全知、遍在の属性を明らかにする。したがって、主たる7精霊のうちの何れといえどもあまねく機能することはできない。個人として、至高性と終局性のこれらの力の行使において個人としては各自が直接指揮の超宇宙に制限されている。
連合活動者の神性と人格に関してあなたに伝えてきたすべてが、神の贈与に従い、それぞれ異なる、しかも個々に特異な資質において壮大な宇宙の7区分に無限の精霊を非常に効果的に分配している主たる7精霊に同様に完全にあてはまる。したがって、無限の精霊の名前のいずれかを、あるいはすべてを7者の共同集団に当てはめるのは適切であろう。集合的に、それらは、準絶対の全段階において連合創造者と一つなのである。
主たる7精霊は、筆舌に尽くし難い存在であるが、はっきりと、明らかに確かに精霊的である。それぞれに名前があるが、我々は、それらを番号で紹介することとする。無限の精霊の第一の人格化として、それらは同種であるが、三位一体の神格の7つの可能な関係の第一の表現としては、資質の点においては本質的に異なり、資質のこの多様性が超宇宙における行為の差異を決定する。これらの主たる7精霊は次のように説明できるかもしれない。
主たる精霊第一号。この精霊は、特別な方法で楽園なる父の直接表現である。主たる精霊第一号は、宇宙なる父の力、愛、英知の独特かつ効率的顕現である。主たる精霊第一号は、神秘訓戒者、ディヴィニントンの人格化された調整者の専門大学を統括するその存在体の、長官の親しい仲間であり、崇高な助言者である。主たる7精霊のすべての関係において、いつも宇宙なる父を代表して話すのは、主たる精霊第一号である。
この精霊は、よりいっそう特に性格の点においては宇宙なる父に似ているとはいえ、無限の精霊の第一の人格化の神性を示し第一超宇宙を統括している。この精霊は、いつも最初の超宇宙本部の7反射精霊とつねに個人的なつながりをもつ。
主たる精霊第二号。この精霊は、永遠なる息子の、全創造の長子の無類の資質と魅力ある性格を適切に表している。神の息子らが個人として居住宇宙に、あるいは楽しげな秘密会議にたまたまいるかもしれないときは常に、神の息子らの系列と常に親密に交流している。主たる精霊第二号は、主たる7精霊の全審議会において永遠なる息子を代弁し、また永遠なる息子を代表して話す。
この精霊は、超宇宙第二号の未来の目標に導き、永遠なる息子がするであろうようにこの広大な領域を支配する。超宇宙第二号の首都に位置する7反射精霊とつねにつながりをもつ。
主たる精霊第三号。この精霊人格は、無限の精霊に特に類似しており、無限の精霊の高い人格の多くの活動と仕事を指揮する。主たる精霊第三号は、審議会を統括し、第3根源と中枢に起源を取るすべての人格と密接に関わりをもつ。主たる7精霊が会議にあるとき、つねに無限の精霊を代表して話すのは、主たる精霊第三号である。
この精霊は、超宇宙第三号を担当しており、無限の精霊がするであろうようにこの領域の問題を処理する。この精霊は、第三超宇宙の本部の反射精霊とつねにつながりをもつ。
主たる精霊第四号。父と息子の結合資質を分かち合うこの主たる精霊は、主たる7精霊の協議会における父-息子の方針と手順に関しての決定的影響者である。この精霊は、無限の精霊に達し、その結果、息子と父を見る候補になった上昇存在体の主席指揮官であり助言者である。この精霊は、父と息子に起源を取るその巨大集団の人格を育てる。主たる7精霊のつながりにおいて父と息子の代表が必要となるとき、いつも話すのは、主たる精霊第四号である。
この精霊は、宇宙なる父と永遠なる息子の属性の独特の関係に従って壮大な宇宙の第4番区分を伸ばしている。この精霊は、第4超宇宙の本部の反射精霊とつねに個人的なつながりをもつ。
主たる精霊第五号。宇宙なる父と無限の精霊の性格を極めてすばらしく混合するこの神性人格は、力の指揮官、力の中枢、および物理制御者として知られる存在体のその巨大集団の助言者である。また、この精霊は、父と連合活動者に起源を取るすべての人格を育成している。父-精霊の態度に問題があるときに主たる7精霊の協議会において話すのは、つねに主たる精霊第五号である。
この精霊は、宇宙なる父と無限の精霊の結合活動を示すようにそのような方法において第5超宇宙の福利を導く。この精霊は、第5超宇宙の本部の反射精霊といつもつながりをもつ。
主たる精霊第六号。この神性存在体は、永遠なる息子と無限の精霊の結合性格を演じているようである。共同で息子と精霊に創出された創造物が、中央宇宙に集まるときはいつでも、その助言者であるのはこの主たる精霊である。また、主たる7精霊の協議会において永遠なる息子と無限の精霊について共同して話すことが必要になるときはいつでも、対応するのは主たる精霊第六号なのである。
この精霊は、永遠なる息子と無限の精霊がするであろうように第6超宇宙の諸事を指揮する。この精霊は、いつも第6超宇宙の本部の反射精霊とのつながりにある。
主たる精霊第七号。第7超宇宙を主宰する精霊は、宇宙なる父、永遠なる息子、そして無限の精霊の比類なく等しい描写である。第七精霊、三位一体起源の全存在体を養育する助言者もまた、父、息子、精霊の結びつけられた奉仕活動を介して栄光の宮中に達したそれらの下級の存在体であるハヴォーナの上昇巡礼者の助言者であり指揮者である。
主たる7精霊は、楽園三位一体を組織的に代表しているのではない。しかし、連合活動者が描くその神格統合が楽園の三位一体であり、その機能がそういうものとして崇高なる神の個人的かつ精霊的な本質の源である同比率の3名の無限の人格の肖像画が、主たる7精霊の個人的かつ精霊的な本質であることは周知の事実である。したがって、第七主たる精霊は、進展している崇高者の精霊人格との個人的かつ組織的な関係を明らかにする。したがって、天の主たる精霊協議会において、父、息子、あるいは精霊の人格的な結合された態度への投票、あるいは崇高なる精霊の精霊的態度の描写が必要になるとき、機能するのは主たる精霊第七号である。その結果、主たる精霊第七号は、主たる7精霊の楽園協議会の議長になる。
7精霊のうちのいずれも楽園の三位一体を組織上代表してはいないが、それらが七重の神格に結合させるとき神性的意味における—人格的意味ではなく—この統合は、三位一体機能に関連しうる機能的段階に等しい。この意味において「七重の精霊」は、楽園の三位一体と機能上関連している。これはまた、主たる精霊第七号が、時として三位一体の態度の確認のために話す、あるいは、むしろ、三重の-神格-統合の態度に関して七重の-精霊-統合の態度の広報官として行動するという意味においてもである。
その結果、主たる第七精霊の多彩な機能は、父、息子、精霊の人格的特質の結合描写から崇高なる神の人格的態度の表現を経て、楽園の三位一体の神格態度の公開にまで及ぶ。主宰するこの精霊は、ある点において同様に究極者の態度と崇高者-究極者の態度について表現している。
複合能力において、崇高性の分割されない神格の理解への達成を試みる時間の世界からの上昇候補の進歩を個人的に後援するのは、主たる精霊第七号である。そのような理解は、崇高性の三位一体の実存的主権の把握を伴い、その把握は崇高なるものの増加している経験に基づく主権の概念に調整されるほどに崇高性の統一についての創造物の把握を構成する。これらの3要素の創造物の実現は、三位一体現実についてのハヴォーナの理解を等しくし、ついには、三位一体に入り込むための、神格の3人格を発見するための能力を時間の巡礼者に授ける。
完全に崇高なる神を見つけるハヴォーナ巡礼者の力の無さは、そのような独特の方法による三位一体の本質が崇高者の精霊人格の天啓である第七の主たる精霊によって補われる。崇高者の人格の接触不可能性の現宇宙時代に、主たる精霊第七号は、個人的な関係の問題に関し上昇の創造物の神の立場で機能する。すべての上昇者は、いつ栄光の中心圏に達するかを認識し、いくらか理解することが確かである唯一の高位の精霊体である。
この主たる精霊は、ユヴァーサとの、つまり我々自身の創造の区分である第7超宇宙の本部の反射精霊とつねにつながりをもつ。オーヴォントンの行政は、父、息子、精霊の同等の神性融合からの驚異的対称を明らかにする。
主たる7精霊は、進化宇宙への無限の精霊の完全な表現である。主たる7精霊は、エネルギー、心、および精霊の関係において第3根源と中枢を表す。連合活動者の宇宙行政管理の調整長として機能しているとはいえ、主たる7精霊には楽園神格の創造的行為においてそれらの起源があるということを忘れてはいけない。これらの7精霊が、三位一体の神格、「宇宙全体に送り出された神の7精霊」の人格化された物理的な力と、宇宙心と、精霊的臨場であるということは文字通り本当である。
主たる精霊は、絶対を除外すれば、宇宙の現実の全段階において機能するという点において特異である。それゆえ、主たる精霊は超宇宙活動の全段階における行政事務の全局面の効率的で完全な監督である。主たる精霊の仕事は、高度に専門化され、なおかつすべてを抱擁し、例外的に物質的であり、同時に非常にすばらしく精霊的であるがゆえに、主たる精霊に関しての理解は、人間の心には難しい。宇宙心のこれらの万能の創造者は、宇宙の力の監督者の先祖であり、彼ら自身が、広大かつ広範囲におよぶ精霊-創造物の創造の最高指揮官である。
主たる7精霊は、壮大な宇宙の物理的エネルギーの組織、制御、および調整に不可欠の実体である宇宙の力の監督者とその仲間の創造者である。そして同じ主たる精霊は、地方宇宙を形成し組織化する仕事においてまさに物質的に創造者たる息子を補佐する。
我々は、主たる精霊の宇宙-エネルギーの作業と無条件絶対者の根源力の機能の間のいかなる個人的なつながりも辿ることができない。主たる精霊の司法下におけるエネルギー顕現のすべては、楽園周辺から指示されている。主たる精霊は、いかなる直接方法においても楽園の下表面と同一視される根源力の現象に関連づけられているようには見えない。
様々なモロンチアの力の監督者の機能的な活動に出会うとき、紛れもなく、我々は、主たる精霊の明らかにはされていないある活動の幾つかと直面している。物理的制御者と精霊奉仕活動者双方のこれらの先祖を別として、誰が、宇宙現実のこれまで実在しない局面を作り出すほどに物質エネルギーと精霊エネルギーを結合し、関連づけることを考案することができたであろうか。—モロンチア物質とモロンチア心。
精霊界の現実の多くは、ユランチアには完全に未知の宇宙現実の位相であるモロンチア系列のものである。人格存在の目標は、精霊的であるが、必滅の起源の物質的領域と前進する精霊的状況の超宇宙球体間の架け橋をしてモロンチア創造につねに介入する。主たる精霊が、人の楽園の上昇計画に大きく貢献をするのがこの領域においてである。
主たる7精霊には、壮大な宇宙の至るところで機能する人格代表者がいる。だが、これらの従属存在体の大多数は、楽園完全性の行く手に人間の前進の上昇計画に直接関係がないので、それらに関してわずかしか、または何も明らかにはされていない。あなたの楽園上昇の問題に決して直接には関係しないので主たる7精霊の多くの、非常に多くの活動が、人間の理解からは隠されたままである。
我々は確たる証拠を提供することはできないが、オーヴォントンの主たる精霊は、次の活動範囲において紛れもない影響を与えるという公算が高い。
1. 地方宇宙の生命運搬者の生命-開始の手順。
2. 地方宇宙の創造の精霊により世界に与えられた心-精霊の補佐の人生起動。
3. 組織化物体の線形-重力の反応体により示されるエネルギー顕現における変動。
4. 無条件絶対者の握りから完全に解放され、その結果、線重力の直接的影響と宇宙の力の監督者とその仲間の操作に反応するようになるときの発生エネルギーの動き。
5. ユランチアでは聖霊として知られている地方宇宙の創造の精霊の奉仕活動の贈与。
6. ユランチアでは慰安者、または真実の精霊と呼ばれる贈与の息子の聖霊のその後の贈与。
7. 地方宇宙と超宇宙の反射の仕組み。この並はずれた現象に結びつく多くの特徴は、連合活動者と崇高なるものと関連する主たる精霊の活動を仮定せずには、ほとんど正当に説明できないし、または、合理的には理解できない。
主たる7精霊の多様な作業についての我々の適切な理解への失敗にもかかわらず、我々は、それらがすべき何もない宇宙活動の広大な範囲に2領域があると確信している。思考調整者の贈与と奉仕活動、そして、無条件絶対者の計り知れない機能。
壮大な宇宙の各部分、つまりそれぞれの宇宙と世界は、あらゆる主たる7精霊の統一した助言から、そして英知からの利益を受けているものの、ただ1名の主たる精霊の個人的な接触と色合いを受ける。そして、各主たる精霊の人格的特徴は、自身の超宇宙全体に広がり他に類をみせない超宇宙を決定づける。
主たる7精霊のこの個人的な影響により、楽園とハヴォーナ以外の知的存在体の全系列に属する全創造物は、これらの楽園の7精霊のうちの誰かの先祖の性質からの個体性を示す個性ある烙印を付されなければならない。7超宇宙に関しては、それぞれの土着の創造物、人間もしくは天使は、出生識別のこの印をいつまでも有するであろう。
主たる7精霊は、進化の空間世界において直接的には個々の創造物の物質的な心に入り込まない。ユランチアの必滅者は、オーヴォントンの主たる精霊からの心-精霊の影響からくる個人的臨場を経験しない。もしこの主たる精霊が、生息界の初期の進化の時代に個々の人間の心とのなんらかの接触を成し遂げるとするならば、それは、地方宇宙の創造の精霊の奉仕活動を、つまり各地方創造の将来の目標を統括する神の創造者たる息子の配偶者、および仲間の奉仕活動を通じて起こらなければならない。しかし、他ならぬこの創造の母なる精霊は、本質と性格においてオーヴォントンの主たる精霊によく似ている。
主たる精霊の物理的烙印は、人の物質的起源の一部である。モロンチア経歴全体は、この同じ主たる精霊の継続的影響下で送られる。そのような上昇する人間のその後の精霊的経歴が、決してこの同じ監督精霊の個性ある烙印を完全に根絶するというわけではないということは、奇妙とは言い難い。主たる精霊の押印は、人間上昇のあらゆる前ハヴォーナ舞台のほかならぬその存在の根幹をなすのである。
各超宇宙に特有であり、また支配している主たる精霊の本質を直接表わす特色ある進化的人間の人生経験において示される人格の傾向は、決して完全に削除されているわけではない。そのような上昇者が、ハヴォーナの10億の教育球体における長い訓練や統一的規律の従属対象の後でさえも。その後の強烈な楽園文化さえも、超宇宙起源の目印を根絶するには十分ではない。上昇する人間は、全永遠にわたり、出身超宇宙を統括する精霊を暗示する特色を表すであろう。終局者部隊においてさえ、進化的創造との完全な三位一体関係に到着したり、あるいはそれを描くことが必要とされるとき、各超宇宙からの1名ずつの7終局者の一団が常時構成されるのである。
主たる精霊は、宇宙心の七重の源、すなわち壮大な宇宙の知力の可能性である。この宇宙心は、第3根源と中枢の心の準絶対的なものの顕現であり、ある意味においては、発展している崇高なるものの心に機能上関係している。
我々は、ユランチアのような世界においては、主たる7精霊の人類の諸事に関しての直接的影響に巡り合わない。あなたは、ネバドンの創造の精霊の直接的影響下に生きている。にもかかわらず、これらの同じ主たる精霊は、時間と空間の進化世界に居住する個人の人生における機能のために地方宇宙において専門化されてきた知的で精霊的な可能性の実際の源であるので、すべての創造物の心の基本的な反応を支配している。
宇宙心の事実が、様々の型の人間の、また超人的な心の関連を説明する。同類の精霊が互いに引きつけられるだけではなく、同類の心もまた非常に兄弟的であり、互いに協力へと傾いている。人間の心に驚異的な類似性と不可解な協定が同じ経路内で生じているのが時々観測される。
「現実反応」と呼べるかもしれない特質が、宇宙心のすべての人格関係に存在する。意志の創造物を科学、哲学、宗教の黙示の演繹的仮定の無力な犠牲者になることから救うのは、意志の全創造物へのこの宇宙の授与である。宇宙心のこの現実に対する感度は、ちょうどエネルギー-物質が重力に反応するように現実のある局面に反応する。したがって、超物質現実が宇宙の心に応じると言うのはなおさら正しいであろう。
宇宙心は、絶えず宇宙現実の3段階において反応する(反応を認識する)。これらの反応は、明確な理由づけと深い思考の心に自明である。これらの現実の段階は次の通りである。
1. 原因—肉体感覚の現実領域、論理の画一性の科学的分野、事実の、および非事実の区別、宇宙反応に基づく内省的結論。これは宇宙識別の数学的な形である。
2. 義務—哲学分野での道徳の現実領域、理由の領域、相対的善悪の認識。これは宇宙識別の司法的な形である。
3. 崇拝—宗教経験に属する現実の精霊的領域、神性連帯の人格的認識、精霊価値の認識、永遠の生存の保証、神のしもべの身分から神の息子の喜びと自由への昇進。これは宇宙心の最も高い洞察、宇宙識別の敬虔で信心深い形である。
これらの科学的、道徳的、かつ精霊的洞察、すなわち、これらの宇宙反応は宇宙心に先天的であり全創造物に授けられる。生きる経験は決して宇宙のこれらの3洞察の開発を妨げない。宇宙の3洞察は、反射的思考の自意識を構成する。しかし、ユランチアのほんのわずかな人々しか、勇敢で自立的な宇宙思考のこれらの特質の育成を喜ばないと記録するのは悲しいことである。
宇宙心の3洞察は、地方宇宙の心の贈与において人が合理的で自意識の強い人格として科学、哲学、宗教の分野において機能することを可能にする推測的仮定を構成する。言い換えれば、無限者のこれらの3顕現の現実への認識は、自己顕示の宇宙手段によってである。物質-エネルギーは、感覚の数学論理により認識される。心-理由は、その道徳上の義務を直観的に知っている。精霊-信仰(崇拝)は、精霊的経験の現実からの宗教である。反射的思考におけるこれらの基本的3要素は、人格開発において統一され、調整されるかもしれないか、もしくは、各機能において不均衡になり、実際には関係なくなるかもしれない。しかし、基本的3要素が統一されるようになると、事実に基づく科学、道徳哲学、および真の宗教経験の相関関係になる強い性格を生み出す。そして、物、意味、価値における、またそれらとの人の経験に客観的妥当性、現実を与えるのは、これらの宇宙3洞察なのである。
人間の心のこれらの生得的資質を伸ばし際立たせることが、教育の目的であり、それらを表現することが文明の目的、それらを実現することが人生経験の目的、それらを高めることが宗教の、またそれらを統一することが人格の目的である。
知性だけで徳性を説明することはできない。道徳(徳)は、人間の人格に生来のものである。道徳的直観、つまり義務の認識は、人間の心の授与の要素であり、人間性に属する他の種類の奪うことのできないものに関連している。科学的好奇心と精霊的洞察。人の精神構造は、いとこにあたる動物のそれをはるかに凌いではいるものの、人間を動物の世界から特に際立たせているのは道徳的性質と宗教的性質である。
動物の選択的反応は、行動の運動段階に限定されている。より高等の動物の想定的洞察は、運動段階にあり、通常は試行錯誤の経験後にのみ起こる。人はすべての探査、あるいは実験に先立つ科学的、道徳的、精霊的な洞察を働かせることができる。
ただ人格だけが、それをする前にそれが何をしているかを知ることができる。人格だけに、経験に先立つ洞察力がある。人格は、跳ぶ前に見ることができ、それゆえ跳ぶことからはもとより見ることからも学ぶことができる。通常、非人格の動物は、単に跳ぶことによってのみ学ぶ。
動物は、経験の結果として目標に至る異なる方法を吟味したり、蓄積した経験にもとづく接近を選択できるようになる。しかし、人格は、目標自体を調べたり、その価値性、つまりその価値に判定を下すことなどもできる。唯一知性のみが、無差別の目標を達成する最良手段について識別できるが、道徳的行為者は、手段の中のみならず目的の中からも識別できるようにする洞察力を持ち合わせている。そして、道徳的行為者は、それでもなお徳を選ぶことにおいて知力に優れている。道徳的行為者は、自分が何をしており、なぜそれをしているのか、どこに行っているのか、またいかにそこに到着するのかを知る。
人は、自身の努力目標を正しく識別できないとき、動物の存在段階で機能している自分自身に気づく。人は、人格的存在体として自身の宇宙心の授与の不可欠の部分であるその物質的知性、道徳的識別、精霊的洞察の優れた利点を利用し損ねたのである。
徳は正義である—宇宙との整合。徳を唱えるということは、それを定義することではないが、それを実践するということは、それを知ることである。徳とは、単なる知識あるいは知恵ではなく、むしろ宇宙達成の上昇段階への到達における進歩的経験の現実である。必滅の人間のその日その日の生活において徳は、悪よりはむしろ善を一貫して選ぶことで実現され、またそのような選ぶ能力は、道徳的本質の所有の証である。
人間の善悪間の選択は、道徳性の鋭さによる影響ばかりではなく、無知、未熟、および迷いといったような影響も受ける。歪曲または欺瞞の結果から劣る代替物が選ばれるときには悪が行なわれるかもしれないが故に、均衡の感覚もまた、徳の発揮に関係している。相対評価方法あるいは比較計測方法は、道徳的領域の美徳の実践に入る。
人の徳性は、計測方法、つまり意味を精査する能力に表現される区別なしくしては無力であろう。同様に、道徳的選択は、精霊的価値の意識をもたらすその宇宙洞察なくしては無意味であろう。人は、知性の見地からは人格を授かっているので道徳的行為者の段階に昇る。
徳性は、決して法律によってあるいは力によって推進させることはできない。それは、個人の、そして自由意志の問題であり、道徳的にはそれほど反応しないものの、多少なりとも父の意志を為すことを望む道徳的に優れた者たちとの接触の影響により広められなくてはならない。
道徳行為は、これらの目標に達する道徳的手段の選択におけると同様に優れた目標の選択の際の識別に導かれる最も高い知性に特徴づけられる人間のそれらの実施である。そのような行為は徳が高い。そして、崇高の美徳とは、天の父の意志を心から実行に移すことを選ぶことである。
宇宙なる父は、存在体の幾多の系列が宇宙の現実の異なる段階で機能するとき、それらに人格を贈与する。ユランチアの人間には、神の上昇する息子の段階で機能している有限-必滅の型の人格が授けられている。
我々にはとても人格の定義を引き受けることはできないのであるが、物質的、精神的、精霊的なエネルギーの集合体を構成するために進む存知の要因の理解を語ることを試みることができる。宇宙なる父は、これらの相互関係のあるエネルギーに構成される仕組みの中で、その上で、そして、それとともに機能するために人格を贈与した。
人格は、人格の存在が思考調整者から独立した、また思考調整者に先立つ贈与であり、本来の性質の特異な授与である。にもかかわらず、調整者の臨場は、人格の質的顕現を増大させる。思考調整者は、父から現れるとき性質上は同じであるが、人格はさまざまで、独自で、唯一である。そして人格の顕現は、人格顕現のための生物媒体を構成する物質の、心の、そして精霊の性質の関連エネルギーの特徴と性質によりさらに条件づけられ限定される。
人格は相似しているかもしれないが、決して同じではない。任意の連続するもの、型、系列、または形態の人格は、互いに類似し得るし、類似しているが、決して同じではない。人格は、我々が知り、我々がいつか将来に、型、心、あるいは精霊状態の変化の特徴や程度にかかわらずそのような存在体を確認することができるその特徴である。人格とは、たとえ表現手段や人格顕現の変更のために変わってしまったとしても、我々が以前に知る人物としてその人を認識したり、明確に特定することを可能にするいかなる個人のその部分である。
創造物人格は、人間の反射行動の自己-明白の、また独特の2現象により区別される。自意識と関連する相対的自由意志。
自意識は、人格現実の知的認識で成る。それは他の人格の現実を認識する能力を含んでいる。それは、宇宙現実における、また宇宙現実との人格化された経験、宇宙の人格関係における独自性状態の到達に相当する経験のための能力をを示す。自意識は、心の奉仕の現実、また創造的であり決断的である自由選択からの相対的独立の実現の認識を内包する。
人間の人格の自意識を特徴づける相対的自由意志は次にかかわる:
1.道徳上の決断、最高なる知恵
2.精霊的選択、真実の識別
3.寡欲な愛、兄弟愛の奉仕
4.意図的協力、集団への帰属
5.宇宙の洞察、宇宙の意味の把握
6.人格の献身、父の意志を為すことへの心からの精進
7.崇拝、神性愛の真摯な追求、および神の価値-贈与者の心からの愛。
ユランチアの人間人格の型は、ネバドン型の有機体の惑星変更からなる物理的機構で機能すると見られるかもしれない。有機体のネバドン型の惑星変更は、生命活性化の電気化学の系列に属しており、親の生殖型に関する宇宙心のオーヴォントン系に属するネバドンの系列を授かっている。心を授与されたそのような人的機構への人格の神の贈り物の贈与は、宇宙公民からの威厳を与え、そのような必滅の創造物が、直ちに宇宙の3つの基本的な心の現実の本質的認識に反応するようになることを可能にする。
1. 物理的因果関係の均一性の数学的、または、論理的な認識
2. 道徳的行為の義務に関する熟慮に基づく認識
3. 人類への愛の奉仕に関連する神格への親交的崇拝に対する信仰による理解
そのような人格授与の完全な機能は、神との親族関係の初期の実現である。そのような自我、父なる神の前人格の断片による内住は、実は神の精霊的な息子なのである。そのような創造物は、神性臨場の贈り物の受け入れの能力を明らかにするだけでなく、すべての人格の楽園なる父の人格-重力回路への反動的反応をも示している。
授けられた宇宙心、内住の思考調整者、人格的創造物には、エネルギー現実、心の現実、および精霊現実の生まれながらの認識-実感がある。意志をもつ創造物は、このように事実、法、および神の愛が識別できるように用意されている。人間の意識にかかわるこれらの3件の譲渡しえないものは別として、すべての人間の経験というものは、直感的な正当性の認識が、宇宙認識にかかわるこれらの3件の宇宙現実反応の統一に結合するということを除いては、実に主観的なのである。
神を識別する人間は、生残する魂の発展における、すなわち不滅の魂を二重にして内住する神性の精霊と連携する物理的な仮の住まいにおける人の崇高な仕事の発展におけるこれら3個の宇宙的特質の統一価値を感じることができる。魂は、その最古の始まりから実在する。それには、宇宙生存の特質がある。
もし人間が、自然死からの生存に失敗するならば、人間の経験の真の精霊的価値は、思考調整者の継続する経験の一部として生き残る。そのような非生存者の人格的価値は、実現化する崇高なるものの人格の中の一要素として持続する。人格のそのような持続的特質には、人間の生身の生活の間に蓄積される経験的価値ではなく独自性が奪われている。独自性の生存は、モロンチアの身分とますますの神性を増す価値とをもつ不滅の魂の生存に依存している。人格の独自性は、魂の生存のなかに、また魂の生存により生き残る。
人間の自意識は、意識する自己以外の自己の現実認識を含意し、さらにそのような認識は、相互的であるということを含意する。自己が、他の自己を知るのと同様に知られているということ。これは、人の社会生活において純粋に人間の態度で示される。しかし、あなたは、自分の中に住まう神の臨場の現実について確信できるようには、絶対に仲間の存在体の現実について確信できるようにはならない。神-意識ができないのとは異なり、社会的良心は譲渡できる。それは文化の発達であり、知識、符合、および人の本質的授与—科学、道徳、および宗教—からの貢献に依存している。そして、これらの宇宙の贈り物は、社会化されると、文明を構成する。
文明は、宇宙的ではないので不安定である。文明は、人類の個人というものに先天的ではない。文明は、人の構成的要素—科学、道徳、宗教—の結合的貢献により育まれなければならない。文明は、去来するが、科学、道徳、宗教はつねに崩壊を乗り切る。
イエスは、人間に神を明らかにしただけではなく、自分と他の人間に新顕示をした。あなたは、イエスの人生に最善の状態の人間を見る。その人生においてイエスは多くが神からなっていたので、人はこうして非常に美しく実現化し、そのうえ神の認識(認知)は、奪うことができず、すべての人間に本質的である。
無欲さは、親の本能は別として完全に自然であるというわけではない。他人は、自然に愛されたり親しく待遇されない。それは、寡欲で愛他的な社会的秩序を生むための理由、道徳、および宗教の、神-意識の衝動からの啓発を必要とする。また、自己の人格認識、自意識もまた生まれながらの他者認識のこの他ならぬ事実に、つまり、人間から神格に及ぶ他の人格の現実を認識し、理解するこの生来の能力に、直接に依存している。
寡欲な社会的意識は、根本的には宗教意識である。すなわち、もしそれが客観的であるならば。さもなければ、それは純粋に主観的な哲学的抽象化であり、それゆえに愛に欠けている。ただ神を知る個人のみが、自分自身を愛するように他者を愛すことができる。
自意識は、本質的には、共同意識である。神と人、父と息子、創造者と被創造物。人間の自意識における宇宙現実に対する4認識は、潜在的であり、本来的である。
1. 知識の追求、科学の理論
2. 倫理観の追求、義務の観念
3. 精霊的価値の追求、宗教経験
4. 人格の追求、人格としての神の現実を認める能力と仲間の人格との友愛関係の同時認識
あなたは、創造者たる父として神を既に意識しているのであるから、被創造物の兄弟として人を意識するようになる。父性とは、兄弟愛認識へと我々が自身を説き伏せる関連性である。そして、父自身が、そのような存在体すべてに人格を贈与し普遍的な人格回路把握の中でそれらを回路化したがゆえに、父権は、すべての道徳的な創造物にとっての宇宙の現実になるか、またはなる可能性がある。我々は、まず神がおり、次に神が我々の中におり、最後に我々が神の中にいるので神を崇拝するのである。
宇宙心は、自意識をもってそれ自身の源、無限の精霊の無限の心に気づき、同時に広範囲の宇宙の物理的現実、永遠なる息子の精霊的現実、および宇宙なる父の人格現実を意識すべきであるというのは奇妙なことであろうか。
[ユヴァーサからの宇宙の検閲官による後援]
崇高なる7精霊集団は、壮大な宇宙の7行政区分の普遍的調整指揮官である。全集団が、無限の精霊の機能的な家族に分類されるとはいえ、通常、次の3集団が楽園の三位一体の子として分類される。
1. 主たる7精霊。
2. 崇高なる7幹部。
3. 反射精霊。
残る4集団は、無限の精霊の創造的行為により、あるいは創造する地位にある提携者により具体化される。
4. 反射像の補佐。
5. 回路の7精霊。
6. 地方宇宙の創造的精霊。
7. 心-精霊補佐。
これらの7系列は、ユヴァーサでは崇高なる7精霊集団として知られている。その機能領域は、永遠の小島の周辺の主たる7精霊の個人的臨場から精霊に属する楽園の7衛星、ハヴォー回路、超宇宙政府、そして、地方宇宙の行政と監督を経て、時間と空間世界における進化する心の領域に贈与される補佐の謙虚な勤労にさえ広がっている。
主たる7精霊は、この広範囲の行政領域の調整指揮官である。主たる7精霊は、組織化された物理的な力、心のエネルギー、そして非個人的な精霊活動の行政規則に属するいくつかの問題においては個人的に直接的に行動し、他の問題においては多種多様の仲間により機能する。行政の類に属する全ての問題—支配、条例、調整、および行政上の決定—において、主たる精霊は崇高なる7幹部の人間の中で行動する。主たる精霊は、ハヴォーナ回路の7精霊を通して中央の宇宙において機能することができる。主たる精霊は、7超宇宙の本部においては反射精霊の通路を介して自分自身を明らかにし、反射像の補佐を通して個人的な意思伝達においては日の老いたるものの人格を通して機能する。
主たる7精霊は、日の老いたるものの法廷下の宇宙行政に直接的かつ個人的に接触はしない。あなたの地方宇宙は、オーヴォントンの主たる精霊により我々の超宇宙の一部として統治されるが、オーヴォントンの主たる精霊は、ネバドン生まれの存在体に関連する主たる精霊の機能からはすぐに解放され、あなたの地方宇宙の本部であるサルヴィントンに居住する創造の母なる精霊が、個人的に指揮をとる。
主たる精霊の行政本部は、無限の精霊に属する楽園の衛星7個を占領し、衛星は、中央の小島の周りにおいて永遠なる息子の輝く球体と最奥部のハヴォーナ回路間で回っている。これらの行政球体は、宇宙への代表として機能することができた型の存在体のための主たる7精霊の仕様に従い、父、息子、精霊によって三位一体化された7名からなる一団の崇高なる幹部の指揮下にある。
主たる精霊は、これらの崇高なる幹部を通して超宇宙政府の様々な区域との連絡を維持する。7超宇宙の基本的構成方向を大きく決定しているのはこれらの崇高なる幹部である。主たる精霊は、一様に、しかも神々しく完全であるが、人格の多様性も持ち合わせている。主たる精霊には議長というものはいない。集会毎に、その合同評議会の議長を務めるための1集団を選ぶ。定期的に、主たる7精霊との協議のために楽園へと遠く出かけていく。
崇高なる7幹部は、壮大な宇宙の行政調整者として機能する。崇高なる7幹部は、後ハヴォーナ創造の常務会と呼べるかもしれない。それらは楽園の内政に関係せず、回路の7精霊を介し限られたハヴォーナ活動の範囲を指示する。その他の点では、崇高なる7幹部の指揮範囲には限界はほとんどない。崇高なる7幹部は、物理的、知的、かつ精霊的な方向を取る。崇高なる7幹部は、7超宇宙とハヴォーナに起こるすべてを見、すべてを感じ、すべてを知りさえもする。
これらの崇高なる幹部は、方針を創出せず、宇宙進展の変更もしない。崇高なる幹部は、主たる7精霊により公表される神性計画の実行に関係がある。崇高なる幹部は、超宇宙の日の老いたるものの支配を妨げず、地方宇宙の創造者たる息子の主権も妨げない。崇高なる幹部は、壮大な宇宙における正しく構成された結合方針すべてを実行するのが機能とする調整幹部である。
各幹部とその球体の施設は、単独超宇宙の効率的行政にささげられる。球体第一号において機能する崇高なる幹部第一は、完全に超宇宙第一号の問題に専心しており、順次、崇高なる幹部第七は、精霊の楽園衛星から働き掛け、また第7超宇宙の管理へといった具合に自己の活力を捧げている。精霊の楽園衛星にはそれらの関連する同名の超宇宙があるので、この7番目の球体の名前はオーヴォントンである。実際、超宇宙はそれらに因んで名づけられた。
第7超宇宙の行政球体におけるオーヴォントンの諸事を正しく保つ仕事に従事する職員は、実際に天の知性の全系列を迎え入れ、その職員数は、人間の理解を超えるものである。 (鼓舞された三位一体の精霊と思考調整者を除く)人格の派遣のための超宇宙奉仕のすべては、楽園への、また楽園からの宇宙旅行においてこれらの7行政世界の1つを通過し、そしてここでは超宇宙において機能する第3根源と中枢により創出される人格すべてのための中心となる登録が維持される。1行政世界における物質、モロンチア、精霊に関する登録制度は、私の系列の存在体さえも驚かせる。
崇高なる幹部の直属の部下の大部分が、楽園-ハヴォーナ人格の三位一体化息子と、時間と空間の上昇計画の長年の訓練からきた栄光に輝く人間の卒業生の三位一体化された子とから成る。これらの三位一体化の息子は、崇高なる幹部との勤労のために楽園の終局者部隊の最高審議会長により任命される。
各崇高なる幹部には2名の顧問内閣がある。それぞれの超宇宙本部の無限の精霊の子は、自分たちの崇高なる幹部の第一顧問閣僚に1,000年の間仕える代表を自分たちの階級から選ぶ。時間の上昇する人間に影響する万事に関しては、楽園到達の人間と栄光の人間の三位一体化の息子から成る第二内閣がある。この機関は、一時的に7超宇宙本部に住み完全になるつつある、かつ上昇しつつある存在体により選ばれる。他のすべての業務長官は、崇高なる幹部により任命される。
時折すばらしい秘密会議が、精霊のこれらの楽園衛星において開催される。これらの世界に割り当てられた三位一体化の息子は、楽園に達した上昇者と共に、上昇経歴の苦闘と勝利の再結合において第三根源と中枢の精霊人格とともに集合する。崇高なる幹部は、いつもそのような兄弟的集会の議長をする。
崇高なる7幹部は、1,000年に1度権力の座を空け楽園に行き、そこで創造の一部である大勢の知力あるものへの宇宙的規模の挨拶と幸福を願う1、000年ごとの秘密会議を開く。この多事多端な行事は、すべての反射精霊集団の長である威儀仙の直接の臨場において行われる。その結果、崇高なる7幹部は、普遍的反射の特異な機能を経て壮大な宇宙における自分達の仲間すべてと一斉に意思伝達ができる。
反射精霊は、三位一体の神性の出である。これには特異でいくらか神秘的な50名の存在体がある。並はずれたこれらの7人格は、一度に創出され、そのような創造の各出来事は、楽園三位一体と主たる7精霊のうちの1名とのつながりによってもたらされた。
時間の始まりに起こったこの重要な取り扱いは、楽園三位一体との共同創造者として機能するために主たる精霊に代表される崇高なる創造者たる人格の初期の努力を表す。三位一体の創造的な可能性との崇高なる創造者のもつ創造力のこの結合は、崇高なるものの現実のまさしくその源である。したがって、反射的創造の周期がその自然な経過をたどったとき、主たる7精霊のそれぞれが楽園三位一体との創造上の完全な同調性を見つけたとき、第49反射精霊が人格化したとき、次には、新たで広範囲の反応が、宇宙の中の宇宙全体において崇高なるものに新たな人格特権を与え、ついには49名の反射精霊とその提携者のすべての仕事の反射長と楽園の中心である威儀仙の人格化に至る神格絶対に起こったのであった。
威儀仙は、真の人格、つまり時間と空間の全7超宇宙の反射性現象の人格的で絶対確実の中核である。威儀仙は、主たる7精霊の待ち合わせ場所である万物の中心近くの永続的な楽園本部を維持し、広範囲の創造における反射業務の調整と維持に唯一関係がある。威儀仙は、別の点では宇宙問題の行政には関わらない。
威儀仙は、神格絶対との機能的連携において崇高なるものにより創造された神性の唯一の既存人格であるので、我々の楽園人格に関する一覧表には含まれていない。威儀仙は人格であるが、排他的に、しかも明らかに自動的に宇宙経済のこの1局面に関係がある。威儀仙は現在、宇宙人格の他の(非反射)系列とのつながりに関し、個人的いかなる能力においても機能しない。
威儀仙の創造は、崇高なるものの最初の最高の創造的行為を際立てた。行動へのこの意志は、崇高なるものの意志であったが、神格絶対のすばらしい反応は予め知られてはいなかった。ハヴォーナの永遠-出現以来、宇宙は、巨大で広範囲にわたるそのような力の一致協力と機能的な精霊活動の調整の驚異的な事実化を目撃してはこなかった。崇高なるものとその仲間の創造的な意志への神格反応は、断固たる意図を大いに超え、概念的な予測をはるかに上回る。
我々は、崇高者と究極者が新段階の神性に到達し、人格機能の新領域に昇るかもしれない後の世において、想像外の権力を有する拡張された宇宙調整の意外かつ夢にも思わないさらに他の存在体の神格化の領域で目撃するかもしれない将来の可能性に畏敬の念を抱いて立っている。そのような経験的神格と実存的楽園の三位一体との関係統一への神格絶対の反応の可能性に限界はなさそうである。
49名の反射精霊は、三位一体起源であるが、その出現に付随する各7創造の出来事が、同じ先祖の主たる精霊の特性に類似する存在体の型の生産であった。したがって、49名の反射精霊は,さまざまに宇宙なる父、永遠なる息子、無限の精霊の神性的特性の関係の7つの可能な組み合わせの性質と特徴とを反映している。この理由のために、各超宇宙本部に7反射精霊を持つことが必要である。7種の型が、どの7超宇宙にもそのような現象として起こるかもしれない楽園の神格3名の全局面におけるあらゆる顕現の完全な反映の達成に必要である。従って、それぞれの型が、各超宇宙における業務に割り当てられた。異なる7反射精霊の集団は、各領域の反射焦点で超宇宙の首都の本部を維持し、しかも、反射焦点は精霊的極性の核心と同じではない。
反射精霊には名前があるが、これらの名称は空間世界に明らかにされてはいない。この名称は、この存在体の性質と特徴に関係しており楽園の秘密球体のもつ宇宙共通の7神秘のうちの一部分である。
反射の属性、つまり連合活動者、崇高なるもの、および主たる精霊の心の段階現象は、普遍的知性のこの広大な計画の働きに関わる存在体すべてに伝えることができる。ここに大きな神秘がある。主たる精霊も楽園の神格も、調整している普遍的反射のこれらの力を威儀仙の連携人格49名に表されるようには単独的に、あるいは集合的に、明らかにはしないが、それでいて、主たる精霊と楽園の神格は、驚異的に授けられたこれらの全存在体の創造者なのである。神格継承というものは、創造者には認識できないある種の属性を時々被創造物に明らかにする。
威儀仙と反射精霊を除く反射業務の全職員は、無限の精霊、その直接の仲間と部下のすべての創造物である。各超宇宙の反射精霊は、反射像の補佐の創造者、つまり日の老いたるものの法廷への反射精霊の人格的な声である。
反射精霊は、単に伝播体ではない。それらは、その上に保持力のある人格である。反射精霊の子、第二熾天使は、保持し、または記録もする人格である。真の精霊的価値のすべてが、正副二重に登録され、複製の1つは、反射精霊の広大な職員に属する第二熾天使の人格の多くの系列中の1構成員の個人的能力に保存される。
宇宙の正式記録は、天使の記録者により、また天使の記録者を介して渡されるが、真の精霊的記録は、反射により組み立てられ、また無限の精霊の家族のものである適切かつしかるべき人格の心に保持される。真の精霊的記録は、宇宙の形式的で死んだ記録とは対照的に生の記録であり、無限の精霊の記録する人格の生ける心に完全に保存されている。
反射組織は、情報-収集であり全創造の法令-普及である。それは、様々な放送業務の周期的作動に比較し絶えず稼働中である。
地方の宇宙本部において発生する重要なものすべてが、本質的にはその超宇宙の首都に反射される。逆に、地方宇宙に意義あるものすべてが、超宇宙本部から地方宇宙首都へと外側に反映される。時間の宇宙からの超宇宙への反射業務は、一見したところ自動的、あるいは自己稼働のようであるが、それは稼働はしない。それはすべてが非常に人格的であり、知的である。その精度は人格協力の完全性から生じており、したがって、絶対者の非個人的な臨場-実行の精にすることはとてもできない。
思考調整者は、普遍的な反射体制の操作に参加はしないが、我々には、父の断片すべてが、これらの相互作用を完全に認識しており、またこれらの内容が利用できるということを信じるに十分な理由がある。
余分な楽園反射業務の空間範囲は、現宇宙時代においては7超宇宙周辺に制限されているようである。その他の点では、この業務機能は時間と空間から独立しているように思える。それは知られている準絶対の全宇宙回路からは独立しているようである。
各超宇宙本部における反射組織は、隔離された単位として機能する。しかし、光と生命の地方宇宙全体の決定による祝祭や崇高なる7幹部の千年の挨拶の時のような特別な場合には、7宇宙すべてが、威儀仙の指示に基づき、宇宙的に調和して行動するかもしれないし、行動をとるのである。
49名の反射の姿の補佐は、反射精霊に創出され、各超宇宙本部には7名ちょうどの補佐がいる。ユヴァーサの7反射精霊の最初の創造行為は、7名の姿の補佐の産出であった。自身の補佐を創造する各反射精霊。ある種の属性と特性においては、姿の補佐は、母なる反射生霊の完全な再生産である。それらは反射の属性を差し引いた事実上の複製である。それらは真の姿であり、反射精霊と超宇宙当局との伝達経路として絶えず機能する。姿の補佐は単に助手ではない。それらは自身のそれぞれの精霊先祖の実際の代表である。姿の補佐は姿であり、その名の通りである。
反射精霊自身は、真の人格であるが、物質の存在体には理解し難いほどの系列のものである。反射精霊は,超宇宙本部球体においてでさえ、日の老いたるものとその仲間との個人的交わりすべてにおいて姿の補佐の援助を必要とする。姿の補佐と日の老いたるものの間の接触においては時として1名の補佐が、満足に機能するのであるが、その他の場合には2名、3名、4名の、あるいは7名全員での完全で適切な委託された伝達提示が、必要とされる。同様に、姿の補佐の通報は、伝達内容の必要に応じて、1名の、2名の、あるいは3名すべての日の老いたるものによりさまざまな方法で受け取られる。
姿の補佐は、永遠に先祖の精霊の身近に仕え、しかも自由に使える助力者である信じ難く素晴らしい第二熾天使の部隊を持っている。姿の補佐は、人間の前進の普遍的計画のための情報機関に密接に関連してはいるものの、人格的なこれらの存在体は、外観上は意志を持ってはいないので、あなたは、ユヴァーサの学校に滞在中個人的にそれらに接触はしないであろう。姿の補佐は、選択力を行使しない。それらは、真の姿である、つまり個々の精霊先祖の人格と心を完全に反射している。一集合体として、必滅の上昇者は、反射には親密に接触しない。反射的性質をもつ存在体の誰かが、あなたと実際の業務運用の間に常に介在するであろう。
ハヴォーナ回路の7精霊は、中央宇宙の7回路への無限の精霊と主たる7精霊の非個人的な共同代表である。主たる精霊の全体的子孫であるハヴォーナ回路の7精霊は、主たる精霊の奉仕者である。主たる精霊は、異なる様々な行政的個性を7超宇宙に供給する。ハヴォーナ回路のこれらの均一的精霊を通して、主たる精霊には中央宇宙のための統一的、一律的、そして連携している精霊的導きの提供が、可能になるのである。
回路の7精霊のそれぞれは、単一のハヴォーナ回路の浸透に限られている。それらは、日の永遠なるものの体制、つまり個々のハヴォーナ世界の支配者に直接には関係がない。しかし崇高なる7幹部との繋がりはあり、また崇高なるものの中央宇宙の臨場と連動している。それらの仕事は完全にハヴォーナに限定されている。
これらの回路の精霊は、個人的子孫、つまり第三超熾天使を通してハヴォーナに滞在するもの達と接触をする。回路の精霊の機能は、主たる7精霊と共存する一方で、最初の巡礼者が、第三超熾天使の創造における時間のグランドファンダ時代にハヴォーナの外回路に到着するまで主要な重要性には至らなかった。
あなたは、ハヴォーナの回路から回路へと進むにつれ回路の精霊に関し知るであろうが、その精霊的な影響に親しむかもしれないとしても、またその精霊的な影響の非個人的臨場に気づくかもしれないとしても、彼らとの個人的交流を保つことはできないであろう。
回路の精霊は、思考調整者が進化宇宙の世界に生息する必滅の創造物に関係しているように、ハヴォーナ出身の居住者に関係している。回路の精霊は、思考調整者のように非個人的であり、宇宙なる父の非個人的精霊が人間の有限な心に宿るようにハヴォーナの存在体の完全な心と一致する。しかし、回路の精霊は、決してハヴォーナ人格の永久的部分にはならない。
地方宇宙の創造的精霊の性質と機能に関する多くが、地方創造の組織と管理における創造者たる息子との交流の物語であり適正に述べられている。それでも、崇高なる精霊の7集団に関するこの議論の一部として語られるかもしれないこれらの驚異の存在体の前地方宇宙経験の多くの特徴が、存在するのである。
我々は、地方宇宙の母なる精霊の経歴に関する6段階に詳しく、また、活動の第7段階の可能性に関し多くを推測する。これらの異なる段階は次の通りである。
1. 初期の楽園分化。創造者たる息子が、宇宙なる父と永遠なる息子の連合作用により個人化されるとき、「補数の最高反応」として知られていることが、無限の精霊の存在体に同時に起こる。我々には、この反応の種類がわかってはいないのだが、それが、共同創造者の創造的可能性の中に迎え入れられるそれらの人格化の可能性の固有の変更に言及しているということは理解している。創造者たる息子の誕生は、将来の地方宇宙の配偶者にむけての無限の精霊の存在体内でのこの楽園の息子の誕生の可能性をはっきり示している。我々は、実体のこの新しい前人格同一性を認識はしていないが、この事実がそのような創造者たる息子の経歴に関する楽園の記録の場所を見つけるということを知っている。
2. 創造者の予備訓練。宇宙の組織と行政におけるミカエルの息子の長い予備訓練期間中、その将来の配偶者は、さらなる実体の開発を受け、目標への集団的意識をもつようになる。我々は、知らないが、そのような集団-意識の実体が空間認識をするようになり、補足的なミカエルと共同して宇宙創造と行政の今後の仕事において精霊の技能の習得に必要とされるその予備訓練を始めるのであろうと推測する。
3. 物理的創造の舞台。創造者の責任が、永遠なる息子からミカエルの息子に授けられる時、この新しい創造者たる息子がやがて向かうはずの超宇宙にその息子を導く主たる精霊は、無限の精霊の臨場下において「識別の祈り」を述べる。そして、その後の創造の精霊の実体が、無限の精霊の人格とは区別されて初めて現れる。そして、この実体は、陳情している主たる精霊の人格に直接に進み出で、明らかにこの主たる精霊の人格の一部になり、すぐに、我々からは見えなくなる。新たに確認された創造の精霊は、創造者たる息子の空間における冒険への出発の瞬間まで主たる精霊と留まっている。またそこでは、主たる精霊は、新精霊配偶者を創造者たる息子の保持にゆだね、同時に永遠の信義と果てしない忠誠の委託を精霊配偶者に宣誓させる。それから、楽園での最も感動深い出来事の一つが起こるのである。宇宙なる父は、超宇宙司法の主たる精霊による創造者たる息子と創造の精霊との永遠の結合を認め、また行政に関するある種の共同力の贈与の確認について話す。
父に結合された創造者たる息子と創造の精霊は、次に宇宙創造の冒険に旅立つ。両者は、宇宙の物質的組織での長く困難な間中この関連形式においてともに働いている。
4. 生命-創造時代。創造者たる息子による生命を創造する意図の宣言に当たり、主たる7精霊が参加し、また監督している主たる精霊が個人的に経験するところの「個人化の式典」が、楽園で続く。これは、創造者たる息子の精霊配偶者の人格への楽園神格の貢献であり、無限の精霊の人格の「第一萌出」現象において宇宙に出現するようになる。楽園上のこの現象と同時に、創造者たる息子のこれまでの非個人的な精霊配偶者は、実際的なすべての意図と目的にとっての誠実な人格存在体になる。この同じ地方宇宙の母なる精霊は、今後、未来永劫に、人格存在体と見なされ、続いて起こる生命創造の全人格部隊との個人的関係を維持するであろう。
5. 後贈与の時代。創造者たる息子が、宇宙本部に戻り第7贈与完了後に、そして完全な宇宙主権の取得後に、創造の精霊の果てしない経歴にもう一つの、しかも大きい変化が起こる。その際、勝利を収めた創造者たる息子は、集合した宇宙の行政者の前において、宇宙の母なる精霊を共同主権者に昇進させ、同格者として精霊配偶者を承認する。
6. 光と生命の時代。光と生命の時代の設立に際し、地方宇宙の共同主権は、創造の精霊の経歴の第6段階に入る。しかし、我々にはこの素晴らしい経験の本質を描くことは許されていない。そのような状況は、ネバドンにおける将来の発展段階に属する。
7. 非啓示の経歴。我々は、地方宇宙の母なる精霊の経歴に関するこれらの6段階について知っている。第7の経歴はあるのか。と、我々が尋ねることは、必然である。我々は、終局者が人間の上昇の最終的目標らしきものに達するとき、第6-段階の精霊の経歴に入ったと記録にあることを心に留めている。我々は、終局者はいまだに宇宙課題における別の、そして、非啓示の経歴を待ち受けていると推測する。我々が、同様に、母なる精霊が、これから先に宇宙貢献と創造者ミカエルの系列との忠誠な協力における個人的経験の第7段階を構成するであろう将来の明かされてはいない何らかの経歴を持つと見なすということは、当然のことである。
これらの精霊補佐は、創造者たる息子とそのような創造精霊の合同創造からの生ける創造物への地方宇宙の母なる精霊の七重の心の贈与である。この贈与は、人格特権の身分への精霊の昇進時点で可能になる。7心-精霊補佐の性質と機能に関する叙述は、あなたの地方宇宙ネバドンの話により適切に属している。
崇高なる精霊の7集団は、無限の精霊として、また連合活動者としての両者である第3根源と中枢の機能的な家族の母体を構成する。崇高なる精霊の領域は、楽園上の三位一体の臨場から空間の惑星における進化的人間の系列の心の機能に広がっている。したがって、崇高なる精霊は、行政の下降段階を統一し、その職員の多様な機能を調整する。日の老いたるものとのつながりにおける反射精霊集団であろうが、ミカエルの息子に呼応して行動する創造の精霊であろうが、もしくは楽園三位一体の周りを回路化している主たる7精霊であろうが、崇高なる精霊の活動には、中央宇宙、超宇宙、地方宇宙のいたる所で遭遇する。それらは「日の」系列の三位一体人格とも、「息子」の系列の楽園人格とも同じように機能する。
崇高なる精霊集団は、無限の母なる精霊とともに、第3根源と中枢に属する創造物の広大な家族の直接の創造者である。奉仕活動に関する全系列がこのつながりから生じる。予備超熾天使は、無限の精霊に起源がある。この系列の二次存在体は、主たる精霊により創出される。第三の超熾天使は、回路の7精霊によるものである。反射精霊は、一括して、驚異の天使部隊の系列、つまり超宇宙勤労の強力な第二熾天使の母-製作者である。創造の精霊は、地方創造に属する天使の系列の母である。そのような熾天使の奉仕活動者らは、中央宇宙の様式に因んで創りだされはするものの、各地方宇宙の初代である。奉仕活動の精霊のこれらの創造者は、すべての天使の奉仕活動者の最初の、そして永遠の母である無限の精霊の中心拠点により唯一間接的に支援されるのである。
崇高なる7精霊集団は、生息創造に関わる調整者である。主たる7精霊である指揮官長らのつながりは、七重の神の広範囲の活動を調整するようである。
1. 集合的には、楽園神格の三位一体の神性段階にほぼ相当する主たる精霊。
2. 個々には、主たる精霊は、三位一体の神格の主要な関連する可能性を使い果たす。
3. 連合活動者の様々な代表としての主たる精霊は、個人的にはまだ執行していない崇高なるもののその精神-心-力の主権の宝庫である。
4. 主たる精霊は、反射精霊を介し、楽園の普遍的反射の中心である威儀仙との日の老いたるものの超宇宙政府を連動させる。
5. 主たる精霊は、地方宇宙の神性奉仕活動者の個別化への参加において七重の神の最終段階、つまり地方宇宙の創造者たる息子-創造の精霊の結合に貢献する。
連合活動者に固有の機能的統一は、主たる7精霊、つまり連合活動者の第一人格の発展的宇宙に明らかにされる。しかし、この統一は、未来の完成された超宇宙においては崇高者の経験的主権からは疑いなく不可分になるであろう。
[ユヴァーサの神性顧問による提示]
崇高の三位一体人格はすべて、特定の勤労のために創造される。それらは、ある種の明確な職務遂行のために神の三位一体によって考案されており、極致の方法と究極の献身で仕える資質をもっている。崇高の三位一体人格には7系列がある。
1. 崇高者の三位一体化の謎のもの
2. 日の永遠なるもの
3. 日の老いたるもの
4. 日の完全なるもの
5. 日の若きもの
6. 日の和合なるもの
7. 日の誠実なるもの
行政において申し分のないこれらの存在体は、明確で最終的な数である。これらの創造は、過去の出来事であり、もはや創造はされていない。
崇高の三位一体人格は、壮大な宇宙全体において楽園の三位一体の施政方針を示す。それは、正義を示しており、楽園三位一体の執行判断である。それは、父の楽園球体から地方宇宙の本部世界とその構成星座の首都にかけての行政充実かかわる相互的進路を形成する。
三位一体起源の全存在体は、その全神性属性における楽園の完全性をもって創造される。時間の経過は、経験の領域に限り宇宙勤労のための準備に加わえられた。何らかの不履行の危機、あるいは反逆の危険性は、決して三位一体起源の存在体には存在しない。それらは、神性本質であり、人格行為に関わる神性かつ完全な道からそれることはついぞなかった。
楽園の衛星の最深部の回路には7つの世界があり、揚々たるこれらの各世界は、崇高者の三位一体化の秘密の10軍団により統括されている。それらは、創造者ではないが、最高かつ究極の行政者である。兄弟のようなこれら7球体に関わる業務処理は、70名の最高指揮官からなるこの軍団に完全に委任されている。三位一体の子孫は、最も近くの楽園のこれらの神聖な7球体を監督しているが、この世界集団は、宇宙なる父の個人的回路として一般に知られている。
崇高者の三位一体化の秘密は、調整と共同の指揮官として1組10名の集団で機能するが、また、責任ある特定分野で個別に機能するこれらの特別な各世界の任務は、7主要部門に分割されており、その調整支配者のうちの1名は、そのような専門活動の各部を取り仕切る。残る3名は、他の7名に関係しており、1名は父を、1名は息子を、そして1名は精霊を代表して、三位一体の神格の人格代表者として行動する。
崇高者の三位一体化の秘密の特徴を表す明確な階級的類似はあるものの、異なる7集団の特性も明らかである。ディヴィニントン業務の10名の最高指揮官は、宇宙なる父の個人的な特徴と性質を反射している。7球体のそれぞれも同様である。10名からなる集団のそれぞれが、その領域の独特である神格または神格関係に類似している。アセンディントンを統治する10名の指揮官は、父、息子、精霊の結合された本質を反射している。
私は、それらが本当に崇高者の秘密であるので、父の神聖な7世界のこれらの高い人格たちの仕事についてほとんど明らかにすることはできない。宇宙なる父、永遠なる息子、あるいは無限の精霊への接近に関連づけられる船団的な秘密というものは、まったくない。神格は、神性の完全性に達するすべてのものに容易に知れるものであるが、すべての崇高者の秘密が、決して完全に達し得るというわけではない。我々は、七重の系列の被創造物との神格関係に関わる人格の秘密を包含する領域を完全に見抜くことはいつまでもできないであろう。
これらの最高の指揮官は、宇宙存在体の基本的なこれらの7集団との神格の親密かつ人格的な接触に関係があるので、特別な7世界に居を定めるとき、あるいは壮大な宇宙全体において機能している間、これらの非常に個人的な関係と並はずれた接触は、神聖に秘密に保たれるということが適切である。楽園創造者は、下級の創造物に関してさえその人格の私事と尊厳を重んじる。そして、これは個人と人格の変化に富む個々の系列双方に本当である。
より高い宇宙到達の存在体にとり、これらの秘密世界は依然として忠誠に対する試練としてある。それは、完全に、しかも個人として永遠の神々を知るために、神性と完全性をもつ神の特徴を自由に知るために我々に与えられるが、楽園支配者の被創造物とのすべての人格的な関係を十分に探求することが我々に許されているというわけではない。
ハヴォーナの10億の各世界が、崇高の三位一体人格の指揮を受ける。これらの支配者は、日の永遠なるものとして知られており、各ハヴォーナ球体に1名ずつおり、ちょうど10億を数える。それらは、楽園三位一体の子孫であるが、崇高者の秘密のようにその起源に関する記録はない。すべてに賢明な父のこれらの2集団は、絶えず楽園-ハヴォーナ体制の絶妙の世界を統治してきたし、交代も配置転換もなく機能する。
日の永遠なるものは、それらの領域に住む意志を持つすべての創造物に見える。日の永遠なるものは、惑星の定期の秘密会議の議長をする。定期的に、しかも交代で、7宇宙の本部球体を訪れる。日の永遠なるものは、日の老いたるものに密接につながっており、7超政府の将来の目標を統括する日の老いたるものに神性面において同格である。日の永遠なるものが自分の球体を留守にするとき、その世界は三位一体の教師たる息子が指揮にあたる。
中央宇宙のハヴォーナ出身者や他の人間や動物といったような確立された生命系列を除き、居住する日の永遠なるものは、完全に自身の個人的な考えと理想に沿って各球体を発展させてきた。日の永遠なるものは、互いの球体を訪ねるが、複製をしないし模倣もしない。つねに、しかも完全に原型である。
構造、自然の装飾、モロンチア構造物、および精霊創造は、各球体に限られており特異である。あらゆる世界は、永続する美の場所であり、中央宇宙の他のいかなる世界とは完全に異なっている。そして、あなたは、ハヴォーナから楽園への途中にこれらの特異で胸躍る球体において長い、あるいは、短い時間を過ごすであろう。あなたの世界において楽園が上方であると話すことは自然であるが、上昇の神性目標が内向きであると言及するほうがより正しいであろう。
時間の必滅者が、地方宇宙の本部を囲む訓練世界を卒業し、それぞれの超宇宙の教育球体へと達するときには、日の老いたるものを含む高位の精霊的支配者と指揮官を認識し、意思疎通を図ることができるその程度への精霊的発達において前進しているのである。
日の老いたるものは、基本的には全員がまったく類似している。日の老いたるものは、三位一体の結合された特徴と統一された本質を明らかにする。日の老いたるものは、個性をもち、人格面においては多様であるが、主たる7精霊のようには互いに異なってはいない。日の老いたるものは、その他の点では明確かつ隔離された特異な創造である異なる7超宇宙それぞれに同一の管理職を与える。主たる7精霊は、性質と属性の面においては異なるが、日の老いたるものは、つまり超宇宙の個人的な支配者はすべて、一様であり、楽園三位一体の超完全無欠の子孫である。
天の主たる7精霊は、それぞれの超宇宙の性質を決定するが、日の老いたるものは、これらの同じ超宇宙の行政を決定づける。日の老いたるものは、創造的な多様性に行政の同一性を重ね合わせ、壮大な宇宙の7区分集団の基本的な創造上の差をものともせず全体の調和を保証する。
日の老いたるものはすべて、同時に三位一体化された。日の老いたるものは、宇宙の中の宇宙の人格記録の始まりを表す。ゆえに、その名前は—日の老いたるもの。あなたが、楽園に達し、ものの始まりの書かれた記録を捜すとき、人格の項に現れる最初の記入がこれらの21名の日の老いたるものの三位一体の詳説であることがわかるであろう。
高位の存在体は、つねに3名1組で治める。それらが個人として働く多くの活動局面があり、どの2者においても機能ができるのであるが、行政のより高い球体においては共同で行動しなければならない他の局面がある。高位の存在体は、決して個人的に自己の居住世界を去ることはないが、それどころか、これらの世界は広範囲の反射体制の超宇宙の中心点であるので去る必要はないのである。
日の老いたるもののそれぞれの3名組の個人の住まいは、本部球体の精霊的極性の場所にある。そのような球体は70の行政区画に分割され、日の老いたるものが時々住まう70の分割上の首都がある。
日の老いたるものは、力、権限の範囲、司法権の範囲において時-空間創造の直接支配者のいずれもが最も強力かつ強大である。宇宙の中のすべての広大な宇宙において、ただ日の老いたるものだけに意志をもつ創造物の永遠の消滅に関し最終的な行政判決の強大な権限が付与される。また、3名のすべての日の老いたるものは、超宇宙の最高裁決機関の最終判決に参加しなければならない。
日の老いたるものは、神格と楽園のその提携者たちは別として、すべての時-空間存在の中にあって最も完全で、最も万能で、最も神らしく賦与された支配者である。明らかに超宇宙の最高の支配者である。しかし、それらは、この統治する権利を経験上獲得してきたのではなく、したがって、いつか崇高なるもの、すなわち経験に基づいた主権者に取って代わられる運命にある。日の老いたるものは、確かに主権者の代理人になるのである。
崇高なるものは、ちょうど創造者たる息子が経験的に基づいて地方宇宙の主権を獲得するように、経験的奉仕によって7超宇宙の主権を達成している。しかし、崇高者の未完成の発展にある現代、日の老いたるものは、発展する時間と空間の宇宙の調和のある完全な行政上の管理を提供する。そして、独創性の英知と個性の自発性が、日の老いたるもののすべての命令と裁定を特徴づけている。
110名の日の完全なるものがおり、それらは各超宇宙の主要区域の政府を統括する。日の完全なるものは、超宇宙指揮官を補助する特別任務のために三位化されており、日の老いたるものの即座の、個人的な代理人として統治している。
日の完全なるものは、主要領域の各首都に割り振られるが、日の老いたるものとは異なり、いつも3名全員が臨場する必要はない。時々、この3名中の1名は、自分の領域の福祉に関し日の老いたるものとの直接の打ち合わせのために欠席するかもしれない。
主要領域のこれらの三位一体の支配者は、行政内容に格別に精通しており、それ故その名は ― 日の完全なるもの。精霊世界のこれらの存在体の名前を記録する際に、我々は、あなたの言語に翻訳する問題に直面するし、満足できる翻訳を提供することは非常に多くの場合きわめて難しい。我々は、あなたにとって無意味な任意の名称の使用を好まない。したがって、あなたにとり明確で、同時にいくらかその起源を代表するような適切な名前を選ぶことが、我々には難しいことがよくある。
日の完全なるものには、神性顧問、英知の遂行者、宇宙検閲官の中規模の軍団がある。さらに大勢の強力な使者、権威高きものたち、名前と番号を持たないものたちがいる。しかし、主要領域の業務に関する通常業務の多くは、天の守護者と高位の息子の補佐により遂行される。これらの2集団は、楽園-ハヴォーナ人格か、または栄光の人間終局者のどちらかの三位一体化の子孫の中から選ばれる。創造物-三位一体化の存在体のこれらの2系列のうちのあるものは、楽園神性により再び三位一体化され、次に超宇宙政府の行政を補佐するために派遣される。
天の守護者、それに高位の息子の補佐の大半は、大小の主要区域の奉仕に割り当てられるが、三位一体の守護者 (三位一体に抱擁された熾天使と中間者)は、3区分すべての法廷の役員であり、これらの役員は、日の老いたるもの、日の完全なるもの、および日の若きものの裁決機関において機能する。三位一体化の使節 (息子の、あるいは、精霊に融合された本質の、三位一体に抱擁される上昇の人間)は、超宇宙のどこにおいても遭遇するかもしれないが、大半は小区域の奉仕に従事している。
7超宇宙の政府案の完全な展開時代に先立ち、日の老いたるものを除くこれらの政府関係する様々な区域の事実上すべての行政者は、完全なハヴォーナ宇宙の様々な世界の日の永遠なるものの下での異なる見習期間を勤めた。後の三位一体化の存在体は、同様に日の老いたるもの、日の完全なるもの、および日の若きものへの奉仕のために派遣される前に、日の永遠なるものの下で訓練時季を通過する。後の三位一体化の存在体は皆、熟練した試練に耐えた、経験豊富な行政者である。
これらの高貴の支配者は、時間の上昇する創造物にむけての高度の訓練のための70の主要な活動区域世界に密接に関連しているので、あなたは、小区域世界におけるあなたの滞在後にスプランドンの本部に達すると早い時期に日の完全なるものに会う。日の完全なるものは、主要な活動区域の上昇する卒業生の集団誓約を執り行う。
7個の小区域の教育球体でのより物理的で物質的な訓練の特徴と比べ、また、超宇宙本部の490の大学世界にでの精霊的な仕事と比べ、主要区域本部を囲む世界の時間の巡礼者の仕事は、主に知的性質のものである。
あなたは、その起源の地方宇宙を包囲するスプランドンの主要区域にのみ登録されるのであるが、我々の超宇宙の主要な10区域のすべてを通り抜けなければならないであろう。あなたは、ユヴァーサに達する前に30名すべてのオーヴォントン日の完全なるものを見るであろう。
日の若きものは、超宇宙の最も若い崇高なる指揮官である。日の若きものは、3名からなる集団で、小区域の業務の統括をする。それらは、本性においては、日の完全なるものと調整しているが、行政権においては従属的である。人格的に栄光ある、しかも、神らしく有能なこれらの2万1千名の三位一体人格がいる。日の若きものは、同時に創造され、日の永遠なるものの下においてハヴォーナ訓練をともに経験する。
日の若きものは、日の完全なるものそれと同様の仲間と補佐の軍団を持っている。さらに、日の若きものは、天の存在体の莫大な数の様々な下位の系列を自分たちに割り当てた。小区域の行政には、数多くの居住の上昇者、様々な優待居留地の職員、および無限の精霊に起源をとる様々な集団を採用している。
小区域の政府は、排他的ではないが超宇宙の重大な物理的問題に甚だ多大に関心がある。上昇する人間は、これらの世界では崇高なる力の中枢の第3系列と熟練の物理制御者の全7系列の活動調査に関係する研究と精査を継続する。小区域球体は、熟練の物理制御者の本部である。
小区域の体制は、広範囲にわたり非常に物理的問題に関係があるので、その3名の日の若きものは滅多に首都球体には一緒にはいない。1名は、たいていの場合、統轄する主要区域の日の完全なるものとの会議で離れているか、または、三位一体起源の高位の存在体の楽園秘密会議において日の老いたるものを代表するその間中留守にしている。日の若きもの3名は、楽園の最高協議会において日の老いたるものを代表するにあたり日の完全なるものと交替する。その間、別の日の若きものは、自分の管区に属する地方宇宙の本部世界の視察旅行で離れているかもしれない。しかし、少なくともこれらの支配者の1名は、絶えず小区域本部に勤務して居残っている。
あなた方は皆、主要区域の訓練世界へと内部に向かう途中に彼らの手を借りなければならないのであるから、あなたの小区域であるエンサを担当する3名の日の若きものをそのうち知るであろう。あなたは、ユヴァーサ上昇に際し小区域訓練球体の1集団だけを通過するであろう。
「日」の系列の三位一体人格は、超宇宙政府の段階より下の行政能力における機能はしない。発展する地方宇宙においては、単に相談役や助言者として務める。日の和合なるものは、楽園三位一体により地方宇宙の二重の支配者に認可された渉外人格の集団である。組織化された生息化の各地方宇宙は、三位一体の、またある点では宇宙なる父の地方創造への代表として活動するこれらの楽園顧問の中の1名をそれに割り当てた。
全員が任命されてはいないとはいえ、これらの存在体は70万もいる。日の和合なるものの予備部隊が、宇宙調整の最高協議会として楽園において機能する。
これらの三位一体観察者は、特別な方法により地方宇宙の行政活動から区域政府の行政活動を経て超宇宙のそれへと宇宙政府の全支部の行政活動を調整する。ゆえにその名前は―日の和合なるもの。日の和合なるものは、上司に3部からなる報告書を提出する。小区域の日の若きものには物理的で準知的な性質の関連資料を作成する。主要区域の日の完全なるものには知的で準精霊的な出来事を報告する。超宇宙の首都の日の老いたるものには精霊的かつ準楽園的事柄を報告する。
それらは、三位一体起源の存在体であるので、全楽園回路が相互通信のために利用可能であり、したがって、いつも相互の、また楽園の最高協議会に至る他のすべての必要とされる人格との連絡をとるのである。
日々の和合のものは、組織的には自己の職務の地方宇宙政府とは繋がってはいない。観察者としてのその義務は別として、単に地方当局の依頼により行動する。日々の和合のものは、地方創造の主要である全協議会の、また重要な全秘密会議の職権上の構成員であるが、行政問題の技術的検討には参加しない。
地方宇宙が光と生命に定着すると、その栄光の存在体は、進化の完全性のそのような領域において拡大された能力でそのとき機能する日の和合のものと自由に作用し合う。しかし、それでもまだ、主としては三位一体の大使であり、楽園の顧問である。
地方宇宙は、二元的な神格起源の神性の息子により直接に統治されるが、その神性の息子の側には絶えず三位一体起源の人格である楽園の兄弟がいる。地方宇宙の本部からの創造者たる息子の一時的不在に際しては、代理支配者は、重大な決定において大きくは日の和合のものの助言に導かれる。
これらの三位一体起源の高位の人格は、各地方宇宙の中の100の星座の支配者への楽園助言者である。7,000万の日の誠実なるものがおり、日の和合なるものと同じく、全員が、勤務中というわけではない。楽園予備部隊は、相互宇宙倫理と自治諮問委員会である。日の誠実なるものは、予備部隊の最高協議会の判決に従い勤務を持ち回りで担当する。
地方宇宙の創造者たる息子にとっての日の和合のものは、その地方創造の星座を統治するヴォロンダデクの息子にとっての日の誠実なるものである。それらは、この上なく熱心であり、したがって、配属星座の福利にこの上なく貢献し、神々しく忠実である。だからこそその名前は―日の誠実なるもの。日の誠実なるものは、単に相談役として務める。星座当局の招待の場合を除き、行政活動には決して参加しないのである。星座本部を囲む建築訓練球体の上昇の巡礼者への教育奉仕活動にも直接関係していない。そのような仕事のすべては、ヴォロンダデクの息子の監督下にある。
地方宇宙の星座において機能する日の誠実なるものは、日の和合のものの管轄にあり、直接日の和合のものに報告をする。通常は地方宇宙内での相互関係において自己限定状態にある日の誠実なるものは、広範囲の相互通信の体制にはない。ネバドンに勤務中の日の忠誠なるものは、この地方宇宙に勤務中の自らの系列の他のすべてのものと連絡をとり合うことができる。
宇宙本部の日の和合のもののように、日の誠実なるものは、そのような領域の行政指揮官の個人的住居とは別に星座首都にそれぞれの個人的住居を維持する。その住まいは、星座のヴォロンダデク支配者の家と比較し実にこじんまりとしている。
日の誠実なるものは、万物の中枢近くの宇宙なる父の神性球体から地方宇宙の主要区域までの長い行政的-顧問の連鎖の最後のつながりである。三位一体起源の体制は星座で終わる。そのような楽園助言者は、永久に、惑星の構成体系には、または、生息界には配置されない。後者のこれらの行政単位は、完全に地方宇宙出身の存在体の管轄下にある。
[ユヴァーサの神性顧問による提示]
三位一体起源の調整存在体と呼ばれるこの楽園集団は、神の楽園の息子の中に分類される三位一体の教師たる息子、超宇宙の高位の行政者の3集団、それに喚起された三位一体の精霊のやや非個人的な部類を有する。ハヴォーナ出身者でさえ、楽園に居住する数多くの存在体集団に伴う三位一体の人格のこの分類に適正に含まれるかもしれない。この考察で検討される三位一体起源のそれらの存在体は次の通りである。
1. 三位一体の教師たる息子
2. 英知の遂行者
3. 神性顧問
4. 宇宙検閲官
5. 喚起された三位一体の精霊
6. ハヴォーナ出身者
7. 楽園公民
三位一体の教師たる息子と、ことによると鼓舞された三位一体の精霊を除いては、これらの集団数は、明確に限定されている。その創造は終わっており過去の出来事である。
あなたに明らかにされる天の人格の高位の全系列のうち、三位一体の教師たる息子のみが、二重能力において行動する。それらは、三位一体性質の起源であり、機能上ほぼ完全に神性の子息性への奉仕に励んでいる。三位一体の教師たる息子は、三位一体と二元的起源の人格の間にある宇宙の大きな割れ目に架橋する連絡存在体である。
三位一体の定置の息子の数は、最終的数字であるが、教師たる息子は絶えず増加している。教師たる息子の最終的な数がどれほどかを私は知らない。しかしながら、私は、ユヴァーサへの最後の定期報告の楽園の記録が、これらの就労の息子は、210億162万4,821と記載があったと明言できる。
起源が楽園三位一体にあるこれらの存在体は、あなたに明らかにされる神の息子の唯一の集団である。それらは、中央宇宙と超宇宙に広がっており、また巨大な1部隊が各地方宇宙に割り当てられている。それらは、また他の神の楽園の息子のように個々の惑星に仕える。壮大な宇宙の計画が完全に展開されるというわけではないので、教師たる息子の多くは、楽園の予備部隊に留められており、それらは、空間の孤立世界の、地方宇宙や超宇宙の、またハヴォーナの世界の属する壮大な宇宙の全区域での緊急時の努めと特異な奉仕にも志願する。それらは楽園においても機能するが、我々が神の楽園の息子の論考に至るまで詳細な考察については延期する方がより有用であろう。
しかしながら、これに関連し、教師たる息子は、三位一体起源の最高の調整人格であるということが留意されても良いかもしれない。そのような広範囲の宇宙の中の宇宙には、いつも限局的観点の誤りに、すなわち現実と神性に関する分断された概念に内在する悪に屈するという重大な危険がある。
例えば、通常、人間の心は、単純で有限のものから複雑で無限のものへの、つまり人間の起源から神性目標への進展によるこれらの顕示により描かれる宇宙哲学への接近を切望するのである。しかし、その道は精霊的英知には通じない。そのような方法は、ある種の型の遺伝に関する知識への最も簡単な道であるが、せいぜい人間の起源を明らかにし得るに過ぎない。それは神性の目標に関してはほとんど何も明らかにはしない。
ユランチアにおける人間の生物進化においてさえ、現代の状況と現在の問題への限定的な歴史研究方法には深刻な反論がある。いかなる現実問題に関する真の観点 —人間あるいは神性、地球あるいは宇宙 — は、宇宙現実の三局面である起源、歴史、および目標に関わる完全かつ偏見のない研究と相関関係によってのみ得られる。これらの3つの経験的現実の適切な理解は、現状についての賢明な見積りのための基礎を提供する。
人間の心が、上方へ接近するための下方から始まる哲学的方法に従おうと目指すとき、生物学であろうと神学であろうと、常に論理的思考の4つの誤りを犯す危険がある。
1. 心は、個人的到達、あるいは宇宙の目標のいずれかに関わる最終の、しかも完成された進化の目標を全く知覚しないかもしれない。
2. それは、宇宙進化の(経験的)現実を過度に単純化することにより哲学上の大きな誤りを犯すかもしれず、その結果、事実の歪曲、真実の曲解、目標の誤認へと導くかもしれない。
3. 原因調査は、歴史についての精査である。しかし、存在体がどうなるかに関する知識は、必ずしもそのような存在体の現況と本性についての知的な理解を提供するわけではない。
4. 歴史だけでは今後の開発 ― 目標、を適切に明らかにはしない。限定的起源は有益ではあるが、神性の要因だけが最終的効果を明らかにする。永遠の終わりは、時間の始めには示されない。本当に関連する過去と未来の光の中においてのみ現在を解釈することができる。
したがって、これらの理由のためやさらに他の理由により、我々は、すべての人格現実とすべての宇宙存在の無限であり永遠である、また、神性である楽園の根源と中枢からの時間-空間旅行への出発により人間と人間の惑星段階の問題に接近する方法を駆使するのである。
英知の遂行者は、超宇宙において楽園の三位一体により神性の英知が人格化されるように意図された特殊化された創造である。70億ちょうどのこれらの存在体が既存しており、10億がそれぞれの7超宇宙に割り振られている。
神性顧問であり宇宙検閲官である調整者と同様に、英知の遂行者は、楽園の英知、ハヴォーナの英知、そしてディヴィニントンを除く父の楽園球体の英知を経験した。これらの経験後に、英知の遂行者は、日の老いたるものへの奉仕のために永久的に配属された。英知の遂行者は、楽園においても楽園-ハヴォーナ回路の世界においても勤めない。それらは完全に超宇宙政府の行政に専念する。
英知の遂行者が機能するときは、何時でも何処であろうともすぐにその場で神性の英知が機能する。強力で厳然たるこれらの人格の行動に表現される知識と英知には、臨場の現実と顕現の完全性がある。これらの人格は、楽園三位一体の英知を反映しない。これらの人格はその英知である。それは、宇宙知識の応用における全教師のための英知の源である。それは、全宇宙における学習と洞察力のための施設への思慮深さの泉であり判別の水源である。
英知は、完全な存在体に備わっている神性の洞察の完全性に由来し、並びに進化の生物により得られた人格的経験に由来しているので、起源においては二重である。英知の遂行者は、神性洞察からくる楽園の完全性の神性の英知である。ユヴァーサの英知の遂行者の行政仲間、つまり強力な使者、名前と番号のないもの達、それに権威高きものたちは、ともに行動しているとき経験からくる宇宙の英知である。神性存在体は、神性知識に関する完全性を得ることができる。進化する人間は、いつかは上昇者の知識に関する完全性に至るが、これらの存在体のいずれもそれだけでは可能なすべての英知の可能性を使い果たすことはできない。従って、超宇宙の運営において最大限の行政英知の達成が望まれるときはいつでも、神性洞察の英知のこれらの遂行者は、常に進化の発展の経験上の苦難を通して超宇宙権威の高い職責に至った上昇人格との関わりがある。
英知の遂行者は、行政判断力の完成のためにいつも経験上の知恵であるこの穴埋めを必要とするであろう。しかし、高くてこれまでに達し得たことのない水準の英知は、楽園終局者が、いつか第7段階の精霊生活への誘導後に、もしかして楽園終局者により達成されるかもしれないと自明のこととして仮定されてきた。この推論が正しいならば、進化の上昇の完成されたそのような存在体は、疑う余地なくすべての創造の中で知られた最も有能な宇宙行政者になるのである。私は、このようなことが終局者の高い目標であると信じる。
英知の遂行者の多才さは、上昇する創造物の天の奉仕のほとんどすべてに参加することを可能にする。英知の遂行者と神性顧問である私の人格の系列、合わせて宇宙検閲官は、早期の画期的な時代であろうと、あるいは光と生命の定着時であろうと、個々の惑星と体制に真実を啓示する作業に従事するかもしれないし、また実際に従事する最も高い存在体の系列を構成する。時々、我々は皆、初期の生命のための惑星から地方宇宙と超宇宙、特に後者を経て、上昇する人間への奉仕に携わる。
これらの三位一体起源の存在体は、7超宇宙の領域への神格の助言である。それらは三位一体の神性顧問であり反射ではない。それらはその助言である。210億の顧問が任務についており、30億は各超宇宙に割り当てられている。
神性顧問は、英知の遂行者と宇宙検閲官の仲間であり同等者でもあり、1名から7名の顧問が後者の人格それぞれに連係している。全3系列は、主要区域と小区域を含む地方宇宙と星座、および地方体制主権者の協議会において日の老いたるもの政府に参加する。
我々は、私がこの声明を書き綴る際のように個人として行動するが、必要があればいつでも3名組としても機能する。我々が管理資格において行動するときは常に英知の遂行者、宇宙検閲官、それに1名から7名の神性顧問が関連している。
1名の英知の遂行者、7名の神性顧問、1名の宇宙検閲官は、三位一体の神性の裁決機関、つまり時間と空間の宇宙における最高の移動諮問機関を構成する。そのような9名からなる一団は、実情調査の、あるいは真実啓示の裁決機関として知られており、超宇宙の全記録上そのような評決が日の老いたるものにより一度も覆されたことはないので、難問を裁いたり、判決を下す際、それはあたかも日の老いたるものが裁定したかのようである。
3名の日の老いたるものが機能するときは、楽園三位一体が機能する。9名からなる裁決機関がその一丸となった討議を受けて決定に至るとき、どの点から見ても事実上日の老いたるものが話したことになる。そして、楽園支配者が、行政課題と政府規制において個々の世界、体制、および宇宙と個人的連絡をとるのがこの方法である。
神性顧問とは、楽園三位一体の神性顧問の完全性である。我々は、事実上、完全性の助言を代表する。我々が、仲間の、つまり進化の上昇の完成された、そして三位一体に抱擁された存在体の経験的助言により補完されるとき、我々の一致した結論は到達に至るばかりでなく充実している。我々の一致した助言が、宇宙検閲官にまとめられ、裁かれ、確認され、公表されるとき、宇宙の全体性の出発点に接近するということは、実にあり得る。そのような評決は、関連状況や懸念問題の時-空間内での神格の絶対的態度への可能な限りの最接近を意味している。
三位一体化した進化する三名組―強力な使者、権威高きもの、名前と番号を持たないもの―とのつながりにおける神性顧問7名は、ほぼ楽園水準の精霊的な意味と現実価値における人間の観点と神性の態度の融合にむけての超宇宙の最接近である。創造物と創造者の宇宙に対する団結態度からくるそのような緊密な接近は、神であり人間である楽園の贈与の息子だけが上回るのである。
80億ちょうどの宇宙検閲官がいる。これらの特異な存在体は、神格の判断である。宇宙検閲官は、単に完全性の決定の反映ではない。それらは楽園三位一体の判断である。日の老いたるものでさえ、宇宙検閲官との関連以外には判断を下さない。
居住している日の永遠なるものの惑星の行政に所属している1名の検閲官が、中央宇宙の10億の各世界に任命されている。英知の遂行者も神性顧問もこのように永久にハヴォーナ行政には所属していないし、我々も、なぜ宇宙検閲官が中央宇宙に配置されるのかを完全に理解しているわけではない。それらの現在の活動は、ハヴォーナにおける自らの職務をほとんど説明しないし、我々は、それゆえ、宇宙検閲官が、ハヴォーナ人口が部分的に変化するかもしれない将来の宇宙時代の必要性を見越してそこにいるのだろうと思う。
各7超宇宙には10億の検閲官が、割り当てられている。個々の能力においても英知の遂行者と神性顧問の関係においても、検閲官らは、7超宇宙の全区域にわたって稼動する。したがって、検閲官は、完全なハヴォーナ世界から体制君主の協議会までの壮大な宇宙の全段階において行動するし、また、進化世界の治世の全判決に不可欠部分である。
いつでもどこでも宇宙検閲官が臨場するときは、神格の判断がある。また、検閲官がいつも英知の遂行者と神性顧問とのつながりに評決を下すので、そのような決定は、楽園三位一体の合一された英知、助言、および判断を迎え入れる。この法律上の三名組において、英知の遂行者は「私はあった」で、神性顧問は、「私はあるであろう」で、宇宙検閲官は常に「私はある」であろう。
検閲官は、宇宙において統合する人格である。1,000名__―もしくは100万名―の目撃者が証言したとき、英知の声が話して神性の顧問が記録したとき、上昇の完全性の証言が加えられたとき、次には、検閲官が機能し、誤りのない神性の出来事すべてが、すぐに明らかにされる。そして、そのような公開は、神性の結論つまり最終的かつ完全な決定の要旨を示す。したがって、検閲官が話したとき、検閲官は、以前生じた本当の、しかも、紛れもないすべてを表現したのであるから、他の誰も話さないかもしれない。検閲官が話すとき、何の上訴もない。
私は、英知の遂行者の心の働きを最も完全に理解はしているが、宇宙検閲官の裁く心の働きをまちがいなく完全に理解するというわけではない。私には、検閲官が、宇宙問題の調査過程おいて提示される事実、真実、および発見の関係から新しい意味を定式化し、新しい価値をもたらすように見える。宇宙検閲官は、たぶん完全な創造者の洞察と完全にされた創造物の経験の組み合わせに対する最初の解釈を生み出すことができると思われる。楽園の完全性と宇宙経験のこの関連性は、確かに究極における新価値をもたらす。
しかし、これが、宇宙検閲官の心の働きに関する我々の困難の終わりではない。任意のいかなる宇宙状況においても、我々は、検閲官の機能について知ったり、または憶測するすべてのための然るべき考慮をした後でも、それでもまだ決定を予測できなかったり、または評決を予測できないとわかる。我々は、創造者の態度と創造物の経験の関連性からの起こり得る結果をたいへん正確に断定するが、そのような結論は、つねに検閲官による公開の正確な予測ではない。検閲官は、何らかの方法で神格絶対者とつながりであるという可能性があるように思われる。さもなければ、我々は、それらの決定と判決の多くについて説明することはできない。
英知の遂行者、神性顧問、宇宙検閲官は、崇高なる三位一体人格の7系列とともに、時として三位一体の定置の息子と呼ばれるそれらの10集団を構成する。10集団はともに、三位一体の、行政者、支配者、行政者、助言者、相談役および裁判官の大部隊を構成する。その数は、370億をわずかに超える。72億が中央宇宙に配置され、また50億をわずかに越える数が各超宇宙に配置される。
三位一体の定置の息子の機能上の限界を描写することは非常に難しい。相互作用が、超宇宙の記録に見られるのであるから、それらの行為が、有限的制限があると述べることは正しくないであろう。三位一体の定置の息子は、時間-空間の状態により必要とされるかもしれないところの、すなわち主たる宇宙の過去、現在、未来の発展に属するところの宇宙行政または判決のいかなる段階においても活動する。
喚起された三位一体の精霊は、存在する完全に秘密の数少ない存在体の系列の一系列であるのであるから、私はそれに関してあまりあなたに伝えることはできない。彼らの創造元に非常に近い起源の我々にさえ自らを完全に明らかにすることは不可能であるので、それは、無論秘密なのである。喚起された三位一体の精霊は、楽園三位一体の行為により存在にいたり、3名全員はもとより1名または2名の神格により用いられることができる。我々は、これらの精霊が数的に完成されたものか、または絶えず増加するものであるかは知らないが、精霊数は、固定されていないという意見に傾きがちである。
我々は、喚起された精霊の性質も行為も完全に理解するというわけではない。それらは、ことによると超人格精霊の部類に属するのかもしれない。それらは、周知の全回路にわたって作動するらしいし、時間と空間からはほとんど関係なく行動するようである。だが、我々は、その活動の本質からその性格を推論する以外はそれらについてはあまり知らないのだが、我々は、宇宙のあちらこちらでその結果を観測している。
これらの喚起された精霊は、一定の条件下において三位一体起源の存在体による認識のために自らを優に人格化することができる。私はそれらを見た。だが、下位の天の存在体の系列にとりそれらの1名を認識することは決して可能ではない。また、三位一体起源のいかなる存在体も自身の任務を進める上でこれらの精霊を直接採用するかもしれない発展宇宙のに関する手続きにおいて時々ある一定の情況が起こる。したがって、我々は、それらが存在するということ、また、我々は、ある条件下でそれらの支援を命じたり得たりするかもしれないということを知っているし、時々それらの臨場を認識する。しかし、それらは、そのような物質的創造が光と生命に落ち着く前に時-空間宇宙の運営を委ねられた明白で確実に明らかにされた組織の一部ではない。喚起された精霊は、進化する7超宇宙の現今の機構あるいは行政において明確に認識できる場所をもたない。それらは楽園三位一体の秘密である。
ネバドンのメルキゼデクは、喚起された三位一体の精霊が、いつか永遠の未来において単独の使者の代わりに機能するのは必至であり、その地位はゆっくりではあるが確かにある型の三位一体化の息子の仲間としてそれらの職務によって消耗していると、教える。
喚起された精霊は、宇宙の中の宇宙の単独の精霊である。精霊としての後者は異なる人格であるということを除いては、非常に単独の使者に似ている。我々は、喚起された精霊に関する知識の多くを単独の使者から得る。単独の使者は、喚起された精霊の臨場への本来の感度に基づきその近さを感知し、その感度は、磁針が磁極を指すように絶えることなく機能する。単独の使者は、喚起された三位一体の精霊の近くにいるとき、そのような神格の存在の質的兆しについて、そして実際に精霊の臨場、または複数の臨場に関する分類、あるいは数を知ることを可能にする非常に明確である量的登録についても意識している。
さらなる興味深い事実を述べてもよい。その住民に思考調整者が内住するユランチアといったような惑星にいるとき、単独の使者は、精霊臨場に対する看破-感応性において質的興奮を認識している。そのような例には、量的興奮はなく、質的動揺しかない。調整者が来ない惑星においては、その惑星出身者との単独の使者の接触にはそのような反応は起きない。これは、思考調整者が楽園の三位一体の喚起された精霊に何らかの方法で関係しているか、または関連しているというこを示している。何らかの方法で、それらはことによるとそれぞれの仕事のある局面において関連しているかもしれない。だが、我々には本当のところは分からない。両者ともに万物の中枢と根源の近くに源を発するのであるが、同じ存在体系列ではない。思考調整者は、唯一父から生まれる。喚起された精霊は、楽園三位一体の子である。
喚起された精霊は、明らかに個々の惑星または宇宙の進化の計画には属さないにもかかわらず、ほとんどいたる所にいるようである。私は、この報告の作成に従事している今、私と関連している単独の使者のもつこの精霊の系列の臨場への人格的感性が、今この瞬間、25フィートも離れていないところに喚起された系列と第三の力の臨場の1名の精霊が、我々といるということを示している。第三体積の力の臨場は、3名の喚起された精霊が関係して機能しているという可能性を我々に示している。
このとき私と関連している存在体の12以上の系列のうち、単独の使者は、三位一体のこれらの神秘的な実体の存在に気づいている唯一のものである。さらにまた、これらの神性の精霊の接近は、このようにして我々に知らされるが、我々は皆、等しくそれらのもの達の任務については知らない。我々は、神性の精霊が、単に関心をもつ自らの実行の観察者であるかどうか、それとも我々への何らかの未知の方法において実際に我々の仕事の成功に貢献するかどうかを知らない。
我々は、三位一体の教師たる息子が宇宙の創造物の意識的啓発に専心しているということを知っている。私は、また、喚起された三位一体の精霊が、超意識により領域の教師としてもまた機能しているという確固たる結論に到達した。私は、意識的には受容しえない―自意識は、受容の確実性を事実上危険にさらすであろう―精霊に関する巨大かつ必須の知識、つまり精霊的到達に不可欠の真実があると確信している。我々がこの概念において正しければ、そして、存在体の私の系列全体がそれを共有するならば、この困難を克服すること、つまり道徳的啓発と精霊的前進のための宇宙計画におけるこの格差に橋を架けることが、喚起された精霊の任務であるかもしれない。我々は、三位一体起源の教師のこれらの2つの型は、その活動においてある種のつながりをもたらすと思うが、実のところは分からない。
私は、超宇宙の訓練世界においてまたハヴォーナの永遠の回路において完成しつつある人間—進化の領域出身の精霊化にされた上昇する魂_—と親しくつきあってきたのだが、人間は、単独の使者に宿る看破の力が、実に我々の近くにいることを時おり示唆するその喚起された精霊に1度として気づいたことがない。私は、全系列の神の高位と下位の息子と自由に話してきたが、それらは、喚起された三位一体の精霊の戒めを同じようには意識していない。神の息子は、自らの経験を振り返ることができ、実際にそうするし、もしそのような精霊の機能が考慮に入れられなければ説明し難しい出来事についても詳しく話す。だが単独の使者を除く、時として三位一体起源の存在体を除いては、天の家族の誰も、喚起された精霊の接近というものを意識したことがない。
私は、喚起された三位一体の精霊が私と隠れん坊をしているとは思わない。喚起された三位一体の精霊は、私が彼らと通じ合おうとするように、おそらく一生懸命に私に自分たちを明らかにしようとしているであろう。我々の困難と限界は、相互的であり、また固有なものであるに違いない。私は、宇宙において何の気まぐれな秘密もないことに満足している。したがって、私は自分の創造の系列に属するこれらの精霊の孤立の神秘を解決する努力を決して止めない。
このすべてから、ちょうど今永遠の旅への第一歩を踏み出すあなた方必滅者は、「光景」と「物質」の確かさによる進展の前に長い道のりを進まなければならないということがよく理解できる。あなたは、すぐに、しかも安全に前進することを望むならば、長い間信仰を必要とし顕示に頼るようになるであろう。
ハヴォーナ出身者は、楽園三位一体の直接の創造であり、またその出身者数は、あなたの限りある心の概念以上のものである。永遠の宇宙のこれらの三位一体起源の種族のような神らしく完全なそのような創造物の固有の授与を想像することは、ユランチア出身者にとってもまた可能ではない。あなたは、本当に、これらの栄光の創造物を決して思い描くことはできない。あなたは、ハヴォーナへの到着を待ち受けなければならない。そして、そのとき、精霊仲間としてそれらに挨拶することができる。
ハヴォーナ文化をもつ10億の世界での長い滞在中、あなたは、これらの優れた存在体に対して永遠の友情を育むであろう。また、空間世界の最も低い人格的創造物と中央宇宙の完全な球体出身の高い人格存在体の間で成長するその友情のなんと深いことか。上昇する人間は、ハヴォーナ出身者との長く情愛深い関係において人間の前進初期の精霊の貧困化を補正するために多くのことをするのである。同時に、ハヴォーナ出身者は、上昇する巡礼者との接触を通じ、つねに神性の完全性の生活を送ってきた経験上の不利な条件をかなりの範囲で克服する経験をする。上昇する人間とハヴォーナの出身者の両者への利益は、すばらしく、かつ相互的なものである。
他のすべての三位一体起源の人格のようにハヴォーナ出身者は、神性の完全性に映し出され、他の三位一体起源の人格のように、時の経過が、経験的授与の貯蔵を増すかもしれない。しかし、ハヴォーナ出身者は、三位一体の定置の息子とは異なり地位が進展するかもしれない、つまり非啓示の将来の永遠-目標を持っているかもしれない。これは、調整者ではない父の断片との融合のために奉仕-事実化し、このようにして終局者の必滅者部隊の隊員資格に適任であるハヴォーナ出身者により例証される。また、他の終局者部隊が、中央宇宙の出身者には開かれている。
ハヴォーナ出身者の地位の進展は、ユヴァーサについて多くの考察をもたらした。ハヴォーナ出身者は、絶えず終局者のいくつかの楽園部隊に浸透しているので、その上もう存在体は創造されていないので、ハヴォーナに留まる出身者数が絶えず減少しているというのは明らかである。これらの出来事の最終結果は、我々には一度も明らかにされたことはないが、我々は、ハヴォーナからその出身者が完全に尽き果ててなくなるとは信じない。我々は、ハヴォーナ出身者が、ことによると外部空間段階の連続的創造時代のいつか終局者軍団に入ることをやめるであろうという見解を抱いてきた。また、我々は、中央宇宙は、これらのその後の宇宙時代に居住存在体の混合集団、すなわち原初のハヴォーナ出身者の一部だけから成る公民で満たされるかもしれないという考えも抱いてきた。創造物のいかなる系列、または型がこのようにして将来のハヴォーナの居住状態に運命づけられるのかは知らないが、我々は、次のように考えてきた。
1. ユーニーヴィータ-チア。これらは、現在のところ地方宇宙星座の永久的公民である。
2. 光と生命の時代の最盛期に超宇宙の生息球体に生まれるかもしれない人間の未来の型。
3. 一連の外空間の新来の精霊的特権階級。
我々は、以前の宇宙のハヴォーナは、現代のハヴォーナとはいくらか異なっていたということを知っている。我々は、来る時代を予示する中央宇宙におけるそれらの緩慢な変化をいま目撃していると推測することは妥当であると考える。一つの事が確かである。宇宙は非静的である。神のみが不変である。
楽園には優れた存在体の、つまり楽園公民の数多くの集団がいる。それらは、上昇する意志の存在体の計画を直接には扱わないし、したがって、ユランチアの必滅者に完全に明らかにされるというわけではない。これらの崇高な知力ある3,000以上もの系列があり、このうちの最後の集団は、三位一体が時間と空間の7超宇宙の創造計画を命じると同時に人格化された。
楽園公民とハヴォーナ出身者は、ときどき楽園-ハヴォーナ人格として集団で任命される。
これで楽園三位一体により生み出されるそれらの存在体の話を完了する。それらのうちの何者とても迷ったことはない。しかも、最高度の意味で、それらには全員、自由意志が授けられている。
三位一体起源の存在体は、熾天使などの輸送人格に頼ることなく移動する特権を持つ。我々には皆、宇宙の中の宇宙において自由にすばやく動きまわる力がある。我々は、喚起された三位一体の精霊を除く単独の使者の信じられない速度に達することはできないが、空間での輸送施設全体を利用するので、その本部から、ユランチア時間の1年足らずで超宇宙のどの地点にも届くことができる。私は、ユヴァーサからユランチアまでの旅にあなたの時間の109日間を要した。
我々は、即座にこれらの同じ手段で連絡し合うことができる。我々の創造の系列全体は、喚起された精霊のみを除く楽園三位一体の子供のあらゆる区域内に抱擁されるすべての個人と接触しているそれ自体を見い出す。
[ユヴァーサの神性顧問による提示]
オーヴォントンの超宇宙で機能するとき、神の息子は3名の一般首脳に分類される。
1. 神の下降する息子
2. 神の上昇する息子
3. 神の三位一体化の息子
下降する子息性の系列は、神性の、直接の創造である人格を包含する。必滅の創造物のような上昇する息子は、発展という創造的手段における経験的参加によってこの身分を獲得する。三位一体化の息子は、三位一体の直接起源ではないものの楽園三位一体により抱擁される全存在体を含む合成起源の集団である。
神の下降する息子は、高位で神性の起源である。神の下降する息子は、進化の起源__—神の上昇する息子—の下級の創造物が、楽園上昇において容易に進歩ができるように時間と空間の世界と体制において下降の奉仕活動に専念する。下降する息子の数多くの系列のうち、7系列がこれらの物語で表現されるであろう。中央の光と生命の小島の神格から来るそれらの息子は、神の楽園の息子と呼ばれ、次の3系列を含む。
1. 創造者たる息子たち—ミカエル系
2. 執政の息子たち—アヴォナル系
3. 三位一体の教師たる息子たち—デナル系
下降する子息性の残る4系列は、神の地方宇宙の息子として知られている。
4. メルキゼデクの息子たち
5. ヴォロンダデクの息子たち
6. ラノナンデクの息子たち
7. 生命運搬者
メルキゼデクは、地方宇宙の創造者たる息子、創造の精霊、および父メルキゼデクの共有の子である。ヴォロンダデク系とラノナンデク系の双方は、創造者たる息子と創造者たる息子の創造の精霊提携者により生み出される。ヴォロンダデクは、いと高きもの、すなわち惑星の父として最もよく知られている。ラノナンデクは、体制君主として、また惑星の王子として。生命運搬者の三重系列は、超宇宙の管轄内の3名の日の老いたるものと相互に作用する創造の精霊と創造者たる息子とにより生み出される。しかし、これらの神の地方宇宙の息子の本質と活動については、地方の創造の問題を扱うそれらの書類により適切に描かれている。
神の楽園の息子は、三重の起源をもつ。一次の息子、すなわち創造者たる息子は、宇宙なる父と永遠なる息子により生み出される。二次の息子、すなわち執政の息子は、永遠なる息子と無限の精霊の子である。三位一体の教師たる息子は、父、息子、精霊の子である。楽園の息子は、奉仕、崇拝、祈りの見地からは、まるで1者のようである。それらの精霊は一つであり、その働きは品質と完全性において同じである。
楽園の日の系列が神性行政者であると証明したように、楽園の息子の系列は、神性奉仕活動者—創造者、奉仕者、贈与者、裁判官、教師、および真実示現者—として自身を明らかにしたのである。これらの物語では明らかにされない中央宇宙と超宇宙における多様な奉仕をする日の系列は、永遠の小島の岸から時間と空間の生息世界までの宇宙の中の宇宙へと及ぶ。それらは、奉仕の性質と居場所次第でさまざまに組織化されるが、地方宇宙の中にあっては執政の息子と教師たる息子双方が、その領域を統括する創造者たる息子の指示のもとに貢献する。
ユランチアの人間すべてに自らの精霊を注ぎ出したとき、創造者たる息子は、あなた自身の創造者たる息子がしたように、自らが制御し、また贈与できる人格存在体に中心を置く精霊的な授与を持っているように思える。それぞれの創造者たる息子は、自身の領域におけるこの精霊的な引き寄せる力に恵まれている。創造者たる息子は、すべての下降する神の息子の行為と感情を個人的に意識している。宇宙の中の宇宙のいずこにいようとも、楽園の息子すべてとの接触を図り、接触の維持を可能にする永遠なる息子の引き寄せる精霊的なその絶対的な力の神性の反映、つまり地方宇宙の複製が、ここにある。
楽園の創造者たる息子は、奉仕と贈与の下降方向への職務において息子として貢献するばかりではなく、その贈与経歴の終了時に、各自が自己の創造において宇宙なる父として機能し、一方、神の他の息子は、宇宙なる父の愛情深い支配を惑星一つ一つが自発的に認識するようにと設計された贈与と精霊的高揚の貢献を続けるており、この認識は、楽園の父の意志への被創造物の献身において、また、創造者たる息子の宇宙主権への惑星の忠誠において頂点に到達するのである。
創造者と被創造物は、七重の創造者たる息子のなかに、理解があり、思いやりのある慈悲深い関係でいつまでも融合されている。ミカエルの系列全体、すなわち創造者たる息子は、その性質と活動についての検討が、本書の次の論文に持ち越されるほどに特異なものであるが、この解説文は、楽園の子息性の残りの系列、つまり執政の息子と三位一体の教師たる息子に関係するものである。
永遠なる息子により定式化された存在体に関する最初の、しかも絶対的概念を愛の奉仕に関する無限の精霊により発想される新たで神聖的理想と一体化するたびに、神の新たな最初の息子、すなわち楽園の執政の息子が、生み出される。これらの息子は、ミカエルの系列とは対照的にアヴォナルの系列を構成する。執政の息子は、人格的意味において創造者ではないが、その全ての仕事においてミカエルに密接に関連している。アヴォナルは、惑星の奉仕活動者であり裁判官、つまり、時間-空間の領域の—全種族の、全世界の、全宇宙の判事である。
壮大な宇宙の執政の息子たちの総数はおよそ10億であると信じる理由が我々にはある。それらは、自治の系列であり、全宇宙の奉仕から得られた経験豊富なアヴォナル系を構成する楽園の最高協議会に指示を受ける。しかし、執政の息子たちは、地方宇宙に配置され委嘱されるとき、その領域の創造者たる息子の指揮下に仕える。
アヴォナル達は、地方宇宙の個々の惑星への奉仕と贈与のための楽園の息子である。アヴォナルの各息子は、他にはない人格を持ち、つまり2者が似ることはなく、各自の仕事はその滞在領域において個々に特異である。そこでは、人間の肉体に似せてしばしば肉体が与えられ、ときには進化世界の地球の母から生まれる。
より高い行政段階における奉仕に加え、アヴォナル達には、生息世界における三重機能がある。
司法活動。アヴォナル達は、惑星の治世の終わりに行動する。やがては、何十もの- 何百もの -そのような任務は、それぞの個々の世界において実行されるかもしれないし、また眠れる生存者の解放者として同じ世界へ、または他の世界へ数え切れないほどの頻度で行くかもしれない。
2. 執政任務。通常、この型の惑星訪問は、贈与の息子の到着前に起こる。アヴォナルは、そのような任務に際し、人間の誕生を伴わない肉体化の手段により領域の大人として現れる。この最初の、通常の行政官の訪問に続き、アヴォナルは、贈与の息子の出現前後ともに同じ惑星において行政手腕で繰り返し貢献するかもしれない。アヴォナルは、これらのさらなる執政任務において物質形態、または可視形態で現れるかもしれないし、そうではないかもしれないが、それらのうちのいずれも無力な赤子として世界に生まれることはないであろう。
3. 贈与の任務。アヴォナルの息子はすべて、少なくとも一度は、何らかの進化世界の何らかの人種に自らを贈与する。司法訪問は頻繁であるかもしれないし、執政任務は複数回であるかもしれないが、各惑星には1名の贈与の息子のみが現れる。贈与のアヴォナルは、ユランチアにおいて肉体を与えられたネバドンのミカエルとして女性から生まれる。
アヴォナルの息子には、行政任務上の、また贈与任務上の奉仕に回数制限はないが、通常7回の縦断経験後には、そのような貢献のないもの達のために一時的中止がある。複数の贈与経験のこれらの息子は、創造者たる息子の高等人格協議会に配属され、こうして宇宙業務の処理関係者になる。
執政の息子たちは、生息世界のための、また生息世界におけるすべての仕事の上で地方宇宙の創造物の2系列、すなわち、メルキゼデク系と大天使系の補助を受けており、一方、贈与任務上においても同様に、地方創造に起源をもつ輝ける宵の明星を伴っている。第二の楽園の息子であるアヴォナル系は、惑星におけるあらゆる努力において第一の楽園の息子、つまりアヴォナル系の地方宇宙奉仕の創造者たる息子の完全な力と権威の支持を受ける。人間生息のそのような世界における創造者たる息子の奉仕は、効果的かつ受容できたかもしれないように、生息球体におけるそれらの仕事は、どの点から見ても同じく効果的で受容できる。
アヴォナル系は、領域の高位の行政長官、すなわち時間の世界の歴代の配剤の審判者であるので執政の息子として知られている。アヴォナル系は、睡眠中の生存者の覚醒を支配し、領域において判断を下し、司法の中断に終止符を打ち、最終的ではない慈悲の時代の使命を遂行し、惑星の奉仕活動の空間創造物を新配剤の務めに再選任し、任務の完了したところで自分たちの地方宇宙本部に戻る。
アヴォナル系は、一時代の目標に判断を下すに当たり進化の人種の命運を定めるとはいえ、人格創造物の自己同一性を消すための判断を下すことを許されているとはいえ、そのような判決を実行はしない。この種の評決は超宇宙の当局以外の何者にも実行はされない。
配剤を終える目的と惑星進行の新時代開始の目的のための進化世界における楽園のアヴォナル系の到着は、必ずしも執政任務、あるいは贈与任務のいずれかではない。執政任務は時として肉体化であり、贈与任務はつねに肉体化である。すなわち、アヴォナル系は、惑星において物質の型—文字通り—でのそのような任務に従事する。それらの他の訪問は、「技術的であり」、アヴォナルは、この能力での惑星の奉仕のために肉体化されるのではない。もし執政の息子が、もっぱら配剤調整者として来るのであるならば、領域の物質的創造物には見えない精霊存在体として惑星に到着するのであり、そのような技術的訪問は、生息界の長い歴史に繰り返し起きている。
アヴォナルの息子は、治安と贈与の両経験に先立ち、惑星の裁判官として務めるかもしれない。しかしながら、肉体化の息子は、これらの任務のいずれかにおいて一時的な惑星時代に判決を下すであろう。同様に、創造者たる息子は、人間の肉体に似せて贈与の任務に際し肉体化する。楽園の息子が、進化世界を訪れその人々の中の一人のようになると、その臨場は、配剤を終えて領域の審判となる。
贈与の息子の惑星への出現に先立ち、生息界は、通常、執政任務をもつ1名の楽園のアヴォナルの訪問がある。それが最初の行政訪問であるならば、そのアヴォナルは、物質存在体として常に肉体が与えられる。そのアヴォナルは、人類のれっきとした男性、すなわち、その時代と世代の完全に必滅の創造物に見える存在体として配属の惑星に現れる。行政のための肉体化の間、地方の精霊力と普遍的な精霊力とのアヴォナルの息子の関係は、完全であり崩れない。
惑星は、贈与の息子の出現前後ともに権威の訪問を多く経験するかもしれない。配剤調整者として同じく活動するか、または他のアヴォナルの訪問を幾度となく受けるかもしれないが、審判のそのような技術的任務は贈与的でも権威的でもなく、このような場合アヴォナル系に肉体は与えられない。惑星が執政上の繰り返しの任務に恵まれるときでさえ、アヴォナル系は、いつも人間の肉体化に従うというわけではない。また、アヴォナル系は、人間の生身の姿で奉仕するときはいつも、領域の大人の存在体として現れる。女性から生まれるのではない。
楽園の息子は、贈与のあるいは行政のいずれかの任務の際に肉体を与えられるとき、調整者を経験し、肉体化ごとにこれらの調整者は異なっている。神の肉体を与えられた息子の心を占領する調整者というものは、決してその内住する人間-神性の存在体との融合を通じて人格を期待することはできないが、宇宙なる父の命令により頻繁に人格化される。そのような調整者は、生息領域への神秘の訓戒者の行政、識別、および派遣にむけての指揮に関わるディヴィニントンの最高協議会を形成する。また、人間のこの世の肉体の溶解に際し、「父の懐」への帰還にあたり、調整者を受け入れ承認する。世界の裁判官である忠実な調整者は、このようにして自らの種の高位の長になる。
ユランチアは、執政任務にあるアヴォナルの息子のもてなし係りをしたことは一度もない。ユランチアが、生息界の一般計画に従っていたならば、それはアダームの時代とキリスト・ミカエルの贈与の間で権威の任務に祝福されていたことであろうに。しかし、あなたの惑星での楽園の息子の順序は、最後の贈与においてあなたの創造者の息子の出現により1,900年前に完全に乱された。
執政任務に際し肉体化を命令された1名のアヴォナルが、ユランチアにはまだ訪れるかもしれないが、楽園の息子の将来の出現に関しては、「楽園の天使さえも、そのような訪問については、時間も方法も知らない」のである。なぜならば、ミカエル-贈与世界は、熟練の息子の個人的かつ人格的な保護区になり、そういうものとして、完全に自身の計画と支配を前提としている。そして、あなたの世界に関しては、これは、戻るというミカエルの約束によりさらに複雑にされるのである。ネバドンのミカエルのユランチア滞在に関する誤解にもかかわらず、一つのことが確かに信頼するに足るのである。—あなたの世界に戻るというミカエルの約束。この見込みを考慮して、ただ時のみが、神の楽園の息子のユランチア訪問の将来の順番を明らかにすることができる。
永遠なる息子、神の永遠の言葉である。永遠なる息子は、永遠の父の「第1」の絶対の、無限の考えの完全な表現である。この初代の息子の人格の複製、あるいは神性の延長が、人間の肉体化の贈与任務を始めるとき、神性の「言葉は肉体となる」ということ、その結果、言葉は、動物起源の卑しい存在体の間に住んでいるということが、文字通り真実になる。
息子の贈与の目的は、何らかの方法で、宇宙なる父の態度に影響を及ぼすためであるという広く知られた信念が、ユランチアにはある。しかし、あなたの啓蒙は、これが本当ではないことを示すべきである。アヴォナルの息子とミカエルの息子の贈与は、これらの息子を思いやりのある行政長官や支配者にし、時間と空間の民族と惑星が、安心ができるようにと考案された経験的過程の必要部分である。七重の贈与の経歴は、楽園の創造者たる息子すべての崇高目標である。そして、執政の息子たちすべては、第一の創造者たる息子と楽園の永遠なる息子を非常に豊かに特徴づけているこの同じ奉仕の精神により動機づけられている。
楽園の息子のある系列は、その球体のすべての普通の人間の心に思考調整者が宿ることを可能にするようにそれぞれの人間-生息界に授与されなければならない。というのも、調整者は、真実の精霊が全人類に注がれるまですべての正真正銘の人間には来ないのであるから。また、真実の精霊の派遣は、発展世界の肉体における贈与の任務を首尾よく実行した楽園の息子の宇宙本部への帰還に依存している。
生息惑星の長い歴史の間には、多くの配剤裁決が起こるであろうし、一つ以上の執政任務が生じるかもしれないが、通常、贈与の息子は、ただ一度だけその球体において仕えるでろう。各生息界には、生から死までの人間の全生活を送るために来る1名の贈与の息子だけが必要とされるのである。創造者たる息子が、人間の姿での贈与を選んだ各地方宇宙の中のその一つの惑星を除き、遅かれ早かれ、精霊的状態にかかわらず、あらゆる必滅者-生息の世界が、贈与の任務を負う執政の息子のもてなし係りになるように運命づけられている。
あなたは、贈与の息子に関しさらに理解したのであるから、ネバドンの歴史におけるユランチアになぜそれほどまでに多くの関心が寄せられるかを明察する。地方宇宙は、単にナザレの人間イエスの故郷の世界であるということから、あなたの小さく重要でない惑星に関心をもつ。人間イエスの故郷の世界は、あなたの創造者たる息子の最終的かつ勝利の贈与の現場、つまり、ミカエルがネバドンの宇宙の最高の人格的主権を勝ち得た活動領域であった。
地方宇宙本部において創造者たる息子は、特に自身の人間贈与の終了後に、仲間の息子の、つまり執政の息子たちの集団に助言したり教授することに多くの時間を費やす。これらの執政の息子たちは、愛と献身で、深い慈悲と愛情の考慮をともなって、自らを空間世界に授与する。そして、これらの惑星の奉仕は、決してミカエルの人間の贈与に勝るとも劣らない。あなたの創造者たる息子が、創造物としての経験のために異常な不運に苦しんだ領域を自身の最後の冒険の場に選択したということは、本当である。しかし、創造者たる息子の贈与が、その精霊的復興をもたらすことを必要とするというほどいかなる惑星もそのような状態にはなかった。執政の息子たちは、地方宇宙の世界におけるすべての働きにおいて楽園の兄弟、つまり創造者たる息子のように同じく神々しく有能であり、すべてに賢明であるので、贈与集団のどの息子も、等しく満足させたことであろう。
贈与の肉体化の間、これらの楽園の息子に最悪の事態の可能性は常にあるとはいえ、私は、贈与の任務にある権威の息子の、あるいは創造者たる息子のいずれの失敗も不履行もいまだ見ていない。両者は、失敗するにはあまりにも絶対完全性に近過ぎる起源のものである。両者は、じつに危険を引き受け、実際に生身の必滅の創造物のようになり、創造物の特異な経験をするのであるが、私の観測の範囲内では、それらは、いつも成功している。両者は、決して贈与任務の目標の達成をしくじらない。全ネバドンの両者の贈与と惑星奉仕に関する物語は、あなたの地方宇宙の歴史の最も高貴で魅惑的な章を構成しているのである。
それによって楽園の息子が贈与の息子として人間の肉体化の準備ができるようになる、つまり贈与の惑星において母になる方法は、普遍的謎である。また、このソナリントン手法の働きを見破るいかなる努力も、失敗は避けられない。ナザレのイエスの人間の生涯に関する高尚な知識をあなたの魂に深くしまっておきなさい。ただし、ネバドンのミカエルのこの謎の肉体化がいかに成りたったかに関する無用な推測に考えを浪費してはならない。我々は、このような業績が神性の本質にとっては可能であるという知識と確信で我々全員を喜ばせ、このような現象をもたらす神性の賢明さにより駆使された手法について無益な憶測に時を無駄にしないようにしよう。
楽園の息子は、人間の贈与の任務にあたりイエスがユランチアにおいてしたように、いつでも女性から生まれ領域の男の子として成長する。崇高な奉仕に関わるこれらの息子はすべて、ちょうど人間のように幼年時代から青年時代をへて成年にうつる。それらは、すべての点において生まれる人種の人間のようになる。自身が勤める領域の子供がするように父に請願する。物質的観点から、これらの人間-神性の息子は、ただ一つを例外として普通の生活を送る。人間-神性の息子は、滞在する世界においてに子をもうけない。それは、楽園の贈与の息子の全系列に課される普遍的制限である。
イエスが大工の息子としてあなたの世界で働いたように、他の楽園の息子も、それぞれの贈与惑星において様々な能力で労働する。あなたには、時間の進化惑星のどれか一つの贈与過程において不特定の楽園の息子が踏襲しなかった職業を思いつくことはとてもできまい。
贈与の息子は、人間の生活を経験を習得すると、内住する調整者との完全な同調を達成するとその後すぐに、肉体をもつ同胞の心を照らし、魂を奮い立たせるように考案された自分の惑星の任務に関わるその部分に取り掛かる。これらの息子は、教師として専ら滞在する世界における人類の精霊的な啓発に捧げられる。
ミカエルとアヴォナルの人間-贈与経歴は、ほとんどの点において匹敵してはいるものの、全てにおいて同じではない。執政の息子は、あなたの創造者たる息子がユランチアにおいて、そして、うつし身となって「息子を見たものは誰でも父を見た、」と言ったたようには決して宣言しない。しかし、贈与任務にあるアヴォナルは、「私を見たものは誰でも神の永遠なる息子を見た、」と宣言するのである。執政の息子たちは、宇宙なる父からの直系ではないし、父の意志に従って肉体化をするのではない。執政の息子たちは、楽園の息子が楽園の永遠なる息子の意志に従うようにいつも自分自身を与えるのである。
贈与の息子、つまり創造者たる息子か権威の息子が、死の入り口に入ると、それらは3日目に再び現れる。だが、それらが、1,900年前にあなたの世界に滞在した創造者たる息子が遭遇した悲惨な終わりに、つねに出会うという考えを抱くべきではない。ユランチアは、ナザレのイエスが通過した途方もなく、異常に残酷な経験により、「十字架の世界」として局所的に知られるようになった。そのような非人間的な扱いが神の息子に与えられる必要はなく、また大多数の惑星は、 より思いやりのある待遇を贈与の息子らに提供する。大多数の惑星は、非業の死を課すことなく、贈与の息子らにそれぞれの人間の経歴を終えさせ、時代を終えさせ、眠りの生存者を裁かせ、新配剤を開始させる。贈与の息子は、死に直面しなければならない、つまり、領域の人間の実際の全経験を乗り越えなければならないが、この死が暴力的であったり、異常であるという神性計画を必要とはしれない。
贈与の息子が暴力により処刑されない場合、「厳格な正義」あるいは「神性の激怒」の要求に応えるのではなく、むしろ、贈与を終了するために、すなわち、肉体化の経験と、必滅者のいる惑星において送られるような創造物の人生を構成する全てにおける個人的経験の、「杯を飲むために」、自ら進んで命を諦め、死の入り口を潜り抜けるのである。贈与は、惑星と宇宙にとっての必要性であり、肉体の死は、贈与任務の必要部分に過ぎない。
人間の肉体化が終わるとき、奉仕のアヴォナルは楽園に進み、宇宙なる父に受け入れられ、配置先の地方宇宙に戻り、創造者たる息子に承認される。贈与のアヴォナルと創造者たる息子は、そこでただちに贈与世界に居住する人類の心において機能するようにそれらの結合の真実の精霊を送り出す。これは、地方宇宙の前主権時代においては両者の息子の共同精霊であり、創造の精霊により実行される。それは、ミカエルの第7贈与に続く地方宇宙の時代を特徴づける真実の精霊とはいくらか異なっている。
創造者たる息子の最後の贈与が完了すると、その地方宇宙のすべてのアヴォナル-贈与世界に以前に送り出された真実の精霊は、本質面において変化し、ますます文字通り最高位にあるミカエルの精霊になる。この現象は、ミカエル-人間-贈与の惑星における奉仕のために真実の精霊の解放と時を同じくして起こる。その後、権威の贈与により光栄に浴した各世界は、地方宇宙の君主がその贈与の息子として直接的に肉体を与えられたとしたならば、その執政の息子と関連して、七重の創造者たる息子から受けるであろう同じ慰安者を受けるであろう。
これらの非常に個人的で精霊的な楽園の息子は、楽園の三位一体により誕生へと至る。それらは、ハヴォーナではデナルの系列として知られている。オーヴォントンでは三位一体の教師たる息子と記録されており、その親性ゆえにそのように命名されているのである。サルヴィントンでは、時として楽園の精霊の息子と呼ばれる。
教師たる息子は、数的には絶えず増加している。前回の宇宙調査に関する放送では、中央と超宇宙で機能するこれらの三位一体息子の数を210億余りと示しており、現存する三位一体の教師たる息子全員の1/3以上を含む楽園の予備部隊は除外されている。
子息性のデナル系列は、地方行政か超宇宙行政の不可欠部分ではない。その構成員は、創造者でも回収者でもなく、裁判官でも支配者でもない。それらは、道徳的啓発や精霊的進歩ほどには宇宙行政には関係がない。それらは、すべての領域の精霊的覚醒と道徳的指導に捧げられているので普遍的教育者である。子息性のデナル系列の奉仕活動は、緊密に無限の精霊の人格のそれと相互関係があり、密接に創造物の楽園の上昇に関わりがある。
三位一体のこれらの息子たちは、3名の楽園の神格の結合された性質を帯びているにもかかわらず、どうやらハヴォーナにおいては宇宙なる父の性質をより反映しているようである。超宇宙においては、永遠なる息子の性質を表現しているようであり、地方の創造においては、無限の精霊の特徴を示しているらしい。三位一体のこれらの息子たちは、全宇宙においては奉仕の具体化と英知の分別である。
楽園の同胞とは異なりミカエル系とアヴォナル系は、つまり三位一体の教師たる息子らは、中央宇宙での何の予備訓練も受けない。それらは、直接、超宇宙本部に派遣され、そこからいずれかの地方宇宙での奉仕に任命される。デナル系自身そのものには、これらの進化の領域への奉仕活動において精霊的引力がないので、三位一体の教師たる息子らは、創造者たる息子と関連する執政の息子たちの結合された精霊的影響を活用する。
楽園の精霊の息子は、三位一体起源の他とは異なる存在体であり、二重起源の宇宙の行為に完全に関係づけられた唯一の三位一体の創造物である。それらは、必滅の創造物と精霊的存在体の下級系列への教育的奉仕活動に愛情深く専念する。それらは、経験と業績に基づいて地方体制における労働を始め、地方創造の最高の仕事に向かって星座勤務を通じて内面へと進む。楽園の精霊の息子らは、認定を受ると同時に奉仕先の地方宇宙を代表する精霊的大使になるかもしれない。
ネバドンの教師たる息子の正確な数を、私は知らない。何千もの数になる。メルキゼデクの学校の学部の多くの責任者がこの系列に属するが、サルヴィントンの定期的に構成される大学の合同職員は、これらの息子を含む10万以上を擁する。数多くのものが様々なモロンチア-訓練世界に配置されるが、かならずしも必滅創造物の精霊的、知的向上に専念するわけではない。それらは、熾天使の存在体と地方創造の他の出身者の導きに等しく関係がある。その補佐の多くは、創造物-三位一体化の存在体の階層から選ばれる。
教師たる息子は、責務ある辺境哨兵から星の生徒の宇宙奉仕の下位段階すべての資格と公認のための全考査を行い、またすべての試験を実施する職員を構成する。それらは、惑星課程からサルヴィントンに位置する英知の高等大学にわたる長年の訓練課程を実施する。努力と到達の表示である認証は、知恵と真実でこれらの冒険を終了する上昇の人間、あるいは意欲的な天使童子のすべてに与えられる。
神の息子のすべてが、全宇宙において絶えず忠実で普遍的に有能な三位一体の教師たる息子に見守られている。それらは、すべての精霊人格の発揚された教師であり、神の息子自身の立証済みの真の教師でさえある。しかし、私は、教師たる息子の義務と機能に関わる際限のない細部についてあまりあなたに教えることはできない。デナル-子息性活動の広大な領域は、あなたが知性の点でより進んでいるとき、またあなたの惑星の精霊的孤立が終了後に、ユランチアにおいてより理解されるであろう。
三位一体の教師たる息子は、進化世界の成り行きの進展が、精霊的時代に着手する機が熟していることを示唆するとき、いつもこの奉仕に志願する。あなたは、ユランチアが精霊的時代を、すなわち、宇宙啓発の1,000年間を一度も経験したことがないので、子息性に関するこの系列には詳しくない。しかし、教師たる息子は今でも、あなたの球体での計画された滞在に関する計画を定式化する目的のためにあなたの世界を訪問する。それらは、その住民が動物的行動の束縛から、また物質主義の拘束からの開放を獲得した後にユランチアに現れるはずである。
三位一体の教師たる息子は、惑星の配剤終了には全く無関係である。三位一体の教師たる息子は、死者を裁いたり生者を移したりはしないが、これらの奉仕を実行する執政の息子たちをそれぞれの惑星任務に伴う。教師たる息子は、精霊的時代の開始、すなわち進化する惑星における精霊的現実時代の夜明けに全面的に関係している。教師たる息子らは、物質的知識と俗世の英知の精霊的対応物を具体的にする。
教師たる息子は、惑星時間のその訪問惑星に通常1,000年間留まる。1名の教師たる息子は、惑星の千年の治世期間を統治し、70名の自分の系列の仲間の補助を受ける。デナル系は、肉体化をしないし、他の方法でも必滅の存在体に見えるようには自分たちを具体化しない。したがって、三位一体の教師たる息子と関連する地方宇宙の人格である輝ける宵の明星の活動を通じて維持される訪問世界と接触する。
デナル系は、幾度となく生息界に戻るかもしれないし、惑星は、最終的任務に続いて光と生命の定着状態の球体へと、すなわち現宇宙時代の必滅-生息世界すべての進化的目標へと先導されるであろう。終局者の必滅者部隊は、光と生命に定着した球体に大いに関係があり、その部隊の惑星における活動は、教師たる息子に接触する。実に、デナルの子息性の系列全体は、時間と空間の進化的創造における終局者の活動の全局面に緊密に関連づけられている。
三位一体の教師たる息子は、進化的上昇の初期段階からずっと人間前進の体制に完全に関わっているらしいので、我々は、しばしば未来宇宙の明かされていない経歴における終局者との可能な関係を憶測することになる。我々は、超宇宙の行政者は、一部は三位一体起源人格であり、一部は三位一体-抱擁された進化する上昇の創造物であると観察する。我々は、現在教師たる息子と終局者とが、何らかの非啓示の将来の目標における密接なつながりに備えるための予備訓練であるかもしれない時間-関連性の経験を取得することに熱中していると堅く信じる。進化世界の問題にすっかりなじみ深くなり、また進化的人間の経歴に長い間関係してきたこれらの楽園の教師たる息子は、ついに超宇宙が光と生命に落ち着くとき、おそらく終局者の楽園部隊との永遠の関係へと移されるであろうというのが、ユヴァーサにおける我々の信念である。
神の楽園の息子のすべてが、起源と性質において神性である。各世界のための楽園の息子の各々の働きは、まるで最初の、そして唯一の神の息子の奉仕のようである。
楽園の息子は、時間と空間の領域への神格の3人格に属する機能的性質の神性提示である。創造者たる息子、執政の息子、教師たる息子は、人の子らへの、そして、上昇可能の他の宇宙の全創造物への永遠の神格の贈り物である。これらの神の息子は、永遠性の高い精霊的目標に達する時間の創造物を助ける仕事に絶えず専念する神性の奉仕活動者である。
宇宙なる父の愛は、創造者たる息子のなかに永遠なる息子の慈悲と融合されており、ミカエルのもつ創造力、愛の奉仕活動、理解ある統治をもって地方宇宙に明らかにされる。永遠なる息子の慈悲は、執政の息子のなかに無限の精霊の奉仕活動と結合されており、これらのアヴォナル系の裁定、奉仕、贈与の経歴において進化の領域に明らかされる。3名の楽園の神格の愛、慈悲、および奉仕活動は、三位一体の教師たる息子のなかで最高度の時-空間の価値-段階において調整され、生ける真実、神性の善、真の精霊美として宇宙に提示される。
子息性のこれらの系列は、空間の創造物への楽園の神格の顕示をもたらすために地方宇宙において協力をする。創造者息子は、地方宇宙の父として宇宙なる父の無限の特質を描き出す。アヴォナル系は、慈悲の贈与の息子として無限の思いやりをもつ永遠なる息子の比類なき本質を明らかにする。三位一体のデナルの息子は、上昇人格の真の教師として無限の精霊の教師の人格を明らかにする。ミカエル系、アヴォナル系、デナル系は、神々しく完全な協力で時-空間宇宙内、またそれへの崇高なる神の人格と主権の実現と顕示に貢献している。これらの神の楽園の息子は、三位一体の活動で調和して、第一の偉大な根源と中枢の神性の楽園の永遠の小島から空間の未知の深層への終わりなき展開を追求するとき、神格の人格の先駆的位置においていつも機能する。
[ユヴァーサからの英知の遂行者による提示]
創造者たる息子は、時間と空間の地方宇宙の製作者であり支配者である。これらの宇宙の創造者と主権者は、父なる神と息子なる神の特性を具体化しており二重起源である。しかし、創造者たる息子のそれぞれは、他の全てとは異なっている。各自が、性質面においても人格面においても唯一無二である。各自が、完全な神性理想その起源から「唯一生み出された息子」である。
これらの高位の息子は、地方宇宙を組織化し、発展させ、完成させる広大な仕事において宇宙なる父の持続する承認を常に受ける。創造者たる息子の楽園の父との関係は、心を動かすものであり、最高のものである。疑いなく、神格の両親の神性子孫への深い愛情は、人間の両親ですらも我が子に抱く美しく、ほぼ神性の愛の源泉である。
これらの第一の楽園の息子は、ミカエル系として人格化される。自身の宇宙を設立するために楽園から楽園からへと進むとき、それらは、創造者ミカエル系として知られている。最高の権威で定着するとき、それらは、主たるミカエル系と呼ばれる。時々、我々はあなたのネバドン宇宙の主権者をキリスト・ミカエルと呼ぶ。ミカエルは、その系列と本質に属する最初の息子の名称であり、「マイケルの指令」に従い、いつも、そして、いつまでも君臨する。
最初の、すなわち、長子のミカエルは、外圏球体から中央創造の最内部の回路へと進み、物質存在体として決して肉体化を経験はしなかったが、精霊的創造物のハヴォーナの7回路の上昇経験をした。ミカエルの系列は、壮大な宇宙の端から端までを知っている。いかなる時間と空間の子らの不可欠の経験にも、ミカエル系が個人的に参加しなかったということはない。実のところ、ミカエル系は、神性だけではなく最高のものから最低のものまでのあなたの本質、つまり全本質を意味する分担者でもある。
最初のミカエルが、万物の中心での会議の際の、第一の楽園の息子の主席議長である。親の臨場とともに集合し統一の進歩と宇宙の中の宇宙の安定化と関係する審議に従事した15万名の創造者たる息子の永遠の小島における並はずれた秘密会議の宇宙放送について我々は、ユヴァーサにおいてつい近頃記録した。これが、君主ミカエル系の選ばれた集団、つまり七重の贈与の息子であった。
永遠なる息子における精霊の絶対的観念化の豊かさが、宇宙なる父における人格の絶対的概念の豊かさに遭遇するとき、そのような創造的融合が最終的に完全に達せられるとき、つまり、精霊のそのような絶対的自己性と人格概念の無限のそのような同一性が起こるとき、その瞬間、何らかの損失を被ることなく、新たで独創的な創造者たる息子、すなわち、その融合が力と完全性をもつこの新しい創造者たる人格を生む完全な理想と強烈な考えから生まれた唯一の息子が、突如として成熟した存在体となる。
各創造者たる息子は、宇宙の中の宇宙のつねに存在する創造者の無限で永遠の、そして、完全な2つの心の最初の概念の完全な一致から唯一生み出されたり、生み出すことが可能な子である。各創造者たる息子は、永遠全体にわたり、このミカエルの息子を生み出すために結合した神性創造の可能性に見出されたり、表現されたり、またはそれから発展し得るあらゆる神性現実のあらゆる可能性にある局面ごと、特徴ごとのすべてに関する無条件で完了した最終的表現と具体化であるので、そのような別の息子は決してあり得ない。各創造者たる息子は、神性起源を成す結合した神概念の絶対者である。
これらの創造者たる息子の神性は、原則として、等しく楽園の両親の属性に由来している。創造者たる息子のすべてが、宇宙なる父の神性の豊かさと永遠なる息子の創造的な特権の豊かさを分かち合う。だが、我々は、宇宙におけるミカエルの機能の実用的な出仕事を観測するとき、見かけの違いを明察する。一部の創造者たる息子は、父なる神により似ているようである。他のものは、より息子なる神に。例えば、ネバドンの宇宙における行政傾向は、その創造者と統治の息子は、その性質と特徴が永遠の母たる息子のそれにより似ているということを示唆している。同様に父なる神と息子なる神に似ているらしい楽園のミカエル系が、いくつかの宇宙を統括していると、付け加えて述べられるべきである。また、これらの観測には、どのような形でも批判は示唆されていない。これらの観測は単に事実の記録なのである。
私は、既存の創造者たる息子の正確な数は知らないが、70万以上はいると信じるに足る理由がある。我々は、今、正確に70万の日の結合なるものがいるということを知っている。我々は、また現宇宙時代の定められた計画が、三位一体の助言する大使として1名の日の結合なるものが各地方宇宙に配置されるということを暗示しているのではと観測する。我々は、絶えず増加する創造者たる息子の数が、既に日の結合なるものの固定数を超えていることになお一層留意する。しかし、70万を超えるミカエル系の目標に関し、我々は、一度として知らされたことはない。
第一系列の楽園の息子は、各自の領域の、すなわち進化する7超宇宙の基本的な創造単位である時間と空間の地方宇宙の、設計者であり、創造者であり、建築者であり、行政者である。創造者たる息子は、今後の宇宙活動の空間用地の選択が許されているのだが、自分の宇宙の物理的組織化の開始前にさえ、自分が計画活動をする超宇宙での各種の創造において兄達の研究努力観測に長い期間を費やさなければならない。そして、ミカエルの息子は、このすべてに先立って、楽園観測とハヴォーナ訓練の長い、独自の経験をし終えるであろう。
創造者たる息子は、宇宙製作の冒険に乗り出すために、すなわち、自身の組織の属する地方宇宙のその長—事実上は神—となるために楽園を出発すると、その後で初めて第三根源と中枢と親密な接触をしていると、また、あらゆる点で依存しているのだと気づく。無限の精霊は、万物の中心に父と息子とともにいるとはいえ、それぞれの創造者たる息子の実際の、有能な助力者として機能するように運命づけられている。したがって、それぞれの創造者たる息子は、神性奉仕活動者、つまり新しい地方宇宙の母たる精霊になるよう運命づけられているその存在体である無限の精霊の創造の娘を伴う。
この際のミカエルの息子の出発は、これらの根源と中枢の前存在に固有のある種の制限のみを条件として、また他のある種の先行する力と臨場のみを条件として、楽園の根源と中枢から創造者の特権を永遠に解放する。これらの制限を除けば全能である地方宇宙の父の創造者特権は、次の通りである。
1. エネルギー-物質は、無限の精霊に支配される。物質の大小のいかなる新形態の創造が許される前に、すなわち、エネルギー物質のいかなる新変化の試みが許される前に、創造者たる息子は、無限の精霊の同意と作業協力を保証しなければならない。
2. 創造物の意匠と型は、永遠なる息子により管理される。創造者たる息子は、存在体のいかなる新型の、すなわち創造物のいかなる新意匠の創造に従事することが許される前に、永遠かつ最初の母なる息子の同意を確保しなければならない。
3. 人格は、宇宙なる父により設計され与えられる。
心の型と様式は、存在体の前創造物要因により決定される。心は、 (人格的、その他の) 創造物の構成のためにこれらが関連づけられた後の、第三根源と中枢の授与、つまり楽園の創造者の段階の下に位置する存在体すべてへの心の奉仕活動の普遍的源の授与である。
精霊の意匠と型の調整は、その顕現段階に依存する。最後の分析における精霊的意匠は、三位一体により、あるいは三位一体人格—父、息子、精霊—の前三位一体精霊の授与により調整される。
そのような完全で神性なる息子は、自分の選んだ宇宙空間の場所を手中に収めてきた。宇宙の具体化と総体的均衡に関する最初の問題が解決されたとき、神性なる息子が無限の精霊の補完する娘と共に有効で協力的な機能連合を形成したとき、—その時にこそ、この宇宙の息子と宇宙の精霊は、両者の地方宇宙の子供からなる数え切れない部隊に起源をもたらすようにするその関係を開始するのである。この出来事に関連し、楽園の無限の精霊からの創造の精霊の局地化は、地方宇宙の母たる精霊の人格的資質を呈して性質上変化する。
すべての創造者たる息子は、楽園の両親のように神然としては似ていないにものの、一名たりとも他者には似ていないのである。それぞれが、人格面のみならず性質面においても独特、特異、他にはなく独自である。創造者たる息子らは、各自の領域の生命設計の設計者であり製作者であるので、他ならぬこの多様性は、それぞれの領域が創造されるか、または次にそこに展開されるかもしれないミカエルがもたらす生きている存在体のあらゆる型と段階においてもまた様々であることを保証する。したがって、地方宇宙出身である創造物の系列は、まことに様々である。あらゆる点で全く同じである二重-起源出身の存在体が運営する、あるいは居住する地方宇宙は二つとしてない。固有の属性の半分は、いかなる超宇宙においてもかなり似ており、創造の精霊に由来している。他の半分は、多様な創造者たる息子に由来しており異なっている。しかし、そのような多様性は、創造の精霊に唯一の起源をもつそれらの創造物も、中央宇宙の、または超宇宙の出身である取り込まれた存在体をも特徴づけはしない。
ミカエルの息子が、自分の宇宙を不在にしているとき、その政府は、長子生まれの存在体、つまり地方宇宙の最高責任者である輝く明けの明星により導かれる。日の結合なるものの忠告と助言は、こうしたとき計り知れないほどに貴重である。創造者たる息子は、不在の間、生息界と人間の子供の心への精霊的臨場の総括的管理で関連する母たる精霊を授けることができる。そして、地方宇宙の母たる精霊は、つねにその本部に留まり、育成的保護と精霊的奉仕活動を進化するそのような領域の最も遠く離れた地域へと拡大する。
地方宇宙における創造者たる息子の人格的臨場は、確立した物質的創造の順調な活動には必要ではない。そのような息子は、楽園へ旅ができるし、息子たちの宇宙は、空間全体において振れ続けている。そのような息子らは、時間の子供として肉体の具体化のために一連の力をいったん下に置くことができる。それらの領域は、それでもまだ各自の中心の周りで回転する。物質組織は、楽園の絶対重力の握りから、あるいは、無条件の絶対者の空間臨場に固有の宇宙の総括的管理からは独立している。
創造者たる息子には、監督に当たっている主たる精霊が関与する超宇宙の確認を伴い、楽園の三位一体の同意により一つの宇宙の区域が与えられる。そのような行為は、物理的所有、すなわち宇宙段階の貸借資格を構成する。しかし、支配権に関わるこの初期の、しかも自己による限定的段階から主権取得の経験に基づく崇高性へのミカエルの息子の昇進は、宇宙創造と肉体による贈与の仕事における自身の個人的経験の結果から来る。ミカエルの息子は、贈与で取得される主権の達成まで宇宙なる父の代理者として統治する。
創造者たる息子は、随時、個人的な創造に対する完全な主権を主張できるのであるが、賢明にもそうしないことを選んでいる。もし創造者たる息子が、創造物贈与の通過に先立ち、不労の最高主権を仮定するならば、地方宇宙での楽園人格の居住者は、引き下がるであろう。しかし、これは、時間と空間の全創造に一度も起こったことはない。
創造者の資格の事実は、完全な主権を暗示するのであるが、ミカエル系は、経験的にそれを選び、それによって地方宇宙行政への楽園のすべての人格の十分な協力を維持する。我々は、どのミカエルもそれを選択しなかったと心得ている。だが、ミカエル系は、実際に自由意志の息子であるので、できるのである。
地方宇宙の創造者たる息子の主権は、経験的顕現の6段階、恐らく7段階に渡る。これらは次の系列に現れる。
1. 初期の代理主権—関連する創造の精霊による人格的資質の習得前の創造者たる息子により行使される単独の暫定的権威。
2. 結合的代理主権—母たる宇宙の精霊の人格達成後の楽園の一対の共同支配。
3. 増大する代理主権— 7創造物の贈与期間の創造者たる息子の進歩的権威。
4. 最高主権—7贈与の完了に続く定着権威。ネバドンにおける最高主権は、ユランチアにおけるミカエルの贈与の完了にさかのぼる。それは、あなたの惑星時間の1,900年間をわずかに超えて存在している。
5. 増大する最高主権—光と生命における創造物の大部分の領域の定着から成長する高度な関係。この段階は、あなたの地方宇宙の未到の未来に関係する。
6. 三位一体主権—光と生命の全地方宇宙の定着後に行使されるところの。
7. 明かされていない主権—将来の宇宙時代の知られざる関係。
1名の創造者ミカエルは、計画された地方宇宙の初期の代理主権の受け入れにあたり、7創造物贈与が超宇宙支配者により完成され公認されるまで最高主権を担うことのないように三位一体に誓いを立てる。しかし、ミカエルの息子が、随意にそのような不労による主権を主張できないのであるならば、しないという誓いを立てる意味はないであろう。
創造者たる息子は、そのいずれの地域にも意見の相違がないとき、前贈与の時代においてさえ自分の領域を最高に近いほどに統治する。決して挑戦を受けることがなければ、限定的支配権というものは、とてもありえないであろう。反逆のない宇宙における創造者たる息子による主権行使は、 反逆のある宇宙におけるものに劣らない。しかし、前者の例の主権限定は明らかではない。後者の例は、明らかである。
そもそも自分の権威あるいは行政が挑戦を受けるか、攻撃されるか、または危険にさらされることがあれば、創造者たる息子は、個人的創造を支持し、保護し、防御し、また必要ならば、挽回することを永遠に誓っている。そのような息子は、自分自身の創造物により、または自身が選ぶより高い存在体により悩まされたり、あるいは苦しめられる可能性がある。地方宇宙の上の段階の起源である「より高い存在体」は、創造者たる息子を煩わしそうにないと推論されるかもしれないし、また、これは本当である。しかし、そうすることを選ぶならばできるであろう。美徳とは、人格に関しては意志の問題である。正義は、自由意志の創造物には自然には沸き起こらない。
創造者たる息子は、贈与経歴の完了前に自らが課しているある種の制限をもって統治するが、贈与奉仕の終了後には、多様な創造物の型と様相において実際経験の徳の力で支配する。創造者は、自らの創造物の間に7回滞在したとき、つまり贈与経歴が終わったとき、そのとき宇宙の職権に絶大に納まっている。熟練の息子、つまり主権を有する最高の支配者になったのである。
地方宇宙に最高の主権を得る方法は、次の経験的7段階を伴う。
1.関係する段階の創造物にそっくりの肉体化の贈与の手段を経て存在の創造物の7段階に経験的に入り込むこと。
2.それが主たる七精霊に人格化されているように、楽園神格の七重の意志の各段階への経験的献身をすること。
3.楽園神格の意志への7神聖化の1つの実行と同時に、創造物段階における7経験の1つを越えていく。
4.各創造物段階において、楽園の神格への、そして、宇宙の全有識者への創造物の生活の極点を経験的に描く。
5.各創造物段階において、贈与段階への、そして全宇宙への神格の七重の意志の1局面に経験的に明らかにすること。
6.神格の本質と意志啓示にむけて七重の創造物経験と七重の経験とを体験的に統一すること。
7.崇高なる存在体との新たでより高い関係を達成する。この創造者-被創造物の経験全体からくる影響は、崇高なる神の超宇宙現実と万能の崇高者の時-空間主権を増大させ、また、楽園のミカエルの地方宇宙の最高主権を事実化する。
創造者たる息子は、地方宇宙の主権問題の解決にあたり、統治における自身の適性を示すだけではなく、本質を明らかにもし、楽園の神格の七重の構えをも描いている。父の優位性に対する有限者の理解と創造物の評価は、自らの創造物の姿と経験を引き受けて下降するときの創造者たる息子の冒険に関係がある。これらの優位の楽園の息子は、父の、つまり全宇宙領域に渡るすべての力、人格、および政府の普遍的長_—息子と精霊とともに_—である同じ父の愛情に満ちた性質と慈悲深い権威の真の顕示者である。
贈与の創造者たる息子の7集団があり、各領域の創造物に自らを授与した回数に基づいて7分類にされている。贈与の創造者たる息子らは、7番目の最終の創造物-創造者の経験に達するまで1番目から進行的贈与のさらなる5球体およぶのである。
アヴォナルの贈与は、いつも人間の肉体に似せてのものであるが、創造者たる息子の7贈与は、被創造体の7段階への出現を伴い、優位性の7表現をともなう神格の意志と本質の顕示に関係している。例外なく、すべての創造者たる息子は、創造者たる息子が自身の創造の宇宙に対する定着の、最高の司法権を担う以前に自分の創造した子らへ自分自身を与える経験を7度する。
これらの7贈与は、異なる領域と宇宙で異なっており、つねに人間-贈与の冒険を含む。創造者たる息子は、通常は、最終的贈与においてある生息界のより高等の人類のうちの構成員として、動物-起源の民族の身体状況を増進するために以前に取り込まれたアダーム系の最大の遺伝的遺産を含むその人種集団の1構成員として現れる。楽園のミカエルは、贈与の息子としての自身の七重経歴においてただ一度だけ、ベツレヘムの赤子の記録があるように女性からの生まれである。意志を持つ進化的創造物の最下級系列の一員としてただ一度だけ生きて死ぬのである。
それぞれの贈与後、創造者たる息子は、「父の右手」に進み出て、そこで贈与の父の容認を得て宇宙奉仕の次回の準備のための教えを受ける。創造者たる息子は、第7の、最終的贈与に続き、自身の宇宙への最高権威と司法権を宇宙なる父から受ける。
あなたの惑星における神性の息子の最後の出現は、贈与経歴の6段階を終了してきた楽園の創造者たる息子であったという記録がある。それなればこそ、ユランチアでの肉体化の人生の意識的把握をあきらめたとき、「すべてが終わった」と言うことができたし、本当に言った、—それは文字通り終わった。ユランチアにおける彼の死はその贈与経歴を終了した。それは楽園の創造者たる息子の神聖な誓いを実現させる最終段階であった。そして、この経験が得られたとき、そのような息子は、最高の宇宙主権者である。もはや、それらは父の代理人としてではなく、「もろもろの王の王と、もろもろの主の主」として自身の権利と名において統治するのである。これらの七重の贈与の息子は、提示されたいくつかの例外とともに、住まいである宇宙において無条件に最高である。地方宇宙に関して、「楽園と地球におけるすべての力」は、この勝利に委ねられ、熟練の息子を王位につかせられた。
贈与経歴終了後の創造者たる息子は、別個の系列、七重の熟練の息子と見なされる。熟練の息子自身は、創造者たる息子と同一であるが、そのような特異な贈与経験をしたので、双方は、一般的には異なる系列と見なされる。創造者が贈与のために下降するとき、真の、かつ永久的な変化が、必ず起こる。贈与の息子は、いまだ創造者であり、創造者であるにもかかわらず、一創造物の経験を自分の本質に追加する。この事実が、創造者たる息子の神性段階から自分を永遠に取り去り、宇宙の統治権とその世界の管理権を完全に獲得した熟練の息子の経験的次元に昇進させる。そのような存在体は、神性の親子関係で確保できるすべてを具体化し、完成された-創造物の経験から得られるすべてを取り囲む。他ならぬ神が、宇宙の領域をついに完全に支配するにあたり、経験的にふさわしく、有能であると見なされる前に、同等な経験を潜り抜けなければならないとき、なぜ人は、自分の低い起源と強要された進化の経歴を嘆かなければならないのか。
熟練のミカエルの力は、楽園の三位一体との経験豊富な関係から得られるので無制限であり、そのような権威に従うまさしくその創造物として実際の経験から得られるのであるから疑問の余地はない。七重の創造者たる息子の主権の本質は、最高である。その理由は、
1.楽園神格の七重の観点を包含する
2.時-空間の創造物の七重の姿勢を具体化する
3.楽園の姿勢と創造物の観点を完全に統合する
この経験的主権は、それゆえ、究極的に崇高なる存在体に至る7重の神の神性すべてを包括している。七重の息子の個人主権は、関連する時-空間の限界内における顕現可能な楽園の三位一体の最大可能の力と権威の中身を抱擁しているのでいつかは完成される崇高なる存在体の将来の主権に似ている。
ミカエルの息子から現在の宇宙時代の間の被創造物の完全に新しい型を創造する力と機会が、最高の地方宇宙主権の実現とともに通過していく。しかし、完全に新しい存在体の系列をもたらす主たる息子の力の損失は、すでに設立され展開過程にある生命労作を決して妨げない。宇宙進化のこの広大な事業は、中断も削減もなく継続する。主たる息子による最高主権の習得は、すでに設計され作成された、また次にこのようにして設計され作成されるもの達により生産されるであろう育成と管理への個人的献身の責任を含意する。さまざまの存在体のほとんど無限の進化が、そのうち展開するかもしれないが、いかなる知的創造物の完全に新たな様式、あるいは型も、今後は主たる息子からは直接起こらない。これは、いかなる地方宇宙における定着した行政の第一歩、つまり始まりである。
七重の贈与の息子の自分の宇宙の絶対的主権への昇進は、長年の不確実性と相対的な混乱の最後の始まりを意味する。この出来事の後、そのうちに精霊化されるはずのないそれは、ついには散乱するであろう。そのうちに宇宙現実と調整されるはずのないそれは、いつか破壊されるであろう。無限の慈悲と名状し難い忍耐の提供が、領域の意志をもつ創造物の忠誠と献身を得る努力に困憊するとき、公平さと正義が、広く行き渡るであろう。公平さが、慈悲が修復させることができないものをついには滅ぼすであろう。
主たるミカエル系は、いったん主権を有する支配者として任命されると自身の地方宇宙において最高である。支配上のわずかな制約食は、 一定の原動力と人格の宇宙前存在に固有の制約である。さもなければ、これらの主たる息子は、各宇宙における権威、責任、および管理力において最高である。それらは、実質的に万事において創造者として神として最高である。任意の宇宙の機能に関し、それらの知恵におよぶ洞察はないのである。
地方宇宙の確立的主権への昇進後、楽園のミカエルは、自身の領分において機能する他のすべての神の息子の優位に立ち、自身の領域の必要性の概念に沿って自由に統治ができる。主たる息子は、生息惑星の精霊的裁決と進化の調整に関する系列を自由自在に変えるかもしれない。そして、そのような息子らは、惑星の特別な必要性にかかわるすべての問題において、特に創造物滞在の世界に関し、また最終的贈与の領域、人身具体化の惑星に一層関係して自らの選択についての計画を練りかつ実行する。
主たる息子は、贈与世界との、自身の個人的な滞在の世界だけではなく執政の息子が自らを贈与したその全ての世界との完全な意志の伝達をとるようである。この接触は、自身の精霊的臨場により、つまり真実の精霊により維持される。主たる息子らは、真実の精霊を「すべての肉に注ぐ」ことができる。また、これらの主たる息子は、万物の中心の永遠の母たる息子との途切れない関係を維持する。それらには、天の宇宙なる父から時間の領域における惑星生活の下級の種族への思いやりの手を差し伸べる範囲がある。
誰とても、権威の終局性をもって地方宇宙の七重の主たる君主の本質や目標について論じることは許されない。とは言いつつも、我々は皆、これらの問題について多くを推測する。我々は、ミカエルは各自が、その起源の神格の二元的概念の絶対であると教えられし信じる。したがって、ミカエルは、宇宙なる父と永遠なる息子の無限性の実際の側面を具体化する。ミカエル系は、完全な無限性に関し部分的であるには違いないが、その起源に関する無限性のその部分に関してはおそらく絶対である。しかし、現在の宇宙時代でのそれらの仕事を観測するとき、我々は、有限以上の何の動きも探知しない。いかなる超有限の推測された能力も、自己充足的であらねばならず、非啓示でもあらねばならない。
創造物-贈与経歴の完了と最高の宇宙主権への昇進は、無限の奉仕のための能力出現を伴うミカエルの有限-行為の能力の完全な解放を意味するはずである。ゆえに、この点に関連して我々は、そのような主たる息子が、次には、新型の創造物生産において制限されている、つまり、それらの超有限の可能性の解放により確かに必要とされる制限というものにに気づく。
これらの明かされていない創造者の力は、現在の宇宙時代を通じて依然として自己充足的であるという公算が高い。しかし、我々は、いつかはるか遠い将来に、現在流動している外空間宇宙に、七重の主たる息子と第7-段階の創造の精霊間のつながりが、宇宙の究極的意味の超越的段階での新しいもの、意味、価値の出現を伴う奉仕の準絶対水準に到達するかもしれないと信じる。
ちょうど崇高者の神格が、経験的奉仕の効力により実現するように、創造者たる息子も計り知れない本質と密接な関係のある楽園-神性の可能性の人格的実現を果たすのである。キリスト・ミカエルは、ユランチアにおいてかつて「私は道であり、真理であり、命である」と言った。道が、崇高の神性から究極の準絶対を経て永遠の神格終局へと導くように、我々は、すべての宇宙人格のためにつねに先導的役割を果たすミカエル系は、永遠に「道、真理、命」になるように文字通り方向づけられていると信じるのである。
[ユヴァーサからの英知の遂行者による提示]
神の息子と呼ばれる存在体の3集団がある。子息性の下降と上昇系列に加え、神の三位一体化の息子として知られている第3の集団というものがある。子息性の三位一体化の系列は、明らかにされたものや明らかにされていない人格のその多くの型の起源に応じ、3主要集団に細分されている。これらの主要集団は次の通りである。
1. 神格-三位一体化の息子
2. 三位一体-抱擁された息子
3. 創造物-三位一体化の息子
起源を問わず神の三位一体化の息子すべてには、その起源の一部として、または、その後に得た三位一体抱擁の経験として三位一体化の共通の経験がある。神格-三位一体化の息子は、これらの談話においては明らかにはされない。したがって、この発表は残る2集団の描写に、とりわけ神の三位一体-抱擁された息子に限定される。
すべての三位一体-抱擁の息子は、そもそも二元的であるか、または、一つの起源であるが、三位一体抱擁後いつまでも三位一体の奉仕と課題に専念する。この部隊は、いま明らかにされ、超宇宙奉仕のために組織されているように人格の7系列を包含している。
1. 強力な使者
2. 権威高きものたち
3. 名前と番号を持たないものたち
4. 三位一体化の管理者
5. 三位一体化の大使
6. 天の保護者
7. 息子の高位の補佐
これらの人格の7集団は、さらに起源、性質、機能に従い3主要集団に分類される。到達の三位一体化の息子、選択の三位一体化の息子、および完全性の三位一体化の息子。
到達の三位一体化の息子—強力な使者、権威高きものたち、名前と番号を持たないものたち—は皆、楽園と終局者部隊に達した調整者-融合の上昇必滅者である。しかし、それらは終局者ではない。それらは、三位一体に抱擁されると、その名前は終局者点呼から取り除かれる。この系列の新しい息子は、ハヴォーナ回路の回路本部惑星において日の永遠なるものの指揮下にて訓練の特殊過程を比較的短期間に体験する。その後、それらは、7超宇宙において日の老いたるものの奉仕に割り当てられる。
選択の三位一体化の息子は、三位一体化の管理者と三位一体化の大使を有する。数名が、ハヴォーナを移動し楽園に達した進化する熾天使と移された中間創造物からと、同じく光と生命の中央の小島に同様に上昇した精霊-融合と息子-融合の必滅者から採用される。選択の三位一体化の息子は、楽園の三位一体による抱擁に続き、またハヴォーナにおける短期間の訓練後に、日の老いたるものの法廷に配置される。
完全性の三位一体化の息子。天の保護者とその協調者つまり息子の高位の補佐は、特異な集団の二度-三位一体化の人格を構成する。それらは、楽園-ハヴォーナ人格からの、あるいは長い間終局者部隊において功績を立ててきた完成された上昇者からの創造物-三位一体化の息子である。主たる7精霊の最高行政官への奉仕の後、また三位一体の教師たる息子の下での働きの後、これらの創造物-三位一体化の息子の一部は、楽園の三位一体により再度三位一体化され、(抱擁され)、次には、天の保護者として、また息子の高位の補佐として日の老いたるものの法廷に任命される。完全性の三位一体化の息子は、追加訓練なしに超宇宙奉仕に直接配置される。
三位一体-起源の我々の仲間―英知の遂行者、神性顧問、そして宇宙検閲官――は、構成員数が定まっているが、三位一体-抱擁の息子らは、絶えず増加している。三位一体-抱擁の息子の7系列すべてが、7超宇宙政府の1構成集団として任命され、また、それぞれの各超宇宙奉仕における数はまったく同じである。1名たりとも失われたことはない。三位一体-抱擁の存在体は、一度も迷ったったことがない。一時的に躓くかもしれないが、1名たりとも超宇宙政府の侮辱罪で裁かれたことはない。到達の三位一体化の息子と選択の息子は、オーヴォントンの奉仕において一度も躓いたことはないが、完全性の三位一体化の息子は、時として判断を誤り、その結果、一時的な混乱を引き起こしたことがある。
全7系列は、日の老いたるものの指示に基づき大抵は自治集団として機能する。その奉仕の領域は、広範囲に及ぶ。完全性の三位一体化の息子は、任務の超宇宙を去りはしないが、その三位一体化の仲間は、時間と空間の進化の世界から永遠の楽園の小島への旅をする壮大な宇宙に及んでいる。完全性の三位一体化の息子は、超宇宙のいずれかで機能できるのだが、常に最初の指定先の超政府の構成員としてそうする。
明らかに三位一体-抱擁の息子は、7超宇宙の奉仕に永久に配属されてきた。この任務は、確かに現在の宇宙時代の間中であるが、我々にはそれが永遠であるとは一度も知らされたことはない。
強力な使者は、三位一体化の息子の上昇集団に属する。強力な使者は、反逆の試練を経た、または別の方法で同様に個人的忠誠心を立証した完成された必滅者の一団である。全員が、宇宙忠誠の何らかの決定的な試練を潜り抜けた。それらは、かつて楽園上昇において上司の不忠に直面した際にしっかりと、忠実に立ち向かい、一部は、そのような不誠実な指導者の代わりに活発に忠実に機能したのであった。
信義と献身のそのような個人的記録をもつこれらの上昇する必滅者は、時間の巡礼者の進行と共にハヴォーナへと進み、楽園に達し、そこから卒業し、終局者部隊に召集される。そこで、楽園の三位一体の秘密の抱擁に三位一体化され、次には7超宇宙政府の行政において日の老いたるものに伴うよう託される。
忠実に機能する上昇の全必滅者の反逆に対しての経験は、結局、超宇宙奉仕の強力な使者になるように定められている。過失、悪、罪のそのような激変を効果的に防ぐ上昇の創造物も同様である。宇宙危機において反逆を防ぐように、または忠誠心のより高い型を生じるように考案された行為は、実際の反逆に直面した際の忠誠心よりもさらに大なる価値があると見なされるのであるから。
先輩の強力な使者は、多くがグランドファンダ時代にハヴォーナを横断した初期の楽園到着者の中にいた時間と空間の上昇の必滅者から選ばれた。しかし、強力な使者の最初の三位一体化は、候補部隊が各7超宇宙からの代表が含まれるまでは作用しない。そして、楽園で資格を得るこの系列の最後の集団は、ネバドンの地方宇宙からの上昇の巡礼者を抱え込んだ。
強力な使者は、各超宇宙への任務のために楽園の三位一体により10万名ずつが70万からなる集団に迎え入れられる。およそ1兆の強力な使者がユヴァーサにおいて任命されており、各7超宇宙において奉仕している数は、まったく同数であると信じるに十分な理由がある。
私は強力な使者であり、しかも、私の人間経験の際の伴侶と仲間もまた大いなる試練において勝利を収めたと、また我々は、ハヴォーナへの昔からの内向けの上昇において何度となく、しかも長期にわたり分離はされたものの、同じ70万集団で迎え入れられたと、その上、密接かつ情愛深いつながりでヴァイスジェリントンを通過しつつ時間を過ごしたということを知ることは、ユランチア出身者にとり興味深いかもしれない。我々は、最終的にはオーヴォントンのユヴァーサに任命され、ともに配属され、また2名の使者の奉仕を必要とする任務実行のためにしばしば一緒に派遣される。
強力な使者は、すべての三位一体-抱擁された息子と同じように、超宇宙活動の全段階に配置される。それらは、超宇宙の反射の業務を通じて自らの本部との一定の関係を保つ。強力な使者は、私がこの機会にするように、超宇宙の全領域において勤務し、また頻繁に地方宇宙と個々の世界への使命を実行する。
強力な使者は、超宇宙法廷において個人と惑星の双方が裁決を受ける際、双方の保護者として役割を果たす。また、それらは主要な領域の諸事の方向づけにおいて日の完全なるものを補助する。それらの主要な任務は、集団としての超宇宙観察者のものである。強力な使者らは、様々な本部世界と日の老いたるものの公式観察者として個々の重要な惑星に配置される。また、それらは、そのように配属されるとき、滞在範囲の諸事を方向づける当局への顧問として努める。使者らは、必滅者の前進のための上昇計画の全局面において積極的に参加する。それらは、必滅者起源の仲間と共に下降する神の息子の計画の状況と進行について超政府との密接かつ個人的な接触を保つ。
強力な使者は、自身の全上昇経歴を完全に意識しており、これが、強力な使者がいかなる空間世界でのいかなる時間の創造物にとっての奉仕のためにとても有用かつ思いやりのある奉仕活動者である、すなわち理解ある使者である理由である。我々は、空間の全進化世界の全人種から、すなわち、思考調整者が内住し、その後それと融合する人類から生まれるのであるから、あなたは、肉体から解放されるとすぐに、我々と自由に理解をもって意思を伝え合うであろう。
それらの権威高きものたち(到達の三位一体化息子の第2集団)は、人間起源の調整者-融合のすべての存在体である。これらは、優れた管理能力を示した、長い上昇経歴を通じて並はずれた行政才能を示した完成された必滅者である。それらは生残する空間の必滅者から引き出される能力を決定する最良部分である。
7万の権威高きものたちは、三位一体の各つながりごとに三位一体化される。ネバドンの地方宇宙は、比較的若い創造ではあるとはいえ、最近になって三位一体化されたこの系列の階級のなかに代表がいる。オーヴォントンにはこれらの100億以上の熟練の行政者が現在任命されている。権威高きものたちは、天の存在体の個々の系列すべてのようにユヴァーサの自身の本部を維持し、また、その予備隊は、他の三位一体-抱擁の息子のようにオーヴォントンの自身の系列の中央の指示機構として機能する。
それらの権威高きものたちは、制限なしの管理者である。それらは、日の老いたるものの偏在の、常に-有能な幹部である。いかなる生息界においても、いかなる球体においても、また、いかなる7超宇宙における活動のいかなる局面においても奉仕している。
これらの輝かしい存在体は、ずば抜けた行政の知恵と特殊の経営管理能力をもって超宇宙裁判所のために正義の理念の提示を引き受ける。これらのもの達は、進化宇宙における正義の実行と不適合の調整を促進する。したがって、あなたは、あなたの叙任された宇宙進行の世界と球体を上昇する間、もし判断の誤りによって出頭を命じられることがあったとしても、訴追者とっては、あなたがすでに横断した、またいま横断中の経歴のあらゆる段階に個人的になじみ深いかつての上昇の創造物であろうから、あなたが不正に苦しむということはほぼありそうにもないのである。
名前と番号を持たないものたちは、到達の三位一体化の息子の第三の、そして最後の集団を構成する。それらは、時間と空間の世界からの進化する人種のすべての息子と娘の技能を越えて礼拝する能力を見いだした上昇者たちである。名前と番号を持たないものたちは、宇宙なる父の永遠の目的の精霊的概念、名前あるいは番号をもつ進化の創造物の理解を多少とも越える概念を得た。ゆえにそれらは、名前と番号を持たないものたちと命名されるているのである。より厳密に訳すならば、それらの名前は「名前と番号を持たないものの上のものたち」となるであろう。
この系列の息子らは、楽園の三位一体の7,000名からなる集団に迎え入れられる。オーヴォントンで任命されるこれらの1億名以上の息子が、ユヴァーサに関する記録のものである。
名前と番号を持たないものたちは、生存する人種の精霊的な心をもっていることから、精霊的観点が望まれたり、裁かれるべき問題に関する質問への適切な理解に上昇経歴における経験が不可欠であるときに、それらには、特に判断を下したり意見を提供する資格がある。名前と番号を持たないものたちは、オーヴォントンの最高陪審員である。悪政の陪審制度は、いくつかの世界においては多少なりとも茶番劇の裁判であるかもしれないが、ユヴァーサとその支部の裁判所における我々は、精霊的に進化した精神構造の最高の型を陪審員-裁判官として採用している。裁定は、どの政府においても最高任務であり、評決提示を任されるもの達は、最も経験豊かで理解ある個人の中から最高かつ最も高貴な型から選ばれるべきである。
三位一体化の集団のための強力な使者、権威高きものたち、名前と番号を持たないものたちからの候補者選びは、先天的かつ、自動的である。楽園における選択方法は、いかなる意味においても任意ではない。人格的な経験と精霊的な価値が、到達の三位一体化の息子の要員を決定する。そのような存在体は、権威において等しく、行政上の地位において同一であるが、全員が個性的で異なる性格をもつ。それらは標準化された存在体ではない。全員が、それぞれの上昇経歴の差に応じて個性的には異なっている。
これらの資格は経験上のもので、到達の三位一体化の息子は、そのうえに楽園神格の神性の抱擁に三位一体化されてきた。その結果、三位一体の定置の息子の協調する仲間として機能する。というのも、三位一体の抱擁は、未来の時間の進行から被創造体の未だ実現されていない可能性の多くを引き起こしているらしいので。しかし、これは、現在の宇宙時代に関係することだけに真実である。
息子のこの集団は、主として、だが完全にではなく、時-空間の必滅者の上昇経歴の奉仕に関係がある。もし必滅の創造物の観点が疑わしいならば、疑問は、強力な使者、権威高きものたち、および名前と番号を持たないものから成る上昇の委員会への訴えにより決着がつけられる。
この報告を読むあなた方必滅者は、自身が楽園に昇り、三位一体抱擁に達し、7超宇宙の1つにおいて日の老いたるものの奉仕に所属する遠い未来において、そして、私が今ユランチアで機能しているように、いつか進化する生息惑星への真実の顕示の範囲を広げるために配属されるかもしれない。
三位一体化の管理者は、選択の三位一体化の息子である。生存価値をもつあなたの人種と他の必滅者だけが、ハヴォーナを往来し楽園に達し、たまたまに位一体の定置の息子への超宇宙奉仕に方向づけられのではなく、忠実な熾天使のあなたの保護者と同様に忠実な中間のあなたの仲間もまた、三位一体の認識と見事な人格の目標への候補者になるかもしれないのである。
三位一体化の管理者は、ハヴォーナを通り抜け楽園と終局者部隊に達した上昇の熾天使であり、移動された中間創造物である。それらは、次に楽園の三位一体に抱擁され、日の老いたるものの奉仕に配置される。
上昇の熾天使の中からの三位一体の抱擁のための候補者は、終局者部隊に達し、次に、三位一体化された一部の上昇の必滅者との勇敢な協力ゆえにこの認識が与えられる。必滅の経歴の私自身の熾天使の保護者は、私とともに経験し、後に三位一体化され、現在、三位一体化の管理者としてユヴァーサ政府に配属されている。
中間創造物の場合も同じである。多くが、移され楽園に到達し、熾天使とともに、しかも同じ理由で、三位一体抱擁であり、超宇宙において管理者として委託されるのである。
三位一体化の管理者は、7万名の集団の中で楽園の三位一体により迎え入れられ、各集団の1/7は超宇宙に配属される。現在、オーヴォントンには1,000万名をわずかに上回る信頼された高位の管理者が仕えている。三位一体化の管理者は、ユヴァーサと大小の本部球体において役目を果たしている。高位の管理者は、それぞれの労働において10億を数える第二熾天使と他の優れた超宇宙人格の部隊に支えられている。
三位一体化の管理者は、管理者として経歴を始め、そういったものとして超政府の諸事に留まる。ある意味において、それらは自身の超宇宙政府の官吏であるが、天の保護者のようには個人に対処はしない。三位一体化の管理者は、集団の問題を処理し、集団事業に着手する。それらは、記録、計画、および機関の管理者である。それらは、事業、人格集団、上昇者の事業、モロンチア計画、宇宙立案、および他の無数の活動の受託者として行動する。
三位一体化の大使は、選択の三位一体化の息子の第2の系列であり、また管理者である他の仲間のように上昇する創造物の二つの型から採用される。上昇する必滅者が皆、調整者融合であるかまたは父融合であるというわけではない。一部は精霊融合であり、一部は息子融合である。これらの精霊-融合と息子-融合の必滅者の一部は、ハヴォーナに達し楽園に達する。候補者は、これらの楽園の上昇者から三位一体抱擁のために選ばれ、時おり7,000名の集団において三位一体化される。それらは、日の老いたるものの三位一体化の大使として超宇宙において任命される。ほぼ5億名がユヴァーサに登録される。
三位一体化の大使は、ハヴォーナの各教師の助言に基づき三位一体抱擁のために選出される。それらは、各集団の優れた心を表しており、それゆえに精霊融合の必滅者が来た世界の利益の理解と管理において超宇宙の支配者を補助するには最適任である。息子-融合の大使は、人格の息子-融合の系列にかかわる我々の問題対応において大きな支援となっている。
三位一体化の大使は、いかなる、そしてすべての世界のための、あるいは配属先の超宇宙にむけてのいかなる、そしてすべての目的ための日の老いたるものの使節である。それらは、小区域の本部における特別かつ重要な奉仕を提供し、超宇宙の無数の多岐にわたる任務をなし遂げる。三位一体化の大使は、超政府の三位一体化の息子の非常時の、あるいは予備の部隊であり、したがって、広大な範囲の義務に対応可能である。これらの活動に多少なりとも類似した出来事はユランチアには何もないので、人間の心に描くには不可能である。三位一体化の大使は、超宇宙業務における何千もの請負い仕事に従事している。
私には、完全の、そして完全にされた存在体の最高の創造的遂行—三位一体化の行為—の経験を物質の心に繰り広げることができるというわけではない—三位一体化の行為。三位一体化の方法は、ヴァイスジェリントンとソリタリントンの秘密の中にあり、これらの得意な経験を潜り抜けたもの達を除いては誰にも明らかにはできず、理解できない。したがって、人間の心にこの並はずれた相互作用の性質と趣旨を成功裏に描くことはいかなる存在体の可能性も超えるものである。
神格は別として、楽園-ハヴォーナ人格と各終局者部隊の一定の構成員のみが、終局者化に携わる。これらのずば抜けた存在体は、楽園完全性の特殊条件のもとで概念-自己性の特異な冒険に乗り出す事が許されており、また、新存在体、つまり、創造物-三位一体化の息子の産出に幾度も成功している。
三位一体化のそのような冒険に従事する栄光の創造物は、そのような経験1つにだけ参加できるが、楽園の神格の場合は、三位一体化場面の連続的実行に限界はなさそうである。神格は、ただ1つの点で制限されているようである。ただ1名の最初の無限の精霊だけが、つまり、父-息子の結合された意志のただ1名の無限の幹部だけがいる。
楽園文化と精霊的進化の一定水準に達した上昇する調整者-融合の人間終局者は、被創造体を三位一体化を試みることのできるもの達の中にいる。人間-終局者の集団は、楽園に配置されるとハヴォーナ時間の1,000年毎に休暇が与えられる。そのような終局者が義務のないこの期間を過ごすことを選ぶことのできる7つの異なる方法があり、そのうちの1つは、一部の終局者仲間か一部の楽園-ハヴォーナ人格と共同して創造物三位一体化の実演を試みることできるのである。
もし2名の人間終局者が、主たる宇宙の建築者の前に行くとき、三位一体化のための同じ概念を独自に選んだことを明示するならば、建築者には、自分自身の判断で、これらの栄光の人間上昇者が自身の休暇を延長すること、また楽園公民の三位一体化区域へしばらく立ち去ることを許可する命令を公表する権限が与えられる。与えられたこの静養の終わりに、それらが、選ばれた、しかも原初の概念を、それまでにまだ三位一体化されていない概念を精霊化し、理想化し、実現するために楽園に適する努力をすることを個々に、また共同して選んだと報告するならば、主たる精霊第七号は、次にはそのような並はずれた仕事の認可命令を出すのである。
信じられないほどの長期間が、時々これらの冒険に費やされる。これらの忠実かつ決意の固いかつての必滅者—および時として楽園-ハヴォーナの人格—が、最終的にそれらの目標を達成する前に、すなわち、実際の存在体への宇宙の真実の選ばれた概念をもたらすことに実際に成功する前に、一つの時代が過ぎるようである。そして、これらの熱心な二人づれが、つねに好評を得るわけではない。何回も失敗し、しかも、当事者側には発見できる誤りはない。このように三位一体化に失敗する候補者には、最高の努力をし、極度の失望に耐えた存在体として指定された終局者の特別集団へ入る事が許されている。楽園神格は、つねに三位一体化の結合に成功するが、同種の創造物の一対との、つまり同系列の存在体からの2名の構成員の企ての結合は、そうではない。
神性の両親は、新たで独創的な存在体が神により三位一体化されるとき神性の可能性において不変である。しかし、発揚された被創造体がそのような創造的な出来事をもたらすとき、請負中の、参加している1個人は、独自の人格変更を受ける。創造物-三位一体化された息子の前身2名は、ある意味では精霊的に1者となる。我々は、人格の特定の精霊局面における2統一のこの状態は、おそらく崇高なるものが、壮大な宇宙において完全かつ完璧の人格顕示に至るそうような時まで優勢であると信じる。
創造物-三位一体化の新たな息子の登場と同時に、前身者2名のこの機能的な精霊統合が起こる。2名の三位一体化の両親は、究極の機能水準において1つになる。宇宙の創造体は誰も、この驚くべき現象について完全に説明することはできない。それは、神性経験に近いものである。父と息子が無限の精霊の永遠化の結合をするとき、目標の達成に際し、両者はすぐに1者となり、以来ずっと1者である。そして、創造物2者の三位一体化の統合は、宇宙なる父と永遠なる息子の神格の完全な統合を際限なく巻き込む系列に匹敵するが、創造物三位一体化の影響は、本質的には永遠ではない。その影響は、経験的な神格の完成された事実化の際に終わるであろう。
創造物-三位一体化された息子のこれらの両親は、宇宙任務において1者になるとともに、終局者部隊の構成において、また主たる宇宙の建築者と終局者部隊の点呼において、2つの人格として数え続けられる。現在の宇宙時代には、三位一体化-結合のすべての両親が任務と機能において不可分である。1方が行くところにはもう片方が行き、1方がすることはもう片方がする。もし親の2-統一が人間の、(または他の)終局者と楽園-ハヴォーナ人格を伴うならば、結合した親の存在体は、楽園出身者とも、ハヴォーナ出身者とも、終局者とも機能しない。そのような混合統合は、同様の存在体で構成されている特別部隊に集まる。親の存在体は、混合の、またはそうではない三位一体化の全統合において互いに意識し、また通じ合い、両者ともに以前に履行したことのない任務を実行することができる。
主たる7精霊は、終局者と楽園-ハヴォーナ人格の三位一体化統合を是認する権威を持っており、そのような複合連係はいつも成功している。結果として起こる見事な創造物-三位一体化の息子は、楽園の永遠の創造物あるいは空間に属する時間の創造物のいずれの理解にも不適当な概念を代表している。したがって、それらは主たる宇宙の建築者の後見者になる。目標の三位一体化の息子は、明らかに未来の宇宙時代に関係している、それゆえ超宇宙、あるいは中央宇宙の政権のどちらにも直接の実用的価値のない理念、理想、経験を具体化する。時間の子供の無類の息子と永遠の公民は皆、ヴァイスジェリントンに保留され、そこでは、創造者たる息子の部隊の公表されていない大学に占有された球体の特別区域において時間の概念と永遠の現実の研究に従事している。
崇高なるものは、神格現実の三側面の統一である。崇高なる神、楽園の三位一体のある種の有限の局面の精霊的な統一。全能の崇高者、すなわち壮大な宇宙の創造者の力の統一。崇高なる心、すなわち第三根源と中枢の個々の貢献、および崇高なるものの現実への第三根源と中枢の調整者たち。三位一体化の冒険において中央宇宙と楽園の優れた創造物は、系列の三位一体化の息子の産出につながる崇高者の神格の三重の創造物探査に従事している。
1. 上昇者-三位一体化の息子。終局者は、創造的な努力において時間と空間を経由しての楽園への上昇において経験的に獲得した全能の崇高者の概念上のある現実の三位一体化を試みている。
2. 天国-ハヴォーナ-三位一体化の息子。楽園公民とハヴォーナ出身者の創造的努力は、究極者と永遠者に境を接する超崇高背景での経験上得た崇高なるもののに属する一定の高い精霊的側面の三位一体化をもたらす。
3. 三位一体化の息子。だが、終局者と楽園-ハヴォーナ出身者がともに新創造物を三位一体化する際、この結合努力は、崇高-究極の心のある局面において再び影響をもたらす。結果として起こる創造物-三位一体化の息子は、超創造的である。それらは、別の方法で経験的に獲得され、また、それゆえ自動的に主たる宇宙の建築者、すなわち現在の宇宙時代の創造の限界を超える事象に関わる管理者の範囲内に落ちる崇高-究極の神格の現実を表す。目標の三位一体化の息子は、崇高者-究極者の非啓示の主たる宇宙機能のある側面を具体化する。我々は、時間と永遠の結合の子らに関して多くは知らないが、明らかにすることを許されているよりもはるかに知っているのである。
この報告において検討された創造物-三位一体化の息子に加え、創造物-三位一体化の存在体の数知れない非啓示の系列がある。——終局者7部隊と楽園-ハヴォーナ人格に属する複数の関係にあるさまざまの子孫。しかし、啓示の、非啓示のこれらのすべての創造物-三位一体化の存在体は、宇宙なる父による人格を与えられている。
新しい上昇者-三位一体化の息子と楽園-ハヴォーナ-三位一体化の息子が、若く未熟であるとき、それらは、通常、無限の精霊の7楽園球体における長期間の奉仕のために派遣され、そこでは崇高なる7幹部の後見の下に働く。それらは、次に地方宇宙における一層の訓練のために三位一体の教師たる息子に採用されるかもしれない。
高位の、栄光の創造物起源をもつ採用された息子は、分類上、教師たる息子の見習い、つまり学生助手であり、しばしば一時的にこれらの息子とともにに付番される。採用された息子らは、奉仕のための自らが選んだ領域のために克己的に多くの気高い任務を実執行するかもしれないし、そうするのである。
地方宇宙の教師たる息子は、楽園の三位一体による抱擁のために自身の創造物-三位一体化の被後見者を指名するかもしれない。完全性の三位一体化の息子としてこの抱擁から現れ、二度-三位一体化された存在体のこの独特な集団の現在知られている目標である7超宇宙において日の老いたるものの奉仕につく。
創造物-三位一体化の息子すべてが、三位一体に迎え入れられているというわけではない。多くは、楽園の主たる7精霊の、超宇宙の反射の精霊、および地方創造の母なる精霊の仲間や大使になる。永遠の小島における特別任務を受け入れる者もいるかもしれない。さらには、父の秘密世界と精霊の楽園球体における特別な奉仕に入る者もいるかもしれない。多くは、やがてハヴォーナの内回路の三位一体化の息子の結合部隊にたどり着く。
完全性の三位一体化の息子とヴァイスジェリントンに集まるそれらの者を除き、創造物-三位一体化のすべての息子の崇高目標は、三位一体化の終局者部隊、つまり終局者の楽園7部隊の中の1部隊への入り口であるらしい。
創造物-三位一体化の息子は、7,000名からなる集団で楽園の三位一体に抱かれる。完成された人間と楽園-ハヴォーナ人格の三位一体化の子らは皆、分け隔てなく神に抱かれ、しかも、それらの元教官、すなわち三位一体の教師たる息子の忠告に応じて超宇宙に配属される。より満足できる奉仕のものは、息子の高位の補佐に任命される。それほど顕著でない能力のものは、天の保護者に指定される。
この特異な存在体は、三位一体に抱擁されるとき超宇宙政府への貴重な助手になる。この特異な存在体は、人格的な上昇ではなく、空間世界の三位一体の教師たる息子への奉仕の結果として、個人の上昇の経歴の問題に精通している。
およそ10億の天の保護者が、オーヴォントンにおいて任命された。それらは、主要区域の本部の日の完全なるものの政権に配属され上昇の息子-融合の必滅者部隊にみごとに補助されている。
天の保護者は、法廷の使者として、また超宇宙政府の様々な裁判所の招喚状や判決文の持参者として機能する日の老いたるものの法の番人る。それらは、日の老いたるものの逮捕行為の代理者である。天の保護者は、超宇宙が判断する前に、臨場を求められている存在体を連れ帰るためにユヴァーサから先へ行く。それらは、超宇宙でのいかなる人格の拘留命令も実行する。また、それらの臨場が、何らかの理由によりユヴァーサで必要とされるとき、地方宇宙の精霊融合の必滅者に同伴する。
調整者は、天の保護者とその仲間、つまり息子の高位の補佐には決して内住したことはない。天の保護者とその仲間は、精霊でもなければ息子融合でもない。しかしながら、楽園の三位一体の抱擁は、完全性の三位一体化の息子の非融合状態を補ものである。三位一体の抱擁は、抱擁された息子を他の方法では不変の状態において、創造物-三位一体化の息子に人格化される構想に基づいてのみ行動をおこすかもしれないが、そのような限界は、そう計画される場合にのみ発生する。
二度-三位一体化のこれらの息子は、驚くべき存在体ではあるが、上昇仲間ほどには万能でもなければ頼りにもできない。それらは、この集団に属する他の息子たちが、実際に空間の暗い領域から栄光へと登ることで取得したその素晴らしく、深遠な人格的経験を欠いている。上昇経歴出身の我々は、それらを愛し全力で彼らの欠陥を補うすべてをするのだが、彼らは、我々の卑しい起源と能力の経験に対しいつも感謝している。宇宙上昇の経験可能な現実における自身の欠陥を認識し、承認するそれらの意欲というものは、並外れて美しく、時々この上なくいじらしいほどに哀れをさそう。
それらの経験的能力が、時間-空間に抑制されるていることから、完全性の三位一体化の息子は、他の三位一体-抱擁の息子とは対照的に限界がある。それらは、崇高なる幹部と教師たる息子との長い訓練にもかかわらず、経験-不十分であり、もしこれが、事実でないとしたならば、経験上の飽和状態が、未来の宇宙時代で得る経験のために残されることを不可能にするであろう。実際の個人的な経験の代わりができるすべての普遍的な存在には実に何もないし、これらの創造物-三位一体化の息子は、宇宙新時代のいつか将来の経験的機能の予備のために保持される。
私は、大邸宅世界においてしばしば超宇宙の高裁のこれらの威厳のある役人が、空間の進化世界からの最近の到着者にさえ非常にあこがれをもち、また魅力的に見ているのを目にしてきたので、観察している者は、無経験の三位一体化のこれらの持ち主が、宇宙の進路を本物の経験と実際の生活を一歩一歩昇る恐らくはさほど恵まれてはいない同胞を本当に羨んでいることに気づかざるを得ないであろう。無経験の三位一体化のこれらの持ち主は、自己の不利な条件や限界にもかかわらず、超宇宙政府の複雑な管理計画の実行に関し驚くほど役に立ち、つねに自発的な労働者部隊である。
息子の高位の補佐は、終局者の必滅者部隊に属する上昇する栄光の存在体と永遠の仲間とからの、つまり楽園-ハヴォーナ人格とからの再度三位一体化した息子の優れた集団である。それらは、日の老いたるものの政府の高位の息子に対する個人的な援助として超宇宙奉仕と職務を割り当てられる。それらは、ふさわしく個人秘書と呼べるかもしれない。それらは、時どき高位の息子の特別任務と他の集団結社の事務員として務める。息子の高位の補佐は、英知の遂行者、神性顧問、宇宙検閲官、強力な使者、権威高きものたち、および名前と番号を持たないものたちに仕える。
もし、私が、天の保護者についての議論において、これらの二度-三位一体化の息子の限界と障害に注意を促しているようであれば、公正な立場で言わせてもらい、強大な力の一点に、つまり我々にとりほぼかけがえのないものにする特性に注意を向けさせて欲しい。これらの存在体の存在そのものが、単一かつ最高の概念の人格化であるという事実にある。二度-三位一体化の息子は、かつて一度も発想されたことのない、表明されたことのない、または三位一体化されたことがないような何らかの神性の考え、何らかの普遍的理想の人格の具体化である。それらは、次に、三位一体に抱擁されたのである。したがって、それらは、自身の人格存在の考え-理想に関しては実際に神性の三位一体の他ならぬその知恵を示し具体化する。これらの人格は、その特定の概念が宇宙に啓示可能である限り、いかなる創造物、あるいは創造者の知性が発想し、表現し、または例示でき得るものすべてを具体化する。これらの人格は、具現化されるその考えなのである。
あなたには、宇宙現実のただ一つの最高概念のそのような生きた凝縮が、超宇宙管理が委ねられているもの達への明かされていない奉仕であろうということが分かり得ないのか。
つい先ごろ、私は6名からなる委員会を率いるよう指示され、— 高位の息子のそれそれが—オーヴォントンの南側の新恒星集団に関する3件の問題研究を課せられた。私は、私の委員会へのそのような秘書の一時的任務をユヴァーサの息子の高位の補佐の系列の長に要求したときに、息子の高位の補佐の価値に強く気づいたのであった。我々の最初の考えは、ユヴァーサの息子の高位の補佐により提示され、息子の高位の補佐が直ちに、我々の集団に配属された。我々の2件目の問題は、超宇宙第3号に配属される息子の高位の補佐により具体化された。我々は、欠くことのできない知識の調整と普及のための中央宇宙交換機関を介しこの関係者から大いに支援を得はしたが、崇高に創造物-三位一体化された、そして終局的に神格-三位一体化された概念である人格の実際の臨場によって提供された援助に匹敵するものは何もなかった。我々の3件目の問題に関しては、楽園に関する記録が、そのような考えは、決して創造物による三位一体化ではなかったということを明らかにした。
息子の高位の補佐は、途方もない概念と驚くべき理想の特異かつ最初の人格化である。そして、それらは、そういうものとして我々の思案に時どき名状しがたい光明を授けることができる。私が取り組み解決するために送られてきた他ならぬその問題に関し神の概念が満ち満ちた息子の高位の補佐を私の任務に配属されるほどに、それほどに私が幸いであるのならば、私が、空間宇宙において何らかの遠隔任務に従事しているとき、それが何を意味するのか、援助という意味において考えなさい。そして、私は、まさしくこの経験を繰り返してきた。この計画の唯一の困難は、いかなる超宇宙もこれらの三位一体化の考えの完全版を持つことはできないということである。我々は、これらの存在体の1/7しか得られない。したがって、考えというものが、三位一体化されたと記録にあるときでさえ、我々は、これらの存在体の人格的関係を味わうということはおよそ7度に1度にすぎないのである。
我々は、ユヴァーサにおいてかなり多くのこれらの存在体を大いに用いることができた。我々は、超宇宙行政にとってのそれらの価値を理由に、そのような創造的な冒険の制定に不可欠である経験的現実に互いに貢献した後に三位一体化を試みるよう空間の巡礼者や楽園の居住者にもあらゆる可能な方法で奨励する。
現在およそ125万名の息子の高位の補佐が、超宇宙にはおり、ユヴァーサで機能するように大小両区域において役目を果たしているす。それらは、頻繁に遠く離れた宇宙での我々の任務に同伴していく。息子の高位の補佐は、どんな息子にも、あるいはどんな委員会にも永久に配属されることはない。楽園の三位一体の息子となった高位の補佐は、楽園の三位一体の永遠の目標を最もよく進めることができる考えか理想を配し、つねに循環している。
息子の高位の補佐らは、感動的に愛情深く、実に見事に忠誠で、すばらしく知的で、この上なく賢明であり、 —ただ一つの考えに関し—解しがたいほどに謙虚である。息子の高位の補佐らは、自らの1つの考えまたは理想に関係する宇宙についての知識をあなたに授けることができるとはいえ、多くの問題に関する知識と情報を上昇の必滅者からさえ求めているところを観測するのはまったく哀れでさえある。
そして、これこそが、神の三位一体化の息子と呼ばれるもの達につての、より具体的には、楽園の三位一体の神性の抱擁を経験したもの達についての、そしてハヴォーナの隣接した目的地と終局の楽園目標に向けての時間の上昇する人間の内部の進歩を助長するたゆまぬ努力においてそこで日の老いたるものの管理者との賢明かつ理解ある協力を与えるために超宇宙の奉仕に配属されたもの達についての起源、性質、および機能に関する記述である。
[オーヴォントンの天啓部隊の強力な使者による叙述]
単独使者は、連合創造者の個人的かつ普遍的な軍団である。それらは、無限の精霊からの高位の人格の最初の、先輩の系列である。それらは、単独の人格精霊をもたらす目的で単独機能において無限の精霊の初期の創造活動を示す。父も息子も、直接にはこのすばらしい精霊化に参加はしなかった。
これらの精霊使者は、一つの創造的な出来事を人格化したし、その数に変動はない。この現在の任務に当たる私は、並はずれた存在体の中の1名を伴っているが、宇宙の中の宇宙にそのような人格がどれだけ存在するかは知らない。私は、我々の超宇宙の司法権内に差し当たり機能している登録-記録数が、いかほどあるかについては時おり知るに過ぎない。私は、およそ7,690兆の単独使者がおり、さらにまたオーヴォントンの区域内において活動していると最後のユヴァーサの報告に見ている。また、これはその総数の1/7よりはかなり少ないと推測する。
無限の精霊は、ハヴォーナ回路の7精霊の創造直後に単独使者の巨大部隊を創出した。楽園とハヴォーナ回路を除くどの部分も、単独使者に先在する普遍的創造ではない。単独の使者は、永遠の近くから壮大な宇宙全体にわたり機能した。それらは、無限の精霊の自己顕示のための神性の方法と、時間と空間の広範囲の創造との人格的な接触に必須である。
これらの使者は、永遠に近い時から存在しており、全員が、自己の始まりに気づいている。使者達は、そのような時間の意識を持つ無限の精霊の創造の1番目であり、時間を意識している。それらは、時間において人格化され、空間において精霊化される無限の精霊の長子の創造物である。
これらの単独の精霊は、成熟し完全に賦与された精霊存在体として時の始まりに現れた。それらは皆、平等であり、何の階級も細分も、個人的変化に基づいていない。その区分は完全に時々それらに割り当てられる仕事の型に基づくものである。
必滅者は、空間世界においてほぼ完全な物質存在体として始め、大いなる中枢に内向けへと向上する。これらの単独の精霊は、万物の中心を出発し、遠隔の創造に、一番はずれの地方宇宙の個々の世界へさえ、またそれを超えてさえの任務を切望する。
それらは、単独使者と命名はされているものの、単独で働くのが誠に好きであるので孤立した精霊ではない。それらは、親しく交わることができる宇宙の知性をもつほんのわずかな系列との関係を等しく楽しむとはいえ、孤立の生活ができ、また実際にそうする全創造中の唯一の存在体である。
単独使者は、奉仕における孤立はしてはいない。それらは、滞在中の領域の全放送を「傍受する」能力があるので、絶えず全創造の識者の豊かさに触れ合っている。また、それらには、同じ超宇宙で同種類の仕事をする存在体である自身の直接部隊の隊員との交信が可能である。属する集団の他のもの達と伝達が可能ではあるが、主たる7精霊の協議会にそうしないように指示されており、忠誠な一団である。それらは従うし、履行もする。単独使者には今までに暗黒に転がり込んだという記録は何もない。
単独使者は、宇宙の力の指揮官と同じく時間と空間の裁判所による逮捕、あるいは拘留が免除されている領域全体で行動する数少ない存在体の型である。単独使者は、主たる7精霊の前に限って裁かれることができたであろうに、主たる宇宙の全年譜によると、この楽園協議会が、これまでに単独使者の事件を裁くことを求められたことはない。
単独任務のこれらの使者は、第三根源と中枢から生まれ、頼りになる独立独行の、万能かつ完全に精霊的で、また広く思いやりのある存在体の集団である。それらは、楽園の中央の小島の居住者であり、地方宇宙の本部球体で人格化される無限の精霊の認可を得て稼動する。これらの使者は、地方宇宙の母なる精霊の直接的影響下の地方創造において機能するときにさえ無限の精霊から直接回路に発せられるものを絶えず取り入れるもの達である。
これらの単独使者が、単独で旅行し働かなければならない特有の理由がある。それらは、短期間、そして静止しているとき集団で働くことができるのだが、このように集合体となるとき、楽園回路の生命維持と方向づけからは完全に断ち切られる。それらは完全に隔離される。通過しているとき、あるいは空間の回路と時間の流れにおいて稼動するとき、もしこの2系列またはそれ以上が、近接近しているならば、両者もしくはすべては、より高い循環力とのつながりを失う。それらは、あなたが実例的記号においてそれを説明するかもしれないように「短絡的」である。したがって、それらは、迫り来る摩擦を知らせるために的確に作動し、また適切で有効な機能を妨げないように絶えず単独使者を十分に切り離しておく自動警報装置力、警告信号をもともと備えていある。それらは、喚起された三位一体の精霊と神性の思考調整者の両者の近接を察知し、指し示す特有の、無意識の、力を有している。
これらの使者には、人格拡大の、もしくは人格再現の何の力もないのだが、実際に使者にとり従事不可能な宇宙においても、また不可欠で役立つ何かを賦与できない宇宙への何の仕事もないのである。特に、それらは、宇宙問題の管理にかかわるもの達のために時間を有効に節約してくれる。そして、最高位のものから最低位のものまでの我々皆を補助してくれる。
単独の使者は、天の人格のいかなる個人あるいは集団にも永久には配属されない。それらは、職務に従事しており、またそのような仕事の間中は、各配属領域を指示するもの達の即座の指揮下で働く。それらには、いかなる種類の組織も政府もない。それらは単独使者である。
単独使者は、無限の精霊により次の7部門の奉仕に割り当てられる。
1. 楽園の三位一体の使者
2. ハヴォーナ回路の使者
3. 超宇宙の使者
4. 地方宇宙の使者
5. 無特定地職務の探検者
6. 特別任務の大使と使節
7. 真実の啓示者
これらの精霊の使者は、1つの奉仕の型から他の型への交替があらゆる点で可能である。そのような転移は絶えず起きている。単独の使者に別の系列はない。それらは精霊的には似ており、あらゆる点で平等である。一般的には番号により指定されるが、無限の精霊には個人的な名前で知られている。それらは、我々の他のもの達には名前または現在の任務に与えられた番号で知られている。
1. 楽園の三位一体の使者。私には三位一体に配属されている使者集団の仕事について多くを明らかにすることは許されていない。それらは、神格の信頼され公表されていない僕であり、神の非啓示の方針と今後の処理にかかわる特別な伝達内容が任せられるとき、秘密を明かしたり、または自らの系列に寄せられる信頼を裏切るということは一度もなかった。それらの完璧さを自慢するためにではなく、むしろ神格が完璧な存在体を創造することができる、また、そうするということを指摘するために、このすべてが、伝えられているのである。
ユランチアの混乱と騒動は、楽園の支配者たちが、問題への異なる対処への関心、または能力を欠くと意味するものではない。創造者は、ユランチアを真の楽園にするための完全な力を持つが、そのようなエデンというものは、神が、必要という金床と苦悩という金槌であなたの世界においてそれほどまでに確実に鍛造する強くて、高貴で、経験豊富な形質の発達に貢献することはないであろう。万物の有する最高目的への絶妙の完全性と無限の適合性が、中央の、かつ完全な宇宙世界における神性計画の部分であるのと同じく、あなたの憂いと悲しみ、試みと期待外れというものは、あなたの領域におけるまさに神性計画の部分である。
2. ハヴォーナ回路の使者。あなたは、上昇経歴全体において単独使者の存在をばく然と、しかし、より探知できるようになるのだが、ハヴォーナに到着するまでは、間違うことなくそれらを認識することはできないのである。あなたが面と向かい会う最初の使者たちは、ハヴォーナ回路のものたちであろう。単独使者は、ハヴォーナ世界の出身者との特別な関係を味わう。
仲間の交わりにおいて機能上あまりに不利な立場にあるこれらの使者は、ハヴォーナ出身者とは非常に親しく、個人的な親交を持つことができる。だが、そのようなほぼ超越的人格の精霊との神々しく完全なこれらの存在体の心の接触の結果として起こる最高の満足感を人間の心に伝えることはまったく不可能である。
3. 超宇宙の使者。日の老いたるものには、すなわち7超宇宙の目標を統括する三位一体起源のそれらの人格、神性の力と行政の知恵をもつ三名組には、単独使者が惜しみなくあてがわれる。一超宇宙の三位一体の支配者が、直接、個人的に他の支配者と伝え合えるのは、この系列使者を通してのみである。単独使者は、ことによると喚起された三位一体の精霊は別にして、一超宇宙の本部から他の本部へ直接に派遣できる唯一利用可能な精霊の知性の型である。他のすべての人格は、ハヴォーナと主たる精霊の執行業務の世界を経由してそのような旅をしなければならない。
重力の使者でも、反射、または放送でも得ることのできないある種の情報がある。確実にこれらのことを知りたいとき、日の老いたるものは、単独の使者を知識の所在源に派遣しなければならない。ユランチアにおける生命臨場のずっと以前に、現在私に関係している使者は、任務上ユヴァーサから中央宇宙に配属された。—オーヴォントンの点呼を約100万年間欠席したが、やがて必要な情報を持ち帰ったのであった。
単独使者の超宇宙での奉仕に制限はない。それらは、高等裁決機関の実行者として、または領域の利益のための諜報採集者として機能するかもしれない。ここでは、必要性は最大であり、英雄的な奮闘の機会は大いに増すので、単独使者は、超創造すべての中ではオーヴォントンでの活躍を最も喜ぶ。我々は皆、より困窮している領域ではより十分な機能の満足感を味わう。
4. 地方宇宙の使者。単独使者には地方宇宙の奉仕における機能に何の制限もない。それらは、君臨する主たる息子の権限下にあるが、地方宇宙の母なる精霊の動機と意図の忠実な顕示者である。これは、直接に宇宙本部から旅をするかどうか、または、一時的に惑星の父、体制君主、あるいは惑星王子とのつながりで行動しているかどうかには関係なく、地方宇宙の中で活動する全使者に当てはまる。地方宇宙のこれらの使者は、昇進時に自身の宇宙の統治者として創造者たる息子の手にある全権集中化の前に、日の老いたるものの総指揮のもとに機能し、居住している自分達の代表、つまり日の結合なるものに対して直接的に責任を負う。
5. 無特定地職務の探検者。単独使者の予備部隊が過剰に募集されると、崇高な力の7指揮官のうちの1名から探検のための志願者要請が公表される。単独使者らは、自由で制約されない探検家として派遣されることを、新世界と宇宙を組織する中軸を見つける興奮感の経験を喜びとするので、志願者不足は決してない。
探検家らは、領域に属する空間熟考者から提供された手がかりの調査のために旅立つ。確かに、楽園神格は、空間のこれらの未知のエネルギー体系の存在を知ってはいるものの、決してそのような情報を明かしはしない。そのような現象は、単独使者が、新たに組織しているエネルギーの中心を探検し図表にしないならば、隣接する領域の知力あるもの達にさえ長らく目だたないままであろう。単独使者は、一集団として重力に非常に敏感に反応する。従って、それらは、非常に小さい暗い惑星に、すなわち生命実験に最も順応するまさにその世界に、あり得る臨場を時々探知することができる。
無特定地職務のこれらの使者-探検者は、主たる宇宙を巡回する。それらは、絶え間なく全外空間の地図にはない領域に探検旅行をしている。単独使者らが、天の天文学者と共にしばしば働き研究するので、外空間領域における相互作用について我々が得る情報の誠に多くは、単独使者の探検に負うものである。
6. 特命の大使と使節。同じ超宇宙内に位置する地方宇宙は、自身の出身の子息性の系列から選ばれる大使を慣例的に交換する。しかし、単独使者は、遅れを避けるために一地方の創造から他の創造に大使として頻繁に行くこと、つまり1領域から他の領域に代表としてまた説明のために求められる。例えば:新たに生息する領域が発見されるとき、熾天使化の大使が、このはるかな宇宙に達するにはとても長い時間が経過するほどに空間的に非常に遠いと判明するかもしれない。熾天使化の存在体は、あなたの時間の1秒当たり89万9,368ユランチアキロメートルの速度を超えることはできない。膨大な星、交差する流れ、迂回、さらに引き合う接線は皆、そのような速度を遅らせる傾向にあるので、速度は、長旅においては平均して1秒あたり約89万キロメートル平均となる。
自身の出身域からの大使が、はるか遠方の地方宇宙に到着するのに何百年も要する事態が生じるとき、単独使者は、しばしば当座の大使としてすぐに機能するためにそこへ赴くよう依頼される。単独使者は、重力の使者が時間と空間には無関係に、ほぼ無関係に、非常に迅速に行くことができる。また、それらは、特別任務の密偵として他の情況においても役目を果たす。
7. 真実の啓示者。単独使者は、真実を明らかにする任務を自身の系列の最高の信頼と見なす。それらは、時どき超宇宙から空間の個々の惑星に至るまでこの能力において機能する。それらは、頻繁に世界と体系への真実顕示の拡大のために送られる委員会に配属される。
単独使者は、放送業務または反射装置のいずれかの利用が不便であるとき、全領域における重要かつ緊急情報の速い伝達のために利用可能な完ぺきな、しかも秘密の人格の最高の型である。それらは、領域の精霊の存在体、そして物質の存在体を助け、特に時間の要素を伴うところで実に多種多様な任務に就く。それらは、超宇宙領域の奉仕に配属される全系列の中で時間と空間をものともせず近づくことができる最高位の最も万能の人格化された存在体である。
宇宙には通行目的の重力を利用する精霊が十分に供給されている。精霊は、いつでもどこにでも行くことができる—直ちに—だが、人格ではない。重力の使者や超絶記録者というようなある種の他の重力移動者は、人格的存在ではあるが、超宇宙や地方宇宙の行政者に仕えることはできない。世界には、天使、人間、および他の非常に人格的な存在体が溢れているが、それらは時間と空間のために不利な立場にある。大部分の無熾天使化の存在体にとっての速度の限界は、あなたの世界の時間の1秒あたり29万9,789キロメートルである。中間創造物と他の存在体は、2倍の速度—すなわち1秒あたり59万9,578キロメートル—を達成し得るし、しばしば実際に達するのである。一方熾天使と他の存在体は、3倍の速度、1秒あたりおよそ89万9,3689キロメートルで空間を横断できる。しかしながら、重力移動者の瞬時速度と単独使者を除く熾天使の比較的遅い速度の間で機能する通行の人格または使者の人格は存在しない。
単独使者は、したがって、人格が任務成就に不可欠であったり、容易に利用可能な他の人格的使者の型を派遣で起こる時間の損失を避けることが必要であるような状況での派遣と奉仕活動のために一般的に採用される。それらは、壮大な宇宙の結合した普遍の流れと連動できる確実に人格化された唯一の存在体である。それらの空間横断速度は、妨害渉するさまざまな影響により可変ではあるが、私の副使者は、この任務実現の旅においてあなたの時間で1秒あたり1兆3,544億6,133万8,655キロメートルの速度で進んだと記録にある。
精霊が、いかにして本物の人間であると同時にそのような猛烈な速度で空間を横断するのかを物質の心の型に説明することは全く私の能力を超えるものである。しかし、他ならぬこれらの単独使者は、実際にこれらの理解しがたい速度でユランチアを往来するのである。実に、宇宙行政の経済全体は、これが事実でないならば、主にその個人的局面は奪われるであろう。
単独使者には、遠く離れた空間地域、つまり壮大な宇宙の確立された回路に包括されていない領域全体における非常時の情報網としての機能が可能である。したがって1使者が、そのように機能するとき、ユランチアの天文学者が星の距離を見積もるように、およそ100光年離れた仲間の使者へ空間経由で情報を伝えるか、または瞬間力を送ることができるように発展させるのである。
超宇宙の諸事を進めるうえで我々に協力してくれる無数の存在体のうち、これらのもの達が実践上の有用性と時間節約において最も重要である。我々は、空間宇宙における時間のもつ不利な条件を考慮しなければならない。それゆえ、単独使者の偉大な奉仕は、その伝達における個人的特権を用いており、空間からはいささか無関係で、その上その猛烈な通過速度により時間からはほとんど無関係である。
私は、単独使者が、いかにして無形状態で、なおかつ本物の、明確な人格を持ち得るかのユランチアの必滅者への説明に途方に暮れている。自然のうちに人格に関連づけられるその形を成していないとはいえ、それらは、すべてのより高い精霊存在体の型が認識できる精霊臨場を有している。単独使者は、資格十分の人格の全特権と結合している無形のほぼ全利点を所有しているらしい唯一の存在体集団である。それらは本当の人格であり、その上、無個人的な精霊顕現の属性のほぼすべてを贈与されている。
通常、7超宇宙においては、—だが、いつもではない—時間と時空間の不利な条件からのいかなる創造物の解放を増加させる傾向のものすべては、人格的特権を比例して減少させる。単独使者は、この一般法則の例外である。それらは、活動においてその精霊的表現、神性の奉仕、人格的奉仕活動、および宇宙交信の限りないありとあらゆる手段の利用においてほぼ無制限である。もしあなたが、私の宇宙行政経験の光の中のこれらの並はずれた存在体を見ることができるとしたならば、多岐にわたるそれらの協力がなければ、超宇宙の諸事を調整することがいかに難しいかを理解するであろうに。
宇宙がどれほど拡大しようとも、それ以上の単独使者はおそらく決して創出されないであろう。宇宙の成長につれ拡大された行政上の仕事は、ますます精霊の奉仕活動の他の型により、また君主たる息子と地方宇宙の母なる精霊の創造物のようなこれらの新しい創造に起源を取るそれらの存在体により担われなければならない。
単独使者は、精霊存在体のすべての型のための人格調整者であるらしい。それらの奉仕活動は、広範囲の精霊的な世界の全人格を同系にするために手を貸す。それらは、すべての精霊存在体における集団同一性の意識の開発に非常に貢献する。いかに似ていないとしても、他のすべての型を理解し親しくつきあうためのそのような存在体の能力を育成する単独使者の特別集団が、すべての型の精霊存在体に仕える。
単独使者は、我々の何名かが、無限の精霊によるこれらの使者の創造は、連合活動者による崇高-究極の心の贈与に何らかの方法で結びついていると仮定するほどに有限の人格の型と系列すべての調整のための—主たる宇宙の総括的管理者の準絶対政権との接触のためさえの—そのような驚くべき能力を示す。
終局者と楽園公民が、「時間と永遠の子供」の三位一体化—崇高-究極の非啓示の心の可能性を伴う相互作用—において協力するとき、またそのような未分類の人格がヴァイスジェリントンに派遣されるとき、単独使者(そのような神性心の贈与が推測される人格の反応)は、保護者-仲間としていつもそのような創造物-三位一体化の息子に配属される。この使者は、新しい息子の職務の世界へと同行し、もう二度とヴァイスジェリントンを離れない。単独使者は、このようにして時間と永遠の子供の目標に配置されると、永遠に主たる宇宙の建築者の単独指揮に移される。我々は、そのような並はずれたつながりの未来が何であるのかを知らない。独特の協調関係にあるこれらの人格は、長い間、ヴァイスジェリントンに集まり続けたが、1対としてそこから先へ行ったことはない。
単独使者の数は定まっているが、目標の息子の三位一体化は明らかに制限のないやり方である。目標の三位一体化の息子のそれぞれは、単独使者を自身に割り振ったので、我々には、いつか遠い将来に使者の提供が尽きるようにみえる。だれが、単独の使者の壮大な宇宙での仕事を引き継ぐのであろうか。喚起された三位一体の精霊の中の何らかの新開発が、それらの奉仕を引き受けるのであろうか。壮大な宇宙は、一元的また二元的な起源の創造物が外空間領域に移動する一方で、いつか遠い時代には三位一体-起源の存在体によりもっと密接に管理されるのであろうか。もし使者が以前の自分達の奉仕に戻るならば、目標のこれらの息子は、それらに同行するのであろうか。単独使者の提供が、目標のこれらの息子の保護者-仲間として吸収されてしまったとき、終局者と楽園-ハヴォーナ出身者間の三位一体化は、やむのであろうか。我々の有能な単独使者全員が、ヴァイスジェリントンに集結されるのであろうか。これらの並はずれた精霊人格は、非啓示の目標のこれらの三位一体化の息子に永遠に伴われるのであろうか。我々は、ヴァイスジェリントンに集うこれらの二人連れが、強力な神秘の存在体、つまり主たる宇宙の建築者の唯一の指示下にあるという事実にどのような意味を添えるべきか。これらの、かつ多くの同様の問題を自らに問い、また天の存在体の他の無数の系列に尋ねるのだが、我々は、答えが分からない。
宇宙行政多くの同様の出来事と併せてこの相互作用は、壮大な宇宙の職員が、ハヴォーナと楽園の職員さえが、外空間の領域全体に現在起きている広大なエネルギー進化との連携において、またそれに関連して明確かつ確実な再編成中であることを紛れもなく示している。
我々は、永遠の過去が経験したすべてを超えるであろう永遠の未来が、宇宙進化の現象を目撃するという信念に傾きがちである。そして、我々は、あなたでさえもするはずの、それほどに物凄い冒険を、強い趣と絶えず高まる期待を予期するのである。
[ユヴァーサからの神性顧問による提示]
ユヴァーサにおいては、我々は、連合創造者の全人格と本質を3大分類に、すなわち無限の精霊のより高い人格、空間の使者部隊、および、人間の前進のための上昇基本構想の意志を持つ創造物への教育と奉仕に携わるそれらの精霊存在体である時間の奉仕をする精霊に分類する。
これらの解説文において言及する無限の精霊のより高い人格は、7分類の壮大な宇宙全体にわたり機能する。
1. 単独使者
2. 宇宙回路監督者
3. 登記責任者
4. 無限の精霊の人格補佐
5. 副検査官
6. 配属歩哨
7. 卒業生案内者
単独使者、回路監督者、登記責任者、および人格補佐の特徴は、反重力の途方もない資質の所有にある。単独使者には周知の総本部はない。単独使者らは、宇宙の中の宇宙のあちこちを移動する。宇宙回路監督者と登記責任者は、超宇宙首都の本部を維持する。無限の精霊の人格補佐は、中央の光の小島に配置される。副検査官と配属歩哨は、それぞれに地方宇宙の首都に、また地方宇宙の構成体系の首都に配置される。卒業生案内者は、ハヴォーナ宇宙に居住し、その10億の全世界において機能する。これらのより高い人格の大半は、地方宇宙に拠点を持ちはするが、組織的には進化の領域の行政に属してはいない。
この集団を構成する7分類のうち単独の使者と、ことによると人格補佐だけが、宇宙の中の宇宙の範囲にわたって活動する。単独使者には楽園から外側への間で出くわす。ハヴォーナ回路を経由し超宇宙首都へと、そこから超宇宙領域へ、そして各細別区域を含む地方宇宙へ、また生息界へさえ経由して。単独使者は、無限の精霊のより高い人格に属するとはいえ各々の起源、性質、奉仕についてはすでに議論されてきた。
空間の広大な力の流れと精霊エネルギーの回路は、自動的に活動しているように思われるかもしれない。それらは、何らの支障もなく機能するように思われるかもしれないが、そうではない。これらのすべてのすばらしいエネルギー体系は、制御されている。知的な監督を前提としている。宇宙回路監督者は、純粋に物理的か物質的エネルギーの領域—宇宙の力の指揮官の分野—とではなく、相対的な精霊的エネルギーの回路との、また高度に進化した精霊的存在体や知的創造物のモロンチアの型、または変遷の型の両方の維持に不可欠である変更された回路との関係がある。監督者は、エネルギー回路と神性の超本質に起源を与えはしないものの、一般的には時間と永遠のすべてのより高い精霊回路に、また壮大な宇宙の構成部分の管理に関係あるすべての相対的精霊回路に関与している。それらは、すべての精霊-エネルギー回路を楽園の小島の外で方向づけ操作する。
宇宙回路監督者は、無限の精霊の専門的創造によるものであり、唯一連合活動者の動作主として機能する。それらは次の4系列における奉仕のために人格化される。
1. 崇高回路監督者
2. 副回路監督者
3. 二次回路監督者
4. 三次回路監督者
ハヴォーナの崇高の監督者と7超宇宙の副監督者は、数的には完成されたものである。これらの系列はこれ以上は創造されない。崇高の監督者は数の上では7名であり、7個のハヴォーナ回路の先導的世界に配置される。7超宇宙の回路は、無限の精霊の 7楽園球体、すなわち崇高なる7幹部の世界にある本部を維持する7名の副監督者の驚異的集団を担当しており、ここから空間の超宇宙回路を監督し導いている。
副回路監督者7名と崇高なる力の中枢の第1系列は、精霊のこれらの楽園球体において崇高なる幹部の指示の下に7超宇宙に向かう物質と精霊の全回路の准-楽園の調整をもたらすつながりを起こす。
各超宇宙の本部世界には時間と空間の地方宇の監督のために二次監督者が配置されている。大小の宙域は、超政府の行政区分であるが、精霊-エネルギー監督のこれらの問題には関係がない。私は、どれだけの二次回路監督者が壮大な宇宙にいるかを知らないのだが、ユヴァーサには84,691のこれらの存在体がいる。二次監督は、絶えず創出されている。それらは、時どき70名からなる集団で崇高なる幹部の世界に現れる。
我々は、自分たちの管轄区域の新たに進化する宇宙への精霊エネルギーと連結力の個々の回路設立のための調整の際、要求によりそれらを獲得する。要求をして三次回路監督者は、全地方宇宙の本部世界で機能する。二次監督者のように700名の集団からなるこの系列は、引き続く創造からくるもの達である。それらは、日の老いたるものにより地方宇宙に割り当てられる。
回路監督者は、特定作業のために創出され、つねに最初の任務の集団で働く。それらは勤務交代はせず、したがって最初の任務の領域で見られる問題に関して長年の研究をする。例えば、三次回路監督者57万2,842号は、あなたの地方宇宙という初期の概念以来ずっとサルヴィントンで機能しておりネバドンのマイケルの部下の一員である。
地方の、またはより高い宇宙において行動するかどうか、行動しているのが地方であろうとより高い宇宙であろうと回路監督者は全員が、すべての精霊の言葉の伝達のため、そして全人格の移動のために用いる適切な回路に関与している。これらの有能な存在体は、回路の監督の仕事において宇宙の中の宇宙の全政府機関、原始力、および人格を利用する。それらは、非啓示の「回路管理の士気旺盛な人格」を採用し、無限の精霊の人格から成る多勢の職員の巧みな助力を得ている。もしその惑星王子が、宇宙なる父とその代理の息子に反逆するならば、進化世界を隔離するのはこれらの有能な存在体である。それらは、より高い精霊系列の一定の宇宙回路からいかなる世界でも追い出すことができるのだが、力の指揮官の物質的な流れを破棄することはできない。
宇宙回路監督者は、宇宙の力の指揮官が物質回路に持つ同様の関係にあるものを精霊回路に持っている。2系列は、制御可能でかつ操作可能である全精霊回路と全物質的回路を監視をともにの監視権をともに持ち補足的関係にある。
回路監督者は、力の指揮官が、物理的-エネルギーに結びついている心—機械的な心—のそれらの局面に対する一定の司法権と同等の精霊に関連するそれらの心の回路の一定の監視をする。一般的に、各系列の機能は、他方との連結により拡張されるが、純粋な心の回路は、いずれの指揮も受けることはない。2系列ともに調整はしていない。宇宙回路監督者は、その多様な全作業において崇高な力の7指揮官とその部下に従属する。
宇宙回路監督者は、各系列の中で完全に似ているとはいえ、皆異なる個人である。それらは実に人格的存在体ではあるが、すべての普遍的存在のいかなる創造物の他の型には遭遇することのない父が授けた以外の人格の型を有している。
あなたは、楽園に向けて内側へと旅行するとき、宇宙の回路監督者を認識し知るのであるが、それらとのいかなる個人的関係も持たないであろう。それらは回路監督者であり、厳密に効率的に、自己の仕事に気を配っている。回路監督者は、監督下の回路に関わる活動を監視するそれらの人格と実体とだけ接触する。
宇宙の知性の宇宙心は、思考する全創造物の存在と所在の認識しているにもかかわらず、宇宙の中の宇宙には意志を持つ全創造物の数を数え続ける独立した方法が作用している。記録している
登記責任者は、無限の精霊の特別かつ完成した創造であり、その数は、我々には未知である。それらは、超宇宙の反射手段との同時性を維持できるように創造されており、同時に知的な意志に個人的に繊細であり敏感である。これらの責任者は、壮大な宇宙のいかなる部分での意志の誕生にも完全には理解されていない方法によりすぐに気づくようにされている。気づくしたがって、それらは、中央の創造と7超宇宙のいかなる部分の意志を持つ全創造物の数、性質、所在をつねに我々に伝える能力がある。しかし、それらは、楽園では機能しない。そこでは必要とされていない。楽園においては、知識は本来備わっている。神格はすべてを知っている。
7名の登記責任者は、ハヴォーナで活動しており、1名が各ハヴォーナ回路の先導的世界に配置されている。この7名と精霊の楽園世界の系列に属する予備部隊を除く全登記責任者は、日の老いたるものの司法権下で機能する。
各超宇宙本部においては1名の登記責任者が、取り仕切り、各地方宇宙の首都には1名がおり、そのような主要責任者1名には何千名もが従属している。この人格の全系列は、ハヴォーナの先導的世界にいる者たちと超宇宙の7名の責任者を除いては同等である。
第7超宇宙には10万名の登記責任者がいる。この数は地方宇宙に配属可能なもの達から成る。それは、ユーセイチアの個人的職員、つまりオーヴォントンの全責任者達の超宇宙統括者は含んではいない。ユーセイチアは、超宇宙の他の統括者のように、知的意志を持つものの登録に直接には一致しない。ユーセイチアは、専らオーヴォントンの宇宙に配置される従属物に同調する。ユーセイチアは、それゆえに地方創造の首都から来る報告を集計するすばらしい人格として務める。
ユヴァーサの公式記録は、超宇宙の状態を時々記録している。それがユーセイチアの人格にすっかり――登録証明書によって示されるように、そのような統計資料は、超宇宙に固有のものである。これらの報告は、ハヴォーナへも楽園へも伝えられない。
登記責任者は、意志機能の事実を記録する範囲に限って人間に—意志をもつ他の創造物にそうであるように—携わる。それらは、あなたの人生とその実行に挙動に関する記録には携わらない。登記責任者は、いかなる意味においても記録に携わる人格ではない。ネバドンの登記責任者、現在サルヴィントンに配置されているオーヴォントンの81,412号は、まさしくこの瞬間にここユランチアでのあなたの生きた臨場に人格的に気づいており意識している。そして、あなたが、意志の創造物としての機能を止めるとすぐにあなたの死の記録確認を与えるであろう。
登記責任者は、意志をもつ新しい創造物が意志に基づく最初の行動に取り掛かるとその存在を登録し、意志の最後の行動がとられると意志をもつ創造物の死を表示する。より高等な動物のある種の反応に観察される意志の部分的浮上は、登記責任者の領分には属さない。それらは、本物の意志の創造物だけを記録しており、また意志の機能だけに反応する。我々は、それらが意志の機能をいかに正確に記録するかを知らない。
これらの存在体は、今までずっと登記責任者であったし、これからもずっとそうであろう。それらは、いかなる他の宇宙分業においてもそれほど役には立たないであろう。しかし、それらは機能上絶対確実である。それらは決して履行を怠らず、改ざんもしない。そして、それらの驚異の力と信じられない特権にもかかわらず、登記責任者は人格体である。それらは認識可能な精霊の臨場と型を有している。
我々には、人格補佐の創造の時間、または、方法に関する確かな知識がない。その数は、夥しいものであるに違いないが、ユヴァーサには記録がない。それらの仕事に関する我々の知識に基づく慎重な推理から、私は、その数は大きく兆へと広がると敢えて見積もるのである。我々は、無限の精霊がこれらの人格補佐の創造における数に関して制限されないという意見を持つ。
無限の精霊の人格補佐は、神格の第三人格体の楽園臨場の専属援助のために存在する。それらは、直接無限の精霊に配属され楽園に居場所を定めてはいるものの、創造の極限部分のあちらこちらに瞬時に現れる。これらの人格補佐は、連合創造者の回路の広がりがどこであろうとも無限の精霊の言いつけを実行する目的のためにそこに現れるかもしれない。それらは、単独使者のように空間を横断するが、使者がそうであるという意味での人格体ではない。
人格補佐は、皆が等しく、また似通っている。個性の差別化は明らかではない。連合活動者は、それらを真の人格と見ているが、他のものたちには、それらを真の人格体と見なすことは難しい。人格補佐は、他の精霊存在体に精霊臨場を顕示しない。楽園-起源存在体は、これらの補佐の接近にいつも気づいている。しかし、我々は、人格臨場には気づいていない。そのような臨場-型の欠如は、疑いなくそれらを神格の第三者にいっそう役立てている。
人格補佐は、無限の精霊に起源をとる精霊存在体の明らかにされた全系列のうち、あなたが楽園への内部上昇において遭遇しないほとんど唯一のものである。
崇高なる7幹部は、無限の精霊の7楽園球体において7超宇宙のための超管理者の行政委員会として集合的に機能する。副検査官は、時間と空間の地方宇宙への崇高なる幹部の権威の人格的具体化である。地方創造業務のこれらの高位の観察者は、無限の精霊と楽園の主たる七精霊の結合子孫である。70万の副検査官が、永遠のほぼ始まりというほどの遠い過去に人格化され、その部隊は楽園に居住している。
副検査官は、時間と空間の地方宇宙への個人的かつ強力な代表である崇高なる7幹部の直接指揮下で働く。1検査官は、各地方創造の本部球体に配置されており、在住の日の結合なるものの親しい仲間である。
副検査官は、単に部下から、つまり生息界の地方体系の首都に配置されている配属歩哨からのみ報告と提案を受け、同時に直接上司だけに、関係する超宇宙の崇高なる幹部だけに報告書を作成する。
配属歩哨は、協調的人格であり崇高なる7幹部のつなぎ役の代表である。それらは、楽園において無限の精霊により人格化され、自分の課題の特定目的のために創造された。それらは、定数のもの達であり、きっかり70億名が現存する。
1名の副検査官が地方宇宙全体に崇高なる7幹部を代表するように、その地方創造の1万の各体系には、1名の配属歩哨がおり、その配属歩哨は、全7超宇宙の業務のためにはるかに遠い、かつ、最高の超制御委員会の直接代表として務める。オーヴォントンの地方体系政府に勤務中の歩哨は、第7崇高幹部、つまり第7超宇宙の調整者の直接権限下に行動している。しかし、その行政機構において地方宇宙で任命された全歩哨は、宇宙本部に配置の副検査官に従属する。
配属歩哨は、地方創造の範囲内において体制から体制へと移動され交代で勤務する。それらは、通常地方宇宙時間で1,000年ごとに入れ替えられる。それらは、体系首都に配置される最高位の人格の中にいるが、体系業務に関する協議には決して参加しない。進化世界から来る24名の職権管理者として地方体制において務めるが、さもなければ、上昇する人間はほとんどそれらとの接触はない。歩哨は、宇宙副検査官が職務先の体制の福祉と状況に関連する事柄すべてを完全に知らされることに独占的に関わっている。
配属歩哨と副検査官は、超宇宙本部経由で崇高なる幹部に報告はしない。それらは、関係する超宇宙の崇高なる幹部に対して唯一責任がある。それらの活動は、日の老いたるものの行政とは異なっている。
崇高なる幹部、副検査官、および配属歩哨は、全天使と非啓示の人格部隊と共に壮大な全宇宙の万物に対する助言的調整と管理上の調整の効率的、直接的、集中的、しかも広範囲の体制を構成する。
卒業生案内者は、集団として時代の目標への、すなわち神、休息、ひいては完成された奉仕の永遠性への人間到達に不可欠の技術教育と精霊的訓練のための高等大学を後援し指導する。これらの高度に人格的な存在体の名前は、自身の仕事の本質と目的に由来する。それらは、人間の卒業生を時間の超宇宙から教育と訓練のハヴォーナ過程、上昇する巡礼者に楽園と終局者部隊への認容のために準備させる過程へと誘導する職務にひたすらに捧げられる。
私は、これらの卒業生案内者の仕事について伝えることを禁じられてはいないが、それは極度に精霊的であるので、私は、物質の心に多種多様の活動概念を適切には描けないと諦める。あなたは、大邸宅世界においてあなたの視覚範囲が拡大され、物質的比較の足枷から解放された後に、「見ることができない、聞くことができない、そして、人間の心の概念に一度も入ったことがないもの」というそれらの現実の意味、つまり、「神が、そのような永遠の真実が非常に好きであるもの達のために準備した」それらの事柄の意味さえも理解し始めることができる。あなたは、その視覚と精霊的な理解の範囲を常にそれほど限定されているわけではない。
卒業生案内者は、ハヴォーナ世界の7回路内での時間の巡礼者の案内に従事している。ハヴォーナの外側の回路の受け入れ世界へのあなたの到着時にあなたを歓迎する案内者は、天国の回路におけるあなたの全経歴中ずっとあなたと共にいるであろう。あなたは、10億の世界での滞在中、他の無数の人格と関わりをもつであろうが、あなたの卒業生案内者は、あなたのハヴォーナ進行の終わりまであなたに同行するであろうし、時間の最後のまどろみに、つまり楽園目標への永遠通過、通行の眠りに入るあなたを目撃するであろう。そこでは、恐らくあなたが人間の終局者部隊の一員として手ほどきされるまであなたと留まるために割り当てられた楽園の同志が、あなたの目覚めに際しあなたを歓迎するであろう。
卒業生案内者の数は、人間の理解力を超えており、またそれらは現れ続ける。それらの起源は、謎めいている。それらは、永遠の過去からは存在していなかった。それらは、必要とされるきに神秘的に現れる。人間史上初の巡礼者が、中央創造の外側の領域に前進するそのはるか遠い日までは、中央宇宙の全域の卒業生案内者に関する記録はないのである。外側回路の先導的世界に到着するまさにその瞬間、人間初の巡礼者は、最初の卒業生案内者であり、現在は巨大な教育組織の最高の協議会の議長であり責任者であるマルヴォリアンに好意的に迎えられた。
ハヴォーナに関する楽園の記録には、「卒業生案内者」と呼ばれる項にこの最初の項目がある。
「そして、マルヴォリアン、この系列の最初のものは、ハヴォーナ巡礼の発見者を迎え入れて教授し、また初期の経験の外側の回路から一歩一歩回路ごとに全人格の根源と目標のまさしくその臨場に立つまで、続いて楽園への永遠性の敷居を越えるまで導いたのであった。
私は、そのはるか遠い昔にユヴァーサの日の老いたるものの業務に配置され、我々は皆、我々の超宇宙からの巡礼者が、やがてはハヴォーナに達するであろうという確信に喜んだ。長い間、我々は空間の進化の創造物が楽園に達するであろうということを教えられてきており、最初の巡礼者が実際に到着したとき天国の大宮廷全体に史上かつてない興奮がさっと流れた。
ハヴォーナのこの巡礼者の発見者の名前は、グランドファンダであり、グランドファンダは、超宇宙第1号に位置する地方宇宙1,131の星座62の中の体系84の惑星341の出身であった。グランドファンダの到着は、宇宙の中の宇宙の放送業務設立の合図であった。それ以前は、超宇宙と地方宇宙の放送だけが実施されていたのだが、グランドファンダのハヴォーナの入り口到着の発表が、「栄光に関する空間の報告」を合図し、最初の宇宙放送が、上昇生活の目標到着に至った初めての進化の存在体のハヴォーナ到着を報告したので、そのように名づけられた。
卒業生案内者は、決してハヴォーナ世界を離れない。それらは、時間と空間の卒業生巡礼者の業務に捧げられる。そして、あなたが、あなたの生存と上昇に作用するように設計された確実ですべて完成された計画を拒絶しないならば、いつかこれらの高潔な存在体に直接会うであろう。
進化は中央宇宙の系列ではないといえ、卒業生案内者は、中央宇宙の生物の他系列、つまりハヴォーナ従者の完全な、あるいは、より経験豊富な構成員であると、我々は信じる。我々は、卒業生案内者は、上昇の創造物を理解するためのそのような共感の幅と能力を示すので、それらが普遍的奉仕活動のハヴォーナの従者として超宇宙領域における実際の奉仕によりこの文化を獲得してきたと確信する。この見解が正しくないならば、では我々は、先輩の、またはより経験豊かな従者の連続的消滅をどうして説明することができるのであろうか。
以前にそのような多くの任務にあった従者は、超宇宙の任務を課せられハヴォーナを長らく離れ帰還し、楽園の中心の煌きとの「個人的接触」の特権が与えられ、発光存在体に抱擁され、精霊仲間の認識から消え、そして自分の種類のそれらのものの中に決して再現しないであろう。
超宇宙奉仕からの帰還に際し、ハヴォーナの従者は、神の頻繁な抱擁を味わい、またそこから単に身分の高い従者が現れるかもしれない。発光の抱擁を経験するのは、必ずしも従者らが卒業生案内者に変わらなければならないと意味するわけではないが、神の抱擁を達成する四分の一のもの達は決して領域の奉仕には戻らない。
連続する次のような記載が天の記録にある。
「そして、サドナというハヴォーナの従者の842兆8,426億8,284万6,782番は、超宇宙奉仕から来て楽園に受け入れられ、父を知り、神の抱擁に入り、そして今はもういない。」
そのような記載があるとき、そのような従者に関する経歴は終わっている。しかし、ちょうど3つの時期(あなたの時間の3日間足らず)に、新生の卒業生案内者が、ハヴォーナ宇宙の外側の回路上に「自然発生的に」現れる。そして、卒業生案内者の数は、移行中のもの達のわずかな違いを考慮に入れ、消えた従者の数とちょうど同じである。
卒業生案内者が進化したハヴォーナ従者であると思うさらなる理由というものがあり、それは、これらの案内者とその関連する従者がそのような並はずれた絆を形成する不変的傾向である。存在体の推定上は別々のこれらの系列が、理解し合い同情し合う態度は全く説明に窮するものである。それらの互いの献身を目撃することは、爽快であり奮い立たせてくれる。
主たる七精霊と関係する崇高な力の7指揮官は、それぞれに今のところ人格的には機能していない崇高なるものの心の可能性と力の可能性の人格的集積所である。そして、これらの楽園の仲間が、ハヴォーナの従者の創出のために協働するとき、後者は、崇高性のある局面に関わっている。その結果、ハヴォーナの従者は、実際は、時-空間領域のある種の進化の可能性の完全な中央宇宙における表現であり、そのすべては、従者が変化と改造を受けるときに明らかにされる。我々は、この変化は、崇高者のために確かに行動する無限の精霊の意志に対応して行われると信じる。卒業生案内者は、崇高なるものにより創造はされないが、我々は皆、経験に基づく神がこれらの存在体を生み出すそれらの取り扱いに何らかの方法で関わっていると推測する。
今や上昇する人間が横断するハヴォーナは、グランドファンダの時代前の中央宇宙とはあらゆる点で異なっている。人間上昇者のハヴォーナ回路到着は、経験的な子供の中の最初の子供の7超宇宙からの到着に対応したものであり、中心の、しかも神性の創造の組織の全面的修正、つまり、確かに崇高なるもの—進化的創造物の神—により始められた修正を開始した。卒業生案内者の登場は、第三の超熾天使の創造と共に、崇高なる神のこれらの遂行を暗示している。
[ユヴァーサの神性顧問による提示]
無限の精霊の家族の中で中間に格付けしているのは空間の使者部隊である。これらの多才の存在体は、より高い人格と奉仕の精霊の間を結びつけるものとして機能する。使者部隊は、次のような天の存在体を含む。
1. ハヴォーナ従者
2. 普遍の調停者
3. 技術顧問
4. 楽園の記録管理者
5. 天の記録係
6. モロンチア同志
7. 楽園同志
列挙された7集団のうち3集団のみ—従者、調停者、およびモロンチア同志—が、そういうものとして創造される。残る4集団は、天使の系列が到達する水準を表す。使者部隊は、固有の性質と到達状態により宇宙の中の宇宙においてさまざまに奉仕するが、常に自己の職務の領域を統治するもの達の指揮に準拠する。
従者と名づいててはいるが、中央宇宙のこれらの「中間創造物」は、いかなる卑しい意味においても召使いではない。精霊的な世界には、召使いの仕事といったものは存在しない。すべての奉仕が、神聖であり爽快である。より高い系列の存在体は下方系列の存在体を見下してもいない。
ハヴォーナ従者は、主たる七精霊とその仲間、つまり崇高な力の7指揮官の共同の創造的作業である。この創造的協力は、進化の宇宙における二元的系列の生殖の長い一覧表、つまり、創造者たる息子-創造のつながりによる輝く明けの明星の創造からユランチアのような世界における性的生殖へと及ぶ長い一覧表のための雛形に最も近いものである。
従者の数は桁外れであり、さらに多くが絶えず創出されている。それらは、楽園のはるか北方領域にある共同領域における主たる精霊と崇高な力の指揮官の集会に続く第3時期に1,000名の集団に現れる。4番目の従者は皆、型の点において他の3者よりも物理的である。すなわち、1,000名ごとに750名は、明らかに精霊の型に忠実であるが、250名は性質面において准物質的である。これらの第4の創造物は、主たる精霊よりも物理的な力の指揮官に似ており、幾分か物質存在体(ハヴォーナの意味での物質)の系列である。
人格関係においては、ユランチアにおいてはそうは見えないとはいえ、精霊的なものは、物質的なものより優位である。そして、ハヴォーナ従者の産出においては、精霊支配の法則が広く行き渡っている。確立された割合は、1名の准物質体に対して3名の精霊存在体をもたらす。
新たに創出された従者全員は、先輩の案内者がハヴォーナの各7回路において継続的に行う訓練課程を新たに出現する卒業生案内者と共に修了する。続いて従者らは、最もよく適合する活動に割り当てられるが、それらには2つの型があるので—精霊と准物質—これらの万能の存在体が為し得る仕事の範囲にはほとんど限界がない。より高位の集団あるいは精霊集団は、父、息子、精霊への奉仕に選ばれ、また主たる七精霊の仕事に配属される。それらは、時々大勢で7超宇宙の本部球を包囲する研究世界、つまり、ハヴォーナ回路への前進準備をしている時間の上昇する魂の最終訓練と精霊文化にささげられる世界での奉仕に派遣される。また、精霊従者とより物理的な仲間の両者は、ハヴォーナに到達した、また楽園に達しようとする上昇する創造物の様々な系列への援助において、また指導において卒業生案内者の助手と仲間に割り当てられる。
ハヴォーナ従者と卒業生案内者は、仕事への並外れた献身と互いへの感動的な愛情、あなたが人間愛の現象との比較によってのみ理解できるところの愛情というものを示す。案内者からの従者の分離には、従者が中央宇宙の境界線を越えての任務に派遣される度ごとに起こるように、神性の哀愁がある。だが、それらは悲しみながらではなく、喜んで行く。高い義務からくる満足感の喜びは、精霊的存在体のより輝く感情である。悲しみは、忠実に実行される神性義務の意識からは存在し得ない。また、人の上昇する魂が最高判事の前に立つとき、永遠の重要な決定は、物質的成功あるいは量的業績によることはないであろう。高等裁判所全体に反響する評決は断言する:「よくやった、善良で忠実な召使よ、おまえは、いくつかの基礎的な事柄に忠実であった;おまえは宇宙現実の支配者になるであろう。」
超宇宙奉仕関しハヴォーナ従者は、一般的な、それに特別な精霊特権に最も類似している主たる精霊により統括される領域につねに割り当てられる。それらは、7超宇宙の首都を囲む教育世界に限って奉仕しており、ユヴァーサの最後の報告は、およそ1,380億の従者がその490個の衛星において奉仕活動していたと示している。それらは、オーヴォントンの超宇宙の超大学を包括するこれらの教育世界の仕事に関係する実に多種多様な活動に従事している。ここでは、それらはあなたの仲間である。それらは、あなたを研究し、時間の宇宙から永遠の領域へのあなたの来るべき卒業の現実と確実性であなたを奮い立たせるためにあなたの次の仕事から下りてきた。そして、従者は、これらの接触において卒業生案内者の仲間として、または—移動された従者として—卒業生案内者自身としてハヴォーナ回路での自身のその後の作業において非常に役立った時間の上昇する創造物への奉仕活動のその予備経験をする。
ハヴォーナ従者が創造されるごとに、7名の普遍の調停者が、各超宇宙に1名ずつもたらされる。この創造的実施は、楽園で行われる業務への反射的対応のための明確な超宇宙の方法を伴う。実施、制定、
主たる七精霊の7反射は、7超宇宙の本部世界において機能する。これらの反射精霊の性質を物質の心に言葉での描写を引き受けることは難しい。それらは本物の人格である。その上、超宇宙集団の各構成員は、主たる七精霊のただ1名を完全に反射している。そして、主たる精霊が、ハヴォーナ従者の集団を創造する目的のために力の指揮官と関わる度に、各超宇宙集団における反射精霊の1名への同時の焦点化があり、直ちに、しかも成熟した普遍の調停者の同等数が超創造の本部世界に現れる。もし、主たる精霊第七号が、従者の創造において指導力を発揮するならば、第7系列の反射精霊だけが調停者を孕むようになるであろう。そして、1,000名のオーヴォントン風の従者の創造と時を同じくして、1,000名の第7-系列の調停者が、各超宇宙首都に現れるであろう。主たる精霊の七重の性質を反映しているこれらの出来事から、各超宇宙において奉仕する調停者の創造された7系列が生まれている。
前楽園身分の調停者は、各自の出身の創造区域に制限されており、超宇宙間での互換性を持って仕えはしない。それゆえ創造された各系列の1/7を抱擁しているすべての超宇宙集団は、したがって、他のものを除外して主たる精霊のうちの1名の影響を受けて非常に長い時間を過ごす。というのは、全7精霊が超宇宙首都に反映されるのに反し、各超創造においては1名だけが優位であるがゆえに。
各7超創造は、その目標を統括する主たる精霊のうちの1名により実際に全体に普及する。各超宇宙は、その結果監督している主たる精霊の性質と性格を反映する巨大な鏡のようになり、このすべてがあらゆる補助的地方宇宙において創造の母なる精霊の臨場と機能によりさらに続けられる。そのような環境が進化の普及にもたらす影響は非常に深遠なので、それらの超宇宙後の経歴において調停者は、それぞれが角度をもった49の経験的観点を、あるいは洞察を、—したがって不完全である—ものの、全てが互いに埋め合わせ、また、ともに至高者の円を取り囲むことに気を配る傾向にある経験的観点を、あるいは洞察を集合的に表す。
各超宇宙における普遍の調停者は、不思議にも、本質的に4名の集団に、つまり奉仕し続ける団体に分離された自身に気づく。各集団では、3名は精霊人格であり、1名は従者の4番目の創造物のように半物質の存在体である。この3名組は、調停委員会を成しており次のように構成されている:
1. 裁判官-仲裁者。何の異論もなく他の3者により集団の司法代表として務めるに最も有能で最も適していると指名されたもの。
2. 精霊-支持者。証拠を提示し、調停する委員会の裁決に割り当てられたいかなる事柄にもかかわるすべての人格の権利を保護するために裁判官仲裁者により任命されたもの。
3. 神性実行者。領域の物質存在体に接触するために、そして委員会の決定を実行するために固有の性質により資格を得た調停者。神性実行者は、4番目の創造者であるので—准物質存在体—ほとんど、だが完全にではなく人類の狭い範囲の視野に見える。
4. 記録者。委員会の残る構成員は、自動的に記録者、つまり裁判所の書記官になる。記録者は、すべての記録が、超宇宙の公文書と地方宇宙記録のために適切に準備されることを確実にする。もし委員会が進化世界において役目を果たしているならば、第3の報告が、実行者の援助で、司法権の体制統治に関する物理記録のために準備される。
裁定中は支持者が分離されていることから、委員会は、会期中は3名の集団として機能し、公聴会の終わりにだけ評決の構築に参加する。したがって、これらの委員会は時として審判三名組と呼ばれる。
調停者には宇宙の中の宇宙を円滑に保ち続けることにおいて大きな価値がある。調停者は、光の3倍の速度である熾天使の速度で空間を横断して、世界の移動法廷、すなわち小規模な困難の迅速な裁定に専念する委員会として奉仕する。これらの移動性の、しかも著しく公明正大な委員会がなかったならば、絶望的にも球体の裁判所は領域の小さな意見の相違で覆われることであろう。
これらの審判三名組は、永遠の重要性に関わる問題には判決を下さない。魂、つまり時間の創造物の永遠の可能性は、決して自分の行為により危険に陥りはしない。調停者は、時間の創造物の時の存在と宇宙福祉の域を越えて広がる懸案を扱わない。しかし、委員会が一度問題の司法権を受け入れてしまえば、その判決は最終的であり、かつ、つねに全会一致である。裁判官-仲裁者の決定からの上告はない。
調停者は、自らの第一予備部隊が控えている自身の超宇宙の首都の集団本部を維持する。その第二予備部隊は地方宇宙の首都に配置される。若くてあまり経験豊富でない委員らは、ユランチアのような下方世界での奉仕を始め、より円熟した経験後により重大な問題の裁決へと進んでいく。
調停者の系列は、完全に信頼に足る。1名たりとも道を外れたことがない。知恵と判断に関しては絶対確実ではないとはいえ、それらは、疑う余地のない信頼性をもち、忠誠面においては誤りを犯さない。それらは、超宇宙本部に起源を取り宇宙奉仕の次のような段階へと進み、やがてはそこへ戻って行く。
1. 世界への調停者。個々の世界の統轄人格が、既存の情況下において適切な手順に関し大いに当惑したり、または実際に行き詰まるようなときはいつでも、そして、もし問題が、領域の正規に構成される裁判所にもたらされるに十分な重要性を持たないならば、その際は、各係争側から2名の人格のうち1名ずつの陳情の受理に際し、調停委員会は直ちに、機能し始めるであろう。
これらの行政上の、また司法上の困難が、研究と裁決のために調停者の手に託されるとき、それらは権威上は最高である。しかし、調停者らは、全証拠が審問されるまでは判決を導き出さないであろうし、いたる所どこからでも証人を呼ぶそれらの権威には全く制限がない。そして、その決定が上告されないかもしれない一方で、時々、案件は、より上の裁判所に懸案全体を移すほどに発展するので、委員会が任意にその記録を閉じ、その意見を結論づける。
委員の決定は、惑星の記録に掲載され、必要ならば神性実行者により実行に移される。神性実行者の力は非常に大きく、生息界におけるその活動範囲は非常に広い。神性実行者は、そうあるべきものを追求することにおいて現状の優れた技能の操縦者である。それらの仕事は、時々領域の明らかな福祉のために実行され、時間と空間の世界におけるそれらの行為についての説明は時として難しい。自然法にも、また領域の定められてはいない慣習にも逆らって執行はしないのだが、それらは、しばしば一風変わった行動うをとり、体制管理のより上位の法律に基づき調停者の命令を執行に移す。
2. 体系本部への調停者。これらの4名の委員は、進化世界での奉仕から体制本部での任務へと進む。それらは、ここでのなすべき多くの仕事を持っており、また人間、天使、および他の精霊存在体の物分かりのよい友人であることを示している。審判三名組は、創造物の異なる系列間に起こる集団論争や誤解に関心をもつほどには個人的な違いには関心がない。精霊と物質の両方の存在体は、物質の息子などの結合型と同様に体制本部に住んでいる。
創造者が、選択力をもつ進化している個人を生み出す瞬間、その瞬間に、神性の完全性の順調な操作からの逸脱が生じる。誤解が起こるのは確かであり、これらの偽りのない見解の差への正しい調整措置がなされねばならない。我々は皆、全-賢の全-能の創造者が、地方宇宙をハヴォーナのように完璧に創造し得えたのだということを覚えているべきである。調停委員会は、中央宇宙において機能する必要はない。しかし、創造者は、自身の全-英知でそうすることを選ばなかった。そして、相違が多く困難に満ちている宇宙を産出してきた一方で、それらは、同様にこれらのすべての違いを構成し、またこのすべての外観上の混乱を調和させるための仕組みと手段を提供してきた。
3. 星座調停者。調停者は、生息界の100の体制間に起こる小規模の困難を引き受けて、体制内での奉仕から星座の問題裁決へと昇進する。星座本部で展開している問題の多くがそれらの司法権下に入るわけではないが、それらは、証拠の収集や予備報告書の準備に体制から体制へと忙しく向かって行くのである。もし論争が正当であるならば、もし意見に対する誇張のない相違や視点に対する偽りのない多様性が生じるならば、たとえいかに少ない人格体の関わりであろうとも、たとえいかに誤解が明らかに些細であろうとも、調停委員会は、つねに論争の真価を伝えることができる。
4. 地方宇宙への調停者。委員は、宇宙のこのより大きい仕事においてメルキゼデク系と執政の息子の双方への、また星座の支配者と、100の星座の調整と管理に関係する人格部隊へのかなりの支援をしている。熾天使の異なる系列と地方宇宙の本部球体の他の居住者らは、審判三名組の援助と決定を利用している。
体系、星座、または宇宙の細目にわたる問題に起こるかもしれない違いの本質についての説明は、ほとんど不可能である。困難は生じるものの、進化世界での物質的生活のような物質的存在の些細な試練と辛苦とは大いに異なっているのである。
5. 超宇宙の小領域への調停者。委員は、地方宇宙の問題から、自身の超宇宙の小領域で起こる懸案の研究に進む。それらが、個々の惑星から内部に深く移動すればするほど、神性実行者の物質的任務はますます減少するのである。徐々に、神性実行者は、慈悲-正義の解釈者の新しい役割を引き受け、同時に、—準物質であり—その調査の物質的側面に同情的な接触をして委員会を全体的に維持する。
6. 超宇宙の主要な領域への調停者。委員の仕事の特徴は、それらの前進に応じて変化し続けている。判決すべき誤解はますます減少し、また説明し、解釈すべき神秘的現象はますます増大する。委員らは、段階ごとに仲裁者から神秘の説明者へと進化している—説明的な教師に進化する裁判官。無知で困難と誤解が起こることを許容するもの達の仲裁者。かつて自らがそうであった。しかし、それらは、いま心の衝突と見解の戦いを避けるために十分に知的で、かつ寛容であるもの達の講師になりつつある。創造物の教育が高ければ高いほど、他のものに関する知識、経験、および意見をますます重んじるようになる。
7. 超宇宙への調停者。ここで調停者は同位になる—相互に理解し完全に機能する4名の仲裁者-教師。神性実行者は、報いの力が奪われ精霊三名組の物理的な声になる。この時までには、これらの顧問と教師は、超宇宙業務上で遭遇する実際の問題と困難の大部分に詳しくなってくる。それらは、こうして超宇宙の本部世界を囲む教育的な球体において生活している上昇の巡礼者たちの素晴らしい助言者となり賢明な教師になるのである。
すべての調停者は、楽園に達するそのような時まで日の老いたるものの一般監督下と生き写しの助手の直接指示下に仕える。それらは、楽園滞在期間中に自身の起源の超宇宙を統括する主たる精霊に報告する。
超宇宙登録は、自分達の管轄区域を越えた調停者を列挙しないし、そのような委員会は、壮大な宇宙全体に広く点在する。ユヴァーサの登録の最後の報告は、オーヴォントンにおいて機能するほぼ18兆の委員会としての数を示している—70兆以上の個人。しかし、これらはオーヴォントンで創造された多数の調停者のうちのごくわずかな部分に過ぎない。その数は、要するに大規模であり、卒業生案内者への変化を斟酌して、ハヴォーナ従者の総数に同等する。
時おり、超宇宙の調停者は、数の増加につれ楽園の完全性の協議会に移動され、続いて宇宙の中の宇宙のための無限の精霊により進化された調整部隊として、絶えず数と効率性を増大している存在体からなる驚異の集団としてそこから出現する。それらは、経験的上昇と楽園の訓練により崇高なるものの現れつつある現実を独特に理解し、また特別任務に際しては宇宙の中の宇宙をあちこち移動する。
調停委員会の構成員は、決して切り離されない。4名1組が、最初に結びつけられたようにいつまでも共に努める。自分達の栄光の奉仕においてさえ、それらは、宇宙の蓄積された経験と経験上の完成された知恵の四重奏団として機能し続ける。それらは、永遠に時間と空間の最高の正義の具体化として関連づけられる。
精霊世界のこれらの法と技術をもつ心のもの達は、そういうものとして創造されはしなかった。初期の超熾天使と全天使からは、100万の最も秩序ある心のものが、この広大かつ万能の集団の核として無限の精霊により選ばれた。そして、そのはるか遠い昔からずっと進化の創造計画への完全性の法の適用における実際の経験は、技術顧問になることを切望するすべてのもの達に要求されてきている。
技術顧問は、次の人格系列集団から採用される。
1. 超熾天使
2. 第二熾天使
3. 第三熾天使
4. 全天使
5. 熾天使
6. 上昇する人間のある種の型
7. 上昇する中間者のある種の型
現在、一時的結合であるすべての人間と中間者を除くユヴァーサに登録されオーヴォントンにおいて稼動中の技術顧問の数は、61兆をわずかに超えている。
技術顧問は、個人として頻繁に機能するが、奉仕のために組織化され7名からなる集団に与えられた任務球体にある共通本部を維持する。各集団においては、少なくとも5名は永久的身分のものでなければならないが、2名は一時的関係のものであるかもしれない。上昇する人間と上昇する中間創造物は、楽園上昇を探求しつつこれらの顧問委員会の委員として働くが、技術顧問のための通常の訓練課程には入らず、系列の永久的構成員にもならない。
顧問と過渡的に務めるそれらの人間と中間者は、普遍的法則と最高の正義の概念における基づいたその練達さからそのような仕事に選ばれる。絶えず追加の知識を、そして高められた技能を習得しながら楽園目標に向けて旅をするとき、あなたは、みずから既に蓄積した知恵と経験を他のもの達に分配する機会を継続的に与えられている。あなたは、最後のハヴォーナまで生徒-教師の役割を演じる。あなたは、あなたの前進経歴の新発見の知識をすぐ下にいるもの達伝えることにより、この広大な体験的大学の上昇段階を順番に進むであろう。宇宙政権においてこの知識と真実を他のものに伝えるためのあなたの能力と意欲を示すまでは、あなたは、知識と真実の所有者になったとはみなされない。
長期訓練と実体験の後、天使童子の身分より上の奉仕活動をする精霊のいずれかは、技術顧問として恒久指名を受けることが許されている。全候補者は、自発的にこの奉仕の系列に入る。しかし、一度そのような責任を担ってしまったならば、それを放棄することは許されない。日の老いたるものだけが、これらの顧問を他の活動に移すことができる。
地方宇宙のメルキゼデク系大学で始められる技術顧問の訓練は、日の老いたるものの法廷へと続く。それらは、この超宇宙訓練からハヴォーナ回路の先導的世界に位置する「7個の円の学校」に続く。そして、先導的世界から、「法の倫理学と崇高性の技法の大学」に、すなわち技術顧問の腕の習熟のための楽園職業訓練所に受け入れられる。
これらの顧問は、法律の専門家以上である。それらは、応用法の、すなわち広範囲の創造の広大な領域に生息するものすべての生活と将来の目標に適用される宇宙の法の、学生であり教師である。時の経過とともにそれらは、時間と空間の生きた法の図書になり、永遠の支配者に最も許容できる手順の形式と様式に関して時の人格を指導することによりいつ終わるともしれない問題や不必要な遅れを防いでいる。それらは、楽園の必要条件に調和して機能できるように空間の労働者に助言することができる。それらは、創造者の方法に関する全創造物の教師である。
応用法のそのような生きた図書を創設することはできなかった。そのような存在体は、実体験により進化されなければならない。無限の神格は実存的であり、したがって経験不足の埋め合わせがなされる。それらは、すべてを経験をする前にさえ全てを知っているが、無経験の知識をその下位の創造物には伝えない。
技術顧問は、遅れを防ぎ、進歩を容易にし、達成を勧める仕事に捧げられる。ことをするに当たっては、最善かつ最適の方法がつねにある。完全性の方法、つまり神性の方法がつねにあるし、またこれらの顧問は、我々皆をこのより良い方法の発見に向かせる方法を知っている。
きわめて賢明で実用的なこれらの存在体は、いつも密接に宇宙検閲官の奉仕と仕事とに関係がある。メルキゼデク系は、有能な部隊を有している。体制、星座、宇宙、および超宇宙領域の支配者にはすべて、精霊的な世界のこれらの技術的、または法的参照の心を持つものが惜しみなく供給される。特別集団は、生命運搬者の法律顧問として行動する。生命運搬者は、生命伝播の確立された系列からの認められる出発範囲、具合に関しこれらの息子に助言を与え、また別の方法でそれらの特権と機能の自由裁量に関して指導する。それらは、精霊-世界の全処理の適切な用法と方法に関しての各階級の存在体の顧問である。しかし、それらは、領域の物質創造物に直接的に、また個人的には対応しない。
法的用法に関する相談以外に、技術顧問は、同様に被創造体に関するすべての法の—物理的、心的、精霊的の—効率的解釈にささげる。それらは、普遍の調停者に、そして、法の真実を知ることを望む他のすべてのものに利用可能である。言い換えれば、神格の至高性が、物理的、心的、精霊的な系列の要素のある状況においていかに反応するかを当てにできるということを知ること。それらは、究極の方法を明らかにする試みさえする。技術顧問は、選ばれ試された存在体である。私は、いまだかつてそれらの1名たりとも道を外したということは知らない。
それらは、非常に実効的に解釈し、また非常に雄弁に解説しており、今までずっと神の法の無視を宣告されたという記録はユヴァーサにはない。それらの奉仕領域には既知の限界もなく、またそれらの進歩に何の限界も置かれて、はいない。認められない。それらは、引き続き顧問として楽園の入り口にさえ進む。それらには法と経験の宇宙全体が開け放たれている。
ハヴォーナの第三超熾天使の中から記録管理者として、つまり光の小島の正式の公文書の番人として幾名かの上級記録主任が選ばれ、また知識の管理者の心に登録された生きた記録と対照をなすそれらの公文書は、時々「楽園の生きた図書」と呼ばれる。
生息惑星の記録天使は、すべての個々の記録の源である。宇宙全体において、他の記録者は、正式記録と生活記録の両方に関して機能を果たす。ユランチアから楽園の間において双方の記録に出会う。地方宇宙においては、一層多くの書かれた記録に、またより少ない生きた記録に。楽園においては、さらに多くの生きた記録に、そしてより少ない正式記録;ユヴァーサにおいては、双方は等しく入手可能である。
組織化の、そして生息の創造におけるあらゆる重要な、意味をもつ出来事は、記録上の事実である。局所的重要性に過ぎない出来事は地方の記録だけに見られ、より広い意味のものはそれ相応に扱われる。宇宙の重要性をもつすべてが、ネバドンの惑星、体系、および星座からサルヴィントンに掲示される。そして、それらの出来事は、そのような宇宙首都から領域と超政府の問題に関連するさらに上の記録へと送られる。また、楽園には、超宇宙とハヴォー資料の関連概要がある。宇宙の中の宇宙に関するこの歴史的かつ蓄積された談話は、これらの身分の高い第三超熾天使の保護監督下にある。
これらの幾名かの存在体が、天の記録係の活動を指示する記録の責任者として奉仕するために超宇宙に派遣される一方で、1名たりともその系列の永久的会員名簿から移されたことはない。
これらは、すべての記録を複写する、最初の精霊記録と、半物質対応物—カーボン紙による写しと呼ばれるかもしれないもの—を作成するもの達である。それらは、精霊的エネルギーと物質的エネルギー双方を同時に操る独特の能力でこれができるのである。天の記録係は、そういうものとして創造はされない。それらは、地方宇宙からの上昇の熾天使である。それらは、7超宇宙本部の記録主任の協議会により受け入れられ、分類され、それぞれの任務球体に割り振られる。天の記録係を訓練するための学校もまた見られる。ユヴァーサの学校は、英知の遂行者と神性顧問により指導される。
宇宙奉仕において記録者が前進するにつれ、それらは、自己の二元的記録方式を続け、その結果、その記録は、つねに物質系列のもの達から光の高位の精霊達までの存在体全階級に利用可能である。あなたは、自身の変遷経験においてこの物質界から昇るとき、いつも自身の階級球体の歴史と伝統の記録を参考にすることができるし、他の方法において熟知することができる。
記録者は、十分に試された部隊である。私は、天の記録係の背信を一度として知らないし、それらの記録には改ざんは一度も発見されなかった。天の記録係は二重点検を受け、それらの記録は、ユヴァーサからの高貴な仲間により、また最初の精霊記録の疑似物理的な写しの正当性を保証する強力な使者により精査される。
オーヴォントン宇宙の従属球体に配置されている前進する記録者の数は、何兆にも達するが、ユヴァーサに達した身分の数は、800万に至ってはいない。これらの最上級のあるいは卒業生の記録者は、超宇宙管理者と時間と空間の支持される記録の回送者である。それらの恒久的本部は、ユヴァーサに関する記録の領域周辺の円形住居の中にある。最上級のあるいは卒業生の記録者は、決してこれらの記録の管理を他者に託さない。個々人としては、留守にするかもしれないが、決して大きい数ではない。
天の記録係の部隊は、記録管理者となった超熾天使のように永久的任務に就くもの達である。熾天使と超熾天使は、いったんこれらの奉仕に召集されると、崇高なる神の完全な人格化からくる新たで修正された行政の日までそれぞれに天の記録係と記録管理者のままでいるであろう。
ユヴァーサのこれらの年輩の天の記録係は、はるか遠い昔の日の老いたるものの到着以来の全オーヴォントンにおける宇宙の重要性に関する全記録を示すことができ、さらに永遠の小島においては、記録管理者が、無限の精霊の人格化時代以来の楽園の業務を証明するその領域の文書局を警備する。
地方宇宙の母なる精霊の子供らは、上昇するモロンチア生活を送るすべての友人と仲間である。それらは、創造物進行に関わる上昇者の真の任務に不可欠ではなく、また、楽園旅行の際の人間の仲間にしばしば同伴する熾天使の保護者の仕事をいかなる意味においても置き換えもしない。モロンチア同志は、内面への長い動きを始めたばかりのもの達への丁重な部隊に過ぎない。それらは、また遊びの巧みな後援者であり、この仕事において逆戻りの監督からの効果的な援助を受ける。
あなたは、ネバドンのモロンチア訓練世界において果たすべき重大かつ次第に困難な課題を抱えるであろうが、つねに定期的な休息と復帰の季節があなたに提供されるであろう。楽園への旅行中、常に休息と精霊の遊びのための時間があるであろう。そして、光と生命の経歴において崇拝と新達成のための時間が常にある。
これらのモロンチア同志は、非常に好意的な仲間であるので、あなたは、最終的にモロンチア経験の最後の段階を去るとき、つまり、超宇宙精霊の冒険に乗り出すための準備をするとき、これらの親しみやすい創造物があなたに同伴できないということを本当に残念に思うであろうが、それらは、地方宇宙において単独的に奉仕する。接触可能なすべての人格は、上昇経歴の全段階において好意的で親しみやすいであろうが、あなたは、楽園同志に会うまではそれほどまでに友情と親交に捧げられる他の集団を見つけることはないであろう。
モロンチア同志の任務は、あなたの地方宇宙業務を扱っているそれらの物語においてより完全に表現されている。
楽園の同志は、熾天使、第二熾天使、超熾天使、および全天使の系列から編成される複合の、または召集された集団である。楽園の同志らは、並はずれたとあなたが見なす時間の長さで仕えるが、永久的身分ではない。それらは、この奉仕活動が完了すると、原則として(不変的ではなく)、楽園奉仕へ呼び出された際の職務に戻る。
天使部隊の構成員は、地方宇宙の母なる精霊により、超宇宙反射の精霊により、および楽園の威儀仙により、この奉仕に推挙される。それらは、中央の小島へ召還され主たる七精霊のうちの1名により楽園の同志として任命される。楽園の永久的身分は別として、楽園の親交のこの一時的な奉仕は、これまでに奉仕精霊に与えられた最高の名誉である。
これらの選ばれた天使は、親交の奉仕に専念し、また楽園でたまたま単独であるかもしれない全階級の存在体の、主に上昇の人間の、だが中央の小島で単独である他のすべてのものの仲間としても選任される。楽園の同志には親しく交わるもの達のために達成すべき特別なものはない;それらは単なる仲間である。楽園滞在の間にあなた方人間が遭遇するであろうほとんど全ての他の存在体には、—あなたの仲間巡礼者は別として—あなたと共に、あるいはあなたのためにすべき明確な何かがある。しかし、これらの同志は、あなたと共に居ることを、また人格の仲間としてあなたと親しく交わるためだけに選任される。それらは、しばしば各奉仕活動において丁重で才気あふれる楽園公民の補助を受ける。
必滅者は、非常に社会的である集団を起源としている。創造者たちは、「人が単独であることは良くない」ということをよく知っており、準備は、それ故に、楽園においてさえ親交のためになされる。
上昇の人間としてのあなたがもし、あなたの地球の経歴に関わる付き添いと、あるいは親密な仲間と楽園に着いたならば、あるいは、将来の目標の熾天使である保護者があなたと共にたまたま到着するか、またはあなたを待ち受けているならば、永遠の同志もあなたには選任されないであろう。しかし、もしあなたが単独で到着するならば、光の小島で時間の最後の睡眠からあなたが目を覚ますとき、1名の同志が確かにあなたを歓迎するであろう。あなたが上昇仲間の誰かに同伴されるであろうということがもし知られていても、臨時の同志は、永遠の岸にあなたを歓迎し、その上あなたとその仲間の歓迎に用意される保留地に付き添うために任命されるであろう。延々と続く楽園の岸での永遠への復活を経験するとき、あなたは、暖かく歓迎されることを確信できる。
受付の同志は、ハヴォーナの最後の回路における上昇者の最後の滞在期間に選任され、必滅者の起源と空間の世界とハヴォーナの円を通しての波瀾万丈の上昇に関する記録を慎重に調べる。受付の同志らは、時間の必滅者を出迎えるにあたり、到着しつつある巡礼者の経歴にすでに確かに精通しており、また同情的で好奇心をそそる仲間であると分かる。
何らかの理由でもしあなたが、楽園におけるあなたの前終局者滞在期間に、上昇経歴の仲間から—人間の、または熾天使の—一時的に切り離されるようなことがあるならば、楽園の同志は直ちに助言と親交のために任命されるであろう。楽園での独り住まいの上昇する人間に一たび任命されると、同志は、自分の上昇仲間が再び加わるか、または正式に終局者部隊に召集されるまでこの人格体と共に留まる。
楽園の同志は、上昇者は決してその性質が超宇宙の型とは異なる同志には託されないということを除いては、待機順に配属される。もし今日ユランチアの必滅者が楽園に到着しつつあるならば、オーヴォントンが起源であるか、そうでなければ、主たる七精霊の本質をもついずれかの待機中の一番目の仲間が、必滅者に割り当てられるであろう。したがって、全天使は、7超宇宙からの上昇創造物とともには仕えない。
多くのさらなる奉仕が、楽園の同志によって実行される:上昇の人間が、ハヴォーナを横断中に単独で中央宇宙に達するならば、また神格冒険の何らかの局面において失敗するならば、時間の宇宙へ送還されるであろうし、直ちに、楽園の同志の予備部隊への招集が掛けられるであろう。この系列の1つは、挫折した巡礼者に続くための、巡礼者を慰め励まして共にいるための、そして、楽園上昇を再開するために中央宇宙に戻るまで巡礼者と共に残るための任務を受けるであろう。
もし上昇の巡礼者が、上昇熾天使、すなわち人間経歴の守護天使の同伴でハヴォーナを横断中に神格冒険に敗れるならば、守護天使は、人間の仲間に同伴することを選ぶであろう。これらの熾天使は、時間と空間の奉仕に戻る人間の長年の同志にいつでも同伴を志願したり、許可されたりする。
だが、密接に関係する2名の人間上昇者に関してはそうではない。もし1方が神に達しもう1方が一時的に失敗するならば、成功している個人は、必ず失望した人格と共に進化の創造に戻ることを選ぶが、これは受け入れられない。その代わりに、楽園の同志の予備部隊に招集がかけられ、1名の志願者が失望した巡礼者への同伴に切り替えられる。そこで、志願の楽園公民は、成功している人間と関わるようになる。成功している人間は、破れた同志のハヴォーナ帰還を待ち受けて中央の小島に留まり、そうしているうちに進化的上昇の冒険話を提示して幾つかの楽園の学校で教える。
[ユヴァーサからの権威高きものによる後援]
熾天使は、楽園と中央宇宙に属する活動をする精霊である;それらは、無限の精霊の子供の最下級集団の中の最高系列である—天使部隊。奉仕するそのような精霊は、楽園の小島から時間と空間の世界の間で遭遇することになっている。大部分の組織化されたまた居住者のいる創造にはそれらの奉仕はない。
天使は全空間の進化し上昇する意志を持つ創造物の奉仕する-精霊の仲間である;それらは、球体の神性人格の高位の部隊に属する同僚であり働く仲間でもある。全系列の天使は、異なる人格であり、非常に個人化されている。それらには皆、逆戻りの指揮官の奉仕を評価する大きな能力がある。奉仕する精霊は、空間の使者部隊と共に休息と変化の季節を楽しむ;それらは、並々ならぬ社会性を備え持ち、人間のそれをはるかに超えて、結合しやすい能力を持ち合わせている。
壮大な宇宙の奉仕する精霊は次の通りに分類される:
1. 超熾天使
2. 第二熾天使
3. 第三熾天使
4. 全天使
5. 熾天使
6. 天使童子とサノビム
7. 中間創造物
天使系列の個々の構成員は、宇宙における人格的身分に関して完全に固定しているわけではない。ある系列の天使は、しばらくの間楽園の同志になるかもしれない;一部は天の記録係になる;他のものは技術顧問階級に昇る。ある天使童子は、熾天使の身分と将来の目標を志すかもしれないし、一方、進化の熾天使は、神の上昇する息子の精霊的段階に到達することができる。
奉仕活動の7系列の精霊は、明らかにされるように、上昇する創造物への最も重要な機能に沿った提示のために集められる:
1. 中央宇宙の奉仕活動をする精霊。超熾天使の3系列は、楽園-ハヴォーナ体系において奉仕する。第一の、あるいは楽園の超熾天使は、無限の精霊により創造される。ハヴォーナにおいて奉仕する第二次の、そして第三の系列は、それぞれに主たる精霊の子であり回路の精霊の子である。
2. 超宇宙の奉仕する精霊—第二熾天使、第三熾天使、および全天使。第二熾天使、反射の精霊の子は、7超宇宙においてさまざまに奉仕する。無限の精霊の起源である第三熾天使は、最後には、創造者たる息子と日の老いたるものとの連結奉仕とに捧げられる。全天使は、協力的に無限の精霊と崇高7幹部により創造され、後者の専属的使用人である。これらの3系列に関する議論は、後に続くこの一連の物語の表題を形成する。になる。
3. 地方宇宙の奉仕する精霊は、熾天使と天使童子であるその助手を抱擁する。人間の上昇者には宇宙の母なる精霊のこれらの子との最初の接触がある。生息界の出である中間創造物は、機能上しばしば奉仕する精霊に分類されはするが、厳密には天使系列のものではない。それらについての物語は、熾天使と天使童子に関する報告とともにあなたの地方宇宙の問題を扱うそれらの論文に提示されている。
天使部隊の全系列は、宇宙の様々な奉仕に専念し、何らかの方法で天の存在体のより高位の系列に奉仕する。しかし、時間の子の発展的進歩に関する上昇計画の助長において数多く起用されるのは、超熾天使、第二熾天使、熾天使である。中央宇宙、超宇宙、地方宇宙で機能するそれらは、永遠なる息子を通して宇宙なる父に達しようとするすべての者を助け導くために無限の精霊により提供される切れ目ない鎖状の精霊奉仕活動者を形成する。
超熾天使は、行為の1局面だけに、宇宙なる父とのそれだけに関しては「精霊の極性」により制限されている。それらは、父の専属回路を直接に使う時以外は単独で働くことができる。超熾天使は、父の直接の奉仕活動における力の受領に際し、機能できるように自発的に2名1組で連合しなければならない。第二熾天使は、同様に制限されており、その上永遠なる息子の回路と連動するよう対で働かなければならない。熾天使は、個々の、また局所化された人格として単独に働くことができるが、関係ある1対として分極される場合に限り回路化が可能である。そのような精霊存在体が、1対となって関連づけられるとき、1名はもう片方に対して補足的であると言われる。補足関係は一時的であるかもしれない;それらは必ずしも永久的性質ではない。
これらの輝かしい光の創造物は、直接に宇宙の第一回路の精霊的エネルギーの取り入れにより支えられている。ユランチアの必滅者は、植物性の肉体化で光-エネルギーを得なければならないが、天使部隊は回路化される。それらは、「あなたの知らない食物を取り入れる。」また、驚異の三位一体の教師たる息子の循環する教えを受けもする。それらは、生活エネルギーの同化方法にたいへん類似する知識の受容と知恵の取り入れ方法をもつ。
超熾天使は、楽園と中央宇宙に滞在する存在体すべての型への熟練の奉仕活動者である。これらの高位の天使は、主要な3系列で創造されている: 第一、第二、第三の。
第一超熾天使は、連合創造者からだけの子孫である。それらは、楽園公民の一定の集団と上昇巡礼者の拡大し続ける部隊の間でほぼ等しく奉仕活動を分担する。永遠の小島のこれらの天使は、楽園居住者の両集団に不可欠の訓練を促進するに当たり非常に効果を生んでいる。それらは、宇宙の創造物のこれらの独特の2系列の相互理解に役立つ多くを提供する—神性の、そして完全の、意志を持つ創造物の最高位の型であるものと、宇宙の中の全宇宙の意志を持つ創造物の最下位の型の完成された進化のもの。
第一超熾天使は、非常に独特かつ特徴的であるので後続の談話で別個に考慮されるであろう。
第二超熾天使は、ハヴォーナ7回路の上昇する存在体に関わる業務指導者である。それらは、中心的創造の世界回路に長らく滞在する楽園公民の数多くの系列の教育的訓練への奉仕において同様に考慮されるのであるが、我々はそれらの奉仕のこの局面については論じないかもしれない。
主たる七精霊に各々起源をもち、また本質もそれに沿って模倣されていれるこれらの高位の天使には7つの型がある。集合的に、主たる七精霊は独特な存在体と実体からなる多くの異なる集団を創造し、各系列の個々の構成員は性質的には比較的に一様である。だが、これらの同じ七精霊が個々に創造するとき、生まれる系列は性質的には常に七重である。主たる精霊の子らの各々は、その創造者の性質を帯びており、それゆえに他のものからは異なっている。第二超熾天使の起源はそのようなものであり、また、創造されたすべての7つの型の天使は、自分の系列全体に開放された活動の全経路において、主には、中央の、神性の宇宙の7回路において機能する。
ハヴォーナの惑星の各7回路は、回路の七精霊の直接指揮下にあり、自らは主たる七精霊の集合的—ゆえに一律的—創造である。第三根源と中枢の性質を帯びてはいるとはいえ、ハヴォーナのこれらの補助的七精霊は最初の宇宙の型の一部ではなかった。それらは、最初の(永遠の)創造後に、だがグランドファンダ時代のずっと以前に機能していた。それらは、崇高なるものの新生の、台頭する目的への主たる精霊の創造的対応として確かに現れ、壮大な宇宙の組織化の際に機能しているところを発見された。無限の精霊とそのすべての創造的な仲間には、宇宙の調整者として、経験的神格と進化する宇宙における同時発展への適切な創造上の対応のための能力が豊富に授けられているようである。
第三超熾天使は、回路の七精霊に起源をとる。個々のハヴォーナ円において各七精霊は、中央宇宙の需要を満たすために第三系列に属する高位の超熾天使である十分な数の奉仕活動者を産出する権限が無限の精霊から与えられる。回路の精霊は、時間の巡礼者のハヴォーナ到着前に比較的わずかの天使の活動奉仕者を創造したが、主たる七精霊は、グランドファンダの着陸まで第二超熾天使の創造を始めてさえいなかった。2系列のうちのより古い系列としての第三超熾天使は、それゆえまず最初に検討されるであろう。
主たる七精霊のこれらのしもべは、ハヴォーナの様々な回路に属する天使の専門家であり、その奉仕活動は、時間の上昇巡礼者と永遠の下降巡礼者の双方にまでおよぶ。完全な中央創造の10億の研究世界においては、あなたの全系列の超熾天使の仲間は、あなたに完全に見えるようになるであろう。あなた達は皆、そこでは相互関係と共感をもった最高の意味における兄弟らしい理解ある存在体になるであろう。また、あなたは、最初の回路の先導的世界を経てハヴォーナに入り、それから第7回路に外へと進み、これらの回路を内から外へと移動する下降巡礼者、つまり楽園公民を完全に認識し、それらと絶妙につき合うであろう。
第7超宇宙からの上昇巡礼者は、第7回路の先導的世界を経由し内部に進み、反対方向にハヴォーナを通り抜ける。特定の期間が、モロンチア世界での居留に任意に割り当てられることはないのと同様に、世界から世界や回路から回路への上昇創造物の進歩には何の時間制限もない。しかし、適切に進化した個人は1つ、またはそれ以上の地方宇宙の訓練世界における滞在から免除されるかもしれない一方、いかなる巡礼者も進歩的な精霊化のハヴォーナ7回路すべてを通り抜けを避けることはできない。
時間の巡礼者の奉仕に主に配属される第三超熾天使の軍団は、次のように分類される:
1. 調和の監督者。完全なハヴォーナにおいてさえ、ある種の調整的作用が体制を維持し、その後の楽園でのそれらの業績のために時間の巡礼者に準備させるすべての仕事において調和の保証が必要とされるということが明らかなはずである。調和監督の真の任務はそのようなものである—すべてを円滑に、かつ迅速に先に進ませ続けること。それらは、第一回路を起点としてハヴォーナ中で奉仕するし、回路上の自身の臨場の意味するところは、失敗など起こり得ないということである。異なる系列—複数段階さえ—の人格を巻き込む活動の多様性を調整する大きな能力は、これらの超熾天使が時と場所を問わず必要とされれば、援助を与えることを可能にする。それらは、時間の巡礼者と永遠の巡礼者の相互理解に桁外れに貢献している。
2. 記録責任者。これらの天使は、第2回路において創造されるのであるが、中央宇宙のいたる所で活動する。それらは、文字通りのハヴォーナの正確な資料、その系列の精霊的な資料、および楽園の正式資料を3部に記録する。さらには、楽園の活気のある図書館、第一系列の超熾天使に関する知識の管理人に対する真の-知識取引の自動的に取次ぎをする。
3. 放送者。公式の局は最も外側の円にある惑星70番に位置するが、第3回路の精霊の子らは、ハヴォーナ全体において機能する。これらの熟練の専門家は、中央創造の放送受信者と送者であり、楽園における全神格現象に関わる空間報告の製作責任者である。それらは、空間の基本的回路のすべての操作ができる。
4. 使者たちは、第4回路に起源をとる。それらは、人格的な取り次ぎを必要とする報告すべての運び手として楽園-ハヴォーナ体系の範囲に及んでいる。それらは、仲間、天の人格、楽園巡礼者、および時間の上昇する魂にさえ仕える。
5. 情報調整者。第三超熾天使、第5回路精霊の子は、いつでも上昇巡礼者と下降巡礼者との共済関係の賢明かつ思いやりのある促進者である。情報調整者らは、宇宙の中の宇宙の問題に関し現下にハヴォーナ全住民を情報に通じさせることでハヴォーナの全住民へ、特に上昇者への奉仕活動をする。ハヴォーナのこれらの「生ける新聞」は、放送者と反射体との個人的な接触のおかげで、中央宇宙の広大な報道回路を通過する全情報を即座に熟知している。それらは、記録のためにあなたの最速の電信方法で1,000年を要するであろうユランチア時間の1時間で同程度の多くの情報を自動的に取り入れることのできるハヴォーナ図表方式により情報を確保する。
6. 輸送人格。起源が第6回路であるこれらの存在体は、通常、最も外側の回路の惑星40番から操作する。神格冒険に一時的に失敗する失望の候補者たちを連れ去るもの達である。それらは、ハヴォーナの奉仕において往来しなければならないもの達に、また空間移動者でないすべてのもの達に仕える準備ができている。
7. 予備部隊。上昇存在体、楽園巡礼者、およびハヴォーナに滞在する他の系列の存在体との仕事における変動は、それらが起源を取る第7円の先導的世界における超熾天使のこれらの部隊の維持を必要とする。それらは、特別な意匠なしに創造され、自身の第三系列の超熾天使の仲間のいずれかの義務のさほど面倒ではない段階での奉仕に適任である。
第二超熾天使は、中央宇宙の7個の惑星回路への奉仕者である。一部のものたちは、時間の巡礼者の奉仕にささげ、全系列の半分は、永遠の楽園巡礼者の訓練に割り当てられる。ハヴォーナ回路経由の巡礼の旅においてこれらの楽園公民には、人間の終局者部隊からの志願者が伴っている。すなわち最初の終局者集団の完成以来広く行き渡ってきている取り決め。
第二超熾天使は、上昇巡礼者の奉仕活動への周期的任務に従い、次の7集団において働く:
1. 巡礼者の助手
2. 崇高性への案内者
3. 三位一体への案内者
4. 息子発見者
5. 父への案内者
6. 顧問と助言者
7. 休息の補体
これらの各労働集団は、創造された7個のすべての型の天使を含んでおり、空間の巡礼者は、巡礼者出身の超宇宙を統括する主たる精霊に起源をとる第二超熾天使により常に教授される。ユランチアの必滅者がハヴォーナに達するとき、あなたは、—あなた自身の進化した本質のように—オーヴォントンの主たる精霊から得られる性質を創造したその超熾天使により確かに導かれるであろう。あなたの家庭教師は、あなた自身の超宇宙の主たる精霊から生まれるので、楽園の完全性に達するあなたのすべての努力においてあなたを理解し、慰め、補助することに特に適任である。
時間の巡礼者は、7超宇宙の本部を中心に活動している第二熾天使からなる第一系列の輸送人格によりハヴォーナの暗い重力体を越えて外側の惑星回路へと輸送される。楽園上昇を認可された惑星奉仕と地方宇宙奉仕の熾天使の大半は、すべてではないが、ハヴォーナへの長い飛行前に人間の仲間に別れを告げ、熾天使としての存在の完全性と奉仕の崇高性の達成を期待し、崇高な任務のためにすぐに長い、しかも激しい訓練を始めるであろう。熾天使は、時間の巡礼者に再び加わり、宇宙なる父に達し、終局者部隊の明かされていない奉仕への任務を受けたそのような人間の針路に永久に続くもの達の中に数えられることを望んでこれをするのである。
巡礼者は、唯一の完全性の資性、すなわち目的の完全性だけを携えてハヴォーナの受け入れ惑星、すなわち第7回路の先導的世界に到着する。宇宙なる父は命じた:「私が完全であるように完全であれ。」それは、空間世界の有限の子らに対する驚くべき招待-指令の放送である。その強制命令の発布は、天の存在体の協力的努力をして第一根源と中枢のその驚異的指令の遂行と実現をもたらす援助においてすべての創造を活動をわきたたせた。
生存のための宇宙企画の助手部隊の奉仕活動を介して、またそれにより、あなたがハヴォーナの受け入れ世界に最終的に置かれるとき、あなたは、ただ1種類の完全性を携えて到着する—目的の完全性。あなたの目的は、徹底的に証明された;あなたの信念は試された。あなたには、失望への抵抗力があると知られている。宇宙なる父を見定めないことさえも、すべての者がハヴォーナの完全球体に達するために横断しなければならない経験をくぐり抜けた上昇の人間の信仰をぐらつかせたり、由々しく信用を妨げたりはできない。あなたの誠実さは、あなたのハヴォーナ到達までには崇高になった。目的の完全性と願望の神性は、信念の不動さとともにあなたの永遠性定住への入り口を確保した;時間の不確定要素からのあなたの救出は完全である;そして、今、あなたは、ハヴォーナの問題と楽園の広大なものに、空間の世界学校での時間の経験的時代における非常に長い訓練において関わった問題に立ち向かわなければならないのである。
上昇の巡礼者は、時間の子らの永遠の入り口へを認める目的の完全性を信仰により勝ち取った。巡礼者の助手は、人格の楽園の完全性にそれほどまでに不可欠である理解のその完全性と知識のその方法を見いだす仕事を今始めなければならないのである。
理解する能力は、楽園への人間の旅券である。信じる意欲は、ハヴォーナへの鍵である。息子性の承認、内住する調整者との協力は、進化的生存の代価である。
遭遇するであろう7集団を有する第二超熾天使の第1番目は、多く旅した空間の上昇者を中央宇宙の安定した世界と確立された経済へ歓迎する迅速な理解と広い思いやりをもつ存在体である巡礼者の助手である。これらの高位の奉仕活動者は、同時に外側回路の先導的世界へのグランドファンダの到着と同時に内側のハヴォーナ回路の先導的世界に到着する最初のものである永遠の楽園巡礼者のために仕事を始める。楽園からの巡礼者と時間の巡礼者は、はるか遠いその時代に第4回路の受け入れの世界で初めて会った。
これらの巡礼者の助手は、ハヴォーナ世界の第7円で機能する上昇の人間のために主要な3区分において自らの仕事を行う:最初に、楽園三位一体の最高の理解;2番目に、父-息子協力関係の精霊的知識;3番目に、無限の精霊の知的な認識。これらの指導段階は、7部門、12小区分、70補助集団に分割される;そして、指導に関わる各補助的組分けでは、1,000の分類が示される。より詳細な指示はそれに続く円に提示されるのだが、楽園のあらゆる必要条件の概要は、巡礼者の助手により教えられる。
次に、それは、信念-試験済みの、また多く-旅した空間の巡礼者に立ちはだかる第一の、または基本の進路である。しかし、時間のこれらの上昇の子らは、ハヴォーナに達するずっと以前に、不確実性を楽しむこと、失望を経て肥えること、明らかな敗北に夢中になること、困難の存在に活気づくこと、広大さに直面し不屈の勇気を示すこと、そして、説明し難い挑戦に立ち向かうとき征服し難い信念を発揮することを学んできた。「神との連係においては、何ごとも—絶対に何ごとも—不可能ではない」は、ずっと前から、これらの巡礼者の鬨の声となった。
各ハヴォーナ円の時間の巡礼者には明確な必要条件がある;すべての巡礼者は、その特定の型の上昇の創造物の援助に適した性質により超熾天使の後見の下に続くが、習得されなければならない針路は、中央宇宙に達する全上昇者にとり公平に一様である。この到達針路は、量的、質的、経験的—知的、精霊的、崇高的である。
時間は、ハヴォーナ円においては重要ではない。限られた方法において、それは前進への可能性に入るが、達成は最終的かつ最高の試練である。あなたの超熾天使の仲間は、次の円の内部を通過する資格があなたにあると考えるまさしくその瞬間に、あなたは第7回路の精霊の12名の副官の前に連れて行かれるであろう。あなたは、ここであなたの起源の超宇宙と出身体系により決定している円の試験に合格しなければならないであろう。この円の神性到達は、先導的世界で行われ、また上昇巡礼者の超宇宙と結びつく主たる精霊の精霊的な認識と実現にある。
外側のハヴォーナ円の仕事を終わり、提示された針路を極めるとき、巡礼者の助手は、次の円の先導的世界に自分の対象を連れ行き、それらを崇高案内者の後見にゆだねる。巡礼者の助手は、快く有益な転送の手助けのためにいつでもしばらくの間留まる。
空間の上昇者は、7番目の円から6番目の円へ移されるとき、「精霊的な卒業生」と指定され、崇高案内者の即座の指揮下に置かれる。これらの案内者は、卒業生案内者—無限の精霊の高位の人格に属している—と混同されるべきではない。卒業生案内者は、その従者仲間とともに、ハヴォーナの全回路において上昇巡礼者、下降巡礼者の双方に奉仕する。崇高案内者は、中央宇宙の第6円にかぎって機能する。
上昇者が崇高の神性に関する新認識を獲得するのは、この円においてである。時間の巡礼者は、進化宇宙の長い経歴を通じ、時間-空間創造の全能の総括的管理の現実に関し増大する認識を経験している。ここで、すなわちこのハヴォーナ回路で、時間の巡礼者らは、今にも時間-空間一体性の中央宇宙の起点—崇高なる神の精霊的現実に遭遇するところである。
私は、この円で行われることを説明することにいくらか当惑している。崇高性の人格化された臨場も上昇者には知覚可能ではない。主たる七精霊との新しい関係は、ある点において崇高なるもののこの非接触性を補填する。しかし、各上昇創造物は、我々がその方法を把握できないにもかかわらず、崇高なるものの非啓示の活動を仮定なしではほとんど満足に説明しえない変形のための成長、意識の新統合、目的の新しい精霊化、神性へ向けての新しい感性を受けるようである。これらの謎めいた経済活動を観測してきた我々にとり、それは、まるで崇高なる神が経験的な子供にまさしくその経験的な能力の限界まで知的な把握、精霊的な洞察、および人格的援助の強化を愛情深く授与しているかのように見える。これらの強化は、崇高性の三位一体の神性段階を突き進む全努力において楽園の永遠かつ実存的な神格の実現を大いに必要とするであろう。
崇高案内者は、生徒の前進の機が熟していると考えるとき、70名の委員会、つまり第6回路の先導的世界において試験官として仕える混合集団の前にそれらを連れて来る。崇高なるものと崇高性の三位一体に対する生徒たちの理解がこの委員会を満足させた時点で、巡礼者には第5回路への移動が認証される。
三位一体案内者は、時間と空間の前進している巡礼者へのハヴォーナの第5円における訓練の精力的奉仕活動者である。巡礼者が、無限の精霊の人格認識を達成する試みに備えて神性の三位一体に関する進んだ指示を受けるのはこの円においてであることから、精霊的卒業生は、三位一体案内者の指示の下ここにおいて「神格冒険の候補者」に指定される。上昇巡礼者は、ここでそれらの達成のためにこの回路の世界に設定された高い目標の需要への対応が求められるところのますます多く課せられ、そしてはるかに困難である精霊的努力の性質を明察し始めるとき、本物の研究と真の精神的努力が意味することを発見するのである。
三位一体の案内者は、最も忠実で能率的である。各巡礼者は、この系列に属する第二超熾天使の全面的配慮を受けたり完全な愛情をあじわう。時間の巡礼者は、現れようとする神格冒険の性質と方法を尊敬する上昇者の教育に従事しているこれらの案内者や他の精霊存在体部隊の助力と援助がなかったならば、楽園の三位一体の親しみやすい最初の人格をを決して見つけはしなかったであろう。
この回路における訓練過程の終了後、三位一体案内者は、生徒をその先導的世界に連れ行き、神格冒険の候補者に対する試験官としてまた証明者として機能する多くの三位一体委員会の1つの前に生徒たちを紹介する。これらの委員会は、終局者の仲間1名、第一超熾天使の系列の行為の指揮官のうちの1名、それと空間の単独使者あるいは楽園の三位一体化の息子のいずれかの1名から構成されている。
上昇の人間が実際に楽園に出発するときは、超熾天使円の仲間、卒業生案内者、および後者に属する遍在の従者の仲間からなる輸送3者だけが同伴する。ハヴォーナ円から楽園までのこれらの周遊旅行は試験的旅行である;上昇者はまだ楽園身分のものではない。それらは、宇宙なる父への到達に続く時間の最後の休息を通り抜けハヴォーナ回路を通過するまでは楽園での居住身分を獲得しない。それらは神性の休息後まで「神性の本質」と「崇高性の精霊」を伴わないし、実際には永遠の円と三位一体の臨場における機能を開始はしない。
輸送3者の上昇者仲間は、三位一体の精霊的な明度の地理的臨場位置を定められるようにすることは要求されないが、むしろ十分に人格認識を構成するために無限の精霊を認識し、識別し、理解するという困難な仕事において巡礼者への可能なすべての援助を提供する。楽園のいかなる上昇巡礼者も、三位一体の地理的あるいは位置的臨場を認識できるし、大多数は、神格の、特に第三人格体の知的現実と接触できるのだが、全員が、父と息子の精霊的臨場の現実を認識できたり、または部分的にでも理解できるわけではない。宇宙なる父の最小の精霊的理解ですらも、なおさらに困難である。
無限の精霊探求というものは、めったに成就に失敗しないし、三位一体案内者は、その対象が神格冒険のこの局面に成功したときハヴォーナの第4円上の息子発見者の奉仕活動にその対象を移す準備をする。
第4ハヴォーナ回路は、時々「息子の回路」と呼ばれる。上昇巡礼者は、この回路の世界から永遠なる息子との理解ある関係を達成するために楽園に行くが、下降巡礼者は、この回路の世界において時間と空間の創造者たる息子の性質と任務の新知識を得る。楽園ミカエルの予備部隊が、上昇巡礼者と下降巡礼者双方のために相互奉仕活動の特別な学校を維持するこの回路には7つの世界がある;そして、時間の巡礼者と永遠の巡礼者が初めて本当に相互理解に至るのが、ミカエルの息子のこれらの世界においてである。あらゆる点で、ハヴォーナ滞在全体の中で最も好奇心をそそる経験は、この回路におけるものである。
息子発見者は、第4 回路に属する上昇する人間への超熾天使の奉仕活動者である。息子発見者は、永遠なる息子の三位一体関係の実現のための候補者に準備させる一般的な仕事に加え、その対象が完全に成功するように完全に教授しなければならない:まず第一に、息子の適切な精霊的知識において;第二に、息子の満足できる人格認識において;第三に、無限の精霊の人格からの息子の適切な分化において。
無限の精霊の到達後、それ以上の試験は実施されない。内側回路の試験は、神格の覆い隠すような抱擁にある時の巡礼者候補の仕事ぶりに関わるものである。前進は、純粋に個人の精霊性により決定されており、神の他には誰も差し出がましく評価はしない。失敗に際しては、理由は一度も与えられていないし、候補者自身も、その様々な家庭教師と案内者のいずれも窘められたり、または批評されたりはしない。失望は、楽園においては決して敗北とは見なされない;延期は決して不名誉とは見られない;時間の外見上の失敗は、決して永遠の重要な遅れとは混同されない。
神格冒険における失敗らしく見える遅れを経験した巡礼者は、それほど多くはない。超宇宙1番からの巡礼者は、時折最初の試みに成功はしないものの、ほぼ全員が、無限の精霊に達する。精霊に達する巡礼者らは、息子の発見にめったに失敗することはない;最初の冒険に失敗するもののうちほとんどすべてが、超宇宙3番と5番の出身である。精霊と息子の両者の発見後に父に達する最初の冒険に失敗するもの達の大多数は、超宇宙6番の出身である。超宇宙2番と3番からの少数者らも同様に不成功ではあるのだが。また、このすべてが、これらの明らかな失敗には何らかの好ましく十分な理由があるということを明確に示すようである;実際には、単に回避不可能な遅れ。
神格冒険の挫折した候補は、任務に関わる責任者たち、つまり第一超熾天使の集団の管轄下に置かれ、少なくとも1,000年の間空間の領域の仕事へと差し戻される。挫折した候補は、誕生の場所である超宇宙へは決して戻らず、2番目の神格冒険に備えての再教育に最も好都合のその超創造に戻るのである。それらは、この奉仕に続いて自発的にハヴォーナの外側の円に戻り、中断された経歴の円にすぐに送り届けられ、早々に神格冒険のための準備を再開する。第二超熾天使は、2番目の試みにおいて決して失敗することなく首尾よくその対象を導くし、同じ超熾天使の奉仕活動者と他の案内者は、この2番目の冒険の間いつもこれらの候補に付き添う。
巡礼者の魂がハヴォーナの3番目の円に達すると、より年長の、高度に技術をもった、そして最も経験豊富な超熾天使の奉仕活動者である父の案内者の保護下に入る。父の案内者は、この回路世界において中央宇宙に住むすべての存在体が教師として役目を果たす英知の学校と技術の大学を維持する。永遠到達のこの超越的冒険において時間の創造物の役に立つものは何も見落とされることはない。
宇宙なる父への到達は、残る縦断されるべき回路にもかかわらず永遠への通行証である。したがって、輸送3者が、時間の最後の冒険が続こうとしていると発表するとき、つまり、空間の別の創造物が、永遠の入り口を通って楽園への入園を求めると発表するとき、それは、3番目の円の先導的世界における極めて重要な時である。
時間の考査は、ほぼ終わりである。永遠に向けての競争はほぼ走り終えた。不確実性の時代は、終わりつつある;疑いへの誘惑は、失せつつある;完全であれという指令は、守られてきた。時間の創造物と物質の人格は、知的な存在のまさしくその底辺から空間の進化の球体を昇ってきた。また、世界の下級の創造物への「私が完全であるように完全であれ」という宇宙なる父の勅令の公平さと正義を絶えず示すとともに、上昇計画実行の可能性を立証している。
一歩ごとに、人生ごとに、世界ごとに、上昇の経歴は習得され、神の目標は達成されてきた。生存は、成就において完全であり、完全性は、神性の崇高性において十分である。時間は、永遠において失われる;空間は、宇宙なる父との崇拝の同一性と調和において飲み込まれる。ハヴォーナ放送は、栄光の空間報告を、すなわち、実のところ獣性と物質起源の良心的な創造物が、進化的上昇を経て現実に、永久に、神の完成された息子になってきたという朗報を、前方へと放つのである。
2番目の円の超熾天使顧問と助言者は、永遠の経歴に関しての時間の子らの講師である。楽園到達は、新たで、 より高い系列の責任を伴うし、また2番目の円における滞在が、これらの献身的な超熾天使の有用な助言を受ける多くの機会を与える。
神格到達に最初の試みで失敗するもの達は、超宇宙奉仕に戻される前に失敗の円から直接2番目の円へと進められる。したがって、顧問と助言者は、これらの失望した巡礼者の顧問と慰安者として役目を果たす。それらは、梯子を登るように混沌状態から栄光へ登ったような一連の長い経験からはその大きさを以外にはいささかも異なることのない最大の失望感に直面したばかりである。失望の巡礼者たちは、経験の杯の中のその粕までも飲み干した者たちである;そして、私は、それらが時間と一時の失望の子らへの愛の奉仕活動の最高の型として超宇宙の奉仕に一時的に戻るところを目にした。
失望の被験者は、第2回路での長い滞在後この円の先導的世界に座をとる完全性の協議会により吟味され、ハヴォーナの試験に合格したと公認される;これは、それらに、非精霊身分に関する限り、まるで実際に神格冒険に成功したかのように時間の宇宙での同じ地位を与える。そのような候補の精霊は完全に容認されるものであった;それらの失敗は、接近手段のある局面に、あるいは経験的背景の何らかの部分に固有であった。
それらは、次に、円の顧問により楽園における任務の主任の前に連れて行かれ、そして空間の世界での時間の奉仕へと送還される;それらは以前の時代に関する職務に大きな喜びをもって進む。それらは、後日大きな挫折を経験した円に戻り、新たに神格冒険を試みるであろう。
進化の不確実性の(もたらす)刺激は、第2回路の成功している巡礼者にとり終わったが、永遠の任務の冒険はまだ始まっていない;そして、この円における滞在は、とても楽しく、非常に有益であるのに反し、以前の円の期待に(からくる)満ちた熱意の一部を欠いている。喜びに満ちた羨望で長い長い苦闘を回想する多くの巡礼者がいる。それらは、何とかして時間の世界に戻り、もう一度それを始められることを真に願っている。ちょうどあなた方人間が、高齢に近づくにつれ時おり青年時代や若年期を回顧しもう一度人生を送れることを本当に願うように。
だが最内部の円の縦断はすぐ先にあり、その後すぐ最後の輸送中の睡眠は終わるであろうし、永遠の経歴の新冒険は始まるであろう。2番目の円の顧問と助言者は、被験者のこの素晴らしい、しかも最終の休息、すなわち上昇経歴の画期的な段階に介在する必然の睡眠の準備を始める。
宇宙なる父に達したそれらの上昇の巡礼者が、2番目-円の経験を終了すると、絶えず-付き添う卒業生案内者は、上昇の巡礼者らを最後の円へ認める命令を出す。これらの案内者は、対象を個人的に内円へと案内し、そこでそれらを休息の補体に、つまり、ハヴォーナの世界回路の時間の巡礼者の奉仕活動に配置される第二超熾天使の最後の系列に託す。
最後の回路にいる上昇者の多くの時間が、楽園住居の差し迫る問題に関する研究の継続に当てられる。非啓示の、巨大かつ多様な存在体部隊の大半は、ハヴォーナ世界のこの内側の永久的かつ一時的な居住者である。これらの種々の型の混合は、上昇巡礼者の教育を促進する際に有効に活用する豊かで状況的な環境を、特にまもなく楽園で遭遇する多くの存在体集団への調整に関わる問題に関して、休息の超熾天使の補体に提供する。
この内側回路に住む者たちの中には創造物-三位一体化された息子がいる。第一超熾天使と第二超熾天使は、人間の終局者の三位一体化の子孫と楽園公民の同様の子孫を含むこれらの息子の結合軍団の一般管理者である。これらの息子の一部は、三位一体に抱擁され超政府に任命されており、他のものはさまざまに割り当てられるが、大多数は、ハヴォーナの内側の回路の完全な世界において連合軍団の中に集められている。それらは、ここで超熾天使の指揮下において、グランドファンダの時代以前に最初は日の永遠なるものへの管理補佐であった高位の楽園公民の特別かつ無名の軍団によりいつか将来の仕事のために準備されている。三位一体の存在体の特異なこれらの2集団が、遠い将来に共に働きに行くと推測する多くの理由がある。そのうちの大きな理由は、三位一体の終局者の楽園部隊の予備軍における共通目標である。
上昇巡礼者と下降巡礼者双方は、この最内部回路において互いに、加えて創造-三位一体の息子と親しく交わる。これらの息子らは、両親のように相互の関係から大いなる利益を導き出し、またそれは、人間終局者の三位一体化の息子と楽園公民の三位一体化の息子の団体を容易にし、保証するという超熾天使の特別な任務である。休息の超熾天使補体は、さまざまの集団との理解ある関連性を促進する訓練にはさほど関係はない。
必滅者は、楽園の勅令を受け取った:「楽園の父が完全であるように完全であれ。」連合部隊のこれらの三位一体の息子への宣言を統轄超熾天使は決してやめない:「楽園の創造者たる息子が上昇の同胞たちを知り愛するように、それらのもの達を理解しなさい。」
必滅の創造物は、神を見つけなければならない。創造者たる息子は、人間—最下級の創造物—を見つけるまでは決して止まることはない。疑う余地なく、創造者たる息子とその人間の子らは、未来のいつか未知の宇宙奉仕に備えている。双方が、永遠の任務のために経験的な宇宙の全域を横断し、教育され訓練される。宇宙全体にわたり、人間と神性のこの比類なき混合、創造物と創造者の混合が起きている。考えのない必滅者は、神性の慈悲と優しさというものを、特に弱者に向けての、また貧困者のための慈悲と優しさを、擬人化の神を表すものとして顕現に言及してきた。何という誤りか!むしろ、人間による慈悲と寛容のそのような顕現は、必滅の人間には生きている神の精霊が住んでいるという証拠としてみなされるべきである。創造物は、結局は、動機づけられた神性なのである。
1番目の-円での滞在の終わり近く、上昇巡礼者は、まず最初に超熾天使の第1系列の休息扇動者に会う。これらは、永遠の入り口に立つもの達を出迎えるために、また最後の復活の変遷のまどろみのための準備完了のために出て来る楽園の天使である。あなたは、内円を横断し、時間の最後の睡眠からの永遠の復活を経験するまでは現実には楽園の子供ではない。完全な巡礼者は、ハヴォーナの最初の円においてこの休息を始め、つまり眠りにつくのだが、それらは楽園の岸で目を覚ます。永遠の小島に昇るすべてのもの達の中、このように到着するもの達だけが、永遠の子らである;他のもの達は、訪問者として、居住の身分にない客として出かける。
そして今、ハヴォーナ経歴の頂点において、あなた方死すべき者が、内回路の先導世界において眠りにつくとき、あなたの起源の世界での人間の死である自然な睡眠で目を閉じたときのようには、またハヴォーナへの旅行のために通過のための長い昏睡準備に入ったときにしたようには単独で休息には入らない。さて、あなたが到達の休息に向けて準備するとき、あなたの変遷が終了され、そして完成の最後の仕上げだけを待ち受けるというハヴォーナの誓約としてあなたとともに休息に入る準備をする最初の円のあなたの長年の仲間が、つまり休息の威厳ある補体が、あなたの側に移動する。
あなたの最初の変遷は事実上は死であったし、2番目は理想の眠りであったし、そして今、3番目の変化は真の休息、つまり最高の緩和である。
[ユヴァーサからの英知の遂行者による提示]
第一超熾天使は、神格に仕える楽園の永遠の小島の崇高なしもべである。それらが、光と正義の道から一度でも逸れたと聞いた事はない。点呼は完全である;この立派な部隊の誰とても永遠から失われてはいない。これらの高位の超熾天使は、完全な存在体、完全さにおいて崇高であるが、準絶対でも、絶対でもない。無限の精霊のこれらの子供は、完全性の本質を有しているのでその多様な任務の全局面において互換性を持ち、しかも自由に働いている。それらは、中央宇宙の様々な千年の集会や集団親睦会に参加はするが、楽園の外においては広範囲にわたる機能はしない。それらは、また神格の特別使者として出て行き、大勢が上昇し技術顧問になる。
第一超熾天使は、また反逆ゆえに孤立している世界において奉仕する熾天使部隊の指揮をゆだねられる。楽園の息子が、そのような世界を授与され、任務を終了し、宇宙なる父へと上昇し、受け入れられ、そしてこの孤立的世界の公認の配達人として戻ると、第一超熾天使は、新たに開墾された球体において勤務中である奉仕活動をする精霊を指揮する任務主務たちにより指定される。この特別奉仕における超熾天使は、定期的に交代する。ユランチアにおける現在の「熾天使の主務」は、キリスト・ミカエルの贈与の時代以来勤務についているこの系列の2番目である。
第一超熾天使は、永遠からずっと光の小島において仕えてきて空間の世界への指導者の任務で出て行ったのだが、時間のハヴォーナ巡礼者の楽園への到達後になって初めて現在のように分類される機能をしてきた。これらの高位の天使は今、主として次の奉仕の7系列で活動する:
1. 崇拝指導者
2. 哲学師範
3. 知識管理者
4. 行為の指導者
5. 倫理の解説者
6. 任務主任
7. 休息扇動者
上昇する巡礼者は、実際に楽園住居に達して初めてこれらの超熾天使の直接的影響を受け、次にこれらの天使の指示に基づき自分たちの命名の逆順で訓練経験をする。すなわち、あなたは、休息扇動者の後見の下に、また介入している系列との一連の時期の後に自分の楽園経歴を始め、崇拝指導者とのこの訓練期間を終える。その結果、あなたは終局者(へ向けての)の終わりのない経歴を始める準備ができているのである。
休息扇動者は、中央の小島からハヴォーナの内回路へと進み、そこで2次系列の超熾天使の休息の補体である同僚に協力するために先へ行く楽園の検査官である。楽園の楽しみに不可欠なものは、休息、神性の休息である;また休息扇動者は、時間の巡礼者に永遠への導入のために用意をさせる最後の教官である。巡礼者が最後の変遷の眠りから、空間の創造物を永遠の領域へと少しずつ目盛りを上げていくまどろみから目を覚ますとき、休息扇動者は、中央宇宙の最後の到達円での仕事を始め、それを続ける。
休息には7重の本質がある。生命の下級系列には眠りと遊戯の休息、精霊人格のより高等の存在体には発見の休息、精霊人格の最高等の型には崇拝の休息がある。また、エネルギー取り入れ口の通常の休息、つまり物理的エネルギー、あるいは精霊的エネルギーを再充填する存在体がある。次に、輸送中の睡眠、熾天使化される際の、1球体から他球体への通過帯域にある際の無意識のまどろみがある。これらのすべての休息と全く異なのものは、変態中の深い眠り、すなわち存在体の1段階から他への、1生命から他への、存在の一つの状態から他への、いかなる1つの地位の様々な段階を経る進化とは対照的に実際の宇宙の地位からの移行に伴うその眠りである。
だが最後の変態の眠りは、一連の上昇経歴の地位到達に印されてきたそれらのかつての変遷のまどろみ以上の何かである。その結果、時間と空間の創造物は、楽園の時間を、また空間を伴わない住まいでの居住身分に達するために時間的なものと空間的なものの最内部の縁を横断するのである。休息扇動者と休息補体は、熾天使と関連する存在体がそうであるように、必滅の創造物の死からの生存へのこの超脱的変態に不可欠なのである。
あなたは、最後のハヴォーナ回路において休息に入り楽園において永遠に復活する。しかもあなたは、精霊的に再人格化されるとき、ハヴォーナの最内部回路で最終的な睡眠を引き起こした他ならぬ第一超熾天使としてのあなたを永遠の岸に歓迎する休息扇動者をすぐに見分けるであろう;あなたは、また自己の同一性の維持を宇宙なる父の手にもう一度喜んで託そうとするとき、信仰の最後の壮大なる広がりを思い起こすであろう。
時間の最後の休息を味わった;変遷の最後の眠を経験した;今、あなたは、永遠の住まいの岸での永続する生命とともに目覚めるであろう。「もはや、眠りにはつかないであろう。神とその息子はあなたの前に臨場し、あなたは永遠その僕である;あなたは神の顔をすでに見たのであり、また神の名前はあなたの精霊である。夜はそこにはないのである;そして、それらは、太陽の光を必要としない、なぜならば、偉大なる根源と中枢はそれらに光を与えるのであるから;それらは永久に生きるのである。そして、神はそれらの目からすべての涙をふき取るのである;もはや死はなく、悲しみも泣くこともなく、痛みとてないであろう。過去の事象は過ぎ去っってしまったのであるから。」
これは、これらの天使の3系列全ての—第一、第二、第三の—組織を統括するために超熾天使長、つまり「原型天使」により時々指定される集団である。一機構としての超熾天使は、これらのすべての精霊人格を統括する楽園の最初の天使である互いの主任の機能を除いては、完全に自治的であり自主規制的である。
任務の天使は、終局者部隊に認められる前の楽園にいる栄光の必滅居住者に大いに関係がある。研究と指示は、楽園到着の唯一の仕事ではない;また、奉仕は、楽園の前終局者の教育的経験において不可欠の役割を演じる。加えて、私は、上昇の必滅者は余暇期間があると熾天使の任務主任の予備部隊と親しくする気質を明らかにするところを見た。
必滅の上昇者のあなたが楽園に達するとき、あなたの社会的関係は、発揚され、しかも神性である存在体部隊との、また栄光のなじみ深い大勢の仲間との接触以上の多くを伴う。あなたは、また楽園公民の3,000以上の異なる系列、超越者の様々な集団、それにユランチアでは明らかにされていない永久的、また一時的な楽園住民の他の多数の型とも親しく交わらなければならない。楽園のこれらの強力な識者との持続的接触後に、心の天使の型と雑談するのは非常に安らぐものである; 心の天使の型は、自身がそのような長い接触と壮快な関係を持っていた熾天使の時間の必滅者を思い出させる。
生命の階段を昇れば昇るほどますますより宇宙倫理に留意しなければならない。倫理的認識は、他のありとあらゆる個人の存在に固有の権利をもつ個々人による認識にすぎない。精霊的倫理は、個人的、集団的関係についての人間の概念を、またモロンチアの概念をさえ超える。
倫理は、楽園の栄光への長い上昇において時間の巡礼者により正しく教えられたし適切に学習されてきた。上昇者は、この内部に昇る経歴が空間の出身世界から展開されるとき、それらの宇宙の仲間の絶えず広がる輪に集団を加え続けてきた。あらゆる同僚からなる新集団は、上昇の必滅者が楽園に達するまで、倫理的解釈の助けとなり好意的な助言を提供してくれる誰かを本当に必要とするまで、認識され、従われるべきもう一つの倫理段階を加える。それらは倫理を教えられる必要はないのだが、とても新しい物と接触をするという並はずれた職務に直面するとき、非常に苦労して学んだものが適切に解釈された物をもつ必要がある。
倫理の解説者は、楽園到達者が居住者の身分の到達から終局者部隊への正式入隊へと広がるその波瀾万丈の期間、堂々たる存在体の多くの集団への適応のための手伝において計り知れない援助をしている。上昇の巡礼者は、既にハヴォーナの7回路において数々の楽園公民の型の多くに会ってきたのである。賛美された必滅者は、これらの存在体が多くの教育を受けているハヴォーナの内回路において結合の部隊の創造物-三位一体化の息子との親密な接触にも恵まれてきた。そして、上昇する巡礼者は、未来の非啓示の任務に備えてそこで集団訓練を続行する楽園-ハヴォーナ体系の非啓示の多数の居住者に他の回路上で出会った。
これらのすべての天の親交は、不変に相互的である。あなたは、上昇する人間としてこれらの代々の宇宙の仲間や数々のますます神聖であるそのような仲間の恩恵に浴するばかりではなく、時間と空間の進化の世界から上昇する人間に関連づけられたことに対して誰をも永久に変えさせより良くするあなた自身の人格と経験からの何かをこれらの兄弟のような存在体に与えもする。
上昇の必滅者には、すでに楽園関係の倫理を完全に教えられてきたので、—無意味な形式でもなく人工の排他的階級制度でもなく、むしろ固有の作法—光と生命の中央の小島に滞在する高位の存在体の完全な行為の実践において楽園社会の新構成員に教える熾天使の行為の指導者の助言を受けることが役立つとわかる。
調和は中央宇宙の基本方針であり、気づくことができる系列は、楽園において広まる。適切な行為には、知識や哲学を通しての自然な崇拝の精霊的な高みに進歩することが不可欠である。神格への接近には神性の方法がある;この方法の習得は、巡礼者の楽園到着を待ち受けなければならない。その精霊は、ハヴォーナ円で伝えられたが、時間の巡礼者の訓練の最後の仕上げは、実際に光の小島に到達して初めてできるのである。
楽園における全行為は、完全に自然発生的、つまり、あらゆる意味において自然かつ自由である。だが、今もなお永遠の小島での適切で完全やり方があり、行為の指導者は、それらを指導するために「門内の見知らぬ者たち」の側にずっとおり、巡礼者を完全に安心させ、同時に、さもなければ避けられないであろう混乱と不確実性を免れることができるように導くのである。そのような取り決めによってのみ、無限の混乱を避けることができる;また、混乱は、決して楽園には生じない。
これらの行為の指導者は、名誉ある教師と案内者として真に役目を果たす。それらは、ほぼ無限である一連の新状況と馴染みのない慣例に関し人間の新居住者の指導に主に関係している。そのためのすべての長い準備と長旅にもかかわらず、楽園は、ついに居住身分に達するもの達にとりまだ名状しがたく奇妙であり、予想外に新しいのである。
熾天使の知識管理者は、楽園の全居住者が知り、また読む高度の「生きた書簡」である。それらは、真実に関する神性の記録、すなわち真の知識に関する生きた本である。あなたは「生命の本」の中の記録について聞いてきた。知識の管理者は、まさしくそのような生きた本、つまり、神々しい生命と至上の保証を表す永遠の平板に刻印される完全性に関する記録である。それらは、実際は、生きた、自動の、書斎である。宇宙の事実は、これらの第一超熾天使に固有であり、実際にこれらの天使に記録されている;そして、永遠の真実と時間の知性のこれらの完全かつ十分な集積所に属する心の中に、虚偽のための宿をもうけるということは、本質的に不可能でもある。
これらの管理者は、永遠の小島の居住者のために非公式の教育講座を実施するが、その主要な機能は、参照と検証に関するものである。楽園の滞在者のだれもが、知りたいかもしれない特定の事実あるいは真実の生きた所蔵庫を身近に意のままに持つことができる。求められた情報を保持する集団の指揮官を任命するであろう知識の生きた発見者が、小島の北端においては応対可能であり、 あなたが知りたいまさしくそのものである輝かしい存在体が直ちに現れるであろう。もはや、あなたは夢中になったページから教化を求めてはいけない;あなたは今、面と向かって生きた知性と親しく交わっている。あなたは、このようにしてその最後の管理者である生きた存在体から最高の知識を得るのである。
あなたは、まさしくあなたが実証を望むその超熾天使を見つけるとき、すべての宇宙のすべての知られている事実が得られると分かるであろう。なぜなら、これらの知識管理者は、地方宇宙と超宇宙の熾天使と第二熾天使からハヴォーナの第三超熾天使の主任記録者へとおよぶ録音天使の広大な網状組織に関する最後の,しかも生きた概要なのであるから。知識のこの生きた蓄積は、楽園の正式の記録、つまり宇宙歴史の累積的概要とは異なっている。
真実に関する英知は、中央宇宙の神性に起源があるが、知識は、経験的知識は、大部分が時間と空間の領域にその始まりがある。—それゆえ、天の記録係の支援を受ける記録の熾天使と超熾天使からなる広範囲の超宇宙組織の維持の必要性。
本来宇宙知識を所有している第一超熾天使もまた、その組織と類別に関与している。それらは、自分たちを組織して、宇宙の中の宇宙の生きた資料館をそれぞれがおよそ100万の区画分譲を有する壮大な7系列に分類した。自らの組織に際しては楽園の居住者がこの巨大な知識の格納を参考にできる施設は、唯一知識管理者の自発的、かつ賢明な努力によるものである。管理者もまた、ハヴォーナ回路中の全存在体にそれらの生きた宝物を自由に配る中央宇宙の高揚された教師であり、またそれらは、間接的ではあるが日の老いたるものの法廷によって広範囲に活用されている。しかし、中央宇宙と超宇宙に利用可能であるこの生きた書斎は、地方の創造には活用できない。楽園知識の恩恵は、間接的に、反射的に地方宇宙に保証されているに過ぎない。
崇拝の最高の満足感の次には、哲学の高揚感がある。あなたが、非常に高く登ろうとも、またははるかに進歩しようとも試みの解決において哲学の駆使を要する1,000の神秘は依然として存在するのである。
楽園の哲学の巨匠たちは、宇宙問題の解決の試みにおける爽快な追求においてその居住者、つまり先住の、それに上昇の両者の心を導びくことを楽しむ。哲学の熾天使の巨匠は、「天の賢者たち、」すなわち未知を習得する努力における知識の真実と経験の事実を活用する英知の存在体である。これらの巨匠達とあるとき、知識は真実に至り、経験は知恵に引き上げられる。楽園においては、空間の上昇人格は、存在体の高さを経験する。それらには知識がある;それらは真実を知っている;それらは哲学的に考えるかもしれない—真実を考える;それらは、究極者の概念を包含し、絶対の方法を把握する試みさえするかもしれない。
哲学行為の巨匠は、広大な楽園領域の南端において知恵の70の機能的区域に関し趣向を凝らした講義をする。それらは、ここで無限の計画と目的について論じ、自身の英知に近づく手段を持つすべて、全員に関する経験を統合し、知識を構成しようとする。それらは、様々な宇宙問題に対して高度に専門化された考え方を開発してきたが、その最終的結論は、つねにみな同意に至っている。
楽園のこれらの哲学者は、ハヴォーナのより高度のグラフ手法と情報伝達に関する楽園の特定方法を含むあらゆる可能な教授法によって教える。知識授与と思考伝達のこれらのより高度のすべての方法は、最高度に進化された人間の心の読解容量をさえ完全に超えている。楽園における1時間の教授は、ユランチアの単語-記憶法の1万年に相当するであろう。あなたは、そのような意思伝達方法を理解できないし、とにかく人間の経験にはそれらが比較できる何も、それらが繋げられる何もないのである。
哲学の巨匠らは、宇宙の中の宇宙に関する自己の解釈を空間世界から上昇してきた存在体に伝えることに最高の喜びを感じるのである。哲学は、決して知識の事実と経験の真実としてその結論に落ち着くはずはないのだが、それでもこれらの第一超熾天使が、永遠の未解決の問題や絶対の遂行について論じるのを聴き終えたとき、これらの未習得の疑問に確かで、長く続く満足感を抱くであろう。
楽園におけるこれらの知的探求は広められない;完全性の哲学は、個人的に出席しているもの達だけに利用可能である。包囲的創造は、この経験を通過した者達、また、後にこの英知を空間の宇宙へと持ち出した者達だけからのこれらの教えを知っている。
崇拝は、すべての創造された知力を持つ者のための最高の恩恵であり最初の義務である。崇拝は、創造者とその創造物との親密かつ人格的関係の真実と事実を認識し承認する意識的かつ喜ばしい行為である。崇拝の質は、創造物の認識の深さにより決定される;そして、崇拝行為は、神の無限の特徴に関する知識の発達につれ、ついには被創造体が知る経験上の最高の喜びの栄光や最も強烈な喜びを実現する。
楽園の小島は、崇拝のための特定の場所を含み持つが、それは、むしろ神性奉仕の広大な1聖域である。崇拝は、その至福の岸にはい上がるものすべての最初の、しかも支配的な情熱である—その臨場に到達するために神について十分学んだものの自然発生的迸り。崇拝とは、ハヴォーナを通る内向きへの旅の間に、円毎に、指示し、さもなければ、その表現の制御が楽園において必要になるまで、増大し続ける情熱である。
楽園で享受される至高の礼拝と精霊の称賛(からの)の周期的、自然発生的、集団的、そして他の特別な迸りは、第一超熾天使の特別部隊の指導下で行われる。そのような敬意は、これらの崇拝導体の指揮の下では至高の喜びである創造物の目標を達成し、高尚な自己表現と人格的な味わいおける完全性の高さに達する。すべての第一の超熾天使は、崇拝指導者であることを切望する;もし任務主務が、定期的にこれらの集まりを解散しなければ、上昇者のすべてが、いつまでも崇拝の態度を持ち続けることを喜びとするであろう。しかし、上昇者は、崇拝での完全な満足感に至るまでは永遠の奉仕の職務開始を要求されることはない。
上昇の創造物に礼拝の方法を教え、自己表現の満足感を増すことができ、同時に楽園政権の不可欠の活動への注意を与えられるようにすることが、崇拝指導者の任務である。知的評価と上昇者の感謝に関する平均的人間の感情への完全かつ満足できる表現を与えるために礼拝方法に改良がなければ、楽園に達する平均的な人間には何百年もの時を要するであろう。崇拝指導者は、空間という子宮と時間という辛苦(からの)のこれらの素晴らしい子供がはるかに少ない時間で崇拝からの完全な満足感を得られるような表現のための新しい、これまでは未知であった大通りを解放する。
自己表現能力と感謝の伝達を増強し高められる全宇宙の全存在体からの全芸術は、それらの楽園神格の崇拝におい最高の能力で用いられる。崇拝は、楽園生活の最高の喜びである;楽園の壮快な遊戯である。遊戯が、地球でのあなたの疲れ果てた心のためにすることを、崇拝が、楽園でのあなたの完成された魂のためにするであろう。楽園における崇拝方法は、全く人間の理解を超えるものであるが、あなたは、その精神をここユランチアにおいてさえ感謝し始めることができる。なぜなら、神の精霊は、今でさえあなたに宿り、あなたの上方に浮かび、またあなたを真の崇拝へと奮起させるのであるから。
楽園における崇拝のための定められた時と場所があるのだが、これらは、輝かしい存在体の永遠の小島への経験的上昇の成長する知性からの精霊的感情と拡大する神性認識の増大し続ける流出の調整には適切ではない。楽園における崇拝のための定められた時と場所があるのだが、これらは、成長する知性の精霊的感情の増え続ける氾濫と、それに永遠の小島への経験的上昇の輝かしい存在体の拡大する神性認識を調整するには適切ではない。超熾天使は、グランドファンダの時代からずっと楽園における崇拝の精神に対応するには決して完全ではなかった。つねにそれに対する準備段階での予測以上の崇敬さがある。これは、本来完全である人格がゆっくり、しかも苦労して時間と空間の下級世界にある精霊の暗黒の深層から楽園の栄光へと上に向かって行った存在体の精霊的感情の驚異的な反応に決して完全に感謝できるというわけではないからである。そのような時間の天使と必滅者は、楽園の力を持つものの臨場に達すると、長い間の蓄積された感情表現が、楽園の天使にとっての驚くべき光景、楽園神格における神性の満足感の最高の喜びの生産的な光景が、現れる。
時々楽園中が、精霊的かつ崇敬のしるしが支配的である潮に吸い込まれるようになる。しばしば崇拝指導者は、神格の住まいのそのような光の三重の変動、つまり神の神性心が楽園の居住者、すなわち栄光の完全な公民と時間の上昇の創造物の誠実な崇拝により完全に完ぺきに満たされたことを意味する変動、の発現までそのような現象を制御することはできない。何という手法の勝利であることか!創造物の子らの知的な愛は、創造者たる父の無限の愛に完全な満足感を与え得るという神の永遠の計画と目的からのなんという結実であることか!
豊かさに満ちた崇拝からの最高の満足感への到達後に、あなたには終局者部隊への入隊資格がある。上昇経歴は、ほぼ終わり、7番目の歓喜は、祝賀に備える。最初の歓喜は、生存という決意が固められると、思考調整者との人間の同意を印す。2番目は、モロンチアの生命で目を覚ますことであった;3番目は、思考調整者との融合であった;4番目は、ハヴォーナで目を覚ますことであった;5番目は、宇宙なる父の発見を祝った;6番目の歓喜は、時間の最終的通過のまどろみからの楽園での目覚めのときであった。7番目の歓喜は、人間の終局者部隊への入隊と永遠の奉仕の始まりを印す。終局者による精神実現の第7段階への到達は、おそらく永遠の最初の歓喜の祝賀の合図を送るであろう。
こうして楽園超熾天使、奉仕活動の全精霊の最高位の系列、つまり、あなたが永遠の三位一体の誓いを立て終局者部隊に召集されるとき、遂に崇拝指導者に別れを告げられるまで、宇宙の1階級としてあなたの出身世界からあなたにずっと付き添うそれらの存在体についての話は終わる。
楽園の三位一体の無限の奉仕が始まろうとしている;そして、今、終局者は、究極なる神の挑戦に直面しているのである。
[ユヴァーサからの英知の遂行者による提示]
奉仕する精霊は、超熾天使が中央宇宙の天使部隊であり熾天使が地方宇宙の天使部隊であるのと同様に、超宇宙の第二熾天使である。しかしながら、神性の度合いと崇高性能力の点において反射の精霊のこれらの子供は、熾天使よりも超熾天使にとても似ている。それらは、単独で超創造に携わることはなく、非啓示の仲間の後援をうけての業務は数え切れないし、興味もそそられる。S&Vの関係
超宇宙の奉仕活動の精霊は、これらの談話で提示されているように次の3系列を包含する:
1. 第二熾天使
2. 第三熾天使
3. 全天使
後者の2系列は、直接的には人間進展の上昇計画にそれほど関係がないので、第二熾天使についてのより幅広い考察に先立ちそれらについて簡潔に議論されるであろう。双方ともこれらの領域において精霊奉仕者として務めはするものの、専門的に述べるならば、第三熾天使も全天使も奉仕する超宇宙の精霊ではない。
これらの高位の天使は、超宇宙本部の記録に載っており地方創造における奉仕にもかかわらず、地方宇宙の出身ではないので形の上ではこれらの超宇宙首都の居住者である。第三熾天使は、無限の精霊の子であり、1,000名からなる集団が楽園で人格化される。神性の独創性とほぼ究極の多才さをもつこれらの崇高な存在体は、神の創造者たる息子への無限の精霊の贈り物である。
無限の精霊は、ミカエルの息子が、楽園の親の体制から分離され空間の宇宙冒険への準備ができると、これらの1,000名の仲間の精霊集団の1集団を産み出す。厳然たる第三熾天使は、創造者たる息子が宇宙組織のための冒険に乗り出すとき、この息子に同伴する。
1,000名の第三熾天使は、宇宙構築の早期の間、創造者たる息子の唯一の個人的職員である。それらは、宇宙の組み立てと天文上の他の操作の感動的な時代の間ずっと息子の助手として並外れた経験を積む。それらは、地方宇宙の長子である輝く明けの明星の人格化の日まで創造者たる息子の側で務める。その後すぐに第三熾天使の正式の辞表が提出され、受け入れられる。天使の出身生命の初期の系列の登場とともに、それらは、地方宇宙の現役勤務からは引退し、以前の配属の創造者たる息子と超宇宙の日の老いたるものの間の連絡係りになる。
全天使は、崇高七幹部との繋がりにおいて無限の精霊により創造されており、専属の使用人であり同じ崇高幹部の使者である。全天使は壮大な宇宙任務に配置されており、オーヴォントンにおいては、その部隊は、特別の優待居留者として住まうユヴァーサの北寄りの部分にある本部を維持する。それらは、ユヴァーサ籍のものではないし、我々の行政に割り振られてもいない。人間の前進に関する上昇計画にも直接には関係しない。
全天使は、崇高七幹部の観点からの管理的調整のために超宇宙の監督に係りきりである。我々のユヴァーサにおける全天使の居留者は、楽園衛星の外輪に結合している行政球体の7号に位置するオーヴォントンの崇高なる幹部からのみ指示を受け、また崇高なる幹部にのみ報告をする。
第2熾天使部隊は、各超宇宙の本部に割り当てられる反射の7精霊により形成される。7名からなる集団におけるこれらの天使の創造に関連づけられる明確な楽園-反応方法がある。7名の各集団には、つねに1名の一次的第二熾天使、3名の二次的第二熾天使、3名の三次的第二熾天使がいる;それらはいつもこの正確な割合において人格化する。そのような7名の第二熾天使が創造されるとき、1名は、つまり一次的第二熾天使は、日の老いたるもの奉仕に配属されるようになる。3名の二次的天使は、超政府の中の3集団の楽園-起源行政者らと関わり合いがある:神性顧問、英知の遂行者、宇宙検閲官。3名の三次的天使は、超宇宙支配者の上昇の三位一体化の仲間に所属する:強力な使者、権威高きものたち、名前と番号を持たないものたち。
超宇宙のこれらの第二熾天使は、反射精霊の子であり、したがって、反射性はそれらの本質に備わっている。それらは、第三根源と中枢と楽園の創造者たる息子の起源である全創造物の各局面のすべてに反射的によく反応するのであるが、第一根源と中枢に限って起源をもつ人格的の、あるいは人格的ではない存在体や実体に、の直接には反応しない。我々には無限の精霊の普遍的な知性回路の実在に関する多くの証拠があるが、他に証拠がなかったとしても、第二熾天使の反射的行動は、連合活動者の無限の心の普遍的臨場の現実を示すには誠に十分であろう。
日の老いたるものへの任務をもつ1次的第二熾天使は、これらの三位一体支配者の奉仕における生きた鏡である。向きを変えることが、いわば、生きた鏡の方に向くこと、そして、千、あるいは十万光年離れた別の存在体の確実な応答をその中に見たり、それで聞いたりすること、そして即座に、また的確にこのすべてをすることが可能であるということが、超宇宙経済において何を意味するのかを考えなさい。記録は、宇宙の運営には不可欠であり、放送は実用的であり、単独使者や他の使者の仕事は、非常に有用ではあるが、日の老いたるものは、即座に生息界と楽園間—人と神の間—の自らの位置から両方を見、両方の道を聞き、両方の道を知ることができるのである。
この能力—言うなれば、全てを聞くこと、見ること—は、超宇宙において日の老いたるものによってのみ、そして、それらの各本部世界においてのみ完全に実現されることができる。そこにおいてさえ、限界に相対する:そのような意思伝達は、ユヴァーサからはオーヴォントンの世界と宇宙には制限されており、一方、超宇宙間では効力がなく、この同じ反射方法は、それぞれを中央宇宙との、それに楽園との密接な連携に保つ。7超政府は、個別に隔離されてはいるが、こうして上からの権威には完全に反射的であり、下からの必要性には完璧に詳しく、全く同情的である。
1次的第二熾天使は、固有の本質により7種類の奉仕の型に傾くことが分かっており、この系列の最初の1団が、精霊の心を日の老いたるものに説明するためにそのように授けられるということは、適っている。
1. 連合活動者の声。各超宇宙においては、最初の1次的第二熾天使と、その系列の次に創造されたすべての7番目の1次的第二熾天使は、超政府において日の老いたるものとその仲間に無限の精霊の心を理解し説明するための高度の適応性を見せる。これは、超宇宙の本部において相当の価値をもつ。なぜならば、超政府の席は、神性奉仕活動者との地方創造とは異なり、無限の精霊の専門化している人格化が無いからである。したがって、これらの第二熾天使の声は、そのような首都球体において第三根源と中枢の人格的な代表に最も近いものである。7名の反射の精霊がそこにいるというのは本当であるが、第二熾天使部隊のこれらの母は主たる七精霊に対するよりも連合活動者には忠実にも自動的にもそれほど反射的ではない。
2. 主たる七精霊の声。2番目の1次的第二熾天使とその後に創造される1次的第二熾天使のすべての7番目のものは、主たる七精霊の集団性質と反応を描くことに傾き勝ちである。傾向がある。各主たる精霊は、任務につく7反射精霊のいずれか1名により既に超宇宙首都に代理を置いているが、そのような代表は集団的ではなく個々である。それらは、集団的にはただ反射的に存在しているだけである;したがって、主たる精霊は、高度に人格的な天使、すなわち1次の第二熾天使の第2団、日の老いたるものの前に自らを表すことが甚だ有能である高度に人格的な天使の奉仕を歓迎する。
3. 創造者たる息子の声。無限の精霊は、ミカエルの系列の楽園の息子の創造あるいは訓練に何かの関係があったに違いない。というのも3番目の1次的第二熾天使とその後の一連の全7番目が、これらの創造者たる息子の心の反射である注目すべき贈り物を所有しているから。日の老いたるものが、考慮中の何らかの問題に関するネバドンのミカエルの態度を知りたい—本当に知る—ならば、それらは、空間の線を通じてネバドンのミカエルを呼ぶ必要はない;それらはただ、要請に応じて記録のミカエルの第二熾天使を代理するであろうネバドンの声の主務を呼び求めることを必要とするだけである。また日の老いたるものは、その瞬間にその場でネバドンの主たる息子の声を感知するであろう。
子息性の他のどの系列も、このようにして"反射され得る"のではなく、また天使の他のどの系列もこのように機能できるのではない。我々は、これがいかに成就されたかを完全に理解するというわけではないし、私は、創造者たる息子自身がそれを完全に理解するとはたいへんに疑わしく思う。しかし、我々には、確実にそれがうまく運ぶと分かっており、またそれが絶えずうまく運ぶと知ってもいる。第二熾天使の声は、ユヴァーサの全歴史において、それらの提示に一度の間違えもなかったのであるから。
あなたには、神性が時間の空間を取り囲み、空間の時間を習得する方法の何かをここに分かり始めている。ここにあなたは、空間の難しい障害を征服する任務において当分の間、時間の子供の補助のために分岐している永遠周期の方法を初めて瞬間的一瞥を享受しつつあるている。そして、これらの現象は、反射精霊の確立した宇宙の方法に付加されている。
明らかに上の主たる精霊の臨場と下の創造者たる息子の人格的臨場を奪われはするものの、日の老いたるものには、反射的な完全性と究極の精度の宇宙の仕組みに適合された意のままになる生きた存在体がおり、人格的臨場を否定されるそれらのすべての高揚された存在体の反射的臨場をこの宇宙の仕組みにより楽しむことができる。神は、これらの方法とあなたには未知の方法により、またそれらを介して超宇宙本部に潜在的に臨場している。
日の老いたるものは、上からの精霊の声-閃光と下からのミカエルの声-閃光を同一視することにより父の意志を完全に推測する。その結果、それらは、地方宇宙の行政事務に関する父の意志を的確に確心できるのである。しかし、他の2者に関する知識から神々の1名の意志を推測するためには、3名の日の老いたるものが共に行動しなければならない;2名が答えに到達することはできないであろう。そういう訳で、たとえ他には理由がないとしても、超宇宙においては1名ではなく、もうとう2名でもない、3名の日の老いたるものが、つねに統括をしている。
4. 天使部隊の声。4番目の1次的第二熾天使と一連の全7番目は、上に超熾天使と下に熾天使を含む天使の全系列の感情に格別に反応する天使であると判明する。したがって、命令する、あるいは監督するどの天使の態度も、日の老いたるもののいかなる協議会における検討材料としてすぐさま利用が可能である。あなたの世界においては、ユランチアの熾天使の主務が、反射的移転の現象を、何らかの目的のためにユヴァーサからとる状態を、意識されずに1日たりとも過ぎることは決してないのである。ただし、単独使者に前もって警告されないかぎり、彼女は求められる事やそれが確保される方法については全く無知である。これらの奉仕する時間の精霊は、日の老いたるものとその仲間の注目と助言に関与する絶えることのない一連の問題についての無意識の、それゆえ確かに偏見のないこの種の証言を始終提供している。
5. 放送受信者。これらの1次的第二熾天使によってのみ受け入れられる特別な放送情報の種類がある。放送受信者は、ユヴァーサの定期の放送者ではない一方で、日の老いたるものの反射的視覚と宇宙通信の確立した回路から入ってくる実際の一定の情報とを連動させる目的のために反射的な声の天使との関係において働いている。放送受信者は、一連の5番目の者、すなわち創造作されるべき5番目の1次的第二熾天使とその後の全ての7番目の者である。
6. 輸送人格。これらは、時間の巡礼者を超宇宙の本部世界からハヴォーナの外円へと運ぶ第二熾天使である。それらは、楽園に向けて内へと、そしてそれぞれの区域の世界にむけて外へと移動する超宇宙の輸送部隊である。この部隊は、6番目の1次的第二熾天使とその後に創造されるすべての7番目の者で構成されている。
7. 予備部隊。第二熾天使の非常に大きい集団、つまり一連の7番目の第二熾天使は、機密の義務と領域の緊急任務に備えている。それらは、高度に専門化されてはいなくて、さまざまの仲間の能力のいずれかでかなりよく機能できるのだが、そのような専門化した仕事は非常時に限って引き受けられる。それらの通常の仕事は、特定の課題をもつ天使の範囲内にはない超宇宙の一般的義務の遂行である。
二次系列の第二熾天使は、第一の仲間に劣らないほどに反射的である。第一、第二、第三と分類されていることが、第二熾天使の場合、地位あるいは機能の相違を示すわけではない;それは、単に手法に関する系列を意味する。同一の特質が、全3集団の活動に示されている。
2次的第二熾天使の7種類の反射的な型は、日の老いたるものの同位の三位一体-起源の仲間の奉仕に割り当てられる:
英知の遂行者に—英知の声、哲学の魂、および魂の結合。
神性顧問に—顧問の心、存在の歓喜、奉仕の満足感。
宇宙検閲官に—精霊識別者。
この集団は、一次系列のように順次創造される;すなわち、長子は英知の声であり、その後の7番目は同様であり、これらの反射的天使の他の6種類の型と同じである。
英知の声。これらの第二熾天使の一部は、第一の超熾天使に属する知識の管理者である楽園の生きた書斎との永遠の関係にある。専門化している反射的奉仕における英知の声は、宇宙の中の宇宙の協調された英知の徹底的に信頼できる集中と焦点化である。これらのずば抜けた存在体は、超宇宙の主回路を循環する無限に近い情報量にとても反射的、選択的、敏感であることから英知の本質を的確に隔離し、受け、また上司への、つまり英知の遂行者へのこれらの宝石を的確に伝えることができるほどである。英知の声は、英知の遂行者がこの英知の実際の、最初の表現を聞くだけではなく、高い、または低い起源の他ならぬ存在体をも内省的に見るほどに機能する。
「あなた方のうち、知恵に不足する者がであれば、その人に求めさせなさい。」と書かれている。英知の遂行者は、ユヴァーサにおいて超宇宙政府の複雑な問題の(からの)混乱状況において英知の決定に到達する必要にあるとき、完全性の英知と実行可能性の英知の双方が用意されなければならないとき、そのときに、集団の英知の声を呼び出し、また、宇宙の中の宇宙の心に取り込まれ循環している知恵の生きた受信者を自分たちの系列の熟達した技能により適合させ方向づけするので、やがて上の宇宙からの神性の英知の流れと下の宇宙のより高位の心からの実用性の英知の洪水が、まもなくこれらの第二熾天使の声から、続いて起こる。
これらの英知の2種類の調和に関して混乱が生じるならば、神性顧問に即座の上告がなされねばならない。 神性顧問は直ちに、適切な手法の組み合わせに関して指導する。反乱が広まっていた領域から入ってくる何かの信憑性についての何らかの疑問があるならば、検閲官に上訴される。検閲官は、精霊識別者と共に「どのような精神」が助言者を始動させたかを直ちに判決することができる。慈悲深い凝視の前の開いている本のように、日の老いたるものと共に遍在している古来の英知と現在の知力もまたそうである。
あなたは、超宇宙政府の行為に対し責任があるもの達にとりこのすべてが意味することをほんのかすかに理解することができる。これらの業務の莫大さと包括性は、有限の概念を完全に超えるものである。私が繰り返してきたように、あなたが、ユヴァーサの英知の寺院の特別受け入れの判事室に立ち、実際の操作においてこのすべてを見るとき、あなたは、複雑さにある完全性により、また働くことの、宇宙の惑星間の通信の保証により礼拝へと動かされるであろう。あなたはそのような素晴らしい方法を計画し、実行する神々の神性の英知と善に敬意を払うであろう。これらの事は、私がそれらを描いてきたように実際に起こるのである。
2. 哲学の魂。素晴らしいこれらの教師は、英知の遂行者にも配属されており、別の方法で方向づけられない限り楽園において哲学の博士に焦点的に同調している。有限かつ物質の自己に類似するものを凝視する代わりにまるで巨大な生きた鏡に進み行くことを、神性の英知と楽園の哲学の反映を知覚することを考えなさい。完全性のこの哲学に「肉体を与える」こと、すなわち下級世界の下級民族への適用に役立てられるように、またそれらにより同化されるようにそれを希釈することが、望ましくなるならば、これらの生きた鏡は、別の世界または宇宙の基準と必要性を反映するために自分の顔を下向きに変えるだけでよいのである。
英知の遂行者は、まさしくこれらの方法により検討中の民族と世界が真に必要とする物と実際の状況への決定と推薦を適合させるのである。それらは、つねに神性顧問と宇宙検閲官に呼応して行動するのである。しかし、これらの業務に対する崇高な満足感は、私の理解する能力さえも超えるものである。
3. 魂の結合。倫理的関係の理想と状態の(にある)これらの反射体は、英知の遂行者への三位一体団の配属を終了する。経験と適応性の完全な知恵の行使を必要とする宇宙の中のすべての問題の中で、知性ある存在体の関係とつながりから起こる問題ほど重要なものはなにもない。通商と貿易、交友と結婚の人間関係において、あるいは天使部隊のつながりにおいては、小さい摩擦、つまり調停者の注意を引くことさえできないくらい些細な、だが、もしそれらを増大させ続かせるならば、宇宙の滑らかな運用を十分に損ないいらだたせ、妨害する小さい誤解の発生が続いている。いらだたせ妨害して宇宙の滑らかな運用を十分に損なうしたがって、英知の遂行者は、全体の超宇宙のための「和解の油」としてのそれらの系列の賢明な経験を利用可能にするのである。超宇宙のこれらの賢明なもの達は、このすべての仕事においてその反射的な仲間、つまり宇宙の状態に関する現在の情報を利用可能にし、また楽園の理想に基づくこれらの混乱させる問題の最善の調整を同時に描き示す魂の結合者による巧みな支援を受ける。これらの第二熾天使は、他の場所で明確に方向づけされないと、楽園の倫理の解説者との反射的なつながりを保つのである。
これらは、全オーヴォントンの共同作業を助長し促進する天使である。あなたの人間の経歴の間に学ばれるべき最重要の教えの1つは、共同作業である。他の存在体と共に働くこの芸術を習得したもの達が、完全性の球体には配置されている。宇宙における1名の使用人の義務はあまりない。一時的に仲間がいない場合、あなたは、高く昇れば昇るほどますます孤独になる。
4. 顧問の心。これは、神性顧問の指揮下に置かれる反射的才能の最初の集団である。この型の第二熾天使は、時間の回路のそのような資料に対して選択的であり、空間の事実を所有している。特に、それらは、超熾天使の情報調整者を反射しているが、高位の、あるいは低位の存在体であるか否かに関係なく、すべての存在体の助言を選択的に反映している。神性顧問が、重要な忠告あるいは決定を求められるときはいつでも、それらはすぐに、顧問の心の集合体を徴用し、やがて決定が下される。決定は、超宇宙全体の最も有能な心の調整された英知と忠告、すなわちハヴォーナの、楽園さえの高度の心の忠告に照らし合わせて検閲され修正されてきたものすべてを実際に盛り込んでいる。
5. 存在の喜び。本来これらの存在体は、上にいる超熾天使の調和監督者と下にいる何名かの熾天使に反射的に同調するのだが、この興味深い集団の構成員が実際にすることについての説明は、難しい。それらの主要な活動は、様々な天使部隊の系列と意志を持つ下級の創造物の間での喜びの反応を促進することに向けられている。それらのもの達が同伴している神性顧問は、特定の喜びの発見には滅多にそれらを用いない。より一般的な方法において、また、逆戻りの指揮官との共同において、滑稽さへの好みを高めさせようと、人間と天使の間に超-滑稽さを促進させようと努力する傍ら、領域の快楽への反応の向上させようとして喜びの情報局、機関として機能する。それらは、すべての異質な影響の如何にかかわらず、固有の喜びが自由意志の存在にあるということを示そうと努力する;それらは正しいのではあるが、この真実を原始人の心に教えこむことにおいて重大な困難に遭遇する。より高位の精霊人格と天使たちは、これらの教育的努力へより速く反応する。
6. 奉仕からの満足感。これらの天使は、楽園の行為の指揮官の態度に非常に反射的であり、存在に歓喜するもののように、多いに機能しつつ奉仕の価値を高め、また奉仕からの満足感増大のために努力する。これらの天使は、寡欲な奉仕に、すなわち真実の王国の拡大のための奉仕に固有である繰り延べされた報酬を照らすために多くのことをした。
この系列が配置される神性顧問は、精霊的奉仕から得られる利益を世界から別の世界への反射のためにこれらの天使を活用する。これらの第二熾天使は、凡庸な者を奮い立たせ励ますための最高の業を駆使することにより、超宇宙における全力奉仕の質に非常に貢献する。有効な活用は、他の世界、特に最良の世界が何をしているかについていずれか1つの世界に情報を循環させることにより兄弟らしい競争精神から生まれる。壮快で健全な競争は、熾天使部隊の中でさえ促進される。
7. 精霊の識別者。ハヴォーナ円の顧問や助言者と反射的天使の間には特別な繋がりがある。それらは、宇宙検閲官に配属された唯一の第二熾天使であるが、仲間すべての中でおそらく最も特異に専門化にされている。情報の源や回路にかかわらず、手元の証拠が反射的精査にかけられるときその証拠がいかに貧弱であろうとも、これらの認識者は、直ちに真の動機、実際の目的、およびその起源の真の本質に関し我々に知らせるであろう。私は、いかなる個人焦点露光に関する実際の道徳的かつ精霊的特徴をとても的確に反射するこれらの天使のずば抜けた機能に驚嘆している。
宇宙検閲官が、これらの提示を見つめるとき、それらは反射された個人のありのままの魂と対しているのである;そして、肖像画のもつこのほかならぬ確実性と完全性は、検閲官がなぜ公正な裁判官と同じほどに公正にいつも機能できるかを一部説明する。識別者はいつも、ユヴァーサから離れたいかなる任務においても検閲官に同伴し、またユヴァーサ本部におけるのと全く劣ることなく宇宙において有能である。
私は、精霊世界のこれらのすべての業務が本当であるということ、確立された用法に従い、また普遍の領域の不変の法則と調和して行われるということをあなたに保証する。命の息吹を受けとり次第すぐに、新たに創造された全系列の存在体は、即座に高く反射される;創造物の本質と可能性の生きた描写は、超宇宙本部に閃きを放つ。こうして、検閲官は、的確には「精霊のどんな方法」が空間世界において生まれてきたのかということを識別者を用いて完全に認識する。
人間についても同じである:あなたの世界の聖霊が「万物を捜し」、また第二熾天使の識別者が、あなたに関しての精霊の知識に関係する精霊とともに反射するときはいつであろうとも精霊があなたに関して知っていることは何であれすぐに利用可能であることから、サルヴィントンの母なる精霊はあなたを完全に知っている。しかしながら、父の断片の知識と計画は、反射可能ではないと言及されるべきである。識別者は、反射できるし、調整者の臨場を反射はするが、(検閲官は、調整者らが神性であると断言する)が、検閲官らは神秘の訓戒者の心性の中身を解読はできない。
これらの天使は、仲間のように同じ方法で、順次、反射的な7種類の型に創造されるが、これらの型は、超宇宙行政者の異なる奉仕に個々に割り当てられるわけではない。すべての三次の第二熾天使は、到達の三位一体化の息子に割り当てられ、これらの上昇の息子は、それらを互換性を持って使用する;すなわち、強力の使者は、第三の型のどれかを利用できるし、利用するし、それらの調整者、つまり名前と番号を持たないものたちもそうするのである。三次の第二熾天使の7種類の型は次の通りである。
1. 起源の意味。超宇宙政府の上昇の三位一体化の息子には、いかなる個人、人種、または世界の起源から生じるすべての問題を扱う責任が課せられている;そして、起源の重要性は領域の生きた創造物の宇宙前進のための我々の全計画の中で最重要問題である。倫理のすべての関係と応用は、起源の基本的事実から生じる。起源は、神の関係反応の基礎である。連合活動者はつねに、「人がどのように生まれたかに注目する」のである。
起源とは、より高位にある下降存在体の場合は、単に確かめられるべき事実である;しかし、順番天使の下級系列を含む上昇の存在体の起源の本質と情況は、常にそれほどの明確ではなく、宇宙情勢の変化すべても同様に極めて重要ではあるとはいえ、—ゆえに中央宇宙における、あるいは超宇宙の領域全体を通じてのいかなる存在体の創出に必要とされる何かを即座に描くことができる我々の思い通りになる一連の反射の第二熾天使を扱う価値がある。
起源の意味は、7超宇宙に生息する存在体、—人、天使、および他のもの—の広大な部隊の生きた、準備万端の-参照系図である。それらは、各超宇宙のいかなる世界における先祖の要因に関する最新で十分の、かつ信頼できる評価も、またいかなる個人に関わる現在の実際の身分も上司に提供する用意がある;掴んだ事実の算定はつねに最新情報である。
2. 慈悲の記憶。これらは、起源の意味の描写により明らかにされているように、領域の状況に正義の正当性を適合させる任務あるに無限の精霊が、穏やかな手段の奉仕により個人と人種に拡大してきた慈悲についての実際の、充実した、豊かな、生きた記録である。慈悲の記憶は、神の息子が、設立した救助供給資産に対して定められる慈悲の子供らの道徳的負債—精霊的負債—を明らかにする。神の息子は、父の臨場前の慈悲の顕示にあたり、全生存者の保証のために必要な信頼を確立する。そこで、起源の意味の発見に従い、慈悲の預金が、つまり、惜しみない額の預金と真に神性の公民権を望むすべての魂の生存を保証するための十分な恩寵の預金が、理性あるそれぞれの創造物の生存に向けて確立される。
慈悲の記憶は、生きた試算表、すなわち領域の超自然の原始力に伴うあなたの現下の決算報告書である。果てしない生命への各個人の権利が、裁きにかけられるとき、すなわち、「御座が備えられ、日の老いたるものが座に着かれる」とき、これらは、ユヴァーサの法廷での証言に読み取られる慈悲の奉仕に関する生きた記録である。「ユヴァーサの放送は流され、それらのものの前から現れる; 数千のものがそれらへ仕え、数万のものがそれらの前に立つ。判断は確定され、本は開かれる。」そのような容易ならざる際に開かれる本は、超宇宙の三次の第二熾天使に関する生きた記録である。必要ならば、慈悲の記憶の証言を確証するための正式の記録がある。
慈悲の記憶は、神の息子の確立した救済預金が、第三根源と中枢の我慢強い人格の情愛深い奉仕活動の中で完全に、忠実に支払われたということを示さなければならない。慈悲が枯渇するとき、「記憶」の慈悲がその減少について証言するとき、正義は勝り、正当性は決定する。慈悲は、それを軽蔑するものへの攻撃ではないが故に;慈悲は、時間の頑固な反逆者に踏みにじられるべき贈り物ではない。ところが、慈悲は、このように尊くあり、心から与えられるにもかかわらず、あなたが、目的に誠実で、心に正直であるならば、あなたの個々の引き出せる預金というものはいつも、蓄えを不毛にするあなたの能力をはるかに超えているのである。
慈悲の反射体は、第三の仲間と共に上昇する創造物の教育を含む数多くの超宇宙奉仕活動に従事している。起源の意味は、他の多くのものの中で精霊倫理の適用方法をこれらの上昇者に教え、そのような訓練に続き慈悲の記憶はいかに本当に慈悲深いかを教える。他者、あなたは、慈悲の奉仕活動の精霊的方法は、あなたの概念を超えるとはいえ、慈悲が成長の質であるということことを今も理解すべきである。あなたは、まず公正であり、次に公明であり、それから我慢強く、親切である個人的な満足感の大きい報酬があるということに気づくべきである。次には、あなたが、その基礎の立脚しそれを選び心に持つならば、本当に慈悲を示すことができる;しかし、あなたはそれ自体で慈悲を示すことはできない。これらの段階は、踏破されなければならない;さもなければ、本物の慈悲は、あるはずがない。引き立て、へりくだり、または慈善があるかもしれない—あわれみさえ—だが慈悲ではない。本物の慈悲は、集団の理解、相互認識、兄弟らしい親交、精霊的交感、および神性の調和に先行するこれらの付加の美しい頂点のみ現れる。
3. 時間の重要性。時間は、意志をもつ全創造物の1つの普遍的な寄付である;それは、知力ある全存在体に託される「1タラント」である。あなた方には皆、生存を保証する時間がある;そして、時間は、無視で埋没されるときだけに、あなたが自分の魂の生存を確実にせずその利用を怠るときに限って必然的に浪費される。最大限に自分の時間に対する改善がないことには、破滅的な刑罰は課されない;それは、単に時間の巡礼者を上昇旅行において遅らせるに過ぎない。生存が獲得されるならば、他の全損失の回復ができる。
時間の重要性の助言は、受託課題において非常に貴重である。時間は、ハヴォーナと楽園のこちら側のすべてにおける重大要素である。時間は、日の老いたるものの前での最終的判断における証拠の構成要素である。時間の重要性は、すべての被告には意思決定をし選択に至るための十分な時間があったということを示すためにつねに証言を提供しなければならない。
時間の評価者は、予言の鍵でもある;それらは、いかなる請負い仕事の成就にも必要とされる時間の要素を描写し、フランダランクとクロノルデクの生きた他の系列のように表示者は同じくらいに信頼できる。したがって、神は予見し、予知する。しかし、時間の宇宙の上昇権威者は、未来の出来事が予測できるためには時間の重要性に相談しなければならない。
あなたが、大邸宅世界において最初にこれらの存在体に遭遇すると、それらは、その積極的な雇用つまり仕事において、またその消極的利用つまり休息の双方においてあなたが「時間」と呼ぶその有利な活用においてあなたを指導するであろう。積極的な雇用つまり仕事において、またその消極的利用つまり休息の双方においてあなたが「時間」と呼ぶそのその有利な活用をあなたに指導するであろう。時間の双方の用途は、重要である。
4. 信頼の厳粛さ。信頼は、意志をもつ創造物向けの決定的な試験である。信頼性とは、自制の真の尺度である。第二熾天使は、超宇宙経済における二重の目的を果たす:それらは、意志を持つ全創造物に信頼の義務、神聖さ、厳粛さの意味を描き示す。同時に、それらは、確信あるいは信頼のためのいかなる候補者の正確な信頼性を支配する権威者に的確に反映する。
あなたは、ユランチアにおいて性格を読み、特定の能力を見積もることを異様に試みるが、我々は、ユヴァーサにおいて実際に、これらのことを完全に為す。第二熾天使は、的確な特長評価の生きた測りにおいて信頼性を量り、またそれらがあなたを見たとき、我々は責任を果たし、信用を実行し、使命を全うするためのあなたの能力の制限を知るために単にそれらを見なければならない。あなたの信頼性の資産は、起こりうるあなたの不履行あるいは裏切りの債務と平行してに明確に説明される。
あなたの性格が優雅にこれらの加えられた責任を担うために十分開発されると全く同程度に速く増大された信用によりあなたを進めるのが上司の計画であるが、個人に負担をかけ過ぎるということは、災難を招き失望を確実にするだけである。人間あるいは天使のいずれかに早まって責任を科す誤りというものは、絶対確実な評価者の時間と空間の個人の信頼能力に関わる奉仕活動の利用により避けることができるかもしれない。第二熾天使は、権威高きものたちに同伴し、これらの経営者は、自分たちの候補が第二熾天使の測りにかけられ、「用なし、足りない」と申し渡されるまでは決して課題を与えない。
5. 奉仕の高潔性。奉仕の特権は、時を移さず信頼性の発見の後にくる。何ごとも、あなた自身の不信頼性、つまり、信頼の厳粛さの認識のための能力不足以外には、あなたと増加された奉仕のための機会を妨げることはできない。
奉仕—奴隷制ではなく、目的ある奉仕—は、最高度の満足感を生むし、最も神性な尊厳を表している。奉仕—より多くの奉仕、増加する奉仕、危険に満ちた奉仕、そして最後に神性の、完全な奉仕—は、時間の目標であり、空間の到達先である。しかし、時間の遊戯の円は、進歩の奉仕の円と交互するであろう。時間の奉仕のあとには永遠の超奉仕が続く。あなたは、永遠の奉仕の間に時間の遊戯を回想するように時間の遊戯の間に永遠の仕事を思い描くべきである。
宇宙経済は、摂取と排出に基づいている; あなたは、永遠の経歴期間に無活動の単調さ、あるいは人格の停滞に決して出会うことはないであろう。進歩は、固有の動きにより可能にされ、前進は、動作のために神性の能力から生まれ、また達成は想像的冒険の所産である。しかし、達成のためのこの脳力は、倫理の責任であり、世界と宇宙が多数の異なる存在体の型で満たされるということに気づくために必要である。あなた自身を含むこのすばらしい創造のすべては、あなたのためだけに作られたのではない。これは自己中心の宇宙ではない。神は、「受けるよりは与える方が幸いである」と宣言され、あなたの主たる息子は、「あなたの中で最も偉大なものは、すべての人の仕える者になる」と言った。
いかなる奉仕の真の性質も、人間または天使により与えられるか否かに関係なくこれらの第二熾天使の奉仕の表示者に直面し完全に明らかにされる。真実についての、そして隠された動機についての完全な分析が、明確に示される。これらの天使は、宇宙の読心者、心の探索者、魂の顕示者である。必滅者は、自らの考えを隠すために言葉を使うことができるが、これらの高位の第二熾天使は、人間の心と天使の心の深い動機をあらわにする。
6と7. 偉大さの秘密と善の魂。上昇の巡礼者が、時間の重要性に目覚めると、信頼の厳粛さの実現と奉仕の高潔さの識別のために道が用意される。これらは偉大さの道徳的要素であるが、偉大さの秘密もまたある。偉大さの精霊的試験が適用されるとき、道徳的要素は無視されないが、人間の地球の仲間、特に困窮し、窮地にあるふさわしい存在体の福祉のために公平無私の作業で明らかにされる非利己主義の質こそが、惑星の偉大さの実測度である。そして、ユランチアのような世界における偉大さの顕示は、自制の表明である。偉人とは、「町を占領する」か、または「国を滅ぼす」者ではなく、むしろ「自身の舌を征服するもの」である。
偉大さは、神性と同義である。神はこの上なく偉大で善である。偉大さと善は簡単には分離できない。それらは、神の中にいつまでも1つに作られている。この真実は、他方なしでは機能できないがゆえに、偉大さの秘密と善の魂の反射的相互依存により文字通りに、また、きわだって例証されている。超宇宙の第二熾天使は、神性の他の質を反射するに当たり単独行動をとることができるのだが、偉大さの反射の見積りと善の反射の見積りは、不可分であるらしい。したがって、いかなる世界においても、いかなる宇宙においても、偉大さの反射体といつもそれらが焦点化するあらゆる存在の二元的かつ互いに依存する報告を示す善の反射体は、ともに働かなければならない。善の中身を知ることなく偉大さを見積もることはできないと同時に、その固有の、そして神々しい偉大さを示すことなく、善を描くことはできない。
偉大さの見積りは、球体により異なる。偉大であるということは、神のようであるということである。偉大さの質は、完全に善の内容により決定されるので、現在のあなたの人間の生活状態でさえ、もしあなたが恩恵を通じて善になることができるならば、あなたはそれによって大きくなるということになる。神性の善に関する概念をしっかりと凝視し、持続して追求すればするほど、あなたは、偉大さにおいて、すなわち本物の生存する性格の真の重要さにおいてますます確かに成長するのである。
第二熾天使には、超宇宙の首都にその起源と本部があるが、それらはつながりのある仲間と共に楽園の岸から進化の空間世界にまで及ぶ。それらは、価値のある助手として超政府の審議会の会員に仕え、ユヴァーサの優待居留者:ハヴォーナ輸送を待つ際に上昇の存在体を含む星の学生、千年毎の旅行者、天の観察者、および多数の他のもの達への大いなる助けになる。日の老いたるものは、ユヴァーサを囲む490の研究世界に住所を定めた上昇する創造物の補助のために一部の1次的第二熾天使の割り当てを喜び、ここで教師として多くの二次と三次の系列の奉仕をする。これらのユヴァーサの衛星は、ハヴォーナの7-回路化された大学のための予科を提供する時間の宇宙の教養学校である。
第三団は、上昇権威者に配属されている第二熾天使の3系列のうち時間の上昇する創造物への最大規模の奉仕活動をする。あなたは、オーヴォントンの滞在世界に辿り着くまではそれらの奉仕を自在に利用はしないであろうが、ユランチアからの出発直後にそれらに時々会うであろう。あなたは、ユヴァーサの学校の世界での滞在中それらについて完全に詳しくなるとそれらとの親交を楽しむであろう。
大きな戸惑いと精霊的な不確実性の瞬間にいる心配している巡礼者の足を誘導するために時の交差点に慈悲が置かれた3次の第二熾天使は、時間の節約者、空間短縮者、誤り看破者、忠実な教師、そして永遠の道しるべである—神性の保証の生きた印し。あなたは、完全性の入り口に到達するずっと以前に、神性の道具に接近し神格の方法と接触するようになるであろう。あなたは、最初の大邸宅世界への到着時から楽園移動へのハヴォーナ睡眠準備において目を閉じるまでは、完全性の入り口への長旅にあなたに先行したそれらの安全で頼もしい巡礼者の確かな知識と一定の知恵をとても完全に自由に反射するこれらの驚異の存在体の非常時の援助をますます利用するであろう。
我々には、反射的系列のこれらの天使をユランチアにおいて採用する完全な特権は認められていない。これらの天使は、あなたの世界の振り分けられた人格に伴う頻繁な訪問者であり、自由には機能できない。この球体は、まだ部分的な精霊的隔離中であり、それらの奉仕へのいくつかの不可欠の回路は、現在のところここにはない。あなたの世界が関係する反射的回路に再度戻されるとき、惑星間と宇宙間の通信の仕事の多くは、大いに簡素化され、速められるであろう。ユランチアの天の労働者は、その反射的な仲間のこの機能上の削減のために多くの困難に遭遇する。しかし、これらの驚異の存在体、すなわち空間の生きた鏡と時間の臨場映写体の多くの奉仕の地方性の窮乏にもかかわらず、我々は、手元にある手段により引き続き嬉々として我々の問題処理にあたる。
[ユヴァーサの強力な使者による後援]
惑星間と宇宙間の業務の調整に関する宇宙のすべての人格の中で、ユランチアにおいては力の指揮官とその仲間が、最も理解されていない。あなたの人種は、長らく天の存在の天使と同様の他の系列の存在を知ってはいるが、物理的領域の管理者と監視委員に関する情報はほとんど伝えられたことがない。今でも、私は主たる宇宙の中の力の管理とエネルギー規則に関係する次の3集団の存在体の最後に限って完全に明らかにすることが許されている。
1. 第一帰結の主根源力組織者
2. 主根源力の先験的提携組織者
3. 宇宙の力の指揮官
私は、宇宙の力の、指揮官、中枢、制御者の様々の個性を描くことは不可能であると考えはするが、それらの活動領域に関する何かについて説明したいと願うのである。それらは、壮大な宇宙全体に及ぶエネルギーの理に適った調整に関係する存在体の特異な集団である。それらは、最高の指揮官を含めて次の主要な分隊を有する:
1. 崇高な力の七指揮官
2. 崇高な力の中枢
3. 主たる物理管理者
4. モロンチアの力の監督者
崇高な力の指揮官と中枢は、永遠に近い時代から存在してきており、我々が知る限りでは、これらの系列の存在体はもう創出されてはいない。7名の崇高な指揮官は、7名の主たる精霊により人格化され、ついで100億名以上の仲間の生産においてその両親と協働した。力の指揮官の時代以前、中央宇宙の外側空間のエネルギー回路は、楽園の主たる根源力の組織者の知的な監視下にあった。
あなたには、物質創造物に関する知識があり、少なくとも精霊的な存在体に関する対照的概念がある;だが、人間がその心に力の指揮官を描くということは非常に難しいことである。あなたは、存在のより高い水準への上昇進行の計画において、最高の指揮官あるいは力の中枢のいずれとも直接には関係しない。あるまれな機会に、あなたには物理制御者との関係があるであろうし、また大邸宅世界に達しては、モロンチアの力の監督者と共に自由に働くであろう。これらのモロンチアの力の監督者は、もっぱら地方創造のモロンチア政権において機能するので地方宇宙を扱う項でそれらの活動を語ることが最善であると考えられる。
崇高な力の7指揮官は、壮大な宇宙の物理-エネルギーの監視委員である。主たる7精霊による創造は、真の精霊祖先からの準物質子孫に由来する最初の記録例である。主たる7精霊は、個々に創造するとき高度に精霊的な人格を天使の系列にもたらす。集合的に創造するときは、時として準物質存在体のこれらの高度の型を産出する。しかし、これらの準-物理的存在体でさえ、ユランチアの必滅者の短距離視力では見えないであろう。
崇高な力の指揮官は、7名でその外観と機能は同じである。各々が、直接的関係にあり、また機能上は完全な従属にあるその主たる精霊による以外は、他者との区別はできない。その結果、それぞれの主たる精霊は、その集合的子孫の中の1名と永遠の結合にある。同じ指揮官は、常に同じ精霊と関連しており、それらの作業提携は、物理的かつ精霊的なエネルギーの、つまり、準物質存在体と精霊人格の、特異な関係をもたらしている。
7名の崇高な力の指揮官は、周囲の楽園に配置されおり、そこでゆっくりと循環しているそれらの臨場感は、主たる精霊の力の焦点本部の所在を示す。これらの力の指揮官は、超宇宙の力-エネルギーの調整においては独自に、しかし中央創造の管理においては全体的に機能する。それらは、楽園から操作はしているが、自らを効果的な力として壮大な宇宙全域の中心に置く。
これらの強力な存在体は、力の中枢の広大な部隊の物理的祖先であり、またそれらを通しての、7超宇宙全体に点在する物理制御者の祖先である。そのような下位の物理的-制御の有機体は、基本的には一様である、つまり各超宇宙部隊の特異な常態を除いては同じである。超宇宙奉仕において変わるためには、それらは、ただ単に楽園に戻らなければならないであろう。物理的創造は、行政上は基本的には一様である。
崇高な力の七指揮官は、個別には生殖はできないが、集合的には、それに主たる7精霊と関連して自分たちのような他の存在体を生殖—創造—できるし、またそうする。次の7集団で機能する壮大な宇宙の崇高な力の中枢の起源とはそのようなものである:
1. 中枢の最高監督
2. ハヴォーナの中枢
3. 超宇宙の中枢
4. 地方宇宙の中枢
5. 星座の中枢
6. 体系の中枢
7. 未分類の中枢
力の崇高な指揮官とともにこれらの力の中枢は、高度の意志と行動の存在体である。第三根源の人格が授けられており、全員が、高位の系列の疑いのない意志能力を明らかにしている。宇宙の力の体系のこれらの指示する中枢は、知性の絶妙な贈与の所有者である;それらは、壮大な宇宙の力の体系のための知性であり、主たる物理管理者とモロンチアの力の監督者の広大かつ広範囲の全機能網をもつ心の制御法の秘密である。
1. 中枢の最高監督。崇高な力の指揮官の対等者であり仲間であるこれらの7名は、壮大な宇宙の主要エネルギー回路の監視委員である。各中枢監督者は、7名の崇高幹部の特別な世界の1つに本部を置き、また宇宙の一般業務の調整者たちと深く関連して働いている。
崇高な力の指揮官と中央の最高監督の両者は、「重力エネルギー」下の段階で全宇宙現象に関し個人として、また結合的にも機能する。つながりをもって行動するとき、これらの14名の存在体は、崇高なる7幹部が宇宙の一般業務に関わっており、主たる7精霊の宇宙心との関わりと同じく宇宙の力に関わるようなものである。
2. ハヴォーナの中枢。力の中枢は、時間と空間の宇宙の創造以前にはハヴォーナに必要ではなかったが、はるか遠い昔からずっと、100万のハヴォーナの中枢が、主要な創造において機能してきた。各中枢は1,000のハヴォーナ世界の指揮をしている。ここ神性の宇宙には、他の場所には存在しない状態のエネルギー制御の完全性がある。エネルギー規則の完全性は、すべての力の中枢と空間の物理的制御者の究極目標である。
3. 超宇宙の中枢。7宇宙の各首都球体に巨大な領域を占めているのは、第3系列の1,000の力の中枢である。一次エネルギーの10分離の3つの流れはそれぞれが、これらの力の中枢に入りはするが、専門化され、かつ的が絞られた力の回路は、不完全に制御されてはいるものの、統一行動のその位置から先へと進む。これは、宇宙力の電子組織である。
すべてのエネルギーは、楽園周期に回路化されているのだが、宇宙の力の指揮官は、中央宇宙と超宇宙の空間機能において変更された自身に気づくと、これらのエネルギーを有用かつ建設的利用の回路へと変換し、楽園下方の根源力-エネルギーを方向づける。ハヴォーナエネルギーと超宇宙エネルギーの間には違いがある。超宇宙の力の補充は、エネルギーの10分離の各三相から成る。三重のエネルギーのこの補充は、壮大な宇宙の空間全体に広がる;それは、7超創造のそれぞれを丸ごと吸い込みんで洗うエネルギーの広大な動く海洋に似ている。
宇宙の力の電子組織は、7段階において機能し、局所重力、または、線重力へと異なる反応を明らかにする。この七重回路は、超宇宙力の中枢から進み、それぞれの超創造に広がる。時間と空間のそのような特殊化された流れは、メキシコ湾流が大西洋の真ん中で限定的現象として機能するように特定の目的のために開始され、方向づけられた明確かつ局所化されたエネルギー運動である。
4. 地方宇宙の中枢。各地方宇宙本部には、第4系列に属する100の力の中枢が配置されている。それらは、、超宇宙本部から発する7個の力の回路を減らすように、また別な方法で変更するよう機能し、こうして星座と体系奉仕に適応する。空間の局部的天文破局は、これらの力の中枢にとっての一時的関心事である; 力の中枢は、補助的星座と体系への有効なエネルギーの規則的な発信に従事している。それらは、宇宙組織とエネルギー動員後、創造者たる息子にとり大きな支援となる。これらの中枢は、重要な居住場所との惑星間通信に役立つ激化or強化されたエネルギー通路を提供することができる。時々エネルギー進路とも呼ばれるエネルギーのそのような通路、または回線は、力の1中心から別の力の中心への、あるいは1物理制御者から別の制御者への直接回路である。それは、他と区別された力の流れであり、非分化エネルギーの自由な空間運動とは異なっている。
5. 星座の中枢。100個の属地方体系へのエネルギー映写体として機能する10の生きる力の中枢は、各星座に配置されている。これらの存在体からは、通信と輸送のための、そして生命維持のための物理エネルギーの一定の型に依存しているそれらの生ける創造物を元気づけるために力の回線を進む。しかし、力の中枢も下位の物理的制御者も、別の方法で機能的な組織として生命に関係がある。
6. 体系中枢。1名の崇高な力の中枢は、永久に各地方体系に割り当てられている。これらの体系中枢は、時間と空間の生息界に力の回路を送り出す。それらは、従属的物理制御者の活動を調整し、さもなければ地方体系における満足できる力の配分を保証するために機能する。惑星間の回路の中継は、一定の物質エネルギーの完全な調整と物理的な力の効率的法則によるものである。
7. 未分類の中枢。これらは、生息惑星においてではなく特別な局所的状況において機能する中枢である。個々の世界には主たる物理管理者が託されており、その体系の力の中枢により派遣された回路化の力の回線を受け取る。最も強烈なエネルギー関係のそれらの球体だけに、宇宙のてん輪またはエネルギー統治者として活動する第7系列の力の中枢がいる。これらの力の中枢は、活動の全局面においてより高度の制御の構成単位において機能するもの達の完全な同輩ではあるが、100万のうちの1空間本体はそのような生ける力の組織を抱えている。
崇高な力の中枢は、その仲間と部下とともに超宇宙全体に100億以上の番号を割り当てた。それらは全員が、楽園創始者、つまり崇高な力の7指揮官との完全な同調性と完全なつながりにある。壮大な宇宙の力の制御は、このようにして主たる七精霊、つまり崇高な力の七指揮官の創造者の保護と指示に託されている。
崇高な力の指揮官とそのすべての仲間、補佐、および部下は、あらゆる空間のあらゆる裁判所による拘引、もしくは干渉を免れている;それらは、日の老いたるものの宇宙政府の行政指導、あるいは創造者たる息子の地方宇宙行政の行政指導にも従ってはいない。
これらの力の中枢と指揮官は、無限の精霊の子らにより生み出される。それらは、宇宙の物質組織化の後の時代に創造者たる息子と提携をするものの、神の息子の行政に密接な関係はない。しかし、力の中枢は、何らかの方法で崇高なるものの宇宙の総括的管理に密接に関連づけられている。
力の中枢と物理制御者は、訓練を受けない;それらは全員が、完全に創造されており、活動においては本質的に完ぺきである。それらは、決して1つの機能から他の機能へ移らない;常に本来割り当てられた通りに仕える。階級上の昇格はなく、これは両系列の全7分隊に真実である。
上昇者には記憶上で戻るべき過去がないので、力の中枢と物理制御者は、決して遊ぶことはない;それらは、全行動において徹底して事務的である。それらは、いつも勤務に就いている;エネルギーの物理回路の中断に対する宇宙計画への何の対策もない;これらの存在体は、時間と空間のエネルギー回路の直接指揮を1秒何分の1の間も決して放棄はできない。
力の指揮官、中枢、および制御者は、力、つまり物質または準物質エネルギーを除いては全創造には何の関係もない;それらは、力をもたらしはしないが、変更し操り、また方向づけはする。重力の引きつける力への抵抗を除いては、物理的重力ともいささかの関わりもない。重力とのそれらの関係は完全に負である。
力の中枢は、分離された様々なエネルギー集合の生きた機構とのつながりにおいて広大なメカニズムと調整を活用する。それぞれの個々の力の中枢は、正確に100万個単位の機能的制御で構成されており、またこれらのエネルギー-変性の構成単位は、人の肉体に不可欠な器官のようには固定されてはいない;力の調整のこれらの「不可欠な器官」は可動的であり、結合的可能性において実に千変万化である。
これらの生きている存在体が宇宙エネルギーの主回路の操作と規則性を包含する方法を説明することは、まったく私の能力を超えるものである。これらの巨大、かつほぼ完全に効率的である力の中枢の規模と機能に関しさらに進んであなたに知らせることを引き受けるならば、さらなる混乱と狼狽を増大させるだけであろう。それらは、生きてもおり「人格的でもある」が、あなたの理解を超えるものである。
ハヴォーナの外において崇高な力の中枢は、構築された(建築の)球体上においてのみ、または別の方法で適切に構成された空間本体上においてのみ機能する。建築世界は、生ける力の中枢がこれらの球体に注ぎかける間、空間のエネルギーを方向づけ、変更し、そして集結するために選択できる切替装置として機能できるように構成されている。それらは、通常の進化する太陽あるいは惑星においてはそのようには機能できなかった。特定の集団は、これらの特別な本部世界における加熱や他の物質的必要性に関与している。それは、ユランチアの知識の範囲を超えてはいるものの、生ける力の人格に関するこれらの系列は、熱がなく光り輝く配光に非常に関係があると述べることを私には許されている。主語曖昧それらは、この現象を引き起こしはしないが、その普及と方向づけには関係している。
力の中枢とその配下の制御者は、組織化された空間の全物理エネルギーの働きに割り当てられている。それらは、10種類のエネルギーそれぞれの基本的な3つの流れと連動している。これは組織化された空間のエネルギー充足である。また、組織化された空間は、それらのもの達の領域である。宇宙の力の指揮官は、7宇宙の現在の境界の外に今起こりつつある根源力の猛烈な活動とは何らの関係もない。
力の中枢と制御者は、宇宙のそれぞれの基本的な流れに含まれる10種類のエネルギーの型のうち7個の型にだけ完ぺきな制御を発揮する。それらの制御が部分的または全体的に免除されている型は、無条件絶対者により支配されているエネルギー顕現の予測できない領域を例証しなければならない。もしそれらが、この絶対の根本的な力に影響を及ぼすとしても、特定の物理制御者が、時々自動的に宇宙なる絶対者の特定の推進力に反応するという意見を請け合う何らかのわずかな証拠があるとはいえ、我々はそのような機能を認識してはいない。
これらの生ける力の作用は、無条件絶対者の主たる宇宙エネルギーの総括的管理に意識的には関連してはいないが、我々は、力の指示の全体の、ほぼ完全な計画が、この超重力臨場を優先させる何らかの未知の方法であるということを推量する。地方のエネルギーのいかなる状況においても、中枢と制御者は、近-崇高性を行使するが、常に超エネルギー存在と無条件絶対者の認知はできない性能を意識している。
これらの存在体は、崇高な力の中枢の機動的従属物である。物理制御者は、単独使者の飛行に接近する速度で地方の空間を横断することができ、自己輸送の顕著な多様性に従事することができるそのような個性の本質の変化の能力に恵まれている。しかし、それらは、他のすべての空間横断者のように物質球体からの出発において重力の働きと慣性の抵抗に打ち勝つ際に、その仲間の援助と他のいくつかの存在体の型の両方を必要とする。
主たる物理管理者は、壮大な宇宙で仕える。それらは、直接に楽園から超宇宙本部の範囲まで崇高な力の7指揮官により治められている; それらは、ここから均衡協議会、つまり主たる7精霊により主たる根源力の提携組織者の職員から派遣された力の高等弁務官により指示され、分散される。これらの高等弁務官は、1個の宇宙全体の力の圧力とエネルギーの補充を示す生ける道具である主たるフランダランク系についての解釈と登録の説明をするための権限が与えられている。
楽園神格の臨場が壮大な宇宙を回り、また永遠の円の周りをさっと通過するが、主たる7精霊のうちの誰かの影響は、単一の超宇宙に制限される。各7超創造の間には、エネルギーの異なる隔離と力の回路の分離がある;したがって、個性化された制御方法は行き渡らなければならないし、行き渡っている。
主たる物理管理者は、崇高な力の中枢の直系子孫であり、その数には次が含まれている:
1. 力の共同指揮官
2. 機械的制御者
3. エネルギー変換者
4. エネルギー送信者
5. 一次結合者
6. 二次分離者
7. フランダランク系とクロノルデク系
これらの全系列が、個々の選択力を持つ意味においての人格体ではない。特に、最後の4者は上司の衝動への対応において、また既存のエネルギー状態への反応において完全に自動的であり、機械的であるらしい。しかし、そのような対応は完全に機械学的に見えるが、そうではない;それらは、自動装置に見えるかもしれないが、それらは皆、知力の特異な機能を明らかにしている。
人格は、必ず心に伴うものというわけではない。心は、下等動物の型の多くに、また特定のこれらの下位の物理制御者にそうであるように、選択のすべての力が奪われるときでさえ考えることができる。物理的な力のより自動的であるこれらの監視委員の多くは、いかなる用語の意味においても人格体ではない。それらは、分担任務に合わせて企画する機械的な完全性にまったく補助的であり、意志や決定からの自立に恵まれてはいない。とはいえ、それらは皆、非常に知的な存在体である。
物理制御者は、ユランチアで未発見の基礎エネルギー調整に主に従事している。これらの未知のエネルギーは、惑星間の輸送体制、それに一定の通信技術にとり極めて不可欠である。我々が音の同等物を伝えたり、または視力拡大の目的のためにエネルギーの線を引くとき、エネルギーのこれらの未知の型は生きている物理制御者とその仲間に利用される。これらの同じエネルギーは、時に中間創造物にも通常の仕事に利用される。
力の共同指揮官。驚くほどに効率的である存在体には、領域のつねに変化するエネルギー状態の移行し続ける必要性に合わせて、主たる物理管理者に関する全系列の課題と発信がゆだねられている。物理制御者の巨大な蓄えは、小領域の本部世界に保持され、物理制御者は、力の共同指揮官によりこれらの集中点から宇宙、星座、および体系の本部へ、そして個々の惑星へと定期的に派遣される。物理制御者は、このようにして割り当てられると、調停委員会の神性実行者の命令に暫定的に従属するが、その他の点ではもっぱらその副指揮官と崇高な力の中枢に従う。
300万の力の共同指揮官は、オーヴォントンの各小領域に配属されていき、驚くほど万能のこれらの存在体の超宇宙への割り当ては30億という合計にいたる。それら自身の控えの集団は、同じ小規模領域の世界に保持され。知的なエネルギー制御法と変換法に関する科学を研究するものすべての教官としてもそこで勤める。
これらの指揮官は、小領域における行政活動の時代と空間の領域への点検業務において等しい期間を交代に務める。少なくとも1名の代理検査官が、その首都球体本部を維持し常に各地方体制にいる。それらは、調和的な同時性で巨大な生きたエネルギーの全集合体を保つ。
2. 機械的制御者。これらは、力の共同指揮官のきわめて万能の、また機動力のある助手である。何兆という機械的制御者たちは、あなたの小領域であるエンサに派遣される。これらの存在体は、上司にとても完全に支配されるので、つまり力の共同指揮官の意志にとても完全に補助的であるので、機械的制御者と呼ばれる。にもかかわらず、機械的制御者自身は、非常に知的であり、その仕事は、性質上は機械的、かつ平凡であるものの巧みに遂行されている。
生息界に配属されるすべての主たる物理制御者のうち、機械的制御者は間違いなく最も強力である。他のすべての存在を上回る生きた反重力の資質の各制御者がもつ重力抵抗に匹敵するのは、物凄い速度で回転する巨大な球体だけである。制御者のうち10名は、現在ユランチアに配置され、また最も重要な惑星の活動の1つは、熾天使輸送の出発を容易にすることである。したがって、1,000名のエネルギー送信者の一団が熾天使の出発に初期の運動量を提供する間、機械的制御者の10名全員は、そのような機能にあたり一斉に行動する。
機械的制御者は、エネルギーの流れを方向づけすることに、また専門化している流れまたは回路へのその集中を容易にすることに有能である。強力なこれらの存在体は、物理エネルギーの分離、方向づけ、強化、および惑星間回路の圧力の均等化に非常にかかわりがある。それらは、宇宙の力の補充を構成する空間の物理エネルギーの30種類のうちの21種類の操作に熟練している。また、物理エネルギーの9種類のより微妙な型のうちの6種類の管理と制御に向け多くを為し遂げることができる。力の共同指揮官は、これらの制御者を相互への、また特定の力の中枢への適切な技術的関係に置くことにより力の調整とエネルギー制御において信じ難い変化を生むことが可能となる。
主たる物理管理者は、しばしば数百の、数千の集団で、また100万の集団でさえ機能し、その上その位置と構成を変えることで、個々の能力のみならず集合体でエネルギー制御の実行が可能である。それらは、必要条件の変化に準じてエネルギーの量や動きの増大ができ加速ができるし、もしくはエネルギーの流れを引き止めたり、圧縮したり、または遅らせることができる。それらは、言わゆる触媒が、若干の化学反応を増大させるようにエネルギー変換と力の変換に影響を及ぼす。それらは、固有の能力と崇高な力の中枢との協力において機能する。
3. エネルギー変換者。超宇宙のこれらの存在体は、信じがたいほどのの数である。サタニア単独ではおよそ100万名であり、各生息界向けの通常定数は、100名である。
エネルギー変換者は、力の崇高な7指揮官と7中枢監督の結合的創造である。それらは、物理制御者のより人格的な系列の中にあり、力の共同指揮官が生息界にいる時を除いては、変換者が指揮をとっている。それらは、出て行く全熾天使輸送の惑星検査官である。すべての種類の天の生命体は、単に共同指揮官とエネルギー変換者のより人格的な系列とのつながりによってのみ物理制御者のそれほど人格的ではない系列を利用することができる。
これらの変換者は、特定の力の処理または方向づけのために、もしくは、それに対して自身を配置できる強力かつ能力ある生ける切り替え装置である。それらはまた、巨大な惑星と近隣の星の間を通過する強力なエネルギーに対し、惑星を隔離する取り組みに長けている。そのエネルギー-変化の属性は、変換者を宇宙エネルギー均衡維持、または力の均衡維持の重要な任務において極めて役に立つ。それらは、一度にエネルギーを費やすか、さもなければ蓄えるようである;またある時には、エネルギーを発散するか、遊離するようである。変換者は、各領域の生きた、あるいは死んだエネルギーの「蓄電池」の能力を増大するか、または減少させることができる。しかし、それらは、物理エネルギーや半物質エネルギーのみを扱い、生命の領域においては直接には機能しないし、生き物の形状を変えもしない。
エネルギー変換者は、ある点では半物質のすべての生きた創造物の中で最も顕著で神秘的なものである。それらは、何らかの未知の方法で物理的に区別され、その連携関係を変えることにより、その関連づけた臨場を貫通するエネルギーへの深い影響力を及ぼすことができる。物理的領域の状態は、それらの巧みな操作の下に変化を受けるようである。それらは、空間エネルギーの物理的形状を変えることができるし、変える。それらは実際に仲間の制御者の助けを借りて、超宇宙の力の充填をなす物理エネルギーの30種類のうち27種類の型とその潜在性を変えることができる。このうちの3種類のエネルギーが、エネルギー変換者の制御を超えるものであるということは、エネルギー変換者が、無条件絶対者の役立つ手段ではないということを立証している。
主たる物理制御者の残る4集団は、その言葉を容認できうる定義内においてもほとんど人格体ではありえない。これらの送信者、結合者、分離者、およびフランダランク系は、その反応において完全に自動的である;とはいえ、あらゆる意味において知的である。我々は、それらとの意思疎通が図れないことから、その素晴らしい実体に関する我々の知識は非常に限られている。それらは、領域の言語を理解しているように見えるが、我々とは通じ合うことができない。十分に我々の通信を受け取ることはできるらしいが、応答においてはかなり無力であるらしい。
4. エネルギー送信者。これらの存在体は、完全ではないが、主として惑星内の立場にあって機能する。それらは、個々の世界において明らかであるように、エネルギーの驚異の発送者である。
送信者は、エネルギーが新回路へ迂回されると必要なエネルギー進路に沿い自らを一列に配置し、またエネルギー-引き寄せの独自の属性のおかげで増加するエネルギー流動を実際に好ましい方向へと誘導することができる。それらは、ある特定の金属回路がある特定の形の電気エネルギーの流れを方向づけるほどに文字通りこれをするのである。そして、それらは、物理エネルギーの30種類の形状の半分以上のための生きた超伝導体である。
送信者は、惑星から惑星への、個々の惑星の局から局への特殊化されたエネルギー通過がつくる弱下する流れの回復に効果的である妙を得たつながりを形成する。それらは、生き物の他のいかなる型も認識できないほどの弱すぎる流れの検出ができ、また付随の伝達が完全に理解可能になるほどにこれらのエネルギーを増大させることができる。それらの活動は、放送受信者にとり非常に貴重なのである。
エネルギー送信者は、伝達可能な知覚の全形態に対処することができる;それらは、遠方の音を「聞こえる」ようにすることができるばかりではなく、遠方の光景を「見える」ようにすることができる。それらは、地方体制と個々の惑星における非常時の通信網を提供する。これらの活動は、定期的に設定される回路外での通信目的のためにほとんどすべての生物により利用されなければならない。
エネルギー変換者と共にこれらの存在体は、疲弊した環境にあるそれらの世界における人間生存の維持に不可欠であり、無呼吸惑星の生活手段の不可欠部分である。
5. 一次結合者。これらの興味深くて非常に貴重な実体は、巧みなエネルギー保存者であり管理者である。植物が、幾らかなりとも太陽光を蓄えるように、これらの生命体もまた、正の兆候時代にエネルギーを蓄えるのである。それらは、空間のエネルギーをユランチアでは知られていない物理的状態に変換し、大々的規模で取り組んでいる。それらはまた、これらの変化を物質存在のいくつかの原始構成単位の生産段階へと進めることができる。これらの存在体は、ただそれらの臨場により行動する。それらは、この機能で決して疲労困憊せず、劣化されもしない;生ける触媒作用のように振る舞う。
それらには、負の兆候の季節には蓄積されたエネルギー放出の権限が与えられている。しかし、それらの仕事のこの段階での方法についての説明を可能にするには、あなたのエネルギーと物質に関する知識は十分に進歩してはいない。あなたが、大いに異なる物語を同じアルファベットの記号で伝えるために調整可能な活字を巧みに扱うように、それらは、原子、電子、およびアルチマトンを操作してつねに普遍的法則に従って働く。
結合者は、物質の組織球体に現れる最初の生命集団であり、あなたが生き物の存在とは全く相いれないと見なす物理温度で機能することができる。それらは、全く人間の想像範囲を越える生命の系列を示す。それらは、その仕事仲間、つまり分離者と共にあらゆる知的創造物の中でも最も奴隷的である。
6. 二次分離者。一次結合者に比べ、巨大な抗重力の資質をもつこれらの存在体は、反対の労働者である。地方世界上の、または地方体系の特別の、あるいは変更された型の物理エネルギーが枯渇するであろうというような危険は決してないのである。なぜなら、これらの生きた組織は、無限のエネルギー供給を展開するための独自の力に恵まれているのであるから。それらは、ユランチアではほとんど知られていないエネルギーの型への、その型よりもまだ認識されていない物質の型からの発展に主に関係がある。それらは本当に空間の錬金術師であり時間の驚異-労働者である。しかし、すべての驚嘆のその働きにおいて、それらは、宇宙の崇高者の命令を決して逸脱することはない。
7. フランダランク系。これらの存在体は、エネルギー-制御の存在体の全3系列の共同創造である:一次と二次の根源力の組織者と力の指揮官。フランダランク系は、全主たる物理制御者の中で最も数が多い;サタニア単独で機能する数は、あなたの数字の概念を超えている。それらは、全生息界に配置されており、いつも物理制御者のより高い系列に配属されている。それらは、中央宇宙と超宇宙において、また外部空間領域において互換性を持って機能する。
フランダランク系は、30区分に、つまり基本的な宇宙力の型ごとに1区分ずつ、創造されており、もっぱら生ける自動の臨場計器、圧力計器、および速度計器として機能する。これらの生ける計測器は、唯一、根源力-エネルギーのあらゆる型の自動的、かつ的確な記録に関係がある。それらと物理的宇宙の関係は、広大な反射装置と心の宇宙の関係と同じである。量的かつ質的エネルギー臨場に加え時間を示すフランダランク系は、クロノルデク系と呼ばれる。
私は、フランダランク系は知的であると認めるが、生ける機械以外のものとしては分類できない。生ける機械装置へのあなたの理解の唯一可能な私の手助け方法は、九分どうり知性的である精度と正確さで働くあなた自身の機械的考案とそれらを比較することである。そして、あなたがこれらの存在体を想像したいと思うならば、正確さのより高度の精巧さをもって、精度のなお一層の究極性をもって、よりすばらしい計算を伴うより複雑な課題を遂行できる知的かつ生きた機械装置(実体)を我々が実際に壮大な宇宙に持っていると気づく程度にまであなたの想像力に頼りなさい。
力の組織者は、楽園に居住はしているが、主たる宇宙の至るところで機能する。ことさらに無組織空間の領域において機能する。これらの並はずれた存在体は、創造者でも創造物でもなく、壮大な2区分からなる:
1. 第一帰結の主根源力組織者。
2. 先験的な主たる根源力の共同組織者。
原始-根源力の操縦者の強力なこれらの2系列は、排他的に主たる宇宙の建築者の指揮の下で働き、現在のところ壮大な宇宙の境界内においては広範囲には機能しない。
第一帰結根源力の主たる組織者は、無条件絶対者の原始の、もしくは基本的空間-根源力の操縦者である;星雲創造者である。それらは、空間のエネルギー旋風の生きた扇動者であり、またこれらの巨大な顕現の初期の組織者であり、それを方向づける者である。力の組織者は、原始の根源力(楽園の直接の重力に反応しない前エネルギー)を第一の、または、強力なエネルギーに変える。つまり、無条件絶対者の排他的把握から楽園の小島の重力把握へと変えるエネルギー。それらは、その後すぐに、一次から二次を経て、あるいは重力-エネルギー段階を経て、エネルギー変化の過程を持続させる力の共同組織者に引き継がれる。
先験的な主たる根源力の共同組織者は、創造者たる息子の到着が合図となる地方宇宙の創造のための計画成就にあたり、天文管轄の超宇宙において活動する力の指揮官の系列に移行する。しかし、そのような計画がない場合、根源力の共同組織者は、外部空間で今活動しているように、無期限にこれらの物質的創造を続けて担当する。
主たる根源力の組織者は、オーヴォントンの多才な力の中枢と物理制御者にさえ堪え難い物理的条件下の温度と機能に耐える。外部空間のこれらの領域で機能できる明らかにされている存在体の他の唯一の型は、単独使者と喚起された三位一体の精霊である。
[ユヴァーサの日の老いたるものの権威により行動する宇宙検閲官による後援]
いま楽園と壮大な宇宙で機能している人格と人格以外の実体は、ほぼ無数である。数え切れない下位の型や変化は言うまでもなく、主要な系列と型の数でさえも人間の想像を圧倒する。しかしながら、生き物の基本的な2分類—楽園分類の提案とユヴァーサ人格登記者の省略形—楽園分類に関する提案とユヴァーサ人格登記者に関する省略(形)について何かを提示することは、望ましいことである。
全集団が明らかにはされてはいないので、壮大な宇宙の人格の包括的な、しかも完全に一貫した分類を明確に表すことは不可能である。全集団の系統的分類が必要とされるさらなるば、顕示の補填は数多くの追加書類を必要とするであろう。部分的に明らかにされたこれらの概念が供給する創造的思索へのその刺激を次の1,000年の思慮深い必滅者から奪うであろうから、そのような概念的拡大はほとんど望ましくないであろう。人が過度の顕示を持たないことは、最善である;それは想像力を抑圧する。
生ける存在体は、楽園においては楽園神格との固有かつ成就した関係に基づき分類される。中央宇宙と超宇宙の遠大な集会の間、その参加者は、しばしば起源に基づき分類される:三位一体の起源、または三位一体到達のもの;二元的起源のもの;そして、一つの起源だけのもの。必滅者にとり生き物の楽園分類を解釈することは難しいが、我々には次を提示する権限が与えられている:
I. 三位一体-起源の存在体。3名の神格としてか、それとも三位一体として、3名の楽園神格全員により創造された存在体、加えてその名称が三位一体の存在体のすべての集団に言及する三位一体化の啓示の部隊と非啓示部隊。
A. 崇高なる精霊
1. 主たる7精霊
2. 崇高なる7幹部
3. 反射精霊の7系列
B. 三位一体の定置の息子静止
1.崇高性の三位一体化の秘密のもの
2. 日の永遠なるもの
3. 日の老いたるもの
4. 日の完全なるもの
5. 日の若きもの
6. 日の結合なるもの
7.日の誠実なるもの
8.英知の遂行者
9.神性顧問
10. 宇宙検閲官
C. 三位一体-起源と三位一体の存在体
1. 三位一体の師たる息子
2. 喚起された三位一体の精霊
3. ハヴォーナ出身者
4. 楽園公民
5. 非啓示の三位一体起源の存在体
6. 非啓示の神格-三位一体の存在体
7. 到達の三位一体化の息子
8. 選択の三位一体化の息子
9. 完全性三位一体化の息子
10. 創造物-三位一体化の息子
II. 二-起源の存在体。楽園神格のいずれか2者の起源のもの、あるいは楽園神格に直接的、または間接的起源をもついずれか2者の存在体により別の方法で創造されたもの。
A. 下降系列
1. 創造者たる息子
2. 執政の息子
3. 輝く明けの明星
4. 父なるメルキゼデク
5. メルキゼデク系
6. ヴォロンダデク系
7. ラノナンデク系
8. 輝く宵の明星
9. 大天使系
10. 生命運搬者
11. 宇宙の非啓示の補佐
12. 神の非啓示の息子
B. 定置の系列
1. アバンドンター
2. スサチア
3. ユーニーヴィータ-チア
4. スピロンガ
5. 非啓示の二-起源の存在体
C. 上昇系列
1. 調整者-融合必滅者
2.息子-融合必滅者
3.精霊-融合必滅者
4.被移動中間者
5.非啓示の上昇者
III. 単独-起源の存在体。楽園神格のいずれか1名の起源の、あるいは別の方法で楽園神格からの直接的、または、間接的起源をもつ存在体のいずれか1名により創造されたもの達。
A. 崇高なる精霊
1. 重力の使者
2. ハヴォーナ回路の7精霊
3. ハヴォーナ回路の12名の副官
4. 生き写しの反射助手
5. 宇宙の母なる精霊
6. 心-精霊の7重の副官
7. 非啓示の神格-起源の存在体
B. 上昇系列
1. 人格化された調整者
2. 上昇の物質の息子
3. 進化の熾天使
4. 進化の天使童子
5. 非啓示の上昇者
C. 無限の精霊の家族
1. 単独使者
2. 宇宙の回路監督者
3. 登記責任者
4. 無限の精霊の人格補佐
5. 副検査官
6. 配属歩哨
7. 卒業生案内者
8. ハヴォーナ従者
9. 普遍の調停者
10. モロンチア同志
11. 超熾天使
12. 第二熾天使
13. 第三熾天使
14. 全天使
15. 熾天使
16. 天使童子とサノビム
17. 非啓示の精霊-起源の存在体
18. 力の崇高な7指揮官
19. 崇高な力の中枢
20. 主たる物理制御者
21. モロンチアの力の監督者
IV. 帰結の先験的存在体。宇宙が光と生命に落ち着くまではその起源が時間と空間の宇宙には明らかにはされない先験的な存在体の大部隊が、楽園にみられる。先験的な存在体は、創造者でも創造物でもない;それらは神性、究極性、および永遠性の帰結の子供らである。これらの「帰結者」は有限でも無限でもない—準絶対である;そして、準絶対性は、無限性でも絶対性でもない。
まだ創造されていないこれらの非創造者は、つねに楽園の三位一体に忠誠であり、終局者に従順である。それらは、人格活動の究極の4段階に存在し、7階級のそれぞれに属する主要な1,000の労働集団から成る12大分割の准絶対の7集団において機能する。これらの帰結の存在体は次の系列を含む:
1. 主たる宇宙の建築家
2. 超越記録者
3. 他の先験的存在体
4. 第一帰結の主根源力組織者
5. 主根源力の先験的提携組織者
神は、超人格体として(現れる、もたらす)。神は、人格体として創造する。神は、人格体として断片化する;そのような調整者の自らの断片は、父である神の親としての行為によりそのような必滅の創造物に授与された人格の自由意志による選択に従い物質的かつ必滅の心に精霊の魂を進化させる。
V. 神格の断片化された実体。これらの実体は、決して第一根源と中枢の前人格の現実の唯一の断片化ではないとはいえ、宇宙なる父に起源をとる生ける存在体のこの系列は、思考調整者が最も良く代表している。調整者以外の断片の機能は、多種多様であり、しかもあまり知られてはいない。調整者あるいは他のそのような断片との融合は、創造物を父-融合の存在体に制定、となる、する。
父の断片にはとても匹敵しないとはいえ、第三根源と中枢の前心の断片化がここで記録されるべきである。そのような実体は、調整者とは非常に異なっている;それらは、そういうものとしてスプリントンに住んではいないし、心-重力回路を往来もしない;肉体の生涯の間、必滅の創造物にも宿らない。それらは、調整者のような意味での前人格ではないが、心以前のそのような断片は、生残するある種の必滅者に贈与され、また、それとの融合は、調整者-融合の必滅者とは対照的にある種の生残必滅者を精霊-融合必滅者に制定する。
それとの統一が創造物を息子-融合の必滅者に制定する創造者たる息子の個別化された精霊についての記述は、なおさらに困難である。その上に、神格の他の断片化がまだある。
VI. 超人格存在体。神性起源をもち、宇宙の中の宇宙の多種多様の業務についている人格体ではない存在体の大部隊がある。この一部の存在体は、息子の楽園世界の居住者である;他のものには、永遠なる息子の超人格の代表者のように他の場所で遭遇する。これらの談話では、これらについて大部分が言及されていないし、人格創造物に向けてそれらの記述を試みるということは全く空しいであろう。
VII. 非分類の、非啓示の系列。現在の宇宙時代に、全存在体を、人格的であるかまたはそうでないものを、現宇宙時代に関する分類に入れることは可能ではなかろう。またそのような種類すべてが、これらの談話で明らかにされてきたわけではない;従って、数多くの系列がこれらの一覧表から省かれた。次を検討せよ:
宇宙目標の完成者
究極者の適任の代理人
崇高者の無特質の監督
日の老いたるもの非啓示の創造媒体
楽園の威儀仙
威儀仙の無名の反射体のつながり
地方宇宙の中間絶対系列
楽園分類にはそれらのいずれも現れないこと以外には、これらの系列の表に添えなければならない特別の意味はない。これらは、非分類のうちのわずかなものである;あなたは、非啓示の多くを知るにいたってはいない。
精霊は存在する:精霊体、精霊臨場、人格精霊、前人格精霊、超人格精霊、精霊実在、精霊人格—人間の言語も人間の知性も適切ではない。しかしながら、我々は、「純粋な心」の人格はないと述べることができるかもしれない;いかなる実体も、精霊である神によりそれを与えられない限り人格をもたない。精霊エネルギー、あるいは物理エネルギーに関連づけられないいかなる心の実体も人格ではない。しかし、心をもつ精霊人格があるという同じ意味において、精霊をもつ心の人格がある。威儀仙とその仲間は、心-支配の存在体のかなり良い例ではあるが、あなたには未知であるこの人格の型より良い例がある。そのような心の人格に属する非啓示の全系列さえあるのだが、それらは、常に精霊に関連づけられている。他のある種の非啓示の創造物は、心的-物理的-エネルギー人格と呼ばれるかもしれないものである。この存在体の型は、精霊重力には無反応であるが、それでもなお本物の人格は—父の回路内にある。
群れをなす時間の宇宙において、また永遠の中央宇宙において生きる、そして崇拝する生ける創造物、創造者、帰結者、さらに他の方法での存在体に関する物語つたえるこれらの論文は、まだ終わりに差し掛かってさえいない—差し掛かることさえできない—のである。あなた方必滅者は、人格体である;それゆえに、我々は、人格化される存在体について説明はできるが、準絶対の存在体について一体あなたにいかに説明できるであろうか。
生ける存在体の神性家族は、7大区分でユヴァーサに登録されている:
1. 楽園神格
2. 崇高なる精霊
3. 三位一体起源存在
4. 神の息子
5. 無限の精霊の人格
6. 宇宙の力の指揮官
7. 永久的な公民部隊
これらの意志をもつ創造物集団は、多数の集団と小準型に分割されている。しかしながら、壮大な宇宙の人格に関わるこの分類の提示においては、主としてこれらの談話で明らかにされてきた知力ある存在体のそれらの系列についての説明がなされた。その大部分には、時間の必滅者の上昇経験における楽園への段階的上昇において遭遇するであろう。次の表は、人間の上昇計画は別として、それらの仕事を進める宇宙の存在体の巨大な系列には言及はしていない。
I. 楽園神格
1. 宇宙なる父
2. 永遠なる息子
3. 無限の精霊
II. 崇高なる精霊
1. 主たる7精霊
2. 崇高なる7幹部
3. 反射精霊の7集団
4. 生き写しの反射助手
5. 回路の7精霊
6. 地方宇宙の創造的精霊
7. 心-精霊の副官
III. 三位一体起源の存在体
1. 三位一体化の崇高性の秘密のものたち
2. 日の永遠なるもの
3. 日の老いたるもの
4. 日の完全なるもの
5. 日の若きもの
6. 日の結合なるもの
7. 日の誠実なるもの
8. 三位一体の師たる息子
9. 英知の遂行者
10. 神性顧問
11. 宇宙検閲官
12. 喚起された三位一体の精霊
13. ハヴォーナ出身者
14. 楽園公民
IV. 神の息子
A. 下降する息子
1.創造者たる息子—ミカエル
2. 執政の息子—アヴォナル
3. 三位一体の師たる息子—デナル
4. メルキゼデクの息子
5. ヴォロンダデクの息子
6. ラノナンデクの息子
7.生命運搬者たる息子
B. 上昇する息子
1.父-融合の必滅者
2. 息子-融合の必滅者
3. 精霊-融合の必滅者
4. 進化の熾天使
5.上昇する物質の息子
6.被移動中間者
7.人格化の調整者
C. 三位一体化の息子
1. 強力の使者
2. 権威高きもの
3. 名前と番号を持たないもの
4. 三位一体化の管理者
5. 三位一体化の大使
6. 天の保護者
7. 息子の高位の補佐
8. 上昇者-三位一体化の息子
9. 楽園-ハヴォーナ-三位一体化の息子
10. 目標をもつ三位一体化の息子
V. 無限の精霊の人格
A. 無限の精霊のより高い人格
1. 単独使者
2. 宇宙の回路監督者
3. 登記責任者
4. 無限の精霊の人格補佐
5. 副検査官
6. 配属歩哨
7. 卒業生案内者
B. 空間の使者部隊
1. ハヴォーナ従者
2. 普遍の調停者
3. 技術顧問
4. 楽園の記録管理者
5. 天の記録者
6. モロンチア同志
7. 楽園の仲間
C. 奉仕する精霊
1. 超熾天使
2. 第二熾天使
3. 第三熾天使
4. 全天使
5. 熾天使
6. 天使童子とサノビム
7. 中間者
VI. 宇宙の力の指揮官
A. 力の崇高な七指揮官
B. 崇高な力の中枢
1. 中央の最高監督
2. ハヴォーナの中枢
3. 超宇宙の中枢
4. 地方宇宙の中枢
5. 星座の中枢
6. 体系中枢
7. 非分類の中枢
C. 主たる物理制御者
1. 力の共同指揮官
2. 機械的制御者
3. エネルギー変圧者
4. エネルギー送信者
5. 一次結合者
6. 二次結合者
7. フランダランク系とクロノルデク系
D. モロンチアの力の監督者
1. 回路監視委員
2. 体制調整者
3. 惑星管理者
4. 結合制御者
5. 連携安定者
6. 選択的仕分け者
7. 共同記録係
VII. 永久公民部隊
1. 惑星の中間者
2. アダムの体制の息子
3. 星座ユーニーヴィータ-チア
4. 地方宇宙スサチア
5. 地方宇宙の精霊-融合の必滅者
6. 超宇宙のアバンドンター
7. 超宇宙の息子-融合の必滅者
8. ハヴォーナ出身者
9. 精霊の楽園球体出身者
10. 父の楽園球体出身者
11. 楽園の被創造公民
12. 調整者-融合の楽園公民の人間
ユヴァーサの本部世界の記録にあるように、これが、宇宙の人格に関わる実用的分類である。
人格の複合集団。ユヴァーサには壮大な宇宙の組織や管理に密接に関連している知的存在体の数多くの他の集団に関する記録がある。そのような系列の中には次に掲げる人格の3複合集団がある:
A. 最終的な状態の楽園軍団
1. 人間終局者部隊
2. 楽園終局者部隊
3. 三位一体化の終局者部隊
4. 三位一体化の複合終局者部隊
5. ハヴォーナ終局者部隊
6. 先験的終局者部隊
7. 目標の非啓示の息子部隊
終局者の人間部隊は、次と最後のこの一連の論文で扱われる。
B. 宇宙の補佐
1. 輝く明けの明星
2. 輝く宵の明星
3. 大天使
4. いと高き助手
5. 高等弁務官
6. 天の監視者
7. 大邸宅世界の教師
地方と超宇宙双方にある本部世界のすべてには、創造者たる息子、すなわち地方宇宙の支配者のための特定任務従事のこれらの存在体のために用意がなされている。我々は、ユヴァーサのこれらの宇宙補佐を歓迎するのだが、それらに対する司法権は持たない。そのような特使は、創造者たる息子の支配下において作業をし、監視を推し進める。それらの活動は、あなたの地方宇宙についての談話においてより完全に説明される。
C. 7優待居留者団
1. 星の学生
2. 天の熟練工
3. 逆戻りの指揮官
4. 付加-学校の講師 分校
5. 諸予備部隊
6. 学生訪問者
7. 上昇巡礼者
これらの7集団の存在体は、地方体制から超宇宙の首都までの、特に後者までのすべての本部世界に見られ、このように組織化され、治められるであろう。7超宇宙の首都は、知力ある存在体のほとんどすべての階級と系列のための集合場所である。楽園-ハヴォーナ出身者の多数の集団を除き、生命のあらゆる局面にある意志をもつ創造物がここで、観測され、研究されるかもしれない。
優待7居住者は、自身の任務の推進とその特別課題の遂行に従事する間の長い、 あるいは短い時間に建築球体に滞在する。それらの仕事は次のように説明できるかもしれない:
1. 星の学生、すなわち天の天文学者は、特別に構成されたそのような世界が、それらの観測と計算にとり殊のほか好ましいが故に、ユヴァーサのような球体において取り組むことを選ぶ。ユヴァーサは、その中央の場所のためばかりでなく、間近にエネルギーの流れを妨害する活発な、または死んだ巨大な太陽もないがために、この居住団の仕事にとり便利な位置にある。これらの学生は、超宇宙の業務にいかなる方法でも組織的に関係はない;それらは単に客である。
ユヴァーサの天文学の居住団は、間近の多くの領域からの、中央の宇宙からの、そしてノーラチアデクからさえの個人を含む。いかなる宇宙のいかなる体制におけるいかなる世界のいかなる存在体も、星の学生になるかもしれない、つまり天の天文学者のいくつかの部隊に加わることを希望するかもしれない。唯一の必要条件は次の通りである。空間の世界に関する、特にそれらの発展と制御の物理的法則に関する継続的生命と十分な知識。星の学生は、この部隊において永遠に勤める必要はないが、この集団に認められた誰もユヴァーサの1000時間未満で離脱することはできない。
ユヴァーサの星観察者居住団には現在、100万以上の数のものがいる。一部は比較的長期間留まるが、これらの天体観測者は去来する。それらは多数の機械器具と物理的装置の助けで仕事を進める;また、単独使者と他の精霊探検者に大いに助けられる。これらの天の天体観測者は、星の研究と空間調査の仕事において生けるエネルギー変圧者と生ける送信者の、および反射的な人格を常時使用する。それらは、空間の物質とエネルギー顕現のすべての型と段階を研究するし、星の現象と全く同じ程度に原始力の機能にも興味を持っている。それらの精査からは全空間の何も逃がれられはしない。
同様の天体観測者居住団は、地方宇宙とその行政区画の建築首都のみならず超宇宙にある小領域の本部世界にも見られる。楽園上を除いては、知識は先天的ではない;物質宇宙についての理解は、主に観測と研究に左右される。
2. 天の熟練工は7超宇宙の至るところで勤める。上昇する人間には、より完全に議論されるであろうこれらの熟練工に関連して地方宇宙のモロンチア経歴におけるこれらの集団との最初の接触がある。
3. 逆戻りの指揮官は、気晴らしとユーモアの促進者である--過去の記憶への逆戻り。それらは、特にモロンチア変遷と精霊経験の初期段階の間、人間前進の上昇計画の実作業において大きな役に立っている。それらについての物語は、地方宇宙における人間の経歴に関する談話に属する。
4. 付加-学校の講師。上昇経歴の次の、より上の居住世界は、すぐ下の世界の教師の強力部隊、つまりその球体の進歩している居住者のための一種の予備校をつねに維持する;これは、時間の巡礼者を進めるための上昇計画の局面である。これらの学校は、その教育と試験の方法は、ユランチアでの実施を試みる何とも全く異なっている。
人間前進の全上昇計画は、習得するや否や新たな真実と経験を他の存在体へ付与する実践に特徴づけられている。あなたは、前進階級においてあなたのすぐ後ろのそれらの生徒への教師として働くことにより楽園到達の長い学校を卒業する。
5. 諸予備部隊。我々の直接指揮下にはない存在体の広大な予備部隊は、予備-部隊居住団としてユヴァーサに集結される。ユヴァーサにはこの居住団の第一の70区分があり、並はずれたこれらの人格と許された一時期を過ごすことが、これらにとっての一般教育である。同様の一般的な予備部隊は、サルヴィントンと他の宇宙首都に維持される;それらは、各集団指揮官の要請で現役勤務に派遣される。
6. 学生訪問者。天の訪問者の一定の流れは、全宇宙から様々な本部世界を貫いて流れ込む。個人としての、また集団としての各種の型のこれらの存在体は、観察者、交換留学生、学生助手として我々に押し寄せてくる。ユヴァーサのこの優待居住団には、現在のところ10億以上の人格体がいる。この訪問者の一部は1日、他のものは1年滞在するかもしれないし、すべては、それぞれの任務の性質による。この居住団は、創造者人格とモロンチアの人間を除いてはほぼ全階級の宇宙存在体を含んでいる。
モロンチアの人間は、自分の起源の地方宇宙の境界内に限られた学生訪問者である。それらは、精霊状態に達して初めて超宇宙の能力で訪問が許される。我々の訪問者である居住団のちょうど半分は、「立ち寄るもの」、つまり、他の場所への途中、オーヴォントン首都に立ち止まって訪問する存在体から成る。これらの人格は、宇宙任務を実行しているかもしれないし、または余暇を楽しんでいるかもしれない—任務からの解放。宇宙内での旅行と観察の特権は、上昇する全存在体の一部分である。旅をしたい、また初めての国民と世界を観察したいという人間の願望は、地方宇宙、超宇宙、そして中央宇宙経由の楽園への長く波乱に富んだ上昇中にすっかり満たされるであろう。
7. 上昇巡礼者。上昇巡礼者が、楽園前進に関わる様々な勤務に振り当てられる際、それらは、様々な本部球体の優待居住団として住所が定められる。そのような集団は、超宇宙の至るところで機能し、主には自治である。それらは、すべての系列の進化の人間と上昇する仲間を擁するつねに-移行する居住団である。
時間と空間の人間生存者は、楽園への前進上昇を公認されると上昇する巡礼者と呼ばれるが、この進化の創造物は、これらの談話においてそのような重要な位置を占めているので 我々は、ここに宇宙上昇経歴の次の7段階の一覧表の提示を望むのである:
1. 惑星の必滅者
2. 眠りの生存者
3. 大邸宅界の学生
4. モロンチア前進者
5. 超宇宙被後見者
6. ハヴォーナ巡礼者
7. 楽園到着者
次の談話は、調整者-内住の人間の宇宙経歴を提示する。息子融合、精霊-融合の人間は、この経歴部分を共有するが、ユランチアの全人類は、そのような運命を予期するかもしれないので、我々は、それが調整者-融合の人間に関係しているようにこの話をすることにした。
惑星の必滅者。必滅者とは、上昇の可能性をもつ動物起源の進化するすべての存在体である。人間のこれらの様々な集団と型は、起源、本質、および目標においてユランチア民族と完全に異なるわけではない。各世界の人類は、神の息子からの同じ奉仕活動を受けているし、奉仕する時間の精霊の臨場を享受している。上昇者のすべての型は、自然死の後には大邸宅世界の1モロンチア家族として親しく交わる。
眠りの生存者。生存資格をもつすべての必滅者は、目標の個人的な保護者の監視下にあり、自然な死の入り口を通過し、第3期に大邸宅世界において人格化する。個人的な保護者に対する権利をもつであろう知性支配の水準と精霊性の寄贈の段階に何らかの理由により達し得なかったそれらの公認の存在体は、このように、すぐには、また直接には大邸宅世界に行くことはできない。そのような生残する魂は、新紀元の審判の日、新配剤、すなわちその時代の点呼をとり、領域に判決を下すために神の息子の到来まで無意識の睡眠をして休まなければならないし、これは、ネバドン全体における一般的習慣である。地球での仕事終了時に天に昇ったとき、キリスト・マイケルについて「彼は巨大な数の捕虜を導いた」と言われた。そして、これらの捕虜は、アダームの時代からユランチアにおけるあるじ復活の日までの眠りの生存者であった。
眠りにある必滅者にとり時間の経過は重要ではない;それらは休息の長さをまったく意識しておらず、気づいてはいない。1時代の終わりの人格の再集合の際、5,000年間眠ったものの反応は、5日間休息をとった人々と異なることはないであろう。これらの生存者は、この時間の遅れは別として、死の、長い、または短い睡眠を避けるものと全く同様に上昇計画を経験する。
世界の巡礼者のこれらの配剤集団は、地方宇宙の仕事におけるモロンチアの集団活動に用いられた。そのような巨大集団の動員には大きな利点がある;それらは、長い期間の効果的勤務のためにこのように一緒にされる。
3. 大邸宅界の学生。大邸宅世界で再び目を覚ます全ての生残者は、この集団に属する。
人間の生身の肉体は、眠りの生存者の再構成の一部ではない;肉体は土に帰してしまった。任務をもつ熾天使は、不滅の魂のためと帰還調整者の内住のための新生活としての新しい体、モロンチアの型を支える。調整者は、眠りの生存者の心についての精霊の複写のための管理人である。割り当てられた熾天使は、生残する主体性—不滅の魂—の保管者である。それが、進化した程度に応じての。そして、これらの2者は、調整者と熾天使は、それらの人格受託を再結合させるとき、新しい個人は古い人格の復活、すなわち魂の進化するモロンチアの主体性の生存である。魂と調整者のそのような再連結は、非常に適切に復活、つまり人格要素の再構成と呼ばれる;しかし、これさえも生残する人格の再現を完全に説明してはいない。あなたは、おそらくそのような不可解な実際の出来事を決して理解はしないであろうが、人間の生存計画を拒絶しないならば、いつか、経験上その真実を知るであろう。
進歩的訓練の7世界における人間の最初の拘留計画は、オーヴォントンにおいてはほぼ普遍的である。およそ1,000個の生息惑星の各地方体制には、7個の大邸宅世界、通常は体制首都の衛星または小衛星がある。それらは、大部分の上昇する人間の受け入れ世界である。
時として人間居住のすべての訓練世界は、「大邸宅」と呼ばれ、イエスが、「私の父の家には、多くのすまいがある。」と言ったとき、そのような球体を暗に示したのであった。今後、上昇者は、大邸宅世界のような一定の集団球体内においては、1球体から他の球体へと、1生命球体から他へと個別に前進するであろうが、集団形成で宇宙研究の1局面から他局面へと常に進むであろう。
4. モロンチア前進者。必滅者は、大邸宅世界から体系、星座、および宇宙の球体までの全域にわたるモロンチア前進者として分類される;それらは、人間上昇の変遷範囲を移動している。上昇する人間が、モロンチア世界の下から上へと前進するとき、教師との関連において、またより進んだ、またより上の同胞と共に数え切れない任務を果たす。
モロンチア前進は、知力、精霊、および人格形式の継続的進歩を伴う。生存者はいまだ3-本質をもつ存在体である。それらは、モロンチア経験の全体にわたり地方宇宙の被後見者である。超宇宙の計画は、精霊経歴が始まるまでは機能しないのである。
必滅者は、超宇宙の小領域の受け入れ世界に向け地方宇宙本部を離れる直前に精霊の真の主体性を取得する。モロンチアの最終段階から1番目の、または最も低い精霊状態への通過は、ほんのわずかな過渡期に過ぎない。心、人格、および個性は、そのような進歩により変えられはしない;ただ形状のみが変更を被るのである。しかし、精霊の型は、モロンチア体と同じく現実であり、それは同様に認識できる。
時間の必滅者は、出身の地方宇宙から超宇宙の受け入れ世界への出発以前には創造者たる息子と地方宇宙の母なる精霊からの精霊承認の受容者である。ここからは、上昇する人間の状態は永久に確保される。超宇宙の被後見者が堕落するとは一度として聞いたことがない。上昇熾天使もまた、地方宇宙からの出発時点での天使の地位で前進する。
5. 超宇宙の被後見者。超宇宙の訓練世界に到着する全上昇者は、日の老いたるものの被後見者になる;それらは地方宇宙のモロンチア生涯を横断してきており、現在は公認の精霊である。若い精霊としてのそれらは、自らの小領域の受け入れ球体から主要な10領域の研究世界を通り、超宇宙本部のより高い文化的球体にかけての訓練と教養のための超宇宙体制の上昇を始める。
精霊前進の小領域、主要領域、および超宇宙本部世界滞在に基づく学生精霊の3系列がある。モロンチア上昇者が、地方宇宙の世界において研究し働いたように、精霊上昇者も同様に他者へ経験的な英知の源で吸収したものの分配を実行しつつ新世界を極め続ける。しかし、超宇宙経歴にある精霊として学校に行くということは、人の物質的な心の想像的領域に入ったことがあるものとは全く異なる。
これらの上昇精霊は、ハヴォーナに向けて超宇宙を発つ前に、地方宇宙の指揮にあたりモロンチア経験の間に受けたーーー超宇宙管理にあたり同じ徹底的な講座を受ける。ハヴォーナ到達以前の精霊の人間にとっての主要な研究は、専門的業務ではなく地方と超宇宙行政に精通することである。この経験のすべての理由は、現在完全に明らかなわけではないが、そのような研修は、隊員としての終局者部隊の可能な将来の運命から見て確かに賢明でありかつ必要である。
超宇宙計画は、上昇するすべての人間に同じものではない。それらは、同じ一般教育を受けるが、特別の団体と階級は、特別の教育課程に伴われ特定研修過程を受けさせる。
6. ハヴォーナ巡礼者。生残する人間は、精霊の発達が終了するとたとえ何が溢れてはいなくとも、ハヴォーナへの、つまり進化する精霊の安息所への長い飛行準備をする。あなたは、地上においては生身の創造物であった;地方宇宙を経由する間モロンチア存在体であった;超宇宙を経由する間、進化する精霊であった;ハヴォーナの受け入れ世界への到着と同時に、あなたの精霊的教育が、現実に、本格的に始まる;やがて起こるあなたの楽園出現は、完成された精霊としてであろう。
超宇宙本部からハヴォーナの受け入れ球体への旅は、つねに単独でする。これから先は、学級授業も集団授業も行なわれないであろう。あなたは、時間と空間の進化世界の技術と行政の研修を終える。あなたの人格的教育、個々の精霊的訓練が始まるのは、これからである。教育は、ハヴォーナ中で、最初から最後まで個人的であり、しかも三重である:知的、精霊的、かつ経験的。
あなたのハヴォーナ経歴の最初の行為は、あなたを輸送する第二熾天使の長くて安全な旅に気づき、また感謝することになるであろう。あなたは、その後自分の初期のハヴォーナ活動を後援するそれらの存在体に紹介される。次に、あなたは、自身の到着を登録し、また地方宇宙の創造者たる息子、つまりあなたの息子性経歴を可能にした宇宙の父への感謝と敬愛のための書信を用意しに行く。これでハヴォーナ到着の手続きが完結する;その上、あなたには自由な観測のための長期の休暇が与えられ、これで長い上昇経験のあなたの友人、仲間、および同僚を訪ねる機会ができる。また、あなたは、あなたのユヴァーサ出発時点から仲間の巡礼者のうちの誰がハヴォーナへ出発したかを突き止めるために放送を調べることもできる。
ハヴォーナの受け入れ世界へのあなたの到着の事実は、正式にあなたの地方宇宙の本部に送られ、その熾天使がたまたまどこにいようとも、あなたの熾天使の保護者に個人的に伝えられる。
上昇の必滅者は、空間の進化世界の業務において徹底的に養成されてきた; それらは、いま完全性の創造球体との長く有益な接触を始める。結合された、独自の、この並はずれた経験により未来の何かの仕事に向けて何という準備がされていることか。しかし、私は、ハヴォーナに関してあなたに話すことはできない;あなたは、それらの栄光を評価するために、またはそれらの壮大さを理解するためにこれらの世界を見なければならない。
7. 楽園到着。あなたは、居住資格をもって楽園に達すると神性と準絶対性の前進過程に入る。楽園上のあなたの住居は、あなたが神を見つけたということ、終局者の人間部隊に召集されることになっているということを意味する。父融合であるものだけが、壮大な宇宙の全創造物の中で終局者の人間部隊に召集される。そのような個人だけが、局者の誓いを立てる。楽園の完全性の、あるいは楽園到達の他の存在体は、一時的にこの終局者部隊に所属するかもしれないが、それらは、時間と空間の進化の、そして完成された第一人者の集まるこの部隊の未知の、そして非啓示の任務への永遠の課題のものではない。
楽園到着者には、自由の期間が与えられ、その後、それらは、第一超熾天使の7集団との連携を始める。また、崇拝の導体との課程を終えると楽園卒業生に指定され、次には終局者として広範囲の全創造への観察の、協力的な勤務に割り当てられる。それらは、光と生命に落ち着く世界の多くの能力で役目を果たすが、まだ、終局者の人間部隊のための特定の、または、定着、解決された雇用はないようである。
終局者の人間部隊に将来の、あるいは非啓示の何の目標もなかったとしても、これらの上昇存在体の現在の任務は、まったく、全体で適切かつ輝かしいものであろう。それらの現在の目標は、進化する上昇の普遍的計画を完全に正当化する。しかし、外部空間球体の進化の未来の時代は、人間の生存と必滅者の上昇の神性計画の実行における神の英知と慈愛を確かにさらに念入りに展開し、また一層の充実で神々しく照らすであろう。
この談話は、あなたに明らかにされてきたものと、それにあなた自身の世界に関する教授に関してあなたが取得するかもしれないものと合わせて、上昇する必滅者の経歴の概要を提示するものである。経歴に関わる話は、様々の超宇宙においてかなり異なるが、それが、ネバドンの地方宇宙において、また壮大な宇宙区分の7番目、すなわちオーヴォントンの超宇宙において作用しているように、この詳説は、人間前進の典型的計画の片鱗を提供している。
[ユヴァーサからの強力な使者による後援]
人間終局者部隊は、上昇する時の世界の調整者融合の人間にとっての現在知られている目標である。しかし、同様にこの部隊に配属される他集団がある。第一の終局者部隊は、以下からなる。
1. ハヴォーナ出身者
2. 重力の使者
3. 栄光の人間
4. 養子の熾天使
5. 栄光の物質の息子
6. 栄光の中間創造物
栄光のこれらの存在体の6集団は、永遠の目標のこの独自の本体を構成する。我々は、それらの今後の仕事を知っているつもりであるが、確信はない。人間終局者部隊は、楽園に出動し、結集また空間宇宙のかなりの広範囲にわたり奉仕をしたり、光と生命に定着する世界を管理するが、それらの将来の目的地は外部宇宙の現在-組織中の宇宙のはずである。少なくともそれが、ユヴァーサの憶測である。
部隊は、空間世界の労働団体に従って、合わせて、また長くて波瀾万丈の上昇経歴中に修得した連合的経験を保つことで組織される。この部隊に認められる全上昇創造物は、平等に受け入れられるが、この高められた平等性は決して個性を取り消しにはしないし、または人格的な同一性を破壊はしない。我々は、終局者との連絡に際し、上昇の必滅者、ハヴォーナ出身者、養子の熾天使、中間創造物、または物質の息子であるかをすぐに明察できる。
終局者は、宇宙時代の現在に時間の宇宙における勤務に戻る。それらは、他の6超創造すべてでの勤務後までは決して出身の超宇宙ではなく異なる超宇宙において引き続いて働くように割り当てられる。それらは、こうして崇高なるものの七重の概念を習得できるのである。
人間終局者の1名、あるいは複数の集団が、絶えずユランチアで勤務している。それらが配置されていない宇宙事業の領域はない;それらは、遍く、かつ交替して、また等期間の課せられた義務と無料奉仕において機能する。
我々は、この並はずれた集団の将来の組織の本質に関しては見当もつかないのだが、終局者は、現在完全に自治団体である。それらは、自身の永久的、周期的、かつ任務の指導者と指揮者を選ぶ。外部の影響力を使ってそれらの方針に働きかけることは決してできないし、それらは、楽園の三位一体だけに忠誠を誓う。
終局者は、楽園に、超宇宙に、地方宇宙に、そしてすべての局部首都に本部を維持する。それらは、進化の創造の個々の系列である。我々は、直接にはそれらを監督しないし、取り締まりもしないが、それらは、それでも我々の全計画に無条件に忠誠であり、つねに協力的である。それらは、実に、時間と空間の増え続ける立証済みの魂—宇宙の進化の塩—であり、悪に対して永遠に立証され、罪に対して安全である。
教師として中央宇宙の巡礼者-職業訓練所に勤めるハヴォーナ出身者の多くは、上昇する人間に大いに愛着をもつようになり、人間の終局者部隊の今後の仕事と目標に一段と好奇心をそそられるようになる。グランドファンダの仲間により統括されたハヴォーナの奉仕活動者のための登録が、楽園上の管理部隊の本部に維持されている。今日、何百万人ものハヴォーナ出身者が、この順番待ちの名簿に見られるであろう。直接の、かつ神性の創造のこれらの完全な存在体は、人間終局者部隊にとり大きな支援であり、間違いなく遠い未来にさらに大きく役立つであろう。それらは、完全性と神性の充実さに満ちて生まれるものの観点を提供する。それゆえに、終局者は経験的存在の両段階を迎え入れる—完成の、そして完成された。
ハヴォーナ出身者は、宇宙なる父の精霊の断片の贈与に向けての受容能力を創造する進化の存在体とのつながりにおいて一定の経験的開発を実現しなければならない。人間終局者部隊には、第一根源と中枢の精霊と共に融合されたような存在体だけが、あるいは、重力の使者のような父なる神のこの精霊を先天的に具体化するものだけが永久的隊員としている。
中央宇宙の住民は、1,000名—終局者の1団—に1名の割合で部隊に受け入れられる。部隊は、一時的な奉仕のために1集団が1,000名の、つまり997名を数える上昇創造物にハヴォーナ出身者1名と重力の使者1名が組織化される。終局者は、このようにして集団で動員されるが、終局の宣誓は個別に行なわれる。それは、大胆な意味合いと恒久的な重要性をもつ誓いである。ハヴォーナ出身者は、同じ誓いを立て、部隊に永遠に所属するようになる。
ハヴォーナ新隊員は、その任務の集団に続く;集団がどこへ行こうと、それらは行く。あなたは、終局者の新たな作業のそれらの熱意を見るべきである。終局者部隊に達する可能性は、ハヴォーナの最高の興奮の1つである;終局者になる可能性は、これらの完全な競争に起こる最高の冒険の1つである。
ハヴォーナ出身者もまた、ヴァイスジェリントンの三位一体化の複合終局者部隊に、そして楽園の先験的終局者部隊に同じ割合で受け入れられる。ハヴォーナ公民は、ハヴォーナ終局者部隊への可能な入隊と合わせてこれらの3目標を自らの崇高な経歴の最高目標と見なす。
終局者は、いつ何処で重力の使者が機能していようとも指揮にあたっている。すべての重力の使者は、グランドファンダの管轄下にあり、第一終局者部隊にだけ配属される。それらは、終局者にとり今でも計り知れないほどに貴重であり、また永遠の未来において全面的に役立つであろう。知力ある創造物の他のいかなる集団も、時間と空間を超えることができるそのような人格化された使者部隊を所有してはいない。他の終局者部隊に配属される同様の型の使者-登録者は、人格化されない;それらは、准絶対化される。
重力の使者は、ディヴィニントンの出身であり、変更され人格化された調整者であるが、我々のユヴァーサ集団の誰も、これらの使者のなかの1名の本質についての説明を請け負いはしないであろう。我々は、それらが高度に人格的な存在体であると、神性で知的で、いじらしいほどにに思いやりがあるとは知っているが、空間を移動するそれらの不朽の手法については理解していない。それらには、ありとあらゆるエネルギー、回路、および重力でさえも利用する力が十分にあるらしい。人間部隊の終局者は、時間と空間に逆らうことはできないが、そうすることができる無限に近い精霊人格は、人間部隊の終局者と親交をもってきたし、それらの命令に服従する。我々は、重力の使者の人格とあえて呼ぶのだが、実際にはそれらは、超精霊の存在体、すなわち無限かつ広大無辺の人格である。それらは単独使者に比べ似ても似つかない人格系列のものである。
重力の使者は、無限の数で終局者の一団に配属されるかもしれないが、1名の使者だけが、仲間の長たるものだけが、人間の終局者部隊に召集される。しかしながら、この長には999名の常置隊員である仲間の使者が割り当てられ、また必要に応じて予備部隊の補佐を無制限に要請することができる。
重力の使者と栄光の人間終局者は、互いへの感動的で深遠な愛情をえる;両者には多くの共通点がある:一方は、宇宙なる父の断片の直接の人格化であり、他方は、同じ宇宙なる父の断片、すなわち精霊思考調整者と融合された生残する不滅の魂に存在する被創造の人格である。
第一終局者部隊の大部分は、上昇の調整者-融合の必滅者からなる。それらは、通常養子の、そして栄光の熾天使と合わせて各終局者集団で990名を構成する。数のうえでは人間が熾天使にはるかに上回るとはいえ、人間と天使の割合は、いかなる1集団においても異なる。物質の息子は、ハヴォーナ出身者、栄光の物質の息子、栄光の中間創造物、重力の使者、未知の、それに行方不明の隊員は、部隊のほんの1パーセントである。1,000名の終局者を有する各集団には、これらの非必滅者と非熾天使の人格のちょうど10名の空きがある。
ユヴァーサからの我々は、時間の上昇の必滅者のための「終局者の目標」を知らない。それらは、現在楽園に住んでおり一時的に光と生命の部隊で勤務しているが、上昇訓練のそのような猛烈な課程と長きにわたる宇宙教練は、信用の評価のためのより重大な検査と責任課題ためのより高尚な奉仕に向けてそれらに資格を与えるように意図されなければならない。
これらの上昇の必滅者が、楽園に達し終局者部隊に召集され地方宇宙の活動に参加するために、また超宇宙業務の管理を補佐するために、大勢で送還されてきたにもかかわらず、—この明らかな目標にもかかわらず、それらは、唯一の6番目-段階の精霊として記録されているという重要な事実を残している。疑う余地なく、人間の終局者部隊の経歴においてもう一つの段階が残っている。我々は、その段階の本質を知らないが、3個の事実を認識してきており、ここでそれに目を向ける:
我々は、小領域滞在中の必滅者は、第1系列の精霊であり、小領域へ移されるときは第2系列に、超宇宙の中央の訓練世界へと行くときは第3系列へと進むということを記録から知っている。ハヴォーナの第6回路到着後の人間は、4次の精霊、または卒業生の精霊になり、宇宙なる父を見つけると第5系列の精霊になる。それらは、宣誓をするにあたり、次に、6番目の段階の精霊生活に達し、この宣誓は、人間終局者部隊の永遠の任務へと永遠にそれらを喚起する。
我々は、精霊の分類、すなわち名称が宇宙貢献の1領域から他の領域への、あるいは1宇宙から他の宇宙への前進により決定されてきたと観察する。それに我々は、7番目-精霊分類の人間終局者部隊への贈与は、これまでは非記録で非啓示の球体での奉仕における永遠の任務への前進と同時であろうと、また崇高なる神への到達に並立するであろうと推量する。しかし、我々は、これらの大胆な憶測は別として、このすべてに関してあなたが知っている以上には本当に何も知らない;人間の経歴についての我々の知識は、楽園の現在の目標を越るには至らない。
2. 人間終局者は、「完全であれ、」という時代の命令に完全に従った。それらは、人間到達へ向けての普遍の道を昇った;神を見つけ、正当に終局者部隊になった。そのような存在体は、究極の精霊状態の最終的状態ではなく、精霊進行の現在の限界に達した。人間終局者は、創造物貢献の最終的段階ではなく、創造物の完全性の現在の限界を達成した。それらは、経験的な神格到達の最終的状態ではなく、神崇拝の豊かさを経験した。
3. 楽園終局者部隊の栄光の人間は、知的存在に属する最大可能な生命についての現実と哲学に関する全段階の経験的知識を有する上昇の存在体である; そして、最も低い物質界から楽園の精霊の高さへのこの上昇時代の間中、これらの生残創造物は、時間と空間の慈悲深く寛容であるばかりでなく、正当で効率的な全普遍的創造の管理に関わる神のあらゆる原則のあらゆる詳細についての自らの能力の限界まで訓練されてきた。
我々は、人間には我々の意見を共有する資格があり、また楽園終局者部隊の究極目標の神秘に関し、我々とともに推測する自由があると考える。完成された進化の創造物の現在の課題、任務は、宇宙理解と超宇宙行政の大学院課程の性質を帯びている、と明白に思われる;また、我々は皆、「神は、なぜ宇宙の管理方法においてまことに徹底的な訓練に生残する必滅者にそれほどまでに関与するのか。」と問いかける。
人間の忠実な熾天使の保護者の多くには、人間の被後見人との上昇経歴の経験が許されており、またこれらの守護天使の多くは、父融合後に、終局者の永遠の宣誓に際しては臣下に加わり、必滅者の仲間の目標を永遠に受け入れる。必滅存在体の上昇経験を通過する天使は、人間性の目標を共有しているかもしれない;それらは、対等に永遠にこの終局者部隊に召集されるかもしれない。養子の、栄光の熾天使大勢は、必滅ではない様々の終局者部隊に配属される。
時間と空間の宇宙においては対策があり、それによって地方体制のアダーム公民が、惑星任務の受け入れに大きく遅れている際、永久的-公民状態からの解除の申請を始めるかもしれない。そして、もし許可されるならば、それらは宇宙首都に上昇する巡礼者に合流し、そこから楽園と終局者部隊へと前方に進む。
高度な進化世界が、光と生命の時代の後に到達するとき、物質の息子たち、すなわち惑星のアダームとハヴァーは、人間らしくなることを選び調整者を受けいれ、また人間終局者部隊への宇宙上昇先導の進化の方向に乗り出すかもしれない。物質の息子の一部は、アダームがユランチアでしたように生物促進者としての任務において部分的に失敗するか、または技術的に履行を怠る; それらは、次にやむを得ず領域の民族の本来の進路を取り、調整者を受け入れ、死を潜り抜け、信仰により上昇計画を進展させ、続いて楽園と終局者部隊に達するのである。
物質の息子は、多くの終局者集団には見られない。それらの臨場は、そのような集団への高度の奉仕の可能性に大きな将来性を与えるし、その指導者として不変的に選ばれる。エ-デンの1組の男女両者が、同じ集団に配属されるならば、それらは通常、1人格として共同で機能することが許される。そのような上昇の1組は、上昇の必滅者よりも訓練の冒険にはるかに成功している。
中間創造物は、多くの惑星において数多く創造されているが、光と生命に定着後にはその出身世界には滅多に留まらない。それらは、その時またはその直後、時間と空間の必滅者とともにモロンチア世界、超宇宙、およびハヴォーナを通り抜け、永久的-公民状態を免除され楽園への上昇を開始する。
様々な宇宙からの中間創造物の起源と本質は大いに異なるが、中間創造物はすべてが、楽園終局者部隊のどれか一つに属するよう運命づけられている。二次中間者は全員が、ゆくゆくは調整者融合であり、必滅者部隊に召集される。多くの終局者集団のそれぞれには、これらの栄光の存在体の1名がいる。
現在、あらゆる終局者集団には、宣誓状態にいる人格、つまり永久的隊員数が、999名に達している。空席は、いかなる単一任務に割り当てられた光の福音に所属の長により埋められる。しかし、これらの存在体は、部隊の一時的隊員であるにすぎない。
終局者のいかなる部隊勤務に割り当てられた天のどの人格も、光の福音者と命名される。これらの存在体は、終局者の誓いを立てないし、部隊組織に従属はいるものの、永久的配属ではない。この集団は単独使者、超熾天使、第二熾天使、楽園公民、あるいはそれらの三位一体化の子を擁するかもしれない—終局者の一時的任務遂行に必要とされるいかなる存在体。我々は、永遠の任務に付いた部隊がこれらの存在体を有することになっているかどうかを知らない。これらの光の福音者らは、定着の終結とともに自らの以前の状態を取り戻す。
現在のところは人間の終局者部隊として構成されているように、永久隊員のちょうど6集団がある。終局者は、期待されているかもしれないように、将来の仲間の主体性に関し多く推測をしているが、それらの間での協定はあまりない。
ユヴァーサ出身の我々は、しばしば終局者の第7集団の主体性に関し推測する。我々は、楽園、ヴァイスジェリントン、およびハヴォーナの内側の回路における多数の三位一体化集団のいくつかの増え続ける部隊の可能な任務を擁し、多くの考えを検討する。終局者部隊は、現在製作中の宇宙への奉仕に予定される場合、宇宙行政の仕事にかかわる自分達の補佐の多くを三位一体化することが許されるかもしれないと推測さえされる。
我々のうち1名は、部隊におけるこの空位が今後のそれらの奉仕の新しい宇宙に起源がある何らかの存在体の型によって埋められるという意見を保持している;別のものは、この場所は未だ作成されていない、結果に至っていない、あるいは三位一体化されていない何らかの型の楽園人格により埋められるであろうと信じる傾向にある。しかし、実際に知る前に、我々は、それらの第7段階の精霊到達時に終局者の入り口で待ち受けていそうである。
終局者としての楽園における完了の必滅者の経験部分は、準絶対属性の帰結の存在体である楽園の先験的超公民の1,000を超える集団の性質と機能についての理解にいたる努力にある。上昇の終局者は、これらの超人格とのつながりにおいて進化した終局者を楽園の新しい同胞に紹介する任務に携わる数多くの先験的な奉仕活動者系列の有益な指導の大いなる援助を受ける。先験的存在体の系列全体は、自分たちが占有する広大な領域の楽園の西に住んでいる。
我々は、先験的存在体に関する議論にあたり人間の理解の限界による制限ばかりではなく、楽園の人格に関するこれらの公開を統制する命令条件にも制限される。これらの存在体は、決してハヴォーナへの人間上昇とは関連がない。主たる宇宙業務の超宇宙行政だけに関する楽園の先験的存在体の巨大な部隊には、ハヴォーナ、あるいは7超宇宙のいずれの業務にも全く無関係である。
創造物であるあなたは、創造者を思い描くことができるが、創造者でも創造物でもない知力ある存在体の巨大かつ多様な集合体が存在するということをとても理解することはできない。これらの先験的存在体は、存在体を創造しないし、それらも決して創造されたのではない。それらの起源について話すにあたり、新しい用語—気まぐれの、無意味な名称—の使用を避けるために我々は、先験的存在体は、単純に帰結する、生じると言うのが最適であると考える。神格絶対者は、その起源に関係があったのも当然かもしれないし、また先験的存在体の目標に関わっているかもしれないが、これらの特異な存在体は今、神格絶対者に支配されてはいない。それらは、究極なる神に従属しており、それらの現在の楽園滞在は、あらゆる面で三位一体に監督され指示されている。
楽園に到達するすべての人間は、楽園公民とそうするように先験的存在体と頻繁に親しく交わるとはいえ、主たる宇宙の建築家の主席議長である先験的存在体の長により永遠の三位一体の誓いがとり行なわれるとき、新しい終局者集団の1構成員として人間の上昇者は、終局者の受け入れ回路に立つとき、先験的存在体との人の最初の重大な接触がその波瀾万丈のその時に起こるということが明らかになる。主語
主たる宇宙の建築家は、楽園の先験的存在体の統治部隊である。この統治部隊は、極めた心、優れた精霊、崇高な準絶対を持つ28,011の数の人格に達する。有する人格は、28,011に達する。この壮大な集団の主席幹部、つまり上級の熟練建築家は、神格の水準下の楽園全有識者の調整長である。
これらの談話を認可する命令にある16番目の禁止事項は、示している:「賢明であると判断されるならば、主たる宇宙の建築家とその仲間の存在は、明らかにされるかもしれないが、その起源、本質、および目標は、完全に明らかにされないかもしれない。」我々は、しかしながら、これらの熟練建築家が准絶対の7段階に存在するということをあなたに知らせても差し支えない。これらの7集団は次の通りに分類される:
1. 楽園段階。上級建築家か、最初に-帰結の建築家だけが、準絶対のこの最上段階において機能する。この究極の人格—創造者でも創造物でもない—は、結局は永遠の夜明けになり、楽園の絶妙の調整者とその関連活動の21の世界として現在機能しているのである。
2. ハヴォーナ段階。第2建築家の帰結は、3名の熟練の立案者と準絶対の行政者をもたらし、それらは中央宇宙の10億の完全球体の調整につねに専念してきた。楽園の言い伝えは、これらの3建築家は、前帰結の上級建築家の助言と共に、ハヴォーナの計画に貢献したと断言するが、我々には本当のところは分からない。
3. 超宇宙段階。第3準絶対段階は、楽園の主たる7精霊と共に、また無限の精霊の特別な7つの世界の崇高なる7幹部と共に、今ほぼ均等な時間を費やす集団として7超宇宙の熟練の7建築家を擁する。それらは、壮大な宇宙の超調整者である。
4. 一次空間段階。この集団には建築家70名がおり、我々は、現在の7超宇宙の境界を超えていま結集する外部空間の最初の宇宙のための究極的な計画に関係していると推測する。
5. 二次空間段階。この5番目の部隊には、490名の建築家がおり、それらは、既に我々の物理学者が明確なエネルギー動員を探知した外部空間の第2宇宙に関係があるに違いないと、我々は、再び推測するのである。
6. 三次の空間段階。熟練の建築家のこの6番目の集団には、3,430名がおり、それらは、外部空間の第3宇宙のための巨大計画に専念しているかもしれないと、我々は、同様に推論する。
7. 四次空間段階。これ、最後の、そして最大の部隊は、24,010 名の熟練の建築家から成り、もし我々の前文の憶測が妥当であるならば、それは、外部空間の絶えず増加する規模の宇宙の4番目と、そして最後と関連づけなければならない。
熟練の建築家のこれらの7集団は、合計28,011名の総宇宙立案者である。永遠のはるか昔、第28,012番の熟練の建築家が、帰結を試みたというが、この存在体は、宇宙なる絶対者による人格掌握を経験し、准絶対化に失敗したという言い伝えがある。前後関係熟練の建築家の一連の上昇が、第28,011番の建築家における准絶対性の限界に達するということ、そして28,012番目の試みが、絶対者の臨場の数学的段階に遭遇したということは、可能である。言い換えれば、28,012番目の帰結段階における准絶対性の特性は、普遍者の段階に相当し、絶対者の価値に至ったのである。
それらの機能的な組織においてハヴォーナの3統轄建築家は、単独の楽園建築家への准補佐として行動する。超宇宙の7建築家は、ハヴォーナの3名の監督の同位者として行動する。第一外空間段階の宇宙の70名の立案者は、現在のところ7超宇宙の7建築家への准補佐として務めている。
主たる宇宙の建築家には、最初の帰結の、また準先験的存在体である根源力の組織者の巨大な2系列を含む思うままにできる補佐と助手の多数の配置集団がいる。これらの主たる根始力の組織者は、壮大な宇宙に密接に結びついている力の指揮官と混同されてはならない。
例えば終局者の三位一体の子らと楽園公民などの時と永遠の子らの結合により産出されるすべての存在体は、熟練の建築家の被後見者になる。しかし組織された現在の宇宙において機能している他のすべての創造物あるいは実体のうち単独使者と喚起された三位一体の精霊だけは、先験的存在体と主たる宇宙の建築家とのいかなる有機的連携をも維持する。熟練の建築家は、地方宇宙の組織のために創造者たる
息子の宇宙への任務の技術承認を与える。熟練の建築家と楽園の創造者たる息子の間には非常に近い関係があり、この関係は非啓示であるが、あなたは、最初の経験的な三位一体の関係における建築家と壮大な宇宙にいる究極の創造者の提携について知らされてきた。これらの2集団は、進化の、経験的な崇高なるものとともに、先験的な価値と主たる宇宙の意味の三位一体の究極を構成する。
上級の熟練の建築家には終局者の7部隊の監督がおり、それらは次の通りである。
1. 人間終局者部隊
2. 楽園終局者部隊
3. 三位一体化の終局者部隊
4. 三位一体化の複合終局者部隊
5. ハヴォーナ終局者部隊
6. 先験的終局者部隊
7. 目標の非啓示の息子部隊
これらの各目標部隊には、主席議長がおり、この7名の主席議長は、楽園に目標の最高協議会を制定する;グランドファンダは、現在の宇宙時代、究極の目標の子らのための宇宙任務にあるこの最高機関の長である。
これらの7終局者部隊の集合は、おそらく崇高なるものの今後の主たる宇宙の機能をさえ超える可能性、人格、心、精霊、准絶対、および体験上の実現性を現実移行することを意味する。7終局者部隊は、三位一体が、おそらく外空間宇宙における想像もできないような発展に備え有限性と準絶対性の根源力を集めることに従事している究極の三位一体の現在の活動を意味する。この動員らしきことは、楽園三位一体が、楽園とハヴォーナの当時の既存の人格を動員し、また時間と空間の映し出された7超宇宙の行政者と支配者としてそれらを任命したほぼ永遠に近い時代以来、行われたことはない。7終局者部隊は、外宇宙の未来-永遠の活動における将来の未発達の可能性の必要性に対する壮大な宇宙の神性反応を表す。
我々は、生息界の、すなわち新系列の優れた、しかも特異な存在体が住む新球体の将来の、より大きい外宇宙を大胆に予測する。これが、その究極性の中の物質的、崇高的宇宙、唯一重要な詳細に欠ける広大な創造—上昇生活の普遍的生活における実際の有限経験の臨場—であろう。そのような宇宙は、経験上の途轍もない不利な条件下に生まれるであろう:全能の崇高者の発達における参加の喪失。これらの外宇宙はすべて、崇高なるものの無比の奉仕活動と崇高な総括的管理の利益を得るが、崇高なるものの積極的な臨場の他ならぬその事実は、崇高なる神格の実現へのそれらの参加を前もって排除する。
壮大な宇宙の進化する人格は、宇宙時代の現在、崇高なる神の主権の不完全な実現に起因して多くの困難を受けるが、我々は皆、崇高なる神の発達の独自の経験を共有している。我々は、崇高なる神の中で進化し、崇高なる神は、我々の中で進化する。永遠の未来のいつか、崇高なる神格の進化は、宇宙歴史の成就された事実となるであろうし、この素晴らしい経験に参加する機会は、宇宙活動の舞台から通り過ぎてしまうことであろう。
宇宙の青春時代に我々の中のこの特異な経験を踏んだものは、すべての将来の永遠の至るところにこの特異な経験を秘蔵するであろう。そして、崇高なるものの時間 -空間進化に参加しなかった場合、他の同様に新規採用を行う6部隊と関連して、経験的欠如を代償する努力においてこれらの外端宇宙の行政をすることが、上昇の、そして完成している必滅者の終局者部隊の徐々に増え続けている予備部隊の任務であるかもしれないと、我々の多くは推測するのである。
これらの欠如は、宇宙存在の全段階において不可避である。精霊生存のより高い段階の我々は、宇宙時代の現在、進化の宇宙を治め、上昇する人間に奉仕活動をし、その結果より高い精霊的経験の現実におけるそれらの欠如の埋め合わせを試み、いま下りて来るのである。
たとえ外側のこれらの創造に関わる主たる宇宙の建築家の計画について本当に何も知らなくとも、それでもやはり我々は、3つの事柄に関して確信している:
1. 外空間の領域において徐々に組織化している宇宙の巨大で新しい体系が実際にある。物理的創造の新系列、つまり生息の組織された創造の現在の領域をはるかに超えた群れて動く宇宙の多くの途方もなく巨大な回路は、あなたの望遠鏡を通して実際に見えるのである。現在のところ、これらの外側の創造は完全に物理的である;それらには、明らかに居住者はなく生物による管理を欠いているようである。
2.他の6終局者部隊と関連し、時間と空間の完成して上昇する存在体の説明されない、かつ完全に神秘的な楽園動員が、 何時代も続いている。
3. 神格の崇高な人格体は、これらの活動に付随して超創造の全能の主権者として力を得ている。供給している。
我々が、創造物、宇宙、および神格を含むこの三位一体の進展を見るとき、何か新しく非啓示のものが主たる宇宙における頂点に近づくと期待する我々を批判できるであろうか。我々が、これまでの未知のそのような規模における物理的宇宙のこの長年の動員と組織と崇高なるものの人格出現を神性の完全性へと増進する時間の必滅者のこの途轍もない向上計画と、そして終局者部隊における楽園でのその後の動員—宇宙神秘に包まれている名称と運命—とを結びつけて考えることは当然なことではないか。終局者部隊の集合は、それぞれが現在の超宇宙のうちのいずれか1つよりもすばらしい少なくとも7万の物質集合体の群がりを我々がすでに確認ができる外空間の宇宙における何らかの今後の奉仕に運命づけられてるということは、ますます全てのユヴァーサが信じるところである。
進化の必滅者は、空間の惑星に生まれ、モロンチア世界を通過し、精霊宇宙を昇り、ハヴォーナ球体を横断し、神を見つけ、楽園に到達し、第一終局者部隊に召集され、その中にあって宇宙奉仕の次の課題を待ち受ける。集合する他の6終局者部隊があるが、人間の最初の上昇者であるグランドファンダは、終局者の全系列の楽園長として取り仕切る。そして、我々は、この崇高さを眺めるとき、強調的に言う。動物-起源の時間の子らにとっての、空間の物質の息子らにとっての何という栄光の目標!
[ユヴァーサの日の老いたるものにより機能するように認可された神性顧問と名前と番号を持たないものたちによる共同後援]
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神格の本質、楽園の現実、中央宇宙と超宇宙の組織および働き、壮大な宇宙の人格、そして進化する必滅者の高い目標を描写するこれらの31の論文は、西暦1934年に、ネバドンに属するノーラチアデクのサタニア606号であるユランチアにおいて我々が、これをするべきように指示するユヴァーサの日の老いたるものにより出された命令に従い行動する24名のオーヴォントンの行政者から成る高等弁務官により後援され、策定され、英語に翻訳された。